司会進行( レ・ イピン=楽奕平) 大変 お待たせしました。ただいまより二〇 一六年度SSC国際シンポジウム「社 会構造を変革する持続可能な開発目標 ) 」を開会いたします。本日の ( SDGs 司会進行を勤めさせていただきます、 東京大学サステイナビリティ学連携研 究機構研究員のレ・イピンと申します。 どうぞよろしくお願いいたします。 初めに、開会にあたり、SSC理事 長、 仲上健一よりご挨拶申し上げます。
■開会挨拶1
仲上健一 なかがみ けんいち
および、後援団体としまして、公益財 団法人日本工学アカデミー、一般社団 法人世界貿易センター東京、で行われ ます。関係各位に厚くお礼申し上げま す。 持続可能社会の実現は、二一世紀の 地球環境と人間社会の存続に関わる重 大な問題です。この課題に果敢に挑戦 しようとする俯瞰的で超学的な学術体 系がサステイナビリティ学であり、そ の社会的実装を目指すことがSSCの 重要な責務と自覚しております。SS Cはサステイナビリティ学連携研究機 構のプログラム育成期間終了に伴い、
一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事長 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)客員教授
本日は二〇一六年度SSC国際シン ポジウム「社会構造を変革する持続可 ) 」にご参加いた 能な開発目標( SDGs だきましてまことにありがとうござい ます。主催者を代表してご挨拶申し上 げます。 本シンポジウムは、国立研究開発法 人科学技術振興機構の「平成二八年度 科学技術外交の展開に資する国際政策 対話の促進」の支援を受けた事業であ り、共催団体としまして東京大学サス テイナビリティ学連携研究機構、国際 連合大学サステイナビリティ高等研究 所、フューチャー・アース、日越大学、
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SSC 国際シンポジウム
社会構造を変革する 持続可能な開発目標(SDGs)
2015 年 9 月,ニューヨークの国連本部で「国連持続可能な開発サミット」 が開かれ, 「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための 2030 アジェン ダ」が採択されました。そこに 2030 年までに達成する目標として掲げられ たのが「持続可能な開発目標(SDGs) 」です。SDGs は 17 の目標と,それ を達成するための具体的な 169 のターゲットで構成されています。 本シンポジウムは,SDGs を中心テーマに据え,SDGs の精神を生かして社 会を持続可能なかたちに変革するために,政府,企業,大学,市民がどのよ うな役割を担うべきかについて幅広く論じました。 ●支援:JST 国立研究開発法人科学技術振興機構 ●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC) ●共催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) , Future Earth, 国際連合大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS) , 日越大学 ●後援:公益財団法人日本工学アカデミー(EAJ) 一般社団法人世界貿易センター東京 ●日時:2017 年 3 月 25 日(土)13:00~17:10 ●会場:東京大学本郷キャンパス安田講堂 2
します。
司会 仲上理事長、ありがとうござい ました。 ■開会挨拶1
たけうち かずひこ
武内和彦
続きまして、東京大学サステイナビ リティ学連携研究機構機構長で、SS C理事の武内和彦よりご挨拶申し上げ ます。
一三年度には、 「包括的な福利」という 考え方、つまり、豊かさは金銭的な価 値にとどまらす、もっと広い豊かさを 捉えるべきとの概念について検討しま した。 また、 豊かな社会を創るために、 多様な人々がともに参加するステーク ホルダー参加型のアプローチの議論も しました。二〇一四年度には、自然と 共生する社会をどのように創っていく かを議論し、学術と社会が連携した
東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長・教授 一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事
私からは、これまでのSSCの活動 の経過と、本シンポジウムの狙いにつ いてお話をさせていただきます。 先ほど仲上理事長からも説明があり ましたように、SSCはこのようなシ ンポジウムを毎年開催してまいりまし た(図①) 。二〇一二年度には、知識を 俯瞰的に見て体系化していくこと、そ して、社会システム全体をどう変革し ていくかについて検討しました。二〇
コ・デザインという考え方を検討しま した。そして昨年度は、いま私ども東 大IR3Sが推進しているフューチャ ー・アースについて議論しました。フ ューチャー・アースは、地球環境問題 に対する国際的、 統合的な取り組みで、 世界全体で一〇年間続けようとするも
が担わ ので、その一翼を私ども IR3S せていただいています。そこで、国際 的なネットワークの強化の重要性や、 サステイナビリティ学とフューチャ ー・アースの関連づけなどについて検 討しました。 そうしたこれまでの議論を踏まえて、 本シンポジウムでは、いま世界的に話 題になっている「持続可能な開発目標
) 」に焦点を当てようと考えま ( SDGs は、それ以前にあったミ した。 SDGs )の成果を レニアム開発目標( MDGs 踏まえつつ、より視野を広げて、持続 可能な社会を創っていくために地球的 な課題に対して取り組もうとするもの
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それまでの研究教育・普及啓発活動を さらに発展させるとともに、政府、自 治体、大学、研究機関、企業、NPO との連携を強化し、技術革新と社会変 革に向けた実践活動の展開を図るため に、二〇一〇年五月一九日に設立され ました。SSCの主たる活動として研 究成果の発表のための研究集会や、普 及啓発のための公開シンポジウム、公 開講演会、国際シンポジウム、国際集 会の開催があり、今回の国際シンポジ ウムはその意味で重要な位置付けを持 っております。SSCは過去四回の国
際シンポジウムを主催し、また、重要 な国際会議にメンバーが参加するなど して、サステイナビリティに関する著 名な研究者、学術機関、国際機関、各 国政府、企業、NGOとの強固なネッ トワークを構築してまいりました。今 回のシンポジウムはこれまでの成果を 踏まえつつ、持続可能な社会への変革 を推進することにより実現 を、 SDGs することを目指しております。 本シンポジウムでは、 SDGs という 今日の世界における関心事であるテー マに焦点を絞り、国際政策対話の促進 を目指すために、学界、官界、産業界 の第一線の方々に基調講演をいただく ことになりました。改めてお礼申し上 げます。またパネルディスカッション
を推進するメリ SDGs
がどのように社会変革に では、 SDGs 貢献するのかという意欲的なテーマに なっております。その内容として次の 三点があります。 (1)企業を始めとす る社会構成員が
ット、利点を提示すること。 (2)学術
機関、学術メディアの SDGs 推進にお ける役割の明確化。 (3)学術的成果の 社会実装の加速を、フューチャー・ア
の早期 ースを活用して推進し、 SDGs 目標達成に貢献する。 本シンポジウムで得られる成果・波
及効果が、日本における SDGs の推進 に関する各ステークホルダーのご理解 の促進につながることを祈念いたしま す。 最後になりますが、SSCはこの七 年間の活動実績を踏まえ、持続可能性 に関する研究開発促進支援・教育普及 開発などの活動を行うにあたり、国内 外の学術界、経済産業界、行政機関、 市民、NPO、NGOなどと積極的に 交流し、持続可能性の命題の解決のた めによりいっそう具体的、実践的活動 を展開、促進してまいりたいと考えて おりますので、今後ともなにとぞご指 導、ご支援のほどよろしくお願いいた
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です(図②) 。ミレニアム開発目標は八 つの目標からなり、主として途上国を 対象とし、貧困の削減、食料の安全保 障、衛生環境の向上などを目指してき では目標は一七になり、 ました。 SDGs さらにターゲットが一六九あるという ように、 大変大きな数になっています。 それらを要約すると、人( ) 、地 people )、平和( peace )、繁栄 球( planet ) 、そしてパートナーシッ ( prosperity )という五つのPで全 プ( partnership 体像を把握できると言われています。 さらに要約しますと、地球の限られ た容量のなかで、いかに豊かな人間社 会を築いていくかが、この SDGs では 求められています。それは、決して環 境だけにとどまらずに、経済や社会の 持続可能性も含めバランスの取れた未 来社会を形成していくことが求められ にははっきり ています。また、 SDGs とした数値目標が定められていて、目 標が達成されたかどうか、達成度が評
価できるようになっています。 の一七の目標は図③にある通 SDGs りで、その詳しい説明は後ほど講演さ れる皆さんから順次お話があると思い の達成を目指して国際的 ます。 SDGs に活動をしていくことが重要であると ともに、国内でどのように達成してい くのかを考えるのも、これを批准した 国として大切です。国がそのための計 画を作るだけでなく、いろいろな立場 の人たちが目標達成に向けて取り組ん でいくことが必要で、とくに民間企業 の役割が非常に大きいといわれていま の達成に す。また、大学には、 SDGs 向けて学術的な基盤を提供する役割が あります。私たちは、そのような学術 の立場から、この問題に対していま取 り組んでいるところです。 の一七の目標と一六九のター SDGs ゲットは包括的なものですが、実はそ れぞれがお互いに関係していますので、 その関係性をきちんと理解していくこ
とが重要です。私どもはそれらを体系 化していくことが大きな課題であると
考えていて、たとえば、図④は SDGs と自然共生社会の関係についてまとめ たものです。農業・漁業、持続可能な 資源利用と保全、持続可能な生産と消 費、再生可能エネルギー、そして地域 振興がお互いに絡み合いながら、自然 共生社会の実現に向かって、関連する
の目標の達成を目指すことが重 SDGs 要だということです。 図⑤は、開発途上国において都市の 環境と人々の健康をどのように関係付 けしていくかを示したものです。私た ちは、都市における公害問題を解決す ることとともに、都市の人々の健康を
の関係する 維持していくには、 SDGs 目標とその下にあるターゲットを、こ の図にあるようなかたちで使っていく といいのではないかと提案していると ころです。 これまで一連のシンポジウムを通じ
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図①
図② 6
図④
図⑤ 9
て、私どもは国際的なネットワークを 形成すると同時に、国内のネットワー クの形成にも努めてきました。大学と
市民や企業との連携を進めるなかでの 学術の役割について検討してきました。 今回は、さまざまなステークホルダー
図③
との連携によって SDGs の実現に向け て取り組んでいくための議論を発展さ せたいと考えています(図⑥) 。 とくに、今回のシンポジウムでぜひ 議論したいと思いますのは、国際的な
取り組みと SDGs との関係、とくに先 ほど紹介しましたフューチャー・アー スとの関係、大学や企業などさまざま なステークホルダーの役割、さらに、 そうしたステークホルダーが一緒にな
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ってどのように持続可能な未来を構築 していくのかということです(図⑦) 。 本日のプログラムでは、最初にSS C初代理事長の小宮山先生にお話いた 図⑧
だきます(図⑧) 。それからグローバ ル・コンパクト・ネットワーク・ジャ パンの有馬さんに企業・民間の立場か らご講演いただきます。次いで、SD を推進する SNジャパンという SDGs ためのネットワーク組織の代表をして おられる竹本和彦さんにご講演をお願 いします。そして四人目のマッツ・バ リさんは、スウェーデンからわざわざ お越しいただきましたが、学術と企業 の間の連携を図ることを通して SDGs の達成にどのような貢献ができるのか についてお話いただきます。後半のパ ネルディスカッションでは、コーディ ネーターとして、慶応義塾大学の蟹江 先生に議論をリードしていただきます。 について日本で最も 蟹江先生は SDGs 権威のある専門家です。パネリストと して、環境事務次官の小林さん、大林 組の蓮輪さん、昭和シェル石油の櫛屋 さん、日越大学の副学長のグエン・ホ アン・オアインさんに加わっていただ
き、マッツさんもご一緒にいろいろな 議論していただきたいと思います。 今日は大変盛りだくさんのテーマを 用意させていただきましたが、ぜひ最 後までお聞きいただき、本日の成果を お持ち帰りいただければと思います。 どうぞよろしくお願いします。
司会 武内先生、ありがとうございま した。 それでは基調講演に入らせていただ きます。初めに、 「プラチナ社会の達成
による SDGs の実現」と題して、三菱 総合研究所小宮山宏理事長よりご講演 をいただきます。小宮山先生、よろし くお願いいたします。
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図⑥
図⑦ 10
図① 図②
です。その雑誌の最初の論文を武内さ んと私が書いて、サステイナビリティ とは何か、それをどのように研究して いくのかということを皆で議論したこ とをまとめました。 地球、社会、人間という三つの軸で サステイナビリティを考えます。アメ リカにいまトランプさんという人がい ます。トランプさんに反対する人も結 構たくさんいます。そういう人たちが アメリカの経済や社会を通じて、たと えば温暖化という問題にいろいろな影 響を与え、地球の環境を変えていきま す。つまり、人間と社会と地球が相互 に関わり合っているという構造になっ ています。それら全体のサステイナビ リティを研究するということを私たち は提唱しました。 いまわれわれ人類がどのような位置 にいるのかということを示したのが図 ③です。横軸は時間で一〇〇〇年間分 です。縦軸には地球と社会と人間に関
図③
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■基調講演1
プラチナ社会の達成による
の実現
s G D S
こみやま ひろし
小宮山 宏
を えています。そして、日本で SDGs 達成するということは、プラチナ社会 を目指すことであるというのが第二点 です。
ばいけないのか。人類史が、掛け値な しに転換期にいるからです。量的な飽 和というのが転換期の特徴だと私は考
三菱総合研究所理事長 プラチナ構想ネットワーク会長 東京大学第二八代総長 一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)顧問
持続可能な開発目標( SDGs )は目 標が一七あって、ターゲットが一六九 あります。いまどうして SDGs を考え ることが必要なのか、日本は何をした
を議論しなけれ SDGs
の目標の二番目に らいいのか。 SDGs 「飢餓をゼロに」とありますけれど、 たぶんそれは日本での大きな目標とい うわけではないでしょう。 今日の私の話の内容は二つです(図 ①) 。なぜいま
人類史の転換期
まず、 SDGs が提唱される前のこと をお話します。二〇〇六年に『サステ イナビリティ・サイエンス』という雑 誌が創刊されました(図②) 。出版社は シュプリンガーです。今日ここにおら れる方々が中核になって作った雑誌で、 武内さんが編集長をずっとやっておら れ、いまこの分野のトップジャーナル
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だろうと思います。単に八〇歳、九〇 歳まで生きていればいいというのでは なくて、健康で長生きする、さらにい
うと人間らしい誇りある人生を送れる ようにするというのが、これからの目 標になるのだろうと思います。 これからの社会として何を目指すの かということでは、われわれは自由に 考えていいので、本当は何をしてもい いはずです。それは非常に大切なポイ ントです。 どういう社会を目指すのか、 自由に発想することが極めて重要です。 日本の東京とベトナムのホーチミンで は全然違う社会になっていいのです。 多様性があっていいのです。 ただし、多様であっても、何かしら 共通するものがあるだろうと思います。 一つはエコロジーでしょうし、もう一 つはエネルギーや一次産品といった資 源の心配がないことでしょう(図⑤) 。 そして、長生きができて、六五歳で定 年になってもみんなが元気でいられ、 だれもが参加できる参加型の社会であ ることが重要だろうと思います。GD Pは社会の重要な因子ではあっても、 図⑤
自動車をもっと売ってもっとGDPを 増やすというようなことはもうありえ ないでしょう。人間が本質的に欲しい と思うことの周辺に新しい産業が生ま れ、そこに雇用が生じるのだろうと思 います。 以上のような、これからの社会が必 要とする条件を具えているのがプラチ ナ社会であると私は定義しています。
自然共生社会の入口
図⑥の左側の写真はかつての日本で す。一九六〇年代の北九州の空と海は こうだったのです。現在では右側の写 真に見るようにすっかりきれいになり ました。 私が東京大学を卒業したころの東京 の隅田川は汚くて臭かったです (図⑦) 。 いまの隅田川では鮎が群れをなして遡 上するようになりました。多摩川も毎 年一〇〇〇万匹の鮎が遡上するまで回
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する三つの代表的な指標がとられてい ます。一つは社会に関する指標で、具 体的には世界平均の一人当たりのGD Pです。一人当たりのGDPは、西暦 一〇〇〇年ごろから二〇世紀の入口ま で、きわめてゆっくりと増加し、人間 は物質的に少しずつ豊かになってきま した。ところが、二〇世紀に入って一 気にそれまでの七倍にはねあがりまし
図④
た。 人間に関する指標として、平均寿命 が示してあります。一九〇〇年の世界 の平均寿命は三一歳でした。それが二 〇一一年には七一歳になりました。ギ リシアやローマの時代には大体二四~ 二五歳だったとされ、少しだけ伸びて 一九〇〇年にようやく三一歳になった のが、二〇世紀に入って一気に伸びた のです。 地球を代表する指標として、大気中 の二酸化炭素濃度を示しました。これ も二〇世紀に入って一気に増えました。 これから三つの指標を変えた原動力 になったのは基本的に産業革命です。 産業革命で生産性を上げた人類はGD Pを増やし、物質的に豊かになって、 人間は長生きできるようになり、同時 に大気中の二酸化炭素濃度を増やして 地球の気候を変えるようになりました。 その変化のスピードがものすごく速く て、豊かになることから取り残されて
飢えている人々がまだまだいる一方で、 豊富に食べることができて肥満の方が むしろ問題なっている国がたくさんあ ります。犬の糖尿病さえ珍しくなくな っています。 飢えのように人類がこれまで抱えて きた課題は、この地球上のどこかで依 然として解決されていな状況にありま す。その一方で、先進国である日本が この先に目指すのは何だろうかという ことで、私が提案しているのがプラチ ナ社会です(図④) 。衣食住を中心とし たモノに関して、われわれは量的に満 足するような状況をほぼ手にし、情報 についてもインターネットを通じでど こにいてもすぐに手に入れることがで きるようになり、移動もここ数十年で 国内であればほぼどこでも日帰りで行 けるくらいにまでなりました。長生き もできるようになりました。そうする と、その先に何を目指すのかとなった ら、やはりクオリティ、質的な豊かさ
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三〇年代にはまだ豊かな水があって、 そこで洗濯をし、子どもたちが遊んで いました。ところが、四つの会社がも のすごい勢いで地下水をくみ上げてこ こには水が少なくなり、しかも人々が 下水を垂れ流しにしたために、汚れた
どぶ川になってしまいました。これで はいけないとNPOが立ち上がり、そ の動きに社会が追随し、企業も使った 水を後処理して上流に戻すということ をしたことから、水量豊かな流れが復 活しました。いま三島市には五二キロ の遊歩道があり、ホタルの群舞を見る こともできて、この二五年間で観光客 が一七〇万人から七〇〇万人を超える までになりました。いま日本の地方都 市ではどこでもシャッター街があるな かで、三島市からは空き店舗がなくな りました。エコロジーがエコノミーに 直結するという非常にいい事例です。 プラチナ社会の必要条件の一つは自 然共生です。自然共生の結果としてエ コノミーもよくなるのです。しかし、 それが全然できていないのが日本の山 です。 日本は林業を捨て、山はほったらか しです。皆さんご存じでしょうか、先 進国の多くは木の輸出国です。どの国 図⑨
もしっかりと林業に取り組んでいます。 先進国でたくさんの木を輸入している のは日本とイギリスだけです。日本の ように国土の三分の二が森林で覆われ ていたら、木の輸出国であるのが当然 なのに、日本の林業は全然そうではな いのです。日本は明治維新以来、工業 ばかりを進めて、農林水産業をスポイ ルしてきました。山は荒れ放題で、密 林化して土壌が弱くなり、豪雨や大地 震があると土砂崩れが起きてしまいま す。国土強靱化といいながらその反対 のことをこれまでしてきたのです。き ちんと林業を復活させれば、自然共生 が実現し、働くチャンスが生じ、五〇 万人の雇用が見込めます(図⑨) 。エコ ツーリズムで都会から観光客を呼ぶこ ともできるでしょう。子どもの林間学 校だってできます。 日本は公害を克服していま自然共生 社会の入口にいます。本格的に自然共 生社会を作る取り組みを始めるべきで、
