appearance of Interior Room, appearance at Video Meeting

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JR 上野駅 Break ステーションギャラリーで 行った個展。モニター 2 台を用いた一対の映像 作品、字幕によるレクチャー映像、大判写真、 段ボールによるモックアップで構成されている。 COVID-19 によって一般的になったビデオ会議に おける「他者の私室にとうとつに視覚だけの存 在としてアクセスする」空間体験に着目し、従来、 同じ道を歩き玄関を通過し靴を脱ぎ手を洗いタ オルを使うなどの一連の動きを同様に行うこと が、他者の私室にアクセスするための通過儀礼 のようなものだったのではないかと考察した。 それらの動きは、私室の持ち主にとっては視覚 というよりも触覚的なものである。一対の映像 は出演者 2 人の私室を zoom で繋いだものであ り、私室でただ生活をする人と、相手の私室を 画面に映る視覚情報のみで模倣し、段ボールや ガムテープを用いてモックアップを作り続ける 人を映している。粗雑に作られたモックアップ は正確な奥行き情報を持たないが、形態を近づ けることで、ふたりの身体の動きをわずかに類 似させることがあるかもしれない。レクチャー は建築における私室の歴史を追いながら、私室 が物の布置によって形作られていることを語る ものであり、大判の写真作品では、粗い粒度の zoom と対照的に高解像度のレンズに対する緻密 な室内の装飾を試みることで、空間の形態と装 飾の関係や、内観とはどの距離からの視線に向 けたものであるのかを思索した。


撮影:大村高広

appearance of Interior Room, appearance at Video Meeting 2020.09.12-2020.11.12

制作 : AS+RO、大村高広 ( 建築設計・理論 ) 映像出演 : 大村高広      添田朱音 映像文章 : 大村高広

映像 (Lecture) : 17:26 映像 (Zoom)

: 30:19


[ appearance ]

〔an [the] ∼〕 (現象などが)現れること, (症状などの)出現,発現, (作品などの)出版,公表, (新商品などの)登場; 《哲 学》 (reality に対する)現象;幽霊,まぼろし (歴史 , ・記録などに)現れること, 登場 (物の) , 外観,見かけ, (人の)容姿, 風ぼう 〔通例 , an ∼〕(実際とは異なる)うわべだけの様子[態度],〔∼ s〕(外側から見た)状況,兆候,きざし


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2020 年。covid-19 の世界的流行により全国で瞬く間に、移動が「控えるべきもの」と認識された。ウィルスは人によって保有され、対 面による飛沫や接触によって感染するため、身体的距離をあけさえすれば感染の危険はない。移動は、「自分を危険に晒すもの」であり「誰 かの安全を脅かすもの」になった。そして、私室から移動せずに他者とコミュニケーションをとるやり方が一般的になった。ビデオでとう とつに繋がること。ペットの監視。老いた両親の安否確認。遠距離恋愛の恋人同士の会話。だれかの私室を、あるいは私室にいるだれかを 垣間みることは、少なからず監視めいた性質をもっていた。少なくとも昨年までは。

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「私室」とは最も秘匿された場所であり、所有者である「私」がほとんど唯一にして誰よりも、その場所へのアクセス方法を、鍵の形を、入 り口の段差を、玄関先の棚に溜まった埃を、洗面台の位置を、タオルの替えの枚数を、バルコニーの植物の伸び具合を、浴室タイルの滑り やすさを、カーペットの汚れやすさを、ダイニングの椅子の高価さや卓上の花瓶の安価さを、コップの位置を、蛇口の湯と水の向きを、一 昨日こぼした菓子の欠片を、インターネット回線の弱さを、もうほとんど目をつむっていてもおおまかな活動はできるほどに、身に馴染む ほど知り尽くしているものである。それは視覚ではなくほとんど触覚であり、動きの形式である。

他者にとっての「私室」を、とうとつに目の当たりにすること。これはいままで、ある程度親密な、あるいは公的な集まりのもとに行わ れるものであり、すくなくともわれわれはその「室」にいたるまでの過程、最寄駅に到着し・見慣れない道を歩き・手土産を購入したり最 寄りのコンビニに寄ったりという行動を挟みながら、彼・彼女の表札を確認し、ポストや外観の形を見て、玄関マットを踏み、洗面所は廊 下の端ねなどと言われ、振り返って靴を揃えたり指示通り洗面台に向かい手を洗い ( このタオル使って大丈夫? ) などと問うてきたわけで、 すくなくとも他者の「私室」に至るまでにはそのくらいの手順を踏む必要があった。これは形式の踏襲であり、われわれは最寄り駅から当 該の「私室」に至るまでの彼・彼女の身体の動きを、「すくなくとも 1 度は完全に倣う」。それが言わば、新たな空間にアクセスを許された ものの通過儀礼のようなものであった。

