SURVIVAL AESTHETICS © INTERVIEW SERIES ON POST CONTEMPORARY ART PRACTICE IN JAPAN
生き残る美学 © インタビューシリーズ 日本におけるポスト 現代美術の実践
Jesse Hogan Dart Sculpture 1150 Alaska Project Space Yuki Okumura Atelier Ranzan Gakudai Kawasumi Yohei Watanabe Yuki Takahashi Ryu Takeda Midori.so Mitsuo Abe Aquiles Hadjis 4646/Mumei Yuu Takamizawa Shogo Shimizu Yasuaki Hamada Fuyumi Murata Yuko Hasegawa Hirofumi Isoya Toyomi Hoshina Agatha Gothe-Snape Reuben Keehan Haruko Kumakura
ホーガン・ジェシー ダーツスカルプチャー 1150 アラスカ プロジェクト スペース 奥村 雄樹 アトリエ 嵐山スタジオ 川角 岳大 渡邉 庸平 髙橋 佑基 武田 龍 みどり荘 阿部 ミツオ アキレス・ハッジス
4649/Mumei
高見澤 ゆう 清水将吾 濱田泰彰 村田 冬美 長谷川 祐子 磯谷 博史 保科 豊巳 アガサ・ゴス-スネイプ ルーベン・キーハン 熊倉 晴子
Survival Aesthetics © Interview Series On Post Contemporary Art Practice in Japan
生き残る美学 © インタビューシリーズ 日本におけるポスト 現代美術の実践
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Foreword Paul Gladston
18 Preface Jesse Hogan 22 Introduction Jesse Hogan 30 Jesse Hogan Interviewed by Julie Bacon 40 Yuki Okumura 78 Atelier Ranzan Studio (Gakudai Kawasumi, Yohei Watanabe, Yuki Takahashi And Ryu Takeda) 102 Jesse Hogan Interviewed By Mitsuo Abe 116 Aquiles Hadjis 4
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
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序文 ポール・グラッドストーン
18 前書き
ホーガン・ジェシー
22 はじめに
ホーガン・ジェシー
30 ホーガン・ジェシー
インタビュアー: ジュリー・ベーコン
40 奥村 雄樹 78 アトリエ嵐山スタジオインタビュー (川角 岳大, 渡邉 庸平, 髙橋 佑基, 武田 龍)
102 ホーガン・ジェシー
インタビュアー: 阿部 ミツオ
116 アキレス・ハッジス 5
128 4649/Mumei Exhibition Exchange (Yuu Takamizawa, Shogo Shimizu, Yasuaki Hamada, Mumei and Fuyumi Murata) 142 Yuko Hasegawa 158 Hirofumi Isoya 168 Toyomi Hoshina 186 Agatha Gothe-Snape 196 Reuben Keehan 204 Haruko Kumakura 212 Artists Biographies 220 End Matter
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Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
128 4649/Mumei
エキシビション エクスチェンジ (高見澤 ゆう, 清水将吾, 濱田泰彰, Mumei 村田冬美)
142 長谷川 祐子 158 磯谷 博史 168 保科 豊巳 186 アガサ・ゴス-スネイプ 196 ルーベン・キーハン 204 熊倉 晴子 212 アーティスト 伝記 220 クレジット 7
Foreword Paul Gladston
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序文 ポール・グラッドストーン
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My first material encounters with Japanese contemporary visual culture were through two exhibitions staged in the UK as part of the country’s Japan Festival in 1991–92: ‘Visions of Japan’ at the Victoria and Albert Museum, which comprised three environments linking traditional Japanese craft and aesthetics, the chaotic “kitsch” of contemporary Tokyo, and the immersive hyper-realities projected by new media technologies; and ‘A Cabinet of Signs: contemporary art from post-modern Japan’ at Tate Liverpool, which showcased a diverse array of works by Emiko Kasahara, Kosugi+Ando, Tatsuo Miyajima, Yasumasa Morimura, Hitoshi Nomura, Shinro Ohtake and Hiroshi Sugimoto. Both exhibitions aligned Japanese contemporary visual culture with then institutionally dominant postmodernist discourses; the former by overwriting any absolute modernising rupture between the past and present, and the latter trans-cultural hybridizations of Japanese aesthetic sensibilities with Western(ized) post-Duchampian techne. My visits to those exhibitions added to an existing interest in the music of Japan, including that of the Koto tradition, the classically trained composers Toru Takemitsu and Ryuichi Sakamoto, and the Tokyo Shibuya club scene, as well as appropriations-translations of Japanese musical and stylistic influences by the British rock musicians Robert Fripp, Brian Eno, David Bowie, Siouxsie Sioux, David Sylvian and Mick Karn, among others. At the time, I had also begun to read the novels and short stories of Yukio Mishima and was aware of the political circumstances of his ritualized suicide, prompted in part by a track on the Stranglers’ album Black and White, ‘Death and Night and Blood (Yukio)’. For many of my generation in the UK, popular music had become a major point of entry into engagements with cultural difference. Viewed in retrospect, ‘Visions of Japan’ and ‘A Cabinet of Signs’ presented hallucinations that were not only coincident with contemporaneous ideas of the “postmodern condition” but also prescient of artistic developments over the last three decades under the conditionalities of (post-postmodernist) contemporaneity. Standout works at the Tate Liverpool exhibition for me at the time by Yasumasa Morimura would not be out of place in any recent exhibition of contemporary art. A series of the artist’s photomontages pastisching European nineteenth-century pre-Raphaelite and aestheticist paintings, for example, addresses questions of 10
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
日 本 の 近 代 視 覚 文 化 を 初 め て 目 に し た の は 、1 9 9 1 年 か ら 9 2 年 に か け て 英 国 で 開 催 さ れ た ジ ャパ ン フ ェ ス テ ィバ ル の 展 示 会 に お い て で あ る 。一 つ 目 は 、ヴ ィクトリア・ア ンド・ア ル バ ー ト 博 物 館( V & A )に お け る「 ヴ ィジ ョ ン ズ・オ ブ・ジ ャパ ン 」と 題 す る 展 示 で 、日 本 の 伝 統 工 芸 や 美 学 、カ オ ス で「 キ ッ チ ュ 」な 近 代 の 東 京 、そ して 新 し い メ デ ィア 技 術 を 用 い て 投 影 さ れ た 没 入 型 の ハ イパ ー リア テ ィ テ ィと い う3 つ の セ ク シ ョ ン で 構 成 さ れ て い た 。 も う 一 つ の 展 示 は 、テ ー ト・リ バ プ ー ル で 開 催 さ れ た「 キ ャビ ネ ット・オ ブ・サ イ ン ズ:ポ スト モ ダ ン 日 本 の 現 代 美 術 」で あ る 。 笠 原 恵 実 子 や 小 杉・安 藤 、森 村 泰 昌 、野 村 仁 、大 竹 伸 朗 、杉 本 博 司 に よる 様 々 な 作 品 が 多 数 展 示 さ れ た 。前 者 は 、過 去 と 現 在 に お け る 断 絶 の 徹 底 的 な 現 代 化 を 書 き 換 え る こと に よ り 、後 者 は 、西 洋 的 な( 西 洋 化 し た )ポ スト デ ュ シ ャン の テ ク ネ ー を 伴 う 日 本 の 美 的 感 性 を 異 文 化 的 に 複 合 す る こと に よ り 、日 本 の 近 代 視 覚 文 化 を 制 度 上 ポ スト モ ダ ニ ズ ム が 主 流 だ っ た 当 時 の 議 論 に 結 びつけていた 。 私 は 、日 本 の 音 楽 や ス タ イル の 流 用・解 釈 を 行 な っ た 英 国 人 ロ ッ クミュ ー ジ シ ャン の ロ バ ー ト・フリップ、ブ ラ イ ア ン・イー ノ、デ ヴ ィッド・ボ ウ イ、ス ー ジ ー・ス ー 、デ ヴ ィッド・シ ル ヴ ィア ン 、ミッ ク・カ ーン な ど に 加 え 、琴 と い う 伝 統 、和 楽 器 を 取 り 入 れ た 作 曲 家 の 武 満 徹 や 坂 本 龍 一 、東 京 渋 谷 の ク ラ ブ シ ーン な ど 日 本 の 音 楽 に は 既 に 興 味 を 抱 い て い た が 、こ れ ら の 展 示 会 を 目 に し た こと で 、さ ら に 興 味 が 深 ま っ た 。さ ら に 当 時 、三 島 由 紀 夫 の 長 編・短 編 小 説 を 読 み 始 め た とこ ろで 、彼 の 儀 式 的 な 自 殺 の 背 景 に あ る 政 治 的 状 況 に つ い て は 知 って お り 、ストラン グ ラ ー ズ の『 ブ ラッ ク・ア ンド・ホ ワ イト 』と 題 す る ア ル バ ム に 収 録 さ れ た「 死 と 夜 と 血( 三 島 由 紀 夫 に 捧 ぐ )」に も あ る 程 度 の 刺 激 を 受 け た 。私 と 同 世 代 の 英 国 人 が 異 な る 文 化 と の 関 わ り を 持 つ よ う に な っ た 主 な き っ か け は 、ポ ピ ュラ ー 音 楽 だ っ た の で あ る 。 今 に して 思 え ば 、 「 ヴ ィジ ョ ン ズ・オ ブ・ジ ャパ ン 」と「 キ ャビ ネ ット・オ ブ・サ イ ン ズ 」は 、 「 ポ スト モ ダ ン の 状 況 」と い う 同 時 期 に 生 ま れ た アイ デ ア と 合 致 す る だ け で な く 、 ( ポ スト モ ダ ニ ス ト の )同 時 代 性 の 条 件 の もと 、そ の 後 3 0 年 間 に わ た る 芸 術 的 な 発 展 を 予 見 で き る と い う 錯 覚 を 生 じ さ せ た 。個 人 的 な 意 見 で は 、テ ー ト・リ バ プ ー ル の 展 示 に お け る 森 村 泰 昌 の 作 品 が 傑 出 して い た 。こ の 作 品 は 、最 近 の 現 代 美 術 の 展 示 に 出 品 さ れ た と して も 、場 違 い で は な か ろ う 。1 9 世 紀 ヨ ー ロ ッ パ の ラ ファ エ ル 前 派 や 耽 美 主 義 の 絵 画 を 模 倣 し た 一 連 の フ ォト モ ン タ ー ジ ュ で 、トラン ス ジ ェ ン ダ ー の アイ デ ン テ ィ テ ィ や 、 「 東 洋 」と「 西 洋 」 11
Foreword: Paul Gladston / 序 文 : ポ ール・グラッドストーン
trans-gendered identity and intersectional relationships between the ‘Oriental’ and ‘Occidental’ in ways that remain remarkably current. Throughout the ensuing decade and into the early 2000s, Japanese contemporary art’s international prominence was eclipsed by an increasing attention to the global diversity of contemporary art—and above all, following the staging of the ground-breaking exhibition ‘China’s New Art, Post-1989’ in 1993, contemporary art in and from mainland China. That eclipsing signalled changing international artworld fashions. It also marked the drawn-out threshold between late twentieth-century postmodernism and the intensely interconnected condition of post-Cold War contemporaneity, out of which developed what might be described as a global artistic-industrial complex dedicated to the metastasizing of a neo-liberal Western(ized) artworld. Through those related shifts, Chinese culture was returned to the position of significant East-Asian Other it had occupied in relation to Western(ized) postEnlightenment modernity prior to the US’s forced opening-up of a previously isolationist Japan to the West in 1853. During the period from the seventeenth to the mid-nineteenth century numerous aspects of China’s socio-political and cultural life were appropriated-translated in relation to the construction of EuroAmerican modernity. These include the impact of Chinese syncretic Confucian aesthetics on English Romantic multi-sensorial garden design and the Daoist concept of spontaneous action in accordance with the way of Nature (wu wei) on free-market economics. For over a century after 1853, the shadow cast by Japanese culture over that of Euro-America was long and varied, including the emergence of Japonisme as part of late nineteenth-century Euro-American aestheticism, the impact of ‘minimalist’ Zen Buddhist aesthetics on twentieth-century international modernist art, design and curating, and the perceived alignment of late twentieth-century Japanese culture with postmodernist sensibilities. This edited collection of conversations on Japanese “postcontemporary” art practice as part of the series Survival Aesthetics refocuses readers on continuing intersections between Japanese culture and the legacies of Western(ized) modernism and postmodernism. In doing so, it engages, among other things, with important questions about curation as a means of organising and presenting art, the imbrication of Euro-American and East-Asian 12
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
が 相 交 わる関 係 性 に 関 する問 いかけを現 在 でも見 事 に 通 用す る 方 法 で 考 察 して い る 。 そ の 後 の 1 0 年 間 お よ び 2 0 0 0 年 代 前 半 に お い て は 、特 に 1 9 9 3 年 に 開 催 さ れ た「 中 国 の 新 芸 術 1 9 8 9 年 以 降 」と 題 す る 画 期 的 な 展 示 が 開 催 さ れ た 後 、現 代 美 術 の グ ロ ー バ ル な 多 様 性 が 注 目 を 浴 び 、日 本 の 現 代 美 術 の 国 際 的 な 知 名 度 に 影 を 落 と し た 。こ の 傾 向 は 、世 界 の 美 術 界 に お け る 流 行 の 変 化 を 表 して い た 。西 洋 的 で( 西 洋 化 し た )新 自 由 主 義 的 な 美 術 界 を グ ロ ー バ ル 化 の 一 環 として 広 め る こと に 専 念 し た 芸 術 と 産 業 の 国 際 的 な 複 雑 性 と も 言 え る も の の 付 帯 的 な 形 成 を 示 して い た 。そ れ だ け で は な く 、2 0 世 紀 後 半 の ポ スト モ ダ ニ ズ ム と 、冷 戦 後 の 同 時 代 性 に お いて 相 互 に 深 く繋 が りつ つ も 非 常 に 財 閥 的 な 状 況 と の 間 で 延 々と 続 く 境 界 線 を 特 徴 づ け て い た 。こ の 過 程 に お い て 中 国 文 化 は 、鎖 国 主 義 の 日 本 が 米 国 に 強 い ら れ て 開 国 し た 1 8 5 3 年 よ り も 前 の 西 洋 的( 西 洋 化 し た )啓 蒙 運 動 後 の 近 代 性 に 関 連 して 、東 ア ジ ア の 重 要 な 国 と い う 地 位 に 返 り 咲 い た 。 1 7 世 紀 か ら 1 9 世 紀 半 ば の 欧 米 世 界 に お ける 近 代 性 の 構 築 に 関 して は 、中 国 の 社 会 政 治 学 的 お よ び 文 化 的 な 生 活 に お け る 様 々 な 側 面 が 流 用・解 釈 さ れ た 。こ れ に は 、中 国 儒 教 の 融 合 的 な 美 学 が 、英 国 ロ マ ン 主 義 の 多 感 覚 に 訴 え る 庭 園 デ ザ イ ン に 与 え た 影 響 が 含 ま れ る 。ま た 、物 事 が 自 然 に 応 じ て 存 在 す る 様 子 ( 無 為 )と 調 和 し た 自 発 的 な 行 動 と い う 道 教 の 概 念 が 、自 由 市 場 経 済 に 及 ぼ し た 影 響 も あ る 。1 8 5 3 年 以 降 1 世 紀 以 上 に わ た り 、日 本 文 化 は 様 々 な 影 を 欧 米 に 投 じ た 。こ れ に は 、1 9 世 紀 後 半 の 欧 米 美 学 に お け る ジ ャ ポ ニ ズ ム の 台 頭 、な ら び に「 ミ ニ マ リスト 」な 禅 仏 教 の 美 学 が 2 0 世 紀 の 国 際 的 な モ ダ ニ ストア ー ト や デ ザ イ ン 、キ ュレ ー シ ョ ン に 与 え た 影 響 、ポ スト モ ダ ニ スト の 感 性 と 調 和 して い る と 思 わ れ て い る 2 0 世 紀 後 半 の 日 本 文 化 が 含まれる。 「 生 き 残 る 美 学 」シ リ ーズ の 一 環 として 日 本 の「 ポ ストコ ン テ ン ポ ラリ ー 」ア ー ト の 実 践 に 関 す る 会 話 を 編 集 収 録 し た 本 書 は 、日 本 文 化 と 西 洋 的 な( 西 洋 化 し た )モ ダ ニ ズ ム や ポ スト モ ダ ニ ズ ム の 遺 産 と の 継 続 的 な 交 流 に 再 度 注 目 して い る 。そ うす る 中 で 、ア ー ト を 整 理 して 提 示 す る 手 段 として の キ ュレ ー シ ョ ン や 、欧 米 と 東 ア ジ ア に お い て 重 な り 合 っ た 芸 術 的・文 化 的 な 思 考 や 実 践 、冷 戦 後 の 同 時 代 性 の 条 件 付 け に 対 す る 文 化 的 解 釈 の 影 響 に つ いての 重 要 な 問 い か け を 取 り 上 げ てい る 。 フ ラン シ ス・フ ク ヤ マ が 新 ヘ ー ゲ ル 哲 学 を 論 じ た 1 9 9 2 年 の 著 書『 歴 史 の 終 わ り 』で 例 示 さ れ て い る よ う に 、 「 ヴ ィジ ョ ン 13
Foreword: Paul Gladston / 序 文 : ポ ール・グラッドストーン
artistic-cultural thinking and practice, and the implications of cultural translation in relation to the conditionalities of post-Cold War contemporaneity. At the beginning of the 1990s, when ‘Visions of Japan’ and ‘A Cabinet of Signs’ where being staged in the UK, there was a widespread view—exemplified by Francis Fukuyama’s neo-Hegelian treatise, The End of History and the Last Man, first published in 1992—that the Cold War had resulted in the ultimate triumph of Western liberalism. Such thinking would go on to underpin an understanding of the processes of neo-liberal globalization uncaged by the reform and collapse of former communist states—among them the Soviet Union and the People’s Republic of China—and by association the paradoxical “unity in difference” of (a still postmodernist tinged take on) post-Cold War contemporaneity. Over time, the ultimate triumph of Western liberalism has become far less assured. While globalization has led to historically unprecedented levels of virtual and physical connectivity, including the free movement of people, commodities and services, it has also brought about a marked tilting of economic power toward the East and South. That tilting has in turn emboldened socio-political and cultural outlooks resistant to the values of Western liberalism and by association the legacies of Western(ized) modernism and postmodernism—not least those bound up with Chinese authoritarian socialism. Prognostications of the demise of the West may be somewhat premature. Nevertheless, we now occupy a space of factional realpolitik somewhere between a prior Western hegemony and an as yet unspecified new world dis/order. It has therefore become necessary to conceive of an emerging state of “post-West” contemporaneity—or, put more simply, postcontemporaneity—commensurate by parallaxic turns, dependent on cultural outlook, with the indeterminate significances attributed by poststructuralist discourses to the prefix ‘post’ and opposing senses of concrete spatiotemporal determinacy (for example, the residual dialectics of socialism with Chinese characteristics). As discussed in the interview with curator Yuko Hasegawa contained in the present volume, the emergence of contemporaneity and post-contemporaneity has seen various shifts in Japanese artworld thinking and practice since the turn of the millennium. 14
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
ズ・オ ブ・ジ ャ パ ン 」と「 キ ャ ビ ネ ット・オ ブ・サ イ ン ズ 」が 英 国 で 企 画 さ れ た 1 9 9 0 年 代 初 頭 、冷 戦 の 結 果 、西 洋 の 自 由 主 義 が 究 極 的 な 勝 利 を 収 め たという 考 え が 広く受 け 入 れ ら れて い た 。 こ の よ う な 考 え 方 が 続 き 、ソ ビ エ ト 連 邦 や 中 華 人 民 共 和 国 な ど 元 共 産 国 の 改 革 と 崩 壊 に よ り 、そ して 冷 戦 後 の 同 時 代 性( に 関 す る ポ ス ト モ ダ ニ ス ト 感 を 帯 び た 見 解 )に お け る 矛 盾 し た「 差 異 に お け る 統 一 」に 関 連 して 開 放 さ れ た 新 自 由 主 義 の グ ロ ー バ ル 化 の 過 程 に つ い て の 解 釈 が 裏 付 け ら れ た 。時 間 の 経 過 と 共 に 、西 洋 の 自 由 主 義 の 究 極 的 な 勝 利 の 確 実 性 は 、ま す ま す 薄 れ て い る 。グ ロ ー バ ル 化 に よ り 、人 々 や 商 品 、サ ー ビ ス の 自 由 な 動 き を 含 め た バ ー チ ャル お よ び 物 理 的 な 繋 が り が 前 代 未 聞 の レ ベ ル に 達 して い る 一 方 、経 済 力 が 東 洋 と 南 半 球 に 著 しく 傾 いている 。 そ して 、そ の よ う な 傾 向 が 、今 度 は 西 洋 の 自 由 主 義 と い う 価 値 に 抵 抗 し 、西 洋 的 な( 西 洋 化 し た )モ ダ ニ ズ ム と ポ スト モ ダ ニ ズ ム の 遺 産 、特 に 中 国 の 独 裁 的 な 社 会 主 義 に 関 連 し た 社 会 政 治 学 的 お よ び 文 化 的 な 展 望 を 促 す 。西 洋 の 終 焉 を 予 測 す る に は 、い さ さ か 時 期 尚 早 か も し れ な い が 、現 在 我 々 は 、以 前 の 西 洋 の 覇 権 と 今 の とこ ろ は 特 定 さ れ て い な い 新 世 界 の 無 秩 序・ 秩 序 と の 狭 間 で 、財 閥 的 な レア ル ポ リ テ ィ ー ク の 領 域 に あ る 。そ のため、 「 ポ スト 西 洋 」の 同 時 代 性 、平 た く 言 え ば ポ スト 同 時 代 性 が 、視 差 の よ う に 交 互 す る 状 態 に 等 しく 、文 化 的 な 展 望 に 依 存 し 、ポ スト 構 造 主 義 の 議 論 に よる「 ポ スト 」と い う 接 頭 語 と 時 空 上 の 具 体 的 な 確 定 性 と の 相 反 す る 感 覚( 例 え ば 、中 国 的 な 社 会 主 義 の 理 論 の 名 残 )に 起 因 す る 漠 然 とし た 重 要 性 を 伴 って 出 現 す る 状 態 を 想 像 す る こと が 不 可 欠 と な って き た 。 本 書 に 収 録 さ れ た キ ュレ ー タ ー・長 谷 川 祐 子 と の イ ン タ ビ ュ ー で 議 論 さ れ て い る よ う に 、2 0 0 0 年 以 降 、同 時 代 性 お よ び ポ スト 同 時 代 性 が 出 現 す る な か 、日 本 の 美 術 界 の 考 え 方 や 実 践 に は 様 々 な 変 化 が 生 じ た 。パ リ の ロ ス チ ャ イル ド 館 で 開 催 さ れ た「 深 み へ - 日 本 の 美 意 識 を 求 め て - 」展( 2 0 1 8 )や 、ポ ン ピ ド ゥ ー・セ ン タ ー・メッス に お け る「 ジ ャパ ノラ マ:1 9 7 0 年 以 降 の 新 し い 日 本 の ア ー ト 」な ど 、最 近 企 画 さ れ た 展 示 会 で は 、日 本 の 現 代 美 術 の 局 地 的 、地 域 的 、国 際 的 な 位 置 付 け の 再 考 、再 調 査 、再 提 示 を 通 し 、永 続 性 の あ る 自 己 再 帰 性 が 示 さ れ た 。そ の 結 果 、他 国 と は 繋 が り つ つ も 一 線 を 画 す る 日 本 の 現 在 お よ び 過 去 の 文 化 資 本 の 明 確 な 批 評 や 表 現 が 、西 洋 的 な( 西 洋 化 し た ) ポ スト モ ダ ニ ズ ム や 新 自 由 主 義 の 冷 戦 後 の 同 時 代 性 と 日 本 の 現 代 美 術 と の 結 び つ き に 取 って 代 わ っ た 。 15
Foreword: Paul Gladston / 序 文 : ポ ール・グラッドストーン
Recently curated exhibitions including ‘Fukami: A Plunge into Japanese Aesthetics’ at Hotel Salmon de Rothschild, Paris (2018), ‘Japanorama: New Vision on Art Since 1970’ at Centre PompidouMetz (2017), showcased a durable self-reflexivity through which the local, regional and international positionings of Japanese contemporary art have been persistently rethought, reexamined and re-presented. As a result, Japanese contemporary art’s alignment with Western(ized) postmodernism and neo-liberal post-Cold War contemporaneity has been displaced by a sharpened critique and representation of Japan’s own current and historical cultural capital, connected to but distinct from that of others. It is into that context which the present volume inserts itself. The polylogic commentary to be found here encompasses assertions of concrete differences and acknowledgements of inescapable indeterminacy. Instead of the co-opting of Japanese contemporary art to Euro-American conceptions of postmodernity, as signified by the exhibitions ‘Visions of Japan’ and ‘A Cabinet of Signs’, or, indeed, neo-liberal post-Cold War contemporaneity, another even more complex positioning is revealed; one in which Japanese culture can be understood to be working critically through, as a matter of survival in the face of rapidly changing and conflicted circumstances, the significantly contradictory challenges posed by contemporaneity and post-contemporaneity. It is a vital contribution to debates about the value and significance of art in the twenty-first century. Paul Gladston is the inaugural Chair Professor of Contemporary Art at the University of New South Wales, Sydney, Australia.
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Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
本 書 が 辿 る の は 、こ の よ う な 文 脈 で あ る 。作 中 に 登 場 す る 一 連 の 記 録 は 、具 体 的 な 相 違 の 肯 定 お よ び 回 避 不 可 能 な 不 確 定 性 の 認 識 を 含 む 。日 本 の 現 代 美 術 を 欧 米 の ポ スト モ ダ ン の 概 念 に 組 み 入 れ た「 ヴ ィジ ョ ン ズ・オ ブ・ジ ャパ ン 」と「 キ ャビ ネ ット・オ ブ・サ イ ン ズ 」の 展 示 や 、新 自 由 主 義 の 冷 戦 後 の 同 時 代 性 と は 異 な る 、ま た 別 の よ り 複 雑 な 位 置 付 け を 明 ら か に して い る 。こ の 位 置 付 け に お け る 日 本 文 化 は 、急 激 に 変 化 し 相 反 す る 状 況 下 で の 生 き 残 り の 問 題 として 、同 時 性 と ポ スト 同 時 性 が も た ら し た 大 き な 矛 盾 を 通 して 主 に 機 能 す る と 解 釈 さ れ る 。こ れ は 、2 1 世 紀 の ア ー ト の 価 値 と 重 要 性 に 関 す る 議 論 へ の 極 め て 重 要 な 貢 献 である。 ポ ール・グラッドストーンは 、オ ーストラリア・ シドニー のニュー サウスウェールズ 大 学 初と なる現 代 美 術 の 主 任 教 授 を務 める。
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Foreword: Paul Gladston / 序 文 : ポ ール・グラッドストーン
Preface Jesse Hogan
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前書き ホーガン・ジェシー
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The Survival Aesthetics Interview Series was conducted between 2018–2020 in conjunction with the survival aesthetics dissertation for the Tokyo University of the Arts Doctoral Degree Program completed in December 2019. The interviews constitute the Practice Based Research component of Hogan’s studies and research. A selection of the filmed interviews were also presented as video works in the final HDR Graduation exhibition Installation displayed at The Tokyo University of the Arts Museum in Ueno, Tokyo, Japan. Covering a range of perspectives from (people) artists, curators, and academics with intersecting relations, the interviews demonstrate the ever expanding role of connection, collaboration, and curation between artists, curators, and writers. Through questioning and discussion the interviews reveal some of the strategies and approaches towards exhibition and studio practice as an integral activity for constructing artists identity, survival, and posterity in the heterogeneous landscape of a post contemporary artworld. Looking specifically at how artists and curators approach ideas and activities in the context of Japan, the series of interviews also profiles & investigates the perspectives of Australian and nonJapanese artists and curators whose experience and projects have had overlapping interactions in the field—curating and exhibiting in a Japanese contemporary art context.
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Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
生 き 残 る 美 学 イ ン タ ビ ュ ー シ リ ーズ は 、2 0 1 9 年 1 2 月 の 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 博 士 審 査 展 に お い て 発 表 さ れ た「 生 き 残 る 美 学 」と 題 す る 論 文 と 並 行 し 、2 0 1 8 年 か ら 2 0 2 0 年 に か け て 行 わ れ た 。本 イ ン タ ビ ュ ー は 、ホ ー ガ ン の 研 究 に お け る 実 践 に 基 づ い た リ サ ー チ の 要 素 を 構 成 す る 。な お 撮 影 さ れ た イ ン タ ビ ュ ー の 一 部 は 、上 野 の 東 京 藝 術 大 学 大 学 美 術 館 で 展 示 さ れ た「 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 博 士 審 査 展 」に お い て ビ デ オ 作 品 として も 発 表 さ れ た 。 本 イ ン タ ビ ュ ー は 、交 流 の あ る ア ー テ ィスト や キ ュレ ー タ ー 、研 究 者 の 広 範 囲 に わ た る 視 点 を 網 羅 し 、ア ー テ ィストと キ ュレ ー タ ー 、ラ イタ ー 同 士 の 繋 が り や コ ラ ボ レ ー シ ョ ン 、キ ュレ ー シ ョ ン の 広 が り 続 け る 役 割 を 明 示 す る 。質 問 や 議 論 を 通 し 、 ポ スト 現 代 美 術 の 異 質 的 な 環 境 に お い て ア ー テ ィスト の アイ デ ン テ ィ テ ィ や 生 き 残 り 、繁 栄 を 築 くた め に 欠 か せ な い 活 動 とし て の 展 示 会 や アトリ エ で の 実 践 に 関 す る 戦 略 や ア プ ロ ー チ を 明 ら か に す る 。特 に ア ー テ ィスト や キ ュレ ー タ ー が 、日 本 と い う 文 脈 を 考 慮 して 活 動 す る 際 に ど の よ う な ア プ ロ ー チ を 取 って い る の か に 注 目 し 、日 本 の 現 代 美 術 の 文 脈 で キ ュレ ー シ ョ ン や 展 示 を 行 うと い う 共 通 の 経 験 や プ ロ ジ ェ クト を 有 す る オ ーストラリ ア 人 ア ー テ ィスト や 日 本 人 以 外 の ア ー テ ィスト 、キ ュレ ー タ ー の 視 点 を ま と め 、吟 味 す る 。
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Preface: Jesse Hogan / 前 書 き: ホ ー ガン・ジェシ ー
Introduction The Predicament Jesse Hogan
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はじめに 苦境 ホーガン・ジェシー
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“Although the project is introduced as a term in the 1990’s to describe a more embedded and socially/politically aware mode of artistic practice, it is equally a survival strategy for creative individuals under the uncertain labour conditions of neoliberalism”. Claire Bishop, Artificial Hells, 2012. p. 216 The Interview Series Publication contains conversations and dialogues which investigate critical issues of art practice relevant to both Japanese and international audiences of contemporary art. Although in a Japanese art context the term Modern art (Kindai Bijutsu) and Contemporary art (Gendai Bijutsu) is commonly used, for the purpose of this publication which proposes a condition after postmodernism, we hereby refer to the subject respectively as contemporary and post-contemporary art. Among the key topics addressed in the Survival Aesthetics (research) Interview Series is ‘The Exhibition as a Critical Form’ but that doubles with a critique of exhibitions and social connection as artists survival strategy. This topic was also prompted by trends in Institutional critique and the acceptance that both individual and collective institutional contemporary art practice is embedded and bound within a system of cyclic reproduction and referential critique. Since the transition of the post-war era from the modernist paradigm to post-modernism the art world has become a place of increasingly complex relations. In an Asia-Pacific context where its argued that ‘Euro-American perspectives are no longer valid as a formula for evaluating the art of this region’ (Keehan, APT, 2014)1, how do we then consider artworks that still reference these discourses. Although Australia & New Zealand are considered part of the Asia-Pacific region, Euro-American perspectives are still heavily influential. Taking this into account, this project has been affected in both its construction and in its eventual reception by its complex position being produced by an Australian in Japan. The critical question’s discussed throughout these interviews include; How are artists surviving the ever shifting contexts of contemporary art, and establishing enduring practices? This in turn leads to other questions regarding the directions of art discourse and it’s relation to a substantially heterogeneous field of practice. Is art history dead or Is it still being written? If so who is authoring it? Are artists writing it themselves? How can artists create a legacy to 24
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
1 9 9 0 年 代 に 、深 く 組 み 込 ま れ 社 会 意 識 や 政 治 意 識 の 強 い 芸 術 的 実 践 の 方 法 を 表 現 す る た め に プ ロ ジ ェ クトと い う 言 葉 が 導 入 さ れ た が 、新 自 由 主 義 と い う 一 定 の 労 働 条 件 の もと クリ エ イ テ ィブ な 活 動 を す る 個 人 の 生 き 残 り の 戦 略 で も あ る 。C l a i r e B i s h o p 2 0 1 2 : p . 2 1 6 [ 翻 訳 者 訳 ] 本 イ ン タ ビ ュ ー シ リ ーズ は 、国 内 外 の 現 代 美 術 鑑 賞 者 に 関 す る 芸 術 実 践 の 重 要 な 課 題 に つ い て の 会 話 と 対 話 を 含 む 。日 本 のアート文 脈 で は 、 「 モ ダ ン ア ー ト ( 近 代 美 術 ) 」と「 コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト( 現 代 美 術 )」と い う 用 語 が 多 用 さ れ る が 、本 書 で は ポ スト モ ダ ニ ズ ム 後 の 状 況 を 示 す に あ た り 、 「 コ ン テ ン ポ ラリ ー 」お よ び「 ポ ストコ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト 」と い う 表 現 を 使 用 する。 生 き 残 る 美 学 © イ ン タ ビ ュ ー シ リ ーズ の 主 な ト ピッ ク は 、 「 批 判 的 形 式 として の 展 示 」だが 、こ れ は ア ー テ ィスト が 生 き 残 る た め の 戦 略 として 使 用 す る 展 示 の 批 評 や 社 会 的 な 繋 が り も 兼 ね て い る 。ま た こ の テ ー マ を 支 え る の は 、組 織 的 な コ ン テ ン ポ ラ リ ー・ア ー ト の 実 践 も 周 期 的 な 再 現 と 参 照 的 な 批 評 の 中 に 組 み 込 ま れ 、結 び つ い た 個 人 的 ま た 制 度 的 な 批 評 や 受 容 に 見 受 け ら れ る 傾 向 で あ る 。 戦 後 の モ ダ ニ スト の パ ラ デ ィウム か ら ポ スト モ ダ ニ ズ ム へ の 変 化 に よ り 、美 術 界 は ま す ま す 複 雑 な 関 係 性 を 帯 び て き た 。 「 地 域 の 美 術 を 評 価 す る 手 法 として 欧 米 の 見 解 が も は や 有 効 で な い 」( ル ー ベ ン・キ ー ハ ン 、A P T 、2 0 1 4 ) 1 ア ジ ア 太 平 洋 の 文 脈 に お い て 、ま だ こ の よ う な 論 議 を 参 照 す る 私 た ち は 、ど の よ う に ア ー ト 作 品 を 考 慮 で き る だ ろ う か 。オ ーストラリア や ニ ュ ー ジ ー ランド は 、ア ジ ア 太 平 洋 地 域 の 一 部 と 考 え ら れ て い る が 、欧 米 の 見 解 か ら い ま だ に 強 い 影 響 を 受 け て い る 。こ の 点 を 鑑 み る と 、日 本 在 住 の オ ーストラリア 人 に よる 制 作 と い う 複 雑 な 位 置 付 け が 、本 プ ロ ジ ェ クト の 構 成 お よ び 最 終 的 な 評 判 に 影 響 して きた 。 本 イ ン タ ビ ュ ー シ リ ーズで 取 り 上 げ る 批 評 的 な 問 い の 一 つ に、 「 か つ て な い ほ ど 変 化 を 遂 げ る コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト の 文 脈 に お い て 、ア ー テ ィスト は ど の よ う に して 生 き 残 り 、持 続 性 の あ る 実 践 を 確 立 して い る か ? 」と い う も の が あ る 。こ の 問 い は 、 ア ー ト の 論 議 の 方 向 性 や 、本 質 的 に 不 均 質 な 実 践 分 野 と の 関 係 性 に 関 す る 他 の 問 い に つ な が る 。美 術 史 は 終 わ り を 迎 え た か 、そ れ と も ま だ 書 き 続 け ら れ て い る か ? 書 き 続 け ら れ て い る の で あ れ ば 、誰 が 承 認 す る の か ? ア ー テ ィスト 自 ら が 執 筆 して い る 25
Introduction: Jesse Hogan / はじめに : ホ ー ガン・ジェシ ー
survive beyond their physicality in the now pluralistic discourse of the Globalized, International Art System? Are most artists destined only to create impact in their local trajectories? Where does the emerging and even the established post-contemporary artist position themselves in the spheres of the contemporary art world, where impactive gestures signal success and what counts is the artists identity and the conceptual project? Do artists need to rely on other artist work to reference art discourse and conceptually defend their ideas? Are we invisible without a brand name in the accelerated capitalist economies of Neo-Liberalism? Through this investigation and the dialogues herein we can consider the different contexts that artists are producing their work and how they navigate the social spheres between university practice, commercial galleries, artist-run-spaces, and the institutional exhibition spaces of the university and art museums (both Public and Private). As a proposal for possible ideas for exhibition sites and production, the idea of ‘The Exhibition as a Critical Form’ is discussed in relation to artists collaborations and the precarious zones of Multiple authorship. Context of Research/ Formulating a Treatise This publication is aimed toward the arts community for discussion on the contemporary and the post contemporary. Namely a community of readers and contemporary art audiences interested in critical art discourse. Although this dissertation considers the duel contexts of Japanese and Australian contemporary art history, it serves as a contribution of new knowledge for an international art audience. Throughout these discussions, the independence of artists is explored through the inter-connections and relations between artists and artworks. The intention is to indicate how artists are not only driven by social conditions to survive but are also directly driven by the influencing and generative powers of others. Through the investigative practice-based research conducted in the interview series with artists, directors of independent art spaces, academics and curators; new knowledge regarding artist practices, strategies, approaches and conceptual thinking has been documented 26
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
の か ? グ ロ ー バ ル 化 し た 美 術 を 取 り 巻 く 国 際 的 な シ ス テ ム に お け る 現 在 の 多 元 的 な 論 議 上 で 身 体 性 を 超 えて 生 き 残 る た め 、ア ー テ ィスト は ど の よ う に 遺 産 を 生 み 出 せ る か ? 大 半 の ア ー テ ィ スト が 、局 地 的 な 軌 道 に 影 響 を 与 え る だ け と 運 命 づ け ら れ て い る の か ? 影 響 力 の あ る 意 思 表 示 が 成 功 を 示 唆 し 、ア ー テ ィスト の アイ デ ン テ ィ テ ィと 概 念 的 な プ ロ ジ ェ クト が 重 要 と な る コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト の 世 界 に お い て 、新 進 の 、そ して 地 位 を 確 立 して い る ポ ストコ ン テ ン ポ ラリ ーア ー テ ィスト で さ えも 、ど こ に 自 ら を 位 置 付 け る の か ? ア ー テ ィスト は 、芸 術 論 議 を 参 照 し 自 分 の アイ デ ア を 概 念 的 に 保 護 す る 目 的 で 、他 の ア ー テ ィスト の 作 品 に 頼 る 必 要 が あ る か ? 新 自 由 主 義 の 資 本 主 義 的 経 済 に 拍 車 が か か る な か 、私 た ち の 存 在 は 、ブ ランド 名 な しで は 目 に つ か な い の だ ろう か ? 本 考 察 と 対 話 に お い て 、ア ー テ ィスト が 作 品 を 制 作 す る 様 々 な 文 脈 や 、大 学 に お け る 実 践 と コ マ ー シ ャル ギ ャラリ ー 、ア ー テ ィスト・ラン・ス ペ ース 、大 学 と 美 術 館( 公 立・私 立 両 方 )の 制 度 的 な 展 示 空 間 の 社 会 的 な 領 域 に お け る ア ー テ ィスト の 身 の 振 り 方 を 考 慮 す る 。さ ら に 、展 示 の サ イト ( 場 ) や 制 作 の アイ デ ア の 提 案 として 、ア ー テ ィスト の コ ラ ボ レ ー シ ョ ン や 複 数 の オ ー サ ー シ ップ の 不 安 定 な 範 囲・実 践 に 関 連 し た「 批 判 的 な 形 式 と して の 展 示 」と い う 考 え を 考 察 す る 。 研究の文脈/ 論文の策定 本 書 は 、コ ン テ ン ポ ラリ ー お よ び ポ スト・コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト を 論 考 す る ア ー トコ ミュ ニ テ ィ、つ ま り 批 評 的 な 芸 術 論 議 に 興 味 を 示 す 読 者 や コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト の オ ー デ ィ エ ン ス を 対 象 として い る 。ま た 、日 本 と オ ーストラリア と い う2 つ の コ ン テ ン ポ ラリ ーア ー ト の 歴 史 の 文 脈 を 考 察 す る が 、国 際 的 な オ ー デ ィ エ ン ス に 対 して も 新 し い 知 識 を 提 供 す る 。こ れ ら の 論 考 全 体 に お い て 、ア ー テ ィスト や 作 品 間 の 相 互 の つ な が り や 関 係 を 通 し た ア ー テ ィスト の 独 立 性 を 探 り 、考 察 す る 。 生 き 残 るた め の 原 動 力とな るの は 社 会 的 な 状 況 だ けで な く 、他 者 の 影 響 力 や 生 産 力 も 、ア ー テ ィスト を 直 接 急 き 立 て る と い う 点 を 示 唆 し た い 。イ ン タ ビ ュ ー シ リ ーズ で 実 施 し た ア ー テ ィストと 独 立 系 ア ー トス ペ ース の デ ィレ ク タ ー や 研 究 者 、キ ュレ ー タ ー と の 実 践 的 な 調 査 を 通 じ 、ア ー テ ィスト の 実 践 や 戦 略 、 ア プ ロ ー チ 、概 念 的 思 考 の 新 し い 知 識 が 文 書 化 さ れ 、本 書 の 読 27
Introduction: Jesse Hogan / はじめに : ホ ー ガン・ジェシ ー
and shared to both the readers of the texts and the viewers of the associated artworks presented in past, present and future exhibitions. As Quoted by Jacques Derrida, ‘It is originary: Life is survival. Survival in the conventional sense of the word means to continue to live, but also to live after death’. “It is originary: life is survival. Survival in the conventional sense of the term means to continue to live, but also to live after death. Speaking of translation, Walter Benjamin took pains to distinguish between überleben on the one hand, to live after death, as a book can survive the death of its author, or a child the death of parents, and on the other hand, fortleben, living on, to keep on living. All the ideas that have helped me in my work, notably those regarding the trace or the spectral, were related to the idea of “survival” as a basic dimension. It does not derive from either to live or to die. No more than what I call “originary mourning.” It is something that does not wait for so-called “actual” death.2 1
To Unravel Our Readings of History. MOT 20th Anniversary Public Symposium. Reuben Keehan, Accumulated Knowledge, material Practice: Epistemologies of the Contemporary in the Asia Pacific Triennial. Pg. 6. Published by Museum of Contemporary Art Tokyo, 2014 2 Derrida, Jacques 2007. Learning to Live Finally. An Interview with Jean Birnbaum. Basingstoke; New York: Palgrave Macmillan.
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者 お よ び 本 書 に 登 場 す る 過 去・現 在・未 来 の 展 示 に お け る ア ー ト 作 品 の 鑑 賞 者 に 共 有 さ れ る 。ジ ャッ ク・デ リ ダ が 引 用 し た よ う に、 「 こ れ は 元 祖 的 だ 。人 生 は 生 き 残 り で あ る 。生 き 残 りと い う 言 葉 の 従 来 の 意 味 は 、生 き 続 け 、死 後 も 生 き 続 け る こと を 意 味 す る 」。 こ れ は 元 祖 的 だ 。人 生 は 生 き 残 り で あ る 。生 き 残 りと い う 言 葉 の 従 来 の 意 味 は 、生 き 続 け 、死 後 も 生 き 続 け る こと を 意 味 す る 。翻 訳 の 話 を す る と 、ヴ ァル タ ー・ベ ン ヤ ミン は 、 著 者 の 死 後 も 生 き 残 る 本 や 親 の 死 後 も 生 き 続 ける 子 供 の よ う に 、死 後 の 生 を 意 味 す る ü b e r l e b e n と 、生 き 続 け る こと 、生 の 持 続 を 意 味 す る f o r t l e b e n い う 言 葉 を 懸 命 に 区 別 し よ うとし た 。私 の 作 品 を 支 え る こ れ ら 全 て の 思 想 、 特 に 痕 跡 や 亡 霊 的 な も の は 基 本 的 に「 生 き 残 り 」の 思 想 に 関 係 して い る 。こ れ は 、生 と 死 の ど ち ら に も 由 来 して い な い 。私 の 言 う「 元 祖 的 な 悲 嘆 」に し か す ぎ な い 。い わ ゆ る「 実 際 の 」死 を 待 た な い も の で あ る 。2 1 東 京 都 現 代 美 術 館 開 館 2 0 周 年 記 念シンポジウム 歴 史 の 配 合 , ル ー ベンキ ーハン 『 蓄 積された 知と共 に 変 容 する実 践 アジア・パシフイック・トリエンナ ーレにおける「 現 代 性 』 p.6 発行所東京都現代美術館開館, 2014 2 ジャック・デリダ 『 生 きることを学 ぶ 、終 に 』 2 0 0 7 みすず 書 房 ジャン・ビ ルンバウムによるインタビュー
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Jesse Hogan
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Dart 1150 Sculpture 08.08.2018 Alaska Projects Interview Interviewed by Julie Bacon, Performance and Sculpture, UNSW COFA, Sydney Australia Interview conducted in English
JB: Can you tell us about how you develop your concepts for your installations? JH: In most cases and in most of the projects, it would usually begin by establishing some kind of concept you want to critique or explore, and then depending on the art space you can acquire for your exhibition you would start to think about how that concept would respond to the site of the art space. That would usually begin and happen through discussions with the directors of the art space and with the other artists participating in the project. JB: How was this show organized and developed and what are some of the concepts behind the works in this exhibition? JH: This show was first proposed to Sebastian Goldspink the Director of Alsaka Projects about 6 months before the exhibition. However, I first met Sebastian in 2012 at Artspace Sydney, when I was included in the GAPYEAR exhibition held there in 2012. At that time I was working with a good friend of mine Nicholas Briggs. We had some joint projects together…and the Idea we were exploring at the time was this idea of the Australian Dream. The Idea about how the Australian Dream and all the Banality of Bogan and Yuppie culture, where Ikea meets the milk crate was in Question?, we proposed; how could it be explored in a kind of beautiful minimalism. Goldspink liked the idea. 32
Survival Aesthetics © Interview Series / 生32 き残る美 学 © インタビューシリーズ
ダーツスカルプチャー 1 1 5 0 アラスカ プロジェクトシドニー インタビュー ホ ー ガン · ジェシ ー 2 0 1 8 年 8 月 8 日 インタビュー : ジュリー · ベ ーコン、パフォーマンスと 彫刻の教授。 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
ジュリー・ベ ーコン: インスタレーション のコンセプトをどのように 展 開しているか 教 えてください 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ほとんどの 場 合 、そし てほとんどのプロジェクトでは 、最 初 に 批 評 または 探 索したい 何らか のコンセプトを設 定します。そし て展 示 に 使 用 するスペース 次 第 で、そのコンセプト がどのようにスペースに 対 応 するかを考 え 始 めま す。たいてい 、アートスペースのディレクター やプロ ジェクトに 参 加している他 のアー ティストとの 話し 合 い がきっかけとなります。 ジュリー・ベーコン: 今 回 の 展 示 はどのよ うに企 画・開 催されましたか?また 、どのよう なコンセプトに基 づいて展 開されましたか? ホ ー ガン・ジェシ ー: 今 回 は 、展 示 の 約6 ヶ月にアラスカプロジェクトのディレクターである セバスチャン・ゴ ールドスピンクから初 めて提 案 されました 。実 はセバスチャンに 初 めて会ったの は 、2 0 1 2 年 にシドニー のアートスペースで 開 催さ れた G A P Y E A R 展 示 会 に 参 加した 時 のことです。 当 時 私 は 、仲 の良い 友 人 のニコラス・ブリッグ スと 仕 事 をしていました 。 一 緒 にしていたプロジェクト が いくつかあって…「 オ ーストラリアン・ドリーム 」と いうアイデアを模 索していました 。 「 オ ーストラリア ン・ドリーム 」や、バカなヤッピー 文 化 の 陳 腐さ、牛 乳 瓶 のプラケ ースとイケアの 家 具と組 み 合 わせな ど。一 種 の 美しいミニマリズ ムにおいて、そういうも のをどのように 模 索 するのかと。 33
The neon pieces in this show come from a previous work of mine which was created in Tokyo, focusing mainly on the legacy of conceptual art and minimalism on the practices of emerging artists today…The way ‘art language’ has influence on the way you think about forms and materials. The exhibition has a mix of production and fabrication methods and technologies being used; I use design programs to design fonts and shapes, sometimes that then gets sent to factories and producers who then actually manufacture and fabricate the neon glass pieces for me. When considering this show, I also wanted to make it beyond just my own practice. There is an interesting link which was forged between my own work which deals with text and language applied to materials and objects, and likewise in this collaboration piece with Gatorbeug and Functional Sculpture—in which the MICROSOFT logo was cast into clay and attached to a quite traditional looking terracotta vase. One of the special pieces in this show includes these gold Mirror Perspex pieces which I created specifically for Alaska. One of them mentions the term, ‘I still call Australia home’, but written by a Venezuelan Artist ‘Aquiles Hadjis’ who is living in Tokyo and actually has no home nationally at the moment. It reads ‘I can’t call Australia home’. The other piece includes the Latitude & Longitude coordinates of the Alaska Project Space laser engraved into the mirror. When the viewer or audience types in the co-ordinates to their phone on google maps— then looks at their google map, the Alaska Project Space ‘pin’ pops up on the map, in the same location the viewer is standing. JB: Can you talk about the context of the carpark space and the interaction you initiated with these sculptural objects? JH: To state again, this show at Alaska Projects Space Sydney, features myself, Gatorbeug (Dylan Quirk) and Functional Sculpture (Tom Mason & Cooper Michaels). The title of the show is ‘Social Disorder & High Grade Minimalist Aesthetics’. The work here in the carpark space is a work that is site responsive. We chose to think about the context of the carpark space and how that space is used in an urban context. We decided to build these forms that were based on various urban forms that are used by skateboarders in cities all around the world. Particularly in Sydney, there is a large culture of using benches and road barriers, pieces of timber that you find and setting things up for skateboarders to use. (Basically the act of transforming the function of the objects for alternate purposes). The sculpture becomes very functional in that kind of way. We considered different ways to manufacture these forms, but given time and also limited budgets, we used basic timber, ply and basic available materials. Extending the collaboration, these sculptures were constructed with a peer of mine Jonathon Nelson who is a high end carpenter, 34
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展 示 のネオン 作 品 は 、前 に 東 京 で 制 作した 作 品 に 基 づ いていて、現 代 の 新 進アー ティストの 実 践 に 関 するコンセプチュアルアートとミニマリズ ム の 遺 産 …「アートランゲ ー ジ 」が 、どのように 形 や 素 材 に 関 する考 え 方 に 影 響 するか に 焦 点 を当てて います。フォントや 形 のデ ザインには デ ザインプロ グラムを使 い 、時 には 工 場 やプロデュー サ ー に 送っ て、ネオンガラスの 作 品 を製 作・製 造してもらいま す。このような 制 作 や 製 造 の 手 法と技 術 を展 示 に 取 り入 れています。 この 展 示 を構 想 中 、自 分 の 実 践 を超 えた ものを作りたいと思 いました 。素 材 やオブジェク トに 適 用されるテキストと言 語 を扱う私 自身の 作 品との 間 に 興 味 深 い 繋 がりが 作られたの が 、分 かります。これ は 、G a t o r b e u g や F u n c t i o n a l S c u l p t u r e とのコラボレーション 作 品 でも同じで す。ここでは 、M I C R O S O F T のロゴ を、とても伝 統 的 な 外 観 のテラコッタ粘 土 に 取り付 けました 。 今 回 の 展 示 の 特 別 な 作 品 の 一 つに 、アラス カのために 作 成したゴ ールドのアクリル 樹 脂ミラ ー を使った 作 品 が 挙 げられます。そのうちの 一 つに は、 「 私 は 今 でもオ ーストラリアを故 郷と呼 んでい ます 」という表 現 に 言 及していますが 、この 文 章 を 書 いたのは 、ベネズ エラ出身で 東 京 在 住 、現 時 点 で は 故 郷と呼 べる国 が ないアー ティストのアキレス・ ハッジスです。 「 オ ーストラリアを故 郷とは 呼 べませ ん 」と記 載されています。もう1つの 作 品 には 、鏡 に 刻 まれたアラスカプロジェクトの 緯 度と経 度 の 座 標 が 、レー ザ ーで 鏡 に 刻 まれています。視 聴 者 や 視 聴 者 が 、スマホの G o o g l e マップで 座 標 を入 力する と、アラスカプロジェクトのスペースの「ピン 」が 、視 聴 者 が 立っている場 所と同じ場 所 にポップアップ 表 示されます。 ジュリー・ベ ーコン: 駐 車 場 の 文 脈と、彫 刻 的 な オブジェクトで 生 み 出した 相 互 作 用 について話していただけますか? ホ ー ガン・ジェシ ー: この 展 示 は 、シド ニー のアラスカ・プロジェクトスペースで 開 催さ れました 。展 示 作 家 は 、私と G a t o r b e u g( ディラ ン・クワー ク)、F u n c t i o n a l S c u l p t u r e(トム・ メイソン&クーパ ー・マイケルズ )です。展 示 のタ イトル は 、 「Social Disorder & High Grade Minimalist Aesthetics」 ( 社 会 的 混 乱&高 度 なミニマリスト美 学 )です。駐 車 場 の 作 品 は 、サイト に 反 応したものです。駐 車 場という文 脈 や、このス ペースが 都 市 の 文 脈 の 中でどのように 使 わ れてい るのかを考 えることにしました 。そして、世 界 中 の 都 市 においてスケ ートボ ー ダー たちが 利 用してい る様 々な 都 市 形 態 に 基 づ いた 形 を構 築 することに しました 。特 にシドニーでは 、ベンチやガ ードレー ル 、自 分 たちで 見 つけてきた 木 材 を使ってスケ ート ボ ードの 環 境 を作るという文 化( 基 本 的 には 、オブ ジェクトの 機 能 を変 換して別 の目 的 で 使う行 為 )が 浸 透しています。 彫 刻 は 、そういう意 味 ではとても機 能 的 にな ります。形 を作るための 様 々な 方 法 を検 討しました が 、時 間と予 算 の 制 限 が あったため 、ベ ーシックな 木 材 や 合 板 、利 用 可 能 で ベ ーシックな 素 材 を使 い ました 。そしてコラボレーションを広 げ、高 級 品 市 場 で 活 躍 する知り合 いの 大 工 で 家 具 職 人 、そして スケ ートボ ー ダーでもあるジョナサン・ネルソンに 35
cabinet maker and skateboarder. Somebody who is not familiar with skateboarding forms would be able to look at these forms as simply minimal sculptures, but somebody who has a knowledge of the way these forms can function or be used can see a different potential in them. You can see behind us, there is also some ceramic works that are leftovers of the performance and demonstration that occurred on the opening night. Functional Sculpture artists Tom & Cooper, set up the clay wheels basically transporting their studio into the carpark. In turn the viewers could see the connection between the works in the white cube and the method of production that they use on a daily basis in their studio. This connected the idea of functionality and also participation… The clay wheels where spinning, the audience could jump on the wheels and produce a piece themselves on the opening night guided by the Functional Sculpture artists. Also, with the skate sculpture objects (or skobjects) we had a very limited window of time where some Sydney based Professional Skateboarders activated the objects by showing what kind of moves could be done on these forms. Conceptually—Functional Sculpture is not just the name of the Studio, but is an important concept that is connecting the two practices; one, skateboarding which is very urban, and two, clay & ceramics which often has connotations to a more domestic and craft based practice. However, when you have these two things co-existing live in the site at once, you see that there’s various similarities to the approach, given the practical physicality and that both activities can be open to participants. Something else that commonly features in my own practice and in my work is the tension between text & form (text—image—object), how graphics and text can be applied to 3-dimensional forms, shapes, and also spaces. One thing we created for these forms in the carpark was the printing of graphics and text that directly applied to each of the shapes and objects. As a little bit of an ‘in-joke’ there is a graphic print of Rodin’s ‘Thinker’ on the ‘Kinker’ also known as a kicker, which is the small lump shape or jump ramp sculpture. On the barrier is the text ‘Sculptural Decay’. Literally as the object gets used more and more over-time it will decay and break down—until the ‘Specific Object’ becomes a ‘Non-Object’.
