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࣎ ƴƋǔ ᆭ ƦǕǛƨƢƜƱƕưƖǔƷƸȷȷȷ 築紫 裕子 今、夢も希望も持てない若者が増えていると聞きます。 就職したくても、希望の職種に就くのは以前より難しく、 世の中の状況を見ても、明るい未来は思い描けず、夢やゴー ルを持つような気持ちになれないのです。そんな中で、生 きている意味もわからないまま、ただ何となく毎日を生き ていく・・・。もしかしたら、それは大人も同じかもしれ ません。 私も学生の頃、将来に希望が持てず悩んでいた時期があ りました。懸命に勉強して志望校に入ったものの、学校も 友人関係も、自分が夢に描いていたものとはだいぶ違い、 失望していました。また、世の中の実情を知れば知るほど、 自分の理想と現実のギャップに苦しみました。 もちろん、楽しかったことも沢山ありましたが、いつも 心の奥にどうしようもないむなしさがあったのです。その 上、自分が生まれ育った幸せな家庭も壊れかけていて、愛 を信じることができなくなり、友情にも、結婚にも、積極 的な気持ちを持てなくなっていました。 でも、そんなふうに、むなしさと闘いながらの日々を送っ ていた時に、私はキリストに出会いました。友人に連れら れて宣教師さんの家に行ったのがきっかけでした。子ども の頃に教会の日曜学校に通っていたことがあり、ある程度 は聖書について知っていましたが、宣教師さんから説明を 受けて、イエス・キリストを個人的に自分の心の中に受け 入れる祈りをした時、人生が大きく変わり始めたのです。 その説明も祈りもとてもシンプルでしたが、確かにその 時から、聖霊が私の心に溢れ始めました。宣教師さんは、 神様の愛は決して途中でなくなることも、変わってしまう こともなく、いつまでも続く本物の愛だと話してくれまし た。そして、イエス様は私たちの良い部分だけではなく、 悪い部分もすべてご存知なのに、それでも私たちのことを 愛し、いつまでも心の友となってくれる「真の親友」だと 言うのです。 それこそ、私が心からほしいと願っていたものでした。 でも、現実にはそんな人はいないと感じていたので、その 話を聞いてすぐに、心の中にイエス様を受け入れる祈りを しました。 その時、宣教師さんは、永遠のイエス様の愛は私たちを 決して離すことなく、たとえ私たちがイエス様の手を放して しまうことがあっても、イエス様は決して私たちを見捨てな
いと言って、実際に私の手をとり、私が手を放しても、 もう一方の手が固く握って離さない様子を見せてくれ ました。その時のことは今も鮮明に覚えています。 私が心の奥底で求めていたのは、そんな愛でした。 裏切ることも消えてしまうこともなく、あるがまま の自分をまるごと受け入れてくれる愛です。この世 にそんな愛はあるはずないとわかり、私は生きてい くことに希望が持てなくなっていたのですが、神の 愛こそ、私が求めていたものであり、とうとうキリ ストの中に、それを見つけたのです。その日、帰り の電車の中で涙が止まりませんでした。嬉しくて仕 方なかったからです。 その時から私は、真剣に聖書を学ぶようになりま した。聖書は、ずっと疑問に思っていたことや、知 りたいと思っていたことを、次から次へと教えてく れました。イエス様の愛を知れば知るほど、それこ そが長年に渡って探し求めてきたものだったのだと 痛感しました。 私が探し求めていたのは、 『完全な愛』だったので す。それが見つけられなくて心の葛藤があったので した。でも、不完全な人間の集まりであるこの社会 で完璧なものを求めても、失望して当然です。この ことについて、私の尊敬する牧師が次のように話して くれたのですが、それはまさに、人生の奥義を知った 瞬間でした。 「誰の心にも、小さな穴があります。人は、その穴 を埋めようと、いろいろなものを試します。欲しい 物を買ったら満足できるだろうとお金を貯め、恋人 ができたら幸せになれるだろうと自分を幸せにして くれる人を探し、良い成績をおさめたら成功できる だろうと仕事や勉強を頑張り、人気者になったら楽 しい人生になるだろうと人の顔色をうかがう毎日を 過ごす・・・。でも、そのどれも、人を幸せにはし
