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第91回入札オークション <下見会>
2016年7月2日(土)・3日(日) 10:00~17:00 <会場> 古裂會本社 京都市下京区五条通南側黒門東角柿本町596
<入札締切>
2016年7月7日(木)必着 清華聚寳No. 7ライブオークション <下見会>
2016年7月9日(土) 10:00~17:00 <予約下見会>
2016年7月10日(日) 10:00~12:00 <会場> 古裂會本社
<オークション>
2016年7月10日(日) 13:00開始 カタログ掲載の全作品に経年損傷、実作品の色目等に多少の差異があり、下見会での実見 確認を原則としております。下見会へのご来場が困難な場合には、最低価格¥30, 000以上の 作品に限り、コンディションレポートを受け付けます。お申し込み順での対応となりますが、 お申し込みが多数の場合、期限を待たず締め切らせていただくことがございますので、予めご 了承いただきますようお願い申し上げます。真贋については未詳。下記の締切日以降のお申 し込みにはご対応できませんのでご注意ください。 TEL:0753710094 FAX:0753710093 emai l:of f i ce@kogi r ekai . co. j p
コンディションレポート受付締切:2016年6月27日(月)
古裂會 本社
SILENT AUCTION Auction Exhibition Kyoto:
2nd, 3rd Jul. 2016 10:00∼17:00 at Kogire-kai Kyoto ●下見会入退場口 ●手荷物での作品受け渡し及び精算
五条通
エレベーター
Auction House
596, Kakimoto-cho, Shimogyo-ku, Kyoto, 600-8357 JAPAN. TEL.075-371-0094 FAX.075-371-0093 http://www.kogire-kai.co.jp e-mail: office@kogire-kai.co.jp
□お車をご利用の方 ・京都東ICからお越しの場合(所要時間約25分) 京都東IC出口右方向(京都市内行)→左方向国道1号西へ約10km →堀川五条交差点通過後約200m南側 ・京都南ICからお越しの場合(所要時間約15分) 京都南IC第1出口→国道1号北へ→京阪国道口交差点を右折(東へ) →九条油小路交差点を左折(北へ) →堀川五条交差点を左折(西へ)200m南側
Except for the damages by aging, any apparent damages and repairs are indicated in the discription. Condition reports are available on request over before 27th Jun.
□電車をご利用の方 ・JR山陰本線「丹波口」駅下車 徒歩10分 ・阪急京都本線「大宮」駅下車 徒歩12分 ・京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩15分
アクセスマップ 烏丸通
堀川通
大宮通
四条通 阪急大宮駅
地下鉄四条駅
至名神東 IC 五条通 JR 丹波口駅
地下鉄五条駅
ホテルリブマックス京都五条 東急ホテル
古裂会 KOGIRE-KAI
西本願寺
東本願寺
七条通
塩小路通
至名神南 IC
社用車専用口
黒門通
KOGIRE-KAI
正面玄関
Thursday 7th Jul. 2016
荷受・出荷場 受付
●お車で来社の作品受け渡し
Deadline of Bidding
京都駅
目次 第十回・祇園会協賛
屏風祭
……………………………………………………… 2~73
夏ほか
…………………………………………………… 74~86
富士山ほか………………………………………………
87~90
伊万里
………………………………………………… 91~108
公家
………………………………………………… 109~127
佛家
………………………………………………… 128~169
武家
………………………………………………… 170~203
書画家
………………………………………………… 204~226
藝能 香道……………………………………………
227~230
茶道ほか………………………………………………… 231~300 華道ほか………………………………………………… 301~307 陶器 天保…………………………………………… 漆工
308~318
………………………………………………… 319~330
金工ほか………………………………………………… 331~347 規約・参加方法…………………………………………… 巻末
凡例 □掲載については、出品物の多寡に応じて傾向別の分別を心掛けたが、結果的に は同系統のものでありながら項目を隔てるような不統一も発生している。
□記事については、いずれも概略を示す程度である。錯誤も誤謬も予測されるが、 現段での理解に基づいている。判断のつきかねるものには言及していない。
□時代判別については、日本及び舶載のものは通例の表記法を採用。外国は世紀 で表記するよう努めた。判断のつきかねるものには表記を控えた。
□時代判別等において、特に出品者の意向に従ったものは、(出)をマークした。
□生産地について日本のものは、特に地域の特定されるもの以外はそれらの表記 を除いた。また、日本(国名)の表記は省いた。諸外国については、採取地を もとにした出品者の申告を重視した。
□損傷についての記載は、微妙且つ煩雑なので、一部を除いて割愛した。
□本文中の敬称は、物故・現存にかかわらず全て略した。
□寸法の記載は、ヨコ×タテ×タカサ(ただし、硯はタテ×ヨコ×タカサ)とし た。単位はセンチ。着物類のヨコは、袖口から袖口まで。タテは、肩口から裾 端まで。袖は、その天地の長さ、筒袖は、袖口の寸法をヨコ、タテのあとに追 記した。ものによってはその高、巾、長、だけを記したものもある。また不要 と考えられるものは省いた。
□家紋の呼称は、「紋之泉」伊藤嘉市.洛東書院.大正十五年によった。
□記事に関する参考文献は、特例を除き、巻末に一括して表示した。
□子供着物の表記について 子供の着物の表記については一ツ身のうち、背守り縫いのあるものを「祝い 着」、ないものを「一ツ身」と表記した。一ツ身以上の大きさで、背縫いのあ るものは、全てその大きさの差にかかわらず、これを「子供着物」とのみ表記 した。
□打掛の表記について 小袖、あるいは、振袖と、打掛の形態的変化は殆どない。ここでは、織物と、 婚礼衣裳として着用されたものを打掛と表記した。
□屏風の表記について 一対のものを一双とし、片双を一隻とした。風炉先などの場合、一隻のものに ついては特記していない。
□付属箱の表記について 時代箱:古製のオリジナル箱。桐、杉樅、不明(無表記)/古箱:古製の代用 箱/箱:上記に該当しない古箱/共箱:作者によって識字された箱 識箱:何人かによって識字された箱/新箱:新造箱
□生没年の西暦表記について 歴史大辞典等に記載されるものについてはこれを転載し、没年没年齢のみ判明 している場合には西暦年から没年を単純に引いて表記した。
□掛軸の写真について 撮影時の撮影用具が写っている場合がありますのでご了承下さい。
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第十回・祇園会協賛
屏風祭
#001 勝山琢眼 祇園会長刀鉾画幅 ¥120, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 黒塗軸端 32×115 表具34×186 ヤケ スレ オレ 表具シミ、スレ 勝山琢眼(延享三・ 1746~文政七・ 1824)は 江戸後期の狩野派の画 家。名は仲起、別号に鶴 嶺子。父である琢舟に画 法を学び、法眼に叙せら れ、春日絵所となった。
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#003 鉄造船鉾風炉 ¥100, 000. ~ 付時代識箱(桐) 40×32×26
#004 月鉾古材炉縁 ¥98,000.~ 43×43×7 焼印
#005 函谷鉾屋根飾 一対 ¥30,000.~
65×10×42 接合補修 鬼瓦形
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#007 緞通図控額 ¥30,000.~ 紙本 56×40 額65×48 ヤケ シミ スレ 八坂神祭長刀鉾古緞通
#008 祇園祭礼法被 ¥20,000.~ 120×85×38 大孔補修 スレ 百拾四号墨識 三若法被
#009 占出山御抜帯 一口 ¥20,000.~ 付時代識箱(桐) 10. 5×31. 5×3. 5 祇園祭
#010 與四郎 長刀鉾画幅 #011 春輝 長刀鉾歌賛幅 #012 春園 弦召画幅 ¥40, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 27×115 表具31×185 ヤケ スレ オレ 表具オレ、ヤケ
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¥35, 000. ~ 付共箱(桐) 紙本 朱塗軸端 29×124 表具32×177 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ
¥30, 000. ~ 紙本 骨軸端 26×94 表具38×175 ヤケ 泉春園(生没年未詳)岸駒の門人。 嘉永頃。
#013 三峯 年中風俗画 写幅 ¥25,000.~ 付木箱(桐) 絹本 蒔絵軸端 25×101 表具28×167
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#014 祇園祭色留袖 ¥35,000.~ 157×125×44
#017 斎藤紫山 祇園祭画幅 ¥25, 000. ~ 付識箱(杉) 絹本 骨軸端 36×31 表具44×116 ヤケ シミ 斎藤紫山(明治三十五・1902~昭和三十八・ 1963)は滋賀県生まれの日本画家。京都市立絵画 専門学校卒。山元春挙に師事。
#020 田中弥 長刀鉾雛形 ¥20, 000. ~ 付豆雛形 大14×20×64ほか
#015 祇園祭巡行染布貼屏風 小形 二曲 一隻 ¥20, 000. ~ 85×94 屏風89×98
#018 祇園祭山鉾由来記 上 ¥30, 000. ~ 15. 5×22
#021 福田万佐子 籤改紙塑人形 ¥25, 000. ~ 付菊水鉾紐 総高17
#016 ゑり善 祭礼風呂敷 三 ¥20, 000. ~ 100×104 徳力富吉郎原画
#019 京都祇園会図会 二 ¥40,000.~ 18. 5×12ほか 初版明治二十七年(1894・付帙) 四版明治三十六年(1903)
#022 祇園祭扇子 三 ¥20,000.~ 総長27. 5 古香絵後乃祇園会版画 南観音山扇子版画 五雲絵祇園祭神楽図版画
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#024 伊勢物語屏風 本間 六曲 一双 ¥1,500,000.~ 紙本 362×166 屏風376×181 ヤケ スレ オレ 虫穴 (九段)。左隻は「梓弓」 (二十四段)。 右隻は「東下り」 「東下り」といえば、伊勢物語絵のなかでもっとも象徴的な画題である。掲 出では遠景に金霞、近景に金雲を配り、画面の右端に東に下る一行五人を置 く。夏の里には萩が咲き、薄が風になびいている。ここには東下り絵に定形 の富士山の姿はない。残雪を冠す「斑な夏富士」の姿は、画面中央の三頭の鹿 が、業平の和歌を代弁して連想させる仕組みである。「時しらぬ山は富士の嶺 いつとか鹿の子は斑に雪の降るらむ」。富士山を描かない本作では、騎乗す る主人公である男の視線の先、画面の向こうに、斑に雪を被った留守の富士 山を望むことになる。 左隻は一転して山桜が咲き春爛漫の風情。寝殿と離れは廊下でつながり、 五人の女人が描かれる。渡り廊下に一人で立ち、冠木門の方に視線をなげる 女がシテと知れる。 女が恋した男は、宮仕えを理由に三年も音沙汰がなく、女はその男を諦め、 やっと他の男を迎える決心をした。その男を迎える日、件の男が不意に女の 家に帰って来た。画匠はその凍るような深刻な一瞬を艶やかにのびやかに描 いている。 物語の方は、女が男に事情を説明するが、男は「梓弓ま弓槻弓年をへて わ がせしがことうるはしみせよ」と心中を和歌に託して去ってしまう。心を乱 した女は、すべてを忘れ男の後を必死に追う、が、谷で怪我を負い、力尽き死 に絶える・・・。 本間六曲一双の大画面を使って二場面だけを描いた伊勢物語絵は珍しく、 画匠は画技を尽くし夏と春の季節を描き出した。なかで、屏風を閉じたとき 目に入る「見つけ」の優美な撫子絵は何だろう。施主の物語に寄せた格別の思 いであろうか。「残り香」の言葉が蘇る。
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#026 富士巻狩屏風 本間 六曲 一隻 ¥3,600,000.~ 紙本 360×156 屏風376×172 ヤケ スレ 鎌倉幕府初代将軍源頼朝は、富士野で数回巻狩りを開いた。 「癸酉、将軍家為覧富士野藍澤夏狩、人々令趣駿河国給、……射手之輩群参、不可勝計云々、……」(『吾妻鏡』巻十二 建久四年五月八日) と記されることに依ると、数多の御家人たちが群れ成す盛大な催しとなったようで、この巻狩を舞台に武士たちは富士野を駆けずり回り、多くの伝説 がのこされた。 図上部には傘を掲げ見目麗しく馬に乗る頼朝、下部には、新田四郎忠常が大猪にまたがり刀を力いっぱい突き刺している。そして左下には、亡父の仇を 討たんとかたきを追うも落馬してしまう曾我祐成が描かれている。 巻狩図は江戸時代に流行した。盛大な巻狩を開く将軍の高い権威、忠義ゆえに行われる仇討の姿は、江戸幕府安泰の意が込められた政治性の高い作品 であった。 本図は場面構成において山梨県立博物館所蔵の曽我物語図屏風と近似するものの、巻狩図の一隻のみ伝わっている点で大きく異なっている。仇討を成 し遂げた図を描くもう一隻が存在するかもしれない。
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#028 木曽義仲合戦図屏風 本間 六曲 一双 ¥1,000,000.~ 紙本 368×163 屏風378×173 ヤケ シミ スレ 木曽義仲の挙兵から最後までを『平家物語』(巻七~九)を下敷きに描く。木曽義仲合戦図は江 「木曽義仲合戦図屏風」を 戸時代には一定の定型化を迎えたようで、拙文も先学の研究と報告( めぐって・松尾知子・千葉県立美術館紀要・1999)に学恩を受けた。先学は図画化における物 語類の系譜に複眼的な目配りをなし、整理を進められている。 ながら、掲出を詳細な学究に照らすも理解力に問題があり、様式論的な結論を導くことは適 わない。詳しくは先学に論考に委ねたい。 掲出は大概を論考が示す定型になぞるが、右隻では「 清水冠者」 と「 竹生島詣」 。左隻では画題 不明の二場面を描いていない。この場面の少なさが義仲合戦屏風の展開史にどのように関係す るかも判然しない。当然ながら、それらに施主の意向や時代の趣向が反映したのであろう。な がら、視覚的な部分に限れば、屏風の上部の場面が減った、もしくは未成立のために、屏風上部 には余地(空間)が生まれ、右隻では古風な、中世の山水図を思わせる風景を出現させ、結果、下 辺の合戦場面の残酷さを軽減し、雅風を感じさせるものにした。 右隻右端は「 火打合戦」、中央右に「 願書」、左に「 倶利伽羅落」、左端に「 実盛」。 左隻では左端上部に「 宇治川戦陣」、下右端から左端までの画面を使って、義仲の朝日のよう な輝きの時代と、暗転して、粟津の戦いでの義仲最後までが描き出された。 下段右端は、「 今井兼平との再会」、「 巴御前の最後の奮戦」、「 兼平が義仲に自害をすすめる場 面」、「 兼平が義仲に自害の時間を与えようと防戦につとめる場面」、左端は「木曽最後」。義仲は 松原の氷結した深田に馬を乗り入れ、追手の三浦の石田次郎為久に討ち取られる。手前の馬上 の太刀を飲む武者は、義仲の最後を聞いた兼平の壮絶な自害場面。 義仲合戦屏風の形成と需要には、先学が指摘した『平家物語』および関連する物語類の人気 の高まりが投影していようが、朝日将軍と称えられた義仲軍団の光と影、戦の勝敗は時の運と 諦観し、その破滅的な最後にこそ関心が注がれており、義仲軍団が全うしてみせた武家の主従 関係、「 武士の鏡」 的への共感が見え隠れする。作期には江戸中期を下限としたい。
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#030 洋犬画賛貼交屏風 本間 二曲 一隻 ¥1,200,000.~ 紙本 64×130 屏風192×168 ヤケ シミ スレ キレ 背面損傷 洋犬が隣り合う構図は、『本朝画纂』による鎌倉鶴岡相承院什物とされた三谷等宿(1577~1655) の洋犬図が原本となる。この構図は抱一によって絵馬としても描かれ、永く描かれ続けた構図で もある。 掲出は、原本と微妙に違いがあり、黒犬に関して変わりはないが、白犬に違いをみる。 姿態を逆に描き、尻尾を丸めた構図で描かれ、背景が描かれていない等、諸所の違いは独自表現 とみるが、犬種はグレイハウンド種と思われ、原本との差異はない。 賛文に永俊の銘を確認できるが、筆者と規定する決め手もないことからはっきりとした時代判 定を持たない。しかし、抱一の洋犬図は文化十一年の年号からこの時代よりも上がる可能性もあ り、等宿の原本の系譜を受け継ぐ新たな作品である。
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#031 金地虎人物屏風 本間 二曲 一隻 ¥280, 000. ~ 紙本 170×169 屏風184×154 ヤケ スレ 画題は二十四考の一つであ る「楊香」。 楊香とは描かれる唐子のこ とで、樹木に凭れる父を守るた め、両手を広げ、捨身の思い出 で虎に向かっている。最終的に 虎は楊香の様相をみて逃げて 行く。 画題とは対照に表現に愛ら しさを感じることは、教訓の厳 しさよりも画題としての表現 を重視した画家の思いを注視 したい。
#032 鷹狩図屏風 本間 二曲 一隻 ¥200, 000. ~ 紙本 168×148 屏風184×163 ヤケ シミ スレ 背面損傷 古代には御所周辺の十月 の年中行事であった鷹狩だ が、江戸時代になると、武 家の鍛錬や教練を兼ねた行 事に変化して盛行をみる。 幕府には鷹匠が勤仕し、関 東の各地に専用の狩場が設 けられた。のんびりとした 鷹狩を描く掲出が、それら の公儀の鷹狩とどのように 関係するか速断に及ばない。 画中で注目されるのは、そ の獲物のなかに朱鷺(とき) とおぼしきがみられるあた り。
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#034 金地風流陣屏風 本間 六曲 一隻 ¥2,800,000.~ 紙本 340×148 屏風358×167 ヤケ スレ 玄宗皇帝にまつわる画題は、わが国の近世初期、旺盛なる異国趣味を反映しておもに狩野派において盛んに制作された。風流陣とは宮廷の遊びで、玄宗 と楊貴妃が官女を両陣に分け大液庭にて花枝をもたせて相戦わせるものである。制作時期は永徳没後の桃山後期と考えられるが、諸人物は永徳の人物画 のそれを踏襲したもので、総じて背が高く面貌は理知的かつ端正で、樹木の輪郭線や岩の打ち込みも強靭で骨太に描かれる。
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#036 風流陣画屏風 本間 六曲 一双 ¥1,800,000.~ 紙本 368×152 屏風384×168 ヤケ スレ 風流陣は玄宗と楊貴妃の二人が、百人の官女を連れて競い合い、負け た方が大杯で、酒を飲み干すという遊びである。
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#038 源平合戦屏風 中形 六曲 一隻 ¥550,000.~ 288×123 屏風300×135 源平合戦は江戸時代を通じて好んでとりあげられた画題で、最も古い遺例と しては仁和寺蔵の土佐派系の六曲半双が知られている。本図は一谷合戦を描く が桃山末から江戸初期頃までさかのぼる古い遺例で、雲舎の処理や馬や人物な どの表現は狩野派と土佐派の混交を感じさせる。
