GettyImages/Fotobank 撮影
7面
ブルガーコフの世界 見学を演劇付きで
8面
無回転FKを見たか 年前、ロシアリーグはまだ、J リーグよりも経済的に﹃格下﹄に
単ではないが、 本 田 は
2 0 1 0 年ワールド すぐに適応した。
は英 語の通 訳を介して
戦 術 的 な 込み入った 話
ピオンズリー グで無 回 伝える。 セルビア代 表のト
転F Kを決めてサポー ダバイ!仲間を激励
か ら な かった。 チャン たからこそだった。
をつかむのに時 間 はか 籍という冒 険に挑 戦し くぞ︶と仲間を励まし、
本 田がサポーターの心 で き たのは、ロシア 移 は﹁ダバイ!﹂︵さあ行
簡 単 なロシア語のフ ロー か らロシアの名 門 カップ︵W杯︶で日本代 C S K A に移 籍 し た。 表のエースと して 活 躍 レー ズを 覚 え、 練 習で
1月にオランダのフェン
本 田 は 2 0 1 0 年 らしめたからだ。
モスクワっ子興奮
レーを続けている。 ︻木崎伸也、4面に関連記事︼
サッカー界を席 巻している。 そのロシアで本 田 圭 佑は果 敢に攻 めのプ
天 然 資 源に支えられたロシアマネーは中 東のオイルマネーとともに
ルギー代表MFを計 億円で獲得して話題になった。
アリーグは豊かなリーグの一つに変貌。今夏にはブラジル代表FWとベ
しかし、時代は変わった。ロシアの経済成長の後押しを受けて、ロシ
レーを希望していたほどだ。
すぎなかった。 多くのロシア代 表 選 手が高い年 俸を求めて日 本でのプ
約
本田圭佑が蹴る!
6面
オバマ政権が続くことにロシ
氏を破って再選を果たした。 アは一応、歓迎と安堵感を示
日本からの海産物輸入再開か
モスクワは 渋 滞 がひ
陸上競技を専門とする 全く問題ない。
は称賛に値する。
もりだった﹂からだ。
C S K Aで個 人 トレー 担になっているが、そう 在は少し長くなりすぎ 移籍市場が沈静化。 今
「ロシア鉄道」は 2012 年、日本製レールを購 入する必要に迫られた。ヤクーニン社長による と、ロシア鉄道は 2012 年、高速および超高速 列車用の新基準のレールを発注したが、ロシア の製造業者は注文をこなすことができなかった。 ロシア鉄道は 2008 ∼ 11 年、新日本製鉄製 の長さ 100㍍のレールを敷設した。ロシアで は最近まで 100㍍のレールは製造されておらず、 ロシアの冶金業界は 25㍍のレールのみを製造 していた。【レンタ・ルー】
交通
島根県浜田市とウラジオストクを 結ぶ海上輸送ルート開通
島根県浜田市とウラジオストクの間で海上輸 送ルートが開通することになった。ロシアの輸 送グループ FESCO と共同運航する日本の LIB 社 が伝えた。特別仕様の車両甲板つき貨物船が 就航する。自動車や特殊工作車、電車の車両 などが運搬可能だ。定期就航は 12 月から始ま り、毎月最低 2 便が就航する見込みだ。富山 県伏木港とウラジオストクを結ぶ航路は既に開 通している。【タス通信】
いう自 分の目 標を達 成 するために、環境が整っ
20 1 1 年
月4 日
∼ 近だったセルジュコフ国
防相が軍資産売却に際
議︵ A P E C ︶ サミッ
汚職に厳正対処
トでも 捜 査 当 局によ
もっと読む www.roshianow.jp/39969
る と、 開 催 運 営 費 か
ら93 00 万ルーブル
︵約2億4200万
円︶ が横領された。
ロシア は ア ジア か
東にシフトする外交
関 しては、 プーチン大
ヨ ーロッパかの 問 題 に
統領いわく﹁ことさらに
% 成 長 す る とい う。
期 的にはロシア経 済 は
では、 加 盟 によって 長
ただ、 世界銀行の予測
はいまだに続いている。
盟の是 非に対 する議 論
ようやく実現した。 加
への加 盟 が 今 年 8 月に
界 貿 易 機 関︵ W T O ︶
に申 請 を 行っていた 世
ロシアが1 9 9 3 年
WTO加盟
かが重要な問題だ。
在 力をいかに実 現 する
通・ 輸 送のロシアの潜
ている﹂ と力 説 した 交
首相が﹁まだ半分は眠っ
形 だ。 メ ド ベー ジェフ
まるところに収 まった
A P E C サミットも収
転 換 は 進 行 し ている。
ロシアの 東 方への 方 向
何もする必要はなく﹂、
WWW.ROSHIANOW.JP
対決
ボルボとベンツが衣装で
プーチン支持は底堅く それでも シ ン ク タ ン ク﹁ 戦
略 策 定 セ ン タ ー﹂ は の下 院 選 挙の当日、 野
まり2012年︶ のロシ の街 頭に繰 り 出 したの
2011年に、翌年︵つ 党 勢 力 が 夜のモスクワ
治 危 機、 不 満の増 大、 が首 都で相 次いで開 か
アの動 向 について、 政 を発 端として抗 議 集 会
ボロト ナ ヤ 広 場での
政権の権威失墜を予測 れた。 した。 結果的に予想は
ほとん ど的 中 すること 抗議集会︵参加者は警
に なった。 ロシ アの 今 察発表で2 万5000
年の主な出来事を振り 人、 主催者発表で 万
万
て 続 け に 展 開 さ れ た。
人︶など抗議運動が立
集会︵同3 万人、
返る。︻ドミートリー・ 人 ︶ 、 サハロフ通りでの カン︼
大統領は目下敵なし
今年最大の出来事は さらには人 間の鎖 がサ
やは り 大 統 領 選 挙 だ。 ド ーボエ環 状 道 路をぐ
日には、 デモ参 加 者と
プーチン氏が予 想 通り るりと囲んだ。 5 月6 勝利した。
一連の抗 議 運 動の結
サプライズもあった。 警官の衝突に至った。 その一つは、政界のアウ
トサイダーでもある企 果、 政党法が改正され
月 の地
業 家 ミハイル・ プロホ て政 党 設 立が著しく容 ロフ氏 が3 位に食い込 易になった。
ん だことだ。 その理 由 方 選 挙では数 十の新 党
は、社会がニューフェー が選 挙に参 加した。 主
スを 求 めていること だ 要 都 市では与 党に敗れ
本 当の戦いはこれか ら
という見 方で専 門 家は た が、 専 門 家 た ち は、 一致している。
プーチン大 統 領の支 だ、と確信している。 持率は昨年から今年前
数 人の高 官 が相 次い
半は地 盤 沈 下したもの 高官の汚職摘発続く の、 それでも 他の政 治
家よりは高い。 最 低を で汚 職 がらみで罷 免 さ
%に持ち直した。
%で、 秋には
記録したのは今 年8 月 れた。 特に大 統 領の側 の
月の地 方 選 挙での効 果 しての巨 額 詐 欺 事 件で
的キャンペーンのほかに 更 迭 されたことは大 き
版GPS︶開発者も別
︵ロシア テム﹁グロナス ﹂
ア独 自の衛 星 測 位シス
汚 職 摘 発も影 響してい な 反 響 を 呼 ん だ。ロシ るとみられる。
野党は大抗議集会
も起きた。
という大きな社 会 変 化 ア 太 平 洋 経 済 協 力 会
に出て政 府 批 判を叫ぶ ト クで開 催 された アジ
わ ず か 数 カ 月 の 間 の事件で罷免された。 てきている﹂と感じてい に、 数 万の人 々が街 頭 9 月 にウ ラ ジオス るほどだ。
﹁最後に自分がおいし いところを持っていきま すよ﹂ と、 本田は不敵
き た。 その夢 に 向 かっ
子 供の頃から本 田は て、 本 田は常に次 なる
節 時 点で ﹁いつかスペインのレア 一歩を踏み出している。
ティー を ピッチで 発 揮
ち 前 の ク リエー ティビ 評価が急上昇中だ。
として、 思 う存 分に持 グで首 位に立っており、 する﹂ と宣 言し続 けて
K Aの攻 撃のリー ダー C S K A はロシアリー ル・マドリードでプレー
今 季、 本 田 は C S
に笑う。
「ロシアNOW」 電子版でお勧め
不満噴出した1年
を 目 指 して 焦っている だが、 本 田は動 じて から﹂ 下げしなかったために、 いない。
のクラ ブに移 籍 するつ S K A が 移 籍 金 を 値
体 調 管 理 の 面 で も、 のサ ポ ー ト が あるので さだ。 異 国での適 応 力 果を出して、 すぐに上 ファー が 届いた が、 C きるかは不透明だ。
入念に肉体改造
オバマ再選と今後の露米関 係をロシアはどうみるか
から呼 び寄せ、 毎日の どく、 練 習 場 まで車で そろそろ潮時か ユ ー ロ 圏 が 不 況 に ラツィオは 本 田 獲 得 を ﹁ ︵ 長 友 ︶ 佑 都がイン ﹁いつかはレアルで﹂ ただし、 本 田の計 画 分の距離が2 時間以 断 念しなければならな テルに、︵香川︶真司が 練 習に帯 同させて肉 体 陥 っ た あ お り を 受 け て 、 むしろ日 本 代 表の 改造に取り組んでいる。 上 かかることもあり負 か ら すると、ロシア 滞 ス ペイ ンや イ タ リ アの かった。 マンチェスター・ユナイ チ ー ム メ ー ト が 世 界 C S K Aとの契 約は テッドに移 籍 し た か ら 的 な ビッグ ク ラ ブで プ
個 人 トレーナーを日 本
3
日本の水産会社に適用されている対露海産物 輸出禁止措置が近い将来解除されるかもしれな い。ロシア連邦獣医療・植物衛生監督庁のネ ポクロノフ副長官が 11 月 26 日、日本水産庁の 森下丈二参事官とこの件について協議した。 禁輸措置は福島第1原発事故発生後、242 社の日本企業に対してロシアが課していた。 双方の海産物を輸出入する場合の安全性確 保の問題を検討するため、日露作業部会の設 置に両国が合意したという。【ロスバルト通信】
している。
モスクワで今秋、ボルボ・ファッショ ンウィーク (写真) とメルセデス・ベンツ・ ファッションウィークが同時に開催され、 ファッション界の注目を集めた。ファッ ションウィークはバイヤーたちのビジネ ス会議や契約成立のまたとない機会だ。 ロシアでは3月下旬と 10 月下旬の年2 回行われるのが恒例となっている。
下がるためだという。
品とサー ビスの価 格 が
関税引き下げにより商
競争力が高まる一方で、
ロシア企 業の生 産 性 と
11
エレーナ・ポチェトワ撮影
12 月 24 日、モスクワ都心 のサハロフ・アカデミー会員 大通りでのデモに集結したモ スクワ市民(写真左=マックス・ アブデエフ撮影) 。ウラジオスト クのルースキー島と市内をつ なぐ連絡橋 (写真右=コンスタン チン・ソロマーチン撮影)
経済 星出彰彦宇宙飛行士は約4か月の宇宙 滞在を終え、ロシアのマレンチェンコ飛行 士、米国のウィリアム飛行士とともに「ソ ユーズ TMA- 05 M」 で地球に帰還した。
15
短信
2
星出さん「ソユーズ」で帰還
11 月 19 日
10
楽観論を戒めている。
玄葉光一郎外相との会談でパトルシェフ 書記は、安全保障分野での日露協力を通 じて相互の信頼を高めなければならない と述べた。
12
今後の露米関係についての 12
通算
10
米 大 統 領 選 は 現 職オバ マ ロシア正教会のキリル総主教が9月14日 から18日まで日本を訪れた。総主教は被災 地を訪問したほか、野田佳彦首相と会談し、 天皇陛下とも会見した。
ロシア 独 特 の文 化 の
51
氏が共和党候補のロムニー
1
大陸横断シベリア鉄道 終着駅まで1週間! ロシアの広大さ実感
7月28日、プーチン大統領はロシア南 部ソチでの玄葉光一郎外相との会談で、 前日、秋田県から寄贈された秋田犬の子犬 「ゆめ」 に触れ、 佐竹敬久知事に謝意を表し 「佐竹知事は愛猫家と聞いている。 (返礼と して) シベリアのネコを提供する」 と述べた。 プーチン氏は愛犬家として知られている。
ターを興奮・魅了させ、 考になる﹂ と日 本 人M
ヨ ーロッパ中 に 名 を 知 中でプレー するのは 簡 シッチは﹁ものすごく参 F か らのアド バイスに
235
感謝している。
-
している。しかし、専門家は
パトルシェフ安保会議書記訪日
10 月 23 日
読者の皆様、「ロシアNOW」 へようこそ。 同紙はロシアを紹介する日本語版の毎日新聞への折り込みです 。7月、1月を除 く毎月第2木曜日に発行されます。「ロシアNOW」チームの目標はロシア発の興味 ある記事をお届けし、ロシア理解の一助になることにあります。 2007 年以来、ロシア最大の日刊紙ロシースカヤ・ガゼッタ(ロシア新聞)は世界の 主要新聞に折り込まれる月刊付録を制作してきました。ロシアは現在、政治から文化 に至るまで変化の過程にあります。日本語版ウェブサイト roshianow.jp は追加の記事 や多様なコンテンツが毎日更新されます。ご意見・ご感想をお待ちしております。
-
下位2チーム降格
キリル総主教が日本訪問
9 月 14 日
ロシア情報をお届けします
8
16チームで構成
3面
大統領に「ゆめ」贈る
45 10
4 26
ロシア鉄道が日本製レール購入 エカテリーナ・ロクテワ撮影
新年の後に迎 えるクリスマス セルゲイ・ラブロフ外相と玄葉光一郎外 相が東京で会談し、極東における両国の経 済協力などについて協議。玄葉外相は「ア ジア太平洋地域のパートナーとしてふさわ しい関係をロシアと構築したい」 と述べた。
50 37
33
露プレミアリーグ 談がウラジオストクで行われ、12月首相訪 露で合意した。 (11月に訪露は延期された)
9 月 8 日
Distributed with The Mainichi Shimbun
8
名古屋
オピ ニ オン ( 5 面 ) プーチン大統領・野田首相会談 プーチン露大統領と野田佳彦首相の会
2012年(平成24年) 12月13日 (木曜日)
20 2010 2011-12 CSKAモス ロシア・プレミア クワ 2012-13
2 16
ナーがいるのは 本 田 だ いうスト レスを 感 じさ ているのかもしれない。 年 1 月 に は イ タ リ ア 2 0 1 3 年 月 ま で といって、焦ることはな レー する よ うになった けだ。 食 事 面でも、 妻 せないのが 本 田のす ご ﹁2 0 1 0 年 W 杯で結 のラツィオ か ら 正 式 オ 残っており、いつ移籍で い。 な ぜな ら、 常に上 こ と を、﹁ W 杯 優 勝 と
プーチン首相、領土問題に言及
3 月 1 日
日本
ロシア・プレミアリーグは16 のクラブチームにより2001年 末に発足。 下位2チームが1 部リーグの上位2チームと入れ替わ る。 これまで29のチームが所属し、 デ ィナモ、 クルイリヤ・ソビエトフ、 ロコ モチフ、 スパルタク、CSKAの5チ ームは一度も降格していない。 プレミアリーグのセルゲイ・ プリャトキン会長 (51) はソ 連国家保安委員会 (KGB) および連邦政府通信情報局の元職 員で退役陸軍中佐。 ロシア・サッカー 連合 (RFS) の副会長を務める。 ソ連崩壊後、旧ソ連構成 共和国は独立したサッカ ー選手権を開催。 1992 年、20チームでロシアトップリーグ ( 現プレミアリーグ) が発足した。 1994 年に16チーム、1996∼97年は試験 的にチーム数が倍増されたが、1998 年に再び16チーム構成となった。 18
