サステナ第37号

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司会 皆さま、こんにちは。本日はお 忙しいなかお集まりくださいましてま ことにありがとうございます。ただい まよりエネルギー持続性フォーラム、 第一〇回公開シンポジウム「エネルギ ー・資源・環境の統合による循環共生 ■開会挨拶1

武内和彦 たけうち かずひこ

型社会の創生」を開催いたします。 開会に際しまして、主催者を代表し て、東京大学国際高等研究所サステイ ナビリティ学連携研究機構 機構長・教 授、武内和彦より開会の挨拶を申し上 げます。

略称でIR3Sと呼んでおりますが、 私どもIR3Sは二〇〇七年から昭和 シェル石油株式会社と一緒にこの「エ ネルギー持続性フォーラム」の取り組 みを行ってきました。再生可能エネル ギーの導入を通して地域社会の活性化 に貢献しようとする日本各地での取り 組みに関わり、また、海外で、とくに

東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長 国際連合大学上級副学長

皆さま、こんにちは。本日はお寒い なか、また天候の悪いなか、お集まり いただきまして大変ありがとうござい ます。 東京大学国際高等研究所サステイナ ビリティ学連携研究機構という、普通 は一回では言えないような大変難しい 名前の組織の機構長を務めております。

これから成長していくアジアにおいて どのようなエネルギー戦略を構築して いくべきかといった共同研究も進めて きました。それと並行して、毎年この 時期に、三菱地所株式会社様のご支援 をいただいて、この丸ビルホールでシ ンポジウムを開催してきました。三菱 地所様にはこの場をお借りしてお礼を 申し上げます。 今回のテーマは「エネルギー・資源・ 環境の統合による循環共生型社会の創 生」です。エネルギーについては、福 島原発の事故以降、わが国のエネルギ ーミックスをどうするのかが大きな社 会的問題になっています。エネルギー はわが国にとって非常に大きな制約条 件です。原発についてはさまざまな考 えがありますが、原発が止まっている ために、高いお金を払ってたくさんの 化石燃料を輸入せざるをえないという 状況も実際には生じています。エネル ギーと並んで資源もまたわが国にとっ

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エネルギー持続性フォーラム 第 10 回公開シンポジウム

エネルギー・資源・環境の統合 による循環共生型社会の創生

気候変動の激化や生物多様性の減少,化石燃料の大量輸入による国富流 出,地域経済の疲弊,人口減少・超高齢化社会やコミュニティの衰退など, わが国が直面する環境,経済,社会の諸問題は,それぞれが深刻であるのみ ならず,相互に密接に関連し,複合的な様相を呈しています。 こうした問題を解決する道筋を示すために,中央環境審議会は,2014 年 7 月に,22 世紀を見据えた政策ビジョンとその基本戦略として『低炭素・資 源循環・自然共生政策の統合的アプローチによる社会の構築~環境・生命文 明の創造』と題する意見具申をまとめ,都市と農山漁村が地域資源を補完し 合う「地域循環共生圏」の構築が重要であると指摘しています。 とくに,再生可能エネルギーの活用,自然資本ビジネスの確立,豊かな長 寿社会の構築を統合的に進めることは, 「地域循環共生圏」の構築にとって 急務の課題となっています。 そこで,本シンポジウムでは,わが国の環境・経済・社会政策の最新動向 や地域での実践的な取り組みを踏まえて,持続可能な「循環共生型社会」の 実現に向けた提言を試みました。 ●主催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) ●共催:昭和シェル石油株式会社 ●協力:三菱地所株式会社 ●日時:2015 年 2 月 18 日(水)13:00~17:30 ●会場:丸ビルホール 2


入れて議論ができればと思っています。 また環境省の中井徳太郎審議官にもお 越しいただいて、さきほどの意見具申 を取りまとめた立場から、新しい社会 像についてお話をいただきます。お二 人の基調講演の後で、各地の事例を皆 さんにご披露をいただいて、意見交換 をしていきたいと思っています。 本日は長時間になりますが、最後ま でお聞きいただければ幸いです。どう ぞよろしくお願いいたします。

司会 どうもありがとうございまし た。 続きまして、本シンポジウムの開催 にご協力をいただいております、三菱 地所株式会社様を代表して、代表取締 役専務執行役員、合場直人様にご挨拶 をいただきます。どうぞよろしくお願 いいたします。

■開会挨拶2

あいば なおと

合場直人 三菱地所株式会社代表取締役専務執行役員

本日は第一〇回エネルギー持続性フ ォーラム公開シンポジウムの開催、ま ことにおめでとうございます。この会 のタイトルに持続性とありますように、 今回の一〇回目を一つの節目として、 さらに一五回、二〇回と持続していく ことを心から願っています。本日もま たこの会場をお使いいただきまして大 変光栄でございます。 ただいま武内先生からご紹介があり ましたように、日本全体のエネルギー 政策について、国の機関もふくめてい ろいろなところでさまざまな検討が進 められています。環境、共生というこ

とに関しましては、日本各地での活動 の成果もあって、それが大切であると いうことは人々の間にかなり浸透して きていると思います。今後どうやって より広く実践していくのかという段階 に入ってきていると感じています。 私ども三菱地所株式会社はこの丸の 内を中心とした都市の再開発を進めて います。そのなかでも環境、共生は非 常に大きなテーマです。環境、共生を 阻害して経済活動が先に進展すること はありませんし、経済活動を進めるた めに環境、共生を阻害することもない と考えています。都市の活動で最も大

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て大きな制約条件です。とくに希少金 属の枯渇は世界的にも深刻です。そう した問題を解決していこうと、わが国 は世界に先駆けて循環型社会の形成に 向けての取り組みを進めてきました。 そして環境です。日本ではかなり改善 されましたが、近隣諸国をみればPM 2・5に代表される大気汚染、あるい は水質汚濁、生態系の破壊といった問

題はいまも非常に深刻です。 エネルギー、資源、環境の問題を解 決しなければならないという課題は、 見方を少し変えますと、大きなチャン スであると見ることもできると思いま す。そのときに、エネルギーはエネル ギーで、資源は資源で、環境は環境で とばらばらに議論しがちなのですが、 この三つを統合的に捉えて同時に解決 すべきではないかというのが、今回の シンポジウムの趣旨です。 私は最近まで中央環境審議会の会長 の任にありました。二〇一四年六月に 環境大臣に対して意見具申を行い、そ のなかで、統合的なアプローチによっ て新しい「環境・生命文明社会」を構 築しようという提案をしました。今日 はそのような大所高所に立った議論と ともに、各地で実践されている事例を 報告していただき、 皆さんとともに 「循 環共生型社会」について考えていきた いと思います。 「循環共生型社会」とい

うのは環境大臣への意見具申のなかで 出された言葉で、エネルギーや資源を 地産地消で、循環型で使っていこうと いうことと、都市と農村が共生する社 会をつくっていこうということを合わ せた意味の言葉です。 日本ではいま少子高齢化、過疎化が 大きな問題になり、 「地方消滅」といっ た非常にショッキングな言葉さえ使わ れています。地方を創生していくこと は、地域に住む人の生活にとっても、 また豊かで望ましい環境をつくってい くためにもどうしても必要だと考えら れます。今日の議論は地方の創生にも 貢献することになるのではないかと期 待しています。 最近の新しい経済学では、社会資本 と並んで自然資本が非常に重要だとい うことがいわれています。今日は京都 大学から植田和弘先生にお越しいただ いて、そうした新しい見方を最初にご 紹介いたただきますので、それも取り

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■基調講演1

た中東のエネルギーがどこにいくのだ ろうかということが出てきたりしてい ます。エネルギーには、一種の複雑系 といっていいようなところがあります。 今日は、地域のレベルでの議論をし たいと思っています。地域でエネルギ ー経営をするということが求められて いて、それは実はグローバルな話とも つながっていくのですが、さしあたり は地域のお話をします(図①) 。 私は「地域エネルギー経営」という ことを申し上げています。先ほどの武

再生可能エネルギーが拓く持続可能な経済社会 植田和弘 うえた かずひろ

京都大学 副学長・教授

エネルギーの問題は、いろいろなレ ベルで議論ができますし、それをして いかなければいけないと思います。 グローバルなレベルで一つの事例を 挙げますと、アメリカでシェールガス が利用されるようになってきたことに よって、アメリカがエネルギーの輸入 国から輸出国に変わるということがお きています。そのことから、日本がこ れまでよりも少し安いガスを得られる のではないかということが出てきたり、 これまでアメリカに輸出するはずだっ

内先生のご挨拶のなかで自然資本が注 目されているということがありました。 エネルギーは一種の自然資本です。地 域エネルギー経営は、地域自然資本経 営の一環であるとご理解をいただいて もよろしいかと思います。何のための 経営であるのかと問われますと、エネ ルギー問題を解決するというのは大き

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事なのは、知の創造であると私どもは とらえています。知の創造にとって、 エネルギー問題がネックになってはい けません。環境にやさしくて、そのこ とが知の創造にとってもいいというい わば「掛け算」となるような答えを、 世界のなかでも先行して出していけな いかと、この丸の内でいろいろな試み をさせていただいているところです。 都市の再開発が、単に経済を活性化

させるためだけのものではなくて、こ の地域にお勤めになっている方、この 地域を訪問される方にとって、知の創 造につながっていくようにと私どもが 努めている一つの例をお示ししますと、 三菱一号館美術館がございます。この 丸ビルホールから二ブロック先にあり ますが、文化や芸術にも貢献できれば との思いで美術館をつくりました。現 在そこではワシントン・ナショナル・ ギャラリー展を開いています。印象派 の絵画を展示していますので、お時間 がありましたらぜひごらんいただきた いと思います。 さて、今日のプログラムですが、さ まざまな分野からそうそうたる方々に お越しいただいています。この会場で 皆さまもご一緒に本日のこれからの議 論を共有し、考えていただければと思 います。成功をお祈りいたします。本 日はありがとうございます。

司会 どうもありがとうございまし た。 それでは早速講演の部に移らせてい ただきます。はじめに、京都大学副学 長・教授、植田和弘様より、 「再生可能 エネルギーが拓く持続可能な経済社 会」 と題して基調講演をいただきます。 それでは植田先生、よろしくお願いい たします。

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にあって、そこから送電線で送られて くるというイメージが強くありました。 現在では違います。遠いところではな く、身近なところにいろいろな電源が あります。小規模分散型とよくいいま すように、われわれの足元にも電気に なるものがあちこちにあるのです。水 力発電も山のなかに大きなダムをつく って発電するというだけではなくて、 土地改良区の水路を流れる水から電気 をつくるマイクロ水力発電のようなも のができてきました。いろいろなとこ ろでさまざまかたちで電気がつくられ て、それらをネットワークでつなげる ということで、分散ネットワーク型電 源と呼ばれたりしています。そういっ たものがこれから広がっていく大きな 変化の時期にいまあるのです。 分散ネットワーク型電源はICTの 技術と組み合わさることで、いろいろ な意味でグリーン・イノベーションの 源になっていくことでしょう。新しい 図②

ビジネスになるということです。これ を私は「未来産業」と呼んでいます。 いまある産業だけでなく、分散ネット ワーク型電源からは新しい産業が出て くるのです。これから出てくるであろ う産業を頭に置きながらいまを考える ことが大切であると思います。この観 点からも再生可能エネルギーの意味は 大変大きいものがあります。 再生可能エネルギーの取り組みが非 常に盛んになった一つの契機は、地球 温暖化防止でした。現代は廃棄制約の 時代であるということを私は申し上げ ています。かつて地球は無限で自由に 廃棄できると思われていた時代もあり ましたが、 いまはそうではありません。 廃棄物は固形物だけではなくて、二酸 化炭素も廃棄物です。大気中の二酸化 炭素が増えることで地球の気温が上が っていくのは、二酸化炭素を廃棄しす ぎているからです。温暖化防止の国際 交渉は、二酸化炭素が自由に捨てられ

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図①

な要素であるのですが、同時に持続可 能な地域づくりであるということを念 頭において行う経営であるということ が大切であると考えています。 つまり、持続可能な地域づくりに向 けてのエネルギー経営ということです。 そうなりますと、やはり再生可能エネ ルギーを念頭において、地域との関わ りはどうあるべきなのか、地域はどの ようにして取り組んでいけばよいのか といったことを考えていくことになり ますので、最初に再生可能エネルギー の特徴や意義を、皆さまはよくご存じ のことではありますが、確認させてい ただきます。 日本は資源のない国だとよくいわれ てきました。これはいまでは間違いだ といっていいでしょう。資源がないと いってきたのは、化石燃料があまりな いとか、あるいは鉱物資源があまりな いといったことからで、その限りにお いてはその通りだったのでしょう。し

かし、自然資本に着目すれば、森林、 太陽光や風、あるいは地熱といったも のは、日本にはむしろ豊富に存在して います。豊富にあっても眠らせていた のです。潜在的な資源がたくさんある わけですから、それを具現化したらい いではないかということです。 再生可能エネルギーを活用していく ことの多面的な意義を考えます (図②) 。 エネルギーといいますと、日本ではと かく電力が重要だということになって、 再生可能エネルギーも電力供給源とし て期待されるということが最初に出て きます。これはこれでもちろん大事な ことではありますが、それだけで議論 するのはあまり正確ではないと私は考 えています。エネルギーにはいろいろ な面があるからです。 現在は電力・エネルギーシステムが 大きく転換しつつある時期にあります。 私が小さいころには、電力といいます と、大きな発電所がどこか遠いところ

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図③

風力に限らず、地域の人が自ら発電 所をどうするのかを考える、いわば市 民参加型の発電の可能性が高まってい くのがこれからの一つの大きな方向性 だろうと思います。このことはさらに どういうことと結び付いていくかとい うと、地域でおこす事業は、費用を自 分たちが出して、利益も自分たちにく るというような、まさに地域経済循環 を作り出していくということになりま す。そのようになるのは、もともと再 生可能エネルギーが地域資源であると いうことと非常に関係しています。 再生可能エネルギーのコミュニティ パワー三原則があります(図③) 。これ は世界風力発電協会がつくっている報 告書のなかに出ているもので、最初は 風力を念頭に置いてつくった原則なの ですが、かなり普遍的な内容をもって います。 ①地域社会がエネルギーをつくるこ とを自ら担う。地域の利害関係者がプ

ロジェクトに関わり、さらには実際に プロジェクトを動かし、所有もしてい るということです。 ②どこにどのようにつくるかを自ら 決める。プロジェクトの意思決定はコ ミュニティに基礎を置く組織によって 行われます。 ③事業から得られる社会的・経済的 メリットを地域社会が得る。社会的・ 経済的便益は地域に分配されます。福 島の事故の前の日本の風力発電では、 ややもすると、東京の資本で地方に発 電所をつくって、利益は東京にきて、 騒音とかの問題は地元にあるというよ うなことになってしまっていました。 それではうまくいきません。社会的・ 経済的な便益が地域に分配されるのは 大切なことです。 この三原則に立って、私は地域エネ ルギー経営を提唱しています(図④) 。 その着眼点の一番の基本は、再生可能 エネルギーは一種の眠っていた地域資

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ないので、どの国がどのぐらい減らす かという交渉です。原子力発電では放 射性廃棄物がきわめてやっかいな難問 になっています。そういうことからす ると、これからは廃棄物の出ない電源 が大事だというのは確かなことだとい えます。廃棄制約フリーの電源という 意味合いで、再生可能エネルギーは大 変大きな意味をもっています。 ここまではかなりよくいわれている ことですが、再生可能エネルギーの一 つの特徴として小規模分散であること に関係して、地域社会との関わり方が これまでのエネルギーとは異なってい るというのが大変重要なポイントで、 それは今日のテーマと大いに関係して います。 実は、再生可能エネルギーは常にい いものであるのかと尋ねられると、必 ずしもそうではありません。 たとえば、 風力発電を考えますと、吹いている風 を電気に変えるのは大変すばらしいこ

とではありますけれども、電気に変え るにはやはり発電施設が必要で、それ が騒音を出したり、低周波問題をおこ したり、景観を損ねたりといったこと も確かにあります。それらの問題を非 常にうまく処理しているのがデンマー クです。デンマークではオーナーシッ プという考え方をとっています。発電 所に対して地域の人が出資しています。 出資するのはリターンがあるからで、 リターンは発電された電気が売れるこ とで出てきます。発電所が動かないと リターンはこないので、地域の人は問 題を処理しつつ発電所を動かそうとし ます。 これと対比的なのが福島原発事故前 の日本の風力発電所です。当時すでに 一七〇〇基ほどの風力発電所がありま した。しかし、稼働率はすごく低かっ たのです。ほとんどの風力発電所がい わゆる建設補助金をもらってつくった ものでした。発電所を建てるときには

補助金が出るので、熱心に建てようと するのですが、建ててしまうと動かす ことにはそれほど熱心ではないという ことになってしまっていました。 デンマークでも、風力発電所に伴っ ていろいろな問題が生じていますが、 動かして電気が売られて初めてリター ンがくるので、動かしながら問題を解 決していこう、よりよい発電所にして いこうということになります。 風力発電所を動かしても地域の人に は利益がこなくて、騒音だけがくると いうのだったら、地域の人は建設に反 対するし、動かすことに反対するでし ょう。立場を逆にしていうと、利益は 自分のところにきて、問題は全部地域 に押し付けるというやり方ははなはだ 問題です。地域の人が自分たちの発電 所であると考えるオーナーシップは大 切なことです。オーナーシップによっ て発電所の問題は自分たちの問題であ るという関係ができあがるのです。

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てきます。北海道の稚内とか東北の下 北半島のような風の条件のよい場所で なら風力は安価な電源になりますが、 東京ではそうではありません。再生可 能エネルギーの発電コストはどの地域 であるかで変わりますので、逆にいう と、そこにある豊かな地域資源として の再生可能エネルギーは何かというこ とを考えて、その地域に合ったエネル ギー経営をすることが必要なのです。 地域エネルギー経営のもう一つの着 眼点はお金の流れです。私たちは毎日 エネルギーを使って常に光熱費に払っ ています。あまり意識していないこと ですが、電気やガスや灯油などの大半 は海外からもってきた化石燃料に由来 していますので、光熱費として支払っ た費用のほとんどは結局は海外に流れ ています。福島県で調べると、年間に 二〇〇〇億円ものお金が海外に出てい ます。これは相当な額です。地域エネ ルギー経営をすると、地元にある資源 を開発してそれをエネルギー源として 使うわけですから、光熱費に払われる お金が地域のなかにとどまることにな ります。つまり、お金の流れと、もの の流れが、域内での動きが中心になる ということです。資金が域外へ流出し ないで、地域内で経済が循環的に回る ので、これは地域経済にとって大変大 きな意味をもちます。 オーストリアのギュッシングという 地域エネルギー経営のモデルのように いわれているところがあります。私は そこで、最初の立ち上げに取り組まれ た方のお話を聞きました。その方の最 初の着眼が地域経済の循環でした。そ の人は、自分たちはエネルギーにかな りの金額を払っているけれど、それが 全部地域の外に出て行ってしまい、そ の一方で自分たちがもっている木質バ イオマスのような地域資源は使われな いでいるのは、何かまずいのではない かと、考えたのでした。地域エネルギ

ー経営は、資金の域外流出から地域経 済循環へと変化していく動きをつくっ ていくことにつながると私は考えてい ます。 地域エネルギー経営の第三の着眼点 は私たちの意識、あるいはエネルギー と関わるときの姿勢の変化です。私は 京都にいますので、電気というと、少 なくとも福島の事故の前までは、関西 電力から送られてくるものということ しか頭にありませんでした。関西電力 は地域独占でありましたから、消費者 としては、せいぜいどのように電気を 使ったらいいかという発想しかありま せんでした。地域エネルギー経営とい うことになりますと、自分たちの地域 資源で発電事業をしましょうというこ とですから、電気の消費者であるとと もに、電気の生産者にもなるというこ とです。木質バイオマスの利用では、 バイオマスで発電するだけでなく、熱 利用も大事です。消費者であり生産で

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図④

源だということです。先ほど武内先生 のお話のなかで地方消滅ということが ありました。農林水産業に基礎を置い てきたような地域が、過疎などの非常 に困難な状況にあります。そのような 地域に眠っている地域資源があるので す。その資源は農林水産業と非常に親 和的な関係にあります。 地域資源であることの意味を発電コ ストの面から考えてみます。私は、政 府が電源別の発電コストの分析を行っ たときのメンバーに入っていたのです が、そのときに、なるほどと思ったこ とがありました。 発電コストの分析はどのような公式 をベースにしているのかといいますと、 発電にかかる費用を発電量で割ったも のが要するに発電コストだということ です。発電にかかる費用としては、通 常は資本費、燃料費、運転維持費の三 つがあります。本当は社会的費用も加 えなければいけないのでしょうが、い

まはカウントされていません。私がな るほどと思いましたのは、資本費、燃 料費、運転維持費の三つの費用の構成 比が電源によってかなり異なるという ことです。原発と火力発電でその違い が非常にはっきり出ます。原発は資本 費の割合が大きいのです。それは当然 でしょう。放射性物資の扱いは厳重に しなければなりませんから、原発はも のすごい設備をつくらなければいけな いので、どうしても資本費が大きくな ります。それに比べたら火力発電のプ ラントの費用はぐっと小さくてすみま す。火力発電で大きな割合を占めるの が燃料費で、発電単価を下げようとす ると、いかに安価な燃料を調達するか ということが課題になります。 再生可能エネルギーの特徴は、地域 の自然条件で発電コストがかなり変わ ってくることです。風力発電の場合に は風がどれだけ吹くかが決め手で、そ の条件によって稼働率がまったく違っ

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図⑤

非常に多様だと思います。 そのときに、 オーナーシップのような考え方がとら れているのか、どのようなビジョンが あるのか、推進体制がどうなっている かといったことが大事です。そして地 域エネルギー事業の全体像を考える必 要があります。 第二に、専門的知識が必要です。地 域の人がエネルギー経営に取り組むに は、エネルギーに関しての専門的知識 を獲得することから始めなければいけ ないでしょう。事業の経験があるとい うのも専門的知識の一種として大事で す。実際に事業に取り組むと、知識と 経験だけではうまくいかないことにな って、一種のイノベーションが求めら れるということにもなってくるでしょ う。イノベーションをおこすには、専 門家と地域の人のコラボが大変大事で す。専門家としては、世界で実践され ている経験に関する知識、経営ノウハ ウ、事業の立ち上げのノウハウ、そし

て合意形成のためのノウハウといった ものを知っている人たちが集まってく れることが求められ、住民のなかから もそういう専門家的な人が出てくるこ とも必要だと思います。世界中の知識 や経験・ノウハウが地域の具体的な実 情とうまくすり合わされて、具体的に 事業化が進んでいくというプロセスに なっていくのだと思います。 第三に、地域の事業者や担い手をど のように増やしていくのか。最近の日 本の傾向として面白いと思っています のは、都会から地方に移って、新しい 事業に取り組もうとする人が出てきて いることです。実際に私のよく知って いる例で、東京の大学を出て外資系の コンサルタントなどをしていたのが、 再生可能エネルギー事業にやりがいを 感じて、家族で地方の村に移り住んで 取り組んでいるという人がいます。そ のようなことをしようとする若い人が 増えて、村では保育所をつくってもっ

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もあるということからすれば、木質バ イオマスを有効に使おうと、生産と消 費が密接に関連したかたちで考えるよ うになります。 消費者(コンシューマ)と、生産者 (プロデューサー)を合わせた造語で 「プロシューマー」になるということ が、世界的にいわれるようになってき ました。 地域で自分たちが使うものを、 どう作るのか、どう使うのかを同時に 考えていくことで、エネルギーとの関 わり方が大きく変化していくと思いま す。 眠っていた地域資源を使って地域経 済循環を作り出して、われわれがプロ シューマーになっていくという変化を 促すための仕組みとして固定価格買取 制(フィード・イン・タリフ)をうま く活用していくことが大切です。 実際に地域資源としての再生可能エ ネルギーを地域で活用していくには、 二つの非常に重要なポイントがありま

す。その第一は、事業性がなければい けないということです。企業などで取 り組む場合には採算といってもいいで しょう。再生可能エネルギーにかなり 先行して取り組んできたドイツやオー ストリアの事例をみますと、事業性を どう確保していくのか多様な取り組み がなされています。村が取り組む場合 もありますし、共同組合のようなもの をつくって取り組む場合もありますし、 企業が取り組む場合もあります。多様 であっていいのですが、いずれであっ ても事業性は一つの大きな課題です。 もう一つのポイントは、地域の共同 利益につながるかどうかということで す。先ほど申し上げたように、再生可 能エネルギーの事業はおこしたけれど も、利益が全然地元に落ちなくて、雇 用も生まれないといったような話にな ったら、明らかに地元から反対が出ま す。いままでの日本の事業にはそうい う面がなかったわけではありません。

デンマークの風力発電の例を取って申 し上げたように、地域の共同利益につ ながるかどうかが課題です。 二つのポイントを合わせると、事業 性と地域の共同利益をどのようにして 両立させるかということが大きなテー マです。もちろん、個々には企業がビ ジネスとして行うこともあるでしょう し、村が直接取り組むこともあるでし ょう。どのようなかたちであれ、全体 としては事業性と地域共同利益が両立 して成果を挙げていくことが大事です。 地域エネルギー経営に取り組むから には、やはり事業化を成功させたいで す。そのためには何がポイントになる でしょうか(図⑤) 。 第一に、誰がどのように取り組むの か。事業を興すときに、ビジネスの観 点から考えることもあるでしょうし、 地域の人たちが共同で取り組むという ことから考えることもあるでしょう。 それらが混在している場合もあって、

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とを今日は聞かせていただきありがと うございます。私は日本のふつうの主 婦です。京都議定書のできる前は使い 捨ての時代でごみがあふれていました ので、ごみを焼却するときに発生する 熱を利用できないだろうかいうことを 私は考えまして、焼却炉メーカーの人 に熱を利用して発電をしていただけな いかと申し上げたことがあります。デ ンマークにいって風力発電を見学させ ていただいことがあって、そのときに 伺ったのでは、デンマークではごみの 発電はしていないということでした。 今日のお話を伺って、ごみを燃やして 得られるエネルギーも地域の資源の一 つとしてあるのではないかと思ったの ですがどうなのでしょうか。

植田 いまおっしゃられたことを私 なりに少し敷衍してお答えしたいと思 います。 今日は地域エネルギー経営というこ

とを申しました。事例としては発電事 業の話が多かったのですが、熱の利用 も大切なことです。デンマークのごみ 焼却工場は地域に熱暖房を供給してい ます。焼却工場は街の中心にあって、 迷惑施設ということではなくて、熱供 給施設なのです。それはとても大事な 発想だと思います。 日本のエネルギーの最終消費の形態 をみると、電気は三割ぐらいで、熱の 方が実は多いのです。二酸化炭素の削 減を考えるときにも、熱利用をどのよ うにしていくかというのはとても大事 なポイントです。今日少しだけ例に出 した木質バイオマスの利用でも、木材 としては使わないようなものを燃やし て発電するというのももちろん重要で すが、たぶんその前に地域としては熱 利用が大事な意味をもつのではないか と思います。電気ばかりに目を向ける のではなく、エネルギーを総合的に考 えて、自然資本の活用をはかって、経

