GettyImages/Fotobank 撮影
3面
日本語案内付き
バレエの殿堂
家﹂ を建設する計画を 立てている。絵本﹁ワニ
﹁ チェブラシカの家 ﹂ のゲー ナとその仲 間 た がモスクワにでき そ う ち﹂ をモチーフにした だ。 博物館と遊歩道が ソ連 人 形 アニメの傑 作 作られ、チェブラシカ・ キャラクター を 集 めた グッズな どのお 土 産 も 家で、 日 本 人 観 光 客の
モスクワ市 東 行 政 管
いる。
販 売される見 込みであ 誘 致 に期 待 が か かって モスクワ市 政 府は市
る。
8面
存し過ぎではない か。 地 下
れるべきなのか。ロシアの政
の問題について資源政策の 専門家が見解を述べた。
目。 初 演 は 1 8 7 7
と は な く、 厳 密 な 時
話 のよ う な 三 角 関 係
年。 舞 台 は 古 代 イ ン はどこにでもある。 貧 ド だ が、 プティパは一 し い 娘 と 若 い 優 秀 な 度もこの国を訪れたこ 軍 人のペア。 そして将
場の日本公演が 月、3 年ぶりに行われる。 今回の演目は 世紀の 名振付師プティパによる﹁白鳥の湖﹂から文豪トルストイの名作﹁アン ナ・カレーニナ﹂に至るまで幅広い。公演を率いるのは劇場の芸術監 督で指揮者のワレリー・ゲルギエフだ。これを機に、マリインスキー 劇場についてご紹介しよう。︻アンナ・ゴルデエワ、4面に関連記事︼
指揮はゲルギエフ ﹁プティバの家﹂ とも呼
マリインスキ ー 劇 場 ばれている。プティパは、
振付師プティパ
ぶ存在だ。
今 回 の公 演 はマリ
﹁白鳥の湖﹂
軍の娘。インド版﹁ア 衝撃的である。 イーダ﹂といったとこ 目 くる め く 極 彩 色
ウ ス・ プ ティパと レ
ろだ。 の ダンスに 観 客 の 意
識も朦朧としてくる。 フ・ イ ワノ フに よ る 振 付 にコ ンス タ ンチ
﹁アンナ・カレーニナ﹂ ン・ セ ル ゲ ーエフ が 文 豪 ト ルス ト イの 改変を施したもので、 長 編 小 説 を も と に、 1950 年以来上演 されている。 最 後 の第 4 幕 では
197 1 年、 作曲家 ロジオン・シチェドリ
白 鳥 た ち だ けでな
現 在、 モ ス ク ワ 市 建設費用はまだ算出さ アメリ カでは 質の高
く、 黒 鳥 た ちも踊る
力を及ぼした。
ろん、この部 門の監 督
本 領 を 発 揮 するのは のユーリー・ファチェー
「ロシアNOW」 電子版でお勧め
れ る よ う に な る の は、
いる。 同 時に新 作 も ど
1 9 5 7 年 以 来、 バ ん欲に取り入れている。
イ ン ス キ ー で 上 演 さ した。
のレパー ト リ ー がマリ どの名 プリマを 世に出 幹に据 えて踊 り続 けて
だ が、 ディア ギ レフ リ ー ナ・コルバコワな クラシック・バレエを根
なった。
の芸 術 史を彩る事 件と を 編み出 してから。 ガ 今 日に至るまで、マ リ ー ナ・ ウ ラノワ、 イ リインスキーはロシア・
力が結 集されて、 世 界 法︵ワガノワ・メソッド︶ が︶ 。
ど各 分 野の天 才た ちの 教 師になり、 独 自の方 エフと 協 議 しな が ら だ
舞 踏 家ニジンスキーな
ンスキー、 画家ピカソ、 恵まれなかった。
公 演は作 曲 家ストラビ な どの陰に隠 れあ まり 針 を 決 めている︵ も ち
﹁バレエ・リュッス﹂の ルダ・クシェシンスカヤ ず、バレエについても方
コライ二世︶の愛人マチ して、 オペラのみ な ら
事故に遭った日本人の父親が ロシアの交通警察に感謝の手紙
ガ ノ ワ︵ 1 8 7 9 ∼ も一時代を画した。
ワ、エカ テ リ ー ナ・ コ
師 ア グ リ ッ ピ ナ・ ワ ルゲーエフのデュエット ナ、ディアナ・ビシニョー
ヒロイ ンのアンナ は リ ア・ ドゥジンス カ ヤ 偉 大 な バ レ エ 教 とコンス タンチ ン・ セ ウリヤ ー ナ・ロパト キ
ている。教え子のナター ナ・カレーニナ﹂だ。
1 9 9 0 年 代 以 降のこ レエ・アカデミー ︵学校︶ ゲルギエフが日 本 公 はワガノワの名 を 冠 し 演で特に推奨する﹁アン とである。
アンナ役はトリプル ンが バレエ音 楽 を 作 曲した。
今 回 の 振 付 は、 のだが、これもプティ 2 0 0 4 年にアレク パの 考 えに よ る。 王 子はヒロインのオデッ
れて し まった。 黒 鳥
が デ ンマー ク 王 室 バ トに愛を誓いながら、
セイ・ラトマンスキー
ロシア人女性のエカチェリーナ・メグリンスカ ヤさん(20 歳、沿ボルガ地方出身)が 10 月、日 本の沖縄県那覇市で行われた「ミス・インター ナショナル」コンクールで「ミス・タレント」を受 賞した。優勝は日本人の初受賞となり、25 歳の 吉松育美さんが選ばれた。 「ミス・インターナショ ナル」は世界にある3つのミス・コンの 1 つで、 1960 年から行われている。【タス通信】
レエの委 嘱 で 考 案 し 悪 魔 と その娘に欺 か ワガノワ時代 たもの。
ラ ト マンス キ ー の は オ デット の 悲 し み フィナ ー レの 振 付 は のシンボルなのだ。
バレエ団 はフ ラ ンス プティパがロシアにやっ たく基盤を作った。
リインスキー 劇 場 を 直 接 牛 耳 ろ う と し た が、 ﹁ バ レ エ・ リ ュ ッ うまくいかず、ダンサー
人 振 付 師 マ リ ウ ス・ て来たのは1 8 4 7 年 プティパ︵ 1 8 1 8 ∼ のこと。 1 8 6 9 年に 興行師ディアギレフ 1910︶の作品を大 マリインスキ ー 劇 場の
切にしており、 劇 場は バレエ監督に就任して、 ス ﹂ を 主 宰 し た 興 行 の引 き抜 きなどで影 響
世紀初 宰 したのは 霧 島エリ子 続 し た が、 ナ ジェジダ 念館﹄には﹁日本バレエ
パブロワ姉妹と日本バレエ 月初め、
ト 製 造 業 者 に とって、
ロシ ア は チョコ レ ー
鎌倉の﹃旧パブロワ記 トが掲げられている。
頭に日 本 バレエ界に大 と 改 名 した 姉エリアナ の死亡で閉鎖となった。 発祥の地﹂というプレー きな足跡を残した亡命 ︵ 1 9 3 7 年 に日 本 に
年を記念 ると、 母 親 ナタリアと
パブロワ︵ 1 9 0 5 ∼ 年にエリアナが 死 去 す
ロシア人のナジェジダ・ 帰化︶だった。1941 ︶の没後
億㌦と見
し か し、 ナ ジェジ ダ 有 望 な 成 長 市 場の一つ
する写真展が鎌倉で催 ナジェジダが継いだ。 された。
1927 年、 鎌倉の は19 23 年の関 東 大 で、 現 在
地 にエリ ア ナ と ナ ジェ 震 災で足に重 傷 を 負っ 積 もられている市 場は ジダのパブロワ 姉 妹 に ていた。 学 校は門 下 生 2016 年までに %
ISの消費者部門責任
K P M Gロシア& C
よって 日 本 初 のバレエ や友 人た ちに支 えられ 成長するという。 学校が創設された。 主 て1 9 6 2 年 秋まで存
者のゲオルギ ー・ パタ
㌶ の テ ー マ パ ー 伸 び ている こ と か ら、
クワ市観光委員会も積 カの家﹂はキャラクター 興 味 深いものになるで ランド と も 言 える。こ 質の高い製 品の需 要が 極 的 に 賛 同 し ている。 に関 連 する展 示 品がた しょう。 日 本 で は チェ の
チェブ ラシカの 作 者 で くさん集 められた大 き ブラシカが大 変な人 気 ク に か か る 総 費 用 は 手 作 りチョコレー ト 製 作 家のエド アルド・ ウ な 建 物となる。 内 部の に なっていま す。 面 白 1 億6 0 0 0ルーブル 造 業 者 の 事 業 は 今 後 スペンス キ ー さ ん はこ 案 内 はロシア語、 英 語 い場 所 を 作って誘 致 し ︵ 約 4 億 円 ︶ 以 上。一 活 発になると思われま 小 径に1 ㌶ 以 上の土 地 示される。
︻イズベスチヤ紙・ナ
イワノフ報 道 官 はこ 政 府 は、 市 内 西 部 に れていない。 う話す。﹁モスクワの住 位 置 するモスクワ川 公
欧米の場合は
の建 物 と チェブラシカ だけでなく日 本 語 も表 ない手はありません﹂。 方、チェブラシカの家の す﹂と語る。 が配 分されるよう希 望
コ ンや ワ サ ビ といった
東 行 政 管 区のアンド 人 にとって も、 他 の地 園 に﹁ お と ぎ 話 の 森 ﹂ タ ー リ ア・コル チマレ い割 安 な 製 品 や、 ベー
している。
社会
シチェド リ ンが 妻 のた
お墨 付きだ。 彼 女の夫
イ ヤ・ プリセツカ ヤの
1 9 5 1︶の時 代がこ ンダウロワが 交 代で演 の殿 堂 としてモスクワ ︵ラ・バヤデール︶など じる。 のボ リショイ 劇 場 と 並 ロシア・ バレエが 世 界 師 セ ル ゲ イ・ デ ィ ア れに続 く。 彼 女は傑 出 ゲルギエフ芸術監督 の 名 作 を 上 演 し た 。 3 人とも、 現代最高 バレエダンサーだった に誇る 芸 術 としてはば ギ レ フ︵ 1 8 7 2 ∼ したダンサーだったが、 現 在はワレリー・ ゲ 1 9 2 9︶は初 め、マ ニコライ皇太子︵後のニ ルギエフが 芸 術 監 督 と の プリマと 言 わ れるマ
ロシアのバレエとオペラ 森の美女﹂ 、﹁バヤデルカ﹂
︵ 1 7 8 3 年 開 設 ︶ は ﹁ 白 鳥 の 湖 ﹂、﹁ 眠 れる
教育
る。 この構 想 にはモス によると、﹁チェブラシ て も、 こ の 博 物 館 は はロシア 版 ディズニ ー ラヤ氏は﹁より高 額で
作 曲 家 イ ー ゴ リ・ ス ト ラビンスキーがセルゲイ・ ディアギレフが率いる﹁バ レエ・リュス﹂のために作 曲したバレエ音楽、 ﹁春の 祭典﹂ の場面 =タス通信撮影
短信
公演3作品の見どころ
豊 富な石 油・ 天 然ガスに依
︵ラ・バヤデール︶ 代 考 証 を 求 めて も 意 日 本 公 演 初 日 の 演 味がない。 実際、この
﹁バヤデルカ﹂
資源大国ロシアは自国内の
ロシア・バレエの殿堂、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇
マリインスキー劇場
「構成主義」建築 革命後の高揚伝える
レイ・ イワノフ報 道 官 域 か ら 訪 れる 人 にとっ を 建 設 している。これ ク、4面に続く︼
﹁シチェドリンは、 リ
めにこの作品を書いた。
ムスキ ー =コルサコフ
に匹 敵 する天 才 だ。
世 紀 に は そ の 作 品 を、
今 は シチェド リ ンの 作
品 を 上 演 するというわ
けです﹂。こうゲルギエ
26
アントン・ウニツィン、ロシア通信撮影
いではないか?⋮
日 前 に降
のに比べれば、とるに足らな
世界がわれわれにもたらすも
しかし、これとて、初雪の
厳寒にとってかわられる。
初雪の魅惑はまもなく氷雨、
詩の世界のことで、現実には、
もちろん、これはみな抒情
生の回帰を表している。
雪 を 通 して、 永 遠の運 動 と
二 人 の詩 人 はいず れ も 初
と地が一つになる。
では 神 々 と 人 間 が 集い、 天
イメージで描いた。この祭り
︵﹁雪﹂︶ 大學は雪を﹁冬の祭典﹂の
祭 ぞ酣︵たけなわ︶なる!﹄
/ 空 な る 神 の殿 堂 に / 冬 の
﹃ 雪 はふる! 雪 はふる! / 見 よ か し、 天 の 祭 な り!
は瞑想的な響きがある。
一方、堀口大學の描く雪に
を生にもたらすものだ。
界にあっては、 雪とはカオス
ルナークはこう歌う。彼の世
知られる詩人ボリス・パステ
長編﹁ドクトル・ジバゴ﹂ で
1957年︶
曲 がり 角で﹄︵﹁ 雪 が 降 る﹂、
/ 草 木 が驚 く/ 十 字 路の
り 混 じる / 歩 道 が 白 く な る
﹃ 雪 が 降 る、 す べて が 入
ると言われている。
に冬 が 到 来 する
だ。 昔 か ら、 初 雪 は 本 格 的
これはいつでも一つの事 件
が舞った。
月 日、モスクワに初雪
10
はまだ重 要な要 因とは してしまうという。
オ ジンツォフス カ ヤ
一方で、 世 界 最 大の 不況でもチョコ
なっていない。
%、 添 加 物
刺激するのです﹂。
を買 お うという意 欲を
手 作 り チョコレー ト
向上していることから、 今 後 増 えるだろう、 と
ころ大 きな 街でしか開
﹁不況だなんだと言っ 業 さ れ てい ま せ ん が、
心 理 学 的 調 査による プレゼ ント を 贈 り 合っ ンコ、 R B C デイリー
レートが7%となった。 家 に お 客 に 行った り、 ︻アレクセイ・クジメ
守って製造されたチョコ 続 け ら れていて、 人の うになるでしょう﹂。
7%、 生態学的基準を ま すが、 生 活は普 通に のよ うな 店 が現 れるよ
な しのチョコレ ー ト が て国 民 は 脅 かされてい 徐 々に小さな町でもそ
製 品の
チョコレー ト が 新 しい ると考えている。
は、 ベジタリ アン向 け レートの消 費が拡 大 す る。﹁ロシアでは今のと
2 0 1 1 年の市 場で 今 後 2 年 ほ どでチョコ コル クノフ 氏 は みてい
てきている。
り 気 を 使 う よ うになっ は、ロシア 人の生 活 が ば ないものの、 消 費 が
造業者が健康問題によ ド レイ・コル クノフ氏 のチョコレ ー ト には 及
る西ヨーロッパでは、製 製 菓工 場の創 設 者 アン について は、 他 の 種 類
チョコレー ト 市 場であ
れていて 質の高い製 品
のチョコレー ト 市 場 で れて、ついつい手を伸ば コレー トのよ うに、 優
る。 健康食志向は米国 が ら、 おいしさに引 か て、 そ れ が う ちのチョ
する安 定した需 要があ が体に悪いと承 知 しな を 生 き たいと 願ってい
変 わった 味の製 品に対 う 人 は、 チョコレー ト は 明 日 で は な く 今 日
フは語る。
ロシア将校の卵たち
と、 チョコレー ト を 買 た りしていま す。 国 民 紙抄訳︼
WWW.ROSHIANOW.JP
6面
ロシア発祥のサンボ これぞ格闘技 武道スクール盛況
3年ぶり日本公演
Distributed with The Mainichi Shimbun
内 東 部のコシンスキ ー 区によると、 2 0 1 3
もっと読む www.roshianow.jp/39293
読者の皆様、「ロシアNOW」 へようこそ。 同紙はロシアを紹介する日本語版の毎日新聞への折り込みです 。7月、1月を除く毎月第2木曜日に発行さ れます。「ロシアNOW」チームの目標はロシア発の興味ある記事をお届けし、ロシア理解の一助になることに あります。 2007 年以来、ロシア最大の日刊紙ロシースカヤ・ガゼッタ(ロシア新聞)は世界の主要新聞に折り込まれる月 刊付録を制作してきました。ロシアは現在、政治から文化に至るまで変化の過程にあります。日本語版ウェブサ イト roshianow.jp は追加の記事や多様なコンテンツが毎日更新されます。ご意見・ご感想をお待ちしております。
ロシア人女性が日本開催の大会で 「ミス・タレント」を受賞
公演日程
ペンザ地方ザレチヌイの第 226 学校 の士官候補生クラス1Aの生徒、 イワン・ ゾトゥキン ( 左 )。士官候補生は主に 8 ∼ 15 歳の少年たちで、陸軍士官学校 を経て、将校になることを目指している。 最近では、士官候補生学校は将来の将 校の訓練所というよりは、ヨーロッパの エリートの寄宿学校に見える。
ロシア情報をお届けします
治、経済、税制などが絡むこ 19
息子を交通事故から救ってくれたとして、日 本人の父親がロシアの交通警察機関のザバイ カル支部に手紙を送り、感謝の意を述べた。 7 月、田中リョウタロウ氏はオートバイで日本 を出発し、シベリア横断でジュネーブ勤務の父 のもとに向かった。極東のチタ―ハバロフスク 間で事故に遭い、バイクごと横転し、意識を失っ た。通報で駆けつけた交通警官は日本語がわ からなかったが、青年が日本人であることに気 づき、ハバロフスクの日本領事館に連絡し、病 院に搬送したという。【ロシアの声】
10
20
2012年 (平成24年) 11月8日 (木曜日)
公園に﹁チェブラシカの 年には建 設が着工され
有望!ロシアチョコ市場
《ラ・バヤデール》 11 月 15 日 (木)文京シビックホール 11 月 24 日 (土)東京文化会館 11 月 25 日 (日)東京文化会館 11 月 26 日 (月)東京文化会館 《アンナ・カレーニナ》 11 月 22 日 (木)東京文化会館 11 月 23 日 (金・祝)東京文化会館 《白鳥の湖》 11 月 17 日 (土)文京シビックホール 11 月 20 日 (火)府中の森芸術劇場 11 月 27 日 (火)東京文化会館 11 月 29 日 (木)東京文化会館 11 月 29 日 (木)東京文化会館 《オールスター・ガラ》 12 月 2 日 (日)東京文化会館
