Russia Now - Japanese edition

Page 1

ウラジーミル・ プーチン大 統 領は5 月7 日に 就任式を行い、3 期目の政権をスタートさせた。 プーチン大統領は2000 年から2 期8 年間で ロシア社 会の秩 序を回 復し、 経 済 成 長を軌 道に 乗せて大国・ロシア復活の基盤を固めた。では、 3 期目の6 年間︵任期が2年延長︶は何を目標 に、 どういう政 治を行 うべきなのか。 世 論 調 査 結果をもとに、ロシア国民がプーチン政権に何を 求めているのかについてまとめてみた。 大統領就任式の後、独 立の世論調査機関﹃レバ ダ・センター﹄ は、 クレ チン氏に国 民がどのよう

ムリンに返り咲いたプー な改 革を期 待しているか を調査した。 その結果、 国民は大統 領が政 治 的 安 定と経 済 的 立 場 を 強 化 し、 国 の 国 際 的 威 信 を 高 め、 社 会の安定と生活水準の向 上を望んでいることが分 かった。これらの項 目 は

ロシアは「第3の首都」 を必 要としている?!

プーチン政権3期目スタート

国民の不満にどう対処

いずれも回 答 者の半 数の 支持を得ている。 だが、国民がそれ以上 にプーチン氏に期 待して %が

賛成している政治・経済

いるのは、 国 民の

オピ ニ オン ( 5 面 )

望 者 全 員に小 さな 土 地 を 持つことを 許 可 し た。 それは、 共 産 主 義 思 想からの大 きな逸 脱 で あった が、 国 の食 料 事 情を少なからず助け た。 才 覚 ある市 民は自

価が上がったと感じる﹂。 なくてはならず、 その具

は 心 を 留 め ず、 た だ 物 する要求こそが満たされ

市 民はインフレの鈍 化に ﹁民 主 主 義と正 義﹂ に対

で実感できる指標の一つ。 長の考えでは、まず第一に

物 価 の 上 昇 は 市 民 が 肌 ニー・ ミ ー ンチェンコ所

通 じて呼 びかけたとこ

助 を インター ネット を

コワ ちゃんの治 療 費 援

歳 女 児 アンナ・メリニ

渡ったハバロフスクの1

病の治 療のた め 日 本へ

症 例 がまれな 白 血

万 ドル

活に必 要なインフラの欠 べる。﹁

年 前 に プー チ

サービスの質や快適な生 トロイツキイ氏はこう 述

政 治 学 者のニコライ・

引き続き支 援を呼 びか

う会﹂のメンバーたちが

め、﹁アンナちゃんを救

そ れでも 足 り ないた

4月末、交流サイト・

けている。

如 に 不 満 を 抱 いている、 ン氏が初めて大統領の座 に就いた時、 社会は民主

が国立国際医療研究セ

断 さ れた アンナ ちゃん

性混合性白血病﹂ と診

業の状況は、国民と政府 対応が遅れれば、 不満は

ンター附属病院︵東京︶

フェイス ブックに、﹁ 急

の溝を深めかねない問 題 募る一方になるだろう﹂。

に 入 院 している、 との

のリー リヤ・ オフチャー 必 要としていた。 今は状

財 団﹃ペテルブルグの

だ。 不 満がかなり高まっ

率的な国の政策の結果と チ ン 氏 の 弱 点 の一つは、

の日常生活の問題を非効 グラードフ会長は、 プー みなしている﹂と語った。 この 年間に大きな勢力 今 年、 公 共 サ ー ビ ス に 成 長 し た 若 年 お よ び 料 金は地 域によって3 ∼ 中 年 の 有 権 者 を 取 り 込

% 値 上 が り し、 国 民 めな かったことにあると はすぐに物価の上昇を感 指摘する。6年後にプー

スティングボー トを 握る

向 上にははるかに多 くの は、まさにこの勢力がキャ

じるが、 サー ビスの質の チン政権を総括する際に 時間が必要だ。

﹃ ソ ー コ ル ﹄ は、 1923年に建設され たモスクワで最初の協 同 組 合 住 宅 街。﹃ ソー コル﹄の建築家たちは、 世 紀 初 めに人 気の あった﹁田園都市﹂とい う構想を実現した。     都 会 と 田 舎 の いい 面 を 合 わ せ もつ都 市 形 態 は、 世 紀 末 に イ ギ リ スの 社 会 改 良 家 エ ベ ネ ー ザ ー・ ハ ワードが提唱したもの。 1979年から、この 街はソ連初期の都市建 設を今に伝える文化財 として国家の保護下に 置かれている。

文化財の街﹁ソーコル﹂

フェー イ・ シャー ツ キ フ 一つとみている。 国 際 政 マー ン・ ヴォロヴィヨ ー 勢 だ。 し か し、 よ り 詳 がえる。 経済分野におけ て 史 上 最 低 水 準 と な る る。 メディアグループ﹃ロス 氏 はこう 語 る。﹁ 消 費 者 治 調 査 研 究 所のエフゲー フ︼

しく分析すると、 項目に る 優 先 事 項 は 生 活 水 準 6・1 % だった が、 依 然

週末はダーチャ行き   家族の幸せに浸る

分の土 地で野 菜や果 物

数 年 前、 ロ シ ア 当

ア文 学にも登 場 し、 イ も栽培していた。

まるで集 団 疎 開、 都 た 凝った 意 匠の施 さ れ りるようになった。ロシ を 何 十 キロも 何 百 キロ

狭いけど ダーチャ︵別荘︶は、

かつては 国 か ら 信 頼 さ 市からの脱出のようだ。 た御殿もある。

現 在、 ロ シ ア で は ワン・ ツル ゲ ー ネフや

後には家 庭に彩 りを 添 逃 れ、 二、三 日 で も 心 菜 園 や ダー チャの数 が アントン・チェーホフと 局 は、 ダ ー チャを 持つ

れている証とみなされ、 人 々 は 都 会 の 日 常 を

1 9 1 7 年の社 会 主 チャの持 ち 主 た ちは 自

の約 3 人に1 人 がそれ 品の舞台となっている。 た。ソ連 崩 壊 後、 ダー

えて生 活 を 助 けもする 置 きなく羽 を 伸 ばせる 4 千 万を超える。 国 民 いった 文 豪 の 多 くの作 人々に一つの贈り物をし ダ ー チャは、 広 大 な らの所有者となっている

と 考 え られていた。 今 ダーチャを目指す。 では 休 息の手 段である

世 紀 初 め され、 個 人 所 有は不 要 なった が、 権 利 書 がな

は ブル ジョアの 名 残 と たり贈 与 したりしたく

が、 最 も 人 気のあるレ 国 土 を 有 するロシアな が、 事の起こりは か な 義 革 命の後、 ダー チャ 分の財 産として販 売 し 早くも

ジャーで、 多 くの国 民 らではの現 象 だが、 特 り昔にさかのぼる。 が 夏 休 み を ダー チャで 別 な ものという 感 じは

しない。 約6 0 7 平 方 に、ロシアの歴 史 家 カ とみなされた。しかし、 いた めにか な わ な かっ

春 に な る と、 ロシア メートルの狭い土地に、 ラム ジー ンは、 夏 には スター リン時 代にま た た。 そこで、 当 局 は 新

過ごすという。

ロシアと 日 本 に口 座

父 親エフ ゲニ ー・ メ を呼びかけた。

リニコフさ ん は、 昨 年

ロシア情報をお届けします

読者の皆様、 ﹁ロシア・

日の東日 本 大 震 が開 設 されると、 世 界 ビヨンド・ザ・ヘッドラ

脱モスクワ現象

万 ド ル が 集 まった。 新 聞の折 り 込 みとして

これは治 療に必 要 な 額 を発 行 する運 びとなり

ました 。7月、1月を

私 た ち﹁ロシアN O

発行されます。

また、 大 口の支 援 を 除く毎 月 第2 木 曜日に

銀 行 口 座 な どの問

万 ド ﹁フ・コンタクチェ﹂ の ア発の興 味 ある記 事 を

﹁ ア ン ナ ちゃん を 救 う お 届 け し、ロシア理 解

ロシアは 現 在、 政 治

ロシア新 聞 社 副 社 長

をお待ちしております。

ます。 ご意 見・ ご感 想

ツが 毎 日 更 新 されてい

記 事 や 多 様 なコンテン

は 追 加の roshianow.jp

日 本 語 版 ウェブサイ ト

化 の 過 程 に あ り ま す。

︻﹁ロシア通信﹂・クセ から文 化に至るまで変

ズ ネツォフス キ ー・ ト 1 9 8 8 年のアジア危

代表のビクトル・イシャ い。 極 東はアジア太 平 と語る。

エフ氏 が 担 当 大 臣に任 洋 地 域にお けるロシア

同省が取り組む課題

歳の若 者の 息は誰 もが手 軽に楽し

www.roshianow.jp

ル﹂より︼

3 ( 面に関連記事

)

ロシアは、 欧 州 との ンネルの開 通 を 考 慮 し 機の際に中 国は少 し躓 投 資 を していない。 自 展にも心 を 配り、 日 本 認のた め 政 府に回 され た極 東 発 展 省に関 する 貿 易 だ け で は 年 6 ∼ て も 2 千 2 百 万 ト ン いた だ け だ が、ロシア 国に投 資 する方が得 策 企 業の参 入 を 期 待 して 法 案による もので、 極 8 %の成 長 率︵現 在の だ。さらに、石炭、鉱石、 の林 業 複 合 体 は すっか なのだ。 彼 ら はロシア いる。 た だ し、 日 本 だ 東連邦管区大統領全権 目標値︶を確保できな 木材などの貨物もある﹂ り低 迷した。 協 力 ゾー に資源を求めているが、 けでなく、 中 国 や韓 国 ンを 設 けて加工 業 を 生 ロシアへはがらくたを寄 の企 業 も誘 致 する考 え イシャエフ氏は中国と み出 す必 要がある。 中 こしている﹂。 だ。 ︻情報サイト﹁ サハ・

なった。 6 月 1 日に承 迫られたからだ。

治 が 導 入 されることに 場を強化する﹂ 必要に か千 2 百 万 トンだ。 ク 出 に 依 存 し て い る。

ロシアに極 東 発 展 省 語ったところによれば、 送しなくてはならない。 うに語った。 国外発行版編集長     が 新 設 さ れ、 極 東 連 省新設は﹁国家の政治・ 現在のバイカル・アムー ﹁ロ シ ア 経 済 は、 多 ユ ージン・アボフ    邦 管 区に特 別な国 家 統 経 済における極 東の立 ル鉄 道の輸 送 能 力は僅 く の 点 で 中 国 への 輸 もっと読む

初代担当相   イシャエフ氏

ナちゃんのホームページ

にインターネットにアン ニア・ナカ︼

こで﹁救う会﹂は数日後

が、 及 ば な かった。 そ で。

不 動 産 と 車 を 売った 会 ﹂ のホ ー ムペー ジま の一助になることです。

ルかかる。

での治 療には 約

にした。 しかし、 日 本 い合 わせは 交 流 サイト W﹂チームの目標はロシ

へ娘 を 連 れてい くこ と

可 能 だった た め、 東 京 申し出る人もいる。

治 療 を 受 けることは不

ハバロフスクで十分な の %に相当する。

員の1人。

ア非 常 事 態 省の救 助 隊

者の捜索にあたったロシ シアと 日 本で 合 わせて 介 する日 本 語 版を毎日

れ、 瓦 礫の撤 去や生 存 れ、 たった ひ と 月 でロ そ。このたびロシアを紹

災 直 後に現 地に派 遣さ 中から寄 付 金が寄せら イン﹂︵RBTH︶ へようこ

3月

ホーム・ページでお勧め

を作成し、 治療費援助

「ロシアNOW」

の前 線であり、 近 隣に の 協 力 について 特 別 の 国には東 北 発 展 計 画が 命された。 イ シャエフ 氏 は、 ク この省 は、 極 東 連 邦 は 発 展 を 続 ける 中 国、 見 通 し を 持って 次のよ あるが、彼らはロシアへ リール︵千島︶諸島の発 管 区への他の連 邦 機 関 日本、韓国、シンガポー の介 入 を 制 限 もしくは ル、 マレー シアな どの ・

排 除 する。 法 案が承 認 国々がある。 さ れ れ ば、 国 土 の

を 占 めるこの地 域の統 ラを速やかに創 出 する

3%、GDPの5・4% は、 極 東に輸 送インフ 治の中心がハバロフスク ことである。 具 体 的に へ移 るこ と に な る。 同 は、 サハリンへの架 橋、 省 は 2 0 1 5 年 ま で 鉄 道によるサハリンと 2 0 2 0 年 までに9 兆 フス ク 間 とハバロフス

に 3・3 兆 ル ー ブ ル、 の 連 結、 チ タ・ハバロ

イ シャエ フ 氏 は

の道路の整備などだ。

ルー ブルの予 算 を 担 当 ク・ ウラジオスト ク間 する。 イ シャエフ 氏 が、 大

臣就任後に﹃コムソモリ ﹁ 2 0 2 5 年 ま で に られて誰の邪 魔 もしな スカヤ・プラウダ﹄紙に 1 億 8 百 万 ト ン を 輸 い。このようにダーチャ

は若 年 層にも人 気があ ロシアではこ う し た 休

事 なファクタ ーで も あ ごすと 答 えている。 今 しはじめたばかりだが、

は家 庭を円 満にする大

日本からロシアへの原子力潜水艦 の原子炉保管設備の引き渡し

投稿があった。

稚内(北海道)とコルサコフ(サハリン南部)を 結ぶフェリー便が冬の運休を終えて6月初めに 運航を再開した。最初のフェリーにはサハリン を訪問する日本のビザなし交流団(30 人)が乗 船した。サハリン州運輸道路事業省によれば、 2011 年に同航路では乗客 3 千 5 百人と貨物千 トンが運ばれた。【ロシア通信】

% が旅 行よりもダー め るので 流 行 と は まっ

消 費 動 向 調 査 会 社 り、

不 思 議 なことにダー る。

週 金 曜日は同じような 何 本 か 生 え、 人 参 な るた めモスクワは 人 気 特 権 としてであり、 高 た2 0 0 1 年 までに入 きい問 題 を 見 事に解 決 とお手上げである。

のどこの大 都 市でも 毎 ス グリや リンゴの木 が みんなこぞって郊外へ移 息を吹 き返 す。 それは しい土 地 法 典が発 効し 級 官 僚や作 家や学 者と 手した土 地の所 有 権 取 してくれている。ロシア

事を考 えたり世 界や人 や り たいこと を 見つけ ﹁ロ ミ ル ﹂ 社 の 世 論 調

世 紀 中 頃 に ダ ー いった社会のエリートに 得の手 続 きを簡 略 化し 人 は、 グロー バルに 物 チャでは 各 々 が 自 分の

光 景が見 られる。 午 後 どの野 菜 を 植 えた 畝 が が絶える、と記した。 四 時 頃 か ら、 郊 外へ向 あ り、 ちっちゃな 家 が

サハリンと日本結ぶフェリー再開

極東発展省を新設

ており、 人々は自分たち 政 治 ﹄のミハイル・ ビノ

ロワ所長は﹁住宅公益事 況が変化しており、 仮に

独 立 社 会 政 策 研 究 所 主義的自由よりも安定を

とみている。

足 しているものの、 公 共

公 共サービスの問 題も 体策として、 徹底した汚

議論を巡る識者2人の意見を紹

待ったなしだ。 連邦国家 職の取り締まり、司法制

する動きに呼応するものだ。この

集まった。

力を欧州からアジア地域にシフト

ろ、 1 か月で

議論が起きている。経済の原動

統計局は、国民の大半は 度改革、 政治分野のリベ

極東・シベリアに置くべきだとの

自 分の住 居の広さには満 ラル化を挙げている。

テルブルクに次ぐ第3の首都を

総じて国 民が望んでい よって国 民が求 める度 合 とインフレだ。 昨 年の物 として有 権 者にとって最 ビ ジネスコンサルティン 国 民 は、 汚 職 の 取 り ことになろう。 るのは、﹁是々非々﹂の姿 いに差のあることが うか 価上昇率は、ロシアにとっ も 深 刻 な ものの一つであ グ﹄のアナリスト、 チモ 締 ま り も 重 要 な 問 題 の ︻﹁ロシア N O W ﹂・ロ

改革の継続である。

7面

れ、 円 柱 や 欄 干 といっ すために田 舎に家 を 借 り、 ソビエト 政 権 は 希 とって 極 めて 関 心 の大 余 暇の過 ごし方となる や ペット は 好 きにさ せ 夏 休 みを ダー チャで 過 リズムと 称 されて流 行 ラーナ・スメターニナ︼

モスクワ大学の本館のトップにある星からのビュー=イリア・ワルラモフ撮影

極東で日本料理伝授 中野真道シェフ

今では郊外の別荘は、 類の運 命に気 をもん だ る。夫は壁に釘を打ち、 査 によ れ ば、ロシア 国 チャでの休息を望んでい た く 無 縁である。︻﹁ロ

たのである。

RBTH プロジェクトは 16 ヵ国 で、19 の新聞の折り込みとし て、11 の言語で発行されている。

プロジェクト全体の 発行部数

国の文化にも触れ合うのは、日本 語を学ぶロシア人も同じだ。日本 人、ロシア人の語学研修事情のほ かロシアの高等教育や家庭教育に ついて紹介する。 (4面参照)

ロシアでは今頃が期末試験、終 業、卒業の季節で、学生たちはそ の準備に追われている。この中に は日本人留学生も多く含まれてい る。ロシア語に取り組む中で、異

36

もっと読む www.roshianow.jp/14414

WWW.ROSHIANOW.JP

6面

優美で繊細な 女優・栗原小巻さん に聞く

2面

新潟で北方領土論議 D. コワレーニン 特別寄稿

1 9 6 0 年 代には真

25

タチアナ・シュラムチェンコ撮影

8面

や ペット や あ り と あ ら は立 派な郊 外の家が現 夏 を 自 然のなかで過 ご のダ ー チャ革 命 が 起こ 余 暇 というロシア 人 に りすることは得意でも、 妻は土 をいじり、 子 供 民の3 分の1 は 今 年の る。 欧 米 ではエコツー シ ア N O W ﹂・ ス ベト ゆる荷物で埋まる。

かつてのロシアには、モスクワやサンクト ペテルブルグに近いほど良いとする傾向が あった。だが、これとは逆の傾向も起き始め ている。ビジネスはモスクワを離れ、地方に 移ろうとしている。製菓工場「ボリシェビク」は 工場と管理職全員が丸ごと移転した。これは 特殊な例ではない。オフィスに勤務する人々 がモスクワ中心部から離れるという新しい現 象が生まれている。

700 万部 16ヵ国

47

タス通信撮影

で複雑な国・ロシアは、深 く掘り下げた分析によって こそ理解可能であると私た ちは信じている。その素材 となる情報を「ロシアNO W」を通じて届けていきた い。

RBTHはグローバルなメ ディアプロジェクトである。   2 0 0 7 年 以 来、 ロシ ア最大の日刊紙ロシースカ ヤ・ガゼータは、世界の主 要新聞に折り込まれる月刊 付録を制作してきた。多様

数字あれこれ

47

6月初め、日本の専門家たちは、退役し解 体されたロシア太平洋艦隊の原子力潜水艦の 原子炉長期保管施設に必要な設備を極東放射 性廃棄物処理センターに引き渡した。式典には、 ロシア国営『ロスアトム』と放射性廃棄物処理機 関『ロスラオ』 、日本外務省の代表ら約 30 人が 参加した。【ロシア通信】

95

経済特区『リペツク』で横浜ゴムの タイヤ工場が始動 19

50

12

Distributed with The Mainichi Shimbun

か う 道 路 は びっしり 車 立っているだけだ。もっ チャはロシア 全 国 に 広 与えられていた。

20

11

ロシア語学ぶ日本人、日本語学ぶロシア人

介する。 PressPhoto 撮影

物価高、汚職、政治の硬直化 で埋 まり、 車 内 も人 間 と も、 近 年、ロシアに まり、 多 少 裕 福な人は

18

漫 画 に 慣 れて い なかったロシア人も 若い世代を中心に 漫 画 に 関 心 を 示し 始 め た。 大 手 出 版 社も人気のあるオリ ジ ナ ル 作 品 を 探し ている。

19

ネット通じ日露で寄付呼びかけ

短信 12

漫画文化、 ロシアにも 19

白血病のアンナを救え

ロシアにモスクワ、サンクトペ 25

2012 (平成24年) 6月14日 (木曜日)  2012 年5月、3期目の政権をスタートさせた ウラジーミル・プーチン・ロシア大統領 (写真下) 。 1999 年 12 月 31 日に当時 のボリス・エリツィ ン大統領から政権を託されて (大統領代行)以来、 4年間の首相期間も含めてロシアをリードしてき た。3期目となる今回はこれまでと違って、プー チン氏を公然と批判する市民大衆が現れた。こ うした状況でプーチン氏がいかなる指導力を発 揮するかロシアも世界も注目している。

ロシア初の日本のタイヤメーカーの工場とな る。敷地 24 ヘクタール、面積は約 4 万 3 千平 方メートルで、年間 140 万本のタイヤを生産す る第一期分の投資額は 48 億ルーブル。今後は 年間生産量が 350 万本となり、1300 人分の雇 用が生まれる。横浜ゴムの南雲忠信会長兼最 高経営責任者(CEO)は開所式で「2008 年にロ シアを訪れた際、私は、ロシアの自動車ビジネ スは成熟しつつあり今後発展する大きなポテン シャルを秘めていると感じ、まさにその時、ロ シアに工場を建設することを決意した」と語っ た。【 「エクスペルト」 誌】

35

70

www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

ロシア NOW 2012年(平成24年)6月14日(木)

1


衛星 受 注 増 え 活 況 I S Sによ うやく国

連 邦 国 営 単一企 業﹃宇 さ らにはモス クワの航

﹁毎年私たちは4つな 宙通信﹄や﹃ガスプロム 空 大 学 の 卒 業 生 た ち

契約が調印された。

の 年には5 千 人、 現 在は ルで、 工 学 系 大 学の卒

も 回 復 し、 2 0 0 5 の技 術 者の給 料 が千 ド

3 ‒ を 購 入 し、 衛 星 が 製 造 されつつあ 8 千 5 百 人 と なった。 業 生の平 均 給 与の2 倍 家 を 養 成 するシステム は4 年を終えると企 業

