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大聖武三行国宝
断 簡 幅 一,三〇〇,〇〇〇円〜 付 識 箱 桐( 貼 札 ) 紙 本 唐 木 軸 端 八 × 二 六 表 具 三 八 × 一 一 四 ヤケ シミ オレ 表具オレ、ヤケ 田中塊堂英箱識
写 経 綜 鑒 』、『 日 本 書 道 史 』、『 日 本 古 写 経 現 存 目 録 』 な ど を 遺 す 。
会 で 活 躍 。千 草 会 を 主 宰 。昭 和 四 十 四 年 芸 術 院 賞 。古 写 経 の 研 究 に 力 を 注 ぎ 、著 書 に『 古
沢黄坡に、かなを独学にて習得し、大日本書道院、日展、毎日書道展など多くの展覧
・ 九七六)は岡山県生まれの書家、 田 中 塊 堂( 明 治 二 十 九・一 八 九 六 ~ 昭 和 五 十 一 一 古写経研究家。名は英市。大阪貿易語学校英専科卒業。漢字を川谷尚亭に、漢詩を藤
宝に指定される。
賢愚経を写したもので、東大寺に伝襲したが、多くが出蔵して各家に分蔵される。 完存する東大寺本 巻 ( 第十五 を ) はじめ、巻物の体をなす纏まった残巻は、いずれも国
見立てられ、大字のためか大聖武と呼ばれる。
マ ユ ミ 紙 と 判 明 し た 。 一 行 十 二 、十 三 字 詰 と し 、 書 風 は 堂 々 と し 、 古 来 、 聖 武 天 皇 筆 に
荼毘紙と俗称する説などが知られたが、近年の紙質分析によりマユミ粉を漉き込んだ
「 手 鑑 や 聖 武 天 皇 あ け の 春 」 と 川 柳 に 詠 わ れ た ほ ど 、 名 家 の 手 鑑 の 巻 頭 を 飾 る 。 料 紙 については胡粉と香末を漉き込んだとする説をはじめ香末でなく骨粉を混ぜたとし、
No.001
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雨脚間降、然而、少時雨止、今日勝負会、 懸妬右方射之、猶、左勝、抑、昨日鞠足左 馬允紀行景之子息、候内所、非雑色也、 而、儲初参饗、仍宛諸雑事供給等、於 上下鞠足、余為其、訪給鞠三枝候控枝
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No.002
後鳥羽天皇 宸翰記録切幅 二,〇〇〇,〇〇〇円~
付 二 重 箱( 内 桐 外 黒 塗 ) 紙 本 角 軸 端 古 筆 了 延・ 了 祐 極 札 一〇×二七 表具三三×一四〇 ヤケ シミ オレ 表具オレ、スレ 「後鳥羽院宸記」断簡
『後鳥羽院宸記』の断簡。年月日未詳。
蹴鞠に関する記事だが、詳細不明。
鞠足は蹴鞠をする役目がある。
『紀氏系図』 宮 ( 内庁書陵部蔵 に ) よ れ ば 、「 紀 行 景 之 子 息 」 は 紀 行 定 。 白河院の頃から鞠足として役目を担う家系である。
『 後 鳥 羽 院 宸 記 』 は 後 鳥 羽 天 皇 の 日 記 で『 林 鳥 』 と も い う 。
現 在 は 、( 一 ) 建 暦 二 年( 一 二 一 二 ) 三 月「 白 馬 節 会 習 礼 之 記 」
( 二 ) 建 暦 二 年 十 月「 建 暦 二 年 十 月 供 神 膳 記 」 『(伏 見 宮 御 所 記 録 』 所 収
(三)建保二年 一 ( 二一四 四 ) 月「 建 保 二 年 四 月 御 記 」 ( 四 ) 建 保 二 年 九 月「 建 保 二 年 九 月 御 記 」
そ の 他 諸 書 に 建 保 二 、三 年 の 逸 文 、 年 代 不 明 の 逸 文 が 確 認 さ れ る 。
後 鳥 羽 天 皇( 治 承 四・一 一 八 〇 ~ 延 応 元・一 二 三 九 ) は 第 八 十 二 代 天 皇( 在
)
位 寿 永 二・一 一 八 三 ~ 建 久 九・一 一 九 八 )。 諱 尊 成( た か ひ ら )、 諡 顕 徳 院 。
父 は 高 倉 天 皇 、 母 は 七 条 院 殖 子 。 歌 集 に『 後 鳥 羽 院 御 集 』 や『 遠 島 百 首 』 がある。
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源 氏 物 語 色 紙 絵 折 本 帖 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 紙 本 色 紙 二 二 × 二 二・五 帖 二 七 × 三 一 × 二 〇 ヤ ケ
三十五、若菜下 六条院の女楽
(御簾の内左から、明石の女御、明石の御方、女三宮、紫の上、源氏)
宮は琴を弾く。麗らかな春の夜、源氏は美しい四人を花にたとえる。
正月二十日ごろ、源氏は六条院で女楽を催す。童による笛の音に乗せて、琵琶の名人であ る明石の御方、和琴の上手である紫の上、明石の女御による箏、そしてまだ幼さの残る女三
屏風に貼装されていた色紙を近年に折本に改装したとみられ、全体に認められる汚れやヤケが惜しまれ るものの五十四帖が完備するのがありがたい。作期については江戸前期の前後とみて大過ないだろう。
の豊かな表情に古風をみる。
合奏の場面 と ) 連続し、五十四の夢の浮橋 薫 ( 、横川の僧都に浮舟のことを聞く場面 で ) 終わる。 土佐派の手になり、静謐な筆致が王朝文化の粋を伝える。細筆を駆使した金泥書も見事ながら、登場人物
( 麗人の予言の場面 か ) ら二の帚木 雨 ( 夜の品定めの場面 、 ) 三の空蝉 源 ( 氏、空蝉と継娘の碁打 桐壺 高 ちを覗見する場面 、 ) 四の夕顔 源 ( 氏、乳母を訪ね、隣家の女に歌を贈られる場面 、 ) 五の若紫 山 ( 中での
No.003
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僧云㚑山獅子雲間哮吼 師曰 哮吼底漸耳 僧云誰敦随近 師曰為甚近不随 僧云貌不彰 師曰大師答云待餘一口西江水即 向餘道意旨作麼生 僧云十 成好箇金剛鑚攤向街頭買 与人 師曰意旨作麼生 僧云説 了也 師打曰話岳雲成月精
大聖国師 墨蹟幅 五〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 大 倉 汲 水 極 札 三八×二二 表具五一×一一二 古獄宗亘 清 巖宗渭書中極書
清巖宗渭の極書のある大聖国師古岳宗亘の墨跡。
い ず れ も 様 々 な 典 籍 の 一 節 を「 僧 云 」 と 抜 き 出 し て「 師 曰 」 と 答 え た 問 答 形 式 と なっている。
古岳宗亘は、大徳寺七十六世住持。大徳寺の発展に尽力した僧として知られる。
極書の清巖宗渭は大徳寺百七十世住持。
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大聖国師之真蹟也 清巖宗渭焼暮拝覧
No.005
No.004
穏仁親王
歌 懐 紙 幅 七〇〇,〇〇〇円~ 付和 時 代 識 箱( 杉 貼 札 蓋 小 口 一 欠 ) 紙 本 黒 塗 軸 端 五九×四一 表具七一×一三二 ヤケ シミ オレ 表具オレ、ヤケ
春先の花見の席にて詠まれた歌を軸装にしたもの。
全体的に花見の席で酒も進み非常に楽しんでいる様子が感じ取れる。
桂 宮 穏 仁 親 王( 寛 永 二 十・一 六 四 三 ~ 寛 文 五・一 六 六 五 ) は 後 水 尾 天 皇 第 九 皇 子 。 幼 称 は 幸宮。明暦元年式部卿。寛文二年智忠親王のあとをつぎ八条宮 桂 ( 宮 家 ) 三代となった。
春日詠華夷皆楽春和歌 式部卿穏仁親王 のみたくれ 京師のほかの 国までも めとかをさふ 君が代のさき
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五〇〇,〇〇〇円~
一休宗純 和歌色紙幅
一 ・ 三九四~
付 時 代 箱( 桐 貼 札 ) 紙 本 牙 軸 端 清水了因甲午極札 一七×二〇 表具三八×一五一 ヤケ シミ オレ 表具オレ、ヤケ 真珠庵宗玄折紙 酔具庵宗探、宗底折紙 看松庵梅岑折紙
一 休 宗 純( 明 徳 五
文明十三 一 ・ 四八一)は室町中期 の禅僧。京都生まれ。別号狂雲子
ほか。文明六年大徳寺四十七世と
なるもすぐに退寺。没後大徳寺に
真珠庵が建てられた。
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No.007
梁蕭相対不対識 夜半扶桑杲日紅 踏断大江絶治滴 茎芦葉冷幾秋風
寂室元光
芦 乗 達 磨 画 賛 幅 八〇〇,〇〇〇円~ 付 溜 塗 時 代 箱( 桐 貼 札 ) 紙 本 牙 軸 端 古 筆 了 延 、 浅 井 不 旧 極 札 永 源 寺 霊 泉 享 保 己 酉( 十 四・一 七 二 九 ) 折 紙 、 添 状 狩 野 良 益 添 状 表具四六×一五一 ヤケ シミ スレ オレ 虫穴 表具オレ
三四×六七
藤原。諡号は円応禅師。
隠棲。のち近江守護の六角氏頼にまねかれ、永源寺の開山となった。俗姓は
( 応 三・一 二 九 〇 ~ 貞 治 六・一 三 六 七 臨 ) 済宗の僧。約翁徳倹の 寂室元光 正 法をつぎ、元にわたり、中峰明本らに師事。帰国後、二十五年間にわたって
享保十二年の永源寺の鑑定書のほか五点の極札等が付される。
『 寂 室 和 尚 語 録 』 に よ る と 賛 文 は「 梁 王 相 対 不 対 識 、 夜 半 扶 桑 杲 日 紅 、 踏 断 大江無一滴、茎蘆葉冷幾秋風」とあり、本図は若干文字が異なる。
永源寺開祖寂室元光の自賛達磨図である。
No.006
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良寛 楷書幅
一 ・ 八三一)は江戸後期の歌人で曹洞宗の禅僧。越後出雲崎の人。安永
七 五 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 紙 本 唐 木 軸 端 四四×一五 表具五八×一一一 ヤケ シミ オレ 表具オレ、ウキ 安田靫彦箱識
く
ふき摘ゆきてこぼう しくおさめ候て うや きみがためさはへにおりて ふきつむとゆきげのみつに ものすそぬれつ こたへ きみがつみしゆきまのふき をめづらしみ三世の佛 にまつたてまつる 正月廿八日 斎藤清内 良寛
付 木 箱( 桐 貼 札 ) 紙 本 牙 軸 端 二九×二三 表具三九×九三 ヤケ シミ 斎藤清内宛
幅 良寛 消息一 ,二〇〇,〇〇〇円~
No.009
いち早い春をみつけた喜びに溢れた歌からは、良寛らしさが伝わってくる。
よそ二月二十日から三月十日頃となり、良寛の住まう越後ではまだ多く雪の残る頃である。
掲出に見える日付に年記はないものの、正月廿八日を現在のグレゴリオ暦に換算するとお
日々子供たちと鞠をついて遊び、村では平易な言葉を以て佛の心を教えることを旨とした。
良寛は子どもと自然を愛し、つとめて素直で純朴な心を大切にした。自らの寺を持たず、
院理事長。文化勲章受章。
箱 識 安 田 靫 彦( 明 治 十 七・一 八 八 四 ~ 昭 和 五 十 三・一 九 七 八 ) は 、 日 本 画 家 。 東 京 生 ま れ 。 本 名 新 三 郎 。 明 治 三 十 一 年( 一 八 九 八 ) 小 堀 鞆 音 に 入 門 。 大 正 七 年 こ ろ か ら 良 寛 の 研 究 に 手 を 染 め る 。 財 団 法 人 日 本 美 術
一七五八~天保二 良 寛( 宝 暦 八 ・ 四年頃出家、大愚とも号した。
No.008
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No.010
木
彫 地 蔵 菩 薩 立 像 二,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 桐 貼 札 ) 像 高 四 五・五 総 高 五 三 両 手 左 足 先 補 修
長い額、直線的に鈎形を呈す鼻筋、泥鰌口、厚みというか奥行のある顔部。加えて衣紋 の一部に確かめられる翻波式の刻文。地方作の可能性を含みながら、それらが教えるのは 貞観時代に盛行をみる晩唐様式である。
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No.012
日 朝 妙 経 二 十 八 品 詠 歌 幅 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 時 代 識 桐 蓋 小 口 一 欠 外 黒 塗 ) 紙 本 朱 塗 軸 端 九 一 × 二 八 表具一〇五×一七〇 大ヤケ シミ スレ オレ ヨゴレ 文 化 十 四 一( 八 〇 七 箱) 識 身 延 山 角 倉 本 店 箱 底 墨 識 身 延 山 十 一 世
日 朝( 応 永 二 十 九・一 四 二 二 ~ 明 応 九・一 五 〇 〇 ) は 伊 豆 国 出 身の日蓮宗の僧。字は鏡済、号は行学院。通称は加賀阿闍梨。
朝善の子にうまれ、寛正三年身延山久遠寺十一世となると教学
の発展につとめ、十二世の日意、十三世の日伝とともに身延中
興 の 三 師 に 数 え ら れ た 。 著 作 に「 元 祖 化 導 記 」 な ど 。
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涅槃画幅
五八〇,〇〇〇円~ 絹本 黒塗軸端 七九×一二〇 表具九七×二〇〇 ヤケ シミ ウキ オレ
ずからは法とともに永遠を生きる、と説いた。
釈迦はみずからの死を迎え、悲嘆にくれる弟子に、眼前の死は肉体の死であって、み
釈迦によって説かれた四法印。
常寂涅槃
一切皆空
諸法無我
諸行無常
No.011
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裏面
法 華 経 法 師 功 徳 品 第 十 九 一面 一,〇〇〇,〇〇〇円~
付 識 箱( 桐 ) 一 七 × 二 五 × 二 小 カ ケ ス レ
「 妙 法 蓮 華 経 法 師 功 徳 品 第 十 九 」 箱 識 巻頭部
掲出をして初例である。
した作善と考えるが、本式の滑石経の報告は
埋経の趣旨からみて法華経全巻の刻出を意図
八幡宮境内出土 福 ( 岡県筑後 の ) 湾曲に形成し て法華経を刻字した一例が知られる。掲出も
経塚遺宝のなかで滑石経の遺例には、若菜
を伝える。
わせるものではない。書風は藤原時代の優美
脱字、書足しを細部に見るが、篤い信仰を疑
表題に続き、一行当て十五字から十九字を 詰め、巻頭から表裏九行に経文を彫る。誤字、
No.013
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仙盞形奈良二彩水瓶
二 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 一 〇・五 × 八 × 一 八 頸 部 接 合 補 修 注 口 カ ケ 上 口 尖( 台 欠)
や剥離も少なくはない。
七つ池出土浄瓶も大破して発掘されたが、掲出の損傷
うに観察される鹿の子状の釉調も同趣を呈している。
を含め同一工房作とみて大過ないだろう。斜格子のよ
掲出は寸法的にはやや小形のようだが、七ツ池出土 浄瓶は畿内で焼成されたとみられており、細部の工作
て二例目に当たる。
七つ池遺跡 福島県郡山小原田 発 ( ) 掘の浄瓶 重 ( 要文化 財・ 以 下 七 つ 池 出 土 浄 瓶 の ) ほかに例がなく、本例をし
館・ 一 九 九 八 と ) 謳われる奈良時代の施釉陶器のなかで も奈良二彩の遺品は極端に少ない。仙盞形 浄 ( 瓶 は ) 、
「 天 平 に 咲 い た 華 」 『(日 本 の 三 彩 と 緑 釉 』 五 島 美 術
No.014
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大雲寺十一面観音掛御正体
二,〇〇〇,〇〇〇円~ 九一×二三×一一二 延宝九辛酉暦五月十八日岩倉村心光院…了智彫銘
十六弁菊十六個を配すが、これらは本体に比べ後代に補われた可能性が指摘させる。
( 六八一 に ) 、同じく岩倉村の心光院から奉献された巨大 掲出は銘文によって延宝九年 一 な掛佛で、本尊を写した精作の銅造十一面観音立像である。輪宝を飾る覆輪と圏線の中には
岩 倉( 京 都 市 左 京 区 ) の 天 台 宗 の 古 刹 で あ る 大 雲 寺 は 、 園 城 寺 の 別 院 と し て 天 禄 二 年 ( 九 七 一 )、 十 一 面 観 音 菩 薩 を 本 尊 と し て 開 基 さ れ た 。
No.015
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No.017
黒塗春日厨子 五〇〇,〇〇〇円~ 六四×七〇×九〇 ウキ
黒漆の調子から作期には室町時代を想定する。彩絵は天女が舞 う背板と四天王の扉絵だが、剥落が激しい。
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No.016
倶利伽羅剣二天狗脇侍画像幅 五〇〇,〇〇〇円~
付 時 代 識 箱( 桐 ) 絹 本 唐 木 軸 端 三〇×六五 表具四〇×一〇五
不動明王が倶利迦羅大竜に変成して忿怒相を表し、利剣にまと