モスクワのチョコレート工場『赤の 10 月』 の壁面にチョコレートの広告=タス通信撮影
10
40
資源による収益はどう生かさ 18
初雪が舞った 詩的には、これは事件です
石油・ガス依存体質の ロシアに必要なものは何か 30
19
オピ ニ オン ( 5 面 ) 82
次世代都市「スマー トシティ」計画がロシ アで進められている。 日本 企 業 が 主 導 的 に 参加しており、エコ技 術 などを 駆 使した 新 しい都市造りとなる。
チェブラシカ
サハリン国立大学と札幌国際大学は協力協定 に調印した。主な内容は短期、半期から 1 年ま での交換留学に関する項目。 札幌国際大学はホテルサービスや観光業など の専門家を養成している。今年 5 月、サハリン 国立大学の学生が札幌国際大学を訪れた。 交換留学は 2013 年4月の日本の新学期に合 わせて行われる。【ロシア通信サハリン支局】
45
7面
11
スマート シティに期待
テーマパーク
サハリン国立大と札幌国際大が 交換留学協定に調印 80
バイカル見ずして 作家も学者も魅了 自然との一体感満喫
伝統息づく芸術性
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW 2012年(平成24年)11月8日(木)
1
露ヤンデックスが仕掛け あ らゆる面でユー ザー ができる。
可 能 だ。 タ ブレット や
グラムでも アクセスが たばかりだ。
打倒フェイスブック
ウザが市 場で最 も簡 素 響した可能性もある。 このブラ ウ ザ はメ ー
であるという。 ﹁最小限﹂ 電 子 書 籍 を 製 造 してい ル・ ルのサ ー ビスと 密
した。
2011年、平均的
パー ベル・ ド ゥロフ なユー ザ ーによる1ヶ 氏が20 0 6 年の終わ 月の利 用 時 間がオドノ
り頃にフコンタクチェを クラスニキでは3 4 0
設 立 す る と、 彼 はフェ 分だったのに対し、フコ
ヤ ンデックスは ト ラ る ポ ケット ブック、 3 接につな がっている が、
種 類の フィックの圧縮だけでは Q 、 テクセトや国 内3 現在は試用のアルファ・
イス ブックを ま る ごと ンタ クチェでは 4 9 0
一方で2 年 前に初 め
200 6 年、 若き起 クセス数 を 記 録 し、ロ 発 想 を 築 き上 げ、ユー 月の平均利用時間はわ
3 0 0 0 万 回に近いア 氏 はくじけ ずに独 自の たフェイスブックの1ヶ
フェイスブックの新規 キングサー ビス︵ S N の情報量︶を収入へ変換 にロシア 語 圏 か ら一日 た。 し か し、 ド ゥロフ 市 場に本 格的に進出し
たと激 しい非 難 を 浴 び て アメ リ カ か らロシア
ムまでそのまま 盗 用 し
模 倣 し、 カラースキー 分に達した。
な く、 アンドロイ ドの 位に入る携 帯 電 話 会 社 ス テ ー ジに あ る た め、
開 発 チ ー ム は、一つの
のイメー ジを 重 視 し た 競合企業は世界規模 表 示マー クに
SNS2社台頭
アプリ・ストアについ
ことはできない。
自 社 ブラウザ 開 発の オペレーション・システ メガフォンなどとすでに 招 待 がないと利 用 する
デザインを考案した。 決 定 に 関 しては、 ファ ム 用 プログラムを4 万 契約を結んだ。
月1日にモス イ ヤ ー ボックスの開 発 種 頒 布できる ライセン
ロシアの大手IT企業ヤンデックスは 質のブラウザを 作るこ セキュリティー完備
をサポートする新たな ロシアの﹁ブラウザ戦
クワで始まった技術会議で、 自社のブラウザとアプリ・ セ キュリティーについ 者 で あ る モ ジ ラ 社 が、 スもオペラから取得し、 争 ﹂ は 激 化の一途 を た ては、アマゾン、オペラ、
もアミ ー ゴという 自 社 の競 合 企 業は世 界 規 模
高等経済学院学長
%の市場占有率
メディアはフェイスブッ
ロシア語のソーシャル
コフは、一見 逆 説 的 な あ る ソ ー シャル ネット イルの無 料 共 有 サー ビ 2社とも海外進出
同 社のプレイ リス ト
アイデアを 思いついた。 ワ ー ク で あ る。 毎 日 スを提供した。
ロシア人のノスタルジッ 3 5 0 0 万 回のアクセ
代 後 半 から
世 紀 型 のベンチャー チェ﹂︵﹁接 触している﹂ 代 前 半にかけての学 生 クが
ク な 傾 向 を 利 用 し て、 ス数を誇る﹁フコンタク は特に
奪おうとしている。
ビ デ オ ク リップはユー 時代に突入した。
事 業 を 立 ち上 げるとい の意︶からトップの座を 層 に 人 気 だ。 音 楽 や を獲得し、 空前の激戦
オドノクラスニキは
﹁級友﹂と ﹁接触﹂
うものだ。
オ ド ノ クラスニ キ は ザーを 誘い入 れるだけ 収 益 は 約 6 0 0 0 億 ア広告、コンテンツ連
彼は、ソーシャルネッ 年 の 最 初 の 3 四 半 期 を 定 期 的ユー ザーとし るアメリカ在 住 利 用 者
成長を続け、 20 11 でな く、 そのま ま 彼 ら 100万人以上存在す ルーブルで、これはG 動型広告︶では﹁ルー
ト ワ ー キ ングを 使って で1 億3 00 万㌦︵約 て保 持 する可 能 性を秘 のための英 語 版を含む
ド か ら な る。 こ れ に 中心の市場はコンテン
ス ト レー ト な 広 告
立した。 その後1 年 以
ラスメート﹂の意︶を設
スニキ﹂ ︵ロシア語で﹁ク
とができる﹁オドノクラ
北海道企業がセミナー
か国語で利用可能と
タクチェも 英 語 を 含 む
し た。一方 で、 フコン
配信を提供すると発表
現 地 語 化 バー ジョンの
DPの1%。 主にネッ ネット﹂が大きな比重
続くのは ﹁ウェブ開発﹂ 、 ツ連動型広告へと移り
オ ド ノ クラスニ キ は
2 0 0 8 年 7 月 まで
億 円︶の収 益を計 上 めているからだ。
同 窓 生 が一同に集 うこ
﹁ソフト ウェア サ ー ビ つつある。モノの選 択
内に1 0 0 万 人 ものロ
日の極 東ハバ
利用した。
シア 人 がこのサイ ト を 向にあるが、それは有
ス﹂で、その額は全体 決定への作用とは無関 ルーブルである。
で1 0 0 ∼ 1 5 0 億 係にモノが流通する傾
ンテンツのダウンロー
ト広告、リテール、コ を占めつつある。
れば、﹁ルーネット﹂の ︵ ビ デオ 広 告、 メ ディ
専 門 家の評 価によ およ びマーケティング
ヤロスラフ・ クズミノフ
広告はコンテンツ連動型
単 語 やペー ジの自 動 翻 と、ユー ザーに潜 在 的 グラム 用 にグー グルの アプリ・スト アを 開 設 ﹁メール・ル﹂ グループ いるため、ヤンデックス のソーシャルネットワー とトラフィック︵データ 業 家 アルベル ト・ ポ プ シアで2 番 目に人 気 が ザ ーに動 画 や 音 声ファ ずか 分だった。
クラウド・ストレージ、 ラ ボの 内 臓 モ ジュー ル トリビューティブ・ プロ からなるヤンデックス・ ス社の競 争 相 手である ドロイド 用 を 所 有 して 道 された 陰で、ロシア 業を凌 駕 すべく、 着 々
は本家のアメリカ企 している。 これは検索、メール、 ては、 カスペルスキー・ 6 月にロシア語のディス 開 発 者 用とユーザー用 どっており、ヤンデック L G、 サムスンが アン 株式公開が大々的に報 S︶
とができる﹂と述べた。
ストアを発表した。ヤンデックスはロシア市場で同社の を決 めた。エンド・ユーザー向 けの今 回の商 品で、 現
シェアに迫るグーグルに対抗するため、今回の商品販売
︻アレクサンドル・パノフ︼
状が変われば、とヤンデックスは期待している。
ヤンデックスのデザイ
ス ト アは 外 国のプロ 開 発 ブラウザを発 表し になる。
訳 機という グー グルと な危 険 性を知 らせる有 検 索システムを 設 定 す できるようにした。 ほぼ同じ組み合わせの 害 サイ ト・ ベースが 対 る決 定 をしたことが影 スに、 ブラウザが統 合 ナーであるコンスタンチ
『一分間』 www.1minute.ru
30
20
ヤ ンデックス・ サ ー ビ 応する。 されたという意味だ。 検 索 サ イ ト を ヤ ン ン・ ゴルスキ ー 氏 によ デックスか ら 変 えるこ ると、スクリーンショッ
ラウザでP D Fを閲 覧 マー ク・ バー、﹁ 戻 る﹂
とも可 能 だ。 また、 ブ ト は 検 索 バー、 ブック
『ペーシェント・コントロール』 www.pereboi.ru
自社ブラウザを開発
ヤ ンデックス・ ブ ラ ウ ザ は、人気ブラウザであるグー グル・ クロームからクロミウ ムのエンジンや無料のシェル、 し た り、 音 声 ファイル ボタン、クリック可能な
20
分すぎ、 外 会 議 室に急 きょ追 加の
K.c o m ﹂へと改 名
なり、 ブランド も﹁V
した。︻イラン・ゴレン、
ロシア ビ ジネ スインサ
イト紙︼
度前後だが、 内陸
冬の最 低 気 温 がマイナ
ス
の街 にな れ ばマイ ナス
度 を 下 回 る。ハバロ
度 台になる。 しか
フス クも やは りマイ ナ
ス
数 年、 商 業 施 設やマン
もハバロフスクではここ
株式会社北友の森田
要が増えている。
スク州 政 府による全 面 ト アップしてメ ー ル を が増えており、 建 設 需
セミナーは正 午 すぎ
送り集客に努めた。
技術に興味を持ち、セ 定 刻の
時にセ ミナー 扱 うのは吹 雪による雪 だ。 今春、 北海道がビ ごとの商談会に入った。 られた。 さすがにすぐ
人 が 参 加 し、 内 に 拠 点 を 置 く 8 社。 で毎 年 顔を合わせる仲 んで午 後2 時から企 業 真 剣に見 積もりを求め
これに州 政 府 と日 常 ぎ まで、 面 談 待 ちのロ
商工会議所も参加。 そ
イ ベン ト を 取 り 仕
研究所の加賀屋佳史事
今 回のセ ミナー・ 商 業部長は﹁盛会だった、
各 社 と もロシア 語 の れ ぞ れ が 地 元 企 業 に 談 会の特 徴は、 北 海 道 で終 わっては 意 味 がな
通訳付きで5 ∼
や 住 宅・ 道 路 状 況につ
途中、 山本博志日本
いて日 本 人 がロシア 語 センター 長 が 会 場 をの
ぞいた。 何 度 も日 本の
プレ ゼ ンに 立 ち 会って
自 分の興 味 あるプレゼ
きた同氏は﹁ロシア人は
ンが 終 わると す ぐ 帰る
中 退 席 がほとん どない
ものです が、 今 日 は 途
特にテレビC M な ど
ですね﹂とつぶやいた。
会 場 は 人 で 埋 まった。
の広 報はしなかったが、
日 本 側 か ら もハバロ
なった。
これはスタートです﹂と
北 海 道は札 幌こそ真 語った。 ︻吉村慎司︼
点にある。
分程 加 申 し込みの窓口にも の寒冷地技術﹂に絞った ネ ス を 生 み 出 すこ と。
で日 本 側 か らの説 明に ス ラ イ ド 資 料 を 使 い、 イベント を 宣 伝 し、 参 側が内容を﹁建設関連 い。 目 的は新 たな ビジ
意義﹂とスピーチ。次い
ゼ ンは 皆 様 にとって 有 たった技術だ。
似 た 北 海 道の技 術 プレ も 対 応できることを う センター、 さ らに極 東 はなかった。
会 頭が﹁当 地と気 候の れ もロシアの厳 冬 期 に 的 にパイ プの太い日 本 シア人 が 途 切 れること 切った北 海 道 未 来 総 合
会 議 所のボスト リコフ 融 雪 用マット な どいず
が相次ぎ、 午後4 時す 足した様子だった。
北 海 道 副 知 事のあい 仕 様の作 業 用 手 袋、 住 を持 ちかけ、 州 政 府が 飛 び込みの面 談 希 望 者 いい感 触を得た﹂ と満
ミナー参加を申し込ん が始まった。
者である。
行政、 経済団体の関係 さつに続 き、 極 東 商 工 宅 用 の 配 管 シス テ ム、 支援を快諾した。
でいた 地 元の企 業 人 や
害を防ぐ防雪柵、 防寒 ジネスイベントの開 催 事 前 申 し込みの他にも 成 約 と は 行 か ないが、
てきた。 日 本の寒 冷 地 めて 約
センターに続 々 と 入っ 地 元マスコミ3 社 を 含 社 P Rに参 じたのは道 行政府同士の交流会合 に終 了。 昼 休みをはさ 武夫社長は﹁数社から
州 政 府 と 北 海 道 は、
次 が 各 社のプレゼン 協力があった。
席 が足 りず、 会 場の大 と聞き入っている。
事 前に用 意 していた で説 明。 参 加 者 はじっ 集客の背景にはハバロフ フスク周 辺 企 業 を リス ション、一戸建ての建設
寒冷地技術売り込み
インターネット広告 益情報の提供である。
月
バロ フ ス ク 日 本 セ ン
ロフス ク市 中 心 部。ハ ターは冷たい雨 模 様と は裏 腹に人 々の熱 気に 包 まれていた。 それは 北 海 道の企 業による寒 冷地技術や商品を紹介 するセミナー・商談会 だった。
ロシアのソーシャルネット ワーク「VKontakte」で使用可 能な言語。日本語を含む。
を聴いたり、フラッシュ ﹁ヤンデックス﹂ロゴだ
10
70ヶ国語
オペラ 社 か ら サイ ト 訪 問 時 動 画を見たりすること け と なって お り、 ブ ラ
21
套 姿のロシア人 が日 本 椅 子 が 運 び 込 ま れる。 だ。ハバロフスクでの自
朝9時
82
の通 信 ト ラフィックを節 約で
紙面協力
トウェア商品部長であるチグ ラン・フダベルジャン氏は﹁検 索エンジン会社にしかないサ イトの構造やコンテンツ、 技
世界5位 ヤンデックス
きる ター ボ 技 術 という 優 れ た 特 徴 をとり 入 れて組 み 合 わせた。このブラウザを開発 する際、 長年ロシア語のイン ターネットで積み重ねてきた 実績も活かされた。
ヤンデックスの携 帯・ソフ
検索エンジン会社の強み 術 についての 知 識 に よって、
% はインター ネット
ハバロフスクで
世 論 基 金 が実 施 した 調 査によれば、
10
ロシア側は真剣
ロシア国 民の約 問題を解決できると信じている。
を通じて自身の日常的および社会的な モスクワっ子たちは、かねてよりイン することに慣れている。 連日、 彼らは、
1060
最 初に北 海 道の気 候 度の説明を続けた。
移った。
10
ター ネットで日 々の問 題について報 告 行方不明の親族や駐車場の問題や住宅 公益事業分野における人権侵害に関す プロジェクトのサイトへ発信している。
ロシアのソーシャルネット ワーク 「VKontakte」の人気度。 2011 年における収入は約 1、 5 億ドル。
ロシア最大のポータルサイトサー ビス「メール・ル」社の共同創設者で あるドミトリー・グリシン氏はパーソ ナル・ロボット「ダブル」を開発した。 同氏が所有するグリシン・ロボティク ス社が発表した。 「ダブル」はセグウェイスクーター (電動立ち乗り二輪車)に iPad を搭 載し、ユーザーが別の iPad を使って 違う場所からでも制御できる「テレプ レゼンス」を提供するように設計され ている。つまり、「ロボット目線」で 見たり、聞いたりできるわけだ。 製造元はカリフォルニア州に拠点 を置くダブル・ロボティクス社。この ロボットは幅広い使用が可能で、団 体ツアーを誘導したり、遠隔地の従 業員を管理することもできる。
る情 報を返 答や協 力を期 待しつつ社 会
ネット通じ社会活動
70
10
30
30
17
40
世界 28 位
パーソナル・ロボット
同サービスのサイトにおいて ユーザーは広告主が提案する 活動に参加し(サイトへの登録 や広告の視聴の形で) 、これに 対し広告主はプロジェクト『一分 間』の代金を支払い、それが慈 善活動へ回される。 一年間で 5 万人が同プロジェ クトに参加し、約 30 万分(5000 時間)の貴重な時間が慈善活動 に費やされたことになる。 社会学者たち によれば、今日 ロシアで慈善目 的の寄付をして いる国民は約 5%にすぎない。 その理由は、寄付金が相手にき ちんと届かないのではという懸 念にある。インターネット・プロ ジェクト『一分間』は「非金銭的」 互助という新たなフォーマットを 提供している。
インターネットの世界は乱戦模様 『サポートマップ』 http://russian-fires.ru/
数字あれこれ
電子版でもっと読む
ロシア国 民 はインター ネットの機 動 力 を 信 じてはいるものの、 その3 分の 信憑性に疑問を呈している。 こうした矛 盾を抱 えながらも、ロシ 存 在 し ている。 そ の 形 成 に 大 き く 貢
ア型のバーチャルな市 民 社 会は確 実に 献 しているのが非 営 利の三 大インター ︻エレーナ・ポタポワ︼
ネットサービスである。
もっと読む www.roshianow.jp/39329
50