#039 狩野探幽 嵐山鵜飼屏風 六曲 一隻 ¥400, 000. ~ 368×165 屏風352×182 ヤケ スレ 狩野派の大和絵導入は元信より始まるが、探幽も意欲的 に試みている。この鵜飼図も大和絵系の月次風俗図などを 連想させる実景風俗図で、山や松などの緑の他は夜景を表 わす淡彩色で気品よくまとめられている。探幽の鵜飼図屏 風としては大倉文化財団蔵の一双がよく知られている。 狩野探幽(慶長七・ 1602~延宝二・ 1674)は永徳を祖父に、 孝信を父にもつ江戸幕府を代表する御用絵師。諱は守信。京 都の人、狩野派中興の祖。元和三年秀忠に召され、後に鍛冶 橋狩野家を興す。大坂城、二条城、名古屋城、京都御所、日 光東照宮などの作事造営に参加。瀟洒、淡白な画風で知られ る。古画を縮写した『探幽縮図』を遺した。
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#041 月次風俗屏風 本間 六曲 一隻 ¥370,000.~ 紙本 374×148 屏風390×162 ヤケ シミ スレ
#042 観桜風俗屏風 中形 六曲 一隻 ¥280,000.~ 紙本 340×134 屏風360×162 ヤケ シミ スレ キレ
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#044 金地松白鷺鷹画屏風 本間 六曲 一双 ¥450,000.~ 紙本 365×152 屏風384×170 ヤケ シミ 十八世紀
#045 金地松林屏風 本間 六曲 一双 ¥350,000.~ 紙本 356×155 屏風372×170 ヤケ シミ スレ 背面スレ
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近世における名所絵屏風は、たとえば土佐光起筆の厳島松島図(徳川美術館) に代表されるように、一双のそれぞれに名所の全景を対比させるように描くの が一般的であるが、本図は厳島神社の神殿のみを一双に描くという他にあまり 例をみない特異な構図をとる。背後の弥山もほとんど描かれず、もっぱら主眼 を社殿とその参詣曼荼羅的な要素が色濃い。参詣でにぎわう境内は桜満開、群 衆の中には南蛮人一行もみられ、近世初頭の風俗のなごりをとどめている。社 殿は細部に至るまで克明に描かれ、人物描写も動きがあり個性的である。描き 手はいわゆる狩野、土佐派などのアカデミックな絵師ではなく、やはり参詣曼 荼羅などを手がけた専門の町絵師と思われ、形にとらわれない自由な表現で親 しみやすい。
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#047 厳島神社参詣屏風 中形 六曲 一双 ¥1, 000, 000. ~ 346×140 屏風360×155
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#049 伊勢物語屏風 中形 六曲 一双 ¥850,000.~ 紙本 272×108 屏風286×122 伊勢物語の三段を一隻に描き、一双で六段を描く。上隻、第三段「ひじき 藻」第九段「富士山」第八十一段「河原の院」。下隻、第一段「春日の里」第二 十九段「花の賀」第九十八段「梅の造り枝」
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#051 金地鶴屏風 本間 六曲 一双 ¥200,000.~ 紙本 368×158 屏風384×174 ヤケ シミ スレ キレ補修
#052 鳥居清信 金地歌 舞伎矢の根屏風 中形 二曲 一隻 ¥200, 000. ~ 紙本 108×121 屏風128×141 ヤケ シミ ウキ キレ 桟一部破損 享保十四(1729)己酉歳六月画中 栢莚 鳥居清信(寛文四・1664~享保 十四・1729)は浮世絵師。鳥居派 の始祖。浮世絵師鳥居清元の子と して大阪に生まれ、菱川師宣に影 響を受け、独自の画風を確立。
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#053 柳沢淇 園 挿花画貼 交屏風 本間 二曲 一隻 ¥180, 000. ~ 絹本 52×130 屏風180×171 ヤケ 背面損傷 柳沢淇園(宝永元 ・ 1704~宝暦八・ 1758)、字は公美、 通称を柳里恭、大和 郡山の家老の次男 に生まれ、藩主の柳 沢吉保・吉里に仕え た文武両道の達人。 極彩色の着彩画の 名品を多く残した。 大雅の師としても 名高い。
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#055 志度寺縁起屏風 小形 六曲 一双 ¥450,000.~ 紙本 268×122 屏風278×135 志度寺は、四国霊場八十八ヶ所の第八十六番目の寺。推古天皇の頃に創建された古刹であり、行基ら時の人びとによる修築をへて今に至る。堂宇を拡張 した藤原不比等と志渡の海女との伝説が志渡寺縁起として遺される。 藤原鎌足亡き後、唐に嫁いだ息女白光は亡父の供養に三つの宝物を兄不比等に届けようとしたが、宝物を積んだ船が志度浦に差し掛かると嵐が起こり、 三つの宝物のうち「面向不背の玉」が竜神に奪われてしまった。不比等はこの玉を取り戻そうと、身分を隠して志度浦へ赴いた。ここで漁師の娘であった 海女と契り、男児も授かる。しかし不比等が数年後素性を明かすと、海女は息子を藤原家の跡取りにするように願い、夫のために玉を取り戻すべく死を覚 悟して竜宮に潜っていった。命綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、海女の手足は竜に食いちぎられており、玉は縦横に切った乳房の中 に隠されていた。海女は間もなく不比等に抱かれたまま死んでしまった。 海女が命に代えて取り戻した玉は興福寺に納められた。そして男児は無事成長し藤原北家の始祖藤原房前となった。あるとき房前は不比等から母の死 の理由を聞かされると、志度を訪れて千基の石塔を志度寺に建て、菩提を弔ったという。 この悲しい物語は謡曲『海人』のもととなった。 志度の地には現在に至るまで玉を洗ったといわれる淡海堀や、海女の墓など伝説にまつわる遺構が多く伝えられている。
#056 書画貼交屏風 小形 十曲 一隻 ¥150,000.~ 18×19ほか 屏風210×44
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#058 金地源氏絵屏風 小形 六曲 一隻 ¥350,000.~ 紙本 282×80 屏風294×93 ヤケ シミ スレ 江戸中期(18C)
#059 金地若松屏風 六曲 一隻 ¥270,000.~ 紙本 360×153 屏風372×165 ヤケ シミ スレ 近世屏風で松の描かれたものは多いが単一の素材で若松のみを描いたものは他にあまり類例をみない。老松の重厚さと違って若松は 土坡をはさみリズミカルに配され全体に若々しい新鮮さがみなぎる。
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#060 公卿一行画屏風 本間 二曲 一隻 ¥60,000.~ 紙本 168×146 屏風180×174 ヤケ シミ スレ アレ 背面損傷
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#062 春亭 虎画屏風 本間 六曲 一双 ¥400,000.~ 紙本 358×151 屏風378×172 ヤケ シミ スレ 背面キレ 壬辰画中
#063 岸駒 金地鹿鶴屏風 本間 二曲 一双 ¥350,000.~ 368×153 屏風384×170
#064 松村呉春 梅小禽屏風 本間 六曲 一双 ¥300,000.~ 紙本 376×155 屏風390×170 ヤケ シミ スレ 虫穴 表具虫喰 背面損傷 竹屋町裂縁(虫喰)
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中村春亭(生没年未詳)名は祥、字は子善、京都の人。画を紀広成(安永六・1777~天保十1839)に学び人物花鳥をよくす。嘉永頃。
松村呉春(宝暦ニ・ 1752~文化八・ 1811)は四条派の開祖、京都の人。名豊昌、字伯望、号月渓ほか、通称嘉右衛門。はじめ大西酔月、 次いで与謝蕪村に師事。
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#066 山本梅逸 花鳥屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 紙本 木地 354×155 屏風372×171 ヤケ シミ スレ 背面損傷
#067 松村呉春 飲中八仙人屏風 本間 六曲 一双 ¥120,000.~ 紙本 370×153 屏風384×170 ヤケ シミ 背面穴
#068 与謝蕪村 太公望屏風 本間 六曲 一双 ¥100,000.~ 紙本 368×155 屏風384×170 ヤケ シミ 背面損傷 船上にゆったりとした姿から、左隻を太公望としたが、対をなす画題は特定できず。
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山本梅逸(天明三・ 1783~安政三・ 1856)は尾張名古屋藩の御用絵師、名古屋の人。名親亮、字明卿、別号玉禅居士ほか。神谷天遊に師事。師没後上京、そ の後各地を遍歴。艶麗な花鳥画に特色がある。同門の中林竹洞と親交、名声を競う。安政元年帰郷し藩の御用絵師格となった。
松村呉春(宝暦ニ・ 1752~文化八・ 1811)は四条派の開祖、京都の人。名豊昌、字伯望、号月渓ほか、通称嘉右衛門。はじめ大西酔月、次いで与謝蕪村に師事。
与謝蕪村(享保元・ 1716~天明三・ 1783)は俳人・画家。摂津国東成郡毛馬村の人。旧姓谷口。名信章、寅、字春星、雅号四明、長庚、謝寅ほか。俳号宰鳥、 夜半翁、蕪村。作風は幅広く、独自の様式を創造。池大雅と並ぶ日本南画の大成者。俳諧では蕉風復興を提唱。
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#070 貼交屏風 本間 二曲 一隻 ¥300,000.~ 紙本 48×18 屏風174×174 源氏絵ほか 扇面七 色紙九
#071 中林竹洞 山水画襖 四 ¥240,000.~ 紙本 97×174 ヤケ シミ キレ 竹洞の作品中、襖としての体裁は数例とされ、希少な作品。 後半期である五十代前半以降は屏風制作の受注に関しては竹洞自身否定的であること等を含め、大作を多く生んだ四十歳前後とした。 裏面に書かれる山水図は竹洞とは異なり、画風から四条派の絵師により描かれた作品である。 中林竹洞(安永五・ 1776~嘉永六・ 1853)は南画家。名古屋の医家に生まれる。名成昌、字伯明、別号筆樵、東山隠士、沖澹ほか。
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#072 秋草屏風 中形 二曲 一隻 ¥120,000.~ 紙本 158×138 屏風176×157 ヤケ シミ スレ キレ
#074 合戦図屏風 利休 二曲 一隻 ¥90,000.~ 紙本 58×126 屏風148×153 ヤケ シミ スレ オレ キレ 穴 ヨゴレ 背面損傷
#073 敬美 唐獅子牡丹貼交屏風 中形 二曲 一隻 ¥100, 000. ~ 絹本 56×127 屏風148×146 ヤケ シミ 剥離
#075 熊代熊斐 墨竹画屏風 本間 二曲 一隻 ¥80,000.~ 紙本 170×157 屏風185×172 ヤケ シミ オレ キレ 背面損傷 熊代熊斐(正徳二・1712~安永元・1772)は長崎生。姓神代のち熊代、名 斐、字淇瞻、別号繍江。字は贍、通称は甚右衛門。姓を縮めて中国人風に熊斐 と称した。初め渡辺秀石に、のち沈南蘋に画を学び、江戸時代の南宋画の先 駆者として活躍した。門人に宋紫石・鶴亭・森蘭斎等がいる。
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#077 森川曽文 狩漁画貼交屏風 本間 六曲 一双 ¥350,000.~ 紙本 51×137 屏風378×171 キレ 一隻に鮎の梁漁、鰹の地曳網漁、猿の鉄砲猟、鯛の網漁、鴨の仕掛網猟、山椒魚漁。他隻に鹿の弓猟、鰹の一本釣り、鴨の霞網猟、蛙の手網穫と蛙の干物 作り、冬眠熊の斧猟、鴨の手網猟。 夜中の山椒魚猟、猿の鉄砲猟、蛙漁、熊の手斧猟などはすでに失われた猟や漁であり、曽文の博物史的な視線に新鮮をみる。 森川曽文(弘化四・1847~明治三十五・1902)は、名は英絢、字は士倩、曽文は号。京都の人。前川五嶺に入門、のち長谷川玉峰に師事。京都美術工芸学 校教授。
#078 嶽州 唐人風俗画貼交屏風 本間 六曲 一双 ¥350,000.~ 紙本 54×136 屏風364×171 背面損傷
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#080 上田公長 祭礼画屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 紙本 357×158 表具372×173 ヤケ シミ スレ
#081 扇面色紙貼交屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 30×19ほか 屏風176×174 泥絵 風俗画 百九枚貼
#082 荻生徂徠 書貼交屏風 本間 六曲 一双 ¥100,000.~ 紙本 50×130 屏風384×172 スレ ヤケ シミ 享保丁酉(1717)六月
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#084 百唐子遊屏風 小形 六曲 一隻 ¥400,000.~ 紙本 272×108 屏風288×124 ヤケ シミ
#085 唐子花車遊風炉先屏風 ¥70,000.~ 紙本 朱縁 162×60 屏風178×74 ヤケ シミ スレ 背面損傷
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#086 池大雅 銀地貼交屏風 中形 二曲 一隻 ¥50,000.~ 紙本 50×128 屏風170×159 ヤケ シミ 池大雅(享保八・ 1723~安永五・ 1776)は画家、書家、京都の人。与謝蕪村 とともに「日本南画の祖」と呼ばれる。姓は池野、名勤、無名。字公敏、貸成。 号大雅堂、霞樵、九霞山樵ほか。
#087 龍虎貼交 屏風 本間 二曲 一隻 ¥40, 000. ~ 紙本 59×134 屏風186×173 ヤケ シミ スレ 背面小穴 表具キレ
#089 君山 諸画貼交 屏風 利休 二曲 一隻 ¥30, 000. ~ 紙本 42×106 屏風138×147 ヤケ シミ ヨゴレ
#088 六歌仙貼交 屏風 利休 二曲 一隻 ¥35, 000. ~ 紙本 48×98 屏風142×152 シミ スレ ヨゴレ
#090 風俗 絵屏風 小形 二曲 一隻 ¥30, 000. ~ 紙本 104×113 屏風116×126 ヤケ シミ
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#092 鶴棲斎右京 京名所絵屏風 本間 六曲 一双 ¥1, 800, 000. ~ 紙本 352×160 屏風368×175 背面損傷
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#094 金地春秋花車屏風 本間 六曲 一双 ¥1,600,000.~ 紙本 360×152 屏風378×170 ヤケ シミ スレ
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#096 砂子地風俗画屏風 中形 六曲 一双 ¥700,000.~ 紙本 358×110 屏風372×123 ヤケ スレ
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#098 田能村直入 山水画襖 四 ¥600, 000. ~ 付杉蓋 紙本 96×174 ヤケ シミ オレ 裏絵河村季軒 引手鼈甲 己亥(明治三十二・1899)小春 「明治大帝御名代ニシテ伏見宮貞愛親王 殿下明治四十一(1908)年大分縣御臨行 御滞在中御旅泊ノ栄ヲ賜リタル御居間 用襖也 明治己酉(四十二・1909)」 田能村直入(文化十一・ 1814~明治四十 ・ 1907)は南画家。大分県の人。九歳の時、 田能村竹田の門下に入り、養子となった。
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#099 久保田米僊 麒麟画屏風 中形 六曲 一隻 ¥400, 000. ~ 絹本 342×140 屏風360×158 ヤケ シミ 明治三十一(1898)年戊戌 久保田米僊(嘉永五・1852~明治三十九・1906)は日本画家。京都生。 幼名は米吉。本名は満寛、字は簡伯子、別號は漁村、錦隣子、遷喬樓、塵 芥布陀など。鈴木百年に師事、その後幸野楳嶺らと京都府画学校を設立。 明治二十三年国民新聞社に入社、挿画を描く。日清戦争では従軍記者と してその戦況を写生して報道する。のちに眼病で失明。代表作は『半偈 捨身』。
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#101 野村文挙 山水画屏風 本間 六曲 一双 ¥800,000.~ 絹本 367×154 屏風387×174 ヤケ シミ 野村文挙(嘉永七・ 1854~明治四十四・ 1911)は京都生まれ。梅川東挙に浮 世絵を学び、のち塩川文麟に師事して四条派を修め、のち森寛斎を師に仰 いだ。京都府画学校に出仕し国内外の展覧会で受賞を重ねた。
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右隻左隻と別れているが、一双で一画面を構成する大作。 樹々全体覆う霧と遠方の山々の間に雲を配し、空間の区切りを作り、左隻 は中央、右隻は右下の岩と樹々を一番の手前とし、全体の空間を構成する。 左隻から支流が大河とつながり、右隻に広がる流れを作り出し、遠方に聳 える山々は雪に覆われ、その険しさを表現する。 全体の筆法は四条派であり、旧来の山水図と異なった表現は西洋の影響を 感じさせ、近代へと時代の変貌を感じさせる新たな山水図である。
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#103 柴田是真 扇面画貼交屏風 本間 二曲 一隻 ¥1,500,000.~ 絹本 56×127 屏風170×172 ヤケ シミ 各扇面に落款押印 柴田是真(文化四・ 1807~明治二十四・ 1891)は画家、漆芸家。江戸両国の人。字は 然、号は 令哉、枕流亭、対柳居。蒔絵を古満寛哉に、絵ははじめ鈴木南嶺に、のち京都の岡本豊彦に学 んだ。明治二十三年帝室技芸員。
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#104 銀地夕顔画貼 交屏風 本間 二曲 一隻 ¥250, 000. ~ 紙本 76×152 屏風186×171 オゼ金具補修
#105 黒田千城 孔雀画屏風 本間 二曲 一隻 ¥150, 000. ~ 190×174 ヤケ 大シミ 黒田麟 昭和十五(1940)年
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#107 金地鳩画屏風 本間 六曲 一双 ¥250,000.~ 絹本 384×172 ヤケ シミ スレ 平安住上林画屋主人万秋画
#108 涛斎 波鶴屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 紙本 372×174 ヤケ シミ スレ
#109 奥谷秋石 金地亀墨絵屏風 本間 六曲 一双 ¥170,000.~ 紙本 368×153 屏風384×170 スレ 明治三十六(1903)年画中
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奥谷秋石(明治四・ 1871~昭和十一・ 1936)は日本画家。大阪の人。号洗耳洞、曲水園。重春塘、森寛斎に師事、円山派を学ぶ。
