サステナ第39号

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総合司会 本日はご参加いただきま してまことにありがとうございます。 本日司会を務めさせていただきます青 木えり(東京大学国際高等研究所サス テイナビリティ学連携研究機構)と申 します。どうぞよろしくお願いいたし ます。 ただいまより国際集会公開シンポジ ウム「フューチャー・アース――新た な国際プラットフォームで社会と科学 をつなぐ」 を開始いたします。 初めに、 主催者を代表して仲上健一より開会の ご挨拶を申し上げます。 ■開会挨拶1

仲上健一 なかがみ けんいち

能な開発ソリューション・ネットワー ク・ジャパン、後援団体として日本学 術会議、国立研究開発法人国立環境研 究所、公益財団法人地球環境戦略研究 機関、大学共同利用機関法人総合地球 環境学研究所のもとで行われます。共 催および後援ありがとうございます。 本シンポジウムは次の五点を目的と しています。第一点は、サステイナビ リティ学とフューチャー・アースとの 連携による科学成果の社会実装に向け た産業界、官界、学界の国際的な政策 対話の促進です。第二点は、サステイ ナビリティ学が行ってきた超学際的、

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム理事長 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構客員教授

おはようございます。本日は、この 国際集会公開シンポジウムにご参加い ただきまことにありがとうございます。 本シンポジウムは、国立研究開発法 人科学技術振興機構の「平成二七年度 科学技術外交の展開に資する国際政策 対話の促進の支援」を受けた事業でご ざいます。共催団体として東京大学国 際高等研究所サステイナビリティ学連 携研究機構、フューチャー・アース、 国際連合大学サステイナビリティ高等 研究所、東京大学新領域創生科学研究 科サステイナビリティ学グローバルリ ーダー養成大学院プログラム、持続可

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国際集会公開シンポジウム

フューチャー・アース 新たな国際プラットフォームで社会と科学をつなぐ サステイナビリティ学は,2005 年に日本で設立されたネットワーク型研究 拠点により創立された学術体系で,日本が世界をリードしています。一方, フューチャー・アース(Future Earth)は,社会のための科学(Science for Society)を推進する新たな国際研究プラットフォームとして,世界で大き な期待が寄せられています。 この国際集会公開シンポジウムでは,国際的な産学連携を軸に,フューチャ ー・アースの中心人物である学者や産業界の指導者を招聘して多面的な議論 をするとともに,参加した市民をまじえた双方向対話も行いました。サステ イナビリティ学の国際展開と産官学連携による科学技術イノベーション,お よび研究成果の社会実装へ向けた取組みを促進して,持続可能な社会づくり への国際貢献を進めていくための基本となるような考え方がさまざまに提 起され,フューチャー・アースはこのシンポジウムをもってさらに一歩前進 することができました。 ●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC) ●共催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) , Future Earth, 国際連合大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS) , 東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナビリティ学グローバルリー ダー養成プログラム(GPSS-GLI) , 持続可能な開発ソリューション・ネットワーク・ジャパン(SDSN Japan) ●後援:日本学術会議, 国立研究開発法人国立環境研究所(NIES) , 公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES) , 大学共同利用機関法人総合地球環境学研究所(RIHN) ●日時:2015 年 11 月 21 日(土)9:30~16:00 ●会場:東京大学本郷キャンパス安田講堂 2


研究成果の発表のための研究集会や、 普及啓発のための公開シンポジウム・ 公開講演会・国際シンポジウム・国際 集会の開催があり、今回の国際シンポ ジウムはSSCとして重要な位置付け をもっています。今回の国際シンポジ ウムでは、基調講演・パネルディスカ ッションを踏まえて、双方向対話とい う画期的な試みを行いますので、ぜひ とも皆さまの積極的なご参加をお願い いたします。 SSCはこの五年間の活動実績を踏 まえ、持続可能性に関する研究開発促 進、教育普及啓発などの活動を行うに あたり、国内外の学術界・経済産業界・ 行政機関・市民・NPOやNGOなど と積極的に交流し、持続可能性の対象 命題解決のためによりいっそう具体的 な実践活動を展開・促進してまいりた いと考えています。何とぞご指導・ご 支援のほどよろしくお願いいたします。

司会 ありがとうございました。 続きまして、日本学術会議会長、豊 橋技術科学大学学長、大西隆会長より ■開会挨拶2

大西 隆 おおにし たかし

日本学術会議会長 豊橋技術科学大学学長

ご参会の皆さま、ご来賓の皆さま、 本日は国際集会公開シンポジウムにご 参加くださいましてありがとうござい ます。今日は日本語で挨拶するように いわれてきたのですが、英語でスピー チすることをお許しください。 この一週間は「フューチャー・アー ス・ウィーク」ということで、先週の 金曜日を皮切りにフューチャー・アー スに関するさまざまな会議・シンポジ ウムが開かれました。明日の評議会を

ご挨拶を賜ります。大西会長、よろし くお願いいたします。

もってフューチャー・アースの一週間 が終了します。このように日本でフュ ーチャー・アースに関する集中的な議 論ができることを非常にうれしく思っ ています。しかし、主要関係者の方々 はずっと会合に参加されて、せっかく の美しい秋のシーズンの日本を楽しむ ことができない状況にあるのではない かと思います。 私は日本学術会議の会長であるとと もにフューチャー・アースのコンソー

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問題解決型、ステークホルダー参加型 のアプローチが、フューチャー・アー スが目指す学術分野融合型の研究推進 と高い親和性があることから、サステ イナビリティ学によってフューチャ ー・アースの理念をさらに推進をする ということです。第三点は、サステイ ナビリティ学とフューチャー・アース の連携により、科学成果の社会実装が 加速的に促進・推進され、持続可能な

)の国際的な目標の 開発目標( SDGs 早期達成に貢献することです。第四点 は、サステイナビリティ・サイエンス・ コンソーシアム(SSC)の活動に基 づく、学界、官界、産業界の連携を強 化することです。最後に第五点は、S SCの国内における産業界、官界、学 界の連携活動を最大限生かして、五カ 国から構成されるフューチャー・アー ス国際事務局の一翼を担う東京大学サ ステイナビリティ学連携研究機構と連 携しつつ、政策対話の国際展開を図る ということです。 以上のシンポジウムの目的を達成す るために、国内外の著名な方々に基調 講演、パネルディスカッション、双方 向対話にご参加いただきまして改めて お礼申し上げます。 持続可能な社会の実現は、二一世紀 の地球環境と人類社会の存続に関わる 重要な課題です。この課題に敢然と挑 戦しようとする俯瞰的で超学際的な学

術体系がサステイナビリティ学です。 サステイナビリティ学連携研究機構 (IR3S)は、二〇〇五年度から二 〇〇九年度までの五年間、科学技術振 興調整費戦略的研究拠点育成プログラ ムにより、この分野をリードする日本 の大学・研究機関からなる強固なネッ トワークを形成して、地球・社会・人 間の各システムとそれらシステム相互 間に破綻をもたらしつつある現象の解 明と問題の解決を目指して活動を行っ てまいりました IR3Sのプログラム育成期間終了 に伴い、それまでの研究教育・普及啓 発活動をさらに発展させるとともに、 政府・自治体・企業・NPO等の連携 を強化し、技術革新と社会変革に向け た実践活動の展開を図るために、一般 社団法人サステイナビリティ・サイエ ンス・コンソーシアム(SSC)が二 〇一〇年五月一九日に設立されました。 このSSCの主たる活動内容として、

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日本におけるフューチャー・アース の活動として、このようなエネルギー の問題を重要なテーマの一つとして取 り上げるべきであると考えています。 そして、防災・減災の政策も検討する 必要があります。原発事故という人災 を引き起こしたのはもともと自然災害 だからです。 フューチャー・アースはトランスデ ィシプリナリーであるだけではなくて、 防災・減災のようなことに関しては、 インターディシプリナリーな研究をす べきであると考えています。ある研究 分野を深めると同時に、さまざまな研 究分野にまたがるかたちで、さらに社 会とも連動した共同研究のプログラム を推進していくべきなのです。 国際的には、フューチャー・アース は地球規模の環境研究に関するさまざ まなプログラムを再編していくことに なります。現在までにIHDP(地球 環境変化の人間的側面に関する国際研 究計画) 、IGBP(地球圏・生物圏国 際共同研究計画) 、 DIVERSITA S (生物多様性科学国際共同研究計画) などにおいてたくさんのプログラムが 進められてきています。研究者、研究 組織をここで再編して、フューチャ ー・アースの新たな活動に備えること が重要だと思います。再編に当たって は、ICSU(国際科学会議) 、ISS C(国際社会科学協議会) 、そして国連 の関連組織などのリーダーシップを期 待するものです。フューチャー・アー スの評議会が日曜日と月曜日に開かれ ますが、そのときにぜひ取り上げてい ただきたいと思っています。 本日は、実りの多い議論を期待して 私のご挨拶とさせていただきます。

司会 ありがとうございました。 それでは、ただいまより基調講演を 開始させていただきます。初めに、国 際連合大学上級副学長、東京大学国際

高等研究所サステイナビリティ学連携 研究機構機構長・教授、武内和彦先生 にご講演をいただきます。武内先生、 よろしくお願いいたします。

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シアムの代表でもあります。 フューチャー・アースにとって非常 にうれしいお知らせがあります。日本 の新しい科学技術基本計画の五カ年計 画が二〇一六年四月から始まるのです が、そのドラフトがいま最終段階にあ って、そのなかにフューチャー・アー スが含まれることになりました。この 五カ年計画では、フューチャー・アー スが示しているように、研究開発はさ まざまなステークホルダー(利害関係

者)が協働して行うことが重要である とうたわれています。そして、地球規 模の環境の問題に関して科学的な研究 を行う場合などには、トランスディシ プリナリーな研究が非常に重要で、そ れを推進していかなければいけないと いうこともうたわれています。その意 味で、複数のステークホルダーが持続 可能性の科学の観点からどのように関 係していくのかを議論する本日のこの シンポジウムは非常に重要なものであ ると考えています。このような議論が ここでできることを非常にうれしく思 います。 日本学術会議とフューチャー・アー スの関わりは三年以上前に始まりまし た。日本学術会議のなかにフューチャ ー・アースの推進に関する委員会が設 けられ、日本内外の関係者と協力して 活動を進めてきました。国際レベルで のフューチャー・アースの科学委員会、 関与委員会、評議会に日本からメンバ

ーを送り出し、さらに重要ことに、フ ューチャー・アースの国際事務局が日 本にも置かれることになりました。今 回のフューチャー・アース・ウィーク によって日本における活動がさらに促 進されることを願っているところです。 日本では、地球規模の環境問題の重 要性はかなりよく認識されていると思 います。とくに関心の高いのがエネル ギーの問題です。日本国民は、化石燃 料の消費を削減することにもちろん強 い関心をもっていますが、東日本大震 災による津波と福島第一原子力発電所 の事故によって状況が一変しました。 原発が止まり、化石燃料を使った火力 発電に大きく依存せざるをえなくなり ました。日本学術会議は、風力、太陽 光、バイオマスといった再生可能エネ ルギーをさらに推進して化石燃料の使 用を減らすべきである、そして原発の 比率も減らすべきであると推奨してい ますが、 現状は難しい状況にあります。

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図①

た。持続可能な開発とは、現世代が次 世代の利益を損なわない範囲で開発す るというものです。開発そのものが悪 いのではなく、これまでの開発のやり 方が悪かったということです。もし開 発が持続可能性につながれば、それは 人類社会にとって望ましい方向だとい う考え方がとりまとめられたのです。 一九九二年に、ブラジルのリオデジ ャネイロでいわゆる「地球サミット」 が開催されました。その正式な名称は 「環境と開発に関する国連会議」で、 ここでも「開発」が謳われています。 それから二〇年後の二〇一二年に、同 じくリオデジャネイロで 「リオ+20」 が開催され、 「我々が望む未来」と題す る文書が採択されました。持続可能な

)を世界全体でつく 開発目標( SDGs っていくことが決議されたのです。そ して二〇一五年九月に、ニューヨーク の国連総会において持続可能な開発の ための二〇三〇アジェンダ(持続可能

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■基調講演1

サステイナビリティ学が展望する 持続可能な未来 たけうち かずひこ

武内和彦

持続可能な開発という言葉について 簡単に歴史を振り返ります(図①) 。持 続可能な開発の議論は一九七二年に始 まりました。ストックホルムで開催さ れた国連人間環境会議で、先進国は、

持続可能な開発と レジリエントな社会づくり

たいと思います。

国際連合大学上級副学長 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構機構長・教授

私は、本日の共催団体である東京大 学国際高等研究所サステイナビリティ 学連携研究機構(IR3S)の機構長 も務めていますので、最初に、ご参加 いただいた皆さまに感謝したいと思い ます。 今日は、私たちが推進しているサス テイナビリティ学とフューチャー・ア ースの関係について、私自身が現在行 っている具体的な事例を含めてお話し

開発よりも環境保全を重視しようと主 張しました。それに対して、開発途上 国は、それは先進国の身勝手だと強く 反発しました。先進国はすでに開発を 進め環境を破壊してきて、これからは 保全だというが、私たち途上国にはこ れから社会を発展させるために開発を 進める権利があると主張して、大きく 対立しました。 そうした議論を経て、一九八七年に 国連のブルントラント委員会で「持続 可能な開発」の概念がまとめられまし

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な開発目標)が定められました。 持続可能な開発目標は、国連として はこれまで例を見ないほど、さまざま なステークホルダーの参加によって討 議が行われ、一七の目標(ゴール)が 定められました (図②) 。 この目標には、 貧困をなくす、飢えから人々を救うと いった、主として開発途上国の問題を 対象にしたものから、健康、教育、ジ ェンダーといった、世界のどの国にも 共通する問題や、気候変動、水、持続 可能な生産と消費といった地球環境の 保全に関わる重要な問題も含まれてい ます。さらには、国連の大きな課題で ある平和と正義も掲げられており、そ うした取り組みに人々がいかに参加し ていくかということも目標となってい ます。これらを達成していくための数 値目標を二〇一六年三月までに議論す ることになっています。 しかし、 残念ながら日本の社会では、 持続可能な開発目標はまだ十分には認

知されていません。 その一つの理由は、 このような議論はこれまで主として途 上国を対象にしてきたために、日本を 含む先進国は、自らの課題であると考 える姿勢に乏しいということです。私 たちは、今日のシンポジウムのような 機会を捉えて、持続可能な開発目標の 重要性について、皆さんに訴えている ところです。 持続可能な開発目標には一七の目標 (ゴール) 、そして一六九の個別目標 (ターゲット)があります。あまりに も数が多いという批判もあり、それら 体系化するための議論が進められてい ます(図③) 。その際に、膨大な知識を 統合化することを目指すサステイナビ リティ学の役割があるのではないかと、 私たちは考えています。 また、持続可能な開発目標の達成に は、持続可能な社会を構築していくと 同時に、さまざまな外的要因をうまく 吸収できるようなレジリエントな社会

づくりも重要であると考えています。 レジリエンスとは、変化に対してしな やかで強靱であり、場合によっては新 たな状況に適応するように変革を遂げ ることができる能力を意味します。私 たちは、持続可能性(サステイナビリ ティ)とレジリエンスの二つの重要な 概念は、お互いに補完的な関係にある と考えています(図④) 。 私たちが最終的に目指すのは、持続 可能な未来です。その未来に到達する 過程では、さまざまな外的要因が加わ ることでしょう。 自然災害、 気候変動、 経済変動、社会状況の変化などがあっ たときでも、そうしたショックを吸収 しながら、持続可能な未来へと到達で きるようにすることが、レジリエンス の意味だと考えています。レジリエン スを高めながら、持続可能な社会の構 築を目指していくことが重要なのです。 とくに日本では、東日本大震災から の復興過程で、いかにレジリエントな

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図②

図③ 10


社会をつくっていくかが重要な課題と なっています。また、長期的には、気 候変動の激化が懸念され、すでに異常 気象も多発しています。こうした長期 的な変動に対して社会が適応できるよ うにしていくことも、レジリエントな 社会のあり方です。 二〇一五年三月に仙台で開催された 国連防災世界会議で、短期的、長期的 自然災害に対して、工学的な対策のみ では限界があるのではないかといわれ るようになっています。むしろ、生態 系がもつ回復力をうまく使いながら、 レジリエントな社会を構築していくこ とが重要だという認識が深まっていま す。日本では、自然災害が多発する一 方で、人口減少・超高齢化が進行して います。そのことも踏まえて、いかに レジリエントな社会を構築するのかを 考えていく必要があります。 沿岸部の湿地を再生することで、自 然災害をしなやかに受けとめられるレ

ジリエントな社会づくりをした例が、 アメリカ合衆国にあります(図⑤) 。私 たちは、二〇一五年三月に仙台で開催 された国連防災世界会議で、このよう な生態系を活用した防災・減災を、震 災復興においても積極的に進めていく べきだと主張しました。

持続可能な自然共生社会 レジリエントな社会づくりには、自 然共生社会を目指すことが重要になる と考えています(図⑥) 。人と自然がお 互いによい関係を維持しながら、持続 可能な社会を目指すという考え方です。 その典型例が、 「里山・里海」と呼ば れる日本の伝統的な土地利用の仕組み です。現在では、残念ながら人と自然 の関係はうまく機能していません。伝 統的な土地利用がうまくいっていない という問題は、世界各地でも見られま す。日本の場合は、土地利用の粗放化

が生態系を維持するうえで大きな問題 になっています。人間が利用を放棄す ることが自然の荒廃をもたらしている のです。 一方で、 開発途上国を中心に、 人間による過度な利用が生態系を乱し ている状況も見られます。この二つは 一見すると全く逆の方向に見えますが、 人と自然のバランスが取れなくなって いるという意味では、共通した課題と して捉えられると思います。こうした 考え方にもとづき、二〇一〇年の生物 多様性条約第一〇回締約国会議(CO P10)を契機に、SATOYAMA イニシアティブを展開しているのです。 私たちは人と自然の関係を図⑦のよ うに捉えています。一方に自然中心の 生態システムがあり、他方に人間中心 の社会システムがあります。 かつては、 この二つのシステムは狭い空間のなか で互いに密接な関係をもっていました。 いわゆる自給自足的な生活が営まれて いたのです。ところが、経済が高度に

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図④

図⑤

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図⑧

成長していく過程で、人は村から都市 に出ていき、生態系の恵みである農林 水産物もその多くを外部に依存するよ うになり、二つのシステムは分断され てしまったのです。 そうした状況をふまえて、私たちは これから持続可能な自然共生社会を目 指そうとしています。その際、現代人 はすでに世界に開かれた社会に生きて いることを踏まえると、世界とのネッ トワークは維持しつつ、国内では可能 な限り人と自然の結び付きを強くして、 地域の生態システムを活かした社会づ くりをしていくことが望まれます。 人と自然をうまく結びつけた社会づ くりに、防災的な観点も含めた具体的 な事例として、私自身も直接関与した 「三陸復興国立公園」の創設がありま す(図⑧) 。国立公園に「復興」の名称 を入れたのは、国立公園が震災復興に 貢献するものであってほしいという願 いを込めたためです。震災復興の目処

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図⑥

図⑦

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図⑨

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図⑩


がたった時点で、この国立公園の名称 から「復興」という言葉を取りはずし たいと考えています。 三陸復興国立公園づくりでは、いろ いろな取り組みを行っています。北は 青森県の八戸から南は福島県の松川浦 に至るまで、約七〇〇キロに及ぶ長距 離の「みちのく潮風トレイル」を整備 しています。地域の自然を十分に活用 して人と自然が触れ合う場を構築する 「里山・里海フィールド・ミュージア ム」の整備も進めています。 三陸復興国立公園づくりで問題とな ったのが、巨大防潮堤の問題です。東 北の海岸部では、高さが最大一五メー トルに達する巨大防潮堤が計画されて います。それに対して私たちは、生態 系を活かした防災・減災の立場にたち、 日常的な人と自然とのふれあいと、非 日常的な災害時の防災・減災との共存 をはかることが望ましい方策だと考え、 それを実現すべく具体的な取り組みを

行ってきました。 具体例として、津波被害の大きかっ た気仙沼大島では、巨大防潮堤が計画 されていました。しかし、それは人と 海とを完全に分断してしまうので、地 域の人たち全員が海に生きる者として 巨大防潮堤を作ることに反対し、自然 を活かした環境づくりに合意しました。 そうした合意を踏まえて、私たちは国 立公園の整備のあり方を考えました (図⑨) 。 防潮堤はかつての堤防の高さ にとどめるとともに、 田中浜という 「日 本の浜百選」にも選ばれた風光明媚な 砂浜を維持し、背後の高台につながる 園路を整備しました。園路は、津波の ときには避難路として利用できますし、 日常的には、高台にあるホテルにつな がる遊歩道として活用できます。 私たちは、地域の社会・生態システ ムをできるかぎり維持しながら、防 災・減災にも対応しようと考えたので す。これは、本当に小さな取り組みに

すぎませんが、こうした事例を全国で 増やすことで、日本の社会で大きな流 れになっていくことを期待しています。 もう一つの取り組みとして、世界農 業遺産を紹介します(図⑩) 。世界農業 遺産はローマに本部がある世界食糧農 業機関(FAO)が認証するもので、 地域の自然資源を活用し、伝統的な農 林水産業を活かして、人々の豊かな暮 らしを向上させることを奨励する取り 組みです。環境・経済・社会という三 つの持続可能性を取り込んだ活動を高 く評価しています。最近まで、開発途 上国において、その認証が進められて きましたが、先進国として初めて日本 の二つの地域が認定されました。続い て、日本の三つの地域が認定され、二 〇一五年一二月のローマでの会議で、 さらに三つの地区を認定してもらおう と、いま努めているところです。 最初に認定された地域に佐渡島があ ります(図⑪) 。佐渡では、トキを野生

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図⑫

フューチャー・ アースと サステイナビリティ学

さて、今日の主題であるフューチャ ー・アースとサステイナビリティ学の 関わりについて話したいと思います (図⑫) 。フューチャー・アースは、第 一に、地球環境を統合的に捉える取り 組みです。 従来は地球科学的に捉える、 生態学的に捉える、化学的に捉えると いった取り組みがバラバラに行われて きたのに対して、フューチャー・アー スではそれらの取り組みを統合し、一 緒に捉えていくことで、ダイナミック な地球の理解を進めていきます。第二 に、それは地球規模の持続可能な開発 を目指しています。地球環境問題が深 刻化した今日、持続可能な開発は、開 発途上国にとどまらず、先進国を含む 世界的な課題として捉えていく必要が あります。第三に、それは社会を持続 可能なものへと変革していきます。そ

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図⑪

化する試みが進められています。トキ の生息には、田んぼなどにその餌とな る生き物が生息していることが不可欠 です。しかし、地元の農家にとっては それがただちに利益になるわけではあ りません。そこで当時の高野市長が中 心となって考えたのは、生物多様性を 大事にする農業を高く評価し、そのよ うな配慮で生産された米を市が認証米 として売りだすという戦略でした。こ の事業は功を奏し、従来は米余りで困 っていた佐渡の米が、いまでは高い価 格で販売され不足するまでになってい ます。 このように、生物多様性の保全と地 域経済の振興、さらには人々の福利の 向上は、お互いに共存しうることが示 されたのです。私たちは、こうしたや り方を、今後日本各地、あるいは世界 各地で展開していくべきではないかと 考えています。

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れを進める際のキーワードが、コデザ イン( ) 、コプロダクション co-design )です。社会と一緒に ( co-production なって持続可能な社会をデザインし、 持続可能性につながる大きな成果を生 みだしていくことが期待されています。 地球全体としてさまざまな限界があ ることを統合的に捉える見方が示され ています。それは、地球の限界(プラ ネタリー・バウンダリー)といわれて いるものです(図⑬) 。地球の限界は、 生物多様性、土地利用、気候変動、化 学的な汚染など九つにほぼ集約できる という考え方が示されています、人間 活動の影響がバウンダリー内に収まっ ていれば緑色、バウンダリーを超えて いるかどうかがあやしいのは黄色、す でに超えてしまっているのは赤色で識 別されています。 土壌汚染や生物種の減少はすでにバ ウンダリーを超えてしまっています。 生物多様性の減少は生物史上第六番目

の絶滅期であるといわれています。こ うしたバウンダリーの範囲内で私たち がいかに生活し、開発を進められるの かが問われているのです。 最近、このプラネタリー・バウンダ リーの提唱者の一人であるヨハン・ロ ックスローム教授(ストックホルム・ レジリエンスセンター所長)に安田講 堂にお呼びし、その考え方を説明して もらいました。彼が、プラネタリー・ バウンダリーは、決して危機をあおる ものではなく、私たちがいかにバウン ダリー内で豊かか暮らしを実現できる のかを考えるためのものだということ を強調していたのが大変印象的でした。 私たちは、サステイナビリティ学は 社会との密接な関係のなかで育てられ る学術であると認識しています (図⑭) 。 サステイナビリティ学は、社会に対し て持続可能な社会のデザインをします。 それに対して社会は、私たちの学術を 評価し、そのあるべき姿についてさま

ざまな提言を行います。サステイナビ リティ学は、個別学問を統合するとと もに、さまざまなステークホルダーの 参加を求め、両者が一緒になって持続 可能な社会の構築を目指します。私た ちは、それをサステイナビリティ学と 社会が持続可能な社会に向けて共進化 していく過程と捉えています。共進化 は、まさにフューチャー・アースの理 念に合致するものだと考えています。 多様なステークホルダーの参加によ り社会を持続可能なものへと変革させ ていく試みの一つとして、私自身はい ま、JICA(独立行政法人国際協力 機構) 、JST(国立研究開発法人科学 技術振興機構)との共同事業であるS ATREPSというプロジェクトの一 環で、プロジェクトリーダーを務めて います(図⑮) 。SATREPSは日本 と開発途上国との国際科学技術協力の 強化を目的とした事業です。 私はプロジェクトリーダーとして、

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図⑬

図⑭ 20


アフリカの北部ガーナにおいて、気 候・生態系変動に対してレジリエント な社会を形成していくための地域住民 の能力形成を高めていくための取り組 みを進めています。私たちが一番大事 にしているのは、現地の農村住民との 対話です。彼らの声を聞くことで私た ちの研究の方向を変え、私たちが研究 成果を伝えることで現地の農村社会が 変わっていくという、双方向の対話を 進めています。現地にいくと、討議の 前に儀式がありホロホロ鳥がプレゼン トされます。そして討議ののち、一緒 に食事をして終了します。これは、コ デザイン、コプロダクションの実践例 ではないかと思っています。 私たちは、トランスディシプリナリ ー(超学際的)な研究が、これからの 科学的貢献の大きな鍵になるといって います(図⑯) 。従来の学際研究と超学 際的研究は何が違うのか。 学際研究は、 学問間の壁を低くして融合を遂げるこ