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彫 刻 を作ってもらいました 。スケ ートボ ードの 形 に 馴 染 み のない 人 が 作 品 を見ると、単 にミニマル な 彫 刻 だと思うでしょうが 、スケ ートボ ードの 形 がどう 機 能 するか 、またどのように 使 わ れるのかを知って いる人 には 、違う可 能 性 が 広 がります。 後ろには 、陶 芸 作 品 が あります。これ は 、 オ ープニング の 夜 に 開 催されたパフォーマンスや デ モンストレーションの 残りです。F u n c t i o n a l S c u l p t u r e のトムとクーパ ー が 、駐 車 場 にアトリ エを移 動してろくろを設 定したんです。そこで 鑑 賞 者 は 、ホワイトキューブ の 中 にある作 品と、アトリ エで日 常 的 に 使っている制 作 手 法との 繋 がりを目 にすることができました 。オ ープニング の 夜 には 、 鑑 賞 者 自身 がろくろを前 にして座り、F u n c t i o n a l S c u l p t u r e に 助 けられて作 品 を作ることができま した 。 また、スケートスカルプチャー のオブジェクト ( スコブジェクト)では 、時 間 はとても限られていま したが 、シドニー のスケ ートボ ー ダ たちは オブジェ クトを使 い 、どのような 動 きができるのか 試 すこと ができました 。 「 F u n c t i o n a l S c u l p t u r e 」という のは 、単 にアトリエの 名 前 だけでは なく、非 常 に 都 市 的 なスケ ートボ ードと、より屋 内 型 で 工 芸 に 基 づ いた 実 践 の 含 みを持 つ 粘 土&セラミックという2つ の 実 践 をつなぐ重 要 な 概 念 です。ただし、この2つ をサイトに 同 時 に 共 存させると、参 加 者 に 公 開され るアクティビ ティであり実 用 性 が あるため 、両 者 の アプロ ー チには 様 々な 類 似 性 が あることが 分 かり ます。 私 自身の 実 践 や 作 品 の 他 の 特 徴として、テ キストと形 式( テキスト– イメー ジ – オブジェクト)の 間 にある緊 張 感 、グラフィックスとテキストを3次 元 の 形 式 や 形 状 、さらに 空 間 へと適 用 することが あ ります。駐 車 場 に 展 示 する作 品 のためには 、それ ぞ れ の 形 や 形 状 に 直 接 適 用されるグラフィックスと テキストを印 刷しました 。また 、ここでは「 内 輪 の 冗 談 」として、キッカ ーとしても知られる「 K i n k e r 」( キンカ ー ) に 、ロダンの「 考 える人 」 ( T h i n k e r・シン カ ー )のグラフィックプリントを入 れたことです。こ れ は 、小さなこぶ の 形 、ジャンプ 台 の 形 をした 彫 刻 です。バリアには 、 「 彫 刻 の 老 朽 」というテキストが あります。文 字 通り、このオブジェクトは 使 わ れるほ ど、時 間 の 経 過と共 に 廃 れて壊 れ 、 「 非 オブジェク ト」となるのです。
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Yuki Okumura
奥村 雄樹
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Yuki Okumura Interview 31.01.2018 b. 1978 Aomori, Japan Lives and works between Maastricht, Brussels and Tokyo Interview conducted in English
奥 村 雄 樹 インタビュー 2 0 1 8 年 1月3 1日
1 9 7 8 年 に 青 森 市 で 生 まれ 。現 在ブリュッセルと マーストリヒトで 暮らすアー ティスト。 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
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日本 語
PART 1 JH: To start with I’d like to talk a little bit about this university, Tokyo Geidai…and I’m going to start with this short text that I wrote, to read it to you. It’s strange as we talked before, about abstraction as a kind of background to my own practice… one idea with this is the idea of ‘entry points’ in art history and discourse, and also a term I coined ‘Conceptual defense’, which refers to how we artists justify and defend our work. YO:
You mean, Your work? JH: Yes, and different artists may create defense for their concepts and reason for their references. So I will read this just to start…it refers to ‘Research based conceptual artists’. Minimalism, Non-Objective Abstraction and Identity. Like in many of the works set out by the abstractionists and minimalists, artists attempted to deconstruct, abstract and delete more and more unnecessary elements from the artwork, until the work was the bare sum of its parts. Simultaneously through this process the artists seemed to erase more and more of their identity from the work, as if all traces of the artists’ personality was to be extinguished. Three angles I would like to take in approach to you and your works & practice, includes one angle about identity, one about art discourse & art history, and one about exhibition strategy. In Yuki Okumura’s work, however compared to minimalism, the self is superimposed by other artists who become his medium, and whose histories become the basis for research and investigation which thereafter results in the accumulation of form. Following your solo exhibition at GINZA MAISON HERMÈS Le Forum in Tokyo, In September 2016, curator Rieko Setsuda wrote a unique and critical articulation of the artists conceptual and strategic process. The essay titled, ‘Untitled’ explains the complex layers of identity structures that you play with in your multi-complex art practice. Both constructions and de-constructions of the artists identity and authorship are rendered through the variety of your works and series of projects. Interestingly you have been adopting multiple identities in a number of projects, through these multiple heteronyms. In this Multiple heteronomous authorship the issues of authorship and the ‘I’ as the subject leads us back to question ones presence in the context of art and society. Including the moniker, Lei Yamabe, that you use, largely concerned with the life work of On Kawara, as
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ホーガン・ジェシー: まず、藝 大について話 したいと思います…それから、私が 書いた短 いテキストを、奥 村さんに読み上げますね 。前 にも話しましたが 、私自身の実 践 環 境として の抽 象 化というのは 不 思 議なもので…これに 関する1つのアイデアは 、美 術 史と論 説にお ける「エントリーポイント」であり、私が 作った 「コンセプチュアルディフェンス」という用 語 もあります。これは 、アーティストが 作 品を正 当化し、擁 護する方 法に関するものです。 奥 村 雄 樹:
自分の作 品の正当化?
ホーガン・ジェシー: そうです。様々なアー ティストが 、自分の概 念や参 照の根 拠を擁 護 するかもしれません。それでは 、早 速 読みます ね …「 研 究ベースのコンセプチュアルアーティ スト」。ミニマリズム、非 客 観 的な抽 象 化とア イデンティティ。抽 象 主 義 者やミニマリストに より提 示された多くの作 品のように、アーティ ストたちは 、作 品がむき出しになった構 成 要 素の集 約になるまで、多くの不 要な要 素を脱 構 築し、抽 象 化し、削 除しようと試みました。 同 時に彼らは 、このプロセスを通し、まるでア ーティストの個 性の痕 跡を消し去るかのよう に、作 品から自分のアイデンティティをますま す削 除しているようでした。そこで今 回は 、ア イデンティティ、アートディスコース( 論 説 )& 美 術 史 、展 示 戦 略という3つの角度から、奥 村さん自身と奥 村さんの作 品や実 践について アプローチしたいと思います。 奥 村さんの作 品では 、ミニマリズムと 比 較して、媒 体となる他のアーティストを通し て自己が 重 ね 合 わせられ 、他のアーティスト の歴 史が 研 究と調 査の基 礎となり、形の蓄 積 に繋がります。奥 村さんが 銀 座のエルメスフ ァンデ ーションアートスペースで個 展を開 催 した後の 2 0 1 6 年 9 月、キュレーターの説 田 礼 子が 、アーティストのコンセプトと戦 略 的プロ セスに関する批 評 的で独自な表 現を残してい ます。 「 無 題 」と題するエッセイは 、多 重 化した 芸 術 実 践で用いるアイデンティティの構 造の 複 雑なレイヤーについて説 明しています。ア ーティストのアイデンティティとオーサーシッ プの構 築と脱 構 築の両 方が 、様々な作 品や一 連のプロジェクトを通じて表 現されます。興 味 深いことに、奥 村さんは 複 数の異 名をとる ことにより、様々なプロジェクトにおいて複 数 のアイデンティティを採 用されてきました。こ の他 律 的な複 数のオーサーシップにおいて、 オーサーシップの問 題と主 題としての「 私 」 は 、アートと社 会の文 脈に存 在するものへの 疑 問を生み出します。これには 、他 律 的な複 数の作 家に加え、河 原 温のライフワークを主 に取り上げた山 辺 冷の名 義があります。奥 村 さんの最 近の代 表 作には 、高 橋 尚 愛の作 品や 展 示を継 続 的に参 照し、作り直すというもの が 含まれます。それでは 奥 村さん、ようこそ! 奥 村 雄 樹:
どうも〜
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well as several other heteronomous authors. One of your most revered projects of late, has been your ongoing references and remaking of the work and exhibitions of the artists Hisachika Takahashi. Hi Yuki, welcome! YO: Hi! JH: Hi! So you were here at Tokyo University of the Arts as a Masters student around 2004, and later completed your Doctorate Degree here in 2012? Could you tell us a little bit about the conceptual atmosphere while you were doing you work and research here? YO: Hmmm, Conceptual Atmosphere? I didn’t feel any conceptual atmosphere when I was here. You mean like…? JH: I mean the academic atmosphere and your experience. How did you feel the conditions here led you towards your interests and your direction that you’ve taken? Did you feel the need to shift the way you were working in a direction that was counter to the atmosphere in Geidai at the time, and the way of thinking in the institution? YO: The environment here didn’t really move me that way. But more, because the piece I made as the graduation work for my Doctorate was about a lecture by an artist I invited. And how can I say, if I had not been here, I would not have invited him to the lecture in this ‘art educational environment’. So in this sense it kind of affected me, but that’s all I guess. But anyway, my work from 2011, I think, was based on my experience as a translator. Something that was super inspirational for me was a lecture by a curator Philippe Pirotte. He’s a curator who came here to talk about his practice. His talk itself was not so important for me, but what was important for me was the interpreter, she is a very great interpreter. She actually is still doing interpretation now. You know, when museums in Japan invite artists from overseas, and when these artists speak in English, she is very often next to them. Her name is Kayoko Yokota. JH: So then was she doing a lot of the interpreting for Geidai lectures? YO: Yes, but at least this particular lecture. And she is so good, and she has such a strong presence somehow as a person. So, in this situation, she looked like the curator himself. Because you know, she would say, ‘I am here today to introduce my practice to you, to show you what I’ve been doing, etc’. In first person, you know, even though she hasn’t done anything about what the curator did.
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ホーガン・ジェシー: こんにちは!奥 村さん は 2 0 0 4 年 頃 、東 京 藝 術 大 学の修 士 課 程に 在 籍し、その後 、2 0 1 2 年に藝 大で博 士 課 程 を修了したのですよね?藝 大で活 動や研 究 をしていたときのコンセプチュアルな雰 囲 気 ( 環 境 )について教えてください。 奥 村 雄 樹: えーと、コンセプチュアルな雰 囲 気? 在 学 中にコンセプチュアルな雰 囲 気はまったく感じ なかったですね 。でも、どういう意 味で言っています か? ホーガン・ジェシー: アカデミックな環 境 や奥 村さん自身の体 験という意 味です。藝 大 での状 況が 、どのように自分の興 味や方 向 性 に繋がりましたか?活 動の方 向 性を当時の 藝 大の環 境や、藝 大という組 織の中での考え 方から1 8 0 度 転 換する必 要 性を感じました か? 奥 村 雄 樹: 藝 大の環 境によって自分が 変 わった 感じはあまりなくて、むしろ別の意 味で影 響がありま したね 僕の博 士 課 程の修了作 品は 、あるアーティス トを招 待してレクチャーを実 施してもらったんですけ ど、もしも僕がここに在 学していなかったら、美 術 教 育の文 脈で彼を呼んでレクチャーをしてもらうこと もなかったでしょう。その意 味では 影 響を受けたと 言えますね 。でもそれだけだと思います。いずれにし ろ、2 0 1 1 年 以 降の僕の作 品は 、翻 訳 者としての経 験に基づいていると思います。僕にとって刺 激 的だっ たのは 、キュレーターのフィリップ・ピロットによるレ クチャーでした。藝 大に来て、彼自身の実 践について 語ったんです。彼の話の内 容よりも、僕にとって重 要 なのは 通 訳のあり方でした。彼 女は 素 晴らしい通 訳 者で。いまも通 訳をなさっている方です。日本で、美 術 館が 海 外の人を呼んで英 語でトークするときは 、 彼 女が 横で通 訳する場 合が 多いですね 。横 田 佳 世 子 さんという方です。 ホーガン・ジェシー: 彼 女は 、藝 大のレクチ ャーでよく通 訳をしていましたか? 奥 村 雄 樹: そうだと思います。少なくともピロッ トのレクチャーではそうでした。彼 女はとても通 訳が 上 手で、そして彼 女 本 人としての存 在 感も強い。だか ら、まるで彼 女がピロット自身のように見えたんです よ。というのも彼 女は 、 「 私は 今日、私自身の実 践を 紹 介するために藝 大に来ました。これまで私が 何を やってきたのかをお伝えしようと思います」とかって 言うわけです。一 人 称を使って。ピロットが「これまで やってきたこと」は 横 田さんとは 何の関 係もないの に。 ホーガン・ジェシー: それでは 、彼 女はまる で話し手になったかのようですね … 奥 村 雄 樹: そうそう。でもそれは 、どんな通 訳の 場においても起こることです。通 訳 者は 反 復するか ら。話 者が 言ったことを反 復しないといけないから。 例えば 、話 者が「 私はオーストラリアから来ました」 と言えば 、通 訳 者も「 私はオーストラリアから来まし
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
JH: So she almost begins to embody who she is translating… YO: Yeah, but actually this happens to any interpretation because they actually repeat, you need to repeat what the other person said. For example, if this person said, ‘I am from Australia’, then the Interpreter would also say, ‘I am from Australia’. Even though they are from Japan. So somehow from her, it was so strong, this effect. JH: What about at that time, your colleagues, the other artists in your generation, the themes and ideas they were working with. Did you feel a close connection with other colleagues around you, or did you feel like there was something different you were looking for? YO: With the artists from my generation I had a feeling of proximity, like closeness. But at the art school, not much. Because you see, when I was doing the Doctorate, the other students were much younger than me. I was like thirty something already but they were around 25. JH: So there was already a generation gap at art school with the others in terms of your shared youth experiences, like being a youth of the 80’s or 90’s etc. YO: Yes. But, when I was in the Masters here, it was similar feeling. Although the other students were from my generation I didn’t really feel close to them. But, what I was doing at that time was totally different from now. Although I see a connection, but other people don’t really see it. I was working with human body parts. Like finger nails, and pubic hair, and saliva.. physically, and literally. As object. JH: So literally using the body’s substances as material? YO: Yeah pretty much. But still for me I’m still working at the physicality of ‘us’, and our existence. But at that time it really was more ‘Objective’. JH: So something that was then more objective and tangible, as in physically tangible led you towards a more metaphysical, trans-personal investigation of being? YO: Yes, actually I would say there was a transition period that actually almost coincided with the period that I was away from the school, between the Masters and the Doctorate. I was doing kind of different things. JH: In the Masters stage, around 2004, did you feel like many of the other artists and students, lectures, and yourself were taking 46
た」と言うわけです。日本出身なのに。でも横 田さん を見ていて、この効 果をなぜか 強く感じたんです。 ホーガン・ジェシー: その時 、奥 村さんの仲 間や同 世 代の他のアーティスト、彼らが 扱っ ていたテーマやアイデアはどうですか?周り の仲 間との密 接な繋がりを感じましたか 、そ れとも自分が 求めていたものとは 何か 違うも のがあるように感じましたか? 奥 村 雄 樹: 同 世 代のアーティストとは 、近さを感 じていました。親 密さというか 。でも大 学では 、あま り感じなかったですね 。博 士 課 程にいたとき、他の学 生たちは 僕よりずっと若かったので。僕は 既に 3 0 代 で、他の学 生たちは 2 5 歳くらいだったので。 ホーガン・ジェシー: では 、青 春 時 代が 8 0 年 代だったのか 9 0 年 代なのか 、共 通の体 験 という意 味では同 級 生との世 代のギャップが 既にあったということですね 。 奥 村 雄 樹: そうですね 。ただ、藝 大で修 士 課 程に いたときも、そんな感じだったかも。みんな同 世 代だ ったけど、あまり近く感じなかったですね 。まあ、当時 の僕の作 品は今とはかなり違います。もちろん繋がっ てはいるのですが 、僕自身にしか 見えてないかも。僕 は当時 、人 体の部 品を作 品で扱っていました。爪 、陰 毛 、唾など。文 字どおり物 理 的な物 体として。 ホーガン・ジェシー: それで、文 字 通り身体 の実 体を素 材として使 用しているのですか? 奥 村 雄 樹: そうですね 。でも僕としては 、今でも 私たちの身体の物 質 性 、私たちの存 在のあり方につ いて探 求しているんです。当時みたいに、そのことに ついて物 体を通じて直 接 的にやってるわけじゃない けど。 ホーガン・ジェシー: それでより客 観 的で 具 体 的な何か 、つまり物 理 的に有 形なものに 影 響を受けて、よりメタフィジカルで自己を超 越した存 在を調 べることになったのですか? 奥 村 雄 樹: そうですね 。修 士 課 程と博 士 課 程の 間 、かなり学 校から離 れていたのですが 、ちょうどそ の頃 、作 品も移 行 期にありました。ちょっと別のこと をやっていたんです。 ホーガン・ジェシー: 2 0 0 4 年 頃 、博 士 課 程 の段 階では 、他の多くのアーティストや学 生 、 レクチャー 、さらに奥 村さん自身も、自分の作 品の中で美 術 史を参 照する様々なアイデアを 取り入 れているように感じましたか? 奥 村 雄 樹:
いいえ、まったくなかったですね 。
ホーガン・ジェシー: 当時の日本での会 話 と、同 時 期に西 洋で起こっていたことに関す る会 話についてはどう思いますか 。海 外で活 動しているアーティストが 行なっていること は 、よく話 題に上がりましたか?そのような話 は 一 般 的でしたか?
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on many ideas of referencing art history in their works? YO:
No, not at all. JH: And how do you think about the conversation at that time in Japan, in that era, and the conversations around what was happening in the west around the same time. Were there many conversations about what other artists were doing around the world, was that common?
YO: Well kind of, yes. But not really at art school, not really here at this school. More like with other friends. Actually, there were artists from my generation and maybe a bit older but in a similar spirit about the physicality of the world, like physical laws. Like how objects behave and without any art context. No references, just simple. For example, Koki Tanaka, Hiroaki Morita, and there are another like 7 or 8 artists, they were studying, and had a study group or something, really loosely, having sessions at Geidai once and a while. A very good friend of mine, Ken Sasaki, was like, ‘Hey Yuki, you should come’. So only once or twice I joined them, so I don’t know very well. JH: Do you think that group was the basis, or the forerunner of the Artists Guild collective that they later formed? YO: No, no. Kind of different, different group. Although some people have had relations with both, like me and Koki. Hmmm, again what was the question? JH: Oh, it was about the conceptual concerns and dialogue between the artists around you at that time. YO:
And also what was happening outside Japan? JH: Yes
YO: Well I think that we were concerned about similar works in the west. E.g. If you know Tom Friedman? Who else actually? Maybe a bit of Roman Signer, I guess some people who were working with readymade objects in some way. Not like natural things like stones. JH: Like how the artists were incorporating everyday objects into a more performative or active use and dissembled functionality of things, rather than just a static display of things? YO: Both actually. Tom Friedman was more about sculpture. Do you know, Motohiro Tomii? Well he and Morita San, they are working more with objects. Like sculpture in a way. And Koki of course he was more with videos. And who else..? 47
奥 村 雄 樹: まあ、そうとも言えますね 。でも藝 大 ではほとんどなかったです。むしろ他の友 人たちと、 ですね 。同 世 代あるいは 少し上のアーティストの友 人たちがいて。世 界の物 理 的な側 面 、物 理 法 則に対 して、似たような態 度を共 有していました。事 物がど のように振る舞うのか 。アートの文 脈なしに。何も 参 照せず、ただシンプルに。例えば 田中 功 起くん、森 田 浩 彰くん、他にも7 〜 8 人の友 人たち。みんな学 生 で、ある種の勉 強 会みたいな集まりをしていて。緩か ったですが 。ときどき藝 大でやっていたんですね 。仲 の良い佐々木 健くんから「 奥 村くん、参 加した方がい いよ」みたいに言 われて、1 〜 2 回 参 加しました。それ だけなので詳しくは 分からないのですが 。 ホーガン・ジェシー: その勉 強 会が 、のちに 結 成されたアーティスト・ギルド・コレクティ ブの基 盤となったのか 、それとも前身だった のでしょうか? 奥 村 雄 樹: いやいや違います。まったく違うグル ープです。田中くんや僕のように、両 方に関 わってき た人もいますが 。もともとの質 問は 何でしたっけ… 。 ホーガン・ジェシー: えぇと、当時 奥 村さん の周りにいたアーティストが 抱いていたコン セプチュアルな関 心 事や、彼らとの論 説に関 する質 問でした。 奥 村 雄 樹: 日本 国 外の状 況との関 係についても 聞いてましたよね? ホーガン・ジェシー:
はい。
奥 村 雄 樹: まあ、欧 米の似たような作 品にも関 心はありましたね 。たとえばトム・フリードマンは 知 っていますか?他に誰がいるかな。ローマン・シグネ ールも?既 成 品を何らかの形で使って作 品を展 開し ていた人たちですね 。石とかじゃなくて。 ホーガン・ジェシー: アーティストたちが 、 日常 的な物 体を物 事の静 的な展 示に組み込 むのではなく、より遂 行 的またはアクティブな 物 事の使 用や隠 れた機 能 性に組み込んだよ うに? 奥 村 雄 樹: むしろ両 方ですね 。トム・フリードマ ンの作 品は 彫 刻 的でした。冨 井 大 裕さんは 知ってい ますか?彼や森 田くんは 、むしろ物 体を扱っていまし たね 。ある意 味で彫 刻 的な感じ。田中くんはもちろん 映 像で。他に誰がいたかな。 ホーガン・ジェシー: 当時の日本のアーテ ィストに最 大の影 響を与えたのは 誰でしょう か?ギャラリーや美 術 館 、組 織において本当 に有 名で、若いアーティストに大きな影 響を 与えたのは 誰ですか? 奥 村 雄 樹: かも。
僕自身は 、村 上 隆や奈良美 智だった
ホーガン・ジェシー: 当時 彼らはとても注 目されていましたか?
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
JH: Who do you think at that time were some of the biggest influences of the Japanese artists? Who was really prominent in the galleries, museums, institutions, and having a big impact on younger artists? YO: For me, it was like Takahashi Murakami and Yoshitomo Nara. JH: So they were getting a lot of exposure at the time? YO: Yes they were, and it was important to me. But for this tendency, or conceptual concern, there was no one I think. I would say, but I didn’t really know. JH: I would like to ask you about your background in English and also your work interpreting and translating. English is not so easily acquired and developed by a lot of Japanese fine artists and even intellectuals, how did you initially build your pathways into English and start translating? YO: I am aware that my English is not too good. But perhaps it is kind of good here, and I can survive. Personally my mother was an English teacher… But just at home for the kids. She had studied at the Hokkaido University, of Foreign Studies, sorry I don’t know the official name. JH: So she was from Hokkaido, your mother? YO: Yes, and she wanted to become a flight attendant. Anyway, she liked studying English, so we kids at home were familiar with English text from when we were very small. JH:
You were always encouraged?
YO: Well I don’t quite remember but she’d suggest it, yes. And she loved America so much, just my memory says, maybe she would disagree. She was always taking about America. When I was enrolled in Tamabi/Tama University of the Arts. As I said when I was in summer vacation I had nothing to do, I had no friends, so I thought, ‘Okay lets study English’. I really liked this thick grammar book on English, and I was very interested in grammar, etymology, and the construction of a word. Like a part of this word comes from this and comes from that. JH: And did you also became interested in other fields such as tautology, epistemology, and things like that? YO:
Yes things like that. JH: Okay, dialectics, Ontology, the study of the origins of words and their meanings, etc.?
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奥 村 雄 樹: そうですね 。僕にとっては 重 要でし た。でも先ほど触 れたようなコンセプチュアルな関 心 を持っていたアーティストたちは 、誰も村 上や奈良か ら影 響は 受けてないかも。わかりませんが 。 ホーガン・ジェシー: 奥 村さんの英 語の経 歴と、通 訳・翻 訳の仕 事についてお聞きした いと思います。日本 人のアーティストの大 半 にとって、英 語の習得は 簡 単ではありません が 、最 初はどのようにして英 語を習得し、翻 訳 するようになりましたか? 奥 村 雄 樹: 僕の英 語が 完 璧ではないことは自覚 しています。でも日本では良い方だろうし、生きる分 には 問 題ない。個 人 的には 、母が 英 語 教 師でした。と いっても自宅で子 供 向けに教 室をやっていたのです が 。北 海 道 大 学で外 国 語 科みたいなところにいたは ずです。正 式 名はわかりませんが 。 ホーガン・ジェシー: 身ですか?
お母さんは 北 海 道出
奥 村 雄 樹: そうですね 。客 室 乗 務 員になりたかっ たみたいで。いずれにしろ彼 女は 英 語が 好きだった ので、僕らも子 供の頃から英 語には 馴 染みがありま した。 ホーガン・ジェシー: されたのですか?
そうするように常に促
奥 村 雄 樹: どうだったかな。何らかの示 唆はあ ったかもしれないですね 。とにかく母はアメリカが 好 きでした。本 人はどう言うかわからないけど、僕の記 憶では 。母はいつもアメリカについて話していたんで す。それで、多 摩 美 術 大 学の学 部 生だったとき、夏 休 みにやることがなくて、友 達もいないし、 「よし、英 語 の勉 強でもするか 」と思って。分 厚い文 法 書が 好きで したね 。文 法や語 源 、単 語の構 造にすごく惹かれて。 この単 語のこの部 分はこの別の言 葉から来ていて、 みたいな。 ホーガン・ジェシー: そして、トートロジ ー や認 識 論など他の分 野にも興 味を持ち始め たのですか? 奥 村 雄 樹: ね。
そういうものにも関 心は 向きました
ホーガン・ジェシー: なるほど。弁 証 法やオ ントロジ ー 、単 語の起 源とその意 味の研 究な ども? 奥 村 雄 樹: まあそんな感じかな。ラテン語の系 統 、ゲルマン語の系 統 、英 語のどの部 分がどこに由 来 していて、みたいな。修 士 課 程を終えたときに、単に 自分が 好きなことで仕 事しようと思って。となるとア ートと英 語だから、翻 訳しようかな、と。 ホーガン・ジェシー: 自分や友 達のために 翻 訳をすることから始めましたか?それとも、 アルバイトや職 業にする、あるいは出版 社を
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YO: Something like that, what do you say. Also things to do with Latin, and German and what parts of English come from where. I think simply when I was getting out of Masters, I wanted to work with things I liked. So I thought, okay art and English let’s do translation. JH: Did you start by doing translations for yourself and for friends, or did you have a clear intention to use it as part-time work and a profession or for a publishing company? YO: Yes I think so. I really started as a freelance translator. I thought, okay I’m doing this, and I even put some cards and advertisements around Geidai, in the elevators, etc. At first, some friends gave me some jobs. I think it was amazing because I had almost no experience. JH: You hadn’t established yourself as a professional translator but it came out of a kind of passionate self-challenge ? YO: Yes, that’s right. Somehow I started as a translator from Japanese to English which is harder. But I had Linda Dennis here who could check my English, so we kind of worked together. She was correcting my English a lot. JH: So was it around that time you thought it would be important to develop those language skills and have a proficient grasp of using English? Did you also feel that it would be essential if you were going to expand and engage in your art practice outside of Japan, or have the idea that English was definitely going to be needed? YO: No, not really, I think. Basically I don’t think too much usually. I am really kind of spontaneous. I didn’t think too much about that. JH: Do you feel as though the use of English is a barrier for contemporary artists in Japan? Or for getting their work out of the context of Japan? YO: No not really, or at least I was not aware of this. I just did this thing for fun, cause I liked it. By coincidence, okay English is very important, of course to be an artist. I was applying for some residencies after I completed my Masters here. And then of course English is very important, right? So it was useful. And I was really very interested in this language. JH: So first it was out of interest, and then out of convenience? YO:
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Umm, yes.
対 象にするなどの明 確な意 図がありました か? 奥 村 雄 樹: そうだと思います。フリーランスの翻 訳 家として始めました。翻 訳をやろうと思って藝 大の エレベーターに広 告を貼ったりして。最 初は 友 人か ら仕 事をもらいましたね 。いま思えば 、まったく無 経 験だったのに、ありがたいことです。 ホーガン・ジェシー: 奥 村さんはプロの翻 訳 者としての地 位を確 立していませんでした が 、それは自分に対する熱 心な挑 戦 心のよう なものから生まれましたか? 奥 村 雄 樹: そうでしょうね 。なぜか 英 訳から始め ちゃったのですが 。和 訳より難しいはずなのに。リン ダ・デニスさんに僕の英 語をチェックしてもらってい ました。一 緒に仕 事をしていたんです。たくさん直さ れましたね 。 ホーガン・ジェシー: 語 学スキルを身に付 け、英 語の達 人になることが 重 要だと思った のは 、その頃でしたか?そして、アートの実 践 を国 外 へと広げて取り組むのであれば 英 語 が 不 可 欠だろうと思いましたか?また、英 語 が 絶 対に必 要になると感じましたか? 奥 村 雄 樹: そんなことはないですね 。あまり考え ない性 格なので。直 感 的にやりたいことをやるだけと いうか 。なので先を見 据えていたわけではないです。 ホーガン・ジェシー: 日本 人のコンテンポ ラリーアーティストにとって、英 語を使いこな すことが 障 壁になっていると思いますか?ま た、日本という文 脈の外に作 品を出していく うえで、英 語は 障 壁になるでしょうか? 奥 村 雄 樹: そんなことないのでは 。少なくとも僕 自身は 感じていませんでした。楽しいから、好きだか らやっていただけで。たまたま英 語は 重 要だった。も ちろんアーティストでいるにあたっても。修 士 課 程を 修了したあと、いくつか 海 外のレジデンスに応 募した のですが 、そこで英 語は 確かに重 要になりましたね 。 使えた、というか 。でも、そもそも英 語という言 語自 体に興 味があったんです。 ホーガン・ジェシー: では 最 初は 興 味 心か ら、その後 、利 便 性を見出したということです ね? 奥 村 雄 樹:
まあ、はい。
ホーガン・ジェシー: 奥 村さんと同 世 代の アーティストやグループの場 合でさえも、国 外 で強い存 在 感を放ってきたような人々の大 半 には、高い英 語スキルがあるように思えるの で、そんな世 界の仕 組みが 何となく残 念です。 奥 村 雄 樹:
英 語が 支 配 的だから?
ホーガン・ジェシー:
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
ええと、日本 人アーテ
JH: I just wonder because it seems as though, even from the artists of your generation & group—most of the artists who have seemed to have established a strong presence outside of Japan and overseas— seem to have strong English language skills, and that means it is kind of a shame that world works that way. YO:
You mean it’s dominant? JH: Well, it’s a shame that a lot of Japanese artists are not getting exposure if they themselves are not able to engage their practice outside Japan in English terms. I wonder how much that may have influenced or began to influence your way of working, the fact that you had built that ability? It’s maybe the wrong way to approach the question, however…
YO: Well, I would say I don’t feel it. Because, first I think even if you don’t have good skill in English, some artists are still exposing or reaching visibility. Maybe Taro Izumi is like that, at least at the beginning? Maybe because he had a good gallery with him, you know. Of course you need someone to support you I guess. Or, if your work can be understood in more exoticism, it’s okay you don’t need to have some translator. JH: So just to clarify what I was trying to ask you. You didn’t decide, okay I need English to be engaged in Art Practice outside of Japan. It was more you acquired and built the skills and then more in an opposite way around, that enabled you to engage in a new way with other materials and information as they became linguistically accessible? YO: Maybe yes, yes now that you say that. You do acquire more understanding of words and more things. JH: Maybe you start engaging with things that might have otherwise not been of interest or obvious in your own language? YO: But as I have said, I think mostly I don’t have a strategic mind in this way or in this respect. So, once I did this residency in New York, in 2006 with ACC, The Asian Cultural Council, and I was in New York for six months. Then I had more residencies that were all like three months each. 3 or 4 places in Europe, one in Taiwan. So just through these experiences I just kind of used more English and got more information. But it was still really fragmental. Everything was new, but I didn’t really study much about everything that was happening. I knew what I was interested in and what would catch my interest and stuff. But, that’s all.
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ィストの大 半が 国 外で英 語を使って実 践を行 えないので注目されていないのは 、もっと残 念だと思います。それが 、そして奥 村さん自身 がそうした能力を身につけてきたという事 実 が 、活 動の仕 方にどの程 度の影 響を与えてき たのか 、あるいは 与え始めたのでしょうか 。質 問としては 間 違ったアプローチなのかもしれ ませんが … 奥 村 雄 樹: その影 響は 感じない気がしますね 。 たとえ英 語のスキルが 高くなくても、露出が 多くなる アーティストはいますし。たとえば 泉 太 郎くんとかそ うかも?少なくとも最 初は 。ギャラリーがきちんとし ていたからかもしれないけど。やはりサポートは 必 要 ですからね 。あるいは 、たとえば 作 品がエキゾチズム として受 容されている場 合 、そもそも翻 訳 者なんて 不 要かもしれないですし。 ホーガン・ジェシー: 先ほど質 問しようとし た内 容を分かりやすく説 明させてください。 奥 村さんは 、国 外でアートを実 践するために 英 語が 必 要だとは 思 わなかったのですよね 。 英 語は 、奥 村さん自身が 学習して身に付けた スキルでした。その後 、逆に語 学が 使えるよ うになるにつれ 、他の素 材や情 報を含む新し い方 法で実 践することが 可 能になったのです ね。 奥 村 雄 樹: そう言 われたら、そうかもですね 。言 葉が 理 解できるようになって、より多くの物 事を知っ ていく。 ホーガン・ジェシー: 恐らく、日本 語では 興 味がなかったことや、はっきりしなかったこと にも関 わり始めたのでしょうね? 奥 村 雄 樹: でも先ほど言ったように、そういう意 味では 、僕の頭はあまり戦 略 的な作りをしていませ ん。そういうわけで 2 0 0 6 年に、A C C(アジアン・カ ルチュラル・カウンシル)のレジデンシーでニューヨ ークに六ヶ月ほど滞 在しました。それから他のレジデ ンスにも参 加するようになって。それぞれ 三ヶ月とか ですけど。ヨーロッパで3〜4箇 所 、あとは 台 湾です ね 。その経 験から、どんどん英 語に慣 れていって、情 報も得るようになって。まだまだ断片的だったけど。 すべて新しくて、でもそのとき起こっていることを詳 しく知ろうとしたわけでもなく。でも自分の関 心のあ りかは自覚していたし、どんな物 事に興 味を引かれ るかもわかっていたし。それだけです。 ホーガン・ジェシー: でも、言 語や2つの言 語という全 体 的な考えに関してなんですが 、 奥 村さんのトピックとしての翻 訳と通 訳につ いて少し話しましょうか 。奥 村さんは 、通 翻 訳 に影 響されて概 念 的な領 域 へと入っていった のでしょうね 。 奥 村 雄 樹:
まさにそうですね 。
ホーガン・ジェシー: 翻 訳と通 訳に関する 考えが 、いつ、そしてどのようにアートの媒 体 としてのアイデアになり始めましたか?
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YO:
JH: But with this whole idea of language and two languages. Maybe we could talk a bit about translation and interpretation as your topic. Because maybe this had an influence to pave the way for your entrance into this conceptual realm.
奥 村 雄 樹: 長い話になっちゃいます。博 士 課 程 の修了作 品で初めてフルに展 開した方 向 性ですね 。 ジェシーさんも見てますかね 、映 像 作 品なのですが 。
Yes, exactly.
奥 村 雄 樹:
JH: When did you start or how and when did the idea of translation and interpretation begin to become an idea as an art medium? YO: Well, it’s going to be a long story. It kind came into full bloom with the piece I was doing for the Doctoral Degree, Because that work, I don’t know if you’ve seen it but it is a video. JH: YO:
Is that the piece with Jun?
Yes, with Jun Yan. JH: And did that occur before the Kawara On translation piece?
YO: Yes, right before that. It’s like you see an interpreter, a lady. She has a super performative quality. She wears this black suit. Anyway, I invited Jun Yan, this friend of mine, who is a Chinese Austrian artist. I invited him to have a lecture here. JH: And that is already interesting in terms of the cultural diversity you were inviting into this institution. Just by selecting Jun, it already had a dynamic of unique cultural diversity for this place, him being an Asian European but not being Japanese. Do you think so? YO: Yes right, because it must have been someone who could speak English to present an interpretation. I chose him because his work itself is about translation and about identities, like in between different cultures and languages. I always kind of want to make it have self-referential and nested structure, so I wanted him to do it. JH: Like it is inside itself and refers to itself? YO: Yes, and I always wonder can you say ‘nested’ or what? JH: Well I think that works well, like the idea is inside itself. YO: Like Matryoshkas. So in this video you see the interpreter talking about translation in a way, because Jun’s work is about translation. So this piece was inspired by Pirotte’s lecture, which I was talking about. But this interpreter who is in my video is not the same interpreter who was translating the curator. 51
ホーガン・ジェシー: ジュンとの作 品です か? そう、ジュン・ヤンと作った作 品 。
ホーガン・ジェシー: それは 、河 原 温の翻 訳 作 品の前のことでしたか? 奥 村 雄 樹: そのひとつ前です。この映 像では 、画 面に通 訳 者の女 性が 登 場します。彼 女の通 訳の仕 方 には 、とてもパフォーマティヴなクオリティがあるん です。黒い服を着ていて。とにかく、友 人のジュン・ヤ ンを招 待しました。中 国 系オーストリア人のアーティ ストです。ここ東 京 藝 大でレクチャーをしてもらいま した。 ホーガン・ジェシー: 奥 村さんが 組 織にも たらした文 化 的 多 様 性を考えると、それだけ でも興 味 深いですね 。日本 人ではなく、アジア 系のヨーロッパ 人であるジュン・ヤンを選ん だ時 点で、ユニークな文 化 的 多 様 性の原 動力 があったと思いますか? 奥 村 雄 樹: そうですね 。通 訳を作 品として提 示し たかったので、英 語を操る人である必 要がありまし た。彼を選んだのは 、彼の作 品自体が 、翻 訳やアイデ ンティティという問 題を扱っているからです。異なる 文 化や言 語の狭 間のこと。作 品を作るとき、僕はいつ も自己言 及 的な、入 れ 子 構 造をそれに与えようとし ます。その点でも彼がぴったりでした。 ホーガン・ジェシー: 作 品がそれ自体の中 にあり、それ自体を参 照しているように? 奥 村 雄 樹: そうですね 。いつも確 信が 持てないの ですが 、 「ネステッド」 (=入 れ 子 状の)という言い方 で通じますかね 。 ホーガン・ジェシー: そうですね 、通じると 思います。アイデアがそれ自体の中にあるの と同じ。 奥 村 雄 樹: マトリョーシカのように。この映 像で は 、通 訳 者が 翻 訳について語るという体 裁になって います。ジュンの作 品自体が 翻 訳についてのものだか ら。先ほど話 題に出したピロットのレクチャーを見た ときにインスピレーションを受けて構 想した作 品で す。でも僕の映 像に出演している通 訳 者は 、ピロット を担当していた方とは 別です。 ホーガン・ジェシー: 奥 村 雄 樹:
前 回のレクチャーの。
そう、別の通 訳 者の方です。
ホーガン・ジェシー: どちらの通 訳 者にも、 クオリティやエネルギーなどを見出しました か?
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
JH: YO:
Of the previous lecture.
No, not the same people. JH: However you saw something, like a quality or energy that you could see in both translators?
YO: Yes, but they were actually totally different. The interpreter that I worked with, her name is Noriko Kobayashi, she much more performative and more humorous, like that. ... My idea was that an interpreter is like a medium. I mean you may not experience it subjectively, but objectively, you look like a medium. YO: And at least for me, when I translate I really feel that I am tracing this persons thinking and way of writing. It’s like this person is in me. So I am sure there is an aspect that is similar to being psychic or being possessed by someone else, or a ghost or whatever. But to go back, before this lecture piece, as I said I was more working with the human body. One of the projects I was doing was a workshop with kids called ‘Anatomy Fiction’. I just asked them to draw what they think is inside their bodies and it was like life sized. First we traced their bodies outline on the paper and then they just draw what they feel they have inside the body. I think it was from this project, my thoughts went more to this aspect of parallel realities. It’s about our physical existence but also the domains which you cannot directly observe or perceive. Which is like inside of your own body and also inside of other people’s psyche. JH: Like seeing into other people’s thoughts? YO: So for me they were the two things. The interpreters piece was more about other people’s mind. But two or three years before this, I was more working on your subjective reality of the inside of your body. When I was working on this workshop project I realised, oh actually it is about translation, because you visualize but it’s what you sense not what you see. I was telling these kids, ‘don’t imagine too much’, its more about what you really feel. And you only just convert it into the visual. JH: Perhaps with language this task could be performed between two languages. Separate from professional translating which attempts to accurately translate things word for word or expression for expression, were there also any points where you attempted to do this translation of language by feeling? E.g. where someone would talk and then someone would translate by the sense of feeling what the other person was saying or were most of the translations you were working with done in a more professional manner of translating? YO: 52
奥 村 雄 樹: そうですね 、でも違いも大きいです。 僕の作 品に協力してくれた通 訳 者の方は 小 林 禮 子 さんというのですが 、彼 女はずっとパフォーマティヴ で、ユーモラスで。そもそも僕の考えは 、通 訳 者は 霊 媒 師に似ているというものでした。通 訳 者自身の主 観としては 違うかもしれないけど、客 観 的にはそのよ うに見える。 奥 村 雄 樹: そして少なくとも僕 個 人は 、翻 訳をし ているとき、著 者の思 考の流 れや文 章の書き方を追 体 験していると感じます。その人が 僕の中に入ってい るかのように。だから、霊 能 者のような、他の誰かの 魂に憑 依されているような、そんな経 験に近い側 面 があるのは 確かだと思います。話を戻すと、先ほど言 ったように、以 前の僕の作 品は 人 体を直 接 的に扱っ ていました。当時のプロジェクトのひとつに「くうそう かいぼうがく」と呼ば れる子 供 向けのワークショップ があります。子 供たちに、自分の体の中にあると思う ものを等身大の絵にしてもらうワークショップなので すが 、そこから平 行 現 実について考えるようになりま した。 私たちの物 理 的な存 在についてのみならず、 ある主 体が 直 接 的に観 察あるいは 知 覚できない領 域 、つまり自分の体 内や、他 人の心の中について ホーガン・ジェシー: 他の人々が 考えてい ることを目にしているような? 奥 村 雄 樹: ふたつの領 域を念 頭に置いていまし た。通 訳 者の作 品は 、そのうち、他 者の精 神のことを 扱っています。でも2〜3年 前は 、むしろ自分の体 内 に関する主 観 的な現 実について作 品を展 開していま した。子 供とのワークショップを進めながら、ああ、こ れはむしろ翻 訳なんだなあと気づきました。自分が 見ているものではなく、感じていることを視 覚 化する ので。子 供たちには「 想 像しすぎないでね 」と伝えて いました。むしろ実 感や体 感が 重 要だったんです。そ れを図 像にそのまま変 換する。 ホーガン・ジェシー: おそらく言 語を使 用 すると、このタスクは2つの言 語 間で行えた のでしょうね 。すべての表 現を一 言 一 言 正 確 に訳そうとするプロの通 訳とは 別に、フィー リングで訳そうと試しましたか?例えば 、ある 人が 発 言し、別の人がその発 言 内 容を感 覚 的に訳すということを試みましたか?それと も、奥 村さんが 使っていた通 訳は 、よりプロフ ェッショナルな形の通 訳でしたか? 奥 村 雄 樹: ますか?
すみません、別の言い方をしてもらえ
ホーガン・ジェシー: 身体 的な作 品から通 訳のパフォーマンスレクチャーまで、フィーリ ングで通 訳をしようとしましたか?例えば 、 母 国 語の話 者と、言 葉を完 全に理 解しておら ずフィーリングで意 味を訳せるだけの人を使 うということはありましたか?話 者の発 言 内 容を想 像して通 訳するだけです… 奥 村 雄 樹:
ああ、そういう意 味ですね 。
Sorry, can you say again? Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
YO:
JH: So, from the body pieces to the translation performance lectures, were there any attempts at doing a feeling interpretation of a language translation? E.g. where you would have the speaker in the first language and then having someone who only can translate by feeling meaning but doesn’t have an understanding of the language clearly… Only to imagine what they are saying and translate… I know what you mean. JH: But, there were none of those type of situations performed? The interpreters had ability..?
YO: Not really, it’s more mechanical in a way. But still it is a subjective interpretation. There is no definitively correct interpretation. JH: It’s funny because the only other artform I can think of as an established artform would be something like interpretive dance, where the performer interprets music or a score. YO: I’m not interested in arbitrary interpretation. I am more into how subjectivity kind of leaks out in highly mechanical conversions. JH: Yeah, ‘conversions’/from one medium into another medium via the body really isn’t it? PARALLELS YO: Yes, it’s via the body & senses. But really, the workshop with children, I did it many many times, maybe 20 times at different venues. Through this I became really aware of the fact that… It is super simple and super out of date actually, this way of thinking but, Okay let’s say you are the world, because when you die the world vanishes, yes? So this is the equality between yourself and the world; each person lives their own reality right? In principle. So my reality and your reality—I know this story is really boring, but—are different. It is already a parallel reality here, like a parallel world. I don’t know cause actually I was surprised it was here, everywhere is a parallel universality. I chose kids because they don’t know much about anatomy. JH: Yes well they are not yet thinking too rationally, perhaps? YO: I chose ages 4–7 years old because I thought after 8 they might know more. Not more than an adult, but enough like, I have lungs and a heart and stomach, etc. But I was more interested in like how they… well I know it’s actually like, it’s a very fine line between imagination and interpretation and translation. But still, actually many of them they 53
ホーガン・ジェシー: そんな状 況にはなり ませんでしたか?通 訳 者たちは 、そのようなこ とを行えましたか? 奥 村 雄 樹: いや、それは 通 訳にはあまり関 係な いです。ある意 味で、通 訳はもっと機 械 的なものだか ら。それでも主 観 的な解 釈であるほかない。通 訳に は 絶 対 的に正しい答えなんてないから。 ホーガン・ジェシー: 確 立されたアートの 形 式として他に思い浮かぶのは 、通 訳 者が 音 楽や楽 譜を解 釈して伝える説 明 的な踊りのよ うなものだけなので、面白いですね 。 奥 村 雄 樹: 恣 意 的な解 釈には 興 味がありませ ん。高 度に機 械 的な変 換に、それでも滲み出てしまう 主 観 性に関 心があります。 ホーガン・ジェシー: そうですね 。それは 、 身体を介したある媒 体から別の媒 体 への「 変 換 」ではないでしょうか? パラレル 奥 村 雄 樹: そう、身体と感 覚を介してのことで す。でもほんと、この子 供とのワークショップはこれ まで何 度も、2 0 回くらい、様々な会 場で実 施しまし た。そのなかで、次のような事 実を実 感したんです。 とてもシンプルで時 代 遅 れな考えではありますが 、 つまり「 私 」は 世 界であるということ。私が 死 ねば 世 界は 消えるでしょ?自分自身と世 界は 等 価なわけで す。それぞれの人 物は 個 別の現 実を生きている、でし ょ?原 理 的に。あなたの現 実と私の現 実は 、退 屈な 話かもしれないけど、違うわけです。その時 点で平 行 現 実ですよね 。パラレルワールド。びっくりしました。 身近に、あらゆるところに平 行 宇 宙 性があるなんて。 子 供たちを選んだのは 、彼らが 解 剖 学についてあま り知らないからです。 ホーガン・ジェシー: そうですね 。きっと子 供たちは 、まだあまり合 理 的に考えないので しょうね 。 奥 村 雄 樹: 僕が 選んだのは 4 〜 7 歳の子 供たち でした。8 歳を過ぎると、かなり知 識が 増えるから。 大 人ほどではないけど、自分には 肺があって、心 臓や 胃があって、ということを知っている。僕の興 味はむ しろ…まあ想 像と解 釈や翻 訳との境 界 線はかなり美 容ではあるんですけど。でも子 供たちの多くは 、本当 に… 。ほとんど全 員が 心 臓を描くんですよ。なぜなら 鼓 動を実 際に感じているから。コミカルな描き方で あっても。 ホーガン・ジェシー: それに、社 会 的にもイ メージとして構 築されています。 奥 村 雄 樹: それもそうですね 。だから子 供たちが 心 臓をハートマークではない形で描いたりすると、嬉 しいですね 。 「まさに翻 訳 作 業をしているな」って感 じで。異なる現 実 、平 行 的な宇 宙なんです。主 観 的な 入力と出力で造 形されたもの。
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
didn’t… they always draw their heart, because they can feel it, I think. But also it’s in a very comical way. JH: Yes, and it’s also been socially constructed as images. YO: Yes that’s right. So when they draw their heart not in the shape of a heart , then I was very happy… like ahhh, ‘you are really doing translation now’. So it’s like a different reality, a parallel universe. Shaped by your subjective input and output. JH:
I suppose it’s our subjective cognition.