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#111 湯川松堂 虎渓三笑画屏風 本間 二曲 一隻 ¥150, 000. ~ 絹本 184×172 湯川松堂(明治元・ 1868~昭和三十・ 1955)和歌山県出身の画家。 虎渓三笑とは廬山に住む彗遠法師を陶淵 明と陸修静が訪れた帰り、彗遠法師が両名 を送る途中、話に夢中になって、越えないこ とにしていた虎渓を過ぎてしまい三人で大 笑いしたという中国の故事。
#112 山口華楊 白狐屏風 中形 二曲 一隻 ¥200, 000. ~ 紙本 126×142 屏風136×152 シミ 背面損傷 山口華楊(明治三十二・1899~昭和五十 九・1984)は、本名米次郎。山口玲凞の弟。 西村五雲に学ぶ。帝展特選となった「鹿」 「猿」で動物画家として定評を得る。画塾晨 鳥社を主宰。芸術院会員。文化勲章。
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#113 呉雲 菊画屏風 中形 二曲 一隻 ¥100, 000. ~ 絹本 144×152 ヤケ シミ 穴 虫穴
#114 榊原始更 芥子画 屏風 本間 二曲 一隻 ¥100, 000. ~ 紙本 176×168 ヤケ 引手痕 襖改 榊原始更(明治二十八・1895~昭 和四十四・1969)は京都生まれの日 本画家。本名は捨三。父・榊原蘆江、 兄・榊原紫峰も画家。京都市立絵画 専門学校卒業。
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#116 松華 金地鹿紅葉屏風 本間 二曲 一双 ¥300,000.~ 紙本 168×152 屏風182×170 ヤケ スレ 明治癸巳(二十六・1893)夏
#117 洛中風俗画屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 紙本 黒縁 素銅金具 354×154 屏風370×173 ヤケ シミ
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#119 三宅呉暁 金地犬 画屏風 本間 四曲 一双 ¥300, 000. ~ 紙本 170×154 屏風186×171 背面スレ 三宅呉暁(元治元・ 1864~大正八 ・ 1919)は、四条派画家。京都に生 まれる。名は守広、通称清三郎。 別号に水月庵、心遠斎など。森川 曾文の門に学ぶ。文展にて褒状を 受けるなど各展覧会にて入選、京 都美術工芸学校で教鞭をとり、花 鳥画、動物画を得意とした。
#120 皆川泰蔵 染織屏風 本間 二曲 一隻 ¥150,000.~ 付木箱(杉) 絹本 176×152 屏風192×174 皆川泰蔵(大正六・1917~平成十七・2005)は京都生まれ。京都市美術工芸学校図案科を卒業。モンタージュという独 自の画面構成と力強い線描のろう染めによる作品を生み出す。民家、庭園シリーズのほかに、昭和四一(1966)年の中国 行きを契機とした「世界の旅」シリーズを発表。昭和六十三(1998)年紺綬褒賞、平成五(1993)年勲四等瑞宝章受賞。日展 評議員。
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#121 町春草 書屏風 中形 二曲 一隻 ¥100, 000. ~ 紙本 150×151 ヤケ シミ 町春草(大正十一・ 1922~平成七・ 1995) は東京生まれの女流書家。飯島春敬門下。 なにはづ書芸社主宰。昭和二十一(1946) に日本書道美術院のかな部門で最高賞を受 賞。毎日書道展審査員。
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#123 川合玉堂 貼交 屏風 本間 二曲 一隻 ¥120, 000. ~ 絹本 58×140 屏風178×173 ヤケ シミ 表具シミ 極書無 川合玉堂(明治五・1873~昭 和三十二・1957)は通称芳三郎。 初め京都に出て望月玉泉、幸野 楳嶺に学び、後東京に移り橋本 雅邦に学ぶ。帝国美術院会員、 帝国技藝院、東京美術学校教授。 昭和十五年文化勲章受章。
#124 富田渓仙 蘇州大湖画貼 交屏風 本間 二曲 一隻 ¥100,000.~ 付鑑定証書(東京美術倶楽部) 紙本 69×139 屏風170×174 ヤケ シミ 富田渓仙(明治十二・ 1879~昭和十一・ 1936)は福岡県生まれ。明治二十九年京都に 出て都路華香に師事。大正元年文展入選し、 大正四年日本美術院同人。大正十一年駐日 仏大使の詩人ポール・クローデルと詩画集を 合作。昭和十年帝国美術院会員。京都市で没。
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#125 扇面 色紙貼交屏風 本間 二曲 一双 ¥60,000.~ 紙本 36×28 屏風192×171 ヤケ シミ 背面損傷 扇面五(為親、文隣、来章ほか) 色紙三(呉春、景文ほか) 団扇(来章) 短冊
#126 古裂貼屏風 本間 六曲 一隻 ¥70,000.~ 42×47 屏風378×173 シミ ヨゴレ ヤケ 背面損傷
雑感 子猷訪戴 雪の積もる月下の夜、王子猷が戴安道を訪ねる場面。王子猷は戴安道を訪ね てどんな話をしようか、どんなことをしようかと考えながら、舟に乗り進む。 あれこれと考えながら戴安道の門前まで差し掛かると、子猷はそのまま帰っ てしまう。 文人としては心憎い洒脱な表現ともいわれる。
#158
王徽之( 生年未詳~388) 東晋時代の人。字は子猷。王羲之の第五子。官は黄 門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し、風流を好み、特に竹を愛した。 戴逵( 326~396) は、東晋時代の中国の画家、彫塑家、文人。字を安道。
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#128 河村虹外 金地山水画賛屏風 本間 六曲 一双 ¥120,000.~ 絹本 372×171 ウキ
#129 花鳥画屏風 本間 六曲 一双 ¥100,000.~ 324×151 屏風384×168 オゼ弱り 丹頂鶴と鍋鶴
#130 宏雲 春秋草花屏風 中形 六曲 一双 ¥100,000.~ 紙本 282×136 雲砂子地
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河村虹外(文久十一・1861~昭和七・1932)南画家。南画家。名は祉。若狭小浜の人。重春塘に学び一家を成す。京都に住した。
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#132 金地秋草風炉先屏風 ¥50,000.~ 118×44 屏風150×57
#133 野村素軒 春蘭画賛屏風 小形 二曲 一隻 ¥30,000.~ 174×70 乙丑(大正十四・1925) 野村素軒(天保十三・1842~昭和二・1927)は山口藩士。萩藩士有地留之介の次男、野村正名の養子。名は素介、字は絢夫、通称純輔、本姓有地。初め明 倫館に、後江戸にて有備館に入った。鹽谷宕陰に漢籍を、書を小島成斎に学んだ。明倫館長、維新功臣、貴族院議員、正三位勲一等男爵。また書の名手とし て、杉聴雨、長三州とともに明治の三筆と称される。
#134 人物画風炉先屏風 ¥25,000.~ 紙本 166×32 屏風180×45 ヤケ シミ
#135 榊原長敏 公卿風俗絵寄貼風炉先屏風 ¥25,000.~ 付時代箱(杉) 紙本 180×42 ヤケ シミ スレ 四枚貼 榊原長敏(文政六・1823~明治四十二・1909)は京都の幕臣、画人。号文翠、通称清記。長基の子。遠坂文雍に画を学ぶ。大和絵を能くした。
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#136 狩野栄信 梅竹貼交屏風 二曲 一隻 ¥50,000.~ 紙本 56×114 屏風152×152 ヤケ シミ 狩野栄信(安永四・ 1775~文政十一・ 1828)は木挽町狩野八代。養川院惟信の 長男、江戸の人。号伊川、玄賞斎、幽玄斎。享和二年(1802)法橋伊川院、文化 十三年(1816)法印。
#137 諸卿和歌短冊貼交屏風 小形 二曲 一隻 ¥50, 000. ~ 6×36 屏風90×103
#138 諸書画貼交屏風 小形 六曲 一双 ¥60,000.~ 115×28 屏風288×110 藤原光芳(信玄公) 菊池容斎ほか
#139 若松屏風 小形 六曲 一双 ¥30,000.~ 243×85 屏風255×89
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#141 松画屏風 本間 六曲 一双 ¥120,000.~ 紙本 362×150 屏風378×170 ヤケ シミ スレ 背面損傷
#142 無地金屏風 本間 六曲 一双 ¥90, 000. ~ 324×158 屏 風372×173 スレ
#144 金砂子無地屏風 本間 八曲 一隻 ¥30, 000. ~ 304×170. 5
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#143 無地金屏風 小形 四曲 二 ¥20, 000. ~ 188×110ほか
#145 無地金屏風 中形 #146 叢砂子屏風 二曲 一隻 ¥20, 000. ~ 絹 本 138×152 シミ スレ
二曲 一双 ¥30, 000. ~ 140×112 屏風144×114
#147 無地屏風 本間 二曲 一隻 ¥25, 000. ~ 188×172
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雑感
#063 岸駒 金地鹿鶴屏風 『古画綜覧( 一) 』に『森庄屋所蔵品売立目録』所載と して報告される。 双鹿は松樹の下、三羽の鶴は竹林に羽根を休める。 本画の主題に言及するならば、鶴と鹿から想起される のは寿老人を描かない留守絵であり、松竹も含めて、 長寿を約束する吉祥画とみられる。
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夏
―雪景色に涼をもとめる
冷房も扇風機もなかった時代、日本の夏のうだるような暑さを凌ぐ工夫の一に、冬景色の絵をながめ「視覚的に涼をとる」が あった。その風習は豊富な冬絵の遺品が能弁である。冬景色による避暑の効用は大だったと思われる。
#149 英一峰 雪献上画幅 ¥45,000.~ 付木箱(桐) 絹本 54×39 表具57×124 ヤケ シミ 加賀前田家は、冬に兼六園に設けた氷室に氷(雪)を囲っておき、真夏に早飛脚を仕立て将軍家に氷を献上した。「加賀さまの氷献上」と呼ばれた。 掲出は氷飛脚の背景に富士山を描いており、富士の氷穴から将軍家に運ばれた氷献上を描いたとみられ、夜間の運搬を描いて、実景を想像させる。
#150 野宮定祥 和歌懐紙幅
#151 狩野常信 雪中浮御堂画幅 ¥20, ¥45, 000. ~ 紙本 雑木軸端 48×35 000. ~ 付木箱(桐) 絹本 骨軸端 表具51×119 ヤケ シミ スレ オレ 50×111 表具63×196 ヤケ シミ 表具シミ、虫喰 狩野常信(寛永十三・ 1636~正徳三・ 1713)は尚 野宮定祥(寛政十二・1800~安政五・1858)は 信の長男、京都の人。木挽町狩野家二代。徳川幕 公家。藤原北家師実流野宮家当主。正二位に至る。 府の奥絵師、禁裏の御用絵師。号養朴、古川叟ほ か、通称右近。宝永元年に法眼、六年法印に叙せ られる。
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#152 横井金谷 雪景画幅 ¥40,000.~ 付木箱(桐) 紙本 唐木軸端 54×68 表具116×188 ヤケ シミ スレ オレ 小穴 表具ヤケ、スレ 横井金谷(宝暦十一・ 1761~天保三・ 1832)は画家、 陶芸家。大津の人。名妙憧、別号蝙蝠道人。始め 僧となるが京都に出て修験者となり諸国を行脚。 画は与謝蕪村に学ぶ。
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#153 柴田是真 雪中薮柑子漆絵画巻 ¥70,000.~ 付木箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 160×33 表具276×42 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ、ヤケ、スレ、穴 柴田是真(文化四・1807~明治二十四・1891)江戸生。幼名を亀太郎、のちに順蔵。字は 然、別号に令哉、対柳居、沈柳 亭など。はじめ古満寛哉に蒔絵を学び、のち四条派の鈴木南嶺に学ぶ。また京都の岡本豊彦に入門し研鑽を積む。円山四条 派直系の絵師および江戸蒔絵を継承する蒔絵師として活躍。漆絵においても卓越した表現で才を発揮する。絶えていた蒔 絵の青海波塗を復活させ、国内外で高い評価を得る。宮中の御用も度々つとめる。明治二十三年帝室技芸員。
#154 円山應挙 冬景色画幅 ¥100, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 牙軸端 36×114 表具42×190 スレ 虫穴 表具ヤケ、虫喰、スレ 天保四(1833)箱識 天明辛丑(元・1781)
#155 円山應挙 梅鴛鴦画幅
#156 三畠上龍 雪中美人画幅
¥85, 000. ~ 付時代箱(桐 貼札) 紙本 唐木軸端 47×111 表具61×197 ヤケ シミ スレ 大倉好斎折紙
¥78, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 43×99 表具47×179 ヤケ シミ スレ オレ 剥離 三畠上龍は京都の人。字真真、別号乗良、乗龍 ほか。岡本豊彦に師事。天保年間に活躍。大坂住。 円山應挙(享保十八・ 1733~寛政七・ 1795)は諱は氐、のち應挙。号は一嘯・夏雲・仙嶺・僊斎。通称主水、 門人には吉原真龍がいる。 字仲選。京都に出、石田幽汀につき狩野派を学ぶ。また眼鏡絵制作に関わり透視図法を習得。写生に 立脚した平明で情緒的な様式を確立。門下に長澤蘆雪ほか多数。
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#158 岸良 夏冬山水画屏風 本間 六曲 一双 ¥150,000.~ 紙本 370×155 屏風384×170 ヤケ シミ オゼキレ
#159 秀華 雪美人画幅 ¥80,000.~ 付識箱(杉) 絹本 朱塗軸端 50×122 表具65×187 ヤケ シミ オレ 三友(梅文、松帯、竹)
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#160 秋湖 雪中美人画幅 ¥20, 000. ~ 付識箱(桐) 絹本 骨軸端(蓋二 欠) 40×110 表具50×195 ヤケ シミ 表具 シミ、ヤケ、スレ
#161 歌川寿光 雪中美人画幅 ¥20, 000. ~ 付木箱(桐) 絹本 牙軸端 36×116 表具48×196 ヤケ シミ オレ
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#162 狩野永徳 雪中七猩々画大幅 ¥158, 000. ~ 付時代 識箱(桐 小口欠) 紙本 骨軸端 101×50 表具113×149 大ヤケ スレ オレ シミ 剥離 狩野永徳(天文十二・ 1543~天正十八・ 1590)は安土桃山時代の画家。山城国の人。名は州信、通称源四郎。狩野松栄の長男。信長、秀吉に起用され安土城、大坂城などの障壁画 を制作。豪壮華麗な作風で知られる。
#163 浮世絵 画額 ¥75,000.~ 付時代箱(桐 反り、 キズ) 紙本 44×33 表具60×51 ヤケ シミ 彩色剥離 雪中風景
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#165 一秀 雪景屏風 本間 二曲 一隻 ¥100,000.~ 紙本
#166 翠渓 雪景円窓屏風 中形 二曲 一隻
174×143 屏風188×171 シミ キレ 穴 背面損傷 彩料剥離
#167 田能村直入 雪景 山水画賛幅 ¥65,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 30×130 表具42×203 ヤケ シミ オレ 表具シミ 柏陰 竹霞 昭和二(1927)年丁卯箱識
#168 田能村直入 雪景 山水画賛幅 ¥45,000.~ 紙本 唐木軸端 28×128 表具40×202 シミ 明治十三(1880)年画中
1814~明治四十・ 1907)は南画家。大分県の人。九歳 田能村直入(文化十一・ の時、田能村竹田の門下に入り、養子となった。明治元年(1867)京都に移 り、同十三年(1880)京都府画学校設立を建議、開校にあたり校長となる。 富岡鐵斎らと日本南画協会を設立する等、南画の振興に尽力。
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¥50, 000. ~ 絹本 142×152 ヤケ シミ
#169 森寛斎 雪景山水 #170 森寛斎 寒牡丹画幅 ¥30, 000. ~ 絹本 骨軸端 画幅 ¥50,000.~ 付木箱(桐) 絹本 唐木軸端 50×118 21×93 表具25×169 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ、オレ、スレ 表具64×180 ヤケ シミ オレ 庚戌 表具オレ
森寛斎(文化十一・ 1814~明治二十七・ 1894)は萩生まれの画家。森徹山の 養子。名公粛、字子容、別号桃渓など。幕末には国事に関係。維新後は円山 派の重鎮として活躍。京都府画学校創設に尽力。明治二十三年帝室技芸員。
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#171 津田青楓 雪山画幅 ¥50, 000. ~ 付二重箱(内共桐 貼札 外溜塗) 紙本 牙軸端 67×43 表具84×156 ヤケ シミ 表具カビ 高島屋扱 津田青楓(明治十三・1880~昭和五十 三・1978)は京都に生まれ、浅井忠に師 事、後にパリのアカデミー・ジュリアン でジャン=ポール・ローランスに指導 を受ける。
#172 春塘 秋冬画双幅 #173 平井楳仙 賀茂川 ¥35, 000. ~ 付共箱(桐) 絹 雪景画幅 ¥25, 000. ~ 本 骨軸端 21×109 表具 31×188 シミ
#175 橋本独山 雪景山 #176 中島来章 雪下松 水画幅 ¥65,000.~ 付共箱(桐) 之画幅 ¥30,000.~ 絹本 紙本 唐木軸端 33×132 表具46×207 昭和元(1926)年箱識 橋本独山(明治元・1868~昭和十 三・ 1938)は臨済宗の僧。相国寺派管 長。相国寺百二十八世。新潟県の出 身。字天真、別号南苑。
唐木軸端 32×103 表具49×190 ヤケ シミ スレ オレ 表具穴 中島来章(寛政八・ 1796~明治四・ 1871)は近江大津の人。渡邊南岳、円 山應瑞に学ぶ。横山清輝、岸連山、 塩川文麟らとともに平安四名家で知 られる。
付共箱(桐 シミ) 絹本 陶磁軸端 27×120 表具36×199 ヤケ 大シミ 平井楳仙(明治二十二・ 1889~昭和 四十四・ 1969)は京都生まれの日本画 家。本名秀三。京都市立美術工芸学 校卒業後、竹内栖鳳に師事。
#177 古谷一晁 洛北雪 景画幅 ¥30,000.~
#174 秀渓 雪景画幅 ¥20, 000. ~ 付識箱(桐) 絹本 角軸端(海松か) 50×141 表具64×210 ヤケ 大シミ
#178 古谷一晁 松に雪 画幅 ¥25,000.~ 付木箱(桐
付二重箱(内共桐) 絹本 牙軸端 37×127 表具50×212 シミ
シミ) 絹本 骨軸端 42×124 表具54×208 ヤケ シミ オレ 表具オレ 古谷一晁(明治二十三・1890~昭和四十一・1966)は京都生まれの日本 画家。名は藤三。京都絵専卒。山元春挙の門人。文展・帝展で活躍した。