運営された。後に非営利団体『治 療準備にあたる国際連合』がこ れに合流した。両者はロシア各 地における薬剤や治療の欠如に 関する情報を集めるためのウェ ブサイトを共同で立ち上げた。 このプロジェクトのお か げで この2年間でヒト免疫不全ウイ ルスや 結 核に冒された約 1 万 5000 人が追加の抗レトロウイ ルス薬剤を入手できた。 ロシア連邦法によ れば、 治療はそれ を 必 要とするすべ ての者に無償で施 される。しかし、実 際は必ずしもそうとは限らない。 当初『ペーシェント・コントロー ル』は、様々な理由で生命を維 持するために必要な医薬品を得 ることができなかったヒト免疫不 全ウイルス感染者たちによって
ロシア最大手の検索エ ンジン。ロシア市場での 占 有 率 は 60.5%。1 か 月 の訪問者は 4890 万人に 上る。地元の検索エンジ ンがトップを占めているの はロシアのほか米国、中 国、韓国、チェコの4カ 国にすぎない。検索回数 では世界5位。2011 年 9 月のデータによれば、30 億回以上で、世界全体の 1.7 % に相当する。
を掲載したりすることを可能にし た。情報は「火災」 、「封鎖された 道路」 、「必要な支援」といったカ テゴリーに分類された。 サポートマップとボランティア 活動の経験の後、ネットには「寒 さマップ」 、 「非常事態時の支援ア トラス」その他のウェブリソースが お目見えした。 2012 年 7 月のクリムスクにお ける洪水の際には、国際ジオソー シャルプロジェクト、オープンスト リートマップが活躍した。 ロシアのインター ネットにおける最初 の真に大衆的な市 民 活 動となった の は、2010 年の森林火災の際の ボランティアたちの活動であっ た。 最初の1週間に10 万人のユー ザーがアクセスしたウェブサイト、 サポートマップは目撃者たちが新 たな火災地点をマップ上に示した り、交流サイトやマスメディアか らの情報(記事、画像、ビデオ)
38
1︵ %︶はネットに掲載される情報の 33
ロシアで最も人気であるタグのタグ雲 資料:Google Zeitgeist、2011 年 ヤンデックスのモスクワ支店オフィス内装=イーゴリ・シムキン撮影
10
非営利団体がお膳立て
総合 2 2012年(平成24年)11月8日(木)
ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
スマートシティ
沿 岸の保 養 地は、 中 国
月 新世
日に開 催
し、日立製作所など日本の大手企業が参加して いる。モスクワの日 本 大 使 館で された日露展示フォーラム﹁まちづくり ロシアの大 都 市では 人 口が 急 増 し、これまで
代のスマートシティ﹂ で全容が明らかになった。
日 本の新 技 術を導 入した新しい都 市 計 画への期
次 ぎ、 世 界で3 番 目の ヤルスクでは 独 自の強
万 平 方 ㍍のオフィスのほ
﹃メトロポーリア﹄は延べ
かれた空間を形成する。
蓮の花のよ うに東 向 きに開
に配 置される9 棟のビルは
㍍。 タワーのそばに螺 旋 状
タワ ーの 高 さ は 約 4 0 0
このフィン ラ ン ド 湾 スマートシティとなる。 風 対 策が講じられるほ
て動き出している。
でに、日本企業が加わっ シティ﹂ ︵千葉県柏市︶に 東 シベリ アの ク ラスノ
セス トロレツク市で す 本の﹁柏の葉キャンパス が 用 い ら れ る。 ま た、
ト ペテルブル ク近 郊の 生態城﹂︵天津市︶ 、日 ソー ラーシステム な ど
かショッピングモール、居住 敷地内には地下鉄駅が設け
スペース、ホテルから成る。 られ、 周りは自然公園とな 億㌦となる。
る。 プロジェクトの投 資 額 は約
て今 後の安 定 成 長の可 本のコンソーシアム︵共
術で実 現されなければ 必要な投資額を算定し 開 発 企 業 3 社 が、 日 ならない﹂と語る。 同 氏によると、 モス 能 性を評 価 するという 同企業体︶﹁スマートシ クワでは すでに地 熱 を もの。 世 界 自 然 保 護 基 ティ企画﹂と協力に向け
ロシアの会社﹃インター
-
ピュー タとの間でデー タ
ラシア﹄のウラジーミル・
﹃インターソフト・ユー
数 社 と 交 渉 していま す。 続 されたスマー トフォン
特徴は電池ではなく、 接
社 お よ びエレ る予 定ですが、 その主な
チスクリーンの機 能が搭
語った。
を電源とする点です﹂と
2 0 1 2 年 末 に は 別 の やタブレットコンピュータ
この時 計は特に危 険な 装置 ﹁DO
㌢
作 業 場 や 軍 隊、 宇 宙 飛 i﹂のテスト版を生産す
RA・Un -
載される。
やセンサーダイヤル、タッ ク ト ロ ニ ク ス メ ー カ ー
ンテ グレー ト プロセッサ 子 産 業
防 水 仕 様のボ ディーにイ は す で に 日 本 の 大 手 電
デザインはシンプルで、 エーリン社 長は﹁私たち
を交換できる。
てスマー ト フォンやコン れる。
や W i F i を 経 由 し 行士などに需要が見込ま
放射線量 すぐ分かる
ソフト・ユー ラシア﹄ は
利 用したり、 空 調によ 金ロシア 支 部、ロシア た覚 書を締 結した。こ 所、清水建設、伊藤忠
線 量 計D O
る。
外線と紫外線を測定でき
ガンマの電 離 放 射 線や赤
装置はアルファ、ベータ、
セプトを発 表した。この
A・Wa tc h﹂のコン
-
スにした時 計 ﹁D O R
R Aをベー -
月、コンパクトな放 射
る 熱の回 収 な どを 行っ 地 理 学 協 会、モスクワ の 企 画 に は 日 立 製 作 ている 建 物 が ある。ハ 大学などが作成した。
モス クワ 州 知 事 でロ 商 事、 東 京 ガスなど
ゼレノグラード 区では シア地 理 学 協 会 総 裁で 社が参加している。
イテク企 業が集 中 する
ワー キ ンググル ー プ
装 置 が 稼 動 して お り、 イグ氏は﹁これはたたき 議長の中村光男日建設
られる。 他にも ボルガ な アプロー チが 求 め ら 下水道の熱を利用する も あ る セ ル ゲイ・ ショ
% まで節 約できる ロシアのどこに 生 産 拠 ム設 立の目 的は、 日 本
モスクワ市 都 市 建 設 これらの装 置で暖 房 熱 台として重要だ。今後、 計会長は﹁コンソーシア
川 沿 岸のニ ジニ・ ノブ れている。 ゴロド と ボルゴグラー
点 を 配 置できるか、 ど のイノベーション技術に
省エネ、 環 境 保 護の こに自 然 保 護 区を設 け もとづいてロシアの現実
フキン局 長 は﹁建 物の という。
ドなど計6 都市に同様 政 策 局のセル ゲイ・ レ の の計画がある。 壁 を 厚 くすることで暖
このほか、この時 計 は
房 用のエネルギ ーを 節 テ ーマはロシアで も 注 られるか判 断 する際に を 考 慮 しつつ、 快 適 な
健 康にとって危 険、 ある
都市政策曲がり角
境 を 創 出 す るこ と だ ﹂
コム3﹄の静 止 軌 道 投
モスクワ郊 外の飛 行
入に失敗した。
管 制 セ ンタ ーによ る
と、﹁ブリーズM﹂は地
球上の5000 ㌔から
宇 宙 ゴ ミ も あ ら ゆ 可能性がある。 800 道 を 予 測 することしか
㌔という速 度
ロシア連 邦 宇 宙 局 は
億 ㌦を投じると発 表
宇 宙 会 社 ﹁エネルギ
地球から600 ㌔以 それに加え、 宇 宙 空 間 した。
を上 回って増 えている。
表から高さ数 十 ㌔の大 の自 然 消 滅のスピード 収・ 処 理 プログラムに
宇 宙 ゴミの量は、 そ 9 月中旬、 宇宙ゴミ回
㌢ほどのゴミが数 万 徐 々に地 球に近 づきつ と数百年になる。
㌢
ロ シ ア 連 邦 宇 宙 局 気圏に突入し燃える。
の 調 査 で は、
年目標
宇宙ゴミ対策で
﹁掃除機﹂打ち上げ
プレスMD2﹄と﹃テル
指 している。 同 社 はさ
は20 23 年までを目
た。 掃 除 機の打 ち上 げ
造する計画を立ち上げ
す﹁宇宙掃除機﹂ を製
えるよ うに軌 道から外
を回 収し、 大 気 圏で燃
M﹄は通信衛星﹃エクス そのう ち6 %にあたる のよ う なこと が 起こる だ。ロシア専門家のデー われていない人 工 衛 星
段ロケット﹃ ブリ ー ズ 1 万 2 5 0 0 個 あ り、 ミには、 今 後 数 年でこ で進むため極 めて危 険 ヤ﹂ は約60 0 個の使
8 月 に、ロシアの上 以 上 の 飛 行 物 体 が 下の高 さにある宇 宙 ゴ を秒 速
いる。
が ゴミ だ ら けとなって
の話 だ。 地 球のまわり 数十万個ある。
話ではなく、 宇 宙 ゴミ 個、 1 ㌢ 以 下のものが つあり、 最 終 的には 地
れた。 宇宙開発競争の
て新 たな ライバルが 現 8000個以上、1∼ 法 則 が 影 響 す る た め、 千㌔以上離れた場所だ る有効な方法はない。
ンと 飛 行 空 間 を め ぐっ 以 上の大 きさのゴミが る物と同 じで、 引 力の ㌔ の 高 さ だ と 数 十 年、 できず、 ゴミを 除 去 す
国 際 宇 宙ステーショ よると、 宇 宙には
また、 ブルートゥース
している。
殊 なソフト ウェアを 装 備
作 成 することのできる特
よって日 光 浴の時 間 表を
し、 太陽活動の度合いに
と赤 外 線のレベルを規 定
いは 許 容 さ れ る 紫 外 線
ロシアの大 都 市 は 人 約 す る、 といった や り 目 度が増しており、 最 参考になる﹂と述べた。 居 住 空 間とビジネス環 口 が 急 増 す る一方 で、 方はもう限界だ。 今後 近、エコロ ジー・ イ ン
また、 国 土 交 通 省の
と述べた。
みとなる﹂と語った。
るレベルで協 力の枠 組
ラムは両 国 間のあらゆ
催を提案し﹁このフォー
する日 露フォー ラム 開
は、 都市環境問題に関
トシティ﹂計画はサンク プロジェクト﹁中新天津 造 に よ る 省エ ネ 技 術、 の装 飾なども取り入れ り、 都 市の運 営に新 た ギーの使 用などの新 技 を測り、 環 境の回 復に では、ロシアの不 動 産 中島正弘総合政策局長
日 露 展 示フォー ラム
セ ス トロレツ クで は か、 コンパクト な 個 人 さまざまな新 技 術が日 の省エネは 例 えば、 回 デクスが作 られた。 全 日露で覚書締結
エコ新技術を駆使
ロシアの6都市で計画
︻ビクトル・クジミン︼ この計画は総合設計事務所﹁日建設計﹂が主導 待が高まっている。
加のもとで進められている。
﹁スマートシティ﹂ 建 設 計 画が日 本の専 門 家の参 の環境・省エネ対策では限界がきているとして、
ロシアの6都市で環境負荷の少ない次世代都市
10
ロシア最初の﹁スマー とシンガ ポ ールの共 同 建 物と街 区の特 殊な構 住 宅ではシベリア伝 統 常 生 活に導 入されてお 収 熱 交 換や代 替エネル 国の環 境 汚 染の度 合い
1か所で計画始動
約 6300 億円
が製 造した設 備がサン がかかる。
地熱発電所はカムチャツカと クリール(千島)列島にある。カ ムチャツカでの水蒸気熱の総電 力は 1 ギガワットと評価される。
25 社
世 界 各 国の低 温 プ
もっと読む www.roshianow.jp/13551
地熱エネルギー
バイオ燃料市場は形成され始 めたばかり。小規模エネルギー 経済に占めるバイオ燃料の割合 は0.3%に過ぎない。
日本の﹃日建設計﹄は﹃モ 模 開 発のマスター プランを
スクビッチ﹄工場跡地の大規 作成した。プロジェクト﹃メ トロポーリア﹄と呼ぶこの開 発は首都の南東部初の超大 ﹃メトロポーリ﹄グループ
型コンプレックスとなる。 億ルー
ブルでその資 産を購 入した
が2006 年に約
の跡地が開発される予定。
﹃モスクビッチ﹄工場の ㌶ ﹃メトロポーリア﹄の中央
首都のゴミ処理ピンチ ロ シ ア で は 毎 年、 % はモスクワから排 ゴミを焼 却 する際の空 は 1 2 0 0 度 か ら 気 清 浄にかかるコスト 1500 度まで熱した 4 0 0 0 万 ㌧ か ら 出されるゴミだ。
温 プラズマ化 でエネ ル
さ らに、 廃 棄 物の低
るという。
子に分 解し、 無 毒にな
これほ どの高 温にな ると物 質は燃 えずに分
モスクワには ゴミ 処 が 高 額 とい う 理 由 で、 焼 却 炉にゴミを廃 棄 す 1 億4000 万㌧のゴ ミがたまり続 け、 その 理 場 が 4 カ 所 し か な 新たな処 理 場の建 設が る﹁低温プラズマ法﹂の ゴミ 処 理 設 備 を 開 発、 量は一人 当たり2 8 5 く、 対応能力はゴミ排 許可されていない。 ㌔ に も の ぼ る。 う ち 出 量 の4 分 の1 以 下。 プ ラ ズ マ H I T 社 製造している。
不用品を活かす 大 半の人 々 は ゴミ
りを電 力 網に供 給 する
を処 理 場の稼 働に、 残
するため、 半 分の電 力
4 メガワット ほ ど 発 電
を捨ててしまう。しか ギ ーが生成される。 し、 中 に は 不 要 品 か 年間1万2000 ㌧ ら、 美術品や装飾品、 の ゴ ミ を 処 理 す る と、 実 用 品 まで作 成 する 人もいる。 クラスノヤルスク地 方の小 さ な 村 に住 ん
ことが可能となる。
175
5 ㍉の破 片でも、この てくる危 険な物 体を阻
インド
でいるオリガ・コスチ
20
タによると、わずか0・ らに、 太 陽 系 か ら 入っ
277
6.
% は役 目
日本
2 5 0 ㌔の高さの軌 道 1000 個しか機能し
492
5.
飛行や人工衛星が飛ば
せなくなる可 能 性があ
は現 在、 宇 宙 ゴミの軌
る。 アメ リ カ とロシア
究も行っているという。
︻ ア ン ド レ イ・ キ ス
インフォグラフィッ クはこちらで www.roshianow.jp/ 39659
置 す る と、 有 人 宇 宙 リャコフ︼
宇 宙 ゴミの現 状を放
てしまう。
速 度 だと宇 宙 服 を 破っ 止 する宇 宙 迎 撃 機の研
3726
フランス
で、 大 き く 約 5つの部 ていない。
%
を終えた機械や使用済
この破 損 部 分は、 地 み 上 段ロケット、
分に分解したという。
上約400 ㌔にある国 は 爆 発 や 衝 突で散った
万
際 宇 宙ステーションを 破 片 で あ る。 1 ㌢ か
㌢ の ものは
中国
4.
数字あれこれ クトペテルブルグ市 郊 新設備の方が経済的 ラズマ法 外の処 理 場で稼 働して なのだが、 同 社の技 術 低温プラズマ法によ いる。 ま た、 スモレン にこれ以 上の需 要 はな る廃棄物処理の設 スク市郊外と学術都市 い。ロシアは 広 大 す ぎ 備は、ロシア国外で も製造されている。 のスコルコボ 市 には 新 るので、 ゴミを 投 棄 す 国 際 市 場 で は、 カ たに2 カ所の処 理 場が る 場 所 がいく らでもあ ナダ、アメリカ、イ 建設中だ。 る か らだ。 ギリス、フランスの 低 温 プラズマ設 備の モスクワ郊 外 だ けで 6 社 が 積 極 的にこ の 設 備 を 販 売 し て 価格は約700 万ユー も 地 中 に ゴ ミ が 埋 め ロ。 空 気 清 浄 設 備の付 られている 場 所 は か いる。
含め、 周 辺のあらゆる ら
宇宙機を脅かす可能性 個 以 上 だ。 総 質 量 は
3.
コンソーシアム「スマート・ シティ・プランニング」に参 加する企業数。 伊藤忠、 シャー プ、日建設計、日立などいず れも日本の大手企業。 いた 従 来 の 焼 却 炉 で、 所、 総面積600 ㌶に
5000 ㌧以上になる
4946
この方 法は1 9 7 0 年代始め、フィリップ・ ルテンベル グ氏 率いる 科学アカデミー電気物 理学工学研究所が細菌
12
DO-RA プロジェクトのニュースや エーリン・インターソフト・ユーラシ ア社長のインタビューはこちらで。
バイオエネルギー
10
N A S A の 評 価 に と考えられている。
6195
アメリカ
Getty Images/Fotobank 撮影
電子版で読む
インターソフト・ユー ラシアのウラジーミル・ エーリン社長は一般用の 放射線量計を購入し、内 容を検討した。 調査によると、携帯電 話、スマートフォンと線 量計のハイブリットは多 くの国では特許がない ことが判明。その結果、 有益かつ独自性を持った モデルを誕生させる可能 性を発見した。
小型の水力発電所が数百基稼 働している。小規模水力エネル ギーはバイオ燃料による火力発 電と首位を分け合っている。
ロシア
2.
ナさんはリサイクルが 難しいことで知られる プラスチックのプラグ 3 万 個 を 使 用 し、 小 屋とトイレを造り、さ らに家の壁を飾った。
兵器や有毒廃棄物の有
新設備も今一つ
10
風力エネルギーの潜在性は約 30%が極東、約 14%が北部地 域、約 16%が西および東シベリ アに集中している。
携帯とハイブリッド
水力エネルギー
1.