YO: Yes cognition, and everything is like that, it’s just when you ‘do it’ its more obvious. JH: So at that stage you were very interested in how things would be subjectively, visually and even physically translated. Then after you saw the lectures and you had begun translating, did the translation of things start to become more language based? YO: Well I began translating around 2005 or something, but this workshop I started around 2008. And at that time I didn’t know how they were connected. My job as a translator and my artistic practice…with the human body. I thought they were totally different things. But somehow after maybe having done several times this workshop, I somehow tried to develop this idea that maybe they are connected, maybe it’s always about subjective reality, being in a parallel reality. JH: When did you? Actually I’m going to read this out. ‘In your work you’ve been adopting multiple presences through the instrumentation of other people. You are able to establish multiple vehicles that represent you the artists known as ‘Yuki Okumura’, i.e. The multiple presences of other people in your work. This multiplicity we could say multiplies the artists from one into many. In her essay, Reiko Setsuda included a phrase by the Portuguese poet Fernanda Pessoa which states, ‘be multiple like the universe’. Pessoa also authored several works under a series of pseudonyms and fictitious authors he called heteronyms, which had not only different names but also distinctive personalities. But the question I’m going to ask you is different from the one I gave you first. YO:
Okay. JH: So what I was going to ask you was… from the time of translating when did you first decide to adopt another personality in writing or in creating a work? Is there a time that you can recall when you thought of writing under
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ホーガン・ジェシー: それは 、私たちの主 観 的な認 識だと思います。 奥 村 雄 樹: そう、認 知ですね 。あらゆる現 実が 主 観 的ですが 、そのことがこの行 為を通じて明 確に示 されるわけです。 ホーガン・ジェシー: ではその時 点で、物 事 が 主 観 的 、視 覚 的 、さらには 物 理 的に解 釈さ れる様 子に強い興 味を持っていたのですね 。 そしてレクチャーを見た後 、そして翻 訳を始 めてから、より言 語に基づいた物 事の解 釈を するようになりましたか? 奥 村 雄 樹: 2 0 0 5 年くらいから翻 訳 業を始めた のですが 、このワークショップは 2 0 0 8 年くらいから ですね 。翻 訳 者としての仕 事と、人 体をめぐるアーテ ィストとしての実 践の繋がりについて、当時は自分で 分かっていませんでした。まったく違う物 事だと思っ ていたんです。でもこのワークショップを何 度か 実 施 したくらいのときに、両 者が 繋がっている可 能 性につ いて考え始めました。すべては 主 観 的な現 実 、平 行 的な現 実をめぐる営みではないかと。 ホーガン・ジェシー: それはいつのことで すか?実は 今から、これを読み上げたいと思 います。「 奥 村さんは 、他の人々の仲 介を通 して複数の存在を作品に取り入れてきました。 『 奥 村 雄 樹 』として知られるアーティストを 表 現する複 数の手 段 、つまり作 品 中に複 数の 人々の存 在を確 立することができます。この 多 様 性により、1人のアーティストが 多 数に 増えると言えるでしょう。説 田 礼 子は 、自身の エッセイの中で、ポルトガル人の詩 人である フェルナンド・ペソアの『 宇 宙のように複 数で あれ 』という表 現を挙げています。ペソアも、 『 異 名 者 』と自らが 呼ぶペンネームや架 空の名 前で一 連の作 品を制 作しました。さらに『 異 名 者 』として様々な名 前を使っただけではな く、特 徴 的な人 格も有していました」。そこで、 次の質 問は 、最 初のものとは 異なります。 奥 村 雄 樹:
どうぞ。
ホーガン・ジェシー: それで聞きたかった のは … 翻 訳をしている中で、別の人 格を取り 入 れて執 筆または 作 品を制 作しようと決めた のはいつですか?別の名 前で書くことや、別 の人として書くことを思いついた時のことを 思い出せますか? 奥 村 雄 樹: すか?
僕自身を別の人 物として、ってことで
ホーガン・ジェシー: 奥 村 雄 樹:
はい。
たぶん山 辺 冷ですかね?
ホーガン・ジェシー: なるほど。それは 初 期 の作 品の1つでしたか? 奥 村 雄 樹:
2 0 0 8 年か 2 0 0 9 年に、この名 前を使
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another name or as a different person? YO:
You mean me as a different person? JH:
YO:
Yes.
So, maybe Lei Yamabe? JH: Yeah. Was that one of the earliest creations?
YO: Actually it was around 2008 or 2009 when I started to use this name. Again I was not aware of how this would be interpreted in my work or my practice. I was writing already. After the Masters I started translating and I also started writing. Not as a critic, but I was writing reviews every month for Bijitsutecho. And that was because I wanted to write, I wanted to try. Then people started to compare my writing and my artwork, and people would say, ‘Your writing is better than your artwork’ or something. Then I thought, okay I don’t want to use my name for writing. MIRRORING JH: So you wanted to create a dissection between what you were doing as a writer and what you were doing as a visual artist? YO: Yeah, that’s right. Actually I don’t even remember why I wanted to make a reference to On Kawara for my new name? But maybe I already wanted to write this essay about On Kawara. But first I was just writing some review for magazines under this name, it was nothing to do with On Kawara, but already as Lie Yamabe. But I wanted to write an essay that kind of reperforms On Kawara’s practice, somehow. And I wanted my text to somehow mirror his practice, so I thought okay my name also should mirror his name. JH: So interesting. And how did you first find out that he had altered his name? YO: Well that was actually from a long long time before, just as a general knowledge about the artist. I don’t know when and how, but… Maybe it was in Tamabi… JH: Was that when you found out that you were interested in translating not only the bodily presence of the authors but also their non-physical aspects, Or to say the other as another entity, which is not just their body, but the public figure or the concept surrounding that other artist-existing, parallel? Did you have that concept when you started writing on Kawara On? YO:
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い始めました。いつもながら、僕の作 品や実 践のなか で、どう位 置づけられるか、何も考えないままに。す でに文 章を書く仕 事はしていました。修 士 課 程を終 えてから翻 訳と同 時に文 筆も始めていたんです。批 評 家としてではないけど。でも毎月、 『 美 術 手 帖 』誌に 展 覧 会レビューを寄 稿していました。書いてみたかっ たから。挑 戦したくて。すると、僕の文 章と作 品が比 較されたりして。 「 作 品より文 章の方が良いね」と言 われたり。それで、本 名で書くのはやめようかなーと。 鏡 映し ホーガン・ジェシー: 奥 村さんは 、作 家とし ての活 動とビジュアルアーティストとしての活 動を切り分けたかったのですね? 奥 村 雄 樹: うん、そんな感じです。河 原 温を参 照 した名 前にしようと思った理 由は 忘 れちゃいました。 おそらく、最 初から河 原さんについてエッセイを書く つもりだったのかも。とにかく当初は 河 原 温と関 係な く、普 通に雑 誌に寄 稿していました。山 辺 冷という名 前で。でも、河 原 温の実 践を何らかの形で再 演する ようなエッセイが 書きたかったんです。彼の実 践を鏡 映しにするようなテキスト。だから僕の名 前も河 原 温 を鏡 映しにするべきだなと考えました。 ホーガン・ジェシー: 興 味 深いですね 。それ で、彼が 改 名したことをどのようにして知りま したか? 奥 村 雄 樹: かなり若いときに、河 原さんに関する 一 般 的な知 識として普 通に知っていました。具 体 的 なソースは 思い出せないけど。多 摩 美かなあ。 ホーガン・ジェシー: その際 、作 家の身体 的 存 在だけではなく、非身体 的な側 面も理 解 すること、つまり単なる身体だけでなく、著 名 人 、既 存または 似たようなもう一 人のアーテ ィストにまつわるコンセプトである別の実 体 に興 味があることに気 付いたのですか?河 原 温で書き始めたとき、そのようなコンセプトは ありましたか? 奥 村 雄 樹:
そうでもないですね 。
ホーガン・ジェシー: では 、それは 後になっ てプロセスを通して出てきたものですか? 奥 村 雄 樹: いですよね?
そうですね 。僕のエッセイは 読んでな
ホーガン・ジェシー: 今のところ読んだの は 、要旨・序 文だけです。 奥 村 雄 樹:
そうなんですか 。
ホーガン・ジェシー: ての説 明だけです。
Not really.
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
そう、エッセイについ
JH: So it started to emerge later through the process? YO:
Yes. Maybe you don’t know the essay I wrote? JH: Yuki.
YO:
I only read the abstract/intro so far
Really? JH: Yes, only the description about the essay. I’M STILL ALIVE
YO: Okay. Well it was not really about his name but more about his non-presence of himself to the public which was for about five decades. And like every announcement he was making was with a delay. Like he would say, ‘I’m Still Alive’, but when you receive the telegram, maybe he is not alive anymore. So I was saying, ‘see, at the moment when you receive his message, he is actually half alive/half dead’. Because he never appears, so you have no access but you only have access to the past. So, by being invisible he kind of makes himself alive and dead simultaneously, like Schrödinger’s cat. It is a quantum thing. So I was interested in this kind of subjective and nonobjective reality. Reality that is different from scientific reality. JH: Did you feel like your address to Kawara On who is or already had kind of mythical status, was that a personal fascination or did you feel like he was still not being acknowledged or represented enough in the art discourse you were concerned with? YO:
Perhaps it was more the former. JH:
So more like a personal gravity?
YO: Well, so when I was about to write this essay, my practice was still more focused on the body. But do you know what On Kawara’s earlier paintings and drawings? JH: I know some, not many, but I barely know. YO: You know it was like fragmented bodies in the bathroom. It was called ‘Bathroom’ and there were lots of human bodies dissected, etc. And so many people didn’t know how to bridge this with his date paintings, etc. But I thought you know, his date paintings, and telegrams, and everything, actually it is also about his body, the way we are present, and that we exist, etc. Like our physical fragility and like how would you say? Our … JH: YO: 58
Deference ?
But how do you say it, That we will all die..?
私はまだ生きている 奥 村 雄 樹: まあ、河 原さんの名 前というよりも、 彼が 5 0 年ほど公 的な場に姿を現していなかったこ とについてのエッセイなんです。彼のアナウンスメン トは 、すべて遅 延 的でした。たとえば「 私はまだ生き ている」と彼は 言うわけですが 、その電 報をあなたが 受け取るとき、彼はもう生きていないかもしれない。 なので僕の主 張は「あなたが 彼からのメッセージを 受け取った瞬 間において、彼は 半 分 生きていて半 分 死んでいる」ってことでした。彼は 姿を見せないから。 私たちは 彼の過 去にしかアクセスできないから。不 可 視であることで、シュレディンガーの猫のように、 彼は 生きていると同 時に死んでいる状 態になる。量 子 的ってことです。主 観 的な、客 観 的ではない現 実と して。それは 科 学 的な現 実とは 違うわけです。 ホーガン・ジェシー: ある種の神 秘 的な地 位を既に確 立していた河 原 温に対する呼び かけは 、個 人 的に惹きつけられたことだった のか 、それとも奥 村さんが 扱っていたアート ディスコースの中で彼がまだ十 分に認 識され ていない、あるいは 表 現されていないと感じ ましたか? 奥 村 雄 樹:
たぶん前 者ですね 。
ホーガン・ジェシー: 要だったのですね?
では 、より個 人 的に重
奥 村 雄 樹: そのエッセイを書こうとしていたと き、僕の実 践はまだ肉 体にフォーカスしていたので。 河 原さんの初 期の絵 画やドローイングについて知っ ていますか? ホーガン・ジェシー: いくつかは。でも、たく さんは 知りません。と言うより、ほとんど知り ません。 奥 村 雄 樹: 浴 室に点 在する断片的な肉 体の絵な んです。 《 浴 室 》というタイトルで。たくさんの人 体が 分 断されている。そういった作 品と日付 絵 画はどう 橋 渡しされるのか 、多くの人が 分かっていなかった。 でも僕は 、彼の日付 絵 画や電 報 、どの作 品も、本 人の 身体をめぐるものだと思ったんです。私たちの臨 在の あり方 、存 在のあり方 。物 理 的な脆 弱 性 。そして、な んというか 、私たちの… ホーガン・ジェシー:
服 従?
奥 村 雄 樹: そうなんですけど、誰もが 死ぬことに ついて、どういう言い方でしたっけ。 ホーガン・ジェシー:
人 間のモータリティ?
奥 村 雄 樹: そう、モータリティ( 死の不 可 避 性 ) ですね 。河 原さんのとても簡 潔な外 観を持つコンセ プチュアルな作 品 群は 、実のところ死に関 係してい て… 。そのことを書きたかったんです。 ホーガン・ジェシー: 河 原 温も『 百 万 年 』の プロジェクトで人 類の死の不 可 避 性について
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JH:
Our Mortality?
YO: Yes, Our Mortality! Yes! So you know, even those minimal looking super conceptual pieces, in actuality they are more about this…So I wanted to write about this. JH: And it also connects, because you know, he also attempted to record the mortality of life itself in the One Million Years Project. So, do you think that although On Kawara was concerned with the mortality of the self, he was also concerned with the mortality of the world? YO: Yes, well maybe… yeah. Or the mortality of human beings, or of all lives. He was using himself as a sample. And this figure of Kawara is kind of fictional as well. JH: YO:
Yeah…
Because of his name as well… JH: Isn’t there a kind of ‘Kotoba Asobe’ or word game with his name? That has some kind of double meaning, I think that’s what I read.
YO: I’m not sure, but I’m just saying he was using a name that he made up. Not totally, It is still the same Chinese character but it just has a different reading for his name. JH: Do you think, when you started to analyse Kawara On’s whole lifetime project, did it start to alter the way you looked at your own project? E.g. Did this kind of intuitive investigation also start to make you think about your own lifetime project? Was it like a critical point writing that work? YO: Hmm that’s a lot to think about. And, I just came back to Japan yesterday so I’m still a bit jetlagged. INTERMISSION YO: Actually, I like your question, because I never actually thought of my life time project. But then maybe, these things I’ve been doing since this lecture piece for more than 6 or 7 years, I’m still on the same thread, I think, so it could be my lifetime project, although sometimes it changes, it transforms. JH: And, sometimes these things do happen more subconsciously. Like you’ve said, if I asked you about strategies or tactics, it doesn’t always happen in that way. Do you think these start to occur more subconsciously or as strategic actions?
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記 録しようとしたので、繋がっていますね 。彼 は自分自身の死を取り上げましたが 、世 界 人 類の死の不 可 避 性にも興 味を抱いていたの でしょうか? 奥 村 雄 樹: そうですね 、まあ、そうかも。という か 、人 類自体の死の不 可 避 性 。すべての生きる人た ちの。彼自身はそのサンプルに過ぎなかった。でも河 原という人 物 像それ自体も、ある意 味で架 空のもの だったわけです。 ホーガン・ジェシー: 奥 村 雄 樹:
ええ…
だって彼の名 前が …
ホーガン・ジェシー: 彼の名 前には 、 「こと ばあそび 」というか 言 葉で遊ぶ 要 素が 含まれ ていませんか?ある種のダブルミーニングで あると、どこかで読んだ気がします。 奥 村 雄 樹: どうでしょうね 。とにかく彼は 、自分 で作り上げた名 前を使っていた。まったく新しいわけ ではないけど。同じ漢 字を使って、単に読み方を変え ていただけなので。 ホーガン・ジェシー: 河 原 温の一 生にわた るプロジェクトを分 析し始めたとき、奥 村さ ん自身のプロジェクトに対する見 方が 変 わり 始めましたか?例えば 、このような直 感 的な 研 究を行うことで、自分自身の一 生 涯にわた るプロジェクトについて考えさせられるよう になりましたか?この作 品の執 筆は 、ターニ ングポイントでしたか? 奥 村 雄 樹: うーん、それに答えるには 、かなり頭 を使 わないといけないですね 。僕は 昨日、日本に帰っ てきたばかりなので、まだ時 差ボケもあるし、難しい ですね ー 。 幕間 奥 村 雄 樹: でも、良い質 問だと思います。自分 の人 生を賭けたプロジェクトについて考えたことが なかったので。でも、レクチャーの作 品から6〜7年 間 、僕がやってきたことは 、ずっと同じ流 れにあるの で、ある意 味でライフタイム・プロジェクトだと言える かもしれません。少しずつ変 化というか 変 形している けれど。 ホーガン・ジェシー: そして、これは 無 意 識 のうちに起こることもあります。奥 村さんが 言 ったように、私が 戦 略や手 法について尋 ねて も、常にその通りになるとは 限りません。これ らは 、無 意 識のうちに起こり始めるのでしょ うか 、それとも戦 略 的 行 動として起きるので しょうか? 奥 村 雄 樹: 物 事はただ生 起する。物 事は 起こる。 僕が 何かをして、物 事が 僕に起こってくる。 ホーガン・ジェシー: 例えば 河 原の作 品 において、それはリサーチを通した自分の活
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
YO: Like, Things happen, Things happen. I do something and things happen to me. JH: For example with the Kawara pieces, How did it influence your ideas about what you were doing through the investigation and were there any strange synchronicities that started or you discovered? or any other things that seem to lock into place? YO: For this I think talking about my project with Hisachika Takahashi would be very good. But with On Kawara, He called me. JH:
What? Really? INVISIBLE
YO: He called me once… So we met. Cause eventually he found my text, and he liked it, and he wanted to put an English translation into his upcoming book. I wrote that essay in 2009, but he found it sometime around 2010. But then, anyway the book was published around 2012. It was in 2010, he called me when I was in Finland. Anyway, we met. I went to New York to see him. He said, you know, ‘you are welcome, if you come to New York just visit me’. I thought, ‘Of course’, ‘just to meet you I want to go to New York’. Cause as I said, he was invisible. So I was curious, and I knew he was old already. JH: It could have been a very rare opportunity. YO: Hmmm, but did this meeting change my view, I would say not very much… I think it changed me somehow in a way. JH: Through these tasks, etc. I mean when you set out on this task, did you feel somehow… a personal connection before you began or did your personal connection to the subjects develop? E.g. When you started to bring the other artists myth or history into your dialogue did it begin with the feeling of a personal connection? YO:
With On Kawara it was more conceptual. JH: Was that because he was the case study for the concept?
YO: Yeah, and also the concept of my practice, kind of has something in common, for me, with his practice. I wanted to write about him, not because of our personal connection, but more about the links with our ideas. JH: Was that about the body, and presence, and existence? Weren’t they some of the key themes that connected your works?
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動についての考えにどのように影 響しました か?また、何か 不 思 議なシンクロニシティ( 同 時 性 )が 起こったり、見つかったりしました か?何かしっくりくるように思えたことはあり ますか? 奥 村 雄 樹: その質 問に対しては 、高 橋 尚 愛さん とのプロジェクトについて語るのが 適 切かもしれま せん。まあでも、河 原さんについては 、彼から電 話が かかってきたんです。 ホーガン・ジェシー:
え?本当ですか?
不可視 奥 村 雄 樹: 電 話がかかってきて…それで彼とあ ったんです。僕が 書いたテキストを彼がみつけて、気 に入ってくれて、その英 訳を彼の本に載せたいと言っ てくれて。僕があのエッセイを書いたのは 2 0 0 9 年な んですけど、彼がそれを見つけたのは 2 0 1 0 年くらい ですね 。とにかく、その本が 2 0 1 2 年くらいに出版さ れて。2 0 1 0 年に電 話がかかってきたんです。僕はフィ ンランドにいました。とにかく最 終 的に彼と会うこと になりました。そのためにニューヨークに行きました。 「もしニューヨークに来ることがあれば 、いつでも訪 ねておいで」と言ってくれたから。 「もちろん」と思い ましたよ。 「あなたに会うためだけにニューヨークに 行きます!」って。さっき言ったように、河 原さんは 不 可 視の存 在だったから、とても好 奇 心を刺 激された んです。彼が 高 齢であることも知っていましたし。 ホーガン・ジェシー: ったのでしょうね 。
すごく珍しい機 会だ
奥 村 雄 樹: でも、彼に会うことで僕の視 点が 変 わったかと言えば 、あまり変 わってない気がします ね 。もちろん、何らかの形で僕を変えた出来 事ではあ ったけれど。 ホーガン・ジェシー: これらのタスクなどを 通して、つまり奥 村さんがこのタスクに取り掛 かり始めた時 、主 題との個 人 的な繋がりが 生 まれていましたか?例えば 、他のアーティスト にまつわる通 説や歴 史など論 説に含め始め た時 、個 人 的に繋がっているという感 覚から 始めましたか? 奥 村 雄 樹: 河 原 温について言えば 、むしろコンセ プチュアルな理 由でしたね 。 ホーガン・ジェシー: それは 、彼がコンセプ トのケーススタディだったからですか? 奥 村 雄 樹: まあそうですね 。それに、僕の実 践の コンセプトも、彼の実 践のそれと通じるものがあった ように思うんです。僕が 彼について書きたいと思った のは 、パーソナルな繋がりが 理 由ではなくて、僕と彼 の考え方の結びつきが 理 由でした。 ホーガン・ジェシー: 身体 、存 在 、実 在 性に 関してはどうですか?これらは 、奥 村さんの作 品に関 連する重 要なテーマの一 部ではありま
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
YO: Well, with Gordon it was more about personal things. JH:
Right, I see…
YO: The year in which he died, was the year I was born, and he had a brother, I had a brother, who both committed suicide. Although, his work and my work may be totally different, actually still there may be something else in common but let’s say we are totally different. It’s more with the personal links. And, I want to explain how things happen in a chain. I met On Kawara, and his wife Hiroko, she told me, there is a series organized by dia foundation/art centre in New York. And, They do this series of lectures by artists called, ‘artists on artists’. An artist lecturing on another artist work. So she said, ‘maybe you want to talk about ‘On’? In this framework. I thought, That would be great! However this didn’t happen. It didn’t work out, but still it gave me an idea about doing a lecture on On Kawara. So this kind of coincidence brought me to the piece with nine interpreters. So these kind of things, like things said or told by other people, or things done by other people influenced me and kind of shaped my trajectory and projections for the future. JH: Do you mind if I record this, cause the camera can only record for 10 mins anyway. More for documentation, like we discussed before, not for playing in the installation exhibition. YO:
You don’t show it? JH:
YO:
No.
Okay JH: It’s more proof, evidence that this occurred.
YO:
PART 2 YO: So it’s more like something for your personal archive? JH: Yes, I also do something like this when I’m installing. I’ll record just while I’m hanging or putting work in a space.
ホーガン・ジェシー:
なるほど…
奥 村 雄 樹: 彼が 亡くなった年は 、僕が 生まれた 年でした。そして彼には 兄がいて、僕にも兄がいて、 ふたりとも自殺しています。彼の作 品と僕の作 品はま ったく違うものかもしれない。でも、それでも共 通 点 はありました。まあでも、違うということにしましょう か 。それでも、パーソナルな結びつきはあったわけで す。それと、いかに物 事が 連 鎖 的に生 起するのかにつ いて説 明したいですね 。河 原 温と会って、妻の弘子さ んとも会いました。彼 女が 言うには 、ニューヨークの D I A 財 団が 組 織しているシリーズがあって、それはア ーティストによるレクチャーのシリーズで、 「artists o n a r t i s t s 」というタイトルであると。ひとりのアー ティストが 、別のアーティストの作 品についてレクチ ャーする。彼 女が 言うには「 温についてレクチャーし たいですか?」と。この枠 組でね 。それで僕は 、それが 実 現できたら素 晴らしいなあと思ったわけです。結 局 、実 現しなかったけど。うまくいかなくて。でも、河 原 温についてレクチャーするというアイディアは 僕の 中に埋め込まれたわけです。そこから、9 人の通 訳に よる作 品に偶 発 的に繋がったんですね 。そんな感じ で、他の人に言 われたこと、告げられたこと、あるい は 他の人が 実 行したことから影 響を受けて、僕の道 筋が 形 成されていきました。それが 未 来を決 定づけ たきたんです。 ホーガン・ジェシー: これを記 録してもい いですか?どのみちカメラは 1 0 分 間しか 記 録 できないので。先ほど言ったように、インスタ レーションの展 示で見せる目的ではなく、記 録目的です。 奥 村 雄 樹:
公 開はしない?
ホーガン・ジェシー:
しません。
了解です。
ホーガン・ジェシー: どちらかというと、イ ンタビューが 行 われたということの証 拠で す。 奥 村 雄 樹:
了解 。
ホーガン・ジェシー: まるで別の人のビデ オに出ているような感じで、かなり不 思 議か もしれません。 パート2 奥 村 雄 樹:
So you are now working in a way? JH: In a way, I suppose this is working, almost installing (laughs)…Well, we’ve kind of gone there…I suppose I could ask you this
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奥 村 雄 樹: うん。ゴードンと僕との関 係は 、もう 少しパーソナルだったけど。
奥 村 雄 樹:
Okay. JH: It might be quite strange, as if we are in another personas video…
YO:
せんか?
個 人 的なアーカイヴのため?
ホーガン・ジェシー: はい。インストール( 搬 入 )の時も同じことをします。スペースに作 品を吊り下げたり、置いたりする時 、その作 業 を録 画します。
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
question, in a way… in terms of being like a multiple universe, and how you started to build on the Heteronyms. Does this come out of a need to expand oneself—yourself beyond the confines of a singular identity or ( I already know your answer to this…) (laughs), does this come out of a tactic to expand your art practice? YO: It was simply, or I still am, simply interested in how to transcend this confinement that we are individual…for example: This body is me, my name is Yuki Okumura. You know, it is applied to this body and so how can we go beyond this? Maybe we can exchange our bodies. Perhaps one consciousness could have multiple bodies. From these silly ideas, super silly ideas—and perhaps its related because On Kawara is using himself. You have no one else to use other than yourself, other than your presence, your body. I’m just using myself because I don’t have the right to use any other person, well I don’t know. Maybe, because ‘we’ are interested in ourselves, and I want to support/defend the narcissism of artists perhaps. JH: That narcissism is not such a bad thing? YO: Yes, that narcissism is not such a bad thing… maybe we ‘artists’ are the only type of people that are allowed to still be narcissistic. Self-portraits, is something that still fascinates me. You know, for artists to make self-portraits is maybe the most important thing. I don’t know (laughs) JH: Well, I suppose, it was almost selfportraiture, even in the renaissance when Albrect Durer made his, that was one of the first Avant-Garde and rebellious acts against the patronage of the church. It was one of the first noted liberation acts of art from religious patronage and control. That was to make a self-portrait. I think, would you consider I mean, would you say there is an element in Kawara On’s work, is there an element of selfportraiture? YO: Yes, I would say what he was doing was a self-portrait. But, in which his self is really shrunk and really reduced to a minimum sum. CONTRADICTION JH: It’s like, maybe why I started this discussion talking about connections to minimalism and Non-Objective Abstraction and identity. Because I think it’s something that is never connected to ideas of abstraction and minimalism, its rarely discussed. But in fact as I’ve been going through this journey and research, I’ve realized more and more, that they are very connected. 62
奥 村 雄 樹: 只中?
つまり、いま作 品を制 作している真っ
ホーガン・ジェシー: ある意 味では 。これは 仕 事で、ほぼインストール中というか( 笑 ) それはさておき… 奥 村さんにこんな 質 問があります。一 種の複 数の世 界のような 「 異 名 者 」をどのように始めたのでしょうか? これは 、自分自身を拡 大する必 要 性 、自分 個 人のアイデンティティの範 囲を超える必 要 性 からくるものですか? それとも、まぁ答えは 既に分かっていますが( 笑 )、自分の実 践を広 げるための手 段から生まれますか? 奥 村 雄 樹: 僕はただ、僕たちが 幽 閉されている「 個 人 」という枠 組みをいかに超えることができるのか に関 心があるだけです。たとえばこの肉 体は 私であ り、私の名 前は 奥 村 雄 樹である。つまり、そういう名 前がこの肉 体に適 用されている。どうやってその向こ う側に行くのか?もしかしたら僕たちは肉 体を交 換 できるかもしれない。もしかしたらひとつの意 識が 複 数の肉 体に宿ることができるかもしれない。そういう 馬 鹿らしいアイディア、とても馬 鹿らしいアイディア なんです。どういう関 連かといえば 、河 原 温は 、彼自 身を使っています。他の誰でもなく、自分自身を使う わけです。自分の存 在 、自分の肉 体 。僕が 僕自身を使 っているのは 、他の誰かを使う権 利を持たないから。 わからないけど。もしかしたら僕もあなたも自分自身 というものに関 心があるのかも。そういったアーティ ストたちの一 種のナルシシズムを僕は 支 持したいし、 擁 護したいんですよね 。 ホーガン・ジェシー: そのナルシズムは 、そ れほど悪いことではありませんか? 奥 村 雄 樹: そうですね 、ナルシシズムは 悪いこ とではないと思います。もしかしたら「アーティスト」 は 、この社 会に生きる人 間のなかで、ナルシシスティ ックであることが 許されている唯 一の属 性かもしれ ません。 「自画 像 」というものにずっと魅了されていま す。アーティストにとって、セルフポートレートを手が けることこそが 最も重 要なのではないかと。わからな いけど( 笑 )。 ホーガン ・ジェシー: ルネサンス期ではあ りましたが 、アルブレヒト・デューラーが 作っ たものは 、ほぼ自画 像だったのだと思います。 それは 、教 会の後 援に対する最 初のアバンギ ャルドで反 抗 的な行 為でした。宗 教 的な後 援 と支 配から解 放する初 期の顕 著な芸 術 形 式 の一つが 、自画 像の制 作だったのです。河 原 温の作 品には自画 像の要 素があると思いま すか? 奥 村 雄 樹: はい、彼がやっていたことは 僕に言 わ せれば自画 像ですね 。特 殊な自画 像です。そこでは 彼自身が 縮 減し、最 小 限の要 素にまで削 減されてい る。 矛盾 ホーガン・ジェシー:
私が 、ミニマリズムや
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YO: I think I also really like this view, I mean this combination you’ve been talking about. JH: It could go back to, I mean there’s a whole series we can trace from Malevich, through to Yves Klien, and now when we talk about it here, we come to Rauschenberg’. It connects to De Kooning’s erasure by Rauschenberg and then to the works you’ve made with Hisachika and this idea of the self being deleted from the work. So then the layers, between what I’ve been talking about and what I’ve been looking at and what you’ve done all connect. These layers become really intertextual, really layered. YO:
These, ‘Layers’? JH: Yes! that’s right, ‘Layers’ which all begin to overlap. An imbrication. REDUCTION & IDENTITY JH: So to give you the chance to be able to talk about that, because I’m very interested again, in this idea/question. How, when, you’re building the layers of identity but at the same time there is a reduction of self, some deconstructive element?
YO: So, I think people, many people say like, ‘You are really kind of ‘Invisible’ or behind the work, on the side lines, your always not in the center of action’—and stuff like that. But, I think through my work what people look at is actually the gesture. A gesture of kind of deleting, trying to delete myself, or erase myself and this is in a way, ‘how can you say’, it’s more narcissistic than just showing yourself. ‘Hey I’m deleting myself, look at how I delete it—this is like, ‘You can pretend to be cool’. (Laughter) JH: Perhaps this absence can be stronger than presence? YO: Yes, you know it’s like still you have your own manner, you have your methodology—and with this gesture you make—its unique, I don’t know… as you said, I think I am in a way trying to multiple myself. JH: Actually, on the way here today Yuki. I was walking and after reading one of your thesis’s late last night—from the Gordon Matta-Clark publication. I was actually thinking it on the way here; I saw firstly, a high school boy, then I saw an old lady, and then I saw a young woman, and then I saw an old man. And, I was actually imagining, ‘what if all of them were Yuki’? I thought, ‘How do I know’? I’m on my way to see you, maybe all of these people are you… and it was a very bizarre experience that was created in my mind from your concept/words I had read, 63
「ノンオブジェクティブ アブストラクション」 ( 無 対 象 芸 術 )、アイデンティティとの繋がり についての議 論を始めたのは 、抽 象 化やミニ マリズムのアイデアに結び 付けられたことが なく、めったに議 論されないからだと思いま す。でも、この研 究とリサーチを通じ、それら が 深く関 連しているということにますます気 付かされました。 奥 村 雄 樹: その観 点は 僕も好きです。ジェシーが 話しているような組み合 わせのことですが 。 ホーガン・ジェシー: カジミール・マレーヴ ィチから始まりイヴ・クラインを含む一 連の シリーズがあり、それについて話せばロバー ト・ラウシェンバーグにたどり着きます。それ は 、ラウシェンバーグによるウィレム・デ・クー ニングの消 去 、奥 村さんが 高 橋 尚 愛で作った 作 品 、さらに作 品から自己が 削 除されるとい うこの考えに繋がります。それで、私が 話して きたことや調 べてきたこと、そして奥 村さんが 行ったことの間にあるレイヤーが 全て繋がり ます。これらのレイヤーは 相 互に深く関 係し ています。 奥 村 雄 樹:
「レイヤー 」ですか?
ホーガン・ジェシー: そうです。全てがオー バーラップし始める「レイヤー 」。 縮 減とアイデンティティ ホーガン・ジェシー: 削 減とアイデンティテ ィというアイデアや疑 問にすごく興 味がある ので、これについて話してもらいたいと思いま す。いつ、どのようにしてアイデンティティのレ イヤーを構 築しますか?それと同 時に、自己 の縮 小や破 壊 的 要 素はありますか? 奥 村 雄 樹: 多くの人々がこう言うんですよね 。 「 あなたはある種 、本当に「 不 可 視 」というか 、作 品の 背 後にいますね 。あなたはいつも脇にいて、行 為の中 心にはいませんね 」と。でも、人々が 僕の作 品におい て実 際に何を見ているのかといえば 、それは 僕のジ ェスチャーだと思うんです。なんというか自分自身を 削 除するジェスチャー 。削 除しよう、あるいは 消 去し ようと試みるジェスチャー 。つまりある意 味で、なん というか 、それは自分自身を見せつけることよりさら にナルシシスティックなことです。そのジェスチャー 自体が「 ねえ、僕は自分を削 除してるよ。削 除する手 つきを見てくれよ」と言ってるようなものだから。 ホーガン・ジェシー: つまりその「 不 在 」は「 存 在 」よりも強いということはあり得る?
奥 村 雄 樹: はい、だってそこにはその人に特 有の 手 付きがやはりあるから。その人に特 有の方 法 論が 。 自分のジェスチャーは …それはやっぱり唯 一のもの で。ジェシーが 言ったように、むしろ僕は 、ある意 味 で自分を複 数 化しようとしているんでしょうね 。 ホーガン・ジェシー:
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
昨 夜 、奥 村さんが 書い
and what we had been talking about. YO: It is a different thing maybe, but for me something that is very interesting—that this effect, in fact, could be made super simply in a very simple way and super linguistic—just by alternating, exchanging a (the) subject. I mean ‘I’ and ‘I am’. Like, just what I have been talking about with translation/interpretation. The work of the translator & interpreter… So basically, I think language shapes reality, pretty much. We are linguistic beings (laughs). Well for example; in theater’s, actors are acting a role. When I was writing my dissertation, this was here at Geidai, I was discussing this idea a little bit. But anyway, if you say ok, ‘There is an apple here, it’s so tasty’. You cannot avoid imagining it, as real. So this kind of power language has is something I’m using, but mostly about, how do you say; I, you, me, we, she, for instance? JH: Do you mean in which ‘pronoun’ or which ‘tense’. 1st person, 2nd person, 3rd person—the tense of the speaker, past, present, or future tense? The speakers tense? YO: Pronoun’s, personal pronouns—I work with this… JH: In these projects, for example from the On Kawara writings by Lei Yamabe, “On Kawara’s Quantum Gravitational Body, or the Confinement of Space-Time and the Liberation of Consciousness,” 20121, to the performance of the ‘9 Translators’, “On Kawara’s Pure Consciousness, or Many Worlds (and) Interpretation”, 2012, did you, in that that piece, you actually went from writing about On Kawara to actually speaking as Kawara? Did you assume his identity? Yourself as him to be interpreted live in the event? Or, the translation was performed from your text? YO: Well the lectures were… so I recorded that. My lecture, was pretending as if it happened live, here. Based on the ‘Artists by Artists’ series, but it was fake. I said because I was alone, there was no audience. But, I recorded myself talking about On Kawara, saying ‘Thank you for coming for this, I’m very honored to be taking part in this series or something—that’s actually called ‘Artists on Artists’—here in this museum, blah, blah, blah. So this lecture is an adaptation of my text. They are related but not totally the same. ADAPTATION JH: I see, okay, so that wasn’t done live as you, ‘Yuki Okumura’, it was done, in first person ‘as’ another person, as On Kawara or Lei Yamabe? Sorry, we’ll stop. There are all the different sections. (Because we’ve gone backwards and the questions are overlapping) 64
たゴードン・マッタ=クラークについての論 文 を読んだところで、実はここに来る途 中に歩 きながらそのことについて考えていました。そ こで最 初に目に入ったのは男子 高 校 生で、次 に老 婦 人 、その次に若い女 性 、そして老 人で す。そして、 「これが 全て奥 村さんだったらどう だろう?」と考えました。それを「どうやったら 分かるだろう?」とも思いました。私は 奥 村さ んに会いに行く途 中で、ひょっとすると目にし た人々全 員が 奥 村さんかもしれません。これ は 、奥 村さんのコンセプトや言 葉 、そして私た ちが 話していたことから自分の中に作られた とても奇 妙な体 験でした。 奥 村 雄 樹: それはまた別のことかもしれないで すね 。でも興 味 深いことです。そういう効 果は 、実 際 のところ、とてもシンプルなやり方で達 成できる。と てもシンプルで言 語 的なやり方で。つまり主 体を変 更する、交 換するだけで。つまり「 私 」という主 語です よね 。先ほどから話している、翻 訳や通 訳に関するこ とがまさにそれです。翻 訳 者や通 訳 者のしごと。だか ら、基 本 的に、言 語が 現 実を形 成していると思うんで す。かなり。僕たちは 言 語 的な存 在なんです( 笑 )。た とえば 、劇 場では 、役 者は 演 技しています。博 士 論 文 のなかで、このことについて少し論じています。とに かく、たとえば 僕が「ここにリンゴがあります。とても 美 味しいです」と言えば 、あなたはそれを現 実のもの としてどうしても想 像してしまう。言 語にはそういう 力があって、僕はそれを利 用しているわけです。とり わけ、私 、あなた、私たち、彼 女みたいな言 葉たち。英 語でなんて言うんでしたっけ。 ホーガン・ジェシー: それはどの p r o n o u n( 代 名 詞 )、あるいはどの t e n s e ( 時 制 )でということですか?一 人 称 、二 人 称 、三 人 称 、話 者の時 制 、過 去 、現 在 、または 未 来? 話 者の時 制? 奥 村 雄 樹: そうだ、p r o n o u n( 代 名 詞 )です ね 、p e r s o n a l p r o n o u n( 人 称 代 名 詞 )。作 品では その力を利 用しています。 ホーガン・ジェシー: これらのプロジェク トでは 、例えば 山 辺 怜が 書いた河 原 温につい ての執 筆「 河 原 温の量 子 重力的身体 —ある いは 時 空の牢 獄 性と意 識の壁 抜けについて」 から「 河 原 温の純 粋 意 識 あるいは 多 世 界( と)解 釈 」のパフォーマンスに関しては 、河 原 温についての執 筆から始めて、実 際に彼とし て話すようにまでなりましたか?彼のアイデ ンティティを受け入 れましたか?イベントでリ アルタイムに解 釈される彼になりきりました か?また、その解 釈は 奥 村さん自身の文 章に 基づいていましたか? 奥 村 雄 樹: あのレクチャーは、録 音したものです が 、でもまるで、リアルタイムで、その場で行われてい るように感じさせようとしました。でも「 a r t i s t s b y a r t i s t s 」というシリーズでレクチャーをしたという ことは事 実ではないんです。僕はひとりで話をしまし た。まわりに誰もいない状 態で。河 原 温について、ひと りで語っているところを録 音したんです。 「 今日はお越
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YO: I know it’s very hard to listen to this again, with all the different talks. JH:
Yes, where to put the information.
YO: Perhaps you don’t have to transcribe or listen to this again. JH:
Transcribe?
YO: If you want me to write the reply’s to the questions? JH: There’s a question here about ‘The Invisible’ and we did talk a little bit about it. And then there is a question about how you see the artistic potential in language…But, I also want to ask you to go back to the question about well, we haven’t really talked about Hisachika or Gordon… I suppose we were just talking about ‘identity and language’ as deconstruction. I am trying to think if I should ask you the story about after the Kawara On project, how you got to Belgium and discovering the Hisachika project… or if I want to ask you again about the artistic potential in Language. I think if I ask you that first, as a question; and then after go to the topic on Hisachika. Is that Ok? YO:
Okay. JH: Some of the major concerns in your projects involves the ‘GAP’ or gaps in translation, interpretation, language and how language defines our concept of ‘reality’. This is coming from your words… and how the plasticity of reality is revealed? How do you define the artistic potential you see in language?
YO:
Hmmm. JH: Sorry, to expand and rephrase… how do you incorporate it into form? For you how does language become form in your artworks? Perhaps I’ll ask you this way… Can you explain the artistic potential you see in language? I know you touched on it a bit. But how does it become form … The other phrasing was— do you think Language has become, or why do you think language has become such an important medium for artistic practice in the post-modern age?
YO:
Oh it’s a big question… (laughs) JH: (laughs) Yeah, it is a thesis in itself right there. Ok, but how about translating, looking, and then how you use that. You use a combination of the exploration of the bodily presence of Kawara—and then the translation
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しいただきありがとうございます。このシリーズに参 加できることを公 営んに感じています」みたいな。レ クチャーの内 容は僕のエッセイに基づいたものです。 両 者は関 係しているけど、同 一ではありません。 翻案 ホーガン・ジェシー: なるほど。つまりそ れは「 奥 村 雄 樹 」としてのリアルタイムではな く、一 人 称が 河 原 温や山 部 怜のような誰か 他 の人のものだったということですね? 申し訳ありませんが 、一 旦 止めます。 後のセクションで、それぞれを取り上げます( 話 題を行き来したことで質 問が 重 複している ので)。 奥 村 雄 樹: しっちゃかめっちゃかに話してるの で、あとから聴き直すのは 大 変ですね 。 ホーガン・ジェシー: 本当にそうですね 。情 報をどこに入 れればいいのか 。 奥 村 雄 樹: かも?
書き起こしたり、聴き直す必 要はない
ホーガン・ジェシー: 奥 村 雄 樹: いいかも。
書き起こし?
質 問 への回 答をメールで書いた方が
ホーガン・ジェシー: または 、まず 私が 書き 起こして、それから一 緒に会 話を並 べ 替える こともできます。まず 先にいくつか 質 問を送っ てから、録 画 内 容も送りますね 。質 問するつも りだったことがあるので。既に少し話に出ま したが 、 「 T h e I n v i s i b l e 」について質 問した いです。それから、言 語の芸 術 的 可 能 性に関 する奥 村さんの意 見も聞きたいです。ただ、高 橋 尚 愛やゴードン・マッタ=クラークについて はまだあまり話していないので、その質 問に 戻りたいと思います。ええと、脱 構 築としての 「アイデンティティと言 語 」について話してい たところだったと思いますが 。 河 原 温プロジ ェクトの後 、奥 村さんがベルギーに行って高 橋 尚 愛プロジェクトを発 見した経 緯について 聞くべきか 、言 語の芸 術 的 可 能 性についても う一 度 尋 ねるべきか 考えています。先に言 語 の芸 術 的 可 能 性を取り上げた後に、高 橋 尚 愛 プロジェクトについて話していただく流 れで 大 丈 夫ですか? 奥 村 雄 樹:
大 丈 夫です。
ホーガン・ジェシー: 奥 村さんのプロジェク トの主な関 心 事 項には 、 「 翻 訳や解 釈 、言 語 、 言 語が 現 実の概 念をどのように定 義するか におけるギャップのギャップ 」が 含まれていま す。これは 奥 村さん自身の言 葉から来ていま すが … 現 実の可 塑 性はどのように明らかにさ れますか?言 語に見出す芸 術 的 可 能 性をどの ように定 義しますか?
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
with the ‘translators project’. Did that happen after your Ph.D. work? YO: Yeah, less than a year but they were really connected. JH: So you really combined those two concerns? YO: Yes, they were really related, but, from this performance with the nine translators/interpreters, I started to kind of make ‘me’ a producer and protagonist, producing the piece. Because in this performance, nine people said, ‘I am Yuki Okumura’. Nine people! Everyone (laughs). However the video I made before hand it was during the Jun Yan project with the interpreter. I was just director, observing… JH: So you as an element or a component of the work was outside, as producer. But, in the next piece…? YO: And, actually since then almost all, not everything but many of my pieces feature myself. JH: YO:
As protagonist?
Yes, well… I’m not so sure , but… JH: And, here also you’re working with the artistic potential of language? LANGUAGE ⁄ POTENTIALITY
YO: Language is easy to work on, it’s so plastic, you can sculpt, or you know you can make a form very easily—you can revise it. You can revise writings. I think just because of the themes and issues I deal with and work with, Language is a very good tool— because about my work is about… my work is about… I mean, as I said to kind of realize different things. For example; nonphysical, quasi-physical realities. This object you actually need to feel or see or whatever… whereas language, it is more about the plasticity of our perceptions. Anyway we are not living through the object—objective. There is no objective actually. We can’t reach it, we can only conceptually talk or think about it. JH: How does it, like you said, language can exist in so many forms, it’s so plastic. How did you find the way to incorporate it, I suppose I mean into the artistic medium? DOMAINS/INVISIBILITY YO: Maybe, I think now I’ve found a nice answer, ok. Wait, wait, what was it…? So as I said, there were two domains I wanted to investigate, like the ‘Invisible/The Hidden’, the domains that you cannot have direct access to. Like… Just cannot, by definition—like for example; the inside of your body. 68
奥 村 雄 樹:
そうだね …
ホーガン・ジェシー: 言い換えて付け加え ると、それをどのように形 状に組み込むので すか?言 語は 作 品の中でどのようにして形に なるのでしょうか?つまり… 奥 村さんが 言 語 に見出す芸 術 的 可 能 性を説 明してもらえます か?少し話に挙がりましたが 、これはどのよう にして形になりますか?別の言 葉で言えば 、 ポストモダン時 代の芸 術 的 実 践において、言 語は 重 要な媒 体になったと思いますか?なぜ 言 語が 重 要な媒 体になったのでしょうか? 奥 村 雄 樹: (笑)
それはまた随 分 大きな質 問ですね …
ホーガン・ジェシー: そうですね( 笑 )、これ だけで論 文が 書けますね 。それでは 、翻 訳や 鑑 賞はどうですか?どのように使 用するので しょうか 。奥 村さんは 河 原 温の身体 的 存 在を 探 求し、次に翻 訳 者との翻 訳プロジェクトを 組み合 わせました。それは 博 士 号を取 得 後の ことですか? 奥 村 雄 樹: そうですね 、まだ一 年も経ってないけ ど。作 品 同 士が 強く繋がっています。 ホーガン・ジェシー: これらの 2 つの事 柄を 本当に結び 付けたのですね 。 奥 村 雄 樹: そうですね 、関 連は 強いのですが 、9 人の通 訳 者によるパフォーマンスから、僕は 僕自身 を制 作 者および 主 要な登 場 人 物として使うようにな りました。作 品の制 作にあたって。なにしろこのパフ ォーマンスでは 、9 人の人たちが「 私は 奥 村 雄 樹で す」と言うので。9 人ですよ!全 員がそいう言っちゃう ( 笑 )。でも、その前に作った映 像 作 品 、ジュン・ヤン のプロジェクトでは 、通 訳 者は 僕ではなかった。僕は ディレクターで、全 体を見 渡していました。 ホーガン・ジェシー: つまり奥 村さんは 作 品の要 素または 構 成 要 素として、プロデュー サーとして作 品の外にいました。でも次の作 品では …? 奥 村 雄 樹: パフォーマンスの作 品 以 降は 、ほとん どすべての作 品で僕自身がフィーチャーされていま すね 。 ホーガン・ジェシー: として?
それはプロタゴニスト
奥 村 雄 樹: はい、まあ。プロタゴニストと言えば そうかなあと。 ホーガン・ジェシー: そして、ここでも奥 村 さんは 言 語の芸 術 的な可 能 性を扱っていま す。 言語/潜在性 奥 村 雄 樹:
言 語は 非 常に扱いやすいです。可 塑
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If you open it then you will die, maybe not death but it is very painful and difficult. So because it is here, in the center, you just have no access. And, the other is other people’s mind—‘You really have no access’… But language, like for the latter, e.g. The other’s minds, language is something that gives you false access, actually. It’s not real access to ‘this’. You give the other person access to your mind. We try to, or you know. So, for my work on this domain, ‘Other Minds’ is maybe not only two, but like something else. Like—emotions, expressions, or maybe you behave, your behavior, this already kind of tells us somethings. JH: I suppose you’re talking of body language. YO: Yes, it is a language of course. But language is about … always about something that is not here. Like when you talk:… if you just want to mention things in front of you, you can just use your finger to point to them, but about the past or temporary and spatially far—you have no access. It’s too far away—Then you need to talk. JH: Yes, we construct pictures and memories in words. YO: I think through language you can deal with memory obviously—you know which is from the past. Memory and maybe knowledge, and the other things that are not here… JH: And, that took form in terms of the lectures, the essays, and then the translation performances. Is that sort of how you materialize these other domains? Or to say, embody the investigations of it’s plasticity? YO: Always writing, reading, speaking or showing people, talking … Through video or in real, live. Maybe you should be more inventive, or more creative to invent something else… there is perhaps, but I don’t know, I cannot. When you want to work with language there are not so many forms. JH: Who comes to mind when you think of some of the artists or even philosophers who you really respond to? Those who really use language as a gesture or as a material and show the people the plasticity of it/Language? YO: One of the problems is that I have is that I haven’t really studied the others, and I forget a lot (laughs)… JH: Until they enter your machine, (laughs)? YO:
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So it’s difficult …
的で、造 形できます。とても簡 単に形を作る事も、そ れを書き換えることもできます。そう、文 章は 書き換 えられるんです。僕が 扱う主 題や問 題との関 係で、言 語はとても便 利なツールなんです。なぜなら僕の作 品は 、別の世 界を現 実 化しようとするものだから。た とえば 、非 物 理 的 、疑 物 理 的な現 実 性 。物 体は 、触 れ たり見たりすることが 必 要ですが 、言 語になると、僕 たちの知 覚自体の可 塑 性がそこにあるわけです。僕 たちは 客 体を、客 観 性を生きることができない。客 観 的な現 実なんて存 在しないわけです。僕たちはそこ に到 達することができない。ただコンセプチュアルな 形でそれについて語ったり、考えたりできるだけ。 ホーガン・ジェシー: 奥 村さんが 言ったよ うに、言 語はたくさんの形で存 在することが でき、とても可 塑 的です。どのようにして言 語 を芸 術 的な媒 体などに組み込む方 法を見つ けましたか? ドメイン/ 不 可 視 性 奥 村 雄 樹: 良い回 答が 思い浮かんだ気がしま す。ちょっと待ってください。何だっけな。さきほど言 ったように、僕が 探 求したい領 域はふたつあります。 不 可 視の、隠された領 域 。各自が 直 接 的にアクセス できない領 域 。そう… 定 義としてね 。たとえば 、自分 自身の体 内 。体を開けば 直に見ることができるだろ うけど、死んじゃいます。死なないとしても痛いし、難 しい。それはここにあって、中 心にあるけど、アクセス できない。そして、もうひとつは 他 者の精 神 。まったく アクセスできませんよね 。でも言 語 、とりわけ他 者の 精 神に関しては 、言 語が 擬 似 的なアクセスを提 供し てくれます。実 際には「それ 」にアクセスできてないん だけどね 。でもあなたは 他 者に、あなたの精 神 へのア クセスを擬 似 的に与えることができる。それを試み ることができる。こちらの領 域 、つまり「 他 我 」に関す る僕の作 品は 、言 語だけではないんですけどね 。感 情の表 現 、あるいは 振る舞い。それもまた雄 弁ですよ ね。 ホーガン・ジェシー: ボディーランゲ ージ についての話という理 解で合っていますか? 奥 村 雄 樹: そうですね 、それも言 語の一 種です。 でも言 語というのは、いつもその場にないものについ てなんです。話しているとき、目の前にあるものにつ いて言 及したいだけなら、ただ指 差しだけすればい い。でも過 去のことや、時 間のみならず 空 間 的に遠い ものごとには 、直 接 的なアクセスができない。あまり にも遠すぎて。だから言 葉を使うわけです。 ホーガン・ジェシー: 私たちは 言 葉で絵や 記 憶を組み立てますね 。 奥 村 雄 樹: 言 語を通して、記 憶を扱うことができ ますよね 。記 憶とは 過 去に属するものです。記 憶や知 識 、あるいはとにかく、その場に不 在の物 事たち。 ホーガン・ジェシー: そしてレクチャー 、エ ッセイ、そして翻 訳のパフォーマンスの観 点 から形になりました。それは 奥 村さんが 他の 領 域を具 体 化する方 法のようなものですか?
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
EMOTIONAL INTELLIGENCE YO: There are 2 Japanese philosophers I like or liked. One is Hitoshi Nagai, he’s alive. The other is Shozo Omori, he is dead. I think they actually influenced me. JH: And, do you think or were there other modern era philosophers, like writing on phenomenology, psychology, philosophy, etc? YO: Omori was talking about things, like subjective realities. How is it really real. There is a very famous idea he presented back in that time. JH: Was it about how the individual see’s reality; how only what you see is comprehended as real? YO: Maybe from far away you see the people walking towards you and maybe first you thought they are there. Ok, the first person coming towards you, first you thought is a man, just an old man. So it’s real, at this very moment, he is an old man. Because reality can be only subjective. But then, when the man comes closer, you realize it’s a young lady, let’s say. The man and the lady are the same entity, same person, same body but your perception changes and both are real or something like that. This kind of analogy… (laughs) JH: Yes, absolutely…(laughs) So interpretation is something happening constantly in everybody’s perception. YO:
I think maybe it’s not really about language… JH: hmmm, that is a hard question isn’t it… The kind of contradictive binds philosophers get into. Like Heidegger for example says; ‘Language is the house of being’. This implies—perhaps as Heidegger examines, ‘In language we live, it’s where we dwell’. This is because, I can’t actually exist or even think of anything, I can’t even move through the world without cognitively interpreting everything in terms of language. Because, well it’s a huge philosophical question but… I can’t see the door without thinking of the word ‘Door’. Or, how can I break that construction of language in my brain/mind, so that I don’t see that there is no longer a word attached to any other subject/object relation.