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夏のかたち 薄い麻で織った帷子は、夏の衣を代表するが、「みかけほどには涼しくない」と聞く。涼しげな帷子の風情を見てもらい、一時 の涼を楽しんでいただくのだと・・・。
#181 紫型ガラス小皿 六 ¥60, 000. ~ 付合箱(桐 ヨゴレ) 9. 5×9. 5×1. 5
#182 義山ガラス菓子鉢 ¥35,000.~ 付時代箱(杉) 22×22×9. 5
#180 ビードロ徳利
¥100, 000. ~
6×6×17
#183 燈籠流画大幅 ¥50,000.~ 付木箱(桐) 100×35 表具115×146 精霊流 画師銘無
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#184 狩野邦信 鮎画賛幅
#185 榊原雨村 西瓜画幅
¥30, 000. ~ 絹本 雑木軸端 56×34 表具68×133 ヤケ シミ スレ オレ 表具穴 菅原長親賛 狩野邦信(天明六・1786~天保十一・1840)は 日本画家。初め探秀、のち祐清と号す。狩野探牧 の次男で、中橋狩野家の泰信の養子となり、跡を 継いだ。
¥20, 000. ~ 付共箱(桐) 絹本 骨軸端 36×40 表具39×129 ヤケ シミ 表具オレ 榊原雨村(明治十八・1885~昭和三十八・ 1963)は京都生まれの日本画家。父は榊原蘆江。 本名は春之助。別号に佳山。京都市立絵画専門学 校卒。
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#186 切子ガラス小皿 十三 ¥30, 000. ~ 11. 5×11. 5×2. 5 ソゲ
#189 ガラス輪花猪口 五 ¥20,000.~ 付合箱(桐) 5×5×3
#187 青被ガラス小皿 五 ¥25,000.~ 12×12×3
#190 型ガラス小皿 三種 十五 ¥20, 000. ~ 12×12×3ほか
#188 黄ガラス面取小皿 九 ¥20, 000. ~ 12×12×3 ソゲ 小カケ
#191 型ガラス盃 五 ¥25,000.~ 4×4×6. 5
#192 秀殻 稲田に蛍画幅 ¥150, 000. ~ 付木箱(桐 貼札) 絹本 骨軸端 42×123 表具54×204
#193 鳥文斎栄之 納涼画賛幅 ¥80, 000. ~ 付識箱(桐) 牙軸端 28×85 表具43×176 鹿津部真顔賛 やよ蛍… 鳥文斎栄之(宝暦六・ 1756~文政十二・1829) は浮世絵師。名時富。俗 名民之丞、弥三郎。幕府 直参旗本の細田氏五百石 の家の出で、父は勘定奉 行。栄之自身も家督を相 続して小納戸役などをつ とめた。絵を狩野栄川院 典信と文竜斎に学ぶ。初 めは鳥居清長の影響を強 く受けた美人画を描いた が、後に独自の画風を確 立した。後期は専ら肉筆 を描いた。
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#195 金魚浴衣 ¥20,000.~
#196 緑縁ガラス三脚金魚鉢
#198 地引網蓋物 ¥25,000.~
#199 筑前金魚蓋物 ¥20,000.~
19. 5×19. 5×12 ソゲ
#201 佐竹永海 草花甲 虫画幅 ¥35,000.~ 付木箱(桐 貼札) 紙本 唐木軸端 25×95 表具38×188 ヤケ シミ オレ 戊午(1858)晩夏画中 佐竹永海(享和二・ 1802~明治七・ 1874)は通称衛司、江戸で谷文晁に 学び山水花鳥で一家をなした。号雪 村、別号愛雪樓、九成堂、天水とし、 彦根井伊候に仕えた。奥州会津の人。
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#197 紺緑ガラス金魚鉢 ¥30,000.~
¥20, 000. ~ 23×23×15
114×128×48 シミ ヤケ
30×30×25
#200 銅造唐子雪遊 ¥30,000.~
付識箱(杉) 17×17×12 瑠璃地金彩
#202 武三郎 団扇美人 画幅 ¥35,000.~ 付木箱(桐) 絹本 43×130 表具54×215 ヤケ シミ オレ
#203 田中松斎 西瓜に 虫歌賛幅 ¥20,000.~
付時代箱(桐) 11×7. 5×6. 5
#204 永田春水 螢葦画幅
¥20, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 唐木軸端 30×133 表具41×189 付識箱(杉) 紙本 竹軸端 ヤケ シミ オレ 30×129 表具41×190 ヤケ 表具オレ、ヨゴレ、スレ 田中松斎(慶応三・1867~大正十 永田春水(明治二十二・1889~昭 三・1924)は京都生まれの日本画家。 和四十五・1970)は日本画家。荒木 通称は卯之助。鈴木松年に学んだ。 寛畝に学ぶ。大正二年国華社にはい り「国華」の編集にあたる。文展, 帝 展など官展中心に活躍し、如春会を 主宰した。本名は良亮。
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#206 水入りガ ラス簪 三 ¥20, 000. ~ 総長24ほか
#205 ガラス簪 十四 ¥45,000.~ 総長16ほか
#207 蜻蛉 玉笄 三 ¥20, 000. ~ 総長13
#208 黒猫足雪輪梅蒔絵吸物膳 十 ¥110, 000. ~ 付時代識箱(杉 蓋部品一部欠) 32×32×11. 5
#209 絽裂風炉先屏風 ¥20,000.~ 186×37
#210 ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 付合箱(杉) 21×21×8
#213 紫被ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 20×20×8
#211 ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 21×21×8 ソゲ
#214 紫被ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 20×20×9
#212 紺被ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 21×21×8
#215 緑被ガラス切子鉢 ¥20,000.~ 20×20×8
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#217 フレアーガラス台皿 ¥35, 000. ~ 24×24×15
#220 フレア―ガラス小鉢 ¥25, 000. ~ 15×15×10 外白 内赤
#223 乳白ガラスコンポート ¥30, 000. ~ 付木箱(桐) 27×27×11
#226 ガラス花瓶 ¥35,000.~ 18×18×25
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#218 フレアーガラス台鉢 ¥30, 000. ~ 18. 5×18. 5×18
#221 フレアーガラス手付小鉢 ¥25, 000. ~ 14×13×6
#224 フレアーガラス鉢 ¥30,000.~ 14×14×10 ウランガラス
#227 型ガラスコンポート ¥45, 000. ~ 付時代識箱(杉) 14×14×15 ギヤ満ん菓子鉢
#219 二色ガラスコンポート ¥25, 000. ~ 16×16×15 外薄水色 内薄紅色
#222 フレア―ガラス鉢 ¥25,000.~ 17×17×7 脚部カケ 外青輪線 内白縁紅
#225 フレアーガラス鉢 ¥25,000.~ 19×15×8 ウランガラス
#228 乳白型ガラス台鉢 ¥20,000.~ 7×7×7
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#229 ガラス平鉢 ¥25,000.~
#230 乳白ガラス平鉢 ¥25,000.~
20×20×5 スリップウェア
17×17×5. 5 フレアー縁
#232 縁紅ガラス平皿 ¥20,000.~
#233 縁紅ガラス鉢 ¥20,000.~
17×17×3
#235 ガラス切子平鉢 ¥20,000.~
9×9×27 ソゲ
#234 ガラス桜文平盃 ¥20,000.~
#236 紫被ガラス切子形鉢
8. 5×8. 5×3 二重
#237 紫被ガラス切子鉢 ¥20,000.~
¥20, 000. ~ 20×20×7
#239 グラビールガラス蓋物
15×15×16
#241 ガラス 竹形 掛花入 ¥30,000.~
¥20, 000. ~ 15×15×6. 5 フレアー縁
13×13×7. 5
24×24×5
#238 瑠璃ガラス蓋物 ¥25,000.~
#231 乳白ガラス輪線小鉢
#242 紫被ガラス切 子花器 ¥30,000.~ 11×11×26
20×20×9
#240 練ガラス小碗 五 ¥30,000.~
¥30, 000. ~ 18×18×17
#243 青ガラスフレ ア―花瓶 ¥20,000.~ 12×12×29
#244 緑ガラス花瓶 ¥20, 000. ~ 14×14×22
6×6×5
#245 黒紫ガラス 花瓶 ¥20,000.~ 18×18×40
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#247 色ガラス双耳花瓶 ¥25, 000. ~ 10×10×22
#248 色ガラスエナメル 絵広口花瓶 ¥20,000.~
#249 色ガラス花瓶 五 ¥40,000.~ 赤7×7×16ほか
10×10×20
#250 銀彩ガラス瓶 #251 青被切子花器 ¥25, 000. ~ 10×10×19
¥20, 000. ~ 19×12×19
#252 ガラスデカンタ リ キュールグラス 五 ¥25,000.~
#253 ガラス高脚深鉢 ¥20, 000. ~ 26×26×15
デカンタ12×12×22 グラス3×3×5 銀覆
#255 岩田藤七 ガラス花生
#254 岩田藤七 金彩鉢 ¥30,000.~ 付共箱(桐) 29×28×5.5 昭和三十二年(1957)盛夏 岩田藤七(明治二十六・1893~昭和五十五・ 1980)は東京生まれのガラス工芸 家。東京美術学校金工科、西洋画科卒。昭和四年(1929)岩田工芸硝子会社設立。 日本芸術院会員、文化功労者。
#256 福井龍三郎 ガラス夏茶碗 ¥20, 000. ~ 付木箱(桐) 12×12×7
#257 福井龍三郎 青被ガラス蓋物 ¥20, 000. ~ 付木箱(桐) 12×12×8. 5
¥25, 000. ~ 付共箱(桐) 14. 5×14. 5×21. 5
#258 福井龍三郎 茶被龍文ガラス 大鉢 ¥45,000.~ 45×45×9.5
福井龍三郎(昭和十九・1944~)は兵庫県出身のガラス工芸作家。ガラス工房を営みながら、自身の作品制作に力を注いでいる。
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富士山
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霊峰富士は、自然保護の大事の覚醒もあって、ユネスコの神の山をゴミで冒涜しているという厳しい指摘も何とかクリアして 世界遺産に登録され周辺だけでなく国民的にも面目を保った。 日本人は、富士山を見ただけで嬉しくなる。新幹線の車窓から富士山が望めようなら、今日は縁起がよい、好いことがきっと あると確信する。 しかもそれは実見にかぎるものではない。絵でも何でも、似たような形の自然石でも目出度いわけで、富士山が日本に在るこ とに感謝するほかない。
#259 伝大西浄清富士釜 ¥120,000.~ 付時代箱(桐 貼札) 桧扇鐶 27×27×20
#260 初代宮崎寒雉 富士釜 ¥100,000.~ 付識箱(桐) 27×27×16 十二世寒雉箱書 初代宮崎寒雉(寛永八・1631頃~正徳二・1712)は名は義一、通称彦 九郎、号は一草庵。加賀藩御用釜師。茶道奉行として招かれた仙叟宗室 の指導を受けた。以後代々、寒雉菴彦九郎を襲名。当代は十四代。
#262 伊東陶山 金富士絵茶碗
#261 富士松林蒔絵手付盆 一対 ¥65,000.~ 付溜塗時代箱(桐) 30×20×11
¥30, 000. ~ 付共箱(桐) 12. 5×12. 5×7. 5 和作絵付 伊東陶山家は初代(慶応三年没)が、東白川洛 東白川畔において陶山と号し開業した事に始ま る。三代続き昭和四十五年、三代伊東陶山が交通 事故でなくなり、以降、家系が途絶えた。
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#264 今尾景祥 富士画額 ¥100,000.~ 紙本 39×30 額62×52.5
#265 観江 富士画幅 ¥20,000.~
大阪美術倶楽部入札売立会出品昭和四十一(1966)年十二月コピー 今尾景祥(明治三十四・1902~平成五・1993)は京都生まれ。名を孝則、静観とも号した。 今尾景年の養嗣子で画は景年に学んだ。
#266 狩野実信 富士秋景画幅 ¥50, 000. ~ 付時代箱(桐) 絹本 唐木軸端 35×93 表具50×183 ヤケ シミ スレ
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#267 木村武山 富士松原画幅 ¥35, 000. ~ 付二重箱(内桐貼札 外溜塗) 紙本 牙貼軸端(蓋一欠) 30×119 表具42×203 ヤケ 薄シミ 木村武山(明治九・1876~昭和二十四・1942) は茨城県生まれ。父は笠間藩士。名は信太郎。笠 間の南画家桜井華陵に手ほどきを受ける。上京 し川端玉章の画塾天真会で学ぶ。東京美術学校 卒業。日本美術院同人。
紙本 骨軸端 58×41 表具66×119 ヤケ 大シミ スレ オレ 表具大シミ、 オレ、ヤケ、虫喰、スレ、背面大シミ、虫喰
#268 江村喜一郎 富士画幅 ¥30, 000. ~ 付木箱(桐) 絹本 牙貼軸端 35×104 表具41×183 ヤケ シミ オレ
唐物久兵衛コレクション
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江戸中期に活躍した和泉出身の鋳物師。名は常信。堺の菅原神社に奉献し楼門に飾られる享保十九(1 7 3 4 )年銘の釣灯籠が有名。 在銘作品は少なく、本コレクションでも二点を数えるのみ。作品は宣徳銅に近い黄色を呈しており、冠される「唐物」は、「唐 風の銅の細工」の意味だろうか。 細工の特徴は、「独特の唐草の形」にあるが、名乗りは「唐草久兵衛」ではない。 この種の家内工業の盛行は、時代の要請だったのか、天明年間(1 7 8 1 ~8 9 )には別府村(現在の岐阜県瑞穂市)の広瀬清八・茂 十朗の父子が独特の鋳物細工(別府細工)で人気を博している。
#269 唐物久兵衛 銅造燭台 ¥80,000.~ 総高27
#270 伝唐物久兵衛 黄銅造香炉 ¥80,000.~
唐物久兵衛は、江戸時代中期の和泉国の鋳物師。名は常信。精巧な鋳 銅の小品を多く作った。
#271 伝唐物久兵衛 黄銅造銚子 一対 ¥120,000.~ 付時代識箱(杉 蓋欠) 21×15×17. 5 嘉永二(1849)三月箱拵宣徳間鍋箱墨書
10. 5×10×11 「唐久」鋳銘
#272 伝唐物久兵衛 黄銅造燭台 一対 ¥120, 000. ~ 12. 5×12. 5×29
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#274 伝唐物久兵衛 黄銅造三ツ足 燭台 一対 ¥60,000.~ 12.5×12.5×33
#275 伝唐物久兵衛 黄銅造輪灯
#277 伝唐物久兵衛 黄銅造燭台
#278 伝唐物久兵衛燭台 ¥20,000.~
¥25, 000. ~ 8×8×15
#276 伝唐物久兵衛 黄銅造線香立
一対 ¥50, 000. ~ 総高52
13×13×27 ヒビ 細工に不出来
#280 伝唐物久兵衛 黄銅造矢立 ¥25,000.~ 総長19
¥35, 000. ~ 6×6×9. 5 底「唐久」刻印
#279 唐物久兵衛 燭台 ¥20,000.~ 10×10×26 各接合部緩み等不具合 四部組立 式
#281 伝唐物久兵衛 黄銅造根付 ¥25,000.~ 4. 5×4. 5×1. 5
#283 伝唐物久兵衛 黄銅造火種壺 ¥25,000.~ 5×4. 5×3. 5
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#284 伝唐物久兵衛 黄銅造蠟燭消 ¥25,000.~ 4. 5×4. 5×3
#285 伝唐物久兵衛 黄銅造蠟燭消 ¥25,000.~ 3×3×2
#282 伝唐物久兵衛 黄銅造瓢形根付 ¥25,000.~ 3×2. 5×5. 5
#286 伝唐物久兵衛 黄銅造蠟燭消 ¥25,000.~ 5×4. 5×2. 5
伊万里
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磁器のかがやき ―開窯四百年―
朝鮮人陶工李三平が有田泉山に陶石を発見したと伝わる元 和二年・1 6 1 6 を基点として伊万里開窯四百年祭を迎えること になった。美術工芸品として確固たる地位にある伊万里では あるが、秦秀雄の言葉を借りれば、古美術品としての認知は、 柳宗悦が主導した民藝運動に端緒を開くと言う。昭和七年 ( 1 9 3 2 ) 、『藍絵の猪口』で「 下手ものの美」 として賞揚した。つづ けて秦は、伊万里の人気が高まる画期に、昭和三十六年( 1 9 6 1 ) の瀬良陽介の『古伊万里圖譜』を掲げる。「今日の( 大人気) の機 運をもたらしたのは、ひとへに柳さんの発見と瀬良氏の普及 宣伝の功に帰すべきかもしれない」。( 『古伊万里圖鑑』秦秀 雄・昭和4 6 ) 初期伊万里の言葉は『九州古陶磁』( 永竹威・昭和3 8 ) に見ら れ、昭和四十一年の『陶磁全集』には『初期伊万里』の刊行を みる。これに山下朔郎の『古伊万里と古九谷』( 昭和4 3 ) 、『古伊 万里染付皿』( 昭和4 5 ) 、『初期の伊万里』( 昭和4 6 ) がつづき、伊 万里ブームが活況を呈した。
#287 初期伊万里破片 ¥20,000.~ 10×7 鶏染付
#288 巻子染付七寸皿
五 ¥400, 000. ~ 付時代箱(桐) 19. 5×19. 5×2. 5 金補修 口辺ヒビ
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#291 初期伊万里瀧山水皿 ¥180,000.~ 20×20×3
#292 初期伊万里山水染付平皿 ¥100,000.~ 20×20×3
カケ銀補修
#293 山水染付七寸皿 ¥100,000.~ 付時代合箱(杉) 19. 5×19. 5×3. 5 初期伊万里
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#294 染付変形皿 二 ¥60,000.~ 15×12.5×2.5 ソゲ 伊万里
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#295 初期白磁瓶 ¥150,000.~ 11.5×11.5×21 口辺金補修
#296 白磁長壺 ¥120,000.~ 14.5×14.5×20 ヒビ
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#298 雲龍染付碗 ¥120,000.~ 14.5×14.5×6 初期伊万里
#300 伊万里染付蓋物 ¥100,000.~ 付識箱(杉) 12×12×18
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#299 木原染付茶碗 ¥50,000.~ 付木箱(桐) 10×10×7.5
#301 初期伊万里椿皿 ¥200,000.~ 付木箱(桐) 21×21×3 ヒビ
古九谷手
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#302 古九谷手色絵皿 五 ¥400,000.~ 14×14×3 カケ 大破 大明成化年製染付銘
#303 古九谷手楼閣小皿 ¥25, 000. ~ 18×14×2. 5
#304 染付人物文壺 ¥200,000.~ 付木箱(杉) 19×19×22
#305 牡丹染付沈香壺 ¥130,000.~ 23×23×27.5
