サステナ第35号

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ん駄目になってしまうように感じてい ます。サステイナビリティをぜひとも 実現したいと考え、国立環境研究所も さまざまな取り組みをしています。 サステイナビリティといいましても、 具体的に何をしていったらいいのかわ からないことが多かったり、本当にう まくいくのだろうかという疑問があっ たりもします。サステイナビリティに わからないことがあるからといって、 ただただ手をこまねいているわけには いきません。いまできる限りのことを いましていかなければならないと思い ます。 今日のようなディスカッションの機 会に、問題点を議論して、何かしら皆 さま方につかんでいただけるものがあ ればいいと願っています。 この会合が、 サステイナビリティを前進させていく 一つのきっかけになれば主催者として すばらしいことだと思います。

司会 住先生、どうもありがとうござ いました。 それではただいまより基調講演に移 らせていただきます。 「日本『再創造』――プラチナ社会 の都市・地域戦略」と題しまして、サ ステイナビリティ・サイエンス・コン ソーシアムの前理事長で顧問の小宮山 宏先生にお願いいたします。 小宮山先生は、一九七二年に東京大 学大学院工学系研究科博士課程を修了 し、同大学工学部長、理事副学長など を経て、二〇〇五年に東京大学総長に 就任されました。二〇〇九年三月に総 長を退任されてからは、総長顧問、三 菱総合研究所理事長に就任されました。 二〇一〇年のSSC設立時に理事長に 就任され、本日のSSC総会で理事長 を退任されて顧問になられました。ご 専門は、地球環境工学、知識の構造化 などで、著書に『地球持続の技術』 (岩 波新書) 、 『 「課題先進国」日本』 (中央

公 論 社 )」、『 Beyond the limits to 』 ( Springer )など多数ござい Growth ます。現在は、本日のご講演タイトル や著書の『日本「再創造」――「プラ チナ社会」実現に向けて』 (東洋経済新 報社)にありますように、サステイナ ブルで希望ある社会を築くため、生活 や社会の質を求める「プラチナ社会」 を提唱し、プラチナ構想ネットワーク の会長も務められています。 それでは小宮山先生、どうぞよろし くお願いいたします。

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サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム一般公開講演会

サステイナビリティと 環境未来都市 サステイナビリティを実現するうえで都市が注目されています。環境未来都 市や環境モデル都市づくりが進んでおり,大震災後の復興においても重要な 役割を果たしています。また,アジアに目を向ければ,低炭素都市の構築や それを進める二国間クレジット制度(JCM)などが進められています。サス テイナビリティと環境未来都市に関する最新の研究成果や事例を紹介して, 今後の方向について意見交換をしました。 ●共催:サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC) 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) 国立環境研究所(NIES) 地球環境研究戦略機関(I GES) ●日時:2014 年 5 月 17 日(土)14:00~17:00 ●会場:つくば国際会議場 3 階中ホール

司会 それでは開会に当たり、SSC を代表して、国立環境研究所の住明正 理事長からご挨拶をいただきます。

■開会挨拶

住 明正

すみ あきまさ

サステイナビリティ・サイエンス・コ ンソーシアム(SSC)理事 国立環境研究所理事長

本日は非常に天気がよくて、どこか に出かけたいと思うようななかを、こ の講演会にご参集いただきましてまこ とにありがとうございます。どこか遊 びにいかなくても楽しかったと思って いただけるような講演会になればと思 っています。 サステイナビリティは二一世紀の世 界を切り開いていく新しい概念です。 そうなっていかなければ社会はだんだ

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図①

と変わったのが産業革命でした。産業 革命で一気に生産力が上がり、産業革 命を経た国が先進国になりました。産 業革命はイギリスに始まってヨーロッ パに広がり、その分身である北アメリ カとオーストラリアも先進国になりま した。残りのアフリカ、アジア、南ア メリカはどうだったかというと、植民 地ないしは植民地同然の状況になった です。 ごく最近になって、先進国の値が急 激に落ちています。先進国ではGDP がせいぜい年率一パーセントしか伸び なくて、ほぼ一定になってきているの に対して、途上国のGDPはどんどん 上がっています。要するに差が縮まっ てきたということです。途上国が上が ってきたのは工業化です。工業化を進 めることで先進国に追いついてきたの です。産業革命が地球上のどの国にも 広がったということです。これがいま われわれが生きている時代の状況です。

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■基調講演

日本「再創造」 プラチナ社会の都市・地域戦略

こみやま ひろし

小宮山 宏

最初の図は、アンガス・マディソン さんがつくったデータに基づいて作成 したものです(図①) 。過去一〇〇〇年 間にわたるGDPのデータがあって、 そこからどのようにしたら本質的なこ とが引き出せるかといろいろなプロッ トを考え、一番いいと思うのがこの図 です。

人類史の転換点

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)顧問 プラチナ構想ネットワーク会長 三菱総合研究所理事長、東京大学総長顧問東京大学総長顧問

この講演の時間は三〇分ということ でありますが、住さんが持ち時間五分 のところをいま一分しか話さなかった ので、私に四分ぐらいの時間ができた と理解しています。 今日は、二一世紀を切り開く概念だ と住さんもいわれたサステイナビリテ ィについて少し深く考えてみたいと思 っています。

縦軸は各国の一人あたりのGDPで す。ただし、一〇〇〇年前といまとで はGDPが一〇〇〇倍ぐらい違います から、そのままグラフにするとわかり にくくなってしまうので、そのときの 世界平均で割った値で示してあります。 二〇世紀の終わりに先進国の値が三~ 四ぐらいになっているのは、先進国の 一人当たりのGDPが世界平均の三~ 四倍だという意味です。途上国はイン ドと中国だけが記してあります。イン ドと中国の値が最も小さくなったとき は〇・一ぐらいしかありませんでした ので、一人当たりのGDPでは、先進 国と途上国の間に三〇~四〇倍の開き があったということです。 一〇〇〇年前は一人あたりのGDP はどこの国もほとんど同じでした。産 業はほとんどが農業で、食べるのに精 いっぱいという時代でした。日本でも 江戸時代には農業人口が約八五パーセ ントでした。そのような状況がガラッ

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それに長寿も獲得しました。そうなっ たときに、社会はこれから一体何を目 標にして成り立っていくのだろうかと いうと、人生の質、クオリティ・オブ・ ライフ(QOL)をより高いレベルで 実現していくということではないかと

思います。そして大きな課題が持続性 です。そのようなことのできる社会を プラチナ社会と定義しようと私は主張 しています(図③) 。 プラチナ社会の必要条件は何でしょ うか(図④) 。一つは間違いなくエコロ ジーです。そして、資源の心配がない こと。それから、高齢者が増えるのが 悪いのかというと、そのようなことは 決してないと思います。高齢者も含め た参加型の社会になっていくことが大 事です。雇用があることも大切です。 昔はみんなが農業に携わって生きてい ました。いまは二〇〇人に一人が農業 をすれば食べていけます。 逆にいえば、 二〇〇人に一人しか農業はやれないの で、他の人は違うことをしなければな りません。産業革命で工業が大きく発 展して工業に携わる人が増えましたが、 いま日本の工業人口は二五パーセント です。工業に携われるのは一〇〇人に 二五人です。残るところはサービス業 図④

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転換期の戦略 ――プラチナ社会 以上のような文明の状況を個人の立 場からみると、衣食住が足りて、移動 の手段も情報を獲得する手段も得て、 図③


一〇〇〇年前には一人当たりのGD Pは、国家間での差がなかったので、 国全体のGDPは人口に比例していま した。アジアは世界の人口の六割を占 め、したがって世界のGDPの六割を 占めていました。いまはまた同じよう

な状況に向かっているのです。 つまり、 一〇〇〇年前よりはるかに豊かなレベ ルでGDPは人口に比例するというこ とになっていくのです。 その結果として何がおきてくるかと いいますと、人工物の飽和です。日本 には、住宅が五八〇〇万軒あって、世 帯数は五〇〇〇万ですから、八〇〇万 軒は空き家です。家は余っているので す(図②) 。自動車はほぼ二人に一台あ ります。家も自動車も飽和状態です。 人工物が飽和すると、経済が成長し なくなります。日本には車が五八〇〇 万台であって、いまは更新需要しかあ りません。古い車がスクラップにされ て、その分だけ新しい車が売れるとい う状況です。新車は大体一二年で廃車 になります。五八〇〇万台割る一二年 で、一年に四九〇万台弱が新たに売れ るという計算です。これが日本の経済 の成長がほぼ止まってきているという ことの本質的な背景です。

図②

サステイナビリティという観点から みると、これは悪いことではありませ ん。 毎年五〇〇万台の自動車を廃棄し、 それをリサイクルして同じ台数の新車 をつくるのならば、新たな資源はいら ないということです。スクラップのな かに鉄もアルミニウムもレアメタルも 全部あります。人工物の飽和はリサイ クル社会の持続性ということにつなが っていきます。 人工物の飽和のほかに、平均寿命が 伸びました。調べてみると二〇世紀の 入り口でも世界の平均寿命は三一歳で した。非常に短かったのです。二〇一 一年の世界の平均寿命は七〇歳です。 平均寿命は急速に伸びて、人類は長寿 を手にしました。アフリカにおける飢 餓とか、先進国のなかにもみられる貧 困だとか、 重要な問題はあるにしても、 これだけ長寿になったことをみれば、 人類の文明は成功したといっていいと 思います。

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から、工業で省エネをすると日本全体 で大きな省エネになりました。 いまは、 逆に六割近くが、輸送とオフィスと家 庭で使われています。 私はそれを 「日々 の暮らし」といっています。そこを減 らすことが重要です。理論的にはゼロ に近づけていくことができます。わか りやすいのは暖房です。寒い日に家に 帰って暖房のスイッチを入れるとすぐ 暖かくなります。それで暖房のスイッ チをどうして切らないのかというと、 熱がどんどん逃げていくからです。暖 房というのは部屋の中を温めているの ではなくて、部屋の外を温めているの です。断熱が重要です。 私の家、 「小宮山エコハウス」の話は もう聞き飽きたとおっしゃる方もおら れると思いますが、我が家では一一年 前にエネルギー消費を八一パーセント 減らしました。そのときの投資分はほ とんど回収しました。エコハウスにし たからといって、建築費は普通の家と 図⑥

比べて一〇パーセントも高くなってい ません。 いまやるべきことは、エネルギー効 率の向上です。東日本大震災前に日本 の電力消費は一兆一〇〇〇億キロワッ トアワーでした。二〇一三年には九〇 〇〇億キロワットアワーで、一七~一 八パーセントも減っています。これは 省エネによるものです。我慢をしたり 無駄を減らしたりしたことも含んでの 省エネです。 二〇五〇年のエネルギーを考えてみ ましょう(図⑦) 。いま人工物は飽和し ています。車も家も数はもう増えませ ん。車が一二年で買い替えられるとい うことは、一二年前の燃費の悪い車が 新しい燃費のいい車に入れ替わるとい うことです。それによってエネルギー 消費が減ります。家でも同様に省エネ を進めていくことができます。そうす ると、二〇五〇年には使うエネルギー を半分にまで減らせるでしょう。その

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です。雇用があるということは経済的 にも重要ですし、社会と個人のインタ ーフェイスという意味でも非常に大事 です。 ここまでGDPを使って議論してき ましたけれど、GDPだけでいいのか

図⑤ という疑問は皆さんももっておられる ことでしょう。心の豊かさのようなも のも大切です。豊かさを広くみるため とか、 に、 Inclusive Wealth Index とか、いろ Gross National Happiness いろなものが提案されています。残念 ながらいまはまだGDPの圧倒的な力 に及びません。 図⑤の写真の左右どちらに住みたい でしょうか。左の写真はいまの中国で はありません。一九五〇年代の四日市 です。当時の空はこうだったのです。 われわれは空から煙を取り除き、海の 汚染物質が出ないようにするなどして 公害を克服してきました。これから先 は、多様性、自然との共生といった方 向に進んでいくことでしょう。

転換期の戦略 ――エネルギー エネルギーについて少し詳しくみて

いきます。エネルギーで一番重要なの はエネルギー効率、 つまり省エネです。 そのことを証明したのが一九七〇年代 のオイルショックでした。石油の値段 が一気に一〇倍、二〇倍に跳ね上がり ました。そのころの日本は安い原油を 輸入することで工業化を成功させてい ましたので、これでもう日本は駄目だ ろうといわれました。どうやって乗り 切ったかというと、石油の代わりに石 炭を使ったり、原子力を使ったりした のではなくて、エネルギー効率を上げ たのです。図⑥の左上にセメントの例 を示しましたが、一トンのセメントを つくるエネルギーを半分に減らしまし た。鉄でも紙パルプでもすべての工業 で効率を上げてエネルギーを半分に減 らすというかたちで、原油価格の値上 がりを解消して、世界に冠たるものづ くり大国になったのです。 当時の日本では、エネルギー消費の 三分の二がものづくり産業でした。だ

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子どもや孫の世代がきちんと生きてい けるようにするのは、いつまでも加工 貿易などといっていては駄目です。そ れに代わる新しいモデルは何かという と、資源の自給です。

鉱物資源はリサイクルでまかなうこ とができます。鉄は鉄鉱石からつくる よりも、スクラップを溶かしてつくる ほうが安くできます。空気中に酸素が 存在するために、鉄鉱石中にあるのは 酸化鉄です。酸化鉄から酸素を取り除 くにはたくさんのエネルギーを使いま す。スクラップを溶かして鉄を取り出 すためのエネルギーは、酸化鉄から酸 素を取るエネルギーの二七分の一です。 アルミニウムなら八三分の一です。だ から圧倒的にスクラップから得たほう が安いのです。 木材資源も、山に人が入って、木を 植えて、育てて、切って、また植える という循環をきちんとつくり出させば 日本は一〇〇%の自給が可能です。昔 の日本に戻るということではなくて、 新しい科学技術を動員した自然共生社 会をつくっていくのです。 図⑨

転換期の戦略 ――高齢社会

資源とともにいまの日本の大きな課 題は高齢社会です。高齢社会の議論を すると、健康保険、介護保険を維持す るためにもっとお金が必要だ、そのお 金を高齢者が払うのか、現役世代が払 うのか、どちらにしても足りなくなる ので保険を使うのを抑えようとか、だ いたいこのようなことばかりがいわれ ています。この議論だけでは答えは出 ません。 ではどうしたらいいのかを考えるス タートとなるのが図⑨であると私は思 っています。これは秋山弘子さんが六 〇〇〇人の高齢者を対象に二五年間調 べた結果です。お風呂に一人で入れる か、階段を上れるかといった肉体的な 項目と、電話を一人でかけられるか、 買い物に一人で行けるかといった知的 な項目、合わせて六項目で、人がどの

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一方で、再生可能エネルギーを増やし ていけば、エネルギーの自給率を七〇 パーセント以上にすることが可能です。 日本全体でエネルギーの地産地消が 可能になっていくのです。エネルギー だけでなく、すべての資源に関しては 自給国家を目指しましょうというのが、

二一世紀の日本の戦略です(図⑧) 。 私たちは、小学校のころに加工貿易 というのを習いました。日本は資源が ないから、資源を輸入してそれを加工 して製品にして輸出し、儲けたお金で 資源を買ってまた加工して売るという ことで経済を発展させてきました。い

図⑦

までも日本はそれを前提として動いて いるのですが、それはもう成り立つは ずがないものとなってきています。二 〇世紀には、資源が安くて製品が高か ったから加工貿易が成り立ちました。 資源が安くて製品が高かったのは、工 業製品をつくれる国が世界の一〇パー セントしかなくて、残りの九〇パーセ ントは工業製品を買うために資源や農 産物を売るしかなかったからです。ソ ニーが元気だったころには小さなトラ ンジスタラジオ一個と大きな袋に入っ たカカオ豆三袋とが等価交換されたと いわれています。 二一世紀になって、途上国も工業製 品をつくれるようになりました。先進 国が新しいものをつくってもすぐに途 上国が追いつきます。工業製品は加工 する分、 資源よりももちろん高いです。 しかし、九割の途上国が資源を売って 一割の先進国から工業製品を買うとい う状況はなくなりました。 二一世紀に、

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図⑧


うベンチャーがつくっているHALと いうロボットです。人の体からの漏れ 電流を検知してモーターが動いて人の 足の動きをサポートしてくれます。人 が足を動かそうとするとき、頭から電 流パルスが出て、神経を通じて足の筋

トする機能もできてきます。スプーン を動かしたりして食事を支援するロボ ットも考えられています。 人間は頭が生きている限り自立でき るというのがこれからのモデルです (図⑫) 。 脳から出る電気パルスを検知 してロボットを動かすこともできます し、逆にロボットから電気パルスを人 の脳に送ることもできるようになるで しょう。目が見えない人を支援する実 験が進められています。光が目に入る と、水晶体のレンズによって網膜に像 が結ばれ、それよって生じた電気パル スが神経を通じて脳にいき、脳のなか で電気パルスが処理されて「見える」 ということになります。水晶体と網膜 の代わりにデジカメのようなものを使 って、そこからのアウトプットを視神 経につないでやったら、目で見たのと 同じようなことになると考えられます。 私が東大にいたころには、明暗の判別 がつくようになって興奮していました 図⑫

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肉へと伝わります。頭からの電流の一 部は皮膚の表面に漏れますので、それ 検知してモーターが動くのです。HA Lはリハビリに使っていますが、やが ては、リハビリだけでなく、膝がおか しくなった人が歩くのを本当にサポー 図⑪


ようにして自立性を失っていくかを調 べました。 七割の人は七〇代の後半から徐々に 自立性が落ちて九〇歳ぐらいで亡くな ります。一割ぐらいの人は九〇歳ぐら いになってもほとんど落ちません。合 わせて八割ぐらいの人たちは、長期に

図⑩ わたって介護されるようなことはあり ません。あっても最後の短い期間だけ です。長寿社会、あるいは高齢社会は 介護社会だとすぐにとらえてしまうの は間違いです。二割近い人が、六〇代 前半から脳血管障害をおこすなどして、 長期の介護になっています。だから答 えは明確です。いかにして二割近い人 を減らすのか、そして介護を必要とす るようになった人をどうやって支援し、 自立できるようにしていくのかという ことです。 そのために何をしていくのか。たと えば断熱住宅です(図⑩) 。私の家でエ ネルギー消費を八一パーセント減らし たと申し上げました。断熱住宅はエネ ルギーの観点からみて非常に重要であ るとともに、病気を減らすということ からも重要です。古い日本家屋から断 熱のいい住宅に変えて一年以上住んだ 人、一万人以上について心臓疾患など 一〇の領域の有病率を調べたデータが

あります。心臓疾患は八一%、アトピ ー性皮膚炎は六割、 気管支喘息は七割、 いずれも激減です。古い家では一カ所 にしか暖房がなかったりしますから、 部屋を出入りするたびに心臓に負担が かかって、心臓疾患を引き起こすとい われています。いわゆるヒートショッ クです。アトピー性皮膚炎は室内のカ ビと関係があるといわれています。一 枚ガラスの窓ですと、冬に結露して下 に水が垂れ、カビの生えやすい条件が 生まれます。 このように、断熱住宅はクオリテ ィ・オブ・ライフを高めるという意味 でも重要ですし、住宅を建てるのに国 内の木材資源を使うようにすれば、先 ほど申し上げた自然共生系を築いてい くのにも貢献します。 少しずつ自立性が落ちてきた人たち の支援として、ロボットの活用が考え られます。図⑪の左の写真は、山海嘉 之先生のサイバーダイン株式会社とい

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の場合に腰痛に一番効果があったのは 鬱病の薬でした。心療内科で脳のほう に原因があるといわれて、鬱病の薬を のむことでよくなったのです。だから といって他の人の腰痛も鬱病の薬で治 るわけではありません。 図⑭

その他に、偏頭痛、心疾患、アトピ ー、アレルギーなど治しにくいものが 増えてきています。そのようなものこ そビッグデータの出番です。どういう 病気にどういう生活習慣があるとか、 どういう症状にどういう処方をしたら どういう結果になったとか、データベ ースを活用することで病気を治療でき るようになって、大きな産業が生まれ てくると私は期待しています。

プラチナ社会の実現に向けて プラチナ社会の必要条件をみてきま したが、プラチナ社会を実現するには どのように進めていったらいいのでし ょうか。日本全体をプラチナ社会にと いうことになると、大きすぎて上から いっぺんに動かすというわけにはなか なかいきません。地域でできるところ から進めていくのが大事だと考えてい ます。

そのためにプラチナ大賞というのを 始めました(図⑭) 。プラチナ社会に向 かっていくようないいリーダー、いい サポーターが出てきた地域に賞をさし あげます。 今日のテーマは環境都市です。プラ チナ社会を実現していくには、国の動 きについていくというのではなくて、 都市でも地域でも、自分から動いてい くことが重要であると考えています。 キーワードはコミュニティ、健康・医 療、エネルギー、環境、観光などです (図⑮) 。 コミュニティで大事なのは多様性で す。女性が参加するのは当たり前で、 老若男女を問わず、外国人も参加する ようなコミュニティをつくっていきま す。健康・医療の目標は自立です。病 気になったり介護が必要なったりした ときの支えをどうしていくのかという ことで、ロボットやビッグデータの話 をしました。エネルギーの自給を地域

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図⑬

が、いまではものの形ぐらいまでわか るようになっています。 人間の体と一体化したような機械が どんどん進化していきます。人間は生 きている限り自立できる時代が必ずき ます。人間をサポートする機械は、自 動車よりもおそらく大きな産業になる でしょう。 そのような健康・自立産業で大きな 意味をもってくるのが、いわゆるビッ グデータです(図⑬) 。現代の医療の発 展は、 たとえば赤痢の原因は赤痢菌で、 それを殺す抗生物質で赤痢を治療する というコッホやパスツール以来の考え 方に基づいています。ところが、その ような考え方では成り立っていかない 部分がいまの医療では大きくなってい ます。たとえば、腰痛の八割は原因不 明で、医者に行って治るのは二割だけ で、ほとんどの人は治りません。 『椅子 がこわい』という夏樹静子さんが書い た本があります。腰痛の話です。彼女

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司会 小宮山先生、ありがとうござい ました。 続きまして次の講演に移らせていた だきます。国立環境研究所社会環境シ ステム研究センターの藤田壮センター 長にお願いします。 藤田センター長は、一九八三年に東 ■講演

京大学都市工学科を卒業後、ペンシル バニア大学大学院で都市地域計画を専 攻され、大成建設で地域開発業務に携 わり、大阪大学助教授、東洋大学教授 を経て、二〇〇五年より国立環境研究 所にお勤めです。ではどうぞよろしく お願いします。

環境都市への転換を通じての 複合的な価値創造への期待 ふじた つよし

藤田 壮

れ替わりの中で現在まで活動を続けて います。村上周三先生や小宮山宏先生 のリーダーシップのもとで、私も委員 として参加し、環境都市とはなにかと

国立環境研究所社会環境システム研究センター長

内閣官房のもとに環境未来都市推進 委員会があります。二〇〇八年に環境 都市の支援を目的として内閣官房の事 務局と有識者が集まり、メンバーの入

いう議論をしたり、環境未来都市・環 境モデル都市の規準や支援の仕組みに ついての協議を行ってきました。今日 のここでのお話の前半は、環境未来都 市推進委員会の委員としてのレビュー になります。 そして、後半で、国立環境研究所で 進めている研究として、福島で進める 社会実装研究についてお話しします。

低炭素社会のトップランナーとしての 環境都市

環境都市の試みはヨーロッパで先行 しています。有名なドイツのフライブ ルク市を最初に紹介します(図①) 。フ ライブルク市では、一九七〇年代ごろ に原発立地反対運動がおきました。原 発に反対するのなら自分でエネルギー をまかなえという動きになり、それか ら環境を看板にする都市となり、いま ではEUの環境首都という称号をもら

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で目指し、自給できたら、さらに自分 のところで使うエネルギーの一〇倍ぐ らいをつくって売るようなことを考え ます。環境については、農業・林業の 大規模化と同時に自然共生社会を実現 していきます。そして観光では、古い

図⑮ 日本の文化も見てもらうのもいいでし ょうけれど、新しいものを見にきても らうということがあったらさらにいい と思います。私たちが若いころにアメ リカに憧れたのは、アメリカに行くと 世界の未来が見えるような気がしたか らです。日本にきたら、いまの世界の 課題が解決されるような都市や地域が 見られるということになったら、それ が観光になることでしょう。 日本の弱点は、大企業が強すぎてベ ンチャーが弱いことです。新しいこと を進めていくには、ベンチャーが続々 と育っていかなければいけません。産 学官連携とよくいわれていますが、ベ ンチャーの育成、支援をどうしていく のかという議論が必要です。 かつてローマクラブが指摘した有限 の地球における成長の限界は、人工物 の飽和によって量的拡大が終わるとい うかたちで現実のものになろうとして

います。その先をどうしたらいいのか というと、クオリティ・オブ・ライフ を考えること、プラチナ社会を実現す ることだと思っています。それに向け て真剣に議論し、アクションをおこし ていくことがいま重要だと思います。

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とがいわれ、世界にその実例がないだ ろうかと探されて、アメリカとヨーロ ッパの学者がみつけたのがここでした。 カルンボーはコペンハーゲンから一〇 〇キロぐらいのところにあって、持続 的発展、あるいは産業共生のメッカと

生利用したり、排熱を配管で送ってい ます。日本で一九九四年ごろからゼロ エミッション都市ということがいわれ 始めた時に一つのひな形になったのが このカルンボーでした。 このような環境都市が世の中での関 心が高まってきたのは、低炭素が重要 な社会の課題となったことが背景にあ ります。低炭素社会の実現が環境都市 から発信されるとともに、環境と共生 することが都市の持続的な発展につな がると考えられているからであるとも いえます(図④) 。二〇五〇年に低炭素 社会を実現するという長期目標を立て、 いわゆるバックキャスティングで今か ら何をするかを考えたときに、国全体 で一律な方策を考えることは一般的に は困難です。国全体の転換に限界があ るとすれば、まずは都市の規模で考え て、そのなかからトップランナーの実 践を行う都市が出て、それが地域や国 全体に波及していくようになればいい 図④

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なっていて、世界各地から大勢の人が 訪れています。産業共生というのは、 火力発電所、セメント工場、化学工場 などが立地した産業地域があるととも に、住宅も農地もあって、これらすべ てをネットワークで結んで廃棄物を再 図③


うまでになっています。フライブルク 市というとLRT(路面電車)が有名 ですが、それを走らせるには、中心市 街地から自動車の侵入を締め出すなど、 日本では実現が難しい交通規制を実施 したり、そのための土地利用規制があ

図① ったりと、かなり緻密な社会システム がつくられています。 また、スウェーデンにはベクショー という町があります(図②) 。世界のバ イオマス都市の最先端といわれていま す。先ほど小宮山先生がおっしゃって

いたプラチナ社会の林業システムがこ の町でできつつあって、複合的な林業 の振興のために木造の住宅が建設され ています。中央の写真の建築物は八階 建てで、これが木造です。興味深いの は、この住宅のすぐ近くにバイオマス 施設をもってきて発電していることで す。バイオマスの利用効率は、発電だ けですとたかだか二〇パーセントでし かないのですが、熱も利用すると六〇 パーセントぐらいが有効に使えるよう になります。熱の利用にはいろいろな 技術があってもせいぜい五キロぐらい しか運べませんので、ベクショーでは 住宅を近くにバイオマス発電をもって きています。このような町づくりが進 められて、ベクショーの人口は右肩上 がりに増えています。 三つ目の事例が、デンマークのカル ンボーです(図③) 。この町は研究者の 間でよく知られています。一九九二年 のリオサミットで持続的発展というこ

図②

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図⑥

地域で合計約二〇〇のリサイクル事業 が展開されています。 二〇〇八年になりますと、日本発信 の横断的・包括的な環境都市の試みが 始まりました。洞爺湖サミットで当時 の福田康夫総理が打ち上げ、その次の 麻生太郎総理のときに環境モデル都市 が一三指定されました(図⑥) 。現在は 計三回の指定を経て二六の環境モデル 都市があります。北九州市や横浜市の ような大きな都市もあれば、人口が一 万人を切るような北海道の下川町や熊 本県の小国町もあります。 この環境モデル都市には、私もコン セプトづくりの段階から関わってきま した。都市とか環境が世の中を注目さ れていても、縦割り行政のなかで、ど れだけの都市が応募してくれるだろう かと、われわれ審査委員は心配してい ました。実際に蓋を開けてみますと、 第一次のときに九〇もの自治体から応 募がありました。また、このような申

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図⑤

という考え方で、環境都市が注目され るようになった経緯があります。ドイ ツ、スウェーデン、デンマークなどで そのような戦略がとられてきています。

日本の環境モデル都市、 環境未来都市

次に日本の状況です。武内和彦先生 が主導をされた一九九七年から始まっ たエコタウン事業があります(図⑤) 。 北九州市はもともとゼロエミッション、 あるいは資源循環型の都市ということ で日本の先頭を走っていましたが、北 九州市を始めとして、日本全体で二六 の都市がエコタウンとして国の指定を 受けています。 エコタウン事業は経産省と当時の厚 生省(現在は環境省)が共同で進めて きた事業で資源循環の産業支援や廃棄 物処理が事業の焦点となっています。 現在までに、二六のエコタウン都市や

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図⑧

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図⑨


請を自治体がするときには、関係する 部署の職員が一人で書類をつくるとい う感じのことも少なくないのですが、 このときは多くの自治体で市長・副市 長のイニシアティブのもとにチームを 組んで応募してきました。指定後も、 チームで横断的な政策を進めています。 環境都市への期待を図⑦にまとめま

図⑦ した。このように大きな期待を担って いますので、環境モデル都市の事業は 内閣官房の事業として省庁横断的に行 われてきました。時代の要請に応じて それは姿を変え、二〇一一年からは民 主党政権のもとで、環境未来都市とい う名前になりました(図⑧) 。 環境未来都市は環境だけではなく、 先ほど小宮山先生がおっしゃったクオ リティ・オブ・ライフを念頭に、環境 価値、 社会価値、 経済価値を統合して、 成長戦略の柱になるような都市を選ぼ うということで、環境モデル都市のな かから厳選し、それに被災都市も加え て、合計一一カ所が選ばれました。 環境モデル都市・環境未来都市のも う一つの特徴は事業の進め方にありま す。環境モデル都市・環境未来都市は いわゆる箱物行政ではありません。選 ばれたからといって何千億とかのお金 が付くわけではないのです。総合特区 の仕組みを並行してつくって、政府と

しては各省庁の事業予算を付けつつ、 必要な規制を緩和して、社会を転換す るモデルにするための裏支えをしてい ます(図⑨) 。環境モデル都市と総合特 区を生み合わせて、省庁内の協議でク ローズドなかたちで規制されていたも のが、オープンなかたちに変わってい く一つのきっかけにならないかと期待 しているところです。 このつくば市も環境モデル都市と国 際戦略総合特区に指定されています。 グリーン・イノベーションとライフ・ イノベーションをうまく組み合わせて、 イノベーション事業を支援しながら、 環境モデル都市を展開していこうとし ています。

環境イノベーションへの期待

環境都市は低炭素から始まりました が、 資源循環・資源共生なども含めて、 社会と経済の価値を高めていこうとす

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図⑫

図⑪は日本の人口です。二〇〇〇年 を境にして、人口増加から人口減少へ というまさに一八〇度違う変化がおこ っています。ということは、これまで の都市づくりの経験知が通用しないス テージにきていると考えなければなら ないのかもしれません。これまでは、 過去の趨勢を伸ばしていけば将来のシ ナリオになりました。いまわれわれは 過去とは一八〇度違うところにいこう としているのですから、過去の経験か らでは次にどこにいくかがわかりませ ん。ではどうするのかというと、いろ いろな賢い方々の意見を総括するとい うのが一つで、それともう一つ、コン ピュータに計算させてモデルをつくる というのがあります。

われわれは、AIM( Asia Pacific )というモデルをつ Integrated Model くってきました(図⑫) 。経済、エネル ギー、 家庭、 交通を統合的に評価して、 二〇五〇年の日本、二〇五〇年のマレ

