リサーチ・ジャーナル01 小山田徹「広場によせて」

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広場によせて

[キーワード] 共有空間

dumb type 焚火

Research Journal Issue 01 スクエア[広場]

小山田徹│ Toru Koyamada[美術家] 京都市立芸術大学彫刻専攻准教授。1961 年鹿児島に生まれる。京都市立芸術大学日本画科卒業。84 年、大学在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。ダムタイプの活動と平行し 「ウィークエンド て 90 年から、さまざまな共有空間の開発を始め、コミュニティセンター「アートスケープ」 カフェ」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェである「Bazaar Cafe」の立ち上げに参加。日本 洞窟学会会員。

女川 チビ火 京都芸大

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小山田徹│Toru Koyamada

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広 場 によせて 「広場」 という言葉には、何にでも利用出来るワクワクする感覚と、禁 止行為などのルールの設定や気持ちの悪い価値観の強要などのゲ ンナリする感覚とが共存しています。多分に、 自立的に自発的に出来 た 「広場」 と制度が用意した 「広場」 の差だと思うのですが、 ともかく 私達の生活には「広場」的な隙間が様々な意味で必要で、 その場 で多くの人々の交流がなされ、多様性が生み出されています。では、 どうしたらワクワクする 「広場」になるのでしょうか? 私が思うに 「獲得 感」が重要なのだと思うのです。自らがその「広場」を獲得したという 感じが、 その場に対しての愛を生み、主体的な関わりを促します。愛 のない 「広場」 は荒れる。 しかし、過剰な愛だけでは時として排他的な 場になりやすい。多様性が派生する場はどの様に発生しどの様に持 続しどのように変化するのでしょうか? 私は長年この問いにとらわれ、 様々な場の試みを行い、現在も奮闘しています。以下は、終わりの無 いこの問いへの煩悶のメモです。 コミュニティセンター兼 d u m b t y p e 制 作 事 務 所 私は 1981年に京都市立芸術大学でアングラ劇団「座・カルマ」に 入団し、1984 年に 「dumb type theater」 を多くのメンバー達と旗揚 げ、後に 「dumb type」 と改名して、パフォーマンスの公演を数多く 行ってきました。様々なメディアを駆使し、人間とテクノロジーとの関係 から現代社会の様々な考察をパフォーマンスという表現で行ってきま した。ダムタイプは 10 名を超えるメンバー達が合議性で分野のヒエ ラルキーなしで、半ば「アイデア責任」 という、良きアイデアを出した人 間が責任をもって現実化する、 という方法で作品を作り上げていまし た。その集団制のユニークさと作品の先進性が評価され、80 年代の 終わりから90 年代初頭には海外の様々なフェスティバルから招待さ れる集団となっていました。 そんな状態の1992 年、デンマークのコペンハーゲンで、現地のアー ティストグループ「Hotel Pro Forma」 とのコラボレーション企画 『 THE ENIGMA OF THE LATE AFTERNOON 』を行ってい たメンバー達の元に、体調を崩して日本に居残った中心メンバーの 古橋悌二から一枚のファックスが届きました。その手紙には、自らの

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HIV 感染とその経緯、心境、今後の決意が書かれていました。突然 のカミングアウトに私達は大きく動揺し、少なくとも私は、AIDS に関 しての知識もとぼしくて、古橋がすぐにでも死ぬのではないかと思い、 とても悲しみました。動揺の中、デンマークの滞在を終えて帰国して、

dumb type のオフィスに帰って古橋と対峙した時から大きく私達の 人生が変わり、 動き始めたのです。 オフィスに待っていた古橋はニコニコとして座っていました。対して私 達はどのような態度で古橋と会えばいいのか解らないままでした。オ フィスには同じ日に古橋からの手紙を受け取った周辺の友人達が

20 名程集まっており、多くの人々が悲しみ、一人ではいられないので 皆で集まっていたのでした。その日から毎日、30人を超える人々が夜 を徹して狭いオフィスに集まり悲しみながらも様々な話を繰り返す日々 が始まったのです。