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#306 古九谷手蝶色絵小皿 五 ¥200,000.~ 付木箱(桐) 14×11.5×3 小ソゲ ヒビ
#308 赤絵壺 ¥120,000.~ 付木箱(杉) 15×15×18 伊万里
9 6
#307 山水染付丸壺 ¥25,000.~ 付合箱(桐) 16×16×12 口辺ソゲ 伊万里
#309 染錦鶴首瓶 ¥150,000.~ 付合箱(桐) 12×12×24
柿右衛門
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#310 酒井田柿右衛門 竹虎色絵鉢 ¥2,000,000.~ 付木箱(桐) 22×22×5
9 7
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#312 酒井田柿右衛門 鶴首瓶 一対 ¥200,000.~ 付木箱(モミ) 12×12×26
#314 柿右衛門 色絵輪花皿 ¥150,000.~ 付識箱(桐) 24×24×4 カケ共色補修
9 8
#313 酒井田柿右衛門 蓋物 ¥120,000.~ 付木箱(桐 貼札) 14×14×8. 5 十角
#315 柿右衛門 色絵花鳥中皿 ¥100,000.~ 付木箱(桐) 21×21×3 二重丸福
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#316 柿右衛門 色絵獅子鈕香炉 ¥300,000.~ 付黒塗箱 12×12×18 金補修
鍋島
#317 鍋島牡丹文三 寸皿 ¥150,000.~
#318 後期鍋島七寸皿 ¥20,000.~ 20×20×6 ヒビ
付識箱(桐) 12×12×3. 5
9 9
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輸出伊万里
#320 芙蓉手皿 ¥40, 000. ~ 32×32×6. 5
#321 染付乳瓶 ¥45,000.~ 20×16×21 磁貫 トリアシ ケンデイ
#322 草花染付 徳利 ¥55,000.~ 13×13×23. 5 口辺錫補修
#323 芙蓉手向付 五 ¥25,000.~ 10×10×6 伊万里
紅毛人手
#324 紅毛人染付鉢 ¥80,000.~ 15.5×15.5×9 阿蘭陀人
#325 韃靼人染付輪花皿 ¥20,000.~ 付時代箱(杉) 30. 5×30. 5×6. 5 伊万里
1 0 0
藍九谷、そして盛期の伊万里
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#327 伊万里鴨絵大鉢 ¥50,000.~ 32.5×32.5×11 磁貫 トリアシ ワレ
#326 藍九谷手七寸皿 ¥90,000.~ 20×20×3
#328 鮎皿 ¥50,000.~ 14×14×2.5 ソゲ ヒビ 伊万里
#329 熨斗牡丹文皿 五 ¥20,000.~ 23×23×4 裏白
#330 染付花籠皿 ¥20,000.~ 28. 5×28. 5×6 大明年製 裏唐草 伊万里
#331 染付割付文皿 ¥20,000.~ 30×30×6 大明成化年製 裏唐草 伊万里
1 0 1
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#333 錦手菊花形鉢 ¥50,000.~ 付識箱(杉) 33.5×33.5×8
#334 染付深鉢 ¥35,000.~ 24.5×24.5×11.5
江戸後期
#335 色絵皿 ¥20,000.~ 30×30×4
#336 赤絵蝶文皿 五 ¥20,000.~
#337 伊万里赤絵小瓶子
付溜塗箱(杉) 14. 5×14. 5×3 ソゲ ワレ接合補修
#338 十二支丸文皿ほか 三十 ¥70,000.~ 18×18×3ほか 六通 縁紅輪花ほか
¥30, 000. ~ 付木箱(モミ) 7×7×10 牡丹浮文
#339 染付小徳利 #340 四君子染付三段重 ¥20, 000. ~ 6×6×10 ¥20, 000. ~ 12×12×18 国焼 伊万里
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天保地図皿
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#341 地図大皿 ¥700,000.~ 付木箱(桐) 47×47×8 本朝天保年製染付銘
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#343 天保地図皿 ¥300,000.~ 付木箱(桐) 32×28×5
#344 山水染付額皿 ¥30, 000. ~ 36×30×5 伊万里
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官窯(辻・常陸家)
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御所の器 禁裏で用いられた磁製の器は、霊元天皇( 1 6 8 7 ~1 7 0 9 在位) から禁裏御用を蒙った有田の辻喜右 衛門家が調進したものである。辻家は常陸守を受領するなど信任を受け、御一新後も宮内庁御用 達として家名を保っている。中国の官窯とは趣を違えるが、日本における唯一の官窯遺品に該当 するとみてよいだろう。十九世紀には辻家のほかに二軒の窯元が加わるが、中心を勤めたのは辻 家である。良質の磁土を選び、明るい藍色と繊細で定形化された図柄を特徴するが、それらには 有職家と御用絵師の関与が指摘される。明るい藍のコバルト( 呉須) は、清朝官窯の青華の発色と 共通して清々しい。御所で用いられた器だが、女官や門跡寺院に下賜されることも多く、それら が民間に流れ伝わっている。 参考 『御所の器』池修 光村推古出版 平成2 4
#345 御下賜染付食器揃 二十五 ¥250,000.~ 付菓子皿木箱 菓子皿20×20×2ほか 湯呑ソゲ 小碗カケ 菓子皿五 湯呑五 碗大中小各五
#346 辻製藍地山水中附 十六 ¥35,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 9. 5×9. 5×3. 5 小ソゲ
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#348 伊万里蛸唐草壺 ¥130,000.~ 20×20×21
#349 蛸唐草徳利 ¥80,000.~ 付木箱(桐) 9×9×20.5
#350 染付蛸唐草文徳利 ¥45,000.~ 16×16×26 伊万里
#351 蛸唐草四段重 ¥80,000.~ 付溜塗時代箱(杉) 18×18×25 ソゲ
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#352 瑠璃 金彩沈香壺 ¥65, 000. ~ 25×25×31
#353 牡丹唐草瑠璃長丸皿 五 ¥30,000.~ 20×12 長燈物か
#354 青磁 刻花大鉢 ¥30, 000. ~ 39×39×10 腹打 ヒビ 接合補修 伊万里
#355 青磁木瓜形小鉢 ¥20,000.~ 11.5×8.5×3 見込ヒビ
#356 三鹿染付大皿 ¥35,000.~ 46×46×7. 5 ユガミ
#357 松鷹染付大皿 ¥25,000.~ 39×39×7. 5
#358 鐘馗掛花入
¥38, 000. ~ 付木箱(杉) 7. 5×7×16 ヒビ 伊万里
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伊万里から…… 磁器モノの広がり
#361 布袋唐子染付筆筒 ¥25,000.~ 8×8×10. 5 元治二(1864)丑春染付銘
#359 三保薔薇染付寄食器 七 ¥65, 000. ~ 全体35×35×3. 5 「崎陽好三保製」染付銘 江戸末~明 治時代
#362 平佐染付御神酒徳利 ¥30, 000. ~ 付合箱(杉) 11×11×25
#363 湖東染付香炉 ¥25, 000. ~ 付木箱(桐) 8. 5×5×10
#360 龍虎染付二重鉢 ¥40,000.~ 18.5×18.5×8ほか 明月晴風染付銘
#364 磁胎蒔絵蓋物 四 ¥20,000.~ 付時代識箱(桐) 8×8×6
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公家
A ⑭ お く に ( 国 ) 候 か た し
⑬ ⑫ ⑪ ⑩ ⑨ さ て 申 御 入 つ 候 候 つ め ら み は く ん れ ( て し ぼ 候 終 候 が く は ) た ( ざ に く 面 り け ( 目 し さ ん 尽 ) ( く な 見 く し 参 難 ) し に ) も
⑧ 申 候 に
⑦ 御 た め ら ひ
⑥ け ん ( 簡 ) せ ば 候 て
⑤ 御 れ う ( 了 )
④ あ ま り に
③ 申 さ れ 候 し 候
② ① す さ き て ( も 数 こ 寄 の o一 r巻 過 ぎ ) 候 し 御 も と よ り
浦
瓜
姥 厩 臼
噂
閏
渦
蔚
嘘
云
唄
鰻
欝
A001 後小松天皇 女房奉書幅 ¥350,000.~ 付二重箱(内識桐 外黒塗) 紙本 牙軸端 32×51 表具134×64 ヤケ シミ スレ 猪熊信男鑑定書 後小松天皇(永和三・1377~永享五・1433)は第百代天皇。(在位1382~1412)名は幹仁。父は後円融天皇。 鑑定書:猪熊信男(明治十五・1882~昭和三十八・1963)は宮内庁図書寮御用掛、有職家。阿波藩士蜂須賀家の生まれ、国学者猪熊夏樹の養子(白鳥神 社)。宸翰研究家、鑑定家として知られる。中世から近世にいたる公家・武家・寺社など多方面にわたる書状、記録等を中心に蒐集。号に恩頼堂学人、電影 子、樟園ほか。晩年は恩頼堂文庫を開設。
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A
A003 藤原定家 大記録書幅 ¥2,800,000.~ 付時代箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 49×30 表具61×118 スレ ヤケ オレ シミ 虫穴 表具シミ、オレ、ヤケ、虫喰、穴 売立目録(某家)所蔵昭和十五(1940)年大阪美術倶楽部 藤原定家(応保二・ 1162~仁治二・ 1241)は歌人、歌学者。藤原俊成の子。『新古今集』『新勅撰集』の撰者。新 古今調を代表する歌人の一人。書は独特の風趣があり、「定家流」と呼ばれた。 定家の大記録といえば、定家が五十六年間を費やして録した日記(国宝明月記)がこれにあたり、掲出はその 断簡と伝わる。が、掲出には日付が見あたらず、定家には『明月記』のほかにも宮廷行事などの記録も知られる ことも付記しておきたい。
1 1 0
A
1 1 1
A005 後柏原天皇 書状幅 ¥150,000.~ 付時代箱(桐 蓋桟二欠 虫喰) 紙本 軸端欠 41×15 表具46×94 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ、スレ、キレ 軸端欠 伊達 花押から後柏原天皇筆と考定する。伊達某に宛てた十一月十一日の書状と知るほかに釈文の用意もない。伊達某について 天皇の在位期間(1521~1526)を中心に関係者を伊達氏に求めれば、伊達尚宗(1453~1514)、稙宗(1488~1565)あたりになるが 確証を得ない。
A
A006 良純親王 消息幅 ¥220,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 51×32.5 表具61.5×111 ヤケ シミ 良純入道親王(慶長八・1604~寛文九・1669)後陽成天皇の第八皇子、母は大典侍具子(庭田重具の娘)。八宮と称す。
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A
A007 木彫彩色聖徳太子 坐像 ¥200,000.~ 像高36 穴 ヒビ 十六歳
A008 木彫男神坐像 ¥75, 000. ~ 像高48 自立難 虫喰
A009 木彫女神坐像 ¥35, 000. ~ 像高24 虫喰
A010 谷文晁 三社画幅 ¥80,000.~ 付時代識箱(桐) 絹本 牙軸端 大倉好斎乙巳極札 32×97 表具45×187 ヤケ シミ 表具ヨゴレ 谷文晁(宝暦十三・ 1763 ~天保十一・ 1840)は画家、 江戸の人。田安家の家臣 で漢詩人の谷麓谷の子。 名正安、初号文朝、師陵、 別号に写山楼、画学斎、 無二、一恕。法眼に叙さ れた。加藤文麗、渡辺玄 対、鈴木芙蓉に画を学ん だ。和漢の古典絵画や文 人画、南蘋派、西洋画な どを学び写生的な風景画、 また肖像画にも優れた作 品を残した。諸国巡歴し 古文化財を調査し『集古 十種』編集に参加した。
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A
A012 稲荷大明神画幅 ¥30,000.~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 42×29 表具46×105 大ヤケ シミ スレ
A013 怒天神画幅 ¥20, 000. ~ 紙本 49×102 表具48×183 ヤケ シミ オレ 虫穴 表具アレ
A016 木彫宇賀神 ¥50,000.~ 付黒漆宝珠厨子 宝珠 13×13×18 江戸中期
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A014 土佐光貞 管公 画幅 ¥20,000.~ 付時代識 箱(桐) 紙本 骨軸端(小口 欠) 27×61 表具38×151 ヤケ シミ スレ オレ 表具アレ、ヤケ、スレ 土佐光貞(元文三・1738~文 化三・ 1806)は、江戸後期の土佐 派の画家。土佐光芳の次男。幼 名は茂松、字は士享、号は廷蘭。 分家して絵所預となる。従四位 下に叙され、左近衛将監・土佐 守に任じられる。
A015 蚕神画幅 ¥22, 000. ~ 付識箱(杉) 絹本 潤塗軸端 21×58 表具30×144 ヤケ 不明落款
A017 木彫獅子頭 ¥80,000.~ 付時代黒塗識箱 30×32×23
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A018 土佐光茂 尾州切画幅 ¥750,000.~ 付識箱(桐) 紙本 P軸端 被蓋 45×31 表具60×131 スレ ヤケ オレ 薄シミ 表具オレ、ヤケ、スレ 箱書(田中塊堂) 病草紙(大和国ニテ) 冨士歌仙 尾州切とは同封される資料により、閑院宮家から尾州岩田政直に伝わり、そこで十七葉に別けられた「病草紙」(土佐光茂筆)の断簡に付せられた呼称。 土佐光茂(歿年未詳)は、土佐光信の息子。大永三年(1523)に宮廷の絵預所。従四位下刑部大輔。画法を父に学び、その技量、父に劣らず世に遺蹟多し。 田中塊堂(明治二十九・1896~昭和五十一・ 1976)は書家、古写経研究家。
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A
A020 牡丹花肖伯 三首和歌幅 ¥500,000.~ 付時代箱(桐 貼札) 別箱(古筆了意折紙) 紙本 牙軸端 40×29 表具52×110 ヤケ シミ スレ 肖伯(嘉吉三・1443~大永七・1527)は連歌師、歌人。号は夢庵・牡丹花・弄花軒など。和歌を飛鳥井宗雅、連歌を宗祇に学ん だ。『新撰莵玖波集』を撰集。
A021 飛鳥井雅経 和歌懐紙幅 ¥220,000.~ 付二重箱(内識桐 貼札 外溜塗) 紙本 牙軸端 38×28 表具50×111 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ、オレ、スレ 題戔(海江亭山本愚渓) 飛鳥井雅経(嘉応二・1170~承久三・1221)は公卿、歌人。従三位参議。歌鞠二道で知られる飛鳥井家の祖。和歌を定家に学び、 『新古今和歌集』を撰進した。
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A022 八橋残木 ¥150,000.~ 27×16×6 和歌蒔絵 杜若 金泥で描かれる和歌から「やつはしの みきはにさける かきつはた むかしのいろを こひわたるかな」の一首が見 出せる。すべての和歌を書き入れることをしないことは残木を表す演出と捉えるべきか。
A023 紅地萩文御所小袖 ¥180, 000. ~ 116×154×45 シミ フキ破損
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A
A025 伝良経 後拾遺切書幅 ¥260,000.~
A026 藤原俊成 詠草切幅 ¥190,000.~ 付木箱(桐)
付時代識箱(桐) 紙本 骨軸端 16×23 表具27×131 スレ ヤケ オレ 薄シミ 表具シミ、オレ、ヤケ、スレ 田山方南箱書 九条良経(嘉応元・1169~元久三・1206)鎌倉時代初期の公卿。兼実の 次男。母は藤原季行の娘。後京極殿ともいわれる。
紙本 牙軸端 二代畠山牛庵極札 古筆極札 17×27 表具43×147 ヤケ シミ スレ 表具シミ、オレ 藤原俊成(永久二・1114~元久元・1204)は歌人、藤原定家の父。藤原 俊忠の子で歌学を藤原基俊に学んだ。千載和歌集の撰者で家集『長秋詠 藻』、歌論書『古来風躰抄』の作者。
め 直 替 竹 し 御 き へ の か 代 は せ 林 の 君 で の た が 葉
霜 降 れ ど
A027 五辻之仲 和歌懐紙幅 ¥185,000.~ 付識箱(桐)
A028 近衛内前 和歌懐紙幅 ¥180,000.~
紙本 黒塗軸端 40×32 表具55×122 ヤケ シミ 松田杏亭箱識 五辻之仲(永禄元・1558~寛永三・1626)は公卿。養父は滋野井公古。 子は滋野井季吉。 識:松田杏亭(明治十一・1888~・1965)は日本画家。 名は錠太郎。織田杏斎、池上秀畝に師事した。鯉を得意とした。
付二重箱(内識桐 外時代) 紙本 黒塗軸端 59×41 表具72×135 ヤケ シミ 近衛内前(享保十三・1728~天明五・1785)は公家。太政大臣。父は近 衛家久。桃園天皇、後花園天皇の関白、後桜町天皇、後桃園天皇の摂政を 務めた。
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A029 松立齋 菊蒔絵文庫 ¥100,000.~ 34×45×15 鴛鴦蓋裏 中西松立斎か(生没年未詳)仙台藩印籠蒔絵師。
A030 近衛家煕 散書消息幅 ¥100,000.~
A031 仁孝天皇綸旨幅 ¥88,000.~ 紙本 黒塗軸端
付木箱(桐 貼札 シミ) 紙本 潤塗軸端 45×31 表具48×118 スレ ヤケ オレ シミ 表具シミ、オレ、ヤケ、虫喰、スレ、穴 背面大シミ、虫喰 近衛家熙(寛文七・ 1667~元文元・ 1736)は従一位関白内覧太政大臣近衛 基熙の子。母は後水尾天皇の皇女常子内親王。
51×33 表具62×114 スレ ヤケ 虫穴 表具虫喰 岐山長老宛 天保五年(1834)四月廿五日 宿紙 仁孝天皇(寛政十二・1800~弘化三・1846)光格天皇の第六皇子。名は 恵仁。父の遺志を継いで、堂上子弟のために学舎(のちの学習院)建設を 命じた。
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A
A034 二条家為氏 歌切幅 ¥100,000.~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 古筆極札 15×23 表具35×124 御子左蔵人 二条為氏(貞応元・1222~弘安九・1286)は公卿、歌人。藤原為家の長 男。幼名は鶴若。法名は覚阿。二条家の祖。正二位権大納言。『続拾遺集』 を撰進した。
ち 返 る ら ん
に 難 波 津 の 道 よ り 春 や 立
ぬ 治 ら ま む れ る そ の 世 の ま ま
治 ま れ る 道 の 心 に 春 や 来
四 の 海 も 隔 て ぬ も の と
