揺らぐ冷戦後秩序
行といった状況だ。
い別のシステムへの未 完 成の移
ステムからいま だに整っていな
まれた。 存 在 するのは一つのシ
クリミアの国際児童センター ﹁アルテク﹂。ソ連時代の標語 が並んでいる =ロシア通信撮影
米国主導は公平か 2014年のウクライナ危機は﹁冷戦﹂終結後の中間総 括として名を残すかもしれない。米国及び米国寄りの国々 その秩序はひとりでに生まれ、講和を結ぶべき国は消滅し
にとって、 冷戦の終幕は新たな世界秩序確立を意味した。 た。 当惑した相手国は、 勝者がどの国にどう振る舞うか ︻外交防衛政策会議議長、フョードル・ルキヤノフ︼
を決める権利を有する、という確信を持ってしまった。 ロシアは、力を信じ﹁限界線﹂ を引いて古臭い別の現実に生き ている、と非難されている。
米 国 指 導の下、 公 平 公 正 な を見直す必要性については何年
理、IMF、世銀など︶の機能 事 会のファンロンパウ議 長 もイ
としてロシアを責めた。 欧州理
ロシア識者の見方 米国のケリー国務長官は﹁
世 界 秩 序の存 在 という 考 え方
世紀の精神﹂を呼び戻している
が支配している。その指導を疑 デオロギー化された﹁冷戦﹂の過 去の世界を復活させようとして
安定を損ねてしまう。
も 叫 ば れている。 不 公 平 感 は いるとロシアを突き放した。
ち 着 いて、 戦 争 が ないよ
安定がほしい。すべてが落
ア が ま し と い う 程 度 だ。
ど、ロシアもひどい。ロシ
︵態度表明なし︶ ﹁ウクライナもひどいけ
どちらもひどい
いる。﹃ロシアとウクラ
すべき か わ か ら ないで
法人、 国家機関はどう
法 も 法 な り ﹄。 個 人、
た。 法 律 家として﹃悪
ライ ナ 政 権 を 支 持 し
︵ロシア編入反対︶ ﹁ 住 民 投 票では ウ ク
悪法も法なり
米国との対立が決定的にな りつつあるロシアには「西側
とする大転換の兆しも見え始
なしの世界」を受け入れよう めた。 それ ほどに米 国 不 信
が高まっている。ロシア知識
大国が小国の参加なしに小国
考えている。
関 係 安 定の基 礎 を 作 らないと
なく、いかなるイメージ操作も
典的外交に取って代わるものは
ロシアの視点からみた ウクライナ情勢の行方 の運命を決定した時代は過去の
プレーヤーの国益に対する高い 関 心。 型 通 りの地 政 学 的 綱 引
ウ ク ラ イ ナ 危 機 で は プロ
勝利の幻想は瓦解する
突然の国境変更
喜び・不安・戸惑い
︶はシンフェロポリ
イナに戻った ら 逮 捕 さ 市 の 住 人。﹁ 私 は ク リ
た。ロシアへのクリミア る。 両 親が住むウクラ ︵
バフチサ ライ 市に暮 編入には反対した。
何の改善もなし
らす クリミア・ タター
手、 イッゼ ド・エミ ル ライナの民 族 主 義 者 だ
す。 年 金 生 活に入って
ンにルーツがある﹂と話
3年だ。
同僚のワジムさんは、 ﹁ 住 民 投 票 の時、 私
右派は嫌だ
﹁ ウ ク ライ ナ 中 部 の れる。 裏 切り者 だと考 ミ ア人で、 ポ チョム キ
お よ び 円 滑 な 中 継 輸 送、 大 統
ル 人 の タ ク シ ー 運 転 人 間 だと、 なぜかウク えられているから﹂
シアへのクリ ミ ア 編 入
クリミアが編 入され
サリエフさん︵ ︶はロ と思われてしまう﹂ 要 なのは、 すべての 協 議 参 加
た後、 セバスト ポリ滞 自 分がウクライナ人 だ は航 海に出ていた。 投
住 んでいる。 ウ クライ 人はかわいそうだ﹂
いかなる改 善 も感じな で、 どの国 民になりた 親 戚 は ウ ク ライ ナ に、 アへの編入に賛成した。
の価 格が3 倍に値 上が と言われた。
アンナ・マリニナさん
﹁ ﹃右派﹄と仕事をす 誰も助けてくれない
﹁ 市 民 権 付 与 はロシ ナに行くつもりはない。
﹁ 戦 わ な け れ ば な ら ア人になることを 意 味
りしたという。
ない時は戦 う。 アラー している。 学 校 はあと るのは嫌 だ。 妻と6 カ
立場でそれぞれ
クライナ中 部 ポルタワ んとワジムさんはウク 月の子 供を連れて移 住 ︵ ︶とビクトリヤ・マ
軍 人のアレクセイさ
戻れば裏切り扱い
ここを去ると思う﹂
の神 以 外 何 も恐 れてい 1 年 半ある。 その後は
イロネさん︵ ︶はウ
いずれここを去る
ない﹂
解 しは じ める。 な ぜな ら、 敗
世紀 至る能 力で際 立っていた。 第一
司令部で働いてきた。
めにクリミアに移 住 し ポリのウクライナ艦 隊
所 属 している が、ロシ 学校の 年生。 2 人と
ま だ ウクライナ軍に は、 セバスト ポ リ市の
ルトィネンコさん︵
︶
次 大 戦 後 に勝 利 し た 大 国 が 世
である。 ︻5 面に別稿︼
て、 安 定へと至ってほしいもの
た。 外 交 的 な 理 性 の 力 に よっ
結局、移行の状態にすぎなかっ
世 界 秩 序 と 思 わ れた ものは
めにもそれはなかった。
の感 覚 に酔いし れた 今 世 紀 初
紀 前 半、 西 側 が 自 らの正 当 性
界 を 構 築 し よ う と していた
市から心理学を学ぶた ライナ市 民。 セバスト するのも大変だ﹂
や 冷 戦 時 代 は 粘 り 強 く 合 意に
が 非 難 している 欧 州の
ケリー 氏とファンロンパウ氏
者は雪辱を期するから。
が 生 じるな ら ば、 た ち ま ち 瓦
かに勝 利 を 収 め た という 幻 想
件な勝利というものはない。誰
真 の外 交 には 完 全 かつ無 条
い。 むしろ食 糧や燃 料 いか決 める必 要 がある 父 方の親 戚 はロシアに ウクライナ南 東 部の住
ロシアへの 編 入 後 は 在 中 に 出 入 国 管 理 局 と 考 えている。 母 方の 票 で きていた ら、ロシ
に反対した。
写真を見る jp.rbth.com/47997
うに束ね合わせることである。
犠 牲にして自 分たちにとってよ
者 が さ ほ ど 重 要 で ない ものを
これ らが 基 本 的 要 素 だ。 必
の承認などであろう。
領選挙の適法性に対するロシア
参 加、 ガス価 格 や 巨 額の債 務
クライナの何 らかの同 盟への不
る ウ ク ライ ナの立 憲 体 制、 ウ
すべての住 民 の権 利 を 保 障 す
そこでのテ ーマに な るのは、
が求められている。
取 引、 歩 み 寄 り、 国 益の考 慮
ている。 さまざまなレベルでの
フェッショナルな 外 交 だ けが 状
ロシア極東 森林火災が深刻
え方の核心への介入が始まる一
社会
ものだ。しかし、その時代の政
日産自動車が低価格帯の復刻ブランド「ダット サン」 をロシア市場へ投入する。今回発表された 「on-DO(オンドー) 」はアフトワズのラーダ・グ ランタがベースとなっている。ロシアの厳しい 道路条件や環境に適合するように開発された。 これは復刻ダットサンの 3 番目のモデル。ダッ トサン・ディーラー網を通じて販売され、初期 段階で 25 店舗、その後 2 年でさらに 75 店舗 増えロシア全土で展開される。【ロシア NOW】
況 を 打 開で きる 正 念 場 を 迎 え
ダットサンがロシア市場に
線の認識。それらに起因するリ
ビジネス
治には、国際関係の自明の真理
短信
スクは到底避けられない。
領の見解を紹介する。
という別の側面がある。主要な
人とゴルバチョフ元ソ連大統 きではなく安全保障に関する考
2013 年ベスト・オブ・ロシア り 重 要 な 何 かを 手に入 れる よ
JP.RBTH.COM
17
問 視 する 国 は 修 正 主 義のらく 印 を 押 され、 普 遍 的 利 益の名
に持っていないのは真実である。
うに。 生 活 が 大 き く 変 わ
民 族 主 義 者 扱 いさ れ
2 人は政 治に興 味は
ないが、 無 関 心ではい
られなかったという。
﹁ウクライナの人は自
分 た ちが利 用 されてい
︵態度表明なし︶ ﹁ 私 はロシアの予 備 役
に入りたくて、 友 だちと
アは ずっと 前 か らロシア
賛成票を投じた。 クリミ
︵ロシア編入賛成︶ ﹁ 住 民 投 票 では 編 入 に
EU加盟はだめだ
︻エラッジ・ニドエフ︼
助けてはくれない﹂
と 思ってる け ど、 誰 も
﹃ 右 派 ﹄ も過 激 主 義 者
ることに気 づいてない。
将 校 だ。ロシアへの移 行
も そ う だった か ら、 やっ
も米 国が助 けてくれる
は経 済 的に難しいプロセ
とロシアが 動いたって 感
EU加盟の希望あった
らない。 ウクライナには
どかった。 今 回の革 命は
ばかりで、 政権交代もひ
最 悪 だ。一番 望むのは安
じ。 ウクライナでは革 命
定を希望する。クリミア
E U 加 盟への希 望 があっ
をロシアの自 由 経 済 特 区
定。EUには絶対に加盟
ラト ビア、エストニアに
しちゃだめ。 私の親 戚が
がない。書類変更手続き
か。 今のところ全く仕事
に多額の出費が見込まれ
はEUに加盟した途端に
貧窮して、 仕事がない状
いるけれど、 バルト3 国
態になったという﹂
︶
証明書に切り替えて、組
︶
べてお金がかかる﹂
アンドレイさん︵ 不動産査定人
アリョーナさん︵ 看護師
合に入ったりするのにす
る。ロシアの卒 業 証 書や
にし た らいいのではない
た。ロシアに入った ら 安
スで、 何が得なのかわか
ウ ラ ジー ミ ルさ ん
ることを恐れる。 ﹁ ウ ク ライ ナ 人 だ と 南東部住人は気の毒
リ ミ ア問 題について語 することになる。
こに暮 ら している。 ク 受 けてロシア軍に従 事 でいる。
はロシア人。 子 供 もこ た。いずれ、 再 教 育を 人になれることを 喜 ん
アレクセイさんの妻 ア軍の制 服が支 給され もロシア 系 で、ロシア
10
のもとに反撃にさらされる。 崩壊、安定化、苦しみを味わっ 一方、ロシアは力と国 益のバ
未完成の移行期 ロシアが外交において保守的 この四 半 世 紀、 変 化の陶 酔、 であり一部の現代的手法を十分
すべての国がそうした考えを抱 序も生じなかったとの確信が生
てきたロシアには、いかなる秩
一方、西側の共同体の外では、
諸 国 を は じ めと し た 急 成 長 を
いているわけではない。 アジア
るなんて思ってない。ロシ
大学講義があり、 文法
イナの法的比較﹄という
ウクライナ危機
ランスや交渉取引に基づいた古
遂げる有力な国家の一部は、そ れを公平なものとはみなしてい ない。 前 世 紀 半 ばの勢 力 図 を 反 映 する国 際 機 関︵ 国 連 安 保
編入運動に参加 ︵ロシア編入賛成︶ ﹁ソ連 に 暮 ら し、 今 は 家族の再結成。住民投票
アの他の地域よりクリミア
17
読者の皆様、「ロシアNOW」 へようこそ。 「ロシアNOW」 はロシアを紹介する日本語版で、毎日新聞 の折り込みです 。1月,4月,7月,10 月を除く毎月第2 木曜日に発行されます。「ロシアNOW」チームの目標はロ シア発の興味ある記事をお届けし、ロシア理解の一助になる ことにあります。 2007 年以来、ロシアで影響力を持つ有力な日刊紙 「ロシー スカヤ・ガゼータ(ロシア新聞) 」は世界の主要新聞に折り込 まれる月刊付録を制作してきました。ロシアは現在、政治か ら文化に至るまで変化の過程にあります。日本語版ウェブサ イト roshianow.jp は追加の記事や多様なコンテンツが毎日 更新されます。ご意見・ご感想をお待ちしております。
ロシアに 戻った。 これは
が良くなるわけないじゃな
「ベスト・オブ・ロシア」で最も特筆す べき部門は「人々・出来事・日常」 。興 味深い写真が数多い。写真上は「人生 を変える経験」と名付けられたシリーズ の中の 1 枚。ほこり、土とロックンロー ル。クラスノダール地方のコサック村、 ブラゴベシェンスカヤで開催された音楽 祭「クバナ 2013」の一コマである。
ロシア情報をお届けします
では編入に賛成票を投じ た。 クリミ アで起こった 運 動 を 支 持 している し、 私自身参加していた。 地 元の政 党と一緒に3 回 キ エフに行った。 編 入 が ビ
条文があった。ロシアで 無 罪 判 決 は 1 % 以 下。
の間 違いまで一致 する
旧 ソ連 諸 国 も 同 じ だ。
い。ウクライナの親戚が呼 ミアを去ることはない。家
裁 判 員は間 違いを認め
ジネスに及ぼす影響を恐
があって家族がいたら、 他
んでくれているけど、 クリ
に移ることなんてできない
れてはいない。 何 も怖 く ないし、 失敗しても心配 することなんてない。 ま だ若いし、この先にはもっ
ない。 クリ ミ アの裁 判 所と公証人役場は発進
フョードル・オブマイキン撮影
45
2014年(平成26年)5月8日(木曜日)
から﹂ ︶
しない車のようだ﹂
jp.rbth.com/ukuraina-kiki
Product of Russia Beyond the Headlines
ナタリヤさん︵ 絵本作製者
︶
19
グルジア、アルメ ニ ア、 ア ゼ ル バ イ ジャンのカフカス3 国 に住 み 着 いてい るロシア人。さまざ ま な 理 由 で ロ シア から移住してきた人 たちの子孫だ。
パーベルさん︵ 法律家
「ロシアNOW」 電子版でお勧め
48
と た く さ んの希 望 が あ
︶
41
58
モスクワ南部のビリュリョフスキー樹木園で4 月 24 日、桜が開花した。観測史上最も早い開 花となった。モスクワ市役所が伝えた。27 日に 満開となった。昨年の開花は 5 月 9 日、科学ア カデミー中央植物園 「日本庭園」 でのことだった。 安倍晋三首相は昨年4月末のモスクワ訪問の際 に、桜の苗木を植樹した。これまでモスクワで 開花が最も早かったのは 4 月 25 日、最も遅かっ たのは 5 月 15 日である。【ロシア NOW】
19
極東のマガダン ラーゲリの暗い過去 大自然ツアー満喫 7面 19
モスクワで史上最も早く桜が開花
19