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つまり、誰かと「私室」を晒し合うほど親密になるということは、同じ行為の形式を倣い合うことでもあったのだろう。もうすこしだけ おおげさに語るとすれば、そもそも全く別の個体である人間たちが、座りかた、食べかた、眠りかたなどをある程度民族間で揃えていくこ とによって、共感できる箇所を増やし社会を形成してきたのだと言ってもいいかもしれない。その世界のなかの極小の部分が、同じテーブ ルを囲み、同じ食器を使い、同じベッドで眠るような、ちいさな親密さなのかもしれない。しかし、ビデオ会議によって突如出現する「私室」は、 そこに至るまでの手順や触覚性を奪い去り、私を視覚だけの存在にしてあなたの「私室」に送ることとなった。さらに不気味なことにこの ときの私は、ただあなたの正面の、あなたの設定した箇所に固定されており、あなたの部屋を自由に見回すことすら許されておらず、身体 と五感が連動する身体性すらも剥奪されている。

そのときあなたは? あなたもまた、私が無造作に置いた PC が捉える範囲に固定されていて、どんなに身体を動かし身を乗り出そうとも、 私が手にするコップの柄さえ確認することはできない。このとき ( ねえ、それこないだ買ってたコップなの ) と聞きたいあなたは、コップを 少し持ち上げることを私に要請するだろう。きっと、カメラを少しだけ下に傾けることは要請しないのだろう。それは、( ただ人間同士が向 き合っていることにする ) ために意識からカメラを排除することでもあるし、他者の「私室」を不躾に眺めない倫理の問題でもある。ヴィデ オ会議への出席、他者の「私室」への不躾なワープは、きわめて平等かつ不自由に、自らの身体性を失い合い、また視覚に関わる権利を握 り合うことであった。

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あなたは私の視界にうつるすべてのものの距離と配置を決定する。ただし、私の「私室」に触れることはできない。 逆も然り。


展示の冒頭に位置する 17 分 26 秒のこの作品は、 黒背景に淡々と字幕と図版が出てくる映像であ り、テキストは建築設計・理論を専門とする大 村高広による。全文は 30 のパラグラフからなり、 原始的な家から現在のような私室が生まれるま で、つまり人間が集まって暮らすなかで、プラ イバシーという概念が空間の移り変わりとどの ような関係を持ってきたのかを概観する。そし て、いわゆる私室が生まれたとき、同時に生ま れた廊下という占有されない移動空間に目をや ると共に、私的な空間である私室はあくまで空 間の細分化の結果であり、隔離され独立した空 間ではないことに触れている。細分化された空 間のなかでどのように私性が立ち現れるのか。 このとき鍵になってくるのは私室のなかで行わ れる道具の使用の連鎖、すなわち物の布置であ り、私室の持ち主の日々の一連の動きと切り離 せないものである。物によって人が動かされ、 物によって行為が生まれる。事物とそれを取り 巻く可能性によって生まれるものを私性と呼ぶ。


私室についてのレクチャー

appearance of Interior Room, appearance of Video Meeting , 2020


1. 家は、まずもって天敵や自然環境から身を守るシェ ルターであり、身体や財産を庇護するための覆いであ る。人間に独占的に帰属する諸空間は、空間を外界か ら区切り、外来の諸勢力の侵入に対して安全な場所を 作るための耐久力のある囲い(垣や柵、あるいは壁) によってはじめて可能になる。

2. 原始的な家は一室空間であり、その多くが円形の間 取りで、内部を壁で明確に分節するのではなく、場所 の性格は行為と関係性によって局所的に生じていた。

3. 家という建築的な装置の発明は、外界の諸勢力から の防御の必要性だけでなく、定住したい、生活に儀式 的な形を与えたい、という欲求にも動機づけられてい る。儀礼とは、定められた順序に従って行われる一連 の行為である。家は行動パターンを確立・保存するた めの方向性と連続性を日々の生(活)に提供する。狩 猟採集を中心とした遊牧民が極限の環境で生きていた のに対し、家は予測不可能さに対抗するルーティンを 結晶化する方法を提供する。

