■総合司会挨拶
福士謙介 ふくし けんすけ
東京大学国際高等研究所サステイナビ リティ学連携研究機構教授
ご参加の皆様、お待たせしました。 ただいまよりインターナショナル・シ ンポジウム・オン・サステイナビリテ ィ・サイエンス「サステイナブルでレ ジリエントな社会を目指して」を開催
させていただきます。本日司会を務め させていただきます、東京大学国際高 等研究所サステイナビリティ学連携機 構の福士でございます。よろしくお願 いいたします。 ■開会挨拶
デイビッド・ マローン e n o l a M d i v a D
国際連合大学学長
皆様、おはようございます。そして ようこそお越しいただきました。 今日のスケジュールに遅れることな く、むしろスケジュールよりも少し早 めに進むように手短に挨拶をまとめた いと思っています。日本は最も時間管 理が上手な国ですから、進行について 心配すべきことはないと思っているの ですが……。
初めに、国際連合大学、デイビッド・ マローン学長より開会のご挨拶を申し 上げます。マローン学長、よろしくお 願いいたします。
このようなシンポジウムが国連大学 において開かれますことを非常にうれ しく思っています。今日は、非常に関 心がもたれている科学の分野、すなわ ちサステイナビリティ学に関するシン ポジウムです。昨日は、千葉県柏市に ある東京大学のキャンパスでサステイ ナビリティ学に関する会議が開かれて、 私もご招待をいただきました。日本と
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国際シンポジウム
サステイナブルでレジリエントな 社会を目指して International Symposium on Sustainability Science Toward a Sustainable & Resilient Society
サステイナビリティ(持続可能 性)とレジリエンス(回復するし なやかさ)はこれからの社会を考 えるキーワードです。本シンポジ ウムでは、産業、学術、政策の各 分野で、サステイナブルでレジリ エントな社会構築を目指してど のような取り組みや連携が行わ れているのかを、UNESCO、 OECD などの国際的な機関から、 国内の行政、自治体、そして産業 界まで、各界をリードするキーパ ーソンに紹介していただき、その 上で多角的な論議をしました。
●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構 国際連合大学サステイナビリティ高等研究所 ●日時:2014 年 1 月 21 日(火)10:00~17:30 ●会場:国際連合大学ウ・タント国際会議場 2
策立案者側が納得できるようなエビデ ンスを提示していくことが重要です。 これは現実にできているわけではあり ません。 多くの科学者は研究室のなか、 あるいは教室のなかで活動しています。 政策立案者が、科学の出すエビデンス に基づいて政策を採用するということ はまだあまりできていないのです。 三番目のトピックは国際連携です。 サステイナビリティ学の国際的な展 開は始まったばかりです。今日のこの ような会議もその一つです。これは非 常に小さなものなのかもしれませんが、 大切な一歩になっていくことを私は願 っています。ここに参加者の皆様は、 今日の成果を他の場へとつなげていっ ていただきたいと思います。そのよう なことを積み重ねていくことで、サス テイナビリティ学がより広がって、政 策とより多くの接点をもつようなって、 国際連携も進んでいくことでしょう。 今日はユネスコのグレッチェン・カ
ロンジさんにもご参加いただいていま す。ユネスコは国際社会において大変 重要な役割を担い、サステイナビリテ ィに対して数多くの取り組みをし、そ してサステイナビリティに関する学 問・学術の重要性を非常に強調されて います。まさにこの分野におけるすば らしいパートナーとして積極的に主張 してくださっていることについてユネ スコに感謝申し上げたいと思います。 また、私ども国連大学の重要なパート ナーとして連携を取らせていただいて いる日本ユネスコ国内委員会にも感謝 申し上げます。 日本の環境省の事務次官の谷津龍太 郎さんにもお越しいただいています。 環境省が積極的に私どもにご協力をい ただいていますことにも、この場を借 りてお礼を申し上げます。東京大学に も感謝を申し上げます。東京大学は、 サステイナビリティ学という学問領域 が進んでいく道筋を付け、研究と教育
を促進しています。国連大学の上級副 学長でもある武内和彦教授は、東京大 学でも重要な役割を果たされて、サス テイナビリティ学のリーダーとして積 極的な活動をしています。私ども国連 大学の修士コースに関して、東京大学 とともに見直しをしています。それは 私どもの学生に大きなメリットになる と同時に、東京大学の学生にもメリッ トになると考えています。日本の学生 がグローバルなつながりを広げていこ うとしていることを心強く思っていま す。 最後に、今日ここにご参加いただき ました皆様にお礼を申し上げます。ま ことにありがとうございます。この国 際会議が皆様にとって実り多いもので あることを願っております。
司会 マローン学長、どうもありがと うございました。 それでは基調講演に入らせていただ
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いう私ども国連大学のホスト国におい て、サステイナビリティというトピッ クが大変注目されていることをうれし く思っています。 科学が非常に重要であることは、科 学に携わっている者にとっては自明の 理でありますが、多くの方々は親近感 をもって科学をみているわけではあり ません。科学、そしてそのエビデンス に対して、それほど愛着がないのかも
しれません。 環境ないしはサステイナビリティに 関して、世界中でさまざまな思いが渦 巻いています。感情はときとして思考 よりも優れていることがあります。環 境に関して積極的に活動している方々 は危機感を抱き、目的意識をもってい ます。しかし、必ずしもエビデンスを 最も重視しているわけではないという ことがあります。活動をさらに広げ、 より強く進めていくには、たしかなエ ビデンスが必要です。そして、科学が 求められます。サステイナビリティ学 が学術的な分野として台頭してくるこ とが非常に重要なのです。 今日は最初に三つの基調講演があり ます。最初のトピックは「成長の限界 を超えて」です。 成長の限界は重要であると同時に議 論の分かれるテーマです。私の出身国 であるカナダ、 あるいはここ日本では、 人口動態がかなり安定し、経済成長も
ほぼ横ばいですから、成長には限界が あるということも理解しやすいでしょ う。一方で、途上国では人口も経済も まだまだ非常に伸びていますから、成 長に限界があるということはなかなか わかりにくいのです。成長の限界を見 据えた上で国際的なコンセンサスを得 るのは難しく、先進国と途上国の間の バランスが求められています。やはり エビデンスを得て、そして創造性をも って、成長とサステイナビリティの間 のトレードオフを上手にとっていくこ とがますます重要です。 二番目のトピックは、学術界と政策 のつながりです。 科学者は科学的なブレークスルーを 達成しようと考えています。一方で政 策立案者は、議会などのさまざまな制 約を受けながら、最も都合のよい選択 肢を選び採ろうとします。その結果と して、全く進捗が得られないというこ ともあります。科学の側としては、政
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そこに豊かな国が生まれました。 二十一世紀になって、先進国の値が 急激に落ち込んできています。 これは、 先進国のGDPが落ちたのではなく、 世界の平均が上がってきたためです。 産業革命から差が開く一方であったの が、途上国がいまになって上がってき たのは、とりもなおさず工業化が世界 中に普及してきたからです。世界は物 質的に豊かなレベルで再び均一化へと 向かっています。そのような時代にわ れわれは生きているのです。 もう一つの指標として世界の平均寿 命をみますと、二〇〇〇年前のローマ の時代から平均寿命はずっと二四、五 歳でした。二〇世紀に入るころになっ ても三一歳です。そのころ、先進国の 人たちだけが五〇歳を超えて六〇、七 〇まで生きることができました。去年 のWHOのデータでは、世界の平均寿 命は七〇歳です。人類の九割ぐらいが 長寿を手にできるようになりました。 図①
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きます。初めはサステイナビリティ・ サイエンス・コンソーシアムの小宮山 宏理事長の講演です。「成長の限界を超
■基調講演
成長の限界を超えて
えて―プラチナ社会実現に向けたイノ ベーション」です。それでは小宮山理 事長、よろしくお願いいたします。
プラチナ社会実現に向けたイノベーション
こみやま ひろし
小宮山 宏
』 とい 『 Beyond the Limits to Growth う本をスプリンガー社から出しました。 今日はそのイントロのような話をしま
その後、この問題に対する本当の意 味での答えは出されていませんので、 私はずっと考えてきました。 つい最近、
一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム理事長 プラチナ構想ネットワーク会長、三菱総合研究所理事長、 東京大学総長顧問
ローマクラブが成長には限界がある と警告を発したのが一九七二年でした。 そのころまで、地球は無限で成長は永 久に続くとわれわれは考えていました。 成長に限界があるという警告は非常に 画期的なものでした。
す。 ローマクラブの警告で一番大事なの は、われわれが人類の歴史の節目を生 きているということです。図①は、い ろいろな国の一人あたりのGDPを、 世界平均で規格化して比べたものです。 二〇世紀の終わりに、アメリカ、イギ リス、日本といった先進国のGDPは 世界平均の三倍から五倍近くあり、逆 に、中国やインドは世界平均の約一〇 分の一でした。途上国と先進国の差は 五〇倍ほどもありました。一〇〇〇年 くらい前に戻ると、GDPはどこの国 もほぼ同じでした。そのころの産業は ほぼ農業だけで、一人が食べる量はそ れほど変わりませんから、どこかの国 が豊かでどこかの国が貧しいというこ とはなかったのです。明確に大きな差 が出だしたのが産業革命です。産業革 命はイギリスに始まってヨーロッパ、 それからその分身である北アメリカ大 陸とオーストラリア大陸へと広がり、
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図④
人工物の飽和という面からみても、成 長には限界があるのです。 では限界のその後に何がくるのでし ょうか。量が満たされたら、やはり次 は質でしょう。質とは何か。それを真 剣に考える必要があります(図③) 。 図④の左側は現在の中国の写真では ありません。日本の四日市です。一九 五〇年代にはこのような状況でした。 いまでは右側の写真のようになってい ます。われわれはこのようにすること ができるのです。中国が一時一五パー セントぐらいの経済成長をしましたが、 あのときに一三パーセントぐらいに抑 えて、二パーセント分を環境のために 投資していれば、大気汚染がいまのよ うな状況になるのを避けられたはずで す。質の一つは環境をクリーンにする ことでしょう。それに加えて、生物多 様性も大切です。 次がエネルギーです。エネルギーは 使用量を減らせます。寒いのを我慢す
るのではなく、エネルギー効率を上げ ることで大きく減らせます。一九七〇 年代に日本は早くもそれを経験しまし た。オイルショックによって石油の値 段が一〇倍にも二〇倍にも跳ね上がっ て、世界の経済は大きな打撃を受けま した。リーマンショックよりもっとひ どかったかもしれません。当時の日本 は石油の高騰に最も弱い国でしたが、 産業界がエネルギー効率を上げて、み ごとに克服しました。そのころの日本 では、ものづくり産業がエネルギーの 三分の二を消費していました。効率を 上げたことで、いまでは四割です。残 りの六割は、家庭、オフィス、そして 輸送です。その部分の効率化には大き な可能性があります。ただし、三年で 初期投資を回収するように非常に短期 で考えると難しいです。一〇年、一五 年で元が取れればいいということであ れば、世界のエネルギーの問題はほと んど解決します。日本のような石油が
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先進国の人々はモノを十分にもつよ うになりました。自動車を例にみると (図②) 、 図の右側に示されている数字 は、その国にある車の台数を人口で割 った値です。〇・五というのは二人に 一台の車があるということです。日本
図②
からドイツまでほぼ〇・五で、この状 態になると自動車はこれ以上増えなく なります。つまり自動車が社会に飽和 したということです。日本では自動車 の台数が一〇年前から五八〇〇万台で 一定です。廃車にした分だけ新車が売
図③
れるという状況です。新車はだいたい 一二年で廃車になるので、五八〇〇万 割る一二で、一年に四八〇万台という のが日本で売れる車の台数ということ になります。これが経済の成長の限界 です。 自動車に限らず、いろいろなものに 対して先進国ではこのような状況にな っています。そうすると、経済の成長 を引っ張るのは、まだ自動車が飽和し ていない中国やインドであるというこ とになります。 それはその通りですが、 飽和に達するのがどんどん速くなって います。図②の数字は二〇〇七年のデ ータで、中国ではまだ一〇〇人に二台 しかありませんでした。二〇一二年に は一〇〇人に八台、いまは一〇〇人に 一〇台に近くになっています。あと七 ~八年もすれば中国もほぼ飽和です。 ローマクラブは、有限の地球におい て、資源や環境の容量に限界があるか ら成長には限界があると警告しました。
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の問題として取り組まなければならな いこともあります。 自立性を失った人には、それを手助 けする器具が求められます。食べると か排泄するとかお風呂に入るとか、そ
のようなことは意識がある限り自分で やりたいでしょう。いわばそれが人間 の尊厳です。自分でやりたいことを支 援するような器具をつくっていく産業 が今後大きく発展していくでしょう。 人が手を動かそうとするときに、脳 からパルスが出て、神経を通って末端 にパルスが伝わって、筋肉が伸びたり 縮んだりします。神経のつながりが腕 のどこかで切れてしまうと手が麻痺し ます。しかし、神経が切れても、脳の パルスを検知して末端に運ぶことがで きれば、手は動くはずです。図⑥の左 の写真は、筑波大学の山海義之さんが 開発しているHALというロボットス ーツです。歩こうと思う膝の神経から 表面に漏れてくる電流を検知して、ロ ボットスーツが力を与えてくれます。 漕ぐパワーをくれるアシスト付の電動 自転車と近い感覚といっていいかと思 います。 医療も変わるでしょう。コッホ・パ 図⑥
スツール以来、たとえばコレラという 病気はコレラ菌が原因で、それに打ち 勝つための抗生物質を投与して治療す るということで、医療が発達してきま した。いまは状況が変わってきていま す。たとえば、日本では二五〇〇万人 が腰痛を抱えていて、その八〇パーセ ントが原因不明です。アトピーとかア レルギーとか鬱とか、多くの人々が困 っている病気には原因が特定できない ようなものがたくさんあります。人間 が長寿化することによって、病とはい いにくいようないろいろな不具合が出 てきています。それはいままでの医療 では治せていません。 では、どうすればいいのか。一つ考 えられているのはビッグデータの活用 です。腰痛にもいろいろあって、運動 をしたり食の改善をしたりしてよくな った例もたくさんあります。一人一人 の医者は限られたデータしかみていま せん。たくさんのデータを集めて分析
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採れない国でも、エネルギーの自立が 可能です。 自動車の燃費が上がってきています。 新車は一二年で廃車になりますから、 自動車は順次、燃費のいいエコカーに 入れ替わっていきます。日本には家が 五八〇〇万軒ありますが、世帯の数は
五〇〇〇万で、八〇〇万軒は空き家で す。 家の総数はこれからは増えません。 新たに家を建てるときに、エコハウス をつくっていけばいずれすべてがエコ ハウスに入れ替わります。断熱に気を 付けて太陽発電を載せたエコハウスな らエネルギー消費はゼロにできます。 このようにエネルギー効率を上げて、 一方で、再生可能エネルギーをせいい っぱい動員すると、日本のような国で もエネルギーはほぼ自給できます(図 ⑤) 。 人工物は飽和していますから、金属 資源もリサイクルによって自給率を大 幅に高められます。必要な金属はスク ラップとして出てくるからです。スク ラップには鉄やアルミニウムなどがそ のままのかたちで入っています。天然 資源は空気中に酸素があるために、酸 化鉄であったり、酸化アルミニウムで あったり、どれも酸素がくっついてい ます。酸化鉄や酸化アルミニウムから
図⑤
酸素を取るにはたくさんのエネルギー を使います。スクラップから取り出す のと比べて、鉄は二七倍、アルミニウ ムは八三倍のエネルギーが必要です。 長寿化は文明の成功です。量から質 へのこれからのチャレンジは、いかに して活気ある長寿社会を実現するかで す。高齢であっても健康で自立できる ことが大事です。日本人の七割くらい の人は、七〇代の後半から少しずつ自 立性を失って九〇歳ぐらいで亡くなり ます。一割ぐらいの人は九〇歳になっ ても自立しています。八割ぐらいの人 は、長期の介護が必要な状態にはなら ないそうです。二割くらいの人が六〇 代の初めころから、脳血管障害や糖尿 病のような病気のために自立性を失っ ていって、長期の介護を必要とするよ うになります。 われわれが目指すのは、 できる限り長く健康で自立できるよう にするということです。個人の問題と して取り組むべきこともあれば、社会
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図⑨
知識の構造化にあると私は 考えています。 ビッグカンパニーの時代 から、ベンチャーとかNP Oなどの小さな単位でイノ ベーションが始まるような 時代になります。大学は閉 ざされた象牙の塔のなかで 教育や研究するのではなく て、開かれた場になってい かなければいけません。私 は東大の総長を終えてから 四~五年が経ちます。外に 出てから成長したと思って います。成長は喜びです。 死ぬまで成長していける環 境が、社会のなかで求めら れる質の一番の問題なのか もしれません。 今日の話は、詳しくは 『 Beyond the Limits to 』に書きました。 Growth
コンテンツはスプリンガー社のホーム ページからフリーでダウンロードでき ます。どうぞご覧になってください。 皆さんがそれを読んで満足されてしま うと本が売れなくなってしまいます。 どうか緑色のきれいな本を買ってくだ さいということをお願いして私の話は 終わりにします。
司会 どうもありがとうございまし た。 続きまして、「サステイナブルでレジ リアントな社会を環境政策にどうとり いれるか、どう展開して行くか」と題 しまして、環境省環境事務次官の谷津 龍太郎様にご講演いただきます。谷津 様、 どうぞよろしくお願いいたします。
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することで、新しい対処法、治療法が 見つかって、新しい産業が生まれてく る可能性があります。 新しいイノベーションが求められて います(図⑦) 。質を求める産業をつく
って、産業革命の次へと移行していく のです。それを私は「プラチナ革命」 といっています。産業革命は規格化を なしとげました。規格化された製鉄所 で規格化された鉄をつくりました。大
図⑦
図⑧
量生産です。 これは供給側の論理です。 つくれば売れたのです。 これからは多様化です。ものは飽和 しています。自動車をつくれば売れる ということではありません。どのよう な自動車がほしいのか、人それぞれが 求めるものを供給していくビジネスに 変わってきています(図⑧) 。 さらにいえば、新しい知識を生み出 すこともさることながら、知識を構造 化して、 知識をつなぐことが重要です。 知識の構造化から新しいイノベーショ ンが生まれます。経済学者のシュンペ ーターがイノベーションという言葉の 生みの親だといわれています。シュン ペーターは、新しい組み合わせによっ て社会的に新たな価値を創造すること がイノベーションだといったのであっ て、決してテクノロジーのブレークス ルーによるものだけがイノベーション ではありません。いまここで議論して いるサステイナビリティ学の重要性は
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準や排出規制基準を設定しました(図 ③) 。 また激甚な地域の公害対策を総合 的・計画的に進めるために地域の公害 防止計画を作成しました。健康被害へ 図①
の救済、補償も大きな課題でした。 したがいまして、この時期の科学と の連携としては、医学、なかでも急性 影響、あるいは慢性影響に関わる分野 図②
が重要でした。また、環境汚染のレベ ルと公害病の発生の頻度との関係を統 計的に明らかにする疫学も大きな役割 を果たしました。技術の面では、環境
図③
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■基調講演2
ということをお話します。 日本は一九五〇年代、六〇年代に高 度成長を経験し、小宮山先生のお話に ありましたように、激甚な環境汚染に 見舞われました。一九六七年に公害対 策基本法が制定されて公害対策がスタ ートし、一九七〇年に閣僚をメンバー とする公害対策本部が設置されました (図①) 。 一九七一年に環境庁が発足し、 一九七二年に国連人間環境会議がスト
サステイナブルでレジリエントな社会を 環境政策にどうとりいれるか、 どう展開して行くか やつ りゅうたろう
谷津龍太郎 環境事務次官
国連大学のこの場に戻ってこられて 大変幸せに感じています。私は環境省 から国連大学に派遣された最初の客員 研究員として、 一九九六年から二年間、 ここの高等研究所に勤務しました。環 境省と国連大学には長い協力関係があ ります。国連大学に改めて感謝申し上 げたいと思います。 今日は日本の環境政策がどのような かたちで科学と連携を取ってきたのか
ックホルムで開かれたことも契機とな って、行政組織の整備が進みました。 五〇年代、六〇年代に四大公害があ りました (図②) 。 水俣病、 新潟水俣病、 イタイイタイ病、 四日市ぜんそくです。 極めて深刻な環境汚染に対して、いわ ば事後的に対策を採るというのがこの 時点での環境政策でした。 大きな政策手段は発生源の規制でし た。公害対策基本法に基づいて環境基
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九八七年にはブルントラント委員会の 有名なレポート、『われらの共通の未来 ) 』が出されま ( Our Common Future した。日本はブルントラント委員会の
発足・設立を一九八二年のUNEPの 会議で提唱して、運営面、財政面でサ ポートしました。 科学技術の分野では、地球規模での 気象学、地球科学、生物学が重要にな り、環境効率を向上させるための技術 が大きな役割を果たしました。また、 地球環境の問題に対処するためには、 国際法の枠組がこの時代から重要なも のとしてクローズアップされるように なりました。 この時期に、環境省は、未然防止す るコストと、実際に公害がおきた後で 被害を救済するコストとを比較する調 査を実施しました。未然防止の方がは るかに低コストであることがわかりま した。そのことを国際的にアピールし ながら、日本の環境外交、環境協力を 進めました。 一九九〇年代になりますと、一九九 二年に地球サミット(環境と開発に関 する国際連合会議、 United Nations
Conference on Environment and )がリオデジャネイロで Development 開かれました(図⑥) 。ブルントラント 委員会のレポートで打ち出された持続 可能な開発をどのようにして各国政府 の政策に反映させていくのかというこ とが大きなテーマとなりました。一九 九三年に日本は環境基本法を制定しま した。この法律の主要な概念は、持続 可能な社会の形成でした。本日のテー マであるサステイナビリティが日本の 環境政策の根幹に位置付けられたので す。環境省としてもこの時代からサス テイナビリティ学に大きく依拠するよ うになり、いまもそれが続いている状 況です。一九九七年には気候変動枠組
条約( United Nations Framework )の Convention on Climate Change 第三回締約国会議(COP3)が京都 で開催されました。 二〇〇〇年代に入りますと、日本で は二〇〇〇年に循環型社会形成推進基
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図⑥
汚染のレベルを評価する環境分析や、 安全な水を供給し排水の処理をする技 術が重要でした。法学も環境政策にし っかりとしたベースを提供しました。
一九七〇年代になりますと、公害を 未然に防止する観点からの政策が順次 打たれるようになりました(図④) 。環 境影響評価(アセスメント)もその一
図④
つです。一九七三年には緑の国勢調査 が導入されました。医学の分野では、 発がん物質の対策が進められました。 気象学にベースを置いた拡散モデルの 開発、排出口で汚染物質を処理するエ ンド・オブ・パイプ・テクノロジーな どがこのころの科学技術のテーマでし た。また生態学(エコロジー)が環境 政策で大きな役割を果たすようになり ました。 一九八〇年代になりますと、地球環 境問題がクローズアップをされました (図⑤) 。 その大きな契機となったのが、 当時のアメリカのカーター大統領に提 出された『グローバル二〇〇〇レポー ト(西暦二〇〇〇年の地球) 』です。こ れによって世界の人たちは地球環境が 悪化しているということに目を開かさ れました。それまでは環境問題はロー カルな問題にとどまっていたのです。 一九八二年に国連環境計画 (UNEP) の環境理事会の特別総会が開かれ、一
図⑤
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図⑧
た研究をしています。フューチャーア
ース( Future Earth ) 、IPCC(気 候変動枠組条約に関する政府間パネ ル) 、IPBES(生物多様性及び生態 系サービスに関する政府間科学政策プ ラットフォーム)などと連携し、サス テイナビリティ学のさまざまな分野を 担う世界の研究機関との連携を進めて います。 そのなかで、われわれがいま重点を 置いている研究として地球温暖化対策 があり、とくに開発途上国の温暖化対 策を支援する研究分野に力を入れてい
ます。その一つにNAMA( Nationally )があ Appropriate Mitigation Action り、途上国の温暖化対策の計画づくり を支援する方法論を開発しています (図⑧) 。 MRVが一つのターゲットで す。MRVとは温暖化対策を測定し、
報告し、検証する( Measurement, )ことで、 Reporting and Verification 気候変動枠組条約のなかで大きなテー
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本法が制定されました(図⑦) 。静脈か ら動脈に戻すという資源循環が環境政 策の大きな政策課題になりました。二 〇一〇年には、愛知県名古屋市で生物
多様性条約( Convention on Biological )のCOP が開かれまし Diversity た。 現在の日本の環境政策の最大の課題 は何かといえば、二〇一一年三月一一 日の東日本大震災、それに伴って発生 した原子力発電所の事故によって放出 された放射性物質による広範な環境汚 染です。環境政策の基本の一つに、除 染、そして汚染された廃棄物の処理が 位置付けられました。したがって科学 の新しい分野として、放射性物質に関 わるものが付け加えらました。 また、社会へのアプローチという観 点から、金融を通じた環境政策、税や 排出量取引などの政策手法、情報を的 確に提供する教育、ビジネス活動のサ ステイナビリティへの統合といったこ とが、新しく環境政策を支える科学と して認識されるようになりました。自 然科学からスタートした環境科学が、 二〇〇〇年以降は社会科学への依存を 図⑦
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強めてきました。また、さまざまな予 測モデルを統合的に運用することも大 きな役割を果たすようになってきまし た。 私どもの環境省の下に、国立環境研 究所という研究機関があります。予算 は年間一五〇億円ほどで、パーマネン トのスタッフが二五七人、契約ベース の研究者が四百数十名います。とくに 重要な分野として、気候変動、持続可 能な社会システムのあり方、それに向 けての政策、サステイナブルな資源循 環の実現などが研究されています。リ スクアセスメントの分析を東アジアを フィールドにして進めていますし、生 物多様性も重要な分野として取り組ん でいます。 もう一つ、環境政策を支える研究機 関として地球環境戦略研究機関(IG
ES、 Institute for Global Environ )があります。ど -mental Strategies ちらかというと、社会科学を中心とし
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図⑩
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図⑪
Joint Crediting
マになっています。また、気候変動の 原因物質がどこからどれだけ出ている のかを計測する技術も重要です。 日本はJCM(
)に力を入れています。日 Mechanism 本と開発途上国が合同委員会を設置し て、さまざまな温暖化対策プロジェク トを評価し、削減のクレジットを発行 するような仕組みです。さまざまな開 発途上国と進めようとしていて、一一 カ国が外交文書に署名しています。途 上国には削減の大きなポテンシャルが ありますので、日本の技術、日本の経 験をベースとした対策・プロジェクト を形成し、実現して、クレジットを生 み出そうという方針で取り組んでいま す。サステイナビリティ学がそのよう なプロジェクトの形成、運営、評価に 貢献することが大いに期待されていま す。 環境省としていま進めているモデル として、島の環境対策があります(図 ⑨) 。 島は特有の環境問題を抱えていて、 境界がはっきりしているという点で非 常に得がたい機会を提供してくれます。 さまざまな関係機関と連携して、島丸 図⑨
ごとの環境対策を進めていこうとして います。 国立環境研究所はマレーシア工科大 学と連携して、マレー半島の先端にあ るイスカンダール地方で新しい持続可 能な地域づくりの設計図を作成しまし
た。 『 Low Carbon Society Blueprint 』という for Iskandar Malaysia 2025 報告書がまとめられています(図⑩) 。 途上国は、ほぼゼロから持続可能な社 会をつくろうとしています。われわれ はそれらの取り組みを全面的に支援し つつ、そのなかからJCMのプロジェ クトになるものを発掘していきたいと 考えています。イスカンダールのプロ ジェクトは、サステイナビリティ学の 成果が、実際の地域づくりの支援に直 接役立っている例であると思います。 どういった技術がいつの時点で利用可 能になって、実際にこのイスカンダー ル地方で実現するのかといったことを 評価しながら、二酸化炭素の削減量を