YO: I was just thinking of animals, sorry, but they (animals) I think they have their own (cognition). I think they live in a world of signs. JH: Signs, yes I see that. I think it is probably, a little arrogant of us to assume as humans that animals function like that, without linguistic notions of the world around 70
あるいは 、それらの可 塑 性を具 現 化すること でしょうか? 奥 村 雄 樹: 書く、読む、喋る、語っている人々を 見せる。ビデオを通して、あるいはその場で。本当は もっと発 明しなきゃいけないかもしれないですね 。別 の方 法を創り出さなきゃ。いろいろあるはずだけど、 難しいですね 。言 語で作 品を作りたいとなったら、形 体は 限られている。 ホーガン・ジェシー: 本当に影 響を受けた アーティストや哲 学 者のことを考える時 、誰 を思い浮かべますか?言 語をジェスチャーや 素 材として実 際に使 用し、人々にそれの可 塑 性や言 語を示す人たちですか? 奥 村 雄 樹: 問 題なんですけど、僕はあまり他のア ーティストについて勉 強してないし、勉 強してもすぐ 忘 れるんです( 笑 )。 ホーガン・ジェシー: 彼らが 奥 村さんの関 心の領 域に入らなければ( 笑 )? 奥 村 雄 樹:
だから難しい。 感 情 的な知 性
奥 村 雄 樹: 好きな日本の哲 学 者が 二 人います。 一 人は 永 井 均 、彼は 今も存 命です。もう一 人は 大 森 荘 蔵 、彼は 亡くなっています。彼らから影 響を受けた ように思います。 ホーガン・ジェシー: 二 人は 現 象 学 、心 理 学 、哲 学などについて執 筆する現 代 哲 学 者だ ったと思いますか? 奥 村 雄 樹: 大 森は 主 観 的な現 実みたいなことに ついて語っていました。どのようにして物 事が 現 実と して現 れるのか 。当時 、彼が 発 表した有 名な考え方 があるんですけど。 ホーガン・ジェシー: それは 、個 人がどのよ うに現 実を見ているのか 、つまり目に見える ものだけが 本 物と見なされるというアイデア ですか? 奥村 雄樹: たとえば遠くから人々が歩いてくる。 最初は彼らがそこにいるように見える。あ、いや、たと えば最初に近づいてきた人が、男性に見える。高齢の 男性。それはリアルです。その瞬間において、彼は高齢 の男性なんです。なぜなら現実とは主観的でしかない から。でも彼がさらに近づくと、今度は若い女 性に思 える。この高齢の男性と若い女性は同じ存在、同じ身 体ですが、あなたの知覚が変化したわけです。どちら も現実で。みたいな。そういうアナロジーです(笑) ホーガン・ジェシー: 確かに( 笑 )つまり解 釈は 、全ての人の認 識において絶えず 起こっ ている、と。 奥 村 雄 樹: すが 。
言 語によるそれとは 少し違うかもで
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them. It’s our arrogance—that we think we are superior, but maybe it’s more like a fear and safety impulse. So that thing as a sign, the animal see’s it kind of that way. Even when there is nothing to fear, but I think they still understand enough to know if it is useful or not. Whether or not (If) it has a function for them. YO: Yes perhaps they know it has some kind of function or something like that. JH: Otherwise, the signal, the sign must be something to avoid. Like, don’t go near. But, I still think they have cognitive functions and intelligence that must be more complex than we understand (not simply in terms of behavioral science). YO: Yeah, there is a gradation of cognitive awareness in living things. But maybe here the human is on top (laughs). JH: Each use of these signs and symbols, essentially words are a combination of sounds—which come to represent and idea, or an image, or an idea of an object. ENCOUNTER JH: Ok, so from that early work could you go on, sorry, how did you go/arrive in Belgium and how did you first encounter, discover and come across the work of Hisachika… Furthermore, how did you start to think about making a work from that? YO: Well, I moved to Belgium because I applied for a 文部科学省・文化省Bunkasho Scholarship, an agency of cultural affairs. They do this program, you know, many Japanese artists go overseas with this program. So I (but/well) I wanted to go somewhere which is not a Big City, which is not a place many Japanese artists go. I didn’t want to go to Berlin, London, or Paris. Belgium, well actually Brussels, Antwerp is in between all those Big Cities and still has a good connection to all those big cities. JH: Were you able to choose where you wanted to go from the Bunkasho award program? YO: You apply with a project you have , where you would like to go and choose who will supervise you. I had a friend of mine who had just become the director at an Art Center in Antwerp. So he was elected as my supervisor. Then, before going to Belgium I already was reading the book that documents 10 years activity of this gallery called Wide White Space. It was in Antwerp from 1967–1977. Then I was like flipping through the book and I found this Japanese name ‘Hisachika Takahashi’, and I was like, ‘Oh, I don’t 71
ホーガン・ジェシー: うーん、それは 難しい 質 問だと思いませんか 。哲 学 者が 踏み込むよ うな矛 盾した束 縛 。例えばマルティン・ハイデ ガーが 言うように、 「 言 葉は 存 在の家である」 。これは 多 分ハイデガーが 、 「 我々は 言 葉に住 み、言 葉が 我々の家 」と考 察していることを示 しています。それは 、言 語の観 点から全てを 認 知 的に解 釈しなければ 、私は 実 際に存 在す ることも何も考えることもできず、世 界を移 動 することさえできないからです。これは 、とて も大きな哲 学 的 問いですが 、 「ドア」という言 葉を考えずにドアを見ることができないため です。どのようにして脳や心の中の言 語の構 造を破 壊すれば 、他の対 象や物 体との関 係 性 に言 葉が 結びついていないことが 分からない ようにできますか? 奥 村 雄 樹: いまちょっと動 物のことを考えちゃっ てました。彼ら( 動 物 )には 彼らなりのそれ( 認 知 )が ある。彼らもサインの世 界に生きてるというか 。 ホーガン・ジェシー: サイン、そうですね 。 動 物を取り巻く世 界の言 語 概 念を知らずに サインで機 能すると想 定することは 、人 間の 傲 慢さだと思います。自分たちが 優 れている と思うことは 、恐 怖と安 全 性に対する衝 動の ようなものから来るのでしょう。だからサイン は 、こと動 物においてはそのように見えるの です。何も恐 れることが 無い状 況でも、彼らは サインが 有 用かどうかを十 分 理 解していると 思います。サインに機 能があるかどうかは 別 として。 奥 村 雄 樹: はい、そういった機 能を動 物もきっと 知ってますよね 。 ホーガン・ジェシー: そうでなければ 、信 号 やサインは 、近づいてはいけない避けるべき ものでしょうね 。それでも、動 物の認 知 機 能 や知 能は 、私たちが 理 解しているよりももっ と複 雑なはずだと思います( 単 純に行 動 科 学 において)。 奥 村 雄 樹: うん、生き物の認 知の明 晰さにはグ ラデ ーションがありますね 。人 間が 頂 点だとは 思う けど( 笑 ) ホーガン・ジェシー: そのようなサインとシ ンボルの使 用は 、基 本 的に言 葉は 音の組み合 わせであり、アイデアやイメージ、またはオブ ジェクトのアイデアを表 現します。 遭遇 ホーガン・ジェシー: では 、初 期の作 品を 制 作 後 、どのようにしてベルギーにたどり着 き、高 橋 尚 愛の作 品に最 初に出会ったのです か?そして、どのように作 品 制 作を考え始め たのでしょうか? 奥 村 雄 樹: 文 化 庁の海 外 研 修に応 募して、ベル ギーに移りました。文 化 庁のプログラム、知ってるか
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
know him. However, almost all the other artists in the book they are now famous, big artists. So, I was curious, who he was, who he is and where he went. Also because there was no photo documentation in the book of his show. He had a solo show in 1967, I think the gallery started in 1966, so less than one year since the establishment of the gallery. He had an exhibition, but the only information printed in the book was the Titles of his paintings and they were all ‘Untitled’, 10, 11 or 12 paintings. So I got very curious and I was like, ‘Ok, if I am in Belgium I will start researching about him. But without any clear intention of doing anything. Or, I didn’t know what to do with this. DOCUMENTS JH: He was kind of another Invisible element in a way… YO: Yeah true … and the name somehow. Maybe this is very difficult to explain, but his name ‘Hisachika’ it was fascinating. It is a very unusual name. And, but, maybe there’s already of course a connection in art history due to the gallery. Because it is legendary in Antwerp. Also the book was saying Hisachika Takahashi was an assistant to Lucio Fontana at that time—so maybe I was like, ok, he is really an interesting artist, maybe… but I didn’t think so much about it really. JH: So, it wasn’t until, when you got to Belgium and started to uncover his exhibition history. When did you start to find out more ? and where did the information come from? YO: Yes, well I just met one of the people who was running that Gallery. I was introduced by the friend of mine. JH: This was someone who was around in the Wide White Space Days when it was open and functioning ? YO: She was. She and her partner were running the Gallery. Her partner who was an artist, he has passed away. But she’s still doing good. So it was also a fortunate co-incidence to meet them. JH: So, she remembered Hisachika’s exhibition and the time? YO: Kind of yes … ummm … one thing I want to say is, maybe it’s like… This is one of the good things about small art scenes. If you ask someone, ‘Do you know the director who was working at the gallery’? Then some of them say, ‘Yes, I know, I can introduce you to her’. It’s kind of very easy to meet her, etc… GOOD TIMES JH: 72
For example in a local art context, you
な。多くの日本 人アーティストがそれで海 外に渡って きました。僕は 、大きな都 市には 生きたくなかったん です。日本 人アーティストがたくさんいるところは 嫌 だったし。ベルリン、ロンドン、パリとか 。ベルギーと いうかブリュッセル、アントワープは 、そういう大きな 都 市の中 間にあって、なおかつそういう都 市に行き やすい位 置 関 係にあります。 ホーガン・ジェシー: そのプログラムでは 行きたい場 所を選 べましたか? 奥 村 雄 樹: やりたいプロジェクトで応 募するの ですが 、行きたい場 所と指 導 者を自分で指 定します。 友 人がアントワープのアートセンターのディレクター になったばかりだったので、彼に指 導 者になってもら いました。ベルギーに行く前に、すでにワイド・ホワ イト・スペースというギャラリーの 1 0 年 間の活 動を 記 録した本に出会いました。アントワープで 1 9 6 7 年 から 1 9 7 7 年まで活 動していたギャラリー 。その本を めくっていたら、 「ヒサチカ・タカハシ」という日本 人 アーティストが出てきて。 「この作 家 、聞いたことない なあ」みたいな。その本に載っている他のアーティス トたちはみなさん有 名だったので、とても好 奇 心を 惹かれて。彼は 誰なのか 、彼はどこに行ったのか 。彼 の個 展の記 録 写 真は1枚も掲 載されてなかったし。 彼は 1 9 6 7 年にそのギャラリーで個 展をしてたみたい で。1 9 6 6 年に始まったスペースなので、1 年も経って いないころですね 。でも本に掲 載されている情 報は 、 展 示された絵 画のタイトルだけで、しかもそのタイト ルも「 無 題 」で。1 0 , 1 1 , 1 2 枚くらい。とても興 味を惹 かれて「よし、ベルギーに行ったら彼についてリサー チを始めよう」と思って。それをどうこうするみたい な明 確な意 図はなかったのですが 。そこからどうやっ て作 品につなげるかはわからないままに。 記録 ホーガン・ジェシー: 彼はある意 味で見え ない別の要 素のようなものですね 。 奥 村 雄 樹: まさにね 。名 前もなんだかすごくて。 説 明しづらいのですが 、彼の「ヒサチカ」という名 前 は 魅力的なんです。普 通じゃない名 前 。でもそこには 美 術 史との繋がりがすでにあって。アントワープで伝 説 的になっているギャラリーだから。その本にはヒサ チカ・タカハシが当時 、ルーチョ・フォンタナのアシス タントだったとも書かれていました。だからきっと、そ っか 、きっと本当に面白い作 家なんだ、と。まあ、ほと んど何も考えてなかったけど。 ホーガン・ジェシー: ということは 、ベルギ ーに来てから初めて彼の展 示 会の歴 史を紐 解いたのですね 。いつから詳しく調 べ 始めま したか?どこから情 報を入 手しましたか? 奥 村 雄 樹: そのギャラリーを運 営していたうちの ひとりの方とお会いする機 会があって。友 人から紹 介されました。 ホーガン・ジェシー: この人 物は「ワイド・ ホワイト・スペース」が 運 営されていた頃に関 わっていた人ですか?
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have a very tight knit community in a way. YO: Yes, and before meeting her I was already thinking, oh maybe I’ll make it into my project, what can I do? I had many different ideas but then when I met her, I asked her to remember, ‘do you have photos of the show’ ? she said, ‘no’. It’s not just that there were no photo’s in the book, but no photos exist at all, because they didn’t document it. She didn’t think it would be worth it as the paintings were so colorful and the color photography was expensive. There were no photos, she said, but the paintings themselves are here. Cause she still had them. Hisachika didn’t come to pick them up. So for 40 years his paintings had been in the storage and she showed me the paintings and I liked them. So I thought just simply, I want to show them again. I don’t know how, but I think I was already sure, and I was already asking her. JH: And, then you know he had assisted Lucio Fontana, so already it was pretty interesting. Already there was heavy weight and value—built into the history ( Historical narrative ) YO: Let’s say, before that I didn’t work with art history much; maybe a bit, you could say. My project with On Kawara, was maybe including elements of art history, but, or before that my work didn’t deal with curation/or this idea of curation. But, with him (Hisachika) I organized an exhibition to show the paintings again. So it was a very simple way of curating. Ok, here they are… JH: So after, when you decided, were you able to get in contact with him and get some kind of permission for that exhibit? Were you worried about his permission or you thought it would be no problem? YO: I don’t remember very well about the time lines, but there was, on the internet, you could find some parts about him. A few results. One was from a swiss curator Daniel Burman, posting on the internet saying, ‘Who is Hisachika Takahashi? I found his work in this book about an exhibition in Paris from the 1970’s. I’m very interested, do you know about him? And, I think I was already searching and I emailed him; ‘Hey, I’m also looking for Hisachika’! Then he said he was contacted by a friend of Hisachika, and this friend told him, ‘actually Hisachika lives in Paris’, and had his phone number and other things. Then Daniel forwarded this information to me, and so I called him. JH: Right. So, did Hisachika come to the show? YO:
Yes, he actually came to the show. JH: him?
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And was that the first time you met
奥 村 雄 樹: そうです。彼 女と彼 女のパートナー が 運 営していました。パートナーはアーティストで すが 、でも彼は 亡くなっていて。彼 女はいまも元 気で す。なので、出会えたのは 幸 運でした。 ホーガン・ジェシー: それで、彼 女は 高 橋 尚 愛の展 覧 会とその時 期を覚えていたのです か? 奥 村 雄 樹: うん、まあ。ひとつ言いたいのは、つま り… 。小さいアートシーンの良いところのひとつだと 思うのですが 、何 人かに「このギャラリーを運 営して いたディレクター 知ってる?」と聞くと、ひとりくらいは 「 知ってるよ。紹 介しようか?」となるんですね。だか ら彼 女に会ったりすることは難しいことではなくて。 良い時 間 ホーガン・ジェシー: たとえば 、地 元のアー ト文 脈では 、ある意 味でとても緊 密なコミュ ニティがありますね 。 奥 村 雄 樹: そうですね 。彼 女に会う前に、これを 自分のプロジェクトにするのも良いかもしれない、何 ができるだろう?と考えていました。いろいろ考えた けど、彼 女に合ったときに、 「 高 橋さんの展 示の写 真 はありますか?」と尋 ねたら「ない」と言 われたんで す。書 籍に写 真が 掲 載されていなかっただけでなく、 写 真自体が 存 在していなかった。展 示を記 録してい なかった。高 橋さんのペインティングはカラフルだっ たので白黒 写 真で撮 影しても意 味がない、しかしカ ラー 写 真は 高 価である、という。すると、写 真はない けど、ペインティング自体はまだありますよ、と彼 女 に言 われました。保 存していたんです。ヒサチカさん は 展 示が 終 わってもピックアップに来なかったみた いで。それで4 0 年 以 上も、高 橋さんの作 品は 倉 庫に 眠っていた。彼 女がそれを1枚ずつ見せてくれたの ですが 、とても良い作 品ばかりでした。だからシンプ ルに、もう一 度 、人の目に触 れさせたいと思ったんで す。どういうわけか 僕はその瞬 間にすでにそれを確 信して、彼 女に可 能 性について質 問していました。 ホーガン・ジェシー: そして、奥 村さんは 、 彼がルーチョ・フォンタナのアシスタントを務 めていたことを知っていた。これは 、とても興 味 深いです。そこには 既に、歴 史に組み込ま れた( 歴 史 的 論 説 )重みと価 値があったとい うことですよね 。 奥 村 雄 樹: それ以 前は、美 術 史を扱うことはあま りなかったんです。少しはあったかな。河 原 温さんに ついてのプロジェクトがあったので。あそこには 美 術 史の要 素が 含まれていた。あるいは 、それ 以 前は 、キ ュレーションを使うことも、キュレーションというア イディアを使うこともなかった。でも彼( 高 橋 尚 愛さ ん)と実 際に会って、一 緒に展 覧 会をオーガナイズし て、彼の当時の作 品をすべて展 示しました。本当にシ ンプルなキュレーションですけど。それで実 現した、 と。 ホーガン・ジェシー: それで、そうしようと 決めた時 、彼と連 絡を取り、展 示 物に対する
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
YO:
I met him before in Paris. JH: Oh right, you met him in Paris before the show?
YO: And there I asked him. You know I have this idea of showing your paintings again, and he was very happy. And so I invited him to Brussels to install his paintings. JH: When did you find out after that? About his other connections? Did he begin to explain to you about his connections with Fontana and Rauschenberg around that time? Was it around the time of the exhibition of before? YO: Actually I think already on the Internet I already got to know that, yes. That he was assistant to Rauschenberg. JH: So, at that point, I’m wondering if through the re-presentations of Hisachika’s works, you were able to draw these connections. Or, you started to discover— more so than intentionally draw out these connections, and bring these historic facts to the surface. These connections between his practice and some of the important historic figures in conceptual art and the early postmodern/mid modern artists?... At this point, did this further fuel the project? When you discovered these things—these connections? How did they reveal themselves? Was that powerful enough to continue the project? MEMORY ⁄ IMPORTANCE YO: (But)—The most important thing for me is/ was, whether or not I have some link with him— Hisachika. Because without this I couldn’t make it into my project. So, for me his link to Rauschenberg or the artist league was not so important, the important thing was, he was incorporating their work into his practice; or he was, his practice was collaborative, Hisachika. Especially, it was obvious in this project called, ‘FROM MEMORY DRAW A MAP OF THE UNITED STATES’. So he asked those twenty two artists around him. Actually now most of them are very famous including Rauschenberg, Gordon Matta-Clark, Cy Twombly and everyone. He asked them to ‘draw a map of the united states only from their memory ~ and this set of twenty two drawings: well it is/was his project. Each drawing is a work of each artist, but as a whole that’s his work. JH: Was Hisachika actually able to exhibit that piece earlier on in his career? Was it ever shown before? YO: Yeah yeah yeah, somewhere in the States somewhere. In maybe the late 70’s or even early 80’s 74
何かしらの許 可を得ることができましたか? 許 可をもらうことについて心 配していました か 、それとも問 題ないだろうと思っていました か? 奥 村 雄 樹: 時 系 列はあまり覚えてないけど、でも インターネットで検 索すれば 、彼について断片的な 情 報はありましたね 。少しだけど。ひとつはスイス人 キュレーターのダニエル・バウマンさんが 投 稿した ブログ 記 事で、 「ヒサチカ・タカハシとは 誰なのか?」 というタイトルでした。1 9 7 0 年 代にパリで開かれた 展 覧 会のカタログで、タカハシという作 家の作 品と 出会った。とても興 味を引かれている。誰か 彼につい て知りませんか?みたいな。そのころ僕はすでに高 橋 さんについて検 索していたので、それを見つけて「ど うも!実は 僕も探してるんです」とメールしました。す ると彼から返 事が 届いて、高 橋さんの友 人から連 絡 が 来て、いま実は 高 橋さんはパリに住んでいると言 われたと。電 話 番 号ももらったと。ダニエルはそれを 僕に転 送してくれて、それで高 橋さんに電 話したんで す。 ホーガン・ジェシー: なるほど。それで高 橋 尚 愛は 展 覧 会に来たのですか? 奥 村 雄 樹: た。
はい、展 覧 会のために来てくれまし
ホーガン・ジェシー: ったのですか? 奥 村 雄 樹:
そこで初めて彼と会
その前にパリで会っていましたね 。
ホーガン・ジェシー: そうですか 、展 覧 会の 前にパリで彼と会ったんですね? 奥 村 雄 樹: そのときに彼に尋 ねたんです。あなた のペインティングをもう一 度 展 示したいと思ってい るんです、と。彼は 嬉しそうでした。それで彼をブリュ ッセルに招 待して、ペインティングのインストールを してもらいました。 ホーガン・ジェシー: その後 、高 橋さんの他 の繋がりについてはいつ知りましたか?展 覧 会の前 後のどこかで、ルーチョ・フォンタナや ロバート・ラウシェンバーグとの関 係につい て話してくれましたか? 奥 村 雄 樹: そうですね 、インターネットですでに 見ていたので、彼がラウシェンバーグのアシスタント だったことは 知っていました。 ホーガン・ジェシー: するとその時 点で奥 村さんは 、高 橋 尚 愛の作 品の再 展 示を通じ て、そうした繋がりを描くことができたのでし ょうね 。または 、意 図 的に繋がりを引き出し、 歴 史 的 事 実を明らかにする以 上の事 柄を発 見し始めたのでしょうか 。彼の実 践と、コンセ プチュアルアートにおいて重 要な歴 史 的 人 物 や初 期のポストモダン/ミッドモダンアーティ ストとの繋がりなど…これらは 、プロジェクト をさらに駆り立てるものでしたか?これらの
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I thought. I can re-check it. So, he was using other artists work as a material for his works. So I thought that was a link for me. I had been doing the same thing. Even his paintings were, ‘he would say, ‘It’s a collaboration between himself and the roller’—the roller he used. Because he was not manually painting the patterns of the flowers, but using the embossed Roller—which automatically created the repetitious flower patterns on the canvas. Without this I couldn’t relate myself to these paintings. I couldn’t do the show. JH: The fact that he was so early on a collaborative conceptual artist, is quite extraordinary. And as you started to discover these things, and discover he had done these collaborations, how were you feeling? Was it or was there the sensation of something extraordinary revealing itself to you? YO: Yes, it was. Yes… Now I thought, now I think— and he ‘Hisachika’ is not a strategic person at all. I would say … maybe he is but from my view he is not. So I just think spontaneously and intuitively he was, like oh… well, this can happen… (laughs). There is a big red book about the maps project he was talking about. He needed to relate himself to the maps, to the United States in a way because he had just moved in. Also a way for him to get to know those other artists perhaps. But, so this, in those days, I also kind of feel this sympathy with him. Like the way he does things is like, do it do it do it… around (laughs) JH: Traveling and operating his career and practice outside of Japan, and especially in that era—it is quite extraordinary. I also think to the viewers now, through what you have been able to exhibit and show us, there is also this quite incredible amazement. How Hisachika was able to connect, exchange and do these exchanges with these artists who are now such canonical figures. In a way canonical in conceptual post modern art. YO: But you know that at the time they were just friends. JH: Yes, but it seems quite phenomenal how he was friends, how he became friends and connected to that circle/artists social circle. TIME/LEGACY YO: Well firstly he was just assistant of Rauschenberg, in a way, but this is already amazing, you could say. You know Rauschenberg liked him and wanted to work with him for such a long time, but … I think so for me, he had a link, he had a relation to other artists, through his practice at that time. Then from our perspective it is history. So it’s like—just as a result it’s about art history; but it’s about something 75
事 柄や繋がりを発 見したのは 、いつですか? どのように明らかになりましたか?プロジェ クトを継 続するのに十 分な影 響力を持ってい ましたか? 記憶/重要性 奥 村 雄 樹: 僕にとって最も重 要だったのは 、僕と 高 橋さんとの間に何らかのリンクがあるかどうかで した。それなしには 、自分のプロジェクトに発 展させ ることができないので。なので、彼とラウシェンバー グとの繋がりや美 術 史のことはあまり重 要ではなか ったですね 。そうではなくて、彼が 他 者の作 品を自分 の実 践に取り込んでいたことが 僕には 大 事でした。 あるいは 高 橋さんの作 品がコラボレーションによる ものだったという事 実ですね 。このことは 、とりわけ 彼の《フロム・メモリー ドロー・ア・マップ・オブ・ユ ナイテッド・ステイツ》というプロジェクトに顕 著で す。彼は身近な 2 2 人のアーティストたちに参 加を打 診しました。いまとなっては 超 有 名な、ラウシェンバ ーグ、ゴードン・マッタ=クラーク、サイ・トゥオンブリ ーなど。高 橋さんは 彼らに「 記 憶だけをたよりに合 衆 国の地 図を描いてほしい」とお願いしたんです。2 2 枚のドローイングの一 式が 高 橋さんのプロジェクト になったわけです。個々のドローイングは 個々のアー ティストの作 品ですが 、全 体は 高 橋さんの作 品 。 ホーガン・ジェシー: 高 橋さん本 人は 、キャ リアの初 期の段 階でその作 品を展 示したの ですか?展 示されたことはあったのでしょう か? 奥 村 雄 樹: うん、そうみたいです。アメリカのどこ かで。7 0 年 代 後 半だったか 、8 0 年 代 前 半だったか 。 調 べてみますね 。とにかく彼は 、他のアーティストた ちの作 品を自分の作 品のための素 材として使ってい た。それが 僕とのリンクです。同じことを僕もやって いたので。彼にとっては 、6 0 年 代の彼のペインティン グも、彼自身と彼が 描 画に使っていたローラーとの コラボレーションなんです。画 面は 花 柄で覆 われて いましたが 、それは 手 描きではなく、エンボス加 工さ れたローラーを使って模 様を転 写していました。自 動 的に模 様が 画 面に浮かび 上がる。このことなしに は 、僕は 彼のペインティングと自分を繋げることがで きないので、展 示もできなかったでしょうね 。 ホーガン・ジェシー: 彼がコラボレーティ ブ・コンセプチュアルアーティストとしての草 分け的な存 在であったというのは 素 晴らしい 事 実ですよね 。そうしたことや彼のコラボレー ションについて探 求していた時 、奥 村さんは どんな気 持ちでしたか?そこには 何か 、何か とんでもないものが 露 わになってくるような 感 覚はありましたか? 奥 村 雄 樹: そうですね 。でも思うのは 、高 橋さん は 戦 略 的な人ではまったくなかったんです。なんと いうか 。いや、戦 略 的かもしれないけど、僕から見た らそうではない。直 感 的かつ直 観 的に、ああ、こうい うことができるなあみたいな( 笑 )。地 図のプロジェ クトについての赤い大きな本があります。彼はアメリ カに移ったばかりだったので、地 図に、アメリカ自体
Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
behind art history as well. The personal connections. JH:
Absolutely
YO: For me it’s just a result. I didn’t seek this network of art historical references. JH: You are saying, you didn’t execute the project for that reason. You didn’t go forward just because of the Net that was there. For you, what was interesting to you was his (identity) process of his collaboration works and using other artists in his work or as his medium. And, then his connections with people. Of course they are relationships between people… or is it just the fact that there are artworks & artists with iconic histories connected to his story? YO: I’m not saying that I’m so much innocent but it was the second thing—this art historical connections. JH: Yes, perhaps this is a story that needed to be told. Which brings us to the next question: not only through the interest in his life but did you feel some sort of responsibility to bring Hisachika’s legacy to light—to share his artistic existence? PARALLELS YO: This is a tough question… Responsibility… I guess … I guess so. It is not like I didn’t feel responsibility for this… or maybe I thought for the world this will be a good thing. JH: In that case, do you see that your activity, can be like some kind of archeological —archeology of Identities? It seems as though you reveal this past or person, like the way an archeologist reveals something that is hidden from the modern, or contemporary, present day society… You know, through the process, is the revealing of the unseen—that we catch a glimpse of a previously invisible reality (history)/personal identity? YO: I wanted to say; I was interested in a kind of overlapping of Hisachika. I thought I didn’t tie myself with him today. But, let’s say—not him now, but him many years ago. So it’s like, in a way, I try to tap into this scene in New York, 40 years ago. JH: Like where two parallel lives overlap each other? YO: Yes, but also maybe I wanted to get into his body—at that time—and live this scene behind Art History. This human relation behind Art History, and at the same time, I think I changed his life… By doing
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に自分を繋ぐ必 要があった。ある意 味でね 。そしてま た、参 加したアーティストたちと仲良くなるための手 段でもあったかもしれない。だから、そういう意 味で も親 近 感がありますね 。彼のやり方は 、とにかくやっ てみる、やる、という感じで( 笑 )。 ホーガン・ジェシー: 特にその時 代に日本 から出てキャリアを積み実 践を行うというこ とは 、相当珍しいしいですね 。また鑑 賞 者の 立 場で考えた時に、奥 村さんが 私たちに展 示 を通して見せてくれたことにも信じられない ほどの驚きがあると思います。高 橋さんは 、あ る意 味コンセプチュアル/ 現 代アートにおい て権 威ある人 物となったこれらのアーティス トとどのようにして繋がり、交 流することがで きたのでしょうか? 奥 村 雄 樹: たんです。
でも当時 、彼らは 単に友 人 同 士だっ
ホーガン・ジェシー: そうですけど、高 橋さ んが 彼らの友 達だったこと、彼らと友 情を築 いて仲 間(アーティストの社 交 界 )に入ったの は 、目を見 張るものがあります。 時間/遺産 奥 村 雄 樹: まず 彼はラウシェンバーグのアシス タントだったわけですよね 。それだけで凄いことかも しれないけど。どうやらラウシェンバーグは 彼を気に 入っていて、だからあんなにも長い間ずっと雇ってい たわけです。彼にはそういうリンクがあった。他のア ーティストとの関 係 性があった。当時の彼の実 践を 通して。それで、僕たちの視 点から見 れば 、それは 歴 史なんです。だからなんというか 、僕は 結 果として美 術 史を扱うことになった。そして美 術 史の背 後にあ るもの。個 人と個 人の繋がりのこと。 ホーガン・ジェシー: 思います。
本当にその通りだと
奥 村 雄 樹: 結 果としてそこに行き着いただけな んです。美 術 史 的な参 照 項の網の目を求めていたわ けではなく。 ホーガン・ジェシー: そのためにプロジェク トを実 行したわけではなく、またそこにあった ネットワークが 理 由で進めなかったというこ とですね 。奥 村さんにとって興 味 深かったの は 、コラボレーション作 品における彼(アイデ ンティティ)のプロセスであり、他のアーティ ストを自分の作 品でまたは 媒 体として使 用す ることでした。それから、高 橋さんの他の人々 との繋がり。それは 人 間 関 係なのか 、それと もただ単に、彼の物 語に関 連した象 徴 的な歴 史を持つアート作 品やアーティストがいると いうだけなのでしょうか? 奥 村 雄 樹: 僕は 単に純 朴だったというわけでは ないです。でも、美 術 史との繋がりは 副 次 的だったの です。
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this project. Then we had a show in Belgium and 2 in Tokyo 5 & 2 years ago. One at Mori Art Museum for Out of Doubt and the other at Hermes.
ホーガン・ジェシー: そうですね 、この話は 語られるべきでしょう。次の質 問 へと繋がり ますが 、彼の人 生 への関 心だけでなく、高 橋 尚 愛の遺 産にスポットライトを当てること、彼 の芸 術 的 存 在を共 有することに何らかの責 任 感を感じましたか? パラレル 奥 村 雄 樹: 難しい質 問ですね 。責 任ですか 。う ーん、そうだと思います。責 任を感じなかったわけで はないので。世 界にとって良いことだと考えたという か。 ホーガン・ジェシー: その場 合 、奥 村さんの 活 動は 、ある種の考 古 学 、アイデンティティの 考 古 学のようなものになり得るでしょうか? 考 古 学 者が 現 代や近 代 、今 現 在の社 会から 隠された何かを解き明かすのと同じように、 奥 村さんはまるで過 去や人 物を露 呈している ようです。見えないものを明らかにするという のは 、以 前は 見えなかった現 実( 歴 史 )や個 人のアイデンティティを垣 間 見るということ でしょうか? 奥 村 雄 樹: とにかく言いたいのは 、高 橋さんとの 重 ね 合 わせに興 味があったということです。現 在の 彼に自分を結びつけたというよりも、なんというか 、 いまの彼ではなく、ずっと昔の彼ですね 。だから、あ る意 味で、4 0 年 前のニューヨークのシーンに足を踏 み入 れようと試みたわけです。 ホーガン・ジェシー: 2 つの平 行した生 活 が 互いに重なり合うところのようなものです か? 奥 村 雄 樹: そうですね 。それだけじゃなく、当時 の彼の身体に入り込みたかったんです。そして美 術 史の背 後に広がっていたシーンを生きてみるという か 。美 術 史の背 後にある人 間 同 士の関 係 性に関 心が あったので。でも同 時に、僕によって彼の人 生も変 わ ったと言えます。プロジェクトを通じて。そして僕たち はベルギーで展 示をして、東 京でも二 回 展 示に繋が って。ひとつは 森 美 術 館の「アウト・オブ・ダウト展 」、 もうひとつはエルメスでした。
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Yuki Okumura / 奥 村 雄 樹
Atelier Ranzan Studio
アトリエー 嵐山 スタジオ
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Atelier Ranzan Studio Interview 25.05.2019 Gakudai Kawasumi/Yohei Watanabe/ Yuki Takahashi/Ryu Takeda Interview conducted in Japanese
アトリエー 嵐 山スタジ オインタビュー 2 0 1 9 年 5月2 5日 川角岳 大 / 渡 邉 庸 平 / 髙 橋 佑 基 / 武田龍 / インタビュー:ホ ー ガン · ジェシ ー インタビュー は日 本 語 で 行 わ れました
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QUESTIONS FOR GAKUDAI KAWASUMI/RANZAN JH: When did you start the Ranzan studio? Did you find the space by chance or were you searching for a studio complex? GK: Ranzan has existed for about two years now. Firstly I moved in alone two years ago and lived alone in the first three months to make this room. The reason was, I graduated just two years ago, and I thought what should I do after graduation, so I invited some friends to find a place. However, because the number of friends to invite will be different and the timing of graduation will all be different, the number of people will not be shifted, it will not shift or it will be decided to go to study abroad, the scale depends on the number of people in the studio. It’s the most difficult thing because it depends on you. Finally, I realized that the ideal number of people was about 5 or 6, so I started looking for it, and I started looking for a large place just like that. I don’t have a big studio if I don’t leave time. How to search was like everyone searching on the net, and when it is about this size, if you search again, there are only 2 or 3 or 4 candidates in Kanto. Firstly, I found a place wider than this, and when I went to see it, it was not so good. Then the landlord introduced me here to a property owned by a real estate company and I felt like I had found it. After that happened, after I found it, I began to move things in bit by bit each time. It seems that the members who had finally been invited by me after the first few months have finally been gathered for over a year. JH: Did you plan to build a Gallery and have an Exhibition program when you started Ranzan? GK: Originally I didn’t intend to make a gallery, but I could just preview the work of the members and their friends, and use it for a variety of purposes such as trying to hang what I made in a decent space/ place ... Is it a surplus, I thought it would be better to have an extra section. If there is a lot of space in your atelier or residence, but there is no extra place, for example, when you suddenly want to make a big thing, you can’t be cramped, that’s the most unavoidable thing. Anyway, no one is using it, but it is ideal that there is a wide space, so I was looking for a large space as much as possible, and as a result I could secure a wide space, so I thought I will exhibit. It’s a place where you can feel like you would do an exhibition, an atmosphere that can be used as an exhibition space, and as a result it is being used for doing exhibitions. But, I did not think so much about making such a gallery or to make a ‘Gallery’ as such. If so, it’s probably more efficient to do it in the city. But yes, I wanted a multipurpose place. JH: Can you tell us how you constructed the Exhibition spaces? 82
川角 岳 大 / 嵐山 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山スタジ オはいつ 使 い 始 めたのですか?偶 然 見 つけた 場 所 で すか?それともずっと探していたのですか? 川 角 岳 大: 嵐 山 には 今ちょうど2年 住 んでい て、僕 は …2年 前 に1人 で引っ越してきて最 初 の3 ケ月くらいは1人 で 住 んでこの 部 屋 を作っていまし た 。そのきっかけは 、卒 業したの がちょうど2年 前 で、卒 業した 後 にどうしようか なっていうので、友 達 を何 人 か 誘って場 所 を探していました 。ただ 、誘 う人 数 が 変 わったり変 わらな かったり、みんなの 卒 業 するタイミングもず れて、留 学 に 行 きたいという 人 もでてきて人 数 が な か な か 決 まらなくて。人 数 に よってスタジ オの 規 模 が 相 当 左 右されてしまうこと が 一 番 大 変 でした 。ようやく大 体5〜6人 だという ことが 分 かり、そこから探し始 めました 。とにかく 広 い 場 所 を…という感じで。そうすると、もう池 袋 から1 時 間くらい 離 れ ないと大 きいスタジ オが なく て。 探し方 は 、みんな が ネットでひたすら探 すと いう感じで、このくらいの 規 模 になると、検 索しても 関 東 では3〜4件しか 候 補 が な かった 。まず、この スペースよりも少し広 い 場 所 を見 つけたので 内 見 しに 行ったら、あまり良くなくて。そうしたら大 家さ んが 、不 動 産 会 社 の 人 が 持っているこの 物 件 を紹 介してくれました 。たまたま 見 つけたという感じ。そ の 後 は 、それ ぞ れ自 分 のタイミングで引っ越してき ました 。僕 は 引っ越してきたのはちょうど2年 前 で、 その3カ月くらい 後 に引っ越してくる人 が 増 えだし て、去 年 の4月にようやく誘っていたメンバー が 揃 って1年 経ったというような 感じです ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山スタジ オを 始 め た 際 、ギャラリー を作り、そこで 展 覧 会 を開 くことは 計 画 済 みでしたか? 川 角 岳 大: 元 々は ギャラリーというほどのもの を作るつもりは なくて、ただ 集 まったメンバー や 彼 らの 友 達 が 作 品 をプレビューしたり、自 分 が 作った 物 をちょっと広 い 場 所 に 掛 けてみたりという使 い 方 ができる多 目 的 な 場 所 … 余 力と言うか 。余 力のよう な 部 分 が あった 方 が いい なとは 思っていました 。 みんなのアトリエや 住 居 のスペースが 大 き くなってしまうと、空 いた 場 所 が なくなります。例 え ば 、突 然 大 きなものを 作りたいと思った 時 に 、すご く窮 屈 ではできない 。それを一 番 避 けたかったんで す。とにかく、誰 も使ってないけれど広 いスペース が あるという状 態 が 理 想 的 。だから極 力 広 い 場 所 を探していて、その 結 果 、広 いスペースを確 保 でき ました 。 「 僕 が 展 示 するよ」とか 、 「 展 示してみたら」 と声 を掛 けられるような 場 所 になって、展 示 に 使 えるようになりました 。結 果 的 に 展 示 をしているけ れど、ギャラリー を作るということは 深く考 えてい な かったです ね 。ギャラリー を作るのであれ ば 、都 会 で 作った 方 が 効 率 は 良いんでしょうね 。そうです ね 、多 目 的 な 場 所 が 欲しかったんだと思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: どのようにして展 覧 会 のスペースを作ったのですか?
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GK: The gallery or the living quarters and studio too? Well… This place itself was the place where the electroplating factory was originally located, it was a plating factory. There was a lot of rust, and when the factory probably went bankrupt, still the garbage remained, making it feel like a ruin. First of all, I started with cleaning it, it took about half a year to clean, first of all the gallery exhibition place, then the atelier space was cleaned together. All the living rooms had to be clean so we could live together at first. After that, we cleaned the multi-purpose space in the gallery below, and then cleaned up the place of the atelier. We scrubbed the dust with a scoop and put it in the bag, the process was repeated. After cleaning, I finally felt like I was going to do something, but the floor was already tattered, and it was probably corroded, so I poured concrete into it. Only the place where the concrete flowed became beautiful, so it was then ready for standing up a wall. It became really beautiful and in order. I then surfaced the next floor, and I felt like building another wall. That took one year... and my atelier took about a year and a half since I moved in last July. The first exhibition was done in June last year. In total it took me a year and a half, and my personal atelier took a little longer. JH: Was the gallery concept/White Cube model important when you made it together? GK: It’s okay if you don’t even go to the White Cube, but there are people who want to take photos for archiving etc. and preparing some exhibition work. However, because it is a white box using a place like a ruined plating factory, it is hard to use if you don’t do it. You can still see the rusty and tattered feeling, I made it half/half without erasing too much. I thought it would be good to build a wall, but I could also remove it, make it a partition, I could make it a room by partition and a white cube for each exhibition, and just remove it and use it just like a factory. I thought it would be possible to create various patterns that could do things. JH: Is there an important relationship between painting and architecture in your activities? GK: Painting and architecture ... if I need to put a picture somewhere, watch a picture, hang it on a wall, or do something like that. First, it was necessary to hang works on the wall, and then I was worried about the exhibition space rather than the architecture. By all means, what I draw will hang on some wall, so I will start to have a relationship with the wall. I then consider the place where I hung the picture (a little) and realize the wall has a strange shape. After this I don’t think it’s better to use this one than the picture. Or maybe another person would be interested in displaying a picture with certain architecture. As an experience, for example, it was 83
川 角 岳 大: ギャラリー も、ここも?ここは 元 々、 めっき工 場 のあった 場 所 。だから汚 れというか 、錆 がひどくて、しかも工 場 が 倒 産した 時 のと思 わ れる 荷 物 も残ったままで、廃 墟 みたい な 感じ。まず は そ の 掃 除 から始 めて、掃 除 に 半 年くらいか かりまし た 。最 初 は みんなで 展 示 をしている場 所 、ギャラリ ースペースを掃 除して、リビング をきれいにして住 めるようにしました 。その 後 、下 のギャラリー のと ころ、多 目 的 スペースを掃 除して、アトリエの 場 所 を片 付 けて。埃 をスコップですくって袋 に 入 れるの を延 々と繰り返 すみたい な 感じです。掃 除 を終 えた ら、ようやくここで 何 かできるか なと思ったけれど、 床 がもうボロボロで … 多 分 腐 食していたので、そこ にコンクリートを流し込 みました 。 コンクリートを流したところだけは 綺 麗 にな ったので、壁 を立 てようかと。床 をきれいにして、壁 を建 てて、一 つ 一 つ 順 番 にきれいにする作 業 から1 年 。自 分 のアトリエを作り終 えるのには 、引っ越して から1年 半くらいか かっと思 います。去 年 の7月だ から… 最 初 の 展 示 をしたのは 、去 年 の6月。それま でに1年 半 。自 分 のアトリエはもう少しか かりまし た。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山を一 緒 に 作った 時 、ホワイトキューブ のギャラリー モデルに 沿うことは 重 要 でしたか? 川 角 岳 大: ホワイトキューブとまではいか なく ても大 丈 夫 だけれど、中 には 作 品 を 掛 けた 時 にアー カイブ 用 に 写 真 を撮ったり、展 示 作 品 の 準 備 をし たりしたい 人 たちが いるだろうから、壁 はある程 度 白くないといけないだろうなっていうので、白 壁 は 何 個 か 用 意して。ただ白い 箱という感じでやるので は なく、わざわざ 使 いづらい 廃 墟 になっためっき工 場 を使っているので、錆 びてボロボロな 感じを消し すぎず に出して見 てもらえるよう、半 分 半 分 でやれ るようにするの が 良い なと思 いました 。そこで 入 れ たの が 、壁 だけれど取り外しも可 能 な パ ー テ ーショ ン。展 示ごとに 部 屋 にもできるし、ホワイトキューブ にもできるし、全 部 取っ払ったらただの 工 場 のよう に 使うこともできる。色 々なことをするために 違う パターンが 作 れるようにというイメー ジで 作りまし た。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 川 角さんの 活 動 の 中 で、ペインティングと建 築 には 重 要 な 関 係 が ありますか? 川 角 岳 大: ペインティングと建 築 …どうしても どこかに絵 を置 いたり、絵 を見 たり、壁 に掛 けたり、 立てかけたりということをする必 要 性 を感じていま す。壁 に掛 けなきゃと思うと、今 度 は 建 築というより は 展 示 空 間 のことがまず 気 になって。自分 の 描 いた ものが 、必 ずどこかの 壁 に掛 かる。すると壁との 関 係 性 が 生まれて、一 歩 引いて絵 を掛 けた 場 所 を見て みると、壁 が 不 思 議 な 形 をしているように見えます。 そこで 今 度 は 、この 絵ではなくて別 の 絵 の 方 が 合う のではないかと思うわけで。多 分 、どんな 人でも絵 を展 示する時 は 気 にしているのかもしれないけれ ど。例えば 、他 の 人 の 展 示 を手 伝った 時 にそう感じ たことがあって、展 示する時 には 色 々気 にするのに、 普 段 から気 にしないのも変 だなと思 い 始 めました 。
Atelier Ranzan Studio / アトリエー 嵐 山 スタジ オ
helping people’s exhibitions, so in such a case, it is strange that I usually don’t care about various things when exhibiting. Then I started to worry about various things, so I could try various things on my own, or with a little more space like this. I thought it would be fun if I hung a picture this way or that way. That was the first opportunity I continued to extend the version, and eventually made my room. Afterwards it feels just right where you put your picture. In a atmosphere that seems to be so easy to build from scratch... I suppose it’s like a white cube or something like that, because it’s built to be as blank as possible. It’s hard to hang your own work sometimes when I think of it. JH: What are some important ideas you think artists need to think about in this generation? GK: I don’t know if everyone thinks the same, but what I’m thinking about is all sorts of information, styles, exhibition spaces, galleries, and so on. I’m getting full just by watching it, and I’m getting tired just as I’m tired of it ... I’m busy with watching a lot, and thinking about what I can do while I’m trying to do anything. I don’t know if there are people in my generation who think it’s too dangerous or this place is dangerous, and I don’t know if people of the same generation are thinking about it. If you dare go to a place in the suburbs, it’s a little narrower ... a little shut out, but something like this can come out of it. It is because you either ‘Do it’ or you don’t. It’s not like I think we need to be dispersed, but it was the reason that we have bothered to come to such a far out place. JH: How do you think artists will survive from now until the future? Does the Japanese art system support new emerging artists? Does Atelier Ranzan get any financial support? GK: Perhaps the person who thinks too much will not survive. I think that it is a time when there are many stimuli— I just graduated at 30 years old, but I can survive when I am young. The result is that you can produce without restrictions rather than thinking too much. As a result, if you graduate after 10 years or 20 years and you have only a small activity that has shrunk when you have no money, yet, you will survive if you think about it. However, you don’t want to be small at this time. I think it’s important to be able to do what you want to do without any restrictions now, without being conscious of how to survive. However, I’m not sure about other people’s philosophy in Japan. JH: What is more important for you speed or movement? GK: Some people tell me things that wouldn’t get caught up in my research if they lived like some people, or it came in as information, so maybe something like a movement or a flow rather than working alone. I’m pretty likely to hear you ... but 84
そうなると今 度 は 様 々なことが 気 になりだ して、 「 自 分 で 色 々やってみようか な 」とか 、 「この 空 間 には 絵 を掛 けたら楽しいだろうな 」と考 えるよう に 。それをきっかけに 、どんどん 延 長していって、最 終 的 には自 分 の 部 屋 を作りました 。そうすると、自 分 の 絵 をどこに 掛 けてもしっくりします。一 から作 れ ばこんなに 楽 なのかと… でもホワイトキューブ や 似 たようなスペースだと、なるべく真っ白で 何 もな い 空 間 にしようとして作られているから、自 分 の 作 品 を掛 けづらいと思うこともあります ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: この 世 代 のアー ティ ストは 、どのような 思 想 や 見 解 を持 つ べきだ と思 いますか? 川 角 岳 大: 全 員 が 同じように 考 えているか は 分 からないけど、僕 は 色 々な 情 報 やスタイル 、展 示 ス ペース 、ギャラリー 、海 外 の 状 況とかを考 えます ね 。 そういうの が たくさんあって、見 ているだけで「 いっ ぱ いいっぱ い 」になって、それ だけで 疲 れてしまう。 疲 れているうちにどんどん 年 を取っていく… 見るこ とに 忙しくて、自 分 は 何 をしたらいいのだろうと焦 るうちに 、手 元 には 何 も残っていまいというような 。 ただ 、そうなり過 ぎると勿 体 無 いし、危 険 。同 世 代 の 人 たちが 、それをどう思っているのか は 分 からな いけれど。だからこそ 敢 えて郊 外 の 何 も無 い 場 所 に 行ってみると、少し狭まって… 多 少 はシャットアウト されるけれど、そこから出てくるものは 分 散されん なくて済 むんじゃないか な 。これ が 、こうしてわざわ ざ 遠 い 場 所 に 来 ている理 由でもあるのか なと。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 今 後 、アー ティストた ちはどのようにして生 き残るのでしょうか? 日 本 のアートシステムは 、若 手 のアー ティス トをサポ ートしていますか?嵐 山 は 何らか の サポ ートを得 ていますか? 川 角 岳 大: 多 分 、考 えすぎる人 は 生 き残 れ ない と思 います。ちょうど今 の 卒 業したての 頃 から3 0 歳 になるまでの 間 は 、たくさん 刺 激 を受 ける時 期 。だ けど、若 い 時 に 生 き残ることを考 え 過 ぎるよりも制 限 なく制 作したい なと。1 0 年 後 2 0 年 後 に 細 々とし か 活 動 をしてい なくてお 金 が なくなってしまったと して、仮 に自 分 が 生 き残っていたと考 えると、若 いう ちは 小 ぢんまりしてはいたくない なと思 います。今 は 生 き残り方 を意 識 せず に自由 に 活 動 することが 大事。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 川 角さんにとって、ス ピードとムーブメントでは 、どちらが 重 要 で すか? 川 角 岳 大: 何 人 かで 同 居 生 活 をしていると、自 分 のリサ ー チには 引っか からないことを 教 わった り、情 報として入ってきたりします。そんなムーブメ ントというか 、流 れ のようなものは 一 人 で 活 動 する よりも聞こえてくるけど…これ は 、他 の 人と一 緒 に 制 作してなくて、一 人 で 作 業していたとしても聞こ えてくるのかもしれ ない …ともすると、一 人 で 作 業 している方 が 気 にしなくて済 むのかもしれ ないです ね 。みんな が 大 事 にしていることを共 有したり、似 ているところや 似 てないところを感じたりすること
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maybe even if you weren’t gathering and making it, even if you were doing it alone, maybe you might not have to worry about doing it alone ... Somehow sharing something that everyone cherishes, or sharing something that is similar or not similar, but I feel that way, so if possible ... I do what I think is absolutely important. I think I’ll be able to notice something a little earlier than the movement or the flow. JH: Do you want tell us something in your own words? GK: I wonder what ... I don’t need to be a member of Arashiyama or Ranzan Studios, but I’d like to share a place where I live with some artists and share a place like an atelier with everyone to talk and search for it. It is very important to live in the same place, and if you rent a studio, etc. after graduating. There are quite a few ateliers, the house is separate, and there are many forms that go to the atelier, but that is with the university and it doesn’t change much. Rather, this Atelier Ranzan is more like a university, but there are not many students at this school such as Tokyo Geidai… There is only communication to greet with the people you know, so you just talk with people you like. However, there aren’t always people who don’t have that much, and I don’t even have a lot of work in that place, so I always want to see, see and gather together. I can see the fact that he is doing an exhibition or that he can’t do it. But that’s not the case ... I just want to have a little time spent in a relationship like that. Maybe it’s because I’m a little older than before, then was when I was in college, maybe ... Because everyone is at school for the time being, producing there, and wanting to have a place where such a wasteful part can be shared, because it is a place that has been built ... There is a lot of stress because it is shared in this life ... It shows up. There are some places I don’t want to see, but stress is probably important and will be effective later. Everyone avoids stress and doesn’t do this and that, graduates, works alone, and looks like they are trying in places where there is stress ... However, I think I can’t do that for long because of stress, and some people use shared ateliers for maybe 5 or 10 years, but I can’t do it that much. I wonder… It’s like that. GAKUDAI IN THE STUDIOS GK: About 3 centimeters of dust is piled up, and the whole surface looks like this wood dust ... It was ridiculous anyway, but it’s still often happening that cats come in and pee on these ruins. There are 5 or 6 cats living in it, it comes in like this, and it’s also put on a work ... on the painting ... On top of that, there is a room up the stairs and I live alone. It was a storage of factory materials, but it looks like chemical corrosion ... This is the space which two people are using. 85
が あります。なるべく… 自 分 にとって絶 対 に 重 要 だ ということをしてい れ ば 、ムーブメントや 流 れよりも 少しだけ 早 い 段 階 のことに 気 付 けるんだと思 いま す。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 何 か自 分 の 言 葉 で 伝 えたいことはありますか? 川 角 岳 大: 何 だろうな … 嵐 山 のメンバーという か 、嵐 山でなくても良いけれど、複 数 のアー ティスト と共 同 生 活 をして、アトリエも共 有 できるスペース が あったらいい なと。みんなでそう言って探した 場 所 なので、同じ場 所 に 住 んでいるということが 結 構 重 要 です。大 体 は 、卒 業 後 は 家と別 に 借りたアトリ エに 通うことが 多 いけれど、それ だと大 学とあまり 変 わらない 。むしろ、嵐 山 の 方 が 大 学っぽ い 感じに なっています。東 京 藝 大 だと、校 内 にいる生 徒 の 数 が 少 ないから、自 分 が 知っている人と挨 拶 する程 度 のコミュニケ ーションで、好 きな 人 同 士 でしゃべる だけ。それも、い ない 人 はいつもい なくて、作 品 を大 学 で 作ってい ないこともある。展 示して、見 て、集 ま ってと、誰 か の 展 示 では 会うけど。 「 あの 人 はまた 展 示 をしているな 」とか 、 「 自 分 は 展 示 できてない 」と か 、そういう考 えば かりが 浮 かんでくる。でも、そう じゃなくて、ただ 顔 を合 わ せていて、 「 調 子 いい な 」 とか「 調 子 悪 い な 」というの が 見 える、そういう感じ の 関 係 で 過ごす 期 間 が 少しでもあったらいい なと 思っています。 多 分 今よりもう少し昔 は 、大 学 時 代 が そうい う場 所 だったのか なと思うけれど。みんな が 、とり あえず 学 校 にいて、そこで 制 作していて、そんな 無 駄 な 部 分 を共 有 できるような 場 所 を持ちたい なと 思っていました 。作った 場 所 だから… 生 活 までシェ アしているからストレスもたくさんあるだろうし… 見 せたくないところも見られる。でも多 分 、ストレス が 重 要 で、後 々効 果 が 出てくる… みんな が ストレス を避 けて、そういうことをしなくて、卒 業して、一 人 で 制 作 するようになるけど、あえてストレスが ある 場 所 で … でもストレスのせいで 長くはやれ ない なと 思っています。シェアアトリエを5年 、1 0 年 使う人 もいるけれど、自 分 は そんなに 長くは 使 えないと思 っている。そんな 感じです。 川 角 岳 大 アトリエ 巡り → 川 角 岳 大: 埃 が3センチくらい 、木 屑 みたい な 感じで 全 面 に 積 もっていて… それ が 、とにかくやば かったけど、今 はこの 廃 墟 具 合よりも、猫 が 入って 来 ておしっこすることの 方 が ハプニング。5〜6匹 の 猫 が 住 み 着 いていて、こういう感じで 入って来 て、作 品 にかけられる… ペインティング にも… 川 角 岳 大: この 上 、その 階 段 から上 がった 所 に 1部 屋 あって、1人 で 住 んでいます。工 場 の 保 管 庫 だったけど、薬 品 の 腐 食 みたいに 見 える… 川 角 岳 大: ここが 、2人 で 使っているスペース 。 2人 の ペインター が 使っています。こっちが 全 部ア トリエで、あまりこう…こっちの 真 ん中 の 辺 が 共 有 スペース 。 川 角 岳 大:
ここが 共 有 スペースで、中 庭 になっ
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Two painters are using it. This is all an atelier, so much... the middle space here is a shared space. This is a common space, which is a courtyard where you can have a barbecue ... If there is an exhibition or barbecue. There is still an atelier here, and this is also a space that three people use. This is a versatile space that can be used by anyone, but sometimes it feels like you want to use it from outside, and you can use it for like a month or for a person who wants to use it while living in this place. It’s bright. somehow… This is the toilet. This is the mezzanine floor and it looks like a luggage store for everyone. Next to the room over there, you can go in here too ... That is a bath, a bath made only for after the bath. This is a water hose, and this… This is the gallery space ... QUESTIONS FOR YOHEI WATANABE/RANZAN JH:
What did you have for breakfast?