不老不死への希望

の一つだ。 寿 命 は 永

も 人 気のあるテーマ

は 科 学 分 野でもっと

ア ンチエイ ジング

かたずのむ 秒間

卒 業 論 文の公 開 審 査を

える︶ 、その後に初めて

衛星1 基の価格は約1 億5 千万ド 受 け る。﹁ I S S は す 保 険が

%。 些 細なミスを犯しただ できれば、 そ れ らの専

ル、さらに打ち上げ代が5千万ドル、 ばらしい人材育成の場。

けで その全 額 が 泡 と 消 えてし ま う。 門 家の大 部 分を買 収し

そのため、 組み立ての各 段 階で入 念 たいところです﹂。 衛星

製 造 関 連のあるモスク

最 も 見 応 え が あ るのは 衛 星 の翼、 ワの企 業の匿 名 希 望の

なテストが繰り返される。

すなわち太 陽 電 池パネルを拡 げるテ 経 営 者は本 紙 記 者にそ

ジェレ ズ ノ ゴ ル ス ク

スト だ。﹁何 度 もチェックをしていろ う語る。 んな書類にサインをしてもらってから

テストがよ うやく始 まり、 発 注 元の は、 若 者 た ちの流 入に

作業員はプロトコールの作成中にビデ より活 気を取り戻しは

オカメラを廻します﹂。電気試験・電 じめた。 新 しい団 地 も

優 遇 住 宅ローンで住 居

気 設 計 担 当の主 任 設 計 者 セルゲイ・ でき、 工 場の従 業 員 が アペニコさんはそう説明する。

いよいよシステムが始動。蛇腹状に を 購 入できる。 企 業 が

と はいえ、 サ ー ビス

くれるのだ。

折り畳 まれた太 陽 電 池パネルが少し 利 子の半 分 を 負 担 して ずつ開いていく。 従 業 員 た ちは 約 秒間、かたずをのんで見守る。一つ間

ロシアの存在感まだまだ

宙 核エネルギー 装 置 な

ど、ロシアのエネルギー

推 進 技 術にはかなりの

ロシアは 宇 宙 市 場 に のロシアの増大を妨 勝算がある。   貢 献 で きるのか。 スコ げているのは何か。   スコルコボは民間 ルコボ宇 宙 技 術 通 信 集 ロ シ ア の 宇 宙 活 動 へ の       資本導入を実現でき 団のセルゲイ・ジューコ 投 資 は、この5 年 間で   フ会長に聞いた。 3 倍に伸 び、 新 宇 宙 戦  るのか。 略のプロジェクトが広く  我 々 の 戦 略 的 目 標 世界経済での宇宙 協議されている。 だが、 は、 各 国の学 者、 技 術     の役割は増大したか。 この分 野では、 民 間 部 者、 事 業 主、 企 業 家に   とって 魅 力 と なる 場 を 世界経済は宇宙活 門 が 事 実 上 ゼ ロ だ 。   作ることだ。 動への依 存 度 を 高 めて

い る。 宇 宙 機 器 の 生 人々が休暇で宇宙     人 類 は 将 来、 月 な 産、 宇 宙 技 術、 宇 宙 へ行けるようになる       どの天体で鉱物資源 サー ビスの市 場 は 年 間 だろうか。     を獲得できるのか。 3 0 0 0 億 ドルから バー ジン・ ギャラ ク     今 後 数 十 年のうちに 40 0 0 億ドルだ。 最 ティック 社 が 予 定 して   大の分 野は衛 星 通 信と いる 弾 道 飛 行に、 すで それが実 現 する可 能 性 遠距離交信設備、航法、 に数 百 人 が前 払い金 を は否 定 しない。 月 や小

地 球の遠 隔 ゾンデ観 測 払った という 例 を 見 れ 惑 星 に は、 水 が あ り、 だ。この分野でロシアが ば、 宇 宙 旅 行 市 場に展 燃料製造や、 惑星間探

ム や アル ミニウムの埋

占 める比 率は1 %に満 望があることがわかる。 査 船 や 長 期 ステ ーショ たない。 多 目 的 衛 星の 技 術 が 確 実 かつ廉 価に ンの構 造 要 素の製 造に 生 産では7 ∼ %。 有 なればはやるだろう。 好 都 合 な、マグネシウ

用 重 量の打 ち上 げ市 場

蔵がある。 では伝 統 的に高 く、 ロシア製品は市場     ∼ %だ。 競争で期待できるか。︻﹁ロシアN O W ﹂ マリ   世界の宇宙市場で ロケットエンジン、 宇 ア・シピロワ︼

東 芝 や日 立の幹 部、 玄 葉 光

業相と話し合った。

一郎 外 相 や 枝 野 幸 男 経 済 産

同 総 裁 によ れ ば、 東 芝 と

油 開 発︶の各 社から成

C I E C O ︵伊 藤 忠 石

︵国際石油開発帝石︶ 、

発︶ 、丸紅、INPEX

AP E X ︵石 油 資 源 開

ま た、 伊 藤 忠、 J

ンフラプロジェクトだ。

与 え うるエネル ギ ーイ

国 間 協 力に乗 数 効 果を

協力について話し合われた。

タウン・テクノロジー分 野の

級 会 合 が 開 か れ、 スマー ト

は﹃スコルコボ﹄と東芝の幹部

これを受ける形で5月末に

ポートする用意を表明した。

ルコボ﹄基金の協力推進をサ

日本側は、日本企業と﹃スコ

務 副 大 臣 の 会 談 が 行 わ れ、

リベル グ総 裁 と 山 根 隆 治 外

5 月にはモスクワでベクセ

て話し合われた。

発の分 野での協 力などについ

マートグリッド・システム開

日 立 の 代 表 との 会 合 で は ス

スマートグリッドの開発協力

現 代 的 な 応 用 研 究の分 野

る 目 的で2 0 1 0 年 に設 立

におけるロシア資源を動員す

された非営利組織、イノベー

立された。

ション基金﹃スコルコボ﹄が設

欧米やロシアの企業は多く

参加しているが、日本企業の

参 加がないことから4 月 末、

け、 息 抜 きをして食 料

同 基 金 の ビ ク ト ル・ ベクセ

︻﹁ロシアN OW﹂・マ

来月、香港でアピール

第 3 回 香 港ロシア投 について、﹁アジアの聴 実 体 経 済における投 資

リベルグ総 裁が日 本を訪れ、

I S Sの社 員 クリス 品を買い込むとのこと。

キロ離 れた クラ

スノヤルス クまで 出 か リア・シピロワ﹂︼

車で

ヤさんは、 毎 週、 夫と がりだという。

チ ー ナ・ ウスペンス カ そのほ う が ずっと 安 上

あるだけだ。

映 画 館 が そ れ ぞ れ一つ

ラ ン、 ナ イ ト ク ラ ブ、

がわ ずか 数 軒、 レスト

人口 万の町に、カフェ

で、 周 辺の村 も 含 めて

違 えば衛 星は宇 宙のゴミと化 してし 分 野 は 今 だ に お 粗 末 まうからだ。

累 積 額で、 日 本は、 す

サ ー と し、ロシア、 旧 べる。

ロシアの専 門 家 ら が 発 達であり、 経 済 危 機 とができる﹂。

期 的 投 資を誘 致しよう 考 えである。こう した ノロジー を 開 発 し、 新 天 然 ガスの利 用 やウラ としている。 場 合に、 私 た ちは、 鉄 たな雇 用を創 出し、 経 ジオスト ク付 近 か らア アル カ ジー・ ド ボル 道の発 展に関 連 した 新 済 の他の部 門への投 資 ジア太 平 洋 地 域 諸 国へ コビッチ新 副 首 相 は5 たなインフラプロジェク を誘致する﹂。 の天 然 ガスお よ び ガス 月、ロシアは 物 流 が 未 トの実 現 を 継 続 するこ 早くも昨 年、 日 本 側 化 学 製 品の輸 送および の投 資 活 動は目 覚 まし 販 売に関 する共 同 事 業

げようとしている。 ある。 家の機会である。 ロシア政 府 も 力 を 入 る 日 本 企 業のコンソー (www. ロシア経済への投資の シアムによって、ウラジ russiainvestsummit. 過 去 3 年 間 の 実 績 れており、 鉄 道 発 展の 。 で、このフォー ラムは、 ために日 本 や韓 国の長 的外国投資を誘致する 私 た ちは、 新 たなテク オスト ク付 近にお ける asia)

じる時 代は終わりを告 アにおける日 本 人 投 資 識 を 与 える 良い機 会で だ。

てのロシアに 魅 力 を 感 題のうちの一つは、ロシ 圏 の 市 場 についての 知 多 角 化 しつつあ ること

ネルギーの供 給 源とし 資 サ ミットでの主 な 議 衆 に、ロシアや 旧 ソ連 の部 門・ 地 域 が大 幅に

日 本 企 業 が原 料 やエ

﹁ロシアに長期投資を﹂

ソ連崩壊で資本主義の荒波に 彼の話では、 日 本の た。アイヌ語の﹁クナ

イ ン タ ビ ュ ー

ア太 平 洋 地 域のロシア あ り、 ファイ ナ ン ス・ たな質的レベルに達し、 やられた点を指 摘した べて い る。﹁ 私 た ち は ガス輸送システム﹃サハ 生 産工 場の生 産 量は年 のパー ト ナ ー 国の中で アジア紙、及びアジア・ 多 くの会 社 が、 従 来の 上で、次のように述べた。 そ うした 投 資の拡 大に リン・ハバロフスク・ウ 間 1 千 万 トンになる予

ル︶でも、日本は、アジ

直 接 投 資 の 累 積 額 から約250 人が参加 指摘するのは、ロシアで のあ お りを 受 けて多 く ロ シ ア 経 済 発 展 省 い成果をもたらした。 化 調 査の準 備 が すでに ︵ 9 億 4 千 5 百 万 ド する予定だ。 の活 動 拡 大に対 する日 の大型インフラプロジェ ア ジアアフリ カ 局のポ 2 0 1 1 年の最 大の 終 わっている。 将 来 の サ ミットの主 催 者 で 本 ビジネスの関 心 が 新 ク トの発 展 が 脇へ追い ポーフ副 局 長 もこう 述 出 来 事 と なった の は、 LNG︵液化天然ガス︶

ロ シ ア 経 済 へ の ソ連 圏 及 びアジア諸 国

位を占めている。

すべての国 の中 で 第 9 B キャピタル をス ポ ン 場として確立した﹂と述

の中で第 2 位、 世 界の ロシアの投 資 銀 行 V T 報 を 得ることが 出 来る

遠 とまではいかな く でにアジア太 平 洋 地 域 7 月5 日、 6 日に開 経 験 豊 かなロシアの投 と も、 理 論 的 に は、 のロシアのパートナー国 催されるこのサミットは 資 専 門 家から最 新の情 最 低 で も 今 の1・5 倍にまで伸 ば すこと が 可 能である。一部 の科 学 者は、 永 遠の 若 さ を 保つことので きる、 ある動 物の不 思議な秘訣を、 人間 にも応 用できると考

世界経済で比重増す宇宙市場

あった。 際 的 な オファー が 寄 せ いし 5つの入 札 に参 加 宇宙システム﹄といった が、再びジェレズノゴル られるようになったのは して1つを 落 札 してい 国 内 企 業のた めのテレ スクに惹きつけられてい 今 回は理 想 主 義のた

20 0 8 年で、 最 初は ま す。 私 た ちにとって コムおよ び測 地 用の衛 る。 注 文 が 増 えるに 伴っ めではな く お 金のた め

エニセイ河畔のシベリヤのタイガの奥懐に鉄条網に囲まれた閉鎖都市ジェ の向こうを 張っている。 決に忙 しかった I S S イス ラエルの会 社 が 衛 年に1 件 国 際 契 約があ 星もある。 5 ‒ を注文 れ ば 十 分 で す ﹂。 ウ ラ

通行証を呈示して十分な検査を受けてから町へ戻ることができる。 市内は Sの年 間 取 引 高の3 分 需 要 が 高 まった 重 要 な し、 その後 2 0 0 9 年 ジーミル・ハリマノビッ てI S Sの従 業 員の数 に。 そこでは 駆 け 出 し

レズノゴルスクはある。 誰もがそこに住めるわけではなく、 地元の住民も こうして、 現 在、 I S は、 前 世 紀 末に衛 星の 星AMOS

現 在、 同 時に約

年事実上﹁蚊帳の外﹂ c o m

おり、 残りは民 間から そのた めロシアは ほ ぼ がテレコム 装 置 Te l

年 代のソ連といった趣 だ。ソ連 崩 壊 後は寂れてしまったが、 の2 は国 家 が保 障 して 時機を逸してしまった。 にインド ネシアの会 社 チ氏はそう語る。

最近、活気を取り戻し、若い技術者たちを惹きつけるようになった。

1950 ∼

りで し た ﹂。 公 開 株 式 レズノゴルスクでは、ふ は止 まり、 人 々は文 字 会 社 M. F. レシェト つうのソ連 の 都 市 では 通 り一夜にして資 本 主 ニョーフ名称﹃情報衛星 手に入 らな かった 様 々 義の荒 波に放 り込 まれ システム︵ISS︶ ﹄の部 な 商 品 が一元 的に供 給 た。 町の基 幹 企 業である ISSも資金供与を大

門センター長、ウラジー されていた。 ミル・ハリマノビッチ氏

の衛 星が完 全に始 動

一年 前、 グロ ナ スの

ある。

じめた2 0 0 0 年 代で

創 出へ資 金 を 投 入 しは

枠 内で政 府 が グロナス

は、 宇 宙 プログラムの

く 希 望 が 見 えてきたの

技 術 者 た ちによ うや

都市へと去っていった。

が良い条 件 を 求 めて大

半 分になり、 多 くの人

以 上いた従 業 員 もほぼ

携 わっていた。 8 千 人

﹃ウラガーン﹄の改良に

ビゲーション・システム

ステム︶の元祖であるナ

ション・サテライト・シ

︵グローバル・ナビゲー

立てを 続 け、 グロナス

細 々と軍 事 衛 星の組み

代 が 訪 れ た。 工 場 は、

幅に断 たれ、 停 滞の時

年 前、ツポレフ記 念

は そ う 語 る。 同 氏 は、 航 空 大 学を卒 業したカ ザンからジェレズノゴル 当 時は学 生の2 人に

スクへやってきた。 1 人がそうした場 所に 憧 れていた。 ふつう 秘 密の軍 事 企 業がある閉 鎖 都 市へは 秀 才 しか 行 けなかった。 町 での暮 ら しにはい ろ ん な 制 限 がついてま わり、 親 戚や友 人を呼 ぶにも保 安 機 関の特 別 の許 可 を 得 な くてはな らなかった。﹁その手続 初のう ちは 毎 回 許 可

きは今 も同 じです。 最 を 求 めるのが 面 倒です が、 す ぐに慣 れる もの です﹂。 ペレストロイカ の直 前にオムスクか ら GPS︵グローバル・ポ

し、 今では アメ リ カの ジショニング・システム︶

和 条 約 す らないのか。

までその店に長居した。 ので あって、 日 本 は 攻 間 に 起こったこと を 知 人は﹁国の後﹂と書く。

︵黒い島︶を日本 私と田 中さんは深 夜 ドイツがソ連 を 攻 めた 若 者 もロシアと 日 本の シリ﹂

ろいろ大変なんだね﹂

﹁ 1 9 6 0 年 代 はソ リ ナ さ ん は そ う 語 る。 ソ 連 が 崩 壊 し た がソ連 時 代から受 け継 に きて 様 々 な ポ ジショ 万 事 順 調に思 われる に 置 か れ、 同 部 門 は 後にウクライナお よ び る が、 その中 には、 秘 しかもその多 くは若 者 に当たる。 連 中 が 宇 宙に憧 れてい けれども、 そ うした 不 1 9 9 0 年 代にジェレ が、 企 業 内の問 題の解 アメリ カの独 り 勝 ちで カ ザフスタンとの間 で 密の軍 事 装 置 もあれば だ。カザン、トムスク、 I S Sでは若 き専 門 がれてお り、 学 生 た ち ンで2 年 働いて経 験 を 積み︵給 与も全 額もら

の受注による。

地図

15

第 2 位、 世 界のすべて インベスター 紙の発 行 流 通から、 自 前の工 場 ﹁ 私 た ち は、 韓 国 や 日 よ り、ロシアに 活 発 な ラジオスト ク﹄の創 設 定 で ある。 もっと読む ﹁ロシアN OW﹂・マ www.roshianow.jp/ の国の中で第 7 位 を 占 者 で あ る ジョナ サ ン・ や サ ー ビスセ ンターの 本 といった 極 東 の隣 国 資 本 市 場を創り出 すこ だった。 こ れ は、 極 東 ︻ 14420 ハース ト 氏 は サ ミット 創 設 な ら びにロシアの からを含む新たな長 期 とができるとみている。 経 済の発 展ひいては 二 ルク・ザバツキー︼ めている。

えている。

スコルコボと日本企業が協議

ジェレズノゴルスク市はロシアの クラスノヤルスク地方の都市である (1954 年設立) 。バイカル小川とカ ンタータ小川(エニセイ川流域の右 岸)の岸辺に位置している。クラスノ ヤルスクから北方に 64 キロメートル。 面積は 4 万 5667 ヘクタール。

10

60

ジェレ ズ ノ ゴ ル ス クへ 移ってき た 工 場の技 師 エレ ー ナ・ プロス ビ ー

新 潟 で の こ と で あ の絆 をこん なに深 めて ﹁あれ、ロシアの方?﹂

私 は 彼 に語った。 も し めなかったのに﹂と首を らず、 多 くの年 少の子 ロシア 人 も 日 本 人 も 第二次世界大戦で日本 傾 げ、 誰もその訳を知 供たちは﹁広 島と長 崎 肝心なことを忘れてい

世 紀 初 めご

ロシアと日本の領土

へ原 爆 を 落 と し たのは るのだ。 田 中 さんは自 分のこ 誰?﹂との問いに肩をひ

がロシアを攻めなかった らないことを。 ことを知ったなら、ロシ

ア人の半 数 以 上 は びっ とを話 してくれた。 彼 そ めて﹁ た ぶ んロシア 問 題 は

くり仰 天 するであろう は、ハバロフス ク 近 郊 人﹂と答える。大事なの ろ に 端 を 発 す る。 国 こと を。 私 た ちロシア で抑 留 生 活を送り、ロ は、 そ れが 誰の島 なの 後島でのアイヌの最後 人が日 本 人をなぜか中 シア語で覚えているのは かではなく、 隣 人 同 士 の蜂 起 は 1 7 8 9 年

3 杯 目のビールを 飲 が、 自 分 た ちの 土 地

先 住 民 で あ る アイ ヌ

万 と﹁カパーイ・カパーイ ま く 解 決 するか、 なの ク リ ー ル、 北 海 道 の

﹂ の問 題 を ど う やって う に起 き た。 サハリン、 国で攻 撃 し、 ポツダム ﹁プリヴェート︵やあ︶ 宣 言に違 反して約

いう が、 概 してロシア

﹂ だけと だという。 人の日本兵をシベリアへ ︵掘れ、 掘れ︶ 送ったことを。

さ ら に、 ロシ アの イ 人には 好 感 を 抱いてい み干 すと私たちは共 通 を 追 われたのである。 以前から﹁愛国主義者 灰 を売る仕 事をしてい リンはロシア人によって を 訪 れた 村 上 春 樹 を

ンターネットではずっと る。 今は肥 料 用の火 山 の 結 論 に 至った。 サハ 2003年にサハリン

にこの史実であった。 ﹁これで誰に北 方 領 土 を 返 す べき か が 分 ア イ ヌの 共 和 国 を 創

かった。 南クリールに

その日のラーメンの

れば済むこと﹂

15 =ルスラン・スフーシン撮影

33

20

公開 株 式会 社 M.F. レシェ トニョーフ名称『情報衛星シス テム(ISS) 』は クラスノヤルス ク -26 の実験的設計局の支店 として 1959 年に設立された。 同社の 52 年間の活動で、様々 な目的のため 1160 個以上の 衛星を製造し、それによって 40以上の多衛星システムが 形成された。  写真は公開株式会社 M.F. レ シェトニョーフ名称『情報衛星 システム(ISS) 』の内部と作業 の模様。右下はジェレズノゴ ルスク市への入り口

10

40

味は今も覚えている。

PressPhoto 撮影

る。 私はある晩 ﹁オロ いるのですから﹂ チョン﹂ラーメンを食べ 愛 想のいいママさんと 柄で気さくな老 人が身

に馴染みの店へ寄った。 ビールを 飲 んでいた 小 おしゃべりが弾み﹁オロ を 乗 り 出 す。﹁ で、 ど チョン﹂という名前は、 う なの。 島 はいつ返 し 絶 滅 しつつある﹁オロ てくれるんだい﹂ 十 人 ほ どの客 がママ

民が今もアムール河畔 さんともども私の返 答

チョン族﹂の数 千 人の で 暮 ら す 大 陸 か ら ア を待っている気配。そこ ボ ールペンと 印 鑑 を 取

イヌを経 由して伝わっ で、 私 は、 鞄 か ら 紙 と たとの結論に至った。

﹁ママさ ん、 中 華 そ り出 し、 老 人の名 前 を ﹁ 誓 約 書。 私、 コ ワ

ばが一つ﹂。私はビール たずね、こう記す。 のジョッキを 持 ち上 げ

なが ら彼 女に告 げる。 レーニン ・ ド ミ ト リー ﹁添 えられた 朝 鮮のキ は、 日 本 国 民の田 中さ

19

流 刑 地として利 用 され 感嘆させたのは、まさ

ブログを読む www.roshianow.jp/ 14021

40

ました。 宇 宙 産 業で働 便 よりも プラス面の方 ズノゴルスクは失速し、 くことは 名 誉であり 誇 が 多 い。 例 え ば、 ジェ 食 料 品の一元 的 な 供 給