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図⑬
すところから、先ほどのイスカンダー ルの例のように、実際のアクション、 あるいはプロジェクトの支援、社会実 装へと移ってきているという印象を強 くもっています。 これから特に重点的に取り組んでい こうとしているのは、エネルギー効率 の向上、あるいはエネルギー・インフ ラの整備です。日本でつくられている 最新のビルは、従来型のビルに比べて エネルギー効率が二倍になっています。 エネルギー使用量が半分になったとい うことです。さらに手を加えると、六 割の削減ができると聞いています。デ マンドサイドとサプライサイドの両面 からエネルギーに関するインフラ整備 を進めていきます。 途上国はどこでも交通の問題に苦し んでいます。これは温暖化対策とも関 係します。持続可能な交通システムを どう実現していくのか大きな課題であ るととらえています。
最後に、サステイナビリティ学への 期待です。効率の評価、意思決定プロ セス、資金や技術の運用、あるいはガ バナンスなど、今後の課題となってい くものにサステイナビリティ学が大き く貢献していただくことを大いに期待 しています。
司会 谷津様、どうもありがとうござ いました。 それでは午前中の最後の基調講演に なります。国際連合大学、武内和彦上 級副学長より、「サステイナビリティ学 の国際展開と社会実装を通じたレジリ アントな持続型社会づくり」と題して 講演をさせていただきます。それでは 武内副学長、よろしくお願いいたしま す。
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具体的に定量的に評価する設計図をつ くりました。低炭素社会実現をめざし た技術の社会実装が今日的課題となっ ています。 私ども環境省の予算のなかで、地域 でさまざまな温暖化対策技術を実証す ることや、サステイナビリティ学を支 援する環境総合研究推進費を用意して います(図⑪) 。大学や研究機関に競争 的資金を提供する研究ファンドです。 IPCCの第五次評価報告書の作成に は日本の研究者がさまざまなかたちで 貢献をしていますが、そのベースとな っている資金がこの総合研究推進費で す。 科学と政策のリンクを実現している 場として、中央環境審議会があります (図⑫) 。 環境基本法の第四一条に基づ いて設置されている審議機関で、内閣 総理大臣、または環境大臣の諮問に応 じて政策を提言しています。現在の中 央環境審議会の会長は武内先生です。 図⑫
分野別に九つの部会があり、その下に 小委員会や専門委員会が適宜組織をさ れて審議が行われています。審議会の メンバーは、大学、研究機関、地方公 共団体、産業界、民間団体などから参 画していただいています。アウトプッ トの例として環境基本計画の案や、生 物多様性の国家戦略の案などの作成が あります。さまざまな分野の政策や基 準の案をつくるこの場は、すぐれて科 学と政策のリンクを具体化している場 といえると思います。 まとめです(図⑬) 。日本の環境政策 は、歴史的にみても極めて初期の段階 から科学技術に依拠して形成され、推 進されてきました。一九九二年の地球 サミット以来、持続可能性が環境政策 の中心的な概念、中心的な課題になっ ています。環境省は、学界あるいは研 究者の皆様方と一緒になって、サステ イナビリティ学の発展に努めています。 サステイナビリティ学は研究成果を出
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図①
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図②
■基調講演3
サステイナビリティ学の国際展開と 社会実装を通じた レジリエントな持続型社会づくり たけうち かずひこ
武内和彦
たのかといいますと極めて最近です。 サステイナビリティの本格的な議論は 一九九〇年代からです。科学者の国際 的な集合体である国際科学会議(IC SU)でサステイナビリティ学が重要 であるということが二〇世紀の終わり に提唱されました。そして、サステイ ナビリティ学という一つの独立した専 門領域が確立したのは二一世紀に入っ
国際連合大学上級副学長、 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構機構長
私からは、午後のパネルディスカッ ションに資するよう、私たちがサステ イナビリティ学を通して社会に何を訴 えていけばいいのかについてお話した いと思います。特にシンポジウムのテ ーマである、サステイナビリティとレ ジリアンスの関係について少し検討を 加えてみます。 サステイナビリティ学がいつ始まっ
てからです。したがってこの学問の歴 史は実質的には一〇年と少しというこ とになります(図①) 。 サステイナビリティ学の大きな特徴 の一つは統合的なアプローチです。空 間的にも時間的にも、そして何を対象 とするかということでも統合的なアプ ローチをとるというところに大きな特 徴があります。もう一つが、喫緊の地
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てとらえ、それをどのようにして現代 社会のなかで再構築し、再活性化して いくかということが重要であると考え ています。言い方を変えますと、サス テイナビリティ学という大きな枠組の なかで、社会生態システムのレジリア ンスとガバナンスの強化が私たちの目 指すべき方向であるとかなり明確にわ かってきているということです。 これまでサステイナビリティ学では、 サステイナビリティとは何かとか、あ るいは自然科学と人文社会科学を融合 するときのアプローチはどうあるべき かとか、 いろいろと議論してきました。 私たちもたとえばハーバード大学のビ ル・クラーク教授と一緒にそのような ことを過去に議論した経緯があります。 それはもちろん大事なことでありまし たが、サステイナビリティ学が喫緊の 地球的課題を解決するための学術であ るならば、どのようにしたら社会をよ りサステイナブルな方向に、よりレジ リアントな方向に変えられるのかとい うことをきちんと示していかなければ なりません。 サステイナビリティ学は、 議論の時代からアクションの時代に移 ったと、私たちは認識すべきだと思っ ています。 私たちの非常に親しい研究仲間のア リゾナ州立大学のアーネム・ウィック 准教授は、トランスフォーメーショナ ル・サステイナビリティ・リサーチ
( transformational sustainability )という言い方でこのことを research 表しています。社会をよりサステイナ ブルな方向に、あるいはレジリアント な方向に変革(トランスフォーム)し ていくことが、これからのサステイナ ビリティ学に求められているというこ とです。同時に、空間スケール・時間 スケールを考えますと、グローバルな 課題とローカルな課題、短い時間スケ ールの問題と長い時間スケールの問題 を統合して、一つのまとまりのある戦
略として提案して、社会実装していく ことができるのかということが、サス テイナビリティ学に問われているとい っていいと思います。 サステイナビリティ学を考える上で もう一つ重要のこととして、科学と政 策の関係における立ち位置があります。 最近私は国際科学会議(ICSU)の 外部評価委員を仰せつかり、世界のこ の分野の専門家と議論する機会を何度 かもちました。ICSU自身も、学際 性を超える、トランスディシプリナリ
)ということをい ( transdisciplinary っています。日本語としては、私たち は超学際性という言い方をし、東京大 学の柏キャンパスでは学融合という言 葉を使っています。このトランスディ シプリナリとインターディシプリナリ
)とはどこが違う ( interdisciplinary のか、ICSUの外部評価委員会で議 論し、専門家の見解として非常に興味 深いものがありました。インターディ
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球的な課題に対して解決策を見出すと いうことです。喫緊の課題とは、気候 変動、生物多様性の減少、貧困、健康、 先進国の少子高齢化等々です。 このような特徴をもつサステイナビ リティ学のなかで、とりわけ重要だと いわれているのが、自然科学と社会科 学および人文科学の融合です。ユネス コにおいても学術の融合が非常に重要 であることが指摘されていますが、そ れぞれ学問には成立の背景があり、言 葉で融合をいうのは簡単であっても実 際に行なうのは難しいものがあります。 その難しさを解決する一つの方策は、 喫緊の地球的課題に対して解決策を示 すということのつながりのなかから融 合が生まれてくるというところにある のではないかと私は考えています。現 実の問題に対して、現場でサステイナ ビリティを追究していきますと、学問 間の融合をその場で図っていかざるを えないということになります。それぞ れの学問から出てきた成果を、頭のな かで統合するだけでなく、社会実装の 側面からも統合が要求されて、融合が 図られていくのです。 先ほど小宮山先生から、イノベーシ ョンは技術的なものだけではなくて、 いろいろなものを足し合わせて社会全 体のシステムを革新していくところに 本質があるというお話がありました。 そのためには、私たちの知識体系をイ ノベートしていくことが必要です。知 識がますます細分化していくのに対し て、むしろ統合化して俯瞰的に取りま とめていくことが重要なのです。小宮 山先生はそのことを「知識の構造化」 という言葉で表現しておられます。 サステイナビリティ学の分野の論文 数がここのところ急激に増加していま す(図②) 。量的な増加だけでなく、質 的にも大きな変化が最近の五年間にお きています。図の右下にあるのは、サ ステイナビリティ学の状況を俯瞰的に
表現したものです。小宮山先生のお弟 子さんでいまは東京工業大学におられ る梶川裕矢さんたちが作成したもので す。二〇〇七年時点では、サステイナ ビリティ学は、工学、農学、経済学と いった個別学問分野のなかの一部で語 られていたという状況でしたが、二〇 一三年になりますと、図の中央部分に いわば融合の核が生じています。それ が何であるかといいますと、社会生態 学的なシステムに関するレジリアンス の問題、そしてガバナンスの問題に集 約されます。 レジリアンス研究の世界的な拠点で あるストックホルム・レジリアンス・ センターでは、人間と自然の関わり、 すなわち社会生態的システムがレジリ アンスの対象として非常に重要である と認識しています。私たちも、この後 でお話するSATOYAMAイニシア ティブにおいて、里山・里海を一種の 社会生態的な生産の仕組みであるとし
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図③
ことです。日本にはIR3Sが中心と なってつくってきたネットワークがあ ります。ヨーロッパには、たとえばス トックホルム大学を中心として、スト ックホルム・レジリアンス・センター というネットワークがあります。私た ちはそこのトップと付き合うことで、 サステイナビリティ学のなかにレジリ アンスをどのように入れ込むことがで きるのか一緒に議論できるようになり ます。 世界全体のサステイナビリティ学に 関する国際組織、ISSS
( International Society for )があります。 Sustainability Science IR3S、国連大学、アリゾナ州立大 学、ローマ大学などが一緒になって運 営しています。来年の一月にはこの国 連大学のウ・タントホールでISSS の大会を開催したいと考えています。 アジアで展開しているネットワーク もあります。国連大学とIR3Sが運
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シプリナリは、学問のそれぞれの構成 要素、具体的には大学の学部や学科で 構成されている学問のディシプリンが お互いに溶け合って、新しい統合的な 学問領域ができてくるということです。 それに対してトランスディシプリナリ とは、学問と社会の間の壁が取り払わ れるということです。社会との関わり が学問の本質的要素になったときに、 初めてトランスディシプリナリといえ るのだということを私はその会議で学 びました。 サステイナビリティ学は、持続可能 な社会を実際につくるということと一 体的なものでなければいけないと考え ています。私たちが持続可能な社会を デザインしたときに、そこにはいろい ろな問題をはらんでいて、社会からの 批判を受けることにもなるでしょう。 それによって私たちの科学はより進化 していくのです。いわば学術と社会の 共進化によって、一方では学術的な進
歩を遂げ、他方では社会が持続可能な 社会に向かって社会変革をおこしてい くという構造になっていくことが重要 なのです。 であるならば、私たちの社会には、 企業、自治体、NGO、市民など、あ りとあらゆるものすべてが含まれてい ます。それらすべてがサステイナビリ ティ学の一員であるという捉え方をし た方が、この科学がよりよいものにな っていくのではないかと考えています。 融合とともに、私たちがサステイナ ビリティ・サイエンス・コンソーシア ム(SSC)やサステイナビリティ学 連携研究機構(IR3S)の活動を通 して進めてきていることに、サステイ ナビリティ学に関するグローバル・メ タ・ネットワークの構築があります (図 ③) 。 私たちが扱う問題はあまりにも複 雑であまりにも大きく、 それに対して、 俯瞰的なアプローチで喫緊の地球的課 題に挑戦しているグループはあまりに
も少なくてあまりにも分散していると いう現実があります。この分野の研究 者は確かに急激に増えてはいますが、 既存の学問が有している人間の数、あ るいは資金の量と比べるといかにも小 さなものです。科学の分野では、お互 いをライバルとみて、人よりも先に学 術的な成果を遂げようと競争するのが 重要だとの考え方があります。私たち は、むしろ連携を進めていくことが極 めて重要であると考えています。サス テイナビリティ学に関わる世界の人が 一緒になってもまだまだ足りません。 連携を進めるといっても、一つ一つの パートナーが相互に全部とのつながり をもとうとすると、それをつくるだけ で時間がかかってしまいます。 、人的、 あるいは財政的な面での問題もありま す。 そこで、 私たちが考えているのは、 ある地域のなかでパートナーを結んだ ネットワークをつくり、それと別の地 域のネットワークを結んでいくという
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営していて、UN‐CECAR ( University Network for Climate and Ecosystems Change Adaptation )と呼ばれているもので、ア Research ジア・オセアニアの主要な大学に参加 していただいています(図④) 。中国の 清華大学、ベトナムのベトナム国家大 学ハノイ校、フィリピンのフィリピン 大学、 インドネシアのガジャマダ大学、 スリランカのペラデニア大学、オース トラリアのオーストラリア国立大学な どです、UN‐CECARで議論の中 心になっているのは、気候変動適応と 生物多様性・生態系の問題は切り離せ ないということです。この二つは、国 連の別々の条約のもとで議論されてい ます。科学者のコミュニティも、気候 変動にはIPCC(気候変動枠組条約 に関する政府間パネル)があり、生物 多様性には最近になってIPBES (生物多様性及び生態系サービスに関 する政府間科学政策プラットフォー
ム)ができました。この二つをつなげ る必要があります。気候変動の面だけ から考えると、たとえば、森林による 二酸化炭素の吸収量を増やすために、 二酸化炭素をより速く吸収する木を植 えるのがいいだろうということになる でしょう。しかし、生物多様性の面か らは、その地域に合った生態系を修復 するという観点から植林する必要があ ります。両方が融合しなければいけな いのです。 そのようなことができるためには、 サステイナビリティ学の分野を支えて いく人材を養成していくことも重要な 課題です。そのときに、一つひとつの 大学がそれぞれ独自のカリキュラムを つくって教育するよりも、みなが一緒 になってカリキュラムをつくり、お互 いにそれをシェアして、学生を交換し て教育し合う連携教育を進めることが 大切であろうと考えています。 さて、二〇一一年の東日本大震災以
降、サステイナビリティ学および持続 可能な社会に対する考え方が、とくに 日本において非常に大きく変わってき つつあります(図⑤) 。それまで環境政 策のなかで重要なテーマとして捉えら れていたのは、低炭素社会、循環型社 会、自然共生社会の三つの社会を統合 的に築き上げていくということでした。 東日本大震災後は、ここにレジリアン トな社会をどのようにつくっていくか のということが付け加わりました。そ れは災害の軽減だけにとどまるもので はなく、より広い新しい環境政策にな っていくものです。 たとえば、再生可能エネルギーに基 づく社会に移行していくことを考えま すと、再生可能エネルギーは地産地消 的な性格がきわめて強いので、エネル ギーだけを取り出して生産の仕組みと 切り離して考えるわけにはいきません。 新しいエネルギー施策は、生産のあり 方、地域社会のつくり方、あるいは自
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図④
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図⑤
ようなかたちでレジリアンスの考え方 を広めていきたいと思っています。 二〇一〇年に生物多様性条約の第一 〇回締約国会議(COP )が名古屋 で開催され、非常に大きな成功を収め ました。そのなかで、国連大学と環境 省が中心になって「SATOYAMA イニシアティブ」を提唱しました。社 会生態的な生産システム(地域の自然 資本に依拠し、伝統的な知識を活かし た生産システム)を維持しつつ、ビジ ネスモデルとしては新しい展開を図る ことで、さらなる豊かさを追究しよう という試みです。いわゆるモノカルチ ャーではなしに、自然を活かして付加 価値を付け、そして経済性も高めると いうやり方です(図⑥) 。 たとえば、ブラジルでは大規模な農 業開発が行われていて、その場合に自 然資本を大きく損なってしまうという ことがあります。そうではなくて、自 然資本を活かしながら付加価値を付け 10
加えて、地域の新しいビジネスモデル を展開していこうという取組みも行な われています。アグロフォレストリー という試みです。「SATOYAMAイ ニシアティブ」はそのような世界各地 の試みと連携しながら、日本の里地・ 里山の再生を図っていこうとしていま す。 コモンズの新しい考え方が提唱され ています。伝統的な共有地としてのコ モンズは、資源の共有管理の閉鎖的な 仕組みでした。 コモンズが崩壊すると、 土地は公有か私有かに分かれて、私有 の土地で資源の維持管理が難しくなる と、耕作放棄地が増え、そして森林が 荒廃します。 このような状況のときに、 新たなステークホルダーが参画するこ とで、もう一度コモンズを再生する展 望が切り開けるのではないかといわれ ています。異なるステークホルダーが 参画することで開かれたコモンズが形 成されて、資源を管理するきちんとし
た共通のルールが設けられるようにな るということです。そのような仕組み は、これまでは残念ながら十分ではあ りませんでした。先ほど谷津事務次官 がお話になった、島全体を統合的に捉 える場合に、島を支えるステークホル ダーが一つのまとまりをもったものに なることで、新しいコモンズが生まれ ることが期待されます。 そのような考え方を発展させて、日 本の生物多様性国家戦略のなかでは、 自然共生圏という考え方を提唱してい ます(図⑦) 。農村の生態系サービス、 つまり農産物や再生可能エネルギーと、 都市での消費との関係を、互いにウィ ンウィンで築いていくのが自然共生圏 です。都市の人も農山村の生態系サー ビスの維持に協力します。この考え方 と、これまで提唱されてきた地域循環 圏を融合させていくことが、これから の環境政策の統合化の方向性ではない かということを、中央環境審議会の部
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図⑥
然との付き合い方と一体で考えていく 必要があります。低炭素社会、循環型 社会、自然共生社会の三つの社会の統 合とともに、それをベースにしてより レジリアントな社会をつくっていくと いうことが重要なのです。 震災以降、国土の強靱化ということ がいわれています。やはりレジリアン スという言葉を使っていますが、どち らかというと土木構造物で自然災害を 封じ込めるという考え方に傾いていま す。それに対して私たちがレジリアン スといっているのは、自然をうまく生 かして、災害を軽減するいい仕組みを つくっていくということです。 図⑤のなかにある写真は、気仙沼大 島で国立公園の施策の一環としてつく ったものです。堤防をつくらずに海と 親和性の高い空間を残しつつ、もしも 自然災害がおこったときには高台に逃 げられる歩道をつくりました。それは 普段は遊歩道として使われます。この
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会長にお集りいただいた懇談会の場で お話しました。 サステイナビリティとレジリアンス を融合させようとしている例として、 東北地方の被災地の復興計画がありま す。ここでは里山と里海の連関をどの ように取り戻すのかということが大き な課題になっています。私たちは、 「森 は海の恋人」という運動を提唱されて いる畠山重篤さんたちと連携しながら、 昨年五月に、三陸復興国立公園をオー プンしました (図⑧) 。 この復興公園は、 青森から岩手にかけての範囲が決定さ れましたが、 南の気仙沼地域も入れて、 里山・里海再生モデルの社会実装につ なげていきたいと考えています。北は 青森の蕪島から、南は福島の松川浦ま で七〇〇キロの長距離トレールを計画 していて、 「みちのく潮風トレール」と 命名をしています。そうしたものもう まく活用しながら、地域の人が参加す るかたちで、新しい人と自然の関わり をテーマにした国立公園に成長させて いきたいと考えています。 サステイナビリティ学の役割は、国 際的にも極めて重要になっていくと考 えています(図⑨) 。途上国を主対象に
「ミレニアム開発目標」 ( Millennium )があります。国 Development Goals 連事務総長であったコフィー・アナン さんが提唱して、二〇一五年までに達 成すべき目標として掲げられました。 二〇一六年以降に関しては、開発の問 題、貧困削減の問題、グローバルな地 球環境の問題を一体的に捉えた、先進 国にも適用可能な新しい戦略目標がつ くられることになっています。「サステ イ ナ ブ ル 開 発 目 標 」( Sustainable )と呼ばれていま Development Goals す。その目標づくりに、サステイナビ リティ学が大きく貢献する可能性があ るということで、私たちはいま一生懸 命に取り組んでいます。 また、ユネスコは持続可能な開発の
ための教育(ESD、 Education for )を推奨し Sustainable Development ています。二〇〇五年から二〇一四年 が「ESDの一〇年」と定められ、今 年の秋には、 「ESDの一〇年」のクロ ージングイベントが名古屋で開催され ることになっています。一〇年が完了 してよかったといって終わるのではな く、次にどのようにつなげていくかを 考えるのが重要です。ESDはややも すると、ESD関係者のやや狭い議論 のなかに閉じこもっていた傾向もあり ましたので、持続可能な社会に向かっ て社会変革を引き起こしていくのにE SDがもっと有効に使えるような広が りをもたせていくことで、ポストES Dの一〇年をより実りあるものにでき るのではないかと考えています。 サステイナビリティ学は、科学的な 地球環境の議論にもっと貢献しなけれ ばいけません。世界の地球環境に関す るいろいろな取り組みを「フューチャ
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図⑦
図⑧
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ーアース」 ( Future Earth )という国 際プログラムにまとめていこうとする 動きがあります。ICSU、ユネスコ などが進めていこうとしています。こ れにもサステイナビリティ学は大きな 関わりをもっていきます。 先ほども申しましたように、IPC CとIPBESの議論を結びつけてい くこともサステイナビリティ学の大事 な役割です。とくにIPBESの議論 では、社会生態学的なシステムをきち んと評価して、地域社会のなかでサス テイナビリティを実現していくことが 大切です。科学的な知識だけに依拠し て問題解決の展望を示すのではなくて、 伝統的な知識も組み込んで、さらには 科学のなかに社会を取り入れて、新し い知識の体系を提案していくことが極 めて重要な課題です。 最後に、もう一つ申し上げて、私の 話を終わりにしたいと思います。サス テイナビリティ学を考えるときに、先
進国だけの持続可能な社会ではなく、 途上国や新興国の持続可能な社会に注 目して、問題解決に貢献をしていくこ とが極めて重要です。私たちの国連大 学の理事会の議長はモハメド・ハッサ ンという途上国では大変有名な研究者 です。彼は途上国の研究・支援組織で あるTWAS( The World Academy of )という組織の事務局長を務 Sciences めた経歴をもち、ユネスコで開催した サステイナビリティ学の会議で基調講 演をされた際に、次のようなことを話 されました。 世界の知識の九〇パーセントがG2 0の国で生産されている。G20以外 の国は、世界の科学的知識の一割しか 生産していない。これで本当に途上国 の問題が解決できるのだろうか。問題 解決に資する人材を育成できるのだろ うか。ギャップを埋めていくことが重 要だ。そのためには、北と南のコラボ レーション、南と南のコラボレーショ
ン、そして途上国に人材がきちんと残 っていくような仕組みづくりが必要だ。 これはまさしくユネスコでも、ある いはOECDのグローバル・サイエン ス・フォーラムでも合意をみた結論で す(図⑩) 。 午後からの議論のなかで、関係者の 皆さん方によってより具体的に議論が されることを期待して私の話を終わり にします
司会 武内副学長、どうもありがとう ございました。 これにて午前中のプログラムは終了 です。これより一時間の昼食休憩に入 ります。午後のプログラムは一三時か ら再開予定ですので、お時間までにお 席にお戻りください。
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図⑨
図⑩ 36
す。最初にパネリストの皆さまからそ れぞれ一〇分ないし一五分間のプレゼ ンテーションをしていただきます。そ の後で、フロアからのご意見もいただ きながら議論を進めていきます。最初 のスピーカーは、グレッチェン・カロ ンジさんです。それではよろしくお願 いします。
パートナーシップの構築
カロンジ 午前中にすばらしい基調 講演をお聞きしました。サステイナビ リティ学について重要なポイントがた くさん出てきました。私のプレゼンテ ーションは、もう少しスコープを絞っ て、ユネスコのなかで私たちがどのよ うなことをしているのか、そのビジョ ンを皆さまにお伝えしたいと思ってい ます。私たちが目指しているのは、さ らなるパートナーシップの構築です。 一つ目のポイントは統合的なアプロ ーチです。基調講演でも社会のさまざ まな側面を統合していくということが ありました。私が強調したいのは、教 育のアジェンダ、研究のアジェンダ、 そして地域経済の今後の発展がさらに 統合していかなければいけないという ことです。とくに申し上げたいのは、 統合といったときに、工学の役割が十 分には考慮されていないのではないか
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■パネルディスカッション第一部
持続型社会構築のためのサステイナビリティ学の
[
] かずひこ)
役割に関する国際政策対話 モデレーター
竹本和彦 (たけもと [ ] ) Gretchen Kalonji
国際連合大学サステイナビリティ高等研究所所長 パネリスト
グレッチェン・ カロンジ ( ) John Crowley
r o t c e S s e c n e i c S l a r u t a N , l a r e n e G r o t c e r i D t n a t s i s s A , O C S E N U
ジョン・ クローリー (
) Stefan Michalowski
r o t c e S s e c n e i c S n a m u H d n a l a i c o S , r e d a e L m a e T , O C S E N U
ステファン・ ミカロフスキー ( ひろし)
m u r o F e c n e i c S l a b o l G , y r a t e r c e S e v i t u c e x E , D C E O
永野 博 (ながの
科学技術振興機構研究開発戦略センター特任フェロー そういちろう)
環境省地球環境局長
関 荘一郎 (せき
司会 お時間となりましたので、午後 のセッションを開始させていただきま す。パネルディスカッションの第一部 は「持続型社会構築のためのサステイ ナビリティ学の役割に関する国際政策 対話」です。モデレーターは国際連合 大学サステイナビリティ高等研究所長 の竹本和彦様です。それでは竹本様、 どうぞよろしくお願いいたします。
竹本 午前中の基調講演のなかで、サ ステイナビリティ学を構築する学術界 と社会とのインターフェイス、連携が 強調されていました。多くのステーク ホルダーの参画と連携もキーワードで あったと思います。この第一部では、 本日のテーマであるサステイナビリテ ィ学の果たす役割について、特に学術 と社会の連携を推進するという観点か らの議論を進めていきたいと思ってい ます。 五人のパネリストをお招きしていま
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ます。科学は科学者が実践するものだ ということがいまや変わってきている のです。そしてそれが国際的な協同へ とつながってきています。
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図⑤
的な役割が変わってきているというこ とがあります。その変化を図③にまと めました。一番下に、市民の科学の可 能性が高まってきていると記されてい 図④
くかということです。 サステイナビリティ学は持続可能性 を追求する科学です。サステイナビリ ティ学が出てきた背景に、科学の国際 図③
ということです。科学と工学の国際的 な能力開発がポイントの二つ目です。 ユネスコでは、STI(サイエンス・ テクノロジー・イノベーション)の役 割は非常に幅広いものがあると認識し ています。環境関連の科学よりも幅広 いスコープがあり、社会科学よりも広 いものがあります。また、サステイナ ビリティは非常に大きな概念で、 農業、 科学、保健、貧困の撲滅、雇用の創成 などいろいろなものを包含しています。
したがって、持続可能な開発に向けた STIは非常に広範にわたるわけです。 そのあり方についてユネスコのビジョ ンをまとめたのが図①です。
図①
図②は、STIと開発のコンセプト を絵にしたものです。ポイントは、ロ ーカルな知識やローカルな解決策をど のようにして国際的な連携と絡めてい
図② 40
成長、経済開発と連携しながら一一四 カ国で展開しています。 STI政策の新しいイニシアティブ があります(図⑧) 。科学と政策、そし