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復しました。佐渡ではトキが、豊岡で はコウノトリが生息する環境が復活し てきています。公害を克服して、自然 共生社会に近いものを得つつあるのが
いまの日本です。 自然の再生はビジネスにもつながっ ています図⑧) 。 東京から新幹線で四〇 分で三島駅に着いて、そこから歩いて
図⑥
図⑦
一〇分というところで、私は昨年ホタ ルの群舞を見ました。三島は、もとも と富士山の伏流水で水が非常に豊富で、 美しい流れのあるところでした。昭和
16 図⑧
は理論値で、実際にこの値通りにはな りませんが、スクラップはすでに酸素 が取られた鉄なので、再利用するとき に必要になるエネルギーがずっと少な
くてすみます。アルミニウムだったら 再利用のためのエネルギーは三〇分の 一くらいです。 ですから、スクラップがあるという ことは資源がある上に省エネだという ことです。これは日本にとって大いな る希望です。二一世紀のなかばには、 人類は地下から採掘する資源から解放 されるのです。
エネルギーの自給を目指す
次にエネルギーについてみます。エ ネルギーで大切なのは第一に省エネで す。省エネによってエネルギー消費が 減ります。自動車は一年間に五〇〇万 台が廃車になって新しい車が五〇〇万 台入るわけですが、一二年前の車が廃 車になってハイブリッド車に置き換わ るとガソリンの消費は三分の一になり ます(図⑫) 。自動車だけでなくいろい ろなところでエネルギー効率が上がっ
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くる方がエネルギー的に三分の一から 四分の一ですむという事実があるから です。鉄鉱石というのは酸化された鉄 です。 地球大気には酸素があるために、 鉄は酸化されて錆びてしまいます。錆 びた鉄から酸素を取りはずすにはたく さんのエネルギーを使わなければなり ません(図⑪) 。ここに示されているの 図⑪
図⑫
それはできると思います。
日本に資源はある 日本には資源がない、だから資源を 輸入して、それを加工して輸出する加
図⑩ 工貿易で生きていくのだと私たちは小 学校以来教わってきました。そんなの はいまではウソです。日本には資源は あります。それも、たっぷり必要十分 なだけあります。そのように認識する ことが今後の社会を考える基本になり ます。 資源がたくさんあるというのはどう いうことか。日本の社会にはモノが飽 和しています。自動車でいうと、いま 日本には六〇〇〇万台の自動車が走っ ています。六〇〇〇万台という数字は ここのところ全然変わっていません。 廃車になった分だけ新車が売れて、走 っている車の数は一定という状況にあ ります。いま平均すると一二年で廃車 になっています。六〇〇〇万台割る一 二年イコール五〇〇万台というのが、 日本で一年間に自動車が売れる数です。 その数字がほぼ一定であるために、ト ヨタが売れればホンダが減るというゼ ロサムゲームを自動車メーカーはやっ
ているのです。基本的に先進国ではど こも自動車が飽和していています。飽 和しているのは自動車だけでなく、ビ ルの床面積も飽和していますし、ほと んどの人工物が飽和しています。 鉄について、日本の国内だけで見る と、新しいビルや自動車のために一年 間に三〇〇〇万トンから四〇〇〇万ト ンの鉄を使い、同じく三〇〇〇万トン から四〇〇〇万トンをスクラップにし ています。スクラップを捨てないで溶 かしてもう一回使えば、ほとんど足り てしまいます(図⑩) 。鉄をリサイクル して使えば鉄鉱山はもういらなくなる のです。これは重要なことです。もち ろん完全になくなるわけではなくて、 品位のいい露天掘りとかの優良な鉱山 は残るでしょう。 これは夢を語っているのではなくて、 二〇五〇年には現実に世界でおこるこ とです。なぜなら、鉄鉱石から鉄を作 るより、スクラップを溶かして鉄をつ
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ますが、 それはウソだということです。 実際のデータを見てください (図⑮) 。 棒グラフはGDPでだんだん増えてい ます。赤い線はエネルギー消費で、最
このデータを、一九七三年を一とし て書き換えたのが図⑯です。一九七三 年というのは第一次オイルショックの 年です。それまでは石油一バレルが二 ドルから三ドルで、湯水のごとく石油 を使って経済が成長してきました。G DPが増えるとエネルギー消費はその まま増えるという時代でした。 一九七三年に石油の値段がいきなり 二〇ドルとか四〇ドルぐらいまで跳ね 上がり、産業界は一生懸命に省エネを しました。それから一二年間、工業部 門のエネルギーは増えていません。一 九七三年のGDPは二〇〇兆円で、一 二年後に三三〇兆円となり、いまは五 〇〇兆円です。GDPがそれだけ増え ても、エネルギー消費はそこまで増え ていません。まさにエネルギーと経済 のデカップリングです。いま世界で二 酸化炭素の排出量と経済のデカップリ ングということがさかんにいわれてい ますが、オイルショックの一二年間で 図⑯
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近では毎年一・七パーセントずつ減っ ています。青い線が電力消費で、これ も毎年〇・八パーセントずつ減ってい ます。 図⑮
ていくので、エネルギー消費は次第に 下がっていきます。 日本でたくさんのエネルギーを使っ ているのは自動車とビルと家庭と工場 です。ビルに関していろいろな企業が 実験していて、三階建てまでならエネ ルギーの収支をゼロにできます (図⑬) 。
これはもう古い話なのですが、今日 もやはりお話しておきたいと思います。 小宮山エコハウスという一時有名だっ た家があります(図⑭) 。一四、五年前
図⑬
に、ゼロエネルギーの家ができると主 張して作ったもので、太陽電池の発電 量と電気の消費量が大体バランスして いて、少しだけ足りません。いまハウ スメーカーが売っている家は私の家よ りも使っている材料も何もかもずっと よくなり、エネルギー消費量が少なく なっていますから、発電した電気が余 るようになっています。つまり、家庭 が発電所になっているのです。 車の数が一定なように、家の数も一 定です。六〇〇〇万軒で、そのうち八 〇〇万軒が空き家です。ビルの数もほ とんど一定で、新しいビルは作るけれ ど、それは古いのを壊して作っている だけです。工場は数が毎年減っていま す。建物に関してはエネルギーを消費 するところの数が一定で、効率が上が っていくわけですから、エネルギーの 消費量は減ります。 日本のエネルギー消費は今後も増え 続けて、原発が必要だという話がされ
図⑭
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ないと裸になれませんでした。ところ がいまの断熱がよくてエネルギー効率 のいい家はそれほど寒くありません。 自動車はガソリンをじゃぶじゃぶ使う 車とハイブリッド車とではどっちが快 適ですか? エネルギーが少なくなっ て生活のクオリティは上がるのです。 GDPは多少ながら増えます。これが プラチナ社会へ向かうイノベーション です。 この図に示されている程度の再生可 能エネルギーを今後入れていくという のは極めて合理的な目標です。私の家 の太陽電池は、初期投資にしかお金が 掛かっていません。太陽電池パネルは 汚れるから拭かなければならないとい いますが、 私の家では拭いていません。 拭こうと思っても二階の屋根に積んで あるので危なくて登れません。一四年 間ずっと発電量を測っていて全く減っ ていません。私より一〇年前に太陽電 池を積んだお宅でも何もしていなくて
発電が続いています。太陽電池壊れま せん。電気を生み続けてくれます。こ れこそ次世代に対するギフトではない ですか。 比べてみてください。石炭火力にす るのか、再生可能エネルギーにするの か。石炭を燃やし続けるのでいいので すか。あるいは原発を残すのですか。 未来のためにどうするのですか。世界 の決断はほとんどすでに決まっている のです。 私の提案は、 エネルギー、 鉱物資源、 食料、木材資源、水といった基本的な ものは日本で自給を目指すということ です(図⑲) 。鎖国するという意味では ありません。もちろんいろいろな商品 のやりとりはありますが、基本的な必 要物質は二〇五〇年には自給できるよ うになります。そのころには、中国も インドもアフリカもいまの先進国のよ うに豊かになろうとしています。豊か な人たちがいまの倍ぐらい地球上で住
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う選択をしているのです。 以上のようなことから、エネルギー に関して私が提案するのがこのモデル です(図⑱) 。二〇〇八年からエネルギ ー消費はどんどん下がっています。し かし生活のクオリティは上がります。 小宮山エコハウスの前の私の家はトイ レが寒く、お風呂場にヒーターを入れ 図⑲
すでに日本はそれをやっていたのです。 その後、人工物が飽和し、産業がサ ービス化されました。二一世紀になっ てからは、飽和した人工物がエネルギ ー効率の高いものと入れ替わることで
図⑰ エネルギー消費が減るようになりまし た。二〇一五年のエネルギー消費は一 九八八年のエネルギー消費と同じです。 この事実に目を向ければ、日本のエネ ルギー消費がこれからも増えていくな
図⑱
どということにはならないとわかるは ずなのです。 新しい発電所を作ろうとしたときに、 世界ではどのような発電所が作られて いるのでしょうか。日本ではほとんど いわれていないのですが、大半は再生 可能エネルギーです(図⑰) 。一番多い のが大規模水力を除く再生可能エネル ギーで、風力、小水力、太陽電池、バ イオマス、それに地熱です。次に多い のが化石燃料で、三番目が大規模水力 です。大きなダムによる発電が結構あ るのですが、これも再生可能エネルギ ーです。大規模水力も合わせた再生可 能エネルギーが六〇パーセントです。 二〇一六年の新しい数字では七〇パー セントです。どうして再生可能エネル ギーなのかというと、安いからです。 化石燃料は石炭とガスで、これからは 石炭火力の発電所などはもう作れなく なります。原子力は四~五パーセント しかありません。世界の市場はそうい
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ラボで新しい製品をどんどん出してい るのです。 アラタナという宮崎に本社のあるベ ンチャー企業があります。いまでは一 二〇人以上も雇って成功している会社 です。オフィスが宮崎にあっても何ら ハンデキャップがないと、社長はいい 図㉑
ます。オフィスを一歩出れば、そこに は宮崎のすばらしい住環境、自然環境 があります。 この二つの会社の例は何も特別なこ とではありません。自由な働き方がで きるということが視野に入ってきたの です。 それなのに、 一〇〇時間残業で、 以上か未満かみたいな議論をしている ことでいいのでしょうか。大きな自由 度があるということを前提に社会づく りを考えないと間違えてしまうのでは ないでしょうか。
プラチナ社会は実現する プラチナ社会はこれからの日本の目 指すところです(図㉑) 。そして、途上 国もこれを目指すべきなのです。日本 のように自然を一回汚して、それから もう一回きれいにするということをす るよりは、直接きれいなままであるの を目指す方がはるかに安上がりです。
水俣病やカドミウム病も、公害を出さ ないためにきちんとお金を使っていた ら、一〇〇〇分の一の費用ですんでい たはずです。中国もPM二・五を出さ ないようにできます。そのために瞬間 的にはお金がかかっても、一〇年ぐら いの長さで考えたら安いのです。そう いう点で人類は少し賢くなりたいと、 本当に思います。 本日ここにこられた方のなかには、 私の話をもう何度か聞いているという 人もたぶんおられると思います。その 人たちのなかにも、あるいは初めて聞 いたという人のなかにも、どうも腑に 落ちない、小宮山は面白そうなことい っているようだけど、ウソじゃないか と思っている人はいないでしょうか? 私は最近『新ビジョン2050』とい う本を出しました。これに対する日経 の書評が面白いです(図㉒) 。 「こう書 くと月並みだが」とあって、何が月並 みなのかというと、「プラチナ構想が決
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むという時代のモデルが、これから日 本が目指すべきプラチナ社会なのです。
今日はここまで自然共生とエネルギ ーの話をさせていただいたのですが、 もう一つ大切なのは自由な生き方です (図⑳) 。 私たちは相変わらず朝の八時 から九時まで、夕方の五時から六時ま で満員電車に乗っています。これだけ 豊かで自由な時代になって、どうして こんな馬鹿なことをしているのでしょ うか。おかしいと思いませんか。三菱 総研なんて、会社にいる人の八割から 九割はパソコンに向かっています。工 場でも集中管理室でパソコンに向かっ ています。それなのになぜ満員電車で 苦労しないとならないのですか? ほとんどの人々が農業に従事してい た時代には自由はありませんでした。 稲が育つのに合わせて農作業をしなけ
自由な社会
図⑳
ればならなかったからです。働き方に ついて議論する余裕などありませんで した。『女工哀史』 の時代はどうですか。 機械がどんどん動いて、それが生産量 に直結したので、人はそれに合わせて 一生懸命に働くしかありませんでした。 それ以外の働き方はなかったのです。 いまは新しい働き方を議論できる時代 です。ところが、昔からの惰性で、年 寄りが駄目だといったり、変える勇気 がなかったりでなかなか変わっていき ません。 前川製作所という産業用の冷凍シス テムを作っている会社があります。六 〇歳が一応の定年ですが、本人がいた いといい、周りがいいといえばいくつ になっても働いていいことになってい ます。一昨年まで九三歳の人が働いて いました。去年その人が辞めて一気に 若返ったけれど、いま一番上は八五歳 です。私はこの会社の話が大好きで、 ブラブラしている年寄りと現役とのコ
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■基調講演1
s G D S とCSR
ありま としお
有馬利男
いただきます。 SDGs は社会の課題、 あるいは目標で、CSRはそれに取り 組む企業の側の社会的責任であるとい う位置付けで、この二つがどのように 対応するのかということをお話したい と思います。 本日は三つのことをお話します(図 ①) 。一つは、社会課題と企業のミッシ ョン、もう一つは、CSRを推進する いろいろな動きについて、そして三つ
国連グローバル・コンパクト ボードメンバー 一般社団法人グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン代表理事 認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム共同代表理事 富士ゼロックス株式会社イグゼクティブ・アドバイザー
私は国連グローバル・コンパクトの ボードメンバーであり、グローバル・ コンパクト・ネットワーク・ジャパン の代表理事という役割を担っておりま すが、私の体を流れている血は企業の 経営者、あるいはビジネスマンとして のものでありますので、本日はビジネ あ ス、あるいは経営の視点から SDGs る い は C S R ( Corporate Social )についてお話させて Responsibility
目が特にお話をしたいことになるので すが、企業の取り組みの現状と今後の 考え方です。
CSRとは
図②は、少しわかりづらいかもしれ ませんが、中央に縦に並んだ箱が、企 業のいわゆる収益の構造です。売上が あって原価と経費と人件費があって税
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図㉒
して絵空事ではないと納得できる」と いうのです。書評した人も、実は絵空 事だと思っていたということですよ。 私の話は絵空事ではありません。皆 さんは加工貿易などという話をずっと 聞かされてきたから、それが本当のよ うに思っているけれど、実はそうでは ないのです。再生可能エネルギーの方 がほかのエネルギーよりも安いという のが、 世界の常識で日本の非常識です。 ということで、ウソだと疑って聞い ていた方も、ぜひこの本を読んでみて ください。これはプラチナ教の経典で す。
司会 小宮山理事長、ありがとうござ とCS いました。続きまして「 SDGs R」と題して、国連グローバル・コン パクトボードメンバー、有馬利男様よ りご講演いただきます。よろしくお願 いいたします。
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品あるいはサービスを使って社会課題 に取り組んでいくこと。わかりやすい 例としてはリサイクルがあるでしょう か。私は富士ゼロックスという会社で 長年働いてきましたが、複写機や事務 機は古くなると捨てられてごみになり ます。それをリサイクルすると資源に なります。リサイクルは、自社の既存 の事業を使って社会に対する責任を果 たすということになります。 三つ目が、 社会課題のソリューションに新規事業 として取り組んでいくということです。 自社の持っている技術や生産力、人の 力などを使って、いままでやったこと がないような領域での課題に取り組ん で、 事業にしていくという考え方です。 おそらく、いままでの一般的なCS Rの理解はこの一番目で、二番目、三 番 目 は C S V ( Creating Shared )といった感覚で議論されてき Value たのではないかと思います。私からC SRやCSVの定義についてあまり申
し上げるつもりはないのですが、およ その理解としてそう思っていいのでは ないかと思います。
CSRの推進
CSR、CSV、あるいはソーシャ ル・ビジネスのような、企業の社会と の関わりについて、企業には外からの プッシュ、 「ガイアツ」がいろいろとか かっています(図④) 。企業の経営者は 世の中のいろいろな動きに背中を押さ れ、あるいはやらないと損をするぞと いった感覚で行動をしています。 企業の内部においては、経営者・経 営幹部は経営のガバナンスや経営戦略 を常に考えています。外からそこにか かる「ガイアツ」は、三つに分けられ るかと思います。もちろんこれだけに 限ることではないと思いますが、一つ は、理念/原則とかゴールです。たと えば、国連グローバル・コンパクト(U
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いもっと広いCSRをお話したいと思 っています。 事業におけるCSRには三つの切り 口があると思います(図③) 。一つは、 先ほどの縦に箱を並べた事業活動とそ のまわりを取り囲んでいるプロセス、 いわゆるバリューチェーンにおける攻 めと守りです。もう一つは、自社の商 図③
図①
図②
金を払って利益が出ます。それを株主 に配当します。 これが企業の生業です。 企業の社会における責任は何かと問 えば、しばらく前までは、世の中に役 に立つ優れた商品とサービスを提供し、 雇用を生み出し、利益を上げ、株主に 配当し、そしてきちんと税金を払うこ と、 と答える経営者がほとんどでした。 少し余裕があれば、寄付をしたりボラ ンティアを派遣する等の社会貢献を行 う。それに対して、いまCSRでいわ れているのは次のようなことです。こ の縦の箱の並びを動かしていくために は、実はまわりにいろいろなプロセス がある――お客様、 サプライチェーン、 従業員、社会・公共、地球・自然、将 来世代・将来市場といったものとの間 にさまざまなプロセスがあって、それ らに対する企業の責任を認識して、害 をなさない、あるいは役に立つことを やろうというのが、いま広くいわれて いるCSRです。本日はこれに限らな
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図⑤
するようになって大変ありがたいと思 っています。 今日はせっかくここにお招きをいた だきましたので、私が関わっている国 連グローバル・コンパクトに少し触れ させていただきます(図⑤) 。一九九九 年のダボス会議で、当時の国連事務総 長のコフィ・アナンさんが、グローバ リゼーションがもたらす光と影、特に 影の部分について問題提起をしました。 人権の問題、児童労働の問題、環境破 壊の問題、それに後で腐敗防止が加わ りましたが、アナンさんは、国連と民 間企業の力を結集して「人間の顔をし たグローバル市場を作ろう」と提案を し、二〇〇〇年にできたのが国連グロ ーバル・コンパクトです。いま一万三 〇〇〇を超える加盟企業、 組織があり、 七五カ国にローカル・ネットワークが あり、日本にもあります。グローバル・ コンパクト・ネットワーク・ジャパン です。アナンさんに続いて事務総長に
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NGC)がその一つですし、本日のテ
ーマである SDGs もそうです。ISO 26000やGRI、IIRCなど 様々なガイドラインもあります。そう した理念や目標やゴールは、企業の経 営者にCSRの方向性や進め方を示し てくれます。 もう一つが法令・ルールです。これ には罰則のあるハードローと罰則のな いソフトローがあります。ソフトロー の例としては、最近、金融庁と東京証 券取引所が一緒になって作ったコーポ レートガバナンス・コード(CGC) があります。これは、企業の経営のな かでESG(環境、社会、ガバナンス) についてきちんと責任を果たさなけれ ばいけないというルールです。企業は お金の計算だけをしていればいいとい うのではないと、金融庁が言い出すよ うになったのは大きな変化です。ソフ トローのもう一つの例はスチュワード シップ・コード(SSC)です。CG
図④
に力を入れて報道 SDGs
Cが企業を経営する側に向けてのコー ドであるのに対して、SSCは投資を する側の運用会社、あるいは資産を持 っている会社に対して金融庁が出した コードです。ESGにきちんと配慮し て投資をしなさいということです。さ らにもう一つの例がパリ協定です。こ れは二酸化炭素の排出に関する国際的 な合意です。このようなルールがいろ いろと決まってきていて、経営者はそ れによって背中を押されています。 三つ目が市場と社会からの「ガイア ツ」です。市場や社会はいろいろと変 化してきていて、その一つがNGOの 存在です。これについては後で少し触 れたいと思います。そして消費者が変 化してきています。スマート・コンシ ューマやエシカル・コンシューマ、そ してフェアトレードなど、いろいろと あります。メディアももちろん大きな 「ガイアツ」になります。最近では特