の長い列に並んでいた住民に聞い た。 【ダリヤ・ダニロワ、ルース キー・レポーター誌】
クリミアで商売繁盛しているのが 写真屋。住民はロシアの身分証明 書用の写真が必要なのだ。撮影
カフカスの ロシア人 26
気候
「クリミア人」に聞いてみた
Alamy/LegionMedia 撮影
6面
8面
もう一つのロシア文学 古典だけじゃない
4面
ロシアのレトロカー ソ連要人車に人気 投資家も熱い視線 28
る。 働き者は飢えで死ぬ ことはないさ﹂ ウラジーミルさん︵ 実業家
35
ロシア極東で4月23日の一昼夜の間に24件、 5000㌶以上の森林火災が消し止められた。消火 活動には924人が動員され、車両164台とヘリコ プター8機、航空機14機も参加した。極東連邦 管区の保護地域で森林火災が始まった当初から これまでに1153件の火災が発生、 12万1600㌶以 上が燃えた。昨年の同じ時期は森林火災20件で 1400㌶強の被害だっただけに、今年の状況は深 刻である。 【ロシアの声】
編入どう思う
DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN THIS PULL-OUT IS PRODUCED AND PUBLISHED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA jp.rbth.com
2014年(平成26年)5月8日(木)
1
オピ ニ オン ( 5 面 )
入っていた。モスクワよりも汚 職 度 が低いこ
クリミア半 島にはロシアの企 業 家が昔から 内︵ウクライナ︶ ﹂ での事業計画が国外のそれに
ビジネスプランの見直しに迫られている。﹁国
クリミアでのビジネス とを当てにしたり、 快適なビジネス環境にひ
なったからだ。 ︻ デニス・ プズイリョフ、 ワレリア・ジトコワ、RBCデイリー紙︼
かれて。ところが、 クリミアのロシア編入で、
﹁簡 単 な 作 物 しか 栽
クリ ミ アのワイン醸 培 していないクリ ミ ア
警戒心
事業計画見直し
造 業 者 パー ベル・ シベ で高級ワインを作ってい ツさ ん は モス クワの一 る﹂
チュクさんはロシア人だ た。 外 国の業 者との契
﹁明日どうやって家族
が、 ウ クライ ナにいく 約はドル建てで、 支 払 を 食 わせた らいいか 分 いる。 主な収 入は医 療 件だった。
キだの医 療 機 器 だの買
%にまで落 ち込んだ
﹁ 役 所 や 役 人 か らの
医 療 器 械 の 販 売 額 は ろうと彼はみている。
粛 清 的 な 圧 力は弱 まっ
クリミ ア編 入でユー た。 猫 もしゃくしも 賄
つかの企 業 を 所 有 して いは 猶 予 するという 条 からないのに、誰がケー という。
クリミア編入のニュー によると、 許 可 証 書 き かかるという。 ユー リ ー さ んによ る いますか﹂と、ユーリー リ ー さ ん 個 人 の プロ 賂ではなくなった。残っ 流レスト ランで 年 間 器 械の販 売 と、 食 品へ ソ ム リエ と し て 働 き、 ス を 彼 は ビ ジネ スマン 直しと商 標 登 録の受 け ﹁ 私 は ク リ ミ ア が 独 の合 成 着 色 料の添 加に と、 キエフで も クリ ミ さ ん は 意 気 消 沈 気 味 ジェクト は ほ と ん ど 葬 た役 人は、 お 決 まりの
2 年 前 にオ レグ・ ニ
ス み たいに な る。 ロシ は クリミ アの海 岸の土 てしまったという。 最良だろう﹂
めに買った。 2 年 後 そ
ア編 入は考え得る限り 地 をホテルを 建てるた オレグさんは 観 光 ビ こには 高 級 ホテルが 出
ロシア地 理 学 協 会はネット
ミ アの 事 件 の 前 後 で、 スの経 済 効 果 があるだ ないから﹂
アでも景 気は悪 く、 彼 だ。 9 年 前に故 郷のクリミ と して 警 戒 感 を もって 付 け が 始 まって お り、 立 国になるのを 夢 見 た よるものだ。 り 去 られたが、 それで キックバックのた めに、 彼の試 算では、 クリ も、 半 島 全 体にはプラ 自 分の椅 子 を 失いたく アに戻って 来 た。 クリ 受け止めた。 年にユー リーさん の利 益はほとん ど消 え 醸 造 業 者の不 安は解 消 が、 そ れでは 北 キ プロ
が、 露市場はいつだって
ミ アのワインは ポ ー ト ﹁クリミアで我々に向 されそうだ。 ワイン﹁マサンドラ﹂だ かって、 ロシ ア 市 場 が けでないことを 証 明 す 開放されると言っている 期待感も るために。
地図表記どうなる
上で﹁クリミア共和国とセバ
ストポリ市を含む新たなロシ
ア地 図の作 製にあたり、ロシ
アの地図製作者と協力してい
く﹂と述べた。
料理
jp.rbth.com/47649
ウクライナ市場失う 2 0 0 6 年にワイナ 開いていた。むしろ、ロ コ ラエフさ ん は ク リ ミ ジネスも始 めた。 不 動 来上がった。 シア編入のせいでウクラ アに定住した。﹁ここは 産業にも注目している。 ユー リー さんは どこ
クリミアの所属
アをロシア領にして、 今 度は
更新され、 大金が流入 と 踏 んでいた。 ところ
イナ市 場 を 失 うのが 落 かの大 企 業 に 売 却 す オ レ グ さ ん は リ ス ク を 素 晴 ら し い 所 だ 。 モ ス ちじゃないですか﹂ る 心 積 も り で、 額 は クワに 年間住んだが、 自覚している。 現 在、 ぼ う ぜん 自 失 も う 我 が家のよ うな 感 ﹁ここではインフラが 700万㌦︵約7億円︶
ウクライナ領に戻すという編
じがする﹂
クリミア半島のロシア編入
の人が多いという。
を め ぐ り、 世 界 中 の地 図 製
国替わり リスク覚悟
﹁私にはフランス業 者 昨 年 オ レ グ さ ん は する。 今、 土地私有化 が、 クリミ アの事 件 が か ら 瓶 を、 ポルト ガル セ バス ト ポ リに自 分の が始まろうとしている。 起 きた。 建 物はできて
一方、 ワ シ ン ト ンに 本 部
﹁係争中﹂ をわからせる
を置 くナショナル・ ジオグラ
集 作 業が数日 間 繰り広 げら
フィック協 会は﹁現 時 点の状
れた。
最 終 的 に はロシ ア 領 に な
作 者 た ちは頭 を 抱 えている。 図に表記されるのか。
況﹂に基づき、 クリミアがグ
レーに網掛けされ、同半島の
しかし、 他の地 図 製 作 者
ない﹂という。
その正当性を認知するのでは
にその状 況 を 反 映 させるが、
﹁係 争 中である場 合、 地 図
されると述べた。
は特 別なシンボルを使って記
行 政 的 中 心 地シンフェロポリ
色の網掛けがなされた。
別するため、 ネオングリーン
係争中の領土はどのように地 ウ ク ライ ナ 通 貨 フ リ ブナの暴 落で、ユー
ロシア領と区別し網掛け ウィキ ペディアでは クリ ミ
り、 残りのロシア領土から区
からは栓 を 輸 入 する契 レストラン﹁島﹂を開い 金のにおいを か ぎつけ いたのに、 いま だに 空 リーの会 社を設 立した 約 が あ る。 ど う やって た。投資額は 万㌦︵約 て、山師がわんさかやっ き家のままだ。 パーベルさんは ㌶の 税 関 手 続 きを すればい 5 0 0 0 万 円︶ だ。モ て来るだろう﹂ ス クワ な ら 似 た よ う 土 地 にヨ ーロッパ種 ブ いのかも分からない﹂
﹁ 西 側 によ る 経 済制裁を楽観視
は、 よ り 慎 重 な 路 線 を 採 用
する方を選んだ。
米 国 の 大 手 出 版 社 ラ ンド
マクナリーは、 同社の地図や
地 図 帳 の国 境 表 記 訂 正 を 急
ぐ 兆 しを 見 せていない。﹁ 事
態を慎重に見守っている﹂と、
広報担当者のエイミー・クラ
英国の出版社コリンズも慎
ウス氏は語った。
重なアプローチを取っている。
クリミアの場合、世界的な
コンセンサスが存 在しないた
うべきかという疑問が発生す
め、 係 争 中の領 土 を ど う 扱
︻アレスター・ギル︼
的 な 意 味 合いをはらむのだ。
る。この問題は必然的に政治
% がウクラ 2 万2500 円︶に下
加 価 値 税 が 免 税 に る最 初のカジノを 開 業
美しすぎるクリミア検事総長
するのは時期尚早
人。 う ち
ロシア 政 府 は クリ ミ
ロシアと クリ ミ ア 半 イ ナの市 民 だった。 地 がった。
を伝えた。
アに2 0 1 6 年 末まで
大 統 領 令 に よ り 今 にモンテカルロ、ラスベ
島を結ぶ長さ4 ㌔ 強の 元 行 政 府 はロシアか ら
クリミア行 きの路 線 を ている。 工 期 は3 年で
ウ クライナの鉄 道 は 橋が建 設されよ うとし の観光客増を目指す。
クリミア路線廃止
㍔︵ 約 1 万 8 6 0 0 かなえない。 円︶だったが、どちらも %増額となった。
飲料水不足
% がウクライナに依 発 クリミア行 きの列 車 ︵約3000億円︶ 。
クリ ミ アの飲 料 水の 一部 廃 止 し た。ロシア 総費用は1000 億㍔ 年 中 は 航 空 輸 送 の 付 ガス、マカオに匹 敵 す
リ ミ ア 間 の 航 空 券 は 営 業を始めれば、 地 元
なった。 モス クワ・ ク する計 画 だ。 カジノが
1 万 1 0 0 0 ㍔︵ 約 で1 万 人 以 上の雇 用が
3 万 3 0 0 0 円 ︶ 創出できるという。︻ア
刻な水 不 足に悩むこと への列 車 廃 止の可 能 性 5 5 0 万 ∼ 6 0 0 万 か ら 7 5 0 0 ㍔︵ 約 レクセイ・ロッサン︼ になる。 解 決 策 の一つは 淡 水 化工 場の建 設。 淡 水の ほぼ全量を海水から得 に学ぶ必要がある。
ている イス ラエル な ど
ファベルジェだけじゃない
社会
だ。世界経済に統 合された大国に幅 広い制 裁が行われ た 前 例 はない。ソ 連崩壊後に構築さ れた地政学的秩序 投げかけた挑戦は
に対 してロシアが 重大であり、 西側 全体を刺激する要 因になることは間 違いない﹂
ウラジーミル・コ ロソフ氏 ︵科学ア カデミー地政学研 究センター所長︶
鉄道分断、年金はアップ
暮らし 様変わり 額が引き上げられた。
クリミアは電 気 もウ 年金は5570 ㍔︵約 クライ ナに依 存 してい
クリミアの月 額 平 均
12 万㌶
クリミアへの水供給に停止 で喪失する灌漑耕地面積。
し か し、 ロシア 連 邦 な レ ス ト ラ ン 開 業 に 通貨不安 リーさんは約10 0 万 ドウを植え、 昨年最初 のワインを出荷できた。 アルコール市 場 規 制 庁 300万㌦︵約3億円︶ ユー リ ー・ ペンダ リ ㌦︵ 約 1 億 円 ︶ を失っ
元 連 邦 財 務 大 臣で、
地元銀行肩代わり
﹂の頭取を務め
ミア自 治 共 和 国とセ クリ ミ アのみで活 動 バスト ポリ特 別 市に計
大手銀行が活動停止
アの国営鉄道機器兼戦車メー
TB
ロシアの大 手 銀 行 ﹁V ている ミハイ ル・ ザ ド
ソ連崩壊後の地政学的秩序
する銀 行 が残 り、これ 万7000 人の年金 存 している。 クリ ミ ア はウクライナを 経 由 し ら地 元 銀 行がウクライ 生 活 者 が 暮 ら す。ロシ の貯 水 地8 カ所の水 位 なければならない。 カジノ計画 ナやロシアの銀 行の資 アへの編 入によ り 年 金 が危 機にさらされ、 ク そのた めロシア 鉄 道 クリミア半 島を訪れ リミア住 民は今 後、 深 はロシア本 土 か ら 半 島 る 観 光 客 は 年 間 で 約
クリ ミ ア 半 島 がロシ しには、 良 くなった 面 ることは明らか﹂ アの一部 と なった 3 月 や悪影響も含め大きな
得するため、 BPと国営の大
カーのウラルバゴンザボー ト
中 旬 以 降、 当 地の暮 ら 変化が起きた。
クリ ミ アの編 入 はロシアの
手 石 油 会 社ロスネフチが交わ
甲車を製造する1億㌦相当の
﹁ロシアの大手銀行は
ルノフ氏はこう述べた。 クリミアで活動しない。
ウクライナに子 会 社を 産や債務を継承する。 保 有しており、 クリミ アとウクライナの両 地 年金 %増額
約 50 億
80%
60
文化
クリミア自治共和国のナタリヤ・ポ クロンスカヤ検事総長が取材に応じ た。jp.rbth.com/48023
jp.rbth.com/ukuraina_kiki
jp.rbth.com/47253
40
ウクライナに依存しているク リミアの飲料水の割合。
一言
ロシア帝室御用達の宝石職人、カ ルル・ファベルジェはよく知られ ている。しかし、ロシアには他に も多くの優れた宝石職人がいた。
トップ:ウクライナ危機
80
ロシア・バレエ史で最も伝説的なのはワツラ フ・ニジンスキー(1889 ∼ 1950) である。
jp.rbth.com
12
25
ルー ブル クリミアへの水供給停止の 場合の損失額(約 150 億円) 。
米国と欧州連合(EU)はロ シアへのクリミア編入を受けて、 経済制裁を発動した。投資環 境の悪化で、すでにロシアか らの資本流出を招いている。 ロシア銀行の大株主コバリ チュク氏も制裁対象となり、米 国の「マスターカード」と「ビ ザ」はロシア銀行のカード保有 者のウェブサイトへのアクセス をブロックした。ロシア銀行は 外国為替取引を停止した。 経済制裁は急激な資本流出 をもたらした。ロシア財務省に よると、今年第1四半期で民 間セクターは 506 億㌦(約 5 兆 600 億円)を引き出した。昨年 同期は 275 億㌦(約 2 兆 7500 億円)だった。 制裁は独立型金融システム の創設を後押しした。ロシア 独自の決済システムと格付け 会社の創設が計画されている。 ロシア企業は欧州側に対し、 追加制裁による悪影響を及ぼ すと警告。ノボリペツク製鉄 所は、EUが制裁を発動した 場合、欧州の鋳鋼分野に破壊 的な影響を及ぼすとの書簡を、 欧州委員会に送付した。