なイニシアティブを展開してきました (図⑨) 。工学の分野、自然災害、ある いは科学教育などでいくつものイニシ アティブを展開しています。 最初に申しましたように、私はサス テイナビリティのなかで、工学の側面 にきちんと焦点が当てられていないの ではないかとの懸念を抱いています。 ユネスコとしてはより多くの関心を工 学に払っていくべきだと考えています。 そのことから数年前に工学のイニシア ティブを付け加えました(図⑩) 。工学 に目を向けることで、 持続可能な開発、 イノベーション、教育がよりよいもの になっていくと考えています。 ユネスコの役割として、自然災害へ の対処も重要です (図⑪) 。 津波、 洪水、 干ばつなどのリスクを低減するのにど のようなことをしていったらいいのか、 多くの加盟国との協同で進めていきた いと考えています。 かなり駆け足で概略をお話しました。
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て世界に関する知識のインパクトにつ いて、より使いやすい有益なかたちで 活用していこうとしています。 また、ここ数年来のいくつかの新た 図⑧
図⑨
科学の分野で、ユネスコが大きな力 を注いでいるのは、国際的に大規模な 協同を必要するトピックで、たとえば 海洋、淡水、生物多様性などです(図
④) 。 このようなテーマは国境を超えた 協同がなければ研究が進みきません。 ユネスコの科学の強みがどこにある のか、図⑤にまとめました。さまざま
図⑥
なプログラムが、四、五〇年来展開さ れてきていて、ユネスコ関連の機関が 三〇以上もあります。加盟国間の強い 連携のもとで、教育・科学・文化の分 野横断的なトピックに私たちは取り組 んでいます。 一つのプログラムの事例を紹介しま す(図⑥) 。国際水文学計画(IHP) に水文学を専門とする人が集まって、 九五の国が参加して、六~八年ごとに 計画を立てて進めてきました。興味深 いのは、よりサステイナビリティ学的 な概念へと移行してきていることです。 最初は、純粋に水文学的な研究だった ものから、政策や、水に関する教育な どへと、課題が広がってきているので す。 実際にわれわれがどのような活動を しているのか、図⑦に示したようなサ イトをみていただくとよくわかるかと 思います。 これは人間と生物圏計画 (M AB)のサイトです。ローカルな経済
図⑦
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ということに関して、われわれユネス コとしては、貧困撲滅とのリンクをよ り明確にしなければいけないと考えて います。そのために構築すべきパート ナーシップは、 先進国間だけではなく、 南北間の違いを超えたところのもので あると考えています。実践していくに は難しい問題がありますが、ユネスコ にはさまざまなリソースがありますの で、そのような協同を支援してきたい と考えています。
竹本 ありがとうございました。今後 の議論のもとになることを入れてお話 いただきました。 では、次に、ジョン・クローリーさ んにお願いします。 科学と規範の統合 クローリー 私からはパワーポイン トのプレゼンはありません。それがい
いのか悪いのかわかりませんが、ぜひ 私の声に集中していただければと思い ます。 サステイナビリティ学について、社 会科学、あるいは人文科学の立場から お話したいと思います。グレッチェ ン・カロンジ先生からユネスコのご紹 介がありましたけれども、私からも、 ユネスコ・サイエンス・プログラムに ついてご説明したいと思っています。 まずサステイナビリティ学には二つ の側面があります。英語という言語に はフレキシビリティがあって、サステ イナビリティ・サイエンスといいます と非常に曖昧に聞こえます。サステイ ナビリティについてのサイエンスであ るとも聞こえますし、サステイナビリ ティのためのサイエンスとも聞こえる わけです。サステイナビリティ学には 実際にはその両方の意味があります。 サステイナビリティのためのサイエン スといいますと、実践的な活動に限定
されたイメージになるのでしょうが、 それを支えるのが、サステイナビリテ ィについてのサイエンスです。 サステイナビリティ学は何について 学ばなければいけないかといいますと、 一九八七年の持続可能な開発について のブルントラント・レポート以来、現 在のニーズと将来のニーズをどのよう につなげるのか、そして現在の意思決 定によって社会の長期的な結果がどの ように変わっていくのということがあ ります。われわれのシステムは過去の さまざまな遺産によって成り立ってい ます。将来を考えるときには、われわ れが残す遺産を考えなければなりませ ん。倫理的に考えるばかりでなく、わ れわれが生み出す科学的知識がどのよ うに残るのかということも考えなけれ ばなりません。 科学は、やや比喩的な言い方になり ますが、一つの記憶です。科学のどの ようにものが残るのか、あるいは朽ち
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まとめますと(図⑫) 、科学と政策のリ ンクが求められるなかで、われわれは 非常に重要なプラットフォームを有し ています。政府間の連携によってさら
に研究が進んでいくと期待しています。 多数の国が集まって民主的に進めてい くには、プラス面・マイナス面があり ますが、水、海洋、生物多様性といっ
図⑩
た国際的に広がる分野では、対話を深 めていくことによって、さらなる協同 を進めていくべきです。 最後になりますが、持続可能な開発
図⑪
図⑫
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です。 社会科学、人文科学には新たな課題 がたくさんあります。複雑で多様な社 会システムのニーズを満たすにはどう したらいいのか、そして人々の心情、 振る舞いを別個に考えるのではなく統 合していくにはどうしたらいいのか。 ユネスコは政府間で進めていくいくつ ものプログラムをもっていて、そのほ とんどが社会的変革をいかに管理して いくかというものです。社会科学、人 文科学がそのような問題に取り組むこ とをメインストリームにしていくのは 重要です。 社会科学、人文科学には非常にたく さんの要素があり、さまざまな方法論 があって、サイエンスどうしの間には 非常にダイナミックな関係があります。 ただし、明らかに共通するのは、同じ 一つの地球の未来をもっているという ことです。 私が、ここで社会科学、人文科学を
強調してお話しているのは、物理学や 生物学に対抗しようというのではあり ません。全体的な枠組をとらえるため に欠かせないからです。社会科学、人 文科学と含めた科学の多くの方法が統 合されて、その全体で持続可能性を追 求すべきだというのは非常に明らかな ことです。社会科学、人文科学におい て現在はファッショナブルな課題では ないのかもしれないことでも、将来の ために実践していくべき重要なことが あります。われわれは未来のための新 しい知識の生産を考えなければなりま せん。 サステイナビリティのための科学で 大事なのは知識を使うということです。 新しい政策をつくり、それを実践する のです。武内先生が午前中にお話され たように、社会のなかで実践していく のです。科学は、社会に向かってメッ セージを発信するだけではいけないの です。科学が必要だと提唱するものを
社会において実践していくことが重要 なのです。地球がどのような課題に直 面しているのかを明らかにすることと、 われわれが何をすべきかを考えること、 その二つを一つにしなければなりませ ん。 以上のようなことを考えて、サステ イナビリティ学の適切な展開によって 持続可能な社会がつくれるとわかった ならば、それでうまくいくのでしょう か。気候変動に関して、問題を解決す るための科学の必要性が叫ばれ、その ための科学が発展して、そして実践す べきことを提言しています。しかしな がら、実践はうまくできていません。 科学があっても、そう簡単に実践には 至らないのです。 サステイナビリティのためのサイエ ンスは、革新的な科学として実践して いくことが求められています。 ただし、 科学によって完全な答えがもたらされ るわけではありません。多様な社会の
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ていくのか、何が開発され、何がシス テムとして構築され、何が時空間を超 えて未来につながっていくか。われわ れがサステイナビリティ学のアクショ ンをおこせば、それによって遺産が生 じます。もちろんサステイナビリティ 学だけではなく、物理学も生物学も、 社会科学も人文科学も。複数の科学の 複数のインターフェイスが遺産として 残っていきます。 都市を取り上げてみましょう。都市 は一つのシステムです。インプットと アウトプットがあります。 エネルギー、
食物、水などを取り込んで、廃棄物を 出します。都市のシステムについて、 このような物理的なレベルから分析す ることができます。別のレベルでみま すと、都市は一つの空間です。その空 間のなかで人々は何らかの意味のある ものを作り出しています。また別のレ ベルでみますと、都市は一つのエコシ ステムです。人間も含めてさまざまな 生物種が生活しています。非常に先進 的な社会では、都市は環境的にみて多 様性に富んでいます。農地よりも多様 な環境があって、非常に高い生物多様 性をもっている都市もあります。この ように都市にはさまざまなレベルがあ って、それが別個に研究されることも ありますが、都市を全体的に把握する には、包括的に勉強しなければなりま せん。 都市は一例です。われわれにはさま ざまな科学的な課題があります。科学 にはいろいろな分野があって、分野ど
うしの間にインターフェイスがありま す。 今日ここで私がとくに強調したいの は、社会科学、人文科学の課題です。 人の心情、人の振る舞い、人が有する 価値などに関わる課題です。それらは 国や地方政府の制度、あるいは各種の インフラによって支えられています。 そのすべてが共通するのは、そこから 一つの未来ができあがっていくという ことです。サステイナビリティにつな がっているのです。 サステイナビリティを分析的にみる には、新しい科学が必要です。社会科 学、人文科学の課題として、少なくと も二つのレベルがあります。まず認識 です。人文科学のなかで認識論的にみ ていくべきものがあります。次に、制 度です。たとえば、高等教育・研究の 組織においてさまざまな学問分野でど のような制度で新しい知識が生み出さ れているのかということは大切な問題
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竹本 ありがとうございました。非常 に幅広い視点からの示唆に富んだお話 をいただきました。 次にお話をいただきますのが、ステ ファン・ミカロフスキーさんです。
たいと思います。
ミカロフスキー サステイナビリテ ィ学に関連してOECD(経済協力開 発機構)がどのようなことを行なって いるのか簡単にご紹介します。OEC Dは従来は気候変動のような分野には あまり貢献していないとみられていま したが、世界的に関心が高く実際にニ ーズもあることから、近年はさまざま
先進国と途上国の研究協力
な取り組みをしています。 OECDは政府間の国際的な組織で、 ユネスコと同じような国際機関です。 加盟国はユネスコずっと少なく、産業 化された民主主義国家から三四カ国で す(図①) 。OECDはさまざまな問題
図①
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なかで、全部に対する答えというもの はありません。 燃費をよくするとか、資源を有効に 使うとか、自然を保護するとか、生態 系サービスをより多く提供するかとか、 そういったことに対して科学は解を出 そうとします。解は一つではなく、わ れわれには複数の選択肢が与えられま す。そのどれを選ぶのかということに は、政治的こともあるでしょうし、法 規制もあるでしょうし、価値観の相違 もあるでしょう。科学だけで解決され るものではありません。 サステイナビリティの大事なポイン トは、ある技術的な答えを選ぶという ことだけでなくて、将来に対する責務 を負うというところにあります。技術 も含めた複数のレベルでイノベーショ ンをおこすのです。 このようにいいますと非常に尊大に 聞こえるかもしれませんが、サステイ ナビリティについてのサイエンスは、
人間のための新たな夢です。もしも私 たちがこの科学を実践しなければどの ような世界になるでしょうか。地球が 壊れてサステイナブルでなくなった世 界、ディストピアを叙述した映画があ ります。非常に醜いストーリーです。 われわれはディストピアを避けたいの です。それには地球に対する新たな科 学が必要です。それがサステイナビリ ティについてのサイエンスです。 最後に、インクルーシブネス(包括 性)とサステイナビリティをお話しま す。 これは別個の問題ではありません。 サステイナビリティは規範的なアジェ ンダです。人が永遠に満足を得たいと いう普遍的な思いにつながっています。 人のニーズを満たすことは、示唆的に いうのではなくて、地球のすべてにつ ながっています。サステイナビリティ 学は、地球という複雑なシステムを科 学的に理解して、そのうえで、そして われわれの知識と技術的な能力をつな
げて実践にもっていきます。サステイ ナビリティ学は、地球に対して何らか のアクションを採るわけですから、倫 理的な支えによって、地球のシステム に対する人間の責任を問うものでなけ ればなりません。そして将来に対する 責任・正義を、政治的に適切な協力よ って選択して、果たしていくのです。 科学によって選択が行なわれるのでは ありません。正義を考えるさまざまな 分野が関わってこなければなりません。 つまりインクルーシブネス(包括性) です。 以上のようなことを考えるだけなら 簡単です。不平等があり、不正義もみ られる現実のなかで、実際にどのよう に実践していくのかということは非常 に難しいのです。社会へのさまざまな 挑戦は、基礎にサステイナビリティ学 があって、グローバルな正義の理論に よってなされていかなければいけない ということを強調して私の話を終わり
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ョップでは、先進国・途上国の間でど のような協力ができるのか、科学的な 目標と開発目標をどのように組み合わ せるのか、研究機関・開発機関・研究
資金を提供する機関の協力をどのよう に進めるのかなど、さまざまな議論を してきました。その議論をまとめたレ ポートを出してきました(図④) 。昨年 は、シンガポールと南アフリカで一度 ずつワークショップを行い(図⑤) 、次
図③
図⑤
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のフェーズとして、気候変動や生物多 様性に関する作業を進めています。 実際に途上国とどのように協力を進 めているのか簡単に紹介します (図⑥) 。 OECDはまず研究の管理者、あるい は科学者と協力して、プログラムを設 図④
を扱い、防衛、安全保障、経済、教育、 農業、エネルギー、環境、そして科学 技術にも対応しています。OECDに は科学技術、イノベーションに関して
国際に協力して、とくに基礎研究を推
進していく委員会、GSF( Global )があります(図②) 。 Science Forum 私はこの委員会のセクレタリーを務め ています。 二〇年ほど前から、非常に大きな資 金を必要とするメガサイエンスが出て きました。国際的な協力のもとで、た とえば巨大な望遠鏡や加速器を使った 研究が進められています。一方で、さ まざまな広範な問題に、国際的な協力 が必要になっています。OECDは、 はじめは原子物理学や天文学など基礎 的な科学の研究に取り組んで、先進国 と途上国の間の研究協力を促進してい くなかから、今日のトピックに関連す るようなことが出てきました。 先進国と途上国の研究協力がなぜ重 要なのか。いろいろな理由があります が、第一に、気候変動のような地球規 模の問題の解決に、すべての国、とく にOECDの加盟国は貢献すべきです。
図②
そのときに科学の役割は重要です。食 糧、安全保障、自然災害など地球規模 の問題の解決に科学が貢献するよう要 請されています。 従来のOECDの国際協力の仕組は OECD加盟国を中心にしたものでし た。つまりヨーロッパと北米と日本を 取り巻くものでした。地球規模の問題 に取り組むには途上国の科学者もパー トナーに含めていかなければいけませ ん。科学者個人のレベルから研究機関 のような組織のレベルまで幅広くパー トナーシップを築いていく必要があり ます。 実際的にどのようにすれば先進国と 途上国の間でよいコラボレーションを 組んでいけるのか。それを実践するな かからGSFが立ち上がってきました。 GSFには日本も参加し、図③に示し たような活動をしています。 GSFはさまざまなテーマでワーク ショップを進めてきました。ワークシ
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ようにしていかなければいけません。 その作業を適切に行なっていくにはど のようなステークホルダーが必要なの かも考えなければなりません。レビュ ーは段階に分けて行ない、段階ごとに フィードバックのあることも必要です。 科学者とそれを評価する人がフェイ ス・トゥ・フェイスで会うことも重要 です。 OECDでは具体的な提案・提言を まとめています(図⑦) 。サステイナビ リティ学を進めていくためにどのよう な種類のコラボレーションが実際に可 能なのか、どのようなコラボレーショ ンが必要なのか、より理解していただ けると思います。皆さまがこれを読ん で、 活用してくださるとうれしいです。
竹本 ステファンさん、プレゼンテー ションありがとうございました。途上 国との関係性の構築について、非常に 興味深いプレゼンテーションをいただ
きました。 では、次のスピーカーは科学技術振 興機構の永野様です。
教育と地域の発展の一体化 永野 現在は文部省と一緒になって 文部科学省になっていますが、私は、 もともとは科学技術庁で働いていまし
た。その当時はサステイナビリティと 直接関わるようなことはありませんで したが、その後どのようなところで関 係してきたのかということをご紹介し たいと思います。 二〇〇二年に文部科学省の国際統括 官になり、そのときに「リオ+ 」 、 持続可能な開発に関する世界首脳会議
(WSSD、 World Summit on )がヨハネ Sustainable Development スブルグで開かれました。当時は小泉 さんが首相で、そのお供でヨハネスブ ルグに行きました。小泉さんはサミッ トで演説し、そのなかで「持続的発展 のための教育の一〇年」 (DESD、
United Nations Decade of Education )を提案 for Sustainable Development しました(図①) 。ご存じの方も多いか と思いますが、この最初の提案は役所 から出たのではなくて、日本のNPO の人たちが小泉首相に提案したもので した。 首相がよいだろうということで、
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計します。そして、研究者からの提案 を受けて選択し、実践し、管理してい きます。モニタリングをして評価をし ます。そのような段階を経て進んでい くのです。
どのようなかたちであれば途上国で 実践しやすいのか。プログラムの設計 では、トップダウンのアプローチをボ トムアップのアプローチよりも強調す べきだということがわかっています。
図⑥
途上国においては、政治的に重要でプ ライオリティの高いプログラムがすで にあるときには、そこに科学を組み込 むと成功する可能性が高まります。ハ イレベルでのサポートも得られます。 それがないと、プログラムがスタート しても減速してしまうことがあります。 いいプログラムを提案しても、途上 国に十分な資金がない場合もあります。 そのときには、 短期的な資金を出して、 それでいい成果を生むことが重要です。 次により長期的な資金を出すことにつ ながっていくからです。あるいはイン ターネットを使って、科学者にどのよ うなチャンスがあるかを知らせること も大切です。そのときには、途上国で インターネットの利用がどこまで進ん でいるか配慮しなければいけません。 プログラムが選ばれたならば、 次は、 どのような基準で研究者と研究を評価 していくか考えます。国によって、あ るいは科学者によって、差が生じない
図⑦
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DESDの一つの大きな成果として、 ユ ネ ス コ ス ク ー ル ( UNESCO )があります。小 Associated School1s 中高等学校でESDに取り組もうとす る試みです。図②には五〇〇校と記し ましたが、実際には六〇〇校以上にな りました。
今年は「ESDの一〇年」の終わり の年で、そのしめくくりのミーティン グを名古屋と岡山で開くことになって います(図③) 。次に何をどのようにし ていくのかというのがメインの課題に なると思います。 次に、私は三年前からOECDのグ ローバル・サイエンス・フォーラム(G SF)という委員会の議長をしていま す(図④) 。GSFでは生物多様性に関 する世界中の情報を相互に使えるよう にするため、二〇〇一年に生物多様性 図④
情 報 機 構 ( G B I F 、 Global )と Biodiversity Information Facility いう国際機関を設立し、コペンハーゲ ンに本部を置きました。午前中に紹介 されたIPCCの生物多様性版である IPBES(生物多様性と生態系サー ビスに関する科学政策プラットフォー ム)が二〇一三年にできましたが、I PBESにおいてはGBIFのデータ が活用されています。
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りました。私がユネスコの国内委員会 の事務総長として、いろいろな専門家 に加わっていただいてユネスコへの提 案をつくりました。
ず
図③
進めていくことになりました。 その年の秋の国連総会で、二〇〇五 年から二〇一四年が 「ESDの一〇年」 と決まり、その事業をユネスコが担う ことになりました。そのとき私は日本 ユネスコ国内委員会の事務総長でもあ ったので、 「ESDの一〇年」に関わる ことになりました。ちなみに、ユネス
コは条約に基づいて各国に国内委員会 を設置することになっています (図②) 。 日本が国連に加盟したのは一九五六年 ですが、ユネスコに加盟したのはそれ よりも五年前の一九五一年でした。ど うしてそのようになったかといいます と、後でも申しますように、民間の力
図①
が大きかったのです。 さて、 「ESDの一〇年」はもともと 日本の提案でしたから、そのフィロソ フィーを日本がユネスコに提案するこ とになりました。ESDはユネスコに とって新しいことであったので、まず はフィロソフィーをまとめる必要があ
図②
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を踏まえて支援させていただいていま す。 JSTの活動の一つに社会技術研究 開発センター(RISTEX)があり
ます(図⑥) 。市民や地方公共団体など いろいろなステークホルダーとともに テーマやプログラムを設計して、一緒 に成果をつくり出していこうとしてい ます。これは今、世界で議論されてい るフューチャー・アース・プログラム の先をいくものではないかと思ってい ます(図⑦) 。 ユネスコについてもう少し申し上げ ます(図⑧) 。戦後すぐに仙台で市民が ユネスコ協会をつくり、そこから日本 はユネスコに入るべきだという運動が 燎原の火のように日本全国に広がって いきました。それによって国連に加盟 するよりも五年も前に日本はユネスコ に入ることになったのです。その伝統 が今も延々と引き継がれていて、全国 各地にユネスコ協会があります。図⑦ に五〇〇と書いたのは勘違いで実は二 六三です。大勢の市民が日頃からユネ スコのことを考えてさまざまな活動を しています。 図⑧
東京都港区の港ユネスコ協会は毎年 シンポジウムを開いています。テーマ は、エネルギー需給と気候変動などい ろいろです。東日本大震災のときには 東京でも計画停電があり、エネルギー をたくさん使うこれまでのライフスタ イルを見直そうというテーマでシンポ ジウムを行いました。翌年には、その 議論の続きとして、幸福について論じ ました。幸せとは何かということを考 えるのは、人の心のなかに平和の砦を 築くというユネスコ精神と通じ、 また、 サステイナビリティを追求していくこ ととも通じます。 まとめとして、サステイナビリティ 学について少し述べます(図⑨) 。サス テイナビリティ学は地球的課題の解決 を考える科学ですから、非常に重要な 学問分野にますますなっていくことで しょう。 若い人と話しますと、サステイナビ リティに非常に大きな関心をもってい
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私はいまJST (科学技術振興機構) でいろいろなファンドの運営に携わっ ています。基礎研究に出す資金が多い なかで、この集まりのような国際シン ポジウムなどを開催して科学技術の国
図⑤ 際交流に資する対話をサポートするフ ァンドもあります(図⑤) 。写真は昨年 の一〇月に京都で「科学技術のダボス 会議」ということで開いた「第一〇回 科学技術と人類の未来に関する国際フ
図⑥
ォーラム(STSフォーラム) 」です。 一〇〇〇人規模の会議で、外国からも 六〇〇人ぐらいの方がこられて、安倍 総理が演説しました。このような意義 のある会議を審査委員の方々のご意見
図⑦
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イナビリティ学がどのようにみえてい るのか、何を期待しどのようなことが 課題であるのかということを簡単にお 話します。 私の拙い経験からしますと、学問の 進歩は、 問題を分化させて領域を狭め、 そこを深めていく過程であったと思い ます。 似たようなことは学問に限らず、 社会の組織でも、 役所でもみられます。
扱う分野を分けて、○○課とか○○室 とか名を付けて、何を担当するかを明 らかにしています。世の中で分化し領 域を狭めるということは当たり前に行 図①
われているのですが、将来を考えます と、縦割りになっているものを統合化 していくことが求められています。環 境政策を省みましても、縦割りを排し て統合して有機的につなげていく必要 があるということがいわれてきていま す。 いうだけなら簡単でありますが、自 然の流れとしては、どんどん縦割りに なっていくということでありますから、 統合して新たに全体としての価値を生 むようにするのは極めて困難です。実 際に行政を担当していてそのような困 難に直面しています。 日本国内で持続可能な社会に向けて どのような動きがあったかを簡単にま とめました(図①) 。環境政策は二〇世 紀には主に公害対策という名前で呼ば れていました。個別の汚染にどのよう に対応していくかということが中心で した。そのような行政がいつごろから 始まったのかというと、環境庁ができ
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ます。日本の大学に世界中の若い優秀 な人が集まってきてほしいと私は日頃 思っているのですが、そのためには日 本の大学がいままでの殻を破って、世 界と競争して世界の学生を引き寄せる
図⑨
ようにならないといけません。サステ イナビリティ学という魅力的な新しい 分野で日本がリードしていくならば、 世界の学生が日本に集まるようになる でしょう。 日本の大学には複数学位 (ダ ブルディグリー)プログラムのような ものが大変少ないことを、この前中国 に行って改めて実感しました。そのあ たりも変えて、広く学生が学べる大学 になっていってほしいと思います。 成長とサステイナビリティは両立す ることを広くアピールしてほしいと思 っています。 「持続的発展のための教 育」 の運動がさらに力強く進められて、 教育の場からも地域が抱えるいろいろ な課題に対する取り組みがなされてい って、地域の発展と一体となったウィ ンウィンの関係を築いていってほしい と願っています。
関 環境行政に身を置いて、地球環境 問題に携わっている立場から、サステ
縦割りから統合へ
続きまして次のスピーカー、環境省 地球環境局長の関さんからお願いした いと思います。
竹本 永野様、ありがとうございまし た。
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合しようと、中央環境審議会でも議論 が始まっています。より有機的に統合 するには、どのような概念で、あるい はどのような手法を用いたらいいのか、 どのように施策を組み立てていったら いいのかということが直面する課題で す。なかなか簡単ではないという印象 を私はもっています。 国内ではそのような状況ですが、近 隣国、あるいは世界全体において持続 可能な社会が実現しない限りは、国内 だけで世界と切り離して持続可能な社 会は実現しません。国際的にもさまざ まな取り組みを行なっています。午前 中に谷津環境事務次官が基調講演で述 べておられたので、私からは簡単にご 紹介しますが、三つの社会に関連して それぞれに国際的な取り組みがありま す。低炭素社会については、低炭素社 会の研究ネットワークをつくりつつあ ります。二〇一一年一一月に開かれた ASEAN+3という枠組の環境大臣
会議で日本政府が提案して採択され、 翌年二〇一二年に日本政府が主催した 東アジアの低炭素成長パートナーシッ プ会議でスタートしました(図③) 。優 秀な研究者のネットワークで、科学と 科学、あるいは科学と政策実施者等の 間の対話の場をつくっていきます。こ のようなネットワークを発展させるこ とで、海外、主に途上国の低炭素社会 の構築に貢献していこうとしています。 このようなネットワークやさまざま な他のメカニズムを通じて、東アジア の低炭素社会のための知の基盤となる ものを構築していきます。東アジアナ レッジ・プラットフォームの構想です (図④) 。 これから発展する国では、日本と同 じような時間軸で低炭素社会を実現す るのではなく、リープフロッグという ことで、瞬時にとまでは申し上げませ んが、一挙に実現できるようなことを 考えていこうとしています(図⑤) 。開
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私が所属する地球環境局が担当し、循 環型社会は廃棄物リサイクル対策部が、 自然共生社会は自然環境局が担当して います。みごとに縦割です。それを統
図③
た一九七一年が象徴的な年でした。ま だ四十年あまりしかたっていません。 一九八七年にブルントラント委員会 が持続可能な開発、サステイナブル・
デベロップメントという考え方を打ち 出し、それを受けて一九九二年に地球 サミットが開かれました。これはわが 国の環境政策には大きな影響を与えま
図②
した。持続可能な開発という概念を取 り込んで、従来の公害対策基本法が環 境基本法に改められました。一九九三 年のことで、 大きな一歩でありました。 環境基本法に基づいて、一九九九年 に環境基本計画が策定されました。そ のなかで持続可能な社会を目指すとい う概念が盛り込まれました。この計画 は六年に一度改正され、現在の最も新 しいものは二〇一二年の第四次の環境 基本計画です(図②) 。第四次の環境基 本計画には、われわれが目指す持続可 能な社会は、三つの社会の実現を可能 とするものであると書いてあります。 低炭素社会、循環型社会、そして自然 共生社会です。加えて二〇一一年の東 日本大震災の後に、武内先生からもご 指摘がありましたように、安全性を基 礎とするということがいわれるように なりました。レジリエンスな社会とい うことです。 実は環境省のなかで、低炭素社会は
