4面
大作家の妻たち 名作を生む夫婦愛
8面
らが浮かぶかも。しかし、五輪の開・閉会式を見た人た
チームの美女たち、 聖火ランナーのアリーナ・カバエワ
ギュアスケートのユリア・リプニツカヤ、女子カーリング
ロシアの女性のイメージとは? ソチ冬季五輪の後、フィ
内 外の一流 劇 場で主 役
ス カ ラ 座 というロシア
リショイ、 マリンスキー、
ラ ー ナ・ ザハロワは ボ
︻ヤロスラワ・キリュヒナ︼
ふれた 姿 やスズメバチ
の役 柄 だが、 気 品にあ
演じた。 自分より年下
シャ・ロス ト ワの 役 を
廷 舞 踏 会で踊るナター
イの﹁戦争と平和﹂の宮
は 文 豪 レフ・ トルスト
ソチ五 輪の開 会 式で
を演じてきた。
人となった。
幼 年 期から、 彼 女は
れ/ も う 片 方 を ゆっく していない。
し か し、 かつての農 り 回 し / ふいに 跳 ね、
ながら自 主 性 を 身につ
︵プーシキン﹁エフゲー 付 属の寄 宿 舎で暮 らし
その他の女 優や舞 踊 ニー・オネーギン﹂︶
ザハロワが舞う 昨 今、 女 性の俳 優や け、 キエフ、 レニ ン グ
ザハロワはバレエで大
し、現代の﹁芸術の虫﹂ さ だ と タス 通 信 に語っ
羽 毛のよ うに軽 やか れば、 舞 台で美しくな
﹁表現したいものがあ
輝 くばかりに、 軽 や た ちの物 語を世 界 中に ている。 に合 わせ / ニンフの群
巨大会場で踊るのはどうでしたか。
イズベスチヤ紙抄訳︼
の感想を聞いた。︻オリガ・ザビヤロワ、
ストワ役 を 踊った。 ザハロワに演 技 後
争と平和﹂のヒロイン、ナターシャ・ロ
プリマ、スベトラーナ・ザハロワが﹁戦
ソチ五輪開会式でボリショイバレエの
振 付 師のラドゥ・ ポクリタル氏に特 お礼を言いたいです。 わずか 分の に
開会式の振り付けはどうでしたか。
製イヤホンをつけて稽古しました。
振付師は無線機で指示を出すので、 特
舞台にはいろんな数字や記号があって、
が、 すべてうまく工夫されていました。
世界 が 見 つ め た ナ タ ー シ ャ
ジェムチュゴワの芝居 れに囲 まれて/ イスト で見 事 な 体 形のスベト ること ができ、 魔 力 と
こ︶ にした。
ナ2 世の心 も虜︵とり かに/ 魔 法の楽 弓の音 広めている。
かりでな くエカテリー
はシェレメチエフ伯爵ば の名を刻んだ。
者 だった プラスコビヤ 典 詩 人た ちの作 品にそ いた り 写 真 に撮った り 事なのは内 面 的な美し
ち主で優 れたハー プ奏 リ ボエー ドフという 古 女 らについて文 章 を 書
魅 惑のソプラノの持 ビン、 プー シキ ン、 グ いが、 批 評 家た ちが彼 を吸収していった。
が、幾人かはジェルジャ 創 作 されることは少 な エ学校の一番いいところ
に農 奴の娘から伯 爵 夫 どドラマチックではない 舞 踊 家 についての詩 が ラード、モスクワのバレ
させシンデレラのよ う 家た ちの生 涯はそれほ
チュゴワは 才 能 を 開 花
ヤ・コバリョワ=ジェム
例 えば、 プラスコビ
たしなんだ。
しを彩るために合 唱を
うんざりする田舎暮ら
い、 農 村の乙 女 た ちは
舞踊や絵画の教師を雇 を落としてしまった。
ちは娘のために音 楽 や い、 出 産 後ほどなく命 の柔 らかな 毛 さながら 歩先を行き、 舞踊学校
帝 政ロシアの貴 族 た 奴の娘は結 核で声を失 ふいに飛 ぶ / 風 神の口 同い年の子 供 た ちの一
賛を勝ち得てきた。
が叫ばれる以 前から称 を贈った。
の女 性た ちは性の平 等 にダイヤモンドの指 輪 彼 女は、 片 足を床に触 年 齢や出 産の影を落と
芸 術 においてロシア を観劇した女帝は彼女 ミ ナ が 立っている。 / のよ うにく びれた 腰に
自然に輝く魅力
もしれない。
ビシニョーワのあでやかな姿が強烈な記憶として残ったか
ちにはバレリーナのスベトラーナ・ザハロワやディアナ・
美しさを内面から
2014年 (平成26年) 3月13日 (木曜日)
初 めてスタジアムに入ったとき、こ で踊るなんて信じられませんでした。 こ スタジアムはとても寒くて、 風 邪をひ
舞台で、 ピョートル大帝の時代から
世 紀の悲 劇 的 事 件までのロシア史を描 き上げたのです。﹁戦争と平和﹂を7∼ 8分のバレエで描くのは難しかったです
大津事件の裁判資料が初公開
歴史
ビザ
する 偏 見に満 ちたロシ
回 続 け てフェッテ
られることを。
ユージン・アボフ
Santani on deviantart.com
架空動物のリアルなおもちゃが外国の ウェブサイト上で紹介された。反響はオ ンライン名 SANTANI で知られる 23 歳の 制作者マリアさんの母国ロシアよりも西 側諸国での方が大きかった。マリアさん はモスクワ在住。大学で美術史と評論 を専攻し、最近卒業した。マリアさんは 日本美術とアニメにも興味があるという。 はツナミの涙﹂というプ
ロジェクトを開始した。 写真家の高梨悦子さ んと国 際 交 流 基 金がこ のチャリティーイベント
に送られた。
ランティアがいな く な
高 梨 さんはロシア在
ント の 継 続 を 訴 え た。
え子た ちにも通じる思
﹁ロシア人は欧州人と
会 場に足を踏み入れ いだろう。
プ ー シ キ ン 美 術 館 館・広報文化部長の大 も 偶 然でない。 当 館 は 浮かべた。
援 し た 在 露 日 本 大 使 重 光 章が授 与されたの です﹂ と話 し、 笑みを 習 会の日 本 人 教 師の教
イベントの開 催 を 支 の貢 献を顕 彰した旭日 を 無 駄にした くないの や国際交流基金付属講
﹁1コペイカも義援金 そ れはロシア人の友 人
もしばしばという。
を 自 分で購 入 すること 住の日 本 人 にこのイベ
す 代 わりに必 要 なもの
大きな団 体にお金を渡 8人ほどだ。
へ義援金を届けている。 ティアの中心スタッフは
を 自 ら 見つけて、 そこ ている。 現 在、 ボ ラン
の最 も 大 き かった 場 所 ントは続く、と確 信し
高 梨 悦 子さんは被 害 ら ないう ちはこのイベ
JP.RBTH.COM
高 梨 悦 子さんの写 真が は深い。日本人も同じ。
私たちは感情をあらわ
音 楽 家のマキ 奈 尾 美 にしないが、 思いやり
真っ先に目に入る。
高 梨 さ んの 持 論 だ。
さん︵﹁地球の涙﹂ボラ にあふれている﹂
ンティア︶と書道家の石
嶋かおりさんの ﹁音と書 ︻ヤラ・オレーニナ︼ ユスポワ氏 は﹁地 球 のコラボレーション﹂に
展 示された作 品は高
マキさんはイベントに
所 に し たいと 考 え た。 られる。
﹁ 日 本 と は 古 く か ら 昨 年 も 大 盛 況 で、 約
月 にイ 約
万㍔︵約
万円︶が
﹁被災者に寄り添いた
文 化 交 流のつな がりが 5 0 0 人 が 足 を 運 び、 ついてこう語る。
あ る。 昨 年
いという 思いが 私 た ち
高 梨さんは無 関 心で
その義 援 金は津 波に を突き動かしている﹂
リー ナ・ アント ーノワ 集まった﹂と語った。
前 館 長に日 本の最 も権
威 あ る 褒 章 の一つ、 日 のみ込まれた岩 手 県 陸
露 間の文 化 協 力 発 展へ 前高田市の学校の支援 はいられない人 々 や ボ
ウクライナ情勢緊張
米露対決ムード
暫定政府を支援する米 引き起こした。
島のセバスト ポリ軍 港
なっている ク リ ミ ア 半
にはロシア黒 海 艦 隊 司
プ ー チ ン 露 大 統 領、
令部が置かれている。
オバマ米 大 統 領とも強
の利 益を守る義 務を履 ず、 対 決ムード だけが
ウ ク ライ ナ 情 勢 は、 ロシアとの関 係 悪 化 を 定 政 権がロシア系 住 民 硬 姿 勢 を 崩 し て お ら
国、欧州連合︵EU︶ と、
の利 益を守ろうとする し、ロシアは 西 側 や 暫
︻2面にウクライナ特
当 面、 緊 張の舞 台と 集、5面に解説︼
南 東 部のロシア系 住 人 帝国主義的野望を批判 張している。
米 欧 諸 国 はロシアの 行 していないことを 主 高まっている。
けでなく、 氷上の踊りに意味があると
はいつも、 天 才 的 なスケーティングだ いう点でも優れていると思いました。
もっと読む jp.rbth.com/47177
コレクションの一つをそ 写しだす上 田 聡さんと 異なり、 内気ながら情
プーシキン美 術 館の ろえている﹂
不 屈の精 神には感 服 す グラフィック課長で日本
かというだけでなく、 選 手の身のこな
私はいつも、フィギュア選手がどれだ 高くジャンプし、 空 中で何 回 転 する け
はありますか。
バレエとフィギュアスケートに共通点
に軍隊の行進場面は見事でした。
なアクセントをつけてくれました。 特
私たちに正 確にスポットを当て、 必 要
の触 れ合いが、 被 災 者 た。
日 本の文 化や暮 らしと かなさを感じる﹂と述べ
た。 5 時 間 に わ た り、 永 遠をとらえ、 世のは た。
3 回 目の催しが開かれ きた。 日 本 人は瞬 時に ワ 氏 は 記 者 にこ う 語っ できる分 かりやすい場 額の寄 付をした人に贈
のプーシキン美 術 館で 本の芸 術に反 映されて あ る アイ ヌ ラ・ユス ポ て﹁誰でも無 料で鑑 賞
3 月 2 日、モスクワ る。こうした精 神は日 コレ クション管 理 人 で の涙﹂のイベントについ も感じ入る。
に協力した。
モスクワで震災写真展
ラに 収 め、﹁ 地 球 の 涙 害と闘 う日 本の方 々の
は被 災 地の様 子をカメ 会あいさつで、﹁自然災 した。
た写真家、 上田聡さん チョー ピナ副 館 長 は 開 人の支 援に心から感 謝 して最 古の日 本 版 画の ると、 被 災 地の光 景を
震 災で母 親を亡くし のアレクサ ンド ラ・ ス 槻 耕 太 郎 公 使はロシア ロシアにお ける 最 良 そ
過ぎた。
日本大震災から3 年が 国民を一つにした。
多 くの命 を 奪った 東 を 思いやる心で日 露 両
地球の涙はツナミの涙
心は日露一つに
してきた。
のパー ト を 次 々にこな を片 手 間のよ うに受 け
ボリショイ劇場でバレエ たた えるロシア国 家 賞
唱 えた。 夜は、 近 くの バレエの伝統の発展﹂を
舞 踊 家の徴 兵に異 議を そして、﹁偉大なロシア
の権利を主張し、 男性 な母親になれることを。
会 議 員 としてバレエ界 を回れる女 性でも立 派
昼 は、 モスクワ市 議
治の世界に生きている。 きた。
ザハロワは 芸 術 と 政 ア社 会に示 すこと がで
限界に挑むこと﹂
標は舞踊で新たな美的 た。 それでも、 性に関
彼女はバレエ一筋だっ
列車で旅をする外国人旅行者に対して、ロシ アへのビザなし入国を許可する法案が近いうち に可決される可能性がある。ビザなしでの滞在 期間は3日。下院運輸委員会のアレクサンドル・ スタロボイトフ副委員長は「ロシアの広さを考え ると、ビザ規制で多額の資金を失っている。法 案が成立すれば、ロシア経由で移動する旅行者 を増やせる」 と話している。 【インターファックス】
魅 力が表れる。 私の目
列車旅行者が72時間ビザなしロシ ア滞在可能に
しや踊り方も見ています。ロシア選 手
45
Product of Russia Beyond the Headlines
いて病 気になるのが心 配でした。 最 初
リアルでなぜか可愛い
15
ホスト国ロシアは メダル総数 33 個で トップだった。熱戦 の陰でプルシェンコ 選 手 の 手 術との 壮 絶な戦いもあった。 そしてパラリンピッ クが開催中だ。
が、 彼 は2 0 0 組のダンサーの中で、
編集兼発行責任者
大津市歴史博物館の企画展「湖都大津のこも んじょ学」で大津事件に関する裁判資料が初め て一般公開される。開催期間は 3 月 1 日から 4 月13日まで。公開されるのはニコライ皇太子 (後 の皇帝ニコライ 2 世)を襲撃した巡査本人や関 係者の調書、大審院の判決書からなる 984 ペー ジの資料。皇太子は 1891 年 5 月 11 日、滋賀 県滋賀郡大津町(現在の大津市)で巡査に襲撃 され、頭部を負傷した。【タス通信】
RBTH日本語版
「ロシアNOW」 電子版でお勧め
ロシア NOW は 2011 年 6 月の創刊以降、 ウェブ版で常時、12 年 6 月より毎日新聞の 折り込みとしてほぼ月に 1 回、ロシアの注目 の話題を発信しています。ロシア NOW は 今回、他の国々向けのロシア・ビヨンド・ザ・ ヘッドラインズ(RBTH)同様にRBTH 日本語版としてと新たなロゴを採用します。 RBTH(Russia Beyond the Headlines) は 2007 年に立ち上げられたロシア関連情 報の発信プロジェクト。日本、中国、韓国、 オーストラリア、タイなどの環太平洋地域、 イタリア、フランス、ドイツ、英国などの欧 州、米国やブラジルなどの北中南米地域に 提携先があります。 今日、世界の一流紙 26 紙の折り込みとし て 16 カ国語で発行されているほか、ウェブ 版(rbth.com) も 18 カ国語で展開しています。 ロゴデザインの変更はプロジェクトのさら なる進化と連動しています。ただ伝えるだ けでなく、政治的、社会的、文化的、経済 的な深い分析を行い、異なる視点を反映し、 固定観念に縛られないロシアの側面を示す ことができるよう、努力しております。 ウェブサイト jp.rbth.com へも是非ご訪問 ください。
jp.rbth.com/ 47395
36
トポリ軍港の役割や天然ガス
面ではクリミア半島・セバス
を展開している。
輸送問題などウクライナ特集
短信 ビジネス
三井物産がコットンウェイの共同出 資者に