した合 意によるところが大き ︵U V Z ︶ との提 携で最 新 装 い。 逆にそれがなければ、 F
取引案をウクライナ情勢を理 ﹁米欧の銀行システムへのア
由に再検討すると発表した。 クセスをロシアの銀 行に対 し
DI総額は相当低迷したもの アナリストたちは現 在、 そ
になっていただろう。 れがさらに落ち込むと予想す
的な影響を与える﹂と、エコノ
て拒否した場合、それは壊滅
制裁で資本流出
67
数字あれこれ
50
、 セ る。 半 島の発 電 所は ロ シ ア 労 働 社 会 保 1 万67 10 円︶ することが不 可 能であ 護 省 に よ る と、 ク リ バスト ポリで6 2 0 0 ∼ %の消 費 量しかま でビジネスを同 時 展 開
10
を与えた。 国内外からの投資 に打撃を与えるに違いない。 ロシ ア に は 2 0 1 3 年 に 9 4 0 億 ㌦ の海 外 直 接 投 資 開発会議︵UNCTAD︶が
が危ぶまれた。
氏は警告している。
ミストのセル ゲイ・ グリエフ
る。 幾つもの大きな取引案件 3 月にはスウェー デンの自 動 車メー カーのボルボがロシ
24
飛翔するニジンスキー
電子版のお勧め記事
12
25
︵ F D I ︶ がなされた。 貿 易 発表した2月FDIランキン グで世界第3位の規模だ。 その実 績 は、ロシアの石 油
-
合弁会社TNK BPを取
Business New Europe 編集長
西側に挑戦するロシア 30
でロシアからウクライナ側に移される兵士。= Corbis/ All Over Press 撮影 写真下=セバストポリ市の市場のス タンドで 2014 年 3 月 13 日。= Getty Images/Fotobank 写真上= 2014 年3月7日、ウクライナのベルベック 市の空軍基地近くでの集会に参加した正教会のメン バー= Getty Images/Fotobank 撮影 写真中=クリミア
ビジネスリーダーたちに衝 撃
対露投資直撃 狙う経済制裁
15
10
ベン・アリス氏
クリミア 2 2014年(平成26年)5月8日(木) jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
親露から脱露まで 旧ソ連の共和国 クリミアのウクライナ離 脱・ロシア編 入、 ウクライナ東 部の不 安定化︱︱一連のウクライナ危機はロシアが掲げるユーラシア統合 構想と西側が求める別の選択肢との次なる衝突がどこで生じうる か、という疑問を呼び起こした。いわば﹁クリンチ﹂で勝ちを呼び
わりし、 昨 年、 5 億 ㌦ ラタ水力発電所を建設 タジキスタン のキルギスの債 務 を 帳 する意向だ。
ろうとしている。
億㌦を送金した。
タジキスタンは昨年、﹁オクノー ︵窓︶ ﹂だ。
カフカス
アゼルバイジャンはナ ウクライナでのロシアの ルジアに対 する 圧 力の
E Uとの連 携 協 定に調
アは、モルドバと同様、
かった。 今 夏、 グル ジ
針の修 正をもたらさな
し、 政権交代も外交方
ら西 側との統 合を支 持
グル ジアは か ねてか
ゴルノ・ カ ラバフ問 題 行動を無条件で支持し てこを失った。
を 抱 え、ロシアの顔 色 たのち、 西 側はアルメ
アジアで扱いにくいロシ が 1 0 0 万 人 以 上 い 201軍事基地に関す アゼルバイジャン ⋮⋮脱露鮮明 を うかがい行 動せざる ニアへの姿 勢 を 見 直 し アのパー ト ナーとみな る。 彼 ら は 昨 年、 母 る協定を批准した。 も ウ ズベキスタンは 独 ⋮⋮慎重姿勢 をえない。 うることを示唆した。 されている。 近 年、 外 国の国内総生産︵GD う一つのロシアの重要な 立国家共同体︵CIS︶ ア ゼ ル バイ ジャンは 他 の 自 制 的 要 因 は、 交 においてロシアと 米 P︶ のほぼ %にあたる 軍 事 施 設はヌレク市の の統 合 組 織であるユー C I S やチュルク語 諸 農業製品の主な輸出先 グルジア 国の間でバランスを 図 ラシア経 済 共 同 体およ 国 協 力 評 議 会 を 除 き、 宇 宙 追 跡 ス テ ー シ ョ ン の ロ シ ア 市 場 、 、 ロ シ ア ⋮⋮関係冷却 グル ジア 経 済でもロ び集団安全保障条約機 統合構想から距離を置 居住の100 万人以上
年 間の予 定で国 内に ロシア 国 内 には タ ジ ⋮⋮バランス タジキスタンは 中 央 キスタンの移 住 労 働 者 配 置 されたロシアの第 ウズベキスタン
し か し、ロシアと キ
債 務 と 引 き 換 えにロ ルギスの関 係は安 泰と
消しにした。 シアはエネル ギ ー 会 社 は言 えない。 政 権 交 代 キルギスガスを 買い取 などに起 因 するキルギ り、 ガス・ 電 気を供 給 スの動 揺 にロシアは 備 す る。ロシアは カ ンバ えなければならない。
シア資 本が幅を利かせ 構から離脱した。 同国 いている。 その背 景 に の 労 働 移 民 だ 。 印 す る 予定だ。 にはロシアの軍 事・ 経 は、 主 権を損ねる﹁多 多 国 間 連 合 に 対 す ているが、グルジアには 年 8 月にロシアと 済的プレゼンスもない。 国 間の利 益﹂ にとらわ る ア ゼ ル バイ ジャンの ﹁親ロシアの拠点﹂ がな の軍 事 衝 突を経 験した
%
もしれない。
アルメニア
断を許さない。
ア語 系 住 民の反 発は予
ガ ガ ウズ自 治 区のロシ
沿ドニエストル共和国、
東ヨーロッパ
⋮⋮国内混乱
モルドバ
今 年 夏にE Uとの連 携 は、ユー ラシア連 合 統
存度を物語る。 兄 弟 国 ルーマニアは か な り 脆 弱︵ ぜいじゃ 西 側 は、 アルメニア モルド バの治 安 協 力に く︶ だ。 西 側の脅 威を
ア資本が参入している。 までに支 持に転 じるこ 選択は明らかだ。 同国 これはロシアへの高い依 とも考えられる。 で親 欧 米のベクト ルは
る。 アルメニア経 済の 選 挙 勝 利が予 想される 力縮小に反対している。 魅 力 的 全 分 野にはロシ 共産党はEU 協定調印 だ が、 ベラ ル ー シの
アルメニアにはロシア 協 定にモルドバは調 印 合 に 賛 成 す る一方 で、 の大きな軍 事 基 地があ する予 定 だ。 秋の議 会 自 国の主 権、 自 身の権
選択で落着した。
で 揺 れる アルメニ アの イナのシナリオが 再 現 ⋮⋮統合賛成 ジレンマは、親ロシアの さ れ る 可 能 性 が あ る。 ル カ シェンコ 大 統 領
欧 州 連 合 ︵ E U ︶と ⋮⋮EU志向 ユー ラシア連 合の狭 間 モル ド バでは ウ ク ラ ベラルーシ
⋮⋮親露選択
ウクライナ
同 国 にお けるロシア れたくない思いがある。 関 心は産 出エネルギー い。 ア ブハジアと 南 オ グル ジアは、ロシア リ ア リ エ フ 大 統 領 は 資 源 の 量 に 反 比 例 す セチアの独 立を承 認し スクを 見 極 めよ うとし 語系住民は1989年 に180 万人だったが、 ユー ラシア統 合に関 心 る、 と 専 門 家 は み る。 たことで、ロシアは グ ている。
08
︻ユー ラシア 経 済 委 員
︼ russia-direct.org
同 時 に、 親ロシアの ると思われる。
のロシア 寄 りの多 方 面 同 意 し て お り 、 ロ シ ア 感 じ れ ば、ロシアとの 外 交 を 尊 重 し ている。 は静観できない。 連合強化に全力を挙げ
しかし、 アルメニアが
%の6 位︶ 、 韓国︵2・
%の7位︶ などである。
同 関 税 同 盟の商 品 流 通
・
年と比
年は
においてA P E C 経 済 が
占 める 割 合 は
5 % だった。
較して、輸出の成長︵7・
2%︶が輸入のそれ︵1・
の国 々
5% ︶ を上回ったこと。
これまでに約
カ 国・ 団 体
貿 易に関 する3 件の交 渉
現 在、 関 税 同 盟は自 由
けて交渉する意向だ。
が 関 税 同 盟 との合 意に向
そのう ちの
域 に 関 心 を 示 し てい る。
がロシアとの自 由 貿 易 地
% に ま で 伸 び た。 や統 合を推 進 する集 合 体
% 近 くま
%
手はニュージーランド、欧
に 関 与 している。 その 相
州 自 由 貿 易 連 合︵E F T
A、 ノルウェー、 スイス、
アイ ス ラ ンド、 リ ヒ テ ン
年には 関 税 同
シュタイン︶ 、ベトナムだ。
ま た、
盟とイスラエルの間で自由
アジア太 平 洋 地 域 は 主
・
間 連 合に目を向けるか
が現 実になれば、 多 国
現 在は東スラブ系の住 がなく、 自 国の歩む道 2 0 2 0 年 ま で に 石 万 人ほどしかい ではない、と明言した。 油・ ガス採 掘 量の減 少 民が
年、
相 互 貿 易の成 長 率は
ロシア軸に3国 ている 貿 易 保 護 措 置の数
この関 税 同 盟 が 適 用 し この関 税 同 盟 設 立によ
が描く構図は異なる。
年にこれは
で上 昇 し、 金 融 危 機の打 各 国 と 比べて 極 めて 少 な
撃を受けた 年でさえ8・
は、 主 要 国やB R I C S
7%を達成した。
月 ∼ 9 月 の成 長 率 が 6 ・
資 源の相 互 貿 易 額が
6 % に 下 がったのは 鉱 物
減少したからだ。
相手は EU︵対外貿易売
関 税 同 盟の主 要 な 貿 易
アジア太平洋地域に関心
上 高の
・ 8 %︶ 、中国
止 税、 および補 償 分が占
︵ %︶ 、ウクライナ︵6・
貿 易 圏 設 立 について 共 同
要 戦 略 地 域の一つになって
会、 アンド レイ・ ス レ プ
%︶ である。
2 %︶ お よ び 米 国 ︵ 3 ・
関 税 同 盟の締 結、 同 盟 国
き な 効 果 を も た ら し た。
貿 易の輸 出 額が
いる。 中国︵
研 究 チームが 取 り 組 むこ 間の関 税 障 壁 撤 廃、 関 税
ネフ、 全 文 はこ ち らで =
とになっている。 同 盟 領 域 内の統一貿 易 規
で2位︶ に続き、日本︵3・
年の相互 制 策 定 は、 ま たた く 間に
%の5 位︶ 、 米国︵3・
地 域 統 合は関 係 国に大
相互貿易拡大に効果
める割合も同様である。
て 特 別 税、 ダンピング防
満︶ 。 輸入税の総額におい
も極めて低い︵1・2%未
対 象 とされる 物 品の割 合
市 場 保 護 主 義 的 政 策の
分の1程度だ。
の半 数 未 満、 インドの6
年1
の1 近 くで、 E U や 中 国
少した。2011年に9・
ア語 が 公 用 語 だったのは ク
い。 その数 は 米 国の4 分
り、 加 重 平 均 関 税 率が減
% だった。
し、1年後︵ 年9月︶に
%に低 下 7・ %になった。
平 均 率が7・
に設 定 された 結 果、 加 重
年 9 月に関 税 率 が 単一
年 春 は8・
3 % だったのに 対 し、
6 年 間の成 長 基 盤となる
れが 新 しい共 同 体の統 合
約に調 印 する 予 定 だ。こ
連合︵EEU︶に関する条
の3 国 はユー ラシア 経 済
ベラルーシ、 カザフスタン
2 0 1 4 年 中にロシア、
ユーラシア関税同盟
㍍に減少している。
量は年間100 億立方
2009年以降、購入
市 場の状 況が変 化した
購 入した。 欧 州のガス
約650 億立方㍍を
スプロムは 以 前、 年 間
ス分 野に限 られる。 ガ
ロシアとの協 力 は ガ
最も閉鎖的な国だ。
かわ ら ず、 旧ソ連 圏で
近 年の一定の改 革 にか
加 す る こ と は 少 な い。
ず、 C I Sの行 事に参
I S 準 加 盟 国にすぎ
へ向 かった。 同 国 は C
メニスタンは 孤 立 主 義
ソ連 崩 壊 後、 トルク
⋮⋮孤立主義
トルクメニスタン
ないという。
50
込めるほど旧ソ連邦構成共和国でロシアの影響力は強いのだろう か。各国の現状を概観する。 ︻ユーリー・シモニャン︼
る。 両 国の間には、 活
パー ト ナ ーの一つで あ
圏で最 も くみしやすい
はロシアにとって旧ソ連
ロシアの影響力 まだら模様 中央アジア カザフスタン 発 な 対 話によって解 決 できない問題はない。
キルギス ア タ ム バエフ・ キ ル
⋮⋮軍事協力 ギス大 統 領の就 任と共 にロシアは 軍 事・ 経 済 的 な プレゼンスを 強 め た。 ロシアは 自 国の空 軍 年
基 地があるカント軍 用 飛 行 場について、 間の延長を見込んだ 年 間の使 用にキルギス
キルギス共和国でタバコの葉を乾燥させる老人= Corbis/All Over Press 撮影
につな が り、 今 後、 5 ∼ ことが期待されている。
保護色を薄める 3 国 間の関 税 同 盟は保 という 主 張 を よ く 耳に す
護 主 義 的 政 策を追 求 する る。 しかし、 実 際の数 字
リミア自治共和国のみ。 ウ クライナの大 学の授 業
語 系 住 民がほとんどだ。 非 万7 0 0 0
市 民はラト ビアで人口の約 %にあたる
れ、 学 校ではロシア語 が 外
は ウ クライナ 語のみで行 わ
% 以 上を
国語として扱われている。ロ 占 める 地 域で、ロシア語 も 公 用 語として認 める法 律が
8934
⋮⋮関税同盟 ロシアは カ ザフス タ 築 きつつあり関 税 同 盟
ンとユー ラシア同 盟 を を 構 成 しているが、 そ れでもロシアの影 響 力 ナ ザルバエフ大 統 領
は限定的だ。
度の政 治 化を許さぬよ
は、 統 合 プロセスの過 うロシアに再 三 呼 びか けている。 ﹁私たちにとって経済 同 盟の課 題とは、 経 済 と合意した。 ロシアはエネ ル ギ ー
識は欧州に向いている。 ラトビアとエストニアでは ﹁非市民﹂というカテゴリー
35
2013 年の関税同盟の他 国との取引額(輸出 4295 億㌦、輸入 2517 億㌦) 。
