リサーチ・ジャーナル01 ドミニク・チェン「「 場」の思考」

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「場」 の思考

[キーワード] 場 情報システム 文化 継承 コミュニケーション 創造

Research Journal Issue 01 スクエア[広場]

ドミニク・チェン│Dominick Chen[情報生態論]

1981 年、東京生まれ、フランス国籍。博士(東京大学、学際情報学)。2003 年カリフォルニア大学ロサンゼル ス校(UCLA)デザイン/メディアアーツ学科卒業、2006 年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了、

2013 年 3 月同大学院博士課程修了。メディアアートセンター NTT InterCommunication Center 研究員 として 2004 年より日本におけるクリエイティブ・コモンズの立ち上げに参加し、2007 年よりNPO 法人ク リエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)理事。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用した 多数のプロジェクトの立案・企画・支援に従事してきた。2008 年 4 月に株式会社ディヴィデュアルを設立 し、ウェブ・コミュニティ 「リグレト」やソーシャル Q&A サービス「MON-DOU」等のサービスやアプリケー ションの企画・開発に携わる他、タイピング記録ソフトウェア『タイプトレース』 のウェブへの発展形の提案 で、情報処理推進機構の 2008 年度未踏 IT人材発掘・育成事業でスーパークリエータ認定。また、2007 年と 2008 年の Ars Electronica Festival, Digital Community 部門の International Advisory Board を (青土社、2013) 、 『オープン 努める。著書に『インターネットを生命化する ─プロクロニズムの思想と実践』

Square (カドカワ・ミニッツブック、2013)、 化する創造の時代 ─ 著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』

(フィル 『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック─クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』 ムアート社、2012 年) 。編著に 『 SITE/ZERO

(メディアデザイン研 vol.3 情報生態論 ─ いきるためのメディア』

(春秋社、2010) 究所、2008) 。共著に『いきるためのメディア─ 知覚・環境・社会の改編に向けて』 、 『 Coded

(Springer, 2011) (INAX 出版、2011)、 、 『設計の設計』 Cultures - New Creative Practices out of Diversity 』

その他論文多数。

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インターネットの世界においては、場をつくることはコミュニケーション の方法をつくることと同義である。それが PC からアクセスするウェブ サービスであっても、 もしくはスマホから開くアプリであっても、ネットを 介して人と人が情報を取り交わすシステムを作る場合には、 そのシス テム特有の「文体」 を帯びることになる。 ─ ここでいう文体とはどういうことか。情報システムの文体とは、システム の操作と体験を通じて感受される情動や感覚の総体としてイメージし ている。たとえばある本を読む時には、 ミクロにはその作者固有の節 回し、 リズム、言葉使い、マクロには論理的な構造、などが読書体験 に影響する。読者は、本の文体によって、 そして文体の中で、 自らの思 考や情動を自らの内に生成する。 文体とはだから、意味内容を相手に届けるための表現としてのインタ (interface) フェースであるといえる。 インタフェース とは異質なものをつ

なげるための媒介、境界面を意味する。私たちが日々接している表現 や情報には全てインタフェースが備わっているのであり、 その設計如 何によって私たちの中で生起する情報は異なってくる。 同じように、情報システムのインタフェースもまた、システム設計者の 思想や世界観が、意識的にせよ無意思にせよ、色濃く反映される。 その表面を眺めるだけでも、実に様々な要素によってシステムの文体 が構成されていることが分かる。 まず目につくのは、 グラフィックデザイ ン等の表面的なルック&フィール、画面から画面へ遷移する流れ、 その流れの整合性。 さらに、おもてには表れない、不可視だが体験を左右するシステムの 質というものもある。 システムを作動させるプログラミングコードは数式 と同じように短く、簡潔に記述されているほどシステムはエラーを起こ さず、素早く作動する。コードがどのように書かれているかによって、体 験のリズムやテンポは変わる。実際に同じシステムであっても、 それ を支えるコードが異なれば、 全く違う体験がもたらされるのだ。 ─ インターネット接続が常態化している現在の情報システムの主流に おいては、 さらに多くの要素が複雑に絡み合う。情報システムはユー ザーが操作する端末にインストールされるアプリケーションと、 そのア プリケーションを介して生成される情報を格納するデータベースや集 計的な情報処理を行うプログラムが配置されるサーバー、 それぞれ