ロシア直接投資基金(RDIF)は繊維製品のリー スおよびクリーニングを専門とする会社コットン ウェイの共同投資者として三井物産を誘致した。 投資総額は 18 億㍔(約 54 億円) 。欧州復興開 発銀行 (EBRD) も同じ額を投資する。目黒祐志・ 三井物産ロシアCIS総代表によれば、これは 2013 年創設の露日投資プラットフォームの枠内 での最初の取引となる。【コメルサント紙】
1979 年ウクライナ 生まれ。6 歳 から地 元のダンス・サーク ルに通い、民族舞踊 を 習 う。10 歳 で キ エフ振付学校に入学。 95 年にサンクトペテ ルブルク国際児童舞 踊家大会で準優勝し、 同地のワガノワ・バ レエ・アカデミーへ の転校した。 マリイ ンスキー劇場の重要 な公演すべてに参加。 99 年からニューヨー ク・シティ・バレエ、 パリ・オペラ座、ミラ ノ・スカラ座、 東 京 新国立劇場などでの 公演に出演している。
ロシアに根付く仏教 総本山はブリヤート 歴史感じるウランウデ 20
アの識者の見方やメディアの 論 調 を 紹 介 する。また、 2
スベトラーナ・ ザハロワ
アレクセイ・クリャートフ撮影撮影
6・7面
3面
ワルワーラとアンナの ブブノワ姉妹 オノ・ヨーコも絡む 12
12
芸術とロシア女性
の稽古︵けいこ︶では途方に暮れました
ザハロワさんに聞く
ウクライナ情勢をロシアは どう見ているか
ロシアを批判している西側
五輪開会式で「戦争と平 和」のヒロイン、ナター シャ・ロストワ役を踊る ボリショイバレエのプリ マ、スベトラーナ・ザハ ロワ= GettyImages 撮影
記憶に残っ たソチ五輪
観客をとらえた振り付け
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN THIS PULL-OUT IS PRODUCED AND PUBLISHED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA
ロシア NOW jp.rbth.com
2014年(平成26年)3月13日(木)
1
オピ ニ オン ( 5 面 )
諸国とは異なる視点からロシ
軍港セバストポリ ﹁ロシア栄光の街﹂と市歌がたたえるクリミ ア半島セバストポリ市。難攻不落の軍港を抱 え駐留する黒海艦隊にはロシア独自の意義が ある。その歴史と戦略的位置づけをまとめた。 ︻ビクトル・リトフキン︼
南部 防 衛 担 う 古 代 ギ リシャの入 植 ナ共 和 国に移 譲された 地 ケルソネソスが あっ が、 キエフはいか な る たクリミア半 島の南 西 影響力も持たなかった。 沿岸に1784年、 帝 セ バスト ポ リはモスク 政ロシアの女 帝エカ テ ワとソ連 国 防 省が直 轄 年
代 初 め。 セバスト ポリ
ソ連が解 体した
リーナ2 世の命 令によ し続けた。 り要塞︵ようさい︶が築 かれた。 カ所 あ 国 家 と なった ウ クライ
当 地の優 位 性は入り とクリミア半 島は独 立 江の深い湾が 年 にロシア・ ウ ク
ること だ。 軍 港 セバス ナの一部になった。 ト ポリは黒 海における 帝 政ロシアとソ連の重 要な基地であった。 第 二 次 大 戦ではセ 年に
バスト ポ リでの激 戦 が 1941 年から かけて2 5 0 日に及ん だ。 赤軍と黒海艦隊が
年
ドイツ軍から街を防 衛 セバスト ポリは
した。 以 降、ソ連を構 成 する 年にソ連 共
ロシア共 和 国の特 別 市 だった。
﹁3 月1日、大祖 国 戦 争 を 想い起こ させ る 黒 と オ レン ジの 聖 ゲ オ ル ギ ー の リ ボ ン をつ け た 人 々が妻 子を連れ て ク リ ミ アの 中 心 を 練 り 歩 い た。 義 勇隊は大きなロシア の三 色 旗 を 掲 げて 歩いていた。緑の兵 士 た ちは 最 高 会 議 前 に 陣 取 り、 義 勇 隊 員 た ちは 兵 士 た ちを守っていた﹂ ユリア・グートワ ﹁ルースキー・レ ポーター﹂誌著者
ライナ友 好 協 力 条 約が 結 ば れ、ロシアは セ バ スト ポ リがウクライナ 境不可侵に合意した。
であることを 認 め、 国 ウ クライ ナは セ バス トポリの海 軍 基 地に対 するロシアの権 利 を 留 保 し、ロシア黒 海 艦 隊 が20 17 年までクリ ミア半 島に駐 留 するこ とを認めた。 ロシ ア 黒 海 艦 隊 戦 役・ 戦 略 軍 団はセバス トポリ艦隊司令部、 海 軍歩兵連隊、潜水艦大
着 陸できる。 条 約は
さ らに同 条 約によ
年 有 効。一方が解 除 通 り、 輸 出 天 然 ガスを1 告しなければ、 5 年 ず ㌧当たり100㌦︵約 1万円︶割引している。 ロシア・ ウ ク ライ ナ つ自動更新される。
ソ連解体で外国に 隊、 ミサイル大 隊、 第
せつけ ないよ う、ロシ
黒海艦隊には潜在的 水上艦艇師団、 ミサ 条 約 に よ る と、 ウ ク 20 10 年4 月の条 イル巡洋艦﹁モスクワ﹂、 ライ ナの陸・ 水 域 にロ 約では黒 海 艦 隊のセバ 敵 軍の空 母を黒 海に寄 ミサイル・コルベット﹁ボ シア艦艇最大3 88 隻 ストポリ駐 留 期 間が
ア南部を守る重要な戦
ロ シ ア は 海 軍 基 地 略的課題がある。
隻 は ディー ゼ 年まで延長された。 ル潜 水 艦︶の航 行が許
ラ﹂と﹁サムム﹂、揚陸 ︵ う ち 艦旅団などから成る。
の 租 借 費 用 と し て、
億
シンフェロポリとセバ ウ ク ラ イ ナ に 毎 年
軍人は2 万5000 可されている。
は航空機161 機が離 円︶ を支払っている。
万人以 スト ポリの軍 事 空 港に 9800万㌦︵約
人︵施設職員を除く︶ 。 家族を含むと 上になる。
ロシアにも打撃
石 油 ガス分 野 は 関 係 悪 化でウ は、 ウ ク ライ ナの金 融 危 機 が
イ ナに 約 束 し た 1 5 0 億 ㌦
ロシア 財 務 省 は ウ クラ
クライナ側が困る。 ロシア 経 済 に も 打 撃 を 与 える
欧 州 の 格 付 け 会 社 フィッチ
け取れればと期待している。
ウクライナ経済危機 予期されるウクライナの債務 済にも 打 撃 を 与 えると 専 門 家
不履行︵デフォルト︶はロシア経 は警告している。
︵約2兆8000億円︶を融資
はウクライナで総額280億㌦
1兆2000 億円︶を凍結
融 資 の う ち 1 2 0 億 ㌦︵ 約
ロシアの政 財 界はすでにその と警 告している。ロシアの銀 行 ︵ 約 1 兆 5 0 0 0 億 円 ︶ の 影 響 を 最 小 限に抑 える 対 策 を 講じている。
したと 発 表 した。
億 ㌦︵ 約 している。
業と提 携しているロシアの機 械
可能性があるのはウクライナ企
金 融 以 外に負の影 響を被る
米 国の投 資 家が保 有している。
れた。ウクライナ債券の %は
ウクライナ債券の購入に充てら
3000 億円︶については既に
何もできない暫定政府 日、 最 高 会 議
ウ クライナのヤツェニュク暫
製 造 会 社。 また 消 費 財 や農 産
︻タチヤナ・リシナ︼ ﹁ウクライナの国 庫は略 奪さ
でこう述べた。
定 首 相 は2 月
物の部 門にも一部 影 響が及 ぶ。
30 定 を 支 持 した。 割 引の期 間は
性もある。
ネルギー市 場を検 討 する可 能
としているウクライナは他のエ
3 5 0 億 立 方 ㍍のガスを必 要
2 万 6 8 5 0 円 ︶ の価 格で、
ル あ た り 2 6 8・5 ㌦︵ 約
現 在の1 0 0 0 立 方 ㍍
クワを訪れる予定だ。
クリン・ナフトガス社長がモス
た。まもなく、エフゲニー・バ
ることを期待している﹂と述べ
ギー相は﹁さらに交渉を継続す
ユーリー・プロダン燃料エネル
も か か わ ら ず、 ウ ク ライ ナの
こ う し た 決 定 が な さ れ たに
ガス価格割引せず ジェフ首 相はウクライナのナフ
4月1日に切れる。
80
産 党 のフルシチョフ第 1 書 記によって、 クリ ミア半 島と共に同じソ 連を構 成 するウクライ
れ ている。 財 政 資 金 で 残って いるのは400 万フリブナ︵約 40 0 0 万 円︶ 。これでは何も できない﹂
ト ガス社に対 する割 引 価 格 を
プー チン大 統 領 とメ ド ベー 1300億㌦︵約 兆円︶だと
延長しないとのガスプロムの決
ウクライナの対外債務は総額
ピ タ ル・エコ ノ ミ クス に よ る
いう。英国の市場調査会社キャ
め、200億∼250億㌦︵約
がない﹂と述べた。
2 月 分についても 支 払 う 用 意
までの債務を償却しておらず、
レル社長は﹁ウクライナはこれ
ガスプロムのアレクセイ・ミ
と、 債 務 不 履 行 を 回 避 するた 2兆∼2兆5000億円︶の緊 急融資が必要だ。
欧州連合︵EU︶の本格支援
IMF融資が頼み
引 価 格 はウクライナがき ちん
ま た プー チン大 統 領 は、 割 そ う だ。 国 際 通 貨 基 金︵ I M
している点を強調した。
と代 金 を 支 払 うことを 前 提と
は 5 月 の大 統 領 選 の後 に な り
㌦︵約1兆5000億円︶を受
F︶からウクライナは150億
世界の終末みたいな場所 jp.rbth.com/travel
クリミアとは 30
映画
ウリヤナ・セルギエンコ
3
ロシアが 2014 年にウ クライナ に 輸 出 するガ ス 1000 立方㍍あたりの 価格。2013 年の価格は 400㌦だった。
アニメ映画「霧の中のハリネズ ミ」に登場するキャラクターたち がペテルブルクの陶器工場のコ レクションになった。
文化
42
98
268.5㌦
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」が公開 され、出だしから大好評を博した。
jp.rbth.com/47237
jp.rbth.com/47323
jp.rbth.com
2
ロシアの銀行によるウ クライナでの融資総額。 60% が外貨融資。
「風立ちぬ」 好評スタート
潜水艦生活での慣習
なぜウクライナ領な のか 1921年、 ソ連にクリミ ア自治共和国が置かれ た。 1954年、 ソ連の指導 者フルシチョフがクリミ ア州の帰属をウクライナ 共和国に変更した。 91年 のソ連崩壊でウクライナ が独立し、 クリミアはその 一部となった。
20
言語 クリミアではロ シア語とウクライナ語が 実質的な公用語として使 われている。 2004年の 調査では、 ロシア語を話 す人の割合はクリミア全 住民の97 %に上った。
jp.rbth.com/ ukraina_kakumei
14
280 億㌦
潜水艦の乗組員は、なぜ、ハンマーにキス しなくてはならないのか?乗組員が語った。
電子版のお勧め記事
10
27
米国の投資家が保有す るウクライナ債券。
社会
パリでこのほど披露され、注目されたロシア のブランド「ウリヤナ・セルギエンコ」コレク ションのテーマは中央アジアの旅だった。 jp.rbth.com/46955
旅行
万㌦
1
80%
48
人口 ウクライナ国家統計 局によると、昨年11月1 日時点で、 クリミア自治 共和国の人口は196万 7119人。 内訳は50%以 上がロシア人で、約24% がウクライナ人、約12% がタタール人。 13
ヤツェニュク暫定首相 の試算によるウクライナ の対外債務。
30
一言
億㌦
90
2042 年まで 1300
54
97
黒海艦隊駐留 ロシアがウクライナに 支払うクリミア半島の海 軍基地の年間租借費用。
42
9800 ロシアの欧州への天然 ガス輸出はウクライナを経 由する。 ウクライナはガスのトラ ンジットで年間約 40 億㌦ (約 4000 億円)の収入を 得る。国内需要の規模を 考えれば、それは巨額の 収 入 源となる。また同 国 はトランジットをほぼ独占 (約 80%) している。 さらに、 現在進行中の危機は欧 州のガス市場をめぐる米露 アレクセイ・スコピン氏 の競争が背景にある。 ロシアは 1500 億 立 方 国立経済高等学院教授 (地域経済・経済地理学科) ㍍ のガスを 1000 立 方 ㍍
数字あれこれ 当 た り 340 ∼ 380 ㌦ で 輸 出しているが、 米 国は シェールガスまたは石炭を 1000 立方㍍当たりの天然 ガスに換 算して 300 ㌦ 以 下で供給する用意がある。 こっちのほうが欧州には 得だが、ロシアとの長期契 約に縛られている。 親西側の新政権がトラン ジットで問題を生じさせれ ば、ロシアからの供給が不 安 定になり、 米 国のエネ ルギー企業には欧州市場 に売り込むチャンスとなる。 こうした事態をロシアは容 認できないだろう。
米露、ガス輸 出で利害衝突
特集・ウクライナ情勢 2
2014年(平成26年)3月13日(木)
ロシア NOW jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
写真左= 2 月 20 日のキエフ 市の独立広場= GettyImages/ Fotobank 撮影。左上=キエフ 市内のバリケード= Corbis/ Fotosa 撮影。左下=デモ参加 者= Reuters 撮影
前途が見えない
ハリネズミが陶器に
jp.rbth.com/47237
画家ワルワーラ ロシアの画家のなかで最も日本的であり、日本の画家の その生涯と作品のなかで、 露日両国の文化を見事に有機
で最もロシア的なのがこの人、ワルワーラ・ ブブノワだ。 的に融合させたまれな例︱︱。 彼女は、それを体現した
妹アンナは音楽家
も手がけた。
な淑女をすぐに思い浮かべる。
トルストイの長 編 小 説の上 品
たスタイルとドレス がおしゃ
芸術の系譜200年
ライグマとギンギツネの毛皮の
﹁アンナ・カレーニナ﹂の映画