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発途上国の都市において、さまざまに 関連する分野を一つのパッケージにし て、低炭素社会を実現していけないか と考えているところです。
その一つのメカニズムとして、日本 政府は、二国間クレジット制度を始め ています。日本政府と途上国政府との 間で合意文書を結び、日本の優れた低 炭素技術等々を途上国に提供して、具 体的には温室効果ガスの削減を果たす というものです(図⑥) 。そこで生じた 削減量、つまりクレジットを、日本と ホスト国で分け合おうという考えです。 二〇一三年の一月からいろいろな国と 合意していて、現在までに一〇カ国と 合意文書を結んでいます。アジアが六 カ国、アフリカが二カ国、ラテンアメ リカが一カ国、島嶼国が一カ国です。 最初の問題意識に戻って、環境政 策・環境行政を担当する者からみて、 サステイナビリティ学に対する期待に ついて簡単に申し上げます(図⑦) 。多 様な分野、多様な専門知識等々を統合 していくことに関して、サステイナビ リティ学には大きな可能性があります。 それが持続可能な社会を形成する大き 図⑥
な可能性を生み出していくと思います。 もっと直接的には、私ども行政がいろ いろな政策を形成して、それを実施す るための大変よいツールをサステイナ ビリティ学が提供してくれるのではな いかと期待しています。 その一方で、課題もあります。サス テイナビリティ学は多様なありとあら ゆる学問分野の深い知見・知識を統合 しようとしています。世の中は自然と 縦割りになっていくと申しましたよう に、 統合するのは大変難しいことです。 卑近な例で申し上げますと、オリンピ ックの陸上競技には短距離走だとか跳 躍だとか投擲だとかいろいろな種目が あります。サステイナビリティ学はい わば近代五種とか近代十種にも相当し て、一人で五種目にも一〇種目にもわ たってすばらしい成果を出すことが期 待されています。それができるような 極めて有能な、あるいは深い見識と能 力を備えた人でないと、なかなかサス
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図④
図⑤ 62
カッションの時間としていきたいと思 います。まず会場の皆様から、パネリ ストの方々に何か追加的なコメントを 伺っておきたいという方がいらっしゃ いますでしょうか。
――先ほど、グレッチェン・カロンジ さんのお話のなかで「市民科学」とい う概念が出され、非常に強い関心を抱 きました。といいますのも、社会の持 続性、サステイナビリティを実現する ためには、科学技術の成果が果たして 持続的であるのかどうかよく吟味して 検証しなければいけません。そのとき に、専門家の知見だけでなく、非専門 家の一般の人々の知見も必要です。専 門家と非専門家が深い対話をして吟味 することが非常に重要だと思います。 その点に関してカロンジさんのお考え と、もしできましたからミカロフスキ ーさんからもお考えをお聞かせていた だければと思います。
市民科学の役割
カロンジ 非常に刺激的なご質問を ありがとうございます。せっかくです から少しお話しておきたいと思います。 市民科学にどのような役割があるの か。まさにご質問のなかでおっしゃっ ていた通り、専門家の知識も必要です が、その他の人々、つまりその分野で あまり経験が豊富でない人々のいろい ろな知見が必要で、そのような人たち もさまざまに貢献することが可能です。 たとえば生物多様性の観察、あるいは 水質の調査、そして興味深いことに天 文学にも一般の人々の貢献があります。 一般の人々が地球の観測、天体の観測 を数千年にわたって行ってきて、その データが実際にたくさんあります。そ れを研究している専門家もいます。 市民科学の意義は二つほどあると思 います。一点目は、よりよい科学には 市民の参加が必要だということです。
します。
竹本 ご質問どうもありがとうござ いました。では最初にカロンジさん、 そして次にミカロフスキーさんお願い
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テイナビリティ学の担い手になれない のかもしれません。逆に、私どものよ うに政策形成や実施の面でサステイナ ビリティ学の成果を利用させていただ こうとする立場においては、十分な理
解がなければうまく使えない学問では ないのかなという思いもあります。私 も含めて世の中にスーパーマンのよう な優秀な人はあまりいませんから、具 体的な政策の形成と実施に生かされる
図⑦
ように、普通の人でも使いやすく理解 できるものに今後はしていく必要があ るのではないかなと思っております。 現在地球や人類が直面する問題を解 決していくのに、分野ごとに分かれて いるものを統合していくことが極めて 重要であるということは私も含めてほ とんどの方の共通認識となっています。 サステイナビリティ学がさらに発展し て、具体的な成果が出てくることを大 いに期待するものであります。
竹本 関局長、ありがとうございまし た。 非常に具体的なご指摘をいただき、 これからわれわれがどのように対応し ていくかという課題と期待についても お話をいただきました。 これでパネリスト全員の冒頭のご発 言を終えました。パネリストの皆様、 プレゼンテーションどうもありがとう ございました。ではこれからはディス
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温暖化の影響を評価する委員会があり ます。昨日の午前中はずっとその会議 を行っていました。構成メンバーは、 医学、生態学、気候学からさまざまな インフラに関わる専門家まで三〇名ほ どです。いずれも日本を代表する学者 で、委員長は東大のIR3Sにいらし た住明正先生です。住先生のもと、分 野の異なる方々の意見をうまくまとめ ていこうという議論をしていて、まさ にサステイナビリティ学の実践のよう なかたちで、いい議論ができていると 感じています。しかし、それでも、温 暖化対策として一つに集約するのは極 めて困難であるというのが実情です。 さまざまに分化した専門分野を統合化 する道筋は、それが必要だということ は構成メンバーもよく理解しています。 それを具体化するのは、サステイナビ リティ学の担い手である住先生であっ ても大変にご苦労されています。その ような経験をいろいろなところで積み 重ねながら、サステイナビリティ学の 姿形が明確になっていくのではないか と思います。
竹本 ただいまのご質問は、関局長が ご自身で提示された課題であったのが、 そのまま関局長へのご質問として返っ てきたわけでありますが、ほかのパネ リストの皆さんからもフィードバック をお願いしたいと思います。関局長が プレゼンテーションの最後のところで 述べられた大きな課題に、誰がどのよ うにチャレンジしていくのか、必ずし も解決策ということでなくても結構で すので、アイデアなどありましたらお 話ししていただけないでしょうか。も し可能なならカロンジさんから順に。 カロンジ 私からは簡単に多言語主 義とのリンクについてコメントしたい と思います。効果的なコミュニケーシ ョンを多言語間で行なうことを考えて
みてください。複数の言語を話す人が 集まれば、多言語間のコミュニケーシ ョンは可能となるでしょう。ここで、 複数の言語を話す人は、母国語だけを 話す人と比べて必ずしも母国語が劣る ということはありません。他分野間の コミュニケーションでも同様だと思う のです。大学で複数の分野の研究をす るときでも、個々の学術の研究をおろ そかにしてはならないのです。その分 野のプロフェッショナルになっている ということがまず大切であると思いま す。
竹本 クローリーさんはいかがでし ょうか。
クローリー カロンジさんが強調さ れた点を、私からもお話したいと思い ます。科学者としては研究の計画を立 てるときにまずディテールに注視しま す。サステイナビリティを含めてこれ
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二点目は、市民科学が科学や工学に 人々を誘う場になるということです。 とくに若い方々を科学や工学へと誘う ことが重要です。世界全体で国境を超 えて、より多くの方々が科学技術に取 り組んでいってほしいと思っています。
ミカロフスキー 市民科学は非常に 重要なポイントだと私も思います。こ こで考えなければならないのは、科学 がどのような世界をつくっていくのか、 科学的な努力は何を目指しているのか ということです。たとえば、科学によ ってさまざまな病気がすべて治せるよ うになるかもしれません。 そのときに、 最終的にどういった世界を目指してい くのかということを考えなければいけ ません。小宮山先生は目指すべきプラ チナ社会についてお話されましたが、 どういった世界をわれわれは標榜して いくのかを考えなければなりません。 社会全体として何を目指していくの
かということは、科学で病気を治すと か、新しい作物をつくるとかいったこ とと比べて、ずっと複雑な問題です。 そのような問題について議論し、答え を出していくには、やはり専門家が必 要なのかもしれませんが、では誰が専 門なのでしょうか。科学者が多くの発 言をできるのでしょうか、大きな貢献 をできるのでしょうか。それは定かで はありません。どのような世界に住み たいのかということは、人がそれぞれ 考えることができるものであって、人 がそれぞれに貢献できるものであるの でしょう。そのようなことをサポート して、市民とともに新しい世界を目指 していくことが、サステイナビリティ 学の一つのすばらしい側面になると思 います。
竹本 では他にご質問がある方はい らっしゃいませんか。
協業のモデル
――関さんにお伺いしたいと思います。 最後のスライドで、非常に特定化され た知識がたとえば大学のなかにあると いうことでした。お伺いしたいのは、 そのような知識を、どういった仕組み を使っていけば、いろいろな分野を超 えて協業させていけるのかということ です。いままでのご経験のなかで、ど のようなモデルがよいとお考えでしょ うか。
竹本 非常に興味深いご質問をいた だきました。おそらく他の方々からも お答えいただけるのではないかと思い ますが、まず関局長からお願いいたし ます。
関 卑近な例を一つ紹介させていた だきます。政府の温暖化適応計画の策 定に向けて、 中央環境審議会のなかに、
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のアプローチは不足しています。イン ターネットが発達して、いわばカオス のような状態で討論していかなければ いけないという、非常に複雑な状況に なっています。 そして、人々の振る舞いが今後どの ように形作られていくのか、なかなか クリアになっていません。誰もコント ロールできない状況にあるといっても いいかもしれません。それを批判して いるのではありません。現状の教育の カリキュラムは人々の振る舞いをある 程度形づけようとするものではあるの ですが、必ずしも制御できません。つ かまえようとしても、油を塗った手か らすり抜けてしまうような感じで、最 終的にどういった顛末になるのか計り 知れない部分があります。
永野 教育の問題は日本では深刻で す。大学に入る前の早いときから、理 科系か文科系かで分かれてしまうあた
りを直さないといけないと思います。 高校でそのように分かれてしまう影響 を大学も受けています。大学は何が大 事なのかというというメッセージをも っと世の中に出してほしいと思います ユネスコは一九九九年にブダペスト で世界科学会議を開催して、社会のた めの科学を一つの柱とするブダペスト 宣言を出しました。ユネスコはその面 で世界をリードしてほしいと思います。
竹本 それでは会場から次のご質問 をお受けします。 幸福を考える ――今日の議論ではあまり出てきてい なかったのですが、サステイナビリテ ィという考え方が環境のコミュニティ に横取り、ハイジャックされてしまっ たのではないか感じています。むしろ 経済の観点から変革を促すドライバー
がサステイナビリティであったのでは ないかと思っています。 われわれが社会の進展を測る指標と して国民総生産 (GDP) があります。 GDPを使って先進国と途上国の動向 をみるという話が午前中にありました。 途上国はGDPを大きくして、OEC Dのグループに入りたいと考えていま す。GDPばかりを追いかけるのはあ る種の悪循環に入ってしまいます。G DPを社会の進展を測るものとして使 ってはいけないということがいわれて はいても現実には使われ続けています。 インセンティブの話がありましたが、 何をインセンティブにするのか、非常 に重要だと思います。 私は経済学を二〇年学んできました が、社会科学がどうしてサステイナビ リティについて議論してこなかったの だろうかと考えています。社会科学は 基本的に、なぜわれわれはこれをする のかということを問うのではなくて、
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からの社会はどのようであるのがいい のかを科学者が考えるには、そうする ことのインセンティブが必要です。科 学の世界のなかでどのようにインセン ティブを付けていくのか、あるいはイ ンセンティブのあり方をどのようにし ていくのか、これは科学者だけででき るようなことではありません。そのよ うなことを展開していく制度がないと できません。評価とそれに基づく雇用 の面にも反映していかなければいけま せん。科学的な仕事をしていくには学 術的な雑誌に論文が掲載されることが とても重要です。権威ある学術雑誌に 多くの論文が載れば研究者としての評 価が高くなり、そこにまさにインセン ティブが生まれるわけです。 より詳細な制度のデザインを考えて いかなければいけません。いまの制度 のままでは、サステイナビリティのよ うなことを考えたときには、もしかし たら長期間にはマイナスになってしま うかもしれません。個々の科学者にど のようにインセンティブを与え、どの ように生産性を上げていくのか、大き な課題です。もちろん一朝一夕には変 わらないとは思うのですが。 もう一つの強調すべき点として、政 策的な解決策は必ずしも純粋な科学的 な回答というわけではありません。も ちろん科学的な見解は注入されるにし ても、実際の政策は科学だけではあり ません。ある問題に科学から明快な回 答が出されることがあっても、それは 何がなされるべきかという回答では普 通はありません。科学的なアセスメン
ミカロフスキー クローリーさんの おっしゃったことはその通りだと思い ます。付け加えるならば、人々がどの ように学んでいくのか、どのように討 論を重ねていくのかも、すべてサステ イナビリティ学と関わります。現在の 教育システムのなかで、そのあたりへ
竹本 ミカロフスキーさん、いかがで しょう。
ら、ハイブリッドなかたちでのフォー ラムが必要になってくるでしょう。制 度的に一貫性をもったかたちでさまざ まな考え方をフォーラムでつなぎ合わ せるのです。市民のもつ知識と専門家 の知識がつなぎ合わされることになる でしょう。もちろん、そのような実験 的な試みをして失敗したという事例も 多くあったことと思います。しかし、 そのようなことを通して変わっていく しかないと思っています。
」の部分はなかな トのなかに「 Should か入ってきません。それは社会のなか で考えていかなければいけないのです。 科学者も社会の一員として、何をすべ きかの意思決定のプロセスに参加する ということになります。 複雑な社会的な問いに関しては、科 学的な側面だけでは答えられませんか
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ました。そのときに聞いたのは、日本 ではGDPがどんどん上がっていって も、幸福度を調査すると、ずっと低位 安定であると。GDPと幸福度は関係 がないのです。幸福度の高い国をみる と、女性が活躍し、マイノリティが自 由に行動しているということがありま す。だからたとえば、科学技術と関係 ない人が、科学技術について自分の言 いたいことが自由に言えて、自分で判 断できるような国がウェルビーイング が高いのです。 そのようなことからも、 サステイナビリティ学もその一つとし て、幅広い学問分野の人が一生懸命一 緒に考えていかないといけないのでは ないかと思います。
竹本 それではミカロフスキーさん、 何かお話がありますか。 ミカロフスキー OECDに言及さ れていたので、一つ申し上げたいと思
います。OECDのウェブサイトにモ ットーが載っています。「より良い人生 のためのより良い政策」と書いてあり ます。そのモットーが果たして実現し ていけるのか、OECDは非常に大き な懸念を抱いています。 私どもは最近、 ウェルビーイング・インデックスをつ くりました。私どもが非常に誇りをも っている仕事です。GDPだけではな く、ウェルビーイングを測定する指標 をつくったのです。まだまだ原始的か もしれませんけれど、生活の質を測る ことができるようになりました。 そしてサステイナビリティ学がどの ぐらいの広範囲であるべきなのか。O ECDのグローバル・サイエンス・リ ポートで、非常に複雑な現象に関して のコンプレックス・サイエンスが提唱 されています。たとえば生態系の科学 です。生態系はもちろん複雑です。人 間もまたコンプレックス・サイエンス の対象であろうかと思いますが、ただ
あまり成功していない部分的であろう かと思います。
竹本 ではクローリーさんお願いし ます。
クローリー 皆様がおっしゃったこ とに加えて簡単にコメントしたいと思 います。このような議論のなかに政治 社会学を組み込んでいかなければいけ ないと思います。歴史的にも、持続可 能な開発という概念が社会科学によっ て構築されてきたということがありま す。基本的に、人間の利益と環境は緊 張関係にあります。科学的にものごと を捉え、解決策を考えるその一方で、 政治的、経済的な利害があります。環 境問題は人間が引きおこしている問題 です。 一九八二年にベルリンに行きました。 その当時のベルリンはまだ東西に分か れていて、私が行ったのは西ベルリン
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別の視点になってしまっています。人 の振る舞いは非常に複雑です。社会の プロセスは非常に複雑です。われわれ はすべて分野との対話のなかから、わ れわれの制度、システムを変えていか なければなりません。段階を追った変 化になると思いますが、それをいかに して行っていけるのか、本当に疑問で す。 いろいろある疑問のなかで、関さん にお伺いしたいのは、幸福についてで す。低炭素社会、循環型社会、自然共 生社会の三つの社会の融合ということ がありましたが、人間の社会であるか らには、人の幸福、人の心の安寧は考 えなければいけないと思います。それ をサステイナビリティの文脈のなかで いかに捉えていくのかということを教 えていただけないでしょうか。
竹本 いくつかの疑問が提示されま したが、最初に関さんから幸福につい
てお答えをいただきたいと思います。
関 私の理解では、国というものは、 国民の幸福を最大限に達成するために いろいろな機能を果たしています。日 本も含めてどの国でも政府機関はいく つかの省に分化していて、たとえば環 境省は、国民の幸福を実現するために 国土の環境をいかに保全するかという ことを使命として担っています。経済 を担当するのが経済産業省、農林水産 業を担当するのが農林水産省で、それ ぞれが担当する分野で国民の幸福を最 大限に実現しようと取り組んでいます。 ここでもいわゆる分化と統合、縦割り と統合という話になりますが、それぞ れの分野の政策を遂行するには、それ ぞれ専門的な機関がないとできないと いう現実的な問題があります。 国民全体の幸福は、そのようなさま ざまな施策が複雑に絡み合って、全体 として統合されて実現しなければいけ
ないものです。そのための政策は一体 何であるかということを選択するのが 政治であり、 行政であろうと思います。 これは言うは易く、実施するには極め て現実的な困難を伴っています。この ようなことも含めて、複雑に絡まり合 った具体的な問題に対して、いかにア プローチをしていくかというのがサス テイナビリティ学の課題であると私は 理解しています。ですから、サステイ ナビリティは単に環境分野にのみ適用 されるようなことではなくて、広い分 野において適用されて、われわれの将 来を左右するような重要な学問である と考えていて、 また期待をしています。
竹本 ありがとうございました。永野 さんお願いします。
永野 先ほど私の話の最後で、ユネス コ協会で幸福やウェルビーイングにつ いて議論しているということを紹介し
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に共有していただいた通り、国際的な アプローチ、または政府における政策 レベルからのアプローチに関連してサ ステイナビリティ学の役割について議 論してまいりました。第二部では仲上 先生がモデレーターを務められて、地 域レベルの活動に焦点を当てた議論を お願いすることになっています。 そこで第一部の最後として、お一人 ずつ、短時間ですけれども、次の第二 部につながるようなメッセージをいた だけたらありがたいと思います。それ では関局長から順番にお願いします。
地域からの可能性 関 持続可能な社会に向けて、最も統 合的に物事を進めることができるのは、 日本においては基礎自治体、すなわち 市町村であると私は考えています。国 も県も政策決定が細分化されていて統 合するのがなかなか難しく、一方で、
市町村には大きな可能性があります。 新たに目指すべき社会形態、地域形態 は、自立分散型であるというのは午前 中の武内先生の講演でもお話があった とおりで、基礎自治体から具体的に目 に見える多様な成果・前進があれば、 やがて広く日本全体、あるいは世界へ と伝わっていく可能性があるのではな いかと期待しています。
永野 私にとって関心が大きいのは、 ミレニアム開発目標と持続可能な開発 目標とがうまく一つに入っていくのか ということで、そのことに関係してい る人は大いに主張してほしいと思って います。 地域に目を向けますと、繰り返しに なりますが、「持続可能な開発のための 教育の一〇年」の次へ、これまでの成 果を踏み台にして進んでほしいと思っ ています。日本全国に三〇〇近くある 草の根運動のユネスコ協会が協力する
ようなかたちでうまく進められたらい いと思います。また国連大学も、RC
E( Regional Centres of Expertise on Education for Sustainable 、 ESDに関する地域 Development 拠点)を最初に宮城で始めていますの で、地域と一緒になって進めていけた らいいと思います。
ミカロフスキー 今日はすばらしい 議論ができていると思います。サステ イナビリティ学がどのようにして持続 可能な社会の構築につながっていくの かということを議論するこのような会 議を開催していることに、まさに大き な意義があると思います。オープンな かたちで、自分の意見を出し、解決策 を提案し、そして哲学的な分野につい ても、人生の質を高めていくといった ことも含めて議論することに意義があ ります。今後も引き続き対話を深めて いければと思っています。
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です。環境に関して過激な主張する人 が多くいて、いまでもよく覚えている ポスターがありました。「この私たちが まさに世界の病変の原因である」と書 かれていました。これは端的に言い表 わしていると思います。つまり環境を
考えると、人間の尊厳の一部が否定さ れるようなこともあるということです。 バランスを見直さなければいけない と思います。人間の尊厳と環境の懸念 事項の解決を統合するということを図 っていかなければいけません。それが できるのか、なかなか信じ切れていな いところがあると思います。 幸福であることには非常に多様性が あります。イギリスの劇作家のノエ ル・カワードが、 「幸せな一日を」と言 われて、 「いいえ、結構です。私には他 に計画がありますから」と答えたとい うエピソードがあります。あまりハッ ピーでありたくないという文化をもっ ているところもあります。GDPはい い指標だとはいえないのかもしれませ んが、では幸福度は測る指標があれば いいのかというと、画一的な幸福像を 推していくことはできないと思います。 人が多元的に幸せを求めていくように、 他の計画をもっている人があれば、そ
の計画をそれぞれ進めていくことがで きるようにすることを模索していくべ きではないかと思います。アメリカの 憲章にもあるように、幸福を追求する ということが重要なのだと思います。 サステイナビリティに関して科学技 術に重きを置きすぎるという話があり ました。一つ例をお話したいと思いま す。明らかに持続可能な開発を長期的 にしていくためには、子どもたちが将 来働ける場を担保していかなければい けません。 技術は雇用の創出に寄与し、 雇用は幸福の追求に寄与します。人文 科学・社会科学に人間の福利に関する ところで貢献していると思います。
竹本 非常にいい議論ができている と思いますが、そろそろ終わりの時間 が近づいてまいりました。 冒頭に申し上げました通り、午後の セッションは第一部と第二部に分かれ ていまして、第一部はこれまで皆さん
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■パネルディスカッション第二部
サステイナビリティ学を通じた
[
] ) Anantha Duraiappah
けんいち)
社会システムイノベーションの社会実装に向けて モデレーター
仲上健一 (なかがみ 立命館大学教授 [
パネリスト
]
アナンサ・ ドライアッパ (
n o e m m a r g o r P s n o i s n e m i D n a m u H l a n o i t a n r e t n I e h t , r o t c e r i D e v i t u c e x E けんじ)
r ) P D H I U N U ( e g n a h C l a t n e m n o r i v n E l a b o l G
蓮輪賢治 (はすわ けんいち)
株式会社大林組常務執行役員
鶫 謙一 (つぐみ
りゅうご)
会宝産業グループ、国際リサイクル教育センター長
渡辺竜五 (わたなべ
りゅうじ)
佐渡市役所農林水産課課長
春日隆司 (かすが
下川町役場環境未来都市推進本部長
司会 続きまして、パネルディスカッ ション第二部に入ります。 テーマは 「サ ステイナビリティ学を通じた社会シス テムイノベーションの社会実装に向け て」です。モデレーターは立命館大学 教授、 SSC理事の仲上健一先生です。 どうぞよろしくお願いいたします。
仲上 第二部の狙いと進め方ですが、 第一部の基調講演では、小宮山先生、 谷津先生、武内先生から、サステイナ ビリティ学が社会とともにいかにして 進んでいくかというようなご報告があ りました。それを踏まえてパネルディ スカッション第一部のでは、持続型社 会構築のために何が課題であるのか、 国際的な論点から幅広い議論がありま した。この第二部では、社会システム のイノベーションの社会実装に向けて 議論します。とくに、変革は地域から おこるものであるということを踏まえ て、いろいろな事例を紹介していただ
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クローリー 二つポイントを申し上 げたいと思います。一つはユネスコの 代表として、もう一つは地球市民とし て。 まず市民としてのポイントで、関局 長のお話もありましたが、政府の細分 化をやめることです。ガバナンスが最 も重要かもしれません。いろいろな課 題はセクターを超えておこっています から、セクターを超えた統合が必要で す。都市部では、住宅、エネルギー、 廃棄物管理等々を区分けするのは意味 がなくなってきていて、政策の統合が 進んできています。都市部型のガバナ ンスを今後も進めていくことで、最終 的に政府全体の縦割りの行政を変える ことができるのではないかと期待して います。 ユネスコの代表としてのコメントは、 今後生産的な変革を行なっていくため には、自然科学の観点だけではなく、
社会科学の観点も含めて部門を超越し ていく必要があります。社会科学のな かでも分野を超えるのは難しくて、経 済学者と歴史学者が話し合うのが難し いということがあります。社会科学の 評議会の国際的な機関が近々発足しま すので、社会科学のなかでの統合が進 むチャンスが出てくるのではないかと 思っています。そして、社会科学と自 然科学のやり取りもより深まっていく のではないかと期待しています。
カロンジ 私が期待しているのは、き ちんとした資金を確保して国境を超え たかたちでプロジェクトを進めていく ことです。先進国と途上国の間での協 働は、やはりきちんとした資金がなけ ればできることではありません。 もう一つのポイントは、学生をどの ように巻き込んでいくのか、さらにそ の下の子どもたちをどのように巻き込 んでいくのか。つまり、教育のイノベ
ーションです。教育を変えて、地域の 問題を解決していくのに資するように するということです。裕福な子どもた ちだけではなく、そうでない子どもた ちにも、恩恵を与えるようなものでな ければいけません。
竹本 ありがとうございました。それ ぞれの皆さまからのコメントをいただ いたところで、第一部をこれにて終了 といたします。引き続き第二部の方で さらに議論を深めていただきたいと思 います。どうぞパネリストの皆さんに 大きな拍手をお願いしたいと思います。
司会 竹本様、パネリストの皆さま、 ありがとうございます。それではこれ より二〇分間の休憩に入らせていただ きます。再会は一五時二〇分を予定し ております。再会時間までにはお席に お戻りください。
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そのなかでいろいろな問題が出てきま す。たとえばミレニアム生態系評価で は、実際に福利についての評価をしま した。ここで福利とは何かということ を話し出しますと、それだけで一時間 ほどかかってしまいますから、いろい
ろな資料などが出されていますのでご 参照いただければと思います。 人間の福利の向上は皆さんが望んで いることですが、それにはどうすれば いいのでしょうか。まず、そのための 基盤が必要です。たとえば、工場をつ くって何かを生産しようとしますと、 それにはある程度のインフラが必要で す。その上で工場への財の投入が必要 ですし、もちろん人も必要です。生産 し、それを維持していくには、自然や 社会について、システムがどのように 機能しているのかを理解していなけれ ばなりません。 社会システムの理解には、まず価値 観と行動をみなければなりません(図 ②) 。 私どもの分析のすべての前提にな っていることがあります。それは経済 的な合理性です。個人は経済的な合理 性に基づいて、つまり、費用対便益を 計算して何が最良の選択肢であるのか を検討して選択すると考えています。
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作業を続けています。 私どもの活動の目的は、 人間の福利、 豊かさ( human well-being )をよりよ くしていくことです(図①) 。現在の世 代、そして将来の世代の人間の福利の 向上をどのようにして図っていくのか。 図①
図②
きます。そして、地域の活性化とサス テイナビリティ学のさら進化のために は何が必要かということを議論してい きたいと思っています。 それでは各パネリストのから、まず 順番にご報告いただきたいと思います。 よろしくお願いします。
多元性の理解と制度 ドライアッパ 私からは、現在まさに 進行中の取り組みに関してお話します。 私どもはいくつかのプロジェクトを行 なっていて、その初期の成果を昨年の 末に発表しました。そのなかの主要な プロジェクトとして、日本で三年間に