4. 小屋が連結することで、部屋が組織化された住居が 発生する。小屋のひとつひとつはある特定の機能をも ち、多くの場合、生産と生殖に専念するスペースと、 もてなしと貯蔵に専念するスペースが分離される。複 数の部屋の集合体が、明確な階層的論理の中で家のさ まざまな機能を分担する。

5. 農業が発達し、遊牧生活から定住型の生活へと移行 するなかで、家は単に居住のための空間であるだけで はなく、蓄積と家財管理の場になった。その過程で、 多くの住居が円形から矩形の間取りへと移行する。そ の結果、家は異なる部屋の集合へと細分化され、家の ある部分は他の部分より公共的になり、ある部分はよ り内密な領域となった。

6. ハンナ・アレントは『人間の条件』のなかで、人間 の生(活)を、活動(公的な場での政治的な行為)/ 労働(調 理や睡眠といった生命を維持するための行 為)/仕事(耐久性のある人工物を製作する行為)に 区分した。アレントが範 とした古代ギリシアでは、 公的な場での行為はむき出しの生活の必然性とは本質 的に無関係だった。そしてアレ ントは、私的な領域 の公的な領域への横滑りを、本質的に近代的な現象と して位置づける。

Plan of Natufian dwelling, 11500-10000 BCE. (source: Ofer Bar-Yosef 1998)


7. 「公的(public)」という用語は、密接に関連してはい るが完全に同じではないある二つの現象を意味してい る。 第一にそれは、公に現れるものはすべて、万人 によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示さ れる ということを意味する。私たちにとっては、現 われ(appearance)がリアリティを形成する。この 現われと いうのは、他人によっても私たちによって も、見られ、聞かれるなにものかである。 ハンナ・アレント : 人間の条件(文庫版), 志水速雄訳 , 筑摩書房 , p75, 1994

8. 公的な領域に属するものは、「現れ」をもち、自ら が何ものかであるかを開示する。アレントによれば、 「私的」 (private)という用語にはもともと「欠如して いる」(privative)という観念が含まれている。欠如 しているのは他 者に見られ、聞かれることを生じさ せる現れである。私室は現れをもたなかった。

9. 古代ギリシアの家=オイコスは、オイコノミア= 家政の場である。つまり住居内部の財=諸事物の成り 行きを 家父長が統治する空間だ。内部では男が利用 する領域(食事、歓待、宴会のために利用される空間 : アンドロニティス)と、女が利用する領域(ギュナイ コニティス)が厳密に区分された。前者は公的な領域 = ポリスの延長となり、他者と の言語的なコミュニ ケーションが行われる場である。後者は家財を管理し、 生命を維持する日々の生活行為を営 む場となって、 公 的 な 領 域 か ら は 排 除 さ れ た。こ こ に、世 帯 (household)を条件づける「プライバシー」という 考え方の起源をみることができるかもしれない。そう した厳格なプライバシーの運用は、家の条件であるば かり でなく、自由な政治的活動を可能にする公共空 間を基礎づけてもいた。

10. ルネサンス期のイタリアの理論家たちは、部屋の ドアは少ないよりも多いほうがいいと考えていた。隣 り合っ ている部屋同士は、必ずドアで結ばれる。結 果として、家は離散的ではあるが相互に連結された部 屋のマトリク スとなる。

11. 対して 19 世紀のイギリスの住居では、部屋には ドアが概ねひとつしかなく、移動専用の空間=廊下が 書室を 結びつけている。両者の差異は、単なる建築 様式の違いではなく、家庭生活が根本的に再構成され たことを示し ている。


12. 家族(family)と世帯(household)は交換可能な 概念ではない。家族は血縁関係にもとづいた関係だが、 全員 が同じ家に住む必要はない。対して世帯は互い の関係性に関わらず、同じ家に住み、食事をともにす るグループ で構成されている。核家族化が進む以前 は、家は異質な人々の集まりであった。

13. ルネサンス期の「室連結型」の住居の場合、家の なかを通る道(passage)と居住空間のあいだに質的 な違い があるわけではない。異質な構成員が部屋の なかに混在し、動線は混線する。使用人は目的でない 部屋を一旦通 過する必要が出てくるかもしれない。

Palladio: Palazzo Antonini, Udine, 1556

Robert Kerr: Bearwood, Wokingham, 1864

14. 対して廊下型の住居の場合、室には明確な意図や 目的がなければ入ることが難しい性別や身分による分 離を 仲介し、経験の限界値を本質的に規定すること で、空間はとても安全なものになる。騒音の伝達を減 らし、運動 パターンを事前に識別し、においを抑え、 破壊行為を鎮圧し、汚れの蓄積を減らし、病気の広が りを妨げ、困惑 するような状況にベールを被せ、下 品な行為をクローゼットに押し込めて、あらゆる不必 要なものを廃止にする、ために、行動はうまく整理さ れるだろう。

