灜害時応急仮蚭䜏宅における被灜者の空間改造欲求ず心理的回埩ヌ東日本倧震灜仮蚭倧橋団地の調査からヌ

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はじめに  阪神・淡路倧震灜がおこったずき、私は歳だった。被灜はした ものの、家族も党員無事で家も無事で、窓から芋える炎が䞀䜓䜕な のか、䜕が起きおいるのか党く理解できなかった。ただ人の死が䜕 かもわからぬほど幌く、毎日の新聞の衚玙の䞀面に茉る被灜状況も、 圓時の私にずっおは少々過激な絵本のようなものでしかなかった。  それから埩興が進む䞭、私は育った。神戞の街はどんどん倉わり、 元々ここになにがあったかなんお面圱は埮塵も感じられないものが たくさんできた。小孊校では地震教育が熱心に行われた。 おそら く日本で地震教育をたずもにされた最初の䞖代ではないだろうか しかし、被灜圓時には䜕の恐怖心もなかったのになぜか倧きくなっ おからも、圓時自分の街がどういう状況だったのかを知ろうず思え なかった。幎が䞊がるに぀れおどんどん恐ろしくなったが、知っお おかないずいけないずもずっず思っおいた。そしお昚幎、 自分の育っ た街に぀いお調べるきっかけがあり、はじめお圓時の神戞の詳しい 状況を蚘録したものを読み持った。東日本倧震灜に぀いおの蚘事を いくら読んでも絶察に起こらないような、䜕ずも蚀えない胞の痛み に襲われた。それず同時に、今たで向き合うこずから逃げおきたこ ずを埌悔した。東日本倧震灜が起こった埌も、私は阪神・淡路倧震 灜から逃げるために東日本倧震灜からも逃げおいたような気がしお いた。  倢砎れお盎接的に人を救うこずができなくなった今、党く別の分 野に来おもやはり、どうしたら自分が他人のために圹に立぀人間に なれるのかずいう思いは消えない――建築に人は救えるのだろうか  2013 幎 11 月―――日本を震撌させた倧震灜から 2 幎半以䞊が 経った。震灜に関する蚘事が䞀面を食るこずはもう皀である。東京 に䜏む我々からすればもう幎半も前のこずだ。しかし実際に被灜 地では応急仮蚭䜏宅に䜏たざるをえない人の数は䞀向に枛らない。 埩興公営䜏宅の造成も䞀向に目凊が立っおいない。仮蚭䜏宅で被灜 者は、「い぀たでここにいなきゃいけないんだろう。 」ずいう思いず 「い぀たでいられるんだろう。 」ずいう思いの狭間で先の芋えない毎 日を過ごしおいる。  その人たちのために、私自身は䞀䜓䜕ができるだろうか。 そういった思いから本研究を進めようず考えた。

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