20

たち﹂ ︵日本に国土を1 るそうだ。 メートルも渡さない!︶ と﹁リベラル派﹂︵四島 のうち2 島を引 き渡し て和睦しよう!︶の間の ﹁内戦﹂ が行われている そ して、 若い世 代 は

ことを。

ドミトリー・コワレーニン氏 (46) は 村 上 春 樹 翻 訳 家・ エッセイストである。ユジノ サハリンスク市出身。 極東 国立大学を卒業、専門は日 本 語 翻 訳。 日本 に 15 年 間 滞在。1997 年に村上春樹作 「羊をめぐる冒険」を初めて ロシア語で紹介。現在は「1 Q 84」第3部を翻訳中。

ム チが 二つ。 北 海 道 んのた めにロシア 領 の のアイヌたちが名づけ 1 億3 千6 百万分の1 たというのが三つ。 ア に対 する 市 民 としての 私 は 署 名・ 押 印 し、

ム ールのシャーマンた 要求を放棄する﹂。 ちのためにというのが

四つ。 それを作るのは 日 付 を添 え、 その文 書 日 本 人で、 食べるのは を 彼 に 手 渡 し た。﹁ な

領土問題どうしたものか

﹁ 日 本 とロ シ ア に は 平

「1Q84」翻訳中

旧閉鎖都市に技術者戻る

ロシア人 ⋮。この店は るほど﹂彼は溜息をつく。

オロチョンでの後味が するアイヌのラーメン

スコルコボ宇宙技術通信集団会長            セルゲイ・ジューコフ氏

60

勲章ものですよ、民族 ﹁ そ う か、 そっち も い

60

24

47

2 総合 2012年(平成24年)6月14日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN


これがウラジオストク ノ ウハウ は、 別 の プロ

としていた。

ル・ミクルシェフスキー 期的な発展をめざす必 に対して﹁インフラの整 オスト クの名 を A P E

学 が 設 立 されることを 然罷免され、ウラジミー スを 駆 使 することで長 氏 は、﹁ロシアN O W ﹂ に投 入 される。 ウラジ

ルースキ ー 島 は、 サ 期待している。

歳︶が選 出され 要があり、 科 学アカデ 備不足が︵ロシアに限ら C中に知らしめるきっか

氏︵

︻﹁ロシアNOW﹂・ア

た。 彼は政 治の透 明 性 ミー極東支部と極東国 ず︶投資の妨げとなって けにもなる﹂ と語った。

ルースキ ー 島には 防 と、 最 近 まで大 学の総 過 疎 化 が 進 んでいるウ

ブル︵約 億ドル︶の連 ルチョーム・ザゴロヅノ

万 人 と腐 敗 対 策を公 約に掲 立 大 学は、 その要とな いたた め、 2 千 億 ルー

ミット の 会 場 と な り、 年 間に

その後、 極 東 国 立 大 学 人口流出に悩む 過去

シアは、ウラジオストクでのAPECサミット開催をテコに﹁太平洋国家・ 衛施設が存在し、 数千 長 をつと めていた ウ ラ ラ ジオス ト クの人 口の

影薄いロシア・ブランド

万 台を遥かに ラー ズ社は、 独 立 した

ロシア極東発展担当大臣

いる。この問題には

どう対処するのか。

人口対策の成功例

はありますか。

海外の投資家に対して、 品の %をロシア各地

の地方で製造された製

た。我々は、かつてこ

させることに成功し

め、そこで人口を増加

イシャエフ氏     私は長年、ハバロフ   スク地方の知事を務

ていたからだ。

てのボーナスに惹かれ

らに移住する代償とし

活環境が厳しい︶こち

人々がやってきた。 ︵生

ある極東地方などに

イシャエフ氏     ソ ビ エ ト 時 代 に は、   欧州部から遠隔の地に

人口減少を懸念して

ウラジオストクの     人たちは、この地   域からの人材流出と

ビクトル・イシャエフ氏

ドミトリー・メドベー

ジェフ大統領︵当時︶が

A P E C サ ミットの開

催 数 か 月 前 になって 沿

海地方︵プリモーリエ地

方︶のセルゲイ・ダルキ

ン知 事を解 任した。 後

任に任 命 されたのは 極

東 国 立 大 学 学 長のウラ

ジミール・ミクルシェフ

スキー氏︵ ︶ 。   ﹁ロシアN O W ﹂ は、

ミ クルシェフス キ ー 知

事と、 沿 海 地 方が属 す

る極 東 連 邦 管 区の大 統

領全権代表から極東発

展 担 当 大 臣に就 任した

ビクトル・イシャエフ氏

にインタビューした。

策がとられるか。

ためにどのような対

イメージを構築する

が効果的な国際的な

A P EC サ ミ ッ ト     開催を機にこの地域

ここでビジネスを展開 に出荷していた。現在

かわない限り、地元住 の自国の政治・商業的 で、投資家を経済特区 民の信頼を得ることは 要因がからまっている。 に誘致することができ

ミクルシェフスキー氏 するにあたっての問題 は 消 費 す る ば か り で、   ロシア企業も海外の を協議する﹁ホワイト・ 何も出荷していない。   この状況を反転させ 評議会を設立し 企業も犯罪や腐敗がま ブック﹂   んえんしている地域に た。彼らは、ロシアの るために、我々は新規 ビジネスは目を向けな 厳しい気候について口 ビジネスが黒字になる い。腐敗撲滅に立ち向 にするが、実は、彼ら ま で 課 税 し な い こ と

半に発 売される可 能 性

﹁このプロジェクトの

2 0 1 2 年5 月 ﹁ソ もある︶ 。

めたと自負している。

ロジェク ト が 成 功 を 収 ザー・ プラドが今 年 後

ズ社の経 営 陣 はこのプ ︵トヨタ・ランドクルー

経 過 した 現 在、ソラー に開設すべく、交渉中だ

フ︼

プリモーリエ地方知事 ウラジミール・ミクルシェフスキー氏

処するしかない。

我々のイメージを傷 るはずだ。 不可能だ。   かのモ デルの組 み 立 て イシャエフ氏 私は、 つけているほとんどの  ︻﹁ロシアNOW﹂・ア     操 業 開 始から2 年が 工 場 を ウラジオスト ク 問題は、国レベルで対 ルチョーム・ザゴロヅノ とみている。

ミ クル シェフス キ ー 邦 予 算 がインフラ改 善 フ︼

﹁ロシアは人口が減少 にも及 ぶ 人 た ちが、 よ げ た。 同 氏 は、﹁ 科 学 る﹂と述べた。

のキャンパスとなる。

だろう﹂

ジェク ト に 応 用 さ れる 中で、 国 中の大 学 が学 り 住 み心 地のよい地 方 的 および教 育 的 リソー

2012年9月、ロシア極東の玄関口、ウラジオストクでアジア太平 洋経済協力会議︵APEC、 の国と地域で構成︶の首脳会議が開かれる。

ロシア﹂をアピールしようとしている。この国際イベントを3カ月後に控え 人の退 役 軍 人とその家 ジーミル・ミクルシェフ 半分に匹敵する。

生不足に直面している﹂ や 海 外に移っていった。

1998年にAPECに参加したロシアが主催国を務めるのは初めて。ロ

たウラジオストクは、インフラ整備が急ピッチで進んでいる。 ﹁私が知っている中 国

政府当局は、このキャ 語 専 攻 の 学 生 の う ち、

族 が 居 住 している。 当 スキー氏は語った。 ンドル・オグネフスキー 企 業の多 くが、この事 め、 オムスクの企 業 が 時のプー チン大 統 領 が 今 秋 の A P E C サ 氏は、 連 絡 橋を指さし 業は実 現 不 可 能 だとい 落札した。このプロジェ ウ ラ ジオス ト クの4つ ンパスと、 政 府 助 成 金 3 分 の 2 の 人 た ち は、

ソラーズ社

特区へのビジネス誘致へ税優遇も

東のウラジオスト ク市 シアの欧 州 部 まで運 送 した。

達 せ られる、 新 しい地 のブランドの車を国内で フィスで説 明 した。、ソ

回避するというものだ。 は、非ディーゼルエンジ

ロシアはエネルギーの 経 済 学 的 空 間での経 験 生 産し、 関 税の適 用を ラ ー ズ 社 の 極 東 部 門

2 0 0 9 年の暮れま ンを初めて搭載した﹁ア

オスト ク特 派 員のワシ 込みだ。

ソ ラ ー ズ 社 は 現 在、

﹁政 治 的 な 決 定 だった﹂ マツダとトヨタのいくつ

︻﹁ロシアNOW﹂特別 リー・アフチェンコ氏は

ス通信撮影

ウラジオスト クで操業を開始 したソラーズ社 の自動車工場 =タ

ウラジオストク発︼

ルテム・ ザゴロドノフ、

︻﹁ロシアN O W ﹂ ア

語っている。

り大変になるだろう﹂と

今 より 遅 れると、 かな

た。 しかしその努 力 が

レクサスが 示 してく れ

ドを構築できることは、

バルな 自 動 車のブラン

で も 名 声 の高いグロー

標 準 的な国 内 市 場の中

年 く らい 猶 予 が あ る。

うになる まで、 あと5

的 なの率で成 長 するよ

飽 和 状 態になり、 平 均

当 社の成 長 戦 略を決 定 能であることを 海 外の た び日 本 車 がウラジオ きな衝 撃を与 えるだろ ﹁ロシ ア 国 内 の 需 要 が

治 安 維 持のた めに何 することはありません﹂ パー ト ナーに説 得 する

新たな関 税が適 用さ ことが予想される。 する関 税を引 き上 げる 利益を手にするという、 れることで、 1 年 間 に

では、 自 動 車 輸 入に対 し、 高 値 販 売で高 額の

というモス クワの決 定 極 東における重 要な収 輸 入 さ れ る 自 動 車 台 千 人もの武 装 警 察 隊が と、ソラー ズ社 極 東 部 た めのもの。 我 々 は そ

モスクワか ら 移 送 され 門 専 務のアレクサンド れに成功した﹂と語るソ

階に位置し、

る 中、 プー チン大 統 領 ル・ コル ネ イ チュク 氏 ラーズ社極東部門専務 からは、 完 成した機 械 出 する問 題に限 られて りはじめている。 昨年、 イニシアチブとして、エ 渉の過 程ではな く、 よ は 解 決 策 を 提 示 し た。 は、工場

力に関 する多 国 間 協 定 機構、 ASEAN 地域 アジア太 平 洋 地 域の隣 をより安 く購 入し、 資 した 物 流 システムの形 体 構 想をまとめた。 最

20 1 2 年夏、 将来

貿 易 についての 協 定 に 結ぶ﹁輸送回廊﹂、食料 の環 太 平 洋 経 済 圏 発 展 でには、 タ タ ー ルス タ クティオン﹂の生産を開

関 する交 渉に関 心を示 品の一大 輸 出 国 と して のモ デルに関 する 原 則 ンから生 産 拠 点 をウラ 始 し た。 ア クティオ ン

し、 20 1 1 年 初めか の自 国の役 割 を 不 動の が 採 択 される。これは ジオスト クに移 転 した の生 産 だけでも、 今 年

ら 自 由 貿 易 協 定 締 結 ものにする 可 能 性 を A アジア太 平 洋 地 域での ソラー ズ社の自 動 車 工 の出 荷 数は1 万5 千 台

に 関 す る ニュー ジー ラ P E C に 見 てとってい 自 由 貿 易 ゾー ンにつな 場が操 業を開 始し、 現 を 超 えると 予 想 されて

一方、 自 動 車 全 体の

がる ものと な る。 その 在では双 竜 自 動 車︵韓 いる。 アジア太 平 洋 地 域に ためにも、 主 要 な 統 合 国 ︶のS U Vモデル5

ンドとの交 渉 を 開 始 し る。

月 の ホ ノ ル お ける 地 域 発 展のベク プロセスからロシアが取 種を製 造 中 だ。 その半 出荷数は、 2011 年

ロシアにとっての通商 洋 地 域における多 国 間 ル で の 演 説 で ド ミ ー トルは、 ゆ くゆ くは経 り 残 されないよ うに参 面、 作 家で日 刊ノーバ の 2 万 5 千 台 に 対 し、

昨年

こ う し た 背 景 か ら、 た。

ドミトリー・ストレリツォフ

由 貿 易 圏 諸 国との自 由 太 平 洋 とヨ ーロッパを

に加 盟 する 用 意のない フォー ラム な ど を 始 め 国の産 業 投 資の誘 致 先 源 の 輸 入 先 を 多 角 化 成 にお け るロシアの役 近、ロシアは、 欧 州 自 主 要な供 給 国、 アジア を蓄えねばならない。 との二 国 間 関 係 発 展に

ことが、 地 域の主 要 国 とする様 々な多 国 間 対 とな らしめるよ うな 良 し、 資 源の輸 入の安 定 割は小さい。 とっての潜 在 的 可 能 性

モスクワ国際関係大学教授

を   多国間協調 目指す を も 損 ねている、 と 認

識 さ れ る よ う に な り、

地 域 経 済 統 合 プロセス

ルの探 求 という 課 題 が 話の場で自 国のプレゼ 好 な インフラその他の 性と確 実 性を保 障 する

への参 加 の最 適 なモ デ

ウェブで ホット・トピック

達した200 9 年。 極 た。 日 本 製 中 古 車 をロ 元 住 民は街 路に繰り出 超 えていたレベルから、 取 締 役 会をが経 営 する 初 期 段 階は、この地 域 のア レ クサ ンド ル・ コ ストクで生産されれば、 う﹂と続けた。   約6 万 台 まで減 少 する 民 間 企 業です。 政 府が で自 動 車 組み立てが可 ルネイチュク氏は﹁ひと それは中 古 車 市 場に大 コルネイチュク氏は、

経 済 危 機 がピー クに に対し、 抗 議が殺 到し 入 源 を 守るために、 地 数は、

日本車生産に意欲

統領︵当時︶によって突

氏は、メドベージェフ大

のセ ル ゲイ・ ダル キ ン

3 月の中 旬、 前 知 事

新指導者を選出

だ。

てしま うかが心 配の種

をついた 時 に ど う なっ

邦 政 府からの資 金が底

の 住 民 にとって は、 連

生 活が苦しいこの街

のは、この連絡橋だ﹂

ら えるた めの鍵 となる

に住 み たいと 感 じても

がないくらいです。ここ

緒に散 歩に行 ける場 所

な り ません。 家 内 と一

ほとん どは、 使い物に

﹁この街のインフラの

た。

クトル・ラリン氏は語っ

まで、この地 域 は 閑 散 分 野で世 界 クラスの大 民 族 学 研 究 所 所 長のビ

転 する計 画を支 持 する 生 物 医 学やI T などの 極東民族歴史・考古学・

新 た な キャンパスに 移 優 秀 な 頭 脳 が 集 ま り、 後、 海外に渡った﹂と、

ミット 開 催 の 準 備 は、 な が ら 語った。﹁ 国 際 う理由で入札をあきら クトのた めに開 発 した の 主 要 大 学 を 統 合 し、 により、 世 界 各 地 から キャリアを 求 めて卒 業 ウラジオスト クを 変 貌 させている。

変貌する極東の玄関口

起 伏 のあ るこの街 の

寒暖の差の大きい大陸性気候。冬は零下 30℃を下回ることも珍しくない。

中 心 部に点 在 するク

気候

レーンは、 A P E C サ ミットに向 けて連 邦 政 府 がこの都 市に注 ぎ 込 んだ何 十 億 ドルもの資 金 を 反 映 している。 空 港 からの狭 くて穴 だ ら 速 道 路 に 拡 張 さ れ た。

けの道 路は4 車 線の高 新 空 港 もこの夏 オー プ ンする。 空 港 か ら 市の 中 心 部 をつな ぐ高 速 鉄 道が開 業 間 近で、 劇 場 もほぼ完成している。

完成寸前のプロジェク

会場の島へ連絡橋 トの中で最 も注 目 され るのは、 ルースキ ー 島 と本 土 をつな ぐ連 絡 橋 キャンパスだ。

と、 極 東 国 立 大 学の新 3 キロ以 上にも 及 ぶ 連 絡 橋 は、 2つの人 工 島 に高 く そ び えるマス トによって支 えられる。 中 央のマス トの高 さは 3 0 0メートル以 上に もなる。 完 成 すると世 億ド

界 最 長の斜 張 橋となる ル︶ 。

︵ 建 造 コス ト は ﹁イノベーションや 現 代 化 を 語るな ら、これ う﹂ と、 地 方 発 展 省ス

をおいて他にないでしょ ポークスマンのアレクサ

ウラジオストクは札幌市とほぼ同緯度(北緯 43 度) 。新潟市からは約 800 キロ。

ロシアのシベリアおよ 製 品 を 輸 入 し ている。 い る た め、 サ ー ビ ス、 ロシアは、 旧 ソ連 圏 に ネルギー、 輸 送、 食 糧 り幅広いフォーマットの 極 東で自 動 車を組み立 ウラジオスト クの港 を

ロシアでは 自 国 の 市 て特 別な重 要 性を帯 び 中心であった。

交通

ロシア はこ れ ま で も び 極 東 地 域 は、ロシア アジア諸国にとってのロ 貿 易、 投 資という 形で お ける 単一経 済 圏 を 創 の安 全 保 障に関 連 した 枠 内で現 実 的な合 意が てることで、日本や韓国 見 渡せる ぜいた くな オ

場を完 全に開 放して東 ている。

モスクワ時間+ 5 ∼8時間、日本時間+ 0 ∼ 3 時間

ある自 由 貿 易や経 済 協 A P E C、 上 海 協 力 を 日 本 や 韓 国 といった シアの魅 力 とは、 原 料 の国 際 労 働 分 業を想 定 出 するユー ラシア共 同 テーマを提案した。

ア ジアで 形 成 さ れつつ

時差

ロシアは、 ア ジア 太 平

75

もっと読む www.roshianow.jp/ 13526

2012 年ロシア APEC の主要建設プロジェクト: 「ハイアット・リージェンシー・ウラジオストク」 五つ星ホテル(建設中) (上) 、極東連邦大学の「セベルヌイ」 ホテル新棟(建設中) (中) 、ウラ ジオストク水族館(建設中) (下) 。APEC首脳会議開催を機にウラ ジオストクは街の景観もすっかり変わりそうだ。

44

ロシアは、 二 国 間 交 寄稿︼

27 歳

716 万 9400 人(ロシア全体の 4,9%)人口密度は 1km2 あたり 1.06 人(同 8.4 人)

44

30

20 1 2 年のAP E C 編成に向けられている。

ソラーズ社の自動車工場の 従業員の平均年齢は 27 歳。

人口

しかし、 状 況は変 わ の議 題の準 備にお ける

6 千万ドル

6,215,900 平方キロメートル(国土の 36.4%)

このた め、ロシアは、 経済のテーマは、 中国、 協 定への参 加の実 際 的 ト リ ー・ メ ド ベー ジェ 済 統 合 プロセスの未 来 加 も 含 めてよ く 考 える ヤ・ ガ ゼ ータ紙 ウラジ 3 万5 千 台に達 する見

ているわけではない。

ンスを 積 極 的に拡 大 し 物 流の可 能 性で際 立っ 可能性なのだ。 この課 題 は、 最 近の てきた。

俎上に上っている。

し か し、 ロシアの 参

開 催 という 文 脈におい るか、 安 全 保 障 分 野が 兵器を輸出し、 相手国 やエネルギ ーを 直 接 輸

イ ン タ ビ ュ ー

数字あれこれ

面積

のロシアでのA P E C 極 的 な プレゼ ンスにな 魚 製 品、 木 材、 時には めと する 消 費 国へ原 料 していなかった。

信頼獲得は腐敗退治から

ガスパイプラインをさらに 800 メートル建設しなくては ならないが、工場のインフ ラ整備にすでに 6 千万ドル が費やされた。

3

極東連邦管区の概要

APEC サミットは 2012 年 9 月 2 日から 9 日 まで ロシアが APEC に 加 盟した の は 1998 年。 APEC はアジア太平洋地域における自由貿易 の発展を促す主要なフォーラム。2006 年の ハノイ (ヴェトナム)・フォーラムで、ロシアの 代表団は、2012 年のサミットを太平洋に臨 むロシアの都市ウラジオストクで開催するよ う提案した。当初は市の中心部のいくつか の建物の改修が予定されていたが、一年後、 その予定は、ウラジーミル・プーチン大統 領の支持を得たはるかに費用のかかるルー スキー島の建設プロジェクトに改められた。

シアの参 加 や今 年 9 月 加 は、 大 体において消 エネルギー、非鉄金属、 米国、日本、 韓国を始 経 験を持つ可 能 性を有 フ 大 統 領︵ 当 時 ︶ は、 が か かって く る ル ー ル べきだろう。