日露外相会談
1 月 28 日
ロシア
14 37 エールディビジ 2007-08 2008-09 VVVフェン エールステ・ディビジ ロー 2009-10 エールディビジ
3
日露両政府は、業務ビザ ( 査証 ) 申請 手続きの簡略化に合意し、1月 28 日訪日 したセルゲイ・ラブロフ外相と玄葉光一 郎外相が協定に署名した。合意によって、 90 日以内の業務ビザであれば、招待状は 不要になる。また、3年間有効のマルチ ビザ ( 数次査証 ) も新たに導入される。
30
80
オランダ
日露、業務ビザ手続き簡略化
J1
35 2007
0 2 8 2004 2005 2006
3
ロシアの お 正月は ユ ニ ークだ。 1月1日に 新 年をお 祝 いした 後で 7日に 正 教 のクリス マ スがやってくる。そして 14 日に再び新年(旧正 月)を迎える。
ウラジーミル・プーチン首相は朝日新聞 の若宮啓文主筆の質問に対し、 「領土問題 を解決するには、友人同士になり、接点を 見出す必要がある」 と回答した。
10
期間通算 出場 得点 リーグ クラブ 年度
1 35 34 1 月 28 日
本田選手のリーグ戦個人成績
2012 年の 日露関係
露CSKA
「ワーレンキ」復活 ロシアの防寒長靴 今やトレンドに 7 月 27 日
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW 2012 年(平成24年)12月13日(木)
1
今がビジネスチャンス モスクワでこのほど、﹁J AP AN・EXPO・IN・RU S SIA︵ジャパン・エキスポ・イン・ロシア︶ 2012﹂が開催された。
至る所 ミニすし店 ペテルブルクの街
﹁フィラデルフィア﹂は でたった210ルーブル
スー プとロー ル8 巻
異なり、スシ・ショップ 店 内で 食べるのは た め 考えればうなずる。
と。 他の人気 外食 店と つか並んでいるだけで、 通のナプキン。 価 格 を
出し、現在その数は﹁マ
は場 末から中 心 街へ進 らわれる。
クドナルド﹂の数 倍と 実 際 かなりいける。 み ︵ 約 5 4 0 円 ︶ 。 カフェ
じ。 冷 凍 食 品 は 使って る。 お そ らく成 功の秘
この展示商談会は中小企業向けで、モスクワで開催されるのは2
全 体として参 加 者 も
破 格の値 段で日 本 食を
な ど、 そ れ ら は み な、
各 社とも市 場の﹁開 えしたのは﹁スシ・ウォ ターだけで狭かったり、 う ゆ は 少 し 薄 め ら れ、 ビレッジ誌、ニコライ・
そこは バーのカ ウン い な いと はい え、 しょ 密はここにある。︻ ザ・
クでは、 わずか1 年 半 れている=写真。
製 品に対 する需 要は増
主 催 者も、 今 回の展 示
よれば、 最 初にお目 見
貿易機関︵WTO︶加盟をビジネス・チャンスとみて、ロシア市場
食材を販売する小さな 拓者﹂とか﹁新機軸﹂を ク﹂で2 0 1 0 年のこ テー ブルが 通 路にいく お し ぼりの代 わりに普 オフチンニコフ︼
えてお り、この2 年 間
テークアウトで販 売し ている。 は新たな都 会のテーク
雑誌 ﹁ザ・ビレッジ﹂ ﹁私たちはここで多く
背景に迫った。
アウ ト ショップ 急 増 の スレードニー大通りの
の有 益 な 折 衝 ができま スを 早 く 軌 道に乗せた
客たちはすし、ロール、
中 行 列 がで き て お り、 スープを同 僚や家 族の
﹁スシ・ウォク﹂には日 アにお ける国 際 関 係 が
いものです。このところ
若 干 複 雑 化 し た た め、
ロシアで 最 も 人 気の
ために買い求めている。
中 国 や韓 国 な ど、 アジ
した。ロシアでのビジネ
明氏はこう話す。
第五事業部の小田嶋敏
販 売 高 は 1・5 倍 に な いる。J TB法人東京・
で ウ ラ ジオス ト クでの 会によい印 象 を 受 けて
ウォク﹂、﹁スシ・シック﹂
シ・ショップ﹂、﹁スシ・
﹁スシ・ショック﹂、﹁ス
このように現れた。
店 舗 が、 雨 後のたけの
ほ どの間にすしやその
向からもうかがえた。 ︻アレクサンドル・パーニヌ︼
ロシアでも 日 本の自 動 車 やエレクトロニ ク
中小企業が積極参加
スの大 手メー カーはよ 小 企 業については あ ま ンスが あ り ま す。ロシ アの女 性は美 容にとて も気を使い、 中 間 層は 厚く需 要は大きい。 私 た ちは自 社の商 品に自 信があり、 柔 軟なアプ ロー チを 実 践 していま す。 商 品 ラインアップ を紹 介し、 人 気 アイテ
日 本 企 業はアジアから
みそ 汁は客の目の前で
﹁フィラデルフィア﹂ や
他の国 々へ活 動の場 を 移 すことを 考 えていま
分ほど待 てば出 来 上がり。 他に
用意され、
す。 例 え ば、 ブラ ジル やロシアを 含 む B R I C S 諸 国 を 想 定 してい ます﹂。
牡丹なら﹁松江産﹂
上向きに咲く美しさが人気 生産量上回る注文
1500本に達した。
競 争 力がありま す。 ま 文 が 来 て い た。 生 産 が、 2 0 1 3 年にはサ
た、 中 国 産に比べて枯 量 が 追いつか ないた め ンクト ペテル ブル クな
れに くいとの評 価 もい 1 5 0 0 本に抑 えざる どヨ ーロッパ側 の 大 都
市での販 売 も実 現しそ
J A く に び き は 今、 うだ。J Aの佐川係長
た だくよ うになりまし を得なかったという。
た ﹂。 実 際、 リ ピ ー ト
客 が 目 立つという。 前 ロシア市 場 向 けの牡 丹 は、﹁ロシアは花を好む
年 試 しに買ってみ た 牡 栽 培 を 始 めることを 計 国 民 性 もあり、 我 々に
丹 が予 想 以 上にきれい 画 中 だ。 来 春にもウラ とって有 望 な 市 場。 ま
に咲 き、 別の色・ 種 類 ジオスト クか らパー ト ずは年間出荷量を早期
% から
︻吉村慎司︼
後に国の支 援を受けられ
なくなった苗 木 業 者は廃
業を余儀なくされた。 苗
回 電 気 が 止 まった だ けで、
エクアドルやコロンビア
では年に4 回 もバラの収
% 成 長 し、 ワ郊 外のバラは到 底これ
億 ㌦ほどに らの輸入品にかなわない。
輸 入 バラは、ロシアの
いため、 消 費 者には人 気
% を うものの、 見た目が美し
を要 するため、ソ連 崩 壊
︻ナタリア・ススリナ︼
生花栽培は非常に電力 がある。
占めていることだ。
シコなどを中 心に
エクアド ルのバラや ナ デ バラより早 く枯れてしま
の輸 入 率 がコロンビアや
ある。ロシアの生 花 市 場 の %を占めている。
しかし、 大きな問 題が バラは、 切り花総輸入量
なる有望な市場の一つだ。 この2 国から輸 入される
金 額にして
年
ロシアの生 花 市 場は毎 穫 期があるため、モスク
たに参加した。
は中国、韓国、台湾が新
クワで開 催された。 今 年 ともある。
国際花博覧会が今秋モス すべてが 台 無 しになるこ
者が一堂に集 まる第
ロシアや海 外の生 花 業 木栽培は、ほんの短時間
輸入生花 9割占める
モスクワで花博
牡 丹 は こ れ ま で 極 を語っている。
種や量の詳細を詰める。 上 げたい﹂ と意 気 込み
を 集 めた くなった 客 も ナー 業 者 を 招いて、 品 に1 万 本 レベルに引 き
実 は 今 年、ロシアか
月 中 旬にか けて、一 中 国 産が主 流。この中 多いようだ。
ロ シ ア の 花 市 場 に、 ﹁マツエの牡丹は今年 般消費者向けの展示即 で、 上 を 向いて花 開 く
専門家の一言
日本産の牡丹︵ぼたん︶ はいつ買 えるの﹂。この 売 会 を 3 回 開 催。 ど 松 江の牡 丹は美 しさで ら 2 0 0 0 本 近 い 注 東 に 限った 展 開 だった
が広がり始めた。 山陰 夏、 ウラジオスト クや の回 も大 入りで、 数 百
松 江の牡 丹 輸 出の仕 た イベントには ウ ラ ジ
ランド 展﹂ として催 し
市から苗木の試験輸出 一般 客 か らのこん な 問 なった。 特に、﹁松江ブ
の 古 都・ 島 根 県 松 江 ハバロフスクの花 屋に、 本の苗 木が即日 完 売と
初の年に2 0 0 本 だっ
が始 まって4 年 目。 最 い合わせが相次いだ。
え、 今年は過去最高の 者 団 体のJ Aくにびき 2000 人が詰めかけ
た 出 荷 量 は 順 調 に 増 組 み は こ う だ。 生 産 オスト ク市 内の会 場に
な ぜ 人 気 が 出ている
が、 松 江に隣 接 する鳥 る盛況ぶりだった。 取 県の境 港から、 ウラ
ジオスト ク行 きの定 期 のか。 理 由は、 少 なく
を出 荷。 パートナーで だ。 今 年の苗 木の販 売
フェリ ーに乗 せて 苗 木 とも価 格ではなさそ う
あるウラジオスト クの 価 格 は 1 本 1 1 0 0
苗木を運び込むだけ 約3 倍 だ。 輸 送などの
円︶ で、日本での相場の
ほ ど あ り ま 花業者が受け取り、 極 ルーブル︵約2 8 0 0 らは来 ませんね。 私 た
W TO へ の 加 盟 の 影 EUの経 済 成 長は事 いと み な し、 ア ジアに 東 京にあるう ちのビ す。 大 企 業に私 た ちの 力 して、 ウラジオスト きがある。 J A くにびき特 産 課 響でしょうか? 実 上 ゼロにな り ま した と ど まっていま す。 逆 ジ ネ ス セ ン タ ー に は、 支 援は要りません。 例 ク、ハバロフスクの2都
スシ・ショップが登場する 前には、寿司やアジア料 理の食材を販売する会社 が現れました。それらは ネットをベースとしており、 食材が手頃な価格になる と、プロの職人など購買 者の数も増えました。
スシ・ショップは外国で発 展しました。ロシアではま だ完成にはほど遠く、商品 の質はお粗末で、そうした 店は日本やアジア料理の 普及を促さないばかりか、 その威信を失墜させても います。
く 知 られているが、 中 り知られていない。 モスクワでの展 示 会 は正に中 小 企 業 向けの
﹁ ジャパン・エキス ポ ﹂
狙 うというよりも、 特
もので、 多 くの集 客 を 定の顧 客に的 を 絞って
紙面協力
戦略を練るのです﹂
ムを割り出し、 今 後の 総 じて中 小 企 業 もロ シア市 場 やそこでの競 争 を 恐 れていないとの 印象を受ける。
経営拡大の好機
例えば、今回子供の おむつから緑茶にいた るまでの日本の日用品 のブースを出展したL IBは、経営拡大の好 機が到来したとみなし ている。 今のところ、ロシアへ 輸 出 する同 社の商 品は ウラ ジオスト クのみで 販 売 されているが、 今 後はモスクワのショップ で も 扱って も らいたい 考えだ。桃木宏充商事 部部長はこう語る。 ﹁現在ロシアでは、法 律も税関規則も輸入品 に有 利 な 方 向へ大 きく 変 わ りつつあ り、 以 前 よりはるかに仕 事が楽
事業推進責任者
「フード・リテール・ グループ 」経営責任者
カドリナ・アイシヅリナ レストランテクノロジー 研究所所長
セルゲイ・ゴルブノフ
マリア・ウワロワ
いるのが特徴だ。 このため、 大 手 自 動 車メーカーや大型石油 ガスプロジェクトに関心 の あ る 企 業 で は な く、
同 社 で は、 小 売 価
より小規模な日本企業 シアのW T O 加 盟 を 挙 を 参 加の対 象としてい げた。 る。 展 示 会の主 要 テーマ 格が跳ね上がる原 因と と なったのは 食 品、 工 なっている 関 税 が 緩 和 業製品、化粧品、建設、 されるものとみている。 衣類、そして、文化。 ま た、 西 側 の一流 品 に 大 手 企 業 の 中 で は、 引 け を 取 らないデ ザイ ファス ナ ーのメ ー カ ー ンや 仕 上 が り 具 合 も、 と してロシアでも 知 ら 市 場における日 本 製 品 れているY K K グルー の魅 力 を 高 める 要 因に プが参 加した。 今 回は なると 同 氏 は 考 えてい 玄関、室内のドアや窓、 る。
タ ー ナ ショナ ル も 北 の
アルミサッシといった、 ロシアでは 全 く 無 名 住 宅 関 連の製 品を主に の化 粧 品 会 社 U N イン 出展した。 ロシアで もこの分 野 隣 国 に 注 目 し てい る。 の競 争 が 激 しいことは 斉藤圭代表取締役社長 YKK も承知している は、 同 社 に とって 初 の が、ロシアにお ける ミ 海 外 進 出 先 となるロシ ハイル・ ト ルヒン代 表 アの市場についてこう述 によれば、 独 自の販 路 べる。 ﹁日 本の化 粧 品 市 場 は すでに商 品であ ふ れ
今津恵保氏
そ うですね。 私 た ち が、ロシアの成 長 率 は にロシア 市 場 に関 心 を パートナー探しや市 場 えば、 石 油 ガス部 門の 市で毎 秋 P Rイベント の佐 川 真 二 係 長は、 好 はロシアの税 関 の動 向 4・5 % で す し、 米 国 寄 せる 人 もいて、 彼 ら リサーチを希 望 する投 大 型 プロジェク ト は 私 を 開いて知 名 度 アップ 調の理 由をこう説 明 す
る。﹁ロシア市場の牡丹
今年は9 月下旬から は、 花が下 向 きに咲 く
日 間 無 料 で た ちの参 加 なしで進 め に努めてきた。 日 本 製 品に対 する扱い 激 しいので、 日 本 企 業 かがっています。 最 近、 使 用できるオー プンス られています。
第 19 回国際花博覧会で=エレーナ・ポチョートワ撮影
を 開 拓 しつつあるとい う。 ロシア市 場の魅 力に て お り、 ロシアに は わ ついて、 同 氏 は ま ずロ が社にとって大きなチャ
の 取 り 組 み は 真 剣 で、 こる企業はありません。 しかし、 日 本にはま だ 談に訪れます。
ら そ う と するロシア 側 私の知る限 り問 題の起 て も 魅 力 的 な ので す。 ちのオフィスを よ く 相 す が、ロシアの企 業 か 東地域に流通させる。
つあ り ま す。 そ れを 減 は き ち ん と し て い て、 にとってロシア市場はと ビ ジネスマンた ち が う ペースが
WTO加盟でビジネス環境変わった
数字あれこれ
を 注 視 し てい ま す が、 や欧 州の市 場は競 争が は 今のところ 様 子 を う 資 家 が
Getty images/Fotobank 撮影
4020
イ ン タ ビ ュ ー
ロシアの市場は魅力的
何か変化は見られまし たか?
