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界各地で紛争や貧困で苦しんでいる人々の様子をニュース で見ていると、そのような環境で生まれ育つ子どもたちや、 一生の大半をそういう場所で過ごさねばならない人たちのことを 考えて、やり切れない気持ちになります。 問題があまりにも大きく広範囲に渡っているので、自分にでき る事など何もないように感じてしまいますし、時には、気の毒に 思うと同時に、そんな状況になっているのは、政治が悪いとか、 指導者が良くないからだと批判したくもなります。 でも、よく考えれば、どんなに素晴らしい指導者であっても、 すべての問題を解決できるわけではありません。その上、今は世 界中に広まっている感染症もあり、長年続いている環境問題や経 済問題など、世界は問題で満ちています。 そんなことを考えながら、悶々とした気持ちでいると、聖書に は、指導者たちのために祈るようにと書かれていることを思い出 しました。 「まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っ ているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感 謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一 生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わ たしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、み こころにかなうことである。 」 ー 聖書 テモテへの第一の手紙 2 章1- 3 節 国の指導者はもちろん、職場や学校、地域のコミュニティ、ス ポーツチームなどの責任者であっても、上に立つ人には、他者に は見えない苦労が沢山あります。立場ゆえに、様々な問題を解決 することを要求されますが、その決断が大勢の人や地域に影響を 及ぼし得るので、間違いだと思われる決断をするならば、途端に
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多くの人から非難が飛んでくることもあります。 人はどんなに努力しても、時には判断を誤ったり、 最善ではない決断を下したりするものです。また、誰 にでも強い面と弱い面があります。様々な立場の人た ちを考慮しながら決断しても、結局は誰かからの批判 を浴びる・・・責任ある立場の人の中には、相当疲労 困憊している人もいるに違いありません。そういう人 は、どれほど、とりなしの祈りを必要としていること でしょうか。 私は、何かの悲しい状況について知った時に、その 中で苦労している人たちのために祈ることはあっても、 その状況に関わる指導者や責任者のためには祈ってい なかったことに気づいて、とても反省させられました。 本当に世界が良くなることを望むのなら、責任ある立 場の人、決断を下す立場の人のためにも、もっと祈らな ければいけません。 また、自分のことや自分にとって大切な家族や友人 のためにはよく祈るし、病気の人のための祈りのリク エストが届くなら、そのためにも祈ります。でも神様は、 見ず知らずの人たちや、個人的に関りのない人たちのた めにも祈ることを望んでいるのです。 たとえば、ニュースで取り上げられている問題につ いて、責任ある立場の人たちのためにとりなしの祈り をするなら、神様は、その人たちが賢い判断をし、正 しい決断を下すのを助けてくださることでしょう。 また、子どものいじめについて耳にするならば、い じめられている子どものために祈ると同時に、学校関 係者や親、周りにいるすべての人たちの正しい対応の ために、そして、いじめをしている子どもたちの心が 変わるようにと祈ることができます。 神にとっては、大きすぎる問題も、小さすぎる問題 もなく、何でもできないことはないので、もっともっと、 とりなしの祈りをすることで、きっと私たちの生活は 大きく変わっていくことでしょう。 ところで、状況や人のために祈るだけではなく、何か 自分にできることはないか、主に尋ねることも大切です。 主は、祈っただけで責任を果たしたと思ってほしくはな く、実際に何かしてほしい場合もあるからです。 たとえば、子どもの貧困のニュースを聞いたなら、主 は貧困家庭の子どもたちを助けるボランティアに参加す るよう示されるかもしれないし、ボランティアをしてい る団体に必要品を届けたり、寄付を送ったりするよう示 されるかもしれません。聖書には、こうあります。