A033 烏丸光廣 柿本人麻呂画賛幅 ¥290,000.~ 付二重箱(内識桐黒塗) 紙本 蒔絵軸端 付古筆了泉、了周極札 20×71 表具33×175 ヤケ シミ スレ 表具穴 柿本神像(外箱甲) 烏丸光廣(天正七・ 1579~寛永十五・ 1638)は公家、歌人。猪熊事件に連 坐し官を止められたが、のち還任。和歌を細川幽斎に学び、古今伝授を 受け二条派歌人として活躍。書は本阿弥光悦に学んだ。多彩多芸で知ら れる。日光東照宮の創建にも尽力。著『新古今集私抄』『耳底記』家集 『黄葉和歌集』。
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A035 武者小路實陰 和歌懐紙幅 ¥80,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 47×32 表具53×107 ヤケ シミ スレ 武者小路實陰(寛文元・1661~元文三・1738)は歌人。号は超嶽院。霊 元上皇より古今伝授をうけた。霊元院歌檀の代表的な歌人。
ら の の む 鏡 あ ( と 鑑 ) や な 幾 る 世
心 を 写 す 水 茎
写 く 人 も 心 り な き
春 日 同 詠 筆
A
A036 烏丸光廣 詠草幅 ¥80,000.~ 紙本 雑木軸端
A037 飛鳥井雅豊 和歌懐紙幅 ¥73,000.~
49×33 表具52×115 虫穴 ヨゴレ 表具大アレ 元和丁巳(三・1617)文中 烏丸光廣(天正七・ 1579~寛永十五・ 1638)は公家、歌人。猪熊事件に連 坐し官を止められたが、のち還任。和歌を細川幽斎に学び、古今伝授を 受け二条派歌人として活躍。書は本阿弥光悦に学んだ。多彩多芸で知ら れる。日光東照宮の創建にも尽力。著『新古今集私抄』『耳底記』家集 『黄葉和歌集』。
付識箱(杉 貼札) 持明院基揚極 紙本 黒塗軸端 51×33 表具65×124 ヤケ シミ スレ オレ 飛鳥井雅豊(生年不詳~正徳二・1712)は公家。歌人。飛鳥井雅章の四 男。歌集「雅豊卿詠」がある。 極:持明院基揚(明治十七・1884~昭和三十二・1957)は能書家。現 在京都御所にある年中行事障子は、先祖の持明院宗時が書したものを基 揚が昭和九年(1934)に模写したもの。
の 港 舟 白 は の 雲 八 諸 重 の
来 つ る 浦
も 沖 ふ く 思 急 つ 片 を は ぐ 舟 帆 か ず と 人 の 思
路 の い つ
見 ゆ る 波
標 な く
A038 武者小路實陰 詠草幅 ¥68,000.~
A039 中院通躬 詠草幅 ¥50,000.~ 付時代識箱(杉)
付時代識箱(桐 貼札) 潤塗軸端 49×19 表具52×104 大倉好斎箱書 武者小路實陰(寛文元・1661~元文三・1738)は、江戸時代前・中期 にかけての公卿、歌人。従一位、准大臣に任じられた。
紙本 骨軸端 46×17 表具60×113 スレ ヤケ オレ 穴 シミ 表具シミ、オレ、ヤケ、虫喰、スレ、穴 中院通躬(寛文七・1667~元文四・1739)は通茂の長男、右大臣従一 位、蕃山の高弟、号を歓喜光院とす。
に 山 ふ た か え み 柿 鈎 春 か と ゝ も 春 る し 上 ら 雪 ぬ 式 の 子 た ま 内 ま つ 親 ま の 王 つ と
A040 和歌色紙幅 ¥45,000.~ 付識箱(杉) 紙本 陶磁器軸端 18×21 表具49×105 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ、スレ 筆者不明
A041 冷泉政為 和歌懐紙幅 ¥39,000.~ 紙本 潤塗軸端 45×31 表具59×117 ヤケ シミ スレ オレ 表具大アレ 冷泉政為(文安三・1446~大永三・1523)は公卿、歌人。初名は成為。 足利義政より「政」の字をおくられた。権大納言。後柏原天皇時代の歌壇 で活躍した。
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山 紅 路 葉 忘 散 る る る 陰 旅 に 人 し の 今 袖 日 も 暮 ら し 長 つ 清 つ
A
A043 下冷泉政為 和歌 短冊幅 ¥95,000.~
A044 東坊城長清 和歌 短冊幅 ¥68,000.~ 付識箱(桐
A045 飛鳥井雅章 和歌 A046 本居宣長 和歌短 短冊幅 ¥40,000.~ 付識箱(桐) 冊幅 ¥35,000.~
付識箱(杉 貼札) 紙本 貼札) 大倉好斎極札 紙本 陶磁軸端 5×34 表具26×169 黒塗軸端 5×35 表具30×166 ヤケ シミ 古筆了伴極 ヤケ シミ オレ 冷泉為政(文安三・1446~大永 東坊城長清(永享十二・1440~文 三・1523)公卿、歌人。冷泉持為の子。 明三・1471)は公卿。参議。東坊城 下冷泉家。初名は成為。法名は暁覚。 益長の子。
あ き の こ よ ひ の い く め ぐ り と も
月 な ら で 誰 か は し ら む 君 が 代 に
A047 梶井宮応胤 和歌 短冊 ¥30,000.~ 紙本
A048 有賀長収 和歌短冊幅 ¥30,000.~
付菊盛上短冊挟板 6×8 ヤケ シミ スレ 虫穴補修 畠山牛庵鑑定極書札 梶井宮応胤(享禄四・1531~慶長 三・1598)は伏見宮貞敦親王の第五 王子、後奈良天皇の猶子、梶井宮彦 胤法親王の嗣子。初名は貞斉、のち 還俗して尊悟。号は瑞庵・宗悟・藤 之・昭庵・蜻庵。
付二重箱(内桐) 紙本 黒塗軸端 5×36 表具22×157 ヤケ スレ オレ 表具アレ 有賀長収(寛延三・1750 ~文政元・1818)は大坂生 まれの国学者。有賀長因の 子。初名は長因。号は生志 斎・居貞斎。加藤景範に和 歌を学んだ。
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紙本 牙軸端 6×36 付時代識箱(杉) 紙本 黒塗軸端 表具25×34 ヤケ 表具虫喰 6×36 表具30×104 ヤケ オレ 飛鳥井雅章(慶長十五・ 表具シミ、オレ 1610~延宝 本居宣長(享保十五・ 七・ 1679)は初名雅昭、雅庸の三男、 1730~享和 兄雅宣の順養子、従一位権大納言。 元・ 1801)は国学者、語学者。伊勢松 蹴鞠、書にも秀でた。門弟に北村季 坂の人。号鈴屋、通称彌四郎。賀茂 吟。 真淵に入門、古道研究を志し、『古 事記伝』を完成。
A049 香川景樹 夏風短冊幅 ¥20, 000. ~ 紙本 黒塗軸端 5×34 表具19×143 ヤケ シミ スレ
A050 香川景樹 和歌短冊幅 ¥25, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 朱塗軸端 6×35 表具26×149 ヤケ オレ シミ
香川景樹(明和五・ 1768~天保十四・ 1843)は歌 人。号は桂園。鳥取の人。家集に『桂園一枝』ほか。
A051 賀茂季鷹 二行書幅 ¥20,000.~ 付識箱(桐) 絹本 牙軸端 42×131 表具56×216 ヤケ シミ スレ 雲夢箱書 賀茂季鷹(宝暦四・ 1754~ 天保十二・ 1841)は京都上賀 茂の祠官、江戸後期の歌人。 号雲錦亭、初め有栖川職仁 親王に入門し歌を学んだの ち江戸で加藤千蔭など多く の歌人、文人と交わった。
A
A052 手鑑筆林集 ¥800, 000. ~ 付溜塗箱(桐) 31×41 一条院宮真敬親王外題 一乗院宮真敬親王(慶安二・1649 ~宝永三・1706)後水尾天皇の第十 六皇子。俗名は常淳、富宮、字は正 覚。また書、詩文もよくした。
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A
A054 新六歌仙和歌小色紙画帖 ¥100, 000. ~ 付時代箱(桐) 21×25×4 古筆了音折紙 新六歌仙絵(集信画) 「新六歌仙御筆者 後京極 近衛関白太政大臣基凞 慈鎮 右御同筆 俊成 妙法院宮堯恕親王 西行 随心院御門主俊海大僧正 定家 三寶院御門 主髙賢大僧正 家隆 大乗院御門主信雅大僧正 以上 右芳翰無疑者也 古筆了音」折紙
A055 歌仙源兼昌 歌賛幅 ¥38, 000. ~ 紙本 黒塗軸端 25×32 表具33×134 大ヤケ 大シミ スレ オレ 剥離
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A056 狩野永岳 六歌仙画 賛額 ¥20,000.~ 紙本 27×95
A057 花山院家厚 松竹画賛双幅 ¥45,000.~
付識箱(杉) 絹本 骨軸端 37×99 表具50×197 ヤケ シミ 花山院家厚(生年不詳~文久二・1862)は公卿。愛徳の子。従一位 額51×125. 5 内大臣。 狩野永岳(寛政二・ 1790~慶応三・ 1867)は京狩野家九代。字公嶺、号山梁、 脱庵ほか、通称縫殿助。
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A058 冷泉為則 和歌懐紙幅
A059 中院通茂 詠草幅 ¥25,000.~
A060 正親町實連 和歌懐紙幅
¥30, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 43×30 表具45×120 ヤケ シミ スレ オレ 冷泉家は藤原定家の流れを伝えた和歌師範家 の一つ。為則は、十七代上冷泉為章の息子。
紙本 黒塗軸端 47×16 表具49×98 ヤケ 薄シミ スレ オレ 表具オレ、穴 中院通茂(寛永七・1630~宝永七・1710)は公 卿。通純の子。法号渓雲院。権大納言、従一位。 通村(祖父)と直純(父)に和歌を学んだ。また 徳川光圀と交友す。著書に『渓雲問答』など。
¥20, 000. ~ 付時代識箱(杉) 黒塗軸端 46×34 表具59×121 ヤケ シミ 穴 表具アレ 一位 正親町實連(享保五・1720~享和二・1802)は 公家。正親町公通の末子。権大納言従一位。
の ひ 意 さ さ か よ り り の 牒 野 や 有 ふ た り
A061 小澤芦庵 懐紙幅 ¥20,000.~ 付木箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 43×30 表具55×115 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ、ヤケ、スレ 小澤芦庵(享保八・1723~享和元・1801)は難 波生まれの歌人、国学者。本名は玄仲。別号に観 荷堂・図南亭など。冷泉為村に和歌を学んだ。平 安和歌四天王の一人。
A062 横井也有 和歌色紙幅
A063 賀茂季鷹 和歌懐紙幅 ¥20, ¥20, 000. ~ 紙本 紙包軸端 17×19 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 潤塗軸端 表具25×121 スレ ヤケ オレ シミ 43×31 表具45×105 ヤケ シミ スレ 表具スレ、穴 野有とあるのは也有か。 表具虫喰 横井也有(元禄十五・1702~天明三1783)は横 賀茂季鷹(宝暦四・ 1754~天保十二・ 1841)は京都 井家(尾張藩重臣)に生まれ、名時般、字伯懐、 上賀茂の祠官、江戸後期の歌人。 通称孫右衛門。別号野有・順寧・知雨亭・半掃 庵など。
A064 鷲尾隆純 和歌色紙幅 ¥20,000.~
A065 子日和歌幅 ¥20,000.~
付識箱(桐) 絹本 黒塗軸端 21×24 表具51×127 スレ 穴 太巻 嵯峨書道学院長(旧大覚寺書道学 校)竹内香邨箱書 五色色紙ノ内 鷲尾隆純(安永四・1775~安政四・1857)は公卿。
紙本 黒塗軸端 38×23 表具46×135 ヤケ シミ スレ 地よう覚
A066 蘇芳染中啓 ¥20,000.~ 付識箱(桐) 総長32 スレ
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A
A068 青貝机 ¥50,000.~ 81×40×26
A069 菊桐紋野弁当
ウキ 剥離 スレ メクレ
A071 木彫獅子頭 ¥20,000.~
A072 瓦製撫牛 ¥20,000.~
14×16×10 虫喰
30×16×13
A074 古今雛 一対 ¥90,000.~ 付時代箱(杉) 男像高30 剥離
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A070 菊唐草蒔絵喰籠
¥30, 000. ~ 付木箱(桐) 28×10×23 アタリ
¥20, 000. ~ 付時代識溜塗箱(桐 貼札) 1. 5×15×14 合口不具合 内朱
A073 古今雛 一対 ¥40,000.~ 付時代識箱(杉) 男像高18ほか
A075 裸嵯峨人形 ¥250,000.~ 総長23 スレ カケ
A076 円山應挙 根曳松枝画賛幅 ¥100,000.~ 付時代識箱(桐) 紙本 牙軸端 45×27 表具58×112 ヤケ シミ 円山應挙(享保十八・ 1733~寛政七・ 1795)は諱は氐、のち應挙。号は一嘯・夏 雲・仙嶺・僊斎。通称主水、字仲選。京都に出、石田幽汀につき狩野派を学ぶ。 また眼鏡絵制作に関わり透視図法を習得。 賛:小堀政方宗友(寛保二・1742~享和三・1803)は遠州流七代。五代小 堀政峯宗香の七男。初名政弥。
A A077 山口素絢 新春仮装踊画幅 ¥35, 000. ~ 付識箱(桐 貼札) 紙本 61×40 表具71×130 ヤケ シミ オレ 山口素絢(宝暦八・ 1758~文政元・ 1818)は字伯陵、通 称武次郎、別号山斎。円山應挙に師事。應挙十哲の一人。
A078 栄保 氷魚紅葉歌賛幅 ¥40, 000. ~ 付時代箱(杉 貼札) 紙本 黒塗軸端 56×34 表具61×120 ヤケ オレ 虫穴補修 表具オレ 橘千蔭歌賛
年 こ へ て 今 春 と こ ゆ く 身 か な 也 有
A079 万歳画賛幅 ¥40, 000. ~ 付時代識箱(杉) 絹本 骨軸端 30×92 表具 42×174 ヤケ シミ スレ オレ 僧鶴齋萬歳之図也有賛酒本有二幅 箱識 画:齋雄 賛:横井也有(元禄十五・1702~ 天明三1783)は横井家(尾張藩重臣) に生まれ、名時般、字伯懐、通称孫 右衛門。別号野有・順寧・知雨亭・ 半掃庵など。歌名暮永、漢詩名蘿隠、 狂歌名螻丸。
A080 浮田一蕙 桧扇 に菊綿画幅 ¥35,000.~
A081 清江弘定 時鳥歌賛幅 ¥20,000.~
絹本 牙軸端 34×97 表具46×182 ヤケ シミ 穴 古香宗羝審定箱識 重陽 浮田一蕙(寛政七年・ 1795~ 安政六年・ 1859)は復古大和絵 派の画家。京都の人。名は公信、 のち可為、豊臣を称す。別号に 昔男精舎。画を土佐光孚、田中 訥言に学ぶ。
絹本 骨軸端 28×96 表具40×181 ヤケ シミ 虫穴 表具虫喰 季巌□賛
A082 饗応膳次第巻 ¥48,000.~ 紙本 549×30 表具569×30 ヤケ シミ オレ 天和元(1681)年奥付
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佛家 B001 木彫漆箔阿弥陀如来坐像 ¥450, 000. ~ 像高52
B
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B
B002 阿弥陀三尊来迎画幅 ¥280,000.~ 付時代識箱(桐) 絹本 唐木軸端 38×97 表具54. 5×183 ヤケ シミ スレ オレ 穴
B003 十三佛画幅 ¥100,000.~ 付識箱(桐) 絹本 金軸端 26×52 表具37×97 大ヤケ シミ スレ 伝恵信僧都源信筆
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B
B005 木彫彩色飛天飾 六 ¥700,000.~ 大89×40ほか 剥離 天保十四(1843)年墨書
B006 薬師如来坐像 ¥250,000.~ 像高24.5 総高71.0 玉眼
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B
B007 木彫聖観音立像 ¥250,000.~ 像高48 総高90 右天衣欠 右手指先カケ
B008 木彫阿弥陀如来坐像 ¥170,000.~ 付黒塗厨子 厨子29×25×70 像高19 総高58 厨子前金具欠 玉眼
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B
B010 木彫彩色子安地蔵尊立像 ¥200,000.~ 像高43 玉眼 胎内佛
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B011 木彫神将立像 ¥290,000.~ 総高129
B
B012 銅造十一面観音立像 B013 銅造千手観音菩薩 ¥45, 000. ~ 総高22 立像 ¥25, 000. ~ 総高6. 8
B016 弁才天十五童子画幅 ¥350,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 絹本 金軸端 32×58 表具45×115 ヤケ シミ スレ 安政五(1858)年再開眼(比丘法雨)巻止
B014 銅造普賢菩薩坐像 ¥20, 000. ~ 総高6
B015 銅造菩薩立像 ¥20, 000. ~ 総高8. 5
B017 不動明王二童子画幅 ¥250,000.~ 付時代識箱(桐) 絹本 金軸端 50×102 表具70×186 スレ ヤケ シミ
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B
B019 銅造僧形立像 ¥20, 000. ~ 像高7 緑錆
B020 銅造地蔵立像 ¥27, 000. ~ 総高4. 5
B021 銅造合掌立像
B022 銅造子安観音像
¥20, 000. ~ 像高6
¥20, 000. ~ 総高5
B023 興福寺千体 佛立像 ¥600, 000. ~ 付識箱(桐) 像高37 総高46
B024 木彫千体佛立像 ¥250,000.~ 付厨子 像高33 総高67 厨子36×21×81
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B
B025 銅造如来立像 ¥20, 000. ~ 総高5. 3 白傳作背面刻字
B026 銅造如来坐像 ¥20, 000. ~ 総高4
B027 銅造不動明王 立像 ¥20,000.~ 総高4
B028 塼佛如来坐像 ¥20, 000. ~ 総高6. 8
B030 不動明王八大童子曼荼羅画幅 ¥150,000.~ 付時代識箱(桐) 金軸端 51×50 表具66×132 描表装(一軸式) 紺青色の体色に、目を天地眼とし、右下と左下の牙で唇を咬み、右手 に剣、左に羂索を持して瑟瑟坐に結跏趺坐する。不動明王を中尊に、頭 上に阿耨童子を据え、時計回りに矜羯羅、指徳、制 迦、慧光、烏倶姿 、 慧喜、清浄比丘の各童子を四方に配す。不動明王の眷属である八大童子 は不動明王の働きを助ける眷属を案出したもので、中国で撰述された 『聖無尊一字出生八大童子秘要法本』を典拠にし、儀軌としては鎌倉時 代の『覚禅抄』に定形を確かめる。掲出はそれらの儀軌をもとに形成さ れた曼荼羅とみられる。曼荼羅部を金地とし、表具は一軸の描表具とす る。作期には江戸中期を設定したい。
B029 愛染明王画像幅 ¥200,000.~ 付二重箱(内桐) 絹本 金軸端 55. 5×104 表具72×187 シミ スレ オレ キレ
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B
B032 木彫誕生佛 ¥30, 000. ~ 像高14 総高18
B033 木彫象 ¥20,000.~ 6. 5×3×5 普賢菩薩台坐
B034 木彫馬頭観音立像 ¥20, 000. ~ 総高25
B035 木彫三面金剛立像 ¥20, 000. ~ 総高23
B036 東大寺八幡経 一巻 ¥1,200,000.~ 紙本 鎌倉彫軸端 872×27 表具893×27 虫穴 大般若経第三百三十三 初分善学品第五十二之三 東大寺八幡社墨印
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B
B037 銅造掛佛 ¥50,000.~ 像高10 鍛銅
B038 銅造十一面観音掛佛 ¥40, 000. ~ 像高4. 2 鏡面6. 5×8
B039 銅造十一面観音掛佛 ¥25, 000. ~ 総高5. 3 緑錆
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B
B041 単弁古瓦 ¥50,000.~ 16.5×16 伝和泉禅寂寺 口碑である禅寂寺古瓦の伝承については確証をもつものではない。 ながら、禅寂寺は飛鳥時代の創建を誇る古寺であり口碑を是とした。 八葉素弁のそれは、本朝の瓦史のなかで最古期に位置するもので、素 文縁花弁端剣突形に分類されよう。