営を行うということが大事ではないか と思います。

司会 お時間の都合でご質問はあと 一人とさせていただきます。

――一月に国連大学で行われた国際シ ンポジウムで先生のお話を聞かせてい ただき、包括的富指標(インクルーシ ブウェルス)という概念について学ば せていただきました。そのときにご質 問したかったのですが、昨日も日本は GDPがプラスになったというのがニ ュースになっていましたように、経済 指標といいますとGDPばかりが重視 されていますが、今後、包括的富指標 の概念はどのような重要性をもってく るのか、そのあたりのところを聞かせ ていただけないでしょうか。

植田 包括的富指標(インクルーシブ ウェルス)は、ウェルスという言葉が

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と多くの若い人を迎えようなどという こともおこってきています。これは地 方消滅とは全く逆の傾向で大変興味深 い事例であると思います。地域の内部 の人だけではなくて、外部から移って こられる人も事業の当事者になりうる のです。また、移ってこなくても、外 部の人とジョイントすることで、事業 者や担い手を増やしていくこともでき ます。いまは情報化社会で、ネットワ ークで相互に連絡し合うことが簡単に できますから、事例の交換のようなこ ともされて、さまざまな可能性が広が っていくと思います。 第四に、地域での合意形成をどう進 めるかです。先ほどから申し上げてき たようなオーナーシップのようなこと がここに関わってきます。 第五に、事業としての持続性をどう 確保するのか。事業として成功しない と続きませんから、地域共同利益があ るということが大切です。利益がなけ ればやる意味がありませんし、動かな くなります。 お金の問題は二点あって、 まず、地域経済循環が実際にどのよう になるのかということです。もう一つ は事業を興すときの資金の調達です。 エネルギー施設は小さなものであって もそれ相応の資金を要します。その資 金が地域で調達できるのかということ では、地域の金融機関が、地域経済循 環を念頭に置いて、再生可能エネルギ ーに対して理解があるのかどうか、そ ういったことがよくわかる人材がいる のかどうかがかなり重要です。それに 関連して、日本では地域金融機関の預 貸率がたとえばドイツの銀行と比べて かなり低いという残念な数値がありま す。預貸率というのは、要するに地域 で集めたお金を地元にどれくらい貸し ているのかという率です。日本の地域 金融機関は地元の投資にはあまりまわ していなくて、国債を買っています。 このお金の流れは大きな問題だと思い

ます。 再生可能エネルギーの地域エネルギ ー事業が可能性のある事業であるとい うことが認められて、資金的に裏付け られていくことが大変大事です。 そういうことが進んでいくことで、 第六のポイントとして、地域エネルギ ー経営の経営上のリスク管理がきちん とできるようになっていくと思います。 そこまで進んでいったときに、地域エ ネルギー経営は初めて成功といえるの だと思います。 以上で、今日の私の話は全般的な問 題提起ということで終わらせていただ きます。

司会 どうもありがとうございまし た。 それでは、ここで会場の皆さまより ご質問をお受けしたいと存じます。

――私が興味をもっているところのこ

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■基調講演2

低炭素・資源循環・自然共生による 環境・生命文明社会の創造 なかい とくたろう

中井徳太郎

す。 地球の気候が変わってきている、生 物多様性が減少しているといったよう な地球規模の環境の問題や、人口減 少・高齢化、原発の事故、貿易収支の 赤字、経済成長といった日本の社会が 抱える問題は、それぞれ一つひとつば らばらに考えて対応できるようなもの ではなくて、それぞれが原因となり結 果となるようにして複合的に関わり合 った問題であるということをまず認識

環境省大臣官房審議官(総合環境政策局担当)

冒頭の武内先生のご挨拶のなかで触 れられましたように、二〇一四年七月 に中央環境審議会から重要な意見具申 が当時の石原環境大臣に対してなされ ました。 『環境・生命文明社会の創造』 というタイトルのその意見具申の概要 をご説明しながら、それを踏まえて環 境省として政策を展開しつつある動き についてもご紹介させていただいて、 この後のシンポジウムの各論へとつな げていくことができたらと思っていま

する必要があります(図①) 。第四次環 境基本計画ですでに環境、経済、社会 を統合的に捉えてアプローチすべきだ ということが指摘されています。その 上に立って、日本発の新たな意味での 持続可能社会を「環境・生命文明社会」 というかたちで提唱したのが昨年七月 の意見具申です。 人口の問題は皆さますでにご承知と 思いますが、日本の人口は二一世紀の 初めに一億二〇〇〇万人を超えてから

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入っていますように、富というものを みて、富がどれだけあるのかストック をみています。GDPは景気の指標と いう点では意味をもっていますが、日 本の経済社会が持続可能かどうかを考 えるときの指標にはなりません。 インドネシアの経済に関する有名な 研究があって、インドネシアはGDP は伸びているけれども、 端的にいって、 持続可能ではありません。森林をどん どん切って木材を売っているからGD Pがプラスになっていても、森林は切 りすぎでストックがどんどん減ってい る状況にあります。明らかに持続可能 ではないのです。 経済の持続可能性を考えるにはGD Pとは別の指標がいるということで出 てきたのが包括的富指標です。包括的 富指標は自然資本を重要なもののとし て取り込んでいて、自然資本を含めた 富がどのように変化しているのか、次 の世代にきちんと送られていくのかを 判定する点で、冷静な経済社会の診断 をする指標としてとても重要です。G DPについて一喜一憂するのは景気の 問題としてはそれなりの意味はあるの ですが、持続可能性という点では、包 括的富指標を診断指標として充実させ ていくことが必要だと思っています。

司会 植田和弘先生に基調講演をい ただきました。どうもありがとうござ いました。 続きまして、 環境省大臣官房審議官、 総合環境政策局担当、中井徳太郎様よ り、 「低炭素・資源循環・自然共生によ る環境・生命文明社会の創造」と題し て基調講演をいただきます。それでは 中井様、よろしくお願いいたします。

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図③

は急速に減っていきます(図②) 。一方 で、世界の人口は一〇〇億を超える勢 いでまだまだ増えています。世界の人 口の増加は、世界の資源に対して、つ まりは環境の許容力に対して、人間活 動が肥大化したという問題を突き付け ています。そのなかで日本では人口が 減り、山に人の手が入らなくなって森 が荒れるというような環境の問題など さまざまな問題が引き起こされていま す。人口の問題と環境の問題は裏腹の 関係にあります。世界の人口が増えて 地球の包容力を超えてしまいかねない というときに、日本で人口が減ってい くこと自体は悪いと考える必要はなく て、地球がある種の定常系へと向かう のを日本がリードしているという意識 をもてばいいという見方もありうるか と思います。 日本は資源やエネルギーをたくさん 輸入しています(図③) 。今日の共催者 の昭和シェルさんはがんばって安い石

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図①

図② 20


図⑤

にあります。 地球温暖化は人間活動によってもた らされ、日本においても実害を日々感 じざるをえない状況になっています (図④) 。夏も冬も、これまでは考えら れないような気象状況になっています し、農業被害も発生しています。こう した温暖化に対して、世界では二〇五 〇年までに温暖化効果ガスの排出量を 半減させるという議論をしています。 とくに先進国は八〇パーセント減らす ことになっていて、日本も「第四次環 境基本計画」で八〇パーセント削減を 明記しています(図⑤) 。 また日本の生態系の損失も深刻な状 況になってきていて、たとえばウナギ が今後も食べられるのだろうかと心配 されて、生物資源の損失を肌で感じる ようになっています(図⑥) 。 このようなにみていきますと、環境 と経済と社会は複合的に入り組んでい ますので、それぞれ個別にアプローチ

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図④

油を輸入しようとしていますが、国全 体の化石燃料の輸入額は三〇兆円近く になっています。それだけの富が外国 に流出しているのです。日本が二酸化 炭素の排出量を減らして温暖化対策を 進めるには、地域エネルギー・再生エ ネルギーの利用を進めていくとともに、 化石燃料を大量に輸入している構造を 変えなければなりません。環境の問題 と経済の問題は密接にからんでいます。 日本の社会保障費は、年金・医療・ 福祉関係の全体で一〇〇兆円を超える レベルになっています。国の一般会計 予算でも社会保障費は三〇兆円を超え ています。一方で、赤字国債を毎年発 行していて、国と地方を合わせて一〇 〇〇兆円を超える借金があります。社 会保障費が増えて、環境への投資、あ るいは農業への投資を圧迫していると いうことはあります。政府としての対 応力に関して、まさしく経済と社会・ 環境の問題は密接にからんでいる状況

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図⑦

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図⑧


図⑥

して部分解を求めていたのでは、トー タルとしての全体解にはなかなかなっ ていかない可能性があります。そこで 一つ大きな軸を立てようではないかと いうことで、武内先生にご指導をいた だいて、日本発の真に持続可能な循環 共生型の社会を提唱しようということ を進めてきました(図⑦) 。 大きなビジョンを富士山にたとえま すと、頂上を目指して登っていく戦略 は六つあります。 ①環境と経済の好循環の実現。いい かえますと、 グリーン経済の実現です。 ②地域経済循環の拡大。先ほど植田 先生からお話がありましたような地域 の活性化を実現していくアプローチで す。 ③健康で心豊かな暮らしの実現。 ④ストックとしての日本の自然資本 の向上。国土全体を減耗させてしまう のではなく、高めていきます。 ⑤あるべき未来を支える技術の開発

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図⑩

イフスタイルに対して、いままでの社 会の仕組み、制度が間尺に合わなくな ることが出てくるでしょう。社会を変 えていく技術も必要です。それが社会 システムイノベーションです。これら 三つのイノベーションを進めて、活力 と魅力ある地域づくりで日本を再生し ていくという提言です。 環境・生命文明社会へのアプローチ を曼荼羅風にアレンジしたのが図⑩で す。真ん中に環境・生命文明社会とい う山の頂上があり、そのまわりに六つ の登り口があります。イノベーション によって山を登っていこうという構想 です。環境省ではこれを具現化してい こうとしています。 六つの戦略をもう少し詳しくしたの が図⑪から図⑯です。 戦略①「環境と経済の好循環」につ いては、環境設備投資を活性化し、環 境ビジネスを振興させ、あるいは自然 資源を活用して日本のよさをアピール

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図⑨

と普及。 ⑥環境外交を通じた新たな二二世紀 型パラダイムの展開。 アジアを中心に、 環境という切り口で打って出る環境外 交を進めます。 以上にことをもう少し詳しくしたの が図⑧です。ご覧いただければと思い ます。 六つの基本戦略を展開するときに基 軸となるのがイノベーションです(図 ⑨) 。 現状のままではいけないとの認識 をもって、社会・経済・環境の理想型 に向かって変化していくためのイノベ ーションです。ふつうイノベーション といいますと、新たな技術が実験室の ようなところから生まれ出てくるとい うイメージがありますが、そうした技 術のイノベーションに加えて、世界の 資源の有限性や環境の有限を前提にし た意識の改革、ライフスタイルの改革 も必要で、それはライフスタイルイノ ベーションと呼んでいます。新しいラ

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図⑬

図⑭ 29


図⑪

図⑫ 28


して外国からの観光客を増やして国際 収支を改善していくといった各論もい ろいろと考えられています。 戦略② 「地 域経済循環の拡大」 では、 地域の資源、 自然の恵みを生かして地域が自立・分 散していくような構造を活性化してい くことが考えられています。これにつ いてまた後ほど詳しく申し上げます。 戦略③「健康で豊かな暮らしの実現」 では、自然の恵みを生かした心豊かな ライフスタイル・暮らしの実現を図り ます。戦略④「ストックとしての国土 価値の向上」では、インドネシアでは GDPが増えているけれども森が切ら れてストックが減っているというお話 がありましたが、縄文時代以来われわ れが住んできたこの日本国土の価値を 高めていくベクトルを据え直して、自 然の再生を図りながら地域の資源を活 用していく国土経営を目指します。戦 略⑤「あるべき未来を支える技術の開 発・普及」では、日本にはノーベル賞

を受賞した青色発光ダイオードを始め としたすばらしい技術がありますが、 さまざまな地域資源もありますので、 それらを生かすいろいろな技術開発を 進めて、国内だけでなく海外でも展開 することを考えていきます。 戦略⑥ 「環 境外交を通じた二二世紀型パラダイム の展開」では、日本人の自然観に根ざ した高い技術、洗練された国民性、自 然の恵みで生きている暮らしがあると いったことを世界に発信して、日本の 企業の海外展開を後押し、国際的なル ールづくりにも貢献していきます。 真に持続可能な社会を構築するとき に、地域のあり方の一つして、地域循 環共生圏が考えられています(図⑰) 。 左側に森・里・川・海という自然の資 本が記されていますが、そのなかで農 山漁村も都市も活動を展開しています。 自然の恵み、地域の資源、自然物質や 人などいろいろなものを有効活用して、 農山漁村や都市がそれぞれ自立分散社

会となっていくことをターゲットとし て考えています。農山漁村も都市もそ れだけで自給するという世界ではなく て、お互いに補い合う関係をもってネ ットワークでつながっていくというこ とを考えています。 そして、実際に地域の経済がどのよ うになるのか、地域経済循環の分析を 進めて目指すべき地域像のイメージを 描きつつあります(図⑱) 。 (1)地域 のストックは減らさない、 (2)足腰の 強い経済、(3) 健康で心豊かな暮らし、 が三つの柱です。そのような地域をど のように具体化していくかの検討をい ましているところです。 次にエネルギーについて少し詳しく みてきます。二〇五〇年までに先進国 は温室効果ガスの排出量を八〇パーセ ント減らすことになっています。日本 はそれを閣議決定し、中央環境審議会 の地球環境部会がどのようにしたら可 能になるか一つの試算を二〇一二年に

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図⑮

図⑯ 30


図⑲

出しています(図⑲) 。最終エネルギー 消費を四割削減し、一次エネルギー供 給量の半分を再生エネルギーにします。 これだけでは排出量削減にはまだ足り ないので、二酸化炭素を回収して地下 に埋設するCCSという新たな技術で 二億トンを減らせるのなら、二〇五〇 年に八〇パーセント削減が達成されま す。 このような試算は出せましても、日 本のさまざまなところで、 企業ベース、 民間ベースで日々にいろいろなアプロ ーチによって、社会・経済の構造を大 きく転換していかなければなりません。 八〇パーセント減らすということは、 深刻なチャレンジをするのだという認 識をもつ必要があります。二〇五〇年 まであと三五年です。三五年などあっ という間にきてしまいます。三五年間 で、社会の構造が上と下でひっくり返 るというか、右と左で入れ替わるとい うか、それくらいの転換をしていくの

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図⑰

図⑱ 32


図㉑

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図㉒


図⑳

だという認識をもつことがまずは前提 になるのではないかと思います。 図⑳はエネルギー消費の地域分布で す。東京、大阪、神奈川などの大都市 で多くのエネルギーが必要とされてい ます。図㉑は二酸化炭素の排出の地域 分布です。東京圏を中心とした赤の部 分は二酸化炭素をたくさん出していま すが、緑のところはあまり出していま せん。 バイオマスや風力などの再生エネル ギーをフルに活用したときのポテンシ ャルを計算すると、東京、東海、関西、 瀬戸内といった赤い部分では自分のと ころで必要とするエネルギーを地域の 資源ではまかないきれませんが、北海 道、東北、中部、九州などのいわば過 疎地では、地域の自然資本が豊かで、 そのポテンシャルを活用するとその地 域だけでなく、赤い色の地域のエネル ギーをまかなうことも可能です (図㉒) 。 人口が少ない農村山村は産業活動も少

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水俣市の事例を紹介します(図㉔) 。 環境省は水俣病以来、水俣市と深い関 わりをもっていて、地域の活性化とい う視点でも深くコミットしています。 産業連関表からいろいろな物流を調べ るなどしてデータを集計して資金のフ ローをまとめました。水俣市では二〇 〇五年に一〇〇〇億円を超える域内総 生産があり、エネルギーの代金として 八六億円が域外に出ています。域内総 生産の八パーセント強です。地域の金 融機関が市民の預金の二割ないし三割 しか再投資していないという構造もみ えています。このようなお金のフロー をベースにして分析すると、再生エネ ルギーを導入することが地域に具体的 にどのような意味があるのかというこ とが明確になります。 地域経済の活性化を図っていくとき に、環境政策の観点から、考慮すべき 五つの視点があります(図㉕) 。視点1 は、域外から資金を獲得している産業

図㉔

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図㉓

ないし二酸化炭素の排出も少ないので、 低炭素政策、温暖化対策は考える必要 はないということではまったくなくて、 そこの資源をフルに活用して発電をし て都会に売り込むというアプローチを 取ることによって、新たな産業が生ま れ雇用が生まれていきます。植田先生 がお話されたエネルギーの地域経営に よってその地域をまかなうだけではな くて、都市部を支えていくということ にもなっていくのです。 一つの試算として、再生可能エネル ギーの導入で地域内の需要をまかなう ならば、化石燃料への支払い分が減っ て、地域内総生産の八パーセント以上 の域際収支の改善が見込まれます(図 ㉓) 。省エネ・再生エネルギーへの投資 はGDPベースで二パーセントという こともいわれていますので、それが地 域に投資されて事業化されていけば、 地域経済のインパクトはかなり大きな ものがあると思います。

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があるのか、生産・分配・支出の三局 面で分析できる手法の確立を目指して います(図㉖) 。水俣の例ですと、いま 再生エネルギーの導入を積極的に進め

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も可能であるかもしれません(図㉗) 。 具体的なプロジェクトに関して、地域 の経済にどのような反映があるかを分 析することで、地域での合意に役立て

図㉗

ていますが、八六億円が流出していた エネルギーの支払いを、逆にエネルギ ーを売りに出せるようになります。一 八億円の資金を域外から獲得すること 図㉖


図㉕

は何か。生産という面からみて、エネ ルギーだけにとどまらず、その地域の 強みは何なのかということをまず知っ ておきます。視点2は、域内に所得が 分配されているか。逆にいえば大都市 へ所得が流出していないかということ です。視点3は、住民の所得が域内で 消費されているか。市街化のスプロー ル化や自動車中心の生活になってきた ことで、行政区域を越えたところの大 型ショッピングセンターなどに顧客が 流れますと、域外消費ということにな ります。視点4は、住民の預金が域内 に再投資されているか。預貸率という 地域内で貸している比率は日本では三 割といわれています。域内投資をより 活性化することが大切です。 視点5は、 エネルギー代金が域外に流出していな いか。エネルギー収支の改善が域際収 支の改善につながります。 実際に地域で再生エネルギーを進め ていくと、その地域にどのような意味

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図㉙

事です。再生エネルギーの資源もまさ しく自然の恵みです。海に囲まれた日 本の国土にはたくさんの雨が降り、豊 かな森があり、いろいろな生態系があ って、おいしい魚介類、おいしい山の 幸、おいしいお米を食べているという ことを、われわれはあまりにも当たり 前に思っています(図㉙) 。その恵みが 大きな意味で危機に直面しています。 地域資源を生かした地域づくりをして いくということは非常に大事で、その 底辺となるのが自然の恵みに対する認 識です。 国民ベースでこの問題を捉え、 森・里・川・海の連関を訴えて一つの 運動を起こすべき局面にあるのではな いかということで、今年は環境施策の 大きな勝負の年であると私は思ってい ます。皆さまのいろいろなご意見をい ただきながら進めていきたいと考えて います。 図㉙にはとくに水の循環が描かれて います。山に雨が降り、川に流れたり

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図㉘

られるのではないかと考えています。 事業の主体は市民ベースであったり、 自治体が関わったり、地場の企業であ ったりしますが、地域が自立・分散し ていく絵柄が、客観的に視覚化できる ような手法を今年いっぱいかけて形に していこうと考えています。 一つの参考として、石炭火力と再生 エネルギーのコストの構造をお示しし ます(図㉘) 。バイオマス発電は石炭火 力よりコストが高いのですが、バイオ マスでは燃料費が大きな割合を占めて います。コストの安い発電ができたほ うがいいというのはありますが、バイ オマスの燃料のコスト部分は、域内で 回っているお金であるのは事実です。 コストの高さだけではなく、地域のな かでお金を回していくという発想から どう評価していくかということも考慮 すべきであろうと思います。 さて、今日の最後のテーマが国土の 価値です。ストックの視点が非常に大

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図㉛

われわれが自然の恵みをどれほど得 ているのか、金銭ベースで可視化して みますと、年間八〇兆円を超えるとい われます(図㉛) 。 図㉜と㉝は森林の管理がきちんとさ れていないためにどのような問題が生 じているのかという資料です。政府と して一〇年後にイノシシとシカを半減 させるという目標を立てなければなら ない状況にまで立ち至っています。 また人口減少が進むなかで未利用地 が増え、未利用地をこれからどのよう にしていくのか大きな課題になってい ます。一つの大切な選択として再自然 化があると考えられています(図㉞) 。 東日本大震災のあとで湿地が回復した 例があり、三重県の英虞湾で干潟の再 生が行われるなど、いくつかの事例が あります。 こうした森・里・川・海のつながり を認識して、その恵みを引き出すよう な取り組みを進めていこうと考えてい

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図㉚

地下水に浸透したりして水は海にいき ます。そして蒸発して大気にもどり、 循環していきます。そのような水の循 環とともに、生きとし生けるものが食 べたり食べられたりしながらやはり循 環しています。都市の人たちもその循 環があることで、自然のサービスを受 けて生活しています。 このような森・里・川・海のつなが りがいま非常に危ういことになってい ます(図㉚) 。山村の人口が減少して森 の間伐が進まないために、植林した森 が非常に弱いかたちになっていて、集 中豪雨で崩れるという災害が多発しま す。イノシシやシカが増え農業被害が 多発しています。ウナギが消滅しかか っているのも、森・里・川・海のつな がりが分断されてしまった結果です。 また、子どものころから自然とふれあ う機会が減少したことが、生物多様性 を保全しようとする意識の低下を招い ています。

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図㉞

図㉟ 45


図㉜

44 図㉝


図㊲

質問を受け付けたいと思います。ご質 問のある方はどうぞ、恐れ入りますが 挙手をお願いいたします。

――最後に自然の恵みを引き出すこと に関して環境省としての力強いメッセ ージがあったのですが、その一方で、 温室効果ガスを二〇五〇年までに八〇 パーセント削減するということについ て、環境省の考え方が政府のなかでど のような位置づけになっているのか 少々疑問に感じています。経産省主体 で進めている日本のエネルギー計画の 内容をみると、相変わらず原子力中心 で、従来の考え方とほとんど変わって いません。二〇五〇年というとすごく 先のようですけれども、エネルギー政 策の三五年間といったらすぐ明日の問 題といっていいくらいだと思います。 政府としての一環性はどのようになっ ているのでしょうか。

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図㊱

ます (図㉟) 。 国民的な議論を喚起して、 自然の恵みに対する意識をもっていた だき、その自然の恵みを引き出すよう な国民運動をおこしていきたいと思っ ているのです。環境省にはいろいろと 役所としての立場がありますが、草の 根のボトムアップの運動をおこして、 自然の怒りを鎮め、自然の恵みを引き 出す取り組みをしていきたいと思って います。森・里・川・海の国民会議み たいなものもつくって、一日一円ぐら いの薄いお賽銭をみんなが払って、干 潟の再生に取り組んだり、森の再生に 取り組んだりしていきます(図㊱) 。こ れは地域の活性化とまさしく関連しま す。都市と農山村が一つになって、安 全で豊かな国づくりを進めていきたい、 その一言に尽きます(図㊲) 。

司会 中井様、どうもありがとうござ いました。 それではここで再び会場の皆様より

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■講演1

食とエネルギーの地域自立 地域に生業とにぎわいを創る―滋賀県東近江市

ふじい あやこ

藤井絢子

近いところで一三キロ、高速増殖炉も んじゅまで一五キロです。琵琶湖は滋 賀・京都・大阪・兵庫の一四五〇万人 の水源地です。非常に大事な水を預か っています。東近江市は琵琶湖の南東 側にあります。鈴鹿の山ふところの永 源寺という森から一本の川、愛知川が 琵琶湖に注いでいて、その流域全部が 東近江市になっています。 先ほどから人口減ということが何度 もいわれています。東近江市でも人口

NPO法人菜の花プロジェクトネットワーク代表

ここまでの二つの基調講演で、植田 先生からは地域エネルギーの経営につ いて、中井さんからは環境省としてど のような地域の在り方を目指している かについてのお話がありました。私か らは滋賀県の小さな町、滋賀県東近江 市での挑戦をご紹介させていただきた いと思います。 東近江市の位置をご覧いただきます (図①) 。 滋賀県の中央に琵琶湖があり ます。琵琶湖から敦賀の原発まで一番

はいつも前月比マイナスです。増田寛 也さんの「消滅する市町村」のレポー トが出され、滋賀県の一三市、六町の なかで三つは消滅するということにな っています。東近江市はその三つには はいっていません。滋賀県では四つの 市町で人口が増えています。 東近江市には二五六の集落あります。 それらの集落で人口がどのように変化 するのか、シミュレーションがありま す(図②) 。真っ赤なところは集落がな

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中井 国際的には、二〇三〇年の温暖 化対策について日本としての目標を出 さないことにはもう相手にされないと いう状況になっています。二〇五〇年 までに八〇パーセント削減することは 閣議決定していますので、二〇三〇年 にどの程度にまでいくのか非常に大事 なポイントです。環境省としては、極 力再生エネルギーを導入することを考 えていて、発電量の三〇パーセントと いう数字を出しています。経産省は二 〇パーセントを超えるところの数字を 出していて、一〇パーセントの差があ ります。環境省としてはとにかく二〇 五〇年に八〇パーセントという目標に 沿ったものにしなければいけないとい うことでがんばっています。 ――世界的にみて、都市化は避けられ ない状況で進んでいます。日本でも東 京や大阪はもっと大きくなっていくと 思いますが、それに逆流するかたちで

地方に人を移すには、国の直轄地のよ うなことにして国の力で強力に進める ということでもしないといけないので はないかと思うのですが、どう思われ ますか。

中井 まったくの個人的な見解とし てお答えします。私は富山県に三年ほ どいたことがあって、環境省が富山県 に移ってきたらいいではないかといわ れたことがあります。個人的には実現 すればいいと思います。ただし、政府 の機構を移転することにはいろいろと ハードルがあります。政府としての意 思決定がつつがなく行われるのかどう かという懸念があります。いくらイン ターネットが使え、スカイプで顔を見 ながら話ができるといっても、夜にち ょっと飲んで本音を言い合うようなこ とも、意志の疎通には必要であったり します。首都移転の話は最近は下火に なっていますが、究極的にはそのよう

なことをしてもいいのかもしれないと 思います。

司会 ありがとうございました。環境 省大臣官房審議官、中井徳太郎様より 基調講演をいただきました。 続きまして、NPO法人菜の花プロ ジェクトネットワーク代表、藤井絢子 様より、「食とエネルギーの地域自立― 地域に生業とにぎわいを創る、滋賀県 東近江市」と題してご講演をいただき ます。それでは藤井様、よろしくお願 いいたします。

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めていています。 このような東近江市ですが、意外と 元気に動いていますということで、こ れから菜の花プロジェクトをご紹介さ せていただきます。 菜の花プロジェクトは私が中心にな 図④

って進めてきているものですが、私た ちの地域づくりは、いまから四〇年近 く前の琵琶湖の水環境の再生から始ま りました。当時、琵琶湖では富栄養化 が進んで、比較的きれいであった琵琶 湖の北部でも赤潮が発生するまでにな