とで複雑な問題に対応できるようにな るというものです。しかし、社会を変 革するにはそれだけでは不十分です。 学際研究を前提とし、学術と社会の間 の壁も低くして、両者の関係をさらに 密にすることが、超学際研究では重要 な観点となります。 社会には、市民、企業、NGO、自 治体、国際機関などさまざまなステー クホルダーがいます。フューチャー・ アースは、そうしたステークホルダー を巻き込んで進めていくべきものです。 その意味で、 フューチャー・アースは、 超学際的研究を目指すサステイナビリ ティ学の精神に非常に合致しています。 今日は、フューチャー・アースとサス テイナビリティ学との関わりについて の議論がより深まることを期待してい ます。

フューチャー・アースは地球の持続

可能性に関わる重要な取り組みです。 持続可能な開発目標は、もっと広く知 ってもらわなければなりません。その ためには、サステイナビリティ学をさ らに展開していく必要があります。残 念ながら私たちの組織は小さいですが、 国際的な連携をさらに強化し、世界の 人たちと一緒になってサステイナビリ ティ学を推進していきたいと考えてい ます。そうした努力の延長線上に持続 可能な未来を描けるようになるのでは ないかと考えています。 皆さま方におかれましては、私たち の取り組みをご理解いただき、また私 たちの取り組みに積極的にご参加いた だきたいとお願いしまして、私の講演 を終わらせていただきます。

司会 ありがとうございました。 続きまして、フューチャー・アース 関与委員会委員、持続可能な発展のた

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図⑮

図⑯ 22


図①

図② 25


めの世界経済人会議前会長、ビヨン・ スティグソン先生にご講演をいただき

■基調講演2

ます。スティグソン先生、よろしくお 願いいたします。

h t r a E e r u t u F e l b a n i a t s u S A e v i t c e p s r e p s s e n i s u B A ビヨン・ スティグソン n o s g i t S n r j B ö

世界の大きなトレンド

フューチャー・アース関与委員会委員 持続可能な発展のための世界経済人会議(WBCSD)前会長

私からはビジネスの観点からフュー チャー・アース、そして持続可能性に ついてお話したいと思います。

私はWBCSDの前会長でありまし たが、WBCSDは世界の二〇〇のト ップ企業(そのうち二〇は日本企業)

の連合体です(図①) 。世界の六〇カ国 とネットワークを結んでいます (図②) 。 日本では経団連とのパートナーシップ があります。 未来の世界の特性を考えますと、成 長、そして持続可能性への移行が挙げ られると思います。その背景にはいく つかの大きなトレンドがあります。一 つが人口増加です(図③) 。二〇五〇年

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図⑤

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このままでは世界が成り立たなくなっ てしまいかねません。したがって持続 可能な社会へと移行していかなければ ならないのです(図⑦) 。そのときに非 常に難しいのはいかに変革していくか

図⑥


までに人口がさらに二〇億人増えると いわれています。とりわけ新興国・途 上国での人口増加が急激で、世界人口 の八五パーセントを占めるようになり

ます。ヨーロッパ、北米、日本、オー ストラリアなどの割合は一五パーセン トになります。新興国・途上国は、い かにして貧困を撲滅し、生活の質を上

図③

げるかということに挑戦しています (図④) 。貧困は所得だけでなく、エネ ルギー、交通、水、その他さまざまな 項目が挙げられます。 もう一つの大きなトレンドは都市化 の進行です(図⑤) 。この図は単純に描 いたものですが、二〇一〇年にはおよ そ三〇億人が都市に住んでいたものが、 二〇五〇年には六〇億人が都市に住む といわれています。新たな都市が主に アジアとアフリカに生まれ、これから の三五年間にこれまでになかったたく さんのインフラが作られることになり ます。 新興国の人口が増え、貧困を克服し て都市化が進むようになりますと、新 興国における経済活動が先進国よりも 加速されます。二〇二五年までには世 界のGPDの六五パーセントが新興国 に存在するようになるでしょう (図⑥) 。 しかし、地球には限界があります。 環境に対するプレッシャーが増加して、 図④

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ーでは、再生可能エネルギーへの中国 の投資額は、世界のその他の国を合わ せた金額よりも大きくなっています。 中国の現在の五カ年計画、そして次の 五カ年計画にもこのような変革が反映

されています。中国ではトップの人間 がこれを推進していて、李克強首相は 「非効率的かつ持続不可能な成長方式 と生活態度に宣戦布告する」と述べて います。 日本は、最もエネルギー効率の高い 国であると私は考えています(図⑩) 。 グリーン競争のための技術基盤もあり、 強力なグローバル企業もあります。た だし問題は人口減少と高齢化です。原 子力発電の停止によって高いコストの 天然ガスの輸入が拡大しているのも問 題です。 インドはこれから先、持続可能な世 界を確立しようとするなかで最も大き な課題となる国です(図⑪) 。インドは 第三位の経済大国で、これからも成長 が続きます。世界の人口の一七パーセ ントを有しながら、現在のエネルギー 使用量は世界の六パーセントです。イ ンドの多くの人が電力を使えない状況 にあります。これから先、貧困に対処 図⑪

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済の規模を拡大して輸出に必要な力を 備えていくのです。 競争の状況は、中国がかなり優勢で す(図⑨) 。変革に対してどの国よりも 多く投資しています。例えばエネルギ 図⑩


のガバナンスです。いま私たちは変革 に向けてイノベーションをどのように 進めていくかで苦戦し、そして、変革 を求められているスピードで実行する 能力面でも苦戦しています。

図⑦

グリーン競走が始まっている 著名な経済学者に聞きますと、変革 に向けて、現在、グリーン競走が始ま っているということです(図⑧) 。どの

図⑧

図⑨

国が資源効率的な技術と解決策の先端 的な提供者になるのかという競走です。 この競走に勝つために何が必要かとい うと、まず国内市場のグリーン経済へ の転換です。それによってグリーン経

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でいます。

グローバル企業が目指す ビジョン二〇五〇 このような各国が抱えている問題は、 グローバルな企業にも当てはまります (図⑭) 。グローバル企業は、これから は資源の輸出がより限られてくること を想定しなければいけません。今のと ころ資源の価格は低いのですがこれか らは高くなっていくでしょう。低公害 にすることには必ずコストが付いて回 ります。グローバルな企業は、資源効 率的な低公害の解決策を提供できなけ れば、長期的には生き残れません。 WBCSDはこのような課題がグロ ーバルな企業にとってどのような意味 をもつのか長年にわたって検討してき ました。二〇〇八年に対話のためのプ ラットフォームが必要だということに なり、さまざまな企業が協力して二年

間にわたって議論をし、その結果とし て「ビジョン二〇五〇」を作り上げま した(図⑮) 。九〇億人が限度とされる 地球で豊かに生活することを前提にし て企業が対応できるようなビジョンを 考えたのです。 「ビジョン二〇五〇」の議論から一 つご紹介します(図⑯) 。ここには成功 するための二つの大きな課題が示され ています。グラフの横軸は国連の指標 による各国の生活水準で、縦軸は資源 の使用量を一人あたりのフットプリン トで示しています。九〇億人が地球環 境の制約のもとで豊かな生活をするた めには、すべての国が右下にこなけれ ばいけません。現在は、八五パーセン トの人口がこのグラフの左側にいます。 赤い矢印は、生活の質が上がると資源 の使用も高まるというこれまでの典型 的な道のりを示しています。もしも新 興国がこの赤い矢印に乗ってしまうと 持続可能性はなくなります。生活の質

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発展とも関係しています。EUのエネ ルギーはロシアからの輸入に依存度を 高めているという問題があります。ド イツはエネルギー転換策を採っていま すがさまざまな意図しない結果を生ん 図⑭


するためにどれほどたくさんのエネル ギーを必要するのでしょうか。二〇四 〇年までの世界のエネルギー消費量の 増加を考えると、増加分の二五パーセ ントをインドが占めます。その大半が

図⑫ 石炭で、インドは世界最大の石炭の消 費国・輸入国になりつつあります。 アメリカは最もイノベーションが進 んでいるといわれていますが、グリー ン競争では中国におくれを取っていま

図⑬

す(図⑫) 。変革にはきちんとした政策 がなければいけません。いまのアメリ カ政府は非常に内向きです。それでも 州レベル、都市レベルでさまざまな動 きがあります。ビル・ゲイツ、イーロ ン・マスクのようなシリコンバレーの 起業家が積極的に持続可能な開発に投 資をしています。大きなポイントとし てシェールガス革命がおきています。 EUはこれまでのところグリーン技 術の輸出に関して市場のリーダーとさ れています(図⑬) 。グリーン技術の輸 出シェアは三〇パーセントを占め、一 五パーセントがドイツです。ドイツは 成長していますが、他のEU諸国は成 長していません。EU域内市場の低炭 素化、低汚染市場への転換は進み方が あまりにも遅いと私は思っています。 グローバルな市場シェアにおいても進 み方が遅いと思います。EUはエネル ギーの問題を抱えています。エネルギ ーは持続可能性とも、社会の将来的な

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図⑰

を上げながらも、使う資源をより少な くする、つまり効率をよくするという ことが大きな課題だということです。 それが右向きの大きな矢印です。そし てもう一つの課題が下向きの大きな矢 印です。豊かな国も生活スタイルを変 えて資源の使用を減らさなければいけ ないのです。これまでとは違う高い資 源効率を実現しなければ持続可能性は ありえません。 「ビジョン二〇五〇」からもう一つ ご紹介します(図⑰) 。人々の価値観の ようなソフトの内容から建築物や素材 のようなハードの内容まで九つの要素 について、二〇五〇年の持続可能な世 界はどのようになるかを考え、そこに 移行するためにはどのような変革が必 要であるかを段階的に示した図です。 さまざまな側面における変革が必要で、 巨額の投資をしなければなりません。 それは可能であると私たちは考えてい ます。多くの技術が開発されています

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図⑮

図⑯

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七億人いますが、それを二三億人にし ようとしています。しかし、クリーン・ エネルギーによってそれらを達成する のは非常に難しいといわれています。 エネルギー・システムは投資集約型 であり硬直的です。OECD諸国の発 電量に占める再生可能なエネルギーの 割合は増えるだろう考えられていて、 二〇四〇年には世の再生可能エネルギ ー市場の五〇パーセントをOECD諸 国が占めるだろうと想定しています (図㉒) 。世界全体では、石油、天然ガ ス、石炭、再生可能なエネルギーはそ れぞれ等しい割合、二五パーセントず つを占めるであろうと予測されていま す。 エネルギー効率の向上は非常に重要 です。少し前のデータになりますが、 本質は変わりません(図㉓) 。二酸化炭 素の排出削減の約六〇パーセントはエ ネルギー効率の向上、省エネからくる と見積もられています。その大半は、 図㉒

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ギー・アクセスがあります(図㉑) 。電 力にアクセスできない人がいま一二億 人います。二〇三〇年はそれを八億人 にしようとしています。また、バイオ マスを使って料理している人がいま二 図㉑

は、新興国がエネルギー効率を向上さ せて、低炭素エネルギー・システムへ の転換を遂げなければならないのです (図⑳) 。 持続可能な開発の目標としてエネル 図⑳


が、 いまあるものだけでは不十分です。 市場、あるいは企業だけでは持続可 能な世界は実現できません。きちんと した公共政策がなければ不可能なので す。公共政策を効率的に進めるための

図⑱

枠組みは政府だけでは決められません。 二〇一二年に「変化のペース」という 新しいレポートを出しました(図⑱) 。 「ビジョン二〇五〇」に向けたビジネ ス活動を加速するための公共政策をう

図⑲

たっています。さらに、持続可能な開 発に向けて企業が短期的に実行できる ことをまとめたレポートも出していま す。

持続可能性の四つのジレンマ

次に持続可能な未来に向けてのジレ ンマについてお話します。一つ目のジ レンマは、すでに言及したポイントで すが、新興国の持続可能性を達成する には、貧困の低減と生活の質の向上を 同時に達成していかなければいけない ことです(図⑲) 。 エネルギー・システムに関して、国 際エネルギー・アウトルックのレポー トから抜粋してお話しますと、世界の エネルギー需要は二〇四〇年までに三 一パーセント増加します。 その増加は、 OECD諸国からではなくて、すべて 新興国からくると想定されています。 ということは、持続可能であるために

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れています(図㉗) 。通常の消費に見合 うだけの水がないのです。二〇三〇年 までにそれが三〇億人に増えます。水 が世界の多くの人たちにとって非常に 大きな課題になっているのです。水が 図㉖

ネスレ会長のピーター・ブラベック は、水が急速に枯渇していて、石油が 枯渇する前に水がなくなってしまうと 何度も強調しています(図㉖) 。現在、 二五億人が水が不足する状況下に置か 図㉕

図㉗


図㉓

エネルギーの需要サイドでなされます。 発電の部分よりも、輸送や生活様式の ところで効率をよくしていかなければ いけないのです。 政府による助成金に着目すると、化 石燃料の使用に関して約五〇〇〇億ド ルが出されているのに対して、再生可 能エネルギーに出されているのは約一 一一〇億ドルです(図㉔) 。古いエネル ギー源により多くの助成金が投資され ているのです。水力以外の再生エネル ギー源の一五パーセントは助成金があ りません。 二つ目のジレンマはガバナンスです (図㉕) 。 誰もこの地球に対して責任を 取っていません。誰が責任をもって私 たちは生態系を守るのか。誰が世界を 守るために何を支払うのか。そのリー ダーがいないのです。例えばアジア・ アフリカの水をどう共有するのか、ガ バナンスがなされていない状況にあり ます。 図㉔

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割合が少ない状況が続くでしょう。 先進国の二つの例をみます(図㉛) 。 ドイツはヨーロッパで最も高齢化して いて、二〇三〇年には労働力人口は現 在より六五〇〇万人減って四二〇〇万 人になります。日本も四三〇〇万人減 少します。このような減少を補うもの として移民が考えられもしますが、環 境的にも政治的にも問題になるおそれ があります。 四つ目のジレンマが社会の緊張です (図㉜) 。 グローバル化によって裕福に なっている人もいますが、収入の不均 等は拡大しています。国外においても 国内においてもです。裕福な国で中所 得層が減っていて、社会の安定化が図 れなくなるおそれがあります。仕事、 教育、年金、医療などの面で世代間の 軋轢が生じてきています。公的財源が 減って、社会的なサービスに対して緊 縮政策がとられるという方向になって います。

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でしょう。高齢社会においては、資源 を誰にどれくらい分配するのかという ことが大きな課題となります。高齢者 の増加は国家間の競走にも影響します。 中国やインドは将来も比較的高齢者の 図㉜

〇パーセントを占めていて、二〇五〇 年にはおそらく三〇パーセント以上に なると予測されています。若い世代が この三〇パーセントを負担するのは厳 しいので、世代間の軋轢が生じること 図㉛


図㉘ 図㉙

人ないし一七億人になります 図(㉚ 。) OECD諸国では高齢者の年金・医療 にかかるコストがいまでもGDPの二

社はエネルギ と述べています。 Google ーをたくさん使っていますが、サーバ ーの冷却には水を必要とします。会社 の拠点をどこに置くかを決めるには水 を考慮しなければならないのです。 三つ目のジレンマは人口統計学的な 課題です。現在、世界には六五歳以上 の人が五億人います。私もその中に含 まれています。二〇五〇年には一六億

社も着目点 一つ例を挙げると、 Google が変わってきています(図㉙) 。 Google 社のデータオペレーション部門のジョ ー・カバは、これまでは電力の消費や エネルギー効率を重視してきたけれど も、これからは水が重要になってくる

多く使用されているのは農業で、新興 国においては農業において水が不効率 に使われている現状もあります (図㉘) 。 ビジネスも水に影響を受けています。

図㉚

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教育システムを変えていかなければい けません。 私たちWBSCDでは、失敗した社 会では企業は成功できないということ をよくいいます(図㉟) 。逆に、グロー 図㉟

バルな社会は、問題を解決しようとし て活躍する企業がいなければ成功しま せん。そのようなことを企業が理解し なかったならば持続可能な社会は実現 しないのです。

司会 スティグソン先生、ありがとう ございました。 続いてフューチャー・アース日本ハ ブ事務局長、国立医薬品食品衛生研究 所安全情報部長、東京大学サステイナ ビリティ学連携研究機構客員教授、春 日文子先生にご講演いただきます。よ ろしくお願いいたします。

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企業の役割と責任 以上のようなジレンマがあるなかで ビジネスの果たすべき役割と責任を考 えます(図㉝) 。私たちはさらなる透明

図㉝

性を実証していかなければなりません。 世界経済は金融危機にも見舞われてい ます。金融セクターをどのように社会 的にコントロールしたらいいのかとい う課題があります。どの国も一国単独

図㉞

では持続可能な社会は達成できません。 国と国、官と民、民と民、さまざまな パートナーシップが必要です(図㉞) 。 企業もそのなかにはいっていく必要が あります。世界は大きな変革を遂げな ければいけません。 パートナーシップが必要なのに、政 府がなかなか信用してもらえないとい う現実があります。企業も同様です。 企業は市民と信頼できる関係を結んで ともに持続可能な社会を構築していか なければいけないのです。そのために フューチャー・アースのようなものと の協力関係が必要です。 私はビジネススクールで教鞭を執っ ていて、世界各地の教育を見る機会が あります。持続可能な開発に関する教 育はほとんどの国で不十分です。ビジ ネススクール、 工学系の学校において、 過去においてどうであったかというこ とは教えていても、将来どのようにし ていったらいいのかは教えていません。

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ジェクト間の連携を推進するとともに、 フューチャー・アースの外側で動いて いるさまざまなプログラムやプロジェ クトとも、フューチャー・アースと理

きな特徴があります(図②) 。第一に、 これまでの科学の枠組みを超えて、自 然科学も人文社会科学もともに連携し て学際的な研究を進めます。第二に、 科学者のコミュニティだけにとどまら ず、社会の関係者(ステークホルダー) とともに研究を企画 (コデザイン) し、 ともに実行(コプロダクション)し、 研究成果を社会に実装していく(コデ リバリー)という、科学の枠を超えた 社会との連携を進めていきます。 フューチャー・アースが誕生するま での歴史をここでふりかえりますと、 地球環境問題を扱う大きなプログラム として、 世界気候研究計画 (WCRP) 、 地球圏・生物圏国際協同研究計画(I GBP) 、 生物多様性科学国際共同研究 計画(DIVERSITAS) 、地球環 境変動の人間的側面に関する国際プロ グラム(IHDP)などが一九八〇年 代から活発に展開されてきました(図 ③) 。 そこには数多くのプロジェクトが 図②

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念を共有するものに対しては連携の場 を提供してネットワークを構築してい くようになります。 フューチャー・アースには二つの大 図①


■基調講演3

フューチャー・アースを支える国際連携事務局 日々のチャレンジと日本からの貢献

かすが ふみこ

春日文子

するための国際的な研究連携のプラッ トフォームを提供するのがフューチャ ー・アースだということです(図①) 。 フューチャー・アースの目的は、地球 環境の変化に伴って地球が直面してい る危機に対応すること。地球規模の課 題を解決して持続可能な社会への転換 を図ること。その結果として、地球社 会の未来を守ることです。 フューチャー・アースはそれ独自の

フューチャー・アース日本ハブ事務局長 国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構客員教授

本日はフューチャー・アース国際事 務局日本ハブの立場から講演をさせて いただく機会をいただきまして感謝申 し上げます。

フューチャー・ アースとは 最初にフューチャー・アースとは何 かということから始めますと、一言で 申し上げれば、持続可能な社会を実現

研究プロジェクトも今後実践していき ますが、地球環境の変化に対してこれ までに進められてきた多くの研究プロ グラムがフューチャー・アースに移行 します。それらをフューチャー・アー スのコアプロジェクトと呼んでいます。 コアプロジェクトに加えて、特に連携 モデルの研究が必要なテーマなどが新 しく立ち上がっていくことになります。 そして、フューチャー・アースのプロ

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図⑤

あり、日本人の研究者も大きく貢献し てきました。 それらのプロジェクトは、 例えば気候変動枠組条約のCOPやさ まざまな政府間の枠組みで活用される 先進的な研究成果を数多く提供してき ました。これら数多くのプロジェクト (図④)は、今後は先ほど申しました ようにフューチャー・アースのコアプ ロジェクトと位置付けられて活動の新 たなページを開くことになり、フュー チャー・アースの二つの特徴を具えた ものになっていきます(図⑤) 。この図 でSHとあるのはステークホルダーの 略語で、社会の関係者との協働を含む かたちにプロジェクトを衣替えしてい くことが大切です。

フューチャー・ アースの 八つのチャレンジ

フューチャー・アースを立ち上げる にあたって、フューチャー・アースの

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図③

44 図④


開発を推進する。 (6)環境変化のもと での人々の健康を保護する。 (7)公正 で持続可能な消費と生産を促進する。 (8)社会的な回復力を高め、持続可 能性の転換を促進できる制度を構築す

図⑧

アースの八つのチャレンジとちょうど 重なるものがあります(図⑨) 。また、 一七の目標からより細かく指定された 具体的な個別目標があって、そのなか にも八つのチャレンジと重なるものが

る。 国連は二〇一五年九月に持続可能な 開発目標( )を採択しましまし SDGs には一七の目標(ゴ た(図⑧) 。 SDGs ール)がありますが、フューチャー・

図⑨

47

図⑦


図⑥

基本的なかたちをデザインする「イニ シャル・デザイン・レポート」が発行 されました(図⑥) 。そこではフューチ ャー・アースの三つの大きなテーマが 示されました。ダイナミックな地球の 理解、地球規模の持続可能な開発、そ して持続可能な地球社会への転換です。 そして、二〇二五年までに達成したい 八つのチャレンジが示されました。こ の三つのテーマと八つのチャレンジを 組み合わせて、フューチャー・アース の「戦略的なアジェンダ二〇一四」と して六二の課題が二〇一四年の暮れに 定められました。 フューチャー・アースの八つのチャ レンジ(図⑦)とは、 (1)すべての人 に水、食料、エネルギー・食料を提供 する。 (2)脱炭素化して気候を安定化 させる。 (3)陸上や淡水や海洋の資源 を保護する。 (4)健全で生産的な都市 を構築し、災害に強いサービスとイン フラを提供する。 (5)持続可能な農村

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図⑪

フューチャー・ アースのイメージ

フューチャー・アースは具体的なイ メージがなかなかつかみにくいという 声をお聞きします。いろいろな先進的 なテクノロジーを使って、わかりやす いストーリーを提供しようと作業を進 めているところですが、今日は、事務 局に携わる立場として、自分なりにご く拙いものですけれど、イメージを描 いてみたものをもってきました (図⑪) 。 私たちの身近なところに生態系のシス テムが存在し、その一部は農地として 使われています(図の右側) 。そのかた わらに、たくさんの人間が生活する都 市があります。都市をふくむ社会のシ ステムに向けて生態系システムから生 態系サービスが提供されています。こ のサービスを実際に運ぶ媒体がありま す。社会システムのなかで私たちが満 足のできる質を保って生活するには、 水と食料とエネルギーが必要なだけ誰

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図⑩

あります。そこで、フューチャー・ア ースの直近の活動目標の一つとして、

を進めるに当たっての実際の指 SDGs 標を科学的に提案し、実行状況をモニ タリングし評価することが掲げられて います。 フューチャー・アースの八つのチャ レンジのそれぞれに対応し、あるいは いくつかのチャレンジを横断的にカバ ーするかたちで、知識と実践のネット

ワーク ( Knowledge-Action Networks: )というものを提案しています KANs の定義は、いま開か (図⑩) 。 KANs れているフューチャー・アースの会議 で議論をして合意していく過程をたど っているところです。ごく簡単にご紹 介しますと、プロジェクト間のネット ワークを結び、新規萌芽的なプロジェ クトの支援や推進を行い、フューチャ ー・アースの外にある類似研究の枠組 みとの連携も担うというものです。

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図⑫

ューチャー・アースを支えます。やは り今週、国際事務局の担当者も東京で 一堂に会し、こちらの会場にもきてい ます。大きな事務局組織ですが、みん なが揃うことによって強い一体感・連 帯感が生まれました。 もともとは、五つの国が国際事務局 を自分の国に誘致しようとして、オリ ンピックの誘致合戦のように、それぞ れアイディアを出して競争していまし た。お互いのアイディアを聞いたとこ ろ、みんなが感銘を受け、どこか一カ 所に決まってあとは事務局から外れる ということではあまりにももったいな いではないかという意識が共有され、 その結果、誰も想像していなかった結 論として、みんなが協働で国際事務局 を作り上げようということになったの でした。実際のところは、五カ国に分 散した事務局というのは複雑でありま すし、日本にとっては真夜中の電話会 議が続くというような困難もあります。

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にでも満足に提供されなければなりま せん。 ある地理的な範囲、ある時間的な範 囲で区切りますと、生態系のシステム や社会のシステムは、ある閉じたバラ ンスのもとで動いていると考えること ができます。このバランスが保たれて いればいいのですが、 場合によっては、 外側から思いもかけない大きな影響が 加わって崩れてしまうこともあります。 外側からの影響とは、地球規模で進む 温暖化かもしれませんし、急によそか ら持ち込まれるようになった安価なエ ネルギーかもしれませんし、あるいは 生態系システム全体を揺るがすような 大規模な自然災害かもしれませんし、 人間がおこす戦争かもしれません。 この図に描かれているようないろい ろな場面のいろいろなところに焦点を 当てて、フューチャー・アースに先行 するさまざまなプロジェクトが集中的 に研究を行ってきました。フューチャ ー・アースとして今後進められるプロ ジェクトとともにそれらを広い視野で 見て、共通軸を考えられるような場で 結び付けていこうというのが知識と実 )です。フ 践のネットワーク( KANs ューチャー・アースは、すべてのプロ ジェクトを効率よく進めて、その成果 が人々の生活にきちんと届くようにし ていこうとする大きな構想です。

フューチャー・ アースの運営 フューチャー・アースをどのように 実践していくのか。実際の運営を担う 体制についてご説明します(図⑫) 。フ ューチャー・アースの最終的な意思決 ) 定機関は評議会( Governing Council です。評議会に対して科学的にアドバ イ ス す る 科 学 委 員 会 ( Science )と、社会との連携に特に Committee 力をおいてアドバイスする関与委員会 ( Engagement Committee )がありま

す。今週の月曜日からこの二つの委員 会の合同委員会が開催され、具体的に かなり踏み込んだ積極的な議論が行わ れました。これらの組織を支えるのが 国 際 事 務 局で す 。 グ ロ ー バ ル ハ ブ