2012年に施行された。
対露外交に腐心
10
の範 囲を超える条 項を 条 約に盛 り込 まないこ 分 野の一部 を 自 ら肩 代
﹁非市民﹂ の扱い
教 える 学 校 や 大 学 が あ る。 知識が成功の要因になる。 キ ル ギス 語 に加 えてロシア リ リ ト・ ダバギャンさ ん
語も公用語だ。
人、エス ト ニ アで 人 口の約 ウ クライナでは 国 民の約
は首都ビシュケクのスラブ大 に加 盟 した ラト ビア、 リト と考 えられた軍 人の子 孫や 7%、9万人いる。
一方で、欧州連合︵EU︶ があり、 その対 象は占 領 者
関税同盟加盟国間の取 引での資源分野の割合。
相互の貿易を増長させた。
露日ビジネス新潮流
26
独立国家として 22 年
12
6812億㌦
︻ドミトリー・ロメンジク︼
29
数字あれこれ
試 験の不 合 者 な ど。ロシア 半数がロシア語を話す。ロシ シア語 系 住 民が
学 を 卒 業 した。 授 業はロシ アニア、エストニアではロシ ラト ビア語・エストニア語
共和国によってばらつき
ア語 だった。﹁ビシケクでは ア語 系 住 民を含む国 民の意 多くの人がロシア語を話す﹂ という。 キャリアが多少ともロシア と 関 連 す れば、ロシア語の
jp.rbth.com/ronichi_business
13 12
40
33% 12
とだ﹂ 一方、 カ ザフス タン
﹁2カ国語︵カザフ語、ロ
ロシア 語 はソ連 時 代 に共 ている。
や 公 式 行 事で、ロシア語の
% はロシア語で発 行 ド ミ ト リー・ ラリオノフ され、 子 供 た ちはロシア語 を学校で学んでいる。 キ ル ギスにはロシア 語 で
10
14
通 語 だった。 学 校では 必 修
教 科であ り、 全ソ的 な キャ シア語︶が公用語なので、ロ 必 要 だった。 し か し、 ソ連
知識が必要だ﹂
リ アにはロシア 語の知 識 が シア語 系の訪 問 者との会 話 は1991年に崩壊した。
誌の
カ ザフスタンの新 聞・ 雑
今でも公用語 教 授 は カ ザフ人のイスラム 教 関 係 者にロシア語 を 教 え
52
グルジア共和国の首都、トビリシ市の街= Getty Images/Fotobank 撮影
49
jp.rbth.com/47661
13
20
26
そのうち日本の割合。最 大はEUの 52.86%。 75
13 87
34
13 12
3.8% 02
11
12
34
78
28
25 49
ロシア語の地位
50
12
10
15
経済の絆にも温度差 40
CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
jp.rbth.com
2014年(平成26年)5月8日(木)
3 ユーラシア
あった 国 産 車 В А З 換するしかなかった。 ﹁ 私 の 最 初 の レ トロ 2013を手放した。
万 ㍔︵約 かで、この 倍 以 上に 千 万 円もかけ、 あとは モス クワでは、 専 門 はね上がる。 何 十 年 も 車 庫 に 保 管 業者から1 時間約1 万
240万円︶ になる﹂
の額は最 大 し、 年に一度 企 画 展に 円でこの種の車 を レン 自 動 車 専 門 家、マリ 出 品したり、 ラリーで タルできる。 それは 大 ア・ ボイコさんはこ う 結婚式で貸し出し レトロカーは 大 きな 走ったりするくらいだ。 抵、 フィアット 5 0 8 説 明 する。コレクター は 車の修 理 をロシアに 利 益 を 上 げ ら れる が、 そ れでもレトロカ ー かクライスラー・デソー
シベリアに販売拠点
持 ち込み行 うことが多 転 売 するために買 う人 を結婚式や写真撮影に ト だ。 熱 狂 的 ファンの い。ロシアではすべての はまれだ。 欲しい車を 貸し出して稼 ぐことが 多いパッカ ー ド と な る コレクター が 自 分の工 入 手し修 理 するのに数 できる。 と、その4倍はする。 房 か 知 り 合いのそれで 必 要な部 品を注 文でき
万円。 平
年 を 過 ぎ て い れ 1 台 で 約 1 年 か か り、
ば、 関 税 を 払 う 必 要 費用は最低
-ら
る。 で 買 う のが 普 通 だ が、 を 手 に 入 れ る た め に、 車の代表格だった。 レトロカ ーの修 理 は ソ連時代は国産車と交 当 時のソ連 中 流の夢で ﹁ 現 在、 車 が 製 造 か
西側車と交換も
人気はソ連要人車 年間で最大400%のハイリターンの利益︱︱ロシア の珍しいレトロカーが投 資 家の関心を集めている。 多くの 工場がまだ部品を製造しているので、 修理が安く上がるた めだ。しかも、 珍品を手に入れたうえ、コレクターが欲し がる西側のレトロカーと交換することが可能。これはソ連
ソ連 車 は オ ー クション
時代から受け継がれた慣行だ。 ︻ダリア・トロスニコワ︼
投資家が熱い視線 修理したBMWは新 はないが、 製 造 年 度 や 均で420万円程だ。 カーは1 9 7 0 年 代 で買える。 ユニー クな 車の復 元 ロシアで は 西 側 のレ の B M W 3 1 9 だっ 品のGAZ ﹁ボルガ﹂ チューニングやエンジン
カンディハウスの海 外 事 業
ま り、 今では
カ 国 に取 扱
は1 9 8 0 年に米 国 から始
店 を 持つ。ロシア 初 進 出 は
ちょうど5年前だ。
きっか け は、 2 0 0 0 年
代前半にロシアからの経済視
察団が旭川を訪れたことだっ
たという。
この時に団員の一人が同社
年春、モスクワのイン
の家 具 にほ れ 込 ん だこと か
ら、
テリアショップに出 荷 するこ
とになった。
リーマン後に撤退を経験
だ が、 前 年 に起 き た リ ー
マン・ ショックの影 響でロシ
アの景 気 が 落 ち 込 む タイ ミ
ングと重なってしまう。
半 年 後にはショップそのも
年、ロシアの一般消費者の目
のが 閉 店 し まい、 その後 数
風向きが変わったのは 年
に触れる機会はなかった。
1 月。 毎 年 出 展 している ド
イツ・ ケルンの国 際 家 具 見
本 市 に、 著 名 デ ザイ ナ ーの
佐 藤 オ オ キ 氏 率いる デ ザイ
同 開 発 した 新シリー ズを 出
ン事務所﹁nen do ﹂と共
品したところ、ロシアから来
た。
ていたバイヤーの目にとまっ
同年春、サンクトペテルブ
ルクのインテリアショップ﹁デ
ザインギャラリー サンクト ペテルブルク﹂での展示販売
ノ ボ シ ビ ル ス クの パ ー ト
が始まった。
ナーと 契 約 を 交 わ し たのも
ちょうど 回目の出展となっ
た 今 年 のケルン見 本 市 だっ
サンクトペテルブルクから
た。
ド・ロース 社 長 は 流 れの変
プルでも上質なものに関心を
だ が、 最 近 は 見 た 目 はシン
の浸 透 に、 そ れほ ど 時 間 は
は上々という。ロシア市場で
新製品を製作中の高級デザイ ン家具﹁カンディハウス﹂のマス ター =﹁カンディハウス﹂提供
高級家具のカンディハウス 今 年 3 月 上 旬、 日 本の高 級デザイン家具がシベリアの 中 心 都 市 ノ ボシビルス クで 売 り出 された。 日 本 国 内 都市に 店舗を構える﹁カン ディハウス﹂ の製品だ。 本 社・ 工 場のある 北 海 道 旭 川 市 か ら 直 送 し た テー ブ 点。日本 文 化 を テ ーマに開 業 し た ば
ル、ソファなど約
かりの家具展示販売店﹁メイ ジ﹂のメイン商品として置か れ、 来 店 する 客 た ちをとり 素 材の質 感 を 重 視 した
こにした。 カンディハウスの家 具は無 垢 ︵むく︶ 材の食卓テーブルな ら1 台 数 十 万 円の価 格 帯で 売られるブランド品だ。 ロシアでは関税や運送費な
ル ー プで、 物 流 面でも 頼 り
体 は 運 送 業 を 中 核 と する グ になる存在だ。
化をこう話す。
示すようになってきた。当社
かからないかもしれない。
ボシビルスクでも顧客の反応
は追加発注が入っており、ノ
﹁数 年 前ならロシアの富 裕
の家 具 が ま さに そ れで、 大
︻吉村慎司︼
層は何についてもギラギラし
ド イ ツ 法 人 の ア ル フ レッ
ツ現地法人、カンディハウス・ 原則としてロシアには在庫
ヨーロッパが担当する。
ロシア 市 場 を 管 轄 する ド イ
商 談 や日 ごろの連 絡 調 整 は
テルブルクにも卸 先 を 持つ。
ロシア国内ではサンクトペ
だ。
るのがカンディハウスの役 目
営 してお り、 商 品 を 供 給 す
﹁メイジ﹂ は地元企業が運
在庫持たず日本から直送
同社は見る。
もチャンスが出てきていると
た 今、こ う し た 高 級 路 線に
く。 だが 富 裕 層 が 増 えてき
ては 1 0 0 万 円 近い値 がつ
どがかかるため、商品によっ
10
一連 の車 種 を一度 に 数 トロカーも人気がある。 た﹂ と、 ソロビヨフ会 と 交 換できた。これは のサイ ズに応 じて関 税 には必 要な部 品が工 場 ハイリターン ナイ トフランク社 に 台 購 入 す る 人 もいる。 今ではインター ネット 長は振 り返る。この車 ソ連で量 産 された 高 級 が 定 め られている。 そ で生 産 されている か 否 年 間で
よ る と、 レ トロカ ーへ の投 資は過 去 コレクターに4 3 0 % の収益をもたらした。 クーツ銀 行のデータ でも2 0 0 5 年 か ら 257%の高収益。 ち なみに、 時 計への同 時 期の投 資では17 6 % にとどまった。 海 外コレクターに人 ﹁チャ
気 あるロシア車 はソ連 時 代のG A Z イカ﹂、GAZ ﹁ボル ガ﹂、GAZ ﹁ポベー 特に注 目の的はソ連
ダ ︵勝利︶ ﹂。 政 府 要 人が乗ったZ I L、ZIS、ZIMな ど。 リハチョフ記 念 工 場とスターリン記 念工 レトロカ ー・ ラリー
場が生産した車だ。 クラブのスタニスラフ・ ソロビヨフ会 長 によ る と、 レトロカーの価 格 車 種などで決まる。 価
はその状態、製造年度、 格は数十万∼数千万円 と幅広い。 コレクターの中には、
撮影 All Over Press
組立ライン上で乾燥中 の﹁ポベーダ﹂= Corbis/
いすゞがロシ ア で
れている。 中・小型トラック﹁エル 競合車になる。 車 統 計 ﹂ ︶ だ 。 また、 三 井 物 産 やマ フ﹂ シリー ズ5 種 が生 い す ゞ はソレルスの ロシアの投 資 分 析 会 産されている。 社﹁インベストカフェ﹂の 唯一のパー ト ナ ー とい ツ ダ と の 合 弁 会 社 や、
を 持 た ず、 注 文 を 受 けてか ら日本でつくり、数カ月後に 消費者の元に届ける。
358
出典:ロシア天然資源・環境省、 「トロイカ・ディアローグ」社
日 本 とロシアの自 動 強気の計画とみている。
13 きなチャンスが来ている﹂
401
30
法外値段のラーダ
た派 手なものを求 めていた。
980
10
ノ ボ シ ビ ルス クの 店 の 母
プリオブスコエ
車 製 造 合 弁 会 社 ﹁ソレ それでも日 露 協 力 関 係
1067
ロスネフ チとガスプ ロム
ルス・いすゞ﹂は4月初 の発 展には大 きな注 目
ロスネフチ
420 万円 1年
他の11台はこちらで: jp.rbth.com/47739
ユジノ・ルースコエ ガスプロム
ロマシキンスコエ
ウリヤノフスク自 動
サモトロルスコエ
1万円
モスクワで専門業 者からの 1 時間当 たりレンタル料金。 レトロカー1台を 修理した際の平均 価格。 必要部品を注文できた場 合のロシアでレトロカー 1 台の修理にかかる期間。
15
540
生産開始を発表した。
G AZのLCV 市場
10
可採埋蔵量 (単位は 100万㌧)
数字あれこれ
ロシア南部アストラハン州で 石油・ガス田「ベリーコエ」が 発見された。可採埋蔵量は石 油 3 億 ㌧、 天 然 ガ ス が 900 億立方㍍。過去 20 年で最大 規模の発見になる。露天然資 源・環境省が発表したもので、 中小企業「AFB」が所有す る。現在、地質調査中である。 AFB社の主要株主はモス クワのブヌコボ空港の共同所 有者ビタリー・バンツェフ氏。 同 社はプロジェクトのパート ナーとして大手石油会社を考 えているが、具体的交渉は始 まっていない。 投資会社UFSICの見積 もりでは 投資額は約 15 億㌦。 現在の国際政治の動向を見れ ば、西側の銀行や企業が共同 開発者になる見込みは薄い。 プロジェクトに興味を示すと すれば、ロシアの石油大手の 「ロスネフチ」だろう。同社は 将来の石油納入を条件に、中 国の国立銀行から融資を受け ることが可能だ。 アストラハン州の石油の大 部分は重粘質で、その開発は 極めて難しいとされている。ベ リーコエの石油が軽質だと裏 づけられれば、こうした事態は 一変する。 【コメルサント紙】
め、ロシアで本 格 的 な が集まっている。
年間5000台。
いす ゞ ト ラックは 今 の シェア は ・ 5 %。 のとこ ろ、ロシア 市 場 韓国のヒュンダイ・ポー
ロシア南部で
13
50
今 年 は 積 載 量 8 ∼ アナリスト、イーゴリ・ う わ けでは ない。 ソレ 合弁会社﹁フォード・ソ ・ 5 ㌧のト ラック2 アルナウトフ氏による ルスの工場では、ロシア レルス﹂もロシアで活動 ツォフ最 高 責 任 者によ 種類を生産する。 総生 と、ロシア市場でいすゞ のU A Z や韓 国のサン している。 ると、ロシア市 場 向 け 産 台 数 はエルフシリー の 主 な 競 合 品 は、 ロ ヨンの自 動 車 も生 産 さ ︻ビクトル・クジミン︼ の特別な新型車を開発 ズ2340台、フォワー シアの自 動 車メー カー 生産し、 中・小型車部 ドシリー ズ2 0 4 台の ﹁G A Z ﹂ の比 較 的 安 門でのシェアを高めるこ 予定。 生産能力は当面 い製品だ。
中・小型トラック