日本貿易振興機構 ︵JETRO︶ モスクワ事務所長
15
日本もロシアも熱い視線
ロシアに 対 して 偏 見 を ちが中 小 ビジネスを 支 ではない。 松 江 市 や島 経 費 が か か る た めで、 今津さん、ロシアの 雑は欧州連合︵EU︶と 題はないそうです。 品 問さがありますが、 全 正 にそこにポ イント が 日本企業がロシアに 抱 く 人 もいて、 彼 らは 日本におけるロシア 援 していること を ぜひ 根県、日本貿易振興機 安 価な中 国 産の牡 丹と ビジネス環境をどうご 比べても 輸 入に関 する 目 によっては一定 の 煩 体 として障 壁 は 消 えつ 置かれています。 関心を寄せる背景は? ロシアへは 投 資 で き な の投資の現状は? 知っていた だ き たいで 構︵ジェトロ︶なども協 比べれば5 ∼ 倍の開 覧になりますか、近年
10
「スシ・ショップ」社
19
90
20
実際レストランの価格はか なりつり上げられていると 思います。食堂の上げ幅 が平均 2 ∼ 3 倍だとすれ ば、私たちが市場に参入 した時、チェーンのスシ・ レストランの上げ幅は 8 ∼ 9 倍でした。
60
10
2011 年の日本から ロシア経済への投 資額 年平均の露日貿易 高 今年の「ジャパン・ 「ジャパン・エキ エキスポ」に参加 スポ」に紹介され した日本企業の数 た製品の品目数
ロシアから日本 ロシアに事務所 ここ 10 年 間 の への輸出に占める を構えている日本 露日貿易の増加の 鉱物製品の割合 企業の概数 推移
300 億㌦ 12.4 億㌦ 69 品目 20 社 6倍 300 社 80%超
50
障 壁の数が減りまし た。 日 本の輸 出 業 者の 話では、 現 在ロシアで
10
リル・ラグツコ撮影
意気込みと、来年は出展企業を2倍に増やすという主催者側の意
69
に熱い視線を注いでいることは間違いない。このことは、企業側の
サ ンクト ペテル ブル すしを作る素材も売ら 名 乗っている。 資 料 に まえている。
行ける距 離に店 舗をか 出 し た 即 席 といった 感 ば 1・5 倍 か 2 倍 は す
にな り ま し た。 う ちの りました﹂。
なった。たいてい歩いて そ汁は冷 蔵 庫から取り で同 じものを 注 文 すれ
モスクワで開催された ﹁ジャパン・エキスポ・イン・ ロシア2012﹂の会場 =キ
社が参加し、
回目。今回は食品、化粧品などを生産する日本企業 合わせて 品目の製品が紹介された。日本企業は、ロシアの世界
20
モスクワで「ジャパン・エキスポ」
総合 2 2012年(平成24年)12月13日(木)
ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
1300円︶といったと ころだ。
のや、 足の形に合 わせ
の結 晶など、 さまざま インダストリー・アワー している。
音声生体認識技術 ﹁ボ
STCが編み出した
ですよ﹂
ズを 今 年 はロシアの開
履くことができるよう
プリントも、 綺 麗な雪 ヤ ー を 選 ぶスピー チ・ なあらゆるものを包 含
世 界にお けるスピー チ・ テ クノロジーの利
るし、 色もカラフルで、 の成 果の主 要 な プレー 側 面からの活 動に必 要
て 太いのや 細いのも あ チ・ テ クノロジー と そ 用に関 連した刑 法 学の
があって、長いのや短い
する。 羊 毛は縮 まり、 カバーをつければどん
民 が も た ら し た と 言 た ちは菩 提︵ ぼだい︶ 水 蒸 気 で 加 工 し、 洗 明されるとワーレンキ われるロシアの靴。 大 樹の樹皮を編んで作っ 濯 を す る よ う に 熱 湯 用のオーバーシュー ズ 量生産が始まったのは たラープチというわら で縮絨︵しゅくじゅう︶ が作られ、このゴムの
世 紀 に ゴム が 発 になった。
ワーレンキは羊毛で ブーツができる。とて な天候もワーレンキを
200年ほど前のこと じを履いていた。 で、それまで実に暖か 原 か ら 襲 来 し た 遊 牧 限 ら れ て お り、 農 民 フェル ト を 袋 状 に し、
ワーレンキは、大草 いこの靴を履ける人は 作 ら れ る。 ご く 粗 い も暖かい靴である。
ワーレンキが復活 ロシア人はもう何世紀も羊毛のフェルト製長靴﹁ワーレン キ﹂ を履いてきた。ワーレンキは軽く安価で、 保温性も最
ロシアの靴 メ ー カ ー 発者が受賞した。
仮に電 話の話し手が
カ 国 時に現れる。
者のすべての情 報 が 瞬
審査員らが評価した イ ス キ ー﹂ は、 今 日、
審査員団は
﹂ にも注目した。
この開 発 は、 スピー
送った。
人相識別技術に基づ
の警告を発する。
状態となっている。
くシステム は、 スタ ジ メンチエフ氏 は、 開 発
アムやコンサー ト 会 場 を 促 進 して国 際 市 場へ
といった 集 客 場 所での 支障なく進出するため
治 安 確 保のために利 用 に、 同 社 はロシア 版 シ
リコンバレー﹁スコルコ
システム﹁スマートト ボ﹂ の支援を仰ぐことに
されている。
ラッカー﹂に用いられて 決 めたとしてこ う 述べ
﹁ 私 た ち は 極 めて ポ
いる技 術は言 語とは無 た。
関係であり、 使用言語
やなまり、 方 言は意 味 ピュラ ー かつこの う え
界で活用されている。
マに 取 り 組 ん で い ま
を もたないので、 全 世 な く 重 要 な 学 術 テ ー
S T C の 執 行 責 任 す。 事は社 会の治 安に
るカリーニングラード琥
財 務 省の管 理 下 にあ
ワ︼
︻タチヤーナ・トロポ
助成を受けました﹂
6 0 0 0 万ルーブルの
た ちは 同 財 団 か ら 約
す。 20 11 年秋に私
優 遇 にあ ず かっていま
納 税 や 経 営 面の一連の
スコルコボのお か げで
者 インノケンチイ・ デ 関 わ る も ので す か ら。
億 ユ ー ロ︵ 約
1000億円︶以上と評
珀コンビナートだけが現
は、
価されている。 世 界の琥
珀産出量の %をロシア、 在、 琥珀採掘権を持って
ポーランドが占めていな
ア国外へ持ち出された量
3 4 0 ㌧ だったが、ロシ
リ ト アニ ア、 ラ ト ビ ア、 い る。 昨 年 の 採 掘 量 は
がら、ロシアは採 掘でわ
径ミリ︶の琥珀は1㌔あ
番︵ 直
4億5000万円︶しか
た り 平 均 1 5 0 ㌦︵ 約
番 または
得ていない。 1980 年
はその1・5倍だった。
琥珀販売で得られる収益
代、 カリーニングラード
会 計 検 査 院によると、 ずか450 万ユーロ︵約
が横行し、公式採掘量を
シア国外で消えてしまう
のすべてが、 仲 買 人 やロ
1 万 2 0 0 0 円 ︶ だが、
現在、琥珀の不法採掘 状を調査し、専売者であ
1・5倍上回っている。
1㌔以上の琥珀石だと価
リーニングラード琥 珀コ
る連邦国営単一企業 ﹁カ
琥 珀コンビナートからの
の琥珀︵こはく︶産業の現
会計検査院は、ロシア
琥珀産業ピンチ
るようになったんです﹂
ろ、 興 味 を もって く れ
即 売 会に出 品したとこ
ちこちの見 本 市や展 示 テムの最新版 ﹁SIS 顧客は信用できない﹂と
いモデルを 考 案 し、 あ フォメーション処理シス 次の通話の際には﹁この
デザイナーた ちが新 し いる オ ー ディオ・ イ ン に 含 ま れ た 人 物 な ら、
かったで す ね。 う ちの らによって 活 用 さ れて 銀 行のブラックリス ト
よ うなタイプは全 然 な で 音 声 測 定 の 専 門 家
ま し た。 当 時 は 今 の
﹁ 3 年 前 に 作 り 始 め 識システムである。
いう。
﹁エルチェ﹂の販 売 部 長
あらゆる世代に人気
高だ。ただ、防水性に弱く、見た目もイマイチ。色は黒、白、
羊毛で作られ、冬場でも暖かい
灰色の3種しかない。ぬかるみではゴム製のオーバーシュー 世紀中ごろには都市部で廃れてしまっていた。 それが近
ズをかぶせるのだが、これがまたやぼったい、というわけで、 年、 新 デザインで防 水 性もばっちりのワーレンキが売り出 され、トレンドになっている。︻アレクサンドル・キリャコフ︼
ノスタルジー刺激 ホフロマ、 グジェリな どの伝 統工 芸 品の模 様 や、 ソ連 時 代のアニメ の主 人 公などをうまく あしらって、ロシア人の ノスタルジーを 刺 激 し た。 レトロ調 が ト レン ドとなって︵価格はもは やソ連 的 では な かった 波 に乗った という 次 第
が︶ 、ワーレンキもその
セマチョフ氏の分析で
だ。
やり場のない愛 国 心 が
は、ロシア 人 の心 には く す ぶって お り、 ロシ ア風 デ ザインが そのは け口になったのだろう、 最 新 型 ワー レンキ
という。
し、 多 種 多 様なプリン
は、 色 も さ ま ざ ま だ
ワーレンキは、 年 齢 や
ネットの通信販売﹁ウ で ある デニス・ デ トコ サ ンクト ペテル ブル ク 銀行や通信会社などで ギ・ワーレンキ﹂のオー フス キ ー 氏 に よ る と、 のス ピ ー チ・ テ クノロ 利 用 されている。 オペ ナーであるレフ・ ラー 収入に関係なく人気が 3 ∼ 4 年 前 で、 今 は たいに不 格 好でした け ちゃんと靴底がついてい ちにも そ うでない人に 最 初に新 型または都 市 ジー・センター︵ S T レ ー タ ーのコンピュー リン氏によると、 新 型 あると言う。 も う 完 全 な トレンドで ど、 今は格 好よくてき ることで す。 若い人 に も、 等しく人 気があり 型ワーレンキを 売 り出 C ︶の成 果として挙 げ ター画 面には、 データ ﹁ は や り だ し た のは す ね。 昔 は、 煙 突 み れいだ し、 肝 心 なのは もお年 寄りにも、 金 持 ま す。 いろ ん な タイ プ したのはエルチェ社だと られたのは、 全 国 規 模 ベースから音 声で人 物 のフォノベース 生 体 認 を特 定して提 供 する話
軍隊、農村で必需品 ワー レンキ が 街では や らなかった 頃 も、 製 造 工 場 はた くさん あっ た。 第一のお 得 意 先 は 軍隊だ。 今も昔も、 厳 冬 期の行 軍で兵 士が履 くのはワーレンキ。 理 由は明 らかで、 保 温 性 と 軽 さ と 安 さ だ。 価格は靴底の有無や素 材の種 類 な どによって 異なるが、 1 足 当たり 600 ∼1100ルー ブ ル︵ 約 1 5 0 0 ∼ 2800 円︶で、 軍が 農 村でも、 ワーレン
買い上げてくれる。 キは必 需 品 だ。ロシア % を占めており、 特
の農 村 人 口は 全 体の
事情とあいまって、ワー
に寒 冷 地 域では、 経 済
だけでなく、 仲 買 人への
ンビナート﹂に対し、 採
32
れば返還される。 ﹁ 金 を 支 払って 機 械 を カ リ ー ニ ング ラ ー ド 州にあ るロシア 返してもらうと闇の採掘 琥珀博物館で最も 屋はす ぐに村に戻ってし 高価なものといえ まう。イタチごっこだ﹂と ば、 ご 存 じ﹁琥 珀 の 間﹂ 。プロイセン国王 警察官は不満を述べる。 フリード リ ヒ1 世 か ら ピョー ト ル 大 帝 に 消えた刑事罰 贈 ら れ た が、 独 ソ戦 で行方不明となった。 ここ 年で不法採掘さ サ ンク ト ペテ ル ブ ル れた琥珀は5000万㌦ ク建 都 3 0 0 周 年 を ︵ 約 億 円 ︶にのぼると 機に復元された。 みられる。 以前は琥珀の
5000ルーブルを納め
不法採掘の機械類は罰金
邦保安庁が差し押さえる
使って掘るが、 警 察や連
ザー、ショベルカーなどを
る琥珀鉱山ではブルドー
岸のヤンタルヌイ村にあ
求めている。 バルト海 沿
採 掘 道 具 没 収の許 可 を
政 府 は 法 律の厳 格 化 と
カリーニングラード州
16
一方で、 罰 則は最 高で
事実上野放し状態
格は2000㌦︵約 万
20
(約1万 3000 円) カリーニングラード州で 琥珀不法採掘の罰金
﹁琥珀の間﹂
5000 ルーブル
トはもちろん、 人工 宝
ラード州の予算の %を
付 加 価 値 税の補てんで、 税収入は、 カリーニング
150㌦
石をあしらったり、ヒー
毎年数千万ルーブルもの
(約1万 2000 円) 23 番または 32 番の琥珀 原石1㌔当たりの平均価 格
レンキ が 唯一の履 物 と
掘した琥珀の自主販売を
「カリーニングラード琥珀 コンビナート」社が昨年採 掘した琥珀の量
なる。
開 始 するよ う 勧 告 した。 も罰金5000ルーブル
5%以下だ。
以上に跳ね上がる。 予算を失っているという。 占めていたが、現在は0・ 円︶
すぎず、 事実上野放しの
世 界 の 琥 珀 市 場
同 検 査 院 は 不 法 採 掘 な ︵約1 万3 0 0 0 円︶に どの資料を最高検察庁に
340㌧
ル がついているの も あ
80
36
(約4億 5000 万円) ロシアでの琥珀採掘によ る利益(世界では約 10 億 ユーロ)
る。 小 売 価 格 は 平 均
世界共通の原子力安
STC はソ連時代に多重通信 の開発を担った生産合同「ダー リニャヤ・スビャーシ(遠隔交 信) 」の元職員らによって 1990 年にサンクトペテルブルグで創 設。STC システムは大統領府、 連邦保安庁、内務省、国防省 などで利用されている。
10
II
450 万ユーロ
3 0 0 0ルーブル︵約 7800円︶ 、原価 は5 0 0 ルーブル︵ 約 アルタイ地方の村の ワ ー レ ン キ 製 造 の 様 子。 数百年前と変わらず、手 作りである。人々は過酷 な労働環境の中働き、日 当5㌦以上もらえないが、 彼らにとっては、他に働
ルールを完 了 するため
原 子 力エネルギ ーは に全ての原 子 力 事 業 者 全 基 準 及 び そ れ を 管
起こった かの否 定 的 な 影響を及ぼす。 観 点 からの分 析による
る。 それゆえ、 例 えば
と、 原 発の技 術 的な問 C O 2 を 排 出 しないの は数百万㌦を投資しな 理 する団 体が必 要であ 一つ 確 か な こ と は、 フランスが 欧 州 規 模で
題ではなく、 命 令の連 で環 境に優 しいという ければならなかった。 鎖の中でエラーが 発 生 論 理は、 現 在では原 子
数字あれこれ
ロシア風デザイン
都 市 部でも、ここ数 年、ワーレンキが突 如 と して ト レンド と なっ た。 発 端 は、 数 年 前 に、ロシアのデザイナー フ氏 がロシアの伝 統 的
であるデニス・セマチョ デザインをファッション き口はない。=アンドレイ・ シャプラン、フォーカス・ピ クチャーズ撮影
低コスト論の終わり 原子力の評価に変化
界﹂ に限 定 されない課
エネルギ ーは﹁旧 世
は低コスト 原 子 力エネ ものでは十分でない。 このた め、 福 島の事 ルギーの終 結を意 味 す
津 波 リ ス ク の 過 小 評 十分でない。
し、 人 的 ミ スに 加 え、 力 開 発を正 当 化 するに 福島原発で起きた事故 推 進 しよ うとしている 価 が 今 回の結 果につな
がった ということ を 強 故後、ヨーロッパとロシ るということだ。
﹁新世界﹂と、 福 島 の 事 故 は 原 発 題であり、
伝 統 的 な 化 石エネル
不法採掘 国外持ち出し 緩い取り締まり
露STC社が技術開発
政府機関で活用
世 界 の 琥 珀 原 石 の 90% 以上がカリーニングラー ド州にある
zoopunks 撮影
に使って世 界 的に評 判 になったこと。
国 際エネルギー機 関 ︵ I E A ︶ に よ る と、 世 界のエネルギ ーの需 要は203 5 年までに %以上増加する見込 ドイツが2 0 2 0 年
みである。 までに原 発を廃 止 する 米 国 よ り 1・5 倍 高 く 油 生 産 国サウジアラビ 時、 需 要に見 合 うエネ
アを 中 心 と する すべて
し か し、これ らの結 の核 保 有 国が、 原 発で を 稼 働 させている 全て 内 部 成 長をしようとし
調すべきである。
論は原 発に伴 うリスク ストレステストを行い、 の国 にとって、 安 全 性 ている 全ての国 々 が 直 事 態を想 定したテスト シー を 強 化 する きっか
を甘 く見ることを正 当 特 にロシアで は、 テロ と セ キュリ ティー ポ リ 面する問題である。 化しない。
け と なった。 そ れでも ギーの生 産 者が原 子 力
源に関 わることは、 さ
な どの新エネルギ ー 資
テストの結 果は公 開 おそらく不 十 分であろ や再 生 可 能エネルギー
実 際、 どこで起ころ も行った。 う と、 原 発 の 事 故 は、
世 界 中の原 子 力 業 界に され、セキュリティー・ う。
ギー資 源がお 互いに補
ま ざまな 種 類のエネル
を示しているのである。
い合 う ものであること
音声から話し手を特定
90% 以上
19
福島原発事故
サンドル・ラスキン︼
︻エクスペルト誌、アレク
くせると考えている。
復活すれば不法採掘をな
刑事罰を再び条項として
ラードの警察は、 以前の
くなった。 カリーニング
発効した1996年にな
ていたが、 新しい刑 法が
2年の禁錮刑が定められ
不 法 採 掘と加工に対 し、
10
やぼったさ一新 今トレンドに
た め、 2 0 3 0 年 に なると同 機 関は見てい アは、 近い将 来に二つ ルギーの配 合を考 える だけではなく、 環 境 問 これ らの事 実 は、エ 題︵汚染、CO2排出
しかし、 福 島で何が
(エネルギー・アナリスト)
20
ロスアトム(ロシア国営原子力企業) が主要株主となっている「アトムストロ イエクスポルト」が露中協力に積極的 だ。2011 年 9 月には、中国江蘇省の田 湾原子力発電所の2基の発電炉の運転 開始に貢献した。同原発は露中経済協 力の最大プロジェクト。原子炉建屋の下 に溶融ゾーンの維持・冷却用の「キャッ チャー」が設置された。万一事故が発生 しても、溶融した物質は「キャッチャー」 に収まり、原子炉建屋を破壊することが ないという。露中協力の下で、全部で8 基の発電炉が建造される見通しだ。