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の性能や仕様によって、 システム全体の体験が変化する。 ここまでは技術的な要件について語ってきたが、 それは言葉の執筆に 例えるならば文章の技巧的な操作に相当する事柄である。 しかし、情 報システムが文章と大きく異なるのは、 システムを介して利用者同士 が直接対話や交換を行えることだ。システムが提供するコミュニケー ションの様式によって、ユーザー同士の対話から生まれる個々の情報 の形式が決定され、全体のコミュニケーションの集積の在り方が左 右される。 コミュニケーションの集積とは、システム固有の文化と呼んでも良い。 例えば、Twitterというシステムを介して産み出されるコミュニケーショ ンの集積と、Facebook におけるそれが大きく異なるのは読者にも同 意されることだろう。そして、 インターネットの隠語で特定のシステムの 利用者を「住民」 と呼ぶように、情報システムを使うことは異なる場を 生きることと表現できる。 両者の差異を少しブレークダウンしてみれば、Twitter における高い 匿名性とFacebook における実名性に始まり、相互関係の自由度 (フォロー制と友だち申請制) 、 タイムラインの表示方法(時間順と評価値 順) 、情報の評価方法(お気に入り/リツイートといいね!/シェア)、 といった要

素を書き出すことができる。 ─ こうしたコンセプトと実装方法の違いによって、二つの情報システムを 利用する過程で短期的、 そして中長期的に生成されるリアリティが大 きく異なってくる。それは初期にシステムを構想し、設計した人間たち の思想や世界観が反映された結果でもあるし、同時にシステムが多 くのユーザーの長期的な利用を通じて集まった諸々のフィードバック を反映した結果でもある。 インターネットを介して多くのユーザーが集まる情報システムは、初期 の設計から変化し、成長していく。それは Twitter におけるリツイート のようにユーザーたちが育む自生的な文化が新しい機能として実装さ れるという形をとる場合もあれば、当初は実装されたがユーザーによる 利用が少なかったり、不評であったために取り外された機能のような 場合も多々ある。 このように情報システムはユーザーの行動や反応を基に弾力的に変 化していくという特性を持っている。 しかし、 それはユーザーの総体が 設計を直接的に決定しているわけではなく、様々なフィードバックを観

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察しながら最終的には設計者や運営者が多々ある可能性の中から 一つの選択肢を決定するというプロセスを要する。 ここで、 よりよい選択肢を選ぶために、情報システムの運営において は試行錯誤が前提となっている。A/B テストという手法がよく採られる が、 これは二つや複数の改善案を異なるユーザーの母集団に向けて 実装し、実際にどのように利用されるかということを比較するデータを 記録し、 案の優劣を比較して、 決定するというものだ。 ─ 一般的には、 ここまで述べてきた情報システムのつくり方は、 いわゆる 芸術における 「作品」 とは異なる、 「商品」の開発という文脈で捉えら れる。作品はその創造自体が目的であるが、商品は収益をあげること が目的となる、 という点で大きく異なる。 しかし、果たして 「作品」 と 「商 品」はどれほど本質的に異なるものなのだろうか。 ここで美術業界の商業性の議論を深く掘り下げることはしない。また 工業製品や情報商品をアートの文脈に配置する潮流についても踏 み込まない。何がアート作品で何がそうでないのか、 という類いの話 はいくらでも操作可能な記号論的なゲームに過ぎない。むしろ筆者 が考えたいのは、一般的には限りなく商品的に見られる情報システ ムも、 それ自体の創造を目的としてつくられるものとして捉えられるという 視点である。 冒頭で述べたように、情報システムにも、芸術作品と同様に、文体が

同一の作品=コミュニケーションにおける、 バージョンという時間的断面としての場 原作:Vincent Driessen、 和訳:筆者、 製図:戸塚泰雄 出典:http://nvie.com/posts/

a-successful-git-branching-model/ (CC:表示 ─ 継承)

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帯びる。本やインスタレーションや楽曲やパフォーマンスと対峙する 時に、 アーティストが企図するコンセプトや作品の意味内容が一方 的に伝達されるわけではなく、鑑賞者の身体と心によってリアルタイ ムに意味や価値が生成されるように、情報システムの利用を通して も同様にユーザーの心・身の中で新たな価値が産み出される。 ただ、 これまで情報システムは主に効率の側面から議論されてきたこ とも事実である。速いこと、安定していること、分かりやすく快適であるこ とが追求され、遅いこと、不確実であること、謎の残ることは極端に忌 避されてきたといえる。 しかし、速過ぎること、分かりやす過ぎることを問 題として対象化する議論もまた可能だし、情報文化をさらに熟成させ る上でも必要なのではないか、 と筆者は考える。 ─ 逆に、 芸術という名の下で創造される作品もまた、 情報システムと同じ ように、ユーザー(鑑賞者)によるフィードバックなしには、 その生成プロ セスの本質には迫れないのではないだろうか。 ここでいうフィードバッ クとは、作品の鑑賞体験を通して得られた情動や思考の出力であり、 それは批評(それは単なる感想のつぶやきかも知れないし、専門家による分析 的論考かも知れない) から派生作品の生成までを含む。

