Russia NOW_Japanese edition #3

Page 1

タス通信撮影

7面

言語消滅の危機  ロシアの少数民族  孤立や同化で

6面

行ってみたい博物館  ソ連時代の趣残す

8面

% から

月には、 中 国

を 含 む 同 原 発 用 設 備の建 造 が開始された。 2 0 1 3 年 にはロス ア ト ム・オーバーシーズ社が﹁建 設・所有・稼働﹂という原則 岸に建設するアックユ原発の

に基づいてトルコの地中海沿

ロスアトムのキリル・コマ

設計が完了する予定である。

ネス担 当 責 任 者の考えでは、

ロフ副 総 裁 兼 開 発 国 際 ビ ジ

もたらされたすべての修正を

﹁フクシマ﹂での事故によって 考 慮 すると 2 0 3 0 年 まで の世 界 の原 発 建 設 は 原 子 炉 3 5 0 基 程 度 と なる ものと 予 想 され、 そのう ち 1 2 0

基はロスアトムにとって手の 現 在、 国 外 の原 発 の

届く市場にある。 原 子 炉 に 強 い 関 心 を 示 して

おり、近い将来、さらに の

同 様 の施 設 に 関 す る 交 渉 が 開始される可能性がある。

ロシアのチェリャビンスク州に あるマヤク原子力発電所の内部 撮影 VostockPhoto

オロギーも関係なかった。人

口も多 いこの 団 塊 世 代 が 社

会の中核を担おうとするロシ

600 000 人

200 人

は 1980 年 代 生まれ の アラ 7

7

まだ 子 供。 共 産 主 義 のイデ 撤退半径

30km

20km 避難者数

116 ,000 人

80, 000 人

スポーツ

英国のサッカークラブ「リバプール」は、ロシ アCSKAでプレーする本田圭佑選手との間で 暫定合意に調印する意向だ。本田選手はCS KAでシーズンいっぱいプレーし、夏にも英国 にわたる見通し。ベスチ・ルーが英紙「メトロ」 の情報として伝えた。  26 歳になる本田選手とCSKAとの契約は 今シーズンで終了し、本田選手はすでに契約を 更新しない意向を表明している。【ロシアの声】

交流

「ロシアNOW」    電子版でお勧め

華麗で険しい白鳥への道

いた ブリヌイは 太 陽に

水曜日は﹁美食家﹂の

木曜日は﹁追い出せ﹂

冬を追い出せるように、

どの家にも、 女 系の 人々が馬に乗って走る。

マースレニツァのシン きた 大 きな 人 形で、こ 木 曜日から日 曜日まで 先祖代々受け継がれて 男たちは雪の街を防 衛

か ら 毎 日つくり、 特に

切な食べ物 だ。 月 曜日 れるようになった。

ブリヌイも 祭 りの大 そっくりなので、つくら の日。この日 は 太 陽 が

いたりする。

プ︶と一緒にたき火で焼 を呼 ぶが、 丸 くて色 づ やはりブリヌイだ。

ているブリヌイ︵クレー めに太 陽の神 ヤリーロ 日。 ごちそ うの中 心は

ま たは 人 形 が 手に持っ た。 冬 を 追 い 出 す た

と 人 形 を 保 存 す る か、 時 代 のル ー シで も あっ 来の伴侶を探す。

ロシア極東の沿海海洋水族館にハンドウイル カ 4 頭が加わった。4 頭のイルカは2月 18 日、 チャーター便で日本から運ばれた。  ハンドウイルカはロシアと日本の海洋水族館 の交換プログラムにより、ウラジオストクにやっ て来た。 日本には、ウラジオストクからシロイルカ2頭 が送られた。海海洋水族館は、今年後半にオー プンする予定。【タス通信】

日から1週間

日本のイルカがウラジオストクに

日を意味 になる民衆のお祭りで、

も 陽 気 で お 腹いっぱい

マースレニツァは、最

容後も残り続けた、 古 ころからきたという。 代スラブの四 旬 節 前の 四旬とは

お祭りだ。

し、 イエス・ キ リス ト 月 曜 日 か ら 1 週 間 続 の復 活 祭の 日 前︵日 く。 昔は美しい馬 具を 曜 日 は 計 算 に 入 れ な 装 着 し た 馬に若いカッ い︶ から、 復 活 祭 まで プルが必 ず乗っていた。

何 世 紀 に も わ た り、

冬送りとブリヌィ

日に始 ま 越えたりした。

ぶ。 今 年のマースレニ り降 りたり、 たき火 を

の 期 間 を 四 旬 節 と 呼 また、 氷の滑り台を滑 ツァは3 月

り、 日に終わる。 一説 に よ る と、 マー

は﹁バター祭﹂の意︶とい し 続 けた。 すべては 冬

スレニツァ︵ロシア語で 民衆の娯楽的特徴を残 う 名 前は、ロシア正 教 と 別 れ、 冬 眠 している の慣 習でこの週に肉 を 自 然を目 覚 めさせるた 断 たなければな らない めの行事だ。

日 本 とロシアの有 識

日露にも春を 熱い議論 者 が 多 岐 の 分 野 での

協 力の可 能 性をさぐる

行った。 森 氏は北 方 領

金 曜 日 は ﹁義 母﹂ の

う もろこし 粉のブリヌ ブリヌイを食べに行く。

土 曜日は﹁夫の姉 妹

ナ 粥、 じゃがいも、 か の会合﹂の日。すべての

イに、 小 麦 粥 やセモリ

ぼ ちゃ、 りん ご、 生 ク 親 戚の家を訪 問し、 ブ

リームを加 えたり、 サ リヌイを食べる。

日 曜日は﹁謝 罪の主

クラなどを添 えたりし 日 ﹂。 親 戚 や 知 人 に 嫌

ワー クリーム、 卵、 イ

ける。

歌を歌って踊りながら、

謝 罪し、 その後 陽 気に

て朝 から晩 まで食べ続 な 思いを させたことを

日替わりテーマ

マースレニツァの週の シロー カ ヤ・マー ス レ

︵大謝肉祭=最後 それぞれの日にはテー ニツァ

迎﹂の日。この日は氷の げる。︻オリガ・リピチ、

マがある。月曜日は﹁歓 の4 日 間 ︶に別れを告

滑り台を滑る。 子供た ロシア通信︼

ちはワラの人 形 をつく

ら通りを歩く。

り、 皆で引 きずりなが

火 曜日は﹁遊 戯﹂の

滑り台を滑り、 ブリヌ

日。 朝から男 女が氷の

イを 食べる。 そして未

=AP撮影

たき火で焼かれている マースレニツァのシンボ ルである大きな人形

局 長が昨 年9 月ウラジ た毎日新聞社の朝比奈

オスト クで開 催 された 豊社長は﹁日露は将来、

アジア太 平 洋 経 済 協 力 最も大きな可能性を秘

会議︵APEC︶の成果 め た 2 国 間 関 係の一つ

と 課 題 について 講 演 を だ。 お 互いの強 みと 弱

者であるロシア新 聞 社

外 相のメッセ ー ジも 会 と 語った。 同 じ く 主 催

分科会は①資源開発 のパーベル・ネゴイツァ

森 氏によると、 大 統 場で読み上げられた。

日、 東京で開かれ て、 来 月 末の安 倍 晋 三 重 要 な 位 置 を 占 める﹂ 森喜朗元首相が講演を た。

フォー ラ ムの 関 心 の 土 問 題でのプー チン氏 領との会 談 前に帝 政 末

安倍晋三首相が特別に いて﹁ 解 決 策 が あるの ルイピン改革﹂で知られ ラ④ 文 化・ スポ ーツの ロシア語、 日 本 語のほ

エフ極 東 発 展 相︵ 極 東 露 両 国の関 係 強 化に意

は、 宇 宙 物 体 発 見シス シア大 統 領 特 使として か ら 数 日 後、ロシアの 大 学 や 研 究 所 の 小 型 を行ったロシアのイシャ 課題の一つだ﹂とし、日 テムの整 備 を 支 持 して 同 様の考 えを表 明して 宇宙分野の専門家と共 望遠鏡︵反射鏡直径

発 見およびその無 力 化 ル防 衛システムを小 惑 シアを 守 る 連 邦 プログ 広角望遠鏡︵反射鏡直 は﹁旧ソ連 時 代 か らロ 問 題では﹁四 島の帰 属

﹁ 地 球 に 危 険 な 物 体 の いた。 その際、 ミ サイ 同で、 宇 宙 脅 威 からロ ㌢㍍ル以下︶の現代化、 管 区 大 統 領 全 権 代 表 ︶ 欲を示した。 北方領土

ンスク市 民に送 られた 自 然 物 体に対 する、 効 傷したチェリャビンスク の議 論 が一段 と 盛 んに と、述べた。

た。

共通言語がある﹂と述べ

た。

フォー ラ ムの 前 日 に

は在日ロシア大使館で、

終 了 後は会 場のホテル

士、 作家、 研究者まで 加 者たちの真 剣な歓 談

盛 り 込 ま れている。こ 西︵欧州︶を向いていた 約を締結する基本方針 尽 きる﹂ と述べ、 日 露 チン氏 も非 常に喜んだ 躍する人から宇宙飛行 やか雰 囲 気の中にも参

同研究所宇宙天文学 のほか、 米 国にあるよ が、 現 在は世 界 経 済の の下、 粘り強 く取り組 首 脳 会 談の際に両 首 脳 という。

1000 人以上が負 戒システム構築について くらなければならない﹂ したが、 忘 れられてい 伝えた。

のシステ ム を 人 類 はつ 星に向 けることを提 案 ラムを 作 成 したことを 径2 ㍍前後︶の製作も シアの発 展の方 向 性 は 問題を解決して平和条 国 が知 恵 を 出 すことに に献花、そのことをプー ビジネスの最 前 線で活 で懇 親 会が開かれ、 和

東京でフォーラム

約500 人が出席し メッセージを寄せ、﹁日 かど うかはこれか ら両 るスト ルイピンの銅 像 4つに分かれて行われ、 かに﹃相互理解﹄という

に高い関心を集めた。

のプー チン大 統 領 との ングで開 催 された だけ 高さを象 徴 するよ うに の﹁引き分け﹂発言につ 期に首 相を務 め﹁スト ② I T・ 宇 宙 ③インフ 社長も﹁フォーラムでは

露 し た 森 喜 朗 元 首 相 前にした 絶 妙のタイミ

た。 フォー ラムは、 訪 首 相のモスクワ訪 問 を と強調した。

毎日新聞社の共催で2 会談︵2月 日︶を受け 日 本との協 力は非 常に 領と会 談 したばかりの したことを 明 らかにし 行った。 また 岸 田 文 雄 み が 補 完 関 係 にあ る﹂

ラム﹂がロシア新聞社と

﹁ 日 本・ ロ シ ア フォ ー

バ粉、 オート麦 粉、と 日。 娘 婿が義 母の家に

のぼり、 キリスト 教 受 ことは 許 さ れていた と を ま とった、 ワ ラでで 楽しみ、 祭りが終わる ヌイを作る伝 統は異 教 が あった。 小 麦 粉、 ソ

祭︶は異教時代にさか ズやバターを 摂 取 する ボルは女 性の民 族 衣 装 の人 形 と一緒 に祭 りを その量 は 増 える。 ブリ き た ブリヌイのレシピ または占領する。

マースレニツァ︵謝肉 ものの、 乳 製 品のチー

マースレニツァ

春到来の謝肉祭

アはどう変わっていくのか。

リー・ロゴジン副 首 相 テムの配備について、ロ ク州に隕 石が落 下して 険性も指摘した。また、 た全体会議の冒頭講演 露関係の発展は最優先

強気ロシアも増設へ ﹁フクシマ﹂から2年が経ち、原子力産業への評価は、事故の直 後と比べて一定かつ前向きのものになった。国のエネルギーバラン スに占める原 子 力の割 合が大きい国のう ち原 発の段 階 的 閉 鎖の 方針を打ち出したのはドイツとスイスだけ。その逆の動きは最近 増加しており、ソ連時代に建設された原発の閉鎖を急いでいたリ トアニアは、再び独自の原発を所有しようとしている。

の原 子

︻3面に関連記事、アレクサンドル・エメリヤネンコフ︼

の原 発 で

福島事故から2年 現在 炉 が 稼 働 して お り、 5 カ 所

シアでは、 原 子 力 発 電 の割

で9 基が新 設されつつあるロ 合 を 今の に増やす目標が掲げられてい 国営会社・ロスアトムは国

る。 外でも 活 発 な 活 動 を 展 開 し 後、ロシアの 原 子 力 産 業 従

ており、 例えば、﹁フクシマ﹂ 事 者た ちによってイランのブ シェール原発の最初の発電ブ 2012 年

ロックの運 転 が 開 始 された。

2基の原子炉とロシアの設計

の田湾原発において、 最初の に基づいて建設中の第2工期 ベラルーシも原発の保有を

分の土台工事が始まった。 初めて決定し、﹁フクシマ﹂で の事 故 が 議 会 や 政 府 の選 択 来のオストロベツ原 発では土

を変えることはなかった。 将 木 工 事 な ど が 進 め られてお り、ロシアの機械製作企業で は 反 応 炉 やター ビン発 電 機

隕石ショック

サー世 代だ。ソ連 崩 壊 時は

2011年 3月11日

ロ シ ア 科 学 ア カ デ 部のリディア・ルイフロ うな 統一情 報 分 析 セン 発 展の中 心 が東︵ アジ む﹂と語った。 ロゴジン副 首 相 は 2 次 いで ワ レ ー リ ー・ 多 士 済 々のパネリスト が続けられた。 が双 方の外 務 省に解 決 歓 迎 さ れ ない 物 体 は、 果 的な警 戒・ 迎 撃シス の隕石︵いんせき︶落下 なってきた。 ︻ロシア N O W 取 材 この後、 安 倍 首 相 特 策の検 討を指 示 するよ ソロー キ ン・ロシア 外 が意見発表を行った。 上空で爆発した大きな テムの必 要 性を、 改 め 以 降、ロシアでは 宇 宙 軍 需 産 業 委 員 会 委 年 前、 米 国による欧 州 ミー天文学研究所の専 ワ部 長は、 小 惑 星のみ ターの設 立 も必 要とな ア︶に向き、ロシアの方 フォー ラム を 主 催 し 団、3面に特集︼ の脅 威に対 する 統一警 員 長 を 務 め る ド ミ ト への ミ サイ ル 防 衛 シス 門家は、チェリャビンス な らず、 宇 宙 ゴミの危 る。︻4面に関連記事︼ 向性は変更されている。 使としてプーチン大 統 う、 プーチン氏に提 案 務 省アジア太 平 洋 局 副 火 球の破 片 だった。こ て再認識させた。

もっと読む www.roshianow.jp/41483

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3面

日露フォーラム特集  東を向くロシアと  相互補完の道探る

じわり脱﹁脱原発﹂

セドフ号が 長崎寄港

迎撃システム急ぐ

おそらく最も壮観で美しい芸術であ るバレエは、プロを目指す人にとって は、実に困難な問題が多い。なぜ、子 供たちはバレエダンサーになるために 自らの子供時代を犠牲にするのだろうか。 なぜ、本物の白鳥になれる人はこんな に少ないのに、ロシア人はバレエの道 を進もうとするのだろうか。

もっと読む www.roshianow.jp/ 14134

読者の皆様、「ロシアNOW」 へようこそ。  同紙はロシアを紹介する日本語版の毎日新聞への折り込みです 。7月、1月を除 く毎月第2木曜日に発行されます。「ロシアNOW」チームの目標はロシア発の興味 ある記事をお届けし、ロシア理解の一助になることにあります。  2007 年以来、ロシア最大の日刊紙ロシースカヤ・ガゼッタ(ロシア新聞)は世界の 主要新聞に折り込まれる月刊付録を制作してきました。ロシアは現在、政治から文化 に至るまで変化の過程にあります。日本語版ウェブサイト roshianow.jp は追加の記事 や多様なコンテンツが毎日更新されます。ご意見・ご感想をお待ちしております。

本田圭佑がリバプールに移籍

11

エカテリナ・ペトロワ撮影

ブリヌイの美味しい食べ方はこち らで。

ロシア情報をお届けします

S7航空と日本航空が共同運航 40

40

11

今、ロシア社会で元気なの 1986年 4月26日

国際原子力事 象評価尺度 レベル

Distributed with The Mainichi Shimbun

宇 宙 か ら チェリャビ れは宇 宙からの危 険な

21

ブリヌイのレシピ

17

ロシアの団塊世代  80 年代生まれのアラサー 福島第1 原子力 発電所事故

消火作業員

2013年(平成25年) 3月14日 (木曜日)