に朝日新聞が
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企業の経営者もESGはいいことだ からやりたいし、やらなければいけな いと考えているのだけれども、投資家 向け広報(IR)の場では四半期ごと
りしているという声をよく聞きます。 四半期の予測が当たったか外れたかに 時間を費やすのではなくて、ESGに ついてどう考えているのか、本当に持 続的な経営をしているかどうかを尋ね るアナリストが急激に増えてきていま す。もちろんまだすべてではなく、E SGといっても、それで儲かるのかと いう視点でしか理解しようとしないア ナリストもまだたくさんいます。私は 経済産業省のESG研究会にも参加し ていますが、そこでも、どうやってお 金に換算しようかという議論が結構多 いように思います。長い目で見ればE SG投資が経営にとってプラスになる ということをどのように評価するのか、 まだまだ研究しなければならないとこ ろだと思います。
企業の取り組み
「ガイアツ」の事例としてNGOの
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図⑧
の業績について厳しく問われるので、 なかなかESGに向かって踏み切れな いという実態がこれまではありました。 しかし、ここにきてIRの場が様変わ 図⑦
なった潘基文さんも、現在のアントニ オ・グテーレスさんもグローバル・コ ンパクトボードのチェアマンをして、 毎回ボードミーティングには出てこら れるくらいに、国連として力を入れて います。 グローバル・コンパクト・ネットワ ーク・ジャパンには二五〇を超える企 業・組織が加盟しています。その活動 について少しだけ紹介します(図⑥) 。 現在一四の分科会があり、日本の主だ った企業がどのような課題に関心を持 っているのかがおわかりいただけると 思います。例えば、ヒューマンライツ デューデリジェンス分科会は、買収対 象会社に人権やガバナンスに関する問 題がないかなどの問題をチェックする は女性の活躍の推進 ものです。 WEPs です。明日を共創 (つく)るは気候変動 に関連するものです。表に示された数 字は分科会に参加している企業の数で、 この倍ぐらいの人数が参加して運営さ
図⑥
れています。企業はこういったテーマ に関心を持ち、講師を招いて話を聞い たり、失敗例や成功例などお互いの経 験をシェアし、そのなかから一般に向 けてガイドブックが生まれたりもして います。 先ほどお話をしたスチュワードシッ プ・コード、コーポレートガバナンス・ コードについて補足をします。投資を する側と投資を受ける企業の間には、 インベストメントチェーンといわれる 関係があります(図⑦) 。アセットオー ナー、日本だとたとえば企業年金を運 用・活用するファンドがいます。その 資金を受けて投資をする機関投資家が います。情報を出すアナリストが間に いて、 右側に企業がいます。 企業には、 お金を出してくれるソースが二つあっ て、一つは顧客で、もう一つがこの資 本の注入です。資本を出す側がESG に注視するようになったのが最近の大 きな変化です。
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図⑩
ります。CSR調達、サプライヤーエ ンゲージメント、従業員の能力開発、 拠点のゼロエミッション、省エネ商品 の販売、CSRを切り口としたマーケ ティング、資源循環型システムなどの 活動があります。 たとえば、海外において我々の工場 に部品を納めているサプライヤーにも、 良い環境で良い部品をきちんと作って いただくことが大切です。もしもサプ ライヤーのところで人権の問題や児童 労働の問題が起こると、納品がストッ プして大変困ることになります。我々 はサプライヤーのところに出掛け、現 状をきちんとモニターして評価し、必 要な場合は指導をして、CSR調達の 実現に努めています。このようなこと をすることで、部品のクオリティ、コ スト、デリバリーがきちんと守られる ようになり、サプライヤー側の理由で 部品が届かず我々の工場のラインがス トップするというような事態が激減し、
離職率も改善されました。新たな採用 のための費用が減り、熟練度やモチベ ーションも飛躍的に良くなりました。 CSRにかけた費用は十分に元が取れ るのです。 グローバル・コンパクト・ネットワ
ーク・ジャパンが最近行った SDGs に ついてのアンケート調査があります (図⑩) 。これは調査結果の速報版で、 二〇一五年と二〇一六年を比較してい ます。アンケートはグローバル・コン パクト・ネットワーク・ジャパンに加 盟をしている企業が対象で、もともと 意識 の高い企業で はありますが、
の認知度は、CSR担当者では SDGs 六一%から八四%に上がりました。経 営陣も二八%に増えました。しかし、 中間管理職では四%から微増の五%と いう結果です。CSR担当者が、上は よくわかってくれそうなのだけれども、 その前に部長を通さないとならないの で、そこで止まってしまうと嘆くのを
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図⑨
活動を紹介します(図⑧) 。たとえば、 キットカットのネスレは、かつてイン ドネシアでパームオイルを採るために 自然林を伐採していて、それがオラン ウータンの生息地を破壊するというこ とから、グリーンピースが、オランウ ータンの指とキットカットを一緒にし たイメージを作り、そこから血が流れ 出るというある種グロテスクでインパ クトのある意見広告をテレビで流しま した。グリーンピースの人から直接聞 いた話では、ネスレからその広告をや めてくれというクレームが付いたので すが、世界中のNGOから二〇万件の メールがネスレに殺到して、株主総会 は大荒れになったそうです。ネスレも それで事の深刻さを理解し、すっかり やり方を改めて、いまでは持続可能性 に向けて大変立派な活動をしています。 GAP、任天堂、日本マクドナルドも 同じようにNGOのプッシュによって 変化した歴史があります。
私が長年働いた富士ゼロックスとい う会社の事例をお話します。富士ゼロ ックスは事務機のメーカーで、そのバ リューチェーンを四つに区切ると図⑨ のようになります。一番上流にあるの が資材の調達で、関係するステークホ ルダーとして取引先があります。次が 社内でのR&D(技術開発) 、製造、販 売で、ステークホルダーとして従業員 や、工場の周りなどの地域環境があり ます。それからお客様です。事務機で すからお客様のオフィスに据え付けま す。お客様の電気と場所を使わせてい ただいて仕事をしているのが実は富士 ゼロックスという会社です。そして、 商品は使い終わるとごみになります。 それをスクラップにしないでリサイク ルして使うという地球環境上の課題が あります。 このように四つに区切られたそれぞ れのところで、CSRにどのように取 り組んでいるのかが下の段に示してあ
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富士ゼロックスでもいいですが、サプ ライチェーンを使ってモノを作り、販 売チャネルを通してお客様のもとへと お届けします。そういう流れにおいて は、価格、機能、性能、大量販売、マ ーケットシェアといったことが大いな る関心事になっています。 そしていま、バリューチェーンに何 が起こり始めているのかというのが下 側のラインです。これは私の見方です が、メーカーとエンドユーザーが直結 しようとしています。図ではスマート カストマーと書きましたが、それとメ ーカーとの間で、もちろんモノも流れ るのですが、情報が双方向にリアルタ イムで行き来するようになります。い まメーカーは販売チャネルにしっかり 売ってほしいといってモノを渡し、販 売チャネルはメーカーからもらった情 報、つまり価格、機能、性能を消費者 に伝えて一生懸命売り込み、市場での シェア競争をしています。それが下の
やビッグデータやAI 図のように IoT によって、お客様の情報がリアルタイ ムでメーカーへ届くようになり、新し い機能を持ったバリューチェーンに組 み替えられようとしています。 私は富士ゼロックスで複写機・事務 機を作ってたくさん売ろうと頑張って きました。しかし、二〇〇〇年半ば頃 にはもう限界になったと感じました。 速い、安い、綺麗というだけで商売を していたのでは、技術が飽和して、他 社との差別化ができなくなります。そ れに対する私たちの判断は、ソリュー ション・サービスを提供しようという ことです。お客様が持っている課題に 対して直接ソリューションとサービス を提供する構造に変えようとしました。 これは大変な作業でまだまだ未熟です が、例えば機械のなかにセンサーをい ろいろ入れておくと、消耗品のなくな る様子がわかり、そろそろ故障をし始 めるといったこともわかります。リモ
ートで診断をしてメンテナンスをする ことができますし、あるいは、お客様 の使い方をきちんと見て、エネルギー 消費が少なくなるような使い方を提案 することもできます。 世の中の様々な企業を見ますと、G Eも日立もIBMもNECもパナソニ ックも、基本の課題として、モノたく さん売るだけの商売はもう限界となっ ていて、エンドユーザーときちんとつ ながった情報のやりとりをベースにし たリアルタイムの変革を提案するとこ ろに向かわなければならないというこ とになってきています。これは大手企 業だけの話ではなく、そこにつながる サプライチェーンもバリューチェーン もすべてが変化していかなければなり ません。お客様には大きく分けて、い わゆる家庭の消費者とオフィスで働く 人の二種類があるのですが、これから は、そのどちらのニーズとも直結した ソリューション・サービスを作ってい
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図⑪
聞いています。期待効果では、ブラン ド力の向上に役立つという答えが去年 は六〇%だったのが今年は七九%にな り、ビジネスチャンスになるという答 えが二五%から五七%になっています。 グローバル・コンパクト・ネットワー ク・ジャパンに加盟をしている企業の 約六割がビジネスチャンスになると考 えています。
これからのCSRと
s G D S
最後の図が少しややこしくて説明に 苦心しているのですが、これが私がお 伝えしたいことのエッセンスです(図
の話をす ⑪) 。CSR、ESG、 SDGs ると、社会か経営か、その二者択一で イチかゼロかといった感じの議論によ くなります。私はそれにとても違和感 があります。 答えはその両方なのです。 図の上側のラインが現状のバリュー チェーンです。 メーカー、 たとえば我々
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■基調講演3
s G D S
達成に向けた 多様なステークホルダーの取組 たけもと かずひこ
竹本和彦 n a p a J N S D S
s G D S
の背景として三点があります SDGs (図②) 。第一に、 「ミレニアム開発目
)は経 「持続可能な開発目標」 ( SDGs 済、社会、環境を真に統合していく、 まさに持続可能な開発に向けてのメッ セージを有する目標です。
九月に「世界を変革する持続可能な開 発のための二〇三〇アジェンダ」が国 連総会で採択されました(図①) 。この 「二〇三〇アジェンダ」の中核をなす
国連グローバル 事務局長 国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU‐AS)所長 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)客員教授
本日は SDSN Japan の事務局長と して少しお話をさせていただきたいと 思います。
策定の背景
最初に SDGs 策定の背景について、 簡単にお話したいと思います。 過去をさかのぼると四〇年以上前か らの議論が積み重なって、二〇一五年
標」 ( MDGs )で積み残された課題へ の対応です。第二に、地球システムが さまざまな分野で限界にきているとい う認識が世界的に共有されたことです。 第三に、とくに私が強調したいのは、
策定に向けて非常に幅広いステ SDGs ークホルダーの参画を得たということ
です。 SDGs の目標は取りも直さず幅 広いステークホルダーの皆さんの参画 を得て初めて達成に向かっていくもの
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何かというと、実は SDGs が掲げてい る課題が多いのです。ですから、 SDGs は宝の山だと私は思うのです。
くことが可能になるし、それをやらな いと競争に勝てなくなります。 エンドユーザーの抱えている課題は
司会 有馬様、ありがとうございまし た。
ると言えます。 以上を申し上げて私の話を終わりに します。
等々の技術がどんどん進んで社 IoT 会が変わっているのですから、企業も 変わらなければ生き延びられません。 そういう時代にいるのです。社会が変 わらなければならないとしていま掲げ です。 SDGs は必然 ているのが SDGs な動きです。ならば、企業にとって に取り組むことは大変なチャン SDGs ス を も たら し ま す 。 商 品 の Q C D ( Quality ・ Cost ・ Delivery )で勝負し ている間は、大企業の大量生産・大量 販売に歯が立たなかった中小企業が、 社会課題に解を提供するというカスタ ムメイドの価値提供が出来る時代にな ってゆくと思います。 いずれにしても、 大変おもしろい時代を迎えることにな
続きまして、「 SDGs 達成に向けた多 様なステークホルダーの取組」と題し
て、 SDSN Japan 事務局長、竹本和彦 様よりご講演をいただきます。 竹本様、 よろしくお願いいたします。
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図②
41
といっても、社会科学的なアプローチ も含めてのイノベーションが考えられ ていて、科学技術イノベーション(S TI)フォーラムがハイレベル政治フ ォーラムに先だって五月に開催されま す。また、資金の面でも国際的にいろ
図③
ですから、目標を作る段階から幅広く ステークホルダーの参画を呼び掛け、 そのプロセスのなかに組み込んでいっ たというのは注目に値します。
) 、普遍性( ) 、多様 Universality ness ) 、 統合性 ( Integration ) 、 性 ( Diversity )であるとい 行動性( Action-oriented われています(図③) 。そして、目標を 達成するために強調されているのが、
やはり多様なステークホルダーの参画 です。幅広いステークホルダーの参画 が不可欠であるということが繰り返し 述べられているということを強調して おきたいと思います。
達成に向けての実施 ころです。 SDGs 手段はたくさんありますが、とくに科 学技術が強調されています。科学技術
次に、この目標を達成するためにど のような取り組みが行われているか、 まず国際的な動向をお話します。 国連では毎年七月にニューヨークの 国連本部で、持続可能な開発に関する ハイレベル政治フォーラムを開催し、 今年は日本も含めた四四カ国の国別レ ビューが予定されています(図④) 。各 国はそのフォーラムに向けて、現在い ろいろな取り組みを積み重ねていると
達成に向けた 国際的取組動向
s G D S
の特徴は、包括性( InclusiveSDGs
図①
40
すし、さらにこれから一年間掛けて、 加盟国に対する技術支援をしていくた めの指針を作っていこうとしています。 後ほどのパネルでモデレーターをされ る蟹江先生のリーダーシップのもと、 国連大学のプロジェクトを進めていこ うとしています。 アジア各国の状況も簡単に見ておき たいと思います(図⑥) 。それぞれの国
において、 SDGs をどのように実施し て達成に向けて動いていくのかという 議論が活発になってきています。関係 する役所で調整機構を作って取り組ん でいる国もあれば、国家開発計画への 盛り込みについて検討している国もあ ります。 今日お話をしたい一つの大きなポイ ントとして、持続可能な開発ソリュー ション・ネットワークがあります(図 ⑦) 。 これは二〇一二年に国連事務総長 の提唱によって世界的なネットワーク としてできたものです。持続可能な開
発の実現を目指して、 解決策を模索し、 そして実践につなげていくためのネッ トワークです。現在、東南アジアや南 アジアのリージョナルなネットワーク や、各国ごとに国レベルでのネットワ ークが構築されつつあります。日本の
(持続可 ネットワーク、 SDSN Japan 能な開発ソリューション・ネットワー ク・ジャパン)は二〇一五年に設立さ れました。韓国では二〇一三年に国の ネットワークが発足し、その場に武内 先生がおられて、日本もこういう取り 組みをやるべきだということで、関係 する方面に働きかけをされて、日本と してのネットワークができたという経 緯があります。 企業の活動については(図⑧) 、先ほ ど有馬さんから詳しくご紹介がありま したので、私から割愛します。また、 国連大学の取り組みついても(図⑨) 、 時間の関係で詳しくは申し上げません が、国連大学で進めている各研究プロ
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図⑦
いろな議論が積み重ねられています。 アジア太平洋地域に目を向けますと、 国連アジア太平洋経済社会委員会(E SCAP)というバンコクに本部のあ る組織があります(図⑤) 。そこが中心
図④ となって、リージョナルレベルでの取 り組みの総括をするということで、持 続可能な開発に関するアジア・太平洋 フォーラムを毎年三月末に開催をして います。ここで強調したいのは、国連
図⑤
大学はESCAPとさまざまな協力関 係にあることで、今年は来週の初めに 専門家ワークショップをバンコクで開 催して、その結果をアジア・太平洋フ ォーラムに反映していこうとしていま
図⑥
42
的に主導していくということが決議さ れました(図⑩) 。そこで大事なのは、 政府が主導するわけですけれども、幅 広いステークホルダーの参画を得て初 図⑩
の代表の方々の参画を得て、 SDGs 推 進円卓会議というものが設けられまし た(図⑪) 。 こうして幅広い分野の方々が幅広い
図⑫
45
めて目標の達成に向かっていけるとい うことです。そこで、 SDGs 推進本部 実施指針を策定していくプロ が SDGs セスにおいても、各ステークホルダー 図⑪
ジェクトが SDGs の各目標とリンクを しているというところを見ていただけ ればと思います。
s G D S
次にわが国における取り組みをご紹
達成に向けた わが国における取組動向
図⑧
介します。昨年の五月のG7伊勢志摩
を国内および国際 SDGs
サミットに先駆けて SDGs 推進本部が 立ち上げられ、サミットにおいてG7
のリーダーが
図⑨
44
ンパクト・ネットワーク・ジャパンが あります(図⑮) 。そして、市民団体も 大変活発に活動をしています(図⑯) 。 環境、開発、福祉、ジェンダーなど幅 図⑯
の取り組みに SDSN Japan
ついてご紹介したいと思います (図⑰) 。
は二〇一五年七月に発 SDSN Japan 足し、 三つの活動目的を掲げています。 (1)研究活動から普及啓発も含めて
図⑱
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広い分野に取り組むNGO、NPOな どが一堂に会してネットワークを構築 して活動を展開しています。 最後に
図⑰
観点からの議論を踏まえて実施指針が 作成されました(図⑫) 。この実施指針 は、大きく八つの分野に分けて整理さ れています。そのなかでとくに強調さ れているのは、やはりステークホルダ
図⑬
ーとの連携です(図⑬) 。各省庁の壁を 越え、公共セクター・民間セクターの 垣根も越えて、包括的に総合的に推進 していくということがうたわれていま す。
図⑭
各省においてもそれぞれの取り組み があります。たとえば環境省には
ステークホルダーズ・ミーティ SDGs ングがあります(図⑭) 。また、企業団 体の取り組みとしてはグローバル・コ
図⑮ 46
けた政策提言もしています(図⑳) 。提 言の主要項目としては、ガバナンス、 気候変動、生物多様性等々があり(図 ㉑) 、この提言は、まずG7へのインプ
ットを行い、次に途上国も含めたG2 0を視野に入れ、さらにはいろいろな ステークホルダーに対する今後の活動 に示唆を与えるものとなっています (図㉒) 。 このような政策提言を取りまとめた ところでシンポジウムの開催(図㉓) などを通じ、関係各方面、市民の皆さ んに向けて発信してきているところで す。 情報発信としては、SDGダイアロ グ・シリーズというのがあります(図 ㉔) 。 各分野ごとに関係する専門家だけ ではなくて、一般の市民の皆さんも一 緒になって突っ込んだ議論をしていく
時 もので、来月の二〇日には「 SDGs 代の企業経営」と題するシンポジウム を国連大学で開催することになってい ます。議論の成果は広く国内外に発信 していくことを考えています。
私の発表のまとめとしては、 第一に、
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動体であるということです。活動の中 身として、たとえば、途上国の政府の 研究機関の方々と意見交換をする国際 会議を開いています(図⑲) 。政府に向
図㉓
図㉔
のサステイナビリティの課題への取り 組み、 (2)多様なステークホルダーが いろいろな意見交換する場、プラット フォームを構築して提供していく、 (3)海外の動向をアップデートしな がらフォローし、同時に国内の活動に
図⑲ ついて海外に発信をしていくことです。 の活動の方向付けを SDSN Japan 行う理事会のメンバーは図⑱のように 幅広い分野の方々で構成されています。 は議論をする場でもあ SDSN Japan るのですが、一番大きなポイントは活
図⑳
図㉒
図㉑