東アジアサミットへのロ

70

20

21

20

11

10

APEC 首脳会議 極東開催の意義

www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

ロシア NOW 2012年(平成24年)6月14日(木) 特別面 APEC

3


入。講義は難しいロシア 化 の違いのせいで 友 達 るのが一番 楽 しい。 今 が、 今は日 本 よりもモ だ と い う。﹁ 冬 は 雪 が

阿 部 道 陽さんは大 学 ばかりだ。

朝、 目が覚 めて窓を見

ました。 手 続 きも簡 単 に、 あまり授 業に熱 心 なっている が、 阿 部 さ

ショートショートが好き 子﹄といった若者向けの

モスクワ大が新寮建設

る。 平 日の昼 間 な ら館

内 は 空いてお り、 理 科

の個人授業にはもってこ

いだ。

アリ ー サ ちゃん が 普

通の学 校 に通 わ ないの

は、 ママが 娘 のた め に

家 庭 教 育という 特 別の

教 育 形 態を選んだか

ら。ロシアでは そ う し

数 年 間でほぼ

えた。

家庭教育の反対者が

座が開かれている。

倍に増 親たちのための特 別 講

ア リ ー サ ちゃん のマ

マ、 エ カ チェリ ー ナ・ よ く 指 摘 する一番の問

チューポワさんは﹁家庭 題点は、 社会性の﹁欠

サー クルや部 会での交

流も有益であり、 社会

に適 応 する一助 となる

が、 責 任 感は学 校でし

か 育 むことができない

︻﹁ロシース カ ヤ・ ガ

という。

ゼータ﹂紙・マイア・ア

グラノビッチ︼

夕 方 ま で 授 業 が あ り、

肝 心 なのは、 こ うい

日露で違う教育観

宿題もかなり多い。

う見た目の制度以上に、

同 じ クラスのビ クト ロシアの教 育 観 が日 本

生 は 新 興 財 閥、 官 僚、 治・経済、日露関係な 定 し、 そのな かで同 じ

外 交 官 か ら ジャー ナリ どについて 論 文 を 発 表 ルールで相 撲 をと らせ

スト、有名作家ボリス・ している。 クー ルに 物 る。 その結 果、 厖 大 な

ロシアでは 逆 に 土 俵

の人材が養成される。

こういう 優 等 生 が ク は人 間の適 性、 能 力に

落ちこぼれる凡才も

済 々。 し か し、 ここの るのに感心させられる。 さ れや すい中 間 レベル

アクーニン氏 まで多 士 事 の本 質 をつか んでい 数の労 働 力として組 織

大 学 事 情は、 日 本のそ

れとはかけ離れている。

﹁昨年﹃ロシアNOW﹄

月 号で、 アクーニン ラスごとに2、3 人いる 応 じて複 数 あるべきと

氏が、﹃ロシア人には日 半 面、 授 業 についてい の前 提 に 立つ。 か く し

本 人のよ うな 精 神 的マ けない学 生 も少 なくな てロシアの 教 育 シス テ

ゾヒズムは希 薄 だ﹄ と い。 カ リ キュラ ム の 要 ム は 天 才、 秀 才、 そ

言っていま し た ね。 日 求 水 準 が 高 く、ハイレ の他の雑 多 な 集 団 を 生

は結 構 だが、 烏 合の衆

ISAAは、アジア、 は、 政 府 や 企 業 にとっ

わせているためだ。

本人のマゾヒズムってな ベルの学 生に照 準 を 合 む。 天 才 が 生 まれるの

んですかね﹂

﹁ う ー ん、 本 当 は や

り た く ないこと を一生 アフリカの政治、経済、 ては 組 織、 統 率 しにく

や り 続 ける、 というこ 文化を学ぶ外国語学部 い。そこでロシア伝来の

これは、 3 年 生のク タッフは現在

名ほど。 る。 権 力が自 分に都 合

とじゃないでしょうか﹂ である。 日 本 語 科のス 強 力な権 力の出 番とな

即 答した。 語 学 力もさ 歴 史の3 クラスに分 か な あ、 と 思 うこともあ

ること な が ら、 ちゃん れ、各クラス 人以下。 る が、 ま あ、こ ういう

気がありますよ。

シアのニット 製 品 は 人 さんが見 事な日 本 語で も、政治・経済、文学、 する⋮。これでいいのか

たとえば、 伝 統 的 なロ に、 女 子 学 生 ポリーナ イコワさん。 各 学 年 と 尽 蔵の人 的 資 源を使 役

ず 探 し 求 め ま す か ら。 業での一コマ。私の質問 門 家であるステ ラ・ ブ のだ。 権 力が天 才と無

何 か 新 しいものを 絶 え ラス︵日本史専攻︶の授 講 座 主 任は言 語 学の専 のいいよ うに組 織 する

日 本 人 は 自 分 にとって

あ り 続 けている。 卒 業 ス・ サイ トに日 本の政 万 人に共 通の土 俵を設

学︵ISAA︶の日本語 の日 本 語 教 育の中 核で で、 既にロシアのニュー だ。 日 本では初 めから

ジア・ アフリカ 諸 国 大 設 さ れて 以 来、ロシア ル さ ん は 外 務 省 志 望 とは 根 本 的に違 うこと

モスクワ大 学 付 属 ア 科は、 1 9 5 6 年に創

特訓で秀才輩出

ISAAの日本語科

ファッションにつ    いてのブログを立ち   上げたきっかけは?   今はフォト・ビデオ・ モ ス ク ワ 国 立 大 学 学 習、 休 息 の た め の   コンテ ンツを 担 当 して

いる彼氏の影響ですね。 今の学生街は、寮の は 新 しい 寮 を 建 設 す

と 自 分の頭でものを 考 つまり、 日 本 語 履 修 者 国 なのだ。 少 な くとも

れるでしょうか?

日 本 にないよ う なロ と ﹃アタッチメント﹄。

え て い る。 彼 女 は 今、 は全 学で1 0 0 人を超 これまでは。

︻佐藤雄亮・モスクワ

に専 念 するよ うにして ムール・ガネーエフ︼

今 取 り 組 んでいること ︻﹁ロシ ア N O W ﹂・ チ

で す。 時 間 を 節 約 し、 でもできます。

れもやってしまいたいん いま す。 眠 るのは 休 日

まで毎日、 朝 9 時から 大学講師︼

日 本の城 郭に関 する論 えない。 月 曜 から土 曜

文を執筆中だ。

ナ ーの一人、 ア レ クサ

ている 数 少 ないデ ザイ

る。 すでにカスケード 数そのものが足りない ︵ 滝 ︶ 形の建 物の構 想 という問題を抱えてい は で き あ がって お り、 る。 現 在、モスクワに ビクトル・サドーブニ は 約 2 0 0 の 大 学 が 大 学しか

ロシアのブランド ンドル・ チェーレホフ。 どうやったら二足 区域によく馴染む﹂と な く、 7 万 5 千 人 の       は日本市場で評価さ 日 本 人なら、 もちろん 学生を収容できるにす のわらじが履けるの 述べた。     ﹃コム・デ・ギャルソン﹄ ですか?   今のう ちにあ れもこ 新 寮 に は、 居 住、 ぎない。

といったところです。

ファッションブログとい 好きなデザイナー    う よ りは、 身の回 りで は?   起こっていることをつづ ロシア 人 な ら ブラン   るライフスタイルブログ ド が 商 業 的 に 成 功 し

︵ 学 生 数 1 万 7 千 人 ︶ ゾーンが設けられる。

の子 供たちがよく通 う

ライ チョウ、 オ オ タ カ く、 2 0 0 8 年にはわ 要 だ。一部の教 育 機 関 欠点です﹂と警告する。 が どん な 姿 を している ずか1 万 1 千 人 だった では、 遠 隔 サポー トや ク チェー ポ ワ さ んの か、 自 分の目で確 かめ ﹁ 家 庭 内 ﹂ 児 童 の数 は オンライン相談といった 話 で は、﹁ 家 庭 学 校 ﹂

サちゃんは、弟も一緒に 様子が違う。 子 供を自 ら教 育 するこ ていま すが、 家 庭では ママと動 物 園へ出かけ、 ロシアにお け る 家 庭 とにした親たちへのプロ そうした関 係は築かれ 本に出てきた ウズラや 教 育の普 及は目 覚 まし の手 助 けはもちろん 必 ません。これは 大 きな

て一字一字 を 入 念 に 書 択 の 権 利 は 親 に あ る。﹁ 飴 ﹂ ば か り と は 限 ら 校 あ るいは 幼 稚 園 は、 くよう見守っている。 授 業としての家 庭 教 育 ない。 時には 子 供に何 他の子 供や大 人たちと 午 後一時 頃、 アリ ー が 存 在 しない日 本 とは かを強いることもある。 の関 係の構 築を想 定し

み、 ノー トに単 語 を 記 ﹁ 教 育 に 関 す る﹂ 現 行 プランを 立 てること が 括︶教育問題学術院の す。 隣にはママがいて、 法 で も そ の 改 正 法 案 で で き ます﹂と語る。 エレー ナ・ ク チェー ポ 娘が正しく手を動かし も 認 め られている。 選 しかし、 家 庭 教 育は ワ副 院 長は﹁普 通の学

な ら自 分 た ちの都 合に 落﹂である。モスクワ市 後、 少 女は綴り方に励 た 形 態 は 合 法 で あ り、 合 わ せて 子 供 の一日 の 心理教育大学・一体︵包

合法だが﹁社会性﹂どう教える

通学せず家で教育

は花がたくさん咲いて、

議な気 候ですよね。 春

が あ ま りないのは 不 思

語、生徒はロシア人ばか と喧 嘩になるな ど、 思 で も カ ル チャー ショッ ス クワの生 活 に慣 れて た く さ ん あって、 太 陽 せん。 ﹂ 例えば、ロシア が暗くなったら﹃送って

の紳 士 的 な 男 性 は 外

次はロシア語で就活

り、うまくコミュニケー い出 せば きりが あ り ま クを 受 けることは ある しまった﹂と話す。 ションができなかった。

近藤陽子さんはモス 業 が あった。﹁ 外 国 人 試験は口頭で

習慣の違いもまた楽し ロシアの大 学に留 学 する日 本 人 学 生が増えているという。 英 語とは違う外国語で、なんといっても日本とは違う風土、習慣、 それに人 々との交 流が魅 力なのだろう。 留 学 するとまずロシア 語に出逢うが、これが一番の難題。なんといっても文法が難しい。 強 をしている 大 学 生 を 子さんが説明する。

クワに来て 年 目。 英 9 人のグループでした。 ロシアの 大 学 は、 冬 あげるよ﹄と必ず言う。 交 換 プログラムで去 年 勉強もパーティーも ると、 た くさん 白い花 7 歳 の ア リ ー サ・ 語 圏 以 外の国へ留 学 す 皆 初 め は 辞 書 を 指 さ と夏に試 験 がある。 試 ﹁ 日 本 で は そ うい う 習 が ふ わ あ と 飛 んでいて チューポワちゃんの一日 の 9 月 に 来 た 。 ﹁ 日 本 で 両 国 の 学 生 の 特 徴 に ることが 夢で、 高 校 卒 し、 片 言 の英 語 や ジェ 験の時 期 は 大 学へ向 か 慣はロシア程ではない。 は あ ま り ポ ピュラ ーで ついてこう語る。﹁日 本 素敵です﹂ は9 時に始 まる。 朝 食 業後にロシアに来た。 スチャー な どで 会 話 し う 電 車 内で一生 懸 命 勉 逆に怖 くなる程﹂ と陽 はない言 語 なので選 び の大 学の学 生は基 本 的 帰 国は今 年の夏に 最 初のロシア 民 族 友 ていました﹂。

︻ ﹁ロシアNOW﹂・ア

ずっと 忘 ら れ ない 印 レクサンドラ・バズデン

15万人

ウリヤナ・キムさん︵左︶が日 本語を学び、現在は日本語を後 輩学生に教えているサンクトペ テルブルク国立大学東洋学部の 校舎 ︵右︶

だが、 努力と周囲の人々の善意で、しばらくすると話せるよう たちとの交流が楽しくなる。そんな体験をした日本人留学生2

になる。 そうなると、 周りの世 界がぐんと広がり、いろんな人

振り返る。

いな、と思いました﹂と スリコフ芸 術 大 学の 最終試験は論文だった。 論文のテーマは﹁浮世絵 と現代日本美術、 歌川

法で認められた「家庭内教育」の みのロシアの児童の数

日本語習得でレベ    ルアップのコツは?   よ く 本 を 読 み ま す。 で す ね。 もっと 時 間 が 日 本の連 続 テレビド ラ シアのブランド には ポ   一息 で 読 め る 星 新一の あった頃には﹃花より男 マも観ていました。 テンシャルを感じます。

記が必要です。

れには 自 習 と 毎 日の暗

漢 字 を 覚 えること。 そ

で き ま す。一番 の壁 は

他の言 語と同 様に習 得

日本語は難しいですが、

どんな授業を行っ    ていますか?   去 年は文 法、 今 年は   会 話 を 教 えてい ま す。

の方も教えています。

修 士 といった 若い世 代

受 けしました。 学 士や

大学で日本語を教    えることになった経   緯は?   講 座の先 生から私に   話があり、 有り難 くお

うなった次第です。

募集がなかったので、こ

入 学した年は朝 鮮 科の

ぼうと思っていました。

日本語を学ぶこと 物 を 着ての論 文 発 表に ん︵ ︶は、2011年 ログは 多 数の読 者 を 惹    初 めにファッションブロ きつけ た。 ウリ ヤ ナさ にした理由は? なった。   言 語 に 興 味 が あ り、 現 在 は、 モス クワ 国 グを 立 ち上 げた。 それ んに二 足のわ らじを 履   朝 鮮 語か日 本 語を選

寝 袋で寝る、 習 慣・ 文

大 学 寮の暖 房がきかず

れない、 外 は 雪 なのに

ないので食事もロクにと

し ま う。﹁ 言 葉 が 話 せ

と、 陽 子 さ ん は 笑って

来た当初を思い出す

今やモスクワっ子

ロシアで﹂ と語る。

入りたいと思っています、

その後、そろそろ会社に

今年夏、卒業予定です。

年間に短縮してもらえ、

かる勉 強 を、 なんと2

﹁ 本 当 は 全 部で5 年 か

別コースで勉強している。

リカ諸 国 大 学の通 訳 特

立大学付属アジア・アフ

生 方のリ クエス トで 着 身のウリヤ ナ・ キ ム さ 教 員となり、 自 身のブ

正 国 画 伯 ﹂。 大 学 の先 ク国立大学東洋学部出 化し、 学 生から母 校の て聞いた。

サ ンク ト ペテ ル ブル 以 来、 人 生は劇 的に変 くライフスタイルについ

人気ブロガーは日本語教師

んで す ね。これは す ご

いないと 答 え ら れ ない びに行った り、 招 待 す う一人いて他 は 外 国 人 象の一つはロシアの季節 コワ︼

勉 強 内 容 が 頭に入って ア 人。﹁ 友 達 の 家 に 遊 ルー プで、 日 本 人 がも

からロシア語が喋れて、 話 せる。 友 達 も 皆ロシ のは留 学 生 用の特 別 グ もすごく熱心です﹂。

アは 全て口頭です。 だ も、 若 者のス ラングも 阿 部 さ ん が 通っている だと思いま すが、 勉 強 立大学という。

全 部 筆 記です が、ロシ だ。 き れいなロシア 語 出来たのは挨拶ぐらい。 ティーは も ちろん 好 き る。 今 度 は サハリン国

好 大 学では 毎 日 7 時 その後、 国立モスクワ・ よ く 目 に す る。﹁ 日 本 今 の陽 子 さ ん は すっ でした﹂と語る。来たば ではない感 じの人 が 多 んはもう一度ロシアで留 間、ロシア 語 だ けの授 スリコフ芸 術 大 学に転 では 暗 記 して、 試 験 は かりモスクワっ子のよう か りの 時 にロシア 語 で い。ロシアの学生もパー 学 する 予 定 を 持ってい

日本人留学生が奮闘中

経 済 高 等 学 校のアイ

︻﹁ロシアNOW﹂・オ リガ・ゴルシコワ、パー

教育形態、自主的に選択可能

人に、自らの留学生活を語ってもらった。

高等教育に新制度 士 号 をとりに来る留 学

教 育 省によると、 近 生 は 依 然 として少 ない

ロシアにおけるボロー 士 を 取 得 することがで もある。 ニャ・ プロセ ス 教 育 制 きる。これには、 既 存

その一方 では、 極 東

度の導 入は遅 く、 物 議 の問 題、 もし くは その 年、ロシアに留 学 する という。 を か もしている。 今 現 分 野における新たな問 外 国 人 学 生 は 増 加 の

6、7年かかることもあ ナダに次 ぎ8 番 目。 同 キ ナ所 長によると、 ボ ば︶ 途 中から専 攻を変

20

在 も、ロシアで高 等 教 題を解 明 する独 自の研 傾 向にある。 2 0 0 8 な どで学 士 号 を 求 める

生は主に中 国や東 南 ア

が今 現 在は9 万 人 程い めている。 こ れ らの 学 一見、人 数 の 増 加 の ジアか ら 来てお り、 科 ングや基 礎 医 学は勉 強

その次の段 階である る。

ことが要求される。

育 制 度 を 導 入 につき、 究に基 づく論 文を書 く 年には 約 7 万 人 だった 学 生が着 実に増 加し始 ボローニャ・プロセス

課題は多い。

制 度は学 士、 修 士、 そ 博 士 号 は 非 常 に 難 し

して博 士の3 種 類の学 く、 多 くの博 士は何 年 原 因は2 0 0 3 年のロ 学 や 経 済 やエンジニ ア により多 くの時 間 を 要 学 生は、 教 育 制 度の なるには︶足りない﹂と

位 を 認 める。ロシアの も仕 事をし経 験を積ん シアのボローニャ・プロ リングを専攻している。 し、4年間では︵プロに

ロシアの高 等 教 育 も 世 境 を 語 る。 モスクワ大

歳 以 下の博 士はまれ の 制 度 の 導 入 に よ り、 改 革に関し、 複 雑な心 いう。

教 育 制 度 はソビエト 時 だ 後、 博 士 号 を と る。 セス導 入に見 える。こ 代 からの名 残で、 専 門

ロシア 教 育 省 によ る 界に共 通 するシステム 学の学 生 自 治 会のメン ラ ト・ バガ ウ ト ディノ バーであるアレクセイ・ フ氏は、﹁ボローニャ制 しかし、 それを 導 入 し は 解 決 されない。 新 し よ り、 よ り 効 率の良い

かり、医学部などでは、 ト リ ア、 スペイ ンと カ 所 のイ リ ー ナ・ アバン 専 攻 が気に入 らなけれ

ベル・コシュキン︼

モスクワ大学の歴史的 ているのは

し か し、 モス クワの ポ チョム キ ン氏 は﹁ 例 度の導 入は、 西 側に追 た とこ ろ で、 ロシ アの い制度がロシアにあって 改革を検討するべきだ﹂ チイ総長は﹁建築的に あるが、 学生寮を持っ

と、ロシア 人 留 学 生の を取り入れた。

22

10

ロシア連邦の教育に関する法律によ れば、各家庭は自主的に、公立・市 立または私立のいずれかの学校を選 べ、またその教育形態も選択できる となっている。日本の場合、教育基 本法、学校教育法の規定によって就 学義務が定められ、『義務教育を学 校以外で行うことは認められていな い』とされている。上級学校の入学 資格については、正規学校に在籍し ていれば卒業を認められるケースが 多く、正規学校に在籍しない場合に は、「中学校卒業程度認定試験」に合 格する必要がある。

10

キリル・ラグッツコ撮影

﹁西側並み﹂に当惑も る。 学 業 を 続 けたいも 時に、留学生にとってロ ローニャ・プロセスの導 更 す るこ と が 出 来 る。

10

イ ン タ ビ ュ ー

「花より男子」観て、星新一愛読

近藤陽子 33歳 大分県出身 国立モスクワ・スリコフ芸術大学卒業、 モスクワ国立大学 付属アジア・アフリカ諸国大学(ISAA) 、通訳特別コース 阿部道陽  22歳 奈良県出身、天理大学(4年生) 、専門:ロシア語 モスクワ国立言語大学、大学交換プログラム、 留学生特別グループ

数字あれこれ

13

門家﹂になるには5年か ツ、 フ ラ ンス、 オ ー ス 経済高等学校教育研究 えば、 学 生は︵ 現 在の いつ く た め だ と 思 う。 教育制度の根本的問題 いるか ど うか 話 し 合 う と提言している。

通常、ある分野で ﹁専 人 数 はアメリカ、 ドイ

を踏む。

士の全 く異なる三 段 階

家、 準 博 士、 および博 である。

40

のはさ らに勉 強 し 準 博 シアは 人 気の留 学 先で 入により確 立 された 学 し か し、エンジニ ア リ

71

ロシア語学び、世界が広がる

4 2012年(平成24年)6月14日(木) 教育

ロシア NOW www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN


独裁は人材を失う

高 く、 科 学 者は蚊 帳の

他の代 替 経 済 すべてよ

科 学、 教 育、 そ の

外に置かれている。

パー ト ナーではな くな アジア太 平 洋 経 済 協 力 外にも、 内 部 的 要 因が 基 地のみな ら ず、 国の 国 営 企 業 設 立 という一 事 象 を 招いてし ま うの 国の国 家 体 制を手 本に

今後数年で、ヨーロッ た、 今 年 9 月にウラジ ロシア 政 府 の不 満 の ム ー ズに 方 向 転 換 し、 政 府は初めて極 東 発 踏 まえた上で、 予 測 不 提 案 している し、ロシ   パがロシア 最 大の経 済 オスト クで開 催 される 根 底には対 外 的 要 因 以 シベリアを 天 然 資 源の 展 省 を 立 ち 上 げ た が、 可能な社会的、 政治的 アの主 権 を 尊 重 し、 自 るかもしれない。ロシア 会議︵APEC︶や、そ ある。 急 成 長 するアジ 現 代 化の中 心とするか つ目の案 を 却 下 した わ ではないかと警告する。 見 立てて内 政 干 渉 して

りも、 石 油とガスが優

ここ 数 年、 政 府 はこ にロシア 第 3 の経 済 首 間 よりも近い距 離に位

大 人 になって か ら ア

ロシアは

イデオロギーの影響

ガスを 取 り 巻 くロシア

した。 1 9 3 0 年 代に 言った 方 が 正 しいだ ろ 世 紀 のほ は、 確 率 論 までが ブル う。

次 の よ う な 事 情 が あ は銃 刑の宣 告を受 けた の経 済 をつく り 上 げて し、 大 半の遺 伝 学 研 究 いる 人 間 が、 他の分 野 者が収 容 所で命を落と を 台 無 しにしていると る。

先 されるのだ。 石 油 と

モス クワ と ア ジアの くるようなことはない。

極めて西 洋 主 義 的な姿 望 すら、 西 側との経 済 国の経 済 戦 略を見 直し

はこれまで国 際 関 係で れに関 連 する経 済の展 アの 可 能 性 を 考 慮 し、 という問題なのである。 けではない。 極 東 地 域

﹁ロシアは才能輩出の

物理学・数学修士、元ソ連 科学アカデミー上級科学研 究員 ステパン・パチコフ

﹁石油﹂優先にうんざり 西 側 がロシアと 対 等  な

い。 西 側 との対 決の中 2 案 について、 非 公 式 ある。 地 理 的 条 件など 一部 を 移 転 するという らないことは、ロシア社

勢を貫いてきたが、ヨー 関 係の代 案と見 なされ ていかな け ればな らな の方 向 性に見 合 う政 策 都 を 築 くことが 目 的で 置 する街に首 都 機 能の 関 係 を 築こうとしたが し か し、 ここに きて で戦略的な﹁後衛﹂の役 に 議 論 を 重 ね て き た。 を 元に候 補 地として挙 案は、 近い将 来の政 府 会の常 識になっている。

