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ʴဃƷᢊƠǔǂ 築紫 裕子
な景色が続く山道に似ています。きつい坂道を登り続けてい るのに、なかなか頂上が見えず、途中で休憩したり、美しい 景観を楽しんだりするような場所もないなら、だんだん登り 続ける意欲がそがれることがあります。人生でも、似たよう なことがあるのではないでしょうか。 そんな時、山にあるような「道しるべ」が あったらいいで すよね。自分が今どこにいて、あとどれぐらいでゴールに到 着できるとか、どこで休憩をとることができ、どこで景色を 楽しめるかが分かれば、人生の山登りもどんなに楽しくなる ことでしょう。それでは、私たちの人生に「道しるべ」はあ るのでしょうか。進むべき方向や危険について教えてくれる 標識はあるのでしょうか。実は聖書に、こんな言葉があります。 「あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで『こ れは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く。 」 (イザヤ 30 章 21 節)
子どもの頃、夏休みや冬休みになると、家族で海や山へ 行くのが楽しみでした。豪華な旅行ではありませんでした が、小ぎれいな宿に泊まって、海で遊んだり、山の中をハ イキングしたりしたものです。 山の中を歩いた時の思い出の一つに、様々な「道しるべ」 があります。街中では見かけない木製の道しるべを見つけ ると、そこに書かれてあることを読んでは、ハイキングマッ プと照らし合わせて喜んでいました。 「山頂まで 500 メートル」とか、 「標高 2700 メートル」 などという、自分たちが今どの地点にいるかが分かる標識 には心がそそられました。もうすぐ山頂だとわかると、疲 れていても一気に足取りが軽くなります。 また、 「10 0 メートル先に滝あり」とか、「展望台まで 900 メートル」など、先にあるものを教えてくれる標識を 見ると、歩くのが楽しくなりました。 時には「熊に注意」 とか「サルに餌をあげないでください」などの注意喚起の 標識もあり、そういうのを見るとちょっと怖い気がしました が、同時に何かワクワクしたものです。 さて、山を歩く人にとって道しるべは、単に興味深いだ けではなく、安全に目的地に到着するためにとても大切な ものです。山の中にはよく、道の分岐点に、右に行けば何 があり、左に行けば何があるのかを標した矢印の形をした 立札が立っていますが、すべての分岐点にあるわけではあ りません。そんな時、どちらに行くべきか、どうやって判 断したらいいのでしょう。印刷されたものであれ、携帯で あれ、地図を持っていれば、それを見て判断できますが、 もし、地図も道しるべもなかったらどうなるでしょう。山 の中には目印になるようなものもあまりなく、出会う人も ほとんどいませんから、そんなところで道に迷ってしまっ たら大変です。 人生は山登りに似ているとよく言われます。ゴールを目 指して上り坂を進んで 行かなけれ ば ならないからでしょ う。でも、それだけではありません。人生は時にとても単 調になり、同じことの繰り返しで、どこにも到達していな いように感じることもあります。それは、延々と同じよう
「わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたし の目をあなたにとめて、さとすであろう。 」 (詩篇 32 篇 8 節)
つまり、神様は私たちの毎日の生活の中でも、どちらの道 を行ったらいいのか導きを与えると言われたのです。そして、 自分の知恵に頼るのではなく、神様の導きに信頼するならば、 ものごとはうまくいくと。 「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならな い。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道を まっすぐにされる。 」 (箴言 3 章 5 - 6 節)
では、どのようにしてその導きは与えられるのでしょうか。 まず、 聖書は人生の「地図」のようなものだと言われています。 つまり、基本的な情報は聖書の中にあるので、人生という旅 のために聖書を知ることがとても大切です。 次に、その聖書にある教えを土台として、今度は個々の状 況について、神様は具体的な導きを与えてくださいます。時 には直接心に語りかけてくださる場合もあるし、誰かの助言 を通してカウンセルをくださる場合もあります。また、読ん だ本や聞いた音楽やドラマの中の言葉を通して、道を示して くださることもあるでしょう。それらは、人生の「道しるべ」 のようなものです。 私たちが心の目を開いているなら、神様が立ててくださっ ている人生の道しるべに気づくことができます。人生の山道 で迷子にならないためにも、これらの「道しるべ」に心を留 めつつ歩んで行きたいものです。 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 」 (詩篇119 篇105 節) 「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正し い道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざ わいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。 」 (詩篇 23 篇 3 - 4 節)
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