70
25
がある。
宇宙ゴミ放出国ランキング
21 写真を見る
ロシアにおける代替エネルギー
(宇宙大国の開発で生じたゴミの数、NASA データ)
40
10
安易な投棄
これに匹 敵 する処 理 能 のぼっている。それでも 効 利 用を研 究していた 氏が自 身の開 発を商 業 T 社を設立した。 際に発見した。 化しよ うと、 複 数の投 現 在ロシアで は、 ル 力 をもつものを 建 設 し まだ何 年も投 棄できる 昨 年、 ル テ ンベル グ 資 家 らとプラズマH I テンベル グ氏のチー ム よ うとすると 倍の金 計算だ。
10
10
54
30
首都で大型開発 www.roshianow.jp/ 39403
腕時計型「DO-RA・Watch」露社が発表
23
40
10
55
スマートな時計 DO-RA.Watch
風力エネルギー
10
10
日本主導で街づくり =ロイター通信撮影 プラスチック製プラグで作った壁面
10
サンクトペテルブルク市の プロジェクト「ノーブイ・ベー レグ」 (新海岸)の投資総額。 15
10
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW
3 特集面 環境 2012年(平成24年)11月8日(木)
月、 東 京 文 化 会 館で公 演 する。
2010 年、バレエ芸術 踊 家 た ちの支 援、ロシア、
の 普 及、 児 童 や 往 年 の 舞 米 国、 日 本 に お け る 新 た
ダンス・ シア タ ーの 気
を選び、ネザーランド・ 立された。 主 宰 者はディア
バレエ芸術振興財団﹄が設
﹃ディアナ・ ビシニョーワの
な舞踊芸術の発展を目的に
難 しい指 導 者 ポ ー ル・
﹁勇壮なバレリーナ﹂ ディアナ・ ビシニョーワが ビシニョーワは、ワガノワ・バレエ学 校 在 学 中に早 くもサンク トペテルブルクのマリインスキー劇場の舞台に立ち、 最終学年
同 財 団の最 初の大 き
た ちの社 会 復 帰 支 援など
﹁ 幸 福 な 家 庭 はみ な
また、 舞 踊 芸 術にお け
不 幸の形がある﹂の有
な家 庭にはそれぞれの
同じにみえるが、 不 幸
2 0 1 1 年 に国 際 フェス る顕 著 な 功 績に対 する賞
名 な一文で始 まるトル
な 活 動 と な っ た の は、 を計画している。 ティバル﹃白夜の星たち﹄の や 学 生への助 成 金の創 設
にロシア内 外で
回ほ
カレーニナ﹂。これまで
ストイの名作﹁アンナ・
サンクトペテルブルグの
も予定されている。 ダンサーでは、ファルーフ・
枠 内 で 催 さ れ た プリマの 今 後 は、 毎 年 のバレエ
祝賀公演だった。 フェスティバル、コンクー
テレビ映画
人 近くの女 優
バレエ映画
ど 映 画 化 さ れている。
ス・ブラウン監督
つまり
無声映画
を設立している。
サイモン・ラングトン監督
ル ジマトフが 同 様の財 団
マルガリータ・ピリヒノワ監督
品の創 出、 往 年の舞 踊 家
アレクサンドル・ザルヒ監督
ル 開 催、 新 た な バレエ作
督(無声映画『愛』) 、 クラレン
ナさんの父、 ビクトル・ビ
1985年
ウラジミール・ガルジン監督
シニョーフ氏。
1974年
ライトフットとソル・レ
がアンナを 演 じている
ことになる。その中で、
最 もアンナ役 が似 合っ
ている女 優は誰 だろう
か。観客を魅了した5
︻セルゲイ・メリニコ
人を選んでみた。
マイヤ・プリセツカヤ
1967年
30
フ、アガニョーク誌︼
話題の映画
トルストイの「アンナ・カレーニナ」 。ロシア人にはサモイロワのアンナが強烈
の時に﹃ドン・キホーテ﹄でデビューした。それ以来、前へ向かっ
へ帰ってくる。 そして、 私 が自 分の中に調 和 を
果をもたらしています﹂ 舞 踊には何 ら変わり と答えている。
プーシキン美術館の日本芸術コ
タチヤーナ・サモイロワ
エドマンド・グールディング監
30
『 アンナ・パブロワ』 (1983 年 / エミーリ・ロチャ ヌー監督)
リャクの帽 子 な ど、 来
映画についてもっと読む www.roshianow.jp/arts/ movies
べた。
また、このプロジェク
もっと読む
www.roshianow.jp/ 39243
現 在 モス クワを 訪
ウス ペンス キ ー さ ん 博 物 館の建 物と、 その 期待を寄せた。
ラーシカの誕 生 日 を 含
モスクワ観 光 委 員 会 450 万人だが、日本
現 在、 モス クワ 市の め、 年 4 回 以 上のフェ のセルゲイ・シュピリコ からは5 万 人ほどが訪
日 本 内 閣 府の国 際 プ
船﹂ のメンバーの一人は、
ログラム﹁世 界 青 年の
できた ら、 それを 見る
﹁チェブラシカの家﹂ が
た め だ けにモス クワに
行 きたいと考 える日 本
﹁そのためにもスペー 解 決できるわけではあ ろ う と 考 えている。 さ
カの家 ﹄ だけで完 全に 人がたくさん現れるだ
チェブラシカの家
トには、 作 家 自 身のタ
ラシカの電 話 ボックス
イ プ ライ タ ー、 チェブ
などを含む多くの関 連
品を展示物として提供
と、 地 元の幼 稚 園 付 属
盗 お ば あ さ んシャパク という。
め2 階 から3 階 建ての 来てくれるでしょう﹂と せると確信している。
パ、 ワニのゲー ナや 怪 び 込 むこと ができない クター別の展 示 室を含 もっと 大 勢の観 光 客 が などは、 観 光 客を喜ば
掛けのおもちゃ、スリッ では大 勢の観 光 客を呼 パクリャクなどのキャラ でな くほかの国 か らも ターが描かれた土 産 物
いぐるみ、 ぜん まい仕 博 物 館 があるが、これ カ、ワニのゲーナ、シャ も講じれば、 日 本 だけ チェブラシカのキャラク
さ ら に、 バッグ、 ぬ の ミ ニ・ チェブ ラ シ カ ス が 必 要。 チェブ ラシ りませんが、 他の対 策 らに、日本語の案内や、
明らかにしている。
する用 意があることを ペンス キ ー さ んによ る とも考えている。
狙いは日本人客
1㌶以上必要だ、と述 東 行 政 管 区には、 ウス スティバルを開催したい 委員長は﹁ ﹃チェブラシ れるにすぎない。
ブラシカの家﹂の敷地は
ンスキーさんは、﹁チェ る。
親である 作 家のウスペ 作 も必 要 だと考 えてい き た ら、 初 夏 のチェブ ブラーシカ小路です﹂。 れ る 観 光 客 は 年 間 約
チェブラシカの生みの 館 者 向 けの土 産 物の製 は、 新 しい博 物 館 がで 脇の散 歩 用 と なる チェ
︻1面から続く︼
記 憶 に 残 る5 人 の ア ン ナ
グレタ・ガルボ、1927、1935年
1914年
て走り続けている。彼女は新しい舞踊・劇場・国々に興味を感
が飛び込み、隣の窓では 結んだ。
さ らに、 カ ナ ダのエ 新しい役・表現力・人々 見 出 し たというのはと
陽 が 目 を 細 め、 三つ目 ド ゥア ー ル・ロック が との協 力の経 験 を 携 え ても 大 事 なことで、こ
﹃眠りの森の美女﹄の太
ニー﹃ラ・ラ・ラ・ヒュー
バレエのさざなみが走っ リ ー・ ダンス・ カンパ に注ぎ込んでいる。
の窓ではノイマイヤーの 主 宰 するコンテンポ ラ て劇 場のレパー ト リー れは早 くも外 面 的な成 ている。
日本版画をネット公開 版 画は浮 世 絵、 役 者 絵、 美 人
テーマ別に分けられている。
レクションは、 欧 州に渡った作 品
ジャクリーン・ビセット
マリヤ・ゲルマノワ
オンの作 品 を 踊る許 可
﹁ビシニョーワ﹂財団設立
のボ リショイ 劇 場 と 招 てサ ンク ト ペテル ブル を可 能とする内 面 的な
昨 シー ズンはモス クワ ているが、彼女は決まっ いに彼 女 は﹁舞 台 作 り
シーズンを送っており、 このアーティストを待っ 一番 の成 功 は、 との問
じ、境界には興味がない。 代でのデビューで彼女は﹁勇壮なバ を取り付けた。 レリーナ﹂ ︵すなわち沈黙のうちに静止するクラシカルな役を演 また、 世 紀 半 ばに じるよりは一つの跳躍で場内を沸かせるタイプ︶と皮肉っぽく評 クラシック・バレエと妥 されたが、気にもとめなかった。 ︻アンナ・ゴルデエワ︼ 協 なき戦いを 繰 り広 げ ビシニョー ワは 定 期 マンステップス﹄とのツ はないが、ビシニョーワ た モ ダン・ ダンスの 草 ト リーを 家にたとえる 自身は変わりつつある。 ベジャー ルが 好 きでも じるかは問題ではない。 世 界のレパー ト リーを 分 けであるマー サ・ グ なら、 あらゆる自 然 現 的 に アメ リ カ ン・ バレ アー公演を行った。 世 界の多 くの劇 場 が 自 分の人 生にお ける エ・ シアタ ーで 自 分 の
常に新たな表現力
ム・フォーサイスの稲妻 聘 バレリー ナの契 約 を クのマリンスキ ー 劇 場 調和の達成です。近年、
﹃迷宮への使者﹄ 象 が 呼 び 込 まれ、 すべ マリインスキ ー 劇 場で 彼 女は自 分を目にした 作 って い る。 例 え ば、 ラハムの ︵ハ のた めに苦 しみ、 学 ん ての窓 が 開 け 放 た れて それが取り上 げられな 観 客 は 第 キャストで ジョン・ノイマイヤー いなら、ベルリンへ赴い あっても 自 分の舞 台 を ンブル ク・ バレエ団 の で、 ク ラシックの 訓 練 いる家である。 一つの窓にはウィリア
て新たな表 現 力を身に
環﹄ に出演した。
つけ﹃ニーベルングの指 しかも体 面 を一切 気
にせ ず、 第 2 キャスト けれども役 を 求 める であることを 受 け 容 れ 見に来てくれると 信 じ 芸 術 監 督。 彼 女のため を受 けた自 分の肉 体を ビシニョーワを﹃白鳥 に特別にバレエ﹃ダイア すっかり改造した。 の湖 ﹄に出 演 させたく ケースは珍 し く、 人に た。 大 事なのは作 品で ている。 彼 女 は 自 分で自 分の ローグ﹄を振り付けた︶ ビシニョーワのレパー ないバレエ団の主宰者に 頼 む こ と を 好 ま な い。 あって、 誰 が 最 初に演 団する﹂と言い張ってこ
﹁ 役 が 貰 え ないな ら 退 の演 目に出 演した。 そ の主 宰 者はもはや劇 場 ビシニョー ワのも ろ
にいない。
世 紀にかけて
画、 武 人や相 撲 取り、 花 鳥 風 月
世 紀 から
モスクワのプーシキン記念美術 の日本版画コレクションを特設サ
ピックアップされている。 サイト
の絵などポピュラーなジャンルが
館は
トで、 同 美 術 館に常 設 展 示 され
どの電子版画にもプーシキン美術
には 英 語 版 と 日 本 語 版 が あ り、
イトに掲載した=写真。このサイ
同 美 術 館 グラフィック課 長のア
ていない版画作品が鑑賞できる。
館のコピーライトのマークが入っ
なので画 像 を 何 倍にも 拡 大 して
へのインタビューで﹁ハイテク撮影
群のう ち最 初で最 大のものの一つ
チャンネル﹃クリトゥーラ︵文化︶ ﹄ ている。
イヌーラ・ユスポワさんはテレビ
衣 装の模 様、 人 物の顔 だ ち、 髪
とみなされている。 本 格 的 な日 本 芸 術 蒐 集 家 セル
そ の 中 心 はロシ アで 最 初 の
型 の ライ ンといった 細 部 が 見 れ る点がこのサイトの良いところで す﹂と語っている。
∼ 1 9 2 7 の コ レ ク ショ ン
(
で、 1 9 1 6 年 にル ミャンツェ
電 子 カ タ ロ グ の 出 典 は、 ゲ イ・ キ タ ー エ フ 1 8 6 4 2 0 0 9 年に2 巻 本の形で発 行
フ美 術 館へ一時 的に預 け られた。
) された﹃ 世紀から 世紀にかけ ての日本版画﹄。
に移管された。 ︻ロシア通信︼
サイトでは画 家の系 譜や名 前、 1 9 2 4 年、 プーシキン美 術 館 時系列、 作品のシリーズといった
AFR/EastNews 撮影
ロシア通信撮影
ロシア通信撮影
アメリカの 人 気 女 優ジャ クリーン・ビセットはトリュ フォーやポランスキーといっ た監督のクラシックな芸術映 画に出演する一方、テレビド ラマにも出演していた。こう して、サイモン・ラングトン 監督のテレビ映画「アンナ・ カレーニナ」にも出演した。 評論家の多くが、アメリカで 実写化された「アンナ・カレー ニナ」が演劇芸術のレベルを 超えたと考えた。
マルガリータ・ピリヒノワ 監督のバレエ映画「アンナ・ カレーニナ」はロディオン・シ チェドリンのバレエをモチー フにして作られた。アンナ・ カレーニナの映画への出演は マイヤ・プリセツカヤにとっ て初めてではなく、アレクサ ンドル・ザルヒ監督の 1967 年の「アンナ・カレーニナ」で も、ブロンスキーのいとこの ベッツィー・トベルスカヤ役 を演じていた。
旧ソ連の多くの人がアンナ・ カレーニナと聞けばタチヤー ナ・サモイロワをイメージす るほどに印象が強い。カンヌ 映画祭でパルムドールを受賞 した映画「鶴は翔んでゆく」の ベロニカ役に続く当たり役と なった。アレクサンドル・ザ ルヒ監督の「アンナ・カレー ニナ」もカンヌ映画祭に出品 される予 定 だった が、1968 年のフランス五月革命で映画 祭自体が中止となった。
スウェーデン出身の美しい ハリウッド女優グレタ・ガル ボはエドマンド・グールディ ング監督の「アンナ・カレー ニナ」をモチーフにした無声 映画「愛」と、クラレンス・ブ ラウン監督の映画「アンナ・カ レーニナ」に出演した。2 回 目の「アンナ・カレーニナ」は ベネチア国際映画祭でムッソ リーニ杯を受賞、ガルボは ニューヨーク映画批評家協会 の主演女優賞を受賞した。
く壊れやすい、 通 好み 陸を魅了している。
の白 鳥 はいくつもの大 ﹃ 幻 影 の場 ﹄ も 然 り で、 彼 女 が﹃ ラ・ バヤ デール﹄の第 2 幕で見 事に復 讐を呼 びかけて 死ぬことを疑 う者はな
19
20 世紀初頭のロシアの名プ リマ、アンナ・パブロワの生涯 についての物語。 映画には彼女の芸術への献 身、個人的なできごと、 「バレエ・ リュッス」を主宰した興行師セ ルゲイ・ディアギレフや、バレ エの改革者である振付師ミハ イル・フォーキンとの関係など の様々なエピソードが盛り込ま れている。 映画は 1983 年に 2 部構成 で 上 映 され た 後、1986 年 に テレビ版が放映された。テレ ビ版は①「ロシアの街角で」 、② 「不滅の白鳥」 、③「チューリッ プと孤独」 、④「望郷」 、⑤「黄 昏に触れて」―の5部から成る。 主役を演じたのは、ソ連の 女優ガリーナ・ベリャーエワだ。 舞踏のシーンのほとんどを彼女 自身が踊っている。
最初に映画化された「アン ナ・カレーニナ」はウラジー ミル・ガルジン監督の無声映 画。モスクワ芸術座の女優マ リヤ・ゲルマノワにとって、こ の小説の主役が初の映画出 演だった。20 世紀初頭、ゲ ルマノワはそれまで行われて いなかったリハーサルを強く 監督に求めた。その結果、ゲ ルマノワの演技は称賛された が映画自体は「ありえないほど 陳腐」 と酷評された。
かった が、 炎のよ う な 幕で肉 体のない精 霊の
このバレリー ナが 第 3 役 を 演 じるところをマ リンスキー劇 場の教 師 は想像できなかった。 ところが、舞台で踊っ てみる と、 炎 は どこへ も うせ ず、 それはあた かも氷を通して輝くよ うな、 死の運 命にある 登場人物たちが目指し
ビシュネベツカヤ撮影
世界各地での公演に忙 し い ビ シ ニ ョ ー ワ だ が、 彼女には故郷サンクトペ テルブルクのマリインス キー劇場という落ち着く 場所がある。=オクサーナ・
一番 難 し かった のは に行 き、 夜は公 演。 あ 激 的 なことは バレエ団 言 葉を覚 えること。 今 とは疲れて、眠るだけ。 に 創 造 の 空 気 が み な 話 し、 テレビの風 刺 番 楽しんだり、 日 本 料 理 囲気の中で﹁白鳥の湖﹂
ではロシア 語 も 上 手 に だから、ショッピングを ぎっていること。その雰 組を見て、 けらけら笑 店 に行った り する 時 間 のパ・ド・トロアや﹁く う。 土 地の料 理が好 き がない。スキーやスケー るみ割り人 形﹂の中 国
この劇 場で、 も う す
リンやボルシチを作る。 ていないが、 ぜひやって を踊った。
で、 友 だ ちのた めにプ ト は、 ま だマスター し 人の踊りなど重 要な役 畠 中 さんは 夢 中でバ みたいと思っている。
夏に休 暇で両 親のも ぐ日 本 人 バレリー ナの ﹁日 本は懐 かしいし、 とに帰った。 お 土 産 は デュエットが見られるだ
レエに打ち込んだ。
している。 ︻イリーナ・チェチュー 畠 中 さ ん にとって 刺 リナ、ロシア新聞︼
から劇 場で稽 みなぎる創造精神
ホーム・ページはこちらで:http://japaneseprints.ru/?lang=ja
た温もりを魅 するよう な炎となった。
ソリ ス ト は 畠 中 さ ん サマラ劇場バレエの顔に シー ズンが開 幕 した の間 にコー ル ド・ バレ きか ら。でも日 本には め、 サマラに 招いて く ロシアに 住 ん で 6
サマラ・ オ ペラ・ バレ エ︵群舞︶・ダンサーか バレエ・ ファンは 少 な れたのです﹂
時
んが 来るのを 楽 しみに
学 校に入 学を決めまし 郷 里 の 鹿 児 島 市 か ら と言 うが、 帰 国 したい サマラのチョコレート菓 のナ カ ジマ・マリ ナ さ
ペル ミ 州のペル ミ 舞 踊 年。 サマラに来 るには 母 親 は 帰って き な さい マト リョー シカ 人 形 と ろう。 畠 中さんは同 郷 畠 中 さんはこれまで た。 そこの卒 業 公 演で 8000 ㌔を踏破しな とは 思 わ ない。 とにか 子だった。
卒業公演注目される
エ劇 場 に若いバレリ ー らソリストに成長した。 い。だから 歳のとき、 畠中香菜子さん。
ナが現れた。 日 本 人の ロシア西 部 サマラ 州
リ ル・ シュモ ル ゴ ネ ル 最 初 ここ に 来 た と き、
19
AlamyLegionMedia 撮影
功労者・若手支援 18
10
﹁ バレエは 3 歳 のと 芸 術 監 督が私に目をと 何もかもが驚きだった。 古。 その後、 舞 踊 学 校
半
PressPhoto
1976 年レニングラード生まれ。 1995 年にワガノワ名称ロシアバ レエアカデミーを卒業し、1996 年からマリインスキー劇場のソ リスト。2005 年からアメリカン バレエシアター(ABT)のプリ マバレリーナ。 国民演劇賞『ゾロターヤ・マー スカ (金の仮面) 』 を3部門で受賞 (2009 年) 。ロシア人民芸術家。 主な出演:『ジゼル』 (1999 年) 、 『Steptext』 (2004 年) 、『アンナ・ カレーニナ』 (2010 年)ほか。
10
女優なら演じてみたい 愛に生きたヒロイン像
ABTでもプリマ
の州 都 サマラ ソ連 時 のいき さつを 次 のよ う サマラ・ バレエ 団 の キ け れ ば な ら な かった。 く仕事をしたい﹂。 フ︶に来て1年だが、こ
© プーシキン国立美術博物館提供
マリインスキー劇場軸に 世界駆けめぐる
ディアナ・ビシニョーワ 代の名 称 は クイ ビシェ に語った。
(
16
18
プーシキン美術館
20
11
10
文化 4 2012年(平成24年)11月8日(木)
ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア政 府 が直 面 す る重 要な課 題の一つは、 石 油と天 然 ガスの費 用 効 果の高い発 展を確 保 するた めに統一された 経 済 的 インセ ンティブ を作ることである。 国 家 予 算の歳 入の半 分 以 上 を 占 める 石 油 年間で大幅に増
ガス産 業からの税 収は 過去
·
日 本の文 化 は 繊 細
を試すことはできない。
このよ う なコス ト を
立 方 ㍍の天 然 ガスがあ な埋 蔵 石 油を得るため
難 しいのは、 健 全 な を可 能にすることを目 効 果を他 分 野にももた に増やした。
死を考える日本
当 時、 増 税は完 全に る 東 プリノボ ゼメルス の 方 法 は な かった が、 単 独で負 担 することは
あ ふ れている。こ う し
さ、 苦 しみ、 優 しさに
た資 質 を備 えている人
夏、ロシア大 手 石 油 会
務管理と徴収を促進す 影 響として石 油 産 業は に目 を 向 けることが理 も可能である。 深 層 水の塩の堆 積 物 社ロスネフチが 北 極 大
際に高 貴ではかないも
には、 現 実に直 面した
らを亡 くすことしか残
のを 汚 さないた めに自
この無 上の美 がとり
応し、 どんな苦 難にも されていないのである。
島渚、 そして、 今村昌
日 本 人は驚くほど健 平の作品だ。