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る動きへと発展してきました。最近、 問題解決型ビジネスということがいわ れています。日本が直面している少子 化や高齢化、人口減少などの問題に対 する解を出していくというのが、環境 都市に与えられている課題です。これ

図⑩ らの問題は、小宮山先生が先ほどおっ しゃられたように地域から始めるべき だというのはまさにその通りで、環境 モデル都市、環境未来都市はそうした 期待を担って進めているところです。 では実際に何をやるのかということ

図⑪

になると、それほど簡単ではありませ ん。 総論で低炭素化は賛成だけれども、 優先順位を付けて何から進めていくの かとなると難しいというのが多くの都 市で共通します。地域の資源や財産を 活用しながら、新しい技術との適合性 を考えて、社会システムのイノベーシ ョンをおこしていくために、環境モデ ル都市・環境都市のパッケージを設計 して、二〇五〇年にどのような環境都 市を実現するのか、そのためには二〇 二〇年までに何をすべきかといったシ ナリオとビジョンを定量化するような 研究を現在進めているところです(図 ⑩) 。

環境都市を通じた社会実装研究に 向けて

次に、 後半の国立研究所の取り組み、 とりわけ社会実装に向けた話に移って いきます。

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図⑮

ま環境都市に適用できるわけではあり ません。 三つの研究課題があります (図 ⑭) 。一つは将来目標、ビジョンを構築 するためのモデルです。 国ではなくて、 地域でそれを考えます。しかし、ビジ ョンだけですと、バックキャスティン グ的な対策と、いまやりたい対策とが おそらくは一致しないでしょう。長期 のビジョンと短期の価値観を整合させ るかたちで対策を選ぶ、いわゆる技術 評価、政策評価のモデルが別途必要に なります。それが第二の課題です。そ のためには人口構成、産業構成、都市 構成のようなもの考慮する必要がある のですが、都市ごとのデータは限られ ているために、それを補うモニタリン グが必要です。 それが第三の課題です。 ビッグデータを活用した都市モニタリ ングシステムを想定していくことにな ります。

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図⑬

図⑭

ーシア、二〇五〇年のインドネシアの シナリオを描きました。いまのままの なりゆきでいくとどのように二酸化炭 素の排出量が増えていくのか、いまの 社会構造・産業構造はそのままにして 通常の対策を行うと二酸化炭素は何パ ーセント減らせるのかといったことを 計算して出します。 通常の対策ですと、 二〇五〇年で一五パーセントから二〇 パーセントぐらいしか減らせません (図⑬) 。 現状を考えるとむしろこのモ デルよりも減らせるのが少なくなるか もしれません。それですと、低炭素社 会、あるいは持続可能社会には向かっ ていきません。二〇五〇年の将来ある べき姿からバックキャスティングによ って、短期的・中期的な対策を決める ということをしていかなければならな いのです。 モデルをつくって将来ビジョンを描 くという試みはすでに二五年間にわた って行ってきましたが、それをそのま

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図⑯

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図⑰


福島の復興に向けての地域モデル AIMの地域モデルとして、国立環 境研究所では、いま福島AIMモデル をつくっています(図⑮) 。国全体のモ デル、そして次に福島のモデルで、日 本と福島の最適な二〇五〇年を描く計 算をします。 さらにもう一段階進めて、 福島県を七地域に分割したモデルをつ くり、最後に、相馬市とか南相馬市な ど浜通りの北側の自治体の将来ビジョ ン、まちづくり計画に反映するような モデルをつくります。 このようなダウンスケールを行うに は、いままでのAIMとは別のアルゴ リズムが必要になってきます(図⑯) 。 二〇五〇年の日本を考える際には、ど このまちの密度が高いかとか、どこの まちに火力発電所があるとかのいわゆ る空間状況は計算できていませんでし た。都市単位・街区単位でどのような 空間構造になっているのかという地理

情報システムを使って、どのようにす ると二酸化炭素が減るのかといった空 間モデルをつくります(図⑰) 。そのよ うなモデルの研究はまだ歴史が浅くて、 ここ一〇年ほどでつくられるようにな ってきたところです。 図⑱は福島で進めているシミュレー ションの一部です。通常考えられる復 興として、もと通りにしたいという期 待がまずあります。産業が必要だとい うことで、低炭素産業クラスターを形 成したいという話が、いわき市や相馬 市でありますので、それを空間計画に 反映させます。さらに、このあたりを 川崎市や北九州市のようにするには、 産業地域のまわりに熱需要のある住宅 やハウス農業などを計画的に配置して いくことが必要になりますから、複合 型コンパクト都市を考えます。それら を地図に落として、定量化して、一人 あたりの二酸化炭素の排出量を計算し ます。低炭素産業クラスターができま

すと、現状に比べて二酸化炭素の排出 量は三〇から五〇パーセント程度削減 できて、さらに土地利用を考えて複合 型コンパクト都市にすると二〇~三 〇%削減できるようになります。この ような数字をまちづくりの場に提供し て、いわゆるなりゆきの復興ではなく て、戦略的な復興にもっていくことを 議論しているところです。 復興の過程には時間がかかります。 その間には、技術への関心も政策への 関心も変わっていくことでしょう(図 ⑲) 。いま悩んでいるのは、二〇五〇年 の最適化を現在の福島県民に押し付け ていいのかということです。なりゆき でいくのか、それとも、モデルで将来 像を描いてバックキャスティングした ものにそっていくのかということでは、 間違いなくギャップがあります (図⑳) 。 ギャップがあるなかで、地域の声を反 映しながら、多角的にシナリオをつく るにはモニタリングをする必要があり

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図⑳

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図㉑


図⑱

図⑲ 30


■パネルディスカッション

[

] ひでゆき)

サステイナビリティと環境未来都市 司会進行

森 秀行 (もり [ ] かずひさ)

地球環境戦略研究機関( IGES) 所長 パネリスト

小圷一久 (こあくつ みきこ)

地球環境戦略研究機関( IGES) 気候変動とエネルギー領域エリアリーダー

甲斐沼美紀子 (かいぬま ひでお)

国立環境研究所社会環境システム研究センターフェロー

杉本英夫 (すぎもと

としかず)

大林組技術本部技術研究所環境技術研究部主任研究員

松岡俊和 (まつおか

つよし)

北九州市環境局長

藤田 壮 (ふじた

国立環境研究所社会環境システム研究センター長

森 これよりパネルディスカッショ ンを始めます。私がファシリテーター をさせていただきます。よろしくお願 いします。 都市のサステイナビリティを高める ということは、先ほど事例紹介があり ましたように、ヨーロッパでも日本で も、そしてこのごろは途上国でも非常 に重要な課題になってきています。温 暖化への対応だけでなく、広い意味で のレジリアントを高めるということが いわれています。 いろいろな分野の方々がいろいろな かたちでこの課題に取り組んでいます。 このパネルディスカッションでは、四 人の方から一〇分ぐらいずつですが、 取り組みの事例のご発表をいただきま す。そして、先ほどの藤田さんにも加 わっていただいて討論を進めていきた いと考えています。 では最初のプレゼンテーションをI GESの小圷さんにお願いします。

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ます。 ビッグデータとまではいきませんけ れど、福島県新地町で一〇〇世帯を設 定して、タブレットやスマートフォン を使ったモニタリングをしています (図㉑) 。エネルギー情報、健康情報、 災害の意識情報などを集めようとして

図㉒

環境都市研究のこれからの展開

います。このモニタリングは、今まで のアンケートのように一方向ではなく て、こちら側から発信もできるいわゆ る双方向になっています。シミュレー ションの結果をタブレットを使って配 付することも考えていて、二〇一三年 度から研究が始められています。 同じようなモニタリングが環境省事 業でインドネシアで始まっています。 日本の技術を使ってアジアの都市で二 酸化炭素の排出量が本当に減ったのか というのはわかっていないところがあ って、 そのためにデータを集めようと、 インドネシアの都市で大学と連携して 始めています。

司会 藤田先生、ありがとうございま した。 では、ただいまより約一〇分間の休 憩を取らせていただきます。次の開始 は三時半ですので、それまでにお席に お戻りくださいませ。

た地域でのソリューションを設計して、 モニタリングをしながら双方向の情報 によって参加型モデルで実施していく ということを、いくつかの自治体と議 論を進めていこうとしています。科学 的参加型シミュレーションによる探索 型持続シナリオの実現です。 われわれ国立環境研究所社会センタ ーで研究を進めてきたことを紹介させ ていただきました。今後も、サステイ ナビリティ・サイエンスの先生方にご 指導をいただきながら、国内のいくつ かの都市で社会実装に向けて展開し、 さらにはアジアに拡大していきたいと 考えているところです。

最後に、今後の研究の展開です(図 ㉒) 。 長期的なビジョンを構築する科学モ デルをつくり、地域的な特性を生かし

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とくに中小規模での都市化が世界的に 非常に進んでいくことから、今後二〇 年ぐらいは、環境未来都市が社会のメ インストリーム化していく非常に重要

な時期になるとの指摘がなされていま す。よくいわれますように、都市の温 暖化対策が都市のサステイナビリティ を高めます。エネルギー、大気、水、 雇用、競争力など都市がもっている特 性の持続性を温暖化対策が高めていく ことになるのです。 環境未来都市をつくる好機であると いいましたが課題もあります(図③) 。 多くの都市で温暖化対策を実施してい て、具体的に条例等も含めて対策を取 っています。しかし、それが排出削減 にどれだけのインパクトを与えている のかということはまだ明らかになって いません。温暖化対策の影響を明らか にすることは、具体的にモニタリング するためのインフラを含めてまだ発展 途上にあります。今後は科学的に評価 し検証していくためのシステムも含め て都市レベルで導入していく必要性が 指摘されています。 では、具体的にどのように進めてい

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温暖化対策が注目されています (図②) 。 「グローバルな都市化は環境未来都市 の構築に向けての好機でもあり、挑戦 でもある」と記されています。都市、 図③

図④


サステイナビリティと環境未来都市: 国際的戦略という観点からの考察 小圷 私はこの一〇年ほど、温室効果

図① ガスの排出削減を進めるような低炭素 のプロジェクトで、人材育成の事業に 関わってきました。その経験を踏まえ て、国際的な視点と、都市間の連携を

」 「 cities and subnational authorities の経験をより国際的に共有していこう と記されています。UNFCCCの枠 組みでも、都市についてそのような認 識がなされていて、それを促進してい くための議論が深められつつあります。 また、IPCC(気候変動に関する 政府間パネル)の第三作業部会が出し た新しいレポートでも、都市における

どのように深めていけるのかというこ とについてご紹介したいと思います。 国際な枠組みとして、気候変動に関 する枠組条約(UNFCCC)の交渉 が二〇一五年の合意を目指して進めら れています。その観点からも都市での 取り組みに期待が寄せられています。 たとえば、昨年度のポーランドで行な われたCOP19の結論文書では、「都 市の経験や成功事例を国際的に共有す ることを通じて温暖化対策の効果を高 める」ということが明記されています (図①)。下線で示しましたように

図②

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図⑦

でに署名国が一一カ国になりました。 日本と相手国とで署名しますと、合同 委員会ができて、 削減量を計算したり、 モニタリングをしたり、検証したりす る方法論を作成します(図⑦) 。次に、 日本から具体的に技術や削減のプロジ ェクトを提供します。削減された分に ついてはクレジットが出され、日本の 目標達成等に使われます。第三者が検 証する仕組みも入っています。 このようなJCMを導入するなかに、 都市間協力を入れていきます。われわ れはすでにスラバヤ市、バンドン市、 ヤンゴン市、ハイフォン市、キエンザ ン省などで具体的に展開しつつありま す(図⑧) 。モデルとなる事例が一つで きますと、他の都市でもやってみよう かということになって、いろいろな都 市間の協力ができてきつつある状況で す。われわれはぜひ支援していきたい と考えていて、研究者のプラットフォ ーム、自治体のプラットフォーム、企

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くのがいいのでしょうか。都市の機動 力を生かして、国際的により重層的な 関係を構築する仕組みをつくって支援 していくということを、段階的に導入 していくべきなのではないかと、これ までの経験を踏まえて私たちは考えて

図⑤ います(図④) 。姉妹都市といった自治 体間の連携から始まって、そこに企業 や研究機関も入っていくときに、これ までですと、それぞれの都市でそれぞ れ自治体、企業、研究機関が縦につな がっていました。これからは都市間で

図⑥

より重層的なつながりをもって、たと えば日本の研究機関が途上国の自治体 の政策を支援するとか、日本の企業と 相手国の企業が連携するとか、さらに 密接な関係をつくっていくことが重要 ではないかと考えています。 そのような考えに立って、アジアに おいて低炭素化を進めていく際にわれ われIGESが進めているのが支援の パッケージ化です (図⑤) 。 政策、 制度、 計画、技術移転、キャパシティ・ビル ディングといった支援を、日本の関係 する方々と一緒になって、パートナー となるアジア各国の関係主体と組んで 行なっていきます。二国間クレジット のような国際的な制度をそこにからめ ていきます。 二国間クレジット制度について少し ご紹介しますと、いま日本政府は排出

削減に貢献していくJCM( Joint )をアジアの Crediting Mechanism 国々に提案しています(図⑥) 。これま

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心であったと思います。 何か質問がありますでしょうか。も しないようでしたら、私から一つお聞 きしたいと思います。 基礎自治体の間でプラットフォーム をつくるということでしたが、都市間 協力というと、ヨーロッパではもう少 し前から進められていて、たとえばイ クレイ(ICLEI、持続可能性をめ ざす自治体協議会)という中間組織を つくって、そこが中核となって都市間 の国際協力を展開するようなことをし ています。イクレイなどと比較した場 合に、日本の都市間協力にはどのよう な特徴があるでしょうか。

小圷 自治体間の連携は、いままさに 進めながら何ができるかの内容を考え ているところです。アジアの大きく成 長しつつある都市に、日本の経験を伝 えていくことがまずは重要であると考 えています。

先ほど削減量への影響がまだわから ないところがあるといいました。イク レイでは国際標準となるような共通の ツールをつくっていこうとしています。 そのようなものも日本でも取り入れて いく必要があろうかと思っています。

森 ありがとうございます。 では、国立環境研究所の甲斐沼さん から次のプレゼンテーションをお願い します。 低炭素社会シナリオの開発と その実装 甲斐沼 先ほど藤田センター長から のプレゼンテーションにもありました が、アジアを対象にして低炭素社会の 実現に向けてどのように進めていくの か、そのためのビジョンづくりがとて も重要になっています。将来のかたち を描いて、いつどこで削減できるのか

といったビジョンをつくって、それを 表現するためのシナリオをつくるモデ ルを私たちは開発してきました。 図①は、世界の温室効果ガスの総排 出量の二〇五〇年までのグラフです。 上の黒い太線はなりゆきで、下側の色 で塗ってある部分がアジアです。アジ アには世界の人口の五〇パーセントが いますが、排出量は一九九〇年のころ には二十数パーセント程度でした。い まは四〇パーセントを超えていて、二 〇五〇年には五〇パーセントぐらいに なると予測されています。 今日のテーマは都市です。経済が発 展して、都市化が進んでいくと、温室 効果ガスの排出量はこれまでのやり方 では増えます。それをどうやって減ら していくのかということが今直面して いる非常に重要な課題です。排出量を 減らす方策は都市に限らずいろいろと あります。どういった方策を実行する ことによって、どれだけ削減できる可

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業のプラットフォームをつくって、知 見を共有して進めているところです。 最後に簡単なまとめです(図⑨) 。地 球温暖化問題の解決、すなわち低炭素 社会を将来的につくっていくには都市 化が重要な問題となっていて、今後二

図⑧ 〇年間は非常に重要な時期であると考 えられています。都市はさまざまな主 体によって構成をされていますから、 有機的・複合的な関係をつくりながら、 そこに国際連携を入れていくことが、 地球規模の低炭素社会をつくっていく

森 ありがとうございます。 いまのプレゼンテーションは、低炭 素都市をつくっていくことの重要性の 認識が国際的にどのようになっている のかということから始まって、都市と 都市の協力を推進するためにはどうい うメカニズムが必要かということが中

上での大きな支援になります。都市に は機動力があり、現場に近いという現 場力があり、そして、首長のリーダー シップが発揮されたときには実行力が あります。 それらを最大限活用しつつ、 国際的なメカニズムを入れていくこと で、持続可能な都市が実現されるよう になるでしょう。重要なのは効果的な サポートです。具体的に案件を形成す る、人材を育成するといったことを実 際に進めていくことが重要です。 以上、私からは全般的な話となりま したが、この後での議論につながれば と思います。

図⑨

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図②

社会シナリオを開発しています (図③) 。 マレーシア、インド、中国、バングラ デシュ、インドネシア、カンボジアな どいろいろな国を対象に、各地の研究 者と一緒にモデルを研究しながら、各 国のシナリオをつくっています。 ここでは、マレーシアのイスカンダ ル地区でのシナリオづくりについて少 しご説明します。マレーシアは細長い 国で、イスカンダル地区はシンガポー ルのすぐ北側にあります。地政学的に 非常に重要な地域です。 マレーシアの首相は二〇二〇年まで に二酸化炭素の排出量を自主的に四〇 パーセント削減するという目標を立て ています。そう簡単なことではありま せん。マレーシアでは、急速に都市化 や産業化が進んで、エネルギー需要と 二酸化炭素排出量が増えています。経 済成長と温室効果ガス排出とのデカッ プリングが非常に大きな課題です(図 ④) 。

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図①

能性があるのかということをわれわれ はモデルを使って検討しています。交 通、資源、建物、バイオマス、農業、 エネルギーシステム、農業資源、森林 と土地利用などで、どれぐらい削減で きるのかという推計が図①に示してあ ります。技術や資金をどうするのか、 ガバナンスをどうするのか、いろいろ 難しい問題があるにしても、すべてが うまくいくとこれだけ削減できるとい うことです。エネルギー効率の改善が 大事であるということの理解は進んで いますが、もう一つ資源効率の改善も 非常に重要です。リサイクルをして少 ない資源で必要なサービスを満たすと いうことです。建物については、二酸 化炭素排出量の少ない建物を評価して、 そのような建物が広がっていくことを 後押しするような政策も検討しました。 一例として、建物を対象としたロー ドマップがあります(図②) 。 国、地域、都市を対象として低炭素

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図⑤

イスカンダルの開発地域を五つの経 済特区に分割して、それぞれの地区の 特性を生かしながら、よりよい生活が できるようにしていくということが計 画されています。先ほどデンマークの カルンボーが、産業と共生する都市と して紹介されていましたが、このイス カンダル地区もまさに産業と共生して、 発展しながら二酸化炭素排出量を少な くしていくことを考えています。われ われは二〇一二年にそのための方策等 を提言し、マレーシアのナジブ首相か ら、 「これは非常にいい計画である、ぜ ひ具体化していきたい」というお言葉 をいただいいます。 図⑤がここでの研究体制と研究内容 です。 マレーシア工科大学、 京都大学、 岡山大学、国立環境研究所で研究チー ムを組んでいます。 合同調整委員会に、 イスカンダル地域開発庁、住宅地方自 治省都市・地方計画局、マレーシア・ グリーンテクノロジーコーポレーショ

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図③

図④ 42


図⑦

ネットワークづくりをも行っています。 マレーシアのナジブ首相には、二〇 一二年一二月に、イスカンダル低炭素 社会実行計画の開始を承認していただ いています。低炭素社会に向けて一二 の方策を提案しました(図⑥) 。これに よって、なりゆきで二酸化炭素が増え ていくケースに比べて二〇二五年まで に二酸化炭素の排出量を四〇パーセン ト削減、原単位では五〇パーセントの 改善が実現できると考えています。 シナリオは大きく三つに分かれてい て、グリーンな経済、グリーンなコミ ュニティ、グリーンな環境です。どの ような対策を実行していくのか行動実 行計画をつくりました。 イスカンダルでの計画について、二 〇一一年一二月のCOP17で最初の 発表をしました(図⑦) 。二〇一二年一 二月のCOP18では方策をまとめた ものを発表して承認をいただき、二〇 一三年一一月のCOP19ではロード

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図⑥

ンが入っています。われわれが行って いるマレーシアでの研究プロジェクト は地球規模課題対応国際科学技術協力 プロジェクト(SATPRES)の一 つであり、日本の研究に関しては科学 技術振興機構(JST)が、向こうの 研究に関しては国際協力機構(JIC A)がサポートして、マレーシア自身 も研究費を出して共同で進めていると ころです。 具体的な研究としては、マレーシア に適した低炭素社会シナリオを作成す る方法を開発して、それに基づいてイ スカンダル開発地域の低炭素社会シナ リオを作成し、政策立案に活用してい きます。注目の一つは、大気汚染や循 環型社会とのコベネフィットを定量化 することで、大気汚染濃度、廃棄物の 量や処理についても共同で検討してい ます。また、マレーシアなどアジア各 国を対象として低炭素社会シナリオの 研修を行うことや、低炭素社会研究の

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つくるということだと思うのですが、 低炭素社会に向けての政策を新しい街 に当てはめていくのと、すでにある街 に当てはめていくのとでは難しさの違 いはあるのでしょうか。

甲斐沼 まず投資についてですが、わ れわれはコスト的な分析はしていませ ん。イスカンダルの地方開発庁と一緒 に研究を進めていて、ビジョンを実行 に移したときにいったいいくらかかる のかということは、開発庁で具体的に 考えて計画のなかに入れ込んでいただ いています。 イスカンダル地域の人口は二〇〇五 年の時点で一三〇万人で、二〇二五年 のこの計画が完成するころには倍以上 の三〇〇万人になると想定されていま す。五つの特区、教育特区、産業特区、 商業特区、エネルギー特区、ハイテク の特区を設けて、それらが連携しなが ら新しい低炭素なまちづくりをしてい

く計画です。イスカンダル地域はまっ たくの更地でもないのですが、新しく 街を計画してつくるのは、見通しが立 てやすいという利点があります。現在 すでにある街ですと、再開発には非常 に難しい面もあろうかと思います。た だ、都市計画も一〇年、二〇年の間に は変わっていきますから、低炭素社会 の計画もその変化のなかに入れ込んで つなげていく必要があると思います。

森 ありがとうございました。 では、次のプレゼンを杉本さんから いただきます。これまでの話題とは少 し毛色が違って都市緑化に関する取り 組みということでお話をいただきます。 生物多様性評価や 都市緑化に関する取組み 杉本 本日のテーマに入ります前に、 関連することを少しだけご説明したい

と思います。 生物多様性というキーワードは、生 物多様性条約のCOP10が名古屋で 開かれた二〇一〇年ごろから一般によ く知られるようになりました。私ども 大林組では、持続可能な社会の実現に 向けて「グリーンビジョン二〇五〇」 という目標を掲げ、低炭素社会、循環 型社会、自然共生社会への取り組みを 進めています。会社の技術系のトップ の専務がリーダーとなって、全社から メンバーを集めて具体的なアクション をどのようにすればいいのかというこ とを検討して実行しています。四半期 ごとに何をしているのかを具体的にチ ェックしていて、各部署間の風通しは 非常によい状況です。 そうしたなかで、 生物多様性について、企業として投資 していく責任があるということが議論 され、投資効果で生活環境の保全活動 につながることが事業継続の大きなイ ンパクトになるため、都市再開発にも

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マップづくりの成果を発表しました。 そして二〇一四年三月にはマレーシア 政府の承認委員会がブループリントロ ードマップを承認しています。 研究の現状としては、このシミュレ ーションモデルをベースにして、政策

立案の過程分析に基づく低炭素社会実 行計画の策定マニュアルを構築しつつ あります。また、当該地域での低炭素 教育の計画支援・実施・普及を通じた アジア低炭素教育の推進も行っていま す。そして、実行計画の実現に向けた 政策研究も進めています。 この先の研究としては、イスカンダ ル・マレーシア地域での経験に基づい たシナリオの社会実装化のアジア展開 があります。具体的にはタイではJI CAがサポートしてつくった低炭素社 会センターで、低炭素政策のトレーニ ングを行ないます。そのためのマニュ アルづくりや教育的な支援を、国立環 境研究所と地球環境戦略研究機関(I GES) 、 京都大学と共同で行っていき ます。日本の自治体としては北九州市 にご協力いただいていて、地域との連 携を通じてよりよいものにしていきた いと考えています。また、低炭素社会 ネットワークをつくって、シナリオの

図⑧

実装に役立てようとしています。 最後にシナリオ実装に向けての活動 です(図⑧) 。各国の研究機関との協力 を強化しています。また、イスカンダ ルの開発庁では実際の行動マップをつ くって実行に移している段階です。わ れわれとしては、低炭素社会に関する いろいろな研究を後押しできるのでは ないかと考えています。

森 ありがとうございます。 いまの発表を伺っていて、低炭素社 会に向けた政策提言を実際の政策に落 とし込んでいくときに、経費がどのぐ らいのかかるのかということが非常に 重要になるのではないかと思ったので すが、イスカンダルで二〇二五年まで に行なっていくいろいろな投資全体の なかで低炭素社会の部分はどれぐらい の割合になるのでしょうか。 それともう一つ、イスカンダルでは 新しくこれから大きくなっていく街を

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しくいということがあります。そのと きに生物多様性も含めていくと、他と は 違った環境性能をお見せすること ができて、企業としてこのようないい 建物を造るのだと人々に知らせやすく なります。環境性能の向上が企業とし

しかし、生物多様性はとても大きな 問題ですから、一企業が取り組んでも 限界があります。市民の皆さまにその 大切さを認識していただくことが、さ らに次の展開へとつながっていきます。 一般の市民の方も含めた啓蒙活動や広 報活動に続けて取り組んでいこうと考 えています。 具体的な事例として、なんばパーク スをご紹介します(図③) 。大林組がみ どりの評価の調査研究に取り組んで、 南海電鉄とともに行なった事業です。 大阪の難波地区には、航空写真でわか りますように、ほとんど緑地がありま せん。そこにある大阪球場跡地を再開 発して、まわりに緑地がないにもかか わらず、鳥や昆虫がくるようにすると いう無謀ともいえるようなプランを立 てました。 屋上面積が約一ヘクタールあり、そ の中の五〇〇〇平方メートルで屋上緑 地をつくりました(図④) 。二〇〇三年 図⑤

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ての価値を向上させて、その情報が株 生 価 などにも反映するということで、 物多様性の話は非常に有効であること がわかってきています。事業活動にお いて非常に重要で、いろいろなメリッ トが出てきています。 図④


対象を広げる取り組みを実際に進めて いこうということになりました。 生物多様性評価のニーズについて、 国連環境計画のなかで策定されたもの があります。そうした大所高所に立っ た概念を、大林組としても全社員で共

図① 有することが非常に有効に作用してい ます(図①) 。 生物多様性の評価が具体的にどのよ うな事業につながっているのかといい ますと、環境不動産、いわゆるグリー ンビルディングの考え方を普及させる

図②

のに非常に役立っています(図②) 。低 炭素化はグリーンビルディングのなか に組み込まれます。 低炭素化だけですと、事業コンペで 競争したときに、建物の外観が従来と 同じようなものになって提案が差別化

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図③


ことで、生物の環境が改善されてきま した。 鳥類について調べますと、再開発前 には二、 三種類しかいなかったものが、 二八種類にまで増えました(図⑦) 。絶 滅危惧種に分類されるものも飛来して 図⑧

きています。 昆虫も、農薬を使わないことから、 ハチ、チョウ、バッタなどが多く確認 されています(図⑧) 。例えばナミアゲ ハは春と秋の二回出てきていて、それ が三年間連続していますので、ここの

図⑩

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緑地になかに生息していると確認され ています。大阪城公園と比べますと、 大阪城公園は約一〇〇万ヘクタールあ って四三三種の昆虫がみつかっていま す。なんばパークスは大阪城公園の面 積の一〇〇分の一ですが、昆虫は一二

図⑨


に木を植え、約一〇年で大規模な屋上 の緑地が森のように成長しました(図 ⑤) 。みどりによる修景、ヒートアイラ ンド対策、そして二酸化炭素の吸収で 有効性を発揮しています。緑地は人の 手で管理しています(図⑥) 。薬剤を散 布しない安全・安心な管理を徹底する

図⑥

図⑦

50


図⑫

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図⑬


〇種です。なんばパークスはそれだけ の種類を保っているということは、屋 上緑化の魅力を高める点で大きな意味 があると考えています。 屋上緑化では一般に維持管理が少な いものが好まれ、木を植える場合に生

長が遅い種類を選ぶ傾向があります。 それですと二酸化炭素の吸収量はほと んどないと考えられるわけですけれど、 なんばパークスでは一年間に約四トン の二酸化炭素の吸収がありました(図 ⑨) 。 スギを植林する人工樹林に比べる とほぼ半分ですが、いろいろな種類の 木を植えた効果で二酸化炭素吸収があ ったことは評価をしていいと考えてい ます。 より小規模な屋上緑地では、生物に よって利用しやすい空間をつくること で、生態系評価を上げようと考えてい ます(図⑩) 。実際にどのようにするか というと、私たち研究員が現場に飛び 出して、調査計画の段階から営業や開 発者の社内外の皆様を巻き込んで、評 価するということをしています。調査 では、自分たちで鳥を追いかけ、地道 にデータを集めて、どのような場所を 好んでいるかといったことを記録する のです。そうした努力の結晶が図⑪と

図⑪

図⑫です。これによって表参道の緑地 で鳥が好むのはどこの場所であるのか ということが示せるようになりました。 小さな緑地でもいろいろな鳥がくる ことで、生物多様性の拠点になりえま す。拠点になるためにはなにが必要な のかを評価しようと、鳥になったつも りで鳥を追跡しました(図⑬) 。そのよ うなデータと最新のGISなどを組み 合わせて解析をすると、開発地で鳥が どのような経路を好んで飛ぶのかをシ ミュレーションできます。開発で取り 残された既存の緑地と、新しく開発さ れた人工緑地を鳥がどのようにして利 用するかを絵にしたのが図⑭です。シ ジュウカラは低い地上付近だけを飛ぶ のではなくて、屋上の緑化もうまく利 用しながら移動することが分かります。 そのため、大規模な緑地をつくらな くても、生物は街のなかにつくられた 新しい緑をうまくつないで利用するこ とができます。生態系評価をすること

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ていけたらと思っています。

森 ありがとうございます。 質問があるのですが、カラスやスズ メではなくて、メジロやシジュウカラ を選んだのはどうしてでしょうか。コ ゲラはキツツキの仲間ですよね、コゲ ラがこなかったというのは高い木がな いからでしょうか。

杉本 コゲラとシジュウカラとメジ ロは、街のなかでも見かけますし、生 態系が豊かな里山に近いところにもい る鳥だということで選びました。財団 法人日本生態系協会と共同研究をして この三種を選びました。 コゲラはやはり高いところを好みま すが、実際に私たちが追いかけてみま すと、駐車場にある二メートルぐらい の高さの木でも結構きています。私た ちのデータをきちんと整理すれば、コ ゲラは少し低い木にもくると評価でき ると思っています。

森 木が育ってその分の二酸化炭素 を吸収したということでしたが、屋上 を緑化すると屋上の温度が下がって、 その下の部屋で空調のニーズが減ると いうような効果もあるような気がする のですがいかがでしょうか。

杉本 大規模緑地ならヒートアイラ ンド対策の効果があります。しかし、 小規模な緑化ですと、建物全体の二酸 化炭素の削減にはそれほどのインパク トはありません。体育館のような屋根 の薄い建物なら効果があるのかもしれ ませんが、断熱がしっかりした建物で は屋上緑化による効果はさほど期待で きないと考えています。

森 他に質問はありますでしょうか。

――屋上を緑化するには土がいるので、 ビルの構造を頑丈にしなければならな くて、その分のセメントが増えて、建

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図⑮


図⑭ 注:大林組がシンポジウムで発表した情報は,2015 年2 月4 日にプレスリリースされました。 「質の高い都市緑地を創出するための設計支援ツールを開発」 http://www.obayashi.co.jp/press/news20150204_1

