Russia NOW_Japanese edition #9

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東洋医学を侮るなかれ 民間治療師  セルゲイ・ネチャーエフ 6面

北極の氷が溶ける

1 9 6 7 年 にソ連 製 旅 客 機 が モ ス クワか ら 東 京に初 の 無 着 陸 飛 行 を 行った 。 日 本 と ロ シア が 空 の 直 行 便 で 結 ば れ て 今 年 で 年 にな る 。

GettyImages/Fotobank 撮影

3面

オット」がロシア正教会の聖

の 社 会、 宗 教 の か か わりに

い渡した。この事件とロシア ついて識者2人が論じた。

ければ、 石 油

プリュシェンコ選手が来月日本に

ミー海洋学研究所のミ 最 近

度 になっても 稼

先 週、 ウラジオスト

文化

音楽で「日本の心」を伝える

審査員特別賞は

アレクサンドラ・チェルネガ撮影

ロシアで科学の人気を推進するため に作られたモスクワプラネタリウムがよ うやくオープンした。3つの博物館、2 つの天文台と4D 映画館からなる。目 玉はビッグ・スター・ホール。革新的な テクノロジーのおかげでモスクワプラネ タリウムはヨーロッパでも最先端をいっ ているとされる。

ランプで装 飾 された

監督の﹁チンティ﹂も国 ンス︶ 、 ザグレブ︵クロ こと を 嘆いていた だ け の意 ︶ という 乾 燥 させ 運 ぶ 陽 気 な ネ ズミの一

︵ ヒ ン ド ゥー 語 で ア リ 担 架で、 死 ん だ ネコを

ン監 督 は、﹁ チ ンティ﹂

ナタリ ア・ ミル ゾヤ おとぎ話の世界

は100万円。

ズミを見た﹂で、 賞 金 る。

最先端のプラネタリウム

周 バルの一つと位置づけら

ナタリア・ミルゾヤン監 督の﹁チンティ﹂︵上︶とドミ トリー・ゲレル監督の﹁ネ コを埋葬するネズミを見 た﹂︵下︶ の一場面

合 弁 相 手であるザ

納める仕事を受けた。

用に生コンクリー トを

るゼネコンから、 主 塔

橋 梁工 事を受 注してい

2月、APEC関連の

この合 弁 会 社が翌 年

高い評価を得た。

社と関わっていない。

た。 構造、 耐久性、 施 好 だったことが影 響 し

が定 石 だが、 會 澤は商 リート擁壁﹂ の販売だっ ゼ ネ コ ン と 関 係 が 良

APEC準備に日本企業も参加

ロシアN I S 貿 易 会 今 回のA P E C 準 こ の ほ か の イ ンフ ︵ R O T O B O ︶ か ら  備には 多 く の日 本 企  ラ整備事業に新日鉄、 の 紹 介 が きっか け で、 業 が 参 加 し た。 ルー 双日、 川 崎 重工 な ど 地 元 建 材 業 者のザハー スキー島 の 橋 梁工 事 も 名 前 を 連 ね る。 近 で は、 ボ ーリ ング機 い将 来 ルースキ ー島 ル社と合弁会社を設立 材 で 伊 藤 忠 商 事 と にで き る 大 型 水 族 館 したのは2 0 0 8 年の I H I、 同 島への 送 には、 香 川 県 の日 プ 夏。 出 資 比 率 は 半 々。 電 ケーブル で 丸 紅 と ラによ る 水 槽 用 アク このと きの事 業 は、 崖 ジェイ・パワーシステ リルパネ ルが 採 用 さ ムズが参入した。 れている。 の崩 落 を 防 ぐために覆

出していた。

ラジオの建 設 市 場に進

別賞を受賞した。

人の子 ネズミ。 好 奇心

く。 主 人 公は小さな詩

いっぱいに 明 か り と 音

ゲレル 監 督 は、ここ 楽 の あ る 方へ走ってい

途 中ではクモを 観 察

酔っぱ らった ネ ズ ミ

ミは四 方 八 方に逃 げ

グ ランプリの賞 金

サ ーに 渡 すことに なっ

その代 わり、 監 督 は

たに教 師として招 待 さ

ビデオを見る

www.roshianow.jp/ 38721

だが、 會 澤は大 きな

が、 弱気や妥協の姿勢 わ らない。 ウラジオ 近

を見せたら責任者は務 郊での国 道 脇の整 備工

まらない。通訳を介し、 事など、 新たな受 注が

口も聞かれた。

仲嶋氏は﹁価格と品

質が良ければ成 功 する

ない。 ︻吉村慎司︼

ず失敗する﹂といった陰 一つの 考 え 方 か も し れ

いのに無 謀 す ぎる。 必 ビジネスを 成 功に導 く

部から﹁ロシアを知らな いのでは﹂と語る。日露

め進 出 当 初は業 界の一 裏 方に回るぐらいが良

の疑 問 か ら だ。このた に出して、 日 本 企 業は

いない。 費 用 対 効 果へ きるパー ト ナーを 前 面

のコンサルと 契 約 して シア。 現 地では 信 頼で

會 澤は日 露 ビジネス と 言い切 れ ないのがロ

だった。

を荒 らげることも度 々

事を受 注 する前からウ の 従 来 品 と は 異 な り、 月後には橋の建設予定 ロシア 人 に 向 かって 声 続いている。

実 は、 會 澤 はこの工 工 法のど れ も がロシア た。 契約のわずか3 か

受 注はAP E Cで終

的 な 仕 事 もやった。ロ 氏は言う。

取引先との折衝や総務 感 無 量でした﹂ と仲 嶋

ア 人 を 教 育 し な が ら、 つながった。﹁さすがに

人。 現 地 採 用したロシ た橋 桁は中 央で無 事に

人は技 術 者の仲 嶋 氏一 年4 月、 両岸から伸び

現 場に常駐する日 本 生コンの供 給 を 続 け 今

造り、供給が始まった。 問 題 を 起こすことなく

地に生コン生 産 設 備を

風﹂といわれるものであ

なった。これが﹁ゲレル

なフィナ ー レの作 品 と

空想的でドラマティック スクワ・ニュース紙︼

国 的ニュアンスに加え、 ︻ジーナ・ゴデル、モ

仕 上 がった 作 品 は 中 れる見込みだという。

を教えた。

に﹁息吹を与える﹂こと 中 国の他の場 所から新

ミを割り当て、 ネズミ

ル氏は生 徒た ちにネズ は渡されない。

このお と ぎ 話で ゲレ てお り、 ゲレル 監 督に

ロシアのおとぎ話だ。

ネコを 埋 葬 するという 校との契約でプロデュー

死 ん だフリを している 100 万円は中国の学

ん だ の は、 ネ ズ ミ が、

ゲレル氏 が題 材に選 る、というお話。

ることを提案した。

生 徒と一緒に映 画 を 作 目を開 き、 驚いたネズ

業 を 行 う ので は な く、 ネコはいじ わる そ うに

ゲレル氏が標 準 的な授 を 落 と し て し まった。

映 画 学 校 の 幹 部 は、 が山 を 降 りる時にネコ

立った。

学 校 に 出 向 き 教 壇 に 味を持ったりする。

ができ ず、 中 国の映 画 したり、 暗 闇の草に興

アニメを 制 作 すること

現在はアヌシー︵フラ アニメが 低 迷 している た﹁ネコを 埋 葬 するネ 数 年、ロシアで 新 しい く。

ロシア人は、ロシアの ル監 督が中 国で撮 影し

のはド ミ ト リー・ ゲレ 活動の舞台は中国

グ ランプリに 輝いた

こ の 映 画 祭 は ニメーションフェスティ ことを喜んでいる。

ミルゾヤン監督 際審査員特別賞を受賞 アチア︶ 、オタワ︵カナ に広 島アニメフェスティ た お 茶の葉で描いたス 行が夜の闇を進む。 遠    第 回 広 島 国 際アニ した。 ダ︶と並ぶ世界四大ア バルで2 人 も受 賞 した ト ー リーのアニメで特 くからは祭 りの音 が響 メーションフェスティバ

% が 眠ってい る、 ルが8 月下旬、 広島市 1985年、被爆

督の ﹁ネコを埋葬するネ

うに各 国は北 極 圏の資 ド ミトリー・ ゲレル監 開催された。 源に目をつけている。

いち早 く開 発を始 め ズミを見た﹂がグランプ ま た、 同 じロシアの

たのはロシアだ。 国 営 リに輝いた。 天 然 ガス企 業・ ガスプ

「ロシアNOW」    電子版でお勧め

ンソーシアム を 組 むの いと して 施 す﹁コンク ハール 社の幹 部 がこの シ ア 語 は わ か ら な い

苫小牧の會澤高圧が納入 ﹁ 4 年 前 に 初 めて 訪 ラの古 さに驚 きました

れたと きは 街のインフ

ま し た ね ﹂。 會 澤 の現

が、 着 実に変 わってき 地 責 任 者 と して3 年 強 をウラジオで過 ごし

広島国際   映 画 祭で

9月7日、モスクワ音楽院のプロジェクト、国際 音楽フェスティバル 『日本の心』 が、 岡林八重子さ ん指揮のアンサンブルの演奏で開幕した。 この イベントの目的は、ロシアの一般市民に日本の 音楽文化の独自性や優れた作品に親しんでもら うことである。 プログラムは、 沖縄民謡やトゥバー の喉唄を歌う日本のアンサンブルの公演、清水 公平さんとお弟子さんたちの演奏による尺八の ための音楽、京都創生座のプロジェクトなどの 演目で構成されている。 フェスティバルは12月末、 天皇誕生日に因んだコンサートでの雅楽友の会 (東京)による宮廷音楽の雅楽や舞楽の演奏を もって幕を閉じる。

ロシア・アニメ脚光

三菱自動車の益子修社長は、モスクワ国際 モーターショーで、同社が 2013 年からカルー ガでオフロード車パジェロ・スポーツの生産を 開始する予定であることを明らかにした。12 年 の販売台数は 8 万台(2011 年比で 4%増)とな る見通しで、15 年までに 15 万台に増やす計画 を立てている。(ロシア通信)

という データもあるよ で 開 催 さ れ、ロシアの 年を記 念して第1 回が れている。

三菱自、来年からスポーツ車生産

ロム は プリ ラズロム ナ ナタリ ア・ ミル ゾヤン

ロシアの北 極 圏 での

年 の傾 向 か ら、 設は、 たとえ気 温 がプ グを開始した。 年の夏季 ラス

開 発 が 気に入 らなかっ

温 暖 化 が 進 むに従っ

ると、 石 油・ ガスの採 だけではない。

氷 が 溶 け 出 している 掘が陸 地でも大 陸 棚で

% 減り、こ と考えている。

氷 が 大 規 模 に 溶 け たのは グリーンピース

年 には北 極 海の海 面の氷 動するようになった。

ハイル・ フリント 副 所 2015 ∼ 長によると、 最 近 ∼

間で夏 季の北 極 圏の氷 は完 全に溶 けてしま う 層は の5 ∼7 年でカラ海の

氷 塊の端は、 8 月には 理由では﹁温室効果﹂や も容 易になるほか、 欧 て、 北 極 圏への関 心 は 海 岸 線 か ら 7 0 0 ∼ ﹁ 自 然 な 気 候 変 動のリ 州とアジアを結 ぶ最 短 国 益 が か ら む だ け に、 800メートルも遠ざ ズム﹂などの説がある。 ルートである北 極 海 航 緊 張をはらみながらま かるようになった。 1970 年代から西 路が年 間を通して使え すます高まるのは必 至   ま た、 イ ギ リ ス B シベリ アのツンド ラは ることなどロシアにとっ だ。 数年後には北極圏 での紛 争・ 衝 突は日 常 だが、 北 極 圏には採 茶 飯 事となるかもしれ

B C に よ る と、 北 極 平均気温が1 度しか上 て有利な面がある。 研 究の権 威であるピー がっていない。新たな超

ター・ウエドへムス・ケ 低 温 技 術 の お か げ で、 掘 可 能 な 石 油・ ガスの ない。

月には発 光が数 時 間 時にはスミレ色 が見 ら

オーロラ 極北の空に緑の光 冬、 北 極 圏 内のコラ ハ共 和 国︶ 、 チュコート

ビジネス

主塔のコンクリート

ロラの色は淡い緑、 赤、 レズ、4面に続く︼

半 島にたた ずむロボー 半 島、 クラスノヤルス から数日に及 ぶ。 オー れる。︻ダリア・ゴンサ コラ 半 島 北 部のム

ゼロ湖の上 空にはオー ク地方を目指す。 ロラが姿 を 見せる。 湖

畔に暮 らすサーミ人た ル マ ン ス ク で は 年 に ちは極 北の空で占いを 2 0 0 回ほどオーロラ

する。この自 然 現 象は を 見 る こ と が で き る。 クでアジア太 平 洋 経 済

北 極 圏 内の各 地で拝む 大部分が北極圏内にあ 協 力 会 議︵ A P E C ︶ ことができ、 人 々は極 るため、 夏は1 か月 半 の首 脳 会 議が開 催され にはA P E Cに合わせ

割を果たす。

ンフラとして大 きな 役

る2、3 月 あるいは9、 場。 今後市民の生活イ

観 察に最 も 適 してい て 巨 大 な 斜 張 橋 が 登

冬は極夜に包まれる。

光を求めてヤクート ︵サ の 間、 太 陽 が 沈 ま ず、 た。 市中心部の金角湾   白海に臨むモスクワ大学 の研究施設から見たオーロ ラ = ア レ ク サ ン ド ル・ セ ミ ョ ー ノフ撮影

るのは﹁ガスプロム大陸 を 自 ら開 発 するつもり 高 さ2 2 6 ㍍の灰

棚採掘﹂。産地開発の第 でいた が、 これ らの段 仲嶋さん大奮闘 1 段 階の事 業 主 体はガ 階へもパー ト ナー を 誘

わ れているコンクリ ー

スプロムが %、フラン 致する可能性を検討し 色の主 塔。この塔に使

︶は、

は日 本の有 名 商 社とコ

ジェクトに参 入 する 時

本 企 業が外 国の大 プロ

し た の は 異 例 だ。 日

シアの国 家 事 業に参 入

地 方の中 堅 企 業がロ

る。

変 化 を 肌 で 感 じ てい

当 初、 パ ー ト ナ ー ト を 納 入 したのは、つ た仲嶋丈晴氏︵

%、 ノ ている。 ルウェーのスタトイルが

スのト タルが

年 に 開 縁のなかった日 本 企 業

% を所 有 するシト ク は 産 地 か ら の 供 給 が い数 年 前 までロシアと

スタトイルが参 加 して 場のかなりの部 分 をア の会 議 で﹁ すべての当 い る。 埋 蔵 量 は C 1 マン・デベロップメント 2 0 1 3 ∼

田 の開 発 プロジェク ト およびアジア太 平 洋 地 大 きす ぎるとの結 論に 3 兆9千億立方㍍、C ∼140 億㌦と評価さ たが、 関 係 当 事 者は技 本社がある會澤高圧コ

いた シト クマン・ ガス メ リ カのシェー ル ガス 事 者は支 出が余りにも カ テ ゴ リ ー の ガ ス が AG。 投資額は120 始 されるとみな してい だ。 北海道苫小牧市に

かった。︻アレクサンド 地企業との合弁を通し

1 お よ び C 2 カ テ ゴ れていたが、 3 0 0 億 術 的な面で合 意できな ンクリー トである。 現 シト クマン産 地 はロ リ ーのコンデンセ ー ト ㌦に倍増した。

ら関わった。

ガスプロムはプロジェ ル・ キ ス リャコフ、 2 て、 基 礎工 事の段 階か ライセンスを 保 有 す クトの第2と第3 段 階 面に続く︼

ガス プロムのフセ ボ シア 最 大 のガス 田 の一 が5330万㌧。

件に関 してパー ト ナー われる可能性がある。

が凍結された。 開発条 域のライバル企 業に奪 至った﹂と述べた。 間の折 り 合いがつかな

短信

ロ シ ア 科 学 ア カ デ ンブリッジ大 学 教 授 は 永 久 凍 土に作 られた施 ヤ・ ガス田でボ ー リン

立が紛 争にエスカレート する可 能 性 も否 定できない。     ︿ワジム・ポノマリョフ、エキスペスト誌、4面に関連記事﹀

は、極北の﹁宝﹂となった地下・海底資源をめぐる各国間の対

用などロシアにとって好ましい事 態も予 想される。 その一方で

ガスの採 掘が容 易になるほか北 極 海 航 路の活 ・

海 面の氷は7 ∼8 月には消えてしまうとの説もある。 氷が溶

北極圏の氷は急速に溶け出している。数年経つと、北極海の

北極海航路に注目

て、 裁 判 所は実 刑 判 決を言 30

45

かった た め だ。 今 後、 ロ ド・ チェレパー ノフ つ で、 開 発 が 難 し い

44

数年後に消失か

堂で行ったゲリラ演奏に対し 10

日露の架け橋 45 年

ロシア最大のガス田開発

30

Distributed with The Mainichi Shimbun

﹁シトクマン﹂凍結

プ ー チン 政 権 を 批 判 する 16

14

ゲレル監督がグランプリ

オピ ニ オン ( 5 面 ) 30

2012年 (平成24年) 9月13日 (木曜日)

ガスプロム、トタル、 ロシアは 世 界のガス市 取 締 役 はノル ウェーで バレンツ海 に位 置 して

25

RBTH for iPad®

元五輪金メダリストで世界選手権優勝3回の エブゲニー・プリュシェンコ選手が国際フィギュ アスケート選手権「ジャパン・オープン」に参加 する。欧州、北米、日本の代表チームが参加 する選手権で、プリュシェンコ選手はチェコのミ ハル・ブジェジナ選手とともに欧州 チームに入 る。日本からは浅田真央選手や高橋大輔選手ら が参加する。選手権は 10 月 6 日、さいたま市 で行われる。(「ロシアの声」より転載)

国家事業の斜張橋

8面

27

51

40

スポーツ 22

都心に核シェルター 冷戦後は博物館

23

14

ロックバンド「プッシー・ライ

北極圏に権益を有する国 は外交手段だけでなく、軍 事的手段によっても利益を 守ろうとしている。カナダの マスコミによると、カルガ リー大学軍事戦略研究セン ターのロブ・ユベル研究員 が米国、カナダ、ノルウェー、 ロシア、デンマークの軍事 支出を分析したところ、こ れらの 国 は 1989 年 以 来、 北極海で使用可能な軍艦を 計 66 隻建造、または建造 計画を発表した。最も積極 的なのはロシアで、15 隻 の潜水艦と原子力砕氷船の 新たな建造を発表し、北米 の領空境界までの爆撃機飛 行を再開するなど、北極海 域での軍事的プレゼンス増 大の姿勢を隠していない。

7面

資源争い必至

パンクグループのゲリラ演奏 と正教会について考える 北極囲む5カ国

200 周年の高揚感 ナポレオンに勝利 24

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ロシア NOW 2012年(平成24年)9月13日(木)

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ピックにお ける 体 系 的 ワが銅メダルに終わり、

クロナイズドスイミング

そ れで も、 メ ダルの と新 体 操の選 手 た ちの 記 録に逆 らうよ うに獲 腐心していた。

政党要件を大幅緩和

下院選の不正糾弾に   端を発する昨年末から

の抗 議 行 動 を 受 けて、

今年4 月に政党法が改

正され、 政党登録に要

する党員数が4 万人か

ら5000 人に引き下

げ ら れ た。 この た め、

新 党 登 録 ラッシュが 起

きている。ロシア 政 界

か。

はこれか ら ど うなるの

つい1 年 前 まで政 党

ア﹂、 野 党 ﹁ 共 産 党 ﹂、

と言えば与党﹁統一ロシ

極右﹁自由民主党﹂の3

ロシア・ チ ー ム はメ

ローチの結果だった。

官を通じて﹁誰も解 任 のメ ダルの 陰 には 血 の には選 手 た ちの長 期 間 ダル獲 得 者の数の多さ

党 プラス4 番 目の党と

一つ一つのメダルの陰

クを乗り切り、 不首尾

ロンドンでロシアが獲 に終 わった 選 手の代 わ

なく、 活 躍した選 手た たが、 輝 かしい伝 統 を があった。

ちはほ どな く プー チン しっかり守ったシンクロ

氏 自 身によって表 彰 さ ナイ ズ ド スイ ミ ングや 得 し た 多 くのメ ダルの りに別の選 手が勝 利を 偶然ではない。 圧 倒 的な強さで優 勝し