23
40
33
露中協力で中国原発稼働
は欧 州の電 力コストは る。 世界最大規模の石 の原発を建設する。
ネルギーの将 来と、 将 量と地球温暖化︶と安 来のエネル ギ ー 選 択に 全性を考慮した解決方
原子力産業の将来を
ない。
関 する新たな疑 問を提 法を探さなければいけ 起する。 太 陽 光などの再 生 可
能エネルギー、 石 油 な 検討してみよう。実際、 ど の 化 石エ ネ ル ギ ー、 福 島 第 1 原 発 事 故 は、 またはそれ以 外の方 法 め、 潜 在 的なリスクに
シェールガス、 原子力、 原子力産業の注目を集
要の増 加に直 面 した
があるのか。 大 幅 な 需 目を向けさせた。
エマヌエール・ グット
ロシアの防寒用長靴
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DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN www.roshianow.jp SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW 2012年(平成24年)12月13日(木)
3 総合
のA K A I のロゴをつ はアエロフロートがスポ
で、 ブ ラ ジルのロベル Aは引きとめた。
ンは 実 際にスタジアム ばしてきたが、 C S K
ロシアのサッカーファ ツィオな ども 触 手 を 伸
今 年、 イタリ アのカ
パー カップ2 0 0 8 で 然ながら、UEFAチャ
ガリョフ撮影
ペトロフスキー・スタジ =エゴール・ロ アムの芝生
名人プロタソフ
オレグ・ プロタソフ チームはソ連で最上位
1 9 9 0 年 のW 杯
に昇格した。
はソ連最高のストライ のソ連サッカーリーグ
カーの一人。
1981 年、﹁ドニ
エプル・ ドニエプロペ ︵イタリア大会︶ 出場
も ガ 大 阪 の メ ンバ ー
ルゲイ・ アレイニコフ
任した。
ミンスク﹂の監督に就
ル ー シの﹁ ディナモ・
2 0 1 2 年 に ベラ
活を終えた。
リシャに戻り、 選手生
プロタソフは再 びギ
手として活躍した。
年 間 所 属 し、 主 力 選
だった。 ガ大阪には2
トロフスク﹂でプロデ 後、 ギリシャの﹁オリ た。1994年に﹁ガ
身長:186㌢
ビュー し た。 この 年、 ンピアコス﹂と契約し ンバ大阪﹂に移籍。セ
ポジション:フォワード
体重:79㌔
か 所 ほ ど あ としてセ ー リングをし
(ウクライナ)生まれ
る ヨッ ト は 1 週 間 で
2 人用船室のあ
万円︶ほどで借りる
ロ シ ア・ ゴ ル フ 協 1 0 0 0 ユ ー ロ︵ 約
ポ ーツが 普 及 しつつあ 縮 められるかなどで悩 2万円︶ ほどかかる。
段階ある。 参加
われる。
車 は 運 転 手 用の座
を マ ス タ ー す る の に ことができるため、 十
プロでもアマチュアで 2 万4000ルーブル 分に海の様 子を知るこ
ら、 船長と無線技士の
万5000 トに乗ろうと決 意した
船酔いを克服し、ヨッ
も、 サー キットを 走 り ︵ 約 6 万 2 0 0 0 円 ︶ とができる。
員権は
イ ギ リスの王 立 ヨッ
本 ︶ だ。 初 ト協会︵RYA︶と、ア
の授 業のう ち
時
I Y T プログラムの
万 ㌦︵ 約 ル ー ブル ほ ど か か る。
ロ シ ア の ゴ ル フ 会 間の理 論コースは3 万
分だろう。
円︶の中古のセットで十
ブル︵約4万7000 適用されている。
から1万8000ルー の二つの主 要 な 標 準 が
︵ 約 2 万 6 0 0 0 円 ︶ トレーニング︵IYT︶
心 者には1 万ルーブル メ リ カの 国 際 ヨット・
︵ クラ ブ
ズ、 ゴルフクラ ブ一式
ツ、 特 別 な 防 水 シュー しなければならない。
必 要 なのは ポロシャ 国 際 ライセンスを取 得
円︶ ほどかかる。
ブル︵約
始 めればアドレナリン から4万8000ルー
だ。
席と強 化リブがあるだ ゴルフ
自 分 がセーリングに
践 コ ー ス を 受 け れ ば、
ヨット を 自 由に借 り ら
れる船長になれる。 ︻モスクワ・ニュース
モス クワには一般 に 合うかどうかを確認す 紙、 アンドレイ・ ブド
ナ ー リ ン グ の 最 適 な 開 放 されてるゴルフク るためには、 まず乗 客 ビン︼
けの特 別 仕 様で、コー
セーリング
クワ・レースウェーで行 ん な がとりこになるの ある。
ロコラムスク通りのモス が出 まくる。 それでみ 800 万円︶が相場で 地 中 海での1 週 間の実
最 も高い大 会は、 ボ
中流層だ。
るのは 主 にモス クワの
欲 次 第 だ。 参 加してい
が、 上限は参加者の意
参 加 料に下 限はある
1万8000円︶ 。
ブル︵約7800円から
ブルから7 0 0 0ルー
料は1人3000ルー
間に
スクワからカザンまでの
国 内 レース場は、モ
自動車レース
などを調査した。
けの金 額 がかかるのか
を 楽 しむのに、 どれだ のだ。
ルフ、 セ ー リングな ど プやメダルを受 け取る 会 に よ る と、 ゴ ル フ
る。 自 動 車レース、 ゴ み、その報酬としてカッ
ツと 考 え られていたス 論できる。 どこで数 秒 8000ルーブル︵約
てはエリー トのスポ ー サー キットで長い間 議 る。 1 回のプレーには てみることが必要だ。
モス クワで は、 かつ 軌 道 を 計 算 し な が ら、 ラ ブ が
1964年、 ドニエプロペトロフスク
強さ復活の兆し
リ ー・ ベロウス 氏 が 外 郎︵ペルミ市の﹁アムカ
ンサーだったが︵氏はイ た。 その後、 き ら 星の チ ー ムの 要 と なってい
﹁シブネフチ﹂ 社がスポ ムに移 籍 させよ うとし ドフィールダーとして、
アブラモビッチ氏率いる のフィー ゴ ら を 自 チ ー スクワC S K Aのミッ
モスクワC S K Aは 国 人 選 手 移 籍に果 敢に ル﹂︶はロシアを去った た。一番 の変 化 は サッ カー界の金 回りがすご 石 油 成 り 金 のロマン・ ト ライし、 ポルト ガル ものの、 本 田 圭 佑 はモ く良くなったことだ。
金回りが良くなった
けてプレーしていたが、 ンサーになっている。
億円だ。
神 経を使 うのは試 合
をやるた めに、 前 日 か
週間ほどかかる。
ソ連、ウクライナ代表
オレグ・プロタソフ
外国人を積極招へい
約 4000 万ユーロ
選 手 を 頼るよ うになっ サーになっている。
チー ムの顔 ぶ れはベル 選敗退となった。 ロシアのサッカーは最近 年間で見事 日本にまさかの敗北 日本と韓国で共同開 ギ ー、 チュニ ジア、 日 特に日 本に負 け たの に復活をとげた。2007、08年には 松 井 大 輔︵ トムスク ﹁ゼニト・サンクトペテルブルク﹂ がU 催されたFIF Aワー 本 だ。 ところが、 対日 は大ショックで、モスク の﹁ルール﹂は変わった。 サンクトペテルブルクの ﹁モスクワ﹂のゼネラ E F A カップとスーパー カップを 制 し、 ルド カップ2 0 0 2 は 本 戦で0 ︱1でよもや ワの都 心では、 憤 激 し もっぱら外国人の監督、﹁ゼニト﹂の大口スポン ルマネ ー ジャー、 ユ ー 市の﹁トム﹂︶と巻誠一
それ以来、露サッカー
今や露石油会社 ﹁ルク
トカルロス︵ ︶や、カ
1 9 9 0 年 代にスパ ギリスの﹁チェルシー﹂の ごとき面 々が移 籍して る。 本 田の実 力に、 イ ルク・モスクワ﹂は日本 オーナーでもある︶ 、今 くるようになった。 タリ ア・ セ リエAのラ
オイル﹂の赤と白のエン 名選手がロシアに
ラは年俸約
年 間 で、ロシ 優 勝した。 代 表チーム ンピオンズ・ リー グだ
監 督の下で準 決 勝に進 されている。
芝の種 類と高 さはF
ならない。 サ ンク ト ペテル ブル
度 いる。 そのた めに、 週
度 に 維 持 す る 高さ2・5㌢に保たれて
ている。
境 デザイナーが担 当し らで、 元に戻 すのに2
学 ぶ が、ロシアでは 環 ルドは耕した畑さなが
キーパーは専 門 学 校で あ る。 試 合 後 のフィー
海 外では、 グリーン ら泊 まり込 むことさえ
できないようにする。
氷を防ぎ、 雪だまりが 時 間 前に水をまき肥 料
ない。 フィー ル ド の 結 前 だ。 職 員は試 合の数
手 作 業で温めねばなら
上 げだ。 芝はほとんど ければならない。
に下がると、 もうお 手 3 回 ずつ芝 刈 りをしな
が、 屋外が氷点下
∼
ており、 土 壌の温 度を タジアムの場 合、 芝 は
は、 特 別 な 配 管 が通っ クのペトロフスキー・ス
グラウンドの地 下に
時間ずつ照射する。
殊な照 明で補い、 1 日 さ 3・5 ㌢ を 超 えて は
強いられる。 陽 光を特 定 されている。 芝 は 高
た めに天 候 との戦いを 連盟︶によって厳しく規
下では、 芝 を 緑に保つ I F A︵ 国 際 サッカー
ロシアの気 象 条 件の
酷寒との戦い 芝の管理
外でない。
貌した。日本選手も例 人のフース・ヒディンク 開 催︶での勝 利が期 待
有 能 選 手の見 本 市に変 2 0 0 8で、 オランダ プ2 0 1 4︵ ブラジル
ア・ プレミ アリー グは もUEFA欧州選手権 けでなく、ワールドカッ
この
20
ちなみに、エトーのギャ U EF A カップとスー ム監 督に就 任した。 当
腰を抜かさなくなった。 2 0 0 7 ∼ 0 8 年 の ペッロ監 督 が 代 表 チー
円 という ギャラの額 に ンクトペテルブルク﹂は
年W杯に期待
ブレムが選 手た ちの胸 2 0 0 2 年からロシ メルーン出身のサミュエ UEFA杯優勝 出しソ連 崩 壊 後 初 めて 金 回 りが良 くなると の好成績を収めた。 ア・リーグは﹁ロシア・ ル・エトー︵ ︶を目の
を飾っている。
ロシア・プレミアリーグを 観戦する人の割合。
世 界 最 大 の 天 然 ガ プレミアリーグ﹂とイギ 当たりにできた。 ともに、 戦 績 も向 上し ス企業﹁ガスプロム﹂は リス風に名を改めた。 ロシアのファンも何億 始 め た。﹁ ゼ ニ ト・ サ
1000 人中9人
﹁UEFA欧州選手権 2008﹂の準々決勝オラン ダ戦で駄目押しの3点目を 挙げたアンドレイ・アルシャ ビンと喜び合う選手たち︵写 。写真下はC 真右 =AP撮影︶ S K Aの サ ポ ー タ ー =エカテ リーナ・ロクテワ撮影︶
し か し、﹁ ゼ ニ ト ﹂
世界最大の応援バナー(横 断幕)の大きさ。UEFA 欧州選 手権 2008 の対イングランド戦 に際し、ルジニキ・スタジア ムでファンが使った。
ルー プH に入った。 4 ルギー戦でも敗れ、 予
ロシア・プレミアリー
25
10
14
今 年はイタリアの名 将ファビオ・ カペッ ロシアにとって 悪 夢 以 の敗戦。日本は稲本潤 たファンが車を引っくり ロが代表チーム監督に就任、態勢は整っ 外の何物でもなかった。 一が 決 めた ゴールで決 返 す騒 ぎとなり、 代 表 た。 最 近 の露 サッカ ー 界 を 振 り 返 り、 組み合わせ抽 選でそ 勝 トーナメントに進 出 チームのオレグ・ロマン 未 来に夢をはせてみよ う。︻チムール・ れほ ど 難 敵のいないグ し た。ロシアは 次 のベ ツェフ監督は辞任した。 ガネエフ、1面に関連記事︼
日、モスクワ とつがロシア代表でディ
選手負傷の事態も
フーリガン対策急務
月
や け ど を 負 い、 一部、 で き る、 仮 にファンが す。真のファンはひいき
︻チムール・ガネエフ︼
60
のヒム キ・ スタジアム ナモのゴールキーパー、 グのセ ル ゲイ・ プ リャ のファン ク ラ ブの リ ー で 行 わ れ た サッカ ー・ アントン・シュニンに当 ドキン会 長は緊 急 会 議 ダーの一人であるエドワ
医 師 の 診 断 に よ れ 分証明書の提示を条件 と ばっちりを 受 ける す
アウェーのチ ー ム は 身 は、﹁フーリガン行為の
ロシア選手権のモスクワ たり、 審 判は試 合の中 でこ う 述べた。﹁ 今 後、 ル ド・ セ ル ジャンさ ん ペテルブルク﹁ゼニト﹂
﹁ディナモ﹂ 対サンクト 止を決めた。
が起きた。
の試 合で不 幸な出 来 事 ば、 シュニ ンは 角 膜 に にチケット を 自 ら 販 売 べてのファンが気の毒で 規 則 違 反 すれば、 その のチームを 応 援 するの
ります﹂
数字あれこれ
1988 年に「ディナモ・ キエフ」に入るとともに、 ソ連代表メンバーとなっ た。この時までにソ連最 優秀選手と得点王の2冠 を獲得していた。 1985 年には「ドニエプ ル」のFWとして1シーズ ン 33 試 合 で 35 得 点 を 挙 げ た。1983 ∼ 94 年 ソ連(後にロシア)代表、 1994 年ウクライナ代表。
20
W杯日本戦が転機に 今 年、 熱 狂 的ファン チームは次の試 合を観 みで相 手を挑 発したり
試合開始直後より観 聴覚を失った。 客 席 か ら ピッチへコイ
投 げ込まれ、 爆 竹のひ 他にも見られた。
ブラジル出身のフッキ(ウル ク)の「ゼニト・サンクトペテル ブルク」への移籍額。
タス通信撮影
やはり贅沢?
39
130 × 80 m
10
ンやライターや花 火 が によるこうした 事 例は 客 なしで行 うことにな しません﹂と述べた。
普及とはいえ
31
12
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20
12
14
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ロシアで開催される 2018 年 W 杯の決勝戦は「ルジニ キ・スタジアム」(旧レーニ ン・スタジアム)で行われる。 これはロシア最大の多目的 競技場で、収容人数は 7 万 8360 人。 オープンしたのは 1956 年。1980 年のモスクワ五輪 ではメーン会場となり、閉 会式では、大会マスコット だった子熊のミーシャがこ こから空に飛び立った。 1997 年 のモスクワ建 都 850 周年に合わせて、大改 修された。これは UEFA(欧 州サッカー連盟)の基準に 準拠させるためでもあった。 高さ 26㍍の支柱 72 本が ぐるりと円形に組み立てら れ、 幅 63.5 ㍍、 重 量 1 万 5000㌧の巨大な丸屋根を 支えた。新しい電光掲示板 が設置され、FIFA 規格に合 わせた選手更衣室(320 平 方㍍) も設けられた。 1998 年にルジニキは欧 州の「UEFA 5つ星スタジア ム」に認定された。
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ロシア・イレブン 11
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ルジニキ・スタジアム
2012年(平成24年)12月13日(木) スポーツ 4
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静かに歓迎するロシアの思惑
2012 年の米大統領選は 11 月6日、投開票が行われ、オバマ 大統領がロムニー前マサチューセッツ州知事を破って再選された。 この結果をロシアはどうみているのか、米露関係は今後どう変わ るのか、などについて、ロシアの識者2人に聞いた。 その中 には、ロムニ ー 新 オバマ政 権の外 交
が 続 くこ と で あ ろ う。 いる。 ﹁ 偉 大 な 社 会 ﹂ かの二
しかし、 政 治にお け 者 択一を 迫った。 大 統
オバマ氏の外 交 路 線 であったにすぎない。
モス クワは オ バマ氏 をロシア寄 りと 見 な す
しないであろう。
氏の選挙運動は大統領 政策が根本的に方向転 の再 選 を 歓 迎 した。ロ こ と も で き な いので、 る レト リックは 侮 れな 領の理 性 は、 ド ミノの との討 論 後 に波 に乗っ 換 す る 可 能 性 は 低 い。 シア 政 界 にオ バマ氏 の 仮にロムニー 氏 が勝 利 い。 政 治 家た ちが抜 き ピースである 東 南 アジ た が、ハリ ケ ー ン・ サ しかし、 全く変 化は生 支 持 者が多 数いるから してもロシアにとって何 差 しな らない必 要 性に アの一国に共 産 主 義 国 墜 させてし まった よ う 時 期 尚 早であろう。 オ るロシアの政 策 は、 常 で あ ろ う。 そ れ で も、 は、 自 身の回 想 録にお 地 域の他の国 も不 可 避 モスクワで
首 脳 レベルを 含 め、 露
日には、 野田佳彦 日間の政治対話を妨げ
ド ミノ理 論は偏 見にす により延 期された。 月
代 わって、﹁親 日 的 な﹂
いな﹂メドベージェフに
プーチンが大 統 領にな
り、 領 土 問 題は妥 協に
基 づいて︵ ま たは 引 き
分けの形で︶解決すべき
の準 備に向 けて日 程 を
中 断の後で、 首 脳 会 談
だ、 と 言った ぞ。 長い
モスクワ国際関係大学教授
日 本 のマスコ ミの 多
んぬん。
決 め た じゃないか、 う
ドミトリー・ ストレリツォフ
改善の機失われず
ま ず、 双 方の思 惑に
月に予 考えられる。
首相訪露延期でも
日本との連携必要