国営ロスアトム、国外に積極進出

ロシアの航空会社S7と日本航空(JAL)は、 ロシアから日本の主要都市への共同運航を見込 んだコードシェア協定を締結した。これにより、 S7を利用してハバロフスクおよびウラジオス トクから東京(成田空港)に到着した乗客は、ス ムーズな乗り継ぎで札幌、名古屋、大阪、福岡、 沖縄へ向かうことができる。ハバロフスク・東 京間は月曜の週1便、ウラジオストク・東京間 は水曜と土曜の週2便。【DV-ROSS】

60

25

交通  マースレニツァには婚 期を早め、若人たちが伴 侶を見つける手助けをす る役目もあった。18 世紀 以降、祭りには西欧諸国 の慣習が取り入れられた。 クリスマスや正月のみなら ず、マースレニツァでも仮 装が行われるのはピョー トル1世のおかげである。 現在、マースレニツァに 関連した儀式や風習の多 くがよみがえりつつある。

32

短信 よみがえる風習 28

41

16

12

オピ ニ オン ( 5 面 ) 4.26 と 3.11 の比較

世界一周航海 中 の 全 長 117.5 ㍍、 4 本 マ スト の 世 界 最 大 の 帆 船、 ロ シ ア の セド フ 号 が 2 月、 長 崎 港 に 寄 港 し、 船 員 と 市 民 の 交流がもたれた。

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15

チェルノブイリ 原子力 発電所事故 発生

DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

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ロシア NOW 2013年(平成25年)3月14日(木)

1


不確 定 性 が 不 安 増 幅 福島第1原子力発電所の事故は、米国のスリー ウクライナ共和国︵当時︶のチェルノブイリ原発事

重ねられているわけではないが、ロシアの国営原 子力企業︵ロスアトム︶とロシア科学アカデミーに な研究が蓄積されている。

は、 事故とその影響の防止方法についてユニーク 今最も重要なのは、福島の事故後の状況にあっ 年 前のチェルノブイリ原 発 事 故の経 験は一つの

マイルアイランド原発事故︵1979 年︶ 、ソ連 て、 何 らかのミスを犯さないことだ。 その点で、 参考になるはずだ。︻アンドレイ・レズニチェンコ、

﹁原発事故の十の神話﹂ の著者︼ 事 故 処 理に関 する経 験は、 まだそれほど積み シリーズ

故︵1986年︶ に続く大事故となった。

大事故想定怠らず

政府中枢の関与を 世界保健機関︵WH H O、 国 際 原 子 力 機 1 0 0 0 万 人 近 く が から検 討し研 究してお 、 国 連 チェルノ ブイ リ 原 発 事 くべきだ。これもチェル O ︶ の 統 計 に よ れ ば、 関︵ I A E A ︶ 事故処理に従事した人 お よ びロシアの学 者 の 故 の 被 害 者 と 宣 言 さ ノブイリ原 発 事 故の教 の死 亡 率 は、一般の成 デ ー タに よ れ ば、 チェ れ、 そのせいで、 彼 ら 訓だった。 も う 一つの 教 訓 は、 事 故 防 止システムの徹

チェル ノ ブイ リの 第 底 し た 現 代 化 で あ り、

人 が大 量 た。

人 と 同 じレベルにある ルノブイリ原 発 4 号 炉 は家を失い、故郷を失っ のに、 福 島の事 故の評 の爆 発で、 価が﹁レベル7﹂に引き の放 射 能で被 ばくし死 上げられた時点で、 世 亡。このほ か、 1 3 4 一の教 訓 は、 事 故の過 これに政 府の最 上 層 部 に、一方で 国 民の生 活 だ。

界の人々は、福島をチェ 人が多 量の放 射 能を浴 大視も過小評価もせず をコミット させること ルノブイリと同様に﹁カ びた。 ロシアで事 態 が 動 き 出 し たのは か な り 遅

ロシアも地震国

% て、マグニチュード7に

国土 %でM7の可能性   ロシアの国 土の

以 上 はマグニ チュー ド 達した2012 年

技 術 者たちは、 構 造

起こりうる危 険 ゾーン げることができる。

︵ M ︶ 7 以 上の地 震 が のトゥバでの地 震 を 挙 である。 M 8 ∼9の地

震 が起こりうる極 めて の強 度と耐 性の向 上 を

例えば、 20 1 4 年

なしている。

危 険なゾーンは国 土の 技 術 的 処 理 の一つと み 地 震はカフカス、 ア

5%を占める。

極東など山岳地帯や地 でやはり地 震 危 険 地 域

ル タ イ、 東 シ ベリ ア、 のオ リ ンピック 開 催 地

ツ施 設 や 高 層 ビルの計

殻 変 動 プレートの継 ぎ であるソチでは、スポー 目で発生する。

1 9 5 2 年 の カ ム 画 的 建 設が進 められて

ロシアの建 築 基 準 は

チャツカ 沖の地 震では いる。 セ ベロクリ リス クの町

階 以 上のビルの建 設

をのみ込む津 波が発 生 M 9 のゾーンにお ける

階 建ての

で近 年 盛 んに建てられ

ロシアでは 免 震 構 造

ている 高 層 ビルの安 全 によ る 建 設のテ クノロ

地 震 危 険 地 域におけ

ビルの構 造のみ な ら ばかりである。

性に不安を抱いている。 ジーの利 用 は 始 まった

ずエンジニアリング・シ

ある。 現 代のビルは 複 めに、 地 震に強い特 別

ステムの耐 震 も 重 要で る建 物の安 全 確 保のた

雑 なシステムの集 合 体 の下 部 構 造や階と階の

と なっている。 地 震 の 間の﹁補強﹂となる特別

初 期 段 階でそれらのシ のベル ト も 用いら れて

ために、バットレス︵控

また、 建 物の補 強の

ス テ ム が 破 損 す れ ば、 いる。

建 物からの避 難は極 め

て困難になる。

、 す な わ ち、 均 オ レグ・ ゴボ ルン地 え 壁 ︶

造の耐 性を確 保 する垂

域 発 展 相は次のよ うな 衡を作 り出 すことで構

報告を行った。

﹁2011年にはロシ 直の壁の突 出 部 分が利

ま た、 シベリ アや 極

ア地 域 発 展 省の要 請に 用されている。

基 づいて地 震 危 険 地 域

にお ける新 しい設 計 基 東では、 建 設 資 材のコ

準 が作 成 された。 その ストに大 きくはね 返る

際には日 本にお ける建 輸 送 上のデメリット が

設 の 経 験 が 用 い ら れ、 避 け られないという 問

2009∼

年に

初 めて二 重 水 準の地 震 題に直面している。

荷重の評価、ならびに、

建造物の空間的数学的 か けて計 画 されている

モ デルのた めの現 代 的 住 宅 耐 性 向 上 プロ グ

ロシアでは、 地 震 危 材 が 用いられ、 階 数に ジー利 用の可 能 性を広 7 9 7 億ルーブル︵約

そ れ らのビルは 複 合 ルのために、 最初から、

いたことを示している。 揺 れは横 方 向の鉄 筋コ

活動が過小評価されて が 用いられてお り、 横

最 近の調 査は、 地 震 的 な 骨 組 みのシステム

町が壊滅した。

専 門 家 らは、ロシア いられた﹂

年のサハリン地震

当 時、 ネフチェゴル

︻ダリア・ゴンサレズ︼

り ネ フチェゴルス クの ビルが建てられている。 険 地 帯に建 造 されるビ 制限が設けられている。 げる 改 良 メソッド が 用 2400億円︶である。

リン北 部での地 震によ には、

1 9 9 5 年にはサハ を 禁 じている が、 ソチ の筋交いが受け止める。 補 強 板 や 特 別のつな ぎ コンピューターテクノロ ラ ム の 資 金 の 総 額 は

した。

18

すべての建 物 が 倒 壊 し

㌔の た。 前日に行われた卒

人 の 卒 業 生 の う ち、

助 隊 員の高い水 準が世

戸の5 界に認 められた。 その

棟、 れ 一方 で、ロシア が 外 国

の幼 稚 園 4 棟、 学 校、 ンサレズ︼

棟などのほか2 階 建て 浴 び た。︻ ダ リ ア・ ゴ

クの2 階 建ての住 宅 4 ために内 外から批 判を

ん が お よ び 大 型 ブロッ の救 助 隊 支 援 を 断った

階 建ての住 宅

年間に、 1 棟

建設が開始された。

町として1 9 6 4 年に 人 を 救い、ロシアの救

石油採掘従事者たちの こ とので き た すべての

ネフチェゴルスクは、 の救 助 隊 員 らが、 救 う

は、ロシア非 常 事 態 省

ネ フ チェゴ ル ス クで

日 1 時 4 分、 の資 料によ れば、 その し、 3 5 0 人 以 上 が であった。

の下 敷 きになって死 亡 助 かったのは 9 人 のみ

で2 1 0 0 人 が 建 物

地 点に位 置したその町 業 式で学 校 を 巣 立った

震 源 から

ド7・5に達した。

大 き さ はマグニ チュー が、 地 震 に よ り ほ ぼ

の地 震となり、 地 震の 商 店などが建てられた

ロシア極東地域で1 年間に発生する身体 に感じられる地震の数

かつてチェルノブイリ を 損 なわないよ うにす も う一つは、 あ ら か く、 非常事態省と、 核

地震予知のメソッドは、 ンクリー トの壁 が、 縦

いま だに編 み だされて 揺 れは建 物の正 面 壁に

いない。 最 近の例 とし 施された十 字 状の金 属

活動の際、 1 時間ごと

は 震 災 後の捜 索 救 助

に機 械が止められ、 す べての作 業 や会 話 が中 断され、救助作業員や

5%

を 捜 し当てるためにそ なく活 発であり、 1 月 サハリン北 部で地 震 が 地 震 はロシアにお ける 今 も行 方 不 明となって

きと なっている 生 存 者 ける 地 震 活 動 はいつに の5 月

た ちが、 がれきの下 敷

4 千億 ルーブル

の叫 び声やうめき声に には、 日 本の神 戸を中 発生した。非常事態省 過去100 年間で最大 いる。

ロシアの地 震 学 者 た

耳 を 澄 ま すつかの間の 心に大地震が起きた。 静寂を指す。

ロシアで 初 めてこ う ちは、 極 東のカム チャ

し た 方 式 が 用 い ら れ ツ カでの 地 震 を 予 想

たのは、 サハリ ンのネ していた が、 サハリ ン

フチェゴルス クの 町 を の地 震は予 想 していな 1 9 9 5 年のサハリン

一瞬にして廃 虚にし た かった。

スクには3 1 9 7 人が

300 以上

で も、 事 故 処 理 中 に、 ることだ。

チェルノブイリ事故が

1948 年の旧ソ連のア シハバードでの地震 による死者

町が一瞬にして壊滅 ﹁5 分間のしじま﹂と

11 万人

タストロフ﹂とみなすよ チェル ノ ブイ リの 事 このレベルを超えること

うになった。 故 が起 きたとき、一番 が あった。 そ ういう 場 じ め 大 事 故 の シ ミ ュ 関連企業﹁ロスエネルゴ

カタストロフ扱いになっ

教訓を今に生かす

恐ろしかったのは、その 合は、 原 発 所 長の許 可 レーションを行っておく アトム﹂の危 機 管 理セ ﹁不確定性﹂ だった。つ を得なければ作 業は続 境にどんな影響を及ぼ

まり、 事故が人体と環 行できなかった。 すか、ということだ。

ド・ ボ リショフ所 長 は れ、 オペレー ター を 訓

を 怠ったこと が、 福 島 合、 4 基の原子炉を封

30

北部地震の時である。

26

ロシアと 外 国の学 者 た 主 た る 要 因 に は パ ことだ。 ンターな どが創 設 され の研 究により、 今 日で ニックが 起 き たこと が て か らのことだ。 ロ シ ア 科 学 ア カ デ はその実 際の影 響は明 大きく影響している。 ミ ー 原 子 力 安 全 問 そ れ 以 後 よ う や く、 年 代 初 め に は、 題 研 究 所 の レ オ ニ ー 安 全 管 理の観 念が生ま

まざまな原子力施設を 入された。

1 9 9 2 年に日 本のさ 練 するための機 器が導

る原発で、オペレーター ウ ク ラ イ ナ の 専 門 家

現 在、ロスアト ムと

の訓 練 用の機 器を見せ は、 チェル ノ ブイ リ 原

訪 れたが、 その際、 あ

ジェクトが始動し、 現在まで

発4 号 炉の新たな石 棺

大事故をほとんど起 を造っている。これはユ

られた。

し、 非 常 事 態への準 備

こりえない仮 説 とみな ニークな施設だ。

命は短かったが ︵約 年︶ 、石

応急処置だった石棺1の寿

建設工事が続いている。

このため、﹁石棺2﹂のプロ

きま︶ ができてしまった。

ら かに なっている。 W

チェルノブイリ原 発 事 故の 後、 爆 発 を 起こし た 4 号 炉 決 定 され、 突 貫 工 事で事 故

をコンクリートで覆うことが

だが後に、この﹁石棺﹂には

後わずか半年後に完成した。 棺 2 は寿 命 1 0 0 年 を 見 込

の事 故 をもた らしたの じ込 めねばな らず、 そ

福 島 第 1 原 発の場

んでいる。 放射能レベルが下 が り、 作 業 が 遠 隔 操 作では

たとえ可 能 性が小さ は 避 け られない。 その

ロシアの地震動地図

20

28

その年、 太 平 洋にお 住んでいた。 現 地 時 間

30

欠 陥 があること がわかった。

なく、通常の方法で行われて

ではないか。

の作 業は長 期に及 ぶの

いることも手伝っている。

マグ ニ チュード 8 ∼ 10 の地震が起こりうる ロシアの国土の割合

30

数字あれこれ

28

25

1780

放 射 能が高 濃 度 だったため、 作 業 が 遠 隔 操 作で 進 め ら れ た結果、屋根の一部が完全に 接合されず、多数の隙間︵す

くても、 深 刻な被 害を 際 に、ロシアの専 門 家 及ぼし得るような事故 の知 見 が 役に立つか も

11

10

9

8

7

6

20

27

については、 常 日 ごろ しれない。

16

5

12

95

1995 年のネフチェゴ ルスクでの地震による 損害

1995年のサハリン北部地震後のネフ チェゴルスクの町 =タス通信撮影

90

日本・福島:大災害から 2 年を迎える 近くで土台を建設している現 2013 年 3 月 6 日、津波によって破壊された 場を、保護服をまといマスクを装用して、 福島県の東京電力福島第1原子力発電所で、 東京電力職員の案内で訪問する報道関係者 =加藤一生撮影/ロイター 熔解した燃料棒を保管するために第 4 号機 たち。 =AFP 通信写真部 / ゲニヤ・サビロフ撮影

28

30

月 26 日に撮影。世界最悪の原子力事故と なったウクライナのチェルノブイリ事故は今 年で 27 周年を迎える。

ウクライナ・チェルノブイリ:チェルノブイ リ原子力発電所で破壊された 4 号炉を覆う 石棺正面部分に第一段階となるシェルター 構造を構築する建設現場の概観。2012 年 4

福島とチェルノブイリ

﹁石棺2﹂の建設続く

突貫工事の石棺1に欠陥

総合 2 2013年(平成25年)3月14日(木)

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領土﹁引き分け﹂可能か 次 いで、 ワ レ リ ー・

さ らに、 プー チン氏 ソロー キ ン・ロシア 外

氏の方が︶格ははるかに 安 倍 首 相 をよ く 知って 明らかにした。 上でしょう が、 弟のよ もらうことだ﹂と語り、 うにみえてきて﹃けがを 首相の父、晋太郎氏︵故 が語った領土問題の﹁引 務 省アジア太 平 洋 局 副 ﹁勝ち負けなし 局 長が﹁AP E Cの成 したとか病 気をしたと 人︶が外相当時、 北方 き分け﹂ かいうニュースが流れて 領 土 問 題の解 決に尽 力 の解決法﹂に関連して、 果と課題﹂について講演 いるが、大丈夫ですか﹄ していたこと を プー チ 首 脳 会 談の前に両 国の した。ソローキン氏は、

相互補完の道探る

期待感と懐疑論が混在

ル ジャーニン極 東 研 トコミュニティーの建設

保が重要だ﹂と述べた。 シアの6 都 市 でスマー

究 所 副 所 長、 国 際 協 事 業に協 力 しているこ

力 銀 行 の 山 下 総 一郎 とを紹 介し、 熱と電 力

氏、 コンサルタント会社 の同 時 供 給システムで

﹁KアンドLゲーツ﹂の エネルギー 利 用 効 率の

国際協力銀行ユニット部長

さまざまな意見を聞けて有意義だった。特にパ ノフ元駐日大使による「日本は本当にロシアのエ ネルギーを必要としているのか」という問題提起 はロシア側発言として新鮮で、興味深かった。