月から多くの

新党ラッシュだが

既成4党の壁崩せるか

秒 の世界新記 リ ンピックに 出 場。 そ 位に入賞した。

2 0 1 4 年ソチ・ オリ を 乗 り 越 えて 復 帰 し、

パラリンピック ロシアの4 選 手

リンピックで銀メダルを ら水泳を始め、 歳で

印象が生まれた。

政 界には 2つの特 徴 を だけで、 人 々の意 見は

指 摘 し た。一つは、 与 無視している﹂と考えて

4 月に採 択された政

党に権 力 が 集 中 してい いた。

るのに独 立 野 党の存 在

を 誰 も 欲 していないこ 党法改正で、﹁ビッグ4﹂

者には具 体 的な政 治 綱 のクリ アすべき 条 件 は

と。 も う一つは、 有 権 を 押 しのけたい人 た ち

領 さ え 要 らないという かなり緩 和 され、 その

こと だ。ロシア 人 は 思 効 果は目に見 える形で

想、 イ デオロギ ーでは 現れた。 すでに1 5 0

なく、 指 導 者 個 人に投 以上の組織が政党登録

の書 類を提 出した。 国

これに関 連 して、 政 家 主 義、 極 左 からヘル

票するのだ。

界 のも う一つの 特 徴 を シー・ ライフの党 まで

指摘しよう。﹁古顔﹂の 何でもありだった。

4 党 には、 はっき り し

﹁ビッグ4﹂の主なラ

た イ デオロギ ー が ない 注目される2党

こと だ。 政 党の名 は 何

想 させるが、 当 面の政 は国 民 自 由 党で、 ネム

かのイ デオロギ ー を 連 イバルにな り そ う なの

いうベテラン野 党 政 治

策 との間にはほとん ど ツォフと ル イ シコフと

何の関係もない。

例えば、 自 由 民 主 党 家によって創設された。

は名前はリベラルだが、 世 論 調 査によると、エ

国家主義的、 民族主義 リツィン大 統 領 時 代の

的スロー ガンを 振 り 回 民 主 勢 力に共 感を抱い

動 を するのを 恥 じてい

どの政 党 と も一味 違

昨 年の下 院 選 挙 がい ない。統一ロシアは事実 う の が 大 富 豪 の 企 業

案で設置された戦略策 ロシア、公正ロシア︵今

わ れる ﹂。 大 統 領 の発 同 じ く 4 党のみ。 統一 られる。

票 している ということ

選で約600 万人が投

指 導 者に対して大 統 領

ち出した︶ 、 共 産 党、 政 界 がこのよ うに煮 で、 他の新 党にはない   詰 まった 結 果 が、 有 権 強みだ。

た論評には十分な根拠

専 門 家 た ちのこうし それに自由民主党だ。

こう現状を分析した。

がある。ここ

エネ ル ギ ー 省 の 予

での大 規 模な抗 議 行 動 ロホロフ氏 個 人の人 気

年には3 9 0 ㌦にま

3 93 ㌦となり、

式 に ガス プロムの戦

略的プロジェクトの一

︻アレクサンドル・ シト クマンは 非 公 キスリャコフ︼

エネルギー戦略暗雲

ア レ ク サ ン ド ル・

で下落する。

している﹂と語った。

は 年には当 初 予 想 説明し、﹁エネルギー ジー がテスト される の4 3 9 ㌦ではなく 戦 略の修 正をも検 討 はずであった。

1000 立方㍍当た 採 取 量 増 大の予 想に 寒 冷 な 海でのガス採 りのガスの平 均 価 格 も 起 因 している、 と 取 にお ける テ クノロ

独 立 国 家 共 同 体 ジア太 平 洋 地 域にお そして世 界 8 位の産 ︵ C I S ︶ にお け る ける液 化 天 然 ガスの 地 で あ る。 第 二 に、

2530 億立方㍍を ノバク・エネ ル ギ ー つとみなされてきた。 下回る2090 億立 相はこの予 測 が米 国 ま ず 第一に、 埋 蔵 量 でのシェールガスやア の 点 でロ シ ア 4 位、

方㍍となる。

︻ロマン・ボロビヨフ︼

% が﹁既 成 政 りうる。

昨 年 の 下 院 選 直 前、 に現れた。 世 論 調 査 機 に寄りかかっているとい

レイ ヤ ーの数 は 減 る一 ムーヒン所長は﹁ロシア よれば

想では、ロシアのガス

ロシア市場に悪影響

方で、 有 権 者には、 野 N O W﹂ に対し、 今の 党は自 分の利 益を守る

︿1面から続く﹀

シ ト クマン・ プロ

ジェクトの頓 挫 は 世

界のエネルギ ー 市 場

に お け るロシアの 立

場に悪 影 響を及 ぼす

教 科 書 や バッグ、 ノ ー 制 服や靴を欲しがるも

に な る。 制 服 を 買 い、 地 方の農 村でも最 高の

の輸 出 量は20 1 1

恐れがある。

トなどをそろえるのに、 のです﹂。

年には20 20 億立

年には193 0 億

方㍍だったのに対し、

これだけかかる。

低 所 得 層の家 族を対

だが、 2 人の学 童の 低所得者向けセール 母 親で、 モスクワに住

年には

立 方 ㍍、

年 前にここに入 む イ リ ー ナ・マト ベー 象 と す る 新 学 年 開 始 ンド ン五 輪の金 メ ダリ た。

来何になりたい?﹂と尋 ルー ブルでは 済 ま ない にも、 陳 列 された製 品

当 初 予 想 されていた くれたのだ。

スト た ちが 授 業 をして 学した時に、先生に ﹁将 エ ワ さ ん は 9 0 0 0 セ ールでは 販 売 員の中

だ が、 あ ま りにも プ 手 団の旗 手を務め、 円

リンピックではロシア選

第 に狭 まって き た。 プ 政 治 情 報 セ ン タ ー の 関 レバダ・ セ ンターに う 点 がマイナスにもな

にわ たって、 政 界 は 次

式が行われる。 整 列し

者の選 挙 離れと大 都 市 盤 投 げと砲 丸 投 げで優

椅子︶で世界新記録を

︵車 で 優 勝、 アテ ネ・ パラ 診断される。 幼少時か し、銀メダルに輝いた。 手を務め、円盤投げ

︻ロシア通信抄訳︼

なく、 学校の新年度も 9月1日に始まる。

大学、 学校では始業

ロシアでは 秋 だ けで ﹁知識の日﹂だ。

1年生入学祝い盛大に

新学期は9月1日

得した。

し、 5 か月 後に10 0 オレッグ・クレツール 獲 得した。 北 京 大 会で パラリンピック代 表に。 アレクセイ・アシャパー 更 新 して金メダルを 獲 陸 上 選 手。 パ ラ リ

︵ 歳︶ は9 年 前の悲 しい事 故 世界選手権で3 個の金 トフ

柔道選手。1996 と同じ日にパラリンピッ メダルを獲 得して注 目

㍍平泳ぎでパラリンピッ ︵ 歳︶

ロンド ン五 輪の銀 メ ダリストで世 界 ランキ ング3 位のロシア人 テ ニス 選 手、 シャラ ポワ は8月 日、ニューヨー クで独自の﹁シュガーポ ワ﹂ ブランドの砂 糖 菓 子を発表した。 シャラポワは明るく

Getty Images/Fotobank 撮影

年 以 上 存在感薄い野党 勝 し た。ロンド ンパラ

界に留 まり、 北 京パラ

水 泳 選 手。 1 歳 の 度 優 勝。ロンド ンでは しかし、 スポ ーツの世

障害を克服し活躍

イで観光バスが事故に遭 ク大使を務める。

ク・チャンピオンに。ロ

い、左手を失った。しか

ファッショナ ブ ル で ス 反 映した高 品 質のブラ

イートな自 身の性 格を

自作のお菓子

定センターは5 月 末に 回は反 政 権の立 場を打 有権者の選挙離れ

に政治的安定を維持す 候 補を立てたが、 議 席 党 ということで、 ど ん 立 した﹁市 民 プラット

オレーシャ・ ブラドィーキナ ︵ 歳︶ 水泳選手で2008

17

50

金メダリスト。旅先のタ ンピック&パラリンピッ 欧州および世界選手権 時、 脳 性 小 児 麻 痺 と 200 ㍍自由形に出場 リンピックでも 再 び 旗

年北京パラリンピックの

17

シャラポワの甘∼いビジネス

59

モス クワ西 北、 ト ベ た1年生を上級生が歓 西 シベリ アの オ ム ス ねられて、﹁オリンピッ と次のように語る。﹁そ の品 質に対 して疑いを す。例えばこのキャラク 壊れてしまいますよ﹂と を 迎 え た。 今 年 度 は 人近い増加だ。 リ出 身の建 築 技 師イワ 迎し、 教員、 来賓など ク市には 新 体 操のクセ クのチャンピオン﹂と答 れは地 方の平 均 価 格に 持つ人 がいた。 女 性 販 ター付きのリュックサッ 話していた。 1 3 3 5 万 6 0 0 0 ︻ ナ タ ー リ ア・ ア ン ンさんには今 年1 年 生 が 祝 辞 を 述べる。この ニア・ ドゥド キ ナ 選 手 えたことを よ く 覚 えて 基 づいた数 字であって、 売員は﹁販売されている クを 見て く だ さい。 ひ 9 月 1 日 に は 4 万 人の生 徒が始 業 式に出 ト ー ノ ワ、 モ ス クワ・ ブランド 品は除 外 され のはほとん ど 粗 悪 品で と 月 も 経 たないう ちに 7 8 2 3 校 が 始 業 式 た。 昨 年と比べて 万 ニュース紙︼ 年 生に

の 娘 がいる。ロシアで 辺は日 本と変わらない が訪れた。 彼 女はま だ いる。

歳で、 今 年

なる。 ドゥド キ ナ選 手 仕度に最低2万円

26

ンドを売り込 もうとい う狙い。 砂 糖 菓 子には

は子供の入学は伝統的 が、 その後で、 全 学 年 に 盛 大 に 祝 う。﹁ 私 は で一定 のテ ーマに も と

モス クワな ど 大 都 徒 た ちは初 めて金メダ 市 以 外 で の 平 均 給 与

何か月も失業中なんで づく授 業 が行 われるの に 会 いに やって 来 た 生 すが、これは 我 が 子に が、 ロシアの特徴だ。 ﹁平

︵4 万8 0 0 0 円︶を だ。 その一方、 今 年 の キロ級の優勝者ロマン・ 新 学 年の準 備に要 する

コローマンス タイ ル

レス リ ング 男 子 グレ わ ず か に 上 回 る 程 度

て大喜びだった。

とってとても 大 切 な 行 和について﹂や﹁勇気に ル を 目 に し、 手 に 取っ は、 月 2 万 ル ー ブ ル

今 年の9 月1日は生

金メダリスト来校

事なんです﹂と、イワン ついて﹂ の授業だ。 さん。

﹁知識の日﹂

もっと読む www.roshianow.jp/38629

種 類 の風 味 が あ り、

15

ロシアの 研 究 者 は 20 億 ル ー ブル(約 50 億円)のスーパーコン ピュータの開発を始める。これが 成功すれば、高性能のスパコンを もつ世界 10 か国の仲間入りをす ることになる。  国立モスクワ大学コンピュータ 研究センターのウラジーミル・ボ エボディン副所長は「スーパーコン ピュータ『ロモノーソフ』の演算で、 永久凍土が今後 50 年から 100 年 でどうなるかが計算された」と語っ た。

テニスボ ールの形 をし

ルで、 イ ンタ ー ネット 市 場 に一つも あ り ま せ 販 売 さ れる。 収 益 の一

﹁こ う い う お 菓 子 は とホテルのブティックで

られた砂 糖 菓 子を手に の創立者だ。 話した=写真。

し な が らシャラ ポワは

彼 女 の 事 業 パ ー ト んでし た。 そこで、 私 部はチェルノブイリ原発 ナーは、 同 じ 業 界のエ みたいな 女の子 が大 興 事故被害者のための﹁マ

シトクマン開発の凍結

11

キ ス パー ト で あ る ジェ 奮するような自分独自 リア・シャラポワ基 金﹂ フ・ ルー ビン氏で、 国 のキャンディを作ること に寄付される。

ブラソフ選 手 はノ ボシ 費用は、一人につき最低

WWW.ROSHIANOW.JP

た 物 な ど一風 変 わった 商 品 だ。 そのすべてに ト レンディな 包 装 が 施 ﹁これは私が関わった

されている。 中 で 最 もエキ サイ ティ ン グ な プロ ジェク ト で

1 9 8 4 年 以 来、 徒 た ちに思いがけぬプ

9 月1日は国民の祝日 レ ゼ ント が あった。ロ ビルスクの母 校 を 訪 れ でも平 均9 0 0 0 ルー

高性能スパコンを開発へ

37

10

15

12

もっと読む www.roshianow.jp/38649

39

︻スベトラーナ・スメ

12

ロシアの国営銀行である対外経 済銀行(VEB)はウラジオストク のトヨタ「ランドクルーザープラド」 の生産計画に、企業資産を担保と して8億 7000 万ルーブル(約 22 億円)の融資を決めた。  「ソラーズ・ブッサン」社はロシ ア自動車大手のソラーズ社と三井 物産がウラジオストクに設立した 合弁企業だ。双竜車とトヨタの「ラ ンドクルーザープラド」のほか極 東でマツダ車の生産を稼動させる。 マツダ社との合弁企業(出資比率 は各 50%)の枠内の事業だ。  マツダのクロスオーバーSUV とマツダ6の組立は今秋に開始さ れ、工場の生産能力は、最初は年 間5万台、その後は7万台になる。 自動車産業における国立銀行の積 極的な姿勢は、この部門の発展に 対する国家の関心の高さを示して いる。

14

価 格 は 1 パック5 ド ターニナ︼

15

21

際 的 な キャンディー 専 にしたんです﹂と言う。 門店﹁イッツ・シュガー﹂

トヨタ車生産に融資

11

20

す﹂。ニューヨーク5 番

74

10

街のディスプレイに並べ

電子版でもっと読む

17

横顔を紹介しよう。

9月9日、第 回夏 ンドンでは1 0 0 ㍍ 平 年、 欧 州 選 手 権で準 優 ク・チャンピオンに。ロ を集 めた。 北 京 大 会で ンピック北 京 大 会の金 季パラリンピック・ロン 泳ぎ︵SB8クラス︶で 勝 し、 アト ランタ・ オ ンドンでは ㌔ 級で5 は 3 種 目 で 金 メ ダ ル、 メダリスト。 長 年、 プ

戻ることはおろか、 単 い例 だ。 7つの政 党 が 上 イ デオロギ ー な しの 家、 プロホロフ氏 が 設

﹁ 危 機 以 前 の状 態 に

をも不安に陥れた。

支 持 者のみならず野 党 ぎ ないので は、 とい う は ビ ジネ スのロビ ー 活 もいる。

持 率の低 下は、 政 権の 党は名 目 上の存 在にす すこともある。 共 産 党 ているロシア 人 は 今 で

メドベージェフ両氏の支

糾弾、そしてプーチン、

議行動、 下院選の不正

て語った。 大 規 模 な 抗

格 的 な 政 治 危 機につい

の専門家が、ロシアの本

昨年

いう構図だった。

の憂 き 目に遭 うことは 滲 む よ う な 努 力 が あっ にわたる 懸 命の頑 張 り で、どうにかオリンピッ

大 統 領が自 身の報 道 得された。確かに、個々

目﹂ である。

いわ ゆる﹁大 統 領の種 多 く は 予 想 に 反 し て、 成 功 を 妨 げ ないことに た。 それは独 自のアプ

たちをとくに喜ばせた、

の種 目は、 国 家の要 人 と言えよう。

致 と 言 えるが、これら ほとん ど 唯一の成 功 例 中 棄 権 した 後 は、 シン

し か も、 驚 くべき一 で 正 しいア プロー チの 競 歩のボ ールチンが 途

た。

は 予 想 さ れていな かっ 監 督 は、 今 回のオリン エ レ ー ナ・ イ シ ンバエ

上出 来 と は 言 え ず ロンドン五輪でロシアチームは、 獲得 位となった。 終盤の追い上げにより国の

メダル数で中 国にわ ずかに及 ばず 第 3 威 信は保 たれ、ロシア選 手 団は好 成 績 を収めたとみなされよう。最後の数日は なり、メダル総数だけでなく金メダルの

ロシアチームにとってゴールドラッシュと 数でも北京大会を上回った。これはプロ 在のシステムが成果をもたらしたことを

スポーツへ巨額の国家予算を投入する現 意味しているが、それでもメダルの予想

ブル︵2万2000円︶ ている。 最近の子供は、

12

は大 きく外れた。︻エブゲニー・ツルー

通信、AP、Imago/Legion Media 撮影

roshianow.jp/ 38497

シン、ガゼッタ・ルー紙︼

写真上列(左から右へ):アルセン・ガルスチャン (金、柔道男子 60 キロ級), ユーリイ・ポスチガイと アレクサンドル・ヂヤチェンコ ( 金 , カヤック 2人乗 り) 、アンナ・チチェロワ(金、陸上走り高跳び) 。下 列 : ナターリヤ・アンチューフ(金、400 メートルハー ドル) 、エブゲニヤ・カナエワ (金、新体操個人総合) 、 ナターリヤ・イシチェンコとスべトラーナ・ロマーシナ (金、シンクロナイズドスイミング・デュエット)=タス

ソチ五輪のテスト開催は 競技場の状態を調べるだけ でなく、ボランティアの演 習でもある。2014 ソチ冬 季五輪組織委員会はボラン ティア向け予算の規模をま だ公表していないが、仕事 の内容と条件はすでに明ら かにしている。

ることさえ不 可 能に思 を 獲 得 したのは前 回と なスロー ガ ンでも 掲 げ フォーム﹂党だ。第一に、

ボランティアも演習

1 種 目で銀メダルを 獲 ロのバレー ボ ー ル 選 手

90

ド ン大 会 が 閉 幕 し た。 1 分

電子版で読む

れる﹂ と発 表 したのも 新 体 操 な ど を 除 け ば、 内 訳 は、 銅 に 偏ってい ものにした。 も し も 柔 道 が な かっ たロシアの 選 手 はいな ロシア 人 は 毎 日、 新 たが、﹁彼女は絶対に獲

ポ ーツにとって 悪 夢 と たな 希 望に期 待 をかけ 柔 道 の ヒ ー ロ ー と ります﹂との声はだんだ

一方、柔道、カヤック、 なったであろう。 カヌー、 バド ミ ント ン

今 回 の五 輪 ではフェ といった 種 目 での活 躍 なったエツィオ・ ガンバ ん 小 さ くなっていった。

ルを獲得した。

いな かった 種 目でメ ダ

は敗れ、 誰も注 目して れていた。

待の大 き かった 種 目で に大 きな期 待が寄せら の 第 1 週 は 祖 国 の ス

ロンド ン五 輪では 期 ンシング、 射 撃、 水 泳 た な ら、 オ リ ンピック かった。

メ ダ ル 数3 位 の ロ シ ア

ロンドン五輪の通信簿

得 した。 すでに 回 世 として活 躍 していた が 障害を克服して活躍を 録を出し再 び金メダル の後、 自 動 車 事 故に遭 続 ける 4 人のロシアの に輝 き、 ㍍ 自 由 形で い、 妻 は 死 亡 し、 本 人 ドミトリー・コカレフ 界 チャンピオンとなり、 2002 年、 災難に見 パラ リ ンピックで は 3 舞われ、片足を失った。 障 害 者スポーツ選 手の は 4 位 入 賞 を 果 た す。 は 視 力 を 失った。 困 難 ︵ 歳︶

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総合 2 2012年(平成24年)9月13日(木) www.roshianow.jp