わ る 。 『(尊 勝 悉 地 法 』 。 ) 滝を背にし、天狗二体を脇侍とする。 鞍馬寺に由来の不動 竜 ( 神 信 ) 仰を想起させる。
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No.018
白銅不動明王立像 一,三五〇,〇〇〇円~
付 木 箱( 桐 貼 札 ) 像 高 一 九 総 高 二 四
両眼を開眼し、右の下歯牙で上の唇を噛み、左の上歯牙で下唇を噛む。 肉体は若々しく、右手に宝剣を持ち、左手を垂下して羂索をもつ。古色を
には四角の孔が穿たれており、当初の
台 座 で は な い こ と を 窺 わ せ る 。 体 色 は 鈍 く 銀 色 を 呈 し 、 外 箱 の 張 紙 は「 銀
帯びた岩座に立つ。が、両足裏の 不動尊」とする。
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薬師如来二菩薩眷属画幅
七五〇,〇〇〇円~
付 時 代 箱( 桐 ) 絹 本 金 軸 端 太 巻 五〇×九八 表具六四×一七二 ヤケ シミ スレ オレ
支信仰と習合して頭頂に十二支獣を飾る。
では頭頂に十二支獣を飾らないが、後代には、十二
の相を顕わに、薬師の十二大願をも象徴する。掲出
叉神で、薬師の分身ともされ、甲冑を被着して忿怒
十 二 神 将 は『 薬 師 経 』 を 誦 持 す る 者 を 護 る 十 二 の 夜
薬師如来は左手に薬壺をもち膝上に据え、右手は 掌 を 外 向 す る 施 無 畏 印 と し 、蓮 華 座 に 結 跏 趺 坐 す る 。
れを囲む。
尊 に 、 日 光・ 月 光 の 両 菩 薩 が 侍 立 し 、 十 二 神 将 が こ
損傷が激しく細部を観察しえないが、薬師如来を中
生 ( 老病死 の ) 定理を説き、人々の病気 佛教は四苦 平癒の願望が薬師如来の信仰を盛行させた。画布の
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十一面観音画幅
二,三〇〇,〇〇〇円~
付 二 重 箱( 内 木 桐 外 黒 塗 ) 絹 本 金 軸 端 太 巻 二九×九二 表具四三×一六五 ヤケ シミ スレ オレ
参 ( 考 『 幽 玄 斎・ 佛 教 絵 画 』 富 山 美 術 館 昭 和 六十一年 )
なお、この種の図様には、示現すなわち十一面 観音の湧現像の可能性も指摘される。
落山からの来迎であろうか。
に倣った図形を予想させる。観音浄土である補陀
踏分蓮台や後光、その前傾姿勢などから弥陀来迎
救済の図形も感得された。
衍がなされ、掲出のような十一面観音による来迎
阿弥陀信仰の盛行によって、阿弥陀佛が西方浄土 から来迎して衆生を救済するという来迎信仰の敷
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木彫准胝観音坐像
六五〇,〇〇〇円~ 付 黒 塗 厨 子( 剥 離 ) 像 高 三 一 総 高 七 〇・五 三 六 × 三 〇 × 八 一 玉 眼
三 目 十 八 臂 の 准 胝 観 音 。 蓮 池 よ り 伸 び る 蓮 華 上 に 座 す 。 蓮 華 の 茎 を 難 陀・ 跋 難 陀 の 二 大 龍 王 が奉持する。六観音の一にも挙げられる菩薩だが、儀軌では観音院に属さず、准胝佛母の異称 のごとく、過去無量の諸佛の母を本位とする。理源大師聖寶が准胝観音を本尊に求児法を修め、 朱 雀・ 村 上 の 二 帝 が 誕 生 さ れ 、 以 来 、 求 児 の 信 仰 を 篤 く す る 。
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No.021
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木彫阿弥陀来迎厨子
七〇〇,〇〇〇円~
厨子四五×四〇×六四 本尊像高一九 玉眼
来 迎 の 弥 陀 を 中 尊 に 観 音・ 勢 至 菩 薩 が 片 膝 を 立 て た 輪 王 坐 で 脇 に 侍 り 、 扉 の 一 段 に 善 導・ 法 然 の 二 祖 を 配 し 、 二 段 と 中 尊 の 背 部 の 虚 空 に
は聖衆が舞う。浄土宗の来迎曼荼羅。
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鍛 鉄 天 女 散 華 華 鬘 五〇〇,〇〇〇円~ 四一×三七
( 鉄 の ) 華鬘遺品は、寡聞にして初例ではあるが、作期には横 鉄造 鍛 長の形姿を含め鎌倉時代が想定される。
る。
現在の本体部と縁金との溶接止めは、後代の修理とみてよく、すでに 欠失するが、当初は縁に被せた覆輪で本体部を留めていたと予想させ
な古風を実感させる。
本体部は薄鉄を裏側から半肉に叩きだし、後、表側から鏨で描線を蹴 彫するが、裏面で観察される蹴彫痕は、連珠のように点を連ねて、確か
天女は虚空を飛行し、天衣を翻して散華する。その激しい動きの表現 が、遠いはずの六朝壁画の天女散華を思いおこさせる。
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四五,〇〇〇,〇〇〇円~
鉄黒漆塗十六間総覆輪阿古陀形筋兜
は前二、後一に感じさせる。
八 幡 座 は 、 素 銅 鍍 金 の 五 段 で 長 丸 座・菊 座 玉 縁 と 重 ね る 。 孔 径 は 一・六 。
は韋本小札の三段で笠形を呈す。
れた兜とみてよいだろう。
一頭であることは言をまたない。早くに神社などに奉献さ
威毛はじめ当初の姿形をよくとどめており、極めて貴重な
に花籠の紐金具の兜箱が添う。室町後期の阿古陀兜ながら、
じめ要所の金具に据えられた紋所は削除されている。黒塗
裾板は、緋絲菱綴二段に啄木絲を添え紫絲で毛引に威す。 残りの二段は枇杷色に退色した緋絲とする。吹返の据紋は
ぐ。
吹返は、二段とし下段は肩摺板に倣い、上段は眉庇の韋 所に倣って覆輪を回す。腰巻板は垂平に伸び、三段 に繋
丸鋲六で額金を鉢に綴じ付ける。
菖蒲韋、伏縫、緑地獅子韋を貼る。鍛鉄の二本角本を立て、
眉庇は、小形の額金で鍍金覆輪を廻らせる。小縁に緑地の
篠垂は、三条、後二条で各条には三筋の細線を刻んで鋲 を打たない。先端を花先に飾り小刻の座を添える。
透 ( ・)刻・抱 花・
鉢形は、長丸形で八幡座の位置は後方に寄り、前後の比率
銘を切る。一部の不判読が惜しまれる。
銘 は 、 前 正 中 板 の 鉢 裏 に 、 比 較 的 大 き め に「 春 田 光 □ □ 」 の
裾に桧垣を廻らせる。いわゆる総覆輪鉢。
鉢は、薄鉄板十六を張る。鉄板は前後を広く、左右の巾 を狭くする。漆は栗色を呈し、筋に素銅鍍金の覆輪を被せ、
所載される。
( 本 甲 冑 武 具 研 究 保 存 会・ 平 成 八 に ) 認定 重要文化資料 日 さ れ 、『 近 畿 の 名 甲 』 日 ( 本 甲 冑 武 具 研 究 保 存 会・ 平 成 十 に )
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伝大内義弘所用 鹿角切張鞍
六 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 溜 塗 時 代 箱( 桐 貼 札 ) 四二×四〇×二八 前輪巾五センチ 小剥離 虫喰 「 元 中 二 年( 一 三 八 五 ) 六 月 一 日 」 銘 鹿 角 を 輪 切 り し て 螺 鈿 の ご と く 加 飾 し た も の で 、 鞍 骨 に「 元 中 二 年 一 ( 三五八 六 ) 月一日」の年銘をみる。元中の年号は南北朝時代の南 朝の年号。鹿角を輪切りして張りつめた加飾は、幾何文様的で意匠 として新鮮だが、中世の鞍はじめ近世まで類をみない。 正 ( 平 十 一・一 三 五 六 〜 応 永 六・一 三 九 九 は ) 、山名氏清が 大内義弘 室町幕府に対して反乱した明徳の乱 一 ( 三九一 を ) 鎮圧し、西国を中 心とした六カ国 周 ( 防・ 長 門・ 石 見・ 豊 前・ 和 泉・ 紀 伊 を ) 治める守護 大名に出世した。南北朝の争乱を収束せしめた功が知られる。妙見 信仰を重んじ、出自に朝鮮半島を意識し、朝鮮交易で莫大な富を得 た。 一 ( 三九七 、 ) 足利将軍義満の風流を重んじる政治に反抗 応永四年 し 、 堺 に 出 陣 し た が 武 運 つ た な く 敗 死 し た 。
No.025
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三ツ葉葵紋打刀拵 五〇〇,〇〇〇円~ 総長一〇三
赤銅魚々子地三ツ葉葵紋柄頭縁目貫 鮫柄 白絲柄巻 鉄地雨龍透金覆輪鍔 金銅象嵌蔦鍔 木鎺 金溜鯉口 梨子地鞘 金溜栗形 一文字金溜鐺金 白組紐下緒 赤銅魚々子地三ツ葉葵紋小柄笄 赤布刀袋
No.026
六〇〇,〇〇〇円~
脇 差 付白鞘
付紫刀袋 刀 身 五 七・九 反 り 一・一 目くぎ穴一 薄錆 金二段鎺 表 (葵紋)主水正正清 ( ) 東京都三一七三八六号
No.027
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蒔絵御
菓 子 台 六〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 黒 塗 箱( 桐 貼 札 損 傷 ) 蒔絵箱 蓋付椀 二五×二五×三七 蓋 付 椀 一 六・五 × 一 六・五 × 一 一 紀州公拝領貼札 叢梨子地鉄仙唐草蒔絵 三 ツ 葉 葵 紋 散( 慶 光 院 朱 印 )
慶光院は臨済宗の尼寺。室町時代中期伊勢国宇 治浦田に開かれ、三代院主清順 生 ( 年未詳~永禄 は ) 伊勢神宮の衰微を嘆き、天文二十 九・一 五 六 六
年 一 ( 五五一 宇 ) 治橋を架け替え、この功により慶 光院の院号を勅許された。神宮復興の為戦国武将 の寄進を受け、江戸時代に入ると幕府との関係も 深く、特に三代将軍家光の側室お万の方は慶光院 門主から大奥へ入った。維新後廃佛毀釈により廃 寺となり、現在は神宮祭主職舎となっている。
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No.029
No.028
三ツ葉葵紋鍍金吊燈籠
五 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 展 覧 会 図 録 四 三 × 四 三 × 五 三 松 下 電 工 汐 留 ミ ュ ー ジ ア ム「 あ か り 」 展 出 品 作
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No.030
朱塗雑賀兜付仁王胴具足 一,三〇〇,〇〇〇円~ 付櫃二
( 本巌監 兜 は『 図 説 戦 国 の 変 わ り 兜 』 藤
修・ 学 研・ 二 〇 一 〇 に ) 所載され、以下の 解 説 を み る 。「 鉄 錆 地 仕 上 げ の 多 い 雑 賀
兜 の な か で 、漆 仕 上 げ し た も の は 珍 し く 、
総体に朱漆としたところが、この兜を強
烈に印象づける。頭高のタイプで直眉庇
は日根野
を付け、眉繰りの刳りこみは深い。天辺
形 六 段 紺 絲 素 掛 威 。」
には頭立用の角本を設ける。
兜 鉄五枚を矧ぎ合わせ天辺に菊刻板 を被せた六枚張り兜鉢。鉢金の両 脇に二鋲を飾り、腰巻の左右にも 鐶孔付の丸鋲を打つ。緒付鐶は三 一欠 。 ) かの亜聖にはき八幡座は ( 二段。で角本を立てる。深い眉繰 緒 ( 便の金 を ) 付ける。一 に太刀除 仁 ( 王胴ほか 段吹返し。鉢金と の ) 朱漆色には相違が明ら を含む かで、後代に再構成されたとみら れる。南蛮式亀甲韋包万智羅、亀 甲金包小鰭、角合当理、合当理受 、面垂、袖、草摺は紺 が付帯。 絲素掛威。 面具 鉄地朱塗烈勢頬 裏 ( 黒 。 ) 鉄板五段 垂。 胴 鉄地打出ながら軽量で、寸法も童 南 ( 蛮二枚胴 を ) 想定 具足の仁王胴 させる。草摺は煉韋板札三段。前 三間、後二間。胸板、背板、脇板 には素胴縄目覆輪を廻す。 袖 当世袖、板札五段。 三具 家地の錦を共通する。家地脆弱。 五本篠籠手、七本篠臑当、踏込付 亀甲金佩楯。 付属 溜塗具足一荷櫃。
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No.031
星兜付色々威二枚胴具足 二,八〇〇,〇〇〇円~ 付櫃二
総体は古式鎧の復古ながら、胴丸を二枚胴に改める など江戸後期の特徴を少なからずみせる。ただし、保
存 状 態 は 頗 る 良 い 。鍍 金 鍬 形 に「 明 珍 宗 光・長 運 斎 造 之 」
の鐫銘をみるが、明珍宗光は複数あって同定に至らな い。
兜 前後に延びた長円山。十二間星兜。一行に大小 七星をうち、二方白とし前正中に一条の花先を ( 段 を ) 据える。八幡座は鍍金三段に 飾る篠垂 三 銅 玉 縁 と し 、 孔 三・五 セ ン チ を 測 る 。 四 天 鋲 を 腰巻の上五センチに穿つ。後正中の上部に笠印 付 朱 房 を 設 え る 。 額 金 形 眉 庇 は 鍬 形・ 祓 ( ) 付鐶 赤 ( 銅唐草毛彫 を ) 三光鋲 奈 ( 良菊 で ) 留め 立台 る 。 額 金 は 白 地 獅 子 絵 韋 を 張 り 、吹 返 は 二 段 で 、 小襟を緑地菖蒲韋、伏縫の内に白地獅子絵韋を 張り小桜鋲七で留め、笹竜胆紋金具を据える。 韋 所 は 、 胸・ 脇・ 背 板・ 肩 上・ 大 袖 も 吹 返 に 倣 う 。 は煉韋本小札で三段とし肩摺板に緋絲菱綴二 段 に 啄 木 絲 を 廻 し 、 浅 葱・ 水 浅 葱・ 白 絲 で 色 々 に毛引きに威す。小札は全て煉韋本小札。威毛 は 、 喉 輪 で は 納 戸 絲 一 色 に す る が 、 栴 檀・ 鳩 緒 は 浅 葱・ 水 浅 葱 と し 、 胴・ 草 摺・ 大 袖 で は 花 田・ 浅 葱・ 水 浅 葱・ 白 と 華 麗 な 色 替 を み せ る 。 裾 板 は緋絲二段に啄木で統一。亀甲金包紺羅紗の小 付 ( 朱房 、 ) 角 合 当 理・ 受 筒・ 待 受 鰭、総角付鐶 が 添 う 。 草 摺 は 八 間 五 段 。 袖 付・ 茱 萸 金 具 は 素 銅鍍金毛彫。 面具 鉄地黒漆塗 内 ( 朱 の ) 別作の烈勢頬が添う。紺絲 素掛威の鉄板札三段垂が付く。 胴 胸・ 脇・ 背 板 に は 銅 鍍 金 に 唐 草 毛 彫 り の 覆 輪 を 当てる。 袖 大 袖 。 冠 板 に 鍍 金 覆 輪 を 当 て 、八 双 金 物 を 打 ち 、 笄金物は唐草透に立葵紋を据える。裏張には緑 地小桜韋を充てる。 三具 家地は浅葱地雲龍錦で統一。十本篠籠手。煉韋 伊予佩楯。七本篠臑当とし、立挙を亀甲金包黄 色羅紗とする。 付属 紙采配、九枚笹紋具足一荷櫃、錦鎧直垂袴。
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大袖付色々威胴丸
一,五〇〇,〇〇〇円~ 付櫃 具足立
大袖も胴も色々威ながら、作期には僅かなが ら時間差を観察する。先行するのは大袖で、冠
板に金唐韋を張り、化粧板には緑地菖蒲韋を充
てる。金具は赤銅魚々子地で、加飾は菊花に統
一する。本小札七段で上三段は韋札に鉄札を交
ぜ、下四段は韋札とする。威毛は上から紫、紅、
耳 ( 絲の啄木とは別絲
。 )
薄浅葱絲とし、裾板には菱綴二段に啄木を添え る
胴 丸 胸・ 脇・ 背 板・ 肩 上 は 、 白 地 獅 子 絵 韋 を 張 る。覆輪は銅鍍金とし要所に小桜鋲を打 つ。韋と鉄の本小札を交ぜ、前立挙二段、 後立挙三段、長側四段、袖付茱萸は素文 鍍金とする。胸板下の三所に赤銅五三桐 文 金 具 を 据 え る 。 色 々 威 は 、 上 か ら 白・ 浅 葱・ 花 田 と す る 。 草 摺 は 韋 本 小 札 を 用 い 、 八間五段とし、威は胴に倣い色々に威す。 大袖 冠板には金唐韋を張り、赤銅の小桜鋲 九 ( 鋲 で ) 留め、赤銅唐草毛彫の覆輪を廻す。 化粧板には緑地爪菖蒲韋を充て、赤銅魚 子地に菊花鋲の八双金物を打つ。袖は本 小札七段とし、上から紫絲と紅絲を各一 段、薄浅葱絲で五段に威す。小札の上二 段は鉄札と韋札を交ぜ、下三段は韋札の みとする。笄金物も赤銅魚子地に菊花。
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No.032
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背面には二片の紙片と、大破した一片を書き写したとみら
