司会 皆さまこんにちは。本日はお集 まりくださいましてまことにありがと うございます。ただいまよりエネルギ ー持続性フォーラム、第13回公開シ ンポジウム「再生可能エネルギーが拓 く自立分散型社会への道筋」を開催い たします。 ■開会挨拶1
武内和彦 たけうち かずひこ
始めに、開会に際し主催者を代表し て、東京大学国際高等研究所サステイ ナビリティ学連携研究機構機構長・特 任教授、武内和彦より開会の挨拶を申 し上げます。武内先生、よろしくお願 いいたします。
この丸ビルホールでこのようなシンポ ジウムを開催させていただいておりま す。 私は、昨年の11月にドイツのボン で開催された気候変動枠組条約の第2 3回締約国会議(COP23)に出席 してまいりました。非常に印象深かっ
東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長・ 特任教授
皆さん、こんにちは。 エネルギー持続性フォーラムは、も う10年以上になりますが、私ども東 京大学のサステイナビリティ学連携研 究機構と昭和シェル石油株式会社が一 緒になって取り組んでまいりました。 毎年、 三菱地所様のご協力を得まして、
たのは、これまでと同様に政府主体の 議論ももちろんありましたが、それ以 外に、自治体や民間企業などが、温暖 化対策を新たな地域づくりの起爆剤に するとか、企業の新たなビジネスチャ ンスとして活かすとか、非常にポジテ ィブなとらえ方があったことです。私 としても非常に勉強になりました。こ れはやはり2015年のパリ協定の成 功よるものではないかと思います。 今日は「再生可能エネルギーが拓く 自立分散型社会への道筋」ということ でテーマを設定させていただきました。 再生可能エネルギーは、単に温暖化対 策に効果があるばかりでなく、もとも とが分散型のエネルギー源で、しかも 地域の自然資本に依拠したエネルギー 源でありますから、地域づくりと非常 に密接な関わりが当然あるべきです。 そのことをもう少し突き詰めていくと、 これからの社会像に大きく影響してい きます。今日はそのような観点から皆
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エネルギー持続性フォーラム 第 13 回公開シンポジウム
再生可能エネルギーが拓く 自立分散型社会への道筋 温室効果ガス排出量削減,エネルギー自給率向上,技術革新と産業育成,自 然資本活用による地域活性化など再生可能エネルギーの活用への期待が高 まっています。わが国では,東日本大震災以降本格的に再生可能エネルギー 推進政策がとられてきており,2015 年 7 月に決定された『長期エネルギー 需給見通し』において,2030 年の電力に占める割合は 22~24%との見通し が示されました。一方で,再生可能エネルギー賦課金をはじめとする費用膨 張問題や系統接続問題といった新たな課題も浮き彫りとなってきています。 これを受けて,2017 年 6 月に閣議決定された『平成 28 年度エネルギーに関 する年次報告(エネルギー白書) 』では, 「エネルギー政策の新たな展開」と して, 「エネルギーセキュリティーの強化」に加え, 「環境制約と成長を両立 する省エネ・新エネ政策」や「競争活性化と自由化の下での公益的課題への 対応」をテーマに,現在展開しているエネルギー政策の大枠について背景や 理念が説明されており,今後の展開が期待されるところです。 本シンポジウムでは,従来の集中型エネルギーシステムから再生可能エネル ギーを活用した分散型エネルギーシステムへの移行に必要な技術面および 社会経済システムの在り方について考えるとともに,これからのエネルギー 社会や産業のあるべき姿について,有識者や専門家による講演とパネルディ スカッションを通じて提言しました。 ●主催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) ●共催:昭和シェル石油株式会社 ●協力:三菱地所株式会社 ●日時:2018 年 2 月 27 日(火)13:00~17:30 ●会場:丸ビルホール 2
■開会挨拶2
井上俊幸 いのうえ としゆき
三菱地所株式会社開発推進部長
このエネルギー持続性フォーラムの 公開シンポジウムも13回を迎えたと いうことでございますが、今年もここ 丸ビルホールを使っていただきまして まことにありがとうございます。開会 に際して一言ご挨拶を申し上げます。 この大手町、丸の内、そして有楽町 地区にはおよそ100棟のビルがあり ます。そのうちの約3分の1を私ども 三菱地所が所有しております。一つ一 つがそれぞれ大きなビルとなっていて、 他の地権者様もやはり大きなビルを持 っておられます。ビルで使う電気も熱 もそれなりに大きなエネルギー量にな っています。さらに再開発があちこち
で進んでいて、より床面積が増えてい くことになります。 そのようなときに、エネルギーをど こから持ってくるのか、使うエネルギ ーの効率をどのように高めるのかとい ったことは非常に大事な観点となって います。そこで、私どもの会社のビル だけではなく、このエリア全体でビル をお持ちの方々と協力して、エネルギ ーや環境に対して何かできないか、あ るいは新しい技術をうまく使えないか ということで、2007年にエコッツ ェリア協会という法人を立ち上げて、 いろいろ技術の研究をしたり、この地 域で働いている方々に向けて情報を発
信したりするといった活動を行ってき ています。 そして、昨年からは、エコッツェリ ア協会の場所を丸の内から大手町に移
という新たな組 し、 ×3 3 Lab Future 織を立ち上げました。この ×3 と 3い うのは3が三つということで、一つ目 の3は、環境だけではなくて社会、そ して経済の面でも役に立つことを考え ようということです。もう一つの3は サードプレイスということです。自宅 でも職場でもない第三の場で、みんな で考えましょうということです。その
を運営し ような形で ×3 3 Lab Future ております。 これは大手町、丸の内、有楽町地区 のためだけにあるものではなくて、地 方自治体の方々、首長も含めて非常に 多くの人に来ていただいております。 地方がそれぞれ抱える課題――環境に 限らず、まちおこしやまちづくりとい った課題に対して私どもの知見を提供
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さんに討議をしていただけると大変あ りがたいと思います。 今日は経済産業省の末松広行局長、 京都大学の諸富徹教授、それから読売 新聞の河野博子さんに基調講演をいた だきます。その後、パネルディスカッ ションがあり、パネリストとして国立 環境研究所の亀山康子さん、東京工業 大学の梶川裕矢さんが加わり、モデレ ーターには東京大学の 「プラチナ社会」 寄付講座の菊池康紀さんにお願いして
おります。「プラチナ社会」 寄付講座は、 東京大学元総長の小宮山宏先生が提唱 されて東京大学に設けているものです。 本日はいろいろな議論が期待されま すが、このシンポジウムはただ単に話 で終わるのではなく、ぜひ社会実装に つなげていきたいと考えています。実 際にエネルギー持続性フォーラムでは、 現在、佐渡島を対象にして、再生可能 エネルギーと自立分散型の地域づくり に取り組んでいます。ソーラーパネル
を設置してエネルギーと農業を調和さ せる試みであるとか、お米もエネルギ ーも島で自給してお酒と作るとか、い ろいろなことを実際に行っています。 これを機会に私どもの社会実装に向け た取り組みにもご関心を持っていただ ければ大変ありがたいと思います。 本日は5時半まで長時間になります が、どうぞ最後までお付き合いをいた だきますようお願い申し上げまして、 私からの挨拶とさせていただきます。
司会 武内先生、ありがとうございま した。続きまして、本シンポジウム開 催にご協力をいただいております三菱 地所株式会社様を代表して、開発推進 部長の井上俊幸様よりご挨拶をいただ きます。井上様、よろしくお願いいた します。
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■基調講演1
各省一緒になって閣議決定をする戦略 を作るという仕事をしました。実は武 内先生にはその頃からいろいろとお世 話になり、さまざまにご指導いただい ております。 2008年には、世界的な食糧危機 がくるのではないか、日本としては食 糧の自給率を上げていかなければいけ ないということで、その関連の仕事を 担当しました。そのときに、日本の食 べ物の良さを東京の人にわかってもら って、自給率アップにつながるような 運動ができないかということで、先ほ
地球温暖化対策と持続可能な産業振興 すえまつ ひろゆき
末松広行 経済産業省産業技術環境局長
私はいま経済産業省で仕事をしてい ますが、もともとは農林水産省に入り まして、2002年頃にはバイオマス 日本総合戦略を作るということに携わ りました。その当時、これからはいろ いろな地域の資源、特に生物系の資源 を、食べたり建築の材料として使った りするだけではなくて、工業原料にも 活用したり、エネルギーとしても利用 するなどし、さらには飼料とか肥料に することも含めて、その地域できちん とまわすような時代にしなければいけ ないのではないかということを思って、
どお話された井上さんにご相談して、 ここ丸の内を中心にいろいろな取り組 みをしていただきました。多くの自治 体、多くの地方の方々が、この丸ビル で自分たちの地域の食材や特産品をP Rし、あるいはまちおこしの取り組み を広報して、東京の人たちの知ってい ただき、同時に自分たちはここで元気 付けられて、また地域で頑張ろうとい うことで帰っていくということがいま 行われています。
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し、あるいは私どもの持つネットワー クが問題解決のお役に立てないかとい うことで、いろいろな情報を共有する 場として使っていただいております。 最近また「東京だけが」というような ニュアンスの報道もありますが、やは り東京だけではなくて、地方の課題が 東京にあるネットワークでうまく解決 につながっていくということに、私ど もとしては取り組んでおります。その ようなことで、ぜひ ×3 3 Lab Future を活用していただきたいと思っていま
す。 さて、年金を運用している年金積立 金管理運用独立行政法人(GPIF) が環境、社会、ガバナンスに考慮した 投資、ESG投資を重視すると一言発 しただけで、そのような投資に関心が 高まるという動きがあります。 大手町、 丸の内、有楽町地区では、日本の中で 大きなボリュームを占める、あるいは 話題になるような開発が次々に進んで います。そのときに、再生可能エネル ギーや環境面、つまりESGに配慮し
たことを少しでも打ち出して行くこと が、日本全体の開発の流れを変えるよ うなことにつながっていくのではない かと考えています。 そのようなことから、今日のこのシ ンポジウムの内容も、十分にこれから 活用していきたいと思っております。 今日のこのシンポジウムで実り多い議 論が行われますことを祈念して、私の ご挨拶といたします。
司会 井上様、ありがとうございまし た。 それでは早速講演の部に移らせてい ただきます。初めに経済産業省産業技 術環境局長、末松広行様より「地球温 暖化対策と持続可能な産業振興」と題 して基調講演をいただきます。それで は末松様、 よろしくお願いいたします。
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図①
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図②
そのような経緯から、私がここでお 話させていただくことになったのです が、今日は経済産業省の立場から、地 球温暖化や持続可能な再生可能エネル ギーについていくつかお話をしたいと 思っています。
地球温暖化に関する国際交渉の現状 まず地球温暖化についてお話をさせ ていただきます。2015年にパリ協 定ができて、地球温暖化に対する世界 の取り組みはガラッと変わりました (図①) 。 パリ協定になって全部が進ん だかたちになったと一概に言えるわけ ではありませんが、それまでの京都議 定書とパリ協定には質的な違いがかな りあります。 京都議定書のときは、地球温暖化の 原因は先進国にあるということで、先 進国が地球温暖化防止のためのいろい ろな取り組みをきちんと行うというこ
とがメインで、先進国のみが数値目標 を伴う削減義務を負い、途上国は負わ ないということでした。削減義務は、 達成できなかったならばペナルティが あるという厳しいものでした。 しかし、 京都議定書の枠組みだけでは温室効果 ガスの排出削減がうまくいかないとい うことがあって、パリ協定ができるこ とになりました。 パリ協定に関していろいろな解釈が ありますが、私が思いますに、パリ協 定は目標においてきわめて野心的です (図②) 。 世界の平均気温の上昇を産業 革命以前に比べて2℃よりも十分低く 保つとともに、1・5℃に抑える努力 を追求するというのが目標です。これ は非常に前向きな目標であるとともに、 人間がいろいろな経済活動をしていく なかで達成するのは非常に厳しい目標 であります。 その目標を何によって実現するのか というと、そのツールはプレッジ&レ
ビューです。すべての国は、自国の国 情に合わせて目標を定めて条約事務局 に提出します。そして、進捗状況に関 する情報を定期的に条約事務局に提供 します。提供された情報は専門家によ るレビューを受けます。そして、目標 が達成できなかった場合に、ペナルテ ィはありません。端的に言って、目標 は勝手に作ってよくて、達成できなく てもペナルティはないということです から、目標を達成する義務という面で は、京都議定書に比べて非常に甘くな っています。 なぜこのようなことになったのかと いうと、その理由は非常に単純です。 全世界の全部の国に入ってもらうため です。途上国の人からすると、先進国 が産業革命以来、石炭を焚き、石油を 焚いてどんどん経済発展して、それに よって二酸化炭素がいっぱい排出され て地球が温暖化してきたのだというこ とで、今度は自分たちが経済発展をす
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図③
減となっています。4パーセントとい う数字は小さく、70パーセントとい う数字はかなり大きいわけですが、気 を付けなくてはいけないのはこれがB
)比だという AU( business as usual ことです。BAU比とは、特段の対策 なしに普通に経済発展していったらこ れぐらい二酸化炭素が出るようになる という予想に比べてどれだけ減らすの かということです。途上国は先ほど言 いましたように、これから経済発展を して、二酸化炭素をたくさん出すよう になっていこうとしています。それで 途上国はおおむねいまよりも排出量は 多くなるのですが、BAU比では減る ということを目標としています。 中国の目標は、2030年までに2 005年比でGDPあたりの二酸化炭 素排出を60から65パーセント減ら すということです。これもかなり大胆 な目標ですが、GDPは増えていきま すので、二酸化炭素の排出量そのもの
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る番になって、石油を使うな、石炭を 使うな、二酸化炭素を出すなと言うの はおかしいではないかというわけです。 それは当然一理あります。しかし、そ れにもかかわらずみんなで取り組まな いことには地球はもう大変な状況にな っているのだということで、みんなが 入れるような協定を作るということで、 このようなかたちになったのです。 パリ協定の画期的なところは、これ まで先進国のみが負っていた義務を、 途上国もすべての国々が負うようにな ったということです。その分、目標の 作り方や達成に対するペナルティの点 では弱くなっています。みんなが一緒 にやろう、頑張ろう、高め合おうとい う機運を盛り上げて進めていくのが大 切だということで、こういう仕組みに 落ち着いたのです。 日本では、経団連が業界ごとの自主 的な削減目標を作って、それに基づい て様々な取り組みを行い、一定の成果
を収めてきました。これが自主行動計 画と呼ばれるもので、法律上の義務等 ではありませんが、各業界・各企業は 高め合って実際に目標を達成しました。 このような取り組みを全世界に当ては めていこうというのがパリ協定です。 自主的にみんなで高め合うために二 つのことが必要です。一つはうまくで きたら褒めることです。もう一つは、 できなかったら恥ずかしいでしょうと いうことです。そのようなことで進め ていくわけなのですが、途上国の人た ちに温暖化対策をしなければならない という気持ちになってもらい、それを しやすい環境を作っていくよう支援す るのは、先進国の義務であるというこ とです。 いま各国はパリ協定で約束する目標 の草案を発表しています(図③) 。たと えば日本は、2013年度に比べ20 30年度には温室効果ガスの26パー セントを削減するという目標を立てま
した。アメリカは2005年に比べて 2025年に26から28パーセント 下げるという草案を作っています。E Uは1990年に比べて2030年に 40パーセント下げるという目標を立 てました。先進国はおしなべて野心的 な目標だと評価できるでしょう。 そのように各国が示している目標を 図③では青く塗ってあります。それを 見ると、日本の26パーセントという 数字はほかよりも小さく見えます。し かし、2013年比で比べると、日本 の数字もかなり野心的だといえます。 国によって、早い時期に大きく削減し たところ、後から削減が進んだところ といろいろあって、数字が一番大きく なるところを目標として出しているの です。 途上国はどういう目標にしているか というと、例えばイランは2030年 にBAU比で4パーセント削減、フィ リピンはBAU比で70パーセント削
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図④
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図⑤
は増えていって2030年頃にピーク に達成するということです。日本や先 進国は少なくとも2割は減らそうとし ているのに対して、中国は増えていく のでいいのだろうかということもあり ますが、途上国としては経済発展して いくなかで、減らす努力をしていると いうことを評価すべきだという考えも あります。 いろいろな思いがあるなかで、各国 ごとにこのような目標草案ができてい るのです。 いずれにしても、世界すべての国が 地球温暖化に対して取り組む協定がこ うしてできあがったというのが画期的 なことで、温暖化対策をみんなで進め ていくというのが世界共通の認識とな ってきています。 ところが、アメリカのトランプ大統 領がパリ協定脱退を表明して衝撃が走 りました(図④) 。トランプ大統領は、 アメリカに有利なことがあれば考える
余地があるとか、アメリカに特別に有 利なことがない限り脱退をし続けると か、微妙にニュアンスの違うことをい ろいろ言っています。それで、アメリ カについていろいろなコメントがされ ています。 一つ重要なのは、本当にアメリカが 脱退しようとしたらいつ脱退できるの かという話があります。パリ協定には 脱退についてのルールが二つあります。 一つは、 せっかくみんなで作ったので、 発効から3年間は誰も脱退できないよ うにしようということにしました。も う一つは、 脱退するのは自由であって、 脱退したいと思ったら事務局に脱退し ますという届けを提出して、1年後に 脱退できるようにするということです。 したがって、アメリカが最速で脱退し ようとしたら、2019年11月4日 に脱退通告を出すことができて、20 20年11月4日に脱退となります。 次回のアメリカの大統領選は2020
年11月3日ですから、トランプ大統 領が政権にある期間にはほぼ脱退はで きません。 アメリカ政府の代表団は、昨年開か れたCOP23にもパリ協定のメンバ ーとして出ていて、いろいろな意見を 発言しています。大統領は脱退すると 言っているけれど、脱退するまではき ちんと言うべきことは言っておこうと いうことなのでしょう。先進国と途上 国ができるだけ対等で、途上国がわが ままを言わないようにしていくべきだ ということを主に主張していました。 脱退しなくなってもいいようにいろい ろな準備を事務方はしつつ交渉をして いるのだなと思いました。 武内先生も出られたCOP23では、 パリ協定を実施に移すためのいろいろ なことを一つ一つ決めるということを しました(図⑤) 。 パリ協定の前と後でいろいろなこと が変わりました。一方で、先進国と途
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図⑥
図⑦
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上国の考え方の違いが依然としてあり ます(図⑥) 。繰り返しになりますが、 途上国の人にとってみれば、いままで ずっと二酸化炭素を出し続けて先進国 になった国々が、途上国に向かって二 酸化炭素を出すのはけしからんと言う のはおかしいではないかということが あります。 二酸化炭素の排出削減に向けていろ いろな動きが出てきていて、例えばN GOの方々が活発に活動しています。 アメリカに関してCOP23で興味 深い動きがありました。COP23の 会場に大きなパビリオンが一つできて いて、その看板に「 We are still in. 」 とありました。「われわれはまだ中にい るぞ」というわけです。これはアメリ カの企業等の方々が作ったグループで、 トランプ大統領はあのように言ってい るけれど、われわれは地球温暖化の防 止の重要性をよく認識していて、この ようなことをしているのだ、と展示を
出していました。COP23の会場で 交渉をしたりイベントに参加したりし た人たちは、これによって、アメリカ は政府としては脱退しようとしている けれど、アメリカにはまだ残ろうとし ている人たちがたくさんいるのだとい うことを感じ取ったと思います。 COP23の後の12月12日に、 ワンプラネットサミットという会議が パリで開かれました(図⑦) 。これはフ ランスが中心になって開催したもので、 パリ協定への支持拡大を継続的に図ろ うというものでした。 このような展開を見ていると、地球 温暖化の防止について、各国とも、わ れわれは頑張っているというところを PRするのが大切であると考えている ようです。イギリスやカナダは、石炭 火力をやめていくアライアンスを作っ て、仲間を増やしていこうとしていま す。ドイツ、アメリカ、日本のように まだまだ石炭火力が多いところに対し
て、自分たちはもう石炭火力をやめて いいと、強い姿勢で言えるようにして いるのではないかと感じます。ドイツ は再生可能エネルギーが4割だという ことをよくアピールしていますが、よ く見ると4割が石炭です。フランスが 言うEVにしても、大気汚染対策とし てはもちろんいいことではあっても、 全部をEVにするためにいろいろな車 を製造するとなると、実際にどこまで できるかまだわからないところがあり ます。とりあえず先に宣言してリード する側に立とうと、政治的な駆け引き が広がりつつあるように思います。私 の個人的な思いでは、日本はそういう 駆け引きが下手で、あまり大胆なこと が言えないのが弱点なので、そうでは なくて、前向きな将来像に向けて思い 切ったことを、世界に対して出してい くのも大切なのではないかと思います。
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図⑨
ています。京都議定書のときに、排出 削減の義務を負うとされた先進国の排 出量は、いまでは世界全体の半分以下 となっています。非常に大きい割合を 占めるようになったのは中国やインド で、途上国がたくさん排出しているの が現状なわけですから、先ほど申し上 げたように、これからの地球温暖化対 策は途上国の人たちも含めてみんなで 進めていくことが重要になっているの です。 日本の排出量がたとえゼロになって も、世界の排出量は2・7パーセント しか減りません。そう思ったときに、 世界の排出量削減に対して、日本ので きることとして何があるのだろうかと 考える必要があります。再生可能エネ ルギーと原子力発電は二酸化炭素の排 出がないエネルギーですが、石油にし ても石炭にしてもガスにしても二酸化 炭素の排出があります。また、産業部 門別に見ると、二酸化炭素はものづく
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図⑧
わが国の地球温暖化対策の 進むべき方向
次に、わが国の地球温暖化対策の進 むべき方向についてご説明します。先 ほど申し上げましたように、日本は2 030年度において2013年度比で 26パーセント減というのを当面の目 標として、歯を食いしばってでも政府 全体で頑張っていこうとしています (図⑧) 。 それ以降の長期的な戦略的な 取り組みとして、2050年に向けて 何をしていくのかということを決めよ うとしています。これには三条件、三 原則というのがありますので、それら を踏まえて議論していくことが重要で す。 温室効果ガス排出の世界的な動向を 見ると、 排出量は増えています (図⑨) 。 とにかくこれ以上は増やさないように するのが大切です。日本の排出量は世 界の排出量の2・7パーセントを占め
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図⑩
図⑪ 19
りで3~4億トン出していて、農業で 4000~5000万トン出していま す(図⑩) 。こうした現状を踏まえて、 どこをどのようにして減らしていくの かということをしっかりと考えなくて はなりません。 もしも日本が鉄をつくるのをやめる と、二酸化炭素の排出量を約2億トン 減らすことができます。しかし、鉄は 必要なので海外から輸入するようにな ります。日本で1トンの鉄をつくると きに出す二酸化炭素の量は、他の国々 が1トンの鉄をつくるときよりも少な く、日本では効率的に鉄をつくられて います。日本が鉄を海外から輸入する と、全体でみると日本で鉄をつくって いる以上に二酸化炭素を出してしまっ て、世界の排出量は多くなってしまい ます。日本の排出量をできるだけ下げ ようと頑張らなければならないのは当 然ですが、自分の家の庭先だけを掃い てきれいにすればいいというものでは
なくて、世界全体で減らすにはどうし たらいいのかということを考えないと ならないのです。世界中で生産されて いる鉄のようなものは、最も二酸化炭 素の排出が少ない、最も効率のよい生 産方式を世界中に広げていくというこ とが重要です。 これからの我が国の地球温暖化対策 の進むべき方向として、長期地球温暖 化対策プラットフォームにおいて検討 を行ってきました(図⑪) 。ここに、国 際貢献、グローバル・バリューチェー ン、 イノベーションが掲げてあります。 国際貢献とイノベーションはわかりや すいかと思いますので、グローバル・ バリューチェーンについて説明します。 例えば、エアコンは生産段階で二酸化 炭素が出て、使用段階でも電気を使っ て二酸化炭素を出します。同じだけ快 適に冷えるために、二酸化炭素をたく さん出すエアコンとあまり出さないエ アコンでは、何年も使ううちに二酸化
炭素の排出量が大きく異なることにな ります。したがって、二酸化炭素の排 出の少ない効率的なエアコンを作って 世界に広めていくということが、世界 中の排出量を減らすためには重要とな ります。このようなことが日本の役割 なのではないかと考えています。 同じようなことは、IoTの活用に おいても見られるでしょう。IoTを 活用して、工場でものを作るときの無 駄をなくして効率をよくすると、二酸 化炭素の排出が減ります。いくつかう まくいきつつある取り組みがあります。 ア イ コ ン ス ト ラ ク シ ョ ン
)という言葉を聞い ( i-Construction たことがあるかと思いますが、建設現 場などでIoTをうまく使うと、トラ ックや建設機器の無駄な動きがなくな って燃料の消費量が大幅に減るという ことがあります。日本はこのような取 り組みを通じて世界の二酸化炭素の排 出削減に貢献していけるのではないか
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ネスになるようなかたちになれば、二 酸化炭素の排出を削減するような取り 組みを世界に広げていけることになり ます。 このような話にも実は少し難しいと ころもあって、アフリカでソーラーラ ンタンが普及して二酸化炭素の排出が 減ったときに、その削減分はどこに計 上されるのか、アフリカの国なのか、 普及に貢献した日本なのかという問題 があります。しかし、それはまた次に 考えればよいことで、海外で日本の技 術によって排出量が減ったという事例 をどんどん作っていくことが大切では ないかと思います。できれば、途上国 に対するそのような貢献を先進国が競 争するようになったらいいのです。 このようなことに関して、いま経済 産業省では試案を作っていて、環境省 や外務省、内閣府などとともに議論を して、長期の戦略を作っていこうとし ています。
地域における持続可能な産業振興 次に地域における取り組みです。今 日この後、地域における取り組みにつ いていろいろなお話があると思います ので、私からは総論だけを申し上げま す。 これから大切なこととして、エネル ギーシステムはいままでの集中型から 地域分散型になっていくと言われてい ます(図⑬) 。大きな発電所から電気か 一方的に流れていくということではな しに、地域内で電気を作って地域の中 で回すということになります。その他 のエネルギーや熱も同様に、供給事業 者から一方向的に流れるのではなくて 双方向的になります。これが間違いな くいいことだというのは、一つの流れ しかなければそこで何かあったときに は供給が止まってしまうわけですけれ ど、いくつもの流れがあればバックア ップがあって安全性が高まります。ま
た、地域内でエネルギーを供給すると いうことは、地域にビジネスが起こる ということです。 ならば、そのようなことをどんどん 進めたらいいということなのですが、 これにはいくつか克服していかなけれ ばならない課題があります。一つは技 術的な課題で、分散型のシステムをど のよう制御したらいいのかということ があります。従来の一方向的な流れで は、需要と供給の調整は比較的簡単で あったのですが、双方向的にさまざま な需要とさまざまな供給があって、し かもおのおのが変動するとなると、そ れを制御するのはかなり複雑な問題に なります。スマートグリットとかIo Tとかいろいろな言葉がありますが、 最新の技術を使って最適解を求めて制 御していくわけで、そのような技術を 進展させていくことが重要で、いろい ろな取り組みが出てきていますので、 それらをどんどん伸ばしていくことが
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図⑫
と思います。 日本は世界に向かってもっともっと 貢献していくべきです(図⑫) 。世界に はいろいろな事例があって、アフリカ でいまソーラーランタンの普及を進め ています。太陽光パネルを使った照明 です。アフリカの村落では、電気がま だ通っていないために、ケロシン油を 使ったランタンで家事をしたり、子ど もたちが勉強したりしています。その ようなランタンはすすが出るために健 康に悪かったり、火災の危険があった りし、二酸化炭素が出るということも あります。ソーラーランタンに替えれ ば、二酸化炭素を排出することのない 安全な灯りになります。3年から5年 分の油の代金で買えるソーラーランタ ンであれば経済的にも買ってもらえま す。途上国への貢献というと、私たち はすぐにODAで何かやればいいよう に思ってしまうのですが、ソーラーラ ンタンのような小さな事例でも、ビジ
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大切です。 もう一つの課題は当事者の意識です。 従来は需要家だった人が自らもエネル ギーを生み出すようなことになってい くときに、個々人の家にソーラーパネ ルを置くようなことであれば、個人の 意思で決めればいいわけですが、地域 で何かしようとしたら、地域における 担い手が必要です。担い手がいなけれ ば、地域で事業を展開したくても動き 出せません。担い手となるには、何か をしようとする意思をまず持たなけれ ばなりませんし、そのために必要な知 識がなければいけませんし、資金力も 必要です。担い手にはいろいろな克服 すべき問題があります。今日はこの後 でいろいろお話があると思いますが、 問題を克服しつつ取り組んでいる事例 がありますので、先駆者のそうした経 験を広げて行くことが大切で、そのた めに国としてどのように支援していく のがいいのか考えているところです。
それと供給事業者側の意識の問題も あります。従前の供給事業者は自分た ちが全部のエネルギーを供給するとい う役割を果たしていました。システム を制御するためにいままでよりも複雑 なことをしながら、自分たちの役割を 変えていかなければなりません。マネ ジメントとかアドバイスとか、供給事 業者にはいろいろな面で活躍していた だきたいのですが、そのあたりのこと がまだうまく理解されていないのでは ないかと思います。 いくつか実際に進められている事例 を紹介しておきます(図⑭) 。成功して いる事例を見るとすばらしいと思う一 方で、実は難しい問題に突き当たって いると思われる事例もあります。 たとえば、地域の金融機関から融資 が付いて、木質バイオマス発電所が完 成し、森林組合からそこに木を運び込 む準備も整って、一応念のために、前 に相談していた通りに電気を買い上げ
てくれますよねと、地域の電力会社に 話をしたところ、「いまは事情が変わっ てしまって、朝の9時から夕方の3時 までは発電を止めてください」と言わ れてしまって、途方に暮れているとい うような事例があります。そのような お話を聞いて、民間どうしの契約です から、役所としてどう関与したらいい のかというのは非常に難しいです。も しも、そのようなことでバイオマス発 電所の事業は成り立たないと、最初か らわかっているのだったら、それを事 前に言ってあげるのが電力会社のせめ てもの責任ではないかと、私は思いま す。似たような事例があちこちにある のは非常に残念なことです。 これからの時代は、地域のエネルギ ーは地域の中で回して、大きな電力会 社や大きなエネルギーの供給者は、そ の分散型システムを支えて地域ととも に生きるというところに存在価値があ るのだと思います。そうした役割をき
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図⑬ 22
図⑮
ちんと認識していただきたいと思いま す。そうしないと、電力会社が何か施 設を作ろうとしたときに地域の協力を 得られなくなったりするのではないで しょうか。 最後に、私は前に林野庁にいた関係 もあって、林業の関わる取り組みにつ いても紹介しておきたいと思います (図⑮、図⑯) 。日本の森林はどんどん 増えて、しかし使い道がないという危 機に直面しています。日本の森林をエ ネルギーとして利用しようと、いくつ か動き出した事例があります。それが 本当に持続的にできるのかということ にはいくつもの難関があります。うま くいっているところにはうまくいく理 由があり、うまくいっていないところ はうまくいかない理由があります。そ れらをよく検討して、いろいろな有識 者の方のお話を聞いて、政府としてど ういうことをこれからしていったらい いか検討していきたいと考えています。
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図⑭ 24
■基調講演2
電力システム改革と気候変動政策 カーボンプライシングと再生可能エネルギーの可能性
もろとみ とおる
諸富 徹
お話がありますので、そのつなぎのよ うなことで、国内の温暖化対策として カーボンプライシングの話をまずさせ ていただいてから、再生可能エネルギ ー全般の状況、再生可能エネルギーと 日本の電力システム改革の関係、再生 可能エネルギーを伸ばしていく上での 課題についてお話させていただきたい と思っています。
京都大学大学院経済学研究科地球環境学堂教授
私は京都大学の地球環境学堂という 文理融合の部局に所属しています。今 日の趣旨としては、環境経済学の観点 から、温暖化対策とエネルギー、特に 再生可能エネルギーについて研究して きたことをお時間のある範囲でお話さ せていただきます。 ただいま末松局長よりパリ協定以降 の温暖化対策、温暖化を巡る世界の議 論の状況のお話があり、この後で河野 さんより地域の再生可能エネルギーの
日本の気候変動政策と カーボンプライシング
私はいま中央環境審議会に属して、 武内先生のご指導の下で環境基本計画 を作る議論に加えていただいておりま す。そのなかでカーボンプライシング の話も出てきています。それと、環境 省で低炭素ビジョンの検討委員会、カ ーボンプライシングの検討委員会が立 ち上がっていて、そこでの議論にも参
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図⑯
司会 末松様、どうもありがとうござ いました。 続きまして、京都大学大学院経済学 研究科地球環境学堂教授、諸富徹先生 より「電力システム改革と気候変動政 策―カーボンプライシングと再生可能 エネルギーの可能性」と題して基調講 演をいただきます。諸富先生、よろし くお願いいたします。
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に全国レベルで排出量取引を導入する とのアナウンスがあり、今年中にも法 案の詳細が固められる予定になってい ます。アメリカでは、国のレベルでは パリ協定からの離脱ということを言い ながら、州のレベルでは排出量取引税
の導入やその他の試みが次々に広がり つつあります。特に変わりつつあるの はカナダで、州に対して炭素税か排出 量取引制度を入れるように国が促すス キームが入れられています。われわれ にとって衝撃的だったのは、アルバー タ州がカーボンプライシングを入れる と決めたことで、時代の変わり目を象 徴する出来事であるかと思います。 環境税を最初に言い出したのはピグ ーという理論家で、1920年のこと でした (図②) 。 それから半世紀経って、 水質保全の領域で導入され始め、19 90年代初頭ぐらいからエネルギー・ 温暖化問題に活用され出しました。 炭素税を導入したところでは、いわ ゆるデカップリング――経済成長はす るけれどもエネルギー使用量や炭素排 出量はむしろ下がっていく、つまり両 者が切り離されるということがおこっ ています(図③) 。日本でも高度成長期 のころは経済が成長すると必ず比例す 図②
るかそれ以上にエネルギー使用量は上 がっていました。しかし、石油ショッ クのときから両者は切り離されるよう になりました。ただし、現在また不明 瞭になってきています。 日本のカーボンプライシングの現状 としては、温暖化対策税が2012年 から導入されています。その前から石 油石炭税というのがありました (図④) 。 図に上流と書いてありますように、あ らゆる化石燃料は輸入されてくる段階 で、陸揚げされるとすぐに関税を掛け ますけれど、それと同じタイミングで 石油石炭税を掛けます。日本では化石 燃料の98パーセントないし99パー セントが輸入なので、石油石炭税は日 本に入ってくる段階でほぼ一網打尽に 掛けることができる税です。もともと は石油ショックの後に石油対策の観点 から入った税で、その後で石炭課税が 強化され、いまでは温暖化対策として の色彩を持つようになっています。
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図①
画をしております。 カーボンプライシングは何かといい ますと、かつては経済的手段と言って いたもので、数年前ぐらいからカーボ ンプライシングという言葉が急速に使 われるようになりました。要は排出量 取引と環境税、それに補助金とかも入 れてもいいのですが、そういった経済 的な手段で温暖化を防ごうということ です。 10年ほど前にも非常に大きな議論 があって、特に民主党政権時代に、温 暖化対策税や再生可能エネルギー固定 価格買取制度(FIT)が導入されま した。ただし、排出量取引制度は入れ られませんでした。 それ以降、世界はずいぶんと変わり カーボンプライシングを入れる動きが 広がっています(図①) 。とくに中国と 北米が大きく変わりました。 中国では、 最初は省のレベルでパイロット事業と して排出量取引制度が始まり、昨年末
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図⑤
石炭が301円で一番軽くなっていま す。同じ熱量を取るのに石炭が一番多 くの二酸化炭素を出すので、むしろ石 炭から多くの税を取らないといけない はずです。それに対して、カーボンプ ライシングの観点からは、二酸化炭素 の排出量に比例して税を取ろうという ことで、排出量1トン当たり289円 を均等に上乗せするようになりました。 そういうことで、温暖化対策の観点か ら見たときのゆがみを部分的には正し たのですが、非常に残念なことに、こ れは薄い税金であるために、政策効果 に関する試算では、課税による排出削 減効果はあまりないという結論になっ ています(図⑥) 。税金を乗せて価格を 高くしたことによる削減効果は0・2 パーセントです。財源効果と書いてあ るのは、石油石炭税として取った税に ほぼ見合う金額を温暖化対策の補助金 として企業に配分されていきますので、 それによって温暖化対策が進む効果も
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図③
日本のカーボンプライシング制度に ついてみていただきますと(図⑤) 、旧 来の石油石炭税の税構造では、二酸化 炭素の排出量1トン当たりの税負担は、 原油・石油製品が779円で一番重く、
図④
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図⑦
という提言をしています。 東京都では、温暖化対策税に加えて 排出量取引制度を導入しています(図 ⑧) 。 いまいるこのビルも制度の対象に なっているわけですが、最新鋭のビル はかつて考えられないほどの省エネ、 あるいは再エネを活用したいろいろな 取り組みが非常に進んできています。 それは排出量取引制度の効果だけでそ うなったわけではありませんけれども、 排出量取引制度は努力した人が報われ る仕組みなので、その導入が温暖化対 策を後押ししている、またそういった 方向に進んでいくインセンティブにな っていると思われます。
日本の気候変動政策の現状
日本の温暖化対策の今後はどうある べきかという議論に進んでいきますと、 私は、積極的に国内で対策を打ってい くべきだと考えています。さきほど末
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図⑥
入れると、0・5から2・2パーセン トの削減効果ということになります。 税率の高さを国際的に比較してみる と、日本は地を這うような実に低いレ ベルです(図⑦) 。税金以外にも目に見 えない負担があるという議論もあるの ですが、計算可能な税金、あるいは排 出量取引制度等に掛かってくるコスト でしか国際的な比較はできません。図 にありますように、単に炭素税を入れ るだけではなくて、どの国も税率を上 げてきています。例えばスウェーデン はなかなかすごい水準で上がっていて、 二酸化炭素1トン当たり100ユーロ 規模にまで上げていくという議論をし ています。フランスはつい最近まで憲 法違反であるとされて炭素税の導入が ブロックされたのですが、そこを乗り 越えて導入した後はどんどん上げてい くスケジュールになっていて、専門家 の委員会からはここも二酸化炭素1ト ン当たり100ユーロを目指すべきだ
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のかどうかという点について、疑問符 が付くようなことが出てきています。 もしも海外に出て行くお金があるのな ら、日本国内に投資をして、日本の生 産性をむしろ高めていくような形を取 っていくべきではないかと私は思って
こと。これはその通りだと思います。 たとえば天然ガス発電のガスタービン は世界最高水準の効率をもっていて、 パーツとして日本は非常に優れた技術 を持っています。だから、こうこれ以 上はもうやらなくてもいいということ になるのかいうと、そうなのでしょう か。二番目は「乾いた雑巾」というこ とです。日本は石油ショック以来省エ ネに取り組んできて、これ以上削減す る余地がないといわれました。三番目 が、限界排出削減費用が日本は世界最 高水準にあるということです。 それでは、いまはどうなのかという と、90年代前半までは確かに世界最 高水準の技術であったと言えたのです が、90年代後半から、ちょうど日本 の投資が滞りだした時期に、日本のエ ネルギー生産性は停滞しています(図 ⑩) 。そのことが、日本の産業の競争力 が諸外国の後塵を拝しつつあることと 結び付いているのではないかという点
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います。 日本でかつて10年ほど前に温暖化 対策に関して侃々諤々の議論があった ときに三つほど論点がありました(図 ⑨) 。一つは、温暖化対策に関して日本 はすでに先駆的なところにいるという 図⑨
図⑩
図⑧
松局長からは海外に貢献することが大 切であるとのお話があり、それも非常 によくわかるのですが、他方でお金が 海外に流出するのはもったいないでは ないかという面もあります。 日本の産業はバブル崩壊以降、投資 が非常に滞っていて、内部留保が多く 蓄積されているということは、皆さま も新聞報道等でご存じかと思います。 ここ3~4年は原価償却費を上回る投 資が行われていますが、上回るといっ ても微々たるもので、その前の199 0年代や2000年代はほとんど投資 が原価償却を下回っていました。とい うことは、設備の更新すらままならな い状況にあったということで、日本の 資本はどんどん老朽化してきているの です。生産性に関しても、投資が行わ れなかったことによって、必ずしも効 率的ではない可能性が出てきています。 日本で温室効果ガスの排出を削減する 場合にも、最も効率的にそれができる
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図⑬
で、 私は非常に危機感を持っています。 つまり、温暖化対策ばかりでなく、日 本の総合的な技術水準は必ずしも世界 最高水準とは言えなくなってきている のではないかということです。 実際のデータを見ていただきますと (図⑪) 、 これは日本エネルギー経済研 究所が作成したデータで、石油ショッ クの後で消費原単位が大きく落ちてい ます。つまり効率性が良くなったとい うことです。ところが90年代以降は ほぼ横ばいです。 ここで炭素生産性というものに着目 します(図⑫) 。生産性と言いますと、 普通は、GDP・付加価値を分子に置 き、就労人数を分母に置いて、1人あ たりどれだけの付加価値を生み出して いるのかというのを見ます。それが普 通労働生産性です。ここでは、分母に 温室効果ガス排出量を置くことによっ て、1単位の二酸化炭素を出すことと 引き替えに、われわれはどれだけの付
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図⑪
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図⑫
図⑮
タを見る限り、そうではありません。 横軸に平均実効炭素価格を、縦軸に炭 素生産性を取ると、一部に外れた値は あるものの、ほぼ正の相関が見られま す。つまり、実効炭素価格が高いほど 炭素生産性も高いという関係がある、 少なくとも炭素価格が高いから生産性 が弱まるということは決してないので す。 そしてもう一つ気になるのがこのデ ータです(図⑮) 。実効炭素価格が高い と経済の成長にマイナスになるのであ れば、こういうことにはならないはず です。右側のグラフは1人あたりの知 的財産生産物形成と実効炭素価格の関 係で、炭素価格が高いほど価値の形成 は伸びているように見えます。 ただし、 これは因果関係を意味するものではな く、炭素価格を上げれば必ずしも知的 財産が増えるというわけではありませ ん。同じように、総資本形成も実効炭 素価格と正の相関関係があります。
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図⑭
加価値を生み出せているのかを見ます。 それが炭素生産性です。 炭素生産性を世界と比較したグラフ を見ていただきます(図⑬) 。日本は2 010年前後に若干上がっていますが、 いままた下がっています。全体として は横ばいです。ところが、90年代以 降、ヨーロッパを中心に炭素生産性の 上昇が起きて、日本は次々と抜かれて しまっています。日本も90年代初頭 においてはいい位置にいたのですが、 日本が停滞している間に次々と抜かれ たのです。実は労働生産性を見ても全 く同じ構造になっています。ここ20 年ほどの間に日本の産業の生産性は順 位を次々と落としてきているという非 常に大きな問題があるのです。 次に、カーボンプライシングと炭素 生産性の関係を見ます(図⑭) 。通常、 炭素税は産業に負荷を掛けるものなの で、産業の競争力を下げてしまうと思 われがちなのですが、各国の公開デー
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して使用量は減っています。東電のエ リアだけでなく、関電のエリアでも同 じ傾向が見られます。 このような傾向は、実は大震災の前 からすでに始まっていて、最終エネル ギー消費は2005年あたりから右肩
製造業のサービス産業化、サービス産 業と製造業の融合がさらに進行してい くでしょう。そして人口は減少してい くわけですから、成り行きとして、エ ネルギー使用量や二酸化炭素の排出量 は下がっていくことが見込まれます。
図⑱
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下がりの傾向になっています(図⑱) 。 GDPが上がってもエネルギー使用量 が下がるという傾向が震災の前からす でにあったのです。 それでは、これからはどうなってい くのかというと、産業構造はおそらく 図⑰
図⑯
このように、ここ20年ほどの間の 結果から、炭素価格が高いと経済にマ イナスになるということはないという ことがわかったのです。 さらに、90年代初頭に早々とカー ボンプライシングを入れた国と日本を 比較すると、カーボンプライシングを 入れた国々の方が、日本よりも成長率 が高くなってきているということが明 らかです(図⑯) 。このデータも、カー ボンプライシングは産業の競争力にマ イナスではなくて、ひょっとすると何 らかのルートをたどってプラスになっ ている可能性すらあるということを示 しています。 次に、 「乾いた雑巾」ということが本 当なのか検討してみます(図⑰) 。東日 本大震災の後、年度を追うごとに電力 使用量は減っています。これらは電力 会社が出しているデータから作成した もので、気温によって電力使用量は異 なってくるのですが、全体に平行移動
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図⑳
ているところです。 ドイツは火力よりも原発を下げる方 を優先しています。ドイツの現状を見 ると、デカップリングがおこっていま す(図⑲) 。経済指標は右肩上がりで、 温室効果ガスの排出、エネルギー消費 は右肩下がりです。 図⑳はドイツ語のままで申し訳ない のですが、 緑が再生可能エネルギーで、 非常に増えてきています。固定価格買 取制度(FIT)が導入されたのは2 000年で、それから10年ぐらいで 特に増えてきています。 赤は原発です。 再生可能エネルギーで原発を代替した ということがはっきり見てとることが できます。化石燃料、特に石炭があま り減っていません。これは皆さんご存 じの通りドイツは産炭国で、多数の労 働者が携わっていて、その人たちが社 会民主党 (SPD) を支持しています。 ですから、大連立政権である限り、正 直言って石炭に手を付けるのは難しい
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図⑲
いろいろな対策や技術革新を行うこと で、さらに下げていくということは十 分に可能だと考えることができます。 それを助ける仕組みがカーボンプライ シングではないかと思います。
集中電源に依存しないことは可能か
低炭素化で一番クリティカルなのは エネルギーです。エネルギーをどのよ うに低炭素化していくかということを 巡ってはいろいろな国で試行錯誤が行 われています。完全な解というのはま だ見出していません。そういう意味で は、どこの国も苦しいのですが、大き くいえば、末松局長もおっしゃってい た通り、再生可能エネルギーを中心と する分散型の方向をどの国も目指して います。ただ、20世紀を担ってきた 大規模電源である石炭を中心とした火 力と原子力をこれからどうしていくの か、各国とも迷っていて、試行錯誤し
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内訳を見ていただくとわかります(図 ㉓) 。 コールと書いてある黒線が石炭で、 2012年から16年にかけて急落し
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る計画を持っています。 代わりに上がっているのが再生可能 エネルギーです。緑で示されているの
図㉔
ています。これが電力のところで二酸 化炭素が大きく下がった原因です。イ ギリスは2026年に石炭をゼロにす 図㉓
のです。とはいえドイツもいろいろな 手を打っています。 イギリスは逆に、 脱石炭を優先して、 むしろ原発を使うという道を取ってい
ます。イギリスもドイツと同じように デカップリングしています(図㉑) 。驚 くべきは、二酸化炭素の排出量をどこ で下げているのかというと、電力が非
図㉑
常に大きいのです(図㉒) 。パワーと書 いてあるのが電力セクターで、201 2年から大きく落ちています。なぜこ れだけ下がったのかというと、発電の
図㉒
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図㉖
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図㉗
は低炭素で、再生可能エネルギーと実 はここには原発も入っています。再生 可能エネルギーでイギリスがとくに力 を入れているのが洋上風力発電です。 北海油田が枯渇してきたので、代わり に洋上風力発電にものすごく注力をし ています。
っていきます。その一方で、 “New と書いてある、新規に作る Nuclear” 原発があります。緑は再生可能エネル ギーです。そして、白い空白は、電力 の消費があると見込まれていても、電 源として何を当てるのか決まっていな い部分です。原発の新増設は追い付か ないので、最悪は大陸から電力を輸入 することになるのかも知れませんが、 今後どうするか大きな問題になってい ます。 では日本はどうするかということで すが、図㉕はカーボンプライスの検討 委員会に提出させていただいた資料の 1枚で、日本もカーボンプライシング を引き上げていくべきであるという提 言をしています。
とあるのが既存 “Existing Nuclear” の原発で、これは老朽化によって下が
しかし、 イギリスにも困難があって、 これからの計画を見てください (図㉔) 。
図㉕
電力システム改革と 再生可能エネルギー
次に、日本の電源をどのように低炭 素化していくかということをお話しま す。原発と再生可能エネルギーがいわ ゆる低炭素電源になるのですが、原発 の再稼働は非常に困難な状況になって いて、エネルギー基本計画の数字を満 たすのはきわめて難しいと見られてい ます。それに対して再生可能エネルギ ーについては、むしろ目標が低すぎる という議論があります。 再生可能エネルギーは急速に増えて きました(図㉖) 。それはFITによる ところが非常に大きいですが、賦課金 の負担が増加していて、それを今後ど うしていくのか一つの大きな課題とな っています(図㉗) 。 それともう一つ非常に大きな課題が 系統接続の問題です。系統接続の空き 容量がゼロになってきているという話
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で、ついては19億円を負担してくれ ということです。しかも工事が終わる のは8年後だというので、事業として はもう絶望的になっています。似たよ うなことがいま全国で次々と起きてい ます。
京都大学の経済研究科の再生可能エ ネルギー経済講座で、本当に系統容量 の空きはゼロなのかということを調査 研究しています。安田陽特任教授を中 心に公開データに基づいて試算を行い、 2月末に大手町のサンケイプラザでか
なり大きなシンポジウムを開き、資源 エネルギー庁の新エネ課の課長、東京 電力、東北電力、広域間の責任者等々 にご登壇をいただいて、議論をして、 立ち見の出る大盛況でした。 調査研究で明らかになったのは、系 統は大きく空いているということです。 安田さんたちが調べると、例えば十和 田幹線は夜はほとんど使われていませ ん(図㉙) 。他の系統についても利用率 は最高で18・2パーセントで、利用 率が1桁台のところもかなりあります (図㉚) 。 北海道やその他全国調査も完 了していて、再生可能エネルギー経済 講座のホームページをごらんいただけ れば、全国調査の結果が出ています。
問題の解決には何が必要か
こういったことを踏まえて、電力会 社の方々とも、資源エネルギー庁とも 議論して、政府としても改善に向けて
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図㉙
図㉘
があります(図㉘) 。これは公開データ されているデータで、 平成30年以降、 赤く示したラインは受け入れられる容 量がゼロになって、これ以上の電気は 受け入れられないというのです。再生 可能エネルギー事業者がこれから発電 して系統に接続しようとすると、もう いっぱいですと電力会社に断られてし まうということです。すでに実際に断 られている事例が相次いでいます。 私が関わっている飯田市の例では、 将来消滅の可能性が出てきている集落 の再生を期して、小水力発電事業に懸 けようということで、地元の人たちが 自ら会社を作りました。雇用と収益を 確保して、若い世代に集落に残っても らおうというプロジェクトを開始し、 その詳細設計ができて、事業会社も決 まって、中部電力と接続協議をしたと ころで、もういっぱいですと言われて しまいました。それでも接続したいの ではあれば、系統増強が必要になるの