ロシア NOW DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA


動 きが鈍 く、 図 体の

アエロフロー ト の日

% が日 本 人であ ジネスの両 クラスと も で、 毎 日モスクワ・ 東 本 支 社 は、 東 京・ 虎

注 目 すべきは、 乗 客 いる。エコノ ミ ー と ビ ト はエアバスA 3 3 0

峰尾純世さん

東 京 生 まれの東 京 育

まで決 ま らない。 その

上 司 や、 モスクワ本

大の航 空 会 社の一員 と に、 やはり物 事が直 前 を持てる。

なった。

ロシア社会については た びにハラハラ さ せ ら 社 とのや りと りは すべ

一般の日 本 人 よ り 理 解 れる。 そんなと きでも てロシア 語。 培った 語

し ているつも り だった ロシア人の同僚は﹁大丈 学 力で身を立てる充 実

ロシアに関 わる 日 本

戸惑いがあった。

で、 日 本 社 会にお ける

日 本の取 引 先からク ロシアは 依 然 として身

涼しい顔をしている。

ンだったことがきっかけ が、いざ 働 き 始 めると 夫﹂﹁なんとかなる﹂と 感 は 格 別 だ。 その一方

でロシア語を選んだ。

卒 業 後、 もっとロシ

ると、 大 抵のことは 最

るが、﹁ふたを開けてみ 続いている。

ア語を学 びたいと都 内 人 の 誰 も が 言 う よ う レームが 入ることもあ 近とは言 えない状 況 が

の語 学 専 門 学 校に入

論 大 会に賞 品 用の航 空

仕 事 を 通 じ て、 日

ことの一つ﹂と言う。

ラフ・フョードロフ氏は、

創 設 者の一人 スタニス

離感が近く、 仲間意識 いる。 ︻吉村慎司︼

国籍・職制を問わず距 日 々の業 務 に向 かって

に 世 間 話 も し ている。 な 思 いを 抱 き な が ら、

空 き 時 間にはにこやか る よ うにし たい。 そ ん

圧 的 な 態 度 を と ら ず、 露 が もっと 仲 良 くな れ

ロシア 人の上 司 は 高

係についてだ。

るのは、 職 場の上 下 関 れも 入 社 して良 かった

人と話 して違いを 感 じ 促進に貢献していて﹁こ

日 本 企 業に勤 める友 券を提供するなど交流

るんですよ ︵笑︶ ﹂。

終 的 にな ん と か なって ト は日 本のロシア語 弁

この点、アエロフロー

学。 3 年 間のカ リ キュ プロフィール

ラムを 終 え、 サンクト ペテルブルク国 立 大 学 東京都生まれ。大学 では教育学専攻。 に留 学した。 日 本に戻 趣味は学生時代から り、 モスクワにも 支 社 続けている楽器演奏。 を 持っていた 東 京 の会 現在もバンド活動を 続けており、都内ラ 社で働いた。 イブハウス等で定期 ロシアとの縁 は 深 く 的に出演を続けてい なってい た が、 アエロ る。ロシア留学時代 フロー トに特 別 な 思い にはロシア各 所へ旅 入れはなかったという。 行したが、一番のお 勧めは世界遺産キ 偶然目にした求人情報 ジー島への旅行。

に備えている。

掘 削 用 プラット フォー

ロシ アの バル ー ンの ムの部 品 を 北 極へ届 け

気球のメッカ

メッカとみなされている ることのできる 貨 物 飛

トには航行軌道、 陸上 ﹁ 飛 行 と は か な え ら れ のはベリーキイ・ルーキ 行 船の建 造は有 望な分

気 球による観 光 もト

︵プスコフ州︶だが、氷 野の一つであると言う。

熱 飛 行 船による飛 行 の洞 窟で有 名 なペルミ

の風、 着 地の目 安など た人間の夢である﹂。

に関 する地 上 からの不

今 春、ロシア最 大 手 ルーン連 盟 会 長でS B 名 乗 り を 上 げ ている。 用は最低1万6000

何 しろお 金のかかる 断の情報が欠かせない。 距 離 で は、ロシア・ バ 地 方の町 クングールも レンドとなっている。費

回 熱 気 球 世 界 選 スポ ーツで、 誰 もが 楽

国 境を守り、 陸 上と海

ソ連の飛 行 船や気 球は

第 二 次 世 界 大 戦 中、

飛行船だった。

する﹃ノルゲ号﹄という

ベル ト・ ノビレが 操 縦

機 はイタリ ア人のウン

飛 行した初 めての航 空

に輝いてきた。 北 極 を

飛 行 船は数 々の栄 光

戦時には軍事役割

位となった。

ゴンド ラや航 行 通 信 時 間の国 内 記 録を塗り 氏は現在、 最も歴史あ 低 地にあり、 風 配 図が 日 飛 行できる熟 練パイ

︻アンナ・ペルシコワ︼

れない。

録 も 伸 びていくかもし

り、 乗り手 も増 えて記

に身 近 なスポ ーツとな

アではバルーンが 庶 民

れた。 近い将 来、ロシ

ジェクト が 立 ち 上 げ ら

家 クラブ﹄ という プロ

を目的に﹃ジュニア飛行

このス ポ ーツの普 及

ジュニアを養成

す﹂と語る。

フェッショナ リ ズ ム で

よ り も 大 事 なのは プロ

のは ないで しょう。 何

会社﹃アヴグール﹄の うち気球ほど安全なも

ません。 空の乗 り 物の

時間半、 距 るガス気球レース、ゴー 独 特です。 レースは 大 ロット は そ う 多 く あ り

︵ 3 位 ︶ には 及 ば ず 8 も必要となる。パイロッ 飛 行した同 氏によれば へのロシアチームの出場

ポフは日 本の藤 田 雄 大 の自 動 車 用 トレーラー 離にして約23 0 ㌔ ㍍ ドン・ベネット・カップ 変ですよ﹂と語る。

のセ ル ゲイ・ ラ トィー 設 備を運ぶための特 別 替えた。

ロシ ア 人 パイロット

舞い上がったのである。 ︵ガス気球︶もする。

バジェー ノフ氏 が 飛 行 をマー クしている。 同 ラーホフ氏は﹁この町は グラトコフ会 長 は﹁毎

スの熱 気 球 乗 りた ちが ︵熱気球︶から 万ドル リ ー ダ ー のセ ル ゲイ・ エフ氏 が世 界 的 な 記 録 アンドレイ・ヴェルチプ ラ ブのウ ラ ジー ミ ル・

チームの世 界 最 高 クラ 気 球 だけでも3 万ドル バル﹄の社 員でチーム オニード・チュフチャー フェスティバルの責任 者 ロシア・ バル ー ン・ ク

。 手権に出場した1 20 し め る わ け で は な い。 の気 球メー カー﹃ルス ︵ 造 船 銀 行 ︶ 会 長のレ ペルミ地方のバルーン・ ルーブル︵約4 万 円︶

散らされたようだった。

ラフルな紙 吹 雪が撒 き お金はかかる

リーク︵米国︶の空はカ

8 月 下 旬、 バトルク 宙飛行士より少ない。

輸送、観光でも有望

運良く見つかったのがこ シア人 体 操 選 手のファ をきっかけに、ロシア最

せる職場を探していて、 語の履修にあたって、ロ

でき たロシア語 を 生 か 専 攻 だった。 第 二 外 国

か ら 転 職 し た。﹁ 学 ん ち。 大学時代は教育学

異業種のIT 関連企業

目 立つが、 峰 尾 さんは の会社です﹂と語る。

アエロフロート

でも﹁なんとかなる﹂

ジュコフスキー市 モス クワ 郊 外の ジュコフス キ ー 市 で 航空宇宙大学の建設 が着工した。 ソ連 時 代にツポ レ フ、スホイ、ミコヤン・ グ レ ビッチ、 ヤコ ブ レフな どの軍 用 機 と 民 間 機 すべての設 計 はモスクワで行われ、 モス クワ 郊 外の

製造された。 ジュコフス キ ー 市 に えたユニークな﹁ラメ

は試験飛行体をそろ

ある、 世 界 最 大のグ

ンスコエ﹂飛行基地の

所や世界的に有名な

ロモフ飛 行 調 査 研 究 ジュコフス キ ー 中 央 航空流体力学研究所 がある。 だ か ら、 モス クワ にある すべての航 空 機 設 計 局 が ジュコフ スキー 市に集 められ なことなのだ。

るというのは、 自 然

上の広 大 な 領 域のパト ロールを行った。 www.roshianow.jp/ ロシアでは 飛 行 船 や 38787 気 球 のパイロット は 宇

もっと読む

ス通信撮影

サンパウロへのデモンス 大きなTu 1 1 4には の約

マー ケ ティン グ 部 で の春、 入社から丸7 年

日 本 人 社 員は他の航

を手伝うことも多い。 空会社からの転職組が

いつもハラハラ 航空機研究都市

日本支社で渉外担当

ハバロフスク、 デリー、 トレーション飛行やハバ そうした条 件をクリア る 点 だ。 観 光でロシア 娯 楽サービスが充 実し 京 便の運 航 を 行ってい ノ 門 のオフィス ビル 内 ナへの困 難 なフライ ト できないかに思 わ れた を訪れる人がほとん ど ており、 日 本 語 字 幕の る。 成 田 空 港の新ター にある。ロシア 語、 日 ミナルが利 用され、 東 本語、 英語が飛び交う

る。 もっと も 本 人 は

ストロフ︼

︻アレクサンドル・ボ

へ舞い上がっている。

ナーSSJ 100が空 節によって同 僚の作 業

名 を 冠 するスカイライ 議に出るのも仕 事。 季

の 有 名 な パイロット の 合﹁スカイチーム﹂の会

いた め、 その代 わ りこ する世界の航空会社連

歳 で 操 縦 は か な わ な アエロフロー ト が 所 属

窓 口 役 を 勤 め ている。

今 も 飛 行 を 続 け て い 務のほか、 取 引 先との

ン・ツホ ブレー ボフは 者としてPRや広告業

ち な みに、ハリ ト ー が経過した。 渉外担当

東京便も開設された。

サンクトペテルブルグ・ 働く峰 尾 純 世さんはこ

入されつつある。 最近、

荷 物の搭 乗 手 続きが導 だ。

への直 通の乗 客 お よ び ち、ほぼ半分が日本人

現 在、 アエロフロー 京 からロシア連 邦 各 地 フロアで働 く 社 員のう

な ど、 ツホ ブレー ボフ が、 ツホ ブレー ボフを だ が、 ト ランジット で 映画も鑑賞できる。 果たした役割は、 製作 家たちは日 本 側の要 求

がTu 1 1 4のために 中 心とするソ連の専 門 ロシアを 経 由 する 人 も 者た ちに勝るとも劣 ら 基 準を充たすために最 ない。 当 時 としては 比 適の航 跡を描 きだすこ このフ ライ ト はソ連

類 ないこの飛 行 機 を ど とができた。 のよ うに操 縦 するかを 社が共 同で運 航 する初

全 世 界に示 し たのだっ と資本主義国の航空会 た。

アエロフロー ト と 日

1 9 9 1 年 末のソ連

92

東 京へのフ ライ ト は めてのケ ースという 点 その準 備に際 してパイ 内 サ ー ビスは アエロフ

一種 の テ ス ト と な り、 でも 画 期 的 だった。 機

ションの問 題 に 直 面 し 室 乗 務 員によって同 時

ロット た ちは ナ ビ ゲ ー ロー トと日 本 航 空の客 に行 われ、 機 体には両

東 京 上 空の飛 行は禁 社のロゴマークがペイン

た。

田 空 港 を 飛 び立つ際に

じ られていた た め、 羽 トされた。

最 終 ルー トへ機 体の向 いてい る。 モ ス ク ワ・

は、 離 陸とほぼ同 時に 本 航 空の協 力は今も続 パイロット のツ ホ ブ き を 変 え ね ば な ら ず、 東 京 間では昨 年 だけで

オ セ ッ ト 人 の 操 縦 塗り替えた。 士ハリ ト ー ン・ツホ ブ 万 2 千 人、この

乗客が運ばれている。

客機Tu 114︵ツポ 距 離 旅 客 航 空のパイオ 小 限に抑 えることが要 年 間では3 5 0 万 人の

レ ー ボ フ が ソ 連 製 旅 レー ボフはロシアの長 しかも高 度と速 度を最 も

京 に 着 陸 さ せ たのは

レフ114 型機︶を東 ニアとみなされている。 求された。

- 14   モスクワー東京便のTu 1 ︵写真上 、ロシア通信撮影︶の客室には 3つのクラスがあり、エコノミーク ラス︵写真右、 アレクサンドル・ポポフ 撮影︶は3人掛けの普通の座席が左 右に並び、ファーストクラスは座席 の列が卓上ランプつきの小卓で区切 られ、四つあるコンパートメントは 列車のそれと似ているが寝台は3つ。 写真右端はコンパートメントの一つ 。 ︵ アレクサンドル・ポポフ撮影︶

入った。 北 極 点 を 初 め

大 幅に削 減された。 近 空 軍 の 最 大 の 試 練 年、 空 軍は改 革 期にあ

︻﹁独立新聞﹂紙抄訳・

,

もっと読む

赤 軍 のパイロット と 戦 航 空 機 は 7 万 2 千 機 空軍総司令官︼

佐 が英 国の少 佐として 軍 が 東 部 戦 線で失った ン大 将 元ロシア 連 邦

のエー ス、 カ ザコフ 大 国 戦 争 だった。 ドイツ ピョー ト ル・ デイ ネ キ

命と内 戦 期には、 空 軍 い を 繰 り 広 げ た 大 祖

1 9 1 7 年のロシア革 イ ツ 空 軍 と 激 烈 な 戦 近代化されつつある。

ロッ ト を 数 え て い た。 は 1 9 4 1 年 か ら ド り、 技 術と装 備 全 般が

機 と 2 5 0 人 の パイ

は 2 5 6 機 の 軍 用 トだった。

発 す る 頃 に は、 空 軍 したのはソ連のパイロッ が訪れ、 人 員、 予 算は

第 一 次 大 戦 が 勃 て経 由して米 国に飛 行 崩 壊により再 び混 乱 期

の往復飛行を行った。

テル ブル ク︱ キエフ間 空 軍 は 再 び 発 展 期 に 5万6千機だった。

日露の架け橋

年 前 のこ と で あ る。

1967 年、 今からど このルー トで最 初の無 当時、 近代航空の時

着陸飛行だった。 代が幕を開けたばかり で、こうした 長 距 離の 飛 行はまさに奇 跡とみ な されていた。 そ うし たフライトを 可 能にす

混乱と発展を繰り返す

る航 空 機もそれに劣 ら

ロシア空軍 100 年

ぬ 奇 跡 とみな されてい 機 種のなかでも群を抜

たが、 Tu 114は同

当 時としては最 も大

いていた。 型の旅客機で、 巡航速 度は時速850 ㌔㍍に 達し、 燃 費の面でも優 れていた。 設 計に際しては、 現 在 のエアバスで 用 い ら れている二 層 構 造が初 めて採 用された。 機 内 には、 通 常の二つのク ラスのほか、 寝 台 列 車 のよ う なコンパー ト メ Tu 114は様々な

ントもあった。 時 期に の世 界 記 録を

ロ シ ア 空 軍 が 創 設 ガッチナに航 空 学 校 が 100 年を迎えた。 帝 開 設され、 各 部 隊から 政 時 代の1 9 1 2 年、 集 まった 将 校に対 して ミハイロビッチ 大 公 が 教育、訓練が施された。

﹁ロシア 空 軍 は 隣 国 の 名 パイロット、 ネ ス それよりも強 力でなけ テロフが 宙 返 りを 世 界 ればな らない。 祖 国の で 初 め て やって の け、 軍 事 力に無 関 心でない 海 洋 画 家 アイワゾフス 者はこれを 肝に銘 じる キーの孫のアルツェウロ べき だ﹂ との布 告 を 出 フはきりもみ降 下 を 敢

45

にのぼ り、 う ち 赤 軍 パ

12

アエロフロート・ロシア航空がモスクワ・東京間に路線を開設 してから満 45 年がたつ。ソ連製の旅客機ツポレフ 114 型機が 初めて東京に降り立ったのは 1967 年、昭和 42 年のことだった。 今はエアバスに代わったが、乗降客の数は順調に増えている。

したのだ。 行した。 19 1 4 年に 艦 隊 基 地 が あ る セ は世界初の4 発大型機

う悲劇もあった。

30

80

混 乱 期を乗り越 えて イロット に よ る ものは

気球はスポーツだ

45

1967年、直行便が日本に初着陸

バスト ー ポ リやサンク が 設 計 者シコルスキ ー ト ペテルブル ク近 郊の の操 縦で、 サ ンクト ペ

www.roshianow.jp/ 38487

スタニスラフ・フョードロフ氏 =エブゲニー・ヅ ‒ ジン撮影

32

20

12

東京モスクワ便 8 割が日本人客 45

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ロシア NOW

3 特集面 航空 2012年(平成24年)9月13日(木)


研究室は海の中 ﹁見えない生物﹂を見る

特集面協力

オーロラの名所

とができる﹂と語る。 。 の一般 向 け 科 学 書 が 出 ほど募 集し、 私た ちは 撮 影で裏 づけられた 版 される。 子 供にも分 彼 らのために潜 水 し撮

観 察 は 学 術 的 な 論 文 かりやすく、 学 問 的に 影 しサ ポ ー ト するので や教 材への重 要 な 補 足 も信 頼に値 すると前 評 す 。 自 由 に 海 を 航 行 す と なっている。 彼 の 写 判は上々だ。 るい緑の光 を 目にする んでいる。 る 船 か らは 質の高いレ サレハルド 真は、 すでに学 術 界の セ ミョー ノフさ ん は ポ ー ト を サイ ト や プロ オーロラ観 察に最 適 こと ができる。 地 元の ディクソン みな ら ず一般の間でも ス ポ ン サ ー を 見 つ け、 グにアップすることがで の町 サレハルドは 北 極 ネ ネツ人 た ちは、 寒い クラスノヤルス ク地

リヤン・マルの人 た ち けにあたり一面 を 照 ら

の 口 癖 だ。 こ こ に は、 す オ ーロラは 美 しい。 、

北極圏内で最初に建設 るわけではなく、 北 極

1 4 9 9 年にロシアの そう頻繁に極光が拝め

された 町 プスト ジョー が夏を迎える前の3 月

サンドル・セミョーノフさんは無 脊 椎 動 物に関 するサイト

海 底にどんな微 小 生 物 種との共 生の仕 方 な ど が 多 く あ り ま す。これ での撮 影 をもとに、 間

ナリヤン・マル

える。 オホ ーツク海に る。 極 夜の季 節、この

オ ーロ ラ に 彩 ら れ る。 色の光が雪 溜 まりに映 でほぼ半 々に分かたれ

格安新型船を製造へ

空気で氷を砕く

資金は試作品製造と試

円 ︶ を確 保した。この

︵約2億2000万

9 0 0 0 万 ル ー ブル

たり産業貿易省は

砕 氷 船の開 発にあ

割れて行く仕組みだ。

砕 氷 船の重みで自 然と

ん あ る。 二つのマンモ ネツ自 治 管 区の区 都 ナ 気 候は厳しい。 それだ 本文記事1面︼

には名 所 旧 跡がたくさ これはロシア 北 部 のネ 山に囲まれているため、 ︻ダリア・ゴンサレズ、

︵ 人 口 約 3 0 0 0 人 ︶ ち消 えてしま うから﹂。 緯度だが、 寒冷な海と 浴びて群れをなす。

ロ シ ア 最 北 の 居 住 ﹁オーロラを見るとき 臨 むこの町 はサンクト 島は放 牧 場となり、 ト   地の一つであるハタンガ に口笛は禁物! たちま ペテルブル グとほ ぼ 同 ナカイが深 紅の極 光を

ハタンガ

逢うことができる。

の表 面で生 育 するヒド

しい白いオ ーロラに出 にハタンガの空は連日、 の色 は一変 し、 その草 し、180 度の子午線

ロ虫 類 がいま す が、 透

が 生 息 している か 目 に 教 科 書に書 かれている を 海 中で偶 然に見るこ もなくロシア語と英 語

科学書シリーズを出版することになったほか、 組織的な生

写真上はセミョーノフ氏が研究

やフォトブログの作成者として知られている。 彼は水中マク

物学調査に意欲を燃やしている。︻キリール・ルデンコ︼   き と おっていた り、 小 さ す ぎたりして実 際に はそれらは見えません。

現在はこのステーショ だが、 写 真なら微 細な

フォトブログはどこの 資を必要としています。 ンに就職した。 国 で も お な じ み だ が、 私は自 然 研 究 者として 質の高い一般 向 け 科 学 活 動し、 手の届く範 囲 ンの 潜 水 夫 長 で あ り、 ものを すべて 見 るこ と 水 中 撮 影 のも う一つ

で動 植 物 界を研 究して そ れを 自 分 にとって 最 ができるのです﹂

その一つ が、 寒 冷 な いま す。 私 には カメ ラ 高の仕 事と思っている。

日誌は数えるほどだ。 海の自然を研究する若 があり、 何よりも半 年 夏 場は、 海 や設 備へ事 の特 徴 は、 研 究 室には し、 特 定 すること がで 水 槽で動 物を飼 育し

若き生物学者は水中 きることだ。

できる。

きロシア 人 学 者のブロ にわ たって毎 日 同 じ 場 実 上 無 制 限にアクセス ない条 件で生 物 を 観 察 グである。 ︵ shilovpope.所で潜る機 会があるの ︶ で す。こん な ふ うに数 livejournal.com セ ミョー ノフさ ん は 年を過 ごす間に、 かな 撮影について語る。 ﹁ 水 中 マ クロ 撮 影 は てそれらの食 習 慣 や 繁

2007 年、 大学卒 見 せてくれま す。 カメ る専 門 家 た ちには、 動

ることができました﹂。 肉 眼で見 えないものを 殖の特 徴 を 研 究 してい

自分が目指す研究方法 りの知 識や画 像を蓄 え についてこう語る。 ﹁ 現 代 の 科 学 は、 統 ミリの海 底 条 件 を 再 現 することは

計学や分子生物学など 業 後 す ぐに、ロシア最 ラのフォーマットである 物のた めに自 然の生 息 ミリ×

ドにかかわる巨 額の投 白 海 生 物 学ステーショ の一片 を 撮 影 す れ ば、 できない。

︻ワジム・ ポノマリョ

を航 行できるような新 年 氷に覆 われた 航 路で を始める予定である。

改 善。 現 行 の シ ス テ ム で は 全 域 を1 0 0 % カ バーできないからで す。 そ の ほ か、 自 然 の リ   スクの軽減も目指して い ま す。 域 内 の 火 災 面 の安全性を大幅に高め か 所 設 け ら れ、

る化学消防ステーショ ンが 製 紙 コ ンビ ナ ー ト の 問 第 一 に、 す で に 環 境   題 解 決を目 指している。 に 及 ぼ さ れ た 損 害 を 除

水や土石流を防ぐ設備

護 岸 工 事 が 行 わ れ、 洪

プログラムの課題は?