生産的だった討論

セルゲイ・ルジャーニン氏

ロシア科学アカデミー極東研究所 副所長、モスクワ国際関係大学教授

生産的で建設的な意見交換ができて満足して いる。こういうフォーラムをもっとひんぱんに開 催し、日本とロシアの専門家同士が意見をぶつ け合う機会を増やしてほしい。

参加団体の数

130

登 録 さ れ た フォー ラム参加者の数

600人 以上

数字あれこれ

露した。

の専 門 分 野で見 解を披

サハリ ンの産 業 ク ラ

スター 作 りに取 り組 む

︻②IT・宇宙︼スコ S A S サ ー ビスのコル

ぞれ報告を行った。

国際協力銀行の黒石

邦 典 部 長、ロシアA P

︻ ④ 文 化・スポーツ︼

心 が 肝 心。一人の人 間

﹃ カ ラマ ー ゾ フの 兄

浮 かべる 人 が 多い。 小

柔 道の金メダリスト

下 泰 裕 氏、 同 じ く 銅

DO︲RA社長がそれ で東海大学副学長の山

ウェブ 社 長、エー リ ン

長、シャロフ・ドクター と語った。

モスクワ大 学 物 理 学 部 を投影しているからだ﹂

このほか、 シソーエフ・ 説の主 人 公に自 分たち

めた。

などでの日 露 協 力を求 ス トエフスキ ー を 思い

もに、 宇 宙 ゴミの回 収 氏は﹁ロシアというとド

がないと指 摘 するとと た。 作 家のサラスキナ

宇宙開発に目的と戦略 覚があることを指 摘し

トゥー リン氏 は日 本の のの哀れ﹂には共通の感

﹁も 進 を 訴 えた。一方、 バ タルジーと日本語の

和の心持って

て政 府と民 間の交 流 促 長 は、ロシア 語 のノス

面で遅 れている﹂ とし 夫・東京外国語大学学

比べ、 日 本はあ らゆる 弟﹄を新訳した亀山郁

﹁ロシ アの 宇 宙 開 発 に

発言し、 向井千秋氏が ら始まる﹂と語った。

日露の宇宙飛行士も として敬い合 うこと か

協力できる﹂と語った。

得意だ。 両者はうまく 玄 室 氏は﹁茶 道は和の

ア 人 はソフト ウエアが 露 交 流 を 続 けている千

るのが 得 意 だ が、ロシ 茶道裏千家前家元で日

人 はハー ド ウエアを 作

ギャップを指摘。﹁日本 氏も報告を行った。

長 は 日 露 間 の 認 識 の 政 治 評 論 家のマルコフ

法 人 の 川 合 林 太 郎 社 ワシェンツォフ副 所 長、

カスペルスキ ー 日 本 E C 研 究 センターのイ

いて日 本のエネ ル ギ ー NG︶生産工場を建設 要 としているのか 疑 問 めにはロシアの資 源 確 て説明した。

事業﹁サハリン2﹂につ どに液 化 天 然 ガス︵L シアのエネ ル ギ ー を 必 ギー供 給 元 多 様 化のた コルコボ﹂の現状につい

た石油・天然ガス開発 大 使は﹁日 本は豪 州な は 本 当にこれ 以 上、ロ 研究員は﹁日本のエネル シリコンバレー計画﹁ス に協力を呼びかけた。

石油天然ガス金属鉱

ミ ラノフ氏 も それぞれ 改善が必要だと語った。

昨年9 月のAPEC 首

回 目。 プーチン氏 と背 中をなでてやった。

チン氏と会 談し、 署 名 で 脳会議について﹁この地

2月 日に開催された﹁日露フォーラム﹂ では、ビク 域 でのロシアの存 在 感

渉のスター ト だと言 わ に見 える方 だが、 話し だ﹄と言っており、背中

﹃もうこんなに元気 し た 声 明 が 日 露 の 交 について﹁一見冷たそう 彼は

山下総一郎氏

︻①資源開発︼吉海泰 供給元多様化の必要性 しており、 訪 米した安 だ﹂と問題提起した。

トル・イシャエフ極 東 発 展 相、 森 喜 朗・ 元 首 相、ワ

が 高 まった。 今 後、 経 至・三井物産執行役員 が生じたことが事 業 参 倍晋三首相は米国から

次は首相訪露

レリー・ソローキン・ロシア外務省前アジア太平洋局 れ、 目が覚めた。 安倍 ていると日 本 人によ く の感 触 はとてもやわ ら

パノフ発言が新鮮

たって日本とロシアのパネリストが活発な議論を展開 10

で分科会が開かれた。 各分科会とも2 時間以上にわ

分科会参加者のコメント

し、熱心な聴講者からは質問が寄せられた。 ︻1面から続く、ロシアNOW取材団︼

日露フォーラム

イ シャエフ 極 東 発 展 相 道の近 代 化 や 北 極 海 航 路 ︵ 兼 極 東 連 邦 管 区 大 統 領 の 開 発 な ど、 ア ジアと 欧 全権代表︶は﹁ロシア・日 州 を 結 ぶ 輸 送 路の整 備に

そのうえでロシアに対 す

した。

本関係の将来展望﹂と題し 力を入れていることを報告 イシャエフ氏は、 米 国や

て講演した。 欧 州 が 経 済 危 機にあ えぐ る 貿 易 高 や 投 資 額で日 本 中で、 アジア太 平 洋 地 域 は 中 国 や 韓 国 に 比 べて ま が﹁世界経済の新しいセン だ 存 在 感 が 小 さいと 指 摘 ターになりつつある﹂ と指 し、 さまざまなプロジェク

東海大学副学長、教授

フォーラムのサイトへ のアクセス総数

16483

報告者の数

40

異文化交流が必要

摘。ロシアにとってもこれ トへの日本企業の積極的参

有意義な意見交換ができた。他のパネリスト の話を聞いてますますやる気が出てきた。自分 がロシアで取り組んでいること(スマートシティー 建設) をさらに積極的に進めていきたい。

まで﹁西向き﹂だったベクト 加に期 待を表 明し、﹁次の

日建設計常務

ルを﹁東向き﹂ に変えていく 日 露 首 脳 会 談でこ う し た

中分毅氏

私たちはそれに向けてさま

力について講演した。 (写真はすべてビク

述べた。

国際宇宙センターを往復できる宇宙船はロシ アのソユーズしかないので、ロシアとの協力が 欠かせません。宇宙飛行士同士の交流も盛んで、 今年は女性宇宙飛行士第一号のテレシコワさん の飛行 50 周年でロシアに集まります。

ことが重 要になっていると ことも議 論されると思 う。

宇宙航空研究開発機構 (JAXA)宇宙 医学研究センター長、宇宙飛行士

昨 年 9 月 にアジア 太 平 ざまな情報をインプットし

向井千秋氏

洋 経 済 協 力 会 議︵ A P E ていきたい﹂と語った。

ロシアに存在感

続いて森喜朗・元首相は

極めて有益なフォーラムだった。会場の場所 がよく、報告の内容もよかった。こういうフォー ラムを毎年開くようにして欲しい。今春にも安倍 首相がロシアを訪問するが、成功することを期 待している。

C︶首脳会議の舞台となっ

スコルコボ基金企画部長

た ウ ラ ジオス ト クを 筆 頭 ﹁ロシアへの期 待﹂ と題し、

山下泰裕氏

日建設計、東芝など日本の大企業か らの参加者も目立った。 日本・ロシアフォーラムでは三井物産、 IHI、トヨタ、日本たばこ、ソフトバンク、

各界有識者が本音で語った

アルベルト・エフィーモフ氏

日 に首 相 特 使 と し

太 平 洋へのゲー ト ウエー﹂ てロシアを訪問、 プーチン

安倍訪露成功祈る

に、ロシア極東を﹁アジア 2 月

年間ないのは許せない

森氏は﹁日露首脳の訪問

洋諸国とのコンタクトゾー 中心に講演した。

﹁ロシア経 済とアジア太 平 大 統 領 と 会 談 し たこと を ン﹂ にしていきたいというロ が

このためロシアが極東地 と 思っていた。 昨 年 3 月、

シアの戦略を説明した。 域に投 資 する 企 業に税 制 プーチン首相︵当時︶がマス

それぞれが有意義な報告で、多くのことを知 ることができました。傍聴者も熱心に聞いてい て、途中で退席する人はいませんでした。ただ、 時間が足りなくて議論が十分できなかったのは 残念だ。この点は改善して欲しい。

面 な どの優 遇 措 置 供 与 を コミとの会見で、私が︵

︻③インフラ︼スマー メダリストのノソフ氏、

トコミュニティー︵環境 元スケート選 手でJ O

作家、言語学者

21

検討しており、シベリア鉄 年に︶イルクーツクでプー

負 荷の少ない次 世 代 社 C委員の橋本聖子参議

会︶との関連で高原一郎 院 議 員、 プロホロフ・

資 源エネルギー庁 長 官 モスクワスポ ーツ委 員

力 供 給システムの改 革 点から日露協力を探る

は、 東日本大震災で電 会 代 表 がスポーツの観

指 摘して都 市 開 発での ビコワ・ ボ リショイ 劇

が 課 題になったことを 見 解 を 述べたほか、 ノ

場広報部長、ストノー

日建設計の中分毅常 ギナIABC副社長が

日露協力を提唱した。

リュドミラ・サラスキナ氏

務 は、 モス クワな どロ 報告した。

熱心だった傍聴者

フォーラム

しを するのが私の役 目 のがよ くわかる。 私の 話した。 相は日 露の問 題をなん 入れ可 能な方 法がある 進 していくこと が 大 事 だ﹂と期待感を示した。 森 氏は2 月の会 談の 方 がほ れこんでいる か と思った﹂と語った。 か ど う か を 議 論 す る よ と し て も 自 分 で 手 が け 、 この後、 分 科 会に移 森 氏 がプーチン氏  と もしれない﹂ と明 かし 意義について﹁一番大事 解 決 し たいという 思い う提 案したことも明 ら 行して討議を行った。 ︵プーチン なことは プー チン氏に だ﹂ と力 説したことを かにした。 会談するのは約 年間 た。続けて﹁

次長による講演に続いて、資源開発、インフラ、IT

16

︵ 情 報 技 術 ︶・ 宇 宙、 文 化・スポーツの四つのテーマ

「東向く」ロシア、極東をアジアへの出入り口に

晋三首相訪露の地なら 似 た 心 根 を 持っている かく、若々しかった﹂と 外務省で、 双方が受け 済 面での地 域 統 合を推 エネルギー第 二 本 部 長 画の背 景 にあった と 指 安いシェールガスを買い 物資源機構︵J OGM ルコボ基金のエフィーモ キン社 長は、 港 湾など ン 氏 に 説 明 。 ﹁ 安 倍 首 が、 三井物産も参画し 摘 した。 パノフ元 駐 日 たいと要 請した。 日 本 EC︶の本村真澄主席 フ企 画 部 長 がロシア版 のインフラ事 業で日 本

28

日本 ロシア

分科会の主な参加者︵敬称略︶

異文化交流をどんどん進めていくことが必要 だ。ロシア人は本当に打ち解けると、いい人ば かりだ。日本の足りないところ、ロシアが欲しい ところを補え合えるのではないか。日露が今後、 真の隣人になれるよう頑張っていきたい。

トル・ワセー人撮影)

刺激を受けた

01

もっと読む www.roshianow.jp/ jap_rus_forum

亀山郁夫(東京外国語大学 学長) 山下泰裕(東海大学副学 長) 橋本聖子(参議院議員) 栗原小巻(ビデオ出演) ドミートリー・ノーソフ ( ロ シ ア下院議員 ) ウラジーミル・プロホロフ  (モスクワ市スポーツ局) リュドミラ・サラスキナ(作  家) エカテリーナ・ノビコワ (ボ  リショイ劇場広報部長) ユーリア・ストノーギナ(I  ABC副社長) イリヤ・ラグテンコ(ロック  歌手、ビデオ出演) 飯田和郎(毎日新聞)

ビジネス・技術・文化・スポーツを 接点に両国関係を話し合う セルゲイ・マルコフ (ロシア経済アカデミー) マルク・ザワツキー(ロ 大木俊治(毎日新聞)  シアNOW)   第4分科会 福本容子(毎日新聞) 千玄室(茶道裏千家)

ビクトル・イシャエフ氏はロシアの極 東開発の可能性と日露のエネルギー協

10

ロ シア N O W サ イトで は、 フォーラム全体会議における特 別講演の詳報のほか、分科会 での論議、主な参加者のインタ ビューなどを詳報しています。

第2分科会 アンドレイ・クリフツォフ  (ロスナノ社) アルベルト・エフィーモフ   (スコルコボ基金) 川合林太郎(カスペルス   キー日本) 向井千秋(宇宙飛行士) ユーリー・バトゥーリン(宇  宙飛行士) ニコライ・シソーエフ(モ スクワ大学物理学部長) ボリス・シャロフ (ドクター・  ウェブ社長) ウラジーミル・エーリン(D  O - RA社長) 元村有希子(毎日新聞)   第3分科会 セルゲイ・ワシリエフ(アジ

サイトで詳報  ア太平洋協力委員会) 高原一郎(資源エネルギー  庁長官) 中分毅(日建設計) 黒石邦典(国際協力銀行) セルゲイ・コルキン(SA  Sサービス社長) グレブ・イワシェンツォフ  ( APEC研究センター )   第1分科会 吉海泰至(三井物産) 本村真澄(JOGMEC) アレクサンドル・パノフ(元  駐日ロシア大使) セルゲイ・ルジャーニン(科 学アカデミー極東研究所) 山下総一郎(国際協力銀   行) セルゲイ・ミラノフ(K&  LGatesLLP)

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ロシア NOW 2013年(平成25年)3月14日(木)

3 特集面


シェールオイル

シェール革命によって米国は今年、石油採掘量でロシアとサウ ジアラビアを追い抜く可能性がある。ヨーロッパ諸国とアジア 諸国も革命の恩恵を受けそうだ。 その半面、ロシアや中東諸 国は長期的には著しい損害を被る恐れがあるとみられている。