場した。
ニット・ オ ー バー オ ー ル、 ア ロー ブを ま とったモ デルが 登
ロシ アの 有 名 デ ザ イ ナ ー、 コー ト、 魅 惑 的 なタイツと グ
作ほどある。 演 劇を加え
カヤ、紺野まひるがヒロインを
年 には 恐 ろ
演じた。
とどまり、 俊一の後妻 ターリンの死後、母国・
スフミにいた長 姉マリ
2 0 0 7 年、 モ ス アの家に落ち着いた。
アンナ は 音 楽 教 育
の功 績 によ り 勲 四 等
専門家はジョン・レ 瑞 宝 章を授 与された。
の展覧会だ。 歳 洋子︶
ロシア・ アバンギャル 野アンナ記念会﹂は半
ワルワーラは
の 最 初 の 音 楽 の 先 生 死 去 し た。
年に
歳 だっ
は ア ン ナ 伯 母 さ ん、 た。 生 前、 ソ 連 芸 術
れ、 日 本 か ら 勲 四 等
絵の先生がワルワーラ 家 同 盟 会 員 に 選 出 さ
伯母さんだった。
ブ ブ ノ ワ 姉 妹 は ス 宝冠章を贈られた。
ランは 世紀半ばのロシア貴族
のスタイルと1950年代のク
モイロワかナイトレイか リスチャン・ディオールのドレ サ 評 論 家が最も原 作に近いと スのシルエットをひとつにしよう えているのはソ連映画﹁アン とした。 考
この映画により、 世紀末の ナ・カレーニナ﹂ ︵1967年︶ の主 役、 タチヤー ナ・ サモイ ロシア・スタイルへの関心が復 活した。カレーニナのスタイル
ロワ。幸福に貪欲な女性が翻弄
︵ほんろう︶される姿を見事に
演じた。
演の映画﹁アンナ・カレーニナ﹂
デザイナーのジャクリーヌ・デュ
ナイトレイ、マイヤ・プリセツ ︵2012年︶が随一だ。衣装
ソフィー・マルソー、 キーラ・
たら、作品数は著しく増える。 ただし、 衣 装の豪 華さと優 さでみると、 ナイト レイ主 グレタ・ガルボ、ビビアン・リー、 雅
は
一の弟の長 女︶ヨーコ
諾 し た が、 小 野 家 に くにあた らない。︵ 俊 サートを開いている。
ア ン ナ は 離 婚 を 承 ド の 息 吹 を み た。 驚 年 に一度、 記 念 コ ン
打ちをかけた。
﹁小 らに夫との離婚が追い ノンの妻の芸術作品に 1979年、永眠。
で亡くなったのだ。 さ
息 子 の俊 太 郎 が
ばならなかった。一人 とオノ・ヨーコ︵小野
た 妹 ア ンナ を 支 え ね 開かれた。ワルワーラ 姉妹ともに勲四等
しい 不 幸 に 見 舞 わ れ クワで二つの展覧会が
き た。
自 宅 と 作 品 は 燃 え 尽 の教育係になった。
の 年 の 関 東 大 震 災 で、 て、 生 ま れ た 男 の 子 黒海沿岸︵グルジア︶
し か し、 1 9 2 3 と親しくなった。そし ソ連に戻った。 姉妹は
関東大震災
オノ・ヨーコも
プーシキンに遡る
いる。 今では 彼 女の作 リロで、 それか ら 早 稲 優 れたロシアの専 門 家 日 本 語 訳のための挿 絵 品は大変高額だが、 画 田 大 学 と 東 京 外 国 語 となっている。
子、巌本真理、前橋汀 すことになった。 子、 潮田益子ら日本を
日 本での生 活は楽 な
与の才 が花 開いた。 彼 ニー・オネーギン﹂﹁ス ルワー ラは自 分 を 幸せ
彼 女のスタイルは 日 館の日 本 絵 画の専 門 家 ことは珍 し く、 彼 女 も ワルワー ラの第 二の天 キンの作品︵﹁エフゲー ものではなかったが、ワ
彼 女 はま た、 プーシ
家が生 前に認 められる 学校で教えた。ここで、
ワルワー ラはた ち ま
代 表 するバイオリニス 日本美術に魅せられ トが育った。
﹁私はロシア絵画の原
彼 女 はロシア語 をル 女 の 教 え 子 の 多 く が、 ペードの女王﹂など︶の 者だと考えていた。
1922年、 小野夫 ち、 日 本のユニー クな 本のそ れに近いが、 同 アイ ヌ ラ・ユス ー ポ ワ 例外ではなかった。 ワルワー ラ自 身 が日
﹁そ 化 してしまわ ず、 独 自 氏は指摘する。 妻はワルワー ラを日 本 芸術に魅せられた。 に招いた。 母 を 伴い妹 れらの作 品は、 最 大 限 性を保っていた。 逆に、 を 訪 ねた 彼 女 はここで の精神的内容を、 最小 日 本の画 家のなかに彼 本絵画の影響を自認し こうして日 本の美 術 は 本 美 術は多 くのことを
﹁ブブノワの作品は初 教 えてくれ、 版 画の表 ワルワー ラは、 日 本
世紀末の女性美 ないかと言われたけど、イン
ロシア・スタイルと聞くと、 れとされた。 コが食べられるから断った﹂
﹁他にケナガイタチはいら
らった。
ら サ ク ラ ボ ウシイ ンコを も
ア ー ラは 配 達 先 の 女 性 か
軽くしている﹂
ことは大切。そうやって心を
﹁お年 寄りがすべてを話 す
いる。
も果たしていることを認めて
祉 相 談 員 や心 理 学 者の役 目
アー ラは、 自 分 が 社 会 福
グラフの画塾を開いた。 いた﹂とプーシキン美術 で6 度の個 展 を 開いて
亜 鉛による白 黒のリト 術としての可 能 性を開
墨 画 を 学 ん だ。 ま た、 めて、 リ ト グラフの芸 現力を拡大した﹂
美術学校で浮世絵と水
中になった 彼 女 は 東 京 と交差したわけだ。
日 本の中 世 絵 画に夢 ロシア・アバンギャルド 則 を 保っている が、 日
つくり出していた﹂
ほとんど全 生 涯を過 ご の身 体の動 きと素 材で 女 に 倣 う 者 が 現 れ た。 て、こう記している。
年
お 年 寄 り た ち は ア ー ラが 来るのを待っている。 アーラ 新 しい雑 誌の購 読 手 続 き
は一人一人に気を配る。 を 依 頼 する 人、 体の痛 みを
20 0 8 年、 トルストイの傑 作を独自に解釈した。
13
最も著名な一人だろう。︻アレクサンドル・クラーノフ︼
絵心で日露を結ぶ まれの妹 アンナは音 楽
一方、 1 8 9 0 年 生
ワルワー ラ自 身はそ アンナは日本人と結婚 の成 功の秘 密 を 次のよ うに説明していた。 ﹁ 他 国 の文 化 を す ぐ 院のバイオリン科で学 に理解するのは難しい。 び、日本人留学生の小 それは外 国 語のよ うな 野俊一︵生物学者︶と出 ものだ。 外 国 語の文 学 会い、1917 年5 月 夫妻は、 革命と戦乱
作品を楽しみ、 言葉が に結婚する。 本 当に分 かるく らいの 勉 強 が 必 要 だ。 外 国 を 避 けて 日 本 に 逃 れ、 の芸 術を理 解 するのは 東 京に居を定めた。 ア もっと 簡 単 かもしれな ンナは 子 供 た ちのバイ
スペラント語で﹁揺りか
が音楽塾 ﹁ルリロ﹂。エ
こ う して生 ま れたの
民 族の創 造 力への信 頼 を思い立つ。
いが、 心の広 さと その オリン教 室を開 くこと が不可欠だ﹂
マレービチと共に
クト ペテルブル クの文 本のバイオ リニストの
ワルワー ラ・ ブブノ ご﹂という意味だ。 は1 8 8 6 年にサン ワ ル リ ロ は 実 際、 日
2000 人の児童が学
化、 芸術を愛好する家 揺 り か ご と な り、 約 庭に生まれた。 早くから絵 画の才 能 んだ。 を発揮し、1914年
ウダ、ソビエツカヤ・ロシア、 真実﹂など。 朝 7 時 までに新 聞 を わ け て、 1 時 間で配 り きる。
とりわけ 存 在 感 を 放つのがア
小 さな 手 首のほっそりしてま
かかったふくよかな肩や胸や、 イ ー ゴ リ・ チ ャ プ リ ン は
アンナ風おしゃれ でもイタチがとても気に入
﹁アンナは上部を低くカット
ンナ・カレーニナだ。 うことにした。1匹は毛の長
した 黒 ビロー ドのド レスを 着
アー ラは 最 近、 担 当 地 域
を与えている。
て、 古い象 牙のよ うに磨 きの
い半 外 来 種、 も う 1 匹 は 毛
り、 ずっと後になって2 匹 飼
訴えて病院か薬局に行くべき 2 時 ま で 手 紙、 預 か り 証、 かと 相 談 する 人、 自 分の家
時 までに職 場 に戻 り、 午 後 インターネット新聞だけでな
いる。 特 に 女 性。 歩 け ない
そういう人はすごくたくさん
話 し 相 手 がいな くてつらい。 の短いフェレット。 肉のえさ
﹁独り暮らしのお年寄りは
族について話す人がいる。 書留などを配達する。 冬の暗い朝でも怖 くない。
く、紙の新聞もしっかり読ん
アーラは、モスクワっ子が
小包を家々に配る。
早 朝 に 届 く 新 聞、 手 紙、
入れてくれたの﹂
た。 ちょう ど 空 きがあって、 ﹁夕べのモスクワ﹂、﹁論 拠と
便局員に仕事について相談し
わが街の何でも相談員
人情届けて
写真上=自画像、V・ブブ ノワ =ロシア通信提供、写真 下=ブブノワの作品、 ﹃葬 儀屋﹄ ︵プーシキン 挿 )絵 ︵1934年︶ リトグラフ
ここ か ら 諏 訪 根 自
に帝 室 美 術アカデミー 有名音楽家を育てる ボーの画 家として知 ら
を卒 業。 アール・ヌー
ビ チ、 ブル リュー ク ら
れるようになり、マレー と共に展 覧 会に出 品し た。
心 理 学 者、 保 健 師、 社 会 福 祉 相 談 員 を 兼 務?︱︱こ れらの専門家の役割をロシア のある郵便局員はすべてこな 手 紙、 新 聞、 年 金 な どを
す。 配 達 しな が ら、 担 当 地 域の 住 人 が ど う 暮 らし、 何に悩 んでいるのかを知っている。
モスクワの郵便局員 モスクワ第 4 1 9 番 郵 便 局の郵便局員、アーラ・チェ ンツォワさんが語ってくれた。 郵 便 局 員は朝 6 時に出 勤 年のアー ラの
でいることを知っている。
時に出勤・登校するのかも﹂
て、 私も皆を知っている。 何
部 数が多いのはモスコフス ﹁地 域の人は皆 私 を 知ってい キー・コム ソモレツ、コムソ
るみのある腕だった﹂
33
jp.rbth.com/45121
モリスカヤ・プラウダ、プラ
の人 々 とペットのしつけにつ
秋
冬 プレタポルテで流 れるよ う
パリコレクションの ∼
なシルク・ドレスとブラウス、
世 紀 末 は、 女 性 らし く、 曲 線を強 調、 時に大 げさにし
19
ワルワーラの石版画
96 83
ブブノワの母はドイツ系貴 族のブリフ家の出で、その屋 敷はプーシキン家の近くにあ り、詩人との交流は生涯続い た。ブリフ家の娘については 「エフゲーニー・オネーギン」 の中で「わたしの心の結晶」と 表現している。 ワルワーラは 1958 年にソ 連に帰国した後、ブリフ家の 屋敷跡にプーシキン博物館を 設立する活動に参加した。
ワルワーラ・ブブノワはロ シア文学を翻訳し、日本の出 版社向けに挿絵も描いてい た=写真。ブブノワの挿絵が 入っているのはプーシキンの 「エフゲーニー・オネーギン」 、 「サルタン皇帝の物語」 、レ フ・トルストイの「復活」など。 ワルワーラは日本の学生に いつも「プーシキンにはすべ てがある」 と語っていた。
アレクサンドル・ プーシキン
ワルワーラは自身 の石版画の技術につ いてこう話している。 「私の石版画は石で は なく、 亜 鉛 板を使 うところが 他と違う。 力を入れなくて済み、 ある姿をそのまま描く ことができる。 亜鉛板の表面はザ ラザラしてい て、 絵 の具が流れない。 さまざまな民族の 芸 術 を 知り、 そ の イ メージに溶 け込 むこ とで自分の芸術を豊 か に することがで き る。 ロシア派の原則を 守っているが、 日本 の芸術を学び、グラ フィックの表現性を拡 大したことで、私は大 きく成長した」
jp.rbth.com/47151
もっと読む
︻インナ・フョードロワ︼
のコレクションを制作した。
クのデザイナーは同名のドレス
に触発されたバナナ・リパブリッ
19
ワルワーラ・ブブノワ
ほぼティツィアーノ風で体形の
20
プーシキンを翻訳し挿絵も
jp.rbth.com/ blogs/kulanov
ロシア的魅力
する。 勤 続
出 勤 に 時 間 は か か ら な い。 郵 便 局のある 建 物の上 階に 悲 しい出 来 事 がこの職 業
から、家賃を代わりに支払っ
いての話題が多くなった。 フ︼
︻ アナスタシヤ・ ベルセ ネ
てほしい、 店で何かを買って 手伝っている﹂
ほしいとか。 依 頼があれば、
復活した
ブブノワ姉妹
お年寄りの心の支え
09
住んでいるからだ。 を選ぶきっかけになった。 ﹁子 どもが小さい時に夫が 死 亡 した。 それで扶 養 者 喪 失 手 当 を 配 達 してくれた 郵
アーラの郵便配達が待ち遠しい
1886 年 5 月 17 日、サンク トペテルブルク生まれ。1914 年にペテルブルク帝室美術ア カデミー 卒 業。1922 年、 母 親を連れて来日した。 1924 年より早稲田大学文 学部、27 年より東京外国語学 校でロシア語非常勤講師。27 年、白系ロシア人のゴロフシ チコフと結婚。 1958 年、「画業 50 年記念 展」の開催を見届け、妹アンナ とソ連に帰国。グルジアのス フミに居を構え、翌年より制 作活動を開始。83 年 3 月 28 日、レニングラードで永眠。 08
20
10
文化の相互作用を体現 19
19
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ロシア NOW 2014年(平成26年)3月13日(木)
3 文化・くらし
総本山はブリャートに
ロシアに根付く仏教 万人いる。
仏教徒はロシアで多数派ではないが、その人 数は着実に増えている。 現在は約 仏教徒は活発な宗教生活を送り、 国内で寺院
博 物 館の隣に移 動 式 天
多くはないが増えている
ベット 人 医 師 が 教 えて ニ キ フォロフ 理 事 は 話 は数年前、
歳の時に
仏 教 徒になった。 サラ
﹁カルムイク共 和 国、 トフには仏 教 寺がない
す。