で、そのようなことを設計の段階で皆 様にお見せすることができるようにな ります。 私たちは、なんばパークスの成功体 験とその後の表参道の研究結果 から、 次の取り組みを進めていこうと考えて います(図⑮) 。設計の段階で、完成後 の管理を想定した事業計画を進めてい きます。維持管理をするということが 前提になっていなければ事業として不 十分です。また、多様な経済評価と環 境評価をどのようにリンクさせていく かというのはまだまだ課題が多いとこ ろです。東日本大震災以降は、安全・ 安心の視点を都市の再開発に取り入れ ることが強く認識されるようになりま した。災害への備えと生物多様性をど のようにつなげていくのかというのも 今後の課題です。 私たちは勉強しながらこれからの研 究開発を進めていきます。皆さま方か らいろいろ教えていただきながら進め

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なりがちですが、環境モデル都市、環 境未来都市に選定されことで、一つの 方向性が出たのは本当によかったと思 っています。 たとえば、太陽光発電やLEDによ る節電などは以前から環境局が取り組 図①

図②

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物をつくるための二酸化炭素の排出量 が増えてしまうということがいわれて いたと思うのですが、屋上緑化の土壌 材を軽量化するようなことが行われて いるのであれば、その開発の状況を教 えていただきたいと思います。 もう一つ、コメントとして、屋上緑 化の低炭素効果は、空調機器の取り入 れ口を緑化されたところに設けると少 し可能性があるような気がします。

杉本 屋上緑化の最近のトレンドを いいますと、施工面積そのものは減っ ています。それは、大規模な再開発の 数が減ってきているからです。 しかし、 屋上緑化の件数は、諸制度が進んだお かげで減っていません。ピークは五~ 六年前で、そこを境に面積が減りまし た。それから緑化の質は以前に比べて よくなっています。また、中小ビルを 大きなビルに集約する再開発の場合、 事業の敷地が大きくなって、地上面の

緑地が充実して屋上は緑化しないこと もおきています。 軽量な地盤とか、新しい技術開発は それほど進んでいません。大阪のなん ばパークスでは土を五〇センチから八 〇センチメートルぐらいの深さにして います。高い木を植えるところでは発 泡スチロールなどを下層に使って土の 量をかなり減らしています。灌水技術 が進んだおかげで、土の量を程度減ら し軽量化ができます。 ――農薬を使わないということですが、 手入れはどのぐらいの頻度で行なって いるのでしょうか。

杉本 なんばパークスでは管理する 人が常にいて、雑草や枯れ葉などを取 りながら、見つけた虫を取るようにし ています。 農薬は散布していませんが、 誘引ポットのようなものは置いて、虫 を集めて取り除いています。羽虫のよ

うなものは手では取りきれませんので そのようにしています。商業施設です から、 虫がいた方がいいこともあれば、 いると具合の悪いこともあります。農 薬を使わないのがポイントです。

森 どうもありがとうございました。 では四つ目のプレゼンになります。 北九州市の松岡さんからお願いします。

サステイナビリティと環境未来都市

松岡 私ども北九州市は、環境モデル 都市、環境未来都市に選定していただ きまして、私たちの街をどういった街 にしていったらいいのかという道しる べができて、市全体のなかでの議論の 方向が定まりました(図①) 。行政には 基本構想というようなものがあります。 そういったものはえてして各方面から の寄せ集めで、全体として何が書いて あるのかよくわからないということに

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図③

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図④


んでいましたが、いまでは建設部局な ども率先して取り組むようになりまし た。小学生がドングリの苗を育て、一 〇〇万本植樹という名のもとに市民が 総出で植樹する活動も生まれました。 産業でも、コークスをつくる際の廃熱 で電気を生み出すことで一〇万トンの 二酸化炭素削減になるといったことに もきめ細かく対応してくださるように なりました。スマートコミュニティと して、需要に応じたかたちでのエネル ギーマネジメントをするようなことも 実施されています。環境モデル都市、 環境未来都市のなかで、新しいチャレ ンジがたくさん生まれてきています。 北九州市はOECDからグリーンシ ティとして調査の対象になり、レポー トがまとめられました(図②) 。それを 読みますと、非常に高く評価されてい るのが、自分たちの街を自分たちの手 でつくっているという点です。市民が 主体的に取り組み、企業も技術力をい ろいろなかたちで生かして自助努力を しています。そういったことが今後の 北九州市の新しい発展のためにも必要 だということで、OECDのレポート が発表された際に、市長は今後に向け ての宣言を出しました。 このように北九州市には自慢できる ようなことがたくさんあるのですが、 過去にさかのぼりますと、大変な時代 がありました。北九州市は公害に直面 し、ごみ処理では清掃紛争というのが ありました。いまある街は歴史のプロ セスから成り立っています。自分たち が街づくりをしていくには、いまある 街の姿を見るだけではなくて、歴史を 踏まえていまの立ち位置がどこにある のかを理解しておく必要があります。 北九州市が時代の変遷のなかで、ど のような課題に突き当たり、それをど のように克服していったのかというこ とをきちんと整理しておこうと、環境 未来都市の予算を使って、「北九州モデ

ル」 というものをつくりました (図③) 。 「北九州モデル」は海外で事業を展開 する上で役立てていこうということで つくったのですが、つくってみるとわ れわれにとってとてもいい勉強になり、 これからの街づくりに生かしていける ものになったと思っています。 私どもは、二酸化炭素削減も含めて 海外でも活動を展開していこうとして います。 小宮山宏先生の指導のもとで、 アジア低炭素化センターという仰々し い名前の組織をつくり、現在、五〇を 超えるプロジェクトを進めています (図④) 。 都市と都市との付き合いを基 本に、産業も一緒になって事業を展開 しています。 よくODAなどで都市マスタープラ ンがつくられたりします。実際に都市 を訪ねて聞いてみますと、お蔵入りし て眠っているマスタープランが少なか らずあります。マスタープランの意義 は、持続的な成長に向けてどのような

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図⑥

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ていく際に役立てたいと考えています。 北九州市が海外展開をしていく際に 一つの合言葉があります。「感謝される ビジネスをやろう」です(図⑦) 。つい 先日、テレビ東京系列の番組で紹介さ れましたが、インドネシアのスラバヤ

図⑦


図⑤

社会をつくろうとしているのか、その 考え方を示すことにあります。私ども としては、従来からの技術的な部分だ けではなくて、市民がどのように関わ っていくのか、行政が全体をフレーム ワークをどのように司っていくのかと いったことも含めて、全体のスキーム をしっかりと整理したものがマスター プランであるととらえています。先ほ どの「北九州モデル」を活用して、マ スタープランをきちんと実践していく ことを私どもでは考えています (図⑤) 。 低炭素社会に関して、北九州市低炭 素新メカニズム構築事業を始めていま す(図⑥) 。二酸化炭素の削減が数値と してどれだけ精緻に測れるのか、いろ いろな企業とともに検討しています。 インバータを展開したり、北九州市内 の企業が開発した省エネ型の蛍光管を ビルに導入したりして、二酸化炭素が 削減して、それを具体例に測って、そ のデータを二国間クレジットを実施し

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市長さんがすばらしくて、中央政府か ら何をいわれようと環境についてはや るんだというきちんとしたスタンスを もっています。インドネシアの他の都 市から北九州市に、スラバヤ市と同じ ように一緒にやってくれないかという 要望がきています。私どもとしては、 どちらかというと他の都市との関係を 広げていくよりは、スラバヤ市からイ ンドネシアの他の都市に広がっていく ような仕組みにもっていければいいな と思っています。

森 一つの成功事例があると、そこか ら広がっていくとよくいわれています。 いままさにインドネシアのなかで広が りを見せているというのはすばらしい ことだと思います。 現実を変えていくには 森 それではここからは全体での討

論ということになりますが、藤田さん に、いまの松岡さんの報告を聞いて一 つ質問があります。将来からバックキ ャストでいまこのようなことをしてお くということがいわれますが、現実と いうのは過去に縛られています。過去 のプロセスからのいろいろな条件のな かでいまの現実があるわけです。バッ クキャストで将来のニーズから現実を 変えていくというのはどのようなイメ ージなのでしょうか。もう少しイメー ジを膨らませていただけると、後の議 論につながっていくと思うのですが。

藤田 かなり複雑な内容の質問であ ると思います。私が申し上げましたの は、二〇五〇年に地球全体で排出量を 五〇パーセント削減しないといけない、 なぜかというと、そうしなければ地球 の気温上昇が二℃以上になってしまう からです。二℃を超えると、海流を含 めて不可逆的な影響が出ます。これは

国立環境研究所の地球センターでもシ ミュレーションが行われていて、そこ から出てきている結論です。それを踏 まえて二〇五〇年の世界の目標を考え ると、先進国は二〇五〇年には一九九 〇九年比で八〇パーセント削減しない といけないというのがおよその世界ル ールになってきています。 たとえば、相馬市に当てはめて考え たときに、八〇パーセント削減しない といけないとはいうけれど、震災を考 慮して五〇パーセント削減でいいとい うことになるのかもしれません。五〇 パーセンでも容易ではないでしょう。 その一方で、日本はもっと貢献すべき だという議論もあります。 目指すべき削減量を実現するには、 現実との差をモニタリングして、対策 を取っていくということになるでしょ う。削減すべき量がもしも二〇パーセ ントぐらいしかなかったら、対策は環 境教育でもいいのかもしれません。ギ

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市で、北九州市のある中小企業がごみ ビジネスを行っています。最近は私は スラバヤ市に行っていなくて、いまど ういう状況なのかをよく理解していな かったのですが、その番組のなかで、 ごみビジネスでウェスト・ピッカー (廃 棄物を収集する個人事業者)を雇って いて、その人たちの子どもがいい学校 にいけるようになって喜んでいるとい ったことが紹介されていました。私は それを見て、これが「感謝されるビジ ネス」なのだと本当にうれしく思いま した。 海外展開といいますと、北九州市が 全部教えてあげるみたいに取られがち ですが、逆に北九州市が学ぶことがた くさんあります。私どもが見失ってき たもの、コミュニティであったり、み んなが協力し合ったりといったことは、 いろいろと学ばなければいけないと感 じます。コンポストについて北九州市 からスラバヤ市に技術移転しました。

スラバヤ市ではできあがったコンポス トをみんなで花づくりに利用していて、 街並み全体が花で包まれるようになり ました。家は粗末であっても、街並み をみんなで飾っていこうという気持ち には感心させられます。

森 どうもありがとうございました。 私もテレビ東京系の番組で、ウェス ト・ピッカーを雇ってリサイクルをし ているのを見て、環境面だけでなく教 育面でもいいことをしているのだと非 常に心強く感じました。 それに関連して一つ質問があります。 いろいろな地元の方々、NGOとかコ ミュニティとの協力関係をつくるのは すごく大事だと思うのですが、それは どうようなかたちで展開しておられる のでしょう。もう一つ、北九州市が協 力してスラバヤ市で事業が進んでいき ますと、スラバヤ市がインドネシアの なかでリーダー的な存在になっていく

のではないかと思うのですが、そのあ たりはどうお考えでしょう。

松岡 私どもが事業を展開する上で は、やはり地元の人たちに自立的に取 り組んでいただくことが重要だと思っ ています。自立的な担い手は誰なのか というと、地域のコミュニティの人た ちであったりNGOであったりします。 コンポストでも、当初の入り口はわれ われのほうで始めたことであっても、 実際に住民に配って広めていったのは 地元のNGOです。いまでは八万以上 の家庭にコンポストが入っています。 実際は八万ではなくて数十万だといわ れるくらいに普及しています。何につ いても、 地元に核となる人たちがいて、 それに対するアプローチをしっかりや っていくというのが北九州市としての 基本姿勢です。 スラバヤ市はインドネシアのなかで まさに環境都市になってきています。

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ヤ市ではコンポストのことをタカクラ と呼んでいます。高倉さんによって、 環境に取り組むのはいいことなのだと、 スラバヤ市民やスラバヤ市当局が理解 するようになり、それから、スラバヤ 市から廃棄物についてこんな課題があ るのだけれどと北九州市に相談がくる ようになりました。それで、企業の人 たちも一緒に考えていくような仕組み をつくりました。それがどんどん広が って、いつの間にか、廃棄物だけでは なくて、エネルギー、上下水道、工業 団地の再開発など、ある意味でのイン フラを一緒につくっていくような状況 にまでなりました。お互いに提案しな がらの積み重ねで今日にまで至ったの で、都市と都市とのパートナーシップ のいいところが発揮できていると思っ ています。長い時間軸でずっといいお 付き合いができるという感じです。

小圷 いまのことに関連して申しま

すと、支援をする立場からみて、途上 国とどのような関係性をつくっていく かというところで、現在は重要な転換 点にあると考えています。私も一〇年 ほど途上国と一緒に仕事をして、支援 を入れていくということをしてきまし たが、われわれができることは実は非 常に限られています。大切なのは自立 をどう手伝っていくのかというところ です。その点でわれわれが貢献できる 部分をみつけるのが重要だと思ってい ます。 一例を挙げますと、 今年度の事業で、 カンボジアのアンコールワットのある シェムリアップ市と鎌倉市が提携して、 電気バイクを入れるということをして います。鎌倉市が観光都市として電気 バイクを入れるということをやってい て、そのノウハウをカンボジアにもっ ていけないかということなのですが、 それを一つのきっかけとして、今後の 低炭素の社会をどのようにしてつくっ

ていくのかということも含めて、一緒 に課題を解決していく都市間連携を進 めていけないだろうかと考えています。 向こう側にニーズなり課題があって、 こちらに提供できるノウハウがあると いったところから都市間連携は始まっ ていくのだと思います。日本の都市は いろいろないいところをたくさんもっ ています。自治体の国際化をお手伝い するようなプラットフォームといいま すか、つなぎ合わせていくところがあ れば、北九州市とスラバヤ市のように 具体的な支援が社会に実装化されてい くといった発展をして、それが自立化 していくようになるのではないかと思 います。

森 ありがとうございました。いまの コメントで予定の時間がまいりました。 北九州市がスラバヤ市と長い協力関 係を保っているのはすばらしいことで す。そのようなことができるのが日本

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ャップが四〇パーセントぐらいあった ら税制を変えないといけないといった ことになるでしょう。 そういうところまではいえても、実 際に対策を取っていこうとするには、 現実を変えていこうと人々の輪を広げ て、その動きを大きなものにしていく ことが必要です。そのために、双方向 のコミュニケーションツールが有効だ といわれていて、北九州市でつくられ たスマートコミュニティはこれからを 考えたときのひとつの事例になるかと 思います。ビッグデータを活用するこ とで、コミュニティ間の情報共有がで きて、行動に反映されていくというこ とも大切であるのかもしれません。

森 皆様からのプレゼンテーション にはすごくバラエティがあって、それ らがどのように関係しているか、いま 考えてみました。 途上国での低炭素化に向けた取り組

みには、合理的な計画をつくることが 大切です。そのための支援をどのよう にするのかというところで甲斐沼さん のお話がありました。次に、計画を実 際の政策に落とし込んで実装化してい くわけですけれども、北九州市の松岡 さんから、スラバヤ市との連携で進め ている実装化段階でのご苦労や成果の お話をいただきました。具体的に実現 していくには、技術をもった企業が大 きな役割を果たします。 杉本さんから、 緑化についての企業の実践を紹介して いただきました。そして、実装化には お金のことも含めて全体をプロモート していくメカニズムが必要です。それ について小圷さんからのお話がありま した。そして、初期の計画から伸展し ていって都市が発展していくにつれて、 全体をしっかりみながら調整していく ことが大切になっていきます。藤田さ んからはそのような視点からの話をし ていただきました。おおざっぱに、五

つのプレゼンテーションはそのように してつながっていると理解いただけた らよろしいかと思います。 ここで残り時間はあと五分ほどにな ってしまいました。会場から何かご質 問がありますでしょうか。

よい関係を長く続けるには

――北九州市はスラバヤ市と都市間連 携をしているということですか、それ が始まったきっかけを教えていただけ ますか。スラバヤ市からオファーがあ ったのでしょうか。

松岡 最初から北九州市とスラバヤ 市との結び付きがあったわけではあり ません。始まりは草の根です。北九州 市にある企業の人が、コンポストの普 及でスラバヤ市に入っていました。十 数年前のことで、その方を高倉さんと いいます。高倉さんの活躍で、スラバ

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今日のお話を伺っていて、何といっ ても視野が地球的になっています。低 炭素化という言葉がまさにその象徴で すし、都市の生物を考えるにしても、 以前のいわゆる都市緑化を超えて、多 様性の回復という、生物多様性条約の 趣旨に合致した取り組みが行われてい ます。これが大きな違いの一つではな いかと思いました。 もう一つは、欧米志向からアジア志 向になってきているということです。 欧米から学ぶというだけでなく、日本 の都市と他のアジアの都市がどういう かたちで連携できるのかという方向に 議論が大きく変わってきていると思い ました。従来のやり方は、欧米にまね て日本を変えるということでした。そ の延長で、次は日本にまねて東南アジ アを変えるという発想になりがちです。 しかし、今日皆さん方がおっしゃって いたのは、それぞれの地域の特徴を生 かしながら、パートナーシップを進め

ていくということでした。要するに、 上からの目線、あるいは下から目線で はなくて、水平的な目線でお互いに切 磋琢磨していくということになりつつ あるのだと思います。 こうした点を踏まえますと、これか らの都市を考えるということは、環境 を超えて、究極的にはウェルビーイン グのあり方を問うことになるのではな いかと思います。文化、福利、健康な ども含めたトータルなまちづくりに発 展していくことが重要でしょう。被災 地の復興の問題も、人口減少下におけ るまちづくりの問題も、そのような視 点から考えていくようになると思いま す。そうした議論を引き続き皆さんと ともに進めていきたいと考えています。 二〇一五年一月二二日から二四日に、 SSCが中心になって国際シンポジウ ムを国連大学で開催することになって います( 『サステナ』第 号で報告予 定) 。 その際に強調したいと私がいま考 36

えているのが、文化や福利、あるいは 包括的な豊かさを含めてこれからの地 域づくりを考えていく上で、サステイ ナビリティ・サイエンスがどのように 貢献できるのかということです。皆さ ま方の積極的なご参加と、SSCに対 するご支援を引き続きお願いしまして、 私の閉会の挨拶にさせていただきます。 本日はどうもありがとうございまし た。

司会 それではこれをもちまして、S SC一般講演会「サステイナビリティ と環境未来都市」を終了させていただ きます。本日は長時間にわたりどうも ありがとうございました。どうぞお気 を付けて、お忘れ物のないようにお帰 りくださいませ。

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の強みで、これから日本のよさをもっ て展開していくことが大事であると思 います。それとはやや逆の方向になる のですが、欧米の協力の仕方にはもっ とシステマティックといいますか、合 理的なところがあります。 今日の発表を聞いていますと、全体 のプロセスのなかで、それぞれが違う パーツのところにおられるように感じ ました。それぞれがそれぞれに進めて いるのが日本らしいともいえますが、 全部が一緒になればもっと大きな力に なるようにも思います。 今後は自治体、 研究者、企業、あるいはNGOなどが 一緒になって展開していくようにする のが一つの課題ではないかと思います。 それではこれでパネルディスカッシ ョンを終わりにさせていただきます。 皆さまどうもありがとうございました。

司会 森所長、パネリストの皆さまあ りがとうございます。

最後にSSC理事の武内和彦国連大 学上級副学長、東京大学サステイナビ リティ学研究機構の機構長よりご挨拶 をいただきたいと思います。 ■閉会挨拶

たけうち かずひこ

武内和彦 サステイナビリティ・サイエンス・コ ンソーシアム(SSC)理事、 国際連合大学上級副学長、 東京大学サステイナビリティ学連携研 究機構機構長

今日は長時間にわたってお疲れにな ったと思いますが、大変に実りのある 議論をお聞きいただけたのではないで しょうか。 都市と環境の問題について、私自身 も長年関わってきました。思い起こし ますと、二十数年前に、今日の話題の

ひな形になるような議論をしたことが あります。そのころ、建設省で環境共 生都市づくりという事業がありました。 通称 「エコシティ」 と称していました。 伊藤滋先生が座長で、私もメンバーと して、いろいろな事例に関わらせてい ただきました。そのなかに北九州市も 含まれていました。 そのときのエコシティと、今日の松 岡さんが発表された環境未来都市とは 何が違うのだろうかと考えますと、二 十数年前には、地域の環境に重点がお かれていました。たとえば、ヒートア イランドを緩和するために河川を風の 道として使おうといった話がありまし た。もう一つの違いは、その当時は欧 米にモデルを求めていました。私も団 長としてヨーロッパで視察を行いまし たが、自治体の方々はこぞって欧米の 環境都市を訪問して、そこから自分の 自治体に応用できることを学んでいま した。

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■開会挨拶

住 明正 すみ あきまさ

これからは現実的に有効な方策を提 案できるのかどうかが問われるように なります。具体的なプランづくりをし て、社会実装といいますか、現実の行 政、現実の社会において目に見えるか たちでの成果に結び付けていくことが 求められているのです。 いまの日本にとってとりわけ大事な 場所は福島です。国立環境研究所は二 〇一六年に福島支所をつくり、福島の 環境創造、環境開発に関する研究を行 います。そのための準備として、福島 出張所をこの七月に開設します。海外

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事 国立環境研究所理事長

本日は国立環境研究所においでいた だきましてまことにありがとうござい ます。午前中に見学された方には、国 立環境研究所が何をしているのか多少 なりともご理解いただけたかと思いま す。 非常に多様な研究をしていますが、 そのなかでサステイナビリティが一つ の大きな柱になっています。 環境の問題が抜き差しならないとこ ろにまできていて、社会の中核的な問 題、メインストリーム化したと私は感 じています。それに伴って国立環境研 究所の責任が非常に増してきました。

にいきますと、福島はいまどうなって いるのかとよく聞かれます。今後は、 われわれはこのようなことをしていま すと答えられるようにしたいと考えて います。

今日はサステイナビリティ・サイエ ンス・コンソーシアム(SSC)の研 究集会です。サステイナビリティ学連 携研究機構(IR3S)の時代から、 サステイナビリティ学をつくろう、研 究を展開していこうと、いろいろと行 ってきました。しかし、必ずしも思っ た通りにはなってきていません。もっ とたくさんの資金が入ってきて楽しく やれていると思い描いていたところも ありました。現実はそれほど簡単では ありませんでした。いまの日本は「金 はかたき」の社会で、お金があるとこ ろに人が集まるという、さもしい状態 になっています。そのようななかで、 貧乏なSSCの集まりにこれだけの

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サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム研究集会

地球温暖化と低炭素社会/ 福島・災害環境研究

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアムの見学会・研究集会を 2014 年 5 月 16 日に国立環境研究所で行いました。午前中の見学会では,地 球温暖化研究,低炭素社会研究,災害環境研究,災害廃棄物と放射能汚染廃 棄物への対応について,国立環境研究所のそれぞれの研究者から説明を受け ました。午後の研究集会では,パート1「地球温暖化と低炭素社会」 ,パー ト2「福島・災害環境研究」の二つのテーマで発表と議論が行われました。 ここでは研究集会について報告します。 ●日時:2014 年 5 月 16 日(金)13:00~17:30 ●会場:国立環境研究所地球温暖化棟交流会議室 ■司会挨拶

はらさわ ひでお

原澤英夫

国立環境研究所理事

それでは皆さまお揃いですので、本 年度のサステイナビリティ・サイエン ス・コンソーシアム(SSC)の研究 集会を開催したいと思います。 今日の午前中には当研究所の見学会 がありましたので、そちらに出られた 方は引き続きになりますが、午後の研 究集会もよろしくお願いいたします。 最初にSSCを代表して、国立環境 研究所理事長の住先生よりご挨拶をお 願いします。

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● SSC研究集会 パート1 地球温暖化と低炭素社会

■発表1

持続可能性を脅かす温暖化の影響と その解決策としての適応策 ひじおか やすあき

肱岡靖明

です。 三つあるIPCCの作業部会のすべ てに環境研の研究者が入っています。 世界的にみてもそのような研究所はあ まりありません。環境研は守備範囲が 非常に広いのが特徴です。

国立環境研究所社会環境システム研究センター室長

今日は温暖化の影響と適応について 発表します。 気候変動に関する政府間パネル(I PCC)の第二作業部会は第五次評価 報告書(AR5WGⅡ)を二〇一四年 三月に公表しました。第二作業部会の テーマは影響・適応・脆弱性で、環境 研からは四名が参加し、私もその一人

迫りくる温暖化

温暖化の影響は、 たとえば五〇年後、 一〇〇年後になって初めて何かがおき るというものではありません。過去か ら現在に至るまですでに気候が変化し てきており、それによって生態系や、 氷河や海洋、われわれの社会システム に影響が生じていることが温暖化によ る大きな問題です。 IPCCの第一作業部会が二〇〇三 年九月に公表した第五次評価報告書で は、世界で観測されている気温の上昇 は人間の活動によるものであることの 確からしさがより高まったと報告され ています(図①) 。日本でも気温は上が ってきています(図②) 。二〇一〇年の 夏は最近の一一三年間のなかで一番暑 かったことが報告されています。 気温がたとえば三度上がっても、い まの社会状況、いまの生態系がそのま ま維持できるのなら、われわれは温暖

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方々がきてくださったのは意義のある ことだと思います。 人と人との信頼が深まるのはどのよ うなときでしょうか。お金があふれる ほどにあって人がたくさんいたらそれ がいいのかというと、そういうもので もありません。かといって貧乏ばかり が続くと、けんか別れをするらしいで す。 いいときもあれば悪いときもある、 山あり谷ありを過ごしていくと、人と 人の理解は深まるのだそうです。 SSCはいまが一番の底だと思って います。これから山に向かって上昇し ていくはずです。ここで頑張れば、そ の後に楽しいこと、もしかするとすご いバブルが待っているかもしれません。 どのような状況にあっても、新しい ターゲットの学問分野をつくっていく 必要があります。つくっていけるはず だと思います。早晩年寄りはいなくな ります。そうなれば若い人たちの天下 です。いざ天下を取ったときにおたお たしないよう、いまから訓練しておい ていただければと思います。 この研究集会の後には懇親会があり ます。明日の午後には都市をテーマに した一般シンポジウムがあります。さ まざまな機会に議論に参加して、いろ いろと参考にしていただければと思い ます。

司会 SSCは今後はどんどん伸び ていくということでありますので、今 日の研究集会もその勢いで進めていき たいと思います。 今回の研究集会は二つのパートにわ かれています。パート1は地球温暖化 と低炭素社会、パート2は福島の災害 環境研究がテーマです。いずれもサス テイナビリティに結び付く非常に重要 な研究課題です。 それでは、パート1の第一番目とし て国立環境研究所の肱岡さんにご発表 をお願いします。三〇分の時間の割り

当てで、発表は二五分程度、その後に 質疑応答という配分で進めたいと思い ます。

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図③

化に関してとくに気にする必要はあり ません。われわれのいまの社会、いま の生態系は、現在の気候に対応した状 態にあります。気候状態が変われば社 会や生態系にも影響が生じます。 図③はすでに現れている影響を示し たものです。二〇〇七年に発表したI PCCの第四次評価報告書では、ヨー ロッパやアメリカ、ロシアにおいてど のような影響が出ているかという情報 が主でした。それらは、一九九〇年以 降も継続され、少なくとも二〇年間以 上にわたって続いている観測データを 利用して、国際ジャーナルに投稿され た査読付き論文に基づき、このような 図がつくられました。今回の第五次評 価報告書では、 さらに一歩踏み込んで、 人間活動による影響と気候変動による 影響の度合いも分けて示されています。 色が塗りつぶされたマークは、気候変 動による影響が他の要因によるものよ り大きいとされるものです。そして確

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図①

図②

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カンが日焼けしたり、ブドウが色付か なかったりといった農作物の品質低下 が報告されています(図⑥) 。それらの 影響に対して、品種を変えたり、植え 付け時期を変えたりと対策をとってい 図⑥

ます。それでも、影響が大きくなって きていることが報告されています。 図⑦はヒトスジシマカの分布北限で す。ヒトスジシマカはデング熱を媒介 する蚊で、一九五〇年頃には福島県南

までしか生息していませんでした。い までは青森のあたりにも生息していま す。この図は国立感染症研究所の研究 者がヒトスジシマカがいるかどうかを 現地に調べにいって報告したものです。 ヒトスジシマカがいるからといって、 すぐにデング熱にかかってしまうわけ ではありません。海外でデング熱にか かった人が帰国して、その人を蚊が刺 して、その蚊がまた他の人を刺すとデ ング熱がうつる危険性があります。日 本では空港や港において、デング熱に 感染した人を隔離するように水際で止 める努力をしていますが、二〇一三年 の夏に、日本に旅行にきたドイツの方 がデング熱にかかって帰国したという ことがありました。ドイツに帰ってか ら報告したもので、ちょっと騒ぎにな りました。デング熱が入ってきたら流 行するリスクが高いという状況が北上 しつつあるのが日本の状況です。 図⑦

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信度も付いています。 アジアではまだまだ研究が足りてい ません。長期の観測データが十分では ないためです。たとえば、河川の流量 が減っているという現象があっても、

図④ 人間が水を使ったから減ったのか、そ れとも雨が降らなくなって減ったのか、 雨が降らなくなったからだとしたら、 それは気温が上がったからなのか、そ れとも別の要因なのか、いろいろと考

えなければなりません。世界中でこの ような地図をつくるのはまだまだ難し く、これからの研究テーマだと思いま す。 図④は気候変動による穀物の収量へ の影響です。穀物の収量は品種の改良 や肥料の投入量などでも変わります。 そういった要素を除くと、コムギやト ウモロコシは気候変動によって収量が 落ちています。ダイズは現状では増え ていることがわかります。 日本における影響は、やや古い報告 ですが、二〇〇五年において桜の開花 の早まり、イロハカエデの紅葉が遅れ ていることが示されています(図⑤) 。 高山生態系は温かくなってくるとより 涼しい高いところに移動しなくてはな らないのですが、山には高さの限界が ありますから、追い落とし現象といっ て、高山生態系が消滅してしまうこと も報告されています。 水稲が白濁したりひび割れたり、ミ

図⑤

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世界における将来影響 図⑧は、IPCCの第一作業部会が 用意したRCPと呼ばれる気候の新し いシナリオです。二〇〇七年に報告さ れた第四次とその前の評価報告書では SRESという気候シナリオを使って いました。SRESとRCPとでは何 が違うかといいますと、以前のシナリ オでは、 将来の温暖化対策を考えずに、 化石燃料をすごく使う社会であるとか、 再生可能エネルギーを多く使う社会で あるとか、四つほどの社会を想定して いました。RCPでは、どのレベルで 気候を安定化させればいいのかという ターゲットを議論するために、産業革 命以前より大体二度ぐらいに気温上昇 が収まるシナリオと、全く削減努力を しないでどんどん気温上昇が進んでし まうシナリオ、ある程度の削減努力を するシナリオ、あまり削減努力をしな いシナリオの四つのシナリオをつくり

ました。 このような気候シナリオを利用して、 温暖化の影響が将来どのようになるか を評価するのが第二作業部会の仕事で す。気候シナリオがまずあって、その 後で影響評価をするので、第二作業部 会はいわば下流側にいます。 それでも、 われわれに十分な時間がなくて、全て の影響評価でこのシナリオを使ってい るわけではまだありません。AR5に はSRESを使った影響評価もまだあ ります。 図⑨は気温上昇と影響の度合いを整 理したものです。気温の上昇は、健康 や農業や生態系などさまざまな分野に 影響を与え、それらは地域によって異 なります。右側にカテゴリー別の影響 度合いが示されています。気温上昇が 〇度から始まって五度まであり、黄色 くなると危なくて、赤くなってきたら 非常に危ないと色で示されています。 あるカテゴリーでは、一度ぐらいなら

危なくないけれども、二度ぐらいにな ると危ないといったことがまとめられ ています。 図⑩は、 気温上昇の度合いに対して、 動植物がどう適応できるかを示したも のです。動物はいま住んでいるところ が暑くなりすぎたら移動することも可 能です。ただし、それも限界がありま す。草木の移動は難しいですが、花粉 を飛ばしてその分布域を変えることは できます。みていただくとおわかりに なるように、対象によって影響の度合 いが違います。 図⑪は海洋の酸性化とその影響です。 大気中の二酸化炭素濃度が増加すると、 海水がそれを吸収することで海洋の酸 性化が進みます。それによって海洋生 物に影響が出て、 漁獲量も変わります。 図⑫は、温暖化の影響によって穀物 の収量が増えるか増えないか、それを 報告した論文の数をまとめたものです。 二一〇〇年ごろは収量が減少すると評