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■基調講演4
サイエンス・パークと文化の融合 , t c a p m I l a i c o S r o f s e r u t l u c g n i d n e l b k r a P e c n e i c S e h T
y t i l i b a n i a t s u S f o k r o w e m a r f e h t n i n o i t c a r e t n I d n a n o i t a v o n n I s G D S d n a e c n e i c S
マッツ・ バリ h g r e B s t a M
スウェーデンにおける の取り組み s G D S
スウェーデン政府は
に関して SDGs
て SDGs の目標を達成しようとしてい るのかといったことです。
組んでいるのか、そしてサイエンス・ パークをツールとしてどのように使っ
ヨハンネバリ・サイエンス・パーク(スウェーデン)CEO
東京にきたのは久しぶりです。初め てきたのは二〇〇四年か二〇〇五年の ころで、持続可能な開発という概念を 初めて聞いたのも実はそのころで、そ れ以来ずっと私は持続可能な開発に関 心を持ってきました。 今日は、スウェーデンにおけるいろ いろな事例をご紹介したいと思います。 の一七の目標にどのように取り SDGs
強くコミットしていて、いま専門家チ ームが行動計画の策定に当たっていま す(図①) 。議論が少し遅れているとい うことも聞いてはいますが、どのよう な具体策を採って一七の目標を達成す るのか、きちんとした計画をまとめて くれると確信しています。 学界も大きな貢献をしようとしてい ます(図②) 。SDSN(持続可能な開 発ソリューション・ネットワーク)の 北欧におけるネットワークが大学や研
の目標 究機関によって作られ、 SDGs
51
SDGs
は世界の変革を目指すもので、 SDGs それに向けて多様なステークホルダー の参画が大事であるということです (図㉕) 。第二に、日本政府も
図㉕
実施指針を取りまとめたわけですが、 それをどのように実施をしていくかが これから問われることになります。第 が幅広く活動を展 三に、 SDSN Japan 開しつつあるところで、本日はこうし たご報告をさせていただきましたが、 達成に向けては、あらゆる人、 SDGs あらゆるステークホルダーがこぞって 参加して総力戦でやっていく必要があ るというのが、私が伝えたかった一番 大事なところです。これからさらに議 論 を 深 めて い っ て 、 よ り 充 実 し た 達成に向けた議論と、そして実 SDGs 践につながるとことを祈念して私のお 話とさせていただきます。
司会 竹本様、ありがとうございまし た。 続きまして、スウェーデンのヨハン ネバリ・サイエンス・パークのマッツ・ バリCEOよりご講演をいただきます。 講演のタイトルは「 The Science Park
blending cultures for Social Impact, Innovation and Interaction in the framework of Sustainability Science 」です。 and SDGs
50
図③
の達成に向けて動いています。キーワ ードはスウェーデン政府が出している ものと同じで、ネットワーク、意識の 向上、コミュニケーション、若者の参 画、そして、具体的な行動のために既 存のさまざまな知識を活用するという ことです。 産業界もこの課題に取り組んでいま す(図③) 。正面から問題に立ち向かっ ていろいろな努力をし、製品を変更し たり、ビジネスのやり方を変えたり、 すばらしい成果を出しています。SK F、エリクソン、ボルボなどの企業も
の目標について発言し、 トップが SDGs 組織のなかでそれを浸透させる努力を しています。 ただ、企業のCEOの話を聞いてい ると、残念ながら、それぞれにバラバ ラであると感じます。ボルボは運輸部 門について、SKFは製造部門につい て、エリクソンは電気通信部門につい てだけを取り上げています。これから
53
図①
図② 52
きほど小宮山先生がお話されたような、 新しい考え方を持たなければならない と私は思っています。 「 Still, we need to do a lot better.. 」 ―これはカタールのサイエンス・パー クから借りてきた言葉です(図④) 。わ れわれにはまだまだたくさんのことを しなければなりません。化石燃料によ って支えられているいまの生活水準を このまま続けていこうとするなら、何 らかの抜本的な対策が必要です。スウ ェーデンにおいても、もっともっと意 識の向上を図らなければなりません。 日常生活にまで浸透するような意識の 変化がなければならないと思っていま す。私は工科大学の技術系の人間です が、われわれが直面している課題を解 決していくには、技術だけではなく、 さまざまな学問領域のいろいろな知識 が必要です。理工系の学問も人文系の 学問もすべてが統合されるのが持続可 能性のサイエンス、サステイナビリテ
ィ学が必要なのです。 さらに、これはとくにスウェーデン でいえることですが、知識を実践する ことが必要です。人々にお手本を示す のです。皆がわかるように、小宮山先 生がエコハウスを作ったような取り組 みをもっともっと進めなければならな いと考えています。
スウェーデンのサイエンス・ パーク 次に、サイエンス・パークについて 簡単にご紹介します(図⑤) 。サイエン ス・パーク、あるいはハイテク・パー クは世界中にかなりたくさん存在して います。四〇〇ほどのサイエンス・パ ークが集まった国際サイエンス・パー ク協会があります。 スウェーデンにはこの地図に示した ように約八〇のサイエンス・パークが あります。私のヨハンネバリ・サイエ ンス・パークもその一つです。サイエ
ンス・パークは、スウェーデンでもア メリカでも日本でもどこでもほぼ同じ ように、イノベーション、成長、競争 力が中心的なテーマになっています。 私が初めてサイエンス・パークの仕 事に就いたのは二〇一〇年でしたが、 学生のグループにサイエンス・パーク はなぜ必要なのかという理由を列挙し てもらいました(図⑥) 。彼らは三つの 主要な理由を挙げてくれました。第一 に、サイエンス・パークにテナントと して入っている企業にとって、よりよ いビジネス、つまりよりスマートで、 より速く時代に付いていき、そしてよ り持続可能であるようなビジネスに挑 戦する訓練キャンプであるということ です。第二に、政策立案者にとって、 市のレベルでも州のレベルでも国のレ ベルでも、地元の企業あるいは国の産 業を維持し、発展させ、変革させてい く場であるということです。第三に、 学術にとって、新しい分野を切り開い
55
は、お互い同士話し合って、たとえば 電気通信の分野で起こっていることと 運輸部門で起こっていることを統合し
ていかなければならないと私は考えて います。また、これからのビジネスの あり方について、古いビジネスモデル
図④
に基づいて話しているのを聞くことが あります。大量にものを作るとか、利 益を追い求めるというのではない、さ
図⑤
54
パーはV字型のフォーメーションを発 明した人物です。 新しいことを試みて、 物事のやり方を改善するということを スウェーデンのサイエンス・パークが 目指している象徴として、スキージャ ンパーの写真を掲げています。
ヨハンネバリ・ サイエンス・ パークが 目指すもの スウェーデンのサイエンス・パーク にはかなり長い歴史があります (図⑦) 。 七〇年代から八〇年代の初めにかけて、 スウェーデンはサイエンス・パークと いう概念をアメリカから輸入しようと しました。どこにサイエンス・パーク を作るのか、 かなり激しい競争があり、 南部のルントが競争に勝って最初のサ イエンス・パークを作りました。二番 目がチャルマース・テクノロジー・パ ークでした。このサイエンス・パーク が作られたときに、すばらしい環境だ
ったことからスウェーデンの大企業の ほとんどが研究開発部門をここに置い てくださいました。企業がお互いに交 流し合い、学界とも交流し合って、か なり有能な人材の交流が見られました。 しかし、年を経るにつれてこの環境 が変化し、 二〇一〇年に決断が下され、 チャルマース・テクノロジー・パーク は新しくヨハンネバリ・サイエンス・ パークに変わることになりました。二 〇一一年に株式が公開され、二〇一五 年に新しい施設をオープンしました。 われわれのサイエンス・パークは次 のような使命を掲げています(図⑧) 。 サイエンス・パークが成功するかしな いかは、そこで活動する人にかかって います。サイエンス・パークはそこで 活動する人以上のものにも以下のもの にもなりえません。より優れた人材が 集まればよりよいサイエンス・パーク になります。 ですから、 第一の使命は、 ネットワークを拡大して、より多くの
人々、より多種多様な人を入れていく ということです。いまあるチャルマン ス・キャンパスを再構築して全く異な るものにしようとしています。 われわれのサイエンス・パークが始 まったとき、チャルマース工科大学、 あるいはイエテボリ大学の三〇〇〇人 のスタッフ、および八五〇〇人以上の 学生がいて、 四つの研究機関があって、 三つのインキュベーターがいろいろな 企業を助けるというかたちをとりまし た(図⑨) 。企業は一四〇社で、約一〇 〇〇人が働くということでした。 これからの目標としては、サイエン ス・パークで働く人を四〇〇〇人に増 やそうとしています(図⑩) 。これは単 に数が増えるというではなく、お互い に密に協力し合えるような人々に新た に入ってもらいたいと考えています。 そして、サイエンス・パークに入って くる企業の約四割がスウェーデンで研 究開発を行っている大企業、約三割が
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て、先端的な成果を出していくための 場であるということです。また、有能 な人材を育てる教育プログラムを実践
していく場でもあります。 スウェーデンではハイブリッド・モ デルを追求しています。主要な要因を
図⑥
合わせて持ち寄ってハイブリッド型を 目指すというのがスウェーデン流のや り方です。この図にあるスキージャン
図⑦
56
ので、貿易やサービスなどの部門から も企業に入ってもらおうと考えていま す。 図⑩
図⑪
59
成長の見込める中小企業、そして三割 が外資系の企業というような割合を考 えています。われわれはグローバルな
課題に取り組み、グローバルな市場を 視野に入れて研究開発を進めようとし ているので、外資系の企業もぜひ必要
図⑧
だと考えています。さらに企業も産業 界からだけですと、キャンパスが企業 村に成り下がってしまうおそれがある
図⑨
58
図⑫
図⑬ 61
サイエンス・ パークの成果 われわれのサイエンス・パークでい くつかの成果が上がっています (図⑪) 。 サイエンス・パークでは産業界、 学界、 社会からいろいろなインプットを得て いろいろなプロジェクトを作って動か しています。サイエンス・パークはそ のためのいろいろな会合の場を提供し、 また、新たに得られた知識の共有化し ていくための仕組みとして、オープ ン・アリーナと呼ばれる開放区を用意 しました。そして、われわれのプロダ の一七の目標と何らかの クトは SDGs 関連があるものにしこうとしています。 の目標には経済開発に関わるも SDGs のもあれば社会に関わるものも生物圏 に関わるものもあります。それらを調 整・連携させていく役割をサイエン ス・パークが果たしていくのです。 こうようなプロジェクトを行ってい くときに念頭に入れておかなければな
らないのは、業種によって異なる対応 が必要だということです。自動車業界 はスウェーデンの大きな産業の一つで すが、三つの大企業がトップにあるピ ラミッド型になっています。一方で、 都市開発も主要産業の一つですが、こ ちらは多数の中小企業によって構成さ れます。こうした違いによってアプロ ーチの仕方は異なるので、サイエン ス・パークとしてはどちらの業界にも 対応できるような手法を開発していか なければなりません。 オープン・アリーナのイメージを見 ていただきます(図⑫) 。目的はネット ワークを通して共同で何かを生み出す ということです。ネットワークがある だけ、あるいは知識が広がるだけでは 表面的な関係でしかありません。一緒 に深く掘り下げ、 課題や戦略を共有し、 共同でプロジェクトを動かして、実際 の成果を生み出していかなければなり ません。
いくつかある実際の事例として、H SBリビング・ラボと題するプロジェ クトがあります(図⑬) 。キャンパス敷 地内に実際に建物を作り、そこで二九 名の学生が生活を送って、生活の省エ ネをさまざまな角度から追求していま す。目的は、小宮山エコハウスのよう な家造りで、水、エネルギー、リサイ クルの面からいろいろな技術を試して、 その成果を住宅の市場に提供していき たいと考えています。多くの住宅メー カーがこのプロジェクトをサポートし ています。 このプロジェクトのいくつかの要素 は、一三〇世帯分のアパートを建設す る計画に組み入れられています。きわ めて省エネ、省資源型のアパートで、 二〇一九年の春に最初の家族が入居す る予定です。入居者もプロジェクトの 一員になります。入居者は自動車を所 有してもいいけれど、アパートの周辺 に駐車しないという約束をすることに
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るべきです。企業が単独では解決でき ないようなレベルにまで目標を上げて、 サイエンス・パークにおいて課題に取 り組んで、解決策を見つけていくので す。解決策が見つかって、新しい概念 が立証され、新しい成果物が得られた なら、それを市場に出して、社会で共 有していくのです。 サイエンス・パークでは、関係者を 一堂に集めて議論をする会を毎週のよ うに開いています(図⑭) 。このような セミナーへの関心度は高く、いつも満 席です。セミナーでは、プロジェクト に関する情報を広めるだけでなく、聞 き手からのフィードバックを得るため の双方向のコミュニケーションを行っ ています。
サイエンス・ パークのこれから サイエンス・パークの活動はたくさ んの関係者とのパートナーシップによ
って成り立っています(図⑮) 。二つの 大学とたくさんの企業が参加し、キャ ンパス地域を改善する開発関係の企業 も参加しています。スウェーデン国内 だけでなく欧州の資本家も参加してい ます。これからさらに次の段階でパー トナーは増えることになるでしょう。 皆さまの中にはチャルマース大学に いらしたことのある方もいらっしゃる と思いますが、南部のキャンパスの駐 車場として使っていた場所に二棟の新 しい建物を建てました(図⑯) 。四〇〇 の企業でほぼ満室になっています。プ ロジェクトのコラボレーターの企業で す。 この建物の向かいにより大きなビル をいま建設中です(図⑰) 。建築物に関 して、あるいは教育プログラムに関し て、かなり実験的な活動を展開するこ とを計画しています。 われわれの成功の鍵は何かというこ とでは、私が大好きなものを二つ引用
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組みもあります。 主に中小企業を対象として、持続可 能なビジネスモデルを作っていく、あ るいは SDGs の認知度を高めることを 目的としたプロジェクトもあります。 企業が目指す目標は高いところにあ 図⑮
図⑭
なっているので、移動に関しての何ら かのソリューションを開発しなければ なりません。 より大きなエレクトリシティという プロジェクトがあります。これは公共 交通システムの電動バスを開発しよう とするものです。ボルボによると、電 動バスのバッテリーは三〇パーセント 消耗すると交換しなくてはならないと いいます。それですと不経済で、儲か らないビジネスモデルになってしまい ます。そこで、バスからはずしたバッ テリーを例えば住宅で使えば、資源の 有効化がはかれるのではないかと考え ています。 チャルマース大学のキャンパスでさ まざまなエネルギー源を試みたり、建 物と建物の間でエネルギーの余剰と不 足を融通させてコストを削減するよう なことも行っています。 自宅で生活するのに介助を必要とす るような高齢者や障害者に向けた取り
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です。 もう一つはアインシュタインです。 「大切なのは知ることではなく、想像 する力を持つことだ」 。つまり、将来に 関するアイディアを構成する能力と持 つこと、見える化する能力を持つこと です。 われわれは根底的な概念を提示して、 それができるということを世界に立証 しようと、ここまで進めてきました。 そうすることで世界の人たちから関心 を持ってもらうこともできるのです。
司会 バリ先生、どうもありがとうご ざいました。 以上をもちまして、基調講演は終了 となります。これより一五分の休憩に 入ります。
65
図⑱
したいと思います(図⑱) 。まずスター ウォーズです。ヨーダがあるときルー クにこういいました。「やってみるので
ってみる」 ( try )と「やる」 ( ) doとの 間には大きな差があります。「やってみ
はない、やるかやらないかだ」と。 「や
図⑯
る」には「できるかどうかわかない」 という気持ちがあります。われわれは 「やる」ということを目指しているの
図⑰
64
このパネルディスカッションでは、 最初に、先ほどご講演いただいたマッ ツ・バリさん以外の四名の方から一〇 分程度のご発言をいただきまして、そ の後で、そのご発言および基調講演の 議論を踏まえて、議論を展開していき たいと思っています。 では最初に、環境省の小林さんから お願いいたします。 あるいは気候変動のよう 小林 SDGs な地球的な課題について、世界はいま どちらの方向に動いているのでしょう か。みんなでグローバルにものを考え ていこうという統合的な方向に向かっ ているサインも見えますし、その一方
持続可能な開発のための2030アジ ェンダと持続可能な開発目標
は、二〇一五年九月に国連の SDGs サミットで、オバマさん、プーチンさ ん、習近平さん、安倍総理といった各 国の首脳が出席して全会一致で決めた もので、世界が一つの方向に向って前 に動いていくという大きなサインだっ たと思います。同じ年の一二月には気 候変動に関するパリ協定がまとまりま したし、三月には仙台で国連防災世界 会議もあって、いずれも世界が共通の 課題に向かっていこうということが示 されました。 従来の国際的な枠組みは、 先進国が途上国を応援するというかた ちのものが多かったのですが、途上国 も先進国も――もちろん実力には違い があり、それぞれの役割も違うのです が――ともに取り組んでいこうという ことになりました。このように二〇一 五年は、世界がグローバルなものに統
で、アメリカとかEUもそうかもしれ ませんが、もう少し内向きの議論があ るようにも見えます。
67
■パネルディスカッション
s G D S
がどのように社会変革に貢献するか
コーディネーター
[ のりちか)
]
蟹江憲史 (かにえ
国際連合大学サステイナビリティ高等研究所( UNU‐ IAS) シニアリサーチフェロー
慶應義塾大学教授
[
] まさあき)
東京大学サステイナビリティ学連携研究機構( IR3S) 客員教授 登壇者 環境省事務次官
小林正明 (こばやし けんじ)
株式会社大林組取締役専務執行役員、テクノ事業創成本部長
蓮輪賢治 (はすわ かつみ)
) Nguyen Huang Oanh
昭和シェル石油株式会社エネルギーソリューション事業本部担当副部長イノベーション
櫛屋勝巳 (くしや 戦略チームサブリーダー
グエン・ ホアン・ オアイン (
東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構客員教授
日越大学副学長
) Mats Bergh
ヨハンネバリ・ サイエンス・ パーク( スウェーデン) CEO
マッツ・ バリ (
司会 お待たせしました。それでは再 開させていただきます。次のプログラ
ムは「 SDGs がどのように社会変革に 貢献するか」というテーマのパネルデ ィスカッションです。コーディネータ ーは慶應義塾大学教授の蟹江憲史先生 にお願いします。
蟹江 それでは後半のパネルディス カッションを進めさせていただきます。 前半の四つの基調講演を受けてこの後
を使ってどのように社 半では、 SDGs 会構造を変革していけばいいのかとい うことを議論していきたいと思います。 産学連携や産官学連携が大事だとよく
によって二〇 言われています。 SDGs 三〇年に達成すべき世界像がよりクリ アに明らかになってきましたので、そ れを目指していく上で、どういった連 携が可能なのかということが今日の一 つの大きなテーマになるかと思ってい ます。
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ると思います(図①) 。 には一七分野の一六九のゴー SDGs ルがあって、大変壮大なものですが、 一つの哲学で向かっていけば複数の課 題が同時に解決できる道筋があるとい うことがいわれています。とくに、経 済、社会、環境の三つの要素を統合的 に進めていこうとしています。そのた めには、当然政府が一番しっかり取り 組まなければなりませんが、いろいろ な主体が参画することが重要です。日 本としては何とか先進的な役割を果た して、世界に向かって発信していきた いと考えています。 いま政府が何をしているのか簡単に ご紹介します(図②) 。総理をヘッドと 推進本部 する全閣僚で構成する SDGs が二〇一六年五月に設置され、実施方 針が同年一二月に策定されました。実 施指針の概要を見ていただきますと、 特に線を引いてある五番の省エネルギ ー、再生エネルギー、気候変動対策、
循環型社会、 それと六番の生物多様性、 環境の保全などはもともと環境省の本 来的な役割でありますので、われわれ としてはまずそのあたりにしっかりと 取り組んでいきたいと考えています。 また、一番にある「あらゆる人々の活 躍」については、文科省とともに環境 省が取り組んでいる持続可能な開発の ための教育(ESD)がそれに相当す るものでありますし、環境省が応援し ている環境未来都市を作っていくとい
を SDGs