AIDSという病の事や、 それを巡る社会問題、 セクシャリティの事など、 数少ない知識を持ち寄っては様々に話し合いました。自分たちの知識 では足りないとなると、 既にアメリカなどで AIDS 治療の実践経験のあ

dumb type『 pH 』

dumb type『 S/N 』

dumb type『 PLEASURE LIFE 』

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る看護師さんなどに来てもらい話を聞くなど、勉強会もはじまりました。 又、ジェンダーやセクシャリティを巡る議論も活発になり、様々な活 動家や団体との交流も始まりました。同時に dumb type は新作パ フォーマンス S/N の制作を始め、狭いオフィスは様々なタイプの人々 が出入りするコミュニティセンター兼 dumb type 制作事務所という 様相を呈しました。その様な環境の中での S/N 制作は、 メンバー以 外の人々の意見や関与も深まり、以前の dumb type の作品制作と は違うものとなっていったのです。

Art -Scape しかし、半年後、空間の狭さと人々の活動の活性化がアンバランスと なり、新しい空間の必要性が検討され始めました。その時、 ある方か ら京都大学東側の古い日本家屋を「文化的な事に使用するなら家 賃はいらない、地代だけでいい。」 というありがたい申し出があり、新た な場の開発がスタートしました。その頃、dumb type のオフィスにほ ぼ毎日滞在していた人々の内、小山田徹(私、dumb type メンバー) 、泊 博雅(dumb type メンバー) 、遠藤寿美子(アートスペース無門館代表) 、松 尾恵(voice gallery 主催) 、鬼束哲郎(京都産業大学教授) 、南拓也(美 術家) の6 人が共同出資で借りる事を決め、オフィスで行われていた

様々な活動をそちらに移動する事となりました。 新しい空間の名前は「Art-Scape」 と決め、6 人のメンバーが運営委 員として共同出資で経済的に支え、各自がプロデューサーとして、 それ ぞれが企画する活動を場に持ち込み、 オフィスとして使用する事となり

第10回国際エイズ会議横浜 関連企画「LOVE +」

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ました。それに関わる人々の出入りはもちろん、可能なかぎり外に開か れた場として機能する事を目指しました。小山田が管理人として常駐 し、二階に宿泊スペースを作り、5、6 人の宿泊も出来る様にしました。 そこでは、AIDS 関連の活動だけではなく、演劇、美術の企画もプロ デュースされ、様々な物が混ざる場となっていったのです。そこの場

s Diary Project、APP(Art Poster で始まった主な企画は、Women’ Project) 、Omnibus Project 、Love+(ラブ・ポジティブ) 、などがありまし

た。他にも、様々な人々の京都での宿泊の場として機能し、国内外か ら多くのゲストが来京し、滞在しながら企画に参加したりしました。又、 多様なミーティングの場としても利用され、 クローズドの会議や公開の 集まりなどに空間を提供することになりました。 この場では国際 AIDS 会議への参加や独自のイベントの開催など先鋭的な社会活動と芸 術表現の緩やかな交わりが試みられ、90 年代半ばの京都の重要な 場所になっていました。

Weekend café ところが、Art-Scape 内の活動の専門性が高まってくると、本来、様々 な人々に開かれた場であった場所の敷居が高くなり、特別な人々し か出入りしない場に変容し始めたのです。疑似家族的な集団制の 悪い面が見え始め、外部に別の形の場と機会が必要になり、94 年に 自主運営のカフェを立ち上げる事になりました。場所は京都大学の 近くの寮の敷地内にある築 100 年を超す古い洋館の一部屋。デッド スペースになっていた空間を寮生達の協力の元、掃除し改装、簡単

Weekend Café

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なしつらえで、 二週間に一度、 土曜日にオールナイトの Weekend café という名のカフェを開催しました。非営利のカフェなので、パーティの 延長みたいなシステムで、 原価で飲み物が買えて、 持ち込み OK、 但 し持ち込んだ物はシェアが原則。カウンター業務は簡単なので誰で もマスターが出来ます。企画がスタートすると、京都大学の隣という好 条件もあって、広報しなくてもすぐに 200人程度が集まるカフェになり、 様々な立場の人々が交わる便利で楽しい場となりました。多くの人々 がマスターとしてカウンターサイドに立つようになり、 スタッフとお客の区 別がなく、誰もが準備から片付けまで出来る自立的な場になっていっ たのです。週末の京都に来るゲスト達はこのカフェに連れて行かれ、 様々な人々に出会うことが出来、多様な情報が集まり得る事が出来