YW: I usually sleep until noon, get up around noon, eat noodles in summer, and in winter ... Maybe it is rice in winter? It’s like rice, natto, eggs, and mentaiko. JH:
Do you guys often cook together?
YW: ...at night. Something at night is decreasing recently, but I made curry, fried rice, and we ate together… in the living room. JH:
Do you brush your teeth daily?
YW: I think teeth are really important. Yeah, I think teeth are really very important. There are quite a lot of decayed teeth. I’m trying to brush every night because there are bad teeth. (laughs) JH:
When did you join the Ranzan?
YW: I think it was two years ago. I think it was a while ago, I was looking for a larger atelier with Kawasumi and several members about two years ago? I was looking for a lot of things, like in Asakusa and various people were looking in the middle of Saitama. I found a huge factory over there, but there are about 1,200 square meters, twice the size of here. As expected, it was terrible. It seems that the landlord who had the property at that time was also living in front of the station. He said, It’s a little small and dirty, so you can use it here, come to see it, and it was really exciting. Oh, you say it might be good, do you feel like you’re here? etc. JH:
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Did you plan to build a Gallery and
ていて、バー ベ キュー が できる。展 示 が ある時 は バ ー ベ キュー をすることも。こっちにもまた 別 のアト リエが あって、3人 で 使っているスペースです。 川 角 岳 大: ここは 、誰 もが 使 える多 目 的 スペー ス 。でも時 々、外 部 の 人 が 使 いたいと言ってくること も。1ヶ月 住 んでる人 に 、 「ここ使っていいよ」という 感じで 使ってもらえる場 所 。 川 角 岳 大:
眩しい … 何となく…
ここはトイレです。ここが 中 二 階 になっていて、みん なの 荷 物 置 きのような 場 所 。さっきのあそこの 部 屋 にも続 いていて、こっちからも行 ける… それ が お 風 呂 。お 風 呂だけを後 で 作った 浴 室 。これ は 水 道 のホ ース 。ここが ギャラリースペース … 渡邉 庸平/嵐山 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山では 朝ごはんに 何 を食 べていますか? 渡 邉 庸 平: 僕 はたいてい 昼 まで 寝 ていて、昼ぐ らいに 起 きて、夏 だったら素 麺 も食 べるし、冬 だっ たら… 冬 は 米 か な 。ご 飯と納 豆 、卵 、明 太 子と、そん な 感じです ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ここでは みんなで 一 緒 に 食 事 を作ることが 多 いですか? 渡 邉 庸 平: 夜 は 。最 近 は 減っているけど、カレー 作ったり、チャーハン 作ったり、一 緒 に 食 べ たりし ます ね 。リビングで。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 毎 日 歯 は 磨 きます か? 渡 邉 庸 平: 歯 はまじで 大 事 だと思 います。結 構 虫 歯 が あって、やば い 。やば い虫 歯 が あるから毎 晩 磨くようにしています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: いつ 嵐 山 に 来 ました か? 渡 邉 庸 平: ちょうど2年 前 か な 。もっと前 か な 。 2年 以 上 前 に 、川 角と数 人 のメンバーで 大 きめの アトリエを探 そうかと話して。それで、浅 草 や 埼 玉 の 中 心 部 を探しました 。最 初 に 坂 戸 から生 越( おご せ )線 に 乗った 生 越って所 に 、すごく大 きい 工 場 を 見 つけて、1 , 2 0 0 m 2くらいありました 。ここの 倍 で す ね 。でもボロボロすぎて無 理 だなと。その 時 物 件 の 大 家さんが 、 「 駅 前 にも別 の 物 件 が あって、ちょっ と小さくなるし汚 いけど、使ってみて」と言ってくれ ました 。見 に 行くと、すごくわくわくして。良いかもし れ ないと言って、ここにすることになりました 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山スタジ オを 立ち 上 げ た 時 、ギャラリー を作って展 覧 会 を開く ことは 計 画 済 みでしたか? 渡 邉 庸 平: そうです ね 。都 心 からすごく遠 いじ ゃないですか 。だから最 初 は 、もしかしたら人 が 見
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have an Exhibition program when you started Ranzan? YW: I agreed, but I thought, isn’t it too far from the great city center? So at first I thought it may be that people will not come to see at all, but there is a white wall and there is a floor and it looks like a place to archive work. It was quite interesting if we can use this place. There was one thing that I might say, and there was an image that it would be quite effective to make and archive a work in such a place before the next career. Once you have an exhibition, how many people will come? Well, although there are people who come mainly from friends, and there seems to be an increasing number of people who “know and know” about it gradually. Recently it seems that it is meaningful to do an exhibition I think. JH: In terms of your own work, ideas and concepts, is the universe in order? Can you talk about your formula of the universe? YW: After all I think that there are too many things that I really do not know about the universe, but it is not about the very thing itself, but how to see it. If you talk about how to see it, you can focus much on it, I thought it would be clear what to see and what can be seen. I think the video “Powers of 10” created by Eames Studio is really amazing, watching a picnic, watching an atomic nucleus, watching an atomic thing. The scale that looks like a galaxy is treated equally, and it seems that it’s only a little vertically away, like looking through such a line. If you have something looking flat, you will be able to do it yourself, or in a certain way, it’s orderly. However, it is a little off axis, it can be enjoyed a little more when it becomes an axis with a non-vertical tilt, or it accepts a little chaos ... I think it seems to be a state of view when the axis moves. JH: Is having a studio and being part of an art collective important for the production of your own work? Tell me about your atelier and your art work? YW: I don’t really feel that it’s like a movement, but to break through the conditions of being in such a distant place, it means that you’re collective with multiple people. I feel that there is a collective... but I feel that it is an approach towards the country, and I still don’t think it’s like this here for the world. I think this is a problem I want to clear a little. JH: Do you think you will continue this project for a longer? Why? Why not? YW: I don’t think the project itself needs to be sustained, I think it’s okay to be a little more free, and in a way it feels like it’s calming down, like it is sinking, and you can leave it all, but I don’t know. I don’t know if it’s Ginza or Taito, but I think it would be nice to find another port. It may be very small, it may be medium, 89
に 来 たれ ないんじゃないか なと強く思っていまし た 。でも、ここに白 壁 や 床 が あって、アーカイブ みた い な 感じで 使っていけたら結 構 面 白いんじゃない かと思 いました 。次 のキャリアに 進 む 前 にこういう 場 所 で 作 品 を 作りためてアーカイブしておくと、か なり有 効 なんじゃないか なと。一 応 展 示ということ にしたら、どれくらいの 人 数 が 来 てくれるか なと考 えて。友 達 が 中 心 ですけど、来 てくれる人 もいるし、 この 場 所 を知っていつ 人 が 徐 々に 増 えつつある気 がします。だから最 近 は 、展 示 をすることには やっ ぱり意 味 が あるなと思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 渡 邉さん自身のアイ デアやコンセプトの 観 点 から考 えると、宇 宙 は 整 然としていますか?宇 宙 の 公 式 につい て話して頂 けますか? 渡 邉 庸 平: 宇 宙 については 、本 当に 分 からない ことば かりだなと思 います。宇 宙 そのものじゃなく て、宇 宙 をどう見るかという見 方 の 話 についてだ と、結 構 焦 点 が 絞 れるというか 、何 をどう見 たら良 いか が はっきりすると思 います。それで、E a m e s S t u d i o が 作った「 P o w e r s o f 1 0 」というビ デ オ が すごいです。ピクニックを見 ていること、原 子 核 の ようなものを見 ていること、原 子 のようなものを見 ていること、銀 河 のようなものを見 ているスケ ール が 、等 価 に 扱 わ れています。それ が 垂 直 に 少しだけ 離 れていることでしか ないというか 、そういう筋 を 通して見るということで。フラットに 見るようなこと が あれ ば 自 分 の 中では 整うというか 、ある意 味 整 然 とするようなことも起こるなと思 います。ただそれ がもう少し楽しめるのは 、軸 が 少しず れる、垂 直じ ゃない 傾 きを持った 軸 になった 時というか 、カオテ ィックをちょっと受 け 入 れる… 軸 が 動 いた 時 に 、そ ういう状 態というか 見 方 になっていくのか なと思 い ます。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アトリエを持ちアー ト集 団 の 一 員 になることは 、自 分 の 制 作と 活 動 にとって重 要 ですか? 渡 邉さんのアト リエと活 動 について教 えて下さい 。 渡 邉 庸 平: ムーブメントにまでなっているとい う実 感 は そこまでないですけど、離 れた 場 所 にある という条 件 を突 破していくには 、複 数 人 でコレクテ ィブしていくということ意 味 が あるのか なと感じて います。でもどちらかというとまだ 国 内 に 対 するア プロ ー チだという気 がしていて、 「 世 界 に 対してここ はこういうアプロ ー チ 」とは 思 えてい なくて、これ は クリアしたい 問 題 か なと思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: このプロジェクトを 続 けていくつもりですか?その 理 由 は 何 です か? 渡 邉 庸 平: このプロジェクト自 体 を続 けなけれ ば ならないという意 識 は なくて、もう少し自由でも 良いと思 います。ここはある意 味 で「 錨 を沈 める」と いうような 、または「 沈 めた 」というようなこことで、 出 航して良い なと思 います。分 からないですけど、 例 えば 銀 座とか 、別 の 港 が 見 つか れ ば 良い なとは 感じています。すごく小さくなっても良いし、中ぐら
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and it may actually be part of a store, but you can change the scale or change the form of it all. I wonder if it would be good to just stay here or go there. Whatever feels more positive. JH: Do you think there is a big difference being a contemporary artist in Japan or being a contemporary artist in Europe, America or Australia? Why? YW: I think there are probably several reasons, such as capital, the art market and money issues, and there are cultural differences such as how to deal with art. Here, I think that there is only one image to think about and one island country. Things like if there is no border, or if it is a little more ventilated ... Japanese architecture is so airy, well there is a sea all around. If it is good, a lot of things will be born. More foreigners are coming and that is awesome, and I think that it may be interesting in that sense, I do. Well one is here, Jesse? JH: Do you think it is important to make your work related to Japanese culture? YW: I don’t know ... it’s pretty messed up, and I don’t feel that it’s so much influenced by things like Japanese culture and thoughts, but the culture I’m influenced by is in all different countries. There is a lot of realism or reality that is inspired or influenced by a lot of countries, perhaps because of modernity in Japan, diplomacy and various things better than the countries limitations. I think that you are always influenced by the culture. In the sense of my work or influence on the work. JH: YW: well.
Do you sleep for long hours every day?
I do. I sleep a long time almost every day. very JH: How is it sleeping in your room at Ranzan studios?
YW: It’s a little bit bright right now… But you can sleep well. JH:
Tell us about your most recent dream?
YW: I don’t really dream. I don’t remember seeing it as everyone else says they do, but I feel it was an evil dream. I don’t know what it’s about ... I never dreamed clearly. JH: In your opinion, how do you think artists will survive from now until the future? YW: It’s a difficult question ... I just have to make something that people have never seen! I wonder if it is quite exhausted. It’s like an image or an idea or a philosophy. It might be because it’s something abstract like that. 90
いになっても良いし、お 店 の 一 部ぐらいになってし まうかもしれ ないですけど、スケ ールを 変 えてでも 良いし。全く姿 形 を変 えても良い 。そういう感じで 在り続 けるだけでも良いのか なと。その 方 が ポジ テ ィブ な 感じがします ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 日 本 で 現 代アー ティ ストになることと、ヨ ー ロッパ やオ ーストラ リアでなることには 違 い が あると思 います か?その 理 由 は 何 ですか ? 渡 邉 庸 平: 多 分 あると思 います。その 理 由 には 、 資 本 、マー ケット、お 金 の 問 題 が 一 つあるし、アート に 対 する接し方 の 文 化 的 な 違 いもあるし。というの は 、結 構 良く考 えるイメー ジというの が 一 つと、島 国というのも一 つあるなと思っています。国 境 が な けれ ばというか 、もう少し風 通しが 良 かったら… 日 本 の 建 築 はこんなに 風 通しが 良いんだから。海とい うのはありますけど、風 通しが 良 かったら、もう少 し色 んなことが 生 まれるのだろうなと思 います。で も、たくさんの 外 国 人 が 来 日してくれていますよね 。 そういう意 味 では 面 白いかもしれ ないって思 いま すけど。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 の 作 品 や 概 念 を 日 本 文 化 に 関 連させて作ることは 重 要 だと 思 いますか? 渡 邉 庸 平: どうだろうな … そこは 結 構ごちゃご ちゃしていて、日 本 の 文 化 や 思 想 にたくさん 影 響 を 受 けている実 感 は ないです ね 。俺 が 影 響 を 受 けて いる文 化 は 別 の 国 。他 の 国 から少 な からず 何 かイ ンスピレーションや 影 響 を受 けているという実 感 というかリアリティが あります。多 分 日 本 の 近 代 で は 、国というより外 交という意 味 では 風 通しが 良く なって来 て、そこからの 文 化 にはよく影 響 を受 けて いるなと思 います。自 分 の 作 品 に 対 する影 響という 意 味 では 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 毎 日の 睡 眠 時 間 は 長 いですか? 渡 邉 庸 平: そうです ね 。ほ ぼ 毎 日 、 「 ロング スリ ープ 」してます ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 渡 邉さんの 部 屋 の 寝 心 地 はどうですか? 渡 邉 庸 平: ちょっと今 は ね … やば いかもね 。で も良く眠 れますよ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 一 番 最 近 見 た 夢 につ いて教 えて下さい 。 渡 邉 庸 平: 全 然 夢 を見 ないです。見 ないってい うのは 覚 えてい ないだけだよと、みんなに 言 わ れま すけど、何 か 邪 な 夢 だった 気 が する。何 だろうな … ちょっとエロい 夢 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: これ から先 の 未 来 、 アー ティストたちは 生 き残るのでしょうか?
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JH: Can you describe some of the things you have in your room? YW: I like this. I often use it in drawings. What is it called, “Ellipse sheet”? Ellipse ruler. Something like this ... This is an angle making decision, isn’t? Like where to look at the angle of the circle. I think it’s interesting that there are a lot of fixed things. It may be quite interesting that the fixation is fixed. I wonder if this is not good to see from the camera angle. I think this is a fairly frontal item or a front on item, but I think it would be interesting even if it wouldn’t work. It’s good for these objects to be next to each other. JH: Can you see behind you as if you have eyes in the back of your head? YW: That’s about it, but I can’t really see the back, and I can only see the head of my nose. I think it’s important that looking at the back is probably like looking at another subject. I think it’s amazing to imagine the eyes of another person. It can be in any direction, you can see it from here, you can see it from there, you can see it from above, you can see it from below, it is something like that. It is a 360-degree eye that images many eyes or other eyes like this... The beginning of the language is a word that seems to have a center like front, back, left and right, but after all it moves from there or it looks away I think imagination is the most important thing. JH: Where did you get this perception? Is this idea connected to art history? YW: This is ... but I didn’t really think about who was saying, or what is it ... I think it’s a dream, an imagined dream, or something like dreaming which is the most interesting thing recently. I don’t think that the thoughts of the artists of the Soviet era are quite interesting, or something like propaganda ... But I feel that there are some interesting connections. Basically, there is always something like science fiction in me, but It may be just that I have been thinking about that kind of art lately ... and maybe this will be cut ... JH: What do you think about the perception through Google and iPhone? YW: Google? ... It might be having an effect ... It’s difficult, but something like this ... I think there’s eyes like this ... VR ... But something like this (shows the iphone), there’s a camera ... But there may be something like this modern modeling software, 360 ° FUSION, 123D CATCH, etc., After all I’m conscious of the eyes of the camera, so it’s a little more every day. It might be a real feeling rather than things like the East or West perceptions. (Yohei in his room) 91
渡 邉 庸 平: 難しい 質 問 だけど… 人 が 見 たことな い 物 を作るしか ないか な 。結 構 それ に 尽 きるのか な 。イメー ジ や 思 想 、哲 学という意 味 でもそうだけ ど、俺 自身の 作り方 を結 構リスペクトしている。オマ ー ジュじゃなくて、 「 あれ はやらない 、あれもダメ、 あれもダメっていう、ダメダメダメ、じゃあこれ は 何 だ 」という感じの 作り方 だからかもしれ ない 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 の 部 屋 にあるも のを何 か 紹 介してください 。 渡 邉 庸 平: よくドロ ー イングで 使っている 「 E l l i p s e s h e e t 」が 好 き。楕 円 定 規 。何 かこう… これってアングルの 決 定じゃないですか 。サ ークル の 角 度 をどこから見るか 。それで 固 定されたもの が いっぱ いあるのは 面 白いぞと思って。 「 固 定されて いるのか な 」ということに 結 構 興 味 が あるところか もしれ ない 。じゃあこれ は 、斜 めから見 てはいけな いのか 。これ は 正 面 性 が あるアイテムというか 、正 面 性 が ある物 だなと思 いますけど、 「じゃあこうなっ ていたらダメなのか な 」とか 考 えて、面 白い なと思 う。隣り合っていることが 良い 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 3 6 0 度 視 覚 につい て、まるで目が ついているか のように 後ろを 見ることはできますか? 渡 邉 庸 平: そのことだけど、後ろは 絶 対 に 見 え なくて、普 通 に 鼻 の 頭とかしか 見 えないと思 いま す。だけど、後ろを見るということは 別 の 主 体 みた い なものを想 像 すること、または 別 の 人 のようなも のの目を想 像 することだと強く思っています。それ はどの 向 きでも良くて、こっちから見 ていても良い し、あっちから見 ていても良いし、上 からでも下 から かでも見 ていて良いみたい な 。そういう多 数 の 向 き というか 、目をイメー ジ することが 3 6 0 度 の目とい う… 言 語としては 、前 後 左 右 みたい な 中 心 が ありそ うな 言 葉 ですけど、やっぱり一 番 大 事 なのは 、そこ から動くというか 、引き離して見 返 すというか 、想 像 することです ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: その 視 覚 的 概 念 はど こから来 ましたか?美 術 史 に 関 係 が ありま すか? 渡 邉 庸 平: 誰 か が 言っているとはあまり考 え たことが 無 かったんですけど…これ は 夢 想 です ね 。 「 D r e a m 」をイメー ジ するというか 、最 近 は 、夢 想 することが 一 番 面 白いか なと思っています。ソ連 時 代 の 美 術 家 が 、結 構 面 白い 思 想 を語っていそうな 気 が するなとか 、プロパガンダ では ないけれど…と いうのは 面 白い 繋 がりが ある気 がします。サイエン スフィクションのようなもの が 基 本 的 には自 分 の 中 に 常 にあって、最 近 は そういう美 術 のことを考 えて いる気 がします … あとはカットされるかもしれ ない ですけど… ホ ー ガン・ジェシ ー: G o o g l e や i P h o n e を通した 見 方 についてどう思 いますか? 渡 邉 庸 平: G o o g l e ね … 難しいけど、こういう 目はあるなと思 います … V R やカメラが あって…こ
Atelier Ranzan Studio / アトリエー 嵐 山 スタジ オ
YW: The room hasn’t changed so much, there’s a bed here, there’s a shelf, there’s a little gap. That was a piece of music equipment, but it wasn’t working right now because it was used live and carried once. Here I’m thinking about it, but it’s not being used right now ... it is terribly dirty… This is a shelf I made last summer, I really didn’t want this mess to happen, that’s a pretty bad situation. It is a shelf that’s all. This is also a thing that puts something in the middle, and it is a failed work, but it seems like it is good to pack things in for the time being. I don’t have a lot of pictures that I have recently used in production, or that I’m working on ... but this is my friend’s drawing, that’s Gordon Matta-Clark’s work ... Well I changed a little (laughs)... It’s like light. I agree. Is it like that ... QUESTIONS FOR YUKI TAKAHASHI/RANZAN JH: Tell me about when Ranzan atelier begun and when you joined? YT: I came back from Vienna in February 2017 to study abroad. It feels like Atelier Ranzan had come together in midwinter, but I had been there for a long time, and even before studying abroad or helping out, or making a living. So there was no place to live right after I came home from Vienna. First I was living in the living room for a while, then I made this room while sleeping in the living room. It’s a really dirty room, like a room for drugs. But all the powder and cardboard melted and it looked like a strange powder. It felt like all the walls were peeled off. Then I repaired the flooring... I stretched it, applied varnish to the flooring, and sanded it to make it look beautiful. But the ceiling is the way it was. JH: Does having this studio complex help to continue your art practice (production) ? YT: Having a studio ... It is useful. After all, when I lived in Tokyo, there were quite a lot of things like drawing out three-dimensional works and making things, so in a sense it was quite impossible to do something abstract. But now for example there was something that was brought to me, something that was interesting, and something that was amazing ... I think it’s a lot of space and I can get away from it if I want. JH: How important is it to have a community connected to the studios? YT: I think it’s important to influence something. Something in particular ... JH: What concepts have you been thinking about in your art work recently? YT: There was a time when I was thinking a little about the concept of my work similar to what I’ve been thinking about recently. Thinking about bricks, 92
ういう目というのは 、現 代 的 かもしれません ね 。モ デリング やソフトウェア、3 6 0 ° F U S I O N 、1 2 3 D C A T C H というのはありますよね 。やっぱりカメラ の目を意 識 するから、日 常 生 活 の 実 感 なのかもしれ ない 。西 洋 や 東 洋ということよりも。 部 屋 にいる庸 平 → 渡 邉 庸 平: 部 屋 は そんなに 変 わってなくて、ベ ッドが あって、棚 が あって。ここには 音 楽 の 機 材 が あ ったんですけど、ライブ のために 一 度 運 んだから今 はありません 。ここで 考 え 事 をすることもあります けど、今 は 使っていません 。すごく汚 い …これ は 去 年 の 夏 頃 に 作った 棚 です。本 当はこうなっていて欲 しいけど、最 近こうなってきちゃって、結 構 ヤバ いん じゃないか なという状 態 。 渡 邉 庸 平: これも真 ん中 に 物 を置くとしなっち ゃって失 敗 作 ですけど、とりあえず 物 を詰 め 込 める から良い か なという感じ。これ は 最 近 制 作 で 使っ たものや 制 作 中 のもの 、たいした 絵 では ないですけ ど… それ から友 達 の 絵 、自 分 のドロ ー イング。あれ はゴ ードン・マッタ=クラー クという人 の 作 品 。ライ トを少し変 えました 。そんな 感じか な … そんな 感じ ですか ね 。 髙橋 佑基/嵐山 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山アトリエを立ち 上 げ た 時 のことや、参 加した 時 のことを教 え て下さい 。 髙 橋 佑 基: 2 0 1 7 年 2 月に 留 学 先 のウィーンか ら帰 国しました 。真 冬 に 嵐 山 に 来 ました ね 。前 から 予 定としては 入っていて、留 学 に 行く前 にもリビン グ を手 伝っていました 。でも帰って来 てすぐに 住 む 場 所 は 無く、しばらくリビング に 寝 泊 まりして、この 部 屋 を作りました 。 最 初 はすごく汚くて、薬 剤 を置 くための 部 屋という感じでした 。粉 も段 ボ ールも全 部 溶 けて粉 状 になっていて、すごくきつかった 。壁 を全 部 は がして作りました 。フロ ーリング を貼って からニスを塗って、やすりが けして綺 麗 にしたけれ ど、天 井 は そのままです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: このようなスタジ オ 施 設( 集 合 体 )を 持 つことは 、高 橋さんのア ート活 動 に 役 立っていますか? 髙 橋 佑 基: スタジ オを持 つことは 役 立っていま す。東 京 に 住 んでいた 時 は 、立 体 作 品 を作る時 に引 き出しのようなもの が はっきりとあったので、すごく 抽 象 的 なことをできました 。はまっていることや 興 味 のあることに 持っていか れるように 強く感じてい て… 多 分 それ には 広さが あって、何というか そこか ら離 れることが できているのか なと思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アトリエのコミュニテ ィの 中 にいることはどれくらい 重 要 ですか? 髙 橋 佑 基: ます。
特 に 影 響し合うことが 重 要 だと思 い
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not bricks but thinking about the stove. Atelier Ranzan is quite cold and uses the stove, but if you put the brick on top, the heat of the stove will reach far infrared, something very warm, It’s like that. JH: Do you think it is important to make your work related to Eastern and Japanese culture and your identity? YT: I don’t think it’s important to be conscious of Japanese culture and Oriental culture, but I think it’s something that comes out naturally… I ‘feel’ like it comes out naturally. I also thought a little bit about whether brick works were caught by bricks, or if there were quite a few cultural connections, but I never thought that I had to do it. JH: A lot of creative people in Japan seem to work in Teams or Groups. Do you think it’s more important to be a part of a group or Collective? or Is it more important to develop your creativity as an independent individual? YT: How is it? Which is better, whether it is important to develop creativity in the group or personally... What is important? I don’t think I’ll have to do it all the time in the group, but I don’t think so much that I have to do it all alone. However, the group is naturally able to do something, so it may seem that you want to take care of it a little. In either case, there may be more cases where the group comes first and the group is given priority. JH: How do you think artists will survive from now until the future? Tell me about your future vision. YT: It’s really difficult, but my vision for the future is something like this. I’m pretty sure it’d be nice for this vision to show up, but... It seems like it’s quite difficult. Even if you don’t think about such a terrible span of time, it’s good that there is a time when it’s left in the distant future ... that’s if there is such a thing in the near future or the distant future ... I think so. I think it would be nice if it was a tiny shape. That’s amazing to me... I don’t think it’s possible that it will come out easily in some way, even if it doesn’t mean that you’ve done it. I think that it may be that kind of shape. It seems that only traces remain. JH: Where is your focus? On your own creativity or in making social connections. Which do you like and which is more important for you? If creativity is gone, which direction do you prefer? YT: Do you mean what is the balance between personal activities and activities related to the outside? If you say either, it seems that it is closer to what individuals are doing, but if you talk with friends,
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ホ ー ガン・ジェシ ー: 最 近 高 橋さんは 、自 分 の 作 品 でどんな 概 念 を考 えていますか? 髙 橋 佑 基: 最 近 考 えている自 分 の 作 品 の 概 念 だと、温 かさを考 えていた 時 が ありました 。レンガに ついて考 えて、ストーブ について考 えて。嵐 山 は 結 構 寒くてストーブ を使 いますけど、上 にレンガを置 くとストーブ の 熱 が 遠 赤 外 線 になって届くんです、 温 かさってそういうことか なみたい な 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 日 本 文 化 や 東 洋 文 化 、そして自 分 のアイデンティティと関 連 させて作 品 を作ることは 重 要 だと思 います か? 髙 橋 佑 基: 日 本 文 化と東 洋 文 化 を意 識 するこ とが 重 要 だとはあまり思 わ ないけど、自 然と出てく るものなのか なと思 います。レンガ の 作 品 に 関して も、そういうもの が 出てきてレンガに 囚 わ れている のか なと考 えています ね 。でも、そんなふうにやら なきゃいけないと思ったことはありません 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 日 本 にいるクリエイ ティブ な 人 々の 多くはチ ームやグル ープで 活 動しているようです。グル ープや 集 団 に 属 することと、独 立した 個 人として自身の 創 造 性 を伸 ば すことのどちらがより重 要 だと思 い ますか? 髙 橋 佑 基: どっちだろう… グル ープで 創 造 性 を 伸 ば すこと、個 人 で 伸 ば すことのどっちが 重 要 か … 創 造 性 を伸 ばしていくことが 重 要 だと考 えると、ど っちでも良いんじゃないですか 。ずっとグル ープで やらなきゃいけない 訳 では ないし、かといってずっ と一 人 でやらなきゃいけないとは 思 わ ない 。グル ー プだと自 然と何 か が 出てくるから、それ は 大 事 にし ていきたい なと思うかもしれ ない 。どっちかという とグル ープ が 先 にあって、グル ープを優 先 する方 が 多 いかもしれ ない 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: これ から先 の 未 来 、 アー ティストたちは 生 き残るでしょうか?高 橋さんの 将 来 のビジョンを教 えて下さい 。 髙 橋 佑 基: すごく難しいけど…こういう将 来 の ビジョンが あったということが 、少しでも出ていた ら、表 れていたらいい なとよく思っています。それ だ けで良いのかとも思 いますけど… でも、それ が 結 構 難しい 気 はします。すごく長 いスパンで 考 えなくて もね 。近 い 将 来 でも遠 い 将 来 でも、こういうことが あった 、こういうことをしていたというのを残 せる時 が あったら良い なって思う。小さな 形 でもあったら 良い なと。自 分 が やったというように出 なくても、何 らか の 形 で 出ることはあるかもしれ なくて、そうい う形 でも良と思う。痕 跡 だけ 残るみたい な 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 のクリエイティ ビ ティと、社 会と繋 がることのどちらが 好 きですか?クリエイティビ ティが なくなった ら、どんな 道 を選 びますか? 髙 橋 佑 基:
個 人 の 活 動と、外と関 わる活 動と両
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listen to stories and think it’s interesting, something like that will eventually result in your work. I think that it would be a good balance if we could share such things. QUESTIONS FOR RYU TAKEDA/RANZAN JH: When and how did you hear about Ranzan atelier? RT: The first talk of Atelier Ranzan was probably about three years ago. I hadn’t found this place yet, but at the end of the exhibition I attended here, I went back with Gakudai and maybe with two other people on the train. At that time, I wasn’t so close to Gakudai... I didn’t know much about the Ranzan area. I wondered if it was time for me to do the graduate exhibition and graduate. So I thought to myself, what are you going to do about it later, what are you going to do about the atelier and the production space? I Listened to the others stories about making a space. JH: When and why did you joined Ranzan atelier? RT: I didn’t have the name Ranzan Studio when I first heard it, and the place wasn’t decided, but I think that Jesse participated in the group exhibition about three years ago. I think it was about the time when everyone had an exhibition at the pool, but when it was taken out and the exhibition was over, I went home again with Gakudai and the train, and at that time I’d just graduated from university. So, I was talking about an atelier and thought, why don’t you collect some members with Gakudai and do it together? The story is like this... At that time, I was thinking first about whether I would do it alone, but at that time Gakudai said... Rather than searching for an atelier just together, some other people said that they were also interested in gathering people who thought and were saying things like making a school on their own after leaving art school. They were often talking about creating their own school, an environment where they could learn something. I thought it sounded a little interesting, so I said let’s do it. I think it was about 3 years ago. That is When and why, about 3 years ago. JH:
What is Ranzan and how do you use it?
RT: What is Ranzan? Well, it’s okay to borrow it as a normal environment. I’m probably the only member of the group who doesn’t live here, and I’m here to make artwork when I don’t have to go to a job. You can make it alone, you can create an environment if you want to do it yourself, but when I first heard of the members, I thought it was a little interesting and I wanted to do it here. As for how it is used, it is usually used as an atelier, and there are quite a lot of people here every time besides members. If you come here you can 96
方 あって、その バランスをどうするかです ね 。活 動と してはどっちかと言うと個 人 でやることなのかと思 いますけど、友 達と話していて、話 を聞 いて面 白い と思って、結 果 的 にそれ が 作 品 になることもありま す。だから、そういうことも共 有 できたら結 構 良い バ ランスか な 。 武田 龍/嵐山 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山アトリエに 参 加 した 時 期と理 由 を教 えてください 。 武 田 龍: 最 初 に 話 が あったのは 、3年くらい 前 。まだこの 場 所 も見 つけてな かった 時 に 、参 加し ていた 展 示 の 終 わりに 岳 大と電 車 で 帰りました 。そ の 時 は 、岳 大とそんなに 親しくなくて、あんまり彼 の ことを知らな かった 。2人 で 何 か 話していて、俺 が 卒 業 する時 だったのか な 。それで、卒 業 後どうする か 、アトリエや 制 作 スペースをどうするかという話 の 流 れで、 「 みんなでそういうスペースをやろうと思 うんだけど参 加しない?」と言 わ れました 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山アトリエに 参 加 した 時 期と理 由 を教 えてください 。 武 田 龍: 最 初 に 話 を聞 いた 時 は 、嵐 山という 名 前 が なくて、場 所 も決 まってな かったんです。3年 くらい 前 にグル ープ 展 をしていて、ジェシ ー も参 加 していたと思うけど、多 分 それくらい 。プールで 展 示 をした 時 あたりだったと思 いますけど、搬 出 が 終 わった 後 に 岳 大と電 車 で 帰りました 。ちょうど僕 も 大 学 卒 業 するタイミングで、アトリエをどうすると いう話 になって、岳 大 から「 メンバー を集 めている けど一 緒 にやらない?」と誘 わ れて。その 頃 俺 は 、自 分 一 人 でやろうか なと考 えていたけど。あの 時 、確 か岳大は、 「 みんなでアトリエを探 すというよりは 、 自 分 たちの 面 白いと思った 人 たちを複 数 集 めて、学 校 を出た 後 の 学 校 を自 分 たちで 作る」みたい なこと を言っていて。自 分 たちの 学 校 、自 分 たちのため 学 ぶ 環 境 を作るみたい なことを言っていたから、それ は 面 白い なと思って、じゃあやってみようか なと。時 期 は 、3年くらい 前 だったと思う。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山とは 何 ですか 。ど んな 使 い 方 をしていますか? 武 田 龍: 嵐 山とは … 普 通 に 作る環 境として借 りています。多 分 メンバー の 中で 唯 一 俺 だけが 、こ こに 住 まず に 仕 事 が ない 時 に 来 て作る。泊 まって作 るという感じ。一 人 でも作 れる、自 分 でもやろうと 思 えば 環 境 は 作 れるけど、最 初 にメンバー を聞 いた 時 に 面 白い なと思って、そういうのも含 めてここで やってみたい なと思 いました 。 使 い 方 に 関しては 、まず 普 通 にアトリエとし て使っています。毎 回メンバー 以 外 にも色 んな 人 が 来 ていて、ここに 来 れ ば ある程 度 交 流 できる。あと は 広 いから何 でもできる。普 通 にやらないことを普 段 から実 験したり、発 表しなくてもここで 実 験した り。 ホ ー ガン・ジェシ ー: このようなスタジ オ 施 設( 集 合 体 )とコミュニティは 、武 田さんの
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interact to some extent, you can do anything later, so it’s good to experiment with things that you don’t normally do. It’s like that place you can experiment without having to make a presentation. JH: Does having this studio complex and community help to continue your art practice & (production) ? RT: Complex ... Is this a complex? The whole thing is I guess... and is it useful? That’s right ... Well the first thing that was interesting was to do with the members. At first, they were probably not especially great friends. There was no particular feeling, but we knew each other, I knew their work, it’s not really close, but maybe the contents of the work are closely related to each other, so if the members are collected in this space, I thought it would be good. There are people who don’t look very similar, but it seems that they are interested in each other. I thought that it would be good to make work in such an environment because there is such a sense of distance. I think it’s good to make pictures in an environment that doesn’t necessarily create a stance like sculpture. There may be people dancing separately, and I thought that I could do sculptures and other things in an environment with people who really like music. JH: Do you think it is important to make your work related to Eastern and Japanese culture and your identity? RT: How important is it to make your own work in relation to Japanese culture? I wonder if I will start making works directly from the beginning, thinking about Japanese culture. However, while making a work, regardless of my taste, I usually use Japanese. It is that the building that I grew up in and the literature is influenced by Japanese culture, or is Japanese culture. It is very important to analyze and disassemble the things that you are unconsciously influenced by. It is important for my work, so if you think about Japanese culture, the old history of Japan will be centered on China, so how does it come from China ... like Buddhism? Buddhism in Japan is multi-partition and unique. It was originally Buddhism that started in India, but it took quite a while to come, and it came through China. That kind of Japanese culture is quite a span of history. Thinking in a long span, I’m under the influence of this now, regardless of art, in any way in history ... I’m always thinking about making things that I’ll do regardless of whether I like them. My own production is now using language and symbols, icons and symbols. That’s Japan or Japanese, it uses kanji and hieroglyphs ... it’s different from the alphabet, so in the picture, it’s a cultural area where the kanji itself is a picture. It must be considered in other words. Where did Kanji come from, was it born from magic? But how was it dropped 97
アート活 動 に 役 立っていますか? 武 田 龍: ここが 複 合 体ということ?ここ全 体 が 役 立っているということ?そうだな …このメンバ ーでやることになった 時 に 面 白かったのは 、特 に 仲 良い 訳 では ないけどお 互 いに 知っていて、作 品 も知 っているけどすごく親しい 訳 では ない 。作 品 の 内 容 が 密 接 に 関 係している訳 では ないのに 集 まれるの は 良い なと思 いました 。あんまり似 てい ない 人 たち だけど、互 いの 作 品 には 興 味 が あるというか 。それ くらいの 距 離 感 が ある環 境 で 作るのは 良い なと思 った 。この 絵 は 絵 の 中で、彫 刻 は 彫 刻 の 中でやると いうスタンスにならない 環 境 での 制 作 はいい なと。 踊っている人 が いてもいいし、音 楽 が すごく好 きな 人 が いる環 境 で自 分 は 彫 刻 をやるというようなこと ができそうだった 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 の 作 品 を日 本 文 化 や 東 洋 文 化 、自 分 のアイデンティティに 関 連させて作ることは 重 要 だと思 いますか? 武 田 龍: 自 分 の 作 品 を日 本 文 化と関 連して 作るっていうの が 重 要 かどうかというのは …どうな のか な?最 初 から日 本 文 化 を直 接 的 に 考 えて作 品 を作り始 めることは ないか な 。でも、自 分 の 趣 向 や 普 段 使っている日 本 語 、育った 環 境 にある建 物 や 文 学 、日 本 の 文 化 の 影 響 をどれ ほど受 けるのか 。日 本 の 文 化 に 接している訳 だから、無 意 識 のうちに 影 響 を受 けているものをしっかりと分 析して分 解して 見 ていくことは 凄く重 要 だと思う。自 分 の 作 品 にと っては 重 要 。そうやって日 本 文 化 を考 えてくと、日 本 の 古 い 歴 史 は 中 国 が 中 心 になっていて、中 国 からど うやって… 仏 教とか 。日 本 に 伝 わった 仏 教 は 割と独 自のものなのかもしれ ない 。元 々インドで 始 まった 仏 教 だけど、来るまでに 結 構 時 間 が 経 過して、それ も中 国 経 由で 入ってきた 。日 本 文 化と言っても、長 いスパンの 中で 考 えてみて、今 自 分 が 影 響 を受 けて いる様 子 を考 える。それ は 美 術 に 関 わらず、好 むと 好 まざるに 関 わらず 自 分 が ついしてしまうことを常 に 考 えて作る。あと最 近 の 作 品 では 、言 語 や 記 号 、 図 像 を使っていて。日 本 語 では 漢 字 を使っていて、 象 形 文 字 …アルファベットとは 違うから、そのまま 絵 では 、漢 字 自 体 が 絵 になる文 化 圏 だと思うから、 それ は 考 えざるを得 ないっていうか 漢 字っていうの はどうしてできたのかとか 、それ は 呪 術 から生 まれ たけど、どうやって呪 術 から形 に 落とし込 んだのか とか 、それ がどのようにして一 般 の 人 が 使うように なったかとか 、そういう興 味 の 中では 接 続 は 重 要 か なと思っている。そういう感じ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 日 本 で 現 代アー ティ ストになることと、ヨ ー ロッパ やオ ーストラ リアでなることには 違 い が あると思 います か?その 理 由 は 何 ですか? 武 田 龍: 日 本 で 現 代アー ティストになること と、欧 米 や 西 洋 文 化 圏 で 現 代アー ティストになる ことの 違 い … 西 洋 文 化 圏 に 長く住 んだ 経 験 が なく て、現 地 のアートの 状 況 が 具 体 的 にどのようなもの か 分 からないから予 測 でしか 話 せないけど… 日 本 でアートの 勉 強 をすると、最 初 は 西 洋 美 術 史 から 始 まる。そうするとルネサンスが 重 要 で、遠 近 法 が
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from magic, and how did it come to be used by ordinary people? I wonder if connection is important. That kind of feeling. JH: Do you think there is a big difference being a contemporary artist in Japan or being a contemporary artist in Europe, America or Australia? Why? RT: The difference between becoming a contemporary artist in Japan and becoming a contemporary artist in the West, Western cultures ... I haven’t had much experience living in western cultural areas so much, so I don’t know what the actual state of the art actually is in the field, but I have to speak with predictions about art in Japan. Studying Western art at first, then the Renaissance is important, and there is a perspective, but it is quite good for people living in the West, originally living in Japan. For example, when I was little, I thought that there was an environment and that somehow I was playing at a shrine, going to a temple, etc., or touching it regardless of religion. But if you live in the West, for example, if you live in the West you go to a church every week. I know that even if you have or haven’t been there, the association is there for the time being, etc. Under such circumstances, religious paintings, art related to religion came out, of course, not only art, but also various philosophies of religion. The era of important religion was long ago in the history of such philosophy, but there are probably quite a lot of such things I think it is, and that’s why rules are made. The basic value is probably the base. Contemporary artists in Japan have learned great rules and are not Takashi Murakami, but that may be the rules of the art market. Is it connected or is it importantly about Japanese culture? I think that it is important to think about it, but not only Japanese culture, of course I think it is necessary to think about what kind of region I am living in and what kind of cultural area I am influenced by. If you say there is a difference, contemporary art is a word, art itself is once based on the West, so it is not accepted as simply as that, or if you accept it directly. There was a shrine and anyway I’m using kanji, or the concept of monotheism or a single god... So, I think Barnet Newman has a great religious way of thinking, but it’s an assembly of logic that seems to be also prevalent in Japan. I feel that there is a difference, but I don’t think it makes sense to bring it down. So even if you say that you will fight in Western cultures, it would be an art strategy to show logic that you can’t think of without living in Japan. If you fight that is ... JH: How do you think artists will survive from now until the future? Tell me about your future vision. RT: Whether contemporary artists will survive in the future ... whether they will exist ... 98
あって。でも、それ は 西 洋 に 住 んでいる人 、元 々そこ に 住 んでいる人 たちにとっては 、馴 染 み のあるもの だろうなと。例 えば 日 本 人 だと… 小さい 頃 に 神 社 で 遊 んだとか 、お 寺 に 行っていたとか 、宗 教 に 関 係 なくそういうものに 触 れる環 境 が あったと思う。そ れ は 、西 洋 に 住 んでい れ ば 教 会 に 毎 週 行っていた とか 、頻 繁 に 行 か ない 人 でも教 会 がとりあえず あっ て、見 たことあるし、儀 式 みたい なのをやっている のも知っているだろうし。そういう中で 宗 教 画 や 宗 教 関 連 の 美 術 が 出てきて、もちろん 美 術 だけじゃな くて色 々な 宗 教 の 哲 学 や、哲 学 の 歴 史 で 宗 教 が 重 要 な 時 代 が 長 かったけど、そういうもの が 結 構 続 いていて、ル ール が 作られている。基 本 的 な 価 値と いうか ベ ースが あって。日 本 の 現 代アー ティストは ル ールをたくさん 学 ぶ 。村 上 隆じゃないけど、あれ はアートマー ケットのル ール かもしれ ないけど、接 続していくのか 。さっき日 本 文 化 について考 えてい くことが 重 要 なのかと言ったけれど、日 本 文 化 に 限 らず、自 分 がどの 地 域 に 住 んでいて、どの 文 化 圏 の 影 響 を受 けているかを考 えることは 、当 然 な がら必 要 だと思う。現 代アートという言 葉 の「アート」自 体 が 、西 洋 が ベ ースになっているから、そんなシンプ ルに 違 いを受 け 入 れられ ない 。逆 にダイレクトに 受 け 入 れると、あれでも神 社 が あったなとか 、漢 字 を 使っているなとか 、一 神 教 や 一 つの 神 様 が いる概 念 とか ない なとか … だから例 えば バー ネット・ニュー マンは 、すごく宗 教 的 な 考 え 方 をするなと思う、日 本 に 無さそうなロジックの 組 み 立 て方 で、差 は 感じ る。でも下 手 にそういう差 を詰 めていっても意 味 が ないか なと思う。だからもし西 洋 文 化 圏 で 戦うと言 ったら、戦 略として、日 本 に 住 んでい なけれ ば 絶 対 に 考 えられ ないロジックを見 せることはアリだろう と思う。 ホ ー ガン・ジェシ ー: これ から先 の 未 来 、 アー ティストたちは 生 き残るでしょうか?武 田さんの 将 来 のビジョンを教 えて下さい 。 武 田 龍: 現 代アー ティストが 未 来 に 生 き残る かどうか … 存 在 するかどうかという話 か …どうなん だろう… 境 界 は 、間 違 い なく分 からなくなっていく だろうと思う。写 真 ができる前 に 絵 を描 いていた 人 たちは 絵 を 描くテクニックを持っていて、少し科 学 的 な 知 識 や 宗 教 的 な 知 識 も持っていた 。西 洋 の 話 だけど、職 業と技 術 が 結 構 結 びついていた 。多 分 、 そろそろそういうものは なくなってきて、アー ティス トだけど同 時 に 植 物 の 研 究 をしているとか 、アー テ ィストだけど技 術 の 研 究 をしているとか 、そういう 人 が 絶 対 に 増 えていくし、境 界 線 が 無くなっていく か な 。この 人 のこの 部 分 は 従 来 のアー ティストらし い 動 きをしているけど、一 方 では 違うといような 。 エンジニアリング をしている人 、学 問 …アカデミッ クな 人 たちの 境 界 が 無くなっていくのだろうなと思 う。 ビコンセプチュアルアートとビジュアルアー トとは 分 けられ ないけど、ビジュアルアートで、更 に 手 を使うことに 興 味 が ある。未 来 を考 えた 時 に 、手 を使うことにはどんな 意 味 が あるだろうというのは まだ 分 からない 。さっき境 界 が 無くなると言ったけ ど、手 を使うプロというか 、手 を使って思 考 ロジッ クを組 み 立 てていくこと、手 のロジックと言 葉 のロ ジックを常 に 行 き来している職 業としてのアー ティ
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I don’t know what the boundary is going to be that’s right. But that is right, people who used to paint a long time ago, people who painted before the photo was made have the technique of drawing, have a little scientific knowledge, and are religious. I have knowledge, it’s quite Western, but there was quite a frame, such as profession and technology being linked, but maybe there is no longer such a frame anymore. I am an artist but I’m studying plants at the same time. As an artist I’m doing research, and that kind of thing will definitely increase and the boundaries will disappear. This person is like an artist in this part ... it’s like a traditional artist, but on the other hand, it’s different ... They are a more engineering person, or an academic ... an academic person, and that kind of boundary will disappear, I think. In Visual art ... I can’t distinguish between conceptual art and visual art, but I’m interested in using more hands in visual art, I don’t know yet, I really don’t know yet about the Future. I thought about the future, what does it mean to use a hand sometimes? I told you that there was no boundary before, but it’s like a professional who uses a hand, or uses it to assemble thought and logic. As an artist who always goes back and forth between the logic of logic and the logic of hand and the logic of the words, the artist still needs research, or if there is not yet a lot of understanding and technique, things are sleeping. I think that it will soon disappear if you shake it off, or I feel like I’ll be investigating it, but in regards to the reciprocating motion of it, I think we have quite a lot of work to do. JH: What do you hope to do after you leave Ranzan studios? RT: I’ve been talking about it because I’ve been doing it here for a long time... I wanted to go to places other than Japan, and my current interests were in language and how the language was first made, the roots of it. I think that if it is alphabet as well as Japanese or Kanji, it will become from Phoenician letters going back to Egyptian letters, but I think that I would like to go to the site and see that kind of thing. I want to see and explore these places. However, there are things that may change. JH: After you leave Ranzan studios will be able to find another art space like Atelier Ranzan? RT: I wonder if this space is important and interesting, but if I was a different member in this same space, I probably didn’t participate, so I don’t need this. So I don’t have to make it in the same space with people who think that I’m not funny. Finding a place like this will probably not be in the center of the city but maybe it can be in any country side prefecture. If you have the vitality that you can do it yourself, or you can make it work without money, you can do it anywhere. I wonder ... I wonder who I’m
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ストには 、研 究 が 必 要 で、か なり色 々なもの が 眠っ ているなと思う。どちらか に 振り切 れ ば 、すぐ無くな ると言うか 、調 べ 尽くされるような 気 がしているけ ど、それ の 往 復 運 動というとか なり余 裕 が あるんじ ゃないか な 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 嵐 山を出た 後 、何 を したいですか? 武 田 龍: 活 動 はずっと続 けていく。さっき言っ たように 、日 本 以 外 の 色 々な 所 に 行ってみたい 。今 は 、言 葉 や 言 語 が 最 初 にどうやってできたかとか 、 ル ーツの 話 に 興 味 が あるから。日 本 語 や 漢 字 に 限 らず、アルファベットだったらフェニキア 文 字 、もっ と遡ってエジプトの 文 字 になると思うけど、そうい うのを現 地 に 行って自 分 の目で 見 たい なと思ってい るから、場 所 を変 えるかもしれ ない 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 武 田さんが 嵐 山を出 たら、アトリエとして同じようなタイプ のス ペースが 見 つかると思 いますか? 武 田 龍: どうだろうな …このスペースは 大 切 で 面 白いけど、違うメンバー だったら多 分 参 加し てい な かった 。必 要 ないというか … あっても良いけ ど、重 要 なのは 一 緒 にやるメンバー だった 。面 白い と思 わ ない 人とは 一 緒 の 空 間 で 作る必 要 は ないか ら、組 む 人 次 第 。こういう場 所 を見 つけることにつ いては 、国 を問 わず 都 心 でなけれ ば ある程 度 できる んじゃないか な 。あとは 、自 分 たちで 直 す 技 術 が あ ったり、お 金 が なくても上 手く作ったりするバイタ リティー が あれ ば 、どこにいてもできると思う。誰と やるのかという、ノリの 問 題 が あるか な 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 の 美 術 概 念 につ いて他 に 伝 えたいことはありますか? 武 田 龍: みんな 仏 教 については 何となく知っ てるよね 。仏 教 徒じゃなくても、小さい 頃 から仏 教 の 色 々な 言 葉 を日 常 会 話 で 使っている。例 えば 、 「 無 常 」。 「 無( む )」に「 常( つ ね )」の 無 常 は 、常 に 変 化しているという意 味 の 言 葉 。宗 教 用 語というか 仏 教 用 語 だけど、すごく思 想 的 で、思 想 の 根 幹 になる ようなワードが日 常 会 話 に 入っている。それ は 、多 分どんな 国 でも同じで、 「 あ 、これ は キリスト教 の 世 界 で 使 わ れた 言 葉 です ね 」と言って受 け 入 れる言 葉 では なくて、日 常 会 話 で 何 も気 にせず 普 通 に 使っ ている言 葉 の 中 に 、そういう宗 教 の 種 みたい なの が 含 まれていて、絶 対 にそういう影 響 を受 けている。 どの 国 の 人 でも、思 想 の 種 が 入っている言 葉 を発し ていることに 気 づく時 期 は 必 要 か なと思う。 「これ は 宗 教 の 言 葉 だよな 、どういう思 想 なんだろう」と か 。最 近 、それを結 構 考 えている。言 葉 のル ーツと さっき言ったけど、例 えば 漢 字 は 中 国 で 始 まった 。 ジェシ ー は 漢 字 のル ーツを知ってる? 亀 の甲 羅 に 火 をつけて、ヒビ が 入って、そのヒビをどう見るか 。 ヒビ が 入る時 にパターンが あって、それで 国 の 運 命 を占っていた 。これ はすごく面 白い 。偶 然 発 生した ものを見 立 てるというか 、ある意 味 、図 像 。絵 の 話 でよくある壁 のシミから何 かを 想 像 することみたい に 、偶 然 入ったものに 何らか の 意 味 を見 出して、そ
