はじめに 阪神・淡路大震災がおこったとき、私は5歳だった。被災はした ものの、家族も全員無事で家も無事で、窓から見える炎が一体何な のか、何が起きているのか全く理解できなかった。まだ人の死が何 かもわからぬほど幼く、毎日の新聞の表紙の一面に載る被災状況も、 当時の私にとっては少々過激な絵本のようなものでしかなかった。 それから復興が進む中、私は育った。神戸の街はどんどん変わり、 元々ここになにがあったかなんて面影は微塵も感じられないものが たくさんできた。小学校では地震教育が熱心に行われた。 (おそら く日本で地震教育をまともにされた最初の世代ではないだろうか) しかし、被災当時には何の恐怖心もなかったのになぜか大きくなっ てからも、当時自分の街がどういう状況だったのかを知ろうと思え なかった。年が上がるにつれてどんどん恐ろしくなったが、知って おかないといけないともずっと思っていた。そして昨年、 自分の育っ た街について調べるきっかけがあり、はじめて当時の神戸の詳しい 状況を記録したものを読み漁った。東日本大震災についての記事を いくら読んでも絶対に起こらないような、何とも言えない胸の痛み に襲われた。それと同時に、今まで向き合うことから逃げてきたこ とを後悔した。東日本大震災が起こった後も、私は阪神・淡路大震 災から逃げるために東日本大震災からも逃げていたような気がして いた。 夢破れて直接的に人を救うことができなくなった今、全く別の分 野に来てもやはり、どうしたら自分が他人のために役に立つ人間に なれるのかという思いは消えない――建築に人は救えるのだろうか 2013 年 11 月―――日本を震撼させた大震災から 2 年半以上が 経った。震災に関する記事が一面を飾ることはもう稀である。東京 に住む我々からすればもう2年半も前のことだ。しかし実際に被災 地では応急仮設住宅に住まざるをえない人の数は一向に減らない。 復興公営住宅の造成も一向に目処が立っていない。仮設住宅で被災 者は、「いつまでここにいなきゃいけないんだろう。 」という思いと 「いつまでいられるんだろう。 」という思いの狭間で先の見えない毎 日を過ごしている。 その人たちのために、私自身は一体何ができるだろうか。 そういった思いから本研究を進めようと考えた。
災害時応急仮設住宅における被災者の空間改造欲求と心理的回復ー東日本大震災仮設大橋団地の調査からー