( Secretariat Global Hubs )と呼ばれ る国際的・横断的に支えるところは非 常にユニークなかたちを取っていて、 カナダ、フランス、日本、スウェーデ ン、アメリカの五カ国が協働する連 携・分散型の事務局となっています。 その下に各地域を主として担当する地

域 事 務 所 ( Secretariat Regional )があり、アジア太平洋、ヨ Centers ーロッパ、ラテンアメリカ、そして中 東・北アフリカに設立されていて、も う一つアフリカにも必要だということ でその選考の最終段階にはいっていま す。 便宜上、グローバルハブと地域事務 所を図では二列に分けて示しています が、国際事務局として一体となってフ

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図⑭

図⑮

場所です。五カ国は国際的な横断的な 役割を担うとともに、経済的にも強い 責任を持ちます。五カ国はとくに、調 整、研究の推進、コミュニケーション とアウトリーチ、人材育成と体制の構 築、そして統合と展望の五つの機能を 受け持ちます(図⑮) 。より効率的な役 割分担をするために、五カ国のそれぞ れがとくに二つの機能をリードファン クションとして担います。日本は、コ ミュニケーションとアウトリーチ、人 材育成と体制の構築を受け持ちます。

日本の役割

日本の事務局を支える組織としてい ま登録しているのは一七の機関です (図⑯) 。 いくつもの大学が入っている のは、社会との連携、また環境への配 慮を強く意識した特徴のあるプログラ ムが多く存在していることに起因しま す。そのなかには世界的なモデルにな

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図⑬

それでも、最初に生まれた一体感・連 帯感、そして地球全体に貢献したいと いう使命感を決して忘れることなく 日々努めていくのが国際事務局の役目 だと思っています。 評議会を構成するのは国際的ないく つかの組織です(図⑬) 。ICSU(国 際科学会議)は、日本でいえば日本学 術会議のような各国のアカデミーや、 世界物理学連合のような学界の連合体 をさらに統合する組織です。ISSC (国際社会科学協議会)は社会科学の 分野の学術コミュニティの統合組織で す。持続可能な開発ソリューション・ ネットワーク、 WMO (世界気象機関) 、 UNEP(国連環境計画) 、STSフォ ーラム、ユネスコ、国連大学、そして 研究推進の資金団体の連合体であるベ ルモントフォーラムがあります。 国際事務局は五カ国に置かれ (図⑭) 、 星印で示されているのがいま選考中の ところも含めて地域事務局が置かれる

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なくて、人間も自然を構築する一員で あるという意識が日本では太古から育 まれてきました。それは日本だけでは なくて、アジアにも共通することだと 思います。この自然観や科学観を大切 にして、 事務局としての機能を果たし、 フューチャー・アース全体にも貢献し ていきたいと思います。

フューチャー・アースは決して科学 者だけの考えで進めていけるものでは ありません。 ビジネス界、 政策決定者、 そして何よりも市民の皆さまがフュー チャー・アースの理念を共有して、積 極的に主体的に関わっていただけるよ うになることが必要です。皆さまがそ れぞれのお考えを活かして、これまで の実践・実績を踏まえてフューチャ ー・アースに関わっていただくにはい まが一番いい機会です。 フューチャー・アースの実践の具体

アース国際事務局内で共有してい

本稿における図は、フューチャー・

例を早く作り上げて見せてほしいとい うご意見をよく聞きます。フューチャ ー・アースはいま走り出したばかりで す。どのような具体的な実例ができて いくのか、それは皆さまとの対話を通 してこれから作っていくものです。で きあがったものを受け取るのではなく て、構築していく最初の議論からぜひ 加わっていただきたいと思っています。 事務局としては、国際的な連携を推進 するとともに日本国内での連携も推進 していくよう今後とも努力します。皆 さまのご指導・ご助言、そしてご参加 を強く望みまして私のお話とさせてい ただきます。

るものです。

司会 春日先生、ありがとうございま した。以上で基調講演を終了します。 改めましてご講演者の皆さま、ありが とうございました。

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るようなプログラムもあります。非常 にユニークな先進的な取り組みを進め ている大学が数多くあって、これまで の蓄積を生かしていこうということで、 日本は人材育成と体制の構築を主たる

役割として担うことになりました。コ ミュニケーションとアウトリーチは、 日本が強みをもっていると宣言できる のかどうか自信がないのですが、日本 としてはまだまだ開発していかなけれ ばいけないところのものとして取り組 んでいきたいと考えています。日本で 先駆的な取り組みをしている方々との 連携を進めて事務局機能を強化してい きたいと思っています。 人材育成では、もちろん教育が大き な柱でありますけれど、次世代の育成 だけとどまらずに、社会のなかでの意 識の転換、それに基づく体制構築にも つながっていくようなより広い意味で の人材の育成、能力の開発が必要だと 思っています。日本事務局としては、 そのために社会のさまざまな関係者と の対話を進めていこうと考えています。 日本には日本らしい自然観、あるい は科学観があると思います。自然を人 間の生活の糧として利用するだけでは 図⑯

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いて議論をさらに深めていきたいと思 います。 では早速ですが、パネリストの方々 からのご発表をお願いします。 まずはアリコ先生からよろしくお願 いします。

研究開発と フューチャー・ アースの課題 アリコ 私からは、二〇一五年九月に 国連で採択された「我々の世界を変革 する―持続可能な開発のための203 0アジェンダ」に科学がどのような寄 与をするのかということと、フューチ ャー・アースの大まかな枠組について 手短にお話したいと思います。

まず「持続可能性な開発のための2 030アジェンダ」については、その いろいろなところに科学が関係し、と くに実装の手段の一つとして科学が明 示されています(図①) 。とくに、進捗 をどのように評価するのか、五年先、 一〇年先に何を目指すのかをどのよう に定めるのか、つまり体系的なモニタ リングとレビューに科学は大きな役割 を果たします。 このアジェンダでは一七の目標と一 六九のターゲットからなる持続可能な

開発目標( SDGs )が掲げられました。 図②は持続可能な開発目標(上の列) とユネスコのプログラム(左の列)と の相関をみたものです。海洋関連は除 外されています。詳細は気になさらな いでください。ユネスコのプログラム

の全体をよくカバーして非常 が SDGs に良い相関があるということを見てい ただければ結構です。このような整合 性のあることが非常に大切です。

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■パネルディスカッション

[

] かずひこ)

産学官連携によりフューチャー・ アースを推進する モデレーター

竹本和彦 (たけもと [ ]

) Mark Stafford Smith

国際連合大学サステイナビリティ高等研究所所長、元環境省地球環境審議官 パネリスト

マーク・ スタフォード・ スミス ( フューチャー・ アース科学委員会委員長

はるこ)

司会 お待たせいたしました。それで はただいまよりパネルディスカッショ ン「産学官連携によりフューチャー・ アースを推進する」 を開催いたします。 モデレーターをお努めいただきますの は、国際連合大学サステイナビリティ 高等研究所所長、元環境省地球環境審 議官の竹本和彦先生です。ではよろし くお願いいたします。

) サルバトーレ・ アリコ( Salvatore Aricò 竹本 本日のパネルディスカッショ UNESCOシニアプログラムスペシャリスト ンの進行役を務めさせていただきます。 花木啓祐 (はなき けいすけ) このパネルディスカッションでは、産 日本学術会議副会長、東京大学大学院工学系研究科教授 官学連携によってフューチャー・アー 長谷川雅世 (はせがわ まさよ) スを推進していくという目標に向かっ フューチャー・ アース関与委員会委員、 て、さまざまな角度から議論を進めて トヨタ自動車株式会社環境部担当部長( 現在はNPO法人国際環境経済研究所主席研究員) い き たいと思います。 大竹 暁 (おおたけ さとる) 進め方としましては、最初に六人の 国立研究開発法人科学技術振興機構上席フェロー・ 前総括理事、元文部科学省官房審議官 パネリストの方から簡単な冒頭発言を していただき、その後時間の許す限り フロアからのご質問やご意見をいただ

金丸治子 (かなまる

イオン株式会社グループ環境・ 社会貢献部部長

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図③

ユネスコの科学報告書が一週間前に 発行され、世界における研究開発の動 向に関する最新のデータが示されまし た。研究者の数は過去五年間で伸びる 傾向にあります(図③) 。中所得国に分 類される中国が世界の研究者の約二〇 パーセントを占めています。

研究開発費総額(GERD、 Gross )のG Domestic Expenditure on R&D DPに占める割合は、金融危機のよう な難しい時期もありましたが、いまは 回復して伸びています(図④) 。これは 世界共通に見られる動向です。民間の 投資も伸びています(図⑤) 。 世界の学生数は、二〇〇五年から二 〇一三年で四六パーセント増え、二八 〇万人から四一〇万人になりました (図⑥) 。 国際的な流動性 (モビリティ) が高まり、とくに博士課程の学生のモ ビリティが高くなっています。 学術成果物の発行数の伸びをみます と、マレーシア、中国のような中間所

59


図①

図② 58


61

得の国で大きく伸びています(図⑦) 。 興味深い傾向として、学術成果物は国 際的な協働によって多く生まれている ということがあります(図⑧) 。さまざ まな研究グループの協働が国境を越え 図⑥

図⑦


図④

60 図⑤


図⑩

て国際的に行われているということで す。 図⑨はやや見にくい図ですが、とて も興味深いことを示唆しています。縦 軸は人口一〇〇万人当たりの研究者の 数、 横軸はR&Dへの政府からの投資、 丸の大きさはR&Dへの民間からの投 資を示しています。左下の方に位置し ている国は、R&Dへの投資が民間か らも政府からも少なく、それに対して 右上の方の国は官民の両方から多くの 投資が享受できています。研究開発費 の豊かさが研究者の層を厚くしている ことがわかります。 研究と実践的な適用可能性との関係 をみるために、研究成果物の数と特許 の登録数との相関を描いてみましたが、 傾向ははっきりとはしていません(図 ⑩) 。 フューチャー・アースが始まったこ ろに、科学への投資と社会への貢献に ついての線形のモデルが出されました

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図⑧

図⑨ 62


(図⑪) 。 最初に研究への投資があって、 研究が応用を生み、商業的な利用がな されるというように進んでいくモデル です。現在では、まだ混沌とした状況

を形成して、研究の課題を設計してア クションを実行していくというモデル です。これはまさにフューチャー・ア ースがやろうとしているものです(図 ⑬) 。 フューチャー・アースが今後考慮す べきいくつかの点をまとめました(図 ⑭) 。第一に、国と国との間のギャップ が狭まってきています。第二に、今後 現れ出てくる知的な能力に投資をして いくべきです。特に中間的な所得の国 においてそれが必要です。第三に、人 材開発です。国際事務で日本は人材開 発、コミュニケーションがとくに責任 下にあるということでしたが、人材開 発というよりは人材動員も考えていく べきではないかと思っています。戦略 的なパートナーシップや協力関係を、 新興国の科学コミュニティとの間につ くっていくということです。第四に、 サステイナビリティ・サイエンスをき ちんと定義して、世界共通のものとし

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ではありますけれど、新しいモデルに 移行しつつあります(図⑫) 。科学に投 資する人、政策立案者、科学者、実業 家、広く社会の人々が共通のビジョン 図⑬

図⑭


図⑪

図⑫ 64


とに、サステナビリティ基本方針を制 定して、多くのステークホルダーの皆 さまとともに、持続可能な社会の実現 を目指しています(図③) 。四つの重点 課題があります。低炭素社会の実現、 図②

図③

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ていくことが重要です。第五に、現在 の世代と将来の世代の公平性を保って いくには、フューチャー・アースが非 常に重要な手段になっていきます。第 六に、知識が未来を拓くということで す。

竹本 アリコ先生、ありがとうござい ます。非常に広範囲にわたってお話を いただき、フューチャー・アースの将 来の活動に対する考慮点もお話をいた だきました。この知見をパネリスト間 で共有していただいて、この後のディ スカッションへと進めていきたいと思 います。 続いてイオン株式会社グループの金 丸さんから実践事例などご紹介いただ きたいと思います。

持続可能な社会の実現をめざして ――イオンの環境・社会の取り組み

金丸 私どものイオングループは小 売を起点として、現在では一三カ国に またがる約三〇〇社から構成されてい ます(図①) 。小さなショップから大型 のモール、総合金融やデベロッパー等 も展開しています。

地域や国や変わっても、業種・業態 が異なっても、私どもの共通の基本理 念は 「お客さまを原点に平和を追求し、 人間を尊重し、地域社会に貢献する」 というものです(図②) 。この理念のも

66 図①


の安心・安全だけではなく、原材料に さかのぼるサプライチェーンに関して も説明責任を負うという認識をもって いて、さまざまな専門家、大学の研究

者、NGOの方々にご協力いただいて 社内の勉強会を立ち上げ、「イオン生物 多様性方針」に基づく具体的な商品の 調達方針を定めるため検討を重ねてき ました。その結果として、二〇一四年 の二月に「持続可能な調達原則」を制 定しました(図⑤) 。当たり前のことで すが、第一に違法性の排除です。第二 にイオンならではの基準を設定・運用 します。第三に再生不可能なものは最 小限しか使いません。第四にそれらを 担保するためのトレーサビリティを確 立します。そして第五に森林破壊の防 止です。 同時に、 「イオン水産物調達方針」も 発表しています。これも「持続可能な 調達原則」に基づくものなのですが、 さらに踏み込んで、社内にアセスメン ト委員会を設けて定期的にリスク評価 を行うようにしています。そして、持 続可能な商品であるという認証を取得 し、認証商品をさらに拡大していこう 図⑥

としています。具体的な商品として、 私どものプライベートブランドのなか で、天然魚のMSC認証、養殖魚のA SC認証を取得した印のエコラベルを 貼った商品をご提供させていただいて います。 (図⑥) 。 また、農畜産物ではオーガニックな 商品を展開しています。 森林破壊防止については、昨年から さまざまな知見をもとに勉強会をして いて、その方針を作成中です。持続可 能な管理がされている森林から生産し たFSC認証の取り扱いを推進し、ノ ートや紙製品、あるいは飲料のパッケ ージなどにも認証紙を使用した商品を 展開しています(図⑦) 。私どものグル ープのコンビニエンスストアとしてミ ニストップありますが、FSC認証を 受けた国産材を一〇〇パーセント使っ た店舗を一三〇以上作っています。外 から見ただけではわからないかもしれ ませんが、そのような店舗づくりも行

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生物多様性の保全、資源の有効利用、 そして社会的課題への対応です。店舗 でできること、商品でできることを、 お客さまとともにという視点で取り組

みを進めています。 イオンは二〇一〇年、「イオン生物多 様性方針」を発表しました(図④) 。私 どもの事業にとって自然の恵みは非

図④

常に重要で、それなくして事業は成り 立ちません。だからこそ私たちにはそ れを守り育てる責任があります。 その一方で、私どもは商品そのもの

図⑤ 68


サステイナビリティを 推進するための連携の実例 長谷川 私はトヨタに勤めておりま すが、トヨタもメンバーとなっている

持続可能な発展のための世界経済人会

議 (WBCSD、 World Business Coun )の -cil for Sustainable Development 経団連におけるタスクフォースの座長 代理を務めています。その立場から、 今日はトヨタ一社のことではなくて、 ビジネスの連携の事例についてお話し たいと思います。 基調講演でスティグソンさんからも ご紹介がありましたように、WBCS Dは世界約二〇〇社の企業のトップが メンバーで、サステイナビリティを掲 げて先進的な取り組みをしている団体 です(図①) 。スティグソンさんがWB CSDのプレジデントだった時代に、 WBCSDのメンバーは二〇五〇年に どのようなことを達成していたいのか、 二〇五〇年に向けてどのような世界を 我々ビジネスセクターは想い描いてい るのかということを議論して、「ビジョ ン二〇五〇」をまとめました(図②) 。 その後、スティグソンさんがWBC

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ものと非常に励みになっています。こ れからも積極的にこういった取り組み を進めていきたいと考えています。

竹本 ありがとうございました。企業 としての取り組みについて、具体的な 事例を非常に分かりやすくご紹介いた だきました。 それでは続きまして、次のスピーカ ーとして長谷川さんにお願いします。

図①


っています。 こういった取り組みと併せて、一九 九一年からお客さまとともに店舗の周 りで木を植える 「ふるさとの森づくり」

や国内外の痛んだ森を再生する植樹活 動を進めています(図⑧) 。 こうしたさまざまな事業を通じた環 境保全活動や持続可能な調達について、

図⑦

国連の生物多様性の一〇年日本委員会 から、その連携事業として認定をして いただきました。イオンとしてはこれ までの取り組みを評価していただいた

図⑧

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のロードマップを考えようということ になりました。 皆さまもよくご存知かと思いますが、 地球の限界を示した図があります(図

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クホルム・レジリエンス・センターの ご協力を得て、二年間ほどかけてWB CSDが取り組んでいく「アクション 二〇二〇」を作りました(図⑤) 。 「ビ

図④

④) 。 このようなきちんとした科学的知 見にもとづいて、自分たちがいまやろ うとしていることをレビューしていか なければいけません。そこで、ストッ 図③


図②

SDを退任され次のプレジデントが着 任されたときにこの図があったもので すから、「メンバーはこのビジョンの実 行にコミットしているのですね」と聞 かれました。実はビジョンを描いただ けで、実際にコミットしていく準備は できていなかったのです。それで、ビ ジョンをもう一度見直さなければいけ ないということで次の議論が始まりま した。 WBCSDは一九九二年の国連地球 サミット(リオサミット)のときに誕 生して以来、持続可能な発展のトリプ ルボトムラインとして環境、経済、社 会の三つの柱を考えてきました (図③) 。 世の中の流れとしては、自然資本、社 会資本、金融資本の全体を考えなけれ ばいけないということに最近はなって きています。 こうした全体を見た上で、 我々ビジネスセクターとして何ができ るのか、それを示すために、 「ビジョン 二〇五〇年」に向けて二〇二〇年まで

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図⑥

図⑦ 75


図⑤

ジョン二〇五〇」を実現するために、 三つの資本のすべてをみるというフレ ームワークのもとで、取り組むべきプ ライオリティの高い領域を決めました。 それが図⑥の九つの領域です。緑で示 された気候変動、窒素の流出、エコシ ステムなどはストックホルム・レジリ エンス・センターのご協力を得て決め、 青で示されたところはシンクタンク型 NGOのWRIの力も借りて決めまし た。九番は少し色が違いますが食料問 題などが入っています。 このように優先分野として九つの領 域を決めたのですが、事務局の方でよ りシンプルに六つの領域に整理しまし た(図⑦) 。社会インパクト、持続可能 なライフスタイル、気候変動とエネル ギー、水、生態系と環境保全、安全で 持続可能な原材料です。これらの優先 分野に対して、ビジネスがどのような 解決策を示せるのか具体的に検討しま した(図⑧) 。セメント産業の持続可能

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図⑨

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図⑧

性、建物のエネルギー効率、森林ソリ ューションなどがあり、弊社も関わる ものとしては、持続可能なモビリティ があります。 実際にさまざまなプロジェクトがい ま進んでいます。その一例として、持 続可能なモビリティのプロジェクトに ついてご紹介します(図⑨) 。このプロ ジェクトにはWBCSDのメンバーか らモビリティに関わる会社が参加し、 二〇一五年の暮れに完了する予定です。 バンコク、成都、ハンブルグ、リスボ ン、インドール、カンピーナスという 都市と連携して、都市内・都市間にお ける最適な移動手段等を検討していま す。モビリティがもたらすネガティブ な要素を最小化し、ポジティブな要素 を最大化していくことで、気候変動の 問題、安全の問題、渋滞の解消等々の 問題に統合的にアプローチする研究で す。 二〇一五年一二月には気候変動枠組

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条約のCOP21があり、WBCSD として低炭素社会にどのように取り組 むのかということをもう一度社会に示 そうとしています。これまではビジネ スセクターは国連の交渉プロセスのサ イドイベントで呼ばれるだけだったの ですが、交渉プロセスのなかにきちん と入り込んでビジネスのできることを 示そうということで、国際エネルギー 機関(IEA)や国連の持続可能な開 発ソリューション・ネットワーク(S DSN、 Sustainable Development )とコラボレーシ Solutions Network ョンしてWBCSDは低炭素技術のパ ー ト ナ ーシ ッ プ ・ イニシ ア テ ィ ブ ( LCTPi )を進めていこうとしていま す(図⑩) 。WBCSDの低炭素社会へ の取り組みはこの傘の下で行われてい くのですが、先ほどの持続可能なモビ リティ・プロジェクトは統合的なアプ ローチを取っていて低炭素だけに焦点 を置いたものではありませんので、こ

は一 こには参加していません。 LCTPi 社とか一つの団体だけでできることで なく、官民連携でフランス政府の協力 も得て取り組んでいます。 さらに、持続可能な開発目標 ( SDGs )に関しても、WBCSDは ビジネスセクターがどのように取り組 むかというガイドライン、SDGコン パスを二〇一五年九月に発表していま す。

竹本 ありがとうございました。WB CSDの具体的な取り組み、産業界全 体にわたるお話をわかりやすく紹介し ていただきました。 それでは次に大竹先生にお願いしま す。

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図⑩

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図③

単一領域(モノディシプリン) 、複数 領域(マルチディシプリン) 、学際領域 (インターディシプリン)を図示して みます(図②) 。モノは単純に一個の分 野があるだけで、マルチは複数の分野 が並んでいます。インターになると分 野間のバリアがなくなります。しかし これだけではまだ不十分です。マルチ を超えてビジネスなど学問分野以外の 他のセクターとも協力する超学際協力 (トランスディシプリナリティ)が必 要になってきます。 フューチャー・アースの戦略を描い た有名なピラミッドの絵があります (図③) 。フューチャー・アースは地球 規模問題についての大きな方針を打ち 出し、国際的にさまざまなものをつな ぎます。下の方にある科学的なアクシ ョンから、ベルモントフォーラムのよ うな国際的に資金を提供する機関、あ るいはICSU、ISSCなどとの協 力・連携まで、全体の構造が描かれて

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「 越境」 の勧め 大竹 持続可能性を達成するにはさ まざまな変革が必要ですが、なかでも 「越境」ということが非常に重要であ ると私は考えています。 われわれをとりまく問題は非常に複 雑で絡み合っています。単一の学問領 域ではとても対応ができませんし、複 数の学問領域が協力しても不十分です

(図①) 。とくにグローバルな課題、水 や食料、エネルギーなどの問題は単な る学際的な協力だけですむものではあ りません。分野の境界を超え、セクタ

図①

ー、システム、さらには資金調達のメ カニズムなどの境界も超えなければい けないということがあります。単なる 協力ではない協業が重要です。

80 図②


図⑤

調査、フィージビリティスタディが必 要です。少し具体的な例をお示ししま しょう(図⑤) 。日本のなかであっても セクターを超えた関係、協力は困難を 伴います。いくつか試行的なものを進 めていくことになりました。第一段階 として共同企画 (コデザイン) があり、 第二段階として共同生産(コプロダク ション)があり、最後にその成果を社 会に出します。 一つの事例は、小規模なアブラヤシ のプランテーションをサポートする持 続可能なガバナンスの構築を目指した ものです(図⑥) 。地域はインドネシア です。大手の農場で行われているアブ ラヤシの生産は、認証制度もあってサ ポートも良好で持続可能です。おもな 輸出先は先進国です。その一方で、小 規模な農場では認証制度のサポートが ありません。洪水で生物多様性が失わ れたり、雨で採取がなかなかできなか ったりすることもあります。小規模の

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図④

います。 フューチャー・アースに対する日本 の戦略は、いま科学技術振興機構(J ST) が活動をサポートしていますが、 日本のプレゼンスを高めようとしてい ます(図④) 。関与委員会にはさきほど お話された長谷川先生がおられ、科学 委員会には安成哲三先生がおられます。 またグローバルハブのディレクター、 そしてアジアのリージョナルハブのデ ィレクターを日本が担当し、ベルモン トフォーラムの活動の支援もしていま す。また、国際協力機構(JICA) と協力して途上国を支援するSATR EPS(地球規模課題対応国際科学技 術協力プログラム)があります。JI CAが資金を提供して、日本と協力し て研究を進めるコラボレーターの研究 資金を支えるということが上手に行わ れています。 このような新しいトランスディシプ リナリーな研究を進めるには、事前の

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ブラヤシの生産を持続可能に行えるよ うにすることです(図⑦) 。何をしたか ということの詳細は図⑧をご覧になっ てください。第一段階として、私たち

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階が成功したのを受けて第二段階に入 り、法令の素案づくりへとつなげてい きました。 この活動を通じて得られたメリット

図⑨

研究者は地域の大学や自治体と協力し て、いくつかの調査分野をしぼって短 期間の調査・研究を進め、その成果を シンポジウムで発表しました。第一段 図⑧


図⑥

アブラヤシのプランテーションをより 持続可能なかたちでのガバナンスがで きるようにしたいということで日本が お手伝いできることを考えました。 この事業の目的は、熱帯雨林の破壊 を招かないようにすること、そしてア

図⑦

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スピーカーの大竹さんが所属されてい るJSTから資金の支援を得て行った プロジェクトです。 「文の京」とは今日 皆さんがおられる、ここ東京都文京区 のことです。 具体的には、環境ネットワーク・文

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コミュニティに基盤を置いた 低炭素地域形成 花木 フューチャー・アースの特徴は、 共に設計するコデザイン、共にそれを 実行するコプロダクション、そして共 にその成果を還元するコデリバリーで すが、主として大学とNPOが一緒に この三つを行った事例をここでご紹介 します。 「文 (ふみ)の京 (みやこ)プロジェク ト」をご紹介します(図①) 。先ほどの

京というNPOと東京大学が対等の立 場で協働をしました。NPOは地域に 根ざした強固なネットワークをもって いて、大学は理論に強く、また学生を 人材としてもっています。この二者だ けではなかなかプロジェクトは進みま せんので、官としてJSTが加わって プロジェクトを推進するとともに、同 様のことが行われている国内の他の地 域との連携の場を提供するという役割 を担いました。 このプロジェクトの目的は低炭素社 会を作るということです。最初に現在 どのような問題があるかを課題として 抽出しました(図②) 。第一に、さまざ まな省エネの取り組みがされています が、それらが分断されています。第二 に、環境教育がいろいろな学校で行わ れていますが、脱温暖化の実際の行動 の促進が必ずしも十分ではありません。 第三に、とく東京都のような大都市で は地域コミュニティが希薄で、世代間 図①


としては、まず、その地域の大学やN GOと協力することができたことがあ りました(図⑨) 。それによってその地 域の状況の理解が進み、研究者の意図 を効率よく実行できるようになりまし た。問題点としては、どこの団体・組 織も予算的な制約があること、そして 信頼の醸成が何においても重要なので すが、それを得るのはたやすくないと いうことです。 学問分野、セクター、制度、メカニ ズムの境界を超えるのはもちろん容易 なことではありません。心理的、制度 的、さまざまな問題があります。ステ ークホルダーはそれぞれ異なり、それ ぞれ異なる環境に身を置いています。 しかし、その違いを超えて多様性を理 解する必要があるのです。目的に向け て心を合わせたコミュニケーションは 信頼醸成に資するものであります。そ して、コラボレーションの最終的な成 果をイメージすることが重要です。境