浅葱の下着に摺箔とみられる桐唐草の小袖を着込み、烏帽 子に墨色の大紋を被着し、腰刀を差し、右奥に太刀を立てか 三上元安 肖像画幅 け、右手に扇子、左手に数珠を持して坐す。 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 像主の精悍な面構えが、老いたとは言え、戦国時代を生き 抜いた戦国武将の風格をつたえる。 付 木 箱( 桐 ) 紙 本 太 巻 『戦国安芸国人名辞典』と後述する裏書情報によれば、三上 三八×五八 表具五二×一三二 元安 一五三九〜一六一二 は ( ) 安芸の釜ヶ崎城主であった三上 ヤケ シミ スレ オレ キレ 井上 新三郎 不 ( ) ( 明 ~ 一 五 六 八・ 井 上 元 兼 、 信 三 郎 の 異 名 も 知られる の ) 息で、父が毛利元就に謀殺された後も、元就に 仕え、備後鞆浦の代官職を勤めるなどし、麻原城主として晩 年を迎えた。 一 ( 五七〇〜 石山本願寺と信長が衝突した石山合戦 一五八〇 では、毛利に従い本願寺側に立って参陣し、木津 ) 川口の合戦 第 ( 一 次・ 一 五 七 六 に ) おいて、石山本願寺への兵 糧運び入れを成功させる大勲功を挙げた。
No.033
三上豊後守源元安坐像 春秋七十 れる墨書をみる。墨書は ( 「 有三歳 法諱釈超安大居士 慶長十七 一 ( 六一二 壬 ) 子四月 。他方の一紙は、 俗名 三上豊後守源元安 二十五日卒 」 ) ( 「 慶長十七年壬子四月二十五日没 導師顕如上人委千回 住千 芸州麻原城 」。 ) 紙片の損傷からは、大破した紙片情報が先行 しているとみてよいだろう。 一 ( 六一二 )七 十 三 歳 で 没 これらにより元安は慶長十七年 と知る。さらに一紙から し、法諱 戒名 は 釈超安大居士 ( ) 「 」 本 願 寺 法 主・ 顕 如 一 ( 五四三~一五九二 を ) 導師に 委 「 千回 」 の供養を受けたことが知られる。なお、顕如による導師云々 に つ い て は 、顕 如 の 没 年 一 ( 五九二 と ) 元安の没年 一 ( 六一二 ) に時間的誤差があり、その記述内容については、元安の石山 合戦での勲功に対する本願寺側の配慮を垣間見るとしたい。 また、肖像画の上部にみられる色変は、早い段階での上片部 の切断を想起させる。
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No.034
刀
付白鞘 一,七〇〇,〇〇〇円~ 付 白 刀 袋 特 別 保 存 刀 剣 鑑 定 書( 日 刀 保 ) 刀 身 六 九・六 反 り 二・六 目 く ぎ 穴 一 「 備 州 長 船 則 光 … …( 花 押 )」 鞘 書 金 鎺 表( 備) 前 長 船 則 光 裏( 寛) 正 元 年 八 月 日 鹿児島県一五九二四号
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刀 付白鞘 一,五〇〇,〇〇〇円~ 付白刀袋 特 別 保 存 刀 剣 鑑 定 書( 日 刀 保 ) 刀 身 六 八・六 反 り 一・四 目くぎ穴二内一埋 「 越 中 守 正 俊 … … 昭 和 乙 卯 ( 一 九 七 五 ) 寒 山 」 鞘 書 金二段鎺 ( 表 ) 越 中 守 正 俊 東京都一五一三三二号
No.035
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刀 付拵 大 小
刀袋
八 五 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( 桐 貼 札 ) 貴 重 刀 剣 認 定 書( 日 刀 保 )
大( 刀) 身 七 四・四 反 り 一・六 目 く ぎ 穴 一 薄錆 差表鍛キズ 山 銅 魚 子 地 龍 柄 頭 、 縁( 後 藤 光 宗 か ) 金工倶利伽羅龍目貫 白鮫柄 納戸絲柄巻 山銅魚子地金覆輪松鳳凰獅子鍔 木鎺 白鞘 素銅銀張紗綾形彫黒塗鞘 小柄櫃、笄櫃なし 黒塗栗形 一文字黒鐺金 濃茶下緒 ( 表 ) 丹 波 守 吉 道 岐阜県一七三一八号 ( 小 ) 刀 身 三 九・五 反 り 〇・六 目 く ぎ 穴 一 薄錆 小柄、笄欠 素銅鍍金二段鎺 丸鐺金 ( 表 )( 菊 紋 ) 丹 波 守 吉 道 愛知県二〇七九二号
No.036
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□壱州之儀 逢事申候 今得貴意候早々ニ 此方へハ何共未承候 貴殿迄ニ仰越候而 □申候思召候而之 事と被存候 八ツ前ニ其元迄可罷出 存候 恐々謹言 八月十四日 宮本武蔵
付 木 箱( 桐 貼 札 ) 紙本 雑木軸端 三七×二二 表具四〇×一〇七 ヤケ シミ オレ 柳生但馬守宛
消息幅 宮 本 武 蔵六 八〇,〇〇〇円~
正 文( 花 押 ) 柳生但馬守殿 人々御中
宮 本 武 蔵( 天 正 十 二・一 五 八 四 ~ 正 保 二・ 一六四五)は美作国宮本村の人。名は玄信、号
は二天。武道修行のため諸国を行脚、二天流を
創す。京都の吉岡清十郎、奈良の宝蔵院、佐々
木巌流を破り名を上げる。寛永十一年小笠原公
の客分となり、のち細川候に招かれ大番頭に任
ぜられる。余技として水墨画を描き、中国宋元
画の減筆法を基礎とした花鳥人物、特に鳥類を
得意とした。
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No.038
No.037
短刀
付白鞘 六五〇,〇〇〇円~
付 紫 刀 袋 刀 身 二 八・八 反 り 〇・五 目 く ぎ 穴 一 金二段鎺 鞘書 (表)備前国住長船清光 (裏)天正元年二月日 秋田県三〇〇三四号
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(三)無銘 静岡教第六六四四三号 (四)無銘 岡山県第一一二七四七号
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No.039
火縄銃コレクション 四 二,八〇〇,〇〇〇円~ 付火薬入
一( 全) 長 一 三 六・〇 銃 身 長 一 〇 六・〇 口 径 一・三 二( 全) 長 一 三 五・二 銃 身 長 一 〇 一・二 口 径 一・一 三( 全) 長 一 〇 三・〇 銃 身 長 六 八・〇 口 径 一・九 四( 全) 長 一 三 〇・〇 銃 身 長 九 九・三 口 径 一・三 火 薬 入 五・五 × 三 × 二 八 一( 半) 巻 張 摂 州 住 嶌 谷 喜八郎作銘 岐阜県第八一三八七号 二( ) 摂 州 住 榎 並 屋 伊 兵 衛作銘 和歌山県第二五〇四七号
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(二)
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No.040
熊本城関連資料 四 二,〇〇〇,〇〇〇円~ 紙本、唐木一欠ほか 一一〇×一一五 表具一二五×一七七ほか ヤケ スレ オレ 表具オレ、スレほか
本資料は以下の四点からなる。
( 一 ) 熊 本 城 郭 地 図( 細 川 家 寛 永 年 来 秘 蔵 ノ 図 明 治 廿 六 年( 一 八 九 三 ) 八 月 謄 写 ) ( 二 ) 木 村 種 房 熊 本 城 郭 地 図( 文 化 二( 一 八 〇 五 ) 箱 識 )
( 三 ) 松 田 蘓 雪 熊 本 城 画 賛 幅( 大 正 十 三( 一 九 二 四 ) 画 中 ) ( 四 ) 菅 原 雅 方 熊 本 城 下 画 幅( 大 正 十 一( 一 九 一 二 ) 画 中 )
熊本城は日本三名城に数えら れる雄姿で知られるが、平成
二 十 八( 二 〇 一 六 ) 年 、 四 月 十 四
および十六日未明の二度にわた
る大地震に、石垣が倒壊するな
ど大被害を被って、現在も復興
の途中にある。
城郭図、並びに縄張図は、江 戸の武家時代には最重要の軍事
機 密 で あ っ た 。( 一 ) と( 二 ) は
それらに該当し、 ( 三 )( 四 ) は 、
在熊本の画家によって描かれた
作品で、明治十年の西南戦争の
直前に原因不明の失火により焼
失してのち、これを偲んで描か
れたもの。
焼失以前の熊本城の外観は、 明 治 三 年 に 写 真 師・ 冨 重 利 平 に
よって撮影された写真などか
ら往時を偲ぶことになる。参
考 『古写真に探る熊本城と城下 ( 町 』 富 田 紘 一・一 九 九 三 )
(一)
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(四)
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(三)
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No.042
海 北 友 松 龍 潭 禅 師 画 賛 幅 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 時 代 識 桐 外 黒 塗 ) 紙 本 牙 軸 端 古 筆 学 研 究 所 認 定 証 二五×八九 表具二九×一六九 ヤケ シミ スレ オレ 澤庵宗彭賛
一五三三~慶長二十 一 ・ 六一五)は海北派の祖。近江の 海 北 友 松( 天 文 二 ・ 人。名は紹益。もと東福寺の僧、のち還俗し文禄年間より画家として活動す
る 。師 は 元 信 、永 徳 と 二 説 あ る が 狩 野 派 の 域 の み に と ど ま ら ず 、宋 元 画 を 研 究 、
特に梁楷風の減筆画に長じ、優れた多くの障屏画を制作、独自の作風を完成 させた。
古 筆 学 研 究 所 編「 過 眼 墨 宝 撰 集 七 」 掲 載 作 品 。 掲出は賛を澤庵宗彭、画は海北友松。画に対しての欠印は賛者が筆者よりも位が高い
賛 の 出 典 は『 無 門 関 』 第 二 十 八 則・ 久 嚮 龍 潭 。
場合の儀礼であったとし、画風から海北友松としている。
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宮 前 燈 籠 五〇〇,〇〇〇円~ 六七×六七×二三五 六部式
照 宮 様 式 六( 角 灯 籠 で) は な い 宮 前 形 で 、 用 い ら れ た 社 名 を 明 ら か に で き な い が 、 細 密 装 飾 を 排 し て 単 純 で 巨 大 な 造形を顕著にしており、江戸前期に始発する東照宮形の系譜を指摘したい。
れた。東照宮の造営は御三家をはじめ各地に及び、この新たな美意識の敷衍が進められた。掲出は、いわゆる東
趣向ではあるが、細密で執拗な工作が新たに加えられたし、石灯籠では、造形的に単純化を進めて巨大化が図ら
は 三 代 将 軍 家 光 に よ る 寛 永 大 造 営 寛( 永 三 年・ 一 六 三 六 で) 、 徳 川 幕 府 の 絶 対 的 な 威 信 の 表 明 と そ れ を 決 定 す る 記 念碑作りが意図されており、結果、豪華絢爛と巨大さが追求された。建築装飾における豪華絢爛は、前代に続く
文 化 と) 明 ら か に 相 違 す る 典 型 と し て 、 東 照 宮 造 営 に は じ ま る 建 築 派( 手 な 装 飾 と) 周 辺 を 飾 っ た 石 造 品 豪( 壮 な 石 灯 籠 の) 出 現 を 挙 げ た い 。 日 光 東 照 宮 の 造 営 は 、 没 後 の 翌 年 元( 和 三 年 に) 着 工 す る も の の 本 格 的 に 完 成 を み る の
政 治 の 動 向 激( 変 が) 文 化 美( 術 工 芸 に) 与 え た 影 響 を 再 確 認 す る 視 点 で 、 徳 川 家 康 一( 五 四 三 ~ 一 六 一 六 の) 逝 去 と 東 照 宮 造 営 を 見 直 す と 、 一 種 の 文 化 史 的 な 意 味 の 断 裂 変( 化 を) 確 認 す る こ と で き る 。 前 代 豊( 臣 時 代・ 桃 山
No.041
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本阿弥光悦
扇 面 画 和 歌 幅 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 外 黒 塗 ) 紙 本 太 巻 短 冊 五七×一七 表具七八×一四四 ヤケ シミ スレ 堀 江 知 彦 昭 和 五 十 六 年( 一 九 八 一 ) 箱 識 紀 貫 之 山 乃 井 和 歌
一六三七)は芸術家。京都生まれ。 本 阿 弥 光 悦( 永 禄 元・ 一 五 五 八 ~ 寛 永 十 四 ・ 号 徳 友 斎 、大 虚 庵 ほ か 。 本 阿 弥 家 の 分 家 に 生 ま れ る 。 寛 永 の 三 筆 の ひ と り 。 角 倉 素 庵 と 嵯 峨 本 を 制 作 。 家 康 か ら 鷹 峰 を 賜 り 、芸 術 家 村 を 作 り 上 げ た 。 陶 芸 で は「 不 ニ 山 」 な ど が 著 名 。 蒔 絵 で は 意 匠 を 与 え る な ど 、指 導 的 役 割 を 果 た し た と 推 測 さ れる。 箱 識 堀 江 知 彦 は 書 家・ 書 道 史 家 。 会 津 八 一 研 究 の 第 一 人 者 で 古 筆 鑑 定 に も す ぐ れ る 。 号 秋 菊 。 早 稲 田 大 学 国 文 科 卒 。 東 京 国 立 博 物 館 に 勤 務 し た 後 、二 松 学 舎
しつくににこる 山之井の あかても人に わかれぬるかな」(紀貫之)
大 教 授 を つ と め た 。 著 書『 日 本 の 書 』 な ど 東 京 都 出 身 。
「むすふての わかれぬるかな 人にあかても 山之井の こる しつくにゝ むすふての 貫之
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No.043
光悦 和
持統天皇 はる過て夏来に
かく山
けらし白妙の 衣干てふあまの
光孝天皇 君か為はるの野に
雪は降筒
出てわかなつむ 我ころもてに
歌 二 首 幅 五〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 外 溜 塗 ) 紙 本 牙 軸 端 太 巻 三 五 × 二 七 表具四七×一一一 ヤケ シミ 表具ヤケ、シミ 細 見 古 香 庵 昭 和 丁 未( 一 九 六 七 ) 箱 書
に細見美術館がある。
明治三十四 一 ・ 九〇一~昭和五十四 一 ・ 九 七 九 は) 兵 庫 県 但 箱書 細見古香庵 ( 馬の出身、毛織物事業に携わる傍ら茶の湯釜等古美術の蒐集、研究を行う。京都
No.044
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風俗画屏
風 中形 六曲 一隻 二,〇〇〇,〇〇〇円~ 二四三×一〇〇 屏風二五六×一一五
可能性も指摘させる。
先祖である。なお、画中資料としては掲出をして最古の
たとされる。醸造に精白米を用い、今日の清酒の直系の
南都諸白は、平安時代に淵源する南都大寺院の僧房で 醸造されたとされる透明な酒で、室町末期には一般化し
る 酒 南( 都 諸 白 の) 場 面 で あ る 。
を伝えると言えよう。画中で注目されるのは、振舞われ
るのも前期の風俗画屏風に共通するもので、時代の趣向
俗画の特徴が色濃い。遊園に州浜台や煙草盆が散見され
れに続く客であろうか。小袖の意匠などの江戸前期の風
と禿と男が座る。周囲の三枚の赤毛氈に座る人物は、こ
の向かいに、花唐草の敷物があり、主客であろう黒羽織
桜下遊興図。鳳凰文の敷物の上で踊りに興ずる美人を 中心に、二十七人を屏風に描く。扇子を右手に踊る美人
No.045
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金地唐子遊戯屏風
小形 六曲 一隻 五〇〇,〇〇〇円~ 紙本 二七八×七七 屏風二九四×九一 ヤケ シミ スレ オゼ弱り
唐子に交じって布袋の姿を画中に見ることができる。
とする。掲出では、その折衷のように、無心に遊ぶ
られる。風俗画の要素を色濃くする 唐 「 子 遊 び 」に な ると次段の受容のようで、狩野元信筆の報告を古例
唐子は中国の童で、画題としての日本への伝播は、 室町水墨の 布 「 袋 の 唐 子 遊 び 」あ た り に 始 ま っ た と み
No.046
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尾形乾山 楓画賛幅
一 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 黒 塗 箱( 桐 ) 紙 本 牙 軸 端 四一×一〇八 表具五五×二一三 ヤケ シミ オレ 七十人翁
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No.048
七〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 識 箱 桐( 貼 札 ) 二 一 × 二 一 × 四・五
一 ・ 六六三~
尾形乾山 菊文皿
名。
る。六代乾山たる三浦乾也は著
するような形が多かったようであ
たが、弟子師匠というより、私淑
介といった風に代々乾山を名乗っ
影 響 が 窺 え る 。 二 代 伊 八 、三 代 呉
雅味あふれる作風で、阿蘭陀焼の
寛保三 一 ・ 七四三)は江戸中期の 陶工、画家。光琳の弟。軟質の