15. もはや、ある部屋に向かうために他の部屋を随時 通過する必要はなくなったのであり、そこに潜んでい た機 能の転用、予期せぬ出来事や事故の可能性は回 避されたのだ。その代わりあらゆる部屋のドアが、隣 の部屋から 家の最先端までほとんど平等にアクセス できる経路のネットワークへとあなたを届ける。廊下 =主要動線は、近 接する部屋を引き離すことを通し てのみ、遠くの部屋を近くに引き寄せることを可能に した。

16. この間に何が起こったのだろうか。この期間は、 我々がさしあたり「近代」としている時代区分──啓 蒙運 動(1750 年ごろ)から 1960 年代の全体主義末 期まで──とおおむね一致する。

17. 個人的主体の自律性と技術的合理性への信仰はこ の時代、「理性」という概念において重なり合う。世 界の有 り様にはすべて必然的な根拠があり、あらゆ る真理は理性によって論証される必要があるという理 性主義は、近 代に特徴的な啓蒙的思想だ。非論理的 な因習の脱却を目指した理性は近代的な主体の第一の

Robert Kerr: Bearwood, Wokingham, 1864


行動基準であり、近 代人はそれを賭け金とすること で、「個人の自由な生活」の実現可能性を得た。しか し同時にそれは生産性に応じ て最大の利益を得るプ ロセスを約束する枠組みでもあり、資本による社会の 合理的な支配とその滑らかな運用の 基盤となる概念 だった。

18. 中世から産業資本主義の物質基盤に裏打ちされた 近代社会への移行期間では、多くの建築家が揺れ動い てい た。そして、はっきりと時代が移行するこの期 間には、室連結型とも、廊下型ともいえないような不 思議な平面 構成が登場する。

19. 例えばハインリッヒ・テッセナウ(1876-1950)は、 ドイツ最初の田園都市ヘレラウにて職人たちの互助組 織 を作り、彼らの技術と地位の向上を図った建築家 である。

20. 近代のぎりぎり一歩手前で活躍していた彼の住宅 には、ミニマムな廊下と、開閉可能なドアによる室同 士の 連結を見ることができる。ここに私室はあるの だろうか。あるいはないのだろうか。

21. 対して、ウィリアム・モリス(1834-1896)の自 邸「赤い家」では意外にも、機能的で実用的な平面計 画が採 用されている。はっきりと分節された個室が、 幅の狭い移動空間で連結されている。

22. 私室、すなわち隔離された居住の聖域の実現と、 占有されることのない移動空間の発生は、軌を一にし ている。誰にも占有されることのない場所、その寸法 が、家のなかに現れた。

23. 部屋は決して自律的な空間ではなく、家の内部細 分化の結果だ。そして資本と賃金労働の台頭に伴って、 「私室」は家の所有権の象徴であるだけでなく、社会 的再生産の「秘密の住処」となった。

24. 私室は、私たちが所有できないものを忘れるため の場所なのだろうか。

25. ハ ン ネ ス・マ イ ヤ ー(1889-1954)の「Co-op Interieur」では、誰の部屋がわからない謎のインテリ ア写真が おさめられている。男性なのか女性なのか、 成人しているのか子供なのか、妻なのか夫なのか、主 人なのか使用人なのか、判別できない不気味な写真で


ある。すべての属性が、ここでは取り払われている。 家具は匿名的で、統一されていない。これらは所有の 対象としてではなく、単なる使用の対象(すなわち道 具)として、レイアウト されている。この部屋は誰 にも所有されていない。

26. 部屋を私のものにするということは、何によって 可能になるのだろうか。

27. ハイデッガーによれば、 道具というものは、──その道具性に応じて──いつ もほかの道具との帰属にもとづいて存在している。イ ンク・スタンド、ペン、インク、紙、下敷、机、ランプ、 家具、窓、ドア、部屋は帰属している。(……)一番 さきに出会うものは、主題的に把握されはしないが、 部屋である。そしてそれも、幾何学的空間の意味 で「四 つの壁の間」としてではなく──住む道具としてであ る。この部屋のなかから、備えつけられた「調度」が 現れてきて、そしてこの備えつけのなかで、それぞれ の「個別的」な道具が現れてくるのである。個別的 な道具に気づく以前に、いつもすでに道具立ての全体 性が発見されている。 マルティン・ハイデッガー : 存在と時間 , 細谷貞雄訳 , 筑摩書房 , §15., 1994