界を超えた他のところからの人材の動 員も大切です。本当に情熱的な人がい ることが非常に重要だからです。 最後に、境界を超えることの重要性 をいま一度強調して私の話を終えたい と思います。

竹本 ありがとうございました。境界 を超えるためにはどうしたらいいのか、 確固たる事例が大竹さんから出されま した。とても良いポイントが指摘され たと思います。 では、次のスピーカーとして、東京 大学教授の花木先生からお話を伺いま す。

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図④

クトと行政・市民とをつなぐセンター を場所として作る。③幼稚園・保育園・ 学校を中心として、脱温暖化学習およ び実践を通じて、子どもとその家庭に 脱温暖化行動を広げていく。④さまざ まに行われている地域の団体や市民イ ベントと連携して、脱温暖化の動きを 広げていく。 続いてのねらいは人材についてです。 ⑤大学生、あるいは十分に能力が活用 されていない人たちを学習リーダーと して育てる。⑥その人材を使って、研 究開発に横断的に取り組む。 あるいは、 地域の世代間の交流を活性化させて、 脱温暖化行動を進める。⑦事業所と大 学の間の協働を行い、また複数の大学 にまたがって学生のネットワークを作 る。 ⑧実際的な社会の展開を図りつつ、 二酸化炭素の排出量がどれだけ削減す るかを見ていく。 具体的な地域の体制は少し複雑な仕 組みになっています(図④) 。真ん中の

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の交流が乏しく、地域の抱える問題と 省エネ行動との間の関連があまり付け られていません。 第四に、 シニア層や、 あるいは女性の専門的な能力や社会的 な能力を生かす場所が地域にはありま せん。そして第五に、大学が主として

担当するところですが、省エネ教育に よって実際にどれぐらいの二酸化炭素 が減るのかということの定量的な評価 ができていません。 次にプロジェクトのねらいとしてど のようなことを考えたかを八点挙げま

図②

した(図③) 。①地域の課題と関連させ て、脱温暖化の取り組みを横断的・総 合的に進める。そのことによって、必 ずしも環境対策が先進的ではない地域 において、自ら脱温暖化を進めるとい う潮流を作り出す。②このプロジェ

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図③


それでは次のスピーカーをご紹介し ます。マーク・スタフォード・スミス 先生です。

オーストラリアでの実践 スミス 私はフューチャー・アースの 科学委員会委員長を務めていますが、 もともとオーストラリアの出身で、オ ーストラリアでも多くのことがこの分

野で行われていますので、その事例を 紹介したいと思います。 オーストラリアの政府機関で行われ ているCSROという戦略があって、 農業、鉱業、その他の分野で採用され ています。そのなかから一つのプロジ ェクトを説明します。エネルギー・フ ューチャー・フォーラムです。コデザ イン、コプロダクションで非常に成功 している例だと思います。 エネルギー・フューチャー・フォー ラムはすべてのエネルギーをオースト ラリアのなかで包括的に見ていこうと するもので、もともとは非常にハイレ ベルの政策立案者の間でディスカッシ ョンされていたものに、業界からの個 人も参加するようになってプロジェク トができあがり、最終的には多くのエ ネルギー供給者が関与して、政策関連 者、科学者なども巻き込んだフォーラ ムを展開していくようになりました。 業界がこれからどのように進んでいく

べきかといった方向性についての一般 的な話からスタートして主要な課題が 抽出され、私たちの自然は将来的どの ようになっていくのか、エネルギーを より効率的に分配することはできるの か、あるいは政府の低炭素の政策と業 界はどのような関係を作っていくのか といったことが議論されました。 最初のうちは、将来に関するモデル について科学者に質問することから始 まったのですが、それぞれ違う背景や 立場からいろいろな意見が出されてデ ィスカッションすることで、いままで 知らなかったことが互いにわかってく るようになりました。このようなプロ セスを通じて、質問に関して定性的あ るいは定量的な答えをもってきてくだ さいと科学者にいうだけではなくて、 新しいモデルを作ってくるよう求めた りしました。また、CSROのメンバ ーが将来の異なる可能性に関して研究 をするようにもなりました。その結果

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オレンジ色で示した部分で、人材を育 てることをまず行います。環境学習指 導員認定講座を開いて環境学習リーダ ーを育成します。そして左側に書いて ある小学校・中学校・幼稚園・保育園

図⑤ にその人材を派遣して省エネの教育を し、あるいは教科書を作ります。一方 で右側に東京大学と書いてありますが、 東京大学ではサステイナブルキャンパ スという動きがありますのでそれと連 携します。下の方に書いてある一般の 家庭では、エコに関する非常に短いプ ロジェクトであるプチエコを通じて知 識を普及し、実行してもらいます。こ ういうものを全部連携して進めようと いうのがこのプロジェクトの特徴でし た。 このプロジェクトが地域にどのよう な寄与をもたらすのかまとめました (図⑤) 。 二酸化炭素の排出を減らす脱 温暖化と社会の課題を複合的に捉える ということがまず基本です。社会の課 題としては、コミュニティが希薄であ る、世代間の交流が少ない、といった ことがあります。それらの問題に一緒 に取り組もうというのが大きな特徴で す。そして二つ目は、人材活用と脱温

暖化の関連付けです。この地域のさま ざまな人が脱温暖化に貢献できるよう にしようとしました。 こういうことが実際にできるように なると、省エネ、二酸化炭素の削減だ けではなくて、他の問題にも同じアプ ローチの適用が可能です。例えば高齢 社会とまちづくりの課題、災害に対す る安全の確保といったことも、地域の 人材を生かして、地域の問題とととも に解決していくことが可能であると考 えることができます。脱温暖化に限ら ずさまざまな分野に関してその地域で 問題を解決していくことができると、 いうことを実践的に行った研究が「文 の京プロジェクト」であるということ です。

竹本 ありがとうございました。文京 区の市民、行政、大学の連携を通じた 取り組みについてご紹介をいただきま した。

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――いままでのお話で非常に感銘を受 けたのは春日先生の基調講演です。日 本の事務局が今後どのような活動をし ていくのかを紹介してくださいました。 将来のことを話すときは、これから 行っていく新しいことがおもになって、 それはそれでいいことなのですが、過 去の活動を顧みて、過去の経験を今後 の活動に取り入れていくこともとても 重要だと思います。例えば教育の分野 では、持続可能な開発に関する教育に ついてたくさんの経験があります。既 存のリソースを上手に使って、いまあ る施策を新しいものにしていくような ことも大切ではないかと思うのですが、 その点はどのようにお考えでしょうか。 ――フューチャー・アースを進めてい くには、領域を超え、国境を超えるこ とが必要だというお話でした。国のレ ベルを超えるとなると財源が大きな課

題になると思います。国際的な課題に 対応する新しい財源として、国際連帯 税というようなことが最近は言われ出 していて、日本のなかでも議員連盟等 ができています。例えば、航空券税で あるとか、為替にほんの少しずつ税金 をかけるとか、国際的な財源を生み出 すための税制に関して多くの人がいろ いろな提案をしています。その点につ いてスピーカーの方々のご意見をいた だきたいと思います。 ――今日のお話はどれもすばらしいと 感じましたが、もう少し政治へのアプ ローチを強めるべきではないかと思い ます。日本では選挙権が一八歳に引き 下げられ、次の参議院選挙から低年齢 の若者に投票権が与えられます。環境 問題に熱心に取り組む候補者を国会に 送り込む絶好のチャンスとなるのでは ないでしょうか。皆さんがせっかくい いことをしているのですから、もっと

パワーを付けるために、政治家がもっ ともっと環境問題に関心をもつように 仕向ける、皆さんがいろいろと蓄積し てきたものをもっともっと政治家に提 供する、そういったことが必要ではな いかと思います。その点についてご感 想があれば聞かせてください。

竹本 ありがとうございます。それで はいまの三つのコメントに対してパネ リストの皆さんにレスポンスをお願い したいと思います。スタフォード・ス ミスさん、アリコさん、花木さんの順 にお願いします。

政治への働きかけを強める

スミス 非常に鋭いいくつかのご指摘 をいただきました。まず、既存のプロ ジェクトの活用ですが、引き続き使え るものがあると思っています。いまま でやってきたもので、例えばコデザイ

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をフォーラムで発表して、また次の質 問が出てくるというような進め方をし ました。 ウエブ上でCSROのフューチャ ー・グループ・レポートを見ていただ きますと、政府や業界がどういった方 向に進んでいくべきか検討したさまざ まなシナリオがあります。研究者が研 究をし、将来について考える人たちが 一堂に会してディスカッションし、そ してまた研究し、その成果をまた一堂 に会して解釈し合うということを行っ てきたのです。これはまさにコデザイ ン、コプロダクションが実際になされ ていることの一つの事例です。 この他にもいろいろなことが行われ ています。例えば、農家の人たちと新 しい穀物を開発して二酸化炭素の排出 を抑えようとするプロジェクトもあり ます。東南アジアなどの他の地域にま たがって事業を進めていくような場合 には、科学者が橋渡しとなることもあ るのですが、それはどのようにするの がいいのかといった経験を積み上げた りもしています。メコン川流域で水を 利用してエネルギーを生み出す場合に 狭いローカルなレベルからもっと広域 のレベルまでどのような影響が出るの かといった研究や、インドネシアやフ ィリピンなどの都市部の水道に関する プロジェクトや、さまざまな事例があ ります。 次の段階としては、グローバルなレ ベルでものごとをどのようにして進め ていくのかということになると思いま す。ビジネス・カウンシル・フォー・ サステイナブル・デベロップメントと いう団体で、より定量的な解決策にど のようにつなげていくのかいま話し合 っています。例えば持続的な調達に関 してどういう標準化をしていけばいい のかということを検討しています。 私たちの前にあるのは非常に大きな 課題です。容易に解決できるものでは

ありません。エネルギーに関する会議 でもさまざまな意見が出て、未来に関 するさまざまな考え方が出されます。 ディスカッションすることで共通認識 が生まれてきますので、そういったこ とを大事にしていきたいと思っていま す。

会場からの三つの質問

竹本 ありがとうございます。オース トラリアで行われていることから、世 界全体に拡大して将来どのように進ん でいくべきかというお話をいただきま した。 各パネリストからひと通りのご発表 をいただきました。 ここでフロアの皆さんからご質問、 またはコメントがありましたらお聞か せいただきたいと思います。フロアの 方どなたでも結構です、手短にお話い ただければ幸いです。

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す。先ほどIGBPの話がありました が、IGBPは幸運なことにタイミン グがよかったのだと思います。科学者 が予測をし、それによって政治的なビ ジョンが作られ、行動が生まれるとい う順番で、気候変動枠条約ができあが っていきました。IGBPの前にはそ ういったものはありませんでした。 ブルントラント委員会が持続可能な 開発を提起した当時から、かなり制度 化が進み、さまざまな条約が結ばれて

きました。国際的な研究プログラムも たくさん行われてきました。もしかし たら数が多すぎるくらいあるのかもし れません。互いに重複していることも ままあって、科学的なアセスメントが きちんと協調が取れないかたちでバラ バラに行われていたりもします。 フューチャー・アースでは過去の教 訓を忘れてはいけないと思っています。 その上で、コデザイン、コプロダクシ ョンをきちんと行っていくのだという ことが示せるような活動をしていかな ければいけません。科学コミュニティ が複数の当事者とともに次のチャレン ジへの道を切り開こうとし、また科学 をこれまでとは違ったものに作り直そ うとしているのだということを示して いかなければいけません。 二つ目の質問は私には十分にお答え することができないので飛ばします。 政治との関係ですが、「持続可能性な 開発のための2030アジェンダ」は

政策主導でつくられたものです。科学 と政策の相互作用が重要だということ をまさに表しています。学術コミュニ ティと政治家、あるいは議会との意思 疎通がますます緊密になされていくべ きだと思っています。

容易ではないチャレンジ

花木 フューチャー・アースでは、既 存のプロジェクトをコアプロジェクト と呼んでいます。既存のプロジェクト には二つの側面があると私は考えてい ます。一つは、既存のプロジェクトが 存在することによって、フューチャ ー・アースは実際の研究を進めていく ことができます。これはフューチャ ー・アースを強めてくれるいい側面で す。しかし、既存のプロジェクトが続 いていくと、従来型の研究のやり方で 進めてしまいがちです。新しいコデザ イン、コプロダクション、コデリバリ

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ンがまだできていないようなものであ れば、その点を改めていく必要があり ます。ご指摘の通り、教育の分野に関 して非常に重要な内容をもった数々の プロジェクトがあります。それらとフ ューチャー・アースがコラボレーショ ンすることは大切です。これまでに行 われてきたプロジェクトの活用は必ず しなければいけないことです。 次に国際連帯税ですが、非常に創造

性に富んだアプローチだと思います。 グローバルなレベルでのガバナンスに 大きな変化を生み出すことが可能なア イディアです。非常に重要な議論だと 私は思います。フューチャー・アース では少なくとも二つのイニシアティブ でこういった領域を探索しようとして います。一つはナレッジ・アクション・ ネットワークのなかで持続可能なファ イナンスということを検討しています。 もう一つはシステム・ガバナンス・プ ロジェクトでも同じような問題に対応 しています。 三つ目は政治に関するコメントでし た。研究者がいくら頑張っていいアイ ディアを出しても、それが実現される ようにならなければ意味がありません。 実現のためには政治家の方々に関与し ていただいて、最終的に実現できるよ う政治的にたたかっていただかなけれ ばなりません。 オーストラリアでは毎年異なるテー

マで一日かけて議会で科学に関するさ まざまなディスカッションをするイベ ントがあります。年によってテーマは まちまちで、科学者が政治家と直接話 ができる非常にいい機会です。政治家 に働きかけるさまざまな方法がほかに もありますがまだまだ足りません。研 究者の方々も投票権をもっているわけ ですから、政治にも関心を向け、地元 の政治家とも何らかのつながりをもつ ようなことをしていただきたいと思い ます。とにかくさまざまな機会を活用 して政治家と直接顔を合わせて話すこ とも大事だと思います。

過去の成功を超える

アリコ 一つ目のご質問について、お っしゃる通り、過去は忘れてはなりま せん。大切なものは継承していくべき です。その一方で、過去の成功が将来 の縛りになってしまうこともありえま

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うにして関与してもらうのかという戦 略で、そのなかには政策決定者も入っ ています。日本の若い人たちの選挙権 もからめてのコメントでありましたの で、若い人たちにもっと身近な問題と して考えていただけるようインプット をぜひしていきたいと思っています。

大竹 先ほどピラミッドの絵を出し ました。フューチャー・アースはお金 を配るためのメカニズムではなくて、

地球規模の問題に対していろいろな意 味での方針を決定して、科学界に影響 を及ぼし、そして産業界や社会全体へ と広めていくメカニズムです。既存の プログラムで重要なものはもちろん続 けますが、フューチャー・アースに入 れた共創=コプロダクションというこ とをこれまで以上に考えなければいけ ません。特に産業界との関係では、最 初の時期からいろいろなことを一緒に 議論をしていきます。コンセンサスを 取るための議論ではなくて、どのよう な問題があるかを一生懸命に考えてい く議論です。これにはマークさんが紹 介されたような活動が非常に重要です。 ピラミッドの下の方に科学的探究心 に基づく基礎科学プログラムが記して ありました。それらの科学研究のプロ グラムも、科学コミュニティはこれま でと同じように研究をするのではなく て、新しい動機のもとで研究していく という意識をきちんともって対応して

いく必要があります。最初にサルバト ーレ・アリコさんが指摘されていたよ うに、日本は科学への公的投入があま り多くないといわれていますが、それ でも政府は年間四兆円を出しています。 公共事業費の七兆円に次ぐ大きな額で す。いま地球が非常に危機に瀕してい るときに、科学者は自分に関心のある 研究をするだけではなくて、何分の一 かの努力は地球の問題に向けていただ きたいと思います。そのように科学コ ミュニティの考え方を変えることが重 要です。 しかし、四兆円のままでずっと据え 置きだということになると元気が出な い方もいらっしゃることでしょう。増 やす努力は重要です。その際に財源と して新しい税金という話がありました けれど、税金は誰しも取られるのはい やですから、難しい議論しなければな りません。政治家の力が重要になりま す。政治家が、このようなことがいま

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ーの方向に変えていかなければならな いのですが、そうするにはかなりの力 が必要でしょう。容易ではないチャレ ンジですが、既存のプロジェクトをフ ューチャー・アースのやり方に変えて いくことができたら非常に大きな成果 になります。 二つ目のコメントには、財源をどこ から得るのかということと、ビジネス のなかでサステイナビリティをどのよ うに確保していくかという二つの側面 があると思います。二番目の側面につ

いては、マークさんも話されたナレッ ジ・アクション・ネットワークのなか の持続可能なファイナンスで検討して います。金融のなかにもサステイナビ リティを含めていくということはまさ に学際的であり超学的なアプローチで、 大変大事なポイントだと考えています。 三つ目のご質問についてですが、政 治家も当然重要なステークホルダーの 一つです。冒頭に大西学術会議会長が 紹介されましたように日本の第五次科 学技術基本計画のなかにフューチャ ー・アースのことが含められています。 これは自動的に含められたわけではな くて、フューチャー・アースの重要性 を政治家も含めてさまざまな方が理解 された結果です。第五次科学技術基本 計画に入ったことを第一歩として、具 体的な中身について政治家の方々とも さまざまなステークホルダーの方々と も話をしていくというのがこれからの 進め方であると思っています。

竹本 長谷川さん、大竹さんからもお 願い致します。

科学コミュニティがまず変わる

長谷川 私は三番目のコメントにつ いてひとこと述べさせていただきます。 私がメンバーになっている関与委員会 ではエンゲージメント・ストラテジー というペーパーを現在準備しています。 いろいろなステークホルダーにどのよ

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どうぞよろしくお願いします。

身近な具体的な取り組みが大切 大竹 政界・官界・産業界が共通して 取り組んでいこうという大きな流れは 非常に大切です。その一方で、実際に いろいろなことを進めていくには、例 えば私がお話をしたインドネシアの事 例であるとか、花木先生がお話された 文京区の事例とか、小さいコミュニテ ィでの取り組みをきちんとやっていく ことも重要です。それがないと、これ は国連のやっていることでわれわれと は関係がないことだということになっ てしまいかねません。よく「地球規模 で 考え、地域で 行動せよ」( Think )といわれますが、 Globally, Act Locally 大きなことを考えながらも、個々には 日々の暮らしに見合った近いところで 何ができるのかという努力をいたると ころでしていくことが大切だと思いま

す。世界で政界・官界・産業界が意識 を統一していくような大きなところと、 具体的な身近な小さいところとの両方 の努力を合わせることが重要なのです。

フューチャー・ アースを知っていただく 長谷川 私は日本からたった一人の フューチャー・アースの関与委員会の メンバーとして参加しています。これ までに科学者の方々の間ではフューチ ャー・アースはかなり浸透して、大事 なものだという認識が形成されてきま したが、一般のステークホルダーの 方々は、 「フューチャー・アースって聞 いたことがあるような気がするけれど、 何なのだろう」というところぐらいま でしかまだ至っていません。私として は、まずはフューチャー・アースとい う科学とステークホルダーが連携する 大きなプラットフォームがあるという ことを知っていただく努力をしていき

たいと考えています。 それと同時に、私はさまざまなステ ークホルダーの方々とお話する機会を いろいろともたせていただいています ので、皆さまのご意見をよく聞き取っ て、フューチャー・アースの委員会な どで、日本のステークホルダーの方々 は科学とこのように協働したいと思っ ているといったことをきちんと伝える よう努めてまいります。あまり日本と いうことを強調しない方がいいのかも しれませんが、皆さまの意見がきちん と反映できる努力をしていきますので、 これからのご支援のほどをどうぞよろ しくお願いいたします。

難しいことにこそ取り組む

花木 大学にいる科学者として申し 上げたいと思います。従来の学問が学 際的な学問になり、さらに超学際的な 学問になっていくということがよくい

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大切なんだから税金も増やそうよと、 本気になって言っていただくためには、 科学コミュニティがこんなにも一生懸 命になっている、自分の好きな研究で はなくて地球を救うための研究をやっ ているのだという姿勢を見せないとい けないでしょう。そういうことになれ ば、これは本当によい循環になってい くでしょう。 フューチャー・アースは、 科学界、政治家、産業界のマインドセ ットを変えるような大きな動きになっ

ていくべきであると思います。

竹本 それでは、時間の関係もありま すので、金丸さんにはいまのご質問・ ご意見に対するコメントがあれば頂戴 した上で、続けて最終的なラウンドと して、パネリストの皆さまにそれぞれ のお立場から今後のフューチャー・ア ースへの期待も込めて締めくくりのお ことばを順にいただけたらと思います。 産・ 官・ 学のネットワークを作る 金丸 三つのご質問について、私から とくに何かコメントできるようなこと はなくて感想と意見だけです。国際連 帯税の話をお聞きしたときに、日本と してはその前に、炭素価格についてき ちんと議論を進めていくべきではない かと思いました。 今回私は企業の側から参加させてい ただきました。これから持続可能な開

発目標や気候変動に対応していく新し い国際的な枠組みのなかで、企業が取 り組んでいく場合に、やはり科学的な 知見が非常に重要ですし、また個社だ けで何かができるものでもありません ので、産・官・学の連携が非常に重要 であると考えています。もちろん、個 社として対応しなければいけないこと はまずはきちんと考えていきますが、 個社だけでできることは限られていま す。産・官・学のネットワークが非常 に重要です。企業間には競争はあって も連携できる部分も非常に大きいと思 います。企業間のネットワークを作る ことは可能でありますし、必要なので すが、企業だけではなくて官も学も入 ってつないでくださると、非常に大き な力になるのではないかと思います。 私たちもネットワークの一員として動 いていかなければいけないと思ってい ますので、今日のような議論がさらに 発展していくことを期待しています。

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長期的な関係性を作る スミス 私からは三つ申し上げます。 一つ目は、税金の問題です。税金がよ り増えるということは多くの人は歓迎 しません。よりうまく税金を使ってい くことがまずは重要だと思います。 二つ目は、科学と社会の間の関係性 をどのように築いていくかということ で、常に覚えておかなければいけない のは、パートナーシップは長期的に考 えなければいけないということです。 長い時間をかけて信頼を築いていく必 要があります。科学と社会との間だけ ではなくて、何らかの事業をしようと するときには一日で終わるわけではあ りませんから、パートナーシップは必 ず長期的になります。長期になればそ の間に人が替わるということもおこっ てくるでしょう。長期的な関係性をど のように作っていくのかきちんとした 取り組みが必要です。

三つ目は、研究者の行動に変化が起 きていることです。自分の発表する論 文を単に増やすというだけではない観 点からものを考えるようになってきて います。そうした変化をさらにうなが すにはインセンティブをどのように与 えていくのがいいのでしょうか。研究 のための基金を獲得するというところ ではどうしても競合する関係になりま す。協働を促すのはどうしたらいいの でしょうか。 科学と社会のとのよい関係を築いて いくということは、普通に研究を進め ていくなかでは教えられるものではあ りません。どういった研究をすれば社 会にどのように役に立つのかというこ とを研究者が自分で考えていかなけれ ばなりません。そのようなことをする のは簡単ではありませんし、すごく時 間のかかることです。今日は土曜日を 使ってこのような集まりが設けられ、 お互いに理解し合うということが実際

に行われ、皆さんに参加していただい たことを非常にうれしく心強く思って います。

竹本 ナレッジ・アクション・ネット ワーク(KAN)という言葉が午前中 にも出ましたが、いまご発言をいただ いた通り、このような対話をすること が将来のフューチャー・アースの行動 につながっていくのだと思います。時 間の限りがありますので、ここで本日 のパネルディスカッションを閉じさせ ていただきます。ここでの議論が次の セッションへと引き続かれて展開して いただけたらと思います。 最後にパネリストの皆さんにどうぞ 大きな拍手でもってお礼を申し上げた いと思います。ありがとうございまし た。

司会 竹本先生、ご登壇の皆様、あり がとうございました。

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われます。とはいえ、学際的な学問が 現在十分に行われているわけでは必ず しもないので、超学際的な学問はなお さら難しいのではないかと思われるか もしれません。私にとっては、社会と 一緒にやる超学際的な学問の方が学際 的な学問よりむしろやりやすいという 気持ちがあります。なぜかというと、 社会の方はドアを開けているので、わ れわれが出ていきさえすればそれはで きるのです。しかし、学術の分野の間 ではドアが閉じているような感じがあ って、なかなか連携ができにくいとい う印象があります。そうであっても、 学際的な学問と超学際的な学問の両方 を進めていくのは難しいことです。し かし、難しいことをするのがそもそも 学者が興味をもつはずのところですの で、ぜひこのフューチャー・アースに いろいろな人が取り組んでくださるこ とを期待しています。

研究者の処遇も課題 アリコ 簡単にいくつか申し上げたい と思います。数日前にユネスコが発表 した報告で、重要なポイントとして指 摘していることとして、基礎研究への 投資が発展途上国や中進国で減ってい ることが明らかになっています。早く 成果を求めるあまり、基礎研究への投 資を減らして応用研究に振り向けた結 果として、研究全般が力を失ってしま うような基礎研究と応用研究の間の罠 にはまるようなことになってはいけな いと懸念しています。 フューチャー・アースの役割として、 経済・社会・科学という個々の境界を 超えていかなければいけません。世界 経済は非常に変動の幅が大きくなって います。将来的に何か危機があったと きに、もちろんなければいいとは思い ますけれど、どのように対処していく のか非常に大きな課題です。そのとき

に研究者の役割は大きなものがあると 思います。しかし、研究者は世界の労 働人口の〇・二パーセントしかいませ ん。研究者の職の機会もいまは非常に 変動しています。研究者の処遇をどう のようにしていったらいいのかといっ たことも考えていく必要があります。 社会を変えていこうとするときに、 例えば食料の安全保障を考える場合に、 それはただ単に農産物をより多く生産 するのがいいというだけではありませ ん。健康との関連、エネルギーとの関 連、水との関連など、さまざまな関連 性を考える必要があります。ここで最 後に申し上げたいのは、学問間だけで なくさまざまな障壁を除いていくこと の重要性です。私はこの前、春に日本 にきたときに非常に感銘を受けたこと がありました。日本では省庁間で話し 合うという文化ができつつあるという のを見ることができました。それは非 常に勇気付けられるものでした。