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実際の潮流の動きを見ながら、運用し ましょうという考えです。計画潮流で はなくて実潮流ベースで考えましょう という議論です。 その背景にあるのが発送電の分離で す。これまでは発電・送電・配電のす 図㉜
べてを一つの電力会社が一体化して行 っていました。今後の電力システム改 革で、発電部門と送電部門が切り離さ れます。そうすると送電部門から見れ ば、既存の電力会社であれ、再生可能 エネルギーの新規事業者であれ、競争
上公平に取り扱われなければいけませ ん(図㉜) 。系統の利用のルールのあり 方も、既存の電力会社の電源であれ、 新規参入の電源であれ、託送料という 利用料をきちんと払うのだから、費用 負担との見返りに公正に系統を利用で きるようにするべきだということにな ります。 そして、系統を増強する場合にも、 世の中の議論の流れは、飯田市の例の ように新しく入ってくる人に負担させ るのではなくて、一旦送電会社が負担 した上で、電力利用者に料金転嫁をし ていくのがいいということで、それが 欧州におけるほぼ標準的な費用負担の ルールになっています。こういった費 用負担ルールを導入して、むしろ新規 参入を促していくべきで、既存と新規 を差別化するのは公平な競争とは言え ないのではないか思います(図㉝) 。 なぜ再生可能エネルギーの導入を促 すべきなのかというと、要は一番安い 図㉝
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動き出しています。そもそもなぜゼロ であるといままで言ってきたのかとい うと、いわゆる計画潮流ベースという ことがあります。 原発はかなり前から、 特に連系線の場合には10年前から系 統容量の予約できます。予約してしま
図㉚
うと、実際に物理的に電気を流す当日 になって、その電気を通さなくても予 約は有効のままで、ペナルティはあり ません。わかりやすく言えば、テニス コートを予約して、当日になって雨が 降ったとか、体調が悪いとかで、実際 にはテニスをしなくてそのままで、当 日やってきた別の人がテニスコートが 空いているのならテニスさせてほしい と言っても、それはではなくて、予約 が入っているからテニスコートは空白 のまま誰も使えませんということなの です。このような状況はよろしくない のではないかということから、現在検 討されているのがコネクト&マネージ という議論です(図㉛) 。系統が空いて いるなら、まずは通そうではないか。 通した上でマネージしましょうと。瞬 間的に最大容量に達するようなことも ありうるので、そのときには接続を止 めます。365日24時間、ずっと系 統が埋まっているわけではないので、 図㉛
50
図㉟
図㊱ 53
からです。再生可能エネルギーの場合 は一旦発電所を作ってしまえば、限界 費用と言いますが、追加的に発電して 系統に電気を送り込むための費用はゼ ロに近いのです(図㉞) 。風も太陽も燃 料費が掛からないので一番安く入って
図㉞
くるのです。 ですからドイツなどでは、 安い電源を断ってより高い方の電源を 使うという手はないはずだと、まず優 先的に再生可能エネルギーを入れよう という考えを取っています。 ドイツでは一時期はFITが破綻し たとか言われました。私は本当にそう なのだろうかということでドイツに調 査にも行きましたし、関連するドイツ 語文献を読んで調査した結果、それは 大いなるミスリーディングであったと いうのが私の結論です。実際はまった く逆でありました。どうして日本では 破綻したという理解になったのかとい うことを逆に見なければなりません。 ドイツでは再生可能エネルギーが非 常に増えました。現在36パーセント で、2020年に35パーセントにす るという目標でしたので、前倒しして 達成しています(図㉟) 。再生可能エネ ルギーが増えたことで確かに賦課金も 増えましたし、系統に負荷も掛かりま
した。しかし、いわゆる幼稚産業とし て保護する時代は終えて、徐々にマー ケット化していく段階に入ったという 認識のもと、2014年の法改正で、 FITのこれまでのような保護水準は 落としてもいいという合意ができたの です。賦課金の負担は今後も増えてい きますが、2023年にピークに達し て、以後は下がっていきます(図㊱) 。 日本はいまどんどん負担が上がって いく局面にあってしんどいと言ってい るのですが、20年たつと高い賦課金 価格で買い取られた電源が次々にFI Tの買取対象から外れていきます。そ れど、いまは買取価格がどんどん下が っていますので、結局のところは再生 可能エネルギーが増えても負担がいつ までも増え続けていくわけではないの です。やがて増加は緩やかになり、い ずれは下がっていきます。日本もドイ ツのようになるのです。その背後にあ るのが、再生可能エネルギーの発電コ
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いまドイツはフランスに電気を輸出し ています。ドイツからフランスに1 3・2テラワットアワーの電力が出て いき、フランスからドイツに入ってき
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超過しています。 図㊵は、将来再生可能エネルギーに 依存する方が既存電源に依存するより も安くなっていくというシミュレーシ
図㊵
たのは3・84テラワットアワーで、 10テラワットアワーの輸出超過にな っています(図㊴) 。対フランスだけで なく、ドイツは全方位に対して輸出を 図㊴
ストのドラスティックな低下です(図 ㊲) 。 再生可能エネルギーの発電コスト が下がることで賦課金の負担は減少す るのです。
再生可能エネルギーの電気がどんど ん供給されてきたことで、ドイツの卸 電力市場の価格がどんどん下がってき ています(図㊳) 。ドイツが原発をやめ
図㊲
て再生可能エネルギーに注力したら、 フランスの原発の電気を輸入すること になるだろうと、かつて言われていた ことがありました。 しかし実際は逆で、
図㊳
54
図㊷
図㊸ 57
ョンです。その理由は、再生可能エネ ルギーは高くなっていった後で下がっ ていくけれども、既存の電源は、原発 については安全規制が強くなってコス トが掛かりますし、化石燃料もパリ協 定後はさまざまなコスト負担が掛かっ てくるので結局は上がっていきます。 だから再生可能エネルギーに依存して いく方が国民負担は安くなるのです。 今日は時間がなくなってきたので詳し くお話はしませんが、 そうしたことで、 ドイツ経済の成長を促すというのが図 ㊶に示されています。 それでは、再生可能エネルギーを大 量に導入するということをドイツでは どのように行っているのかというと、 残余需要という考え方によります(図 ㊷) 。要は、再生可能エネルギーを最優 先で給電して、既存の電源はその残り の需要を穴埋めする役割に転換してい くということです。いまと主客転倒で す。日本の場合には、ベースロード電 図㊶
源として原発・火力あって、残ったと ころを再生可能エネルギーで埋めると しています。 需要を上回る供給があり、 電力が余りそうになったら、再生可能 エネルギーの出力抑制を行うというこ とです。再生可能エネルギーの電気は 捨てるということなのです。 ドイツだと、それはもったいない、 まず再生可能エネルギーを入れて、再 生可能エネルギーで満たしきれなかっ た残りの「残余需要」を既存の電源で 満たすということをしています。需要 水準の高低を示す曲線は時間軸に沿っ てかなりくねっています。それに対応 して、総電力需要から再エネで満たさ れた電力需要を差し引いた残りである 「残余需要」の幅もまた、ものすごく くねっています。ですから、調整電源 が必要なのですが、天然ガスや水力が その役割を果たします。このときにマ ーケットにはきわめて柔軟な動きが出 ていて、市場価格がマイナスになるケ
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■基調講演3
里地里山エネルギー 自立分散への挑戦 河野博子 こうの ひろこ
再生可能エネルギーの普及がいます ごく進んでいます。国際エネルギー機 関(IEA)の「ワールド・エナジー・ アウトルック2017」――これが最
再生可能エネルギーの普及・ 拡大
な潮流といいますか、いまどのような 変化が進みつつあるのか、そしてどの ような課題があるのかということを検 討してみたいと思っています。
読売新聞東京本社編集委員(現在は、ジャーナリスト、地球環境戦略研究機関理事)
私は2005年以来、読売新聞で編 集委員を務めていまして、京都議定書 後の温室効果ガス削減に関する国際交 渉について、毎年国連の会議に行って 取材をしてきています。今日は、末松 局長、諸富先生からすでに大局的なお 話がありましたので、私からは、足元 の小さなエネルギーについて、具体的 な事例を中心にお話をさせていただき たいと思います。日本の国内の事例を 一つひとつ具体的に見ることで、大き
新版ですが――によると2040年ま でに世界の総発電量の40パーセント が再生可能エネルギーによるものにな る、と書かれています(図①) 。実はこ れより2年前の「ワールド・エナジー・ アウトルック2015」では、204 0年までに世界の総発電量の3分の1 が再生可能エネルギーによるものにな ると書かれていました。そのときすで に私はものすごく驚いたのですが、2 年間で早くも予測が40パーセントに
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ースもあります。これは怖いことでは なくて、市場が非常によく機能してい るということを示しています。 再生可能エネルギーが大量に導入さ れると、 停電が頻発するのではないか、 電力が不安定化するのではないかとい
図㊹ うご心配をお持ちの方がたくさんいる のですが、そうではなくて、むしろド イツでは再エネ導入後、安定性が高ま っていて、 停電日数が低下しています。 世界の電力への投資金額を見ると、 再生可能エネルギーへの投資金額と、 既存電源への投資金額は2011年に 逆転しています(図㊸) 。二つのグラフ が見事に交錯をしてXの図柄を描いて います。2011年以降は世界では再 生可能エネルギーへの投資が既存の電 源への投資を上回っているのです。そ ういった時代になったということを日 本も見据えて、再生可能エネルギーを 成長産業として育てていかなければい けないと思います(図㊹) 。
司会 諸富先生、どうもありがとうご ざいました。 続きまして、読売新聞東京本社編集 委員、河野博子様より、 「里地里山エネ ルギー―自立分散への挑戦」と題して
ご講演をいただきます。それでは河野 様、よろしくお願いいたします。
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つつあります。 再生可能エネルギーが増えているも う一つの理由として、災害対応やコミ ュニティの強靱化、そして地球温暖化 対策としての二酸化炭素の排出削減も あります。もう一つ言及しておきたい のが、貧困問題への取り組みです。2 図③
012年に「リオ+20」という国連 の大きな会議がリオデジャネイロで開 かれ、 当時の潘基文国連事務総長が 「サ ステイナブル・エナジー・フォー・オ ール」ということを提唱し、それが大 きく世界に広がりました。その当時世 界で電気を使えない人が10億人以上 いて、煮炊きをするときに、まきやた きぎ、石炭、木炭、家畜の糞を使って いる人が29億人いるといわれました。 薪炭や家畜の糞などを室内で燃やすと 空気が汚れて肺の病気を誘発し、その ために毎年200万人が亡くなってい るとされていました。潘基文さんの呼 び掛けに応じて、アフリカなどでも電 気を使えるようにしようということが 進められました。発電所を作って送電 線を引いてということをするには時間 がかかるので、その場で太陽光で発電 でしようということなります。たとえ ば、タンザニアでは成功したビジネス マンが国内に太陽光発電のキットを配
ったり、バングラデシュではカナダの 人が350万世帯に太陽光発電キット を寄付したりしました。これは単に慈 善で行っているというだけではなく、 太陽光による電気に親しんでもらって、 将来的には自分の会社の家庭用発電設 備などを購入してもらいたいというこ ともあります。 また、各国が行っている再生可能エ ネルギーの促進政策によって、再生可 能エネルギーへの投資が増大し、技術 革新が行われ、設備費などが大幅に下 がってきたということもあって、再生 可能エネルギーの普及は世界的現象に なっています。
災害時に強靭な地域社会を ―宮城県東松島市の事例
では、日本国内のさまざまな取り組 みをこれから紹介していきます (図③) 。 全国各地で取材してきたなかからいく
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変わるくらいにどんどん進んでいます。 実際に、2016年に行われた世界の 電力部門のあらゆる設備投資の3分の 2は、再生可能エネルギーに関連する ものでした。 なぜこのように再生可能エネルギー の普及が世界的現象になっているので しょうか(図②) 。一番大きな理由は、
図① エネルギーの安全保障です。たとえば ヨーロッパではロシアへの依存を減ら していきたいということがあります。 2009年に、ウクライナに対してロ シアが天然ガスの供給をストップする ということがあり、実際に2週間にわ たって止まりました。ウクライナだけ が困っただけではなくて、ウクライナ
図②
を経由してロシアから天然ガスを供給 されていたブルガリアなど東欧の国々 にも大きな影響がありました。それ以 前にも同じような動きがありました。 ロシアは、親ロシアの勢力と親欧米の 勢力がせめぎ合う地域に対して、天然 ガス供給を材料にして揺さぶりをかけ るということをしています。ヨーロッ パにとってロシアは依然として大きな エネルギー供給元となっています。 一方、アメリカは、エネルギーの安 全保障に関して、2011年9月11 日の米同時テロ以降、中東への依存度 を下げようとしています。2012年 ごろからシェールガスの生産が本格化 し、石油の輸入への依存度は、200 5年をピークにどんどん下がっていま す。1977年にはOPEC(石油輸 出国機構)からの輸出が70パーセン トもありましたが、いまではOPEC のメンバーであるサウジアラビアやカ タールなどへの依存からまさに脱却し
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あって、いざとなったときに最低限の 電気が確保できるようになっています。 ここだけでなく、小・中学校、市民セ ンターなど各地域の中核的避難所23 カ所にマイクロ風力発電、太陽光パネ
ル、蓄電池を整備することを進めてい て、21カ所で完了するか、そのめど がついたということです(図⑦) 。これ には環境省の「グリーンニューディー ル基金」による補助とか、ありとあら ゆるものを利用したということです。 東松島市は人口が4万人ぐらいの割と 小規模な市で、21カ所の施設にこう したものが整備されているというのは 非常に大きいなことだと思います。 図⑧は、復興住宅――正式には市営 柳の目東住宅ですが――の調整池の上 に太陽光パネルが置かれています。こ こで発電した電気は、市が引いた配電 網を通じて、85戸ある復興住宅に供 給されるだけでなく、その周囲にある 四つ医療機関、県の運転免許センター に供給されています。災害時には少な くとも3日間はエネルギーを確保でき るようになっています(図⑨) 。 東松島市がさらにすごいと思うのは、 独自の電力会社も設立したことです
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に行ったところで、屋根の上に避難し ていた人が低体温症で亡くなってしま ったということもありました。そうし たことから、何としてでも電気を確保 したいという思いを強く持つようにな ったのです。 図⑥は、東松島市内の大塩市民セン ターという避難所にもなっているとこ ろの写真です。風車や太陽光パネルが 図⑦
図⑧
つかの事例をお話します。 2011年3月11日の東日本大震 災から7年になります。大地震や台風 などの災害に対しても地域社会をもっ と強くしたいということで、あの日を 忘れない、電気を確保したいという動 きが各地でありました。 東松島市の元の復興政策課長の高橋 さんのお話を紹介します(図⑤) 。この
図④
方はお嬢さんを津波で亡くされていま す。いまは県議会議員をなさっている のですが、 高橋さんがおっしゃるには、 「助けられた人たちが避難所に運び込 まれても暖を取るものがなかった。冷 え切っているので、着ているものを脱 がせて、体を拭いて、3人ぐらいで抱 っこしてあっためた。病院でも電気が 止まって重油もなく、重篤な透析患者
図⑤
さんなどは命にかかわる事態に陥っ た」と。そして、高橋さん自身はあま り言いたがらなかったのですが、救助
図⑥
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あれば、市内の建設業者や運輸業者な どが敷地内にある太陽光パネルで発電 した電力もあります。それらの建設業 者や運輸業者はいままでは東北電力に 売っていたのですが、HOPEが固定 価格買取制度を利用して買い上げるよ うになったのです。 HOPEの電力小売りの契約電力は、
しています。残りの5割を市場から買 い付け、2割を東北電力からバックア ップ契約で供給してもらうなどして調 達しています。 ここまでの話を図にすると図⑬のよ うになります。下の半分が特定供給事 業で、その電力を利用して小売もして いるということです。
図⑬
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2018年2末時点で10・7メガワ ットで、売り先は公共施設が145カ 所、民間事業者143カ所となってい ます。電源の内訳は、約3割が太陽光 です。柳の目東住宅というのは正式名 称で、通称スマート防災エコタウンと 言っていまして、そこの太陽光に加え て市内事業所の太陽光で約3割を確保 図⑫
(図⑩) 。正確に言うと、市が電力事業 をしているのではなく、一般社団法人 「東松島みらいとし機構」(通称HOP E)を設立して、その新電力事業部で 行っています。新電力事業部には職員 が3人います(図⑪) 。何をしているか というと、ひとつは特定送配電事業と
図⑨ いって、柳の目東住宅の太陽光発電に よる電力を自前の送配電網を使って配 っています(図⑫) 。特定送配電事業と いうのは、広い工場の中に自家発電装 置があって、その電気を工場内で回す ようなことで、以前からいろいろなと ころで行われています。
図⑩
HOPEの新電力事業部が行ってい るのはそれだけではなく、2016年 4月からは電力の小売事業のライセン スを取得して、電力の小売も始めてい ます。売るための電力はどこから集め るのかというと、柳の目東住宅の余剰 電力の他に、電力市場から買う電力も
図⑪
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て、その委員会のメンバーのうちの有 志が集まって株主になったということ です。 委員会のメンバーの頭の中にあった のは、いまは固定価格買取制度(FI T)があって、20年間は再生可能エ ネルギーを割といい価格で電力会社に 買ってもらえるけれど、20年の期間 図⑯
っているお金が域外に出ていくのでは なくて、地域内で循環する「地産地消」 がやりたいということで、ローカルエ ナジー株式会社を作ったのです。 ローカルエナジー社は公共施設30 0カ所を対象に電力の小売をしている のですが、ローカルエナジー社は中海 テレビ放送と廃棄物処理の三光の2社 に電力を卸し、その2社がそれぞれに 一般家庭や事業所に電力を小売してい ます(図⑰) 。二社の売り先はいま合計 6000件以上あって、毎月300件 のペースで増えています。どうしてそ のような複雑な形になっているのかと いうと、ローカルエナジー社には役員 を含めて6人しかいなくて、営業やク レーム処理などに対して責任を持った 対応ができないので、ケーブルテレビ の会社はもともとそのあたりのことが できているので、そちらにやってもら っているということです。 ローカルエナジー社の契約電力は、
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を過ぎた後にはどうなるのだろうかと いう問題意識です(図⑯) 。それで皆で ドイツに視察に行きました。ドイツで は、おらが町のエネルギー会社があっ て、そこではエネルギーを売るだけで はなく、生活サービスもエネルギーを 売ったお金で担ったりしていました。 そういう事例を見て、エネルギーに払 図⑰
東松島市には環境未来都市計画とい うのがあって、2026年には市内で 使っている電力消費のうち120パー セントを自然エネルギーによるものに すると書いてあります(図⑭) 。現状は 大体35パーセンです。HOPEが供 給する電気は、市の事業用電気全体の 29パーセントで、一般家庭も対象に
図⑭ 含めると大体16パーセントというこ とです。料金はどうなのかというと、 柳の目東住宅は公の復興住宅で、他の 市営住宅と差があってはいけないとい うことで、東北電力から買うのと同じ 料金になっています。民間会社への小 売をしている分は、基本料金・従量料 金ともあまりオープンにはしていない
図⑮
のですが、1・5パーセント程度割引 をしているということです。
地元産業の活性化 ―鳥取県米子市の事例
東松島市の場合には、災害への対応 ということが念頭にあってかなり進ん できたわけですが、次にご紹介する鳥 取県米子市の事例は、地元産業の活性 化が念頭にあって行われてきました。 米子市にはローカルエナジー株式会 社というのがあり、資本金は9000 万円で、市が10パーセントぐらいを 出資し、あとは地元の企業5社が主な 出資者になっています(図⑮) 。一番大 テレビ放送で きいのが中海(ちゅうかい) 50パーセントを出資しています。何 がきっかけでできたかというと、市が 総務省の分散型エネルギーインフラプ ロジェクトに応募していろいろな調査 をしたときに立ち上げた委員会があっ
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は1時間あたり4000キロワットの 発電をしているのですが、ガス化溶融 炉は動かすためには実は電気をすごく 使うために、2015年度まではクリ ーンセンターは電気を買わなければな りませんでした。そのために年間60 00万円かかっていたのです。ガス化 溶融炉を使わないと、中国電力などに 図㉑
逆に6000万円で電気を売ることが できるようになりました。そして20 16年には、ローカルエナジー社を中 心に電気を売っているのが1億900 0万円になっています。つまり、住民 のお金を有効に使って無駄がないよう になっているのです。 ローカルエナジー社には課題もあり 図㉒
ますが、最後にまとめてお話をします (図⑳) 。
観光産業を魅力的に ―富山県の二つの事例
次には観光産業との関係で、富山県 の2カ所をご紹介します(図㉑) 。 最初に、地図の右側にある宇奈月温 泉の事例です。ここは、1990年に は64万3764人の観光客がきてい たのですが、それをピークにして減少 し、2014年には29万1742人 になりました(図㉒) 。北陸新幹線が開 業した2015年には少し増えました が、なかなか元のような数にはもどっ ていません(図㉓) 。そこで、観光地と してもっと魅力的にできないかという ことで、地元の建設会社などが中心に なっていろいろなことをしています。 宇奈月温泉の温泉街をゆっくりそぞ ろ歩きしていると、結構車が多くて、
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さきほどの東松島の事例の2倍近く、 2万キロワットを超えています。料金 は、公共施設で中国電力より5から1 0パーセント安くなっています。結構 競争が激しくなっていて、公共施設で 電力調達を入札するときに、ローカル エナジーがたとえ取れなくても、大手 もかなり安くするので、地域全体とし
図⑱ ての電気料金の負担が減っているとい うことがあると聞いています。 ローカルエナジー社が売った電気の うち6割以上が地産です(図⑱) 。最も 多いのがクリーンセンターという市の 廃棄物処理センター(図⑲)から買っ ている電気です。廃棄物処理センター ではバイオマス発電、生ごみ発電が行
われています。私が個人的に面白いと 思ったのは、クリーンセンターでは2 015年度まではプラズマ式のガス化 溶融炉で灰を溶かしてスラグを作って 路盤材として売っていました。201 6年度からはこの溶融炉を休止し、灰 はセメント屋さんに委託処理するよう になりました。廃棄物処理センターで
図⑲
図⑳
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もう一つの事例は、地図の左側の南 砺市五箇山という山の中の地域です。 この五箇山地域では、人口が200 0年には3496人だったのが201 6年には2254人と、この5年間で 約3分の2に減少しています。ここの 二つの集落は、1995年に隣接して 図㉕
いる岐阜県の白川郷とともに「白川 郷・五箇山の合掌造り集落」として世 界遺産に登録されました。白川郷は観 光地としてすごく有名で、ここ五箇山 地域にも同じような合掌造り集落があ ります(図㉘) 。 ここに小瀬谷小水力というのが作ら 図㉖
れて、2016年10月に稼働し始め ました (図㉙) 。 地元の酒造メーカーや、 かつてユースホステルをやっていた人 たちが株式会社を設立して、事業費は 銀行から融資を受けて、小水力で発電 して固定価格買取制度(FIT)で売 電するということを始めたのです。何
図㉗
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図㉓
後ろから車が迫ってきて危なかったり します(図㉔)そこで、小さな電動バ スを時速10キロ以下の超低速で走ら せて、どこでも乗れて、どこでも降り られるようにしました(図㉕) 。そして このバスが使う電気は、小さな水力発 電で作っています(図㉖) 。
図㉔
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う離島の現実があって、自治体と商社 がそれを変えていこうという挑戦をし ています(図㉛) 。 甑島は鹿児島県の西側にある島です (図㉜) 。 人口は1950年から5分の 1以下に減ってしまい、いまは472 0人です(図㉝) 。65歳以上がその半 数を占めています。 図㉚
再生可能エネルギーの導入は無理だ というのは、2014年秋の「九電シ ョック」で明らかになりました。さき ほど諸富先生から系統容量のお話があ りましたけれど、再生可能エネルギー によって発電を行い、その電力を電力 会社に売るためには、事業者は風車や 太陽光パネルの発電施設を大手電力会 図㉛
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社の送配電網につながないといけませ ん。つなぐための申し込み手続きを、 系統接続の申し込みといいます。20 14年9月24日に九州電力は、系統 接続の申し込みが多数きているけれど、 回答をすべて保留すると発表しました。 なぜかというと、電力消費量が少なく なってしまう時期には、発電量が消費
図㉜
とか利益を出し、それを元手に観光で 何がやれるのかを探っているところで す。 水力発電装置は本当に小さいもので す(図㉙) 。株式会社グリーンパワー小 瀬という会社で、本社は先ほどの合掌 造りの建物にあります(図㉚) 。この建 物では長くユースホステルを営業して
図㉘ いたのですが、最近閉じてしまいまし た。まわりにあった合掌造りもなくな ってしまい、これから何ができるのか 悩んで、この小水力発電を始めたので す。
離島の現実の挑戦 ―鹿児島県甑島の事例
最後にお話をするのが、鹿児島県甑 島の事例です。ここでは、これ以上の 再生可能エネルギー導入は無理だとい われ、しかも、ディーゼル発電による 二酸化炭素を大量に排出しているとい
図㉙
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図㊲
これは日産のリーフの使用済みバッテ リーで、それを集めて大きな蓄電池に できないかという実験をしているので す。 ポイントは、電気自動車の使用済み 電池が入った大型蓄電池がそのまま九 州電力の送配電網につながっているこ とです(図㊲) 。普通は太陽光パネルで
作った電気を蓄電池に蓄えるですが、 そうではなくて、太陽光パネルも蓄電 池もそれぞれが送配電網につながって います(図㊳) 。そして、蓄電センター では蓄えた電気を送配電網に出したり、 逆に送配電網から電気をもらったりし
図㊳
に廃校になってしまった小学校の校庭 に太陽光パネルを置き、その横に蓄電 センターを作りました(図㉟) 。蓄電セ ンターはコンテナ型をしていて、そこ 」 」=「夢を蓄 に「 Charge our dreams えよう」と書いてあります。コンテナ の中には電気自動車の使用済みバッテ リーがたくさん置かれています (図㊱) 。
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図㊱
量を上回ってしまって、停電などのト ラブルが発生する恐れがあるというの がその理由でした。そして、九州電力 だけでなく、その後すぐに北海道、東 北、四国、沖縄の大手電力4社も同じ ように受け入れ停止を打ち出し、全国 的に大きなニュースになりました。こ れが「九電ショック」です。
図㉝ 実はそれに先立つこと2カ月前に、 九州電力は六つの離島、壱岐、対馬、 種子島、徳之島、沖永良部島、与論島 に系統接続の申し込みを保留しますと いう措置を取っていて、様子を見なが らその後で「九電ショック」といわれ る発表をしています。甑島はその六つ の離島には入っていませんでしたが、
図㉞
九州電力がホームページで公表してい る接続申し込み状況を見ると、甑島に は追加接続可能量がなくなったと明記 されていて、もうつなげないというこ とになっています。 そのような状況を何できないかと、 地元の薩摩川内市と住友商事が考えま した(図㉞) 。浦内小学校というとっく
図㉟
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めの費用は、離島の人たちだけで負担 しているのかというと、そうではあり ません。ユニバーサルサービスという 制度があって、本土と離島とでは電気 料金が同じになっています。それで実 際には、離島でかかっている費用の一 部を本土の人が負担しているのです。 図㊷
見えてきたもの
ここまでお話をしてきたことから何 が見えてきたでしょうか(図㊶) 。一つ 大きな背景としてあるのが、人口減社 会への対応策と災害に備えての強靱化 です。もう一つあるのが地域活性化で す。そして、広く世界を見ると、現在 はグローバライゼーションとナショナ リズムが相反する状況になっています。 アメリカのトランプ政権の動きも、イ ギリスのEUからの離脱も、移民の問 題も、グローバリゼーションとナショ ナリズムがぶつかり合い、国益と国益 とがぶつかり合っています。そのとき に、問題解決の鍵となるのが、個々の 地域の地域力アップなのではないかと 私は思っています。また、パリ協定の 後、世界は単に化石燃料を使わないよ うにするということにとどまらず、産 業文明自体を大きく変えていくうねり の中にあるのではないかと思います。
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ですから、 離島で燃やす重油が減れば、 本土の人たちにとてもメリットがある のです。パリ協定の下では、どのよう な小さいことでも削減を進めていかな ければなりませんので、このことはか なり効果のある話ではないかと私は思 っています。 図㊶
ています。普通はこのようなやりとり は許されないのですが、ここでは実証 実験だということと、島は閉じた体系 なので他に影響が及ばないということ で、特別に許可されています。 甑島には日本で一番古い風車があり ます。古いけれど、ほとんど動いてい ませんでした。風車を動かして、太陽
図㊴ 光パネルも動かすと、送配電網が不安 定になってしまいかねないのですが、 蓄電センターで吸収したり放出したり することでうまくコントロールきない だろうかという実証実験を行っていま す。実際のところかなりうまくできて いて、住友商事はこれをベースに新た な事業をしていこうとしています。
甑島の電気は基本的に甑島第一発電 所にあるディーゼル発電でまかなって きました(図㊴) 。甑島に限らず、本土 と送電線でつながっていなくて、ディ ーゼル発電をしている離島がたくさん あります。ディーゼル発電機が置かれ ている離島は全国に52あります。そ のような離島に再生可能エネルギーを 導入して、二酸化炭素の排出をどれぐ らい減らせるでしょうか(図㊵) 。その 推計はデータが不足していて非常に難 しいのですが、 ざっくりとした計算で、 52の離島で発電量の1割が再生可能 エネルギーに置き換わると、日本全体 の二酸化炭素の排出量の0・01パー セントが削減されます。たったの0・ 01パーセントかと思われるかもしれ ませんが、重油を買うお金に換算する と8億3700万円で、それだけの費 用が減ります。 九州電力管内には離島が多くあり、 それらの離島でディーゼル発電するた
図㊵
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の中立化、競争的な市場環境の実現な どが行われることになっています。し かし、私が取材をしている地域新電力 の関係者からは、競争的なきちんとし た市場環境が本当にできるのか、危惧 の声が聞こえています。大手の電力会 社がもしも余剰電力がないといって、 日本卸電力取引所(電力市場)に電気 図㊺
を出さなくなると、電力市場からの調 達価格が上がってしまいます。また、 公共施設による電力調達などで入札を 行う際に、大手電力会社がダンピング をしているのではないかと疑う声もあ ります。証拠があるわけではなくて、 どうもあやしいというレベルなので、 本当はどうなのか、公の監視をする機 関であるとか研究者の方々によるきち んしたチェックが入ることが期待され ます。 日本のエネルギーが将来どのように なっていくのかということでは、エネ ルギー政策の基本的な方向性を示す 「エネルギー基本計画」があります。 原子力、石炭火力、水力、地熱がベー スロード電源として位置付けられてい ます。また、電気を安定して供給する には、火力、水力、原子力、再生可能 エネルギーなどをどのように組み合わ せるのがよいのか、それを最適化する 「エネルギーミックス」という考えが
あります。2030年度に原発は20 から22パーセントに、再生可能エネ ルギーは22から24パーセントにす るという目標が掲げられています。こ うしたことに対して議論をきちんと行 っていくことが重要です。ところが、 難しい議論には踏み込まずに、とりあ えずあまり変えないでおこうというよ うな雰囲気があるのが気になっていま す。いま急に事を起こして決めるのは 難しいにしても、議論しながら一歩一 歩変えていくことが重要だと思います。 大きな視野で、新しい社会を作って いくのだという考えが非常に重要だと 思っています(図㊺) 。甑島で取材して いて、その地域の長老が言い出したこ とで、私もなるほどと思ったことがあ ります。 長老は大きな網元の家の人で、 海にしょっちゅういっていて気にして いるのが、微小プラスチックの問題で す。その長老は、微小プラスチックが 魚の体内にまで入ってしまうようなこ
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さきほど末松局長の話にもありまし たように、大きな発電所で起こした電 力を、長い送電線を引っ張って各家庭 や各事業所に供給するという形から、 地域ごとにエネルギーを作る分散型エ ネルギーへと時代は切り替わりつつあ ります(図㊷) 。それに向けての新展開 の一例として、2月22日付の読売新
図㊸ 聞に書いたことですけれども、九州大 学は福岡県や春日市と一緒になって、 大学の中に太陽光パネルや蓄電池を置 き、大学から2キロ先にある警察署、 県立高校、県営公園、児童相談所とい った公共施設群に電力を供給する事業 を進めていこうとしています(図㊸) 。 大学と公共施設群を自営線で結び、起
図㊹
こした電気を有効に使っていけるよう に、独自のエリアエネルギーマネジメ ントシステムで需給調整をするのです。 2019年の4月の本格運用を目指し ています。 2019年というと、固定価格買取 制度(FIT)による10年間の買取 期間が切れる施設が出始めます。そう なったときの電源をどのように活用し たらいいのかということも念頭に置い て、この事業を展開していこうとして います。 これからの課題として、まずは、先 ほど諸富先生がおっしゃったように、 電力システム改革、電力制度改革をき ちんと行うということがあります(図 ㊹。送電網の空き容量問題もあります し、 電力市場がきちんと機能するのか、 そのために透明性や情報公開などがき ちんと行えるようになるのか、いくつ もの課題があります。 2020年には発送電分離、送配電
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■パネルディスカッション
[
] やすのり)
再生可能エネルギーが拓く自立分散型社会への道筋
モデレーター
菊池康紀 (きくち
[
] やすこ)
東京大学総長室総括プロジェクト機構「 プラチナ社会」 総括寄付講座特任准教授
登壇者
亀山康子 (かめやま ゆうや)
国立環境研究所社会環境システム研究センター副センター長
梶川裕矢 (かじかわ
東京工業大学環境・ 社会理工学院教授
とおる)
ひろゆき)
諸冨徹 (もろとみ
ひろこ)
末松広行 (すえまつ 河野博子 (こうの
司会 それではお時間となりました ので、パネルディスカッション「再生 可能エネルギーが拓く自立分散型社会 への道筋」 を始めさせていただきます。 ここからはパネルディスカッションの モデレーターである東京大学総長室総 括プロジェクト機構「プラチナ社会」 総括寄付講座特任准教授、菊池康紀先 生に進行をお任せいたします。それで は菊池先生、お願いいたします。
菊池 本日、このパネルディスカッシ ョンのモデレーターをさせていただき ます。どうぞよろしくお願い申し上げ ます。 パネルディスカッションでは基調講 演をしてくださった3人の皆さまに加 えて、お2人の先生に参加していただ きます。最初にそのお2人から自己紹 介も兼ねてプレゼンテーションをいた だきたいと思います。 それでは、国立環境研究所の亀山様
81
とを非常に切実に考えていて、「微小プ ラスチックの問題は、化石燃料に頼っ ている産業や文明の再考が必要だとい うことではないですか」と言われまし た。そういえばその通りだと私も気づ きました。世界には、プラスチックを 使うのをやめようとするような動きも ありますが、文明史的な観点からも、 身の回りのことを見直す必要があるの ではないかと思います。 先ほど九州大学の事例をご紹介しま したが、それを担当している原田達朗 先生がおっしゃっていてなるほどと思 ったことがあります。「エネルギーがコ モディティの一つであるという位置付 けでいいのでしょうか」と原田先生は 疑問を投げかけています。コモディテ ィとは一般の商品で、要は価格が安け ればいいというようなものです。「エネ ルギーは、コミュニティ、社会づくり を考えるときの基本的な要素であって、 自分たちのまちをどのように作ってい
くのか、自分たちの社会をどのように 作っていくのかというところからも考 える必要があるのではないでしょうか。 単に安いからとか、価格競争だけで考 えるのではよくないではないでしょ う」 と原田先生はおっしゃっています。 分散型エネルギーのことを考えてい くと、技術や価格といったことを超え て、どういうまち、どういう社会にし ていくのかということと大いに関係し てきて、そのようなこともきちんと考 えていかなければいけないということ になると思います。
司会 河野様、ありがとうございまし た。 基調講演はこれで終わりました。こ こで休憩を取らせていただきます。お 配りしたファイルの中に質問票がござ います。ご質問がございましたら、質 問票にご記入の上、場内スタッフ、ま たは受付スタッフにお渡しください。
パネルディスカッションは15時35 分から開始いたします。お時間までに お席にもお戻りくださいますようお願 いいたします。
80
図①
図② 83
からよろしくお願いいたします。
パリ協定下の 持続可能な地域づくりのあり方 亀山 すでに3名の方がお話をされ ていますので、重複する部分は省略し ながらかいつまんでお話したいと思い ます。
今年に入ってまだ2カ月しか経って いないにもかかわらず、世界各地で異 常気象が起きているというニュースを 多く耳にしています。日本では雪が非 常にたくさん降り、一方で、南半球で は、オーストラリアで非常に暑かった り、南アフリカで渇水が起きていたり します。異常気象のすべてが温暖化に よるとはなかなか言いづらいのですが、
明らかに気象が変動していると感じて いらっしゃる方は多いと思います。 地球の平均気温は上昇しています (図①) 。このグラフは世界気象機関 (WMO)が去年出したもので、20 17年は観測史上2番目に暖かい年だ ったといわれています。観測史上1番 目が2016年なので、2年続けて新 記録を打ち立てたことになります。
82
ありますが、気温上昇を2℃未満に抑 えるという長期目標を立てたことが一 番大きいと思います(図⑤) 。そのため には、今世紀末までに温室効果ガスの 排出量を実質ゼロにしていかなければ なりません。いまから80年、90年 先までの長期目標がパリ協定で設定さ
設定することになりました。 ところが、 その後アメリカが京都議定書から撤退 するなどして、2005年まで発効し ませんでした。それまでの間は、日本 の政府は京都議定書は発効しないかも しれないからということで、温暖化対 策をずるずる引き延ばして、2005 年に発効してから慌てて京都議定書目 標達成計画を立てました。2008年 まであと3年間しかないというときに なって何かしようとしてもできること は限られます。建物の断熱のようなこ とは3年間では実現しそうにないので、 そういったものには予算が付きません でした。短期的に減らせるものという と省エネくらいしかなくて、そうする と例の「乾いた雑巾」という話が出て きてしまうのでした。 パリ協定のように80年、90年先 にゼロにするという目標なら、「乾いた 雑巾」を持ち出そうとしても、いつま で同じ「雑巾」を使っているつもりな
85
れたのです。 日本の意思決定を見たときに、いま までも温暖化対策として目標を設定し てきましたが、それはせいぜい10年 後ぐらいの目標でした。京都議定書は 1997年に採択されて、2008年 から2012年までの5年間の目標を 図④
図⑤
図③
温暖化が続くと、もちろん気温が高 くなり、異常気象が増えるということ はよく知られていると思います。その 他にも、海水中に二酸化炭素が溶け込 んで海水が酸性化していく問題 (図②) や、長期的には海洋の深層循環が遅く なっていくのではないかという懸念も あります (図③) 。 深層循環というのは、 赤道近くで暖められた海流が北極や南 極の方に移動していき、そこで冷やさ れて深くに入り、赤道の方に戻ってく るという循環で、長い時間をかけて行 われています。この循環が地球の気温 を混ぜ合わせているのですが、その機 能が弱まってしまうのではないかとい われています。このように、気候変動 の問題は待ったなしの状態にあるので す。 こういった危機感が根底にあったか らではないかと思いますが、2015 年にパリ協定が採択されました (図④) 。 パリ協定の重要なポイントはいくつか
84
図⑧
抑制はされるのですが、2℃未満の目 標に至るにはまだまだ足りないという ことです(図⑥) 。より大幅な削減が求 められるわけです。それをどこで実現 するのか、次の気候変動条約締約国会 議COP24(2018年12月開催 予定)まで1年間かけて対話を続けて いくことになります。 どうすればこのギャップが埋められ るのかということで3点だけお話した いと思います。一つは冒頭に武内先生 がおっしゃったことです。COP23 では、国の目標にかかわらず、自治体 や産業界は自分たちで低炭素を目指す と言っています。 アメリカもそうです。 図⑦には先ほど末松局長がおっしゃっ たパビリオンが写っています。大統領 はパリ協定からの離脱を表明したけれ ども、自分たちは低炭素を目指すと言 っているのです。こういった国内ステ ークホルダーの動きは、今後ますます 重要になると思いますし、日本でもよ
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図⑥
のですかということになって、別の話 をしなければなりません。 パリ協定の一番の問題点は何かとい うと、各国が2030年までの目標を 出しましたので、 それらを合計すると、 全く目標がないときと比べれば確かに
図⑦
86
図⑩
うかということを考える必要がありま す。たとえば、いま雪がたくさん降っ ているところでは、電線が切れて停電 が続いている地域があると聞いていま す。雪が積もって太陽光パネルも全然 発電していないようです。そういうと ころにどうやって安定的に電力を供給 できるのでしょうか。もしかしたら蓄 電みたいなシステムにもう少し注力し た方がいいのかもしれません。 以上のようなことを考えた先に、最 終的に豊かな持続可能なまちづくりが 実現できればいいのではないでしょう か(図⑩) 。
菊池 亀山さん、ありがとうございま す。 続きまして東京工業大学の梶川先生、 よろしくお願いいたします。
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図⑨
りそういった動きが求められてくると 思います。 二点目は、河野さんのご発表にもあ りましたように、排出量を大胆に減ら そうとしたら、温暖化対策として考え るだけでは不十分で、社会の他の課題 とうまく結び付けて同時解決していく ことが必要です。日本であればやはり 少子高齢化の問題でしょう。高齢者の 方が増えていって、2050年には人 口の4割が65歳以上という世の中に なります(図⑧) 。そのときに、今まで のようにエネルギーを大量に使って経 済発展をしていくような社会であるこ とが、日本国民にとって本当に幸せな のかどうか再検討しなければいけない と思います。 三点目が適応策です(図⑨) 。すでに 温暖化の影響が出ていて、これまでに ない集中豪雨や豪雪があったりします。 いままでとは異なる新しい気候に適合 したエネルギー供給システムは何だろ
88
図①
企業の戦略等、さまざまな要素が含ま れます。そういったレジームによって どれがメインストリームになるかが決 まります。ある技術がメインストリー ムになると、その技術自体によってレ ジュームが攪乱されて、また新たなレ ジュームが形成されるようになります。 三つ目はランドスケープです。ラン ドスケープは、SDGs(持続可能な 開発目標)であったり、福島の原発災 害であったり、少子高齢化や地域社 会・コミュニティの持続可能性あった り、そのような大きな世の中の流れの ことです。レジームはランドスケープ の影響を受けます。 新しいシステムへの移行が難しいの は、単にシステムの中の一つの要素や 技術、事業が変るだけではなくて、シ ステム自体の影響が大きい、場合によ ってはシステム自体の変革が必要なこ とです。既存のシステムのなかで何か 一つの事業を興していく、既存の製品
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「 エネルギーベストミックス」 に向けた トランジション・ マネジメント 梶川 エネルギーのベストミックス という言葉はこれまでエネルギー基本 計画等で使われてきましたが、その意 味合いがいま大きく変わろうとしてい ます。そこが難しいところであり、ま た面白いところであると思っています。 従来なぜベストミックスといい、そ
れで何をしようとしてきたのかという と、基本的には国策で原子力を推進す るということであると考えています。 世界中で計画経済的なことを行ってい るのは日本のみであるという人もいま す。先ほど、計画潮流からリアルタイ ム潮流へという言葉も出ていましたが、 あらかじめエネルギーのベストミック スを決めるといった計画経済的なこと ではなくなって、ベストミックスは事 前ではなくて事後に決まるという世界 にわれわれは突入しようとしているの です。 気候変動や低炭素社会を考えると、 私の認識では、エネルギーの供給側に 選択肢は三つしかありません。 原子力、 火力+CCS(二酸化炭素の回収・貯 留) 、 もしくは再生可能エネルギー+蓄 電池または水素です。今後は、三つの 選択肢が設計された制度の中で、競争 しながら協調し、結果としてエネルギ ーのベストミックスが実現されるのだ
と思います。 トランジション・マネジメントとい う言葉はなかなか耳慣れないかもしれ ません。F・ジールズというイノベー ション分野の研究者が十数年前に提示 したフレームワークがあります (図①) 。 新しい技術が世の中に出ていくために は三つのことを考えなければいけない と、彼は言います。一つ目は技術的な ニッチです。再生可能エネルギーなの か、CCSなのか、原子力なのか、原 子力もたくさんの種類があります。そ れらが競争し、いずれどれかがメイン ストリームの技術となって世の中に出 ていく。 二つ目はどれがメインストリームの 技術になるのか、それを決めるのが社 会的・技術的なレジームです。レジー ムには、当然技術的なこともあります し、市場やユーザー・消費者、インフ ラ、その技術が持っている文化的・象 徴的な意味、産業政策、産業構造や各
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ぞれの人たちができることをして、そ れによって新しいシステムを構築し、 移行していかなければならないのです。 そのときに非常に難しい問題がさま ざまにあります(図②) 。一つは、それ ぞれの人が分かっている範囲が限定的 だということです。人によって見えて いる風景が違います。また、自分たち が信じるものを社会に導入しようとす るときには、それを正当化するための アジェンダを限定的に設定し、そのア ジェンダに合うエビデンスだけを集め るといったことを、さまざまな人や組 織が行います。本当はもっと広く考え なければいけないのに、それぞれの関 係性のなかだけで限定的に行い、異な るステークホルダー間の調整や落とし どころの探り合いに走るようになると、 世界の方はどんどん変化していくので、 そこから遅れてしまうようなことにな りかねません。 今日のフォーラムのテーマは再生可
能エネルギーによる自立分散型社会で すが、私はエネルギーに関する議論を 聞いていると、いつもよく理解できな いと感じてしまいます(図③) 。なぜか というと、それぞれの人がそれぞれの 立場から発言し、その内容がバラバラ だからです。ある人は環境の面からエ ネルギーシステムを論じ、ある人は経 済性を論じ、ある人は安全保障を論じ ます。あるいは、新たな産業創造、技 術の海外展開による国際貢献、地域コ ミュニティの持続可能性などを論じま す。地域コミュニティの持続可能性と いうのは、今日も議論がありましたけ れど、果たしてエネルギーによって作 れるものなのでしょうか。本当は、地 域でどのような産業を興して、どうい う企業がそこに関わって、働き方をど のように変えて、地域自体の文化的・ 社会的な魅力をどのように高めていく のかなど、さまざまなことが影響する はずです。ところは、なぜかそういう
ことは議論されないで、安易に地域と いう言葉を使ってしまう。そういた議 論の閉鎖性・閉塞性が実は、新しいエ ネルギーシステムの発展を妨げている ということも起きているのではないか と感じることもあります。 ある役所の方がこのようなことをお っしゃっていました。日本では風力発 電がうまくいったりいかなかったりし ていますが、なぜうまくいっていない 部分があるのかというと、日本のエネ ルギー政策、とくに風力は社会政策と して実施しているからだと。たとえ風 況があまりよくないところであっても、 おらが村に風力発電をということで、 補助金を付けて建設する。それが小さ な実施主体であったりすると、間接経 費が余計に掛かったりもして、もとも と風況がよくないということもあり、 結局のところうまくいかないのです。 地域のことを考えるのなら、もっと違 う政策の進め方があるはずです。エネ
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やサービスを何か一つ置き換えていく というのであれば、極論すると、一つ の技術、もしくは一つの事業、一つの
企業だけを考えていいわけですが、現 在のようにシステム全体が移行しよう としている時に、一企業や一大学でで
図②
きることにはかなり限界があります。 企業、地域、そして大学等の公的研究 機関、それらが一緒に連携して、それ
図③
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とか太陽光発電のモジ自体だとか、と にかくすべてが高いのです。2年前の 欧州と比べても倍ぐらいになっていま す。 なぜこういうことになっているのか というと、日本とヨーロッパの産業構 造の違いがあります。 土地を集める人、 太陽光等の機器を製造、納入する人、 施工を担う人が別で、しかもそれは複 層的な下請け構造になっていて、多く のマージンが発生する。欧米の場合に はそれらを一貫して行う人たちがいま す。マージンが発生するのは関わる業 者にとってはもしかしたらよいことな のかもしれませんが。 一方、 欧米では、 垂直統合で、太陽光に関する専門性を 持っている人が最初から最後まで行う のです。それによってコストダウンに つながっています。これは技術の問題 ではなく、産業構造の違いです。各地 域でバラバラに社会政策として進めて いると、競争力のある企業体がなかな
か登場しづらい側面があると思います。 かつては『なぜ、日本が太陽光発電 で世界一になれたのか』という本が出 たりしたくらいに日本は進んでいまし た(図⑤) 。ところが、いまでは導入の 部分でも日本は遅れ、太陽光パネルを 作る産業という視点で見ても、中国・ アメリカ・韓国といったメーカーにど んどん抜かれてしまいました。 産業構造の違いに問題があるという ことを申し上げましたが、技術も当然 重要です。そもそも再生可能エネルギ ーで自立型というところに解があるの でしょうか。図⑥は小宮山宏先生が作 成されたエアコンの成績係数 (COP) の変遷の図です。1980年代にヒー トポンプの省エネがどれくらい進むだ ろうかという検討をしている中で、企 業の方々は、現在のエアコンの省エネ はもう飽和していて、つまり「乾いた 雑巾」なので、効率はこれ以上、上が りませんよということです。COPで
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図⑤
図④
ルギーのことを考えてももっと違うや り方があるはずです。 再生可能エネルギーを推進したい人 たちは、グローバルなエネルギーへの 貢献ということを言います。原子力の 人たちも同じくグローバルなエネルギ ーということを言います。一体何が正 しくて、全体としてどのようなロジッ クになっているのでしょうか。ほとん どの場合、 私にはよく分からりません。 そうこうしているうちに、なぜか日 本と海外で大きな差が付いてしまいま した(図④) 。この図は太陽光発電競争 力強化研究会がまとめたもので、日本 と欧州の太陽光発電の価格差です。か つて日本は、太陽光発電の先進国で、 研究開発でも導入でも先進国でした。 しかし、いまや後進国です。この報告 書が出るまでは、私は日本の場合は設 置コストが高いと聞いていました。で もそれは違っていて、設置工事だけで はなくて、パワーコンディショナーだ
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現状3ぐらいなのが、2030年には もしかしたら7ぐらいまで上がるかも 知れないが、たぶん無理だろうと当時 の議論はそういったものであったよう です。しかし、熱力学的に分析してみ ると、理論的には43までいく。現在 がわずかに3で、50年経っても7と いうことはさすがにないだろう、20 10年には7ぐらいまでいくと小宮山 先生は予測されました。そして、実際 には2005年には7を達成しました。 これらの例でも分かる通り、現実に 対する認識や、望ましい、または可能 だと考える将来もいろいろと異なり、 それぞれの間にギャップがあります。 本フォーラム含む、さまざまな講演会 での報告、政府での審議会・委員会で の報告、そこでの議論やエビデンス、 てんでばらばらで、真剣に聞いたとし ても結局のところ、本当のところはよ く分からない。一体何が問題で、どう いったことが可能なのか、将来的に可
能になるのか、それぞれどのようなエ ビデンスがあって、どこから先は推測 なのか、それら議論が依って立つべき データや情報を整理して、それらを共 有しながら議論し、 行動に移していく、 行動しながら参照できるということが 非常に大切ではないかと思います。こ のような課題に対し、大学が客観的で 中立的な立場から果たすべき役割は非 常に大きいのではないかと思います。 図③に戻りますと、エネルギー技 術・システムによって形作られる多様 な社会価値があります。社会のなかで 人々が持っている価値観は異なります。 価値観が違うので、それぞれの価値 観・原理の間には当然トレードオフが あります(図⑦) 。トレードオフのなか でどれを選ぶのか、それは社会的意思 決定や政治の問題です。我々が将来世 代のために取り組むべきは、総体とし ての社会的な価値を増やしていくとい うこと、その可能性を拡げていくこと
です。何か新しいこと、新しい技術や 新しい仕組み、 新しいビジネスモデル、 新しい政策や制度、新しい地域での取 り組みといったものによって、社会的 な価値を増やしていくことに取り組む。 皆さんとともにこのような議論を継続 させ、社会をより良い方向に持ってい ければと思っています。
成功例を横に広げるには?