去 す る こ と。 こ の 領 域

が施される予定です。

プロ グ ラ ム は パ ル プ

には経済活動によって

結 果、

年 ま で に、 産

廃 棄 物 を 含 め て。 そ の

た い と 思 っ て い ま す。 1 4 0 0 億 円 ︶ で、 そ

つまり観光に力を入れ

ションの積極的な活用

5 8 0 億 ル ー ブ ル︵ 約

グラムの費用は総額

クリューが水 面 近 くに 氷にお おわれている場 空気を送り込む。 水が ︻ パー ベル・ ポ ポフ、 位 置しているため、 砕 合、 氷の下から少量の 氷を支えなくなったら、 イズベスチヤ紙︼

業廃棄物に汚染された

たるエコロードの敷設

び1 0 0 0 ㌔ 以 上 に わ

泊センターの建設およ

102の旅行者向け宿

に 使 わ れ ま す。 つ ま り

質の放出を抑えるため

措 置 に、

汚染レベルを低くする

% は廃棄物による に 戻 り ま す。 ま た、 そ

が計画されています。

% が元の状態 のほかのゴミを処理す

領域の

か所

8 年に及ぶこのプロ

% は汚染物 る様々な施設も

プログラムの費用は?

建設される予定です。

私たちはレクリエー

地域の発展の内容は?

30

の現 代 的 な 研 究 メソッ 大のモスクワ国 立 大 学

カムチャツカにハブ港 北極海航路の物流を拡大 カム チャツカ 地 方 政 所 協 会・ ビジネス・ サ の増 加 と 規 模 は一目 瞭 海航路経由の同社の貨 年まで

万 1 0 0 0 トンだっ に 年 間 1 5 0 0 万 ∼

府 は 不 凍 港のペトロパ ミットで、 北 方 商 工 会 然 だ。 2 0 1 0 年 は 物輸送量は、 ブロフス ク・ カ ム チャ 議 所 のアナ ト ー リ ー・

年 1600 万トンに拡大 ロ シ ア は 7 月 末、 た。今後、北極海航路 護 衛などを含む、 北 極

万 8 0 0 トンに する可能性がある。

ツキー港を年間貨物取 グルシュコフ会頭は次の た貨物輸送量が、 扱量5000 万トンの よ う に 説 明 し た。﹁ 北 には 国 際ハブ港にする方 針 極 海 航 路 経 由 の 船 便 急 増 した。 今 年、ロシ

ア海 運はさらに増 大 す 1 9 9 0 年 代 初 め に 水 域の統一管 理 システ 海での安 全 航 行を可 能 すでに 始 ま り、ロシア る。

の拠点としているモスクワ国立大 験航行に使われる。 ソ連時代に試作品 学の白海生物学ステーション。下の 2枚はセミョーノフ氏が潜って水中 ズエフ 氏 の 試 算   北方のロマンチシズム、手つか ロ シ ア 連 邦 産 業 貿 易 ずの自然、澄みきった海に囲まれ 撮影した海の中の生物 =アレクサンド で は、 船 の 価 格 は 省は新しいエアクッショ ル・セミョーノフ撮影 たそうした生活や仕事をうらや 4 5 0 0 万 ル ー ブル ン型の砕 氷 船の設 計・ む人は少なくなく、アレクサンド ル さ ん 自 身 も 喜 び を 隠 さ ず にこ ︵約1億1000万 製造を再開する。 う語る。﹁正に例外的な条件です 円︶ 。 高 い よ う だ が、 この 船 は 1 9 8 0 ね。水に潜ってクラゲならクラゲ 年 代に当時のソ連 政 府 氷船に必要な動力が得 水をくみ上 げると、 氷 既 存の砕 氷 船 ﹁モスク の生態を逐一撮影するという作業 の表 面と水の間に空 洞 ワ﹂ や﹁サンクト ペテ により開 発 されていた られない。 ですから。5月に始まる白海での 仕事では、半ミリくらいの幼生か ソ連 時 代 の プロジェ ができま す。 水は表 面 ルブルク﹂ が1 隻 億 が 、中断していた。 ら8月頃には メートルの触手を この計 画は、 大 陸 棚 クト作成者で設計者の の氷 を 支 えなくなるの ルーブル︵約 億円︶す 持ち直径半メートルの海月に育つ 資 源 開 発 技 術 の 製 造 一人、 国 立ニジニ・ノ で、 氷は自 然に割 れて ることを 考 えれば、 格 成長を記録する機会があります﹂ 。 プログラムの一部 と な ブゴロド 技 術 大 学のワ いくんです﹂と、ズエフ 安の船だ。   プロ用の水中装置は全て学術設 石 油 ガス 採 掘 会 社、 備として助成金で購入された。 る。 新 た な 砕 氷 船 は レリー・ ズエフ学 部 長 氏は説明した。 とはいえ、 砕 氷 船 が 船 舶 会 社、 貿 易 会 社、 カラ海、 オビ湾、 カス によ ると、 ゴルバチョ   ﹁ こ れ が 自 分 の 趣 味 だった ら、 常に水中撮影をするお金は一生か ピ海などの浅 瀬での石 フ 時 代 に 既 に 砕 氷 エ 氷の下の水をくみ上 げ 軍などが潜在的な顧客 かっても稼げなかったでしょう﹂と だ。 新型砕氷船はボル 油 ガス採 集のプラット ア クッション船 の試 作 るわけではない。 アレクサンドルさんが語る。 砕 氷 船の基 底 部のエ ガ 川 で も 使 用 可 能 で、 フォーム造りに役立つ。 品 が完 成 していたとい ア クッションに は、 圧 航行速度さえ維持でき 一般的な砕氷船は浅 う。   北 極 海 航 路の整 備は 星システム︶ が利用され 海で最 も氷の厚い海 域 厚 さ 3・5 ㍍ ほ どの 多 の油 ガス田 か らの輸 送 瀬で使 用 することが難 ﹁この 船 の 基 本 を 説 入 装 置があり、 氷の亀 れば、この航 路は国 際 しい。 浅 瀬 用の船はス 明しましょう。 水 面が 裂や隙 間から氷の下に 的に活用できる。

ると予測している﹂。

さ らに、 アイス ベル 型原子力砕氷船 ﹁リー も航 行が可 能で、 近 く

だ。漁業と太平洋艦隊

15

SS、全地球的航法衛 グ中央設計局では北極 デル﹂を設計している。 北 極 圏の大 陸 棚や沿 岸 フ、エキスペルト誌︼

定められた北極海航路 ムをつくり、 航 海の安 に する 近 代 的 インフラ のグロナス︵GLONA

の基 地である同 港は物 北極海航路の軌跡

級 のバイ カ ル 湖 を 守 る

る、 透 明 度 が 世 界 最 大

政 府 は シ ベリ ア に あ

ロシアの北 極 海 沿 岸 水域の商船法を改正し 全確保、 砕氷船による を構築する。

は、 主として国 内 最 大

を通 過 する貨 物の輸 送

北欧と環太平洋地域

産・販売会社﹁ノバテク﹂

の独 立 系 天 然 ガス 生

年ま

プロ グ ラ ム を 採 択 し、 2 0 1 2 年から

でのバイカル湖の保護に バイカル湖は、ユネス

関する文書を承認した。 コ 登 録 の世 界 遺 産 で あ る に も か か わ ら ず、 湖 呼 び 起 こ し ている。 し

その具体的内容について

多くの廃棄物が蓄積し

170 ㌔㍍にわたって か も、 湖 に 流 れ 込 む 廃

然 資 源エコロジー相はロ

セルゲイ・ドンスコイ天

と 周 辺 の環 境 は 懸 念 を

% は 隣 接 する

とのインタビューで次の

棄 物の

パル プ 製 紙 コ ン ビ ナ ー

て い ま す。 二 つ 目 の 課

廃棄物の処理は?

トから排 出 されている。 シースカヤ・ガゼッタ紙 だ が、 当 局 は 雇 用 と 大

題 は、 現 在 の 悪 影 響 を 産業廃棄物処理場が   六つ建設される予定で ように述べた。

す。 バ イ カ ル・ パ ル プ

量 のパル プ 製 品 を も た

製紙コンビナートとジ

緩和すること。 ら すコ ンビ ナ ー ト の 閉

ダ ー・ コ ン ビ ナ ー ト の

72

費 用 の 半 分 以 上 は、 バ

イカル湖を汚染から守

るためです。

WWW.ROSHIANOW.JP

「バルネオ」は極地探検家、学 者、そして観光客のための北氷洋 唯一の避難所だ。大部分の人にとっ て 「バルネオ」は目的地ではなく、北 極点征服の前後に立ち寄る場所に すぎない。宿泊費用は、滞在期間 により1万∼3万ユーロ(約 100 ∼ 300 万円) 。トイレはマイナス 30 度 の屋外。  「バルネオ」には飛行機で行く。そ こから北極点へはスキー、犬ぞり、 パラシュート、ヘリコプターなどで、 各人各様にたどり着く。  「バルネオ」は毎年新たに設営さ れる。3月初めに北緯約 87 度の 地点と北極点のそばに小基地が設 けられる。そこへ燃料と共に探査グ ループが降下、大きくて頑丈な巨氷 盤を探し始める。

流の面でも地 域 経 済の

北極海航路を利用した

一社 が 奮 闘 している か

をつな ぐ 最 短 ル ー ト、 貨物輸送が急激な勢い

同 社の天 然 ガス・コ

らだ。

地方政府の方針は十分

で 発 展 し ている た め、

たタンカーが昨 年、 北

ンデンセー トを 積 載 し

白 海に面 し た アルハ

極海航路を何往復もし

に実現可能だ。 ンゲリスク市で8 月 中

た た め、 ム ルマンス ク 物輸送量や通過速度が 次 々 記 録を更 新 するこ クは、 バレンツ海 に 面

ととなった。ムルマンス する都 市で、 北 方 艦 隊 の基地がある。 ﹁ ノ バテ ク ﹂ の ヤマ

幼生からの成長を追う

す る こ と が で き ま す。

半 球の継 ぎ 目に位 置

この島は、 東 半 球と西

産 に 登 録 さ れ ている。

ラはユネスコの世 界 遺

果てしない北 極ツンド

ウランゲリ島 とその

世紀、 極北およ ウランゲリ島

ル ス ク の 記 念 碑 が あ か 4 月 が 見 頃 で あ る。

る。

びシベリ アにお け るロ 様々な分野で活用され 海 洋 生 物 学に興 味のあ きま す。 世 界 初の海 中 圏 の 境 界 線 上 に あ る。 夜には 祖 先の霊 がツン 方の最 北 部にロシア最 シアの主 要な前 進 基 地 ている。 る 人 た ちでチームを 組 ド ラへ狩 りに出て く る 北の港町ディクソンがあ 市 内 の 映 画 館 、 メ デ ィ カ ラ ー 写 真 撮 影 に 成 功 だった。 この5 年 間で学 者の むことを夢みている。 した 仏の海 洋 学 者 クス アや旅行社には﹃オーロ と 信 じてお り、 その光 る。 空 港から北 極 まで マガダン セ ミョー ノフさ ん は ことと 動 物の実 際の行 ブロ グのフォロワ ー は ﹁ 例 え ば、 自 分 の 研 ト ーの現 代 版 ができれ ラ﹄という名がついてい をヌゲル・ハルプ︵﹁死 は 2 時 間 のフ ラ イ ト。 後 に 大 き な モニ タ ーで 極 東のマガ ダンか ら 1 0 0 % 拡 大 してその ﹁ 水 中 で は 繁 殖 や 他 の 動 と が一致 し ない場 合 5 千人に達した。 白海 究 を 行 う 学 者 を 5 人 ば最高ですね﹂。 る。 市 外に出ると、 明 者たちの光﹂の意︶と呼 晴 天は年 間 日に満た ス博 物 館、 ダイヤモン キロほ ど離 れると空 ないが、 そ ん な 日に珍 ドの廃 坑。 極 夜の季 節

16

小 さ なエビあるいは 砂

15

海での5 年にわたる活動の後、 海洋生物に関する一般向け

30

ロ撮 影によって海 底の微 生 物の観 察を飛 躍させた。 寒 冷な

モスクワ国立大学生物学部出身の生物学者であるアレク

寒さは我慢  口笛は禁物

『アエロホ ード』 社のユーリー・シャ マーニン副社長に よれば、高さ 1 メー トル以下 の 障 害 物 を乗り越えられる3 トンと 10 トン の 2 つ のタイプ の エア クッション艇が建造 される。 後 者 は 約 30 人を載せて2.5 メートルの高波に耐 えることができる。

カスピ海の東側に位置するアラル 海はかつては世界で4番目の面積を 誇った。( 「アラル」はカザフ語で「島」 の意味) 。そこには、パミール高原の 融雪水を水源とする二つの大河、シ ルダリヤ川とアムダリヤ川が流れ込ん でいる。  1960 年代までアラル海は年間5万 トンもの魚を産出した。しかし、そ の 60 年代にソ連当局はアラル海の 消滅を予測しながらも、制服の服地 になる綿花の栽培などのために、二 つの河川の改造に着手した。  この綿花生産優先政策によってア ラル海は砂漠化を招いた。だが今、 アラル海の北部地域は、環境問題の 第一人者であるロシアの科学者ニコ ライ・アラジンの尽力によって再び 繁栄を取り戻しつつある。

20

バイカル湖を守れ

2タイプを建造

電子版でもっと読む

11

ル半 島の液 化 天 然 ガス

イ ン タ ビ ュ ー

水中マクロ撮影を駆使  バイカル湖は、私がこれま でに訪れた最も美しい場所の 一つです。もしかすると、『ア バター』の続編でいつかみなさ んにバイカル湖を想わせる風 景をご覧いただけるかもしれ ません。この映画のパート 2 では、私がバイカルの湖底に 潜ったときに目にしたザリガニ や軟体動物のお化けがパンド ラの水中世界にすむことになり そうです。 ニタリングシステムの

もっと読む www.roshianow.jp/ 14206

北極へは「バルネオ」 経由

アラル海の復興に望み

20

43

バイカル湖を初めて見たのは、 ペンザ発ウラジオストク行きの列 車で旅した時。海のようで、北部 と東西に広がる水面ばかりが見え た。それに比べてウラン・ウデは アジアの街という感じ。民族的に も多様で、昼食で食べた料理は 肉ばかりで油がきつかった。

映画『アバター』の ジェームズ・キャメロン監督 ガゼッタ紙︼

海のようなバイカル湖

感想

︻ タチアー ナ・ スモリ さ ら に は、 バ イ カ   ヤコワ、ロシースカヤ・ ル 自 然 区 域 の 環 境 モ 鎖 に 踏 み 切 るこ と がで きない。

GeoPhoto 撮影

49

20

20

36

が 開 業 す れ ば、 北 極

セルゲイ・ドンスコイ氏

80

82

旬開催された、 亜北極

2011 年の貨物輸送量

︵ L N G ︶・ プ ラ ン ト

電子版で読む

24

11

支 柱になる可 能 性があ

82 万 800トン

量が急 激に増 加したの

2011 年に北洋航路を航行した 商船。スエズ運河は 1 万 8000 隻。

る。

34 隻

と環太平洋諸国間の貨

サンクトペテルブルクからウラジ オストクまでの北洋航路の距離。 スエズ運河経由では 2 万 3000 キロメートル以上。

域・ 北 極 帯 商 工 会 議

1 万 4000km

ROSHIANOW.JP/14137

ROSHIANOW.JP/13519

98

水質浄化8年計画 天然資源エコロジー相

24

いつも潜ってる生物学者 数字あれこれ

特集面  4 2012年(平成24年)9月13日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA


ロシアのキ リス ト 教 の運 命を平 坦なものと きわ めて首 尾一貫 した

みなすことはできない。 教義の﹁純粋さ﹂の保持 方のキリスト 教よりも

を目 指しながらも、 西 はるかに世 俗の権 力に こびてきた。 欧州諸国の全歴史を 通 しても、 カ ト リック 教 会は、 正 教 会 がロシ アだけの歴 史を通して 行ったほど皇 帝を聖 列 に 加 え は し な かった。 そうした状 況は常に権 力を満足させ、 両制度 の間には極 めて矛 盾 す る関係が成立した。

主 教た ちは自 分の権 ク地 方では登 録されて 尽 きるのだ か ら。ロシ あらゆる政 治 団 体の禁 教 会の経 済は、 厳し

力 を 神に基 づくものと いる1 6 3の宗 教 団 体 アの政 治 はこれに劣 ら 止をもたらすような言 く言 えば闇の経 済であ 憲 法 によ れ ば、ロシ 規 則 はロシア正 教 会の

は正 教ではな ず批 判に値 する。 キリ 動の権利を有している。 る。 教 会の資 産 管 理の

権 力 を 下 か ら 見 上 げ、 く プロテスタント 系で スト 教 国として、 固 有

み な す一方で、 世 俗の のう ち その強 大さと可 能 性を あ る。 沿 海 地 方 で は、 のキリスト 教 的 価 値を アは多 民 族 国 家である 規 則で定 め られている れ ば、 そ う で は な い。 務 省に登 録 されていな

うらやんだりしていた。 プ ロ テ ス タ ン ト 系 が 許 しがたいほ どないが が、 総 主 教の考 えによ が、 正 教 会の規 則は法

教会が﹁国有化﹂され 民 主 党 がいくつもある 族 的 および宗 教 的マイ ロシアに は 今 2つの

世 界にはキリスト 教 総 主 教 は﹁ロシアは 民 いため、無いに等しい。

その結 果、 ソビエトの 1 7 8 なのに対して正 しろにしている。 重 圧が弱まると教 会は 教は である。 ステータスを 取 り 戻 そ ればされるほど、 ﹁新し が、ロシアでは 政 党 法 ノリティー を 伴 う 正 教 改革を断行する課題が

今 日、ロシアには 教 い正 教﹂の需 要が高ま が宗教的な属性を帯び 国である﹂と公言した。 ある。一つは、 正 教 会

うと躍起になった。

い る。 し か も、﹁ 政 党 の感 情 をは ずかしめた 現代的な人権のドクト

会 改 革という課 題があ り、 それは大きな未 来 た政 党の創 設を禁じて 刑 法には、 国 民が信 者 が 社 会 的 進 歩 お よ び 政治的な改革が国家 名における宗 教 的 利 益 責 任を追 及される条 項 リンを受 け容れるよ う

る。それは﹁プッシー・ を有しているようだ。 ライオット﹂によって提 起されたものではない。 機 構の解 体を想 定して 擁 護の目 的の反 映﹂ す はないが、 教 会 が是 認 な 改 革であ り、 も う一 正 教 は、﹁ オ ル タ ー ナ いると すれば、 宗 教の ら念 頭に置いた 非 常に している 現 状 において つは、ロシア 社 会 の多