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図⑧

図⑨

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図⑫

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図⑬


図⑩

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図⑪


次の第六次評価報告書では、より定 量的に、日本ではどうか、中国ではど うかといったことを掘り下げた研究が 出てくるでしょう。

日本における将来影響 図⑭は二〇〇八年のパンフレットで すが、温暖化による日本への影響につ いてさまざまな研究が実施されていま

す。 環境省の環境研究総合推進S‐8で は、日本全体でどのような影響がおき るのか研究を進めてきました(図⑮) 。 S‐8は、二〇一〇年度から二〇一四

図⑮

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図⑭

価している論文が多数あることがわか ります。ただし、どのようなシナリオ や想定で評価されたかについては分類 されていません。 図⑬は、第二作業部会の第五次評価 報告書のメインとなる図です。現状、 近い将来、二度の気温上昇、四度の気 温上昇によって、影響がどの程度生じ るかを示しました。何も対策をしなけ れば、青と灰色を足したレベルの影響 が生じます。一生懸命に緩和策を進め ると、気温上昇は二度のところで抑え られますが、 それでも影響は残ります。 適応策を推進すると灰色の分を減らす ことができます。専門家が論文等に基 づいて判断した結果を取りまとめてこ の図が作成されました。アジアに関し ては一〇項目の評価を実施して、その うちの三つがこの図に載っています。 洪水増加によるインフラ等の被害、熱 波による人の死亡、干ばつによる水・ 食糧不足です。

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図⑰

図⑱

に活用するかという観点からテーマ2 が組み入れられました。また、日本と アジアの研究ネットワークの構築を目 的としてテーマ3も加わりました。 S‐8では、図⑧で紹介したRCP のシナリオから、世界全体で気温上昇 が産業革命から比べて二度程度に留ま

、中ぐらいの RCP4.5 、そ る RCP2.6 して非常に温暖化が進行する RCP8.5 を用いて、四つの気候モデルの気候シ

にお ナリオを利用しました。 RCP2.6 いても、気候モデルによって日本の気 温上昇に差が見られます。 評価した影響指標は図⑰にある通り で、これらすべてについて計算しまし た。そのなかで適応策まで考えられた のが青文字です。なかには適応策をモ デルに入れるのが難しいものもありま す。 個々の詳しい結果は省略しますが、 温暖化によって幅広い分野にわたって 影響が生じることが改めて示されまし

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図⑯

年度の五年間の研究プロジェクトで、 正式登録されている研究者は九三名、 研究協力者も入れるとおよそ一四〇名 で、三四の機関が参加する日本でも有 数の大きな研究プロジェクトです。気 温上昇の度合いとそれによる影響をセ ットでみるために、新しいRCPの気 候シナリオを使い、適応策を講じるこ とで、どの程度影響を減らせるのかに ついての定量的評価に取り組んできま した。二〇一四年三月一七日に四年間 の研究成果をまとめて記者発表を行い ました。 S‐8は図⑯にある三つのテーマで 研究が進められてきました。S‐の8 の前にS‐4という研究プロジェクト があり、そのときはテーマ1の部分だ けでした。テーマ1は日本全体の影響 を定量的に評価しようという目的で研 究を実施してきました。しかし、適応 策を実装する主役は自治体ですので、 科学的知見を自治体においてどのよう

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図㉑

わかってきたので、 いまでは適応策 (図 ⑳) の需要性が広く認められつつあり、 緩和策と両輪でやっていくことが主流 となっています。 適応策は全く新しい施策を実施する というわけではありません(図㉑) 。た とえば、温暖化によって海面が上昇す ると堤防の効果が減少してしまうため、 海面上昇を考慮して堤防のかさ上げを することも適応策の一つです。堤防を つくること自体は新しいことではあり ません。これまでは気候などの条件は 一定であるとして対策を実施していま したが、今後は、想定が変わってしま うことを考慮してさまざまな対策・施 策を実施していかなくてはなりません。 このように、気候の変化を考慮してい くことが適応策なのです。 日本においては、二〇一二(平成二 四) 年の第四次環境基本計画において、 適応の検討・推進が必要だという文言 が初めて入りました(図㉒) 。その後、

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図⑲

図⑳

た(図⑱) 。二〇〇五年のS‐4の評価 をするまでは、温暖化の影響は途上国 では大きくても、日本ではそうではな いのではないかと考えていましたが、 実際はそうではなくて、日本における 影響も大きく、日本のような先進国で も適応策が大事であることが明らかと なりました。

適応策に向けて

緩和策と適応策は温暖化対策の両輪 です(図⑲) 。適応策は温暖化の影響が 生じなければやらなくていいものです から、その重要性がなかなか認知され ませんでした。かつては、適応策を進 めれば、緩和策を推進しなくてもよい というような間違った考え方をされな いために、適応策をあまり議論しない 状況もありました。しかし、温暖化の 影響は既に生じており、今後温暖化が 進行すると甚大な影響が生じることが

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図㉓

ます。温暖化の悪い面ばかりではなく て、少し楽観的なこともいっていただ けると、国民も悲観しすぎずに安心し て暮らしていけるのではないかなとい う感想をもちます。

肱岡 ありがとうございます。楽観的 なこともということですが、 たとえば、 日本でも東北や北海道では温暖化が進 んだほうがお米の出来がよくなる可能 性があります。だから安心というので はなくて、私が考える安心できるアピ ールの仕方は、日本全体でみると厳し くなるのは事実ですけれども、悪いと ころには対策を準備して何とか耐えし のぐことができるので、いたずらに悲 観しないでもいいですよという言い方 ではないかと思っています。日本では さまざまな施策が準備されていること アピールしていくのが安心につながる ように思います。 適応策というのは、基本的にはマイ

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図㉒

央環境審議会の気候変動影響等小委員 会が二〇一四年三月に科学的知見を整 理して報告しています。現在、二〇一 五年の夏を目処に政府全体の総合的な 取り組みとしての適応計画が報告され ることになっています。 最後にまとめです(図㉓) 。温暖化の 影響はすでに現れており、温暖化が進 行すると、持続可能な社会の構築を脅 かす悪影響が生じることが懸念されて います。したがって、緩和策と適応策 の両方を、長期的な視点で分野横断的 に進めていかなければなりません。わ れわれがどのような将来像を求めるの か、日本がどのような発展を望むのか ということ考えて、対策を講じていく 必要があります。 いまの施策を有効活用して、将来の 気候を考慮して適応策を立案していく 際、実際の計画は三年とか五年で実施 してサイクルに、そこに二〇五〇年、 二一〇〇年といった長期的な視点をど

のように組み込んでいくのかは、なか なか難しいと思います。また、将来の 気候変化予測には不確実性もありるた め、適切な施策の実施は用意ではあり ません。そこで、重要となるのはモニ タリングです。どの程度気温の上昇が 進んでいるのかきちんとモニタリング しておくことで、その変化速度に応じ て、さまざまな対策シナリオ・オプシ ョンを準備しておくことが肝要です。

司会 どうもありがとうございまし た。それではフロアのほうからご質 問・コメントがありますでしょうか。

――少し気になったことがあります。 温暖化の悪い影響に対する適応策とい うことであったのですけれど、温暖化 にはいい影響もあって、それへの対応 というのもあるのではないでしょうか。 シベリアでは早くに雪が溶けて小麦が つくれるようになるといった話も聞き

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■発表2

Community Based Measuring and Prioritizing Adaptation Actions in Agriculture Sector of the Gangetic Basin SVRK Prabhakar Institute for Global Environmental Strategies Japan

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ナスをゼロに戻せればいいというよう なものです。なかには、いまはブドウ の適地ではないけれども、将来的には 温暖化でワインの産地になるのではな いかと、試験的につくっているような ところもあります。そこではゼロがプ ラスになるのかもしれません。われわ れの子どもや孫の世代のために、マイ ナスを減らせるよういまできる準備を してことが大切で、そのためにわれわ れの研究が役に立てばと思っている次 第です。 ――適応策は、従来からの技術なり制 度の延長でやっていけるのでしょうか。 新しい考え方で創造的に適応策を検討 することがあまりされないで、いまあ るもので考えているようにもみえるの ですが……。適応策の方法として新し いものもあるのでしたら教えていただ きたいと思います。

肱岡 国内でご紹介できるような事 例はすぐには思い浮かびませんが、ヨ ーロッパでは、普通われわれが想定し ないようなシナリオで適応策を考えて いる例もあります。たとえばテムズ川 の洪水では海面上昇を四メートルまで 想定しています。IPCCの報告書で 海面上昇は最も温暖化が進むシナリオ において四五センチから八二センチの 範囲で、四メートルなどとはいってい ません。三〇センチ程度でしたら、い まある水門を少し高くしようといった 適応の仕方になりますが、四メートル となるとまったく別のことを考えなけ ればなりません。 日本でいままでは二〇〇年の一回の 雨でも大丈夫だという対策をとってい ます。それがたとえば二〇〇ミリの雨 に耐えられるとして、もしも三〇〇ミ リの雨になったらどうすればいいのか というと、従来の延長では答えがない のかもしれません。三〇〇ミリの雨で

危険になるようなところには、二〇五 〇年ごろにはもう住まないようにする ということも一つの適応策としてある のかもしれません。時間をかけて移住 していくようシナリオを提案すること も研究者の使命としてあるのかもしれ ません。

司会 肱岡さん、ありがとうございま した。 では、次の発表に移ります。地球環

境戦略機関の Prabhaka さんです。英 語での発表となります。それではよろ しくお願いします。

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草地でないかで分かれ、順に分かれて 最後に残ったのが湿地(ウェットラン ド)になります。実際の湿地には森林 があったり農地があったりするので、 それらが排除された残りが湿地だとい

識されてきているなかで、ようやく湿 地の定義と評価法が確立しつつあると いうのがいまの状況です。

高密度炭素生態としての泥炭地

泥炭地の研究もまだ初歩的な段階に あります。われわれはインドネシアで 一〇年近く継続的に泥炭地の研究に取 り組み、炭素量評価のモデル化にまで 進んできました。この分野で世界トッ プクラスだと自負しています。 泥炭地に炭素がどれくらい存在する かといいますと、熱帯の泥炭でおよそ 八〇ギガトンです(図③) 。その半分ほ どがインドネシアにあります。インド ネシアのなかではカリマンタンとスマ トラとパプアにほぼ同じくらいずつあ ります。 インドネシアは世界で第三位の二酸 化炭素排出国です(図④) 。このグラフ はインドネシアの国家気候変動庁(D

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うのは少し不思議な分類です。 それで、 湿地を正確に定義し直そうと、二〇一 三年に補則が作られ、正式には二〇一 四年四月に発表されました(図②) 。湿 地は高密度炭素生態として重要だと認 図②


■発表3

はまだありません。気候変動に関する 枠組条約(UNFCC)のSBSTA 38という委員会で高密度炭素生態に ついて議論がされました(図①) 。この なかで、高密度炭素生態として、おも に(1)泥炭地と湿地、 (2)マングロ ーブ、サンゴ礁、海藻などの海岸生態 系、 (3)永久凍土、が対象とされてい ます。 二〇〇六年に気候変動に関する政府 間パネル(IPCC)のガイドライン ができて、温室効果ガスの人為による

高密度炭素生態への人為・気候変動インパクト おおさき みつる

大崎 満 北海道大学大学院農学研究院

高 密 度 炭 素 生 態 ( high-carbon )というのはあ reservoirs ecosystems まり聞き慣れない用語だと思います。 気候変動との関係で高密度炭素生態は、 地球規模生態系、あるいは地表面の 水・土管理、農業の適応策・緩和策分 野でいま大きな注目を集めていますの で、 今日はこのテーマをご紹介します。

高密度炭素生態とは 高密度炭素生態のはっきりとした定義

排出量、あるいは生態系からの排出量 を、各国がUNFCCに報告すること になっています。このガイドラインで は、陸上生態系をイエスかノーで分か れていくツリー構造で分類しています。 たとえば最初に森林か森林でないかで 分かれ、森林でなければ草地であるか

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図①


図⑤

A)と科学技術振興機構(JST)が 連携して実施しているプロジェクト

S(ATREPS の)一つとして、中部 カリマンタンでの二酸化炭素排出のモ ニタリングを一九九七年から現在まで 継続しています(図⑤) 。対象とした地 域はもともと泥炭地でしたが、一〇〇 万ヘクタールを一気に開発して稲を植 えるメガライスプロジェクトにより森 林伐採と排水路の掘削が実施されまし た。ところが、スハルト大統領が退陣 した後に放棄されてしまったために膨 大な量の二酸化炭素がそこから出てい ます。日本の一九九〇年の排出量の約 一三パーセント分に相当します。その 約一〇パーセンの分は火災によるもの で(火災は年次変化があって一〇年間 の平均) 、 残り三パーセントの分が微生 物による分解です。日本は京都議定書 で一九九〇年の排出量の六パーセント 削減をうたっていましたので、ここの 一〇〇万ヘクタールの土地から日本の

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図③

図④

NPI)がUNFCCに出したレポー トにあるものです。このグラフでは生 態系から排出される二酸化炭素もカウ ントしています。普通は生態系からも のは入れなくて、それですとインドネ シアは世界で十数番目になります。イ ンドネシアは生態系からの二酸化炭素 もあえて入れて自ら世界第三位である といっているのです。インドネシアは 開発途上国のなかでは工業セクターが 発達してきている国ですが、工業セク ターが出す二酸化炭素は生態系から出 すのに比べて四分の一程度にしか過ぎ ません。 インドネシアは二〇二〇年に二酸化 炭素の排出量を四一パーセントに削減 する目標を出していて、それを主に森 林や泥炭の保全で達成しようとしてい ます。そのためには、まず現在の二酸 化炭素排出量を計測する必要がありま す。 北海道大学は国際協力機構(JIC

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図⑦

な図式で二酸化炭素のフラックスを考 え、図⑧に示した八つのパラメータを 計測してきました。地上部でいろいろ なデータを集め、それによって得られ た点的なデータを、衛星で測定される デテータと照合してモデルを作り面的 な推計値へと広げます。とくに日本の 優秀な衛星によって生態系評価のデー タが得られています。 そもそも泥炭地とはどのようなとこ ろかといいますと、水があるために微 生物による分解があまり進まずに有機 物がたまっている場所です(図⑨) 。泥 炭の深さを測ることは、炭素のストッ クを評価するのとほぼイコールです。 ということは、衛星から炭素のストッ クを評価するのは非常に難しいと常識 的には考えられるわけです。長年にわ たっていろいろ調べてみますと、浅い 泥炭では水位の変動が大きくて、水位 変動に応じて植物のいろいろな生理反 応がおきます。この植物の生理変動を

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図⑥

削減目標の二倍ぐらいを出していると いうことになります。 森林を保全することで温室効果ガス の排出を減らして炭素クレジットを発 生させ、それを森林保全のインセンテ

ィブにしようというREDD ( + Reduction of Emission from Deforest) ation and Forest Degradation Plus メカニズムがあります。コペンハーゲ ンで開かれた気候変動枠組条約締約国

会議COP15で、REDD を +促進 させようという宣言が出され、RED

D を評価するためのMRV + ( Measurement, Reporting and )システムをつくることが Verification 勧告されました。そのCOP15でわ れわれがポスター発表をしたのが図⑤ です。 中部カリマンタンの測定地域は図⑥ に示したような場所で、そこで泥炭中 の炭素量とそれから放出される二酸化 炭素量を評価するために、図⑦のよう

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図⑩


図⑧ 図⑧

図⑨ 106


図⑪

図⑫ 109


フェノロジーといいますが、浅い泥炭 はフェノロジーの変化が大きく、深い 泥炭は水位の変動が非常に少なくてフ ェノロジーの変化も少ないので、逆に 衛星からフェノロジー変化を捉えるこ とで地下の状態がわかる可能性があり ます。このことによって、衛星から泥 炭の深さを推測して、炭素の蓄積量を 計算しました(図⑩) 。 また、地上では泥炭地にタワーを建 てて、一〇年以上にわたって生態系全 体 で の 二 酸 化 炭 素 の 交 換 量 ( Net NEE)を直 Ecosystem Exchange, 接測定してきました (図⑪) 。 この図で、 UFは Undrained Forest Peatland ( 自 然 泥 炭 林 )、 D F は Drained (排水泥炭林) 、BD Forest Peatland (排 は Burned and Drained Peatland 水・火災泥炭で草地)を示します。と くにわかってきたのは、乾期に水位が 大きく下がると、微生物によって泥炭 が分解されて二酸化炭素がたくさん出

てしまうことです(丸印) 。農地開発の ために排水路を掘って水位が下がりや すくなったところでは、森林があって も、膨大な量の二酸化炭素が泥炭から 分解されて出てしまうので、蓄積量よ りも放出量の方が多くなります。水位 の変化は気候変動の影響を受け、エル ニーニョのときにはこの地域は極度に 乾燥し、水位が下がって、普段、泥炭 地は炭素の蓄積系なのですが、放出系 に転じてしまうことがあります。自然 泥炭林(UF)でも、年間収支を取る と、二酸化炭素は蓄積ではなく放出す ることがわかり、エルニーニョの影響 が深刻になってきています。 泥炭の地下の情報として重要なのは 水位で、図⑫のグラフに青で示したの が実測した水位です。これと衛星のデ ータを組み合わせて地下水位を予想す るアルゴリズムをつくって、下の地図 のように地下水位を面的に推測します。 水位が下がると微生物分解が増え、火

災も増えますから、地下水位地図の赤 いところからは二酸化炭素が多く放出 されると考えられます。地下水位と二 酸化炭素放出量の相関が得られていま すので、この相関係数を地下水位地図 に投入することにより、二酸化炭素放 出量地図も世界で初めて作成すること に成功しています。

泥炭は水 炭-素 生-物による極めて複 雑なシステムです。長期のモニタリン グ・データと衛星データを合わせるこ とでモデルをつくって、初めてこのよ うに二酸化炭素の放出が評価できるよ うになってきました。

これからの泥炭地での観測

最新のモニタリング・システムでは 生態系に合った複合的なセンサーを中 小企業などと共同で開発しています (図⑬) 。 センサーで取ったデータはイ ンターネットでサーバーにストックし

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てどこでも解析ができます。似たよう なシステムはいろいろなところでも試 験されていますが、実際に長期間動い ているものはあまりありません。われ われのシステムは二年間以上正常に作

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F を)開発して、インドネシアで無人飛 行機を使ってテストしました。原理的 には同じ解像度で宇宙からデータが取 れるようになります。解像度は約三メ ートルですから、ドット一つが一つの

図⑯

動していて、しかもコストが安いもの です。 衛星からのデータに関しては、北大 でマイクロサテライトに載せる小型の 観測機器(ハーパーセンサー、LCT 図⑮


図⑬

図⑭

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図⑱

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図⑲


図⑰

樹種を示すことになります。いままで は熱帯林のなかでどこにどういう樹種 があるかという判定までは衛星データ からは不可能だったので、かなり画期 的な情報が得られるようになります。 JAXA(宇宙航空研究開発機構) は二〇一六年以降にHISUIという 大型衛星でハイパーセンサーを打ち上 げる予定で、それに搭載するセンサー と同類のセンサーを飛行機に積んでイ ンドネシアで調査しています(図⑭) 。 、 森林の遷移状態( Forest degradation) 森林バイオマスの樹種毎計測、葉の水 分ポテンシャル、水のDOC濃度、稲 の生育ステージ、稲の収量、あるいは 稲の病気など、これまで判定できなか ったものが非常にクリアにわかってき ています。このセンサーが衛星で利用 可能になると、生態学をかなり大きく 変えていくことになり、また農業上の 応用もたくさん考えられます。 北海道大学のグループが世界で初め

て開発したハイパーセンサー L(CT F の)観測機器は大きさが三〇センチ 程度という非常にコンパクトなもので す(図⑮) 。赤道付近は雲が多くてリモ ートセンシングが難しいので、赤道軌 道上にたくさんの衛星を上げて、雲の 隙間を逃さずにデータを取ることを考 えています。衛星が一〇基あれば一〇 分間隔で、二〇基あれば五分間隔で測 定できます。雲の隙間のデータをつな ぎ合わせれば、赤道でもいままでは不 可能だったリアルタイムのモニタリン グも可能になってきます(図⑯) 。 このようにして得られる地上と衛星 のメガデータを解析するためのシステ ムを同時に開発することで、地表面の 生態系の評価はドラスチックに変わっ ていくことでしょう(図⑰) 。ボトムア ップ的なデータはいままでにもたくさ んありましたが、それですと、地球シ ミュレータのようなモデルに組み込む にはいろいろ難しい問題がありました。

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図㉑

はメコンデルタがあり、そこのカント ー大学を中心にして、日本のかなりの 大学も参加して、JICAのODAで 一五〇億円ぐらいの予算規模で、新し いデルタネットワークを構築しつつあ ります。 また、北海道大学では、国際的なネ ットワークとしてGLP札幌拠点オフ ィス( Global Land Project Sapporo )を開いています(図⑳) 。 Nodal Office 数々の国際的なプログラムをサポート してきました。二〇一四年三月にベル リンで会議を行って終結に向かいつつ ありますが、それぞれのプログラムは ) フューチャーアース( Future Earth へと収斂して、地球規模でのサステイ ナビリティをどう達成するかという新 しい研究を展開していきます(図㉑) 。 サステイナビリティの研究は、実際 に社会に還元して、地球のシステムの 安定化に貢献していかなければならな いということがさかんにいわれていま

す。フューチャーアースでは、社会実 装をどうするかというのがこれから本 格的な議論になっていきます。

司会 どうもありがとうございまし た。それではフロアからご質問・コメ ントありますでしょうか。

――泥炭地から一回水を抜いたところ にまた水を入れて湿地化することで、 二酸化炭素の放出を抑えられると思う のですが、水を入れると今度は嫌気化 してメタンが発生することも考えられ ます。二酸化炭素の減少とメタンの増 加の帳尻はどのようになるでしょうか。

大崎 泥炭地を乾燥させたところに 水をまた入れるリウェッティングとい う新しいメカニズムが考えられていて、 それによって減少した二酸化炭素の排 出量をクレジット化していく方向にな っていくと思います。その評価はまだ

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今後はそれが可能になっていくと考え ています。

高密度炭素生態系の研究課題 高密度炭素生態系というのは、今日

これまでに紹介してきたインドネシア の熱帯泥炭や、シベリアの永久凍土、 東南アジアの低湿地マングローブ、サ ンゴなどいろいろです。図⑱の地図で 半月のかたちに囲んだ領域にそれら高 密度炭素生態が集中しています。 一方、

図⑳

アジアのこの領域は土壌が肥沃で、降 水量が多く、生産力が高い地域が高密 度炭素生態に隣接してあります。メソ ポタミアの半月弧は歴史的によく知ら れている通りですが、このアジアの極 めて肥沃な領域をわれわれは「アジア 半月弧」と呼んでいます。近くには気 候変動を駆動するようなところが二カ 所あります。アジア半月弧には海域も 含めて非常に多様な生物生態があり、 一方、人がたくさん住んでいて人為的 なインパクトの大きいところでもあり ます。つまり、人・生態・環境のハイ パーリンクというのがこのアジア半月 弧の特徴です。ここで紹介したモニタ リングを活用することで、アジア半月 弧の生態評価が広域で可能になります。 湿地は全球の生態を考える上でキー ワードになってきています。世界には 有名大きなデルタが一五あります(図 ⑲) 。大体が北半球にあって、一一が熱 帯から亜熱帯にあります。ベトナムに

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■発表4

ない状況にありますので、大阪大学で は二〇一一年六月に本部の一部署とし て環境・エネルギー管理部を立ち上げ ました(図③) 。総長直下に置いて、施 設部や、環境に関する教育・研究を行 っている環境イノベーションデザイン センター(CEIDS)と連携しなが ら、学内のエネルギー管理や分析調査 等を行っています。今日はそこで行っ ていることからいくつかお話をさせて いただきたいと思います。 大阪大学の構成員は約三万人、床面

大阪大学の省エネルギー戦略 おおはし たくみ

大橋 巧 大阪大学環境・エネルギー管理部 (現在は株式会社日建設計設備設計部)

私からは、かなりユーザーに近いと ころの話題、われわれの足元であると ころの大学のエネルギーについてお話 をさせていただきます。 日本のエネルギー消費の推移をみま すと、業務部門の伸び率がとくに大き くなっています(図①) 。大学の施設も 業務部門に含まれます。業務部門の伸 びの原因でよくいわれているのが床面 積の増加です。大学も床面積が近年非 常に伸びています(図②) 。 大学もエネルギーの削減が避けられ

図①

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あまりなくて、たぶんプラスにカウン トされると思います。 熱帯の泥炭地ですと、リウェッティ ングしても、あるいはもともとの泥炭 地でもメタンはほとんど出ません。そ の理由はいろいろありますが、メタン は嫌気性の微生物が発生させるもので、 熱帯の泥炭地にはあまり栄養がないた めに微生物があまり繁殖できません。 また、かなり深くまで酸素が入ってい て、 メタン生成菌が働かない状況です。 メタンが問題になるのは水田で、東南 アジアの水田からは膨大なメタンが出 ています。水田からのメタン発生を抑 える技術は日本でも開発されていて、 そういうものを導入して減らしていく ことがこれからの農業で重要になって くると思います。 ――インドネシアではユドヨノ政権に なってから、メガライスプロジェクト の跡地の再生が大きな課題になってき

ましたが、いま紹介された研究が湿地 の再生につながっていくような提言を お考えでしょうか。 それともう一つ、二酸化炭素の排出 量が水位によって変化するということ であったと思いますが、乾期でもエル ニーニョのときと通常のときとでは、 出る量が異なるのでしょうか。

大崎 後の方のご質問から答えます と、基本的に、乾期に二酸化炭素はた くさん出ます。そのときのピークの高 さが、エルニーニョのシーズンには普 通の乾期の二~三倍になります。エル ニーニョの影響は明らかに受けていま す。 このあたりでは焼き畑がさかんで、 火をつけると煙が太陽光を遮って日射 量が半分ぐらいになります。そうする と光合成が低下します。日射がさえぎ られても温度は高いので、植物はさか んに呼吸をしています。光合成が低下

して呼吸があまり変わらないと、全体 の収支は二酸化炭素の放出系になって しまいます。 最初の質問では、ここでの研究は一 五年ぐらい続いていまして、どのよう に修復したらいいのかというモデルプ ログラムは随分開発してきました。た だ、実際に泥炭地を修復をする段階に なると、研究プログラムでカバーする ことは難しく、住民参加型の全く別の 資金メカニズムを考えていく必要があ ります。

司会 どうもありがとうございまし た。 それでは次は大阪大学の大橋先生に ご講演いただきます。ではよろしくお 願いいたします。

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図⑤

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図⑥


積は約一〇〇万平メートルです (図④) 。 一つの都市並みの規模があります。エ ネルギーを考える上での特徴として理 科系の部局の比率が高いことが挙げら れるかと思います。

図②

大阪大学のエネルギー消費実態 大阪大学のエネルギーの消費実態を みていきます。図⑤は部局ごとに床面 積とエネルギー消費の関係をプロット

したものです。きれいに三つのカテゴ リーに分類できます。青が文科系の建 物、オレンジが理科系の建物、緑が大 規模施設です。 大規模施設というのは、 具体的には病院と、全国で共同利用す

図③

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図④


に転じています(図⑦) 。二〇一二年度 の実績でいうと震災前より一〇パーセ ント下がっています。床面積あたりエ ネルギー消費量をみると、震災以降は 一三パーセント減です(図⑧) 。 図⑨

どのような対策をとってきたかとい いますと、社会からの要請もあって、 いわゆるピーク電力を下げるというこ とをまず目標として掲げました (図⑨) 。 ピーク電力を下げることは、エネルギ

ーの使用量を下げることとはイコール ではないのですが、ピーク電力を下げ る目標がほぼ達成できて、それに伴っ てエネルギーの総量も下げることがで きたというのが実態です。 具体的な対策として、特徴的なのが 「見える化」です(図⑩) 。われわれの 大学では計測箇所を細かくとって、建 物ごとに測り、全部で約二五〇カ所で 計測しています。その値を学内の誰も がウェブを通じてみられるようになっ ています。 一日のエネルギーの推移を、 工学部のなかでも応物系、電気系、建 設系といった専攻ごとに比較してみる こともできます。 得られたデータの分析結果を少しご 紹介します。図⑪は、文科系・理科系・ 大規模の三区分で、一日〇時から二四 時の電力量の推移を月ごとにまとめた ものです。三者を比べると、いわゆる ベース分が大きく違っていて、日中変 化する部分はそれほど変わりません。 図⑩

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図⑦

図⑧

るような大きな研究施設です。床面積 一平方メートルあたりのエネルギー消 費量は普通のオフィスビルでは年間約 二〇〇〇メガジュール弱といわれてい ます。理科系はその約一・五倍、文科 系は半分ぐらいと顕著な差があります。 これだけ違いますと省エネに対するア プローチも違ってきます。 文科系、理科系、大規模施設が、床 面積およびエネルギー消費でそれぞれ 占める割合をみますと(図⑥) 、もとも と理科系の比率が高い大学ですが、文 科系のエネルギー消費はごくわずかで す。理科系と大規模施設のエネルギー 消費をいかに下げていくかが大阪大学 としての課題です。

東日本大震災以降の対策

床面積の増加に伴ってエネルギー消 費も増えてきましたが、東日本大震災 を境にしてエネルギー消費は少し減少

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下のグラフで、黒い線が一月一日のラ インです。一月一日はさすがに大学に はほとんど人がいないのですが、それ でもかなりの電気を使っています。ず っと使っているベース分の電気があっ 図⑬

て、大阪大学全体で三六五日積算する と、実に八割がベース分です(図⑫) 。 これは大学のエネルギー消費の特徴だ ろうと思います。 理科系に関して、ベース分となって 図⑭

いるのはどのような機器であるのか、 アンケート形式で調べてみました。多 いのがフリーザー類、実験機器、それ にサーバー類とサーバー類を冷やすた めに動いている空調です。部局別でい うと、医学系はフリーザー類が多く、 工学系は実験機器、情報系はサーバー 機器が多くなっています。 話が少し横にそれますが、電気料金 について触れておきます。昨今、関西 地区でもかなり電気料金が上がってい て、学内的にも大きな問題になってい ます。先ほどのベース分が電気料金の どれだけを占めるかといいますと、お よそ七二パーセントです(図⑬) 。逆に いうと、朝になって人がきてから使う 照明、パソコン、空調などは年間の電 気代の三割にも満たないという状況で す。電気代という点からもベース分が 非常に大きいということです。 節電実績をベース分と変動分に分け てみますと、大阪大学で一番大きな吹

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図⑪

図⑫ 122


ったり、あるいは説明会をキャラバン 的に学内を回って開いたりといったこ とをしました(図⑯) 。

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大阪大学の省エネルギー戦略 大阪大学の省エネルギー戦略を少し 体系的に考えてみます。文科系、理科

系、大規模で大きく事情が違いますか ら、それぞれで戦略を考えます。 文科系はエネルギー原単位が非常に 小さく、電力ロードカーブは普通の事 務所ビルに近いです。それで、最新の 省エネ技術を積極的に導入するのがい いということになります(図⑰) 。具体 的に紹介しますと、大阪大学会館でエ コ改修モデル事業を行いました (図⑱) 。 大阪大学会館は築八六年の大学のなか でも非常に古い建物で、登録有形文化 財に指定されています。三年前に八〇 周年を迎えたのを機に、省エネ技術を 多数採り入れたエコ改修を行いました。 特段オンリーワンの技術はなくて、い まある最新技術を網羅的に導入しまし た。一六〇キロワットの太陽光パネル を設置し、電力自給率は八五パーセン トです。省エネ手法と合わせて外部か らのエネルギー依存を約九割削減しま した。 文科系の施設が目指すのは、いわゆ 図⑱


田キャンパスでは、変動分に関しては 結構減っていても、ベース分の下げ率 がかなり低いことがわかります (図⑭) 。 二酸化炭素、エネルギー、電気代とい う意味では、ベース分をどうやって下