B043 百萬塔 ¥800,000.~ 付木箱(桐) 陀羅尼断簡(自心印陀羅尼部分) 9×9×21 南伝経文
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B042 銅造掛佛 ¥80,000.~ 37×37 像高15.5 十一面観音菩薩
B
B044 乾漆御正体 ¥80,000.~ 62×66 定印弥陀
B045 塑像菩薩頭 ¥45,000.~ 像高7.5
B046 三蔵国師画額 ¥200,000.~ 絹本 36×75 額47×93
B047 弘法大師肖像画幅 ¥150,000.~ 付木箱(桐) 絹本
ヤケ シミ スレ 真言八祖ノ内
金軸端 35×73 表具47×141 ヤケ スレ オレ キレ 穴
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B
B049 木彫普賢菩薩坐像 ¥200, 000. ~ 厨子6×4. 5×10. 5 像高4 宝輪唐草厨子 念持佛
B050 黒漆厨子 ¥125,000.~ 36×23×24
B051 黒漆厨子 ¥50,000.~ 41×31×96
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B
B053 銅造鰐口 ¥68,000.~ 28×5.5×26 半打耳 万治三(1660)庚子八月吉日…薬師如来…
B054 正徳年銘鰐口 ¥45,000.~ 26×9.5×24 正徳六(1716)丙申歳四月吉日奉掛御宝前釜沢村長重郎
B052 銅造阿弥陀如来立像 ¥350,000.~ 付識箱(杉) 飾台 像高31 総高37.5 B055 六字名号魔鏡 ¥60,000.~ 23.5×23.5 P151 (追記)を参照いただきたい。
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B B057 銅鍍金五鈷杵 ¥150,000.~ 付識箱(桐) 総長14.5
B058 玉峰 涅槃画大幅 ¥350,000.~ 付時代識箱(杉) 絹本 金軸端 90×89 表具104×170 ヤケ シミ オレ
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B059 写経幅 ¥145,000.~ 付木箱(桐) 紙本 雑木軸端 47×25 表具58×108 ヤケ シミ スレ 表具大アレ、穴
B
B060 釈迦十六羅漢画幅 ¥120,000.~ 付木箱(桐) 絹本 金軸端 54×103 表具70×194 ヤケ シミ スレ オレ キレ 穴
B061 普賢菩薩画幅 ¥165,000.~ 付時代識箱(桐) 絹本 金軸端 35×87 表具51×170 シミ スレ オレ 表具シミ、オレ、ヤケ、虫喰、穴 文化乙亥(十二年・1815)開眼紙片 不明印二顆
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B
B063 銅鍍金浄瓶 ¥150,000.~ 付木箱(杉) 飾台 10×8×22 三部式
B064 銅造華原磬 ¥100,000.~ 10×11×19 一対四匹の龍が絡み合って、その胴間に鉦鼓を吊るし、獅子の背を台 座とする。興福寺の重宝として名高い国宝華原磐(唐代)を中世(室町こ ろ)に小型に模した作品とみられる。『金光明最勝王経』の「夢見金鼓懺 悔品」に基づいて形成されたとみられる。国宝は当初の部材の一部を喪 失していることが、『七大寺巡礼私記』の記述などで確かめられており、 掲出は眼前の国宝を手本にしている。
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B065 箔鍍金華龍 ¥50,000.~ 27.5×27.5×2 牡丹唐草文
B066 銅造金剛盤 ¥85,000.~ 28×20×5 鎌倉
B
B067 持蓮華形 舎利器 ¥35, 000. ~ 付舎利三 総長16 水晶板ワレ 柄部ヒビ
B068 文覚上人 消息幅 ¥380,000.~ 付時代箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 47×27 表具58×117 表具スレ 古筆了意極札二 川勝宗久極札 文覚は平安末~鎌倉初期の真言宗の僧。俗名遠藤盛遠、もと北面の武士で誤って袈裟御前を殺し出家。熊野で苦行、 源頼朝の挙兵に尽力。のち頼朝の帰依を受け荒廃した高尾神護寺を再興する。一時大いに権勢を振るうが、幕府を批 判し佐渡のち対馬に流される。
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※総高には地中部も含まれています。 ※石造品等、重量物の送料はお問い合わせください。
B
B070 石造地蔵菩薩
B071 石造烏枢沙摩明王像 B072 石造浮彫五輪塔
¥35, 000. ~ 総高68 ¥35, 000. ~ 28×20×60 接合補修
B074 松花堂昭乗 寒山拾得団扇画幅 ¥190,000.~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 34×27 表具41×111 ヤケ シミ スレ オレ
¥30, 000. ~ 総高78
B073 石造五輪塔 ¥30, 000. ~ 総長66 寛永二十(1643)年刻字
B075 松花堂昭乗 諸歌人和歌書巻 ¥188,000.~ 付識箱(桐) 絹本 牙軸端 365×24 表具412×24 ヤケ シミ 平木清光識
松花堂昭乗(天正十二・ 1584~寛永十六・ 1639)は学僧、書画家。堺の人。俗名中沼式部、号に惺々翁、空識、晩年に松花堂と号した。男山岩清水八幡宮の 瀧本坊に住した。
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B
B076 石造坐像 ¥20, 000. ~ 総高38
B077 石造坐像 ¥30, 000. ~ 総高50
B080 松花堂昭乗 消息幅 ¥150,000.~ 付識箱(桐) 紙本 牙軸端 45×38 表具48×112 ヤケ シミ スレ オレ 堀江知彦箱識 昭和五十三(1978)年 皆川山城宛
B078 石造坐像 ¥20, 000. ~ 総高45
B079 石造坐像 ¥20, 000. ~ 総高40
B081 松花堂昭乗 和漢朗詠集断簡幅 ¥95,000.~ 付識箱(桐) 絹本 雑木軸端 84×27 表具89×136 早秋
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B B083 僧形立像 ¥30,000.~ 像高71 総高79 大破
B086 木彫不動明王 二 ¥20,000.~ 付黒塗厨子 像高3. 5ほか 総高12. 5ほか 大厨子6. 5×5×11
B089 木彫地蔵菩薩立像 ¥20,000.~ 像高15 総高22
B092 五鈷鈴 鈴 三 ¥20,000.~ 大6×6×14ほか 五鈷鈴二 鈴
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B084 灰佛曼荼羅 ¥40,000.~ 板27×44 薄板に立姿合掌菩薩三、坐像二を貼りつける
B087 銅鍍金地蔵尊 ¥30,000.~ 付厨子 厨子6. 5×5. 5×14 総高9. 5
B090 木彫合掌僧形像 ¥20,000.~ 像高19 虫喰 底部墨識(不読)
B093 白銅五鈷鈴 ¥45,000.~ 6. 5×6. 5×17
B085 黒塗厨子 三 ¥20,000.~ 大29×23×63ほか
B088 銅造菩薩坐像 ¥30,000.~ 厨子15×7×22ほか
B091 不動明王懐中佛 ¥20,000.~ 4×5×2
B094 銅造三鈷杵 ¥25,000.~ 総長13
B B095 銅造火舎香炉 ¥30,000.~ 12×12×13
B098 銅造水注 ¥20,000.~
B096 白銅御飯器 二 ¥20,000.~ 8. 5×8. 5×7 長恵針銘
B099 銅造佛花器 ¥28,000.~
22×17. 5×22 蓋欠 孔補修
B101 銅造小鰐口 ¥20,000.~
12×12×18 室町
B097 銅造小銚子形 ¥20,000.~ 11×7. 5×12 油次か
B100 銅造佛花器 ¥20,000.~ 付合箱(桐) 13×13×16
B102 銅造宝珠 ¥22,000.~ 9×8×18
B103 鍍金不明具 ¥20,000.~ 6×3
B105 百万遍念珠 ¥30,000.~
B106 銅造六器 ¥20,000.~
16×6×14
B104 蓮弁形佛飯器 一対 ¥20,000.~ 15×15×30
付念珠桶(ワレ) 総長485 長尾山上生寺什物
鋺7×7×3ほか
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B
B108 親鸞聖人肖像画額 ¥25,000.~ 絹本 48×105 額74×173 ヤケ シミ 文化十二(1815)年 正覚寺 釈達如
B109 末廣雲華 蘭画賛幅 ¥25, 000. ~ 付識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 28×103 表具37×183 ヤケ 七十二翁
B110 高僧絵伝断簡額 ¥30,000.~ 絹本 28×14 額39×30
B111 親鸞 六字名 号幅 ¥190,000.~ 付古筆籟山折紙 紙本 金軸端 17×55 表具30×99 大ヤケ シミ スレ オレ 剥離 常楽寺覚極書 親鸞(承安三・1173~弘長 二・1262)は浄土真宗(一向 宗)の開祖、日野有範の子。 はじめ比叡山で天台宗を、建 仁元(1201)、法然の弟子とな り浄土教を学んだ。承元元 (1207)、専修念仏禁止の弾圧 によって越後国府へ流罪とな り、この間に恵信尼と結婚、 のち赦免され関東に移住し、 布教活動を展開した。
B112 親鸞上人絵伝画幅 ¥100,000.~ 付木箱(桐) 絹本 金軸端 77×132 表具80×192 ヤケ シミ オレ
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蓮家 B113 法華髭曼荼羅 九 ¥30,000.~ 付時代識箱(杉) 紙本 36×48 表具49×127 ヤケ シミ スレ オレ 文政六(紺紙) 文政八 萬延元年 文政十一 天保十四 天明五 嘉永二 安政五 文化七
B114 元政 和歌懐紙幅 ¥30,000.~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 41×30 表具48×110 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ、ヤケ、虫喰 元政(元和九・ 1623~寛文八年・ 1668)は日蓮宗 の学僧。
追記
B115 木彫彩色日蓮坐像 ¥30,000.~
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B116 日審 板本尊 ¥20,000.~
像高22 総高26 玉眼
付日皓折紙 8×18 安産守護 寛文三(1663)年五月二十三日
左 「 天 禄 元 ( 癸 ) ( 巳 ) 暦 八 月 □ □ 」
中 「 梵 字 ( キ リ ー ク ) 為 □ □ 菩 提 ( 伊 ) ( 藤 ) ・ ・ ・ 」
右 「 奥 州 ( 岩 ) 井 郡 東 山 之 ( 住 ) 」
B052 銅造阿弥陀如来立像 素朴にして古態を心象させる。頭頂から台座の下の丸臍まで を中空とせず一鋳する。時代を経た古作の台が添うが、当初から ではない。背部に三行に分け刻んだ銘文が刻まれる。ただし、銘 文は漆で封印されていた形跡もあり全文の完読は適わず、誤読 の可能性も否定しない。 銘文のなかで最も注目されるのは「天禄元(970)」の部分である。 旧蔵者の箱書きに従うものだが、干支に照らすと「天福元(1233)」 の可能性も浮かぶ。金石学的な判断に委ねたい。
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B119 慈雲 一行書幅 ¥600,000.~ 付識箱(桐) 紙本 黒塗軸端 長栄寺添状 27×124 表具30×200 ヤケ 表具シミ 百艸頭上祖師意
B120 慈雲 一行書幅 ¥220,000.~ 付識箱(桐 貼札 ヨゴレ) 牙軸端 28×127 表具31×198 大僧正二柊胤箱識
慈雲(享保三・ 1718~文化元・ 1804)は真言宗の僧、名飲光、号葛城山人、大阪中之島生まれ、十三歳で河内の真言宗法薬寺で出家、また伊藤東涯に儒学を 学んだ。後に長栄寺、桂林寺などを歴任、晩年は大阪南河内葛城山中の高貴寺に住した。
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B121 円空 翡翠画幅 ¥40,000.~ 紙本 骨軸端
B122 版経断簡額 ¥30,000.~ 紙本 26×24 額40×38 ヤケ 虫穴
47×27 表具58×98 ヤケ シミ スレ オレ 表具穴 御室御所大僧都圓空
B123 松花堂昭乗 自像自画賛幅 ¥190,000.~ 付二重箱(内時代識桐 貼札) 紙本 26×79 表具37×153 ヤケ オレ 薄シミ 表具 シミ、穴 有馬頼底(色紙書付) 松花堂昭乗(天正十二・ 1584~寛永十六・ 1639)は学僧、書画家。堺の人。 俗名中沼式部、号に惺々翁、空識、晩年に松花堂と号した。男山岩清水八 幡宮の瀧本坊に住した。
B124 龍山 三師画賛幅 ¥100,000.~ 付識箱(杉) 絹本 唐木軸端 29×78 表具34×159 ヤケ シミ オレ 東陽賛
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B126 伝西行仮名 書幅 ¥375,000.~ 付識箱(桐) 紙本 牙軸端 40×27 表具51×101 ヤケ シミ スレ 印金風帯一文字、 料紙は佛典の背紙。 西行(元永元・1118~ 建久元・1190)は平安後期 の歌人。姓は佐藤、名を義 清、法名を円位。鳥羽上皇 の北面の武士として仕え るが、後出家する。和歌に 励み、諸国を遍歴、佛教観 を基とし独自の抒情歌を 確立する。家集に『山家 集』などがある。
B127 阿佛尼消息幅 ¥330,000.~ 付時代識箱(桐) 牙軸端 50×25 表具59×105 古筆了信極札 阿佛尼(生年未詳~弘安六・1283)は、鎌倉中期の女流歌人。平繁盛の養女。剃髪して阿佛尼とい う。安嘉門院に仕え、後に藤原為家の側室。冷泉為相、為守を生む。建治三年(1277)為相の領地相 続問題訴訟に鎌倉へ下る。著に『十六夜日記』『うたかたの記』。
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B129 山越阿弥陀大幅 ¥70, 000. ~ 絹本 金軸端 71×133 表具88×175 スレ オレ ヤケ シミ
B128 祐天上人 名号書幅
B130 徳本 肖像名号賛幅
B131 涌蓮 和歌短冊幅 ¥33,000.~
¥95, 000. ~ 付時代識箱(桐) 紙本 唐木軸端 16×44 表具29×90 ヤケ 大シミ 祐天上人(寛永十四・1637~享保三・1718)は 陸奥国生まれの浄土宗の僧。江戸増上寺三十六 代。字は愚心、号は明蓮社顕誉。奈良大仏殿、鎌 倉大仏殿等の修復に尽力した。
¥60, 000. ~ 紙本 唐木軸端 28×60 表具40×131 大ヤケ シミ スレ オレ 剥離 表具大シミ、オレ、穴 徳本(宝暦八・1758~文政元・1818)江戸時代後 期の浄土宗の僧。姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。 徳本上人、徳本行者とも呼ばれた。
付時代識箱(杉 貼札) 紙本 黒塗軸端 5×37 表具29×125 ヤケ シミ スレ オレ 涌蓮(正徳五・ 1715~安永三・ 1774)は伊勢生ま れの真宗高田派の僧。のち京都建仁寺の福聚院 に住し、晩年は天龍寺内に隠樓。名慧亮、字達空、 嵯峨居士。冷泉為村に師事。
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B133 江月宗玩 消息幅 ¥185,000.~ 付識箱(杉 貼札) 紙本 黒塗軸端 44×33 表具45×101 ヤケ シミ スレ オレ 表具スレ 堀田正盛宛 年末詳七月十五日 江月宗玩(天正二・ 1574~寛永二十・ 1643)は禅僧、大徳寺百 五十六世。別号欠伸子ほか。津田宗及の子。
B134 一休宗純 偈頌書幅 ¥250, 000. ~ 付時代箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 54×29 表具56×115 ヤケ シミ スレ オレ 剥離 永正三(1506)年 一休宗純(明徳五・ 1394~文明十三・ 1481)は室町 中期の禅僧。京都生まれ。別号狂雲子ほか。文明六 年大徳寺四十七世となるもすぐに退寺。没後大徳 寺に真珠庵が建てられた。
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B135 澤庵宗彭 一行 書幅 ¥300,000.~ 付二重箱 (内識桐 外黒塗) 太巻 紙本 牙軸端 22×117 表具24×198 ヤケ スレ 大徳寺明覚箱識 山色清浄… 澤庵宗彭(天正一・ 1573~正保 二・ 1646)は臨済宗の僧。但馬国 出石の人。一凍紹滴の法嗣、大徳 寺第百五十三世。寛永六年紫衣 事件で出羽に流されたが後帰洛。 品川に東海寺を開いた。
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B136 澤庵宗彭 一行書幅 ¥270, 000. ~ 付時代箱(桐) 紙本 牙軸端 27×95 表具 29×172 ヤケ オレ 表具スレ 道休極書付 雨牧山岳青
B138 澤庵宗彭 消息幅 ¥145,000.~ B137 一休 細字幅 ¥120,000.~ 付時代箱(杉 貼札 損傷) 絹本 牙軸端 47×28 表具58×104 大ヤケ シミ スレ オレ キレ 表具大アレ、大シミ、オレ、ヤケ、穴、ヤブレ、虫喰、 背面大アレ 真珠庵宗教折紙
付時代合箱(桐) 紙本 黒塗軸端 40×29 表具43×116 ヤケ シミ スレ オレ 十二月二十八日付 澤庵より今井宗呑に宛てた歳暮礼状。 今井宗呑(生年不詳~元和九・1623)は商人、茶人。
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B139 澤庵宗彭 一行 書幅 ¥290,000.~
B140 澤庵宗彭 一行 書幅 ¥290,000.~
付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 24×116 表具26×180 スレ ヤケ オレ シミ 表具スレ
付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 24×116 表具26×183 ヤケ シミ スレ 宗通箱識
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心 住 か 水 伐 人 く 志 乃 連 ら 家 ぬ を 物 多 に 々 ぞ 具 有 水 け る ハ
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B142 大綱宗彦 和歌幅 ¥100,000.~ 付木箱(モミ 貼札) 紙本 黒塗軸端 46×31 表具48×114 ヤケ 大綱宗彦(安永元・1772~安政七年・1860)は大徳寺第四百三十五世。 同寺塔頭黄梅院第十四世。昨夢、空華室と号したのち、向春庵と称し、和 歌や茶の湯をよくし書画に優れた。裏千家の玄々斎千宗室や表千家の吸 江斎千宗左、武者小路千家の全道宗守らと親交し、茶道界の発展に尽力 した。
B143 宗邨 澤庵壁書幅 ¥98,000.~ 付時代箱(桐) 朱塗軸端 40×26 表具42×97 ヤケ シミ スレ オレ 壁書一節 澤庵巻止貼紙 元和酉(七・1621) 宗邨は不明
B145 狩野 安信 牛背偏 愛牡丹花肖柏 画賛幅