ンディが その 勢 いを 失 じ ないと 言い切 るのは ではない。 米 国に対 す ら 悲 劇 は 生 じなかった 基 づいて決 定 を 行 うの に な る こ と を 許 せ ば、 だという見 方から、 投 バマ氏 は 国 内の政 策 課 に 受 け 身 で あ る か ら オバマ氏 が選 挙に勝 利 いてに す ぎ ず、 現 実 に 的にそれに追 随 すると 票日の4 日 前に公 表さ 題に対して精 力 的な態 だ。 モス クワはワシン した日の朝、 私はやは はしばしば可 能 性の範 いうド ミノ理 論に支 配 定されていた露日 首 脳 いる。 ぎなかった。
11
けだが、 二つの要因が 的得点となりうる。
ナリズムの盛 り 上 がり
を 促 し、 そのナショナ
力が利用してきた。
リズムをさまざまな勢
日 中 韓の関 係は、 露
係を深め、 経 済などで 東 アジアにお ける安 全 後 者 は 何 と 言って も、
交渉と並行して友好関 とか経済協力とか、 北 日 関 係 とは 対 照 的 だ。
せ る こ と だ。 さ ら に、 要 がある。エネルギー
冷静な現実主義者であ ということだ。 相になろうとも、 北 方 要なのは交 渉を再 開さ れる。こういう 悪 循 環 り、ロムニー 氏 は 偏 見 露日 関 係のボルテー 領土問題をめぐる交渉 せること自 体であって、 か ら 脱 す る た め に は、 に対 する姿 勢 があいま ジは下がってしまったわ での前 進のみが、 政 治 そ れによって 両 国 間の 両 国を結 びつけるよ う 政治的雰囲気を安定さ な事柄を議題にする必
いな政治家である。
ワシント ンに偏 見 が 多 ければ 多いほ どモス クワにも偏 見 が多 くな
氏 の 態 度 と は 明 確 に てしま うこと がよ くあ 維 持 しているのだ。 そ トンで民主党員も共和 にあたり、 自 身の大 統 スな偏見に満ちていた。
オバマ氏の大 統 領 2 チャンスは あ る。 露 米
なかった 米 国の大 統 領 負かして再 選を果たし た。 これは、ロム ニ ー 権を国 務 長 官に握 られ 択できる気 楽な立 場を 逃 れでは ない。 ワシン 全面参加の決定を行う 政 治に関 するナンセン に怖ろしい。
た。
世論調査は 「良好」 「まずま ず」 で過半数
「たくましさ」から 「賢さ」に 大統領のイメチェン図る
12
一方、ロシアは 直 ち 首 脳 会 談 を 行って も、 くも関係の﹁活発化﹂を オ バマ氏 とロム ニ ー 首 相 が 衆 議 院 を 解 散 ているということだ。 氏の違いは偏 見に対 す し、 総 選 挙 と なった。 日 本 側 が望 んでいる に領 土 問 題で前 進させ 領土問題では前進など 領土問題での﹁前進﹂と る 姿 勢 にある。 オ バマ はっき り し たのは、 今 のは、 北方領土問題を ることは 課 題 としてい 期 待できず、 世 論はま 結びつけて報じた。 領 土 問 題 は、 ナショ 氏 は 未 来 を 志 向 す る 度 訪 露 するのは新 首 相 動かすことだ。 誰が首 ない。ロシアにとって重 たまた反露的方向に流
16
労 働 省の報 告 書が、 オ バルな 課 題に対 しては ジに後から反 応 する方 包まれた。 米大統領選の数日前
ロシアの指 導 者 た ち に私 はモスクワで、 元
を好む。 は、 オバマ氏の資 質 を 米 共 和 党 政 権 の 高 官 十 分にわ き ま えている だった人 物と会ったが、 ため、 既に確 立 された 選挙結果に関して同氏
国益で対立
れた、 失 業 率に関 する 度 を とる一方、 グロー ト ンが 発 するメッセ ー り喜 びと安 堵の思いに 囲の陰に偏 見 が潜 んで さ れ てい た。 し か し、 会 談 はロシア側の要 請 は ズレがあり、 それが
あったと 指 摘 する 声 も
バマ氏 勝 利の主 要 因で ある。 興 味 深いことに、 オ バマ氏 とロム ニ ー 氏 に 露 米 関 係を再 開させる は 拍 子 抜 け す る ほ ど 方がより便 利 だと感じ 気のない言葉を吐いた。 ﹁ロム ニ ー 氏 が 勝 利 し
クレム リ ンは、 ホ ワ ても 何 が 変 わりましょ
ている。
れ る 露 米 関 係 の 新 た ることは非 常に限 られ
イ トハウスか ら 発 信 さ う。 今の米外交にでき なパラダイムを 予 期 し ており、 私た ちの資 源
競合は続く
コメルサント紙
RBC 紙
対 する米 国 民の支 持は 真っ二つに分かれたもの オ ー プンにオ バマ氏 が
主導権とれず
全国で
%の得票率を いた要 因を緻 密に分 析 は、 米 国の行 動に対 し 任が誰になるかが判 明 ロシアの重 要 な 国 益 を と 見 な しているのは 中 ることを悟っていた。
中国を警戒する理由
親友にはなれない
一つ目は経済的な理由
由は三つある。
ロシア が 慎 重 に な る 理
の 誕 生 を 見 つ め てい る
世 界 は 新 しい超 大 国
になれるだろうか。
国 と 対 等 のパー ト ナ ー
えさせた。ロシアは、中
に︶ 。このよ うな協 力 関
るようにすべきだったの
の昔 に 自 分 で 生 産 で き
製品を買っている ︵とっく
ロシアは 中 国 か ら 工 業
﹁原料中心﹂ だ。そして
対欧輸出に比べて、より
ロ シ アの 対 中 輸 出 は
信の対 象となるだろう。
る。 や がて 世 界 的 な 不
立する方向に向かってい
国、 日 本、 イ ンド と 対
のだ。 中 国 は 最 近、 米
牲にしなければならない
に お け る イ メ ー ジを 犠
に、 ロシ ア は 国 際 政 治
の友 好 関 係 を 保つた め
関 係 か ら どん な 利 益 を 得ようというのか。
てのみな ら ず、 重 要 な 気があることである。
話 を 始 めていくかの選
今 や、 多 くのこと が 択である。
同 盟 を 通 じて 自 国 の 安
必要となってくる。まず、
全 を 保 証 す るこ と に あ
のた め に 技 術 を 身 に 着
いて多く語られているが、
に 極 東 を 日 本、 韓 国、
ばねばならない。
﹁東方﹂が﹁中国﹂しか意
な 技 術 を も た ら し うる
る。 極 東 の発 展 に 必 要
米 国 との 協 力 の 場 に 変
日 本 とは 平 和 条 約 を 結
味しないのはなぜだろう
国 と は、 日 本、 韓 国、
ポ イント だ。 政 治 的 に
え るこ と が 最 も 重 要 な
民 主 国 家 との確 固 たる
か。 太 平 洋 を 東 方 に進
米国である。この3国こ
け 資 金 を 集 める一方で、
む と、 西 側 にた ど り 着
そ が 太 平 洋 地 域 の主 要
現 在、 ロシ アの 環 太
くのに。 極東は﹁ロシア
ド 3 国 の同 盟 と な り う
はロ シ ア・ 日 本・ イ ン
中 国 を 抑 止 する た め
露日印の連携さえも
のカリフォルニア﹂にな
日本と韓国がシベリア
なパートナーだ。
う。︻ アガニョー ク誌 抄
重 要 な 要 素 と なる だ ろ
全 体 の安 全 保 障 体 制 の
力しなければならない。
る。 実 現 す れ ば ア ジア
そのためには、ロシア外
となるようにロシアは努
利益をはっきり見定める
訳︼
の重 工 業 発 展 の原 動 力
必 要 が ある。 経 済の現
交 に 目 に 見 える 変 化 が
ロシアは中国との関係
代 化 と、 資 源 依 存 脱 却
を 築 く な かで、 自 国 の
必要がある。
るべき で 足 元 を 固 め る
平 洋 地 域へのシフトにつ
的な理由だ。
ほら、日本人が﹁嫌 戦 略 的パートナーとし
双 方の立 場 が 真っ向 めたのである。
か ら 対 立 している 時に
既 成 概 念 を 採 用 しよ う
中 国 は 西 側 の政 治 的
的一般論だ。
ロストフスキー
レツ紙評論員 ミハイル・
モスコフスキイ・コムソモー
シアはかつて主 要 問 題 実 上 大 統 領 に 戦 争 か ムニー 氏 が 勝 利 してい アジアや ミサイル防 衛 あろう。
獲 得 し、 激 戦 区 8 州 するため、 専 門 家たち て﹁決して謝罪すること するまで、 米 国の外 交 推 進 させるのに役 立つ 国 とイ ランであ り、ロ のすべてで勝 利 した 現 はこの先 何 カ月 も多 忙 はない﹂と堂々と誓って 政 策の輪 郭 ははっきり とは考え難い。
マサチューセッツ州を 拠点とする政治評論家
追悼・ストルガツキー兄弟
エフゲニー・イワノフ
「月曜日は土曜日に始まる」
常に受け身の外交 そ して 奥 深 かった。 そ ツィンやブロツキーより 最後の閃光︵せんこう︶
ストルガツキー 兄 弟 れ 故 に、 ソ連のほ と ん もソ連 人に影 響を与 え のよ うに彼 らの想 像 力
月 に開 か れた 中 国 共 産 党 大 会 は、ロシア
間 的な特 徴を失いなが たずたにされながらも、
係の拡大は、ロシア産業
とはしていない。 中国と
ら、 作 品 か ら 作 品へと ソ連 崩 壊を無 事 乗り越
ナ ー シップ を 評 価 す る
が、 現 在 の 露 中 パー ト
の空 洞 化、 最 終 的 には
だ。
進化し続ける。そして、 えることができ、﹁永遠
時、中国が﹁誘導する﹂
くべきかということを考
と 中 国 が どれだ け 近 づ
現 代 人や未 来 人とはい の書棚﹂でジョナサン・
側で、ロシアが﹁誘導さ
現代化プロセスの崩壊を
三つ目 は 戦 略 地 政 学
お手紙をお寄せ下さい
ボリスが先月死去
テーゼを具現化した。
家 だった。 兄 アルカ ジ ので き な かった 国 家 体 生き抜くソ連 人 像を創 半 ば忘 れ去 られていた
はロシア最 高のS F 作 どの作 家 が 越 えること た。 国の変 化と時 代を は﹁幸せな労働﹂という
兄 弟から発せられ
ストルガツキ ー 兄 弟 る 衝 撃のパワー はいく 反ユートピア
去、 弟 ボ リス も 先 月、 えることができた。
イ は 1 9 9 1 年 に 死 制の境 界 線を軽 々と越 り出したのだ。 心臓病で亡くなった。
かなる共 通 性 もない新 スウィフトやロシアのサ
意味する。
ロシアはこのような対中
しい生 き 物になり、 完 ルティコフ・シチェドリ
ぐえないからだ。
れる﹂側という印象がぬ
二つ目 の 理 由 は 政 治
全 にホ モ・ サ ピエンス ンの本と並んだ。
中 国との付 き合いで、
から抜けきってしまう。 兄弟は出版から 年 どんなユートピアでも、 後にこのよ うに説 明 し
凝 視 している う ちに反 た。﹁未来とは良いもの ユー ト ピアに逆 転 する でも悪いものでもない。 この作 品 に描 か れる ス ト ル ガ ツ キ ー 兄 魔 法は自 由に手に入れ
自由への賛歌
本紙は8面ともロシア政府発行紙「ロシア新聞」により制作、発行されたもの で、文責は「ロシア新聞」が負っています。 本紙の記事は個人的に使用する場合を除き、その転載、転売、譲渡はすべて、 「ロシア新聞」の文書による許可なくしては禁じられています。記事や写真の利 用を希望される方は、下記の連絡先までお申し込み下さい。
それは、 われわれが想 正 午の人 間は賢く、 健 優 れ た 作 品 の一つ、 像 している ものとは ぜ 康で、陽気で、忙しい。
難しく不可解だが、 面 弟は自 分たちの思 想を られ、羨望︵せんぼう︶ 本の中には兄 弟 が望 白い仕事で忙しいのだ。﹁ 月 曜 日 は 土 曜 日 に始 の 対 象 に な る も の だ。
編集スタッフ
ものだ。
ムリ﹂は正にそれについ
E-mail: jp@rbth.ru ホームページ: http://roshianow.jp 電話: +7 (495) 775 3114 ファ クス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2012, FGBU «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.
﹁ そ ろ そ ろ 登 れ カ タツ んぜん違うのだ﹂
ストルガツキ ー 兄 弟
たがるに違いない。
くる魔 法 研 究 所で働き
読 者 は 小 説の中にでて
こ と を 夢 見 る よ う に、
ワーツ魔 法 学 校で学 ぶ
ポッタ ー ファンが ホ グ
は ジャンルの境 界 を 哲 あり、 その世 界を人 類 陽が高く昇る場 所が見 現 し た。 ソ連 版の﹁ハ し、 官 僚 主 義 化 し た。
て語っている。この作品 む未 来の世 界の生 活が ここでは、 誰 にで も 太 まる﹂の中 編 小 説で表 兄 弟 は 魔 法 を 合 理 化 リー・ポッター﹂だ。
▲ボリスが遺した語録
経済学博士、ポスト工業化社会研究セン ター社長 ウラジスラフ・イノゼムツェフ
「ロシア新聞」 の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する特殊折 り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています: 毎日新聞(日本) 、 中国ビジネスニュース(中国) 、 サウス・チャイナ・モーニ ング・ポスト(中国・香港) 、トゥデイ(シンガポール) 、中央日報(韓国) 、エコノミッ ク・タイムス(インド) 、NAVBHARAT TIMES(インド)シドニー・モーニング・ヘラ ルド(オーストラリア) 、ザ・ワシントン・ポスト(アメリカ) 、デイリー・テレグラフ (イギリス) 、ザ・ニューヨーク・タイムス(アメリカ) 、ウォール・ストリート・ジャー ナル(米国) 、ラナシオン(アルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、 エル・オブザバドール (ウルグアイ) 、フィガロ(フランス) 、南ドイツ新聞(ドイツ) 、 エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプッブリカ(イタリア) 、ルソワール(ベルギー) 、ヨー ロピアン・ボイス(ベルギー) 、ドゥーマ(ブルガリア) 、ジオポリティカ(セルビア) 、 ポリティカ(セルビア) 、ELEUTHEROS TYPOS(ギリシャ)
11
学的風刺文学まで拡大 の﹁正午﹂と名づけた。 つかる。 し、 今 日と明 日の間に
ある解 決できない衝 突 ただしS Fを青 少 年
を具象化した。
文 学 的 因 習 が、この中
の文 学 だと決 め付 ける
日が土 曜日に始 まる自
は自由な仕事と、 月曜
アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa ウラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin
編集委員会長 社長 編集長
編 を 正 真 正 銘のロシア 文 学の傑 作 だと認 める
由 な 人 々の真の賛 歌で あったのだ。
のです。必ずしも「ロシアNOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。
体制越えたSF作家
この本 は、 検 閲でず
「私たち兄弟は決して未来を予言 しようとはせず、ただ私たちが 暮らしたいと望む世界 を描いたにすぎない」 。
日韓米こそ協力相手
漫画による風刺などは、様々な意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたも
アレクサンドル・ゲニス 作家
際の障壁になっている。
本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、
25
「私にとっての 20 世紀は、ま ぶしい約束と無慈悲な失望の世 紀である。万病薬もがんは言う に及ばずカリエスの薬さえ発見 されず、貧困は克服されず、ユー トピアは実現されず、コロリョ フが 1990 年代に想定していた 火星への飛行は果たされず、宇 宙には理性的あるいは最も原始 的な生命体すら見当たらず、鼻 先には化石燃料資源の枯渇や 全面的なエネルギー危機や前世 紀初頭への回帰が迫っている」 。
対等でない露中関係 メールのあて先は jp@rbth.ru です。 お気軽に日本語でメールしてください。
アルカジイ・ストルガツ アルカ ルカジイ ジイ トルガ トル ガ キー(1925 年 8 月 28 日∼ 91 年 10 月 12 日) とボリス・ ストルガツキー(1933 年 4 月 15 日∼ 2012 年 11 月 19 日)はソ連・ロシアの SF 作 家。SF の古典となった本を 数十作、共同で書いた。 兄のアルカージーは「雨月 物語」 (上田秋声)などの翻 訳者としても知られる日本 研究家、日本語通訳であり、 極東国際軍事裁判の準備に も参加した。 「常に疑いの種をまく ことから始めよ」 。
51
作品の主人公たちは 兄 弟 は そのジャンル は、 マル クス やエン ゲ ら評 価 してもしきれな や 時 代 よ り も 幅 広 く、 ルスより、ソルジェニー い。 電 球 が 切 れる 時の 超能力を手に入れ、 人
アルカジイ (左) とボリス (右) ・ストルガツキー兄弟=ナタリア・ミハイレンコ
うやら双 方ともに、 今 立 に陥った。 正 に その とロシア 側 は 考 えてい 外交戦略を安定させら いう定 式に還 元し、 関 の段 階で領 土 問 題を解 頃、日本で多くの人が、 る。 な ぜ な ら、ロシア れ る からだ。 係 全 体を犠 牲にしてし 決するなど無理だ、と 日露関係が好転すると に とって 日 本 は、エ ネ その 証 し は、ロシア ま うのか。 それとも政 わきまえているようだ。 の希望的観測を語り始 ルギー資 源の市 場とし が領土問題を議論する 治的な英知を発揮し対