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going to do that with, or if I’ll have a problem making it work like that. JH: Would you like expand more about your concept? RT: Somehow everyone knows, Buddhism, various Buddhist words even though they were not Buddhists from a young age, in everyday conversation, for example, what would it be? The word that always changes because it “always” is a religious term or a Buddhist term, but such a great ideological and philosophical word has entered daily conversation in any country. Maybe it’s religion, and it’s not a word accepted by saying “Oh, this is a word used in the Christian world”. The words that are included in all cultures are like seeds of that kind of religion. I’m uttering words that contain seeds of thought. I think it’s probably necessary to find such a time, even in people from different countries. “This is a word of religion, what kind of thought it is,” or is it a feeling that I have been thinking recently? I mentioned the roots of words a while ago, but it was the first time in China that kanji and so on, kanji roots emerged... do you know this Jesse? Chinese characters history. First, the turtle’s shell was set on fire, and the cracks will enter. How will you see the cracks ... I think it’s not like cracks coming in and it looks like something, but there is a pattern, and it divides the fate of the country. I mean, it’s amazingly interesting, looking at something that happened by chance, or in a sense, an iconic image... I imagine something from a stain on the wall, but it’s often a picture story, it happens by chance. It is amazing that the word develops from the meaning of what is found in the object. I am not a painter, but then I think about paintings. When I think about iconography and human beings, I study it and I thought it was very important, so studying the language can be studying the picture. That’s why I’m still Japanese and using kanji is an advantage in the sense of doing such a picture... That kind of special kanji is a strange character, so it’s a language that is still used in modern times with great magical meaning, and most people use it without worrying about it. These things ... I like these kind of things. Do you want to know more about it? JH: Of course, but lastly, what are some of your influences? RT: It was quite complicated, but the character is a historical way of thinking. More specifically, the turtle shell is first burned and cracks appear to be a complete coincidence, but the turtle shell is a creature, it’s made of Calcium ... There should be an absolute pattern when it is generated. Some people are doing that kind of research. Of course, there is a possibility that the pattern until the turtle shell is shaped affects the cracks. That’s why it’s biologically determined historically—human movements and 100
こから言 葉 が 発 展してく。それ が すごい 。俺 は ペイ ンターでは ないけど、絵 を考 える時 、図 像と人 間 を 考 えた 時 、それを研 究 するのはすごく大 事 だと思 う。言 葉 を研 究 すると、絵 についても研 究 できる。 だから、自 分 が日 本 人 で 漢 字 を使っていることは 、 絵 をやってく上 ではある意 味 でアドバンテ ー ジ にな るんだと思う。特 殊 な 漢 字というのは 、文 字 の 中で も変 なもので、まだ 呪 術 的 な 意 味 を持ちつつ 現 代 でも使 わ れてる言 語 。しかも、ほとんどの 人 は それ を気 にしてないで 使っている。だから、そういうの が 好 きなんだよね 。それ についてもっと深く知ってい きたい な 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: どんなものから影 響 を受 けますか? 武 田 龍: 結 構 複 雑 かもしれ ない 。文 字 は 歴 史 的 な 考 え 方 で、最 初 亀 の甲 羅 を焼 いてヒビ が 入っ たのは 完 全 な 偶 然 に 見 えるけど、亀 の甲 羅 が 、生 物 が 、カルシウムが 生 成される時 にパターンが 絶 対 に あるはず。そういう研 究 をしている人 もいるし。亀 の 甲 羅 が 作られるまでのパターンが 、甲 羅 のヒビ に 影 響している可 能 性 はもちろんある。だから割と生 物 学 的 、歴 史 的 に 決 まっている。人 間 の 動 作 や 制 限 、 リミットと、生 物 学 的 に 決 まっているリミット… 例 えば 手 が ある、重 力が ある、上 下 が あるということ をよく考 える。人 間 が 発 生 する時 は 左 右 対 称 に 成 長してくんだけど、それと絵 を描く時 の 行 為 は 、さっ き言った 手 のロジックのように 、どこまで 生 物 学 的 に 制 限されているのか 、ある程 度 の 制 限 が 決 まって いるのか 、それ から重 力が 気 になっている。 が ん 細 胞 を研 究している先 生 が 、大 学 の1 限 を教 えていて、その 授 業 を聞 いたんだ 。宇 宙 ステ ーション、つまり重 力が ない 所 で、生 物 の 細 胞 を育 てると育っていか ないらしい 。宇 宙 空 間 だと重 力を 再 現 できな かったから、遠 心 力をかけてやると、生 物 が 分 裂 を始 めて、生 物として成 長 を始 める。 つまり要 約 すると、生 物 が 成 長 する最 初 の 段 階 で、どこにどういう細 胞 を作るのか は 、最 終 的 に同じ幹 細 胞と言 わ れているけれど、とにかくベ ー スの 細 胞 が ある。それ が 爪 や 毛 になる。その ベ ース の 細 胞 が 手 や目になる決 め 手 は 、最 初 に 発 生 する マップ。つまり、どこに 何 を配 置しますというプログ ラムのような 科 学 物 質 で、その 分 布 が ないと手 なん かには ならない 。このマップ が 作られるきっかけは 、 地 球 だと重 力 、宇 宙 空 間 で 再 現した 時 は 遠 心 力 。つ まり一 方 に 偏っている状 態 の 時 にマップ が 決 定さ れていて、1点 が 決 まると上 下 や 左 右 が 決 まる。 そこで 制 作 する時 には 、そういうことを複 合 的 に 考 えている。ここ2〜3年 はこれ に 興 味 が あっ て、ずっと頭 の 中 にある。造 形とは 何 か 。元 々な ぜ 人 は 造 形 するのか 。造 形した 後 の 形 はどのような 必 然 によってできるのか 。それを個 人 的 にやるって感じ。
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limits, biological limits and geological limits. For example, there is a hand, there is gravity, there is up and down, I don’t think this is amazing. When humans occur, they grow symmetrically, but when you do something like that and when you draw a picture, that was the logic of your hand, but how far is it biologically limited? I’m curious about gravity, whether it’s limited or fixed to some extent ... A teacher who is studying cancer cells, told me about one limit at university. When I heard that person’s class, they spoke about the space station. It seems that if you grow cells and living cells in the place where there is no gravity, it seems that it will not grow, and when you say it grew up, it could not reproduce gravity in outer space. If you apply centrifugal force, the organism begins to divide and begins to grow as a living organism. To sum up, if anything, it’s the first stage where the organism grows, where and what cells are made of, etc ... This is ultimately said to be the same stem cell, but there is a base cell, it becomes a nail. First of all, what happens is that the cells of the base will be in the hands and the eyes, so what is decided is to generate the map first ... where to place what. If there is a scientific substance or there is a scientific structure and it is not distributed, it will not become a hand. What it is and what will make a map as a trigger is important on the earth. When it was reproduced in gravity and space, it was a centrifugal force, so the main point was that the map was decided when there was a bias, and when one point was decided, the top and bottom were decided, and the left and right were decided. Thinking about that kind of thing, that’s pretty much what you are thinking about when you are working in your own complex. That’s what I’ve been thinking in my mind for the last couple of years ... a few years ... maybe. Modeling it is called. Originally, why people do the modeling, what kind of inevitability the shape after modeling is, and I feel like I’m doing it personally. (Translated Text)
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Unknowns Midori.so Jesse Hogan
みどり荘·中目黒 ホーガン・ジェシー
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_Unknowns. Midori.so Interview — Jesse Hogan 08.06.2019 Interviewed by Mitsuo Abe Interview conducted in English
みどり荘 · 中目 黒 / ホ ー ガン · ジェシ ー / 阿 部ミツオ / インタビュー: 2 0 1 9 年 6月8日 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
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SELF-REFLEXIVITY MA: Can you tell us about this exhibition project and your research? JH: Rolling? Ok: so… We started to make this documentary and this series of interviews and films for my research project, that is for my Ph.D. Final Dissertation. We wanted to look at the different context in which artists are producing their work and how they navigate the social spheres between university practices, commercial galleries, artist-run art-spaces, and the institutional-spaces such as university-art-spaces and museums. This exhibition called Unknowns_ Between myself and Geidai Masters Graduate of Intermedia Arts Misako Taoka, first came about through contact with Tomoji Oya who is the site manager of this building and Gallery Midori.So. He first contacted me about my work at my Masters Graduation exhibition at Tokyo University of the Arts in the end of 2016 and the beginning of 2017. In that work I had arranged an interview series with Tokyo Geijutsu Daigaku graduates. I also made a series of neons and words and object pieces. At the time he contacted me and said hopefully in the near future we would be able to do something, or a project together. And, although a year or 2 had passed, he finally got in contact with me again through Instagram and Facebook and suggested that this year (2019) it would be possible to do a show in the Midori.So space. We were thinking, that this exhibition didn’t have to be an exhibition that directly reflected my research for my Ph.D. work but it could be an exhibition of objects and conceptual pieces, about things that I wanted to explore, maybe outside my research work. So, I had been thinking about this kind of boundary between practicing in the institution and between the work you make in Galleries that are either independent or exist in other contexts… and this gallery Midori.So is actually the space which accompanies a collection of other spaces in this building, a collection of different design and freelance design groups. It’s not strictly a fine arts gallery in a traditional sense, but accommodates many different kinds of practices. Fine Art exhibitions, design practices, small fashion exhibits, photography and some kinds of new media works and artworks. But, at the same time getting a space like this in Tokyo is not so easy. Just to get a very clean white space, with concrete floors, which is the kind of aesthetic that works well with the kind of work that I’ve been trying to make (even since coming to Tokyo) and is a very essential backdrop to a lot of contemporary artwork. SITUATIONS Since I came to Japan in 2013, I’d found it very hard to find appropriate exhibition spaces, and even the spaces in the University were very difficult to use, depending on the kind of floors, walls, features, and 106
自己 反 射 性 阿 部ミツオ: この 展 示プロジェクトとジェ シ ー の 研 究 について教 えてください 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 回ってる?OK。それでは … このドキュメンタリー や 一 連 のインタビューと映 像 は 、博 士 論 文 の 研 究プロジェクトのために 始 めまし た 。アー ティストたちが 作 品 を制 作 する様 々な 文 脈 や 大 学 での 実 践 、そしてコマーシャルギャラリー や アー ティスト・ラン・スペース 、大 学 のアートスペー スや 美 術 館 などの 制 度 的 スペースの 間 で 社 会 的 領 域 をどのように 立ち回っているのかを見 てみたかっ たんです。 この 展 示「 _ U n k n o w n s 」は 、東 京 藝 術 大 学 先 端 芸 術 表 現 科 修 士 課 程 を修了した 田 岡 美 紗 子と一 緒 にしました 。きっかけは 、この 建 物とみど り荘 ギャラリー のサイトマネ ー ジャーである大 矢 知 史との出 会 いです。2 0 1 6 年 の 終 わりから 2 0 1 7 年 の 始 めにかけて、東 京 藝 術 大 学 の 修了 展 覧 会 で 展 示された 私 の 作 品 について彼 から初 めて問 い 合 わせ が ありました 。私 は その 作 品 で 東 京 藝 術 大 学 卒 業 生 のインタビューシリーズ を扱っていて、ネオ ン、言 葉 、オブジェクトの 作 品 も作ったんですが 、 大 矢さんから、近 い 将 来 一 緒 に 何 かプロジェクトを しようと言 わ れました 。それ から1 〜 2 年 が 経った 頃 、I n s t a g r a m と F a c e b o o k で 彼 からまた 連 絡 が あり、その 年( 2 0 1 9 年 )にみどり荘 で 展 示 をする ことが 可 能 だと提 案されました 。 私 の 博 士 課 程 の 研 究 を直 接 的 に 反 映した 展 示 にする必 要 は ないと考 えていましたが 、研 究 活 動 とは 別 に 私 が 探 求したかったオブジェクトや 概 念 的 な 作 品 を展 示 できるのでは ないかということに なりました 。制 度 の 中での 実 践と、独 立 系 ギャラリ ー または 他 の 文 脈 に 存 在しているギャラリーで 制 作 する作 品との 境 界 線 について考 えていたのです が 、みどり荘 ギャラリー は 、まさに 様 々なデ ザイン やフリーランスのデ ザイングル ープ が 同 居している 建 物 でした 。伝 統 的 な 意 味 でのファインアートギャ ラリーでは なく、ファインアートの 展 示 やデ ザイン の 実 践 、小 規 模 なファッションの 展 示 、写 真 や 新し い 種 類 のメディア 作 品 やアート作 品 など多 種 多 様 な 実 践 に 対 応していました 。でも、東 京 でこのよう なスペース 、つまりコンクリートの 床 のクリーンな 白い 空 間 は 簡 単 に 手 に 入りません 。このような 空 間 は 、私 が 東 京 に 来 てからも制 作 に 励 む 作 品 に 沿う 美 学 であり、現 代アートの 作 品 にとって欠 か せない 背 景 です。 状況
2 0 1 3 年 に 来 日して以 来 、展 示 に 適したスペースを 見 つけるのに 苦 労しています。大 学 のスペースでさ え 、床 、壁 、機 能( 備 品 )によっては 、とても使 いにく かったです。東 京 で 展 示 を企 画し始 めた当 初 、ター ナ ー ギャラリーで 何 度 か 開 催しました 。このギャラ リーでは 、2年 連 続 で 展 示 のキュレーションを手 が けました 。ちなみに 、2回 目は オ ーストラリアの アー ティスト、シモ ー ネ・ゴラン・トロ ールとの 共 同 キュレーションでした 。2回とも展 示 のタイトル は 「 S P V I 」でしたが 、これ は 彫 刻 、絵 画 、ビ デ オ、イン スタレーションの 略 です。どちらの 展 示 にも、ある種
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fixtures that were included in those spaces. Some of the first exhibitions I managed to organize in Tokyo was at Turner Paint Works Gallery. I curated 2 shows there—2 years in a row. The second was co-curated with Australian artist Simone Goran. The exhibitions were Titled SPVI ~ which stands for Sculpture, Painting, Video, Installation. Both those shows included a mix of Australian and Japanese artists whose practice was more connected through the kind of Aesthetics, ( a concern with post-internet theory), visuality & visual style, more than there was an over connecting theme for the exhibitions. After using those 2 spaces, I realized it was not sustainable to make exhibitions at those galleries. Without some kind of funding or support from another art group, or another art space or any kind of arts funding it was expensive. The rent for these spaces was very high. After that (initial 2 years in Tokyo) I’d been attending exhibitions throughout the city (Tokyo) and I found that there were varying degrees and gaps between the artists considered as Fine Art artists and those who represented a very commercial pop side of the Tokyo art landscape—those who could be almost considered product makers or graphic artists, and fashion designers aka creatives/creators. However, despite that logic, I encountered a space last year called Wieden+Kennedy. W+K+ is also another project design show room space in Nakameguro. I was able to make contact with the W+K gallery team and do another show there with (I curated/and invited works by) some of the Ph.D. course members from Tokyo Geijutsu Daigaku, who I’d work with before, and of course some guest artists invited from Australia who sent work. DISCOVERING/SITES Again working in that context, was maybe not what we (academic based artists) feel is the ideal context for fine art, because it is so associated with design, commercial advertising and new medias—but I’ve begun to question the function of working in those kind of spaces itself, because 1. It is subvert able— you can intercept an audience who is expecting branded commercial art and products with purely conceptual based ideas. & 2. Because the networking that comes out of it with designers and media artists (many of whom have been trained in or completed fine arts degrees, but are working in commercial media because of the financial opportunities) is/ becomes very fruitful. In a (huge) city like Tokyo meeting people who work in media art and design means that there are a lot of other opportunities that can arise outside of the connections only within the institutions of the university, and also for example— the curatorial practices of the museums. In addition, considering the commercial gallery scene in Tokyo— it seems to be very hard to enter representation as a foreigner, especially if you live in Japan and practice in Japan. Most of the foreign artists who seem to be selected for commercial representation and gallery shows are people who are selected by Japanese 107
の 美 学( ポスト・インター ネット理 論 に 関 する懸 念 ) 、視 覚 性と視 覚 スタイルを通じて、実 践 がより密 に 結 びついたオ ーストラリアと日 本 のアー ティストが 含 まれており、そこには 展 覧 会 のテ ーマを繋ぐ以 上 のもの が ありました 。このスペースを2度 使 用した 後 、別 のアートグル ープやアートスペース 、または 何 かしたアートを支 援 する助 成 金 からの 資 金 やサポ ートが なけれ ば 、こういったギャラリーで 展 覧 会 を 開 催し続 けることは 難しいのだと気 付 きました 。賃 料 がとても高 かったので。 その 後 、東 京 に 住 み 始 めて最 初 の2年 間 は 都 内 で 開 催された 展 覧 会 をくまなく巡り、美 術 家と 見 なされるアー ティストと、とても商 業 的 でポップ な 東 京 のアートシ ーンを代 表 するアー ティスト、メ ーカ ー やグラフィックアー ティスト、ファッションデ ザイナ ー(クリエイティブ /クリエイターとも呼 ば れ る)とも捉 えられるであろう人 々との 間 に 、様 々な 範 囲 やギャップ が あることを発 見しました 。それで も去 年 、W e i d e n + K e n n e d y というスペースに 出 会ったのです。W + K + は 、中目 黒 にあるプロジェ クトデ ザインのショール ームスペースです。ギャラ リー のチ ームに 連 絡 を取り、展 示 をしました 。私 が キュレーションを手 が け、東 京 藝 術 大 学 博 士 課 程 に 在 籍 中で 一 緒 に 展 示 をしたことのあるメンバー を数 名 招 待しました 。それ からもちろん 、オ ーストラ リアからゲストアー ティストを招 いて、作 品 を送っ てもらいました 。 発 見 / サイト 繰り返しますが 、このような 文 脈 で 活 動 すること は 、私 のようなアカデミックベ ースのアー ティストに とって、理 想 的 なファインアートの 文 脈 には 思 えま せんでした 。この 文 脈 は 、デ ザインや 商 業 広 告 、ニュ ーメディアに 深く関 連していたからです。それでも、 そのようなスペースで 活 動 するという機 能 について 疑 問 を持ち始 めました 。それ はまず、そのような 機 能 を覆 すことが 可 能 だからです。つまり、純 粋 に 概 念 に 基 づ いたアイデアでブランド化されたコマーシ ャルアートや 商 品 を期 待している観 客 を遮ることが できます。その 理 由 は 、デ ザイナ ー やメディアアー テ ィスト( 多くは 美 術 の 学 位 を取 得しているが 、金 銭 的 な 理 由 からコマーシャルメディアで 働 いている) とのネットワー キング がとても役 立 つからです。 東 京 のような 巨 大 都 市 でメディアアートや デ ザインの 分 野 で 働く人 々と出 会うと、大 学 の 制 度 内 での 繋 がりを超 えたところで、例 えば 美 術 館 のキ ュレーションなど他 の 機 会 が たくさん 生 まれます。 また 、東 京 のコマーシャルギャラリー のシ ーンを考 えると、外 国 人として参 加 することは 、特 に日 本 に 住 んで 実 践している場 合 、とても難しいもの が あり ます。日 本 人 のキュレー ター または ギャラリー ディ レクター により広 告 宣 伝 や 展 覧 会 に 選 ば れる外 国 人アー ティストの 大 半 は 、自 国 で 既 に 大 きな 成 功 を 収 め 地 位 を確 立しています。彼らのようなアー ティ ストにとっては 、日 本 に 在 住しているよりもゲストと して来 日する方 が 合っています。 みどり荘 は 、公 式 なアートギャラリーとは 違 い 、制 度 的 にも商 業 的 に 認 識されてい ないかもし れません 。でも全 体 的 に 見 れ ば 、みどり荘 のような 場 所 での 活 動 は 、社 会 や 都 市 で 実 践 を行 い 、繋 が りを構 築 するうえでとても効 果 的 だということが 分
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curators or/or gallery directors because their practice is already very successful ( & established) in their own countries. It works well for them (these artists) to come to Japan as guests rather than being current residents. Overall, I discovered that working in a place like Midori.So although it may not be as institutionally recognized or commercially recognized as an official art gallery is still very effective to build a practice and build connections within this society and within the city. So, that really led in a way, to the practice that I’ve been doing in Tokyo; considering the SITE/ CONTEXT/and the kind of MATERIALITY, that I wanted to use and approach exhibitions and these spaces. MA: Can you talk about your projects and the idea Survival Aesthetics? JH: The term Survival Aesthetics, which I am using for the Ph.D. Project and the Thesis came out of reading a text. A Jacques Derrida text about how a writer, philosopher or an artist has to work continuously to create their own historical legacy and how the body of their work throughout their life-time contributes to something that will be left over in time beyond their own (physical) existence. I had thought about what many artists have done throughout history is create some kind of conceptual gesture (a strategic move) which is new and profound. In fact, so new to the way people are thinking that it becomes like a kind of magnify glass (or mirror) of their ideas. It also magnifies the collective (social) ideas of a generation of artists. I thought about how many artists strive to create this kind of mirror lens or magnify glass, which will/can live on beyond their own existence. But, it is very hard to do, so… you can’t always intentionally make art to create a historical legacy. Sometimes the timing of the piece you create or the social condition your living in, or the political condition is just right for the idea to come into fruition (or meet its ideal audience) and catches the attention of the society or the collective conscious that you are working in. But, it could also depend on the channels of dissemination e.g. It being presented in a high profile gallery, museum, or under a high profile brand name. BEYOND AESTHETICS If the artist can’t always make a work that becomes a magnify glass, then in a way they probably build (or work with strategies for their practice—so that there is strategic/short term fulfillment of goals & success) strategies for their practices so that their work becomes something that lives beyond them or connects to many people beyond themselves…& … One of those things that was about in contemporary art became the Relational Aesthetics of the work. i.e. How it is connected to other people and how other people engage with it. Also, importantly is how an artist includes other people and other practitioners in their project, via collaboration. Because, by 108
かりました 。さらに 、使 おうと思っていた S I T E( サイ ト)/ C O N T E X T( 文 脈 )/と M A T E R I A L I T Y( 物 質 性 )、展 示 会 やそのスペースに 対 するアプロ ー チなどを考 えてみると、このような 活 動 は 、自 分 が 東 京 で 行ってきた 実 践 につな がりました 。 阿 部ミツオ: 「 生 き残る美 学 」のプロジ ェクトとアイデアについて話してもらえます か? ホ ー ガン・ジェシ ー: 博 士 課 程 のプロジェクトと 論 文 で 使っている「 生 き残る美 学 」という用 語 は 、 ジャック・デリダ の 文 献 を読 む中で 生 まれました 。 この 文 献 は 、作 家 や 哲 学 者 、芸 術 家 が 自 分 の 歴 史 的 遺 産 を生 み 出すために 絶 えず 努 力し続 けなけれ ば いけない 様 子 、そして生 涯 にわたる彼らの 作 品 自 体 が 、彼らの 肉 体 的 な 存 在 を超 えた 時 間 の 中 に 残 るものに 貢 献 する様 子 を扱っています。それまで 私 は 、歴 史 を通じて多くのアー ティストが 行ってきた のは 、概 念 的 なジェスチャー( 戦 略 的 な 動 き)のよ うなものを作り上 げ たことだと考 えていました 。そ れ は 人 々の 考 え 方 からすると、とても新しく深 み が あり、アイデアの 拡 大 鏡( または 鏡 )のようなものと なります。また 、その 世 代 のアー ティストの 集 合 的 な ( 社 会 的 な )アイデアも拡 大します。私 は 、こういっ た自 分 自身の 存 在 を越 えて生 き続 けるミラーレンズ や 拡 大 鏡 を生 み 出 そうとするアー ティストがどれ だ けいるのだろうかと考 えました 。でも、いつも歴 史 的 な 遺 産 を生 み 出す目 的 でアートを制 作 できると は 限りませんから、とても難しいことです ね 。時 々、 制 作 する作 品 や自 分 が 生 活 する社 会 的 条 件 、政 治 的 条 件 がちょうど良いタイミングで 揃 い 、アイデア が 実 現し( または 理 想 的 な 鑑 賞 者 に出 会 い )、活 動 する社 会 や 集 団 の 注 目を集 めることが あります。で もそれ は 、例 えば 有 名 なギャラリー や 美 術 館 による 提 示 、または 有 名 なブランド名 義 での 提 示 など、発 信 の 経 路 にもよります。 美 学 を超 えて アー ティストが 拡 大 鏡となるような 作 品 を作 成 でき ない 場 合 、戦 略 的・短 期 的 に目 標 を達 成 できるよう 実 践 のための 戦 略 を構 築 するか 利 用 するでしょう。 作 品 は 、そのようにしてアー ティスト自身を超 えて 生 き、多くの 人 々へと繋 がるものになるのです。これ に 関 係 する一 つの 点 は 、現 代 美 術 が 作 品 の「 関 係 性 の 美 学 」となることです。例 えば 、作 品 が 他 の 人 々とどのように 繋 がり、どのように 関 わるかというこ と。また 、アー ティストがコラボレーションを介し、 どのようにして他 の 人 々や 実 践 者 をプロジェクト に 組 み 入 れるのかも重 要 です。それ は 、他 の 人と繋 がるために 活 動 を拡 大 することにより、その 勢 い が 増 す 可 能 性 が 高 いからです。これ は 、社 会 的 な 勢 い と社 会 的 な 意 味 なのですが 、私 は「 生 き残る美 学 」 で、アー ティストが 作 品 を繋ぐ方 法 について次 のよ うに 書 いています。 1 . 他 の 作 品との 形 式 的 、概 念 的 、歴 史 的 な 繋 がりを構 築 する。 2 . コ ラボレーション( および 作 品 / 展 示 会 の 共 同 編 集 など)を通じて他 のアー ティストと繋 がる。共 同 作 業 により、人 々のネットワーク「 複 数 のオ ー サ ーシップ 」が 生 まれる。
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expanding the work to connect with other people—it is more likely that this thing would gather momentum. It’s social momentum and social meaning. In Survival Aesthetics what I have been writing about is how artists connect their work: 1. To other artworks, which builds formal, conceptual and historical connections. 2. Connecting to other artists, through collaboration (and co-authoring works/ exhibitions, etc.) Working together—which creates a network of people, ‘Multiple Authorship’. 3. How through the context of where they position themselves and their artworks and projects/how they connect to institutional bodies e.g. again the universities, commercial galleries and museums. (With these 3 aspects in mind, I question; how do you acquire the agency in the first place? & how do artists acquire these appropriate exhibition contexts?) AGENCY/CONFIRMATIONS While or unless curators and galleries are selecting artists to suit their own themes/agendas which they want to produce for the institution or for museum projects, the artist is left on their own with no platform on which to be presented to their society. Survival Aesthetics comes down to artists having to build their own platforms, to curate their own exhibitions, to manage their own funding. To reach out and find channels which they can ride, float on, etc. So it is very much looking at; on the one hand, an artist’s own responsibility and their own execution of their work. And, on the other hand it’s about the artist catching connections with other people, other producers, other curators, and other audiences, in other words conciliating the ‘The Census Communis’—so that their work can be given a platform to exist and therefore survive on. Building, finding and preparing a context in which to survive, or in which it can survive, and in effect acquire its own artistic, historic and cultural legacy is what is being critically considered. So…A lot of this, to show examples of how artists have survived is examined through selections of my own and other artists projects. One of my primary examples is with On Kawara, the Japanese conceptual artist. &, How he for years through his ‘I am Still Alive’ project, sent postcards to very prominent gallerists, artist, and other intellectuals all around the world, almost every day for maybe 20 years or 30 years. Although he worked in isolation, it was his way of concreting his existence, confirming his existence in the world and therefore sharing his identity and letting people know he existed— particularly in the artworld. Through the years of that process he built up an archival catalogue of his postcards which have now existing collections all around the world. This established a kind of survivalist/ survival situation for him which along with his other 109
3 . ア ー ティストはどのように自らを位 置 付 け、 作 品 やプロジェクトの 文 脈 を通じて大 学 や コマーシャルギャラリー 、美 術 館 のような 制 度・組 織 に 繋 がるのか 。 ( 以 上3つの 側 面 を念 頭 に 置 いて、次 のように 問 いかける。そもそも、どのようにしてエー ジェンシ ー に 登 録してもらうのか?そしてアー ティストは 、適 切 な 展 示 の 文 脈 をどのようにして自 分 のもするの か?) 代理/確認 キュレー ター やギャラリー が 、組 織 や 美 術 館 にお けるプロジェクトで 制 作したいテ ーマやアジェンダ に 合うアー ティストを選 択 する場 合 を除 き、アー テ ィストは 社 会 に 展 示 するプラットフォームを持 たな いまま 取り残されています。 「 生 き残る美 学 」は 、ア ー ティストが 独 自のプラットフォームを構 築し、独 自の 展 示 をキュレーションし、自 分 で 資 金 を賄うこ とに 言 及しています。それ は 、自 分 が 乗って遊 動 で きるル ートを探し求 めるためです。ですから一 方 で は 、アー ティスト自身の 責 任と作 品 の 実 践 によく注 目しています。他 方 では 、これ はアー ティストが 他 の 人 々、プロデュー サ ー 、キュレー ター 、観 客との 繋 が りを捉 えること。つまり、作 品 が 存 在し、生 き残るた めのプラットフォームを与 えるために「コモンセン ス 」をすり合 わせることです。 生 き残る、または 生 き残ることができる文 脈 を構 築 、発 見 、準 備し、事 実 上 独 自の 芸 術 的 、歴 史 的 、文 化 的 遺 産 を 獲 得 することが 批 判 的 に 考 慮さ れています。これらの 多くは 、アー ティストが 生 き残 ってきた 例 を示 すため 、私 自身と他 のアー ティスト のプロジェクトを通して考 察されます。代 表 的 な 例 として、日 本 のコンセプ チュアルアー ティストであ る河 原 温 が います。彼 は「 I a m S t i l l A l i v e 」プロ ジェクトで、2 0 〜 3 0 年 間 ほ ぼ 毎 日 、世 界 中 の 著 名 なギャラリストやアー ティスト、その 他 の 知 識 人 宛 てにポストカ ードを送っていました 。孤 立して作 業 していましたが 、自 分 の 存 在 を具 体 化し、世 界 にお いて自 分 の 存 在 を裏 付 ける彼 なりの 方 法 でした 。そ のようにして特 に 美 術 界 で自 分 のアイデンティティ を 共 有し、自 分 が 存 在したことを人 々に 伝 えたので す。河 原 は 、その 長 年 にわたる過 程 において、今と なっては 世 界 中 にコレクションが 存 在 するほどのポ ストカ ードのアーカイブ カタログ を構 築しました 。 今 も彼 自身の 実 践 や 物 理 的 な 生 存 を超 えてほ ぼ 自 律 的 に 生 き続 けている他 のプロジェクトとともに 、 ある種 の 生 存 主 義 者 / 生 存 状 況 が 確 立されたので す。 ネット/ ネットワーク/ ウェブ 今 のアー ティストが 河 原 温 のようなことをするため には 、どうすれ ば 良いのだろうと考 えていました 。現 代 には 、S N S やインター ネット、ウェブ サイトなど が あります。私 たちは 、将 来 すら分 からない 興 味 深 い 状 況 / 条 件 下 にあります。それ は 、オンラインネッ トワークやシステム 、プラットフォームが 、デジタル 空 間 または W W W 、 「ワール・ドワイド・ウェブ 」に おいていつまで 続 き、存 続 するのか 分 からないから です。それでも現 在 、これらのプラットフォームは 、
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projects now lives on almost autonomously beyond the artists own practice and physical life. NET/NETWORK/WEB So… I was thinking, what are some of the things artist can do now to do that? Like what On Kawara had done—now with social media networks, internet, making websites, etc. Now we have this interesting situation/sort of condition (to)—in which we don’t even know the future of… because we don’t have any idea how long these digital online networks, systems and platforms are going to last or exist in the digital space or on the WWW. World Wide Web? But currently these platforms have completely changed the way peoples chance of surviving (through information & Image) or creating an ongoing legacy which exists beyond their own physical existence. It has completely changed compared to or with the past which was more reliant on printed media e.g. books, magazines, vinyl records, etc. and which although we are still watching in the span of time, many of these kind of materials degrade and become illegible. For example, paper and books. How long these things can last ? Unless archived and preserved, we have no idea. If they are properly archived they remain in our field of access and memory for centuries. But, Now we are in a different condition where artists have an opportunity to archive and disseminate their images, ideas and practices, thoughts, etc… rapidly through many different channels. So the way that artists use those medias is going to define the way that artists survive in certain contexts to a certain extent. The legacy of their message, their work and how that will live on beyond their physicality and remain relevant in the future is all in question. ARCHIVE/MEANING MA: What is the meaning of ‘conceptual artist’? JH: The meaning of conceptual artist’ is, I think something that is very difficult to articulate, very difficult to describe… Because a conceptual artist is often an artist who has been many other types of artists. And, originally and traditionally from the ideas of Marcel Duchamp to the generation of conceptual artists of the 1960’s—it was really to overcome the retinal, which is the visual (primacy of art) dominance of the visual arts, and instead create cognitive and cerebral interpretations of art. So, there are many terms now of what defines conceptual art, e.g. Terms like post-conceptual, meaning using conceptual art thinking (theory) but going back to a very visual display of the concept. I think that since the terminology ‘conceptual art’ became officially used, conceptual art itself has been visually archived in much the same way that other traditional forms of art have been archived and collected; through its materiality and through its visual language. However,
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情 報と画 像 を通じて人 々が 生 き残る方 法 、または 物 理 的 な 存 在 を超 えて存 在し続 ける遺 産 を生 み 出 す 方 法 を完 全 に 変 えてきました 。書 籍 や 雑 誌 、レコ ードなど印 刷 媒 体 に 依 存していた 過 去と比 較して、 大 きく変 化したのです。私 たちが 長 い 間 見 ているも のの 素 材 の 多くは 、やがて劣 化して判 読 不 能 にな ります。例 えば 紙と本 ですが 、これらはどれくらい 存 続 するでしょうか?アーカイブされて保 存されて い ない 限り、分 かりません 。適 切 にアーカイブされ ている場 合 、何 世 紀 にもわたりアクセス 可 能 ですし メモリー に 残ります。でも現 在 の 状 況 は 以 前と異 な り、アー ティストが 自 分 の 画 像 やアイデア、実 践 、思 考 などを多くの 異 なるチャンネルを通じてアーカイ ブし、広 める機 会 を持っています。つまり、アー ティ ストがこれらのメディアを使 用する方 法 が 、彼らが 特 定 の 文 脈 で 生 き残る方 法 をある程 度 定 義 するの です。アー ティストのメッセ ー ジ の 遺 産 や 作 品 、そ れ がアー ティストの 肉 体 を超 えてどのように 生 き続 け、将 来 関 連 性 を維 持 するか が 問 題 な のです。 アーカイブ / 意 味 阿 部ミツオ: 「コンセプチュアルアー ティ スト」の 意 味 は 何 ですか? ホ ー ガン・ジェシ ー: コンセプ チュアルアー ティス トの 意 味 を表 現したり説 明したりするのは 、とても 難しいことです。な ぜ かと言うと、コンセプチュアル アー ティストは 他 のタイプ のアー ティストでもある ことが 多 い からです。もともとは 、1 9 6 0 年 代 のコ ンセプチュアルアー ティストの 世 代 に 対 するマルセ ル・デュシャンのアイデアから来るものです。ビジュ アルアートの 視 覚 的 優 位( 芸 術 の 優 位 性 )でもある 網 膜 的 絵 画 を克 服し、認 知 的 で 知 的 な 芸 術 の 解 釈 を生 み 出すことでした 。現 在 は 、コンセプチュアルア ートを定 義 するうえで 様 々な 用 語 が 使 わ れていま す。例 えば 、ポストコンセプチュアルのような 用 語 が あります。これ は 、概 念 的 な 芸 術 思 考( 理 論 )の 使 用 を意 味しますが 、とても視 覚 的 な 概 念 の 表 現 に 戻り ます。 「コンセプチュアルアート」という用 語 が 公 式 に 使 用されるようになってからというもの 、コンセ プチュアルアート自 体 も他 の 伝 統 的 な 形 式 の 芸 術 がアーカイブされ 収 集されるのとほ ぼ 同じ方 法 で、 その 物 質 性と視 覚 的 言 語 を通じ、視 覚 的 にアーカ イブされたのだと思 います。ただし、コンセプチュア ルアートの 機 能 や 意 味とは 、その( 経 済 的 )貨 幣 的 価 値 、金 銭 的 価 値 、機 能 などの 使 用 価 値 を超 えて、 私 たちがどのように 知 覚 するか 、そして物 体 やアイ デア、言 葉 に 焦 点 を当てることを指しています。コン セプチュアルアー ティストは 、鑑 賞 者 が 物 事 を異 な るアングル から鑑 賞し、画 像 や 物 体 が 単 に 製 品とし てまたは 経 済 的 価 値 のあるものとしてだけでは な く、精 神 的 な 面 でいか に 興 味 深 いのかを考 えるうえ での 助 けを与 えます。 価値 コンセプ チュアルアー ティストは 、様 々な 意 味 にお いてとても重 要 だと思 います。人 々が 実 際 にアート に 対して抱くアイデアに 挑 戦 するため 、そして芸 術 の 定 性 的 な 解 釈 や 価 値 を変 えるためです。さらに 、 「 良い 」絵 画 、または「 良くできた 」彫 刻 である(「 賢
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what conceptual arts function or meaning is, is to really focus on how we perceive and object or an idea, or a word, beyond its (economic) monetary value, its financial value and beyond its use value i.e. its function. What a conceptual artist does is help the viewer look at things from a different angle—and to think about how those things are interesting in a mental way ~ other than images and objects being interesting only as products or as things that have an economic value. VALUES I think conceptual artists have also been really important to challenge what peoples actual idea of art is. To alter arts qualitative reading and values. To take peoples idea of art away from thinking that it’s a ‘good’ painting, or a well-made sculpture ( it could however be centered on the notion of art as ‘A clever idea’) and to think and focus more on the fact, that artworks are often the results of thinking about things. It is to challenge the very meaning of art itself and question, not what is it? But, ‘What is art’? MA: To be received by the social, how do you think about the social education, the medium for art, a little bit from another aspect… & The connection with the social as a whole of human beings… compared with modern system to show the art… Do you have any ideas to show works in other public situations? JH: The works themselves are very specific to art contexts, to their relationships and conversation with other artworks… and also their placements within an art context—such as a user’s space or studio/ an ARI—artist-run-gallery, a commercial gallery, a museum, etc. And, because those contexts often receive specific viewers and audiences, the artist has to think of how that artwork will be received and who is going to read it and communicate with it. So in this context because most of those who would come here are creatives, designers, media artists, people who work in fashion design, and other fine artists, the work already, relies to a degree on peoples prior knowledge. They already have some knowledge of the aesthetics, language, or the concepts or histories that the artworks are connected to. But, if however, you’re working with an institutional facility like a museum, because your audience is going to be so much wider, outside of just other art practitioners or other curators, the work would need to be able to be read by the viewers in multiple ways. Not everybody can read the work in terms of the works connection to art history. They need to be able to read other meta languages and vernacular. If it doesn’t do something directly connected to or with their social situation— they need to be able to read it through its aesthetics and formal properties. Like for example; If a work is exciting in terms of color or material—the person does not need to immediately know anything about 113
いアイデア 」として芸 術 の 概 念 の 中 心 になる場 合 も ありますが )という人 々のアートに 対 する考 えを取 り除くため 。そして、芸 術 作 品とは 物 事 について考 えた 結 果 であることが 多 いという事 実 に 焦 点 を当 てて考 えるためです。 「 何 であるか 」では なく「アー トとは 何 か 」というアートそのものの 意 味 や 問 いに 挑 戦 することでもあります。 阿 部ミツオ: 社 会 に 受 け 入 れられるため 、 社 会 的 教 育 、芸 術 媒 体 など別 の 側 面 につい てはどのように 考 えますか?また 人 類 全 体 としての 社 会との 繋 がりや、アートを展 示 す る現 代 のシステムと比 較した 時 、公 共 の 場 で 作 品 を展 示 する他 のアイデアはあります か? ホ ー ガン・ジェシ ー: 作 品 自 体 は 、他 の 作 品との 関 係 や 会 話 に 対 するアートの 文 脈 特 有 のものです。 そして、ユー ザ ー のスペースやスタジ オ / A R I 、アー ティスト・ラン・ギャラリー 、コマーシャルギャラリ ー 、美 術 館 などのアートの 文 脈 における位 置 付 けに 関しても同じです。これらの 文 脈 は 、特 定 の 視 聴 者 や 観 客 にさらされるため 、アー ティストは 作 品 がど のように 受 け 取られ 、誰 が それを解 釈してコミュニ ケ ーションを取るのかを考 えなけれ ば なりません 。 この 文 脈 では 、ここに 来る人 のほとんどがクリエイ ティブ、デ ザイナ ー 、メディアアー ティスト、ファッシ ョンデ ザイン 関 係 者 やファインアー ティストだった ため 、作 品 は 彼らがもともと持っている知 識 にある 程 度 依 存しています。彼らは 、美 学 、言 語 、あるいは 作 品 が 関 係している概 念 や 歴 史 についてある程 度 の 知 識 を持っています。ただし、もしこれ が 美 術 館 などの 制 度 的 な 施 設 になった 場 合 、鑑 賞 者 層 は 芸 術 実 践 者 やキュレー ター を超 えて相 当 幅 広くなる ため 、鑑 賞 者 が 複 数 の 方 法 で 解 釈 できる作 品 を展 示 する必 要 が あります。全 ての 鑑 賞 者 が 、美 術 史と 作 品 の 繋 がりの 観 点 から作 品 を解 釈 できるわけで はありません 。他 のメタ言 語 や 専 門 用 語 を理 解 でき なくては なりません 。作 品 が 、鑑 賞 者 の 置 か れた 社 会 的 状 況 に 直 接 関 連 するものでない 場 合 、作 品 の 美 的 特 性 や 形 式 的 特 性 を通して理 解 できる必 要 が あるのです。例 えば 、もし作 品 の 色 や 素 材 がとても 面 白い 場 合 、鑑 賞 者 は「 な ぜ?」と作 品 の 背 後 にあ る理 由 をすぐに 知る必 要 はありません 。この 場 合 、 アー ティストは 、視 覚 的 または 物 理 的 な 体 験 を鑑 賞 者 に 提 供しているのです。 社会学 社 会 学 は 人 類 や 人 間 の 幸 福 、社 会 の 進 歩 などをと ても直 接 的 に 扱 いますが 、アートは 他 の 研 究 分 野 や 学 問 分 野 に 焦 点 を当て、相 互 関 係 を結 ぶことが できます。それ だけでなく、体 験 を通して社 会 的 な 繋 がりを生 み 出すこともできます。ですので、アー テ ィストにとって最 新 の 社 会 問 題 を読 んだり聞 いたり すること、そして社 会 の 政 治 状 況 を把 握して理 解 す ることは 、とても重 要 だと思 います。ただ 、社 会 環 境 などに 直 接 関 与 するタイプ の 作 品 、例 えば 、概 念と 計 画 を手 にしたアー ティストが 社 会 に出て、実 際 に 社 会 やコミュニティの 人 々、つまり「アー ティストで は ない 」人 々と関 わって活 動 する…これ は か なり特 殊 な 分 野 です。そして、ソーシャルワークやコミュニ
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‘why’? Or the reason behind the work. In this case the artist is delivering a visual or physical experience to the viewers. SOCIAL STUDIES Although social studies, which has very direct concerns with humanity, human wellbeing, the progress of society, etc.—and art can be focused or intertextual with those other fields of study and with those other disciplines. But, it can also create social connections through its experiential form. I think it’s very important that artists read and listen to social issues, and are very up-to-date and are understanding the political situations of the society. But, the type of work that is directly engaged with the social environment, etc… as in the artist goes out ( with a concept and plan in hand ) into society and actually engages and works with people in society/ the community i.e. ‘not artists’—is a very special field. And, it has a very special (social) purpose—akin with or like social work or community work. Also in other mediums for example, social documentary (film) making—it has a very clear and very specific intention to disseminate information, spread a message, and to share a message that is important to people’s shared experiences. Within art that is more specific to the artworks themselves, it is perhaps… The social aspect I mean, is more about the gathering of people in the various social contexts of art-spaces, galleries and museums. The gathering of people coming together, the sharing of ideas, and in some ways like the philosopher Michel Serres speaks of, create a situation where the artwork is a ‘Quasi-Object’. The ‘Quasi-Object’ is something like a soccer ball, using the example of Michel Serres. A object that doesn’t have its own function (unless we impart our use value or function onto it) or unless it’s used by a social collective in a social situation/a coming together of many or a few people to activate it…like a soccer ball. A soccer ball becomes the center of a huge social activity e.g. a big soccer game, where players all are moving around the object, the object gets moved in the field—and the audience engages with this movement and activity on a huge scale. Here, the ball becomes the nucleus of social and human movement. ACTIVATION Art objects are often too like Michel Serres QuasiObjects. Art Objects and (exhibitions) often also perform this social function. They are Quasi-Objects (Non-Objects), they don’t do anything. They sit on walls or on floors in the middle of an art-space or an exhibition space and they await for audiences to come and interact with them—and those social interactions build character, community, they build experience. Through the networks of people that surround and engage the art object.
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ティワークと同 類 または 同 様 の 、とても特 殊 な 社 会 的 目 的 も持っています。ソーシャルドキュメンタリー ( 映 画 )制 作 のような 他 の 媒 体 でも、メッセ ー ジ を 広 め 、人 々の 経 験 を共 有 するために 重 要 なメッセ ー ジ を共 有 するという非 常 に 明 確 かつ 具 体 的 な 意 図 が あります。 より作 品 に 特 化したアートにおける社 会 的 側 面 が 指 すものは 、恐らくアートスペース 、ギャラ リー 、美 術 館 などの 様 々な 社 会 的 文 脈 の 中 の 人 々 の 集 まりであると思 います。つまり人 々の 集 まりや アイデアの 共 有 であり、哲 学 者ミシェル・セ ールの 言 葉 を借りれ ば 、作 品 は「 準 オブジェクト」です。 「 準 オブジェクト」とは 、ミシェル・セ ール が 挙 げ た 例 で 言 えば サッカ ー ボ ールのようなもの 。これ は 、使 用 価 値 または 機 能 を付 与しなけれ ば 、あるいは 社 会 的 状 況 下 で 社 会 的 集 団 が 使 用したり、多 数 また は 少 数 の 人 々が 集 まって作 動させたりしなけれ ば 独 自の 機 能 を持 たないオブジェクトです。サッカ ー ボ ール は 、巨 大 な 社 会 活 動 の 中 核 になります。例 え ば 、プレー ヤ ー 全 員 が オブジェクトの 周りを動 き回 るような 大 きなサッカ ー ゲ ームで、オブジェクト自 体 がフィールド内 で 動 き回り、観 客 はこの 動 きと活 動 に 大 きく関 与します。すると、ボ ール は 社 会 的 お よび 人 間 の 動 きの 中 核となります。 活発化 たいていアートオブジェクトも、ミシェル・セ ールの 言う「 準 オブジェクト」のようなものです。アートオ ブジェクト( および 展 示 )も、こうした 社 会 的 機 能 に 働 きかけます。準 オブジェクト( 非 オブジェクト)で あり、何 も行 いません 。アートスペースや 展 示 スペ ースの 真 ん中 の 壁 や 床 の 上 に 腰 を下ろし、訪 れた 観 客 に 交 流してもらうのを待ちます。このような 社 会 的 相 互 作 用 は 、アートオブジェクトを取り巻 き、 関 与 する人 々の 繋 がりを通じて、キャラクター やコ ミュニティ、経 験 を構 築します。 ポジショニング 阿 部ミツオ: G P S 故 郷 / ロケ ーションピ ースについて教 えてください 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: これ は 、ロケ ーション G P S クロムパネル・シリーズ の2番 目の 作 品 です。このア イデアは 、次 に 展 示 を行 おうと計 画しているアート スペースと自 分との 位 置 関 係 を想 像しようとする中 で 生 まれました 。この 作 品 には 、カットされた 形 の ドロ ー イング が あります。この 形 は 、記 憶 に 残るみ どり荘 の 位 置 を示したものです。 私 は 田 園 都 市 線 沿 線 に 住 んでいます。みど り荘 に 行く時 は 田 園 都 市 線 に 乗り、池 尻 大 橋 駅 で 下 車しました 。みどり荘 を目 指して歩 いていたの に 、渋 谷 まで 行ってしまいました 。道 に 迷 い 、中目 黒 までは 戻 れたのに 、まだみどり荘 は 見 つかりません でした 。それでこの 道 を戻って来 て、やっとたどり着 きました 。この 番 号 は 、みどり荘 ギャラリー の G P S です。このシリーズ では 、鑑 賞 者 が G P S( 緯 度 、経 度 )をスマホで 入 力します。G o o g l e マップに 入 力し て検 索 すると、ギャラリー の 場 所 が 表 示され 、ドロ ップピンが 、作 品 が あり鑑 賞 者 が いるギャラリー の 位 置 に 正 確 に 配 置されます。外 には 地 元 の 小 学 校
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GPS MA: Could you talk about your GPS Home/ Location piece? JH: This piece is the second in a series of location GPS—chrome panels that I’ve made. The idea came from trying to imagine where your positioned in relation to the next art-space you are planning to work in. In this piece there is a drawing of cut forms. These cut forms ~ represent my memory of where the location of this Midori.So space is. I live on the Den en Toshi Sen. I come to Midori.So by the Den en Toshi Sen, and got off at Ikeji-Ohashi. I tried to find the Gallery but I walked to Shibuya. I was lost and walked back to Nakameguro, but I was still lost. Then I came back this way and finally found the gallery location. This number is the GPS of the Midori.So Gallery. So, in this series you type the GPS—Latitude, Longitude into the phone, and when you put it into google maps and do a search, the location of the gallery comes up, and the drop pin is situated in the gallery/Midori.So building exactly in the position in the gallery where this piece and the viewer is located. Outside here you see the pool of the local elementary school which is viewable in the reflection as well when the doors are open. So, it’s part of a series of specific-objects, but which are completely site-specific to each art space. The HOME/LOCATION—GPS SERIES includes 2 gold Mirror Perspex pieces which I created as Site specific works to show in Australia after living in Tokyo Japan for over 7 years. One of them mentions the term, ‘I still call Australia home’, but written by a Venezuelan Artist ‘Aquiles Hadjis’ who is living in Tokyo and actually has no home nationally at the moment. This notion confronts issues relating to Australian national identity history and current issues dealing with immigration and access to ‘obtaining’ residency rights in our society. It reads “You Call Australia Home, They Call Australia Home, The Artist Calls Australia Home, I can’t call Australia home”. The other piece includes the Latitude & Longitude co-ordinates of a Sydney Art Space laser engraved into the mirror. When the viewers or audience types in the co-ordinates to their phone on google maps—looks at their google map, the Art Site Location ‘pin’ pops up on Google Maps, at the same location the viewer is standing. These pieces are part of an ongoing series of home/location GPS—chrome panels.