わたって行なった里山里海の評価があ ります。これは非常にエキサイティン グな活動で、新しいコンセプトがいく つか出てきました。先ほど武内先生が おっしゃっていた自然共生圏の概念は ここから生まれたものです。それをさ らに発展させて「ニューコモンズ」の 概念を検討していて、論文にまとめる
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です。公的な制度と非公式な制度があ ります。公的な制度はたとえば法律で す。非公式な制度は明文化されてはい ないけれどもお互いが理解している暗 黙知のようなものです。 社会の次に自然システムの理解です 図③
(図③) 。 里山里海評価の取り組みを通 じて、里山里海が機能的にも空間的に もいかに相互依存性をもっているかと いうことがわかりました。また生態系 はモザイク状であることもわかりまし た。ケニアでは、雨期には低地に下り
て、乾期には高地に上って生きている 生物がいます。生態系のモザイクが壊 されてしまうと、命の営みが阻まれて しまいます。 ミレニアム生態系評価で生態系サー ビスの評価をしました。生態系サービ スには、 供給サービス、 調整サービス、 文化的サービスがあります。食料の生 産に関わる供給サービスが重要である とともに、調整サービス、文化的サー ビスも非常に重要で、人間の福利に直 接関わっていることが少なくありませ ん。 たとえば酒の生産をみますと、いい 酒をつくるには、原材料となるものを 生産する供給サービスがなくてはなり ませんが、水の質がよくなければいけ ません。優れた調整サービスが必要で す。 また、 酒は文化的側面が大事です。 その地域がいい酒を生み出す文化をも っていなければなりません。 ニューコモンズの概念が台頭してき 図④
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しかし、実際には多くの場合にそうで はないことがおこっています。経済的 合理性の概念に反するような行動が多 くの場合にあるのです。 そのことから一つわかってきたのは、 価値観の多元性です。もう一つ、非常 に興味深いのは、アイデンティティの 多元性です。個人として私たちには複 数のアイデンティティがあります。た とえば、自然保全家としてのアイデン ティティをもち、国民としてのアイデ ンティティをもち、そして学者として のアイデンティティをもつというよう なかたちで複数のアイデンティティを 一個人がもっています。複数のアイデ ンティティをもち、それに伴っていろ いろな価値体系をもっています。さま ざまな価値体系の間には緊張関係があ ります。多くの研究で、一個人はある 一つのアイデンティティをもって、そ してある特定の価値観をもっていると いう前提を置いています。しかし、実 は一個人のなかに常に継続的に価値観 の緊張関係があるということを認識し ていかなければいけないのです。 一つの具体的な例として、今日はラ ンチをとりながら、サステイナビリテ ィに関して、低エネルギーシステム、 低炭素社会などを議論していました。 ランチの終わりにものすごく美しいイ チゴが出てきました。とても甘くてお いしいイチゴでした。日本はいまは寒 い季節ですから、私は、このイチゴは どうやってつくったのかと聞いきまし た。 温室で栽培したという答えでした。 温室栽培というのはかなりエネルギー 集約的な農業です。イチゴを温室で生 産するにはかなりの二酸化炭素を排出 します。私たちは、低炭素社会に関し て議論をしていながらも、美しいイチ ゴが出てきますと、手を伸ばしてしま います。これが価値観の緊張関係の一 例です。このような緊張関係のなかに 私たちはいつも置かれています。
もう一つ例を出しますと、私は家族 をしっかり守りたいと思っています。 そのためにはちゃんと稼がなくてはな りません。お金を稼がなければ家族を 養っていけません。一方で、私は環境 保護論者ですから、生産すればするほ どエネルギーを使うことを知っていま す。エネルギーの効率をいくら高めた としても生産をすればどうしても総エ ネルギー量は増えます。稼ごうとする と、二酸化炭素を減らすのとは相反す る方向に行ってしまいます。これもま た一つの葛藤です。 私たちは静的な一つの価値観だけを もっているのではなく、常に変わりつ つある環境のなかで生きて、常に変わ りつつある社会関係のなかに身を置い て、動的な複数の価値観をもって生き ているのです。そのようなことを分析 のなかに取り込んでいく必要がありま す。 社会システムの理解の二つ目は制度
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ム、地球と、規模が大きくなっていま す。それらのシステムは分断されたも のではなくて連続して互いに重なり合 っています。左側には社会が示されて いて、一番下に家庭があって、地域コ ミュニティがあって、県とか州、そし て国、世界と大きくなっていきます。 こちらもやはり連続していて、多くの 重なりがあります。 ここで重要なのは、個人は家庭のメ ンバーであると同時に、コミュニティ のメンバーであり、国のメンバーであ り、地球市民でもあります。私たちの 価値観がそのどのアイデンティティを とるかによって変わってくるというこ とはご理解いただけると思います。グ ローバルなレベルでは二酸化炭素を削 減しなければいけないと思い、家庭の レベルではやはり仕事をして稼がなく てはならないと思います。その結果と して気候変動を加速させてしまうかも しれません。
図⑥の右側と左側を仲介するのが制 度です。制度は、人間の価値体系・価 値システムによって非常に大きな影響 を受けます。 二つのミスマッチがあります (図⑦) 。 一つが認知的不協和です。価値観とア イデンティティの多元性から、理学の 言葉で認知的不協和と呼ばれるところ のミスマッチが生じます。 もう一つが、制度と制度の適合性に 関するミスマッチです。ある特定のサ ービス、あるいはある規模に対してつ くられた制度が、より広い範囲の生態 系に当てはめたときにミスマッチが生 じたります。 得られた所見は四つです(図⑧) 。一 点目がトレードオフ。これは以前から いろいろいわれていることで決して新 しいことではありません。ただ、個人 の中で認知的不協和がおこっていると いうことがいままでは十分に見られて いませんでした。それを見ることで、
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なっていることは否めません。 図⑥は概念的な枠組です。最終的に は人間の福利に資するということです。 右側にはいろいろなスケールの自然シ ステムが示されています。下から資源 システム、ランドスケープ、バイオー 図⑦
ました(図④) 。ニューコモンズは図⑤ のように定義していきたいと考えてい ます。ニューコモンズは非常に重要な 概念です。学者は常々新しい言葉をつ くりたがるきらいがあります。新しい 言葉を出すことが研究の一つの動機と
図⑤
図⑥
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一〇年間行なって、そのなかで特に規 模に焦点を当てて生物多様性・生態系 プロセス、そして機能、調整、供給サ ービスに何が重要なのかを理解してい かなければいけません。 三点目として、 私どもが考えているのは橋渡し型の制
度です。いろいろな制度がいろいろな 規模でいろいろに機能しているものを 橋渡しして、それに基づいて認知的不 協和、そしてミスマッチというものを 管理していくことができるようになる と考えています。
仲上 ありがとうございました。生態 系サービスの世界的な権威である先生 から、基本的にミスマッチがあって、 それをどう埋めるのか、どうマネジメ ントするのかが重要であるとのご報告 いただきました。 次からは、実装のいろいろな具体的 事例をご紹介いただきます。まず大林 組の蓮輪様、よろしくお願いします。 アクションプランの推進 蓮輪 最初に大林組について簡単に ご紹介します。大林組は一八九二年に 創立され、本年一月までで一二二年の
歴史をもつ建設会社です。事業規模は 年間約一兆二〇〇〇億程度です。大林 組グループは、北米、アジア・中東、 オセアニアにも事業を展開して一兆六 〇〇〇億円ぐらいの規模があります。 ちなみに、高さ六三四メートルの世界 一の電波塔といわれる東京スカイツリ ーは大林組が単独で建設しました。
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図⑨
どうしてある行動を取るのか初めて理 解できる部分があります。 二点目が、供給サービス、調整サー ビスが提供されている空間スケールと、 持続可能なアクセスや利用に関する制 度のスケールが必ずしも合致していな
いことです。土地があってそこで稲作 を行なっているということだけをみる とうまくいっているようであっても、 稲作はより大きなランドスケープに依 存しています。稲作には水が重要です から、水の調整サービスに大きく関係
図⑧
しています。気候も重要で、より広い 空間管理につながっています。より広 いところが崩れてしまうと、長期的に 供給サービスは持続可能でなくなりま す。 三点目が、新しいコモンズの管理を していくことの必要性です。 四点目が、ミスマッチの管理です。 ミスマッチの管理はミスマッチをなく そうということではなくて、ミスマッ チは存在し続けるので、いかにしてう まく管理していくのかというのが重要 なポイントです。 以上のような所見を俯瞰した上で、 サステイナビリティ学の研究課題を三 つ挙げます(図⑨) 。まず認知的不協和 と自然体系の価値評価。これはまだあ まり行なわれていません。二点目が規 模の理解を深めることです。ミレニア ム生態系評価で規模は非常に重要だ指 摘されています。しかしその後の進捗 がありません。体系的な研究を向こう
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で、自分たちで再生可能エネルギーを 作り出す、いわゆる創エネでオフセッ トしたいと考えています。ZECの理
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四カ所、二一発電所が運転していて、 トータルで三一・五メガワットありま す(図④) 。本年末から来年にかけて一
図③
念のもと、再生可能エネルギー発電事 業に取り組んでいます。 太陽光発電事業では、本日現在で一
図②
この大林組が建設会社として持続可 能な社会の実現に向けてどのように取 り組んでいるのか、そして、地域とど のように連携しているのかを本日はお 話させていただきます。 大林組は地球温暖化による気候変動 などに対応して、地球環境の課題を解 決し、持続可能な社会を実現するため に、 「大林グリーンビジョン二〇五〇」 を二〇一一年二月に定めました (図①) 。
持続可能な社会として、低炭素社会・ 循環社会・自然共生社会の三つの社会 を想定し、二〇五〇年のあるべき社会
像の実現に向けて、いわゆるバックキ ャスティングで中長期的な目標・計画 を定め、それに対応した企業活動を展 開しています。 具体的なアクションプランは、低炭 素社会・循環社会・自然共生社会の三 つの社会像と、建設会社たる大林組の 三つの事業分野を重ね合わせて、個別 に策定しています(図②) 。三つの事業 分野とは、建物・都市建設、インフラ 建設、サービス提供です。本日はこの なかから、低炭素社会の実現のための 大林組の取り組みと、地域連携をご紹 介します。 低炭素社会の実現に向けて、建設活 動全体で低炭素化をはかるZEC(ゼ ロエネルギー施工)という理念を掲げ ています(図③) 。これは弊社が建設時 に使用するエネルギーをネットゼロに するチャレンジです。そのために、施 工現場において省エネによって使用す るエネルギーを削減します。その一方
図①
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〇〇メガワットの発電を目指していま す。社外向けホームページでリアルタ イムに発電量を公開し、市民の皆さま にいつでもご覧いただける仕組みにな っています。 図⑥
地域との連携では、 「地域との連携、 ふれ合い、 『絆』 」ということを掲げて 取り組んでいます(図⑤) 。再生可能エ ネルギーの一つとして太陽光発電を地 域の皆さまに紹介したり、建設前に発 図⑦
電所の愛称を募集したりしています。 鹿児島県のさつま町では、中学生の女 の子が「さんSUNさつま」という名 前を付けてくださいました。この発電 所は二十数年間は事業展開する予定で すので、彼女がお母さんになるころに も名前が残ります。 中学生、 高校生の見学会を開催し (図 ⑥) 、その折に、大林組が目指す持続可 能な社会の理念をお話して、再生可能 エネルギー事業の位置付けを理解して いただく努力をしています。また、高 等学校などの先生方に私たちのもって いる技術を紹介する活動もしています。 理科や技術の先生は太陽光発電、再生 可能エネルギー事業に多くの興味をも っておられるので、その関心にこたえ るようなかたちで教育関係者との交流 を進めています。 さらに、自治体がもっている遊休地 を活用して太陽光発電所に改築するこ とによって、地域との交流の場を設け
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図④
図⑤ 86
今後ともどうぞよろしくお願いいたし ます。
仲上 大林組といえば日本を代表す るゼネコンですが、このようなすばら しい事例をご紹介いただきましてあり がとうございます。引き続きまして、 佐渡市の渡辺様からご紹介いただきた いと思います。
トキの保全と島の課題 渡辺 佐渡からは、一度は失われてし まった大型鳥類のトキの野生復帰につ いての報告です。 佐渡は、大きさが東京二三区の一・ 四倍ぐらいの島で、日本海の真中に浮 んでいます(図①) 。佐渡市が抱えてい る大きな課題が高齢化です。日本の平 均より二〇年ぐらい先を行っていると いわれています。生物多様性の保全の
戦略のなかで、高齢化の課題も解決し ていきたいと考えています。 佐渡は昨年、FAO(国連食糧農業 機構)から、GIAHS(世界農業遺 産)の認定をいただきました。GIA HSの構成要素の第一が、「朱鷺と暮ら す郷づくり認証制度」です(図②) 。佐 渡では、二〇一二年に三八年ぶりに野 生の朱鷺が雛を孵化しました。このよ うなことを支えるために、朱鷺と共生 する農業システムをつくっていこうと しています。 二つ目の構成要素が「佐渡金山の歴 史と農業が育む里山・棚田・景観」で す。江戸幕府の初期に幕府の財政を支 えた佐渡金山にはゴールドラッシュで 大勢の人がきました。その人々の活動 から、生まれ守られてきた里山・棚田 があります。 三つ目の構成要素が、「佐渡金山の富 から生まれた農村集落が引き継ぐ多様 な文化」です。
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たり、環境教育の場を提供したりとい うことも行っています(図⑦) 。 レジリエントな社会の構築というこ とで、ほんの一助ではありますけれど も、災害時の非常用電力として使って
図⑨
いただけるよう地元自治体と協定を結 んでいます。これが活躍することはあ まり願っていませんが、万が一大きな 災害等になった場合に、電力を供給す るシステムを用意しています。このよ
図⑧
うな事業にはできるだけ地域の企業と のコラボレーションで進めていくよう にしています。 太陽光発電以外にも、再生可能エネ ルギー事業としてバイオマス発電事業 があります(図⑧) 。再生可能な木質バ イオマスを燃料として利用し、一般住 宅に電力を供給するほか、間伐材ある いは未利用材を燃料として再生可能エ ネルギーを発電します。それは生物多 様性を念頭に置いた森林の回復につな がります。 さらに、 洋上風力発電事業、 地熱発電事業、スマートコミュニティ 事業など、多分野にわたって取り組ん でいます。 大林組は建設会社として持続可能な 社会の実現に引き続き努力するととも に、 「大林グリーンビジョン二〇五〇」 を着実に実行し、かつ時代の変化に合 わせて「大林グリーンビジョン二〇五 〇」を見直しながら、事業活動を継続 していきたいと考えています(図⑨) 。
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〇羽を超える数になり、二〇〇八年に 野生復帰の放鳥が始まりました。 ここで放鳥前にわれわれがどのよう な課題を抱えたかといいますと、まず トキの餌です。トキは一日一八五グラ ムのドジョウを食べます(図④) 。環境 省が出したのは六〇羽のトキの定着を 図④
佐渡で目指すということで、そのため にどれくらいの餌場がいるかというこ とを計算しますと、二〇〇〇ヘクター ルの水田やビオトープが必要です。そ れ以前に、ボランティアが補助金等で つくっていたビオトープ等は三〇ヘク タール程度でしたから、とても足りま 図⑤
せん。佐渡全体でやらなければいけな いということになりました。 そのころに水田がどのような状況に なっていたかといいますと、図⑤にあ りますように、コンクリート水路化が 進み、また耕作放棄地も広がっていま した。水田といいますと一年を通して 水があると思われるかもしれませんが、 日本の水田で水があるのは三カ月間か ら四カ月間だけです。水田に水がない ときには、水でくらす生き物はほぼ水 路にいます。水路がコンクリートにな ると、生き物はすめません。また、日 本の水田の約四割は主食用のお米をつ くらない米の生産調整システムとなっ ています。そのため条件の悪い山間部 は耕作放棄地になります。しかし、山 間の水田の方が生物多様性は豊かです。 森と水田がセットである里山の生物多 様性は非常に危機的な状況を迎えてい ました。 この点を何とかクリアしたいと、「朱
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トキは日本では、早くも一九二五年 に絶滅したといわれました。 ところが、 一九三〇年に佐渡で見つかり、それか ら一九八〇年までの五〇年間、野生の
トキの保護活動が行なわれました。し かし、トキは減り続け、一九八一年、 野生のトキをすべて捕獲して人工繁殖 を試みました。残念ながらこれはうま
図①
図②
くいかず、日本産のトキは絶滅しまし た。図③の二羽は天皇陛下が中国から いただいたトキです。この二羽から人 工繁殖に成功して、二〇〇七年に一〇
90 図③
販売金額で五億円程度の新規販路を確 保しています。通常の新潟コシヒカリ は五キロで二二〇〇円とか二三〇〇円 ぐらいですが、 「朱鷺と暮らす郷」はお おむね三〇〇〇円前後です。朱鷺とい うブランドで付加価値を付けて売って 図⑧
いくことには一定の成果を得たと考え ています。 農家には生物多様性の取り組みをし たら、それに対してお金を支払う戸別 所得補償制度を設けています(図⑦) 。 ブランド米として高く売ることと補助 図⑨
制度の二点で認証制度を広げていきま した。現在では佐渡の約二五パーセン トの水田が生き物を育む農法の取り組 みをしています(図⑧) 。 生物多様性の取り組みであるのに、 お米の販売だけになってしまってはい けないということで、二〇一〇年に佐 渡は「生き物調査の日」の宣言をしま した(図⑨) 。このときに農家にはこの ように申し上げました。 「皆さん、自分 のところで取れるお米はおいしいとか、 安全だとかいっていますが、でもそれ はあなたがいっているだけです。それ を証明するのは田んぼに生きる生き物 なのではないでしょうか」と。田んぼ の生き物調査をするのは、農家にとっ て安全なお米であることを消費者に証 明する意味があると考えました。 また、 島全体を動かすために子どもたちを巻 き込みました。「佐渡キッズ生き物調査 隊」をつくって田んぼの生きもの調査 をしました。今では無農薬のお米づく
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鷺と暮らす郷づくり認証制度」を二〇 〇七年一二月にスタートさせました (図⑥) 。まず、農薬・化学肥料を五割 以上減らす環境保全型農業にしてきま した。佐渡では九八パーセントぐらい
がそのようになっています。農薬の減 ではトキの餌場は増えないのでないか という議論があって、生き物を育む農 法を佐渡独自でつくって、佐渡市が認 証することにしました。そして「朱鷺
と暮らす郷づくり認証制度」で認証さ れた水田でつくられた米を「朱鷺と暮 らす郷」としてブランド化して売り出 しました。市長も私たちも大手のお米 屋さんを回ってPRして、いままでに
図⑥
図⑦ 92
戸初期の日本には一〇〇〇万から二〇 〇〇万の人口があったといわれていま すが、佐渡には七~八万人が住んでい たと言われています。その人口を支え るためにできたのが棚田です(図⑫) 。 佐渡のゴールドラッシュと棚田は一体 図⑬
のものでした。どうしてトキが日本で 最後に佐渡にいたのかといいますと、 このような棚田があったからです。棚 田が守られてきたのは、急速に食糧増 産をするために、江戸時代の佐渡では 自分で開発した水田は自分のものにし
図⑮
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ていいということがありました。自分 の水田なので一生懸命に守ってきたの です。 農業は集落を作り集落コミュニティ ができてきます。そこから生まれてき たのが佐渡の能です(図⑬) 。能は江戸 図⑭
りも子どもたちがしています。 この取り組みが非常に大きな影響を 与えたのが、「佐渡トキ応援プロジェク ト」です(図⑩) 。この写真はわれわれ の自慢で、地元の子ども、佐渡の都会 の子ども、東京の子ども、佐渡の親、
都会の親が一緒に写っています。農協 グループの大手米穀店のコープネット グループの人も、環境省の職員も、市 の職員も、大学の研究者もいます。こ ういう多様な人の参画のなかで、お米 を買う、お米を食べるという行為が、
図⑩
トキの保護とつながる活動となってい ます。 世界農業遺産の認定要素の二点目に ついてご紹介します。佐渡金山(図⑪) は世界遺産暫定リストに載っていて二 〇一七年の登録を目指しています。江
図⑪
図⑫
94
うになりました。認定前はただの水田 であったところを、世界農業遺産の棚 田を歩くということで、ツアーを組む ことができるようになりました (図⑯) 。 棚田を守る一つの手法としてのオー
ナー制があります(図⑰) 。写真の区画 すべてのオーナーが埋まっています。 今年からの取り組みとして、「朱鷺踏 んじゃった米」があります(図⑱) 。ト キは稲の苗を踏むので害鳥といわれて いました。実際にトキが踏んだ水田の コメを「朱鷺踏んじゃった米」として 販売するのです。これはただ米を売る ということではなくて、このようなも のを通して佐渡のファンになって、佐 渡にきていただく、佐渡に注視してい ただくことが大事なところだと思って います。 最後に、私たちが図⑲のような風景 のなかでトキを守ろうとしていること がお伝えできたかと思います。この風 景にはトキのほかにもう一つ大事な点 があります。このおばあちゃんが、元 気よくずっと働ける職業、それが農業 であるということです。このおばあち ゃんは農業生産者でもありますが、里 山の保全者でもあります。生物多様性 図⑲
と人の活動がうまくつながっていくこ と、それを佐渡として今後もしっかり 残していきたいと考えています。
仲上 どうもありがとうございまし た。皆さま方はすっかり佐渡ファンに なられたことと思います。 引き続きまして下川町の春日様のご 報告です。下川町はいま非常に寒い季 節で、 ついこの前にマイナス二六・一℃ を記録しています。ではどうぞよろし くお願いします。
好循環をおこしていくモデル
春日 下川町は北緯四四度に位置し ています(図①) 。北緯四四度の線は西 に行きますとイタリアです。スキージ ャンプの四一歳の葛西紀明選手の出身 地です。ソチの冬季オリンピックには 下川出身者が出場します。 人口は約三五〇〇人、面積は東西に
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時代、庶民の娯楽文化でしたが、佐渡 では集落神事、農業神事として伝えら れてきました。また佐渡独特の鬼太鼓 というものもあって、このような文化 が継承されてきました。 世界農業遺産によって、農業の役割 が食料生産だけではなく、 自然の保全、
図⑯ 文化の継承にも貢献してきたことが国 際的にも承認されて、農家にとって誇 りとなり、 非常にやる気が出ています。 また、佐渡では「生物多様性佐渡戦 略」をつくりました(図⑭) 。九〇年後 の佐渡を今よりもっとよくして残そう という長期的な戦略です。そのなかの
活動として、世界農業遺産の認定を同 時に受けた能登地域の高校生との連携 が始まっています(図⑮) 。農業遺産と は何なのか、これからわれわれはどう したらいいのかということを高校生が 自ら考えるようになりました。 世界農業遺産は観光にも使われるよ
図⑰
96 図⑱
コストが安くなり、約一四〇〇万円ほ ど経費が削減されています(図④) 。将 来に負荷をかけないということで、削 減された一四〇〇万円の半分をボイラ ーの更新資金に充てて、残りの半分で 図②
図③
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二〇キロ、南北三〇キロでほぼ東京二 三区と同じで、その九割が森林です。 そのうちの八五パーセントが国有林で す。町は一九五三年に国から山を買い
まして、それ以後も、一九九四年から 二〇〇三年までの一〇年間に一九〇〇 ヘクタールほどを国から買っています (図②) 。 愚直に森を植やし続けて半世 紀という町です。 なぜそのようにしてきたのかといい ますと、働く場所の継続性を確保する ためです。国から山を買って木を植え ても、それが一年で終わってしまえば 仕事がなくなってしまいます。継続す ることが大事です。山に木を植え、間 伐します。間引きした材は木炭化する など多種多様の用途があります (図③) 。 図にあるのはまさしくローテクですが、 ローテクなりのイノベーションがあっ て、雇用の場が確保されています。 恵まれた森林資源を使って、二〇〇 二年から、以前は化石燃料を燃やして いた施設を木質バイオマスボイラーで 木くずを焚く施設に変えてきました。 計画的に公共施設に入れてきていて、 油を燃やすより木くずを燃やした方が 図①
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二〇一二年一二月に、豊かな森林資 源に囲まれ、その資源をもとに心豊か な生活が送れる町を目指そうというこ とで、 「森林未来都市しもかわ」という 図⑥
認定を国から受けました(図⑤) 。住ん でよい町、 住み続けたい町というのは、 働く場所があって、環境がよくて、さ らに高齢社会に向かっていくなかでは、
コミュニティがしっかりしていること が大切です。これらの三つの要素が一 定程度向上して、魅力あるものでなけ れば住みたいということにはなりませ ん。下川町では、この三つの要素の向 上を図り、人とものと資金が集積され ていって好循環をおこしていくという ことを目指すモデルを提示しています。 そのような町を支える基盤としては、 頭脳、インキュベーション、資金など がありますが、地域社会のイノベーシ ョンをおこすには連携が極めて重要で す(図⑥) 。その一つが企業との連携で す。日経BP環境経営フォーラムには 一八〇社ほど加盟していて、そこと連 携を結んで企業のツアーを開催するな どして、企業との連携を密に取ろうと しています。また学術界との連携も図 っています。北海道大学サステイナビ リティ学教育研究センターとの協働で さまざまなことを進めています。さら に、 自治体・地域コミュニティ同士で、 図⑦
101
中学生までの医療費を無料にし、二歳 児までにかかる費用を年間三万六〇〇 〇円を負担し、また不妊治療の経費を お支払いするということをしています。
図④
図⑤
100
103
図⑩
たとえば東京都港区、横浜市戸塚区と 連携を図っています。 価値の共有化も進めています (図⑦) 。 下川町の森林資源には二酸化炭素の吸 収効果があります。音楽家の坂本龍一 さんが代表を務めるモア・トゥリーズ
と協定を結び、また日本野球機構とも 協定を結んで、資金を下川町の森づく りに還元していただくということを行 っています。現在一億四〇〇〇万ほど の資金が確保されて、森づくりに還元 されています。
図⑧
最近日本各地で課題となっているの が限界集落です。下川町にも人口一四 〇人ぐらいの集落があって、そこを再 生・再興しようというプロジェクトを 進めています(図⑧) 。分散して住んで いるご高齢の方に若い人たちも加えて
図⑨ 102
図⑪
105
図⑫
集住化を図り、木質バイオマスでエネ ルギーを自給するという取り組みです。 地域食堂をつくって、若い人とご高齢 の方が一緒に食事をしたり、コミュニ ケーションを図ったりする場を創設し ていくことを進めています。高齢社会 を迎えるに当たって限界集落の問題に 対処する一つのモデルではないかと思 っています。 住む環境はハードの整備でできます が、住み続けるには生業・産業がなけ ればなりません。森林資源、地域資源 を活かしての取り組みを進めています (図⑨) 。 一つは製紙会社の王子ホール ディングスと協定を結んで、新規事業 として医療植研究室を誘致しました。 薬木・薬草が新しいビジネスの基盤に なればと思っています。もう一つは、 森林のコンテナ苗です。オールシーズ ン植えられるように、コストも削減で きるような取り組みをしています。 住む条件が整って産業があれば限界
集落の打開も可能になります。下川町 のお金の流れを、ヒヤリングしながら 調べました (図⑩) 。 三五〇〇人の町で、 域内の生産額は二一五億円です。域内 五二億円の赤字です。外からのお金は 農産物や林産物を売ることで入ってき ます。出ていくのは主にエネルギーの 部分で、化石燃料が七億、それに電気 が五億円で、合わせて一二億円です。 これで赤字部分の二三パーセントです。 これらを内部化できないかと考えてい ます。一二億円で地域の資源を使った エネルギーの自給を図るのです。エネ ルギーの自給はそれが目的ではなく、 エネルギーの自給を通して山の管理を 促進するのが目的です。それによって 働く場所ができます(図⑪) 。そのチャ レンジをいま進めていて、公共施設の 四二パーセントは再生エネルギーでま かなっています。 そのようにして地域の資源の価値化 を進めていこうとしています。空気や
水も資源として定量的に評価していき たいということで、昨年の一二月一二 日に、 「下川町自然資本宣言」をして、 取り組みを始めました(図⑫) 。住民に 対してアンケートを含めたヒヤリング をして、下川町オリジナルの炭素の会 計制度を導入しています。炭素本位制 ということをいっているのですが、環 境にいい暮らしをすると、地域で生活 ができるシステムをつくろうとしてい ます。 こうしたものをトータルで豊かさの 指標を出して、一つの基準にしていこ うという取り組みもしています。豊か さ指標を毎年評価して、より豊かな町 へと向かって進めていくのです。その 一方で、地域における循環型社会をつ くるためのファンドをしっかり確保し て、できるだけ補助金に依存しない主 体的な地域を形成していくことを考え ています(図⑬) 。さらには、知の拠点 をつくろうともしています。町が発展
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図①
とをお伝えしたいと思っています(図 ①) 。 まず、どういう会社なのかといいま すと、自動車リサイクルの会社です。 自動車リサイクル業が、どうしてこの ような森のなかに会社を創ろうとして いるのか、先ずその理由をお伝えした いと思います。 自動車は今、世界中で一〇億七〇〇 〇万台ほどあるといわれています。自 動車の年間の生産台数は正確に把握さ れていて、八四〇〇万台です。そのう ちトヨタが一〇〇〇万台近くで、日本 は世界最大の自動車生産国です。生産 された自動車のうちの何台が使用済自 動車、廃車になるのかといいますと、 実は正確な数字はわかっていません。 日本のような先進国でははっきりわか るのですが、途上国の多くでどのよう に自動車を廃棄するのか決められてい ません。いくつかの資料から廃車率を 割出し、毎年約四〇〇〇万台の車が廃