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( Anthropocene )という言葉がありま す。人類の活動によって地球を大きく 変えてしまうような時代に私たちは入 ってきています。いくつかの領域で、 人間活動が、人間が安全に生きていけ るような限界を突破しつつあるのでは ないかと認識されるようになっていま す。そのようなときに、社会をこのよ うに変えましょうと専門家が一方的に 提言するのではなくて、世の中にはい ろいろな意見の方がいらっしゃいます ので、みんなで対話して考えていくこ とが大切だといわれています。今日の 最後のこのセッションでは、高い壇の 上から話をするというところから一歩 踏み込んだ双方向的なかたちでの議論 を行ってみたいと思っています。 ■アンケート

変化のために何が必要か? 江守 最初に、皆さまに参加登録をし

ていただいた際にアンケートを採らせ ていただきましたので、その結果を見 てみたいと思います。アンケートはこ のようなことでした(図Ⅰ) 。 持続可能な社会を実現するためには 大きな変化が必要だと考えられます。 気候変動を例にとると、国際社会が掲 げている世界平均気温の上昇を産業革 命前を基準にして二℃以内に抑えよう という目標を実現するには、世界全体 の二酸化炭素排出量を今世紀中にほぼ ゼロにする必要があります。非常に大 きな規模の対策が必要です。対策とい うよりは大きな社会の変化、もしかす ると次の新しい違う文明に入っていく ような規模の大きな変化が必要です。 では、そのような変化が起きるために は何が最も必要だと思いますか、とい うのが質問でした。 何が必要であると思うかという選択 肢は、 A 技術革新が必要である、

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■双方向対話

フューチャー・ アース・ ソサエティ

[

] せいた)

――新しい社会を作る対話 モデレーター

江守正多 (えもり [

]

) Mario Hernandez

国立環境研究所地球環境研究センター気候変動リスク評価研究室室長 登壇者

マリオ・ ヘルナンデス (

) Paul Shrivastava

フューチャー・ アース関与委員会委員

ポール・ スリバスタバ ( かつみ)

フューチャー・ アース事務局長

櫛屋勝巳 (くしや

ふみこ)

昭和シェル石油株式会社エネルギーソリューション事業本部担当副部長

春日文子 (かすが

フューチャー・ アース日本ハブ事務局長、国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長、 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構客員教授

司会 続きまして双方向対話「フュー チャー・アース・ソサエティ―新しい 社会を作る対話」を開始いたします。 モデレーターをお務めいただきますの は、国立環境研究所地球環境研究セン ター気候変動リスク評価研究室室長、 江守正多先生です。このセッションで は、先ほどお配りしたリモコンを使い ます。登壇者の皆さま、壇上にお願い します。

江守 皆さんこんにちは。三連休の初 日にもかかわらず、皆さまにはお集ま りいただきましてありがとうございま す。午前から聞いている方はかなりお 疲れかとも思いますので、最後のセッ ションは少し柔らかい感じでやらせて いただきたいと思っています。 今日ずっとお話を聞いていただいて いた方はおわかりだと思いますが、人 類は非常に厳しい深刻な持続可能性の チャレンジに直面しています。人類世

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B 大量生産・大量消費の経済から の脱却が必要である、 C 人々の意識や行動の変化が必要 である、 D 政治の意思決定の変化が必要で ある、 E その他、 ということでした。 皆さまにはご自分が属する分野を、 学術分野、市民、官公庁、産業・ビジ ネスから選んでいただきました。分野 のそれぞれで選択肢を選んだ割合が異

や目立ちます。市民は、意識や行動を 選んだ人が多いようです。自分たちが 変わらなければいけないというお気持 ちをもっているからでしょうか。官公 庁はサンプル数が少ないのですが、割 とバランスよく選ばれていて、そのな かでは意識や行動が多いです。産業・ ビジネスは特徴的で、技術革新の割合 が大きくて、政治にはあまり期待して いないようです。 さて、皆さまはリモコンをおもちで しょうか。これを使ってリアルタイム の投票を行いながらお話を進めていき たいと思います。 一度、リモコンの練習をします。安 田講堂に入ったのは初めてだという方 はAを、初めてではないという方はB を押してみてください。すぐに結果が 出ます(図Ⅲ) 。 では本番の質問にまいります。登録 時にお伺いしたものをもう一度聞かせ ていただきたいと思います。

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なっています。 では、結果です(図Ⅱ) 。まず学術分 野を見ますと、大量生産からの脱却と いうのが他の分野と比べて多いのがや 図Ⅲ


図Ⅰ

図Ⅱ 104


生活の質は向上するのか?

■アンケート

江守 次の問いは、「持続可能な社会 を実現するために各種の取り組みや政 策をいろいろと実施しなければいけま せん。それはあなたにとってどのよう なものですか」 。 選択肢としては、 A 多くの場合、生活の質を脅かす ものである。 B 多くの場合、生活の質を高める ものである。 C 生活の質に影響を与えないもの である ここで生活の質(クオリティ・オブ・ ライフ)というのは、例えば、健康、 快適さ、満足度、豊かさなどといった ものです。持続可能性に向けて生活の 質が変化することに対して、Aはネガ ティブな気持ちがあるということです。 何かコストを払わなければいけないの

ではないのか、我慢をしなくてはいけ ないのではないのか、自由を制限され るのではないかといったような気持ち のする方はAです。Bは、持続可能な 社会に変わるのはいい社会に変わるこ とだから、自分の生活もきっとより満 足のいくものになるだろうというポジ ティブな感じがするということです。 Cはあまり変わらないということです。 では、押してください。 結果が出る前に、少しまた伺ってみ たいと思います。 ――Bを選びました。自然環境が大切 であるという意識が人の心のなかでし っかりとしたものとなっていけば、生 活の質も高まっていくと思います。 ――Cを選びました。先進国の場合に は生活の質という面ではもう十分に高 いと思うからです。発展途上国の場合 にはBという答えになると思いますけ

れども。

――いま押しませんでした。私として はちょっと押しようがなかったからで す。

江守 では結果をお願いします(図 Ⅴ) 。 なぜこれを伺ったのかというと、こ れと似たようなアンケートを世界市民 会議(ワールド・ワイド・ビューズ) が世界中で行っていて、それと比べた かったからです。そのときは気候変動 の話だったのですが、日本人の回答は Aが他の国に比べてすごく多かったの です。気候変動の対策はコストを払っ たり面倒なことをさせられたり我慢し なくてはならないと思っている人が多 いという結果でした。今日の皆さまは 持続可能性に向けての変化を肯定的に 捉えている方が割合として多いことが わかりました。

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図Ⅳ ただし、 選択肢を一つだけ変えます。 E これら全部 あとは同じで、A技術革新が必要で ある、B大量生産・大量消費の経済か らの脱却が必要である、C人々の意識 や行動の変化が必要である、D政治の 意思決定の変化が必要である。 Eを変えたのは、その他の回答をさ れた方で、全部が大事だと書いてくだ さった方が結構多かったのです。本当 は全部だと答えたかった人が結構いる のではないかと考え、 ここではEを 「こ れら全部」にしました。A、B、C、 Dのうちどれかが突出して特に大事だ と思っていらっしゃる方は、A、B、 C、Dのいずれかを押してください。 ではリモコンを押してください。 それでは結果です(図Ⅳ) 。全部だと いう方が四一パーセントと多くなりま した。意識や行動の転換に入れた方も 割といらっしゃいます。では、いま押 された方で、自分はこれを押した、そ

れはなぜなのかということを発言して くださる方はいらっしゃいますか?

――Aを選びました。実は一つ別の提 案が一つありまして、機会があればお 話しさせていただきます。

――Bを選びました。それをやるため には他のものもすべて必要だと思いま す。

――Aを選びました。例えば意識を変 更するよりも、技術の革新の方が早い のではないかと思います。

江守 ありがとうございます。このよ うにいろいろな意見があるのがおもし ろいのでたくさん聞きたいところです が、次の問いに行きます。その後で、 登壇者のお話をお聞きしたいと思いま す。

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図③

同じようにすべて人々にわかっていれ ばいいのです(図③) 。私たち人類は国 際宇宙ステーションにいるのと実は同 じようなものなのです。地球という宇 宙ステーションは大きいだけで、宇宙 に浮いているということでは同じ立場 です。私たちは宇宙ステーションに乗 っていながら、その宇宙ステーション を傷つけています。全員でひどいこと をやっているのです。 宇宙から地球の変化を捉えることが できます。南米のイグアスの一九七三 年と二〇〇三年の変化(図④) 、ボリビ アの一九七五年から二〇〇三年の変化 (図⑤)を見ていただきましょう。熱 帯雨林がこれだけ変化したのです。 アラル海は約三〇年間ですっかり変 わってしまいました(図⑥) 。 このような変化は何を意味するので しょうか。地球という国際宇宙ステー ションを守る政策がなかったのです。 持続可能性に関するいろいろな科学研 図④

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図Ⅴ いまのこの質問を、今日は最後にも う一度皆さんにお聞きしたいと思って います。その間にパネリストの皆さん とディスカッションを進めていきます。 それによって、皆さんの認識が少し変 わることがあるのかどうかをみてみた いと思っています。 それではお待たせしました。これか ら四人のパネリストの皆さんにお話い ただきます。ヘルナンデスさんからお 願いします。

宇宙ステーションの持続可能性 ヘルナンデス 宇宙に国際宇宙ステー ションがあることは皆さまご存じだと 思います(図①) 。国際宇宙ステーショ ンでは持続可能開発目標を守るための ミーティングをわざわざ開くようなこ とはしていません。持続可能でなけれ ばみんなが死んでしまいます。乗組員 の間で持続可能に関する認識は完全に

一致しています(図②) 。 地球の環境が脆弱だということが、

図①

図②

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図⑥ 111


図⑤ 110


図⑧

図⑨ 113


図⑦

究を意思決定につなげて、よりよいソ リューションを模索しようと呼びかけ ていかなければなりません。 都市の変化をみましょう。都市は 年々大きくなっています。パリ(図⑦) も私の故郷のメキシコ市(図⑧)もで す。メキシコ市は人口が五〇〇万人か ら二二〇〇万人に拡大しました。この ような都市の巨大化は地球の環境に問 題を引き起こしています。インドも中 国も都市からの二酸化炭素の排出が急 激に増大し、地球の気候に影響をもた らしています。 気候システムの変化はまだ十分には 解明できていません。大気は非常に複 雑なシステムです。私たちは二つの肺 をもっています(図⑨) 。地球にも二つ の肺があります。森林と海洋です。森 林と海洋は二酸化炭素を吸収して酸素 を放出してくれます。 いま海の表面の温度が急速に上昇し ています(図⑩) 。ペルー沖の海水温が

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責任は誰に? 恩恵は誰に? スリバスタバ 私はフューチャー・ア ースの事務局長をしています。この会 議に参加できて非常にうれしく思って います。ふつうは壇上から聴衆の皆様 に向かってお話をするだけのことが多 いのですが、この会議ではお互いにや りとりができるようになっています。

コデザイン、コプロダクション、コデ リバリーがフューチャー・アースでは 大切なのだと申し上げておりますけれ ど、すべては会話から始まります。皆 さまとこのように会話する機会を与え ていただいてすばらしいと思っていま す。 持続可能な開発への責任はだれが負 い、その恩恵は誰が享受するのでしょ うか。地球に住む市民として、特別な セクターとか特別な国とかに関係なく、 私たち一人ひとりが責任をもち、それ ぞれの役割があります。そしてその恩 恵は私たちすべてが享受するのです。 先ほどの調査で、四一パーセントの 人たちが、技術革新、大量生産・大量 消費からの転換、人々の意識や行動の 変化などのすべてが重要だとのお答え でした。それに関して誰も反論する人 はいないと思います。全体的なシステ ムを変えなければいけないのです。 皆さまがこのような質問に対して、

幅広く、そして体系立って考えること ができるようになる、まさにそれをフ ューチャー・アースが促進していこう としているのです。包括的に考えて議 論することで、一人ひとりがつながっ ていきます。単に政治を変えるだけ、 経済を変えるだけ、技術を変えるだけ ということでは持続可能な社会にはな りません。全システムを変えなければ いけないのです。皆さんの多くが、全 部が必要だとお答えくださったことは 非常に勇気が出ることです。 私としては、どれか一つを選ぶのな ら、二番目の選択肢、大量生産・大量 消費からの転換を選びます。大量生 産・大量消費のシステムが過去一〇〇 年間で作られて、私たちはそれをずっ と継承してきました。大量消費・大量 生産だけではなく、大量廃棄もありま す。アメリカで生産されている食品の 四〇パーセントが消費されずに廃棄さ れています。大量生産・大量消費のシ

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変わると地球の気候全体に大きな影響 を与えます。 科学はそのような海洋や大気のシス テムを解明しようと努め、地球規模の 変化にどのように対応すべきなのか、 さまざまな人々と協力して解決しよう としています。それがフューチャー・ アースです(図⑪) 。たくさんのステー クホルダーをたばねていこうとしてい るのです。

江守 ありがとうございました。宇宙 から見たデータで、サステイナビリテ ィについて非常にインパクトのあるプ レゼンテーションをしていただきまし

図⑩

た。 では、次にポールさん、お願いしま す。

図⑪ 114


図①

図②

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ステムが生態学的に効率的でないこと から廃棄せざるをえないようになって いるのです。アメリカで生産されてい る電力の多くもムダに費やされていま す。アメリカの北部でエネルギーを作 ってフロリダやカリフォルニアに売る と、電気が送られる途中でロスが生じ ます。ロスはシステムをきちんと管理 できていないから生じるものもあるで しょうが、そもそもシステム自体が効 率的ではないということもあります。

大量生産・大量消費を前提とした経済 システムからの脱却は非常に重要です。 二つ目の質問に関して、持続可能な 開発が生活の質を高めると、五〇パー セント以上の方がお答えされたことを 非常にうれしく思います。もちろん開 発途上国ではそうであるのですが、先 進国でもそうなると思います。持続可 能な開発は物質的な面ばかりではなく て生活の質全般を上げていくものであ って、 人類の全幸福に寄与するのです。 議論を経た後での二回目の質問の結果 を楽しみにしています。

江守 ありがとうございました。大量 生産・大量消費、そして大量廃棄とい うところにスポットを当てて、そして 先進国の人たちにとっても重要である というお話をいただきました。 それでは櫛屋さん、お願いします。

石油会社のチャレンジ

櫛屋 これは私の思いなのですが、い まわれわれは地球の温暖化と原子力と 核の時代を生きています(図①) 。時代 も環境も大きく変化していく状況のな かで、どのように生きていくのかとい うことが問われています。 昭和シェル石油は石油の会社ですが、 太陽電池も事業として取り組んでいて、 私はシリコンを使わない太陽電池の開 発にずっと携わってきました。 太陽電池には、大きくわけてシリコ ンと非シリコンの二つのタイプがあり ます(図②) 。世界市場でのシェアは、 結晶系シリコンが九五パーセントを占 め、それ以外が五パーセントです。単 結晶と多結晶のシリコン太陽電池が世 界のメジャーで、それに対して、非シ リコンの二種の太陽電池が商業的に競 走できる状況をつくろうとしています (図③) 。

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図⑤

昭和シェルの子会社であるソーラー フロンティアで非シリコンの薄膜太陽 電池を作っています。外観は、光を全 部吸収するので黒く見えます(図④) 。 太陽電池は国際的な商品ですから、い ろいろな国際的な認証を受けてきちん とした製品として世界に輸出され、設 置されています。 われわれの太陽電池は、「カドミウム や鉛を使わない」という特徴がありま す。環境によくないものは使わないと いうことで、原材料から選んで作って いますし、販売から最終的なリサイク ルまで含めて考えています(図⑤) 。ヨ ーロッパでは、一つの製品として入口 (使用する材料の選択)と出口(廃棄 物回収とそこからの有価物回収)にル ールを作り、 その間をきちんと管理し、 生産者もユーザーも責任をもって対応 するというのが一つの考え方になって います。日本はまだそこまではいって いませんが、企業としてはそこまでき

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図③

図④

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図⑧

ちんと考えながらやっていく必要があ るとの認識が広がっています。 世界の太陽光発電の導入量は二〇一 四年単年度で四〇ギガワット(図⑥) 、 累積で一八〇ギガワットです(図⑦) 。 二酸化炭素に換算すると、一四パーセ ントぐらい削減されていることになり ます。 日本も気候変動枠組条約のCOP2 1で二酸化炭素削減の国際的な約束し ていくわけですが、二〇二五年ぐらい までに、太陽光も含めた再生可能エネ ルギーでエネルギーの四分の一を供給 できるようにしたいと考えられていま す。日本は、二〇三〇年には太陽光だ けで七〇ギガワットくらい入っている のではないかと予想されています(図 ⑧) 。これは、日本の二酸化炭素の排出 量を七パーセントぐらい削減できる規 模です。 二〇三〇年といっても、それほど先 のことではありません。 しかしながら、

その間に世の中が大きく変わることに なるでしょう。われわれは石油会社で はありますが、エネルギーを供給する だけではなく、いろいろなかたちで社 会に貢献できる会社になるために引き 続き努力していきたいと考えています。

江守 ありがとうございます。先ほど の選択肢ですと、おもに技術のお話の 具体例を提供していただきました。そ ういう技術をわれわれ社会がどう受け 入れていくかというところで社会の変 化へとつながっていくと思います。 では最後に春日さんお願いします。

食品衛生の経験から

春日 私はフューチャー・アースの日 本ハブ事務局長ですが、本職としては 厚生労働省の研究所の研究部長をして います。地球環境とは少し異なります

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図⑥

図⑦ 120


が、私たち食品安全に関わっている研 究者にとっては、イオンさんを始めと する大きな流通業界の方たちは非常に 頼りになるパートナーです。大きなフ ードチェーンに食品を納入する製造業 者さんにとって、一番怖いのはイオン さんであったり他の大きなスーパーマ ーケットチェーンです。厚生労働省な んて実は怖くないのです。イオンさん たちは第二厚生省といわれて、一番強

い力をもっています。というのは、大 きなスーパーマーケットチェーンが買 わなければ、食品を作っている業界は 生活が成り立たないからです。 産業界にとっては自主ルールをどう 決めるのかということが非常に重要で す。それによって生産者にも消費者に も大きな力を及ぼします。そのことが フューチャー・アースにとっても、こ れからの地球環境にとっても実は大変 期待される秘められた力になるのでは ないかと思います。

江守 ありがとうございます。食品分 野と対比して、人々が政府に言われな くても自分たちで意識を変えていこう と考えているところが意外に感じられ たということでした。それはよいこと であるのかなと思います。 それでは、ここからパネラーの皆さ んと少しディスカッションしていきた いと思います。最初にマリオさんと櫛

屋さんに、聴衆の皆さまへのアンケー トに対する感想がもし何かあればお聞 かせいただきたいと思います。

誰がリーダーシップをとるのか?

ヘルナンデス 聴衆参加型のアンケー ト調査は非常に面白いと思います。生 活の質に関する質問で、持続可能性の 向上と生活の質の向上は全く同じもの だと私は考えています。持続可能性へ の脅威がなくなればもちろん生活の質 は上がるのです。 ソーラーパネルに関しても食品安全 に関しても興味深くお聞きしました。 ただコストの話が出てきていないのが 気になりました。持続可能性にはコス トがかかります。ソーラーパネルを使 うのはもちろん環境に優しいわけです が、安価なものを選ぶとそれほど環境 には優しくないということがあります。 コストも考えに入れていく必要がある

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が、 食品の安全ということに関わって、 科学的な知見が人々の実際の行動にど のようにつながっているのか、あるい は、科学が社会にどのように貢献でき るのかということを経験してきました。 そのようなことを踏まえて、今日のア ンケート調査結果を拝見して、予想と 違った点が一つと、やはりそうだなと 思う点が一つありました。 まず予想と違ったのは、政治の意思 決定よりも人々の意識や行動の転換を

選んだ人の方が多かったことです。こ れはレバーの生食の規制をしたときの 背景とかなり違っています。 覚えていらっしゃるでしょうか。二 〇一一年に生の牛のレバー食による腸 管出血性大腸菌の事故でお子さんも含 めて何人かが亡くなりました。その痛 ましい事故を受けて、生食用牛肉の規 制が変わり、二〇一二年の七月には牛 のレバーの生食が禁止されました。そ うすると、人々は豚の生レバーを食べ ようとしました。豚の生レバーはそれ はそれで大変に危険なものなので、豚 の生レバーも二〇一五年六月に禁止さ れました。どちらも国の決まりとして 禁止されたのです。国が禁止しないと どうしても食べる人が出てしまうとい うのが、食品安全に関わってきた研究 者としてはいまだに信じられないよう なことなのですが、それが実態なので す。生のレバーにはとんでもなく危険 な病原体が含まれているというのは私

たちにとっては当たり前の知見で、そ のようなものは絶対に食べていただき たくないのです。そういう科学的知見 をいくらお話しても、また保健所の人 たちが一生懸命お店の人にお伝えして も、国が決まりを変えない限りは、食 べたいという人が出て、提供するお店 が出て、それが食文化だと主張する人 もいるのです。これが日本の社会の実 態であると、私たちは痛い思いをして 学んできたのです。でも、今回のアン ケート調査を見ると、人々の意識を変 えることが可能だ、あるいはそこに期 待しているという人が多いということ ですので、異なる事象には異なる傾向 があるのだなと思いました。 やはりそうだなと思いましたのは、 産業界の方々のアンケート結果です。 産業界の方々は、国の規制、政治的な 規制には頼らないというお答えをして います。前のパネルディスカッション でイオンの金丸部長が登壇されました

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しょうか。 さて、この後で、先ほどの二つ目の 質問をもう一度聞くのですが、持続可 能性に向けた変化は生活の質を脅かす と先ほど答えた人が、生活の質を高め るという答えに変わるかもしれないと いうことを期待して、このようなこと も考えに入れてほしいということでご 発言されたい方はいらっしゃいますか。

誰の生活の質なのか? スリバスタバ 生活の質の問題は持続 可能な開発の中核をなすものです。注 意すべきなのは、誰の生活の質なのか ということがとても大事です。いまの 世界では、おそらく二五パーセントの 人は高い生活の質を享受しているとい えるでしょう。七五パーセントの人た ちはそういうものを得たいとの希望を もっています。しかし、地球は限界に 達しようとしています。これまでのや り方を継続して生活の質を高めようと したならば、全員の生活の質が下がっ てしまうでしょう。地球の生態系が崩 壊してしまうからです。生活の質に関 して、自分たちの社会、自分たちの国 というところの枠を超えて、地球全体 としてどうかということを考えていた だきたいと思います。個々のコミュニ ティ、個々の国にとっては経済的なプ ラスであっても、全員の生活の質を脅

威にさらしているということがあるの です。だから持続可能な開発が必要な のです。フューチャー・アースは地球 全体を体系的なかたちで理解して、持 続可能な開発に向けて進んでいこうと する取り組みです。

■アンケート

誰が責任をもつのか?

江守 それではここでもう一回アン ケートを取りたいと思います。 質問は、地球環境問題に立ち向かう 責任を誰がもつべきでしょうか。誰が 責任をもつか、 A 各国政府、 B 政治家、 C 地方自治体、 D 企業・民間部門、 E 市民やNGO・NPO。 では皆さん押してください。押し終 わった方にはマイクが行くかもしれま

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と思います。

櫛屋 このアンケート結果で、政府の 役割に期待している人が意外と少ない と私は思いました。再生可能エネルギ ーを導入するためには世の中を大きく 変えていかなければなりません。その リーダーシップを誰が取るのかという と、国全体を見て変えていく政治の力 がかなり必要で、政治にリーダーシッ

プを発揮してもらわなければいけない と思っています。日本でここ三年間ほ どで太陽光を含めた再生可能エネルギ ーの導入量がかなり伸びてきたのは、 政治のリーダーシップがあったからで す。政治が社会システムのあり方をあ る程度設定すれば、新しいものも入る 社会になるのだということをわれわれ は実際に経験しました。そのことが皆 さんのアンケートの結果にはあまり反 映されていないようなので私は少し意 外な感じをもちました。 逆にいうと、政府に頼らずに、産も 学も含めて市民が将来のことを考えて 自分たちで変えていこうとしていると いうことなりますから、日本の方々は しっかりとした考え方をしているのだ なという印象にもなります。そういう ことからすると、世界が大きく変わっ ていこうとしている時代に、日本がか なり貢献できると期待していいのかな と思いました。

江守 ひとつお伺いしたいのですが、 櫛屋さんはビジネスの観点から政治の リーダーシップに期待をしているとい うことですね。

櫛屋 はい、そうです。

江守 政治というと、政治家なのか、 それとも行政・官僚なのか、どちらで しょうか?

櫛屋 どちらかというのは難しいで す。両方というか、すべてだと思いま す。どちらが力が強い弱いではないの ですが、やはり日本の将来を考えて一 番端的にリーダーシップを発揮してい ただける方に力を出してほしいという 思いはもっています。

江守 つまり総合して国にリーダー シップを期待するということになるで

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り不思議な気がします。日本の方々は どうやら政府をずいぶんと信頼してい るのですね。政府が信頼されること自 体はいいことだとは思いますが、 でも、 誰が政治家や政府を選ぶのかというと やはり市民ですから、私たち市民が責 任を取らなければいけないと思います。 ビジネスと民間セクターも大事です。 日本の企業は、日本で力を発揮するだ けではなくて、世界でも力を発揮でき ると思います。グローバルな資本主義 のシステムにおいて、ビジネスが富を 作り出す中心になっています。持続可 能性に向けて、大量生産・大量消費の メカニズムを変えていくことではビジ ネスが果たす役割が大きいと思います。 ビジネスが取り組まなければ問題は解 決に向かいませんし、ビジネスは持続 可能性を解決する手段をもっていると 思います。それは技術革新です。技術 革新は単に生産などの技術を変えるだ けでなく、社会的なイノベーションも

企業が主体的になっていく必要があり ます。 私はここでは少数派で、自治体を選 びました。問題を被っているのは市民 で、市民には責任があっても、政府に は全然声が届かないということがあり ます。私の考えでは、自治体には市民 を代表する力があって、より高いレベ ルに向かって解決策を見出すための支 援を仰ぐことができます。 この会場では自治体という答えがご くわずかでした。これは驚きです。私 はこの後でモントリオールに行きます。 イノベーションに関するサミットが開 催され、気候変動における都市の役割 について自治体のリーダーが参集して 議論することになっています。政府に 期待するのではなくて、自分たち自治 体のレベルで解決策を生み出していこ うという考えがそこにはあります。人 も資源もいまは都市に集中している傾 向があります。世界の五〇パーセント

が都市に住むようになっています。自 治体は変化のための重要な主体である のです。

櫛屋 いま市民は賢くなって、よいこ とと悪いことを、われわれ日本人は十 分に見極められるようになってきてい ると思います。COP21も含めて、 これからわれわれがどうしていくべき かを判断するときに、国(政府)があ る方向性を示して、みんなが判断して 共感ができるのであれば、その方向に 向かって進んでいくというのは悪いこ とではないと私は思います。国(政府) が方向性を示したからといって、正し い方向かどうかを判断できる人たちが 判断して賛成するのであれば、お上に 頼るというわけではないのだと思いま す。

春日 私は先ほどスリバスタバさん が生活の質を考えるときに、誰の生活

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図Ⅵ せん。 ――Aにしました。あまり期待はしな いけれども、やはり政府には動かない といけないという義務があるので、ぜ ひお願いしたいという思いを込めてA にしました。 ――私もAを押しました。今までのパ ネリストの方のお話を伺って、誰がリ ーダーシップを取るべきかということ になると、やはりAではないかと思い ました。 ――私はBを選びました。政治家の役 割は、エネルギーの部門、あるいは環 境の部門でもさまざまあると思います。 意思決定の主体は主に政治家にあるべ きだと考えます。

江守 では結果をお願いします(図 Ⅵ) 。

政府が約五割ですね。その次に多い のが市民やNPO・NGOで二六パー セントです。 実はこれもやはりワールド・ワイ ド・ビューズの調査で似たような質問 をしていて、日本人の回答はAが非常 に多かったのです。世界の平均と比べ てAが多くてEが少なかったのです。 他の国の人たちは、市民の役割がある という答えが多かったので、日本はお 上に頼る傾向があるということなので しょうか。 この結果を受けて何か感想がありま すか?