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のプール が あって、ドアが 開 いている時 にも反 射し て見 えます。これ は 、特 定 のオブジェクトシリーズ の 一 部 ですが 、それ ぞ れ のスペースに 合 わせた 完 全 に サイトスペシフィックな 作 品 です。 HOME/LOCATION-GPS SERIESに は 、サイトスペシフィックな 作 品として、ゴ ールドの アクリル 樹 脂ミラー を使った 作 品 が2つ 含 まれて います。7年 以 上 東 京 に 住 んだ 後 にオ ーストラリア で 展 示 をするために 制 作したもので、そのうちの 1 つは 、 「 私 は 今 でもオ ーストラリアを故 郷と呼 んで います 」という言 葉 に 言 及しています。この 言 葉 は 、 東 京 在 住 で、現 時 点 では 故 郷と呼 べる国 の 無 い ベ ネズ エラ人アー ティストのアキレス・ハッジスによっ て書 か れています。この 概 念 は 、オ ーストラリア 国 民 のアイデンティティ、歴 史 、および 移 民と居 住 権 取 得 に 関 する現 在 の 社 会 問 題 を扱っています。ここ には「 あなたは オ ーストラリアを故 郷と呼 んでいま す。彼らもオ ーストラリアを故 郷と呼 んでいます。ア ー ティストもオ ーストラリアを故 郷と呼 んでいます。 私 は オ ーストラリアを故 郷と呼 べません 」と書 か れ ています。もう1つの 作 品 には 、シドニーアートスペ ースの 緯 度と経 度 の 座 標 がレー ザ ーで 刻 印されて います。視 聴 者 や 鑑 賞 者 が G o o g l e マップ に 座 標 を 入 力すると、G o o g l e マップ 上 のアートスペース 、鑑 賞 者 が 立 つ 場 所と同じ位 置 にドロップピンが 現 れ ます。これらの 作 品 は 、現 在 進 行 中 のロケ ーション G P S -クロムパネル シリーズ の 一 部 です。
Unknowns Midori.so—Jesse Hogan / みどり荘 · 中目 黒 ホ ー ガン・ジェシ ー
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Aquiles Hadjis
アキレス・ハッジス
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Talks with Aquiles Hadjis 12.07.2019 b. 1981 Venezuela, Lives and works in Tokyo, Japan Interview conducted in English
アキレス · ハッジスインタビュ 2 0 1 9 年 7月1 2日
1 9 8 1 年 にベネズ エラで 生 まれ 。東 京 在 住 。 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
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AH:
Shall we begin? JH:
Yes, please.
アキレス・ハッジス: 始 めましょうか? ホ ー ガン・ジェシ ー: はい 、どうぞ。
AH: So as I was saying, when you focus on the subtitle make it clear and easy to understand. Basically what you are trying to do, is show that the exhibition itself has become a medium, it has become an artform and the previous artforms that people were pulling off before were one person things that a single person could pull off. But right now this artform is actually not individual as it is made to seem, actually it is a collective enterprise. It happens because of a network of influence, because of a network of resources, and because of collective interests. Not solely because of individual interests or motivations.
アキレス・ハッジス: さっきの 話 は 、字 幕 に 焦 点 を 当てると分 かりやすくなるということです。基 本 的 にジェシ ー が やろうとしているのは 、展 覧 会 自 体 が 媒 体 になり、アートの 形 式 になるのを示 すこと。人 々が 成し遂 げ た 以 前 のアートの 形 式 は 、1人 でやっ てのけるものだったことを示しています。でも現 在 、 このアートの 形 式 は 、見 かけによらず 個 人 的 なもの では なく、集 合 的 です。それ が 生 まれる要 因 は 、影 響 力の 繋 がりやリソースのネットワーク、集 団 の 利 益 で、個 人 の 興 味 や 動 機 だけではありません 。
JH: What of the Multiple Authors in Exhibition contexts and Production?
アキレス・ハッジス: 問 題 は 、ここで 私 の 友 人 が 言 っているように 、制 作 の 面 で 問 題 が あるということ です。プロデュー サ ー が 数 人 いると、誰 が 著 者 であ るのかという疑 問 が 出て来 ます。結 局 、制 作 の 動 機 付 けとなるのも、集 合 体 です。たいてい 生 き残ろう としているのは 、ネットワークそのものです。ネット ワークの 存 続 が 問 題 であり、この 種 の 実 践 の 本 当 の目 的 であることが 多 いのです。基 本 的 にこのよう なネットワークは 、新 たな 現 状 をもたらし、個 人 や 個 人 のナラティブ では 持 続 不 可 能 でありつつも、制 度 的 なナラティブ やリソースに 実 は 直 接 つな がって いるような 実 践 を生 み 出すことにより実 現されま す。アー ティストが 実 践 するのでは なく、批 評 家 、学 界 やキュレーションにおいて権 力を持 つ 人 々のネ ットワー クです。その 結 果 、論 説 は 、個 人としてのア ー ティスト、それも集 合 的 なプロセスの「 顔 」にしか すぎ ないアー ティストを維 持 するために 、集 合 的 に 作られます。基 本 的 にアー ティストは 、自 分 に 関 係 する人 々や 一 連 の 機 関 のスポ ークスパ ーソンまた はフロントマンのようになります。これ は 、博 物 館 や 特 定 の 種 類 のギャラリー のような 制 度 的 環 境 でも、 また 人 物 のナラティブ をサポ ートする必 要 が ある オ ークションハウスやバイヤ ー の 場 合 にも起こりま す。
AH: The problem is there is a problem in terms of production, like my friend here is saying. You have now a few producers, the question is which one is the author? & In the end the motivations that are driving these productions are also collective. In many cases, it is the network itself that is trying to survive. The survival of the network is what is in question and is the real objective of these kind of practices in many cases. Because basically the network, which is to perpetrate itself by creating a new status quo, creating a kind of practice that is unsustainable by individuals or by personal narratives, but it is actually connected directly to institutional narratives and institutional resources. A professional network that is not exactly one of practicing artists, but actually of critics and people who hold power in academia and curation. In consequence, the discourse is manufactured collectively in order to sustain the artist as an individual but only as the face of a collective process. Basically the artists become a bit of a spokesperson or a front man for a series of people and a series of institutions that are all connected to the artist. And this happens also in the institutional environment, like in museums, in certain kinds of galleries, and also in the case of the auction houses and the buyers who also need to support the narrative of this character. JH: How does the artist establish themselves as this face? AH: Basically the artists become mouthpieces in many cases. They are speaking for what other people think they should be, or they are speaking in consequence of what other people have made them out to be. In many cases for these characters that have been created or interpreted from their early works… especially from the beginning of their practice, it becomes very comfortable for them, because in the end, having the character that is 120
ホ ー ガン・ジェシ ー: 展 示 会 の 文 脈と制 作 における複 数 の 著 者とは 何 ですか?
ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティストはこの「 顔 」として、どのように自 分 自身を確 立しま すか? アキレス・ハッジス: 多くの 場 合 、アー ティストは 代 弁 者となります。アー ティストはこうあるべきだと いう他 人 の 意 見 を発しているか 、他 人 からそうさせ られた 結 果として話しているのです。たいてい 、この ような 役 割 は 初 期 段 階 の 作 品 、特 に 実 践 を 始 めた 頃 の 作 品 から作られるか 、解 釈されます。これ は 、ア ー ティストにとって、とても快 適 なものとなります。 結 局 のところ、全 ての 投 影 を受 けるという役 割 を持 つことは 、ある種 の 快 適 な 実 践 方 法 に 落ち着くのに 役 立 つからです。そして最 後 に 疑 問 に 上 がるのは 、 持 続 可 能 性 や 長 期 にわたる危 険 性 、実 践 の 継 続 性 です。アー ティストの 実 践 は 、マラソンのようなもの だからです。結 局 一 番 大 切 なのは 、長 い 距 離 を走る ことです。それ は 、多くの 人 が 倒 れてしまう長 距 離 の 走りです。大 勢 の 人 々が 途 中で 倒 れてしまい 、よ
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receiving all of these projections, it really helps them settle into some kind of comfortable way of practice. That is not to say that their art is of high or low quality. In the end what comes into question is the sustainability, long jeopardy and the continuity of a practice. Because our practice is like a marathon. In the end it’s all about the longer run. It’s a long distance run in which many people fall. Many people fall along the way and they just can’t be compared to the ones who have produced much more. JH: If we talk about the idea of ‘the survival of the artist’, what does that mean to you? How does an artist establish themselves? How does their work get established to be able to be produced in these large institutional contexts? AH: I understand the question… it’s all a question of relevance and pertinence really… JH: There must be effort on the artists behalf… That is important. It’s not all just magically devised by the institution, but…? AH: There is a political climate, and a media climate, which renders and individual artist at the beginning of their practice as relevant and or pertinent. Pertinent to the discourses that are being woven in the background. So basically if the discourse is about gender or about race, then you get a person with an interesting practice that is obviously easy to understand, and that could become the main concept here. Like their plight their problem, is easy to understand. Any way this is kind of a joke, but this is actually much more interesting with the recorder… PART 2 JH: Welcome again, this is the Interview with Aquilis Hadjis AH: Thank you, or maybe the first one… Anyway about the rest of the interview, the beginning of it is on your Instagram chats. Maybe you can see it later? It’s like 8mins or something.. anyway, basically you’re asking me how does this process begin, and I think basically the mouthpiece (artist) is selected as a mouth piece. Basically I have always seen this phenomenon in terms of survival tactics, not only the survival aesthetics… JH: Those tactics by artist and by curators working in institutions? AH: In general, in professional art, I see three types of survival tactics that become survival aesthetics. One group makes furniture for rich people. The second group makes investments 121
り多くを生 み 出した 人 々とは 比 較されることが あり ません 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 「アー ティストの 存 続 」というアイデアは 、アキレスにとって何 を 意 味しますか?アー ティストは 、どのように 自 分 自身を 確 立しますか?大 規 模 な 制 度 的 文 脈 で 制 作 できるようになるため 、どのよう にして活 動 を確 立しますか? アキレス・ハッジス: 質 問 の 内 容 は 分 かりまし た … つまりは 関 連 性と適 切 性 についての 質 問 です ね。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティストの 代 理 で 行 わ れる取り組 み が あるはずで … 大 事 な ことです。機 関 によって魔 法 のように 考 案さ れただけでは ないですが … アキレス・ハッジス: 政 治 やメディアの 情 勢 が あ り、個 々のアー ティストは 、実 践 を開 始 する時 に 関 係 性 または 適 切 性 を与 えます。背 景 環 境 で 織り込 まれている論 説との 関 連 性 です。だから基 本 的 に は 、論 説 が 性 別 や 人 種 に 関 するものであれ ば 、明ら か に 理 解しやすく興 味 深 い 実 践 を行う人 が 、主 な 概 念 になるでしょう。彼らの 置 か れている立 場と同 じように 、問 題 も分 かりやすいのです。とにかく、こ れ は 冗 談 のようですが 、レコ ー ダー が あるともっと 面 白くなります ね … パ ート 2 ホ ー ガン・ジェシ ー: また 、ようこそ 。 アキレス・ハッジス: ありがとう。とにかく、インタ ビュー の 残りの 部 分 は 、I n s t a g r a m 、チャットで 始 まります。8分くらいだったと思うので、後 で 見 てみ ては?とにかく、ジェシ ー からの 質 問 は 、このプロセ スがどのように 始 まるのかというものでした 。代 弁 者(アー ティスト)は 、代 弁 者として選 ば れるのだと 思 います。生 き残る美 学 だけでなく、生 き残りの 戦 術という観 点 からも、この 現 象 をいつも目にしてき ました … ホ ー ガン・ジェシ ー: その 戦 術 は 、アー ティ ストや 機 関 で 働くキュレー ター によるもので すか? アキレス・ハッジス: 一 般 的 にプロフェッショナル なアートでは 、生 き残りの 美 学となる生 き残りの 戦 術 が3種 類 あります。1番 目のグル ープ は 、金 持ち のために 家 具 を作っています。 2番 目のグル ープ は 投 機 家 のために 投 資し、3番 目のグル ープ は 理 論 家 の 実 践 をバックアップします。この3つが 、この 専 門 分 野 の 存 続 における主 なグル ープです。最 初 のグル ープ は 、人 々が 自 分 の 家 に 置 いて家 具 を補 完 する、 もしくは 銀 行 を引き立 たせるような 中 価 格 のものを 作っています。彼らが 善 か 悪 か 、政 治 的 か 非 政 治 的 という話 ではありません 。問 題 は 、彼らの 作るもの が 収 集しやすく、手 入 れ が 簡 単 であり、特 定 の 種 類 の 不 動 産 に 価 値 を追 加 するということです。またあ る意 味 では日 常 生 活 を向 上させ 、十 分 に 安 価 であ
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for speculators, and the 3rd group backs up the practices of theorists. So basically these are the three main groups in the survival of this professional field. The first group is just making medium priced things that people can put in their home and complement the furniture, maybe compliment the bank. I’m not saying they are good or bad, political or non-political. The question is they are things that are easy to collect easy to take care of and they add value to a certain kind of real estate. Also in a sense they enhance everyday living and then they are cheap enough, they can be displayed easily, you don’t have to care too much about maintenance and conservation. The second group, i.e. investments for speculators is basically a little bit of a con. Basically, you put someone in the market, you buy them through proxies, and you make them expensive, you give them press, and in the end this person is artificially or even naturally sometimes, I’m not saying everyone is a con artist of course. But basically this person is playing on a completely different setting, in which the work in itself becomes an asset and then that becomes a part of the narrative of course. Because if what I do is immediately expensive, that is of course on a symbolic level, and is therefore a completely different game. So it doesn’t have to be pertinent, relevant, or valuable from the beginning. Just because I made it, that piece is immediately a part of the conversation, and the conversation is of course about value. Because money is the language of relationships in the world right now. If somebody gives you time and money they care. They don’t give you time or money? They don’t care. Basically if you see time and money as a currency, what you are seeing is that if people are willing to put that amount time, that amount of money, that amount of media coverage on something, it is automatically valuable. So basically you are working from the end to the beginning. JH: So do you also think that the cultural or symbolic values are also artificially enhanced by the media machine? AH: Absolutely, you begin from a place of pertinence and relevance because it was made by someone who has this Midas touch, perhaps because they or their gallery were famous. JH: Or they could have some sort of culturally established position? AH: Yes, And then the meaning is constructed in public. It’s quite connected to your research actually, because in the group number two, the ones that are investments for speculators, and also for those in group number 3 to a certain extent. In group number two especially, you have these people who artworks meaning is actually elucidated in public. So… you finish a body of work, you can produce 50 pieces, a 100,000 dollar exhibition, it’s out, it has a catalogue, it has text written by important people who are 122
り、簡 単 に 展 示 することができます。メンテナンスと 保 存 を気 にする必 要 はあまりありません 。 2番 目のグル ープ、つまり投 機 家 のための 投 資 は 、ある種 の 詐 欺 です。基 本 的 に 、誰 かを市 場 に 投 入して代 理 人 を通して購 入し、価 格 を上 げ、報 道 各 社 を押し付 けます。全 員 が 詐 欺 師 だとは 言 いませ が 、基 本 的 にこのグル ープ の 人 は 全く異 なる環 境 を 扱うのです。そこでは 、作 品 自 体 が 資 産となり、もち ろんナラティブ の 一 部 になります。というのも、私 の 活 動 の 価 格 が 跳 ね 上 がったとしたら、それ はもちろ ん 象 徴 的 なレベ ルにおいてであり、全く異 なるゲ ー ムだからです。だから最 初 から適 切 性 や 関 連 性 、価 値 が ある必 要 はありません 。私 が 作 品 を作っただけ で、その 作 品 はすぐに 会 話 の 一 部となります。ここ での 会 話 は 、もちろん 価 値 に 関 するものです。それ は 現 在 の 世 界 において、お 金 が 人 間 関 係 の 言 語と して使 わ れているからです。関 心 が ある人 たちは 、 時 間とお 金 を与 えます。時 間 やお 金 を与 えない 人 た ちは 、関 心 が ないのです。時 間とお 金 を通 貨として 捉 えると、それ だけの 量 の 時 間 やお 金 、メディアな どの 報 道 を何 か に 費 やすことをいとわ ないのであ れ ば 、そこには 必 然 的 に 価 値 が あります。だから逆 算 するのです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: それでは 、文 化 的 あ るいは 象 徴 的 な 価 値 もメディアという機 械 によって人 為 的 に 強 化されていると思 いま すか? アキレス・ハッジス: まさにその 通り。適 切 性と関 連 性 のある場 所 から始 めます。その 場 所 が 、何 でも 金 にしてしまうもう力のある人 により作られたから ですが 、それ は 多 分 、その 人 自身やその 人 のギャラ リー が 有 名 だったからでしょう。 ホ ー ガン・ジェシ ー: または 、文 化 的 に 確 立された 地 位 のようなものを持っていると か? アキレス・ハッジス: はい 。そして、その 意 味 は 公 の 場 で 構 築されます。実 は 、ジェシ ー の 研 究とも結 構 繋 がっています。2番 目のグル ープ における投 資 は 投 機 家 のための 投 資 であると同 時 に 、ある程 度 は3番 目のグル ープ の 人 々も対 象 にしています。特 に2番 目のグル ープ は 、作 品 の 意 味 が 公 開されてい る人 々だからです。つまり、作 品 の 主 要 部 分 が 完 成 すると、5 0 個 の 作 品 、1 0 万ドルの 展 示 を制 作 でき ます。公 開されてカタログ が あり、要 人 に 文 章 を書 いてもらい 、作 品 を称 賛してもらったり、語ってもら ったりします。その 後 、集 合 的 に 真 の 意 味 が 語られ ます。それ は 基 本 的 に 外 部 から起こるものです。 芸 術 における現 代 および 前 近 代 のナラテ ィブ では 、アー ティストが 意 味 を生 み 出し、それを 作 品 に 落とし込 み 、本 当に 概 念 的 になります。つま り後 期 のモダンアートにおいてでさえも、アイデア は 、実 用 的 な 手 法 に 適 用される概 念 へと展 開され ます。レディ・メイドにしろ、その 呼 び 名 は 何 であっ ても、パフォーマンスさえも、起 点 はアイデアです。 でも、2番 目のグル ープ の 起 点 は 、既 に 形 成された 産 物 のように 思 えます。仕 上 がったものから作 業し て、アイデアに 戻ること。状 況 次 第 で、毎 回とは 言 え ませんが 、すごく皮 肉 的 なものになり得 ます。でも、
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celebrating it and discussing it, and then collectively at that moment the real meaning is discussed. It happens from the outside in basically. And then, In the modern and premodern narratives of art, you have the meaning coming from the artist and putting it into the work, and then it is really conceptually. I mean even in late modern art, you have ideas developed into concepts that are applied in practical means. Even to have anything, even Ready-mades, whatever you want to call them, or performances—you work from an idea. However, it seems that in group number two, you work from production already formed. You work from a finished product back into the idea, and it can be very cynical, but not always, it depends. But, it is very hard for a person who goes form one role to the next… I mean today I was reading in the newspaper that they were criticizing comedians that were performing in private functions for the Yakuza. I mean that the money they were being paid was not dangerous/dishonest money. But then, many of the comedians said that they were already famous enough and that they don’t get any arbitos. They cannot work part time in anything because they are already too famous. They are on TV all of the time—but, they don’t really have enough money to pay all their bills, so they were forced to perform, and forced to accept any job because they cannot work in anything normal, and yet they are not becoming rich from being famous. So, it is a complicated situation to judge an artist who is part of system number two because their kind of trapped. And, then of course they become interested in many other things like becoming socially relevant. Then you have group number three. 3. Which is basically artistic practices that are growing together with the practice of a academician or a theorist that has power in terms of institutional power. They can put the artist’s work in certain venues, when maybe the monetary values are not so high, but its seen as something very experimental, conceptual, cutting edge and Avant-guard. In that sense the theorist is benefitting from this artist existing and continuing because they write about them, they can get the Ph.D., they can be teachers and publish papers in art magazines and so on. They are interested in sustaining this practice, also possibly inserting this artist into academia as well. That for me are the three main types, there are sub-types of course. And many other alternative situations like so called outsider art and basically art practice becomes a form of philanthrope. It’s like a luxury you indulge into, like a spiritual luxury perhaps, but nobody can say that in the end, until a lot of time has passed. Basically it’s a luxury that a person who does not have the means indulges into and then in the end it benefits the person, up to a point, in the sense that they can do what they want. In the end if you see art as something that is put inside society, it’s like a very strange act of philanthropy. JH: So would you say there other cases where the artists themselves can create 123
一 つの 役 割 から別 の 役 割 へと移 行 するのは 難しい のです … 実 は 、今 日の 新 聞 で、プライベ ートなイベ ントでヤクザ のために 芸 を披 露した 芸 人 が 批 判さ れている記 事 を読 みました 。芸 人 に 支 払 わ れたお 金 は 危 険 で 不 正 なものではありません 。でも、芸 人 の 大 半 は 、十 分 有 名 になったからアルバイトはしな いと言っていました 。有 名 になり過 ぎて、どんな パ ートの 仕 事 もできない 。いつもテレビ に出 演してい るのに 、経 費 を全 て支 払うためのお 金 が ないので、 芸 を披 露し、どんな 仕 事 も引き受 けざるを 得 ない と。普 通 の 仕 事 はできないのに 、有 名 になったこと でお 金 持ちには なってい ない 。だから、2番 目のグ ル ープ のシステムの 一 環となっているアー ティスト の 評 価 を下 すのは 複 雑 です。彼らには 逃 げ 場 が な いですし、社 会 的 な 意 味 を持 つことなど、様 々な 事 柄 に 興 味 を持っているからです。 それ から、3番 目のグル ープ が います。この グル ープ は 、制 度 的 な 権 力を 持 つ 学 者 や 理 論 家 な ど共 に 芸 術 的 な 実 践 を行 なっています。金 銭 的 価 値 が あまり高くない 場 合 、そのような 学 者 や 理 論 家 が 、アー ティストの 作 品 を会 場 に 入 れます。ただし これ は 、とても実 験 的 で 概 念 的 、最 新 でアヴァンギ ャルドなものだとみ なされます。そういう意 味 では 、 このアー ティストを存 在させ 継 続させることによ り、理 論 家 がメリットを受 けています。理 論 家 はア ー ティストについて執 筆 でき、博 士 課 程 を取 得し、 教 員となり、芸 術 雑 誌 などに 論 文 を発 表 できるから です。この 実 践 を維 持 すること、そしてアー ティスト を学 術 界 にも投 入 することに 興 味 を抱 いています。 以 上 が 、3つの 主 なタイプです。もちろんサ ブタイプもありますけど。い わ ゆるアウトサイダー・ アートのようなものや、アートの 実 践 が 慈 善 活 動 の 形 式 を取るものなど、オルタナティブ な 状 況 は 、他 にもたくさんあります。それ は自 分 が 好 きにできる 贅 沢 のようなものや、空 間 的 な 贅 沢 のようなものだ けれど、結 局 誰 もそれを指 摘 できず に 時 間 だけが 過 ぎてしまう。本 人 が 思 い 切り楽しむ 手 段 を持 たな い 贅 沢 が 、やりたいことをやれる時 までは 、結 局 の ところ本 人 の 益となります。つまり、社 会 の 中 に 投 入されたアートは 、とても不 思 議 な 慈 善 活 動 のよう です。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティスト自身 が 、 これらのプラットフォームを作 成 できる他 の 状 況 はありますか?例 えば 、一 つ目の 状 況と しては 、経 済 的 販 売 市 場プラットフォームの ようなもの 。2番 目に 、排 他 的 な 経 済 商 業 的 形 態 のより大 きな 原 動 力 。これ は 実 は 文 化 的 にエリートなものです。そして3番 目の 状 況 は 、美 術 館 、知 的 で 学 術 的 なプラットフォ ーム 。こうした 制 度 は 社 会 的 な 空 間 のような ところに 存 在 するので、社 会 的 なプラットフ ォームです。アー ティストは 、これらのプラッ トフォームに自由 にアクセスできますか?ま た 、アー ティストとプラトフォームの 中で 地 位 を有している人 々との 間 のネットワークや コラボレーションが ない 場 合 、アー ティスト はどのようにしてこのようなプラットフォー ムを独 自に 作 れますか?アー ティストは 、他 のセクター の 人 々、様 々なプラットフォーム の 立 場 を有している人 々に 常 に 依 存してい るのでしょうか?
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these platforms? The platforms for example, in case number.1; the kind of economic sale market platform. In case number. 2; this kind of larger dynamic of exclusive economic commercial form, which is actually very culturally elite, and in case number.3; this kind of museum, intellectual and academic platform, which is a kind of social platform because these institutions exist as kind of social spaces. Can these platforms be freely accessed by artists at will? Or without these kind of networks and collaborations between the artist and the people who hold positions on these platforms, how can artists create this platform themselves? Or, are they always in a position of reliance on those in the other sectors, those who hold ground of the various platforms. AH: It’s an excellent Question. I think because it’s actually what happened from the late 1980’s until today. In a sense, You know, disrupting the power structure that came from the 19th century. That of the artist as this mad person that needed to be translated. Who was kind of outside of language, outside of academia. And then, you know they needed somebody to tame it or translate it, and then for example write about it, because of this idea that the artist didn’t know what they were doing or were unable to articulate it in proper language. Or the idea that the artist was anti-social and unable to sell things, all of the romantic myths about the tortured artist, about Goya, Rubins, Gauguin, Van Gogh, all of that. It became a really big burden especially after certain modern artists broke out of it, and said like you know, ‘I am an intellectual, I am a celebrity, I am a playboy, I don’t need any of this shit’. But it was just a very small group of people actually. So, when the break of modernity happened, ‘post-structuralism’, or whatever you want to call it, ‘Punk’, it is a different conversation but basically… At that point you have these DIY, you know, selfsustained practices. A lot of people rising out of their own initiatives started creating environments for this kind of survival. They were very precarious you know… like they could not be sustained in the same way as earlier modernists because they didn’t have the backing of the Institutions of society. The other Institutions of society, you know like the government, the financial institutions, etc. and even this fixed idea of seeing art as furniture in many cases is just furniture, period—regardless of the content it has. But anyway, basically a lot of these people were not on board with all of this punk, post-structuralist, situationists stuff. A lot of the supported art was actually closer to design. To fashion and graphic design and other things. The problem is when that developed further, actually when academia looked to these trends in the terms of Aesthetics. What happened like I said, was especially in the late 1980’s and 90’s—is a lot of these artist led spaces, artist led galleries, artist led critical magazines were like 124
アキレス・ハッジス: 素 晴らしい 質 問 です ね 。それ は 、1 9 8 0 年 代 後 半 から現 在 までに 実 際 に 起 きて いることだと思 います。1 9 世 紀 に 作られた 権 力 構 造 を崩 壊させる力でしょう。理 解される必 要 が あっ た 狂 人としてのアー ティストの力 。言 葉 、学 問 を超 えたところにいるような 人 の力 。それを手 なず けた り理 解したりする人 が 必 要 だったんですよね 。例 え ば 、それ について書 いてみるとか 。これ は 、アー ティ ストは自 分 が 何 をしているのか 分 からない 、または 適 切 な 言 葉 で 何 をしているのか 表 現 できないとい う考 えが あるためです。または 、アー ティストは 反 社 会 的 で 物 を売ることができないという考 えや、ゴ ヤ、ル ー ベンス 、ゴ ー ギャン、ゴッホ など苦 労した 芸 術 家 を理 想 化した 作り話 が あるからです。これ が 、 特 にモダンアー ティストが「 私 は 知 識 人 であり、有 名 人 、遊 び 人 である。こんなたわごとは 全く必 要 な い 」というようなことを 言った 後 は 、すごく負 担 にな った 。 近 代 性 の 破 壊 が 発 生した 時 、 「 ポスト構 造 主 義 」にしろ「 パンク」にしろ、話 は 違 いますが 、基 本 的 には D I Y で、自己 維 持された 実 践 が あります。自 分 たちのイニシアティブ から立ち上 がった 大 勢 の 人 々が 、このような 生 き残りの 環 境 を生 み 出し始 めま した 。とても脆 弱 で、以 前 のモダニストと同じような 方 法 で 維 持 することができません 。それ は 、社 会 制 度 、という支 えが ないからです。政 府 や 金 融 制 度 な ど他 の 社 会 制 度 の 大 半 では 、文 脈 が 何 であれ 、アー トを家 具 だと捉 え 、それ 以 上 のものでは ないという 固 定 概 念 を持っています。とにかく、このような 人 々 は 、パンクでポスト構 造 主 義 のシチュエーショニス ト的 なものには 賛 同しませんでした 。実 際 、支 援 を 受 けたアートの 大 半 は 、デ ザインやファッションな どに 近 いものです。問 題 は 、それらが 更 に 発 展し、 美 学 的 な 側 面 からアカデミアがこうした 傾 向 をみ ると、特 に 1 9 8 0 年 代 後 半 や 9 0 年 代 のアー ティス トが 主 導 の 空 間 やギャラリー 、批 評 雑 誌 が 、一 種 の 革 命 であったことです。確 立された 制 度 に 対して、 「 我 々は 権 力の 構 造 をリセットする、この 環 境 で 制 度 は 権 力を乱 用してきた 、もう制 度 は 必 要 ない 」と言 ったのです。でも、その 1 0 年 から1 5 年 後 、そのよう なことを言った 人 々が 結 局また 新しいインテリ、監 視 台となった 。美 術 関 連 の 経 歴 を持 つ 人 々は 単 な るギャラリストになったり、美 術 の 教 育 を受 けた 人 が 良いライター になったり大 きな 権 力を持ったり。 そして、新しい パラダイムには 合 わ ない 人 々が 去っ たために 空 いた 大 きな 制 度 内 の ポジションを引き 継 ぎました 。作 品 を高 額 で 売る人 が 多く、キュレー ションや 販 売 を通して、有 名 で 権 力のある立 場 の 人 間として自 分 のキャリアをさらに 築 いていったので す。 作 品 の良し悪しに 関 わらず。それ は 、また 別 の 話 です。私 は 中 立 的 な 状 況 について話している だけで、作 品 について直 接 的 な 判 断 や 独 自の 判 断 を下しているわけではありません 。ただ 、手 法 につ いてはこれ が 起こったのです。もし私 が 、1 0 0 ドル で 家 を掃 除 するように 一 度 頼 まれたら、引き受 けま す。でも 1 0 年 間フルタイムで 掃 除 を続 けれ ば 、清 掃 員 になりますよね 。たとえ「とりあえず 今 はジェシ ー のために 掃 除 するだけだ 」といっても、フルタイム で 1 0 年 働 いたら後 の 一 体 自 分 は 何 になるんだろう と。こういうことが たくさん 起 きているという大 きな 問 題 が あります。でも本 当の 問 題 は 、社 会 構 造 が 状
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a revolution in a sense. They were saying you know what, we are going to reset the power structures, I don’t need any of you guys, you guys have abused your power in this working environment, and I don’t need you. But then after 10 or 15 years, in the end those people just became the new intelligencer, the new machans. The people who had an artistic backgrounds were actually just the new gallerists, and then other persons who had artistic educations became very good writers and very powerful ones too. Many of them were even selling work at big prices, using this curation and the sales and all of that to actually further their own career as famous people, and as powerful people. Regardless of whether or not the work was good or bad, that’s another conversation. I’m only talking about the neutral situation, I’m not putting on any direct judgements or making any judgements of my own about the work. But, about the methodology then that’s what happened. Basically, if you ask me one time to clean your house for $100 I do it. But if I keep doing it for 10 years full time then I have become a house cleaner. And even if I am in denial, ‘No I’m just doing this for Jesse for now’, but it’s been 10 years of doing this full time, so the problem is who the fuck are you at this point? And then that is the big question with many of these things is they happen. But the real problem is, the structure of society reset the situation and put it all back at the beginning. They just change the performers and the actors. So for example, somebody told you, ‘no I lived in a commune in the 1970’s, etc’… JH: More or less they just rebuilt the building with a new façade. AH: Yes, but, they retook the same attitudes, which is the strange thing. So the Punkers, who’d been eating cabbages from the floors in these occupied buildings in the 1980’s are now very elegant characters with tailored suits, an ego, you know— very big think frame glasses—and are behaving just like an updated version of the person who had all of their career in the same setting as an art critic or as a curator or whatever, etc. So then in the end you have the same problem—that these artist led spaces, in my opinion, most of them failed. In the end if it all goes back to survival, how do you pay the bills? and then once you pay the bills and fulfill all of this Maslow Pyramid of Basic needs etc. The pyramid comes into play. Ok you’ve payed the bills now you want to get fat, you want to buy a nice car, you want to get better sexual partners, you want to be socially relevant, you want to be a politician, you want, you know what you want, and so you want more things. So once you have solved your needs at the beginning, once you have been given space, and if you are ambitious and you have things to say, then definitely you will start occupying more and more and more space. And that is also about when you have reached a critical mass, you keep expanding. Like in 125
況 をリセットし、全 てを最 初 に 戻してしまい 、パフォ ーマー・俳 優 を変 えているだけであるということ。例 えば 誰 か に 、 「 7 0 年 代 にコミューンに 住 んでいた 」 などと言 い わ れたとしましょう。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ビ ルにただ 新しいフ ァサ ードを加 えて再 建したような 。 アキレス・ハッジス: そう、不 思 議 なことに 、また 同じ態 度 を取ったんです。1 9 8 0 年 代 に占 拠された 建 物 の 床 に 座ってキャベツを食 べていたパンクな 人 たちが 、今 ではとてもエレガントで、オ ー ダースー ツとエゴ を纏 い 、肉 厚 なフレームのメガネをかけて いる。美 術 評 論 家 やキュレー ター などと同じ環 境 で キャリアを築 いた 人 たちの 最 新 版 のような 行 動 を 取っています。だから結 局 、また 同じ問 題 が 生 まれ ます。個 人 的 には 、アー ティストが 運 営 するスペー スの 多くが 失 敗 に 終 わったと思 います。結 局 、生 き 残り、つまりどうやって経 費 を払うのかということ に 戻るわけです。そこで 経 費 を払 い 終 わったら、マ ズロ ー の自己 実 現 理 論 における基 本 的 欲 求 を全 て 満 たします。あのピラミッドが 入ってくるわけです。 経 費 を払ったから、太りたいとか 、いい 車 を買いた い 、もっと良い 性 交 渉 の 相 手 を 見 つけたい 、社 会 的 に 意 味 のある人 間 になりたい 、政 治 家 になりたいと いうように 、自 分 が 何 を求 めているか 分 かっている ので、もっと欲しくなります。最 初 に 欲 求 を満 たして スペースが 与 えられたら、目 標 を高く掲 げ て主 張し たいことが ある場 合 は 、空 いたスペースをどんどん 埋 めていくことになります。そして臨 界 質 量 に 達し た 時 には 、広 がり続 けます。ダミアン・ハーストの 場 合 のように 。これ はとても重 要 で 興 味 深 い 。でも実 のところダミアンハーストは 、仲 間 をリードしてい ました 。徐 々に 徐 々に 、最 終 的 にはリー ダー になっ たのです。この 運 動というアイデアが 崩 壊した 時 、 政 治 的 な 牽 引力または 権 力を持ち続 けたの が 、彼 だったのです。トレーシ ー・エミンやその 他 の 人 物 よりも同じような力 が ありました 。彼らも市 場 に 残 り、相 当 成 功 はしていますが 。実 際 彼らは 、一 定 の 手 段 で 作 品 を 制 作し、そこから益 を得るというブル ジョワ的 な 実 践 で 我 慢しています。でも、本 当の 意 味 で 社 会 に 関 わり、政 治 的 な 論 説 やこうした 分 野 の 批 評 家と関 わるという意 味 においては 、社 会 的 そして政 治 的 な 関 与 を行っていません 。な ぜ かと言 えば 、彼らがより高 い 階 級 に 吸 収されてきたからで す。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 反 対 派 の 姿 勢 を比 喩 として使うことが 社 会 的 なトレンドとなった 時 、反 対していたシステムに 再 吸 収された … アキレス・ハッジス: その 通り!それ が 流 行って、 分 かりやすくなり、最 終 的 には 最 初 から全 員 が 代 弁 者として選 ば れた 。最 初 から彼らにはサ ー チが い て、彼 がアートを収 集していました 。あの 広 告マン のサ ー チです。彼 は 、アー ティストたちがとても魅 力 的 で、私 たちの 感 覚 でも分 かりやすいということを すぐに 把 握しました 。つまり、彼らの 作 品 は パワフ ルで、レトリックを整 理しやすいという意 味 です。作 品 は 神 秘 的 でも不 可 解 でもな かった 。例 えば 、移 民 や 労 働 者 階 級 の 人 々を対 象 にしており、人 種 や 宗 教 、哲 学といった 概 念 が 扱 わ れていました 。全 ての
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the case of Damien Hirst, very vital, very interesting. But he was actually leading his other friends—bit by bit and a little bit more—and he became like a leader in the end. Then when this idea of a movement kind of disintegrated, he was the one left with more political traction or power. Perhaps even more than Tracy Emin or any of those other characters. Which, well most of them stayed in the market and they are doing pretty well. Actually they settle for this kind of bourgeoise practice, where they produce work for certain outlets and benefit from it, but they are not as socially or politically engaged, in the real sense of being engaged in you know society, and being engaged with political discourse, and with critics in these fields. Why? Because they’ve been absorbed into the higher class. JH: When the tropes of their oppositional stance became a social trend it became reabsorbed into the system they were opposed to… AH: Exactly! It became fashionable, it became easy to understand and in the end all of them from the beginning were singled out as mouth pieces. Even from the beginning, they had Sachi Sachi, Sachi collected the art. You know Sachi, he was like an advertisement guy. He could immediately understand how all of these people were incredibly charming and easy to understand in our senses. I mean the work was strong and the rhetoric’s of what they were constructing was easy to process. It was not something mysterious, or cryptic. It was completely there. Like for example, people who were immigrants, people that were working class, and then they were engaging with concepts of about race, religion, philosophy, and it was all there. So this guy, he could see it before it happened, because it was his line of work.
要 素 が 含 まれていたのです。サ ー チにとって関 心 事 であったため 、いち早く理 解 することができたので す。 ホ ー ガン・ジェシ ー: それ から、アー ティス トが モデルをディレクションするという考 え はどう思 いますか?これ は 、以 前 の 構 造 に 反 対 するものでしたが 、それ が 後 に「 今 」の 制 度 化された 構 造 のモデルになったことに 関 してはどうですか? アキレス・ハッジス: その 通りです ね 。現 在 は 、そ の 血 統 を継 いでい ない 機 関 は 同じほどの 尊 敬 を得 ることができません 。アートとアヴァンギャルドの 背 景 を持ち、抵 抗 運 動 から生 まれたものでなけれ ば なりません 。そして、より逆 説 的 な 特 徴と、はるか に 制 度 的 な 信 頼 性 を持ち合 わせている必 要 が あり ます。裕 福 な 家 庭 出身で、有 名 な 学 校 で 学 び、理 論 家 になっただけの 人 は 表 面 的 だと思 わ れ 、同じ程 度 の 尊 敬 を得ることができません 。でも、それ は 落 とし穴 だと思 います。人 々は 論 説 を見 ているのでは なく、社 会 的 風 潮 を見 ているだけだからです。そこ に 理 性 はありません 。
JH: And what about… this idea of the… how would you say—these artists directed models, which were these kind of oppositional/oppositions to the former structures and how they became the models for the later ‘Now’ institutionalized structures? AH: Absolutely, now an institution that is not coming from that pedigree does not acquire the same amount of respect. You have to be someone who came from art, who came from the avant-guard, who came from resistance. And then, now you have to have much more paradoxical cachet and much more institutional credibility. Now somebody who only came from a rich family, and a big school and are now a theorist, well people do not respect them in the same way. They feel that they are much more artificial… But I think that is a trap, because people are not looking at the discourse, they are looking only at the ethos. The logos is out.
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4649/MUMEI Exhibition Exchange
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エキジビション エクスチェンジ
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4649/MUMEI Exhibition Exchange Interview 13.07.2019 Yuu Takamizawa/Shogo Shimizu/ Yasuaki Hamada/MUMEI/Fuyumi Murata Interview conducted in Japanese
4 6 4 9 / M U M E I エキジビション エクスチェンジ インタビュー 2 0 1 9 年 7月1 3日 高 見 澤 ゆう/ 清 水 将 吾 / 濱 田 泰 彰 / MUMEI 村田冬美 インタビュー は日 本 語 で 行 わ れました
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JH: Welcome all and thanks for coming. Just to get started, perhaps you could introduce your gallery projects. FM: MUMEI is a gallery project that I host as a director on the first floor of a building called Atelier Takiguchi. During the year we’ve had several exhibitions. The gallery has been on display for about a year, starting in July last year. TY: 4649 is an artist-run gallery. First myself and Shimizu were working on a space called a workstation, but it’s now on pause. Now me, Shimizu and another person, Yuhei Kobayashi are the directors. We share the space with a gallery called XYZ Collective in Sugamo. JH: Please tell us about how you started the gallery project. What was your original purpose? What were your motives, philosophy and goals?
ホ ー ガン・ジェシ ー: まず 簡 単 に自己 紹 介 をお 願 いします。 村 田 冬 美: M U M E I は 、アトリエ 滝 口という建 物 の 1 階 にあるギャラリープロジェクトで、私 が ディ レクターとして主 催しています。去 年 の7月に 始 ま って、ここ1年くらい 展 示 を続 けています。 高 見 澤 ゆう: 4 6 4 9 はアー ティスト・ラン・スペー スです。最 初 は 僕と彼と何 人 かでワークステ ーショ ンというスペースをやっていたんですけど、現 在 休 止 中です。今 は 、僕と彼ともう1人 、小 林 優 平という ディレクターで、巣 鴨 にあるX Y Z C o l l e c t i v e と いうギャラリー をシェアしてます。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 皆さんが ギャラリー プロジェクトを始 めた 経 緯 について教 えてく ださい 。当 初 の目 的 は 何 でしたか?どのよう な 動 機 や 哲 学 、目 標 が ありましたか?
SS: Initially, it started with a space called a workstation, the first time I started up with a guy from Hokkaido who was working under the name of Yaman Kazukazu. Those who have a space at Koenji, have their own space, where they can exhibit. So I wanted to find a place and display work in a gallery. Basically, I wanted to have space.
清 水 将 吾: 当 初 は 、ワー クステ ーションという スペースから始 まりました 。これ は 、僕と同じ北 海 道 出身の 矢 満 田 一 輝という名 前 で 活 動している奴 と2人 で 始 めて立ち上 げ たスペースです。高 円 寺 に スペースが あって、自 分 たちのスペース 、展 示 できる スペースを持った 方 が 、場 所 を探して「 ギャラリー に 展 示したいんですけど」って企 画 持ってくよりか は 手っ取り早 いんで、自 分 たちでスペースを持とう と思 いました 。
YT: I’m a little different, I wasn’t so active as Shimizu just said, rather I was reluctant, and I wondered where I would like to go after college and the question of becoming an artist. Sometimes there was no place to display, it wasn’t because I wanted to make a gallery at first. I might have been reluctant for a reason, but I don’t think it’s a bad thing.
高 見 澤 ゆう: 俺 の 場 合 は 少し違って、今 清 水 が 言 ったような 積 極 的 な 理 由というより、どちらかとい えば 消 極 的 。今 大 学 に 行ってアー ティストになりた い 人 が 展 示 する場 所 が 無 かったから。そういうスペ ースが 無 いから作ったというの が 最 初 にあったの で、理 由としては 消 極 的 かもしれ ないけど、それ が 悪 いとは 思ってい ないです。
MF: In the building here the gallery is on the first floor... When I first entered, this was just a white painted space with an artist studio on the second floor with about 10 rooms. But the first time I started using that room there was a lot of space on the first floor gallery, so I thought about starting the gallery. At first it just started with a thought. But now it feels like it has become a space that will continue to be exhibited in constantly.
村 田 冬 美: ここの 建 物 の1階 が ギャラリーで す。私 が 最 初ここに 来 た 時 は 、ただ 壁 を白く塗った 空 間 で、2階 にアー ティストのスタジ オが 1 0 部 屋く らいありました 。私 が そのうちの1部 屋 を使 い 始 め た 時 、1階 のギャラリー の 空 間 が たくさん 空 いてい たので、ギャラリー を始 めようか なと思 いました 。 最 初 は 単 なる思 いつきで 始 めたけれど、いつの 間 に かコンスタントに 展 示 を続 けるスペースになった 感 じがします。
JH: What is the most difficult thing about running a small art gallery in Tokyo (Japan)?
ホ ー ガン・ジェシ ー: 東 京( 日 本 )で 小さな アートギャラリー を運 営していく上 で、一 番 大 変 なことは 何 ですか?
YT: The most difficult thing is rent. I think it depends on various ways of thinking about rent, for example, we pay 75,000 yen a month, but it is expensive to the people around us. Whether or not it is cheap or expensive, I will cut my money so much. There is a negative nuance about that which isn’t great, but I think it will be cheaper if we can manage the space by paying 75,000 yen. But yeah, money is the hardest thing ... how is it Shogo?
高 見 澤 ゆう: 一 番 大 変 なことは 、家 賃 です ね 。こ れ は 考 え 方 次 第 だと思 います。例 えば 、僕らは1ヶ 月に 7 5 , 0 0 0 円 払っています。それ が 安 いのか 高 い のか 。周りの 人 には「 高 い 」とか 、 「 そんなに身 銭 を 切ってやるの が 凄 い ね 」とマイナスなニュアンスで 言 わ れることもありますけど、7 5 , 0 0 0 円 払ってス ペースが 運 営 できるなら安 い なと思っています。で もお 金 が 一 番 厳しいです ね …どうですか?
SS:
清 水 将 吾:
132
It’s a tough thing ... only the money ...
大 変 ですよね … お 金 だけは …
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JH: What about the difficulty of establishing the gallery’s name? YT: We think that a very small community is important, or that it is stronger, so I try to have a relationship with the gallery in the neighborhood, and consider what that means for Tokyo as a whole. There are a lot of amazing galleries, but it may not be related to what they are doing so much. It might be natural to know such big people, but now it just seems like they are selling their name. I don’t think about that. JH: For MUMEI, What is the most difficult thing about running a small art gallery in Tokyo (Japan)? ... and could you tell us about the 4649/MUMEI gallery exhibition exchange project? FM: That’s right ... I’m doing it alone now, so I think it’s hard to be alone. However, I think it is a very meaningful and interesting thing, because I am doing it with the consciousness of creating collaborative works in the exhibitions with the artists who will exhibit multiple times. After all, money is hard. I’m not alone in the form of running the rent on the first floor here, but it still requires a lot of money to turn it around, so it’s hard. JH: How do you support your Gallery financially? Where do you get the money to run the Gallery?
ホ ー ガン・ジェシ ー: ギャラリー の 名 前 を 確 立 することの 難しさについてはどうです か? 高 見 澤 ゆう: 僕らにとっては 、すごく小さなコミュ ニティが 大 事 。というか 、その 方 が 強 いと思うから、 近 所 のギャラリーとはちゃんと関 係 を持 つようにし ています。東 京 全 体 で 考 え れ ば 、すごいギャラリー はたくさんあるけれど、僕らの 活 動とは 関 係 ない か もしれ ない 。有 名 な 人 たちは自 然と名 前 が 知られ るようになるかもしれ ないけど、今 のところ僕 自身 は 、名 前 を売ろうとはあまり考 えてい ないです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 東 京( 日 本 )で 小さ なアートギャラリー を運 営していく上 で 一 番 大 変 なことは なんですか?また 、今 回 の 4 6 4 9 / M U M E I エキシビションエクスチェ ンジ について教 えて下さい 。 村 田 冬 美: そうです ね … 私 は 今 、1人 でやって いるので、単 独 で 回している状 態 が 大 変 だなと思 い ます。ただ 毎 回 展 示してくれる作 家さんと一 緒 にコ ラボレーション 作 品 のような 展 示 を作るという意 識 でやっているので、大 変 だけれど、とても有 意 義 で 面 白いと思っています。それでもお 金 のことは 大 変 です ね 。この1階 の 部 分 に 関しては 、家 賃 を払 って運 営している訳 では ないですけど、回していく のには 色 んなお 金 が か かるので、やっぱり大 変 で す。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ギャラリー を運 営し ていくための 金 銭 的 なサポ ートはどのよう に 得 ていますか?
FM: In this case, the space on the first floor of the atelier Takiguchi is basically just a gallery for now. The other residents rent the 2nd floor studios ... I’m renting the first floor of atelier Takiguchi as a project. For now, we are doing it as a rental gallery and a rental space. So for the artists it isn’t very expensive, but we are trying to set the rental price cheaper.
村 田 冬 美: ここは 基 本 的 に 、アトリエ 滝 口 の1 階 のスペース 、1階 のギャラリーです。私 が 、アトリ エ 滝 口 の1階 をプロジェクトとして借りている形 で、基 本 的 には 貸しギャラリー 、貸しスペースとして 今 のところは やっています。な ので、アー ティストに は 割と安 めに 設 定しています ね 。
YT: We usually work on weekdays and operate with that money. So we try not to let the artists pay too much, and I think something else could be better ... we should take a little risk, but I don’t think too much about it yet.
高 見 澤 ゆう: 僕らは 普 通 に 平 日 働 いて、そのお 金 で 運 営しています。アー ティストにはあまりお 金 を 払 わせないようにしていて、僕らが 少しリスクを負 った 方 が 良いのか なとは 思っていますけど、これ に ついては 、まだしっかりと考 えてないです。
FM: In the future I want to continue to do MUMEI. If possible I really don’t want to do it as a rental gallery.
村 田 冬 美: 将 来 的 には M U M E I もそうしたい な 。本 当は 貸しギャラリー 的 にはやりたくない なと 思っているんで。
YT: Yes, I want to get some more support money, but ... lol
高 見 澤 ゆう: まあでも、お 金 は 取りたいけど… 笑
JH: Can you describe difference between an artist-run space and commercial gallery? YT: I think that there is a little non-profit nuance of artist run spaces. So when we first started, we were talking about an artist-run commercial space. Selling a piece is not about getting money, but the person who buys it is probably someone in the new 133
ホ ー ガン・ジェシ ー: 「アー ティスト・ラ ン・スペース 」と「コマーシャルギャラリー 」 の 違 いを説 明して下さい 。 高 見 澤 ゆう: 僕 は 、 「アー ティスト・ラン・スペー ス 」というと、少し非 営 利 のニュアンスが あると思っ ています。だから最 初 にやっていた 時 は 、 「アー ティ スト・ラン・コマーシャルスペース 」と言っていたん です。作 品 を売ることは お 金 をもらうことじゃなく、
4649/MUMEI Exhibition Exchange / エキジビション エクスチェンジ
community. In that sense we wanted to get into the community first, so I thought I had to sell the piece, I was talking about a commercial space. But to say that it is a 100% percent artist-run space ... maybe ... I wouldn’t say? FM: Artist run space? I’m also here ... so much ... I’m calling it a Project Space. I use the term Artist Run Space when explaining it to people, but I don’t think it’s used as a title. YT:
That’s right. JH: What are some good reasons for having and running a Gallery?
FM:
For the cause!
YT: For the time being, we’re doing it for ourselves ... for ourselves and the people around us. I don’t think that I can’t make a proper living with art. I think that there is not enough persuasive power, and for the time being, our curation may also be only for the artists. As for myself, I’m only thinking about this, I’m doing things I like and exhibitions that I want to see, or if I think the person would be interesting. How about you? SS: For the great cause of course ... I agree 100% with what Takamizawa just said, but after all, I have a strong desire to get along with people who are far away from my life and want to get acquainted with me. I want to connect with others, so I want to show the works of people from various countries such as the United States and Britain in our space ... YT: It was really fun to make friends with foreigners for the first time in the gallery, and that’s simply fun. FM: MUMEI is ... for the great cause ... I don’t think that it’s so big, but I just wanted to see interesting exhibitions or plan an interesting exhibition. There are so many things happening like connecting with someone who came to see the artists while they were doing this, or something like what 4649 was saying, it is a lot of fun and it is like a platform... I think that it would be nice to be a platform in Tokyo, and I hope it would be a place to connect with various people. JH: Again, could you tell us about the 4649/MUMEI gallery exhibition exchange project ? FM: This time Hamada exhibited at MUMEI, and I’m currently exhibiting it at 4649. The 4649 directors and I are of the same generation and we both started the galleries… about six months ago ...? When they came to see the exhibition that I did before, I talked about a lot of amazing galleries, and then I started to realize that 4649 and MUMEI are galleries of the same generation, and so I proposed 134
買ってくれる人 もコミュニティの 新 たな 一 員 。僕ら は そういう意 味 でのコミュニティに 入りたかったか ら、作 品 を売らなきゃと思って。それで、コマーシャ ルスペースと言っていました 。でもみんな 割と「アー ティスト・ラン・スペース 」と言うし… 多 分 … 言うか な? 村 田 冬 美: アー ティスト・ラン・スペース?私 は ここを「プロジェクト・ラン・スペース 」と呼 んでいま す。人 に 説 明 する時 に「アー ティスト・ラン・スペー ス 」という言 葉 を使うことはあるけど、肩 書 的 には あんまり使 わ ない か な 。 高 見 澤 ゆう: そうだ ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ギャラリーとしての 大 義 名 分 は 何 ですか? 村 田 冬 美:
大義名分…
高 見 澤 ゆう: とりあえず 僕らは自 分 のため … 自 分と自 分 の 周りの 人 のためにやっています。世 の 中 を良くしようということまでは 、まだ 。でも、そうい うのは 嫌 です ね 。自 分 たちの 生 活 をアートでちゃん と成り立 たせないと、色 んなことにおいて説 得 力 が ないか なと思っています。とりあえず 僕らのキュレ ーションは 、作 家 のためにもなるのかもしれ ない けど、正 直 に 言うと僕 は自 分 のことしか 考 えてい な い 。次 はどんな 展 覧 会 が 見 たいかとか 、この 人 だっ たら面 白いだろうなとかと考 えて、すごく勝 手 にや っています。どう? 清 水 将 吾: 大 義 名 分 … 今の発 言に1 0 0 % 同 意 するけど、僕 は自 分 の 生 い 立ち上 、遠く離 れた 人と 仲 良くなりたい 、知り合 いたいという願 望 が 強 い 。 北 海 道 出身で、昔 から本 州 の 人と繋 がりたいと思っ ていた 。だからアメリカやイギリス 、いろんな 国 の 人 の 作 品 を僕らのスペースで 見 せたい … 高 見 澤 ゆう: ギャラリー 始 めて外 国 に 友 達 が たく さんできて、それ が 単 純 に 楽しい 。 村 田 冬 美: M U M E I は 、大 義 名 分 … そんなにす ごく大 きなことは 考 えてい ないけど、とりあえず 面 白い 展 示 が 見 たいとか 、面 白い 展 示 を企 画したい と思って始 めたところが あります。展 示 に 来 てくれ る人と繋 がって、今 4 6 4 9 が 言ったように 誰 かと繋 がっていくことが たくさんあって、それ が すごく楽し い 。ここが ある意 味プラットホ ームのような … 東 京 の 中でプラットホ ームみたいにな れ ば 良い な 、色 ん な 人と繋 がる場 にできたら良い なと思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 今 回 の 4 6 4 9 / M U M E I エキシビションエクスチェンジ に ついて教 えて下さい 。 村 田 冬 美: 今 回 浜 田さんが M U M E I で 展 示 をし て、私 が 4 6 4 9 で 展 示 をしています。私と 4 6 4 9 のデ ィレクター たちが 同 世 代 で、半 年くらい 前 にやって いた 展 示 を見 に 来 てくれた 時 、ギャラリー をやって いることをたくさん 話しました 。そこから同 世 代 の ギャラリー だなと意 識し始 めて、色 々話 すようにな
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it from there. Then, when I thought about the next exhibition of 4649, I suggested that I shouldn’t exhibit at MUMEI at the same time Hamada shows here, but I could exhibit at 4649 ... Hamada is a special person of 4649, so I wanted to exhibit Hamada’s work exclusively. Although MUMEI is very close to Tokyo, this time the exchange project was realized in the form of an exchange exhibition. JH: Hamada-san, what was your role in this Gallery exchange project and what is your role with 4649 Gallery? Is it more organizational or technical? YH: I often do exhibitions together at 4649, but this time I’m not a member. The exhibition was made just as an artist. I handle Technique ... lol YT: But, apart from me as director, do you want to do it?