尾 形 乾 山( 寛 文 三
No.047
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No.049
長澤蘆雪 唐美
人 画 幅 一,三〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 紙 本 牙 軸 端 二 八 × 八 六 表 具 三 九 × 一 六 五 ヤケ シミ オレ 小キレ
ゆったりとした表情と姿勢で岩上に座る唐美人。 頭上に乗る鳳凰冠と衣装から西王母とも特定できないことはないが、決 め手に欠ける。 款記から蘆雪の前半期の作品と窺え、印章に関しては南紀下向時に使 用された印とされていたが、近年の研究により南紀以前の作品である可 能性が高いことが指摘された。
草 ・堂
一七五四~寛政十一 一 ・ 七九九)は京都の人。名は 長 澤 蘆 雪( 宝 暦 四 ・ 政勝、魚、字は氷計。円山應挙に入門、写生画法を学ぶ。機知に富んだ
題材の扱いや奔放な筆墨による個性的作風で著名。紀州の無量寺 寺などに大作あり。
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諧では蕉風復興を提唱。
半翁、蕪村。作風は幅広く、独自の様式を創造。池大雅と並ぶ日本南画の大成者。俳
・ 七一六~天明三 一 ・ 七 八 三 ) は 俳 人・ 画 家 。 摂 津 国 東 成 郡 毛 馬 与 謝 蕪 村( 享 保 元 一 村の人。旧姓谷口。名信章、寅、字春星、雅号四明、長庚、謝寅ほか。俳号宰鳥、夜
伯爵を継ぐ。
獅子窟主人と号す。明治二十一年得度、四十一年法燈を継ぎ管長となり、大正十二年
大 谷 句 佛 明( 治 八・一 八 七 五 〜 昭 和 十 八・一 九 四 三 は) 、 浄 土 真 宗 の 僧・ 俳 人 。 東 本 願 寺第二十三代法主。諱は光演、法名は釈彰如、俳号は春坡、蕪孫、句佛。別に愚峯、
影 本 と) し て 刊 行 さ れ た 。 昭 和 二 年 一( 九 二 七 の) 大 「 谷 家 御 蔵 器 入 札 会 」に 出 品 さ れ 他 家 の 蔵 と な る も 、平 成 十 年 一( 九 九 八 の)『 蕪 村 全 集 』 二(・六 巻 に) 掲 載 を み る 。 百 余 九 、 句 に 添 え た 俳 画 戯( れ 絵 は) 十 六 図 を 数 え る 。
蕪村 俳 句 画 巻 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 桐 ) 紙 本 牙 軸 端 太 巻 時 代 古 識 箱( 桐 ) 『 大 谷 家 御 蔵 器 入 札 目 録 』 『 蕪 村 俳 句 画 帖 』 『 蕪 村 全 集 』 五〇〇×九 表具五二〇×一二 ヤケ シミ スレ ムシアナ 大 谷 句 佛 の 旧 蔵 に な り 、 大 正 十 四 一( 九 二 五 に) は 、 天 青 堂 か ら『 蕪 村 俳 句 画 帖 』 印(
No.050
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葛飾北
斎 美 人 画 幅 六二〇,〇〇〇円~ 付 時 代 箱( 桐 ) 絹 本 彫 漆 軸 端 三 三 × 九 五 表 具 四 八 × 一 八 五 ヤケ シミ オレ
・ 八 四 九 )は 浮 世 絵 師 。 江 戸 生 ま れ 。 勝 葛 飾 北 斎( 宝 暦 十・一 七 六 〇 ~ 嘉 永 二 一 川春章に学び、役者絵と相撲絵で頭角を現した。狩野派を勉学。頻繁に画号と
住居を変えつつ、洋風画を含む諸派を摂取。自然と人間の調和や大胆な構成に
確かな描写を加えた独自の様式を確立。晩年の作品は花鳥画、測量図、美人画
な ど 。 欧 州 印 象 派 に も 影 響 を 及 ぼ し た 。 代 表 作「 富 嶽 三 十 六 景 」 「 北 斎 漫 画 」ほ か 。
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No.052
梅 翁 軒 永 春 太 夫 立 姿 画 幅 七五〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 外 黒 塗 ) 牙 軸 端 図 録 二 九 × 七 〇 表 具 四 〇 × 一 四 六 昭 和 辛 酉 卯 月 下 浣 木 村 東 介 鑑 箱 識 「 浮 世 絵 肉 筆 名 品 展 」 出 品 作
島哲以らの画家や書家の宮島詠士を世に出した。
指 導 で 民 芸 を 中 心 に 扱 い 、 ま た 長 谷 川 利 行・ 木 村 荘 八・ 斎 藤 真 一・ 中 村 正 義・ 大
箱 識 木 村 東 介( 明 治 三 十 四・一 九 〇 一 ~ 平 成 四 年・ 一 九 九 二 ) は 、 美 術 商・ 美 術 収 集 家 。 山 形 県 生 。 本 名 は 文 雄 。 美 術・ 骨 董 商 の「 羽 黒 洞 」 を 開 設 、 柳 宗 悦 の
数多くの美人風俗画を手懸けている。
梅 翁 軒 永 春( 生 没 年 未 詳 ) は 元 禄 か ら 享 保 に か け て 作 画 期 を も つ 肉 筆 専 門 の 浮 世絵師。懐月堂一門と活動期を重ねる永春は、優美で穏やかな作風を特徴とし、
No.051
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No.054
田能村
竹田 霊芝画賛幅 五 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 ) 貼 札 牙軸端 三一×二六 表具四三×一二二 ヤケ シミ オレ 高 橋 一 雄 編『 竹 田 』 所 載( コ ピ ー ) 桂 畔 書 画 逸 品 會 出 品 札 中 間 堂 愛 蔵 印
一七七七~天保六 一 ・ 八三五)は文人画家。豊後竹田 田 能 村 竹 田( 安 永 六 ・ の 人 。 名 孝 憲 、通 称 行 蔵 、字 君 彜 、別 号 田 舎 児 ほ か 多 数 。 初 め 儒 学 を 修 め た が 、
谷文晁の通信教育を受けるなど、画や詩も学ぶ。詩書画三絶の清雅な作風を
確立。頼山陽ほか多くの文人と交流した。
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・ 八六八~大正十二 一 ・ 九 二 三 は) 円 折 紙 国 井 応 陽 明( 治 元 一 山派の画家。京都の人。国井応文の子。円山應挙六代目の子孫。
に長澤蘆雪ほか多数。
視図法を習得。写生に立脚した平明で情緒的な様式を確立。門下
円 山 應 挙 大 日 如 来 画 幅 六八五,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 貼 札 ) 絹 本 蒔 絵 軸 端 国井応陽折紙 四九×九九 表具六二×一八四 ヤケ シミ オレ 高野山什物之図箱識 ・ 七三三~寛政七 一 ・ 七九五)は諱は 、 円 山 應 挙( 享 保 十 八 一 のち應挙。号は一嘯 夏 ・雲 仙 ・嶺 僊 ・ 斎。通称主水、字仲選。京都 に出、石田幽汀につき狩野派を学ぶ。また眼鏡絵制作に関わり透
No.053
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付 二 重 箱( 内 識 桐 ) 共 筒 総 長 一 七・五 櫂 先 ソ ゲ 淡 々 斎 添 筒
利 休 竹 茶 杓 一,〇〇〇,〇〇〇円~
日中綬章。また、ブラジル国の文化勲章を受けている。
湯を進める。淡交会、国際文化茶道協会設立。紺綬、紫綬褒章。勲三等旭
老師について得度、無限斎の号を授与。三十歳で家元継承。各宮殿下に茶
・ 八九三~昭和三十九 一 ・ 九六四)は裏 添 筒 淡 々 斎 宗 室( 明 治 二 十 六 一 千家十四世。十三世円能斎の長男。幼名政之輔。号碩叟。大徳寺円山伝衣
仕 え た 。 秀 吉 の 北 野 大 茶 会 の 茶 頭( 茶 の 湯 の 師 匠 ) と し て 尽 力 。
大 林 宗 套 に 法 嗣 を 受 け 、 武 野 紹 鴎 に 茶 の 湯 を 学 ぶ 。 織 田 信 長・ 豊 臣 秀 吉 に
千 利 休( 大 永 二・一 五 二 二 ~ 天 正 十 九・一 五 九 一 )は 茶 人 、侘 び 茶 の 完 成 者 。 和泉堺の魚問屋に生れる。幼名与四郎、法名宗易、別号抛筌斎。大徳寺の
No.055
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嵯峨棗
八〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 仕 覆 七 × 七 × 七
雅趣ある嵯峨棗の呼称だが、嵯峨で塗られたというわけでなく、 嵯 峨 人 形・ 嵯 峨 本 な ど と 同 じ 美 称 で あ っ て 、 嵯 峨 棗 は 江 戸 前 期 頃 を
中心に京都で塗られたものであり、意匠が見せる贅沢な時代感を楽 しむ。
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No.057
瀬戸茶入
六〇〇,〇〇〇円~ 付二重箱 仕覆四 六×六×一一 銘柏木 小堀宗慶箱書
「 木 」 三( 十 六 帖 の) 柏 木 の 未 亡 人 落( 葉 の) 柏 「 木に葉守 銘 の 柏 木 は 、『 源 氏 物 語 』 柏 の 神 は ま さ ず と も 人 な ら す べ き 宿 の 梢 か 」に 因 む か 。
No.056
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覚々
斎 黒茶碗 二,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 識 箱( 桐 ) 一 三 × 一 三 × 八 堀内五代不識斎箱蓋表書 表千家九代了々斎箱蓋裏書
に仕えた。
子となって六代を継承。紀州徳川家、頼方
流芳軒。久田宗全の子で、五代随流斎の養
一六七八~享保 覚 々 斎 宗 左( 延 宝 六 ・ 十 五・一 七 三 〇 ) は 表 千 家 六 代 。 号 は 原 叟 、
No.058
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旦 入 木 守 写 赤 茶 碗
五〇〇,〇〇〇円~ 付 共 箱( 桐 貼 札 ) 一 二・五 × 一 二・五 × 七・五 磁貫 ヒビ
一七九五~嘉永七 ・ 旦 入( 寛 政 七 ・ 一八五四)は樂家十代。了入の次男、
文化八年に十代吉左衛門を襲名。弘化
二年に剃髪隠居して号を旦入とした。
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No.060
了入 黒茶碗
五〇〇,〇〇〇円~ 付 共 箱( 桐 ) 一 一・五 × 一 一・五 × 八・五
るなど樂家中興と称えられる。
年に近江に隠居。紀州御庭焼に従事す
男。明和七年に家督を継いだ。文化八
了 入( 宝 暦 六・一 七 五 六 ~ 天 保 五 ・ 一八三四)は樂家九代。七代長入の二
No.059
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No.062
五〇〇,〇〇〇円~
瀬戸黒筒茶碗
付 二 重 箱( 内 識 桐 ) 仕 覆 一〇×一〇×一一 窯キレ 啄斎箱書
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一入 赤茶碗
五〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 ) 一一×一一×八 ヒビ 口辺補修 庸軒好 碌々斎箱書 「用」字刻 旦入内箱書
一 ・ 六四〇~元禄
宗入に家督を譲る。
門 を 襲 名 。 元 禄 四( 一 六 九 一 ) 養 子
明 暦 二( 一 六 五 六 ) 年 、 四 代 吉 左 衛
九 一 ・ 六九六)は樂家四代。朱釉 黒樂茶碗を創始した。幼名左兵衛、
一 入( 寛 永 十 七
No.061
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直斎 手捏黒茶碗
一,五〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 共 箱( 杉 貼 札 ) 仕 覆 一一×一一×九 ヒビ 五十三内 銘班女
ま た 、 如 心 斎 ら と「 千 家 七 事 式 」 を 制 定 し た 。
に お け る 新 し い 茶 の 湯 制 度( 家 元 制 度 )を 確 立 。
直 斎( 享 保 十・一 七 二 五 ~ 天 明 二・一 七 八 二 ) は 武 者 小 路( 官 休 庵 ) 七 世 で 堅 叟 宗 守 。 官 休 庵
No.063
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No.065
高取手付鉢
七〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 識 箱( 桐 貼 札 ) 二三×二三×一三
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一超直入如来地
松 平 不 昧 一 行 書 幅 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 識 箱( 桐 貼 札 ) 紙 本 黒 塗 軸 端 二 九 × 九 四 表 具 四 一 × 一 七 一 ヤケ シミ オレ 表具ヤケ、スレ
和歌、俳句などの諸芸にも力を注いだ。
松 平 不 昧( 宝 暦 元・ 一 七 五 一 ~ 文 政 元・ 一 八 一 八 ) は 出 雲 松 江 七 代 藩 主 。 茶人大名として有名で、自ら不昧流を創った。また美術品の収集や書道、
No.064
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No.066
唐 津 鉄 絵 大 皿 一,五〇〇,〇〇〇円~
付 時 代 箱( 杉 ) 五 四 × 五 四 × 一 一・二 窯 キ レ 銀 補 修 九 州 国 立 博 物 館 開 館 特 別 出 品『 精 品 選 集 』 所 載
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黄 瀬 戸 向 付 五
二,五〇〇,〇〇〇円~
現( 在 の 岐
付 識 箱( 桐 ) 九 × 九 × 四・五 ヒ ビ 松永耳庵箱識 戊子黄林□□翁
松 ・ 永 安 左 ェ 門( 明 治 八
小田原市に松永記念館を開設。
一 ・ 八七五~昭和
を耳庵とし、益田鈍翁、原三渓らと交流。昭和三十四年、
四十六 一 ・ 九七一)は電力事業家、数寄者。壱岐島生まれ。 東邦電力社長。政財界に活躍。還暦以後茶の湯に傾倒、号
箱識 松永耳庵
め 手 油( 揚 手 の ) 三種に分けられる。名物茶器のみならず 日常雑器も焼かれた。
阜県土岐市付近 を ) 中心として焼かれた古陶である。潤み のある淡黄色を特徴とし、特にぐいのみ手、菊皿手、あや
黄瀬戸は、室町時代末期から桃山時代に美濃
No.067
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柿右衛門 色絵大壺
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 杉 ) 二 一・五 × 二 一・五 × 二 七 口辺極小ソゲ
柿右衛門窯は十七世紀に初代柿右衛門が赤絵を創始 し、柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立した。大
きな特徴の一つに、濁手と呼ばれる乳白色の素地がある
が、江戸中期になると製作は中断された。のちに十二
代と十三代が濁手素地を復元。その製陶技術は、昭和
四 十 六( 一 九 七 一 ) 年 に 重 要 無 形 文 化 財「 柿 右 衛 門( 濁
手 )」 と し て 総 合 指 定 を 受 け た 。 当 代 は 十 五 代 。
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No.069
色 絵 芙 蓉 手 皿 六〇〇,〇〇〇円~
付 木 箱( 桐 貼 札 ) 三 〇 × 三 〇 × 六・五
新機軸を開いたという一事であろう。
をもとに変化改良を加え、その完成度の低さとは別に、
消した。ながら、色絵芙蓉手から学ぶのは、染付芙蓉手
る精緻な色絵磁器の追撃に挟撃され、海外市場から姿を
対して、色絵芙蓉手は、後発する柿右衛門手に代表され
伊万里の染付芙蓉手が海外市場の変化、大皿時代の陰 りをのなかで、高品質を保持しながら役目を終えたのに
宝期を迎えるまえに衰微している。
な古雅な調子を顕著にして、寛文期に出現しながら、延
響下に生まれた色絵芙蓉手は、打って変わって未完成的
の初期伊万里と比較すると極めて完成度が高い。この影
伊万里芙蓉手は、初期伊万里の時代に該当しながら、 東インド会社を経由した輸出商品のためか、同代の普通