ヘルナンデス この結果には少し驚か されました。文化的な背景の違いであ るのかもしれません。私はラテンアメ リカ出身で、私たちは政府を基本的に 信用していないところがあります。政 府と政治家の二つを合わせると六〇パ ーセントを占めているというのはかな

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思います。 持続可能性は私たちだけのために考 えるものではありません。持続可能性 は、いまの世代だけではなく、私たち の子どもたち、そのまた子どもたちへ と長期的にずっとつながっていくもの です。将来の世代の生活の質も考えて いくべきです。こういった対話をパネ リストの方とそして聴衆の方々とで行 っていくことで、持続可能性と生活の 質を誰のために考えるのかということ

に関して、人々の考え方が少しずつ変 わっていくことを期待したいと思いま す。

江守 われわれに実際に子どもや孫 がいると、そのあたりまでの将来世代 は想像しやすいかと思いますが、その 先のまだ見たことのない人たちも含め て将来世代となるとなかなか考えにく いのでしょう。持続可能性をいうとき には、そうした将来世代も含めた生活 の質を考えるということが問われてい るのだろうと思います。 さて、まとめに入っていきたいと思 います。それでは皆さん、もう一度先 ほどの質問を伺いたいと思います。持 続可能な社会を実現するために実施し なければいけない取り組みは、生活の 質を脅かすか、高めるか、変わらない か。どうぞ押してください。 さきほどと答えを変えた方はいらっ しゃいますか? 変えた理由について

発言していただいてもよろしいでしょ うか?

――前はBを押したのですが、先生方 のお話を伺って、今回は逆にAを押し ました。将来のことを考えると、われ われの生活の質を多少犠牲にしてでも、 持続可能性を追求しなければならない という感じを受けたので変更しました。

江守 なるほど。自分の生活の質を落 とすことであってもそれを受け入れる ということです。このように多様な考 え方があるので、アンケートの結果の 解釈は非常に難しいですね。ほかにい らっしゃいますか。

――私は生活の質を高めるものでなけ ればいけないと思います。持続可能な 社会を実現するために、みんなで協力 して生活の質を高めるための努力をし ていこうという目標をもつことが大切

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の質なのかを考えるべきだと発言され たことに非常に強く共感しました。地 球規模の問題に対してもっと時間的な ことも考えに入れなければいけないと 思います。将来世代に対して誰が責任 をもつのかという観点も入れなければ いけないということです。その際に、 私たち一人ひとりが自分の責任を十分 に自覚することが必要です。そのよう な考えから私自身はEを選びました。 政治家も自治体の職員も企業の社員も 結局は市民です。一人ひとりが現時点 だけではなくて、将来の地球環境、将

来の人間の生活の質、さらには地球上 の生物の生活の質を考えるべきだと思 います。

江守 ありがとうございました。 ここで一つ補足しておきたいと思う ことがあります。いまの問いは、誰が 責任をもつべきでしょうかと聞きまし た。それに対して、Aには入れたけれ どそれほど期待しているわけではない という方がいらしたように、責任はも つべきだと思っているけれど、期待し ているかどうかとはまた別だというこ とがあるのかもしれません。Aが多い からといってお上を頼りにしていると 解釈するのは少しためらった方がいい のかもしれません。同様に、企業や自 治体には期待をしていないということ ではないのかもしれません。日本の企 業はグローバルに活躍していて、イノ ベーションを生み出す力をもっている ということは、おそらく多くの人が認

識しているのではないかと思います。 それと、自治体も多くの具体的な取り 組みを行っていく主体として重要であ ると、多くの人が考えていると思いま す。今日は時間がないのでできません けれど、期待しているかどうかという 問いで改めてお尋ねするともしかした ら違う結果になるかもしれません。

■アンケート

生活の質は向上するのか?

( 二回目の問い)

江守 それでは生活の質に関する二 回目のアンケートを採って、まとめの コメントに入っていきたいと思うので すが、その前にどうしてもいいたいこ とがある方はいらっしゃいますか。

スリバスタバ 時間的な要素を考えに 入れるべきだという春日先生のコメン トについてひとことだけお話したいと

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と思います。

スリバスタバ こういう対話自体が非 常によいものであったと思います。コ デザイン、コプロダクションを進めて いこうとするときに、対話はとても大 切です。対話は魅力的です。しかし、 簡単にできることではなく、非常にチ ャレンジングでもあります。今日は私 は壇上にいて、次に何をいおうかとそ の都度考えていなければなりませんで した。他の方がいわれたことをその場 でリアルタイムで解釈して、考えてす ぐに答えなければなりませんでした。 言葉の問題もあります。なかなか大変 なことですが、それでも聴衆の皆さま のどなたかの気持ちを変えることがで きて、Bという答えが五五パーセント から六七パーセントに上がったことを すごくうれしく思います。私たちが行 ったこの対話が効果的で意味があった ということです。コデザイン、コプロ

ダクションの非常にうれしい経験がで きて感謝いたします。

櫛屋 人々(市民)はいま安心と安全 を求めていると思います。世界的に和 食が注目されているということがあり ますけれど、それは和食が安心と安全 に結びつく方向で受け止められている からだと思います。食の部分で日本は リーダーシップが取れるポジションに いるのです。 その一方で、再生可能エネルギーに 関してはいまは日本では本当にわずか な比率しかありません。将来は二五パ ーセントぐらいになることを期待され ていますが、そのためには、われわれ 一人ひとりがそれに向かって進んでい くのだという強い意欲をもっていない となかなか実現しません。 二一〇〇年ぐらいまでの将来をしっ かりと見据えて、食とエネルギーとい う生活の根幹になる部分をどのように

していくのかという考えをももって、 それを社会の中にきちんと実装してい くことを常に考えていくようにしたい と思います。それが持続可能な社会を 作るための一番重要なポイントではな いでしょうか。

春日 こういうアンケートを採りな がらの双方向の対話は今日が初めての 経験でしたので、大変楽しんで参加す ることができました。対話をするとい うのは、決して楽しんでばかりいられ るものではありません。簡単ではない 場合も多々あります。私は福島の原発 事故による健康影響の問題に、福島県 の委員として、あるいは国の官庁の委 員として関わりをもっていますが、対 話をするというのは非常に難しいと毎 回のように痛感しています。そこでは もともと事故自体に対して、あるいは 初期対応に対して不信感がものすごく あって、その上での対話ということな

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――持続可能な社会をいまは実現して はいないわけですが、唯一経験したの は日本の江戸時代の文化・文政のころ だったろうと思います。そのころ、長 年平和だったということもあり、いろ いろな条件が整って、文化的にも豊か な生活を日本人は送っていたわけです。 そのことをイメージしながらBを押し ました。

ヘルナンデス 今日のこのディスカッ ションを通じて、 できるだけ肯定的な、 そして建設的な考え方をもつことが必 要であると思いました。私が若かった とき、東京は非常に公害が多くて、警 察官がマスクをして仕事をしていると いうイメージであったのですが、いま はそうではありません。よい変化が起 こるのです。正しい道筋をたどれると 考えて、実際にそうすることが重要だ

対話をすることの意味

ら一五パーセントになりました。 というわけで、このディスカッショ ンを通して、持続可能な社会、あるい はそれに向かう取り組みについて、今 までよりもイメージが湧くようになっ て、それをより肯定的に捉えてくださ る方が増えたという印象をもちます。 最後にパネリストお一人ずつコメン トをいただきたいと思います。

江守 ありがとうございます。では結 果をお願いします(図Ⅶ) 。 あっ、Bが増えました。先ほどBか らAに変えたと発言された方がいらし たので、Bがたくさん減っていたらど うしようかと思っていたのですが、よ かったです。 Aが二三パーセントから一七パーセ ントに、Bが五六パーセントから六七 パーセントに、Cは二一パーセントか

だと思います。

図Ⅶ

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く調整し、大きなパッケージとして実 行しなければいけません。より多くの 当事者を交えて議論をしていかなけれ ばなりません。それが今日非常に強く 感じた一点目です。 生活の質に関する質問を聞いて思っ たことがあります。科学の世界では問 題がまず注目されがちです。例えば、 気候変動によってどういった災害が起 きるのかという問題です。もちろんこ れは切実な問題で大事なことです。問

題が注目され、次に解決策が議論され て、そのときにコストがとくに注目さ れて、メリットの方はあまり話に出て きません。研究者としては、コストと メリットの両方をバランスが取れたか たちで語っていくことが重要だと思い ます。 地球環境の持続可能性の問題はあま りにも巨大ですから、やはり政府によ る介入は絶対に必要です。介入は短期 的にはコストがかかるように見えるか もしれません。しかし、長期的には有 効に効いてくるはずのものです。もち ろん、そうでない場合もあるかもしれ ません。コストとベネフィットに関し てバランスよく考えていく必要がある のです。研究者は問題ばかり見ていな いで解決策を考え、解決策を考えたと きはコストだけではなくてベネフィッ トも考えなければいけないというのが 第二点目です。

江守 ありがとうございました。 問題を語るときには、解決策も示す ようにして、それがわれわれにとって 何を意味しているのかということを多 様な人たちと共有していくことが重要 だという認識が今日の一日の議論で深 まったのではないかと思います。 それと一つ私が感じたことがありま す。先ほども責任という言葉について 申し上げましたが、責任というと日本 ではややネガティブな意味合いで使わ れているのかもしれません。責任は取 らされるものであったり、できれば逃 れたいものだというような文脈で出て くることが多いかと思います。それは

もしかしたら、英語の responsibility のニュアンスとは異なる可能性があり ます。責任とはもっと積極的に担って いこうとするものであるとするなら、 アンケートの答え方も少し違ってくる かもしれないと感じました。 今日は聴衆の皆さまにはアンケート

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ので大変に困難なのです。 おそらく、フューチャー・アースや 持続可能な社会を作っていくための取 り組みでも、非常に難しい対話をして いかなければいけない場面がたくさん あって、もしかすると衝突し合うこと もあるのでしょう。そのときに、決し て結果を出すことを急がずに、あるい は最初から結論をもつようなことをし ないで、いろいろな意見を一から聞い て、一から話し合っていくことがとて も大事だと思います。先ほどBからA に変えたというご意見がありました。 それぞれの方の考え方の背景には、他 の方が思いもよらないようなこともあ ります。意見の背景まできちんと聞き 取ってお互いに共有することがとても 大事だと思います。 この前のパネル討論のまとめと同じ なってしまいますが、対話を元に行動 につなげていくことの重要性を双方向 のセッションでも大変強く感じました。

江守 最後にこのようなしめくくり のことばをお願いすると、普通は予定 よりも長くしゃべる方が多かったりす るものなのですが、今回はなんと時間 が少し余ってしまいました。だからと いうのも何ですけど、ここで、フュー チャー・アースの科学委員会議長のマ ーク・スタフォード・スミスさんから もコメントをいただきたいと思います。 コストとベネフィットを考える スミス 発言の機会を与えてくださり ありがとうございます。今回の双方向 対話はすばらしい議論の場であったと 思います。そこから私ども科学委員会 としてぜひ検討したい二つのポイント を捉まえましたのでご紹介したいと思 います。 誰が責任をもつべきなのかという質 問がありました。これは主たる責任と

いうことで、国なら国だけが責任をも つということではないと思います。オ ーストラリアで、減災・防災に誰が責 任をもつのか議論したことがあります。 いろいろな立場の人に意見を聞いたと ころ、相手がもっと責任をもってたく さんやるべきだという意見がたくさん ありました。そのような結果を全員に 話したところ、やはり全員が責任をも って参加すべきだということがはっき りわかってきたのでした。 社会は非常に複雑なシステムです。 一つのシステムには別のたくさんのシ ステムが複雑にからみあっています。 たとえば人々は投票権をもち、政治が 規制をつくり、規制に応じて企業が活 動します。そのようなつながりがたく さんあって、つながりは単純ではあり ません。一つの答えですべてが解決で きるものではありません。一つの会議 ですべての問題が議論できるわけでは ありません。複数の施策、介入をうま

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いうことから、何とかできそうだとい うところへとだんだんと話が向かって きたのではないかと思います。 そうはいっても、フューチャー・ア ースは非常に大きいプロジェクトで、 大きいが故に動き出すのがなかなか大 変で、動き始めるところに時間がかか っています。みんなが力を合わせない と動きません。いまはみんなが同じ方

向に向いているわけでもなくて、押し たり引いたりしているような状況です。 徐々にでもいろいろな力を合わせてい って、フューチャー・アースが大きく 動き出すようにすることが非常に大事 です。今日の一日を通じた試みがその ためのステップになればと願っていま す。 最後までご参加をいただいた参加者 の方々、それから講演者の方々にお礼 を申し上げて私のご挨拶といたします。 本日はどうもありがとうございました。

司会 ありがとうございました。 以上をもちまして、国際集会公開シ ンポジウム「フューチャー・アース― 新たな国際プラットフォームで社会と 科学をつなぐ」を終了します。長時間 にわたるご参加、まことにありがとう ございました。

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にもご参加いただきまして大変ありが とうございました。これが、持続可能 性の問題について、専門家もビジネス の人も行政の人も一般の市民の人たち も参加して対話をしていく一つのいい きっかけとなって、お互いの距離を縮 めていけるようになったら非常にうれ しいです。今日は日本のフューチャ ー・アースの活動のなかで非常に重要 な一歩になりました。 パネリストの皆さん、そして参加し てくださった皆さん自身に大きな拍手 をして終わりたいと思います。

司会 江守先生、ご登壇の皆様、そし てご参加いただいた会場の皆さま、あ りがとうございました。これをもちま して双方向対話を終了させていただき ます。 それでは、本日最後になりますが、 主催団体を代表し、花木啓祐より閉会 のご挨拶を申し上げます。

■閉会挨拶

はなき けいすけ

花木啓祐 日本学術会議副会長、 東京大学大学院工学系研究科教授

挨拶の前に、江守さんがいまいわれ た責任ということに関連して思ったこ とを一つだけ申し上げます。 日本で、理想の上司はどういう人か というアンケートをとりますと、その 結果といまのアンケートの結果とが似 ているような気がします。理想の上司 とは、「俺が責任をもつからどんどんや れ」といってくれる人だそうです。同 じように、政府が責任をもつので、市 民はどんどんやるというかたちがいい という思いがあるのではないでしょう か。市民がいろいろなことをやって、

政府はそれを可能にするための財政的 な補助するとか、仕組みを作るとか、 規制を緩和するとか、そういう姿が日 本では求められているのではないかと 思います。今日のアンケートの結果か ら、皆さまには違うご意見があるかも しれませんが、私はそのようなことを 感じました。 主催団体・共催団体を代表して最後 にお礼を申し上げたいと思います。午 前中の基調講演からいまの双方向対話 までいろいろな話がありました。持続 可能な社会を作って行くのは難しいと

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安心して暮らせる。真のヒールは想像の社会 にのみ存在し、映画やテレビドラマの世界で これを疑似体験し、安全地帯にいる自らを再 確認してこれを楽しむ。最近の映画やドラマ は、そのような悪党を極めて上手に演じる役 者や脚本家、監督がいて、これを楽しむこと ができる。日本の社会は、まだまだ安定して いる。 年を重ねたせいではないと思うが、最近は あまりテレビドラマや映画は見なくなってし まった。その代わりニュースを見る。家にい る時は、夜九時になると必ずNHKニュース にチャンネルを合わせて、これを見る。家内 も同じで、二人とも在宅していれば、二人で 一緒に見て、共感し、これを楽しむ。実社会 で起こる現象であるから、政治的なこと、経 済的なこと、社会的なこと、スポーツであっ ても、 いつも人間ドラマを感じて、 興味深い。 ニュースを見ることは、演劇を見るのと同じ で、自分たちは、安全な観客席にいて、第三 者的に無責任に断片的にニュースを見る。ニ ュースはあらゆるジャンルを網羅するもので あるので、良いことも悪いことも報じられる

が、やはりニュースの価値は悪いこと、不幸 なこと、悲惨なことにあるようで、ヒールの いるニュースに注意が行く。悲惨なニュース には、脳内もミラー細胞が著しく活性化され て、心が痛むが、安全地帯にいて自分には直 接的な関係はない無責任な立場を享受し、数 分後には、スポーツニュースに我を忘れて興 奮する自分を確認する。 しかしニュースを見ていると、 世の中には、 演じられるヒールではなく、天然のヒールが たくさんいて、いつも楽しませてもらえる。 ヒールが世間の話題になるのは、決まって大 岡越前や水戸黄門ドラマで出てくるような子 悪党タイプのヒールで、何をするか分からな い不気味なヒールではない。ここ最近は、浮 気した某女優や某知事にまつわるニュースが 話題を占めた。某女優は早々にKOされて、 恭順の意を示したが、某知事は、全くの小悪 党タイプで、サンドバックのように打たれて いた。 しかし、 どうしてなかなか打たれ強い。 長らく、KOされず、小市民を楽しませた。 さて、次のヒールは、だれであろう。私でな いことだけは確かだ。

連載 エッセイ

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ヒール役を楽しむ プロレスにはヒール役がいるのが常である。 小学低学年のころと思うが、白黒テレビでよ くプロレスを観戦した。力道山がヒール役の 金髪ブラッシーに噛み付かれ、血だらけにな りながらも空手チョップで応戦するのに興奮 した覚えがある。その後プロレスは、ヒール 役のわざとらしさが鼻につき、あまり見なく なった。大学生時代、上京して下宿生活をし ているとき、暇を持て余して、テレビドラマ の大岡越前や水戸黄門をよく見た。勧善懲悪 ドラマであるので、実に安心して楽しむこと ができたが、ヒール役も型にはまった小悪人 で、今一つ、物足らない。しかし、最近の映 画やテレビドラマでは、恐怖を覚えるほど存 在感のあるヒールが出てくる。深く印象に残 り、感動する。 どの社会でも同じであろうと想像するが、 ヒールは、本当は知恵も回らず、実力もない が、虚勢を張って悪さをするのでヒーローも 対処ができる。ヒールは大岡越前や水戸黄門 ほどの人間的魅力もなければ、 実力もないが、

自分よりさらに実力のない庶民をいじめるわ けである。そうしたヒールが、大岡越前や水 戸黄門の前では屈服するのを見て、さらに実 力のない庶民は、これを喝采する。最近の映 画に出てくるようなぞっとする恐怖を覚える ヒールは、大岡越前や水戸黄門をも凌駕する 実力を持った悪党である。実力があり、何を するかわからないヒールに直面する時、庶民 は身構える術すらなく、なすがままにされ、 ぞっとする恐怖を覚える。現代日本は、社会 に激しい恨みを持ち、何をするかわからない 予測不能の行動をする真の悪党は、それほど 多いわけではなさそうで、我々、小市民は幸 いにも善良な生活を送っている。今のところ 社会の底辺で虐げられて組織化し、実力を持 った恐るべきヒールは、幸いにも日本の社会 の安寧を脅かすには至っていない。少なくと もそのように信じている。日本の社会を脅か す予測不能の行動をするヒールは、限られ孤 立した人であって、 悪事も単発的に行われる。 不幸にもそうした輩に出っくわさない限り、

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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オナモミという植物があります。イガイガ があって服にからみつく「ひっつき虫」はオ ナモミの実です。そのようなイガイガをヒン トにして生まれたのが面ファスナーです。日 本ではマジックテープの商品名で、一九六〇 年代から普及しました。 新幹線の営業速度が時速三〇〇キロを超え たのは一九九七年に五〇〇系の車両が導入さ れてからです。高速化の課題の一つに騒音が ありました。騒音の発生源として問題になっ たのがパンタグラフでした。車体から突き出 ているパンタグラフは空気の乱れをつくって 大きな音の原因になります。それを防いだの がパンタグラフの支柱の側面に設けられた矢 印のような形状の模様で、三〇%も騒音がカ ットされました。そのヒントになったのがフ クロウの羽根でした。フクロウの風切羽には 他の鳥にはないギザギザがあって、それが空 気抵抗を小さくし、静かに獲物に近づけるの です。 抵抗をなくすということでは、競泳用の水 着も水の抵抗をいかに小さくするかが課題で す。撥水性を高めるか親水性を高めるか両極

端の方向性があります。サメをヒントにした のが撥水性の高い水着です。サメは鮫肌とい われるように表面がざらざらで、それによっ て撥水性に優れ表面で渦が巻きにくくなりま す。カジキをヒントしたのが親水性の水着で す。カジキは体の表面から水になじみやすい 物質を出して渦が巻くのを防いでいます。 サメやカジキが速く泳ぐことは昔から知ら れていましたが、水着に応用したくても最近 までは非常に細かいレベルで素材を加工する 技術がありませんでした。現在ではナノテク といわれるようにナノメートル( 10-9) mの レベルにまで技術が進歩し、生物を模倣でき る範囲が大きく拡大されました。 生物の生き方は基本的に省エネ、省資源で す。持続可能な社会をつくっていこうとする ときに生物は私たちに重要なヒントを与えて くれます。ここで紹介したようなハードの面 だけではなく、生物のしたたかな生存戦略の ソフトの部分を模倣していくことも考えられ るでしょう。今後ますます発展していくバイ オミメティクスにぜひ注目してください。

連載 エッセイ

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倣技術)といいます。生物学、物理学、化学、 工学、医学などさまざまな分野が連携して研 究が進められ、産業界から強い期待が寄せら れています。国立科学博物館では今年の四月 から六月にかけてバイオミメティクスの展示 を行いました。また、バイオミメティクスを 本格的に紹介した日本で最初の本として『生 物の形や能力を利用する学問バイオミメティ クス』 (東海大学出版部)が三月に出版されま した。この本を編集した篠原現人さんと野村 周平さんは国立科学博物館の研究者です。 バイオミメティクスという言葉は初めてだ という方も大勢おられるでしょう。生物を模 倣して暮らしに役立つものをつくるというこ とはずっと以前から行われてきました。かつ て私が子どものころには、亀の子たわしを使 って食器を洗っていましたが、いつしかスポ ンジが主流になりました。スポンジは海の生 物のカイメンを模倣したもので、もともとは 実際にカイメンが使われていました。

生物を模倣する技術――バイオミメティクス 梅雨の季節で困るのが傘の扱いです。満員 電車でぐっしょり濡れた傘を服に押し付けら れた経験はないでしょうか。そのようなこと が起こらないよう濡れない傘があったらいい と思うわけですが、撥水性に非常に優れた傘 が最近登場しました。たたむ前にひと振りす れば水滴がさっと切れて、まるで濡れていな いようになります。 この傘はハスの葉をヒントに作られました。 ハスの葉の上に水をこぼすと、水ははじかれ て水玉となり、ころころころがります。ハス の葉の表面は細かな凹凸でおおわれています。 凹のへこんだ部分には空気の層があって、水 はその上に浮かんだ状態になって、表面張力 によって丸い水滴になります。表面をつるつ るにコーティングして水をはじくのではなく て、表面に細かい凹凸をつけることで濡れな い傘が生まれたのです。 生物の優れたところをまねしてものづくり に活かす技術をバイオミメティクス(生物模

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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「情熱」の 火の川を求める 恐ろしい苦しみが静まって── いまのぼくは すべての乾きをいやす水を飲んだのです ── その水は地面の下の いくフィートもないところから出て 子守唄に似た音とともに 流れています── 地下の、そんなに深くない 浅い洞からの水です。 「 [ ] アニーに寄せる」の詩片( 『対訳 ポー詩集 アメリカ詩人選(1) 』加島祥 造編、岩波文庫)

加島祥造編のエドガー・アラン・ポーの詩集を 読んでいると、この「 [ ] アニーに寄せる」 という詩片だけが、まったく他の詩とは異質のも 14

ので、不意に異界の穴に落ち込んだような不思議 な感覚に襲われます。何度か読み直すと、これは 臨死体験の詩ではないかと思われてきます。加島 祥造の解説を読むと、実際そのような状況のよう です。

この題名「アニーに寄せる」のアニーとは、 ナンシイ・リッチモンド夫人のことであり、ポ ーは彼女に一八四八年に出会った。死ぬ前の年 のことだ。そして深い愛を覚えて数々の手紙を 送った。彼女の夫は、この二人のプラトニック な愛の交わりを許した。 このころのポーは妻のヴァージニアを亡く して、その恐ろしい孤独から必死に逃れようと していた。そのような心理に駆りたてられて、 あの「第二のヘレンに」の詩を捧げたホイット マン夫人にも結婚を申しこんでいた。ホイット マン夫人は自分の財産をポーに譲らぬことを 条件に、結婚を承諾する。 しかし心の底では、ポーはこのリッチモンド 夫人アニーのほうを、もっと深く愛していた。 第二の「ヘレン」ホイットマン夫人とこのリ

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リルケの「 道」 あゝ、ありがたい! ようやく危篤から── あの危険状態からぬけ出て 長びいた病はすっかりもう 過去のもの── そしてあの「生きてゆく」という熱病に とうとう打ち克って──。 ただ悲しいことにぼくは 力をすっかりなくしていて ひとつの筋肉も動かず、こうして 長ながと横たわっている── でもかまわない──だっていま やっと、とてもよくなったのだから。 いまぼくはベッドに とてもゆっくり休んでいて、 その様子に人は ぼくが死んでいると思いこんで そんな眼で 見はじめもしよう。

嘆きやうめき声、 溜息やすすり泣きは もうすっかり止んでいて、 それに、心臓の あの恐ろしい鼓動──ああ あの恐ろしい動悸もない!