げていくかが課題です。 以上のようなことを踏まえて、二〇 一三年度には、ピーク電力を下げ、使 用電力量も二〇パーセント削減しまし ょうという大きな目標値を掲げました

図⑮

(図⑮) 。 実はこの数字は関西電力の値 上げ幅に対抗する意味が大きいもので す。電力可視化システムに積算の機能 を追加したり、ベース分が非常に大き いことを周知するパンフレットをつく

図⑯

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図⑰


図㉑

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図㉒


図⑲

るZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ ビル)です(図⑲) 。横軸にエネルギー 消費量、縦軸にエネルギー生成量をと ったグラフを描いて、赤いラインまで くるとエネルギー的に自立した建物だ といえます。もともと文科系の施設は 普通のオフィスビルに比べてもエネル ギー原単位が低ので、省エネ技術を入 れて、エネルギーを作り出すこともし ていけばZEBに近付くことができま す。 理科系の施設はベース分が非常に大 きいという特徴がありますから、実際 にどこでどのような機器がエネルギー を使っているか調査しました(図⑳) 。 学内のいくつかの研究施設をピックア ップし、電力量をコンセント単位で測 りました。生物科学系のある研究室の 各月の電力のロードカーブをみると、 実験系のコンセントで平日・休日、日 中・夜間にかかわらず、ほぼべったり 使っていることがわかります(図㉑) 。 図⑳

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を行うのが重要なわけですから、賢い 節電に取り組まなければなりません。 こうしていくつか研究室で実態を調 べましたが、キャンパス規模ではまだ

掴みきれないところがありますので、 シミュレーションを用いて試算してみ ました(図㉔) 。実験機器を含むコンセ ント系が非常に多くて約六割、空調が

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二三パーセント、照明は一二パーセン トという内訳です。 これに対して、削減のポテンシャル を示したのが図㉕です。空調は全部最

図㉔


図㉓

年間積算すると実に五五パーセントが 実験系でした。この研究室ではフリー ザーの影響が大きいことがわかってい ます。図㉒はこの研究室の夏と冬のピ ーク日のロードカーブです。夏のピー クをみると空調分が大きいのがわかり ます。 この研究室を対象に、対策を行った 場合の効果を試算しました(図㉓) 。図 の一番下が全ての対策を行った場合の 結果です。夏のピーク時には赤色で示 した空調の効果は非常に大きなものが あります。ただ、その内訳に注目する と、空調の設定温度緩和の効果は半分 ほどで、その他の照明、換気、コンセ ント等の対策を行うことで道連れ的に 削減できる空調エネルギーが相当量あ ることがわかります。昨今の建築業界 では冷房の設定温度が本当に二八度で いいのかということもいわれています。 二八度はいわゆる 「我慢の節電」 です。 大学では知的生産性を維持しつつ節電

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がありません。 図㉖は空調の例ですが、 横軸に効率、 縦軸に運転時間をとって、 最新の機種に更新する場合に削減効果 が同じになる条件を曲線で示してあり ます。たとえば機器の効率(COP) 図㉗

図㉘


新の機種に、照明は全部LEDに替え ると、八パーセント強の削減量です。 あまり大きな数字ではありません。実 験系が多いからです。ただ、大学とし てもこれらの更新は積極的に行ってい

きたいところです。ここで照明や空調 を更新するのに問題となるのが費用対 効果があまりよくないことです。投資 したお金を回収するのに数十年かかり ます。そこで、優先順を付けて一番効

図㉕

率的な替え方を考えます。当然のこと ながら、古くて運転時間が長いものか ら替えていくのが効果的です。古いも のでもほとんど使っていないものを替 えても省エネという面ではあまり意味

図㉖

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図㉛

金を掛けずに最大の効果が得られると いうことです。 大規模施設では、当然ながら実験機 器で使うエネルギーが非常に大きくな っています(図㉗) 。また、空調は、中 央プラントで熱を作って各所に供給す る中央熱源方式を採用しているのがほ とんどで、 一般的にいわれているのは、 このシステムの古いものはかなりのエ ネルギー削減ポテンシャルがあります。 まずそこに目を付けて、ESCO事業 として改修工事を行いました。 ESCO事業というのは、光熱費の 削減保証の付いた省エネ改修です(図 ㉘) 。 実際にどのような改修を行うかと いう改修のメニューを公募し、そのな かで最も費用対効果が高い事業者を選 びます。事業者には数年間は提示され た削減保証を必ず守っていただきます。 二〇一二年から三物件で行い、初期投 資費合計約一一億円かけて省エネ改修 を行いました。提案された削減保証額

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が三・五で比較的新しくて年間一〇〇 〇時間ぐらい動いている機種と、少し 古くてCOPが三・〇で年間六〇〇時 間ぐらい動いている機種は、削減効果 としては同じです。削減の効果が高い ものから順に替えていくのが、最もお

図㉙

図㉚

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司会 それでは時間となりましたの で、パート2として、福島・災害環境 研究と題して、三つの発表と総合討論 を行います。最初は、竹本国連大学サ ステイナビリティ高等研究所長からご 発表をいただきます。よろしくお願い します。

● SSC研究集会 パート2 福島・ 災害環境研究

■発表1

国連大学における FUKUSHIMAグローバル広報事業の 取組について 竹本和彦 たけもと かずひこ

がありましたが、二〇一四年一月に国 連大学サステイナビリティ高等研究所 として一つに統合されました。私は初

国連大学サステイナビリティ高等研究所所長

これまで日本には国連大学の二つの 研究所(横浜の高等研究所と東京青山 のサステイナビリティと平和研究所)

代の所長として就任し、この新しい研 究所の研究活動が円滑に進むよう努め てきました。今後は、サステイナビリ ティというテーマを中心に、国際的に も国内的にも関係者の皆さんと協力し ながら研究活動に取り組んでいきたい と考えています。 本日ののSSC研究集会では、福島 の原発災害のフォローアップというテ ーマで、私どもが手掛けてきている国 連大学におけるFUKUSHIMAグ ローバル広報事業についてご紹介させ ていただきます。この取り組みの状況 を皆さんと共有して、この後に続くI GESと茨城大学の報告とも共通した 課題について議論できればと思ってい ます。

FUKUSHIMAグローバル広報事業 とは

FUKUSHIMAグローバル広報

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は全部で数億円を超えます。この金額 も大きいのですが、大学全体で出す二 酸化炭素がこの三件だけで九パーセン ト削減できる見込みです。 病院では国内最大級のお金を掛けて 事業を行いました(図㉙) 。回収年数が 短くて、四年ぐらいでペイできます。 逆にいうと、それだけ無駄があったの です。このESCO事業に絡めてシミ ュレーションツールも開発しました (図㉚) 。 今後の運用改善やさらなる改 修の検討に役立つツールで、いろいろ 効果を試算しています。 最後にまとめとして、今後の見通し です(図㉛) 。棒グラフがエネルギー消 費量、折れ線が原単位です。震災前を 基準として、二〇一三年度の実績で原 単位ベースで一三パーセント減です。 二〇一四年度は三月までに終わったE SCO事業の工事で確実に見込める量 を入れて約一九パーセントの削減です。

はありません。

司会 フロアの方から何かあります でしょうか。

大橋 大学がどこから電気を買うか ということでは、一番安いところから 買わなければいけないというところが あります。二酸化炭素の排出量が低い 電力も考慮しますが、その点だけでは 選べない事情があります。

学内の照明・空調を全部替えると二 四%減になる見込みです。 今後の課題としては、実験機器がボ リューム的にも非常に大きいものがあ りますので、こういったところにも手 を付けながら、学内のエネルギー消費 の削減に努めていきたいと思っていま す。

司会 ありがとうございました。 国立環境研究所では毎年節電計画を 立てていますが、非常に難しい面もあ ります。いまのお話は大変参考になり ました。 阪大では夏のピークを乗り切るため に、緊急の場合は学校を閉鎖するよう なこともやっているのでしょうか。

司会 これで前半の四件の発表が終 わりましたので、 ここで休憩を取って、 後半は三時半からということでよろし くお願いします

――省エネ対策に注力してこられたと いう発表でしたが、電力自由化の動き もありますから、今後は低炭素の電源 を新電力から調達するようなお考えは あるのでしょうか。

大橋 関西では電力制限はなかった ので、学内的に数値目標を立てて必ず 守りましょうとのキャンペーンはして いますが、学校を閉鎖するようなこと

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セスしようとしている海外の研究者が いても、日本側のいい受け手をなかな かオーガナイズできなくて困ったとい うことをおっしゃっていました。すで に遅きに失しているかもわかりません

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場で関わっていくことが重要であると いう考えをとっています。 これまでの活動状況としては、講演 会を開いたり、顧問の先生方や海外の 経験豊富な専門家の皆さんにインタビ

図④

が、国内外の研究機関と連携したネッ トワークがわれわれの活動の一つのテ ーマになっています。また海外への発 信という点では、いろいろなメディア があるなかで、国連大学は中立的な立 図③


事業は、原子力規制庁から資金を拠出 していただいて、二〇一三年四月から 国連大学が取り組んできた事業です。 主な目的は、東日本大震災・福島第一 原子力発電所事故が人々の生活や社会

図① に与えた影響を分析し、福島でのさま ざまな取り組みと問題点を国際社会に 発信すると同時に、海外の有識者の見 解・研究成果を日本国内の関係者と共 有をしていくということです(図①) 。

( International Institute for Global )があります。そこに日本出身 Health の堤先生がおられますので、特にメン タルヘルスという観点からこの助言委 員会にご参画いただいています。 私どもの顧問になっていただいてい る吉川先生に最初の段階でお話をお伺 いしましたときに、福島の現場にアク

事業内容は、 (1)国内外の研究機関と 連携したネットワークの構築、 (2)情 報の収集・研究調査、その調査結果の 分析、そして、 (3)情報・研究成果の 発信です(図②) 。 この事業の企画・実施にあたっては、 ハイレベル助言委員会を設け、SSC のなかでも先導しておられる国連大学 の上級副学長の武内先生や、この後で ご講演があります鈴木先生にもご参画 をいただいております(図③) 。国連大 学は世界に一三の研究所がありますが、 マレーシアのクアラルンプールに健康 問題に焦点を当てたIIGH

図②

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な立場からいろいろな選択肢を伝える ことが重要です。チェルノブイリ事故 の被災地からの教訓ということで、ド イツの研究者、ウクライナ大使館の方

との指摘をいただきました。また、ド イツの事例も紹介されて、市民参加に 基づく非常に長期間にわたる議論をき ちんと行ってきたことが、エネルギー 政策に反映されているということが共 有されました。また、福島ではそれぞ れのコミュニティ・被災者の復興と生 活再建に向けた選択を支えなければな らないのですが、地域レベルでの情報 共有と議論の場を設けることが重要だ との指摘がありました。 現地を視察して得られたメッセージ としては、除染についてはなかなか難 しい課題もありますが、除染の効果、 または限界について丁寧な説明を行う ことが重要だということがありました (図⑦) 。 科学的に難しい専門的な部分 もありますからよりわかりやすいかた ちで表現できないか、また、安全基準 の考え方について多くの疑問が提示さ れていますから、そのようなことを話 し合う場が非常に重要ではないかとい

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に参加していただきまして、地域レベ ルで被災者が求める情報を提供するこ と、個々人の健康維持や生活支援に関 する取り組みを行うことが重要である 図⑥


ューをしたりしました(図④) 。海外の 方が来日した際に、あるいはわれわれ が海外の機関を訪問して、外からみて 福島の災害後の現状をどのように評価 をするのか、またどういうアクション

を取っていくのがいいのかなどについ てお尋ねしました。日本としてやるべ きところはきちんと行いつつ、グロー バルに情報を共有していくことも大事 なポイントです。海外の研究機関、規

図⑤

制当局には、私と武内先生が手分けし て訪問しています。 また、二〇一四年二月に、福島で国 際シンポジウムを行い、現地視察を実 施しました(図⑤) 。除染情報プラザで 環境省の担当者から除染の状況をヒア リングし、除染廃棄物の仮置き場で担 当の方にお話を伺い、仮設住宅で実際 に生活をしておられる避難住民の皆さ んとの意見交換をしました。地元の皆 さんから強くアピールされた点がいく つかありました。広報の観点でいいま すと、地元の国内メディアだけではな くて、国際機関が現地を訪問して生の 声を聞いて国際社会に届けてほしいと いう要望がありました。 現在、国際シンポジウムの最終報告 をいままとめつつありますが、中間的 な報告のなかからポイントをご紹介し ます(図⑥) 。 緊急時の科学者の役割としては、住 民を説得する立場ではなくて、中立的

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引き続き考えていかなければいけない 問題がまだまだあります。情報の共有 が重要で、コミュニケーションのもつ 意味をよく考えることがこれからさら に重要になってくるのではないかと思 っています。

んの現状を把握するヒアリングを行っ ていこうと考えています。また、原子 力規制委員会が指名している国際アド バイザーが三名おられますが、その 方々が日本にこられる機会を捉えて、 国連大学でワークショップを開催した いと考えています。また、IGESと 国連大学の共催で、毎年、横浜でIS APという国際会議を開催しています が、二〇一四年はIGESで実施して いるFAIRDOとの合同のセッショ ンを検討しています。そのような場を 通じて、 私どもの事業の成果を公表し、 各方面からのフィードバックもしてい ただけたら思っています。また、先ほ どご紹介したクアラルンプールにある 研究所と共同で、秋から冬にかけてメ ンタルヘルスに関する専門家会合を開 催して、その成果を二〇一五年三月に 仙台で開かれる世界防災会議の場へと つなげるような貢献をしていきたいと 思っています。

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最後に、これからどのような方向で 事業を推進していくかということです が(図⑨) 、引き続き国際機関の訪問を 行っていきます。その一方で、研究者 が現地に入って、生活再建支援のため の取り組みなどを中心に、住民の皆さ 図⑨


ったことを感じました。 私どものこの活動は二年目に入り、 より詳細なインタビューを進め、研究 活動を本格化していきたいと思ってい ます。

図⑦

中間的なまとめと今後の計画 これまでに集まった情報から何が考 えられるかを中間的にまとめたのが図 ⑧です。日本では反対派と賛成派の両 極で対立することが多くあって、どち

らかの立場での議論にならざるをえな いところがあります。対立をほどいて 解決を導き出せたらいいのですが、日 本の社会のなかで長年にわたって続い てきたことですから、そう簡単に何か ができるとはとてもいえません。 ただ、 非常に重要なポイントとして、議論を するに当たっては、反対の立場の人も 賛成の立場の人も両方ともがきちんと 意見を交換できるような下地をつくる ことが重要です。ドイツと日本とでは 当然事情が異なり、どのような方向に いくのか日本のなかで考えていかなけ ればいけないのですが、ドイツに学べ る点もあります。ドイツでも意見の対 立が非常にあるなかで、長い時間と多 大のエネルギーをかけて議論をして、 その結果として、原発に対するドイツ としての結論を導きました。非常に示 唆に富む経験です。日本にドイツの経 験がどのように適用できるのか、ある いは日本として独自の対応があるのか、

図⑧

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■発表2

福島原子力災害 FAIRDOプロジェクトと国際連携

すずき ひろし

鈴木 浩

景のもとで生じたのかということです。 FAIRDOを始める前から、私は福 島県の復興ビジョンの座長や復興計画 の委員長として、震災からの復興に関 わってきました。その当初から、東日 本大震災の時代背景、経済的・政治的・ 社会的な意味での背景が、原発災害を 含めて震災からの復旧・復興過程に大 きく影響を及ぼすに違いないと私は思 っていました。原発災害で避難を余儀

福島大学名誉教授 地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー

私は以前は福島大学にいましたが、 いまはIGESのシニアフェローとし て、環境省の推進費をいただいて、F AIRDOというプロジェクトを立ち 上げて二〇一二年と一三年の二カ年に わたって研究を進めてきました。今日 の発表の機会をいただいて三つのこと をお話したいと思っています。 一つは、二〇一一年三月一一日の東 日本大震災が日本のどのような時代背

なくされた自治体の首長さんのなかに は、二~三年で帰れるとおっしゃって いた方もおられましたが、そのような 生やさしいものではないことがいまで ははっきりしてきて、復旧・復興過程 は一〇年、二〇年という単位で考えな いといけなくなっています。復興ビジ ョンの座長となったときには、二〇~ 三〇年かかるかもしれないというよう なことは口から出せませんでした。そ こにいる方々からは二年で除染をして 元の大地に戻してほしいという切実な 声が出されました。 そのような中から、 国も除染にいわば前のめりになってい ったのですが、実際に除染を進めてみ て、非常に難しいということがわかっ てきました。 原発災害に対する対応に、 ある種混乱を極める時期があったのは 確かです。 二点目は、日本全体が本気で原発災 害を克服しようとしているのか、もう 一度皆さんと一緒に考えたいと思って

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この研究事業はまだ始まったばかり ですが、これまでの状況と今後の課題 についてご紹介をしました。今後の議 論の参考にしていただければと思いま す。

司会 ありがとうございました。 私から一つ。国際的な視点が大事と はいえ、国際機関が現地に踏み込むの には難しさもあるように思います。何 か工夫しているところなどあるでしょ うか。 竹本 いま私が一番難しいと感じて いるのは、地域に入るときに、国連大 学という組織が理解されにくいという ことです。 「国連大学です、インタビュ ーさせてください」といきなりいって もすぐには難しいのです。実際にどの ようにしているのかといいますと、一 つは地方公共団体や復興庁のようなと ころを通じて紹介していただいて、生

活の実態などについて聞かせていただ けるところにお伺いしています。現地 に入るに当たっては研究者としていろ いろ気を配らないといけない点があり ます。 もう一つ、安全性に関して議論がわ かれるところがありますので、国連大 学としてはあくまでも中立的な立場を 保つことに気をつけています。実際に 生活をしておられる人たちから、本当 に安全なのですかと説明を求められる こともあります。国際的な観点からこ のような議論がありますと説明したり、 ハイレベル助言委員会の先生方から解 説をしていただいたりといったことも ありました。 われわれの目的で重要なのは、でき るだけ生の声を聞いて海外に届けると いうことです。とにかく住民とのスム ーズな関係をつくり、信頼関係を樹立 することが第一関門です。それができ れば、いろいろな意味でのコミュニケ

ーションを深めていけるのではないか なと思っています。

司会 ありがとうございました。 では、続きましては、鈴木福島大学 名誉教授からご発表をいただきます。

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図②

ながら復興計画を立てているので、創 造的復興を打ち出すにしても、本当に 地域のニーズとマッチングしているか ということを私たちは丁寧に考えてい かないといけません。現実には、被災 者の人たちの本当のニーズに適切に応 えることにはなっていないと私は感じ ています。そこのところを分析しなが ら、復興の道筋や方法論を考えて、軌 道修正していかないといけないのです。 私はこの三年間、なぜ日本にはネガ ティブ・スパイラルを軌道修正する力 が生まれないのだろうか、福島の原子 力災害を本当に克服するような力がな ぜ生まれてこないのだろうかというこ とばかり考えてきました。私は学問的 に検証したわけではありませんが、ネ ガティブ・スパイラルを軌道修正させ るような社会的な力、あるいは新しい 共通の価値観は日本のなかに生まれて いないと思っています。たとえば、民 主主義や基本的人権、それらが果たし

てどれほど成熟していくステップを踏 んでいるのだろうかということも疑問 です。 図②に居住権と書きました。私は建 築学科を出て住宅計画や住宅政策に関 わって、ずっと居住権の議論をしてき ました。基本的人権の住まいの側面が 居住権です。しかし、日本ではまだ居 住権という概念は確立していません。 二〇〇六年に住生活基本法をつくった ときに、国交省の審議会で居住権とい う概念をその法律の理念に盛り込むべ きだという議論がありましたが、当時 の国交省の見解は、居住権の概念は日 本ではまだコンセンサスを得ていない ので、法律の前文に記載するのは適切 ではないということでした。 被災地においてコミュニティが重要 だということを、建築家や都市計画の プランナーがよくいいます。一九六九 年に、自治省の国民生活審議会で、日 本のコミュニティが悲惨な状況になっ

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います。私は原発立地町に最も近い双 葉町と、すこし外れた隣の浪江町の復 興計画に関わってきました。三年以上 経った現段階で、町の職員から悲鳴の

ようなメールが届きます。 「三年間、復 興、復興と頑張ってきたけれども、私 たちがやってきたのは、その中心に復 興があるとすると、その周辺の除染や 賠償、あるいは遠くに避難している人 への対応で、復興そのものにはステッ プインしていないのではないか。私た ちが考える復興とは何なのだろうか」 。 そのような声が自治体の方々から聞こ えてきます。復興ビジョン、復興計画 のそのような現状を踏まえながら、私 たちは原発災害をどうやって克服して いくのか皆さんと一緒に考えたいと思 っています。 そして三点目がFAIRDOです。 FAIRDOを通して、放射線防護に 関するNERISというヨーロッパの ネットワークの活動を知ることができ ました。チェルノブイリ、福島の原発 災害を受けて、ヨーロッパではいまど のような取り組みがなされているのか もご紹介したいと思っています。 図①

福島原発災害の特質

図①をみてください。日本における 原子力災害は三度目、世界の原子力発 電所の災害も三度目です。世界の三度 目の原発災害である福島の災害につい て、世界の研究者、行政関係者、政府 関係者から、いまどのような状態なの かといろいろな問い合わせがきます。 日本の原子力災害は三度目ですが、情 報は限られていて、封じ込められよう とさえしています。日本の国内では福 島はどちらかというと忘れ去られよう としているのかもしれません。その一 方で、国際的には深刻だから応援しよ う、研究しようという動きになってい ます。極端にいうとそのような状況で す。 東日本大震災の時代背景をみますと、 ネガティブ・スパイラルといわれるよ うな状況のなかで大災害がおきました (図②) 。 このような状況と重ね合わせ

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図③

に収束します。原発災害の場合には事 故の収束が何を指すのか、いつなのか よくわかっていません。賠償の問題、 除染の問題、健康管理の問題、食品管 理の問題がこれからも続きます。廃炉 の過程まで含めたら問題は延々と続き ます。避難生活支援には、ふるさとの 復興に収斂しない格好で並行して避難 地で進めて行かなければならないとい う課題があります。これが原子力災害 と普通の災害と大きく違うところです。 海外の研究者から必ず聞かれるのは、 原発災害で居住地を失った時期が長く なって、避難生活をしている人々にど のような生活支援をしているのかとい うことです。日本政府の当初の方針は ふるさとの復興で、避難している人は いずれふるさとに戻るということでし た。日本では、居住地を失った人への 支援という観点がすぐには立ち上がり ませんでした。 原子力災害では、ふるさとの復興、

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ているという議論がありました。しか し、日本の重要な政策課題としてコミ ュニティが議論されたことはほとんど ありませんでした。私は、建築家や都 市計画のプランナーの方々が被災地の 農村、漁村には絆がある、コミュニテ ィを重視していこうといってくださる のは重要な応援になるけれど、もっと 大事なのは、建築家やプランナーが活 躍している日本のどの場所でもコミュ ニティの再建を考えることだと思って います。コミュニティが日本全体の基 礎概念になるのなら、被災地への大き な応援になるはずです。被災地だから コミュニティが必要だという話ではな いと思うのです。 EUでは、生活の質(クオリティ・ オブ・ライフ)のインデックスが都市 ごとに策定されるようになっています。 一九九〇年代からのEUの基本戦略で す。日本では、専門家の間でクオリテ ィ・オブ・ライフをいうことはあって も、国民一般のなかで、地域社会でク オリティ・オブ・ライフの具体的なイ メージができているのかといったらま だまだだと思います。自治体の総合計 画のなかでクオリティ・オブ・ライフ を立てているところはほとんどありま せん。日本の地域社会の状況が危ない ことになっていて、これを軌道修正す るための基本的な視点をもたなければ いけない状況にあると私は感じていま す。そのようななかで原発災害に対し て立ち向かっていかなければいけない のです。 正義とか倫理について今日は詳しく お話はしませんが、 原発災害以前から、 ハーバード大学のマイケル・サンデル 教授が正義を論じて日本で有名になり ました。先ほど竹本先生からドイツの IASSに行かれたというお話があり ましたが、IASSの所長クラウス・ テプファーさんはドイツの初代環境大 臣です。私は二〇一一年九月にクラウ

ス・テプファーさんに会いに行き、チ ェルノブイリ以降のドイツの原発災害 に対する取り組みを紹介していただき ました。FAIRDOを立ち上げると きに、クラウス・テプファーさんには 海外協力研究員として参加していただ きました。ドイツでは、安全なエネル ギーの供給に関する倫理委員会が原発 の廃炉を勧告しています。私はなぜ倫 理委員会なのかということに興味があ ってドイツに行こうと考えました。 原発災害は普通の災害とは違います (図③) 。上側二段は普通の災害で、津 波やあるいは地震といった災害で避難 しないといけない状況になって避難生 活をしたときに、生活・生業の支援を し、インフラなどの復旧に努め、地域 社会か地域経済の再生に取り組み、い ずれふるさとの復興へと収斂していき ます。ところが、原子力災害ではそう 簡単にはいきません。 普通の災害では、 災害をもたらした事故そのものはすぐ

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うエネルギーといいますか、動機が政 府のなかに強くあるかというと、そう ではありませんでした。二〇一一年四 月に野田首相はTPPへの参加を打ち 出しました。被災地の農村地域、漁村 地域の人たちはかなり衝撃を受けまし た。われわれが農業や漁業の生業を復 興させようとしているときにTPPに 参加するというのはどういうことだろ うかと、考え込んでしまうのです。地 域基幹産業が第一次産業だったところ の生業を元通りにするというインセン ティブは、それほど大きなものではな かったといえるのではないかと思いま す。そのことがどのような復興政策を 展開するかということと大きく関連し ています。 九〇年代以降日本でグローバル化が 進みました。それに伴って金融経済へ とシフトしていきました。今回の被害 を受けたところは、ほとんどが実体経 済でまかなわれてきた地域です。グロ ーバル化、金融経済化のなかで衰退し てきた地方都市です。そのために、市 町村のマンパワーが不足しているなか での災害となりました。復興過程にお いて自治体が十分にその能力を発揮で きているかというと厳しい状況にあり ます。

避難生活と除染 具体的に浪江町の避難状況をみてい きます(図⑤) 。双葉町と大熊町の境に 福島第一原発があります。第一原発が 爆発して、浪江町の人たちは原発から 半径二〇キロよりも遠くに避難しなさ いといわれ、二〇キロ圏外である同じ 浪江町内北西部の津島地区に避難しま した。そのときに、図中に示したよう な放射性物質の汚染の広がりについて の情報は全く入っていませんでした。 三月一五日になって浪江町にいること も危険だといわれ、約七〇〇〇人が町

外に避難するために国道一一四号線で 福島の方向に移動しました。国道一一 四号線はまさにプルームの伸びている 方向に走っていて、 「悲劇の避難」だと いわれています。 蜂の巣をつついたような避難となり、 福島県下の三〇カ所にばらばらになっ て避難を強いられました。図⑥に緑色 で示したのが浪江町の仮設住宅団地で す。一カ月、二カ月とたつ間に、自分 たちの集落とは関係のない人たちも避 難してきて、仮設住宅団地での生活の 苦しさに気付くようになり、もとのコ ミュニティ単位で再編成した町外コミ ュニティを設けるべきだということを 私たちは打ち出しました。 放射線汚染物質の除染の対象となっ た地域は関東地方も含めて八県、一〇 二自治体にのぼります(図⑦) 。国が直 轄除染をしているのが福島県の赤い色 の地域で、そのほかの地域は市町村が 除染計画を立て、環境省と協議をして

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原子炉事故の収束と廃炉、そして避難 生活支援を同時に並行して取り組まな ければなりません。 他の災害のように、 ふるさとの復興一つに収斂されません。 もしかすると、ふるさとの復興は断念 しないといけないかもしれないという 局面も想像されます。 広域的で長期的な災害であるという のが原子力災害の特徴的です。原子力 立地地域では、地域防災計画のなかに 原子力災害について書かれてはいたの ですが、 ほとんど機能しませんでした。 これをこれからどうやって再策定する のかというのも大きな問題です。 福島の原子力災害の特質をいくつか 列挙します(図④) 。 初動期の危機管理体制がものすごく 混乱しました。政府からの発信が、さ まざまな混乱や不信感や憤りを生み出 してしまいました。安全基準の問題も そうです。原子力発電所が爆発してか ら三日間ほどの間に、それぞれの自治 図④

体が避難しました。何を頼りに避難し たかというと、政府の情報ではありま せん。政府の情報は自治体に届いてい ませんでした。自治体の人たちはテレ ビ、ラジオからの情報で判断して避難 しました。言ってみると、政府からの 情報がないなかで、自治体の首長は孤 独な決断を強いられたのです。したが って、避難時期はばらばら、避難場所 もばらばら、避難方法もばらばらにな らざるをえませんでした。一番遠いと ころでは、埼玉県の加須市に役場ごと 避難し、しかもそれが三年近くにわた って続くことになりました。初動期の 危機管理、ガバナンスがものすごく重 要です。 改善を図らないといけません。 今回の災害は人口減少・高齢社会が 先行する地域を襲いました。そして、 地域の基幹産業である第一次産業を壊 滅させました。もともと漁業や農業が 中心の地域で、そこで災害がおきたと きに、農業や漁業を復活させようとい

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図⑦

除染のための費用を交付されて市町村 が行っています。 福島第一原発の近くでは、年間の放 射線量が五〇ミリシーベルト以上のと ころが帰宅困難地域、二〇から五〇ミ リシーベルトのところが居住制限地域、 それ以下のところが避難指示解除準備 区域に分かれています(図⑧) 。ここで の復興をどうしたらいいのかなかなか 見えてこないところに加えて、厳しい 話として除染で取り除いた土や放射性 物質に汚染された廃棄物の中間貯蔵施 設の問題があります。環境省が候補に 挙げたのは、双葉町に二カ所、大熊町 に六カ所、楢葉町に一カ所の中間貯蔵 施設です。楢葉町は町としては認めな いといいましたので、県は楢葉町につ いては取り下げました。残りの八カ所 に中間貯蔵施設を設けます。期間は三 〇年です。大熊町の中心市街地は国道 六号線の東側にあり、中間貯蔵施設も やはり国道六号線の東側に置かれます。

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図⑤

図⑥ 150


よく注意してものをいわないといけな いということを私は学んでまいりまし た。

FAIRDOプロジェクト 先ほどもいいましたように、除染と いうことにいわば前のめりになって国 は取り組んできました。これは安全神 話の裏返しです。安全神話に裏切られ たことから、放射性物資に汚されてい ないもとの大地を早く取り戻したい、 いち早く除染をしてまっさらな大地に してくれという声が地域から大きく出 てきたのだと思います。チェルノブイ リの事故では、もっと幅広い放射線防 護という考え方に基づいて取り組まれ たのですが、日本ではもっぱら除染と いうことになってしまいました。 私たちのFAIRDOプロジェクト では、汚染地域の実情を反映した効果 的な除染に関するアクション・リサー

チとして、この問題を検討してきまし た(図⑨) 。除染に対する期待はありま すから、どのような効果的な除染があ るのかということを考え、 その一方で、 除染一辺倒ではないさまざまな取り組 みが必要だろうということも含みとし てもっています。一つの着眼点は、国・ 県・市町村の連係プレーです。お金の 流れ、情報の流れ、いろいろなことを 含めて国・県・市町村の連係プレーの あり方を考えます。もう一つは、地域 の条件を反映した除染技術を含めた除 染計画をきちんと考えることです。そ して、住民とのリスクコミュニケーシ ョンをどう図っていくかということ。 この三つを柱として、ドイツやNER ISの研究者とともに共同研究を進め てきました。 除染について地域の住民へのヒアリ ングをしますと、不信だとか不満だと かさまざまなことが出てきます。その 結果から、除染がうまくいかない要因