延宝時代に途絶する。
期 で あ る 寛 永 期 に 始 発 し て 、 正 保・ 寛 文 と 盛 行 を つ づ け 、
た虫喰いを簡単に克服した伊万里芙蓉手は、窯場の最初
ろ に は 終 焉 し た 。こ れ を 直 模 し 、景 徳 鎮 が 克 服 で き な か っ
景徳鎮で輸出向けに創始された芙蓉手大皿は、萬歴期 に始発し、崇禎期に最盛期を迎え、十八世紀を迎えるこ
No.068
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付 木 箱( 桐 ) 二 九 × 二 九 × 三 八
古 信 楽 壺 五〇〇,〇〇〇円~
明 治 三 十 九・一 九 〇 六 〜 昭 壺 に 魅 入 ら れ た 壺 法 師・ 上 司 海 雲 ( 和 五 十・一 九 七 五 に) 刺 激 さ れ た 近 藤 金 吾 大( 正 十・一 九 二 一 〜 二 〇 〇 〇 が) 、 信 楽 壺 を 集 め て そ の 魅 力 を 世 に 問 う た の は 昭 和 四 十 年 一( 九 六 五 。) 『 信 楽 古 陶 』 と 題 し て 三 越 本 店 七 階 で 催 し た 小 冊 子 が 残 る 。 写真は土門拳、序文は勅使河原蒼風。荒川豊蔵が信楽古陶を讃 えた。 近藤は自ら壺屋と称し、数限りない壺を世に送り、古い壺を 扱わせたら日本一の玄人と壺好きを唸らせた。 昭和 近藤の出世を番頭として同行した野々村貴芳 ( 二 十 二・一 九 四 七 〜 に よ れ ば 、 近 ) 「 藤で扱った壺はほんまに ぎ ょ う さ ん 。 数 え 切 れ ん・・・ 。 」 掲出には、祇園石段下の近藤で求めたという口碑があり、 「 近 藤 扱 い の 壺 」な の か を 野 々 村 に 確 か め た 。 答 え は 近 「 藤が 扱ったとしても不思議ではないが、扱った確かな記憶は自分に は な い 」。 壺 の 魅 力 は 、 形・ 色・ 肌・ 景 色・ 加 飾・ 伝 来 、 そ し て 傷 で 決 ま る。即ち、二つとして同じものがない個性に収斂する。壺のど こを好むかは、見る側の感性に委ねられ、結局、好きか嫌いか の趣味に落ち着く。野々村の価値基準に戻ると、自分が買うか 否かだ。 番頭時代の野々村は、近藤の目を代理し、数え切れない壺を 仕 入 れ た 。 仕 入 れ る か 否 か の 判 断 は 、主 人 に 斟 酌 す る の で な く 、 野々村自身の買いたい壺か否かを優先し、それで失敗はなかっ た。岐阜の中学を卒業して丁稚に入り、番頭を経て近藤商店を 無事に卒業したのは十年後。野々村の武勇伝も、後半部に凝縮 さ れ て い よ う 。 野 々 村 商 店 の 看 板(「 野 々 村 」) は 、 近 藤 商 店 の 卒業にあたり黒田辰秋からの餞。
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No.071
れらの一とみられる。
品が多かったとされ、掲出もそ
見する。当初は、幕府への献上
付するなど文人好みの作例を多
かった。文人墨客が来崎して染
れたが、幾何もなく廃窯に向
し 、 安 政 六 年 一( 八 五 九 に) は 、 奉行岡部駿河守によって再興さ
にわたり窯を持続させたが消窯
肥田豊後守の支援による。三代
み た の は 文 化 元 年 一( 八 〇 四 。) 大神甚五兵衛に対する長崎奉行
長崎八幡町に磁器窯の開窯を
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 桐 ) 鎌 倉 彫 根 付 蜻 蛉 管 玉 九 × 六・五 × 七・五
亀山山水染付煙草入
No.070
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根来懸盤
一,五〇〇,〇〇〇円~
付 識 箱( 桐 ) 二 八 × 二 八 × 一 七・五 天板補修 望 月 信 成 昭 和 甲 子 五( 十 九・一 九 八 四 箱) 書 「 根 来 中 世 に 咲 い た 華 」( M I H O MUSEUM 二〇一三年)出陳
箱 書 望 月 信 成( 明 治 三 十 三・一 九 〇 〇 ~ 平 成 二・一 九 九 〇 ) は 美 術 史 学 者 。 父 は
望 月 信 亨( 仏 教 史 学 者 )。 京 都 に 生 ま れ 。
東 大 、京 大 大 学 院 を 修 了 。 京 都 博 物 館 鑑 査
員・ 大 阪 市 立 美 術 館 館 長 、 大 阪 市 立 大・ 帝
塚山学院大教授をつとめた。美術鑑定家。
著書多数。
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No.072
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初 音 蒔 絵 引 出 小 箪 笥
二,三〇〇,〇〇〇円~ 内梨子地 柳橋図蒔絵引出正面
『源氏物語』の一節「初音」を題とする本作は、極楽浄土の 様と表現される新春の朝のまばゆさを扉の外側各面に描き出 している。あふれんばかりの金色で、やわらかく棚引く春霞、 光の当たる御殿の屋根、松葉の一筋にいたるまで、線を使い 分けて研ぎ盛り上げている。紅白の梅の花は玉のように輝き、 平たい画面構成とならないよう計算されている。 開くと柳橋図が広がり、有職の伝統に新たな趣向を盛り込ん でいることが見て取れる。視界いっぱいに広がる宇治川の景 色は雄大さを感じさせ、扉を開いて広がった画面を生かした 面白さを私たちに見せてくれる。留め金具の細工模様も抜か りなく細部までつくられている。
「……年立ちかへる朝の空のけしき、名残なく曇らぬうらら かげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色 づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、 おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いと ど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたま へる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくな む。春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂 ひに吹きまがひ、生ける仏の御国とおぼゆ。……」
No.073
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No.074
杜のこ
月は
する
夜ふかき
すゑしも
朝からす聲
かけ
ありあけの
伊 達 家 名 物 写 有 明 蒔 絵 硯 箱 二,〇〇〇,〇〇〇円~
『風雅和歌集』 前大納言実明女 箱蓋裏
付 三 重 箱( 内 識 溜 塗 桐 黒 塗 ) 七 宝 水 滴 蒔 絵 毛 筆 二 蒔 絵 刀 子 二 梨 子 地 大 硯 二 五 × 二 七・五 × 五・五 雲 霞 蓋 裏
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No.076
蒔 絵 謡 本 箱 五〇〇,〇〇〇円~ 付 時 代 黒 塗 箱( 桐 ) 二 六 × 三 二 × 四 一 紗 綾 形 地 五 七 桐 紋 四 方 蒔 絵
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No.075
松竹桜家紋蒔絵眉
作 箱 五〇〇,〇〇〇円~ 付 溜 塗 時 代 箱( 桐 貼 札 ) 岐 阜 県 名 寶 展 目 録 二 一 × 二 七 × 二 一 岐 阜 縣 名 賓 展 出 品 作 島 津 家 傳 来 内 梨 子 地
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No.078
光 琳 蒔 絵 硯 箱 七 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 溜 塗 箱( 桐 ) 仕 覆 二 五 × 二 八 × 一 三
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No.077
山 水 花 鳥 蒔 絵 野 弁 当 七 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 時 代 黒 塗 箱 杉( ) 三 三 × 二 一 × 三 一
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No.080
吉 野 山 龍 田 川 蒔 絵 硯 箱 一 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 黒 塗 識 箱( 桐 ) 硯 石 三 ツ 葉 葵 紋 銀 造 水 滴 二 二 × 二 五 × 五
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No.079
青 貝 仕 覆 蒔 絵 文 庫 五 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 黒 塗 箱( 桐 ) 三 〇 × 三 八 × 一 四 錫 縁
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辻 ヶ 花 裂 二片
」の 兄 弟 裂 と み ら れ る 。
五〇〇,〇〇〇円~ ( 一 ) 三 六 × 七 八 ( 二 ) 二 一 × 四 九
「 縞笹模様辻が花染裂 東博所蔵の 横
横 「 縞 は 紅 、 笹 は 紫・ 萌 黄・ 茶・ 薄 水 色・ こ れ ら が す べ て 絞 り で 染め出してある。退色がはなはだしく、現在では薄よごれて
みえるが、もとは目のさめるように美しいものであったと想
像される 。 」 『 (辻 が 花 染 』 今 永 清 士 昭 和 五 十 年 一( 九 七 五 ) 「 川昭元 掲出については、絶世の美女の肖像画で知られる 細
夫人像 竜安寺 の被着小袖との類似が指摘される。類似は 」 ( ) 時代の趣向ではあろうが、掲出の 横 「 紅 縞 に 笹 文 」に 対 し て 夫 人像は 横 「 紅縞に桐文 。 」
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No.082
No.081
万 延 大 判 一,二〇〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 桐 ) 八 × 一 三・五
U 形の鏨を横向きに打ち、熨斗目様に装飾を施す。上下左右端にそれぞれ一箇所、円形単郭に 表面全面に断面 字 五三桐紋極印が打たれる。中央には 拾 「 両 後 藤 花( 押 ) 」の 墨 判 が あ る 。 花 押 は 後 藤 宗 家 当 主 の 典 乗 の も の 。
裏 面 は 石 目 打 ち 仕 上 げ で 、 中 央 に 丸 に 五 三 裸 桐 紋 極 印 、 そ の 下 部 に 円 形・ 亀 甲 形 双 郭 に 五 三 桐 紋 極 印 、 そ の 下 部 に 円形単郭に後藤徳乗の草書体花押極印が、それぞれ一箇所打たれる。験小極印はいずれも金見役の吉岡誠右衛門の丸
に 吉 「 」字 、横 田 喜 三 郎 の 丸 に き 「 」字 、林 宇 平 の 丸 に 宇 「 」字 で あ る 。 側 面 に 丸 に 五 三 裸 桐 紋 の 耳 桐 極 印 を 打 っ て い る 。 参 考『 日 本 古 金 銀 貨 図 録 』 東( 京 国 立 博 物 館・ 二 〇 〇 七 )
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義山四方三段重 五,五〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 時 代 識 桐 ) 追 加 段 箱 一 四・五 × 一 四・五 × 二 一 総重量四五四七グラム 一段一四〇〇グラム 二段一三〇〇グラム ( 三段一二〇〇グラム 蓋六四七グラム ) 「 英 昭 皇 太 后 御 遺 物 明 治 三 十 年 一( 八 九 七 恩) 賜 元 資 」 箱 識 下二段に黄味を帯び、上段および蓋は比べて白い。
No.083
英 昭 皇 太 后 天( 保 五・一 八 三 五 ~ 明 治 三 十・一 八 九 七 は) 孝 明 天 皇 の 女 御 で 、 明治天皇の嫡母。旧名は九条夙子。英昭皇太后の没後に御遺物の恩賜を受け
た元資については情報を得ない。義山はギャマン、切子はカットグラスの漢 字表記。
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銅造被帽地蔵菩薩坐像
のように感じさせる。
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 総高二二
布帛が柔らかく包んで、菩薩の法体を見事に透け見せる。正確には、そ
高麗佛画は布帛を通して透け見える表現で新境地を開いたが、掲出で は 絶 対 に 透 け 見 え る こ と の な い 素 材( 銅 ) を 選 び な が ら 、 菩 薩 の 体 部 を
最も評価すべきは、正面の丁寧な工作だけでなく、背部を覆う布帛の 巧みな表現である。
そのような高麗時代の銅佛にあって、新出の掲出には注目されねばな らない特徴が少なくない。
被帽地蔵は唐代の敦煌画に先例をみるが、高麗佛画のなかで独自の美 的 展 開 を 遂 げ た 。対 し て 同 代 の 銅 佛 は 前 代( 新 羅 )に 比 べ 低 調 を 歴 然 す る 。
No.084
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No.085
石造高麗八角燈籠
三〇,〇〇〇,〇〇〇円~
一二一×一二一×二四一 二部式 火袋接合補修
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No.087
李 朝 雲 龍 染 付 壺 六 五 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 溜 塗 箱( 桐 ) 一 九・五 × 一 九・五 × 二 五・五 ソ ゲ
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No.086
石華柱
一対 一,五〇〇,〇〇〇円~ 四〇×四〇×一八五 四一×四一×一八五 高麗
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一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 識 箱( 桐 ) 一 四 × 一 四 × 二 六 口辺スレ 磁貫
李 朝 面 取 丸 文 瓶
祭 玄 酒 瓶
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No.089
No.088
李 朝 白 磁 大 壺 一 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( 桐 ) 二 七 × 二 七 × 三 七 磁 貫 小 ソ ゲ 小 ヒ ビ
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No.091
銅造観世音菩薩立像
五五〇,〇〇〇円~ 四五×三一×一五五 台座接合補修 「 大 魏 延 昌 二 年 三 月 六 日 霊 保 寺 師 僧 敬 造 」 刻 銘
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高 麗 象 嵌 青 磁 花 入 五 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 溜 塗 箱( 桐 ) 一 七・五 × 一 七・五 × 三 〇 磁 貫 窯 キ レ 口 辺 共 色 補 修
No.090
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No.092
銅造菩薩立像
一,五〇〇,〇〇〇円~ 像 高 三 四・五 総 高 四 四 ス レ
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No.094
竹林高士画幅
八 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 時 代 箱( 桐 貼 札 ) 絹 本 牙 軸 端 五三×一〇八 表具六七×一九八 ヤケ シミ スレ オレ 伝載文進筆貼紙
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No.093