菊池 ありがとうございます。 それでは、パネルディスカッション に入っていきたいと思います。今日の ここまでの議論で、地域、市場、技術、 制度、国際動向、国内戦略など多岐に わたる問題が提起されました。 最初に、本日のテーマである自立分 散というところから議論を始めたいと 思います。地域にはいろいろな多様性 があります。資源にもいろいろな種類 があり、産業も文化・伝統もいろいろ
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図⑥
図⑦ 96
プするのが難しかったことから、日本 の山林が厳しい状況になってしまった ということです。 山から木を切って、四角い柱にして 出すときに、木の何パーセントを使っ ているかというと55パーセントです。 残りの45パーセントは、かつては箸 にしたり、樽の板にしたりと、いろい ろな用途がありました。いまはそうい う用途も少なくなり、林を間伐したも のや、柱を切り出した残りは、森のな
かに置いてきた方が効率がよいという ことになりました。何か用途がないか と追求するなかで、エネルギーという ものが出てきました。エネルギーとし ての価値があるのなら、森から持ち出 そうという道が開けます。地域のコミ ュニティがきちんといま現在あって、 それに自立分散型のエネルギーという コンセプトをプラスすることで、成功 する事例がいくつも出てきているとい うのが現状です。
どの地域でも昔みたいにお米を作っ ていれば必ずうまくいくとか、杉を植 えれば必ず幸せになれるとかいう時代 ではありません。それぞれの地域で、 どうしたらうまくいくのかということ を考えなければいけません。地域によ って何ができるかというのはかなり違 います。発電所の規模も、2000キ ロワットなのか5000キロワットな のか1万キロワットなのか、地域の実 情によって異なります。大きければい いというわけではなくて、どの範囲か ら集材するのかということを考えると、 小さい方が効率がいいということもあ ります。 幸いいまは固定価格買取制度(FI T)があるので、それを前提として、 どのようにしたら成り立つのかという ことを考える道筋ができています。先 進的な地域では、補助金をもらわなく てもきちんと回っています。国が何か 支援するよりも、先進的な事例を見習
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に違います。地域は、雇用を創出した いとか、経済を活性化したいとか、さ まざまな観点から変わっていきたいと 考えています。河野さんからはすでに 成功している事例のご紹介がありまし た。地域には多様性があるということ からすると、成功した一つの解は、も しかするとその地域でしか成り立たな い特異解であるということもあるのか もしれません。私自身、いろいろな地 域を研究で回らせていただいておりま
すが、一つの成功例をどのようにして 他の地域へと横に展開していくのかと ころはいつも悩ましく思っています。 そのようなことから、まず末松さんに お伺いします。ある地域の成功事例を 横に展開していこうとしたときに、た とえば国は政策的にどのようなことが できるのでしょうか。会場からのご質 問のなかに、国が本気で支援するとな ったときにはどこまでやってくれるの でしょうかというのがありました。国
はここまではできるけれど、その先は 自治体や大学などの異なる主体が進め ていく必要があるということなのかも しれませんが、そのようなことについ てご意見を頂戴したいと思うのですが いかがでしょうか。
末松 先ほどもお話しましたように、 私は以前に林野庁で山村地帯の活性化 に関わる仕事をしていました。いまの 日本の山林の状況は、おしなべていう と、戦後植林をした木が大きく育って 収穫期を迎えているのだけれど、材価 が低迷しているために、いろいろな問 題を抱えています。昔は杉の木を切っ て、 たとえば1本4万円だったものが、 いまは1万円です。採算が成り立ちま せん。昔は1ドルが360円で、いま は1ドルが100円で、国際的な円の 価値が変わってきたなかで採算が合わ なくなったのです。日本の経済力がア ップする一方で、林業の生産性をアッ
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所にいてごみ発電とかいったことをし ていた青山英明さんが運営しています。 青山さんによると、地域新電力とかい って自治体が行っているところでも、 実際の運用は大きなシステム系の会社 に丸投げしている事例があったりする のですが、他所に頼らなくても実は自 分たちでもできるのだということで、 研修を行っているのです。米子のロー カルエナジーでは、かつては主婦をし ていた人がそこで1~2カ月間の研修
を受けることで、電力市場から調達す るようなこともできるようになってい ます。 ローカルグッド創成支援機構の人た ちは、たくさんの利潤を上げることを 目指すのではなく、ウィンウィンとい いますか、地域の再生・活性化を支援 して、お互いにうまくいくようなモデ ルを頭に描いています。そのような地 域を支えてくれるネットワークのよう なものとうまくつながれたときに、成
功する事例が生まれてくるのではない かと思います。 逆にうまくいっていない事例では、 いろいろ調べても、どこか主体である のかよくわからなかったりします。地 方で行っているはずの事業であるのに、 いろいろ問い合わせていくと、大手の システム屋さんにたどりついて、そこ の広報の人が説明しますとかいうこと になったりして、 「え、何でなの?」み たいな感じになります。一皮むくと、 地域の人たちではなくて東京の大きい 会社がやっていたりして、結局はそれ でうまくいかなくなっていたりするよ うに思います。 いま自治体の新電力とかいわれてい るものを支援する日本シュタットベル ケネットワークというものを作ろうと しています。実際に新電力に取り組も うとしている人たちが、どこか大きな 事業者に丸投げするのではなくて、自 分たちでやっていけるように、お互い
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って、事業計画をきちんと立てて実施 していくということが重要ではないか と思います。 そのときに、日本全体の大きなエネ ルギー需給の問題と、地域のエネルギ ーの話は区別して考えるべきではない かと思っています。いま2000キロ ワットとか5000キロワットとかい いましたけれど、5000キロワット の発電所が100個集まっても50万 キロワットです。大きな原発や石炭火 力1基分に相当する電気を作るには1 00個とか200個とか必要です。日 本全体のエネルギー需給からすると小 さな数字でしかありません。しかし、 5000キロワットの発電所が地域に あれば、そこで10人から15人の雇 用が生まれ、木を切る人の雇用も計算 上は50人から100人分が生まれま す。バイオマスによる発電が広がれば 日本のエネルギーが十分に満たされる ということになるわけではないけれど も、地域にとっては大事なことである のです。 国がどこまで支援できるのかという と、地域が自立できるように国がすべ てを支援していくというのはなかなか 難しいと思います。国にはすでに固定 価格買取制度(FIT)という非常に 大きな支援の制度があります。それに 加えてさらに新しい支援の制度を入れ るのは難しい状況にあります。私は林 野庁にいたときに、FITにプラスし て林野庁の補助金も出したいと提案し たことがありますが、事業仕分けによ って二重になるということで実現しま せんでした。 現在では、実際に成功例が出ていま すので、制度として支援をプラスする 必要はないように思います。地域で何 ができるのか、新しい可能性を見つけ るというところで、いろいろなお手伝 いをするということは必要だと思って います。
成功するわけはどこに?
菊池 河野さんはいろいろなところ を回っているなかで、条件やタイミン グや仕組みの違いで、うまくいったり いかなかったりする、その原因が何で あるのか、感じ取れるような事例をご 存知ないでしょうか。
河野 私が面白いと思っているのは、 先ほどお話したなかにあった東松島市 のHOPEと米子のローカルエナジー には実は共通項がありまして、HOP Eの新電力事業部の職員は3人だけ、 米子のローカルエナジーは役員を入れ て6人だけで、両者とも少人数だとい うことです。なぜそれだけで電力を買 ったり売ったりみたいなことまででき ているのかというと、それを支える研 修会等を行っている団体があるからで す。一般社団法人ローカルグッド創成 支援機構といって、もともと荏原製作
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して、生活や農作物や土地利用等を変 えていこうというのが適応策です。い まさまざまな日本国内の分野で適応策 に向けて動いているのですが、エネル ギー供給に関しては適応の議論がまだ 出てきていませんので、ここで提示さ せていただきました。 持続可能なまちづくりというのは、 適応策も包含するより広い概念である と思います。そこで重要になってくる のは、多様な市民や産業に従事してい る方々が、地域の意思決定にきちんと 参画しているかどうかということだと 思います。現在のところは、地域の首 長さんがこういう問題に関心があると、 その地域が動き出して成功するという 事例を見るようになるわけですけれど も、首長さんのリーダーシップばかり でなく、それに加えて追加的に必要に なってくるのが、地域の意思決定にき ちんと参画するような市民やビジネス コミュニティがそこにいるかどうかで
マーケットを変える
諸富 われわれは大規模な電源に依 拠した20世紀の集中型の電力システ ムと、そこおける技術体系を前提とし た仕組みのなかにどっぷりつかってい るために、分散型でしかも変動電源が かなりの比率を占めるような電力シス テムがどのようなものであるのかなか なか想像が付かなくて、不安があると いうのが現状だと思います。 欧米と日本との違いで、まず一つあ るのは、電力会社と電力会社を結ぶ系 統を「連系線」といいますが、その連 系線の利用の仕方で、日本ではこれま で基本的には緊急時にしか使われてい ませんでした。電力の需給は一つの電 力会社のなかで完結させて、電力会社
ときに、実は最後に超えられない壁が 出てくるのではないかなど、いろいろ な不安要素があると思います。そうい ったことについて、諸冨先生から何か ご意見を頂戴できればと思います。
す。そうした人たちがいるかどうかで 実装化できるのかどうかが決まってく るのではないでしょうか。
菊池 地域で何かをやろうとして、地 域のなかに使えるようなものがたくさ んあるとしても、それを市場に出せな いと、ものはなかなか流れていきませ ん。電力を見ても、いままさにいろい ろな電力市場が提案されてきています。 日本において、発送電分離はもちろん 大きな変化でありますが、 ヨーロッパ、 アメリカには先行している事例がたく さんあります。日本と欧米とでは、電 力網のあり方などさまざまな前提条件 が違うとは思いますが、日本の電力市 場は変わっていけるのか、エネルギー システムは変わっていけるか、そして 最終的に再生可能エネルギーで100 パーセントにまでもっていこうとした
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に情報交換をしたり、研修をしたりし ながら、実際に運用していく力をつけ ていくための支援をしていこうと考え ています。 そのようなネットワークが、 成功事例を横に展開していくための大 きいファクターになってくるのではな いかと思います。
菊池 地域ごとにもちろん事情は異 なっていると思いますが、地域が主体 となって自分たちで動こうとするのが 重要だということは、どこでも同じで あろうと思います。とはいえ、自分た ちで動こうとする人がなかなか出てこ ない地域もあろうかと思います。主体 性を担ってもらうには、どのような工
持続可能なまちづくりで 必要なものは?
亀山 先ほどは時間が限られていた こともあって、適応策についてのご説 明をしなかったのですが、私は、温暖 化影響に対する適応という意味で適応 策という言葉を用いました。言ってみ れば温暖化への備えです。これから異 常気象が増えてくる、集中豪雨とか台 風とか猛暑だとかが増えてくるのに対
夫がいるのかなということも考えなけ ればいけません。 先ほど亀山さんのスライドのなかに、 持続可能なまちづくりに向けての適応 策ということがありました。適応策と いいますと、社会的な変化があったと きにどういう適応をするのか、地球の 気候が温暖化していくときにどういう 適応をするか、さまざまな面での適応 があろうかと思います。持続可能なま ちづくりについて、もっとこのような ことをしたらいいのにという観点でコ メントをいただければと思います。
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コントロールが電力会社にはもはやで きなくなるということです。そうなる と、マーケットで決着しなければ、需 給のバランスにせよ価格にせよ問題は 解決しません。日本では、総電力に占 めるマーケットで取引される電力の比 率は最近までわずか2~3パーセント で、マーケットがまったく使われてい ませんでした。これを欧米並みに40 ~50パーセント、あるいはそれ以上 に引き上げていく措置が必要でしょう。 そのなかで、変動電源に価格が付くこ とによって需給が調整されていきます。 場合によってはマイナス価格にもなっ たりするのを見て、電気を出す、ある いは電気を買うという意思決定するよ うになります。それが分散型の経済が 想定している意思決定の仕組みです。 河野さんがお話されたように、主婦だ った方も研修を受けて、電気の売り買 いに参加する主体になるのです。その ようなところへと移行をしていくこと に徐々にわれわれは慣れていく必要が あると思います。
変わるために何が重要なのか? 菊池 どのような順番でものごとを 進めていくべきなのかという整理が必 要になってくることは間違いないと思 います。いまあるものをまずはうまく 使おうということがあると思いますが、 この先どういう技術が開発し得るのか、 どういう仕組み・システムを導入し得 るのかという将来のイノベーションを 考えに入れる必要性もあります。今後 よりよい方向に引っ張っていこうとし たときに、技術がいまの段階で止まる わけではありません。技術開発と新し い市場の形成、それに応じてどのよう に地域を変えていくか、つまりトラン ジション・マネジメントについてどの ようなことを注意すべきなのか、梶川 先生からご意見を頂戴したく思います。
梶川 エネルギーシステムのなかで とくに電力システムについてお話する と、電力システムでいま変えていかな ければいけないのは、一つは、システ ム自体に対する見方です。これまでベ ースロード電源というと原子力発電で した。ベースロード電源とは、基本的 にイニシャルコストが高くてランニン グコストが安く、いったん作ったらず っと使った方がいいというものです。 原子力は建設単価は高いけれども燃料 費が安くて、まさにずっと使った方が いいものです。火力は建設コストは高 いけれど、燃料費も高いので、必要に 応じて使いましょうというものです。 再生可能エネルギーはどうかというと、 ベースロード電源の考えにちょうど当 てはまります。太陽光のコストは最近 は相当安くなってきていますけれど、 それなりには高くて、一方でランニン グコストはほぼ無視できるぐらいです。
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を超えるやりとりはほとんどないとい うのが東日本大震災前の状況でした。 それに対して、ヨーロッパでは連系線 的なものは、国境を超えてつなぐライ ンにしても、かなりの比率で使ってい ます。 すでにある連系線をもっと使うこと で、現状を特に変えることなく、再生 可能エネルギーを増やすことはできる と思います。たとえば北海道や東北に はかなりの量の風力資源賦存がありま
す。それを未利用のまま放置するので はなく、風力開発をきちんと行って、 連系線を通じてその電気を首都圏へ持 ってくるということをするだけでも、 相当に変わってくるでしょう。 その上で、もしも連系線までもいっ ぱいなったら、日本の電力網が北から 南に一本のくしを通したような「くし 形」であることからくる制約も議論の 対象になってくるかと思います。ドイ ツでは南北の連系線のキャパシティが
限界にまできていて、北の方で発電し た電気を、東欧をぐるっと回ってバイ エルンに入れるとか、西回りでベルギ ー・フランスを通して南側からバーデ ンヴュルテンベルクに入れるとかして います。日本でこのようなことをする には電力網を増強しないとなりません。 つまり、日本では二段階に分けて、 当面の課題には連系線を活用すること で対処し、その次のステップとして、 電力網を増強して「くし形」からどう ようにして「ループ型」に変えていく かという議論をしていくのがよいので はないかと思います。 もう一つ、電力市場については、マ ーケットをしっかり育成することが重 要です。さきほど計画経済だという話 がありましたように、世界の最後の計 画経済が日本の電力システムだと言っ てもいいくらいです。分散型になって いくということは、電力会社が関知し ない電源がたくさん出てきて、電源の
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ましいということでは必ずしもないの だと思います。色々な地域に補助金を 付けようというのではなく、補助金が なくても事業が自立的に回っていくよ うに成長する企業や事業をどう育てる かが重要だと思います。 二点目として、地域に目を向けると いうことは非常に大切です。それは地 域にポテンシャルがあると信じている からです。先ほどの末松さんから林業 の話がありました。森林資源だけでな く、自然資源、文化的な資源、コミュ ニティとしての資源、さまざまな資源 が地域にあります。それらの資源はい まストックとしてあっても、なかなか フローになっていません。豊かではあ ってもフローにできていない地域のス トックをいかに活用していくのか。そ のときに、林業、農業、漁業、エネル ギーといった広い産業間の連携、武内 先生の用語でいうと地域複合型産業と いうかたちで企業家が事業をおこし、
新しい価値を生み出していくというと ころにかなりの可能性と価値があると 思います。 そして三点目ですが、成長に目を向 けると同時に、地域には失ってはいけ ないものもあるということです。地域 の文化であったりコミュニティであっ たり、その地域で生まれてそこで育つ というアイデンティティであったり、 人や文化のかけがえのなさであったり、 そういったものはいまの経済社会シス テムのなかでは光が当たりづらく、損 なわれつつあります。新たな事業の仕 組みとリンクさせながら、それらをい かに豊かにしていくかというようなこ とも重要な論点の一つであると思いま す。
選択を誘導するには? 菊池 いま三つの論点を紹介してい ただきました。それとともに、ユーザ
ーが新しい技術なりメニューを選択し てくれるのかという問題もあろうかと 思います。2016年に電力の小売自 由化が行われ、地域によってはいくつ もの選択できるメニューが提示される ようになりました。しかし、地域のな かで起業して電力を供給しますという ローカルエネルギーのメニューが出さ れたにもかかわらず、地域の方々が全 然買ってくれないという事例もありま す。私どものアンケート調査でも、域 内企業から買うという選択しない方々 が一定数いるという結果が出ています。 地域でこれから再生可能エネルギーを 使っていこうというときに、ユーザー に選択してもらうにはどうしたらいい のでしょうか。 コストの問題でいうと、 よりエネルギーの安い国に工場を移転 していこうとする企業もあります。そ のような選択を民間にすべて任せてし まうことでうまくいくのでしょうか。 国が何か推奨するような政策はあり得
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そうすると、これからは太陽光や風力 をベースロード電源として位置付けて、 とにかくそれは常に動かし続けて使い 切るべきであるという考え方も成立し 得ると私は考えています。 そのときに問題になるのが送配電網 です。発電しても電気を送れないよう なことになると厳しいです。なぜ送れ なくなるかというと、すごく単純な話 で、電流は電圧が高いところから低い ところに向かって流れます。単純化の
ため、「くし形」 の送配電網で考えると、 系統の後下流で太陽光で発電して電圧 が高くなると上流に電流が送れなくな ってしまいます。ですから、下流の方 で電圧が高くなりそうだったら、需要 の方も含めて調整するような技術が非 常に重要になります。 私の所属している東工大は技術の大 学で、蓄電池と水素にかなり力を入れ ています。ややもするとそういう個々 の材料や技術の研究開発ばかりに目が
向いてしまうのですが、今後はシステ ム技術に非常に大きなポテンシャルが あると私は考えています。 何がどう変わっていくのか、そのと きに一番重要なのは事業性だと私は考 えています。河野さんから、うまくい かない理由として、東京の大企業に丸 投げされているという話がありました が、事業として成り立つのなら大企業 であってもいいと思います。そして、 ローカルグッド創成機構が例として出 されていましたが、ネットワークを形 成するような大きな会社があっていい と私は思います。そういったところが 大きなハブとなって、地域発のバイオ マス発電事業者を全国的につなげてい くということであってもいいでしょう し、地域発のベンチャーがいろいろな 地域に展開していって、大企業として 急成長するというような姿があっても いいと思います。地方ごとに中小の企 業が事業をする自立分散であるのが望
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ました。その前には、ガソリンの価格 が高騰したことから、ガソリンの値段 を下げるべきだと、 「ガソリン値下げ 隊」という政治運動がありました。エ ネルギーの価格を上げるのは非常に難 しいことなのです。 しかし、地球温暖化対策のための税 によってガソリンの値段が高くなり、 それによって再生可能エネルギーの方 に需要がシフトしたかというと、必ず しもそうではありません。代替するも のがなければ、ただ単に価格が高くな り、生活が苦しくなったという捉え方 になってしまいます。ある税目を新た に入れるときには、他のところへ需要 が流れていけるような制度とセットで ないと、なかなか難しいところがあり ます。しかし、ガソリンの値段がこん なにも上がってしまってはもう自動車 などとてもじゃないけど使えないから 電車に乗ろう、と思う水準まで税額を 引き上げるのは、さすがに難しかろう と思います。 税制の話で、役人の立場で一つ思う ことがあります。ある税金を掛けるこ とによって得られるお金で何かの施策 ができるというようになるという話を することがあります。これは、普通に 予算を要求して自分たちの政策を実施 するのが難しいから、何か特別な税金 を取ってそれを自分たちで使おうとい うことになりかねません。税制のあり 方としてそういうことをしていいのか どうか、 よく考えなければなりません。 もう絞れない雑巾だという話がよく いわれます。しかし、諸富先生からも 梶川先生からありましたように、実は まだ絞れる余地がたくさんあります。 どこが絞れるのかを見つけ出すことが 非常に大切です。先ほど少しお話をし ましたように、ある温泉街で、温泉は 出ているけれど加温をしなくてはなら ないので重油を焚いていたのですが、 山からチップを持ってきて燃やすよう
に変えたところ、重油の使用が減り、 またチップを使うことで雇用が増えた ということがありました。そういった 絞れる余地はまだまだあるのです。い ろいろな事例を見つけ出して、研究成 果を広げていくことが大切だと思いま す。 電力の市場について言いますと、い ろいろな利害関係がからんでいるため に、たくさん市場参加者がいない場合 はすごくゆがむ可能性があります。参 加者が多くて代替性があるものをどう 備えられるのかということとセットに して、電力の市場を変えることを進め ていかなければいけないと思います。 当座はいい事例を見つけて、市場がも しもゆがんだときにはどのように直し ていくかということをみんなで考えて いくのが大切なのでしょう。
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るのでしょうか。
末松 日本の産業は、国内の人件費や エネルギーが高いために海外に出て行 っているということがいわれています が、それが本当なのかということはよ く検討する必要があります。そして、 企業活動や家庭生活においてエネルギ ーはどこまで負担できるものなのか、 エネルギーの種類ごとにどういう価格 でどういう選択をしてもらうのがよい のかということもよく考えなければな りません。 国が選択を推奨するということに関 しては、いわゆる炭素税を導入して二 酸化炭素の排出削減を目指すという選 択肢もありますが、必ずしもこれによ って排出削減が実現されるとは限りま せん。炭素税を課し、化石燃料由来の 二酸化炭素を排出することの負荷を上 げることで、どれだけ再生可能エネル ギーに需要が流れていくか、どれだけ
の効果があるのか、われわれは冷静に 判断しなければなりません。 炭素税が世界中で同じように導入さ れるのなら、日本国内で生産すると海 外で生産するよりも不利になる、とい うことはありません。しかし、国ごと に制度が異なるときに企業はどういう 選択をするのか、企業が現状をどう認 識しているのかということを、国が新 しい政策を導入する際にはよく見てお かなくてはいけません。産業界の方々 は、日本のエネルギー価格には地球温 暖化対策のための税以外にもさまざま なエネルギー諸税が掛かっており、高 い価格水準にあるとおっしゃっていま す。どのような税金がいくら掛かって いるのかということよりも、エネルギ ー本体価格等を合算した全体のカーボ ンプライスがいくらなのかということ がむしろ問題です。 経産省と環境省は地球温暖化対策の ための税ということで増税をお願いし
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析というのもあります。そうした分析 によって、大手企業が大きな事業を行 って結局は東京に所得が行ってしまう よりは、自分たちで出資して会社を作 って、自分たちで雇用して、自分たち の材料で発電をするのなら、これだけ の所得が地元に残るようになりますと いった数字を出すことができます。そ れによって、 「そういうことなのか」と 理解してもらって、地元での議論が進 みようになると思います。そういうお 手伝いをしようとしているところです。
岩手県の紫波町の場合 河野 諸富先生がおっしゃる地域経 済循環や、梶川さんがおっしゃってい たストックをどうフローにしていくか ということと関連して、一つの事例を 紹介したいと思います。 大きな木質バイオマスの発電所が各 地にできてきています。しかし、なか
には燃料を確保するのが難しくて、輸 入に頼るような本末転倒のようなこと も聞こえてきています。山には間伐し たものがたくさん余っていて、里にお ろせば燃やすことができます。 しかし、 おろすにはお金が掛かるのでなかなか できません。そういった状況が200 0年代の最初からずっとあって、いわ ゆる市場メカニズムでは解決の難しい 問題です。 岩手県の紫波町というところでは、 山で間伐したものを、みんながボラン ティアといいますか、集まっておろし て、それに対して地域通貨を受け取る ということをしています。地域通貨は まちで作っているものを買うときに使 えます。四国で同じようなことをして いる事例があって、それが紫波町でも 行われるようになったということであ るらしいです。 これがパーフェクトにいいといえる かどうかはわかりませんが、その一つ
の解決例になるのではないかと思いま す。山の話は、いろいろと補助金が出 たりしていて、総合的に見て本当にい いのかどうかの判断が難しくて、取材 をしていても頭が痛くなってくるくら いなのですが、紫波町の事例は実際に グルグル回っている一つのよい方法で あると思います。
末松 いまのは「紫波産プラン」とい って、かなり可能性がある事例だと私 も考えています。 私個人の感想ですけれど、林業関係 は、いい事例があっても、それをなか なかまねたがらないということがある ように感じています。典型的なのは木 質バイオマス発電への批判です。チッ プを燃やす木質バイオマス発電は地元 に雇用を生むいい事業だと思うのです が、批判の一つは、燃料として高い価 格で木が買われるようになると、木が どんどん切られて山がはげてしまうの
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地域経済循環を促す 菊池 雇用の創出ということに少し 触れておられましたが、環境経済学な どでは、 環境やエネルギーに関連して、 たとえば再生可能エネルギーを地域に 入れると市場にどのように波及してい くのかといった研究がなされていると 思います。今後どのような分析、研究 が展開されていくのか、諸富先生から コメントをいただけますでしょうか。 諸富 すごく関心が高まってきてい るのが、地域経済循環を促すというこ とです。それは地域のなかで閉鎖的な 経済循環を作るというのではなく、経 済としては開放体系で、いままでは外 から化石燃料を買ってきて、そのため に払うエネルギーコストが、果ては中 東にまで流出していたのが、地元の資 源に切り替えることよって、地元にお 金が残るようになります。いま末松局
長がおっしゃったように、温泉の湯を 温めるために地元のバイオマスを利用 すれば、お金が山主や、端材とかかん なくずを出す製材業者にいくわけです。 産廃で捨てていたようなものが有効利 用されて所得化されるわけです。 これまで、 公共事業で下水を作れば、 下水業者にお金が行き、そこから地域 にお金がまわって地域が豊かになるよ うなモデルがあったのですが、外から 大きな事業を持ってきてお金を落とす というのは一回限りで終わってしまい ます。そうではなくて、持続可能なビ ジネスを、一つ一つは小さくてもいい から作って、地域のなかで所得がグル グル循環するような仕組みを作れば、 日本の国富全体のなかで地域の取り分 を大きくできるようになります。 そのような可能性を見える化するた めに、地域産業連関分析というのがあ りますし、もう少し目を細かくして、 われわれが行っている地域付加価値分
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成功するための要因は?
河野 紫波町には、持続的に発展する まちを目指すオガールプロジェクトと いうものがあります。私が紫波町を取 材して重要なポイントかなと感じたの は、森林組合がかなり頑張っているこ とです。昔の資料を見ると、紫波町の 森林組合の人たちは小学校を作るとき に木造にしたらいいということをずっ と提案していて、何度もはじかれても 頑張って、やっと採用されたというこ とがありました。木にかなり入れ込ん
たり、いろいろです。さまざまな選択 肢があるなかで、地域ごとに最適な選 択ができればいいわけですけれど、そ れができるとは限りません。地域住民 側にいろいろな考えがあるためなのか、 行政側の取り組みの方に問題があるの か、それとも市場のメカニズムの問題 なのか、どこかに原因があるのでしょ う。そういうことも含めて何かご意見 等いただけないでしょうか。
末松 成功している事例においては、 地元の方が作ってもいいですし、コン サルタントが作ってもいいのですが、 説得力のあるいい計画ができていると いうことが一つ大切なこととしてある と思います。 逆にいくつかの成功しない事例を見 ると、森林組合が反対して実現しなか ったこともありますし、最近では大変 に前向きな地域熱供給の計画が土壇場 になって議会で否決されたということ
だ人たちの動きが前からあって、現在 のようなことにつながってきているの でしょう。 岩手県の西和賀町では病院に熱供給 するということをしていますが、そこ でも森林組合がかなり頑張っています。 そういうことを見ると、成功するポ イントの一つは、ずっと頑張ってきて いる森林組合があって、そこの実力に よるのかなという気がします。
山の話で難しいのは、山の地形が非 常に多岐にわたっていることがありま す。山から木をおろすことにコストが まり掛からないところと、非常に高く つくところとがあります。ある程度急 峻なところであっても採算が合うよう な技術を開発していくことがこれから 大切になってくると思います。
菊池 私自身も紫波町にはうかがっ たことがあります。紫波町では地域熱 供給で熱をうまく回していますが、熱 は電気と違って送電網を使って遠くに 運べるわけではありません。熱という ものは、発生した場所のすぐ近くです ぐに使わないとならない、なかなか扱 いが難しいエネルギーの形態です。 地域通貨のお話もありましたが、地 域通貨はいろいろなところで導入して、 うまくいっていたり、いっていなかっ
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で困るというものです。山の木が安く て困るといままでは言っていて、今度 は高く買われたら困ると怒るのはおか しいのではないかと思います。もう一 つの批判は、木質バイオマス発電のた めに海外からチップを買うのなら意味 がないというものです。国内の木を使 うという点で見れば、確かに意味はあ りませんが、だからやってはいけない というのはおかしいと思います。新し く木質バイオマス発電所を作って、① 近くの木を燃料として使う、②海外の 木を燃料と使う、という二つの選択が あるとして、たとえ②であっても、い までは海外から輸入した石炭で発電し ていた分が海外から輸入する木で発電 するものに代替されるので、何かマイ ナスのことをしているわけでは全然な いのです。海外の木を輸入して燃やす のはけしからんという必要はないので す。 木質バイオマス発電では5000キ
ロワットで大規模とされ、何万トンか の木が燃やされ、何十人かの雇用が生 まれます。それによって昔に比べたら プラスになるわけですから、いい事例 があればそれを取り入れていけばいい のです。5000キロワットより小さ くても動くビジネスモデルがあればさ らにいいと思います。そのときの決め 手の一つは、バイオマスを燃やして出 た熱が使えるかどうかです。熱を使う ことで、木の搬出とかで不利な面があ っても、トータルとしては収支が合う ビジネスモデルを作れる可能性があり ます。 熱を使っていないからといって、 それは無駄なことをしている、それは よくないというわけではありません。 熱を使っていなくて成り立っているの なら、それはそれでいいのです。われ われ行政としては固定価格買取制度 (FIT)で一律の支援をしています けれど、個別の技術開発に対しても何 らかの応援をしてこうと考えています。
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くれないということになってしまうの でしょう。 持続可能なまちづくりをしていくと きに、地域にはそれぞれに複雑な問題 がある一方で、国際的にはパリ協定が あって、二酸化炭素の排出を当然削減 していなければなりません。国際的な 動向と地域をどのように結び付けてい ったらいいのか、亀山さんからは何か そのあたりでご意見を頂戴したく思い ます。
亀山 今日はテーマではなかったの で、まだ出ていていない言葉で、SD Gsというのがあります。 Sustainable の略で、日本語で Development Goals は「持続可能な開発目標」と言ってい ます。これは2015年9月に国連本 部で採択され、持続可能な開発に向け て2030年を目標にした17のゴー ルが設定されています。パリ協定が採 択されたのはSDGsが採択された3
カ月後ですから、SDGsの精神を受 けてパリ協定ができたという見方をし ている人もいます。 持続可能な発展に関しては、199 2年にリオデジャネイロで開かれた地 球サミットからずっと議論が続いてき ています。92年当時は、一般市民に してみれば、国連といういわば雲の上 のようなところで話をしていて、私た ちとはとくに関係がないという印象で あったと思います。自治体やNPOの 方々も、もちろん言葉としては知って いても、私たちに関係するというより は、途上国の貧困を助けるようなもの であるとの受け止め方であったと思い ます。当時は先進国と途上国の南北間 の格差が大きかったので、そういうフ レーミングであったのです。 今回のSDGsは受け止め方がかな り違っています。SDGsのキーワー
ドに、 「誰も取り残さない( Leaving no ) 」というのがあります。 one behind
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もあります。灯油などを扱っておられ る方々がまだ賛成できないと反対に回 られたのです。地域の経済を回してき たような人がいて、いままでは灯油を 販売していたけれど、これからはチッ プの方に仕事を変えられるのならそれ でいいわけですけれど、他の人が言い 出して、自分の仕事に致命的な影響が あるとなったら反対せざるを得ないと いうことなるでしょう。要するに、地 域の有力者や、地域の経済の中心にい るような人たちが、どのようにしたら 合意できるのかというところが非常に 重要なのです。 お金がからんでくるとやはり難しい です。森林組合が、例えば2000万 円で新しい機械を買って新しい事業を やろうとして、組合の理事全員にはん こを押してもらうというのは大変なこ とです。お金を負担することについて は、自治体でもいいのですが、誰かが 背中を押すような仕組みがあるといい
と思います。 地域通貨については、使い勝手が良 くないとなかなか定着しないというこ とはありますが、地域のなかをぐるぐ る回ることで地域が豊かになるという ことを実際に見せてくれるという意味 で、地域通貨が非常にいいものです。 逆にいうと、地域通貨ではない普通の お金はどんどん外に逃げていくという のが見えてくるのですが。
国際的な動向と地域
菊池 既得権益といっていいのでし ょうか、そういうものを持っているよ うな方々がうまくからんでサプライチ ェーンを作っていかないと、自立分散 的なシステムを作っていくのは難しい ということであろうと思います。もち ろん地域の人たちが使いたいと思える ようなかたちでなければ、供給だけし てもなかなか需要がない、受け取って
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立ち位置で何をしていけばいいのか、 お考えやご意見を頂戴できないでしょ うか。
梶川 皆様のお話をうかがっていて、 重要と思ったのは公共調達のあり方で す。紫波町でも次の小学校を木造にす るのかどうかという話がありました。 もう一つ重要かと思うのは、意思決 定への次世代の人たちの参画です。た とえばお父さんは灯油を売っていて、 いまのままであまり変わってほしくな いと思っているけれど、娘はお父さん の仕事が今後も続くとは思っていなく て、こうした方がいいというのがある のかも知れません。いまわれわれがど ういう社会を築くかというのが、その 後の世代の生き方にかなり深く影響す るわけなので、まだ生まれていない孫 とか、さらその次の世代も本当は意思 決定に参画しなければいけないのでし ょう。そのような持続可能性や次世代
を考慮した意思決定は、現代を生きる われわれの責務でしょう。 質問に対して、明確な答えがある話 ではないのですが、次の小学校をどう していくのかといったような公共調達 のあり方や、後の世代の意思決定への 参加のあり方といったことを考えるこ とが、地域社会の将来を深く考える一 つの視点になるのではないかと思いま す。
菊池 プレイヤーという観点で見た ときに、たとえば私も含めて大学の人 間がこういうことで頑張るべきだとい うようなご意見がおありでしょうか。
梶川 大学の果たす役割は大きいと 思っています。 意思決定の場に出ると、 特に組織に所属している人はその組織 の代表者としての発言を求められると ころがあって、個人としては本当はそ う考えているわけではないけれども、
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1992年のころは、先進国はすでに ゴールを達成していて、途上国が発展 するのを見守るというような雰囲気が ありました。SDGsは全然違ってい て、先進国は先進国で課題に直面し、 途上国は途上国で課題に直面していて、 みんながそれぞれ自分の直面している 課題の解決に向けて、17のゴールに 連関させながら少しずつ進んでいきま しょうということになっています。1 7のゴールにはエネルギーだけでなく、 気候変動もジェンダーも教育も入って いて、それら全部をひっくるめてみん なで考えていきましょうということで す。 このSDGsが最近、日本のとくに 自治体の方々にすごく受け入れられて きています。私が一番よく知っている 事例は滋賀県で、滋賀県は県が総出で SDGsに向けて取り組んでいこうと しています。雲の上のような話だった 持続可能な発展が、どうして今回はす ごく受けいいのか、その理由を私も考 えているのですが、おそらくエネルギ ーとか地域の再生とか私たちの暮らし とか、全部がどこかでつながっている のではないかということを多くの人が 感じていて、しかしそれを表現する言 葉がなくて、SDGsが出てきて、こ れが私たちの言いたかったことだとい うことになったのではないかと思いま す。 パリ協定もまだ雲の上の話なのかも しれませんけれども、温暖化対策も地 域のエネルギーも地域の森林も互いに 関係していて、それらをみんなで一緒 に考えていきましょうと、いままでは たぶん皆さんが考えるようになってき ているという印象は持っています。
誰が何を変えていくのか? 菊池 かつて京都議定書が結ばれた とき私はまだ大学生で、京都議定書に
ついて、環境を勉強しているような人 間はもちろん知っていましたけれど、 一般の社会ではそれほどにはまだ重要 視されていなかったように思います。 SDGsについては、最近は胸にピン バッジを付けている方も増えてきてい て、新聞紙上に出てくる回数もかなり 増えてきています。国際的な動向が、 いままでよりも一般の社会に染み渡る ようになってきているのではないかと 思います。 先ほど梶川先生のお話では、イノベ ーションの実現ということがありまし た。蓄電池やEVや燃料電池といった 一つひとつ技術は開発が進められてい くことでしょう。その一方で、国際的 なランドスケープが変わろうとしてい るなかで、国内のレジュームが変わら なければいけない、変わり始めている というところだと思います。レジュー ムを変えていくような流れを描くため には、どういうプレイヤーがどういう
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としてそのようなことが大事であると 思います。
変化に応じたダイナミックな視点 諸富 集中型の電力システムからい きなりすぐに分散型システムに移れる わけではありませんし、自立分散型の 社会にすぐになるわけでもありません。 それでも、火力や原子力のような大規 模な集中電源と、再生可能エネルギー のような小規模分散型の電源と、どち らが将来的にポテンシャルが大きいか ということはきちんと考えるべきです。 将来の社会のあり方について、グリッ トシステムはどうなるのか、インフラ はどうなるのか、地域分散型を担う地 域の主体形成はどうしたたらいいのか など、いくつか考えるべき課題があっ て、合意形成をしていく必要がありま す。社会が変わっていく移行期には、 そのときに応じた政策体系がなければ
いけませんし、将来に向けて人材を育 成していく教育システムも作っていか なければなりません。 変化に応じたダイナミックな視点が 大事です。将来的にはこのようになる のだということを見据えて、そこから いまにもどって何をするのがいいのか ということを、われわれは常に考えて いかなければいけないと思います。
長期的にものごとを考える 末松 今日はいろいろなお話を聞け て本当に参考になりました。最後に二 点申し上げます。 一つはわれわれ行政機関に関わるこ とです。今日痛感しましたのは、目先 のことに対応する政策ばかりでなしに、 先を見てあらかじめいろいろなことを 始めていかなければならないというこ とです。 地球温暖化に対する適応策について
亀山さんからもお話がありました。適 応策で分かりやすい例としてよくお話 するのは、気温が上がるとリンゴの産 地は平地から山の高い方へと移ってい き、ついに山の頂上にまできてしまっ たら、その後はもういくところがあり ません。お米の適地がどんどん北上し て、北海道を全部水田にしようという ことになったら、水を確保するために どれだけのダムを造らなくてはならな くなるのでしょうか。適応策は非常に お金がかかり、対応には限界もありま す。 できるだけ地球温暖化しないよう、 緩和策の努力をしていかなければなり ません。住宅を省資源型に変えたり、 屋根に太陽光をパネルを載せたりする ことは、緩和策として非常に効果があ ります。そうはいっても、10年間で 日本中の住宅を全部建て替えるような ことはできません。緩和策も適応策も ずっと先まで見て対策を採っていかな ければなりません。私はいま経済産業
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いまはこう発言しておくといった感じ のことがあると思います。大学の人間 は比較的自由で中立的な立場にありま すので、議論をうまくファシリテート してけるのではないでしょうか。 大学は、企業などと違って、誰かの 所有物ではありません。社会的機能で す。大学の社会的機能は、何も大学人 のみでということではなく、さまざま な意思決定者やステークホルダーが参 画しながら考えていくべきものです。 大学が本来果たすべきこととして、人 類の英知のあり方を再検討するとか、 イノベーションを進めるとか、地域の 意思決定においてファシリテーター役 になるとか、いろいろとあると思いま す。大学はもっと地域に入って実地に いろいろな問題に取り組むのがいいの ではないか、実際にやっている方々も たくさんいますので、そういった動き がもっと広がればいいと思います。
議論のテーブルを設ける 菊池 さて、ここまで、会場の皆さま から事前にいただいたご質問や、休憩 時間の間に回収させていただいたご質 問を織り交ぜながら議論を進めてまい りましたが、残り時間がわずかとなり ました。 再生可能エネルギーをうまく使った 自立分散型社会は、すぐに明日、明後 日にできるというものではありません。 どのようにして実現への道筋を作って いったらいいのかということについて、 最後にパネリストの皆さまから一言ず つ頂戴できればと思います。河野さん からお願いできますでしょうか。 河野 一つすぐに頭に思い浮かんで くるのが富山県の事例です。富山国際 大学の先生が小水力に関する委員会を 設けて、企業や各省庁の出先の人たち を呼んで、ひとつのテーブルについて
議論をするということしました。報道 関係者は入れないクローズドの議論だ ったので、私としてはちょっとどうか なという感想はあるのですけれど、省 庁の人が公務として出席して、その報 告を上にあげることで、富山ではこの ような動きがあるということが本省の 方にも通じて、その後の事態が進みや すかったということがあったようです。 企業や自治体や国の省庁からいろい ろな人が集まって何かをしようとする と、いわゆる既得権益のようなものが ぶつかることもあります。 そのときに、 意見のまとめ役になるのは別に大学で ある必要はなく、企業の人でも自治体 の人でもいいと思います。いろいろな 方面の人が一緒になって議論して、乗 り越えていくような場を設けるという ことが大事なのでしょう。地方でのそ うした議論が東京にも響いて物事を変 えていくようなことにもなっていくと 思います。実現に向けての一つの道筋
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クと横のネットワークの結節点になる ような強い個人同士の連携が必須です。 個人と個人の連携には、価値観と知識 の共有、そして、何かを一緒に行うタ スクを共有するということが大切です。 それらを共有する個人の連携によって、 いろいろな困難を打破していけるので はないかと思います。 今日のこのフォーラムも、多様な連 携や議論の場、そのきっかけの場とな り、ネットワーク・オブ・ネットワー クスを作っていければと思います。
需要側からも考える 亀山 今日の話はどちらかというと エネルギーの供給サイドの話が多かっ たと思うのですが、需要側の話も同じ ぐらいの重さで重要だと思います。た とえばデマンドレスポンスであるとか、 消費者を賢い消費者に育てていくとか、 いろいろなことがあります。
そして、需要者と供給者をうまくマ ッチングしていくには、やはりIT技 術のようなもので、欲しい人と供給者 をピンポイントでつなぐようなことが 求められていくのではないでしょうか。 そういった技術も今後拡大していくと いいと思っています。
菊池 いろいろな観点から取り組ん でいかなければいけない課題がたくさ んあるということですが、本日のこの パネルディスカッションのように、議 論し続けることに重要な意義があると 思います。 それではお時間となりましたので、 パネリストの皆さまどうもありがとう ございました。パネルディスカッショ ンをこれにて終了いたします。 司会 菊池先生、そしてパネリストの 皆さま、どうもありがとうございまし た。
それでは最後に、本シンポジウムの 共催者であります、昭和シェル石油株 式会社を代表し、執行役員エネルギー ソリューション事業COO、濱元節よ り閉会の挨拶をさせていただきます。
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省に所属していますが、環境省も国交 省も農林水産省もいろいろな役所が一 緒になって、長い目の行政観を持つこ とが必要だということを今日は非常に 強く感じました。 もう一つは、地域にはチャレンジし ていく芽がすごくたくさんあるという ことを、今日改めて思いました。地域 には使われていない資源がいろいろと あります。先ほどから身の回りにある 資源として森林の話が出ていましたが、 森林以外にも、小水力ですとか、いろ いろないわゆる炭素資源とかあります。 いままでそれらを使っていなかったの にはやはりそれなりの理由があります。 使わなくても足りていたり、使うだけ の技術がなかったり、使うための意思 形成ができていなかったりと、いろい ろあると思います。もう一度各地域で 資源として何が使えるのか見て、いま のまま資源を使わないでいるとどうな るのか、これから新しい技術を入れて
使うとどうなるのか、それによって二 つの絵を描いて、資源を新たに使うこ とで全体としてプラスになるところが かなりたくさんあると思います。何も かもプラスになるわけではなくて、マ イナスになるところもあるけれど、総 合的にはプラスになるということだろ うと思います。そのときに、マイナス になる部分をどうフォローするのか、 最初から考えておくことが大切です。 他地域の新しい事例をうまく拾い上げ、 分析して、よりプラスが多くなるよう に考えることで、地域の力を高めてい けるようになると思います。
ネットワークとネットワークをつなぐ 梶川 私は、異なるネットワークをつ なぐということが重要だと思っていま す。行政を見てもさまざまなネットワ ークがありますし、産業セクターを見 てもさまざまなネットワークがありま