を分析しました。情報共有が難しい、 除染に関する理解がうまく進まないと いうことがあります。それは、国や地 方自治体に対する不信感がものすごく 強いところから始まっています。最初 はもう何をいっても駄目というぐらい のレベルです。問題は除染だけではな くて、同時に賠償の問題とかいろいろ なことも考えなければいけなくて、そ ちらの方の不安もあって、除染に対す る理解がなかなかうまくいきません。 そのようなことからしても、包括的な 復興・復旧に向けた対策を考えなけれ ばいけないということがみえてきます。 私たちは二つの提案をしました。一 つは、地域レベルでの行政と住民との もっと丁寧なコミュニケーション、議 論が必要だということです。私たちは 実装的な実験として、車座会議と呼ぶ 会議を四回開きました(図⑩) 。たくさ んの課題が人々のなかにあって、それ をつなぎ合わせて合意形成にもってい

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図⑧

市街地の再生はほとんど絶望的になる のではないかと考えざるをえません。 私は市町村の意向をまだ聞いていませ んが、そのような状況で中間貯蔵施設 の立地を受け入れたということです。 原発災害を受けた福島県双葉郡には 八町村があります。それぞれが個別に 復興計画を立てて進めていくのはこの 先は難しくて、広域的に対処する必要 があると思います。とくに、中間貯蔵 施設を受け入れた場合には、双葉町、 大熊町は自分たちの町として復興する のは難しくなるかもしれませんから、 広域連合として今後の土地利用を考え ていくということを徐々にしていくの ではないかと思っています。一年前に はこのようなことをいうことはできま せんでした。いろいろな研究者が自分 はこう考えると発言していますが、地 域の方々との合意形成のプロセスを丁 寧に踏んでいかないと、混乱を招くだ けということになりかねません。よく

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図⑩

図⑪ 155


図⑨

くことについては、自治体、専門家、 県、国がそれぞれに役割があります。 関係する人たちが住民とともに一堂に 会して話をするのが車座会議です。実 は、同様のものをベラルーシですでに 展開しています。ベラルーシでは、も との小学校を使って、健康チェックや 食品チェックをしながら、自分たちの ふるさとの復興をどうするのかという 話し合いをしています。ベラルーシで のそうした経験の蓄積も学んで、私た ちは車座会議が必要だと提案していま す。車座会議の実験を通して、このよ うな会議の必要性が徐々に認められつ つあります。今年度以降は、車座会議 を支えていく予算上の見通しが具体的 にあるわけではありませんが、これか らも展開していきたいと考えています。 もう一つの提案は、車座会議を後押 しする確実な情報を提供する情報プラ ットフォームです(図⑪) 。いろいろな 情報が飛び交っている状況のなかで、

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はどのように飛散するのか、そのとき に関わり合いになる地域住民はどのよ うな準備をしたらいいのか、コミュニ ティ単位でどのような訓練がなされて いるのかといったことをスペインの研 究者が発表していました。日本でも原 子力規制委員会が発足したときに、図 ⑫の左下にある図が新聞に出て、原発 ごとに影響を受ける人がどれくらいい るのかということが報道されました。 ヨーロッパでは、このような想定に基 づいて地域の人たちがどのような準備 をすればいいかということが進められ ていて、すでにたくさん蓄積がありま す。日本ではまだそこまでの動きにな っていません。ヨーロッパの人々から 「日本では原発を再稼働するといって いるけれど、地域での準備はきちんと しているのか」と聞かれて、 「日本では 緊急時の議論はまだです」と答えます と、「どうしてそのようなことができる のか」と疑問を呈されます。大きなギ ャップがあると思います。それを埋め 合わせる努力をしていかなければなり ません。

司会 どうもありがとうございまし た。それではご質問・コメント等あり ますでしょうか。 ――FAIRDOの今後はどうなるの でしょうか。

鈴木 難しいご質問です。全国の研究 者がFAIRDOに集まり、ヨーロッ パの研究者ともつながりができていま すので、ネットワークを維持したいと 考えています。しかし、FAIRDO の予算的な裏付けがなくなりましたの で、福島県環境創造センターとの絡み で何か一緒にできないかと考えている のと、財源を確保するための申請もし ています。まだ今のところは見通しが 立っているわけではありません。

――原子力災害への対策は、国として は環境省が責任をもって先頭に立って 進めていかなければいけないようなこ とだと思うのですが、現状はどのよう になっているのでしょうか。

鈴木 私は福島にいていつも思うの は、どこが全体を束ねているのだろう かということです。除染は環境省が行 っていますが、損害賠償は経産省、仕 事確保は厚生労働省、仮設住宅は国交 省です。被災者の生活再建にはさまざ まな要素があって、それぞれで省庁が 異なっています。全部を束ねる役割は 復興庁にあるはずで、復興庁がもっと 力を発揮してほしいとわれわれが声を 大きくしているなかで、現地再生事務 所ができたりして徐々に進んではきて います。しかし、縦割りに対する横の 串刺しの刺し方がまだまだ弱いと感じ ています。

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図⑫

それぞれが情報を持ち寄ってそれに基 づいて車座会議で火花を散らすのでは なくて、確かな情報に基づいて議論し ましょうということです。 冒頭に住理事長からお話がありまし たように、国立環境研究所は福島県に 新しい研究所を計画していますが、福 島県は環境創造センターをつくること になっていて、情報発信機能をその一 つの柱にしています。われわれの考え ている情報プラットフォームを、環境 創造センターと一緒につくれないかと 県と議論しているところです。 最後に、国際連携についてお話しま す。放射能危機管理対策に係る国際協 力ネットワーク(NERIS)があり ます(図⑫) 。放射線災害の緊急時にど のような対応をしたらいいのか、どの ような準備をしたらいいかということ を検討するネットワークです。私が一 昨年参加したときには、スペインにあ る原発が事故をおこしたら放射性物質

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■発表3

授業で使っているものを少し流用して います。 その授業では学生に向かって、 最初に、そもそもサステイナビリティ 学とは何かといった話をします。サス テイナビリティを言うときに、「私たち は、何をどのように、また何のために サステインすればよいのだろうか?」 という根本的な問い掛けがまずあるは ずです。それをすっ飛ばして、持続可 能な社会・世界をつくるべきだという ことが前提となってしまっているよう なことがあるように感じます。私は、 根本から問うていくスタンスをもって

人間科学の立場からみたサステイナビリティ学 いとう てつじ

伊藤哲司 茨城大学人文学部

今日は全般的にいわゆる理系の研究 者の発表が多いなかで、最後は文系か らの発表です。私は人文学部に所属し て社会心理学を担当しています。その 立場から、サステイナビリティ学の研 究・教育を進めている茨城大学地球変 動適応科学研究機関(ICAS)に参 加しています。

人間科学の立場 今日ご覧いただくスライドは、一年 生向けのサステイナビリティ学入門の

いたいと考えています。 社会心理学とは何かということをこ こで詳しくお話する時間の余裕はない のですが、社会心理学の基本的な視座 を、図①の絵を使っていつも説明して います。人々が「ワッショイ、ワッシ

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――先ほどもご紹介がありましたよう に、福島県環境創造センター内に国立 環境研究所の福島出張所が設けられて、 これから二年間、福島支部の開設に向 けて準備を進めていくということで、 私ども国立環境研究所の人間は身の引 き締まる思いでいるわけですが、これ までは環境を相手に研究をしてきたた めに、地元の方々とどのように向き合 っていくのかということではまだよく わかっていないところがあります。三 月に郡山で研究報告交流会を開いて、 一〇〇名以上の方にきていただいてい ろいろなご意見をいただきました。住 民の方々、あるいはNGOの方々と一 緒になって研究を進めていくときにコ ミュニケーションの取り方として、ど ういう方向性がありうるのかというこ とをご示唆いただけるとありがたいの ですが。

鈴木 今回の災害で、岩手、宮城、福 島のどこででもいろいろなボランタリ ーな活動が行われています。活動の主 体はNGO、NPO、専門家グループ などさまざまです。私自身の基本的な スタンスとしては、市町村に寄り添う ことが重要だと考えています。いろい ろな方々がさまざまに住民との関わり をもって元気に活動している例がある 一方で、自治体との摩擦を招いてしま っている例もあります。地域の復興に ついて、市町村は決して逃げることの できない立場で取り組んでいます。市 町村はマンパワーが足りなくて、首長 は何をやっているんだという不満も聞 かれます。しかし、市町村なしには復 興はできません。 市町村に寄り添って、 市町村が頑張れる状況をつくるのが私 たちの役割だと私は思っています。国 立環境研が現地で何かするときにも、 まずは市町村と関わりをもつようにし ていくと、筋道が見えやすくなるので

はないかと思います。

司会 どうもありがとうございまし た。 それでは本日最後の発表となります。 茨城大学の伊藤先生よりご講演いただ きます。よろしくお願いします。

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いものもきっとあるでしょう。 自然科学は、線を引いて客観的にみ ることを基本とする科学だと思います。 一方、中に入っていこう、あるいは入 っていくのを許容する立場が人間科学 ではないかと思います。 「関わらない 知」と「関わる知」という言い方で特 徴づけることもできるでしょう。どち らが良いという話ではありません。人 間科学というのは、対象と関わりをも って、対話的な方法によって知を生み 出していこうというスタンスをもって いると捉えていただければいいかと思 います。 サステイナビリティ学とは何かとい うことを示すものとして、図③がSS Cの前身であるサステイナビリティ学 連携研究機構(IR3S)のときに描 かれました。地球システム、社会シス テム、人間システムという三つのシス テムがあります。 今日の研究集会では、 どちらかというと地球システムの話が 図③

多く、社会システムの話も一部にあっ て、人間システムについては先ほどの 鈴木先生が踏み込んでおられたと思い ます。私は人間システムに重きを置き つつ、社会システムとも関連して、地 球システムへとつながっていくような 研究を実践していきたいと考えていま す。

東日本大震災以降の安全・ 安心

二〇一一年三月一一日に東日本大震 災が発生したときに、私は茨城大学の 水戸キャンパス内にいて、大変強い揺 れを感じました。その後、幾度か被災 地となった場所に足を運びました。図 ④は水戸市内の古い家屋です。宮城県 や岩手県の被災地にもいきました(図 ⑤、⑥) 。ちなみに写真に写っているの は私の息子です。 安全・安心ということについては、 震災以前からいろいろな議論がありま

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ョイ」とお神輿を担いでいます。お神 輿が社会で、 それを担ぐ個人がいます。 お神輿は人々によって揺らされている 一方で、お神輿は個人の揺れ方を決め てもいます。要するに自己言及をして いく関係にあるわけです。個人はお神

図① 輿から勝手に外れるわけにはいかなく て、お神輿の揺れ方が不快だと思って も、相変わらずお神輿とともに揺れて いるということになります。このよう な個人と社会の相互作用を捉えるのが 社会心理学の基本的な視座です。お神

輿のあり方には、いわゆる地理の影響 もあれば歴史の影響もあります。文系 の学問分野である歴史学、地理学も含 めて考えていくことになります。 また、 お神輿は一つだけ担いでいるわけでは なくて、複数のお神輿を同時に、ある いは時に応じて担ぎ分けたりしていま す。そのようなことを考える学問分野 が社会心理学です。 今日はタイトルに人間科学という言 葉を使っています。これに対する言葉 は自然科学です。両者は何が違うので しょうかと、学生によく問いかけます (図②) 。砂場で子どもが遊んでいて、 その子どもたちの遊びを研究するとし ます。一つのやり方として、子どもた ちとは一線を画して砂場の外にいて、 客観的に観察するというのがあるでし ょう。それともう一つ、砂場のなかに 入って、一緒に山を作って遊んでみる というやり方があるでしょう。入って いかないと、砂の感覚とか、わからな

図②

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借りながら私たちが安全を作り出して いかなければならなくなったのではな いでしょうか。 そのような発想に立って、あるいは 人間科学という立場に立って、正解の ない防災ゲーム「クロスロード」とい 図⑦

うものが考案されています(図⑧) 。ク ロスロードとは分かれ道という意味で す。阪神淡路大震災の後につくられた ゲームで、いまではいろいろなところ で使われています。ゲームといいまし ても、そこから何か学ぶものを得てい 図⑧

こうというもので、正解があるわけで はありません。対話のなかから「成解」 を紡ぎ出していこうとするものです。 これは誤字ではなくて、 「成る解」とい う造語です。暫定的にそのときに採り うるよりよい方の選択肢という意味で す。 例えば図⑧のような場面が想定され て出題されます。情報はここに書いて あるものだけです。もう少しここはど うなのかと聞きたいところがあっても、 ゲームの参加者は、取りあえずこれだ けの情報で、この病院の職員になった つもりでイエスかノーという判断をし ます。 ここで皆さんにも考えていただきた いと思います。撮影させるのがイエス で、撮影させないのがノーです。本当 はカードをもって挙げていただくので すが、今日はパーをイエス、グーをノ ーとしたいと思います。どちらでもな いというのはなしで、どちらかに決め

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したが、震災を機に大きく見方が変わ ったのではないでしょうか(図⑦) 。 三・一一以前は、基本的に、国や自治 体、あるいは専門家が安全を保障して いました。原発は安全だと国や自治体 や専門家がいうのを信用することで私 たちは安心を得ることができました。

図④ 比較的単純な構造であったと思います。 しかし三・一一以後は、国に対する不 信、専門家に対する不信が一斉に出て きました。安全だといわれても単純に は信用できなくなったわけです。人々 自身が自ら学び、自ら行動して、終わ りなき対話を続けながら、安心を紡ぎ

図⑤

出し、そこから安全をつくっていく必 要性が出てきたのです。 「終わりなき対話」というのは京都 大学防災研究所の矢守克也教授が言っ ていることで、彼も社会心理学が専門 です。専門家や国や自治体にはそれぞ れの役割がありますが、それらの力を

図⑥

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ても、私たちが子どものころに体験し た単純なものではなくて、自分たちで 考えて行うようなタイプの避難訓練で す。ハザードマップをつくるようなワ ークショップも第三のツールの例です。 図⑩

第三のツールとはこのように、実は私 たち自身であるといえるのかもしれま せん。緊急事態のときに、非常に難し い判断も私たち自身がしていけるよう に変わっていく、あるいは、立場が違

う人とも対話していけるような人間に 自分たちが変わっていくということで しょうか。 対話を促進するツールとしては、カ ードゲームを通じて参加者が災害対応 を自らの問題としてアクティブに考え たり、自分とは異なる意見、価値観の 存在に気付いたりすることがあるでし ょう(図⑩) 。あるいは、防災に関する 困難な意思決定状況を素材とすること で、決定に必要な情報、前提条件につ いての理解を深めることができるとい うこともあると思います。

これからの防災に向けて

ポスト・フェストゥムとアンテ・フ ェストゥムという言葉があります(図 ⑪) 。 哲学的な話も加わってくるので若干説 明が難しいのですが、防災の時間論と いうのがあって、物理的な時間だけで

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図⑪


て一斉に出していただいてよろしいで しょうか。 はい、ありがとうございます。パー の方が若干多かったようです。 しかし、 どちらが正しいというのではありませ ん。なぜイエスだと考えたのか、なぜ

ノーだと考えたのか、そこから対話が 始まっていきます。そのまま撮影させ ると答えた方は、報道の役割が大事だ と考えたのでしょうし、撮影をやめさ せると答えた方は、プライバシーの問 題があって許されないと考えたのかも しれません。 これは架空の場面ではなくて、阪 神・淡路大震災で実際にあったことか ら抽出した問いかけです。実際の場面 では、病院の職員は、撮影しないでく ださいといったそうです。ところが、 数年たってから振り返ると、あのとき に撮影してもらったほうがよかったの かもしれない、あのときの混乱の状況 を伝えてもらったほうがよかったのか もしれないと、気持ちが揺れたそうで す。 災害の場面では、イエスかノーかの どちらかが正解だというのが出せない ようなことがたくさんおきています。 簡単には物事が判断できないなかで、 図⑨

しかし判断をしていかないといけない というのを、ゲームを通して学んでい こうというのがクロスロードです。い ろいろな質問にイエス・ノーの判断を して、対話をしていくなかで、自分と は違う視点にも気付いていけるように なります。問い自体を自分たちでつく ることもできます。東日本大震災の福 島バージョン、あるいは茨城バージョ ンもつくれるでしょう。 防災のためのツールには三つあると、 先ほど挙げた矢守教授が指摘していま す(図⑨) 。第一は、いわゆるハードウ ェア。防波堤とか線量計とかその他い ろいろの形のあるツールです。 第二は、 いわゆるソフトウェア。ハザードマッ プとか避難マニュアルとか必ずしも形 のないツールです。それに加えて第三 のツールがあるというのが矢守教授の 主張です。それは対話的で生成的なツ ールです。 クロスロードがその一つで、 避難訓練もあります。避難訓練といっ

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性があるのだということを常に念頭に 置いて、私たちはある種の「怯え」の ようなものを体に染み込ませていた方 が、むしろ災害に対応していけるのか もしれません。 「ポスト震災社会」に私 たちは決して安住することができませ

ん。さらに大きな災害がおこりうるの です。そのなかでどうやって私たちが 生きていくかということが大きな課題 になっているのだと思います。 対話を促していく仕掛けをいろいろ と考えています。茨城大学ではポスタ ーワークショップという企画を何度か 試みています(図⑫) 。これは地域のな かで、広い意味でのサステイナビリテ ィの活動を行っている人たちに集まっ ていただき、ポスター発表をしてもら うものです。研究発表ではありません から、敷居をできる限り下げて、どの ようなものでも出してもらって、お互 いにどのようなことをしているか知り 合って、交わり、つながってもらおう としています。ポスターワークショッ プはこれまでに四回行っていまして、 研究者が発表している隣で主婦の方が 発表し、その隣で高校生が発表すると いったように多彩な発表がなされてき ました。そのなかでクロスロードを矢

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のがアンテ・フェストゥム(祭の前) です。これが防災実践をより豊かにし ていくのではないかといわれています。 どういうことがおこりうるかを予想し てそのための手立てを打っていくだけ ではなくて、それを超えてしまう可能 図⑬

図⑭


図⑫

はなくて、自己としての時間、あるい は、時間イコール自己といった捉え方 があります。フェストゥムとは、単純 に訳せば「祭」ですが、ここでは非日 常的な出来事を指しています。 これまでの防災の主軸は、過去拘泥 的な時間のあり方を示すポスト・フェ ストゥム (いわゆる 「祭の後」 ) でした。 つまり、これまでにおこった災害を考 え、それに十分備えるよう、あるいは それを少し上回るぐらいのこともある 程度は予想をして備えていこうという 態度をこれまでは取ってきたのだと思 います。 ところが、この前の東日本大震災で は、想定外という言葉が幾度も使われ ました。そうなってくると、これから も想定外のことがおこるかもしれない、 あるいは想定しきれないことがおこる かもしれないと、私たちは考えておか なければなりません。 未来先取り的な時間のあり方を示す

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っています。せっかくできたつながり だから、これまでのように日常的に会 うわけにはいかなくても、何とかかた ちを残したいと、その仕掛けを考えよ うと動き始めています。私自身も注目 して関わりを続けています。 図⑰

ごくささやかな例として、我が家で は隣の家のおばあちゃんとの小さな盛 り上がりがありました(図⑯) 。震災の 翌日に、おばあちゃんが炊き出しをし てくれて、ビールまで出してくれて、 あたりは大変な状況でしたけれども、

そこは心あたたまる場が出現しました。 陸前高田の高田保育所では、津波で 何もかもなくなってしまったのですが、 震災から半年後に、片付けられた高田 小学校の体育館を借りて運動会が行わ れ、大変な盛況でした(図⑰) 。これも 震災後の心理からくるものではないか 思います。 私は社会心理学が専門ですが、心の ケアよりも、心の回復力、レジリエン スに注目しています。 福島県の富岡町に「富岡子ども未来 ネットワーク」があります。その方た ちの話を聞くと、若い世代と年長の方 とのつながりがなかなかうまくいかな いということがあるようです。同じ立 場で避難生活をしていてもかみ合わな いところがあるようです。それを何と かつないでいくようなことができませ んかといった相談をいま受けています。 地元の茨城県では、震災後に「大洗 応援隊!」という名の社会的なネット 図⑱

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守教授自身にしてもらったりもしまし た。 コミュニティについての認識を新た にさせられたのが、三・一一の経験で もありました(図⑬) 。 ご存じかもしれませんが、災害ユー

語は、 A Paradise Built in Hell です。 直訳すると、「地獄のなかにつくられた パラダイス」です。大災害とか大事故 がおこった後のほんの一時期に、人々 が人のために何かしたいと思い、非常

トピアという話があります(図⑭) 。英

図⑮

に利他的に助け合って、気分的に高揚 する状況が生まれることが知られてい ます。それに近いような事例が東日本 大震災の後にもみられました。 たとえば、北茨城市の津波で被災を した住民による「あすなろ会」という グループがあります(図⑮) 。雇用促進 住宅で空きがあったところに避難され た方々によってつくられたコミュニテ ィで、津波で家を失ったけれども、こ こでいろいろな人とのつながりができ て、被災の前よりもむしろ今の方がい いという声が出たりするほど盛り上が りました。家を失ってもう死のうかと 思っていた高齢の女性の方が、ここで 人々と出会って救われたということも ありました。 しかし、このようなコミュニティが 長続きしていくのは大変難しいことで、 どこかでしぼんでいってしまいがちで す。 「あすなろ会」は三年がたって、こ の住宅から皆さんが出ていく時期にな 図⑯

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す。また、人間科学と自然科学のコラ ボレーションをぜひとも考えて、両方 の研究者がこれからさらに協働して、 「何をどのように、また何のためにサ ステインしていきますか?」というこ とを問い続けていきたいと思っていま す。もちろん簡単には答えの出ない問 いであり、それこそ「正解」はどこに もないのかもしれない。でも「成解」 は対話のなかから見出していけるはず です。同時にそうした営みが、私たち の安全・安心の源なのです。

司会 ありがとうございました。 地球システム、社会システム、人間 システムの全部を一体として研究する 必要があるということなのですが、実 際の研究はやはりそれぞれのシステム で分かれています。人文・社会科学と 理工学が一緒になって研究すべきだと いう議論は前からあって、 最近では 「フ ューチャーアース」において、トラン

スバウンダリーな研究を進めて、一般 の人たちまでも含めていこうというこ とがいわれています。実際には行って いくのは難しいことだと思うのですが、 ICASは非常にうまく分野横断的な 研究をされていますので、何かコツの ようなものがありましたら教えていた だけないでしょうか。

伊藤 うまいお答えはできませんが、 一つには三村先生のリーダーシップに よるところが大きいかと思います。三 村先生は海岸工学がご専門ですが、人 文社会系にも非常に理解があると当初 から感じています。一方で私たち文系 の人間にも、最初から熱心に参加して きたのが何人もいます。研究者同士が 個人的に仲がいいのも大きいかと思い ます。一緒にやっていて楽しい、面白 いと感じることが多いのです。その発 端はスマトラ沖の地震でした。タイの プーケットにみんなで調査にいきまし

て、私も初めて工学系の方たちと共同 作業をしました。現地にいって、私は ひたすら人の話を聞いて回り、一方で 工学系の先生はいろいろなものを測定 します。夜のミーティングでお互いに 調べてきたことを話すと、とても面白 く感じられて、それから個人的な仲の よさが生まれてきました。よく話をし て、そのようなつながりをつくってい くことが大切なのではないでしょうか。

司会 ありがとうございました。質 問・コメントはありますでしょうか。

鈴木 先ほど私は経済、政治、社会の マイナス・スパイラルのような話をし ました。 地球システム、 社会システム、 人間システムのそれぞれがさまざまな 問題を抱えていて、それをお互いに連 携させてこれからどうするかというと きに、サステイナビリティが中核に位 置するということで、今日の研究集会

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ワークを立ち上げました(図⑱) 。大洗 は茨城大学がある水戸の隣にある海の 町です。学生が中心になって、地元の 方々もたくさん入って、いまも活動が 続いています。商店街の空き店舗を借 りてカフェを開いて人々が集まる場を つくっています。このつながりを今後

つくっています。このつながりを今後 さらにどのように発展できるのか、学 生たちといろいろな話をしているとこ ろです。 私たち茨城大学にはICASがあり ます。三村信男先生が機関長として引 っ張ってこられて、『サステイナビリテ

図⑲

最後にまとめです (図⑳) 。 人間科学、 対話、関わる知、成解、あるいは縁と いう言葉を大事にしたいと思っていま

ィ学をつくる』という本を出し、さら につい最近になって『ポスト震災社会 のサステイナビリティ学』という本を 出しました(図⑲) 。私たちは三村先生 を中心として理系と文系が一緒になっ て活動してきました。すべてがうまく いっているわけでもないですが、これ からも続けていきたいと思っています。 余計なことを一つ加えますと、三村先 生はいま学長選に出ておられます。三 村先生が学長になって、茨城大学が全 体として文理のバランスの取れた方向 で研究を進めていって、被災地にある 大学の一つとしてのいい役割を果たし ていけたらいいと思っているところで す(二〇一四年九月に三村先生が茨城 大学長に就任し、代わって私がICA S機関長になりました) 。

図⑳

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どかったといいます。たぶんだいたい のことはいまのほうがよくて、われわ れは軟弱になっています。だから、覚 悟が問われているのだと思います。 災害ユートピアというのがあるとい うことでしたけれども、それは本当の ことだと思います。大災害によって一 種の異様な状態になります。普通の状 態だと、人をうらやむ心があり、自分 だけ損をしたくないと思うのですが、 大災害になるとそういうものが捨象さ れて、本来のピュアな部分が出てくる のでしょう。だから、普段からそうし たらいいといっても、それはできるも のではありません。 ならばどうするのかといいますと、 一つは大事なのはマネジメントでしょ う。組織の上に立つ人が頑張って、損 か得かの世間の波がダイレクトに下の 人にいかないようにする。 もう一つは、 いまの日本は風評被害ではないけれど も、ちょっとした動向にすぐ踊らされ すぎてしまうようなところがあります から、自分はこれでいくぞという自信 をもつことです。不安は論理では消せ ないのだそうです。これでいっていい のだろうか、こういうことがおきるか もしれないから不安だというときに、 論理でそれを消すことはできません。 不安を消すのは、 確信であり信頼です。 いまの社会で一番欠けているのは寛 容さです。社会にはいろいろな人間が いて、浮き沈みもあれば、日向も日影 もあります。人生はぐるっと回れば大 体同じだというのが昔の日本人の相場 観でした。それは結構正しかったのだ と思います。いまはそのような相場観 がもてなくて、自分だけがずっとマイ ナスで、永久にその差が固定されてし まうのではないかと、とかく不安感が あります。そのような不安感をできる 限りなくしていくことが大事です。サ ステイナビリティのなかでも、心の問 題が非常に大きいと思っています。

大事なのは、何か一つの正解があっ て、それを誰かが独占していて、自分 たちは損な目に遭っているという被害 妄想をもたないことです。小宮山宏先 生がよくいわれているように、日本が 後から欧米を追いかけていたときには、 正解がみえていましたから、楽にキャ ッチアップして追いつくことができま した。先頭に出てみたら、もう正解は みえなくてわからないことばかりです。 先頭に出るということは、わからない という不安感に耐えて頑張るというこ となのです。日本が先頭に立とうと思 うのなら、不安を背負っていく覚悟が いるのです。それを身に付けるよう努 めるのがこれからの課題だと思います。

司会 ありがとうございました。伊藤 先生、何かコメントがあれば。

伊藤 正解がないというなかで私た ちは生きているという感じは、震災後

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ももたれていると思うのですけれど、 日本社会全体が競争原理に染まって、 大学も例外ではないなかで、どのよう にしたらサステイナビリティを現実の ものにできるのだろうかと考え込んで しまいます。われわれのライフスタイ ルそのものが、サステイナビリティを 獲得するのとは別の挙動をしている気 がして仕方がないのです。そこを軌道 修正していく見通しは何かあるでしょ うか。

伊藤 何とお答えしたらいいのか、す ごく難しい質問です。いまの社会のな かでおこっているいろいろな問題に対 して、たくさんの不満、たくさんの危 惧を私も抱いています。日本の政治の 動き一つ取っても、本当にこの方向で いいのだろうかと強く感じています。 私は大学にいて、日々をそこで過ごし ていますが、いまの大学は以前の大学 とは違って、余計な仕事とはいわない

までも、しなければならないことが増 えました。そのなかで、いまご質問に あったような問題意識をどうやって維 持していくのかというのは大変難しい ことだと思っています。 ただ一つだけいいますと、大震災を きっかけとして、いろいろな問題がみ えてきて、いろいろな人とのつながり ができてきました。いろいろなことが 学べるとわかってきたのは大変大きな 収穫だと思っています。大学のなかだ けではなくて、地域の方たちといろい ろなかたちでつながりができたのは、 本当にこれも縁だなと思うのですが、 そこを大事にして、学生も巻き込みな がら、問題意識を維持して考えていき たいと思っています。

住 いまのに関連していいますと、非 常にはっきりしているのは、物事は一 つの原則で処理できると考えるべきで はないということです。いまの世の中

は非常に複雑で、本当の意味で問題な のは、答えを求められても、解がない という状況にあることです。だから、 局所適合的に変えながらやっていく以 外にありません。何かしらの解を与え られるようにしていくのがリーダーと いわれる人の責任だろうと思います。 時代の雰囲気に人は巻き込まれがち です。自分だけ損をしたくないという せこい気持ちが人の心にはあります。 誰かに抜け駆けされてしまって自分が 損しないようにと、皆がアンテナを張 っています。それはつまらないことだ と覚悟を決めたら、社会は変わってく ると思います。 私が実感するのは、親の世代は強か ったと思います。肉親や友達が戦争で 死んだのをみているから、腹の決め方 の度合いが明らかに違います。昔の人 はいろいろ悲惨な目に遭ってきました。 昔の日本はそんなによくなかったとい う本があって、いじめは昔のほうがひ

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自治体、企業、市民の方々は、ぜひ研 究者の声を聞いて、それぞれが何をし なければいけないかということをもう 一度考えていただきたいと思います。 そして、そのことがバックキャスティ ングの方式で研究者に戻ってきて、次 へと進んでいくことが大切であると、 今日の発表を伺いながら改めて強く感 じました。 もう一つのテーマが福島の原子力災 害でした。この問題は、鈴木先生がい われましたように、最初の年にはなか なか議論がしにくい雰囲気がありまし た。国立環境所が福島に支部をつくら れるということもあって、福島の問題 を本格的に、そして長期的に考えてい く時期にいまなってきたのだと思いま す。そのようなときに、今日の研究集 会をもてたのは非常に意味が大きかっ たと思います。 国立環境研究所は本年で四〇年と聞 いています。スタートしたときには国

立公害研究所という名称で、私はまだ 大学院生でした。日本の公害行政を研 究の面からリードし、現在では地球環 境を始めあらゆる環境分野の研究をリ ードしています。また、地球環境研究 戦略機関は今年で一六年となり、日本 を代表する環境研究の機関として世界 的にも知られる存在となっています。 この両者のご協力を得てSSCの研究 集会をもてたのを非常にうれしく感じ ています。皆様にはこの集会を盛り上 げていただきまして改めてお礼を申し 上げます。 本日はまことにありがとうございま した。

司会 本日は非常によい集会であっ たと思います。ぜひ来年の研究集会の 研究発表につなげていければと思いま す。それでは今年度のSSC研究集会 はこれにて終了します。 だいぶお疲れもたまっていると思い

ますが、この後に懇親会、最近では意 見交換会として公式な行事になってい ますので、そこでさらにいろいろなお 話をしていただければと思います。 皆さまどうもありがとうございまし た。

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に私自身も強くもっています。そのな かでどうしたらいいのかというと、キ ーワードになるのは対話であろうと思 っています。研究者同士の対話もあり ますし、それ以外のいろいろな方とも 本当に膝を突き合わせて対話していく なかで、物事を見出していくしかない のではないかと強く思っています。そ こから安全・安心も生まれるだろうと 考えています。

司会 本日はこれで七件の発表をい ただきました。予定では、この後に総 合討論があるのですが、いまちょうど 住先生に締めのお言葉をいただいたよ うに感じています。時間でもあります ので、これにて研究発表のプログラム を終えたいと思います。 では、最後に閉会のあいさつを仲上 先生にお願いします。仲上先生は実は 明日のSSCの総会で次期理事長に就 任される予定になっています。