こうした 影 響で、

% まで拡 大 するとい り

原油市場を脅かす

このため、ロシアでのシェールオイル鉱床の開発が急がれるが、 ︻ガリーナ・スタリンスカヤ︼

産︵GDP︶が1・2∼

な石油﹂の採掘開始時 ま だロシアには た く さ 米 国に追いつくことは、

ロシアには、シェール 期が複 数の要 因に依 存 んある。市場を維持し、

る﹂と話している。

両 社 は 中 国、 日 本、

日 に通 過 し た 隕

㍍で、 深さは最 大6 ㍍ だった。

㌧の重量があった。

周回していた小惑星であり、約900

ソ連科学アカデミーがこの天体の軌   道 を 割 り出 した 結 果、 天 体は太 陽 を

1∼

ター も1 0 6 個 発 見 された。 直 径 は

地域に無数の隕石が見つかり、 クレー

のパセ カ村の近 くでは1・3 平 方 ㌔の

﹁爆心地﹂のシホテアリニ山脈の山中

うな航跡を描きつつ地上に飛来した。

その後、 多数の火の玉が飛行機雲のよ

300㌔にわたって観測されたという。

爆 発 音 を 聞いた。 閃 光 と 爆 音 は 半 径

は、 巨 大 な 輝 く 火の玉 と、 凄 ま じい

東のシホテアリニ山脈付近の住人たち

❶ウラジオストク シホテアリニ隕石   日 朝 時 半、 極 1947 年2 月

︻ダリア・ゴンサレズ ︼

内の落 下 場 所 を6 カ 所 選 ん だ。

理的に隕石を発見しやすい、ロシア国

ている。ロシアN O Wは、 有 名かつ地

ぼる小 天 体 1 0 0 0 個 ほ どが落 下 し

る。地球には毎年、総重量約2㌧にの

距離に位置する湖に落下したとみられ

石は、 同 州チェバルクリ市から1 ㌔の

ス ク州 上 空 を 2 月

ロシア中部ウラル地方のチェリャビン

は 個ほど発見されている。重量は

見されなかった。ツァリョフ隕石の破片

れていたが、 実物は1968年まで発

落下するところは1922年に目撃さ

❸アストラハン州 ツァリョフ隕石 重 量1 2 25 ㌔  のツァリョフ隕 石が

れ、ゴールド・ラッシュにわいていた。

上 流 では そ れ よ り 前 に 砂 金 が 発 見 さ

てチンガー隕 石の破 片が発 見された。

るチンガー川流域で1912年、初め

❷トゥバ チンガー隕石  アのタンヌオラ山 脈を流れ 南シベリ

隕石名所6地域 年度 年 比7・

もっと読む

www.roshianow.jp/ 41397

すると ガスプロムは 伝

ガス分 野の実 績を共 有

値 ある情 報 やヘリウム

となるだけでなく、 価

ウム ガスの受 け 取 り手

トに応 じた 大 量のヘリ

ナーとして、プロジェク

プロムの戦 略 的 パー ト

スは 覚 書に従い、 ガス

マチソン・ ト ライ ガ

だ。

円︶ になるという。

1200億㌦︵約 兆

円 ︶に公 正 価 値は

︵ 約8 兆3 0 0 0 億

評価額は900億㌦

録した。 同 社の市 場

し、 過 去 最 高 を 記

5 0 0 億 円 ︶に達

ルーブル︵ 約 1 兆 円

2% 増の3420 億

純 利 益が

ロスネフチの

国営石油採掘会社

ロスネフチ

過去最高

その潜在量は250 億 れ は 国 に よって 違 い、

よ り 広 い 概 念 が あ り、 な け れ ば な ら ない。こ

中 国 やロシアでは よ り

∼500 億㌧とされて 米 国 で は よ り 簡 単 で、 いる。 第 二に、このよ う な

ロシアの多 くの資 源 困難である。 会社に﹁採掘困難な石

油﹂採掘プロジェクトが プロジェク ト の 税 優 遇 存 在 するが、 どれもま 措 置 が 必 要になってく

一方、ガスプロムバン

案を検討中だ。

だ開発は極めて初期段 る。 政 府 内で現 在、 法 主 な シェー ル オ イ ル

階にある。

∼10 0 ㌦になる にインドと日 本 な どの 国は逆に、 長 期 的には 鉱 床 は西シベリアに集 クのアナリスト、 ナ ザ ロフ氏は﹁ロシアの会社

投資・金融会社カピ はシェー ル オ イ ル 採 掘

とPw C は試 算 してい 石油輸入国ではGDP 自 国 のシェー ル オ イ ル 中している。 が4∼7%伸び、米国、 鉱床を大規模に開発し

Pw Cの主 任エコノ

年までに2・3∼3・ 性がある。

は、 世 界 の G D P を は2∼5% 伸びる可能 損失を被る可能性があ リュコフ氏は﹁採掘困難 いる。 従 来 型の石 油 も

シェー ル オ イ ル 採 掘 中 国、 ドイツ、 英 国で 始 めない限 り、 著 しい タルのアナリスト、 ク で活 発 な 動 きを 見せて

こ の よ う な 成 長 は、 る。 ることになる。

減 少 すると予 測されて 原 油 相 場に圧 力を加え

年で最 低の水 準 まで

1・8%のマイナス成長 年の原油輸入量は最近 う。 になる可 能 性 があると 考える。 米 国 のシェー ル オ イ いる。 年 の 原 油 価 格 は、

ミスト、 ホ ー クスワー オイルに限 ら ず、 他の していると考える。

携の覚 書 をドイツの化

学 工 業 会 社・ リ ン デ、 そ の 他 の ア ジ ア 諸 国、

日 本のマチソン・ ト ラ さ らにアメリカの市 場

現 在、 世 界 で は

していく考えだ。

イガスの2 社と交 わし にヘリ ウム ガスを 販 売 た。 マ チ ソ ン・ ト ラ イ

ガスは 日 本の産 業 ガ 1 億7 5 0 0 万 立 方

100%子会社で本社 されており、 米 国︵ 年

、ロ 市場で世界5 位の大手 1 6 0 0 立 方 ㍍︶

世 界のヘリ ウム 埋 蔵

、アルジェリア︵同 の順となっている。 陽 日 酸 は 産 業 用 ガ ス ㍍︶

㌘から283㌔だ。この隕石は寸法と

重量で、人類史上3番目に大きい。

❹タタルスタン カインサズ隕石

和 国にはロシア最 大 タタルスタン共

の隕石孔、カルラ隕石孔がある。直径

㌔で、 隕 石の推 定 年 齢は5 0 0 万

年と考えられている。 カルラ隕石孔は

ブインスク市 より西 側のチュバシ共 和

国境界付近で発見された。

タタルスタン共和国では計4 個の隕

日にムスリュモフスキー地 区 カイ

石 が 発 見 されてお り、 1 9 3 7 年 9

最 大 だ。 落 下 時に砕 けた 隕 石の総 重

ンサズ村に落下したカインサズ隕石が

量は210㌔㌘。

❺チェリャビンスク クナシャク隕石

今 回の隕 石 落 下は 、 チェリャビンス   ク州にとって初めてではない。隕石雨が

1949年7月 日、同州の194平

方㌔の範囲に落下した。これまでに破片

個しか発見されていない。隕石の年齢

は比較的若く720万年だ。

❻クラスノヤルスク ツングースカ隕石

ツングース カ 隕   石 の破 片 は 発 見 さ

れて お ら ず、 科 学 界 の 大 き な 謎 の一

1 9 0 8 年、 火の玉 が 飛 び、 その後

つと なっている。 エニ セ イ 川 上 空 を

㌔ 付 近で大 爆 発 した。 衝 撃

無人のタイガ︵シベリアの針葉樹林︶上

空8 ∼

波 は西 半 球 を 含 む 世 界 中の観 測 所で

記録された。

この大爆発により2000平方㌔㍍

以上の領域で樹木がなぎ倒された。数

日間にわたり、 大西洋から中央シベリ

確認された。 現在でも発明家ニコラ・

アまでの地域で、 強い閃光と光る雲が

ざまな説が存在している。

テスラの実験説から彗星説まで、さま

一方 で、 ヘリ ウ ム を

弱 体 化させる危 険があ 語った。

科学生産合同体・ゲ 不 足 させることはロシ

供 給した。 特に月 飛 行 氏は﹁2050年までヘ

% を備 蓄し、 必 要な時に リス ト フ・ ヤ ク ブソン

い う の も、 近 い 将 来、 と述べている。

︻ピョートル・ムスリ

アが 価 格 崩 壊 を 招 き、 のヘリ ウム を 生 産 する モフ︼

た だ 専 門 家 は、ロシ 販売可能量よりも多く

ガスというわけだ。

デとマチソン・ ト ライ 採 用 すべき だろ う。 と すると考えられている﹂

売 を 支 援 するのがリン 米 国のよ うなやり方を 加を続 け、 その後 減 少

その採 掘、 保 管、 販 の 際 に 多 く 使 用 し た。 リウム ガスの需 要 は 増

以上になるという。

が現在の2%から

販売市場に占める割合 の需 要 が低い間、 それ 究 所の科 学 副 所 長、 ク

に達 し、ロシアの世 界 ト氏は﹁米国はヘリウム カデミー石 油・ ガス研

2億3800万立方㍍ 者であるワジム・ウドゥ という。ロシア 科 学 ア

に 2 億 1 3 0 0 万 ∼ リ イマシュの 最 高 責 任 アにとって得策ではない

量 は2 0 3 0 年 まで

世 界のヘリウム 生 産 ると考える。

㍍ある。

はアメリカにある。 大 間 1 億 4 0 0 0 立 方 シア︵同600立方㍍︶ 量はまだ456億立方 世 界のヘリウム 市 場 を ことになるか ら だ﹂ と

64 年前にもチェリャビンスクで

12

ス 会 社・ 大 陽 日 酸 の ㍍ のヘ リ ウ ム が 採 掘

15

初期段階の開発にとどまっている企業が多く、 指導部は焦り を隠せないようだ。

シェー ル オ イ ルの 採 掘 量 が伸 び、 世 界のエ ネルギー市場が大きく 変化しつつある。 イギリス系 監 査 法 人 ﹁ プ ラ イ ス ウォー タ ー Pw Cの予 測による 年まで 1 バレルあたり1 3 3 がある。

万10 0 0 バ と、 世 界 のシェー ル オ E I Aの予 測 している 7% 引き上げる可能性

ル生産量は2004 年 年 に イル生 産 量は

月、ヘリ ウム ガスの採

ロシアの専 門 家は、、

50

で1日 レル だった が、 は1日

高濃度ヘリウム

掘、 保 管、 海 外 市 場へ

ネルギ ー 総 局 長 は 昨

欧 州へは西シベリアか

の販 売 領 域における提 えている。

日本がロシアから調達 化 学工 業 会 社・マチ し、 代わりに技 術を提 天然ガス輸出独占権

ソン・ ト ライ ガスは 国 供する。 営 天 然 ガス企 業・ ガス

プロムから高 精 度 生 産 を 保 有 する ガスプロム

スは、 東 シベリ アのガ

り、 E S P O 2 完 工

線 が 敷 設 されてお り、 年 末、 ロ シ ア の 国 営

ら、アジア太平洋地域 それぞれ原 油が供 給

維持できるかというこ 視する事態は起こらな

10

ハウスクーパース︵Pw 原油価格が下落した場

シェールオイル   石 油 採 掘 部 門 にお け る   重要な傾向とし て軽油お よび中油の生産の減少が 指 摘 さ れ る。 従 来 の 石 油 の埋蔵量の減少により、石 油 会 社 は 代 替 化 石 燃 料に 注目している。 その一つは、 シェールオ   ル で あ る。 そ の 埋 蔵 量 イ は、 確 認 さ れ た 石 油 の 埋 蔵量を一ケタ上回る。地質 学 者 た ち は、 石 油 と 同 類 の水由来の有機物質︵死滅 した海洋および湖沼動物 や藻類など︶を主に含有す る堆積岩としてシェールオ イルを規定している。

に必 要な希 ガスを調 達 は 世 界 市 場 向 けのヘリ ウムガス販 売に本 格 的

ロシアが東シベリア

ガスプロムは 昨 年

ス田に埋蔵されている。

高 濃 度のヘリ ウム ガ

に乗り出した。

州スコボロジノ市まで ル、フィリピン、台湾、 の 原 油 に 対 す る 輸 出

バルト海と太平洋が 後、ロシアが追加的な 原 油 を 欧 州 市 場に回 け て、 欧 州 委 員 会 の さなくなるのではない

㌦︵ 約 3 7 0 万 円 ∼

1 5 0 0 万 ㌧ がこの 石油パイプライン会社

されるよ うになってい

支線で輸送され、残り ﹁ ト ランスネフチ﹂ の へは 東 シベリ ア か ら、 ズミノ港から各国にタ 長 宛てに﹁欧 州への安 E S P O 2 完工 前

全なエネルギー供給が る た め、 欧 州 が 不 安

万 ㌧ の 原 油 るが、この地域からだ シベリアと東シベリア の 1 5 0 0 万 ㌧ がコ ニコライ・トカレフ社

E S P O 2 は、 西

470万円︶ かかる。

中 国 大 慶 市 に向 う 支

スコボロジノからは フィリップ・ロウ・エ かと懸念している。

年末に完工していた。

プラインで、2009 つな がったことにを 受

3000万㌧︵のパイ

㌔、 年 間 輸 送 能 力 いた。

伸 びる 全 長 2 6 9 4 マレーシアに納 入して 税 を 下 げ た こ と も あ

シェト市からアムール ア、 韓国、シンガポー

はイルクーツク州タイ 本、米国、インドネシ 送った。

ル、 世 界 石 油 生 産 量の

これは 各 国の経 済に ス氏 は﹁ロシアや 中 東 根源層も含む﹁採掘困 第一に、 会 社 は その 大 体 5 年でできる﹂ と 万3 000バ に1 日 1 4 0 0 万バレ ㌦ よ り も 低 く、 ∼ % 減の1 バレルあ た も好 影 響を与える。 特 諸国などの原油輸出大 難な石油備蓄﹂という、 ような地質学を理解し 話している。

レルにまで伸びた。

原油タンカーの用船料

25

C︶ ﹂ のアナリストは、 合、ロシアの国 内 総 生

日 本 は 原 油 の8 割

40

ア ジ ア 市 場 に 送 る こ ンカーで輸送される。

11

国内総生産の 1.2 ∼ 1.8%

12

13

11

ヘリウムは自然界で最軽量の水 素に次ぐ軽い気体だ。  だが、水素とは異なり、不活性 気体で、燃焼せず、爆発せず、無 色透明かつ無味無臭だ。  ヘリウムは従来型の天然ガスより も 10 倍高額で、ガス田の含量は約 1% である。  ロシア東部のガス田のヘリウム含 量は0. 22% 強といった世界の含量 よりはるかに多く、コビクタ・ガス 田で0.45%、チャヤンダ・ガス田 で0. 8% 弱となっている。  まだ採掘の準備は始まったばか りだが、2020 ∼ 2030 年には東シ ベリアから年間 500 ∼ 600 億立方 ㍍の天然ガス、1 ∼ 2 億立方㍍の ヘリウムガスが輸出される見込みで ある。

露原油2日で日本に

近郊︶から日本の港ま

アジア市場に期待

号﹂は1月 日、ES

数字あれこれ

80

10

35

や、マラッカ海 峡を通 とが可能な第1期工事

た。ロシアはこれを機 に 納 入 し た。 E S P るアフリカ近くの海域

ガ・セニナ︼

Alamy/LegionMedia 撮影

オリオン掘削株式会社のペルセウス、テキサス州、 米国= GettyImages/Fotobank 撮影

11

12

35

83

35

25

輸送時間も約3 週間。 部 分 だ。 E S P O 1 で 対 応 し、 昨 年 は 日 ている﹂ という書簡を

1バレル当たりのシェー 探査された全石油埋蔵量 と比較したシェールオイル ルオイルの採掘コスト の埋蔵量

ガスプロムと覚書

13

11

油輸出ターミナルのコ 過 しな ければな ら ず、 ︵E S P O 1︶の延 長 はこの区間を鉄道輸送 とをEUは不安に思っ いと みている。︻ オ リ

に、この原 油がアジア O 2 の 終 点 と な る 原 市 場の標 準 油 種 にな

ればと、期待を高めて ズミノ港︵ナホトカ市

10

4倍

約 60㌦

日系マチソン社

20

2035 年 ま で に 世 界 の シェールガスの採掘によりロ GDP に加えられるシェー シアが 2035 年までにこうむ ルオイルの採掘高 りうる損失(プライスウォー ターハウスクーパース予想) 12

28

11

55

原油タンカー﹁ダイ での 所 要 時 間 は わ ず は、 1 日 4 万 ∼ 5 万

東シベリア太平洋原 いる。

日に完

時 間で原 油 を と なる

10

40

油パイプラインの第2 月

21

期工事︵ESPO2︶ ヤモンド・ アスパイア か2日だ。 が昨 年

25

工 し、 日 本 は ロ シ ア P O 2の最 初のロット を中東から調達してい

12

調 達できるようになっ を、 茨 城 県 の 鹿 島 港 と 海 賊 事 件 が 多 発 す で 採 掘 さ れ る 原 油 を

から

48

2 兆 7000 億㌦ 軽量・無色無臭のヘリウム

米国に追い風 ロシアは痛手

総合 4 2013年(平成25年)3月14日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN

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年代生まれの﹁アラサー﹂ 歳以上で、その数は1300 万人に

ロシア連邦国家統計局の2010 年の人口データによると、ロ シアで最も人口の厚い層は なる。次に多いのは私が属する 歳から 歳で、約1200万人 いるが、この層は数だけではなく、 社会的に活発な人が多い。 お 金 を 稼 ぎ、 子 供 をつくり、 税 金 を 支 払い、ローンを 利 用 し、 デ モに参 加し、 そして広 告 代 理 店がターゲットとする人 々である。

これ らの人 々 は一体 飽 きると周 囲に目を配

1980年代生まれのディズニー・アニメで育った最初の世代だ。

誰の人 生にも、 すで に自 分が年 少の経 験の ど ん な 人 た ち な のか。 るよ うになって、﹁どこ 浅い人 間ではなく、 人 1 9 8 0 年 代のベビー に私の税 金 が 消 えてい 口ピラ ミッドの真 ん 中 ブームの仕 掛 けを 作っ くんだろう﹂﹁これを変 年のソ連 共 産 えるた めに私に何 がで

りの人と対 等に会 話が 党 中 央 委 員 会 決 定 だ。 きるんだろう﹂ などと

に位 置しながら、 まわ たのは

感じる時が訪れる。

ど も 手 当 が 支 払 わ れ、

20 0 8 年 ごろから

で きる よ うになった と つまり、 第 1 子から子 考え始めた。

年 までの出 生 率

つよ うに なった。

それらの人 々は皆 ア 母親の有給産休が保障 私の世 代は子 どもを持 私 た ちはソ連 最 後の から

ラサーで、 出 版 社や広 されるようになった。 告代理店を経営し、 本 この時 期に国 民の運

を出版し、 慈善基金を 世 代 だが、 パンを買 う が %増加した。 設 立し、 テレビ番 組の ために行 列に並 び、 配 司会を務め、 大学で講 給 券でマカロニを 受 け 動 が 活 発 に な り 始 め、 義 を 行い、 ビジネスを 取っていたこと を よ く 連 邦 教 育 省の前で妊 婦 覚 えてお り、ソ連に対 が産 休の支 払いに対 す 年 代 生 まれ 稚 園に子 供 を 入 れるこ