モスクワに一番近いのは だったが、﹁その価値は
外 国 人 が 訪 れ ている。 スに揺 られて行く難 行
院 が あ り、ロシア 人 や 訪問した。1日以上バ
の書 籍 を 刊 行 している バ共 和 国には 多 くの寺 にカルムイク共和 国を
月1 ∼2冊の仏教関連 ブリャート共和国、トゥ ため、 仏教を学ぶため
ノ ボシビルス クには
いるという。
35
さ らに遠いブリャー
上 が各地の仏教寺院を 国へは旅 行 費 用が高く
なる。 セルゲイさんは
ロシア 南 部 サ ラ ト フ それらの寺 院に行 くこ
ル 地 方 = と ザバイ カ リエ= 後 バ
わゆるプリバイカリエ=沿バイカ
プリリバイカリエとザバイカリ が帝 政ロシアの一部となったの エ
世紀に帝政ロシアの配下に
みなされている。
イカル地方︶に板状の墓の文化に
は 世紀初めのことである。
併合から 年たつと、ロシアの
式 タイプや地 面に垂 直に埋 め込
化は、 種 族の埋 葬の基 本 的な形
古 代モンゴル人の考 古 学 的 文
存在を法的に認めた。
び寺院つきの150人のラマ僧の
エの のダツァン︵仏教寺院︶およ
女帝エリザべータは、ザバイカリ
世 紀 末によ うやく、 仏 教は
そ うした 墓 碑は 現 在 もモンゴ
キリスト 教の宣 教 師 た ちの激 し
伝わり始め、 地元のシャーマンや
北部の前バイカル地方︶に盛んに
プレドバイカリエ︵ブリヤーチヤ
ル、 プリバイカリエ、 ザバイカリ
い抵抗に遭った。
ソ連時代になると、 ブリャート
ソ連時代には大弾圧
共 和 国 内にあった
の事 実 上 す
いた 古 代の遊 牧 民である 匈 奴に
べての ダツァンが 破 壊 さ れ、 約
2 0 0 0 人のラマ僧が流 刑や投
教 的 刷 新 はイ ボル ギンスキ ー・
ブリヤー ト 共 和 国にお ける宗
獄に処せられるか銃殺された。
ダツァンの開 設 お よ び ア ギ ンス
︻ダリヤ・ゴンサレズ︼
圏の最北の分派となっている。
在、 大 乗 仏 教の中 央 アジア文 化
ブリヤート 共 和 国の仏 教は現
1946年に始まった。
キ ー・ ダツァンの再 建 と と もに
わられた。
ブリヤーチヤ全体に広まった、と
バイカリエ北部へ至り、そこから
チベット仏教はモンゴルからザ
に入る 世紀まで続いた。
ヤの地 がモンゴル帝 国の構 成 下
民 族 間の戦 争は、 ブリヤーチ
ルク語系のキルギス人に取って代
ハーン国はチュルク人およびチュ
ハーン国の管 理 下へ移った。この
その後、匈奴はモンゴル語系の
取って代わられた。
世 紀 までザバイ カ リエに住 んで
モンゴルの種 族 は、 紀 元 後 2
支配民族が次々代わる
エ、中国北西部で見られる。
づけられている。
できた垣をもつ墓でによって特徴
まれた御影︵みかげ︶石の岩板で
でいた。
属 するモンゴル系の種 族 が 住 ん
リヤーチヤ︵バイカル湖付近のい
紀 元 前1 1 0 0 年 頃には、 ブ
モンゴル経由で
チベット仏教
が 今 のロシアにあ る と に暮 ら す セル ゲイさん とも考えている。
中立的で良好な雰囲気
世 界 観を広 げられる 訪れた﹂
問している。
ている地 を 積 極 的に訪 ターから1 0 0 0 人 以 ト共和国やトゥバ共和
教が伝 統 的に信 仰され ツァン。 昨 年 は 当 セ ン
ロシアの仏 教 徒 は 仏 カルムイ ク共 和 国のダ あった﹂と語る。
出版社がある。
仏 教 を 自 らの民 族の 300人が講義を受け センターに貸している。
ターに来て、 20 0 ∼ が保有し、 特恵条件で
を巡り、祝日に集まって仏教について語り合う。
﹁ロ シ ア 人 の 間 に は に基礎宗教学が導入さ
数年前から学校教育 の数ゼロである。
仏教寺院巡り
立て直しを余 儀なくさ
け だった。 ゼロか らの 事は強調する。
ロシア人のほとんどは仏教の世界に寛容だ。仏 教 ゆかりの地では寺 院が創 設されるなど再 興 たのは ブリャー ト 共 和 に確 固 たる興 味 を 抱い ある教 室はあふれんば 2 堂の建 設 許 可がおり 信徒数は不明だが、 約 中 心 部に近い建 物の地 国のダツァン︵寺院︶だ ているとニキフォロフ理 かりになっている﹂ ている ものの、 今 は そ 50 0 人が頻 繁にセン 下。この部 屋は市 政 府
万
が始まっている。 ︻マリーナ・オブラスコワ︼
信徒数は約
れた﹂ 集会以外にも、チベッ 仏 教への関 心 が 存 在 し れているため、センター 宗 教 と する ブリャー ト ている。 ト・ヨ ガ や チベット 語 センター自 体は小さ てお り、 我 々のもとに の見 学が行われるよ う 人、カルムイク人、トゥ クラブのよ うに見 え の教室が開かれている。 仏 教 が 盛 んなのはロ は異なり、 ほぼ撲 滅さ ロシア人も興味津々 バ人 がモス クワに 約 な はほ ぼ 毎 日、 学 びたい になったのだという。 シア東 部のブリャー ト れた。 信 教の場で 残っ ロシア 人 はこの宗 教 人 々が訪れる。 講 義が ロシア在 住 年のチ 万 人 暮 ら し ている。 る。 場 所 はモスクワの モスクワでは 仏 教 寺 共 和 国 が中 心。ここに 山がある。 さらに周 辺
は チベット 仏 教の総 本
タイ地 方、 ザバイカル
のトゥバ共 和 国、 アル 地 方、 イルクーツク州 のほ か、ロシア欧 州 部 仏教で有名だ。
のカルムイク共 和 国 も 主にモンゴル系 民 族 教が浸透した。 仏教徒
の居 住 地 にチベット 仏 社 会 はモスクワ、 サン クト ペテルブル クな ど 20 1 2 年の調 査に
都市部にも存在する。 よ ると、ロシアの仏 教 徒は人口の1 % 弱、 約 万人。モスクワ・ツォ ンカパ・ ラマ仏 教 セン ターの ドミトリー・ニ キフォロフ理 事 はソ連 時 代の無 神 論の影 響を 指摘する。 ﹁ロシ アで は 仏 教 を ヒンズ ー 教 や クリシュ 年間続
ナ教 な どと混 乱 してい る人が多い。
カル民俗学博物館だ。
ブックにも 掲 載 さ れて がある。 必 見はザバイ リョー ゾフカの民 俗 学 いる。
世 紀 初 タ ライ・ ウル ゴオ︵ ブ
3 世 紀 の 匈 奴 の 古 幕 のレス ト ラン﹁ バア
士﹄︶ ﹂がある。一番人気
ウ ラ ンウ デにはロシ 院 ズ ンゴン・ ダル ジャ
アで 唯一の仏 教の尼 僧
ブリヤー トの神 話で
47
いた共 産 主 義 体 制によ り、 仏 教は他の宗 教と
写真下=仏教が盛んなブ リャート共和国のイボル ギ ン ス キ ー・ ダ ツ ァ ン の 前 、ウランウデの仏教徒た ち = GettyImagesFotobank 、 撮影 GeoPhoto
東シベリアの一角、ブ リャー ト 共 和 国の首 都
ソ連 賛 美の幹 線 道 路
の終 点 はロシア 正 教の 代 文 明 か ら
リアの姿を再 現 する
余 り の 建 築 文 化 財 と は 大 きな ブリャー ト 風 1万1000 点の展示 ペリメニのブウズだ。
分の町イボルギ
ウランウデか ら 車で リングもある。 ∼
ンス クに はロシアの チ は、 地 上に初 めて現 れ ボルギンスキー・ダツァ だった。この僧 院には、
ベット 仏 教の総 本 山 イ た 人 間 の 祖 先 は 女 性
意 外にもスター リンの れる聖 骸が安 置された
20
もっと読む jp.rbth.com/38295
15
ンが 建つ。 この寺 院 は 仏 陀の血 痕や骨 片とさ
18
18
11
ロシアで仏教があるように、日 本にも正教が存在している。正 教の信仰に自分たちの伝統の活 路を見いだしたのが元のサムラ イだったことはほとんど知られて いない。
ブリャート共和国のエギトゥイ寺院にある 栴檀(白檀=ビャクダン=の異称)の仏像(高 さ 218㌢)は、ロシアの3大仏教遺産の一 つだ。通称ザンダン・ジュー。栴檀仏はシャ カが存命中に、インドのウダヤナ王が香木 の栴檀でシャカの姿を作らせたことに由来す る。栴檀仏は紀元後4世紀に中国に運ばれ、 義和団の乱(1900 年)の混乱期にエギトゥ イ寺院に移されたと伝えられている。 ロシア連邦トゥバ共和国仏教徒連盟のブ ヤン・バシクィ議長は昨年4月、同共和国 の首都キジルのドゲエ山にロシアで最も高 い大仏を建立する計画を発表した。高さは 15㍍になる予定(奈良の東大寺大仏は 14.7 ㍍)。制作者はチベット人彫刻家で、費用は 寄付金で賄うという。現在、 ロシアおよびヨー ロッパで最も高い大仏はカルムイク共和国の 「黄金釈迦殿」にあり、高さは 9㍍である。 ︻タラ・シ︼
14
ブリャート共和国
ウ ラ ンウ デ。 ロシアの
主教座大聖堂だ。
3
ベ ル フ ニ ャ ヤ・ ベ 仏教の世界へ
以 品が集められている。
ろうそくをともす。 仏教寺院ではろう そくが特別な方法で ともされる。 大きならせん状 の線香のろうそく内部に文章 と名前を書く。 そうそくに火 がともされ、天井からつるさ れる。 内部の願いごとは煙や 風になびき始め、祈りをささ げたとみなされる。
jp.rbth.com/42829
仏教遺産の栴檀(せんだん)仏 高さ 15㍍ トゥバの大仏建立へ
絶頂期1945 年に建 仏舎利塔がある。 てられた。
バイカル湖の東側周辺
歴史を感じる ウランウデ
2
20
オ ジギ ト リエフスキ ー めに至 る まで、 東 シベ リャート語で﹃勇敢な戦
・ 5 ㍍、 重 さ 匈奴時代からの足跡
チベット仏教の僧と 話す。 僧侶たちはとても 気さくで、質問に喜んで答え てくれる。 ラマと会話した後 は、寄付をするのが礼儀だ。
40
仏 教の中 心として知 ら まな表情を紹介する。
レーニンの名 を 冠 さ 名の二つの広場を結ぶ。 高 さ
ウランウデには
10
れる歴 史の街のさま ざ
レーニン像健在
㌧。 世界最大のレー
4
ウランウデの散 策 は れた目 抜き通りは﹁革 ソビエト 広 場にはレー
1
旧 市 街から。スボボダ 命﹂と﹁ソビエト﹂という ニ ンの 頭 部 像 が あ る。 ニンの頭 部 像でギ ネス 上のさまざまな博 物 館
世 紀のロ
診断してもらう。 すべての仏教系大 学はチベット医学の 専門家を養成している。 医師 は診断のために患者の脈を はかり、治療用の薬草湯を 入れる。
19
ブリャートの遊牧民族は独自の建築学 校を設立した。モンゴル、チベット、中 国のチベット仏教の祭殿とは違う特別設 計の寺院(ダツァン)を建てた。ダツァン 建築にはロシア人が大きな影響を与えた。 代表的なブリャート建築は初の石造り のアニンスキー・ダツァン。19 世紀初め に建設された。平面図で見ると四角い 2 階建てで高さ約 15㍍。ブリキ製の丸屋 根がついている。 曼荼羅(まんだら)の 宇宙学的記号体系を具現化しようとした。 寺院の歴史には火災、地震、荒廃な どの厳しい試練があった。1990 年代に 寺院復興が始まり、祈とうも復活した。
日本にも正教 40
︵自由︶ 、ソビエト、 バ ジナヤ︵河岸︶の4本の
ル タ ヒノフ、 ナ ー ベレ
木や石の彫 刻で飾 ら
通りに囲まれた地区。
家 並みは、
4
れたロシア商 人 た ちの シア帝 国の雰 囲 気を漂 わせる。
ブリャート独自の寺院「ダツァン」
70
70
つのやる事 お寺参り した時に
10
フルデを回す。 寺に入る前、時計 回りに周囲を歩く。 マントラが描かれた円筒形 のフルデ (マニ車) を回せば 祈りをささげたことになる。
13
70
19
30
12
70
地方・ブリャート共和国 4 2014年(平成26年)3月13日(木)
ロシア NOW jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
年 前の﹁オレンジ革
解決は米欧露交えた共同作業で するだろう。
そして ﹁浄化﹂。さらに、 以降、 何度も冷戦終結
一層 大 きな 問 題に直 面 力、 国 賊 の 割 り 出 し、 化しよう。1989 年
の構 図はなくならず本
新 しいシステムに忠 誠 が宣 言されたが、 対 立
勝者による浄化の試み を誓わせることだ。
を﹁処罰する﹂勝者たち の 開 始 が 宣 言 さ れ た。 の向こ うには 二つの可
の東・ 南 部の反 対 勢 力 で は 浄 化 キャンペー ン
ウクライナの転 換 期
西 部 のいくつかの州 能が息づいている。
その歴 史の特 殊 性、 メ 地 政 学 的 敵 対へと逆 戻
も う一つの 脅 威 は 国 ンタリティーの差 異は、 りさせる。
日米も日露も大事 日本ジレンマ
日本は対露関係におけるい
かなる 急 激 な 変 化 も 国 益に
とってマイナスの結果をはらん
でいることを認識している。
この面で大きな役 割を演じ
エネルギー事情も要因
コット する中で、ソチを 訪 問
首脳が冬季五輪開会式をボイ
化石燃料の供給源の多角化
ウクライナ危 機の行 方がロ
ネルギー部 門 再 編はロシアの
を目指す福島原発事故後のエ
ているのは経済的事情だ。
シアと世 界の関 係に影を落と
してプーチン大統領と会談し
ロシアもアジア重 視の輸 出
役割の向上を見込んでいる。
政 策を推 進しつつ、 日 本を極
露日間では経済面や人道面
めて有 望なエネルギー市 場の
の交流が活発化し、平和条約
一つと 捉 えている。 3 月 4 日
日本の反応は予測可能なも
年ぶりとなる
のであった。 日 本 はロシア非
る。 今秋には
ポスト共産主義諸国 性 を 認 識 するのか。 そ
ほぐす共 同 作 業の重 要
ロシア、 米 国、 欧 州
急 激に悪 化させ、 東 部
たことも特筆に値する。
国 家 主 義 者への崇 拝に
ロシア大統領の日本公式訪問
に関 する交 渉も再 開されてい
か し、
国間の経済・資源外交の基本
に茂 木 敏 充 経 済 産 業 相 が 両