このように考えると、 一つの作品というものも、 多くの鑑賞者という名のユー ザーを束ねるひとつの場として捉えることができる。作品、 つまり具現的に 表現されたアイデアによって/の中で、 鑑賞者は自らの内に、 そして他者 と共に、 コミュニケーションを生成する。 コミュニケーションとはすなわち 生成された思考や価値を何らかの形で出力したものである。 作品との対峙を通して生起するコミュニケーションの大半は、記録さ れることのないまま、 流れて消失してしまう。 しかし、 思考の断片であった り、感想の言い合いといった儚いコミュニケーションのなかには、刹那 を生き延び、長いあいだ持続する情動や思考がある。あたかも種を 植え付けられたように、 脳内に取り付いて反復して止まないイメージ、 リ フレイン、 言葉がある。 ある表現がある個体の心身に着床し、 あたかも受胎するかのように脈 動を始めること、 それをラテン語圏では conceptionという。概念を意 味するコンセプトという言葉はだから、 もともと 「産み出される何か」を 意味しているが、 ある概念なり情動が生まれるきっかけとなった表現そ れ自体もまた、 別の表現に起因して生起したものだとすれば? ─

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情報システムの世界、特にインターネットの文化においては、 プログ ラムコードは共有財として異なる集団、企業、 コミュニティを介して交 換されることが多い。多い、 と書くのは、反対にブラックボックスになっ ていて、誰も手を出すことができないソフトウェアも少なくなく存在する からだ。 とはいえ、 もともと大学の理系研究者の集まりが構築してきたイ ンターネットは、 公共的であることを志向して設計されてきた。

70 年代、 ソフトウェアのコードは当たり前のように研究者、開発者間 で共有され、お互いの書いたコードを利活用しながら新しいコードが どんどんつくられてきた。その自由な風潮を抑制したのが、80 年代に 入って企業がコードの著作権を主張する風潮が広まったことだった。 この商業主義を嫌った一部の人間たちが、誰にも権利を独占させ (オペレー ることのできない法的なライセンスを付した基本ソフトウェア ションシステム) を開発し始めた。

そして90 年代に入って1 人の若者が自分の作った核となるソフトウェ アと融合させ、今日最も普及しているオペレーションシステム Linux が数百から数千人の貢献によって育まれてきた。今日、Linuxとその 変種たちはサーバーからスマートフォンまで、 ありとあらゆる場面で私 たちの情報社会を支える情報システムに成長した。

Linux は、オープンソース、つまりコードを開示し、誰でも閲覧したり、 コ ピーして手を加えたり、 もしくは公式の開発に参加する機会を与える 開かれた形式で運用されている。 このソフトウェアの生態系は今日、

作品=コミュニケーションの場と場としての作 品=コミュニケーション 『インターネットを生命化する─プロクロ (青土社 , 2013) ニズムの思想と実践』 より

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Linux 以外にも数万のソフトウェアがインターネットを介してコードを 共有しあい、 自由な改良と派生を許し合いながら、 成長している。 ─ このインターネットが保護してきた自由度はコードに止まらず、 文章、 画 像、映像、楽曲といったいわゆる作品に対しても付与されるようになっ た。著作権に代表される知的財産権という制度は、作品を制作した 人間にではなく、権利を主張した人間に対して、社会のなかでどのよ うに作品が使われるべきかということを決定させる力を与えた。 しかし、本来的に創造行為がコミュニケーションであり、起源を辿るこ とさえ難しいほどに複雑な相互作用の関係ネットワークが張り巡らさ れているのであれば、 ある表現がどのように使われるべきか、 ということ を法的拘束力を背景に抑圧するということは、文化全体を萎縮させ る倒錯的な動きであるといえる。 ソフトウェアは、大聖堂のように理路整然と明確な指揮系統のもと建 設されるのではなく、活気のある市場のようにガヤガヤと多種多様な 人間が対話しながら作られていく方がうまく行くという有名な話がある が、同様のことは文化という大きな場の運営施策に対しても当てはま るだろう。 今日、個人のアーティストやクリエイターから企業に至るまで、実に多様 な主体たちが自らの創作物をインターネットで広く公開し、 その利用を あらかじめ許諾することで、多くの参加者が集う場を設ける試みを行っ