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図⑬
するための基盤を整備して、価値創造 のための取り組みを進めています。輝 く森林のなかに日本の未来が見えると 確信して進めているところです。
仲上 どうもありがとうございまし た。人口三六〇〇人の北海道で最も寒 い下川町でこのような立派な取り組み が行われていることに皆様も感動され たことと思います。 それでは報告の最後として、会宝産 業の鶫様、よろしくお願いします。
地方から世界に発信
鶫 会宝産業という社名ですが、漢字 で書きますと宝に会うということで、 そのまま英語に直訳するとミーティン グ・トレジャー・カンパニーとなるで しょうか。 今日のプレゼンは一枚の絵をご覧い ただきながら、皆さんにいくつかのこ
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ルに関する法律やシステム、技術を学 ぶためです。 こうしたことを続けて、途上国で自 動車リサイクルの新しい産業をつくろ うとしています。静脈産業という言い 方をしますが、人間の体の動脈と静脈 の仕組みを産業にも取り入れようとい うことです。ものを作る生産の場や、 それを使う部分は、 人間の体でいえば、 栄養分を摂取し酸素を取り込んで全身 に送り込む動脈に相当します。自動車 産業ではトヨタや日産やホンダが動脈 産業です。使い終わった後に元に戻す のが静脈産業です。自動車リサイクル 業はまさに静脈産業です。静脈産業が あって、循環ができて産業が初めて地 球のシステムに合うようになります。 いままでの産業は動脈と静脈がつなが っていなかったので、むしろそれがお かしなことだったのです。循環してい るのがまさしく持続可能な産業構造で す。
この新しい自動車リサイクル工場の 目指すものは、リサイクルの量ではな く、質を追求します。リサイクル率で みますと、日本は行き着くところまで 行ったといってもいいでしょう。法律 が 定 め て い る A S R ( Automobile /シュレッダーダ Shredder Residue スト)のリサイクル率七〇%を超え、 九〇%に達しています。一・一トンの 車は九九パーセントリサイクルされて、 ほとんどごみになりません。ただし問 題はあります。鉄が約七〇〇キログラ ムぐらいあって、そのうち一七〇キロ から一八〇キロは、希少金属を添加し たいわゆる特殊合金です。有名なとこ ろでは、ネオジム磁石があります。ネ オジムやジスプロシウムは貴重なレア アースで、中国から輸入しています。 現状では、ネオジムの入った合金もボ デイの鉄と一緒にリサイクルしていて、 質のそれほどよくないH鋼といわれる 構造材にしかなりません。そうではな
くて、特殊合金から特殊合金へのリサ イクルをわれわれは目指しています。 大学や特殊合金メーカーとコンソーシ アムを組んで、特殊合金から特殊合金 をつくろうとしています。リサイクル の質を追究することに依って付加価値 を生み出す静脈産業が自動車リサイク ル業の進むべき一歩です。 図には、ゆとり生活ゾーン、エネル ギー生産ゾーン、農産物育成ゾーンな どいろいろなことが書いてあります。 自動車リサイクルの工場なのですが、 エネルギーは基本的に自前でやろうと しています。ソーラー、風力、バイオ マス、それに自動車からは一台につき 廃油が二キロから三キロぐらい出ます。 会宝産業では年間に約一万四〇〇〇台 扱っていますから相当な量の廃油が出 ます。この廃油を今までは費用を払っ て処理してもらっていたのですが、今 は廃油ボイラーの燃料にします。 そのようなことも含めて、この工場
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車されると推計されます。差し引き一 年に約四四〇〇〇万台の自動車が増え ている計算になります。 では廃棄される四〇〇〇万台の自動 車がどのように処理されるのかといい ますと、日本やEUでは割と正確にわ かるのですが、途上国では数字もない 状態です。 われわれは、 ナイジェリア、 ケニア、コンゴ民主共和国、あるいは ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、 コロンビアなどの国々の方々とのセミ ナーを通して、現地の数字をある程度
把握しました。先進国で二六〇〇万台 が廃車になり、途上国で一四〇〇万台 ぐらいが廃車になります。この一四〇 〇万台はどのようになるのかが問題で す。いろいろな途上国へ行きますと、 おおむね不法放置されています。空地 があればそこに捨てられているのが現 状です。それによってさまざまな問題 が出ています。政府・行政はきちんと したリサイクルシステムをつくって、 いまはスカベンジャーのような不法な 業者が処理しているのを、きちんと認 可されたリサイクル業者が処理するよ うにしようとしているところです。 私ども自動車リサイクル業の会宝産 業は、この一四〇〇万台の車をごみで はなくて資源にするために、国際リサ イクル教育センターを運営しています。 職業人訓練センターで、私はそこのセ ンター長をしています。 国際リサイクル教育センターでは大 きくは二つのことをしています。一つ
は国内の自動車リサイクル業の資格認 定制度です。自動車リサイクルは、以 前は解体業といっていましたが、決し て解体をするのが仕事ではなくて、自 動車の三万点ぐらいの部品からいかに して価値あるものを取り出すかという のが仕事です。技術と知識を必要とす る仕事で、それを行う人たちの技術や 知識を認定するのが資格認定制度です。 もう一つが、途上国における使用済 自動車への対応です。途上国における 廃車の問題は非常に深刻です。われわ れの国際リサイクル教育センターに、 JICAのプロジェクトを通して途上 国から研修にきます。二〇一三年には ナイジェリアからは政府関係者が一四 名、二週間程度の研修にきて、それか ら八名が三カ月間の技術研修にきまし た。彼らは技術研修をしてマニュアル をつくりました。コンゴ民主共和国か らは、国立職業訓練大学校の教官の人 たちが八名きました。自動車リサイク
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りましたが、サステイナビリティ学に どのようなことを期待するかです。
つなぐということ 仲上 まず渡辺さんに、佐渡市で成功 した要因について改めもう一回、ポイ ントを挙げていただければと思います。 渡辺 私ども行政としての大きなポ イントは、つなぐということにあった のだろうと考えています。佐渡には金 山の歴史があり、トキの保護の歴史が あります。それを踏まえて、農業のあ り方、生物多様性のあり方にどのよう にして架け橋を架けるのかということ にわれわれは取り組んできました。二 〇〇八年から行政が農家の皆さんに伝 えてきたのは、トキが生きることがや はり大切でしょう、トキが生きるには 農家の皆さんの役割が大切なのですと いうことでした。実は、正直申し上げ
て、そのようにいっていながら、われ われはよくわかっていなかった部分が あります。二〇一〇年に生物多様性条 約のCOP があって、SATOYA MAイニシアティブが始まりました。 そこでいろいろな知識をいただいて、 農業の危機とトキの野生復帰とつなが って、地域の皆さまにそのことをうま く伝えられるようになって、全体がつ ながるようになっていったのです。
後始末の心 仲上 続いて会宝産業の鶫さんにお 願いします。世界七一カ国と連携する ようになるには、動脈系・静脈系の垣 根を払拭して新たなコンセプトをつく られてきたことがあったと思いますが、 そのあたりをもう少しご紹介いただけ ればと思います。 鶫 二〇一〇年に、JICAのプロジ
ェクトで、中南米四カ国から一四名が われわれのところにきて、三週間の研 修に参加しました。そのなかの一人が ブラジルの大学の先生でした。彼は研 修を通じて、静脈産業、都市鉱山がこ れからの持続可能な産業の実践には非 常に大事だということを理解し、ブラ ジルで本を出しました。これからの産 業は、日本がやっているように、使用 済みのものから新たな価値を生み出す ということをすべきだという趣旨です。 ブラジル人にとって新しい発見だった ようです。彼は、静脈産業を取り入れ た工場をミナスジェライス州につくる ということで動き始めています。 静脈と産業を一つにした言葉「静脈 産業」が世界に向けてインパクトをも つように、 日本人の考えていることが、 世界を変えていく元になるようなこと がたくさんあると思います。「もったい ない」という言葉を、ノーベル平和賞 を受賞したワンガリ・マータイさんが
111
10
は世界にどこにもない自動車リサイク ル業の最先端工場だということで、途 上国だけではなくて、さまざまな国か ら、自動車リサイクルを学びにくるこ とになります。 会宝産業は石川県金沢市にあります が、世界の七一カ国と貿易をしていま す。なぜ金沢の田舎にあって世界の七 一カ国と貿易ができるのかというと、 使用済み自動車のエンジンをリユース しているからです。日本車のエンジン はきちんとメンテナンスすれば五〇万 キロから六〇万キロは走れるように設 計されています。世界で最もすばらし いエンジンです。日本では一〇万キロ ぐらい乗ると結構乗ったということに なり、平均一三万キロで廃車にしてい ます。したがってエンジンはまだまだ 走れます。このエンジンを会宝産業は 輸出しています。日本のような道路の 状態のいいところではエンジンはそれ ほど劣化しませんが、途上国では道路 が悪いのでエンジンが壊れやすくて取 り替えます。今までは中古エンジンは 当たり外れがあるのは仕方がないとい うことだったのですが、使用済エンジ ンの規格として、 われわれはBSI (英 国規格協会)からPASという規格を
取 りまし た。 PAS とは Publicly で要は公開仕 Available Specification 様書です。われわれは去年の一〇月に PASの777というナンバーを取得 して、これを使用済エンジンのマーケ ットの一つの標準にしたいと考えてい ます。取得までに五年から六年ほど研 究して、ようやく標準の仕様企画書を つくったのです。 地方の企業でも国を超えて海外の国 と直接にいろいろなことができる時代 になりました。会社がどこあるかとい うロケーションはあまり関係なくて、 要 は 世 界に何を 発 信する かで す 。 シンク・ Think Globally, Act Locally グローバリー・アクト・ローカリーと
いいますが、地方からアクションをお こすことが可能な時代になっていると いうことです。
仲上 ありがとうございました。 それでは、時間が少なくなっていま すが、 議論をしていきたいと思います。 論点は二つあります。一つは、地域の 社会システムの変革、つまりイノベー ションはどのように進めることができ るのか。今日の四つの事例報告は日本 を代表する成功例といっていいと思い ます。 簡単に成功できたわけではなく、 涙ぐましい努力があってのことです。 サステイナビリティ学がさらに進化し て社会的実装に向かっていくというこ とが午前中からたびたび出ていますが、 地域の持続性をどのようにして図って いくのかが一つ目の論点です。 もう一つは、先ほど、サステイナビ リティは環境にハイジャックされてい るのではないかという過激な発言があ
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であるということが常に頭のなかにあ るのではないかと思います。財政的に も厳しいなかでさまざまなアイディア を生み出して、サステイナビリティを 実現されようとしています。そのとき に重要なのは人材ではないか思います が、優れた人材を下川町に呼び寄せ、 下川町で暮らしたいと思うようになっ てもらうのに、どのような工夫がある のか、何が大事であるのかご紹介いた だきたいと思います。
春日 生物の多様性ではありません が、地域が活性化する一つの要素とし て、人の多様性も必要ではないかと思 っています。 人の多様性を高めるには、寛容であ ることが極めて重要です。下川町は、 古くは三井の金山、三菱の銅山があっ て、企業城下町的なところがありまし た。現在の下川町にとって、外の人た ちのいろいろな意見を受け入れる寛容
性が一つの大切な要素だと思っていま す。それによってイノベーションがお こって、さらに外から人材がどんどん 集まってくるような好循環をおこして いけたらいいと考えています。 ちなみに私どもの森づくりは森林組 合が担っていて、現在七〇名ぐらいが 働いています。そのうち約六割が都会 からきた人たちです。働く場所があれ ばすぐに働きたいとエントリーしてい る人が二〇から三〇人います。私ども の役場では、毎年五名ほどを外に出し ています。約一七〇名の職員から、五 年間続けると二〇人ほどが東京、京都 など全国に出ていっているのです。こ のような外との交流を大切にしていき たいと考えています。
仲上 日本を代表するいろいろな成 功例をご紹介いただきましたが、ドラ イアッパ先生からは、先ほどのご報告 でミスマッチというキーワードが出さ
れました。 先生のご視点から見られて、 いまの四つの事例がどのようなミスマ ッチを克服したのか、ご感想をいただ きたいと思います。
グローバルな変化と地域
ドライアッパ ただでランチを食べ させていただいて、それですむとは思 っておりませんでしたので、ここでコ メントをしなければいけないのは承知 しております。 四つのケーススタディがありました。 伺った印象を申し上げたいと思います。 まず制度的な面についていろいろ出て いました。たとえばトキの野生復帰で は、米づくりに対する補助金や、地方 自治体や国の機関によるサポートがあ りました。 そのような制度に関連してすぐに思 い浮かぶのは、米の輸入に関する障壁 を取り除こうとする動きのあることで
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かなり広めましたが、私たちは、 「後始 末」という言葉がいいのではないかと 考えています。ものをつくって使った ら、その後始末をする。われわれは自 動車リサイクル業で、エンジンを輸出 したりリサイクルの工場をつくったり していますが、それで儲かるからとい う勘定だけでしているのではありませ ん。きちんと後始末をしようとしてい るのです。そのようなことをいうと、 外国の方もよく理解してくれます。 われわれが当たり前のように思って いることでも、世界に発信すると非常 に面白い輝きを放つことがあります。 私たちとしては、自動車リサイクル業 を通して、そのもとにあるわれわれ心 の部分を伝えていきたいと思っていま す。
仲上 ベトナムの工場で「整理整頓」 とベトナム語で書いてあるのをみたこ とがあります。発音が「せいりせいと
ん」なのです。日本の言葉を学んだの だと聞きました。 いまうかがっていて、 「後始末」はサステイナビリティの一 つの極意ではないかと思いました。
企業と地域の連携 仲上 次に大林組の蓮輪さんに、大林 組が地域との連携に地道に取り組んで おられることについて、どのようなイ ンパクトを受けられたかといったこと をご紹介いただければと思います。 蓮輪 私どもでは「グリーンビジョン 二〇五〇」を掲げていて、低炭素化を 実現するには、省エネだけでは決して 達成できなくて、エネルギーをつくる ことも含めてゼロにするZECの概 念・理念を導入しています。創エネル ギー事業者として地域でエネルギーを つくるには、 その地域の地方公共団体、 いろいろな事業者、市民の皆さまと長
いお付き合いを前提とした企業活動が 必要になってきます。建設業は、国内 外問わず地域の地方公共団体、企業の 方々とのお付き合いはこれまでもあっ たわけですが、いままでにも増して、 地域とのつながりを大事にしていくこ とを戦略として掲げています。 事業をおこそうとすると、ついつい 大きな規模のものを目指しがちで、経 済的にもその方が合理性があるのです が、太陽光発電事業では二メガないし 二・五メガぐらいのそれほど大きくな いものを、日本の国内のいろいろな場 所で展開していこうとしています。地 域との連携をより密接にして再生可能 エネルギー事業に取り組んでいるとい うのがいまの実態です。
人の多様性
仲上 次に下川町の春日さんにお願 いします。人口三六〇〇人の小さな町
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決していくのでしょうか。関係者どう しでどのようなやりとりをするのか、 社会的なダイナミクスについては、プ レゼンテーションのなかにはなかった ように感じました。将来的にはそのよ うなところをもカバーしていただけれ ばいいのではないかと思います。
仲上 ありがとうございます。重要な ご指摘をいただきましたので、佐渡市 の渡辺さんから、TPPとかWTOで グローバルなインパクトがあった場合 に、一瞬にして地域が呑み込まれてし まうのではないかということに対して、 どのように考えられているのかお答え いただけますでしょうか。 渡辺 そのことはわれわれもかなり 議論しています。日本のお米は、生産 者の手取りとして、一俵約六〇キロで 九〇〇〇円ぐらいが限界だといわわれ ています。輸入されるコメは一キロ一
三〇円とか一四〇円ぐらいですから、 一俵七、八〇〇〇円ぐらいです。大量 に入ってくるとさらに下がる可能性も あります。非常に厳しい数字です。も しもコメ農家を守るのが難しいという ことになると、佐渡からトキは再び失 われてしまいかねません。 いま朱鷺の郷米は通常のコシヒカリ よりも一五パーセントぐらいは高く売 っています。多少高くても、その価値 を理解していただけると買っていただ けます。 価値とは、 生物多様性の保全、 里山の保全、鬼太鼓のような文化の保 全とコメの生産がセットになっている ということです。われわれが生き残る 戦略はそこにしかないと考えています。 つまり、価値をどのようにして伝えて いくのか、そこが非常に重要なポイン トです。五年後の戦略に向けて、いま 新しい佐渡のファン、ともに山を守っ ていける人たちを一人でもつくってい くことが喫緊の課題だと考えています。
仲上 どうもありがとうございます。 アナンサ先生にもぜひ佐渡に行って、 強力な味方になっていただきたいと思 います。
リサイクルのコスト
仲上 リサイクルのコストについて のコメントもありましたので、鶫様か らお答えいただければと思います。
鶫 確かにリサイクルにはコストが かかります。その多くは、鉛や重金属 などリサイクルしにくいもの、あるい は危険なものが必ず含まれているから です。 リサイクルのコストを下げるには、 まずは回収システムをつくることです。 きちんとした回収システムができれば コストは相当下がります。 コストが上乗せされているというこ
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す。日本の米はいまは守られているの ですが、海外からコメが日本に安く入 ってくるようになれば、米づくりの競 争が激化するでしょう。そのときに佐 渡の農民の方々にどのような影響が出 てくるでしょうか。 貿易の制度はWTOのような国際政 治のなかでマクロレベルでの議論がさ れていて、輸入障壁が撤廃されていく 方向に進みつつあります。それがロー カルなレベルにどのように影響してい くのか、環境にどのように影響してい くのか考慮しなければいけません。行 政が生物多様性と農家の役割の橋渡し をするという話がありましたが、グロ ーバルなレベルで制度が変わっていっ たときに、地域はどのように受け入れ ていったらいいのでしょうか。国のレ ベルでも地域のレベルでも、変化に対 応して制度をどのようにデザインして いくのか、難しい問題があると思いま す。 先ほど私は認知的不協和ということ をいいました。下川町では寛容性が大 切だという話がありました。さまざま なステークホルダーの間での価値観の 相違をどのようにとらえていったらい いのでしょうか。 社会が実験して、 人々 の振る舞いの試行錯誤を通して、新た な視点を獲得していくしかないのでは ないかと思っています。先を見通すこ とは難しいです。さまざまな実験的な 試みによって、人々が大切にする価値 がどのように変わっていくのか、そし て振る舞いがどのように変わっていく のかを観察するのです。その過程で、 どの要素にどのような影響が及ぼされ るのかをみるのです。 佐渡で、GIAHSについて詳細に お話をいただきましたが、保護のため の保護、 保全のための保全ではなくて、 人の活動を真中において、人にインセ ンティブを与えて、トキと共生する地 域をつくっていこうとしています。G
IAHSがツールとして使えるという ことを示されました。非常にすばらし い例だと思います。 金沢市のリサイクル業の話は非常に 興味深いです。エネルギーの効率を考 えたときにリサイクルは重要です。こ こでの私の疑問は、リサイクルのコス ト、経済性です。リサイクルは収益を 上げるようになってきていますが、こ れは意図的に新たな需要を喚起するた めにコストが上乗せされているのでし ょうか。インドでは日本よりも二倍も 三倍も長く車を使っています。日本で 一〇年で買い替えるのなら、インドで は二〇年以上も乗っています。長く乗 っているのはリサイクルの観点からは いいことなのでしょうか。 価値のシステムにも目を向けなけれ ばいけないと思います。リサイクルは したくないという人だっているかもし れません。自動車のリサイクル計画に 反対する意見があったときにはどう解
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くなりましたことをお詫び申し上げま す。 全体と通じて今日は非常にすばらし い議論ができたのではないかと思いま す。ご参加くださいました皆様、会場 の皆様、どうもありがとうございまし た。 ■閉会挨拶
武内和彦 たけうち かずひこ
司会 仲上先生、パネリストの皆様、 どうもありがとうございました。 それでは最後に、国際連合大学上級 副学長、武内和彦より閉会のごあいさ つをさせていただきます。
大学、自治体、企業、NGOなどの方々 に参加していただいて活動を続けてい ます。第二部のパネルディスカッショ ンでお話してくださった多くの方がS SCの会員です。 SSCは国内の組織ですが、東京大 学サステイナビリティ学連携研究機構
国際連合大学上級副学長、 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構機構長
私はこの会議の主催団体であるサス テイナビリティ・サイエンス・コンソ ーシアム(SSC)の理事している関 係で、このシンポジウムの企画段階か ら、いろいろな方々とご相談するなど して関わってきました。SSCはサス テイナビリティ学に関心をもつ日本の
(IR3S)と国連大学は、サステイ ナビリティ学の国際的な展開を推進し ています。その活動の一つに、国際サ ステイナビリティ学会が主催するサス テイナビリティ学国際会議があります。 昨年はフランスのマルセイユ、エクサ ンプロヴァンス、およびパリで国際会 議を開催しました。パリの会議では、 ユネスコと連携しながら、サステイナ ビリティ学はどのようものであるかと いう議論をしました。そのなかで、ユ ネスコの二つの大きな組織、自然科学 部門と人文社会科学部門は、サステイ ナビリティ学、あるいはサイエンス・ フォー・サステイナブル・デベロップ メントのもとに統合することが可能な のではないかということが議論されま した。その議論の内容は今日のシンポ ジウムにも反映されています。 また、OECDと連携して、OEC Dグローバル・サイエンス・フォーラ ムにおいて、生物多様性・生態系サー
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とでは、日本では自動車リサイクル法 によって、預託金として一万円前後払 うようになっています。いろいろな国 でリサイクルコストを払うようになれ ばリサイクルはうまくまわっていきま す。使用者は使い終わったら終わりで はなくてリサイクルにも責任があると 思います。拡大生産者責任(EPR) というのがありますが、消費者にも同 じように拡大消費者責任(ECR)の ようなものがあると、都市鉱山がうま く回っていくように思います。 コストについてもう一点、実はリサ イクルしない方がいいものもあります。 TMR( Total Material Requirement ) あるいはエコリュックサックという指 標がありますが、その指標の高いもの はもちろんリサイクルしなければいけ ません。金、白金、銅などは非常に指 標が高いものです。鉄はひょっとした らリサイクルしない方がいい場合もあ ります。何でもかんでもリサイクルす
る大量リサイクルは必ずしもよいとは いえません。 いろいろな手法を使って、 適切にリサイクルすることが大切です。 ついでながら、イチゴの話がありま したので、一つご紹介しておきます。 会宝産業は廃油がたくさん出るもので すから、廃油ボイラーを使って持続可 能なトマトをつくっています。すべて のハウス栽培がエネルギーを大量に消 費しているわけではないと思います。
大企業と地方都市 仲上 では、下川町の春日さんに伺い ます。かつて下川町は大企業の城下町 であったということでしたが、現在の 持続可能なまちづくりにいろいろなス テークホルダーが参加するなかに大企 業は入っていなかったと思います。も しももう一回大企業が下川町にきた場 合にはどのように変わるのかといった 議論はあるのでしょうか。
春日 企業にもいろいろあります。私 どもとしては、企業であっても、他の 地域の都市であっても、しっかりとし た連携を築けるかどうかが大切である と考えています。地域の富を大きな企 業が収奪していくという構図は、昔と 違ってなくなってきていると思います。 企業と地域が価値を共有してやってい くという流れになってきています。大 林組さんにおかれても、地域との連携 を真剣に考えておられるということで した。私どもとしては、企業が大きい 小さいではなくて、価値を共有してウ ィンウィンの関係を築いていけるかど うかで、お付き合いをさせていただく という基本的な考え方でいます。
仲上 ありがとうございました。 残念ながら、ここで時間がきてしま いました。フリーディスカッションが 予定されていましたが、それができな
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そのことを踏まえて、 今回はユネスコ、 OECDといった科学技術政策対話の 担い手である組織の方々にもご参加を いただきました。JSTには、国際的 な科学技術政策対話は、国や国際的な 組織だけではなく、もっといろいろな 主体が参加することでより実りあるも のになるということを申し上げました。 また、 サステイナビリティに関しても、 いろいろな主体が参加することで、実 際の社会の問題を解決する方向でより 実行性をもつようになるということも 申し上げました。そのような私どもの 考え方が今日の全体構成に色濃く反映 しています。 おかげさまで、今日は大変有意義な 議論ができたと思っています。 ユネスコと連携して行った討論では、 サステイナビリティ学のキモは何かと いうことを議論しました。そのときに 得られた一つの答えは、サステイナビ リティ学はその本質において科学と政
策そして社会の三つをつなぐインター フェイスであるということです。その ことについて合意できたのは、ユネス コにおける会議の一番重要な成果であ ったと私は思っています。今日はいろ いろな実例を伴った議論ができて、ま さしく科学、政策、社会のインターフ ェイスであることが確認できました。 私にとっては非常に大きな成果であっ たと思っています。従来は科学と政策 のインターフェイスであるということ がいわれていましたが、さらに社会が 加わったのがサステイナビリティ学の キモであるという認識に立って今後の 議論をさらに進めていきたいと考えて います。 来年の一月には、サステイナビリテ ィ学の国際会議をここ国連大学で行い たいと思っています。それに向けSS Cとしても活動を続けていきます。来 年また皆様にご案内申し上げますので、 この場にご参加いただければ大変あり
がたいと思います。 今日は最後まで長時間にわたってこ のシンポジウムに熱心にご参加いただ いてありがとうございました。
司会 以上でシンポジウムを終了さ せていただきます。本日は長時間にわ たりご静聴いただきありがとうござい ました。なお、ご記入いただきました アンケートは、受付の係の者にお渡し いただくか、備え付けの回収ボックス にお入れください。
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ビスに関する先進国と途上国の間の科 学技術政策対話をどのようにして推進 していくのかという議論をしました。 そのような国内、国外の活動をつな いで、この分野における今後の発展を 期すというのが今日の大きな狙いでし た。当初は、国際的な活動の議論と、 国内の活動の議論には大きな隔たりが あるのではないかという危惧がありま した。しかし、全体を通して今日の議 論は大変進んだと思っています。 その一つのポイントが、サステイナ ビリティ学が社会実装という段階に入 ってきたことにあると思います。 従来、
地球環境の議論は国際的な場で議論さ れ、気候変動枠組条約でも生物多様性 条約でもそれに加盟している国が発言 権をもっていました。それに対して、 日本の国内でも、あるいは海外でも事 情は同じだと思いますが、実践の場に おけるサステイナビリティの問題は、 国のレベル、あるいは地方自治体のレ ベルだけで担えるものではなく、もっ と多様な主体が参画していかないこと には、社会実装につながっていかない という状況になっています。 「リオ+ 」の場で非常に強く認識 したことがあります。それは、国連と その加盟国が地球的な課題について議 論をしてある取り決めをし、それを実 行に移すというだけでは限界がみえて きたということです。 「リオ+ 」で は、加盟国が議論している土俵の外側 で、いろいろな主体が、女性の団体も あれば民間企業の団体も、少数民族を 代表する団体も、学術界もありました 20
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が、サステイナビリティを実現してい くことが重要であるということを大き な声で主張していました。多様な主体 の活動を通じて、サステイナビリティ の重要性が深く認識されたことが、「リ オ+ 」の公式のドキュメントを超え た大きな成果であったのではないかと 考えています。 今日のここでの議論が非常によくつ ながったのは、 国際的な場での議論と、 地域での議論が、実はサステイナビリ ティを巡って同じ精神によって支えら れているからではないかと思います。 ところで、このシンポジウムは科学 技術振興機構(JST)からご支援を 受けています。そのようになって二回 目ですが、実は前回はJSTからお叱 りを頂戴しました。このシンポジウム は国際的な科学技術政策対話に資する ものでなければいけないのですが、私 どもがやや民間、あるいは地方行政に 偏りすぎているというご指摘でした。
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合では、それらを克服してコンセンサ スを築いていくしくみが不足している ことが、対立を余計に深刻化させてい るとの指摘がありました。 そして、 国、 広域、および地域の統治機関の間でな されるさまざまな規模での政治的意思 決定の架け橋となるしくみが必要であ ることが専門家の意見として出されま した。
ディスカッションでは以下のような さまざまな論点が提起されました。 (1) 三陸復興国立公園の設立理由が、 復興および美観の保全にとどまらず、 地域の発展を刺激することにあるのは 明白である。コミュニティや国の経済 発展だけではない発展の側面を測る手 段を進歩させて、より包括的な福利の アセスメントを考慮していくことが肝 要である。 (2)被災地の生態系サービスにレジ リエンスを構築することは復興に不可