完 全な現 地 生 産では 車工 場で4 月4 日に行 とができるという。 動 車 組み立て、 塗 装を 産 開 始 式にはメドベー
47
ラーダ・ロードスターはトリ ヤッチの設計者ヌージニーの 最初の作品。値段も法外だ。
ロスネフチ、 クラスノレニンスカ ルクオイル、 ヤ・グループ ガスプロム
タトネフチ
なく、 内 装の溶 接、 自 われたいすゞ 自 動 車 生
合弁で本格生産へ
大規模油田発見
12
行う。 現在 %の現地 ジェフ首相が出席した。 ロシアでは 現 在、 積 での 占 有 率 が 1・5 % タ ー、 イ タ リ アのフィ 生 産 化 率はフレーム生 ここに内 装 溶 接工 場 が 載量1・5 ∼6・5 ㌧の 以下︵露調査会社﹁自動 アット・ デュカ ー ト も は塗 装 ラインが稼 働 開 ソ レ ル ス 社 の シュベ
専 門 家は市 場の需 要 始した。
に %になる。
産実施後の2015 年 建 設され、 2 月 初めに
30
09
所有者
油田
80
50
ロシアのレトロカー
40
が 縮 小 している 時 期に
最大はサモトロルスコエ油田
24
10
10
20 2113
ビジネス 4 2014年(平成26年)5月8日(木) jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
れないだろう。 国 境 問 ない。 協 力 という もの
入の公式な承認を得ら 突 したり するつもりは
ロシアは クリ ミ ア 編 い。ロシアは 西 側 と 衝
一般的に言って、 クリミア
クリミアタタール問題だ。
最 も 重 要 な 問 題 の一つは
ウ ク ライ ナの出 来 事 で
1 9 2 0 年 代 から
シアの時代が始まった。
れ、 クリミア人にとってロ
クリ ミ アハン国 が 廃 止 さ
リ ー ナ 2 世 の布 令 の後 に
なければいけなくなる。 が現れない可 能 性も高
題は特にデリケート だ は、いかなる条 件 下で 入 に 否 定 的 だ。 同 時 に、
タタール人はロシアへの編
西側と衝突するつもりはない
包 囲はうまくいかない いという、 単 純 な 話に 権 は クリ ミ アタタ ー ル 人
代 にか けて、 ソビエト 政
年
の民 族 文 化の発 展のた め
米 国と欧 州は即 座に に対 する経 済 的、 政 治 ようと努力した。
市をロシアに編入した。 になる。 西 側 がロシア たが、 その後 復 活 させ か ら だ。 だ が、ロシア も成 立 するわけではな クリ ミ アタタ ー ル 人 の活
世 紀 の 世 界 で は、
第 二に、 米 国 はその との確 信を持っていい。 すぎないのだ。 動 家 た ち はロシアとの正
反 応 し、ロシアの考 え 的 圧 力を加え、 冷 戦の 方の根 拠や立 場の妥 当 ごとく制 限をかけよ う ような国 々に対 する立 新興・発展途上国は自
に多くのことを為した。ロ 主 義 共 和 国の構 成 下にク
シア・ ソビエト 連 邦 社 会
面対決を控えてきた。 世 紀にクリミ アの
クリ ミ アタタ ー ル 人 は
性 を一切 加 味 すること とすれば︵投資、技術、 場 を 変 えてお ら ず、ロ 国の立 場を強 化 するた 非西 側との確 固たる関 、 シアとは 組 むな、 と 積 めに、 不 和を利 用しよ 係なしに成 功はあり得 なく、 制 裁に向 けて動 金融、 市場閉鎖など︶ ∼
リミア自 治 共 和 国が創 設
方 をロシアが否 定 する
ない。 偏 狭な西 側 的 見 地に形成されたチュルク系
しの世 界﹂ は現 実にな る﹂ことは 明 らかであ
された。 タタール人 は 半 島 か ら 追
1 9 4 4 年、 クリミア
民族。自らを﹁クルムル ︵ク
年 前と比べ されど西側 ことは、 完 全な多 極 性
ロシアにとって﹁西側な 極 的に﹁アド バイスす うとさえする。 ∼
き始めた。 る。 リミア人︶ ﹂と称している。
る可能性がある。 他の経 済 的 中 心に向 て状 況 は 変 化 している 1 7 8 3 年 のエ カ テ
西側諸国が世界で最 の発 生を意 味 する。 誰
西側=世界ではない ロシアが 得 た 主 な 教 訓は、 世 界が西 側に限 きを 変 えることは大 変 から、﹁禁止する﹂こと も 影 響 力の強いことに も無 視できない多 極 化
対抗は起こった
ロシアを見下す冷戦勝者
は 難 しいが、 だか らと 変わりはなく、 代わり である。
第一に、 世 界で 政 治 いって 西 側 を 甘 く 見 て
定 さ れている わ けでは 動である。 ないということである。 欧 米との関 係が最 優 的に主 体というよりは いいとは限らない。 先 となる 世 界システム 客 体と考 えられてきた 第 三 に、 中 国 は 現
を採 用 することは困 難 国 々と対 等な関 係にな 中露関係の変質 になった。 数百年の間、 ることにロシアは慣れて 西 側 ばかりを 見つめて いない。 ソ 連 は パトロ 状において自 然 な オ プ アフリカ、中南米の国々 側 面 を 無 視 で き ない。
ウ クライナ 情 勢 はロ 反 する 行 動 をとった 時 きたロシアにとって、重 ンであったし、 アジア、 ションと な る が、 別 の
これまでも 多 く 語 られ と 対 抗 していた。 ソ連 にかなり譲歩しており、
ア ジ アへの 転 向 は、 への影 響 を め ぐり 米 国 ロシアは 経 済 的に中 国
シア政 治 史の区 切りと でも、 関 係の傷が最 小 大な転換点である。 なった。ソ連 時 代 末 期 限になるよ うに余 地 を の1980 年代末から 残していた。 しかし、 今 回 ロシア て き た。 ア ジアへの 転 崩 壊 後しばらくは各 国 政 治 的にも 密 接になっ
放 された。この出 来 事 は
第一に、それは﹁民族を
重要な契機となった。
固く結束させた﹂。第二に、
今 も 残 る 大ロシアに対 す
る 嫌 悪 感 を 強 め た。ロシ
念 する 理 由 はこの嫌 悪 感
ア編 入 を クリミア人 が懸
現 在、 最 も有 力 な クリ
にあるといえるだろう。
ミア人組織﹁メジリス﹂を
すべてのクリミアタタール
人 が 民 族 的 利 益の唯一の
代 弁 者 と み な している わ
けではない。
視し、強引に独自の決定を行
で、 西 側がロシアの利 益を無
うということである。 了 見の
狭い人 間がロシアは対 抗しな
いだろうと考えた。 だが対抗
クリ ミ アとは 何 だ ろ う か。
は起こった。
厳密に言うと、 クリミアがウ
クライナの一部になったことは からのロシア追い出しを試み
ず一つ。 二つ目 は、ロシアが
とができなかった。これがま
も、 西側の気質にもなじむこ
じた対立である。
ロシアが大 反 対したことで生
によるユーゴスラビア爆 撃を
大西洋条約機構︵N ATO︶
ウクライナは ﹁ロシア世界﹂
義 共 和 国 に 移 譲 し た フル シ
連 最 高 会 議 幹 部 会は
票の
チョフ第 1 書 記の決 定に、ソ
会には
人が所属していたか
賛 成 票 を 投 じ た。 当 時 幹 部 その影響力を強めようとした
だが、 米 国がウクライナで
クリ ミ アをロシア・ソビエ た︵そして成功した︶ 。それは
ない。 た。 三つ目は、ロシアには敗
年 余 の米 露 関 係 が た
クリミアの再統合はソ連崩
と。 原 油 高 が 大 き く 寄 与 し
壊後
側の気質を悟り、あくまでも
よ う としているし、 金
にロシア政 府 を 支 持 し
﹁ 元 大 国 ﹂ としてゆっくりと
行 動 を 取った。 西 側 諸
ト 社 会 主 義 連 邦 共 和 国から
国からの要 請、 呼 びか
カフカスであり、 中 央アジア 成 長 することであったが、 そ
者として振る舞う気がないと
どりついた一つの結果である。
外交防衛政策会議議長
融・経済的支援を行お
け、 警 告、 脅しを無 視 う と している が、 これ
米国が予期したのは、敗者
予 想 以 上 に 早 く 成 長 し たこ
あった。
ウクライナ・ソビエト社 会 主
が敗者らしく振る舞い、西側
その兆 しとなったのが、 北
の駆け引きの規則を守り、西
ロシ ア は 西 側 の 価 値 観 に
の通りにはならなかった。
であり、 東欧であり、 中東で
ソ連が崩壊した時、 冷戦の
国の意 見をより重 視し
ら、定数割れしていたのである ウ ク ライ ナの N A T O 加
家的利益をないがしろにして
いるのでは ない。ロシアの国
法的な疑問をアピールして
︵残りの 人は不在だった︶ 。
時、ロシアはすごすごと戻る
盟、ロシア南西部国境付近で
わけにはいかなくなった。 かったが、 米国は爆撃を強行
のN A T O 軍 配 備 を 警 戒 し
たということだ。
はいけないことを示 す時が来
アから切り離し、パンドラの
ただけでない。 ウクライナは
史・ 倫 理 的にロシアに帰 属し
クリ ミ ア 自 治 共 和 国 が 歴
﹁私た ちのスペース﹂であり、
米 国はいつでも強い立 場で
強い信念がある。
ウクライナ人は﹁同胞﹂という
とん どがロシアを目 指してい
ていること、ここの住 民のほ
行 動 し、 互いへのいらだ ちが
年 強 続い
府にとって、 過 去
りの決定も行われた。
ることは明 白であり、 それな
ウクライナ情 勢はロシア政 ないと考え、ロシアは、 米 国
機会となった。
西 側の姿 勢はウクライナの
てきたことを改めて確認する それはいわ ゆる﹁ロシア世
対応をすると考えた。 この間、 米 国はロシアがか
人 権 保 護やウクライナの一体
性とは無関係で、あくまでも
界﹂ に何世紀も入っていた地域
がロシアを尊重せず見下した
が﹁しかるべき﹂振る舞いをし
募っていった。米国は、ロシア
箱を開けた。
した。 そしてコソボをセルビ
U︶も爆撃に賛成してはいな
国連安保理も欧州連合︵E
は決 定を行 う際に、 中
償がついてくる。ロシア
ジャーナリスト
いうことが判明したことだ。
敗者がロシアで、 勝者が米国
フョードル・ ルキヤノフ氏 にはロシアの中国への依
動モデルをロシア政 府 はこれまでとは 異 なる 向が非西側化の転換点 との関 係 が 途 絶 えてい ている。 中 国は積 極 的
ほぼ四半世紀続いた行 は事実上放棄した。
ロシア政治の区切り
21
だったことは明らかだった。
SNSを圧迫させる
存 度が高 まるという代
いかなる隔 たりもな し、 クリミア自 治 共 和 い世界と欧州を夢見始 国とセバスト ポリ特 別 良 好 な 関 係 を 保つこと
30
つて影 響 力 を 持っていた 地 域
ブド ゥライモフ 氏 はユー
20 1 4 年、﹁民 族 党﹂
る。 土 地の問 題、 政 権の
にはさま ざまな 側 面 があ
クリ ミ アタタ ー ル 問 題
代 表、 ウ クライ ナとの相
のリ ー ダ ー、 バス ビ・ ア
ラシア統 合に賛 成 してウ
関 係 構 築の問 題。 すべて
クライナの新政権に反対。 互 関 係、 国 家 的・ 宗 教 的
3 月の住 民 投 票を支 持し
ム、 歩 み 寄 り が すべての
た解決策、プラグマティズ
そ のた め に は 並 は ず れ
に解決されうる。
が 双 方にあれば、 前 向 き
これ らの課 題 は その意 思
その際、 多 くのクリ ミ
た。
ア人は現 実 主 義の姿 勢 を
リャラ・セインチレエワさ
とった。 年 金 生 活 者 のジ
んは﹁ロシアはクリミアタ
当 事 者に求められている。
ラスキン氏が協力した︶
ものを 与 えることを 余 儀 ︵ 本 稿 執 筆にアンドレイ・
タール 人に特 権のよ う な
なくされた﹂と語る。
クリミアのロシア編 入の是 非を問 う住 民 投 票
らの見解を述べた。ソ連崩壊︵ウクライナ帰属の
の後、 ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は自
クリミアが外国となった︶を招いたとして非難さ
れる元指導者の胸中に何が去来したのか。
住民の希望に沿ったことが起きている
た幸せを責 任を持って、 うまく管 理しなければ
﹁クリミアでは現在、 人々の願いと希望に沿っ てすべてのこと が 起 きている。 住 民 は 手に入 れ
ならない。 クリミアはその主権を利用しながら、
ロシアと共にありたいとの希望を表明した。これ
は選択の自由だ﹂
﹁流血を許してはいけない。ロシアを取り囲む
多くの略 奪 者が流 血へと向かわせる可 能 性があ
る。 彼らにとって、ロシアが打ち立ててきた計画
の実現を妨害する方が重要なのだ。 最大の間違
とウクライナの衝突を成功させてしまうことだ﹂
いは、ロシアとクリミアの統合反対派に、ロシア
オバマ氏は勝利主義を改めるべきだ
﹁オバマ米大統領は今、勝利主義を改めなけれ
ばならない。冷戦後、米国には﹃世界が我々の下
にある状態を、なぜ変えなければいけないのか﹄
米国のこのような政策を受け入れなかった﹂
という考 え方が機 能していた。 だが、 他の国は
﹁しばらくの間、 プーチン大統領をとても気に
入っていたが、 徐々に指導者絶対主義にはまって
いった。 国 民は再 び政 治 離れを始 め、 ささいな
ことでもプーチン大統領を信用しなくなった﹂
﹁ウクライナ、クリミアが自由であるべきだと、
プーチン氏は考える。 自分たちの運命を住民投
票で決める自由もある。これは私が歓迎するプー
チン大統領の意見だ﹂ ︻スロン・ルー抄訳︼
E-mail: jp@rbth.com ホームページ: jp.rbth.com 電話: +7 (495) 775 3114 ファクス:+7 (495) 988 9213 住所: 24 Pravdy st., bldg 4, floor 12 Moscow 125 993, Russia Copyright 2014, FGBU «Rossiyskaya Gazeta». All rights reserved.