私は日本で英語字幕
この上 な く 残 酷でこの
魅 了された感 涙の時を
世のものとは 思 えない
位 通 り﹄ という 著 作の中 かも、 客観的事実に基 芥川龍之介の﹃手巾﹄で 姿を夢に見る。
この国 民 的な美 徳は でも 歩 哨に立つ自 分の え 難 い ま でに 悲 し く、
態であり、 日 本 人は夜 で観 たことがある。 耐
石 油とガスに対 する 銀行が発表している﹁ビ ド・ ビ ジネススクール 限 界 についての不 断の 密 性とも言 えるまでに 本 人の事 実 上 不 変の常 の﹃楢山節考﹄をテレビ
これだ けでも、 世 界 研 究の先 導 者ハーバー 望 が あ り、 他 方 で は、 ず、 慇 懃さはもはや気 康 的である。 軍 務は日
ベンチャー ビ ジ ネ ス 性、 住 居の広 さへの渇 も国民性の開放を促さ
のコンパクト さや 経 済 海に囲 まれ、 長い鎖 国 る。
ゆ え一方では、 自 動 車 物はごく限られている。 感 性により共 感を覚え つある。 溝口健 二、 大
を 引いたとして、 日 本 何 もかも乏 しい。 それ 自然は厳しく、 有用鉱 ている。 私 は日 本 人の る日本映 画の傑作が三
日 本 は 領 土 を 始 め に 従っている。 日 本 の を優れた資 質とみなし わけ 顕 著に描 かれてい
日 本は常にこの原 則 耐え、 そうした適応性
ロシアの音 楽 家 ボ リ の文 化 は 死 を 巡って築 こともない。
国の発展に好影響
年 前、ロシアは 税 正 当 化 されたが、 その ク油田など新油田開発 今 日ではほとん ど何で で き ない。 そこで 昨 年
経 営 を 確 保 し な が ら、 標とし、 効果的な税財 らすであろう。 その収 入を維 持 するこ 政 枠 組みを提 供 すべき そのよ う な アプロー る 新 たなシステムを 導 有望な生産技術の開発 にかなっている。
とである。では、 ど う であると考える。 したら資源会社と国家 西 シベリ アの未 開 拓 の下から石 油を生 産 す 陸 棚の開 発のた めにエ
し、 バランスを とるこ 同時に、 国が技術的可 の 安 定 策 を 確 保 し た。 断 につな がった。 特 に の部 分にも、 少 なくと るのも、 もはや 夢では クソンモ ー ビル 社 との
の間で資 源 収 益を分 配 チで経 済 発 展を促 すと 入 し、マクロ経 済 発 展 を 採 用 しないという 決
国 家の豊 富な収 入を
億㌧の石油埋蔵量 ない。 深 海 ま たは 氷の 契約を締結した。
が あるということ が 知 下の操 作には革 新 的な
ている。
開発費用は数百億㌦か ま れ 続 けること を 願っ は、 匿 名の友 人の言 葉
倍 程 高くな するので、 沖 合の油 田 が有利な市場環境に恵 ス・ グ レベンシチコフ かれたと語った。
西 シベリにある 油 田 られており、 実 際の数 ハイテク機 器 を 必 要 と 維 持 するために、 我 々
から ・5%︵2003 の埋 蔵 量 が底 を 尽 きつ 字はその
・1%︵1999年︶
の税 負 担は総 売 上 高の なった。
能 性を満たすことがで その改革後、 石油企業 沖合油田開発は中止に も ロシアは 世 界一の 石
投資家に内部収益率 きると信じる。
とができるだろうか。 を付与し、 保証を与え るな どいくつか 方 法 は 油 億 る可能性もある。
ガスの産 出 国 で あ · 兆
国 営 ガスプロムよりも
市 場の開 発によって最 おける研究開発投資は 資 源 セ クター 以 外への 在の1 20 位から
ほ ど 美 しいこの作 品に
無論、 ﹁資源ののろい﹂
大統領が5 月7日に発 加 することが可 能であ したと指摘している。
ロシアが 過 大に石 油 表した長期的国家経済 ると 論 じるアナリスト
ている。
を民営化政策だけで取
そ れで は、 トップ ダ り 払 うこと ができるな づいて破 滅の思 想 を 確
この文 書は、 天 然 資 ウン型の非 石 油・ ガス どと考えてはいけない。 認 する冷 静で示 威 的で
これが自 死 的な国 民
% でに民 営 化 することを つの方 法 は ど う なので 独 占 市 場からの脱 却と 性に極 めて好い影 響 を
用 をもた らしたことは
死 について 多 く を 考
紛れもない。
舞いも優れている。
える国の方 が現 実の振
ロシアの実 業 家 アレ
クサンド ル・マム ー ト
を 享 受 している。 イノ は、ロマン・アブラモビッ
ない。
としてG D Pに1 %の 達 成 するだけでもビジ 方 法に依 存 するのは誤 に奮 闘 しなければな ら が、 国の発 展に良い作 その本 質 的な理 由は 変動が生じる。 国家予 ネス環 境は改 善される りである。
であろうか。
じ 事 が 起 きていないの 変 動 すると、 その結 果 見 込 んでいる。 それを あろうか。 そのような 経 済の規 制 緩 和のため 及 ぼしたとは言 わない
に、 な ぜロシアでは 同 ない。 石 油 価 格が
西 側 諸 国では可 能なの うことに議 論の余 地は すべてを2 0 1 6 年 ま 多 角 化に向 けた も う一 対抗し、財産権の保護、
を 秘 めている。これが な ければな らないとい 源セクター以 外の産 業 生 産を構 築 するという また、 我 々は、 腐 敗に すらある能力である。
術の開 発 源という能 力 この事 実 を 念 頭におか
と ができるハイテ ク技 いかなる変 革の戦 略 も 従えば達成可能だ。
の産 業をけん引 するこ に 依 存 し ている た め、 政 策 についての法 令 に がいる。
特に石 油 業 界は他
にすることが可能だ。
にむ らがなくなるよ う 額に大 き く 後 れをとっ 必 要 がある。 プーチン DP 成長率に2%を付 そのよ うな 試みに失 敗
高値と最低値間の変動 石油産業における投資 投資の流入を助長する に 上 昇 し、ロシアのG で、 アメ リ カ で さ え、
正しく悟り 生きる
資金と洗練された金融 独 占 市 場のガス産 業に うすればよいか。 天 然 キ ングで、ロシアが 現 教 授は﹃壊れた夢の大 執 拗な想念がある。し
しかし、 手 厚い救 援 は る か に 効 率 が 良 い。 依 存を軽 減 するにはど ジネス環境の現状﹂ラン のジョシュア・ラーナー 記 憶 や 終 末 についての なっている。
験している。
が影 響されることを経 民 営 企 業のノバテクは て左右されるのだ。
変 動によって その盛 衰 所 有 権 と 競 争 にあ る。 算 額は石 油 価 格によっ だろう。
年 前にはそのよ う かる。
資本投資の健全な還元 奨 励 することはド ミノ 入 を G D P の2・7 % 立方㌧の石油と約
い﹂の罠にはまってしま
もその国が﹁資源ののろ
か ら といって、 必 ず し
天 然 資 源 に頼っている
ある国が主要産物を
ある。 しかし、 我 々は り、この分 野の拡 大 を 年︶に上昇し、 国家歳 つあることか ら 約
に有効・合理的に再配分されて いるのかを疑問視する声が強い。 新たな技術開発、 産業育成には どういう姿勢で臨む必要がある のか。 資源政策に詳しい専門家 が論じた。 何 十 年 に も わ た り、
うわけではない。 ノ ル ウェー、 カ ナ ダ、 オースト ラリアは豊 富 な産物を民主主義と繁 栄の共 有と同 時に達 成 し て き た。 最 近 で は、 豊 富な天 然 資 源を持つ 開 発 途 上 国がいかにし 成 長できるかをチリが
て安 定 した 民 主 主 義へ 示してくれた。 もちろん、 鉱物依存 型の経 済も産 物 価 格の
さらにひどいことに、 ている。
一つ目はエネルギーだ ベー ションに 関 連 す る チにごく実 用 的な助 言
溝口の﹃雨月物語﹄に
これまでに著 された 決して忘れない。
サー ビスに投 資 するな た めの努 力 をしていな るのではな く、 石 油 製 家には 同一の支 援 が 受 はよ うやく2 人が同じ が文 学 作 品においても 書 物の中でおそらく最
私 は、 侍 の 倫 理 そ 短篇﹃鼻﹄を挙げたい。
のものが慈 悲 を 促 すと 自 身の心の病 を 呪 われ
ロシアでは そ れは 非 は信じず、 自 分にそれ た ものと してでは な く
ア ブ ラモ ビッチ はこ かは分からない。
う言った。﹁きみは一切
日 本 文 学では芥 川の
に理 解 している政 府 な 二 つ 目 は 長 期 間 に わ て5 年 後、これらの小 こへも 逃 げ 隠 れで き な れほ どまでに内 向 きで は、山本常朝の﹃葉隠﹄ 存している。
目は航空宇宙産業、そ 実に投 資の成 果を確 保 ロシア経 済で鉱 業 製 して 四つ目 は バイ オ テ できるであろう。
こと は な かった か ど う
ロシアの権 力 が 資 源 ら、 独力で変革が生じ たって名 声 を 確 立 した 企 業の多 くが 中 企 業へ くなるまで明 確な返 答 なければ自 殺で果てる であろう。
% を 占 めてい している官 僚 制 度に握
今日、 小企業がGD が どのよ うに終 わるか 難の対 象であるが、 日 らの原 則が守れるとも 個 性 あるいは特 異 性と
ガス プロム やロス ネ 割を軽 減させたいなら の産 業 を 振 興 するのに Pにおいて占 める 割 合 を憶えているのかい?﹂。 本の価 値 体 系において 思っていないが、 そ れ みな すことを 読 者に教
なし、 間 違った 世 界 秩 の思 想の上に築 かれて ありえないことを 万 人
日 本の料 理 もリスク くては正 しい生 き方 も
死が正しく悟 られな
%にす ぎない。 適 ﹁ こ の 取 引 で か い?﹂。 自 殺は神 聖さの属 性で らを愛でる心を妨 げる えてくれた。
年後に連 めよというわけだ。
ことで、 我 々の知 識 集 て﹂。まさにそこから始 最 高のヒロイ ズムとみ モス クワ 郊 外 のスコ 約型経済は
金 し か 研 究 開 発 に 投 差し向けなければなら る。 我 々は鉱 業 製 品がこ 資していない。これは、 ない。
∼ %にもなる。
金に依 存 しているた め も収 入の1 % 程 度の資 能 性 を 持つセ クターに する優 遇 税 制 措 置であ 切な措置を今採用する ﹁ い や、 す べて に お い ある。 日 本 人はそれを ものは何もない。
油とガス産 業からの資 フチのよ うな 大 企 業で ば、 投 資をより高い可 必 要な措 置は企 業に対 は
ビス産 業の大 部 分が石
る。 実 質 的には、 サー られているからである。 品 が 担 う 支 配 的 な 役 クノロジー だ。 これ ら
予 算の
製品による収入が連邦 油とガスに完 全に依 存 解しているはずだ。
データによれば、 鉱 業 産業を基盤に持ち、 石 ることはないことを 理 応 用 数 学である。 三つ と成 長 することで、 確 を避け続けた。
に依 存 している。 公 式
鉱 業 製 品 に よ る 収 入 ことだ。
ロシアの連 邦 予 算 は どして無 駄にしている い。 開 発の意 味を本 当 品 を 売 る 必 要 が あ る。 け られるべき だ。 そし エレべーターに乗ってど 日 常 生 活においても そ も有 益で刺 激 的 な一冊 も優しさと厳しさが並
うのは危険だ。
として受 け 入 れてしま ではなく、 非 生 産 的な 新 しいものを 創 造 する が、 単に石 油を輸 出 す 事 業 を 行っている 企 業 を 求 めたところ、 相 手 も 描 かれている。 芥 川
これを自 然の成り行 き 産 業 開 発に投 資 するの 我 々は自 らの手で何か
たからである。しかし、 のは、 資 金を生 産 的な
富の有効活用こそ必要
ロシアの鉱 物 資 源 に 対 する世 界の需 要は極 めて大 きい。 石 油と石 油製品の輸出は過去 年間で1億2000 万 ㌧から2億4000万 ㌧、 輸 出 額 に す れ ば500億㌦から 3900 億㌦まで上昇 し た。一方 で、 ロシア 工 業 製 品やその他の産
のノウハウを 活 用 し た 業に対する需要は減少 している。 これは あ ま り 驚 くべ
正 直 なところ、 私 は 序の受 容を拒んで自 ら いる。 フグと 死 は 味 が に知 らしめてくれた日
本紙は8面ともロシア政府発行紙「ロシア新聞」により制作、発行されたもの で、文責は「ロシア新聞」が負っています。 本紙の記事は個人的に使用する場合を除き、その転載、転売、譲渡はすべて、 「ロシア新聞」の文書による許可なくしては禁じられています。記事や写真の利 用を希望される方は、下記の連絡先までお申し込み下さい。
き事ではない。 鉱 業 製
私 は、ロシア が 四つ ルコボ・イノベーション・ 邦 収 入の %に相 当 す
編集兼発行 ユージン・アボフ Eugene Abov 編集デスク アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova 編集アシスタント ナタリア・ススリナ Natalia Suslina 電子版編集 セルゲイ・パシェンコ Sergey Pashenko デザイナー アンドレイ・シマルスキー Andrey Shimarskiy 編成担当 ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya レイアウト イリーナ・パブロワ Irina Pavlova サブ編集者 三瓶良一 ゲスト編集者 飯島一孝 インフォグラフィック ガイア・ルッソGaia Russo、 ナタリア・ミハイレンコNatalia Mikhailenko、 アントン・パーニン Anton Panin 写真 ダリア・コジレワ Daria Kosyreva 広告 ユーリア・ゴーリコワ Julia Golikova
︻ヤポーニア誌抄訳︼
より有 効に活 用しなけ することができるよ う の分 野で世 界 的なリー センターにある企業は、 る額 を 占 めることが可 人 生でこれ以 上の助 言 命 を 絶つ。ロシア 人 は 似ている らしいが、 死 本に栄光あれ。
の国にもたらした富を 関連産業の開発を刺激
編集スタッフ
品の輸 出が増 加 するに
編集委員会長 アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko 社長 パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa 編集長 ブラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin
を 与 えたことも受 けた どんな世 界 秩 序にも順 ぬこと は あって も そ れ
「ロシア新聞」 の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する特殊折 り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています: 毎日新聞(日本) 、 中国ビジネスニュース(中国) 、 サウス・チャイナ・モーニ ング・ポスト(中国・香港) 、トゥデイ(シンガポール) 、中央日報(韓国) 、エコノミッ ク・タイムス(インド) 、NAVBHARAT TIMES(インド)シドニー・モーニング・ヘラ ルド(オーストラリア) 、ザ・ワシントン・ポスト(アメリカ) 、デイリー・テレグラフ (イギリス) 、ザ・ニューヨーク・タイムス (アメリカ) 、ウォール・ストリート・ジャー ナル(米国) 、ラナシオン(アルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、 エル・オブザバドール (ウルグアイ) 、フィガロ(フランス) 、南ドイツ新聞(ドイツ) 、 エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプッブリカ(イタリア) 、ルソワール(ベルギー) 、ヨー ロピアン・ボイス(ベルギー) 、ドゥーマ(ブルガリア) 、ジオポリティカ(セルビア) 、 ポリティカ(セルビア) 、ELEUTHEROS TYPOS(ギリシャ)
ダーになり得ると考 え すでにこのよ う な 恩 恵 能である。
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つれ、 それが 経 済にお
知 的 商 品の販 売にまで
のです。必ずしも「ロシアNOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。
ればな らない。 問 題 な な金額ではない。
女の子に囲 まれて席に 人 もの大 富 豪とその家 がなくなってしまった。 新たな図 書 館 クラブ 族 を 相 手に終 日 ピョー
万ルーブル
本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、
いて担 う役 割 も増 大し
50 10
お手紙をお寄せ下さい
㌦にのぼっている。
10
講 演の流 行にはそれ ト ル1 世 について 話 を の原 則で営 業 している なりの理 由 がある。 例 し、 その後 食 事 がふる のは サ ンク ト ペテル ブ
座ることは全く別だ。
フグ料理にみるリスクの思想
50
加し、今では 100億
20
50
も う一つの 人 気 の 理 達 した。この知 を 求 め
依 頼 側の負 担でモス 書 館 が 衰 退 し たこ と。
漫画による風刺などは、様々な意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたも
広大な国土を背景に石油・天 然 ガス大 国 を誇るロシアでは天 然 資 源に依 存 する 体 質 が 国 全 体の産 業 バランスをいびつなも のにし ている。 石 油 や天 然 ガス 生産による国の収益が国内経済
いかに自 分 を 賢 く見
ドミトリー・ブイコフ 詩人兼作家・反体制派指導者
1050
クワまで飛 行 機で移 動 作 家 と 会ったり、 講 演 は、 正しく風 向 きをと し、 高 級 車の出 迎 えを を聞 きに行 く以 外の目 らえたわけ だ。 受 け、 郊 外の別 荘で何 的で図 書 館に行く意 味 ︻アガニョーク誌抄訳︼
ロシア下院は 2012 年7月、インター ネット規制法案を可決した。児童ポルノな ど有害サイトの規制が目的とされているが、 検閲につながるとの懸念も起きている。
エネルギー省副大臣 パーベル・フョードロフ
カッコよく賢く見せる
60
えば、 消 費 時 代が終わ ま わ れ、 高 級 車 で 空 ル クのマヤコフス キ ー もあった。 現 在 は 双 方 あさん数 人と並んで席 り、 知 的 満 足への需 要 港 ま で 送って も ら う。 図書館などだ。 ロシアの ビ ジ ネ ス は ある詩 人 兼 作 家 ブイコ サ ンクト ペテル ブル ク
10
ロシア経済学院(モスクワ)学長 セルゲイ・グリエフ ロシア下院エネルギー委員会議長 イワン・グラチョフ
的 イ ンタ ラ クティブに に座ることと、 反 体 制 が生 まれたという 考 え 講 演 料は
テーマを選べる。
1 9 9 1 年、 ルナヤ・ガゼータ(文学新 モ スクワ 国 聞) 』などに掲載される。 立 大 学ジャ 一連の詩集、長篇小説『 ーナリズム学部卒業。中学 正書法』 (2003年)、 『最も 校で国語(ロシア語)と文 近 い 戦 争 のクロニクル』 学を教える。様々な新聞雑 ( 2 0 0 3 年 )、 『正当化』 誌の評論員、社会政治評 (2005年)、 『プーチンはい 論部副部長などを務める。 かに米国大統領となった 映画、文学、政治の問題 か:新ロシア御伽噺』 (2005 に関する記事を執筆し、雑 年)、 『避 難 業 務 従 事 者』 誌『イスクーストボ・キノー (2005年)、 『生に代えて』 (映画芸術)』、 『セアーンス (2006年)ほかの著者。 (上映)』、 『アガニョーク( 『ナショナル・ベストセラ 灯)』ほか、新聞『エクラー ー』賞受賞(2006年『パス ン・イ・スツェーナ (スクリー テルナーク』)。2010年、テ ンと舞台) 』 『 、リチェラトゥー レビ番組『油彩画』のMC。
E-mail: jp@rbth.ru ホームページ: http://roshianow.jp 電話: +7 (495) 775 3114 ファックス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2012, FGBU «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.