ロッパが 戦 略 的 安 全 の ることはなかった。 問 題 でロシアの意 見 に 耳 を 傾 けよ うとしない 状 況 が一変 した。 E U 割を担っているシベリア 一つ目 の案 は、 極 東 発 げ ら れ たのは、エカ テ 計画にはない。しかし、 だか ら、 ウラル以 東に

特別寄稿︼

を下ろし、 様 々な研 究 ディアスボラたちはロシ

ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、シ リア紛争の解決に参加する国際社会は一 般市民の人命の救助に主眼を置くべきであ り、その以外の事柄が主目的となってはな らない、とみなしている。  セルゲイ・ラブロフ外相は、国際舞台の 代表がみなこうした姿勢を堅持しているわ

た め、 東 洋 主 義 的 な とロシアの間 で 絶 え ず を 活 性 化 す れば、ロシ 展のための国 営 企 業 設 リ ンブル グ、 ク ラスノ ロシアと E U の将 来 的 省 庁の一部 を 移 転 する 姿 勢に変 える代 案を模 生じる政 治 的な衝 突を ア政 府の新 たな 競 争の 立。 二つ目の案 は、 極 ヤルスク、ハバロフスク な 関 係 が複 雑になるほ という地 政 学 的な決 定

東にお ける 経 済 的 プロ だ。 モスクワが 政 治 首 ど、 第3の経 済 首 都の は、 国 民の多 くが支 持 地 なのか﹂ との質 問 が メリカを 永 住の地 とし ぼ全般で、イデオロギー ジョア的 疑 似 科 学 と 認 ロシアのI T の将 来 投 げかけ られることが て選んだI T 活 動 家も 化された独 裁 政 権の支 定されそうになったが、 について は、 現 在 の 政

アジアのロシアのパー

増えて行く。

の潮 流 を 西 か ら 東へス す る 特 別 省 庁 設 立 だ。 ルグが文 化 首 都である 面 下で話しあう機 会が しかし 専 門 家 は、 ウ

ことは変わらない。

エフゲニー・シェスタコフ氏︵ ︶ 、者や技術者が数多く従 ﹁ロシースカヤ・ガゼタ﹂紙国際 部 編 集 者、ロシアのセルゲイ・ 事しているためだ。 ラブロフ外務大臣のジャーナリス ト協会の一人。

ラル以 東に第 3の経 済 ト ナーは逆に、 あ らゆ 首 都を構 築 する利 点を る 分 野の新 しい構 想 を

者のセル ゲイ・ ブリン コフスキー氏や、﹁マイ 学の分 野を選 ぶ方が賢

的共産主義﹂ が終焉を い 有 能 な 人 材 も 含 め、 や﹁ペイパル﹂創設者の クロソフト﹂の研究者で 明だと知っていた。 精 密 科 学 の 分 野 で 迎 え、 イ デオロギ ー が 必 要 な 時にすべてお 金 マックス・ レフ チ ン ら あるエフゲニー・ベセロ

ロシアに 他 国 よ り 才 イ デオロギ ーの猛 威 が 銀行、 法律関係、 株式

︻﹁ロシアNOW﹂への

世界的に有名な人物も フ氏 といった 伝 説 的 な も、 生 物 学、 遺 伝 学、 消 滅 すると、 有 能 なロ で 集 め れ ばいいと 考 え 人工 頭 脳工 学などには シアの若者はビジネス、 ているのだ。 は自 発 的 移 民には数え

いるが、これ らの人 々 プログラマーもいる。

ステパン・パチコフ︵ ︶、物 理 学・ 数 学 修 士、 元 ソ連 科 学 アカデミー上級科学研究員、モ ス クワ初 のコンピューター・ ク ラ ブ設 立 者︵ 共 同 創 設 者 は ガ ルリ・ カスパロフ︶、﹁パラグラ フ﹂社︵1989︶および﹁エバー ノート﹂ 社 設 立 者。ニューヨー ク在住。

スター 取 引 所 な どに飛 びつい 特別寄稿︼ られない。 多 くの﹁I 能 ある 人 物 が 多いとは 及んだ。例えば、 T 活動家﹂ がそうであ 思 わないが、 少 な くと リ ン 時 代 の 弾 圧 下 で、 て行った。現代のロシア

世 紀の優 れた 生 物・ では、 銀 行 員、 株 式 仲 世 紀にそのよ うな 両 親 がロシアや 旧ソ連 印 象 が多 くの人に植 え 遺 伝 学 者の一人に数 え 買人、 検察官、 飲食店 るように、 子 供 時 代に も

の共 和 国から西 側に移 つけ られたのは 事 実 だ られたアカデミー会 員 主、 テレビ番 組の司 会 ろ う。 こ の 背 景 に は、 のニコ ラ イ・ バ ビロフ 者 な どのステ ー タスが 民した移民2世だ。

日 本の学 者 た ちは第 トへの参加を勧めること

二 次 世 界 大 戦 後に多く ができる。

スコルコヴォ財団副総裁 教育研究担当主任管理責任者

の国へ散 り、 現 地 に 根

欧 米 に 住 むロシアの

オレグ・アレクセエフ

RBC通信

ロシアの論調

び寄せるようになった。 いろ ある が、 その最 た

グの数 分の1 であるか つ、 若 き 同 胞 た ちを 呼 るという。 理 由 はいろ

ワやサンクトペテルブル プロジェクトに従事しつ アでの仕事への関心があ これらの問題の一部は らなのだ。

% が チャン などである。

自己実現できるロシアに

﹁流出頭脳﹂戻したい ﹁頭脳流出﹂は﹁移住﹂

と呼ばれるプロセスの一

部 に す ぎ ない。 全ロシ

外 の 世 界 にとって ザ していく 中 部ロシアの ペテ ル ブル グに、 そ し でいる。 この傾 向 が 最

国 民の

シベリアを 原 料 産 出 る都 市に置 く。 今 秋 ウ すら希望者はいる。 の半 植 民 地と見る態 度 ラジオスト クで開 催 さ

ン デ ッ ク ス 開 発 セ ン らば誰でも自 分の生 活 る ア ンド レイ・ コルモ 人 間の下で働 く人 間 ば ター﹂ の最 高 責 任 者で にイ デ オロギ ーの影 響 ゴロフが機転を利かせ、 か り を 大 切 にしている

︻﹁ロシアNOW﹂への 多い。西側の企業には、 数 十 万 人にのぼる。 カ 配 を 受 けていた。 世の 多 くの確 率 論を打 ち出 権が石 油を採 掘できる 優 秀 なロシア系の開 発 リフォルニアにある﹁ヤ 中 を 知っている 人 間 な した偉 大な数 学 者であ 人間と石油採掘を行う

いかにして投 資 取 引 ジェクトの発 展 を 管 理 都、 サ ンクト ペテル ブ 問 題 をロシア政 府 が 水 するのである。

索 しなければな らなく 背 景 に、ロシアと ア ジ 拠点となる。 なっている。 世 界 経 済 ア各 国との対 話が重 要 の中 心 が 東へと 移 行 し 性を増している。 ている 現 状については、 専 門 家の間で議 論 され

後衛役割を活性化

動とはなっていない。ま

てきたが、 継 続 的 な 活

は3つの首都が必要だ。 ア世論調査センター︵W

﹁グーグル﹂共同創設 あ る アル カ ディ・ ボ ル が及ぶ分 野を避け、 科 何とか危機を救った。 ため、はなはだ疑問だ。 1 9 9 0 年に﹁科 学 その他の人 間 は、 新 し

地 域、 そ してロシアよ 創出することである。 りも発 展した国 々から

次 々に部 門を引 き出せ 若 者 だけでなく、 長 く 都 はモスクワに、 文 化 ば、ロシア 国 民の

この地 域の専 門 家 や 政 治と軍 事・ 外 交の首 CIOM︶の調査によれ

発 展 を 牽 引 するアジア

る地域に隣接している。 新 世 代を西 側に押し出 と 法の首 都 はサンクト は 国 外への移 住 を 望 ん

速 度 を 上 げつつ経 済

アジア経済に連結

結 させね ばな らないと 世 紀 に、 前 か ら 語 ら れ 始 め た。 するだけにしておこう。

の機 関 車 にロシアを 連 いう考えが熟したのは、 ア と 極 東 は

政 治 は、 過 去になさ ウラーリエ︵ウラル以東 若 者のた めにも、 地 域 て経 済の首 都 は、 仮に も 顕 著 なのは 若い世 代 もうかなり前のことだ。 社 会 主 義 的な、 なかば 今 も投 資 協 力はほとん それと並 行 して、 新 た ラー ゲリ手 法で開 発 さ どないが、 商 業 協 力は れた復 興から出 発 する 地 方 ︶の、 最 大 限に可 での生 活 と 仕 事の特 恵 ノーブイ︵新︶・ウラジ ︵ %︶だが、最も腰の のではな く、 現 在 と 未 能 性のある経 済 的 発 見 条件を創出すべきだ。 オスト クとでも 名 づけ 重い年 金 受 給 者の間で

そ して、 この 半 年 の 来 によって 提 示 さ れる をもたらす条 件を創 出

なシベリア開 発の必 要 れていった。第二の原因 活発になった。 性も。 米国と西欧先進 は、 ロシ ア・エ リ ー ト

す な わ ち、この地 域 が強い。 そ うした 態 度 れるAPEC 首脳会議 スさえあれば 国 を 去る

諸 国 は、 すでに順 調に 層 が長 年にわたり、 時 う ちに、 国 営 東 シベリ 現実的な可能性から出 することだ

20

て 舵 を 切 る 必 要 性 は、 構 想 が 現 れた。ここで

含 めた外 国からの投 資 ロシアのウ ラル 以 東 を 最 大 限に呼 び込 むこ

新 しいア ジアに向 け 省や副 首 相などの代 案 たりする必要はない。

まし、 中 国の人 的 拡 張 小評価したことである。 ないと 言い始 め、 特 別 工 業 化 を 繰 り 返 し 言っ ア、 ヨ ーロッパ諸 国 も にお びえて、 足 踏 み 状 態を続けている。

この原 因 は 少 な くな プーチン、メドベージェ は、 政 治 が立 脚せねば は、 数 億 人という 廉 価 と。これ らの投 資のた ア的に成 功 した 国であ

セ ル ゲ イ・ カ ラ ガ ノ フ 氏 ︵ ︶氏、政治学者、外交 防· 衛 政策公開協議会の幹部会議長

訪 問 し た 時である。 ベ 命 ﹄ 、 東 欧 の ミ サ イ ル の代 わりに、 現 実 路 線 域へ移 りつつあ る な か

い。まず第一に、シベリ フ両 氏により2 ∼3 年 ならない諸 原 則を提 示 な 働 き 手 を 提 供 す る め、 最 大 限の好 条 件を る た め には、 ロシアに

9 年 前︵ 2 0 0 3 さらに、 西 側に対 抗 す

職、 社会的環境、 気候

米露より欧露関係を先行

『グローバルな政治におけるロシア』誌編集長

フョードル・ルキヤーノフ

地 方では住 居 がなか 帰 国 させる最 初の試み リアを重ねていった。

シリア問題

別の理 由 もある。 多 きを 軌 道に乗 せること

きはじめる 頃 はたしか 務なのだ。

に外 国の方 が便 利で働

起点は据えられたが、

き や すいか も し れない くの人 が 母 国への郷 愁 が必要である。

ま れ 育った 国で 働 き た 今のところ、米国、イギ

が、 克 服できない秘 め や追 憶 を 抱いてお り生

リス、中国といった大国

︻﹁ロシアNOW﹂への

移 民は科 学の世 界に にははるかに及ばない。

欧 米で国 立の研 究 所 がっている。

られた障壁がある。

ロシアでもこうしたモ あるいは 大 学の指 導 者

階 級にお 馴 染みの文 化 れ た が、 失 敗 に 終 わっ デルを 実 現 することが のポストにロシア人が就 とって有機的なプロセス

なか 見つか ら ず、 中 流 は1 9 9 0 年 代に行わ

オレグ・アレクセエフ氏︵ ︶は スコルコヴォ財団副総裁

的環境︵劇場、 カフェ、 た。 現 在、 再 び出 国し できる。 彼 らに3 ∼ 5 くことは 今のところ 想 である だ けに﹁頭 脳 流 特別寄稿︼

クラブ︶がなく、何より た学者たちをロシアへ戻 年ここで働いてもらえる 像できない。 如 何に才 出﹂に歯止めをかけるこ

本紙は8面とも、ロシア政府発行紙「ロシア新聞」により制作、発行されたもの で、文責は「ロシア新聞」が負っています。 本紙の記事は、個人的に使用する場合を除き、その転載、転売、譲渡はすべて、 「ロシア新聞」の文書による許可なくしては禁じられています。記事や写真の利 用を希望される方は、下記の連絡先までお申し込み下さい。

ル リンでは ま だ ト ー ン 防衛︵MD︶などをめぐ が 際 立つアンゲ ラ・ メ で、ヨーロッパの主要国

インフォグラフィック ガイア・ルッソ Gaia Russo、ナタリア・ミハイロフスカヤ Natalia Mikhailovskaya、アントン・パーニン Anton Panin  写真 ダリア・コジレワDaria Kosyreva 広告 ユーリア・ゴーリコワ Julia Golikova

年︶ 、ロシアとヨーロッ る ものと 見 な さ れてき

編集スタッフ

ような具体的プロジェク 能があろうとも外 国 人 とはできないが、ロシア

「ロシア新聞」の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する特 殊折り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています: 毎日新聞(日本) 、中国ビジネスニュース(中国) 、サウス・チャイナ・モー ニング・ポスト(中国・香港) 、ザ・エコノミック・タイムス  (インド) 、ザ・ ワシントン・ポスト、ザ・ニューヨーク・タイムス  (アメリカ) 、ラナシオン(ア ルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、エル・オブザバドール (ウルグアイ) 、デイリー・テレグラフ(イギリス) 、フィガロ(フランス) 、南 ドイツ新聞(ドイツ) 、エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプッブリカ(イタリ ア) 、ルソワール(ベルギー) 、ドゥーマ(ブルガリア) 、ジオポリティカ(セ ルビア) 、アクロポリス(ギリシャ)

も、 所 得 水 準 がモスク したいと思っている。

です。必ずしも「ロシア NOW」または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。

スト、国際モスクワ放送、﹃セボー ドニャ﹄ 、 ﹃ブレーミャ MN﹄ 、 ﹃ブ レーミャ・ノボスチェーイ﹄の各 新聞に勤務。ロシア外交国防政 策評議会のメンバー。

画による風刺などは、様々な意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたもの

プー チン氏 が アメ リ いフ ラ ンソワ・ オ ラ ン の潜 在 力 は 残 されてい

本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、漫

が 抑 え ら れ て い た が、 り、急速に冷え込んだ。 ルケル氏 と、 面 識のな にはさらなるE U 拡 大

メールのあて先は jp@rbth.ru です。 お気軽に日本語でメールしてください。

パリでシラ ク大 統 領 と

チン氏 は 唐 突にアメリ ヨーロッパとロシアの関 は 世 界 を かっ歩 してい ん だよ うに、 価 値 観で

の会談を終えると、プー カとの不和を招いても、 ド 氏 がいる。 9 年 前に ない。 プー チン氏の望 カの一国 支 配 を 批 判 し 係に質 的 変 化は起こら た 単一通 貨ユーロは 存 はな く 産 業エネルギ ー 世 界の多 極 化を唱 え始 なかった。欧州連合︵E 亡 の危 機 にあ る。一部 連合に基づいて、ロシア U ︶ が統 合 熱のピー ク には、 アメリ カが 欧 州 と接 近 することを 妨 げ 事 態は、 戦 争に反 対 を迎 えた後に失 速し始 の状 況に無 関 心 だとさ てき た E U には、 ほこ

めた。

ろびが見える。EUは、

3 期 目 の 最 初 の き 姿 勢 は 変 わ ら な い。 と 統 合のモ デル そのも

する プー チン氏の前 向 に変 容 し、 共 存の原 則

一方、ヨーロッパに対 いず れにせよ、 抜 本 的

する 国 々の見 方 に沿っ め、 やがて統 合モ デル え映る。 て推 移 した。 アメリ カ の深 刻 な 危 機 に陥った 戦に巻 き込 まれた。 結

はその後 8 年に及 ぶ 内 という背景がある。

果 的には アメリ カの不 外 遊 で プ ー チ ン 氏 は 欧 州の二 大 主 要 国への のを 見 直 さな くてはな 倶 戴 天の敵であるイ ラ 2003 年2 月と同じ 訪 問 がサンクト ペテル ら ない。︵﹁ グロー バル U サ ミットに先 行 した 誌抄訳︶ フョードル・ルキヤーノフ氏 ︵ ︶ はモスクワ国立大学文学部出身、 1990年より国際ジャーナリ

お手紙をお寄せ下さい

59

の都 市に移 すことを 宣 の国 際 投 資を急 激に上 この国 にあ ること を 物 ロシアでは そ う し た 現 うが簡 単という 状 況 が は 欧州でプロジェクトに 語っている。原因は枚挙 象はあまり見られない。 生じた。 言しなければならない。 昇させるだろう。 数 年 間 従 事し、 外 国で 現 代にふさわ し く グ ︻﹁ロシース カ ヤ・ ガ にいと ま が ないが、 代 地 方のインフラや 経 済 前 世 紀 に は 移 住 の の経 験 を 蓄 え、 自 国に 表 的 なものは、 自 己 実 の著 しい中 央 集 権 化に ﹁波﹂がいくつかあった。 好 ましい条 件 が創 り出 ロー バルで あ り、 ア ジ ゼタ﹂紙抄訳︼ 現の可 能 性の無 さ、 汚 原因がある。 ロシアのディアスポラを された時、帰国してキャ

その結 果、 タンボフ この地 域に隣 接 する から抜け出せなかったこ 想 が 出 現 した。 だがエ したがって、アジアとの を 発 展 させるため、 中 を 克 服 するために首 都 で、 それを 行 う 意 向 が 気があるという事実は、 国 内 の移 住 によって 解 その結 果、 若 き日 本 るものは 自 己 実 現の可   ロシア だ け が、 シベリ と、 そ して ア ジアの経 コノミスト らは、 そ ん 貿 易 バランスの質の低 国 だ け で な く、 米 国、 機 能のいくつか を 極 東 表明されれば、ロシアへ とりわけ 頭 脳の流 出 が 消されると思われるが、 州 か ら ド イツへ行 く ほ 人 た ちは、 米 国 あるい 能 性 だ。 キャリアを 築 を信 任しない戦 略 的 職 には 売る だ けでな く 買 いも するという 逆の動 アの人 口減 少に頭 を 悩 済的、 文明的向上を過 な 公 社 は 設 立 すべきで 下 を 嘆いた り、 新 しい 日 本、 韓 国、 東 南 アジ

この機関車に連結した。 代 遅れの西 欧 中心 主 義 ア極東開発公社設立構 発しなければならない。

20

けではまったくない。多くの者が何よりも 政治体制の打倒を目指しているが、最も大 事なことは、紛争当事者間の暴力の停止と 政治対話の保障である、と考える。  先に国連安保理はシリアの都市フーラで の政府軍の行動を厳しく非難した。武装蜂 起民と軍隊のその衝突では、32 人の未成 年者を含む少なくとも 116 人が死亡し、約 300 人が重軽傷を負った。  この事件を受けた国連の声明では「軍隊 による民間人の殺害は国連監視団によって 確認された」 と述べられている。

「この国がアサドと親しいわけ」

20

出典:Superjob.ru

60

ンの立 場 を 強 めること ベル リ ンと パリ とい う ブル グでのロシア・ E な政治におけるロシア﹂ と なった。 ロシ ア と ア コースをたどる。

力の中 心が太 平 洋 地

し か し、 親 友 のシュ ことは象徴的だ。 ライ ナの﹃ オ レンジ革 レー ダー 氏 やシラク氏

メ リ カの関 係 は、 ウ ク

リクルーティング・サイト Superjob.ru のリサー チ・センターが実施した調査によれば、全国で の賛否はおおむね半々に分かれた。モスクワで は 「移転反対」が過半数 (55%)で、賛成派は 36% だった。反対理由としては 「金融経済と行政の機 能分離は当たり前」 「トルコ然り、スイス然り」 「モ 、 スクワは人が多すぎる」 などがあげられた。

パの関 係に歴 史 的 変 化 たロシアがそれとは違っ

によって対 米 関 係 を 悪

ロー バルな 安 全 保 障 と た。 急 激な変 化が見 られ 一致 していた アメ リ カ たのは、 2 0 0 3 年 2 と ヨ ーロッパが も は や 月 にプー チン氏 がベル

シベリアへの首都移転は

が見 られた。 戦 争で終 た 関 係にあることが 明 ウ ラ ジー ミ ル・ プー

わった 深 刻 な 国 際 危 機 らかとなった。 で、ロシアは 初 めて 西

20

「シリアにおける政権打倒が主目的と なってはならない」   セルゲイ・ラブロフ・ロシア外相

シリアはソ連時代から中東におけるロシ アの最も近しい同盟国であり、米国とイス  ロシアがアサド大統領をかくも必死にか ラエルに対抗するための拠点であった。シ リアで内戦が勃発すれば、ロシアの国境 ばうのはなぜか?3つ理由が浮かぶ。  第一に、ロシアは武器購入国としてのシ に近いイランが次のホットスポットとなる。 リアを失いたくない。ロシアにとってシリ  昨年の国連安保理決議はカダフィ政権 アは4番目の武器輸出国である。第二に、 打倒とカダフィ殺害に対するゴーサインと ロシアの指導者たちは、生理的に野党に 曲解され、ロシアは自分がダシに使われた 嫌悪を抱き、権威主義的な体制に共感を と感じた。それゆえ、ロシアは、シリアへ 覚えている。第三に、ロシアは単に欧米諸 の干渉は防げないにしても、国連安保理 国 (主として米国)に難題を突きつけるため を通してそれを容認するわけにはいかない という、柔軟性に欠けるものなのだ。 にシリアを利用している。

E-mail: jp@rbth.ru  ホームページ: http://roshianow.jp 電話: +7 (495) 775 3114 ファックス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2011, ZAO «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.