歳のニコライ・ ニ する幻 想 な ど抱いては る抗 議 デモを 行い、 幼

行っている。 キフォロフ氏 が 通 信 情 いない。 年 代には希 者 た ち が 抗 議 デ モ を

報 大 臣 に 任 命 さ れ た の兄 姉 とは 違い、ソ連 とので き な かった 保 護 時、これは偶 然ではな 崩 壊 後の この人 た ちは、 人 よ

ロシアのベビ ー ブ ー り 多 くのものを 要 求 し

た。

くトレンドなのだとわ 望 も失 望 も感 じなかっ 行った。 かった。 この層はた だ 人 数 が 多いだけでなく、 かな マーは最 初に消 費を通 たいのだろうか。 そ う だ!私の世 代 は

に必 死になり、 それに 他の人よりも多 くを求

り影 響 力があるという して自 己 表 現 すること ことにも驚かされる。

今や社会の中核に   成 功 と は 自 己 表 現、

認 識しようと努 力 す キャリ アとは 何 かが 自

めるように思う。 るところが、ロシアのベ 分 に依 存 しているとい

日露が近づく要因

プーチン・森会談の意味

的に新 たなパラダイムへ

移 行した。このパラダイ

要人がいくら請け合った

ムの新 味は、 アメリカの

存 在 は日 本に完 全 な 安

ところで安全保障条約の

寧を与えるものではない

近づける要因を指摘すべ

攻 撃 的に自 己 を 顕 示

という点に感じられる。

で は な く、 相 似 を 示 す

一方、 森 氏は、モスク

立するなかで、日露間の

プー チ ン大 統 領 が 領 土

チの必 要 性を指 摘 した。

ロシアからすると、 目

で際立つようになった。

いうコンプレックスを日

うる﹁包囲された要塞﹂と

心 理 的に容 易に説 明 し

関 す る 対 話 の 再 開 は、、

ロシアとの領 土 問 題に

下 進 行 中の﹁シェール革

本が克服することを可能

を 背 景 に、 ここ一、二 年

命﹂ やエネルギー戦略の

の進展があるかもしれな

東 方シフトにより、エネ

いとの期待を国民に抱か

開 始は、 解 決へ向け一定

せるもので、参院選を前

と す る。 ま た、 交 渉 の

ロ シ ア は、 東 日 本 大

要性が評価されている。

にした政権の支持率アッ

売市場としての日本の重

震災の後に原子力エネル

ル ギ ー 資 源の有 望 な 販

ギーの放棄を余儀なくさ

プにもつながる。

多くの日本人の間では、

れた日 本がロシアの石 油

とガスを必 要としている

つける日本の投資やテク

東地域の近代化に弾みを

管の時期にはこだわらな

と択捉両島の日本への移

認められるならば、国後

島に対する日本の主権が

ことを認識している。 極 ﹁引き分け﹂ 方 式で全 四

ノロジーを必 要としてい

との主張が幅を利かせて

いというものにすべき だ

ることもあり、長期的か

を求めている。

つ予見可能なパートナー

入れて、直ちに残る2島

それは、先ず2島を手に

に関する交渉に着手する

いる。別の選択肢もあり、

る 中 国 側 の露 骨 な 対 決

というものである。

日本側の要因も明白で

姿 勢 に 直 面 し、 日 本 は

あ る。 尖 閣 問 題 に 関 す

安全保障分野において質

また日 本のタクシーは アで公 衆 トイレに入るに 倍はします。でも、 成田

ドミートリー・ ストレリツィフ氏

は差し控えている。

森 喜 朗 元 首 相は2 月

ビー ブーマーの優 れた う 感 覚であろ う。こう

チン大 統 領と会 談した。 をした。

ワ国際関係大学での講演

投 げ 捨てて、 モスクワ 見 直 した。 やがて、 そ

領土画定問題の﹁突破口

問題解決への基本的アプ

のに冗談では﹂と思いまし

ら 聞いて、﹁ 技 術 大 国 な

普 及していないと知 人か

ビス︶が日本ではあまり

i︵公衆無線LANサー

事情です。 無料のWiF

まずは日 本のケータイ

驚きの連続でした。

会があり、その2週間は

年ぶりに日本を訪れる機

いました。今年2月、

携帯電話でしか使えませ 思議なドア﹂は子どもの

も う一つは携 帯 電 話の ん。 結局、日本でケータ ころに気 づかなかったよ

技術大国なのに

不便だったWiFi

及していませんでした。

それほど高くなく、 おに

日本での最大の喜びは、

たが、 そこは何 も変 わっ

も う一つ面 白 かったの ておらず、にぎやかな子

ました。

になっていたのには 驚 き 麻生児童会館を訪れまし

そのまま新聞社の入り口 た札幌市の和光小学校や

ており、 地下鉄の出口が 驚かせました。かつて通っ

社前﹂という名前が付い や友達、近所の人たちを

駅︵東西線︶は﹁毎日新聞 たことでした。 私は先生

も便利でした。特に竹橋 昔の知り合いと再会でき

口がたくさんあり、とて

モスクワと違って出 入 り ができました。

さらに東京の地下鉄は ぎりをいっぱい食べること

と一緒に札 幌 市に住んで ではびっくりするほ ど普 にSIMカードは日本の 驚かせました。この﹁不 払う必要があります。

校2年まで6年半、両親 あります。しかし、日本 間もかかりました。さら 自動でドアが開き、私を は日本円で約100円を 空 港では食べ物の値 段は

私は2歳の時から小学 ちこちに無料WiFiが そ の 購 入 手 続 き に 1 時

学 的 および経 済 的 状 況

特 徴 だと思 う。 選 挙の いった 考 え 方 か ら、 デ

大統領は、ロシアと日

アは日本を非難すること

活の認 識に対 する努 力 善 事 業 の プロジェク ト

双方は1956年の日ソ

本が組み合うかわりに畳

した中 国と比べて、ロシ

だ。 そして、 人 生が希 な ど が 行 わ れ る の だ。

共 同 宣 言が平 和 条 約 交

の両 端 に立 ち 尽 く す 柔

変 わ り ゆ く 世 界 の地 政

望通りになっていないと 私 た ち のソ ー シャル・

渉の出発点となりうると

きである。それは質的に

認 識 すると、 時に親 戚 ネットワー クで団 結 し

道 選 手 に た と え た。 大

ためにできる限りのこと

や知 り合いを 驚 かせる ている世 代は人 数 が多

の2001年のイルクー

統 領 は 両 国 間 に平 和 条

目 指 す 日 本 政 府 の意 欲

はない﹂と述べた。

約がない状況は﹁正常で

ツク宣言を確認した。

立つ。

森氏の訪問の目的の一

を国内世論に示すことに

つは、 領土問題の解決を

は、エカ テ リ ンブル ク リ カのベビ ー ブーマー

1 9 6 0 年 代のアメ

の大 学の経 営 学 部を卒 た ちも、 前の世 代の価

に引っ越してグラフィッ れを市 民の権 利 獲 得の

的な解決﹂が困難である

受け入れ可能なアプロー

で、 領土問 題への相 互に

クデザインを 学 び始 め 闘 いへと、 同 性 愛 者、

双 方の立 場 が 鋭 く 対

あった。

た。 ジーマは 大 学でI 女性、体の不自由な人、

いた﹁引き分け﹂という言

葉について、 日 本のすべ

ローチを表現する際に用

ての要求の実現を期待す

ア側も日本側もごく近い

将来にこの問題を解決で

するのも正しいとは言え

るの も 現 状 維 持 を 期 待

きるとは思っていない。

のは明 らかである。ロシ

今 後はどうなるんだ

ロシア側は、この問 題

ロシアと日 本の立 場を

ないことを確認した。

に関 する 政 治 対 話の再

開 とい う 事 実 を 高 く 評

やがて今のアラサ ー

親 の 世 代 が 考 え る がロシアで 最 も 人 口の

歳の世 代

兆円︶ 関 は、 大 規 模 で 回 収 不 可 メリカ人よりも先に太平洋 を創設するのではなく、 別 して1 平方㌔㍍あたり2・ て、 アジアだけをイメージ

モスクワ国際関係大学教授

価し、双方の立場の相違

して働いている。

シア南 部の街で火 夫 と ろうか?

を していた が、 今 はロ

び、ソフト 関 連の仕 事 変えていったのである。

T プログラ ミングを 学 黒 人の権 利の訴 えへと

いていた が、 す べて を 変 革を通じて美 学 的に

業し、 広告代理店で働 値 観を、 文 化や芸 術の

私の友 人のリータ

とってしまう。

ような衝動的な行動を いか らこそ、 活 動 が 目

日、 モ ス ク ワ で プ ー

国立モスクワ物理技術大学4年

認識、 活動の認識、 生 モ、 ボ ラ ン ティア、 慈

リュドミラ・ラズモフスカヤさん(21)

キャリ アや 成 功 という 多 い 層 に な る だ ろ う。 歳 から

ものは、 私 た ちの世 代 そしてこの世 代 が 現 在 の考 えるものとは 違 う の

た め、こういう 突 如 と と結 束したら、 大きな し た 変 化 について 聞い 変 革を実 現できる強 大 な力となるのだ。

ベリアの役割を定義し直す

シベリアには決して人が オ ース ト ラリ ア、 カ ナ ダ、

加わり、中国、韓国、日本、

環 太 平 洋 の経 済 活 動 に

は な く、 短 期 交 代 作 業 班 1にすぎない。

新たな北方の街を築くので リフォルニア州の6・5分の

率を高 めることが必 要 だ。 経済は中国の 分の1、カ

次に、シベリア経 済の効 ことが必要だ。この地域の

ことはない。

て連邦の立場が損なわれる の政 治と経 済において、シ

ても驚かない。

シベリア発展の主導権

国でなく地元に

ベードモスチ紙政治評論員 ウラジスラフ・ イノゼムツェフ氏

るよ うになった。ロシア政

邦 政 府では な く 地 元 政 府 と、途端に米国に遅れを取 開することが必要だ。

シベリア発展の問題を国 れらの収 入の一部 をこの地 かりと解決できるのは、 連 的地域として発展し始める によ る 地 域 開 拓 方 法 を 展 営 企 業、 省 庁 が 解 決で き 域に残すことが正しい。

シベリアはロシアでも 特 府は、 極東・シベリアの発 いないわけではない。 ウラ 米 国 との関 係 を 構 築 す る

第二に、今日正しい投資 だからだ。

第一に、 2 0 1 2 年 度 先を決められるのは市場だ

るとは思えない。

4100 億㌦=約

ロシア 連 邦 輸 出 収 益︵ 約 けだからだ。政府と国の機 別な地域だ。ロシア人はア 展のために新しい国家機関 ル 以 東 の人 口 密 度 は 平 均 必要がある。太平洋と聞い 2 6 人 で、 ア ラス カ 州 の してはいけない。ロシアは

E-mail: jp@rbth.ru  ホームページ: http://roshianow.jp 電話: +7 (495) 775 3114 ファ クス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2012, FGBU «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.

天 然 資 源 で 確 保 さ れる 0・4 9 人、 カナダ北 部の この地域における自然なバ

本紙は8面ともロシア政府発行紙「ロシア新聞」により制作、発行されたもの で、文責は「ロシア新聞」が負っています。  本紙の記事は個人的に使用する場合を除き、その転載、転売、譲渡はすべて、 「ロシア新聞」の文書による許可なくしては禁じられています。記事や写真の利 用を希望される方は、下記の連絡先までお申し込み下さい。

の %ほどは、ウラル以東 能 な プロジェクトにばかり 岸に街を築き、またアメリ の対策を講じるべきだ。

編集兼発行 ユージン・アボフ Eugene Abov 編集デスク アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova 編集アシスタント ナタリア・ススリナ Natalia Suslina 電子版編集 セルゲイ・パシェンコ Sergey Pashenko デザイナー   アンドレイ・シマルスキー Andrey Shimarskiy 編成担当 ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya レイアウト イリーナ・パブロワ Irina Pavlova サブ編集者 三瓶良一 ゲスト編集者 飯島一孝 インフォグラフィック ガイア・ルッソGaia Russo、 ナタリア・ミハイレンコNatalia Mikhailenko、アントン・パーニン Anton Panin  写真 ダリア・コジレワ Daria Kosyreva 広告 ユーリア・ゴーリコワ Julia Golikova

カ人と同時に、そこまで鉄

ナタリア・ミハイレンコ

ロシアでは地 下 鉄 やバ 人は日 本でプリペイド方 いい﹁お土産﹂となってい 無料の公衆トイレがどこ アの空 港で売っている 商 でした。 本当にすばらし

編集スタッフ

にでもありました。ロシ 品の値段は市中の2∼3 い2週間でした。

「ロシア新聞」 の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する特殊折 り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています:  毎日新聞(日本) 、  中国ビジネスニュース(中国) 、  サウス・チャイナ・モーニ ング・ポスト(中国・香港) 、トゥデイ(シンガポール) 、中央日報(韓国) 、エコノミッ ク・タイムス(インド) 、NAVBHARAT TIMES(インド)シドニー・モーニング・ヘラ ルド(オーストラリア) 、ザ・ワシントン・ポスト(アメリカ) 、デイリー・テレグラフ (イギリス) 、ザ・ニューヨーク・タイムス(アメリカ) 、ウォール・ストリート・ジャー ナル(米国) 、ラナシオン(アルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、 エル・オブザバドール (ウルグアイ) 、フィガロ(フランス) 、南ドイツ新聞(ドイツ) 、 エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプッブリカ(イタリア) 、ルソワール(ベルギー) 、ヨー ロピアン・ボイス(ベルギー) 、ドゥーマ(ブルガリア) 、ジオポリティカ(セルビア) 、 ポリティカ(セルビア) 、ELEUTHEROS TYPOS(ギリシャ)

で 採 掘、 生 産 さ れ た 商 品 投資しようとしている。

チェリャビンスク近郊での  最も使用頻度の高い言語 隕石落下は、瞬時にトゥイッ 上位 12 を合計すると、メッ ター上の話題をさらった。 セージ数は約 200 万に達し  ロシアのインターネットの た。 ユーザーは 47 万 7000 もの   国 別 で 見 ると、 一 番 多 空前の数のメッセージを残し、かったのはもちろんロシアで、 一日あたり約 10 万ずつメッ 47 万 77000。 2 位 は、 自 セージが増えていった。 然災害が他人事でない日本  英語のネットでも関心が で 33 万 以上。 次 いで 米 国 高く、ソーシャルネットワー の 11 万2000、スペインの クやブログで計 44 万 3000 4万、イギリスの3万 4000 のメッセージが掲載された。 と続いた。

たが、それは本当でした。 SIMカードです。外国 イを買いました。 今では うです。 それと日 本には は空 港の物 価です。ロシ どもたちの笑顔がいっぱい

のです。必ずしも「ロシアNOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。

税収の少なくとも4分の1 0・0 3 人 よりもはるかに ランサーであって、 中 国の

本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、

だが、 シベリアがモスク はこの地域の発展に割り当 高い。問題は人の使い方だ。 忠 実 な 従 者ではないのだ。

ブズグリャド紙

スの車 内、 カフェな どあ 式のカ ー ド し か 買 え ず、 ます。

漫画による風刺などは、様々な意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたも

07

第三に、シベリアは現在、 道を貫通させた。

ニュースサイト 「Russia.ru」 (ロシア通信)

︻ベドモスチ紙抄訳︼

メールのあて先は jp@rbth.ru です。 お気軽に日本語でメールしてください。

29

からだ。 政府がシベリアを 巨 額の公 共 投 資 を 必 要 と

普通の隕石だ

突破口的解決は困難だが

アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa ウラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin

編集委員会長  社長   編集長

速で大気圏に突入してくるが、 高密度の大気圏との衝突は、 要するに壁に激突するような ものだ。 その衝撃で爆発が起こる際、 大気圏中で完全に木っ端み じんにならず、 破片が地上 に降り注ぐこともある。  軍が誤射したミサイルだ という説も耳にしたが、これ は普通の隕石で、巨大な運 動エネルギーをもっていた のだと思う。  隕石がある時点で爆発し たのも十分説明できる現象 だ。隕石は毎秒約 10㌔の高