難の 7 声明に賛同した。し
がら亀 裂が生じていることも
相は、 安 倍 首 相のロシア訪 問
が予 定されている。 日 本の外
新 政 権の国 家 革 命は はウクライナにおいて、 な冷 戦が始まり、 分 裂
否めない。 共同声明は採択さ
目をつぶっている。
次 の 課 題 を 追 求 す る。 より鮮 明で歪 曲︵わい 国 家 が 再 びそのシンボ
れたが、 米国、 英国、フラン
スの極めて強 硬な姿 勢とドイ
訪れる意向を確認した。
準 備の枠 内で今 春にロシアを
も理由のないことではない。
に変 わりはない、 と 述べたの
ず﹂ という状況に変わりはな
﹁ 二 兎 追 う 者 は一兎 を も 得
レンマに立たされている。
線を堅 持 すべきか、 というジ
までロシアとの関 係 強 化の路
の怒りを買 うリスクを冒して
か、太平洋の向こうの﹁兄貴﹂
ナ問 題で米 国と手を結ぶべき
の関 係を損ねてまでウクライ
それゆえ、 日 本はロシアと
している。
係を損ねるということを自 覚
たかに見える米国との信頼関
が、ロシアとの対決路線をとっ
日本は、過度な親露的姿勢
ツ、 イタリア、 日 本の慎 重で
7 内 部 にわ ず か な
すなわち、 反国家的勢 きょく︶された形で表面 ルになるかである。
が直面した深刻な問題 れとも欧 州で大 がかり
味 方 して戦った 過 去の ある。
潜在的試みだ。
すことは明 らかであり、 露日
の最 も活 動 的な部 分の これは地 域 間の関 係 を 能性がある。
関係も例外ではない。
ロシアは、 分 離 の示
西 側は旧 野 党の極 右 の住 民が支 援を訴 える の大 国 とウクライナが
体へ引 き 入 れる 試 みが 唆に至 る までのウ クラ
勢 力の出 現 やナチスに ロシアを あ おる 恐 れが 欧 州の歴 史のもつれを
この国 を 競 合 する連 合
触活発化を含め、 あら
国 内の緊 張の激 化への イナの個 別 地 域との接 状況をつくり出す。 ウ クライナの問 題 は ゆる可 能 性を検 討 する
は 革 命の口 実 と なった
キエフの政 治 家 た ち
国 外 の 強 大 な パ ー ト かもしれない。 ナーの共 同 作 業のもと でのみ解決しうる。 ここ数 週 間の動 揺は E U との連 携に関 する ウクライナ社 会 がいか 問 題 に 速 や か に 立 ち
対立の本能息づく
月に政権の座に
カ
い。 とはいえ、 何 らかの局 面
打 開の道がいずれ見 出される
ことであろう。
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ピョ ー ト ル 大 帝 は
他宗教との共生という
ロシア帝 国 終 焉の原
き たのはヨーロッパ式 ができただけだった。
の地を構 築。これがで できたように、 他の国
せる兵力を置き、共同 代ローマにイタリアが
うに、部族間を和解さ 変 化のためだった。 古
ローマ帝 国 が 行ったよ でもなく、 パラダイム
部 族 が 存 在 していた。 因は民族的でも宗教的
民 族 文 化、 敵 対 す る
ロ シ ア に は 地 元 の 試みを行ってきた。
点である。
国と違 うところはこの 帝の時 代 から多 文 化、
が米国を除いた西側諸 た。ロシアはイワン雷
重 要なことだ。ロシア すべての民 族をまとめ
人 がロシア人。これは
シアの価 値 観 を 持った げだ。
ロシアに入 国 し、ロ に組織された軍のおか
ドミトリー・ストレリツォフ氏
に分 極 化 されている か 返った。
無視された提案
控えめな反応との間の温度差
が指摘されている。
クを放棄した。3 月3日の安
倍晋三首相の発言にも﹁慎重
さ﹂と﹁自制﹂を促す︵しかも、
争当事者に対して︶姿勢が見
ロシアのみな ら ず すべての紛
日 本 政 府 のこ う し た 抑 え
てとれる。
20 1 2 年
た ト ー ン は 偶 然 で は な い。
ついて以 来、 安 倍 首 相は
月 間にロシアのプーチン大 統
領と5回も会談している。
安 倍 首 相がオバマ、 オラン
ド、 キャメロンといった西側の
世紀初
帝政ロシアという国
ロシ ア は
め、 ヨ ーロッパとい う
よ り アジアだった。 タ
タールのくびきの時 代
受けていたからだ。
から東 方の強い影 響を
ピョ ー ト ル 大 帝 が
ヨーロッパへの窓を開い
け放たれた。 学者、 技
た。ロシアへの窓 も 開
術者を含め数十万人の
ヨーロッパ人 が 押 し 寄
帝 国は成 り立 たなかっ
せ な かった ら、ロシア
モスクワ国際関係大学教授
西部の極端な国家主義 ウクライナの経 済 的 成 功 はこの国 がロシア
10
G7声明賛同だが 対決姿勢避ける
を 示 し た。 す な わ ち、 者、 東部の報復主義者 の二極である。
領はこれを 昨 年 秋に提 案したが、 E Uは耳を 仮にこの提 案 を 拒 否
貸さなかった。 し続 けるならば、 経 済
ウ クライナと﹁アラブの
日本政府は﹁自制﹂を呼びか
本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、
けつつ、対決をあおるレトリッ
風刺漫画などはさまざまな意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたもので
重 要なのは、 非 同 盟 市 場と欧 州 市 場のいず
メールのあて先は jp@rbth.com です。 お気軽に日本語でメールしてください。
︵EU︶のスポーツ感覚 のウ ク ライ ナのステ ー れにおいても 可 能 性 を タス、 2 0 4 2 年 まで 維 持 しうる場 合にのみ
ま ず 第一に、 独 立 後 のような熱中。
ウ ク ラ イ ナ は 再 び、 もたらした。
危ないウクライナ革命
命﹂ 後と同様、政治体 の 年 余りの間に国 家 ウ クライナにお ける のセ バスト ー ポ リにお 達成しうる。 つまり、 3 者 協 議 や 制 が崩 壊 した。 すべて に対 する責 任を自 覚し 激 震から導きうる主な けるロシア黒 海 艦 隊の がはるかに恐ろしく悲 な かった ウ ク ライ ナの 結論は、この国を﹁ロシ 配備に関する協定だ。 利害関係の調整が必要 なのだ。 プー チン大 統 惨な形で。 犠牲、 流血、 相互の 憎悪。 過去の過ちは繰 り返さないと約 束 する
かわからない。 春﹂との類似性はロシア ロシア上院︵連邦会議︶
省なのだ﹂
15
勝 者 た ちのロマンチシ ズム。 そして、 独 立メ 再び北大西洋条約機 的破綻から国を救わな 指 す 新 政 権の志 向はロ イ ナの新 政 権 は、ロシ
ウクライナを地 政 学 的 選 択の前に立 たせては 構︵NATO︶加盟を目 くてはな らないウ クラ
ディアの懐 疑 的 視 線 が 政治階級の無力。次に、 アと西側﹂という厳しい 交錯している。
ウクライナには 多 額の資 との﹁連合協定﹂の署名、政
ター、 衝 突、 テロ、 新 たな
国際委員会のマルゲロ
これは経 済 不 況 回 避の保 混 乱に発 展 し た。 チュニ ジ 証ではない。ロシアとの関係
﹁このような悲観
て明言した。
フ委員長はこれについ 高まるばかりだ。
的シナリオを警戒 ロシア語の弾 圧 と 全 面 的 き起こしており、 彼 らが政
警 戒 していた ウクライナ東 部 がどのよ うな 動 きに出る
シア 連 邦 外 務
しているのが、ロ からやり直しになる。
両 国では 事 実 上、 すべて一 場 合、 キエフの騒 乱 を 強 く
権を去るのも時間の問題だ。 な ウ クライナ 化 が 加 わった
人、 無 秩 序、 不 安 定 を 引
治が緊張の激化、 政治的殺 こと か ら、 不 況のリスクは
アではイスラム 主 義 者の政 が寸 断される可 能 性が高い
エジプトでは 軍 事 クー デ 治的支援が約束されている。 政 府 も 認 識 し ている。
安定をもたらせなかった。
ため、 分 裂した社 会に再 び 金的援助、欧州連合︵EU︶
条 件 を 押 しつけよ うとした
ウクライナの多様性、 シアの強い反発を招き、 アの封 鎖 措 置のゆ えに
ウクライナの民族主義者
12
17
さまざまな要 因がキ 影 響 力の対 象とみなし ならないことだ。
ム主義者は政権についても、
ニコライ・スルコフ氏
エフでの流 血の結 末 を てきたロシアと欧州連合
不安定を招くだけ 義 者 がウクライナ政 権につ
性 急 すぎる選 挙で民 族 主
の親ロシア派 と西 部の民 族 の民族主義者ばかりだ。 主義派に分かれた。 これ ら すべては 非 常に困 難な経済状況を背景として く可 能 性がある。 その後は 起 き た。 ウ クライナはエジ どうなるのか。
経 済を中心とした国 内の重
リビアでも西 側 諸 国の積 極 的 支 援を受けての政 権 交
ウクライナ情勢を注視しているロシア 人は全体の 4 分の 3。ロシア人の半数 がいずれの当事者にも共感していない。
キエフで発 生 した 騒 乱 と ﹁アラブの春﹂には共通点が ある。エジプトとチュニジア ではウクライナと同 様、 汚 職、 権 利の侵 害、 低い生 活 チュニジアとエジプトで明
チュニジアとエジプトで革
要 な 問 題 を 解 決できないこ
ら かに なったのは、 イス ラ
命の結 果、 過 激 派イスラム
クライナ化﹂を掲げ、強固に 意見の一致を図ろうとせず、
起きている。どの野党も﹁ウ ム同胞団は他の政治勢力と
様のこと が ウ クライナでも と だ。 政 権についた ムスリ
主 義 者が政 権を握った。 同
務不履行︶寸前にある。
水準への不満を訴えるため、 プトと同様、デフォルト︵債 一般 市 民 が通 りに集 結 した ことから始まった。 革 命 は 反 政 府 派の過 激 化、 社会全体の二極分化を 生 ん だ。エジプト と チュニ
お手紙をお寄せください
G
ただろう。
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代が無政府状態と国の事実 ﹁アラブの春﹂と類似
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ジアでは社 会 がイスラム 教
情報提供:全ロシア世論研究センター (2014 年 2 月 28 日発表)
G
「ロシア新聞」 の Russia Beyond the Headlines 部局はロシアを紹介する特殊折 り込みやセクションを編集し、下記の新聞で配布しています: 毎日新聞(日本) 、Global Times(中国) 、中央日報(韓国) 、エコノミック・タイ ムス(インド) 、ネーション(タイ) 、ジ・エイジ、シドニー・モーニング・ヘラルド (オーストラリア) 、ザ・ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ(米国) 、ウォー ルストリート・ジャーナル(米国) 、デイリー・テレグラフ(英国) 、ラナシオン(ア ルゼンチン) 、フォリャ・ジ・サンパウロ(ブラジル) 、フィガロ(フランス) 、南ド イツ新聞(ドイツ) 、エル・パイス(スペイン) 、ラ・レプブリカ(イタリア) 、ルソ ワール(ベルギー) 、ドゥーマ(ブルガリア) 、ジオポリティカ(セルビア) 、ポリティ カ(セルビア) 、ノワ・マケドニア(マケドニア) 、GulfNews、Al Khaleej(UAE)、El Observador(ウルグアイ)、Elftheros Typos(ギリシア)
主義派と世俗国家派に分か
ナタリア・ミハイレンコ
す。必ずしも「ロシア NOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。
上の崩壊を招いた。
ウクライナで何が起こっ ているのか
モスクワ国立国際関係大学東洋学部助教授
結局のところ、ロシアは西 世界にとって有益だったこ 側全体と対立する羽目になる とは、政治は単に強硬であ のではと危惧させる。同時に、るだけでなくプラグマティッ 現代の国際政治の単純な構 クであるべきだという教訓に 造が露呈することになった。 なった。どこかの領土が「美 今回の危機が見せてくれた 味しそう」にみえても、それを のは、ロシアを西側社会の 消化する余力がないなら、飲 正式かつ合法的なメンバー み込まない賢さを持つべきだ とみなす者は誰もおらず、ま ということも教えてくれた。 た、そういうことは決して起 米国がロシアを孤立させよ らないだろうということ。現 うとしても、逆にそれによっ 代世界の力の構造は依然とし て、ロシアがもてる力を集中 て、いかにロシアを抑止する して臨機応変に対応してくる かという論理に基づいている。 ようにし向けるだけだから。
パーベル・グセンコフ氏
編集兼発行 ユージン・アボフ Eugene Abov 編集デスク アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova 編集アシスタント ナタリア・ススリナ Natalia Suslina 電子版編集 セルゲイ・パシェンコ Sergey Pashenko デザイナー アンドレイ・シマルスキー Andrey Shimarskiy 編成担当 ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya レイアウト イリーナ・パブロワ Irina Pavlova サブ編集者 三瓶良一 ゲスト編集者 町田幸彦 インフォグラフィック ガイア・ルッソGaia Russo、 ナタリア・ミハイレンコNatalia Mikhailenko 写真 アンドレイ・ザイツェフ Andrey Zaitsev 広告 ユーリア・ゴリコワ Julia Golikova
フョードル・ルキヤノフ氏