元ソ連大統領
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ゴルバチョフ氏、クリミアを語る
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ミハイル・ ゴルバチョフ氏
編集兼発行 ユージン・アボフ Eugene Abov 編集デスク アレクサンドラ・バズデンコワ Aleksandra Bazdenkova 編集アシスタント ナタリア・ススリナ Natalia Suslina 電子版編集 セルゲイ・パシェンコ Sergey Pashenko デザイナー アンドレイ・シマルスキー Andrey Shimarskiy 編成担当 ミラ・ドモガツカヤ Milla Domogatskaya レイアウト イリーナ・パブロワ Irina Pavlova サブ編集者 三瓶良一 ゲスト編集者 町田幸彦 インフォグラフィック ガイア・ルッソGaia Russo、 ナタリア・ミハイレンコNatalia Mikhailenko 写真 アンドレイ・ザイツェフ Andrey Zaitsev 広告 ユーリア・ゴリコワ Julia Golikova
地 政 学 的、 戦 略 的 利 益の話
す。必ずしも「ロシア NOW」 または「ロシア新聞」の見解と同一ではありません。
住民投票で決める自由を説くプーチン氏を支持する
アレクサンドル・ゴルベンコ Aleksander Gorbenko パーベル・ネゴイツァ Pavel Negoitsa ウラジスラフ・フローニン Vladislav Fronin
13
同 じ く 地 政 学 的、 国 家 的 利
風刺漫画などはさまざまな意見、主張を幅広くご紹介するために選ばれたもので
30
13
ソ連ブランドがクール!
ロシア国立人文大学准教授 セルゲイ・マルケドノフ氏
編集スタッフ
27
14
なのである。ロシアの行 動 も
メールのあて先は jp@rbth.com です。 お気軽に日本語でメールしてください。
20
ネット・ビジネスの専門家 設者ゲルマン・クリメンコ氏 らは、ブロガー関連法案の はこの法律にはユーザーが 起草者が中国式にネットへの 流出する可能性があり、ロ 締め付けを厳しくしようとして シアのソーシャルネットワーク いる、と非難している。 (SNS)を圧迫しかねない あまりにも漠然とした定義 とみる。 により、基本的な事柄も曖昧 ロシア上院の憲法・国家 になっていると言う。「アクセ 機構委員会副委員長のコンス ス数」 とは何か、プログラム・ タンチン・ドブルイニン氏は ロボットとどう戦うのか、訪 過度のネット規制は無意味だ 問者の数をどう数えるのか、 と指摘したうえで「大海原と戦 外国のサーバーとどう合意す うことはできるが、泳ぎ方を るのか等々。 覚える方が確実だ。ネットも ライブインターネットの創 同じことだ」 と語っている。
めた時から、 西 側との
オリガ・バンドイシェワ氏 (エキスペルト誌)
クリミアタタール人
益のためなのである。
本紙に掲載された「オピニオン」面の意見や読者からの投書、ゲスト・コラム、
ウクライナ危機の行方
タチアナ・メリキャン氏 (モスコフスキー・コムソモーレツ紙)
内に嫌露感 お手紙をお寄せください
ウクライナ情勢をめぐるロシアと西側の対立は従 来の国際関係が大きく変わりつつあることを感じ させる。 「揺らぐ冷戦後秩序」 (1面参照) の筆者が ロシアの立ち位置について再び論じた。 ロシア下院の第三読会は「反テロ・パッケージ」 法案のうち、ブロガーをマスコミと同等に扱う(規 制する) 法案を承認した。ネットでの自由な情報伝 達を制限するものだと警戒する声も出ている。
ウラジーミル・ ポズネル氏 20
従来の行動モデルを転換
ブロガー規制法案
がロシアの最 重 要 目 標
ロシアの 論調
17
ソ連ブランドは高品質(30.1%)とセン スの良さ(24.3%)で秀でていると、現代 のロシア人は考えている。ソ連ブランド を信頼する人は 52.7%と高い数字だった。
戦略利益の米露衝突
情報提供:全ロシア世論研究センター
25
いまって、この改正法はフィー ドバックを欠いたシステムを 作り出し、情報面で市民に巧 妙に圧力をかけることができ る。だがこのシステムは情報 戦争の勝利者にはなれない。 ザスルスキー氏によると、 ネット・ビジネスの成長率は 既に下降線をたどっていると いう。「この産業にとって大 きな痛手だ。既に海外への 逃避が始まっており、外国の サーバーに自分のリソースを 移し始めた者が多い」 インターネット上の言論の 自由を制限する法律の数が 増えていく。こういう傾向は 自殺行為であり、社会の反感 を増すだけだろう。 「訪問者が 3000 人に達す ると、あなたは権利を失い、 責任を押し付けられることに なる」 。イワン・ザスルスキー 電子出版協会会長はこう述べ る。「最も有名で面白い人々 が 情報の農奴制 に押し込 められることになる。 市長公選制の廃止などとあ
もっと読む jp.rbth.com/47597
編集委員会長 社長 編集長
( 上から) 古き良きロシア。冷戦時代。そして現在、再び東向きに=ナタリア・ミハイレンコ
西側なしの世界 ロシアに現実感 となり、 欧 米の希 望に
情報の農奴制に
CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN jp.rbth.com
2014年(平成26年)5月8日(木)
5 オピニオン
ア、 アゼルバイジャンが位置している。ここにロシア人が
冬季五輪が開催されたソチの背後にそびえるカフカ ス山脈の南側に旧ソ連の共和国だったグルジア、アルメニ 住み着いている集落がある。 主にキリスト教異端派とし て帝 政 時 代に迫 害され、ロシアから追 放されたロシア人
だけ。他は名前しか残っ ていない﹂ メ ディア 会 社 を 創 設
風の名の村 が散 見 され し たマル ガ リー タ・ ア
異端ゆえ住み着いた グルジア
移民に露語試験
高度技能者除く 名した ︵来年から発効︶ 。
﹁ロシアっぽさ﹂ の点で
プー チン大 統 領 は 4 月
ア通信撮影。
の子孫たちだ。ソ連崩壊後の社会の激変で過疎化に見舞
グルジアのジャバヘチ もロリに似ている。 フブレディアニさんはこ る。 アは地理的・気候的条 ここにはオルロフカ、 ソ連 時 代、これ らの う語る。 彼 女の会 社は 件 か らもアルメニアの ス パソフ カ、 エフ レモ 村の住 民たちは搾 乳 量 昨 年、 ドゥホ ボール教 その結 果、 外 国 人 が 永
アルメニアでは珍しい金髪碧眼のモロカン教徒の子 供たち(写真左上) 。モロカン教徒の家庭の机には必 ず 3 冊の本が開かれている (写真左) 。旧約聖書、新 約聖書とモロカン教徒の指導者の金言を集めた「霊 と命」だ。=セルゲイ・マクシミーシン撮影。写真左下=ロシ
われているが、 残った人たちは静かに、 戒 律を守りなが 日、 移 民 にロシア 語 試
マル ガ リ ー タさ んに
しか残っていない﹂
うとしたが、 う ま くい でも ごくわ ずかの人 数 村 民 た ちは宗 教 上
かなかった。
人 々で、 その禁 欲 的な 教 徒の村 々にはほとん
の理 由で追 われてきた よると、 ドゥホ ボ ール 生活全体を勤労が支え どアルメニア人 が 住 み ン教 徒ではな く、 ドゥ ロシア人 と 決 め 込 むの
﹁ドゥホボール教徒を
ていた。 彼 ら はモロカ 着くようになっている。 ホボール教徒だ。
就 労 許 可、 特 許を申 請 す
ソ連 時 代 に 発 行 さ れ た
象者は適用除外となった。
ロシア移住プログラムの対
携 わる外 国 人 労 働 者に対
り、 商 業・ サ ー ビス 業 に
連 法 が 既に施 行 されてお
し、ロシア 語 の試 験 を 義
ア史およびロシアの法律に
教育証明書類を持っていな
る場合は、ロシア語、ロシ 関 する知 識 を 証 明 しなけ
月 より関
ナザル・ミルゾダ会長は、
族 友 好 協 会 のムハンマド
ロシア・タジキスタン民
務付けている。
20 12 年
ければならない。
受 け、 証 明 書 を 取 得 しな
い場 合 もロシア 語 試 験 を
高 度 な 技 能 を 持つ専 門
ればならなくなった。
歳未満︶ 、 旧ソ連 圏で
家、 身 体 障 害 者、 未 成 年
キ リル 文 字 を 使 用 してい
るタジキスタンではロシア
語 習 得 は 難 し くないと 語
るとともに、移民のための
多 数 開 設 すべき だ と 述べ
ロシア 語 教 育 セ ンタ ー を
た。︻イワン・チェルノフ、
ブズグリャド紙︼
オ 局 があり、ロシア語
刊 行 物、 テレビ、 ラジ
では、ロシア 語の定 期
カフカスの3 共 和 国
が配備されていた。
り、ロケット 軍の部 隊
ノ市には軍の基 地 があ
のロリ 地 方のプーシキ
例 えば、 アルメニア
時代の移住者だ。
ソ戦 時 代の難 民 かソ連
族の子 孫。 第 三に、 独
シア帝 国 軍の兵 士・ 家
派の人 々。 第 二に、ロ
迫害された宗教的少数
第一にロシア 本 国 で
に大別される。
多 くの村 民 がロシアや がロシア 人 で、 誰 がロ で 自 他 を 区 別 し な い。 な街に住んでいる。 文 明の利 器 とは一線 を 6万人強だ。 ア ゼ ル バイ ジャンに 持つ専 門 家を必 要とし マ、 誰 が ポ ー ランド 人 ドゥホ ボ ール教 徒の共 カナダに移住した。 同 国 のイスマイ リ ン 画 している と さ れてい 住むロシア人の場合は、 たからだ。 ﹁ 今 日 で は、 他 か ら か を お 互 いに 知ってい 同 体という区 分がある アゼルバイジャン スキ ー 地 方にもモロカ るのですが﹂ 石 油 産 業に関 連 してソ 孤 立 した 生 活 を 保って る。 村のある 女 性 につ だけです﹂ アゼルバイジャンの首 連 時 代に各 地からカス 移住ロシア人も ア ゼ ル バイ ジャンで ン教 徒の村、 イワノフ いるのは ゴレロフ カ 村 いて﹃あの娘はロシア人 このよ うにカフカス 都 バクーの政 治 学 者 ク カがある。 現 在、 グルジアに住 も ソ 連 崩 壊 後 に ロ シ ア ピ 海 沿 岸 に 移 住 し て き に住 むロシア 人 は 三つ
ここで も アルメニ ア は 間 違いです。 言 語 と に嫁いだ﹄と人が言うの むロシア人は5万人弱。 人流出が起きた。 統計 ﹁彼らは自分たちのサ ラブ﹁南カフカス﹂のイ た人がそのまま住み着 での状況が再現された。 文 化 や 衣 服 な どはロシ を 聞いて驚いたのを 覚 主 にト ビリシ、 ルスタ によ ると、 アゼ ルバイ イ ト もつくった そ うで リガル・ ベリザ デ会 長 いた ケースが 多い。 石 つまり、 連 邦 崩 壊 後に ア風 だが、 内 部では誰 えている。 普 通 は 民 族 ビ、 バツミ な どの大 き ジャンに住むロシア人は すよ。 彼 らはこういう が現状を説明する。 油産業は高度な職能を
住権取得、一時滞在許可、 ︵
験 を 義 務 付 ける法 令に署
ロリ地 方ステパナバン市 ンさんは回想する。
の画家ガレギン・ムクルチャ ﹁ロシア 人の集 落 が 過 疎 化するのは残念。 驚くほど 公 式 統 計 に よ る と、 ア
きれいな村だったのに﹂
1 万5000 人のロシア人
ルメニアには現 在 約 が残っているだけである。
域でも同 水 準に上 げよ 風変わった人たちです。
グルジア政 府は他の地 ﹁ 厳 し い 戒 律 を 守 る一
来年から
ロリ地方とうり二つだ。 フカ な ど というロシア で 記 録 保 持 者 だった。 徒の暮らしを撮影した。
カフカス3国
21
お互いが外国に
らたくましく生きている。 ︻ユーリー・シモニャン︼
ルメニア国内では有名だ。
﹁点在する ﹃小 さ なロシ ア 村 ﹄ は 家 が 真っ白に 塗られ、窓枠と よろい戸は青色 に。 隅々まで気 配 りされていま した。主人も働 き手も素晴らし い人 た ち だった のです﹂
を受けられる。
宗教背負うロシア村 フィオレト ボ、 レールモ モロカン教 徒は人 目につ
ボ村のニンジンは甘く、 ア
ント ボ。ロシア風の名 前の かないように暮らし、よそ
アルメニア
村落がアルメニア北部の山 離 れる者は若 者 だけ だ。
岳 地 帯のロリ 地 方にある。 者とは話したがらない。 冬の寒さが厳しくやせた土
で、 専 門 学 校︵短 大︶ 、大
フィオレト ボ 村にはロシア
学はない。 首 都エレバンに
地で﹁アルメニアのシベリ 村 民 は 主 に モロ カ ン 教 行けばロシア語で高等教育
語で教える学校があるだけ
徒。 帝政時代にエカテリー
ア﹂と呼ばれる。
ナ 2 世 によ り 追 放 さ れた キリスト教異端一派だ。か つてはいくつかの村 が あっ たが、 現在、モロカン教徒 の村として残るのは二つだ け。あとは廃村になった。 廃 村になった理 由はソ連 崩壊に伴い、 村人の多くが 故郷ロシアに戻ったためだ。 親戚を頼って海外に移住し た人たちもいる。 モロカン教 徒は自 らの宗 教戒律を厳しく守って生活 している。 彼 らはアルメニ ア人に同化しなかった。 夜明けから日没までずっ と働 き、 ジャガイモ、 ビー ト、 ニンジン、 キャベツを ガレギン・ムク ルチャン︵画家︶
設 さ れている。ロシア
の学校、 大学学部が開
街 角でロシア語 を 耳
語の劇場もある。
に するのは 珍 しいこと
ではない。
信 仰に関しても問 題
ない。アゼルバイジャン
には 正 教の教 会 が 五つ
ある。 グルジアと アル
メニ アはロシアと 同 じ
キリスト教国である。
在日ロシア人1万人 2世の進路に悩む ロシア人 ディアスポ ラが日 本に
ア人が住んでいた。 中国やオース
点で、日本には1766 人のロシ
し実質的に日本に居住している人
や、 1 年 以 下のビザを 常 時 更 新
将来展望が不透明の時期だった。
は1990 年代半ばで、ロシアの
ロシア人ディアスポラ
子 供 た ちは 日 本 社 会 に順 応 す
か。ロシアの道か日本の道か。