のなかで大きな役割を うことも SDGs 果たすのではないかと思っています。 環境省が特にお役に立てるのではな いかと考えているのが、環境基本法の もとにある環境基本計画です。環境基 本計画は環境省だけの計画ではなく、 全省庁にわたっていろいろな政策が環 境にどのように関わるのかを策定し、 閣議決定をする格の高い計画で、有識 者が構成する中央環境審議会が横断的 にそれを見ています。ここに
いかに組み込んでいくのかというのが 大変重要な課題で、そうすることで政 府全体にもいい影響を与えられるので はないかと、環境省としては大きな意 気込みを持っているところです。 環境省が他の省よりも先行して取り 組んでいるという自負を持っているの
が、 SDGs で重要だとされているさま ざまなステークホルダーの参加です。 先ほどから、いろいろな人の知恵・経 験をいかにして借りるのかということ がいわれていますが、環境省ではステ ークホルダーズ・ミーティングという のをいち早く始めていて、二〇一六年 度には三回開いています(図③) 。メン バーは多士済々で、いまのところはな るべく企業の方々にたくさん入ってい ただいて、順次、地方自治体や市民層 にも広げていこうとしています。三回 の合計で傍聴する方が五〇〇名ぐらい いて、広く関心を持っていただけて大 変ありがたいことだと思っています。
69
図①
合的にみんなで力を合わせてやってい くということが三つもまとまり、それ が世界の大きな流れとなったのです。 環境の課題に取り組む環境政策は、 常に社会変革を起こしていくという姿 勢で進めていくものです。そのとき
の一つの特色としてあ るのが、 SDGs
に取り組んでいくに当たって SDGs の基本的な考え方として、われわれは どのような社会を目指しているのかと いうことがあります。日本人は現時点 から少しずつ積み上げていくというの は割と得意なのですが、逆に、将来的 にはここを目指すのだというところか ら現在に立ち返るというかたちで考え
をど 込んでいくのか、つまり、 SDGs のように主流化していくのかというこ とをお話いたします。
間ではありますが、 SDGs をいろいろ な政策や大きな計画にどのように組み
は大きな羅針盤になるものだろ SDGs うと考えています。今日は限られた時
図②
68
ミーティングの本番で大勢の人に話し ていただくのはなかなか難しいので、 あとの懇親会、お酒は出ませんでお茶 での懇親会で、交流の枠を広げていた だく機会を作るようにしています。 これまでの三回のステークホルダー ズ・ミーティングでは、特に企業の方 を中心にどのようなモデル的な取り組 みを進めているのかということを話し ていただいて、経験を共有する場とさ せていただいています。例えば損保ジ ャパン日本興亜の方は、気候変動によ って損害があった場合に、一定の気候 変動のインデックスに該当するのなら 保険金を支払うという先進的な保険を 東南アジアで展開しているということ を紹介して下さいました。各社それぞ れの新しい取組みを紹介していただい て、 議論を進めていこうとしています。 環 境 省として は 、民間 の 方 々 に に意欲的に取り組んでいただく SDGs の手引 ために、中小企業向けの SDGs
きを作ろうとしていて、いま事例を集 めているところです(図④) 。二〇一七 年度中にはぜひ出したいと思っていま す。 世界の金融界では、ESG投資に大 きな目が向けられています。ESG投 資は、日本やアジアでは遅れていると いわれていますが、世界最大の投資フ ァンドとされる年金積立金管理運用独 立行政法人(GPIF)も急速にES G投資に取り組んできていることなど から、日本の金融界も大きく動こうと しています。ESG投資のEは環境で すから、投資をする判断に環境をどの ように組み込んでいったらいいのかと いうことが一つの大きな課題です。業 種が違うと環境への関わり方も異なる のですが、投資をしていく上では業種 を超えた比較が必要です。それはどの ようにしたらいいのか、たとえば環境 情報を開示するシステムをウェブ上で 作ることに環境省は積極的に取り組ん
でいるところです。 日本が先進的な役割を果たして、世 界に貢献していこうとしている事例を 一つご紹介したいと思います(図⑤) 。 パリ協定が発効した後に、モロッコの マラケシュで開かれたCOP22で、 山本環境大臣は気候変動対策支援イニ シアティブを発表しました。日本はも ちろん温暖化対策に貢献していくので すが、とくにアジアの都市で対策を講 じていくことに取り組もうとしていて、 途上国等への支援について取りまとめ たのがこのイニシアティブです。そこ
を組み込んでいくことが重要 に SDGs であると考えています。 気候変動に関して、日本はいま長期 低炭素ビジョンを出していて、目指す べき到達点は、パリ協定を踏まえて、 二〇五〇年までに温室効果ガスの排出 を八〇%削減するということになって います(図⑥) 。ここでも社会、環境、 経済の三つの課題に統合的に取り組ん
71
図③
図④
70
で同時解決を目指すという方針です。
蟹江 小林さん、ありがとうございま す。 環境省では他の省に先行していろい ろなことをやられているということで、
いくつかの事例を紹介していただきま した。環境省の取り組みで、私から強 調しておきたいのは、環境省がイニシ
たように、建設事業を生業としていま す。事業活動を通じて、持続可能な社 会の実現に貢献したいと普段から考え ていて、本日は具体的な事例を織り交 ぜながら、すでに実際の弊社の企業活
が密接に関連しているとい 動と SDGs うことを、ご参考までにお話したいと 思います。 最初に、弊社の企業理念を紹介させ ていただきます(図①) 。 「地球に優し い」リーディングカンパニーを目指す ということをうたっています。その中 身は、 (1)優れた技術による誠実なも のづくりを通じて、空間に新たな価値 を創造する。 (2)地球環境に配慮し、 良き企業市民として社会の課題解決に 取り組む。 (3)事業に関わるすべての 人々を大切にする。これらの三つを通 じて、持続可能な社会の実現に貢献す るというのが弊社の企業理念です。
に関する戦略 アティブを取って SDGs 研究プロジェクトを二〇一三年から進 めていることで、実は私はプロジェク トリーダーをさせていただきました。 環境面の制約の下、あるいは資源の 制約の下で、いかに社会の構造を変え
企業戦略と
の視点から弊社の行動規範、 SDGs 使命を整理しますと、三つの取り組み
ていくかというのが、おそらく SDGs の一番のコアになる部分ではないかと 思います。そういう意味でも環境に関 係したいろいろな動きがこれからも出 てくると思います。 続いて株式会社大林組の蓮輪さんか ら、建設会社の立場としてどのような ことをなさっているのかご説明いただ ければと思います。
蓮輪 弊社は、いまご紹介がありまし
s G D S
73
図⑤
72
図⑥
えなければ難しかったのですが、新た な工法を提案して、道路を供用しつつ 車線を拡幅する工事に挑んでいるとこ ろです。 熊本城の櫓は「奇跡の一本石垣」と いわれるような状態で崩壊を免れまし た。 その櫓を、 現状をキープしたまま、 貴重な文化財を傷めないよう安全に保 持して、石垣を積み直すということに 挑戦しました。 植物工場は、 SDGs の二番にある飢 餓への対策とまではいきませんが、土 壌に左右されない農業を可能にすると いうことを目指して、太陽光型の植物 工場に取り組んでいます(図④) 。建設 事業を通じて培ってきた環境制御技術、 を駆使して農業ビジネス 省力化、 IoT に参入していこうとしています。将来 的には人工光型の植物工場も検討しよ うとしています。 弊社の使命の第二点目は、地球環境 に配慮した社会づくりで、これについ
ては四つの事例をご紹介します (図⑤) 。
それぞれ SDGs の項目の六、七、九、 一二、一三、一五番といった複数の目 標に関係するものであると考えていま す。 気候変動対策として、大林グリーン ビジョン二〇五〇があります(図⑥) 。 二〇五〇年のあるべき社会像として、 安全・安心な社会を基盤とした低炭素 社会、あるいは循環社会、自然共生社 会を描いています。 この実現に向けて、 バックキャスティングして中長期的な 目標を定めています。具体的には、事 業分野を建物・都市建設、インフラ建 設、サービス提供の三つに分けて、そ れぞれ年度ごとに具体的なアクション プランを設定し、 行動に移しています。 資源の枯渇に対応するものとして、 海水練り・海砂コンクリートがありま す(図⑦) 。従来コンクリートはさびの 問題等があって、海水や海砂を使うの
75
ャンクション間で、上と下の二つの道 路を支える橋脚二層構造からの拡幅工 事という日本初の工事に挑戦していま す。従来の工法ですと、全体を建て替 図④
を挙げることができます(図②) 。第一 が、安全で豊かな社会づくりです。そ の事例をこれから三つご紹介します (図③) 。一つは首都高の拡幅工事、も う一つは熊本地震で大きな被害のあっ た熊本城の櫓の倒壊防止策、そして三
図①
首都高の拡幅工事は、 SDGs の項目 でいうと、九番、一一番に当てはまる と思います。首都高の板橋・熊野町ジ
つ目が、昨年五月からすでにミニトマ トを市場に出荷している太陽光型植物 工場の取り組みです。
図②
図③
74
ます。二〇一五年には第一七回国土技 術開発賞最優秀賞をいただいておりま す。 エネルギーに関連するものとして、 図⑧
環境性能の高い建物の設計・建設(図 ⑧)と、再生可能エネルギー事業(図 ⑨)をご紹介します。弊社の技術研究 所、テクノステーションでは最先端の 図⑨
環境技術を導入しました。敷地内の太 陽光発電等により、使用する電力を相 殺するネットゼロエネルギービルを達 成しました。また敷地内に蓄電池設備 を併用し、極力電力負荷の低減に努め ています。これは、建築環境総合性能 評価システム(CASBEE)の建物 新築部門で最高のSクラスを取得して います。 二〇一二年から再生可能エネルギー 事業に取り組んでいます。太陽光発電 所はすでに全国二八カ所、一二九メガ ワットを実現し、二〇一六年八月には 山梨県大月市で木質チップを燃料とす る木質バイオマス発電所の建設を始め ています。 また、 秋田県の三種町では、 今年の秋に、三基、六メガの風力発電 所を運開させます。 弊社の使命の第三点目は、多様な人 材が活躍できる環境づくりです。これ について三つ事例をご紹介します(図 ⑩) 。 まず健康と福祉への職場配慮とい
77
図⑤ はタブーとされていました。しかし、 実は強度などの面で一般的なコンクリ ートよりも優れているということが判 明し、弊社では海水練り・海砂コンク
リートの開発に取り組んできました。 運搬や除塩工程が削減され、環境負荷 が低減し、材料の地産地消による建設 コストの低減などに大きく寄与してい
図⑥
図⑦
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女性が活躍できる職場ということで は、インドネシアのジャカルタの高架 橋建設工事の工事事務所所長である大 西氏がウーマン・オブ・ザ・イヤー二 〇一七の部門でドボジョ・キャリア開 拓賞を受賞しました(図⑫) 。弊社でも 女性従事者がいまだに数が少なく、ま して海外で働くとなると少数なのです が、大西氏は二〇〇人以上が働く土木 現場の所長を務めながら、仕事と子育 てを両立させています。 もう一つの事例としては、弊社も国 連グローバル・コンパクトに参加して います(図⑬) 。人権、労働基準、環境、 腐敗防止、それぞれの分野での取り組 みを推進しています。国連グローバ を始め国連 ル・コンパクトは、 SDGs の掲げるさまざまな目標の達成に向け て活動を推進していることから、これ からも積極的に協働していきたいと考 えています。 以上、 非常に駆け足でありましたが、
79
図⑬
図⑩
うことで、経産省と日本健康会議が認 定する「健康経営優良法人二〇一七」 で、大規模法人部門(ホワイト五〇〇) に選定していただきました(図⑪) 。具
図⑪
体的にはメンタルヘルスケアの強化、 受動喫煙防止対策の促進、女性技術者 が現場で勤務しやすい環境の整備など を評価していただきました。
図⑫
78
た。将来的に石油の需要がどんどん減 少していくというビジョンのもと、非 石油部門をどのようにして育てていく のかということがシェルの非常に重要 な課題として出されました。そうした
図②
まといっていいのかもしれませんが、 新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO)の支援を受けて研究開発 を続けていた「CIS」という薄膜太 陽電池技術がありました。それは世界 トップレベルの技術であることから、 太陽光発電を将来的に事業展開する時 に使える技術として経営に取り込み、 非石油部門の新しいビジネスに育てる ことで、石油需要の落ち込みを補って 経営をバランスさせることが可能にな るのではないかということになりまし た。二〇〇七年に太陽光発電の事業化 を決定し、再生可能エネルギーのビジ ネスを伸ばしてきているところですが、 なかなかうまくいかない現状も実際に はあります。 再生可能エネルギーの固定価格買取 制度が二〇一二年から始まり、再生可 能エネルギーを増やしていく国の方針 のもとで、弊社もバイオマス発電やL NGを含めた発電事業を積極的に展開
81
グローバルなビジョンのもとで、ロー カルビジネスとしての昭和シェルはど のような立ち位置で取り組むべきか、 当時の経営陣はいろいろと考えました。 そのときに、昭和シェルには、たまた 図①
弊社の活動をご紹介させていただきま した。弊社の企業活動がすでに SDGs の達成を目指したものであるといえる ところがある一方で、 SDGs の考え方 が、中間管理職も含めて社員に浸透し ているとはまだまだいえないのも実情 です。昨日発表した弊社の中期経営計 画二〇一七では、ESGへの取り組み という項目が入りました。今後はさら に関連し に社内の意識を高め、 SDGs
た活動を本格化していく必要があると 考えている次第です。
櫛屋 昭和シェル石油は石油会社で すから、エネルギーを安定的に供給し ていくということが会社の使命です。
持続可能な社会構築に向けた サステイナブルなエネルギー供給
の一七項目でいいますと、やは SDGs り七番が最も大きな目標ということに なります(図①) 。それ以外にも、九、 一二、一三番にも取り組んでいます。 もちろん人材の多様化などにも積極的 に取り組んでいますが、そのことによ って何か賞をいただくというようなと ころにはまだ至っていません。 昭和シェルは石油の会社ですが、石 油と非石油という二つの部門でエネル ギーを供給しています。将来的にもこ の二つの事業で会社を経営していくこ とは間違いありません(図②) 。 二〇〇二年のヨハネスブルグの地球 サミットで、シェル本社がかなり積極 的にサステイナビリティに関与しまし
蟹江 蓮輪さん、ありがとうございま す。 社としていろいろな取り組みをして い る け れ ど も 、 社 内で は ま だ ま だ の考え方が浸透していないと最 SDGs に 後におしゃっていましたが、 SDGs 関係していろいろな方と話をすると、 やはり同じような難しさに突き当たっ ているというのをよく聞きます。昨日 も別のシンポジウムで、三〇代、四〇 代の中間管理職の認識が非常に弱いと いう指摘がありました。どのように浸 透させていけばいいのかということを、 後ほどの議論で触れることができれば と思います。 それでは続きまして、今度はとくエ ネルギーの供給という観点から、昭和 シェル石油の櫛屋さんに発表をお願い します。
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削減できる二酸化炭素の排出量とが、 二〇二二年の時点でプラスマイナスゼ ロになるだろうと考えています (図④) 。 実際にはもう少し前倒しで、二〇二〇
す(図⑤) 。エコロジーという言葉に丸 を付けましたが、製造時に、環境負荷 の大きい元素を使わずに作ることを大 きな特徴としています。 ソーラーフロンティアはこの太陽電 池を世界六〇カ国に、四〇〇万キロワ ット出荷しています(図⑥) 。 CISの太陽電池の基本的な製造プ ロセスはNEDOの技術開発で開発し た技術であり、結晶系シリコンの太陽 電池とは基本的に異なる技術をうまく 事業化したというのが一つの大きなポ イントです(図⑦) 。実は、この太陽電 池技術で事業化に成功したのは世界で 弊社だけです。製造プロセスに四つの Rを織り込んでいることも大きな特徴 です。 製造プロセスの最初のデバイス設計 から販売・設置のところまでは、自社 の責任でRを考慮したかたちで適切に 対応しています。しかし、最後のリサ イクルの部分、つまり二〇年後、三〇 図⑥
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年ぐらいにプラスマイナスゼロなるク ロスオーバー・ポイントがくるのでは ないかと予想しています。 CIS太陽電池は見た目、真っ黒で 図⑤
するようになりました。昭和シェルは 基本的には石油会社ですから、石油が メインのビジネスであることは間違い ないのですが、二〇二〇年、三〇年に
向けてこれからのコアのビジネスとし てエネルギーソリューション事業を育 てていこうというのがいまの会社の方 針です。
図③
昭和シェルに限らず石油産業全体に いえる話として、石油はいろいろな用 途に使える資源ですから、燃焼させて 二酸化炭素にしてしまうのは非常にも ったいないことなので、いかに有効に 使っていくかということを考えなけれ ばいけません (図③) 。 国の方針もあり、 自動車燃料としての需要は減っていき ます。石油火力発電所も、いまは一時 的に稼働していますが、将来的には減 っていくので、石油産業は縮小してい く傾向にあります。弊社としては一五 年以上も前からそのような理解のもと で非石油事業を展開してきています。 また、合併の動きも含めて、石油産業 を集約化するような変化が出てきてい るところです。 昭和シェルでは、ソーラーフロンテ ィア株式会社のCIS系薄膜太陽電池 の技術と、それ以外のグリーンの電力 を使って、自社のなかで出す二酸化炭 素の排出量と、再生可能エネルギーで
図④
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としているところです。将来的に資源 循環型社会を実現するには、マテリア ル・リサイクルによって廃棄物を減ら していくことが必須要件です。これに は、生産する過程のなかで企業の責任 で処理できる部分と、社会構造のなか で実現していかなければならない部分 とがあり、経済産業省や環境省も積極 的に取り組んでいますが、われわれと しては官の協力も得ながら、ものづく り企業の使命として展開できるところ まで持って行きたいと務めているとこ ろです。 に関して、昭和シェルとして SDGs まず取り組めるのは、ものづくりに絡 んでくる七、九、一二、一三番という 項目ですが、一一番にある「住み続け られる町づくり」にも貢献して、社会 に信頼され、市民に選んでいただける 企業になっていかなければいけないと 考えています(図⑨) 。企業としては、 将来の方向性を示してくれる指標とし
を活用して、企業方針とうま て SDGs くマッチングさせることによって、会 社を成長させるベクトルを維持できる ようにしていきたいと考えています。
蟹江 櫛屋さん、ありがとうございま す。 昭和シェル石油という会社名ですが、 石油だけではなく、非石油も含めて長 期的なビジョンをもって事業を進めて いるというお話をいただきました。 ここまでは企業の立場からお二人に お話をしていただきましたが、続きま してグエン・ホアン・オアインさんか らは、大学がサステイナブルな社会を 作っていくために何ができるのか、産 学連携をどのように進めていくのかと いった観点からお話をいただきたいと
を推進する上で日本 思います。 SDGs や日本の企業に対して望んでいること や、あるいは日越大学についても触れ ていただけるのではないかと思います。
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年後に不要となり処分に出されるもの に対しては、いまはまだ責任が取れる ような状況になっていません(図⑧) 。 昭和シェルはソーラーフロンティアと ともに、NEDOのプロジェクトのな かで、リサイクルの技術を開発しよう 図⑨
図⑦
図⑧
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図①
進めなくてはいけません。これまで政 府は経済発展にしか力を入れてこなく て、環境と調和する社会開発をしてい くという視点がありませんでした。ま た、持続可能といっても、ベトナム流 の持続可能という考え方がありました。 世界地図でベトナムを見ますと、ベト ナムは中国の隣国で、一〇〇〇年以上 の長きにわたって中国の影響を強く受 けてきました。ベトナム国民の性格と して、中国からの影響を受けつつ、生 き残るための柔軟性を持ち合わせてき ました。それがベトナム流の持続可能 性です。最近になって中国の影響から 解放され、自由を得たときに、あまり にフレキシブルであると、体系的な一 貫性のある取り組みができないという ことになってしまっています。ゴール ばかりに目が向いて、実現の過程をあ まり考慮しないということもあります。
ですから、 SDGs が一つのきっかけ となって、ベトナムでも環境を配慮し
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ベトナムとASEAN諸国における の実装に向けた 日越大学の実践 s G D S
グエン・ ホアン・ オアイン 私は、持続 可能な開発の哲学をベトナムの大学に 導入しましたが、国としてはまだそれ をきちんと導入できていません。 ベトナムの社会・経済発展の状況か ら話を始めたいと思います。ベトナム の地図を見ていただくとおわかりのよ うに、 ベトナムは沿岸線がかなり長く、
気候条件や地形条件が多様で、とくに 気候変動の影響を受けやすい国だとい えます(図①) 。しかし、政府も国民も 気候変動の影響にはまだあまり関心を 示していません。社会的には経済発展 の方が注目されがちで、GDPは六パ ーセント超の成長率を達成しています。 堅調な経済成長によって生活水準が大 幅に改善され、 人口が急増しています。 人口は各地で均等に増えているのでは なく、二カ所のデルタ地域、および沿 岸部で増えていて、とくに北部に人口 増が集中しています。 図②はベトナムの人材開発の概要を 示しています。 これをお見せするのは、 個々のデータに注目していただきたい からではなく、政府あるいは統計機関 が、年齢と組織内でのポジションの相 関を気にかけているということを知っ ていただきたいからです。ベトナムで は、持続可能な開発のための広い視野 を持った人材の開発には、まだまだ力