ボリス・メジュエフ (イズベスチア 誌)
歴史学者、展示会「正教ルーシ ロマノフ 私の歴史」の指導教官
アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa ウラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin
編集委員会長 社長 編集長
外交・防衛政策会議議長
ロシアを孤立させようとしても無理だ
民族・宗教を抱え込む
編集スタッフ
ソチ五輪、パラリンピックの開催に並行して起き たウクライナ情勢の悪化。ロシアは西側から批判 を浴びている。こうした状況の中で、ロシアの識 者の見方、論調をいくつか紹介する。 ウクライナ情勢を受けて、ロシア上院 (連邦会議) は必要な場合にクリミアで軍事力を行使すること を承認した。ロシア・メディアの論調では、ウクラ イナや西側諸国への不信が目立っている。
すべてにおいて 自 分 た ちの
ロシアはただ、ウクライナ ロシアがクリミアでの軍事 での国益を守っているだけだ。 力行使に関する決定を行うこ ロシアはウクライナの「ナチ とでウクライナのロシア系住 化」を受け入れられない。そ 民を元気づけ、抵抗する覚 れはロシアがこの国への影響 悟のある者は見捨てないこと を失い、クリミアを黒海艦隊 を示した。ウクライナの新政 の基地もろとも失うことを意 権は事実上、自ら決断するこ 味するからだ。 とを避け、責任を外国の勢 ウクライナの民族主義者の 力に委ねてしまった。 動きをロシアの民族主義者は 結局のところ、ウクライナ 注視している。彼らはロシア に影響力を保つことの方がG 国民を擁護すると称しながら、8サミットをソチで行ったり、 時が来れば、政権を奪取す 自分がそのメンバーであるこ る構えにある。 とよりも重要である。
あらゆる可能性検討するロシア 20
ウクライナ情勢
団結し、 武装化した過激派
ゲボルグ・ミルザヤン (エキスペルト誌)
10
れ、 ウクライナでは南 東 部
ウクライナの「ナチ化」受け入れられない
西か東かの択一 が緊張を高める ロシアの 論調
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ロシア NOW 2014年(平成26年)3月13日(木)
5 オピニオン
ソチ冬季五輪大会でロシアは国別メダル獲得数のトップに
一方、 韓 国 か らロシ
ダル獲得に貢献したが、 アンとワイルド 4 本のボルトで固 定 さ
ダルだ。 米 国 出 身のワイルド
い る と す ご く 楽 し い。 年 後 もこ う して一緒
まれ、家族に金銭問題が
は重度の病気を抱えて生
ル ヌィショフはソト ニコ
も考えるな。感情は後で
ワに 言った。﹁ 前 半 は 何
代の踊り子は変身を
やってくる﹂
のため。父母、妹が幸せ
﹁ すべては 愛 する 家 族
た。
チェルヌィショフは絶賛し
せたことがなかった﹂ と
生でこれほどの演技を見
遂 げていた。﹁ 彼 女の人
五輪の金メダルを夢見て
で3 月
世界選手権出場で来日へ
世 界フィギュアスケー ト
フリーの曲はサンサー
カ プリ チ オ ーソ﹂。 この
選 手 権 大 会に出 場 する
日 開 催の
音 楽によって成 長 し、ソ
意 向 だ。︻ イ リ ナ・ ドゥ
振 付 師 ピョー トル・ チェ
アップで、 プログラムの
演技前のウオーミング
記事を参照︼
ポルト・エクスプレスの
ボワ、 イズベスチヤ、 ス
∼
トニコワの内に秘めたも
ソトニコワは、 埼 玉 県
のが露出していった。
ンスの﹁ 序 奏 とロンド・
きた﹂
で あってほ しい。 ずっと
は答えた。
由を聞かれ、ソトニコワ
妹のために滑る
歳のアデリナ・ソト
ズ ブコフ、 ボエ ボ ダ
ニコワはソチ五 輪の主 役
びを与 えてくれた。 ト ジナ選 手と20 1 1 年
リノ五 輪で金メダルを に結 婚 し、ロシア 国 籍 両 選 手 は 男 子 ボ ブ ス
ワはインタビューで、フィ
ギュアスケートは﹁仕 事
のしかかった。ソトニコ
だ﹂と断言している。 自
輪 史 に 輝 く 選 手 だ。 女
子シングルで初の金メダ
の一人、ロシアの冬 季 五
ルを母国にもたらし、国
レー2 人 乗りと4 人 乗
歳も金
妹はここ数 年、ドイツ
治療が左右される。
分のがんばり次第で妹の
ソトニコワの個 人戦優
民を喜ばせた。
り で 金 メ ダ ル を 得 た。
歳
フィギュア大活躍
勝を誰 も考 えていなかっ
医 師は最 初から家 族
3回受けている。
た。ソトニコワと キム・ で 非 常 に 高 額 な 手 術 を
ヨナ︵韓国︶が接戦を演
に 対 し、 今 後 何 度 手 術
ル3 個︵ 1 0 0 0 ㍍、 を取 得した。 両 者とも 数年間、 握手さえ拒ん
れたフィギュアスケート 手 は 女 子 シングルでソ
複雑なプログラム、困難
じた。ソトニコワはより
ソチ大会で努力する理
い渡した。
ビ リャレト ジノフ監 5 0 0 ㍍、 5 0 0 0 にパラレル 大 回 転でメ だ二 人は和 解し、 チー 団 体 戦でロシアは 金 メ 連・ロシア 通 じて 初の 椎間板ボルト固定 督 は 準 々 決 勝 のフィン ㍍︶ と 銅 メ ダ ル 1 個 ダ ル を 獲 得。 夫 は 金、 ム を 組 ん だ。﹁ 優 勝 は プルシェンコ無念 金メダルに輝いた。 ダルを獲得した。 ペアのボロソジャル・
が必要かわからないと言
歳 のリ プニツ カ
﹁ ︵妻の︶アリョーナが 男の友情の物語だ。
ヤ 選 手 はショー ト とフ ト ラニコフ組は団 体 戦 ルシェンコ 選 手 の 個 人 ンには 謝 罪の言 葉 しか した。 世 界ショー ト ト はこう話した。 ラック史では 最 多のメ
ソトニコワの妹マリヤ
転を成功させ勝利した。
しのロシア代表。
銅メダル以 来メダルな はソチ五 輪で、 金メダ
を獲 得 する快 挙をとげ レ ー クシティー 五 輪 の 3 個 獲 得 し た 同 選 手
年 間これを目 指 上 有 数の若い金メダリ 大 会で2 個の金メダル た。 2 0 0 2 年ソルト
最 大の落 胆 をもた らし
ロシア 国 民 にソチ 五 輪
準 々 決 勝で敗 退した イスホッケーの結果は ア
悪夢 アイスホッケー
だ。
が 個 人 戦 出 場 を 阻 ん ン・ヒョンス︶選手が喜 ノー ボ ー ダー、 ザバル 不和を乗り越え
られている 腰 椎の問 題 ル・ アン︵ 安 賢 洙 = ア し ている。 ロシ ア 人 ス
れた人工 椎 間 板で支 え ア国 籍になった ビクト 選 手 も夢の実 現に感 謝 にいたい﹂
20
で質の高いジャンプと 回
歳のソト ニコワ 選 た。
ストになった。
17
見 事に覆 した。これは
ソチ五 輪 から採 用 さ
してやってきた﹂
だ。
開催国の面目
躍り出た。前回のバンクーバー五輪では 位だったので、 ﹁ソ チ五輪では3位以内に﹂とかなり控えめな目標が立てられて 楽観的観測はとても少なかった。終わってみれば獲得した金
いた。 悲 観 的 な 人は5 位 以 下になるとさえ予 測 していた。 メダル数、 金・ 銀・ 銅メダル総 数で、ロシアは冬 季 五 輪の
銅9
自国の記録を塗り替えていた。 ︻アンナ・コジナ︼
銀
15
想定超えたメダル 個 ソチ五輪
金 個、 銀メダ バイアスロンとクロスカ
30
33
衝 撃 的 だったのは プ ランド戦敗退後、﹁ファ ︵ 1 5 0 0 ㍍︶ を 獲 得 妻は銅。 ワイルド 選 手 無理﹂という一部予想を
17
今 回ロシアの成 績 は ロシアのお 家 芸 だった リーに出 場し、 五 輪 史 と個 人 戦で優 勝し、 1 戦 棄 権。 団 体 戦で金メ ない﹂と述べた。 ントリーだ。 4 位どま 中の用具破損、 距離別
個 だった。 金メ りの繰 り返 し、レース
個、 銅メダル9 個
金メダル ル の計 ダルの最 多 記 録はソ連 時 代の1 9 7 6 年イン での転倒、 射撃失敗な
㌔決勝では金銀銅
クロスカント リー 男
クロカンは独占
去った。
スブルック大会の 個。 どの過 去の悪 夢は消え メダル獲 得 総 数では
今回これに並んだ。
個
年カルガリー冬季五 輪でソ連 チームの 子
金 メ ダルに輝いた レ
が独占した。
輪で開 催 国が金メダル のメ ダルをロシア選 手
が最 多 だった。 冬 季 五
したのは4度目だ。
の獲 得 数の記 録を更 新 最 後の2 日 間で、ロ フコフ選 手は泣 きなが あげた。 活 躍したのは ルの価 値は私の命 以 上
シア 代 表 は一気 に追い ら語った。﹁この金メダ
壮絶プルシェンコ 手術、演技、手術の9年間 フィギュアスケートのエフゲニー・ プル ェンコがイスラエルで3日、 回目とな シ た。彼にとって手術は氷山の一角である。
る手術を受け、 破損したボルトを除去し
年=鼠径ヘルニア除去 世界選手権 スクワ大 会の前に激 痛を モ 感じ、フリー を棄権。ドイツ・ミュンヘンの病院で鼠径 ヘルニアの除去手術を受けた。
ノ五 輪で 年=半月板除去 年 トリ 年、再びミュンヘン 金メダルを獲得した翌 の病 院に入 院。 片 方の膝の半 月 板がバラ バラになっていた。手術は成功した。
年=半月板除去 銀に終 わったバン 燃える中、もう片 クーバー五 輪の雪 辱に 方の膝がやられた。 欧州選手権は鎮痛剤 を打ちながら7度目の優勝。この後、ミュ
見つかり手術を受けた。
2
ンヘンで半月板の損傷部分を切除した。
年=椎間板ヘルニア除去 さらに追 打 ちをかけるよ うに椎 間 板 い ヘルニアが 年=人工椎間板 イスラエルの病 院 受診。 椎間板の1 枚 がすり減った状態 を た。 ポリマー製の人工椎間板が埋め込ま
になっていた。もう1カ所のヘルニアもあっ
sochi2014. roshianow.jp/
れ、4本の金属製ボルトで固定された。
年の
年=ボルト摘出 ソチ五 輪の個 人 戦 感じ、 その後 棄 権 前に練 習で腰に痛みを した。 手術でボルトを摘出。 彼は
24
5
ソトニコワの覚悟
4
15
10
マリア・コミサロワが負傷 フリースタイルスキー選手のマリ ア・コミサロワは2月15日のスキーク ロスで転倒し、脊椎が骨折してずれる重傷を負 った。緊急入院して手術を受けた後、治療のた めドイツに送られた。現在の状態は医師団によ ると良好だという。
ラフマニノフと62台のピアノ 閉会式の主なテーマの一つは ロシア音楽の歴史だった。世界的 ピアニストのデニス・マツーエフがセルゲ イ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を 弾くと、62台のピアノと演奏者および248人 のアーティストが回転し始めた。マツーエ フの傍らでは赤いドレスをまとった「ミュー ズ」が楽譜をめくる。後に彼が記者会見で 語ったところでは、地面からピアノごと持ち 上げられた瞬間にはドキドキしたとか。
記憶に残る
15
11
平昌五輪への出場も否定していない。
ソチ五輪の
29
jp.rbth.com/47405
つのドラマ
13
もっと読む
18
3
13
リプニツカヤとソトニコワ ソチでは若きスター、15歳のユリ ア・リプニツカヤが誕生し、 フィギュア スケーターの見事な演技は話題をさらった。団 体戦では、彼女のフリーでロシア・チームの金 メダルが確定した。ただし個人戦では成功に見 放され、5位に終わった。 もう一人のセンセーシ ョナルな新星は17歳のアデリナ・ソトニコワだ。 個人戦では輝かしい勝利を飾り、初の金メダル を獲得した。
1
50
06
四輪を逆手に 2月7日の開幕式では5つ目の雪 片が開かず「四輪」に終わるというハ プニングが起きた。 ジョークのネタになり、四輪 はソチ五輪の非公式シンボルになった。 セレモニーの総合プロデューサーを務めた コンスタンチン・エルンスト氏は翌日にこうコメ ントした。 「禅僧には玉を磨く時は、 わざと一カ 所ざらざらな部分を残して、研磨の完璧さを際 立たせたほうがいいという考えがある。 あの五 輪は技術的には一番簡単な部分だったので、 ち ょうどその ざらざら になったわけだ」 運営者たち達は、四輪を逆手にとって、閉会 式にも使ってやろうと思いついた。最初700人 の出演者が様々な形をつくって観客を楽しませ た後、5つの輪を作ったのだが、5つ目が他の輪 よりも小さい。 あれっと思わせておいて、 その数 秒後に5つ目の輪がぱっと開いた。 エルンスト氏は五輪最終日には、四輪をあし らったTシャツで記者会見に登場した。
5
05
07
12
12
13
14
ホッキョクグマに涙 閉会式のクライマックスはソチ五輪マスコッ ト、ホッキョクグマ、野ウサギ、 ユキヒョウがスタ ジアムに現れた時に訪れた。鏡で形作られた氷の塊 が割れ、中央に聖火台が出現。ホッキョクグマが聖火 を吹き消すと、本物の聖火も静かに消えた。胸が一杯 になったホッキョクグマの頬に一滴の涙が流れた。
11 33
88
17
ホットでクール みんなの大会
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ソチ五輪 6 2014年(平成26年)3月13日(木)
ロシア NOW jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
︵3 月 7 ∼
日︶で、ロシアのパラリンピック選
2 0 1 4 年ソチ冬 季 五 輪パラリンピック大 会
冬の思い出の余韻
感想
多くのパラリンピックの選手
ど、 今日の閉 会 式は
火 に 舞い上 がった け
模、 華麗な装飾、 花
開会式は壮大な規
した。 テレビで見 た
方 もないものを 目に
︵ロシア︶ ﹁ 今 日 私 た ちは 途
ラ イ ズ で 感 動 し た。
を 見 た。これはサ プ
そこに映 る 自 分の姿
然、巨大な鏡が現れ、
能 した。 その後で突
しい演 出の数 々 を 堪
送りながら、 素 晴 ら
﹁観 客は選 手 を 見
︵アメリカ︶
フィルさん
私たちはロシアに対し
生 き し た イ メ ー ジを
あ り、 現 代 的 で 生 き
モーショナルで深みが
る と 思 う。 と て もエ
イ メ ー ジと 関 係 が あ
は、 海 外でのロシアの
を表すというアイデア
で、 鏡の反射でロシア
﹁閉 会 式 典のショー
︵フランス︶
シャルルさん
の重 要 性を認 識されるよ うになって、 初 めて成 ︻アンナ・コジナ︼
新種目スノーボードクロス
ソチ・パラリンピック
功できると考えている。
にとって、ソチは初舞台となる。
全然違うものだった。
誰 もが自 分は世 界の
アンナさんと ドミトリーさん
新 種 目 としてスノー ボ ー ド
すべて ア カ デ ミック
て持っているから﹂
手 団は初めて全 競 技に参 加 する。 選 手やパラリ
16
ンピックの関係者は、 社会でパラリンピック大会
クロスが加わる。この種目の関
だと感じた﹂
か け が えのない一部
備 えてステップをなくした特 横 断 歩 道 や 公 共 施 設 には
別のバスがお目見えした。
に設置され、自宅学習の一部の
よく耳にする。ソチ・パラリ
限られた人﹂ という言い方を
代わりに﹁健康の可能性が
の点 字 ブロックが何 ㌔にもわ
や 公 園 に は 弱 視 の 人 のた め
設 置 さ れ、 歩 道 や 横 断 歩 道
アンドレイ・ ナソノフスキー
セレモニー実行 ロデューサー プ
プロとして新境地開く
﹁閉 会 式の準 備で主 な 課 題
になったのは、これまでの五
輪のレベルを クリアすること
だけではなく、 プロの観 点か
ら 新 境 地 を 開 くこと が 重 要
だった。この点で、ロシアの選
手たちはその粘り強さ、 勝利
への意 志で、 我 々 を 大いに鼓
舞してくれた。 おかげで、 す
ロシア・スポーツダンス連盟副会長
アナスタシア・チトコワ
スポーツダンスを紹介できた
﹁開 会 式と閉 会 式に3 0 0 人 以 上
のダンサーが 参 加 し、 ピョー トル大
帝 時 代の兵 士、 舞 踏 会で踊る令 嬢と
貴 公 子、 おとぎ話の村の住 民、 文 学
作 品の主 人 公たちを演じた。 彼 らは
教 え子 だ。 我 々の連 盟 会 長ワレンチ
ロシア各 地 か らはせ参 じた 私 た ちの
ン・ユダシキンの長年の夢︱︱スポー
ツダンスの五 輪 種 目 採 用 が近い将 来
興︶ ﹂のデビ・タマラシビリ代
団体﹁ボズロジジェーニエ︵復
な どのセ クションが開 設 され
リング、チェス、アルペンスキー
害者用のシャフルボード、カー
すべてのスポーツ施 設で障
の体験談である。
ラジー ミル・ロジオノフさん
これは、 車椅子障害者のウ
い出。至福の 分間だった﹂
ソチの海 辺の光 景は一生の思
夏の週末には多くの障害者
ないな どと注 文 をつけ、つく
ステコリニコフ代表は﹁ソチで
団体﹁STOIK﹂のオレグ・
ソチの車椅子障害者の社会
整っており、 浮揚式車椅子を
た人﹂のレジャー設 備がほぼ
岸は﹁健康の可能性が限られ
やってくる。 市の中 心 部の海
が最大のビーチ﹁リビエラ﹂に
り直させた﹂
はカーリング熱が高まり、 う
用いて海水浴もできる。
jp.rbth.com/47433
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とを夢見ている。
国とカナダに勝 利 するこ
のパラ リ ンピックでは 米
メダルを獲得。 自国開催
された世界選 手権では銅
昨年4 月に韓国で開催
の仲間入りを果たした。
か3 年半で、 世界の強豪
結 成された。 そしてわず
冬 季 パラリンピック後 に
2 0 1 0 年バンクーバー
ロシアの代 表 チー ムは
5年も経過していない。
ホッケ ー が 始 まってま だ
ロシアでアイススレッジ
ホッケー代表
目標は米加に勝つ
実現することを期待している﹂
ともよい勝 負ができるまでに
べてが最高水準となった﹂
から深 夜 まで市 内のすべての
なった﹂と喜んでいる。
﹁昨年夏、パラシュートで海
地下通路に立ち、車椅子の選
手や旅行者たちが昇降機に乗
表は語る。
た。 パラリンピックのお か げ
上を飛んだ。空から見渡した
﹁ソチのバリアフリー化は手
で、ソチの障 害 者スポーツ人
り降りするのを手伝う。
探り状態で始まった。 私たち
口は3倍に増えた。
パラリンピック開 催 中、 ボ
ちのチームは他の強豪チーム
ナ・シネポストロビビッチ︼
の精神を育んだ。 ︻スベトラー
元の人々の意識も変え、寛容
はソチの町 だけではない。 地
パラリンピックが 変 えたの
ランティアや地 元 市 民が早 朝
市民に寛容精神
なスロープじゃ車 椅 子が通れ
は自ら市内を歩き回り、こん
ソチに残った 得 難いもの
4年後は平昌
で、 と て もエレ ガ ン
数年前には一般的だった﹁イ ア語は、 現 在のソチでほとん
ンバリド︵障害者︶ ﹂というロシ
子 どもた ちが通 学できるよ う
電 動 昇 降 機やエレベーターが ソチの行 政 当 局 は 体の不 自
になった。 バリアフリーの街に
ど使われていない。
由な人にとって便利な街となる
たって敷 設 され、 音 声つきの 信号が取り付けられた。
ンピックの準備の過程で、人々 の意識が変わり始めた。
なりつつある。 伝説的なアイスホッケーの元
よう、 大規模なプロジェクトを 実施した。
リゾートパーク﹁リビエラ﹂ 別ATMが置かれた。市内の
ソ チ は バ リ ア フ リ ー・ プ
多くの表 示が点 字 付きになっ
選手、ウラジスラフ・トレチャ
シ ア 最 初 の 都 市 に な った。
た。商店には障害者用の呼び
公 園、 駅、ホテル、 商業施
1500以上の施設で﹁健康
には車椅子利用者のための特 ﹁パラリンピックは政 府 を 刺
の可能性が限られた人﹂のア
ロ ジェク ト が 実 現 さ れ た ロ 激し、彼らが何を必要としてい
クは大会の意義を強調する。 示が設 置され、 車 椅 子を運 ぶ
るのかについての理 解と認 識に
設には 視 覚 障 害 者のた めの表
された。
鈴設置が義務付けられた。 ソチの車椅子障害者の社会
クセスが可能になった。 自 動スロープや広いドアを
つながった。このような認識は
ことのできる特別なバスも導入 スロー プ、 視 覚 障 害 者 誘 導
国中に広まりつつある﹂
五輪旗韓国へ
係 者は8 年にわたりパ ラリン
スト・ナショナル通信社ロシア通信提 供
ト。感動的だった﹂
ン、子供ファン、フィギュアのエ キシビション、男子 50㌔フリー でゴールしたレグコフ(ロシア) 、 前回パラリンピックでのミハイロ フ(ロシア)=ソチ冬季五輪大会のホ
ピック出場権を求めてきた。
バリアフリー都市 パラリンピックには 6 つの 障がいグループがある。① 四肢に欠損のある選手②脳 性まひのある選手③知能障 がいのある選手④視覚障が いのある選手⑤脊髄に損傷 のある選手⑥その他の障が いのある選手。 冬季パラリンピックの始ま りは 1976 年。70 年代末に モノスキーが開発されたこと で、運動系に障がいを抱え る選手でもアルペンスキー ができるようになった。 パラリンピック大会のチ ケットは 350㍔(約 1050 円) 1500㍔(約 4500 円)の価 格帯。人気の高いチケット は開会式と閉会式、アイス スレッジホッケー、アルペン スキーとなっている。 らうことが必要だ﹂と話す。
6つのグループで競技
用ブロック、 特別リフトが学校
飾 を 背 景 に 7000 人 以 上 のアーティストが出演。楽 屋 裏に潜 入し、 壮 大な閉 会式の仕掛け人たちに聞い た。 【エレーナ・ルイサク】
4 年 後の2 0 1 8 年 平 昌 冬 季 五 輪ではクロスカントリー、 バイアスロン、 アイススレッジ アルペンスキ ーと 並 ぶ 独 立 競
ホッケー、 車 椅 子 カーリング、
ロシアは自国代表がすでに世
技になる。 界 選 手 権での優 勝 を 遂 げたス タンディングアイスホッケーを
観客の応援は選手の力になる。
が、実現は容易ではない。イベ
レベル をソチ も 目 指 すべき だ
C事務局長は﹁ロンドン大会の
ミハイル・テレンチエフRP
りは簡単には期待できない。
リンピック大会ほどの盛り上が
年は5 位。 アイススレッジホッ
パラリンピックの選手が見せ
ファンの支えが一番
スキーだ﹂
リー、 バイアスロン、 アルペン
期 待 が 高いの は クロスカント
ただ、ロンドン夏季五輪パラ
きな 感 動 を 呼 ぶ。 た くさんの
い尊 敬の念 が 沸 き 上 がり、 大
力 を 目の当 た りに すると、 強
ソチ冬季パラリンピック参 加者。2000 人の職員やボラ ンティアがサービスを行う。 ケーは世界選手権3 位だった。
世界チャンピオンになった。 昨
1600人
ントの重要性を一般に認めても
冬季五輪の開催地である韓 国・平昌に五輪旗は託され た。若いアーティストたち が韓国国歌を斉唱した。韓 国のテ・ジュンさんは決意
を語った。 「ロシアがハイレベルの 運営を見せてくれた。この 良き伝統を受け継ぐため、 重 大な責 任 感を持って準 備、運営に取り組む」
閉会式の最後、2018 年
プログラムに加えることも望ん
個の計 個の
ミハイロフ。 さらに金2 個のマ リヤ・イオブレワ、金3個のア ンナ・ミレニナ、金1個のニコ ライ・ポルヒン、金1個のミハ リナ・ルイソ ワ。 ロシュコフRPC第1 副委員 長 は、ロシア 代 表の強 さ を 自
負する。
パラリンピックのソ連代表 がインスブルック冬季パラリ ンピックに初参加。
第 22 回冬季オリンピッ ク・ソチ大会は2月 23 日 に閉幕した。オリンピックス タジアム「フィシュト」では 4 万 3000 個のさまざまな装
でいる。 ロシア・パラリンピック委 員 会︵RPC︶は、目が不自由な 人のためのスピードスケー トへ
の関心も高めようとしている。
2 0 1 0 年 バンクーバー 冬
前回はメダル総数で1位
個、 銀 メ ダ
季五輪パラリンピック大会でロ シアは 金 メ ダル 個、 銅メダル
た。 第 1 位 は 金メダル
個を獲得して、世界第2位だっ
ル 38
個のイレク・ザリポフとキリル・
パラリンピックで金メダル4
いる。
ロスカントリーのスター選手が
ロシアにはバイアスロンやク
がトップだった。
ドイツ。メダル総数ではロシア
13
1984年
一言
12 10
﹁カーリングの選手は一昨年、
ソチ冬季パラリンピックの 開催期間(3月7∼ 16 日) 。
6 面写真上=ソチ五 輪開会式。 左下=ショートトラック 500m で 優勝のアン(ロシア) 。右下=ス ノーボードスロープスタイルの練 習。7面上から時計回りにショー トトラック女子 1000m 出場のパ ク・スンヒ(韓国) 、日本人のファ
16
10日間
る精 神 力、 たくましさ、 克 服
10
重要性認識されることが成功のカギ 数字あれこれ
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ロシア NOW 2014年(平成26年)3月13日(木)
7 ソチ五輪
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偉大なロシアの作家の後ろには秘書やマネージャー
確執のドラマあり イツか らフランスを 経 れた。 目 を 見 な かった か も し がいな け れ ば ナ ボコフ
が自 由 自 在に語ること
シア革 命 後 亡 命し、ド 持っている と う わ さ さ なければ、 名 作は日の 付 き 添ったのは、 彼 女
ベラは 歳になっても が出来なかったからだ。
﹁妻 がいなかった ら一 れない。
ほ ど 親 密 だった 彼 らは 冊 も 本 が 書 けなかった
て米 国に渡った。 驚 く
1 冊のノー トに日 記 を だろう﹂。ナボコフの口 一日 6 時 間 タイ プライ 彼は妻に向かって語った
癖 だった。 ベラが 幾 度 ターに向 かい、 夫の小 のだ。 教 室にいた 学 生
編集した。 た ちはその話 を 聞 かせ ナ ボコフが 米コー ネ も ゴミ 箱 か ら﹁ロリー 説を翻訳し、
一緒につけていた。
80
居心地が悪くなり、憂さを晴らすため酒を イサドラは彼の死後 2 年ほど生きた。フ 飲んだ。貧者にイサドラの衣装を勝手に分 ランスのニースでダンスを踊った後、彼女 け与えたり、レストランで騒ぎを起こした。 はスカーフを首に巻き、乗車した。エセー イサドラは耐えかね、一人でパリに行った。 ニンの前で初めて踊ったときのスカーフだ。 エセーニンは酒量が増え、空想のなかで悪 「さらば友よ、私は栄光に向けて出発する」 霊悪魔と会話し、正気を失っていった。 と言うと、発進する車輪にスカーフが巻き 込まれ、彼女は窒息死した。舞踏そのもの 悲劇の終幕 の生涯だった。【ヤン・シェンクマン】 1925 年末、エセーニンはレニングラー ドのホテルの一室で、自らの血で記した詩 もっと読む 「さらば友よ」を残し、命を絶った。謀殺説 jp.rbth.com/47423 もある。
5月
ご意見、ご感想を お聞かせください! 編集長にお便りを
8日 (木)
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役として夫を支える妻がいた。ソフィア・トルスタヤ、
アンナ・ドストエフスカヤ、ベラ・ナボコフ。 苦しい
時でも 幸せだったのは、 偉 大 な 夫 を 愛 したか ら だ。
献 身 だけではない。 豊かなロシア文 学の世 界を育む
それでも夫婦愛
ベラが 大 学の講 義に てもらえただけである。
奮ってご購読を!