ってしまいました。富栄養化の原因と してリンを含む合成洗剤の使用の増加 があると考えて、粉せっけんを使う運 動が市民の間から始まりました。それ が大きな広がりをみせ、その次に、天 ぷら油を回収してせっけんをつくる運 動が始まりました。そのころは武村正 義知事の時代で、知事は市民の運動を 後押ししてくださいました。 市民がイニシアティブを取ってずっ と水環境の問題に取り組んできたので すが、一九九〇年代に入りますと地球 温暖化問題が出てきましたので、次な る挑戦として、天ぷら油をバイオ燃料 にしてみようと考えました。そのとき に、ドイツではすでに一九七三年のオ イルショックのときから、農地に菜種 を植えて食用とエネルギー用と両方に 活用しているということを知りました。 しかし、 日本は食糧自給率が低いので、 食べ物をバイオ燃料にするなどという ことはとてもできないと思いまして、 図⑤

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くなってしまうおそれがあります。そ こが集落として維持するのは本当に限 界がきてしまうのか、それとも何かを すれば元気に立ち上がようになるのか、 いま議論をしています。住んでいるい ろいろな人たち、さまざまなセクター

図① の方々がアイディアを出し合っていま す。 図②の地図だけを見ていますと、真 っ赤なところは早晩消えてしまうのか と思ってしまいますが、若い女性の人 口増減率(図③)や高齢化率の推移(図

図②

④) 、 あるいは年代別人口の推移 (図⑤) など、いろいろな地図やグラフをつく ってみますと少し違った面もみえてき ます。さらにいろいろな技術をもった 達人がどこにいるのかといったことも 含めて、資源と人のマップづくりも始

図③

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で、二酸化炭素の削減になるというこ とを地域の方たちとともに進めていっ たのですが、 地域では別の問題として、 耕作放棄地がどんどん広がるようにな っていました。いま全国で耕作放棄地 は大体滋賀県の面積ぐらいあります。 今後高齢化がさらに進むと、もっと増

菜種を植えようという提案をしました。 以前は食糧自給率の低い日本ではでき ないと思ったことが、耕作放棄地や転 作対象地に菜種を植えて、それを食用 に使って、そして廃食油をバイオ燃料 にするということで実現できるのでは ないかと考えたのです。しかも、菜種 を植えることで農地がよみがえって景 観が再生されますし、ハチがくればハ チミツも採れます。環境学習にもつな がっていくだろうと、少し欲張ったか たちでプロジェクトを始めたのがいま から一七年前です。 菜の花プロジェクトは資源循環サイ クルを目指しています(図⑥) 。それは 農地を中心にした動きだけではなくて、 さまざまな人が動いて、地域を元気に していきます(図⑦) 。たとえば農業高 校の生徒さんと連携した高校生レスト ランがあります (図⑧) 。 農業高校では、 生徒さんが学校のなかで、 米をつくり、 牛を育てて乳を採り、そこからヨーグ

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えていきます。東近江市でもたくさん の耕作放棄地があります。米が多すぎ るということで減反政策が行われたの が耕作放棄地の始まりでしたが、東近 江市では転作対象地が三三パーセント もあって、稲をやめて何を植えるのか というのが大問題でした。そこで私は

図⑦


図⑥

それまでの市民運動の成果として、天 ぷら油の回収が行われていましたので、 大胆にも、その天ぷら油を燃料にする バイオディーゼルの実験に取り組んだ のです。本当に大胆なことで、何もわ からずに滋賀県工業技術総合センター に飛び込んで精製法を教わって、どう にかこうにかバイオディーゼル燃料の 試作にまでこぎつけました。しかし、 きちんとして精製を行っていくには実 験プラントをつくる必要がある、小型 の装置でも五〇〇万円がかかるといわ れて、場所も資金もあてがなくて困っ てしまいました。そのときに愛東町、 現在の東近江市の柿田仁敏町長が「私 の町へ」といってくださって、実験プ ラントをつくることができたのです。 プラントはその後、改良を重ねて完成 版に至り、全国的にも広がりをみせて いるところです。 こうして、地域のなかにある資源も 生かして化石燃料の代わりに使うこと

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人にとっては当たり前のものなので、 「そんなにご馳走ですか?」というこ とだったのですが、おいしく食べてい ただけるのならとオープンしたのが農 家レストランです(図⑨) 。ここでは地 産地消のものでおもてなしをします。 それと、この地域には大きな家にお

で東近江市に修学旅行にきたいという 話がありまして、いまでは農家民宿・ 民泊あわせて八〇軒ほどになりました ので、三〇〇人ぐらいの修学旅行の生 徒さんを受け入れられようになりまし た。 食べるものは旬のものをお出しし、 秋なら芋掘り、春なら田植えと、農作 業も一緒にするというプログラムをつ くって、かなりの好評を得ています。 琵琶湖の水源はまわりを囲む山で、 ここの地域は七〇パーセントが山です。 私たちの活動は田んぼから次は山をど う動かすかということが課題になりま した。この地域にずっと住んできた方 に伺うと、山で松茸が採れて、松茸で キャッチボールをしたと言います。だ ったら、松茸でキャッチボールができ るようになるまで整備をしようという ことで、里守隊を編成して、この七年 間ほど山の「地かき」をしています(図 ⑩) 。 松食い虫でやられた松の木を引き 出すなど、林を整備しています。まだ

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年寄りが二人だけで住んでいるという ような家がたくさんあります。町には 視察などでたくさんの人がいらっしゃ るのですが、泊まるところがなかった ので、農家を民宿として活用できない かということを考えました。農家民宿 を始める方が少しずつ出てきたところ 図⑩


ルトもつくり、鶏を育ててローストチ キンをつくるというようなことをやっ ています。ただ地域との結び付きがほ とんどなかったので、私たち菜の花プ ロジェクトがコーディネートして、こ の子たちが主役になるような高校生レ

ストランを開いて、学校でつくったも のを地域の人に食べてもらうというこ とを行いました。それが定着してずっ と続いています。農業高校の卒業生は いままではなかなか就職する先が地元 になくて、町工場やスーパーマーケッ

図⑧

トに勤めたりするくらいであったので すが、農家レストランに就職するよう なことも少しずつ出始めています。 この地域は食材が豊かで、都会から くると地域の食材でつくった料理がと てもおいしく感じるそうです。地域の

図⑨

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人の暮らしにはさまざまな側面があ り、地域には環境の問題もあれば福祉 の問題もあって、いろいろな問題が渾 然一体となっています。そのときに何 が一番共通するかというと、食べるこ とだと思います。ですから菜の花プロ ジェクトでは必ず食べることを入れて

います。そのときにそこで取れるもの を食べます(図⑫) 。食べるだけではも ったいないので、田舎者体験というこ とで、米づくり、味噌づくり、たくあ んづくりなどいろいろなプログラムを 始めて、都会の方たちがずいぶんとき てくださって定着してきています。果

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樹農家が高齢化してきて、このままで はこの地域で最大の売上げとなってい る果樹がだめになってしまうというこ とを発信しましたら、Iターンの若者 が少しずつですが、農業の現場に入っ てきてくれるようになりました。小さ な子どもたちと一緒に移住してくれて、 図⑫


松茸は出てきていませんが、今がんば っている人たちの子どもたちの代にな るころまでには出てくるだろうと、だ んだん鷹揚に考えるようになってきて います。 山で薪割りをし、腐葉土を集めてい ます(図⑪) 。それらを全部お金に換え

ようと考えています。薪を割って薪を くくる作業を誰が担うのかということ で、一般の人ですと日当が一万二〇〇 〇円ほどかかります。この地域には、 引きこもりの人や障害のある方がいら っしゃることが調査のなかでわかって いましたので、社会に出る取っかかり

ができないだろかということで日当六 〇〇〇円で薪をくくる作業をしてもら っています。薪はガソリンスタンドな どいろいろなところに置いてもらって います。薪の需要を生み出すために、 薪ストーブのある家づくりという大工 さんのプロジェクトもあります。

図⑪

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学生につくってもらって、水の循環に ついて考えようということもしていま す。 昨年、あいとうふくしモールがスタ ートしました。 (図⑭) 。エネルギーと 食と高齢者福祉・障害者福祉を一体と したモールです。ここに農家レストラ

ンがあります。屋根に太陽光パネルが 載っているのは市民が出資した市民共 同発電所です。薪が積んであるのは薪 ストーブに使うためで、この地域の鉄 工所が開発した薪ストーブが建物のな かに入っています。左下の小さな写真 は、ここで開いている一輪車市です。

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一輪車に載せて、自分の作ったもの、 野菜や花をもってきて売っています。 初めは一輪車五台ぐらいでしたが、今 はたくさんの一輪車が並んでいます。 その土地のお年寄りがいろいろなもの をもってきて一輪車市をやるというの が大変好評を博していて、お年寄りの 図⑬


ものすごくうれしく思っています。 滋賀県の中央には琵琶湖があると最 初に申し上げました。子どもたちに、 東近江市の山から琵琶湖までは遠いけ れど、実はみんな川でつながっている んだという話をしています(図⑬) 。廃 食油からのリサイクルでせっけんを中

図⑫のつづき

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クトネットワーク代表、藤井絢子様よ りお話をいただきました。 では続きまして、東京大学総長室総 括プロジェクト機構プラチナ社会総括 寄付講座特任講師、菊池康紀より、 「地

域資源エネルギーと社会システムイノ ベーション」と題して講演させていた だきます。それでは菊池先生、よろし くお願いします。

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域づくりをご紹介させていただきまし た。

司会 藤井様、どうもありがとうござ いました。NPO法人菜の花プロジェ

図⑯


元気につながって、結果的に高齢者福 祉にもなっているのかなとも思います。 少しずつお金が回る仕組みにもなって います。 福島とのつながりをお話する時間が なくなってしまいました。図⑮のイル

ミネーションは全部バイオ燃料で光ら せています。相馬農業高校、相馬商業 高校、相馬工業高校の皆さんとも南相 馬でずっと交流を続けています。 最後に全国菜の花サミットのご紹介 です(図⑯) 。

図⑭

菜の花プロジェクトは初めは地域の 人のボランタリーな活動でした。小金 が回る仕組みを作りながら、生業とも つながってきました。田んぼから山か ら湖まで少しずつ動き出してきました。 今日はこのような小さな町の一つの地

図⑮

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図①

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図②


■講演2

地域資源・エネルギーと 社会システムイノベーション きくち やすのり

菊池康紀

れています(図①) 。マクロ的な解析な どから、どのような技術を組み合わせ ればどれぐらい削減できるのか、いろ いろなかたちで検討されています。現 実には化石資源の価格にかなり左右さ れるところがありますので、価格に依 存しないような技術の導入が必要であ るといわれています。将来的には再生 可能資源を使うのがいいとわかってい ても、明日から何をやるのかというと ころの設計がなかなかできません。中

東京大学総括プロジェクト機構「プラチナ社会」総括寄付講座特任講師

すでにこれまでのご講演にありまし たように、地域資源を活用して、エネ ルギーシステム、あるいは社会システ ムそのものにイノベーションをおこし ていこうということがさまざまに考え られているわけですが、地域を変えて いくために大学にどのようなことでき るのか、私たちの取り組みをご紹介し たいと思います。 低炭素化、温室効果ガスの排出の削 減に関していろいろな方法論が提案さ

長期的に移行していくための「トラン ジションマネジメント」を可能とする 技術パッケージを設計しておかなけれ ばいけません。もちろん社会経済性の 評価も必要です。それらが、いままさ に大学の課題であろうと考えています。 山林の森林資源をバイオマスとして 活用することが考えられています(図 ②) 。 森林資源を上手に使っていくには、 付加価値の高い木材、集成材、合板な どの素材をつくって売らなければいけ

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立場でいろいろな目的をお持ちですの で、これをすり合わせていくのは容易 ではありません。決してどこかにルー ズなところが発生しないように、ウィ ンウィンな関係をつくって、一歩一歩 図④

前に進めていくようにするというとこ ろが大きな課題です。 基本的なコンセプトは皆さまにご同 意いただいて、目標もビジョンもいい とご理解いただいても、実際に明日か ら何をしましょうかということになる と、うちはなかなかできないとか、あ そこが先に変わってくれないとならな いとか、いろいろなことを皆さま方は 思っておられます。そういったところ のすり合わせを、利害関係のないわれ われ大学がうまくサポートできるとい いのではないのかと考えています。大 学が地域のいろいろなステークホルダ ーの間の潤滑剤のようになれたらとい うことです。 地域資源を上手に使っていくには、 先ほども少し申し上げましたように、 高付加価値で高品質な農産物・木材・ 集成材を外に出しながら、低付加価値 でかつ大量に存在するバイオマスを地 域のなかでうまく使えるような状況に

していくことが大切です(図④) 。バイ オマスは地域資源として巡るものもあ れば、エネルギーとして巡るものもあ ります。そのためのシステムを改革す ることが、農業や林業など地域の生業 で一番重要な高付加価値なものを生産 する技術やプロセスを支援するような かたちになるのがいいと考えます。つ まり、エネルギーのためのエネルギー のシステムではなくて、地域の生業を 支えるためのエネルギーのシステムで あるということです。当たり前のこと ですけれど、エネルギーを消費するた めにエネルギーを使っているわけでは ありません。何かしたいことがあるか らエネルギーを使うのです。それがう まく実現できるような仕組みを地域に 入れていきたいというのが私どもが考 えていることです。 私どもが入っているいくつかの地域 のなかに離島があります。東大の前の 総長の小宮山宏先生は、日本は課題先

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図③

ません。そのことがきちんとあって、 その傍らで、バイオマスエネルギーの 事業を展開していくのが持続的な事業、 健全な事業であるといえます。そのた めには、ICTを駆使してものの流れ を制御したり、サプライチェーンを設 計したりといった取り組みが間違いな く必要になります。そういった仕組み づくりは、まさに大学がやっていかな ければいけないことだと思っています。 また、水資源は山林を考える際の要で す。それは農業や漁業に大きく影響し ます。水資源についても仕組みをきち んと理解しながら、山林をどう考えて いくのかということにも大学は取り組 まなければいけません。 地域で何かしていこうという取り組 みに、われわれもいくつかの地域で入 らせていただいています。そこから実 にさまざまな問題が出てきます (図③) 。 「地域システムのNレンマ」と書きま したが、地域の皆さまはさまざまなお

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図⑥

ムを皮切りに、種子島において具体的 な地域の活動をさせていただいている ところです。 エネルギーの側面から種子島をみて いきます(図⑦) 。種子島は水稲栽培の 南限で、 サトウキビの栽培の北限です。 ざわわのサトウキビの景観と水田の田 園風景が一緒に存在しているのが種子 島です。エネルギーを考えたときに、 サトウキビをうまく使っていきたいと いうのがわれわれの思いです。サトウ キビから砂糖を作る製糖工場の横にサ トウキビの絞りかす(バガス)を使っ て熱と電気の両方をつくるコジェネレ ーションのプラントがあります。この プラントをうまく活用していきたいと 考えています。 サトウキビは連作障害があって、同 じ場所でつくり続けると病気が発生し やすくなります。それで輪作をしてい ますが、輪作の相手はイモです。種子 島には安納芋など名の知れたいろいろ

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図⑤

進国であるといわれました。少子高齢 化など先進国が抱える課題に、他国に 先駆けて直面しているのが日本だとい うことですが、課題先進国のなかでも さらに課題が先進している地域が離島 ではないかと考えています(図⑤) 。簡 単な統計をみていただきますと、人口 の減少、 高齢化、 産業労働力の減少が、 離島では他の地域に比べてかなり速い スピードで進んでいます。そういった 課題の先進する離島地域で何か改革が できないかということにここ数年私ど もは取り組んできました。 鹿児島県に種子島があります。ロケ ット打ち上げの宇宙センターがあるこ とで有名です。種子島で地域イノベー ション、社会システムイノベーション の取り組みをさせていただいていて、 二〇一四年八月に種子島でシンポジウ ムを開催しました(図⑥) 。武内先生に も講師としてきていただいて、いろい ろな議論をしました。このシンポジウ

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図⑧

ー拠点のようなものをつくって、熱と 電気の両方を融通していけばいいので はないかと考えています。それによっ てデンプンの生産コストを下げられる のではないかと議論しているところで す。 同じような話が製材所でもあります。 高付加価値な木材をつくるには潤沢な 熱エネルギーが必要です。ここでもバ イオエネルギーをうまく利用していけ ないかと考えています。 太陽光発電や風力発電には自然の条 件で発電量に変動があるために、島と いう限られた空間のなかでは、太陽光 発電や風力発電を取り込んで電力グリ ッドを動かすのは難しい面があります。 製糖工場の横にあるバガスのボイラー などでバイオマス火力発電を行えば、 太陽光や風力の変動に対応した調整用 に使える可能性があるでしょう。 バイオマスの活用は、もちろん雇用 の創出・安定化や、林業の健全化、森

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図⑦

なイモがあります。イモとサトウキビ は統計上は別になりますが、芋農家と サトウキビ農家が実は同じ人だったり します。イモの生産量のうちの六割か ら七割は加工用で、デンプンに加工さ れています。このデンプン工場がいま エネルギーコストが高くなってきて困 っています。イモというかなり水分の 多い原材料からデンプンをつくるには、 水を飛ばす工程がどうしても必要です。 単純にいえば温めて蒸発させるので、 それには大量の熱が必要です。 サトウキビの製糖工場からは絞りか すのバガスが出ます。バガスは非常に 豊富なエネルギーを含んでいて、バイ オマスエネルギーとして優秀な燃料で す。ですからサトウキビの製糖工場で はエネルギーが余ってしまってしょう がないぐらいにあるのです。デンプン 工場からもデンプンかすが出て、これ もバイオマスとして使えます。それら のバイオマスを集めた地域のエネルギ

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図⑩

くはないということになるのかもしれ ません。このような経済の仕組みをき ちんと見ていこうと私たちは考えてい ます。 産業連関分析などを使いながら、地 域のなかでどのようにエネルギーのビ ジネスを展開させれば、地域のなかで 循環するお金の量をもっと増やせるの か、解析を共同研究者と一緒に進めて います。図⑩は佐渡島の例です。佐渡 島で、林業の経済波及を可視化させて いくと、林業で一億円生産すると、循 環額が一・二九億円になります。一・ 二九倍の経済波及があるのです。これ をもっと大きくしていきたいと思って います。実は日本の林業全体の波及効 果は三倍弱なので、佐渡島の一・二九 倍は十分に林業が展開できている状態 だとはいえません。もっと高い数字に もっていくために、ガスや電気へのコ ネクションをつくって、木質バイオマ ス由来のエネルギービジネスを展開し

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図⑨

林の保全にもうまくつなげていけるの ではないかということで、取り組みを 始めさせていただいているところです。 種子島では、自治体と企業体、住民 も含めていろいろな方々とともにグラ ンドデザインを描こうというプロジェ クトを立ち上げました(図⑧) 。グラン ドデザインで重要なのは外から地域に 入ってくる移入資源を減らして、地域 の外へ出ていく製品の販売を増やして いくことです。また、地域のなかでは もっともっと回しやすくしていくこと です。 そのときに考えなければいけないの は、地域の社会経済への波及効果です (図⑨) 。 たとえばトマトが地域外品だ と一〇〇円で、地域内品だと一五〇円 だったときに、地域内品の一五〇円は 高いということになってしまいますが、 地域内品の一五〇円は地域のなかで循 環してもしかすると自分の収入として 回ってくるということなら、本当は高

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です。先ほどのシンポジウムに始まっ て、さまざまな研究会、講演会、セミ ナー、座談会をいろいろな方々と一緒

実現させていこうと考えています。 地域のビジョンを実現させるための ポイントをまとめてみました(図⑬) 。 自然資本を効果的に使い、将来を見つ めながら今を考え、民生や産業のいろ いろな業態をつなぎ合わせて、地域が 主役のイノベーションの場をつくりま す。こういったことに、大学が取り組 むという新しい活動としてまさに始め ているところです。皆さまからもさま ざまなご意見やご指導、ご支援をいた だきたいと思っています。

司会 菊池先生、どうもありがとうご ざいました。 続きまして、真野鶴五代目蔵元、尾 畑酒造株式会社専務取締役、尾畑留美 子様より、 「幸せを醸す酒造り―佐渡・ 学校蔵プロジェクトの取り組み」と題 してご講演をいただきます。それでは 尾畑様、よろしくお願いいたします。

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図⑬

にやらせていただいています。地域の 外にあるものを、地域のなかの夢や目 標・想いとうまくマッチさせながら、 図⑫


図⑪

ていくといった議論を地域のなかで行 っている最中です。 地域でイノベーションをおこしてい こうと考えたときに、単純に新しい技 術がありますとか、経済の波及効果化 を分析するとこうなりますとかいった 知識や情報だけを提供しても、なかな か地域は動けるものではありません。 どういう方にやっていただくのか、資 金をどういうところから集めてくるの か、制度はどう変えていけるのか、地 域の風土や文化に合った形の仕組みは 何なのかといったさまざまなことを議 論していかなければなりません (図⑪) 。 そのような場の構築に向けて私どもが 何をさせていただけるのか一生懸命考 えている最中です。 図⑫は種子島で私どもがやっている 活動の全体像を描いたものです。島の 外でおきている技術や仕組みやシナリ オや制度の新しい動きを、島のなかへ ともっていく会をつくっているところ

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さらに高めるものの一つとしてあるの が、日本酒です(図⑥) 。そもそも日本 酒は美しい地域の環境があってこそ、 生まれます。お酒造りは即ち地域創り なのです。 (図⑦) 。この写真は私ども

の契約農家さんの田圃です。トキがよ く遊びにくる、とても美しい田圃が広 がっていることがわかると思います。 作今、日本酒が再び注目されていま すが、日本酒の需要振興がもたらす四

図③

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には世界農業遺産に登録され、二〇一 三年には日本ジオパークに認定されま した。さらに世界ジオパーク、世界文 化遺産登録を目指しているところです。 こういった島の価値、島の優位性を 図①

図②


■講演3

幸せを醸す酒造り 佐渡・学校蔵プロジェクトの取り組み

おばた るみこ

尾畑留美子

行ったことのない方のなかには、「た らい船でいけるの?」とか「自転車で 一周できちゃうんだよね」とかいわれ たりもしますが、島の周囲は二六〇キ ロ以上、 面積は東京二三区の一・四倍、 一〇〇〇メートルを超す山もあって、 人口は六万人弱(図③)で、よく「日 本の縮図」と言われます。 人口の推移をみていきますと、約一 〇年間で一万人減っていることがわか ります(図④) 。野生に放鳥されたトキ

「真野鶴」五代目蔵元・尾畑酒造株式会社専務取締役

私は佐渡に生まれ、大学からは東京 に移り、その後映画会社に勤めて一九 九五年に帰郷。いまは実家である佐渡 島の蔵元で、五代目蔵元として働いて います (図①) 。 当蔵は一八九二年創業、 真野鶴というお酒を造っています(図 ②) 。 皆さんのなかで佐渡島に行ったこと がある方はいらっしゃいますか。結構 いらっしゃいますね。ありがとうござ います。

はどんどん増えていますが、一方の人 間は毎年一〇〇〇人ぐらい減っていま す。高齢化率は全国平均よりも高く、 出生率こそは平均より高いものの、出 生数自体は減少しています。先ほどの お話につながりますが、佐渡島は日本 が抱える課題の多くが集積する課題先 進地だといえます。 佐渡島には、歴史、自然、文化、ト キと多くの宝があります(図⑤) 。この 自然と文化が注目されて、二〇一一年

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らこそ、 お酒造りが続けられるのです。 われわれは地域の元気をつくっていく 役目を担っていると考えています。 この地域の活力として取り組んでい る『学校蔵プロジェクト』をご紹介さ

図⑨

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せて頂きます。舞台は真野湾を一望す る丘の上の小学校です。この美しい木 造校舎は「日本で一番夕日がきれいな 小学校」 と謳われながら、 二〇一〇年、 廃校になりました(図⑨) 。コミュニテ 図⑧

域の活力を高めるということです。地 域の美しい環境がなければ私たちはお 酒を造ることができません。地酒とい う言葉がありますように、その土地が あってのお酒で、地域の元気があるか 図⑦


つのポイントがございます。一つ目と して、酒米が増えることによって農業 振興につながります(図⑧) 。実際にこ こ数年、酒米の需要が増えています。 その理由として、海外への輸出が伸び

図④ ていることもあるかと思います。当社 でも約一〇カ国に輸出していますが、 その輸出先のパートナーさんや日本酒 ファンが生産地を訪れるということが あります。これが二点目につながるの

図⑤

ですが、 日本酒には地域と世界を結び、 国際化を進める力があると思います。 三点目は日本の酒文化・食文化・郷土 文化を海外に発信することによる、ク ールジャパンの推進です。四つ目が地

図⑥ 76


ますが、冬は本蔵で酒造りをしており ますので、学校蔵での酒造りは夏場、 五月から八月位まで行います。 この間、 お酒造りを学びたいという人を受け入 れるカリキュラムを進めています。一 図⑬

週間ぐらい通学していただくことが最 低条件になりますが、長期間滞在する ことによって、お酒造りと酒を生んだ 生産地・佐渡という島を知っていただ く機会を提供しようというものです。 図⑭

三つ目が交流の場としての活用です。 図⑬の左側の写真は芝浦工業大学の学 生さんと行っているものづくりのプロ ジェクトです。毎年三週間ぐらい、三 〇~四〇人の学生さんが佐渡に入って、 木を使った作品づくりをしています。 私たちも約四年間、毎年ご一緒させて いただいており、昨年は学校蔵に試飲 カウンターとテーブルを創っていただ きました。もう一つ、昨年からスター トした「学び」の場作りが、 「学校蔵の 特別授業」です。右の写真は昨年八月 に行った特別授業で、東京から地域エ コノミストや若手の社会起業家をお呼 びして、地域の方と一緒に「島から考 える日本の未来」 を議論いたしました。 地域内の方と地域外の人とが学び合う 場として活用を進めています。第二弾 の 「学校蔵の特別授業」 も今年六月に、 より多彩なテーマで授業を行う予定で す。次年度以降は海外からの留学生や ビジネスパーソンとの交流から「地方

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ィの中心にある学校が朽ちていくのは 寂しいものです。そこで、私たちに何 かできないかと考えました。私たちは 蔵元です。やはりお酒造りで地域を元 気にしていきたいということで、この

図⑩ 廃校を酒造りの場として再生させるプ ロジェクトを始めたのです。 『学校蔵プロジェクト』が目指すも のは四つあります(図⑩) 。一つ目は酒 造りの場としての活用です。ここでは

図⑪

小さなタンクで、佐渡のお米とお水と いう、オール佐渡産での酒造りをしま す(図⑪) 。 二つ目は学びの場としての活用です (図⑫) 。 通常の酒仕込みは冬に行われ

図⑫

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酒造りに使うエネルギーも佐渡産を取 り入れよう、ということです。佐渡の 再生エネルギーを使うことで、佐渡の 環境を生かした酒造りということがい っそう見えるようなります。さらに、 今後は再生エネルギー一〇〇%を目指 そうと考えています(図⑮) 。太陽光パ ネルは冷房などの電気に使いますが、 酒米を蒸すのにボイラーを使いますの で、そのボイラーの熱を佐渡の間伐材 を生かして木質バイオマスからつくれ ないか佐渡市と一緒に調査を進めてい ます。間伐材を活用することで、佐渡 の生物多様性がどのように変化してい くのかという研究もできると考えてい ます。さらには、再生エネルギーを使 って造ったお酒を地域産品とコラボで 商品化することもしていきたいと思っ ています。学校蔵のまわりは果樹園で 有名なのですが、この果樹園のリンゴ を活用してリキュールをつくったり、 お菓子をつくったりと、地域の資源を 図⑰