を入れることができていません。 ベトナムにおける人材開発の欠点は 図③のようにまとめられています。企 業の需要に応えるためにどのように教 育するのかということばかりを気にす ると、文系教育があまり重視されず、 環境に対する教育も重視されないとい うことになっています。 近年ベトナムで起きた環境スキャン ダルで最も有名なのが、台湾のプラス チックグループのフォルモサ・ハティ ン社の子会社の製鉄所で起きた沿岸汚 染です。違法な廃液の排出によって多 く海産物が死滅し、影響が長引きまし た。また、南部のメコンデルタでは深 刻な塩害が発生し、作物生産に大きく 影響を及ぼしました。多くの川や湖で 水質汚染が発生しています。これらの ことは、おそらく政府および国民に対 し、警鐘を鳴らしているのだと思いま す。 経済発展は環境と調和したかたちで
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最終決定はされていないのですが、ア ジェンダ二〇三〇を実施しようという
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の目標と同じだけのゴールを掲げ、タ ーゲットは一一五にしました。そのゴ ールと目標のもとで、人材開発を進め
図⑤
計画があります(図④) 。 SDGs の一七 図④
た持続可能な開発していこうという意 識が高まることを私は期待していると ころです。実際、国レベルでは、まだ 図③
図②
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に就職して六カ月とか一年ぐらいの間 はトレーニング期間で、それから本格 的に働くのだと思いますが、ベトナム では卒業してすぐに戦力にならなくて はなりません。広いビジョンだけでは なく、実務的な能力も学生に身に付け てもらわなければならないのです。 日越大学のプログラムはまだ始まっ たばかりで、大掛かりな学生募集も行 っていません。まずはサステイナビリ ティ学という柱を導入し、持続可能性 の原則の根付いたベトナムで最初に大 学にしていきたいと考えています(図 ⑦) 。 日越大学は、ベトナム、日本、そし てその他のアジア諸国に向けて、質の 高い人材を提供していくことを考えて います(図⑧) 。学生には、専門分野の 知識と技能だけでなく、地域およびグ ローバルな幅広い課題に対応できるよ うな能力を身に付けてほしいと考えて います。また、日本の標準的な学術コ
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と努力しているところです。 ベトナムの大学教育は少し日本と異 なっています。日本では卒業して企業 図⑨
の周辺国からも学生が集まってきてい ます。 社会のニーズに対応できる人材、 広いビジョンを持つ人材を開発しよう 図⑧
図⑥
)になることを ( Center of Excellence 目指しています。 数千名の学生がいて、 ベトナムだけでなく、ASEAN諸国
ていこうと考えています。 人材開発について、ベトナムの大学 の重要な使命の一つとして、教育と企 業との関係を改善するということがあ ります。そのために、持続可能な開発 に対する概念を、教育を通してより広 く人々に理解してもらうことが重要で あると思っています(図⑤) 。どのよう なリスクがあるかを特定し、実行可能 な解決を模索する能力を学生に身に付 けさせることができたなら、卒業した 後で、国あるいは世界の人にとっての 脅威となるような課題に対して取り組 んでいける人材になると思います。 日越大学(VJU)についてご紹介 します(図⑥) 。日越大学は、日本とベ トナムの二国間の協力の象徴として、 四年前に作られたばかりの大学です。 日越大学はとくにアジア地域のCOE
図⑦
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これまでの発表にありましたように、 教育で も産業で も 政策立 案で も 、 はわれわれが前に進んでいくた SDGs めの大きなよい駆動要因となります。 具体的にどのようなアプローチがある のか、どのようなソリューションがあ るのかということは、世界のなかでの われわれ立ち位置、 たとえばベトナム、 日本、スウェーデンでそれぞれに違っ てくる場合もあるでしょう。しかし、 大枠では共有できると思っています。 お互い同士学び合うことができ、経験
を分かち合うことができます。 大林組の取り組みを非常に興味深く 伺いました。スウェーデンの建設会社 もいろいろなことを学べるのではない かと思います。いろいろな優良事例を 分かち合うことがぜひ実現できたらと 思います。つまり、これからのチャレ ンジとして、知識の共有化、そのため のネットワーキングが大事だと思いま す。大林組の方々にもぜひそのような ことまで考えていただきたいと思いま す。 は大きな共通のフレーム 蟹江 SDGs ワークで、別の言い方をすると、共通 言語のようなものであるということも いえると思います。その意味で、バリ さんがおっしゃったネットワーキング が大きく進められる可能性があると思 います。 バリさんから大林組のお話がよかっ たということでしたので、蓮輪さん、
それから同じく企業の立場から櫛屋さ んに、ネットワーキングも含めて今後 どのような可能性があるのか、逆にど のような難しい点があるのか、コメン トをいただければと思いますがいかが でしょうか。
技術を社会の中で展開するには
蓮輪 ネットワーキングということ をいま聞きまして、まったく同感であ るのですが、考えなければならないこ ともあります。持続可能な社会という 理念は当然共有できます。それに向か って協力し合うということもできます。 しかし、たとえば建物のエネルギーの ゼロ化といった技術をわれわれが手に しても、その技術がすぐにそのままグ ローバルスタンダードとして、ヨーロ ッパやアジアの諸国にも適用できるよ うになるのかというと、そういうわけ にはなかなかいきません。ネットワー
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ース、あるいは日本の持続可能な開発 の技術を習得して、それをベトナム文 化のもとで発展させ、さらには、AS EAN諸国の文化を理解して各国に広 めていけるような学生を育てたいと思 っています。 日越大学がハブになって、 ASEAN諸国に持続可能開発の文化 を広めていくのです。 日越大学の今後の展開には日本の企 業の皆さまのご協力がぜひとも必要で、 シンポジウムやイベントがあるたびに、 企業の方たちに毎回お願いしています (図⑨) 。 深い協力関係を企業と大学の 間に築き、教育プログラムを設計する に当たっては、企業のニーズに具体的 に応えていくようにしたいと思ってい ます。いま二期生の就職の時期になっ てきていて、日本企業への就職の可能 性もぜひ模索したいと思っています。 最も優秀な学生に日越大学に入学し てもらおうとしているのですが、ベト ナムでは、優秀な学生でも経済的な制 約で思うように進学できないことがあ ります。そのような学生を支援したい と考えています。そのための資源提供 に関しても日本企業の協力を仰ぎたい と思っています。
蟹江 グエン・ホアン・オアインさん、 ありがとうございます。 を作った国連のワーキンググ SDGs ループで、ケニア出身の議長さんがこ のようなことをおっしゃっていました。 「 SDGs には環境の問題や社会の問題 も含まれているけれども、何よりも経 済成長の問題だ」と。その方は、 SDGs は経済成長のためのアジェンダである といっていました。最初に小宮山先生 がおっしゃったように、いまきれいな 環境があるところから、きれいなまま に経済発展した方がはるかにいいので す。環境にきちんと配慮することを掲 は、発展途上国が先進国に げた SDGs なるための一つの重要な機会になるの
でないかと思います。 そういう意味で、 サステイナビリティを教育の中心に据 えた日越大学は非常に大きな可能性を 秘めた大学ではないかと思います。
ネットワーキングの重要性
蟹江 さて、四人の方々からお話をい ただいたところで、次にマッツ・バリ さんにお話を伺いたいと思います。こ れまでにいろいろな事例や取り組みが
の二〇三〇 紹介されましたが、 SDGs アジェンダを見て、そこにはどのよう なチャンスがあるのか、どのようなチ ャレンジがあるのか、バリさんの視点 から、改めてコメントをいただければ と思います。
マッツ・ バリ 非常に大きな質問をい ただきました。まずパネリストの皆さ んが非常によい発表をされたことに感 謝します。
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ろいろな問題がいろいろなところに絡 んでくるということがあると思います。 再生可能エネルギー一つを取っても、 インフラにも関わりますし、雇用にも 関わります。そういうことを一つ一つ 紐付けた上で、その先に何が見えてく
産官学の連携で レジリエントな社会を目指す
くでしょう。二二世紀まで持続できる ような社会になるよう、 すべての企業、 すべての人が取り組んでいくことが非 常に重要だと思います。その意味でも 産官学の連携は重要です。
小林 さっきもご紹介しましたよう に、環境省はステークホルダーズ・ミ ーティングを開いてビジネスの方々と コンタクトを取り、だんだんと地方公 共団体、あるいは市民層も巻き込んで いこうとしています。そのときに、学
蟹江 産官学ということが出されま したが、産官学の連携については環境 省もいろいろな策を打っていて、短期 的にやるべきこと、長期的にやるべき こと、 いろいろとあると思うのですが、 小林さん、いかがでしょうか。
の一つの るかを考えることが、 SDGs 活用の仕方ではないかと思います。 をツールとして使うことのメ SDGs リットとして何があるのか、昭和シェ ル石油として、あるいは個人として、 考えるところがありましらたお話いた だけますでしょうか。 の一七項目は、すべての 櫛屋 SDGs 産業分野、あるいはすべての個人に、 何らかのかたちで関係すると理解でき がきちんと提示されてい ます。 SDGs ること自体が非常に重要だと思います。 こ れ から 二 一 世 紀 の半 ば まで 、 が示すような方向で進んでいく SDGs のなら、社会は間違いなく変わってい
界には広い視野のもとで方向付けをす るようなことで協力していただけたら と思っています。
にはいろいろなテーマがあり SDGs ますが、環境省がとくにマッチングが いいといますか、まさに働きどころで はないかと思っているところが二つあ ります。一つは、森・里・川・海をつ ないでいこうという「つなげよう、支 えよう森里川海」という運動を環境省 は展開しています。山があるおかげで 水や空気がきれいに保たれ、山はバイ オマスの生産地でもあります。ところ が、地方にはだんだんと山を支えてい く力がなくなってきています。山が衰 えると、里の方にもいろいろなダメー ジがあり、川が悪くなり、海が豊かで なくなってくるということにもなりま す。環境省の「つなげよう、支えよう
にも大きく関わる 森里川海」は SDGs ところがあると思っています。 もう一つは気候変動です。気候変動
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キングとして、いきなり技術を共有す るのではなく、グローバル展開できる ような基準づくりというところにまず 参画するようなことが必要になってく るのではないかと思います。 たとえば、再生可能エネルギーの有 効利用、あるいは熱利用といったこと では、スウェーデンや北欧諸国に学ぶ べきところがたくさんあると思います。 そこでもやはりお国柄というものがあ って、実際に技術を社会のなかで展開 していくとなるとさまざまなところで 違いが出てくるので、ともに学びなが ら研究していくべきことが多々あるの ではないかと考えています。
蟹江 そのあたりで、企業と大学が連 携していく可能性もあるのではないで しょうか。 蓮輪 そうだと思います。
蟹江 技術としてはトップランナー であっても、それをグローバルに展開 するには、どのように基準を作ってい くのかという問題があるということと、 実際に地域で技術を適用するときには 地域性を考えなければいけないとご指 摘でしたが、櫛屋さんからは何かコメ ントがありますでしょうか。 新しい産業を生み、 新しい社会を作る 櫛屋 エネルギーは持続可能な社会 においてもやはり社会基盤として重要 です。将来においては、二酸化炭素を 排出するようなエネルギー源は基本的 に使われなくなっていくでしょう。そ れに対して、エネルギーを供給する会 社としては、企業の意思をきちんと持 って社会の変化に対応していくという ことが非常に重要になります。一つの 企業が将来に向かって生き残っていく
の一つの特徴として、い SDGs
には、世の中の変化に適合し、これか らの時代が必要とする企業にならなけ ればなりません。 先ほど申し上げたリサイクルについ ても、太陽光発電が増えてくれば、太 陽光パネルが当然大量に不要となって 廃棄される状況になります。太陽電池 を作っている企業としては、それに対 応できる部分と、一企業だけでは対応 できない部分とがあります。いますで にあるモノの流れをうまく使いながら、 同時に将来に向かって新しいモノの流 れをきちんと作っていくようなことを しなければなりません。そのときに、 新しい産業を生み出すことにもなろう かと思います。 環境全体をバランスさせるというと ころから、新しい方向性が見えてくる のではないかという考え方で、弊社は いま対応していこうとしています。
蟹江
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■閉会挨拶
ふくしけんすけ
福士謙介
くときには
の要素を入れていく SDGs
ースとなっている企業活動が重要で、 さらに社会の主役である市民の方々の 取り組みがなければなりません。それ らを連携させて推進し、あるいは学術 的な基盤を作り、社会に人材を送り出 すことでは大学に大きな役割がありま す。今日はそうした各方面からお話を していただきました。そして、SSC は各ステークホルダーを連携させてい く役割を担っていると考えています。 今回、このシンポジウムについてJ STから支援を受けましたときにお約 束したことがあります。SSCが今後 このような一般公開シンポジウムを開
東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)教授
本日は長い時間、ご参加くださいま してどうもありがとうございました。 をテーマとするシンポジウム SDGs を開催するのは一般社団法人サステイ ナビリティ・サイエンス・コンソーシ アム(SSC)としては初めてです。 は、竹本さんが述べられました SDGs ように、人間が地球環境に及ぼす影響 が無視できなくなった時代の新しい道 しるべの一つです。道しるべそのもの は、あくまでも道しるべであって、そ れを政策に落としていく役割は政府、 もしくは自治体が担い、現実の社会を 動かしていくことでは、資本主義社会 のなかで最も強力なドライビングフォ
というお約束です。来年以降それを実 現していきたいと思っています。その ような意味で本日はスタートというこ とになります。これからも持続可能性 に関するシンポジウムを開催していき ますので、どうぞ皆さまのご支援をお 願いいたします。本日はどうもありが とうございました。
司会 福士先生、ありがとうございま した。パネリストの皆様、お席にお戻 りください。 以上をもちまして、シンポジウムは 終了となります。本日はご参加いただ きまして誠にありがとうございました。
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によって社会は大変大きな影響を受け ます。先ほどもいいましたように、日 本は二〇五〇年には二酸化炭素の排出 量を八割削減するということを打ち出 しています。そのためには社会が本当 に大きく変わっていかなければなりま せん。 八割を削減する社会とはどういうも のなのかということをイメージするに は、学界の皆さんのお力が非常に大き いと思います。二〇五〇年というかな りの先の話で、相当に不確定要素があ り、 いろいろな利害関係があるなかで、 八割削減に向けてどのように進んでい くのかという基盤を作るには、やはり アカデミックの方々に考えていただく のが説得力があると思います。いろい ろなステークホルダーが議論に参加し ていくときのベースを、学界の方々に 作っていただきたいと思います。 そして、気候変動の影響を受けなが ら脱炭素の社会を作っていくには、ビ
ジネス界や地方行政の方々とのタイア ップがぜひとも必要です。再生可能エ ネルギーの活用は、各地域が持ってい る資源に光を当て、それを見直して行 くということにつながります。地方に はそのようなことに熱心な首長さんが 多くいらっしゃいます。地方にとって 新しいビジネスチャンスとなるはずで す。地域がある程度独立的なエネルギ ーを持つというのは、経済的にも大切 なことで、新ビジネスにチャレンジす る企業と、それを応援する金融機関が 連携することでいろいろなチャンスが 生まれてきます。それが気候変動に強 いレジリエントな社会を作っていくこ とにもつながっていくのだと思います。
蟹江 そういう新たなチャンスが生 まれてくるということは、今日きてい ただいている日越大学のグエンさんの ところにもあるのではないかなと思い ます。
さて、あっという間に時間になって しまいました、まだ十分に聞き足りな いところもありますが、この辺でパネ ルディスカッションを終わらせていた だきたいと思います。 パネリストの先生方どうもありがと うございました。それからご静聴いた だきました皆さま、どうもありがとう ございました。
司会 蟹江先生、パネリストの皆さま、 ありがとうございました。 最後に閉会にあたり、東京大学サス テイナビリティ学連携研究機構教授、 福士謙介よりご挨拶申し上げます。
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た。舜帝の崩御後、禹は帝位を継ぎ陽城に遷 都、 高徳を以って治めた。 街道を四方に通し、 異民族を駆逐し、倹約を旨とし、治水に努め たという。聖人と云われる所以である。ここ から窺われる王朝のあり方は、徳によって国 を治め、治山治水に努め、道路を整備したと 云うことか。ともあれ、黄河流域にあった王 朝と考えられているが、その支配地域は『史 記』では「海浜より流砂に至る」と書く。し かし、おそらく当時の中国は至る所に異民族 が住み、他族との紛争が絶えなかったと考え られる。これを禹が駆逐したという『史記』 の記述は、それが書かれた漢代の国境からの 類推であろう。 法治ではなく徳治であること、これが孔子 をして聖人と言わしめ、儒教の説く政治の理 想とされたところである。 意地悪く考えれば、 悪人はどんな国にも社会にもいる。それを徳 の感化によって治めるとは、机上の空論に過 ぎない。実際、禹の後に諸侯は禹の子である 啓を帝位につけたが、服従しない異族を討伐 する。啓の子の太康に至って国を失う。
実は一九五九年に河南省の二里頭村で発掘 された遺跡は、新石器時代の宮殿遺構を持つ 紀元前一八〇〇年ごろのものとされている。 中国ではこれを夏王朝の都城とする説と、夏 王朝と殷代初期の複合遺構とみる説があり、 確定していない。殷墟の場合は甲骨文字と云 う亀甲や獣骨に彫られた漢字の原形が出たた めに、時代を特定できたが、二里頭からは文 字らしきものも出ているようではあるが、判 読できていない。ただし、この遺跡からは青 銅製品が出土しており、その中には鏃(矢じ り)がある。青銅器は殷に始まると云われる が、果たしてどうか。つまり、こん棒や竹槍 の時代に金属製の武器を持っていたなら、き わめて強力な軍隊を保持していたと云える。 つまり夏の威光は、徳治にあるのでは無く、 その強力な武器にあったとも云える。 文献をどのように読むか。それによって歴 史をどのように解釈するか。文献学的な歴史 構成も、たった一つの小さな鏃の発見で崩れ るのか。二里頭村の遺構にかかっている。
連載 エッセイ
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竹槍と青銅 今では滅んで痕形も無くなった文化を研究 して、それを復元していくには幾つかの方法 がある。その時代の遺物を集め、その遺物を 手掛かりにしてかつての文化を再構築してい く方法であるが、それには考古学のように、 出土資料を重視する分野もあれば、文字資料 や伝承文化の中にそれを求めようとする方法 もある。そして、そうした多分野の成果を複 合して初めてある文化の一部を明らかにする ことが出来る。 私が従事してきた中国学は、伝統的に文献 を用いてそれを行ってきた。 幸いに中国には、 紀元前数世紀からの文献が存在し、ある程度 信頼しうる歴史書や記録が多く残されている。 したがって、古くから文献による考証法が発 達し、二千年前の時代から一つの学問として 成立していた。文献考証学と云われる分野が これである。 中国史で三代と云えば、紀元前一〇世紀以 前に存在したとされる夏王朝、その後を継い
だ殷(商)王朝、そして紀元前一〇世紀頃か らの周王朝をいう。ただし、夏王朝の存在は 実証されていない。殷王朝も一〇〇年ほど前 までは実在したのかどうか、証明されていな かった。ところが、一九二八年からの発掘調 査でこの王朝の存在が確認された。その後、 では夏王朝はその地層の下にあると考えて、 同じ地層の有るところを試掘したが、現在に 至るまで王朝の存在を示す遺物は出土してい ない。もちろん殷以前にも文明は存在した。 しかしそれが夏であるという確証がないとい うことである。 文献ではいくら証明できても、 実証できる遺物が出なければ証明できないの である。 では夏王朝と云う王朝はどのような王朝で あったのか。最も知られた文献に『史記』が ある。漢の司馬遷によって書かれた文字通り の史書であるが、これは聖人と称される禹に よって作られた王朝という。禹は舜帝より黄 河の治水を命じられて、よくそれを完成させ
山田利明