とをひけ目に思 うようになる一方
とになる。 彼 らはロシア人 母のこ
といったものを 鋭 く肌で感 じるこ
などを含んでいないためだ。これ
日本語だが、ロシアと日本では教
で、 アイ デンティティー や 就 職 な
るものの、 日 本 社 会の単一民 族 性 トラリアのロシア人 移 民の数と比
育としつけの仕方など広い意味で
国 際 結 婚で 生 ま れた 子 供 た ち べてはるかに少ない。
年のディアスポ
の文化が全然違うので親は難しい
実数は1万人近くになる。
歳。 女 性 が 男 性の2 倍 以 上い
る。 日 本 人 男 性 と 結 婚 した 女 性
子 供 に ど ち ら を 選 ば せ るべき
︻アレクサンドル・クラノフ︼
の国﹂ ではなくなってきている。
て、日本は次第に﹁未来のお手本
いるものの、ロシア人の若者にとっ
ロシアでは日 本 ブームが続いて
どの面で壁にぶつかるのだ。
在日ロシア人の平均年齢は 文化が西側諸国と極めて異なるこ
の方 が多いためだ。 結 婚 ラッシュ
∼
世 紀 末 に さ かの ぼ
現 れ たのは
る。 ただ、 最 近
ラは革命後に多かった古典的な亡 これは、ロシアでは日 本 語があ まり教えられていないこと、 日 本 亡 命 者はいつか故 国に戻ること
け込み﹁身内﹂になるのは至難であ
と、そして外国人が日本社会に溶
命の概念に当てはまらない。
を望みつつ、 故 郷を去る。 現 在の
選択に迫られる。 ロシア人ディアスポラは﹁移民﹂と
の実 数はこれよりずっと多い。 上
とはいえ、 日 本に住むロシア人
ロシア人亡命者に詳しい青山学 院 大 学のピョートル・ ポダルコ教
記の数には日本の大学での留学生
jp.rbth.com/blogs/kulanov
乳母の嘆き 授によると、2012年初めの時
いう言葉を使った方がいいだろう。
ることなどで説明される。
40
社会文化の壁
20
その生の軌跡を尋ねて
もっと読む jp.rbth.com/47675
ら事 実 上の滞 在 者を考 慮 すると、 は成長している。 彼らの母国語は
日本に亡命したロシア人:
モスクワに住むニーナ のベビーシッターはウクラ イナのルハンシスク出身。 ベビーシッターはニーナ の娘を学校に迎えに行っ て、音楽学校、英語教室、 運動クラブなどに連れて行 く。これで仕事は終わり。 ウクライナの革命に刺 激されて、ニーナは賃上 げを要求された。ロシア のくびきの下にウクライナ が置かれてきた数世紀の 償いとして。賃上げに応じ ると、今度は追加的な休 日も要求された。 18 新 年 休 暇で 実 家 に 帰 るベビーシッターは切符 を買いに駅に向かったが、 言葉を失って戻ってきた。 今年 1 月からロシアで のウクライナ人滞在手続 きが変わり、年間 90 日以 上の滞在ができなくなっ た。帰国しても再入国に は労働許可取得の手続き が必要となる。再会を約 束して帰ったベビーシッ ターがニーナの下で再び 働くことはないだろう。 12 20
栽培する。この地でそれ以
つの流れ なぜここに
19
2 1
3
れた長老だ。ここ数十年、モ ロカン教徒はより厳格になっ た。誘惑に満ちた現代生活は 古いしきたりを風化させかね ない。そこでいよいよ孤立の 度合いを強めている。 モロカン教徒がロシアに 現れたのは 18 世紀後半。彼 らは正教のプロテスタントと いったところだ。自ら(聖職 者の仲介なしに)聖書を読み、 解釈する。指導するのは選ば
外は育 たない。フィオレト
厳格なモロカン教徒
過疎化進む
3
一言
独ソ戦やソ連 時代の移住者 の子孫 軍人・軍属のほかに カスピ海油田に関連し 専門家を含む多くの石 油産業関係者がソ連時 代を通じて主にアゼル バイジャンに派遣され 移住した。
帝政ロシア軍 の軍人・家族 の子孫 カフカス地方の軍基 地に配属され、長い年 限を勤め上げたが、帰 る家がなかったり、 ここ に住み慣れ、家族がで きたりしてそのままこ の地にとどまった。
迫害されたロシ ア正教異端派 の子孫 帝政時代に同じロ シア正教でも異端と された少数派がロシ ア本国で迫害された り、追放・流刑された りしてカフカスの地に 住み着いた。
社会 6 2014年(平成26年)5月8日(木) jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN
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唯一の交 通 路は国 道
号。これは 建 設のた め 穏やかな海 辺の都 市に 位置している。 演 会 場 と なっている。
おり、マガダンは普通の た 半 島の付 け 根の所に たが、 現 在は地 元の公
マガダン地 域 歴 史 博 マガ ダンの新 しい大 もの労 働 収 容 所の囚 人 旅人はマガダンですばら 物 館にはこの地 域の動 聖 堂は極 東で最も美し
に命を落とした何 千 人 なっている。 冒 険 家 や
術 が 展 示 されている。 印 象 的 なコレクション
マガダンは三日月状 州立音楽演劇劇場は労 が見どころだ。
ことができるだろう。
た ちにちな んで﹁ 骨の しい思い出 を 持 ち帰る 植物、 先住民文化や美 いタマネ ギ 形 ド ー ムの
今日、 強制労働収容
道﹂と呼ばれた。
マガ ダンでは 海 釣 り
に出 か け た り、 ヤマ川
や オ ラ川でのサ ケやイ
ワナのフライフィッシン
グのツアーに参 加 する
も釣りを楽しめる。
のも簡単だ。 山の湖で
エト ピ リ カ やツノメ
ドリを含む多 数の品 種
の鳥 類 もマガ ダン周 辺
に生 息 しており、 沿 岸
では特に見つけやすい。
……鯨骨の小道
夏は道が泥沼化
囚 人はスズ鉱 山で働か 永久凍土が溶けて未舗
されていた。 今でも 監 装 の道 路 が 泥 沼 化 し、
﹁骨の道﹂は世界で最
視 塔や収 容 所の建 物を 移 動が困 難になるため
も 極 寒で人 里 離 れた
見 学できる。 ウラニウ のだ。
チャグ収容所もある。
ム 鉱 山 だった ブトゥグ
アジアの北東端にある 場 所に数 えられる地を
﹁骨の道﹂の最 終 地 点、 通っている。 そ れは 世
マガ ダン。 世 界一周 の 界でも数 少ない偉 大な
旅 を するバイ ク乗 りは 冒険の一つだ。マガダン
ここを 最 終 目 的 地にし に向 かう 道のりの最 後
の5 0 0 ㌔ の 周 辺 は、
﹁骨の道﹂での車の運 一般 旅 行 者でも訪 ねる
ているようだ。
転 を 試みるのに最 適 な こと ができる 見 どころ
季 節は冬 だ。 夏の間は 満載のルートである。
車なら冬場に
チュクチ自治管区
ベーリング海峡のプロビデニ ア湾の近くに、山がちな小島イッ ティグランがある。この島は古代 の捕鯨者が残したユニークな文 化遺産「鯨骨の小道」 で名高い。 その起源は 14 世紀と推測さ れている。小道は2列に並んだ 巨大なクジラの骨から成り、300 ㍍ほど続いている。 海辺では、クジラの頭蓋骨(ず がいこつ)が 2 ∼4個ずつ 15 群 に分かれて列を成している。
大自然ツアー満喫
56
「悲しみのマスク」
❸イッティグラン島
面積:55平方㌔
今は平穏な海辺の街
所は歴史上の話となって のナ ガエフ湾 に突 き 出 働収容所時代に発足し
右) 、マガダンにある「悲しみのマスク」 = Geophoto 撮影 の像(写真下左)
マガ ダンを 出 発 点 や
到着点とする野鳥観察
や自 然ツアーも多 数 企
画されている。
マガ ダンの強 制 労 働
収容所を見学する場合
は、 ド ネ プロフスキ ー
収 容 所 がこの都 市 から
﹁骨の道﹂ 沿いに半日の
ド ネプロフスキーの
所にある。
❷オリホン島
オリホン島はバイカル湖最大 で、人が住んでいる唯一の島だ。 ブリヤート語でオリホンは「乾 燥した」という意味だ。フジルは 島最大の集落。1200 人が住ん でおり、島民は冗談半分に「首 都」 と呼ぶ。食料品店数軒、レス トラン二つと教会。ナイトクラブ だってある。 島 の 近くには 湖 の 最 深 地 点 (1642㍍)がある。島には自然 の景観がそろっている。砂丘と 岸辺の針葉樹林。 森も広がり、 カラマツの老樹とエゾマツの疎 林もある。赤いコケに覆われた 大理石の岩、沼もある。
ロシア極東のマガダン市は北太平洋・オホー
囚人たちの﹁骨の道﹂
マガダン州の州都マガダン(写真上) 、 マガダンの入り口、ナガエフ湾(写真下
面積:730平方㌔
モスクワとの間に八つの時間帯があるため、モ
もっと読む jp.rbth.com/44477
イルクーツク州
ツク海に面し、孤立した場所のように思える。
海から望むモネロン島(海馬 島)は米国のドラマ「ロスト」の美 しい景色をほうふつとさせる。 この島はとても小さく、船で周 回しても 1 時間半。徒歩でスタ リツキー山(440㍍)への登山を 含めて 5 ∼ 6 時間で回れる。 モネロン島への旅はサハリン の港町ネベリスクから始まる。地 元の船団が島との連絡を維持し ている。 サハリン島からモネロン島まで の距離は約 50㌔だが、海の流 れに逆らう小さな船のスピードは 10㌩(時速 18㌔)ほど。天候に 恵まれれば、3 時間ほどで到着 でき る。 島の存在を最初に正式に認め たのは日本人。17 世紀にムラカ ミ・ヒロノリが航海地図上に島 を記した。現在はほぼ無人島だ。
……バイカル湖最大
スクワで朝食をとっている頃、マガダン市民は
一日を終えようとしている。マガダンの過去と
現在を紹介する。 ︻リーバイ・ブリッジズ︼
マガ ダンはにぎ や か の地 帯は金 鉱 床が豊 富 な都 市 だ。 険しい岩の で、 多 くの矯 正 労 働 収
断 崖の間に砂 浜が散 ら 容所︵ラーゲリ︶がここ ばる海 辺の近 くに美 術 にできた。 多 く の 場 合、 政 治 館やホテルがある。
市 の す ぐ 先 に あ る 犯を含む囚 人た ちはシ 原 生 林 や 荒 野 には 熊、 ベリ ア鉄 道でウラ ジオ
ム ース、 シベリ アオ オ スト クまで連 行 された ツノヒツジな ど が 生 息 後、 船 に 詰 め 込 ま れ、 する。 郊 外の広 大な大 マガ ダン郊 外の金 鉱 ま
自 然で釣 り、ハイ キン で 運 ば れ た。 移 動 中、 グやスキーを 楽 しむこ 多くの人が死亡した。 マガダンやコルイマに
とができる。
ここには 平 穏 が 満 ち 行 き着いた囚 人た ちは ているのに、 不 幸 な 過 収 容 所 での 極 寒 の 冬、
面積:30平方㌔
去を抱えた都 市はいま 栄養失調と過酷な労働 だにイメー ジ面の問 題 に耐えた。 コルイマ金鉱は一時、
サハリン州
世 界の金の半 分 近 くを
……日本人が関わり
生 産 し たという。コル
❶モネロン島
を払拭︵ふっしょく︶で
見てみたい
イマ地 方 だ けで少 な く
移動:マガダンはロ マガダンからは 6 シアのほとんどの主 社の航空会社が運航 要都市と国内便で結 している。東京から ばれている。モスク マガダンまでの距離 ワからマガダンへは は 2786㌔である。 飛行機で約7時間半 宿泊:プール付きの かかる。 北京、ソウ セントラルナヤ・ホ ルからは国際便が就 テルは一部屋 130 ∼ 航しており、航空券 260㌦(約 1 万 3000 は往復で 1000㌦(約 ∼2万 6000 円)で快 適な滞在を楽しめる。 10 万円)程度だ。
きていない。
行ってみたい
コルイマ金鉱
スター リン時 代、マ とも100 万人が死亡 ガ ダンはコルイマ地 方 したと推定されている。 マガ ダ ンにつな が る
への 入 り 口 だった。 こ
モスクワから空路 7 時間半
マガダンの重い過去
2014年(平成26年)5月8日(木)
ラーゲリの記憶
7 旅行
マガダンで見 学し てみる価値があるのは 「悲しみのマスク」(写 真 左 = GeoPhoto 撮 影)という 記念碑だ。 コルイマで命を落 とした人々を追 悼 す るために建てられたこ の碑は、丘の頂上に 突出するコンクリート の頭部像だ。 高さ 15 ㍍ の 中 央 の記念像は人間の顔 が様式化されたもの で、その左目からは 涙が流れている。右 目は鉄格子のはまっ た窓の形だ。像の反 対側は泣く女の彫像 になっている。 記念像の除幕式は 1996 年。 内 部 に は 監房のコピーがある。 像が立つクルタヤ 丘 にはスターリン時 代に「トランジートカ」 と呼ばれた中継監獄 があり、ここから囚人 たちはコルイマ地方 の強制収容所に送ら れた。
便利な仕事着「ワートニク」 ワートニク(別名チェログ レイカ)が最も広まったのは、 ラーゲリ(収容所)において だった。囚人たちはポケット に貴重品をしまっておくことが でき、枕にも毛布にもなった。 ソルジェニーツィンにもチェロ グレイカ姿の写真がある。 昔のワートニクは軽い鎧の 役割を果たした。現代のそれ
はおそらく日露戦争の際にお 目見えした。満洲へ配置され たロシア軍部隊が現地住民の 綿入れに注目した。この「ちゃ んちゃんこ」はロシア帝国じゅ うに広まった。当局はワートニ クが労働にも戦争にも打って つけの理想の衣服とみなした。 1980 年 代 末にワートニク を着た者たちがボルガ川流域
jp.rbth.com/47705
ロシアをリサーチ
などから徒党を組んでモスク ワへやってきた。首都の市民 から煙たがられた彼らにとっ てワートニクは「仕事着」 であり 「勝負服」 だった。 ソチ五輪の開会式でロシア 選手団がチェログレイカ風の ユニフォームを着ていたのも 偶然ではなさそうだ。【ルース カヤ・セミョールカ誌抄訳】
私は東京に行く度に、神 保 町の書 店 街の一角、﹁ ナ
及ばない。
ロシア最 高の専 門 店でさえ ある時は、ロシアで全 く
カとはロシア 語で﹁ 学 術、 販 売されていない本をナウ
ウカ﹂ 店にかけこむ。 ナウ カで買えた。日本に暮らし たロシア人哲学者、 アレク
史 に 関 す る 問 題 について、
それは、ロシアよりもナ
ア 語 の需 要 の高 ま りに 最
のぼる。ロシア文 学 とロシ
ロシアに一風 変 わった 書 店 が
書 籍 販 売 会 社 ナウカ・ ジャ
閉 店したが、 翌 年に現 在の