す。現代世代と将来世代とで異なるネ ットワークにいると見ることもできま す。自立分散型社会に限らず、いまま でと違うシステムに向かっていこうと するときに、一人で何とかしようとし てもできるものではありません。異な る人たち、異なるネットワークで力を 合わせる必要があります。ネットワー クとネットワークをつなぐネットワー ク・オブ・ネットワークスをどう作っ ていくのか、それをどう駆動していく というところが最後は一番重要なこと なのではないかと思います。私は大学 にいますので、ネットワークとネット ワークをつなぐハブの役割を大学に期 待したいし、私自身ももっとやってい かなければいけないと思っています。 異なるネットワークをつなごうとす ると、価値観も違えば期待するものも 違いますし、みなさんそれぞれに忙し くてと、いろいろな問題があります。 それを打破するには、縦のネットワー
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テークホルダーの方々が関係しながら 進めなければいけないということをお 示しいただきました。それぞれに対し てさまざまなソリューションを導出す ることが求められていて、それはまさ に私どもが挑戦すべきことであると、 明示していただけたように思っており ます。 当社、昭和シェル石油は110年以
上にわたって石油を中心としたエネル ギー供給の会社として事業を進めてま いりましたが、太陽電池、バイオマス 発電、LNGなど、新しい電力事業に よるエネルギーソリューション事業に ついてもいろいろと取り組んでおりま す。時代の要請に応えるために、皆さ まとご一緒に、微力ではございますが さらに努力をしてまいりたいと思って
います。 本シンポジウムは、皆さまと一緒に 未来の社会を考えていく場として、1 0年以上継続してまいりました。どう ぞ皆さま、今後ともよろしくお願いい たします。本日はどうもありがとうご ざいました。
司会 濱元執行役員、どうもありがと うございました。 皆さま、ご清聴ありがとうございま した。以上をもちまして本日のプログ ラムを終了させていただきます。本日 はお忙しいなかご来場くださいまして、 まことにありがとうございました。
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■閉会挨拶
はまもと みさお
濱元 節
ご提供いただいている三菱地所の皆さ ま、ご指導をいただいております東京 大学IR3Sの先生方、ご支援誠にあ りがとうございます。 武内先生も冒頭に触れておられます が、東京大学IR3Sと昭和シェルの 共催事業として、2007年2月にエ ネルギー持続性フォーラムを立ち上げ て以来、公開シンポジウムは13回を 数えております。この会場に足をお運 びいただきました皆さま、並びに支え てくださいました関係者の方々皆さま のおかげでございます。誠にありがと うございます。
昭和シェル石油株式会社執行役員エネルギーソリューション事業COO
ご来場の皆さま、本日は長時間にわ たるフォーラムにご参加いただきまし て大変ありがとうございました。本フ ォーラムを共催させていただいており ます昭和シェル石油を代表しまして、 一言閉会のご挨拶を申し上げたいと思 います。 本日ご講演をいただきました経済産 業省の末松様、京都大学大学院教授の 諸富先生、読売新聞の河野様、パネル ディスカッションのモデレーターを務 めていただきました菊池先生、パネリ ストの亀山先生、梶川先生、大変あり がとうございました。また、この場を
本日は「再生可能エネルギーが拓く 自立分散型社会への道筋」 をテーマに、 産官学さまざまな角度からご講演、お よびディスカッションを頂戴しました。 このフォーラムの最大の特徴は、産官 学の多様な立場で、多様な観点から、 多様な議論を深くまで突っ込んで行う ところにあると思います。本日のご議 論のなかでも、再生可能エネルギーを 軸とした分散型社会に向けて、エネル ギーシステムの話だけではなく、技術 革新と産業育成、自然資本活用、地域 活性化、国際関係におけるわが国の役 割、地球的課題の広がり、それらに向 けて多くの取り組みが進んでいること など、たくさんのことを議論していた だきました。 また、分散型社会へ進む上でのさま ざまな課題も浮き彫りにしていただき ました。制度政策、技術の進展等につ いてさまざまな課題をご指摘くださり、 今後の道筋という点ではいろいろなス
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ルーバナナ地帯は、古代には深い森があり、16世 紀に急激に伐採がすすんだ共通の地域でもあります。 つまり、ブルーバナナベルトは、ギリシャ ローマの 神々がローマを追われ、北イタリアからアルプスを 越え、シュヴァルツヴァルトを経て、ライン河口の 泥炭 低湿地に潜みつつ、さらにイギリスの泥炭 低 湿地にまで逃れてきたルートに重なります。 この「風水土の旅」では、 「風水土」といった環境 因子が人の暮らし(ひいては身体性:感性)や考え (ひいては思考性:観念)に多大な影響を与えてい ることを前提仮説とし、それを味わう「旅」です。 その意味でイギリス、スコットランド、アイルラン ドはいわば、泥炭 低湿地の宝庫で、この旅の本丸で もあります。また、かつては森林も多く、この森林 にケルト ゲルマン的文化が色濃く残っていたと思 われますが、 それが、 大航海時代の森林の大伐採で、 泥 ケルト ゲルマン的妖精や精霊達が棲家をおわれ、 炭 低湿地移行せざるを得なくなったと思われます。 ちょうどその時期にシェイクスピアが活躍し、森林 では喜劇が中心で妖精たちが、 泥炭 湿地では悲劇が 中心で悪魔たちが、活躍します。 シェイクスピア後、その手の文芸は森林の少ない 泥炭・湿地が中心の生態系であるアイルランドに移 ・
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行しました。 アイルランド出身の作家 詩人のリスト をみると、 まるで精霊 妖精の文学はアイルランドで 印刷され、世界に配信されている感じがします。親 しんでいるものだけをリストアップしても、まさに きら星のごとくです。ジョナサン・スウィフト『ガ リバー旅行記』/ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラ キュラ』/オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイ の画像』/ジョージ・バーナード・ショー[192 5年ノーベル文学賞] 『ピグマリオン』 『聖女ジョウ ン』/ウィリアム・バトラー・イェイツ[1923 年ノーベル文学賞]/ジェイムズ・ジョイス『ダブ リン市民』 『ユリシーズ』 『フィネガンズ・ウェイク』 /サミュエル・ベケット[1969年ノーベル文学 賞] 『ゴドーを待ちながら』/シェイマス・ヒーニー [1995年ノーベル文学賞] 『ナチュラリストの 死』 。
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ここに、精霊 妖精を中心とした泥炭 湿地文学の 存在の可能性を検証する、 「風水土の旅」に出ます。
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が追放 虐殺され、はたまた悪魔に仕立てられ、さら にこの森林地帯に落ちのびてきていたギリシャ ロ ーマの神々までさらに没落の一途を辿る様をみまし た。ギリシャ ローマの神々は、おそらく北イタリア の森林地帯を、 さらにシュヴァルツヴァルトを経て、 悲惨なきびしい暮ら オランダの泥炭 湿地まで逃れ、 しを余儀なくされたことが、ハイネの『流刑の神々・ 精霊物語』に記されています。 また、ドナウ川‐ライン川分水界(嶺)のベルト のうち、グーテンベルクの活版印刷技術が、ライン 川沿いに広 がり、アルプスを越えて北イタリア、 さらに海を越えてイギリス(北西イングランド)に も到達し、この活版印刷技術の拡散ルートは、バナ ナの形をしていることから、現在ブルーバナナ 、 「青いバナナ」で「青」は伝統的 ( Blue Banana にヨーロッパを示す色)とよばれています。このブ
風水土の旅4 ケルト・ ゲルマンの霊性
Ⅰ 泥炭 湿地文学の可能性 前回の「風水土の旅」でドナウ川‐ライン川分水 界(嶺)を訪ねました。南ドイツの湿潤で湿地的生 態系のオークの森、シュヴァルツヴァルト(黒い森) を分水界(嶺)とする、大河ドナウ川とライン川を 下り、 周辺の泥炭 低湿地に潜む精霊や妖精達を訪ね、 その伝統的文化のまわりに詩を含めてドイツ観念論 的文化が構築されてきた様をみました。ライン川の 河口のデルタにあたる、オランダの泥炭・湿地でそ のドイツ観念論的文化が胎動する様もみました。そ こでは、運ばれてきたシュヴァルツヴァルトのオー クやナラを主材として船舶が造船され、海上交易の 拡大をもたらし、自由貿易による世界戦略へと、植 民地戦略へと、向かう様もみました。この森林大伐 採と時を同じくして、森林地帯で魔女裁判が峻烈を 極め、ゴシック建築が建築され、ローマカトリック の支配が強まり、 地霊であるケルト・ゲルマンの神々
大崎 満
北海道大学大学院名誉教授
おおさき みつる
(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)
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わち、アレキサンダー大王の祖先たちは、森がも つ政治権力的意義を承知していた王たちの一員に 数えられました。彼らは、王権をもって木材を独 占したのです(メイッグス、1982) 。権力の鍵 となる二つのもの、 すなわち造船や金属の精錬は、 大量の木材を自由に使えるかどうかに左右されま した。おおまかに見ると、地中海を取り巻く地域 では、森林資源を追って権力の中心が古代バビロ ンからマケドニアやローマを経てスペイン、フラ ンスに、そして、最終的に大英帝国へと移ってゆ く様子がわかります。近代ヨーロッパでは、森と 権力を結合することが努力目標として意識される ようになりました。それは歴史上なかったような 完璧なものとなり、 諸制度に組み込まれたのです。 このことは、仮にこれまでほとんど注視されてこ なかったとしても、近代ヨーロッパの興隆の非常 に重要な局面なのです。
統とともに歩んでいることが明瞭に認められます。 旧約聖書は、スギの装飾を繰り返し誉め讃えるす べを知っています(旧約聖書:列王記上・第5章 以下) 。しかし、彼らもまた、スギの木材と引き換 えにティルスの王ヒラムに対して高い価格を支払 わなければならず、これがイスラエルの民の王国 の没落の始まりとなったのです(メイッグス、1 982) 。 石造の記念碑的建築がすばらしい姿を誇 示しているのは、壮大な建築物を支える巨大な樹 木が今ではもはやほとんどない場所なのです。
旧約聖書はモーゼの子孫たちによる文明の建設が、 森林の破壊を前提条件としていた事情を、つぎのよ うに述べています (川崎寿彦 『森のイングランド ロ 平凡社ライブ ビン フッドからチャタレー夫人まで』 ラリー) 。
また、川崎寿彦は次のように述べます。
ヨシュアは彼らに言った、「もしあなたが数の多 い民ならば、林に上っていって、そこで、ペリジ びとやレパムびとの地を自分で切り開くがよい」 。 (ヨシュア記17章15節)
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世界の様々な地域を比較しながら眺めると、地 中海地域の歴史時代における森の貧しさは石造建 築が優勢になっていくのと同時に進行しているこ と、これに対して、北の地域──日本もそうです が──の森の豊かさは木造建築のきわめて長い伝
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Ⅱ 森林と文明 ヨアヒム・ラートカウは、 「木材」というテーマに あっては、これまで樹木の伐採と木材収穫の方法だ けを書きとめた文書史料しかなく、これでは「林野 行政の歴史」しか記載できず、 「森の歴史」について は書きようがなかったといいます ( 『木材と文明 ヨ ーロッパは木材の文明だった』築地書館) 。木材と文 化の関係もまた、文書史料にはその一部しか映し出 されていません。20世紀でもっとも名高い歴史家 アーノルド・トインビーは、 「アッティカの森が消え たこと」がアテネの建築師たちに「木材にかえて石 で建築物を築かせる」きっかけとなった、そして、 それが柱や柱頭に樹木の思い出を残す「パンテイオ ン宮殿の創造」 へとつながったことを知ったと思う、 と書いています(トインビー、1954)が、想像 の域を出ません。さらに、文明が進むと、深刻な木 の欠乏に見舞われたことが、歴史の断片的として記 載されています(ヨアヒム・ラートカウ) 。 仏陀釈迦が亡くなったとき(紀元前483年) に、その遺体を荼毘に付すために必要な量の木材
を買い集めることが困難であったことがわかって います(シューマン、1982) 。中世アラビアの 諸都市からは、大家は借家人が扉を取りはずして もって行かないように目を光らさなければならな かったことが報じられています(カーエン、19 68) 。 1987年から1589年にかけてトルコ を旅したあるドイツ人の薬屋は、唖然として次の ように報じています。「コンスタンチノープルの幾 千もの家々では、丸1年以上まったく火が焚かれ ることはないし、何も煮炊きされない。あらゆる ものを屋台の食堂から買ってくる始末だ」(コーダ ー、1984) 。
世界全体を俯瞰すると、16世紀このかた木材 の欠乏を長期間にわたって嘆き続けた、まさにそ のヨーロッパが、世界の他の多くの文化と比べる と、豊かな木材資源を自由に使っていたことが明 らかになります。西ヨーロッパと中部ヨーロッパ の木々の豊かさは、もとをたどれば文化的な遅れ の一つの因子といえるとしても、歴史の流れの中 で繁栄や権力のきわめて重要な原動力となったの です。 古代においてすでに、マケドニアの諸王、すな
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に、木材によってとりわけ強い活力を得たのはバ ルト海の通商でした。 ノルウェー、 フィンランド、 ロシアにバルト諸国を加えた国々の、見たところ 果てしなく続く針葉樹林の森は、15世紀、16 世紀以上に木材の交易のために動員されました。 そして、それは木材業にまったく新しい次元をも たらし、針葉樹の新しい価値を立証したのです。 問題となったのは、造船用木材だけではありませ んでした。アムステルダムは、焼きを入れた木杭 用の大量の長大な丸太──その中にはシュペッサ ルト産のナラもありました──を必要としました (ゴートハイン、1889) 。なぜなら、その上に 数多くの家屋が建てられたからです。 また、造船(水漏れ防止)に必要なタールやピッ チの獲得のために、厖大な量の木材が燃やされまし た。このため北方の針葉樹が切り出され、ダンツィ ヒ(現ポーランド)が拠点でした(ヨアヒム・ラー トカウ) 。 ヨーロッパ北部では木材交易の効率的なシ ステムが生まれ、 「ブラッカー」と呼ばれる宣誓をし た専門家の監視の下に、ダンツィヒ〈ポーランド名: グダニスク〉や、バルト海沿岸の他の港湾都市では 木材の規格化や品質管理が行われたのです。
木のタールやピッチ、木灰は、すでに中世後期 に北海とバルト海における東西交易の重要な交易 品目でした(シュタルク、1973) 。16世紀末 以降、ダンツィヒの商人たちは、木灰で穀物以上 の大きな利益を得ていました(マクザック、19 78) 。ポーランドの貴族もまた、木灰の取引で利 益を得ました (ボグッカ、 1978) 。 木ピッチは、 17世紀に入ってからもフィンランド湾沿いの多 くの森から産出される唯一の輸出品であり(エス トレーム、1975) 、また──木灰同様に(ミラ ー、1980)──北アメリカの最初の輸出品と なったのです。木のピッチやタールの主要な引き 取り手は、 近代になって急拡大した造船業でした。
海洋覇権は、スペイン、オランダ、イギリスへと 移っていくのは、歴史的事実です。それらの国の政 治、経済、社会・宗教、文化の総合的国力とそれら を引き出す合理的社会システムの構築(自由貿易と う)と、海戦の戦略 戦術によるという人知の最適化 によるというのが、これまでもっともらしい説明で した。で、それはそれでその通りなのでしょうが、 しかし、これらの海洋覇権は、そもそも艦船がなけ
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〈レバノンの杉〉といえば、古くは聖書にも言及 され、新しくはレバノン共和国旗のまん中に描か れるほど、名木の代表である。 〈杉〉といっても実 体はわが国(大崎注:イングランド)の杉とは似て も似つかず、英語でいうシーダーの一種だが、は やくから用材として注目を集めていたことは確か だ。だからこそ繰り返し破壊略奪の対象となった のであろう。ラムセス2世(前13世紀)以来、 ローマ人、アラブ人、トルコ人などの侵略者によ って濫伐された。古代レバノンにはおそらく25 万ヘクタールの美林があったと考えられるが、現 在は5万ヘクタール。しかもいわゆる名高い〈レ バノンの杉〉はごく一部であるという。古代世界 が用材のために美林を破壊した実例である。 ローマとカルタゴが前後三次にわたって戦った ポエニ戦争(前3~前2世紀)は、地中海を隔て て古代世界の東西超大国が覇権を争った、当時の 世界大戦であった。地中海が舞台であったから、 海軍力が戦いの帰趨を決定したであろうことは容 易に想像がつく。結果はローマの完勝であった。 しかしこの勝利の犠牲として、ローマ領内の目ぼ
しい森林が、艦船建造のためにかなり大量に切ら れたことがしられている。 船舶→交易→戦争→より多くの船舶……。この 古代文明世界に始まった悪循環は、まさしく森林 を滅ぼす力であった。
ヨーロッパでは、森を放牧地や燃料材供給源とし て利用していました。ナラは、そしてまたブナもあ ちこちで、 「実のなる木」 、 「暮らしの木」として大切 に育てられていました。つまり、森は地域の経済や 生活の基盤として、大切に守られてきていました。 それが、木材が造船に使われ出すと、木材の収奪、 森林の破壊が急激に進みます(ヨアヒム・ラートカ ウ) 。
造船用木材の不足が起きたのは、15世紀と1 6世紀にはヴェニス、スペイン、ポルトガルであ り、 17世紀と18世紀にはオランダ、 イギリス、 フランスでした。世界の海をめぐる覇権争いにお いて、16世紀からナポレオン戦争に至るまで質 の高い造船用木材は戦略的な意味をもっていまし た。(中略) 15世紀、そして16世紀にすでにあったよう
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入り、オランダの興隆は、シュヴァルツヴァルトの オーク(ナラも)に依存していたことになります。 小山修三は、オランダの海外進出を支えたのは、シ ュヴァルツヴァルトのオークがライン川を下って河 口のオランダの都市に運ばれて船を建造することが 出来たためで、ここのオークが枯渇して、船が造れ なくなり、イギリスとの覇権争いに敗れていったと まで述べています( 『森と生きる』山川出版) 。 シュヴァルツヴァルトのおかげで、オランダに商 業が勃興し、その商業をスムーズにするための社会 装置として、 「独立自尊の精神」 「合理主義思想」 、そ れをささえる「理性」が育ちます。司馬遼太郎は「こ の〝低い土地のひとびと〟は、独立以前から、商工 業で生きてきた。商工業は、従事する個々において 独立自尊の精神がなければなりたたない。それに合 理主義思想がなければならず、さらには封建的圧力 はご免という心も兼ねそなわらねば、16、17世 紀の商工業など、やってゆけるものではなかった」 ( 『街道をゆく35 オランダ紀行』朝日文庫)と述 べています。つまり、南ドイツのシュヴァルツヴァ ルトの森林資源を根こそぎ収奪するための社会装置 として、 「独立自尊の精神」と「合理主義思想」が生 まれ、オランダに商業が勃興したといえます。シュ
ヴァルツヴァルトには、当然そこに住み、その森林 に依存して生活している民(原住民)がいます。森 林資源の急速な収奪は、原住民との大きな軋轢を生 み出します。 この森林破壊に宗教的 思想的に手を貸 したのがローマカトリック教会です。森林破壊の進 行とともに、魔女裁判が峻烈をきわめます。その地 にはゴシック教会が建てられます。このゴシック教 会は、オークの森林をその内部構造に模しているこ とから、最近ではゴシック教会は森林の保全の象徴 であると喧伝されていますが、経緯からして、全く 逆で、森林とそこにいきづく樹木信仰(オーク信仰) や森林文化(妖精等の棲息域)の破壊制圧の象徴と して建造されたものです。オランダにおける商業資 本の興隆により「独立自尊の精神」や「合理主義思 想」が生まれ、一方、ローマカトリック教会による シュヴァルツヴァルトにおける原住民弾圧がセット で起き、背反し合う両者が裏で手を組んでいたとい う、じつに奇妙な経済システムの成立です。 (これが 資本主義の原点かもしれません)シュヴァルツヴァ ルトの原住民にとってこそ、悪魔の仕業としか思え ないでしょうが、なにあらんいつのまにか自分たち が悪魔の住民にしたてられてしまいました。 この原住民弾圧の象徴が、魔女で、さらには妖精
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れば成り立たないことから、その造船のために、良 質な大量の木材が供給できるかが、じつは海洋覇権 の帰趨を制していたのです。オークは年輪に対して 直角に細胞が並ぶ放射組織のため、木目に沿って割 り裂くと、まっすぐな割材が取れ、丈夫で曲げやす く、強くて重すぎず、水も通しにくいことから、船 の骨組に欠かすことが出来なかったといいます (W・B・ローガン『ドングリと文明』日経BP社) 。 この森林資源から考えると、スペインやイギリス に比べると、オランダはかなり特異的です。オラン ダは、造船技術において、一時先端を行き、海洋の 覇者となる気配を示しました(ヨアヒム・ラートカ ウで、以下も) 。しかし、オランダは泥炭 低湿地の 国で、木材資源はほとんどありません。 ・
シュヴァルツヴァルト地方の河川やライン川を 利用した「オランダ人の木」の交易は、18世紀 に伝説的評判を呼びました。その時代のドイツに おいて、それは投機的な木材事業でした。という のも、森に乏しいオランダの木材需要は途方もな く大きく、また、オランダの豪商たちの富は格言 になるほどよく知られたものであり、さらに、ラ イン川はその交易のために理想的な輸送路であっ
たからです。18世紀のオランダの木材需要の半 分は、ライン川を越えて運ばれる木材で賄われて いました(エベリング[ケヴェロー、1988] ) 。 オランダ向けの木材の筏流しは、16世紀に始 まり、その急激な飛躍は、オランダ人がスカンジ ナビア諸国やバルト諸国においてイギリスの木材 商人との競合をしだいに感じ取るようになった1 7世紀後半に起きました。 「オランダ人の木」は、 シュヴァルツヴァルトにある高さ20メートル以 上、直径40センチメートル以上のモミのことを 意味します。ナラも、より軽い針葉樹と結束する ことによって筏で流せるようになりました。かつ て標高の高い場所にまであったシュヴァルツヴァ ルトのナラの森が減少したのは、 「オランダ人の 木」の交易に原因があります。
ウィキペディアによると、オランダのフリース人 はライン川を通って、ネッカー川の利用を始めたの は1100年頃で、以来、約800年間ネッカー川 は、もっぱら木材輸送に用いられ、1476年、ネ ッカー川全流域の自由貿易に関する取り決めが合意 され、シュヴァルツヴァルトの木材はこの川を通し てオランダまで運ばれたとあります。大航海時代に
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)と呼ぶ丘陵地帯が続く。今でこそ ( the Weald 森らしい森もあまり目につかないが、そもそも とはアングロサクソン語(古代英語)で Weald である) 。う 〈森〉を意味した(ドイツ語の Wald っそうたる森でおおわれていたこと、そして原住 民の居住地であったことが、考古学的には確認さ れている。おそらくアングロサクソン人たちにと って住みやすい地域であったのだろう。 イギリスのみならず北方ヨーロッパ全体で、ロ ーマ軍が撤収したあと、文明の尖兵として〈森の 人〉の蒙を啓くべく奮闘したのは、キリスト教の 宣教師たちであった。今日のドイツ、ヘッセン地 方で布教した聖ボニファティウス(8世紀)は、 イギリスから来た宣教師であったが、住民たちに せまってその地の「ドナールのオーク」 ( Donares )と呼ばれた〈聖木〉を切らせている(ドナ Eih ールは北欧神話のトールと同じく雷神であり、ギ リシャ神話のゼウスに当たる) 。 これを語っている のは、ふたたびあのグリムである。 一般にヨーロッパ中世はキリスト教会がくまな く支配した時代と考えられやすい。しかし農村の
片隅、とくに森に近い薄暗い側では、異教の神々 がしぶとく生き残っていたのである。そもそも語 源学的には、 〈農民〉すなわち〈異教徒〉を意味し たのであった。古代ローマおよび中世フランク時 から pagenses 代の地方行政単位であった pagus (田舎に住む人)なる語が生まれ、それが片方で や英語の peasant (いず はフランス語の paysan (異教徒)ともな れも農民)となり、また pagan っていったからである。農民たちが容易なことで は樹木崇拝をやめようとしなかった事情は、語学 的にも確かめられそうな感じだ。
森がヨーロッパ文明史の内部で果たした役割に ついて、20世紀の英国詩人オーデン 、1907‐1973)が、軽妙な ( W.H.Auden がら含蓄深い言及をしているので引用しておきた )と題する連作詩の い。 「牧歌」 ( "Bucolics", 1955 第二部「森」である。
(ニコラス・ナバコフに) ピエロ・ディ・コシモが大層好んで描いた ああいう原始の森林では 杜のといえば野蛮な という意味だ、
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や精霊まで悪者に仕立てられ(人間を誘惑し悪さを する) 、ついでに、落ちのびてきていたギリシャ ロ ーマの神々までが、森林から追い立てられて泥炭 湿地にまで追いやられるという、古代のケルト、ゲ ルマンと古代ギリシャ ローマの精神世界(以下に、 古代ギリシ ケルト ゲルマン精神世界といいますが、 の大変動が引き起 ャ ローマの精神世界も含みます) こされました。それまでも、悪魔は神の対概念とし て存在はしていたのでしょうが、この大森林破壊に より、悪魔の概念が強化され、悪魔‐魔女‐妖精・ 精霊という、ヒエラルキーが確立したのではないか と、作業仮説として考えています。これは、神‐女 神‐天使の神システム構造に対応する、悪魔のシス テム構造です。そして、この森林破壊にともない、 ヨーロッパに多い、泥炭 湿地が、古い文化 伝統の アジール( 「聖域」 「自由領域」 「避難所」 「無縁所」 などとも呼ばれる特殊なエリア)になったというの が、このヨーロッパにおける「風水土の旅」のもう 一つの作業仮説の[羅針盤]です。つまり、森林を 追われたヨーロッパ古層の神々や妖精 精霊が、泥 炭 湿地のアジールに逃げ込みディアスポラ (離散定 住集団)と化しだという作業仮説です。この作業仮 説を端的に言うと、 「ケルト ゲルマンの泥炭 湿地文 化」の存在仮説です。
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海洋覇権が、スペイン、オランダ(シュヴァルツ ヴァルト)の森林資源枯渇により、イギリスに移っ ていくとき、イギリスの森林はどうなっていたので しょうか。以下は川崎寿彦『森のイングランド ロ (平凡社ライ ビン フッドからチャタレー夫人まで』 ブラリー)によります。
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5世紀はじめにローマ軍がイギリスから撤退し、 先住民族であるケルト系ブリトン人はそのまま残 ったが、その彼らも新しい侵入者アングロサクソ ン族に追い払われて、辺境に散った。(中略) アングロサクソン人はゲルマン人の一部である。 〈ゲルマン〉の語源はケルト人が彼らをケルト語 で「隣人」と呼んだことにあるとされるが、一説 には〈森の人〉または〈勇者〉の意であったとも される。さらにもう一説には同じケルト語で〈騒 がしい人〉の意であったともされ、定説はない。 しかし〈森〉との連想はいつもかなり強かったら しい形跡がみとめられる。(中略) 現在のロンドンの南東4、5キロメートル、ケ ント州とサリー州にまたがって 〈ウィールド地方〉
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コヴェントリ爵は1635年に、英国の判事たち の集まりで演説し、これからの英国が必要とする海 上支配権を「木の城壁」と呼んで、その不可欠性を 力説したといいます(川崎寿彦『森のイングランド ロビン フッドからチャタレー夫人まで』 平凡社ライ ブラリー) 。 すなわちオーク材で造られる艦船によっ て英国は国全体が守られるということです。もはや 国内で各地の領主の城館が石の城壁で守られる時代 ではない。この意識は17世紀をつうじて急速に強 まるわけですが、王政復古期の王党派詩人のクーリ ーにとっても〈木の城壁〉の必要性は、古典派的心 情に優先したらしく見受けられ、以下にそのクーリ ーの詩を引用します。 ・
このようなヴィジョンが現実になるためには、ゆ るがぬ制海権が確立されねばならず、そのためには 無敵艦隊の建設こそ急務で、イギリスの森は海に向 かって動きださなければならぬと主張したわけです。 そして、これは、帝国主義の露骨な讃歌でもあるわ
われわれは暑いアラビアの香料を味わうが それを育てる灼けつく太陽には苦しまない。 厭うべき虫は知らずにペルシャの輝く絹を身にま とい ブドウを植えずともあらゆる種類のブドウ酒を飲 める。 黄金を掘るために手足を疲れさることもない。 いちばん重い金属でも海を渡ってこの国に泳いで くるから。 インディアンが刈り取ればそれは我らが収穫。 我らは海洋を耕し、他人が播いた種を刈り取るの だ。
さらに続けて、王党派詩人エドマンド ウォラー (1606~1687)の詩。植民地主義の讃歌で す。
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ああ、なんとイギリスは自然に恵まれたことか、 東・西インドを支配できるとは! (中略)
われらは好戦的な森をもち、山々は 世界最上のたくましいオークに恵まれる。 幸せの島の確かな守りのために 広大な海の濠でぐるりは囲われ、 国家の安全と自然の誇りを宣告せんと その海はオークの船で堅固に守られている。
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裸体、熊、獅子、女の頭をした豚どもが 上になり下になり 殺しあい 生のまま喰らい あって 稲妻が焚きつけた叢林を手懐けようなど思わば こそ 肝を潰し便利な焔に背を向けて退散した 森林 では。 区切り狭められ 狩猟三昧の地主のものとなり 竈もあれば罪人の晒台もある村の領内になって も とても馴染みにくい火のことを相変わらず森は 囁いた、 国王や司祭は所領の愚かな者どもに 牧場の単調な律動を賞で 林間の放埒を厭うよう戒めはしていたが。 心に疚しい目論みのある者はやはり探し求める 詳しい素姓を質しもせず一人もお上に売り渡さ ぬ旅籠屋を。 森こそまさにそれであり おまけに風情を添え てもくれる (後略) (宮崎雄行訳)
他の記録によれば、13世紀にはラトランドシ アの南半分を占めたラトランド・フォレストは、 16世紀末までに3分の1の面積に縮小してしま っていたといわれる。またダービーシアのダフィ ールド・フリス・フォレストについては、エリザ ベス女王の治世に盛大な木材の切り出しがおこな われたことが知られているが、いま当時の調査の 統計を大、小のオークについて簡単な表にまとめ ると、下記のようである。
1560年 オーク(大) 5万9412本 オーク(小) 3万2820本 1587年 オーク(大) 2764本 オーク(小) 3032本
すなわちエリザベス即位の翌々年から、スペイ ン無敵艦隊撃破の前年までの27年間に、オーク (大)は95パーセント以上、オーク(小)は9 0パーセント以上が伐採されてしまったことにな る。このフォレストに関するかぎり、森は壊滅し たといってもよい。
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語派、ケルト語派」に2分岐します。ギリシャ語派 が、現ヨーロッパ諸語と遠いのは少々驚きです。イ タリック語派とケルト語派は意外と近縁です。 後々見ていきますが、 「ケルト」がヨーロッパの古 層文化として重要か思いますが、 実際は現在でも 「ケ ルトの文化」の実体となると、曖昧模糊としていま す。ケルトを訪ねる際には、この「印欧祖語の広が り」が良き羅針盤となります。
1万年前の人々が、西欧北欧全域の現在の集団に つながったのである。前7000年から前600 0年頃とされる印欧語の流入ですら、集団の移動 というより文化伝播による吸収 同化の結果とい うことになる。
基本的に1万年間定住だとはいえ、地域内の小 規模な移動は頻繁にあった。ひょっとしたらそれ はごくわずかの家来をともなった首領だけだった かもしれないが、そうした移動が意味を持ったこ とも認識しておく必要がある。ゲルマン人の大移 動の場合も、移動したのはローマ人の3パーセン トに相当するにすぎなかったとされるが、それが 重大な結果をもたらした。 すでに指摘したように、 民族名はこうした「貴種の門地」ないしは軍の将 領に負う場合が多いと考えられる。 言語は民族と同一視されることが多く、民族と ともに言語が移動し、征服される民族の言語が滅 びる。 これまでは常識のようにこう言われてきた。 長期的視野からいえば、言語と民族は一致しない が、言語と民族の移動が同一視されることは、短 期的には大いにありえた。ガリア人がローマ人に 征服され、ラテン語が生活言語となった。確かに
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原聖は最新のケルトの研究成果を次のように纏め ています( 『興亡の世界史 ケルトの水脈』講談社学 術文庫) 。 最新の遺伝子分析でも(中略)確認される。(中 略)印欧語族のアルカイックなケルト系言語であ るエール(アイルランド)語話者と、新石器以前 からの土着言語といわれるエウスカル・エリア (バ スク)語話者とは、遺伝子的に異なるところがな いという。要するに、少なくとも西欧における文 化の変容は、基本的に民族集団の移動ではなく、 伝播 吸収によってもたらされたということであ る。ごく少数のエリート的集団の外部からの流入 はあったとしても、最後の氷河期を生きぬいた約
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けです。 英国民は世界の偉大な荒野である大洋の主。 森をことごとく送りだして海を支配する。
要点は次のようです。
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その記事での言語の分岐ですが、「ヒッタイト語な ど・アナトリア語派(死語) 」から「アルメニア語派、 トカラ語(死語) 」に分岐し、さらにそれが大きく「ギ リシャ語派、アルバニア語派、インド イラン語派」 と「バルト スラブ語派、ゲルマン語派、イタリック
ハートウィック大学の人類学者アンソニー: 「馬 の家畜化によって、インドやイランと欧州を結ぶ 橋ができた。両者をつなぐ草原地帯が騎馬による 交通路となった」 。
人骨のDNA解析:紀元前3500年ころに欧 州の遺伝子プールの約75%がヤムナ人の遺伝子 に置き換えられた。この時期は、多くの言語学者 が印欧祖語成立期と考え、考古学者が馬の家畜化 がなされたと考えている時期とほぼ一致する。
インド ヨーロッパ祖語(印欧祖語) :5000 年前、ウクライナの大草原の遊牧騎馬民族がヨー ロッパとアジアの一部を駆けめぐり、それらの地 域に一つの言語をもたらした。
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以上のように、イギリスがスペイン無敵艦隊撃破 のために、イギリスの森林が丸裸になったのは歴史 的事実です。この森林破壊とともに、イギリスでも 魔女裁判が峻烈を極めたことが記録されています。 スコットランドやアイルランドを含むイギリスには ケルトの古代文化が根強くあり、また、泥炭 湿地帯 も多く、まさに「ケルト ゲルマンの泥炭 湿地文化」 の中心 中枢が存在していたはずです。
Ⅲ ケルト文化と妖精 『日経サイエンス』2018年5月号に最新のD NA分析の成果とこれまでの考古学や言語学の成果 も考慮した 「印欧祖語の広がり」 という記事があり、
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近代ケルト:近代のナショナリズムの興隆ととも に語られるケルト。15~16世紀のガリアの 発見、18世紀のケルトマニア、19世紀後半 のケルト学の誕生。これらは、古代ケルトを自 らの文化の起源として考え、その探求とともに 自らのアイデンティティを主張するケルト。 さらに、原はケルトの司祭ドルイドをそれぞれの時 代区分に合わせて3区分します。 古代ケルト人の知的階層集団としてのドルイド: ギリシャのピタゴラス派の影響力のもと、前5 世紀にガリア中北部で形成された。 カエサルの時代に描写されはじめるシャーマン的 ドルイド:シャーマン的。 「ネオ ドルイディズム」としてのドルイド:非キ リスト教性、キリスト教成立以前の精神性を取 り戻そうとする神秘性の強調。 瞑想が重視され、 癒やしがキーワードにもなる。 ・
下楠昌哉はアイルランドでは、「紀元前6000年 ごろから定住する人々が現れ、紀元前3000年ご ろには巨石古墳を建造し、農耕生活を営む社会が出
現した。ケルト民族が移住したと一般にいわれてい るのは紀元前200ごろ。紀元432年に聖パトリ ックがキリスト教を布教するためにアイルランドに 渡り、外部のヨーロッパ世界との文化的交流の道が 開かれる。聖パトリックは今もアイルランドの守護 聖人」といいます( 『妖精のアイルランド 「取り替 え子(チェンジリング) 」の文学史』平凡社新書) 。 一方、下楠昌哉によると、アイルランドの文化的な アイデンティティを一言で表現してきた感のある 「ケルト」という概念が、英国考古学会の成果を出 発点として動揺を始めているそうです。
ケルト民族は、もともと中央ヨーロッパに広大 な文化圏をもっていたとされる民族である。最初 の遺跡の発見は、1824年、高原オーストリア のハルシュタットであった。つまり、ブリテン諸 島の島のひとつであるアイルランドへは、ケルト 民族はヨーロッパ大陸から海を渡ってたどり着い たことになる。そこで、ここに「大陸のケルト」 と「島のケルト」という分類が生じるわけだが、 このうち「島のケルト」に関して、一般的に信じ られてきた事柄に、考古学者たちによってはっき 結 りとクエスチョン マークが付されたのである。
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そのとおりだが、ブリタニア島のケルト語はロー マの征服によっても消えなかった。ガリアのラテ ン語もフランス人による支配によって消滅はしな かった。 ヨーロッパでは、民族主義的思考が染みついてい て、 民族と言語、 民族と文化が硬く結びついていて、 それをコアーにした歴史が西洋史で、教科書で習っ た西洋史観です。ところが、教科書で習ったゲルマ ン人(民族)の大移動からして、ローマ人の人口の 3パーセント程度に過ぎないことが考古学的に明ら かになりつつあります。 さらに、原聖は、最近の研究によると、そもそも、 ケルト、ゲルマン、ギリシャ、ローマの信仰形態を 分けることも難しいといいます。 欧州ではキリスト教伝来以前の生死観を表現す ると思われる神話が、 ギリシャ ローマという古典 的世界と、 ゲルマン ケルトという異教の民につい て伝わっている。後でみるように、ケルト人の世 界にはギリシャ・ローマから移入された神々も多 い。おそらくそれは、たとえば仏教と神道の関係 を合理的に説明する本地垂迹 (ほんじすいじゃく)と
いう思想が不必要なほど、前提となる文化が類似 していたためかもしれない。(中略) いずれにしても、ギリシャとローマの神々の相 互関係、ローマとケルトの神々の相互関係などか ら考えても、ギリシャとローマ、ゲルマンとケル トが、 個別の信仰形態をとっていたと考えるより、 近接しあったものだったとみるほうがわかりやす い。それは本書でみるように、ケルトの司祭ドル イドの位置づけにも関係し、従来の学説の修正を 迫るものにもなるのだが、こうした古代世界にキ リスト教が入り込んで、人々の世界観、生死観に 変化が生じた。すでに見たように、火や泉に対す る信仰には、キリスト教以前の信仰が反映してい ると考えられる。
原は、ケルトを考えるに当たって、ケルトの時代 を3区分します。
古代ケルト:前5世紀のヘロドトス、後1~2世 紀のタキトゥスに叙述 中世ケルト:古代ローマによる同化を免れた古代 ケルト文化を引き継ぐとされるが、ほとんど検 証できない
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を含むガリア全土、ブリテン島、イベリア半島、 北部イタリアに居住し、一部は小アジアにまで達 していた。その宗教的・文化的遺産の痕跡がヨー ロッパ各地に残っていたとしても、あやしむに足 りない。フレイザーの『金枝篇』はドルイド教起 源のオーク崇拝の民族について詳述し、かたわら ゼウスの神託をオークの葉ずれに聴いたギリシャ 人の〈ドドナの森〉の信仰についても語っている (第15章) 。 古代作家の何人かはギリシャ古来の 信仰とケルトの信仰とが、 〈オーク信仰〉という一 点で同根、またはすくなくとも同質と考えたがっ たのだが、それを否定すべき根拠は今日に至るま で見出されていない。 〈ドルイド教〉の名称については、その語源が さまざまに議論されてきた。そのあまりにも神秘 的な伝承の数々が、近代ヨーロッパ人の空想を刺 激したからである。しかし今日の学説の多くはプ リニウスらの古代作家の仮説にもどって、〈ドルイ (木、とくにオーク) ド〉とはギリシャ語の drus (知る)がつ にインド ヨーロッパ語系の語根 wid いたもの、すなわち「オークの知恵をもつ者」の 意であろう、ということになっている。だとすれ ば主神ゼウスがドドナの森のオークに宿ると考え
たギリシャ人の信仰にきわめて近いわけで、また ローマ時代の作家たちも、プリニウスにしろオウ ィディウスにしろセネカにしろ、オークの森の聖 性に言及することをためらわなかった。オーク崇 拝がアーリア民族全体に行きわたっていることは、 フレイザーの強調したとおりである。 ガリア地域のドルイド教徒たちは、森そのもの を神聖と考えていたのだから、そこにわざわざた とえば石造りの神殿を建てるなどは罪深いおこな いであった(ローマの作家はガリア人が〈神殿と しての森〉を崇拝する習慣をもつのだと、やや概 嘆する口調で書いている) 。 やがてローマから石の 文明と宗教がひろまってきて、石の教会が建てら れはじめても、屋根のてっぺんに窓をあけたのは 聖なる林の梢から空を見上げる行為の記憶のため だった、と──これはヤーコブ グリムが『ドイツ 神話学』 (1835年)第4巻に記述したところで ある。 ・
下楠昌哉は、 『妖精のアイルランド 「取り替え子 (チェンジング) 」の文学史』 (平凡社新書)の序章 「 「妖精とケルトの国」と呼ばれて」の扉に、マシュ ー・アーノルドを引用して、
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論からいえば、ブリテン諸島に大規模なケルト民 残る非印欧語的痕跡を明かすものではないか」と 族の流入はなかったのではないか、 ということだ。 する。 (中略)17世紀まで自ら「ケルト」と名乗った これまで、オーク‐ドルイド‐ケルトという一連 民族はいなかった。 「大陸ケルト的」とされるイギ のキーワードにしたがって、ケルト文化が確実に存 リスの遺跡や発掘物を検証しなおしてみると、ブ リテン諸島に特徴的なものであることが多い……。 在すると信じてきましたが、その実体は学術的には はなはだたよりないもののようです。日本でもケル では、アイルランドにケルト文化はなかったので トに関する本がたくさん出版され、私の本棚にも、 しょうか。さきの原聖の学術文庫版「あとがき」で、 ざっと見ても数十冊もあります。これらを読んで、 学術的にはまだ一般的ではないが、非印欧語的ケル ケルトの強力なイメージができましたが、実際には ト(これをケルトと呼ぶかの問題はあるかもしれな ケルト界隈と目される地域を旅しても森林信仰の痕 い)が、大西洋沿いに展開し、バスクとアイルラン 跡すらほとんど見られませんでした。博物館でも、 ドを繋ぐより古層のケルト文化が存在した可能性も ケルト文化と称するも展示はすこぶる貧弱で、特に 考えられるといいます。 ケルトの本場であるはずのアイルランドにおいても です。 ケルト(民族や文化)は考古学的、歴史的に曖昧 模糊としたところがありますが、森林に強く関連し た文化としてのケルト文化の存在自体を疑うのは困 難です。以下は川崎寿彦『森のイングランド ロビ (平凡社ライブ ン フッドからチャタレー夫人まで』 ラリー)によります。 スティーブン オッペンハイマー( 『英国人の起 源』2006年)は遺伝子研究に比較言語学の説 を加味して、「印欧語は前5500年には東欧に侵 入し、前4000年には中欧、スカンジナビアに 入る。一方で、非印欧語である「大西洋」語が前 4000年に地中海からジブラルタル海峡を経由 してブリテン島、スカンジナビアに進出。これが 巨石文化に関係し、ブリテン島北部のピクト語に
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ケルト民族は紀元前9世紀以降、ライン川下流
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みごとに証明してくれました。 「理性」にもとづくという錯覚がヨーロッパの文 化そのものです。ヨーロッパはローマカトリック教 会とこの「理性」をもって、500年以上にわたっ て、非ヨーロッパの文化 文明を破壊し、資源の収奪 (天然資源と人的資源) をおこなった・いるのです。 「感性」が抽象化されてきたのが「観性」とする と、 「観性」が文化や社会の基盤です。 「感性」‐「観 性」システムで動いているのが非ヨーロッパの社会 で、 「感性」‐「理性」システムで動いているという 錯覚がヨーロッパの社会です。 ヨーロッパでは、 「感性」は低次の世界構造で、こ れに惑わされる世界は、極端にいうと悪魔の支配す る世界であるという構造が作り出されてきたわけで す。また、女性は感性豊かであるが故に、ヨーロッ パ世界では、悪魔に誘惑・支配されやすく、こして 魔女が生み出されました。 かねがねこの「風水土の旅でも、文化 精神構造と して、 「感性」主体の場合には「内観的自然観・世界 観」で、 「理性(擬似理性) 」主体の場合には「外観 的自然観・世界観」と呼んで来ました。 「感性」主体 の基本的判断基準は心の内部に存し、 「理性」主体の 基本的判断基準は心の外部に存する。 「理性」主体と
いってもピンと来ませんが、具体的にはその理解に もとづく結果として、 「心(魂) 」 「身」は分離した二 元論的思考 文化 精神構造になると考えると分かり 易いです(ただ、非ヨーロッパ人には、そもそも「心 (魂) 」 「身」が分離していて、魂は誕生後に絶対者 によって注入されるという、考えが全く理解できま せん。非ヨーロッパ人の多くは、魂は生誕と共に身 体に備わっていると思っていて、それを疑ったこと すらない) 。哲学的には、あるいは最近の精神心理学 的には、さらに神経進化学的には、 「心(魂) 」 「身」 の二元論的思考に否定的ですが、 欧米の社会 文化と しては、いまだにどっぷりと「心(魂) 」 「身」分離 の二元論的世界観に浸っています。 ・
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さあ、 「感性」‐「理性」システムとはなんである かを知るために、 このシステムに制圧される以前の、 感性的で理性のかけらもなく、 精霊 妖精のうじゃう じゃいるケルトの世界を旅してみましょう。
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司馬遼太郎『街道をゆく30 愛蘭土紀行Ⅰ』 (朝 日文芸文庫)で、 「アイルランドにあるのは、空気だ けだったといってもいい。/あるのは、一枚の舌、 それに激情。あるいは屈折した心。その屈折からく
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感情的。もしケルトの特質を一語で表現するな らば、この言葉が最適である。 マシュー・アーノルド『ケルト文学の研究』 (1867年) とあると書きました。 つまり、 ケルトは感性的です。 さらにいうと、絶対的原理を信じない。感性の反対 語を理性とすると、理性(絶対的真理)を振りかざ した論理に与しない。 「感性」に対する反対語を「理性」とするのは、 そもそも哲学の反則技でなかろうかと、わたしは訝 っています。理性を絶対的真理に基づくとすると、 反対のしようがない。しかし、そもそも、絶対的真 理がわかっていれば、 「理性」‐「感性」の優位議論 自体が成り立つはずのないものです。したがって、 これまで議論されてきた「理性」とは、自分(自民 族、自国)に都合のよい論理を振りかざしたに過ぎ ないということになります。 「感性」とは、いうまでもなく、五官(視覚、聴 覚、嗅覚、味覚、触覚)よりえられる情報に対する 感受性とその情報に対する応答様式(感情もその一 部)です。 「感性」は個人のレベルでは経験として体
(脳)に蓄積されますが、社会的文化的レベルでは 主に言語化されて共通化され、文字の発明により記 録として蓄積されてきています。この文字化された 情報は、身体から分離されて機能することから、人 間社会としては正確に言うと、 観念化されて、「感性」 を越えていきますが、これは「感性」に対応させる なら「観性」です。この時点では、 「観性」はまだ「風 水土」の影響下にありますから、各人の「感性」の 平均値、つまり抽象化された「感性」と言うことに なります。この段階では、 「感性」も「観性」の内な る基準に基づいていますので、基本は「内観性」で す。ところが、ヨーロッパでは、いきなり普遍的一 元的原則が外部から注入され、それが人間の根源的 存在であるという「外観性」に置き換えられてしま いました。この「外観性」をささえる絶対的原理が、 神や「理性」といった世界創世の原初からある外部 規範です。じつは、 「感性」や「観性」から、神や「理 性」に移行する論拠は何もありません。そう信じた というだけですので、神や「理性」は当然、信仰と してのみなりたっています。人間に「理性」が在っ て欲しいというのは大事なことですが、人間に「理 性」 があるというのは大嘘です。 それは西洋自身が、 500年以上の植民地支配と帝国主義と両大戦で、
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の地霊たちとをまとめて、ケルト・ゲルマンの精霊 は、悪魔と密通した魔女のうみおとしたぶきみな たちと呼ぶことにします。 こどもである。本来のエルフェ伝説はアイルラン ケルト・ゲルマンの精霊たちを、ハイネの『流刑 ドと北フランスを故郷としている。そしてそこか の神々・精霊物語』 (岩波文庫)でおさらいしておき らプロヴァンスへ南下伝播するあいだに東方のフ ます。 ェー信仰と混合した。この混合からランヴァール 伯のすばらしい韻文詩が開花したのである。 地の精であるこびとと、空気の精であるエルフ ニクセはエルフェと非常に似ているところがあ ェは、はっきり区別されなければならない。エル る。彼らは両方とも誘惑的で、挑発的でダンスを フェはフランスでもはるかによく知られているし、 好む。エルフェは沼地や、緑の草原、森のなかの とくにイギリスの詩のなかでは非常に優雅に賛美 ひらけた草地などで踊るが、もっとも好んで踊る されている。エルフェは本来の性質として不死身 のは樫の老木の下である。ニクセは池や川のそば でなかったとしても、シェイクスピアひとりのお で踊る。また溺死者がでる前夜にその水の上で踊 かげでそうなったことだろう。エルフェは『夏の るのもよくみうけられた。さらにニクセは人間の 夜の夢』 の詩のなかで永遠に生きているのである。 エルフェに対する信仰はわたしの考えでは、ス 踊り場へあらわれることもしばしばあって、わた カンディナヴィア起源というよりも、むしろケル したちとまったくおなじように人間と踊った。 ト起源のものである。それゆえに北欧東部により 北欧の民族が、ドイツ人、イギリス人、オランダ も、 北欧西部の方にエルフェ伝説が多いのである。 人らと共に同じ民族系統に属することは、いまも彼 ドイツではエルフェのことはあまり知られていな らの言語が同族関係にあることから、はっきりと認 い。そしてドイツにはあるにしても、たとえばヴ められます。いまヨーロッパの北部と西部の大部分 ィーラントの『オーベロン』のように、ブルター に広がっているこの民族群は、歴史の曙にはスカン ニュの伝説のぼやけた残響にすぎない。ドイツの ジナビアとバルト海西端の周辺の狭い地域に住んで 民衆がエルフェあるいはエルベとよんでいるもの
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る華麗な言語表現だけであった。/巨大なジョイス も空気を言語でかきまわすしかなかったひとりであ った」と書きます。そして、ケルト/アイルランド は妖精の国です。が、司馬遼太郎によると、妖精た ちはおびえて暮らしている。これが、ケルト/アイ ルランドの精神構造です。 キリスト教にせよ仏教にせよ、普遍的大宗教に よって土俗の神々は窮地においこまれるが、中国 では道教によって土俗神が保護された。日本では 神道が仏教との折りあいをつけて、社殿という御 殿さえあたえられた。 そのあたり、キリスト教はきびしい。 5世紀の聖パトリック以来、キリスト教はアイ ルランドにかぎって土俗ドルイドの神々に寛大だ ったが、それでもかれらは社殿に入れられること なく、曠野や森、あるいは古代の墓場に住むにま かせられた。さらには、キリスト教の神に対して はあわれなほどおびえつづけた。 司馬遼太郎はアイルランドの西海岸、西大西洋岸 を南下しつつ、つぶやきます。
水明かりだけは感じられる。その光の下を、相 変わらず丘陵が波打っている。いたるところで大 地が、小規模に、しかし好き勝手に陥没して水を たたえているのである。その湖が森をそだててい る。人為の加わるところがすくなく、森や水に神 意のみがうかがえて、この景色をみるかぎり、汎 神論的な神々がここに住んでいないという人がい たとすれば、よほど詩的感覚がとぼしい人にちが いない。
あらゆる丘陵がひくい。 このため、空が大きく、その蒼穹を見ているか ぎりにおいては、カトリックの唯一神の居場所は ある。しかし一神論の発祥の地の中近東の砂漠の 上の天が、絶対的に大地を支配しているというふ うな圧迫感はない。
そもそも、ケルト、ゲルマン、ギリシャ、ローマ の信仰形態を分けることが難しいともいいます(原 聖) 。ハイネ( 『流刑の神々・精霊物語』の「精霊物 語」 )によると、ギリシャ、ローマの神々は追放され て、森林地帯、さらには泥炭 湿地帯に逃げ込んでき ているので、森林や泥炭 湿地帯のケルト、ゲルマン
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る。 ] る木の幹を越え、密生した草や茨をぬけて、辛う 人類がミッドガルドでふえている間に、巨人の じて道を切りひらいて行かなければならない。 子たちもまたウトガルド(外の国)のいたるとこ 樹々の下に長くのびているのは、湿地のつづきや ろで成長した。巨人の国は大地の一番はてにあっ 深い沼だ。林の下はいたるところでうす気味のわ て、ミットガルドをかこんで波うっている大海に るい薄暗がりが支配していて、腐れた土や枯れた 面しているが、それはまた長くのびて、人間の国 茂みの酸っぱい匂いがする。このような荒地や山 ふかく入り込んでいる。 や伐採地や曠野や森やらが、巨人や魔物の住む土 ミッドガルドはほほえましく美しい。どちらを 地なのだ。しばしば巨人どもは人間の姿をしてあ 見ても豊かな耕地が広がり、そこには黄金の穂を ら われる──といっても四肢はずっと大きく醜い した穀物が立ち、緑の牧場には家畜が歩み、乳房 が。 をたれた羊がいることで、人間の国だと知られる のだ。 ところが、 その平和な村々のすぐそばまで、 いたるところでミットガルドは、その荒涼とした 山や、通り抜けがたい森で迫っている。山では金 の砂礫が切立った裂目だらけの斜面と入りまじり、 Ⅳ シェイクスピアの森の喜劇と そこを身を切るように冷たい谷川が流れ下って、 泥炭 低湿地の悲劇 出あったすべてのものを引裂いて一緒に持って行 く。他の場所には森に囲まれて村々があるが、森 2009年12月、デンマークのコペンハーゲン はとても大きく荒涼としていて、その中へあえて 国 連気候変動会議COP15が開催されましたが、 入ってゆくには勇気を要するが、それを生きたま それに先立ちCOP15を学術的に支援するために ま通りぬけて外へ出るには、なおさら多くの知恵 "Climate Change: Global Risks, Challenges and と決断がいる。旅人には足にしっかりとまつわり の国際会議が、3月にCOP15と同じ Decisions" つくからみあった根の間や、倒れて腐りかけてい
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いました。北欧の精霊たちも、ケルト・ゲルマンの 精霊たちの系譜にはいるでしょう。そこで、北欧の 神々や精霊たちもみておきます(ヴィルヘム・グレ ンベック『北欧神話と伝説』山室静訳、講談社学術 文庫) 。ちょっと乱暴者のような感じがしますが。 「ユグドラシルの巨樹」 :その野にはトネリコの 巨木ユグドラシルが影を落としていたが、この木 は途方もなく大きくて、枝は全世界の上にひろが り、その根は大地の深みまでとどいていた。一本 の根は、むかしのギンヌンガの淵である霜の巨人 の国にとどき、 もう一つはニフルハイムまでのび、 三本目のはしっかりと神々の国に根をはっていた。 そのニフルハイムにのびている根のそばには、フ ヴェルゲルミルという泉があり、霜の巨人のとこ ろまでとどいている根の傍らには、ミミールの泉 がわき出ているが、その水には知恵と賢さが隠さ れている。この泉にミミールは住んで、その水を ギャラールホルン(ホルンの角状の杯)で飲むた め、彼は知恵と予言力をもっている。 しかし、 神々の許にとどいている根の傍らには、 ウルドの泉とよばれる最も神聖な泉がある。神々 が互いに相談しあう時には、この泉の傍らで会合
するのである。このトネリコの木の下の泉のそば にはまた、ノルンたちが住んでいる。これはウル ド(過去) 、ヴェルダンディ(現在) 、スクルド(未 来)という三人の女性で、彼女たちがすべての人 間に幸福や悲しみの運命を、彼の出身に応じて与 えるのである──王侯の息子には大きなはげしい 幸福を、日雇労働者には平凡な生活をというふう に。 いろいろの動物と悪しき霊(ヴェター)が、こ の木を蝕んでいる。フヴェルゲルミルには竜のニ ドホグがいて、根を噛んでいるし、誰にも数えら れないほど多くの悪い虫が、そこに蠢いている。 また、ラスタトスクというリスが、その幹を上り 下りして走っているし、 鹿がその葉を食べている。 しかし、ウルドの泉に住むノルンたちが、この トネリコに水を注ぎ、泉の濡れた土をとってその 根を覆って、枝が決して乾いたり枯れたりしない ようにしているのである。
「トール神と巨人たち」 : [神々のうちで最も強 いのはトールで、彼は大地の息子と呼ばれる。彼 はその鉄槌ミョルニールで知られる。かれがこれ を振り上げると、すべての巨人やトロールは慄え
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れていた風力発電の研究に、しかも一民間人が賭け たそのわけを聞いてみましたが、「食料もエネルギー も自給できなければ、国の「平和」は保てない」と きっぱり申しました。生きていく根源のものは自給 する、それが生存権の基本というわけです。食と自 然再生エネルギーが、デンマークでは思想化してい ます。20世紀資本主義の経済効率主義からは絶対 出てこない、 辺境の泥炭 湿地から生まれた思想です。 このように、 デンマークは、 私の研究対象である、 泥炭 湿地(おもにここではヒースの原野)の国でも あります。先の国際会議の合間に、コペンハーゲン の北40キロメートルの、 列車で50分ほどの港町、 )を訪ねました。ヘルシ ヘルシンオア( Helsingør ンオアはエーアンソン海峡の最狭部にあり、対岸の スウェーデンのヘルシンボリまで4キロメートルで、 フェリーが頻繁に往復しています。デンマークとス ウェーデンはたがいに「宿敵」と呼び合い、102 6年から1809年までの約800年間で、134 年間戦争状態でした(百瀬宏・熊野聡・井村誠人編 「世界各国史21 北欧史」 (山川出版) ) 。宿敵の間 に横たわり、バルト海への入り口でもあるエーアン ソン海峡の最狭部で、通行税にあたる「海峡税」が デンマークのエーリク7世により課せられました。
この海峡税取立ての要塞として建築されたのがクロ ンボー城です。 クロンボー城( Kronborg Slot )の王子は Amleth ですが、シェークスピアは最後のHを前に持ってき (ハムレット)としたと、城の城壁に て、 Hamlet はめ込まれている、シェークスピアのレリーフの説 明にそう書いてありました。周りは低湿地のヒース 地帯で、寒風は荒海とどんよりとした空まで巻き込 み、城塞は薄い闇に浮いているようです。 Hamlet の舞台にぴったりで、むしろ不思議なのはシェーク スピアがなぜこの城を知ったかです。 別の機会に、デンマークの 大学農学部の Aarhus (D The Danish Institute of Agricultural Sciences IAS)下のフォーラム研究所 Research Centre ( Blichers Allé 、 DK-8830 Tjele )訪問しま Foulum した。ここでは、畜産と作物生産の複合的な機能に ついて研究している、ヨーロッパ最大級の研究機関 で、施設やテーマが充実しています。ここの研究所 だけでも、北大の農学部以上の規模で、まわりには 圃場が700ヘクタールあり、実証試験も盛んでし た。糞尿のバイオガスの各種プラント、温暖化ガス の畜産からの放出等、現代的課題で先端を行ってい ます。
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で開催されました。この国際会議にサ Bella Center ステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)も1 セッションを持ちました。COP15はポスト京都 議定書をまとめる会議と位置づけられていて、コペ ンハーゲン議定書の作成を目指していたのです。こ の気候変動関係の科学者による国際会議の議長はコ ペンハーゲン大学の副学長の Katherine (女性)で、挨拶は実に堂々としていて、 Richardson メッセージも明確でした。地球の危機に瀕して、今 こそ科学者が行動しないでどうするのだといった、 熱のこもった、時には机をたたきながらの熱弁でし た。ちなみに彼女は International Geosphere (IGBP)の科学技術委員会 Biosphere Program の委員でもあり、以前お会いしたことがあります。 の大臣は Connie デンマーク Climate and Energy (女性)で、コペンハーゲン議定書の成 Hedegaard 立かける意気込はなみなみならぬものでしたが、結 局COP15での成立はなく、COP21の骨抜き パリ協定までずるずる延びていきます。 デンマークの環境にたいする意識は大変強いもの があります。デンマークの比較的肥沃な南部最良の 2州シュレスウィヒとホルスタインは、ドイツ、オ ーストリアに割譲され、荒漠としたヒース(薄い泥
炭と砂質土壌) の土地であるユトランドが残ります。 内村鑑三は 『後世への最大遺物 デンマルク国の話』 (岩波文庫)で、荒漠としたヒースをE・ダルガス が「戦略として荒地に水を漑 (そそ)ぎ、これに樹を 植えて林を回復し、苦心惨憺して、各地に鬱蒼 (うっ そう)たる樅 (もみ)の林を見るにいたりました」と書 いています。 天然のヒースは今ではデンマークでほとんど見る ことが出来ませんが、ユトランド半島の北にある、 3500年前のケルトの墳墓群の保存地域 Shån では、ヒースの荒涼とした原野が広がり、 gravhøjene エリカやガンコウランの小さな花が密やかに咲き誇 っています。このすぐ近くに、P・メゴード( Preben )が運営する、民間の研究機関フォルケ Maegaard センター( Folkecenter: Center for Sustainable )があります。P・メゴードは、40年近く Energy 風力発電や自然再生エネルギーの先駆的研究を行っ て来た草分け的存在です。P・メゴードが初期に開 発した、風力発電用の30メートル近い巨大な羽が ガレージに置かれていて、それは寄せ木で作られ、 重い。こんな巨大で、台風でもこないと回転しそう にないとてつもなく重い羽根で風力発電しようとす る執念がすごいです。当初、不可能に近いと考えら
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あぶりの刑に処されている風景は、むしろ地獄絵の ようです。というか、ここは中世世界です。中世世 界に巨大な風車がまわる。まるで北方神話の巨人伝 説の郷か? なぜだか、イギリスではなく、デンマークで、シ ェイクスピアに摑まってしまった感じです(不思議 なことに、旅をしていて、イギリスでシェイクスピ アに出会うことはなかったです) 。 シェイクスピア再 読のきっかけになりました。 シェイクスピアの時代のイギリスでは、森林破壊 が進み、ケルト ゲルマン(一部、ギリシャ ローマ の神々の再難民化も含めて) の妖精 精霊たちが難民 (難霊?)化し、泥炭 湿地に逃げ込んできた時代で す。その泥炭 湿地の視点から、シェイクスピアを読 んでみると、アジール(泥炭 湿地)とディアスポラ (追放された土着の妖精 精霊) の視点がシェイクス ピア劇から垣間見えてきました。 シェイクスピア劇のハムレットは、突き詰めると 「亡霊」と「悪魔」の判断がつきかねるという、悩 みの葛藤です。もっと突き詰めると、キリスト教が ヨーロッパ全域に浸透してきているのですが、しか し、キリスト教がまだ魂の全権を掌握していない、
曖昧模糊とした領域があるということをしめしてい ます。 ケルト的樹木信仰を根絶しようとしたけれど、 アイルランドの守護神〝聖パトリック〟は、余りに も強い抵抗のために、郷土的ケルト的信仰を容認せ ざるをえなかったことからも、イギリスにおいては いまだに地霊的、 「精霊」 「妖精」が生きぬいていた 時代の話が、シェイクスピア劇です。もっとも、キ リスト教の世界に、悪魔が存在すること自体、この 世での神の全権支配がまだ未完ということですが、 それでも、たとえば「亡霊」や「精霊」 「妖精」をき っちり、 「神」の側なのか、 「悪魔」の側なのか、啓 示してくれれば、ハムレットの悩みが存在しなかっ たはずです。ハムレットがなにを悩んでいるのか、 見てみましょう(シェイクスピア『ハムレット』野 島秀勝訳、岩波文庫) 。 第1幕第4場
亡霊、現れる。 ホレイショー あっ、殿下、あそこに! ハムレット 天使よ、神の御使いよ、われらを守 り給え! お前は救いの霊か、堕地獄の悪霊か、
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から、サムソ島(島全体を自然再生エネ Aarhus ルギーで動かそうとしている「デンマーク自然エネ から、 ルギーアイランド」 )に向かいます。 Aarhus フェリー乗り場まで1時間ほど走りますが、そこら じゅうから煙が立ちのぼっています。この日6月2 (夏至祭前夜祭 3日は、 Sankt Hansaften )で、〝魔女焼き〟 MIDSUMMER NIGHT EVE の儀式で、魔女のかかしを燃やして災厄を払う日と か。海辺や湖沿いに大きな焚き木の井桁が組まれ、 そのてっぺんにはかかしのような魔女の人形が置か れていて、夕暮れになると焚き木に点火されます。 ちょうどその時間帯だったのです。 魔女が燃えた後、 歌ったり、食べたり、飲んだり、夜通し騒ぐらしい ですが、フェリーの時間なので未練をのこしてさら ばです。 なお、6月24日は聖ヨハネ祭で、ヨルダン川で キリストが洗礼を受けたと伝えられる「バプテスマ ) 」の祝日です。聖ヨ のヨハネ( St.John the Baptist ハネは、キリストの生誕にさきがけて、天から遣わ された伝道者。後に捕らえられ、ヘロデ王(アンテ ィパス)により殺害されてしまいます。この死にま つわるサロメの故事が有名。イギリス、オーストリ ア、デンマークなどではこの日を「夏至祭」として
祝い、この前夜が「ミッド・サマー・イヴ」で、シ ェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」はこのお祭り にちなんで書かれたといいます。 この Sankt Hansaften は、ケルト ゲルマンの古 い伝統的な祭りをキリスト教のシステムに組み込ん だものでしょう。フェリーで地元の親父に聞いてみ ると、どうも、昔は若い男女が森にいき、乱交を繰 り広げる祭りらしく、文献にもそのような説明があ りました。 つまり、 歌って踊る妖精たちの誘惑です。 そうするとこれは不思議な祭りです。キリスト教的 には野原や海岸で、魔女を火刑し、ケルト ゲルマン 的には森で、妖精たちと歌って踊って誘惑に引き込 まれるのです。魔女を火刑に処しながら、いまだに 妖精たちに誘惑されている。この極端に違う世界観 がこの地帯には息づいているということです。相容 れない世界観の一体どっちが、この世をささえてい るのか? それが、問題なのではないでしょうか。 シェイクスピア的にいうと、例の有名なセルフ、 "to です( 「生きるべきか死ぬべきか」 be, or not to be" ではなく) 。 からサムソ島へのフリー乗り場まで、最 Aarhus 先端技術の発電用風車が続き、そのいたるところで 霞むほどに煙が立ちのぼり、魔女(の藁人形)が火
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ハムレット ああ、予感していたとおりだ! やはり、あの叔父が! 亡霊 そうだ、あの近親相姦の、あの不義密通の 獣が、 奸知の魔法、裏切りの才覚を使って── ああ、なんたる邪悪な奸知か才覚か、あれほど 見事に 女をたぶらかすとは!──わしのこよなく貞淑 に見えた妃の心を奪い、 おのれの恥ずべき肉欲の餌食にしたのだ。 亡霊が「亡霊」なのか「悪魔」なのか分からぬ故の 苦悩です。その証明のために芝居を打つのが第2幕 第2場です。これが実際的な悲劇を生み出します。 ハムレット 頭を働かすのだ。そうだ、聞いたこ とがある、 心やましい奴が芝居を見ているうちに、 舞台の巧みな技に深く心打たれて、 たちまち過去に犯した悪事の数々を白状したと いう。 そう、たとえ人殺しにはみずから語る舌がなく ても、
摩訶不思議な器官が働いて語り出さずにはおか ないのだ。 あの役者たちに父上殺害をにおわせる、そんな 筋の芝居をやらせよう、 叔父の面前で。あいつの面の動きをとくと見て やる。 傷口を開いて、急所を探ってやるぞ。少しでも ひるむようなら、 打つ手は決まっている……おれが見たあの亡霊 は やはり悪魔かもしれぬ、悪魔ならこちらの気に 入る姿形を装う力がある。 そうだ、ことによると、気が滅入ったおれの憂 鬱につけ込んで、悪魔はそういう 弱い心には 格別、強力なものだから、 おれを欺いて地獄に堕とす気なのかもしれぬ。 亡霊の言葉よりも、もっと確かな証拠が欲しい ──そうだ、芝居こそ、 王の良心の罠にかけるにはもってこいの手立て だ。
そして、有名な台詞がでる第3幕第1場です。ここ の科白「生きるか、死ぬか、それが問題だ」の英語
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もたらすものは天の霊気か、地獄の毒気か、 その意図は悪意か善意か、いずれであれ、 そのような怪し気な姿で現れたからには、 問いかけずに措かぬ。 お前をなんとでも呼ぼう、 ハムレット、殿下、父上、デンマーク王、何と でも。さあ、答えてくれ! (中略)
[亡霊、手招きする] ホレイショー ついて来いと、手招いております。 何か告げたいことがある様子、 殿下だけに。(中略) ハムレット ここでは口をききそうにない。なら ば、こっちからついて行こう。 ホレイショー 殿下、なりませぬ。 ハムレット どうして、何を恐れている? この命など針一本の値打ちもありはしない。 霊魂ならこちらにもある。奴に何ができよう? 奴同様、霊魂は不死身なのだから。 また、手招いている。ついて行くぞ。 ホレイショー いや、もしあれが海の方へ、 あるいは高くそびえ海に突き出た危険な 断崖絶壁の天辺へでも誘って、 なにか恐ろしい魔物の姿に変化 (へんげ)し、
殿下の至高の理性を奪って 狂気へと引き込んだとしたら、如何なさいま す? 第5場──城塞下の空地
亡霊 われこそは、汝の父の亡霊、 夜は幾許かの時を地上にさ迷い、 昼は煉獄の業火の中で飢えに苦しみ、 生前この世で犯せし罪の穢れが焼き浄められる のを待つ身の定め。 (中略)
ハムレット 早く、早く、お聞かせ下さい。 空想や恋の思いに劣らぬ迅速な翼に乗って、 敵を襲い、きっと復讐を遂げますから。 亡霊 頼もしいぞ。 この話を聞いて奮い立たぬようなら、 冥府を流れる忘却の川の岸辺に根を張り、 いたずらに生い繁る雑草同然の役立たずと思う ぞ。 (中略)
父を噛み殺した当の蛇が今、現に、 父の王冠を頭に戴いているのだ。
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ット』で妖精(ニンフ)の言葉がでてくるのは、こ こだけです。少なくとも、ハムレット、そしてシェ イクスピアは、妖精(ニンフ)は、悪魔の側にいる のではなく、悪魔と戦える側にいるという、暗黙の 了解をここで示しています。 第4幕第5場で、オフィーリアは自殺を決意しま す(状況から判断すると) 。 オフィーリア [歌う] 二度ともどってこないのかしら? 二度ともどってこないのかしら? いえ、いえ、死んでしまったのだもの。 いっそ、あたしも死の床へ、 帰らぬ人を待つよりは。 第4幕第7場はオフィーリアが亡くなった場面の描 写ですが、自殺ではなく事故として処理されていま す。 王妃が泣きながら登場。 王妃 悲しみが踵を接して、次から次へと。 ああ、レアティーズ、あなたの妹御が溺れて死 にました。
レアティーズ 溺れて?一体、どこで? 王妃 柳の木が一本、 小川のうえに差しかかって、 白い葉裏を流れの鏡に映しているところ。 あの娘は柳の葉を使って、きんぽうげ、いらく さ、ひなぎく、 それに口さがない羊飼いたちが淫らな名で呼び、 純潔な乙女たちは死人の指と呼んでいる紫蘭を そえて、 きれいな花環を上手につくり、その花の冠を枝 垂れた枝に 掛けようと、よじ登った途端、枝は情 (つれ)な く折れて、 形見の花環もろとも、哀れにむせぶ小川に落ち ました。 裳裾はひろがり、しばらくは人魚のように川面 をただよいながら、 古い賛美歌を口ずさんでいたといいます。 身に迫る危険も知らぬげに、 水に生れ水に馴れ親しんだ生物のように。 でも、それも束の間、裳裾はたっぷりと水を吸 い、 あのかわいそうな娘を美しい歌声から引き離し て、
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が、 "to be, or not to be" です。 ハムレット、沈鬱な面持ちで登場。 ハムレット 生きるか、死ぬか、それが問題だ。 どちらが立派な生き方か、 気まぐれな運命が放つ矢弾にじっと堪え忍ぶの と、 怒濤のように打ち寄せる苦難に刃向い、 勇敢に戦って相共に果てるのと。死ぬとは── 眠ること、 それだけだ。そう、眠れば終わる、心の痛みも、 この肉体が受けねばならぬ定めの数々の苦しみ も。 死んで眠る、ただそれだけのことなら、 これほど幸せな終わりもありはしない! 眠れば、たぶん夢を見る、そう、そこが厄介な のだ。 人の命をこの世につなぐ縄目を解いて 死の眠りについたとしても、それからどんな夢 が立ち現れるか、 それを思うとためらわずにはいられない──こ んな悲惨な人生に かくも長く人が耐えているのも、この思いがあ
ればこそなのだ。 (中略)
ついには行動の 美わしのオフィーリア──妖精(ニンフ)よ、 御身の祈禱のなに 罪に穢れたこの身のこともお忘れなく。
オフィーリアは恋人というよりは許嫁。第3幕第 1場の後に、あやまってオフィーリアの父親を殺害 してしまいますが、この場面では、まだ、実際には 罪を犯していません。 「罪に穢れたこの身」の台詞が 謎です。 「生きるか、死ぬか、それが問題だ」と言っ ているのは、 「死ぬとは──眠ること」で全てから解 き放されるので、「これほど幸せな終わりもありはし ない!」ことになります。ただ、 「眠れば、たぶん夢 を見る」 、そこが「厄介」なのだと、ハムレットは言 っています。つまり、 「生きるか、死ぬか」 、それは 問題でない。ハムレットが恐れているのは、生死で なく、死んだ後も、夢の中の世界を悪魔が支配する ことなのです。 「生きるか、死ぬか、それが問題だ」で始まるこ の長い科白の最後に、「美わしのオフィーリア──妖 精(ニンフ) 」をつぶやき、祈願する。この『ハムレ
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クベスに殺害された:本人は真相はしらぬ)後、正 気を失って、花を手に登場し、花を手渡す。花言葉 には妖精の香りがします。オフィーリアに花の妖精 が潜んでいます。 ローズマリー[レアティーズに:忘れるな] パンジー[レアティーズに:物思い] ウイキョウ[王に:追従、おべっか] オダマキ[王に:不義密通の象徴] ヘンルーダ[王妃に:後悔あるいは悲しみ] ヒナギク スミレ 下楠昌哉は、 『妖精のアイルランド 「取り替え子 (チェンジリング) 」の文学史』平凡社新書)で、妖 精は「取り替え子(チェンジリング) 」の能力を持つ と指摘し、これがアイルランド、ケルト文学の大き な特徴であるといいます。オフィーリアは、マクベ スの身代わり的に犠牲となったとすると、『ハムレッ ト』はじつは、妖精や精霊の物語ではなかろうかと とは「どちらの 思えてきます。 "to be, or not to be" 世界を信じたらいいのだ」と言う深い苦悩の吐露で す。
シェイクスピアの四大悲劇の『ハムレット』 『マク ベス』 『オセロ』 『リヤ王』のうち、 『ハムレット』 『マ クベス』は泥炭 湿地が舞台で悪魔(魔女)が悲劇の 重要な鍵となっています。 『マクベス』では、悪魔の 軍団構成は明確です。悪魔(へカティ)‐魔女‐幻 影のヒエラルキーもきれいに出来ています。『ハムレ ット』で「亡霊」だったものの位置に『マクベス』 では「幻影」がきています。 『ハムレット』の「亡霊」 と違って『マクベス』の「幻影」は、悪魔の軍団に 直属しています。そういうことが明確なのに、なぜ 悲劇が必然的に起こされるのか、疑問が募ります。 それは未来の時間(予言)に係わりますが、 「神」は 絶対に未来を教えてくれない、なぜなら信仰が浅け れば未来は暗くなる。未来は人間の自分の才覚(信 仰と努力)できまるというつれない扱いです(つま り、死ぬ瞬間まで魂に行き場やその行き先のランク が分からない) 。で、この時代、悪魔は未来を見透せ る、と信じられていたのではないでしょうか? あ るいは魂を少し売れば、未来を変えてくれる。ここ に悪魔との取引が成立する。この悪魔的世界観がな いと、 『マクベス』劇が成り立ちません。
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川底の泥の中に引きずりこんでしまったのです。 めに、偶然にも沼地のほとりに佇んでいた。す るとありとあらゆる危険に満ちた場所から鬼火 イェイツと同時代のエドワード ダンセイニ卿が が躍り出るのを目にした。 (吉村満美子訳『夢見る人の物語』所収) 妖精の立場で書いた妖精物語は、キリスト教会的な 悪魔的な悪者の側面が全くありません。以下、下楠 ダンセイニ卿が描いた妖精は、水の妖精で、これ 昌哉『 (妖精のアイルランド 「取り替え子(チェン ジリング) 」の文学史』平凡社新書)によります。エ はまるでオフィーリアのようです。ハムレットは結 ドワード ダンセイニ卿の妖精をみてみます。 局、古代ケルト ゲルマン的世界の妖精(オフィーリ ア)に望みを託したのです。 舞台はイングランドで、魂を欲しいと願った妖 河合祥一郎によると、ジョン ラスキンは『胡麻と 精が魂と人間の姿を得るものの、人間世界でさん 百合』 (1865)でつぎのように述べているといい ざん苦労をして、生まれ故郷の沼地に帰ってゆく ます( 『謎解き『ハムレット』名作のあかし』ちくま 物語である。 「小さきもの」と称される妖精本来の 学芸文庫) 。 「シェイクスピアの芝居のあらゆる主要 姿は、茶色く薄汚い蛙のようであり、土に根ざし 人物のなかで、ただひとりだけ弱い女性がいる── た存在としてのイメージが強く描きこまれている。 オフィーリアである。彼女は、ハムレットが彼女を 一番必要としているまさに決定的な瞬間に彼を裏切 ってしまい、何の助けにもなれぬから、あのように ひどい破局を迎えることになるのである」 。 オフィー リアは「シェイクスピアの芝居のあらゆる主要人物 のなかで、ただひとりだけ弱い女性」というのは鋭 い指摘です。しかし、ハムレットを裏切ったという のは、興ざめの解釈です。 第4幕第5場でオフィーリアは、 父親が死んだ (マ ・
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小さきものは(中略)柔らかな緑の苔で覆われ た危険な水辺へと帰ってくると、親しみ深い薄 暗い水の底へと深々と身体を沈め、再びそのつ ま先で懐かしい沼地の泥を探った。すると(中 略)生まれ変わったような喜びにあふれ、水面 に上がって星明かりのもと踊りはじめた。 その夜わたしは人間界のごたごたを忘れるた
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マクベス ならば生きておれ、マクダフ。お前を 恐れることなどないわけだ。(中略) 雷鳴。幻影3、王冠をかぶり手に木の枝を 持った少年。(部下に木の枝を持って進撃さ せ、やがて王になるマルカムを象徴) マクベス 何だあれは、王位継承者のいでたちだ な、幼い頭に王冠をいただいて。 魔女たち 黙って聞け、話しかけるな。 幻影3 獅子の心で、 傲然と、 何一つ気にするな、 誰がわめき誰がいらだち、どこで陰謀がたくら まれようが。マクベスは決して負けぬ、バーナ ムの森がダンシネインの丘へ攻め寄せてくる [下へ消える 迄は。 マクベス くるわけがない。誰があの大森林を動 員して、大地に張った根を抜いて集まれと木々 に命令できるか? 嬉しい事実だ! ありが たいぞ! 復讐をたくらむ死人ども、貴様ら再 び立ち上がれんぞ、バーナムの森が立ち上がっ て動き出すまでは。王者マクベスは天寿を全う して、安らかに死を迎えるのだ。 ──だが、この胸がうずくほど知りたいこと
が一つある。教えてくれ、そこまで見透せる のなら。バンクォーの子孫がいつこの国の王 になるのか? 三人 知りたがるな、これ以上。 マクベス おれは納得したいのだ。いやだといっ てみろ、永遠の呪いをかけてやるぞ! 教えろ。 ──なぜ大釜が沈んで行く? あの調べは何 [オーボエの音 だ?
このマクベスの悲劇のもとは、解釈の齟齬です。 構造は単純です。悪魔軍団は抽象的表現で未来を語 りますが、マクベスはその抽象的表現を鵜呑みにす る。シェイクスピアは、なんでこんな単純な悲劇(と いうかむしろ喜劇)を書いたのか? ヨーロッパの魔女裁判は、イギリスでは1600 年を中心にして非常に盛んになります。 この時期は、 大航海時代の覇権争いで大量に森林が伐採された時 期です。森の妖精 精霊は居場所を失ったはずです。 『マクベス』の舞台はスコットランドで、マクベス の居城地はインヴァネスで、バーナムの森とマクイ ダフの城はインヴァネスから南に200キロメート ルで、エディンバラのすぐ北、またフォレスはイン ヴァネスの東に50キロメートルの地点です。イン
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『マクベス』 (木下順二訳、岩波文庫)を読んでみ ましょう。 第4幕第1場 暗い洞窟 中央に煮えたつ大釜 魔女1 言ってみな。 魔女2 頼んでみな。 魔女3 みんなで揃って答えてやる。 魔女1 言ってみな。聞きたいのはこの口からか い。それともわしらを率いる悪魔からかい? マクベス 悪魔を呼べ。おれと会わせろ。 魔女1 自分の子供を9匹食った めす豚の血を絞り込め。 首吊り台で人殺しが垂らした 脂の汗もみんな一所に火の中へ。 三人 さあ、地獄から、身分の高いの低いの、 姿を見せて、勤めを果たせ。 雷鳴。幻影1、兜をかぶった首。 (後にマク ダフに討ちとられるマクベスを象徴) マクベス (魔女へ)話してくれ、 (幻影へ)何も
のだお前は── 魔女1 向こうはお前の心を知っておる。黙って 聞きな、なんにもいうな。 幻影1 マクベス!マクベス!マクベス!気をつ けろマクダフに、気をつけろファイフの領主に。 ──もう許せ。──それだけだ。 [下へ消える マクベス 何ものにせよ、そのよい忠告、感謝す るぞ。おれの恐怖の糸をまさにびいんと鳴らし てくれた。──ただもうひとこと── 魔女1 聞いてくれるものか。さあ次のが出る。 もっと力のあるものが。
雷鳴。幻影2、血まみれの嬰児。 (月足らず で母の腹を裂いて取り出されたマクダフ ──マクベスは結局彼にころされる── を象徴)
幻影2 マクベス!マクベス!マクベス!── マクベス 耳を三つにして聞くぞ、おれは。 幻影2 血を流せ、大胆に、容赦なく。人間の力 など笑いとばせ。女から生まれた男など、歯が [下へ消える たたんのだ、マクベスには。
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ろうかと思えてきます。そうだとすると、おお、 『マ クベス』はなんと世界初の「環境劇」で「森林破壊 に対する怨念劇」なのではないでしょうか。悪魔に 仕立てられた森の妖精 精霊たちの怨念劇。 「バーナ ムの森が動く」というのは、森林伐採そのものです ・
『真夏の夜の夢』 :それはアテネから1マイルほ ど離れた森に、恋人たちは逃げる。そこはアジー ル。その森は本来的に妖精たちのテリトリーであ った。そして森は異界。
シェイクスピアの初期作品『ヴェローナの二紳 士』 :北イタリアのミラノ郊外の森は伝統的なアジ ールの相貌を呈する。
のイングランド ロビン フッドからチャタレー夫 人まで』平凡社ライブラリー) 。それをさらにまとめ ると、以下のようになります。
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シェイクスピアの故郷は、ストラトフォードの町 です。ストラトフォードを中心にして、15~20 マイルほどの範囲の地域は、シェイクスピアカント リーと一般に呼ばれていて、北はコヴェントリーか ら、南はコッウォルド地帯(白亜紀丘陵地域)の北 端までで、牧場や畑や果樹園が古い町と調和した美 しい一帯です(藤田幸一郎『ヨーロッパ 農村景観 論』日本経済評論社) 。さらに、ストラトフォードの 西にウェールズ地方が、 東にノーホーク サフォーク 地方がひろがり、沼沢地・ヒースランド・湿地に囲 まれています。 ストラトフォードを泥炭 湿地や貧栄 養土壌地帯がサークルのように取り囲んでいます。 シェイクスピアの時代には、まだ美しい森林があり ましたが、ストラトフォードを取り囲む森林も急激 に伐採され始めた時代です。 川崎寿彦はシェイクスピアの喜劇の舞台に森林が 深く関わっていると、以下のように指摘します( 『森
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だからこのアテネ郊外の森は、 あのロビン フッ ドの森とも通底していたと思われる。かねがねシ ャーウッドの義賊は、イギリスの森の先住者ロビ ン グッドフェローとの血縁関係をとりざたされ るわけだが、このシェイクスピア作品では、劇全 体の狂言回しをつとめる妖精パックが、このロビ ン グッドフェローである事実を教えられる。 ・
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妖精 その姿、形、まちがえたら私の目が悪い せい、
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ヴァネスはハイランズ(ハイランド地方)ですが、 多くはヒースで覆われた、泥炭 湿地です。バーナム の森には立派なバーナム オークが今でも生えてい がアバディーンで開催 ます。 IPS CONVENTION された際に、西のインヴァネスあたりまでフィール ドツワーで行きましたが、低地の泥炭と高地(ヒル サイド)の泥炭が延々と続いていました。 ・
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木下順二は『マクベス』の解説で、魔女に会いに 行くところで、一つ面白いことがありますと、書い ています。 頼む、お前らの持つ予知の魔力にかけて、なぜ お前らにそれが分かるかは問わん、 答えてくれ。 お前らが自在に操る風という風を解き放って神 の会堂に吹きつけさせようとも、 泡立つ大波に船々を砕かせことごとく呑みこま せようとも、 まだ穂にも出ぬ穀物を叩き伏せて木々を大地に 吹き倒させようとも、 衛兵どもの頭上に城壁をどっと崩れかからせよ うとも、 宮殿や尖塔の頭 (かしら)を吹き折って台座の上
に落ちかからせようとも、 大自然の豊かな種を散乱させ破壊もおもてをそ むける迄に立ち至らせようとも構わん、 答えてくれ! おれの尋ねることに。
〝……とも〟──これは英語の "though" で、それ が六つですが、あるのです。しかも、それがぜん ぶ、話の筋とは関係のない風の話です。マクベス は魔女のところへ行って自分の運命を聞こうとし ているだけであるのに。 ではなぜ風の話が出るかというと、シェイクス ピアさんは多分こういうふうに思ったんじゃない か。魔女というのは風を司るという、むかしから の言い伝えがある。
魔女の住み家は、間違いなく、泥炭・湿地にあり、 冷たい強い風の吹きさらしの地です。つまり、森林 に棲息していた精霊や妖精たちが、このスコットラ ンドの荒れ地に追いたてられて、精霊や妖精の身分 も剥奪され、悪魔や魔女にされてしまう。そうする と、この『マクベス』は、泥炭・湿地文学的に解釈 すると、森林や環境を破壊した、領主や支配者に対 する、 ケルト ゲルマン的精霊たちの復讐劇ではなか
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になっているのである。 ・ジョナサン・スウィフト( Jonathan Swift 、16 67~1745年) : 『ガリバー旅行記』 シェイクスピアは、 「喜劇」では森林を舞台にしま すが、 「悲劇」 ( 『ハムレット』 『マクベス』 )では泥炭 ・ブラム・ストーカー( Abraham "Bram" Stoker 、 1847~1912年) : 『吸血鬼ドラキュラ』 湿地の荒野を舞台にします。森林ではまだ、妖精が ・オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ 息づいていますが、 泥炭 湿地では森を追われた妖精 や精霊たちが悪魔や魔女貶められた棲息域なのです。 ワ イ ル ド ( Oscar Fingal O'Flahertie Wills そうすると、シェイクスピアこそが、ケルト ゲルマ 、1854~1900年) : 『サロメ』 『ド Wilde リアン・グレイの画像』 環境文学として ン神話を泥炭 湿地文学に再構成し、 鏑矢を放ったとすらいえます。いま、その鏑矢が時 ・ジョージ・バーナード・ショー( George Bernard 空を越えて、つんざくように飛んでくるのをが聞こ 、1856~1950年) [1925年ノ Shaw ーベル文学賞] 『ピグマリオン』 『聖女ジョウン』 えます。 ・ウィリアム・バトラー・イェイツ( William Butler 、1865~1939年) [1923年ノ Yeats ーベル文学賞]詩集『塔』 『ケルトの薄明』 『ケ ルト幻想物語』 『ケルト妖精物語』 ・ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジ V アイルランドの「 想像力のネットワーク」 、1 ョイス( James Augustine Aloysius Joyce 882~1941年) : 『ダブリン市民』 『ユリシ ーズ』 『フィネガンズ・ウェイク』 ・サミュエル・ベケット( Samuel Beckett 、190 6~1989年) [1969年ノーベル文学賞] 『ゴドーを待ちながら』 ・
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アイルランド出身の作家 詩人のリストをみると、 新しき文学はアイルランドで製造され、世界に配布 されている感じがします。親しんでいるものだけを リストアップしても、まさにきら星のごとくです。
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ロビン グッドフェロー。 イギリス生えぬきの森 の妖精。カオスから新しいノモスに向けて、らせ ん状に駆けのぼる、 きわめつきのトリックスター。 彼は剛弓をたばさんでシャーウッドの森を闊歩し ただけでなく、惚れ薬を片手にアテネ郊外の森を 疾駆していたのだ。
あなたのあのすばしっこいいたずら好きの妖 精、 ロビン グッドフェローでしょう。 パック そのとおりだ、 おれこそその夜をさまよう愉快ないたずらも のだ。
有史以前からひろがる森があった。作者の思い出 が豊かに満ちた森であったと想像されるし、観衆 の胸底にもなにかしらじんとくるものがあったか もしれない。そもそも〈アーデン〉とは、ケルト 語で〈森〉を意味したのだと唱える人もいるくら い、イギリス人にはなじみ深い森だった。
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『ウィンザーの陽気な女房たち』 :シェイクスピ アの喜劇。森はあの有名なウィンザー・フォレス トである。ただしこの作品はこの作家には珍しい 市民劇であって、作品の主要部分はウィンザー市 内で起こるのだが、最後のしめくくりが森。しか も森以外ではしめくくれないという、作品の構造
彼(シェイクスピア)は故郷ウォリックシアの アーデンの森の実体を知っていたはずである。そ れは英国内の他のいくつかの名だたる森と同じく、 16世紀に入ってからかなり顕著に衰退しはじめ たようである。すでに世紀前半、あのレイランド は『旅行記』のなかでエイヴォン川沿いの森が薄 くなり、小麦の耕作地がこれを浸食しつつあるさ まを記録している。そして次の世紀にまたがるこ ろには、 事態はいっそう深刻になっていたらしい。
『お気に召すまま』 :シェイクスピアの〈緑の喜 劇〉の代表。彼が種本として用いたロッジ作『ロ ザリンド』が、舞台をフランス北部のベルギーに )の森に設定したこ 近いアルダンヌ( Ardennen ともあって、 『お気に召すまま』の舞台はアーデン )の森になっている。 しかしアーデンは、 ( Arden アルダンヌの英語読みというだけのことではなく、 れっきとしたイギリスの由緒ある森 (フォレスト) 。 しかもシェイクスピアの生地ウォリックシアに、
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崎県長崎市新中川町で海洋学者の父・石黒鎮雄 と母・静子の間に生まれる) [2017年受賞] 『日の名残り』 『わたしを離さないで』 アイルランドという辺境でかくも豊かな文学とい うか精神世界が花開いた、その「風水土」とはいか なるものでしょうか? すくなくとも、そこはケル ト文化が根付いているとされる地域で、 それは泥炭 湿地地帯であるために、その精神世界があまり侵略 されずに残ったに違いありません。イギリスとアイ ルランドで、それほど大きな生態環境「風水土」に は差が無いのに、開発と非(未)開発、もしくは植 民地主義と非(被)植民地主義の国家戦略の差で、 文学だけでもこれほど大きな差が出来たのには驚き です。 アイルランドでは、美術は全くだめです。ダブリ ンのアイルランド国立美術館へいきましたが、貧弱 な美術館で、ヨーロッパの絵画が多少ある程度で、 30分もかからずに見終わってしまいます。アイル ランド人の絵画は、ほとんど見当たりませんが、あ っても西欧画のマネで、独自性がありません。文学 では抜きん出ているので、ちょっと不思議な気がし ます。芸術と言っても、言語的観念をあやつる文学
[観性]と、視覚的感覚をあやつる美術[感性]と では、全く違う文化領域(精神領域)のようです。 西欧や北欧のどこの国の博物館でも、古代の造形物 が全く貧弱なのには、いつも驚きますが、それは[感 性] 的芸術 文化が伝統的に弱いことを示しています (縄文に匹敵する文化の欠落です) 。ですから、妖精 や精霊のよりどころとする文化は、踊りと歌で観念 を操作するより[観性]的文化で、造形 描写による [感性]的文化ではありません。極論ですが、古代 ヨーロッパには、造形 描写による[感性]的文化が 育たなかったといえるかもしれません。 少なくとも、 縄文と比べると、その差異は圧倒的です。 下楠昌哉は、アイルランドの豊穣な文学の地下水 脈を「取り替え子(チェンジリング) 」の概念にさぐ りあて、これを「想像力のネットワーク」と呼びま す( 『妖精のアイルランド 「取り替え子(チェンジ リング) 」の文学史』平凡社新書) 。 ・
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アイルランドと妖精の間にイメージの堅固な結び 付きが生まれるにあたっては、19世紀末から2 0世紀初頭にかけて興隆したアイルランド文芸復 興運動と、それと連動して国家プロジェクト化し ていった民間伝承の収集が果たした役割が大きか
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生) [1948年受賞] 『荒地』 ・シェイマス・ヒーニー( Seamus Heaney 、 19 39~2013年) [1995年ノーベル文学 ・エリアス・カネッティ( Elias Canetti 、ブルガリ アのルスチュク生) [1981年受賞] 『眩暈』 賞] 『ナチュラリストの死』 『群衆と権力』 つぎにノーベル文学賞を受賞したイギリス人のリ ・ウィリアム・ジェラルド・ゴールディング( William スト(政治家と哲学者は除く)をみると、こちらは 、イギリスコーンウォールのニ Gerald Golding ューキー生) [1983年受賞] 『蠅の王』 まさに大英帝国といった面々で、そういった点から ・ヴィディアダハル・スラヤプラサド・ナイポール も、 アイルランド出身の作家 詩人はアイルランドの 風土を背負い込んでいるのがよく分かります。国籍 、旧イギリ ( Vidiadhar Surajprasad Naipaul ス領西インド諸島トリニダード島のインド人の がイギリスである文学とアイルランドの文学は、そ 家系に生まれる) [2001年受賞] 『インド・ れぞれグローバルとローカルの文化の際立った差異 闇の領域』 『イスラム再訪』 を示しています。以下は、イギリス国籍のノーベル 文学賞の受賞作家です。 ・ハロルド・ピンター( Harold Pinter 、ロンドン東 部のハックニーで、ユダヤ系ポルトガル人の労 働者階級の両親のもとに生まれる)[2005年 ・ジョゼフ・ラドヤード・キップリング( Joseph 、英領インドのボンベイ生) 』 『 The Caretaker 』 受賞] 『 The Birthday Party Rudyard Kipling (読んだことはないが) [1907年受賞] 『ジャングルブック』 『少年 キム』 、詩『マンダレー』 ・ドリス・メイ・レッシング( Doris May Lessing 、 ペルシャ(現イラン)のケルマンシャーで、イ ・ジョン・ゴールズワージー( John Galsworthy 、 イギリスのキングストン・アポン・テムズ生) ングランド人の父アルフレッドと母エミリーの [1932年受賞] 『林檎の樹』 娘として生まれる) [2007年受賞] 『黄金の ノート』 ・トマス・スターンズ・エリオット( Thomas Stearns 、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス ・サー・カズオ・イシグロ( Sir Kazuo Ishiguro 、長 Eliot
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ものなら燃えてしまえ、けれども神さま聖者さ まの、下さりものなら傷つくまい」 (ワイルド夫 人による) 。そこで、もしこの子供が、 〈取り替 え子(チェンジリング) 〉であるならば、叫び声 をあげて一目散に、 煙突から上へと逃げてゆく。 (井村君江訳『ケルト妖精物語』所収)
下楠昌哉が指摘する「取り替え子(チェンジリン グ) 」を下地にした文芸作品を次に取り上げます。 イェイツ(1865~1939年) : 幼くして亡くなった弟のロバートへのオマージ ュ溢れる「盗まれた子供」 (1889) 。 スュリッス森の高原の 岩山ふかい湖に、 木の葉の茂る島がある、 白鷺羽根を拡げれば、 まどろむ鼠の目をさます。 そこに隠した妖精の樽は、 いちごがいっぱい、盗んできた 真っ赤な桜んぼもあふれている。
こちらにおいで! おお人の子よ! いっしょに行こう森へ、湖 (うみ)へ、 妖精と手に手をとって、 この世にはお前の知らぬ 悲しい事があふれている。 (井村君江訳『ケルト妖精物語』所収)
これは、全く新しい視点だ。アイルランドの田 舎で妖精譚を語る者たちにとっては、妖精は彼ら の隣人であっても忌避される存在であり、妖精の 領域に足を踏み入れて帰還することは、選ばれた 者にしかできない。だから、民話の妖精譚におい ては、妖精の世界は常に伝聞の形式で語られる。 しかし、この詩は、第三者の話者と当事者の間を
、精 、の 、視 、点 、で 、書 、か 、れ 、て 、い 、 行ったり来たりしつつ、妖
、部分がある。イェイツは、同じ題材を扱いなが る らも、全く個別の視点を持つ言説をここに並置し ているのだ。(中略)すなわち、イェイツは、アイ ルランドの土地に古くから醸成されてきた語りや 民衆のバラッドに、自分が英語で紡いだ「文学」 を戦略的に接続しようとしている。その結果、イ ェイツのこの試みは、民話の語りの世界に全く異
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った。大英帝国の支配下にあったアイルランドで は、来たるべき近代国家としての独自性を支える にふさわしい精神性が希求されるなか、作家や知 識人たちが、アイルランドの歴史、伝説、神話、 民話をさまざまなかたちで語り直していた。彼ら がこの時代に構築した広大な言説ネットワークは 裾野広く広がっている。その影響からは、現代に おいてアイルランドについて何か発信しようとす る者ですら逃れられない。世紀転換期に構築され た言葉によるこの強固なネットワークを、本書で は 「想像力のネットワーク」 と呼ぶことにしたい。 言葉と言葉が精妙に絡み合った広大な言語空間に 分け入ってゆくこと。それが本書の試みである。 とはいえ、その広大な「想像力のネットワーク」 の全貌を描き出すことは、この小さな書物の手に あまる。そこで、本書では、アイルランド民話の 妖精譚によく登場する「取り替え子(チェンジリ ング) 」 と呼ばれる妖精をパイロット役として任命 したい。アイルランドの「想像力のネットワーク」 を鮮明なイメージとして捉えるため、われわれは チェンジリングに導かれて、広大な言説空間を遊 泳してゆく。 では、「取り替え子」 とはいかなる妖精だろうか。
1888年、後にノーベル賞詩人となる弱冠23 歳のウィリアム・バトラー・イェイツは、過去に アイルランドにおいて収集された民話や、妖精を 題材とした詩などを編纂した『アイルランド農民 の妖精譚と民話』を世に問うた。その書物の「取 り替え子(チェンジリング) 」として分類された民 話と詩のセッションに、イェイツは、つぎのよう な序文を付している。
時折り、妖精たちは人間を惑わして自分の国 へ連れてゆき、その代わりに病弱な妖精や子供 や木切れを置いてゆく。そうしたものは魔法が かけられているので、衰えて死んでゆく人間の ように見え、そのまま埋葬されてしまう。ふつ う多くの場合には、子供が盗まれる。もし誰か が「子供をじっと見ていた」なら、つまり嫉ま しそうに見ていたなら、それは妖精がその子供 に手を出しかけているのだ。その子供が〈取り 替え子(チェンジリング) 〉であるかどうか見分 けるのにいろいろなことが行われるが、ひとつ ぜったい確かなやり方がある──その子供を火 の上にかざして、こういう文句を唱える、 「燃え ろ、燃えろ、燃えろ、──悪魔(デヴィル)の
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郷を離れたストーカーの、 もう一つの自分なのだ。 この吸血鬼ハンターが、アイルランドから来るこ とは許されない。彼の顔は、アイルランドでは、 鏡に映らぬ吸血鬼の顔だからである。
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オスカー ワイルド(1854~1900年) : オスカー ワイルドは、 民話に関する優れた著作 を残した両親の息子だった。彼は、自身の最も長 い散文作品『ドリアン グレイの肖像画』に、アイ ルランドのことはおくびにも出さず、取り替えっ 子のモチーフを取り入れ、なおかつ、美と快楽に 関する豪華絢爛な省察を詰め込んだ。 作品中に取り込まれている取り替えっ子の民話 の枠組みを検証するために、ここでこの小説の人 間関係を把握しておこう。 物語は、 画家バジル ホールワードが友人のヘン リー・ウォットン卿と話しているところから始ま る。ヘンリー卿は、バジルが描いた美少年ドリア しぶるバジルを説き伏 ン グレイの絵に感嘆する。 せてドリアンに引き合わせてもらったヘンリー卿 は、彼に若さによる美は滅びゆくものであること を説いて聞かせる。ヘンリー卿の話に衝撃を受け たドリアンの姿を描いたバジルの絵は最高の出来
栄えとなり、ドリアンに譲り渡される。ドリアン はヘンリー卿と毎日のように会い、美と快楽を重 んじる卿の考えに感化され、バジルのモデルをし ていたころの無垢を失ってゆく。 女優シビル ヴェ インを恋愛の末、自殺に追い込むことをきっかけ に、ドリアンはひたすら快楽を追求してゆく。彼 が快楽を追い求めて何かを踏みにじるたびに、彼 の魂の穢れを反映するかのように、バジルからも らった彼の肖像画は醜く変貌してゆく。しかし、 40近くになっても、ドリアン自身は10代のこ ろと見た目は何ら変わらず、青春の美しさを失わ ない。やがて、絵からの圧力に耐え切れなくなっ たドリアンは、パリに発つ前に説教に訪れたバジ ルを殺害する。 快楽をひたすらに追求する生活に疑問を持った ドリアンは、改心することを考え始める。新しい 人生を始めるために、彼は自分の肖像画にバジル を殺したナイフを突き立てる。翌朝、召使たちが 発見したのは傷ひとつない若きドリアンの肖像画 と、胸にナイフを突き立てた醜い死骸だった。 ・
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質のヴィジョンを挿入してしまっている。 エイブラハム・ストーカー(1847~1912 年) : ストーカーがトランシルヴァニアを訪れること なく、大英博物館図書閲覧室に足しげく通い、東 ヨーロッパの旅行記を参考に『ドラキュラ』を執 筆したことはよく知られている。そして、実際に 目にしたことのない風景の記述は、ストーカーの 心に焼き付いていた風景の記憶と強く結び付いた。 『ドラキュラ』で描き出されるトランシルヴァニ アの情景には、ストーカーが生まれ育った時代の アイルランドの姿が反映している。ちょうど、ロ ンドンに鏡を置いて、ヨーロッパの西の果てから 東の果てを見るつもりでその鏡を覗き込んでみれ ば、鏡のなかの自分の背後に西の果ての風景が映 っているような具合である。 『ドラキュラ』は、ア イルランドの「想像力のネットワーク」の一部を 成す作品である。作品のなかには、アイルランド の民話や神話、もちろん取り替え子(チェンジリ ング)のモチーフも縦横に張り巡らされている。 ドラキュラは、土の臭いがする。彼は、自分の 霊力を保つため、生まれた土地の土を50の棺桶
に詰めてロンドンに運び込み、いたるところに配 置して、そのうちのひとつで昼間は眠りについて いる。ドラキュラが土を運び込んだ場所には、強 烈な悪臭が漂う。 (ドラキュラの妻である)女吸血鬼3人のうち ふたりは浅黒い肌を持ち、ひとりは金髪碧眼であ る。これは、19世紀の大英帝国の白人読者にと って脅威である。彼らにとって、浅黒い肌を持つ 女性が吸血鬼であることには、違和感がないが。 しかし、白人の吸血鬼の存在は、自分たちの同属 が吸血鬼になり得ることを意味する。それは、や がて犠牲になる「西方の光」という名を持つルー シー・ウェステンラの運命と、吸血鬼の存在する 異界がヨーロッパの文明社会と地続きであること をほのめかしている。そう、ちょうどアイルラン ドの村々のすぐそばに、妖精が集う場所があるよ うに。 その昔イギリス本土にサクソン人民族を送り込 んだ彼の地オランダから、帝都ロンドンの危機を 救うため、アングロ=アイリッシュのストーカー の顔を持つ男がやって来る。オランダ訛りの奇妙 な英語を話すこの老人は、ダブリン訛りの英語を 駆使してロンドンの劇場を懸命に切り盛りする故
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ブリンのバーで『ユリシーズ』が読めなくとも、一 ーが生み出した傑作と言っても良いと思います。ア 度目を通しておけば、喧噪が波のように押しかけて イルランドは、ダブリンは、泥炭 湿地で囲まれた土 きて千変万化の自作の『ユリシーズ』に身を投じる 地なので、じめじめ湿って、足をとられ、曇天で風 ことができます。 が強く、生産性が低く、食う物もなく(実際ひどい 飢饉が続いた) 、 じつは、(悪魔の巣窟なのだ) 。 失礼、 司馬遼太郎は、ジョイスの創作技法論は「意識の 悪魔が作った収容所なのです。歌って踊っているの 流れ」を掴むことで、20代の作品である『ダブリ は妖精・精霊たちなのです。 『ユリシーズ』は妖精・ ン市民』にもその気配がすでに現れているといいま 精霊たちの唄なのです(相当酔ってますね。悪魔の 朝日文芸文庫) 。 囁きか) す ( 『街道をゆく30 愛蘭土紀行Ⅰ』 。そう、 『ユリシーズ』は「取り替え子」の 「意識の流れが、泉のように言葉が湧いて流れるま 詩片で綴られています。 まにまかせられるとすれば、創作上の一種の無政府 河合隼雄が面白いことを言っています ( 『ケルトを 主義かもしれない。読み手としては、作者の意識の 。 巡る旅 神話と伝説の地』講談社+α文庫) 流れのままに身をまかせ、いわば溺れ死ぬことも覚 悟して流れてゆくのが最良の態度なのであろう。べ (ジェイムズ )ジョイスは、いわゆる近代的な つの読み手──つまり川岸で流れをながめて、自分 意識によって作られた文学を壊すほどの力で創作 の想像力で読もうとする読み手(私もそうだが)に をした人だ。 『フィネガンズ ウェイク』の文章な とっては1ページに何度もとまどう」 。そう、司馬遼 ど、ひと続きになってワァーッと連なる、何とも 太郎が言うように、ジョイスの『ユリシーズ』は酒 言えない、怖いような面白さがある。 場のスピリッツで書かれていて、喧噪のような文章 考えてみるとそれは、日本の古典文学に似てい に乗っていけばいいのです。読んではいけない。ひ ないだろうか。 たすら味わうのです。酒場の雰囲気はおなじでも、 私は『源氏物語』を、誰かが「あのまま」ヨー 客はどんどん変わり、 『ユリシーズ』も読むたびに流 ロッパの言語に訳してくれないものかと常々思っ れはどんどん変わる。 『ユリシーズ』はダブリンのバ ・
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なく熱帯の泥炭地においてです。多種多様な文体と Ⅵ アイルランドの泥炭 湿地の文学 多種多様な内容で筋はすぐ消えてしまいますが、バ ラバラにならず不思議な調和を保ってながれていく アイルランドの生態環境は、 基本は泥炭 湿地です。 感じをはっきり覚えています。 そこで、 ここに成り立つ文学は泥炭 湿地の文学とい 『ユリシーズ』は、ジョイスがよく行ったという えます。泥炭・湿地文学というジャンルの可能性に での、さまざ アデェビー・バーンズ Davy Byrne's まな喧噪と会話と酔っぱらい達のうねるような合唱 ついて考えてみます。 に耳を傾け、その全てを1904年6月16日の1 日に注ぎ込んだのではなかろうかと、いまでも思っ でできてい ています。 『ユリシーズ』は酒場の sprit る感じです。 数年前、 『ユリシーズ』を片手に、アデェビー・バ ーンズに行きましたが、薄暗くてダメでした。新聞 を読んでいるのは何人もいるのですが、本はいけな い、とくに文庫は。アデェビー・バーンズでは、会 話は英語のようで英語でない、100人近い不思議 な喧噪に身を委ねていると、 『ユリシーズ』交響楽を きいている感じがしてきます。この喧噪を肴に、ウ 18年(マイルド)とか イスキーの JAMESON 18年(力強い)とかをストレートでチビリ Powers チビリと舐めて、不思議な感じを脳髄に刻みつけま す。そう、ウイスキーはスピリッツなのです。ダブ リンには、喧噪とウイスキーがよく似合う。ここダ ・
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ジェイムズ ジョイス: ジェイムズ・ジョイス( James Joyce )に『ユリ シーズ』という、ダブリンのある1日(1904年 6月16日)を多種多様な文体を駆使して記述した 長大な小説があります。そうとう以前に少々かじり ましたが、この小説こそダブリンの喧噪の流れの中 で読むしかないと思えて、放置しました。普通に読 んでも歯が立たない、なにかきっかけがいる、なに か読む理屈がいる。そこで、この小説の舞台設定日 の100年後の2004年6月16日に、『ユリシー ズ』をダブリンで読む夢を描きました。ただその頃 は、インドネシアの泥炭の研究で忙しく、2004 年6月16日を挟んで、カリマンタンのパランカラ ヤで泥炭地の調査をしながら、 『ユリシーズ』を一心 不乱に読みました。ダブリンの寒冷帯の泥炭地では
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芸品や芸術が生みだされたりする(なんだ、ケル トと同じじゃないか、 とおもったあなたは正しい。 オリエンタリズムは、民族や人種を理由に他の人 的集団を西洋列強が支配しようとしたときに生み 出された、 レトリックのシステムのひとつなのだ) 。 さらに続けて、アングロ サ =クソンによるケルトの 差別の指標として、 「感情的」で在ることが著しい劣 等性を示すと定義されます。 19世紀に入って俗流化した進化論が流布する ようになると、人種に優劣が存在するという考え 方が遍く信じられるようになった。 この考え方は、 宗主国である西洋列強が世界各地の植民地を支配 することを正当化する論理として、大いに活用さ れることになる。大英帝国の植民地の実験場とい われたアイルランドでも、例外ではなかった。ア ングロ サ =クソン対ケルト。宗派と階級の差は、 いつしか人種の対立の構図に取って代わられる。 ケルト。それは当時、アングロ サ =クソンから 見た差別の指標だったのである。 1867年、ヴィクトリア時代きっての文人の (1822~ ひとりとされるマシュー アーノルド
『ケルト文学の研究』を上梓す 88)は、(中略) る。宗主国である大英帝国の人々にケルト的な特 質と美徳を説くために書かれたこの書物は、その 目的がために、ケルトという民族の特性を規定す る必要があった。その書物において、ケルトは、 「感情的」であり、著しくバランスを欠き、根気 というものを全く持たない民族として論じられる。 それゆえに、絵画や芸術ではたいした作品を残し ていないのだが、装飾芸術の分野でその資質を発 揮しているのだ、と。アーノルドが論じるケルト 的想像力。それは、あくまで劣等人種として「仮 想」されたケルト的特質を論拠としたものであっ た。この紋切り型な資質は、エドワード サイード が 『オリエンタリズム』(1978) で抉り出した、 中東を中心とするオリエントに対する西洋の差別 的言説編成の図式にあてはまるものだ。西洋では 決して生まれない、目を見張るような芸術が東方 で生じるのは、 「感情的な」東洋人が西洋の合理的 では計り知れぬ想像力を有しているからだ、と西 洋では長らく理由づけられていた。サイードの論 における「オリエント」を「ケルト」に入れ替え ても合致する点は多い。
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ている。原文には主語などなく、句読点もない、 ただダラダラと続く『源氏物語』を。私たちが読 む『源氏物語』にはきちんと主語述語が補われて いるで、私たちはそれがもとの文章であると思い 込んでしまいがちだが、もし『源氏物語』をあり のままに訳せば、ジョイスの作品のようになるの ではないだろうか。 いわば、そういったニュアンスのことを現代の 西洋で著したのだから、ジョイスという人はたい へんな偉人なのである。
妖精・精霊の世界です (スパイスで、 悪魔もまぜた) 。
下楠昌哉は、アイルランドの豊穣な文学の地下水 脈を、 「取り替え子(チェンジリング) 」の概念に加 えて、 「オリエンタリズム」の概念を「占杖」 (水脈 占い)として探っていきます。エドワード サイード の『オリエンタリズム』 (1978)の序文から、 「オ リエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し 威圧するための西洋の様式(スタイル)なのである」 (今沢紀子訳)を引き出します( 『妖精のアイルラン 」の文学史』平 ド 「取り替え子(チェンジリング) 凡社新書) 。
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それは「帝国主義の発展を背景に西洋で確立さ れた、東洋を管理統制するための表象システムな のである。(中略)東洋は西洋に対して「小さい」 ものとして表象される。 未熟な子供のイメージが、 そのためによく使われる。つぎに、東洋は合理的 な西洋に比べて「感情的」である。それは「官能 的」でさえある場合があり、西洋からの反応は、 ときにオリエントの女性に対する欲情となって現 れる。そして合理的思考をしないその世界の人々 からは、西洋の人々には想像もできないような工
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河合隼雄はさすがだ。 『フィネガンズ ウェイク』 が『源氏物語』に繋がっていくなんて、河合隼雄も そうとう酔ってますね、ジョイスに。 河出文庫の『フィネガンズ ウェイク』 (河出文庫) の訳者柳瀬尚紀(北海道根室市出身)は、一部の地 名の翻訳として、アイヌ語に由来する北海道の地名 を多用して(約40程)いて、訳者自身がジョイス の「意識の流れ」に見事に乗っています。まあ、神 話的世界と現代を二重化する重層的な物語構成で、 はもう長編詩に昇華した 『フィネガンズ ウェイク』 感じで、神話的世界とは、ずばりケルト ゲルマンの
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ト ゲルマン的古層の香りが強い地域なのではない でしょうか。ここは、泥炭 湿地を好んだパウル・ツ ェランが住んでいた、 ル ムーランの別荘にも近いは ずです。 理由は別にしても、 「感性的意識の流れ」の『ユリ シーズ』と「感性が呼び覚ます無意志的記憶」の『失 われた時を求めて』が、20世紀の文学に大きな影 響を与え、西洋の本流の「合理的」 「理性的」 「絶対 的」な優勢思想(概念)に一撃を与えたのはたしか です。北欧神話的にいうと、プルーストとジョイス は双頭のトール神で、手にした斧は『失われた時を 求めて』と『ユリシーズ』で、それぞれ打ち砕いた のはミッドガルドという「理性」怪獣です。いや〜、 ダブリンのテンプル バー界隈を練り歩いていると、 こんな話はわけなく湧いてきます。 前回の旅で見たように、フランスを中心とする、 19~20世紀芸術における表現主義、象徴主義、 シュルレアリスム(超現実主義)とはアヘン(ヤク) 窟の看板のようなものでした。シュルレアリスムの アンドレ・ブルトンはいうにおよばず、シャルル・ ボードレール、サルトル/ボーボワール、ピカソ、 アントン・アルトー等々に、さらに、最近私的に明 らかになった表現主義を代表するゲオルク トラー
クルまで加えてです。これらに共通しているのは、 (アヘンによる)意識の断片化です。意識の流れそ のものを断ち切る文化が突然19~20世紀に立ち 現れました。そもそも、西洋のコアーの文化や精神 は、 (1)外観を断片化し、それを貼り付ける絵画や 文学[積分化手法]と、 (2)外観に近づけるために、 削り取っていく彫刻[微分化手法]よりなっていま す。西洋は、いわば、もともと意識の断片化を基盤 とする文化や精神構造を持っています。クスリ(ア ヘン)による、断片化技術が極端に進みすぎて、断 片の再構築ができなくなったのが現状で、ナンチャ ラ主義は、いわば病症と考えると意味が明確になり ます。フランスのパリを中心に立ち現れた、この奇 妙は文化 芸術運動は、やはりクスリ(アヘン)に犯 されたニューヨークに大移動しました。 マルセル・プルーストもジェイムズ ジョイスも幻 想的にはなりますが、 「感性的意識の流れ」を重層的 に紡いで、新しい文学を、ひいては新しい文化の構 築法を見出したのです。その根底にあるのが、ケル 言い過ぎ ト ゲルマン的古層文化であるというのは、 でしょうか。 ・
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ウィリアム・バトラー・イェイツ:
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西洋が作り出した「オリエンタリズム」とアング 「感 ロ サ =クソンが作り出した「ケルトイズム」は、 情的」 (感性)で「理性」や「合理性」にかけるとい う劣等概念を構築したというのはその通りです。し かし、その劣等文化こそが、20世紀から21世紀 に掛けて、燦然と輝き始めているのも確かです。以 下にその劣等文化(文芸)を見てみます。 マルセル・プルースト: 1871年、フランスのパリ市に生まれで、アイ ルランドとは関係がありません。しかし、 『失われた 時を求めて』を読んでいると、 『ユリシーズ』を読ん でいるような錯覚をおこすことがあります。 プルーストは「無意志的記憶」を基調とする複雑 かつ重層的な叙述と画期的な物語構造の手法と、自 らいってますが、これは、ジョイスの「意識の流れ」 を掴む創作技法論とそれほど違わないはずです。 『失われた時を求めて』の主要な舞台となるコン ブレーのモデルとなった土地は、父の出身地である 田舎町イリエで、ロワール川が近くに流れる豊かな 自然に囲まれた場所です。この場所に、一家はたび たびバカンスに出かけたといいますが、しかし、9 歳の春に、ブローニュの森を散策後に喘息の発作を
起こし、それ以来、イリエに行くことを禁じられて しまいました。 『失われた時を求めて』が空想的世界 になるゆえんです。 プルーストは、登場人物の心理や客観的状況を描 写する視点が従来のように俯瞰的でなく、人物の内 部(主観)に入り込んでいるという型破りな手法を 使いますが、これは、私の言うところの、内観法で す。自然についてもそういうところがあります。精 霊も出てきます。 「それが内なる精霊のようにサン = ルーの四肢を動かし、仕草と行動を統御していると 考えた」 ( 『失われた時を求めて』吉川一議訳、岩波 文庫) 。 また眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚、紅 茶に浸った一片のプチット マドレーヌの味覚不意 に蘇った幼少時代のあざやかな記憶等々、これらは まさに、これまでヨーロッパやアングロ サ =クソン が劣等民族や人種の属性と定義した「感性」で、こ の流れで「無意志的記憶」が蘇り、それを綴ってい く。 田舎町イリエでは、ロワール川が近く、またゴシ ック建築のシャルトル大聖堂が聳えているというこ とは、かつて森林が生い茂っていたのが急速に破壊 され、精霊が逃げ惑っていた地域と思います。ケル
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を備え、詩的想像力の世界を俗界から護る小宇宙た る城砦のこの孤塔こそ、 後期の詩の世界を生み出し、 その展開を可能にし、完成への醸成を助けた、いわ ば土地霊(ジーニアス ローサ)の宿る運命の場」で した。 しかしながら、イェイツの詩を読んでみると、私 が考える泥炭 湿地文学のイメージが吹っ飛んでし まいました。世間的高い評価とは別に、私的にはイ ェイツがさらさらと抜け落ちていく感じがします。 ここのヒースの原野に吸い取られた感じでしょうか。 確かにイェイツの書いた『ケルトの薄明』 『ケルト幻 想物語』 『ケルト妖精物語』 (いずれも井村君江(編) 訳で、ちくま文庫)を読むと、ケルトを良く理解し ていると思います。どうもケルトの妖精をうまく纏 めたのが、彼の詩のような気がし、しかし妖精はか れの心の中には住んでいない感じです。つまり、ヨ ーロッパの文芸家に多い知識としての妖精です。 辻昭三は、スペンダーが「イェイツとリルケは共 に超絶の詩人であったが、その超絶の方向は、いわ ば逆であった」と述べているとして、次の文を引用 します。 ・
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リルケにとっては外的物象は、目に見えない内
的生命の中へ変容されてゆき、その内界で全人間 的なものの一部となるのであるが、イェイツにと っては内的生命が外的物象――芸術作品 )──に変容されてゆき、その芸術作 ( artefacts 品が生の受苦に対する精神の勝利を示すことにな る。つまり生命が形のない主観性から、構成力を もった夢へと流れ出るのである……
辻昭三は次のようにコメントします。
このように心の世界、魂の内界、詩的創造の内 なる世界を力強く主張した詩人は、最後に、肉体 は朽ち衰え、血は徐々に腐敗し、怒りっぽく気が 錯乱し、鈍く耄碌してゆく──いやもっと悪いこ と、友人たちの死、見る者をハッと息づまらせる ほどの明るく華やいだ眼差しの女との死別など─ ─これらすべてのことが、地平線が朧ろに暮れて ゆくときの空の雲のように、また深まりゆく夕闇 の中で、ぼんやり聞える鳥の声のようにしか思え ぬ日の来るまで、学び舎に刻苦して、 「わが魂を作 り」あげる決意を述べてこの詩「塔」を終わって いる。
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1865年に、ダブリン郊外で誕生した、アイル ランドの詩人で、ロマン主義から神秘主義と幅広く 活動しました。 辻昭三はイェイツを次のように讃え、アイルラン ドに根ざし、 そしてスライゴーをこよなく愛念 ・ 傾 慕したことをうまくまとめています ( 『イェイツの詩 界逍遙』英宝社) 。スライゴー近郊は、典型的なヒー スの荒れ地で、 泥炭 湿地文学の検証には最適地です。 この「風水土の旅」で、泥炭 湿地文学を訪ね歩くと すると、絶対に外せない詩人です。 ・
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イェイツの詩の世界の壮大さは、イェイツ自身 の詩の中の言葉で申せば「おゝ栗の樹よ、大いな る 根 を 張 る 花 咲 く 樹 よ 」( "O chestnut-tree, )に象徴される「存在の great-rooted blossomer" )の「イメージ」 ( Image ) 全一性」 ( Unity of Being の達成に他ならない。つまり、祖国アイルランド の土に根ざし、いやさらに西欧の知的伝統の土に 深く根ざした大樹──深く根を張ったが故に、群 葉を大きく茂らせ、天高く聳え立つ大樹に開いた 花々──それがイェイツの詩の姿と言っていいだ ろう。 イェイツは1865年にダブリンに生まれ、イ
ェイツの終生の心の故郷である、母方の祖父のス ライゴー邸宅で幼児時より夏を中心に過ごした。 ここスライゴーの地は、古代コノハトの王女メイ ヴと英雄クフーリンが合戦で相まみえ、妖精シイ )が丘から里へ駆ける神話伝説が、今も ( Shidhe なお息づいており、常若の国ティール・ナ・ノー )を夢見ることのできる国でもあ グ( Tir na n' Og った。
コノート地方はアイルランド島の北西部に位置し、 5州で構成されますが、そのうちイェイツが親しん だのは北部のスライゴー州、南部のゴールヴェイ州 です。幼児期に親しんだスライゴーの地は、イェイ ツに土地神(ジーニアス ローサ)を与えてくれまし た。ゴールヴェイの地には、 「イェイツがグレゴリー 夫人の手厚い歓待と庇護のもと、読書と思索と創作 にふけり、彼の後期の詩の世界の誕生と展開の運命 的な場となったクール荘園」 (辻昭三)があります。 クール荘園からゴールヴェイ平野へ出て、その真ん 中にある、バリリーの古塔のある城砦、そこはイェ イツにとって「思索と創作の鍛冶の場で、深更まで の古今の読書への没頭の庵室であり、 その内部には、 刻苦して叡智へと上昇すべき螺旋の階橋 (きざはし)
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若者たちや娘らがいて、 開けた空地で踊っていた。 新妻ブリジェットもそこにいた。 悲しげで陽気な顔して踊っていた。 踊り手たちが彼を取り巻き、 あれこれと優しい言葉をかけてきた。 若者が赤葡萄酒をついでくれ、 娘が白パンを渡してくれた。 だがブリジェットは夫の袖引いて、 陽気な群れから引き離し、 老人たちのそばに行く。カードに興ずる 老いの手のきらりとひらめく軽やかさ。 パンと葡萄酒は禍いのもと、 この人たちは空を行く妖精の群れなのよ。 彼は仄暗い長い髪を思いながらも、 腰を据えてカードの勝負に加わった。 彼は陽気な老人たちと勝負した。 邪悪な呪いなど気にかけもしなかった。 一人が新妻ブリジェットを抱き上げて、
陽気な踊りから離れるまでは。
一人が彼女を抱き上げて離れて行った、 みんなのうちでいちばん美しい若者が。 その首も、その胸も、その腕も、 彼女の長い仄暗い髪に覆われていた。 オドリスコルはカードを投げ散らし われに返って夢から覚めた。 老人たちも、若者たちも、娘らも、 ただよう煙のように消えていた。
聞こえてくるのは、ただ、空高く、 笛吹きが笛を吹きながら遠ざかる音、 こんなに悲しい笛の音を聞いたことがない。 こんなに陽気な笛の音を聞いたことがない。
*初出では最終連の前に、男が家に駆け戻ると、 息絶えた妻のそばで老婆たちが嘆き悲しんでい るのを見出すというスタンザがあった。
さて、問題の「グレンダロッホの渓流と太陽」 、"1932) ( "Stream and Sun at Glendalough
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ああ、これで、やはりイェイツは「外観的」詩人 なのだと確信できました。イェイツはリルケを誹謗 しますが、それは根本的に思想が、つまり精神の生 理機構が真逆になっているせいです。以下に、高松 (岩波文庫)で、イェ 雄一編『対訳 イェイツ詩集』 イツの詩を読んで検証してみます。 このロマン主義的「落葉」からは、感性ののびし ろは少ない、あるいは使い果たしている感じを受け ます。後は知識で固めていくだけという感じがしま す。 [2] 落葉 (1889年初出) 私たちを愛でてくれる長い葉に秋が来た。 大麦の束に棲む鼠たちにも秋が来た。 頭の上のナナカマドが黄いろになった。 濡れた野いちごの葉も黄いろになった。 愛の終わる時がそこまで迫っている。 二人の悲しい魂はもう疲れてやつれ果てた。 情熱の季節が過ぎ去るまえに別れよう、うつむく あなたの額に一つの接吻と一滴の涙を残して。 24歳の時の詩で、ロマン主義の典型的な詩で、
後にロマン主義を唾棄するようなことをいっていま すが、生理的にはこのような精神構造がイェイツの 基盤です。 次に妖精の詩ですが、 『ケルトの薄明』 『ケルト幻 想物語』 『ケルト妖精物語』をうまく取り纏めたよ うな詩で、よそよそしさがぬぐえません。
[16] 空を行く妖精の群(1893年初出) オドリスコルは鼻歌まじり、 淋しい雄鹿の湖の 芒つけた背の高い葦の茂みから 野鴨や家鴨を追い立てた。 夜が迫ってくるにつれ、 葦はしだいに黒くなる、 新妻ブリジェットの 仄暗い長い髪が恋しくなる。
妻を思って歌っていると、 笛吹きが笛を吹きながら遠ざかる。 こんなに悲しい笛の音を聞いたことがない。 こんなに陽気な笛の音を聞いたことがない。
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イツが結びついて、またまたクラクラしてきます。 イェイツ作品とシュタイナハ手術理論との間の一 本の糸、すなわち「自己生成」という概念が浮かび 上がってきて、萩原眞一は、 「この点を理解する上で 示唆に富む透察を与えてくれるのは、 『モダニズム、 テクノロジー、身体』 ( Modernism, Technology, and ) の 著 者 ア ー ム ス ト ロ ン グ ( Tim the Boday )である」と言います。以下に、長く引 Armstorng 用します。
)を立証するものとなった。 self-directed nature"
「精液の経済学」という思考様式:肉体内のエ ネルギーを閉じたシステムで捉え、 ある器官 組織 で過度にエネルギーが消費されると、別の器官・ 組織でエネルギーの消耗 枯渇が起きてしまうと 見なす19世紀の生理学的思考方法である。
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「精液エネルギー」という思考様式:胎児発生 の主役はあくまでも精子という男性的要素であり、 女性は栄養源を提供する補助的存在にすぎないと いうものである。これは遠くアリストテレス )の思想に端を発している。哲学者に ( Aristotle 従うと、生殖においては常に、精神などの人間存 在の本質を伝えているのは男性であり、女性は肉 体の素材を付与しているだけにすぎない。男性的 原理の優位を標榜するこのアリストテレス流生殖 観は、中世やルネッサンスの錬金術師たちの人造 人間(ホムンクルス)造成法や、17・18世紀 に流行した前成説の精子派(全人類はアダムの精 子の中に入れ子状に胚胎されていると主唱する一 派)を経て今日に至るまで、西欧文化を貫流して いる。
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彼(アームストロング)は、シュタイナハの手 術理論が20世紀初頭の先端的な内分泌学の研究 に基づきながら、他方で男性のセクシュアリティ をめぐるふたつの連結した思考様式、 すなわち 「精 )と「精液エ 液の経済学」 ( "spermatic economy" )に根差している ネルギー」 ( " seminal energy" ことを指摘した後で、次のように主張しているの だ。 シュタイナハ手術は、(中略)自己生成というイ メージにふさわしい身体的な場を提供した。精液 を生殖に使用するというよりもむしろ生理学的な エネルギーに転換するという理論は、イェイツ後 期 の セ ク シ ュ ア リ テ ィ の も つ 自 発 性 ( "the
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と題される詩の第3連を萩原眞一の引用で読んでみ (慶應義塾大 ます( 『イェイツ 自己生成する詩人』 学教養研究センター選書) 。語り手「私」に突然訪れ た特権的な「自己生成」の瞬間を捉えた作品という ことです。 いかなるものの動きが私の身体を刺し貫く閃光 を 放射したのであろうか。 太陽か渓流か、はたまた瞼であろうか。 何が私を生存せしめたのであろうか。 自ら生まれ、新たに誕生するかに見えるこれら のごとくに。 以下、萩原眞一の解説です。 シュタイナハ手術を受ける2年ほど前の193 2年6月、肉体的にも精神的にも不調の真っ只中 にあったイェイツは、ダブリン南郊の渓谷グレン ダロッホを訪問する。(中略) 「自ら生まれ、新たに誕生する」とは、まぎれ もなく「自己生成」のイメージである。詩人と等 身大の「私」は自らを「自己生成」する存在にな
ぞらえているのだ。(中略)詩人≒「私」は題名が 示唆するように、 「渓流と太陽」の「複雑な動き」 が突然放射した「閃光」に刺し貫かれて、自らが 「自己生成」する存在と化す僥倖に見舞われたの である。この希有な一瞬を経験してから2年余り ののち、老齢のため「骨のように干からびていた」 )を、イェイツが内 「空の器」 ( the " empty cup" 側から「自力」で満たすべく、シュタイナハ手術 に踏み切るが、この時、前々年に訪れた特権的な 至福の再来をもしかしたら希求していたかもしれ ない。
「シュタイナハ手術」 「自己生成」? 突然、何の ことですか? 「いかなるものの動きが私の身体を 刺し貫く閃光を」て、何処かで読んだような気がし ませんか? 「シュタイナハ手術」とはドイツのオイゲン シュ ) が開発した回春手術 (シ タイナハ ( Eugen Steinach ュタイナハ・ウェイヴ)で、シュタイナハの手術理 ) ]理論です。そし 論が[自己生成( self-begetting て、この回春手術をうけた有名人に、フロイトとイ ェイツとがいます。この「風水土の旅」で、何度か、 目眩に見舞われていますが、突然、フロイトとイェ
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己生成」のイメージが鮮明に現れるようになるとい います。この連作詩は1934年の一時期から同年 末あるいは翌35年初めにかけて執筆されたと推定 されています。まず、第7篇「いかなる魔法の太鼓 )の第1連を見ましょ か」 ( " what Magic Drumer" う。 彼は欲望を抑え、ほとんど息を止める。 〈原初の母性〉が彼の四肢を見捨てぬように、 子供が歓びを飲み干しながら、休めるように。 歓びはまるで彼の乳房から出る乳のようだ。 ところで、 「いかなる魔法の太鼓か」と同様、世 界の創造に当たり神の精液が大きな役割を果たす、 )"と いわゆる「神聖受精」 ( " divine insemination 聞いてただちに念頭に浮かぶイェイツ作品は、傑 、 作詩「レーダーと白鳥」 ( "Leda and the Swan" 1923)である。神が動物や植物に変身する話 は、古今東西、広く流布しており、枚挙にいとま がないが、中でも有名なのは、ゼウスの数ある変 身譚のひとつであろう。それは、レーダー(詩「学 童たちの間で」にも登場)の類いまれな美しさに 惹かれたゼウスが、白鳥に身を変えて彼女に近づ
き、陵辱してしまうという話だ。この人獣交婚・ 神人交婚から産まれた「レーダーの卵」という宇 宙卵が孵化して誕生したのが、トロイヤ戦争の元 ) 凶となった稀代の美女ヘレネー( Helen of Troy である。
「レーダーと白鳥」の詩:14行のソネット形式 で書かれているが、そのうちの第3連
痙攣する腰の震えはそこに産み落す、 崩れ落ちた城壁を、燃え上がる屋根や塔を、 そして死んだアガメムノンを。 大空を舞う白鳥の冷酷な血によって このように抓みあげられ征服されたいま、 乙女はそのつれない嘴が自分を落としてしまう まえに 白鳥の力と知恵を身に纏ったのだろうが。 (小堀隆司訳)
詩「レーダーと白鳥」を例に挙げて、人獣交婚・ 神人交婚による「神聖受精」をテーマに据えた作 品を検討してみたが、再び「ひとつの構造体」を 成す「超自然の歌」に戻り、神の単為生殖的な「自
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シュタイナハの手術理論も、体内エネルギーの 閉鎖システム論に基づいていることは、 明らかだ。 2本の精菅のうち、片方あるいは双方を一部切除 した上で、菅の両端をつないで縛ることにより、 半分あるいは全ての生殖機能を犠牲にする代わり に、その分だけ精液のエネルギーを性欲や性的能 力の回復・増強に充てることを、シュタイナハは もくろんでいたからである。(中略) こうして、心身共に衰えきった「自己を改造し )と なければならない」 ( "myself must I remake" 見定めてイェイツが踏み切ったシュタイナハ手術 は、 「自己」の中に「自己」の「精液」を「注入」 し、精液を閉鎖的な「自己」の身体内で生理学的 なエネルギーに転換するという、いわば「自己受 )を目指す点において、 精」 ( " self-insemination" 「自発」的に「自己」を自力で「改造」すること を企てる後期イェイツのセクシュアリティの特徴 と合致する。しかも、シュタイナハ手術を受けた 男性患者は、 「自己受精」するわけであるから、い わば自らが自らの「父」となる。性的エネルギー を溜める一種の貯蔵庫と化し、体重が増加した男 性患者の「健康な」姿は、驚くなかれ、 「妊娠」の 徴候を連想させたということだ。
「精液の経済」と「精液エネルギー」という二 大パラダイムを根幹に据えたシュタイナハの手術 理論が、 「自己受精」という概念を惹起し、それが ひいては後期イェイツのセクシャアリティを特徴 づける「自発」的な「自己生成」に通底するとい うアームストロングの考察は、従来のイェイツ研 究においてはほとんど提示されたことがないだけ に、大いに傾聴に値する。そこで、この啓発的な 考察に触発されてイェイツ作品を読み直してみる と、興味深いことに、シュタイナハ手術の以降だ けではなく以前においても、 「自己生成」のイメー ジがここかしこに散りばめられていることに気づ く。次章以下では、 「自己受精」に基づく「自己生 、 成」 のイメージが、 とりわけ詩集 『塔』( The Tawer 1928)以降の後期イェイツ文学において、い かにも重要な役割を果たしているかを、具体的な 作品をできる限り詳細に検証することによって明 らかにしてみたい。
萩原眞一によると、シュタイナハ回春手術を受け た1934年4月以降に発表されたイェイツの最高 の作品のひとつ、12篇の連作詩「超自然の歌」 )になると、俄然、 「自 ( "The Supernatural Songs"
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、1932)の第2部である。キュ ( "Vacillation" ベレーは詩の表面に表立って姿を現さないものの、 詩を理解する上で欠かせない重要な黒子役を果た している。 一本の木がある。いちばん高い枝からの半分が 煌々と燃え盛る火炎、あとの半分は緑につつま れて、 しっとり露に濡れた葉むらが生い繁っている。 半分は半分だが、それでいて全景でもある。 半分と半分が互いの再生するものを互いに飲み つくす。 かっと目をむくあの憤怒とびっしり茂る盲目の 葉と、 その中間にアッティスの像を掲げる者は、おの れが 知るところを知ってはいまい。だが悲しみも知 るまい。 (高松雄一訳) 大地母神と犠牲神にまつわる神話には諸系統あ るが、代表的なものはこうだ──。小アジアの古 )王国で豊穣多産の女神とし 代フルギア( Phrygia
て広く崇拝されていたキュベレーは、一説による と、ある日夢精したゼウスが地上にしたたり落と した精液から生まれた。女性的要素がまったく介 在せず、ゼウスの精液という男性的要素だけから 出生したキュベレーは、純然たる単為生殖の産物 といえよう。(中略) キュベレーは生まれながらにして両性具有であ ったため、その二重の力を恐れた神々によって、 男根を切り落とされてしまう。やがてこの男根か らアーモンドの木が生える。ある河神の娘がその 実を摘んで懐に入れたところ、受胎して男児を産 む。アッティスの誕生である。アッティスは山に 捨てられたが、山羊に育てられ、やがて非常に美 しい少年に成長する。ある時、女神に変性したキ ュベレーは、アッティスを見て一目惚れしてしま う。少年は女神の愛を受け入れ、両者はお互いの 愛を裏切らないことを誓い合う。 だが、若いアッティスは誓いを破り、とある国 王の娘と恋に落ち、結婚することになる。嫉妬に 駆られたキュベレーが突如、婚礼の場に乗り込ん でくる。アッティスは狂乱のあまり、自らの男根 を切り落とし、身を八つ裂きにして絶命する。そ の時、彼が流した血からすみれの花が咲き出た。
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己生成」のイメージが他詩篇でも現れ、 「いかなる 魔法の太鼓か」のそれと共鳴し合っていることを 確認したい。まず取り上げるのは、第2篇「リブ、 パ ト リ ッ ク を 非 難 す る 」( "Ribh denounces )の一節である。リブは古代アイルランド Patrick" で信仰されたドルイド教の隠者であり、初めてア イルランドにキリスト教を布教した聖者パトリッ )の論敵という役回りを演じて ク( Saint Patrick いる。 人間が、獣が、蜉蝣 (かげろう)が子をもうける ように、神は神をもうける。 なぜなら、 〈偉大な緑玉板〉が語ったように、下 のものは上のものの写しなのだから。 伝説上の錬金術の守護神ヘルメス・トリスメギス 「三重に偉大なるヘル トス( Hermes Trismegistus メス」 )の書と称される〈緑玉板〉を貫く原理、 「上 にあるものは下にあるものと同じ」によれば、大 宇宙と小宇宙は互いに照応し、地上界でおこなわ れていることは天上界でも行われる。性交もまた 然り。ただし、人間や獣は通常、男と女、雄と雌 が交合して子をもうけるが、 「リブ、パトリックを
非難する」の神の場合、単為生殖で子を誕生させ ているようだ。
第3篇「恍惚の中のリブ」 ( “ Ribh in Ecstasy ” ) の一節では、神の「自己生成」のイメージはさら に鮮明に打ち出される。
わたしの魂は見出した、 すべての幸福が魂それ自体の原因か根拠の中に あることを。 神は性のわななきの最中に神から神をもうけた。
こうして、シュタイナハ手術後に執筆された連作 詩「超自然の歌」のうち、3詩篇を瞥見したわけ であるが、それだけでも「精液の経済」と「精液 エネルギー」という二大パラダイムを根幹に据え るシュタイナハの手術理論が、 「自己受精」に基づ く「自己生成」というイメージを結節点として、 イェイツ作品と本質的な部分で交差していること を確認できたのではなかろうか。
キュベレーとアッテイスというと、真っ先に念 頭に浮かぶイェイツ作品は、詩「動揺」
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果てを知らない巨大な光のなか おれの儚 (はか 不可分の──主──
な)い目を捉えよ──
(中略)
無数の舌をもつおれのたましいよ、 怪物か天使か、 永遠におれをファックしにくる恋人よ──目のな いイカに着せた白いガウン── (後略)
「魔法の聖歌 」 (1960年6 Magic Psalm 月、柴田元幸訳) (新潮 2016年6月号) ドゥルーズ&ガタリ: 〈それ(エス) 〉はいたるところで機能している。 中断することなく、あるいは断続的に。 〈それ〉は 呼吸し、加熱し、食べる。 〈それ〉は排便し、愛撫 する。 〈それ〉と呼んでしまったことは、何という 誤謬だろう。いたるところに機会があるのだ。決 して隠喩的な意味でいうのではない。連結や接続 をともなうような様々な機械の機械がある。〈器官 機械〉が〈源泉機械〉につながれる。ある機械は 流れを発生させ、別の機械は流れを切断する。乳 房はミルクを生産する機械であり、口はこの機械 に連結される機械である。拒食症の口は、食べる
機械、肛門機械、話す機械、呼吸する機械(喘息 の発作)の間でためらっている。こんなふうにひ とはみんなちょっとした大工仕事をしては、それ ぞれに自分の小さな機械を組み立てているのだ。 〈エネルギー機械〉 に対して、〈器官機械〉 があり、 常に流れと切断がある。 シュレーバー控訴院長は、
、陽 、肛 、 尻の中に太陽光線をきらめかせる。これは太
、である。〈それ〉 門 が機能することは確信していい。 シュレーバー控訴院長は何かを感じ、何かを生産 し、 そしてこれについて理論を作ることが出来る。 何かが生産される。この何かは機械のもたらす結 果であって、単なる隠喩ではない。 ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症 上』宇野邦一訳、河出文 庫)
ウィリアム・バトラー・イェイツ: いかなるものの動きが私の身体を刺し貫く閃光を 放射したのであろうか。 太陽か渓流か、はたまた瞼であろうか。 何が私を生存せしめたのであろうか。 自ら生まれ、新たに誕生するかに見えるこれらの
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悲嘆にくれた女神の願いにより、彼の魂は永遠を 象徴する松の木に宿るようになった。(中略) 問題のイェイツ詩では、中世ウェールズの神話と 古代フリギア王国の神話が合体している。(中略) 〈燃える緑の木〉は、詩の第7部が「魂」と「心」 の対話を描いていること想起すると、霊魂と肉体 の拮抗状態を表象している。その木の中間に「ア ッティスの像」をかける行為は、二律背反する霊 魂と肉体を和合させ、一種の至福状態に達するこ とを暗示する。 以上に、萩原眞一の長い解説を引用しましたが、 イェイツの「神の光線」 (私の身体を刺し貫く閃光) の解説でもあります。 「風水土の旅」でも、 「神の光線」による、 「神の エキス(精神) 」の注入のイメージをこれまで色々見 てきました。この神から注入される「精神」 ( 「神の エキス」 )が、心身二元論(心身分離)的文化の特徴 と思われます。以下に、これまでのコレクションを まとめておきます。 ポール・ヴァレリー: 残酷な天の賚 (たまもの) 。邪婬の主よ、すぐに、す
ぐに、 息 (や)めてくれ、おお、神の醗酵の胤 (たね)よ、 情人もない純粋なこの腹の中に、 空しい懐妊を装ふ佯 (いつは)りを 「アポロンの巫女」 ( 『ヴァレリー詩集』鈴木 信太郎訳、岩波文庫)
D・P・シュレーバー: 光線ないし神の神経の絶えざる流入の結果として 官能的快楽神経が私の肉体に充満している状態は、 今となってみれば、すでに6年間以上も間断なく 持続している。それゆえ、私の肉体が、女性の肉 体における同種の現象によってもほとんど凌駕さ れない程度まで官能的快楽神経に貫かれ、満たさ れているというのは何ら驚くべきことではない。 『ある神経病者の回想録』渡辺哲夫訳、講談 社学術文庫) 。
アレン・ギンズバーグ: この世界は翼に乗っていて 何が来るのか誰にも わからないから おお おれの心が来る年も来る年も追い求める亡 霊よ 天から降りてきて この震える肉体を訪れ
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はシェイクスピアです。シェイクスピアこそ、西洋 の文化 文明の自然に対する破壊的欠陥をみすえて いたはずです。 ・
サミュエル・ベケット: 劇とは架空の舞台であることは、すべての劇に共 通であり、人間を観念的に捉えようする芸術表現で す。人の本質、自然の本質、神々の本質をなぞって いく。すくなくとも、西欧の「劇」 、さらに拡大して 映像芸術は、これら本質への問いを、舞台(ロケ場) に想像構成していく。そう思ってベケット『ゴドー を待ちながら』を読むと、まるで、本質の実体が何 も書かれていないことがすぐわかります。劇とはそ もそも架空な空間ですが、その空間が仮想空間とし てすら存在していない。つまるところ、現代好みの 「空」で「虚無」なのです。しかし、ヨーロッパの 現代芸術(文化)はすべて、 「空」や「虚無」を描く ために、むしろより壮大な理論と哲学を舞台の中に つくる必要があります。 「空」や「虚無」であればあ るほど。つまり、劇の架空の舞台を「実存」とやら で大工事をして、 「空」や「虚無」の概念で塗り固め る。でも、ベケットの「空」や「虚無」のはずの舞 台では、それすら手を抜いています。
ベケット『ゴドーを待ちながら』は、こういった 現代の「実存」などという病理的原理(フランス中 心のマヤク症候群)で構成されていないことは、す ぐわかります(サミュエル・ベケット『ゴドーを待 ちながら』安堂信也・高橋康也訳、白水uブック) 。 しかし、それにしてもなにも理解できない。2度、 3度と読んでも、なにも理解できない。解説をかじ ったら、ますますわからない。普通はすぐぶん投げ ですが、投げるにはなにか惜しい気もする。その惜 しい気がなんであるか、知りたくさせるなにかがあ る。 それで詩を読む時と同じように、 心の中に舞台 (情 景)をつくってみます。 まず、風水土的情景として、泥炭 湿地帯で、おそ らくヒースの原野にする。季節は、春の初め(木が 芽吹く)ですが、まだ北方の白夜の「夜」が支配し ており、昼の光りも弱い。北方の昼間は、春先の寒 暖差で霧とまではいわないが大気は水分をたっぷり 含みボーッとしている。 一本の柳(水気が多い地帯に生える) 。木にはゴド ーでなく、 ケルトの妖精や精霊はくるかもしれない。 ゴドー的神は乾燥して干からびている風土を好む。 ゴドー的神は乾燥地[風風界]にしか住めない。ゴ
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ごとくに。 萩原眞一『イェイツ 自己生成する詩人』 (慶 應義塾大学教養研究センター選書)の「グレ ンダロッホの渓流と太陽」より ジークムント・フロイト: エディプスコンプレックス等が相当で、D・P・ シュレーバーに同一化したかのような高い評価や オイゲン シュタイナハの自己生成 ) ]理論を理解して回春手術をう ( self-begetting けたことなどから。 ・
一方、イェイツの妖精とは、キリスト教会が生み 出した「真性の悪魔」の意味であったことが、 「グレ ンダロッホの渓流と太陽」により、白日のもとに晒 されました。泥炭 湿地文学(まだ存在しませんが) としては、残念ながら、イェイツを永久追放にせざ るを得ません。結局、泥炭 湿地からみると、イェイ ツはアングロ アイリッシュのプロテスタントのス パイだったわけです。 次は、イェイツが晩年に書いた詩ですが、 ・
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「岸に放り出されて喘いでいるこの魚ども」と書 いているのは、当然、イェイツらの革新的文学活動 のことで、シェイクスピアを馬鹿にさえしています が、泥炭 湿地文学の視点からすると、西洋の海をす いすいと泳いでいるのはイェイツで、喘いでいるの
シェイクスピアの魚ははるかな沖を 游いだ。 ロマン派の魚は手繰られる網の中で游いだ。 岸に放り出されて喘いでいるこの魚どもは何だ? 高松雄一編『対訳 イェイツ詩集』 (岩波文 庫)の「 [42]三つの運動(1932年初 出)より」
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さて、この「風水土の旅」で図らずも症例がたま ってきたことから、以後、 「神の光線による神のエキ ス(精神)の注入」 (究極の心身二元論)を「神の光 線症候群」と呼ぶことにします。そして、 「神の光線」 は外部から注入される規範なので、 「外観的世界観」 に分類します。泥炭 湿地文学では、森を追われて、 逃げ込んだ泥炭 湿地を妖精 精霊たちの難民(霊) キャンプと位置づけました。泥炭 湿地を妖精 精霊 たちは、悪魔の濡れ衣を着せられた「濡れ衣の悪魔」 です。シェイクスピアは当然、そう理解していたと 思います。
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すぐまた仕事に戻り きちんと土に切れ目を入れ 切り取っては 芝土を肩越しに放り投げ 良質の泥炭土を求めて どんどん掘り下げた 土を掘る ジャガイモ畑の表土の冷たい匂い 湿った泥炭の ぐにゃぐにゃで びしゃっとした感触 生きている根を そっけなく切った鍬の刃の切り口が僕の頭に甦る だが僕の手にはこうした人の後をつぐ鍬はない 人差し指と親指の間にある ずんぐりしたペンがある 僕はこれで掘るのだ 『ある自然児の死』1966より「土を掘 る」 ゴッホの絵画『 Two Women on the Peat Moor 』 (1883年)をみているような詩です。まるで、 ゴッホの絵の解説と言ってもいいぐらいです。アイ ルランド人は絵画が苦手なようですが、言葉の絵具 で、ペンでジャガイモを掘り、さらにこの詩集の「ア ラン島のシング」では、風が大地を刻み、インクが
荒野を刻むさまが、詠まれています。
海からの塩気が 四方から吹く風の刃を研ぐ 風は何エーカーもの 不動の岩肌をめくりあげ 身をちぢめている地面の皮をはがしていく 絶壁には牛の鼻づらが 彫られている 島民もまた 彫刻向き そら あのとげとげとしたしかめっ面 逆さ錨のように彫られた口 溺死のことばかりを考えている あのてかてか頭 そこに シングの登場 硬いペンで 頭の中で文を刻んでいる ペン先は潮風で研がれ 浸すインクは身をさす号泣の海
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ドーをキリスト教的神とすると、ゴドーをいくら待 ってもくるわけがない。 環境は苛酷であるが、魂(霊)は湿った世界「泥 炭・湿地界]でが十分生きていける。魂(霊)はこ の空間に満ちている。 霊魂だけのような世界が舞台。 しかし、ニンジンがこの霊界を現実的世界に引き戻 す。色彩のない霊界に鮮やかなニンジンの橙色。 泥炭 湿地にほとんどなにもない、 そのような最小 限の要素でできたシステムを動かしてみる。性愛で も愛憎でも欲得でもないもので動く世界。これは能 舞台?ボイド空間(内面のみの空間) 。飛沫(スプレ イ)空間(皮膚の外側を言語の飛沫スプレイして輪 郭を浮かび上がらせる空間) 。 ベケット『ゴドーを待ちながら』を、ハイデッガ ーの遺言「道。著作ではない」風にいうと、 「ここに 通じる道はタオ。舞台ではない」 。
トーナーの沼地で 祖父さんは一日で 誰よりも多く泥炭土を切り取った ある時僕は紙で無造作に栓をした牛乳壜を祖父さ んに届けた 祖父さんは腰を伸ばしてそれを飲み
学なんて誰もいっていないので、これが実質的世界 初のランキングです) 。 シェイマス・ヒーニーの泥炭 湿地詩のなにがすご いかというと、 これまで泥炭 湿地に成立した文学で は、ひたすら泥炭・湿地を隠し、そぎ落とし、臭い を消し、無味無臭無景の文学をめざし、それが普遍 的であるため世界的評価を得てきたのですが、シェ イマス・ヒーニーは泥炭 湿地をそのまま隠し立ても せずに詩に詠み込んでいるためです。 泥炭 湿地なぞ は、西洋では劣等地域で、棲息しているのは悪魔に 擬せられた妖精たちで、 全く恥ずべき地帯なのです。 その意味で、シェイマス・ヒーニーは、泥炭 湿地と はっきり格闘した、詩人です。さっそく、シェイマ ス・ヒーニーの詩を、 『シェイマス・ヒーニー全詩集 1966~1991』 (村田辰夫・杉野徹・坂本完春・ 薬師川虹一訳、国文社)で読んでみましょう。
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(前略)
シェイマス・ヒーニー: シェイマス・ヒーニーは、北アイルランド、ロン ドンデリー州のカトリック農民出身の詩人で、19 23年生まれ。アイルランド出身のイェイツ以来最 高の詩人といわれるが、それよりも、泥炭 湿地文学 界では、歴代でも最高峰といえます(泥炭・湿地文
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たちまち魔法の輪ができる たとえ真っすぐ歩いているつもりでも 毒茸と切り株が 絶えず現われてくるので 堂々巡りをしているようでもある ひょっとすると同じようなところを歩いているの かな ほら 焚火跡の黒い地面に コケモモが刺し子縫いをしている
倒れようとするのだ 俺は大地の長い地平線からも 川の水脈からも乳離れすることはない
地面に接して横たわっておればこそ 俺は朝の薔薇のように紅潮して立ち上がるのだ 戦いでリングに倒れる時も 不老長寿の妙薬の働きをする土の上に
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そして、次が、シェイマス・ヒーニーを、泥炭 湿地の最高峰の詩人と私が位置づける詩で、 『北』1 975の第一部より、 「アンタイオス」 。大地と繋が っている感覚は、 「内観」性そのものです。 「外観」 性のイェイツには、こういう詩が書けない。イェイ ツには大地よりも、 「神」が必要でした。自らの血管 が、大地と自然に繋がっている感じは、フリーダ・ カーロの人と植物を一体化させたような絵画『ルー サー バーバンク』のようでもあります。 西洋の神の世界観は、魔界は地下にあり、その大 地と繋がることは悪魔の仕業ということになります。 次の詩は、シェイマス・ヒーニーが、妖精になった 瞬間です。 ・
そしてそれが一度見つかると きっとまた見つかるに違いないのだ いつも自分だけだと思っているが いつも誰かが来ているのだ (中略)
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道に迷う方法を知るには もとのところへ戻らねばならない それは道先案内になり迷子にもなること── 魔女とヘンゼル グレーテルとを同時に演ずるこ とである
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泥炭 湿地、 ヒースの表層を覆う黄色のハリエニシ ダの絨毯。これはゴッホの描くヒマワリの花びらを 敷き詰めたような美しさです。 一年中ハリエニシダは 一つ二つの花を見せる だが 今は満開 春のすべての鳥の巣の 卵の黄身がまるで小さなシミとなって ハリエニシダの茂み一面に 突き刺さって ぶら下がり 熟れているみたい 丘が黄金をいぶす 煙る若芽と 足もとの残り滓のような枯れた刺の上で 花が沸騰する ハリエニシダの下にマッチを置くだけで ハリエニシダは突然に燃え上がる 太陽のなかで炎はみえず ただ激しく揺れる熱
けれどもそのように燃え立っても 刺が燃えるだけ したたかな枝は燃えず 骨のように残って 炭化した角となる
金箔をつけたぎざぎざの 弾むような ひだのあ る この育ちの悪い 乾いた豊かさが 丘や石溝の近く フリント層や戦場の上に 頑固なまでに根づいている 『闇への入口』1969より「ハリエニシ ダの丘」
次は、この『闇への入口』詩集から、 「植民地」 。 なぜ「植民地」? そう、ここは妖精の国。つまり、 「神」の植民地。
この森のなかではどの地点も中心となる 樺の木の幹が どこへ行ってもつきまとい 立ち止まるとそこに
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血が点々として滴たるぞ 血は血に 血は血に滴たる あ。 シェイマス・ヒーニーは自らをハムレットに重ね ます。イェイツとなんと大きな差異でしょうか。次 は、おそらく博物館にある泥炭地のケルト遺跡の詩 かと思います。 それは僕の書体に入り込み 草書体となって 止めどなく伸びる動物模様の線であり 僕が泥のなかに追う 蛆虫のような想念の痕である 僕はハムレット デーン人 髑髏回し 寓話作者 国家の腐臭を嗅ぎ回る者 その毒気に
当てられて 亡霊と恋人と 人殺しと孝行心に
手を縛られ 墓場で跳ねたり震えたり 喋り回ったりして 正気に戻るのだ 『北』1975の第1部の「ヴァイキング 時代のダブリン:復元品」の第4スタンザ
次は実際の話でしょうか?シェイマス・ヒーニー はどうも体験したような感じがしますが。部落の古 い因習の一端を。 処刑の綱が 彼女のうなじを引っ張り 彼女のあらわな胸に 吹く風が感じられる 風が彼女の乳首に当り 琥珀色のビーズに変える 風は肋骨のもろい
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俺は木の根や岩を 梁にしたこの地底の洞窟のなか 小さい丘のようなこの俺は 闇の胎内を揺り籠とし動脈の隅々まで 養われている
血は血に飛ぶ 生きたる物から滴たる その強さと恐ろしさとに わたしはぎょつとした どくどくと血が滴たる 万物の動脈が切れた 命が跳ね上つた そして落ちる まつさかさまに これはどうした事だ
こりやどうだ 血のにおいの強さつたらない
逃げろ逃げろぐづつくな 血は滴る一滴、三滴、五滴、九滴 天から、地から、街から、電車から。
血の強いにほひが 草木から、星から、走る車から どくどくと、ほとばしる
ぎょつとしてたたずむ私の体躯からも
このシェイマス・ヒーニーの、大地と繋がった感 じの詩を読んでいると、ふいに村山槐多(画家)の 詩が浮かんできました ( 『槐多の歌える 村山槐多詩 文集』の「ある日ぐれ」より(酒井忠康編、講談社 文芸文庫) 。村山槐多は、結核性肺炎を患い、さらに 1919年、そのころ猛威を振るっていたスペイン 風邪にかかり、寝込むが、2月の夜、みぞれまじり の嵐のなかを外に飛び出し、畑のなかに倒れている のを発見されたが、しきりにうわごとを言いつつ息 をひきとった。22歳で夭折。
血は血に滴たり
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『北』1975の「刑罰」 晩年の『ものの奥を見る』の詩片で、 耳には聞こえない音の波紋を描きながら 鮭が飛び込む池の水音が聞こえるすぐ近くで 麦刈りの男が一人鎌にじっと寄りかかっている と詠んでいますが、 芭蕉の境地か、 ゴッホの境地か、 静寂の境地です。
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Ⅶ ケルト ゲルマンのメルヘン トーン・テレヘン: トーン・テレヘン Toon Tellegen は、1941年、 オランダの南ホラン州、フォールネ・プッテン島に あるブリーレ(デン・ブリル)に生まれました。母 親は、子供時代にロシア革命に遭い、両親とともに オランダに移住したとあります。父親は家庭医で、
それで小さな島暮らしていたのでしょう。トーン・ テレヘンはユトレヒト大学で医学を修め、家族で3 年間、 マサイ族の医師としてケニアに赴任しました。 そんな生活環境から、トーン・テレヘンにはケルト 的なものを感じさせます。
さきにも書いたP・メゴードの私設の自然再生エ
で、 "6th International ネルギー研究所 Folkecenter Conference on Sustainable Agriculture for Food, ( 6th ICSA )を"開催した際に、 Energy and Industry と親しくなりました。彼は芸達者 Volker Thomsen の歌を作り、それを会 で、 Sustainable Agriculture 議の始めに皆に歌わせます。生まれはデンマークの 小さな島(ケルト文化が濃厚といってました)で、 スペインのバスクと似ているといい、多神教の世界 だったそうです。スペインのバスク地方に住んでい たときはフラメンコも習ったそうで、バスク地方に はデンマークの島のケルト文化と似たところがある といいます。デンマーク、ドイツと住んで今はカナ ダにすんでいます。ダライラマとも親しい、変わっ た人です。日本で開発された微風でも動く風力発電 を高く買っていて、なぜ、日本で普及できないのか 不思議がっていました。この技術の普及を外国の会
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肌を揺れ動かす 僕には沼のなかに見えるのだ 彼女のおぼれた体 沈めるための重石 宙に浮かせるための木切れと大枝 沼のなかで彼女は始めは 樹皮を剥がされた若木だった それが今 掘り起こしてみれば 骨はオーク 脳の桶 剃られた頭は 黒ずんだ麦の切り株 目隠しは汚れた巻き布 首にかかった綱は 愛の思い出を 秘めている輪 可愛い不倫の娘よ おまえは沈められる前 亜麻のような髪をし
食べるにこと欠いていた だがこのタールを塗られた黒い顔は美しい かわいそうな生贄よ 僕はほとんどおまえに恋をしている だが 僕だって沈黙という石を 投げつけていただろう 僕は想像逞しい覗き屋なのだ
おまえの晒し出されて 黒ずんだ蜂の巣のような脳 蜘蛛の巣のような筋肉 それに一本一本数えられる骨の覗き屋 おまえのおきて破りの仲間たちが タールを塗られ 柵につながれて泣いていた時も 黙ってたたずんでいた僕 文明づらした狂気を 黙認しながらも 部族間に根深く残る厳格な仕打ちは 受け入れている僕なのだ
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ルヘンではない。これは、シェイマス・ヒーニーの ケルト ゲルマン的世界、つまり、感性を基盤とし、 人(妖精に変容してますが)と自然とは分離してい ない感覚です。次は、 『シェイマス・ヒーニー全詩集 1966~1991』 (村田辰夫・杉野徹・坂本完春・ 薬師川虹一訳、国文社)の『冬を生きぬく』197 2の「振り返る目」です。シェイマス・ヒーニーの 世界がトーン・テレヘンの世界に陥入している感じ を受けます。 ・
まるで言葉が言葉に なりきらないような 空中でのよろめき 見事な翼さばき 仔山羊のようなシギの不思議な鳴き声が 巣ごもっていた地面から飛び立って 方言となり 方言くずれとなる 聞きなしの言葉が 自然保護区の上で舞っている── 空ノ仔山羊サン
夕暮ノ仔山羊サン 霜ノ仔山羊サン 我々が生きるよすがにしているのは 雁や 黄金のゴイサギの後を追い くるくる輪を描いて 大空へ飛び去りながら エレジーをたたき出す シギの尾羽
『ハリネズミの願い』の物語はメルヘン的なので すが、それがかえって人間の根源に繋がっていきま す。妖精の世界から照射した、人間界の影絵のよう なものでしょうか。合理的、理性的、観念的、絶対 真理といった西洋哲学を嘲うかのような、古層・根 源的、メルヘン的、そうケルト・ゲルマン的問いが 発せられるのです。それを具体的に読んでみましょ う。
2章 いまはまだ。ハリネズミはまた窓辺にすわって そのふたつの言葉について考えた。〈いまは〉 と 〈ま
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社が取り組んでいて、彼がそのコンサルをやってい ます。 日本を良い技術があるが、 使い方を知らんと、 嘆いていましたが。 おそらく、ケルト文化が濃厚な島で育ったトー ン・テレヘンの『ハリネズミの願い』 (長山さき訳、 新潮社)は、ケルト文学のような感じがします。し かし、それは単なるメルヘンではありません。 『ハリネズミの願い』のキーワードは「手紙」で す。動物たちが、私ハリネズミに招待されたがって いると空想して、手紙を書き始めるのですが、色々 な理屈を自分で付けて、結局、招待には応じないで あろうと、ほとんど手紙を出しません。ハリネズミ と動物たちの世界ですので、まず、トーン・テレヘ ンの幼児期の生活圏からいうと、メルヘン、つまり 妖精の世界があったでしょう。その妖精が生てる世 界ですから、話は空想から空想を紡ぐような構成に なっていきます。そこで、ハリネズミを妖精ハリネ ズミと言い直すと、この小説にリアリティーが出て きます。妖精ハリネズミは、招待におうじてハリネ ズミの家に友だちが訪ねてきた時のもてなし方も、 空想します。まず、 「紅茶、ハチミツ、ケーキ」でも てなし、興が乗れば、 「踊り、ダンス」と進むはずで
す。妖精の世界のはずですが、生活基盤は妙に具体 的で現実的です。
紅茶はヤナギ、 百種類もの紅茶、 しょっぱい紅茶、 ブラックティー ハチミツはシナノキ、 ブナの実 (花?) 、 イラクサ、 アザミ ケーキはハチミツ、泥、生クリーム、オークの樹 皮、乾し草、海の泡、オドリコ、腐ったケーキ、ソ ウ、タチアオイ、スイレン、コケ(苔) 、細かい砂、 塩辛い水、オオバコ、ヤナギの根、粉雪 ハリネズミの家具 調度品(生活臭 生活基盤)は 戸棚、ベッド、床、カップ、玄関、ドア、家具、壁、 靴、天井、屋根、窓、椅子、テーブル、鏡、カーテ ン、本、ランプ、桶、風呂、クシ、スリッパ、ハサ ミ、コート、煙突、ルームシューズ、毛布 ・
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妖精の話なのですが、 食住がしっかりしていると、 がぜん生活臭がしてきて、現実味がまします。いま 巷に溢れている、単なるメルヘンと一線を画すゆえ んです。 トーン・テレヘンの『ハリネズミの願い』は、ケ ルト文学のような感じがします。そして、単なるメ
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ハリネズミはひたいに深いしわが寄るのを感じ た。 でも、ぼくはほんとうに孤独ではないはずだよ な、と思った。自分自身がいるのだから。自分と 話したり、自分を見たりできるのだ。自分はいつ もいるじゃないか。 立ち上がって鏡の前に立つと、つま先立ちで左 右にゆらゆら揺れながら自分を見つめてみた。 「こんにちは、自分」と小声で言った。 「キミの ことが見えるよ。ぼくから隠れることはできない ね。キミにはぜったいにできない。でもキミはぼ くに秘密をもっている。否定するなよ。顔に書い てあるぞ。その口ときたら……言えよ! ぼくの なにを知ってるんだ?」 (中略)
ハリネズミはためいきをついて冷笑的に思った。 この自分自身というやつが存在しないとしたら… …そういうこともあるはずだ。鏡を見たらだれも 映っていなかったら……それこそがほんとうのひ とりぼっちだ! ハリネズミはたくさんの動物と関係しています。で も、それぞれは、かってに振る舞い、ハリネズミは
翻弄されます。39章を読んでみます。
しかしそこでハリネズミは、ハリが左右に激し く揺れて軋むほどからだを揺さぶって、ナイチン ゲールのことを考えはじめた。ナイチンゲールが 訪ねてくるかもしれない!と。 春の夜の薄明かりのなか、ナイチンゲールは開 いた窓から飛んではいり、テーブルの隅にとまっ た。 「こんにちは、ナイチンゲール」 「こんにちは、ハリネズミ」 いっしょに紅茶を飲みながら、歌をうたってく れないか、ハリネズミはなにげなく聞いてみた。 「いいよ」とナイチンゲールは言った。 くちばしを開けると、ナイチンゲールは哀愁に 満ちた歌をうたった。ハリネズミは自分の頬に涙 がつたうのを感じた。 不思議だ、とハリネズミは思った。痛いわけで も悲しいわけでもないのに、涙はほとばしりつづ けた。 (中略)
頭がミシミシ音を立てていた。ナイチンゲール のせいだとハリネズミは思った。
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だ〉 。 ふたつの言葉が頭の中で踊っているように感じ られた。 〈いまは〉ときどき不安げにまわりを見ま わしていた。 〈まだ〉は規則正しいステップを踏ん でまわっていた。 ハリネズミは目を閉じた。そのほうが言葉たち の姿がよく見えると思ったのだ。 〈まだ〉が〈いま は〉を抱き、 〈いまは〉がしなだれかかっていた。 まるでおたがいのことにしか関心がないように見 えた。 だがそこで突然、ドアが開き、別のだれかが入 ってきた。 〈当分〉だ、とハリネズミは思った。 〈当 分〉の背中でひらついているコートに見覚えがあ った。 〈当分〉が〈いまは〉と〈まだ〉のほうに歩み 寄り、あいだに割り込んでいっしょに踊りはじめ た。 ハリネズミはためいきをついた。突然、ほかの なにかも入ってきたような気がしたのだ。なにか 目に見えないもの。なにか、存在すると同時に存 在しないものが。 〈ありえない〉だ、とハリネズミは思った。 〈あ りえない〉は目に見えないはずだ。
しばらくすると〈当分〉が出ていき、 〈ずっと〉 が入ってきた。分厚い、綿入りの冬のコートを着 て、帽子をかぶった〈ずっと〉も、 〈いまは〉と〈ま だ〉のあいだに割りこんできた。 ハリネズミは心臓が高鳴るのを感じた。まるで 言葉たちがハリネズミの考えを突き破り、踊りな がらこちらに迫ってくるようだった。自分になに を求め、自分となにかをしようとしているようだ ったが、それがなんなのかはわからなかった。 (中略)
踊っている言葉たちが突然、輝かしく見えた。 そのまま踊りつづけて、とハリネズミは思った。 ずっと踊りつづけているといい。言葉たちのうし ろは果てしなく真っ暗闇なのだから。
これは、メルヘンの哲学です。次の15章は、デ カルト的思弁の裏を照射しています。というか、 「デ カルト的思弁」は、外界から与えられた絶対性に依 存する「自我」ですが、鏡の中の自分は自分である はずなのですが、みずからゆれている、不確かな「自 分」がいるらしい。 15章
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「あなたのことは招待していません……」 「そうか?」バケモノは脅すように言った。 「な んでだ? みんなを招待するけどバケモノだけは しないとでも思ったのか? それともオレが存在 しないとでも? ひそかにそう願っていたの か?」 「まだだれも招待していないんです。
・カミキリ:断りの返事がくると思う ・ヒキガエル:怒りを爆発させる[ 「オレはいま怒 りたいんだよ!」 「キミは忌まわしいよ……」 「それ以上、膨らむことも、いっそう深緑色 になることもできず、怒りと満足の入り混じ った表情をたたえ、 ヒキガエルは破裂した。 」 ] ・サイ:踊る ・クマ:シナノキのハチミツをあっという間に食 べ、さらにハチミツやケーキの家捜し。 ・ゾウ:テーブルと椅子の上で曲芸。 ・キリン:ツノ自慢。 ・ダチョウ:頭をどこにでも突っ込みたがる。 ・アリ:複雑についての演説。 ・カバ:桶持参で風呂を作り、水浸しにする。 ・キクイムシ:掘りまくる。 [歴史のなかを掘りた いと言った。それから未来のなかも。昔とこ
リネズミの願い』 の物語はケルト ゲルマン的メルヘ ンですので、辺境におわれた精霊 妖精の哲学で、で てくる動物は多彩で、これらをそれぞれの妖精と置 き換えてよむと、多彩な世界感(観)が開けてくる 次第です。しかも単なるメルヘンでないので、よく よく読むと実は怖い話が多いのです。
・ ・
(中略)
バケモノがハリネズミの上にかがみ込んだ。 「いいこと教えてやろうか? ハリネズミ」 「けっこうです」ハリネズミは言った。 「だったら教えてやらんぞ」 バケモノはうなり、 歯ぎしりをして、ハリネズミを乱暴につかんだ。 「紅茶はいかがですか?」 ハリネズミは言った。 そこでハリネズミはつかみ上げられ、バンと叩 かれる音を聞いたあとにはなにも聞こえなくなっ た。 ハリネズミの空想の招待客は多彩です。通常、メ ルヘンでも人と動物の付き合いは、少数です。通常 のメルヘンや最近のアニメでは、動物を単に擬人化 した、人間中心の物語なので、変な倫理や道徳や優 越感や世界支配が擦り込まれています。しかし、 『ハ
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そこでハリネズミは全力をふりしぼって、自分 がとてもよくわかっていることを考えはじめた。 眠りたいということだ。 ベッドにはいって毛布をかぶると、ナイチンゲ ールが歌うのが聞こえてきた。また涙が頬をつた っていた。 しあわせの涙、 とハリネズミは思った。 これはしあわせの涙なのだ。 バケモノも訪問してきます。メルヘンの中での、悪 魔の登場です。これは、シェイクスピアの "to be, or の世界で、57章です。 not to be"
夜になった。寒い夜で、ハリネズミはベットに 横になって丸まっていたが、からだは温まらなか った。 外が騒がしく、雨か嵐だろうとハリネズミは思 った。 だが雨でも嵐でもなかった。 騒がしさが近づいてきたが、ハリネズミにはな んの音だかわからなかった。 そのときドアがバンと開いて、なにかが、ある いはだれかがなかにはいってきた。 ハリネズミはそちらを見たが、真っ暗でなにも
見えなかった。 「どなたですか?」と恐怖におののきながら聞 いた。 「バケモノだ」 天井付近から声が聞こえてきた。 バケモノはとても大きいようだ。ハリネズミの知 るどのどうぶつよりも。 「なにしに来たんですか?」ハリネズミはたず ねた。 「訪問だよ」バケモノは言った。 「ほかになにが ある?」 バケモノは少しずつ近づいていた。古い泥と汚 い草の匂いがした。 (中略)
バケモノは椅子を蹴り、 テーブルを粉々に砕き、 上半身をつかって天井からランプを叩き落とした。 あそこに頭があるのかもしれない、とハリネズミ は思った。あるいはほかのなにかが。 それからバケモノは戸棚を持ち上げ、窓から外 に放り投げた。 「どうかお願いですからお引き取りください」 とハリネズミは言った。 「訪問にきてるんだよ。いま入ってきたばかり だ」
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ハリネズミと心(精霊とすると魂)が通じたのは ると、ずっと雪がふりつづくことを願った。ドア 唯一リスで、58章に描かれます(ハリネズミとリ が開かなくなって、リスが冬じゅう泊まらなけれ スの間柄は、 『ハリネズミの願い』に先だって書かれ ばならなくなるように。 ハリネズミもリスもそうなってもかまわないと た、トーン・テレヘン『きげんのいいリス』 (長山さ 思っていた。そうなったときのことを考えたら、 き訳、新潮社)にも描写されています) 。 もうなにもいやなことはないように感じた。 ハリネズミとリスは多くの言葉は交わさずにテ こうしてハリネズミは、冬のはじめのある日、 ーブルに向かいあってすわった。 予期せぬお客をむかえた。 リスはブナの実(花?)のハチミツをもってき 「ウサギとカメ」の『イソップ寓話』を念頭に、 ていた。ハリネズミが食べたいんじゃないかと思 カタツムリとカメがハリネズミを訪れる寓話が、8 ったのだ。 「そのとおりだよ」とハリネズミは言って、自 章、19章、28章、41章、45章、54章、5 分は戸棚からアザミのハチミツを出してきた。特 5章に出てきて、進むとともに章の間隔も狭まって 別な機会のためにとってあったのだが、いまがそ きます。 「アキレスがどれだけ速く走ったとしても、 のときだった。 前を行くノロマな亀に追いつく事はできない」とい ハリネズミとリスは紅茶を飲み、ハチミツを舐 う「アキレスと亀」のゼノンのパラドックスの構造 め、ときどきうなずきあった。 が組み込まれている感じがしませんか。ほとんど動 午後が過ぎていくにつれて、リスもハリネズ けないカタツムリとのろいが少しは動けるカメの関 ミも時間が止まればいいのに、と思った。あるい 係はどうなるのでしょうか? ハリネズミの家に到 達できるのでしょうか? はカミキリムシがその日偶然、1秒を1時間に、 「ウサギとカメ」の章は「時間」についてのメル 1日を1年に変えればいいのに……そして紅茶と ハチミツがいつまでもなくならなければいいのに、 ヘン哲学の展開です。さきに引用した2章で、ハリ ネズミは窓辺にすわって、時間的言葉について自問 と。日が暮れ、窓の外に雪が降りはじめたのを見
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れから先、そしてそのあいだにあるすべての 時間──すべての日、時、分、秒──が腐朽 した木になり、吹き飛ばしてしまうことがで きるように。そしてもはやどこにも時間がな くなったら、今度は空間を堀り、さらには無 を掘りたいのだ、と] ・キリギリス:ハリネズミの家で店を開いてハリ ネズミの家財を一切合切売ってしまう。 ・ラクダ:ハリネズミのはりとラクダのこぶの不 要性の議論。 ・コイとカワカマス:はげしい雨が降り、世界じ ゅうが水浸しになって、家に乱入。 ・カラス:なにかにひっかかるのがカラスの役割 とさけぶ、ひがみの極地。カラスのハリによ るカラスの串刺しが目的かとうたがう。 ・ロブスター:ハサミでハリネズミのはりを抜き、 丸裸に。 ・スズメバチ: 「ボクはどうしても刺さずにはいら れない」 ・モグラとミミズ:モグラもミミズも、ケーキと ハチミツしかない貧相な暮らしを嘆く。地下 には「埋もれて死ぬほどの泥がある」 ・アナグマ:アナグマは話題がないが、話題のリ
ストは持っているのが自慢だが、忘れてきて 後悔ばかりしている。 ・ビーバー:部屋の真ん中に壁を作り始める。 ・ナイチンゲール: ・クラゲ:海からどうやってハリネズミの家にた どり着くのか、悩む。ヒレと尾、翼、4本の 足、コートと帽子。 ・コフキコガネ:ハリネズミと親しく接すると、 ハリネズミのハリが突き刺さる。 ・バイソン:家に突進して、玄関のドアを突き破 り、家の裏手でようやく止まった。 ・ショキカンチョウ:ショキカンチョウには〈自 分〉ないが、返信は、 「一語一語が慎重にえら ばれた、至高の言葉」に満ちている。 ・ミーアキャット:なにも話すことがない。 ・オナガキジ:清潔癖。 ・クジラ:飛んできて、オークの木の上に浮かん でいる。 ・ネズミ:演説魔。 ・フクロウ:孤高の鳥。 ・バケモノ:悪魔? ・リス:無二の親友。
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フィンランドは国教が福音ルーテル派とフィンラ ンド正教会(ロシア正教会系)で、ある意味では信 仰に厚い国です。ムーミンが妖精の世界とすると、 キリスト教が禁じているアニミズムの世界ですから、 ある意味ではキリスト教の教義に著しく反します。 ムーミン博物館 (図書館の地下) を作るに当たって、 紆余曲折があったようで、公共の図書館内に作ると いうからには、その宗教性や思想性が問われたに違 いありません。しかも、この図書館の横には、アレ キサンダー教会がそびえていて、この横の、公共の 図書館の下に、キリスト教が絶滅させたはずの妖精 たちの世界が繰り広げられるのを簡単に許すはずが ありません。 結局、 ムーミンが妖精にもかかわらず、 ムーミンがムーミンハウスで現実的生活をしている ので、キリスト教会から、悪魔(妖精は悪魔の軍団) のレッテルを貼られることを免がれたともいえます。 つまり、フィンランドでは、妖精は騒ぎ立てること もない程、街中でも普通に生活しているのです。ム ーミンは妖精でありながら、宗教的弾圧を回避し、 自然との交流を回復できました。 このアレキサンダー教会から5分ほどの旧労働者 会館3階に、レーニンの生い立ちを展示するレーニ ン博物館があります。タンペレ市は水力に恵まれ、
紡績業などを中心として工業が発達し、フィンラン ドにおける労働運動、そして社会主義・共産主義運 動の中心地でもありました。1917年には亡命中 のレーニンがこの地で『国家と革命』を執筆してい ます。また、レーニンが初めてスターリンに出会っ たのもこのタンペレ市でした。また、フィンランド は、1917年のロシア革命時に独立国として認め られ、レーニンに対しては好意的感情を持っている のではなかろうかと、 ここの展示から感じ取れます。 ここタンペレ市のタンメルコスキ川沿いのレスト で、お気に入りの席(以前にもきたこ ラン Tillikka とがある) 、 大きな楡の木の下の川に張り出したテラ ス席で、夜の23時まで過ごします。川沿いの夜風 ならぬ、白夜風が心地よい。川沿いには、オオデマ リ、コデマリ、ライラックが咲き誇り、まるで札幌 の風景です。 雑草も北海道の草花と同じものが多く、 すごく親しみを感じます。 スズランも咲いています。 タンペレ市はのんびりするには良い町です。食前 酒に、カクテル「トナカイの涙」を勧められました。 フィンランドのコスケンコルバ・ウォッカにクラン ベリーのカクテル。美味くて、泣けて来るではない ですか。 「トナカイの涙」とはよくぞ言いにけり。白 鱒の卵カクテル(グラスにケッチャップや野菜とも
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しました。 〈いまは〉と〈まだ〉 、そして〈当分〉と 〈ずっと〉についてです。メルヘンの話なので「存 在」は当然ですが、 「時間」についても、根源的です が、非西洋的問いを発しているのは明確です。わた しは、ようやく「時間と存在」に関するケルト ゲル マン哲学に出会った感じに打たれます。ハイデッガ ーの『存在と時間』はほんとうは、この「ハリネズ ミ」の哲学を書きたかったのではないでしょうか。 ・
トーヴェ・ヤンソン: のユヴァスキュラ( Jyväskylä )で開催 Finland のフィールドツアー された、 IPS Convention 2010 でした。ここは、 の解散地が、タンペレ市 Tampere 知る人ぞ知る、タンペレ市立美術館付属のムーミン 博物館があります。ムーミン博物館には、原作者ト ーヴェ・ヤンソン直筆のイラストや水彩画のスケッ チ、話のシーンを再現したミニチュア、ムーミンハ ウスなどが展示されています。日本からの見学客も 多いのか、日本語の案内書と冊子(別売)も置いて あります。イラストや水彩画のスケッチは、特にイ ラストは繊細に描いてあってすばらしかったです。 水彩画はそれほどでないですが、イラストでは幻想
的な雰囲気が線の細やかさや、泥炭林の的確な描写 もいいです。泥炭林の風景を描いたものは、一昨日 以来ツアーで見た泥炭林そのもので、絵にシメジの ような無数の妖精が出てきますが、これなどは泥炭 湿地の苔の胞子の描写ではなかろうかと思わせます。 木々も生育が極端に遅く、捻れ曲がって不思議な造 形なのもあり、古い木は苔など生して毛むくじゃら でまるで巨人伝説の巨人が生てるようです。この白 夜の始まりの時期には、泥炭林は不思議な生き物、 精霊たちで溢れています。トーヴェ・ヤンソンのム ーミンの世界は、白夜の泥炭林の幻想です。 ムーミン博物館には、話のシーンを再現したミニ チュアや、細部まで作り込まれたムーミンハウスな どが展示されています。ムーミンハウスなどはトー ヴェ・ヤンソンが監修していますが、ムーミンが使 っている日常必需品、雑貨が事細かに作り込まれて いて、こうなると、ムーミンは現実世界で生活して いるようです。さきのトーン・テレヘンの『ハリネ ズミの願い』のハリネズミの家が、まるでムーミン ハウスと瓜二つです。幻想的な世界のメルヘンの話 ですが、食住がしっかりしていると、幻想的な世界 は現実となり得ます。
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i l a a r d e t a K n i k s n e p s U
ウスペンスキ寺院( ) :ロシ ア人建築家ゴルノスタイッフの設計で1868年に 完成し、13の黄金のタマネギ形キューポラと赤レ ンガ造りというスラブ・ビザンチン様式の特徴を持 っていますが、〝ロシア正教〟教会ではなく正式な 〝ギリシャ正教〟とのこと。このヘルシンキ大聖堂 は、生神女就寝大聖堂ともいわれますが、フィンラ ンド大主教の主教座はクオピオ市にあるそうです (つまり、フィンランド中央の湖水地域のカレリア 地方に宗教的精神の中枢が存在する) 。 フィンランド 正教会はフィンランドの国教と位置付けられ、東方 キリスト教と西方キリスト教(当初はカソリック) がフィンランドで会合した形になる、と言います。 この教会の様式はロシア様式で、内部はロシア正教 教会そっくりでした。偶像はほとんど無く、絵画や イコンが主体で、 椅子が無く立って祈りを捧げます。 フィンランドはサンタの国です。ヘルシンキの繁 には、クリスマス 華街の土産物屋 Kankurin Tupa 用品が年中常備されていますが、このクリスマス用 品や装飾には宗教色のものが一切ありません。カト リック教会の根強い国では、つまり、イタリアから デンマークやスウェーデンあたりまで、均一化した 宗教色の強い土産物がパターン化して売られていま
すが、ここヘルシンキでは一般の土産物屋でも、ど れ一つとってもキリスト教を連想させるものがほと んどありません。土産物から宗教の議論をするのは 不謹慎かも知れませんが、フィンランドは、すくな くともローマカトリック教会のローラーが入ってい ない稀少地域で、それに対応して妖精多様性地域と なっているのかも知れません。 n a m d i L a r a S
: この「風水土の旅」で、今回は泥炭 湿地の本場を 歩き、泥炭 湿地文学を極めたいと目論んでいます。 は外せないのですが、日 そうすると、 Sara Lidman 本では紹介も翻訳もなく、わたしも Sara Lidman の保全されている博物館風の家で、英語版の本をパ ラパラめくり読みしただけです。今後のためにも、 についてメモを書いておきます。 Sara Lidman (1923~2004年)はスウェ Sara Lidman ーデンの女性作家で、スウェーデンでは国民的作家 受賞)です。生 ( Nordic Council's Literature Prize まれは Skellefteå Municipalityの 北 部 に あ る 村で、ここは典型的な深い泥炭がある Missenträsk 地で、ここにすみ続けました。家は、長年泥炭地で 農業を営んでいて、泥炭地での耕作と、泥炭ピート
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りつけたものをカクテルという) 、 トルニオール渓谷 もしれません。 の伝統的サケのスープとトナカイのサーロインステ 福音ルーテル派のテンペリアウキオ教会 ーキ。燻製盛り合わせとシカ肉も堪能。白鱒の卵カ ) :岩盤をくりぬいた中に ( クテルとライ麦(黒)パンがよく合う。食文化の中 造られていて壁はなく岩盤がむき出しで、上部側面 心といわれている虚構のパリから離れる程、食はよ に普通のガラス(ステンドグラスでない)がはめ込 くなります。 ここで、今道友信『エコエティカ 生命倫理学入 まれており、 自然光が入り込むようになっています。 門』 (講談社学術文庫)を再読了。自然に対する倫理 中央の祭壇に小さな十字架がぽつりと置かれていて、 それ以外で宗教色のあるものは、入口の屋根の抽象 (対人倫 が必要で、 「倫理学は ethica ad hominem 化した十字架(これとて教会と知らなければ十字架 (対物倫理)に拡 理)だけではなく、 ethica ad rem 張されなくてはなりません」 。 宗教によって支えられ とは気づかないかもしれない)が在るのみです。 た倫理が滅びて、でも倫理のない社会が成り立ちう 岩盤の円形ホールで音響効果が良く、パイプオル るのか?という問い。自然、生態を基準にするとい ガンも設置されていますが、ピアノ演奏がなされて う提案 (これが、 平たく言うとエコエティカ) 。 そう、 いて、曲は宗教臭くなく、シベリュウスのピアノソ で、 ナタです。 ここタンメルコスキ川沿いのレストラン Tillikka なにやらエコエティカが滲みてきます。頬にも、臓 ヘルシンキ大聖堂( Helsingin tuomiokirkko ) :港 に面する高台にあり、ヘルシンキ市内を一望できま 腑にも。 す。ここも、福音ルーテル派教会で、内部は実に簡 素。教会の屋根の上には、一揃いの亜鉛像としては 世界で一番大きいという、十二使徒の像が飾られて いますが、内部は、ステンドグラスも、文様もほと んど無く、祭壇は十字架と祭壇画のみで、祭壇画の 両脇に天使の像が置かれている程度。 ヘルシンキには教会がたくさんありますが、偶像 崇拝的要素が極端に少ないか、欠落しています。あ る意味では、肩の力の抜けた本来のキリスト教が根 付いているのかも知れません。カソリック教会の影 は薄く、プロテスタントや東方教会が主流なせいか
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o k k r i k n o i k u a i l e p p m e T
全集Ⅱ‐12、池内紀訳、河出書房新社)を、泥炭 湿地文学の最高峰として収録したいのですが、賛成 してくれる人は多分今の時点では皆無でしょう。そ もそも読んだことのある人がほとんどいないでしょ うし。わたし自身、以前読んだ時、 『ブリキの太鼓』 は、不気味で訳の分からない小説と位置づけていま した。でも、今回の「風水土の旅」で、ちょっとし た経験と連想の重なりで、突然、 『ブリキの太鼓』が 泥炭 湿地文学の最高峰として峻立してきたのです。 「風水土の旅」が、なにやら妖幻化しつつあるの か? 『ブリキの太鼓』の魔性がよんでいるのか? ギュンター グラスのノーベル文学賞授与理由には 「陽気で不吉な寓話」とあります。つまり、現代版 メルヘンの物語と、ノーベル文学賞の委員も認めて いるようです。 ギュンター・グラスは、1927年、バルト海の )に生まれました。現在 港町ダンツィッヒ( Danzig のグダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)です。 「グダニ スク」という地名は、ここを流れるモトワヴァ川(ヴ ィスワ川支流)の古名であるグダニャ川から来てい るそうです。 ポーランドを民主化に導く「連帯」によるグダニ スク造船所の労働者ストライキに発するポーランド
民主化は、わたしの世代にはなまなましく、199 0年には「連帯」指導者だったワレサがポーランド 大統領になった、そのいわれの地です。 ダンツィヒは、また自由都市(自由都市ダンツィ ヒ)として有名で、 (1) 、ポーランド(およびプロ イセン連合)時代(156~1806年) 、 (2)ナ ポレオン時代(1807~1815年) 、 (3)両大 戦間期(1920~1937年)の3度にわたり自 由都市が存在しました。 このダンツィヒはヴィスワ川( Wisła )が分岐し たモトワヴァ川の河口にあり、港湾で低湿地帯でも あります。 ヴィスワ川は、 ポーランドで最長の川で、 全長は1047キロメートルで、流域面積はポーラ ンド国土の60%以上におよび、バルト海に注ぎま す。また、グダニスク、トルン、ワルシャワ、カジ ミエジュ・ドルヌィ、サンドミエジュ、クラクフな ど、 中世以前の時代からの街の多くが、ヴィスワ川 沿いに発展し、まさに、ヴィスワ川は、ポーランド の母なる川です。 この川は『ブリキの太鼓』にも出てきますが、 「放 火犯の祖父のヨーゼフ・コリヤイチェクは逃亡し、 いかだ師 祖母のアンナ ブロンスキーにかくまわれ、 の職にありつき」 、 「大きないかだを組んでキェフか
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を切って燃料として生計を立てていました。 作風は alienation (疎外感)と loneliness (孤独 感)を示し、泥炭・湿地文学に間違いありません。 作品: Tjärdalen, 1953 The Tar Still Hjortronlandet, 1955 Cloudberry Land Regnspiran, 1958 Bära mistel, 1960 Jag och min son, 1961 My Son and I Med fem diamanter, 1964 With Five Diamonds, 1971 Samtal i Hanoi, 1966 レポート: Conversations in Hanoi, 1967 Gruva, 1968 Interviews. Marta, Marta, 1970 Drama. Din tjänare hör, 1977 Thy Servant Is Listening Vredens barn, 1979 Nabots sten, 1981 Den underbare mannen, 1983 Järnkronan, 1985 The Iron Crown Lifsens rot, 1996
The Root of Life Oskuldens minut, 1999 Kropp och själ, 2003
の家と業績を残すべく、村人が集会 Sara Lidman 場兼レストランを家の近くに作り、そこで、茶・コ ーヒーやパイをごちそうになりました。村人が一所 懸命スウェーデン語で説明してくれて、それを英語 に通訳してもらいました。 の生活していた家がそのまま残さ Sara Lidman れており、特別に見せてもらいました。質素な内装 で、ミロやシャガールの絵がさりげなく掛けられて いたり、木の意匠の物が多く掛けられており、 Sara の泥炭文学を是非読んで見たくなりました。 Lidman ベトナム戦争に反対し、南アフリカのアパルトヘイ トにも反対してそこにも住んだことがあるといいま す。 もの静かな雰囲気ですが、燃えるような魂を持っ ていました。北方の凍てつく泥炭が乾燥すると燃え 上がるように。
ギュンター・グラス: ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』 (世界文学
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したドイツ軍は、 1940年5月10日にオランダ ベルギー ルクセンブルクに侵攻し、 北フランスを席 捲しました。 『ブリキの太鼓』の映画での馬漁の北海 岸と同じような風景に思えました。ドイツの侵攻と と Danzig 北海の荒れた海。それに、 Dünkirchen で語呂の響きが似ている感じがします。 そんな次第で、 ベルギーのオストダインケルクで、 『ブリキの太鼓』が突然心に刺さってきます。本当 はなんの脈絡もなく、したがって『ブリキの太鼓』 が襲ってきたといっても良いかもしれません。 その馬漁の『ブリキの太鼓』での風景です。馬で 漁をするといっても、それは馬そのものを餌とする グロテスクな漁です。ここが一つの核心ですので、 長いですが引用します。 「はてさて、まあ一丁のぞくとするか」 と男がマツェラートに言った。マツェラートはわ けがわからないままうなずいた。 「まあ一丁……」 「のぞくとするか」と沖仲仕くり返しながら、な おも紐を引き、ついでうんと力をこめ、さらに紐 をつたって石を這い下り、そしてつかんだ──母 は顔をそむけるのがやや遅かった──両腕をひろ
げ、花崗岩の間のブクブク泡を立てている海水に さし入れ、さぐり、つかみとり、つかみ直し、引 っ張り上げ、 「そこ、どけ」と声をかけて放り上げ た。何やらしずくを垂らしている重々しいもの、 何やらピクピクしている大きなかたまり。馬の首 だった。 まだ新しく、 まさしくほんものの馬の首、 黒馬の首、黒いたてがみの馬の首、昨日はまだ、 一昨日はきっと高々といなないていただろう。い まだ腐っていない。匂ってもいない。せいぜいモ ットラウ川の匂いがするだけ。ともあれ堤防には その匂いがたちこめた。 沖仲仕の帽子の男は──帽子はいまや首筋にひ っかかっていた──馬の首の上に仁王立ちしてい た。その首からは淡い緑色の小さなウナギがつぎ つぎと飛び出してきた。男は捕まえるのに手をや いた。足元の石は平らで濡れており、その上をウ ナギはニョロニョロと這いまわる。すぐさまカモ メがやってきて、 頭上でギャアギャア鳴き出した。 急降下してきて、3羽か4羽で小さなウナギや中 ぐらいのウナギを争い、追われても動じない。そ もそも堤防はカモメの領分なのだ。カモメにまじ ってとびついたり、つかんだりして、沖仲士は小 さなウナギ二十数匹をつぎつぎに袋に入れていっ
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らプリペート川をさかのぼり、運河を経由してブク 湿地が多く、森林の大破壊を引き起こしたヴィスワ 川をモドリンへ、さらにそこからヴィスワ川を下っ 川の河口(実際の河口はヴィスワ川支流のモトワヴ ていく」です。このヴィスワ川は、キェフのドニエ ァ川)で、 (3)自由都市的システムをつくった、と プル川、そしてドニエプル川を介して黒海まで通じ いう意味で重要地点です。 昨年、機会があり、ベルギーの泥炭・湿地が多い ているのです。ポーランドの森林はもとより、スラ ブのウクライナ等の大森林地帯にまで通じています。 オストダインケルク( Oostduinkerke )地方へ馬を 見に行きました。ここは、ベルギー固有の馬種ベル オランダの河口(泥炭・湿地)のフリース人がラ ジャンの飼育が盛んです。ベルジャンは道産子馬種 イン川を通って、ネッカー川全流域の自由貿易に関 を一廻り大きくしたような、 がっしりとした馬です。 する取り決めをし、シュヴァルツヴァルトの木材が この馬でなければ、この地帯の重粘土壌や泥炭土壌 この川を通してオランダまで運ばれました。この木 を耕すことができないでしょう。今は廃れてきまし 材が大航海時代の雌雄を決していきます。ダンツィ たが、ベルジャン種馬で、伝統のエビ漁を行ってい ヒとヴィスワ川は、ネザーランドとライン川・ネッ ます。夏場の漁ですが、特別にデモンストレーショ カー川と酷似しています。各国の利権争いの構造は ンしてくれました。北海の荒れた海に馬が果敢に入 違いますが、自由都市的システムが生まれてくる必 っていきます。突然、 『ブリキの太鼓』の映画で、荒 然性がみてとれます。別に、自由を愛したからでな 涼とした北海での馬での漁(馬で引くエビ漁とは意 く、利権の微妙なバランスとして、自由都市的シス 味が違いますが)の場面がフラッシュバックしまし テムが生まれてきたのです。そして、その鍵が森林 た。 資源の収奪機構です。みんなでよってたかって森林 から美味しい汁をすう、それが自由都市的システム ベルギーのオストダインケルク( Oostduinkerke ) はフランスのダンケルクの東で、昨年封切られた です。究極の欲望が生み出したのが「自由」です。 監督の映画『 Dunkirk 』の海岸 Christopher Nolan の砂浜の風景が、オストダインケルクとおなじなの です。1939年9月1日にポーランド侵攻し勝利 『ブリキの太鼓』で、ダンツィヒは、 (1)ギュン ター・グラスの生誕地であるとともに、 (2)泥炭・
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(中略)