やまだ としあき
東洋大学教授
(専門は中国哲学)
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からようやく脱しようとしたとき、オスマン トルコは牛、馬、山羊、羊といった家畜をご っそり持ち去ってしまいました。唯一残った のが豚でした。イスラム教徒は豚を食べない からです。 マンガリッツァは二〇〇年ほど前にラード を取るタイプの豚から誕生しました。放し飼 いないし半放し飼いで飼育され、多いときに は数百万頭もいました。ところが、第二次世 界大戦後に大量飼育できる品種が普及したこ とから激減し、一九九一年には約二〇〇頭に なってしまいました。マンガリッツァは成長 が遅く、出荷するまでに一二カ月以上かかり ます。普通の豚は六カ月程度で出荷できるの で、倍の時間がかかっては市場原理で淘汰さ れてしまうのでした。こうして絶滅寸前にま で至ったマンガリッツァですが、ハンガリー にとって貴重なものであることが見直され、 現在では五万頭にまで増えています。 ハンガリーではマンガリッツァだけでなく、 国の施設として家畜遺伝子保全センターがつ くられ、在来のさまざまな家畜・家禽の遺伝
子を守ろうとしています。 ひるがえって日本では在来種を守るための 取り組みははなはだ不十分です。日本の在来 の豚はほとんどが姿を消し、いま残っている のでは沖縄のアグーが知られています。アグ ーは脂肪の融点が低く、口の中でとろけるよ うに感じられることから、人気が出つつあり ます。鶏では、比内、天草大王など各地に地 鶏が残っていますが、飼育量ではブロイラー が圧倒的です。最近ではタイから安い焼き鳥 用の肉が輸入されるなどして、地鶏の消費は 増えていません。日本の在来種で比較的よく 残っているのは和牛です。たとえば忍者の里 の伊賀では伊賀牛が育てられ、伊賀の人たち は、牛肉を食べるなら伊賀牛ということを自 分たちで実践しています。高級食材として東 京などの大都会に売るだけではなく、地元で 愛されることが大切だと考えているからです。 マンガリッツァもハンガリーの国民がその 肉を愛するからこそ生き残ることができまし た。日本にとってたくさんの見習うべきこと があると感じた今回のハンガリー訪問でした。
連載 エッセイ
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国宝の豚 マンガリッツァをご存知でしょうか。ハン ガリーの在来品種の豚で、二〇〇四年に国宝 に指定されました。なかなかかわいらしい顔 をしていて、全身が毛でおおわれているのが 特徴です。そのマンガリッツァを、今年の八 月にハンガリーで初めて食べる機会がありま した。日本の軟らかい豚肉に慣れていると少 し硬く感じられますが、よく噛むと上品なさ っぱりとした味わいがしみ出てきます。栄養 価が高く、不飽和脂肪酸を多く含むことから ヘルシーだといわれています。 ハンガリーに行ったのは、秋篠宮殿下の調 査研究に同行したもので、足かけ四日間殿下 と行動をともにしました。殿下は長年、家畜・ 家禽について研究され、アジアとヨーロッパ の比較を検討されています。ハンガリーの首 都のブダペストのあたりには、九世紀頃に、 アジアに起源があるとされるマジャール人が 移住してハンガリー王国を建てましたので、 東西を比較するには興味ある場所です。
殿下は民族博物館、 農業博物館、 観光農場、 マンガリッツァを飼育する農家などを訪問さ れ、行く先々で熱心に質問されていました。 博物館は国の施設で、広くゆったりとしてい て、殿下が行かれるからといって特別な規制 はなく、殿下が質問をされている横を一般の 人が自由に見学していました。日本の博物館 はスペースが狭く、同じようなことはできま せん。ハンガリーは日本と比べて大きな国で はないのですが、そういうところに国がきち んと投資しているのが印象的でした。観光牧 場は国立公園の中で民間が運営しているもの で、広い牧場を馬車で移動してさまざま展示 を見て回りました。ハイイロギュウや山羊や 鶏などの在来の家畜・家禽が大切に飼育され、 日本の観光牧場とはかなり趣が違います。 マンガリッツァがどうして国宝になったか というと、ハンガリーには伝統的に豚を大切 にしてきた歴史があります。時は中世のさか のぼり、ハンガリーがオスマントルコの支配
林 良博
はやし よしひろ
独立行政法人 国立科学博物館長
(専門はバイオセラピー)
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に位置する」と定義されます(尾崎正紀・小松原琢、 二〇一四) 。つまり、シコツ・ルートで結ばれた、石 狩低湿地の北部には広大な石狩泥炭地が、南部には ウトナイ湖や勇払原野の低湿地が、発達していまし た。私は、この石狩泥炭・低湿地とウトナイ湖や勇 払原野低湿地を繋ぐ、広大な地質学的石狩低湿地帯 をシコツ ベルトと呼称しています。シコツ ベルト の両脇には山脈が連なり清流が湧き出し、支笏湖を 源流とする千歳川と大雪山を源流とする石狩川が流 れており、水の豊かなベルトです。実際、ビール、 ウイスキー、清涼飲料、血清の水商売や食品の会社 が多く操業し、このベルトには二〇〇〇社以上の中 小企業もあります。さらにこの豊かな水を利用して 多彩な農作物を生産し(一次産業) 、加工し(二次産 業) 、味わい(三次産業) 、それぞれを「食糧」 、 「食 料」 、 「食療」とよぶとすると、その最高度の要素を 織り込んだ、 「しょくりょう」文化が構築されるはず です。海の幸、山の幸(あまり利用されていません が、アイヌの食文化を見直すと極めて豊富) 、川の幸 (サケ) 、さらに水の幸(酒類) 、それに豊かな農作 物(水田、畑作、果樹、蔬菜、酪農) 。このシコツ ベルトは、フードバレー産業ならぬ、世界に先駆け たフードベルト文化を構築しうる可能性を秘めてい
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ます。このシコツ ベルトは、もともとはアイヌ文化 が濃厚に存在した地域でもあります。 シコツ ベルト は空間の広がりだけでなく、歴史的時間の流れを教 えてくれます。つまり、和人の「風土」論を見直し、 「風水土」そのものを見通す、視座も与えてくれま す。食の世界では、 「地味」を味わうのが世の流れの ようですが、シコツ ベルトでは「風水土」が味わえ ます(いずれ) 。 ・
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「シコツ」の要の千歳には、千歳川の上流で支笏 湖 樽前山系からの伏流水の湧き水が豊富で、 蘭越に サケ マスの孵化場があります。ここには、サケが千 歳川を遡上して、この湧水地で産卵するためです。 ここの湧き水は夏でも冷たく、本当に美味いです。 小学校の頃はよく炊事遠足にいったものです。この 散在する湧水地にサケが多量に遡上したことから、 その近傍にはいまでもひっそりとアイヌ部落があり ます。ここは、石森延男の『コタンの口笛』 、そして、 それを原作とする成瀬巳喜男監督の映画の舞台とな った地です。 ここらあたりの丘陵部には、続縄文時代(北海道 を中心に紀元前三世紀頃から紀元後七世紀)の遺跡 が多く、古代よりサケを中心とした狩猟採取文化の ・
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風水土の旅2 ミズナラ
千歳市内には、標高約二五メートルと日本一低い 分水嶺があります。北海道新聞によると、 「この分水 嶺は、新千歳空港付近で千歳市を南北に分けるよう に東西に走る。空港建設で整地された部分も含める と全長約八キロ。分水嶺の南側では、雨水は美々川 などからウトナイ湖(苫小牧市) 、勇払川を経て太平 洋に、北側は祝梅川や千歳川、石狩川を経て日本海 に注ぐ」 ( 「低さ日本一 分水嶺に感心」二〇一五年 七月二四日) 。低い分水嶺ゆえに、千歳は古くから太 平洋と日本海をつなぐ交易拠点でした。札幌農学校 の創設に係わったクラークが、島松で学生と別れ、 千歳、苫小牧経由で室蘭より出航したのも、この交 易ルートが古くから整備されていたからにほかなり ません。一六五八(万治元)年には、現在の千歳神社 がある場所に志古津弁天小社が造営されていたとの 記録もあります。 千歳の旧地名はもとアイヌ語で大きな窪地を意味 する「シ・コツ」でしたが、 「死骨」に通じ縁起が悪 いとされ、周辺にタンチョウヅルが飛来することに
ちなみ、 「鶴は千年」から千歳に改名されましたが、 「シコツ」の語は、千歳川の水源である支笏湖とし て今も残っています(ウィキペディアを一部参照) 。 松前藩の記録によりますと、 「シコツ」 ( 「志古津」 ) のエリアは千歳だけでなく、苫小牧や鵡川方面まで もがその範囲であったといいます。また、タンチョ ウヅルは、アイヌ語では「サロルンカムイ」と呼ば れ、 「葦原の神」の意で、いわば低湿地の神様で、 「シ コツ」 ( 「志古津」 )は、大きな窪地を意味しますが、 樽前山の噴火による火山礫の丘陵・台地に囲まれた、 広大な低湿地を意味していると考えてもよいでしょ う。 太平洋からウトナイ、美々川を遡って分水嶺を越 え、 千歳川から石狩川を経て日本海に至ることを 「シ コツ越え」と呼んでいたようです。このルートは、 地質学的には、石狩低湿地と呼ばれ、 「石狩平野、苫 小牧及び周辺の台地・丘陵からなる南北に延びる活 動的な低地帯で、東北日本孤と千島孤が衝突する日 高衝突帯の西側前縁部に発達する褶曲‐衝上断層帯
大崎 満
おおさき みつる
北海道大学大学院教授
(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)
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すが、ここに、秋になると木柵で川を封じ、インデ ィアン水車を設置して、千歳川を遡上する鮭を全量 捕獲し、蘭越の孵化場まではこびます。湧水の湧く 蘭越で自然繁殖させるのがもっともよいはずですが、 あるいは、その湧水に来たさけの一部を捕獲すれば よいだけですが、それをあえて下流で全て捕獲して しまいます。理由はきかずとも分かりますね。 千歳から苫小牧、勇払原野の低湿地では、灌木の ハスカップの原生地で、今、ハスカップの実をつか った食品や菓子が開発されています。千歳ではハス カップを「ユノミ」と呼んでいて、アイヌ語の「エ ノミタンネ」( 「細長い実」 ) が由来だとされています。 常時湛水している土地にはこの「ユノミ」の灌木が 茂り、アヤメや湿地植物が咲きほこりましたが、今 では幻となりました。まわりの低(湿)地では、ミ ズナラの広大な純林群生がとりまいていました。ミ ズナラは、葉が枯れても落葉しないで冬芽を守り、 春に落葉します。晩秋から春にかけて、一面、茶色 の低木の枯れ野となります。ベルグの景観学や日本 人の散り際の美学からすると、最低の景観と評価さ れてもしょうがない景観です。この地帯は樽前山の 噴火で膨大な火山礫が堆積しており、土壌養分がほ
とんど無い赤貧土壌の一つで、低地で湿りがちで、 雪が少ないために土地はかなり深くまで凍り、ミズ ナラはこのような劣悪な条件下でも生き残れるよう で、 シコツ ベルトでは広大な純林群落を形成してい ました。生育はよくないので、曲がりくねって木材 としても余り価値がありません。薪にするぐらいで す。 排水が進み乾燥化され、ミズナラの純林は消えつ つありますが、千歳空港を挟んで、西側の樽前山側 と東側の馬追丘陵側にはまだ、広大なミズナラ純林 の群生がみられます。冬から春にかけて茶色の葉を 付けた樹海で、飛行機からみると茶色の絨毯のよう です。 しかし、春には低木のミズナラ純林の薄緑の葉が 実に美しい。淡い緑のベールに包まれたような世で す。冬もノルデックスキーでぬけると、キラキラ輝 く雪と茶葉のコントラストは美しく、木々に積もっ た雪とで、無数の表情が見えます。ミズナラは横に 枝がよく張るので、 他の木とは違う表情をみせます。 雪で化粧した、なにやら愛嬌のある容姿なのです。 自転車で何時間行ってもミズナラ群生林です。こ こは、東の端が第七師団のある東千歳駐屯地で、そ のせいで、時たま戦車や装甲車が通ります。上空で
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中心地の一つと推察されます(高校生の頃、ここの 発掘調査に狩りだされ、そのとき、ここから珍しい 男性の土偶が出て話題となりました) 。 千歳川の支流の祝梅川の源流は祝梅沼ですが、そ こも湧き水で、そのヨシ原にはサケが遡上していま した。ヨシを刈っていた父がよく捕まえてきたもの です。小学生のころでも千歳川沿いには、アイヌの 人が多く住んでいましたし、クラスにもいました。 よく遊んでいましたが、 『コタンの口笛』の映画を全 校で見にいき、皆凍りつきました。差別の根絶を訴 える映画でしたが、 「差別」という言葉(たぶん概念) を知り、逆に、差別というか区別が発生してしまい ました。いじめではないですが、それを境に互いに 疎遠になってしまったのです。アイヌであることは 当然、皆、知っていましたが、 「差別」という人を区 別する言葉(概念)によって、初めて「差別」が発 生したのです。 北大植物園の北の伊藤邸を源流として、偕楽園の 泉「ヌプサムメム」 (アイヌ語で「野の傍の泉」の意) の水を合わせ、北海道大学構内へと流れ込んでいた 小川はサクシュコトニ川と呼ばれ、サケが遡上して いたとあります。 偕楽園にはサケの孵化場が作られ、 孵化の研究が始まりました。 北海道大学の敷地にも、
続縄文やアイヌの遺跡が多く存在し、やはり、サケ を中心とした、狩猟採取文化が栄えていた地と推察 されます。北大構内の北部に残る原生林地帯は泥炭 地 (この辺りから北西に石狩泥炭地が広がっていた) で、雪の溶けかかる三月に、ここの原生林で秘めや かに祭壇が設けられ、アイヌの祭儀が執り行われて います。 研究に使うヨシの種を採取して歩いていて、 普段でも人の入らないこの地でアイヌの祭儀にでく わし、異界に紛れ込んだような驚きでした。ここは アイヌの地であることをまざまざと知りました。 地質学的には石狩低湿地、アイヌ語(アイヌの生 活圏)では「シコツ」と呼ばれた低湿地ベルトは、 古くからサケを中心とした一大狩猟採取文化圏であ ったと推察されます。一八七八(明治一一)年に明治 政府はアイヌ民族の呼称を 「旧土人」 に統一した際、 アイヌ民族によるサケ漁を禁止し、 一八九九年に 「北 海道旧土人保護法」を制定し、なんと一九九七年ま で存続していました。 「保護」と称しながら、アイヌ にサケ漁を禁止するということは、生業 (なりわい) を断つというに等しく、かなりあくどい政策と法律 です。これは、コメ文化を断って、コムギ文化に洗 脳しようとした、占領政策にも似た暴挙です。 千歳には、 「サケのふるさと千歳水族館」がありま
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水が失せたせいと思います。なにか、自然の環がぶ つぶつに断ち切られてしまったのです。 先日、橿原 (かしわら)駅から一五分ほどの奈良県 立橿原考古学研究所附属博物館 (橿原博物館と呼ぶ) に向かう途中に、競技場と球技場の造成の際に多く の遺構、遺物が発掘され、ここの橿原遺跡の説明文 によると、 「出土品の量が多いのは縄文時代で、丘陵 縁辺の低湿地からは多くの樫の木の根が埋没して見 つかり、当時から付近が広大な樫の原であったこと がわかりました」とありました。 橿原博物館から橿原神宮へ。橿原神宮は、畝傍山 の東麓、久米町に所在する神社です。境内に排水路 が走り、この地が低湿地に存在していたことを偲ば せます。 橿原博物館でも興味ぶかい展示記載があり、「もと もと奈良盆地は沼沢地で、縄文時代後期(約四〇〇 〇年より前)の遺跡は木津川水系や吉野川水系の谷 に広がり、それ以降は盆地縁辺部の扇状地に遺跡が が生えていて、 散在している。盆地部には、橿(カシ) 橿原となっていたようである。カシとは、ブナ科コ の常緑高木の一群の総称である。日 ナラ属 Quercus 本には、アラカシ・アカガシ・シラカシ・ウラジロ
ガシ・ウバメガシのドングリを石盤の穴(底には水 が溜まっている)に入れ、貯蔵を行っていた」 、とあ りました。 市川健夫によると、 「ナラとトチの実は、水に漬け て虫を殺して天日乾燥した後、叺 (カマス)か俵に入 れて貯蔵しておけば、数十年間もつので、貯蔵食糧 としては最適であった。また、ナラの実は製粉して も風化することなく、七年以上ももつほど貯蔵性が 高いので、救荒食糧としても極めて優れていたよう だ」 といいます ( 『ブナ帯と日本人』 講談社現代新書) 。 ドングリ(団栗)は、現在、ブナ科の、特にカシ・ ナラ・カシワなどコナラ属樹木の果実の総称として 使われますが、 「どんぐり」という語の用例は、江戸 時代になってからといいます(語源由来辞典) 。
奈良盆地は、橿原博物館の展示を見ていると、縄 文文化が栄えた地であることが分かります。ブナ科 の樹木が生い茂っていたようです。そうすると、奈 良の地名も楢等のブナ科樹木の意味ではないかと思 えてきます。奈良の地名の由来として、平安時代以 前には多くの異表記があったと、 ウィキペディア 【奈 良】に出ていて、例えば、乃楽(日本書紀) 、平(万 葉集) 、平城(万葉集、続日本紀、日本後紀、日本霊
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は第二空団のF104とか、ファントムが金属音を 上げて上昇していきます。美しいミズナラ純林が、 突如戦闘場面に切り替わります。考えてみると、こ こ千歳に第七師団や第二空団および恵庭市に北海道 大演習場があるのも、平坦な土地で水気 (みずけ)が 多く、しかも火山礫でおおわれ、開拓が進まず取り 残されていたから、広大な土地が確保できたためで す。こういう所は、ミズナラ純林の群生地でもあり ます。 石狩低湿地ベルト、あるいはシコツ・ベルトは、 ミズナラ純林の一大ベルトであったと想像されます が、排水が進み、また率先して薪として伐採され、 かなり消失しました。 北海道の稚内から小樽、積丹にかけての日本海側 は、木もまばらで強風が直に吹きつけます。ここで は、樹木はまばらですが、ミズナラをよく見かけま すので、冬の強風にも耐えられるのでしょう。冬の 強風の吹きさらしで、木もまばらにしか生えぬのか と思っていましたが、道立自然公園野幌森林公園に ある 北海道開拓の村 で、移築した青山家の鰊番屋 で鰊の話を聞いていて、鰊を煮るのに大量の薪が必 要で、鰊の押し寄せた北海道の日本海岸はほとんど
禿げ野原になったことを知ります。鰊で湧いた時代 には、食用にされた鰊は一五%程度で、残り八五% は魚粕として、おもにミカン、茶、アイの肥料とし て使われたと聞きました。 この魚粕肥料のおかげで、 大変質の良いものが取れるようになったそうです。 しかし、一方では、鰊を煮る薪のために、海岸沿い の木々が伐採され、禿げ野原になったのです。 鰊を煮るために、日本海側の海岸のミズナラを皆 伐し尽くし、ミズナラが涵養していた生態機能が失 われ、そのせいで鰊が産卵できなくなったという説 もあります。また、シコツ・ベルトの湧水の縁は、 ミズナラで覆われ、火山灰土の流入がおさえられ、 涵養な清水が湧水し、鮭の産卵に最適な環境がかつ ては存在していて、その環境が著しく破壊されて、 鮭の自然産卵地でも孵化が困難になってきている可 能性も高いです。さきのインディアン水車のところ で、小学生のころは、おびただしい数の鮭が押し寄 せ、インディアン水車ではとうてい取り切れないの で、迂回の生け簀をつくりそこでほとんど捕獲して いました。今はたまに見に行くと、インディアン水 車で鮭がぽつりぽつりと上がる程度です。孵化事業 の失敗というよりも、乱獲のせいというよりも、ミ ズナラが切られ、湿地の乾燥化がすすみ、清水の湧
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「
」
万葉集に出て来る草花が繁り、 「万葉集」の植物ガー デンといってもよいほどです。そういえば、京都の 京都五山送り火の東山如意ケ嶽の「大文字」もそこ に登ってみると、春日山の山頂のような景色で、 「万 葉集」植物ガーデンがみられます。この辺り一帯は 時々火入れがされていると思います。 『日本書紀』の先の記述を読むと、ナラは縄文時 代の原風景を呼ぶのではないかと思えてきます。縄 文時代の焼き畑は、基本的には丘陵地の草原の野焼 き地で、山と里の中間に存在していた地帯です。草 原の野焼き地では、セルロースやデンプンを合成す る植物の生育が旺盛になり、森林(リグニン主体) にはない食物連鎖が生まれ、昆虫‐鳥‐鹿等草食動 物のニッチが構成され、 蛋白資源が豊富になります。 野焼きによる草原ベルトの麓に、ナラ純林が、そし て低湿地が続くと、 セルロース デンプン系有機物の 供給がさらに著しく高まり、低湿地での水生昆虫や 魚等の供給と鳥による栄養循環が確立して、土地は ますます豊かになる連鎖が生じてきます。このよう にして、黒土が縄文人により生成されました。橿原 では、ブナ科の純樹が低湿地の縁に群生していまし た。そして、橿原は、縄文文化が栄えた地です。ナ
ラは橿(ブナ科樹木)を中心とした縄文文化全体を 指しているような気がしてきます。 万葉集を読むと、おびただしい数の草原の草花が 読み込まれています。若草山では、毎年一月に山焼 きが行われ、由来として、東大時と興福寺による領 地争いを、双方立会いの上で焼き払って和解したの が発端ともいわれてきましたが、近年、その説は否 定されることも多く定かでないといいます。 しかし、 縄文時代から延々と山焼き(草原焼)が行われてい たことから、その伝統をどちらが主導するかといっ た、争いはあったかも知れません。そもそも、 『日本 書紀』による説で、崇神天皇は山に登りて、何故、 草木を蹢跙 (ふみなら)したのか。敵が山の上にいれ ば、火を放つためではないでしょうか。
そうすると、ナラという言葉は、縄文の景観つま り、風土を指しているのではないでしょうか。縄文 景観(生物生産生態系)は、 (1)火入れによる草原 (2) で、セルロース デンプン系合成植物の繁茂、 昆虫‐鳥‐鹿等草食動物のニッチ構成で、虫の音と 小鳥のさえずりが、この系の豊かさの指標となり、 (3)湿地縁にブナ科の純林が広がり、 (4)ヨシが 繁り、 (5)湿地の水生昆虫や魚等の蛋白源の鳥によ