いわゆる﹁クリエーティ 題がある。例えば、ナー たちをこき下ろすのは、 押しつけなしに自ら信

ニョーク誌抄訳︼

く水をあけられている。 抗できる新たな機 構や の結 果、 教 会は政 党で シー・ ライ オット 事 件 の 改 革 で あ る。︻ ア ガ

ティブな﹂修道会に大き 改 革は従 来のものに対 厳 しいものである。 そ は そ れ ら が あ り、 プッ 宗教性を考慮した政治

は一切ない。

第 四 に、ロシア 正 教

とを意味する。 宗教は国民一人ひと

私 は 世 俗 的で教 養

自 ら正 教 徒と名 乗る あ る 人 々 と み な し て

るよ う 呼 びかけた。 ベ 部に成り下がった。

ここで想 起 してお き ルジーロフは 集 会 参 加

ひどく憤っている。

第一に、プッシー・ラ られ、 警 察へ突 き 出 さ 往 々にして奇 異な印 象 いを 何 よ り も 憂 慮 し

常生活の宗教的側面の 彼を拘束しなかった。

第 三に、 リベラル 派 いことでは ない。 何 十 宗教はそっとしておい

第 二 に、 プッシ ー・ 拠 もな く、このう えな けられた無 神 論の時 代

︻﹁ 正 教 と 平 安 ﹂ 抄

家 や 定 職 を も た ない、 ライオットについても問 く下劣な言葉で正教徒 の後に、 人 々が余 計な 訳︼

ロシアの知 識 人、 実 業

不 思 議 なのは、 多 くの 国家によって行われた。 の知 識 人た ちが何の根 年 に も わ たって 植 えつ て。

それだけになおさら 増 幅に手を貸してきた

多 くの意 味でこれは 悪 あ、 互 い を 敬 お う。

度な圧 力を感じたこと こ十 年ほど私た ちの日 者た ち﹂ に制 止されて 聖 書 も 読 ん でい な い。 お 終 いに し よ う。 さ

生 活において教 会の過 でも 信 徒でもな く、こ ろを歩いていた﹁私服の 多くは教会へも行かず、 教 的 な ヒス テ リ ー は

な ものにせよ、 自 分の イオットの訴 追 は 教 会 れたが、 警 察は彼の後 を 残 し、 そ うした 人の てい る。 友 よ、 反 正

な ものにせよ、 政 治 的

て言 えば、 私は社 会 的 たい点がいくつかある。 者 によって 取 り 押 さ え 国民の信仰そのものも、 きたインテリ層の振舞

しかし、 公 平を期し

ている。

こうした現 状を憂 慮し 正 直 なところ、 それに 者らに警察隊を襲撃す に暮 し、 国 家 官 僚の一 すべきである。

している 政 治 家の私 も リーを起こしたことだ。 に跳 び乗 り、 デモ参 加 部は許し難いほど贅 沢 り、それはそのままに

する必要性を十分認識 て異 様 なほ どのヒステ のベルジーロフは車の上 会にも問 題がある。 幹 りの 私 的 な 事 柄 で あ

ゆる宗 教の平 等を主 張 ぐ り、 正 教 会 に 対 し 登 場した。 その際、 夫

家の世 俗 的 性 格とあら ライオットの事 件 を め モ行 進で政 治の舞 台に ジダウンにつながる。

極 めて世 俗 的で、 国 ブ・クラス﹂がプッシー・ ジャは2 0 0 7 年のデ インテリ 自 身のイメー 仰を探し求めているこ

生中継されている。

例 え ば、 ハバロフス ネットワー クの構 築に ありえないが、 事 実 上 がその証である。

パンクの反乱と宗教

プッシー・ライオット を め ぐ る一件 はロシア 社 会の宗 教 対 立を一気 にあ おった。 正 教 を 見 下 すモス クワのボヘミ アンたちの間では﹁社会 に介入している﹂として るのが 当 た り 前 になっ

ロシア正 教 会を非 難 す

確かにそうした介 入

ている。 は否 定できない。 国 内 では他 宗 教の権 利があ る程度抑制され、 学校 に正教教育を導入しよ う とし た り、 クリスマ スやパスハ︵復活大祭︶ の礼 拝の模 様が国 営テ レビ 局 によって 執 拗 に

の﹁文 民﹂ であるアナ シアの大 臣は官 僚 た ち

その道のプロであるロ

ト ー リ ー・ セ ル ジュコ の 手 先 と な り う る が、

例 と なっている。 全 く

アには﹁大 臣の馬 跳 び の辞 表 を 受 理 し一部 を

フ氏の国 防 相への登 用 省 庁 内 で 認 め ら れ た 新学期が始まった。ロ

世 紀 初 め の ロ シ した。つまり、 全 閣 僚

ゲーム﹂というフレーズ 留 任 させ一部 を 交 替 さ

シアの学校︵ 年制︶ の現 日 本では省 庁 内の人

機 会 だ。 現 状 は 5 段 階

状について思い出 す良い そのためである。

に受 けとめ られたのも ができる。

評 価でマイナスつきの3 といったところだ。

▲ロシア正 教 会の聖 堂 内でプーチン政 権 批 判のゲリラ演 奏をした女性パンクバンド﹁プッシー・ライオット﹂ のメンバー 3人は8月 日、モスクワ地区裁判所で禁錮2年の実刑判 決を言い渡された。この背景には政権とロシア正教会の癒着 に対しての人 々の不 満がある。この事 件と社 会のかかわり について識者2人に聞いた。

固定観念のワナ

クまでの交 通 費 は、 モ

掛 け持 ちしている清 掃

なのに対 して、 仕 事 を

自 分の専 門 外の職 業

員の給与はずっと高い。

で 稼いでる ということ

は、 その専 門 が 泣いて

いるということだ。

今 の 若 者 を 見 る と、

る。ロシアで は そのよ

ただ、 日 本の滞 在 費 うな若者が多く、日本

今のロシア 人 は、 名

前と父 称で呼 ばれると

日 本の給 与 水 準はと 年 老いた印 象があるた

呼 び方はほとん どの

の 月 収 は 約 5 0 0 0 ている。

万円︶ だか

使う。﹁アレクサンドル﹂

ロシアの教 授 の給 与 ﹁アレクサンドラ﹂なら

払いを 見 ること ができ 競 争 があることからそ い う こ と を 日 本 の 教 供の名 前を選 ぶこうし

日 本 までの渡 航 費は が 清 掃 員 よ り 安 い と ﹁サーシャ﹂と呼ぶ。子

ている。

き、ロシアより安くなっ べたら雲泥の差だ。

今は住宅と交通費を除 5 万5000 円︶と比 愛称形の﹁マーシャ﹂を

だと考えられてきたが、 ら、私の700ドル ︵約 人が﹁マリヤ﹂ではなく

日 本は物 価が高い国 ドル︵約

8万円︶ ほどだ。

月額1000ドル︵約 て も 高 く、 大 学 教 授 め、嫌がる傾向が目立っ

金 をしている。 年 金 は

誰 も が 老 後 の た め 貯 人もいるほどだ。

め、 年 金 は 多 く な く、 う理 由で渡 航 する日 本

国家にはなっていないた 滞 在 する 方 が 安いとい る。

日 本は北 欧ほど福 祉 休 暇を取るより欧 州に ないが、 そ れな りにい

ばならなくなっている。 はとても 高い。 日 本で にもロシアほ ど 多 くは

高 齢 世 代を支えなけれ

い世 代 が、 増 え続 ける 話だ。

て低 く、 減り続 ける若 りも 高いことは 有 名 な いるという 印 象 を 受 け

日 本の出 生 率は極 め スクワか ら日 本 までよ 深刻な幼児化が進んで

りすることができる。 。

実態とズレていても

固 定 観 念は生きて   いる。 固 定 観 念が崩れ

その国へ行 き、 実 際 ど

るのは、 多 くの人 々 が

かを見た場 合に限 られ

のよ うに生 活 している る。

ロシア人 は 物 価 がよ

り 安い国に行こうと す

は一握 り だ。 日 本に行

るため、 日 本に行 く人

くには、 そのロシア 人

が 極 東に住 んでいたと

しても多 くの金 が必 要 となる。

アルコールは 生 活 と

だ。ただ、何を飲むか、

は 切 り 離 せ ない部 分

どれ ぐ らい飲 む かとい うことだけだ。

金 曜 日の夜に電 車に る。 酔っ払 いは と て も れほ ど高 くなく、 安い 授 は 信 じること ができ た現 象の多くは、 際 限

乗ると、やっとリラック 好 意 的で、 飲んで抱 き シー ズンな ら6 0 0 ド な い。 私 の 基 本 給 が ない若 年 崇 拝と関 係し

げることだ。第二に、教 についてのお しゃべりは

給 料 と 社 会 的 地 位 を 上 だ。 第 四 に、 教 育 改 革

ロシア国 民にとって弱 点

体的努力、これは昔から

め るこ と だ。 責 任 と 主

校 ま か せの 先 入 観 を 改

ライナという一つの具体的

ロッパに位 置しているウク

ユーラシアではなく、ヨー

問 題 となっているのは、

が 主 な 課 題であ り、 ウ ク

ジェクトへ引き入れること

ウ ク ライ ナ を 統 合 プロ ︻イズベスチア紙抄訳︼

まずは学校から。

に追 わ れて近 隣 諸 国 どこ

U︶における深刻な危機は

ろではない欧 州 連 合︵ E

触 媒の役 目 を 果 た す。 そ

れ ゆ え、ロシアには、 競

争のハー ド ルを 下 げる ま

たとないチャンスが到来し

ていると言えよう。

ソ連 時 代 に 対 す る 熱 い

国は、 活 動 能 力と豊 富な

ユ ー ラシア 連 合 の 構 成

失 を 嘆 くが、 他の国 々 は

いない。ロシアは国力の喪

定 的には 受 け 止 め られて

共 和 国ではロシアほ ど 肯

想いは、 他の旧 連 邦 構 成

資 源 を 有 する カ ザフスタ

に、それもうなずける。

ンに当 分の間 限 ら れるこ

とい う 枠 組 に 別 のフォー

大 きな 市 場 と 潜 在 的に

マットを付与する。

多 角 的な経 済をそなえた

プロジェクトの作成者ら

伴って 破 壊 された 生 産 構

の拡 大 お よ びソ連 崩 壊に

的 な 構 想 で あ る。 市 場

のユー ラシア 連 合 は 実 用

的 具 現でもソ連の転 生で

ア連 合は、 大 草 原の政 治

い。 想 定 さ れるユー ラシ

を掲げても誰もついてこな

うな ものを 再 建 する 目 的

仮 にロシ ア が ソ 連 の よ

独立を喜んでいる。

とになろう。

はユーラシア圏、つまり中

造の再 生 が その目 的であ

誰 もが一目 置 く 本 格 的 な

央 アジアにはさほ ど 関 心

欧州連合のオルターナティ

もな く、 ほ んの少 し だ け

機構が現れる。

を寄せていないように思わ

合モデルをこの領域におい

り、

世 紀 後 半の欧 州 統

候補国︵キルギスやタジキ

当 面は域 内の問 題 処 理

て実現する手段である。

くの問 題 を もた ら す だ け

スタン︶は見返りよりも多

紙抄訳︼

ブである。︻ガゼッタ・ルー

れる。 経 済 的にみて加 盟

関 税 同 盟の発 展 として

ウ クライナが 加 盟 す れば

ライナの加 盟 は 関 税 同 盟

﹁グローバルな政治における ロシア﹂誌編集長 フョードル・ルキヤーノフ

ウクライナに秋波

大 人 しい日 本 人の酔っ 時は、一緒に抱き合った クワか らウラジオスト ︵ 約 5 万 5 0 0 0 円 ︶ ト・ルー誌抄訳︼

スできた、 楽 しそ うな 合っている。このような ルで往 復できる。 モス 2 万3 0 0 0ルーブル ていると考える。︻ポリ

今 後 の政 治 の主 要 テ ー

領職への復帰に際してウラ

マの一つとなるのは、 大 統

ジー ミ ル・ プー チン氏 に

よって打ち出されたユーラ

しかし、 大 統 領 選の選

シア連合である。

挙 綱 領として論 文 が発 表

月︶

1 年 も 経 たないう ちに概

されて︵2011年

念そのものが洗い流されて しまった感がある。

正確に言えば、 プロジェ

クトの作 成 者 自 身、 何 を

意味するか全く分かってい

ないために生じた一連の不

師 には 定 期 的 に、 職 能 やめて、 仕事に着手すべ

だったが、もはやそれを

国立高等経済学院・副アカデミック・ スーパーバイザー レフ・リュビーモフ

を 向 上 さ せ る よ う に 仕 き だ。 第 五 に、 学 校 の

改めるべきときだ。当然、

可解に基づいている。

向 けな ければな らない。 課外授業を復活させるべ

な国なのだ。 第三に、学校の管理職に きだ。

学校教育5つの課題

が あった。 専 制 君 主で せて 新 たに組 閣 を 行っ

社 会 層において否 定 的 に部 下 を 指 揮 すること

が軍 部や多 くの政 界や リーダーとして実 質 的

はその意 図 や理 由 がの

どちらの制 度にも そ 事異動と大臣・副大臣

次に生徒の親に対して ず職能を向上させるべき だ が、 教 育 に 関 す る 学

ついている人 々 も、 絶 え

20

そ れがよ くないとみ み込めない。

れ ぞ れ一長一短 が あ る の任 命との直 接 的な関

国家は何を改めるべき なのか。 第一に、 教 員の

のです。必ずしも「ロシアNOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。

である。 両 国の政 治 制 度に

係は薄く、 閣 僚の辞 任

第一に、 大 臣 が 新 しい は多 くの差 異が見 られ

な さ れ てい た 理 由 は、

と思われる。

政 治 家である日 本の によって 省 庁の日 常 業 大 臣は担 当 省 庁におい 務に支 障 がでることは

編集スタッフ

ポストに馴 染んで仕 事 る。 日 本の憲 法は例 外 の本 質 を 会 得 すること を認めながらも閣 僚は

本紙は8面ともロシア政府発行紙「ロシア新聞」により制作、発行されたもの で、文責は「ロシア新聞」が負っています。  本紙の記事は個人的に使用する場合を除き、その転載、転売、譲渡はすべて、 「ロシア新聞」の文書による許可なくしては禁じられています。記事や写真の利 用を希望される方は、下記の連絡先までお申し込み下さい。

ができないためであり、 国 会 議 員の中から任 命

れないとはいえ、 必 要 辞 任 はさま ざまなレベ びゲーム﹂は危険ではな 任 するのか? それは主 おおむね取るに足 らな

インフォグラフィック ガイア・ルッソ Gaia Russo、ナタリア・ミハイレンコ Natalia Mikhailenko、アントン・パーニン Anton Panin  写真 ダリア・コジレワDaria Kosyreva 広告 ユーリア・ゴーリコワ Julia Golikova

て官 僚の思 惑に左 右 さ ない。 ロシアの 大 臣 の

日 本の閣 僚は、 自 身 日 本の国 家 機 関の機 にお けるパー ト ナーの こ う し たファクタ ー は の職 責のみならず政 治

防 衛 といった 国 際 交 渉 るものだが、ロシアでは

な 知 識と経 験に乏 しい ルでの大 きな 人 事 異 動 い。しかし、外務、財務、 に野 党 からの批 判によ いものとみなしている。

能にとって﹁大臣の馬跳 頻繁な交替は好ましく 存 在 しない。 日 本の閣 的 責 任も肝に銘じるよ

ため、 プロフェッショナ をもたらすのが常だ。 ルな 面ではやはり官 僚

ロシア科学アカデミー東洋学研究所教授   アレクサンドル・メシェリャコフ

「ロシア新聞」の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する 特殊折り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています:  毎日新聞(日本) 、  中国ビジネスニュース(中国) 、  サウス・チャイナ・ モーニング・ポスト(中国・香港) 、  ザ・エコノミック・タイムス  (インド) 、 ザ・ワシントン・ポスト、  ザ・ニューヨーク・タイムス  (アメリカ) 、  ラナ シオン(アルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、  エル・オ ブザバドール(ウルグアイ) 、  デイリー・テレグラフ(イギリス) 、  フィガロ (フランス) 、南ドイツ新聞(ドイツ) 、  エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプッ ブリカ(イタリア) 、  ルソワール(ベルギー) 、  ドゥーマ(ブルガリア) 、ジ オポリティカ(セルビア) 、アクロポリス(ギリシャ)

第 二に、 大 臣の首が君 されることを 基 本 とし 主 という一人の人 間の ている。ロシアの法律で 政 権を混 同しないよ う

意 向です げ 替 えられて は反 対に、 立 法 権と行

に頼らざるをえない。

ない印 象を与え、 決 定 僚はな ぜ批 判 されるの う 努 めている。 社 会 が を 行 う プロセスの安 定 か? たいていは、 閣 僚 目 を 光 らせているた め 性に対 する疑 念を呼 び が その道に精 通 してい であり、 それは首 尾 よ

一方で、プロフェッショ

証である。

ないことによ る 失 言の く機能する民主主義の 露 日 交 渉 はロシア側 ためである。

起こすおそれがある。

ロシアの大 臣 は 物 言

ラブロフ外 相 が 担 当 し いに気をつけてはいるも ナルな 閣 僚 がもっと 多

か ら は 長 年 セ ル ゲイ・

ト ナーはた え ず 替 わっ 臣の椅 子を失 うケース ゲーム﹂ もかなり稀な

ているが、日本側のパー のの、 失 言 に よって 大 ければ﹁大 臣の馬 跳 び

E-mail: jp@rbth.ru  ホームページ: http://roshianow.jp 電話: +7 (495) 775 3114 ファックス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2011, ZAO «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.

いたからである。

現 在、 ロ シ ア で は、 閣 僚は国 会 議 員になれ 日 本では、 自 ら担 当

国 民に人 気がなくとも ない。 大 臣 が替 わることはま

れだが、 日 本では個 々 する省 庁の活 動 分 野で の閣 僚 については 言 う の一定の経 験 を そ な え びたび交 替 するのが特 されるが、 その省 庁 を

までもなく、 内 閣がた た政治家が大臣に任命 徴 となった。 2 0 0 6 実 質 的に取 り 仕 切って 年から首相が毎年交替 いるのは役人である。 ロ シ ア で は 反 対 に、 現職の野田佳彦首相 元 の 官 僚 を 含 む そ の

ワシーリー・モロジャコフ氏 (44)は歴史学者・政治学者。モ スクワ国立大学大学院博士課程 修了。専門は日露関係史。2009 年に 『後藤新平と日露関係史』 (藤 原書店)で第 21 回アジア・太平 洋賞大賞を受賞した。現在は拓 殖大学日本文化研究所教授を務 め、日本人論など論文多数。

40

ユージン・アボフ Eugene Abov アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya イリーナ・パブロワ Irina Pavlova 三瓶良一 飯島一孝

編集兼発行 編集デスク 編成担当 レイアウト サブ編集者 ゲスト編集者

アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa ブラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin

会長 社長 編集長

している。

政治学博士・ロシ ア科 学アカデミー 主任研究員

日本もロシアも 百聞は一見に・・ ・

本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、

96

頻 繁な大 臣 更 迭のこと や政 治に関 心のある人

省庁仕切るのはプロの役人

ある皇 帝の意 思による た。ロシアの政 治 学 者

日本的!閣僚すげ替え

10

メールのあて先は jp@rbth.ru です。 お気軽に日本語でメールしてください。

89

ワシーリー・ モロジャコフ

ユーラシア連合への招待

漫画による風刺などは、様々な意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたも

17

はま ず 見 られない。 日 現 象であったに違いな

お手紙をお寄せ下さい

11

日 本の閣 僚はなぜ辞 本の閣 僚の辞 任 原 因を い。

ている。

出典:レバダ・センター

経済学博士、ポスト工業化社会研究センター社長 ウラジスラフ・イノゼムツェフ 「民主的選択」党議長 ウラジーミル・ミーロフ

すでに2 度 内 閣を改 造 臣に任 命 されるのが慣

プッシー・ライオットのメンバー3人 に対する実刑判決に対して、ロシア人の 44%が裁判の公正さに賛意を示し、「分か らない」 (39%)を上回った。不公正さを主 張したのは 17%にとどまり、少数派だった。

弱点克服の時

政治と正教会の 改革が必要 反正教ヒステリーの 異様さ

は、 就 任 後の一年 間に 分 野のプロの人 間 が 大

公正な裁判と思いますか?

責任と主体性

20

DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA www.roshianow.jp

ロシア NOW

5 オピニオン 2012年(平成24年)9月13日(木)


とともに掛 けられ、 別

具 が グロテスクな 仮 面

細 棒 といった 中 国の武

から天井まで刀、戦斧、

部屋の壁の一つには床

ます﹂。彼はそう語り、効き目がないとみなされる方法で不治

とりでに広まった。﹁よそで助からない人 だけが私のもとに来

の通り育った。セルゲイ・ネチャーエフが黙っていても、噂はひ

父はこう答えた。﹁大丈夫。後継ぎが育つのじゃ﹂。そして、そ

ら炭を取り出して孫の掌に置いた。少年の父親は怒ったが、祖

幼少時、齢116のドンコサック出身の治療師の祖父は火か

に亘って続いた。

2 0 0 5 年 までの長 き

力は1 9 8 2 年から

取 り 組 み ま し た ﹂。 協

痛 を 和 らげる研 究に

た。 そこで 私 はこの激

モルス︵果汁入り清涼飲料︶はロシア古 来の飲み物の一つ。コケモモのモルスは 風邪に効き、渇きをいやし、食欲を高め る。 ブラックベリーのモルスは消化管の 働きを正常にし、強壮および鎮静作用を そなえている。ビルベリーのモルスは目 によく、子供の腹下しに効く。最もクラ シックなクランベリーのモルスは解熱作 用があり、活力や食欲を増進させる。

い篩で漉す。

の水を注いで沸騰させる。冷やす。

最も 「ロシア的な」 クランベリー

その様 子を彼 らの同 意 を 得 た うえで録 画 して て? 誰がそう易々と治

いま す。 な ぜで す かっ 療師を信じますか?﹂。 実 際、ロシアでは 治 療 師はペテン師 呼 ばわ りされそ うなほ ど疑い の 目 で 見 ら れ てい る。

のだ。 法 的にも道 義 的 る新たな患 者の目には

ています﹂とセルゲイは 終わりがない。

彼 女が誰であるかは 不明だ。 モスクワの国 立 ト レ チャコフ 美 術 館 で Y・ M・エフレイノフの 肖 像 画 を 監 視 する 中 年 の女 性が典 型 的である が、 その表 情は、 彼 女 が監視する絵画を見劣 りさせるほど人 生 経 験 と追憶を帯びている。 来館客は彼女が醸し 出 す素 朴でやさしい哀 愁に目を奪われる。 彼 女の表 情を﹁多く の女性がもつ表情です﹂ と語るのは、﹃ロシアの 美術館監視員たち﹄と ズによ りインター ネッ

いう 肖 像 写 真のシリー ト 上で大 評 判 となった 写 真 家 のアンディ・ フ 歳︶

すりこぎですりつぶす。

ティスに 調 和 す る かの

よ うで、 美 術 館の空 間

とはあまり連 想 される

囲気を出している。

こと が ないお 祝いの雰

多 数の外 国 人コラム

ニス ト ら が、 これ らの

女 性 は 気 む ず か し く、

ぶっき ら ぼ うであると

か ぎ 針 編 みのショー が、 その作 品の趣 を 醸 フェルメールの﹃真珠の 書いてきた。

か、 刑 務 所に入 れられ で き ず、 この 闘 いには

ら、 私 は すでにいない の力を証 明 することが

ま た 不 信 の 影 が 宿 る。 ﹁私はすべての患 者に にも。 治 療 後 の 容 態 を 訊 ね、 ﹁ 失 敗 は あった か で セルゲイは成 果を残 す すって? あった と し た ことによってし か 自 分

を切々と語る。

術をせずにマッサージで いに? 鞄 み たいに?﹂。 語る。正にその通りだ。 彼 のも とに やって く ヘルニ アを 治 し たこと これは責 任 ある仕 事 な

あるアメリカの実 業 家 か﹂との質問にセルゲイ は、 セルゲイが 脊 椎 手 はうろたえる。﹁何みた

義 的 に 捉 え てい ま す。 師 はたいてい自 分の腹 ありませんでした。 薬 かには﹂。 ントマンを続けた。 し て いるのです﹂。 その時、 神 経 外 科 研 草は神が創ったもので、 セル ゲイは、 今 最 も 骨、 筋 肉、 血 液、 リン 医 師 た ちとは瞬 時に を 明 かさないのです﹂。 究 所へ招 か れ た。﹁ そ 薬 草 を 信 じない者は神 大 事なのは医 学 教 育の パという 風 に。 何のお 理 解 が 見 い だ せ て も、 信 用 されない代 わりに かげですべてこれが働い 一般の人 々 と なると そ 信 用 もしないというわ こ で は 手 術 後 に ひ ど を 信 じ ない者で す。 後 改革であると語る。 い 痛 み が 残 り ま し た。 に人 々は不 完 全な頭 脳 ﹁ 医 師 には 東 洋 医 学 ているのでしょう? そ うはいかない。セルゲイ けだ。 薬 は 効 き ま せ ん で し で薬品を作りましたが、 の知 識 が必 要で、 それ れが分からずに医 師は は ビ デオ を 見 せる。ロ ﹁あなたは誰かに自分 シアの大 手 企 業 幹 部で の経 験 を 伝 えていま す

ンサンブルのダンサーた はどんな 人 か分 かりま これでは一つの病も治す がないと 無 数の過 ちを ど う やって 治 療で き ま セ ル ゲイ は こ う 語 る。 ちを 治 療 し、 それと並 す。 そ も そ もロシアに こと ができません。 急 繰 り 返 すでしょう。 西 しょう?医 師 は 非 客 観 ﹁ ペテ ン 師 は 別 の 職 業 年スタ は最 初は民 間 療 法しか 性から慢 性に変 えるほ 欧医学は人間を物質主 的な治療・手術を指示 です。 正にそ れで治 療

﹁ さっと 見 れ ば 治 療 師

互理解を見出している。

医 師 た ちとは 常 に相

が描かれた鍼術図と証

の壁には等 身 大の人 間

に試し、 抜 き方は台 湾

施されないからです﹂。 彼は1 9 8 0 年に

行 してさ らに

と呼ばれる病を治している。 ︻サーシャ・バズデンコワ︼

明書が掲げられている。 その一つには﹁民間治療 爆 発の巻 添えなどを経

師。セルゲイ・ネチャー のスタントマン、 落 馬、 エフ﹂と記されている。 セルゲイは俳 優 学 校

薬草、鍼 ︵はり︶ 、マッ 験した。 サー ジ、 軟 膏、これが セルゲイの主 な 治 療の で 最 初 の 師 と 出 会 い、 手 立 て だ。﹁ 私 の 本 職 その中 国 系の人 物から は 空 中 アクロバット ﹂。 鍼を教わる。 鍼は買 う セルゲイ・ネチャーエフ こ と がで き な かったの は 同い歳のロシア 人 な で、 ドイツ製の弦 を 買 ら真 似のできないよ う い、 その銀 鍍 金の鋼 を なあぐらを組んで微 笑 切って 鍼 を 作った。 効 らしい。

む。 いかにも セ ル ゲイ 果 を 調べるた めに自 分

徐 々に仕 事 仲 間の軽

﹁ サ ー カ スの 芸 人 た で覚えた。 ちは医 療とは無 縁でよ く骨 折しま すが、 逆の 業 師 た ちがやってくる と彼は続 ける。 サーカ 返 り を し く じっち まっ

ことが起こったのです﹂ よ う に な る。﹁ 2 回 宙

クシン グ を やっていた れな曲 芸 師た ちに鍼を

ス学 校に入るまではボ た! すると私はその哀 1 9 6 6 年、 セルゲイ 刺 すのです。でないと、 は肩を脱臼した同僚と ギ プスや 包 帯 というこ グ上で出会った。

いう 最 初の患 者とリン とになり、 何の治 療 も そ の 後、 乗 馬 競 技、 歴史映画 ︵ ﹃美徳の副官﹄ サー カスをやめ、 ボ リ ︵1 9 6 9 年︶ 、﹃ 赤い ショイ 劇 場 のア ー チス テント﹄︵1969 年︶ ト やモイ セ ーエフ・ ア

︵ロシアの古 称︶で初め と言 える。 植 物 中の活 性 化 物 質 の含 有 量 は、 その後、モスクワにロ 地 域の気 候、 土 壌、 そ

て創設された。

シアの医 療 と 薬 事 を一 の他 多 くのファクタ ー シベリ アや 極 東の山

括して担 当 する医 務 庁 に直接左右される。 が 創 設 さ れ、 ピョー ト

や 薬 園 が すべての大 都 風 邪 に 効 くハイマツが

ル1 世の治 世には薬 局 腹 に は、 リューマチ や 生 えている。 呼 吸 器 疾 ここ 十 年、 ロシ アで 患に効 くとされ、 素 晴

市に現れた。

リ ー ベル グ 氏︵

だ。   ﹁ 彼 女 ら が あ な たの ことを知らなかったら、 微 笑みかけてくれるこ 彼 は 付 け 加 え た。﹁ 微

と は あ り ま せ ん ﹂ と、 笑みは親 密 なものなの で す ﹂。 時 が たつにつ れ、 女 性た ちはフリー

2 水を 1 カップ注いで掻き混ぜ、目の細か

るよ うな 場 面 を 探 すの も う一人の監 視 員 は で触 れた 時に発 する怒 フ リ ー ベ ル グ は、 が面 白みの一つになって エル ミ ター ジュ美 術 館 りの声 以 上のものを 見

る美 術 品に閲 覧 者が手

し か し、 フリ ー ベル 耳 飾りの少 女﹄にとて ﹁ 監 視 員 の 女 性 と 美 も 似ていることも 彼 が グは彼 女たちが監 視 す

は、普段は気づかなかっ ルでズボンを覆い、とっ し出すと指摘する。

ベルグに気 を 許 すよ う 呼 ばれる監 視 員の写 真 になった。

1 クランベリーの実をミキサーにかけるか、

赤い口紅と束 髪 が特 徴 術 作 品 が 互いに似てく 教えてくれた。

し か し、 表 情 には一 た女性的な奇抜さも同 さに塗 りつけ た よ う な

美 術 館 所 蔵のレーピン

同 じ く ト レチャコフ だ。

定の真 剣さと長 年を通 時に示している。 じて獲 得した威 厳があ

クランベリー 500 グラム 砂糖  1 カップ 水  1.5 リットル

びている。

彼 女の目 立った 渦 巻

エル ミ タ ー ジュ美 術 を担当している。

年 老いた男 爵 夫 人に間 書 き 込 む ティー ンエイ 館所蔵の﹃ベロネーゼ作

ともいえる雰 囲 気を帯 像﹄の前に座る女性は、 ず 携 帯でメッセ ー ジを

守 ろ う と す る 監 視 員 を 担 当 す る 監 視 員 が、 リ ント 柄 のタイツはマ

今日、映画や本などによく出て くるロシアの文化・暮らしやロ シア全般についての外国人の判 で押したようなイメージもクラン ベリー(ロシア語で「クリューク ヴァ」 ) と呼ばれている。

写真を見る

www.roshianow.jp/ 38819

モス クワ 芸 術

座 の 俳 優 だ った ウ

ラ ジ ー ミ ル・ ポ

ポ フ︵ 1 8 8 9

∼ 1 9 6 8︶ が

年代にかけて発明

19 20 年代から

使用した約200個

の映画撮影者たちが

制作し、後に草創期

会 場ではポポフが

している。

手作りの音

す事態まで巻き起こ

し、見学者が逃げ出

1 0 0 デシベルに達

平 均 騒 音 レ ベル が

その結 果、一日の

れている。

いう企画展が開催さ

者に試してもらうと

館で復元させ、 来場

スクワ工業技術博物

した﹁擬音﹂装置をモ

50

作り方

時に ﹁美術館のバーブ 違 えられてもおかし く ジャーか ら 展 示 作 品 を の羊飼いの礼拝﹄の警備 き模 様のセーターとプ シカ﹂ ︵おばあさん︶と ないくらいだ。

余談

このベリーはロシアが原産で、ロ シアから商人たちがヨーロッパへ伝え たと言われている。中世にはクランベ リーはロシアの収入源の一つだった。  クランベリーはデザートとしても薬と しても用いられていた。学者らの研究 によれば、新鮮なクランベリーの実や 果汁はコレステロールの代謝を正常に し、血栓ができるのを防ぐ。冬にもモ ルスやジャムが作れるようにクランベ リーを冷凍保存することもよくある。

擬音を聞いて見る: www.roshianow.jp/38723

クランベリーのモルス

これらの肖 像 写 真は 作の﹃フォン・ヒルデン チュー インガ ム を 嚙 む くる﹂とフリーベルグは で﹃マティスによる静物 い出したのだ。 ︻ ノー ラ・ フィッツ 画﹄の前で作 品の警 備 真 剣ではあるが、 陰 気 ブラント 男 爵 夫 人の肖 子 供 や、 周 囲にかまわ 語る。   ジェラルド︼

る。

アドバイス

最大喫煙国で禁煙法案

材料

ビデオを見る www.roshianow.jp/38763

Photoexpress 撮影

「医師との散歩」とはモスクワ西部 のクルィラツコエ丘陵公園で休日ご とに行われている 30 分間の健康増 進アクションのこと。休日の早朝にも かかわらず、公園には「散歩」希望者 が、100 人以上集まった。  バクレフ記念心臓血管外科研究 センター長で、ロシアの心臓専門医 の重鎮であるレオ・ボケリア医師に よれば、休日の早朝に起きることは、 同氏自身にとってさえ偉業そのもの だとのこと。それでも同氏はもう 8 週連続で土曜日に、市民との散歩に 参加するため、公園に来ている。

3 クランベリーの果汁に砂糖を加え、残り

威厳と真剣さ 時に微笑み

ディ・フリーベルグ撮影

東洋医学を侮るなかれ を教えてくれた。

今 日、ロシア社 会で 邦 法 は一定の基 準 を 示 して人 間の健 康に有 益 センニンジン︶や蛇に咬 は、 民間療法の適法性 し、 今 後ロシアにお け な ものを すべて 自 然 か まれたときの応 急 処 置 や妥当性が頻繁に取り る民 間 療 法は国 家の医 ら得ていたのである。 上げられている。

私 た ちの祖 先 は、 民 療と対等に伝統的医療 世 紀には、 モスク 間 療 法に関 する新たな ワその他の都 市で比 較

民間療法が再評価

そうした治療法は無 とみなされる。 益であると言 う 人 もい 力 だとして信 用 しない

れば、 正 規の医 療は無 人もいる。問題は、人々 に民 間 療 法 についての

は、 徐 々に伝 統 医 療と らしい抗 炎 症 作 用を具 民 間 療 法の接 近が見 ら えている ウ ラル カ ンゾ れている。 医 師の多 く ウはウラル地 方でしか ロシア中 央 部には 抗

は様 々な治 療 法を組み お目にかかれない。 込 んでおり、 薬 剤 師 た

毛 管 増 強 といった 作 用

ちは植 物 療 法を取り入 菌、 抗 細 菌、 抗 炎 症、 れている。

ロシアで は、 薬 草 に を 具 えたオト ギリソウ とはいえ、 民 間 療 法

よる治 療は最 も普 及し が広く自生している。 ている民間療法である。

イ ンフルエン ザの 際 に は薬草に限らない。マッ はシナノキの花 弁 や キ サージ、バーニャ︵蒸し 、 鉱 物 療 法、 動 イチゴの果 実の浸 出 液 風 呂 ︶ を 飲 み、 扁 桃 炎の際に 物セラピーもある。 しかし、 あ らゆる治 出液でうがいをするか、 療には 賢 明 な アプロー

は 乾 し たコケモモの浸

搾 り たてのタマネ ギの チが求 められる。 見 か 液 汁 を一日に茶 さじ 数 けは何でもなさそ うな 草 木でも使 用 法を誤れ 地 域による 薬 草の種 ば と んで も ないことに

杯摂取するとよい。

類 や 処 方 の 多 様 性 は、 なる。︻ アナスタシア・

医師と散歩で健康増進

人を癒すことで神に奉仕 広 大 なロシアに特 徴 的 キスリャコワ︼

彼女は美術館のバーブシカ

キリール・ラグーツコ撮影

民間治療師

• 砂糖の代わりに蜂蜜でも よい。 • モ ルス はクラン ベリー、 チェリー、ラズベリー、ビ ルベリーなどのあらゆるベ リーをミックスさせたもの、 さらには柑橘類からも作る ことができる。

「モーセと瀕死の奴隷」 、 ミケ ラン ジェロ、 プー シキン西洋美術館=アン

25

世 紀 後 半 まで、ロ 知識を他民族からも取 的 広 範 な 薬 草の商いが

主流は薬草

もっと読む www.roshianow.jp/38637

個が紹介された。

の擬音装置のうち

忘 れ去 られていた

装置を復元すること

で、擬音が文化的な

現 象であることを示

し、芸術や日常生活

界に融 合させるとい

の音 楽である音の世

う企画展の目的は果

イト︼

い。︻エミリー・ホワ

デアの一部に す ぎな

所﹂ が伝 えたいアイ

グループ﹁音楽研究

た さ れ た。 こ れ は、

70

明 確な理 解が欠 けてい

法律で公認される

ロシア保健省が禁煙法案を作成し た。公共の場所での禁煙と、官庁・ 病院・カフェの「喫煙区域」廃止を規 定している。法案は秋に提出される。 ロシアは 2008 年に「たばこの規制に 関する世界保健機関(WHO)枠組条 約」 を批准し、10 年にはプーチン首相 (当時)が「反たばこ消費に関する政 府構想」に署名した。国際消費組合 会議理事長のドミトリー・ヤーニン 氏によれば、ロシアは世界最大の喫 煙国だという。ロシアの男性の 60%、 女性の約 22%が喫煙者であり、そ の大半(85%)は、20 歳未満でたば こ好きになったという。

1920 ∼ 50 年代の擬音を復元

54

16

セルゲイ・ ネチャーエフさん 日本語でメールして下さい。メールの先は jp.rbth.ru です。

成果あげて証明するのみ

る点にある。 シアの医 療 は 完 全に民 り入れた。 極 東に住む 発 展 し、 イワン雷 帝の 昨 年 末に採 択された 間 療 法 を 基 盤としてい 中国人は病気に効く森 治 世には 皇 帝 とその親 国 民の保 健に関 する連 た。 医者は自然を観察 の植物︵アヘン、チョウ 族のための薬局がルーシ

19

デザートにも薬にも良し 電子版でもっと読む

セルゲイは「健康な人は 治療して、病人は救わなく てはなりません」 と語る。  しかし、そんな患者は 少数で、そのままずるず るいってしまうことが多い。  ある時、チェチェンでの 公演の際、セルゲイは老 人の足を切断せずに、呪 文で治した。  「その後は結婚式や誕 生日に呼ばれっぱなしでし た。呪文を唱えて欲しいっ て」 と言って治療師は笑う。  刑務所の囚人たちを結 核から救ったこともある。  「人はみな神の創り給 いしもの。あなたもまた。 私は神の創造物を癒すこ とで神に仕えているので す」 。 取り上げてほしい話題やご意見をお寄せ下さい。お気軽に