せ る か というのが、ロ シアで 流 行 に なってい る。 たとえそれが見せ
10
41
非資源セクターに 投資を強化せよ
無駄な配分を排し 新技術に支援を
講 演 会で元 気なおば フ氏の講 演 会で可 愛い の歴史学者は個人講演 由は、 電 子 書 籍やデジ る流 行が成 長を続 けて 会でかなり稼いでいる。 タル化 時 代の到 来で図 行くことは確かだ。 流 行に敏 感 なイリヤ
GQ 誌、アガニョーク誌、 コメルサント紙のコラムニ スト ドミトリー・グービン
出典:世論調査センター・レバダ (複数回答可)
10
25
なり、 講 演 者は好 きな 派 指 導 者として人 気の 方 がある。 知 り 合いの ︵約 万円︶単位だ。
10
か け だ けのもので あっ たとしても。
う と、 モスクワにある
80
25
歳のイリヤは﹁モ ゴーリキー公 園は単な 行ったらいいかな﹂との に敏感な人々が集う場
スクワのどの﹃講演﹄に る公 園ではなく、 流 行 質 問を私に投 げかけて 所となっている。この公 きた。これは﹁賢 くな 園に行けば現在流行し くべきか﹂という質問と かるのだ。
るにはどの﹃公園﹄に行 ている ものすべてが わ 公開講演会はソ連時
インターネットの検閲
ナタリア・ミハイレンコ
10
ど ういうこと かとい 代にも、ソ連 崩 壊 後に
セットになっている。
75
10
石油企業への 増税はマイナス 公園で流行知り 知を求め講演に
石油・ガス依存のロシア 20
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW 2012年(平成24年)11月8日(木)
5 オピニオン
年に
ローマンスタイル・レス かけ、 講 道 館で嘉 納 治
スタイル お よ び グレコ 1 9 1 1 年から
ウオツカにはこれ
技を借 用し、 イギリス 道 二 段を得た。 彼は数
リングの禁 じ手 を 含 む 五 郎の教 えを 受 けて柔 式 およ びフランス式 ボ 種類の中国拳法のほか、 クシングの打 撃 や 当 時 イ ギ リス 式 ボ クシング の犯 罪 社 会が編み出し や拳と足による打 撃 が 取り入れた。
クシング ︵サバット︶ にも
たものなど独 特な技 も 許 されるフランス式 ボ
サンボの創 始 者 た ち
例えば、サンボのホー 通じていた。 と してのシステム を 普 ル ド には グル ジア、 オ
ロシア発祥
サンボ これぞ格闘技 サンボは柔道を始めとするさまざまな格闘技を融合させた ロシアで最もポピュラーなスポーツ格闘技である。 国際サン 万人を超えており、これほど多くの人がサ
ボ連盟︵FIAS︶ のワシーリー・シェスターク会長は﹁ロシア のサンボ人口は ンボにいそしんでいる国はない。 柔道の生みの親の日本人と すべきである﹂。
ロシアのウ オツ カ は ウォツカの肴 に す る 時
特別な民族の伝統文化 は 冷 や して 出 すのが一
般 的で、 時に雪の上に
ウォツカ は 冷 や して 置いておくこともある。
で、誇りでさえある。
飲むのが通の飲み方で、 ❷塩漬けまたは
酢漬けのキノコ 雪 の中 にウォツカのボ 通 常 は、 白 キノコや トルを 置いて冷 やした
りもする。 小さなグラ 厚い菌褶︵きんしゅう︶
スに注 ぎ、 勢い良 く飲 のあ る キ ノコで、 チ チ
み干したら、 ザクース タケや アカモ ミ タケな
カと呼 ばれる肴 をつま ど が 使 われる。 サ ラダ
ボウルにキノコを入れ、
ザ ク ー ス カ は 前 菜、 ひ ま わ り 油 を か け て、
んで食べる。
酒の肴、つまみな どを 玉 ね ぎや青 ネ ギをのせ
意 味 する が、 ウォツカ て食卓に運ぶ。特にウォ
向けの特 別な料理もあ ツカと 合 うのは、 塩 漬
る。 ウォツカのザ クー け チチタケや、 サワー
スカで、 最 も人 気の高 クリームで蒸 し煮 した
る。 ❶ 水 漬 け、 発 酵、 ❸塩漬けニシン
い 料 理 5 種 を 紹 介 す チチタケだ。
ウォツカに 合 う 魚 と
人 気 の 高 い 食 材 は してもっと も 人 気 が あ
塩漬けの野菜
日 本 で は ザ ワー ク ラ ウ ト と いう 名 前 の 方 が な じ み が あ り、 ピ クル スに続 くウォッカの人気の肴と言 える。キャベツがロシアに 登 場 し た の は、 ジャガ イ モ よ り も ずっと 以 前 の 世 紀 だった と 考 え ら れ て いる。発酵キャベツは通常、 晩 秋に作 ら れ る。 長 期 保 存 が き く た め、 多 く のロ シア人にとって冬の食べ物 となっている。
表面に泡が出てきたらそれを取り除 き、箸でキャベツのかたまりにいく つか穴を開ける。
11
のブイヨンが 美 しい琥 の缶詰をイメージする。
❹肉のホロデツまた 珀色と特別な味を醸し ソ連時代、シュプロトィ
客 と と もに、 ゆっく り
している が、 その常 連
リュモ チ ナ ヤ は 存 在
する情熱もない。
まないし、ウォッカに対
代 ほ どアルコールを 飲
今の若 者 は、 親の世
わった。
た が、 すべて失 敗に終
うという 試みが行 われ
に向 けた お 店 をつくろ
かった。収入の多い人々
モチナヤは姿 を 消 さな
そ ん な 中 で も、 リュ
皮肉で覆い隠された。
さ れ、 ノスタル ジー は
の 習 慣 が パロディー 化
1 9 9 0 年 代、ソ連
かない場所だった。
国 民 にとって、 手 の届
ランは圧 倒 的 大 多 数の
なったこ と だ。 レス ト
級の人が集 まる場 所と
の特 徴は、 あらゆる階
戦 後 のリュモ チ ナ ヤ
とってもそうでした﹂。
だけでなく、 犯 罪 者に
した。 法 律を守る市 民
係 構 築の場 所となりま
合、 会 話、 出 会い、 関
﹁ リュモ チ ナ ヤ は 会
ポフはこう回想する。
作 家のワレリー・ ポ
のことだ。
は、 第二次世界大戦後
モチナヤが 花 開いたの
レニングラードでリュ
生した。
に、 リュモ チ ナ ヤ が 誕
︻セルゲイ・ロガノフ︼
でいた。
だし、特に人気が高い。 は 祝いの席に必 ず 並 ん
に し ん・いわ し 類 の
ホロデツもストゥジェ ❺シュプロトィ
けすると特においしい。 バタ ー と ディル を のせ ニ も 煮 こ ご り で あ る。
水 漬 け、 あるいは塩 漬 塩 漬 けニシンと一緒に、
野 菜はオーク製の樽で け て、 風 味 を 添 え る。 はストゥジェニ
トーノフカ・リンゴだ。 はひまわり油 や酢 をか
特 産の甘 酸っぱいアン を 山 ほ どのせる。 通 常 るまうのが一般的だ。
モ やコ ケモモ、ロシア や 細 かく 切った 青 野 菜 特 別 な ライ麦 パンをふ ら 作 るホロデツは、 そ シア人は真っ先にこの魚
ベツ、 ま たツルコ ケモ ンに、 玉 ね ぎの輪 切 り たゆでたジャガイモと、 豚の頭、 豚 骨、 雄 鶏か 小 魚 を 意 味 するが、ロ
キュウリ、トマト、キャ る。 小 さ く 切った ニシ
5 7 日後に 4 をビンに移し、フタを
材料
4 温かい場所に 3 をしばらく置く。
同様、サンボの生みの親である私たちも首位を長く保ってい
❸
❺
サ ン ク ト ペテ ル ブ ル
3 汁がしっかりと出るように、2 を
セ チア、 カ ザフな どの はこの格 闘 技の実 用 性
それを 基に誕 生 した 民 族 格 闘 技からの借 用 を 高 め、一つの 技 が 失
❷
❹
モスクワとは違う
ブナヤが ある が、 レニ
クについてこう書いた。
2 キャベツとニンジンに砂糖と塩を
長いこと 内 務 人 民 委 及させた。 員 部で勤 務 したスピリ
❶
関 節 技 や アッ
スターリン時代には酒 も干渉されない場所で、 レストランなどで、人々 値 段はとても安 く、 静 が身 分に合 わせて場 所 を飲んでつまむという概 を 選 んでいた。 このよ 念 そのものが 葬 り 去 ら
リュモチナヤで杯 パー カット は 伝 統
哀愁酒場の雰囲気
ングラードの男たちは、
ヤロス ラ ブリ 州
ん切りにする。ニンジンはおろし金 で細かくする。
きたい﹂と語る。。サンボがオリンピック種目に採用されてい ないのは不思議なくらいだ。 ︻コンスタンチン・フェッツ︼ ドノフは、 軍・ 治 安 関 コマンド サンボ も 最 近 が感 じられる、 柔 道に 敗 した ら次の技に瞬 時 技には、 帯 を 用いたロ した。 サンボのもう一つの特
である。 例 えば 柔 道で
オ シ チ ェ プ コ フ は く﹁原則﹂を重視する点
さ れている が、 サ ンボ
は 足への関 節 技 は 禁 止 で は れっき と し た 技 で ある。 サンボは1 9 5 0 年 代 から国 民 的スポーツ 格 闘 技 としてソ連で盛 年から国際競技会が
んになった。 1 9 7 2 催 さ れ る よ う に な り、 1 9 8 1 年には国 際オ リンピック委員会︵IO プーチン大統領は﹁ロ
C︶によってオリンピッ ていない。 ク種 目と認 められたも
闘う聖職者
的なキリスト教 的
プロボクサーも
ク 種 目 に なって もいい
ろ サ ンボ が オ リ ンピッ
価 値 観にそぐわな
らし く、 そしてレニン 昔はリュモチナヤはロ うな多様性は1914 れたようだったが、労働 グラード︵ 現サンクト シアになかった。その機 年に禁 酒 令が発 令され 者 階 級 に 何 ら かの楽 し
リュモ チ ナ ヤ はソ連 かで落ち着いている。
頃かと思う﹂と述べてい
発酵キャベツ
ペテルブルク︶らしい酒 能の一部を果たしていた て 消 え 去 り、ロシア 革 みが必要だということは 場 だ。ロンド ンにはパ のは、居酒屋、ピブナヤ 命と内 戦 後の1 9 25 理解されていた。そして 1 9 3 0 年 代 の終 わ り 源﹂ という 人 もい
さ ま ざ ま で、﹁ 罪
ヤで杯を傾ける。
し ん み り と リュモ チ ナ
ブが、 モス クワには ピ ︵ ビ ー ル を 飲 む 酒 場 ︶ 、 年に復活した。
言 葉を贈る人 もい
の 聖 ア ン ド レイ・
クほど人 間の心に重 苦
﹁ サ ン ク ト ペテ ル ブ ル
ドス トエフスキ ー は
者 教 会のシリベス
ストラチラト殉 教
る。
れば、 はなむ けの
聖 職 者の意 見は
まっている。
格闘技が急激に広
教 聖 職 者の間では
い が、 ロシ アの 正
る。 。
サンボにある。 そ ろ そ
のの、 未 だに採 用 さ れ シアの格 闘 技の起 源 は
ロシア通信撮影
ロシア武道スクール ﹃サンボ - ﹄創始者の ダ ビ ド・ ル ー ド マ ン =
丁 の銃 火
行 して お り、 私 た ち は 1 年 間で 約
器 と 2 0 0 本 の刃 物 を 没 収 し、 小 競 り 合 いや 喧 嘩 が あ れ ば 武 術 の技
ます。スクールのおかげ 今もサンボの新技が で 子 供 た ちには 運 命 を 編み出されている?
影響を与える街は稀だ
しく、 厳しく、 奇妙な
作り方
キャベツ 1 個 ニンジン 1 本 塩 スプーン 2 杯 砂糖 30㌘
して冷蔵庫に保管する。
係 省 庁の勤 務 員 にとっ まで万 人 向 けのもので は な かった 帯 をつか む に移 れる方 法 を 考 え出 彼 はソ連の諸 民 族の シアやタタールの格 闘
サ ン ボ は 1 9 3 8 創 造に起 点を置 き、こ 一助 と な り、 そ れ が 勝 て の 実 用 性 を 重 要 視 はなかった。 年に誕 生したとされる う 記 し ている。﹁ 自 己 利をもたらすならば他 し、 部 外 者は対 象とせ を 用いて勝 利 を 収 める ゆる有 益 なものを 借 用 のた めのス ポ ーツ競 技 良 さを 利 用 し、フリー
が、 その創 始 者 を一人 防御術はあらゆる手段 のシステム か ら も あ ら ず、 もっぱ ら 当 該 省 庁 自 己 防 御 術 や 柔 術 の 技の影響が見てとれる。 色 は 技 そのものでは な 一般 には、 サ ンボの
挙げるのは難しい。 最 初の指 南 書 となった
﹃ 格 闘 技 サ ンボ ﹄ の 著 者、 アナト ー リー・ハ 者とみなされているが、
ルラム ピーエフが 創 始 ビクトル・ スピリドノ フをコマンド︵コンバッ ト︶サンボ、ビクトル・ オシチェプコフをスポー する見方もある。
ツサンボの生 みの親 と 帝 国 軍の二 等 大 尉で 露日 戦 争と第一次 世 界 大 戦を経 験したスピリ
アメリカへ行った時、 私
特 に 外 国 で。 数 年 前 に 連想して。
サンボの人気はもちろ のチャンピオン、 フョー 度 も3 度 も 世 界 選 手 権 も用いました。 ん 高 ま りつつあ り ま す。 ドル・エメリヤネンコを で優勝している強者がい
ス クー ルを 創 設 し た サンドル・エラストフ︼ ま し た。 け れ ど も 今 な ら、この単語を目にする 際、 私 は 生 きて き た 甲 サ ン ボ は 世 界 で 人 気 とみんな﹁フョードル!﹂ 斐 が あった と 感 じ ま し と叫びます。ロシア出身 た。 卒 業 生 の 中 には 2 があると思いますか?
な どを 聞いた。︻ アレク ﹁ ダンス?﹂ と 間 違 わ れ ですか?