あの病気というもの──吐気や 容赦のない痛みはもう 止 (や)んでいる、それに ぼくの脳をなやました熱病── 「生きてゆく」という名で ぼくの脳を焼きつづけたあの熱病も止ん でいる!

それに何よりも、おお、 何よりも苦しかったものが 静まってくれた── のどの乾きという苦しみ、あの呪われた

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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──鴉にしろ物の怪にしろ、とにかく予言 する者よ、 お前は魔王に送りこまれたのか、それとも嵐が この岸に吹きよせたのか、──

ぶ清き乙女をわが 魂は抱けるのか 天使がレノーアと呼ぶ 稀な輝かしい乙女を抱けるのか。〟

詩や思想が抽象的・象徴的になるにしたがって、 普通考えられているより「外観的世界」観がます ます、強固になってきます。次ぎにその典型的な ポール・ヴァレリーを読んでみます。その中でも

打ちひしがれてなお挫 (くじ)けずに 〝 Nevermore 〟と大鴉は言う。 この魔法にかかった土地へ、 この恐怖にとりつかれた家に来たのか? 「大鴉」は自分の心の闇の象徴に違いなく、そ お前のきた所にはそんな秘薬があるの の意味では、象徴詩のはしりみたいな詩です。象 か? 徴詩ですから「内観的世界」観の詩のような感じ そうなのか、──ええ──言ってくれ──言え、 もしますが、しかし、これは典型的な「外観的世 頼むから言ってくれ!〟 界」観の詩です。 「神や女神や天使」 「悪魔や魔王」 「天国や地獄」 「英雄」といった、外部規範(基準 〝 Nevermore 〟と大鴉は言う。 や標準)が内部(心や魂)を規定したり、内部に 闖入してくるという構造をとっています。ポーの 詩の中で、 「アニーに寄せる」の一編だけ(しかも 前半部だけ)が、 「内観的世界」観の詩で、欧米の 詩歌では、極めて稀な詩なのです。 〝預言者よ!〟と私は言った、〝鴉にせよ悪魔 にせよ、予言する 者よ! われらの上にある天国に誓って──われら両 方が崇める神に誓って 悲しみに満ちたこの魂に聞かせてくれ、わが魂 は、彼女を抱 けるのか── 遠いエデンの園では天使たちがレノーアと呼

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〝おまえは預言者か!〟と私は言った、〝それ とも魔性の物か!〟

ッチモンド夫人にはさまれて、錯乱にちかい心 違って、薬の効果ではあるにしても、部分的にせ よ静寂な 「瞑想」 の世界へと入っていっています。 となったポーはある日、 (アヘンチ Laudanum ンキ)を多量に飲む。これは当時は医薬として 「のどの乾きという苦しみ」とあるのは、象徴 どこの薬局でも制限なしに売っていた。またポ ではなく、薬物アヘンチンキは、異常に喉の渇き ーが本当に自殺をはかったかどうか、定説はな をもたらすようです。極度の脱水症状ではないで い。彼はリッチモンド夫人に告げた手紙による しょうか。 「すべての乾きをいやす水をのん」で生 と、そばにいた友人に助けられて生き返ったと き帰り、「その水は地面の下の/いくフィートもな のことだ。 いところから出て/子守唄に似た音とともに 流/ れています」とあるのは、耳下の頸動脈を水(血) そして死から甦ったあとのあの一瞬の平穏 な心を、ポーはこの詩にとらえたのではないか。 が流れ出し、三途の川(つまり頸動脈の水流)を 渡ってこちら側(此岸)に戻ってきた情景です。 このように自己の内部からわき起こった内的情景 や想念を、 「内観的世界」と私は称しています。 こういう言い方をすると、では「外観的世界」 が対概念として存在するのかということになりま す。 「内観的世界」観には、そもそもこういった二 分法的発想は薄いのですが、ポーの有名な長編の 詩「大鴉」から、典型的な「外観的世界」観の詩 片を読んでみます。

「アニーに寄せる」は、なにやら禅の瞑想のト ランスのような詩です。あるいは、臨死体験とい うか、霊魂遊離で、魂が遊離して横たわる自分を みおろして観察している、そういう自分を認識し ているという情景です。欧米の詩などを読んでい ると、こういう「薬」の効果でのトランス状況下 では、通常ほとんど、 「神や天使」がでたり、 「悪 魔」がでたり、突然「嘔吐」を感じたり、さらに 進むとシュールな支離滅裂な情景がネオンのごと く、サイケのごとくぐるぐる廻り、点滅する描写 が一般的です。ポーの場合には、禅などの瞑想と

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情人もない純粋なこの腹の中に、 空しい懐妊を装ふ佯 (いつは)りを。 物凄いこの光景を 終わらせてくれ。 見て御覧、私の全身の 猥褻 (わいせつ)な弓の 形が、 もはや私の胎内に蔵しきれなくなつた魂を 天に向かって執念深く、この上もなく 恥ずかしい矢を射るように 投げ出すため、 折れそうにまで 引き絞られてゐるさまを。 (中略)

神よ。 私は辛うじて生きて来た といふ ほかに、罪を犯した覺えはない…… それなのに若し 生贄に神が私を供へるなら、 しかも征服された肉體の祭壇の上に 若し神が 怪物を御供 (ごくう)に納受 (なふじゆ) するならば、 殺せ、この怪物を、そして、獸は屠られ、 頸は刎ねられ、顳顬 (こめかみ)を曳いて御して ゐる 鬣 (たてがみ)によって 頭は前方に突き出され

て、 願わくは、世に在る燈火の この最も蒼白な 光が 夜を大理石と化して捉へてしまふよう に。

神の醗酵の胤 (たね)を注入されて、胎内に神の 子(分身?)を身ごもるという、超「外観的世界」 観の詩です。こういった詩は、まさにオカルト観 の詩で、通常は論評もせずに読み飛ばしておくの が無難なところです。ところが、D・P・シュレ ーバー『ある神経病者の回想録』 (渡辺哲夫訳、講 談社学術文庫)を読んでいて、ヴァレリーのこの 詩と全く同じような超「外観的世界」観の記述に 出くわしました。著者のシュレーバーは精神を病 み、精神病院に入院していた時の回想が中心にな っています。

星空の変化に関する事柄については、あれこ れの星々、あれこれの星座の喪失についての告 知は星々そのものに関係していたのではなく ──これらを私は以前と同様、天空に見ている ──、ただ当該の星々のもとに集積された至福

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ひときわ典型的な詩連 「アポロンの巫女」 です ( 『ヴ ァレリー詩集』鈴木信太郎訳、岩波文庫) 。 香の煙に固まつた鼻の孔から 火焔の息を吐きながら、巫女は 呼吸を 弾ませて、酔つて、吼 (ほ)える…… 魂は 醜怪、脇腹は 喘 (あえ)いで唸る。 色は蒼ざめ、深々と肉は噛まれて、 恐怖の絶頂點にまで 瞳孔は 吊り上げられて、 視線は、その假面のような顔には無く、 生きたまま、水盤に、香煙の中に、狂亂の 昂奮に、毮 (むし)りとられて飛び出してゐる。 壁の上に、摩訶の魔神の憑つて 精神の錯乱した巫女の影は、 芬々 (ふんぶん)と薫りの噴き出す嵐のなかに 游ぐ姿の亡霊の異形を現じ、 その巨大な憑依の狂態は、 聖殿の静寂を打破って、若し 昏迷の 巫女が 神託を嘶(いなな)くのに遅れるならば、 黒々とした神憑(かんがかり) の苦悩を 身振りで

演出し、 神々を促して、未来の中に 完成される痙攣を 急 (せ)き立てる。

冷たい汗にまみれてゐる この女の殉教者、 指の上に指を引攣 (ひきつ)らせながら印を結ん で、 一匹の大蛇が絡み附く三脚の臺座の上から 跳ね上り躍 (おど)り上つて 怒號する。 ──ああ、呪われた女よ…… なんといふ苦し みを 受けてゐるのか。私の天性は、一碧の深淵なの に。 ああ、數々の精神に 私は廣く開かれて、 自己本来の神祕性を 卽に私は失つた…… 私にとつては他者である未知の「叡智」が 一つの肉體を占有して 責め苛むのだ。

残酷な天の賚 (たまもの) 。邪婬の主よ、すぐに、 すぐに、 息 (や)めてくれ、おお、神の醗酵の胤 (たね) よ、

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した女性の胸の印象を呈する。この現象は、私 を観察しようとする意志を持つ者なら誰によ 、の 、人 、自 、身 、の 、眼 、で 、見 、ら 、れ 、得 、る 、もの ってであれ、そ である。それゆえ、私は実見されるのを受け容 れることで、証拠なるものを引き合いに出すこ とができる。もちろん、勝手気ままな一瞬の一 瞥で束の間だけ観察するのは不十分であろう。 観察する者は、おおよそ十分か十五分間、私の 近くに留まるべく努力しなければなるまい。そ のようにすれば、誰であっても、胸が膨らみ、 そしてしぼんでゆくという変化に気付く相違 ない。私の場合はごく普通程度にしかはえてい ないが、腕と胸の男性の体毛は当然ながらその ままである。また、乳頭も男性にふさわしく比 較的小さなままとどまっている。しかし、これ らを度外視すれば、上半身裸になって鏡の前に 立っている私を見る者は──殊に女らしい衣 装で幻惑的な姿が強化されるなら──誰であ 、性 、の 、上 、半 、身 、であるという疑いようの っても、女 ない印象を持つであろうと私は敢えて強調し ておく。

この回想は、ヴァレリーの先の詩と全く同じ構 造をもっており、太陽光線、神経繊維そして精子 の縮合された「神の光線」を注入されて、シュレ ーバー自身が 「神」 の子を身ごもるという内容で、 シュレーバー自身はこれは真実として疑いえない と何度も念を押しています。記述からすると、現 在でいうところの性同一性障害といったところで すが、ヴァレリーやシュレーバーが異常なのは、 「神」に犯されて自身が身ごもるというほどに、 外部規範(神だとか精神だとか理性だとか、外部 に規定された観念)が心や魂に直接進入し支配さ れるという認識です。 こういった妄想は、ある意味では現代社会に溢 れていますので、なにを大げさに書くのかと、た しなめられそうです。しかし、本当の衝撃は、こ の妄想が、 「論理的思考」という「別の狂気」とし か言いようのない狂気によって正当化されること です。シュレーバーは、退院後、財産を取り戻す ために、裁判を起こしますが、その陳述書に回想 録と同様の論述をしますが、文章が論理的で、正 確に文法に則っているので、言っていることが妄

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にのみ関係していたのだと私は現在考えてい る。これらの至福は、しかし確かに完全に使い 果たされてしまったわけで、すなわち、当該の 神経は引力によって私の肉体の中へと消滅し 去り、私の肉体の中で女性的な官能的快楽神経 の特性を獲得して、私の肉体に、さらにまた多 かれ少なかれ女性的な刻印を、とりわけ私の肌 に女性の性に特有の柔らかさを与えたのであ る。これに対して、他方において、以前に地球 から途方もなく遠くに離れていた神が地球に 近づかざるを得なくなり、それによって以前に は知られなかった様式で地球が直接的かつ持 続的に神の奇蹟の舞台になったことは確かで ある。何をおいても、この奇蹟は私の人格と状 況に集中している。(中略) そうこうするうちに、私の睡眠は非常に注目 すべき変化が起こった。一八九四年の最初の数 ヶ月、私には最も強力な睡眠剤(抱水クロラー ル)によってのみ、それでもなお時折はごく不 十分にのみ睡眠がもたれされ、幾晩かはさらに モルヒネの注射が施行されたが、フレクシッヒ の精神病院に入院していた最後の頃には実際

何週間も一切の睡眠剤を取り止めになった。私 は──確かに時折は落ち着きを欠き、常に多か れ少なかれ興奮させる幻影の中ではあるにせ

、の 、 よ一切の人為的な方策なしで──眠った。私

、、は 、光 、線 、睡 、眠 、に 、な 、っ 、た 、の 、で 、あ 、る 、。(中略) 睡 眠 光線ないし神の神経の絶えざる流入の結果 として官能的快楽神経が私の肉体に充満して いる状態は、今となってみれば、すでに六年間 以上も間断なく持続している。それゆえ、私の 肉体が、女性の肉体における同種の現象によっ てもほとんど凌駕されない程度まで官能的快 楽神経に貫かれ、満たされているというのは何 ら驚くべきことではない。今年の三月三十日付 の異議申し立ての中ですでに強調しておいた 通り、この現象の外面的な出現は、神がはるか 遠方に撤退してしまうか、あるいは──光線が 私の中で捜し出すべき思考が欠けているとき には──再び近づいてくるのを余儀なくされ るという事情に従って、規則的に反復する周期 性を示している。 接近しているとき、私の胸はほぼ完全に成熟

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さて、一方で、 「内観的世界」観が強くでている 詩や思想は、冒頭のポーの詩「アニーに寄せる」 以外に西洋にはあるのでしょうか。それで、少し リルケを読んでみます ( 『リルケ詩集』 高安国世訳、 岩波文庫) 。次は『時禱詩集』の「修道生活の書」 よりです。 私は私の生を、事物の上に 次第に大きな輪を描きながら生きてゆく。 最後の輪はきっと描き終えないだろう、 それでも私は試みてゆくつもりだ。 私は神のまわりを、蒼古の塔のまわりを旋回す る、 数千年にわたって旋回する、 しかも私はいまだに知らない、私が鷹であるの か、嵐であるのか、 それとも大きな歌であるのか。 (中略)

私が死んだら、神さま、どうなさいます。

私はあなたの水甕です(もし私が砕けたら?) 私はあなたの飲み水です(もし私が腐った ら?) 私はあなたの衣です、あなたの関節です、 私がなくなればあなたはあなたの意味をなく します。

私のあとでは、近々と暖かい言葉で あなたを迎えてくれる家もないでしょう。 あなたの疲れた足からはビロードの サンダルが抜け落ちるでしょう、私はそのサン ダルです。

あなたの大きな外套はあなたを離れ、 私が私の頬で褥のように暖かく受けとめてあ げた あなたの視線は、私のあとを追い、 長い間私を捜すでしょう── そうして日が沈むとき、 馴染みのない石のふところに身を横たえるで しょう。

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フロイトは「私は、批判を恐れないし自己批判 をためらうつもりもないゆえ、われわれのリピ ード理論に対する多くの読者の評価を損ない かねないひとつの類似性に言及するのを避け ようとする気持ちなど全くない。太陽光線、神 経繊維そして精子の縮合によって構成された シュレーバー言うところの『神の光線』は、実 際のところ、物的に表現され外界に向けて投影 されたリピード備給以外のなにものでもない のであって、この事実が、彼の妄想に、われわ れの理論と奇妙に共鳴する性質をあたえてい る」と書いている。フロイトはここで、シュレ ーバーは自分の先行者ではないのか、自分の精 神分析こそ「妄想」を内包しているのではない か、という苦しい懐疑を告白している。フロイ トは「非理性という自由な地平」 (ミッシェル・ フーコー)と言われるときの「自由」を期せず してシュレーバーと共有し、その体験の恐ろし

想ではないと判断され、名誉回復がなされたこと です。もう一点は、学術文庫版訳者渡辺哲夫が、 あとがきで、

と述べており、 さらに、 表紙の裏扉に、「フロイト、 ラカン、カネッティ、ドゥルーズ&ガタリなど、 知の巨人たちに衝撃を与え、二〇世紀思想に不可 逆的な影響を与えた稀代の書物。 」 と記載されてい ます。性同一性障害を、オカルト的理性をもって 解釈し、神に強姦されるのを真実(現実)とみな し、二〇世紀の知の巨人たちに衝撃を与えたとい うのです。愕然とします。ただただ、天を仰ぐば かりです。 現代でも神に拘泥している詩や思想には「外観 的世界」 観が強く出ているような、 感じがします。 キリスト教とかいった具体的な宗教でなくとも、 絶対的真理とか、理性とか、存在とかを潜めてい る宇宙観・世界観とでも言いましょうか。外部規 範は言語や数式により規定されてきたので、数式 も含む抽象表記(言語・数理)主義とでもいいま しょうか。

さ痛感している、と言っていい。シュレーバー という高級司法官僚が書き残した著作は、そう いう「自由」の書である。

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は、しかしすべて本物である。私は天地創造に 立ち会っている思いだ。 このようにリルケにとって、自然体験の原点が 改めて自己の内部に置かれたのです。神品芳夫に よると、ロシア旅行の結果リルケの何が一番具体 的に変わったのかといえば、それは神との関わり であり、「それまでのリルケはキリスト教にはもっ ぱら批判的で、教会の形骸化を嘆き、人間が神と 直接交わるのを妨げる「仲介者」イエス・キリス トの役割を否定することに重点を置いてきた。神 は遠いところにあった。しかしロシア体験によっ て人間と神との距離が近づいたのである」といい ます。 また、 「そればかりではなく、両者がかならずし も上下の関係ではなく、すなわち神は全能で、人 間は罪深いという関係に固定するのではなく、両 者の関係は時により状況によりさまざまに変化す るのだという構想が立てられた。神は絶対者で、 自分は無に等しいという認識を抱くこともあるが、 神は弱い立場にあって、人間が神を支えていかな ければならないという立場設定や、教会が職人た

ちによって建てられるように、神も人間によって 創られると、創世記を逆転させたような大胆な発 想もある」ともいいます。

井筒俊彦は、トルストイは全くロシアの大地が 生み出した作家であるといいます( 『ロシア的人 間』中公文庫) 。 「トルストイのうちに宿った本源的生命は底知 れぬ沼のように深いものであり、どんな意識の光 りもその底までは透徹し得ないのである。 」 「トルストイは、譬えて言えば、鬱蒼たる太古 の原始林だ。 トルストイの世界に一歩踏み込むと、 我々はたちまち原始の生命に取り囲まれてしまう。 息もつくのも苦しいほどの、生命の野性的豊饒が そこにある。 」 「 『幼年時代』には、地的な、肉体的な生の歓喜 への狂おしいばかりの惑溺がある。無邪気な、限 りなく美しい方を取ってはいるが、この生への惑 溺のうちには、すでにアンナ・カレーニナのあの 罪深い恋の陶酔のほのかな芽生えが感じられない だろうか。地的生命の惑溺には元来、善もなく悪 もなく、罪の意識も羞恥の念もないのだ。 」

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どうなさいます、神さま。私は心配です。 このリルケの詩にも、 「神」が頻発しますが、ど うもこれは「神さま」で、ヴァレリーやシュレー バーのように、 「外観的世界」から闖入したり、指 示したりするような絶対的 「神」 ではありません。 この「神さま」は、むしろリルケに心配してもら っています。 リルケは一八九九年と一九〇〇年の二回にわた るロシア旅行をおこないます(以下、神品芳夫『リ ) 。 ルケ 現代の吟遊詩人』青土舎より引用) ベルリンを出発し、ワルシャワ経由でまずモ スクワに到着、ちょうど復活祭だったので、夜 には教会の鐘がいっせいに鳴り響き、群衆が歓 声を上げて躍り出てくるのを目撃して、リルケ は一気にロシアに引き込まれた。それはまず、 民衆のなかに宗教が生きているという実感で あった。 モスクワ到着の翌日、三人はトルストイを訪 問した。文豪はルー・ザロメと議論を交わし、 ロシアの農民の信仰は迷信といえるもので、彼

らには実用的技術を習得させねばいけないと、 啓蒙の必要性を強調した。それにもかかわらず、 リルケは復活祭の鐘の音に感動の叫びで呼応 する民衆の姿が忘れられなかった。モスクワか らの旅の便りには、鐘の響きに圧倒されたこと がしきりに書かれている。

第二回ロシア旅行では、リルケにとって、ロシ アの自然体験が自己の内部に原点を形成していく 過程がみてとれます。以下、リルケの手記です。

ヴォルガというこのおだやかに回転する海の 上で昼をすごし、夜をすごす。たくさんの昼と たくさんの夜をすごす。広大な流れと、高々と した森が一方の沿岸にあり、もう一方の側には 低い荒野が広がり、ところどころに大きな都市 もあるが、それが小屋かテントのようにしか見 えない。 [……]ここではすべての尺度を変え ねばならない。私たちは知る、土地は大きく、 水も大いなるものであるが、とりわけ大きいの は空である。私がこれまでに見ていたものは、 土地や川や世界の図にすぎない。ここにあるの

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咲き切った薔薇の花の 内湖 (うちうみ)にはどこの空が 映っているのだろう、ごらん、 薔薇はただそっと 花びらと花びらを触れ合わし 今にもだれかのふるえる手に崩されることな ど知らぬかのよう。 花はもうわれとわが身が 支え切れぬ。多くの花は ゆたかさあまって 内から溢れ、 限りない夏の日々の中へ流れ入る、 次第次第にその日々が充ちた輪を閉じて、 ついに夏全体が一つの部屋、夢の中の 部屋となるまで。 『新詩集』の「薔薇の内部」より( 『リルケ詩 集』高安国世訳、岩波文庫) リルケは一九二六年の年末に世を去りますが、 一九二五年十月二十七日にはあの有名な墓碑銘を 含んだ遺書をしたためたのちに、詩というものの

あり方をもう一度考えてみようという想いをこめ て、十一月にミュゾットの館で詩「ゴング」を書 きます。 「ゴング」はオーケストラの打楽器で、めった に使われることもないのですが、ゴングが登場す る楽曲は、アラブ的あるいはアジア的な雰囲気の もののように思われると神品芳夫はいいます。ゴ ングの語源はマレーシア語のオノマトペーからき

で調べたところ、 ているらしく、 ドイツの Google かなり大型の円盤で、このような音響盤を扱って いる専門店があって、大小じつにさまざまなゴン グが陳列されているといいます。以下に、神品芳 夫の「詩「ゴング」──未完のポエティックス」 ( 『リルケ 現代の吟遊詩人』青土舎)より、この 詩を読んでみます。

もはや耳のためではない……ひびき、 それはいっそう深い耳のようになって 聞いているつもりのわれわれを逆に聞く。 空間のうらがえし、 内部の世界をおもてにくりひろげる、 誕生する前の寺院、

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「 『コサック』のエローシカはそういう自然的叡 智の体現者だ。しかしその叡智は、分裂的知性の 叡智とは全然性質が違う。分裂的知性の叡智は人 間を宇宙における一切の他の存在者から切り離し、 人間を孤立させ、彼を孤独な存在にする。自然的 叡智は人間を他のあらゆる存在に結びつける。そ れは彼を太陽と大地に結びつけ、野獣や草や木々 に結びつける。この叡智が働くとき、人間はもは や孤独な存在ではない。愛と光に満ちた宇宙的生 命の悠揚たる流れが、四方から彼を浸し、彼の身 内を貫流する。 」 井筒俊彦はトルストイを「地的生命」といいま す。ロシアの大地は「地的生命」をはぐくみます。 ここでは、 「地的生命」とは「内観的世界」観をも った生命と理解します。そうすると「外観的世界」 観をもった生命は、 「知的生命」になります。 リルケにあっては『形象詩集』や『新詩集』に いたり、自然そのものが、 「内観的世界」観の核心 になってきます。そこには大地が含まれるように なります。

木の葉が散る、遠いところにからのように散る、 どこか空の遙かな園が冬枯れてゆくように。 木の葉は否(いな) むような身振りで散ってくる。 そして夜々、重い大地は 星々の間から寂寥の中へ落ちてゆく。

私たちはみな落ちる。ここにあるこの手も落ち る、 そうして他の人々を見るがいい。落下はすべて にある。

だがこの落下を限りなくおだやかに その手に受け止めてる一人のひとがある。

『形象詩集』の「秋」より( 『リルケ詩集』高 安国世訳、岩波文庫)

どこにこのような内部を包む 外部があるだろう。どのような傷に この柔らかな亜麻布はのせるのだろう。 この憂い知らぬ

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[それはいっそう深い耳のようになって 聞いているつもりのわれわれを逆に聞く。 ] この響きは私たちの耳に聞かれるのではなく、 響きが私たちの耳以上の性能をもった聴覚となっ て、私たちの言葉や想いを聞いている、というの である。つまり、ゴングの響きは吸い込む気配を 持っている。殷々と響きながら、ゆったりと消え ていくとき、それを聞く私たちは、そこへ吸い込

ゴングの詩は、 「具象」の世界(現実界)から、 これまでも、ゴングに導かれて、たびたび訪れて いた「心象」の世界(異界) 、つまり死を悟りつつ あるリルケにとっては死後の世界への導きの詩と 読めます。以下に、神品芳夫の解説と私のコメン トです。

のではないでしょうか。 ゴングのような鐘の音 (高 周波)による、ロシアの民衆の憑依のような情景 をえがいているように思えます。つまり、ゴング は、リルケにとって心象と具象を繋ぐゲートを開 く鍵として機能しているように思えます。「異質共 存」の鍵です。

[空間のうらがえし、 ] 冒頭三行で提示した逆転の発想をさらに広げて、 空間を裏返すというイメージ。リルケによれば、 私たちの五感で把握できる世界が世界の全てでは ない。洋服を裏返せば裏地が出てくるように単純 にはいかないけれども、世界は表側だけで終わっ ているわけではないと考えていた。リルケは一九 一三年にスペインで書いたエッセイ「体験」のな

)の働きと 一種の共感覚 (Synäthesie, synesthesia いうことができるであろう。 大崎:長谷川櫂によると、 「や」は心象と具象を 繋ぐ「異質共存」の機能があると言います( 長谷 川櫂「奥の細道」をよむ」ちくま新書) 。リルケに とって、 「ゴングの響き」が芭蕉の「や」の機能を 果たしているのではないでしょうか。

まれていくような気持ちになる。名刹の釣り鐘の 響きにそんな経験をしたことがある。音響が静寂 を引き起こすのである。「閑さや岩にしみ入る蝉の 声」も連想される。この場合、蝉の声を聞いてい るにしても、その奥にある大きな静けさに人の感 覚は引き込まれていくというのであろう。これも

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溶けにくい神々をいっぱいに ふくんでいる溶液……ゴング! おのれへの信仰を告白する 沈黙するものの総体、 ひたすらに口をつぐむものの 自己への激烈な回帰、 時の流れを圧搾してできた持続、 鋳型に注ぎ変えられる星……ゴング! おまえ、けっして忘れることのない、 喪失によってこそ生まれた女よ。 もういわれの知れない祭、 目に見えない口に注がれる葡萄酒、 支えている円柱の中のあらし、 旅人が道の中にころがり出る、 〈全〉に対して私たちをさらけ出す……ゴン グ! このリルケの詩「ゴング」は、遺書に次いで書か れた詩ですので、重い意味があると思います。三 連詩で、それぞれの最後に「ゴング!」が押さえ