■閉会挨拶

なかがみ けんいち

仲上健一

今日の発表の内容は時宜を得たすば らしいものであったと思います。一つ のテーマが地球温暖化でした。IPC Cの新しい報告書AR5が出て、それ をどう考えてどう実行していくのかと いうのがこれからの世界の動きになっ ていくのですが、温室効果ガスの排出 量を八〇パーセント削減するという目 標を受け入れようとする空気よりも、 受け入れないとする空気の方が何やら 強くなってきているような気がしてい ます。そのなかで、環境を研究してい る人たちが現状をどうみているのかの 発表が今日はあったわけです。政府、

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事 立命館大学特任教授、東京大学客員教授

今日は、午前中に素晴らしい見学会 があり、午後にこの研究集会がありま した。明日は一般講演会を予定してい ます。SSCの催しをこのようにして 二日連続で行うということがここのと ころ定着をしてきました。今回は国立 環境研究所と地球環境戦略機関の方々 に企画・運営をしていただきました。 それぞれの理事長を始めとして二つの 組織の方々にお世話になりました。と りわけ、原澤理事には献身的に運営に 加わってくださいました。皆さまに深 く感謝いたします。どうもありがとう ございました。

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ては雪の中に身を埋める。 はストレスを利用して快適を楽 pleasant しむ。ストレスを利用するうえ、繰り返すの で癖になる。中毒といってもよく、子供に教 えるわけにはいかない。大人の特権である。 筆者など、露天風呂で熱中症寸前と凍傷寸前 を繰り返す勇気などはない。露天風呂は冬が 旬などと気取る気もないし、露天風呂があろ うがなかろうが温泉は温泉で快適だ、まだま だ子供である。 露天風呂の pleasant の構造を知ると、 同じ にどんなものがあるか気に ような pleasant かかる。暑さ寒さの温冷感覚は、動物の生存 にかかわる基本的な感覚である。この段の類 推で行けば、飢えや渇き、命の維持に係わる 恐怖など、 さまざまな感覚に当てはめてみる。 飢えの逆は飽食。渇きの逆は飲み過ぎ。恐怖 の逆は退屈。これを露天風呂の例に当てはめ て考えるのも一興である。 大学に籍を置くのでまず、学生に当てはめ る。子供のころから、時間があれば遊ばず勉 強、勉強を繰り返す。遊ばず勉強するのは多 分、すごいストレスを経験するのであろう。

良い成績を取って無事、大学入試合格、赤点 をとる恐怖に震えながら、遊びにクラブ活動 を感じている と活躍。 きっと物凄い pleasant に違いない。このストレスは繰り返される。 次なるストレスは就活と就職内定、五月病、 理論でかなり説明 出世競争と……。 pleasant できそうである。 貧乏と浪費も、繰り返す。 pleasant 理論に よれば、繰り返す本人は決して苦しいわけで はなく、この貧乏と浪費を繰り返す。 「江戸っ 子は宵越しの金を持たない」と昔、よく言っ た。 筆者など子供のころ、 親に誘導されてか、 お小遣いは貯金しなくては心配で夜も眠れな かったので、この「江戸っ子」に大いなる違 理論を知っ 和感を覚えたものだが、 pleasant た今はよく理解する。 最後に、筆者もハマりそうで怖いギャンブ ルに当てはめる。負け続けて財産をなくす寸 前で一打逆転、負けを取り返す。そこでやめ に縁のない素人。負けが込 る人は、 pleasant んで一家離散が明日からは贅沢三昧、それが またどん底。 ギャンブル中毒には快適がある。

連載 エッセイ

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t r o f m o C

t n a s a e l P

する。定常的な快適は comfort 、過渡的な快 適は pleasant と言う。 過渡的な快適は繰り返 すと癖になってストレス状態を繰り返す。 露天風呂が人気である。筆者などは、露天 風呂は、湿気と熱気で呼吸の苦しい室内の入 浴と違い、澄み切ったすがすがしい空気で呼 吸しながら、入浴を楽しむところに快適性が あり、 長居は無用と思っているが、 通は違う。 熱中症になりそうな暑さと凍死しそうな寒さ を交互に楽しむのである。厳冬の露天風呂、 外は凍えるほどの寒さの中、茹だるほど熱い 湯温が露天風呂を楽しむ条件である。熱い風 呂に浸かって限界まで体を火照らし、寒風で 体を冷やして楽しみ、寒さで体を凍えさて、 再び熱い風呂に浸かって体を温めて楽しむ。 このサイクルを繰り返すのが楽しいらしい。 ストレスのかけ過ぎで早死にしそうだが、日 本人の特殊な例ではないらしい。フィンラン ド人のサウナ好きは有名だが、汗が滴るほど 体を温めたあと、水風呂には飛び込むは、果

という二つの快適

快適には、二つの種類がある。一つ目の快 適は、 単純にストレスが働かない状態である。 暖房や冷房のある室内であれば、ストレスを 感じるような寒さや暑さを感じない状況が快 適である。二つ目の快適な状況は、強いスト レスを受けた後、その反対側のストレスをか けられて感じる快適である。カンカン照りの 屋外で大汗をかいた後、長くいれば震え上が りそうに冷やされた室内に入る時の快適さで ある。逆の場合もある。凍え死にそうな寒い 屋外から、長くいれば汗が滴るほど暖房の効 いた室内に入るときの幸せも、快適である。 この二つの快適は、状況が時間に定常か、 非定常の過渡的状況かに対応する。同じ状態 が長く続けば、ストレスが小さいこと、ない ことが快適の条件である。強いストレスが生 じる状況でも、そのストレスを解放する逆方 向の強いストレスが働く過渡的な状況もドー パミンの分泌で快適である。 日本語の快適は、 両者を区別せずに使われるが、英語では区別

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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収録されています。留学の希望者が減り、出 世が遅れるからと海外勤務に就きたがらない 若い人がいるなど、内向き志向の強まりが指 摘されています。スポーツの世界では、野球 でもサッカーでも海外のチームで活躍する選 手がたくさんいますから、一概に内向きにな っているとはいえないのでしょうけれど、全 体としては、外国に行かなくても国内で満ち 足りるとする傾向は強くなっているようです。 その要因の一つに、親の影響があるとする 説があります。少子化が進んで親は子どもを 大切に育て、できれば子どもを自分のそばに 置いておきたいと考えます。危険を伴う海外 に行かずに安全な国内にいてもらいたいと希 望する親が多いというのです。 歴史を振り返ると、日本人が内向きになっ たり、あるいは外向きになったりするのには 波があるようです。経済的に豊かになって、 これ以上外から学ばなくてもという気分にな りつつあるときに、内向きになるようです。 内向きはともすると自己を賛美することと結 び付きます。 サステイナビリティに関しても、

江戸時代は持続可能な循環型のすばらしい社 会だったとするような論調がよくあります。 日本のいいところはきちんと評価すべきです が、江戸時代の日本は鎖国で、閉ざされた枠 の中でサステイナブルである以外に選択肢が なかったので、階級社会のマイナス面もみれ ば、江戸時代はよかったとは単純にいえませ ん。内向き志向から自己を賛美し、それが行 き過ぎると、 おかしなことになりかねません。 サステイナビリティは地球規模での課題で す。持続可能という言葉の響きには、安定的 で安心できるような印象があり、内向き志向 となじみやすいところがあります。しかし、 『風に立つライオン』や「グレートジャーニ ー」に話を戻しますと、外に出て行く冒険心 のようなものを、われわれ日本人はこれから も持ち続けていかなければと強く思います。 地球規模でサステイナビリティを実現して行 くにはそれが必要だからです。「冒険的なサス テイナビリティ」を、サステイナビリティを 理論的に考えている方々にぜひ検討してもら いたいと思います。

連載 エッセイ

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冒険的なサステイナビリティ 大沢たかおさん主演の映画『風に立つライ オン』が三月一四日から公開されます。さだ まさしさんが作詞・作曲した同名の曲をさだ さん自身が小説にして、そして今回の映画に なりました。さださんは二十歳のころに、長 崎大学の熱帯医学研究所の医師である柴田紘 一郎先生のケニアでの体験談を聞いて感銘を 受け、それから一五年ほど経って『風に立つ ライオン』の曲が生まれたのだそうです。そ の曲に大沢さんが惚れ込み、映画化の話が始 まったといいます。 大沢さんといいますと、国立科学博物館で 二〇一三年に「グレートジャーニー 人類の 旅」という特別展を行ったときに、ナレータ ーをしていただきました。この特別展は、人 類が数万年かけて東アフリカから南アメリカ 大陸最南端にまで広がって行った過程を、逆 ルートでたどるということを探検家の関野吉 晴さんがなしとげたのをきっかとして、人類 の足跡をたどり、さまざまな環境で暮らす人

々の生活を紹介したものです。 さださんは映画の製作を機に柴田先生とと もにケニアを訪問し、そこで活動する青年海 外協力隊員と交流するようすがNHKBSプ レミアムで一月に放送されました。隊員は日 本語教育や医療事務などさまざまな分野で仕 事をしています。さらにその番組で、さださ んたちはマサイ族の男性と結婚した永松真紀 さんが住む村も訪ねています。永松さんは学 生時代に『風に立つライオン』を聞いてケニ アに行こうと決めたといいます。 永松さんに限らず、どうしてここでと思う ような海外のいわば辺鄙なところで活躍して いる日本人がよくテレビに登場します。どこ へでも日本人はたくましく入り込んでいると 感心させられるのですが、その一方で、日本 人は内向きになっているということもよく耳 にします。たとえば東京大学法学部の藤原帰 一さんが「内にこもる日本」というタイトル )に で行った講演が『学士会会報』 ( No.910

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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港千尋は、 「心」は身体の他の部分と同じように容 器のようなものですが、 物理的には何もない空間 (容 器)で、この「心」の容器をヴォイドと呼びました 青土社) 。 ( 『ヴォイドへの旅 空虚の創造力について』 ヴォイドにおける 心の働き」を、直接とらえること は困難ですが、その表象されたモノを通して、感じ ることはできるはずです。港千尋は、その例として バスク人のエドゥアルド・チリダ・ファンテギの彫 刻作品、 『風の櫛』をあげます。これは、捻じ曲げら れた巨大な鉄骨が、錨のようになって海に向かって 突き出していて、大西洋からの強風を通す「櫛」の ようなもので、それは「チリダにとって空間は、何 もない 空」ではない。それは何かが通り、何かが生 成しながら、わたしたちの知覚を目覚めさせる場所 である。風はそのような何かのひとつ」です。心が 風となって吹き抜け、 心 の空間(ヴォイド)を感 じとることができる、そういう彫刻だといいます。 世阿弥においても、風によって立ち現れてくる、そ れが「風姿」ではないでしょうか。 「風姿」とは、風 により把握される、 「心」の容器のようなものでしょ う。 能では、面を付けて視野は極端に狭くなり、舞台

がほとんど見えないそうです。そうすると、自ら動 いてできる微かな風の流れが、体の輪郭にそって流 れ、それによって、空間における自分の位置を把握 するしかありません。さらには自ら風(気)となっ て、空間を流れていく。 「風」は流れそのものです。 「花」は「風」に比べると、 「静」の世界のようで すが、日本文化では儚 (はかな)いモノの代表です。 うつろいやすく、散りやすく、微かな香をふくむ。 そして、 「花」には、夕朝が、風が、水の変化 (へん (霧、霞、雲霧、雨、霜、雪、乾湿等々)がまと げ) わりついてきます。 「花」も「静」とはいっても、 「動」 のなかの一瞬の「静」にしかすぎないものです。世 阿弥の「花」とは、自然千変万化の象徴としての「花」 だと思います。 『風姿花伝』とは、このような「動的 自然」の一瞬の把握とその表象(舞)のマニュアル といえるかも知れません。能役者は「風」となり、 自然の中に化現 (けげん)する花(モノ)に陥入して いく。 そもそも「能」という漢字は、白川静『新訂 字統』 (平凡社) によると、 象形文字として由来は古いが、 その本源を容易に明らかにしがたい字であるといい ます。この字が可能・能賢の意に用いるのは字の初

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」 「


「 ヴォイド缶」 の歌

風を得て、心より心に傳はる花 世阿弥『風姿花伝』の「 (第五)奥儀讃歎云」 (岩波文庫)より この「 (第五)奥儀讃歎云」に、 「殊さら、この藝、 その風を繼ぐといへども、自力より出づる振舞あれ ば、語にも及び難し。その風を得て、心より心に傳 はる花なれば、風姿花傳と名附く」とあります。こ れには、少々面食らってしまいます。能の奥義は「言 葉では言えないもの」で、 「心より心に伝える」と書 いてあるからです。 「言葉では言えないもの」を書い た書物ということですから、 『風姿花伝』ははなから 禅問答を仕掛けているようなものでしょうか。 「風姿」とは、狭くは「風體」のようで、 『風姿花 伝』に「田樂の風體」や「申樂の風體」とあること 、と から、ある流派、ある様式、ある流行 (はやり) いった感じでしょうか。理想の能、理想の演技は「幽

玄無上の風體」であるともいいます。とすると、表 題の「風姿」は、むしろ「風體」でもよさそうな気 もしますが。 「風」は流れです、 「花」はそのながれにまかせま す。 「花」は「風を得て、心より心に傳はる」ので、 「風」は心を通り抜けていく心象的風でしょうか。 つまり能の「風」は、たんなる空気の流れとしての 「風」ではないようです。能の「風」は、 「気」みた いなものでしょうか。 「気」は、 「気力」のように人 の内部(心)と、 「気配」のように人の外部(自然) を流れ、人と自然をつないでいきます。つまり、 「風 を得て、心より心に傳はる花」の「風」を「気」と 入れ替えて「気を得て、心より心に傳はる花」とし ても内容は変わらないはずです。そうすると、 『風姿 花伝』の「風姿」とは何でしょうか。たんに、ある 流派、ある様式、ある流行の「風體」でないことは 確かでしょう。

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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ほとんど触れなかったのかも知れません。 そこで、 「童」の根源的基本動作は、何かというこ とですが、次の二つを仮定してみます。一つは、腹 式呼吸で、もう一つは深層筋による動きです。実際 に能を舞われる、内田樹と観世清和の対談によりま すと、能の基本動作として、 「呼吸(法) 」と「足の 運び」が挙げられています。では、 「童」にもともと 備わった「呼吸(法) 」と「足の運び」とはなんでし ょうか。 安田登は動作に関わる筋肉として、表層筋と深層 筋があり、能では深層筋が極めて重要であるといい ます。深層筋とはあまり聞き慣れないので以下にそ の機能を要約してみます (前田英樹・安田登 『対談 前

んど使われてもいませんが、まっすぐな姿勢をつく るときにも、安定した動きを生み出すときにも非常 に重要な筋肉群といいます。 これまで能では、表層筋と深層筋という区別もな く、したがって深層筋を強化するという特別な練習 もなかったようです。安田登が表層筋と深層筋を考 えるヒントになる世阿弥の言葉に、 「体心捨力」 (心 (シン)を体にして力(リキ)を捨てよ)というの があったといいます。安田登は 体心」とは 芯を自 分の体とすること」 、つまり、コアの深層筋を使って 体幹を充実させることだと考えます。 芯コア」は中 心軸で、 核コア」は中心点で、人の重心は仙骨 (せ の二番目の前あたりにあり、丹田の位置です。 んこつ) 」といい 人の 核コア 、すなわちこれが本当の 腹」 ます。筋肉の中で上半身と下半身を結ぶのは大腰筋 (深層筋)で、 「能ではすり足が、この大腰筋を活性 化させているのではないかと思って」 いるそうです。 つまり、 「童」の「動きの形」の根源的基本動作は、 一つは、腹式呼吸としてつとに知られていますし、 もう一つは、表層筋の発達は後々ですので、深層筋 による動きが基本となります。この腹式呼吸と深層 筋が、世阿弥が言う「童形 (どうぎよう)なれば、何と

田英樹×安田登 からだで作る 芸 < の >思想 武芸と 能の対話』大修館書店、および、安田登『疲れない 体をつくる「和」の身体作法 能に学ぶ深層筋エク ササイズ』祥伝社黄金文庫) 。深層筋の中でも、特に 背骨を中心とした体の軸についている筋肉群をコア (芯つまり中心)の深層筋肉群と呼び、このコアの 深層筋肉群によって生み出される姿勢、動き、発声 によって能が舞われるといいます。このコアの深層 筋肉群は、ふだんは意識されてもいませんし、ほと

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義ではなく、本義はその字形の示すように昆虫の形 であり、また熊にも用いられる字であったと書かれ ています。そうすると、 「能」は、現在は能力のよう に、脳の働きとしての知性・知力の意味に使います が、本来は動・動作の意味であったようです。昆虫 の水の上を泳いでいる軽やかな動き、熊の巨体にも かかわらず敏捷な動き、そういった動作能力が「能」 であったのではないでしょうか。 一方、 動きには 「動」 という文字もあり、これも白川静『新訂 字統』によ ると、金文は童を動の義に用いており、動はもと動 に従い、童声の字である、とあります。どうも、漢 字の初期には現代的な意味での「動」を表す文字は なかったようで、 「動」というのは後に生まれた抽象 的な概念のようで、 「静」的世界に「動」的世界の認 識が徐々に形成されてきたように漢字の歴史からは 理解できます。世阿弥の能とは、 「静」 (形式・形・ 型)に「動」と言う概念を意識的に持ち込んだ、革 新的なものだったのではないでしょうか。 世阿弥は、理想の能、理想の演技は「幽玄無上の 風體」といっています。 「能」のキーワードである、 「幽玄」とはなんでしょうか。いまは、 「幽玄」とい

うと、まず深山幽谷を思い浮かべますが、しかし、 世阿弥は「童形 (どうぎよう)なれば、何としたるも幽 「稚 玄 (いうげん)なり」と断言しています。つまり、 児の形」が、最も幽玄を表すといっています。ここ で、われわれは大混乱に陥るわけです。世阿弥は美 青年(一二歳で足利義満に見初められ、二条良基に 絶唱されるほど)であったから、その時代を理想と したとか、同性愛的感情の吐露だとか、老いても童 心を忘れぬようにとか、等々百家騒乱といったとこ ろでしょうか。 「稚児の形」の「形」を『風姿花伝』の全体を通 して普遍的な意味で用いられている「風姿」と捉え てみてはどうでしょうか。 さきにみたように、「風姿」 とは、固定的形ではなく、千変万化の動的一瞬の一 断面、もしく動作(運動)そのもののはずです。 「風 姿」をもたらす動作、もしくは「風姿」そのものの 動作(それらを「風姿の動作」と呼ぶ)とは、何で しょうか。 『風姿花伝』は残念ながら、具体的な「風 姿の動作」については、ほとんど触れていません。 おそらく、 『風姿花伝』は自派の秘(家)伝の書で、 現代の解説書のような物ではありませんので、あま りにも基本的な動作については周知のこととして、

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って、この意識をすっと背中に持っていく。そう いう筋肉のことを知らなくても、自分の体につい ての深い感受性を持っている人は感じます。そう いう人にとっては腹を意識するだけで、背も同時 に意識できてしまうんです。しかも大腰筋は足と もつながっていますから、地に足が着いている感 覚と、背にすっと延びていく感覚というのが、す ごくわかりやすくなりますね。 編集部: 離見の見 というのもそれとつながって いるんですか。 安田:そうなんです。 離見の見」と同じところに 「目前心後」って言葉が出てくるんです。 「

や世界を見るという視点は、ある意味では不敬きわ 「離見の見」は西欧文化では排 まりない 見」です。 除されてきたものです。しかし、身体機能を高めて いくと、「離見の見」 がはっきりと得られるようです。 内田樹は、ラカンが「私の機能の形成過程として の鏡像段階」で書いている、 「身体の全体形──主体 はそれを経由して幻影のうちにおのれの権能の熟成 を先取りするわけであるが──はゲシュタルトとし て、すなわち外部を通じてしか与えられない」を引 用しながら、ラカンの「鏡像段階」を、柔術の側面 から考察します( 『武道的思考』筑摩選書) 。

」 「

内田樹は、この「鏡像段階」をミラー・ニューロン

人間は自分の身体の全体像を見ることができない 。しかし、鏡像はそれを一挙に与えてくれ (中略) る。鏡像を経由してはじめて私は私の全体像を手 に入れる。/鏡像は私の外部にある。その外部の 像と自己同一化することで、私は「私の権能の成 熟」を前倒しで手に入れることができる。その全 能感という報酬が外部にある像との一体化という 「命がけの飛躍」を動機づける。

「離見の見」は、道教的、禅的な思考であるようで す。通常は「我見 (がけん)の見」で、 我 が中心と なり見るだけですので、 廻りは風景として認識され、 西欧ではランドスケープと呼ばれる見方です。この ランドスケープは当然、人から切り離された自然で す。象徴的に謳うことはあっても、あくまで対象物 です。一方、 「離見の見」は、対象物から 我」を見 ることも含みます。つまり、西欧では対象物のさら 」 にその奥には 神 がいて、 神の座 から 人(我)

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」 「


したるも幽玄 (いうげん)なり」といった本質ではな いでしょうか。また、 「核コア」の中心点は丹田の位 置ですので、呼吸も含めて、能は 腹芸」と言っても よいかも知れません。欧米の芸術文化・運動競技の ほぼ全般にわたって、表層筋(筋肉)の誇示、機能 強化がみられますので、これを、 「表層筋文化 と呼 び、東洋、特に日本の文化で、武道・芸道を「深層 筋文化」 と呼んでもよいかも知れません。腹式呼吸」 と「深層筋」を同時に体現した風姿を、より根源的 動作として、世阿弥はこれを「幽玄」とよび、 「童」 を基本とします。とりわけ能は「深層筋文化」の代 表といえます。 「

心を後ろに置け となり。(中略)見所より見る所 の風姿は、わが離見 (りけん)なり。しかれば、わ が眼 (まなこ)の見るところは我見 (がけん)なり。 離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、す なわち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見 得するなり。

さきの前田英樹・安田登の対談でも、 「目前心後」や 「離見の見」ついてふれられています。

安田:世阿弥の言葉に「目前心後」というのがあ りまして 目は前についているけれど心は後ろに 置け」という考え方なんです。世阿弥は自分の後 姿を見ろといいます。後ろから自分を見ているよ うな姿、あるいは目が後頭部にあるような……/ (中略) 背にとどまる」ですが、背というのはま さに自分の後ろ半身だから、ふだんはまったく意 識していませんし、しようと思ってもなかなかで きません。ところが背と腹というのは筋肉ではつ ながっています。大腰筋という筋肉は、背中から お腹を通って足の付け根に斜めにつながっている んです。ですから、まずお腹を意識することによ 「

世阿弥の『風姿花伝』における「風姿」は、腹式 呼吸と深層筋を中心とした根源的基本動作と分かり ました。では、心より心に傳はる「花」はどう把握 されるのでしょうか。 『花鏡』では、 「離見 (りけん) の見 (けん) 」という、心(感性)のありようを説い ていて、 「花」は「離見の見」でみえるモノのようで 。 す ( 『風姿花伝・花鏡』 小西甚一編訳 たちばな出版)

舞に、目前心後と云うことあり。 「目を前に見て、

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えないはずのものが聞こえ、触れていないはずの ものの感触が「わかる」 。このような感覚入力を脳 はどう処理するか。脳が思いつく「説明」は一つ しかない。それは上空からすべての身体を俯瞰し ている全能の視点を想定し、それに自己同一化す ることである。 「神の視点」と言ってもよい。/自 分を含んだ風景を上空から俯瞰する視座に立つこ と、それが「スキャンする」ということであり、 その能力は他者の身体との共感度が上がることに よって強化される。/その理路はミラー・ニュー ロンや鏡像段階理論が知られるよりずっと以前か ら、身体技法の修業者たちには知られていたので ある。/そう考えてはじめて多田先生の合気道の 稽古が「呼吸合わせ」と「足捌 (さば)き」に例外 的に長い時間を割く理由がわかる。/呼吸合わせ は師との体感の同調の稽古であり、足捌きは上空 の「幽体脱離」的視点から自分の動きを見る稽古 である。 つまり、 この二つは全く同じ脳内部位の、 ミラー・ニューロンの活性化にかかわる稽古だっ たということになる。 世阿弥の『花鏡』にある「離見の見」は、ラカン

の「鏡像段階」やミラー・ニューロンと似た概念で はないでしょうか。つまり『花鏡』という表題自体 が、 「鏡像段階」 (ミラー・ニューロン)をはっきり 認識していたことを示しています。世阿弥の「花」 とは、「我見の見」 で観察し、 その形をまねて舞う 「花」 ではなく、 「離見の見」で花になりきって舞うことに より、その舞にふと浮き出てくる「花」のことです。 例えば、 「花」は「猿」でも良い。 「我見の見」によ る猿まねで「猿」になるのではなく、 「離見の見」で 猿になりきって、能の微かな動きの中にふと「猿」 が出てくれば良い。それが、 「離見の見」でみた花が 「花」になって舞うということです。

「離見の見」は、道教や禅宗でもはっきり認識さ れてきたようで、 これらを支柱とする日本の諸芸 (武 道、芸道)ではもっとも重要な心のありかた(心に よる見かた)です。 「離見の見」の動作とその論理性 がよく確立されているのが、能とともに茶道です。 岡倉天心は「茶道は変装した道教であった」と述べ ています( 『茶の本』英文収録版、桶谷秀明訳 講談 社学術文庫) 。また、天心は、茶と禅の結びつきはあ まねく知れわたっており、茶の湯は禅の儀式の発展

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を拠り所にさらに考察を深めます。 共感能力(シンパシー)というのがどういうもの かは誰にもだいたいわかる。でも、その共感能力 が「自分自身を含んだ風景を仮想的な視座から俯 瞰する」 (スキャン)の能力と同根のものであると いうことは長期的かつ集中的に身体技法を学ばな いと理解が及ばない。/これは前に脳科学の池谷 裕二さんから伺ったことだけれど、ミラー・ニュ ーロンの活動を強化する薬剤が発明されたとき、 その投薬実験をしたことがあった。すると被実験 者が全員同じ「イリュージョン」を見た。何だと 、体 、離 、脱 、である。/自分の身体から 思います。/幽 抜け出して、上空から自分の身体を見下ろす「幻 想」を見たのである。/ミラー・ニューロンとい うのは、 他人の動きに同期する機能を担っている。 それが強化されると、人間は幽体離脱する。それ は「幽体離脱」が「スキャニング」と同じものだ と気づけば腑に落ちる話である。/上空から自分 を含む風景を見下ろす。その能力がサッカーやラ グビーのようなボールゲームのプレイヤーにとっ

て死活的に重要なものであることは誰にもわかる。 グランドを上空から見下ろすことができれば、ど こにスペースがあるか、ディフェンスがどこから 接近しているか、パスする味方がどこから走り込 んでいるか……それが見える。その能力のことを ボールゲームでは「スキャン」と言う。/その能 力をどうやって強化するか。/もちろん経験的に 効果的プログラムが存在する。/ラグビーの場合 なら、それはフォワードの「スクラム」であり、 バックスの「パス回し」である。スキャンする力

はいずれもプレイヤーたちがあたかも一つの共 = 身体を形成しているかのように、あたかも同じ一

、枢 、的 、な 、指 、 つの身体の右手と左手であるように、中

、な 、し 、に 、動 、く 、訓練を通じて強化されるのである。 示 /そうすると何が起きるのか。/自分の身体が延

長されるのである。自分には見えないが、共 身 = 体を形成している仲間が見ている画像が見える、 自分には聞こえないが仲間が聞いている音が聞こ える、自分が触れていないが仲間が触れているも のが感じられる。他者の身体経験が自分の身体に 転写される。/見えないはずのものが見え、聞こ

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これは、鮮やかな「離見の見」の歌のように読めま す。しかし、天心の英訳をみると、 「我見の見」 (ラ ンドスケープ)の歌に訳しているように読めます。 また、この英訳の歌が、はたして寂寥の極なのでし ょうか。 " I look beyond; Flowers are not, Nor tinted leaves. On the sea beach A solitary cottage stands In the waning light Of an autumn eve."

ももみじもなかりけり」ですので、藤原定家はとま や辺りにしばらく沈思しながらボーッと立っていた のでしょう。秋ですので、菊の花がとまやの辺りに 咲いていた。裏山ではもみじが残照に映えて鮮やか であった。そしてふと気づくと背後には闇が迫って きていて、脳裏にはその闇に先ほどまで見ていた菊 ともみじが鮮やかな心象をむすんでいる。「浦のとま やの秋の夕暮れ」で、 「浦のとまや」から「海(浦) 」 をはさんで「秋の夕日 へと、一気にズームアウトし ていく、そんな詩です。実に心(魂)は動的です。 しかも、 背には闇を背負い、 顔面は淡い光りを受け、 時間の流れと明暗が鮮やかに読み込まれています。 また秋ですので、背中は寒さを、顔は温もりをかん じます。心の明暗、寒暖、時の流れ、夕日と菊・紅 葉の色彩の対比が鮮やかに歌い込まれていて、心の 動きも含めて、 「離見の見」の歌といえます。利休が 露地を作る奥意の歌としたのもうなずけます。

夕月夜海すこしある木の間かな

一方、小堀遠州の元句は、次の句です。

この英訳詩だと、 「見渡せば」 「花も紅葉」もなく、 「浜辺と小屋」があり、秋の夕暮れ時であるという だけの陳腐な情景詩(ランドスケープの詩)です。 たしかに静寂はあるかも知れませんが、流れもなけ れば、断片が羅列されているだけです(天心の名誉 のために申しておきますが、この陳腐さは天心のせ いではなく、英語そのものの限界のためです) 。これ を、 「離見の見」で読んでみましょう。 「見渡せば花

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したものであると述べます。つまり、 わが国の偉大 な茶人は、みな禅の修行者であった。そして禅の精 神を生活の現場へ導入することを企てた。そういう わけで茶室は、茶の湯の他の施設と同様、禅の教義 を多く反映している」といいます。茶室は禅的黙想 の場で、いわば禅の道場というわけです。天心は、 茶室に通じる露地を「黙想の最初の段階──自己啓 示への通路を意味する。露地は外界とのつながりを 断ち、茶室そのものの中で美的趣味を充分に味わう のに役立つ新鮮な感興を呼びさますためのもの」と いいます。 利休のような茶人は、寂寥の極をこころざした。 そして露地を作る秘訣は次の古歌に盛られている と主張した。 私は見渡した 花はない 紅葉もない。 浜辺に 小屋が一軒ひっそりと立っている 秋の夕の

薄明の中に。

他に、 小堀遠州のような茶人は別の効果を求めた。 遠州は露地の着想は以下の句の中に見いだされる と言った。 夏の木立の群れ わずかにみえる海 淡い夕日。

遠州の言わんとするところを推測するのはむずか しくない。彼が創造しようと願った態度は、目覚 めたばかりの魂がいまなお、過去の暗い夢の中か ら抜けきれずにいるが、やわらかい霊光の甘い無 意識の中に浸って、彼方の天空にある自由にあこ がれている、といったものである。

藤原定家の元歌は、次のような歌です。

見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ

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う感想を書いた。/すると、すぐにお礼の手紙が 来た。そこには「 『内触感覚→内触覚』という言葉 があらわれてきて、ぼくは思わずうなってしまっ た。合点がいったのだ。ハイレッド・センターの 友、 中西夏之のハイレッド前の作品に、『内触覚儀』 というものがあったのだ。(中略)今度松田君の方 から同じ『内触覚』という言葉を聞かされて、中 西のもつ関心とぼくのもつ関心とに共通のものが あったのだろう」と書かれていたのが印象的だっ た。 もう一つ、赤瀬川さんの文章において特徴的なの は、尋常でない比喩表現だ。これについて彼は、 「比喩は稲妻である」 ( 「太陽」一九九九年九月号) にこう書いている。/本を読むのが苦手だという ことがある。そうすると知識が頭に溜まらない。 そうすると論理が展開できない。だけど人間は生 きて動いている。(中略)生きていれば何か言いた いことがある。でも論理が展開できない。頭の知 識はカラだ。すると言いたいことが頭というより 体からじかに、物を伝わって出てくる。 『それはた とえば……』となってくるのが比喩である。論理

ではなく、現物から現物への、一種の物々交換。

ここで、赤瀬川が「現物から現物への、一種の物々 交換」といっていることは、世阿弥の「心より心に 傳はる花」と同じ意味ではないかと思います。

赤瀬川は、前衛芸術家として有名ですが、いわゆ る西欧の前衛芸術家とはまるで異なった軌跡を描き ながら、たまたま軌跡が異常接近した、そんなタイ プの芸術家だったのではないでしょうか。 赤瀬川は、 前衛芸術というものは、「芸術という概念があらわれ たところで、すでにその概念をUターンしようとす る」力(意識)で、つまり「日常生活の原始スープ から芸術という概念が分離独立したとき、それはふ たたび日常のものへと降下しようとする」力を内包 しているといいます( 『千利休―無言の前衛』岩波新 書) 。具体的にいうと、一九世紀にあらわれた印象派 の絵は、「それまで人々の頭上へ頭上へと昇つめよう としていた絵画というものを、一気に日常へ向け直 した」ものです。前衛芸術は、印象派のあと、シュ ールレアリズムでは「人間の意識の深部を覚醒する 日常の物品」が、つぎつぎに小道具のようにして現

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この英訳です。 " A cluster of summer trees, A bit of the sea, A pale evening moon."