Linux OS の系統発生図 http://linuxhelp.blogspot.com

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ている。 それは情報システムがもたらした真新しい状況としではなく、本 来的な文化の力学に揺り戻す動きとして捉えなければならない。 ─ 私たちは今日、情報システムとネットワークの技術や議論を参考にし て、場を創造するための形式について議論が行えるようになった。そ れは現実の場と情報的な場の技術的な差異を認めつつも、 コミュニ ケーションと創造という視点をもとに同一の基準でつなげようとする試 みでもある。 そこには旧い価値を復活させる手だても見て取れるだろう し、 未知の状況を作り出す可能性を標榜することもできる。 知識や情報が、 コンピュータにデータをダウンロードするように一方的 に与えられるものではなく、受け取る人間の解釈や再構築によって変

Wikipedia における記事の編集履歴の

質したり派生する、 ということは 20 世紀後半の様々な学問領域におい

可視化例

(F.B. Viégas, M. Wattenb erg, K.

て論じられてきたことだし、 そのような議論を介さずとも多くの人が首肯

Dave :“ Studying Cooperation and

することだろうと思う。 しかし、21 世紀初頭の現在、 そのことはまだ一般

Conf lict b etween Authors with

的に膾炙しているとは言いがたいことも事実だ。 私たちの社会においては、 コミュニケーション行為は理解の容易さと いう 「最大公約数に理解される」 こと、つまり効率性の次元に還元さ

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history flow Visualizations, ”CHI 2004 , Vienna, Austria (24 -29 April, 2004 ) URL: http://alumni.media.mit. edu/~fviegas/papers/history_flow.pdf, 最終アクセス 2013 年 1 月 18 日 )

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れている。それはインターネット以降、社会内を流通する情報量が 飛躍的に増大したことに対する反動として、複雑さを縮減しようとする 動きとして理解することができる。社会全体で通用するような共通の 文脈というものが消失し、多様化するコミュニティを貫通する共通言 語の構築が困難な現在の社会において、必要最低限の単純さをコ ミュニケーションに付することは一種の情報リテラシーなのだとさえい えるだろう。 単純さ、分かりやすさ、速度が優先されることで生まれた、 というよりは 可視化され、顕在化した価値とは、 コミュニケーションのスケーラビリ ティである。スケーラビリティとは通常、 ある情報システムがどれだけ 大量のユーザーと、付随する情報量を処理できるように拡張できるか ということを指す用語だ。 ここでは、 あるコミュニケーションの表現単位 がどのような人間に届き、価値の有意な生成を産み出せるかという意 味を付与したい。 ─ この時、 気をつけなければいけないのは、 量を質と取り違えることだ。 あ る印象派の画家は「印象を持続させなければならない」 と語ったとい う。自らの表現が刹那を生き延び、次のコミュニケーションが生まれ る契機となることを企図すること。 このように表現行為を捉えることは、 表現を「場」 として捉える思考であるといえる。 ある表現行為がより多くの人に体験された、 という事実よりも、 より多く のコミュニケーションを生起した、 ということの方が場の思考において は重要なのである。表現行為を場として捉えるということは、 その表現 がどれだけ介入をアフォードし、 その自由な変形と混合を誘発するか という特性を見据えることに他ならない。 コミュニケーション方法を提供する情報システムの場合には、 このこと は数量的には測量しやすい。情報システムを介してどれほどの人間 が、 どれほどのコミュニケーション内容を交わしたかということを時系 列に沿って記録し、分析することができるからだ。インターネットの場 合、 さらに他の情報システムとの相互作用を測ることも可能だ。 よりミクロな次元に目を向けると、情報システムの中で発生した単体 のコミュニケーション行為(それは文章かも知れないし、楽曲かも知れない) をひとつの場として見た時に、 そこからどのような広がりが生まれたか ということを計測することもできる。例えば文章間の接続は引用やリン ク、 楽曲や映像間の接続は共通の素材の有無を見ればいい。