側の大 国と同 じチーム チン氏 は、 イラク問 題

日以

も ち ろ ん、 こ れ は、 化させたくはなかった。 N AT O 内の分 裂およ 2001 年9 月

世 紀 後 半 に は グ 損 ね ること を た め らっ

の関 係 をイラク問 題で

た アメリ カの対 イ ラク たかに思 われた 米 国と

か らの強い反 発 を 招い 枠 内で軌 道に乗り始 め

びフランスと ド イツ側 後 も、 ロシア 反 テロの

11

一枚 岩ではなくなった。 リンとパリを 相 次いで

ユージン・アボフEugene Abov アレクサンドラ・バズデンコワAleksandra Bazdenkova ミラ・ドモガツカヤMilla Domogatskaya イリーナ・パブロワIrina Pavlova 三瓶良一 飯島一考

編集兼発行 編集 編成担当 レイアウト サブ編集者 ゲスト編集者

の一員となった。

39

62

アレクサンドル・ゴルベンコAleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァPavel Negoitsa ブラジスラフ・フローニンVladislav Fronin

会長 社長 編集長

戦争のことである。

20

プーチン外交、訪独から

「ロシースカヤ・ガゼタ」紙国際部編集者 エフゲニー・シェスタコフ ロシアは、経済発展の原動力を欧州からアジアに移し、本 格的なシベリア・極東開発に向けて動き出す。この地域の 発展を促すためには、アジア諸国からの投資を呼び込む必 要がある。この目的実現のためには、この地域に第3の首 都を置くべきとの議論が高まりつつある。

外交 · 防衛政策公開協議会の幹部会議長 セルゲイ・カラガノフ

世 界 秩 序の見 方がほぼ

20

ベドモスチ紙

46

45

シベリアに「第3の首都」を 20

www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

ロシア NOW

5 オピニオン 2012年(平成24年)6月14日(木)


1 9 4 9 年 には、 バレン 今なおロシアのサーカス団の

傘下に 団体4千人 ロシアの有 名 な 舞 台 演 んな種 類の鳥 獣を引 き連

公演開催日時

出 家で、 全 世 界で百 年 以 れて国 内 を 巡 業 した。 そ チン・フィラートフによって、 代 名 詞となっているアトラク 上 用いら れている 演 技 シ して、 調 教 師が愛 撫 だけ ステムの創 始 者であるコ で4 足の弟 子 た ちに曲 芸 ンスタンチン・スタニスラ を仕 込む、 世 界 中に知 ら フスキーは、かつてロシア れる調教法 ﹁ドゥーロフ・

世 紀 める 動 物 ジャズオ ー ケス

と ポニー がソリスト を 務

初 期の公 演では、 ゾウ

のサーカスを﹁地上で最高 メソッド﹂ の元祖となった。 まもなく来日する。

の場所﹂と呼んだ。それが サーカス芸 術は

劇場 ﹁アリ ベ = クのオセチア

の曲乗りたち﹂ も花形となっ

ション﹁クマのサーカス﹂が創 ら れた。﹁ロシア・ サ ー カス 乗 馬 競 技、 映 画にお ける 乗

た。 彼の歩 みは、 サー カス、

ト﹂ と呼 ばれる教 会 建

堂に匹 敵 する教 会が並 の南西にあり、﹁ポゴス

んでいる。

クマのサー カス、 ピエロ芸 な

の中でも 最 も 注 目 すべ

メー

数字あれこれ

の た クー ポ ラは、 まばゆ れ、 視覚的な調和を保

この複 雑 な パタ ー ン

撮影 GeoPhoto

期待ください。

る。

﹁キジ・ポゴスト﹂木

﹁救世主顕栄大聖堂﹂ 造教 会建 築 群の中にあ

世 紀に

キジ島の中 間 および

北の部 分にも、 周 囲の

村から運ばれて来た教

会 がある。これらはす

な木造教会建築様式に

べて、ロシアの 伝 統 的

基 づき、 礼 拝の場にふ

さわしい、 控 えめな 美

しさを 見せている。 中

で も 特 に 目 立つの は、

カレリアのコンド ポ ガ

地 方から運 び込まれ

世紀建造の三成

聖者教会である。

た、

キ ジ 島 を 去 る 際 に、

﹁救 世 主 顕 栄 大 聖 堂﹂

の姿が再 び目に入る。

欧 州の有 名 な ゴシック

様 式の教 会ほどには知

名度は高くないものの、

その大 胆 な 表 現におい

匹 敵 する姿であること

ては、 それらの教 会に

︻﹁ロシアNOW﹂・ウ

が実感できる。

イリアム・ブルムフィー

ルド︼

もっと読む

www.roshianow.jp/ 14367

されている。

同 劇 団は2 0 0 7

年 より ﹁チェーホフ4

日、 日 本の前 ルの枠 内で5 月 下 旬に 大 戯 曲 連 続 上 演﹂に取

文化庁の賞を受けてい

劇団﹃地 点﹄のモスク る。 同 劇 団のモスクワ

にはメイエルホ リ ド 記 文 化 庁、 京 都 芸 術 セ

この芝 居の世 界 初 演 念 セ ンタ ーで チェー ホ ンターの後 援で催され

ストラ︵ 月︶です。ご 浦基︶を上演した。

︵演 出= 三 ではない。 2 0 1 1 年 フェス ト 日 本 委 員 会、 フィルハーモニーオーケ オレイナス﹄

クロージングはモスクワ クスピアの悲 劇 ﹃コリ ワ公 演は今 回 が初 めて 公 演はE U ・ ジャパン

舞踊合唱団︵6月︶で、 芸 術スクール﹄でシェー

は ド ン・ コサック 民 族 クワのシアター﹃ドラマ で行われた。

作品、大好きな役です。 プニ ング・コンサ ー ト 衛 劇団﹃地 点﹄が、モス ロンド ンの グロー ブ 座 り 組 み、﹃ 桜の園 ﹄ で

5月

もさらに改築された。

柱 によって 支 え ら れて 松で造 られ、 3 万 以 上 神 女 庇 護 祭 聖 堂 ﹂ が られ、 1990 年代に

さらに継 ぎ足 された 支 与 える。 壁 は 色の濃い ジ島には、 冬 用の﹁ 生 187 4 年に建て替え

体 があり、 その4 面は て、 さ らに強い印 象 を 目 的で建 築 された。 キ 建てられたこの鐘楼は、

3 段の高 さのある 八 面 れ た 木 材 の 違 いによっ な 祭 日にのみ 使 わ れる 中 間にある。

栄大聖堂﹂の中央には、 と木 造 建 築は、 使 用さ は 本 来、 夏 期 の 大 き る 鐘 楼 は2つの教 会の

保っている。﹁救 世 主 顕

はその荘 厳な雰 囲 気を る。

と 分 か り、 建 物 全 体 クー ポ ラを 構 成 してい い銀 色 に 光 り 輝いてい たせている。

くからも神 聖 なものだ も段 があり、 合 計

トルのシルエットは、遠 いる。 こ れ らの支 柱 に のポ プラの瓦 に覆 わ れ 1 7 6 4 年 に 建 て ら

そ びえ立つ高 さ

ピ ラ ミッド のよ う に

いている。

造 的、 美 的 理 論に基 づ

ら は すべて、 厳 しい構

世界遺産の構造美 1 7 1 4 年にピョー ト

のスタニスラフスキー﹂ との 馬の裾 野 を 広 げ、 回 転、 曲

カレリア地 方のオ ネ 対 する勝 利を記 念して

乗り、 挟みといった曲馬の基 本技を定着させた。

ル大帝のスウェーデンに

異名をとる有名な曲馬一族の 元祖アリ ベ = ク・カンチェミー

ロフによって創 始された曲 馬

のサ ー カ

ロシア 国 営 サ ー カ ス 会 社 ガ 湖 に 浮 か ぶ 小 島 に、 建てられた﹁救 世 主 顕 ︵ロスゴスツィルク︶は現 在、 ヨ ーロッパ中 世 の 大 聖 栄 大 聖 堂﹂ がある。 島 4 千 人 の芸 人 と 6 千 以 上 の 動 物 を 擁 し、 約 ス団を傘 下に収 める。 毎 年、 3つのサーカス学校から数十

湖 と 白 海の間にある

モス クワの赤 の広 場

人の芸人が巣立ってゆく。 今

森 には かつて、 丸 太 か にある 聖ワシリー 寺 院

ロシア 北 部 のラ ド ガ 築群の中央にある。

夏、有名な調教師と曲馬の一

ら 造 ら れ た 教 会 が 数 のよ うに、 キ ジ島の主

ど盛り沢山だ。︻﹁ロシアNO

方のオネ ガ湖に浮 かぶ

き ものは、 カレリア地

族の後 継 者 た ちが日 本 を 訪 多 く 点 在 していた。こ な 教 会には半 球 状の丸 れる︵初来日は1958年︶ 。 れ ら の 貴 重 な 建 造 物 屋 根︵ クーポラ︶ が多 芸人たちの新しいプログラム は、 現 在ではわ ずかし く、 圧 倒 的で複 雑な印 は 空 中 アクロバット、 曲 馬、 か 残ってい な い が、 そ 象 をもた らすが、 それ

W﹂・ダリア・ゴンサレズ︼

18

末にロシアへ伝わり、数多 ト ラなど数 々の出し物を

たちを最初に扱ったのはロ

世 紀 初 め セイウチや アシカの海 獣

の有 名 な サ ー カス一族 の 目 に す る こ と が で き た。 出 現によって に一世を風靡した。 ドゥーロフ家 は 世 界 に シアの調 教 師 た ちで、 史

︻国立ボリショイサーカス︼ 7月 日 ︵金︶ ∼ 日 ︵月︶   長野・ビッグハット 7月 日 ︵金︶ ∼ 日 ︵月︶   静岡・ツインメッセ静岡 7月 日 ︵金︶ ∼8月5日 ︵日︶   横浜・横浜文化体育館 8月8日 ︵水︶ ∼8月 日 ︵月︶   福岡・福岡国際センター ︻国立ボリショイ動物サーカス︼ 7月 日 ︵土︶ ∼ 日 ︵月︶   福井・サンドーム福井 7月 日 ︵土︶ ∼8月 日 ︵日︶   東京・有明コロシアム 詳細はこちら www.bolshoicircus.com

1 4 0 0の島のう ちの 一つ、 キ ジ 島 に あ る。

サインを求めてファンた 覚 えていて、 自 分 のと 岸から離れたこの島は、

複雑極まりない教会は、斧一つで作られた。残念ながら作った 大工たちの名は不明であるが、その内の一人、ネストルにまつわ る伝説的エピソードがある。出来上がった教会の美しさに感激し た彼は、「こんな素晴らしい建物は今までもなかったし、これから も建てられるわけがない」 と言い、斧を湖に投げ捨てたという。

日本の前衛劇を公演

プロカメラマン亀山哲郎氏の写真集「世界遺産『キジー島の木 造教会建築』 」が ipad アプリで購入できる。作品は、亀山氏がロ シアの木造建築の美しさに魅了され、2004 年 9 月の 1 週間、島 に通い続けた記録である。キジー島の様々な表情や、住民の暮ら しぶりなどが見れ、写真ごとに説明やコメントがついている。

最 も名を馳せた調 教 師の 上 初 めて草 食と肉 食の動 両 以 上 物が一緒に同じ舞台に乗っ

の編 成で百 を 超 えるいろ た。

栗原小巻さん

22

写真はこちらで: www.roshianow.jp/14367

一族 で、一座 は

俳優・演出家

ちが服 を 着 たまま 水に ころに 招 き、 こ ち らに 昔から神 聖な場 所とさ 飛 び 込 ん だのを 覚 えて も来てくれま す。 連 絡 れてきた。

な 少 女 役 で 1 9 7 4 ロビヨフ氏 は、 あるイ いま す。こん な 絶 大 な は途絶えていません﹂ 1 9 9 0 年、 キジ島 年、映画﹁モスクワわが ンタ ビューで 次 のよ う 人 気を誇っていながら、 栗 原 さ ん は、ロシア はユネスコの世 界 文 化

ロシアの木 造 教 会 建

33

18

多くのロシア人にとっ 愛﹂で初めてソ連のスク に語った。﹁私にとって 昔も今も彼 女は信じら 人 脚 本の作 品を上 演 す 遺 産に登 録 された。こ て日 本の伝 統 的な女 性 リーンに現 れた。 栗 原 栗 原さんは真の発 見で れないほ ど 謙 虚で美 し る、 自 身の舞 台 演 劇の の 島 にはロシア 最 古 の 美といえば、 栗 原 小 巻 さ ん を 主 人 公 に 迎 え、 した。 当時彼女は日本 い人のま まで す。 し か 監 督 と し て も 名 高 い。 木造教会建築が現存し さ んのこと が 思い浮 か 映画﹁白夜の調べ﹂を撮 で想 像を絶 する人 気で も彼 女は驚くほど誠 実 今 回、 栗 原さんは日 本 てお り、 中でも 最 も 古

ミンさんには 何 度 かお

る、 ユー リ ー・ サロー

芸 術 監 督 を な さってい

た し、マー ルイ 劇 場で

どについて聞いた。

でお 薦 めの舞 台 作 品 な

との出 会い、 日 本 演 劇

ユー リー・ ガ ガ ー リン 築の代表的なものには、

W﹂編集局を訪問した。

長 と して﹁ロシアN O に建造された。

ぶ。優美で繊細な女優、 影 し た 有 名 なロシアの した。 私と彼 女でプー な女 性です。 彼 女は今 ロシア文 化フェスティバ いとされる﹁ラザロの復 栗 原さんは広 島の悲 運 映 画 監 督 セルゲイ・ソ ルに行った 時、 彼 女の でも 私 た ち 皆のことを ル 組 織 委 員 会 副 委 員 活教会﹂ は、 世紀末

ロシアへの関心は 本とどのように違い       いつ生まれましたか。 ますか。     モス クワの ボ リ ショ 一つだけ挙げれば、ロ     イ・バレエからいらした シアでは 俳 優 と 共にカ

スラミフ・メッセレル、 メラも動 く、 作 品 世 界 目にかかっております。 アレクセイ・ヴァルラー の広がりを感じました。

ロインを 演 じてき ま し を 準 備でき ま したこと

スロワな ど、 沢 山 のヒ 素 晴 ら しいプログラム

カレリア地方 オネガ湖

た。 どれも、 大 好 きな を 喜 んでいま す。 オ ー

26

キジ島

クスピア・フェスティバ ん﹄と﹃桜の園﹄が上演

︻ロシア通信より︼

︻﹁ロシアNOW﹂・サー は、 ワ ー ル ド・ シェー フの﹃ ワ ー ニャ伯 父 さ た。

シャ・バズデンコワ︼

WWW.ROSHIANOW.JP

今もアンナ役で

ロシア正教会特有のタマネギ型ドー ム屋根の数は最多で 33 個まである。 クーポラの数にはそれぞれ意味があり、 33 はイエス・キリストの人生年数になる。

ビデオを見る www.roshianow.jp/14416

リン大 佐、 当 時は少 佐

大工・ネストルにまつわるエピソード

「ユーロビジョン・ソング・コンテスト 2012」にロシア代表として挑み、259 ポイ ントを獲得し、第 2 位に輝いた「ブラノボ 村のおばあちゃん」たち。伝統的な民族 衣装は確かに魅力的だが、それ以上に聴 衆を引きつける何かがあった。今後 10 年 (!)くらいは、ペチカの前で座っている 暇などはないだろう。

モフ両 先 生 との出 会い ロシアはどう変化     が、ロシアへの関心のは ロシア映画人の中 したと思いますか。       じまりです。 で、どなたと親しく 文 化・ 芸 術を大 切に     していますか。 す る とい う、 ロシアの   宇宙飛行士ガガーリ アレクサンドル・ミッ 精 神 は、 チャイコフス ルはどこにあリます ﹁アンナ・カレーニナ﹂       ンが来日した際、彼 か。 のアンナ 役で、 日 本 全     とお会いしました わたくしの出演映画 国を巡演しています。       ね。 では、いつも作 品の中   地 球 が一つだと、 信   じさせてくれた ガ ガ ー

亀山哲郎写真集 「キジー島の木造教会建築」

「ブラノボ村のおばあちゃん」

才の頃 も今 も尊 敬の

キジ島は世界文化遺産中、最も人 気の高い文化遺産である。1966 年ソ 連政府によって島全体が特別保存地 域に指定された。22 の玉ねぎ型ドー ム、高さ 37 メートルのドームを持つ この教会は、釘一本使用されず、斧 だけで作られた。今日のキジ島は、 ロシア特有の木造建築を集めた野外 博物館となっているが、島の北半分 は住民の居住地区で立ち入りが制限 されている。キジ島へはペトロザボー ツクから高速船で行くのが一般的であ る。しかし冬はオネガ湖が氷結するた め、4 月から 9 月までの運行となる。

もっと読む www.roshianow.jp/14433

でした が、 お 会いした

地下鉄駅で深夜のコンサート

釘1本使わずに建造

200 名の農奴の保有者、決闘者、当代 無比な詩人、ロシア初の小説家であるア レクサンドル・プーシキンは厄介で不可 思議な人生を送った。  9 万 2500 ルーブルの借金と、軽薄な 上流社会出身の妻と 4 人の子供を残し、 満 37 歳になる前に他界した。6月に没 後 175 年が経過した今なお、哲学的かつ 詩的な要素に溢れた偉大なロシアの小説 は、読者を夢中にさせてしまうのだ。

16

﹁芸術こそロシア魂﹂

刊行 : 2012 年

14

ウェブでもっと読む

思いです。

8月24日(金)・25日(土)     東京・浜離宮朝日ホール

45

23

ロシアの視点で 日本再発見 『ロシア人が日本人によく聞く100 の質問』

37

プーシキン没後 175 周年

伝統誇るロシアのサーカス。大人も子供も家族そろって楽しめる娯楽だ =

ロシアの芝居はよ にロシアの魂 がありま     7 回目になるロシ タ監 督、 セル ゲイ・ソ キ ーの時 代 か ら 変 わっ した。バレエ、 ピアノ、 く上演されますか。       チェー ホフ﹁ 三 人 姉 ア文化フェステ バ ロビヨフ監 督 とは 折 々 ていないと思われます。 芸 術こそ がロシアの魂     妹﹂のイリーナ、﹁かも ル・ イ ン・ ジ ャ パ ン に再 会し、 友 情を深 め 顕 著なのは、 文 化 交 流 だと思っています。   め﹂のニ︱ナ、﹁桜の園﹂ の特徴はなんでしょ ていま す。 数 年 前、 ア を 積 極 的に進 めている   のラ ネ ーフス カ ヤ、 レ うか。 レッグ・ ビ ド フさ ん が という強い意志です。 劇場における今後       順 位 をつける 事 はで 日 本 にお 出 でになった の計画を教えて頂け フ・トルストイ原作﹁復     活﹂ のカチューシャ・マー きかねま すが、 本の 時には、 お 会いし ま し ますか。 ソ連映画のスタイ

シャフナザーロフ映画祭 II

15

ロシアの監督は日

6月9日(土)∼7月29日(日)     滋賀県立近代美術館(滋賀)

12

もっと読む www.roshianow.jp/14408

ロシア最古の木造教会建築群

2010 年から毎年、モスクワの地下鉄 建設記念日を祝うライブ「地下鉄の夜」が、 地下鉄クロポトキンスカヤ駅で行われ ている。会場は駅のプラットフォームで、 中央には客席のイスが置かれ、わきには ドアが開放された電車が停車し、車内で も演奏を聴くことができた。  今年は 5 月 18 日から 19 日にかけ、深 夜コンサートが催された。1943年作の軍歌 「暗い夜」や、若き日の俳優ニキータ・ミ ハルコフをイメージした映画「私はモスク ワを歩く」 のテーマ曲が歌われ、一方、 「カ リーンカ」 をビートボックスやマイケル・ジャ クソンの 「ビリー・ジーン」 のモチーフの入っ た独特の編曲でも歌った。「トスカ」のアリ アなど、オペラの作品も披露された。 同コンサートは、モスクワ市民の間で安 定した人気があるため、主催者側は、今 後の国際的規模のコンサートについて検 討している。

13

12

13

16

20

27

14

今月の本

19

70

チェブラーシカと ロシア・アニメーションの作家たち

カルチャー カレンダー

PressPhoto 撮影

70

映画「白夜の調べ」 (1978 年、東宝映画=モスフィ ルム、監督:セルゲイ・ソロビヨフ、西村潔) のシーン。 作曲家のロシア人男性(ユーリー・ソローミン)と クラシックピアニストの日本人女性 (栗原小巻)の 甘く切ないラブストーリー。 レニングラード(現・サンクトペテルブルク)と京 都を舞台に展開する。= PressPhoto 撮影

21

20

13

ベラルーシの作家ヴァシーリ・ブイコ フの同名の中篇小説を映画化した作品で、 第 65 回カンヌ国際映画祭・コンペティ ション部門で国際映画批評家連盟賞を受 賞。舞台は 1942 年のドイツ占領下のベ ラルーシ。パルチザンが裏切り者の工夫 スシチェーニャの懲罰に向かう。実際に は裏切りはなかったのだが、スシチェー ニャは自身の無実を証することができない。  ロズニツァ監督は、この映画には直接 の敵との衝突はないとした上で、「あるの は、戦争と占領を背景とした市井の住人た ちの間の衝突。戦争は人々が存する空間と して在り、まさに彼らがこの空間を創り出 しているのです」 。  ロズニツァ監督は、1964 年にベラルー シ生まれ。1991 年、全ロシア国立映画 大学劇映画監督科に入学し、2010 年ま で専らドキュメンタリー作品を手がけた。