柔術やレスリングなどを融合 人は
その う ち 8 人 は 功 労 ス
1万8000 人が学び、 ポーツマスター、 ﹄ は 300 人はスポーツマス ロシアの子供たちは﹃サ
- ﹄に入門するこ
ト ル 主 任 司 祭 は、
響に他ならない﹂。
ろ う。これは気 候の影
先のロンド ン五 輪 心の指 導 者 となっ
でロシア 選 手 団の
月に始 ま
サ ンクト ペテル ブル クの 冬 は
り、 4 月 末 に 終 わ る。
聖 職 者の間でプ
ていた。 ロの 格 闘 家 に なっ
湾から吹いてくる肌を めじめとした空 気。 温
つきさすよ うな 風、 じ かな 地 下 鉄のロビーか
リ 州 バルイ キ ンの 聖 生 神 女イコン教
ている 人 は、 ト ベ
会のセルギイ神 父
ら、 お 店 ま での 道 は、 かけ抜けるしかない。 リュモチナヤ︵小さな
セルギイ神 父は
アルコー ル 用 グラスの
1 キャベツの青い葉を取り除き、せ
しんみりと
キリール・ラグツコ撮影
1人だけだ。
開 催されたボクシ
5 月にモスクワで
場︶は、 酒を飲み、 熱
リュム カを 意 味 する 酒
チャツカ﹂の一角。 ア = レクサンドラ・アニーキナ 撮影
モスクワにもリュモチ ナヤが人気だ。中心部 に新しく出来た﹁カム
い肴 をつまみ、 誰 か ら
ングの試 合に出 場 リングに上がった。
し、 初 めて プロの
もっと読む www.roshianow.jp/ 39565
加え、汁が出るまで手でもむ。
ペテルブルクの趣
▲ 「セルフサービス」の表示。 サービスは期待していない。
ドノフは1 9 20 年 代 に融 合 的 なシステムの
-
ロ シ ア 武 道 ス ク ー 国 際 クラスのマスター、 ル﹃ サ ン ボ そこから、 将 来の世 界、
1970 年に創設され、 ターになった。 欧 州、ロシアのチャンピ ンボ オンとなるサンボ、相撲、 とを夢み、憧れの創始者
名選手輩出
長い冬に似合う味
▼ 酒のつまみに過度な要求を してはいけない。
▼ 「エレベーター故障」の表示。 特に珍しいことではない。
柔 道、 空 手、 体 操 な ど ダビド・ルードマンの人
-
70
あ な た は ス ク ー ル 好転させるチャンスが生 は﹁Co m ba t s a 以前﹃1000の痛め m bo ﹂つまり﹁格闘サ ﹃サンボ ﹄の創設を まれました。 技﹄ という本を上 梓し、 これですべて記 述できた
ることが 分 かりました。
1943 9 3年 年 クイビシェフ市 クイビ イビシ 市 に生まれる。クイビシェフ 技術建設大学、モスクワ技 術建設大学大学院卒業。 1959 年 サンボを始め る。 その 後、 サンボ 初 代 チャンピオン。専門学校『サ ンボ 70』を創設。アメリカ 柔道サンボ協会会長。 1969 年 柔道欧州チャン ピオン(個人) 、柔道世界選 手権で銅メダル。 1970 年 柔道欧州チャ ンピオン (団体) 。 現在はニューヨーク在住。
のスポーツ選手たちが巣 気は 年代の宇宙飛行士
ロシア通信撮影
ンボ﹂ という文 字の入っ ご 自 身 の 最 大 の 業 績 と
WWW.ROSHIANOW.JP
70
の人気に優るとも劣らな
すか?
も ち ろ んで す。 建 設 新 しい 技 が 現 れ た ので 大 学 の 学 生 だった 時 分 す。 そ れ を 加 え る と 数 にコムソモール︵共産青 が合わなくなるので頭の 年同盟︶の自警団を組織 痛いところです。 その本 し、後に市の自警団の本 には 攻 め 技 と 守 り 技 が
ダビド・ルードマン氏
11
14
部 長 と な り ま し た。 市 500 ずつ紹介されてい
い。メールの先は jp@rbth.ru です。
70
内ではフリガン行為が横 ます。
取り上げてほしい話題やご意見をお寄せ下さい。お気軽に日本語でメールして下さ
41
年間に同スクールで い。 本人にサンボの魅力
ロシアNOW電子版の隠れた人気コーナー。楽しみな がらロシア語の雰囲気に触れられる。写真上は『絵で見 るロシア語辞典 第 2 部 ロシア人のジェスチャー』 。
47
ロシアNOWの電子版で、生活の様々な分野を紹 介する美しいスライドショーをお届けします。写真上 は 10 月にノブゴロド市で行われたキャベツ祭。参加 者は伝統的なロシアの村で行なわれるように、キャベ ツを刻んだり漬け物にする。そしてキャベツの酢漬け からできた料理を試食することが出来た。
た帽子をかぶっていたら、 み な し て い る の は な ぜ 実 生 活 で サ ン ボ の 技 と思ったのですが、 再版 を 用 い た こ と は あ り ま する段になって、 まだあ
ナタリヤ・ミハイレンコ
立っている。
サンボ塾盛況 画像 絵で見るロシア語辞典
70
押し固める。お皿をかぶせて、その 上に重しを置く。
ニョーク誌抄訳︼
︻レフ・ルリエ、 アガ
ちになる。
る。 どこか 寂 しい気 持
と 姿 を 消 そ うとしてい
オリガ・アイヘンバウム撮影
30
スライドショー
20
国民的人気 電子版のマルチメディアコーナー
70
2012年(平成24年)11月8日(木) スポーツ・くらし 6
ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
バイカル見ずして ﹁バイカルを見て死ね﹂という表現はロシア の七 不 思 議の一つにうってつけである。 水 深 ㍍の澄んだ水は酸 素にあふれ、 その特 性 は蒸 留 水に近い。ここを 冬に訪 れれば、 超 硬 硝 子の上 を 渡 る よ う だ。 露 日 戦 争 時の 190 4 年には凍結した湖に鉄道が敷かれ 両の蒸気機関車が2300 両の貨車をけ ん引した。 春には氷が割れて、 震える水が 姿を見せる。シベリアっ子はこの湖を﹁淡水 の海﹂と呼んでいる。︻ダリヤ・ゴンサレズ︼
雄大な ﹁ 淡 水 の 海 ﹂ 自然との一体感満喫 桟 橋を出た小 船の舵 かな天候を告げている。 手が不機嫌そうに緑色 上 方から風が吹 けばバ の山脈を見てこう呟く。 イカル湖の南 は 嵐にな な 表 情 があり一度にす を 打 ち、 ヒグマた ちは
﹁ バイ カ ル に は い ろ ん り、 高さ4 ㍍の波が岩 べてを 見ることは 無 理 石の多い岸 辺 か ら 松の 地 球 物 理 学 者たちの
です。 静 かで穏 やかな 森へ身を隠す。 印 象を覚 える人 もいれ ば白 波 や切 り立った 花 見 解によれば、 バイカ 崗 岩にしかお 目にかか ル 湖 は 約 2 5 0 0 ∼ 3000 万年前に形成 それは年に2 ㌢ ㍍ ほ
バイ カル 湖 は アジア された。
れない人もいます﹂。 のほ ぼ 中 央 に 位 置 し
バイカル湖クルージ ング観光の出発点とな る桟橋。1時間コース から1か月コースま でそろっているところ がバイカル湖の雄大 さを物語っている 。= 撮影 LoriLegionMedia
アンガラの恋 こんなバイカル伝説があ る。 父 な る 湖 バイカ ルには 336の息子の川とアンガ ラという一人娘の川がおり、 それらはみな父なる湖に注 いでいた。 と こ ろ が、 ア ンガ ラ はエ ニセイ︵川︶に恋をして彼の もとへ逃げることにした。 そ れ を 知った 父 バイ カ ル は行く手をふさご うとし て シャーマンの石を投げたが、 アンガラは逃げおおせた。 すると、 バイカルは後を 追 わ せ るべく自分の甥のイ ルクートを遣わした。 イルクート は アンガ ラが 気 の 毒 になって 後 を 追 わ ず 戻ってしまった。そして、ア ンガ ラはエニ セ イと 結 ば れ てそのまま先へ先へと流れて いった。
共存する宗教
﹁ な ん だ?
していた。
世 紀のモ
の多くは外 国 人が経 営
が強く、 商店街は外国
スクワは 特にその傾 向
商人が支配していた。
商 人 た ちとモスクワ
当局の関係をニコライ・
﹁行政の介入は、我々
当 時 のロシアの価 格 の習慣と伝統であった。
﹁パリでの最高級のホ 想した。
フ ラ ン 勝 利の誇 りが 財 布への あった。 値 段の高い店 か かっている た め、 信
生 活 費の最 もかかる ﹁こ りゃぼった く り だ。
このコス ト を カ バー す
ロシアの商 人 た ちは
用が低かった﹂。
都市は東京で、 大阪も こん な 物 置 みたいなの
げた。 外国商人も同様
るた めに値 段 をつり 上
か?﹂と商人は叫んだ。
は 我 々のペテル ブル グ
3位にランクされた。
の214 都市の200 というのに、ここじゃ4
商 人 は、 モスクワや
の品 物とサー ビス︵ 住 ルーブルだ。 ﹂
居、交通と娯楽を含む︶
トップは﹁何か問題が出
事 務 所を構える商 社の
現 代でもモスクワに
現代にも通じる
段を米 ドルに換 算して は 違って人 気の観 光 地 各都市を比較した。
しかし、こういう 指 いた。
くらくらするよ﹂といつ
を要 求しにくる。 もう
をリースするのがいい。
系大手商社から事務所
そんな時は他の外 資
も愚痴をこぼす。
フ ラ ンスの 外 交 官
標 が 全てではない。 昔
1 8 3 9 年 にニ ジニ・
りようとした。
ノブゴロドで部 屋 を 借
愚 痴 はその商 社のトッ
プにこぼさせるのだ。
よ うやく飲み屋で部
ナ リス ト のニコ ライ・ 屋 を 見つけた。 部 屋 か
∼
室の る。 こ こ 2 年 で、 三
し た。 良 い 客 室 は、
調 査では、 高 級ホテ 4 0 0 0 ∼ 5 0 0 0
業しています。
な ど 新 しいホテルが 開 ホ テ ル が 数 十 軒 開 業
小 さなユースホステル つ 星 の デ ザイ ナ ー ズ・
位 がワシント ん。 毎年、
の booking.com
ロシア旅 行 業 同 盟の
この調 査 は 正 確では ユー リ ー・ バル ズイ キ
サ ない。 顧 客 獲 得 競 争な ン副 会 長は﹁夏 季は割
しかし、公式統計では、
% 安 くなることも
︻ コメ ル サ ン ト 紙 抄
モス クワには、 ホ テ 訳︼
あることが分かります。 しますから﹂。
も3 7 7 軒のホテルが は 行 くのを ちゅう ちょ ある﹂と述べた。
モスクワには 少 な くと 高いと言 えば、 旅 行 客 大
イトにアクセスすると、 んで す よ。 モス クワが 引 サー ビスがあり、 最
﹁
張し、次のよう語った。
ンほど高 くない﹂ と主 かったようです。
クワのホ テルはロンド しいホテルは 含 まれな つけることができる。
プラソフ副会長は﹁モス テルが対 象となり、 新 ∼12000 円︶で見
ホ テル 連 盟 のワ ジム・ ルや 三つ星の有 名 なホ ルーブル︵約9 7 0 0
ロシア・レストラン・
ロシア側は反論
ンという順となった。
が来て
シドニー、 香 港、 パリ その半 分 しかありませ ル が 4 0 0 軒 以 上 あ
コメルサント紙︼
︻セルゲイ・ミナエフ、
1 8 9 0 年にジャー
世紀の値頃感
ものだった。
設定は横暴で馬鹿げた ド・ キュス ティー ヌ は
か ら、 モスクワの価 格 で 作 家 の アス ト ルフ・
てくると、 誰かが賄 賂
では ないこと を 忘 れて
の値 段 を 調べ、 その値 ペテル ブル グは パリと
に値上げした。
マーサー 社は、 世 界 では1 日 半ルー ブルだ
クワが4位になった。
費 ランキングで、 モス
主要都市における生活 る情景が描かれている。 り高くついた。けれど、 設 定は横 暴で独 裁 的で 裁 判 所の判 断は賄 賂に
た20 1 2 年の世 界の 屋 を 借 りよ うとしてい テルの一番 高い部 屋 よ
社﹁マーサー﹂が発表し で、 相 場を知 らずに部
3位に大阪 とい う 本 には、ロシア ら れ、 ベッド が そこに 負 担を慰 めてくれた﹂。 ビシュニャコフが次のよ コ ンサ ル ティン グ 会 の商 人 と その妻 がパリ 置かれた。 そう外交官は当時を回 うに描いている。
モスクワが世界4位 生活費、トップは東京
ブリャート共和 国 では シャーマニ ズム、仏教︵写真 上はチベット仏教 の僧 侶︶ 、 正教な どが共存している。 ある村にはルー シ︵ロシアの古称︶ の生活様式を今も 保っている古儀式 派の人々も住んで いる。 道 沿いで見 ら れるカラフルな リ ボ ンや 布 切 れ を 結 わ えつ け た 木︵写真左︶はブ リャー ト の シャー マニズムの神聖な 場所オボーである。 シャーマニ ズム は モ ンゴル や チベッ トから伝えられた 仏教に溶け込んだ。 丘の頂には仏舎利 塔も見てとれる。
19
レイキンによ り 出 版 さ ら 全ての客 が 追い出 さ
れた﹁海外のロシア人﹂ れ、 テー ブルが片 付 け
モス クワのホ テルは
世 界一高く、 平 均 宿 泊
費は1 部屋3 24ユー
ロになる。 世 界で最 も
宿 泊 費 が高い街のラン
キングを英 国の旅 行 代
理店﹁ホッグ・ロビンソ
ン・ グループ﹂ が作 成 した。
モスクワのホテルは、
8 年 連 続で首 位を保っ
リアのラゴスで、 3 位
ている。2位はナイジェ
モスクワの宿泊費
て い る。 そ の 海 抜 は ど 広 がり 続 けている 地 海抜ゼロ㍍を1200 れた巨 大なくぼ地にあ
バイカル断 層 地 帯と
4位はチューリッヒだっ
はスイスのジュネー ブ、
暗い中でもひときわ目立つ
445 ㍍だが、 湖底は 殻の断 層 によって 限 ら り、 バイカル湖 は 誕 生
高い山 脈で囲 まれた しつつある 大 洋 なのだ
㍍ほど下回る。 バイカル山 地に横 たわ との仮 説 もある。 地 球 ㍍に及 び、これは ちょ カル湖に注 ぎ始 めたと
る湖の長さは63 6 ㌔ のすべての河 川 が バイ う どモスクワ・ サンク しても、 それを 満 た す シベリ アの 作 家 ワ レ
ト ペテルブル グ間の距 には1年かかる。 離にあたる。 湖の面 積 は約1000 万の人口 ンチン・ ラス プー チン を 有 するベルギーとほ はバイカル湖についてこ ぼ同じである。
う記している。﹁バイカ そして自 然に浸る感 覚 メロンは、そこに﹃タイ きつけ た。 世 紀のは ざ
ア ン ト ン・ チェー ホ 基 盤 をも求 め、 すでに そ の デ ー タ を も と に に近いイル クーツクや
といった 映 画の科 学 的 遠 鏡 が 湖 に 設 置 さ れ、 震が起こりやすく、 湖
バイカル湖は、 地 球 ルはその偉 容と規 模で を 味 わわせてくれると タニック﹄や﹃アバター﹄ まにはニュー ト リノ 望 呼 ばれるこの地 域は地 かかれない多 種 多 様な わ れ、 そこでは すべて
の他の湖 沼ではお 目に 人 間を圧 倒 するかに想 ころは他にない﹂。
70
イリイチ広場駅の円柱は赤大理石で造られ ている。駅校内のほとんどの円柱でオウムガ イなどの頭足類、腹足類、または腕足類の 軟体動物の殻を見つけることができる。また、 数は少ないものの、ベレムナイトやアンモナイ トもある。
ネイロ、 ニューヨー ク、
30
イリイチ広場駅
た。続いて、リオデジャ
20
アンモナイトも見られるよ
動植物や魚類や微生物 が大きく広く雄 大で謎 フ、ニコライ・リョーリ 学 術 チームに伴 われて 2 0 1 3 年 3 月 には、 ブ リ ヤ ー ト 共 和 国 の
地下鉄のホームで電車 を待っている間、 もたれ かかっている壁に目を向 けてはどうだろうか。よ く見ると、壁の表面には、 数億年前の海底に沈んだ 古代生物の化石がある。 地 下 鉄 駅の円 柱、 壁、 通路などには、化石が含 ま れる 堆 積 岩 や 変 成 岩 の石材がよく使われてい る。中生代の海に生息し アンモナイト、 ベレムナ
ていた珊 瑚、 海 綿 動 物、
ツベトノイ・ブリバール駅からトルブナヤ駅 に通じる通路の階段を上がった後、ゆっくりと 歩いてほしい。茶色がかったつやつやの壁面 を見ると、さまざまな生き物の化石でうめつく されていることに気づくはずだ。これらは、か つて温かい海の底に生息していた、腕足類や 腹足類の殻、珊瑚の枝、二枚貝軟体動物の殻 の一部などだ。
バイカル地 方の年 間 日 照 時 間 は カ リフォル ニアに次いで世界2位。 ゴロウストノエ村では一
小 舟 は 石 の多い岸へ
などが、当時の姿のまま
イ ト、 腕 足 類、 腹 足 類 残っている。 好奇心がま すます募っていくはずだ。
ドブルイニン駅
10
ツベトノイ・ブリバール駅∼トルブナヤ駅
GettyImages/Fotobank 撮影
もっと読む www.roshianow.jp/ 39099
オウムガイ見るならここが一番
GeoPhoto 撮影
スクワ・ニュース紙︼
壁面は古代生物の世界
を 宿 している比 類 なき めいている が、 そ れは フ、ジェームズ・キャメ 潜水艇で湖底に潜った。 2、3 日 前の地 震 予 知 諸 都 市では強い地 震が
山
10
ボロビツカヤ駅と共用されているレーニン 図書館駅の通路の階段の頭の高さのあたりに 腹足類のらせん状の大きな殻の化石を見るこ とができる。暗い場所だがとても目立つ。こ の周囲にも、多数の小さな殻の化石を見るこ とができる。
監 督 や作 家 もさるこ を可能とする水中科学 時々観測されている。
空
世界一高い?まさか
レーニン図書館駅
逆に人 間 を 高 めてくれ ロン⋮。 バイ カ ル 湖 に
バイカル湖ではベテランも初心者 もパラグライダーに最適な場所を見 つけることができる。パラグライダー 乗りたちがやってくるのは、長時間の 飛行を可能とする天候の条件がそろ う 3 月から 10 月にかけてである。
バイカル湖周辺の環境汚染が 懸念されている。湖に流れ込む 廃棄物の 98%は隣接する製紙コ ンビナートから排出されている。 当局は雇用と大量のパルプ製品 をもたらす工場の閉鎖になかな か踏み切れない。政府は 2012 年から 20 年までのバイカル湖 保護に関する文書を承認した。 ︻ワジム・ カント ル、 モ
(写真は全てワジーム・コントール撮影)
アンガラ川 から湖に る。これほ ど 完 全で望 魅せられた芸 術 家はま とな が ら、この湖 は ま ス テ ー ションの 始 動 が
陸
19
モスクワの地下鉄駅で最も華やかな化石の 一つがオウムガイの殻だ。これは古生代から 地球に生息している頭足類の軟体動物である。 オウムガイの化石はオクチャブリスカヤ駅方面 へ向かう電車の 1 号車のあたりまで進み、膝 の高さほどの壁面を見ると、堂々たるその姿 が確認できる。この駅には他の化石もある。
世界なのだ。
水
環境汚染が心配
メトロ駅で化石に出会う
40
65
吹き寄せる北東風が暖 ましい自然との一体感、 だ ま だ 沢 山いる。 キャ ず学 者たちの関心を惹 予定されている。
バイカル湖クルージングには1時 間、1日、1週間、1か月のコース がある。フィッシングのほか天然や人 工の泥風呂や温泉もあり、水中ハン ティングやダイビングもできる。東海 岸ではウィンドサーフィンが最高だ。
年に2583 時間、 太 陽が照る。 バイ カル 湖では ブリ ヤートの伝 説が古 儀 式
上のよ う なスケールの かかる。
1 9 9 6 年、 バイカ 近づいている。この森の
に水 を 飲 ませること が 民 投 票の結 果、ロシア になる が、 北の岸 辺で
1000 万倍多くの人 して2 0 0 8 年には国 いる。 南 はそろそろ 嵐
上に住 んでいる 人 よ り 遺 産に登 録された。 そ 鹿であるジャコウジカが
バ イ カ ル 湖 は 地 球 ル 湖 はユネスコの世 界 どこかに世 界一小 さ な
嵐を湖にもたらす。
GeoPhoto 撮影
で き、 湖 を一周 するに の 七 不 思 議 の一つに 選 それを知る者はいない。
化石がある地下鉄駅一覧はこちらで: www.roshianow.jp/39709
派 の 儀 式 と 隣 り 合 い、 ハイテク望 遠 鏡 がさま ざまな 魚 た ちをのぞき ︵ 下 の写 真 は 水 中 を 泳
作家も科学者も引きつけられる 山が活動し、 北風が海 は毎 日 歩いても4 か月 ばれた。
ぐ ア ザ ラシ︶ 、水中火
バイカル地域には岩場トレーニン グから何日にも及ぶ雪山登山まで 様々な難度の山岳コースがある。オ リホーン島西岸のペシチェルヌイ岬 から湖へ突き出ている2つの岩の高 さは 30㍍と 42㍍。格好の練習場だ。
観光・レジャーも全方位で
自動車、自転車、乗馬、徒歩など でバイカル観光が楽しめる。金色の 砂浜の水浴場もある。湖畔の遺跡や 博物館で歴史に触れることができる。 バイカル湖岸鉄道も人気だ。
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW 2012年(平成24年)11月8日(木)
7 旅行
幾何学性と簡潔さ
高揚期をけん引 革 命と第一次 世 界 大 や一人の男 性のた めに 激 な 変 化 についていけ ンズブル グがイ グナチ
坂氏の設計思想 随所に
円 柱 の 内 部 には 断
建物は、それがいつま
な し ている 楕 円 形 の
く までも 象 徴 的 な も
ン と は 言って も、 あ
子 を 詳 細 に 伝 える 展
ゴー リ キ ー 公 園 の様
わった
家 が 設 計 や 建 造 に携
さ れている 建 物 と 同
ないので、 現 在 建 設
1 回 全ソ連 農 業 家 内
には 1 9 2 3 年の第
パビ リ オ ンの 中 央
下記のアドレスまで
編集長にお便りを
sales@rbth.ru
jp@rbth.ru
ら れていない 天 井 付
き 屋 根 の構 造 物 な ど
を表現している。
によって一過 性の側 面
リニコフから坂 まで﹄ 熱 材 が あ り、 そ れ ら
化 財のリス トに含 ま れ
﹃ガラージ﹄の展示
の。 す べての 構 造 物
示で始まる。
だろう。
じ く らい長 持 ち する
めに 考 案 さ れ た 公 園
工 業 産 業 博 覧 会のた
厚 紙 によ る 柱 の仕
さに そこに2 0 1 3
上 げ、 とこ ろ どこ ろ の設 計 図 が あ る。 ま
塗 装 が 施 さ れていな
年に﹃ガラージ﹄の常
トラーナ・ヤンキナ、
オー プンする。︻スベ
ロシア通信︼
写真を見る
www.roshianow.jp/ 39249
お聞かせ下さい!