仇 英 花 鳥 画 幅 七 五 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 牙 軸 端 九 一 × 一 五 七 表 具 一 一 〇 × 二 一 四 岡 倉 秋 水 箱 書
仇 英( 四 十 歳 で 没 ) は 明 代 中 期 の 画 家 、字 實 父 、号 十 洲 。 太 倉( 江 蘇 省 ) の 人 。 周 臣 に 師 事 、 唐 宋 ・ の名跡を臨模し
て一家を成した。人物 仕 ・ 女図、またそれらを配した山水 図をよくし、美しい着彩と細密描写を特色とした。
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No.096
康 熙 赤 絵 馬 文 壺 五 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( 桐 ) 二 五 × 二 五 × 三 二
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No.095
炉 鈞 窯 花 瓶 二 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( モ ミ ) 二 〇 × 二 〇 × 三 二 大 清 雍 正 年 製 底
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五彩赤玉麒麟草花図
呉 ( 須赤絵
盤 ) 一,六〇〇,〇〇〇円~ 付 溜 塗 箱( 桐 ) 三 八 × 三 八 × 九 獅 子 花 鳥 文
見 込 み 中 央 の 主 文 を 獅 子 吼 す る 麒 麟 と し 、 小 禽・ 気 文・ 草 花 を 配 す 。 広 縁 は 赤 玉 と 窓 絵 を 四方に据え、斜格子で空隙を埋め、窓の内には草花を充填する。賑やかで奔放な意匠を特徴
とする呉須赤絵ではあるが、掲出にみる旺盛な赤色の充満は他に例をみないものである。
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No.097
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仙人鹿図呉須赤絵盤
七 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( 桐 ) 四〇×四〇×一〇 磁貫 ヒビ
見込みに花籠を背負って花傘を翳した道者とこれに侍る神鹿を青釉で描く。道者 は八仙人の韓湘子とみられ、鹿は仙人に従う銜花鹿で、 玉 「 堂 佳 器 」の 文 言 を 広 縁 の
四方に配す。呉須赤絵の中でも注目される意匠である。
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No.098
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唐物青貝琴棋書画図卓
九五〇,〇〇〇円~ 付 溜 塗 時 代 箱( 桐 貼 札 損 傷 ) 四二×二一×一二 ウキ
な か で 道 具( 床 飾 り ) の 一 端 を 担 っ た 。
で、室町時代に確立をみる書院文化の
め た 。掲 出 は 明 代 作 と み ら れ る 卓( 飾 台 )
盛んに画題に取り上げられ一般化を進
日本では儒教思想とともに受容され、
中 国 で は 、 高 士 の 余 技 と し て 、 琴・ 棋 (囲碁) ・書・画 を 四 藝 と 称 し て 賞 揚 し た 。
No.099
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No.100
八聖獣金張鏡
五,〇〇〇,〇〇〇円~ 一 三・五 × 一 三・七 × 〇・三
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No.101
犀
角 五,〇〇〇,〇〇〇円~ 付国際希少野生動植物種登録票 全 長 三 二・七 重 量 一・五 〇 キ ロ グ ラ ム ク ロ サ イ
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付国際希少野生動植物種登録票
犀 角 三,〇〇〇,〇〇〇円~
とみられている。
飾 の み ら れ な い 犀 坏 八(・五 × 七・〇 × 八・七 が) 伝 わ る 。 正倉院へは、唐代の異国趣味を反映してもたらされた
犀 角 は 解 毒・ 解 熱 に 薬 功 が あ り 、 遊 牧 民 が 角 坏 リ( ュ ト ン と) し て 用 い る な ど し た 。 正 倉 院 に は 奈 良 時 代 の 加
と は、薬種問屋のガラスケースに永く飾られて いたもので、珍材なるものとして人々の視線を集めた。
No.102
全 長 二 一・五 重 量 〇・九 八 キ ロ グ ラ ム ク ロ サ イ
No.102
No.101
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ガンダーラ佛頭
五〇〇,〇〇〇円~
一八×一五×二八 鼻部接合補修
ガンダーラの地で仏像の造像が始まる の は 二 、三 世 紀 頃 と み ら れ て い る 。 ほ ぼ 同
時期にインドのマツ―ラでも造像が開始
されるわけだが、ガンダ―ラのそれはヘ
レニズムの影響が強く、西洋文明との融
合を顕著にする。
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No.104
No.103
ペルシャガラス切子碗 六五〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 桐 ) 一 三 × 一 三 × 九
正倉院に同年の碗が伝来して唐を経由したペルシャ文化との接触を象 徴 す る 。正 倉 院 以 外 に も 安 閑 天 皇 陵 出 土 も 知 ら れ る 。掲 出 は 近 年 に 伝 わ っ
てきたものだが、白玻璃の一碗を通して、古代の流砂を超えた文物交流
を肌に感じることができるから不思議である。
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No.106
ガンダーラ石造菩薩坐像
五〇〇,〇〇〇円~ 付 木 箱( 杉 貼 札 ) 飾 台 像 高 二 四・五 総 高 二 七・五
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No.105
ガンダーラ如
来坐像 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 識 箱( 桐 ) 飾 台 像 高 四 〇
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沃懸地菊紋龍田川蒔絵手箱
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 二 六 × 三 一 × 一 七・五 蓋裏青貝梨子地蝶鳥 菊折枝蒔絵 銀縁 梨子地底
蓋甲に十六菊紋を据え、合口を銀縁と し、まばゆい場會の沃懸地に龍田川の紅
葉を蒔絵する。蓋裏は密な梨子地に青貝
を交えて御所好みの蝶鳥折枝蒔絵を施す。
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No.107
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岸竹堂 宇治川先陣屏
風 本間 二曲 一隻 一,三〇〇,〇〇〇円~ 紙本 展覧会図録 一七二×一五六 屏風一八八×一七一 ヤケ シミ スレ
滋 賀 県 立 近 代 美 術 館 特 別 展「 近 代 京 都 画 壇 の 夜 明 け 岸 竹 堂 」 作 品 解 説
滋 賀 県 立 近 代 美 術 館 特 別 展「 近 代 京 都 画 壇 の 夜 明 け 岸 竹 堂 」 の 出 品 作 。 『 画 面 中 央 に 大 き く 、 川 岸 に 上 っ た 騎 馬 武 者 を 描 く 。 武 者 は 鹿 角 の 鍬 形 を つけた兜を被り大鎧を着けて弓を持ち、画面左方に向かおうとしている。馬 は、首を傾けて左前足を上げて進もうとしている。後方には、波が立った急 流 を 表 し て い る 。 画 面 右 下 に 、「 竹 堂 岸 禄 」 の 墨 書 と 、 白 文 方 印「 岸 禄 之 印 」 朱 文 方 印「 竹 堂 生 」 が あ る 。 … … 作 風 は 、 太 い 輪 郭 線 に 代 表 さ れ る よ う に 、 後年の写実性の強い作風とは異なる線の表現に主眼を置いたもので、墨書の 筆跡も古様である。そのユーモラスな馬の表情や、個性的な人物表現からし て 、 幕 末 期 の〈 仁 田 四 郎 図 〉 や〈 随 身 騎 馬 図 〉 に 親 近 性 を 持 つ よ う で あ り 、 幕 末の一八六〇年代前半から中頃に制作されたと考えるのが妥当かと思われ る。いずれにしても、日本の軍記物を扱った作品は現存例として少ないよう で あ り 、 筆 法 も 確 か な 大 作 と し て 貴 重 な 作 例 で あ る 。』
一八二六~明治三十 一 ・ 八九七)は本名昌禄、彦根の人。天保十三年京都 岸 竹 堂( 文 政 九 ・ に出、はじめ狩野永岳にのち岸連山に入門、その養嗣子となる。維新後は友禅染の下絵を描
く等、工芸美術の振興にも寄与。明治二十九年帝室技芸員。
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No.109
海 野 美 盛 銀 造 大 黒 天 五〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 共 桐 外 溜 塗 ) 八・五 × 一 一 × 一 五・五 大 黒 天 俵 合 計 九 〇 〇 グ ラ ム( 刻 印 有 ) 小 槌 三 〇 グ ラ ム( K 2刻 2 印 ) 刻 銘
東京美術学校教授。
海 野 美 盛( 文 久 三・一 八 六 三 ~ 大 正 八・一 九 一 九 )は 彫 金 家 。日 美 協 会 員 、
No.108
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付 共 箱( 桐 ) 一 二・五 × 一 二 × 八 共 蓋 を 底 板 に す る 。
川 喜 田 半 泥 子 茶 碗 五五〇,〇〇〇円~
・ 九六三)は陶芸家、実業家。三 川 喜 田 半 泥 子( 明 治 十 一・一 八 七 八 ~ 昭 和 三 十 八 一 重県の素封家の十六代、伊勢木綿問屋のほか電力、銀行などの実業に関係したが、は
やくから趣味生活に入る。自宅に楽窯を築いた後、大登窯を築窯。晩年には広永の山 中に移窯し弟子を養成。
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No.111
北大路魯山人 志野
茶 碗 七〇〇,〇〇〇円~ 付 識 箱( 桐 ) 鉄 色 縮 緬 仕 覆 一 二・五 × 一 二・五 × 八 黒田陶々庵箱書 無印
陶 技 は 志 野・ 織 部・ 備 前・ 信 楽 か ら 染 付・ 赤 絵 と 多 岐 に わ た っ た 。
岡 茶 寮 顧 問 と し て 料 理・ 食 器 な ど 指 導 。 北 鎌 倉 に 星 岡 窯 を 築 き 、 独 特 の 雅 陶 を 製 作 。
・ 八八三~昭和三十四 一 ・ 九 五 九 )は 陶 芸 家 。 本 名 房 次 郎 。 北 大 路 魯 山 人( 明 治 十 六 一 京都生まれ、北鎌倉で没。書画、篆刻、漆芸にもすぐれる。大正十四年超高級料亭星
No.110
162
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付 共 箱( 桐 ) 七・五 × 七・五 × 六・五
黒 田 辰 秋 耀 貝 螺 鈿 茶 器 一,〇〇〇,〇〇〇円~
歳の作。
黒 田 辰 秋( 明 治 三 十 七
四 十 五( 一 九 七 〇 ) 重 要 無 形 文 化 財( 木 工 芸 ) 保 持 者 。
漆 ・ 芸作家。京都生まれ。父亀吉に師事。昭和四年上賀茂民芸協団 を組織。九年志賀直哉の推薦で初個展。重厚な作風を確立。昭和
一 ・ 九 〇 四 ~ 昭 和 五 十 七・一 九 八 二 ) は 木 工
作 品 で あ る 。 図 録 に よ れ ば 昭 和 四 十 九 年 一( 九 七 四 、) 黒 田 七 十 四
図録のカバーの背側を飾ったのは、掲出と同じ手毬を連想させる 茶器で、耀貝で一面を埋め尽くし、白蝶貝で縞というか筋を象った
者 に) 認 定 さ れ た 黒 田 の 、 京 都 で お け る 初 め て の 記 念 展 と し て 注 目 され、図録が完売するなど大いに賑わった。
「 き 」を 会 場 に 開 か れ た『 京 の 至 宝 黒 田 辰 秋 』 展 は 、 美術館 え 京 都 で 生 ま れ 育 ち 、 木 工 芸 で 最 初 の 人 間 国 宝 重( 要 無 形 文 化 財 保 持
No.112
164
167
板 谷 波 山 睡 蓮 水 指 二 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 共 箱( 桐 ) 塗 蓋 二 二 × 二 二 × 一 二
板 谷 波 山( 明 治 五・一 八 七 二 ~ 昭 和 三 十 八・一 九 六 三 ) は 陶 芸 家 。 茨 城 県 出 身 。 本 名 嘉 七 。 東 京 美 術 学 校 彫 刻 科 卒 。 帝 国 芸 術 院 会 員 。 昭 和 二 十 八 年( 一 九 五 三 ) 陶 芸 家 と し て 初 の 文 化 勲 章 授 章 。
No.113
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バ ー ナ ー ド・ リ ー チ 鉄 釉 人 物 皿
六 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 識 箱( 桐 ) 三八×三八×八 晋作箱識
・ ー チ( 明 治 二 十・一 八 八 七 ~ 昭 和 バーナード リ 五 十 四・一 九 七 九 ) は イ ギ リ ス の 陶 芸 家 。 香 港 生 ま れ 。
ロ ン ド ン 美 術 学 校 で エ ッ チ ン グ を 学 ん だ 後 、明 治 四 十 二
年来日。六世尾形乾山に師事。富本憲吉、柳宗悦、濱
田庄司らと交流。大正九年帰国、セント ア ・ イヴスに築 窯。東洋陶磁の特質にイギリスの技法を適用、独自の
作風を展開した。
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No.115
付 共 箱( 桐 ) 二 二・五 × 二 三 × 四
北 大 路 魯 山 人 織 部 角 鉢 五〇〇,〇〇〇円~
は 志 野・ 織 部・ 備 前・ 信 楽 か ら 染 付・ 赤 絵 と 多 岐 に わ た っ た 。
茶 寮 顧 問 と し て 料 理・ 食 器 な ど 指 導 。 北 鎌 倉 に 星 岡 窯 を 築 き 、 独 特 の 雅 陶 を 製 作 。 陶 技
・ 八八三~昭和三十四 一 ・ 九五九)は陶芸家。本名房次郎。 北 大 路 魯 山 人( 明 治 十 六 一 京都生まれ、北鎌倉で没。書画、篆刻、漆芸にもすぐれる。大正十四年超高級料亭星岡
No.114
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二代 染付釉裏紅
宮 川 香 山 壺 一 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 飾 台 三 三・五 × 三 三・五 × 四 五・五
・ 八五九~昭和十五 一 ・ 九 四 〇 )は 横 浜 真 葛 焼 二 代 。本 名 宮 川 半 之 助 。 二 代 真 葛 香 山( 安 政 六 一 初代香山の兄である宮川長平の子に生まれるが一才で父を亡くし、初代香山の養子となった。
養 父 に つ い て 修 業 を 積 み 、 宮 川 半 之 助 と し て 活 動 。 大 正 四 年 一( 九 一 五 初) 代 香 山 が 没 し 、 翌 年二代香山を襲名し、板谷波山とともに関東の陶芸界を牽引した。表千家十二代惺斎の好物を 手掛ける。弟子に宮之原謙、安原喜明。
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No.117
一 , 〇 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 共 箱( 桐 ) 四 五 × 四 五 × 六・五
楠部彌弌 彩延朝顔皿
化勲章。
昭和二年帝展初入選。日本芸術院会員、文化功労者、文
楠 部 彌 弌( 明 治 三 十・一 八 九 七 ~ 昭 和 五 十 九 ・ 一九八四)は京都生まれ。大正七年赤土社結成に参加。
No.116