月7日未明に終結した。 オバマ氏 を 勝 利に導 対 照 的 だ。ロムニー 氏 る。 クリント ン氏の後 のようなアプローチは、 党員も当面の主要問題 領 職の精 神 をふいにす ﹁ 地 政 学 的 な 敵 国 ナ 期目が露米を親友にす という 長 年のスパー リ ケートな問題は、 相互 今年の夏、日本は両国 北東アジアの安定 て 必 要 なのだ。これに 日 本の選 択 にか かって 露日 関 係 発 展の機は よって、 アジア 太 平 洋 いる。 露日 関 係を﹁日 ンバーワン﹂という無謀 ることは ない。 双 方の ングパートナーにとって 信 頼がなくては解 決で との領土問題が先鋭化 べト ナム 問 題は、 事 な レト リックを 操 るロ 国 益 が一致 しない中 央 はそれだけでも意 味 が きる ものでは ない。 ど して事実上、 外交的孤 逸 し た わ け で は な い、 地 域 にお けるロシアの 本固有の領土返還﹂ と
選という政 治 劇は、
独立新聞によると、大統領顧 世論調査機関「レバダ・セン 問たちは、プーチン氏のイメー ター」によれば、プーチン大統領 ジチェンジを図っており、これま の健康を「良好」だと考えるのは での「たくましい中年」からロシア 35%、「まずまず」 とみているのが 政界の「賢い長老」に変貌してテ 22% だった。 「最高」は 5%で、 「悪 レビに登場してもらうという。ベ い」は 4%にとどまった。 、0.1%は ラルーシのルカシェンコ大統領や 「危篤状態」だとしている。また、 野田首相の周辺からは、プーチ 38% は「国家元首の健康問題は ン氏の体調が時々すぐれないこと 秘密情報であり、公に論じるべき があるとの情報が出ていた。 ではない」 と答えた。
大統領の健康で憶測 11 月 30 日、 日 本 メディアは、 野 田 佳 彦首相の訪露延期は プーチン大統領の健 康問題が原因だと報 じた。これに対しぺス コフ大統領報道官は 否定に躍起となった。
の、 海 外ではほとん ど
オ バマ大 統 領 は、 こ
支持を受けていた。 れまで米 国の国 益に反
まず様子見
の協 力 を 強 めていくこ 保障とかがそれだ。 堅固な経済的基盤をも て、﹁様子を見る﹂とい は もは や かつてのそ れ る。 オバマ大 統 領の1 長 期 間 で 膨 大 な 選 職大統領のオバマ氏は、 しない限 りは外 国の国 あまり熱意がない。 た ら 、 モ ス ク ワ の 反 米 例 え ば 、 リ ン ド ン ・ ︵ M D ︶ の 分 野 で 競 合 露日関係冷却の理由 た ず、 し た がって 内 政 挙 費 用 がかかった もの 前マサチューセッツ州知 益も最低限考慮しよう そのような状況では、 う態 度をとり、 それを とは全く違います﹂ ジョンソン大 統 領 は 米 期 目においてさ え、 モ 的 偏 見がどれほど増し が 収 ま る 気 配 も な い。 とである。 は そ れ だ け で は な い。 の風 向 きに左 右 される そうした評 価は言い 国 のベト ナ ム 戦 争への スクワの政 界 は 米 国の たことか、 想 像 するだ しかし、 それが偏 見に の、 面 白 くて目 が離せ 事のロムニー 氏 を 打 ち とする意 欲は示 してき 米 国の外 交 政 策の主 導 受け入れるか否かを選 もう一つ、日本と中国、 からだ。 基 づかない競 合 となる 信頼関係が先 領 土 の よ う な デ リ 韓 国 との 関 係 が あ る。
オバマ再選と 露米関係 11
ロシアの 論調
編集兼発行 ユージン・アボフ Eugene Abov 編集デスク アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova 編集アシスタント ナタリア・ススリナ Natalia Suslina 電子版編集 セルゲイ・パシェンコ Sergey Pashenko デザイナー アンドレイ・シマルスキー Andrey Shimarskiy 編成担当 ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya レイアウト イリーナ・パブロワ Irina Pavlova サブ編集者 三瓶良一 ゲスト編集者 飯島一孝 インフォグラフィック ガイア・ルッソGaia Russo、 ナタリア・ミハイレンコNatalia Mikhailenko、アントン・パーニン Anton Panin 写真 ダリア・コジレワ Daria Kosyreva 広告 ユーリア・ゴーリコワ Julia Golikova
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ロシア NOW
2012年(平成24年)12月13日(木)
5 オピニオン
日に再び新年 新年占いなどだ。
ずに祝 杯 を 上 げること で、ロシア 正 教の降 誕
モ ミの木 を 飾 り、 祝 だ。ロシアでは、 極 東 祭 と 重 な る。 こ の 日、 い歌 を 歌 う 伝 統 はロシ か ら 西 端のカ リーニン マリ人︵フィン系︶はク
ア 正 教 にあ り、 ピョー グラード まで9 回 も新 ルミをごちそうし合い、 ロシア人 がお 正 月 を ト ル 大 帝 以 降 は 花 火、 年 を 迎 えるので、 モス 輪舞や占いをする。
冬の祝日になったのは、ピョートル大帝
好むのは祝 祭日が続く サ ンタ クロースな ど 西 クワ時 間で大 み そ かの
古 代ロシアでは、 新 年は春に祝った。 が1700 年から新年は西欧と同じく
ためでもある。 新 年 祭 欧の習 俗 が取 り入 れら 午 前 8 時にウラジオス カレリアの場合 のあとは、 正 教の降 誕 れた。 しかし、 海 外の ト クで 飛 行 機 に 乗 り、 正 月は 月 日に始 祭︵クリスマス︶が1月 習 慣 は す ぐにロシア 化 西シベリアのオムスクで ま る。 仮 装 し た 人 が
1 月1日に祝うよう布告を出してから だ。 その年までに、 大 半の西 欧 諸 国が 7 日に祝 われ︵ グレゴ 家々を回り、 運勢を占
グレゴリオ暦に移行したが、ロシアはユ た︵二つの暦のズレはほぼ1世紀に1日
%、 自分
陰 暦で祝 うので2 月 末
ブリヤー トの正 月 は
日か ブリヤートの場合
区 に 行 け ばいい。 ここ 月
日にかけての深 夜
では冬 至の ら に正月を祝う。 だ。 新 年は深 夜ではな マリ・エルの場合 く、 元 日の早 朝 にやっ 正 月 を 続 けるにはボ て来る。 お 正 月 料 理に ル ガ 沿 岸 のマリ・エル は、 必 ず 白いミルク製 共和国まで9000 ㌔ 品が出る。 白は幸 福の も 飛 ば ね ば な ら な い。 象徴だからだ。 この自 治 共 和 国では冬
❺ ❹
❸
❶
月 に熟 する ア ブ
ロシアでシャンパン抜 は果 物を輸 入してお ら
きの正 月の宴 会など考 ず、
シューバ︵毛皮のコー
❷ニシン
居 酒 屋 経 営のボゴミ
ヨ ネ ー ズ を 塗った。 こ
は、 焼いたガチョウか、 居 酒 屋 に 出 し た のは、
新 年の食 卓のメーン の 苦 心 の 作 を 自 分 の
上回るようになった。
がフランス国 内 よりも のシンボル︶を加え、マ
には、ロシアでの注 文 イモとビート ︵血と赤旗
シアに広 がり、 3 年 後 農 民の象 徴 たる ジャガ
シャンパンの評判は全ロ トの象徴たるニシンに、
ム・ クリコは賢かった。 ロフが プロレタ リ ア ー
勝 手に略 奪 させたマダ
クリコの酒蔵を襲った。 出せたお祝い料理だ。
ラ ンスに あ る ブー ブ・ が物 不 足の中で何とか
ン醸 造 のメッカで あ る そソ連 時 代の主 婦 た ち
軍がフランスのシャンパ ト︶をまとったニシンこ
1 8 1 3 年、ロシア
関係している。
ンのロシア遠征︶が深く 果物だった。
は祖 国 戦 争︵ナポレオ この時 期 に 食 べら れる
え ら れないが、これに ハジア産のみかんが唯一
12
いの深さに熱湯を注ぎ、250 度で 15 ∼ 20 分焼 いた後、180 度に落として 1.5 ∼ 2 時間かけて焼く。
4 腹を太い糸で縫い合わせる。腹を上にして指くら
5 焼き上がる 20 分前にガチョウの周りに、二つ切り
場 合でも、 ゼ ラチンが 欠かせない一品である。
だ。この料 理 は 最 悪の お 正 月や祝日の食 卓に
焼いたガチョウは、当初 作り方 は降誕祭(クリスマス)のメー 1 鳥の内臓を除き、冷水で洗い、ナプキンで水気 ンディッシュだったが、後に をとる。脚、腹、胸の皮にフォークで穴を開ける。 手羽は切りとったほうが良い。上から塩、コショ 正月料理となった。付け合 ウをすり込む。 わせには、リンゴを添えて ジャガイモを出すことが多い。 2 中に詰めるリンゴは四つ切りにし、種の部分をとる。
だった ので、 バタ ー を される映 画 ﹁運 命の皮 だけなのだから。
人形展 大島作品も目玉
トは 世 界 最 古の織 物 技
ど 世 界一流 の美 術 館 に に も 息 を の む。 フェル
展 示 さ れて お り、 最 低
法であり、湿らせて縮絨
今 秋、 モス クワで 世 界 最 大の人 形 展 が開 催
でも2万ユーロはする。 で 催 さ れ る のは 今 回 で
い子 供 の人 形 は ほ ぼ 等
ト・ ギュンツェルの優 し
父 や 曽 祖 父 た ちは 日 用
フェルトからロシアの祖
ド イツの ヒ ル デ ガ ル ︵しゅくじゅう︶ された
された。﹁人形芸術﹂と
3 度 目。 9 0 0 0 平 方
身 大 に 作 ら れ て い る。 工芸品であるワーレンキ
いうこの展 覧 会 が 首 都
㍍の会場にはアンティー
今 回 の展 覧 会 の最 大
らの人形が展示された。
ルド な ど 世 界
カ国 か
アルカイック、アバンギャ
の時代﹂の気品あふれる
でお目にかかれた。﹁銀
風合い﹂も近くのブース
女のプロジェクト﹁銀の
の作 品 が 4 点 あ り、 彼
レクサンドラ・クキノワ
着ぐるみ、ファッション、 にはロシアの人形作家ア
で、 灰 色 と 黒の多 様 な
女の作品はグラフィカル
色のフェルトでできた彼
くすんだベージュや銀
している。
は独 創 的 な 人 形 を 制 作
り 出 し た が、 イ リ ー ナ
ク、 劇 場 用、 ア ニ メ、 同氏の個人コレクション ︵フェルトの長 靴 ︶ を 創
は、 人 形 界の花 形であ
の目 玉の一つとなったの
古 風 な 布 地ででき た 衣
ンを思わせる。
る パ リ 在 住 の 日 本 人、 麗 人 た ち は 磁 器 製 で、 色合いはイーゼルデッサ 大 島 和 代 さんの来 訪で
気 紛 れで、 どん な 出 来
﹁フェル ト は 柔 軟 かつ
イリーナ・アンドレー
映 えに な る か は 決 し て
装をまとっていた。 ンで 作 ら れ た 同 氏 の優
エワのフェルト製の作 品
あった。シルクやコット 美 な 作 品 はル ー ブルな
レエワ提供
イリーナ・アンドレエワのフェ ルト製の作品 =イリーナ・アンド
︻イリヤ・ダニルキン︼
れてくるのだ。
うに繊 細 な 作 品 も 生 ま
つけるモノクロ写真のよ
に眠っているものを焼き
こ う し て、 心 の 奥 底
す﹂
によみがえってくるので
キノコの森の匂いととも
あちこちのイチゴの丘や
羊や谷間にくねる小川、
ラ︶ 、 カーチカという山
ハ︵エゾノウワミズザク
さんの家やチェリョーム
き 日 の思い出 が お ば あ
﹁ 田 舎で過 ごし た 幼
くれるという。
る ほ どに 呼 び 起こ して
ンスピレーションを震え
り﹂は人を遠ざけずにイ
でいるかのよ う だ。﹁薫
羊毛を愛︵いと︶おしん
リーナの手はフェルトや
分 か ら ない﹂ と 語 る イ
モスクワで
月に開催され、日本
人形劇フェスティバルが
第1 回モスクワ国 際
各国人形劇の競演
はソ連 時 代 から。ソ連 リな どを 添 えて出 すの これは 世紀の謎の一つ 呼ばれるこのサラダは、 ︻ナタリア・ススリナ︼
に出 す よ うになったの ぱ ら ぱ らとのせ、 パセ 煮 こ ご り に 失 敗 す る。 ﹁ロシア風サラダ﹂と も用いられる。
はエビや ザ リ ガニの肉
セ ー ジ、 さ らに最 近で
毎 年 大みそかに放 映 足りなくて、 汁が残る 鶏肉、牛肉、ハム、ソー
正月料理の定番
みかんを新 年の食 卓 塗った白パンにイクラを 肉﹂で、ヒロインが魚の ❺オリビエ・サラダ
❶みかん
るのが次の5品である。 習 慣。ソ連 時 代は品 薄
ドした︶ 。メーンに添え るのは 帝 政 時 代 か らの ❹魚の煮こごり
いた が、 正 月にスライ
焼いたガチョウ
新 年にイ クラを 食 す が常だった。
クリスマスに食 さ れて ❸パンにイクラ
の丸焼き。︵ガチョウは か。客は大喜びだった。
ソバがゆを詰 めた子 豚 1 9 1 8 年 の 大 み そ
キリール・ラグツコ撮影
フェルトの愛しさ
新年の食卓です
❷
至の 月 日から正 月 タ ン の 共 和 国 で は 、 新 原 の 民 に ふ さ わ し く、 一 番 遅 い 共 和 国 を祝い始 め、 最 も重 要 競馬や相撲や舞踏が行 沿 ボルガ連 邦 管 区の 年は春 分の日の3 月 な祝日は1 月6 ∼7日 チュワシとバシコルトス 日 に祝 う。この日 は 草 われる。
%︶ ム ー ド メ ー カ ー﹂ で、﹁ 悪 習 慣 の な い 女 性 ﹂ た。 女 性は、 男 性の力 強 さ、 セ クシーさを 高 く評 価 するが、 結 婚 相 手となると、 収 入があ
部分にナイフを突き刺す。肉汁が透明なら OK だ。
6 出来上がりを調べるには、一番肉の厚い背中の
焼く前にレモン汁を皮に塗ると パリッと焼き上がり食欲をそそる。
にしたリンゴを並べる。
アドバイス:
3 リンゴを詰める。ただし、あまりぎっしりとではなく。
材料
ずつ広がっていく︶ 。ロシアがグレゴリオ 正月︶ がやって来る。
初日の出が9回も
リウス暦に従い、 日遅れで新年を祝っ
リオ暦では 月 日︶ 、 う。 早 く結 婚したい女 その後 すぐ1 月 日に 性は、 次の通 過 儀 礼を ユリウス暦の新 年︵ 旧 パスしな ければな らな さ れ、 サ ンタ クロー ス 乗 り 換 えて、 モスクワ い。 ま ず、 屋 外に置 か
暦に移ったのは1919 年。それでも、 伝 統 行 事などでユリウス暦は今も生き
%にのぼり、 収 ∼
社 会 学 者は、 多 くの ロシア人にとって家族が
迎 え た い と 思った ら、 る馬の首輪に、頭を突っ 極 東のチュクチ自 治 管 込まなければならない。
世 紀のキリスト 教 はマロースじいさんにな に飛べば、 都 合 3 回 新 れている 干 し 草の山 を 受 容 以 前にさかのぼる り、孫娘の﹁雪娘﹂が道 年を迎えられる。 乗 り越 える。 次にたき 異教時代の習慣も今日 連れとなった。 火を飛 び越え、 最 後に まで受 け 継 がれてきて 新 年 祭 で 肝 心 な の 一番早いチュクチ 目 隠しをしたまま、 納 誰よりも早く新 年を 屋の梁にぶら下がってい
% が2 人の 人では
入が普 通 だと回 答した
∼
に満 足 している 人では
した人は、 自 分の収 入
いる。 野 外 の 大 道 芸、 は、 0 時の時 報に遅 れ
結 婚の相 手は 恋 人と別の人
% が、 自 分 にとって 庭 が 幸 福 だ と 確 信 し、 の子 供、
人は ∼ %だった。
%がそれ以上 を 貧 しいと 考 えている と回答した。
家 族とはとても大 事 だ 4 %は家 族 関 係が悪い 子供、 % に と回答した。
夫婦の相性は?
家族関係が良好な人 できた時に重 要な要 素 % は すべてが となるのは所 得、 子 供 満 足 し あっている。 家 と感じること、 社 会 的
% はセッ 族 共 通の目 的であると ﹁ 家 庭 的 な 人 ﹂︵
族関係が普通だと答え ス テ ー タスといった 家 た 人のう ち
だ。 頑 健で妻 や恋 人に セクシーで、賢く、ユー だった。 忠 実で、 子 供 好き、 悪 モ アのセ ンスが ある 人
締めくくっている。 収 入の高い人のう ち
%が選ん 恋人と結婚相手は?
男 性の意 見では、 恋 り、 酒 やた ばこをや ら プ﹂で、家事をこなし、 人にしたい魅 力 的な女 ず、 浮 気 をしない男 性
だのは﹁家 庭 的 なタイ
をあげた。 習慣のない人だ。 に満 足しており、 収 入
男 性で最 も理 想 的
% はセックスに十 分 理想の男性は?
クスも﹁平均的﹂だ。
21
ガチョウ 1 羽 (3.5 ∼ 4㌔) 塩、コショウ (好みで) リンゴ(硬くて酸っぱい品種)
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演出が試みられた。
なく、 人形に共感する
させ、 観客が人間では
は、人間と人形を対立
の人形劇﹁九号病棟﹂で
スタンチノフさん 演 出
ま た、 ボ リス・コン
を探ることができる。
め、さまざまな可能性
人形劇の検閲が緩いた
上 演した。 イランでは
形劇﹁1まで数えて﹂を
に関する大人向けの人
マムさんは戦 争と人 間
イランのヤセ・タン
﹁魔法﹂をかけた。
ロッパの童話に日本的な
楽を使いながら、ヨー
た 劇 だった。 巧みに音
連れを対象とした優れ
品 ﹁森の伝説﹂は家族
監督、 沢則行さんの作
チェコ在 住の日 本 人
ます﹂と語った。
も ら えれ ばと 思ってい
作の形として見 直して
でなく、 さまざまな創
子供向けの楽しみだけ
ルを通じて、 人形劇が
ので、このフェスティバ
の人形劇場は保守的な
ドゥロワさんは﹁ロシア
主 催 者 のソー ニャ・
披露された。
など9 カ国の人形劇が
11
20
12
宮川聡子(30) セルゲイ・パシェンコ(24)
22
赤の広場前で見上げた花火 明治神宮で感じた「和の心」
28
22
12
ロシア/日本で迎えたお正月
ている。 ︻ダリヤ・ゴンサレズ︼
ユリウス暦が共存
﹁子供は最低2人﹂ 愛についての ロシア人調査 と 考 えている。
% は幸せな家 庭を作 子供は何人必要か?
ロ シ ア 科 学 ア カ デ は 幸 せ な 家 庭 が あ り、 ミー社 会 学 研 究 所がロ
57
が 低いほ ど ベッド 内 の な タイ プと してロシア 理想の女性は?