」 「

これもまったくひどい訳で、 「私」の視点から見て ( 「我見の見」 ) 、夏木立があり、その合間から海がち らりと見え、青白い夕月がみえるといような単なる 情景詩として英訳しています。これぞ「離見の見」 の歌のはずが、 「我見の見」 (ランドスケープ)の歌 のように誤訳しています。そもそも、それに続くこ の句の解説でも、この英訳の歌のどこから「目覚め たばかりの魂がいまなお、過去の暗い夢の中から抜 けきれずにいるが、やわらかい霊光の甘い無意識の 中に浸って、彼方の天空にある自由にあこがれてい る」と解釈できるのでしょうか。小堀遠州の句を「離 見の見」 の視点で読んでみましょう。「夕月」 があり、 海」があり、 木 があり、そして 私 に夕月の光り が突き抜けて一気にズームインしてくる句です。「夕 月」 からの俯瞰的視野が一気に自分に集中してくる、 極めて動的な歌です。それを、天心が視点をひっく

り返して、欧米人にも分かるように、たんなる静的 な風景描写に英訳してしまったのには興ざめがしま す(といっても天心のせいではありませんが) 。

「離見の見」は結局、気配を感じるということで しょう。 そしてそれは皮膚感覚によります。 それは、 感性で、理性ではない。現代において、感性で突き 抜けた芸術家に赤瀬川原平がいることを最近知りま した。松田哲夫が追悼で、赤瀬川原平は『内触覚』 が異常に発達していたと述べています (松田哲夫 「下 、 駄とウニドロ 赤瀬川文体における身体性と比喩」 雑誌 芸術新潮2、二〇一五(追悼大特集 超芸術 家赤瀬川原平の全宇宙) ) 。

赤瀬川さんの特異なる表現を眺めていると、身体 的、生理的、触覚的など、体に関わる表現に敏感 であることがわかる。(中略)/赤瀬川さんが「肌 ざわり」を発表した直後、ぼくはこの作品を読ん で手紙を送った。(中略)とりわけ、身体的、触覚 的な表現が活き活きとしている。その上、表面的 な触覚だけではなく、皮膚の内側から触ったよう な感じ(内触感覚)の表現が際立っている、とい

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」 「


なのである。それなのに、芸術がありながら前衛 芸術だけがコツゼンと消えたとは考えられない。 /あるいはこういうことか。前衛芸術が芸術の影 のようなものだとすれば、世の中が曇り空になっ たということかもしれない。芸術にはじめて強い 光りが当たり、地面にクッキリと形を見せていた 影が、薄曇りとなって芸術だけが残されたのだ。 影は薄曇りの空気の中に消えていった。/それな らわかるのである。前衛芸術はついに光りの微粒 子、いや影の微粒子となって、この日常の全域に 散ったのである。だから芸術の最先端を探すとい うより、むしろ芸術を離れてこの日常の町を歩け ば、そこに染み込んだ前衛芸術の影の微粒子が見 つかるかもしれない。どんな状態かはわからない が、必ず発見できるはずだ。/こうして路上観察 学というものができたのである。 赤瀬川らは路上観察(学)を続けるうちに、 「ひょ っとして、 むかし、 歪んだり欠けたりした茶碗をさ、 利休たちが〝いい〟なんて言い出した気持と、同じ なんじゃないのか」という言葉が発せられ、それま で無縁であった利休に急接近していきます。あるい

は、路上観察(学)を続けるうちに、利休を発見し たといってもよいでしょう。

考えたら、彼ら(利休ら)も同じことをしている。 いやその逆というべきか。私たちがいま味わって いる楽しみを、彼らもかつて味わっていた。ズレ たもの、歪んだもの、欠けたもの、見捨てられた もの、そういう人々の意識の外側にあって、人々 の恣意を超えて鮮やかなもの、それが彼らの美意 識の先端にあったのである。

こうして、路上観察では、その日本的なるものの心 臓部にいる利休に直接つながってしまったのです。 そんな折り、まだそんなことを知らないはずの勅使 河原宏監督が赤瀬川に映画『利休』の脚本を依頼し てきます。赤瀬川らが千利休を発見したまさにその 時にです。しかも、赤瀬川が美術評論家の山下裕二 と、千利休が建てたと伝えられる京都の茶室「待庵」 を訪れているその時にです。 もともと日本の芸術は、自然に染みこんでいて、 人‐自然が混然一体になった、 極度に内観的芸術 (内 面の気による身体的感性を中心とした芸術)です。

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れてき(ダリ、マグリット、エルンストなど) 、ダダ の運動では「実物展示による芸術」 (例えば、デュシ ャンの『泉』 )に接写し、さらには「ハプニング芸術」 (日常の行為・振る舞いそのものを芸術として展 示: 「椅子から落ちる」 「道路に寝そべる」等々)へ と解体していきます。 芸術の概念を、日常の感覚につなげようとする前 衛芸術は、そうやって日常へ接着を繰り返すうち に、日常に接近しすぎて、接着というよりもその 中にはいり込み、日常の無数のミクロの隙間から 消えていった。/そうやって前衛芸術は消えたの である。芸術はもちろんいつの世にもある。消え てはいないが、その概念だけが人々の頭上にあっ て、かろうじて細い糸で日常の地面に繋がれてい る。前衛芸術は、日常というものをあまりにも分 離分析的に付き合ったお陰で、その拠り所を失っ たのだろうと思う。 赤瀬川のこの短文は、 西欧のここ二世紀たらずの (前 衛)芸術の本質を突いています。ただ、現状を見る と、欧米では、特にドイツとアメリカ合衆国では、

現代美術館がはびこり、消えるどころかゴミのよう に掃きだめられています。これはどうしたことでし ょうか。おそらく、 (前衛)芸術が欧米では産業化(ゴ ミの公共施設への「強制的配置」とそれにより「前 衛芸術認証」を与えるゴミ製造システム確立)した ためではないかと、密かに考えています。ゴミでも 欧米では芸術という虚構が必要なのだということが、 プラント(現代美術館)に入ってみるとよく分かり ます。赤瀬川は自らの前衛芸術を、ゴミ化せずに、 違う次元に展開できたことを次のように述べます。

前衛芸術は物質との摩擦を失い、丸裸の概念とな って消えていった。/それがしかし、私には不思 議でならない。いま一つ理解できない。芸術とい う概念はその誕生と同時に、一方に前衛芸術を配 置していた。これは双生児、というより実体と影 のようなものだ。その一つが消えて、残った一つ のバランスがとれるのだろうか。/芸術というも のはいつの世にもある。人類の原始のときから生 活に潜んであるわけで、それは常に前衛芸術を内 包しているはずなのである。芸術が一つの概念と なってからは、常に前衛芸術を同伴しているはず

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代にはわりと身近で、櫻画報、偽千円札事件、路上 観察学、老人力、といった具合に、最初はちょっと 強面(こわもて)に、だんだん好々爺に、世の中を斜(は す)に眺めて、おちょくってきた人ぐらいの印象で した。ところが、気になって調べてみると、赤瀬川 の「利休」の発見とそれへののめり込みは、それま でのイメージと全く異なり、くだをまいてごろつい ていた浪人侍が、突然、宮本武蔵になって切りつけ てきたような感じがします。それ以上に、まるで利 休と一緒になにやら腹をかっさばいたような感じに すらさせる、気魄があります。 赤瀬川原平は、昨年(二〇一四年)に亡くなられ、 雑誌の特集号が色々出ています。それらを眺めてい ると、 『宇宙の缶詰め』が記憶から浮き上がってきま した。一瞬、それは利休の茶室にヒントを得たかと 思いましたが、順序は逆です。赤瀬川は『宇宙の缶 詰め』 を利休の茶室に持ち込み、 床の間に置いたと、 山下裕二が述べています(松田哲夫・南伸坊・山下 、文芸別冊「赤 裕二「特別座談会 赤瀬川さんの謎」 瀬川原平 現代赤瀬川考」二〇一四年、河出書房新 社) 。山下裕二は、利休が長治郎に焼かせた、ただの 真っ黒い茶碗はある意味ではブラックホールみたい

なもので、 『宇宙の缶詰め』と近いものがあるといい ます。しかし、赤瀬川は、利休の茶室あるいは「茶」 は無(虚無)を閉じ込めているという意味で、 『宇宙 の缶詰め』であると感じたに違いありません。赤瀬 川は『千利休―無言の前衛』 (岩波新書)を書きなが ら、利休に前衛芸術の魂を発見していきます。その 過程をかなり事細かに書いています。しかし、 『宇宙 の缶詰め』をわざわざ持っていって、床の間に置い たにもかかわらず、そのことには全く触れていませ ん。そのことから、芸術の核心は、自ら語るもので はない、それによってそもそも芸術はなり立ってい るという確信のようなものを感じさせます。千利休 の発見こそが赤瀬川のたどり着いた芸術で、それを 一言で言うと『宇宙の缶詰め』につめられている、 といわんばかりですが、故意に言いません。芸術に は無言の重さが必要だからです。笑い話と同じで、 核心は自ら話してはいけないのです。 『宇宙の缶詰め』とは、蟹缶のラベルを剥がして 缶の内側に張って、 また封をしただけのものですが、 缶詰を開けると、缶詰めの中身は宇宙というわけで す。缶詰の中に無限の空間をつくり出したことにな ります。赤瀬川原平は「その瞬間!この宇宙は蟹缶

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それが、西欧の外観的芸術(外見を強調する人間中 心の芸術)に炙られて、蚤のように這い出してこざ るをえない時代がありました。千利休の時代にも西 欧文明のインパクトは強烈だったでしょう。特に武 器(鉄砲)を中心にしたモノ・ヒト文化は威圧的で あったでしょう。自然に浸っていた日本のシゼン文 化は強力に揺さぶられた(炙られた)はずです。千 利休はモノ・ヒト文化の洗礼をうけながら、日本の モノを見極めてシゼン文化の中に組み込み直してい った、 それが利休の茶の世界ではないかと思います。 明治にはさらに強力な武器(黒船)を中心にしたモ ノ・ヒト文化が威圧してきました。岡倉天心が、ま た、千利休を持ち出してきたのも、痛いほどよく分 かる気がします。戦後は、アメリカ合衆国の一層強 力な武器(原水爆)を中心にした破滅的モノ・ヒト 文化が強制的に入ってきました。またもや、日本の シゼン文化は壊滅的打撃を受けます。赤瀬川は、な にがなんだかわからずに、欧米の片棒をかつぐよう な前衛芸術で日本の因習的文化に切り込むうちに、 切り口からワープして落ち込んだ時空に、なんと、 千利休がいたというしだいのようです。 日本のシゼン文化はモノ・ヒト文化で威嚇され、

揺さぶられても、モノ・ヒト文化をうまく加工し直 して、 シゼン文化に組み込んでしまいます。 つまり、 日本のシゼン文化はモノ・ヒト文化に対してリサイ クル機能を持っています。千利休の茶は、平時にお いては茶道としてその様式を楽しみ、戦時(モノ・ ヒト文化との対立時)においてはシゼン文化の再生 業として生き残りを懸けます。欧米のモノ(モノは 必ずゴミ化する) ・ヒト文化には、リサイクル機能が 付いていないようで、 壊れ始めると際限なく壊れて、 ゴミとなるだけのようです。

『サステナ』のエッセイでは、一応、起承転結を 心がけていて、紆余曲折はあるもののだいたいは構 想に沿って書いています。しかし、今回は、天心の 『茶の本』の引用をすすめるうちに、赤瀬川原平が 不意に忽然と立ちあらわれてきて、後半の転結が大 きく変わってしまいました。それは、たぶん、以前、 勅使河原宏監督の映画『利休』を飛行機で暇にまか せてみたとき、利休の茶と利休自体の異様な緊張感 があまりにも美しく描かれていた驚きと、その脚本 を赤瀬川原平が書いたという、強力な違和感が甦っ てきたためかと思います。赤瀬川は、われわれの世

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いる感じがします。 「春は花」の花は桜でしょう。桜は、サクラで、 日本語の古訓で、サクの音のモノは裂、割、刳など、 いずれも「二つに別かれる」意味を持ち、古代の日 本人たちは桜の花びらを見ていたはずであると、赤 瀬川は指摘します。桜の花びらの先端には小さな切 れ込みがあり、M字形となっていて、このサクを持 つ花びら一枚に注視しているわけです。 そうすると、 「春は花」の花は、桜の花びらが舞っている情景が 浮かんできます。世阿弥の「風を得て、心より心に 傳はる花」の「花」も桜の花びら一枚が舞い、心が そこに陥入していく感じでしょうか。 「夏ほととぎ す」の「ほととぎす」も鳥の姿というよりは、鳥の 「声」でしょう。 「秋は月」の「月」も満ち欠けはし ますし、天空を駆けていきます。それ以上に、旧暦 を忘れてから長いので、月が持っていた生命のリズ ムをもう感じる事が出来なくなってきているのです が、今でも月はバイオダイナミックスの象徴です。 「冬雪さえて」の「雪」はひとひらの雪でしょうか、 寒き朝にキラキラ光る雪でしょうか。道元の歌は、 まるで静物の描写のようですが、自然の名詞には人 の心がそもそも息づいて動的です。道元は、皮膚の

「内触覚」で外界の気を感じ、その気を胆(丹田) のツボに書き込んでいった、そんな感じにさせる歌 を詠みました。

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道元が胆の内側に歌い込んだ『ヴォイド缶』を、 赤瀬川原平に捧げたいと思います。これは千利休が かっさばいた胆にも書き込まれていたはずの歌です。 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

連載 エッセイ


になってしまう。この私たちのいる宇宙が全部その 蟹缶の内側になるのです。そうでしょう。その缶に 、側 、に蟹のレッテルを貼られてしまっ 密封されて、外 たのだから。この宇宙の構造は閉じているのか開い ているのか、宇宙の果てというのはどうなっている のか、人類にはまだ何もわかりませんが、それがわ からないまま、わからないこともひっくるめて、そ の蟹缶がすっぽり包み込んでしまったのです」と解 説します( 『東京ミキサー計画 ハ[イレッド・セン 。 ター直接行動の記録 』]ちくま文庫)

詰め』の缶を金属ではなく、 「心」の膜でできた容器 を想定すると、 「ヴォイド缶」ができます。その内側 に、たとえば蟹缶のラベルの代わりに、道元の歌を 書いてみると、それは道元の「ヴォイド缶」になら ないでしょうか。 最後に引用します道元の歌には、道元が「離見の 見」で味わった四季が歌い込められています。この 句は、春、夏、秋では「春は花」 「夏ほととぎす」 「秋 は月」と名詞止めになっていますが、冬は 雪 を名 「すずし 詞止めにせず、 雪さえて」と動きをだし、 かりけり」 という感性に繋げています。 通常ですと、 生命の息吹く 春 に芽吹きという動きをもたせて、 冬 で終焉、動きを止める流れになるはずですが、 これを逆転させているのが特徴です。 「静」のなかに 動 を鮮やかに歌い込んでいます。さらに、四季は 循環するものですから、 「すずしかりけり」は 春」 に連なっていく働きもあります。 「すずしかりけり 春は花」です。 「すずしかり」は「涼」ではなく、お そらく「静寂」です。四季の円環を考えると「すず しかりけり」はさらに「夏ほととぎす」にも、 「秋は 月」にも、かかっていきそうです。 「すずしかりけり」 は転移子(トランスポゾン)のような機能を備えて 「

」 「

さて、ヴォイド 空 「なにもない空間」 )の原 =虚( 義は、宇宙の泡構造です。宇宙の泡構造は、なにも ない空間が歪んで出来たと考えられています。現代 の物理学は、老荘(道教)の虚無の思想より、よほ ど奇想天外です。一方、港千尋は、 「心」は身体の他 の部分と同じように容器のようなものですが、物理 的に何もない空間(容器)で、この「心」の容器を

」 「

」 「

」 「

ヴォイド 空 =虚と呼びました。赤瀬川の『宇宙の缶 詰め』は、老荘(道教)や禅が漠然と考えていたヴ ォイド 空 『宇宙の缶 =虚を実体化したともいえます。

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と思っていた。ところが最近それが創業者の 姓をつけた会社の名ではなく、山口県の徳山 市に由来する一種のブランド品であったこと が分かった。 事の起りは明治の頃、当時の汽船・軍艦は いずれも石炭を焚いて蒸気を作り、それでピ ストンを動かして動力とした。蒸気機関車と 同じ原理である。火力の強い重油を燃やして 走るのは、 蒸気タービンが開発されてからで、 これは石炭レシプロの船とはスピードが違う。 そこで列国海軍は重油専用の罐を持つ軍艦を 造るが、残念ながら日本には石油がない。秋 田や新潟には油田があって、ごく僅かな量の 石油を得ていたが(現在でも稼働している) 、 艦隊を動かすほどの量ではない。そこで考え たのが少しでも効率よく石炭を燃焼させる燃 料。国内産の無煙炭を粉状にしてピッチで固 める練炭の誕生である。練炭と云っても子供 の頃に見た蓮根のような練炭ではなく、三、 四〇センチ四方、厚さ一〇センチほどもある ブロックである。石炭よりは火力が強いが重 油よりは劣る。劣る分だけ安い。それを作っ

ていたのが徳山にある海軍燃料廠。終戦後、 その技術を生かして製品化したのが「徳山練 炭」 。これは、船だけではなく蒸気機関車も動 かした。謂わば戦後復興の象徴のようなもの である。 それで何の話かと云うと、遠赤外線効果。 歳の市で門松を売っていたおじさんは、普段 は、縁日や盆踊りの会場で焼きそば・お好み 焼きを売っているという。今はほとんどの商 売人(おじさんの仲間)がプロパンガスで作 っているが、おじさんは練炭で作るという。 これだと遠赤効果でそばの芯まで火が通る。 お好み焼きも真ん中まで熱が通る。だから味 が違うという。なるほどそうかと思ったが、 さて鉄板を通して赤外線は作用するものか、 と思ったがそれは云わなかった。 サンマを焼くとき、七輪に火を熾し外で焼 いた。家の中が煙とにおいで臭くなるのを避 けるためと思っていたが、あれこそが遠赤効 果。実に旨かった。便利な生活によって失わ れたものがある。テキ屋のおじさんの云うこ とは案外正しいかもしれない。

連載 エッセイ

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練 炭 昨年末のことである。毎年この時期、駅前 に歳の市が立つ。前を通りかかって懐かしい 臭いに出会った。よく見るとテント囲いの店 の中で、七輪に練炭を熾している。その練炭 の臭いである。昭和三〇年前後、東京の下町 ではこれが部屋を暖める唯一の方法であった。 火鉢の中が木炭から練炭に変っただけで、暖 房方法としては江戸時代とほとんど同じ。 練炭はピッチと粉状の石炭を錬り型に入れ て固めたもので、家庭で使われたものは、直 径一〇センチほど、高さ一五センチ程度の円 筒形で、蓮根と同じように上から下までいく つも穴が通っている。 これに火をつけるには、 七輪の底に木炭を熾し上に練炭を置く。その 時、ピッチの焼ける臭いがしてくる。特有の 化学的な臭いで、大人達はよく一酸化炭素の 臭いと云っていたが、一酸化炭素に臭いがあ るわけではなく、着火時の不完全燃焼の際に 多量の一酸化炭素が発生するといわれていた。

実際、時々練炭で中毒死という記事が新聞に 出ていた。今と違ってその頃の家は通風性が よく(つまり隙間だらけ) 、あまり気にもかけ ず使われていて、近所の診療所に行くと、待 合室には大きな火鉢の中にこの練炭が熾って いた。 それで暖かかったのかと云えば、あまり暖 かくはない。ひと部屋を暖めるには明らかに カロリー不足で、こごえた手を暖める程度の ものであったが、大抵は上に大きな薬缶がか けられていて、一日中湯が沸いていた。食事 時には鍋がかかり、正月には餅を焼いた。中 学校に通う頃から石油ストーブが普及し始め、 練炭火鉢は姿を消していった。 練炭をいくつかまとめ紙で包み荒縄で結わ えたものが、秋になると物置に積み重ねられ る。ああ冬が来ると思ったことがある。その 包装紙には「徳山練炭」と大きく印刷されて いて、私は永くそれが徳山と云う会社の製品

山田利明

やまだ としあき

東洋大学教授

(専門は中国哲学)

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培が広がっている作物だ(図2) 。主に 家畜の飼料や澱粉用、エタノールの原 料にされていて、タイやベトナムなど にも輸出されている。でも、そのキャ ッサバを地元の人たちは食べないとい う。毒があるからだ。キャッサバのな かには糖と結合した青酸が含まれてい て、毒抜きをしないと食べられない。

図 2 焼き畑のあちこちに立て置かれたキャッサバの苗.

天日乾燥させたものがキロ五〇〇リエ ル(約一四円) 。お世話になったレニュ ーさんの畑は、まだ収穫の途中だった けれど、 二トン分を収穫したという (図 4) 。 販売すれば約二万八〇〇〇円の収 入になる。焼き畑の一角には陸稲も栽 培されていたものの、キャッサバはす っかり主作物に変わりつつある。カシ

図4 焼き畑を案内してくれたレニューさん(左から3人目)と筆者(左端). 201

ソロモン諸島などでは毒のごく少ない キャッサバが食用とされており、ココ ナッツミルクで煮たり、摺り下ろした ものを石蒸し焼きにしてケーキを作っ たりもする(図3) 。カンボジアで広が っているのは高収量だけれども有毒な 加工用の品種だ。 キャッサバの村での引き渡し価格は、

図 3 キャッサバのケーキを食べるソロモン諸島ビチェ村のエディパ イ君.


忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑮

移動と定住のフィールドワーク たなか もとむ

田中 求

ドルキリ州の山岳民プノン( ) Bunong )村 人の暮らすプチュレウ( Puchuleu にお邪魔して、みんなでキャッサバの

それでも学生たちとフィールドに入る のは楽しい。 昨日はベトナムと国境を接するモン

九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授 (専門は環境社会学)

大学の実習を通じて、カンボジアで のフィールドワークを始めた。といっ ても、二週間に満たない短期での学生 実習を年に数回やるだけなので、なか なか歩き回る村の社会文化的な背景や 言葉の裏側まで把握することは難しい。

収穫の手伝いをした(図1) 。芋を折ら ないようにユサユサと揺らしながらグ イッと土中から引き抜くのはコツのい る作業で、慣れないから途中でポキリ と折ってしまうことも多い。変なとこ ろに力が入ってしまったのか、まだ腰 と背中がギシギシと痛い。 キャッサバはカンボジアで急速に栽

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図 1 カンボジア・モンドルキリ州でのキャッサバ収穫.


ったく新しい場所に移動して焼き畑を することもあった。焼き畑は複数年サ イクルでの移動もしくは他の土地への 移動を前提としてきたのだ。 定住化政策や商品作物の導入は、移 動を前提とする焼き畑を大きく変える ことになる。限られた土地では焼き畑 の移動サイクルそのものが難しくなる

図 7 中国企業によるマツの植林地

し、焼き畑用地にカシューナッツを植 えれば、そこは伐開することも火を入 れることもできなくなる。焼き畑で家 族や村のみんなで分け合って食べるも のを作って来た生活は、作物を売って 得たお金で食べ物を買う暮らしに変わ る。 キャッサバなどの商品作物を運び、

図 8 ラタンやタケで作られたプノン人の家屋.

販売するためには市場へのアクセスの 良い道路沿いが有利だ。モンドルキリ 州でも、道路沿いの土地には外部から 入植者が入ってくることもある。ゴム ノキやコショウの農園開発、植林を進 める企業(図7)との土地を巡る争い も生じている。焼き畑を続けてきたプ ノン人の村々は大きな変化を余儀なく されている。焼き畑の陸稲はとてもお いしくて大好物なのだけれど、それも 減りつつあるようだ。 定住を余儀なくされたプノン人のい くつかの村ではエコツーリズムの取り 組みが始まっている。プータン

( Putang ) 村もそのひとつだ (図8) 。 元々、現在の村から約二〇キロ離れた ベトナム国境にあるプータン川周辺に 住んでいた人々は、村の古老が数人亡 くなると話し合いのうえ新たな場所に 移動して焼き畑を行ってきた。薬用の 動植物についての知識が豊富(図9) で、ゾウなどを飼い慣らす技術にも長

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ューナッツもあちこちに植えられてい る(図5) 。これもまた商品作物だ。 カンボジアに限らず、東南アジア諸 国では長年にわたってあちこちに移動 しながら焼き畑を続けてきた村々に対 して、商品作物の導入や定住化が促進 されてきた。ビルマ・ラカイン山脈の サラインチン人は、軍による廃村や労

図 5 焼き畑や庭などに植えられているカシューナッツ.

働の強制などを受けつつも、あちこち 移動しながら焼き畑を続けていた。焼 き畑では、さまざまな種類の陸稲が栽 培されていて、みんなでサルなどを追 い返し、助け合って収穫をし、足りな いときはコメの貸し借りをして、村全 体でなんとかコメを自給しようとして いた (図6) 。 焼き畑を基盤にしながら、

図 6 ビルマ・ラカイン山脈のサラインチン人の焼き畑での陸稲の収 穫作業.

村のみんながつながっているのがよく わかった。つながりあって助け合わな ければ人手のいる作業もできず、天候 不順や獣害による不作にも対応するの が難しいからだ。そんなサラインチン 人の村でも、余剰があれば誰かに貸す はずだったコメを市場で販売するよう になり、商品作物であるトウガラシを 販売するために道路沿いに定住する人 も生じていた。私がお世話になった一 九九八年前後は、焼き畑や移動への規 制を受けつつも焼き畑を続けている人 が多かったけれど、今はどうしている のだろうか。 焼き畑での陸稲栽培は連作が難しく、 森を伐り開いて火を入れた一年目の焼 き畑では良く育つものの、二年目から は雑草が増え、収量も落ちるようにな る。そのため、新たな場所をまた伐開 することが必要になる。短くて数年、 長い場合は数十年間も休閑させた森が、 再び焼き畑として利用されてきた。ま

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学校に行かせない人も多い(図 ) 。 その一方で焼き畑はあまり行われなく なり、踊りで表現していた作業も現実 の暮らしとはかけ離れたものになって いくのかもしれない。 いつから移動しながら暮らすことが 悪とみなされるようになったのだろう。 人は定住するのが当たり前なわけでは

ない。 焼き畑だけでなく、 牧畜や漁労、 狩猟採集を主要な生業としながら移動 を繰り返してきた社会もある。国境の 設定や保護区などによる囲い込み、土 地の管理、企業などによる開発、そし て定住化政策は、人を特定の土地に縛 り付ける。商品作物は人を金で縛り、 人と人のつながりを大きく変えていく。 そこに軋轢や悲しさや歪みや矛盾は生 じないのだろうか。 みんなが食べないもの、食べられな いものがたくさん植わった焼き畑をみ ながら、この人たちの暮らしや社会が これからどうなっていくのか、そこに どんな豊かさがあるのかを考えていこ う、そしてこの人たちがお金や政策に 振り回されず、自然とつながり、人と 人がつながっていく社会を再構築して いく姿が見られたらと思っている。

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この村ではそんなことはしない。野生 動物は我々の仲間だ」と語るのはエコ

図 12 ゾウに泣きながら話しかけるプノン人のおばちゃん.

さん。 ツーリズムを進めている Vanny エコツーリズムは、移動を基盤にした 暮らしから定住へと切り替えざるを得 なかったプータン村の人々を豊かにで きるのだろうか(図 ) 。子守や焼き 畑で働くことを優先して、子どもを小 12

13

図 13 弟の子守をしながら踊りを見ていたプノン人の女の子.


けた人々だ。 プノン人のさまざまな技術や知識、 価値観を次世代が受け継いでいけるよ うな取り組みもされている。織物作り (図 )のほか、銅鑼に合わせた踊り には子どもたちも参加する(図 ) 。 踊りはドブロクの入った壺にコメとニ ワトリを供え、ニワトリの血をコメに 10

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図 9 婦人病の薬になる煙で燻されたヤマアラシの内臓.

垂らしながら、収穫を精霊に感謝し、 許しを得てから始められる。陸稲の播 種から収穫、籾のより分け、漁労など の作業を模した踊りだ。大小六つの銅 鑼を組み合わせて「ボワンボボンボボ ンプワンプププワン」 とリズムを刻む。 何世代にもわたって受け継がれてきた 踊りや衣装なのだろう。 男性の褌は四・

図 10 プノン人の伝統的な織物を織る女性.

五メートルもの長さがあるという。ま だ踊りに参加できない小さな子どもた ちも銅鑼を鳴らす音をまねるように手 を叩き、興味津々だ。 「他の村ではゾウを一日五回、一回 五キロも旅行者を乗せて歩かせたりし ている。五〇年以上生きるはずのゾウ が、 二〇年で死んでしまうこともある。

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図 11 プータン村の陸稲収穫の踊り.


0歳からの こども サステナ にまなぶ

いろんな光の ケミカルライト

発光物質にエネルギーを

与えて、化学反応で光をつ

くる。コンサート会場や非

常灯に使われている。

ホタルの発 光 も 同じ仕組み

体内で化学反応

を起こし、エネ

ルギーを光にか

えている。ホタ

文・構成 平松 あい)

ルイカも同じ。

(こどもサステナ

ひみつの忍者絵の具で かいた絵が浮かびあがる!

2015 春の号

シソの汁がワイン色に…!


光あれ…!闇に浮かぶ超現象? 前回の「見える」ということに関連して、光の話題。 子どもは光りモノに弱い。キラキラ、ピカピカした ものがとても大好き。お祭りに行くと、光る腕輪をつ けた子どもたちがたくさん。魅惑的な蛍光色の光は、 朝になる頃には消えてしまう。ちょっと切ない。

日焼けや皮膚がんの原因として嫌がられがちだが、

ブラックライトの光は紫外線の中でも波長の長い近

)なので、あまり害 紫外線(ピーク波長 375-365nm の心配をしなくてよい(波長が短くなるほど生物に 影響が大きい)。

このブラックライトを色々なものにあてると面白

い現象がおこる。お札や配達済みハガキ、パスポー

それにエネルギーを与えて光らせる物質)を混ぜるこ

物質)だけが発光するからである。蛍光ペンや蛍光

がる!のである。紫外線をあてると、蛍光体(発光

トなどは、普段は見えない模様やマークが浮かび上

と で 、 化 学 反 応 に よ っ て 光 を 発生 さ せ る 、 「 ケミ カ ル

Tシャツなども光るし、上記のケミカルライトの発

これは、パキッと折って、異なる物質(発光物質と、

ライト」。反応が終わると消える。電気がなくても光

光物質にあてても光る。アートや視覚効果をねらっ

ライトを奪われ、あちこち照らされている

かの暗号に使えそう。と思ったが、案の定ブラック

ワクする。息子にとられないように、おやつのあり

見えないものが浮かび上がる光、探偵気分でワク

また細菌の確認など医学にも活用されている。

たものもあれば、紙幣や美術品の鑑定など犯罪防止、

が作り出せるとは!と感動する。 また、先日水族館に行ったら、手の甲に何かをポン と 押 さ れ た 。 特 に 何も 変わ ら ず 不 思 議 に 思 って いる と、再入場の時にライトを当てられ、手の甲にマーク が浮かび上がった。びっくり! この特殊なライトは、 「ブラックライト」。 紫外線を出すライトである。紫外線というと

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