使ってものづくりの共創に広げていき たいということです。 私のところは小さな蔵ですが、島内 外、そして海外にもネットワークを広 げていくべく、アイデアを練っている ところです。 佐渡島は大変大きな可能性をもって います(図⑯) 。環境エネルギーを見え る化することによって、お米のブラン ド化、安心・安全な食、そして森林や 耕作放棄地などの遊休資産にもっと付 加価値を付けられると思います。環境 そのものや、環境が生んだ素材をコン テンツとした観光の促進ができるでし ょう。あるいは環境をテーマにしたも のづくりやことづくりで地域外の人や 企業と共創ができるでしょう。環境が よければもちろん健康にいいです。佐 渡は高齢者が多いですので、この環境 と健康の相関関係を見える化する事業 ができたら島民にとってもエネルギー 価値が直接享受できる面白い展開にな

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が直接世界とつながる」ことや、 「地方 で起業」など、佐渡という環境や場を 活かしたテーマを取り上げていきたい と考えています。 四つ目が環境の見える化です。図⑭

は昨年一二月から送電が開始になった ソーラーフロンティア製の太陽光パネ ルです。東京大学国際高等研究所サス テイナビリティ学連携研究機構、通称 IR3Sさんと共同研究で進めている

図⑮

再生エネルギーを取り入れたお酒造り が、今年の五月からスタートします。 ここで私たちが何をしていくかという と、先ほども申し上げましたようにオ ール佐渡産にこだわっているのですが、

図⑯

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■講演4

循環共生型社会に向けた エネルギー企業の取り組み つる しげと

鶴 滋人

ました。その後、明治の末から大正に かけて、ローソクから燈油に変わり、 エネルギーが石油の時代に入っていき ました。第二次世界大戦をはさんで、 石炭から石油へと主要なエネルギーが 本格的にシフトして、一九六〇年代に 石油産業が大きく発展しました。一九 六〇年代の写真はその当時に建設され た私どもの製油所です。このころ、原 油から石油製品をつくる工場が、私ど もの会社だけではなくたくさん建設さ

昭和シェル石油株式会社石油事業本部研究開発部長

私からは限られた時間ではございま すが、私どもの会社としての取り組み と、エネルギー問題についてのご報告 させていただければと考えています。 最初に、私どもの昭和シェル石油の 宣伝も兼ねて、スライドを用意させて いただきました(図①) 。昭和シェル石 油は、先ほどの尾畑酒造さんよりも数 年遅れて日本でエネルギー事業を開始 しました。創業は一九〇〇年で、当時 は西洋ローソクを海外から輸入してい

れました。その後、車が一般に普及す るモータリゼーションに伴って、私ど もの取り扱い製品の主たるものが、産 業用の重油から民生用のガソリンに移 り変わりました。それが最近までの流 れで、現在はどうなっているのかとい いますと、当社が扱う主たる製品はガ ソリン等の石油製品に加えて天然ガス や先ほどご紹介をいただきました佐渡 にも設置をさせていただいています太 陽電池・太陽光エネルギー等があって、

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図⑱

ると期待しています。他にも、教育や 人材育成などいろいろなテーマがある と思うのですが、そういうことをひっ くるめて、環境産業が生まれることが 佐渡では可能なのではないかと考えて います。まさに自然資本を活用して、 地域産業を回していくということにな ります。 佐渡は海に囲まれた島で、ある程度 の人口があり、 面積もそこそこあって、 『日本の縮図』といわれています。意 欲的な試みをするには適した場所で、 佐渡でもしうまく行ったら、そのモデ ルが日本各地で応用可能な先行事例に なるということです。地域に他地域、 海外から人がきて、この地域ならでは のビジネスの芽が広がることが大事で す。目指すものは、何でもある都会で もなく、 どこにでもある田舎でもなく、 ここにしかない場所創りです(図⑰) 。 地域ならではの輝く個性と魅力を創る ことで地方創生が進み、本当の意味で

持続可能な国づくりということができ るのではないかと考えています。 学校蔵の校訓は幸醸心です(図⑱) 。 私たちが造るお酒が地域の未来、日本 の未来、そして幸せを醸す酒造りにな るようにと思っています。どうぞご支 援よろしくお願いします。

司会 尾畑様、どうもありがとうござ いました。 次が最後の講演となります。 昭和シェル石油株式会社石油事業本部 研究開発部長、鶴滋人より、 「循環共生 型社会に向けたエネルギー企業の取り 組み」と題して講演させていただきま す。それでは鶴部長、よろしくお願い いたします。

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図③

また、近年始めた電力事業では、高効 率の天然ガスの火力発電所で発電時に 二酸化炭素の排出が少ない電気を供給 したり、バイオマスのペレットを燃料 とした発電所の建設もしています。そ れに加えて、ソーラー事業で、太陽光 パネルの生産、販売、そしてメガソー ラー建設も手掛けています。それらの 事業を通しての低炭素化社会の実現に 貢献をさせていただいているところで す。 私どもはさらなる低炭素化に向けた 研究開発にも取り組んでいます。バイ オ燃料等の新しい燃料の開発を進める と同時に、太陽電池の高効率化を研究 しています。そして、今日のシンポジ ウムも共催させていただいております が、エネルギー持続性フォーラムとい う活動を通して、新しい世界をどう築 いていくのか、エネルギー企業として どうすべきかということを考える取り 組みもしています。

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扱うエネルギーの幅を広げて現在に至 っています。 石油業界は二酸化炭素を多く排出し ている業界ですが、自ら排出する二酸

化炭素を削減するとともに、消費者の 皆さまにお使いをいただいている製品 から排出される二酸化炭素を削減する 取り組みを行っています(図②) 。石油

図①

事業での当社独自の省エネの取り組み や、ガソリンにバイオ燃料を一部加え たバイオガソリンを供給するなど低炭 素化に向けた取り組みを行っています。

図②

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オプランニングのシンポジウムを行い ました。図⑤は、要旨のところの文字 を少し拡大してありますが、そのとき

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ニングは未来を考える学問の一つで、 それを企業の経営、あるいは事業計画 のなかに取り入れていくことを考えて

図⑥

のホームページの画像です。ここにあ りますシェルグループはシナリオプラ ンニングで有名です。シナリオプラン 図⑤


新しいエネルギー、あるいは省エネ 技術をすべて盛り込んだら、次世代の サービスステーションはどのようにな るのかというイメージを描いてみまし た(図③) 。見た目は日ごろ皆さんが街 中でご覧になっているサービスステー ションと同じようなものですが、ここ には、従来のガソリン車、軽油車もく れば、電気自動車も水素の燃料電池車 もきて、すべての車にエネルギーが供 給できるような店舗づくりになってい ます。照明をLED化するなど省エネ 技術を取り込んで環境負荷をなるべく 小さくして、屋根には太陽光パネルを 設置しています。社会の多様化するニ ーズにミートするようなサービスステ ーションをこのようにイメージ化する ことによって、将来の事業を考えてい くということをいま行っています。 こうした事業以外に、社会貢献とし ていくつかの取り組みをしています (図④) 。 他の企業さんでもやっていら 図④

っしゃるようなことですがご紹介させ ていただきます。二〇〇五年から環境 フォトコンテストとして、全国の方々 から自分の住んでいる街のいいところ と悪いところの両方の写真をワンセッ ト撮って応募していただくということ をしています。自分の身近にある環境 を考えていただく契機になればという ことです。また、次世代を担うお子様 を対象に子どもエネルギー教室を開催 し、私どもの子会社で太陽電池パネル を生産するソーラーフロンティアの工 場が宮崎県にありますので、宮崎県の 森を守っていくプロジェクトもしてい ます。事業のなかで低炭素化も達成し ながら、社会貢献もして、社会と共に 生きていく企業になっていくというよ うな取り組みを展開中です。 IR3Sと私どもとでエネルギー持 続性フォーラムの活動をしているなか の一つの取り組みとして、一昨年にシ ェルグループの専門家を招いてシナリ

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のかというのが図⑧です。エネルギー 供給者の視点から、お客様のニーズと われわれの責任を、二つのシナリオで 分けて考えてみます。図⑧において上 方に示したゆっくりとした進化がおこ るシナリオでは、お客様のニーズはあ まり変わらないで、エネルギーに対し てはとにかく安くて安定供給してもら えればいいというのが顧客ニーズで、 供給者の責任は、安く安定的に供給す るための大規模化とか、あるいは効率 化の追求ということになります。 図の下方に示したシナリオでは、 人々が力を持って新しい社会をつくっ ていく世の中を想定しますので、お客 様のニーズが多様化・細分化すると考 えられます。安くて高品質で安全なエ ネルギーという点は変わらないのです が、お客様が自立的に安定供給をして いくエネルギーシステムを志向してい くことになり、供給者のタスクとして は、 技術革新を進めていくという点と、 図⑦

お客様のニーズをくみ取ったビジネス を開発していかなければいけないとい う点が上とは明らかに違っています。 いままで私どもが果たそうとしてきた 供給者責任とは違ったことになると考 えています。そういう意味も含めて、 このようなシンポジウムを開催させて いただいて、地域で活動されている皆 様のお話を聞き、大学の先生とお話を させていただくことによって、一体ど のような技術があるのか、あるいはど のようなニーズが地域にあるのか、ど のように多様化しているのかというあ たりで、私どもも情報を得ながら、ど ういう将来的なビジネスモデルがある のかを考えさせていただこうとしてい る次第です。 地域での取り組みを二、三ご紹介し ます。新潟県の亀田郷土地改良区と一 緒にやらせていただいた新しい農村づ くりへの取り組みがあります(図⑨) 。 亀田郷土地改良区がお書きになった新

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いる点でシェルは知られています。 シェルは数年おきにシナリオを書き 換えて発行しています。二〇一三年に 出された最新のシナリオは「ニュー・ レンズ・シナリオ」という名前です(図 ⑥) 。シナリオは、想定しうる複数の世 の中を描いて将来を考えるというもの ですが、 「ニュー・レンズ・シナリオ」 では「マウンテン」という名のシナリ オと、 「オーシャン」という名のシナリ オの、二つの両極端なシナリオが描か れています。そのシナリオで世界のエ ネルギーの割合がどのようになってい くか予測したのが二つのグラフです。 右側のオーシャンでは上から二番目に あるソーラーエネルギーの割合が非常 に大きくなっていますので、二つのシ ナリオは大きく違うということがおわ かりいただけるかと思います。問題は ソーラーが増えるとか減るとかといっ たところではなくて、なぜこのような 違いが出てくるのか、将来を形づくる 図⑧

要素は何かを考えるのが、シナリオプ ランニングの一番重要な点です。 近年のシェルのシナリオには、二つ の流れがあります。一つ目は、将来を 形づくるドライビングフォースとして 国家の権力があると捉え、国がいろい ろな規制をかけたり、エネルギー政策 を進めたりすることで世の中が進んで いくということを想定しています。そ の結果として、ゆっくりとした変化が 進んでいきます。 「マウンテン」シナリ オがこの流れを汲んでいます(図⑦) 。 もう一方は、どちらかというと人々が 力を持った社会が到来すると想定して、 結果として、新しい革新的なエネルギ ーが積極的に導入されたり、あるいは 技術イノベーションが急速に発展した りするというような社会が到来すると しています。 「オーシャン」シナリオは こちらの流れにあります。 このように想定された二つシナリオ を、私どもがどのように解釈している

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図⑩

図⑪ 91


図⑨

しい農村の姿として、いろいろな新し いエネルギーを農村に導入したり、E Vを走らせたりという絵になっていま す。私どもが実際に貢献させていただ いたのは、中央にある農業用の水路の 法面に太陽光パネルを設置して、農村 にも新しい再生可能エネルギーが導入 できるということを実証させていただ きました。 もう一つは尾畑酒造さんにもご協力 をいただきまして、佐渡島を舞台にし た取り組みです(図⑩) 。西三川の地域 で尾畑様と連携して取り組んだり、佐 渡島において比較的人口・産業が集中 している栗野江の地帯でエネルギー供 給について考えたり、あるいは島の最 北端にある鷲崎で太陽光発電と農作物 のコハーベストを考えたりしています。 佐渡島においても、以上の三地点では 地域の特色が異なり、ニーズが異なっ ています。それをどのように私どもが 満たすことができるのかを検討をしな

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図⑫

とすべてが破綻するリスクがあるとい うこともいっています。エネルギーが なければ水ができませんし、食料もつ くれませんし、運べません。水がなけ れば食料はできませんし、エネルギー もつくれません。このような三角関係 がある上に、国のなかだけではなくて 国際的につながっているということが 問題を複雑化させています。日本だけ よければいいという問題ではないので す。 ではどうしていったらいいのかとい うことなのですが、やはりできるとこ ろから、エネルギー・水・食料の問題 を一つひとつ解決していくしかありま せん。 その点において、 地域のなかで、 水をどのように有効活用するのか、食 料をどのようにつくっていくか、エネ ルギーはどのようにつくって消費して いくかということを考えるのが、この 三角関係を解決していくうえでの非常 に重要なヒントを与えてくれているの

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がら、地域に根ざしたビジネスモデル とは何なのかを考えるきっかけにさせ ていただいています。 最後にエネルギーの話にもう一度戻 らせていただきますが、図⑪はエネル ギーラダー、つまりエネルギーの梯子 といって、エネルギーと経済発展との 関係を表した図です。グラフの横軸が 一人あたりのGDP、つまり生活の豊 かさ具合を表していて、縦軸が一人が 使うエネルギーの消費量です。当然の ごとく、一人ひとりが豊かになれば、 一人ひとりが使うエネルギー量も増え ていきます。逆にいうと、豊かになる ためにはエネルギーを使わなければな らないというようなことになっていま す。経済発展が始まったばかりのイン ドも同じような軌跡をたどろうとして います。そして、日本やアメリカの先 進国では、豊かさが増してもエネルギ ーはそれほどは増えていません。現在 七〇億人いる世界の人口が、二一〇〇 年には一〇〇億人を突破するというよ うな予想があります。このようなエネ ルギーの梯子を登っていくという状態 が変わらなければ、 人口増加とともに、 エネルギーが爆発的に必要となってい きます。果たしてそれはできることな のでしょうか。 一つの解決策として技術革新がある でしょう。一九〇〇年初頭に報知新聞 が一〇〇年後にこんな世の中になって いるだろうと予測した「二十世紀の預 言」というものがあります(図⑫) 。二 三項目の予測があるのですが、そのう ちのかなりの部分が実現しています。 青く表示(〇印)したのは実現できた もの、緑(△印)が少しは実現できた もの、黒(×印)はまだ実現できてい ないものです。青い部分をよくみます と、エネルギーを消費するようなかた ちで経済を成長させたり、社会をよく したり、人々の利便性をよくしたりす るというような技術革新は実際になさ

れていることがわかります。 今日のこの場で皆さまのお話に出て きたような世の中をつくっていくには、 エネルギーをたくさん消費するという かたちでの技術革新ではどうも難しい と思われます。むしろエネルギーをい かに少なく使うのか、あるいはどのよ うにして環境にやさしいエネルギーを 生み出していくのかといった技術革新 が必要なのではないかと考えています。 そのような技術革新がおこってほしい と思いますし、おこさなければいけな いというのがわれわれ企業の責任であ る考えています。 ここでもう一度シェルのシナリオを 引用させていただきますと、エネルギ ーと相互に強く依存しているものとし て水と食料があります(図⑬) 。水も食 料もエネルギーも二〇三〇年までに今 と比べて需要が四割ないし五割増加す ると、このシナリオでは推定していま す。そして、どれか一つの供給が滞る

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■パネルディスカッション

地域循環共生圏の構築 による地域の創生

モデレーター

[

武内和彦

パネリスト

[

藤井絢子 菊池康紀 尾畑留美子 鶴 滋人

司会 それではお時間となりました ので、これよりパネルディスカッショ ンを始めさせていただきます。 はじめに登壇者の変更をお知らせい たします。先ほど基調講演をしていた だきました植田和弘先生と中井徳太郎 様はご事情によりパネルディスカッシ ョンにご出席いただけなくなりました。 どうぞご了承ください。 では、ここからはパネルディスカッ ションのモデレーターである武内先生 に進行をお任せします。武内先生、ど うぞよろしくお願いいたします。

武内 これからパネルディスカッシ ョンを進めさせていただきます。ただ いま説明がありましたように、植田先 生と中井さんは公務で退席されていま す。お二人へのご質問も皆さまからい ただいていますが、残念ながら直接お 答えいただくことはできません。でき る範囲で私がフォローすることでお許

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] ]


図⑬

ではないかと私は考えています。

司会 鶴部長、どうもありがとうござ いました。 それではここで休憩を取らせていた だきます。お配りしたファイルのなか に質問票がございます。ご質問がござ いましたら質問票にご記入の上、場内 スタッフ、もしくは受付スタッフにお 渡しください。またアンケート用紙も ございますので、お帰りまでにアンケ ートのご協力もお願いいたします。

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にも使われていないものがあるんだと いう発見の連続がありました。 私たちが活動しているのを、あの地 域では何かおもしろいことをしている ようだと、全国のいろいろな人が見に きてくださるようになって、それで、 なるほど、自分たちがやっていること にはこういう意味があるのかと後から 気づいて、理論的なことを補強したり ストーリーを組み立てたりするという ことをしてきました。 その結果として、 この地域では循環型社会をつくろうと しているというような評価になってい ったのだと思います。たぶん私たちの 東近江市だけでなく、多くの町でも同 じようなことではないかと思います。 地域のなかで個々バラバラに行われ ている活動を、少し上のほうから全体 を見わたして、それぞれの活動をつな いでコーディネートするような人がい ると、いまの活動から次の活動へとス テップアップしていくプログラムがみ えてきて、地域全体で循環型社会に向 けて取り組んでいるということになっ ていくのではないかと思います。個々 バラバラのままですと一生懸命に活動 していてもあまり評価されないような 気がします。 いずれにしましても、地域が好きで 地域のなかで活動し、それでさらに地 域が好きになっていくということがま ず前提になっていると思います。

武内 ありがとうございました。 大都市にある可能性 武内 次に菊池さんに伺いたいと思 います。今日は島を中心にして、エネ ルギーと資源、そして環境のあり方に ついて議論していただきましたが、他 方で大都市においてさまざまな問題を 解決することもきわめて重要な課題だ と思います。会場からのご質問のなか

に、文京区のようなところで環境保全 を進めていくにはどのような資源利用 がありうるのかというのがありました。 大都市ではエネルギー自給のようなこ とは無理なのでしょうか。都市に焦点 を当てたときにどのようなことが考え られるのか、お話いただけるとありが たく思います。

菊池 都市と農山村地域との大きな 違いとして、都市部では、地域資源と 呼べるようなものを手に入れるのがな かなか難しいということがあります。 たとえば植物資源には食料や素材やバ イオマスが含まれますが、そういった ものが都市域でどれだけ採れるだろう かと考えますと、やはりかなり難しい ということになります。都市部という のは、かなりの資源を外からもってき て廃棄物を外に出す場所であるという ことは間違いありません。 都市と農山村地域とのもう一つの大

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しをいただきたいと思います。 今日はこの場で、具体的な地域の取 り組み、企業の取り組みについてのお 話がありました。いろいろな技術があ っても、それを地域社会のなかでうま く使っていける仕組みにしなければ、 必ずしも地域のよりよい将来につなが らないという問題が提示されました。 そのことを踏まえて、いかにして地域 の実情に合ったさまざまな取り組みを

進めていくかを、このパネルディスカ ッションで皆さんと一緒に議論をした いと思います。 最初に順番に四名の方に、私からお 話を聞かせていただきたいと思います。 どのような質問をするかは全く打ち合 わせをしていませんので、皆さんびく びくして待っておられるのではないか と思います。

地域が好きだから 武内 まず藤井さんにお伺いします。 藤井さんとはずいぶん長いお付き合い で、とくに中央環境審議会の循環型社 会計画部会で一緒に仕事をさせていた だきました。リデュース、リユース、 リサイクルの3Rで資源を有効に使う 循環型社会を考えていくという部会で したが、それだけでは不十分ではない かという議論があったと記憶していま す。今日のお話の事例とは少し視野を

変えて、循環型社会についてのお考え をお聞かせいただければと思います。

藤井 私の活動は人口五七〇〇人の 小さな町から始めたプログラムです。 私も含めて地域の人々は、循環型社会 をつくることがすばらしいから動いて いるわけでもなく、温暖化を防止する ことが大切だから動いているわけでも ありません。この地域に住み続け、こ の地域の人間関係がすばらしいので、 それをもっとよくしたい、足りないこ とは何だろうかと考えて動いてきた結 果として、この資源はもっと回した方 がいいねということが出てきたり、六 ~七割の面積を占めている森が使われ ていないことに気づいてエネルギー化 していくという作業が出てきたりした のです。資源を循環することが、地球 の未来のために、 日本の未来のために、 この地域の未来のためにすばらしいと いう以前に、自分たちの地域にこんな

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中国の都市は遂げつつあり、その結果 としてエネルギーの消費が著しく拡大 するとともに、 環境が悪化しています。 昼間でも裸眼で太陽が見られるくらい に大気が汚れ、健康によくないので中 国の都市に長期滞在するのは控えたほ うがよいと駐在員が勧告を受けるほど の状況です。水も大変汚れています。 このような中国の都市を改善できな いかと日中の専門家が一生懸命考えて いますが、そのやり方の一つが、今日 の議論にあるような、いろいろな要素 の最適化です。再生可能エネルギーを 増やすだけではなく、街全体の仕組み そのものを、環境やエネルギーからみ て最適なものにしていく。つまりスマ ート化することで、ローカルな地域環 境問題と同時に、グローバルな地球環 境問題の解決にも貢献する統合的アプ ローチを検討しています。 以前中国は、われわれには排出する 権利があると主張していました。先進

国は先にたくさん排出していながら、 いまごろになって、後から発展してき た国の排出を抑制しようとするのはけ しからんという言い方をしていました が、最近はかなり変わってきました。 足元に火がついて、地域の環境を改善 できないような国に果たして未来があ るのかというところにまで議論が及ん でいて、かなり本気で都市を変えよう としています。 今日ここでお話があったような総合 的な取り組みは、都市にも適用できま すし、都市の問題を解決することは地 球環境問題を解決する上で大きな意味 があります。他方、日本の場合には、 都市も大事ですが、過疎化、高齢化、 人口減少に直面している農山村地域を どうするのかは非常に大きな問題です。 都市と農山村の問題を組み合わせてい くとどういう方策が導かれるのか、皆 さんにとともにさらに検討していきた いと思います。

地域へのこだわりが価値を生む

武内 次に尾畑さんに伺います。いま 地方で自然資本を生かした新しいビジ ネスモデルがいろいろ検討されていま す。自然環境・自然資源を有効に活用 するのが大切であることはいうまでも ありませんが、同時に多様な使い方を 工夫することも重要だと思います。ま た、大量生産・大量消費、価格が安け ればいいという社会の流れに対する一 種のアンチテーゼとして、新しいビジ ネスモデルの提案も求められていると 思います。 佐渡でお話を伺ったときに、 飛行機のファーストクラスにお酒を搭 載することに成功したということを聞 いて、 非常におもしろいと思いました。 自然資本の活用で鍵になるのは、付加 価値を付けることにあると思いますが、 その点についてもう少しお話を聞かせ ていただけますか。

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きな違いは、都市のほうがより多くの いろいろな需要形態があるということ です。いろいろな需要形態をうまく組 み合わせるとかなり高効率に資源を使 える可能性があります。たとえばエネ ルギーの消費形態で、非常に重要な観 点として、 電力と熱の比率があります。 専門的になりますが、エクセルギーと いう言葉なども使いながら解析してい きますと、現段階では、都市のなかで 必ずしもエネルギーの効率が最大化さ れているわけではありません。都市で は需要側の工夫がかなりできるのでは ないかと考えられます。 農山村地域では夜中のエネルギーの 需要は多くはありませんが、大都会で は二四時間どこかしらで何らかのエネ ルギー消費が結構あります。熱と電気 を併給するコジェネレーションのよう な仕組みを二四時間動かしながら資源 をうまく高効率に使っていくというこ とが大都会では可能です。

地域の実情に合わせて技術を選ぶと いうこと自体は、農山村地域も都市部 も同じです。都市の状態に合わせて技 術をうまく選択していくスマートシテ ィプロジェクトなどがすでに多数走っ ています。都市部よりも農山村地域の ほうでプロジェクトが少ないのが現状 だと思いますので、本日はとくに農山 村地域にかなり焦点を合わせた話をさ せていただきました。最後に、農山村 地域と都市部をうまく組み合わせてい くことも大事だということを、付け加 えておきたいと思います。

武内 ありがとうございました。 いまのことに関連して、私が少し関 与している具体的な例を申し上げます と、いま中国の都市のスマート化につ いて議論しています。中国の都市は日 本の都市よりもはるかに急速に成長・ 拡大しています。日本でいうと一九六 〇年代から七〇年代ごろの成長をいま

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な農産物や伝統的な食文化を出展する ことになっていて、私も参加する予定 です。 先ほどもありましたが、エネルギー や資源を地産地消にして、外に出せる ものを増やすことが期待されています が、大量に出すというよりは、付加価 値を付けていいものを少量でもいいか ら出して、地域経済を潤していくこと が大事だと思います。いま日本で世界 農業遺産に認定されているのは、新潟 県佐渡、石川県能登半島、静岡県掛川 地域、大分県国東半島宇佐地域、熊本 県阿蘇地域で、それぞれの地域にはお 茶、椎茸、赤牛などすばらしいものが あります。ミラノ博を通して、その良 さを世界にアピールできるといいと私 も考えています。

石油もソーラーもバイオも 武内 次に鶴さんに伺いたいと思い

ます。このシンポジウムに何度もこら れている方はご承知だと思うのですが、 石油会社がまるで自己否定するかのよ うにソーラーエネルギーについて一生 懸命に取り組んでいるのが昭和シェル です。普通は石油会社といいますと、 石油利用の効率性を高めるとか、石油 に代わる化石資源を使うことを検討す るといったイメージだと思います。逆 にソーラーをやっている会社はソーラ ーだけを扱うことも多く、化石資源か ソーラーかの二者択一になりがちです。 一つの企業でこれら二つをともに追求 していくことには、会社としてどのよ うなメリットがあるのでしょうか。 エネルギーは当面は化石燃料を使っ ていかなければなりませんから、その 効率性を高めることで使用量を減らし ていくことが大事で、同時に再生可能 エネルギーの比率を高めていくことが 必要です。社会はそれほど急には変え られませんので、その両者で徐々に変

えていくのが現実的と思いますが、そ うした点での会社としての方針があれ ばお聞かせいただけますか。

鶴 私どもの会社がソーラーに進出 しましたのには、たぶん私ども固有の 問題がまずあろうかと思います。ソー ラーに関する研究開発はすでに三〇年、 四〇年前から脈々と続けてきていまし て、 それが企業の財産としてあります。 他の石油会社さんがソーラーに進出し ていないということには、ソーラー分 野における研究開発歴がないというと ころで大きな違いがあると思います。 もう一つ、やはり私ども固有の問題 として、私どもの会社はシェルグルー プの一員で日本における操業会社であ るため、営業地域が日本に限られてい ます。他の石油会社さんにはそのよう な制約がないので、石油エネルギー分 野のなかで事業を多様化・多角化して おられます。私どもはそういった制約