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No.119
本間琢
斎 香炉 置物 二 七 五 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 木 箱( 桐 二 内 一 貼 札 ) 水 晶 玉 香炉二五×一六×二三 置物二五×一四×一一 三代 斑紫銅香炉 銅龍置物
本 間 琢 斎 は 、 初 代( 文 化 九・一 八 一 二 ~ 明 治 二 十 四・一 八 九 一 ) が 佐 久 間 象 山 に 学 び 洋 式 大 砲を手がけ、維新後美術工芸品を製作したことに発する彫金家。現在六代まで続く。
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No.118
七〇〇,〇〇〇円~ 外黒塗) 飾台 明鑑識蓋 一 五・五 × 一 五 × 三 五
八木一夫 白いマグマの目扁壺 付 二 重 箱( 内 共 桐
八 木 一 夫( 大 正 七・一 九 一 八 ~ 昭 和 五 十 四・一 九 七 九 ) は 京 都 生 ま れ の 陶 芸 家 。 京 都 市 立 美 術 工 芸 学 校 卒 。 沼 田 一 雄 に 師 事 。 前 衛 陶 芸 団 体「 走 泥 社 」 を 結 成 。 従 来 の 陶 芸 の 実
用性を全く無視したオブジェ作品を発表し、その後アンフォルメル、抽象表現主義な
ど新思潮に対応しながら独創的な創作活動を行い、陶芸に新分野を確立した。
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象谷 堆朱香筒 六 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 時 代 識 箱( 桐 ) 総 長 三 一・五 磁 貫 小 ソ ゲ 小 ヒ ビ 梅、椿、水仙を刻出し歳寒三友と題す。 天蝙蝠 地霊芝
玉 楮 象 谷( 文 化 三・一 八 〇 六 ~ 明 治 二・ 一八六九)は高松出身。本姓藤川。幼少よ
り父の教えを受け、塗りと彫刻の技術を修
得。写実性あふれた花、野菜、鳥、虫、な
どを緻密に彫刻で表現した。また中国、東
南アジアの堆朱、堆黒、蒟醤などの技法研
究に力を注ぎ、独自の漆技法を築いた。讃
岐漆芸の祖。
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No.121
蔵谷 堆黒蟲彫香筒 七 〇 〇 , 〇 〇 〇 円 ~ 付 二 重 箱( 内 識 桐 貼 札 ) 唐錦仕覆 総長三三
判断に委ねたい。
庵、明治十三年没)もこの号を
名乗っており、何方の作か判別できない。高所からの
あ る 理 吉( 敬 造 、 別 号
玉 楮 象 谷( 初 代 、 一 八 〇 六 ~ 一 八 六 九 ) に は 、 象 谷 の 号のほかに蔵谷の号も知られる。なお、象谷の長子で
筒を蓮華の茎に見立て、これに蝶虫を堆黒で這わせ る。蝶虫は動き出す勢いを見せる。
No.120
174
No.122
逸見東洲 堆朱文庫 一,〇〇〇,〇〇〇円~ 付 二 重 箱( 内 共 桐 外 黒 塗 ) 二 三 × 三 〇 × 九 内 黒
逸 見 東 洲 生( 没 年 未 詳 は) 逸 見 東 洋 一( 八 四 六 ~ 一 九 二 〇 の) 息 子 。 経 歴 等 も未詳であり、作品も希少である。
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肥蝶山 釉裏彩大皿
五〇〇,〇〇〇円~ 四七×四七×七
「 府五港 大皿の正面に六角の枠取りをし、 三 各 県 概 略 一 覧 」の 文 字 を み る 。 染 付 は 洋 コ バ ル
ト の 藍 色 ベ( ロ 藍 を) 呈 し 、 緑 と 釉 裏 紅 の 加 彩 が 、明 治 磁 器 の 息 吹 を 濃 厚 に す る 。三 府 は 東 京・
京 都・大 阪 、五 港 は 横 浜・神 戸・長 崎 、新 潟 、函 館 。
五港には蒸気船の往来が賑々しい。
各 県 の 概 略 で は 、 豊 岡・ 浜 松・ 白 川・ 置 玉・ 敦賀など消滅した県名があり、作期を明治八年
一 八 七 五 〜 明 治 九 年 一 八 七 六 に) 考 定 す る ( ) ( 情報を提供する。なお、 肥 「 蝶 山 」は 有 田 の 輸
出磁器窯の一。
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No.124
探雪 橋千鳥蒔絵硯箱
五六〇,〇〇〇円~ 付黒塗箱 二 二・五 × 二 四 × 五・五 ソ ゲ 内叢梨子地 七宝瓢水滴坐 円硯
瀬川に架かる小橋であろうか。
なく三条や四条の大橋ではあるまい。高
架かる橋の景色とみるが、端には欄干が
板橋の下に群れる千鳥の光景は、鴨川に
ない。
探 雪 花( 押 ) 」の 蒔 絵 銘 を み る 蓋裏に 「 が、蒔絵師か、下絵師なのかも判然とし
No.123
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中沢弘光 油彩天橋立画額
五〇〇,〇〇〇円~ 三九×二六 額五九×四六 カンバス
中 沢 弘 光( 明 治 七・一 八 七 四 ~ 昭 和 三 十 九・一 九 六 四 ) 東京生まれ。はじめ曽山幸彦に学び、後に堀江正章、
黒田清輝に師事する。東京美術学校西洋画科選科卒業。
白 馬 会・ 光 風 会 創 立 に 参 加 し 、 文 展・ 帝 展 な ど に 多 数 参
加 。 文 展・ 帝 展 審 査 員・ 帝 室 技 芸 員・ 芸 術 院 会 員 。
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No.126
浅井忠
く貢献した。
淡彩風景画額 五五〇,〇〇〇円~ 紙本 三二×二四 額四七×三八 共シール 黒田重太郎識シール
なる。関西美術会の中心となり、その発展に大き
帰国後は新設の京都高等工芸学校図案科の教授と
三 十 三( 一 九 〇 〇 ) 年 か ら 二 年 間 フ ラ ン ス へ 留 学 。
会 」 を 設 立 し 、『 春 畝 』、『 収 穫 』 を 出 品 。 明 治
( 一 八 八 九 ) 年 に 我 が 国 初 の 洋 画 団 体「 明 治 美 術
ア人教師のフォンタネージに師事。明治二十二
を学び、のちに工部美術学校に入学してイタリ
として生まれる。国澤新九郎の画塾彰技堂で油彩
一八五六~明治四十 ・ 浅 井 忠( 安 政 三 ・ 一九〇七)は江戸の佐倉藩邸で、浅井常明の長男
No.125
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棟方志功
版画額
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 紙本 鑑定シール 三八×五〇
額五七×六八
棟 方 志 功( 明 治 三 十 六
一 ・ 九〇三~昭和五十 ・ 一九七五)は版画家。青
森市生まれ。大正十三年
上京。柳宗悦ら民芸運動
家に評価される。板画と
称した木版画は世界的に
知られる。昭和四十五年
文化勲章受章。郷里に棟
方志功記念館がある。
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No.128
棟方志功 鵯越晴日之画額
一,〇〇〇,〇〇〇円~ 紙本 四三×三七 額六四×五七 ヤケ シミ 共シール 棟方志功鑑定委員会シール 肉筆
郷里に棟方志功記念館がある。
画は世界的に知られる。昭和四十五年文化勲章受章。
柳宗悦ら民芸運動家に評価される。板画と称した木版
一九〇三~昭和五十 ・ 棟 方 志 功( 明 治 三 十 六 ・ 一 九 七 五 )は 版 画 家 。 青 森 市 生 ま れ 。 大 正 十 三 年 上 京 。
No.127
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No.130
キャプテンウォッチ 六,〇〇〇,〇〇〇円~ 八 × 九・五 × 四 W I L L I A M V A L E L O N D O N
キャプテンウォッチとは、キャプテンクックことジェーム ス・ ク ッ ク が 生 き た 時 代 の 航 海 用 高 級 時 計 の 称 。 ク ッ ク は 一 介
の水兵から身を起こし、英国海軍の勅任艦長に昇りつめたが、
その航海に、この式の時計が携行されたためと考えられる。い
わゆる懐中時計ではなく、船に設えた自在台に吊るして用いた と聞くが詳しいことは不明。
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野間仁根
油彩薔薇画額
京美校卒。
県出身。川端画学校、東
五 十 九・一 九 七 九 ) は 愛 媛
野 間 仁 根( 明 治 三 十 四・一 九 〇 一 ~ 昭 和
五〇〇,〇〇〇円~ 三〇×三九 額五四×六三 カンバス 無鑑
No.129
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あとがき 大谷寛夫妻と家内(秀子)の四人で、ワープロを叩き、コピー機を駆使してレイアウ トし、表紙に日の丸(紺地に赤丸)の旗指を掲げたカタログ(第一号)を、荒れ狂う大海に 船出する覚悟で世に送りだし、二十五年目を迎えます。 衣棚への本社移転を機に大谷夫妻と袂を分かちましたが、四半世紀をカタログ一筋 に過ごしたわけで、感無量の言葉のほかに何も浮かんできません。 百号の記念号(『清華譜Ⅵ』)を編むにあたり、山に積んだカタログを解き、一号か ら百号(本冊)の表紙を整理しました。どの号にも甘く、そしてほろ苦い思い出がしっ かり詰まっていて、古い家族アルバムを眺めるような、不思議な感興に包まれます。 本冊の周辺には別冊(黒表紙)のほかに特集号の発行もあり、総数は二百十二冊を数 えます。ここまで何とかやって来ることができたのは、偏に会員の皆様のご支援とご 支持、そしてスタッフの献身的な努力に支えられてのことです。誌面を借り、改めて 謝意を表します。 さらに、本社(五条通黒門)で開催する最後のオークションが、偶然とは言え、切の 良い百号と重なり驚きました。 『清華譜』の表題は、Ⅰ号のとき揮毫をお願いした畠中光享先生に再び甘えました。 快諾いただき、「オークションを辞めたらあかん」 の言葉を頂戴しました。感謝、感 謝です。 新社屋では新機軸にも積極的に挑戦したいと考えています。今暫く猶予をいただき ます。 株式会社古裂會 代表取締役社長 森川 潤一
2017.11.13 186
第10号
発行:1998年4月15日 会場:東京美術倶楽部 京都美術倶楽部
第11号
発行:1998年10月20日 会場:東京美術倶楽部 京都美術倶楽部
第12号
発行:1999年4月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
臨時オークション 箱根武士の里美術館
発行:1999年9月8日 会場:箱根武士の里美術館
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第7号
発行:1996年10月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第8号
発行:1997年4月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第9号
発行:1997年10月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第4号
第1号
第5号
第2号
発行:1995年4月20日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
発行:1995年10月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第6号
発行:1996年4月15日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
発行:1993年10月1日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
発行:1994年5月1日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第3号
発行:1994年10月15日 下見会:11月23日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
188
第19号
第22号
発行:2002年10月23日 会場:衣棚
発行:2004年2月14日 会場:衣棚
第1回 清華譜
臨時オークション 音具
発行:2002年11月20日 会場:衣棚
発行:2004年2月14日 会場:衣棚
第7回ライブオークション
第11回ライブオークション
発行:2003年2月14日 会場:衣棚
発行:2004年4月14日 会場:衣棚
第23号
第20号
発行:2004年6月15日 会場:衣棚
第12回ライブオークション
発行:2003年4月15日 会場:衣棚
第8回ライブオークション
発行:2004年8月23日 会場:衣棚
発行:2003年6月7日 会場:衣棚
臨時ライブオークション 市内某家
発行:2004年8月23日 会場:衣棚
第9回ライブオークション
発行:2003年8月23日 会場:衣棚
第2回 清華譜ライブオークション
発行:2004年9月1日 会場:衣棚
第21号
発行:2003年10月24日 会場:衣棚
第24号
発行:2004年10月18日 会場:衣棚
第13回ライブオークション
発行:2004年11月19日 会場:衣棚
別冊 資料書籍
発行:2004年11月19日 会場:衣棚
191
第10回ライブオークション
発行:2003年11月29日 会場:衣棚
臨時オークション 文房至宝 発行:2003年11月29日 会場:衣棚
第16号
発行:2001年4月25日 会場:赤坂プリンスホテル 京都文化博物館 アートスタジアム309
第13号
発行:1999年11月3日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第1回ライブオークション
発行:2001年7月1日 会場:衣棚
第2回ライブオークション
発行:2001年10月2日 会場:衣棚
第17号
発行:2001年10月22日 会場:衣棚
第14号
発行:2000年4月25日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第3回ライブオークション
発行:2001年11月27日 会場:衣棚
第4回ライブオークション
発行:2002年3月16日 会場:衣棚
第18号
発行:2002年4月16日 会場:衣棚
第15号
発行:2000年10月25日 会場:京都美術倶楽部 アートスタジアム309
第5回ライブオークション
発行:2002年6月8日 会場:衣棚
第6回ライブオークション
発行:2002年8月20日 会場:衣棚
臨時オークション 元興寺行灯絵
発行:2002年8月20日 会場:元興寺、衣棚
190
第34号
第31号
発行:2006年12月25日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
発行:2006年6月16日 会場:北鎌倉美術館 衣棚
臨時ライブオークション 中国美術
発行:2006年6月16日 会場:北鎌倉美術館 衣棚
第35号
第32号
発行:2007年2月14日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
臨時ライブオークション 中国美術 発行:2005年2月14日 会場:衣棚
発行:2006年8月7日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
臨時ライブオークション 紀州某家売立 発行:2006年8月7日 会場:衣棚・相国画廊
墨獣 楊小健
発行:2007年4月1日 会場:京都市立美術館
第36号
第33号
発行:2007年4月19日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
祇園御霊会 屏風祭
発行:2006年5月21日 会場:京都文化博物館
発行:2006年10月5日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
臨時オークション 景道
発行:2006年11月16日 会場:衣棚・相国画廊・北鎌倉
臨時 第2回童夢ライブオークション(中国美術) 発行:2006年11月16日 会場:阪神ホテル
193
第28号
第25号
発行:2005年12月26日 会場:北鎌倉美術館 衣棚
発行:2005年2月26日 会場:衣棚
第14回ライブオークション 別冊入札オークション 発行:2005年4月8日 会場:衣棚
第29号
第26号
発行:2006年2月14日 会場:北鎌倉美術館 衣棚