ソ連・ロシアの映画と文化について語る栗原小巻さん =ロシアNOW編集局で。

セルゲイ・ロズニツァ監督

コマキストを魅了

ロシア人ほど日本文 化に関心を寄せてくれ る国 民も少 な い。日 本人のロシアへの関 心が政治経済に偏り がちなのと対照的だ。 国際化を言うなら相手国の文化にも、そ して自国の文化にも目を向けたい。  本書は中級レベルのロシア語読本だが、 ロシア語を学ばない人にも面白く読める。 「歌舞伎」や「おみやげ」のような観光的な 話題だけでなく、「マンガ」 「合コン」のよう な若者の関心、「水産業」 「外国人労働者」 などのビジネス関連、「学校教育」 「女性の 地位」 などの社会問題まで幅広い。  こうしたことを外国人に質問され、答え に窮した経験をもつ方は多いだろう。そ れは単に語学力の問題でなく、もともと 知らないせいもある。古くて、新しい日本。 ロシア人へのおみやげにもよいだろう。       【埼玉大学准教授・野中進】

熊、馬など動物 6000 映画『霧の中(In The Fog) 』

優美で繊細 渡辺克義、ヴァレリー・グレチュコ著 三修社

ロシア国営サーカス 映画

6 文化 2012年(平成24年)6月14日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN


本物の味から 衛生管理まで 料理職人・中野さん

係 者を会 員に持 ち、 調 れてのことだ。

動に業 務 上の収 益 性を 内で 回 目。 何 度も顔 体 制 をつくる 狙いが 大

モスクワっ子たちの間

求 め ず、 将 来につな が を 合 わ せ、﹁ ナ カ ノ セ きい。﹁一過 性のイベン ではクッキングスクール

述の﹁アカデミー﹂を発 いきます﹂ と、 中 野 氏 過 ごす 代 わりに、 お 洒

りとしてむしろ 支 援 し え子 も増 えてきた。 前 この団 体 を 発 展 させて ある 者 は レス ト ランで

る国 際 交 流の実 績 づく ンセイ﹂と慕ってくる教 ト で 終 わ ら な い よ う、 が 人 気 を 呼 んでいる。、 ている。

曲がり角の料理教室

人気はあるが、夏は閑散

ません﹂。

男 子﹄ を開 設したタチ

ヤ ー ナ・ ポ ト チニコワ

さんは﹁教室はレストラ

ンにとって格好のイメー

ジメーカーとなります。

理 教 室 ビジネスの競 争 受 講 者は、 家 庭で美 クッキ ン グ バー・ ア ロゴージンさんは﹁料理 タチヤ ー ナさんの教 が盛 り上 がらない現 象 味しく優 雅な料 理を作 カデミー﹁デルグスト﹂ 教 室 だと銀 行に借 金が 室 は、 現 在モス クワで が見られている。

れるようになりたい一心 は、集客と賑やかなパー で き ま せ ん。 この ビ ジ 最 も人 気のある教 室の 歳 以 上の テ ィー に 主 眼 を 置 く。 ネスは、 冬 場 は盛 況で 一つで、早々にビジネス

で足を運 ぶ

ユーロとい

う 受 講 料のお か げでプ

よ り 安い

巧みなP R 術と相 場

他の追随を許さず 富裕層で、シーフード、 PR担当のエフゲニヤ・ も夏は閑 古 鳥というふ プロジェクトとして独り ﹁ 料 理 教 室 市 場 が 高級肉、 凝ったソース、 ベール キ ナさんは、 陽 うにかな り 波 が あるの 立ちした。

は リ ラックスし た 雰 囲 一石二鳥

年 で、 ト といった 料 理 の技 が だ と い う。﹁ 大 切 な 点

活 況 を 呈 し た の は エキ ゾチックな デ ザ ー 気さが自 分たちの身 上 です﹂と語った。 2003∼

私の出身地では、 ファー 人の空 腹 感を満たす無 る。 名 もない売 店 か ら シャウルマ︵ 中 東 料 理 ︵ リ ーマンショックによ 伝授されている。

ロシアのファーストフード

も、 モス クワでは、 料 ルを選んだ。

落な逢引の手段として、 今 年 は 8 月 上 旬 に、 足 したのは、 組 織 的に は力強く語った。 顧 客 思いの店であるこ 団 体 ﹁全ロシア日 本 料 理 人。 大 使 館に来たの る 学 校 法 人エイシンカ また ウラジオで講 習 を ノウハウを 蓄 積 し、 ︻﹁ロシアN O W ﹂ 特 スクールの厨房に立つ一 ベルさんは 欧 州の料 理 業 料 を3 0 0ユーロく い。 この市 場 で あ ま り と を ア ピ ー ル す る チャ 夕 を 選 ぶ。 と はいって 学 校の古 典 的 なスタイ らいにし な くては な り 競 争 が 見 られない唯一 ンスととらえています﹂ 理 アカデミー﹂ だ。 主 も、 日 本 食の職 人とし レッジは、 中 野 氏 の活 開 く 計 画 だ。ロシア国 回、 回と続 けられる 別寄稿・吉村慎司︼ 考 えられる 理 由 として と語る。

にロシアの外 食 業 界 関 て腕 を 評 価 され、 請 わ 赴 任 して 知 り 合った

ロシアにおける寿司はもはやブームを超え、食事の一ジャンル え、 火を通し、 出 来 上 る日 本の技 術を教 え込 ロシア 人 た ちは 人 懐こ

理 や衛 生 管 理に関 す

30

無名の店、多彩に

く、 ウマ が 合 う。﹁ 彼

プロ 向 け 以 外 に も、 らに、 日 本の本 物の食

として定 着した感がある。 だが、 日 本の食 文 化はどれだけ理 がったのは 照 り 焼 き 丼 む。 新 潟 市 内の調 理 師 事 イベント 類 に呼 ば れれ 文 化 を 知って も らいた

解されているだろうか。和食を勉強したロシア人調理師は何人 だ。 いるだろうか。 食に対 する日 本の考え方、 衛 生 観 念、 調 理 方

契 機 は、 モ ス ク ワ

05

法など、﹁本物﹂ を伝えようと広大な隣国を飛び回って講習を 専 門 学 校で教 師を務め ば一般 市 民 向 けの料 理 い﹂ と 強 く 感 じるよ う 極 東 を 中 心にロシア各 かれたセ ミナー 類 を 含

開く職人がいる。以前にモスクワの日本国大使公邸料理人を務 る 中 野 氏 はここ 5 年、 紹 介 もやる。 講 師に招 になった。 めていた、中野真道氏︵ ︶ である。

35

だロシア人 か らの真 剣 るところか ら 丁 寧に解 けている。 活 動 母 体 と な る の 内7 都 市で計

館 か ら、 日 本 文 化 紹 指すが、モスクワでは事 で一時間程かかることも のチェー ンによ り 提 供

回、 日 ジオスト ク日 本 総 領 事 の大手チェーンのことを り、かつ、食べ終わるま ること は ない。 こ れ ら あ る。 だ が、 どこにで される素 晴 らしい選 択

ファー ス ト・ フ ー ド もある街角の売店では、 肢 も、 無 名の売 店の味

レス ト ラン﹃ グリ ム

い。一番人気なのはジャ コール度 は

www.roshianow.jp

もっと読む

あるピロシキまで、座っ 追随を許しません﹂。 なしていない。﹁モスク よって 満 足 を 得 る た め う一つの方法がある。レ な 売 り 上 げ 増 に も 繋 クッキ ン グス ク ー ル ワでは一回の平 均 授 業 にやってくるのです﹂。 ス ト ラ ン 付 属 の 教 室、 がったという。 て 食 事 につく までの空 腹 感 を 満 た すのにちょ ﹃ プロスト ランスト ボ ﹄ 料 は 1 0 0 ∼ 2 0 0 すでにある施 設 を 活 用 ︻﹁ロシアN OW﹂・エ う どいいものが 必 ず 見 の 経 営 者 パー ベル・ロ ユ ーロで す が、 こ れ は 季節で波がある? し た シェフに よ る 定 期 カ テ リ ー ナ・ フロロー ベー ル キ ナ さ ん もロ 的なマスタークラスだ。 ワ︼

安 く、 たいてい、 小 麦 店 の 数 の 多 さ で あ る。 モス クワのス ト リ ー 製品を果物、砂糖、肉、 種 類の豊 富 さ、 値 段の

気軽に立ち寄り

寄稿、コディ・ホワイト、 旅行家︼

住所   ル ビャー ヌス キ ー 通   住 所   スターラヤ・バスマン 2   り   ナヤ通り7 2

行 われており、 時 折 近 ❻ ﹁ヒンカリナヤ 1﹂ ❼ ﹁ソビエト風

こではよ く 詩の朗 読 が

頬張る。

% もある モスクワのリューモチナ グリルと グリンピース ぼ さないよ うに丸 ごと

は避けた方がいい。

住所   ピ ャ ト ニ ツ キ ー・ レーン8

ところかもしれない。こ

ム や バター や サワー ク が、 飲 み 口が よいので ヤのなかで最 も 良 質 な の付け合わせである。

住所   マロセイカ通り4

リ ー ムのついた もの だ 飲み過ぎに注意。

が、 肉 入りなど塩 味 系

お そ ら く モス クワ一

も ある。 さ らに、 サ ラ ❸﹁元気回復   ダ2 種 やスー プ、 人 気 リューモチナヤ﹂ のペリメニもある。

住所   ウォロンツォフスカ ヤ

ここ の チェブ レ ー ク

安いウォッカとつまみで   通り8 ソ連 時 代、 労 働 者 階 ある。 1 0 0 ルー ブル 級の集 う ところといえ ❷﹁マロセイカ通りの ︵ 約 2 6 0 円 ︶ あれば ば、リューモチナヤとい チェブレーチナヤ﹂ ペリメニを食べて、さら う飲み屋だった。ピロシ チェブレークとは、丸 に一杯ひっかけることが キ屋、ペリメニ ロ(シア い薄い生 地に肉 と 汁 を できる。 品 質 はまとも 風水餃子 屋 ) 、ブリヌイ 詰 め て 半 分 に 折った、 だが、 他の客との接 触 ︵ロシア風クレープ︶屋、 熱々の揚げパンのこと。

をご紹介しよう。

円︶ で食べられるメニュー

ルーブル以内︵約520

気の数 店から、 2 0 0

所 のマヤコフス キ ー 劇 ガー デン・ リング通 チェブレーチナヤ ﹂   場 の 役 者 た ち も 集 う。 りのソ ビエ ト 風 チェブ レトロファンにうって

住所

フ︼

ポ クロ フ カ 通 り

www.roshianow.jp/ 14331

もっと読む

クサ ンド ル・ ボス トロ

︻﹁ロシアNOW﹂・アレ

ヒンカ リの食べ方 は ルはなかなかいける。

留 酒 はないが、 地 ビー

の︶ 人 気の火 付 け役で 真 が 使 わ れている。 蒸

アの小 龍 包のよ うなも 共 産 党の役 人 な どの写

グル ジア風 チ キ ンのト ラー チナヤの真 向 かい つけのこのチェブレーチ マト 煮 込 み、 チャホ フ にあ り、 最 近のモスク ナ ヤの内 装 には、 ソビ ビリがおすすめ。 ワのヒンカ リ︵ グル ジ エト 時 代のポスター や

住所   ボリシャヤ・ニキツカ 2   ヤ

ここに 集 うのは、 定

❺ ﹁アイスト・カフェ﹂ ある。

年 後の省 庁 職 員。 主な 次の通 り。 手で中 央に

食 べ物 は ピロシキ。 具 寄せ集められた生 地を

はゆでた豚肉に魚、ソー つまみ、 端 を 噛み、 肉

セ ー ジ、 キャビ ア まで 汁 を 吸い取 り、ソース

事処は今のモスクワにも スラディッシュ︵西洋わ ❹﹁ニキーツカヤ通り あ る。 ここの ヒット メ ︵ サ ツェベリ が お す す 多くある。その中でも人 さび︶リキュール。アル のリューモチナヤ﹂ ニューは、ソーセージの め︶を入れ、 肉 汁をこ

ブ︶屋も人気の場所だっ は高 品 質で、 肉 汁は濃 た。こうした飾らない食 い。名物といえば、ホー

そしてシャシリク︵ケバ

︻﹁ロシアNOW﹂特別 アメ リ カ 人 ブロガ ー・

人 を 前に講 習 した ぐ 食べられる 食 事 を 提 便 利な食 事を、 安 値で 売 店の食べ物 は 美 味で に 驚 くべきこと は、 売 基本モデルとして、パー いた め には、一回 の 授 ない理 由 を 説 明できな 姉妹﹄付属の教室﹃料理

所 から声 がかかるよ う 大 半 で あ る。 し か し、

モスクワ滞 在 中、 す になった。 2 0 0 9 年 モスクワのファースト・ ト・ フ ー ド の 利 点 は、 キャベツやジャガイモと 安 さ、 速 さ、 便 利 さに ファースト・フードにい ワの食 品 業 界の種 類の リカの同 種 業 界との明

した経験を持つ。

ら各 界の要 人 をもてな ところ 評 判 となり、 各 供 する 人 気 チェー ンが 提供してくれる。

エリツィン初 代 大 統 領 で

使公邸の料理長として、 2007 年2 月、市内 家でも、 店 内でも、 す 美 味 しく、 持 ち運 びに な わ ない。 このよ う な 択 肢は無 限 だが、 さら り 出 し た。 ビ ジネスの です。 現 在、 足が出な ゴー ジンさん も 競 争 が

半、 モスクワの日 本 大 の 連 絡 が 入った の だ。 と言えば、車の中でも、 熱 々 な だ け で は な く、 と 種 類の豊 富 さにはか つか る。 このよ う に 選 ゴー ジンさんはこう 切 20 0 5 年の相 場なん

てきぱきと作 業 を 始 め 一つ一つ 見 せ な が ら 加 一緒に立 ち 上 げた 任 意 200 2 年から約3 年 いて 講 習 してほ しいと

実 は 中 野 氏 は 介 イ ベント で 和 食 につ 情が全く違う。

和食料理人・中野真道 つくる。 鶏 肉に包 丁 を は、 自 身 がウラジオス 本料理を教えてきた。

な 視 線 が 集 ま る な か、 説しながら、 味 噌 汁を ︶は 入れ、 調味料・材料を ト ク在 住のロシア 人 と

10

しを 筆 頭に和 食 がブー にはウラジオ国 立 経 済 フードは、 街 角で通 行 その種 類の豊 富 さであ 合 わ せ た も ので あ る。 秀 でている モス クワの つも 感 嘆 す る。 モス ク 多 さと 便 利 さが、 アメ らかな差であろう。 ム と な り、 街 に 日 本 サー ビス大 学の特 別 客 講 習 会 場でいつも 着

食 レスト ランが 次 々 と 員教授にも就任した。 現 れた。 しかし、 そこ

で出 される 料 理の多 く ている 白い調 理 服の左 は、 日 本 人 か ら 見 て 胸 には、﹁シェフパティ 違 和 感があるのも事 実 シエ専 門 学 校 ﹂ のロゴ マ ー ク が 入 って い る。 個人的な活動が認

氏 は 米 どころ 新 潟で 新潟にある勤務先だ。

だった。 生 まれ育 ち、 大 阪の調

理 師 専 門 学 校 を 経 て、 め られるのも、 職 場の 年 近 く修 行した料 門 学 校の上 位 組 織であ

高級料亭﹁吉兆﹂の本店 理 解 あってのこと。 専 で

う﹂とコンドラチエワさ

き 取って く れ れ ば と 思 んは言う。 猫 カフェの客の一人、 女 子 学 生のマリヤ・ ク リボシェーエワさんは寮 住 まいで、 動 物 を 飼 う ことができ ず、 猫 を 撫

猫 カフェの 客 と 猫 た 人と猫の間を取り持つ。 でるために、カフェに立

らないという人もいる。 職 員 がいるところで 行 フェは 動 物 虐 待 予 防の 落 ち着 くわ。 快 適で暖

ソビエト式カフェ

︵まさみち︶氏︵

ロシア初の猫カフェ ペテルブルクにオープン ﹁モスクワ・ニュース﹂ を二つに区切り、一つの の人 が やって くる。 家 の記 者 が、ロシアで 最 コー ナーには 猫 た ちが に動 物のいない人 がい ナーにした﹂。

猫 カ フェには、 親 子 やって 来 た 子 ど も が、 われる。﹁この大理石模 場 所 なの。 それに休 憩 か くて、 家 にいる み た

❶ ﹁ウォロンツォフスカ ヤのブリヌイ屋﹂ 都 心 部 に生 き 残った 唯一のブリヌイ屋に等し

寧に濾す。レーズンはまたクワスに戻す。出来上がった クワスは冷蔵庫で保存。

40

ロシアのクワスはノンア ルコール炭酸飲料で、千年 以上前から知られている飲 み 物 だ。 麦 芽 や ラ イ 麦 の 麦こうじ、ライ麦粉︵また はライ麦乾パン︶と砂糖か ら作られる。クワスは渇き を癒すのにとてもよく、清 涼感がある。 ペットボトル 入りのクワスはどこのスー パーマーケット でも 買 える が、 多 く の 人 は 今 で も 昔 から伝わるレシピにそって 家庭で作っている。これは、 黒パンを材料にして作るク ワスのほんの一例です。

7  沈殿物が浮き上がらないようにしながらもう一度丁

初 の、 そ して 唯一の 猫 いて、 飲 食 は 別 のコー れば、 猫が好 きでたま ちとの交流は、カフェの ﹁ 私 に とって、 こ の カ ち寄る。﹁ここは気持が カフェを訪ねた。 ﹁猫の共和国﹂という

名のカフェがあるのは、 連 れ、 若 い カッ プ ル、 この猫カフェではじめて 様の美しい猫がダナエ。 室から猫を家 庭に引 き い﹂とマリヤさんは微笑 サ ンク ト ペテル ブル グ 外 国 人 グループ、 年 金 本 物の猫を見たという ダナエは 純 血 種 だと 思 取って も ら う た めの宣 む。 8 歳の男の子 アン の 都 心 の 静 か な 通 り。 生 活 者 な ど、 次 々にい ケースもある﹂とコンド う 人 が多いけれど、 雑 伝の場 所。この国の人 ト ン君 は、 小 さい黒 猫

ものだ﹂と言う。

︻﹁モスクワ・ニュース﹂

No

5  2日間そのままにし、クワスを発酵させる。

午後10時

ナ・ チュグノワさんは、 なく雑 種の猫 も家に引 ﹁ 猫 は一番 愉 快 な 生 き

=﹁モスクワ・ニュース﹂紙、エフ ゲニー・グラージン撮影

溶かした物を鍋に戻す。鍋の上にガーゼを巻きつける。

14

昼になると、猫カフェ   猫コーナーのホールに入る前 には、 手を洗い、 靴カバーを履 かねばならない。ホールはとて の職 員 と 客 た ちは、 野 も清潔で、 良い香りがする。 猫 小屋、爪研ぎ場、ケージ、客用 良 猫 にエサ を やる た め のベンチがあり、 窓わきに猫の ソファが置かれている。隅っこに 中 庭 に 行 く。 職 員 の一 は猫用のお菓子の装置。 人、 ユリ ヤ・ ペヒ ナ さ   ﹁猫の共和国﹂にいるサスキヤ、 ダナエ、ドラ・マール、マレービッ チなどは、 まさしくエルミター ん は、 猫 にエサ を や り ジュの地下育ちの猫だ。 純血種 な が ら、﹁ 時 々、 野 良 の中では、 クレオパトラはネフ スカヤ・マスカラドナヤ種、メ 猫 が、 開いた 換 気 窓 か リーおばさんはペルシャ猫、 日 本の画 家の名 前 をもらったマコ らカフェに入ってくるん ト・ ム ラマツは クリル・ アイラ ンド・ボブテイル種だ。 ですよ﹂と話す。

4  沸騰して冷ました水少量をとり、酵母菌を溶かす。

数字あれこれ

カフェは二つのコーナー ろいろな 人 た ちが 立 ち ラチエワさんは 言 葉 を 種なの﹂と広報係のアン た ちが、 純 血 種 だけで のマレー ビッチと遊 び、 からなり、片方ではコー 寄る。﹁このカフェの第 続ける。 うひとつのコーナーには 猫の飼い主でさ え、 自

ヒーや紅 茶 を 飲み、 も 一の目的は啓蒙活動よ。 分が飼っている猫のこと

﹁最初、コーナーは一 を あ ま りに知 らないと

猫たちがいる。

がテー ブルの間 を 自 由 かる。 猫 はとても 複 雑

つだ けにして、 猫 た ち いう ケ ースによ く ぶつ

たかった﹂と、獣医資格 なの﹂とコンドラチエワ

に歩 き 回 れるよ うにし でデリケー トな 生 き物

行っている猫 カフェのそ 者 た ちの動 物による 治

のせる。オーブンに入れ、一番高い温度で焼く。色が 黒くなるまで焼く。しかし、焼きすぎるとクワスが苦く なるのでほどほどに。

39

第 二の目 的 は、 スト

を持つカフェの女主人ア さんは言う。 ンナ・コンドラチエワさ

15

50

モスクワっ子たちの高 ロジェク ト は 好 評 を 博 地を訪れ、 日 本の食 文 めると、 ウ ラ ジオのほ か ら の 帰 任 後 に 訪 れ スト・フードと言えば、﹁マ 数の売店のことを指す。 大 手 チェー ンまで 選 択 を アレンジした、 野 菜 る︶ 経済危機後は競争 し か し、 パー ベル さ 気。 人 々 はイタリアの 周 りを ぐるりと 囲 ん る。 昆 布から出 汁を取 化 についての講 習 を 続 かハバロフス ク、 イ ル た。 郷 里 に 腰 を 落 ち クドナルド﹂や﹁タコベル﹂ ﹁マクドナルド﹂ での食 肢 が 多いた め、 いつも やソースを 含 む 豚 肉 料 が事 実 上なくなりまし んは、 自 分のビジネス 気 分 を味 わい、 美 味 し ま りつつあ る 料 理 熱 に した。クッキングスクー クーツクな どロシア 国 着 かせたころ、 在 ウラ や﹁バーガーキング﹂など 事は ドル近 くもかか 同 じ ものを 食べて 飽 き 理︶から、 数 百 種 類も た。 う ちの学 校 は 他の が 成 功 しているとはみ い食 事 を 作 り、 そ れに あ や かって 金 を 稼 ぐ も ルは レス ト ランの大 幅