Bazaar café フライヤー

る便利な場所でした。それは我々の経験する初めてのコミュニティカ フェでした。 カフェなので、誰でも入りやすく、又、様々な分野の人々が居たので多 様な世界に通ずる窓として機能していました。 このような環境の中で、

dumb typeのS/ N project やArt-Scapeの様々な活動は広がりを 持ち活性化していきました。95 年にメンバーの古橋の死の時や阪神 淡路大震災等もこのカフェを通して皆が緩やかに繋がりながら問題 や痛みを共有していったのです。96 年にカフェの建物が歴史的建 造物に指定されるのを機にカフェは終了。3 年間の短い期間でした が、 その濃密な時間は、関わった人々に 「場の獲得の喜び」の意識を 強く残し、 その後の人々の活動に大きな影響を与えました。

Bazaar cafe

共有空間の獲得

92 年から97 年まで様々な活動が Art-Scape 周辺で展開し、数多く の人々がこの場で交わりました。97 年に Art-Scape はある種の役割 を終え解散する事になりました。私にとってこの場所はプライベートと パブリックの融合した混沌とした場でしたが、 ここでの生活を通して

dumb typeの表現活動とは違う別の地平を見いだしたのです。それ は、 「共有空間の獲得」 という事です。

92 年当初、私達、少なくとも私は、AIDS を巡る様々な問題の解決を 目的に活動を行っていました。色々な事は解決できるのだと信じて行 動を起こそうとしていました。 しかし、95 年の阪神淡路大震災やオウム 事件、古橋の死を境に、解決への強固な信念は時として暴力的なも

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のに変わる可能性があると思い始めたのです。 もちろん、解決すべき 問題は多々あり、即効性が必要な事ごともあります。 しかし、大きな論 の一つの回答が全ての解決になるのかという疑念が大きくなったの です。特に阪神淡路大震災の後には、AIDS を巡る様々な問題と同 根の社会問題や個人の問題を多く発見し、 その事の解消には時間 をかけた対話が不可欠であり、新しい対話の方法や対話の場の創

Weekend café で行ったカフェは、 造が必要だと思いました。特に、 そ の思いをさらに深めてくれました。 自立的な、 人々が出会う場、 それがう まく機能すれば、場があるだけで多様な関係性が派生し、多様な活 動が始まり、多様な問題に向かって行ける。多様性が維持される為 には多様な関係性がなければならい。多様な関係性をどのように創 るのか? 私にとっての「共有空間の獲得」 という事はこの様に始まり、 今に至っています。

Weekend café Project はその後、98 年にコミュニティカフェ 「Bazaar Café」へと発展し、 より社会に開いた場としての試みを続け、今現在も 様々な人の手により運営が継続しています。

Bazaar Cafe 制作風景

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新 たな関 係 性 の 回 路

1 銀月アパートメント12 号室:京都市左 京区にある古い洋館アパートの一室をゲス トルームに改装。宿泊を通じてのコミュニ

「Bazaar Café」のオープンに際し、セルフビルドで多くの人々と施工 をし、手作りで空間を作る経験をとおして、 自らが空間を作る喜びとそ の効能を発見し、以降、様々な空間を多くの人々と改装し新しい機能 を創り出す事が活動の中心になっていきました。人は、ペンキを一カ 所でも塗ると、 そこの空間に愛着を持ち、お客さんである関係性を超 えた繋がりを作りはじめます。関わり方の始まりの部分に様々に重要 なポイントを発見したのです。そして、過去の人々の生活の中で作ら れていた様々な習慣や制度や空間などが、実は新たな関係性の回 路作りに適合する中で形作られてきたのだと思うようになりました。食 事を作る事、様々な小規模な労働のあり方、住まい方、商売、祭り等