取り上げてほしい話題やご意見をお寄せ下さい。
25
20
平均的な回答は﹁最
93
53
30
%のロシア人 が1 人 順 調で、 セックスでも の教 育、 守 られている
「愛がいきなり私たちの前に飛 び出してきたんです。どっかの 横丁の地下から人殺しが飛び 出してくるみたいにね。そして、 私たち二人を金縛りにしてしまっ たんです」
モスクワに来て初めての年越し。 新年の瞬間を赤の広場で迎えたい と思いたった。12 月 31 日の夜 11 時過ぎ、 地下鉄最寄り駅を出た瞬間、目を疑った。 雪が降りそそぐ中、道路にあふれる人々と 物々しい警察官達。赤の広場に近づくこと もできない。拡声器からは「赤の広場はす でに閉鎖」 とのアナウンスが。ショック……。 でも、せっかくここまで来たからには、少 しでも赤の広場に近づきたい。その思いは みんな同じ。遅々として進まぬ人の流れに 乗り、ようやくクレムリンの壁が見えてきた 時、人々がカウントダウンを始め、気がつ いたら、歓声と共に花火が打ち上げられた。 「ス・ノービム・ゴードム!」。その場に いるみんなで新年の瞬間を共有できたこと を喜んだ。興奮冷めやらぬまま、帰り道で も、すれ違う時に交わされる温かい「ス・ノー ビム・ゴードム!」のあいさつと笑顔。新年 を祝う花火の音は一晩中鳴りやむことはな かった。これから始まる一年の幕開けとな るにふさわしい、すてきな日となった。 東 海 大 学 に留 学していた時、 日本で正月を迎えた。大学寮で大 みそかのごちそうに舌鼓を打った後、明治 神宮に初詣に出かけた。寮を出た時はまだ 「行く年」だったが、東京ではもう「来る年」 になっていた。東京と神奈川の県境に近づ いた時に「除夜の鐘」が鳴り始めた。私たち は電車の中でシャンパンを取り出し、車中 の人たちといろんな言語で乾杯し合った。 明治神宮に近づくと、その人ごみにびっ くりした。さらに驚いたのは、酔っ払いが ほとんどおらず、 警官の数も比較的少な かったことだ。ここでも日本人の規律正しさ と 「和の心」が発揮されていた。 「明けましておめでとうございます!」のあ いさつが聞こえる中、深夜の東京を散策し た。心地よい疲労感。「除夜の鐘」の独特 の響きと、帰りの電車から仰いだ初日の出 は今も忘れられない。寮に戻ると眼前に純 白の雪を戴いた富士山が青空にくっきりと そびえていた。その雄大さと向き合った時、 今年は良い年になるぞ、と直感した。 20
% は 自 分 た ちの家
90
夫婦関係が良好だと だ。 次 に 多 かったのが ﹁ ま わ り を 盛 り 上 げ る 理 想 的と回 答したのは こな す 忠 実 な 女 性 だっ ブルイニナ︼
なる。
お気軽に日本語でメールして下さい。メールの先は jp@rbth.ru です。
1425
相性でも満足度が低く 人 女 性の % があげた ロシア人 男 性の % 優しく、 子供好きな人 性は美 人でセ クシー だ を評価した。︻ロシア新 のは﹁頼りになる男性﹂ が理 想 的な女 性として だ。 また同じく %が が、 最 高の妻は家 事を 聞、エカテリー ナ・ ド 25
25
ミハイル・ブルガーコフ
モスクワ大学付属国際教育センター 高等経済学院生 16
16 59
11
れないだろうと答えた。 低2 人﹂ だ。 全体では のう ち
フョードル・ドストエフスキー
12
80
48
「何だって愛なんてものをそんな に持ち上げるのだろう?苦しみの ためだ。人間というのは、自分 が受難者で、情熱のとりこになっ ていると感じるのが好きなのだ」
21
12
14
シア人の﹁愛﹂に関する れると考 え、 9 % が作
レフ・トルストイ
49
19
回 答 し たロシア人の
「愛こそが、人生を無意 味なものから意味ある ものへ変え、不幸から幸福を生 み出すことができるのだ」
78
ロシアのお正月 99
42
61
アンケートを行った。
文人が語る「愛」とは
10
71
新年迎えた後にクリスマス ! ロシアの新年とクリスマスにはクリスマスツリーが欠 かせない。国で最も重要なツリーは、クレムリンの 大聖堂広場に設置される。= LoriLegionMedia 撮影
文化・くらし 6 2012年(平成24年)12月13日(木)
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ロシアに最初の鉄道がお目見えしたのは
世紀のこと。 当時ペテ
ルブルクからモスクワヘの鉄道の旅︵約700㌔︶は 時間を要して
以 前 に 囚 人 た ち が 鉄 くなかった。 北 極 圏 内 が打ち切られた。現在、
道 の 建 設 に 従 事 し、 を皮 切りに建 造される この鉄 道の大 部 分は放
1 9 3 2 年に極 東には 極北横断鉄道は、ムル 置され、 無 人の町は荒
バム建設に燃えた
バイカル・ アム ール強 マンスクからチュコトカ 廃 の一途 を た どってい
ロシアの気 候 と 大 地
制 労 働 収 容 所 が 創 設 の諸 都 市 まで国 内のす る。
旅 行 者に最も魅 力 的 ンツ海 沿 岸 と 西 シベリ
厳しい地 質 および気 た。
なのはリャザン、サマラ、 アを結ぶ大北方鉄路は
最 近 ま で 世 界 で 最 分で結 ぶ 列 車 が世 界一 停 車 する駅が異なるに 際 限なき忍 耐 克 服のシ シベリア鉄 道の建 設 も走 行 距 離の長い列 車 の遠 距 離 列 車 となって すぎない。 ンボ ル と なった。 バレ
1 8 9 1 年 に 始 まっ フー ウラジオスト ク間
は ウ ラ ジ オ ス ト ク で が9 7 1 4 ㌔のハリコ いる。
終着駅まで1週間
いたが、 皇 帝ニコライ1 世 自 ら2 都を結ぶ鉄 道の建 設を命じたと ウファ、ペトロパブロフ 極めて重要な﹁共産主 ル鉄道は197 4 年に
バムの建 設 者、 主 と されていた。 同 様の収 べての北 方の拠 点 都 市
度 を 下 回 る して献 身 的 労 働の精 神 容所が1947 年から を結んで極北開発構想 は鉄道を必要不可欠と
鉄 路﹂ として知 られる 幻の極北鉄道
年 以 に建てられた 木 造の仮 8 万 人の囚 人が﹁死の
極 北 横 断 鉄 道の建 設に
部 分の建 設 は
上 を 要 し た。 最 難 関 設住宅に住んでいた。
従事していた。
枕に、 時に華 美で壮 麗
な、 時に温 和で静 かな
その建 設 テンポはバ 1 9 5 0 年 代のスター またとない機 会と言 え
密扱いにされていたが、 ら 眺 めることのできる
極 北 鉄 道 区 間 は 機 ロシアの自 然 を 車 窓 か
イスキ ー・ ト ンネルは 暗い過去も併せ持つ
し か し、 コムソモ ー
の一つで あ る セ ベロ ム
20 03 年にようやく
てそれは車 輪の音 を 旅
を こと も ある ︶のもとで に触 発された若 者た ち 1 9 5 3 年にかけて極 を 実 現 することになっ している。旅行者にとっ
ル緊急建設工事﹂と名 氷 点 下
シベリ ア鉄 道 は、 北 ス ク、 ノ ボ シビルス ク 義の偉大なる建設﹂の一 ﹁ 全 ソ 連 邦 コ ム ソモ ー 候 条 件︵冬には気 温が
分で結 途中は四つのルート
いう。それからほぼ1世紀半後、 鉄道網は総延長約8万7000 た。 現在、 最速の列車 を174 時間
お助けTシャツ、ゲーム 感覚で観光客サポート
その極 東 部 分、 すな 付 け られ、ソ連の
今 で は キ エ フ ー ウ 部、 南 部 な ど四つに分 といった 古 都 を 通 過 す つであった。
㌔に及び、 カリーニングラードからウラジオストクへとロシアの両 ブリ駅 からウラジオス
はモス クワ・ ヤロス ラ んでいた。
もっと読む www.roshianow.jp/39973
ソ連で生 まれた 多 く わち﹁バム﹂として知ら 数 える民 族の若 者がシ 進 められた鉄 道の基 本 は、 建 設 中の鉄 道 沿い 北 ウ ラ ル 地 方 に あ り、 ていた。
ラ ジ オ ス ト クへ至 り、 の人 にとって、 列 車 は れるバイカル・ アム ー ベリアを目指した。
㌔で6 昼夜 1 万259 ㌔を乗り換 れ らはモスクワか ら ウ
トクまでの9 29 8 ㌔ ラ ジ オ ス ト ク 間 の 類 される が、 すべて そ るルートである。 を時速約 64
と 2 時 間 で 走 破 す る。 えなしに1 87 時 間
黒い未亡人 モスクワのパベレツカヤ駅。1両の
の旅 行 ガイドは、 世 界
カ国 語 発 行されるに
き出した。
いたった。
黄 金 の 環 に 入 った
ズダリは、 鉄 道から外
りに沿って 進 む。 右 側
ス ー ズ ダ リには、 ユ
ネスコの世 界 遺 産に登
録 された 建 造 物 が四つ
世紀︶ 、 クレム リ
の寺 院、 そ して、 キ デ クシャ村
の鐘 楼がひし にある ボ リス・ グレー
の神現聖堂︵写真左︶= Lいず れもローリ/レギオンメディア撮 影
キリスト降 スーズダリの 誕聖堂 ︵写真右︶ とコストロマ
じ られている。 観 光 は
ほとん どの建 築、 遺
跡 が一般 公 開 されてお
ル・エルコビッチ ︼
味で安い。︻ウラジーミ
が有名だ。 香り高く美
料の蜜酒︵メドブーハ︶
といえば アルコール 飲
もう一つ、スーズダリ
を超える高層建築は禁 として保護されている。
スー ズダリでは5 階 り、 市全体が文化遺産
ム旧市街くらいだ。
較で きるのはエルサ レ
めいている。 これと 比 プ聖堂︵1152年︶ 。
教 会、
修 道 院と約
平 方 ㌔の範 囲に五つの 堂︵1233 年創建︶ 、
文 化の中 心 だった。 9 ︵ キ リス ト 降 誕 ︶ 大 聖
ここは、ロシアの 精 神 ン、 ロジェストベンスキー
は1 0 2 4 年。 かつて ∼
で初 めて言 及 されるの フィミエフ修 道 院︵
スーズダリが年 代 記 も あ る。 ス パソ・エフ
修道院と寺院の町
巨像がそびえている。
る 勇 士 ド ブルイニャの 四つの世界遺産
ゴルイニチを退 治をす
ホテルの中 庭には、 竜 ノラマが開ける。
路の左 側にある質 素な と 眼 下にす ば らしいパ
パブロフスコエ村の道 にある 小 高い丘に登る
れない。
はなかなかお 目にかか 場 から、 クレムリン通
の匂い﹂ が濃 厚 な 街に にもなっている。この広
ない。これほど﹁ロシア 市のシンボルで、 紋 章
バスで4 時 間 半にすぎ 見 鶏で終 わる。 タカは
か ら わ ず か 2 2 0 ㌔、 廊はタカの形 をした 風
リに行 くべき だ。 首 都 長い商 店 街の円 柱の回
暇 があれば、スー ズダ 場 か ら 始 め る と いい。
も しモスクワで1 日 商いが 行 わ れていた 広
お勧めはスーズダリ
は、 あまり広 く認 識さ 保たれることになった。
の一つを考えだしたこと 遅れ、 古の面 影が長 く
ア最 高の観 光 ブランド で、 町 全 体の近 代 化が
ブイチコフさんがロシ れてお り、 そのお か げ
に行った。
調査研究旅行を大々的 も出ている。しかしスー
ち、 黄 金の環 めぐりの ばれてお り、 観 光 バス
彼の見 聞 記に興 味をも 古 都 は すべて鉄 道で結
一人となった。 協 会は、 論 争 が 起 き た り し た。
保 存 協 会﹂の設 立 者の のヘッド﹂ かをめぐって
んは﹁全ロシア歴史文化 だで、どの都市が﹁真珠
のこ と、 ブイ チコフさ ラッキ ー な 都 市のあい
やはり1 9 60 年 代
今や観光ブランド
リーズ﹁黄金の環﹂を書 年 後には、﹁黄 金の環﹂
れた 都 市の見 聞 記のシ れ な かった ものの、
常 時 運 用 されるに至っ ル 員 た ち よ り は る か ム 鉄 道 と 比べて思 わし リンの死の直 後に建 設 よう。
世 紀にキエ
『黄金の環』
蒸気機関車だけを収めた小屋が線路
∼
﹁ 黄 金 の 環 ﹂ とい え ば、
古都が結ぶ
わきにある。 ウラジー ミル・ レーニ ンの霊柩︵れいきゅう︶列車となった 1910年式のU127だ。 ロシア革命後にモスクワに運ばれて きたこの列 車 をメンテナンスした 鉄
後に栄 えたウラジーミ
フ・ルーシが衰 退 した
ル 大 公 国 の古 都 群 で、
るまで大 人 気の観 光ス
ソ連 時 代 から今にいた
しかし、古都群を﹁黄
ポットだ。
金の環﹂ としてひとま
とめにブランド 化 する
発想は比較的最近のも
のだった。 芸 術 を 専 門
とするジャーナリスト、
さん︵ ︶が、1967
ユー リ ー・ ブイ チコフ
年 に愛 車 ﹁モス クビッ
チ﹂で古 都 めぐりをし
た際に偶然考えついた。
1 9 6 7 年に、ソ連
閣 僚 会 議が、スーズダ
リに巨 大ツーリストセ
ンターを建 設 する決 議 を採択した。
当 時、 ブイ チコフさ
偶然から着想
んは﹁ソビエト文化﹂紙
で働いていた。 編 集 部
からスーズダリに赴き、
﹁観光の発展﹂について
書くように言われた彼
は、 愛 車で同 市を訪れ
た が、 帰 り 際 に ふ と、
同 じルー トで戻るのも
芸 が ないと 思い、 ヤロ
速道路︶を経由するこ
スラフ街 道︵現M8 高
モスクワか らの往 路
とにした。
じた環のよ うな形にな
と復 路は、 ちょう ど閉
り、 古 都 群 をつな ぐこ
とに 気 がついた。 これ
は発 見 だった。 大 公 国
を研 究していた人は多
かったのに8 都 市 と5
州を結 びつける発 想は
誰にも浮かばなかった。
その環をなす8 都 市
は、 セル ゲ キエフ・ ポ
サード、ペレスラブリ・
ザレスキー、ロストフ、
ヤロスラブリ、コストロ
10
道 職 員はスペイン風 邪にかかり死 亡 関車は機関庫に入り、 浮浪者が住み
した。 その後しばらく、この蒸 気 機
れた。このため蒸気機関車は﹁黒い未
ついたが、彼らもスペイン風邪にやら
それでも機 関 庫の若い作 業 員たち
亡人﹂と呼ばれるようになった。 は1 9 23 年にこの古い機 関 車を修 理し、共産党の赤い色に塗装し、レー ニンが名誉機関士に選ばれた。 しかし、 1 年 後にレーニンはモス クワ郊 外の別 荘で死 去。ひつぎをモ た。 1 93 7 年、この機 関 車はモス
スクワに運んだのはこのU127だっ クワ鉄道博物館の展示品となった。
カーブは人さし指? 最初の鉄道がロシアにつくられたの は 世紀。当時はサンクトペテルブル クからモスクワまでの片道700㌔の 鉄道移動に 時間かかった。 この鉄道建設を命じたのはニコライ 1 世。工事完成を焦った皇帝は地図 の上でサンクトペテルブルクからモス クワに定規をあてて﹁鉄道はこうなる﹂ と直 線を引いたが、 人さし指が定 規 からはみ出して、 その部 分 だけ直 線 が曲がってしまった。 そのため、一部 に小さなカーブ付 きの鉄 道ができ上 がったという。 ただこれは単なるうわさで、実際に は経済的理由で最短距離の直線にし た。 カー ブは、 敷 設 が難 しかった 谷 間を迂回 ︵うかい︶ したにすぎない。
世紀には、 鉄道員はボタンに 錨 のマークのついた制服を着ていた。 当 時、鉄道は地上・海上交通省の管轄 下にあったため、錨がシンボルだった。 1 9 3 0 年 代にようやく、 そのマー クは、 鉄 道によりふさわしい工 具の
12
ダリ、ウラジーミル。
20
14
鉄道に錨のマークとは
70
端を結び、世界第2位の距離となっている。︻ダリア・ゴンサレズ︼
ロシアの観光収益、 世界8位の伸び
50
マ、 イワノ ボ、 ス ー ズ
17
12
ブイ チコフさ ん はモ
30
11
81
ス ク ワ に 戻 る と、 訪
14
19
19
シベリア鉄道(写真上=タス通信撮影 ) の最高地点の海抜は 1019 ㍍。ルーシ(ロシアの古称)北東部で最古の都市の一つロスト フ・ベリーキイへ向かう雪に覆われた鉄道(写真左下= JSC Russian Railways 提供、アンドレイ・ランゲ撮影 )。 クラスノヤルスク水力発電 所の建設者の町ジウノゴルスクへ向かう途中ではとびきり美味し い魚に舌鼓が打てる (写真下=アンドレイ・ランゲ撮影 )。
ロシアの広大さ実感
50 レンチに替わった。
もっと読む www.roshianow.jp/40195
21
世界観光機関(UNWTO)に よると、今年8カ月間にロシ アを訪れた外国人旅行客の消 費額は 16% 増加した(世界 8 位)。観光収益の最大伸び率 は日本の 48% で、スウェーデ ン、南アフリカ、韓国、インド、 香港、タイと続いた。 ロシア観光局のアレクサンド ル・ラジコフ局長は「増えたの は主に独英仏と中国からの旅 行客。アジアや中東の国々、 日本からの入国も増えている。 昨 年のビザ 廃 止 措 置により、 トルコからの観光客も増えた」 と語った。 国民の旅行消費額の伸びで はロシアが 15% 増で 5 位 に なった。伸び率の 1 位は中国 の 30% で、ポーランド、マレー シア、アルゼンチンと続いた。 UNWTO のタリブ・リファイ 事務局長は「先行き不透明な 経済情勢の下で旅行は数少な い成長分野だ。雇用の場も生 む」 と語った。 【ニュースサイト・ ガゼータ・ルー、エカテリーナ・ ブルィズガロワ】
21
19
大陸横断シベリア鉄道
電子版でもっと読む
10
若いガイドとモスクワを歩 いてロシア語で尋ねながら目 標物を探し出す―こんなゲー ム感覚のツアーもある。ニキー タ・ボグダノフさん(25)が 2009 年に始めた。ほかにル ビャンカ(旧KGB本部) 、強 制 収 容 所 博 物 館、 帝 政 時 代 からの名店「エリセーエフのお 店」などをめぐるレトロな共産 主義ツアーも運営している。 地下鉄や道路表示にあるキ リル文字。最近はローマ字表 示が増えたとはいえ、外国人 観光客がガイドなしでモスクワ を歩き回るのは大変だ。 イリーナ・トリパピナさん (25)が組織した観光客手助 け活動はシンプルそのもの。 外 国 語と地 理 の 試 験 に合 格 すると、ボランティアは「私に 聞いてください」と書かれた T シャツとバッジが渡される。こ の目印が迷子の観光客の助け 舟となる。トリパピナさん自身 も外国人だけでなく時にはロ シア人からも道を尋ねられるこ とがある。 【ジョイ・ノイマイア】
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ロシア NOW 2012年(平成24年)12月13日(木)
7 旅行
ブルガーコフの世界 見学を演劇付きで
ボリシャヤ・サドーバヤ通り︵環状道 路北西部分︶の1㌔の渋滞が排ガスとエ ンジン音に埋もれている。 そこを左に曲 がり、 半 円 形のアー チを く ぐれば、 あ たりは 静 まりかえり、 黄 昏 が 近 づく 足 音が聞こえるほど。モダニズム様式の5 階 建ての建 物は首 都の喧 騒 から中 庭 を 番地にあ
包み隠し、 中 庭に安 らぎを与えている。 ボリシャヤ・サドーバヤ通り 200年にわたって、道行く人々の目を
るモスクワで最 初の共 同 住 宅 は、 も う 引いている。 ︻ダリア・ゴンサレズ︼
文学の息吹
3 年 前の1 9 1 8
このアパー ト の 中 に た。 ソ連 時 代の作 家、 詩 人 ら数十人の人生が錯綜 年 8 月に、 同 じこのア
お聞かせ下さい!