ゆる機 械 が﹁私 た ちの の装 飾 アンサ ンブルを を設 えた︵ 写 真 左 下 ︶ 。
めて特 徴 的 な 素 材の一 作 はモス クワの観 光 名
硝 子は構 成 主 義に極 が 連 な るこの時 代 の傑
生 活、 心 理、 美 意 識の 形づくることもあった。﹁8﹂の形に二つの円 筒 新たな要素﹂になった、 と記している。
仮 設 パビ リ オ ンを 開
周 りに 円 柱 が 列 を 現 代 文 化 セ ンター
メー
﹃ガラージ﹄は、日本
園の仮設建築
年 代 に建て ら れた 多
一方 で、 1 9 2 0 ー
スチックがあり、 寒い いと 感 じ さ せ る。 こ
の間 には 透 明 な プラ で も 続 か ないで 欲 し
茂 氏の設 計 に基 づく
必 要 な 空 間 を 確 保 し、 子のエレメントはコンク
覧会を催した。。
とい う タイ ト ルの 展
建 築 家 た ちは住 民に つと なった。 大 き な 硝 所にもなっている。 人 間と機 械を調 和させ リー トの壁と対 照 を 成
設し、﹃ゴーリキー公
せていた。
感 覚 が 生 ま れている
プログラムは、シュー
コメルサント紙のグ わけです﹂。
氏 は 次 のよ う に 記 し
セ フ、 メ リ ニ コ フ ら
は しっか り と し た も
世 紀 前 半の
のに し な く て は な ら
﹁現代的なパビリオ ソ連 時 代の主 な 建 築
ている。
リ ゴ ー リ・ レ ブ ジン
㌢、 高 さ6
うに、 日 が 差 す く ら
でいる。
㍍ の紙 の円 柱 が 並 ん
た直 径
いの 間 隔 で 配 置 さ れ
いる と 感 じ ら れる よ
外 周 には 自 然 の中 に ができる。
本 構 造 は 鋼 鉄 製 で、 を 閉 じて 温 め るこ と に見てとった一過 性の
時 期 には パビ リ オ ン れによって日本の芸術
の著 名 な 建 築 家、 坂
た。 イ ー ゴ リ・ ゴロソフ ていないた め 撤 去 さ れ
同 パビ リ オ ンの 基
るという 難 題に直 面 し して工 業 様 式を際 立た くの他の建 物 は 建 築 文 彼 らは幾 何 図 形や簡
﹁芸術 は1 9 2 5 年にズーエ る 恐 れがある。 前 世 紀 戦は社 会 構 造を一変さ 食 事 を 作 る 暇 は な く、 ない人 た ちに対 しては イ・ ミリニスと共 同で 潔さにひかれた。
ビンスキー並 木 道にあ 対 象をできる限り有 益 を 中 心に据 えた。 それ な く、 いつで も 現 代 的
離れて働 きに出るよ う のテンポにた ち 打 ちで される移 行 期 向 けの住 員 部 の 建 物 は 今 も ノ し た ものの、 あ ら ゆ る 計 する際、 硝 子の円 筒 住 人の数 が 余 りにも 少
せ、 女性たちも家庭を 集団生活で速まる労働 家庭中心の生活が維持 設 計 し た 財 務 人 民 委 のための芸 術﹂ を 放 棄 フ 名 称 文 化 会 館 を 設 に設計されたそれらは、 きる共生型住宅が必要 宅が提案された。
プロジェクト﹃モスコ ンス ト ル クト ﹄ の創 始
モスクワ北西部のホドゥイン
ご意見、ご感想を
ご希望の方は
ロシア革 命 後の1 9 2 0 年 代 初 頭、 労 働 者 た ちには工 場 ばかりで なく一日の激務の疲れをいやす施設 も必要となった。 交通網が発達し、 都 市 人 口が 増 加 し、 首 都 そのもの も肥大していくという新たな状況下 で、 建 築の装 飾 的 要 素は無 用の長 物とみなされた。そこに登場したの がアバンギャルド運動としての構成 主義であった。社会主義の高揚期と いう 雰 囲 気の中で、 時 代の先 駆 者 と自負する建築家たちによって数々 になった。
33
の傑 作 が生 まれた。 そ うした 建 築
刊行: 2012 年 9 月 貝澤哉・野中進・中村唯史編著 せりか書房
建 築 家モイセイ・ ギ り、 精神文化学の研究 かつ魅 力 的 な ものに す は工 場の荷 揚 げ 用エレ な 高 層 ビルに建て替 え
11
物 も今は老 朽 化の試 練に直 面 して 彼 女 た ちには、 もは であった。 そ う し た 急 る。 物 が 誰のた めに建てら
建 築 は一切 の無 駄 の れたかを示した。
デザインを考案した。
のた めに開 放 されてい る 手 段 としての新 たな ベー ター を 想 わせ、 建 られる可能性がある。 ギンズブルグは 建 築
建 築 家 た ちは窓の形 者 た ちに よ れ ば、 アバ
理 を 最 初にまとめた一 トの合 理 的 利 用を旨と 状でも幾 何 図 形 を 用い ンギャル ド 時 代 の住 居
カ原近くに立つ弓形の建物で、
設パビリオンの一つが
い石 膏 ボ ー ド、 閉 じ
撮影 spletnik.ru
モ ス ク ワ の ゴ ー リ キ ー 公 園 で、 仮設建築展のプロジェクトを実現 した坂茂さん︵左︶と現代文化セン ター ﹃ガラージ﹄ 社長のダリア・ジュ コワさん︵右︶ =アンナ・テメーリナ、
﹁トランスマシュ﹂工場従業員
複 数 の建 物 が 並 んで 立 ち、
ク﹂、別名﹁船の家﹂は厚さ6㍉
本紙に広告掲載を
次号の 発行日 (予定)
における構 成 主 義の原 排 除 と 個 々のエレメン
人であり、 その著﹃ 様 した。エレベーターシャ て 実 験 を 繰 り 返 し た。 の﹁人間に見合った﹂大 式と時代﹄の中で、﹁間 フトが建 物の正 面 を 飾 エー リ・ リシツ キ ーの き さ、 こじ ん ま り と し 断 な き 生 活の機 械 化 ﹂ ることもあれば、 時 計 設 計が具 現された第1 た 中 庭の心 地 よさな ど が起こり、 ありとあ ら と 拡 声 器 と 広 告 が 単一 サモチョーチヌイ小路の は、 新 築の巨 大 な 居 住 ﹃アガニョーク﹄の印刷 コンプレックスも及ばな しかし、 老 朽 化 し た
所は大 きな 四 角い窓と い。 小 さな 丸い窓 を 併せ持
住 宅の不 便 さを 嘆 くモ モス クワで お そ ら く スクワっ子もいる。こう
つものだった。
最 も 有 名 な 構 成 主 義 し た 市 民の感 情 は、 モ の建 物 を 設 計 したコン ス クワの建 築 の将 来 を ス タ ンチ ン・ メ リ ニコ 気に懸 ける 専 門 家 た ち フは 自 宅 兼 ア ト リエの のもう一つの不安の種と 壁に小 さな 六 角 形の窓 なっている。
電子計算技術研究所
用実験的住居ビル
住所も異なるが、 すべてが一つ
長さ1100㍍ 究所の建物︵写真︶ 。かつてここ
建 物の道 路をはさんだ向い側
りに位 置 する電 子 計 算 技 術 研
には 高 圧 実 験 研 究 所 が あ り、
につながっている。 長さはヨー 員は建物内部を自転車で移動
ロッパ最 長である。 かつてこの していた。 現 在 は 内 部のほと
建 物の後ろ側に位 置 するオト
そ の 騒 音 が 激 し かった た め、
ターが 開 発 されていて、 研 究
廊下も仕切られている。
ラドノエ地 区の住 宅 街に音 が
響かないように建てられた。
の窓 ガ ラス、コンクリー ト 製
気に入 りの設 計の一つだった。
ユー リー・ ルシコフ元 市 長 お
長さ775㍍
になった という。 耐 震 強 度 が
いた が、 住 人 は アパー トの状
理 想 的な住 宅 地と考えられて するた め、 すべての角 部 は
態に不 満を示し、 整 備を求め
非 常に高 く、 同一荷 重 を 回 避
の壁など核 戦 争に備 えた造り
南 側に位 置 するこの﹁チタニ
一説 では、 モス クワ 中 心 部 ﹁グランド・パルク﹂
長さ376㍍
﹁タイタニック﹂
ん どが賃 貸 物 件となり、 長い
ではソ連のスーパーコンピュー
モスクワ南部のワルシャワ通
長さ717㍍
建築は﹁その時代﹂を伝える モスクワの名物 モスクワには超 高 層 住
迫力ある景観
Tel. +7(495)7753114
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居ビルが少ない。しかし、 心理学者によれば、 高層 部で生 活 するのはあまり 好 まし くないし、 メンテ ナンスの面でも 大 変 なの だから、 それは悪いこと だからというわけでも
じゃないらしい。 ないが、 超 高 層 建 築に代 わってこの街にはヨーロッ パ最 長も含め、 横に長く 伸 びた大きな建 物がいく つか あ る。 でっかい 物 を 作るのはソ連 時 代から得 意とするところだ。 超高層ならぬ超横長建 築にはそれぞれ由 来があ るが、そこに住む人にとっ て快 適であるかどうかは 別の問題だ。
90 度ではなく、 度と 度になっ 93
新しい世界を 購読 料 無 発見する
「今日の写真」 を お見逃しなく!
60
てデモを行ったりしている。
PressPhoto
仮設建築展
クロージング・コンサート ユーリー・シーモノフ指揮 モスクワ・フィルハーモニー 交響楽団
︻マリヤ・ミハンチエワ、
ている。
87
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モス クワ・ ニュース 誌 抄
[公演日程] 11 月 28 日(水) 横浜みなとみらいホール ( 神奈川 ) 12 月 3 日(月) 東京カテドラル ( 東京 ) 12 月 7 日(金) グリーンホール相模大野 ( 神奈川 ) 12 月 9 日(日)ザ・シンフォニーホール ( 大阪 )
訳︼
ロシア国立モスクワ・ アカデミー合唱団コンサート (A・ペトロフ監督)
http://www.shulpyakov.ru/
20
[ 公演日程 ] 12 月 5 日(水) ティアラこうとう 大ホール 開場 18:30 開演 19:00 12 月 6 日(木) 武蔵野市民文化会館 開場 18:30 開演 19:00 12 月 8 日(土) 茅ヶ崎市民文化会館 大ホール 開場 17:30 開演 18:00 12 月 9 日(日) よこすか芸術劇場 開場 13:30 開演 14:00 12 月 10 日(月) 東京芸術劇場 コンサートホール 開場 18:00 開演 19:00 12 月 11 日(火)松戸・森のホール 21 大ホール 開場 18:30 開演 19:00 12 月 12 日(水) 小山市立文化センター 大ホール 開場 18:00 開演 18:30
1957 年東京生まれ。 1977 年 ∼ 80 年: 南カリフォ ルニア建築大学在学 1984 年:クーパー・ユニオン の建築学部を卒業(建築学士号) 1997 年、日本建築家協会新人 賞を受賞。 紙、竹、プラスチック、合板と いった建材を多用。氏の編み出 した構造により、災害被災者用 住宅を速やかに建設できる。 主な作品にハノーバー万博 (2000 年)日本館、メスのポンピ ドゥー・センター、ニューヨーク のノマディック美術館などがある。 [公演日程] 11月21日(水) 東京・日経ホール 11月22日(木) 東京・府中の森芸術劇場中ホール 11月23日(金・祝) 群馬・みどり市笠懸野文化ホールパル 11月25日(日) チャリティ公演(ティアラこうとう)
傑作も老朽化 「ヤポーニア スタイルと生活」
坂茂氏 紙管構造の先駆者
クラスノヤルスク民族アンサン ブル 「エニセイの朝焼け」
こちら横に長∼い建物
カルチャー カレンダー
構成主義とは
話題の雑誌
= LoriLegioMedia ︵写真右 撮影︶農業人民委員部︵現 ロシア連邦農業省︶の建物 は中庭を囲む四つの棟で 構成されている。 ︵工期= 1 9 2 8 ∼ 年、 建 築 家 = シ ュ ー セ フ、 所 在 地 = サ ド ー バ ヤ・ ス パ ス カ ヤ 通り、 /1︶
25
いる。 ︻アンナ・ベクリッチ︼
「再考 ロシア・フォルマリズム: 言語・メディア・知覚」
30
もっと読む http://www.ru.emb-japan.go.jp/ MAGAZINE/MAGAZINE_7/index.html
10
=コメルサント ︵写真上 撮影︶モスセリプロム︵モ スクワ農業加工企業合同︶ ビ ル。 建 物 と 同 様、 芸 術 家ロドチェンコが制作し たパネル絵やビルの外側 に記された詩人マヤコフ スキーのスローガン﹁他な らぬモスセリプロムで﹂も 歴史的価値を有している。 ︵ 工 期 = 1 9 1 2 ∼ 年、 建築家= ストルコフ、所在 地= カラシヌイ小路 2/ ︶
もっと読む www.roshianow.jp/arts/books
1920 年代のソ連芸術(建 築、デザイン舞台美術、ポ スター、写真)における潮流。 形態の簡潔さ、厳格さ、幾 何学性、外観の一体感を特 徴とする。 構成主義者たちは上辺だ けの華美を排して物的形態の 簡素さや実用性を重視し、そ こに民主性および新たな人 間関係の具象化を見ていた。 代表的な建築家はベスニ ン兄弟、メリニコフ、ギンズ ブルグ、リシツキーなど。
2010 年に創刊さ れた,在ロシア日本 国大使館が発行す る日本情報を掲載し ている情報誌。最新 号ではファッション・ デザイナーとして著 名な髙田賢三氏の独占インタビュー のほか,石黒大阪大学教授のアンド ロイド技術,山海塾によるロシア舞 踏公演など、興味深い記事が満載 されている。モスクワで活躍する日 本人料理人による料理レシピのコー ナーも人気だ。 この情報誌は,日本好きのロシ ア人との協力の下,発行されており, 誌面デザインの美しさと記事のクオ リティの高さから,若者を中心に評 判となっている。この情報誌を求め て,大使館や日本食レストランを訪 れる人も少なくない。続きを読みた い方はこちら (ロシア語のみ) 。
革命後の 1920 年代
1910 ∼ 20 年 代 ソ連文化理論の展 開を主導した批評家 集団「ロシア・フォ ルマリズム」 。その 業 績 は 1950 ∼ 60 年代に西側で再発 見されて以降、構造 主義や記号学の先駆として高く評価 されてきた。彼らが提出した「異化」 等の概念は 20 世紀後半の人文科学 に世界的な影響を与えた。 だが「先駆」とは今日の視座からの 回顧的・遡及的な位置づけである。 フォルマリスト達自身は歴史的変動 (社会主義革命)とメディア環境の転 換(写真、映画、録音機など複製芸 術の発展)の中で、何を考え、何を 目指したのか。 全 10 編の論考は彼らの多面的な 思考を当時の状況の内側から考察し、 「理論」生成の現場を捉えようとした 試みである。「ロシア・フォルマリズ ム関連用語・人名集」が付いている。 【中村唯史・山形大学人文学部教授】
構成主義という建築 話題の本
文化・建築 8 2012年(平成24年)11月8日(木)
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