さ らに、 環 太 平 洋 地 域

ネットで反応は露日米の順

38

によってもた らされている

お手紙をお寄せ下さい

ロシアの団塊世代 ニコライ・ジェレズノフ・ロシア科学アカデミー応用天文学研究所上級研究

13

20 11

21 全ロシア世論調査センター

34

25

2013 年 2 月 15 日、ロシアのウラル南部、チェ リャビンスク市近郊で、現地時間午前9時 20 分 に、高度 1 万5千∼2万5千㍍で隕石が爆発し た。これは有史以来、負傷者数で空前の隕石落 下となった。衝撃波による負傷者は 1586 人に 上り、その大半は破損したガラスのかけらによる ものだった。様々な報道を総合すると 40 人から 112 人が入院し、うち2人は重傷で、集中医療 室で治療を受けた。

13 年ぶりの日本

2月 15 日のチェリャビンスク近郊での隕 石落下について全ロシア世論調査センター のアンケートによれば、地元住民の反応は さまざまだった。46%は政府が一部の情報 しか公開していないと考えているほか、隕 石落下ではなく、軍事演習か UFO の事故 だったとする意見もあった。

26

70

81

70

90

ロシア通信 アレクサンドラ・シェヴェリョワ

80

発展させるつもりなら、こ しており、 その課 題をしっ ワの管理下に置かれた従属 てるようにする。これによっ

チェリャビンスクの隕石

驚きいっぱい チェリャビンスク住民の 隕石への反応

22

30

75

ロシアの 論調

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ロシア NOW 2013年(平成25年)3月14日(木)

5 オピニオン


スタ ー リ ン グ ラ ー ド 第 二 次 世 界 大 戦で独ソ両 軍が死 闘を展 開したスターリン

戦死者を悼む

グラード攻防戦がソ連軍の勝利で終わった1943年2月2 日から 年。ロシア国内およびドイツを含む世界 カ国から 約1200人の来賓が2月2日、ボルゴグラード︵1961 年に改名︶の共同墓地に眠る戦士たちを追悼する集会に参加 リングラー ドは 永 久に ちの資 料 な どが展 示 さ サートであった。 離 れること な く、これ

フボロス ト フス キ ー らの歌 を どこで歌 お う

ロシア民 族の不 屈 と 結 れている。 スター リングラ ー ド さんは﹁私は戦 争や歌 と、 常 に わ き 起って き この日の行事は、ママ

の退 役 軍 人や子 供た ち や自 分の家 族の歴 史に ます﹂と話した。

2 月 初 め、 パノ ラマ にとって 何 よ りの 贈 り ついての話 を 聞 か さ れ

けることでしょう﹂。

束のシンボ ルであ り 続

した。 だが、 誰よりも誇りと悲 哀を感じたのは、 家 族 連れ たに違いない。 ︻クセニヤ・ブルメンコ︼

で子供たちとともに永遠の火を訪れた2万人の市民たちだっ

攻防戦を見る

1943

1 月 10 日  ソ連軍は 「輪の作戦」を 展開し、市境界の内側に残存する 第 6 軍を包囲し、壊滅させた。

1 月 17 日∼ 22 日  攻撃が中止 され、ソ連軍は再編成される。1 月 22 ∼ 26 日に展開された新た な攻撃により、ドイツ第 6 軍は 2 つに分断された。

発 の一斉

モルダソフ撮影、写真下=タス通信、ロシア通信撮影

いを は せ る 射撃だった。

30

た 生 者 と 死 者 た ちへ想

ボルゴグラードはま 校 生 がパレードに参 加 高い道 義 的 かつ精 神 的 博物館では、﹃みんなに 物 と なったのは、 数 々 て育 ちました。 痛みを エフの丘 での 祝 砲 で 幕 を閉じた。町、国を守っ

のパウルス元 帥 を 捕 虜

12 月 25 日  4 万の兵士を失ったド イツ軍は撤退を余儀なくされた。

Interfoto/VostockPhoto 撮影

1 月 31 日∼ 2 月 2 日  パウルス

さに骨の上に築 かれた した。先頭は、例によっ な勝 利、 憎 悪や敵 対や 勝利は一つ⋮﹄という展 の戦 時 中の歌 を 歌い上 覚えるのはきっとそのせ 町で、 市の中 心 部の英 て、 正 式のシンボ ルで 侵 略 に 対 す る 愛 国 心、 覧 会 が開 幕 した。 そこ げた 有 名 なオペラ歌 手 いでしょう。 悲 哀 や 共 雄並木通りには共同墓 ある 勝 利の旗のコピー そして祖 国 愛の勝 利 も には軍 服や武 器、 戦 利 ド ミ ト リ ー・ フボロス 感 や同 情の耐 えがたい 地 があり、 その上には を掲 げる旗 組。 そのあ 収められました。スター 品や日 用 品、 防 衛 者た ト フス キ ー さ んのコン 感 覚 はけっして私 か ら 永遠の火が灯っている。 とに、スターリングラー ママエフの 丘 は 巨 大 ド攻 防 戦に参 加した四 な墓地で、 母なる祖国 つの戦 線 の旗 を 持つグ 像の下にはスター リン ル ー プ、 特 別のパレー グラードが再 建された ド服をまとった儀仗兵。

遺体が眠る。

そして、 年 前に赤 時に町 中から集められ  の兵 士 た ちがドイツ た3 万6 千 人の戦 士の 軍 戦 没 兵 士 広 場 に 集 にし た と きに着ていた

共和国に暮らす約

万人

ロシア 連 邦 最 大のサハ

語である。

ワシ人 が 話 す チュル ク諸

孤立や同化で

ロシア連邦には1・5億

人の話 者 がいるロシア語

者 がいるケット 語 な ど 約

や、 1 0 0 0 人ほどの話

る。 そ れは 北 カフカスの

ダゲスタン共 和 国 だ。 中

て危 機 的な状 況が見 られ

世のアラブ人 は カフカス

め、 むやみに都 市へ移 住

も う一つの言 語 の消 滅

させることはできない。

の原 因は、 地 元 民との平

を言 語の山と呼んだほど

で、 比 較 的 小さな、 人の

入りやすい領 域に約

ロシアに存 在 する 正 確

和的な同化である。

な 言 語の数 は 明 ら かに

語が存在する。

共 和 国の憲 法によれ

なっていない。明確にでき

ない理由は二つある。

語 系のサハ語の消 滅 を 懸

している間に﹁X﹂語の話

住 地に再 調 査に行こうと

以前調査した﹁X﹂族の居

文 字 のあ る

実 際にはロシア語 を 含 む

言語とみなされているが、

一つ目は物質的理由だ。 ば、 すべての言 語 が公 式

だがロシア語と一部のチュ

念 する 必 要 はない。 サハ

2 5 0 言 語 が 存 在 する。 のヤ クー ト 人 も チュル ク

ではサハ語の本 が 出 版 さ

言 語 し か、

滅の危機にひんしている。

ルク語 以 外の言 語は、 消

え ら れ、 マスコ ミで サハ

者 に 変 わっていた り、 絶

者が同語源語﹁Y﹂語の話

いない。 他の言 語の話 者

公 式 言 語として機 能して

変わりやすい。

フ語の文 化 的 自 治を認め

東 カフカス語 族のボ ト リ

ボ ト リフ人 はアバール人

てき たのに、 依 然 として

独 立 言 語となっているが、 るよう請願書が提出され

二つ 目 は 理 論 的 理 由

村では、 ボトリフ人と北

ダ ゲスタンのボ ト リフ

向である。

さ れていくのが一般 的 傾

民族︵アバール人︶に併合

居住者︶は、より強大な

滅 していたりと、 状 況 が ︵ 小 さ な 村 や 集 落 な どの

れ、 学 校でもサハ語 が教

これが少 数 民 族の言 語

語が使われている。

ロシアの 言 語 は、 この

国の不思議である。

ロシア語 自 体 が不 思 議

な現 象を生 んでいる。 世

界 有 数の文 学が極めて短

と な る と、 話 は 変 わ る。

多 くの場 合、 厳しい気 候

条 件が言 語の維 持に悪 影

響を及 ぼす。 極 寒の地 域

その後 方 言が生まれ、 そ

その結果、6000 人ほ

と し て 数 え ら れ ている。

どの ボ ト リフ 人 の う ち、

の方 言がさらに独 立 言 語

会 話をする種 族が厳しい となる。 20 10 年の調 生活を送るようになった。 査で最 も 人 口の少 な かっ

ボトリフ語を話せる人は

別な食 事、 また多くの人

これらの遊 牧 民は、 特

区のケレク人で、 わ ずか

た 民 族 はチュクチ自 治 管

では、 文 字のない言 語で

だ。 多くの言 語が最 初は

チュルク語は安泰

西 欧とは異なる独 自の散

い 期 間 で 生 ま れ ている。

文が登 場してから、 最 初

の発 達 し た 近 代 文 学 が

出 版されるまで、 わずか

1 0 0 年 強 しかかかって

な期 間にトルストイやド

いないのだ。 このわ ず か

ストエフスキーやチェーホ

ロシア語は出 版 物 が多

フら文豪がいる。

く、 外 国で関心を持たれ

ているな どのた め、 将 来

約 2 0 0 人 まで減ってし

まった。︻ドミトリー・ス

50

にとって無害なウイルスへ

文 字のない言 語の話 者

4人しかいなかった。

の耐性のなさなどにより、

ロシア語を母語とする人

心 していいのが タター ル

ロシア国内の言語

ホドリスキー︼

約1億 6700 万人

が暮 らす地 域では、 極め

250

が ド イツ製 なので、 特 んだ。 携 帯 電 話にもホ

さんのものだった。﹁車 な 配 色に沿った 色 を 選

う アイ デ ア もマクシム ケッチを 描 き、 伝 統 的

フロマ模様をつけるとい ズを 手に入 れ、 自 らス

し た。 ボ ンネット にホ 年、 シボ レー・ クルー

にB M W を プレゼント れ た かった と 話 す。 昨

生した記 念として、 妻 ら、 ホフロマ模 様 を 入

数字あれこれ グジェリは

の刺 しゅう が ほ どこさ

エフゲニヤ・アルペエ れた ジーンズやスカ ー

す。

ロド 州の大 きな 商 業の 冷 蔵 庫にまで模 様を入 を 加 えた かった﹂ と 話 貼 り 付 け、 ホフロマ柄

アレクサ ンド ル・ ラ

世 紀 に 村、 ホフロマ村 に由 来 れてしまった。

﹁ 古 き 良 き 時 代 ﹂ の イ ス さ ん は 模 様 入 り ワ さ ん はロシアの ラ ー フを身につけている。︻ソ

グジェリという 名 称 は ニス・シマチョフ氏 が、 様 に は、

万 ㍔︵ 約

る。シマチョフ氏がアエ 人 々 がこの車 を 見て笑

ホフロマは 木 製 食 器 ログラフィのほどこされ 顔になった時の感動が一

女 性 が身につけるよ う だ。新しい形態でグジェ イ ク・ ド ゥカ ティ、 限

ナタリアさんの

的 なスカーフを、 若い に 描 か れ る 多 色 模 様 た 自 動 車 ポ ルシェと バ 番重要だ﹂と話す。

メー ジが 強 かった 伝 統

のか ぶ り ものというイ 絵柄は鳥と花だ。

の 話 だ。 高 齢 の 女 性 に由 来する。 伝統 的な 掛 けたと 考 えられてい んは﹁ 街でた くさんの

こった のは、 ここ 数 年 モス クワ 州 グ ジェリ 村 表した2007 年に仕 る。 アレクサ ンド ルさ

このよ うな 現 象 が起 陶 器 が生 産 されている 春 夏コレクションを 発 135万円︶かかってい

す人々が歩いている。

アや ジーンズを 着こな 描かれているのが特徴。 のデ ザイナーである デ た。 車 体 のホフロマ模

う 入 りのス ポ ーツウエ にコバルト 色の模 様 が 流 行 は、 有 名 なロシア の ポ ル シェ を 購 入 し ダを 所 有 していた 時 か フィヤ・ラエフスカヤ︼

W が走り、 伝 統 刺しゅ 手工 芸 だ。 真っ白な地

模 様のポルシェや B M 生 ま れた 古いロシアの する。

ス クワの 街 を ホ フロマ

様 が 復 活 している。 モ だ。

ロシアの伝 統 的 な 模 ホフロマとグジェリだけ う 名 称 はニジニノブゴ 心はこれに飽きたらず、 別 なロシア ら しいもの フロマ模 様 のシー ル を

「ミイ ティイミム ラタム」

まった 人 々の中に、 息 軍 服に身 を 包 む 三つの

11 月 19 日∼ 23 日  ソ連軍は「ユ ラヌス作戦」とよばれる反攻を開 始した。

50

マリ語

は安泰だろう。 同じく安

コミ語

古さ取り入れが流行

「ミン ヒネ ヤラタウ」

戦 時 中には戦 線に個

「ミン シン ヒナラ」

子のミーシャとワーニャ パレード分隊が続いた。

バシキール語

都 会 生 活になじめないた

ハカシア語

人、 バシキ ー ル 人、 チュ

「ギムナン グィッチ イルヌ リニッ ク」

れた オレグとナタリヤ 別の旗はなく、 数 十 年

コリャーク語

とともに永 遠の火を訪

「ビ チ ヅルタボルフ」

もいた。 オレグさんは 特別に縫われた。 スター リングラー ド

「セ ウエ ラグン」

言語消滅の危機に

外車にホフロマ模様

カルムイク語

のメ ド ベー ジェフ 夫 妻 後に祝 賀 行 事のために こう語る。

誇りと悲哀 ﹁スターリングラード 攻 防 戦に参 加した赤 軍 族 にとって 大 切 な 日 で 今もパノラマ博物館﹁ス

の勝 利の日 は う ちの家 部 隊 の 本 物 の 軍 旗 は、 す。 私 の 祖 父、 フョー ター リングラー ド 攻 防 ドル・ジェドービチはマ 戦﹂の大勝利の間に保管 その軍 旗 が 大 勝 利の

マエフの丘で戦い、 彼の されている。 部 隊は列 車からそのま ま戦場へ送られました。 間 か ら 運 び 出 されたの 間でしたが、 祖 父は負 退 役 軍 人た ちに祝 辞を

その戦 闘はわずか2 時 は、 プー チン大 統 領 が 傷 し て 病 院へ運 ば れ、 述べた 2 月 2 日の追 悼 後 にベル リンに至 り ま 集 会の時 が 初 めてであ プー チン氏 は、 挨 拶

し た。 も う一人の祖 父 る。 はレニングラー ド 近 郊 た。ですから、これは、 リングラー ド 近 郊での

で非 業の死 を 遂 げまし でこう述べた。﹁スター 私た ちの記 念日、 私た 私 た ち の 軍 隊 の 勝 利、 ちの喜 びと 誇 りなので それは 軍の歴 史にお け る最 高の勇 気と英 雄 的

8 月 23 日  ルフトバッフェが市を 標的に集中的な空襲を展開し始 めた。市中心部ががれきと化し たため、両軍は接近した市街戦 に突入せざるを得なくなった。

50

ンドとなっているのは、 ら れ た。 ホ フロマとい うになったのだ。 遊 び 20 0 9 年に息子が誕

写真を見る www.roshianow.jp/ 41381

す﹂。

「ビシャマイ ヅ ‒ ルラハ」

15

タス通信撮影

14

ロシア国内でルシャニ語 ダゲスタン共和国で話さ (イラン系)を母語とする れている言語 人(2010 年の国勢調査)

エレーナ・ポチョートワ撮影

6 5 0 人の南 部 軍 管 精 神の実 例の一つです。

カバルダ語 16

写真を見る www.roshianow.jp/41737 周年で、ボルゴグラードの代わりに 「英雄都市スターリン グラード」を使用することを決めた。 写真上=ミハイル・ の大量追放の始まり」 と記された。上はスターリングラー ド攻防戦での戦死者を追悼するボルゴグラード市民。ボ ルゴグラードの市議会は、スターリングラード攻防戦 70  戦闘中に多額の損失を被ったソ連にとって、スターリ ングラード攻防戦(写真下)での勝利は、1945 年のドイ ツに対する最終的な勝利へと続いた「侵略者のソ連から

ロシアの少数民族

になった。 現 代のト レ リよりも人 々に気に入 定版アイフォンを持つよ 夫 の マ ク シ ム さ ん が

▼こんな具合

区の軍人、ボルゴグラー け れ ど も、 スター リン

7 月 17 日   スターリングラード市 近郊の、ドン川が屈折してボルガ 川に最も接近する部分から、ドイ ツ軍が攻撃を開始した。

「メ ラデイト テネ」

45

学 生、コサック幼 年 学 勝 利 ばかりでな く、 気

1942

ブリヤート語

スターリングラード攻防戦の 70 周年の記念にちなんだスライド ショーはこちらで。 元帥が指揮する第 6 軍が投降し、 ドイツ陸軍北方軍集団が降伏。9 万人以上が捕虜となった。

70

ド 内 務 省 アカデミーの グラードでは軍 事 的 な

壮絶な市街戦

ロシア連邦の言語で「アイ・ラブ・ ユー」の言い方。

攻防戦 70 年 スターリングラード攻防戦

愛のお国言葉

70

社会 6

2013年(平成25年)3月14日(木)

ロシア NOW www.roshianow.jp DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN SECTION SPONSORED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA


昨年から世界一周航行を続けているロシアの大型帆船 ﹁セ ルチェンコ船 長を訪れ、 ク を 出 港 し、 全 行 程 1 8 0 4 年、ロシア使

ド フ号 のニコ ライ・ ゾ にサ ンクト ペテル ブル は 歴 史 的 な 縁 が あ る。

港したほか、 1 8 53

思い出の甲板ライブ

イリヤ・ラグテンコ氏︵ ︶ ロック歌手

ロシ アの 有 名 なロッイ ン タ ビ ュ ー

ク・バンド﹁ムミー・ト

ロー リ﹂ のリー ダー を 務 めるイリヤ・ ラグテ ンコ氏︵ ︶は、セドフ

な 行 為 が あった と して

かつては、 モス クワ  感 情の高 揚と創 造 的 で

も、 今では、 モス クワ

のあの悪 名 高い交 通 渋

滞よろしく、 停 滞して

いる感じがします。

は、いく ら 悪 口をたた

その逆に、 ウラジオ  ト クの交 通 インフラ ス

たり、 当 局 がテロを 警 中 心 都 市 の 一 つ に な ルを与えたのです。

号 で 世 界 の 旅 を 続 け、 世 界 周 航 は い か が ることになっていたので ジ ア 太 平 洋 地 域 に お か れていて も、 この 街   す か? 長 崎 で の 歓 すが、いきなり雨が降っ い て、 経 済 と 文 化 の に 驚 くべき ポ テ ンシャ 新 しい英 語 版 アルバム で ﹁ウラジオストク﹂をプ 迎はどうでしたか?