患者からの不信の目には

文化・医療 6 2012年(平成24年)9月13日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA


ることになった。

締めくくりは 月

今 年、 モス クワのク 祝 賀 行 事 が 終 わる   レムリン博 物 館は特 別 のは 月 だ。 フランス

ロシアは今年、ナポレオンのロシア遠征︵祖国戦争︶から200周年を迎え、

な 観 光コースを 用 意 し 軍を祖 国の地から駆 逐

パ ノ ラ マ 館 開 館 か ら 官 クトゥー ゾフが 戦 わ 100 年、 そして、 同 ず してモスクワを ナ ポ

し か し、 ホ ー ル を 軍の馬 蹄の音と将 兵の の襲 撃︵

世 紀、 北 カ 顔をして、 黄 色の短 上 ンの服 装 も、 当 時のそ

進 ん で い く に し た が 会 話 に 移 り 変 わってい フカスでのムスリムとロ 着を着た胸 甲 騎 兵がい れを寸 分 違わず再 現し

の窓からは炎が噴 き出

する。 人 気のない家 々 マまではもうすぐだ。

争にお けるセバスト ー 勲 章を授 与された。こ

リ防 衛 戦︵クリミア戦 戦 後、 聖 ゲ オ ル ギ ー ようだ。

コマ︶ ﹂と﹁セバストーポ ライ・ ルイ ブスで、 会 そこに人 間 がいる かの

い、 光 景は急 激に変 化 く。 ここ か ら、 パノ ラ シア 帝 国 間の戦 争の一 る。これは 下 士 官 ニコ てお り、 まるで本 当に

し、 阿鼻叫喚と占領者 画家ラボーの大作

ラン・スフーシン撮影

英雄的に戦い続けた。

歴 史と伝 説﹂では、 戦

ジノの会 戦の1 0 0 年 画、将帥と二人の皇帝、 イ が 祖 国 戦 争 を 描 い

例 えば、 血 まみれの 与 えている。 パル チ ザ

8 月、 ロ シ ア 西 部 露 軍を追ったジュノー シア政府とフランス大

ノ 村 で 再 現 バト ル が り、間に合わなかった。 で 黙 祷 を 捧 げ た。 墓

ス モ レ ンス ク 州 ル ビ 将 軍 が 渡 河 に手 間 ど 使 館 の 代 表 が 墓 の 前

行 わ れ、 1 0 0 0 露 軍 は 仏 軍 との激 戦 には最近発見されたロ

ん な 事 件の連 鎖であ

実際には、戦争はいろ

ワの大 火でお し まい。

います。 それにモスク

ノの会戦に帰してしま

は、祖国戦争はボロジ

ロフ氏は﹁ロシア史で

動会長のオレグ・ソコ

全 ロシ ア 軍 事 史 運

の遺骨が葬られた。

ト ガ ルの兵 士 計

人 以 上 が 参 加 し た。 の 末、 ど う に か 脱 出 シア、フランス、 ポル

争﹂におけるルビノの

1812年の﹁祖国戦

戦い︵8月7日=グレ

ゴリオ暦 日︶だ。

1 8 1 2 年 6 月に

ロシアに侵入したナポ

レオンの﹁大陸軍﹂は、

焦 土 戦 術 を 展 開 しつ

つ退却するロシア軍を

追ってスモレンスクで

激突した。ナポレオン

り、ルビノの戦いは重

バルクライ・ド・トー に成功した。この戦い 要 な 役 割 を 果 た し た

は軍を二 手に分 けて、

︻ド ミトリー・ ライ

リ 指 揮 す る 露 軍 の 主 には 双 方 か ら 約 3 万 のです﹂と語った。

再現イベントの終了 チェフ、ロシースカヤ・

力 第 1 軍 を は さ み 撃 人が参加した。

ちにしようとした。

を指揮し、フランス軍に大打撃を与え

す。 ボロジノの会戦では第1 軍の右翼

が、 私の先祖はミロラドビッチ将軍で

私 は 現 在、 カ ナ ダに住 んでいま す

ミロラドビッチ 将軍の子孫

肖像画ないのが悔しい アンナ・ ミロラドビッチさん︵ ︶

ところが、南側から 後、 教 会 関 係 者 やロ ガゼッタ紙︼

の仕事に 年間従事しました。

易人民委員部︵省︶に勤め、貿易関係

設にや られま し た。 戦 後 は、 ソ連 貿

ら疎 開 させられ、 傷 痍 軍 人の収 容 施

独ソ戦の時期には、 私はモスクワか

成し、助けてやりました。

したい﹂と言い出した時には、父は賛

直系の先祖ですが︶ ﹁音楽サロンを主宰

出ませんでした。 娘のアンナが︵私の

家庭の ﹁戦線﹂ では、彼は決して攻勢に

良 き父 だったことを 知る人は少 ない。 たビャージマの戦い︵ 月3日︶ではロ

の通 り、 彼 は 野 心 家でし た が、 彼 が

はクトゥーゾフではありません。 周知

したのは娘たちだけでしたので、 苗字

クトゥーゾフ元帥の子供のうち成人

クトゥーゾフ元帥の子孫

キーラ・ヒトロボー= クロムスカヤさん︵

ソ連で役所勤め

博物館では祖国戦争の主 要な出来事を紹介する展示 が 行 わ れ て い る。 写 真 は す べてミュージアムの展示品 。 ︵ エレーナ・ポチョートワ撮影︶ 一番上の写真はボロジノの 戦いを再現したもの。 =ルス

ニュースサイト strana. などの資料による︼ ru

後 だ。 パノ ラマ画の全 皇族の肖像画のほかに、 た 名 作﹃ 戦 争 と 平 和 ﹄   パノラマ館﹃ボロ ジノの戦い﹄の営業 長は115 ㍍、 高さは 世紀初めの四肢切断 ︵ 1 9 1 2 年 に出 版 さ 時間は月、火、水、木、 れた ものが 展 示 されて ㍍ に 及 ぶ 。 の 器 具 な ど も 見 る こ と 土、日の午前 時∼ いる︶ 、サーベル、彫刻、 このパノ ラマは 今 回 ができる。 午 後 6 時 ま で。 木   曜日は午後8時まで の改修工事で修復され、 ま た、ロシア軍 総 司 将 帥たちの肖 像 画など ︵ 月∼3月︶ 、 午 ﹁ 情 報 キ オス ク﹂ を 備 令 官 クトゥー ゾフの製 が展示されている。 前 時∼午後9時ま え ることに なった。 各 図用具一式、煙草入れ、 ま た、 こ の 作 品 を で︵4月∼9月︶ 。金 情 報 キ オスクにあるモ 事 務 机なども展 示され 1968 年に映画化し 曜日は休日。土産店 た セル ゲイ・ ボ ンダル には1812年の祖 ニターで、 画 面のどん ている。 国戦争にちなんだ品 な 細 部 で も 拡 大 し て、 さらに、 リアルな 人 チュー ク 監 督 によ るシ   物が並んでおり、書 あ ら ゆ る 方 向 か ら 眺 形 の 軽 騎 兵 た ち と コ ナリ オ もここで実 際に 籍 や 学 術 資 料、 、往 め、 そこに 描 か れてい サックた ちが、 焚 き 火 見ることができる。 時をしのぶミニア チュアや絵葉書など る人 物に関 する説 明を を 囲 み、 フランスの少 ︻ ア フ ィ ー シ ャ 誌、 読むことができる。 年 鼓 手に食べ物 を 分 け を購入できる。

金曜除いて開館

彼の超 大 作が完 成し 音 が、 や がて、ロシア 当時既に、﹁アフリゴ村 特別展示﹁ボロジノの 闘 の 場 面 を 描 い た 陶   たのは 祖 国 戦 争 と ボロ 日の栄 誉﹂では、 戦 争 磁 器、 文 豪 ト ル ス ト

以 前 のモス クワにタイ ずっていく。 悲 鳴 と 騒 ラボ ーのものだ。 彼 は た。

博 物 館に入ると、 ナ ムスリップできる。

を決定した。

も展示 このパノラマ創作のア ポリ要塞の攻防戦︶ ﹂で の勲 章は真の勇 士の証 ﹁戦争と平和﹂ の哄 笑 が 聞こえる。 兵   モス クワのパノ ラマ 館に博 物 館が設けられ レオンに明 け 渡 すこと ポ レオ ンのロシア 遠 征 士たちが略奪品を引き イデアは画家フランツ・ 傑 出 した 仕 事 をしてい だ。彼は、兜を失ったが、 展 示 会 ﹁ 時 間 と 物、

モスクワのパノラマ館

﹁ボロジノの会戦﹂を体感

羽ばたいていく上で少なからぬ 役 割を果たした。 既に3 年 前から祖 国 戦 争

この歴史的大勝利を盛大に祝っている。この勝利はロシアが世界の大国として 200周年祝賀準備国家委員会が設けられ、メドベージェフ大統領︵当時︶が てお り、これ らの大 砲 し た とのツァー リの布 日、

委員長となった。様々な祝賀行事のために1億ドル︵約 億円︶が支出されて 2 0 0 年の

も 目の当 たりにするこ 告 が 出てか ら ちょう ど とができる。

いる。この秋、モスクワを訪れれば、多彩な観光プログラムに参加できる。 クレムリン内の﹁大聖 救世主大聖堂で勝利を 堂 広 場﹂では、 7 月に 記 念 するミサが行われ 館兼博物館﹁ボロジノの てから 年経つ。 最 もスペクタクルな 行 る。 同 日 夜、 ボ リショ 会戦﹂ は、 半年間にわ パノ ラマ館 が 位 置 し

事の一つが行われた。コ イ 劇 場 で、 祖 国 戦 争 たり全面改修され、 今 軍議があった場所

フランス軍の壊滅後、 軍 を 行ったのだ。 祖 国

様 々 な 資 料 を 総 合 す く。 万︵ 義 勇 日、ロシア軍

クワか らパリ までの行 締めくくられる。 れに伴い、 同 時 に三つ ている 正 にこの場 所 に   ︻ 歴 史 学 者、 問 題 分 の大きな記 念 祭を催し あった 農 家で1 8 1 2

戦が行われた。兵力は、 ま り、 墓 穴 を 掘ってい サックの騎 兵 隊 がモス 200 周年祝賀行事が 春に再び開館した。 そ

ナポレオンに勝利 第一次 世 界 大 戦にい ると、 露軍 ∼ アレクサンド ル1 世の 戦 争 を 戦ったコサック 析・国家運営計画セン ている 最 中 だ。 ナポレ 年 9 月

万。 双方共に、 数万 決 定で、 クレム リンに の子 孫た ちが、 当 時と ター・ 研 究 管 掌 主 任・ オンのロシア遠征︵祖国 の将 帥 が 集 まって軍 事

兵を含む︶対仏軍

露 軍の大 砲とが置かれ フランスを駆け抜けた。

勝 敗は判 然としないま と ボロジノで 使 わ れた ア、ベラルーシ、ドイツ、 シーニン︼

の 死 傷 者 を 出 し た が、 は戦 利 品の仏 軍の大 砲 同 種の馬 に乗 り、ロシ アレクサ ンド ル・ ベル 戦 争 ︶ か ら 2 0 0 年、 会議が開かれ、 総司令

今 年 8 月 初 め、

ま終わった。 3000 人以上が当時 の露 仏の軍 服 を ま とっ て、 壮 大な再 現バトル を 演 じた。 ナポレオン の本営も復元され、 ﹁ボ ロジノの会戦﹂ミュージ アムが、 新たな展 示 物 を加えて、 展 示 会を開 いた。

クレムリンも舞台に モス クワの クレム リ

19

たるまで、 祖 国 戦 争と

も 恐 れるに足 り ず、 ア

しまえば、 もはや英 国

ロシアを 衛 星 国にして

かる最後の障害だった。

野 望の途 上に立 ちはだ

覇、 そして世 界 制 覇の

はナポレオンの欧 州 制

で 決 せ ら れた。ロシア

と 民 族の運 命 が 戦 場

この時 期、 多 くの国

役だった。

は、 人類史上最大の戦

年の﹁諸国民の戦い﹂

それに続く1813 ∼

レキサンダー 大 王のよ うに、 アジア征 服 をも くろむこと も 可 能 だっ こうした事 件の重 要

た。 ン博物館も、 祝賀行事 に大いに貢献している。

日 までとど

命 じていたか らです﹂。

28

さから、 今 回の20 0 そ も そ も、 ク レ ム リンは、この戦 争の主 日

要 な 舞 台 で も あった。 1812年9月

るロシア 軍 がモス クワ

に、 ク トゥー ゾフ率い を放棄した後、 翌 にナ ポ レオンは クレム リンに入城する。彼は、 自 らの和 平 提 案にアレ クサンドル1 世 が応 え

ら、 冬 支 度 もせ ずにこ

るのを 空 し く待 ちなが こに

一帯が戦勝メモリアル

フランス国籍の年金生活 アンドレイ・ムーシン= プーシキンさん︵ ︶

イワン・ムーシン=プーシキン少将 の子孫

エルミタージュ美 術 館には祖 国 戦

争の英雄たちのギャラリーがあるんで

すが、 そこには私の先 祖の肖 像 画が

人の

なくて、くやしい思いをしています。 だって、 祖 国 戦 争には全 部で

もう一つの激戦場

周 年 記 念 祝 賀 行 事の 規模と内容が自ずと決 まった。

﹁ボロジノ﹂ を再現 祝賀行事は数か月間 続 き、 そのなかでも要 となったのは、ボロジノ モスクワ西 方 1 0 0

の会戦の再現だ。 ㌔のところに位 置 する ボロジノ村 周 辺の平 原 で、 200 年前の9 月 7日、露仏両軍が激突 し、 凄惨きわまる大会

モスクワ州 西 部のモ イ1 世のための野 営 用 ま た、 宮 殿 の 周 辺

ジャイス ク 市 か ら ボロ 宮殿もその一つだ。 ジノの平 原 まで、 街 道 が通っている。スモレン では発 掘 が行 われてお

修復作業でボロジノ 通い コンド ラ チェフ 氏 はこ カ ル レ ン・ う締めくくった。 ハチャトリャンさん︵ コサックのコルパコフの子孫

僕 の 先 祖 2 人、 アンド レイ・ コ 1812年の英雄です。彼らはウラ

ル パ コ フ と 息 子 の ピョ ー ト ル は ル・コサックで、1814 年にはそ ろってパリに入城したのです。

ムーシン=プーシキンが参加している

以前私は米国の大手科学企業の営

ね。

以 前、フランス人は、 俺た ちはロシ

ルビノの戦い

85

ス ク 街 道、 す な わ ち、 り、 その結 果は、 予 想 1 8 1 2 年にロシア軍 通 りでは あった が、 や が後 退し、 それから攻 はり衝撃的だった。 勢に転じた、あの道だ。   現 在、 伝 説のボロジ 大規模な発掘作業

今回の大規模な発掘 明した。住居、かまど、 ゴリ・コンドラチェフ氏 こには記 念 碑は数 多 く コンドラチェフ氏によ 独ソ戦の舞台にも   地 表 近 くで、 も う一 のおかげで、 決 して明 陶 器、 矢じりなどが見 はこう 語 り、 次のよ う 建てられましたが、 兵 ると、 どの辺 りを 探せ   士 の 埋 葬 場 所 は 未 だ ばよいか見当はついてい つの戦 争、 独ソ戦に際 に続けた。

に見つかっていません。 て、 そ ういう 場 所は土 して、 19 41 年に掘 ﹁ ボロジノの平 原 は、

ボロジノの発 掘 は 公 るみに出 な かった よ う つかっている。

我 々は、 2 軒の焼 失し 地が陥 没して草 木が生 られた塹 壕と地 中の小 ﹁この種のメモリアル た 家の地 下に、 そ うし い 茂っている。 陥 没 し 屋が見つかった。

注 目 さ れ た 発 見 は その全 体が183 0 年 共同墓地の可能性

ンが盛んに作 業し、 新 式に﹁保護﹂される。こ なことも分かった。

ノ村の近くでは、クレー

たな 展 示 センターの建 れはつま り、 今 後の建

設 が 進 んでいる。 ボロ 設 と、 その結 果 として ﹁キリストとシーザー﹂ 代に戦 勝メモリアルと

僕はヨーロッパの多 くの国を訪れ

ド イツ 軍 の 退 却 後 周 年に建 の文 化 遺 産の喪 失の可 の時代に属するものだ。 なった ので す。 こ れ は では、 景 観のほかに戦 た共 同 墓 地を見つけま た所に樹齢100 年以   世 紀に失われ 能 性に対して先 手を打 ここに鉄 器 時 代 初 期の ヨーロッパ最初のケース 死 者の墓 がなければな した。 最 初の考 古 学 的 上の菩 提 樹 が 生 えてい も、 その中に人 々が住 墓 地である可 能 性が高 戦 士の遺 骨 も 見つかっ

を踏みましたけど。というのは、そ

ノでは、 僕の足は一応フランスの地

業部長を務めていましたが、 今は年

ア人に負 けたんじゃない、 冬 将 軍に

金生活者です。国籍はフランスです。 行っていて、 修 復 作 業に参 加してい

んです。 ボロジノには

その周りの地面はフランスの所有な

こにはフランスの記 念 碑 が あって、

た。彼の﹁墓﹂には、爆 いという。

﹁こ れ ら の 名 も な き 弾の破片以外に、 青銅   英雄たちが、 200 年 器 時 代の矢 じりが見つ にわ たって 忘 れ 去 ら れ かった。 数 千 年 を 隔て

歳の頃から ていたことは奇 妙です。 た 歴 史のペー ジの奇 妙

やられたんだ、と言うのが常でした。 ます。 ︻ ア ン ト ン・ ア ガ ル

共 同 墓 地は臨 時のもの な混交だ。 と さ れ、 皇 帝 は、﹃ 別

ボロジノの英雄の子孫たち       に指 令 があるまで﹄ 、 コフ、 ニュー ス サイ ト

47

15

50

13

ロシアに侵攻 したナポレオン 軍 約 60 万 人 の うち、生き残っ たのは約6万人 に過ぎなかった。

わけですから、わが先祖はそれなり

ジノの会 戦

19

19

戦場となった ボロジノの平原 では戦闘中に毎 時 約 2500 人 が 死亡した計算に なる。

1日

の貢 献をしていると思 うんですけど

もっと読む www.roshianow.jp/38493

10 10

25

数字あれこれ

会がありません。 もっとも、 ボロジ

2013 年、モスクワ郊外の森 に誰でもエコ観光や野外活動 ができるレジャー・ゾーンが 5 か所開設される。  モスクワ州自然保護協会のオ リガ・バラバノワ調整役による と、勝手に作られた「シャシリク (バーベキュー)・ゾーン」が森 の中に数千か所もあるという。  勝手に森の奥深くまで入って、 ゴミも大量に捨てていく人が絶 たない。「シャシリク・ゾーン」 がこれ以上未開の森に増えると、 その領域は部分的に死滅してし まう可能性もあるという。

てられ

17

12

12

12

ましたが、フランスにはまだ行く機

モスクワ郊外の森を守れ

10

それぞれの「今」

15

集 落 があったこと が 判 で す ﹂。 考 古 学 者 イ ー り ません。 しかし、こ 発見です﹂。

写真を見る www.roshianow.jp/38547

25

ウラジオストクから中国国境 に 向 かう幹 線 道 路 A189 号 線 を進むと、多くの島や海水浴場、 美しい湾、絶壁などの沿海地方 南部特有の自然美が目の前に 開けてくる。ガモフ半島地区だ。  半島の先端・ガモフ岬では、 東に日本、南に朝鮮半島、西に ロシア最南端の島であるフルゲ リム島のパノラマが望める。岬 には帝政時代に建てられた築 100 年以上になるロシア最南の 灯台、第 1 灯台がある。  周辺は複雑な海底起伏をなし、 海岸ぎりぎりまで海深が 20 ∼ 40 メートルなど、独自の特徴が ある。透明な日本海には豊富な 水中生物が生息している。日本 海を潜水した外国人はこの地域 を「ランド・オブ・ジャイアンツ (巨人の土地) 」 と呼んだ。

44

200 周年の高揚感

れば1 8 1 2 年の共 同 んでいた。 2 人の無 名

絶景パノラマ、ガモフ岬

ク誌︼

︻セルゲイ・メーリニコフ、アガニョー

未だに彼の肖像画はないんですよ。

ないのでしょう。ソ連は崩壊したのに、

リーにも、 ボロジノにも彼の肖像画は

スクワの﹁ポクロンナヤの丘﹂のギャラ

殺されたのです。 多 分そのせいで、モ

際、 元 老 院 広 場でカホフスキ ーに射

ク総督だった彼はデカブリストの乱の

し か し、 1 8 2 5 年 にペテル ブル

に対して伯爵の位を授けられました。

ンス軍を追撃し、パリに入城した軍功

シア軍を指揮しました。そして、フラ

11

69

14

14

15

6 万人 3500 頭

﹂︼ strana.ru

44

ボロジノ

2500 人

フランス 軍 の 撤 退 後、  ボロジノの会戦 戦場に野ざらしになって は1日で終わった いた戦死者を埋葬するた (朝 5 時 頃 から夕 め農民が雇われた。その 方まで) 。1日の戦 日給は 50 コペイカだった。 闘としては死傷者 これは軍の下級将校の給 数が極めて大きい。 与に相当する。それと、ウ オッカ 2 チャルカ(約 246 ミリ)が提供された。当時 の物価と比べると、首都サ  様々な資料を総 ンクトペテルブルクの並み 合すると、両軍の のアパートは1ルーブル強、 死傷者数は8万人 ウオッカ1ベドロー(= 12. から 10 万5千人。 3 リットル)は 15 コペイカ 3500 頭 の 馬 も 失 だった。 われた。

50 コペイカ WWW.ROSHIANOW.JP

遺 骨を収 集 するように ﹁

10

20

てし まった 皇 帝 ニコラ つものだ。

電子版でもっと読む

11

16

18

14

80

10

激戦の舞台

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ロシア NOW 2012年(平成24年)9月13日(木)

