#001 洛中風流踊屏風 中形 八曲 一隻 ¥3,000,000~ 紙本 354×107 屏風368×120 ヤケ スレ
横長の画面に、様々に扮して踊りに興ずる人々を活写する。先 例には豊国神社臨時大祭禮(慶長九・1604)の狂気の乱舞を望見 することになるが、時を隔てた掲出からは、江戸期における一種 の安定した時代感の反映を看取する。
#003 東福門院御物貝合改香合 ¥1,000,000.~ 付二重箱(内識桐・利斎作 外溜塗) 10×8×4 碌々斎箱書
碌々斎の箱書に「東福門院様御物」「元伯拝領」とある。元伯宗旦(1578-1659)は後水尾天皇中 宮・東福門院の許に出入りしており、御作の押絵など多くの拝領品が知られる。その中に、狩野永 納筆と伝える多数の貝合を納めた葵紋蒔絵貝桶一双があり、のちに表千家・碌々斎と裏千家・ 玄々斎が一桶ずつ分け合っている。掲出はその貝桶に納められた貝合を碌々斎が香合に仕立てた もので、内側には竹垣に朝顔が彩絵される。裏千家では今日庵所蔵ほか数点の伝来を知るが(参 考:第138回オークション G-241)、表千家でも三井家伝来の一点(草花絵)を確認できる。掲出内箱 は駒澤利斎の作、箱書については三井家蔵と凡その一致を見せる。
参考『三井文庫別館蔵品図録 茶道具Ⅲ 三井家の表千家道具2-了々斎から惺斎まで-』 (財団法人三井文庫 平成四年)P105,168
#004 藤原定家 記録切断簡幅 ¥1,000,000.~ 付時代識箱(桐) 冷泉為久極添幅(元文二年) 紙本 牙軸端 53×32 表具65×117 ヤケ スレ オレ
定家の「記録切」には二系あり、『明月記』 及びその他の記録類断簡と、『公卿補任』を 藤原俊成・定家が書写した断簡、即ち「補任 切」「志波切」と呼称されるものとに分かれ る。掲出は前者に該当するものと推察する。 掲出には冷泉家十四代当主・為久(16861741)による極書の幅が添う。
藤原定家(応保二・1162~仁治二・ 1241)は歌人、歌学者。藤原俊成の子。『新 古今集』『新勅撰集』の撰者。新古今調を代 表する歌人の一人。書は独特の風趣があり 「定家流」と呼ばれた。
#005 近衛信尹 消息幅
¥1,000,000.~ 付時代識箱(桐) 紙本 黒塗軸端 49×34 表具635×118
ヤケ シミ スレ オレ
筆者の信伊に書を学び、豊臣秀頼の右筆を務 めた和久是安に宛てる。有楽(織田長益)と共に 板倉勝重の許へ向かった片桐且元の体調を案 じつつ、猪熊事件関係者への処罰について言及 する。長益の二男・左門(織田頼長)は猪熊事 件に際し主犯・猪熊教利の逃亡を助けたとされ ており、京都所司代として本件を担当した勝重 を訪問した、という構図である。長益・頼長父 子は共に秀頼に仕えていたが、この一件を機に 頼長は剃髪流罪となり、長益から勘当されてい る。
近衛信尹(永禄八・1565~慶長十九・ 1614)は公卿。従一位関白太政大臣近衛前久 の子。初名信基、信輔。号三藐院。天正五年 (1577)に元服し正五位下、天正十二年 (1584)左大臣。慶長五年(1600)に赦免、慶 長十年(1605)関白に叙任。能書家として知ら れ、松花堂昭乗、本阿弥光悦らとともに寛永の 三筆と称される。
#006 天満宮奉納だんじり ¥1,000,000~ 付「陶製彩色道真坐像」木札 67×102×132 「大阪天満天神道真だんじり 慶応時代作」木札識
#007 百萬塔
¥1,000,000~ 付識箱(桐) 無垢浄光経自心印陀羅尼(虫喰) 10×10×21 相輪カケ 「鵤寺倉印」箱底押印 宝亀元年(770)、称徳天皇(718-770)は『無垢浄光経大陀羅尼経』が説く鎮護国家と滅罪の功徳を信じ、大事業を発願。すなわち、陀羅尼 経を納入した百万基の三十小塔(百萬塔)を造立、のちに「十大寺」と称される十の官寺に納めるものである。そして同年、女帝はこれを見 届けたかのように崩御した。以来1200年余りが過ぎ、現在に残るのは法隆寺の45755基と、法隆寺から出蔵し巷間に伝わる幾何かである。
掲出に附属する陀羅尼は「無垢浄光経自心印陀羅尼」、百萬塔に納入された四種のうちの一である。百萬塔造立には秘密秘儀があったと されるが、本来六種の陀羅尼経を四種に絞って版行するなど、その真実味を門外に窺わせる。また、この四種は制作年が明確な世界最古 の印刷物として名高い。
#008 大聖武断簡幅 ¥2,500,000~ 付二重箱(内識桐 外黒塗) 紙本 牙軸端 75×26 表具335×141 是澤恭三箱識 『賢愚因縁経』断簡。聖武天皇(701-756)宸翰と伝わり、「大和切」とも呼称される。 料紙は抹香を漉き込んだ香紙で、骨粉を漉いたとして「荼毘紙」とも呼んだ。 大聖武は他の写経に比して一字の大きさが最も大きいという特徴があり、またその 風姿について、『古筆大辞典』は「字形は端正にして結体は完好であり、点画は遵勁に して筆力が充実している。雄健にして博大である」と評する。天下第一の古筆手鑑と称 えられる国宝・近衛家『大手鑑』の巻頭を飾り、手鑑作成の際は大聖武を巻頭に貼ると いう伝統の基となった。
箱識:是澤恭三(明治二十七・1894~平成三・1991)は古筆鑑定家。愛媛県出身、 国学院大学大学部国史科卒業後、宮内省図書寮編集官、文化財保護委員会文部技官、 文化財専門審議委員を経て現在、東京都文化財審議会長に至る。紫綬褒章、勲三等瑞 宝章受章。
#009 美福門院願経 一巻 ¥2,500,000.~ 付時代黒塗箱(桐 貼札) 紙本 金軸端 900×19 表具921×26 穴 『決定蔵論心地品第一』 十八紙継
美福門院願経は、鳥羽天皇(1103-1156)の后である美福門院得子(1117-1160)が久安元年(1150)に書写せしめた一切経。鳥羽天皇 崩御に際し、后が追善菩提を願って平治元年(1159)高野山に経蔵を建立、全ての外題を后自ら書いた一切経を施入した。同時に、 供養料として美福門院所領の紀伊国荒川庄を寄進。為に「荒川経」の別名も生んだ。
掲出には経年の損傷こそ認めるものの、題箋及び巻止の金銀宝相華唐草、如来の説法を描いた金泥扉絵、鍍金に毛彫を施した 金軸、巻頭から巻末までの経文、これら全てを具備する。経文は銀界に金字で十七字詰を常とし、十八紙を継ぐ。
#010 法隆寺一切経断簡巻物 ¥4,000,000~ 付合箱(桐) 小林了可極札 紙本 骨軸端 510×26 表具574×26 シミ オレ 虫穴 表具シミ、オレ、虫穴 「説一切有部発智大毘婆沙論巻第十六」 法隆寺黒印 九紙継
首部を欠くが、巻末により『説一切有部発智大毘婆沙論巻第十六』と知れる。黄麻紙を用い、鎌倉時代の「法隆寺一切 経」黒印を継紙部ほかに捺す。法隆寺一切経は、奈良時代から藤原時代までに写経された経巻を集積して一具を成し、黒 印捺印の目的はその散逸を恐れてと見られる。掲出は、その書風からも藤原時代の写経と推察される。九紙が伝存する。
#011 愛染明王画幅 ¥1,200,000~ 付二重箱(内識桐) 絹本 金軸端 60×116 表具76×193 大ヤケ スレ オレ
#012 持蓮観音普門示現画幅 ¥1,000,000~ 付合箱(桐) 絹本 金軸端 43×110 表具64×200 ヤケ スレ オレ キレ ヨゴレ 表具オレ、シミ、虫穴
画面下部には風雨の中祈念を捧げる者、彼に傘をさす者が描 かれており、二人の視線の先には、雲上に立つ佛性(絵絹損傷に より判然としない)が影向する。画面中央に描かれる風神と雷神 は、大蛇の身に人頭を持つ佛性を仰ぎ見、驚いたような表情をみ せる。蛇神のさらに上方には、右手に蓮華を持した観音が蓮台に 坐す。
画面上部の賛文は欠損により一部を不読難読とするが、 □□羅伽身 雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散 とあり、「法華経」の観世音菩薩普門品第二十五、いわゆる観音 経の一節と知れる。観音菩薩は遍く衆生を救うべく、その相手に 応じて三十三の姿に変化すると説かれるが(三十三応現身像)、 賛文中の「羅伽身」の文言により、掲出はそのうちの「摩 羅伽 身」、すなわち持蓮観音の普門示現を絵画化したものと観察する。 作期については室町時代が想定されるだろう。
#013 木彫四天王立像 四 ¥2,500,000~ 付木箱(桐)4 広目天像高53 総高83ほか
持国天持物柄後補 多聞天持物不和 玉眼 四天王に対する信仰は、聖徳太子による物部守屋追討(丁未の乱)の戦勝祈願を四天王に仮託した古例を挙げるまでもない。日本佛教の 基底部とともにある。
掲出は、例えば多聞天(毘沙門)の左手に宝塔を持すなど、古例(右手に宝塔)との相違を明らかにして、その信仰の複雑な展開の軌跡を窺 わせる。作期については室町時代が設定されよう。
#014 銅造善光寺式如来立像 ¥1,300,000~ 像高46 総高51
信濃善光寺に伝わる本尊の一光三尊像は百済国から齎され、欽明天皇の 勅命により552年に善光寺に移され、人の目に触れることのない秘佛として 祀られ、聖徳太子をはじめ貴顕の尊崇を集めた。
中世に入り善光寺信仰が拡がりを見せると、本尊厨子の前に秘佛を写し た「御前立ち」が据えられ、これを契機として倣造が積極的にすすめられる ことになり、一定の様式化をみるようになった。いわゆる「善光寺式」と呼 称される形態の誕生である。善光寺式の如来は、大形の蓮弁形光背を背に起 立し、右手を胸前に置いた説法印(与願印)、左手は垂下して第一指と四、五指 を接する剣印を結ぶ。両脇侍の観音と勢至は共に梵筐を胸前に持す。
掲出もその系譜に連なる一体で、既に光背と両脇侍を失うものの、古武士 とでもいうような雰囲気を漂わせ、個性を主張する。
#015 大雲寺縁起絵巻 ¥3,000,000~ 付時代黒塗箱(杉) 紙本 金軸端 絵部92×36ほか 表具1160×36 ヤケ シミ オレ 銀製紐金具 絵部末 詞書巻尾
#016 一休宗純 和歌色紙幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代識杉貼札) 小林了可極札
所載本 紙本 牙軸端 24×26 表具38×112 スレ オレ 表具大シミ 神田道伴箱識 慶長裂表装 『書畫美術品展観入札売立会』(大阪美術倶楽部 昭和三十三年)所載 一休宗純(明徳五・1394~文明十三・1481)は室町中期の禅僧。京都生まれ。別号狂雲子ほか。文明六年 大徳寺四十七世となるもすぐに退寺。歿後大徳寺に真珠庵が建てられた。
#017 一休宗純 柳燕画賛幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代桐 外黒塗) 大心義統折紙 紙本 牙軸端 25×100 表具27×178 ヤケ スレ オレ 表具シミ 一休宗純(明徳五・1394~文明十三・1481)は室町 中期の禅僧。京都生まれ。別号狂雲子ほか。文明六年大 徳寺四十七世となるもすぐに退寺。歿後大徳寺に真珠 庵が建てられた。
折紙:大心義統(明暦三・1657~享保十五・1730) は大徳寺二百七十三世。天倫宗忽の法嗣で、宝永三年 (1706)に奉勅入寺。号を蓮華童子、巨妙子、金剛童な どとし、学僧にして一種破格の禅画を残した。大心の画 歴は、ほぼ同時代を生き禅画を大成した白隠(1685~ 1768)に僅かに先行することによって、その先見を顕示 する。
#018 蓮如 名号幅 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 紙本 金軸端 39×91 表具63×170 大ヤケ スレ オレ 上牡丹裂表装 蓮如上人(応永二十二・1415~明応八・1499)は浄土真宗中興の祖。本願 寺第七世存如上人の長男として京都に生まれ、父に教学を学んだ。文明十三 年(1481)、山科に御影堂・阿弥陀堂を建立し、本願寺教団の基盤をなした。 本願寺八世。
#019 良寛大愚 細字幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内識桐 外溜塗) 紙本 彫漆軸端 45×27 表具54×103 シミ スレ 表具ヤケ、スレ、シミ、虫穴 「傳神洞主(池上秀畝)珍蔵」 森哲四郎箱識 良寛(宝暦八・1758~天保二・ 1831)は歌人で曹洞宗の禅僧。越後 出雲崎の人。安永四年頃出家、大愚 とも号した。諸国を行脚した後に 帰郷、脱俗生活を送る。書、漢詩、 和歌は天衣無縫で高く評価された。
た か 山 は こ ほ て は 岡 と な る も の を 過 ぎ し 月 日 の か へ る と は 文 に も み え ず う つ せ み の ひ と も 語 ら ず い に し へ も か く や あ り け む い ま の よ も か く ぞ あ り け る
ゆ く 水 は せ け ば と ま る を
#020 源平合戦屏風 本間 六曲 一双 ¥1,000,000~
紙本 358×153 屏風374×168 ヤケ スレ オゼキレ補修 補彩 画題として一般的で端的な表現を採り題したが、「源平合戦」と して十把一絡げにされる各地の内戦は、政治的あるいは或る種の 民族的な対立関係が複雑に絡んでいる。実際、掲出は源氏と平氏 の対立構造を採っていないように観察される。
右隻(下段)は、橋桁を外された宇治橋を後目に騎行する梶原景 季と佐々木高綱、即ち宇治川合戦(1184)を描いているように見受 けるが、この時対岸に構えるは源義仲である。左隻(上段)は、松明 を持して夜襲をかける郎党に対し、大鎧を被着した女性が長刀で 応戦して退ける中、屋敷奥から武士が駆けつけており、堀川夜討 (1185)を思わせる。この場合、長刀の女性は源義経の妾・静御前で あり、夜襲を指示したのは源頼朝である。
以上を前提としたとき、掲出は源氏間の一族相克に絞って描出 しており、他に伝存する源平合戦屏風とは趣を異にする。或いは、 表題が相応しくないとも云えるだろう。そこに如何なる意図があ るかは貴台の見解に委ねたい。
#021 豊臣秀吉 書状 未装 ¥1,500,000.~ 紙本 44×27 大ヤケ スレ 裏打
豊臣秀吉(天文五・1536~慶長三・1598)は武将。尾張中村で生まれ、幼名を日吉丸、籐吉郎とし、若くして織田信長に仕えて数々の 戦いで功績を挙げた。また信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、山崎の戦いでその仇を討ち、天下統一をなした後は関白、太政大 臣に就いた。秀次に関白を譲ったあと太閤と称した。
候 、 恐 々 謹 言 筑 前 守 六 月 十 六 日 秀 吉 ( 花 押 ) 十 河 孫 六 郎 殿 へ
宛先:十河存保(天文二十三・1554~天正十四・1587)は讃岐の武将、大名。三好実休の二男。織田信長につき、信長死後は秀吉の四 国攻めに協力し、仙石氏の与力大名となる。戸次川の戦いで戦死。
#022 鉄錆地六十二間筋兜付木目肌韋包二枚胴具足
¥2,200,000~ 付一荷櫃
兜 鉄錆地六十二間筋兜。前方に稍尖り、天辺と肩は共になだらかな姿形を採る。八幡座は計八段を数え、座金付四天鋲と響孔、笠印 付鐶を打ち、後正中の腰巻際に太い角本を立てる。後の立物は、木胎黒漆塗の蓮弁に種字を蒔絵し、棒状の金物を十四挿す(一本欠 失)。管見して桃山時代に流行した馬藺を思わせるが、金具が一様であることや、蓮弁と種字からして後光を趣向したものであろう。
後正中裏には「根尾正信□」の鐫銘をみる。眉庇は当世形、菖蒲韋小縁を伏縫した絵韋を充てて小桜鋲で留めて覆輪し、祓立台を 置いて菊鋲三で留める。部分的な絵韋損傷は惜しまれる。金工円形前立は月輪を思わせる。吹返は一段、眉庇と同工として「丸に 三丁子紋」の据金物を打つ。
は五段、鉄切付板札を紺絲で毛引に威す。耳絲は啄木とし、畦目は香色、二段菱縫は紫絲で飾る。 面具 兜と同名を鐫る烈勢頬。髭と金銅歯を植え、耳に古様な六曜を透かし、丸い汗抜孔を穿つ。四段垂は凡そ錣に通底する。
胴 鉄板札を縦皺茶韋で包んで木目肌的に仕立て、前立挙三段、後四段、長側五段の二枚胴に構成する。金具廻りは正平韋を貼って菖 蒲韋小縁を伏縫し、縁を大きく曲げて覆輪を廻らす。胸板には獅子の据金物三を打つ。背から地続きの肩上は絵韋包とし、垂と同 工の三段小鰭を付し、襟廻りは亀甲金を紺羅紗で包んで襞を飾って南蛮的に仕立てる。杏葉は吹返と同工。両乳鐶を打ち、背は角 合当理に受筒、待受を具える。草摺は練韋七間五段威下げ。
袖 冠板、化粧板を錆地とし覆輪を廻らすほかは他部位に通底。
三具 紺麻に丸文を印金した家地を採用する。錆地五本篠籠手は上膊に小さな笠形金物を散らし、手甲には切鉄花を飾る。骨牌金を置い た鎖脇引を付す。練韋佩楯は胴板札と同様に仕立て、丸龍を描く。絵韋を蛇腹伏した力韋と一文字を付し、鞭差孔、踏込を有す。錆 地七本筒臑当は立挙に亀甲金を包む(大破)。
附属 黒皺韋貼の一荷櫃は稜を箔押し、三面に家紋を彫付ける。
#023 鉄錆地三十二間筋兜付白絲威五枚胴具足 ¥2,000,000~ 付溜塗具足櫃
兜 整然とした錆地矧板三十二枚を重ね、前方にやや伸びた長丸に成形する。天辺の八幡座は多彩な五段で、金銅魚子地菊彫の葵座を 底として裏菊、表菊、小刻、薄い玉縁を重ねる。四天鋲と響孔は中程の高さに、笠印付鐶は高めに打つ。後正中裏に「明珎宗功作」 と鐫る。当世眉庇は共鉄素文、W字刻・縦列二孔の祓立台を置いて三光鋲で留める。前立は木彫色漆塗の獅噛で、毛植し、下顎の 牙を金工とする。吹返は大きく、覆輪のない藻獅子絵韋包の鉄板を置いて小桜鋲で留め、金銅「丸に桔梗紋」を打ち据える。その外 側は黒漆地に啄木畦目と紅絲菱縫二段を飾り、これは や垂、喉輪、草摺、袖に通底する。 は三段、鉄板札の表を黒漆塗、裏を黒 韋貼として白絲で素懸に威す(肩摺のみ両面黒漆)。
面具 鉄黒漆塗目下頬。頬に鎬を立て、鼻金具を蝶番で留める。糟毛の髭を植え、銀塗の歯を具える。汗抜孔はなく、耳に六曜を透かす。 総体に漆ヒビや塗補を認める。三段垂の畦目、菱縫は威替を想定させる。
喉輪 練韋黒漆塗で、二段板札垂は伏縫した絵韋で蝙蝠付する。
胴 前立挙二段、後三段、長側四段の五枚胴。各板裏は黒韋貼とし、威絲を補強する様子を看取する。金具廻りは藻獅子韋に菖蒲韋小 縁を蛇腹伏して貼り、鍍金覆輪を廻らす。これは杏葉、冠板も同様。前に両乳鐶、背は総角付鐶を打つ。草摺は練韋八間五段威下げ。
袖 七段。化粧板は菖蒲韋に紅白水引を置いて入八双金物で留め、四段目に水呑鐶を打つ。
三具 紺地牡丹文の家地を共通する。黒漆塗鉄板を用いた籠手は防禦を最小限にしており、上膊と下膊、肘、手甲に各一枚ずつ板を置き、 最低限の鎖で繋ぐ。練韋佩楯は絵韋に菖蒲韋小縁を蛇腹伏した一文字と力韋を付す。踏込はない。七本篠臑当は立挙に亀甲金を紺 羅紗で包む。
附属 大形の溜塗方櫃に収まる。
#024 六十四間総覆輪兜付横矧二枚胴具足 ¥1,500,000.~ 付一荷櫃
兜 鉄板六十四枚を矧ぎ合わせて筋を立て、黒漆をかけ、金銅覆輪を各筋と腰巻に廻らして桧垣を置く。姿形は長丸形成として前後 に膨らみを強くする。浮張に銘見孔はない。八幡座は五段、梨子地唐草浮彫の丸座を底として銀菊透、赤銅小刻、宝瓶、玉縁を重 ねる。鋲飾はその一切を持たない。眉庇は打眉と見上皺を打出して黒漆塗とし、鍍金覆輪を廻らした当世形とするが、その色調や 腰巻板の様子から、後代の仕立替えも想定される。
は鉄切付盛上札を錆色漆塗(裏箔押)とし、四段を紺絲で毛引に威し、当世 形に開く。肩摺板は白・紺・紅・浅葱の四色啄木畦目と、紅韋の菱縫二段を飾る。一段目を吹返し、爪菖蒲韋小縁を蛇腹伏した絵 韋を貼って小桜鋲各五で留め、金銅の「丸に沢瀉紋」を打ち据える。
面具 鉄黒漆塗烈勢頬。銀の歯を挿し、口髭を毛植する。顎先には丸汗抜孔を穿ち、耳には古風な六曜を透かす。四段垂は仕立を に同 じくする。
胴 錆漆塗の鉄板札は頭を山道刻とし、前立挙三段、後四段、長側五段を紺絲で菱綴(前一段のみ素懸威)して二枚胴とする。板札裏 は一面箔押革張。金具廻りは黒漆塗雁木篠として盛上金泥覆輪を廻らし、裏を箔押する。鬼会は前方に大きく湾曲しており、背に は合当理の金具を残す。肩上は先端に蝶番繋で黒漆塗素文の杏葉を具え、襟廻りは亀甲金を茶羅紗で包み、紅絲で菱綴し、白糸を 這わせる。前後共に鋲飾はその一切を排す。草摺は練韋七間五段威下げ、仕立は に従う。 袖 鉄切付盛上札の七段袖で、仕立は に従う。冠板は黒漆塗に唐草蒔絵して唐草毛彫覆輪を廻らす。化粧板は爪菖蒲韋に紅白水引 を置き、菊唐草透の入八双金物三で押さえ奈良菊鋲各二で打ち留める。
三具 紺地金襴の家地は籠手と佩楯に通底する。錆地皺瓢籠手は手甲に桜花切鉄を飾り、水牛鞐を具える。化粧板は三ツ折で其々に桜 花切鉄を置いて金泥覆輪を廻らし、其々に袖と仕立を同じくした冠板を繋ぐ。錆漆塗小篠佩楯は一文字、力韋を付さず、踏込式と する。錆色漆塗の三本筒臑当は中立挙とするが、丸形の据紋金物の痕跡を見、代わりに小桜鋲を打つ。 付属 四角錐台形の黒塗一荷櫃(不揃)に収まる。
#025 無銘「畠田真守」 刀 付変塗鞘拵 白鞘 ¥3,300,000~ 付錦刀袋(ヤブレ) 薄墨刀袋 重要刀剣指定書(日刀保) 長さ704 反り14 目くぎ穴2 差表裏帽子小キズ 東京都第234127号 昭和六十二年(1987)三月二十五日指定 重要第八〇三五号
黄銅地龍透鐔と赤銅目貫を除き、拵金物 は素銅を採用。割笄には梅樹を描き、栗形 には鍍金家紋金物を据える。
#026 伯耆守信高 刀 付変塗朱鞘拵 白鞘 ¥2,700,000~ 付錦刀袋 紫刀袋 特別保存刀剣鑑定書(日刀保) 所載本
長さ756 反り20 目くぎ穴1 差裏物打刃中小サビ、鎺元棟小サビ 鞘・柄入難(約3mm) 表銘:伯耆守藤原信高 東京都第129694号 「昭和丁未(1967)寒山鑑(花押)」鞘識
『新刀集(刃文と銘字)』(藤代義雄・1943)所載 初代信高(永禄四・1561~寛永十三・1636)は美濃の刀工。三阿弥兼國の末裔で兼高の子。天正元年尾張清洲関鍛冶町に移り、織田信長 からの寵愛を受け「信」の字を下賜されたという。天正九年には二十一歳にして伯耆守となり、清洲城下在住の間に信長のために作刀。 以降歴代の清洲城主の愛顧を受けて徳川家康、松平忠吉の刀を打つ。慶長十五年名古屋築城に際し名古屋鍛冶町に移住、初代藩主徳川義 直の命により作刀。二代信高に家督を譲った後は慶遊と号した。以降信高家は尾張徳川家の手厚い保護を受け、その名跡は幕末まで続い た。
鐔:濱野政随(元禄九・1696~明和六・1769)は奈良派の刀装金工師。号に乙柳軒、味墨など。奈良利寿門人。子弟に兼随、矩随らがお り、町彫工として一家を成した。
縁:金子尚盧は江戸後期から幕末にかけての刀装金工師。岩間政随門人で、はじめ政則を名乗り、のち岩間姓を許される。号に知風軒 あるいは知風堂、葛龍軒。掲出は「知風堂濱埜尚盧」と銘切っており、濱野姓を名乗った作例は寡聞にして初見。
#027 黒塗鞘大小拵 ¥1,200,000.~ 付錦刀袋(脆弱)二 大総長96 小総長69 鉄地武者文鐔(「藻柄子入道宗典製」銘)
赤銅魚子地武者文縁頭(縁:「後藤仙乗(花押)」銘)
金工武者文目貫 牛若弁慶留守文様小柄・笄(小は小柄のみ)
鐔:喜多川宗典(生歿年未詳)は江戸中期の刀装金工師で、彦根中藪に住す。号藻柄子。 作柄、鐫銘は変化に富み、数代続いた可能性も指摘される。
縁:後藤仙乗(寛永元・1624~元禄五・1692)は京都の刀装金工師。通称太郎衛門。顕乗 の四男で、程乗ら他の兄弟と同様に独立したが一代で断絶。
#028 出羽守光平 刀 付白鞘 ¥1,200,000.~ 付臙脂色刀袋 特別保存刀剣鑑定書(日刀保) 長さ二尺三寸四分五厘
反り五分 目くぎ穴一 表銘:(菊紋)出羽守法橋源光平 東京教第81854号 出羽守光平は刀工。姓日置。対馬守常光らと共に近江から江戸赤坂に移り、江戸石堂派の創始者として活躍。寛文三年(1663)に法橋に 叙される。晩年は信濃真田家に召され移住。
#029 南紀重國 刀 付白鞘 ¥1,000,000~ 付白刀袋 最優秀作認定書(日本美術刀剣倶楽部)
長さ715 反り11 目くぎ穴2 差表裏刃区薄サビ 棟総体薄サビ、鎺元鍛ワレ 差表物打薄サビ、中程鎬地鍛キズ 差裏中程鎬地鍛ワレ 表銘:於南紀重國造之 和歌山県第24553号 南紀重國は大和国出身の刀工、或いはその一派。初代重國は名を九郎三郎と云い、大和手掻派の末葉と伝える。徳川家康に招聘され駿 府に渡り、のち紀州徳川家祖・頼宣に従い紀州に移った。大和伝、相州伝を能くし名工と謳われた。以降数代に亘り紀州お抱え刀工を務 めた。
#030 柳沢吉保 蘭画幅 ¥1,200,000~
付時代識箱(杉・蓋桐 貼札) 絹本 牙軸端 42×32 表具54×110 ヤケ 表具スレ 水木要太郎箱識
「濃州刺史源素行畫」と款記し、不読朱文方印と「□號□徳」の白文方印を捺す。箱甲には「老 中筆頭柳沢源素行吉保筆 壱幅」、裏には「水木十五堂」の名をみる。吉保が当款記を用いたこと、 そもそも吉保自身が絵を遺していたことについては未だ確証を得ないが、「大和の字引」「大和 の水木か、水木の大和か」とまで謳われた水木要太郎への敬意を込め、表題を決した。 水木要太郎(元治二・1865~昭和十三・1938)は四国松山の出身。明治二十三年(1890)に奈良に 出て以降、終生大和郡山で過ごした。各地で教師を歴任し、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子 大学)教授を昭和二年まで務め、奈良帝室博物館学藝委員も務めた。『奈良叢書』より水木の為人 を紹介すると、「文学、美術、骨董に精しくその鑑識があり、方は雅俗を兼ねて詩歌、俳諧をやり 殊に狂歌、狂詩が得意、奈良や郡山の花柳界初めの長唄や彼の吉田奈良丸の浪花節の秋は一時此 の翁の作に決まっていた。又手蹟が極めて美しく、茶ともに正座作法を修めて独特の持ち味を見 せていた。博識多趣味頗る物好きで人柄は円転骨脱、蜀山人型。栁里恭には深く私淑していたら しい。明治四十年頃から先生は常に大福帳を身につけていて日記兼署名簿としていた。」とある。
水木が私淑した柳里恭は吉保の子・吉里の家臣であり、また吉里は大和郡山藩の初代藩主を務め たことから、水木が柳沢家について殊に明るかったとしても不思議はない。柳沢家の史料を保存 公開する柳沢文庫(郡山城趾内)に、水木の膨大な蒐集品の一部が収蔵されていることからも、そ の深い関係性を窺い知れよう。
柳沢吉保(万治元・1658~正徳四・1714)は徳川綱吉の家臣・柳沢安忠の子。綱吉の将軍就任 を機に幕府小納戸役となり、「出羽守」に叙任される。以降綱吉の信任を得て老中上座となり、 元禄十三年(1700)、子の吉里元服を機に「美濃守」を拝領。「濃州刺史」の款記に照らし、掲出は これ以降に制作されたと考えられる。
#031 狩野永徳 牡丹小禽画幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 大倉好斎折紙 紙本 牙軸端 36×54 表具49×144 ヤケ シミ スレ オレ 表具スレ 古香宗養箱識 狩野永徳(1543-1590)は安土桃山時代を代表する画家。天文十二年正月、狩野松栄の長男として山城国で誕生。名を州信(一説に重信、本 作折紙は州信とする)。俗名源四郎、法名永徳。祖父元信の指導により早くから画才を伸ばしたと伝わり、『言継卿記』によると、天文二十 一年(1552)正月に帰洛した将軍足利義輝の許に、元信と共に挨拶に出向いたらしく、これが記録上の初出である。永禄九年(1566)には 二十四歳にして大徳寺聚光院客殿の襖絵「花鳥圖」「琴棋書畫圖」(共に国宝)を描き、祖父の手法を創造的に発展させたその画風は、上 洛した織田信長の認めるところとなり、天正二年(1574)信長が上杉謙信に贈った「洛中洛外圖」屏風(重文)は永徳の筆による。同四年 (1576)安土城築造に際し、永徳は一門を率いて天守や城内御殿の障壁画を制作する栄誉に浴す。『信長公記』によれば、それらは濃彩の 花鳥や風俗名所を主体とした画期的作品であったと云うが、同十年(1582)明智光秀の謀反により、惜しくも消失。永徳は続いて豊臣秀 吉に抜擢され、大坂城をはじめとして聚楽第、天瑞寺、御所など、相次ぐ大規模な建造に係る障壁画制作を命じられる。永徳は多忙を極 め、同十八年(1590)八月九日、御所の襖絵制作途中に急死。妙覚寺の墓に眠る。晩年の遺品はその殆どが建造物と共に消失しており、確 実な遺品は先述の二作のほかに「唐獅子圖」屏風(宮内庁蔵)など僅かである。 法印に叙されたという説には確証がないものの、秀吉から山城国大原郡に領地百石を賜っていたことからも、永徳は時々の権力者の期 待に応え続け、その活躍によって狩野派画壇の支配的地位を確実なものにしたといえよう。その様式は一門画人達に留まらず、海北友松 や長谷川等伯ら他画派にも大きな影響を与え、桃山時代絵画における新しい展開の原動力になったと評価できる。
参考文献『狩野永徳』(至文堂『日本の美術』94武田恒夫編) 『狩野永徳伝の一節』(『近世日本絵画の研究』所収 土居次義) 「聚光院の障壁画と松栄・永徳」(『障壁画全集』大徳寺真珠庵・聚光院所収 辻惟雄)
猶 以 到 来 之 間 鯉 弐 ツ 進 □ □ 新 春 之 嘉 慶 可 令 任 貴 意 候 、 被 来 候 □ ハ 御 見 廻 不 申 上 候 、 背 本 意 候 、 何 様 近 日 参 可 申 候 、 恐 惶 謹 言 十 五 日
本阿弥光悦(永禄元・1558~寛永十四・1637)は芸術家。京都生まれ。号徳友斎、大虚庵ほか。本阿弥家の分家に生まれる。寛永の三 筆のひとり。角倉素庵と嵯峨本を制作。家康から鷹峰を賜り、芸術家村を作り上げた。陶芸では「不ニ山」などが著名。蒔絵では意匠を与 えるなど、指導的役割を果たしたと推測される。
#033 尾形光琳 達磨画幅 ¥1,500,000~ 付二重箱(内時代貼札識桐 外溜塗) 酒井抱一、抱祝折紙 『光琳百図』上下(焼大破) 太巻 49×111 表具64×205 ヤケ ウキ オレ 「天保癸卯(1843)春正」鈴木其一内箱識 尾形光琳(万治元・1658~正徳六・1716)は画家、工芸家。琳派の大成者。京の呉服商雁金 屋に生まれる。名惟富、別号積翠、惟亮、伊亮、青々、澗声、方祝、寂明ほか。乾山は弟。独自 の装飾的大和絵画風を確立。陶器の絵付けも携わった。
折紙:酒井抱一(宝暦十一・1761~文政十一・1828)は琳派の画家。姫路藩主酒井忠以の 弟、江戸生まれ。三十七歳の時、西本願寺の文如上人の弟子となる。書、俳諧も能くした。尾 形光琳に私淑し、『光琳百図』等を出版した。
折紙:酒井唯一(明治十一・1878~歿年未詳)は雨華庵五世。号抱祝。酒井道一(雨華庵四 世)の子。父に光琳派の画を学び、草花画をよくした。
内箱識:鈴木其一(寛政八・1796~安政五・1858)は琳派の画家。名は元長、字は子淵、別 号必庵、為三堂、噌々、菁々など。通称為三郎。江戸の人。酒井抱一の内弟子として絵を学ん だ。同門の鈴木蠣潭の養子となり鈴木家を継ぎ、酒井家家臣となり抱一の付人を務めた。大胆 な装飾的画風が特色。俳諧・諸芸にも通じた。
#034 円山応挙 雪中猛虎画幅 ¥1,000,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 西山芳園折紙 所載コピー 絹本 牙軸端 52×111 表具66×202 ヤケ 「寛政庚戌(1790)」画中 篠崎小竹箱識 『当市幽静庵木田家所蔵品入札』所載 円山応挙(享保十八・1733~寛政七・1795)は諱は氐、のち応挙。号は一嘯・夏雲・仙嶺・僊斎。通称主水、 字仲選。京都に出、石田幽汀につき狩野派を学ぶ。
箱識:篠崎小竹(天明元・1781~嘉永四・1851)は大坂生まれの儒者。本姓は加藤。名は弼。字は承弼。別 号に畏堂、南豊、聶江、退庵、些翁など。篠崎三島に学び、養子となる。のち江戸の古賀精里に師事。帰郷して 家塾を継ぎ朱子学者となった。
折紙:西山芳園(享和三・1803~慶応三・1867)は四条派の画家。名成章、字子達。松村景文に師事。人物 花鳥をよくした。大坂に住した。
#035 伊藤若冲 鶏鵠画幅 ¥3,200,000~ 付木箱(桐) 太巻 所載コピー三 紙本 唐木軸端 46×119 表具65×195 スレ 穴 補筆 『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』(サントリー美術館 2015)、 『生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲』(京都市美術館 2016)、 『東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展』(福島県立美術館 2019)所載
伊藤若冲(享保元・1716~寛政十二・1800)は画家、京都錦小路の青物問屋枡屋に生れる。名汝鈞、 字景和、別号斗米庵、米斗翁ほか。はじめ狩野派、のちに宋元明の中国画を学び、琳派の画風も取り 入れ、写実性に装飾性を加えた独自の作風を完成。生涯独身、晩年は山城深草の石峰寺の傍らに閑居 した。
若冲には鶏を飼って素描したという伝承もあり、鶏画の多作が知られる。また若冲の鶏画について は、「画家・若冲の出発の契機が鶏であったことが、ここにはしなくも提示されているだろう。中国絵 画の下僕としての画家ではないという主張がここにあり、狩野派や土佐派とも一線を画す画家に自分 を位置づけていることに気づかねばならない」(前掲書『伊藤若冲展』2019)という専門家の指摘もある。
鶏を飼い始めた知人の感想を思い出した。「鶏の動きを見ていると飽きることがない。今更だが、若 冲は仕草や表情だけでなく感情を描いているようだ」。
掲出に戻ろう。左脚で大地を掴んで右脚を挙げ、中空に視線を投げ、嘴を拡げ、声帯を震わせている。 ここでは、通例の「竹に鶏図」ではなく、「鶏鵠図」と題した。掲出では竹が添えられており、夜明け前 の一番鶏のそれではない。同系の雄鶏の図形は、着彩画「旭日雄鶏圖」(PriceCollection)をはじめ、数例 を簡単に見出すことができる。その定形化に、一言居士でもあったろう若冲自身を感じる。
#036 浦上玉堂 山水画幅 ¥1,000,000.~ 付二重箱(内識桐) 水田竹圃折紙 紙本 牙軸端 29×131 表具41×203 シミ 富岡鉄斎箱識 浦上玉堂(1745-1820)は南画家。本姓紀、名弼、字君輔、号穆斎のち玉堂琴士。延享二年備前国に生まれる。岡山 新田藩(鴨方藩)に仕え、陽明学系の儒学を学ぶ。詩文に長じて琴を得意とし、南画は独学で収める。寛政六年(1749)、 愛用の琴を携え、二児(春琴、秋琴)を連れて突如脱藩。全国を放浪した末に晩年を京都で過ごした。脱藩に至った 理由は不明であり、娘・お之の不義事件などの俗説が付き纏う。文政三年(1820)九月四日歿、京都本能寺に眠る。 墓石には頼山陽の詩文が刻まれる。
玉堂の画は先述の放浪の中で個性を獲得しており、奔放な筆致による大きな構成から、繊細な筆致による小品に 至るまで幅広い。玉堂の南画の特質として内面的抒情の表出があり、現代に通じる詩的感受性が指摘される。
参考文献『(稿本)浦上玉堂の研究』(矢田三千男) 「浦上玉堂伝の研究」(『森銑三著作集 三』所収)
箱識:富岡鉄斎(天保七・1836~大正十三・1924)は南画家。京都の人。名は百錬、字は無僊、別号に鐡荘、鐡 崖、鐡史がある。帝室技藝員、帝国美術院会員。幼時に国学・漢学を学び、十八歳頃から絵を学ぶ。幕末、国事に 奔走。維新後は石上神社・大鳥神社の宮司となる。明治十五年京都に転居、「万巻の書を読み、万里の路を往く」 という理想を実践した。
折紙:水田竹圃(明治十六・1883~昭和二十八・1953)は大阪生まれ。通称忠治、姫島竹外の門人、山水画を 得意とす。日本南画院同人、帝展委員、京都市住。
#037 与謝蕪村 瀑下賢人画幅 ¥1,200,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 所載コピー 紙本 牙軸端 28×122 表具41×201 シミ オレ
『知られざる南画家百川』(名古屋市博物館)所載 落下する瀧を背に、唐風の衣装を纏う賢人が長い紙巻を後手にして立つ。掲出は『知られざ る南画家 百川』(1984名古屋市博物館 P56)、『蕪村全集 六』(1998講談社 P162)に所載をみ る。前書は「高士人物」、後書は「樹下人物」と紹介するが、「落下する瀧を描くべく佇む賢人」 と観察して改題した。服装こそ違えるが、蕪村その人の自画像の如く観察されなくもない。 与謝蕪村(享保元・1716~天明三・1783)は俳人・画家。摂津国東成郡毛馬村の人。旧姓 谷口。名信章、寅、字春星、雅号四明、長庚、謝寅ほか。俳号宰鳥、夜半翁、蕪村。作風は幅広 く、独自の様式を創造。池大雅と並ぶ日本南画の大成者。俳諧では蕉風復興を提唱。
#038 葛飾北斎 『富嶽百景』三冊 ¥1,000,000.~ 付帙 紙本 16×23 シミ 葛飾北斎(宝暦十・1760~嘉永二・1849)は浮世絵師。江戸生まれ。勝川春章に学び、役者絵と相撲絵で頭角を現した。狩野派を勉学。 頻繁に画号と住居を変えつつ、洋風画を含む諸派を摂取。自然と人間の調和や大胆な構成に確かな描写を加えた独自の様式を確立。晩 年の作品は花鳥画、測量図、美人画など。欧州印象派にも影響を及ぼした。代表作「富嶽三十六景」「北斎漫画」ほか。
#039 川合玉堂 楊柳観音画幅 ¥1,000,000~ 付共箱(桐) 東京美術倶楽部鑑定証書 絹本 牙軸端 42×1235 表具58×228 シミ 川合玉堂(明治五・1873~昭和三十二・1957)は通称芳三郎。初め京都に出て望月玉泉、幸野楳嶺に学び、後東京に移り橋本雅邦に 学ぶ。帝国美術院会員、帝室技藝員、東京美術学校教授。昭和十五年文化勲章受章。
二頁:児島善三郎(明治二十六・1893~昭和三十七・1962) は洋画家。福岡市生まれ。
四頁:宮本三郎(明治三十八・1905~昭和四十九・1974)は 洋画家。安井曾太郎に師事。
六頁:安井曾太郎(明治二十一・1888~昭和三十・1955)は 京都市生まれ。帝室技藝員・東京美術学校教授。
三頁:井伏鱒二(明治三十一・1898~平成五・1993)は広島 県出身の小説家。本名満寿二。
五頁:近藤浩一路(明治十七・1884~昭和三十七・1962)は 山梨県生まれ、本名浩、号土筆居・画蟲斎。
七頁:棟方志功(明治三十六・1903~昭和五十・1975)は版 画家。青森市生まれ。
#040 小倉遊亀 一筆お願い帳 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 紙本 27×24 ヤケ 児島善三郎 井伏鱒二 宮本三郎 近藤浩一路 安井曾太郎 棟方志功 鳥海青児 北村西望 藤島武二 野口雨情 梅原龍三郎 北大路魯山人 八頁:鳥海青児(明治三十五・1902~昭 和四十七・1972)は洋画家。神奈川県生ま れ。本名正夫。関西大学卒。春陽会会員。独 立美術協会会員。
十一頁:野口雨情(明治十五・1882~昭 和二十・1945)は歌謡詩人。代表作に「船 頭小唄」「波浮の港」「七つの子」「赤い靴」 など。
九頁:北村西望(明治十七・1884~昭和 六十二・1987)は長崎県生まれの彫刻家。 昭和三十三年(1958)文化勲章、文化功労 者顕彰。昭和四十四年(1911)には紺綬褒 賞を授章。東京・井の頭公園に記念館。
十二頁:梅原龍三郎(明治二十二・1888 ~昭和六十・1985)、明治三十六年(1903) 伊藤快彦、次いで浅井忠に、明治四十一年 (1908)の渡仏後はルノワ-ルに師事した。 昭和二十七年(1952)、文化勲章授章。
十頁:藤島武二(慶応三・1867~昭和十 八・1943)は洋画家。薩摩藩士の家に生ま れ、はじめ日本画を学んだが洋画に転向。 白馬会や文展、帝展に参加し、ロマン主義 的作品を発表。
十三頁:北大路魯山人(明治十六・1883 ~昭和三十四・1959)は陶芸家。本名房次 郎。京都上賀茂の社家に生まれる。大正十 四年(1925)超高級料亭星岡茶寮顧問とし て料理・食器など指導。北鎌倉に星岡窯を 築き、独特の雅陶を製作。陶技は志野、織 部、備前、信楽から染付、赤絵と多岐にわ たった。北鎌倉で歿。
小倉遊亀(明治二十八・1895~平成十二・2000)は、滋賀県生まれ。水木要太郎と横山 常五郎に学ぶ。大正九年に安田靫彦に入門。昭和七年には女性として初の日本美術院同人 となる。芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞など受賞。四十八年勲三等瑞宝章受章。五十三 年文化功労者、五十五年女性三人目の文化勲章受章。生涯現役作家であり続けた。
#041「座敷本錺之次第」巻物 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 紙本 唐木軸端 897×36 表具927×36 ヤケ シミ 修正痕 「元和七年(1621)九月十七日」跋識 十七図の座敷飾と元和七年の奥書をもつ。筆者は不明ながら、奥書に曰く、龍雲院山科言綱が指図した座敷飾次第を祖本とし、毛利輝 元の京屋敷へ豊臣秀吉が御成の際に座敷飾を担当した塩川対馬守なる人物の子孫が持ち伝えており、毛利秀元の求めに応じ、古書故に破 損した正本を写して進呈した、とある。
掲出は『君台観左右帳記』の一異本と看取できるが、その内容は東山殿御飾とは乖離したもので、座敷飾次第としてはより一般化され ている。座敷飾の図示を先に、画人録を末尾に回して付録的に扱っていることからも、それは理解されよう。図や条文が掲出に通底する 写本として、永正十六年の年記をもつ東京芸術大学付属図書館蔵本を知るが、成立の前後関係は判然としない。また、掲出に特徴的な「く つがたの御座敷」の図示は、柿葉文庫蔵本「立花並座敷飾」と共通するなど、その複雑な転写の歴史を窺わせる。
#042 荒描山水大深皿 ¥2,000,000~
付木箱(杉) 43×43×13 接合補修 ソゲ 初期伊万里
初期伊万里の大皿における魅力発信は、大和文華 館蔵の「荒描山水」と俗称する大皿の発見に負うと ころが少なくない。鐔を持ち、見込は深く、反して高 台は小さい。それらが初期大皿の魅力を煽った。掲 出の大深皿の称は、胴部の直線的な器形に依る。
古伊万里の研究家である山下朔郎はその著作の 中で、大皿の発見は100点に及ぶと記録しているが、 掲出のように最大径40cmを超える大皿が何点なの か、その中で鐔付は何点なのか、仔細を尋ねる機会 を逸失した。掲出の大画面で注目されるのは五隻の 帆掛け船であろう。この図は、初期大皿に数点確か められる。
有田で焼成された磁器物は、伊万里港から船に積 まれて全国へ運ばれ、「伊万里物」の呼称を得た。染 め付けられた帆掛け船に、伊万里港からの出航の景 色が望見される。
#043 色絵団栗小禽文大皿 ¥1,400,000~ 付時代箱(杉) 34×34×7
ワレ接合補修 古九谷手
古伊万里の研究家であった山下朔郎が「古九 谷の伊万里焼成説」を唱え、古九谷好きの反発を 受けたのも懐かしい。大橋康二らによる窯趾の 調査も進み、古九谷一群の焼成地は有田に決着。
古九谷は「古九谷手」の呼称を受け入れることに なった。然し、古九谷手は加賀藩の注文による意 匠の独自性により、古九谷手の評価そのものは 揺るがなかった。
掲出は団栗を食らう二羽の小禽を主題とする が、上辺の鳥が枝を揺らす瞬間を捉える動的な 表現など、昔から云われた「古九谷の絵は本式の 画匠の下絵による」を首肯させ、「伊万里の職人 絵にはない」の言を思い起こさせる。
#044 色絵石畳文大皿 ¥3,500,000~ 付識箱(桐) 34×34×7 ワレ金補修 古九谷手 小山冨士夫箱識 古九谷手における幾何文系に属し、斬新な意匠に古九谷手の 真骨頂を見せる。青・紺を重ねた青手部と赤絵部を交互に配し て、赤絵部の中心には鳳凰を描き、外枠として唐草、七宝繋、唐 花菱繋を規則的に描き並べて石畳を構成する。箱書は小山冨士 夫、「古九谷石畳孔雀文」と記す。
#045 色絵花鳥文角壺 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 11×11×265 蓋欠失 1670年から1690年代にかけて伊万里で焼成され、輸出に供された柿右衛門系の蓋付角 壺。蓋を失って帰国した。
#046 古清水舟形吊花入 ¥1,000,000.~ 付木箱(桐)
南鐐釣鎖(三代長谷川一望斎作 付桐共箱) 利休形花鎖(中川浄益作 付杉共識箱 不明大徳寺僧書付) 38×15×14
#047 源内南北米大陸地図皿 ¥2,000,000.~ 付時代識箱(杉 貼札) 36×38×4
外縁を六稜に成形し、縁に方角を示す十二支を 含む文様帯を置き、見込全体に南北アメリカ大陸 を浮彫で表現し、緑釉一色を施す。
源内焼は元文三年(1738)志度で開窯され、宝暦 五年(1755)平賀源内の指導を受けた軟質施釉陶器。
その特徴には「焼物の形の奇抜さ」、「三彩の色使い の奇抜さ」、「文様、意匠の斬新さ」があると名児耶 明は解説する(『源内焼』五島美術館 2003)。この三点 に敢えて付け加えるならば、「外国文明への興味を 根底に持つ」あたりだろうか。これこそが源内の指 導の成果とも云えよう。
前掲(『源内焼』)では、世界地図を描いた皿を計七 点を紹介しており、ユーラシア・アフリカ大陸の地 図皿を二種三点、南北アメリカ大陸の皿を四点掲 載する。掲出は八点目となろう。ユーラシア・アフ リカ大陸皿と南北アメリカ大陸皿を並べ置けば、 四大陸を網羅した世界地図が完成する。世界を俯 瞰した平賀源内の機智を見据えておきたい。なお、 前掲書の七点には、緑釉一彩の作品を見ない。
#048 備前徳利 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 所載本 10×10×15 小山冨士夫箱識 『富山県酒器名品展』所載
箱識:小山冨士夫(明治三十三・1900~昭和五十・1975)は岡山県生まれ、瀬戸や京都 で作陶を学んだのち大正十四年(1925)京都で独立。昭和五年(1930)東洋陶磁研究所所 員となり、中国古窯趾調査など古陶磁の研究に専念。また昭和二十二年(1947)東京国立 博物館、文化財保護委員会で技官の任に就いた。著書に『東洋古陶磁』など。
#049 備前徳利 ¥1,000,000.~ 付溜塗箱(桐) 14×14×24
頸共色補修 十字窯印
#050 金重陶陽 三角累坐花入 ¥1,000,000~ 付共箱(桐) 13×13×23
金重陶陽(明治二十九・1896~昭和四十二・1967)は備 前焼初の重要無形文化財保持者。備前市伊部に生まれ、父 楳陽に陶技を学び、陶土、窯詰め、焼成法などの研究につ とめ、現代に桃山風備前を甦らせた。
陶陽は山陽を代表する陶器里の名家に生まれ、桃山時代 の備前に対峙し、これに劣らぬ魅力を持つ作品を創造。昭和 時代の要請でもあった、「桃山時代の美意識への回帰」に成 功を収めた。潮流を同じくして、美濃では荒川豊蔵(18941985)や加藤唐九郎(1897-1985)、唐津では西岡小十(19172006)が続いた。彼等を演出した人物は小山冨士夫(19001975)であり、相互の人間関係の掌握など、総べて小山の手 中にあった。北大路魯山人(1883-1959)を通称「人間国宝」 の第一号に推挙したのも小山である。
この時勢は陶陽の死を以て輝きを失することになった。 豊蔵七十四歳、唐九郎七十一歳、小十は五十一歳、小山が六 十八歳の時である。
#051 河井寛次郎 菱花文陶板額 ¥1,300,000~ 付識箱(桐) 19×31 額36×51 磁貫 河井つね箱識 額脱着不可 河井寛次郎(明治二十三・1890~昭和四十一・1966)は陶芸家。島根県安来生まれ。
東京高等工業学校窯業科卒業後、京都市立陶磁器試験所にて研究と制作に従事。大正 九年京都五条坂に鐘渓窯を開窯。大正末期より民芸運動に参画。重厚な形態と釉法に、 素朴な美しさの宿る作品をつくった。昭和四十八年自宅に河井寛次郎記念館が開設 された。
#052 北大路魯山人 織部芦文俎板 ¥1,500,000~ 付識箱(桐) 48×24×5 窯ヒビ 脚先金補修 初代黒田陶々庵箱識
北大路魯山人(明治十六・1883~昭和三十四・1959)は陶芸家。本名房次郎。京都上賀茂の社家に生まれる。書画、篆刻、漆芸にもす ぐれた。大正十四年(1925)超高級料亭星岡茶寮顧問として料理・食器など指導。北鎌倉に星岡窯を築き、独特の雅陶を製作。陶技は志 野、織部、備前、信楽から染付、赤絵と多岐にわたった。北鎌倉で歿。
箱識:黒田陶々庵(明治三十八・1905~昭和六十二・1987)は茶陶研究家。愛知県生れ。本名は領治。昭和十年黒田陶苑を創業。経営 の傍ら茶陶研究に勤しむ。日本陶磁協会常任理事。『昭和陶芸図鑑』『定本北大路魯山人』など著書多数。
#053 古染付柏葉形三脚向付 五 ¥2,500,000~ 付段箱(桐 旧箱書付貼込) 19×12×4 虫喰
#054 梨子地殿社蒔絵硯箱 文庫 ¥2,000,000~
付木箱二(桐 文庫箱蓋ワレ) 雲錦形銀水滴 硯石 硯箱24×27×7 文庫37×44×18 蓋裏梨子地御所車蒔絵 銀縁
#055 千道安 消息幅 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 古筆了信極札 紙本 雑木軸端 45×28 表具47×114 ヤケ スレ オレ 穴
千道安(天文十五・1546~慶長十二・1607)は茶人。初名紹安のちに 道安。号可休斎、眠翁など。千利休の長男。利休とともに豊臣秀吉の茶 頭をつとめる。利休自刃後は京都をはなれ流寓の身となった。道安囲い、 道安風炉などすぐれた創意を遺した。
極札:古筆了信(文久三・1863~昭和二十一・1946)は明治から昭和 の古筆鑑定家。了悦の長男。十三代を継承した。
#056 織田道八 消息幅 ¥1,000,000~
付時代識箱(桐) 紙本 黒塗軸端 41×31 表具425×112 ヤケ シミ スレ
織田道八(1582-1620)は豊臣家の家臣たる武将にして、有楽流 茶人。諱頼長、通称孫十郎あるいは左門。天正十年、織田有楽斎長 益の二男として生まれる。父と共に豊臣秀頼に仕え、関ケ原合戦 では東軍として参戦、大坂城留守居を任される。同戦後は京都で 乱行を起こし、猪熊事件(1609)においては主犯・猪熊教利の逃亡 を助けたとして剃髪流罪に処され、長益からも勘当された。大坂 冬の陣では大坂城家政を仕切るも、和睦が破談すると大坂を去り 京都に隠棲。道八と号して茶の湯に専念した。元和六年歿。
尚 々 廿 九 日 晦 日 先 約 可 参 候 、 す ゝ み の 茶 お も し ろ か る へ く 候 、 芳 墨 拝 見 申 候 、 如 仰 先 日 者 御 出 本 望 事 候 、 内 々 如 御 約 束 之 明 日 朝 食 過 候 て た ゝ す へ 可 罷 出 候 間 、 以 参 可 申 候 、 御 懇 志 之 段 難 申 尽 候 、 尚 期 面 上 候 、 恐 惶 謹 言 、 六 ノ 廿 七 ( 花 押 ) 弥 三 様 貴 報 道 八 「 た ゝ す へ 可 罷 出 候 」 と あ る 。 追 而 書 に あ る
#057 織田道八 消息幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 大倉好斎極札 紙本 唐木軸端 38×28 表具40×106 ヤケ シミ 穴 表具スレ、穴 織田道八(1582-1620)は豊臣家の家臣たる武将にして、有楽流茶人。諱頼長、通称孫十郎あるいは左門。 天正十年、織田有楽斎長益の二男として生まれる。父と共に豊臣秀頼に仕え、関ケ原合戦では東軍として 参戦、大坂城留守居を任される。同戦後は京都で乱行を起こし、猪熊事件(1609)においては主犯・猪熊 教利の逃亡を助けたとして剃髪流罪に処され、長益からも勘当された。大坂冬の陣では大坂城家政を仕切 るも、和睦が破談すると大坂を去り京都に隠棲。道八と号して茶の湯に専念した。元和六年歿。
#058 灰屋紹益 竹茶杓 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 共筒 古筆了仲極札 総長185 銘「わかのうら」 山田宗也箱書 佐野紹益(生年未詳~元禄元年・1688)は歌人。京都生。 名は重孝、通称を灰屋三郎左衛門。後水尾天皇に歌を教授す る。茶道を能くし、諸芸に通じた。
箱書:山田宗也(寛保三・1743~文化元・1804)は茶人。 宗徧流四世家元、漸学宗也。幼名俊之、号陸案斎。茶道の入門 書とも呼ぶべき『陸案集』の執筆によって市井に流派を拡げ、 宗徧流中興の祖と称えられる。
#059 古田織部 竹茶杓 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 共筒 総長18 啄斎箱書
古田織部(天文十三・1544~慶長二十・1615)は美濃国生まれ、利休七哲の一人。はじめ中川秀成に仕えた後御伽衆として豊臣秀吉 に仕え、九州の役、小田原の役に従軍した。秀吉没後は隠居し、伏見邸の茶室「望覚庵」で茶の湯三昧の生活を送る。徳川秀忠の茶道師 範をつとめたが、大阪夏の陣の際、大坂方内通の疑を受け自刃した。書院台子の茶の湯、大名茶の湯の大成、沓形茶碗やキリシタン文様 を取り入れるなど、器物の意匠を凝らし織部流を創始し、後の茶道に大きな影響を与えた。
箱書: 啄斎宗左(延享元・1744~文化五・1808)は表千家八代。幼名は与太郎。別に件翁の号がある。川上不白らの援助を受け、叔 父一燈宗室の指導を仰ぎ茶湯に励んだ。十四歳で宗左を名乗り八世家元を継承。利休二百回忌の茶会、宗旦百五十回忌などを催す。
#060 ノンコウ 黒茶碗 ¥6,000,000~ 付二重箱(内時代識桐) 仕覆 125×125×7 底窯ヒビ漆補修 銘「柳岸」 覚々斎内箱書 了入外箱識
道入(慶長四・1599~明暦二・1656)は樂家三代。常慶の長男として生まれる。別名ノンコウと称され、のち、樂歴代随一の名工とさ れる。道入の作風は、これまでの長次郎茶碗の装飾性を徹底して省いた黒一色の伝統的世界に装飾的な効果を融合させ、個性表現を捨 象した長次郎茶碗の重厚な趣に対して軽やかな個性表現を加えた。
内箱書:覚々斎宗左(延宝六・1678~享保十五・1730)は表千家六代。号は原叟、流芳軒。久田宗全の子で、五代随流斎の養子となっ て六代を継承。紀州徳川家、頼方に仕えた。
外箱識:了入(宝暦六・1756~天保五・1834)は樂家九代。七代長入の二男。明和七年に家督を継いだ。文化八年に近江に隠居。紀州 御庭焼に従事するなど樂家中興と称えられる。
#061 一入 東陽坊写黒茶碗 ¥1,000,000.~ 付識箱(桐) 12×12×8 樂直入箱識 一入(寛永十七・1640~元禄九・1696)は樂家四代。朱釉黒樂茶碗を創始した。幼名左兵衛、明暦二年(1656)、四代吉左衛門を襲名。 元禄四年(1691)養子宗入に家督を譲る。
箱識:樂直入(昭和二十四・1949~)は樂家十五代。十四代・覚入の長男として京都市に生まれる。東京藝術大学美術学部彫刻家卒。 1981年吉左衛門襲名。2019年に当主を譲り、直入に改名。
#062 宗入 黒茶碗 ¥3,000,000~ 付二重箱(内識桐) 而妙斎、樂直入書付添箱(桐 追銘「山里」) 11×11×8
覚々斎直判 二代住山楊甫箱書 旦入箱識 宗入(寛文四・1664~享保元・1716)は樂家五代。四代一入の養子。初代長次郎の風を慕った。雁金屋三右衛門の子。名平四郎・惣吉。 元禄四年五代吉左衛門を襲名。尾形光琳、乾山とは従兄弟。
直判:覚々斎宗左(延宝六・1678~享保十五・1730)は表千家六代。号は原叟、流芳軒。久田宗全の子で、五代随流斎の養子となって 六代を継承。紀州徳川家、頼方に仕えた。
箱書:二代住山楊甫(天明二・1782~安政二1855)は了々斎宗左門人。号は楊甫・吸清庵・西江軒・吽々斎・云々斎。泉州堺の人中村 屋三郎右衛門の子で、はじめ宗仙と称すが、のちに初代・楊甫の養嗣子となり、茶法を了々斎に受けた。了々斎歿後は幼少の吸江斎の後 見人となり、紀州徳川家に随行した。
箱識:旦入(寛政七・1795~嘉永七・1854)は樂家十代。了入の次男、文化八年に十代吉左衛門を襲名。弘化二年に剃髪隠居して号を 旦入とした。
添箱:而妙斎宗左(昭和十三・1938~)は茶道表千家十四代。幼名岑一郎。即中斎の長男。中央大学文学部卒業。大徳寺方谷浩明和尚 より斎号を受け、四十二歳で家督を継ぐ。
添箱:樂直入(昭和二十四・1949~)は樂家十五代。十四代・覚入の長男として京都市に生まれる。東京藝術大学美術学部彫刻家卒。 1981年吉左衛門襲名。2019年に当主を譲り、直入に改名。
#063 左入 黒平茶碗 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代識桐)
鵬雲斎、樂直入書付添箱(桐 追銘「笹舟」) 15×15×6 銘「広沢」 初代川上不白箱書
左入(貞享二・1685~元文四・1739)は樂家六代。本姓田中、名嘉顕。京都大和屋嘉兵衛の次 男。宗入の養子となり、樂家六代を継ぐ。左の一字は千家如心斎(宗左)から拝領したとされ、光 悦模などを得意とし、左入釉の語を残した。
箱書:初代川上不白(享保元・1716~文化四・1807)は茶人、不白流の開祖。紀伊生。如心斎 宗左に入門。大徳寺大龍和尚に参禅。初号宗雪、別号に蓮華庵、黙雷庵、円頓斎、不羨斎、弧峰ほ か。水野侯の茶頭。江戸千家を称した。
添箱:鵬雲斎玄室(大正十二・1923~)は裏千家十五世。先代淡々斎の長男。鵬雲斎玄秀宗興 居士、また妙心寺管長梶原逸外老師より虚心の斎号を受けた。紫綬褒章、文化勲章ほか受章多数。 平成十四年、十六代・坐忘斎宗之に家元を譲る。
添箱:樂直入(昭和二十四・1949~)は樂家十五代。十四代・覚入の長男として京都市に生ま れる。東京藝術大学美術学部彫刻家卒。1981年吉左衛門襲名。2019年に当主を譲り、直入に改名。
#064 半使茶碗 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 仕覆 15×15×8 磁貫 銘「初霜」 初代川上不白箱書
半使(ハンス)は高麗茶碗の一種。赤味を帯びた白胎土で、薄墨色に微かに黄色味がかった釉薬に、薄 紅色の円い御本の斑文が不規則に顕れるという特徴をもつ。桃山から江戸時代にかけて来朝した朝鮮役 官の尊称、即ち判事や判司を名の由来とする。『釜山窯ト対州窯』では、「訳官の監督の下に作りしものな り、此茶碗には種々様々あり」と紹介する。
箱書:初代川上不白(享保元・1716~文化四・1807)は茶人、不白流の開祖。紀伊生。如心斎宗左に 入門。大徳寺大龍和尚に参禅。初号宗雪、別号に蓮華庵、黙雷庵、円頓斎、不羨斎、弧峰ほか。水野侯の茶 頭。江戸千家を称した。
#065 仁阿弥道八 誰ヶ袖絵茶碗 ¥1,000,000~ 付二重箱(内共桐) 鵬雲斎、九世道八書付添箱(桐) 135×135×8 磁貫 二代道八(天明三・1783~安政二・1855)は、初代の次男。名は光時、松風亭、華中亭、道翁などと号す。 仁和寺宮より法橋に叙せられ、「仁」の一字を賜り、さらに醍醐三宝院より「阿弥」の号を賜り、「土師」の 号を許され、以後法橋仁阿弥と称す。人物、動物などを得意とし、色絵物に個性を発揮、道八様式を確立し た。
添箱:鵬雲斎玄室(大正十二・1923~)は裏千家十五世。先代淡々斎の長男。鵬雲斎玄秀宗興居士、また 妙心寺管長梶原逸外老師より虚心の斎号を受けた。紫綬褒章、文化勲章ほか受章多数。平成十四年、十六 代・坐忘斎宗之に家元を譲る。
添箱:九世高橋道八は京焼の陶工。八世道八の次女で、京都府立陶工高等技術専門校、京都市工業試験場 を卒業後、父に師事。平成二十四年(2012)に襲名、初の女性当主となる。
#066 織部耳付茶入 ¥1,000,000~ 付二重箱(内識桐) 白地金更紗仕覆 牙蓋 7×6×11 銘「初蝉」 了々斎内箱書 荒川豊蔵外箱識
内箱書:了々斎宗左(安永四・1775~文政八・1825)は表千家九代。久田家から の婿養子。紀州徳川家に仕えた。
外箱識:荒川豊蔵(明治二十七・1894~昭和六十・1985)は岐阜県多治見生まれ、 雅号は斗出庵。京都に移り宮永東山(1868~1941)に作陶を学んだ。昭和五年 (1930)に美濃大萱の古窯跡で桃山時代の志野の陶片を発見、これまで志野・瀬戸 黒・黄瀬戸が愛知県瀬戸市で焼かれていたという通説を覆した。またその陶片を手 がかりに桃山陶器の再現に尽力し、昭和三十年(1955)に志野・黄瀬戸で重要無形 文化財保持者(人間国宝)に認定された。昭和四十六年(1971)文化勲章受章。
#067 田中常慶 黒鶴首花入 ¥1,900,000~ 付二重箱(内時代識桐) 仕覆 目録 145×145×30 共色補修 底印 銘「一聲」 藪内比老斎内箱、休々斎外箱書付 「豊太閤御傳来」箱識 『大谷家(本派本願寺)舊御蔵品入札第一回』所載 田中常慶(生年未詳~寛永十二・1635)は樂家二代。田中宗慶の次男。楽焼に白釉を導入。本阿弥 光悦と親交があり、作陶を伝授する。徳川秀忠より「樂」印を拝領した。
内箱書付:竹陰紹智(享保十二・1727~寛政十二・1800)は藪内家六代。名は宗賢、字は子冰。竹 陰と称し、比老斎、雲脚子、雲疇道人などの別号あり。北尾春倫の甥で竹心の養子となり、六代を嗣 ぐ。風雅を好み、漢籍に通じ、和歌、書画を能くした。大雅堂、柳里恭、應挙などとも交遊があった。
外箱書付:竹翠紹智(天保十一・1840~大正六・1917)は藪内家十代。名は宗添、姓は福田で、元 加賀大聖寺藩茶道頭兼御典医。休々斎と号す。北野大茶会に因み、明治十一年北野天満宮神前献茶を 創始。
#068 美濃伊賀耳付三足水指 ¥1,000,000~ 付時代合箱(桐) 黒塗蓋 225×195×19
#069 鶴秋草蒔絵棗 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 75×75×75 内梨子地
#070 伝シモーネ・マルティーニ 聖母子画額 ¥1,500,000~ 33×39 額50×53 ヤケ ヒビ 剥離 画面損傷こそ惜しまれるものの、後期ゴシック期からルネサンス期のイタリアにおいて活動したシエナ派絵画の古格と、神秘主義的な 篤信を伝える。掲出には聖母子光輪部に装飾的な彫刻を採り入れており、シエナ派の創始者であるドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (DucciodiBuoninsegna)一門であるシモーネ・マルティーニに特有の表現である。マルティーニは、アッシジの聖フランチェスコ修道院 に、同様の彫刻を施したフレスコ画を残している。
聖母子の着衣に注目すると、マリアは修道衣、キリストは産着という通例とは異なり、母子共に裕福な貴族の服装を被着する。これは 掲出の依頼者が個人であることを意味し、掲出裏面に描かれた紋章に繋がる可能性をみる。掲出の紋章(CoatofArms)は十世紀より始ま るシエナの名門貴族・ピッコロミーニ家(Piccolomini)のもので、同家は神聖ローマ帝国・バチカン双方と良好な関係を築いて繁栄し、神 聖ローマ帝国王妃、ローマ法王を二人(ピウス2世、ピウス3世)輩出している。掲出の紋章は正確には13世紀末から14世紀初頭にかけて使 用されたもので、同紋を中央左上に配し、その下に十字軍遠征旗を配す。右半は劣化しており判読に至らない。その周囲を取り囲むよう に親族の紋章を置いており、特定できる範囲ではTolomeifrom Siena,Odaldifrom Pistoia,Ranghifrom Florence,Ghinifrom Siena,Argomenti from Pisa,Casolanifrom Siena,Morifrom Siena、以上を確認する。
シモーネ・マルティーニ(SimoneMartini,1284-1344)はインターナショナル・ゴシック様式(ヨーロッパ・スタンダードの意)の確立者。 先述の通りドゥッチョの弟子とされるが、美術史家ジョルジョ・ヴァザーリはジオットの弟子と主張する。マルティーニに関する公的記 録は少ないが、シエナをはじめピサ、フローレンスなどで制作しており、中でも義弟リッポ・メンミ(LippoMemmi,1291-1356)との合作 である「受胎告知」(1333年、現在はウフィツィ美術館蔵)は出色。
参考文献 Bologna,Ferdinando 1968 SimoneMartini;AffreschidiAssisi6[IGrandiDecoratori]Milano:FratelliFabbriEditori,&AlbertSkira Bomford,David,JillDunkerton,DillianGordon,AshokRoy,andJoKirby 1994 ItalianPaintingBefore1400[ArtintheMakingS]London:National Gallery CompanyLtd
DiMontauto,Fabrizio 2022 ManualediAraldica Firenze:Polistampa Silver,Nathaniel2022 SimoneMartiniinOrvieto Boston:TheIsabellaStewartGardnerMuseum. Stokstad,Marilyn2004 MedievalArtLondon:Routledge
#071 初期洋風画朱衣達磨額 ¥1,000,000~ 紙本 39×49 額49×58 ヤケ スレ オレ 虫穴 「廣禅寺」額背面墨識
日本に於ける洋風絵画の発端は宣教師達と共にあり、布教活動のため建造された教育機関(コレジオ)などで教えられた。大 和文華館蔵の「婦女弾琴図」は桃山時代に描かれた初期洋風画で、地塗を施した和紙に胡桃油を混ぜた日本顔料で描くことで油 絵に近づけている。掲出に立ち返ると、画面左下に獅子と鷲を意匠化した欧風印を捺しており、「婦女弾琴図」との一致をみせ る(『婦女弾琴図』の印は天地逆位)。同印を捺す作品は幾つか確認されているが、その中に「信□」と読める落款を有するものが あり、掲出も信□の作とみて大過なかろう。信□についてはその仔細を全く明らかにしないが、掲出の如き達磨図を数点確認す ることから、コレジオで学んだのち棄教したと見る説もある。背面墨書にある「廣禅寺」については曹洞宗寺院の幾つかを知る が判然としない。
#072 金銀象嵌柄香炉 ¥1,000,000.~ 付木箱(桐) 22×10×11
#073 銅造神将坐像 ¥1,000,000.~ 像高24
#074 銅鍍金菩薩坐像 ¥1,000,000.~ 付木箱(桐 貼札) 像高135 総高185 「大明永楽年施」台坐刻銘
#075 銅鍍金菩薩坐像 ¥1,000,000~ 付唐木吉祥文彫佛龕 像高15
#077 銅造菩薩坐像 ¥1,000,000.~ 付唐木箱 像高135
#079 青磁盤 ¥1,000,000.~ 付木箱(桐) 21×21×45 高台内小窯キレ
#080 芙蓉手大皿 ¥1,000,000~ 付時代識箱(杉) 495×495×8 虫喰
#081 堆朱芦乗達磨文香合 ¥1,500,000~ 付黒漆塗丸合子 8×8×3 内黒
#082 緑石双鹿文彫硯屏 ¥1,000,000~ 付唐木箱(破損) 全体17×9×28 唐木台脚先小カケ
#084 高麗青磁白黒象嵌雲鶴文花入 ¥2,500,000.~
付木箱(桐) 15×15×285 口辺ヒビ 磁貫 貝敷高台
#085 鶏龍山絵刷毛徳利 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 16×16×29 口辺共色補修
#086 李朝白磁大壺 ¥1,500,000~ 付木箱(桐) 27×27×31 口辺ヒビ 高台一部後補
#087 李朝白磁角瓶 ¥1,500,000~ 付木箱(桐) 9×85×185 窯ヒビ
#088 森鴎外 二字書額 ¥1,000,000~ 絖本 84×35 額111×48
森鷗外(文久二・1862~大正十一・1922)は石見国・津和野藩典医の家系に生れる。本名は林太郎、諱は 高湛、別に鷗外漁史、千朶山房主人、観潮楼主人、ゆめみるひとなどと号す。明治・大正時代の代表的な小 説家であり、劇作家、評論家、翻訳家、軍医、衛生学者でもあった。東京大学医学部を十九歳で卒業し、明治 十七年から五年間ドイツに留学。その知識活動は幅広く、深く、近代日本の代表的知識人。
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コギレ タロウ 古裂 太郎
604-0811
京都市中京区亀屋町176
A-001
B-005
C-010
CN-015
KR-020
YD-025 #030 #100
春日卓
木彫愛染明王坐像
伊予札二枚胴具足
寒山拾得画賛幅
李朝白磁壺
油彩風景画額
茶杓
信楽双耳水指
¥180000 ¥60000
2016年1月1日
AM10:00
075 075 254 254 8851 8854
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〒604-0811 京都市中京区亀屋町176 TEL.(075)254-8851 FAX.(075)254-8854 http://www.kogire-kai.co.jp e-mail: office@kogire-kai.co.jp
古裂 太郎
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参考文献一覧
至文堂版「日本の美術」の表記は(日美)とした。
辞典 基本文献
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公家 『有職故実大辞典』鈴木敬三 吉川弘文館 平成8 『公卿辞典』坂本武雄 七丈書院 昭和19 『皇室辞典』井原頼明 富山房 昭和57 『皇位継承儀式宝典』 新人物往来社 1990 『天皇家系譜総覧』 新人物往来社 1990 『日本風俗史事典』日本風俗史学会 弘文館 昭和54 『源氏絵』(日美119)秋山光和 昭和51 『伊勢物語絵』(日美301)千野香織 1991 『垂迩画』(日美274)関口正之 1989 『参詣曼荼羅』(日美331)下坂守 1993 仏家 『望月仏教大辞典』世界聖典刊行協会 昭和47 『日本仏家人名辞典』東京美術 平成4(復刻) 『仏具大事典』岡崎嬢 鎌倉新書 昭和57 『仏像図典』佐和隆研 吉川弘文館 昭和37 『仏教絵画』富山美術館 昭和61 『古写経綜鑒』田中塊堂 昭和17 『虚空蔵菩薩』(日美380) 泉武夫 1998 『浄土教画』(日美43) 岡崎譲治 昭和44 『日本佛塔』石田茂作 講談社 昭和44 『ブッダ釈尊』奈良国立博物館 1984 『日本仏教人名辞典』法蔵館 1992 『密教法具』奈良国立博物館 平成5 『経物遺宝』奈良国立博物館 昭和52
武家 『日本の甲冑武具事典』笹間良彦 柏書房 1994 『日本の合戦武具事典』笹間良彦 柏書房 1999 『日本甲冑図鑑』上中下 笹間良義彦 雄山閣 昭和39 『日本の名兜』上中下 笹間良義彦 雄山閣 昭和47 『刀装金工事典』若山猛 雄山閣 平成8 『金工事典』若山泡沫 刀剣春秋出版社 平成11(改) 『刀工総覧』川口陟 刀剣春秋出版社 平成11 『新甲冑師銘鑑』笹間良彦 里文出版 平成12
書画 『古画総覧』佐々木丞平 正子 国書刊行会 2000 『古画備考』(復刻 吉川弘文館・明治45) 『前賢故実』菊地容斎 天保七 『東洋画題総覧』金井紫雲 平成9(復刻版) 『大日本書画名家大鑑』荒木矩編 第一書房 平成3(復刻) 『日本書画骨董大事典』池田常太郎 聚芳閣 大正15 『書画落款印譜大全』狩野亨吉 岩上方外 1996 『中国書画家印鑑款識』上下 上海博物館 1982 『落款花押大辞典』淡交社 昭和57 『日本南画史』梅沢精一 洛東書院 昭和8 『日本南画史』山内長三 瑠璃書房 昭和56 『近代日本絵画史』河北倫明 南階秀爾 中公 昭和53 『浮世絵事典』吉田暎二 画文堂 昭和46 『版画事典』室伏哲郎 東京書籍 1985 『江戸の狩野派』(日美262) 細野正信 昭和63 『狩野派と福岡展』福岡市美術館 1998 『師宣と初期浮世絵』(日美363) 小林忠 1996 『宋紫石と南蘋派』(日美326) 鶴田武良 1993 『谷文晁』(日美257) 河野元昭 1987 『京の絵師は百花繚乱』 京都文化博物館 1998 『桃山絵画』(日美208) 武田恒夫 昭和58 『初期洋風画』(日美80) 坂本満 至文堂 昭和48 『南蛮美術』(日美19) 岡本良知 平凡社 昭和42 『絵馬』(日美92)河田貞 昭和49 『支那人名辞典』上・中・下 大正15 『書画鑑定法』平渡緒川 大正7 『中国歴代書画篆刻家字号索引』中国書画研究資料社 中華民国69
『近代日本美術事典』講談社 1989 『関東水墨画の200年』栃木県立博物館、神奈川県立歴史博物館 1998 『円山応挙』京都国立博物館 平成7 『近世の大坂画壇』大阪市立美術館 昭和56 『京都と近代美術』橋本喜三 京都書院 昭和57 『洋画のあけぼの』京都文化博物館 平成11 『京都画壇100年の名作展』京都市美術館 1979
中国 朝鮮『中国美術家人名辞典』兪剣華編 1987 『中国絵画史事典』王伯敏 雄山閣出版 平成八年 『中国書道史』赤井清美 東京堂出版 昭和54 『中国書道辞典』中西慶爾 木耳社 昭和56 『支那絵画史』内藤湖南 弘文堂 昭和15 『中国歴代書画篆刻家字号索引』中国書画研究資料社 民国69 『韓国絵画史』安輝濬 吉川弘文館 昭和62 『朝鮮古書画総覧』李英介 昭和46 『朝鮮書画人物辞典』呉世昌 国書刊行会 平成4 『韓国絵画大観』劉復烈 文教院 1979 『韓国人名字号辞典』李斗煕ほか 啓明文化社 1988 『韓国書画家人名辞典』韓文影 汎友社 2000
書家 『くずし字解読字典』 東陽出版 昭和63 『日本書流全史』上下 小松茂美 講談社 昭和45 『古筆大辞典』 淡交社 昭和54 『俳諧大辞典』伊地知鐵男ほか 明治書院 昭和32
茶道 『原色茶道大辞典』井口海仙ほか 淡交社 昭和51 『現代煎茶道辞典』主婦の友社 昭和56 『茶碗窯別銘款』黒田和哉 グラフィック社 平成10 『茶湯便利帳』宮帯出版〔改訂版〕 平成24
諸器 『平凡社・陶器全集』全32 昭和41 『中世・近世の鏡』(日美394) 久保智康 1999 『和鏡』(日美42) 中野政樹 昭和44 『和鏡』 保坂三郎 昭和48 『柄鏡大鑑』小林達雄監修 平成6 『現代名工・職人人名辞典』日外アソシエーツ 1990 『日本美術家事典』O&M 1998 『遊戯具』(日美32) 関忠夫 昭和43 『古鏡』樋口隆康 新潮社 昭和54 『原色陶器大辞典』加藤唐九郎編 淡交社 昭和17 『陶器大辞典』小野賢一郎 合資会社冨山房 昭和11 染織 『原色染織大辞典』淡交社 昭和52 『染』(日美7) 山辺知行 昭和41 『原色日本服飾史』井筒雅風 平成10 『祇園祭の染織美術』京都書院アーツコレクション167 吉田孝次郎 1998 芸道 『能狂言事典』西野春雄・羽田昶 平凡社 1987 「『能楽蘊奥集』の資料性」伊藤正義 平成8 「世襲面打家の概要-出目家の周辺-」 見市泰男 平成13 「能面考」 見市泰男 (『観世』連載/平成12年1、2、3、4、5、6、7、 9、10、11、12月号) 『能狂言面』(日美108) 金子良運 昭和50
漆芸 『棗』池田巌 淡交社 昭和62 『香合』池田巌 淡交社 平成6 『大和古物散策』 岡本彰夫 ぺりかん社 2000 『大和古物漫遊』 ぺりかん社 2003 『日本の漆芸』全六巻 中央公論社 1991 『朱漆』堺市博物館 1986
諸家 『事物起源辞典』 朝倉治彦ほか 東京堂出版 昭和48 『唐船輸出入品数量一覧』 永積洋子 創文社 昭和62 『日本の意匠事典』 岩崎治子 岩崎美術社 1991 『西洋人名辞典』 岩波書店 昭和31 『守貞言謾稿図版集成』 高橋雅夫 雄山閣 2002 『工芸にみる古典文学意匠』 京都国立博物館 昭和55 新刊紹介(一割引きでお取り次ぎいたします) 閨秀書画家辞典 本体 2,300円
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猿出品手数料消費税
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猿撮影料 猿保険料
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地震などの自然災害による破損・消滅を除く損害(火災・盗難・破損)を補填します。落札・不落札に関わらず、 出品者の負担となり、料率は最低価格の05%。※作品の移動及び最低価格が未定の作品は対象外。
例)最低価格100万円の場合…5,000円
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1カットにつき1,000円。落札・不落札に関わらず出品者の負担となります。(再出品の場合も同様) 例)①作品 + ②箱書 = 2,000円(2カット使用)
■保管資材料
保管期間中の事故を回避するために、養生箱(紙箱)を個別に作ります。木箱付の場合は不要。
落札・不落札に関わらず出品者の負担となります。 例)30cm×30cm×30cmの場合…約1,200円/箱 出品作品が、標準的な男性が一人で搬入不可能な作品については、1万円~をご負担いただきます。
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15,000円 1/2ページ
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5,000円 1/6ページ
3,500円 1/9ページ
3,000円 1/10ページ
2,500円 1/12ページ
1,500円 1/20ページ 一律 500円 写真なし
※不落札の場合は免除(無料)。
出品手数料
■鑑定費用
専門機関または専門家による鑑定を行います。
著名物故作家 3,000~5,000円/点
30,000~50,000円/点
宝石・貴金属類 3,000円/点 刀剣類
一作品につき、落札価格10万円未満は15%、10万円以上は10%(別途消費税)
■経費の負担例
■不落札品の管理
例)最低価格10万円/落札価格20万円
手数料 20,000円
消費税 2,000円
掲載料(1/6サイズ) 5000円
カット料(1カット) 1,000円
保険料 500円
保管資材料 1100円
出品者受取金額 170,400円
※不落札(仮定)の場合の経費負担 カット料(1カット) 1,000円
保険料 500円
保管資材料 1100円
出品精算日より無償保管期間30日を過ぎますと倉庫業者に管理を委託し、一作品300円/日の有償となります。保管中 のコンディションの変化や破損に伴う損害は補償外。保管料が発生した時点から二ヶ月が経過した場合は、保管作品 の処分が弊社に一任されます。
※再出品のための滞留は無償。