聞社と毎日新聞社共催 リオの音 楽の管 弦 楽 版 から、 忘 れられないラ を 有 していると 信 じて

しています。

にさまざまな都 市を旅 私は後 者に近いわけ  すが、 それでも、 私 で

私自身は幾多の変化 ました。1980 年代 たる まで、 実にいろん ロモーションしている。 長 崎 名 物の龍 踊りの 戒 したりしていた 関 係 ると思いますか?   目の当 た りにしてき 末 の 中 国 も 訪 れ た し、 な 分 野 で 働 いている、  か、 子 供たちの和 楽 で、 すごく即 興 的なも ラグテンコ氏 は 東 京 ほ 私は、 ウラジオスト を で開 催 されたロシア新 器 合 奏 や、 スーパーマ のにな り ま した。 です   クが特別な歴史的意義 欧米もさまざまな時期 と言いました。

ラム﹂ の分 科 会にもビ してくれたりと 盛 り だ たと思います。 くさんで、 十 分な文 化

た だし、この地 域の   経済と文化がどんな基

の﹁日本・ロシアフォー を自 分たちで作り演 奏 イ ブコンサ ー ト になっ います。 デオ参加した。

日、日本初寄港として長崎港松が枝国際 帝 政ロシア時 代の北 途中だ。 極探検家、ゲオルギー・

セドフ号自身も

戦争・日本海海戦で海 のも長崎だった。

ロシア 北 西 部 ム ルマ に沈 ん だロシア・ バル

学 生 約 1 4 0 人 が 乗 は香 港、 シンガポール されたという 歴 史 を 持

ます。 政府は共産党イ

あ な た は、 ウ ラ ジ 盤の上に築 かれるべき セドフ号 が寄 港 した 交流ができました。   ス ト ク 出 身 で す が、 かという点については、 長 崎でラグテンコ氏に 長 崎 入 港の翌日に甲 オ   聞いてみた。 板 上でコンサー ト を す ウ ラ ジ オ ス ト ク が ア 政 府と見 解が全く違い

デオロギー、 それから

ぺレス トロイ カ を 押 し

知ることができる﹂と胸 ワド 社のよ うな 老 舗の クー チス氏 は 考 えてい

アジア太 平 洋 地 域の中 だけでなく、 音 楽の創

その私の目から見る の中 国と中 国 語の知 識  、ウラジオストクは、 は、コミュニケーション と

にあって、 とて も 面 白 造 の助 けにも なってい

い。 ウラジオスト クは ます。

一筋 縄 で は い か な い、

すると思いますか?

国の関係発展に寄与

日 露 フ ォ ー ラ ム は、  に文化の分野で、両 せることは 間 違いあり 特

ユニークな将 来が見 通

ません。

このよ う なフォー ラ 極東は、アジアの言   教 育 と 研 究 の メ ッ ムは要 するに、 輸 出で 語

カ で、 あ な た 自 身、 きるような優れた文 化

中 国 の 専 門 家 で す。 作品や潮流を国が支援

ね。 特に現代美術と現

極 東 の 教 育 の 水 準 は する プログラムです よ

どうでしょうか?

国史の先生が受験生た 的に極 めて近 く、これ

私が東洋学部を受験 代 音 楽が対 象になりま  ようとしたとき、 中 す。 露日両国は、 地理 し

ちに、 う ちの学 部の卒 だけでも、 ずい分 相 互

業 生 は、 外 務 省 か ら 理 解を容 易にしてくれ

サ ー カ スの ピエロにい ますよ。

%以下だが、ヨーロッ ン・ ト ゥー・ ト リップ

%。 フォー 社は近 く、 ホテル予 約

こ の 市 場 の 競 争 は、

社の航 空 券の存 在を調 によれば、 20 1 1 年 針だ。

べ、一番 有 利 な 価 格 を のオ ンライ ン・ ツー リ

億 ㌦ だっ 品 数 だ け で な く、 機

年の予 測では 能 やスピード、 新 たな

選 び出し、 旅 行の時 間 ズム 市 場は

億 ㌦に達 する。 そし サ ー ビスの面でも 行 わ

を教 えてくれ、 具 体 的 たが、

な便の遅 延 統 計を出し

に 変 わ る チャン ス は、

てその半 分 以 上が航 空 れる。 同 社 がリー ダー

︻アリーナ・ウコロワ︼

今 後、ロシアのド ル まさにここにある。

だが、 同 社の成 長に 券なのだ。

てくれる。

は 別の理 由 も ある。ロ

シアのト ラベル 市 場 の 箱 市 場 を め ぐ る 戦 い

roshianow.jp/ startups

望峰を回り北上、7 月 にサ ンク ト ペテル ブル クに戻 り、 世 界一周 を 港

達 成 する。この間の訪 カ国・

ドフ﹂ 号が2月 歓談した。

セ ドフにちなんで命 名 にウラジオスト クを 出 が浦 賀 沖に姿を現し黒

セドフ号は2 月4日 年にはペリーの米 艦 隊

市内観光や市民との交流行事に参加した。 同時に長崎とロ

のための実習帆船。3日間の長崎寄港の間に乗組員たちは されたセドフ号は、 4 港 し、 韓 国・ 釜 山 港 船 騒 ぎを 起こしてまも

も行われた。 また田 上 建造され、 第二次世界

3 日 間の長 崎 滞 在 中 富 久・ 長 崎 市 長 が セ ンスクの国 立 技 術 大 学 チック艦 隊の戦 死 者に 1 9 2 1 年にドイツで 員 養 成の海 洋 大 学の

に 所 属 し て お り、 船 黙とうを行った。 晴天の下、海を渡るセド

日 を経てインド 洋から喜 つ 歳の高齢の船だ。

員 とと もに5 月

長 崎を出たセドフ号 大 戦 後にソ連に引 き渡

きな4 本マストの骨 組 に乗員、 実習生は市内 料 館などを見 学したほ

みだけからもセドフ号 の 平 和 公 園、 原 爆 資

れでも今では珍 しい大

ての入 港 だった が、 そ 露された。

規 定により帆を下ろし 生 徒による龍 踊りが披 屋で市 民たちと交 歓 会 に登録されている。

セドフ号は長 崎 港の 鶴鳴学園長崎女子高の れた。 夜は市 内の居 酒 大の帆 船としてギ ネス に、 1 90 5 年の日 露 交 を 求 めてやって き た

1 1 7・5 ㍍で 世 界 最 対馬海峡を通過する際 チンのロシア 艦 隊 が 国

本マストを 持 ち、 全 長 に入る前 日の6 日には な くの時 期 にプチャー

シアの関係にも思いを寄せた。︻三瓶良一︼

されているセドフ号はプロの船乗りを目指す学生の船員養成

8 万3 000 ㌔の旅の 節 レザノフが 出 島に来

観光埠頭に接岸した。 世界最大の帆船としてギネスに登録

セドフ号長崎寄港 問先は約 30

ロシ アの 船 と 長 崎

にのぼる。

20

フ号 =セドフ号プレスサー ビス提供

もっと読む www.roshianow.jp/ 41471

付け、 その後は、 新 興

財閥の牛耳る経済構造

を強いました。

でも、 どうやら落 ち   着 くべきところに落 ち

着 きつつ あ る よ う で、

私は喜んでいます。

アジア・ 極 東で起 き  いること と、 ウ ラ ジ て

幸 運な組み合わせであ

オスト クの地の利 とは

り、これを 発 展 させて

いかない手 はないと 考

えています。

は、 クライ アントに す

現 在、ロシアでは イ べてを一つの窓で提供で

成 長の秘 密はサー ビ ン タ ー ネ ッ ト 経 由 で きる旅 行 社 間でくり広

接 続 を 調べる だ けでな 4000 枚の航空券を は700枚だった。

べての搭 乗 可 能 な 便 や プ社は現 在、 1 日に約 1日に販 売した航 空 券 巨大な潜在力だ。

ワン・トゥー社

の雄大さが際立った。 歓 迎 行 事では地 元の か、ロシア人 墓 地 を 訪

寄港記念エッセー

1位に園田さん 編 集 部 の 選 考 の 結 果、

ロシアN O W サイ ト シアに興 味 があるか﹂。 ︶はセ roshianow.jp

ド フ 号 の 長 崎 寄 港 を 日 本 人 とロシア人の性

︵ 記 念 して読 者 か らエッ 格には共 通 性 があるこ セー、写真を募集した。 とについてつづった園 田 写真﹂のほかに﹁なぜロ ばれた。

テーマは﹁ロシアっぽい 寛 志 郎さんが1 位に選

意外と似ている!

クルシュー砂州

座 席と座 席の間 隔さえ アゲント・ ルー 社 やア スの 利 便 性 に あ る と、 販 売 される チケット は げ られる。 そのた めワ

く、機体の使用年数や、 販売している。これは、

イリヤ・ラグテンコさんが日露フォー ラムの文化・スポーツの分科会に寄 せたビデオメッセージが見られます。

ロシア人と日 本 人の精 神 構 造は、 かなり

もっと読む www.roshianow.jp/travel

ビデオを見る www.roshianow.jp/41667

見た目は西 洋 人 だが、この極 東で国 境を

利 用 客 が単に目 的 地 まで飛 ぶだけではな く、 快 適に空の旅をし

分科会にビデオ出演

似通っているのではないかと思っている。 接している小 国日 本と、 地 球3 分の1 周に もまたがる広大なロシアの、それぞれの国民 思議な感じがしている。

がなぜ精神構造が似通っているのか、実に不 興味深いのは﹁控えめな性格﹂だ。アメリ カ人の﹁パーティー好き﹂な性格を鑑みると、 その対岸にいるロシア、日本の両国の国民性 が、 実は同じ側にいることが分かる。 奥 ゆ かしく、 時に抑圧的な歴史を背景に持ちな アジアを代表していそうだが、アジア諸国の

がら、西洋にもなりきれないロシアと、極東 中で少し浮いているような日本の、それぞれ の国民性が﹁控えめ﹂な点で似ていることに、 両 国がより近 づけるヒントがあるような気 がする。

たいと願っている現 在、 これ ら すべての希 望 を

数 字に匹 敵 する。 1 年 る。 プログラム が 自 ら パでは 約

50

ワン・トゥー・トリッ 前のこの時 期に同 社 が 世界の航空会社500 カスライト 社のデータ サービスを接 続 する方

を張る。

15

世紀以降、両国は数奇な運命で対峙︵た いじ︶しているが﹁仲が悪い、性格が似た兄

かな える ビ ジネスを

スピード電子予約 第2回

= AP 撮影 ロックグループ 「ムミー・トローリ」

1.社名:ワン・トゥー・トリッ プ・トラベル・エージェンシー 2.サイト:onetwotrip.com 3.サービス紹介:航空券の 速く簡単な購入手段 4. サービスアピール:特 定の航空会社の遅延、座席、 機体情報などを提供 5.サービス始動:2011 年 9月 6.強み:市場の最良価格 を提供。ロシアの予約システ ム市場の急成長(年間 70%) 。

し たい︱︱。 ピョー ト 前、この思いか らe チ

ル・ クーチス氏は2 年

トゥー・トリップ社﹂を

ケット販売会社﹁ワン・ 設立した。 クーチス氏は﹁クライ アントは最 大 限のサー ビス を 享 受 す べき だ。 わが社のサイトで、 す

製品情報

弟﹂を仲直りさせる手だてはないものか?

砂丘とツンドラを併せ持つ

23

愉快なアネクドートで、 我々の不幸な  歴

絶景!ロシアの天橋立

12

史を笑い飛ばせる日が、 来ることを待 ち望

44

「ムミー・トローリ」

ウラジオストク面白い 航海中に新曲を製作

ロックグループ「ムミー・トロー リ」は、日本でも人気のロックグ ループで、札幌でのライブ公演 の模様はNHKでも衛星中継さ れた。  1983 年にウラジオストクで結 成され、かつてソ連当局に「最 も危険なバンド」のレッテルを貼 られたこともあった。  ヒット曲に「ウラジオストク 2000」などがある。  ボーカルのイリヤ・ラグテン コさんは、極東国立大学(現極 東連邦大学)の卒業。元々は中 国専門家で、日本関係の著書も ある。  ミュージシャンたちは、帆船 セドフ号で航海しながら新しい アルバムをレコーディングしてい る。

45

んでいる。︻園田寛志郎︼ 写真を見る www.roshianow.jp

読者へのお詫び

92

44

11

の方々のセドフ号訪 問が実現しませんで した。皆様にご迷惑 かけたことをお詫び します。

これが世界最大帆船

世界一周航海 20

セドフ号記念エッ   セー・コンテストを 実施しましたが、主 催 者 側に不 手 際 が あったために、 入賞

20

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ロシア NOW 2013年(平成25年)3月14日(木)

7 旅行

セドフ号の航路。航海は 14 ヶ月で、21 ヶ国の 30 の港に寄港する。


病院、ロシア最初の水道。モスクワにあるこれ

宇宙船を発明した技師の家、伝説的な精神

当時の趣を今に伝える   らの施 設は、いずれも旧ソ連 時 代に最 先 端の 技術で作られ、 当時は高く評価されたものば かりだ。ソ連を知 らない世 代が増 えてきてい る中、 現在も、 数は多くはないが、 見学に来 る人た ちに当 時の社 会の雰 囲 気の一端を静か

テレビ﹁ルビン﹂。テレ

に伝えている。 ︻マリア・デグチャリョーワ︼

コロリョフの家 旧ソ連の宇 宙 開 発 指 導者セルゲイ・コロリョ フの記 念 住 居 博 物 館は 地 下 鉄 ベー デンハー 駅 近 くのモスクワ市 宇 宙 このしゃれ た 端 正 な

地区にある。 二 階 家が初の人工 衛 星 成 功 の ほ う び と し て、 ソ連政府が主任設計者 コロ リョフに 贈った 家 だ。 住 居 博 物 館の中のも