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尾畑 いま大量生産・大量消費という 言葉が出されました。グローバリゼー ションの影響をお酒の世界で簡単に説 明させて頂きます。ワインを例にする と、今、醸造技術の進歩により世界各 地で良い品質のものが大量生産可能に なりました。ワインといえばフランス が産地だとされていたのが、いまでは チリや中国など、いろいろな国で低価 格のワインが造られるようになってい ます。一部はフランスの有名ワイナリ ーがその技術を新興の地にもっていっ てワインを製造するということが行わ れています。 これは醸造技術の世界的な発展とい うことではプラスなのですが、 しかし、 たとえばフランスのブルゴーニュで資 本力のない小さな生産者が、グローバ リゼーションによる安価なワインの大 量生産に立ち向かうにはどうしたらい いのかという厳しい問題も生じていま

す。ブルゴーニュではルールを厳格化 して、その地域でしか造れない稀少価 値のあるワインを生産して、高い付加 価値を付けて世の中に出していくとい うことを行っているのです。 すなわち、 リージョナルな個性を磨いているので すね。 日本酒を造っている蔵は全国で約一 五〇〇あり、そのほとんどが地方の中 小企業です。われわれが目指すものも やはり、 ローカルにこだわることです。 リージョナルな個性を磨くことが、魅 力あるものづくりにつながっていくと 考えています。リージョナルな魅力と は、その地域にある自然資本を取り入 れるということです。お酒の場合にわ かりやすいのがお米です。例えば、私 どものお酒を造るのに使っている酒米 は佐渡産で、その一部で「朱鷺と暮ら す郷づくり認証米」を使っています。 これはトキが住む環境を守るためのい ろいろなルールに則ってつくったお米

に与えられる認証です。これにより、 佐渡のわれわれの蔵でしかできないお 酒になるのです。それが個性です。佐 渡にしかない自然資本を活用すること で、他の地域では決して造れないもの を造って差別化し、付加価値を付ける ということです。 さらにもう一歩進めるためにこれか ら取り組もうとしているのが、佐渡の 環境エネルギーを取り入れたお酒造り です。佐渡の環境を見える化すること で、われわれとして地域に少しでも貢 献し、飲んでくださる方にも付加価値 をご提供できるのではないかと考えて います。

武内 ありがとうございました。 今年はイタリアのミラノで万博が開 催され、そのテーマが「食」です。イ タリアはスローフード運動がさかんな ところです。ミラノ万博には世界農業 遺産に認定された日本の五地域が多様

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を効率的にやるような技術展開が必要 なのではないのか、それを推進するた めのインセンティブを付けていく政策 も必要なのではないかという質問です。 これについて菊池さんから何かコメン トがあったらお願いします。

菊池 工場廃熱は非常にもったいな いものとして世界中で認識されていま す。廃熱といっても実はいろいろあり ます。産業界ではだいたい二〇〇度以 下が低温とされて、捨てられてしまう ことが多いのですが、低温といってま だまだ使える可能性がたくさんありま す。工場によっては三〇〇度クラスで も捨ててしまっているものがあります。 そういった熱をうまく使えないかと、 世界中で考えられているのですが、い まはまだなかなかいい解がありません。 廃熱をうまく使おうという技術はい ろいろと開発されてはいても、石油の 価格が依然として安いために、コスト

面で難しい状況です。熱の一番難しい ところは、時間的・空間的な需給のギ ャップをどのようにして埋めるかとい うことです。蓄熱材を使う話とか、い ろいろな産業間で熱のやりとりをする 産業共生の話とか、いくつかの提案が なされています。 熱供給事業法という法律があります。 なかなか融通が利かせづらい法律で、 熱利用協同組合をつくる手続きが結構 面倒とかの問題がありますので、特区 化することでやりやすくなるという話 があります。 また、産業共生として農業系との組 み合わせも考えられつつあります。農 業にとっては低温廃熱も重要な熱にな りますので、石炭火力発電所の横に植 物工場を建てるというようなことがさ れています。農業側にもいろいろな技 術革新がありますので、廃熱をうまく 利用する組み合わせを探していこうと しているところです。

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の中で、太陽光パネルの製造技術の開 発を小規模ながらも長年続けたわけで す。その結果が花開くかなというとこ ろで、ちょうど再生可能エネルギーに 向かう時代の流れが訪れ、経営として ソーラーへの事業展開が成功したとい うことになりました。 ただしソーラーの事業化にあたって は、とくに工場の建設で多額の資本を 投下する必要がありましたので、果た して将来利益が上がるのかと反対意見 を唱える者も社内にはいて、相当な議 論がありました。そのなかで、いろい ろな関係者の方々のご意見を拝聴して、 最終的な総合判断として、当社の持続 的な成長のためにはソーラーの事業化 を進めるべきだということになりまし た。 ちなみに、他の石油会社さんには石 油の上流部門である採掘や産出した原 油を売るというところでかなりの収益 を上げているところがあります。私ど もには上流部門がないためその収益が ありませんので、それに代わるものが ソーラーであったと私は理解していま す。

武内 ありがとうございます。 もう一つ、バイオマスも始められた というお話がありましたが、それはど のようなきっかけからでしょうか。 鶴 シェルグループがエネルギーを 多様化していくというなかの一つとし て、早い段階からバイオマス燃料の開 発には着手していました。商業化され ているプラントもいくつかありますが、 いまだにコマーシャルベースに乗らな いものもあります。 バイオマス燃料は、その生産コスト が従来の石油からつくったガソリンや 軽油などと比較して高いということで は、消費者からはなかなか受け入れら れません。よって、新しいエネルギー

を開発するには、追加で資本投下をす ることがなるべく少ないものが選択肢 としていいということになります。バ イオマス燃料ですと、私どもがすでに もっている石油精製設備をそのままう まく使って生産できる可能性がありま すし、流通に関してもタンクローリー で運べて、サービスステーションで販 売することができます。インフラにか かるコストが比較的低廉ですむだろう ということで、私どもだけではなくて 多くのエネルギー企業がバイオマス燃 料に取り組みました。ただ、まだなか なかうまくいっていないのが実情です。

武内 ありがとうございました。

異なる産業をつなぐ

武内 エネルギーに関して会場から 一つ質問がきています。産業界からの 廃熱は非常に大きいので、その熱回収

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せんし、自治体だけでもできません。 市民だけでやっていて疲れてつぶれて しまったり、行政がせっかく進めても 市民が付いてこなくてつぶれてしまっ たりとか、たくさんのケースをみてい ます。 地域のコーディネーターといいます か、これからの社会をどうつくってい くのかという全体のイメージを描いて、 いろいろな人をつなげていくような人 が必要だと思います。

武内 ありがとうございました。 次に尾畑さんに伺いします。直接事 業には関わっていない人、たとえば観 光客ともつながりをもちたいときに、 どういった議論を進めていったらいい とお考えでしょうか。 尾畑 私の場合にどのようにしたの かといいますと、廃校を使ってお酒造 りをしたい、再生エネルギーを使いた

い、佐渡の環境をもっとみんなに知っ てもらいたい、などというビジョンと いうか、妄想を、あちらこちらでとに かく会う人会う人に話したというのが 始まりです。そうすることで、それを 実現するための方法を知っている人、 実現するための力を貸して下さる方と 遭遇するチャンスに恵まれ、大変幸運 にも少しずつ思っていたことができて くるようになりました。いまもずっと 同じことを続けているというのが正直 なところです。今度バイオマスに関し て行政の方とお話することになってい ますが、やはり自分の思いを伝えるこ とがスタートです。 藤井さんがおっしゃったように、横 のつながりをつくっていくということ も大切です。一つの企業だけでは広が りません。自分のビジョンをあちこち で話していましたら、通信会社、ホテ ル、水産加工会社の方々がおもしろそ うだと感じてくださって、一緒に何か

できないかという声が出てきました。 お酒を飲んでくださる方々のなかにも、 私たちの取り組みに関心をもってくだ さって、応援したいとおっしゃる方々 がいますし、始まったら佐渡に見に行 きたいという声もいただいています。 観光客というか、交流人口を増やすと いうことにつながっていくかもしれま せんし、人と人が触れ合うことで化学 反応が起き、新しい文化が生まれてい くことにもなるかもしれません。それ が島の人材育成や、島の人の意識の変 革にもつながっていくようになればと 思っています。 藤井さんがおっしゃるように、一番 大事なのは住んでいる人たちの意識で す。それがなければ何も動いていきま せん。住んでいる人の意識が変われば 未来は必ず変わっていくと思います。 これから何をしていきたいのか、その ビジョンをきちんと言葉にして出して いくことが大切だと思います。

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省エネに関して産業界は「絞りきっ たぞうきん」だといわれることがよく あります。産業をまたぐことで、まだ まだ省エネの余地はあると考えられて います。

武内 ありがとうございました。 地域循環共生圏を考えますと、従来 のように一つひとつの産業の効率化だ けではなくて、異なる産業間の相互の 関係性もうまく付けていく必要があり ます。こちらの産業では廃熱でいらな いものであっても、別の産業と結び付 けることでそれを資源と捉え直すこと ができるようになるでしょう。そのよ うな 「産業共生」 が大事だと思います。 デンマークで見た事例ですが、火力発 電所の廃熱を地域の冷暖房に生かして いました。また、製薬会社の有機性廃 棄物を豚の餌にすることによって、非 常に健康な豚が育てられていました。 いろいろなものをつなげて一つの複雑

なシステムにしていくことで、より望 ましいエネルギー・環境・資源の仕組 みをつくっていくことができると考え られます。 しかし、そういう制度設計はなかな か難しくて、地域づくりを担う役所は 縦割りで、大学の研究も縦割りで、工 学系と農学系で十分な交流がないとい うような状況もあります。産業共生を 進めるには、そうした壁を打ち破って いくことが必要ではないかと思います。

いろいろな人々をつなぐには 武内 さて、会場からいただいた質問 のなかに、住民だけではなく、自治体 や企業やいろいろなステークホルダー が関与していくことが重要になってく るので、それをどのようにコーディネ ートしていくのかがあります。藤井さ んはコーディネーションでずいぶんと 苦労されてきたと思います。何かお話

がありましたらお願いします。

藤井 菜の花プロジェクトはいまで は全国一六〇カ所ぐらいで行われてい ます。「このプロジェクトはおもしろそ う」と行政が飛びついて動いたところ は、担当者が替わった時点でだいたい 失敗しています。そうではなくて、地 域住民のなかから、この循環の仕組み をつくるにはこんな技術者がほしいと か、農業現場のここの部分を担ってく れるような人がほしいとか、いろいろ な声が出て、お互いに働きかけ合いな がら、行政にも支援を頼むようになっ ていって、 当該市町村だけではなくて、 県の応援を得る、国の仕組みを使うと いうことになっていきますと、プロジ ェクトが自然と発展していきます。根 っこのところの活動がまずあって、そ こでの問題意識がきちんとしていて、 産官学民のいろいろな協力があるとう まく進むのです。市民だけではできま

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ップの成果として、尾畑さんのお酒を 味わってくださる人が増え、それがさ らに佐渡をアピールすることにつなが っていっているのではないかと思いま す。 何やら自画自賛になってしまいまし たが、佐渡について簡単にお話させて いただきました。

武内 ありがとうございました。 いまのお話で、生物多様性、農業の 取り組み、そして酒造りなどさまざま な産業への伝播ということがご理解い ただけたのではないかと思います。 ローカルからグローバルへ 武内 もう少し皆さんにお話を伺っ ていきたいと思います。再度藤井さん にお伺います。 地域でいろいろな活動をしているこ とと、日本全体を変えなければいけな

いと思うこと、さらには世界を変えな ければいけないと思うこと、つまりロ ーカルな発想とグローバルな発想は、 従来は別のものと考えられてきました が、いまは両方を考えないといけない 時代になっているのではないかという 思いが私にはあります。藤井さんはご 自分の地域での取り組みをされながら、 他の地域での取り組みに協力もしてお られますので、ローカルとグローバル の視点を融合させることについての展 望をお話いただけたらと思います。

藤井 先先ほど武内先生が中国のお 話をされましたので、それとの連想で 思い出しますと、琵琶湖でせっけん運 動が始まったのが三十数年前です。当 時は琵琶湖の汚染が進んでいました。 それまでの公害では市民は被害者とい うことであったのですが、琵琶湖の場 合には市民も水を汚していて、強い言 葉でいえば、自分たちも加害者になっ

ているんだという気付きがありました。 そこから自分たちに何かできることが ないかということでせっけん運動がお こってきたのです。 いまから二〇年余り前から、アジア の途上国に琵琶湖からのメッセージと してせっけん工場をつくってきました。 中国に対しても一九八五年ごろから話 をしていたのですが、うちでは必要な いと、せっけん工場は入っていくこと ができませんでした。中国では天ぷら 油、食用油は溝に流していて、数年前 に、使った油を精製してもう一度食用 にするということをしていて健康被害 が出るなどして、ようやく琵琶湖のせ っけん運動を学びたいという声が出て きました。このほど三年掛かりで天 津・北京を中心にせっけん運動が広が りをみせるようになってきたところで す。 琵琶湖のせっけん運動は日本より二 〇年遅れぐらいで、モンゴルから始ま

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武内 ありがとうございました。 佐渡が高い評価を受けたのは 武内 今日は、佐渡から前佐渡市長の 高野宏一郎さんがこの会場にお見えに なっています。高野さんがいろいろな 取り組みをされて佐渡がかなり変わっ たと高く評価されています。行政の長 として取り組まれたこと、これからの 課題など、お話していただけるとあり がたく思います。 高野 武内先生からの突然のご指名 でお話しなければならなくなりました。 いろいろなことがありましたが、佐 渡では二〇〇八年にトキが放鳥されま して、その前から、野生のトキが本当 に佐渡で居着くことができるのかとい うのが大きなテーマとしてずっとあり ました。放鳥してもトキの食べる餌が

十分になくてうまくいかなかったら、 市長である私は、日本全国からどれほ ど非難されるかわからないということ で、必死になってトキが生きられるフ ィールドをつくろうとしました。それ は要するに、農業を再生し、里に近い 水辺を再生するということでありまし た。 佐渡でも多くの農薬や化学肥料が使 われていました。最初は抵抗していた

農協さんもありましたが、いろいろな 努力をして納得していただいて、三年 ぐらいの間で、佐渡全域で農薬・化学 肥料の五割減を成し遂げました。ドラ スティックにそういうことをしたもの ですから、佐渡は一挙に有名になりま した。 佐渡には棚田が四割ぐらいあります。 その景観を守る取り組みをしました。 佐渡全体で生物多様性を守り、地域の 文化を守り、それらが存続できる仕組 みをつくりました。その結果として、 世界農業遺産の認定を受けることにな りました。 そのころから、佐渡の環境に対する イメージが高まり、佐渡をブランドと してアピールできるようになりました。 尾畑さんが紹介した「朱鷺と暮らす郷 づくり認証米」制度も高い評価を受け て、佐渡のお米が市場で高く売れるよ うになり、農家の人にも非常に喜んで いただけました。そういうイメージア

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ためにはどうしたらいいのかというの が一つの悩みです。 また、 高齢者の方々 が健康で活躍できる場が社会になけれ ばいけません。先ほど少しお話をさせ ていただいた植物工場ですと、高齢の 方でも障害をもたれた方でも働いてい ただけるような場所がつくれるのでは ないかと考えられています。そして、 植物工場は廃熱利用や熱電併給のエネ ルギーシステムの改革にも関係してい きます。 東京大学の柏の葉キャンパスのプロ ジェクトでは、燃料電池を入れて、廃 熱で植物工場を動かすことに使って、 高齢者の方々に働く場所を提供させて いただくということを計画しています。 植物工場に働きにこられるときに、健 康状態をモニタリングさせていただく こともできます。いろいろな課題に同 時に対処できる可能性が考えられてい ます。 なお東京大学のプラチナ講座と名前

が似ていて混同されやすいのですが、 三菱総研究所にあるプラチナ構想ネッ トワークとは別の組織です。大学の講 座ではどのように技術を組み合わせて いったらいいのかということなどを検 討していて、構想ネットワークでは自 治体や企業などのネットワークをつく って、新しい考え方、新しい取り組み を広めていこうとしています。

武内 ありがとうございました。 再生可能エネルギーだけで まかなえるのか 武内 鶴さんに少し伺えればと思い ます。会場からの質問にもあるのです が、再生可能エネルギーだけで将来は 本当にやっていけるのでしょうか。ソ ーラーなどは発電量が不安定ですから、 供給を安定させるためのグリッドをど うやってつくっていくのかなどいろい

ろな課題があると思います。それらを どのようにして克服していくのか、お 答えになれる範囲でお願いできればと 思います。

鶴 エネルギーというものは、広く皆 さまにお使いいただいていますので、 その供給構造を変えていくのが難しい 商品、サービスの一つであろうと考え られていました。しかし、日本のエネ ルギーは原子力発電がかなりの比率を 占めるということで将来もやっていく のだということであったものが、三・ 一一の大事故をきっかけに大きく変わ りました。何か変える力が働けば、エ ネルギーも変わりうるということは、 われわれエネルギーを扱う企業に勤め ている者にとってかなりの衝撃でした。 日本で原子力発電所が五十数基稼働 していたときには、そのすべてがもし も止まったなら日本の電気は足りなく なるだろうといわれていました。とこ

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って、韓国、タイ、マレーシア、イン ドネシア、ベトナム、カンボジア、ス リランカ、バングラデシュ、インドへ と広がっています。それぞれの国では まだ本当に針の先みたいなものですが、 その人たちが、次にはエネルギーの問 題にも気づくようになっていくのでは ないかと思っています。 自分たちのローカルな活動が、グロ ーバルな運動の一つ核になるというこ ともあるということで、せっけん運動 のことを申し上げました。

武内 ありがとうございました。 プラチナ社会の実現に向けて 武内 次に菊池さんに質問させてい ただきます。菊池さんが所属する講座 の名前に 「プラチナ社会」 とあります。 プラチナ社会は、私どもの大先輩であ る東京大学の前総長の小宮山宏先生が

言い出された言葉です。小宮山先生は 環境の問題と健康の問題はセットで考 えるべきだと言われていて、両者の問 題を同時に解決していくのがプラチナ 社会です。プラチナ社会とは何かとい うことを、少し聞かせていただけると ありがたいと思います。

菊池 プラチナ社会は、基本的にはビ ジョンの一つとお考えいただければと 思います。 先ほどから循環型社会とか、 持続可能な社会とか目指すべきビジョ ンがいろいろにいわれています。環境 にいいものはグリーンがイメージされ、 高齢者に対してはシルバーがよくいわ れます。目指すべきビジョンにはいろ いろな表現があり、イメージされる色 もいろいろです。 実際には目指すべき社会は一つのは ずです。その社会では、環境の問題も エネルギーの問題も高齢化の問題もす べてが解決しているのが望ましいわけ

です。全部が解決できるような社会の 状態は、実はまだ定義がうまくつくれ ていません。とにかく行きたい方向は あるということで、それにまず名前を 付けようということで、シルバーでも なくゴールドでもなく、プラチナとい う色を小宮山先生が示されたというの が「プラチナ社会」の経緯です。こう いう社会を目指すのだということがき ちんといえるようになれば、プラチナ 社会という名は変えていいと小宮山先 生はいわれているのですが、なかなか そこまではまだたどり着けていません。 プラチナ社会は、基本的に健康の問 題も環境の問題もエネルギーの問題も 解決できている社会です。 健康に関しては、医師会の方ともよ く議論されているのが先制医療です。 病気になる前に病院にきていただけれ ば、病気にならないようにいろいろア ドバイスができると先生方はおっしゃ います。もっと早く病院にきてもらう

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を子どもたちに向かって言いますので、 子どもたちも外に行くのが当たり前だ ということになります。親はどうして そういうのかといいますと、地元には そんなに就職口がないと考えているの で、都会に出ることが一つのステータ スだという捉え方があるからです。 数年前、中学生の授業でお話をさせ ていただく機会がありました。その際 子どもたちに 「このまま佐渡にいるか、 あるいは佐渡から出てもいつか佐渡に 戻ってこようと思っている人は手を挙 げて」と聞いたところ、ほんの数人し か手を挙げませんでした。愕然としま した。子どもたちがそういう意識をも っていると、地域から人がどんどんい なくなってしまいます。 それを変えるには、それこそ文化が 変わることが必要です。文化とは何か ということになるとその定義はとても 難しいので、少し違う言い方をします と、 「東京をゴールにしない」というこ

とが一つあるのではないかと思います。 東京をゴールにすると価格競争の壁が 現れます。離島から東京というだけで 運賃が多くかかり、海が荒れれば船は 止まってしまうというマイナス要因が たくさんあります。 ところが、東京をゴールにせず、世 界がマーケットだと思った瞬間に、佐 渡の欠点は利点になります。小さな価 格競争に翻弄されることはなく、海に 囲まれているからこそ独自の環境を育 んだ島としてアピールすることができ ます。佐渡と世界が直接つながること が大切だと思います。 先ほども申し上げましたが、佐渡の 環境を産業に生かすべきと考えていま す。例えば観光産業です。環境が産業 になっていけば、それが雇用につなが って、自然豊かな佐渡に住もうと思う きっかけにもなるでしょう。都会で給 与が一〇〇あったとして、佐渡では五 〇としても、佐渡の環境でなら同じ程

度の暮らしが維持でき食生活はむしろ 豊かです。これから医療と教育の面の 課題を解決することで、環境産業の可 能性は高いと思います。環境が生活に 密着していくこと。それによって、文 化というものは醸成されていくのだと 思います。

武内 ありがとうございました。 いまのお話を伺って、思い出しまし たのは、私たちの研究グループの調査 結果で、佐渡や能登の人たちの暮らし を見ると、多くの農産物は、購入する 割合よりも、自家生産や採集、あるい はいただきものの割合が多いという結 果になっています。こうした事実はい わゆる所得を見ているだけではわから ないのです。このようなことは「分か ち合いの経済学」と言われています。 植田先生のお話にもあったように、G DPに代表されるような経済指標も大 事だが地域社会の豊かさを測るにはそ

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ろが、さまざまな省エネ活動等によっ て、原発稼働ゼロかごく限られた水準 でも日本のエネルギーは保てていると いうのが今日の状況です。やってみな ければわからないというところを実際 に体験できたことによって、人々の考 え方は大きく変わったのだろうと思い ます。 先日、スペインでは風力発電の割合 が四割ぐらいにまで高められていると いうことをテレビで見ました。日本で はそのようなことはできないとさかん にいわれてきました。なぜスペインで できて日本でできないのかというとこ ろで、その番組ではスペインで成功し た仕組みをかなり詳しく紹介していま した。新しい仕組みをつくれば、いま の技術でも革新的な動きがおこりうる のではないかと思います。 仕組みを新しくつくるのは一企業で はやはり難しく、複数の企業が集まる とか、地方自治体が取り組むとか、あ

武内 ありがとうございました。

るいは国という単位での取り組みが必 要です。スペインでは国単位で取り組 んでいるという報告でした。日本でも そういう先進的な事例を参考にすれば、 世の中は変えていける可能性があると 思います。 再生可能エネルギーで日本のエネル ギーを一〇〇パーセントまかなえるの かどうか、私にはわかりません。人々 の意識が変わるということと、大きな 力で仕組みを変えていくということの 二つが合わされば、かなりの部分をま かなうことが可能な領域に入っていく 大きな変革がエネルギー分野において おこる可能性があると感じています。

ましたように、新しい文化をつくって いくことが、このような問題をさらに 前に進めていく上で非常に重要だとい う指摘を尾畑さんもされたと思います。 エネルギーを節約して、資源を有効活 用して、 環境をよくしていくだけでは、 豊かな暮らしにまではなりません。文 化にまで及ぶことが重要でしょう。お 酒を造るのは文化を育む一つの行為だ と思います。佐渡にはさまざまな文化 的な資産があります。それらうまく生 かして、佐渡の地域づくりをより前に 進めていくには、広くみてどのような ことが考えられるかお話しいただけば と思います。

新しい文化を育む

尾畑 いま佐渡島からは若い人がど んどん外に出ています。佐渡には大学 がありませんので進学を機に外に出て いきます。私の親世代ぐらいですと、 子どもは佐渡にいるよりも外に出る方 がいいというイメージがあって、それ 武内 それでは尾畑さんに伺いたい と思います。中井さんのお話にもあり

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武内 ありがとうございました。 人を巻き込むノウハウは 武内 それでは会場からのご質問を 受けたいと思います。何かありました らどうぞ。 ――今日のお話を聞いていて、ステー クホルダーといいますか、いろいろな タイプのいろいろな職業の方が議論を することが重要だと思ったのですが、 リーダーがこうしていきたいというこ とをいっても、理屈はわかるけれど、 実際にはなかなか動いてもらえないと いうこともあるのではないかと思いま す。藤井さんや尾畑さんは、地元でい ろいろな人を巻き込んでやっていくノ ウハウのようなものをおもちではない かと思うのですが、そのあたりのこと を教えていただけないでしょうか。

武内 それでは藤井さん、尾畑さんの 順にお願いします。 藤井 先ほどの尾畑さんのお話のな かにもありましたが、地域をつくって いく活動のなかで、今度はこういうこ とをしたい、こういう商品の開発がで きたらいい、こういうプラントができ たらいいと思うことが常にあります。 こんな人に出会えたらいいと思うこと も常にあります。それをいつも語るよ うにしています。 「それいいね」といっ てくれたら、 「じゃあ味方になって」と いうかたちで、人と人のつながりを増 やしてきました。言葉悪くいえば、た ぶらかしながらずっとやってきました。 未来に向けての夢を共感できた人た ちがネットワークのなかで全国で動い てくれています。一度はずれて、もう 一回戻ってみようかという人もいます。 自分が関われる場、出番があると感じ た人が、そのときにネットワークに入

ってくださればいいのです。そういう 方たちと共にということを常に思って いるから、ネットワークが続いている のだと思っています。大したことはで きていないのですが、常に人探しをし て、 「ああよかった」とともに喜ぶ場を たくさんつくろうとしています。

尾畑 私は上手にできてきたわけで もありませんし、上手にできていない ところの方がいっぱいあります。 まず、 継続するためにはある程度お金が回る ことを念頭に置かないといけないと思 っています。ボランティアという言葉 でずっと巻き込んでいくのはちょっと 罪作りだなと感じています。ある部分 ではボランティアというサポートに力 を借りるとしても、長い目で見たとき には、ちゃんと利益が出るようでない といけないと思います。 それと参加型であることがとても大 事です。誰かのためにやってあげてい

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れだけではない別の測り方もあるので はないかと思います。 さて、会場からいただいたご質問の なかに、環境省が本当にやれるのです かというものがありました。 中井さんの代わりに私が答えていい のかどうかわかりませんが、中井さん のお話のなかにもありましたように、 最近は少し状況が変わってきています。 従来の環境政策は規制が中心でした。 汚染物をコントロールする規制をつく る、自然を破壊しないような規制をつ くる、リサイクルを推進するために廃 棄物の量を減らす規制をつくるといっ たことを環境省はしてきました。そこ には、省として事業をするだけのお金 が環境省にはなかったという事情もあ りました。いまは温暖化対策税が生ま れて、経済産業省と環境省が担当して いますが、環境省分だけでも一〇〇〇 億円の規模になります。中井さんのお 話では、森・里・川・海を守ることに 対して、浅く広く税制を構築して、そ のお金で地域を変えていくことを提案 しようとしているということでした。 環境省も社会を持続可能なものに変え ようと努力していることはぜひご理解 いただけるとありがたく思います。 関連して、何かご意見がありました らお願いします。