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場の結節点としての作品=コミュニケーショ ン単位の階層構造 『インターネットを生命化する∼プロクロニ ズムの思想と実践』 (青土社 , 2013) より

こうした相互作用の連鎖を筆者は継承関係と呼んでいる。 そして情報 システムにおける創造的なコミュニケーションの継承関係は測量でき、 その精度も段階的に向上させることができるとして、 そこで浮き上がってく るより本質的な関心とは、 デジタルな世界だけではなく、 物理的な時空 間におけるコミュニケーションも同様に捕捉できるかということだ。 たとえば私たちが日々口述で交わす言葉やフレーズの切れ端も微小な 場として、 その時々のコミュニケーションの連鎖に関わっている。当然、 儚 く消失する情報量がほとんどだろうが、 どこかで聞いた何気ない一言が 長い時間を経た後に脳裏をよぎって再生される、 ということもある。 とすると、 ひとりの人間個体の中で、記憶された事象と現在の思考が リアルタイムに相互作用するコミュニケーション形態をも考えなけれ ばならないだろう。 この意味において、 ひとりの人間として話し、書くとい う他者に向けての表現もひとつの場であるし、考え、思い出すという内 省的な行為もまた自己の中で作動する場であると言える。 ─ この発想に沿って言えば、 生きるということそのものを、 自己をひとつの場 として認識して行動する様式として捉えることも可能になるだろう。する と自他を隔てる境界線は固定的なものではなく、流動的に生成され、 変化し続けるものとして見えてくる。自己という場の中にどのようなプロ セスを配置し、 そこからどのようなコミュニケーションを作動させるか。 ─ この思考法を管理とか制御という一方向的な、指示と命令の語彙 フィールドに属する観念で呼んではならない。それは反応の観測と試

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行錯誤を前提とする、対象との対話として捉えなければならない。自 己や個体というものは、 より大きな場の中にある小さい場として、 さらに 小さい場を生成しながら異なる場と影響を与えあい、 かろうじてその同 一性を認められるものなのだ。 ここでいう同一性は、個性や特徴、 または冒頭で述べたような文体を 含む言葉だ。 ここまで考えてきた私たちにとって、 ある個体をその瞬間 的な特徴量で定義することの限界は自明だろう。むしろ私たちはその 個体が、 どのようなコミュニケーションを他者と共に産出してきて、 また これから生もうとするのかという時間的な累積と志向性をこそ測らなけ ればならない。 繰り返しになるが、 そのための基礎的な方法論を私たちは情報シス テムの領域から学び、今日私たちが文化や芸術と呼ぶ領域に対し て応用することができる。そして個々の表現間の継承関係を捕捉する 方法論を構築した時、 私たちはより透明で豊穣な歴史を手にすること になるだろう。 あるいは歴史という言葉を参照体系と呼び換えてもいい。参照体系と いう言葉からは、 ある表現が文化全体の時系列の中のどこに位置づ けられるかということを指し示すデータベースをイメージしている。参照 体系の構築は、 これまでは膨大な知識を持つ専門家による観察や 記述にのみ頼ってきたが、情報システムを活用すれば少なくない部 分を自動化できるだろう。 ─ このビジョンは、歴史構築と認識をめぐる認知コストの経済的な向上 をもたらすことが考えられるが、 それを手段として捉えるならば、実現さ れるべき目的とは、個々の表現の文体を構成する複雑なプロセスの ネットワークにより肉迫する方法論を手に入れることだ。 あらゆる情報がフラットにアクセス可能になっている現在、 そうした個々 の情報の時間的来歴をも認識可能な形にしなければ、場の思考は 形而上学的なものに止まるだろう。文化という観点から振り返ってみ れば、古来より 図書館、教会寺院、博物館、美術館といった様々な 文化制度(cultural institution)が世界中の表現物を採集し、保管し、 分類してきた。 現代に遺された文献資料を根気よく解読し、 より正確な歴史像を編 み続ける研究者の努力をより直接的に、 より効率的に現在の表現行 為の総体にフィードバックさせる方法を考え、実践することが現代の

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文化制度の担い手が見出せる 「大きな課題」だろう。それは個々のコ ミュニケーション主体が何を産み出したかという記録を、微小なレベ ルから捕捉して認識可能なかたちで記述することによって、 さらなるコ ミュニケーションの産出の動機を作り出せるからだ。それこそがつくる 場をつくるという、文化制度が歴史的に特権的に孕んできたメタレベ ルの命題に他ならない。

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