ビのスイッチを 入 れる

と、 人類最初の宇宙飛

行を伝えている。 ﹁コロリョフ家はとて

も 客 好 き だった。一番

宙 飛 行 士のガガーリン

よく訪ねてきたのが宇

だった﹂と館長のフィー

第 1 オス タ

リナさんは話す。 住所

ンキンスカヤ通り 開 館日

水 曜 ∼日

地 時まで

曜の 時から

愛媛県松山市にある﹁坂

日、 企画展 ﹁ハーグ万

長は﹁博 物 館はそれを

ジー・シュミロビッチ館

接 してきた。 アルカー

患 者に間 違った 態 度で

偏 見 もあり、しばしば

に関する国際法が初めて定

戦争捕虜や負傷者への対応

ハー グで 第 1 回 が 行 わ れ、

1 8 9 9 年 に オ ラ ン ダの

帝 ニコ ライ 2 世 の 提 唱 で

万 国 平 和 会 議 はロシ ア 皇

が松山市に滞在した。

展 示 品にはロシア人 捕 虜

が 製 作 したバラライカ、 バ

イオリン、 絵 画 な どに加 え

た日 本 人の製 作による月 琴

て、ロシアで捕虜生活を送っ

ま た、ロシア人 将 校 と日

や三味線も含まれている。

本人看護婦の名前が刻まれ

たロシア帝 国 金 貨 も展 示さ

愛媛県東温市にある﹁坊っ

れている。

ちゃん劇場﹂が昨年秋、この

金 貨 を もとにし た ミュー ジ

カル﹁誓いのコイン﹂をモスク

て、それが原因ですね。 ません。 だから、 何 か

我 々 がロシアで興 行 す を 仕 掛 けなければいけ

ることは、 当 然 ビジネ ない。

スでも あ り ま す が、ロ

下記のアドレスまで

編集長にお便りを

sales@rbth.ru

jp@rbth.ru

かったか?﹂など患者に

ついての質 問 が 並 んで

の上の雲ミュージアム﹂で2

国 平 和 会 議﹂ が開 幕した。

世 界保健機構による

いる。

らかの精 神 障 害を病ん

と、

企 画 展 の テ ー マで あ る

来年2月まで開催される。

人に1 人 が 何

でいる。 国 民の間には

変 える 使 命 を もってい

1904年に日露戦争が

められた。

ザゴロドノエ

始まり、この国 際 法が初め

住所

るのです﹂と強調した。

街 道 2 番 地、 N・ A・

版権管理組合代表

をやりました。 当 時の ら 企 業の業 種、 グッズ カ﹂も話題になりまし 機能していない面があっ 悩 むことにもな りかね

イ ン タ ビ ュ ー

藤原博行さん

20 1 3 年 は 何 を 仕 シアの状 況 を 改 善 する  けますか。 ことにもなると思ってい 掛

% ぐらいで なら商品ジャンルがあっ た。映画の海外展開は ます。

今年は春以降、 美術  でのチェブラーシカ展 館

が本 格 化します。 4 月

に高 松 市、 夏が八 王 子

いくつかの大企業が ので、 そ う 簡 単には 増 般 上 映 はフランスだ け 明 確にする。 そ うした 市、 その次が兵 庫 県 豊

です。 我 々 としては 本 意 味でも、 今 年こそロ 岡 市です。 また、 今 年

に ま た チェブ ラ ー シカ

お聞かせ下さい!

水に送 られ、 そこか ら

いわ ば 技 術 思 想の記 水を汲むことができた。

サリンスキー

%で

されます。

による絵 本も2 作 出 版

国のロシアで興 行して、 シアでの上 映 を 実 現 し の後 半には日 本の作 家

そ れか ら グッズを 含 め たいです。

て世 界 展 開 していきた

い。でもロシアではモス C M タイアップも あ 著作権ビジネスの環  ま す。 春 から夏にか  としては、ロシア本 り クワで試 写 会 を 開いた 境

がよいのでしょうね。

だ けで、一般 上 映 はで 国よりむしろ日本の方 けて、 テレビC M な ど

きていません。

ロシア国内でのキャラ 日 本 で は 2 0 0 1 が登場する予定です。

ご意見、ご感想を

ご希望の方は

水の博物館 念 館 と もいえる 水の博 こうした 水に関 する 歴 物 館 は 地 下 鉄 プロレタ 史 がわかるのも博 物 館 住所

ルス カ ヤ 駅の近 く、 元 ならではである。 の揚水所の場所にある。 水 が どのよ う に して 横丁 番地 月曜∼木 時、 金曜9

開館日

来 るのか、 ま た 水 を ど 曜9時∼ 分︵毎月最

私 た ちの家の蛇 口まで 時

終月曜は休館︶

う 扱 うべき か を 語 る 資 時∼ 料が残されている。 さ ら に、 モ ス クワ 最 初の水 道の断 片 も 保 存 精神科病院博物館 モス クワ 最 大 の精   科 病 院 を テ ー マと 世 紀 に クレ 神

さ れ ている。 この 水 道 は すでに ムリンに引 かれていた。 し た 博 物 館。 病 院 は

られるようになった。

ワで上 演 したことで広 く知

︻クセニア・ナカ︼

出ていま す。 た だ 改 廃 興 行 を 巡ってさ ま ざ ま 的短 期間で認知度は高

では20 0 0 種 類 以 上 ヒットが見込まれる分、 での露 出 が進み、 比 較

数 は、これまでの累 計 で、数十年ぶりの新作。 えれば、 さま ざまな 形

や せ ま せ ん。 グッズの 認知度はほぼ100% 年 か らのスター トと 考

松山でハーグ会議展

6 0 0 0 人のロシア人 捕 虜

日 露 戦 争 では 延 べ

て適用された。

写真を見る

アレクセーエフ記 念 病

れ、 当 初 か ら 先 進 的 陳 列 ケースに1 9 2 6 者の両 親 が心の病 気 を 院

水 道 管 は 樫の幹で作 ら 1 9 8 4 年 に 建 設 さ れていた。

最 初の中 央 給 水 シス な 施 設と見 なされてき 年の問 診 票 がある。こ 患った こ と は な かった テ ム がモス クワに 登 場 た。 そこには 病 院の れは﹁ 強 度 アルコール か?性 格 や習 慣で異 常 だけでなく、 精 神 中 毒 症﹂ と診 断された は?偽 善 的 な ふる まい し た の は 1 8 0 4 年 歴 史

www.roshianow.jp/ 39849

チェブラーシカ ビジネス

だった。 水 は 特 別 の 噴 科 全 体 の 歴 史 が あ る。 患者のためのもの。﹁患 や 顕 著 な 宗 教 性 は な

認知度上昇 %に

もありますから、 今 流 な 人 た ちとの話 し 合い まったかもしれません。

﹁誰でも 知っている キャ

一方で難 しさ も あ り 通 しているのは5 0 0 が 必 要で時 間 がかかっ  す。すっかり浸透して ま

ています。

その後 我 々が版 権を得 か、グッズを作る企業

上 映 だった よ う で す。 CMに採用しているほ 種類ぐらいですね。

チェブラ ーシカ。 日 本

です。

日露戦争捕虜の作品も展示

ラ﹂ になると、今度は特 て、 2 0 0 8 年にジブ も多いですね。 何が原因ですか。 20 1 0 年 に 公 開 さ  た、日本人監督によ  ロシアは 実 態 と して 別 な 感 じがしな くなっ 現 在 ∼ 社が関 れ リ 美 術 館 な どと一緒に  っていま す。 C M な る映画﹁チェブラーシ 著   作 権 制 度 がしっかり て、 グッズ 販 売 が 伸 び 旧 作のリバイバル 上 映 わ

︻吉村慎司︼

ロシアの﹁顔﹂の一つ、 と課題を聞いた。

26

日本での展開の経緯      でも雑 貨や文 具などの は? チ ェ ブ ラ ー シ カ は、   キャラ クタ ー グッズが 私たちが版権を得る 日本人にも知られるよ 増え、 広く知られた存    の200 1 年に単館 前 うになったのでは。 在になりつつある。

日 本 で の キャ ラ ク 旧ソ連 地 域を除く全  ーの認 知 度 を 調べる 世 界で、 チェブラ ーシ タ カの版 権を管 理 するの 専 門 会 社 が あ り ま す ブ ラ ー シ カ・ プロ ジェ 今の認 知 度は約

が日本の任意組合﹁チェ が、 その調 査によると

50

の喜びを共有する

のはすべて、コロリョフ

54

10

チェブラーシカという クス︵ 東 京・ 板 橋 ︶の 姿と名前は知っている、 映 が あって、 単 館 と し したが、 上 映 後には約 て、 チェブ ラ ー シ カ を どうなっていますか。   も 知 られた キャラク 多 くの国で映 画 祭に 最 %に上がりました。 採 用 する企 業 同 士で競 藤 原 博 行 ゼネラルプロ という人が8 割に達 す ての動 員 記 録 を 作った  出 品 し ま し た が、一 ターで、 著 作 権 処 理を 合 が 生 じてはいけ ない は

す る フロンティアワ ー らなくても少なくとも 系の映 画 館で旧 作の上 認 知 度は

クト﹂ だ。 組合を構成 す。 詳 しいことはわか

40

目の不自由な子どもたちと演劇

デュー サ ーに、 著 作 権 る。これは例えば﹁ムー ことが あ り ま した。 そ

ビジネスとしての現 状 ミン﹂と肩を並べる水準 の時が実 質 的に日 本 初

ビデオを見る www.roshianow.jp/41519

こでイワノフ氏は、あの ント か ら 逃 げ 出 さ せ、 ソ連 の新 聞 各 紙への ﹁自然力﹂は、何らかの 彼 らを凍 死させた﹁ど

電子版でもっと読む

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セルゲイ・コロリョフの記念住居博物館内装=キリル・ラグツコ撮影

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︵ 毎 月の最 終 金 曜 は 休

館︶

年前の謎の事件を題材に

の代わりになっていた。

㌔ ほ ど 下った ヒマラ ヤ システムがマスメディア た。

ン ト か ら 斜 面 を 1・5 さと都 市 伝 説を伝 える 世代へと伝えられていっ じる 機 会 が あった。 そ ないまま、 無 理やりテ 杉のそばだ。

年にこの事 件 のに関 連 していると 示 と し た ら? ヒントに

だ が、 雪 でな かった

彼 らの葬 儀 には、 ス 掲 載が解 禁されたのは 超常現象、UFOか﹁雪 か雪﹂か。 く、2カ月後の晩春だ。 カテリンブルク市︶の街 から。

つかったのは、 ずっと遅 ベルドロフスク市︵現エ 1 9 9 0 年 代になって 男﹂か、何かこの種のも

その他のメンバーが見

20

4月13日(土) 東京芸術劇場

の生 存 時のまま 残 され ている。冷蔵庫﹁ジル﹂、

﹁ジャトロフ峠の秘密﹂    ロシア北 部の先 住 民 ト 的 な サ ブカル チャー マンシ族 が﹁9 人の死 の題 材 を 大 衆 文 化の財 者の山﹂ と呼び習わし 産に変 えてしまったが、 てきた峠で、1959 こういう 変 貌 を 歓 迎 し 最 初に発 見された

なるデータ  が大 量にあ 旅 行 者た ちを死なせ りながら、 確たる最 終

眼 球 がない人 や、 舌 が 中の人 が 集 まった。 旅 を﹁彼 らの死の原 因は 唆した。

ロシアの国民的キャラ クター、チェブラーシカ のスケッチや映像、童話 の挿絵原両などによって、

年に若い旅行者らが奇 ない人もいる。 怪な死に方をした。 そ の数はまさに9 人。 怪 のは 5 人 だった。 ユー

時 はソ連の時 代で、こ をめぐる話は、 虚 構と それに打ち勝てない﹂と たのは 雪 崩 か。 あるい 結 論のない事 件という

︻オレグ・カーシン︼

50

ミハイロフスキー劇場主任指 揮者(前)ぺテル・フェラネッ ツ指揮「怒涛のロシア音楽 vol 4」東京ニューシティ管弦楽 団定期演奏会

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【出演】 A・ウォロチコフ(ボリショイ)、 I・コルプ( マリインスキー)、 B・マック(ワシントン)、 田北志のぶ(キエフ)、 ヤン・ワーニャ(キエ フ)、 E・ハニコワ(キエフ)、 E・エフセ エワ(マリインスキー)、 M・アラシュ(ボリ ショイ)、 A.ザイツェフ(シュツットガルト)、 E.マルコフスカヤ(バイエルン)

次号の 発行日 (予定)

4518

3月19日(火) 仙台・東京エレクトロンホール 宮城 20日(水) 東京・Bunkamura オーチャー ドホール

キャラクター誕生からそ の変遷、アニメーション 映画の創作過程などを 多面的に紹介するほか、 現在活躍中の新進気鋭 のロシア・アニメの作家 たちの原画なども紹介し ます。【高松美術館】   【2013 年 4 月 6 日∼ 5 月 19 日】

もっと読む www.roshianow.jp/41465

な かった 人 もいた。 当 行 者 た ちの恐 ろしい死 自 然 力であり、 人 間は

東日本大震災復興祈念チャリ ティ・バレエガラコンサート 「ロ シア・ウクライナのソリストたち」

事 件 か ら 半 世 紀 ぶ り リ ー・ ド ロシェンコ と

[会場] 渋谷アップリンク [主催] パンドラ [料金] 当日一般1200円 会員・学生・シニ ア1000円 回数券/3回券2700円

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[上映予定作品]  【ドウエル教授の首】 【両棲人間】 【宇 宙飛行】 【アエリータ(ピアノ伴奏付き)】 【火を噴く惑星】 【妖婆 死棺の呪い】 【不思議惑星キン・ザ・ザ】 【日陽(ひび)は しづかに発酵し・・・】 【痛ましき無関心】 【静かなる一頁】 【セカンド・サークル】  【ストーン/クリミアの亡霊】

に、 レニ ー・ハー リン ユー リ ー・ クリ ボ ニシ

3月16日(土)∼3月24日(日)

「チェブラーシカとロシ ア・アニメーションの 作家たち」展

グツコ撮影

う し たことは 新 聞には 現 実 を まじえ、 あれこ いう表 現で隠 蔽した捜 は、 テント を 埋 め 尽 く のは古 典 的 なホ ラーの

「ロシアン・カルト」映画祭

PressPhoto 撮影

作家ミハイル・ブルガーコフの文 学博物館「ブルガーコフ館」に所属す る劇団が、目の不自由な子供たち のために 5次元演劇 を始めた。  ブルガーコフ(1891 ∼ 1940)は 死後、長編『巨匠とマルガリータ』な どで世界的に知られることになるが、 スターリン時代に失意のうちに亡く なり、晩年は失明していた。  新しいプロジェクトは案内ガイド から始まった。子供たちを階段で出 迎え、展示室を案内し、展示品に触 れさせ、古い電話で電話をかけても らい、博物館に住む大きな猫をな でさせたりした。  演劇は観客の手が届く距離で行 われた。俳優らは観客席の間を歩 き、シナモン入りのティーポットを 好奇心いっぱいの子供たちの鼻に 近づけ、まるで魔法使いがわきを飛 んでいったかのように、毛皮で軽く ほっぺをなでた。  俳優が順番に語り部、登場人物 にななった。「人が踏む雪の音」を 出せる団員がいることも判明した。

水の博 物館(左) 、精 神 科 病 院 博 物 館の展 =キリル・ラ 示物(左上)

書 か れな かった。 人 々 れ と 尾 ひ れ をつ け て、 査 官 レフ・ イワノフ氏 し、 旅 行 者たちを混 乱 理想的題材だ。

カルチャー カレンダー

監督はこれを映画化し チェンコが、下着までは

もっと読む www.roshianow.jp/arts/books

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「翻訳」とはいか なる行為か。ロシア 文学熱が再燃してい る現在、多くの研究 者が自らにこの問題 を問いかけている。  ロシア文学の邦訳 が始まった明治時代、 翻訳に従事したのは現在で言う職業 翻訳家ではなく、文学者として名を なした人々であった。近代文学胎生 期にあって、彼らの「翻訳」は、文学 論を確立し文体を獲得しようとする 作家としての「創作行為」と不可分に 結びついていた。  本書は高須治助、 二葉亭四迷、 森鷗外、内田魯庵、尾崎紅葉、昇 曙夢を取り上げ、丹念な資料収集と 詳細な分析によって明治期の翻訳事 情を描き出している。  彼らがロシア文学を自らの言葉で 血肉化しようと苦闘する姿には胸を 打たれる。現代の我々は、さて、ど のように 「翻訳」 をなし得るだろう。

にとって、口づてにうわ 口か ら 口へ、 世 代 か ら が、 イ ンタ ビュー に 応 させ、 衣 服 も 身につけ

籾内裕子(早稲田大学講師)

た。この映画﹃ジャトロ ぎ取 られた 状 態で倒 れ

刊行:2012 年 12 月 加藤百合 著 東洋書店

フ峠の秘 密﹄は、 カル ていた。 放 置 さ れた テ

『明治期露西亜文学翻訳論攷』

自然力とは

28

11

行ってみたい博物館

話題の本

9人の死因

ソ連時代は新鮮だった

文化 8 2013年(平成25年)3月14日(木)

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