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異記、平安遺文) 、名良(万葉集) 、奈良(万葉集、 続日本紀、日本霊異記、正倉院文書、長屋王家木簡、 平安遺文) 、奈羅(日本書紀、日本霊異記) 、常(万 葉集) 、那良(古事記) 、那羅(日本書紀) 、楢(万葉 集) 、諾良(聖徳太子平氏伝雑勘文) 、諾楽(日本霊 異記) 、寧楽(万葉集) 、儺羅(日本書紀)等々です。 どうもナラと発音する言葉か概念があって、そのニ ュアンスを含む当て字が無数にあるということは、 単一の意味をもつ表記ではないことを示していると 思います。 奈良の由来は、 『日本書紀』による説では、 「当地 にあった丘(平城山丘陵)の草木を踏みならしたと いう歴史的事実に由来する」 。 「崇神天皇は則ち精兵 (ときいくさ)を率 (ゐ)て、進みて那羅山に登りて軍 す。時に官軍(みいくさ)屯聚(いは)みて、 (いくさだち) 草木を蹢跙 (ふみなら)す。因りて其の山を号 (なづ) けて、那羅山と曰ふ。蹢跙、此を布瀰那羅須 (ふみな らす)と云ふ」そうです。 柳田国男による説では、平 (なら)した地の意で、 緩傾斜地を指すそうです。柳田国男が『地名の研究』 、 において論じているもので、 「東国では平 (タヒラ) 九州南部ではハエと呼ばれる「山腹の傾斜の比較的 緩やかなる」地形は、中国・四国ではナルと呼ばれ
ている。ナラス(動詞) 、ナラシ(副詞) 、ナルシ(形 容詞)はその変化形である。実際にナルと呼ばれる 地名は、 「平」 「阝+平」 「坪」など、 「平」を含んだ 漢字が当てられており、 「文字が語義を証明してい る」 」です。 吉田東伍による説では、植物の「ナラ(楢) 」に由 来し、植物のナラは、 『万葉集』 (七~八世紀)や『播 磨国風土記』 (七一五年)にすでに見られ、特に後者 には「楢原 (ならはら)と号 (なづ)くる所以は、柞 (な ら)此の村に生へり。故、柞原といふ」という記述 が見られるといいます。 この諸説の中で、奈良はかつて「平城」と書かれ ることもあって、柳田国男による説が最も有力視さ れているようですが、これですと平らにした城地と いう、 薄っぺらい解釈にしかなりません。 そもそも、 ナラは、 『日本書紀』説でも、柳田国男説でも、丘陵 や緩傾斜地を指しているので、平らな地ではありま せん(大規模に山を削って造営した形跡も無い) 。そ うすると、 「丘陵や緩傾斜地」は、縄文以来の「野焼 き地」で、平城は字義通り、野焼き地(野といって も丘陵や緩傾斜地)のある城と解釈できます。若草 山にのぼると鹿のいる裾は芝ですが、頂上の方に行 くに従って、 灌木やススキの野になります。 ここは、
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を見ていて、 ミズナラの樹海がフラッシュバックし、 約二万年前にも、同じようにこの樹海を見下ろして いた石器人に重なります。約二万年前もおびただし い数のサケが、ミズナラ純林の樹海の縁に湧き出す 湧水池をめざして、 シコツ ベルトに遡上してきたの でしょうか。ミズナラの紅葉は、真紅と黄色のまだ らですが、それが単色でない深みを生み、紅葉も見 飽きません。このミズナラの紅葉の樹海に、まだら な紅色の婚姻色の鮭が無数に遡上する景観は、想像 するしかありませんが、自然が育んだ最高芸術の一 つではないでしょうか。
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ナラに栄えた縄文、その生活圏は山(森林)‐丘 陵(草原)‐盆地(低湿地)よりなる生物生産生態 系より構成されるとすると、前方後円墳の円は山で 森林を、方形は丘陵で草原(現在は林になってます が)を、水堀は低湿地を表象(象徴)している感じ がします。つまり、縄文・ナラ文化(世界観)のミ ニチュアが前方後円墳で、巨大盆栽と言っても良い かも知れません。 「風水土」 (と言うか、 「水土」 )で 考えると、どうもそうなってしまいます。 橿原博物館の展示を見ていると、約二万年前の日 本列島におけるナイフ形石器の地域相のマップがあ り、北海道は石刀 (せきじん)技法に分類され、その 代表として 「祝梅三角山」(千歳) が載っていました。 この祝梅三角山は実家の裏の平坦な丘陵に、ぽつり と飛び出た小高い山で、 「シコツ」と呼ばれた低湿地 ベルトの景色が一望できました(今は、土木用の火 山礫を取ったために完全に平地となってしまいまし たが) 。南に一八〇度、ミズナラの純林が果てまで続 いているのが眺望できました。春の新芽が開いたこ ろは、薄緑の海のようで、風になびいて波打ってい るようです。この山から、自転車で、一気にミズナ ラの樹海に飛び込んでいきます。橿原博物館の展示
連載 エッセイ
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る肥料成分(特にリン)の循環、です。縄文景観に 対応するのが、 「ナラ」で、当然当て字は多彩となり ます。 ナラの景観からすると、前方後円墳は異常な景観 です。形とか大きさでなく、墓が丘陵側でなく、湿 地側に多く散在しています。水に囲まれ、水に浮い ているといってもよいぐらいです。渡来人か渡来人 の文化の影響を受けた墓とすると、 かなり異常です。 風水の国、韓国では墓は日あたりの良い、丘陵地に お椀を伏せた形であり、 車窓からもよくみかけます。 韓国の慶州市に、三国時代の新羅王国の都の金城 跡地に、初代王などの王墓である「慶州五陵」があ りますが、土まんじゅう型か、ふたこぶまんじゅう 型で、乾燥した平地にあります。 中国瀋陽には、福陵(清朝初代皇帝ヌルハチの陵 墓) 、昭陵(第二代ホンタイジ[後金の二代目、清の 初代皇帝]の陵墓)があり、巨大な土まんじゅう型 で、 確かモルタル塗りでありました (草木も植えぬ。 この点も前方後円墳とは著しくことなる) 。 池は在っ たと思いますが、陵墓を囲うことはないです。 中国ハルビン郊外の阿城にある、金の初代皇帝の 阿骨打の陵址も土まんじゅう型で、この辺りは重粘 土壌ですので、排水路が切られています。金王朝の
末裔が墓守していて、ここの陵址には多少木が植え られていました。阿城はど田舎で、訪れる人も少な い寂しいところですが、ここにある金上京歴史博物 館には度肝を抜かれます。金王朝の技術力の高さが 分かり、北方民族が武力だけで漢民族を制圧したの ではないことが一目瞭然です。その地方の資料を中 心に展示している博物館としては、自国の展示物が ほとんどないルーブル美術館や大英博物館すら圧倒 しています。一地方の博物館としては、たぶん、世 界最大です。 さて、墓は風水の要で、風水からすると、水の中 のじめじめした環境に墓を造るなぞ、とうてい考え られませんし、北方民族だけでなく、世界的にもあ まりないのではないでしょうか。唯一、北方の泥炭 地では泥炭に葬る例は知られていますが。水にかこ まれた前方後円墳の死後の世界は、風水よりは水土 が重要な世界観のようです。 「風水」の「水」は大陸 や半島の東アジアではむしろ乾燥に重点が置かれて いる感じがします。縄文やナラでは、自然 生活環境 を「水土」を重点に考えており、ここでは「水」は 当然ながら湿潤な環境下にある「水」です。前方後 円墳はこの「風水」観(感)と「水土」観(感)の 著し違いを浮き彫りにしています。
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究所で行われる研究でこそ、効率的に行い得る もので、浮世離れした大学で行っても、企業研 究や国研での研究の後塵を拝するだけであろう。 大学では、自らの興味から始めたシーズ研究 でありながら、これを社会ニーズに裏付けられ たニーズ研究に変換する能力が、求められてい る。シーズをニーズに変換する鍵が、 『預言』に あると感じる。 昔、自分がガルブレイスの『権力の解剖』に 物足りなさを感じたのは、預言が軽く扱われて いたためと思う。少年時代、受けた歴史教育で は、古代の権力者は、シャーマン、すなわち預 言者であったと理解した。科学が発達していな い古代は、未来を見通す能力が著しく低かった 時代である。穀物の種を何時、何処に蒔けば、 大きな収穫が見込めるのか、病気になった家族 にどのような手立てを施せば、健康を回復する のか、あらゆることが見通せない時代に、未来 を預言し、これが少しでも実現することを人々 が体験した時、 預言者は絶大な権力を取得する。 物理的な力や資源配分の力も権力の源泉かも知 れないが、人々が権力に従うのは、権力者の預 言が実現し、それによって自身の安全や健康が
守られることが実感できてこそではなかろうか。 実現する預言を行う者が、権力を獲得すること は今も変わらない。 シーズ研究をニーズ研究に変換する鍵も、預 言にあると思う。当初は、自分の興味の赴くま ま始めたシーズ研究であっても、シーズがニー ズに変わる日は来る。社会がどのように変革し ていくかは、科学技術が発達し、近未来がかな りの確度で見通せる現在であっても、不確実性 は残る。不確実な未来に関し、夢のように思わ れるかもしれないビジョンを提示し、そのビジ ョンが実現されるであろうことを、これまでの 知識や経験に基づきしっかりと説明できれば、 夢であったビジョンは、確かな預言に変えるこ とができる。私自身、短くはない研究生活を通 じて、当初は、大方の共感を得られなかったビ ジョンを、継続的に提示し、ビジョンの実現に あらゆる努力を惜しまなかった研究者が、預言 を確かに実現し、シーズをニーズに変える預言 者として、人々への影響力を獲得し、力を獲得 する過程を目撃した。預言は、実現するもので はなく、実現させるものであった。
連載 エッセイ
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預言者 科学的思考を行う人々にとって、権力の構造 の解明は、魅力的な課題の一つであるように思 う。三〇年余も前のことであるが、山本七平訳 ジョン・ケネス・ガルブレイス( John Kenneth )著の『権力の解剖―「条件づけ」 Galbraith の論理』 (日本経済新聞社刊)を読んだ。ガルブ レイスは、ルーズベルト、トルーマン、ケネデ ィ、ジョンソンなどの米国大統領に仕えた経済 学者で、一九七〇年代に執筆された『不確実性 の時代』は、日本でも有名であった。経済学者 が「権力の解剖」などと題して社会科学的な課 題で執筆していることや、 文藝春秋に連載され、 論理ではなく、証拠に基づいて考えるという意 味で、工学者としていくばくかの共感を覚えた 『ある異常体験者の偏見』の著者が訳者であっ たこともあり、発刊後すぐに読んだ。昔のこと なので、記憶違いもあると思うが、物理的な力 や資源分配する力ではなく、教育やメディアを 介して人々を教育、誘導し、自発的に行動させ る権力のことを記述していたように思う。間違 っていたらごめんなさい。 解剖というには浅く、
だれでも言いそうなことが書いてあるような気 がして、期待外れの印象が残っている。読み手 の私に問題があったのであろう。 最近、ニュースなどで権力に奢りが見えるな どと言われていることもあり、 昔を思い出して、 読み返すため自分の本棚を探しても見つからな い。捨ててしまったのかもしれない。 工学は、自然科学の原理を利用して人が必要 とする機能を実現する学問であるので、なるべ く、自分の興味のまま進めるシーズ研究ではな く、社会の要求に応えるニーズ研究を指向する よう教育された。 様々な研究助成の申請書にも、 ニーズ研究を指向していることを合理的に記載 しないと助成を勝ち取ることが難しいので、大 学でのニーズ研究跋扈の傾向も、やむを得ない ことかもしれない。大学が行うニーズ研究で難 しいところは、短期的なニーズに応えるもので はないことにある。これは、市場のニーズを押 さえて、製品を開拓し、売り上げを伸ばすとい う観点からの企業研究や、社会の喫緊の課題に 応えて国民の安全と健康を守る観点から国立研
加藤信介
かとう しんすけ
(専門は都市・建築環境調整工学)
東京大学生産技術研究所教授
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図 1 ご自宅から徒歩数分の場所に ある茶畑にて剪定作業.ジローもつ いてきた.
図2 嬉しさのあまり、 ダットサンに乗せた 容器を記念に撮影し 115 た.
忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク㉓
人からそう言われたのは、通い始めて 七年近く経ったころだったと思う。三 〇〇年以上続く農家で、西南戦争後に 造られたどっしりとした家に、ご夫婦
「 ガソリンば買うてきてくれんな」 もり さやか
森 明香 高知大学地域連携推進センター (専門は環境社会学)
「さやかちゃん、ガソリンば買うて きてくれんな」 ダム水没予定地に唯一残るお宅の主
と飼い犬のジローが暮らしていた。か つては塩を買うくらいで、食料はもち ろんブラウン管テレビや鍬さえもご自 分でつくっていたその方は、地縁のな いよそ者の私に何かを頼むことはそれ まではなく、池の鯉や自家製の材料を ふんだんに使った郷土料理でもてなし てくださったり、お邪魔するたびに持 参していたお土産のお菓子や魚を「す いまっしぇん」と受け取って下さるば かりの関係が長く続いていた。 だから、 「ガソリンば買うてきてくれんな」と 言って容器とお金を渡してくださった 時はやけに嬉しく、ダットサンに乗せ た容器を記念に撮影した(図②) 。学生 時代に触れた川辺川ダム計画をめぐる 流域の問題を理解したくて、初訪問か ら六年後に住込み調査を始めた。そし て訪れた、 忘れられない出来事だった。
地域社会に調査に入るということは、 どこの馬の骨かもわからない部外者が
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図 4 川と共生する減災の知恵が埋め込まれた景観.
て根掘り葉掘り聞いて来たが、嘘を教 えてやった。突然来て教えてもらえる と思うな、と」 。ニヤリと笑みを浮かべ ながら話すその様子は、強く印象に残 っている。 恥を忍んでいえば、話を聞かせても らえたり泊めていただいたりするよう になり、「努力を重ねて関係を作り上げ て来た成果」と無意識のうちに思う自 分と直面したこともあった。振る舞い にそうした意識が顕れ、今なおトゲと して刺さった記憶もなくはない。けれ ども、生活空間に侵入される立場から すれば、そんな考えは独りよがりの驕 りでしかなかった。 これまで、ダム建設をめぐる問題に 対峙することを余儀なくされた流域社 会の方々、公害被害者の方々、被爆者 の方々、元ハンセン病患者とそのご家 族らにお話を伺う機会に恵まれてきた。 生活そのものやヒトを含む自然環境を 守るため、あるいは人間としての尊厳
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図 3 ダム計画を抱えていた流域で。鮎が解禁になると県内外から釣り師が訪れる.
ある人の生活空間に侵入する、という 面があると思う。調査者はそこに住ま う人びとから教えを乞い、何かを学び 得るために、お邪魔する。一方、人び とからすれば協力して得られるメリッ トがあるとは言い切れず、いわば厚意 で受け入れてくれている。これは絶対 に忘れてはならないことだと自分に言 い聞かせる契機になった出来事がある。 学生の頃の話だ。 あるダム計画を抱える地域社会で、 泊まっていたペンションのオーナーが 「ダムの水没地の古老のお話を聞きた いのなら」とご親戚を紹介して同席し てくださったことがあった。そのご親 戚は水没する集落にある神社の宮司を している方で、その地の植物に関して 博識な古老だった。世間話を隣で伺っ ていると、その古老はこんなエピソー ドを話してくれた。 「このあいだ、ある 大学の薬学部の学生と教授がいきなり 訪れて来て、このあたりの薬草につい
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図 6 母屋と納屋と畑が見える家の前で.
あまりなかった。ダム建設を受け入れ た(ざるをえなかった)村にあって、 唯一ダム反対の意思を体現する人とし てメディアにもしばしば紹介されてき たその方は、口数少なく、尋ねられれ ば訥々と「今までんごと自給自足の暮 らしが一番よか」と語った。ダム反対 の姿勢をその生き方で淡々と示すその 方から、どれだけのことを教えられた かわからない。 その方がなぜ、 先祖代々 がそうしてきたような、子々孫々がそ の地で生き続けられるように土地を守 り、後世に引き継ぐことの困難に直面 せねばならなかったのか。いつしか、 この問題はその方にとっての問題のみ ならず、私という人間にとっての問題 にもなっていた。 最近はダム問題でその方を訪れるメ ディアや研究者も少なくなった。その 方も年を取られた。昨年、新たに忘れ られない言葉をいただいた。「あんたが 来てくるっとが一番嬉しかばい」
図3
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を取り戻し社会を生き抜くために闘っ てきた方々ばかりだった。時代が抱え ていた社会的な病の弊害を一身に引き
受けざるを得なかった方々でもあった。 そうした方々とどうかかわり、どう向 き合っていくのか。そうした方々から
図 5 2011 年 3 月、誕生日を祝うためにケーキを持って行く..かつてはケーキを 持ってきてくれる移動販売車もあったが、この頃には無くなっていた.
学んだことは、何らかのかたちにまと められたものもあれば、恥ずべきこと だがまとめられなかったものもある。 まとめられなかったものがあることは 論外と自覚している。だが、まとめら れたとしても、その後「さようなら」 でいいはずもない。 忘れられないのは、 ある被爆者の方が書かれた生活記録の 中にあった言葉である。「私がこの世で 一番大事に思っていることは人間性で ある。いくら大学を出たからとて、ま た頭がいいからとて、人間性の欠如し た人間に私は尊敬の気持は全然おきな い」(福田須磨子 『生きる』 ) 。 ここには、 調査者が対象とする問題と、またその 渦中にいる方々とどう向き合う覚悟が あるのか、という問いかけが内包され ていると思う。
ダム水没予定地に唯一残るそのご夫 妻は、その後も住込み調査の間毎週の ように訪れる私に、何かを頼むことは
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【第 43 号】
平 松 あ い )
よ 。 強 い 人 は 優 し く な い と い け な い し ね 。 」 と
け な い け ど 、 心 と 精 神 も 作 ら な い と い け な い
て く れ る の は 本 当 に 大 事 。 「 体 も 鍛 え な い と い
そ う 、 結 果 物 も い い け れ ど 過 程 ま で 見 て ほ め
い て 吸 収 率 が よ い 卵 が オ ス ス メ ☆
ち な み に 筋 肉 を つ け た い 人 、 必 須 ア ミ ノ 酸 を 含 ん で
す ご い ね 。 」 と 、 努 力 を ほ め ら れ て 、 に ん ま り 。
見 え る く ら い に な る 。 い や ー よ く 頑 張 っ た ね 、
は つ か な い 、 数 万 回 、 数 十 万 回 も 鍛 え て こ そ
し か し 、 「 筋 肉 も ち ょ こ っ と や っ た く ら い で
で あ る 』 だ そ う だ 。
身 体 に 健 全 な 魂 精 神 が あ る よ う に 祈 る べ き
ェ ナ リ ス の 言 葉 の 原 意 は 、 『 人 は 神 に 健 全 な
)
文 ・ 構 成
言 わ れ て 、 息 子 く ん フ ム フ ム 。 そ の 通 り 、 目
(
( 親 子 サ ス テ ナ
に 見 え な い と こ ろ も 鍛 え な い と ね 。 『 健 全 な る
だ ! そ れ を 使 え ~ ! 」 と 、 言 い 合 い ( 笑 ) 。
精 神 は 健 全 な る 身 体 に 宿 る 』 と い う 詩 人 ユ ウ
大 学 を 目 指 す よ う だ 。
そ の 割 に は 、 「 疲 れ た ~ 、 荷 物 持 っ て え 。 」
の 学 校 が い い ん だ よ な ぁ ~ 。 」 と う っ と り し て
時 間 目 野 球 、 四 時 間 目 す も う 、 っ て い う 時 間 割
一 時 間 目 サ ッ カ ー 、 二 時 間 目 ド ッ ジ ボ ー ル 、 三
て し ま い 、 と て も 残 念 そ う な 様 子 。 「 あ ー あ 、
運 動 会 が 終 わ り 、 め っ き り 体 育 の 授 業 が 減 っ
話 の 筋 と 全 く 関 係 な い と こ ろ に 注 目 し て 感 心
て も 、 「 こ の お 母 さ ん す っ ご い 筋 肉 だ ね ! 」 と 、
て も 筋 肉 隆 々 の 人 に 目 が 行 き 、 絵 本 を 読 ん で い
も な り つ つ あ る 息 子 く ん 。
と 呼 ば れ て 呼 ば せ て ? い る ら し い … 。
シ ス ト も い い と こ ろ 。 学 校 で 「 マ ッ チ ョ 君 」
ん ど な い ん だ ぜ ! 筋 肉 な ん だ ぜ え ! 」 と ナ ル
が さ ら に 彼 の 自 信 を 後 押 し し 、 「 オ レ 脂 肪 ほ と
ム タ イ プ と 出 た 。 脂 肪 率 が か な り 低 か っ た の
ト か 友 で ら 達 や や め そ て の ~ パ 検 ) パ 査 。 マ と 子 マ い ど に う も 披 の む 露 が け す あ の る り 医 ( 、 筋 療 恥 肉 系 ず 型 イ か ス ベ し リ ン い
っ て 、 「 ち ょ っ と オ レ の 筋 肉 見 せ よ っ か ? 」 と 、
見 せ な く て も い い の に 、 わ ざ わ ざ お 腹 を め く
か 、 既 に 六 つ に 割 れ た お 腹 が 自 慢 で あ る 。 で 、
Inbody
と か 、 「 歩 き た く な ー い 。 」 と か 情 け な い 声 が
言 っ て い る が 、 さ す が に 小 学 校 で そ ん な と こ ろ
)
が あ る は ず が な い 。 そ り ゃ 体 育 大 学 だ が な 、 と
(
聞 こ え る 。 「 そ の 筋 肉 は な ん の た め に あ る ん
い う と 、 「 そ っ か ! 」 と 、 彼 は 今 の と こ ろ 体 育
し て い た り す る 。
駅 の ポ ス タ ー を 見
小 学 生 な が ら 、 運 動 好 き が 転 じ て 筋 肉 好 き に
そ ん な 息 子 く ん 、 運 動 し ま く っ て い る せ い
筋 肉 マ ッ チ ョ