下記のアドレスまで
編集長にお便りを
sales@rbth.ru
jp@rbth.ru
夜 ごとに彼の眠 りを 残 したため、 彼 女の姿 射を手にし、 狂 人 詩 人
セ ル ゲエブナにあてた
﹁で も や り 始 めて み
て、これは 何 か 新 しい
倍と
作の内 容 紹 介から推し 算 定では、 1 9 9 0 年
で競り落とした。 出 品 れていま す。 私 た ちの
∼
アー ト ビジネス骨 董
うなぎ登りです﹂
な り、 作 品 に よって は
勘 違いさ れた ら し かっ の値 打 ちは
た。
アートでビジネス
近 年、 アートはま す 商 研 究 所のイ リ ー ナ・
ま す投 資の対 象とみな コロソワ所長も﹁良きも
の、 価 値 ある もの、 永
投 資 専 門 家 エ ゴ ー 遠なるもの﹂へ投資する
される傾向にある。
これから骨 董 を 手 掛
ル・モルチャノフさんは ことを勧めている。
﹁ 2 0 0 0 年 代 ま では
絵を買うと3 年後くら けよ うという 人 た ちが
いに ま た オ ー クション 考 慮 すべき 点 は 他にも
今はその間 隔が6 カ月 クションのほうが、ばら
に出品していましたが、 あ る。 ま と まったコレ
に 短 縮 さ れ、 1、2 カ ばらな作 品よりも価 値
月 ということも 珍 し く が 高い。 何 かを 売る 際
ない。参加者の %は、 にはそれが 本 物である
より高い値で転 売 する ことを証 明 する鑑 定 書
ために絵 画を購 入して が必要である。
芸 術でも う けるには
本 人は古 物 商を営ん 芸 術に明るく、 忍 耐 力
います﹂と語る。
でおり、こう助言する。 を 養 うことが必 要であ
﹁ 骨 董 の 価 格 は 決 して る。この分 野の投 資 に
年はかかる
ア・ラファール︼
ニュース紙、アナスタシ
のだか ら。︻モスクワ・
下 がりません。 それは は5 年や
撮影 bridgemanart/fotobank
カ ジ ミ ー ル・ マ レ ー ビ チ の﹃ 黒 の 方 形 ﹄ =
ご意見、ご感想を
家たちのパトロン、サッ ワ・マモントフも、この 奪い、 昼 間の平 穏 を 乱 はブルガーコフの短 編、 イワン・ ベズ ド ム ヌイ 飛 び 出 してくる。 トベ
した隣 人たちは、 作 者 中 編、 長 編 をつねに渡 を探して、 玄 関口から 土 曜の夜、 歴 史 ある リ通 りでは、 ブルガー
し か し、 この栄 え あ の長 編﹃ 巨 匠 とマルガ り歩く。
アパートを訪ねた。 る アパー ト で ブル ガ ー リータ﹄ や短 編の登 場 自 分と違 うモラルを 持 口うるさい隣 人 女 性 ア 時 代、つまり前 世 紀
コフは隣の部屋に住む、 人 物のモデルになった。 モス クワの都 心 が 古い コフが愛するエレーナ・
作 家に忘れ難い印 象を ソ連の看 護 員 らが注 モスクワ文 学 協 会の家
つ別の生 活 と 衝 突 しな ン ナ・ ゴ リャチェワ は 年代の姿でよみがえる。 手 紙 を 朗 読 し ている。 ければならなかった。
わぬマルガリータが 動
の壁のそ ば を一糸 ま と
物 語 は、 シナリオも 6年前﹂と﹁ブルガーコ コフを 愛 しているのと 劇付き見学﹂や﹁創造的
き回る。
な く、 自 然に進 んでい フの家﹂ 博物館付設劇 同 様にブル ガ ーコフを 集い﹂を行っている。
﹁ 私 が﹃ 演 劇 付 き 見 ものだ ということ が 分
こんな﹃演 付き見学﹂の演出家カ う、彼らを驚かせたかっ 学﹄への出演を依頼され かった。今は、
く。 だがそれは、 単に 場で行われている﹁演劇 好 きに なって く れる よ そう思われるだけだ。
た時、 長いこと迷った﹂ 劇付き見学﹄ で演じるの
今 多 くの演 劇 カンパ と、 シチェプ キ ン演 劇 が大 好 き だ。 カーテン
﹁ 文 学 を 演 劇 と 共 存 テ リ ナ・エステル リス た﹂
ンで リョー リフの 絵 画 れっきとしたジャンルで
はり残念だけど﹂。
﹁若い人たちが、ちょ ニーや文 学 博 物 館は共 学 校の学 生、 ミ ーシャ コ ー ル が ないのは、 や
させ、 相 互 作 用し合 う さんは言う。 見 学に するという アイ
一押しは?
て、 何 かの古い戯 画 と 代 と 比 べてロシア 芸 術
点 を1 5 0 0ユーロ あり、 作 品の数 も限 ら
エゴール・ モルチャーノフ ギャラリー﹁エリジ ウム﹂投資専門家
デ ア が 生 ま れ た のは、 うど私たちがブルガー 同で力 を 合 わせて﹁演 は説明する。
﹁ 1 9 4 1 年 にド イ
ある収集家の場合
と、 パ ン 屋 と 骨 董 屋
ツ軍 がモスクワに迫 る
す。 お金を塩 漬けにす
に行 列 ができたそ うで
﹁例えば、ナタリヤ・ ゴンチャロワ。世界一 値の張 る 女 流 画 家 で す。絵画は数百万㌦、 素 描 でも5 0 0 0 ∼ 7 0 0 0 ㌦ し、 こ れか ら も 高 く な る で しょう。 現 代 美 術へ の 投 資 は リ ス クで す ね﹂ 。
イリーナ・コロソワ アートビジネス 骨董商研究所長
﹁有望株はアレク サンドル・ラバース、 ユーリー・ラメノフと いった 1 9 3 0 ∼ 年代のロシアの画家、 1960年代の画 家、 そ し て 亡 命ロシ ア人画家のセルゲイ・ ポ リャコ フ ら。 彼 ら の作品は売れており、 芸 術 関 係 者 ら に知 ら れていますから﹂
30
している。ここはミハイ パー トに住 みついた 女 編の舞 台 となった 場 所 党︶のファニー・カプラ
るわ けにはいきません コレクターのセ ル ゲ
から﹂
さんがこう話した。 彼
イ・ ポ ドスタニツキ ー が所 蔵 する絵 画はプー シキン美 術 館 やトレチ ヤコフ美 術 館に展 示 さ れている。 大 学 を 卒 業 し、 国立修復研究所の 鑑 定 課で研 修を受けて いた1 9 9 8 年にアル 買ったのが 始 ま りとい
バー ト 街で一枚の絵 を
﹁ ﹃ ポ リワノフ﹄ とい
う。 う署 名 入りの興 趣あふ れる水 彩 画が目に留ま りました。 詩 人レール モントフの友 人で兵 役 を 共 に し た アマチュア
25
ル・ ブル ガ ーコフの長 性エス・エル ︵社会革命
有名な舞踊家イザド
た。
彼 の 生 涯 のロマンスの み、 その場で逮 捕 され
の一つであり、 同 時に、 ンはレーニン暗 殺 を 試 舞台でもある。 1 9 2 1 年にここの 5 階 の 小 さ な 部 屋 で、 ラ・ダンカンがここで、 キエフか ら やって き た た だ一人の観 客 だった 1 人の男が住民登録証 愛 する 詩 人 セル ゲイ・ 民 登 録 を 手 伝ったのは 踊った。 詩 人 ウラジー
を 受 け 取った。 彼の住 エ セ ー ニ ン の た め に
もっと読む www.roshianow.jp/arts/ movies
画 家です。 裏を見ると 1 8 53 年のクリミヤ 戦 争 を 描いたものであ ることが分かりました。
15
Tel. +7(495)7753114
www.roshianow.jp/subscribe
ソ連人民委員会議長ウ ミル・マヤコフスキー、
原 田 親 仁 駐ロシア大 使 のあいさつで 始 まっ
が 私にむ ちを あててく
この最 初の掘 り出 し物 れ た ので す ﹂。 コ レ ク ターはそう回想する。 名 画 探しはしばしば
40
ラジー ミル・ レーニン オペラ歌手フョードル・
日
り9 本を、 都 心の人 気 ﹁ 君 に届 け﹂、﹁ 阪 急 電 人が参加した。 との答 えに驚 きの声 が 館の﹁ mm ﹂映画館で ﹁ 青い鳥 ﹂ の後では、 がった。 上 車 片 道 分 の 奇 跡 ﹂ 、 7日間上映した。 9 月から 月 までに ﹁岳﹂、 ﹁ゲゲゲの女房﹂、 ロシアに もいじ め が あ 中 西 監 督 の 作 品 は、﹁ 書 道 ガ ー ル ズ 私 た るので、 日 本の状 況 を を超える文化行事が
思いがけない収 穫 をも た ら す。 2 0 0 0 年
30
の妻 ウリ ヤ ーノワ だっ シャリャー ピ ン、 芸 術
=マックス・ マヤコフスキー博物館の展示︵写真左下 アブデエフ撮影︶は硝子張りの陳列棚と展示品というお なじみの展示ではなく、舞台装置を思わせる。同館 のメモリアル・ステップ︵写真上 =M・アブデエフ撮影︶ はマヤコフスキーが自ら命を絶った部屋へと通じて いる。 ﹁ブルガーコフの家﹂での演劇上演に参加した 若手俳優たち ︵写真右下 =ビャチェスラフ・バズルラ撮影︶
月
る催 しである。ソ連 時
ス プレの催 し も 多 くの 交 流 を 描 い た 重松清原 上 映 後 の 午 後 9 時 頃 ま た﹁花のあと﹂ で 熱烈なファンを集めてい 作の ﹁青い鳥﹂ の2本。 から始 まる質 疑 応 答に は、 立 ち居 振る舞いの る。 今 回は劇 映 画 ばか 他 に は﹁ トロッコ﹂、 も、 2日 間で約20 0 作 法 が 今 も 残っている
﹁花のあと﹂﹁阪急電車﹂﹁岳﹂﹁ゲゲゲの女房﹂など9作品 モスクワで
﹁こんなに来てくれて こり、ホッとしました﹂ めに駆けつけた。 本 当 に う れ し いで す。
回 目にあたる。 年に
た今年の日本映画祭は
ぼ くの映 画 は、 原 作 は から開かれた日本映画 う ということを 表 す よ けつけた中西 健 二 監 督
代には 外 国に向 かって
近 く続いている歴 史 あ
1 度の開催で、 半世紀
新 作の仕 事でオー プ
開かれた文 化の窓のよ
代 初 めにポ ドスタニツ
芸術の値打ち うなぎ登り!
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巨匠とマルガリータ ミハイル・ブルガーコフ 著、中田 恭(翻訳) 売れてます「世界終末セット」
次号の 発行日 (予定)
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海と灯台の本 [ 大型本 ] ウラジミール・マヤコフ ス キ ー 著、 ボリス・ ポ クロフスキー ( イラスト )、 松谷 さやか ( 翻訳 )
(ロシアの画家に限定) ❶カジミール・マレービチ ❷ワシリー・カンディンスキー ❸クジマ・ペトロフ = ウォト キン ❹コンスタンチン・ソモフ ❺タマラ・ド・レンピッカ
これ が 言いたいん だ ろ 祭のため、 日 本から駆 うにしていて、 観 客 受 が舞 台で観 客に笑 顔で け する要 素 を 加 えたり 語りかけた。 思われるかもしれない。 ニングには 間に合 わな
はしません。 地 味 だと 客 席 が ガ ラ ガ ラ だった かったが、 撮 影 を 終 え
女 剣 士の復 讐 劇を美し ちの甲子園﹂、﹁武士道 聞 きたいとの質 問 が 出 行 わ れ、 多 くのファン い 桜 のイメ ー ジの 中 に シックスティーン﹂。 時 た。 ま た、 映 画の中で を 魅 了 している。 今 回 描きだした藤 沢 周 平 原 代 劇 から現 代 もの、 シ 自 然の描 写は雨 しかな も日 本 文 化のブランド
キ ー さ ん はフィンラン ドの小 さ な オ ー クショ
価格上昇のトップ5
10
2001 年から現在までの世界 の主要オークションにおける 作品の最初の落札価格と比較 した画家の平均化された作品 (50 × 60㎝)の価格上昇の順。
20
[出演予定] [演奏] レニングラード国立歌劇場管弦楽団 東京ニューシティ管弦楽団 [指揮] ファハラディン・ケリモフ [合唱指揮] 松下 耕 [合唱] 東京メトロポリタンコーラス [ソリスト]マリーナ・トレグボビッチ (ソプラノ) ソフィア・ファインベルグ (メゾソプラノ) エフゲニー・ナゴビツィン (テノール) ニコライ・コピロフ(バリトン)
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12
[予定曲目] ベートーベン「エグモント」序曲 作品84、 交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付き」
宗教制度の崩壊とその結 果としての精神的および 道徳的な淪落(りんらく) の時代である 1930 年代、聖書をモ チーフとした小説は出版されず、ブル ガーコフは自身の作品を焼却しようと していた。執筆再開は、作家とスター リンが電話で交わした密談と関連して いる(その内容を知る者はいないが) 。 1937 年から 1938 年にかけての大粛 清にもかかわらず、ブルガーコフとそ の家族は一人も逮捕されなかった。
古代マヤ文明の暦で「世界の終 末」の日と予言されている 2012 年 12 月 21 日に向けて、西シベリアの トムスク市で結婚式業者が世界終 末用特別セットを販売し始めた。 ユリアンナ・シチョゴレワ社長が 思いついたもので、確かにトムスク 市の店頭には、世界の終末に必要 なセットが並んでいる。 「これでひとまず安心」と書かれ た箱には ID カード、西洋カノコソウ (リラックスできる天然ハーブ) 、活 性炭(ショックによる腹下しに備え る) 、包帯、血管拡張剤(心臓発作 用) 、おかゆ用のソバの実、魚の缶 詰、ウオツカ、未来へのメモ用ノー ト、鉛筆、ロウソク、マッチ、そし てヒモとせっけんが入っている。 「ヒモとせっけんは何にでも使え ますから。もちろん、ユーモアがわ かる人のためのセットです。たくさ ん売れました」とシチョゴレワ社長 は語る。ちなみに価格は 1 セット 890 ルーブル(約 2400 円) 。
40
第九 レニングラード国立 歌劇場管弦楽団コンサート
では、ロシア各 地で頻
[公演日程] 12月15日(土) 東京オペラシティ 12月19日(水) 東京芸術劇場 12月20日(木) 東京芸術劇場 12月22日(土) 東京オペラシティ 12月24日(月・休) 東京オペラシティ 12月25日(火) 東京オペラシティ
らどうしよ うと心 配 し て夜 中に荷 造 りし、一 う な ものだった。 最 近
[出演予定] [演奏] サンクトペテルブルク室内合奏団 [歌手] ビクトリア・エフトディエワ(ソプラ ノ)、ナタリア・マカロワ(ソプラノ)
作の﹁花のあと﹂と、い リ アスな ものか らコミ いのは な ぜ か との 問 い 力 を 実 感 させ た。︻ 在 じめの問 題 をかかえる に、 雨 は 現 実 のつら さ ロシア日 本 大 使 館 参 事 カ ル な も の ま で 多 彩 な 学 校に赴 任 してきた 吃 作品が入っている。 を 表 している とのや り 官︵国際交流基金︶・日 下部陽介︼ 会 場 は 連 日 満 員 で、 とりがあった。
12月28日(金) 横浜みなとみらいホール 12月29日(土) 東京オペラシティ 12月30日(日) 東京オペラシティ
心ひかれる空間に 博物館が新機軸 15
[予定曲目] J.S.バッハ(グノー編曲)、シューベルト、 カッチーニ 3大アヴェ・マリア パッヘルベル カノン J.S.バッハ G線上のアリア マスネ タイスの瞑想曲 ビバルディ バイオリン協奏曲「四季」より 冬 マスカーニ 「カワレリア・ルスティカーナ」より 間奏曲 エルガー 愛の挨拶 モーツァルト ハレルヤほか
今年も満員
これは、詩人の同名の詩に挿絵を 添えた児童書。マヤコフスキーは船乗 りという仕事ばかりでなく海が「嵐と 怒濤(どとう) 」の時に船を導く灯台 守という地味な仕事も面白く魅力的で あると説いている。
もっと読む www.roshianow.jp/40153
音の先 生と生 徒 た ちの
クリスマス/アヴェ・マリア サンクトペテルブルク室内 管弦楽団
46
ティバル が 開 か れ、 コ
[公演日程]
35
カルチャー カレンダー
14
ロシアに行って聖 像画 ( イコン ) に気 づ か ず に帰る人 は いないだろう。 壮麗な祭壇を埋 め尽くすイコン、そ の教会の入り口でお 土産か文具のように 売られている小さなイコン、村の家 の神棚に並ぶ黒ずんだイコン。車の 運転席でも時に小さな聖母子像が揺 れている。 そんなイコンの「生活用具」 としての側面が描き出されている。 本書は美術でも歴史でも神学で もない。「人々はイコンをどう利用し てきたのか」という視点からのイコ ン分析はこれまでにはなかったもの だ。人々は、自分の守護聖人のイコ ンに一生を見守られ、聖母子像のも たらす奇跡を信じ、聖ニコラに豊作 を、ひげの聖人に歯痛治癒を祈願し た。ロシア社会で分かちがたく結び ついていた信仰と生活の形がここに 現れてくる。 (慶応大学専任講師・熊野谷葉子)
日本映画祭 もっと読む www.roshianow.jp/arts/books
11
ていま し た が 満 席。 し 番集客が見込める土曜
刊行:2012 年 10 月 中沢敦夫・宮崎衣澄 著 東洋書店
!!
10
か も、 日 本 で 笑って く と 日 曜 の映 画 上 映 と、 繁に日本のアニメフェス
『暮らしの中のロシア・イコン』
れる とこ ろで 笑いが 起 その後の質 疑 応 答のた
話題の本
文化 8
2012年(平成24年)12月13日(木)
ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA