るうてる伯剌西爾(ぶらじる) No003. 28/02/2016 p.1 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ぶ ら じ る
るうてる伯剌西爾 IECLB ルーテル日系パロキアだより NEWS LETTER PARÓQUIA NIPO-BRASILEIRA -Rua Pandiá Calógeras, 54 Liberdade , São Paulo CEP:01525-020 Tel 11-2305-7088
No 003, 28/02/2016 なら
「キリストに倣いて / Imitando cristo」
ふ る さ と
故郷を想い あ
す
将来を思う
Bíblia ガラテヤ Gálatas 2:19b-20a わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはや、わたしではない。 Rio Grande do Sul 州の三か所の 日本語礼拝に行きました。大野先 生と初めて行ってから 7 年。ひと月 おきに年 6 回を交代に行っていま したが、大野先生が闘病を始めら れてから二カ月に一度通い続けて います。ITATI の麻生さん宅は、床 の間に掛け軸のある畳の和室もあ る家です。到着すると靴下を脱い で畳に座りこみ、寝転がり…、日本 を懐かしみます。礼拝後湯船のあ る風呂から出たら、Cerveja を出し てくれ、しみじみと昔話をしてくれま した。93 歳の麻生さんは、昔話だ けではなくて、お子さんやお孫さん のことも。去年、お孫さんが二人洗 礼を受けたのです。嬉しそうに細め た目は、将来も見つめていました。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
Memsagem 説教 1.
自分が死ぬ日
にぎやかなカルナバルの終わる ころ、教会のカレンダーでは静かな 「聖灰水曜日」があります。その 日、夕方静かに教会に集まり、礼 拝をし、額に灰で十字架のしるし を神父や牧師につけてもらい、一緒に祈るのです。去年は私は一か月間一人でよそ の州のブラジル人家庭に住み込んで、ポルトガル語研修をさせてもらいましたので、 Vitoria のカテドラルのミサに出て、そこの Bispo から灰をつけて祈ってもらいました。 今年は、日系パロキアで Melo 先生のおかげで Diadema 集会所で一緒に夜の礼 拝をしました。去年 Vitoria の有名な修道院で買ってきた受難のキリストの十字架を 下げていきました。 「聖灰水曜日」、これにはどんな意味があるのでしょうか? この日は、「自分が死 ぬ日」を考える日です。といっても、いつか先のことを心配するのではありません。それは、 「今日」なのです。人は土から作られました。そして灰になり、土に返っていきます。日 本ではあまりしたことがありませんが、ブラジルの葬式で、Melo 先生が埋葬の時に、聖 書の言葉を読み、棺の上から土をかけました。「土は土に、灰は灰に…」と。土から作 られた人が、地上の命を終え、灰に、また土に返っていくのです。聖灰水曜日、私たち は、悔い改めます。そして、キリストが受けた苦しみを思い出しながら、灰をかぶります。 私たちも、死ぬのです。さて、死んだ後、私たちはどうしたらよいのでしょうか?そのまま、
Pastor Hirotaka TOKUHIRO > tokuhiro@jelc.or.jp Pastor Luis Carlos MELO > luisctmello@gmail.com Facebook: https://www.facebook.com/igrejaluterana.jpn
死んだような人生を送るのでしょうか?しばらくしたらそれを忘れて、また、今までと同じ 生活をするのでしょうか?両方、違います。私たちは、一度キリストとともに死にます。 そして、キリストとともによみがえるのです。