藤井 私が菜の花プロジェクトをや っているなかで、とても印象深い女性 が南阿蘇にいらっしゃいます。大津愛 梨さんといいまして、今日はそのお父 様がここにいらしています。彼女はド イツに留学し、帰国すると、農業をし ますと宣言しました。以来、農家にな って豊かな生活ができていると愛梨さ んはおっしゃっています。お金は月に 一〇万円くらいあればよくて、食べる ものは自分たちがつくるもので足りて います。あるときシンポジウムでその ような話をしましたら、就職活動をし

ている学生さんが、「農業をしていて不 安はありませんか」と愛梨さんに聞い たんです。そうしたら愛梨さんが逆に 「就活していて不安ありませんか」と 尋ねたのです。 彼女の答えは明瞭です。 「食べ物をつくっているから不安はな い」と。 武内先生が食べ物の半分はもらうと いう話をされました。滋賀のあたりで は「食べ助け」といいます。食べ物を 分かち合うのです。私なんかも野菜は ほとんど買っていません。そういう暮 らし方もあるのです。就職活動をして 企業に勤めるのもいいでしょうけれど、 もう少し多様な暮らし方をしようとす る若者が出てくると、社会がいきいき していくと思います。地域のなかには すべての課題が混在しています。こん な社会をつくりたいという思いをもっ て若い人に活躍してもらえたらと思い ます。

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ら段階的に減らすことを基本的な路線 とすべきだろうと考えています。CC Sも使えるところは使って削減するの が望ましいと思っています。 中国では、石炭を燃やす火力発電所 が増えています。石炭を掘り出すこと と、地盤のいいところの地下に二酸化 炭素を入れていくことをセットで考え ていくのがいいのかもしれません。そ ういうことでもしないと中国では二酸 化炭素の大幅削減が難しいと思います。 これに比べると、日本でCCSを優先 的にやる必然性は高くないのかもしれ ません。 ちょうどここに中井さんがもどって こられましたので、中井さんに交替し たいと思います。

中井 中座して申し訳ありませんで した。環境大臣に呼ばれたものですか ら。 CCSと原子力利用について武内先

生がお話されていましたが、原子力に ついての政府の方針としては、安全が 確認された原子力発電所は再稼働して いくと安倍総理が明確に述べています。 政府のなかにはいろいろな役割分担が ありまして、環境省がどういう立ち位 置にあるかといいますと、環境政策、 温暖化対策は環境省がいたしますが、 原発を進めるとか進めないとか、エネ ルギーのなかでの原発の比率はどれく らいがいいとかいったことについては ものをいわないということになってい ます。 二〇五〇年までに二酸化炭素の排出 を八〇パーセント削減するのに、エネ ルギー消費を四割減らし、かつ再生エ ネルギーを五割に拡大しても足りない ので、二億トンほどの二酸化炭素が地 下に埋設することが必要になると見積 もられています。CCSの技術は資源 エネルギー庁が中心になって進めてい て、環境省は北海道の苫小牧沖の環境

評価のリサーチをしています。安全で 環境に影響がない技術はいまはまだ確 立できていません。環境省としては、 自然環境への負荷、または危険性を十 分に見極めるということをした上で、 技術が確立できた暁には、活用すると いう立ち位置でいます。CCSをとに かく進めればいいというものではなく て、安全性の面はしっかり取り組んで いきます。

武内 ありがとうございました。 いまの中井さんのコメントで時間に ほぼなりました。私は、定刻に終わる こともモデレーターの重要な使命であ ると考えていますので、この辺でパネ ルディスカッションを終了させていた だきます。 地方を変えていくということは、こ れからの日本社会のなかでとくに重要 なことです。それとエネルギー・資源・ 環境の問題を組み合わせて、みんなで

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る、というのではなくて、 「自分事」と してやっているという意識が生まれる ことが大事です。そのような意識はい きなりは生まれません。心がけている ことの一つが、テーブルのあっちとこ っちで座らないということがあります。 気持ちの中のテーブル、ということで す。お話をする時にあっちとこっちに なりますと、何となく対立的な感じに なりがちです。地元の人と外からきた 人が話す時には特にそうです。テーブ ルで同じ方向を向いて、同じ目的のた めに一緒に何ができるのかを会話する ようにしています。まだまだ試みの段 階ではありますが……。

武内 ありがとうございます。 二酸化炭素の行方 武内 他に会場からご質問がありま すでしょうか。

――大気中の二酸化炭素を二億トン、 地中に入れなければいけないという話 が出ていました。それは環境にとって いいのでしょうか。日本のなかでそれ を行うのでしょうか、日本の外で行う のでしょうか。この課題についてどう 考えたらいいのかお聞かせいただけな いでしょうか。

武内 これは中井さんのお話のなか で出ていたことです。二酸化炭素の排 出量をいろいろと削減しても八〇パー セントには達しないので、その足りな い分の二酸化炭素をCCSというやり 方で地中に入れようというものです。 それが二億トンです。 CCSは二酸化炭素を濃縮させて地 下にためる技術です。石油を掘ってい るところに二酸化炭素を注入すると、 その分石油がより上がってきやすくな るので、相乗効果があるという議論が

あります。しかし、二酸化炭素が漏れ ないのか、生態系に対して悪い影響が ないのか、十分にはわかっていません し、実施するために地域の合意が取れ るのかという課題も潜んでいます。C CSを非常にポジティブに捉えて問題 解決の決め手になるという人もいれば、 逆に進めるべきではないという人もい るという状況です。 二酸化炭素が漏れないようにすると か生態系への悪い影響がないようする といった技術的な対応は当然のことな がら重要です。それともう一つ大事な のは、国民全体で議論することだと思 います。今日のメインのテーマではあ りませんが、原子力の利用をどうする のかに関していまは結論が出されてい ません。二酸化炭素の排出量削減は原 子力利用とのからみで議論しなければ ならない大きな問題です。私個人とし ては、原子力の使用を拡大する方向は もう取るべきではなく、むしろ現状か

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とです。低炭素社会はエネルギーだけ に限ったことではなくて、水や食料、 あるいは社会システム全体についても 考えなければいけません。一〇年ほど 前には私どもの会社のなかで低炭素社 会について発言すると、「石油で飯を食 っている人間が何をいうか」というこ とでもあったのですが、さすがに今日 ではそんなことをいう者はおりません。

石油会社がやるからこそ価値があると いうことでありますし、発想を逆にし て、われわれがやらないで誰がやるの だということで、IR3Sと一緒にこ のシンポジウムを始めたのです。 低炭素の将来的な目標達成は、CC Sも含めてもなかなか難しいかもしれ ないということでありますけれども、 われわれも技術開発を行う会社として、 太陽光であるとか風力であるとか、さ まざまな再生可能エネルギーを開発す ることで、石油や石炭の化石燃料をよ り効率よく使って、あるいは使用量を 減らすということにつなげていきたい と考えています。 今日で一〇回目となりましたが、こ れからもこの研究は続けてまいります。 どうぞ皆さま、今後ともよろしくお願 いいたします。本日はありがとうござ いました。

司会 伊藤常務執行役員、どうもあり

がとうございました。 皆さま、ご清聴ありがとうございま した。これをもちまして、本日のプロ グラムを終了させていただきます。ご 記入になりましたアンケートは、お近 くのスタッフにお渡しください。どう ぞお忘れ物などないよう、お気を付け てお帰りください。本日はご来場いた だきまして、まことにありがとうござ いました。

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一緒になって取り組んでいこうという ことが、今日皆さんからいただいたメ ッセージではなかったかと思います。 本日は最後までご参加いただきまし てありがとうございました。会場の皆 さま、またパネリストの皆さまどうも ありがとうございました。

司会 武内先生、そしてパネリストの 皆さま、どうもありがとうございまし た。 それでは最後に、本シンポジウムの 共催者であります昭和シェル石油株式 会社を代表し、常務執行役員、伊藤智 明より閉会の挨拶をさせていただきま す。

■閉会挨拶

伊藤智明 いとう ともあき

昭和シェル石油株式会社常務執行役員

このシンポジウムも今回で一〇回目 で、二桁に乗りました。これもひとえ にご指導をいただいている東京大学I R3Sの先生方、この場をご提供いた だいている三菱地所の皆さま、それか らご登壇して講演あるいはディスカッ ションをしていただいた先生方を始め とする各ステークホルダーの皆さま、 そして何よりもここにまで足を運んで いただきました皆さまのおかげでござ います。まことにありがとうございま す。 本日は循環、共生、そして地域とい ったテーマでご議論していただきまし た。ローカルな世界とグローバルな世

界の二つを分けて考えることはできな くて、常に両方を一緒に考えていかな ければならないと思っています。 先ほども話に出ていましたが、六回 目が終わってすぐのときに三・一一が ありました。それを機に、このシンポ ジウムのテーマも、六回目までと七回 目以降とでは若干違うようになりまし た。原子力のファクターが何らかのか たちで入ってくるという流れになって います。 一方で、一〇回の流れのなかで変わ らないものもあります。それは低炭素 社会を目指して、われわれはどう歩む べきなのか、それを考えようというこ

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虱たち、 蚤たち、 南京虫たち、 蚊たち、 蜘蛛たち、 日常の身体が 飢えて その最初の調和を失ったからこそ発生する そして身体は発作によって、 山々によって、 徒党によって、 あくことのない理論によって、 そのエネルギーの 怒りの 黒い苦い煙を失うのだ。 この詩文はアントナン・アルトー『神の裁きと訣別 するため』 (河出文庫)にある、 「残酷劇」の〈追伸〉 によります。 「残酷劇」とは、フランスのパリで上演 されたインドネシアバリ島のバリ演劇に触発されて 書かれたものです。それは、アルトーのなかでは、 欧州の「意識」の演劇(心理劇) 、ひいてはその文化、

思想にまで解体を迫るほど強烈な体験であったよう です。バリ演劇については、これまで随分と書かれ ていますが、アルトーの右にでるものはないと、私 は思います。そこで、冒頭の詩文を読み解くために も、アルトーにバリ演劇を紹介してもらうこととし ましょう (アントナン・アルトー 『演劇とその分身』 、 白水社) 。

バリ島の演劇は舞踏と歌唱とパントマイムと音楽 の血を受け継いでいて、ここヨーロッパで我々が 理解している意味での心理劇の要素は極端に少な い。その初めての上演は、演劇をその自律的で純 粋な創造の次元、幻覚と恐怖の角度の下に再び置 くものである。(中略)劇は感情の対立によって進 展するのではなく、数々の精神状態の間で発展し ていく。そしてその精神状態自体も骨組みだけに され、身振りだけで表わされる。──つまり図式 化されている。結局、バリ島の人びとは、最も極 端な厳密さをもって純粋演劇という観念を現実化

、 している。そこではすべてが、発想も現実も、舞 、上 、で 、の 、客観化の度合いに応じてしか価値もない 台

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バリの内観的身体 形而上学的なもの、 神秘的なもの、 断固とした弁証法の存在するところに、 私の飢えの 大きな結腸が ねじれるのを私は聴く そしてその暗い生命のさまざまな衝撃のもとで 私は私の手に 衝動のダンスを教えこむ 私の足にも あるいは腕にも。 演劇と歌のダンスは、 人体の悲惨の たけりくるった反乱の演劇である 人体は侵入することのできない問題をまえにして いる その問題の受動的で 特殊で、

理屈屋で、 とっつきにくい あいまいな性格は 人体をこえている そこで彼は踊る 《カー、カー》という ブロックごとに どこまでも干からびた しかし有機的なブロックごとに、 内部の液体の移動からなる 黒い壁を 彼は整列させる、 無脊椎の蛹の世界 そこから役たたずな虫たちの 終わりのない夜がうかびあがる、

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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インドの舞踊と同じようです(指の動きにそれぞれ 意味があるらしく、その意味は国によってさまざま ですが) 。それから、目ですが、ぎょろ目というか、 白眼を限りなく晒し、ぐりぐり眼球をまわし、体は うごかさず頭だけ左右に横にずらします。ここまで の要素は東南アジアの民族舞踏でも基本となってい ます。南インドでは、さらに脚は頭に付くぐらい後 ろに反らせて、片脚で少しずつ回転しますが、あま り動き回ることはありません。全体として、南イン ドの舞踏はまるで、ヨガの舞に思えました。 バリ演劇にもいろいろありますが、アルトーの描 写からすると、アルトーが見た演劇は「レゴンダン ス」と呼ばれているものに違いありません。レゴン ダンスは一九世紀にスカワティ王の宮廷で鑑賞目的 に創作されたといわれています。レゴンダンス )を、ウブド・クロッド ( Gambelan Nritta Dewi 集会所で見たことがあります。ガムラン等の音楽で 開演しますが、メロディーよりはリズムの組合せの 音楽です。目を閉じて、森林の中に自分を置いてみ ると、 虫の音が木霊しているように聞こえてきます。 「レゴンダンス」は、神を歓迎し、感謝を示す 『 Pendet 』舞踊(短いという意味)から始まります。

手に持っているものは『ボゴール』で捧げ物を入れ る入れ物で中の花びらを振りまきます。次に、舞台 の中心よりチャンドン登場で、舞台を清めるという 意味もある舞踊を一人で舞います。アルトーが、 「あ のロボットの軋 (きし)み、命を与えられたマネキン 人形の踊り」 といった舞踏はこの舞踏に特徴的です。 ガムランのリズムに合わせて黒目を動かし表情をつ くり、指先はインドの古代哲学の解釈を表現してい るという複雑な動的印を組み、手のひらは蓮の葉を 象徴するそうです(パンフレットの解説) 。 レゴンダンスは、大きく見開いた瞳と目の動き、 指先の一本一本にまで気を配った手の動き、二軸歩 行や多彩な足運びで外反母趾的足運びもあるのが特 徴的でした。レゴンダンスは、バリで宮廷舞踏とし て発達してきましたが、 古代インドから続く舞踏で、 身体使いが、普段あまり使わない動作で、その筋肉 も普段はそういう使われ方をしないようなものです。 つまり、非日常的動作をふんだんに取り入れている 舞踏です。どうもそれは、もともとは舞踏というよ りも体操(ヨガ)みたいなものだったのではなかろ うかと推察されます。特に、内筋(大腰筋)を中心 とした運動のようで、見せるというよりは、演じる

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し、存在さえしない。バリ島の人びとは、演出家 、葉 、を 、排 、除 、す 、る 、 の絶対的な優位と、その創造力が言 ことを誇らかに証明しているのである。主題は漠 然とし抽象的で極端に一般的である。ただ舞台上 のあらゆる技巧の複雑な密集だけが、それらの主 題に生命を与えている。この舞台上の諸技巧が、 我々の精神に、身振りや声の新しい使い方から引 き出される一つの形而上学の観念を植えつけるの である。/事実、奇妙なのは、あのすべての身振 り、ごつごつしていきなり途切れる態度、喉の奥 からしぼり出される小刻みの抑揚、急変する音楽 的なフレーズ、鞘羽根の飛翔、小枝のざわめき、 み、 くりぬき太鼓の響き、あのロボットの軋(きし) 命を与えられたマネキン人形の踊りのなかで、身 振りと態度と、空に向かって投げられる叫びの迷 路を通して、舞台空間のいかなる部分も使わずに おかない動きの進展とカーヴを通して、もはや言 葉ではなく、記号を基盤とした新しい物理的な言 葉が生まれ出てくることなのである。俳優たちは 幾何学的な衣装をつけて、生きている象形文字の ようだ。

バリ舞踊は、一三世紀から一五世紀にかけてジャ ワ島中部で栄えたマジャパヒト王国のヒンドゥー教 文化が元になっていて、マジャパヒト王国が滅びた 後、人々はバリに逃れ、その文化を今に伝えていま す。マジャパヒト王国はカンボジアのクメール王国 (ヒンドゥー教のちに仏教の浸透)やタイのアユタ ヤ王国(クメール文化の影響が強くうけ後に仏教が 栄える)と並び賞される程の文化を誇ったといいま す。ほぼ同時代のこの三大文化の広がりから、東南 アジアにはインドヒンドゥー教の文化が深く刻まれ たといってよいでしょう。インドネシアはイスラム 教の国ですが、ヒンドゥー教文化の痕跡というか根 を見ることができ、例えば、ガルダ(インド神話に 登場する炎のように光り輝き熱を発する神鳥)やガ ネーシャ(太鼓腹の人間の身体に片方の牙の折れた ゾウの頭に四本の腕をもった神)の像等を至るとこ ろで見ることができます。 南インドのハイデラバードで伝統舞踏を見たこと がありますが、特徴的なのは、指は様々な「印」を 動的に流れるように組んで踊ります。東南アジアで も民族舞踏をみると、まず、指の動きが基本的に南

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指の印形の流れが入ります。 アルトーはレゴンダンスを「あのロボットの軋(き し)み、命を与えられたマネキン人形の踊り」とい いました。松村卓は、ガンダムの関節の動きに興味 を持ち、奈良の中宮寺の弥勒菩薩(弥勒菩薩半跏像) が親指と小指をつないだように印を組んでいるのを ヒントに、骨ストレッチを考案し、すごく深く骨に 近いところで固まっていた筋肉をほぐす方法を探っ ていきます(甲野善紀・松村卓『 「筋肉」よりも「骨」 を使え!』 、ディスカヴァー・トゥエンティワン) 。 そうすると、体幹を支えている骨の使い方こそが重 要だという認識が生まれてきます。そうするとさら に「脳を介さずに気配だけを動かす」ことが体得さ れてくるといます。 松村 (中略) 「この腕に触って」といわれれば、 誰でも普通に触れますよね? でも(反対の手を刀のようにシュッと動かしな がら)こうやってイメージで腕を切り落として無 くしてしまうと、触ろうとしてもうまく触れなく なる。手を近づけても、触れると思った距離に腕 がないんです。

甲野 なるほど。腕と一緒に気配が切れてしまう わけですね。 松村 これはあくまでも仮説なんですが、私たち の身体は物体としての腕だけを感じているわけで はない。その腕が発している微妙な波動のような ものを脳がキャッチし、そこに腕があると認識し ていると思うんです。要するに、腕を斬ったとイ メージすると気配が消えてしまうので、触る側の 身体が躊躇してしまう。脳は腕があると知覚した ままですが、身体は見えない異変を察知している わけです。 甲野 脳だけが気づかず、だまされているという ことですね。目に見えるものがすべてだと思って ……? 松村 はい。戦争で片脚を失った人が、まだ脚が あると思ってかゆみを訴えるというじゃないです か。それで、実際にはないはずの脚をボリボリと かいてあげると、かゆみが治まるという……。 甲野 いわゆる「幻肢 (げんし) 」ですね。 松村 私の場合、幻肢の逆をやっているんです。 実際に腕はあるんですが、脳にないという指令を 出すと、腕のない気配だけの状態になる……。こ

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(体を動かす)ことに主体が置かれている感じがし ます。西欧のように、そもそも見せるとか、鑑賞す といったものでなく、いわば基本動作モデルの学習 としての模範演技といってもよいのではないでしょ か。 アントナン・アルトーは、二軸歩行や多彩な足運 びについて、鋭い指摘をしています( 『演劇とその分 身』 ) 。まるで、世阿弥が「能」の幽玄について語っ ているような錯覚もしてくるぐらいです。 ──俳優たちはまばゆいばかりの衣装をまといな がら、下半身は産着に包まれているようだ! そ の動きには何か臍の緒をつけた胎児のような、幼 虫を思わせるようなところがある。同時に注目す べきなのは衣装の象形文字的な外見で、その水平 の縞はあらゆる方向に体からはみだしている。そ のため俳優たちは線や節に覆われた大きな昆虫に 似ている。そして、その線や節が自然のどのよう な展望に結びつくために作られたのかわからない 我々の目には、単に部分的な幾何学模様としか映 らない。/これらの衣装は俳優たちの歩みにつれ

て、その抽象的な回転と不思議な足の交差を取り 巻く!

彼らは踊る。自然の無秩序の形而上学者である彼 らは、音響の一つ一つの原子、今にもその原理に 戻ろうとしている断片的な知覚の一つ一つを復元 してくれる。彼らは運動と音との間に完璧な結合 を創り出すことを知っていた。その結合があまり に完璧なので、くりぬいた木の、太鼓の、空洞の 楽器の音が、まるで踊り手たちの肘が空洞から発 し、彼らが空洞の木でできた肢体を使って演奏し ているのかと思うほどである。

世阿弥は、理想の能、理想の演技は「幽玄無上の 風體」といい、 「童形 (どうぎよう)なれば、何とした るも幽玄 (いうげん)なり」と断言していました(世 阿弥『風姿花伝』 、岩波文庫) 。子供は深層筋が主体 で、 「二軸動作」が基本です。あらためて、世阿弥の 「幽玄」の姿(風姿)とは、深層筋を基礎とする「二 軸歩行」で、 「きびす足運び」と整理できます。しか しレゴンダンスは、 「二軸動作」が基本ですが、足運 びは多彩で、動きは極めて動的で、それに、多彩な

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深層筋を作用させる一連の所作が、 世阿弥のいう 「幽 玄」ではなかろうかと思えてきます。 イメージによる自律訓練法が一九三二年にドイツ の精神科医のシュルツによって創始され、これは一 種の自己睡眠法で、ストレス緩和、心身症や神経症 などにも効果があるといわれていますが、自律神経 の自己制御的な側面も在るとも考えられます。実際 に試みる際には、佐々木雄二『自律訓練法』 (ごま書 房)や松岡洋一・松岡素子『自律訓練法』 (日本評論 社)を参照されると良いと思いますが、ウィキペデ ィアに簡単に自律訓練法が紹介されています。何か 眠れないとき、羊を数えるよりも効果的です。飛行 機の夜行便で自律訓練法を繰り返すと、眠れないま でもかなり疲れが取れます。 最も一般的な自律訓練法は、次の背景公式(基礎 公式ともいう)と第1公式~第6公式の合計七つ の公式からなる。 ・背景公式 気持ちがとても落ち着いている。 ・第1公式 手足が重い。

・第2公式 手足が暖かい。 ・第3公式 心臓が静かに打っている。 ・第4公式 呼吸が楽になっている。 ・第5公式 お腹が暖かい。 ・第6公式 額が涼しい。

実際に自律訓練法を行うときには、 「手足が重い」 は、初めは右手が重い、左手が重い、右足が重い、 左足が重い、の順に重い感じをイメージしその部位 に意識を集中します。 「手足が暖かい」も同様です。 馴れてきたら、一気に「手足が重い」ができます。 この公式を順に心の中でイメージし、その部位に意 識するだけですので、骨ストレッチのイメージによ る、 「気」の制御と似た側面があると思います。自律 訓練法で、第6公式「額が涼しい」をイメージして、 その「涼の塊」を丹田まで下ろしたり、第2公式「足 が暖かい」をイメージして、その「暖かい塊」を丹

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れもあくまで仮説ですが、脳を介さずにこの気配 だけを動かせたら、身体は本来の自然な動作がで きるようになるんです。(中略) 甲野 最近、私が強く実感するようになった「内 観的な身体」と関係のある話ですよね。身体教育 研究所の野口裕之先生が提唱されたものですが、 話の意味がわからない人は、わけのわからないこ 。 とを言っているとしか思えないようでしょう(笑) 松村 私だってわけがわからないんだけれど(笑) 、 でも、そうすることで実際の動きが変わるわけで す。わからないと言っているのは脳だけで、身体 はそれをわかっていると思うんですね。 松村 そうですね。理由を知りたいのは脳だけな 。 んですよ(笑) そうして、このイメージ力がつくと、 「ハラ」や「丹 田」がラクに実感できるといいます。 松村 それからもう一つ、これもイメージの力を 利用したものなんですが、頭って五キロぐらいの 重さがあると言われていますよね? 実際に自分の頭を五キロの錘 (おもり)だと思っ

て、のどのあたりにスッと落とすようにすると内 臓が一緒に落ちて、お腹のあたりにグッと力が入 るんです。身体の重心はハラ(肚)とか丹田とか 呼ばれていますが、頭の錘を少しさげるだけでそ れが実感できる。(中略) 松村 これにはさらに続きがあってですね……・。 この間、 「そうか、頭の重さで背骨に圧がかかり、 背骨のS字アーチ(背骨が自然に湾曲した状態) が自由に動くようになるのか!」というインスピ レーションがあったんです。 陸上の世界では、頭上から糸でピンと吊られた ような「軸のある立ち方」がいまだにすすめられ ることが多いんでが、このやり方だと身体全体が 緊張してしまうし、 体幹の重さが活用できません。 そうではなく、頭の重さで背骨に刺激を入れて、 自在に動かせる状態をつくる。そうやって体幹を 動かしやすくすると、内臓の重さで重心も安定す る。これが「ハラの据わった」 「腑に落ちた」状態 だと思うんです。

イメージ力とは、 「気(力) 」であり、そうすると、 「気」 にしたがいて、 骨ストレッチを基本動作とし、

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43巻第7号、1993年7月)に記載されていま すので御参照下さい( か 1993_doho_to_naikan.pdf らPDFでダウンロードできます) 。 バリ舞踏のレゴンダンスにおいても、本来は舞踊 が進むにつれてトランス(憑依)状態に入って行く らしいのですが、公演では見せるだけなので、そこ まではいきません。雑誌『科学』の特集「感情を支 )で、大 配するものは何か」 ( vol.75 ,No.6 ,713-718 橋力 ( 「バリ島の祭りには感情を合理的に活用する科 学がある」 )は、バリの奉納劇〈チャロナラン〉など のクライマックスで憑依し、感極まれば昏倒しての たうちまわる祭り人の激しい動きに制約されずに脳 電位データを取り続けうる無線伝送脳波電位計測計 システムをつくって、脳電位を記録しました。その 記録から、憑依下で暴れ狂っているのに、清明な意 識で憩い安らいでいるときに現れる脳波α波と、浅 い睡眠状態に入って初めて現れるはずのθ波とが強 大なパワーで出現することが明らかとなりました。 その一方で、通常はこれらとトレードオフ関係にあ って緊張し警戒しているときに現れるβ波が出現す るという、 想像を絶するパターンが見出されました。

血液中の神経伝達物質分析の結果も衝撃的で、オピ オノイドペプチドの一つβエンドルフィン、モノア ミン神経伝達物質に属するドーパミンとノルアドレ ナリンが著しく増大していたのです。これは、感情 という脳の働きが祭の沸騰点において実現する究極 の状態は、脳の基幹部に拠点をおく報酬系全体の爆 発的な活動である可能性を強く示唆しているといい ます。 このような憑依(トランス)が、バリの舞踏でな ぜ起きるかということですが、その要因として、高 周波が一因であると、大橋は指摘します。

バリ島の祭ではほとんど例外なく、青銅の打楽 器オーケストラ〈ガムラン〉の演奏が神々への欠 かせない捧げものとして奉納される。このガムラ ンの響きを高い忠実度で記録し、精密に分析した ところ、その響きには、人間が音を知覚するとき

を上廻り、瞬間的 の周波数の限界である20 kHz を超えるほどの複雑な超高周波 には100 kHz 成分が豊富に存在していた。

20 kHz をこえる高周波は、人間には音として 知覚されない。ところが、その成分を含むガムラ

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田まで持ち上げたり、第5公式「お腹が暖かい」で 丹田に意識を集中すると、 「気」が一気に丹田に流れ 込んで、全身に気が散っていく感じになることがあ ります。そうすると爽快で体が軽くなったような感 じになります。「気の充実」 と呼んでおきましょうか。 「気の充実」を甲野は電流にたとえます。 甲野 (中略)相手に技をかける際、これまでは 自分がやりやすい方向に無意識に体勢を持ってい こうとしていたんですが、最近、そもそもそれが 見当外れだったことに気づきましてね……。相手 の好きにさせ、むしろ協力してあげるくらいの状 態でいたほうが、もっとラクに崩せるんですよ。 松村 自分が不利になるような体勢のほうがいい ということですか? 甲野 不利というか、自分がやりやすい体勢とい うのは、これまで身につけてきた力を入れやすい 姿勢であったりするんですね。ですから、腕を持 たれても、それを動かしてやろうとして動かすの ではなく、腕を持った相手に委ねてしまう。 ただその時、ちょっと面白いんですが、足の裏 から雷のような電流がブワーッと身体に走るよう

にするんです。上から下でなく、下から上に放電 させるんですが、 そうすると身体の重さが活きて、 相手が簡単に崩れてしまう。 松村 これもイメージなんですかね。肉体をどう 動かすかではなく、身体の内部の動きをどうイメ ージするか……。 甲野 なかなか説明が難しいんですが、イメー ジと言ってもいわゆるイメージ法とは違うんです ね。なぜかというと、頭で「こうイメージして」 と考えるのではなく、身体のほうが「そういう感 じを出してくれ」と注文してくるのですから。 普段自覚している自分の身体ではない身体、つ まり、 「内観的な身体」をどう使うかが問われてく ると思うんです。

甲野は、物質的裏付けは全くないといいますが、 脳内にあるイメージとしての「内観的な身体」 (抽象 的身体)が、 「骨肉の身体」 (実体的身体)を動かす という考えに導かれていきます。それは、野口裕之 のいう「内観的な身体」です。野口裕之の唱える「内 観的な身体」 に関してはあまり資料がないのですが、 「動法と内観的身体」という論考が、体育の科学(第

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め』 、岩波書店) 。スペクトル解析データをみると、 豊饒を極めた熱帯雨林の環境音のスペクトル構造と、 祭の日に村中にガムラン音が蠢く里の音をそれとが あまりにもよく似ていることに驚かされるといいま す。また、金属音源と対照的なもうひとつの癒しと 憩いの音の精髄として、日本人が恐らくもっとも愛 好する環境音、 〈小川のせせらぎ〉を見逃すことはで きないといいます。しかし、人間活動の影響がおよ んだ普通の環境を流れる小川では、暗騒音の存在が 妨げになってあまりうまく測定されず、そこで、超 巨大な無音空間というべきモンゴル高地で大草原を 流れる小川のせせらぎを収録して分析したところ、 を大きく上廻る極 豊かなゆらぎを伴い100 kHz めて価値のある超高周波成分の存在がみいだされた そうです。 大橋はこうして〈ハイパーソニック・エフェクト〉 を発見していきます。 ガムランの非定常なゆらぎに満ちた知覚圏外の 超高周波を豊かに含むフルレンジ音と、そこから 可聴域をこえる超高周波成分だけを除いたハイカ ット音とを切り替えて聴くとき、脳波α波パワー

を全被験者について積算した値が、フルレンジ音 でより大きくハイカット音でより小さく現れたの である。 (さらに時間軸に沿って並べてみると)そこに 現れてきたのは、まず、超高周波を含むフルレン ジ音によってα波の活性は顕著に高まるのだけれ ども、その値が〈高い水準〉に達するまでに、数 秒から数十秒間を要するという事実だった。(中 略)

この現象は、聴覚の生理学・心理学の基盤をゆ るがさずにはおかない。というのは、人間の聴覚 系は視覚系よりもずっと鋭い時間分解能をもって いて、入口の蝸牛神経から一次聴覚野まで、おそ らく10ミリ秒以内くらいで情報が届いてしまう。 ここで私たちが初めて見いだした、音の違いによ って脳波α波の活性が数秒から100秒という時 間尺度上既知の聴覚系のおおよそ千倍ものスケー ルで遅延や残留を伴いながら変化する現象は、聴 覚神経系についての一般的な知識や理論では、説 明の手がかりが与えられない。

高周波は金属のような固い物質から発せられるは

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ン音と、そこから22 kHz 以上の高周波を除外し た音とをランダムに呈示し、その間の被験者の脳 活性をPETで調べると、超高周波成分を豊富に 含むガムラン音は、それを除外した音に比べて、 情動に関わる視床・中脳、 感情に関わる前帯状回、 感性に関わる前頭前野に分布する報酬系、 および、 視床下部、脳幹に属して生理活性や恒常性を司る 部位を総合的に活性化することが見出されたので ある。 このPETの映像を見ますと、特に視床下部と脳幹 部位の活性化が著しいように見えます。 「意識」とは 関わりがない(薄い)と考えられている部位です。 さらに、チャロナラン劇で下座音楽の役割をは たす、 〈テクテカン〉とよばれる竹製打楽器が発す をこえる る音を調べたところ、これにも50 kHz 豊富な超高周波成分が含まれていた。それはガム ランの響き同様に脳の報酬系の活性に導いている に違いない。また、チャロナラン劇では二人立ち のバリ島の獅子舞〈バロン〉の頭 (かしら)を担う 振り手が最初にトランス状態に入り、連鎖反応の

着火装置の役割をはたすことが多い。この獅子頭 の内側の振り手の眼前には、重厚な真 (ししがしら) 鍮の鈴の束が取り付けられている。バロンの頭を 激しく振ることによって生じるこの鈴の音は、祭 の庭を支配しているガムランやテクテカンの大音 響にかき消されて誰にも聞こえず、演出効果は皆

無に近い。一方、この鈴が発生させる100 kHz に及ぶ強烈な高周波は、上半身裸のバロンの振り 手にシャワーのごとく浴びせかけられる。その報 酬系に対する活性化効果は計り知れない。 つまり、 この鈴は、バロンの演技者をトランス状態の引き 金にするためのしかけ以外の何物でもない。これ らの工夫は、脳の報酬系を活性化する知覚できな い超高周波の作用をバリ島の村人たちが何百年も 前から経験的に知っており、それを巧みに活用し てきた証といえるのではないだろうか。

人間に音として聴こえる空気振動の周波数領域は

20 Hz ~20 kHz 程度(人類可聴域)ですが、大 橋力は「可聴域をこえる超高周波成分が人間に及ぼ す影響」というこの不可知の獲物を長年追いつめて きました(大橋力『音と文明―音の環境学ことはじ

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ではこれを涅槃とかいうのではないでしょうか。 これまで、憑依(トランス)について、とくに西 欧では外界から魂が乗り移るという、オカルト的解 釈がなされてきたと思います。トランスに導く超高 周波成分は、視床下部と脳幹部位を著しく活性化す るようですが、そうすると霊魂が人に乗り移ると考 える必要はなくなります。もう一つのオカルトと考 えられてきた、幽体離脱も現在は幽体離脱体験マシ ーンもあるぐらいで、触覚の緩みあるいは逆に極度 のストレスで幽体離脱が発生しますので、〝脳機能 の統合の緩み〟とも考えられています。実際に魂が 出入りする必要はないのです。 多重人格はある程度、 分離脳(スプリット・ブレイン)で説明が付き、他 の霊魂が忍び込んで人格を乗っ取ると考える必要も ありません。 分離脳は、 統合情報理論で説明が付くそうです (ジ ュリオ・トノーニ、 マルチェッロ・マッスィミーニ 『意識はいつ生まれるのか』 、亜紀書房) 。 スプリット・ブレインの患者の例で見たように、 脳外科医が脳梁を切断すると、意識もふたつに分

かれる。驚くべきことに、意識の点ではメインと なる半球においては、手術後も、意識のレベルも 内容もさほど変化が見られない。さらに、メイン でないほうの半球も、いくつかの重要な能力は失 われているものの、独自の意識を持ちつづける。 /統合情報理論に照らし合わせると、少なくとも 机上では、この現象を解き明かすことができる。 構造をよく観察すると、 分離脳の患者においては、

視床 皮-質系のもともとつながりが弱かった部分 が切断されていることが分かる。脳梁には二億本

の線維があり、そのひとつひとつが、視床 皮-質系 のふたつの半球を結びつけ、全体として情報を統 合するのに役立っている。だがすでに、各半球に おける内部のつながりは、遠近を問わず縦横無尽 に走っているため、情報統合レベルは大変高い。

以上のような、憑依(トランス) 、幽体離脱、多重人 格は西洋においては、オカルトと総称されているも のです。神だとか普遍的に存在する理性だとかいっ た、人の外部にある規範にもとづいて人に「意識」 がもたらされる(これを外観的認識と私は定義して いる)と考えている西洋人にとっては、オカルトは

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ずで、色々な音が混ざって、高周波となることはな いはずです。モンゴルの小川のせせらぎや熱帯林の 高周波音源は何でしょうか。モンゴルの小川は平原 を緩やかに流れます。川底は丸い大小の石で埋めら れています。水が石を叩くドラム音ではないかと思 えます。水と石の語らい。たしかに、モンゴル平原 の小川のほとりで、昼食などを取っているとフワリ と眠くなります。熱帯林では、膨大な量の水が根か ら吸収されて導管を経て葉から蒸散していきます。 一グラムの光合成産物を生産するのに約一リットル の水が必要ですので、仮に一本の熱帯林が毎日一キ ログラムの光合成産物を生産すると、一キロリット ル(あるいはトン)の水が幹を流れます。熱帯樹林 にまるで小川が流れているようなものです。導管は 一〇〜一〇〇ミクロン程度の細い管ですので、それ は水笛のように高周波の音色を出しているかも知れ ません。あるいは、幹は自己振動していて、幹のリ グニン線維の弦が呟いているのかも知れません。北 海道大学構内のエルム(ハルニレ)の樹が、突然震 え始め、まるで強風にあおられているかのように震 動が大きくなり、幹がさけてバタリと倒れるのを見 たことがあります。無風の夕暮れ時のことです。こ

のとき、樹木は絶えず自己振動をしていて、リグニ ンは固い化合物ですけれどネット状の化合物で、け っこう伸縮性があるではないかと考えました。老木 は、 リグニン線維が切れ切れになり、 修復も出来ず、 自己振動を制御できなくなり、倒壊したものと思い ます。 高周波は自然界に満ちているはずです。そして、 それは聴覚で知覚することは出来ません。身体が感 じて、脳波に影響をおよぼしているものですから。 身体機能が正常でないと、高周波を受け取ることも できないでしょう。西洋の音楽は、この高周波領域 を見事に切り捨てた体系です。東洋では、むしろ自 然のメッセージを聞き、そのメッセージと調和する ことにより、身体機能を高め、精神的には自然その ものに包まれた安寧の境地を見いだしてきました。 お釈迦様と樹と関係が深く、仏教三大聖樹として、 無憂樹(釈迦が生まれた所にあった樹) 、印度菩提樹 (釈迦が悟りを開いた所にあった樹) 、娑羅樹(釈迦 が亡くなった所にあった樹)がありますが、高周波 を通して、樹々(自然)は、お釈迦様に語りかけて いたのだと思います。もう少し言うと、樹々の高周 波を通して、憑依(トランス)の状態になり、仏教

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チェコ編 』 、 。 ] 新潮社) マンガやファンタジーという形式もそうだが、「本 当の嘘」 「間違いなく嘘」という公式枠を置くこと は、世間にはどうしても必要だというしかない。 内田樹はそれを「額縁」だと表現する。(中略)つ まり教会や劇場という「立派な建物」は額縁なの である。 額に入っているのはあくまでも絵だから、 その中身を「現実」と取り違えることはない。そ こが額縁の大切さである。ただし額縁が立派でな いと、それがじつは絵だとは気づかないこともあ りうる。 内田樹の「額縁」をバインド(意識の縛り)と深 読みして良いでしょうか。それが、許されるなら、 西洋とは額縁文化で、劇場国家とよんでもよいでし クリフォード・ギアーツが、 ょうか? そうすると、 バリを「劇場国家」と呼んだことが、誠に皮肉なこ とに思えてきます。 さて、 バリ演劇のトランスに今一度立ち戻ります。 バリ演劇が、トランスになりやすいということで、

欧米にはかなりの衝撃だったようですが、しかし、 トランスというのはそれほど珍しいことではないと 思います。 ジョグジャカルタ近郊のプランバナン寺院遺跡に はシヴァ堂を中心として六つの堂が建つインドネシ ア最大のヒンドゥー教遺跡があります。インド二大 叙事詩『ラーマヤナ』 「マハーバラタ」の物語が遺跡 の精巧なレリーフに刻まれています。一見すると、 まるでアンコールワットの遺跡のようです。この遺 跡の芝でクダ・ルンピンという中部ジャワ一帯にみ られる伝統芸能の練習しているのを見たことがあり ます。クダ・ルンピンの意は、クダが馬、ルンピン が竹編みで、頭と尻尾だけの竹編みを竹棒で繋いだ 馬に少年がまたがり、大人がその馬に餌をあげるよ うなこっけいな動作を伴います。そして、やはりガ ムランが演奏されています。数頭のなかで一頭、狂 ったように踊りだし、左右に飛び跳ねたり、明らか にトランス状態に落ち入っていました。 南アフリカ共和国のズールー人の村で、村祭りを 見学させてもらったことがあります。村人総出で、 二一歳の誕生日を迎えた娘さんのお祝いで、成人式 のようなものでしょうか。太鼓に合わせて、唄は歌

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極めてゆゆしき問題であったろうと思います。これ らオカルト現象は、 悪魔の仕業となるわけですから。 東洋においては、 瞑想だとか身体動作 (ヨガだとか、 能だとか、バリダンスだとか)によって、追体験出 来る道筋が付けられてきています(これを内観的認 識と私は定義している) 。内観的認識においても、 「魂」 のように理解はしてきたはずですが、 それは、 自然界のどこにでも神が存在するような感覚のはず です。あえていえばアニミズムで、西洋の言う、多 神教ともまるで異なるものです。 人類の内観的認識の初期の段階では、脳の各部位 (器官)の働きをそれほどきっちり制御する必要も なかったと思います。とすると、人類の歴史の初期 には、憑依(トランス) 、幽体離脱、多重人格といっ た現象は、 むしろあたり前だったような気がします。 実際、神話時代はそういった記録に満ちあふれてい ます。人が集まり、集落が出来、交易が始まり、文 字が使われるようになると、脳の各部位(器官)の 緩い統合では、社会が成り立たなくなってきます。 何か、 脳の機能に強い縛りが必要になり、 例えば 「神」 といった強い縛りで、視床 皮-質系を中心に脳を統合 するシステムが発達してきます。 この発達こそが 「意

ド[イツ・オーストリア・

識」といっているものの実体のような気がします。 「神」という原理で縛り、さらに具体的な戒律、法 律、等々無数の縛りで、 「意識」が強固にされていく (あるいは意識が浮き彫りにされてくる) 。 「神」と ともに、モーゼの十戒が生まれるのは、必然と言え ば必然ということになります。この縛り、バインド は当初は脳内に記憶として残り口承されてきたでし ょうが、それが文字に記録され、そうすると長い間 にこれらは脳からは取り外され、外部媒体に記録さ れ、外部規範として独立してきます。 「神」の脳から の独立です。そうすると、聖書はさしずめ、 「神」の 人からの独立宣言といってもよいでしょうか。 「意 識」 はそもそも人間の内部にあるはずのものですが、 それを規定し動かす原理は外部にとりだされてしま 身体と 「意 ったのです! それを突き詰めていくと、 識」 (魂)は分離せざるをえなくなり、ここに身心二 元論が生まれてくることになります。 面白いことに、 心身二元論は、 「神」が、といってもキリスト教がで すが、危うくなって来たときに、原理主義的に出て きた概念であるというのも皮肉な話です。 内田樹の「額縁」論を養老孟司は次のように解説 しています( 『身体巡礼

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ることの証ではないかとさえ思えてきます。 バリを舞台とした吉本ばななの小説『マリカのソ (幻冬舎文庫)には、トランス ファー バリ夢日記』 と多重人格の話がでてきます。吉本ばななの多くの 小説を思いっきり要約すると、不倫(精力旺盛であ るが世代を繋げない行為)と老(世代間の共感で枯 れた感じ)を二軸として織りなされています。つま り、文化の衰弱を綴っているといってよいかもしれ ません。ところが、バリを舞台とした、 『マリカのソ ファー バリ夢日記』では、その構成が著しく異な っています。マリカの多重人格の話で、まるでバリ の精神文化に共鳴したような、不思議な感覚世界を 描き出しています。マリカの人格において、ミツヨ (マリカが小さい時に隣に住んでいたおばさん)は 編み物ができるが、他の人格には全くできず、ハッ ピイは英語が話せ、オレンジはコンピューターが扱 え、ペインは牛乳アレルギーがあるのに、他の人格 たちには何でもない、といった具合です。 TVで見たバリという所に行ってみたい、と、今 では滅多に出てこなくなったオレンジが言い出し たのは去年のことだった。それからはマリカも興

味を持ち、バリのことを知りたがった。

もう一生分くらいの悲しいことがマリカにはあっ た。母親はマリカをぶち、いじめ、かわいがり、 またぶち、アル中が原因の肝硬変で、マリカの前 で死んだ。父親はマリカをもてあそび、体ができ あがる前から売春のようなことをさせた。マリカ ははじめ施設に引き取られ、おばあさんは悪い人 ではないのだがあまり子供が好きではなくいやい や引き取り、それからは病院にいることのほうが 多い人生だった。

大きな寺院の庭で、ダンスは行われた。客席には 観光客ばかりがぎっしり詰まり、塔にろうそくが 灯され、強烈なライトが舞台を照らしていた。 やがてケチャが始まり、その強い声とリズムと人 数に圧倒され、私はマリカのこともオレンジのこ ともすっかり忘れてしまった。 となりにいるのが誰か?なんて忘れてしまった。 二番目はトランス・ダンス、あどけない二人の少 女がトランス状態になって踊り狂うというものだ。 見ながらオレンジは、少し泣いていた。

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垣のように掛け合いで、男側が何か問いかけるよう に唄い、それに女側が応えるように唄い、延々と続 きますが、ダンスは過激で、足を頭に付くほどに振 り上げて、戻しながら後ろにぶっ倒れたりで、なか なか大変そうです。そのうち動作がおかしいのがで てきて、明らかにトランス状態に陥っています。 ボルネオ島でも、カリマンタンのダヤック族やサ ラワクのイバン族のシャーマンの祈祷につきあった ことがありますが、 太鼓やガムランこそないものの、 何やら呪文のようなものを唱えながら、トランス状 態に入っていきます。少々筋肉が引きつったり(ピ クついたり) 、体が揺れだします。一度は、精霊から プロジェクトの許可をもらう祈祷で、いま一度は、 精霊からパワーをもらう祈祷でした。 ケンブリッジ大学の文化人類学者ブリギッテ・シ テーガは、 「日本の居眠り論」で、日本人はよく電車 の中で居眠りをするが、他の文化圏では見られない 不思議な習慣で、日本文化の際だった特色の一つと して、学位論文まで書いています( 『世界が認めたニ ッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があ った!』 、畔上司訳、CCCメディアハウス) 。 「居眠 りしている当人は「睡眠とは異なる状況」において

「社会に参加しながら」眠っているのであり、まさ に文字どおり「居+眠り」しているのである」とい った、訳の分からぬ説明が書いてあります。また、 居眠りの一四の効用を上げていて、健康に良い、元 気の源であると結論づけて、居眠りの勧めを説いて います。しかし、疑問なのは、なぜ日本人だけがこ のような風習を持ったのかです。この本を読んでい て、論考に賛同しかねて、はたと気づいたのは、電 車等での居眠りは、軽いトランス状態に入っている のではないかということです。それはまるで、シャ ーマンが祈祷でトランス状態に入っていくのに似て、 少々筋肉がピクリとしたり、体が左右に揺れ出すの です。電車とレールの出す高周波はガムラン音効果 でもあるのでしょうか。 いちじは 「最近の婦女子は、 股を広げて猥らに居眠りしている」として、日本の 美しき立ち振る舞いが消えていくと、非難されてい たような記憶があります。しかし、これは一時的に バインド(意識の縛り)を解く、精神のカタルシス なのだとすると、実に健全なことです。あるいは、 トランスは、糊化した精神の凝りをほぐすのだとし たら、 自由な発想が広がるはずです。「電車の居眠り」 こそは、日本にまだ内観的文化が基層では活きてい

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学者たちが仮想するゾンビとは、行儀よく、まと もで、外見からはわれわれとまったく見分けがつ かない存在だ。どんな医学的検査や心理テストを 受けさせても、いかなる観察者によっても、人間 と哲学的ゾンビは見分けられない。/唯一の違い は、哲学的ゾンビには意識がないということだ。 もし熱された表面に触れたとしたら、哲学的ゾン ビはわれわれと同じように手足を引っ込め、 叫び、 ののしり言葉を発する。だが、いかなる痛みも感 じていない。実際、哲学的ゾンビはなにも感じな いのだ。/そのような生き物、というよりもその ような生き物を仮想できること自体(この記述が 読まれて、 その意味が理解されたということ自体) 、 意識は脳の働きに還元できない証拠だと、現在、 多くの哲学者たちが考えている。いいかえれば、 肉体的には人間と同じようにつくられ、まったく 意識がない生き物の存在を思い描くことができる こと自体、次のことを示している、というのだ。 別の人間の身体的状態をいくら完全に記述できた としても、その記述をもとに、その人に意識があ ることを示すことは、論理的に不可能だ、と。こ の哲学的ゾンビは人を喰ったりはしないが、意識

をテーマに掲げるシンポジュウムで恐怖をふりま いている。哲学者=呪術師たちがこの手の発言を するたびに、率直な科学者も頑なな科学者も、言 葉につまり、固まってしまう。

この哲学的ゾンビの定義に従うと、頭蓋のなかで は、小脳と基底核がゾンビということになるようで す。小脳には、頭蓋内の総ニューロン数のうち、四 分の三以上がつまっており、視覚、聴覚、その他も ろもろの情報を受け取り、処理するのですが、それ にもかかわらず、闇も、光も、赤も、青も、見分け られない、 正真正銘のゾンビということになります。 また、基底核というのは、脳の奥深くにある、大き な組織で、大変複雑な動きをつかさどることができ るのですが、しかしながら、ニューロンの塊の内部 で行われている神経的な処理は意識にはのぼらず、 これもゾンビ候補です。 小脳と基底核=ゾンビが成り立ちます。 「意識」は

視床 皮-質系によって生み出されるようです。その理 由を二つ指摘します。

ひとつ目は、視床 皮-質系には、違いのレベルが高

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きっとペインのことを思い出したのだろう。 すべてのダンスが終わって去ろうとしたら、門の 後ろにいた出番後のダンサーたちの中から、トラ ンス・ダンスの少女たちがまだメイクをしたまま 駆け寄ってきた。 そしてオレンジを見あげて、なにかしきりに話し かけていた。 オレンジは「すばらしかった」と言った。それか らインドネシア語でありがとう、と言った。 「トゥ リマカシー」 少女たちは、さっきまでのダンスの深刻なムード をすっかり脱ぎ去って、けらけら笑いながら帰っ ていった。 「何て言われたの? わかるの?」 「トランスのとき、客席のあなたが他の人よりも 目立って見えたって。あなたは誰って。 」 オレンジは言った。 「何て答えたの?」 「それは何人もがあわさって、僕になってるから だって。 」 「わかったみたい?」 「わかんなかったみたい。 」

オレンジは笑った。

バリを舞台とする、西洋人の小説、絵画、そして 舞踏では異界(魔界)を描く感じになることが多い のですが、吉本ばななの小説では、バリの到る処に 精霊が溢れている自然観の中にそのまま溶け込んで いるような感じがします。アルトーの異様な反応と はまるで別物です。

ジュリオ・トノーニとマルチェッロ・マッスィミ ーニによると、哲学分野で現代の心身二元論が取る

立場を支えるのは、ゾンビ( )理論です( 『意 zombi という 識はいつ生まれるのか』 、亜紀書房) 。 zombi をイタリア語風に表記したも のは、英語の Zombie は、もとはといえば、クレオ ので、英語の Zombie からきています。ハイチのブードゥ ール語の Zonbi ー教の儀式で登場する言葉だそうです。

「哲学的ゾンビ」はオーストラリアのデイビッ ド・チャーマーズによって有名になった。カリブ の呪術師が呼び覚ますゾンビとも、ホーラー映画 をにぎわす、部分的に腐敗した死体とも違い、哲

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観的感性にはついに至りません。吉本ばばなの感性 にも至りませんでした。結局、アルトーはバリの演 劇のその内的動機にはついに達することが出来なか ったと思います。アルトーがバリの演劇から引き出 したのはグノーシス派的感性と論理です。スーザ ン・ソンタグが、 『アルトーへのアプローチ』 (みす ず書房)でアルトーが目指した(行き着いた)果て を描きます。 ニーチェが精神の無神論的神学、否定的神学、 神なき神秘思想を冷静に受容したのにたいして、 アルトーはある特定のタイプの宗教的感受性── グノーシス派のそれ──の迷路のなかをさまよっ た(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の場合そ れぞれ異端的辺境に押しやられているとはいえ、 ミトラ信仰、マニ教、ゾロアスター教、およびタ ントラ派仏教の中心に位置する永遠のグノーシス 派の主題は、さまざまな宗教にさまざまな用語で あらわれているが、つねにある共通の輪郭をもっ ている) 。グノーシス説の主要なエネルギーは、形 而上の不安と激越な心理的苦悩に由来する──捨 てられたという感覚、のけものにされているとい

う感覚、神が不在となった宇宙のなかで人間の心 を苦しめる魔神の力にとりつかれたという感覚で ある。

アルトーの主要隠喩は古典的グノーシス派のそ れである。肉体は《物質》にかえられた心なのだ。 肉体が魂を圧迫し歪めるように、言語もまた同じ 作用をおよぼす、というのも言語は《物質》にか えられた思考にほかならないからだ。アルトーが 自分自身に課した言語の問題は物質の問題と同一 である。肉体への嫌悪と言葉への反感は、同じひ とつの感情のとった二つの形態にすぎない。アル トーの心象によってたてられた等価関係のなかで は、性的関係は肉体の腐敗堕落した活動であり、 《文学》は言葉の腐敗堕落した活動なのである。 もろもろの芸術における活動を精神解放の手段と して利する希望をアルトーが完全に捨てたことは なかったが、芸術はつねにうさんくさいものだっ た──肉体がそうだったように。そして芸術に托 したアルトーの希望は、肉体にたいするそれと同 じく、やはりグノーシス的なものであった。全体 芸術のヴィジョンは肉体的救済のヴィジョンと同

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い要素がたくさん集まっている、という結論だ。 要素ごとに特定の機能を担っている。そして、各 システム(視覚系、聴覚系、触覚系など)は、さ らに細分化した専門部位(形を見分ける部位、色 を見分ける部位など)に分けられる。さらに、そ の各部位は、ある特定の刺激(方向、動きなど) に反応するニューロンのグループを抱えている。 /ふたつ目の結論は、高度に専門化した視床 皮-質 系の要素同士にあるつながりは、近距離のものも 長距離のものもあり、各要素はそのネットワーク に乗って、すばやく効率よく相互反応できる、と いう点だ。限りなく専門化されているのに、完全 に統合されている。これは、なかなかありえない ことだ。このことにより、ある身体システムが、 並外れた量の情報を統合する要件が満たされる。 心身二元論のゾンビ理論では、身体情報は小脳と 基底核で処理され、ここがゾンビ機能領域となりま す。 「意識」機能を持った視床 皮-質系がゾンビ神経 系(小脳と基底核)を制御するというのが、現代哲 学におけるゾンビ理論です。しかし、視床 皮-質系は 複雑ですので、意識発生の所用時間は刺激を受けた