のしりもせず、ゆっくりとテーブルから立ち上が り、店から燻製のウナギを持ってきた。ナイフで 皮から身から脂という脂をこそぎ落とし、ひたす らそれだけをナイフでむさぼり食うものだから、 ぼくたちは食欲が失せてしまった。日に何度も吐 いていた。マツェラートにはお手上げで、心配げ に問うしかなかった。 「おい、 妊娠したんじゃないのか、 どうなんだ?」 「バカをお言いでないよ」 と母は答えた。そもそも答えを返すときは、で ある。 数日後、ぼくは見た。母は台所でいつもの呪う べきオイルサーディンにむしゃぶりつくだけでな く、いくつもの古びた空き缶にためていたオイル を小さなソース鍋にうつしモロモロしたのをガス であたため、飲みほした。台所のドアのところに 立っていたぼくは、 おもわず太鼓から手を離した。 その夜、母は市の病院に運ばれた。救急車がく るまでのあいだ、 マツェラートは泣き叫んでいた。 「どうして子供がイヤなんだ。誰の子でもいい んだ。 それともやはり、 あの馬の首のせいなのか? 行かなければよかった! アグネス、 忘れてくれ。
そんなつもりじゃなかったんだ」 救急車がきて、母はかつぎこまれた。通りには 子供や大人がつめかけていた。母は運ばれて行っ た。やがて判明したが、母は堤防も馬の首も忘れ ていなかった。馬は記憶──フリッツだかハンス だかとよばれた駄馬──その記憶を持ち帰った。 母の五官が聖金曜日の散歩を痛々しくもくっきり 覚えていて、再び起こるのではないかと不安でな らず、五官がそれのみである母を死に至らしめた のだ。 墓地に葬られる場面
ぼくの母は可哀そうに、開かれた棺の中で黄色 っぽい、やつれた顔をしていた。まだるっこしい 儀式のあいだ、ぼくの頭から離れなかった。いま すぐにも、やおら頭をつき上げ、もう一度吐くの ではあるまいか。まだ何か体内にあった。ぼくと 同じく、どちらの父親によるのかわからず、外に 出てオスカルのように太鼓を欲しがる3か月の胎 児だけではない。さらに魚がある。むろん、オイ ルサーディンなどではなく、ヒラメは論外であっ て、ウナギである。淡い緑の筋を引くウナギ、ス
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た。マツェラートはいつもの親切心で、両手で袋 の口をひろげていた。そのため母の顔がチーズ色 になり、まず手を、つぎに顔をヤンの肩からビロ ードの襟元に押しつけたのを目にしなかった。 この間に沖仲士の帽子は首筋から落ちていたが 小さいのと中くらいを袋に納め終わると、太くて 黒々としたウナギを腐肉からつかみ出し始めた。 母はその場にへたりこんだ。顔をそむけさせよう とヤンがつとめたが、母は承知せず、牛のように 目をみひらいて、みじろぎもせず、相手の手元を 見つめていた。 「一丁、のぞくとするか!」と男はうめくよう な声を立てた。 「これでどうだ!」 長靴をこじ入れて馬の口を開き、顎のあいだに 棒を一本突っこんだ。そのせいで、馬が黄色い歯 をむき出して笑っているように見えた。つづいて 沖仲士は──やっとわかったのだが、タマゴのよ うな形のはげ頭だ──馬の口の中に両手を突っ込 み、すぐに腕のように太く、また長いウナギを二 匹ばかり引っぱり出した。このときは母大きく口 をゆがめ、朝食をそっくり吐き出した。 (中略)マツェラートはウナギを殺して臓物を取 り出し、水洗いして、煮て、香辛料を加え、味見
をした。塩ゆでジャガイモを添え物にしたウナギ スープを大きなスープ鉢に入れて居間のデーブル にデンと置いたが、 誰も席につこうとしないので、 食材を数えあげ、調理法をまくし立てて、料理を 手前ぼめした。すると母は悲鳴を上げた。カシュ ーブ語の悲鳴であって、マツェラートにはさっぱ りわからず、 また我慢がならないにもかかわらず、 聞いていなくてはならなかった。 再び魚を食べるようにマツェラートが強いたと いうのは正しくない。自分から、謎めいた意志に 憑かれたたように、 復活祭のあと2週間直後から、 母は魚を大量に、体型などかまわずに食べ出した ので、マツェラートは言ったものだ。 「そんなに魚を食うなよ、誰かに命令されてい るみたいじゃないか」 朝食のオイルサーディンが始まりだった。2時 間ほどして店に客がいなければ、ボーンザックの ニシン箱を引き寄せていた。昼食にはヒラメの焼 いたのか、辛子ソースつきのタラを欲しがり、午 後にはまたもや缶切りを手にしていた。煮こごり つきウナギ、酢づけニシン巻き、ローストニシン と手当たりしだい。夕食に焼き魚か煮魚を要求さ れてマツェラートが拒むと、母は口をきかず、の
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その間にヒミールは、ボートを水に浮かべてい た。トールはそこへ飛びのると、2本のオールと とって、船尾に座って漕だした。ヒミールにも、 ボートはすばやく進むように見えた。彼自身も舳 に座って漕いだ。船はぐんぐん進んだ。やがてヒ ミールがいつもフリンダー(地獄ヒラメ)を釣る 漁場まで来ると、彼はオールをおこうとした。し かしトールは、 「もっと遠くまで行かなくちゃ」と 言った。そこで2人はまた、せっせと漕いだ。と うとうヒミールが言った。「これ以上遠くまで行っ ては、よくないぞ。じきに、ミッドガルト蛇のい るところへ出てしまうんだ」 それでもトールは漕ぎつづけた。その間じゅう ヒミールは、浮かない顔つきで、じっと座ってい た。ようやくトールもオールをおいて、釣り糸を 取り出した。それは太い丈夫な綱で、鉤もそれに 応じたものだった。その鉤に例の牛の頭をくっつ けて、海に投げこんだ。頭は水底に寝ていたミッ ドガルト蛇のところまで沈んでいった。すぐさま 蛇が餌をのみこむと、鉤が顎に食いこんだ。痛み を感じた蛇は、 猛烈にあばれて右に左に綱を引く。 おかげで綱をにぎったトールの拳が、船の手すり に食いこんだ。彼が船底に両脚を突っぱってこら
えたとたんに、脚は船の底をつきぬけて、海の底 にとどいた。こうやって、彼はとうとうミッドガ ルト蛇を船縁まで引っぱり上げたのである。トー ルはキッと蛇を睨みつけると、蛇ももうもうと毒 気を吹きながら、下からこちらを睨みつけた。彼 はたしかに言うことができたろう──いまこそど うにも嫌らしい奴を見たのだと。 ところがヒミールは、蛇を見、海の波が膝のと ころに戯れるのを見ると、死人のように青くなっ た。そしてトールがハンマーをとって振り上げた のと同時に、巨人は慄える手で自分のナイフを取 って、手すりの上のところでトールの釣綱を切っ たのである。たちまち蛇は、海の深みに沈んだ。 トールはうしろからハンマーを投げつけた。人の いうところでは、たしかに槌はミッドガルト蛇が 水にもぐるとたんに、 その頭にぶつかったという。 しかし、もっと確実なのは、蛇がまだ海の底で生 きているということだ。 トールは怒って、ヒミールの横っ面を張り飛ば した。巨人は足の裏を空に突っ立てて、船の外に けし飛んだ。トールはバシャバシャ海を足で渡っ て、陸地にもどった。
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カーゲラク開戦のウナギ、ノイファールヴァサー の港の堤防のウナギ、聖金曜日のウナギ、馬の首 からとび出してきたウナギ。いかだの下敷きにな り、ウナギに襲われた父ヨーゼフ・コリヤイチェ クから出てきたかもしれないウナギ。おまえのウ ナギのそのウナギ、なぜってウナギがウナギにな るからだ…… だが、 嘔吐は起きなかった。 じっと持ちこたえ、 身におびたまま、 ようやくやすらぎを得るために、 ウナギは地下へ持っていく腹づもりのようだった。 まったくグロテスクな話で、昔、うんざりした、 鼻をつくような後味の悪さを感じましたが、それが また甦ります。ところが、この「風水土の旅」でヴ ィルヘム・グレンベックの『北欧神話と伝説』山室 静訳、講談社学術文庫)を読んでいると、突然、次 の場面にでくわしました。 「トールのヒミール訪問」 という章です。 あるときトール神が、車にも乗らず、山洋もつ れず、また同伴者もなしで、旅にでたことがあっ た。彼は若者のようにヨツンハイムが見たくなっ て、そちらに道をとり、夕方おそくヒミールとい
う巨人の家の戸口をたたいて、 一夜の宿を乞うた。 夜が明けると、ヒミールは起き出て、釣りに出か ける用意をした。トールもはね起きると、いそい で着物を着て、自分も一緒にボートに乗せてくれ と頼んだ。ヒミールは、こんな青二才の助けは必 要としない、なにしろこいつは、まるで小さな結 びっこぶだからなと思って、こう言った。 「おれは いつでもでもずっと遠くまで漕いで行くんだぜ。 そんなところまで行ったら、お前なんか凍えてし ましやしないかと心配だよ」 しかし、トールは答えた。 「お前さんは好きなだ け沖まで漕いで行くがいいさ。最初に陸地へ戻ろ うといいだすのがわしだかどうだか、それはわか らんぜ」 彼はひどく腹を立てていたので、もう少しで巨 人の頭にハンマーを打ちおろすところだった。し かし、もっと別の場所で力を使おうと思っていた ので、 自分をおさえると、「餌には何を使うのかね」 と聞いただけだった。ヒミールは、餌は自分で探 せといった。そこでトールは、ヒミールが飼って いる牛の群れのところへ行くと、群れの中で一番 大きな雄牛の頭をねじ切って、それを持って浜辺 へ下りて行った。
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にそのまま電球の下で両親が思わず口にしたこと をきちんと聞き分けていた。(中略) 「男か」(中略) 「いずれ商売を継がせてやろう。おれたちに働 きがいができたというものだ」(中略) 「オスカル坊やが三つになったら、ブリキの太 鼓を買ってやりましょうよ」 人にも大小がある。大ベルト海峡と小ベルト海 峡(デンマークにある海峡) 、大文字と小文字、こ びとのハンスとカール大王。少年ダビデと巨人ゴ リアテ、一寸法師と巨大男。ぼくは3歳のまま、 こびと、親指小僧、背丈ののびない小人のままに とどまる。それは大小の公教公理といった区別か ら免れていることであり、身長172センチ、い わゆる成人となり、鏡の前でひげを剃っている父 親と称する者の言うがままに商売を継ぐのを拒む ことだ。マツェラートの希望によると、21歳の オスカルには食料品店こそ成人の世界だった。 3歳の誕生日に、成長を止めるために、地下貯 蔵庫の9段目から墜落する。 彼らがやってくる前に、ぼくは流れるイチゴの
シロップの匂いを深々と吸いこみ、頭から血が出 ているのを認め、 彼らが階段を走り下りるあいだ、 こんなに甘く、うっとりさせるのはオスカルの血 か、それともイチゴなのか思案した。あれやこれ やが壊れたのに、太鼓は用心のおかげで傷一つな いのがうれしかった。
子供用のブリキの太鼓でもって、ぼくと大人た ちとのあいだに必要なへだたりを生み出す能力と ほとんど同時に地下室の階段からの落下の直後に 声の変調があらわれた。いたって高音のままノド をふるわせながら歌えるし、叫んだりできるし、 叫びながら歌える。だから太鼓のせいで耳がどう にかなりそうになっても、誰もぼくから太鼓を取 り上げようとはしなかった。なぜって太鼓を取り 上げられると、ぼくは叫んだし、ぼくが叫ぶと、 大切なものが壊れた。 ぼくは歌でガラスを壊せる。 ぼくの叫びは花瓶をぶっ殺すのだ。ぼくの歌に窓 ガラスはぶっこわれて、風が吹き通る。ぼくの声 は清らかにして、ために鋭利そのもののダイヤモ ンドのようにガラス戸棚を切り裂き、侵入し、愛 する人から贈られ、純潔を失わないまま高貴に居 並び、うっすらとほこりをかぶったリキュールの
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ええ、なんと、 『ブリキの太鼓』で馬の首でウナギ を捕まえるというのは、牛の首でミッドガルト蛇を 捕まえるという北欧神話が原型なのです。そうする と、 『ブリキの太鼓』のいろいろな構造が見えてきま す。神話として読んでみることです。つまり、実は 『ブリキの太鼓』を現代版メルヘンとして。 この『ブリキの太鼓』の池澤夏樹の栞「太鼓が叩 き出す幻想と現実」で、 「オスカル・マツェラートは 3歳で自らの意志で成長を拒否した者であり、その 結果、身長94センチの小人としていきるヒーロー であり、 かつてはどこかの玩具屋 雑貨屋でも売って いた安物の「ブリキの太鼓」を自己表現の道具とし て駆使することができ、しかも声でガラスを割ると いう破壊的な特技の持ち主だ」と解説しています。 胎内にいる胎児が、意志をもって、 「小人の世界」 にとどまるという宣言は、 「 (精霊たちの)小人の世 界」を自ら作るという宣言と、もう一つ西洋の伝統 的精神構造の心身二元論とキリスト教会的神への冒 涜が潜んでいます。つまり、 「心」 (精神)は子供に はない、という西洋の抜きがたい精神構造に対する 反逆です。胎内にいるまだ名も付いていないオスカ ルは、すでに意識と判断力、すなわち「心」 (魂)を 持っています。
[三島由紀夫の 『仮面の告白』 の生誕時の回想 「 「私」 は、生まれた時の光景を憶えていた。午後9時に生 まれたにもかかわらず、産湯の盥のふちに射してい た日の光を 「私」 は見ていた」 に似ていませんか?] 。 ローマカトリック教会的世界観では、誕生してか ら神(あるいは絶対的存在者)が、こどもに「心」 (魂)注入して(洗礼とかもろもろの儀式) 、はじめ て心身をそなえた人ができます。西洋のもっとも基 本的な意識構造に対する、最大の反逆です。最初か ら子供が「心」 (魂)をもっているのは、西洋では「悪 魔」なのです。そう、オスカルは悪魔の設定なので す。そして、小人なので、悪魔軍団の妖精組員でも あります。引用を続けます。
ぼくはこの世の光を二つの60ワット電球として 目にした。聖書のいう「光あれ、されば光ありき」 の個所が、オスムラ電球会社とびっきりの宣伝フ レーズのような気がする。(中略) すぐさま言っておくのだが、ぼくは耳ざとい赤 子にあたり、精神的発達が誕生の際に完了してい て、あとはそれをたしかめるだけといったタイプ の胎児としてただ自分の声だけに耳を傾け、羊水 に映る自分の姿だけをながめていた。だからまさ
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首像をつけた船は海賊パウル ベケットの手に落 ち、 もう一方のフィレンツェ商人シニョール タニ ーは斧で首を斬られた。 海賊パウル ベケットが次 の番で、数年後、郷里の有力者の庇護を失い、シ ュトック塔の裏庭で水に沈められた。ベケットの 死後、船首像をつけた船はまもなく港で火災を起 こし、僚船を巻きぞえにした。船首像は無事だっ たことは言うまでもないだろう。その豊麗な姿に よって、欲しがる船主がつねにいたのである。だ が、この女が所定の位置に据えられるやいなや、 これまでごく平穏だった乗組員のあいだで暴動が 起きた。1522年、有能なエーベルハルト・フ ェルバー指揮のもとに、ダンツィッヒ船団がデン マークと戦ったが破れ、フェルバーは失脚し、町 は血なまぐさい争乱の巷になった。歴史は宗教戦 争だったと述べているが──その翌年、プロテス タントの牧師ヘッゲが群衆を動かし、市の七つの カトリック教会の聖像を破壊した──しかし、ひ きもきらぬ不運の源は、やはり船首像だったので はあるまいか。それがフェルバーの船の船首を飾 っていたのだから。 ・
・ (中略)
になってようやく、武力で都市を制圧したプロシ ア人は、 「木彫りのニオベ(ギリシャ神話の女性。 わが子を殺され、悲しみのあまり石に化した) 」に 対してプロシア王国名による禁止令を公布した。
ニオベを監禁同然の拷問室から出して、自由都 市の発足後すぐに新設された海事博物館へ移した のは、もの知らずな、よそ者の博物館館長にちが いない。まもなく彼は敗血症で死去した。
(中略するが、その後もつづく、数々の異様な死。 )
ぼくたちはわざと単純化して、すべてを二つの 項に分け、ニオベを念入りに、ますます手ひどく 侮蔑した。ヘルベルトの腕に抱き上げられ、ぼく は二本の撥でニオベの乳房をチャカポコチャカポ コとたたき、点々とちらばった虫喰い跡の虫のい ない穴から埃をワッと立ちのぼらせた。チャカポ コとやりながら、ぼくたちは目を装った琥珀を見 つめていた。動かず、またたかず、涙をうかべず、
ヘルベルト トゥルツィンスキー (オスカルのア パートの住民)が海事博物館の守衛となる。オス カルがついて行く。
・
(中略するが、その後も数々の不幸をもたらし)
第一次ポーランド分割のころだが、18世紀末
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グラスを陵辱する。 池澤夏樹は栞で、「全体が民話のトーンを帯びてい るのは主人公の性格設定のゆえだ。高い声で叫ぶだ けで市役所の窓ガラスをぜんぶ割ることができる小 人なんて、まるで「聴き耳頭巾」か「巨人退治のジ ャック」の世界ではないか」と指摘します。 「ブリキ の太鼓」と「高音の声」は、小人が人間に何か影響 をおよぼす、武器のようなものです。オスカルは、 「ブリキの太鼓」のリズムで人間を操っていく、破 滅に追いやってゆく。 「高音の声」の破壊力はキリス ト教会とも渡りあえます。 さらに、池澤夏樹は栞で、 「父性の不確定というテ ーマがこの小説の通奏低音となっている。人は母を まちがいなく知っているが、 父は推定するしかない。 その先には母の娼婦性という別の難題も待ち構えて いる。オスカルの本当の父はヤンなのか、マツェラ ートなのか? クルト坊やの本当の父はマツェラー トなのかオスカルなのか? この宙ぶらりんな問い に誘われるようにオスカルは未必の故意による父殺 しを二度まで演じる。ここで民話は神話の領域に踏 み込むのだ」と、 『ブリキの太鼓』は民話や神話の構 造もあることを指摘します。
『ブリキの太鼓』はメルヘンなのだから、当然、 悪魔がでてきます。しかも二種類。一種類は、ダン ツィヒの海事博物館にあった、海賊が拿捕した帆船 の船首像で、これは魔女の設定です。
それは緑がかった豊満な木造の裸女だった。両 腕を上げ、しどけなく指を揃えて組み合わせてい た。ツンと突き出た乳房の上に琥珀をはめた目が ヒタと見つめている。この女、この船首像は不幸 をもたらしてきた。発注したのは商人ポルチナー リであって、親しくしていたフラマンの娘をモデ ルに、 船首像の製作で知られた彫刻家に依頼した。 緑の像が帆船の船首にとりつけられてまもなく、 モデルの娘が当時燃えさかっていた魔女裁判に引 き立てられた。火あぶりになる前、手ひどく拷問 されたものだから、娘はパトロンのフィレンツェ の商人と彫刻家を共犯者として名指しした。伝わ るところによると、ポルチナーリは火刑を恐れて 首をつったそうだ。彫刻家は以後とも魔女を船首 像に刻まぬように、才たけた両腕を切り落とされ た。ブリュージュで魔女裁判がつづき、町の有力 者ポルチナーリが人目をそばだてていたころ、船
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魔女ではないが、オスカルに恐怖をあたえる、 「黒 い料理女」 。オスカルは魔女の「帆船船首の緑の裸女 像ニオベ」に立ち向かったけど、全く平気でした。 そのオスカルが怯える「黒い料理女」とは? シェ イクスピアのメルヘン劇からすると、 『ハムレット』 『マクベス』 の亡霊か精霊 妖精(オフェリア)か、 の幻影か? 「黒い料理女」は『ブリキの太鼓』の なのでは? 最終章での「黒い "to be, or not to be" 料理女」 。 ・
ほかに語るべき何があろうか。吊り電球の下で 生まれ、3歳で心を定めて成長をやめ、太鼓を手 に入れ、歌ってガラスを割り、ヴァニラを嗅ぎ、 教会で咳をし、ルーツィエを食べさせ、蟻を見つ め、成長を決意し、太鼓を埋め、西へ赴き、東を 失い、石刻りを学び、モデルに立ち、太鼓にもど り、コンクリートを視察し、金を儲け、指を保存 し、指をプレゼントして、笑いながら逃走し、上 にあがって逮捕され、判決を受け、収容され、そ れから無罪放免となり、いま自分の30歳の誕生 日を祝い、いぜんとして黒い料理女を恐れている ──アーメン。
今日このごろ、三十男に与えられている可能性 を、あまさず検査しなくてはならない。太鼓によ る以外、どんな手だてがあるだろう。だからぼく にとって、ますます生々しく、また恐ろしくなっ てくるあの小さな歌を太鼓にのせて、そうやって 黒い料理女をよび出し、たずねるとしよう。そう すれば明日の朝、看護人ブルーノに告げることが できる。30歳のオスカルが今後、ますます黒く なっていく子供の恐怖の影のなかで、どのように 生きていくつもりなのか。(中略)霧の中で船が汽 笛を鳴らすとき、あるいは二重窓のあいだでハエ がゆっくり死んでいくとき、さらにまたウナギが 母をほしがり、ぼくの可哀そうな母がウナギをほ しがるとき、太陽が塔の山のうしろに隠れ、琥珀 のように輝くとき! ヘルベルトが木像にとびつ いたとき誰のつもりでいたのだろう? 主祭壇の 背後にも──告解席をことごとくまっ黒にする料 理女がいなくては、カトリックとはなんだろう? (中略)数を増して甘いものを目ざしていく、こ れが彼女の影なのだ。そして聖母マリア、苦しみ 多き人、祝別されたおかた、処女中の聖処女…… といった言葉のすべて。また玄武岩、凝灰岩、輝 緑岩、貝殻石灰岩の中の巣、やわらかいアラバス
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涙をあふれさせもしなかった。憎しみをはらんで 細かくもならない。(中略)しかしながら、いぜん として一面的な男のやり方で、すべて女に関する ものを積極と消極に二分し、ニオベのあからさま 無関心さを自分たちのいいように受けとった。何 の不安も感じていなかった。ヘルベルトはずるそ うにクックと笑いながら、相手の膝の皿に釘を打 ちこんだ。一打ちごとにぼくの膝が痛みを覚えた が、ニオベは眉一つ動かさなかった。緑色の隆起 の見守る前で、ぼくたちはあらゆるバカげたこと をした。(中略)すべて許すか、あるいは何一つ気 づかないはずのオランダの魔女のサイズによる船 首像の前で、ようやく現実に立ちもどった。 2週間少しの後 ヘルベルトをひと目見て、ぼくが笑わなかった かどうか! 彼はオニベにしっかり抱きつき、木 像とまじわりを試みたのだ。ヘルベルトの頭がニ オベの顔を隠していた。頭上にのばした握り合わ せたニオベの腕に両腕でかきつき、下着はつけて いなかった。(中略)発情男は柄が短く、両刃の尖 った水夫用の斧を安全鎖から引きちぎり、一方の
刃は女人の木片に、もう一方は女をわがものとす る自分に打ちこみ、上は完璧に一体となっていた が、下はズボンの前が開いたままで、いぜんとし て直立し、無分別にそびえ立ったモノが空しく錨 を下ろす場を求めていた。
もう一つの悪魔は、オスカル自身で、聖心教会で の洗礼で、 「神」に耐え忍んださまが描かれます。
悪魔とは組ませないというふうに、ぼくの胸と 肩にヴィーンケ司祭が精油をそそいだ。洗礼の泉 の前で、あらためて信仰告解、それからやっと、 三度の聖水、頭に聖香油をむりこみ、けがれを払 う白衣、暗黒の日のためローソク、一同退席── マツェラートが支払いをした──ヤンがぼくをつ れて聖心教会の正面に出てくると、タクシーが日 がな一日待機しているところだが、ぼくは自分の なかの悪魔にたずねた。 「しっかり持ちこたえたかね?」 悪魔はピョンとはねて、ささやいた。 「オスカル、教会の窓を見たか? そっくりガ ラスだぞ、ガラスがどっさり!」
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Ⅷ ケルト ゲルマンの
カトリック教会の執拗な追求により、悪魔にしたて られて逃亡者となり、 まだ未開の泥炭 湿地に逃げ込 みました。 ここにギリシャ ローマの神々まで逃れて きたのは、ローマカトリック教会の魔の手(すいま せん、神の手?)がいかに凄まじかったかは、魔女 刈と精霊やオークの霊(オークマン)をゴチック教 会に磔にしたことからもうかがえます。 19世紀までは、 森林の破壊によりケルト ゲルマ は泥炭・湿地をアジェールとしていまし ンの sprit た。アイルランドがその本拠地です。 20世紀には、泥炭・湿地に多くの強制収容所が は完全に行き場 つくられ、ケルト ゲルマンの sprit を失いました。あるいは、ケルト ゲルマンの sprit は民族主義のために、悪魔の道具に使われました。
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t i r i p s ・
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21世紀の現在、ケルト ゲルマンの sprit につい て、ハムレットの深刻なつぶやき、 "to be, or not to が幻聴のようにおしよせてきます。 be"
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なぜなら、 『ブリキの太鼓』で、 ギュンター・グラスは廃墟の都市に、 ケルト ゲルマンの sprit を解き放ったからです。
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これまで、ケルト ゲルマンの古層文化により、メ ルヘン(例えば『ガリバー旅行記』 )やパロディ(例 えば『不思議の国のアリス』 )で、人間社会(精神) の裏を返すことは盛んに行われてきました。『ブリキ の太鼓』は、ケルト ゲルマンの古層のメルヘンを梃 子に、西洋の世界観を全部裏返してしまったという 意味では異色です。合理的、理性的、効率的な西欧 の基盤の世界観を見事にひっくり返してしまった。 西洋人は〝オー マイ ゴッド〟というでしょうが、 ですが、それすらひっくり返した。合理的、理性的、 効率的な西欧の世界観は、〝オー マイ デビル〟だ と言ってるようなものです。今、お前達は、俺たち は、悪魔に助けを求めているのではないか? 16世紀までは、ケルト ゲルマンの sprit は森林 に棲息していました。それが、大航海時代の造船の 木材供給のために、オークやナラを中心とした森林 は森林をおいたてられ、ローマ が大伐採され、 sprit
連載 エッセイ
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原色、緑と赤、黒い料理の女 [生と死] バニラ [生と死の匂い] 固いもの 宝石 石 木 ココヤシのマッ [死の感触] ウナギ [死] 太鼓 [生]
もうひとつ、この『ブリキの太鼓』の構造を支え ている重要な因子ですが、感性(五感)の冴えです。 つまり、 「理性」に対する劣等の「感性」の冴えです。
ター……といった石のすべて。透明ガラス、薄手 まったく不思議な終わりかたです。訳者池内紀の のガラス……、歌で壊してガラスのすべて。 解説によると、 「最初の一行を「ンン、そうとも、ぼ (中略) 漆喰を塗り直さなくてはならなかった壁、死に迷 くは精神病院の住人だ」と訳し、最終行は、 「いると いこんだポーランド人、いつ、誰が、何を沈めた も──いるとも、ヤァー、ア!」 。グラス自身は大文 かの臨時ニュース、秤からころがり落ちたジャガ 字のZで始めて小文字のaで終えている。それを日 イモ、足先にいくほど細くなる棺、ぼくが立って 本語の五十音の「ア」と「ん」に対応させている」 いた墓地、ひざまずいたタイル、ねそべっていた ということのようです。池内は「この種の言葉遊び」 ココヤシの繊維……コンクリートに塗りこめられ と称していますが、これは言葉遊びをこえて、この たすべて、涙をひき出す玉ねぎの汁、指にはまっ 小説の構造そのものとなっています。ヨーロッパの た指輪、ぼくを舐めた牝牛……彼女が誰なのか、 精神や心の機構をまったくそっくり裏返したような オスカルは問わない! 彼はもはやしゃべれない。 小説で、 「Z」で始めて「a」で終えるのはその象徴 なぜって、以前は背中にいて、ぼくのコブにキス です。 したものが、いまや、またこの先もずっと、ぼく に向かってくるからだ。 ぼくのうしろの料理女はいつもまっ黒 こちらにむかってくるときもまっ黒 口をききマントをひるがえしてまっ黒 くろぐろとはらうおかねもまっ黒くろ 子供たちがうたうときも歌わないときも 黒い料理女はそこにいるか? ヤァー いるとも──いるとも、ヤァー、ア!
色彩 嗅覚 触覚 ト 味覚 聴覚
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したが、それだけではありません。サステナ ブル社会は、人の幸福の維持、増大が目的で あって、地球環境や地球の生態系の保全その ものが目的ではありません。地球環境や地球 の生態系の保全は、人の幸福の維持、増大の 目的達成に必要な要件であるからこそ、これ を保全するということになります。 地球温暖化対策の一環として建築では、建 築のライフサイクルにわたって、温暖化ガス 排出削減に努力することが、社会的に合意さ れていると思います。温暖化ガス排出の多く は建物の運用時のエネルギー消費、照明や空 調に関わるものですので、建物の省エネルギ ー、特に照明や空調の省エネルギーは、地球 温暖化対策、あるいはサステナブル社会の実 現への道を辿る上での重要な課題です。しか し、サステナブル社会に繋がる建物内の環境 配慮は、地球温暖化対策もありますが、建物 内の人の健康と快適性と生産性の向上も挙げ られます。健康と快適性に関しては、説明の 要はないでしょう。生産性は、建物が人の生 産の場を提供し、建物内における人の重要な 活動である労働の質の向上に関わります。生
産性の向上に寄与することは、建物の重大な 使命です。建物内におけるエネルギー消費で 大きな割合を占める照明や空調は、健康や快 適性に寄与するだけでなく、さらには労働生 産性の増大にも寄与します。良い照明や室内 空調のために投資すれば、労働生産性が向上 し、投資した金額以上のベネフィットが得ら ます。雇用者も労働者もその利益を享受する ことができます。一般的なオフィスにおいて 空調(空気清浄)がオフィス労働者の健康に 及ぼす影響や、その労働生産性に及ぼす影響 は、小さくありません。良好な空調がオフィ スにおける知的労働生産性を10%程度上昇 させるという報告もあります。一般に人の労 働コストは建物の空調コスト(設備償却と運 転)に比べ2桁から3桁も大きく、空調の改 善による労働生産性の数%の改善は、投資と して十分に見合うと言われています。行き過 ぎた(あるいは硬直的な)省エネルギーの名 のもと、オフィスの温熱快適性を大きく損な った建物空調を散見いたしますが、不合理、 理不尽です。残念でなりません。
連載 エッセイ
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社会実現への寄与を評価軸にした場合では、 きっといろいろな点で異なっていることが予 想されます。 ここまでは、多くの人々に異論がないと思 います。 もう少し踏み込むと、 しかしながら、 サステナブル社会の実現を目指すと言っても、 その程度に関して様々な考え方があります。 筆者は、サイエンティストではなく、1人の エンジニアとしての立場を出発点にします。 エンジニアリングとは、人が必要とする機能 を科学的手法で実現するものと心得ています。 誰であろうと「現在もしくは将来、地球上で 生活する人々」の幸福増大が、最大の目的で あって、そのための手段として地球環境保全 を考えます。人は無論のこと、人以外のすべ ての生命や、あるいはその生命をはぐくむ地 球自身の保全を考える先鋭的なサステナブル 信仰の人たちとは、 目指す目標が異なります。 サステナブル建築が、我慢を強いる省エネ ルギーや、コスト(資源浪費)を厭わない省 エネルギーとは異なることを、先に暗示しま
省エネルギー建築とサステナブル建築 省エネルギー建築とサステナブル建築は、 どう違うか? 建築環境工学の授業の中で、 しばしば授業内容を理解しているか否かを試 す課題レポートとして筆者が学生諸君に出し ました。なかなか難しい課題で、どのように 答えれば良い評価が得られるのか、直ちには 分かりかねるかもしれません。筆者自身も、 どのように答えれば100%正解とするか、 計りかねる課題です。 必ず正解が必要である、 あるいは問題とその正解を必ず公表しなけれ ばならない入試問題などではとても出せませ ん。読者の皆様は、答えられますか? 一応の採点基準は、省エネルギー建築とサ ステナブル建築は、目指す目標が異なる、と いう点に着目して論考しているか、否かにあ ります。目標が異なれば、手段も異なり、そ の結果生じる建築の形態や使い勝手も違うか もしれません。良い建築あるいは悪い建築を 評価する評価軸も、目標が異なれば、異なる であろうことが予想されます。単なる省エネ ルギーを評価軸にした建築と、サステナブル
加藤信介
かとう しんすけ
東京大学名誉教授(生産技術研究所)
(専門は都市・建築環境調整工学)
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った鉄を取り出す。ところがここから作られ る鉄(鋼)は極めて強靭で、強い粘性をもつ。 かつての帝国海軍は、この技術を応用してア ーマーを作ろうとしたが出来なかった。 木炭と鉱石や鉄の話だけではなく、出雲の 国引き伝説のような古代朝鮮や沿海州との交 流を示唆する話もある。このような伝説や神 話を扱うときの注意として、いつ頃のことか を明らかにすることが非常に大きな意味を持 つ、と学生のころ民俗学の授業で教えられた 覚えがある。なぜかというと、伝説は時間が 圧縮されていて、300年も500年も同じ 「昔」として括られていて、先後の関係が分 からなくなる、というものであった。確かに そうであるが、では文献や話として伝えられ る伝説に「何年ころのことで……」などと言 う記録があれば、逆にかなり怪しい。では、 どうすればいいのか。あそこの屋敷が出来た ころ、〇〇地震の後か前か、などと大きな事 件と関連させる。もう少し古くなると「父親 が子供の頃は……」 、もっと古くなると「死ん だお婆さんが子供の頃……」 、 こうなると10
0年前ということになる。さらに「おじいさ んの親が」となれば、150年。こんな風に 見当をつける、という話であった。では20 00年前はどう判断するのか。 実際に今ごろ出雲に行って、「新羅の船が… …」 、そんなこと聞き回っても何も出ないし、 誰もまともに相手をしてくれまい。では何し に行くのか。地勢・風土、そして「たたら」 である。新羅の土地が引き寄せられて、出雲 の国の一部になったと云うなら、そのもとの 新羅の上に立ってみたい。実は古代日本の文 化は、新羅ではなく、百済経由の場合が多い らしい。百済からの渡来人は多くは畿内に住 んだ。つまり大和朝廷の支配下である。これ に対して新羅からの渡来人は、出雲あたりに 住んだのか。出雲の大国主尊が天皇勢力に反 抗的な姿勢をとったことは、 『古事記』 『日本 書紀』にも記されるが、実際に新羅は朝鮮半 島の東側一帯。出雲に近い。どの位近いのか は、新羅の土地が引かれてきたというその場 所に立ってみれば分かるかもしれない。
連載 エッセイ
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神話と歴史 この夏休みに、山陰地方の文化調査に行く 予定を立てている。 何を調べるのかというと、 日本の古代文化の中にある外来文化の伝来状 況を考えるというのである。これは私の専門 からはかなり外れるのであるが、大陸からの 文化が、どのようにもたらされ、どのように 定着したのかは、以前から興味を持っていた テーマであるし、特に山陰には10年ほど前 に公務で出張した際、米子と松江で研究集会 を開いたことがある。その時に近畿の文化と は異なるものを感じていたので、二つ返事で 引き受けた。 何が違うのかというと、家の屋根である。 前夜、そのころ八重洲の地下にあった銭湯で 汗を流し、東京駅発の寝台特急に乗りふと目 が覚めると、もう夜は明けていて、列車は山 陽本線と分かれて中国山地の横断にかかると ころであった。山間の家々にしては立派な造 りの家屋が多い。驚いたのは屋根の棟に、天
守閣に飾る鯱のようなものが置かれてあった ことである。それが1軒や2軒ではない。目 に入る民家の全てにある。これは随分文化が 違う。 それでは今回、何を対象とするのかという と、製鉄法である。山陽・山陰地方には、古 代の製鉄法とされる「たたら」の技術が伝え られていて、特に日本刀の制作には欠かせな い鋼材を提供している。 「たたら」という名に はいくつかの説があり、タタール(韃靼)と いう説やサンスクリット語説など外来語の影 響を指摘する研究者も多い。その製鉄法も高 炉を用いる近代製鉄法とは異なり、砂鉄と木 炭による製鉄法である。炉も1回しか使えず 終われば崩す。製鉄というと、真っ赤に溶け た銑鉄が溶鉱炉から流れ出るところを想像さ れる人も多いが、たたらによる製鉄法は、炉 の中で木炭と鉱石や砂鉄を一緒くたにして溶 かし、そのまま冷却してから炉を壊して固ま
山田利明
やまだ としあき
東洋大学教授
(専門は中国哲学)
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万団体が参加して活動しています。R&Sの 名には、希望の根(ルーツ)が世界中に広が り、新芽(シューツ)となって困難の壁を突 き破るようにという願いがこめられています。 グドールさんは1990年に主に第一の業 績に対して京都賞を受賞しています。コスモ ス国際賞に限らずどの賞にも、他の賞を受賞 した人には贈らないという規約はありません が、なるべく多くの人を顕彰するという意味 で、同じ内容で重ねて賞を贈ることはしない というのが暗黙の了解になっているようです。 今回特にグドールさんにとなったのは、受賞 理由の第一に加えて第二、第三もあり、 「自然 と人間との共生という理念の形成発展に特に 寄与する業績に対して贈る」というコスモス 国際賞の趣旨にまさにぴったりだからです。 グドールさんは受賞時に83歳でしたけれ ど、11月6日に大阪市で受賞式が行われた 後、7日には京都大学で、9日には首都大学 東京で、さらに10日にも国連大学「コスモ ス国際賞25周年記念のつどい・シンポジウ ム」で記念講演をするというスケジュールを 元気にこなされました。首都大学東京での講
演には都立高校生250人が参加し、私がコ ーディネーターを務めました。質問の時間に たくさんの手が挙がり、驚いたことに半数以 上が英語での質問で、 グドールさんの著書 『森 の隣人』 (朝日選書)を読んでかなりつっこん だ質問をした高校生もいました。「世界的に環 境が悪化している状況のなかで、私たちは何 をしたらいいのでしょうか」という質問に、 グドールさんは半ば冗談のように、「ルーツア ンドシューツの活動に参加してください」と 言いつつ、「いまはしっかりと勉強することが 大切です。環境が悪くなるのは誰か悪い人が いるからというだけはありません。複雑な要 因によっておこっているということを知るた めにも、 たくさんのことを勉強してください」 と答えていました。 グドールさんは「25周年記念のつどい・ シンポジウム」の折に皇太子殿下、妃殿下と お話しされ、また天皇陛下、秋篠宮殿下とも 別途会われました。皇室には大変深いご理解 を示していただきましたので、同じように多 くの人にもグドールさんとコスモス国際賞に ついて知っていただけたらと思っています。
連載 エッセイ
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グドールさんとコスモス国際賞 つい先日の6月15日に今年の京都賞の受 賞者が発表され、 新聞等で報道されましたが、 注目した方はおそらくさほど多くなかったろ うと思います。京都賞は先端技術部門、基礎 科学部門、思想・芸術部門の各部門に対して 贈られ、賞金は今年から1賞につき1億円に なりました(昨年までは5000万円) 。金額 だけならノーベル賞に匹敵します。しかし、 報道の扱いはごく小さなものでした。 日本には京都賞の他に国際的な大きな科 学・技術賞が四つあります。大きいというの は単純に賞金が多いということで、日本国際 賞(賞金5000万円) 、ブループラネット賞 (5000万円) 、コスモス国際賞(4000 万円) 、国際生物学賞(1000万円)で、ど の賞も非常に大きな意義のある発見や功績に 対して贈られていますので、たくさんの人に 知っていただく価値は十分にあるはずなので すが、世間の関心ははなはだ低いと言わざる を得ない状況です。私はかねてからそのこと
を残念に思い、社会に向けていかにしてアピ ールしたらよいのか、各賞の関係者が集まっ て検討することも必要なのではないかと考え ています。 昨年はコスモス国際賞は25周年の節目を 迎え、それにふさわしい人をということで、 ジェーン・グドールさんが選ばれました。グ ドールさんは1960年にタンザニアで野生 チンパンジーの研究を始めた女性研究者で、 今回の受賞は三つの大きな業績に対してでし た。第一は野生チンパンジーの生態を世界で 初めて解明したことで、特にシロアリの蟻塚 の穴に草の茎を差し込んでアリを釣り上げて 食べる行動の発見は、道具を作成して使うの はホモサピエンスだけという定説を覆したこ とで非常に有名です。第二は野外動物を何十 年にもわたって研究する長期野外継続研究の パラダイムを創設したことです。第三はルー ツアンドシューツ(R&S)という環境教育 プログラムの創生で、世界99カ国で約15
林 良博
はやし よしひろ
独立行政法人 国立科学博物館長
(専門はバイオセラピー)
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の手」と沿岸部の「海の手」がともに 手を取り合い、手仕事で経済復興をし ようと活動を開始した団体で、現在は 新聞バッグの制作・販売を中心的な活
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グづくりが被災地女性の経済的な支え になっていることに大きな魅力を感じ )そして海山の話を聴くために岩 た (1。 出山や鳴子に通ううちに、海山に集う
図 2 海山のきっかけとなった梅見の会の写真.会場となった梅農場は個人所 有の梅園としては日本有数の広さを誇る.
動として行っている。 海山の新聞バッグに初めて出会った とき、わたしはまずこの新聞バッグの 可愛さに心を奪われ、次いで新聞バッ
図 1 2015 年 5 月,2 回目にお話をうかがったとき.一番左が筆者.
忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク㉕
「 センセイ」 になることで得たものと失ったもの
が考え、手足を動かして進めているプ ロジェクトを、ほとんどかかわってい ない男が進めていると誤解される。そ んな悔しい経験が何度もある。だから
フィールドでのポジショナリティをめぐる葛藤
さとうようこ
佐藤洋子 高知大学地域協働学部 (専門は地域社会学・労働社会学)
仕事をする上で、若く、しかも女で あるということは、わたしにとって足 かせだった。若い女であるために下に 見られ、話を聞いてもらえない。自分
こそわたしは、もっともっと力がほし いと思っていた。 運良く大学の教員として就職が決ま り、わたしはいま、 「センセイ」と呼ば れる仕事に就いている。 「センセイ」と いう肩書きにはびっくりするくらい力 がある。若い女だから(といってもそ こそこの年齢になったのだが)話を聞 いてもらえないということはほぼない。 こうした「センセイ」の持つ権力に自 覚的であることが必要なのは言うまで もない。だがここでわたしが取り上げ たいのは、 「センセイ」になったことで 失ったものについてである。
いま、わたしには大切にしているフ ィールドがある。宮城県大崎市岩出山 に拠点を置く「海の手山の手ネットワ ーク」 (以下、 「海山」 )だ。海山は東日 本大震災の後、大崎市鳴子温泉に避難 していた沿岸部住民の 「仕事がしたい」 という思いをきっかけに、 内陸部の 「山
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えたいと望みながら容易には乗り越え ることができない壁を、彼女たちはぽ んと乗り越えてしまっているのだ。 思い返してみると、学生の頃にお話
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なかったけれど、その分、若さゆえに 教えを請うという形で、相手の懐に入 り込み、関係を築くことが可能だった のだ、といまならわかる。
図 4 わたしも新聞バッグインストラクターの資格を取得した (2018 年 3 月).
をうかがった方の多くは、人生の後輩 である若いわたしにいろいろと教えて あげようという気持ちで話をしてくだ さっていた。あの頃のわたしには力は
図 3 高知大で開催した新聞バッグワークショップ(2017 年 7 月).
魅力的な人々にどんどん惹かれていっ た。 海山に集うメンバーはみな何らかの 生産者である。お餅を作って道の駅で 販売している代表の女性や、無農薬栽 培のとうがらしで自然調味料を作って いるご夫婦、鳴子で温泉熱利用を計画 し温泉たまごを作っている方。沿岸部 で美味しいわかめやこんぶを養殖して いる方もいるし、もちろん新聞バッグ インストラクターとしてプロ級に新聞 )彼ら バッグを作るメンバーもいる (2。 には生産者としての自信と誇りがあり、 それを基盤に真剣に物事を考え、とて も楽しそうに毎日を過ごしている。た まに失敗することがあってもそれを笑 い飛ばしてしまうようなおおらかさと 強さも持っている。わたしは多分、彼 らのそんなところが好きでここ数年海 山に通っているのだと思う。 海山をたんなる研究対象として見る のではなく、新聞バッグのことを一緒 に考え活動したいという想いが大きく なり、ここ1年は調査に行くだけでは なく、さまざまな形で海山とつながり を持っている。高知大の授業で代表の 曽木さんに講演をお願いし、新聞バッ グづくりのワークショップを開催した こともあった。学生と新聞バッグをつ くり、海山の高知大支部として新聞バ ッグコンクールへ出展もした。わたし 自身も新聞バッグインストラクターの 資格を取得し、新聞バッグでつながり のある富良野や四万十に行くのにもご 一緒させていただいた。 大学で開催したワークショップをき っかけに、昨年から学生2人も岩出 山・鳴子に通いはじめた。彼女たちは けっして新聞バッグに興味があるわけ ではないが、何らかの魅力を感じて岩 出山や鳴子に通っているようだ。高知 から遠く離れた宮城まで通い、物怖じ せずにいろんな人たちとつながってい く彼女たちの行動力を、わたしはとて
も尊敬している。 そして実は、わたしは彼女たちに嫉 妬してもいる。 ともに過ごす時間が増えても、海山 の方々との間にはどこか壁というか、 心理的な距離を感じるときがある。そ れはきっとわたしが「センセイ」とい う肩書きで海山にかかわり、ありがた いことに「センセイ」としてのわたし を海山の方々が尊重してくれているか らだろう。だが欲張りだとわかってい ながらも、わたしは「センセイ」とし て以上に、個人として、仲間として、 海山にかかわりたいと思っているよう なのだ。 そんなわたしの葛藤をよそに、学生 たちは学生個人の名前で海山の方たち とかかわりを持っている。感じたこと をストレートに表現し、海山の方々と 楽しい時間を共有し、ともに笑い、わ たしがまだ会ったことのない人にも会 わせてもらっている。わたしが乗り越
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図 6 新聞バッグコンクールへ向けたミーティング(2018 年 6 月).
でのみ生じるものではない。学部の実 習で地域にお世話になるときにどのよ うに振る舞えば、学生にとって、地域 の方にとって、よりよい場をつくるこ とができるのか。1回限りのインタビ ューで出会う対象者にどのような距離 を取れば自らのことを十分に語っても らうことができるのか。日々の教育・ 研究の中で迷うことは多々ある。 ただ、 場面によって程度の差はあれ、 わたしはありのままのわたしを出すこ とでしか、フィールドで出会う方々と 関係をもつことができないなというの が、いまのわたしに見えかけている答 えである。 さて海山では、今年の新聞バッグコ ンクールを東北で初めて開催するため の準備が始まり、わたしも半ば押しか けるようにメンバーに加わった。 海山の新しいかたちを一緒に構想で きること、これまで海山で教えていた
だいたことを整理して示すことがそれ に役立ちそうなこと。そこに海山での わたしの役割を見つけたような気がし て、いまわたしは、もうすぐ行われる ミーティングをわくわくしながら待っ ている。
(1)スタンダードな新聞バッグは大50 0円、中300円、 小200円で販売され、 販売価格の約50%が作り手に支払われる。 海山は被災地の経済復興をめざすがゆえに、 新聞バッグの「商品としての価値」を重視 してきた。そのことが企業のノベルティと して採用されることにもつながり、これま でに10万枚以上の新聞バッグを制作・販 売している。
(2)作り手の中には本業を持ちながら1 カ月に数百枚の新聞バッグを折る方もいる。 またスタンダードなバッグだけでなく、購 入する方の注文に応じてオリジナルのバッ グをつくる技術をもつインストラクターの 方もいる。
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図 5 つながりのある四万十にて.海山の方と学生と(2018 年 4 月).
では「センセイ」となったいまは、 どのような立場でフィールドに接する ことが正しいのだろう?
ここまで書き上げた原稿を真っ先に 読んでほしくて、 夜中にもかかわらず、 この文章を代表の曽木さんに送ったと ころ、こんな返事が返ってきた。
佐藤洋子「センセイ」は、 「センセイ」 となっても「ありのまま」じゃない ですか。 あなたは「ありのまま」で若さも女 であることも「センセイ」も超越し てます。笑
どうやら嬉しいことに、少なくとも曽 木さんには、わたしは「センセイ」と いう立場を超えて、ありのままの個人 として扱ってもらっているらしい。 「センセイ」とフィールドとの距離 をめぐる戸惑いは、継続的に通う地域
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分の姿が映し出される 笑( 。人 ) 工知能が入って いて 会話もでき、 ハイテク鏡で ある。 また、
文・構成 平松 あい)
絵:Panasonic ウェブサイト「ふしぎの図書室」より
「 遠写 鏡 」 は 、 何 か を 映 す と 、 近 く の 鏡 や 窓 ガラ ス など 反 射す る 物 に も 同 じ も の が 映 し出 される(プロジェクタ機能のような感じ) 。 白 雪 姫 に 出 て くる よ う な 鏡 、 こ れ か ら A I で可能になるのだろうか? 『この時代の一般的な美の感覚からする
(親子サステナ
Anjou:卓上ミラー
ナック・ケイ・エス会社: ステンレスカーブミラー
と、あなたは世界で○番目に美しい人です。 』 なんて…。
【第 45 号】
かがみよ かがみよ かがみさん 『かがみよ、かがみ、世界で一番美しいのは
例えば車のミラーに使われる凸面鏡は広い
真実を告げる鏡が有名な白雪姫のお話。美の
『それは、おきさきさま、あなたです。』
自分が何 人もいたりする。面白い。
えて並べたり重ねると、色んな方向を向いた
でき、化粧用鏡などに用いられる。角度を変
に集めるため、近くの物を大きく映すことが
景色を映す。逆に凹面鏡は反射した光を内側
保証をしてくれていた鏡がある日突然、『一番
だあれ~?』
美しいのは、白雪姫です』と言い出し、嫉妬に
昔は銅や水を鏡として用い、鏡の歴史は古
い。鏡に映った自分の姿を顧みて反省したり、
気が狂ったお妃は白雪姫を目の敵に…。 鏡の仕組みからいうと、鏡は光を100%近
手本としたりする意味合いから、「あの人は教
神秘的で夢のある鏡、ドラえもんの道具に
師の鑑だね。」と、人の模範や手本になる場合
も、色々ある。 「うそつき鏡」は、鏡の前に立
く反射するように、ガラスに銀色の金属が塗ら
のを見ているのである。普通の鏡は平らで、物
つと、センサーによってその姿が認識・分析
れて作られている。鏡に映っている自分は、こ
をゆがめずにそのまま物を映すことができる。
にも、「かがみ」と使われるようになった。
し か し 表 面 が 凹 凸 に な っ た り 重ね あわ せ た り
され、コンピュータ処理され、整形された自
ちらからの光が鏡にぶつかって戻ってきたも
すると、鏡の向こうは神秘的な世界になる。