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報告
国際的な専門家と 東北の被災者との対話
サステイナビリティ・サイエンス・ コンソーシアム(SSC)は、東日本 大震災の影響を受けた諸地域の復興に 寄与すべく力を注いできました。二〇 一四年一月二三日には、専門家を招待 して気仙沼を訪れ、被災地関係者との 会合をもちました。専門家は、国際機 関(UNESCO、OECD、IHD P)を代表する方々と、環境省の関係 者、および東京大学、国連大学、立命 館大学、東北大学の学術研究者や学生 でした。 訪問に先立って、前日には、東北大 学で専門家会議を開き、復興の取り組 みについて議論するとともに、被災地 にレジリエンスを構築する可能性を探 求しました。 気仙沼では、被災地の復旧をさらに 進めて再活性化に至るべく地域レベル で活動している三つの組織の代表者と 専門家グループとの間で実りある議論
がかわされました。 大震災が発生する前からも、東北地 方は経済的、社会的な衰退傾向にあり ました。復興は難題であっても、チャ ンスにつながるとも考えられています。 地震前から、地域にはサステイナブル な慣行とそうでない慣行とが存在して いましたが、復興に当たっては、サス テイナブルとはいえない慣行にまた戻 るのではなく、慣行を改善することが 望ましいといえます。将来をめぐる優 先順位を巡って、サステイナビリティ や安全性を重視するか、経済的・社会 的発展を重視するかで、対立が存在す るのも事実といえます。工学的なソリ ューションに重点を置くか、社会環境 的なレジリエンスの構築を優先するか といった考え方の違いがあります。さ らには、世代間対立(従来の物事の進 め方を好み、従来の状態に戻りたい層 と、長期的視野に立って今後の地域発 展を立て直したい層)もあります。会
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(5)何人かの専門家は、今後の行動 の道筋を決定するうえで、参加の度合 いがより高いプロセスを開発する必要 性を指摘した。特に強調されたのは、 複数の利害関係者と広い世代にわたる 堅牢な参加型メカニズムを確立し、意 思決定とガバナンスを行うことである。 この文脈では、将来計画に関連して次 のような疑問が浮上した。 ・ガバナンスの面で次に取るべきス テップは何か。 ・責任の落としどころはどこなのか。 次のステップにはどのように対応 するのか(誰が意思決定を行うの か) 。 ・参加型メカニズムを組織するのは 誰か。 (6)将来分析においては、復旧とレ ジリエンスという二つの大いに異なる 概念を区別することが重要である。復 興とリスクマネジメントも同様である。 (7)日本国自体が非常に高いレジリ
エンスを備えた社会であることが指摘 された。その理由の一つは日本が豊か な社会であることだ。サステイナブル な漁業やエコツーリズムの発展といっ た面における日本型モデル、あるいは 人口減少と高齢化社会への対処におけ る日本型モデルが出されたときに、他 地域に転用できるかは問題があるとも いえる。日本国内でも、防潮堤とレジ リエンスの議論などが、国内の他の危 険地域に転用できるか検討することも 重要である。 (8)減災戦略は科学の進歩と不可分 に結びついているとの指摘があった。 このことから東北地方の将来計画に関 して喚起する疑問には次のようなもの がある。早期警告メカニズムの点に関 して科学界が取るべき次のステップは 何か。警告システムが一貫して保守的 になりつつあることが示す意味は何か。
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欠な要件である。ただし、空間的な境 界をどこに引くかというのは重要な課 題である。局地的な規模で供給される サービスがある一方で、国際河川や流 域といったより広い空間で供給される サービスもあり、さらには地球全体に 及ぶサービスもある。 (3)レジリエンスの構築、そしてサ ステイナビリティの実現に向けては、 複雑な問題に対する解決策を模索して くことになるのだが、その際に、研究 者は参加型アプローチに向かって動き つつある。トップダウン型アプローチ に基づいてコミュニティの「未来を設 計する」構想といった言葉を使わない ように留意することが求められる。 (4)広範な参加型アプローチの導入 によって、行動の選択に価値観がどの ように影響するかといった問題もある。 東北地方沿岸部の資産の経済評価は、 今後の施策に対するひとつの指標、根 拠にすぎない。
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いたり、夜泣きを繰り返したりして、親を 困らせる「虫」 (子どもと親の敵) 。 ・ 「獅子身中の虫」 :仲間でありながら、仲間 を裏切る者の譬えとして用いられること が多いが、元来は、自身を破壊する「虫」 (自身を破壊するものが自身の中にある ことを意味する) 。 心身の不調を「虫」によるとする見方の「虫 因」観は、江戸時代に盛んになり、心身の不調 が「虫因」性の変調なので、 「虫」という病因と、 「駆虫」という治療法が確定できるので医療の 対象となってきます。これに対して、王朝時代 から長い時代にわたって続いた、 「物気 (ものの 」や近世の「狐憑き」のように、心身の変調 け) を「憑霊」によるとする「霊因」観ですと、僧 侶や法者といった宗教家が扱う対象でした。「虫 因」観は、中国の医学思想を基礎として成り立 って来ており、その思想の大きな特徴は、心身 一元的な見方で、 「心 肺・肝・脾・腎」の「五 臓」を、身体だけではなく精神の中枢と見なす、 「五臓思想」 が基盤です。 明治の近代化により、
心身の変調は「五臓思想」から「脳・神経」学 説へと転換し、 西欧近代医学の心身二元論へと、 心身観は大きな変貌をとげました。つまり、心 身の変調に関する病因観は「霊因」→「虫因」 →「心因」という変遷を経ますが、日本の文化 にはそれぞれが基層として残り、複雑な心身観 を基底に含む複雑な重層構造の文化が形成され ます。 この本の「おわりに」で、人間存在と「虫」 の関係について、考察を深めます。
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それは、本書で 人身中の虫」という言い方を してきた、その 人身 についてである。 虫 が居所としていたのは、心身二元的な意味で の身体ではない。 虫 の住処 (すみか)は、人 身と言うよりも、 身 と呼ぶほうがふさわし い。 虫 が盛んに 活動」した江戸時代、 身」 、 「身 という言葉も多用されていた。 身の上」 、 身を誤る 、 身を の不運」 、 身が立たぬ」 失う 、 身に覚へのない」などと言うとき時 の 身 は、主体(私)自身、もしくは主体の 、 「身をも 生き方を指している。 身が震ふ」 」
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「 腹の虫」 考 はつ雪が降 (ふる)とや腹の虫が鳴 (なる) (七番日記) 小林一茶(丸山一彦校注『小林一茶句集』 (岩波文庫) )
類似の句で「腹の虫なるぞよ雪は翌あたり」 (文政句帖)があり、一茶の 腹の虫 は、予知・ 予感の 腹の虫 のようです。野にありて腹にも こたえるぐらい寒さがしみてきますが、雪によ り景色が一変し、 白い静悦な世も予感させます。 「
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長谷川等による、 「腹の虫」研究を集約した本 が出版され、忘れ去られつつある 腹の虫 が、 日本の心身観の基盤としてあるという刺載的な 指摘がなされました(長谷川雅雄・辻本裕成・ペ 「
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トロ・クネヒト・美濃部重克『 「腹の虫」の研究 日
。 「腹の虫 本の心身観をさぐる』名古屋大学出版会) が納まらない」とか「虫の居所が悪い」という 言い回しの、 「虫」とはいったい何かという素朴 な疑問が本書の出発点になっていると言います。
「腹の虫」 の概念を次のように分類しています。
・ 「腹の虫が納まらない」 : 「私」 (主体)は、 腹立たしくて、気持ちが納まらないという 状態(この「虫」は、怒りという感情の制 御を乱すもの) 。 ・ 「虫が好かない」 :何となく気に食わないと か、モヤモヤとした嫌悪の感情が起こって いる状態(この「虫」は、はっきりさせる ことを避けさせるもの) 。 ・ 「虫がいい」 :自分勝手なことを考えたり、 したりする時、そうさせる「虫」 ( 「虫」が 悪を引き受けることによって、 「私」と「虫」 は親和的な関係を結ぶ。 「私」は内面の葛 藤による苦痛を避けることができる) 。 ・ 「虫の知らせ」 : 「不吉な予感」などの、理屈 で は 説 明で き な い 直 感 的 な 予 測 を す る 「虫」 ( 「虫」の方が知覚を超えたものを感 知する能力が高い) 。 ・ 「疳の虫」 :子どもを専門とし、急にぐずつ
大崎 満
おおさき みつる
北海道大学大学院教授
(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)
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体からの情報)仮説という。その代表的身体 感覚こそ内臓感覚である。英語では「ガット フィーリング」 ( gut feeling )という。 さらに、福土審は比喩的な用語であるがとし て、腸感覚を「不快な身体状態も快い身体状態 もその起源は文字通りの腸感覚ではないかとい うのが著者の考えである。簡単に言えば、赤ん 坊の時、空腹時に母乳が腸に来れば快く、腸が いつまでも空虚であれば不快である。これらの 原始的な体験が、脳に回路として形成される。 そして、母親の笑顔と授乳の満足、快感が脳の 中で関係づけられていく」と述べています。 「
藤田恒夫は腸を 小さな脳」とよび、神経生理 学的に腸の生理機能を考察しています(『腸は考 。 える』岩波新書) 腸に内蔵される壁内神経の量はたいへんなも ので、腸の壁の筋や粘膜の層を薄くはがして みると、すだれのように、あるいは格子のよ うに、神経の腺維束がひろがっている。また、
この神経の網の結び目に当たるところには 神経細胞がたくさん存在し、網をつくる腺維 はその突起に他ならないわけだが、この神経 細胞(ニューロン)の数は腸全体では膨大な 数(おそらく一億の単位)にのぼり、もちろ ん脳そのものには遠く及ばないとしても、脊 髄全体のニューロンの数をしのぐと言われ る。
腸の中には、取り込まれた食物が次々に運ば れてくる。腸はその化学成分をいち早く認識 し、膵臓、肝臓、胆嚢などに指令を発し、適 切な反応を引き起こす。蛋白質や脂肪に富む 食物が来れば、膵臓に命令してそれらを分解 する酵素を腸の中に招き入れる。酒やスープ がくれば、そのアルコールやアミノ酸を感知 して、胃に指令を発して胃酸を分泌させるし、 卵の黄身が来れば、それを認識して、胆嚢の 収縮を引き起こす(たまっていた胆汁が腸の 中に入ってくる。 )/また食物と一緒に有害 な毒素が侵入すると、腸はこれに気づいて、 腸の壁自身に命じて多量の液体(腸液)を分
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がく」 、 身をきられる」 、 「身を悶える」 、 「身 、という場合の 身 は、主体か に染 (し)む」 ら切り離された身体ではない( 「主体」から 切り離された身体は「からだ」または「から」 という言葉が用いられた) 。 「身」という言葉 は、主体の意識や情動といったこころの領域 と繋がっている。このような心身不分離の 身 という心身観のもとでこそ、 虫 は活動 できたと言えるだろう。 」 「
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福土審は、北山修の講演を引用して、 「情動を 表現するのに、身体用語を使うこと、特に、消 化器官の用語を使うことを日本人の特徴として あげていた。たしかに、日本では昔から「腹黒 い」 「腹が立つ」 「腹の中を探る」 「腹わたが煮え くり返る」 「吐き気を催す」 「虫酢が走る」 「飲め ない(話) 」 「喰えない(奴) 」など、消化器の言 葉を使っていろいろな感情・情動を表現してい る。また、正しい日本語表現ではないが、若者 は怒りを「むかつく」と消化器症状で表現する」 と述べ、 「内臓感覚」と「感情・情動」の深い繋 がりを想定します(『内臓感覚 脳と腸の不思議な
。また、ポルトガル生ま 関係』 NHKブックス) れの神経心理学者、アントニオ・ダマシオを引 用し、ヒトが行動を選択するときには、前頭前 野の機能が重要で、それを決定づけるのが、前 頭前野に記憶されている身体状態であると述べ、 内臓感覚による情動を次のように解説していま す。
行動を選択する場合、多数の選択肢を合理的 にしらみつぶしに検討していたのでは時間 がかかりすぎる。それを単純化して、以前体 験した身体感覚の情動・感情を使い、選択肢 を二、三の候補にまで絞り込む。/たとえば、 進路に迷った時に、 「こちらが良さそうだ」 と決めるのは、必ずしも計算の結果ではない。 言語的には表現しにくい、 「身体からの情報」 である「えもいえぬ感じ」で決めているであ って決める感覚だ。そして、 る。腹を括(くく) その後で、どうしてそうなったのか、と他人 に聞かれ、自分でも言葉では説明しにくいま まに、後からいろいろ理由をつけているはず である。これをソマテイック・マーカー(身
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が)の感覚・概念とはセットで発達してきたの ではないでしょうか。 加島祥三は「腹」について、腹の術後、笑い によって激痛が走り、 「腹」についてその重要性 に突然めざめます(『HARA 腹意識への目覚め』 。そこから、東西の認識・思考の違い 朝日文庫) に気づいていきます。 『源氏物語』の英訳で知ら れる、イギリス人、アーサー・ウェーレーは、 』 『論語』の英訳『 The Analects of Confucius 」 (思)という字を取り上げて、次の で、 「 ssu ように言っているそうです。 (考える)ということを中国人は、 thinking 体で感じる具体的な働きとしている──こ のことだけからみても、どうも「 ssu 」 (思う) (考える)と訳す という漢字を英語の think 」 (思う)は to のは正確でないようだ。 「 ssu (考える)と同じではない。中国人は think (考え、思想)を体の中央( the middle thought )での働きとしている。われわれ of the body (頭)の中です (西欧人)は、考えを head
るとしている。だから自然に、 to think (考 (頭)の中とすると決め込 える)のは head んでいて、腹の中でするとはけっして考えな い。
漢字の「思」 ssu は、外側から入り込んだ印 象を押さえ込む注意力のことであり、この注 意力はどこで働くのかといえば、それは腹の
真ん中( in the middle of the body )だ──こ のようにとると、 『論語』の「学ビテ思ワザ レバ、罔(クラ)シ、思イテ学バザレバ危ウシ」 という言葉もよく理解できるのだ……。
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一般に西洋は 思う の一語が (考 ssu thought (考 え)と訳されている。英語での thought え)は理屈で人を説き伏せる方法だと言える。 「それだから」 それで「考え を述べるには、 とか、 「なぜなら」といった接続詞をたくさ んつけて、理屈の議論をすることだと思い込 んでいる。ところが『論語』の中にはこんな 接続詞でつなげた理屈なんか一つもないの だ。
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泌し、毒物を体外へ排除してしまう。これが 下痢で、生体の防御反応としてはきわめて重 要なものである。有害物質の検知能力と下痢 という反応がなければ、私たちはみな幼くし て死んでいるであろう。/(中略)胃酸が腸 に入ってくると、腸のアルカリ性が酸性に傾 く。賢い腸はいち早くそれに気づいて、アル カリ性の膵液や胆汁を招き入れて、中和して しまう。もし、腸が胃酸の到来を認識できな かったら、腸はあっというまに内面からただ れて潰瘍をおこし、穴があいて死を招くこと 必定である。/つまり腸には鋭敏な化学セン サー(レセプター)がひそんでいて、内容物 の化学的情報──刺激と言ってもいい── を受け取る。そしてこの刺激が、なんらかの 手続きで、腸の壁自身や、腸から離れて存在 する消化器官(胃、膵臓、肝臓、胆嚢など) に伝えられて、適当な反応を引き起こすので ある。 なぜ腸の機能を長々と引用したかといいます と、腸は「食」と切っても切り離せない関係で
あることを再確認するためです。 「腹」で考える 表現は、世界中に見いだすことが出来るでしょ うが、問題はなぜ、かくも多様な「腹」表現が 日本で発達し、文化の基盤となっているのかと いう疑問です。 「腹の虫」では、 「虫」と言うよ りは、まず個人の「腹」そのものの問題である はずです。 「腹」を中心に考えると、 「食」が重 要な要素(要因)となります。そうすると、他 の文化との際だった違いとして縄文文化が思い 出されます。縄文土器の開発により、煮炊きが 可能になり、食糧貯蔵が楽になりました。小林 達夫によると、煮炊きにより消化吸収が著しく 改善され、植物食のリストが飛躍的に増え、食 用植物は二〇〇種以上にものぼり、ここに狩猟 漁撈採取文化が成立します(『縄文の思考』ちくま 。煮炊きにより栄養価が向上したというこ 新書) とは、ばい菌の繁殖も旺盛になり、食あたりで 命を落とすことも著しく増加したはずです。そ こで煮炊き文化では食中毒、つまり「腹の虫」 には細心の注意を払ってきているはずです。縄 文文化は一万年以上にわたりますので、 「食文 化」と「腹の虫」 (昔は気配だけだったでしょう
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ネシュウムの水溶液で満たされ、光や音が遮断 されていますが、呼吸はできるようになってい ます。裸で中に入ると、ふわりと身体が浮きま す。この状態では視覚、聴覚、そして皮膚感覚 がほぼ遮断されています。このタンクに入った 経験者は自我や身体感覚が示す自己の空間的位 置が自己の身体から離脱する、という体験を記 述しています。あるいは、宗教学者の鎌田東二 博士は、滝に打たれる行の後で、やはり自我と 自己の空間的位置が、自己の身体からずれた経 験を語っています。 これらの現象を勘考すると、 今、ここにいる私、という意識をもたらすのも 皮膚感覚であるように思われると述べています。 つまり、 皮膚感覚への絶え間ない刺激によって、 自己の身体が統合され、その刺激が抜けると自 己の身体から離脱が始まるようです。東洋の瞑 想・修行とはまさにこの皮膚感覚・身体感覚の 「知覚」法であるような気がします。さらに、 一方、自分の身体が現在ある位置に存在する、
そこ(右脳の側頭 頭-頂接合部)が刺激を受け ると、やはり体外離脱を体験することになる ようです。スイスのジュネーブ大学の病院で その場所に電気刺激を与えられた患者は、繰 り返し体外離脱を経験しました。臨死体験な どで報告されているように、ベッドに横たわ っている自分を天井から眺めている、という 体験です。 上から自分がベッドに横たわっ ているのが見えます。でも脚と下半身しか見 えません。 」 ベッドの上、二メートルぐらい のところ、天井の近くに浮いています」 (患 「
傳田光洋は、さらに幼児が外部の世界を最初
者の言葉) 。皮膚感覚と側頭 頭-頂接合部との 関係をさらに調べていけば、いわゆる身体感 覚、言い換えれば自分の身体がそこにある、 という意識が生みだされる一連のメカニズ ムが明らかになるでしょう。/皮膚感覚は自 他を区別し、空間における自己の空間的位置 を認識させる。皮膚が自己意識を作っている、 と言っても過言ではないでしょう。
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と正しく認識するためには、右脳の側頭 頭-頂接 合部が重要な役割を果たしているようだとして、 次のような引用をします。
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腸の内臓感覚による「腹」の情動を考えまし たが、皮膚感覚もまた「皮膚」の情動を形成す るようです。傳田光洋は、人類は一二〇万年前 に体毛を失い裸になり、皮膚は体毛を失った分 特異な感覚を有する様になった可能性があると 。 指摘します(『皮膚感覚と人間のこころ』新潮選書) つまり、表皮には、 (1)聴覚、視覚を有するよ うになった可能性と、 (2)手の進化、つまり触 覚(触覚の解像度が高いのは、手の指先と唇) の進化は脳の進化に先立つ可能性があるといい ます。サルの 毛づくろい は 皮膚感覚」による コミュニケーションで、 毛づくろい で脳の報 酬系(快感をもたらす)部位に作用するβエン ドフィンの分泌が増えます。人類がコミュニケ ーション手段の中心である言語を持つようにな ったのは早くても二〇万年前で、つまり一〇〇 万年間、人類は 毛づくろい と言語によるコミ ュニケーション手段を持たなかった時期があり ます。そこで、裸になった人類はスキンシップ (握手、抱擁、頬の摺り合わせ)がコミュニケ ーションの手段、あるいは学習の手段となった 可能性があるというものです。
傳田光洋は皮膚の生理研究を通して、表皮に は聴覚があり(二万ヘルツ以上の高周波音を体 表で受容) 、また視覚もある(紫外線応答(日焼 け)や赤外線応答(温かく感じる)以外にも、 可視光にも応答するロドプシンを発見)ことを 解明しています。これらの研究を通して、西欧 の心身二元論(物質的な身体とは別に、非物質 的な心、あるいは魂が存在する)に疑問を持ち ますが、では心身二元論でないとすると、なに が 自己意識」を作り上げているのか? 視覚、 聴覚、味覚、嗅覚は意識の影響を受けにくいで すが、触覚(皮膚感覚)は身体感覚と強く結び ついていますので、皮膚感覚は、私と環境、私 と他者、 私と世界を区別する役割を担っていて、 そのために意識と深く結びついている可能性が 高いと考えます。つまり、自己意識は、感覚器 官や臓器からもたらされた情報と、脳との相互 作用の結果という結論になります。 また、傳田光洋は「身体離脱」は皮膚感覚の 異常でも起きる例を述べています。皮膚感覚の 異常を起こす装置、 アイソレーションタンクは、 体表温度と同じ三四度に保った濃厚な硫酸マグ
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「
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いありません。自然と接して、 「自然」 (人と自 然が一体となっているのを体感した世界)感が 確立してきた、そんな感じが強くします。かつ ての田園では幼児が、芋虫のように、尺取り虫 のように、大地の中を這いずり廻る姿があった のが浮かんできます。そんなイメージを浮かべ ると、なぜか、カフカの『変身』(新潮文庫)が 頭をよぎります。 ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がか りな夢から目をさますと、自分が寝床のなか で一匹の巨大な虫に変っているのを発見し た。彼は鎧のように堅い背を下にして、あお むけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげ ると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が 見える。腹の上には横に幾本かの筋がついて いて、筋の部分はくぼんでいる。(中略)たく さんの足が彼の目の前に頼りなげにぴくぴ く動いていた。胴体の大きさにくらべて、足 はひどく細かった。 この場面から、幼児期に這いずり廻りなめ廻し
がなく、なにか幼児期のトラウマに陥っている 感じがしてきます。ここの「虫」は先の「虫」 の分類からすると、 「獅子身中の虫」 (元来は、 自身を破壊するものが自身の中にあることを意 味する虫)のようです。この「虫」は、手伝い 」と言っていますので 女が 馬糞虫 (まぐそむし) 甲虫のようですが、「壁や天井にねばねばした汁 の跡が残る」という記述から、頭足類やナメク ジのような印象もあり、いわゆる日本の身体観 にかかわる、抽象的「虫」といってよいでしょ う。この小説の視点は、 「グレゴール(カフカ) 」 が俯瞰的に全体を眺めていて、その分身の「虫 グレゴール(虫カフカ) 」が虫の眼で現実(あえ ていうと実存)をみつめている構造になってい て、これは精神的な分裂ではなく、傳田光洋が 記載している体外離脱現象に近い感じがします。 池内紀の『カフカの生涯』(白水uブック)によ りますと、カフカは奇妙な時間割のもとに生活 しており、かなりの期間にわたり、きわめて頑 固に守りとおしたとあります。 『変身』の執筆中 も、労働者傷害保険協会に勤務しながらで、か なり無理な生活をしていたようです。昼食のあ
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「
に認識するのも皮膚感覚で、 「人間の視覚は、誕 生後すぐには役に立ちません。視覚によって物 体の形、質感、距離感などを認識するようにな るためには、誕生後、まず物体に触れ、その皮 膚感覚と視覚映像とを結びつける学習が必要な ことを、いくつかの発達心理学的な研究が指摘 しています。結局、外部の世界を最初に認識す るのは皮膚感覚なのです」といいます。三木成 夫も幼児の〝なめ廻し〟の観察から、そういっ た身体感覚が「生命記憶」となり、空間認識が 。 できてくるといいます(『内臓とこころ』河出文庫)
(中略)たとえば、コップを見ても〝丸い〟 と感じるでしょう。これは類人猿には見られ ない、まさにホモ サピエンスの特徴です。 この〝丸い〟と感じる、その奥には、いま話 している、この〝なめ廻し〟の、ものすごい 記憶が、それは根強く横たわっているのです。 コップの縁に沿って、ゆっくりゆっくり、そ して、なんどもなんども、それこそたんねん に舌を這わせ続けた。その時の記憶です。も ちろん、そこには、手のひらの「撫で廻し」 の記憶も、混然一体となっているはずです。 さきほど申しましたように、舌と手は〝年子 〟のようなものですから……。/このように、 からだに泌みついた、かつての記憶──私ど もは、これを〝生命記憶〟と呼んでいますが、 これが忽然とよみがえる……。もちろん意識 下です。そして、この無意識の「回想像」が 目前のコップの「印象像」の裏打ちをする。 二重映しができるわけです。
幼児の〝なめ廻し〟は、這いずり廻りなめ廻 り、そうやって昔は大地を味わってきたにちが
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ところで、子どもが、いかに舌の感覚でもっ て人間の「知覚の基礎」というものを、着実 に固めてゆくかということ……これはつぎ の問題でも明らかです。かれらは、ふつう六 ヶ月過ぎて首がすわって、手が自由になりま すと、もう手あたりしだいに物をなめ廻しま す。(中略)この〝なめる〟ということは、学 問的に見ても大切な意味があります。この時 に鍛え抜いた舌の感覚と運動が、あとになっ て、どのような形で生かされてくるか……。
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らか、悪魔祓いをするような調子で言ったの だが、言葉は唇の上に残っており、その物の 上にまで降りることを拒否している。その物 は依然あるがままの姿でいる。その赤い薄膜 と雑然とした無数の赤い小さな脚とを持っ ている、こちこちに硬くなった小さな死んだ 脚。上を向いている血塗れて脹れたこの巨大 な腹──死んだ脚を全部持っている脹れた 腹、この箱の中を、この灰いろの空を漂って いる腹、それは腰掛けではない。(中略)車掌 が私の行手を遮る。/ 停留所を待って下さ い」/しかし私は、彼を押し返し電車から飛 び降りる。私にはもう耐えられなかった。事 物がこうも身近いことに我慢できなかった。 私は柵を押して入る。軽い実存どもが一跳び で飛び上がり梢に棲 (とま)る。いま、私は我 に返る。自分がどこにいるかがわかった。私 は、公園にいるのである。黒い大きな幹の間、 空に向かって伸びている黒い節くれだった 手の間のベンチに、崩折れるように腰を下ろ す。一本の樹が黒い爪で私の足下の大地を掻 いている。私はどんなにか成るに任せ、自分
を忘れ眠りたかっただろうか。しかしそれは できなかった。息が詰まるようだ。実存は、 眼や鼻や口やいたるところから、私の中に侵 入してくる……。/そしてたちまち一挙にし て幕が裂け、私は理解した。私は〈見た〉 。
「実存」 (主義・思想)というのは、学生の頃、 熱病のように流行っていたことから、この『嘔 吐』も読んではいますが、まるで理解できず、 まるで不気味なものを呑み込んで、消化不良で 吐き出したような印象しかありません。いま読 みかえしてもそのままの印象です。不気味さと いうか、支離滅裂な無意味さが強烈に刺載して きます(つまり、小説としては成功なのか) 。 (不 気味さとは、 分裂的な精神性についてではなく、 自然を「あるがままの自然」でなく、 「すべて(人 間のために)意味づけられた自然」という西欧 の強固な自然観の不気味さですが) 。それは、ア ンドレ・ブルトンの『シュールレアリズム宣言』 や『ナジャ』の「自動筆記」という支離滅裂と 無意味の羅列を読まされる苦痛に似ています。 なぜこんな変な記載が一時 (いっとき)世間に溢
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「
との仮眠は「ただ試みるだけ」で眠れず、うと うとすると「この一週間というもの、のべつモ ンテネグロ人があらわれた」夢で、あとにきっ と頭痛を覚えたといいます。カフカが恋人に打 ち明けているのは「ぼくの夜は二つある。目覚 めている夜と眠りのない夜」であると。執筆に 集中した緊張のあとで、眠りにつけなかったよ うですが、これは、南方熊楠が寝ずに思考を続 け、体外離脱して曼荼羅の世界に入っていった のに似た状況のようです。カフカの『変身』と は、体外離脱をとおした、皮膚感覚の発見であ ったのではないでしょうか。 『荘子』では、荘周 は蝶になります。 「むかし、荘周は自分が蝶にな った夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきっ て、のびのびと快適であったからであろう。自 分が荘周であることを自覚しなかった。ところ が、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周 である。いったい荘周が蝶となった夢を見たの だろうか、それとも蝶が荘周となった夢をみて いるのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別が (す あるだろう。こうした移行を物化 (ぶっか) なわち万物の変化)と名づけるのだ」(金谷治注
。カフカの「虫」は幼児体験を欠 訳 岩波文庫) いたがゆえに孵化できず、 「さなぎ(虫) 」にと どまり、 「蝶」のように舞えず、這いずり回るし かなかった、そんな感じがします。 J・P・サルトルの『嘔吐』(白井浩司訳、人 「腹の虫」の典型かも知れません。 文書院)は、 冒頭の「腹の虫」の分類でいくと、 「腹の虫が納 まらない」 「虫が好かない」 「虫がいい」 「虫の知 らせ」 「獅子身中の虫」 (自身を破壊するものが 自身の中にあることを意味する)を含んでいる ようで、 「腹の虫」の標本小説といってもよいぐ らいです。 有名な「マロニエの根」のもとで悟りをひら く、その場面に到達する前から、異常な描写が 延々と続きます。たとえば、電車の中の描写で す。