ないし、心に満足をもたらすことはありません。なぜな ら、その穴は最初から、神様にしか満たすことができな いように造られているからです。その穴は、神様が人間 とつながるためにわざわざ造ったものなので、地上のも ので満たすことはできないのです。それは、間違った鍵 で扉をこじ開けようとするようなものです。でも、神様 の愛という鍵を心に差し込む時、あなたの人生は開花し ていきます。 」 この話に、私は心から納得し、それ以来、心が空っぽ に感じると、聖書を読んだり祈ったりして、神様との時 間を過ごすようになりました。神様との時間を過ごすと、 むなしさが消えてゆくだけではなく、心の内から力が湧 いてきます。そして、その時に自分が必要としているこ とが起こるのです。 たとえば、何か心配事があるなら、心の内の恐れが信 頼へと変わっていき、気がくじけそうになったり、自分 自身が弱く感じたりしている時には、勇気や力が流れ込 んできます。まるで、空っぽになった心に、天から必要 なものが流れ込んでくるようなものです。 私たちの心は、空っぽになったり、むなしく感じたり するだけではなく、傷ついたり苦しくなったり、病んだ 状態になることもあります。そんな時に必要なのが魂の お医者さんです。聖書にこんな言葉があります。 「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。 わたし(イエス)がきたのは、 義人を招くためではなく、 罪人を招くためである。 」 - - マルコによる福音書 2章 17 節
ありません。むしろ、人の気持ちをよく理解できるように なるために、神であられたにも関わらず、人間の体をま とって地上に降りて来て、33 年の間、人の世で生活さ れたのです。そのことは、聖書でこう説明されています。 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあ ることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれを むなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。 」 - - ピリピ人への手紙 2 章 6 - 7 節 「さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行か れた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、 わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることので きないようなかたではない。罪は犯されなかったが、 すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬 に会われたのである。だから、わたしたちは、あわれ みを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを 受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこ うではないか。 」 - - ヘブル人への手紙 4 章14 -16 節
神様の愛の現われであるイエス様こそ、真に私たちの 心を満足させることができる方です。もしまだ心にある 穴が空っぽのままであるなら、ぜひ次の祈りで、イエス 様を心に受け入れてください。 ᅌǓᲴ 「イエス様、私の心は弱く、いやしを必要として います。どうぞ今、私の心に入り、私を清め、いやして、 愛と喜び で満たしてください。人にはできないことも、 あなたにはできると信じます。私に新しいスタートを与 え、これからの人生を導いてください。イエス様の名前 で祈ります。アーメン。 」
これは、イエス様が世間から軽蔑されている人たちと 一緒に食事をしている様子を見て、当時の宗教指導者た ちが、 「あんな不道徳な連中と平気でつき合うとは何事 か」と批判したことに対して、イエス様ご自身が答えた 「見よ、わたし(イエス)は戸の外に立って、たたいている。 言葉です。 だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは イエス様は、罪人を病人になぞらえ、ご自分を医者に その中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を たとえて話されたのですが、これは不道徳な人たちだけ 共にするであろう。」 が罪人だという意味ではありません。聖書には、すべて - - ヨハネの黙示録 3 章20 節 の人が罪人であると書かれており、誰の心にも汚れた部 分や、病んでいる部分があるものです。 魂の医者であるイエス様には、そんな心を癒し、清め る力があります。地上のカウンセラーやお医者さんにとっ て、魂の問題は難解です。もちろん、良いアドバイスを くれて、癒しの助けになることはしてくれるでしょうが、 一番いいのは、魂の創造主である神様にケアしてもらう ことです。イエス様は、世界最高の名医であり、どんな 魂の痛みや不調も癒してくだいますから、気兼ねするこ となく、遠慮せずにイエス様のもとに行きましょう。 イエス様は、人間の悩みを理解できないような方では
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