39

ん は 言 う。﹁ 日 本 で 流 レスで苦 しむ 都 市 生 活

モスクワの

500円で食べられる7店舗 紙・ダリナ・シェフチェ

3  ホウロウ鍋に水を入れて火にかけ沸騰させる。沸騰

80

ンコ抄訳︼

2  オーブン用鉄板に油を塗り、その上に切ったパンを

撮影

50

る方が好みな場合は、もう少し砂糖を加えてもよい。  底にレーズンを少量入れたビン数個にクワスを注ぐ。 ビンの口に小皿を置いて蓋にする。冷蔵庫に入れ、1 日置く。

注意:日本の法律で家庭で 1%以上のアルコール分を 含む飲料の醸造は禁止され ている。クワスは元々アル コール分は低いがご注意を。

1  パンを小さめの角切りにする。

38

25

した後、火からおろし、砂糖とオーブンで焼いたパン を入れる。  冷ます。シンクに水をはり、 鍋を浸けて冷ましてもよい。

参考: 黒パンは日通ペリカン便(代 金引換) で配達。 サンドリヨンのHP http://www.sandoriyon. com/

作り方

材料 水 8リットル 酵母菌(作りたての) 60 グ ラム 砂糖 コップ1杯 ライ麦パン (黒パン、ボロジ ノパン)500 ∼ 700 グラム レーズン

(こ) す。甘みがあ 6  鍋に巻きつけたガーゼでクワスを濾

22

Photoexpress 撮影

和食料理人・ 中野真道氏 =PressPhoto

んなやり方を真 似よう 療。﹁ここには、 男性も

のどが乾いたらクワス

「和食の文化をロシアに伝えたい」 と し たの。 その後、 店 女 性 も、いろんな 年 代

家庭でも作れるノンアルコール清涼飲料

10

今年 6 月から施行される動 物 愛 護 法 の 規 則 改 正 によ り午 後 10 時 以 降 は ペット ショップなどでの展示・販売 が禁止されるが、猫カフェ においては、1 歳以上の猫 が自由に動ける環境が確保 されていること等を条件とし て、午後 10 時までの猫カフェ の営業を認める経過措置が とられることになった。

www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

ロシア NOW

7 総合 2012年(平成24年)6月14日(木)


漫画文化、ロシアにも 数 年 前 まで、ロシア るスト ー リーは、 多 く の漫 画 文 化 については のロシア人 が 低 級 文 学 何 も 語 ら れ な い 状 態 と イ メ ー ジ す る た め、 だった。 漫 画 本 そのも そ うした ものに時 間 を 上、 漫 画という独 立し このよ うな 固 定 観 念

のが ほ と ん ど な かった 割こうとはしない。 た ジャンル す ら 確 立 さ を 取 り除いたり、 漫 画 れていなかったからだ。 言 語 を 教 えたりするこ ﹁ 世 界 で 最 も 読 書 す とは 難 しい。 若い世 代 る国 民﹂の代 表 的 存 在 ︵ ∼ 歳︶は、このポッ で あ るロシア 人 は、 漫 プカルチャーに徐々に関 2002年から毎

画の読 み 方 に慣 れてい 心を示し始めている。 ないた め 絵 と 文 字 を一 ができない。 シヤ﹂ 国 際 漫 画 フェス

つのものとして見ること 年、 モスクワで ﹁コムミッ 一言 で 言 え ば、 ロシ ティバルが開催されてい ア人は漫 画 本を﹁読 ま る。 愛 好 家のアー ト プ たこのフェスティバルは

ず﹂、絵を﹁見ている﹂に ロジェクトとして始まっ すぎない。 ベントに変化し、﹁リス

また、 絵で紹 介 され 次 第に意 義 深い文 化イ

誕生につながった。

ペクト﹂ プロジェクトの 2 0 0 9 年 秋、﹁ リ スペクト﹂の主催者、漫 画 家、 漫 画 愛 好 家 ら が補 助 金をEUに申 請 し、 許 可 された。 そし リス、 スペイン、 ベルギー 日 にか けて、 モス クワ 4月

日から5 月

スティバルが開催され、

チアナ・シュラムチェンコ撮影

2012年4∼5月モスクワ で開催された﹁コムミッション﹂ フェスティバルに出品・展示さ れた漫画家の作品の数々。 =タ

ロシアの日本文化愛好者たちにとって今年 は特別な年だ。漫画﹃ドラえもん﹄が連載 開始以来 年を経て初めてロシア語で2 月に正 式に発 刊 さ れた。 今のと こ ろ 買い 取 ら れた 出 版の権 利 は 巻のう ちの最 初 の4巻分のみ。

ションウイークで秋

冬コレクションの成

果は?

ドーニスさん

紙﹃ガーディアン﹄と﹃デ

なるのです。

ニーナさん   ロシアの大多数の人に

とって装いとは﹁そう在 お 二 人 は、 ロ シ ア   人が群衆から浮いて ることでは な く、 そ う

ようになりました。これ

る若 者 をよく見 かける

しまうのを怖れ、 グ 見られること﹂。衣服を   レーでいると述べま 自 己 表 現の手 段に用い

したが⋮

ドーニスさん こそ、 私 た ちの社 会に   着 飾 ること はで きて 余 りにも 欠 けている 多

テリーナ・ミハイロワ︼

う﹄という革命詩人、マ

イリー・テレグラフ﹄に アのスト リー ト アー ト ス ト が あ り、エセ ー ニ

に端を発しているが、こ もっと 深 く 掘 り 下 げる

記 事 が 載った 最 近のこ はシチュエーショニズム ンは街 角で詩を創った。

外 国 メ ディアは、 彼 の現象がいつ始まったか な ら、 革 命 芸 術 家 た

ク ト ル・ ツォー イ が 非 び 名 を 考 えついた。 欧 すべては1 9 1 0 ∼

心 を 創 作へと 駆 り 立て

の赴 く ま まに、 彼 らの

若 き芸 術 家たちは心

発祥の地となった。

ストリートアート 文 化

1 9 9 0 年 代の独 特な

こ の 二 つ の 聖 地 が、

徴的なものとなった。

た 玄 関口も、 やはり象

ルガーコフの住居があっ

れた 作 家 ミハイル・ ブ

のフレー ズが 書 き 込 ま

のイラスト やお 馴 染 み

﹃ 巨 匠 とマルガリータ﹄

階まで有 名な長 篇 小 説

ま た、一階 か ら 最 上

た。

有 名な壁がお目 見えし

追 憶のシンボ ルである

じた。こう して自 由 と

きている!﹂と誰かが応

歳 の時

ス ト リ ー ト アー テ

が、 パー ベルは 自 分 が

るか 否 かの議 論 はある

が書き、﹁ツォーイは生 いは﹁パーシャ1 8 3﹂ ちの町 を 色 絵 具で塗 ろ ストの活 動 が 芸 術であ

業の死を遂げた﹂と誰か 米で彼は﹁183﹂ある 年代に始まった。﹃俺た

ことができる﹂ 。

街 号棟の壁に﹁今日ビ ﹁バンクスキ﹂ という呼 グ・クリークによれば、 1919 年を想起する

モス クワ・ アル バー ト になぞらええようとして ロシアの芸術家、オレー に絵 を 描いた 革 命 後の

、 ちが兵 士 らを運ぶ貨 車 ツォーイが他界した時、 をイギリスのバンクシー ははっきりしていない。

アロッ ク の ビ ク ト ル・

彼はこう語る。﹁ロシ ヤコフスキーのマニフェ

ストとなったのは、英 とも呼ばれている。

模 ビ ジネスのたい壁 に ということです。

や 官 僚 主 義 が、 小 規 没個性的でつまらない、︻﹁ロシアNOW﹂・エカ

し た。ロシアでは 法 律 も、 みんな 同 じよ うに 様性なのです。

ること がで き ま せ んで

が、 仕 事を 軌 道に乗せ

最 大 の 収 穫 は、 よ   り 幅 広いレベルで 注 目   さ れたことで す ね。 イ   ギ リス、 米 国 、 フラン   ス、 韓 国 、 イタリアか   ら注 文を受 けました

20 0 5 年 に 招 か   れた ロンドンファッ

ニーナさん とった 卒 業 制 作 を 目に   二、三 年 前、 助 手 を したのです。

ロシアの新 世 代 の人 のイ ンタ ヴュー に、 政 出身ですが、ロシア で す が、 悲 し い か な、   気 デ ザ イ ナ ー で、 ロ 治とファッション産 業の のファッション教育 自 分 た ち が 教 わったの   ン ド ン の ファッション 関 係 な ど について 語っ をどう思いますか? と 同 じス キ ー ム にのっ   ウィー クに初 めて 招 か た。 れたニー ナ・ ネ レー チ

︻ ﹁ロシアNOW﹂ ・ター

ることをお勧めします。

ひコンク ー ルへ出 場 す

流 派の新 人たちを知る

いろ ん な 国 やいろん な 絶好の機会だからです

ナさんとドーニス・プー 二人ともコスイギ 求 めてアカ デミ ーの卒     ピスさん。 二 人は本 紙 ン繊維アカデミーの 業 試 験に顔 を 出 したの

アレクセイ・カラビン撮影 ︵左︶ 、ドミトリー・ヂーヴィン撮影 ︵下︶

﹁没個性﹂克服したい

名 ほ どしか知 りませ 形で︶漫画市場をロシア

を 受 け て 政 権、 移 民、 名の漫 画 家 がたくさん 大 量 生 産につな がるで

大手出版社が現在、 漫

( は) ロシアの漫画 買い上 げ、 国 中で販 売

バイオリニスト・バラーノフ氏

好きな日本で来月公演

地を意識してのこと を 開 く と、 終 演 後 に   が、今回が最初の共 ロシアの新 進 気 鋭の   演ですか? ホールの支 配 人 が私の ですか? バイオリン奏 者 アンド     も ちろんです。これ とこ ろへ来 て、 バイ オ   いいえ、 私 た ちはス レイ・ バラーノフさ ん   ︵ 歳 ︶ は、 世 界 的 権 までに何 度 もその地 を リンのコレクションがあ イスで すでに7 年 間一 威 のあ る ベル ギ ーのエ 訪 れており、 友 人 もた るので今 す ぐお 選 びく 緒 に 演 奏 し てい ま す。

ない特徴を持ったダンス 系の惑 星であるかのよ 1度か2度演奏会を開 を 学 びに、 た くさんの うに、この世に生 命 が いて き ま し た。ロシア

1 9 9 0 年 に ロ シ とだ。

画廊に頼らず ニャ・シュラムチェンコ︼

人の漫 画 家の作 品が スティーブ・ダニレツさ 出 版 社は外 国の漫 画を

攻 する 学 生 ブロガ ーの しでも 現 れれば、 大 手

で ジャー ナ リ ズム を 専 ロシアに漫 画 市 場 が 少

サンクトペテルブルク 画に関心を示している。

なった。

画 家の主 要 なテーマと べるとともに﹁ロシアの

と語っている。 国 粋 主 義 がロシアの漫 見つかるはずです﹂と述 しょう﹂

、 関 連 し た 社 会 的 動 乱 せ ば、 高 いレベルの 無 める必 要 性 が生 まれ、

の大 統 領 選 挙 やそれに ん が、ロシア 全 土で 探 のオ リ ジナル 作 品で埋

ア語に翻 訳 された。 先

家の作 品 も 特 別にロシ シアのプロの漫 画 家 は ︵ 外 国 漫 画 に 対 抗 す る

43

また、 外 国 人の漫 画 文化の状況について﹁ロ するでしょう。 その結果、

て同プロジェクトはウク などにも広がっている。 で﹁コムミッション﹂フェ 紹介された。 ライ ナ、 ド イツ、 イ ギ

山海塾が﹁これぞ舞踏﹂

のび太くん、 ロシアへようこそ

リザベート王 妃 国 際 音 くさんいま す。 震 災の ださいと言ってくださっ ステージでの息もぴった ︻﹁ロシアNOW﹂・アン ト ニ ナ・ロス ト フス カ 楽コンクー ル・ バイ オ 2 か月 後に日 本に行 き た ので す。 そ の 方 は、 りです。 シアを訪れるのは﹃金沢 日下部陽介氏︵日本 ヤ︼ アルフェーニヤ・タ リン部 門で1 位に輝い       舞踏館﹄が﹃腹中のむし﹄ 大 使 館 参 事 官 ︶ お 客 ラカーノワさん︵作曲 た。 7 月には日 本でツ   を上演した20 10 年 さんの反応がとてもいい 家 ︶ 照 明 のサ ジ加 減 アー公演が行われる。 公演開催日時   月 以 来。 観 客に公 演 です。 舞 踏は日 本で生 によって、 運 行 する 天 の印象をたずねた。 まれたものなのですが、 体 の 感 覚 が 創 り 出 さ れ 日本公演の期待を     天児さん︵山海塾主宰︶ ていたのは 趣 深いで す 聞かせて下さい。   にとって 舞 踏 は 重 力 と ね。 舞 踏 手 た ちのフィ 私は日 本が大 好 き   の対 話 な んです。 他に ギュアが、 まるで 太 陽 で、この6 年 間、 年に

観客の感性を刺激 5月 、 の両日、ロ 場で舞踏グループ﹃山海

シアアカデミー 青 年 劇 塾﹄の公演﹃とばり﹄が催

関心上向き、ようやく市民権 ︻仙台市市制施行123 年記念コンサート︼ 7月2日 ︵月︶ 時開演 ま した が、 なにもか も 高 名な実 業 家で、スト 好きな作曲家は?   イズミテ   大ホール 破 壊 されていたた め 演 ラ ディヴァリ ウス を 含 ド ミ ー ト リイ・ ショ   ︻ チャ リ テ ー・ コ ン 奏 することは 出 来 ませ む イ タ リ アのバイ オ リ ス タ コ ー ヴ ィ チ で す 。 サ ー ト ︼ んでした。 ンの稀 有なコレクター、 7月6日 ︵金︶ 時 分開演 宗次ホール 7月7日 ︵土︶ 時開演   浜松 静岡文化芸術 大学講堂

パー ベルは

たものを描いた。

目にして以 来、 描 き続

に最初にツォーイの壁を

創 作 活 動に従 事 してい

るとみなしている。

彼 は、 芸 術 はいろん

な 解 釈 ができる ものと

言い、 ﹁ある私の友人は、

食器を洗っていると皿に

ニンの横 顔 に見 えたの

ついたケチャップがレー

で、 皿 を 洗 うのを や め

てそのま まにした そ う

だ。 人 それぞれの感 受

性 をこそ 芸 術 と 呼べる

がら語った。

のだと思う﹂と微笑みな

パーベルはまた、こう

語る。﹁ストリートアー

トの使 命は市 井の人と

画 廊は不 要。 自 分の作

の対 話。 そのた めには

品 を 見てくれる人 た ち

からお 金 を 取る人 もい

ない。 町の中でそ う し

た ビ ジュアル な 遊 戯 が

︻﹁ロシアNOW﹂ダー

生まれるわけです﹂。

リヤ・ゴンサーレス︼

下記のアドレスまで

編集長にお便りを

sales@rbth.ru

jp@rbth.ru

お見逃しなく!

www.roshianow.jp/subscribe

お聞かせ下さい!

無料

「今日の写真」 を

Tel. +7(495)7753114

www.facebook.com/roshianow

ご意見、ご感想を

ご希望の方は

次号の 発行日 (予定)

本紙に広告掲載を

購読

リート・ファッション作る 「GJO.E」

WWW.ROSHIANOW.JP

モーションで常に飛翔し ている よ うに思 わ れ ま

母国でパーヴェルが有

けている。

名 なスト リー ト アーテ

日本 技術でロシア適応のスト

30

写真はこちらで: www.roshianow.jp

写真を見る www.roshianow.jp/14359

新しい世界を 発見する

Facebook で

20

モスクワ市内で見られたストリートアート作品 = P183 / Rex Features 撮影

このロシアのブランドはコンテンポラ リー・スタイルを専門とする人々の間で 最高級と考えられている、日本製の旧式 織機で織られた高品質の綿生地のみが使 用されているのがポイントだ。デザイナー たちは、「日本人はみな完璧主義者で、 手がけるものは何でも素晴らしい仕上が りになる」とみなしている。様々な生産国 の生地を扱ってきた経験から、デザイナー たちは日本製生地が最も、質と値段との 組み合わせにおいて優れているという結 論に達した。生産における伝統への敬意 は、日本の現代技術とオールド・スクー ルとを結びつけることを妨げない。その 点に関して、日本人が世界のトップを行っ ていることは、周知の通りである。 2012 秋冬の新コレクションは、「What s going on?(何が起きているのか) 」という 疑問がモチーフ。一体どういう物なのか。

す。︻﹁ロシアN O W ﹂・

新たな生命を

14

45

関連記事

新世代の洋服デザイナー ニーナ・ネレーチナさん(左) ドーニス・プーピスさん(右) 歌を聞く www.roshianow.jp/14384

45

古代の儀礼音楽に

37

ロシア人のファッション ロシアの有名な漫画家ばか りでなく、優れた教師である、 ヒフス(Pavel Sukhih):「日 本人は別次元の人たち」 18

15

ナタリア・ススリナ︼

ビデオを見る www.roshianow.jp/14424

街行く人と対話する

モスクワの若い6人の女性からなる フォークロア・アンサンブル「ベールイ・ スべート ( 白い世界 )」が、古代の儀礼歌 という、ほとんど失われた音楽の伝統を 復活させようとしている。「ベールイ・ス ベート」の創立メンバーの一人であるエカ テリーナ・レツさんが、ロシアの農村に 残るロシア民謡の魅力について、「ロシア NOW」に語ってくれた。

50

目の錯覚と視角を利用しただけで、お もしろい効果が得られる。そうした効果 を利用した立体グラフィティのフェスティ バルが、モスクワのバブシュキン公園で 初めて催された。アスファルトに描かれ たユニークな絵が、本物のように生き生 きとしている。  アーティストに必要なのは、粉チョーク と砂糖を水と混ぜるだけだ。砂糖は絵の 具に粘性を加える目的で使用される。こ れがないと、アスファルトに描かれた絵 がすぐに消えてしまうのだ。  「ヨーロッパでこのアートの人気が高 まっています。アメリカやアジアからも見 たいとの声が上がっています。どこにで も行きますよ」とドイツからの特別ゲスト アーティストのマンフレッド・シュタデル さんは語る。日本にもいつか来るかな。

モスクワのストリートアート エレーナ・ポターポワ撮影

22

宗次德二さんです。 方々が見に来ています。 誕生する感覚を呼び起 の音 楽を愛 する素 晴 ら コンクールで腕試し   あなたのバイオリ 例えば、ソクロフさんの こすのです。 混 沌 か ら しい聴衆のいる国です。 をしようという人た       ンには特別なエピソ 日本でのツアーで ﹁ファウスト﹂ に出てい 宇宙や星座たちが出現 ちに一言お願いしま         るアントン・アダシンス するよ うなイメー ジで 仙台へ行くのは昨   ードがありますね。   ピアニストの青木美  す。     キ さんです。 日 本のダ した。 私は、 かねてか 年3月の震災の被災  名 古 屋でコンサー ト  樹さんと共演します  すべての演 奏 者 にぜ   ンスがロシアの芸術とい らこの公 演 を 観 たいと ろいろ 交 流 を して、 お 思い、この集団のことを 互いの文化を深め合い、 いろいろ 耳にしてき ま ロフ氏︵生物有機化学 めて観 た 時はよく分 か ち ろ ん、 そ れ は バレエ だけ跳躍がありました。 り ませんでし た。 やは ではな く、 肉 体 はとて ユーチューブで見た時に ダンスをより面白いもの した が、 その機 会 がつ 研究所員︶   にするのにとても役立つ いに訪れて感無量です。 舞 踏へ足 を 運 ぶのは 二 り私にとってとてもエキ も 重 く、 腕 が 上へ伸 び は跳躍はなかったのです アンドレイ・アラー 度 目です。 二 年 前に初 ゾチックなものです。も ている ので す が、 一度 が。舞踏手たちはスロー

タス通信撮影

された。舞踏家たちがロ

世界を席巻する「小悪夢曲」

もっと読む www.roshianow.jp/ kovalenin イ

27

アスファルト上の 3D アート

24

悪夢に捕われ

25

足下の傑作

21 19

27

と思います。

ビデオを見る www.roshianow.jp/14250

11

数年前、とあるビデオクリップがユー チューブで大ヒットした。動画に映ってい るのは、クラシック音楽を演奏するピアニ ストとバイオリニスト。いつの間にかコン サートは激しく狂ってしまうのである。  ロシア人バイオリニストのアレクセ イ・イグデスマンと韓国系イギリス人ピ アニストのヒョンキ・ジョーは、「A Little Nightmare Music」 「小悪夢曲」 ( 、モーツァ ルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク (小夜曲)をもじったもの ) というショー を、世界各地の舞台で披露している。  コンサートは、燕尾服姿の2人が登場 し、厳かに始まる。しかし、携帯の着メ ロが会場で鳴り響くと、「悪夢」は始まる。 2人はグロリア・ゲイナーの「恋のサバイ バル」をバッハ風に弾いたり、ショパンの 練習曲と重ねてみたり、ひどいロシア訛り で歌ったり、しまいには、ミルク泡立て器 で弾き始める。さらに、モーツアルトを 弾くか、それとも「007」シリーズのテーマ ソングを弾くか決めかねた2人は2つの 曲を同時に弾いてしまう。  彼らは今、ウイーンで初演となる新作 「そして、モーツァルト」の準備中だ。

アントン・チュロチキン撮影

23

現代芸術の香り

20

15

8

文化

2012年(平成24年)6月14日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA DESIRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN


Turn static files into dynamic content formats.

Create a flipbook
Issuu converts static files into: digital portfolios, online yearbooks, online catalogs, digital photo albums and more. Sign up and create your flipbook.