︻ゲオルギー・マナエフ︼
ラは 必 ず 夫のロシア文
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をあなたのinboxでご覧ください!
ル大 学で教 える 際、 ベ タ﹂の原 稿を取り出さ
学 講 義 に 出 席 し、 隣
に座った。 片 時 も 夫の
結婚後、二人は一緒に舞台に立ち、妻 が踊り、夫が詩を朗読した。イサドラは彼 を欧米に連れ出した。だが、エセーニンは
人生のドラマがあった。
苦しい時も幸せ
アンナが 懸 命にやり ナボコフと結婚した。
夫の朗読で妻がダンス
「ロシアの今週のトップニュース」 jp.rbth.com/47411
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れみであふれていた﹂
馬鹿げた情熱的なダンスを踊り、イサドラ にひざまずいた。彼女は彼の頭をなでて 「天 使」 と言ったが、彼の眼差しを見て 「悪魔だ!」 と口走った。これが二人の愛の告白だった。 彼女はロシア語をほとんど知らなかった。 彼も英語を知らなかった。しかし、二人は ポエジーと人生を分けていなかった。
文化 8
名作を育む力 した。
ロシア革命後、イサドラはモスクワに現 代舞踏の学校を開いた。彼女は労働歌「イ ンターナショナル」に合わせて踊った。労働 者たちの前で、若くない半裸の女性が赤い スカーフをなびかせ、裸足で飛び跳ねた。 たった一人だけ反応した男がいた。詩人 セルゲイ・エセーニンはいきなり、粗野で
トイは幸せな結 婚 生 活 取った。
ロシアを リサーチ
エセーニンとの出会い
ソフィア・トルスタヤ
もっと読む jp.rbth.com/46375
どこかロシア的 モダンダンスの祖、アメリカ人のイサドラ・ ダンカン(1877 ∼ 1927)の生涯は、その ダンスのようにまっしぐらで向こう見ずだっ た。それはどこかとてもロシア的だった。 イサドラはかなり豊満で、バレリーナと 全然違い、トウシューズを履いてつま先で 立てなかった。その代わり、身のこなしは 古代ギリシャの浮き彫りから抜け出したよう だった。イサドラはギリシャとイタリアの舞 踏を注意深く研究していた。
トルストイと結 婚 し をこう表現した。 彼 女 は 彼 の詩 のファ 隣 を 離 れないため、 夫 悲 しみを 乗 り越 えた 彼女は中編﹁賭博者﹂ ド ス トエフス キ ー は くりし た 結 果、一家 は たソフィアは 妻 と 母 の 晩 年のトルストイは 貧困から脱した。 ンだった。 二 人 と もロ を守るため短 銃を隠し の は 、 ト ル ス ト イ 全 集 ギ ャ ン ブ ル 中 毒 だ っ た 。 を 口 述 筆 記 し 日 間 で 務め に加え、田舎の地 独 自 の 哲 学 思 想 に 傾 完 成の目 標 が あった か 完 成 させ、 ドストエフ 結婚後、 借金取りに追 夫の死 後、 遺 作を出
お金を手渡ししない。夜、家から 物を出さない 。テーブルに空のボ トル、鍵や小銭を置かない 。ナイフ、 時計やハンカチをプレゼントしては いけない 。独身女性はテーブルの 角に座ってはいけない。旅の前には 座らなければいけない 。 ロシア人は迷信深く、さまざまな ジンクスに敏感だ。これらのほとん どはキリスト教伝来以前に遡り、そ の後 1000 年にわたるキリスト教時 代も、70 年続いた無神論の共産主 義時代も人々の迷信深さにさほど 影響しなかった。ロシアに住むなら、 これらの迷信を知り、どう振る舞え ばよいか知っておく必要がある。
個性はじけるイサドラ
知っておきたいロシアの迷信
チェーホフ
お問い合わせはこちらで: jp.rbth.com/ culture_calendar
電子版でもっと読む
買い取られた
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所のやり繰りをした。 き、最も困難な時期だっ 版し、彼の博物館を守っ ら だ 。 ﹁ 天 才 、 真 の 偉 わ れ 、 一 家 は ヨ ー ロ ッ パ ス キ ー の 全 作 品 の 著 作 彼 女は夫の秘 書、マ た。 彼は家族と所有物 人 だった 夫の妻 と して た。 彼 女 は 再 婚 せ ず、
小麦粉 400㌘、少し冷たいバター 200 ㌘、 砂 糖 100 ㌘、 卵 黄 3 個、 水 30㍉㍑。バターは少し冷たい状 態のものを使う。 ピローグの中身:バター 100㌘を こね、 卵 2 個、 砂糖 200㌘レモン 2 個分のピール、レモン 3 個分のレ モン汁を加えて混ぜる。蜂蜜のよう になるまで煮沸させる。
ネ ー ジャー、 筆 記 者に の概念を否定した。
[チケット] 全席指定席 / 消費税込 一般 / 5,000円 25歳以下と学生 / 3,500円 [お問い合せ] 劇団銅鑼 / TEL 03-3937-1101
•まるごと •銅製の旅人
[会場]六本木・俳優座劇場
レシピ:ピローグ・アンケ
レ フ・ ト ル ス ト イ と ソ フ ィ ア・ ト ル ス
[開催期間] 2013年3月12日(水)∼3月18日(火)
ロシアを読む
タヤ 写 、アンナ・ ( 真上 =ロシア通信撮影︶ ドストエフスカヤ︵写真中央 =ロシア通信 、 ベ ラ・ ナ ボ コ ワ︵ 写 真 下 = Getty 撮 影︶ 撮影︶ Images/Fotobank
隣人愛と理想を追って、シベリア鉄道に 乗った三人の女性作家。与謝野晶子、中條百 合子、林芙美子。 一人は7人の子を置いてパリにいる夫に会 いに、一人はロシア革命10年後の社会を観 に、一人は画家の恋人に会いに。 21世紀を生きる作家・森まゆみはアリョー ナを旅の友とし、三人の女性の生き方を検証 しながら、青春時代の憧れであったシベリア 鉄道に乗り、自身にも問いかける。 人生にとって旅とは何か?平和で幸せな社 会はどうしたら作れるのか?
冗談を言った。﹁ドスト
劇団銅鑼公演 『女三人のシベリア鉄道』
エフスキ ー 以 外 にふ さ
[会場] 富士フイルムフォトサロン スペース2 [開館時間] 10:00∼19:00 (最終日は16:00まで/入館は終了10分前ま で) 会期中無休 [入場料] 無料
トルストイ家で最もおなじみの料 理はレモンの詰まった「アンケのピ ローグ」。夫人の母の友人だったア ンケ博士の名前にちなんだ。トル ストイの息子のイリヤ・トルストイは 「父はこのピローグに夢中だった」と 回想録に記した。 アンケ・ピローグを含むトルスト イ家の料理は現在、博物館「ヤース ナヤ・ポリャーナ」で食べることもで きる。レシピ本の発刊も博物館のア イデアだった。
は弱 すぎた私を人 々が
[開催期間] 2014年3月28日(金)∼4月3日(木)
定番は「アンケ博士のピローグ」
わ しい人?ト ルス ト イ
多民族で多様な文化を誇るロシアのさまざ まな表情を切り取った写真を一挙展示する。 在日ロシア連邦大使館が開催するもので、作 品はすべてロシア通信社が精選したうえで提 供されたもの。
夫への一途さ
ロシア写真展「多文化・多民族」
なった。﹁戦 争と平 和﹂ ﹁どこで心が離れたの 許 すのを 願 う ﹂。 彼 女 を最初から最後まで7 か 分 か らない。 も うこ はそう書き残した。
カルチャー カレンダー
ロシアの偉大な作家、レフ・トル ストイの家庭レシピ本がアイオーエス (iOs)向けのアプリとして登場する。 妻のソフィア夫人による料理本は、 レシピの域をこえて、トルストイの 精神や当時の伝統を伝えている。 このレシピ本向けの説明を書いた オリガ・シュトキナ氏は「トルストイ 家の生活には素朴さと誠実さがあふ れていた」 と語る。ぜいたくな料理は なく、一般的なワレーニキ(水ギョー ザのようなスイーツ) 、目玉焼き、ポ テト・プディング、きのこ汁、プリャー ニク (はちみつパン) などが出てくる。
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回 筆 写し、 夫の作 品の れ以 上ついていけない﹂ ぐらいかしら﹂ 売り込みもした︵ドス と 書 き 、 妻 は 苦 し ん だ 。 へ 逃 げ た。 そこでも 彼 権 を 悪 徳 出 版 者 か ら 取 ア ン ナ ・ ド ス ト エ フ ス 鬱 状 態のトルストイ カヤ は賭 博を続 け、 時には ベラ・ナボコフ り戻すのを助けた。
もっと読む jp.rbth.com/arts/books
文豪の家庭レシピ
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トエフスキ ーの未 亡 人
刊行:2013 年 11 月 藤沼貴 著 春風社
にも相談した︶ 。 は 家 出 し た。 ソフィア 1 9 2 5 年 ベルリン アンナは 自 伝で回 想 妻のドレスや宝 飾 品 を 出 会って一カ 月 で ﹁ 今 ま でこ れ ほ ど 仕 は 小 さ な 鉄 道 駅 で 夫 歳 のド ス トエフス キ ー する。 ﹁私の心は流刑と 質に入 れた。 アンナは で、ユダヤ 人の弁 護 士
『トルストイと生きる』
事に集中できる と感じ を 見つけたが、 彼 は 間 は 歳の速 記 係、 アン いう地 獄を生 き延 びた こ れ を 悪 癖 で は な く、 の 娘、 べラ・ スロニ ム たことはない﹂。 トルス もなく肺 炎で息を引 き ナ・ スニト キ ナに求 婚 ドストエフスキーへの哀 病気とみていた。 は 作 家 ウ ラ ジー ミ ル・
大作家の妻た ち
話題の本
本書は一昨年急 逝したロシア文学 者、 藤沼貴のトル ストイ論をほぼす べて執筆順にまと めたものである。 藤沼氏は『戦争と平 和』等の翻訳と研究 で知られ、ロシアで も高く評価されていた。その長年の 研究は、評伝『トルストイの生涯』と 最晩年の大著『トルストイ』におおよ そ網羅されているが、初出の論文に はまた別の魅力がある。とりわけ卒 業論文、修士論文、「トルストイ―そ の個性―」の最初の三作は文学研究 というものの原点を鮮やかに見せて くれる。若き藤沼氏と巨人トルストイ の個性と個性がぶつかりあい、著者 の心が揺れ動き、自分をつかんでい くさまが眼前に見えるようだ。C.G. ユ ングの用語を借りれば、この論文集 がそのまま、トルストイのみならず藤 沼貴の「個性化の道」 を開示する。 (佐 藤雄亮・モスクワ大学講師)
2014年(平成26年)3月13日(木)
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