B144 澤庵宗彭 一行書幅 ¥290, 000. ~ 付二重箱 (内貼札識桐 外溜塗) 紙本 黒塗軸端 26×109 表具28×196 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ 補墨 森山清涼箱識 澤庵宗彭(天正一・ 1573~正保二・ 1646)は 臨済宗の僧。但馬国出石 の人。一凍紹滴の法嗣、 大徳寺第百五十三世。寛 永六年紫衣事件で出羽 に流されたが後帰洛。品 川に東海寺を開いた。
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¥170, 000. ~ 付時 代識箱(杉 貼札) 紙本 骨軸端 28×92 表具 30×171 ヤケ シミ スレ オレ 表具大シミ 玉舟宗?賛 狩野安信(慶長 十八・ 1613~貞享二 ・ 1685)は狩野家八 代、中橋狩野家初 代。徳川幕府の奥 絵師。孝信の三男、 京都の人。名四郎 二郎、号永真、牧心 斎。寛永、承応、寛 文、延宝の各造営 の内裏襖絵制作に 参加。寛文二年法 眼。画論『画道要 訣』がある。
今 夜 な が る ゝ
花 さ く 月 や
日 の 夲 も 一 夲 に
も ろ こ し も わ が
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B146 宙宝宗宇 書幅 ¥95,000.~ 付識箱(杉 貼札)
B147 明堂 羊画賛幅 ¥50,000.~ 付木箱(桐) 黒塗軸端
紙本 竹軸端 48×68 表具51×124 ヤケ シミ スレ オレ 宙宝宗宇(宝暦十・1760~天保九・1838)は臨済宗の僧、大徳寺四百 十八世。塔頭芳春院第十三世住職。号に洛陽人、松月老人、松月叟など。
42×27 表具52×109 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ、ヤケ 明堂(明和五・1768~天保八・1837)は丹波生まれの臨済宗の僧。大 徳寺四百二十九世。諱は宗宣。号に舂米子・返照山人など。
B149 江月 宗玩 一行書幅
B148 春屋宗園 一行 書幅 ¥480,000.~ 付二重箱 (内時代識桐 貼札) 紙本 牙軸端 20×105 表具22×179 スレ ヤケ オレ シミ 立花大亀箱書 筒井紘一『茶掛 の一行書』講談社平成十一 (1999)所載 春屋宗園(享禄二・1529~慶 長十一・1611)は大徳寺百十一 世。俗姓を園部氏、諱を宗園、 号を一黙子とした。春屋の法を 嗣ぐものに玉室宗珀、江月宗玩 などがおり、また、近衛信尹、 信尋は春屋に参禅し、千利休、 古田織部、小堀遠州などはその 俗弟子となった。京都の人。
¥290, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 牙軸端 28×104 表具30×182 ヤケ シミ オレ 表具虫喰 逸春関浅箱識 江月宗玩(天正二 ・ 1574~寛永二十・ 1643)は禅僧、大徳 寺百五十六世。別号 欠伸子ほか。津田宗 及の子。笑嶺宗?の ち春屋宗園に師事。 方丈再興等、大徳寺 の復興に尽力。また 龍光院内に茶室孤 篷庵を開く。墨蹟の 鑑定に長じ、『江月 和尚墨蹟手写』があ る。
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B151 仙厓義梵 富士月画賛幅 ¥90,000.~
B152 湘南宗沅 書幅 ¥39,000.~ 付木箱(杉 蓋欠)
付時代合箱(桐) 紙本 牙軸端 38×62 表具52×210 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ 仙厓義梵(寛延三・1750~天保八・1837)は画僧。臨済宗妙心寺派。美 濃武儀郡の人。僧名は義梵。寛政元年筑前聖福寺第百二十三世住持とな る。飄逸な画風で知られる。
紙本 唐木軸端 享徳乙亥大徹添書 31×25 表具46×103 ヤケ シミ スレ オレ 剥離 表具オレ 宮西玄性箱識 湘南宗沅(寛永十四・1637~享保元・1716)は大徳寺二百六十世。大 仲宗 の法を嗣ぐ。自号は片雲。龍源門下瑞峯派。
B153 江雪宗立 三字一行幅 ¥280,000.~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 28×128 表具31×207 大ヤケ シミ スレ オレ 関不徹 江雪宗立(文禄四・ 1595~寛 文六・ 1666)は大徳寺百八十一 世。自号は不如無、破鞋子、枯 髏子。
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B154 春屋宗園 書幅 ¥260,000.~ 付木箱(桐 貼札) 大倉汲水極札 紙本 牙軸端 31×21 表具41×105 スレ ヤケ オレ シミ 表具オレ、虫喰 王舟宗璠書中極書 春屋宗園(享禄二・1529~慶長十一・1611)は大 徳寺百十一世。俗姓を園部氏、諱を宗園、号を一黙子とした。春屋の法 を嗣ぐものに玉室宗珀、江月宗玩などがおり、また、近衛信尹、信尋は 春屋に参禅し、千利休、古田織部、小堀遠州などはその俗弟子となっ た。京都の人。
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B155 木彫達磨 ¥20,000.~ 像高13.5 墨書 水滴彫銘
B156 開田大義 書幅 ¥20,000.~ 紙本 雑木軸端 39×28 表具52×112 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ 曹洞宗
B157 江雪 書幅
B158 没倫紹等 一行書幅 B159 大綱宗彦 瓢画賛幅 B160 大綱宗彦 二行書幅
¥130, 000. ~ 付時代溜塗箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 27×97 表具29×173 ヤケ シミ スレ オレ 黒田家 寛文元(1661)年 江雪宗立(文禄四・1595~寛文六 1666)沢庵宗彭、江月宗玩に師事。別 号に不如子、破鞋子等。
¥120, 000. ~ ¥120, 000. ~ 付時代識箱(杉) ¥100, 000. ~ 付木箱(桐 シミ) 付時代識箱(桐 貼札) 牙軸端 紙本 黒塗軸端 29×72 紙本 黒塗軸端 29×111 表具35×163 ヤケ シミ オレ 表具33×190 八十二才 22×113 表具34×189 八十七翁 没倫紹等(生年不詳~明応元・ 1492)は臨済宗の僧。別号に墨斎・拾 大綱宗彦(安永元・1772~安政七年・1860)は大徳寺第四百三十五世。同 堕など。一休宗純の法をついで酬恩 寺塔頭黄梅院第十四世。昨夢、空華室と号したのち、向春庵と称し、和歌や 庵の住持となり、のち大徳寺内に真 茶の湯をよくし書画に優れた。裏千家の玄々斎千宗室や表千家の吸江斎千 珠庵をひらいた。 宗左、武者小路千家の全道宗守らと親交し、茶道界の発展に尽力した。
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B162 石室善玖 一行書幅
B163 白隠慧鶴 六字一行書幅 B164 伝菴宗器 夢蝶画賛幅 ¥230, ¥190, ¥95, 000. ~ 付時代溜塗箱(桐 貼札) 紙本 000. ~ 付識箱(桐 貼札) 紙本 000. ~ 付時代識箱(杉 貼札) 紙本 牙軸端 古筆了泉極札 23×123 表具35×199 朱塗軸端 22×87 表具36×167 ヤケ シミ 黒塗軸端 大倉好斎極 27×99 表具28×160 ヤケ シミ スレ オレ 表具スレ スレ 通山宗鶴昭和三十六年(1961)箱識 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ、スレ 石室善玖(永仁二・1294~康応元・1389)は筑 大倉好斎極 白隠慧鶴(貞享二・ 1685~明和五・ 1768)は臨済 伝菴宗器(文明十五・1483~天文二・1533)は 前生まれの臨済宗の僧。元に渡り、古林清茂に学 宗の禅僧。駿河の人。多数の著作の他、若くして ぶ。帰国後、天竜寺・円覚寺・建長寺などを歴住。 独特の作風を見せる書画を能くした。宝暦八 大徳寺八十八世。号は懶驢。七十六世古嶽宗亘の 偈頌にすぐれ、五山文学に影響を与えた。 (1758)年には三島に滝沢寺を開き開祖となった。 法を嗣ぐ。
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B165 玉室宗珀 書幅
B166 宙宝宗宇 一行書幅 B167 天倫宗忽 一行書幅 B168 魯山 一行書幅 ¥95, ¥68, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 ¥80, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 ¥70, 000. ~ 付時代箱(桐) 紙本 000. ~ 唐木軸端 26×83 表具30×169 黒塗軸端 28×102 表具31×176 牙軸端 27×96 表具29×167 付識箱(杉 貼札) 紙本 ヤケ シミ オレ ヤケ ヤケ シミ オレ 黒塗軸端 26×102 表具29×178 玉室宗珀(元亀三・1572~寛永十 宙宝宗宇(宝暦十・1760~天保九・ 天倫宗忽(寛永三・1626~元禄十・ ヤケ シミ スレ オレ 瑞岩嗣祖沙門魯山 八・1641)は春屋宗園の法嗣で、慶 1838)は臨済宗の僧、大徳寺四百十八 1697)は丹後生まれの臨済宗の僧。大 魯山玄璠か(延宝四・1676~寛延 長十二年(1607)大徳寺に出世し、 世。塔頭芳春院第十三世住職。号に洛 徳寺二百十八世。俗姓は上月。号は不 陽人、松月老人、松月叟など。 可得叟。 第百四十七世となった。 四・1751)江戸中期の臨済宗の僧。 江戸生。姓は前田。
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B170 万仭宗岱 二行書幅
B171 宙宝宗宇 一行書幅 ¥60, ¥45, 000. ~ 付時代合箱(桐 貼札) 紙本 000. ~ 付木箱(杉) 紙本 朱塗軸端 17×130 表具30×190 ヤケ シミ オレ 30×128 表具33×197 ヤケ シミ スレ オレ 万仭宗岱(生没不詳)は江戸時代中期頃の臨済僧。 宙宝宗宇(宝暦十・1760~天保九・1838)は臨 済宗の僧、大徳寺四百十八世。
B172 大綱宗彦 一行書幅 ¥39, 000. ~ 付識箱(桐) 紙本 潤塗軸端 25×86 表具28×162 ヤケ シミ スレ オレ 穴 藤井誡堂箱識 大綱宗彦(安永元・1772~安政七年・1860)は 大徳寺第四百三十五世。
B173 万寧玄彙 一行書幅
B174 白隠慧鶴 楊柳観音画賛幅
B175 明堂宗宣 二行書幅
¥30, 000. ~ 紙本 黒塗軸端 30×128 表具38×188 ヤケ 大シミ スレ オレ 表具シミ、虫喰、スレ 万寧玄彙(寛政二・1790~万延元・1860)臨済 宗の僧。諡号は神機妙感禅師。
¥20, 000. ~ 付識箱(桐 シミ) 紙本 金軸端 18×73 表具24×141 白隠慧鶴(貞享二・ 1685~明和五・ 1768)は臨済 宗の禅僧。駿河の人。
¥25, 000. ~ 付識箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 27×103 表具30×178 スレ ヤケ オレ 大シミ 昭和五十七(1982)年堀江知彦箱識 明堂宗宣(明和五・ 1768~天保八・ 1837)は大徳 寺四百二十九世。丹波生。
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道教 B
B176 相阿弥 三聖画幅 ¥480, 000. ~ 付時代識箱(桐 貼札) 狩野永真折紙 紙本 牙軸端 43×95 表具56×182 ヤケ シミ スレ オレ 穴 表具スレ、穴 相阿弥(生年不詳~大永五・ 1525)は藝阿弥の子、能阿弥の孫。 足利義政の同朋衆。名は眞相、別に 松雪斎、鑑岳と號す。父に画を習い、 周文、牧溪の画を慕った。また詩画 や茶道にも造詣が深く、鑑識に精 通していた。阿弥派の集大成とい うべき『君台観左右帳記』『御飾 記』を完成させ、伝承作品は多いが 実体は不明な点が少なくない。
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B179 月僊 神農画賛幅 ¥50,000.~ 付識箱(杉) 紙本 骨軸端 58×34 表具66×121 ヤケ オレ 表具ヤケ 月僊(寛保元・1741~文化六・1809)は画僧。名を玄瑞、字 を玉成、月僊、寂照主人とし、初め桜井雪館に学び、のち京都 の円山應挙について写実的画風に感化を受けた。
B
B178 銅造鹿寿老香炉 ¥95,000.~ 総高44
B180 啓書記 東方朔寿 老人画幅 ¥60,000.~
B181 狩野重信 鍾馗画幅 B182 狩野探幽 寿老画幅 B183 鶴澤探索 蓬莱山 ¥50, 000. ~ 付識箱(桐 貼札) ¥20, 000. ~ 絹本 牙軸端 画幅 ¥20, 000. ~ 絹本 骨軸端
骨軸端 39×77 表具50×162 30×80 表具39×161 ヤケ シミ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 33×95 表具45×176 スレ キレ 六十九才筆 狩野重信を名乗るものは永徳、休 骨軸端 43×85 表具47×145 ヤケ シミ 六十八才筆 狩野探幽(慶長七・ 1602~延宝二・ 鶴澤探索(生年不詳~寛政九・ ヤケ 大シミ スレ オレ 虫穴 宅、式部、宗知、春悦、語弁、一翁、友 1674)は永徳を祖父に、孝信を父にも 1797)は京都生まれの絵師。鶴澤探 剥離 表具大シミ、虫喰 元がいる。 つ江戸幕府を代表する御用絵師。諱 祥啓は室町後期の画僧。号を貧楽 鯨の子。名は守熙。狩野派鶴沢家三 は守信。 斎といい、鎌倉建長寺で書記役を勤 代。法眼に叙せられた。 めたので啓書記といわれた。
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B
B184 銅造鬼金具 ¥35,000.~
B185 木彫鬼 ¥50,000.~ 像高23
B186 木彫鬼 ¥20,000.~ 像高9.5 右腕、左足欠
8. 5×4×13
儒学
B187 伊藤仁斎 書幅 ¥35,000.~
B188 林羅山 漢詩書幅 ¥35,000.~
付識箱(杉) 紙本 角軸端 32×24 表具48×97 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ 伊藤仁斎(寛永四・1627~宝永二・1705)は儒 者。古学堀川派の祖。
付識箱(桐 貼札) 紙本 唐木軸端 古筆了伴極札 40×26 表具49×98 ヤケ シミ スレ オレ 表具オレ 林羅山(天正十一・1583~明暦三・ 1657)は儒 学者。名は信勝、忠。字は子信。通称は又三郎。 僧号は道春。別号夕顔巷、胡蝶洞、羅浮子など。
B189 三儒者消息貼交幅 ¥45,000.~
B190 伊藤仁斎 詠草幅 ¥30,000.~
B191 頼山陽 消息幅 ¥30,000.~
B192 服部南郭 消息幅 ¥20,000.~
付時代識箱(杉 貼札) 紙本 黒塗軸端 大倉汲水極札 29×16 表具43×106 大ヤケ シミ スレ 表具オレ、虫喰 伊藤仁斎(寛永四・1627~宝永二・1705)は儒 者。
付時代箱(桐 貼札) 紙本 雑木軸端 33×22 表具36×101 ヤケ オレ シミ 表具オレ 頼山陽(安永九・ 1781~天保三・ 1832)は儒者。頼 春水の息。幼名久太郎、諱襄、字子成、別号に三 十六峯外史。
紙本 黒塗軸端 46×16 表具63×113 ヤケ シミ 表具アレ、虫喰 服部南郭(天和三・1683~宝暦九・1759)は儒 学者、詩人。名元喬、字子遷、号南郭。
付時代識箱(桐) 紙本 58×16 表具63×150 スレ ヤケ シミ 穴 太宰春台 服部南部 松崎観海徂来門人 太宰春台(延宝八年・1680~延享四年・1747)。 服部南郭(天和三年・1683~宝暦九年・1759)。 松崎観海(享保十年・1725~安永四年・1776)。
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B197 頼山陽 彫字木地 盆 ¥20,000.~ 付識箱(モミ 貼札) 24×23×2. 5 銘松旭 頼山陽(安永九・ 1781~天保三・ 1832)は儒者。頼春水の息。幼名久太 郎、諱襄、字子成、別号に三十六峯 外史。
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B194 荻生徂徠 細字幅
B195 頼山陽 二行書幅
B196 頼杏坪 二行書幅
¥30, 000. ~ 紙本 雑木軸端 19×41 表具24×115 スレ ヤケ オレ シミ 表具シミ、オレ、ヤケ、スレ 荻生徂徠(寛文六・1666~享保十 三・1728)は儒学者。
¥20, 000. ~ 付時代箱(杉 貼札) 紙本 雑木軸端 27×124 表具37×176 ヤケ オレ 表具ヤブレ、オレ、ヤケ 七言絶句 頼山陽(安永九・ 1781~天保三・ 1832)は儒者。
¥20, 000. ~ 付木箱(桐) 紙本 唐木軸端 29×127 表具42×199 ヤケ 薄シミ オレ 頼杏坪(宝暦六・1756~天保五・ 1834)は兄の春水(頼山陽の父)と ともに広島藩の儒者として仕えた。
B198 栗山 二行書幅 ¥20, 000. ~ 付木箱(桐 貼札) 紙本 46×128 表具60×201 ヤケ シミ
福神
B199 古
明誉 大黒画幅 ¥60,000.~ 付木箱(桐 貼札) 紙本 黒塗軸端 42×28 表具55×115 ヤケ シミ スレ オレ 表具シミ、穴 古 (承応二・1653~享保二・ 1717)は画僧。名明誉、号虚舟。大和郡 山の西巌寺に住したのち、京都報恩寺住職。狩野永納に師事。「薬師寺縁 起」「涅槃図」、また大黒天図で知られる。
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B200 大森敬堂 大黒画賛幅 ¥40,000.~ 紙本 唐木軸端 43×29 表具54×114 大ヤケ 大シミ スレ 穴 表具大シミ 大森敬堂(明治九・1876~明治四十四・1911)は東京生まれの日本画 家。本名は新之助。川端玉章に学ぶ。東京美術学校卒。平福百穂らと无声 会を結成。日本画会評議員、正派同志会評議員。
B201 備前指月布袋立像
B202 銅造大黒天立像
¥20, 000. ~ 付木箱(モミ) 像高33
¥20, 000. ~ 総高3. 8
B203 銅造勝軍大黒天坐像 B204 銅鍍金大黒天立像 ¥20, 000. ~ 総高3. 5
¥20, 000. ~ 総高7 背面文字刻字(解読不能)
B207 石造田之 神像 ¥20,000.~ 総高49
B206 狩野探信 布袋画幅 ¥270, ¥65, 000. ~ 付二重箱(内識桐) 紙本 牙軸端 000. ~ 絹本 骨軸端 34×83 47×111 表具64×199 ヤケ シミ スレ 表具43×147 ヤケ シミ ウキ 表具ウキ オレ 古筆了意、了伴、晴川院折紙 狩野探信(承応二・1653~享保三・1718)は探 小堀権十郎政尹蓋識 幽の長男。名守政、幼名仙千代。通称図書、忠洲。 賛:英岳は妙心寺僧 父の後をついで幕府御用絵師となった。 芸阿弥(永享三・1431~文明十七・1485)は足 利義政の同朋衆。能阿弥の子。連歌、書画の鑑定、 香、座敷飾り等に精通した。絵もよくしたとされ るが、遺品は少い。相阿弥は子。
B208 石造田之 神像 ¥20,000.~ 総高51
B205 芸阿弥 望月布袋画賛幅
B209 狩野探幽 睡布袋三幅対 ¥25, 000. ~ 付時代識箱(桐) 紙本 牙軸端 28×86 表具30×165 ヤケ オレ 穴 狩野探幽(慶長七・ 1602~延宝二・ 1674)は永徳 を祖父に、孝信を父にもつ江戸幕府を代表する 御用絵師。諱は守信。京都の人、狩野派中興の祖。 元和三年秀忠に召され、後に鍛冶橋狩野家を興 す。大坂城、二条城、名古屋城、京都御所、日光 東照宮などの作事造営に参加。瀟洒、淡白な画風 で知られる。古画を縮写した『探幽縮図』を遺し た。
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