感覚が、完全に意識にのぼるには〇・三〜〇・五秒 かかることは、大脳生理学的には、既知の揺るぎな い結論です。そうすると、何が起きているかという と、例えば、コップを取って水を飲もうと手を動か

す指令を出すのは、ゾンビ神経系で、視床 皮-質系で はありません。あらゆる運動は、視床 皮-質系の意識 にのぼる前に、ゾンビ神経系が勝手に指令を出して いることになります。行動も「意識」が完全に制御 しているというのが、心身二元論のゾンビ理論です が、この前提仮説が大脳生理学によって否定されて います。

さて、アントナン・アルトーはバリの「残酷劇」 に激しく揺さぶられ、西洋の伝統的演劇や思想を解 体し続ける、 「身体」と「精神」の内乱状態の錯乱の 渦に飲み込まれていきました。そして、一体、どこ に行き着いたのでしょうか。まわりは、アルトーを 精神が錯乱していると見なしましたが、本人は、そ う見なしているまわりのほうこそが西欧文明という 錯乱の中に閉じ込められていると見なしていました。 それを、ヴァン・ゴッホの視点から告発します。し かし、アルトーはヴァン・ゴッホが辿り着いた、内

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先のトノーニとマッスィミーニは、 「意識」を測る ために「TMS脳波計」 (経頭蓋磁気刺激法(TMS) 電磁誘導で外部から脳を直接刺激する脳波記録シス テム)を開発し、まだまだ初歩的ですが、哲学的ゾ ンビ理論に対峙しつつあります ( 『意識はいつ生まれ るのか』 ) 。彼らの本で、アメリカの詩人、エメリー・ ディキンソンの詩を引用しています。自然を題材と した詩では、自然は西欧では背景(ランドスケープ) として描かれますし、米国ではハンターの目で獲物 として描かれることが多いです。エメリー・ディキ ンソンの詩は、随分と自然との距離近く、不思議な 詩と感じていました。彼らが引用しているディキン ソンの詩は、彼女自身(脳)が自然に入り込んでし まうという、まるで禅的な内観的な詩なのです。こ の詩は、日本ではほとんど知られていません。私の 持っている三冊のディキンソンの詩集には見当たり ません。このような詩を見つけ出してくるというこ と自体から、おそらく、トノーニは文学にかなり精 通し、東洋的内観的感性を持ち合わせているような 気がします。 「意識」の原型(プロトタイプ)は、ア プリオリに外界にあるのではなく、アプリオリに人 の内部にあるという、 東洋的にはあたり前のことを、

哲学ゾンビを生み出した、いわばゾンビ哲学(心身 二元論)に対峙していることを、エメリー・ディキ ンソンの詩を通して示していると思います。

脳は、空よりも広い だって、脳と空を並べてごらん そうしたら、脳には空が入っているもの すっと入っている──それに、あなたも

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脳は、海よりも深い だって、脳の青と海の青を並べてごらん そうしたら、脳は海を吸い込んでいるもの スポンジみたいに、バケツみたいに、すくいとる

脳は、神と同じ重さ だって、ひと目盛りずつ、測ってごらん そうしたら、 脳と神は、 もし違いがあるとしたら、 口からでる音のひとつひとつほど、違っているか ら

連載 エッセイ


じ形を取る ( 「肉体は肉体だ/それは独自に存在し 身感はほとんど理解不能です(そもそもあまりはっ /いかなる器官も必要としない」──アルトーは きりしていない?) 。そもそも、キリスト教にあって 最後の詩のひとつにそう書いている) 。芸術は、救 も、はっきりとした心身二元論は、少なくともデカ 済された肉体と同じく、それ自体を超越するとき ルト以降のことですので。 スーザン・ソンタグは、古典的グノーシス派では、 に──いいかえればそれがもはや器官 (ジャンル) 「肉体は《物質》にかえられた心」といってますの をもたず、さまざまな異る部分をもたなくなった で、心身一元論に近いような気もしますが、 「魔神の ときにはじめて救済をもたらすものになる。アル 力」 が支配しているような世界観でもありますので、 トーの想像した救済された芸術にあっては、個々 「魔神」という原理で縛り付けた、キリスト教とは に分離された芸術作品は存在せず、ただあるのは 別のバインドシステム(額縁)をもった宗教観、世 全体芸術という環境だけであり、それは魔術的、 界観ではないでしょうか。キリスト教自体、復活だ 発作的であり、浄化作用をもち、そして結局のと とか、秘蹟だとか(聖人に列せられるためには奇蹟 ころ不透明なのである。 を起こさないといけない) 、 オカルト色の強い宗教で 「グノーシス派」は一世紀から三世紀ころの地中 すが、グノーシス派(主義)は、それに輪をかけて 海世界に誕生した古代キリスト教最大の異端思想で、 オカルト色が強い宗派です。アルトーがのめり込ん ミトラ信仰、マニ教、ゾロアスター教、およびタン でいったのは、このオカルトの世界です。これは、 トラ派仏教を取り込み、 「悪は何処から来たのか」と 悪の「外観的世界観」で、バリ演劇における「内観 いう難問をキリスト教会に突きつけて、 「裏の文化」 的世界観」とは、全く異質のものです。我々は、バ を形成してきたといいますが、まことに理解が困難 リ演劇、さらにはバリの世界観を、西洋と東洋でど な宗教(宗派)です。そもそもキリスト教も良く理 う読み解いたかを、アントン・アルトーと吉本ばな 解できないのですから、なおさらです。大貫隆の『グ なを通して理解できました。 ノーシスの神話』 (講談社学術文庫)を読んでも、心

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ないです。でもさっき雨が降ったから、道路 のゴミが入っているかもしれない」 。 周囲の状 況を見れば、 私と同じ結論に達する。 しかも、 これだけ強い日光に照らされていれば、かな り紫外線消毒はされている。 その夜、私のお腹はなんともなかった。翌 日も変わりなかった。朝ごはんをおいしく食 べて東京に帰った。 それから二、三日して、わがエコ・フィロ ソフィ研究のメンバー四人が、モンゴルに出 掛けた。私は行かなかったので、後から聞い た話に、何かうどんのような麺を食べて四人 とも当ったという。 「どうも水が悪かった様 だ」 、 「なぜ水と分ったの」 、 「実は後で水くみ に行って分った」 。彼らは調査に行ったから、 水くみに行く最初から終わりまで全て映像で 記録してあった。見るとなるほど、赤茶けた 草原の中の幅二メートル程の浅い小川である。 見た目には澄んだ清流といえばいえる。しか し、まわりは羊や馬の放牧場のような所であ る。 必然的にそれらの排泄物が至る所にある。 冬には雪が降り、春にとける。それが小川に

流れ入る。現地の人はそれでも沸かして茶と して飲む人も少なくない。もちろん、わが友 も麺のスープとして飲んだ。それで当った。 不運という他ない。原因は二つ考えられる。 一つは料理人が沸騰させなかったか、あるい は細菌性の食当りではなく、水の硬度あるい はアルカリ度の問題であったのかもしれない。 かつてパリの下町の小粋なレストランで、 水は何にするかと聞かれたとき、 「オウ・ド・ ラセーヌ」 (セーヌ川の水)と答えた。水道の 水でいいよ、という時にはこう答えろと教え られたからであるが、なるほど、フラスコに 入った水は、ただの水道水であった。パリの 水道の水源がどこにあるのか知らないが、ま さか市内でセーヌの水を取水しているわけで はあるまい。しかし、私は当った。ただこれ は硬度の問題であったらしい。パリの水は硬 水で、しかも石灰分が多い。ヤカンの内側が 白くなると聞いた。東京の軟弱な水になれた 私たちのお腹は、少し硬い水でも直ぐに反応 するようである。

連載 エッセイ

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ドブの水を飲む 八月の下旬、部長をしている運動部の合宿 が越後湯沢であった。普段は部員にまかせて おくことが多いのだが、この頃のこと、目の とどかない所でどんな事が起るかわからない。 一泊の予定で出掛けた。東京を発ったときは 雨であったが、清水トンネルを過ぎると薄日 がさして、時々夏の太陽がカッとさす。しば らくすると急に曇って雨が降るというめまぐ るしい天気であった。丁度、昼の休みに宿舎 に着いた。 さすがに高原の日射しは強く、練習場の体 育館の外は暑いが、中も風が通らずもっと暑 い。雨傘をさして日傘がわりにし、景色をな がめる。周囲はみな水田である。おそらくす べてコシヒカリであろう。足元には清冽な水 が音をたてて流れている。手を入れると冷た い。顔を洗ってみた。なんともいえず、清々 しい。思わず口に含む。一口二口手で掬い飲 む。美味い。

そこへ学生が来て、 「先生、その水飲んだの ですか」 。 「うん、おいしいよ」 。 「えー! そ れってドブですよ」 。なるほどよく見れば、こ れは道路の両側にある側溝である。道路は水 田の中を通っているもののアスファルトで舗 装されている。この側溝もコンクリートのU 字溝である。形態からいえばまぎれもない下 水溝。「うーん」 と言ったあとの言葉が出ない。 「大丈夫ですか。 正露丸ありますよ」 、「いや、 大丈夫だ。だって、この先ずーっと山のとこ ろまで人家なんかないし、田んぼだけじゃな いか。これはあの山の湧き水だよ」 。そう言い ながら、自分を納得させた。言った手前、薬 をくれとも言えない。 学生がポツポツ集まってきた。「先生がドブ 川飲んじゃったんだけど、 大丈夫かしら」 。「え ー!」 。今の学生は語彙が乏しい。なにかとい うと、 「えー!」である。中に一人、 「先生、 大丈夫です。この先に家はないから下水では

山田利明

やまだ としあき

東洋大学教授

(専門は中国哲学)

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うに西欧社会が某国を援助しても、某国自身 が正確な経済活動の計測ができるよう制度設 計をし直さなければ、経済再生は難しいので はないか。翻って日本は、比較的信頼性の高 い経済活動の統計が得られており、政府自身 は、その実態をかなり精度よく把握している とのことである。この点、某国に負けず借金 まみれの政府であるが、実態把握を正確に行 う能力があることは、少なくともその制御を 不可能にするものではなく、某国と同じ道を たどる可能性は少ないものと信じたい。 先日、国民一人一人に背番号をつけ、個人 から法人に至るまですべての経済活動を国が より精度よく計測できるようにしたとのこと である。ミクロな個人のプライバシーは脅か される機会が増えるが、マクロには日本の社 会や経済活動の実態がより精度よく把握され、 より実効性の高い経済政策の実施により、国 民福祉の向上に繋がるものと期待したい。 ところで、計測の難しい分野の一つが、個 人個人ミクロな人の気持ちの計測である。ニ ュースなどで、発達障害の症状の一つとして 人の気持ちが読めず、苦しむ人々の実態が報

告されている。極端な話であるが、某大学教 員の六割は、発達障害の傾向を持つ、人の気 持ちを読めない症状を持つ人も多いという。 こうした障害を持つ人々は、人の気持ちが読 めない故に、 コミュニケーションが障害され、 それゆえ社会的な活動が障害される可能性が あるという。最近はこのような実態が認識さ れ、大学でもこうした障害を持つ学生に対し て、一定の配慮をするようになったことは喜 ばしい限りである。 筆者も何せ六割の教員が、発達障害で人の 気持ちを十分に読み取れない可能性がある集 団の一員というので、そうした障害を多少と も持っている可能性がある。筆者の場合、最 も親しい他人である良人の気持ちを正確に読 み取る難しさを実感している。女心と秋の空 と昔から例えられているが、良人の心の動き が、いまだもって正確に計測できていない。 良人には、筆者の気持ちは手に取るように分 かるとのことである。この読み取り精度の非 対称性は、家庭の中の力関係の非対称につな がり、 何とか打破したいが、 その実現は遠い。

連載 エッセイ

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品に生かされていることは疑いない。精密機 器の製造は精密な測定が可能になって、初め て実現される。精密測定が可能とする精密な 製造技術により、評判の高い精密機器が作ら れる。工学教育には、精密な測定技術を習得 させることが必須であり、精密な測定を行う 技術の習得が、精密なモノづくりに繋がり、 合理的で最適化された製品や頑丈で美しい土 木構造物、 建築物をつくる基礎になっている。 この測定ができないものは制御ができず、 制御できないものは、合理的で最適化された 活動ができないということは、何も工学に限 ったことではない。経済活動などに関する社 会的統計の正確さ、信頼性の高さは、合理的 な社会運営を行うための必須の条件である。 ここ数年、南欧の某国の経済破たんのニュー スが世界を騒がせたが、某国の経済活動の実 態把握は、政府自身ができておらず、経済活 動の半分は、闇の中で行われており、実態把 握も制御もできていなかったと聞く。どのよ

計測されないものは制御できない 工学分野に身を連ねる者として、工学にお ける二つの原則について述べておきたい。原 則その1、 計測されないものは制御できない。 原則その2、制御できないものは、最適化で きない。二つの原則は、別に工学に限ったも のではなく、人の活動にかかわるすべての事 象に通じるが、工学では特に重要である。こ の二つの原則が公理であることは、社会的な 合意と思われるが、正面切って、この公理が きちんと教育されているか否か、疑問の国は 多い。 日本のモノづくりは、世界的に一定の評価 を得ている。この評価は、様々な要因による もので、一朝一夕で得られたものではない。 日本の職人のこだわりや、伝統技術の賜物と もいわれているが、モノづくりに上記二つの 原則が働いていることは、疑いない。精度の 高い精密機器は無論のこと、美術工芸品の扱 いを受ける伝統的な刀剣づくりさえも、かか わる職人の鋭敏な感覚による計測精度が、作

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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教えてくれました。話が横道にそれますが、 二人とも動物の鳴き声が上手で、講演の最初 に必ずといっていいほどやってみせます。要 するに動物と話ができるということです。 人と動物の関係を考えていくと、ほかの動 物を食べていいのかという問題に突き当たり ます。こうでなければいけないという結論は 出せないと思っています。単純な論理で性急 に結論を出して、それで自然界に介入すると 間違いがおこってしまいます。 かつてアフリカで多数のハイエナが殺され ました。ハイエナはいかにも顔つきが悪く、 狩りの仕方も卑怯であるように見えることか ら、草食動物を保護するために積極的に駆除 されたのです。その結果、生態系ががたがた になってしまいました。河合さんはアメリカ のカイバブ高原のシカの事例を紹介していま す。ハンティングの対象となるシカを一定数 確保しようと、捕食者を取り除くことが実施 され、一九〇七年から三二年間で、ピューマ 八一六頭、コヨーテ七三八五頭が殺され、オ オカミはすでに一一頭に減少していたのが絶

滅させられました。シカは四〇〇〇頭だった のが二〇年後には一〇万頭に増えたのですが、 それから二年間で六〇%が餓死して四万頭に 減り、さらに一万頭以下になって、一九三九 年に捕食者をとるのはやめになりました。 いまのわれわれは賢治の時代よりももっと 悩まなければいけないのではないかという気 がします。例えばニワトリは巨大な鶏舎で身 動きできないようなバタリーケージで飼われ、 ひとたび鳥インフルエンザがはやれば何万羽 も殺処分されます。海洋ではマグロやウナギ の絶滅が危惧されています。私はかつて一九 七五年から五年間、奄美大島にいて、夜にハ ブが人家の近くに出るかどうかを観察したの ですが、水田のあたりからはバシャバシャと いう音がさかんに聞こえていました。ウナギ です。ウナギは意外と獰猛でハブを水に引き ずり込むこともあります。当時は自然のバラ ンスがまだうまくできていたのでしょう。 この機会に『ビジテリアン大祭』をよく読 んで、ほかの動物を食べることの意味を考え 直してみたいと思っています。

連載 エッセイ

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宮沢賢治とベジタリアン 霊長類研究の世界的権威である河合雅雄さ んは、 宮沢賢治の童話について考察した本 『宮 沢賢治の心を読む』 (童話屋)を草山万兎のペ ンネームで書いています。七月にその三冊目 が出版されましたので早速読んでみました。 今度の本で河合さんは、賢治の作品として はあまり知られていない 『ビジテリアン大祭』 を取り上げています。 「ビジテリアン」はベジ タリアンのことです。賢治自身は一九一九年 にベジタリアンになり、五年間ほど続けてい ます。食べるためであっても生き物を殺して いいのか賢治は悩み、自問自答しながらこの 作品を書いたのです。賢治によるとベジテリ アンには同情派と予防派があります。同情派 は動物がかわいそうだというもの、予防派は 動物ばかり食べすぎると病気になりやすいと いうものです。ベジタリアンの実行の仕方に は三つあるといいます。第一は動物質のもの はすべて食べてはいけないというもの、第二 はチーズやバターの加工品、あるいはミルク

や卵は動物の命をとってはいないのでいいと いうもの、第三は食べはするけれどなるべく 少なく節度をもって食べるというものです。 私は「人と動物の関係学会」を一九九五年 に立ち上げたときに二人の外国人に名誉会員 になっていただいたのですが、二人ともベジ タリアンでした。一人はチンパンジーの研究 で知られるジェーン・グドールで、比較的穏 やかな第二のベジタリアンです。もう一人は 犬科動物の研究で知られるマイケル・W・フ ォックスで、彼は厳格な第一のベジタリアン です。フォックスが日本にこられたときに講 演前の控室で一緒にサンドイッチを食べてい て、ベジタリアンであることは知っていまし たので野菜だけのものを中心に用意してあっ たのですが、卵がはさんであるのに気づいて 彼は「ううっ」と吐き出しました。二人とも、 自分の主義を人に押し付けることはしません。 フォックスも私がアメリカに行ったときには 「あのステーキハウスはすごくうまい」とか

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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図 1 陰暦七月のお参り(中元普渡).陰間 から来た「好兄弟」たちへもてなし(施餓鬼) をする.

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残る家族の間で、お馴染みの会話がな される。 「まぁ、あんたちょっと、もっ て帰りなさいよ」「いらない、 いらない、 食べきれないからさ」 「いいから、いい から」 、もう一個、もう一個と袋の中へ 詰め込まれて、苦笑いしながら荷物を かかえて人々は村を離れていく。 拝拝でもてなしを受ける対象の「好

図 2 お供えの準備中.タオルは水に浸して「好兄弟」へ供える.


る「鬼」 (グイ)は、非業の死をとげた 者、あるいは子孫が絶えて先祖の祭祀 が行われない者たちとされる。人々は 彼らを 「鬼」 と直によぶのをはばかり、 同時にいささかの親しみをこめて「好 兄弟」とよぶ。

忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑰

冥土の門は夏ひらく まえの せいたろう

前野清太朗 東京大学農学生命科学研究科博士課程 (専門は農村社会学)

台湾の夏は「好兄弟」 (ハオシオンテ ィ) たちを迎える季節である。 いわく、 毎年陰暦七月は地獄の門が開く月とい う。その月いっぱい、あの世の陰間(い んかん)の亡者が、この世の陽間 (ようか ん)をさまよい歩くのだ。彼ら亡者た

陰暦七月一日から三十日の間の適切 な日に、肉・ちまき・酒・蒸し餅など 各種の供え物が庭先の机に並べられる。 家人そろって(ないし村の各世帯が廟 にそろって)線香をあげ、その線香と 小旗を供え物に立てて「好兄弟」用の お供えとする。お参りが終わると、ど っさりと紙銭(ズーチエン)を焼く。 紙銭は陰間で通用するお金である。食 事と心付けのおもてなしで「好兄弟」 たちに安穏なお引き取りと災厄からの 庇護を願うのだ。 陰暦七月のお参りを含め、日々いろ いろの儀式でありお祈りでありお供え を、台湾では拝拝(パイパイ)とよん でいる。年に数度の季節の祝日は拝拝 とともにあって、都市から村へ人々が 帰ってくる。毎度の拝拝で神仏・祖先 や「好兄弟」に捧げられた大量の供物 は、陽間の生者たちでいただく習わし である。拝拝の終わる連休の最後の日 ともなると、帰省してきた家族と村に

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図 4 演武用の旗を振って大人の演武の真似をする.

通じて「有縁份」の人々と新しい縁を つくっていく。反面、縁は多く抱えす ぎると厄介なものでもある。縁を深め ることは相手と相互のやりとりを始め ることを意味する。お世話になること は、将来的にお世話をするかもしれな いことなのだ。筆者は異国からの訪問 者で(かつ学生で)あるから、負うべ き義務は比較的軽い。それでも村の知 人やそのまた知人が日本に来ることが あれば、ガイドなり買い物の手伝なり はするべきものだ。お願いされて、お 世話になっている家の息子が一ヶ月ば かり狭い東京のワンルームへ居候して いたこともあった。 「お前、台湾でこん ないっぱい友人がいて、そいつらが一 〇〇人、二〇〇人、揃って日本に来た らどうするのさ。なんだったら今度東 京 へ 遊 覧バ スで 乗 り付けて や ろ う か?」とは、筆者にそんなキャパシテ ィがないことを知っての上での冗談で、 周りも「そんな真面目に受け取るもん

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兄弟」たちに名前はない。彼らは縁あ る人々がこの世にいなくなってしまっ た亡者だからである。この縁(ユアン) という言葉、それから「有縁份」 (ヨウ ユアンフェン)という言葉は、台湾を

歩き、人々を訪ねるとよく耳にする言 葉だ。 「有縁份だからね」といえば、 「袖 触れ合うも他生の縁」くらいの、ちょ っと気の利いた挨拶になる。 ただし 「有 縁份」であることはあくまでキッカケ

図 3 紙銭を焼く準備中.規模の大きいお参りではキロ単位で買ってくる.

で、 継続的な交流を積み重ねる中で 「有 縁份」が意味を持つ縁になっていく。 村であれ都市であれ、縁なしのアポと りや訪問はあまりうまくいかない。け んもほろろに追い返されることは、正 直少なくない。これが日を変えて縁の ある紹介人とともに行ってみると、打 って変わって手厚く迎えてくれる結果 になったりする。もちろん縁をたどっ て訪問するからには、その人と縁の深 い人々と優先的につながることは避け られない。ある人に対しては直接親身 に紹介してくれるけれども、別の人に 対しては連絡先なり大体の住所を教え てくれる程度であったりする。縁をた どればスムーズに人探しができるけれ ど、キーパーソンを尋ねるには時に深 い縁の輪の中から抜けだすことも必要 になる。 人々にとって縁は便利なものだ。縁 ある人を介して地区の問題を陳情した り、会社設立の人員を集めたり、縁を

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図 6 集落の人々とともにご神体が参詣から戻り、集落の中を神輿でめぐる.

く、集落に残る親族が多いからこそで きる珍しいケースである。それでも陰 暦七月のお参りに参加する三十世帯中、 三分の一はもう集落内に常住していな い。拝拝の折に故郷へ帰ってきて、廟 でのお参りに参加して戻っていく。も う少し規模の大きい隣の集落では、村 の世帯全てがそろうのも難しい。基本 的には個々の家で「好兄弟」へお参り するに留め、村の廟では小規模な儀式 があるに留まる。集落の外へ出た人々 が次第に第二世代・第三世代の子孫世 代へ移るにつれて、都市と村の繋がり は、固い縁から「有縁份」へ移行しつ つある。 「好兄弟」はいつまでも匿名の存在 で、人々と固まった縁をつくることが ない。しかし、もてなす人々がある限 り、毎年「好兄弟」はやってくるだろ う。生きる人々が縁でつながるからこ そ、縁の切れた「好兄弟」たちを迎え ることができるのである。

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じゃないよ」 と言ってくれる。 しかし、 もしも十分なキャパシティを備えてい れば、それらは引き受けなくてはなら ない。実際、村長はじめ地方のリーダ ーに担がれるのは、多くの縁と縁から

生じる厄介を厭わない人間である。も しリーダーが縁を通して生じる様々な 頼み事を処理しきれなければ、不満の 的になる。問題処理に熱心でない、と いうのは往々村長や議員の交代理由に

図 5 集落の外の廟へご神体とともに参詣.早朝に出発して到着後の一休止. 中央が筆者.

挙げられる。 「好兄弟」と人々の間のかかわりに も似通った関係がある。他所からやっ てくる不特定多数の「好兄弟」へお供 えするため、かつては灯籠つきの旗竿 を目印とした。この旗竿は低すぎても 高すぎてもいけない。低すぎては目印 とならないから「好兄弟」へ十分な施 しができない。逆に高すぎれば「好兄 弟」を必要以上に招いて厄介を抱える 可能性が出る。災厄を避けるため、 「好 兄弟」と仲良い関わりをもつ必要があ るが、必要な以上に縁を深めてもまた いけないと人々はいう。 かつて廟で拝拝をするとき、竹籠に 自家製のちまき・蒸し餅をぶら下げて、 村の人々が三々五々に集まってお供え をするのが常だった。こうした光景は 現在農村といえどなかなかお目にかか ることができない。筆者が訪問してい る集落では、まだ比較的古いお供えの 手法が残っている。これは集落が小さ

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絶妙なバランスで立 っているペンスタン ドとエンピツ、そして その先にとまってい るトンボ。 重心をとらえると、お どろきの安定感。マジ ックのようです。

0歳からの こども サステナ にまなぶ

2015 秋の号

さまざまに使われている、つりあいとテコ

の性質 。さて、左のうち、テコの原理を利

文・構成 平松 あい)

用していないのはどれでしょう。

(こどもサステナ


重心をとらえる 実りの秋、どんぐり拾いの季節にな った。子ど

こだ!と思うところがぴったり重心と合う。重心

をとらえるとバランスがとれることは、シーソー

などの遊びを通して、子どもでもなんとなく感覚 的にわかっているようだ。

物体のみならず、人間の内面や物事の中心・中

も が ど ん ど ん 拾 って く る の は い いの だ け ど 、 そ れ ど う す る の ? と い う こ と も 多 い 。ど ん ぐ り と い え

核という意味で「重心」という言葉が使われるこ

という人間はあまり格好よろしくない。人間の内

ば 、 コ マ 作 り や 、 や じろ べ え な ど の 工 作 が な じ み やじろべえといえば、「重心」とバランス。「重

的な重心は、心に形がないゆえに?最初からは決

ともある。あっちへゆらゆら、こっちへふらふら、

心」は、簡単にいうと、物の重さの中心。 ( 正確に

まっておらず、自分が決めるものらしい。どんな

深い遊び。

説明しようとすると難しい。)重心を支えると全体

子どもたちとやじろべえを作ったはいいが、で

世界でもバランスが大事。しかしどこに重心があ

い ろ ん な 物 に つ いて 、 ど こ が 全 体 の 重 さ を う ま

きあがってみると、やじろべえになっておらず、

を 支 え る こ と が で き て 安 定 す る 。ち な み に 、 成 人

を調べると、重心を見つける

るか、いや、どこに重心を置いておくか、大事な

く支えられる点か

ただの飾り工作になったものも多かった。最近の

し た 人 間 の 身 体 の 重 心は 、 骨 盤 あ た り に あ る ら し

こ と が で きる 。 実 際 に 科 学 的 な 方法で 正 確 な重 心

子どもたちは、あまりやじろべえを知らないよう

問題である。

を 見 つ け 出す こ と が で き る が ( こ れ ま た 説 明す る

い(立っている場合)。

と難しい)、人間の感覚は確かで、子どもでも、こ

・ ・ ・

・ ・ ・ 。


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