私は腰掛けに手をつく。しかし慌てて手を引 こめてしまう。腰掛けが実存するからだ。私 が腰を掛けているもの、私がその上に手をつ いたもの、それは腰掛けと呼ばれる。(中略) 私は呟く、これは腰掛けだ、と。それはいく
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サルトルの『嘔吐』は、このメスカリン現象の 記載に似ているところがあると判断されます。 さて、 メスカリン現象としてのサルトルの 「実 存」とは、結局なんなのでしょうか。次は、た だあるだけの「実存」を哲学的な「実存」とし て悟った有名な場面です。 午後六時 私は、肩の荷が下りたとも、満足している とも言うことはできない。反対に、私は圧倒 されている。ただ私の目的は達せられた。知 りたいと思うことを知ったのである。一月以 来私に起こったことを、すべて理解した。 〈吐 き気〉は私から離れなかったし、それがすぐ に離れるだろうとも思わない。しかし、私は もう、吐き気に襲われまい。吐き気とは、も はや病気でも、一時的な咳込みでもなく、こ の私自身なのだ。 さて、いましがた、私は公園にいたのであ る。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けて いたベンチの直下の大地に、深くつき刺さっ ていた。それが根であることを、もう思いだ
せなかった。言葉は消え失せ、言葉とともに 事物の意味もその使用法も、また事物の表面 に人間が記した弱い符号もみな消えさった。 いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひ とりで私は、その黒い節くれだった、生地そ のままの塊とじっと向いあっていた。その塊 は私に恐怖を与えた。それから、私はあの天 啓を得たのである。 それが一瞬私の息の根を止めた。 最近まで、 〈実存する〉とはなにを意味するかを、絶対 に予感してはいなかった。私は他の人びとと 同じだった。(中略)普段、実存は隠れている。 実存はそこに、私たちの周囲に、また私たち の内部にある。それは〈私たち〉である。実 存について語らずにはなにひとる言い得な い。しかし結局、実存に手を触れることはで きないのである。私が実存について思考した と信じたとき、じつはなんにも考えていなか ったのであり、頭はからっぽであったか、あ るいはひとつの言葉、すなわち〈在る〉とい う一語が辛うじてあったと信じるべきであ る。(中略)もしも実存とはなんであるかと問
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れたのかは、いまはおおよそ理解できます。サ ルトルは、メスカリン( 「ペヨーテ」というサボ テンの一種から採取される幻覚剤)で幻覚にさ いなまれた時期があることが、明らかとなって います。また、アンドレ・ブルトンも「自動筆 記」にさいして「薬」を使うことを記載してい ます。オルダー・ハックスリーは観察者をつけ てメスカリンを服用し、様々な状況下で精神に およぼす効果を試験しました(『知覚の扉』河村 。その他の人の記録 錠一郎訳、平凡ライブラリー) も含めて、その精神におよぼす効果を次のよう にまとめています。 ①──記憶力や「まともな思考」力は減少す ることがあってもごく僅かでしかない ②──視覚印象が非常に強化され、感覚内容 が即座にまた自動的に概念に服従させられ るということのない幼年時代の知覚の清純 さを眼が幾らかでもとり戻す。空間への関心 は減り、時間への関心はほとんど零になる。 ③──知能は損なわれることなく感覚知覚が 巨大に改善されるが、意志力の劣化は激しい。
④──そのもっともいいことは(私の経験に よると) 「外側で」あるいは「内側で」ある いは両方の世界で、つまり内面世界と外在世 界で同時にあるいは継続的に経験されうる ことなのである。
より具体的には、「超感覚的な知覚が生じる場 合もある。視覚美の世界を発見する人もある。 裸の実存在、つまり所与の、概念化していない 事象のもつ無限の価値と意味性が、 その栄光が、 見えてくるということもある。没自我の究極段 階では、 〈総体(すべて) 〉が総体のものにある ──〈総体〉が実際にすべての個々である── という「漠とした認識」が生まれる。私の判断 では、これこそ有限な精神にとって「宇宙のす べてのところで生じることを知覚する」極限で あると思う」です。かなりきわどい話で何を言 っているのかまるで分からないことだらけです が、それはおそらく、道教の自然主義だとか仏 教の超越主義だとか神秘主義的芸術だとか、何 でもかんでもメスカリン現象として普遍化しよ うとしているせいではないかと思います。 ただ、
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「詩人の顔に霙のような寂寥の翳がさしてい る」と述べたそうです(雑誌サライ(二〇一四年
七月号)の連載「心に響く、言葉の力 ことの葉、届
。 「一見、心に浮かびくるままを素朴に歌っ け」 ) たかに見える詩文の底に、重吉は深い悲哀を織 り込んでいた。その悲哀は、現実生活の貧しさ や侘 (わび)しさからくるものというより、人間 の原罪を凝視し、 詩と信仰を突きつめた果ての、 実存の悲しみであっただろう」と矢島裕紀彦は 述べています。
かなしみは しづかに たまつてくる しみじみと そして なみなみと たまりたまつてくる わたしの かなしみは ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆ く
こうして わたしは 痴人のごとく さいげんもなく かなしみを たべてゐる いづくへとても ゆくところがないゆえ のこりなく かなしみは はらへたまつてゆ く
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哲学用語で括った瞬間に、頭の「理」の世界に 組み込むことに成功したといえます。つまり、 「演繹」と「帰納」により意味づけられた世界 (存在)とただ「記述」されるだけの無意味の 世界(実存)が混在する、じつに見事な超(シ ュール)モザイク的世界観( 「演繹」 ・ 「帰納」的 世界観自体がモザイク的ですが、さらにその隙 間を記述(実存)が埋める世界観)が確立した 瞬間でもあります(サルトルは、 「演繹」 ・ 「帰納」 的世界観自体を否定したわけではないので) 。 そ れで、見かけ上うまく「腹の虫」を退治した(嘔 吐・吐き気がとまった)ようにもみえます。し かし、 「腹の虫」はそれこそが「墟存」であるこ とを知っているのです。 さて、われわれは、八木重吉の「はらへたま つてゆく かなしみ」(『秋の瞳』日本図書センタ 「腹の虫」の「実存」を味わうことに ー)から、 いたしましょう。矢島裕紀彦の解説によります と、草野心平は、サイダーの壜に椿の花が一輪 飾ってある、つましくも温かな暮らしぶりが窺 える八木重吉の家を訪問し、その時の印象を、
連載 エッセイ
われたならば、私は誠意をもって、それはな んでもない、なにやらそれは、外部からやっ てきて、事物の上に、その性質をいっさい変 えることなく附加される空虚な形式と言え ば言える、と答えただろう。ところでそれは これだった。一挙にそれはそこに、きわめて 明瞭にそこにあった。実存はふいにヴェール を剥がれた。それは、抽象的範疇に属する無 害な様態を失った。実存とは、事物の捏粉そ のものであって、この樹の根は実存の中で捏 (こね)られていた。と言うか、あるいはむし ろ、根も、公園の柵も、ベンチも、芝の貧弱 な芝草も、すべて消え失せた。事物の多様性、 その個性は単なる仮象、単なる漆にすぎなか った。その漆が溶けて怪物染みた、軟らかく て無秩序の塊が──恐ろしい淫猥な裸形の 塊だけが残った。 あいかわらず私には意味不明ですが、 「吐き 気」が「実存」の根源ではあるようです。そう だとすると、 「吐き気」は「腹の虫」の症例です ので、内臓感覚や身体感覚による情動が、なぜ
か主人公ロカンタン(つまりサルトル)に湧き おこったことになります。合田正人は、 「 「現象 学」 の運動は文学における表現主義の運動とは、 さまざまな先入見や紋切り型を排して、事象を 新たに見つめ直し、小さな事象の微細なニュア ンスをも見逃さずに記述しようとする姿勢を共 有していた。 「事実そのものへ」──できる限り 先入見を排すること、これを「現象学」は「還 元」と呼び、実際に「演繹」でも「帰納」でも なく、「記述」を方法として選び取っている」 ( 『サ
ルトル『むかつき』ニートという冒険(理想の教室) 』
と述べています。それは、例えば「マ みすず書房) ロニエの根」が存在するからには、世界は全て 何らかの「理」により組み立てられているのだ から、 「マロニエの根」の存在は「演繹」か「帰 納」で解かれなければならない、というのが西 欧の基本認識であるということです。 とすると、 「演繹」か「帰納」で解かれない存在がこの世 に存在することに気づいたというのが、 「実存」 ということになるのでしょうか。 サルトルが、一瞬、 「腹の虫」を感じたのは間 違いないと思いますが、それを「実存」という
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までもその恰好でいるわけにもいかない、く るっと体をかわし、寝たまま落ちるようにし て背中ではしごを受ける。 これが 「肝つぶし」 。 これを流れるように演じれば一人前というこ とになる。 私は東京の下町で育ったから、一月六日は 消防出初式。鳶の若い衆が纏とはしごを持っ て町内を回る。商家の前には酒と茶わんが置 いてあり、こういう所では必ずはしごに乗っ て芸を披露する。だからそれを数軒もこなせ ばいい気持ちになってくるものも出る。忘れ もしない。 「邯夢」から「肝つぶし」に移った 瞬間、見事におっこちた。ところがさすがに 鳶の若いモン。尻から落ちた。それも鳶口の 棒が交差する上に落ちたから、ほとんどけが もなかった。 話をもとにもどそう。そう「邯鄲夢の枕」 である。優れた映画の中には、 「夢の枕」のよ うに未来を暗示するようなシーンが現れるこ とがある。古い映画であるが「猿の惑星」を 覚えている人は少なくないと思う。あのラス トシーンもかなり示唆的であった。砂漠の砂
の中から崩れた自由の女神像が覗いていた。 猿の惑星が、もとは地球であったことを暗示 するわけであるが、この映画が作られた当時 はむしろ核戦争に対する警戒心が強く、それ への警鐘であったわけである。ところが数十 年たってみると、この想定はそのまま環境問 題に置き換えることができる。地球の歴史を 一年に喩えると、人類の歴史は十二月三十一 日の午後十一時五十分頃から始まるという。 その十分間の中でも近代百年の歴史は最後の 一二秒というところか。文明の栄枯盛衰をこ の一二秒で終わりにしてしまうわけにはいか ない。これは夢ではなく現実の問題である。 これからの地球にどんな「肝つぶし」が起こ るのか。予測はつかないが、失敗すればはし ごから落っこちるだけではすまない。 しかし、 考えてみればいまの地球はもう既に、はしご の上で曲芸をしているような状態にあるのか もしれない。 同僚とのとりとめのない話をタネに一文を 草したが、これも曲芸に近い。
連載 エッセイ
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邯鄲夢の枕 清朝最後の宣統帝(溥儀)の生涯を描いた 映画「ラスト・エンペラー」は、原色の大画 面で見るものを圧倒したが、そのラストシー ンに、かつて子供のときに紫禁城の玉座の裏 に籠へ入れたコオロギを隠し、数十年後よう やく自由の身となった溥儀が、その籠を取り 出して見学に来た子供に与える場面があった。 先日、同僚と話していてあのコオロギは生き ていたのか、あるいはカサカサにひからびて いたのかどちらだったという話題になった。 正解は生きていた。それはその同僚が確かめ た。子供が顔をあげるともうそこに溥儀の姿 はなかった。これは何を意味するのか。同僚 の説は「黄粱一炊の夢」 。 昔、盧という科挙に落第した男がいた。邯 鄲の町に茶店で一道士と出会い、話すうちに 眠くなり道士の枕を借りて横になる。そのと き、店の主人は粟(黄粱)を炊こうとして火 を起こしていた。盧は枕にあけられた穴を見 ていると、その穴がだんだん大きくなる。ふ
と、その穴の中に入ると……。家にもどった 盧には、好縁談が待ち受けていて、あとはト ントン拍子に出世街道をひた走る。二回ほど 讒言によって辺境に流されたが、最後には皇 帝の信頼を得て死ぬという自らの一生を夢に みる。目覚めれば、先程の粟はまだ炊きあが らず盛んに湯気をあげている。わずか数分の 間に一生の栄枯盛衰を見て人生の無常を感じ、 富貴功名を望むよりは毎日の堅実な生活に汗 を流すという話である。 思えば清朝の栄華も満州国の帝位も一炊の 夢。夏に生まれ秋の終わりには消えてゆくは なかいコオロギのいのち。その三四ヶ月のい のちに溥儀の生涯を投影したということか。 ところで黄粱一炊の夢。これを邯鄲夢の枕 ともいう。江戸火消しのはしご乗りの曲芸に 」という。長ったらしいもの 「邯夢 (がんゆめ) はなんでも省略してしまい、こんな略称にな ったが、これは結構難しい技らしい。はしご のてっぺんで横になり寝た恰好をする。いつ
山田利明
やまだ としあき
東洋大学教授
(専門は中国哲学)
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擁護の大号令のもと、華々しいときは戦争も辞さ ない。自国にだってまだまだ、叩けば埃が一杯出 るところもあるのに…。と思うのは、私だけであ ろうか。私の場合、戦争してまでの片付けはでき ず、米国の有り難さには感謝するばかりではある が…。 この片付けたい、整理整頓したいという病的な 気持ちは、大学教員という、多少なりとも学の世 界に生きる私の職業病かもしれないと思う。ちょ っと図々しいと、我ながら思いますが。物事が美 しく整理されていないことがとても気になる。順 序良く並べられそうな事柄がある時、抜けている ものがあれば、何が何でもそれを揃えて、美しく 飾りたくなる。形が悪くて美しく収納できない事 柄があれば、美しく収納するために何が必要であ るかを考え、作りだすことに気が行ってしまい、 解決するまで他のことができなくなってしまう。 ただ、 多少の埃がついているのは、 気にならない。 世の中には清掃好きな人もいるので、私は整理整 頓、埃を取って磨くのは、他の人に任せます。 こんなことを書くときっと叱られそうで、やめ ておいた方が身のためだと分かってはいるが、書
かずにはいられず、つい書いてしまおう。男の子 と女の子は違う。自分の子を考える限り、女の子 と男の子は明らかに違う。女の子は片付けが苦手 で、きっと、学の道を目指すには不利に働くに違 いない。学を目指す男女比は、きっとその時代、 時代での整理整頓好きの男女比の傾向に支配され ているのであろう。 話題を変えてもう一言。女性ファッションデザ イナーが自身のコーディネートに関して語ってい る機内誌の記事を見た。旅に出るときは、ファッ ション先駆者として、さぞやたくさんの服を持っ て行かれるのでしょうね?、というインタビュア ーに、次のように答えていた。ファッションはコ ーディネートであるので、基本を揃えればバリエ ーションは自在。旅に持って行く服は、基本アイ テムのコーディネートで可能で、普通の人より少 ないと思うと語っている。まさか手荷物を減らし たい航空会社に迎合した訳ではあるまいが、この 整理好きのデザイナーに、私は男性を感じた。整 理整頓がコーディネートを生むに違いない。ファ ッションも男だ。
連載 エッセイ
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整理整頓 性分というものであろうか、整理されていない と無性に片付けがしたくなる。この傾向は年齢を 重ねるとともに増強されるようである。整理でき るのは、自分の権限が及ぶ範囲に限られるため、 自分の机の上がせいぜいである。自分でも不思議 であるが、埃が積もっていても気にならず、潔癖 症というわけではない。この片付けたいという欲 求は、自分の権限が及ぶ範囲では解消できるが、 権限の範囲が微妙な場合の対応は難しい。外交問 題にもなる。それどころか自国の領土でも自由に はならない。自宅ならば全てが自由になりそうで あるが、同居の細君がいる。細君の所有物が使い っぱなしで散らかされていても、問答無用で片付 けてしまうと、諍いになる。それどころが、しば しば細君の大事なものが見つからないと、私が勝 手に捨てたのであろうと責められる。「そちらの責 任でしょう」と言いたいが、一緒に探すはめにな る。 成人して独立した二人の子供も、男と女で
大きな違いがあった。男の子は何でもかんでも使 わないものは、あっさり捨ててしまい、身の回り はきれいに片付いていたが、掃除しないので部屋 にはチリが積もっていた。女の子はすべてを捨て ずに取っていた。買い物の包装紙や紙バッグ、そ れこそありとあらゆるものが捨てずに取ってあり、 足の踏み場もない。あんなに散らかして、どうし て探し物をしなくて済むのか不思議に思うことが しばしばであった。私の片付けたい病は、この女 の子のせいでかなり増強されたと思うが、うっか り手を出すと不当干渉として厳しく反撃されるた め、手出しできなかった。独立後も管轄権を主張 されるため、しばらく手が付けられず、思うよう に整理整頓できたのは独立後、 五年余りも要した。 この間、細君は全くの不干渉で、すべての責任は 私が負っている。 米国の友人に叱られそうであるが、米国は私に 似ている。自国の領土でなくても、人権が抑圧さ れている地域があれば、我慢できなくなり、人権
加藤信介
かとう しんすけ
(専門は都市・建築環境調整工学)
東京大学生産技術研究所教授
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いと、ピラミッド状の頂点のところで品質のい いものができます。日本は長い間に養蚕技術を 高めてきましたから品質はよいのですが、量が 少なくて値段が高く、純国産の生糸で着物を作 ると外国産の倍くらいの値段になります。 アンケートで、高くても純国産のものを買い ますかと尋ねると、買いますという答えが結構 ありました。品質がそれほど違わないのに高い ものを買うのは、日本産へのこだわりがあるか らなのでしょう。養蚕に限らず、日本の農業の 持続性を考えますと、こだわりというのが鍵に なると思います。こだわりによって純国産の生 糸で織られた着物を高くても買ってもらうこと で、上流の養蚕農家が生き残れるようにしたい と考えています。さらに蚕業全体を見渡すコー ディネーターを配置して、産業の持続に取り組 んでいます。 一つの事例として、この前、奄美大島にいき ました。 奄美大島には有名な大島紬があります。 大島紬のすべてが奄美大島で作られているので はなくて、大島紬と称して九州でも韓国でも作 っているのが現状です。奄美大島ではいま養蚕
は行われていません。桑も島桑という独特のも のがあったのですが消えてしまいました。沖縄 に残っている島桑を移して、奄美大島で養蚕を よみがえらせることができなかと、南さんとい う農家の方が復活に挑もうと手を挙げておられ ます。大島紬観光センターで、桑から蚕、繭か ら生糸、そして大島紬の製品になるところまで の一連の流れを観光客にみていただいて、買っ てもらうようにしようと計画しています。 そのような蚕業を残す努力しているさなかに、 富岡製糸場が世界遺産に登録されたのはたいへ んありがたいことです。世界遺産に登録された 背景には、製糸場を受け継いだ片倉工業の大変 立派な取り組みがあったことは特筆に値します。 戦後、各地で製糸場がつぶれていくなかで、由 緒ある製糸場をそのまま残そうと、 「売らない、 貸さない、壊さない」という原則を貫いてきた のです。それはまさに博物館の心と通じるとこ ろがあります。民間の一企業がこれだけのこと をしてきたことに大いに敬意を表したいと思い ます。
連載 エッセイ
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日本の蚕業のサステイナビリティ 群馬県富岡市にある富岡製糸場がユネスコの 世界遺産に登録されました。今年の四月に、国 際記念物遺跡会議(ICOMOS)が世界遺産 への登録を勧告して以来、富岡製糸場には多く の見学者が訪れるようになりました。 蚕の飼育に始まって糸を紡ぐ製糸にいたるま での「蚕業」は、近代日本の発展を支えてきた 重要な産業でした。一八九二(明治二五)年に 大日本蚕糸会が設立されて、現在も一般財団法 人として続いています。そのなかに蚕業の持続 可能性に取り組む委員会があって、私はここ五 年ほど委員長を務めています。 蚕業の一番の川上にあるのが養蚕農家です。 蚕業がピークだったころには二〇〇万戸以上の 農家が蚕を飼い、農地の一三パーセントが桑畑 でした。それがいまでは壊滅状態で、五年前に 養蚕農家は一〇〇〇戸を割り、毎年一〇〇戸ず つ減って、いまでは五〇〇戸台です。 日本の蚕業がすたれたのには中国の影響が大 きく、何といっても中国の生糸が低価格だから
です。韓国の養蚕はそのためにほぼ消滅して、 いまでは薬として使うための蚕だけが飼育され ています。日本でも新しい需要として、化粧品 や健康食品、漢方薬などに使うことも進められ ていますが、農林水産省と経済産業省は、川上 から川下までの蚕業・絹業全体を何とかして残 していこうとしています。 大日本蚕糸会は、 一番の川下である販売業 (大 手デパートや京都の西陣など)で国産の生糸で 織った着物を売ってもらう働きかけをしていて、 純国産の生糸であることを示すマークをつくり ました。アンケートをとりましたところ、高級 な着物を買うような人の多くは、生糸も日本で 生産していると思っていたと答えています。実 は生糸のほとんどが中国製か、あるいはブラジ ル製です。ブラジルには広大な桑畑があって、 そのうち中国も負けるのではないかという勢い で生産が伸びています。中国にしてもブラジル にしても安いからといって品質が悪いわけでは ありません。天産品の特質として、生産量が多
林 良博
はやし よしひろ
独立行政法人 国立科学博物館長
(専門はバイオセラピー)
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に個体数密度の高い西部林道を訪れる と、昼間でも一〇頭を超えるヤクシカ を見かける。そのため、駆除による個 体数管理が行われており、平成二四年
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過剰なシカの存在はさまざまな問題を 引き起こすが、シカ自体もまた生態系 の重要な一員である。このバランスを 保全するにはどうすればいいか、自ら
図 2 ヤクシカの個体数密度が高く,林床植生が乏しくなっているところ.
度には約四五〇〇頭ものヤクシカを捕 獲している。屋久島を訪れる前にもこ の実情は知識としてあったものの、自 分の目で見たインパクトは大きかった。
図 1 島内で比較的ヤクシカの個体数密度が低いところ.
忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑬
屋久島の生態系保全と ヤクシカを獲ること食べること くろいわ ありか
黒岩亜梨花
めとする独自の森林植生を有しており、 亜熱帯から冷温帯に及ぶ植生の垂直分 布を見ることができる地である。一九 九三年には、優れた景観と自然環境が 評価され、日本で最初の世界自然遺産
九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程三年 (専門は保全生態学)
私がはじめて屋久島を訪れたのは、 学部四年生だった三年前の夏のことだ。 豊かな自然に恵まれた屋久島は、生態 学を学ぶ私にとって憧れの地であった。 屋久島は、樹齢数千年の屋久杉をはじ
に登録された場所でもある。この遺産 地域の保全管理を行うために設置され た、屋久島世界遺産地域科学委員会ヤ クシカワーキンググループの現地視察 に同行させてもらったのが、私が屋久 島を訪れたきっかけである。 私は、自身が抱いていた屋久島の森 林のイメージと実際の姿とのギャップ に驚いた。屋久島といえば下層植生が 豊かな苔むす森を想像していたが、実 際は林床がかなり空いているように感 じた。その原因は、シカなどによる採 食である。近年、全国的にニホンジカ の増加が騒がれているが、屋久島も例 外ではない。ニホンジカ亜種であるヤ クシカが、一九七一年から一〇年間に とられた禁猟措置や森林伐採に伴う良 好な餌場の増加、狩猟者の減少などの 要因によって急増しており、採食によ る植生の衰退や農林業被害が報告され ている。ヤクシカの活動が活発になる 夜間には交通事故が多発しており、特
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「かわいそうだと思うか?」と尋ねら れた。何も言えず黙っている私に、猟 師さんはこう言った。「確かにかわいそ うかもしれん。でもかわいそうなのは
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ることと、 その被害額は認識していた。 けれど、その言葉を聞くまで、彼らの 生活を想像できていなかった。 また、箱罠にシカがかかったという
図 6 くくり罠にかかった小鹿.
こっちだって同じだ。こっちだって生 活がかかっているんだ」 。 屋久島の住民 たちは、ヤクシカによる農業・生活被 害を受けている。私は、その事実があ
図 5 箱罠にかかったヤクシカ.
が屋久島の生態系や地域コミュニティ に入りながら考えたいと思って研究す ることを決意した。 修士一年となり、再び屋久島を訪れ た私は、まずヤクシカそのものについ
図 4 くくり罠を仕 掛ける様子.
て知る必要があると考えた。そこで猟 友会の方々に協力を依頼し、捕獲個体 を調べることにした。植生が乏しくな ったヤクシカは何を食べて生きている のか、今後も個体数を増加させうるの
図 3 島内で最も高密度である西部林道脇で撮影した写真.たくさんのシカ がおり,近づいてもあまり逃げない.
か、胃内容物や栄養状態を調べること で明らかにしようと考えたのだ。 まだ研究の途中ではあるが、ヤクシ カの栄養状態は高密度下でも良好で、 個体数増加の余地があること、屋久島 外のニホンジカ他亜種と同様に、植生 が乏しくなった地域のヤクシカは不嗜 好性植物の利用を開始していることな ど、 少しずつ分かってきたことがある。 今後も研究を続けることで、ヤクシカ がどのようにして個体数を維持してい るか、どのような対策をとるのが有効 かを考えていくつもりである。 そして、この研究の選択がきっかけ で、私は猟師さんから多くのことを学 ぶこととなった。 猟師さんが仕掛けている罠の見回り に同行させていただいたときの話であ る。見回りをしていると、今年産まれ たばかりの小鹿が罠にかかっていた。 愛らしい小鹿が捕獲されるところを見 た私の顔が引き攣っていたのだろう、
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これまでなんとなく繰り返していた 「いただきます」と「ごちそうさまで した」の言葉の重みとその大切さを、 身をもって感じている。今でも涙は流 れるけれど、その涙の意味と私の気持 ちは確かに変わっている。 ヤクシカを食べるだけではない。私 の今の興味は、食べられない部位をど のように利用できるか、というところ にある。まだ明確な答えはないが、頭 骨標本やなめした皮は、自然観察会や サイエンスワークショップを行う際の、 良い教材にもなる。 屋久島での研究を始めて、二年あま り経った。自然と寄り添い、共に生き ること。 「命」に対する感謝の気持ちを 忘れないこと。分かっているようで分 かっていなかったことに、気づかされ る日々である。自然の摂理に従った生 活をすることが、ヒトも含めた生態系 の維持につながっていくのかもしれな いなあと、ぼんやり考えている。
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切れずに、陰で泣いてしまうことが多 かった。しかし、屋久島で過ごす日々 の中で、命を「奪う」のではなく、命 を「いただく」という自然の営みに気 づいた。私もヤクシカを捌く手伝いを し、食べる。 「死」と向き合うことで、
図 9 頭骨標本となめした毛皮.
い。だから、どんな料理にも使えて美 味しい。人が食べない骨は、犬の餌と なる。いただいた命は、他の命につな がっていく。 屋久島に入り始めたばかりの頃、 「死」を目の当たりにすることに耐え
図 8 ヤクシカ肉のロースト.
連絡を受けて、私は現場を訪れた。そ こは、庭の作物や園芸植物が食害を受 けて困っているとの相談を受けたため に、猟師さんが罠を仕掛けていた場所 である。この付近では、 「かわいそうだ から」という理由で、猟師さんが仕掛
けた罠を外してしまう人がいる、とい う話をされた。肉を食べないのか、植 物だって生きているが野菜を食べない のか、虫採りをしないのか、大小の差 こそあれ、みんな他の命のうえに成り 立っているのだと気付かされた瞬間だ
った。 自分が生きるために、他の命をいた だく。これは、自然の摂理である。だ から捕獲する。捕獲したヤクシカは解 体して、肉を食べる。ヤクシカの肉は 栄養価が高い上、臭みも少なく柔らか
図 7 ヤクシカの解体をする筆者.
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回転する渦のちから!
たとえば
先っぽに突き刺しやすい。
・けんだまの玉をまわしておくと、
渦をつくると早く出せる。
・ペットボトルから水を出すとき、
・まわっているコマは倒れにくい。
・ ・ ・
空気砲の弾はただの空気なのに、なぜそんなに 勢いがあり、遠くまで飛ぶのか?それは、出てく る空気の弾が、ドーナツ型の渦の輪になっている ことに秘密が。回転しているものは周りの影響を
など。どれも回転させることで。安定さ
文・構成 平松 あい)
シロイルカのバブルリング (しまね海洋館アクアス)
せているのです。
(こどもサステナ
ぼくも うずのわ つくれるょ
受けにくく、安定しているからなのです。
0歳からの こども サステナ にまなぶ
2014 夏の号
見えない弾の威力 (空気砲) 男の子は戦いごっこが好きである。バンバン!と銃 (を撃つまね)はとても好きである。撃たれる方はあ まり気分がよくないのだが、まあそれでも実際は痛く もかゆくもないわけで、時々倒れるまねなんぞしてあ げる。度が過ぎていやになってくると、 「これは元気 が 出 る 銃だ 」と い い よう に 解 釈 して 相 手を し た りす る。しかし手まね銃は、撃っても実際うんともすんと もならないのだが、かといって、弾が出るピストルは オモチャだとしても危なっかしい。安全かつ手ごたえ のある銃、そんな銃はないものか。 それが
・ ・ ・
あるのだ! 空気を弾にした、空気銃(空
気砲)という遊びが。空気だからといってあなどるな かれ。かなりの威力なのである。ダンボールで作った 空気砲は、数メートル先の的も吹っ飛ばすほどの力が ある。お手軽なのは、ペットボトル空気砲。ペットボ トルのお尻の部分を切り取り、そこに口の部分を切り
取った風 船をかぶせてビニールテープでとめれ
ば、できあがり。はがきサイズくらいの厚紙に適
当な絵を描いて的を作れば、あっというまに射撃
ゲームの準備完了!男の子ハマります。対抗戦は
特 に 大 盛 り 上が り☆ 空 気砲 の弾は 結 構 勢 いが あ
るのだが、見えないので当てるまで試行錯誤が必
要である。煙や色水を使うと可視化でき、渦の輪
になって進んでいくのが確認できて面白い。
空気砲でなくても、見えない空気の力というも
のは誰しも感じたことがあるのではないだろう
か? 場の雰囲気、見えない圧力、カリスマ、その
場の流れ、以心伝心。人も見えない弾を発してい
るようである。そして空気を読む人・読めない人。 最近は「空気読み。」な るゲームアプリもある ようだ。私達を取巻く 見えない力がもし見え
たら、すごそうである。