発行:2005年6月25日 会場:衣棚
臨時オークション 無形の茶事
展示のみ 姫谷
臨時 童夢ライブオークション(中国美術)
第15回ライブオークション
発行:2006年2月20日 会場:北鎌倉美術館 相国画廊
発行:2006年3月20日 会場:阪神ホテル
発行:2005年6月25日 会場:衣棚
別冊入札オークション 発行:2005年8月19日 会場:衣棚
第30号
発行:2006年4月20日 会場:北鎌倉美術館 衣棚
特集 古染織
発行:2006年4月20日 会場:北鎌倉美術館、衣棚
第27号
発行:2005年10月15日 会場:衣棚
臨時ライブオークション 中国美術 発行:2005年10月15日 会場:衣棚
臨時ライブオークション 蓮華化生
発行:2006年5月20日 会場:北鎌倉美術館 相国画廊 衣棚
192
第46号
第43号
発行:2008年12月15日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
別冊 中国朝鮮
発行:2008年6月16日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
第2回 祇園御霊会 屏風祭
発行:2008年12月15日
発行:2008年6月16日 会場:京都文化博物館
JOMON
発行:2008年12月15日
秘画
発行:2008年12月15日
第44号
第47号
発行:2009年2月16日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
発行:2008年8月25日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
別冊 入札オークション 中国美術
別冊 入札 徳川他
発行:2008年8月25日 会場:北鎌倉美術館 衣棚 相国画廊
発行:2009年2月16日
SAMURAI(武具甲冑)
発行:2008年9月1日 会場:高台寺 圓徳院 相国画廊
第48号
発行:2009年4月15日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
別冊 入札 特集 西岡小十とその周辺
発行:2009年4月15日
別冊 特集 佛教美術 ジパング
発行:2009年4月20日
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第45号
発行:2008年10月18日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
別冊 入札オークション 中国美術
発行:2008年10月18日 会場:北鎌倉美術館 衣棚 相国画廊
第37号
発行:2007年6月6日 下見会:6月24、30日 7月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚 相国画廊
第40号
発行:2008年1月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
勢州某家 売立
発行:2007年6月6日 会場:北鎌倉美術館 衣棚 相国画廊
第41号 丹州某家
発行:2008年3月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
第38号
発行:2007年9月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
ライブオークション 清華譜Ⅲ 発行:2007年9月15日 会場:相国画廊
第42号
発行:2008年5月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
唐津とその周辺
発行:2008年5月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
第39号
発行:2007年11月1日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
臨時ライブオークション 中国美術 発行:2007年11月1日 会場:相国画廊
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第58号
第55号
発行:2010年12月20日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 神道美術
発行:2010年12月24日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2010年6月4日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第4回 祇園御霊会 屏風祭
発行:2010年6月7日 会場:衣棚・相国画廊
第59号
第56号
発行:2011年2月12日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 佛教美術 地宝
発行:2011年2月18日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2010年8月5日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 古窯
発行:2010年8月10日 会場:衣棚・相国画廊
第57号
第60号
発行:2010年10月8日 会場:衣棚・相国画廊 丸ビルホール(東京)
発行:2011年4月12日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 根来 石造 染織
発行:2011年4月15日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 中国美術
発行:2010年10月24日 会場:衣棚・相国画廊 丸ビルホール(東京)
別冊 特集 武具
清しい風 古径 空想の森コレクション 発行:2010年10月25日 会場:衣棚・相国画廊 丸ビルホール(東京)
197
第52号
第49号
発行:2009年12月21日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 備州・芸州蒐集家
発行:2009年12月25日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2009年6月8日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第3回 祇園御霊会 屏風祭
特集 古民具 鯉 中国美術 朝鮮美術 発行:2009年6月11日
第50号
第53号
発行:2009年8月20日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
発行:2010年2月15日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 市内某家 明治工芸
発行:2010年2月18日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 神道 丹波某家 明治工芸
発行:2009年8月24日 会場:北鎌倉美術館 衣棚・相国画廊
第54号
第51号
発行:2010年4月5日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集石造
発行:2010年4月8日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2009年10月20日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 武家の美
発行:2009年10月28日 会場:衣棚・相国画廊
196
第70号
発行:2012年12月17日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 有職
発行:2012年12月20日 会場:衣棚・相国画廊
第67号
発行:2012年6月7日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第6回 祇園御霊会 屏風祭
発行:2012年6月12日 会場:衣棚・相国画廊
清華譜Ⅳ
発行:2012年12月25日 会場:嶋基ギャラリー
第71号
発行:2013年2月19日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 佛教美術
発行:2013年2月25日 会場:衣棚・相国画廊
第72号
発行:2013年4月16日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 染織
発行:2013年4月19日 会場:衣棚・相国画廊
199
第68号
発行:2012年8月2日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 ライブオークション 中国美術 その他
発行:2012年8月9日 会場:衣棚・相国画廊
第69号
発行:2012年10月5日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 SAMURAI 武家の美
発行:2012年10月12日 会場:衣棚・相国画廊
第64号
発行:2011年12月14日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 神道美術 有職 中国・朝鮮美術
発行:2011年12月20日 会場:衣棚・相国画廊
第65号
発行:2012年2月20日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 佛教美術 地宝
第61号
発行:2011年6月6日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第5回 祇園御霊会 屏風祭
発行:2011年6月10日 会場:衣棚・相国画廊
第62号
発行:2011年8月2日 会場:衣棚・相国画廊 丸ビルホール(東京)
別冊 第2回 清しい風 古径
第3回 清しい風 古径 発行:2012年2月24日 会場:衣棚・相国画廊
中国・朝鮮美術 発行:2011年8月10日 会場:衣棚・相国画廊 丸ビルホール(東京)
第66号
第63号
発行:2012年4月18日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 漆工芸
発行:2012年4月23日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2011年10月4日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 SAMURAI 武家の美
発行:2011年10月13日 会場:衣棚・相国画廊
198
第82号
第79号
発行:2014年12月16日 会場:五条
別冊 特集 中国美術
発行:2014年12月22日 会場:五条
発行:2014年6月10日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第8回 祇園御霊会 屏風祭
発行:2014年6月16日 会場:衣棚・相国画廊
第83号 佛教美術
第80号
発行:2015年2月27日 会場:五条
別冊 第3回 清華聚寳
発行:2014年8月4日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 佛教美術 奥州 清水公照
発行:2014年3月6日 会場:五条
発行:2014年8月8日 会場:衣棚・相国画廊
清華譜Ⅴ
発行:2014年9月12日 会場:五条
ライブ 第2回 清華聚寳 発行:2014年9月13日 会場:五条
第84号
発行:2015年4月14日 会場:五条
別冊 特集 染織 漆芸 木工 発行:2015年4月22日 会場:五条
201
第81号
発行:2014年10月10日 会場:五条
別冊 SAMURAI 武家の美 発行:2014年10月18日 会場:五条
第76号
第73号
発行:2013年12月17日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 有職
発行:2013年12月21日 会場:衣棚・相国画廊
第77号
発行:2014年2月18日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 佛教美術
発行:2014年2月24日 会場:衣棚・相国画廊
第78号
発行:2014年4月15日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 特集 染織
発行:2014年4月21日 会場:衣棚・相国画廊
発行:2013年6月11日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 第7回 祇園御霊会 屏風祭
特集 夏の器 発行:2013年6月15日
第74号
発行:2013年8月1日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 ライブ 中国美術
発行:2013年8月7日 会場:衣棚・相国画廊
第75号
発行:2013年10月8日 会場:衣棚・相国画廊
別冊 SAMURAI 武家の美
発行:2013年10月12日 会場:衣棚・相国画廊
ライブ 第1回 清華聚寳
発行:2014年5月16日 会場:京都ブライトンホテル
200
第91号
第94号
第10回 祇園御霊会 屏風祭 発行:2016年6月14日 会場:五条
発行:2016年12月7日 会場:五条
別冊 特集 市松人形
発行:2016年12月13日 会場:五条
別冊 ライブ 第7回 清華聚寳
発行:2016年6月20日 会場:五条
第95号
第92号
発行:2017年2月8日 会場:五条
別冊 特集 中国・朝鮮美術 発行:2017年2月14日 会場:五条
第96号
発行:2017年4月10日 会場:五条
別冊 特集 中国美術
発行:2017年4月14日 会場:五条
203
発行:2016年7月28日 会場:五条
別冊 特集 朝鮮美術
企画 笑いの形 発行:2016年8月3日 会場:五条
第93号
発行:2016年10月11日 会場:五条
別冊 ライブ 第8回 清華聚寳 発行:2016年10月18日 会場:五条
第85号
第88号
第9回 祇園御霊会 屏風祭 発行:2015年6月10日 会場:五条
発行:2015年12月15日 会場:五条
別冊 特集 西岡小十と古唐津と初期伊万里 発行:2016年12月21日 会場:五条
第89号
発行:2016年2月19日 会場:五条
別冊 ライブ 第6回 清華聚寳 発行:2016年2月25日 会場:五条
第90号
発行:2016年4月18日 会場:五条
別冊 特集 染織 漆工
発行:2016年4月22日 会場:五条
ライブ 第4回 清華聚寳
発行:2015年6月19日 会場:五条
第86号
発行:2015年7月30日 会場:五条
別冊 特集 茶道具 琳派四百年
発行:2015年8月10日 会場:五条
第87号
ライブ三隅メモリアルセール 発行:2015年10月6日 会場:五条
別冊 ライブ 第5回 清華聚寳 発行:2015年10月16日 会場:五条
202
〒600-8357 京都市下京区五条通南側黒門通東角柿本町596 TEL.075-371-0094 FAX.075-371-0093
596, Kakimoto-cho, Shimogyo-ku, Kyoto, 600-8357 JAPAN.
発行日 平成29年12月18日 issued; 18th Dec. 2017 http://www.kogire-kai.co.jp e-mail office@kogire-kai.co.jp 禁、 無断転載・複製
第97号
第100号
第11回 祇園御霊会 屏風祭 発行:2017年6月6日 会場:五条
発行:2017年12月7日 会場:五条
別冊
発行:2017年12月13日 会場:五条
別冊
発行:2017年6月12日 会場:五条
清華譜Ⅵ
発行:2017年12月18日 会場:五条
第98号
発行:2017年8月3日 会場:五条
別冊 特集 中国・朝鮮美術 発行:2017年8月9日 会場:五条
第99号
発行:2017年10月5日 会場:五条
別冊
発行:2017年10月11日 会場:五条
204
入札オークション <下見会>
2018年1月6日(土)・7日(日) 10:00 ~ 17:00 <会場>
古裂會本社 京都市下京区五条通南側黒門東角柿本町596 <入札締切>
2018年1月11日(木)必着
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