28. 家具や建築的要素は道具的なネットワークで結び 付けられ、それによって部屋はある仕方で分節され、 構造化される。物を構成する秩序、その全体性が、私 の部屋の印象をつくっている。私の使用によって構造 化された、私の所有物の布置=星座。

29. しかし、物を所有するということと、部屋を所有 するということは、一致しない。家具と身体の接触は、 潜在的な行為の水準を私たちに与える。その意味で、 家具は一種の出来事であり、部屋のなかで起こりうる あらゆる行動の換喩だ。

30. 私は事物だけではなく、事物をとりまく行動の可 能性を占有している。

Hannes Meyer: Co-op Interieur, 1928


私室についてのレクチャー

appearance of Interior Room, appearance of Video Meeting , 2020



一対のヴィデオ

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私室での生活

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私室の模倣

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私室で行われる生活、段ボールによる粗い模倣

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窓・窓台・加湿器・袖壁・ヨガマット・枕・クローゼッ ト・吊り照明・廻り縁・ランプ・コンセントなどが、 黙々と粗雑なダンボールの模倣により形作られてい く過程を映した 30 分 19 秒の映像。ふたつの映像は、 お互いの家を訪問したことのない出演者 2 人の私 室を zoom でつないだものの録画であり、それぞれ の部屋は、地域や方角も異なる。zoom ビデオの解 像度は粗く、実際の目で見る情報と比較すると多く の情報がこぼれ落ちている。たとえば天井にとりつ いていた既存の照明はコピー用紙を上から貼り付け るだけで、粗い解像度の暗い白色に紛れてしまう。 他者の私室をとつぜん覗き見るという、2020 年に 発生した極端な社会の変化がもたらしたものは、人 間同士の関係性や経験の変化だけでなく、私室に対 する新たな距離からの視線でもあった。真正面から 赤裸々に部屋を眺めながら、そのディテールを見る ことのない視線である。

室内空間はきわめてプライベートなものでありなが ら、じつは本来誰でも自由に見られるものだとされ てきた建物の外観よりも、晒されることでもたらさ れる持ち主への危険性は少ない。私室は外部を取り 巻く位置情報から独立し、ただその人を表す一要素 としてインターネット上に晒される。内観だけを 知っている他者の私室が世界に氾濫し、私室が外観 化していく。



模倣の前

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模倣の後

appearance of Interior Room, appearance of Video Meeting , 2020


内観はどの距離からの目のためにあるのか?映像作 品で試みた段ボールやガムテープによる粗雑な模倣 は、いかにも模型やハリボテのような見てくれをし ていた。それは実空間とは大きく異なる、あからさ まな偽物である。しかし実際の建築空間のことを考 えてみると、大理石風タイル・木質シート・壁紙な ど建物内には数多くの、どこまで本物と呼ぶべきか わからない素材が見受けられる。無垢の木や石で神 や王のために建物をつくるなんて時代でない現在、 われわれはあらゆる基準によって素材を選び、空間 を構築している。zoom の粗い解像度を、あるいは 精度の高いカメラによる撮影を、もしくは人間の目 を通し見られる空間は、どのような現れをしている べきか。そのようなことを考えるため、Photoshop で作られた空間のイメージをもとに、紙に印刷され た大理石の写真、版権の切れた William Morris の 装飾を印刷したシール、そして段ボールで緻密に作 られた椅子・テーブル・花・水さしをレイアウトし、 もっともらしく見える時間を探り、撮影をした。写 真は、3DCG で作られたようにも、現実に配置され ているようにも見える。よく近づいて見ると段ボー ルであることは明らかで、花も椅子も人を騙せるよ うなものではないが、遠くから見たり粗い解像度で 見たりした場合、ほんとうにこれらは偽物らしく見 えるだろうか。大理石の紙はやけにひらべったく不 自然に見えるが、はじめから厚みを持たないウォー ルボーダーには、不自然なところがなにもない。室 内空間というものは、そもそもが虚実入り混じるよ うな存在なのではないかと思えてくる。


段ボールとコピー用紙による緻密な模倣

Interior Photography, 2020, Break ステーションギャラリー


段ボールとコピー用紙による緻密な模倣のための配置スタディ

Interior Photography, 2020


段ボールとコピー用紙による緻密な模倣のための試作

Interior Photography, 2020




展示風景

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ポスター、フライヤー

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花の模倣

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William Morris の室内装飾帯

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