ティへの入口の創造を試みる。 │2 手遊び (てすさび) カフェ[宮城県・女川町] :京都市

立芸術大学の教員や学生と共に、手芸や

DIY など手仕事をしながら過ごすカフェを 運営。気軽に集り、会話の生まれるこうした 場が近隣コミュニティの関係を深めることに つながればと考えている。│ 3 共有アトリエ 「T-ROOM」│ 4 芸大小屋:京都市立 芸術大学の敷地内に授業の一貫として、 学生と共に小屋を施工。 ここを拠点にライブ ラリー、保存食づくり、 お弁当屋さんなど、学 生たちによる自発的な活動が様々に生まれ ている。 │5 洞窟の魅力にはまり、 「Com-

pass Caving Unit」 というグループを立ち 上げ、 洞窟探検と測量、 作図にいそしんでい

の中にある共同作業の意味。さらに、身の回りにある物で必要な物

る。 │ 6 麦味噌づくり:小山田家に伝わる自

を生み出す「ブリコラージュ」な能力。簡単に作れる場。様々な時代

家製の麦味噌づくりのワークショップを、一 般参加者も募って開催している。

の多くの先輩達によるこれらの発明は、現在の私達が失いつつある 何かを体現したものでした。保存食を作る事。共同作業小屋を持つ 事。市場を開く事。屋台を作る事。洋服を自分で作る事。家は自分 で直す事。保育を共同で行う事。野山で食材を採る事。歩く事。祭 りを主催する事。暗闇を恐れる事。星を見る事。気候を予測出来る 事。そして、火を焚ける事。思いつくままに取りあえず挙げたこれら少し の事だけでも、 それらに内在している他者との関係性の広がりは驚く べきものです。そして、 その殆どを現代の私達は失いつつあるのです。

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小山田徹│Toru Koyamada

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洋裁教室と喫茶をやっているパートナーとの生活が始まったのを機 会に、私は、 とりあえず、 それらの一つずつをやって見る事にしました。 親を招いて保存食(味噌や漬け物)を学ぶ会を始め、共同アトリエを 開設、セミプロ施工集団を始め、多くの知り合いの店を作り、共同保 育を試み、散歩をし、屋台をつくり、小規模ながら市場を開き、子供と 石や植物を採集し、洞窟探検をし、 そして、焚き火をしました。現代人 のヘナチョコな私は多くの方々に助けを乞いながらやるしかないので す。手探りで進める中、活動を通して人の関係の多様な広がりを実 感し、 喜びを確信しました。 その中のいくつかはプロジェクトとなり、 様々 な場で展開されています。 『共有の空間をつくる実験「ちっちゃい火」 [大阪大学豊中キャン を囲む(通称ちび火)』

焚 き火

パス浪高庭園]

特に、焚き火は最近の重要なプロジェクトとなっています。焚き火は世 界最古、最小、最強の共有空間だと最近では思っています。焚き火さ えあれば、様々な事が繋がると。3 .11の震災の際も、多くの人々が焚き 火で生き延びたと聞いています。震災直後から避難所生活の間も多 くの場所で焚き火が行われ、人々の復興の原動力になったと。 しかし、 仮設住宅での個別居住が始まると、焚き火は禁止行為になり、途端

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女川常夜灯「迎え火プロジェクト」 [宮城県・女川町]

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に人々の意思疎通が悪くなったそうです。その様な声を聞き、宮城県 女川町で住民の方々と 「迎え火」のプロジェクトをはじめました。毎年

8月13日に一斉にそれぞれの家族が、 グループが、個人が小さな焚き 火を行う企画です。少しでも焚き火の風景と機会を残し、対話の数を 増やしたいとの思いです。 本当に焚き火は不思議です。見知らぬ人とでも焚き火を前にすると自 己紹介なしでもすぐに話し始めます。子供の勝手に遊びます。食べ物 もおいしく、 シエァーも当たり前に起こります。自立的な場がすぐに出来 る感じです。 どうやら大きな焚き火よりも複数の小さな焚き火の方が穏 やかに人々が集う事が出来るようです。 私は「共有空間の獲得」 という事をテーマに様々な試みを行って来ま したが、 ワークショップなどの企画イベントという枠では未だに居心地 が悪い感じなのです。出来れば古来の焚き火の様に、生活の中にし み込んだ出来事としての場の存在みたいな事が沢山出来ないかなと 思っています。私達一人一人の生活の中に多様な出来事が起こり、

女川常夜灯「迎え火プロジェクト」 [宮城県・女川町]

多様にそれらが繋がり、無理をせず喜びの交歓がなされる状況を創 り出したい。 その事が多様な価値観が保証される社会を作る事になる と思っているのです。美術はその為にあると。

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