(あるいは韻) として配置されています。「ゴング」 は、語源としてマレーシア語のオノマトペーから 来ているとすると、これはもともとインドネシア の特にバリにおけるガムランを模倣したものでは ないでしょうか。大橋力によると、ガムランの響 きには、人間が音を知覚するときの周波数の限界 である二〇キロヘルツを上廻り、瞬間的には10 0キロヘルツを超えるほどの複雑な超高周波成分 が豊富に存在していたといいます(雑誌『科学』

特集「感情を支配するものは何か」 ( vol. 75,No.6, ) 、大橋力「バリ島の祭りには感情を合理 713-718 的に活用する科学がある」 ) 。バリの奉納劇〈チャ ロナラン〉などのクライマックスで憑依し、感極 まれば昏倒してのたうちまわります。このような 憑依(トランス)が、バリの舞踏でなぜ起きるか ということですが、高周波が一因であると、大橋 は指摘します。 リルケは、ロシア旅行中に「復活祭の鐘の音に 感動の叫びで呼応する民衆の姿が忘れられなかっ た」というように鐘の響きと民衆の熱気に圧倒さ れます。これは、ロシア正教会の鐘の音です。ゴ ングがこのロシアの鐘の音を思い出させてくれた

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くうたわれているが、見方によってはこの詩句に も自閉症らしい気配がある。あふれる存在を自分 のなかに引き受ける能動的もしくは積極的な自閉 症である。萩原朔太郎は『詩の原理』のなかで書 いている。「詩とは何ぞや? 詩とは実に主観的態 度によって認識された 「宇宙の一切の存在である」 と。詩の基底は主観であり、構築された自我であ る。そこで認識された「宇宙の一切の存在である」 は、詩人の内面に湧き出たものである。朔太郎は リルケに似ていると富士川英郎は主張していた。 大崎:何への「過激な回帰」か? これがゴン グの詩なので、憑依(トランス)の異界への回帰? とすると子供の頃、教会の鐘で憑依(トランス) に陥ったのではないでしょうか? そうすると、 これは能でいう「幽玄」の世界? 「幽玄」とは 全ての初源です。 [旅人が道の中にころがり出る、 ] この詩句では「道のなかに」というのが不条理 表現である。通常なら「道のうえに」となるとこ ろである。旅人が宿から外へ出ることは、危険に さらされると同時に、実在への道に自らを投じる

事でもある。ハイデッガーが注目したリルケの詩 のなかに、「われわれを最後に庇護してくれるのは /われわれの庇護なき存在だ」 (手塚富雄・高橋英 夫訳)という詩句が見える。最も危険な道こそが 最も安全に通じる道だというのが、最晩年のリル ケの考えであり、ハイデッガーの存在論にも通じ るものだった。このイメージは、最終詩句へと受 け渡される。 大崎: 「道のなかに」というのは不条理表現です が、道をタオとすると、内観的世界の中心(道= タオ)に転がり入ることになります。ハイデッガ ーは、自らの哲学は思想体系を提出するのではな く、 「道」 (道路)をつくる(指し示す)だけだと、 何度も述べています。また、ハイデッガーは、全 集出版にあたり、 「全集編集上の留意」という覚書 をのこしていて(全集第一巻冒頭) 、死の数日前の せりふで、 いわば遺言はたった一言 ( (古東哲明 『ハ イデガー=存在神秘の哲学』講談社現代新書) 。

「道。著作ではない」 ( Wege-nicht Werke)

張錘元(チャンチュン・ユアン)は、老子の『道徳経』

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かで、海辺の庭園を散策していたときの異常な体 験を記している。ある潅木風の樹木にもたれてい たとき「自然の向こう側にでてしまった」という 感覚に襲われたというのである。彼はそのとき以 来この体験を反芻しつつ、現実の向こう側の空間 の実感に努め、時空を超えた世界と親しく交わろ うとした。一九二二年成立の「第八悲歌」では向 こう側の空間を「開かれた」空間と規定し、 「第九 悲歌」では「不可視の」空間と呼んだ。 「ゴング」 の詩人は、秘教的なゴングの響きに現実世界の向 こう側を想起する。なお、原文では「空間」は複 数になっているが、複数名詞は一般に具体感をつ よめる効果を発揮する。抽象的な思惟ではなく、 重い扉を一枚ずつ開けて世界の裏側を開示すると いう感覚を喚起する。 大崎:バリのガムランのような、何らかの高周 波シグナル(潅木風の樹木の高周波?)で憑依(ト ランス)に入っていったような詩句です。 「空間の うらがえし」とは、憑依(トランス)状態のこと でしょう。 [ひたすらに口をつぐむものの

自己への激烈な回帰、 ] 直前の詩句とほぼ同様のことを述べているよう に思われるが、言葉のレベルが異なる。すなわち この個所では、 「沈黙」に替わって「口をつむぐ」 、 「告白する」に替わって「激越な回帰」となって いる。直前の個所が自らの信念を内にそっと漏ら すような表現であるのに対して、この個所では内 面にこもることを強く意志する表現になっている。 前者がナルシシズムの表現とすれば、後者は自閉 症的な状態といえるだろう。病的な事態を恐れて いては詩人にはなれないという思いもあろう。そ の意味では、これまでリルケが書いたなかで最も 力のこもった詩句の一つである「第九悲歌」の最 後の連が想起される。 見よ、わたしは生きている。何によってか。 子供時代も未来も 減りはしない……有り余る存在がわたしの心 のうちで 湧き出る。 過去の体験も想像のなかの未来も、いまここに 集中して、 心の内部にあらためて噴出するという。 これは一旦『悲歌』を締めくくる言葉として大き

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体的姿勢が問われている。とかく人間は、地球に 対して、宇宙に対して、探索し利用しようとして いる。しかし人間はほんらい大自然の中の小さな 存在である。基本的に人間は自分を囲み、自分を 生かしてくれる大きな環境にあえて自分を投げ渡 すという姿勢が肝要だと解釈できる。 大崎:ヴァレリーやシュレーバーのように、西 洋では「神」──それは絶対的真理や理性と読み 替えても良いのかも知れませんが──は人の内部 にはもともと存在せず、外部からそのエキス(精 神)が注入されるもののようです。もちろんこれ は、ヴァレリーやシュレーバーだけでなく、その 表現の仕方は異なるでしょうが、西洋の堅牢な精 神文化といえます。 「神」はどこに潜んでいるかと いうと、宇宙空間です。シュレーバーの「神の光 線」は、遙かなる宇宙空間から照射されますし、 ヴァレリーの神も詩から読み解くと大気圏外に住 んでいるようです。また、ダンテの『神曲』を読 んでも、神や天国は、冥王星の彼方に存在すよう です。神や天国は見えてはいけないので、学問が 進むにつれて住か(パラダイス)はどんどん遠ざ からずをえないのでしょう。学問が神を疎外して

いるではないのでしょうか。さしずめ、現在、 「神」 はブラックホールに住まわれているのでしょうか。 リルケの「神」は、明らかに大気圏内に住んで いす。身近にいます。場所を特定することは出来 ません。それはおそらく「神」ではなく、微細な 人目に付かない「神々」となって、まわりのあら ゆる所に住んでおられるためでしょう。言い換え ると、自然そのものが「神」あるいは「神々」で、 われわれのなじんでいるアニミズムの世界です。 そうすると、リルケの「神」は自らの魂そのもの で、心身一体(心身一元論)で、したがってこの ような「内観的世界」観は感性主体の〝一人称〟 記述が標準になります。リルケはこのような世界 (観)を〈全〉と言ったのだと思います。ヴァレ リーの 「神」 は自らの魂を外部から操作する主で、 心身分離(心身二元論)で、したがってこのよう な「外観的世界」観は、理性主体の〝三人称〟記 述が標準になります。

今回取り上げている詩人は、十九世紀から二十 世紀初頭の一世紀も前の人々です。 言ってみれば、 江戸から明治にかけての時代です。まさに激動に

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を現代西欧哲学が、特に、ハイデッガーが、どの ように理解し、吸収し、影響を受けたかについて 解説・論考しています( 『老子の思想 タオ・新し い思惟への道』上野浩道訳、講談社学術文庫) 。張 錘元は一九七一年にドイツのフライブルグにハイ デッガーを訪問し、その対談後に著されたのが本 書というわけで、 『道徳経』の第一章「道の驚き」 の張錘元の解説に、 「ハイデッガーもいう。 」とい う一節でハイデッガーの言葉が記されています。

をはっきり認識し、 「なにか神のようなもの( ein 」を感じたという神秘体験を書いています Gott) (古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』講談 社現代新書より) 。そして、ハイデガーは天空の神 を去り、実存を内に感じ、 『存在と時間』後は「大

リルケが『道徳経』などから「道」を「タオ」 と理解していたかは不明ですが、このゴングの詩 の「道」は少なくとも異界に通じる道です。 ハイデッガーは、青年期、故郷メスキルヒ近郊 のボイロン修道院にて、本格的な深い瞑想生活に 入ります。度重なる心臓発作(神経性心臓病)の なかで、ハイデガーは、 「死を極限まで思うそのメ レテ・タナトの行法がこうじたある日、最終最後 のあるなにかを、しっかりつかむ。それは、 「驚異 中の驚異、つまり、存在者が《存在するそのこと》 」

[〈全〉に対して私たちをさらけ出す……ゴン グ!] いよいよ最後の詩句である。ここでは人間の全

地」の哲学(思索)を続けます。天空(神) 身-体 大-地へと抜けていった、まるでリルケそのもので す。

老子の詩的思惟のキーワードは「道」である。 それは「正確にいえば」道を意味する。しかし、 我々は「道」を表面的に二つの場所を結びつけ る道として考えがちである。そして、 「道」と いう言葉をあまりにもせっかちに考え、 「道」 の意味することに名前をつけないのは不適当 であると考えてきた。そこで、 「道」は理性、 精神、存在、意味、ロゴスと訳されてきた。も し、我々がこれらの名前を語られないところへ 戻せるならば、思想豊かな「言説」のもつ神秘 は「道」という言葉にふくまれるであろう。

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東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

最後に、一九二五年のリルケの遺書で墓にも刻 まれている詩を読みます。この詩は、まさに心象 と具象の「異質の共存」を詠った詩です。そうす ると、 「や」の機能をつかって、 「異質の共存」の 詩として、例えば

見せます。 や の一字が「異質の共存」を可能に するというのです。 「や」の一字が「内観的世界」 と「外観的世界」を結びつけてしまいます。リル ケの水脈は欧米では、涸れ果ててしまっているよ うですが、日本にはまだ脈々と流れています。

」 「

この詩は、 「東海の小島」 「磯の白砂」 「われ」 「蟹」 と、大気圏から蟹へとズームインする詩ですが、 それを啄木の 「内観的世界」 がみているわけです。 リルケは一生かかってこのような「内観的世界」 観を会得したのですが、啄木はこの一句にそれを 読み切っています。 また、芭蕉の一句、

薔薇の瞼や午睡の夢の渦の中

のように訳してみたくなります。 おそまつでした。 薔薇よ、おお純粋な矛盾の花、 そのように多くのまぶたを重ねて、 なんびとの眠りでもない、よろこび。

墓碑銘 ( 『リルケ詩集』高安国世訳、岩 波文庫)

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古池や蛙飛こむ水のおと

」 「

も、長谷川櫂によると、心象と具象の「異質の共 存」という全く新たな精神世界を開いた句という ことになります( 長谷川櫂「奥の細道」をよむ」 ちくま新書) 。 「古池や」の切れ字の や が極めて 重要な役割を果たしており、 「や」は、 「古池」と 「蛙飛こむ水のおと」の全く異なった次元を結び つけ、 「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古 池の面影が広がった」という句であると解釈して

連載 エッセイ


突入するその手前の時期です。二十世紀には、西 欧では、自らの大量破壊と大量殺戮に突入してい きます。西洋の理性は戦争で吹っ飛び、あらゆる 価値観も木っ葉微塵に吹っ飛んでしまいました。 芸術・文化はシュールになり、ぐちゃぐちゃの得 体の知れない不気味なものになりました。ところ が、シュレーバーの回想録(ということはヴァレ リーの詩も)は「フロイト、ラカン、カネッティ、 ドゥルーズ&ガタリなど、知の巨人たちに衝撃を 与え、二〇世紀思想に不可逆的な影響を与え」る ような、実に欧米の太い水脈となっているような のです。 とりわけ、 ドゥルーズ&ガタリの思想が、 ポスト・ナンチャラ主義として、地下水脈を支配 しつつあるようにも見えます。ポスト・ナンチャ ラ主義思想は、とりわけ学術用語を駆使しながら 非学術(非現実)的世界を展開・議論します。も ちろん、哲学も思想も所詮物語なのだと見切って 読めば、それなりに「知の冒険物語」としてスリ リングに読めます。しかし、学術を装っているの がどうも胡散臭く、後味がいつも悪くなります。 シュレーバーの回想録は、その後味の悪さの成分 をはっきり示してくれていて、腑に落ちるのです

が、同時にポスト・ナンチャラ主義ではなにやら 中世的な魔界を呼び戻そうとしているような、不 気味な感じもします。

リルケは、この西洋の強固で強靱な「外観的世 界」にあって、蜃気楼の如く現れたオアシスのよ うな気がします。リルケはこのオアシスの水脈を ロシアに掘り当てます。とりわけ、トルストイで しょうか。しかし、この水脈も今は西洋ではほと んど断たれ、 私の探査ではパウル・ツェランに細々 と繋がった程度でしょうか。 リルケの「大気圏内の感覚」が私は好きです。 リルケは「大気圏内」を縦横無尽に時空をこえて 旅をしました。 「大気圏内」の神(神々)‐リルケ の「内観的世界」‐生命の根源の「大地」 (井筒俊 彦がいうところの「地的生命」 )が、リルケの歳と 共に繋がってくる感じがします。リルケが「大気 圏内」‐「内観的世界」‐「大地」へと抜けてき た詩集を読むたびに、石川啄木の詩が熱く湧き上 がります( 『一握の砂』 (新編『啄木歌集』 (久保田 。 正 文編、岩波文庫)

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弁 (そらべん) 」を用意しておくのもよい。 実は同じ時期、私はこれと全く逆の体験を している。シアトルでの会議に出て四月一日 に成田に帰って来たのであるが、シアトルの 空港は大混雑。オーバー・ブッキングで私の 席がない。 「出発までには決めますから、とり あえず入ってください」 、 と言われて同じ境遇 の人数人と出発ロビーに入ったが、出発一五 分前になっても私一人が席なしである。もう 荷物は飛行機に積込まれているから、あとは 身一つ。次の便か、それとも明日か。覚悟を 決めた所で、会社はビジネス・クラスを出し て来てこちらにどうぞと、と言う。向こうも 最後までねばったわけである。もともとがか なり安いチケットだったので、一番後に回さ れたのが幸いしたのであろう。そんなことを 話すと、店主は「へー、うまいことしました ねえー」というと、丁度散髪は終っていた。 さて、私の話しは多分その日のうちに、他 の客に伝えられ、 それからそれへと伝わって、 最後には、タダでファースト・クラスに乗っ てということになったのかも知れない。

しかしこの店主の話しを聞いていて、なる 程と思ったことが何回かある。以前、月に一 回は必ず来ていた客が、今頃は一ヶ月半かど うかすると二ヶ月近くに一回になった。定年 になる歳でもないから、多分景気が悪いので はないかと思っていたが、正にその通りであ ったこと。ある客は来るたびに顔色が悪くな っていて、これは変な病気ではないかと思っ ていたら、半歳もたたないうちに亡くなった とも云っていた。 この話しには続きがあって、 当主が亡くなってから、妻と二人の子供との 間で遺産相続の話しが拗れて、大騒動になっ た話も聞いた。 「昔はね、正月に年始に行くからなんとか してくれって言うんで、しょうが無いから元 旦の朝にしてやりましたがね。近頃は暮れに なっても普段と同じで、一体どうなるんでし ょうかねェ。以前は、暮れの三〇日・三一日 と云うと朝七時から夜の一一時くらいまでや ってねェ。除夜の鐘聞きながら最後の客を送 り出して、晩飯食ったもんですよ」 。なる程、 なる程……。

連載 エッセイ

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床屋談義 落語「浮世床」は、床屋で町内の若いモン が、ヒマつぶしに馬鹿話に興じるさまを描い たもの。今もそうだが、床屋はほとんどあら ゆる職業の人が出入りする。そして床屋のオ ヤジは決って話し好きとくるから、世間の動 き、町内の出来事は大抵知っている。 自宅の近所の理髪店は、三席(例の調髪用 の椅子)しかない夫婦と息子三人で営業する 小さな店である。 客もみな近所の人ばかりで、 例にもれず店主は話し好きである。頭を刈り ながら景気はどうだとか、誰が病気だとか、 近所のことなら何でも知っている。「この春休 みに裏の大学生がパリに行ったんですよ。ほ ら、あの爆弾事件で観光客が少なくなって、 大分安くなったんで行ったらしいんですが、 みんな同じこと考えるらしくて、飛行機乗っ たらこれが超満員。一番後 (うしろ)の席にす わったらしいんですね。メシの時間になった ら前のほうから順々に配ってきてね」 。 ここで

ひと呼吸あって、 「ところで何を間違えたか、 。 「乗務 一番後 (うしろ)の分が無ェんだって」 員の言い訳が、出発直前になって、急に乗客 が増えたんで数が足りなくなったらしいんで すがね、それよりも弁当はサービスで出して いるので、責任はとれないと言われたんだっ て」 。結局、最後列の乗客に夕食はなし。翌朝 の朝食もなし。気の毒に思ったのか、客室乗 務員がゼリーだのヨーグルトだのを少し持っ て来たが、みんなカンカンになったと言う。 お気付きかも知れないが、 「らしい」が多用 されているのは、くだんの大学生から直接聞 いた話ではないからであろう。航空会社の名 を聞いたが、私の知る限りその名の会社は無 い。あの会社だなと思い当る名ではあるが、 又聞きの又聞きくらいになるだろうから、書 かない。 しかし、これは貴重な情報である。これか ら海外に行くときには、混雑具合を見て、 「空

山田利明

やまだ としあき

東洋大学教授

(専門は中国哲学)

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図 1 柳野地区のコウゾ畑と家々.

知れない家族や戻ってきて欲しいと願

いながら亡くなった方の思いを断ち切

ることにもつながるからだ。

柳野地区には、誰にも貸さず、また

帰ってくる人もいないまま屋根が落ち、

床が腐り、誰も住めなくなってしまっ

た家があちこちにある。よくコウゾ収

穫の手伝いに行っていた畑の横に、と

ても縁側が広くて目の前に山が広がる

空き家があった。畑と家の間には立派

なお墓があった。お酒好きで有名だっ

たオンチャンと信心深くて働き者だっ

たオバアチャンのお墓だ。畑を手伝い

に行くたびに、 畑を荒らさないでくれ、

受け継いでくれという声がお墓から聞

こえてくるような気がした。

家と畑を借りられないかと、人を介

して娘さんにお願いしてみた。帰るこ

とはないだろうけれど、家がつぶれて

も良いから誰にも貸したくないとの返

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忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑲

フィールドに根っこを生やす 田中 求 たなか もとむ

ど山の文化、和紙などの調査を続けて きた。

家を借りるまでにはいろいろとドタ

バタがあった。私が高知に引っ越して

くることを伝えると、 あちこちから 「こ

の家を借りんか」「あそこが売りに出て

いるぞ」と話があった。でもどの家も

そこに住んでいたオンチャンオバチャ

ンたちのことを良く知っているし、家

を離れた家族のことも聞いていた。

「息子が帰ってくるはずだから」と

屋根を直していたオバアチャンの家、

「子や孫みんなで暮らそう」と新築し

たけれど借金を返しきれずに売りに出

された家、「いつか甥っ子や孫が帰って

「バアチャンの料理じゃけど食べるか

「明かりが点いているのがうれしい」

柳野では一九九五年から伐り畑(焼き

た私にいろんな人が声を掛けてくれた。

柳野地区で、この春から家を借り始め

決断は、もしかしたら戻ってくるかも

くなる。私が家を買う・借りるという

とどんなに良い条件の家でも借りにく

チャンの顔も浮かんでくる。そうなる

高知大学地域協働学部講師 (専門は環境社会学)

え」 「誰かが住んでくれるだけでエエ、

畑)や林業、踊りや宮相撲、ヨバイな

きたらいいねえ」と話していたオバア

助かる」 、高知県吾北村(現、いの町)

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図 3 借りることになった古民家.

を入れてもおいしい。五右衛門風呂も

沸かす手間は掛かるけれど自分が煮ら

れているような感じで楽しい。

暮らし始めてみると、そこに住む者

としての「当たり前」がたくさん降っ

てきた。山から引いている水の管理、

道普請、総人足、猟友会、消防団、イ

ベントの手伝い、家の横にある石仏の

掃除、近隣に迷惑にならないよう庭木

の剪定、庭に入ってくる猫やアナグマ

とのつきあい、ゴミ出しなど、地域の

人や自然とのつながり、生活基盤など

の「当たり前」のなかに入ることがで

きたのがうれしくてちょっと大変だ。

四年ほど前から畑も借りており、和紙

原料のミツマタやコウゾのほか、トロ

ロアオイやタデアイ、コムギなどを栽

培しているのだけれど、なかなか自分

の畑に行く暇がないくらい、地域との

つきあいがたくさんある。

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図 2 見晴らしの良い空き家.

事だった。私は子どもの頃から引っ越

しばかりで、自分が生まれ育った家と

いうのがないけれど、娘さんの生家へ

の複雑な思いは伝わってきた。

よく聞き取りに伺った民謡や釣り、

狩りが好きなオンチャンの家が空いて

いるぞという話がきた。長いこと入院

していたオバアチャンは、娘さん夫婦

の家で同居を始めたという。オバアチ

ャンが柳野の家に帰りたがっているこ

とは知っていたから、遠慮するつもり

だったけれど、娘さんたちはもう戻れ

る健康状態じゃないから貸しても構わ

ないという。

オバアチャンがいつ戻ってきてくれ

ても構わないし、もしお孫さんたちが

住みたいということがあったらいつで

も家を空けることを伝えて、借りるこ

とにした。水は水道ではなく山から引

いているからそのまま飲んでも、お茶

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図 5 ミツマタを運ぶ筆者.

しれない。

これまでのフィールドワークは、「知

ること」 「解釈して伝えること」が主だ

った。フィールドに住むことを選んだ

ことで、「何をどれだけ自分が受け継げ

るか」という柱が加わった。自分だけ

でできないこと、みんなで一緒にやる

こと、地域の長い歴史のなかで受け継

がれてきたことも多い。どこまで根っ

こを広く、また深く伸ばせるのか、と

ても楽しみだ。

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図 4 家の上がり口にある地区内のお遍路(御大師様)の石仏.

山村は家や田畑を作るのに条件の良

い場所は限られている。柳野に来始め

た二〇年前だったら、新たに家や田畑

を借りたりするのはとても難しかった

と思う。長くつきあい続けることで関

係が深まったということもあるけれど、

それ以上に「先祖から受け継いだ家に

住み続ける、田畑も自分で耕作する」

という「当たり前」を、部分的に諦め

ざるを得ない人たちが増えてきている

のだと思う。諦めと、家や田畑が荒れ

かけていることが重なり、できた隙間

が私を受け入れてくれたのだろう。

長野県大鹿村の移住者さんは「今は

家も田畑も借りたかったら早い者勝ち

だよ、すぐに入れるところは無くなる

よ」と語っていた。七十代、八十代の

村人が増えていることからすれば、こ

の隙間はあと一〇年も続かず、誰も入

れない深い穴に変わってしまうのかも

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れ ば 、 す っ ぱ いか 苦 い かを 見 分 け る 実験 。 紫 キ

はすっぱいし、アルカリは苦いので、言ってみ

ベ ツ を 使 っ て 簡 単 に 見 分 け る こ と がで き る 。 酸

見 え る 液 体 )が 酸 性 か ア ル カ リ 性 か は 、 紫 キ ャ

そばに入れると緑になったり、さらにレモンを

もしてみたり。さらに、この紫キャベツ、焼き

ここから、酸性雨の問題の話などして環境教育

は、ややアルカリ性だった。雨は、少し酸性。

性。東大の本郷キャンパスにある三四郎池の水

ア ン ト シ アニ ン と いう 色 素が 入 って い る も

ャベツを千切りにしていったん凍らせてから解 ら せ ば 、 色 の 変 化 で 酸 性 ・ ア ル カ リ 性が わ か る

のであればいいので、紫キャベツでなくても、

たらすとピンクになったりするから面白い。

というわけ。中性だと紫、酸性が強くなるほど

ブルーベリーや赤シソも同様の性質がある。お

凍 し 、 汁 を 絞 り 出 す 。 こ の 汁 を 色 んな 液 体 に た

赤 っ ぽ く な り 、 ア ル カ リ 性が 強く な る ほ ど 青 ~

文・構成 平松 あい)

うちで楽しむ実験にはもってこい。

(親子サステナ

緑~黄に変化する。酢は酸性。海水はアルカリ

【第 39 号】


そう か 、 「ホタル=きれいな水」という認識が形

わりの大人がいうのを聞いてきた。子ども心に、

水が汚くなった河川にはいないんだよ。」と、ま

きれいな川でしか生きられないから、現代化して

きれいな水という意味なの。ホタルは自然の中の

ら ? 当 然 子 ど も な ら 疑 問が わ く 。 「こ れ は ね え 、

ったら砂糖水を置いて おけばやって来るのかし

ホタルは、甘い水と苦い水を感知できるのか?だ

ル(をおびきよせる)歌がなつかしい夏の季節。

ーまいぞ、あっちの水はにーがいぞ・・・」ホタ

「ほー、ほー、ほーたるこい、こっちの水はあ

はきれいで都会の水は汚いと いうのも固定化

対性をもって刻まれている気がする。田舎の水

にすり込まれたイメージというのは、なぜか絶

われてみればそれもそうだ。いやはや、幼い頃

んじゃないの、という逆の見解。なーんだ、言

はきれいに処理されすぎて いるから棲めな い

だ。むしろ都市の真ん中を流れている親水空間

で あ れ ばあるほ ど い いと いうわ けで もな いの

きった渓流などにはいないということ。きれい

て(つまり人里近辺)、むしろ山奥の水の澄み

れもある穏やかな 流れの水域に いるので あっ

なるカワニナが生息しているくらいの、多少汚

あまい水、にがい水、すっぱい水

成された。最近では地方でも、ホタルを見るのが

けねばなるまい。水質指標だって様々なのだ。

されたイメージ。子どもに伝えるときは気をつ

し か し後で わ か っ たこと は 、き れ い と いって

さて、甘いか苦いかではないが、透明な水(に

なかなか難しい。 も、実のところ、そこそこ有機物があってエサと


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