いるものは何か。 村 上 直 隆
は何か。 また関心が消えて
﹁ドストエフスキー、トル
店長に聞いてみた。
開業した。
パンが神 保 町の同じ場 所で
がある。 現 代ロシアの文 学
ガーコフの作 品は常に人 気
作 品 はアクーニンやマリー
ス ト イ、 チェー ホ フ、 ブル
シア語を学ぶ日 本 人と、 日
ニナな どがよ く知 られ、ウ
主 な 顧 客 は 大 学、 言 語
本が第 二の故 郷の数 千 人の
サー クル、 研 究 所 な どでロ
ロシア人。
間に合 わ す 人 が増 えている
辞 書 類。 インター ネットで
リツカ ヤ も 売 れる。 近 年、
からかも。 最近は音楽CD
あまり売れなくなったのは、
語のバイリンガルに育てた
る。 子 供 を日 本 語とロシア
や映画DV Dを探しにくる
この店には優 れた日 本 語
い親 にとって、 児 童 向 けの
の教 材 と 辞 書 も そ ろってい
ロシア語教材は貴重だ。
探 す 日 本 人の愛 好 家 は 確
本はネットで購 入 すること
ナウカで販 売 されている
人も多い﹂
実に存 在 しているし、ソチ
も可能だが、やはり神保町
ロシア芸 術 関 連の書 籍 を
五 輪 な どでロシアに関 心 を
く分からない国ロシアについ
多 くの日 本 人はいま だによ
のだから。 愛 読 家ならわか
家のクラブの雰 囲 気 がある
喜 びである。ロシア語 愛 好
持った新しい参入者もいる。 で買 うのは何とも言 えない
て知ろうとしている。
ナ ウ カの訪 問 者 が 現 在、 るに違いない。 ︻アレクサ ンドル・クラノフ︼
特 に関 心 を 持っている もの
日間借
て利用できる。1カ月250㍔
。 本は 登場している。 文化行事に力を ︵ 約 7 5 0 円 ︶
少本を探してくれる。
りられる。店の﹁本の探偵﹂は希
生き残りへ独自の路線
他にも興 味 深いプロジェクト
みのレコードをかけていい。
書室﹂ ﹁児童書店﹂ ﹁ツィオルコフ
は少なくない。モスクワでは﹁読
テルブルクでは﹁ブックスアンド
スキー﹂﹁私の本﹂、 サンクトペ
では﹁言葉の順序﹂という書店が
ニケーション空 間をどう作り出
しまうことが多い。独自のコミュ
次号の発行日 (予定)
ロシア文学といえば、古都でワルツを踊る貴
もう一つのロシア文学 科学﹂という意味だ。 真ん中の棚には聖書、ボ
ナウカのさらにすごいと
の生涯の研究書である。
リス・ アクーニンの新 書、 サンドル・ワンノフスキー 分厚い﹁コミンテルン史﹂が 並び、定期刊行物コーナー
プロの助 言を受けられるこ
ウカの書籍の方が値段は高
初 に 対 応 し た のは 有 名 な
1 9 2 0 年 代 のソ連 で 働 き、
ロ シ アの 出 版 社 が 出 版
ナウカを開業した。
年 に書 籍 販 売 会 社 する多 くの本の中から、一
戦に顔なしの敵が登 場
経 営 難で2 0 0 6 年に
番 面 白い本を選んでいるの だ。日本研究のコーナーは
し、一大コンピューター
先駆けとなったモスクワの﹁プ
入れ、講演、出会いの場がある。
ステール﹂ は他の書店に影響を
ロジェクトOGI﹂と﹁ファラン
作 家 や 監 督 の講 演 と 映 画 上 映
︻アリョーナ・トベリチナ︼
いわれるがどうなるか。
書店が生き残れる希望はあると
この手の書 店はすぐに消 えて チェーン店 ﹁マジック・ブック
を企画している。人文系書店﹁誰
モア﹂など。 ルーム﹂ は﹁不思議の国のアリ
すかで、これら独立路線をとる
一方、 サンクトペテルブルク
ス﹂のルイス・キャロルの世界を
もが自由﹂は﹁書斎のような雰囲
与え、新たな波を作り出した。
下敷きにして、遊び心を追求し
﹁われら﹂のカフェでは懐かし
気﹂を特色としている。 ﹁ホダセービチ﹂には古本、安
た催しを開いている。
本紙に広告掲載をご希望の方は 下記のアドレスまで
公子や貧乏学生の話を連想しやすいが、 全く 別の驚きを与える作品が数多くある。 現実性 と暗影だけに偏らず、ロシアの現代小説やファ ンタジーは奇妙な新世界や強烈な風刺的未来 を描いている。 ︻フィービー・タプリン︼
異色の世界を描く ﹁な ぜモスクワか ら 来 た
とだ。 店員はこの分野の真
人 文 科 学 分 野の日 露 関 係
ロシア人 が、ロシアの書 籍
の専門家である。
ころは、 書 籍 だ けでな く、
イワン雷 帝の親 衛 隊 オ 人 公 は 宇 宙 飛 行 士 に を販売している東京の店に
や雑誌が置かれている。 ロシア 人 作 家 はいつ プリー チニキは 皇 帝の な り、 月 面 着 陸 ごっこ わざわざ行くのか﹂と不思
にはモスクワの最 新の新 聞
も幻想的な世界を創作 ﹁敵﹂ をレイプしたり、 を演じさせられ、 遺 棄 議に思うだろう。
オドエフスキー
してきた。 ウラジー ミ 20 28 年の﹁新時代 された 地 下 トンネルに S F のジャンル がで き ながらくつろぐ。ソロー く。 彼の作 品の主 人 公
ジャー ナリストでソ連・ロ
この源はかなり前にさか
ル・ オ ドエフスキ ー は のロシア﹂でポルノを見 ﹁着陸﹂したことに気づ る 以 前 の 作 家 の一人。 キ ンはロシア 語の古 語 たちは真 実を知 らされ
ために重要な仕事をしてく
残されたままである。
ルキャネンコ セ ル ゲイ・ ル キャネ
シ ア 専 門 家 の 大 竹 博 吉。
いが、この店の店 員が客の
説 ﹁地 球 上の生 活にお や韻律を用いた。
ペレービン ビクト ル・ ペレー ビ ンはファンタ ジー を 風
れているからだ。
1825 年作の短編小 的 表 現 やスラング、 歌 ない犠 牲 者で、 暗 闇に
模の災害を想定した。
ける2日間﹂は宇宙規
ザミャーチン ロシア通信撮影
﹁宇宙のドライバー﹂ =
ゲニ ー・ ザ ミャー チン 像 柱の広 間﹂では、 裸 ンコの﹁ナイト・ウォッ
直し﹂できないことが暗
異 才の作 家た ちは読
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いLPから音楽が流れ、客は好
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「ロシアの今週のトップニュース」
その1 世 紀 後、エフ 刺に用いる。﹁ 歌 う 女
は小説﹁われら﹂でディ で立って何 時 間 も 歌 う チ﹂ 第1作︵1998
舞 台は世 界 終 末 後の
ゲームを演じる。
界を描く伝 統の基 盤を レーナに秘 密の液 体 が なった。 主 人 公 ゴロデ
ストピア︵暗黒郷︶の世 ことを 強 要 され、 若 き 年 ︶ はベストセ ラーに
内。 作品には、すぐに
モスクワ地 下 鉄の駅 構
コーの迷 宮﹂。 語 り 手 世 界で調 査 官になる。 が漂う。
示され、 哲学的要素も 一方、 ド ミ ト リ ー・
含む。
の 太った ひょう き ん な 著者マックス・フライの
ジーの人気シリーズ﹁エ ス﹂のような﹁エコー﹂の 冒 険 談に独 特の雰 囲 気 人 生を﹁最 初からやり
確立し、ジョージ・オー 注 射される。 彼 女は高 ツキーは﹁闇の異人﹂の でドストエフスキ ー か 的なヒットとなった。
の 小 説 ﹁ オ モ ン・ ラ ﹂ ま ざ ま に 言 及 さ れる。 フライ
ペ レ ー ビ ン の 最 初 らピーターパンまでさ
飾る装飾柱と化す。
ウェルの﹁1984年﹂ 級 地 下 ナイト クラブを 活動を監視する。 文中 のモデルとなった。
ソローキン
マルティンチク。リトア
現 実 逃 避 型ファンタ 主人公は﹁鏡の国のアリ 本 名 はスベト ラ ー ナ・ グルホフスキー
原子力エネルギー
6
アレクサンドル・ボグダーノフ は 1908 年出版の長編小説「赤 い星」で惑星間原子力装置を描 いた。火星のエテルネフ(宇宙 の媒体エーテルを旅する船) はアル ミとガラスの卵の上で、秒速 50㌔まで速度が上昇 する。放射線物質の元素がエンジンの中で分解し、 エネルギーを出す仕組みだった。
もっと読む jp.rbth.com/47795
ソ 連 崩 壊 後、 ウ ラ ︵ 1 9 9 2 年 ︶ で、 主 小説は映画化され国際
10
31
ホログラム (立体写真)
4
エフゲーニイ・ザミャーチンは 1920 年出版の長編小説「われら」 で、人類が石油製品を発明し、飢餓を解決したと 書いた。人種、名前、ファッション、個人生活のな い世界で、石油精製からできる食品が人々に与え られる。50 年代から石油の微生物合成がたんぱく 質、ビタミン、抗生物質の生産に応用された。
5
ロシア料理のピロクとはパイ、タ ルト、パン、またはケーキのことで ある。小さいピロクのことを単数形 でピロジョクというが、日本では複 数形のピロシキでおなじみだ。 「ベコシニキ」は残り物でつくるピ ロクのこと。生地を練り、残り物を 詰めてペチカで焼いてみたら、出来 上がりだ。「カリンニク」は最も古い ピロクの一つ。ガマズミの実をあら かじめ乾燥させて粉砕し、熱湯でゆ でてピューレ状にし、ライ麦粉の生 地と混ぜて焼く。ノンシュガーの厚 みのあるパン。「グブニク」とはプス コフのおいしいキノコのピロク。具 に新鮮なアカモミタケを使う場合は 「ルィジェチニク」と呼ばれる。キノ コの季節が訪れたら、グブニク作り の準備だ。詳しくは、電子板でご覧 ください。レシピ付きです。
ジーミル・ソローキンの
❶マリヤ・マクサコワ(マリインスキー劇場ソ リスト)&モスクワ・マラジョージヌィ室内オ ーケストラ・コンサート [開演]6月3日(火)19:00 [会場]東京芸術劇場コンサートホール ❷ ロシア・コレクション 古写真展「明治の風景とそこにいた人々」 6月1日(日)∼6月10日(火) 11:00∼18:00 [会場]毎日ホール ❸ロシア・アニメーションフェスティバル in JAPAN 2014年 6月1日(日) 13:30∼、16:30∼ [会場]浜離宮朝日ホール小ホール 「マーシャと熊」 「チェブラーシカ」ほか ❹ 記念レセプション 6月2日(月) [会場]帝国ホテル ロシア政府代表団参加
石油食品 ピロシキにもいろいろ
家だ。ハリー・ポッター スト ピア小 説 ﹁メ トロ の最 先 端、 さ らにその
[開催期間] 2014年6月1日(日)∼6月10日(火)
値・無料本があり、図書館とし
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ニア在 住のロシア人 作 グル ホ フス キ ー の ディ 者を世界滅亡や可能性
ロシア文化フェスティバル 2014 IN JAPAN 東京オープニング
風 に見 えつつ、 陽 気 な 203 3﹂では、 銃 撃 先まで導いてくれる。
カルチャー カレンダー
SFと風刺を駆使 もっと読む jp.rbth.com/arts/books
イワン・エフレーモフは 1945 年 に出版された短編小説「過去の幻影」の中で、ホロ グラムの現象を描いた。その 2 年後、デーネシュ・ ガーボルはホログラムを発見する。ガーボルはホ ログラフィー技術を 1971 年に発明 し、これ によってノーベル賞を 受賞した。 お問い合わせはこちらで: jp.rbth.com/ culture_calendar
電子新聞を読むガジェットについては、ソ連の SF作家キル・ブルイチョフが 1978 年に書いた。 中編小説「100 年後」にはスマートフォンやタブレッ トに似た装置が出てくる。装置の名称は新聞だ。 黒い箱の側面を押すと、多色の画面が表れ、月の 祭典や国連に関するニュースが表示された。
織 田 信 長 が日 本 史 のス ー パ ー ヒーローなら、ロ シア 史 の そ れ は ピョートル大帝だ。 両者には奇妙 な共通点がある。 二人は狂気と見ま がうほど旧制度を 憎悪し、舶来の新技術を偏愛し「改 革」に取りつかれた。強力なライバ ル(甲斐武田とスウェーデン)に学び つつ、好運と知略でこれを制したが、 大業半ばにして壮年期に不慮の死を 遂げた。 本書は、ロシア史家きっての才筆 が当時の社会状況・国際情勢を視野 に入れ、ピョートル大帝の生涯とそ の偉業の功罪を考察する。ロシア史 入門者はもちろん、懇切な用語解説 があり、上級者にも、読んで得する 充実した内容となっている。博大な 学識をコンパクトで丁寧な筆遣いで まとめた魅力的な一冊だ。 (三浦清美・電気通信大学教授)
な ど ディス ト ピア 小 説
『ピョートル大帝 西欧に憑か れたツァーリ』
文化企画で売る書店
アレクサンドル・ベリャーエフは 1928 年、長編 小説「両棲(りょうせい)人間」を出版した。主人公は 子供時代にサメのえらを移植された青年。薄く体に はりつくスーツ、足ヒレ、手袋、レンズの厚い眼鏡 を使い、海の中で長い時間を過ごす。 現代のウェッ トスーツは 1950 年代に米国で登場した。
刊行:2013 年 12 月 土肥恒之 著 山川出版社
﹁オ プリーチニキの日﹂
話題の本
が次 々に創 作された。
M・Yu・レールモントフ 生誕 200 年記念映画の夕べ 上映作品「現代の英雄」 (A・ コット監督)
メディア図書館
3
電子新聞
2
ウエットスーツ
1
すっかり慣れた動画やオーディオブックは、アレ クセイ・トルストイが 1923 年に書いた長編小説「ア エリータ」の主人公にとって、驚きの発見だった。 地球人 2 人が火星の崩壊した街で図 書館に入る。そこで、動画放映中 のテレビ画面を見る。主人公は メモリーカードに似た物や音楽 の流れる本を見つける。
[開催期間]2014年5月16日(金) [会場]浜離宮朝日ホール [開場]14:00[開映]14:30 [上映時間]52分x6話 休憩含め約6時間 [チケットお申し込み]全席自由 ロシアン・アーツ/ TEL 03-5919-1051
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つのSF作品の未来予想
文化 8 2014年(平成26年)5月8日(木) jp.rbth.com CONTENT PROVIDED BY ROSSIYSKAYA GAZETA, RUSSIA. DISTRIBUTED WITH THE MAINICHI SHIMBUN