7 旅行


人 た ち は 好 奇 心 の強

けだと信じていた。軍

りし た 鬼 才 世 代の最

年 代 初 めに 映 画 界 入

フスキーは、1960

アンド レイ・ タルコ

時 間 気 装 置 が あ り、 2 基 タ ルコフス キ ー は

手、 無 線 通 信 士、 暗 た 食 料 で 1 か 月 間 自

電 信 技 手、 電 話 交 換 シェルターに備 蓄され

の映画を撮影すること

画と1 本の記 録 映 画 ︶

劇映画、1本の短篇映

を 通 じて一篇の映 画 を う ちモスクワへ配 給 さ

の時﹄ が撮影された。 タルコフスキーが母 国 で どのよ うに 受 け 止 め ら れ てい た か を 物 語るエピソードには 事 欠 か ない。 例 え ば、 1 9 8 0 年に封 切 ら

理想を求めて

たの人 生にどんな 意 味 ﹁それはフルシチョフの ポ ー ラ ン ド の ク シ が あ る の か を。 な ぜ、﹃雪 解け﹄ が進むのか

ニで﹃ 国 際 タルコフス

8 月 末、 リ ャ ザ ー

=全て

撮影 AFP/East News

ソ連で高い評価を得ながら も、 亡 命 を 余 儀 な く さ れ たタルコフスキー監督︵写 真左︶ 。右上は﹁鏡﹂ 、右下 は﹁ストーカー﹂の一場面。

いか けと 共に現 れたの

です﹂と語る。

監 督 本 人 は﹁この映

画︵﹃惑星ソラリス﹄︶に

屈 さ や 純 粋 さの問 題

よって、 私 は 精 神の不

察といった一見モラルと

が、 たとえば宇 宙の洞

れつつ、 私 た ちの全 存

は無 縁の分 野にさえ現

在 を 貫いていること を

立証したかった﹂と述べ

ている。

月、がん

タ ルコフス キ ー は

1986 年

で亡 くなり、 パリ近 郊

のサント・ジュヌビエー

ブ・ デ・ ボワの墓 地に

葬られた。墓碑には﹁天

使を見た人﹂ という文

字が刻まれている。

︻マリヤ・ ファジェー

エワ︼

に 立って お り、 遠 ざ か

だが、 カメラは壁 際

﹃ ス ト ー カ ー﹄ の一 所を探そう﹂。

影された。

シーンは発 電 所 内で撮

フィル ム を 現 像 して り よ う が な かった。 そ

み た とこ ろ、 ショット こで、 監 督 自 ら脚 本 家

なかった。 構 想 自 体 が ルと美 術 担 当のド ミト

に全く緊 張が感じられ のエブゲニー・ツィムバ

間違っていると判断し、 リ ー・ ベル ゼニシビリ

撮影技師を替えて撮り とともに壁に穴 を 開 け

直 したが、 うまくいか 始めた。

だ が、 2 日 がかりの

レンズをより広 角 な 涙 ぐましい努 力 も空し

なかった。

ものに替 えても、 タル く、 タルコフスキ ー は

コフスキ ーはやはり 満 シーンの出 来 栄 えに納

足せずに、こう言った。 得できな かった。 最 終

﹁ そ う か。 焦 点 距 離 を 的 に、 そのシー ンのた

延 ばせばいいん だ。 遠 めの専 用 撮 影 セット が

www.roshianow.jp/ 14257

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ざかりながら撮れる場 造られた。

園だった。1970年、 や納屋を造った。

ここで、彼は、 ﹃鏡﹄、 る。 現 在、 その家には

は機 会 があればミャス ジア﹄や﹃サクリファイ 家﹄が創設される計画

買った。タルコフスキー 執 筆 し た。﹃ ノス タ ル のタルコーフスキ イの

人はそこに小さな家を ソラリス﹄のシナリオを れを基に、﹃ミャスノエ

ス キ ー と ラ リ ー サ 夫 ﹃ス ト ー カ ー﹄ 、﹃ 惑 星 私設博物館があり、そ

アンド レイ・ タルコフ

する郷 愁に貫かれてい

キ ーにとって地 上の楽 ︵ ロシ ア 式 蒸 し 風 呂 ︶ ザ ー ニ 地 方 の 村 に 対

年 タルコフスキー監督

れた映画﹃ストーカー﹄ は 全 部で1 9 6 本の コピーが作 られ、 その

生誕

させられるよ う特 別に設 計 されたの

キ ー・ セ ン タ ー﹄ の アンド レイ・ タルコフ

フォー ラ ム が 催 さ れ、

を博物館にする計画に

スキーが住んでいた家

ガゼッタ紙、エレーナ・

ノエを 訪 れ、 バーニャ ス﹄といった作品はリャ である。 ︻ロシースカヤ・

シュレーポワ︼

編集長にお便りを

sales@rbth.ru

jp@rbth.ru

一見したところ、これは何の変哲もない2階建ての普通のアパート

に あ る のは 部 門 別 図

い人の質 問には、ここ

都心に核シェルター

ての向こうには高さ9㍍、厚さ6㍍の鉄製キューポラ︵円蓋︶が隠れ も輝 かしい旗 手の一人

だ。 だが、この建 物の扉も窓も本 物ではない。 煉 瓦 づくりの2 階 建 ている。モスクワ中心部のコテーリニチェスキー横町にあるこの建物。 書 館 だ と 答 える よ う

実は米国の核攻撃から人々を守るために建設された核シェルターだ。

冷戦時に1000個 だった。 20 1 2 年は

︻エレーナ・コソワ、ロシア通信︼

今から 年前に作られたこの建物に皆さんをご招待しよう。

周 年にあ たる。

スターリンが生 きてい ジュさ れていた か だ。 灯され、朝には消され 命令されていたいた。

秋、 日 本ではタルコフ

それにちなんで、この

㎡のスペースに長距離 サンドロフ氏は言う。

生誕

し を して 職 場 に 送 ら

核シェルターは地 下 た 1 9 5 1 年。 完 成 実 際、 普 通 の 家 の た﹂と、 冷戦ミュージ 特 殊 施 設に派 遣 さ   メートルの深さにあ はスターリンの死 後の 土 台 の 下 の7 0 0 0 アムの案内人、アレク れる 専 門 家 ら は 目 隠 り、高さは 階建ての 1956年だった。 映画祭が行われる。

スキ ー 生 誕

この 施 設 は 体 制で機 能 していた。 の掘 削 井 戸さえある。 ﹁7 ﹂本︵7本の長篇

号 係 な ど 6 0 0 人 が 給生活できた。

撮り続けていた。 人間 れたのは 3 本のみ だっ

交代で勤務していた。 この建物に、 それだ 学者向けにドキュメン

についての、 真 実の追 たが、 最 初の数 か月で

ができた。 だが、 生涯

けの人間を一度に出入 タリー映画﹁冷戦﹂が

映写ホールでは、見

りさせることは考えら 上映される。スクリー

探求についての映画だ。 を観た。

求 についての、 理 想の 200 万人がその作品 イ タリ アへ映 画の撮

軍服姿の人間を一定の サキの原爆、セミパラ

われ、 市 民がその は 核 シェル タ ー と です。 重要な国家機

第三次大戦は起

関、指導者の邸宅、 です。

が、 モス クワほ ど

そしてクレム リン こり ませんでし た

、 鉄 についての 全 く K G B の 建 物、 信じられない事 実

の地 下に秘 密の駅

自らに緊張を課すこだわり

少年時代︵邦題 僕の グエッラと 共 同で脚 本 アメリカ訪 問を回 想し が定められているかを。 の分岐点でした。この 村は戦場だった︶ ﹄であ を手がけた﹃ノスタルジ た。 若いアメリカ人 が これを 解 き 明 かしてみ 転換期に、自らへの問 ア﹄ は政 治とは無 縁の タルコフスキーに﹁幸福 ることです﹂。

モスクワ国 立 映 画 博

星ソラリス﹄ 、 ﹃鏡﹄ 、 ﹃ス は帰 国を求 めたが、 タ と、 こう答えた。 ﹁まず、 マン館 長 は タルコフス

イ・ ルブリョフ﹄、﹃ 惑 疑いをもたれた。ソ連 いいですか﹂とたずねる 物 館のナウム・ クレイ

そ の 後、﹃ ア ン ド レ 作 品 だった が、 やはり になるにはどう すれば

る。

際 映 画 祭 で 金 獅 子 賞 コフスキ ー は もは やロ シュトフ・ザヌッシ監督 こ の 世 に 現 れ た か を。 滞るのかという、この を受 賞した﹃イワンの シアへは戻 らなかった。 は タルコフスキ ー との あなたにはどんな 役 割 国の歴史における一種

ビュー 作 はベネ チア国 影に招 かれると、 タル

ソ連での監 督 デ

れ な かった。 だ か ら、 ンにはヒロシマ、 ナガ 間隔で3 人ずつ建物に チンスク実験場などの

下 鉄 が、 第 三 次

お か げでドイツ軍

本を書 き始 めて

化しました。

世 界 大 戦 後の人

類 に つ い て の 私 の空 襲から身を守 ピア小 説﹃メトロ でした。

の ア ン チ ユ ー ト ること ができ たの いた時、 私は地 下 第 二 次 大 戦 後も

地下鉄は形式上は を知りました。

が 造 ら れ て お り、 黙 示 録に備 えてい

と なったのは 偶 然

市 民のた めの地

トンネル網で結 ば る都 市はないよ う

輸 送 網 で し た が、

実 際には地 球 上で 下 鉄のほかに、 政

ではありません。

2033﹄の舞台

作の長篇記録映画﹃旅

ト ー カ ー﹄ 、 そ して 亡 ルコフスキーは拒否し、 何のた めにあなたがこ キ ー が 1 9 6 2 年 と Metro   核戦争後のモスクワ2033年。 命 を 余 儀 な く さ れ て 裏切り者の烙印を捺さ の世に生 きている かを いう 絶 好の時 機に監 督 2033︵上︶ 生き残った人々は地下鉄の駅に暮 らしている。しかし、そこも安全 からさらに3つの作品、 れた。 考 えることです。 あな として登 場 したとして ではない。そこで主人公アルチョ ﹃ ノス タル ジア ﹄、﹃ サ ムの長い旅が始まる。アルチョム クリファイス﹄、トニー は駅を、いや、メトロ全体を、人 ノ・ グエッラと 共 同 制 類を救うことができるのか。

Metro   2033年のモスクワ地下鉄は 悪魔的な世界。アルチョムの冒険 2033︵下︶ もテンポアップする。人類と、精 神攻撃能力を持つモンスター﹃黒 き者︵チョルヌィ︶ ﹄との戦いの結末 は悲劇となるか、それとも希望に 満ちたエンディングとなるか。

十 年ほど前、 歳の 説の全 章 をインター れ、 十 万を超える部 数 います﹂。 べての小 説 が 補 完 し 合 が、﹁メトロ・ユニバー ゲ ー ムの中 だ けで あっ 憂 慮の念 を 呼 び起こせ 国 際 ジャー ナ リ ス ト、 ネット 上に掲 載 し、 心 で何度か版を重ねた。 読者は地下鉄を舞台 います。ジャンルは問い ス﹂がコンピュータや卓 ても、 ポスト 黙 示 録 的 れば す ば らしいと 考 え

に翻 訳され、 米 国、 イ ンド、 キュー バ、 イ タ リア、 日 本の作 家 もポ スト 核 世 界の発 展に応 分の貢 献を果たそうと

モ ス ク ワ の 地 に防 空 壕として使 スクワの地 下 鉄 駅

ド ミー ト リー・ グルホ お き な く ジャー ナ リズ グ ル ホ フ ス キ ー は にしたこの冒 険 譚の続 ません。 共 通 するのは 上のゲームの形 をとる テ ーマへの大 き な 関 心 るからだ。 ︻アリョー   フスキーが2 0 1 3 年 ムの仕事を続けていた。 告 白 す る。﹁ 今 の 私 が 編を望み、 ほどなくそ セッティングなのです﹂ こ と に 反 対 で は な い。 が人 類の運 命に対 する ナ・トベリーチナ︼

ネットが育てた長編

彼 が 立 ち 上 げたこの あ るのは インタ ー ネッ れが執 筆された。 3 年 と説明する。 の核 戦 争で生 き 延 び た 人 々 についての摩 訶 小 説のサイトは徐 々に ト の お か げ で す。﹃ メ 前、 グルホフスキ ーは 地 下 鉄をめぐる長 篇 不 思 議な冒 険 譚を綴っ 人気を博した。数年後、 トロ2 0 3 3﹄に限 ら ﹁ メ トロ 2 0 3 3・ ユ 小 説はすでに の言 語 た。 し か し、 出 版 社 は、 主 人 公 が 非 業の死 を 遂 げて 続 編の可 能 性 を 奪って し まった 結 末

が 気に入 ら ず、この新 また原 稿に向かい、 大 ず、 私 のすべての長 篇 ニ バー ス﹂ とい う プロ している。﹁私たちには

年記念

ゼル自 家 発 電 機 や 換

れた。ここにはディー

後、 機 密 解 除 さ れて 2トンある特製扉で密

トイレと勘違い

航 空 隊 を 統 率 する 司 核 シェルターで一番

冷 戦 時 代、 第 三 次 2トンの特殊扉 世 界 大 戦 に 備 えて 周 到 に 準 備 さ れ、 旧 ソ も ろ い と こ ろ は 入 口 連 領 内 に約 1 0 0 0 だ。そのため放射能の いよう設計された。放

個の核シェルターが建 チリひとつ入り込めな 設された。 モスクワのタガンカ 射能だけでなく、強力 地区にある、この ﹁シェ な 攻 撃 も 怖 れ る 必 要 ルター ﹂は冷戦終焉 がないよう、 それぞれ 冷 戦 ミュー ジ ア ム に 閉されていた。 なった 唯一の核 シェル ミュージアムを訪れ   る来館者が最初に驚く ターだ。

米軍攻撃への対抗措

置としての核弾頭ミサ

コ テ ー リ ニ チェス イルの発 射シミュレー

の 生 活 だ と 錯 覚 さ れ キ ー 横 町 に 住 む 人 た ションも見 学コースに る よ う に 作 ら れ てい ち は、 建 物 に 入 る 人 欠かせない見どころの た。ここは毎晩明りが たちをトイレに行くだ 一つである。

かった。 すべて、 本 物

﹁気 づけるは ずもな 行った。

このシェルターの建 のは、 シェルター がい 令 所 があることな ど、 入 れ た。 同 じ や り 方 シーンが次々に映し出 設 が開 始 されたのは、 かに高度にカムフラー 誰も思いもよらなかっ で、 非番になった人間 される。 がシェルターから出て た。

ビルと同じだ。

18

進 気 鋭の幻 想 作 家のデ 幅に手を加え、 再び出 小 説は特 別なサウンド ジェク ト を ス タ ー ト さ 全 世 界を席 捲 するとい

地下鉄は第二次

今 は 町 で あ る ミャ

ついて話し合われた。

住居を博物館に

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「プッシー・ライオット」に対し、

80

権エリー トのた め れていました。 第

チャイコフスキー作曲 オペラ 「王女 イオランタ」 露日音楽家合同公演

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モスクワの女性パンクグループ

42

24

最 大の防 空 壕でし

9月17日(月・祝) 千葉県東総文化会館  9月19日(水) 町田市・鶴川中学校  9月20日(木) 町田市・小山中学校  9月21日(金) 創価学園 池田講堂

スノエ村 は タルコフス

名古屋で毎年開催されている「世 界コスプレサミット」に、今年初め てロシアが参加した。日本の文化ビ ジネス・センター「ジャパンハウス」 が企画したコスプレ予選「日の出」の 優勝者が、ロシア代表として参加し、 「機動天使エンジェリックレイヤー」 のアテナと鈴原萩子に扮した。  「ロシア NOW」はロシア代表者に インタビューし、大会の印象や今後 の計画、コスプレ初心者へのアドバ イスなどについて聞いた。

大戦前に建設が開

ロシア天才少年少女育成 コンサート

な気がします。   ︻ドミートリー・

シェーンベルグと並ぶ20世紀最大の作曲 家であるストラビンスキーは印象主義、バー バリズム、新古典主義、ジャズ、セリー音楽、 12倍抜法など現代音楽のあらゆる抜法を 次々と取り込み作風を変化させていく。なか でもデイアギレフ・バレエ団のために作曲した 「火の鳥」 「ペトルーシカ」 「春の際典」の三 大バレエ曲は有名。

12

8月号の3面APEC特集のトップ記 事中、「サミット開催に伴う建設目的で連 邦予算から投入される資金 6793 億ルー ブル(約 17 億円) 」は円換算で約2兆円 の誤りでした。

ドミトリー・グルホフスキー著、小賀明子訳、 小学館、刊行 : 2011年。

グルホフスキー︼

写真を見る www.roshianow.jp/38711

80

65

ビュー 作 刊 行に難 色 を 版 社の門を叩いた。 す ト ラックや 独 自の絵 画 せ た。 そのコンセ プト う 野 心 が あ り ま す!﹂

カルチャー カレンダー

三 次 大 戦 時にソ連

ロシアのコスプレイヤー

16度

でに多 数の潜 在 的 読 者 ギャラリ ー とと もにサ は 様 々 な 作 家 が 同 じ一 と笑いながら語る。

もっと読む www.roshianow.jp/arts/books

始 さ れ ま し た が、 た。 そして核 兵 器 の秘 密の地 下 鉄 も

電子版でもっと読む

第二次世界大戦中の 空襲警報時にモスクワの 地下鉄へ避難した人の数。

初期の「師匠た ちと弟子たち」 、晩 年の「地図にない 町で」 、「ヴェルリ オーカ」と幻想文学 だけが邦訳されて い た ベ ニアミン・ カヴェーリン(1902 ∼ 89)だが、代表作の「二人のキャ プテン」が突然、姿を現した。  北極海で消息を絶ったタターリノ フ船長。少年サーニャは、遭難の 黒幕が校長のニコライであることを 知る。真相解明の試みは挫折する が、成長したサーニャは北極海の 対独戦に参加し、そして……。  第2次世界大戦中に発表された 社会主義リアリズム文学だから、 ファ ンタスティックな要素を期待しては いけない。だが、ここに記されてい るのはやはり、夢を信じる不屈の心 である。当時のソ連で憧れの的だっ た飛行機や極地探検が扱われてい るのも、文化史的に興味深い。 (岩本和久・稚内北星学園大学教授)

駅は戦 争により常 の出 現 とともにモ 建 設 されていたの の指導者らを避難

ストラビンスキー生誕130周年記念 コンサート 10月4日(木) 銀座・王子ホール

示した。

刊行 : 2012 年 ヴェニアミン・カヴェーリン著、 入谷郷訳、郁朋社

生きている意味を問う

名作生まれたミャスノエ村

=キリール・ラグツコ撮影

「普通の建物」の地下に  モスクワのタガンカ地区にあり、現在博物館 となっている 「シェルター 42」の内部。冷戦時に 600 人が勤務し、部隊司令所も設置されていた。

シェルター内の年間平 均気温。地下水のため、 湿度も一年中高い。

冷戦後は 博物館 核戦争後の 2033 年何が起きる

舞台はモスクワ地下鉄

銀座で音楽祭

35

彼 は 商 業 ベースに乗

9月26日(水)午後7時開演 (6時30分開場) 高崎シテイギャラリー・コアホール (JR高崎駅西口より徒歩10分)

13

そこで、 グル ホ フス が存在していた。﹃メト イトにアップされ、いつ つの世 界 を 描 くという

9月23日(日)午後4時開演 (3時30分開場) 東京文化会館小ホール (JR上野駅公園口前)

43 万 5000 人

60

65 メートル

キ ー は 自 分 の 長 篇 小 ロ20 3 3﹄は出 版さ でも 閲 覧 可 能 となって 至って簡 単なもの。﹁す ること を 欲 していない

ロシア人歌手はボリショイ劇場など一流 劇場からの選抜ソリスト  日本人歌手はロシアの歌に実績のある実 力歌手

22

80

あらすじ  南フランスの谷間。道に迷った騎士ボデモ ンは禁断の地、レネ王の城に迷い込み、美し い王女イオランタに出会った。ふたりは心を 惹かれあう。別れ際にボデモンが、記念に赤 いバラをくださいと求めると、イオランタは 白いバラを手折って差し出した。 「赤ってな んのこと?」色を知らない。目が見えないの だ!ボデモンの心に憐れみがわきあがる。明 るい光の世界を見せてあげたいとボデモン は切に願う。レネ王の命令で盲目であること をしらされずに育ったイオランタははたして 光の世界を見ることができるだろうか。

この深さの場所にタガ ンカの地下待避壕がある (18 階建てビルの高さ) 。 地下待避壕は 1954 年に 建 設され た。 広さは 約 7000 平方メートル。

二人のキャプテン

½

総合監督 アナトーリー・ワシーリエフ 音楽監督 アレクセイ・トカレフ 演出   森山 太

数字あれこれ

話題の本

文化 8 2012年(平成24年)9月13日(木)

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