って、4 6 の 次 の 展 示 をやらないかと提 案していた だいて。その 時 、M U M E I でも同じタイミング で … 浜 田くんは 4 6 のスペシャルパ ーソンだから、浜 田 君 の 展 示 をしようということで、東 京 の 中ですごく 近 いけど、エクスチェンジプロジェクト… エクスチ ェンジエキシビションとしてプロジェクトをしまし ょうという形 で 実 現しました 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: このギャラリーエク スチェンジプロジェクトにおける浜 田さんの 役 割 は 何 ですか?このプロジェクトのプラン ニング には 関 わっていますか 、それとも作 品 の 展 示 のみですか? 濱 田 泰 彰: 僕 は 、4 6 4 9 でよく一 緒 にやらして もらうけど、運 営 するメンバーでは ないので、今 回 の 展 示 はアー ティストとして作るのみって感じでし た 。テクニック担 当 … 笑 高 見 澤 ゆう: 俺 のとこでやりたい?
H:
I want to do it.
濱 田 泰 彰:
やりたい 。
YT:
Ah, that’s nice. (everyone laughs)
高 見 澤 ゆう: あぁー それ は 嬉しい 。
YH: Well, I think it’s important that I display something ... So... I want to do it in a good gallery ... I don’t want to do it in a big gallery or an important gallery, I don’t want to do that ... I want to do it at 4649 ... or somewhere like MUMEI ...
濱 田 泰 彰: 自 分 が 展 示 する場 所 は 大 事 だなと 思っています。だから、良いギャラリーでやりたいと いうか …ビッグギャラリーでやりたいは 思 わ ない し、やりたくもない 。4 6 4 9 や M U M E I ではやりたい と思う。
YT: I want to do something like that too and I think it’s better.
高 見 澤 ゆう: そういう関 係 でやりたいし、その 方 が 良いと思う。
JH: How does gallery operation affect your personal artistic activities? YT:
That is very difficult ...
FM: I think that the most fun thing I have done here is to talk with the artist and talk about what experiences and what kind of thoughts they make. I’m making work from a completely different place from the beginning of the idea to the actual making of a work, and I have to swallow it in myself and understand it ... I can’t write any of the above texts without the process, so it’s really interesting to feel my thoughts about my work and become more and more multifaceted as I go through such a process. YT: I think that if you do a regular gallery, you will have a good balance between the painter, the sculptor, and the photographer. I don’t like people who think I hate it, but what we are aiming for is not such a big gallery ... I don’t think I’ll be making huge money over decades ... I thought it would be good ... but what was the question ...? FM:
What do you think about your artist activity?
YT:
Oh, so ...
135
ホ ー ガン・ジェシ ー: ギャラリー 運 営 は 、皆 さんの 個 人 的 な 芸 術 活 動 にどのように 影 響 していますか? 高 見 澤 ゆう: それ はすごく難しい … 村 田 冬 美: ここでやっていて1 番 楽しい なと思 うのは 、作 家さんがどういう経 験 を経 てどんな 考 え のもとで 作 品 を作っているかという事 に 関して、作 家 本 人と話して、対 話 を通して聞 けることです。私 が 制 作 する時 の 発 想 の 起 点とは 全 然 違うところか ら作 品 を作っていて、飲 み 込 んで 理 解しないと… 説 明 の 文 章 は 書 けないので、そういうプロセスを 踏 む ことによって、自 分 の 作 品 に 対 する考 え 方 がどんど ん 多 面 的 になっていくように 感じる。それ が すごく 面 白いです ね 。 高 見 澤 ゆう: 普 通 ギャラリー をやるとなったら、 ペインターと彫 刻 家 、写 真 家とか 結 構 バランス良く やると思 いますけど、僕らは自 分 たちの 作 家 性 に 基 づ いてキュレーションをしているので、多 分 好 みに なっている。嫌 だと思う人 は 嫌 かもしれ ないけど、 僕らが目 指 すのは 大 きいギャラリーじゃない 。何 十 年 もかけてたくさんのお 金 を稼ごうと思っている訳 では ないから、それも良いか なと思っていて… 何 の 質 問 だったっけ …? 村 田 冬 美:
自 分 の 作 家 活 動 にどういう…
4649/MUMEI Exhibition Exchange / エキジビション エクスチェンジ
SS: The influence is quite good ... I am working part-time from Monday to Sunday, this month I’m in the gallery, and I’m working as a special gear as one of the directors. The three of us are moving as special gears. But I don’t know if it’s a big influence or a good or bad direction ... YT: Isn’t it a problem that your own production time is cut off? SS: Ah ... But this is something that is a problem for a company employee ... I don’t think I always want to do that 9–5, Monday to Sunday work forever. It’s not a good life for everyone. (Everyone: Laughs ... lol) JH: What sort of artist are you trying to display? And what is the difference between good and bad artists? Also, do you think you can help change that gap as a gallerist? YT: I don’t think I can’t help, maybe ... I think it’s a bit arrogant, and something that absolutely divides us from other galleries and probably 50% of the artists. There is always some risk to equality. I feel like I’m cooperating with you, but that’s why I’m helping the artist. We are also helping, so there are good things on the same level ... I want to do it. I didn’t like bad artists, so I said a while ago. It’s so deep… I think it’s different from the point of view of the story because it’s a bit of a bad thing to say good artist or bad artist. What is my favorite artist? Well then, let’s ask about Shimizu’s favorite type of artist ? SS: I’m a person who is often traveling alone ... So I like that type of artists such as ... Tsukumi Kudote, and well, I like sculpture ... Yes, Tsumumi Kudote. YT: You’re not listening. It’s not about your favorite artist Shimizu. (Laughs) What type of artist do you think is good? JH: What is the artists who moves around on their own? By themselves? & has their own way? SS: Something ... like Yoko Ono. Like a banishment person, someone who has gone out of Japan and gone abroad ... No, it’s different ... that’s my personal favorite, but ... It’s like a gallery or an artist who deals with daily life… yeah, to me that’s a good artist. YT: I also think people who are walking alone are really good. Well, we are three people, but I think that three people is terribly good, and if it becomes more than three people, it becomes a group, but not like a faction or a movement ... I don’t like that. It’s okay to do it alone, but by chance it’s 3 people. With 3 people it feels like something between a group and one. That’s why it’s good that the artist is doing something 138
高 見 澤 ゆう: あぁ、そっか … 清 水 将 吾: 影 響 は 結 構 あります。自 分 は 、月曜 から日 曜 日までアルバイトをしていて、今 月は ギャ ラリー に 在 廊したり、普 通 に 作 品 作ったり。この3 つが 特 殊 な 歯 車 になって動 いていて、制 作 はアルバ イト中 にしていますけど、だから何 だろう… か なり 影 響していると思 います。良い 方 向 なのか 悪 い 方 向 なのか は 全く分 からないけど… 高 見 澤 ゆう: 制 作 時 間 が 削られるっていう話じゃ ない?… 笑 清 水 将 吾: あぁ… でもこれって企 業 勤 めの 人 が … まぁしたいとも思 わ ないかもしれ ないけど、誰 でも経 験 できる訳じゃない から、すごく良い 人 生 だ な… 全 員: 笑 ホ ー ガン・ジェシ ー: どんなアー ティスト の 展 示 をしようとしていますか?また 、良い アー ティストとそうでは ないアー ティストの 間 には 、どのような 差 が ありますか?そして ギャラリストとして、そのギャップを変 える助 けができるでしょうか? 高 見 澤 ゆう: 多 分 、手 助 けはできない なと思って います。それ は 少し傲 慢 だと思うし、他 のギャラリ ーとアー ティストとで 5 0 % で 分 けるということは 、 何らか のリスクを対 等 に負って協 力してやるという 感じがします。だから、アー ティストには 手 助 けをす るけれど、僕らも助 けられているから、対 等 に良い ことが あるようにしたいです ね 。良くないアー ティ ストとは 、さっき言ったように 好 きじゃないアー ティ ストです。あまり深く、色 々言ったら悪 口みたいにな っちゃうから、この 話 の 論 点とは 違うと思 いますけ ど。僕 が 好 きなアー ティストは 、何 だろ… 清 水 君 の 好 きなアー ティストのタイプを言っていいよ。 清 水 将 吾: 僕 は 、1人 で 移 動してる人 … 工 藤 哲 巳とか 、彫 刻 … 工 藤 哲 巳 が 好 き。 高 見 澤 ゆう: 清 水 君 の 好 きなアー ティストを 聞 い てるんじゃなくてさ( 笑 )。どういうタイプ のアー テ ィストが 良いと思 いますか? ホ ー ガン・ジェシ ー: その1人 で 移 動して る人というのは? 清 水 将 吾: オノ・ヨ ーコもそうですけど、追 放 者 というか 、日 本 から出て海 外 に 行ってる… いや、違 うな … それ は 僕 の 個 人 的 な 好 きですけど、でも、ギ ャラリーとしてというか 、日 常 に 即してるアー ティス トというか …うん … 高 見 澤 ゆう: 確 か に1人 で 歩 いている人 はすごく 良い なと思う。結 構 、僕らは3人 でやっているけど、 3人 てすごく良い なって思っている。3人 以 上 だと 集 団 になっちゃって、派 閥じゃないけど… そういう の が 嫌 で。1人 でやっても別 に良くて、3人 でやって いるのは 偶 然 なんですけど、3人 なら集 団と1人 の
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alone, isn’t that cool? FM:
What is ... your favorite artist? JH: What sort of artist are you trying to display? And what is the difference between good and bad artists? Also, do you think you can help change that gap as a gallerist?
FM: After all, it’s really great to have a gallery, so it’s not really possible to have a good work or bad work. It’s really about being able to talk with the artist and talk about their work. That’s why I’m here for the 10th time in Hamada’s exhibition. It’s really important to be able to talk about personality, and people who can talk properly… I understand a lot, I can talk about various things, and I understand that something really deepens my understanding of the work, and it seems that there is often quite a history about how the person became a better artist. That’s what I do. After all, I would like to have interesting artists on display, but I think that communication is definitely important for that. JH: For instance, there are more people who give up being artists than there are artists. Do you have anything to say to them? Any advice? FM: That’s something that doesn’t matter to me ... I don’t think it matters to me.
間 みたい な 感じ。だから、1 人 でやっているアー ティ ストは 良いよね 、かっこいいというか 。 村 田 冬 美: ト?
質 問 は 何 だっけ … 好 きなアー ティス
ホ ー ガン・ジェシ ー: どんなアー ティスト の 展 示 をしようとしていますか?また 、良い アー ティストとそうでは ないアー ティストの 間 には 、どのような 差 が ありますか?そして ギャラリストとして、そのギャップを変 える助 けができるでしょうか? 村 田 冬 美: 作 品 が すごく良いだけでは ギャラリ ー はできなくて、作 家としっかり対 話して話 ができ るかということが 、すごく大 きい 。作 品 だけじゃなく 人 柄 が 良いことは 、本 当に 大 事 。ここで 浜 田ちゃん の 展 示 をしたのは 、今 回 で 1 0 回 目だけど、人 柄 や 話 ができることは 大 事 です。ちゃんと対 話 できると いうか 、話 の 内 容 が 良く分 かって、色 んなことを話 せる相 手 だと、作 品 の 理 解 が すごく深 まる。そんな 感じでどんどん良いアー ティストになっていったの が 歴 史 だったんじゃないのか なという気 が する。面 白い 作 家 の 展 示 をしたいけど、それ にはコミュニケ ーションが 大 事 だと思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 例 えばアー ティスト を目 指 す 人 たちよりも辞 めてく人 の 方 が 多 いじゃないですか 。そういう人 たちに 対し て、何 か 意 見 はありますか? 全 員: 笑
YT: Me too ... If it is someone who seems to be a friend ... I might say something, if I’m a good friend, but I’m talking as a gallery now ...
村 田 冬 美: それ は … 私 には 関 係 ないことだと思 っちゃうんだけど…
FM: Yeah. Surviving as an artist is hard, isn’t it. I cannot say anything.
高 見 澤 ゆう: 俺 も… もしそういう人 が 、友 達 や 仲 良い 人 にいたら何 か 言うかもしれ ないけど、今 ギャ ラリーとして話しているから…
YT:
We might quit separately ...
(Everyone: Laughs ... lol) JH: Having artists-run-space do you think it is a challenge to the art system or in the future it will eventually become a part of the art system your challenging? YT:
Do you want to get into the art system?
YH:
You can’t do it without entering ...
FM:
Is it a challenge?
YH:
Distance... It’s a sense of distance…
YT: Although there are people who want to fight personally, I think that the system itself is able to collect and absorb all such things if you notice it, and it is always collecting in response to it. I think it’s important to think about it ... but now we say it’s not that important. If you always talk to others and do 139
村 田 冬 美:
うん 。難しい ね 。何 も言 えない 。
高 見 澤 ゆう: 俺らも辞 めているかもしれ ないし… ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティスト・ラン・ スペースを運 営 することが 、将 来 的 にアー トシステムの 一 部 になるのか 、それともアー トシステムへ の 挑 戦 になるのか 、どちらです か? 高 見 澤 ゆう: アートシステムの 中 に 入りたいかっ てこと? 濱 田 泰 彰:
入らなきゃ、やってはいられ ない …
村 田 冬 美:
チャレンジ か な …?
濱 田 泰 彰: 程よい 距 離 感 … 距 離 感 。D i s t a n c e 。 高 見 澤 ゆう: 個 人 的 にファイトしたい 人 たちはい るけど、アートのシステム自 体 については 、気 付 い
4649/MUMEI Exhibition Exchange / エキジビション エクスチェンジ
this, it will be uncovered. I try not to do it if I think it’s an affirmative move ... but my life is really too strict, and I noticed it was part of the system ... I can’t say there is nothing like that happening but I try not to worry too much about it. MF: The system itself is just starting on that ... It’s fine to challenge it ... It’s difficult in the first place, but what’s wrong?... Is it the art market ?... Is it that art fairs are out? YT: For example, there are various things at the art fair, and if you know the face of it properly, or if the community is established properly, it will not be like that. Take for example, Art Basel, it is not really bloody I think… FM: Challenge ... No ... I’m both ... It’s like it’s not like either. I don’t have any interaction with people from nearby galleries around here, and the community hasn’t been built up at all, so it’s difficult to think about how to send the message out. I think that way, so that’s probably not the case of challenging the system. I may not have thought about it so much. YT: I’m pretty sure my older generations are really anti-commercial, so maybe there’s a feeling like that and there may be a reaction to it. How about you Shogo? JH:
Shogo-san, Tell me about Individuality.
SS: I think Murata’s “recording” is very important, so what is that... System ... Anti-System ... Asides from that kind of art, it’s a bloodless system, What else? YT:
Don’t you think anything?
SS:
I don’t think anything ... JH: Do you want to say something to the art industry?
SS:
The art industry ...
YT: I’ll become me again ... I don’t use money, I say a lot about the Internet, but I don’t like people who don’t drop money in the industry, so I’ll spend a little money. I want it to work. FM:
That’s right.
YT: say?
Yeah. Even a book. Do you have anything to
SS: I want to tell you ... come to the gallery. On that point, hip hop is not just about checking online every time you go live, but about going to the live venue, facing, and feeling the burning of what they are doing properly. However fine art is fine. It’s on 140
たら全 部 回 収しちゃうようにできていると思ってい る。それ に 対して、回 収されてい ないか なと常 に 考 えることは 大 事 だと思うけど… でも今 は 、僕らは そ れどころじゃないと言うか 。例 えば 、他 の 人 から「こ れやりますか 」と話 がきた 時 、それ が 回 収されちゃ うような 動 きを肯 定 することだなと思ったらやらな いようにはしている。でも「 生 活 が 厳しすぎて、気 付 いたらシステムの 一 部 になっていました 」なんてこ とが 無 いとは 言 えないと思 います。 村 田 冬 美: だってその 上 でシステム自 体 が 始 ま っている訳 だしね … そこからチャレンジ するのは 、 そもそも難しいというか 。どうなんだろう…アート マー ケットの 中でそれ に …アートフェアに出してる もん ね? 高 見 澤 ゆう: 例 えば 、アートフェアでも色 々ある。 ちゃんと顔 見 知りの 人というか 、コミュニティが 成 り立ってる中であったら、アートバー セルみたいに 本 当に 血 の 通ってないようには ならないと思う… 村 田 冬 美: チャレンジ … いや … 私 はどっちにも ならない 感じかも。この 近 隣 のギャラリー の 人 たち との 交 流 は 全 然 なくて、そもそもコミュニティが 構 築されてい ないから、発 信 する方 法 を考 えると難し い 。とりあえず 続 けて、記 録 を残して、今 後 は 出 版 を 考 える。こういうやり方 は 、どっちにも当てはまらな いかもしれ ない 。あんまり考 えたことが 無 いかもし れ ない 。 高 見 澤 ゆう: 俺 の 少し上 の 世 代 の 人 たちは 、すご くアンチコマーシャル な 感じだった 。だから僕 は 、そ れ に 反 発しているのかもしれ ない 。どうか な … ホ ー ガン・ジェシ ー: 清 水さん 、インディビ ジュアリティについて教 えて下さい 。 清 水 将 吾: 僕 は 、村 田さんの「 記 録 を残 す 」とい うことが すごく重 要 だと思っている。だから…シス テム … それこそ 血 の 通ってないアートのシステムと いうか 、何 だろ… … 高 見 澤 ゆう: 何 も思 わ ない? 清 水 将 吾:
何 も思 わ ないかも…
ホ ー ガン・ジェシ ー: アート業 界 に 対して 何 か 言 いたいことはありますか? 清 水 将 吾:
アート業 界 …
高 見 澤 ゆう: また 俺 の 話 になっちゃうけど… お 金 を使 わ ないでインター ネットで 色 々言っているくせ に 、業 界 にお 金 を落としてない 人 が 嫌 だから、少し でも良い からお 金 を使って欲しいと思 います。 村 田 冬 美: そうだ ね 、作 品 買って下さいってな っちゃうよね 。 高 見 澤 ゆう: うん 。本 でも。何 か 物 申したいことは ないの?
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Instagram or available on some such an archiving function. But don’t rest too much… I’d like you to come to see it. I feel like I want you to buy it. SS: I’m from Sapporo, but I don’t want to use my art for the town economy. Something about Sapporo has been incorporated into the tourism industry, and the city has placed sculptures in Odori Park. There is a tremendous mood drifting to the city staff trying to capitalize on regional art festivals. I don’t like it. YT: There are people who have various roles, and maybe some of them are standing at the entrance like gate keepers. There are some core people behind it, but it is better to see art by people who are not too involved in art. You know ... I want to say that, but I don’t like it because I hate it so much that people say it’s so funny or better or dumb or cool. How about it? FM: I wonder what I would say to my friends ... I mean, it’s better to see it in real and it’s not always a promotion like—this work is like this or this work is that. I think if the work is interesting then it makes people think. In that sense, if you keep doing that, perhaps you might become interested in someone who wasn’t originally interested in anything ... YT:
My friend recently became the chief.
FM:
A Company Chief?
YT: Yes, of the big company. Probably the first, among friends. You may have talked with someone about it because it’s for the great art dealer. However, it wasn’t a pure meaning, and as I told you there was a story that it was good for money. But I think it’s okay to enter the position even if it’s only because of that ... FM:
There are such aspects.
YT: And that’s the aspect, I think it’s pretty close to the essence of art, the money. (Translated Text)
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清 水 将 吾: 物 申したいこと… ギャラリー に 来 て。ヒップ ホップだと、ライブ をする度 に 、オンライ ン 上 でチェックするだけに 留 まらず、ちゃんとライ ブ 会 場 に 行って、そいつらが やっていることを対 面 でこの目に 焼 き付 ける。でもアートだと、インスタグ ラムやアーカイブ 機 能 に 安 息 … 安 息じゃないか … なるべく実 際 に 見 に 来 て欲しい 、買って欲しい 。 清 水 将 吾: 札 幌 の出身なんですけど、町 興しに アートを利 用しないでほしい 。札 幌 の 観 光 産 業 に 彫 刻 が 取り込 まれていて、市 が その 彫 刻 作 品 を大 通 公 園とか にたくさん 置 いています。市 の 職 員たち の 中 にうぬ ぼ れたムードが 漂っているの が 、すごく 嫌 です ね 。 高 見 澤 ゆう: アー ティストには 様 々な 役 割 が あっ て、アートへ の 入り口みたいになる人 もい れ ば 、す ごく奥 のコアな 人 もいると思う。アートに 関 わりよ うが ない 人 に 対して、アートを見 た 方 が 良いよとは 言 いたいけど、俺 は 他 人 に「これ 面 白いよ」とか 、 「 やった 方 が 良いよ」とか 言 わ れるの が すごく嫌 いだ から言 えないって感じです ね 。どう? 村 田 冬 美: 私 は 友 達 には 結 構 言うか な …「 見 た 方 が 良いよ」という推 進じゃなくて、 「この 作 品 がこ ういう感じで、私 はこう思って面 白かったんだよね 」 という話 をするか な 。そういうのをずっと続 けてた ら、元 々全 然 興 味 な かった 人 が 興 味 持ってくれるか もとか … 高 見 澤 ゆう: 最 近 友 達 が 係 長 になったんだけど 村 田 冬 美:
会 社 で?
高 見 澤 ゆう: 会 社 で。多 分 友 達 の 間 で 係 長 になっ たのは 初 めて。アートはすごく良いよという話 をし ました 。でもそれ は 純 粋 な 意 味 では なくて、お 金 の アレとして良いよと。俺 は そういうところから入って も良いと思う。 村 田 冬 美:
そういう側 面 もあるんだろうね 。
高 見 澤 ゆう: しかも、そのお 金 のことは 側 面とい うか 、アートの 本 質 に 結 構 近 いことだと思う。
4649/MUMEI Exhibition Exchange / エキジビション エクスチェンジ
Yuko Hasegawa
長谷川 祐子
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Yuko Hasegawa Interview [3 C’s] 23.07.2019 b. Kyoto, Lives and works in Tokyo & Kanazawa, Japan Interview conducted in Japanese
長 谷 川 祐 子 インタビュー「 三 つの C 」 2 0 1 9 年 7月2 3日 京 都 生 まれ 、現 在 は 東 京と金 沢 に 住 んでいます インタビュー は日 本 語 で 行 わ れました
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JH: Prof. Hasegawa, Welcome. To begin with could you introduce your concept and framework of the 3Cs ? YH: 3Cs means a word that starts with three C acronyms, but one means “Consciousness awareness”. This corresponds to Materialism, and usually uses words like Spiritualism, i.e. spiritualism versus materialism, but I think that the word “Spiritualism” is a bit misleading. The word “consciousness” includes a sense of finding invisible things rather than substances and a level of recognition. The other is “Collective Intelligence”, this was not so popular in 1999 when we thought about this, but there are many of these concepts because of the development of the Internet. Looking at Interaction and the sharing of knowledge and information, I think that the word “Collective Intelligence” will become a very important term. The other is the “Coexistence of coexistence”, meaning to live together. This is a word that sounds very beautiful in a sense, but it’s actually not so easy, it probably coexists in its different areas. I think there are multiple ways to say that they are conscious of each other, or to live in a mixed way, but the most important thing is to understand others and to share with others our Co-existence in the sense of consciousness of itself—while constantly conscious of the existence of the external, in the sense of symbiosis. So this 3Cs idea has a lot to do with the 3Ms (Modernity, Masculinity, Money, Materialism) that I mentioned in a sense, what led the 20th century and brought us a very technologically and materially rich life. Then, we proposed the existence of 3Cs as a proposal to correct modernisms 3Ms—as a way of thinking about how we can make a soft landing and survive in the 21st century in the future. It is that. JH: Could you talk to us about what are some of the good things about being a curator and curating? YH: At first, I started by working in a museum without knowing exactly what a curator is. There were many of you led me, including Kawahara Atsushi, including Kasper König/Kasper König was introduced by Mr. Atsushi Kawahara, Harald Szeeman, etc. There was an encounter with people curating with one Attitude and Vision. I think that had a big impact on me. In other words, a curator is not a person who introduces the genre of art with a certain specialty, but a person who thinks about a single thinker, has moved it into action, and translates the present in various ways. I will highlight the artists as a single mapping. I thought it was the role of such a job to tell people how their activities were translated in the present world. So, since I started from the beginning with no prejudice against the work of curation and the work of curating, it was experience in the first instance that created this concept in me. I think that was good 146
ホ ー ガン・ジェシ ー: 長 谷 川 先 生 、どうぞよ ろしくお 願 いします。まず 3 C s というコンセ プトと枠 組 みについてご 説 明 いただけます か? 長 谷 川 祐 子: 3 C s というのは3つの C の 頭 文 字 で 始 まる言 葉 を表しますけれども、一 つは 「 C o n s c i o u s n e s s — 意 識 」という意 味 です ね 。 これ は 英 語 の M a t e r i a l i s m に 対 応 するもので、 普 通 は 物 質 主 義 に 対して精 神 主 義といったよう な 、S p i r i t u a l i s m といったような 言 葉 をあてが います。私 は 、S p i r i t u a l i s m( 精 神 主 義 )という 言 葉 は 、誤 解 を招 きやすいのか なと思っていて、 物 質 を超 えて広 範 に I n v i s i b l e なものを見 つけ ていく一 つの 感 覚 や 認 識 のレベ ルを含 めて意 識 という言 葉 にしました 。もう一 つは「 C o l l e c t i v e I n t e l l i g e n c e — 集 合 知 」というものです。これ を考 えた 1 9 9 9 年 の 段 階 では 、そんなにポピュラ ー なものでは な かったのですが 、今 非 常 にインタ ー ネットが 発 達 する事 により、その 中でも多くの I n t e r a c t i o n( やり取り)と、それ から知 識とか 情 報 の 共 有 が 行 わ れているところを見ると、この C o l l e c t i v e I n t e l l i g e n c e( 集 合 知 )という言 葉 は 、非 常 に 重 要 な T e r m( 用 語 )になるのか なと思 っています。 もう一 つは「 C o - e x i s t e n c e — 共 生 」共 に 生 きるという意 味 です。これ は 、ある意 味 で 非 常 に 美しく聞こえる言 葉 ですが 、実 際 は そんなに 容 易 では ない 、恐らくそれ が その 個 々の 違うエリアに 共 存しな がら、お 互 いを意 識しな がら在るという言 い 方 、或 いは 混 合して住 むというやり方 、複 数 ある と思 います。最 も重 要 なのは 、他 者 を理 解し、他 者 と完 全 に 共 有 が できなくても他 者 の 存 在 を絶 えず 意 識しな がら自 分 自身を自 覚 するという意 味 での C o - e x i s t e n c e 、共 生というような 意 味 で 捉 えま した 。ある意 味 でさっき言った 3 M s 、つまり 2 0 世 紀 を牽 引して、ある意 味 非 常 に 豊 か 、物 質 的 に 豊 か な 生 活 を私 たちにもたらしてくれたもの 、そしてそれ が 多くの 亀 裂 を生じてしまった 事 に 対して、どのよ うにソフトランデ イング をし、私 たちがこの 先 2 1 世 紀 を共 に 生 き延 びていけるのかということの 考 え 方 として、3 M s を修 正し補 正 する提 案として 3 C s の 存 在 を挙 げました 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: キュレー ターである ことと、キュレートすることの良い 点 を教 え ていただけますか? 長 谷 川 祐 子: 最 初 、私 は キュレー ターと いうものは 何 をする人 なのかよく分 からず、美 術 館 で 仕 事 をするということから始 めました 。私 を 導 い てくれたのは 、河 原 温さんや、河 原さんに 紹 介して 頂 いたカスパ ー・ケ ーニヒ/ K a s p e r K ö n i g や、 ハラルド・ゼ ーマン / H a r a l d S z e e m a n など、自 分 自身の 名 前 で 行 なっている I n d e p e n d e n t( 独 立 的 な )活 動 も含 めて、一 つの A t t i t u d e( 態 度 )と V i s i o n(ビジョン )を持ってキュレーションをして いる人 達との出 会 いでした 。それ が 私 に 大 きな 影 響 を与 えたと思 います。 つまりキュレー ターというのは 、ある専 門 性 を持ってそのアートのジャンルを紹 介 する人 では ありません 。1人 の T h i n k e r 、つまり考 える人 間 で
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for me. Another thing that changed in 2000 was that until then I was working in Tokyo as a museum curator, but after all that I worked in Istanbul, I was in the middle of history. That is, September 9.11 happened 10 days before the Biennale, and all the airports weren’t open. They were closed for 4 days, and we talked with artists from all over the world who were there. What is happening now? On the other hand, there are many artists who could not come and some people who could not come. But again, young Turkish students and other visiting students helped out in the sense that they wanted to do this biennale as a symbol of their civilization. It was a very critical situation that could not be experienced in a way. Many people were very pleased. So I’m probably in the midst of various values and various conflicting conflicts, and various audiences will react to me in various ways. I felt that it was one such profession that expanded me and strengthened myself. It was after Istanbul that I realized the size of the world. At that time, I worked with 74 writers, who are still important. After all, curation work is targeted at different audiences, especially when working overseas. In other words, in Japan, we have been making exhibitions for Japanese audiences of artists who have been exhibiting in Tokyo for a long time. But for example, there is a Paris audience, an Istanbul audience, a Moscow audience, a Sao Paulo audience, am I wrong? I don’t make it especially for young people who understand contemporary art, but I really think about how art and culture work for those people now. In that sense, I am in that place and become a very strong driving force and tension when I do Urban Anthropological or Historical research in a sense. It also enhances my own ability to observe and think about history. In that sense, I had the joy of absorbing other things through biennials and overseas exhibitions. The best thing about curating is the encounter with artists. I am not a YES man for the artist. That’s what artists say. However, I really want to have a sincere relationship with the artists, that is, what kind of artists will be around in the group show, and what does it mean to you and the artists next to it? I try to explain thoroughly whether it is or isn’t working. Many artists say that you are the first curator to explain properly. In other words, it is really a great pleasure when an artist makes a proposal and makes a work that disappoints my expectation in a limited way. . In a way, the artists thinks the curator is a different kind of creature than the people we usually associate with. In other words, you have your own view of the world and you have the knowledge, physical strength, and energy to create things in a certain sense. On the other hand, I think that I have a lot of free space to let my sensibility play freely, and various difficulties to come to terms with reality. There are many cases where I am encouraged by such exchange and exchanging with people of a special nature, gaining energy and inspiration. So, exchanging ideas or exchanging experiences, that is, 147
あり、それを行 動 に 移していって、現 在 を色 々な 形 で T r a n s l a t e( 解 釈 )しているアー ティストたちを 1つのマッピングとして組 み 上 げ たり、ハイライト したりする。彼らの 活 動 や、今 の 世 界 がどのように T r a n s l a t e( 解 釈 )されているのかを人 々に 伝 えて いく、そのような 仕 事 だと思っていました 。 ですので、最 初 からキュレーションという仕 事 、キュレー ティングという仕 事 に 対して全く偏 見 のない 状 態 から始 まったので、この 概 念 が 私 の 中で 経 験 により作られました 。それ が 自 分 にとっては 良 かったと思っています。さらに 2 0 0 0 年 になって何 が 変 わったかというと、それまでは 美 術 館 の 学 芸 員 として東 京 で 仕 事 をしていましたが 、イスタンブー ルの 仕 事 を境として、私 は 歴 史 の 狭 間 にいました 。 つまり、ビエンナ ーレの 1 0 日 前 に 9 1 1 テロ 事 件 が 起 こり、全 ての 空 港 が4日 間 閉 鎖され 、その 時 に 世 界 各 国 から来 ていたアー ティストたちと、とことん 話 をしました 。今 何 が 起こっているのか 。 一 方 で、来 られ な かったアー ティストや 人 々もたくさんいる。 でもトルコの 若 い 学 生 たち、手 伝ってくれる学 生 た ち、そして自 分 たちが 、このビエンナ ーレを自 分 たち の 文 明 の 一 つの 象 徴として行 いたいと言って実 行 する。このようにして、な か な か 体 験 できない 非 常 にクリティカル な 状 況 を切り抜 けたわけです。色 々 な 方 に 非 常 に 喜 んで 頂 けた 。そこで、恐らく色 々な 価 値 の 狭 間 に 立 たされたり、様 々な C o n f l i c t( 衝 突 )や 葛 藤 が 生 まれたり、さらに 多くの 観 客 から様 々な 反 応 が 出てきたりするだろうと思 いました 。そ れでこの 仕 事 は 、自 分 の 視 野 を広 げ てくれて、私 自 身を強くしてくれる天 職 であると感じました 。 世 界 の 広さを自覚したのは 、イスタンブール 以 降です。 当 時 、7 4 人 の 作 家と一 緒 に仕 事 をして いましたが 、その 人 たちは 今でも大 切です。やはり キュレーションの 仕 事というのは 、特 に海 外でやる 場 合 、対 象 のオー ディエンスが 異 なります。つまり 日本で、東 京で 展 覧 会 をし続 けることや、日本 人 の 観 客 に対して展 覧 会 を作るのと、例えば パリやイス タンブール 、モスクワ、サンパウロでは 、それぞれ 観 客 が 異 なります。私 は 特 に、コンテンポラリーアー トを理 解する若 者 のためだけに作るのではなくて、 アートや 文 化 が 現 地 の 人 たちのために今どういう 形で 機 能するのかということを根 本 から考えます。 これは 私自身が その 場 所 にいて、ある意 味 U r b a n A n t h r o p o l o g i c a( l 都 市 人 類 学 的 )、あるいは H i s t o r i c a( l 歴 史 的 )なリサ ー チをしていくという 時 の 非 常 に強 い 原 動 力 、テンションとなっています。 それ は 、私 の 観 察 力や 歴 史 に 対 する思 考 力 を高 めてもくれます。そういう意 味 では 、ビエンナ ー レや 海 外 の 展 覧 会 を通じて別 のものを 吸 収してい くという喜 び が ありました 。キュレーションにおけ る最 高 なものは 、アー ティストたちとの出 会 いです。 私 は 、アー ティストの 言うことに 対 するY E Sマンで はありません 。アー ティスト全 員 が そう言 います。ア ー ティストたちとは 、心 からの 信 頼 関 係 を結 び たい と思 います。つまりグル ープショーであっても、その 周 辺 にどんなアー ティストが 来るのか 、あなたとそ の 隣 のアー ティストは 、この 展 覧 会 のテ ーマにどう いう意 味 を持っているのかというのをとことん 説 明 します。そうすると、多くのアー ティストが 、そこまで きちんと説 明してくれるキュレー ター はあなたが 初 めてだと言ってくれます。ですから、アー ティストが 提 案 をしてくれて、こちらの 提 示した 限られた 条 件
Yuko Hasegawa / 長 谷 川 祐 子
the field where I am living, it is not limited to Tokyo, Japan. I think I can continue this curator’s work by continuing to have the vision of making something somewhere in the world. JH: When you were first becoming a curator what were some of the difficulties and experiences you had to overcome and face? YH: The first problem I faced was that there were a lot of very beaurocratic processes since I started working at the public museum in Japan. After all, buying a variety of materials or equipment, or even making a business trip, you have to make a lot of documents, and that is often in contemporary art, so it requires a lot of flexibility to buy materials and stay with artists. Action is required. It’s a project. On the other hand, it is possible to respond to the activity and flexibility of contemporary art, such as applying for documents that have been clearly decided many days ago and applying the results to other documents, it is difficult to change anything else. It was not a government office system, so I had a hard time with that. That is the biggest thing. In other words, it took me a lot of time, and it was the most important research. At the time I was thinking and doing various things with the artist but it was very limited. It was very difficult for me. JH: What are some of the difficult issues facing artist and curators Today? YH: Is it today’s problem? I think everyone is aware of today’s problem, but that means that art is causing a very differentiating condition, unlike 10 years ago. In other words, it is not supported by one big value or criteria. There is not one very big value, but various values depending on many different values or different cultural backgrounds. In response to this, what is the value standard, what kind of curricular judgment can you make for yourself. It’s about democracy in a sense, or basic ethics in a sense. I think that there are times when you are constantly faced with new issues about your own ethical issues and how you think about them, and you are forced to make judgments about them. Another thing is that artists are not so commercialized, but there are very few places where you can do it when you want to do your own projects freely. In the past, I think there was a lot of public space in various forms, and there was still the underground contexts to allow such free projects, but because the market was successful, many galleries Or something like private foundation’s, have come to support major and successful artists, it has led to the market, and in turn that has increased. So, the artist’s freedom to do projects that are unrelated to such a market is almost impossible to do without renting space in such a place like a big biennale, a big project space, or a large scale residency. It is like that, I wonder if that is how it has been. Japan as a whole is like that, but in Europe, 148
において良い 意 味 で 最 大 に 期 待 を裏 切る作 品 を作 ってくれた 時 には 、本 当に 大 きな 喜 び を感じます。 アー ティストたちは 、ある意 味 で 私 たちが 通 常 付 き合っている人 たちとは 少し違う種 類 の 生 き 物 だと思っています。つまり自 分 自身の 世 界 観 を持 ち、物 事 を作り出していくK n o w l e d g e( 知 識 )や 体 力 、気 力 が あります。 その 一 方 、自 分 の 感 性 を自 由 に 遊 ば すための 異 なる自由 な 空 間と現 実 の 折り 合 いを付 けるために 、様 々な 苦 労 もしていると思 い ます。このような 割と特 殊 な 生 き物 の 人 たちと様 々 な 交 換 をさせていただくことにより、励 まされ 、エネ ルギ ー をもらい 、インスピレーションを得ることは 多 々あります。このように 、互 いにエネルギ ー やアイ デアの 交 換 をすること、つまり自 分 が 生 活している 日 本 の 東 京 に 限らず、アー ティストたちが 世 界 のど こかで 何 かを作っていけるというビジョンを抱 き続 けることにより、キュレー ター の 仕 事 を続 けていけ ると思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: キュレー ター になっ た当 初 、どのような 問 題 に 直 面し、乗り越 え なくては なりませんでしたか ? 長 谷 川 祐 子: 私 は日 本 の 公 立 美 術 館 で 仕 事 を始 めたので、b e a u r o c r a t i c( お 役 所 的 )なプ ロセスが たくさんあるという問 題 に 直 面しました 。 素 材 やマテリアルを買うにも、出 張 ひとつするにし ても、多くの 書 類 を作らなくてはいけませんでした 。 コンテンポラリーアートですから、材 料 を買うにも アー ティストが 滞 在 するにも、高 い 柔 軟 性 のある対 応 が 必 要 です。プロジェクトですから。でも、何 日も 前 から明らか に 決 まったことに 関 する書 類 を出して 申 請して、それ 以 外 のことは な か な か 変 えられませ んでした 。つまり役 所 のシステムは 、現 代アートのア クティビ ティや 柔 軟 性 に 対 応 できな かったため 、大 変 苦 労しました 。やはりそれ が 、一 番 大 変 でした 。 それ に 多くの 時 間 を取られてしまい 、最 も重 要 なリ サ ー チや、作 家と共 に 様 々なことを考 えて実 行 する 時 間 が 非 常 に 限られることが 、非 常 に 大 きな 問 題 でした 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 現 在 、アー ティストや キュレー ター は 、どのような 問 題 に 直 面して いますか ? 長 谷 川 祐 子: 現 在 の 問 題 です ね?誰 もが 自 覚していると思 いますが 、1 0 年 前と異 なり、アー トが 非 常 に 細 かく差 異 化されていることです。つま り、一 つの 大 きな 価 値 あるいはクライテリアに 支 え られるのでは なく、また 非 常 に 大 きな 価 値 観という もの が 一 本 あるのでもなく、多くの 異 なる価 値 、あ るいは 異 なる文 化 的 な バックグラウンドにより様 々 な 価 値 観 が 生じてきていること。それ に 対して、何 を価 値 基 準として、様 々なキュレトリアル な 判 断 を すれ ばよいのか 。デ モクラシ ー や 基 本 的 なエシカル な 問 題 の 考 え 方 に 関 する新 たな 課 題 を絶 えず 突 き つけられ 、判 断 を迫られていると思 います。 もう一 つは 、アー ティストがコマーシャライ ズされず に 独 自のプロジェクトを自由 にやっていこ うと思った 時 、それ が 可 能 な 場 所 が 非 常 に 限られ てしまっていること。以 前 は 、様 々な 形 のパブリック スペースが あり、そのような自由 なプロジェクトが
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I think there was still the ground level to allow for various cultural financial support, contemporary art, and experimental things for projects. It’s not just the surface, but I have the impression that there are a variety of new conditions that will force us to take control and self-sensationalize in various ways. So, I still didn’t have much money, but I had the impression that the freedom that was allowed when I did a gender exhibition at the Setagaya Art Museum in the late 90s was much more free then it is now. In other words, not only financial problems but also the tolerance of society, such as wanting to freely look at such various avant-garde ideas, and experimental or utopianistic visions. What should I do? Regardless, I still feel like going. It is still a problem of immigration, economic problems, and in Japan there is a problem of a declining birthrate. I think that there is a background to all that, but I think that it is not possible to completely alter it. Another problem is information— in a sense expanded and regulated by Internet information and digitalization as represented by the gafa/gaf cognitive capital. In a sense, bringing a new cognition and awareness is like capital, capital that feels as though it has been combined with the value of art. In other words, the process of not appreciating the value of something that doesn’t give new information, or evaluating yourself, including new attempts, is not free. I feel such a tendency that everything is judged by digital or existing information value. Therefore, I feel such a cramp that free discussions about philosophy and art are less reflected in people’s psychology and value if information. It may be just me, but on the other hand, there may be people who wonder why they can’t enjoy this degree of freedom when they are so connected on the Internet. However, the 24-hour Internet is something that keeps leaking my energy, it feels like it’s running down a little, and once we shut it down a little more in ourselves I think I will have to maintain my internal situation, my internal spirit, and my creativity. Sharing something with people may surely create something new, but art should be something that is deeply cultivated deeply in your heart. I don’t feel like something different is being evaluated for the speed of art. So I want young people or young artists to stop and think about something like that. JH: What do you think about the strategies of artist curating and developing their own exhibitions and programs? What is it that makes the curators role/work and artists role different? YH: Exhibitions curated by artists? Which one? Do Exhibitions curated by artists mean that the artist curates with the work of others? Or do you say that the artist curates herself? Which is it?
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許される土 壌 が あったと思 います。ところが 、マー ケットが 成 功したが 故 に 、多くのギャラリー やプラ イベ ートファンデ ーションが 、メジャー なアー ティス トやサクセスフル なアー ティストのサポ ートをする ようになり、それ がマー ケットへと繋 がっていくこと が 多くなりました 。 ですから、マー ケットと無 関 係 のプロジェク トをやろうとするアー ティストの自由 度 に 影 響 を与 えています。つまりほとんどは 、ビレナ ーレなどの 大 きなプロジェクトでやるか 、レジ デンスのような 場 所 を借りないとな か な かできなくなってしまいまし た 。これ は日 本 だけでなくヨ ー ロッパでも同じです。 以 前 は 、文 化 的 な 財 政 補 助 、現 代アートやプロジェ クトにおけるエクスペリメンタル なことが 許 容され る土 壌 が あったと思 います。金 銭 面 だけでは ないで すが 、様 々な 意 味 におけるコントロ ールやセルフセ ンサ ーシップを余 儀 なくされるような 条 件 が 新 た に出てきているという印 象 を受 けています。私 自身 は 、あまり財 政 面 は 無 かったのですが 、9 0 年 代 後 半 に 世 田 谷 美 術 館 でジェンダー の 展 覧 会 をやった 時 の自由 度 は 、現 在よりもはるか に 高 かったと思 い ます。つまり、アバンギャルドやエクスペリメント、ユ ートピアにスティックなビジョンに 向 かっていくこ とを自由 に 眺 めていたい 、そういうことをやってみ たら良いのでは ないかという許 容 度 が 、社 会 から無 くなっていく一 方 であると感じています。 この 背 景 には 、移 民 や 経 済 の 問 題 、日 本 で あれ ば 少 子 化 の 問 題 が あり、今 後 の 成 長 をポジ ティブ に 迎 える寛 容さが 失 わ れつつあることが あ るため 、仕 方 ないのかもしれ ないとは 思 います。 もう一 つの 問 題 は 、ガファ/ G A F A c o g n i t i v e c a p i t a( l 認 知 資 本 )に 代 表されるようなインター ネット、情 報 化 、デジタライゼ ーションにより、情 報 や 新しい 認 識 をもたらすことが 資 本 のようになって しまっていて、アートの 価 値 もそれと一 緒 にされて いるような 感じがします。つまり、新しく情 報 を与 え るものでなけれ ば 価 値 を認 めない 、あるいは自 分 自 身や 新しい 試 みを自由 に 評 価 するプロセスが ない 。 全 てが デジタルや 既 存 の 情 報 価 値 で 判 断されるよ うな 傾 向 を感じています。 ですから、哲 学 やアートに 関 する自由 な 議 論 が 、人 々の 心 理 や 価 値 の 形 成 に 以 前 ほど反 映され なくなっているという窮 屈さを感じています。これ は 私 だけかもしれませんが 。ただ 、みんな が インタ ー ネットでこんなに 繋 がっているのに 、な ぜ 自 分 は その自由 度 を享 受 できないのかと思う人 もいるか もしれません 。2 4 時 間 インター ネットというのは 、 自 分 のエネルギ ー を漏 電し続 けている、または 垂 れ 流し続 けている感じがします。かつては それをシャ ットダウンして、自 分 の 中 のインター ナル な 状 況 や 精 神 の 領 域 、創 造 力の 領 域 を自ら維 持していたと 思 います。その 全 部 を他 人と共 有 すると、確 か に 何 か 新しいもの が 生 まれるかもしれませんが 、一 方 で 心 の 奥 深くで ゆっくりと醸 成されるもの がアートで もあるはずです。そういうアートのスピードに 対し て何 か 違うもの が 評 価されている、そんな 気 がして なりません 。ですから若 い 人 たちや 若 いアー ティス トには 、一 度 立ち止 まって、そのようなことを考 えて 欲しい なと思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティスト自身によ るキュレーションや 展 覧 会 、プログラム 開 発
Yuko Hasegawa / 長 谷 川 祐 子
JH: There are 2 patterns. Of course. Sometimes the strategy is that the artist puts out her own work in a group show, and at other times the artist only curates others. There are various patterns. YH:
Which do you mean ? JH: In this case, I would like to discuss, including both patterns.
YH: Okay. I think the curation of an artist is interesting because it reflects in the curation of a vision that has the same meaning as the curation of philosophers and thinkers, for example. The big difference between us and curators who work with curation is that we have a social sense of responsibility to convey the work to the public and to convey the theme behind curated reality. There are a lot of things that are made in public responsiveness in the way of communication and composition. It’s not related to working at a public museum. However, in the case of an artist, it can be thought that an exhibition medium is used as one medium for one creation. That’s why it’s free and interesting, but I think that there may be cases that leave behind a general audience or some sort of art audience. However, I think that both are possible in a sense, I think that an exhibition curated by an artist is very interesting. But yes, to a degree I think that the role is different. Another trend is that there is a problem of revision and recycling of history. Because contemporary art, conversely, when it was called contemporary art after the war, various isms and styles came out one after another, and it was developed as history in a very convincing way, I think as if there was one sequence. For example, I think that there was a natural flow of post-minimalism coming out after minimal art and connecting with new conceptualism or regionalism. But now it’s quite easy to style it as a new expression, it comes out in many different directions rather than its contextualization, and some things really come back as retro, or historical revisionism. It is one of the current ways that it is straying or running wild, such as being stuck with architecture or design, together with other genres that are ridiculous or outrageous, and it has evolved slightly in style. It looks like it’s different from what’s happening. If you do so, I think that it is difficult to present the following as a curator who has a historical view of history in cooperation with the art historian. For example, Achille Bonito Oliva is doing trans avantgarde, and for example, Aichi is doing post-human. When it became so, that is, when it was difficult to hope for a big change in the style of creating a historical view, the role of the curator is to return to the past of art history or a more archeological view. Finding something in it, creating a new context or creating a combination, or recycling an existing concept again to give it as another concept. When it comes to that kind of work, it would 152
の 戦 略 についてどう思 いますか ? キュレー ター の 役 割 や 作 品 が 、アー ティストの 役 割と の 一 線 を画 すものは 何 ですか ? 長 谷 川 祐 子: ええと、E x h i b i t i o n s c u r a t e d b y a r t i s t s(アー ティスト自身によるキ ュレーション )というのは 、アー ティストが 他 の 人 の 作 品 も入 れてキュレーションすることを含 みます か?それとも、アー ティストが 自 分 自身をキュレー ションすることを指しますか? ホ ー ガン・ジェシ ー: 2つのパターンが あ ります。もちろん 。アー ティストが 戦 略として 自 分 の 作 品 も入 れてグル ープとして出すこと もあれ ば 、キュレーションだけすることもあ る。色 々な パターンが あります。 長 谷 川 祐 子: か?
どっちも指 すということです
ホ ー ガン・ジェシ ー: 今 回 は 、両 方 のパタ ーンについて話したいと思 います。 長 谷 川 祐 子: O K . . . アー ティストのキュレ ーションというのは 、例 えば 哲 学 者 や 思 想 家 が キュ レーションするという面 白さや、ある1つのビジョ ンをキュレーションに 反 映 するという面 白さが ある と思 います。キュレーションを仕 事としている私 た ちキュレー ターとの 違 いを挙 げますと、私 たちは パ ブリックに 作 品 をきちんと伝 えること、キュレトリア ルの 背 景 にあるテ ーマを伝 えるというソーシャル な 責 任 感 を持っています。伝 え 方 や 構 成 の 仕 方 に 関し ても、パブリック・レスポンシビリティにおいて作る ことが 多 いです。それ は 、パブリックミュー ジアムで 仕 事 をする云 々とは 関 係 ありません 。でもアー ティ ストの 場 合 は 、自 分 自身の 創 作 における一 つのメデ ィアムとして展 覧 会 を使っていると考 えられます。 ですから自由で 面 白いのですが 、ともすると一 般 の 観 客 あるいはアートの 観 客 を置 き去りにしてしまう ことが あるのでは ないか なと思 います。でも、どちら も可 能 性としては 有りだと思うので、アー ティスト が キュレーションする展 覧 会 は 非 常 に 面 白いと思 って観 ています。このような 役 割 の 違 い が あります ね。 もう一 つの 動 向として、歴 史 のリヴィジョン、 リサイクルという問 題 が あると思 います。というの は 、戦 後 のコンテンポラリーアートには 、色 々なイ ズ ムとかスタイル が 次 々と出て来 て、それらが 非 常 に 納 得 のいく形 で 歴 史として展 開してきたシ ークエ ンスが ありました 。例 えば 、ミニマルアートの 後 にポ ストミニマル が 出て来 て、新しいコンセプチュアリ ズ ムまたはリー ジョナリスティックと繋 がるという 自 然 な 流 れ が ありました 。でも今 は 、新しい 表 現と してスタイライズ やコンテクスチャライズ するとい うことよりも、むしろ様 々な 方 面 に出てきています。 あるものは 歴 史 的 に 後ろにバックしたり、あるいは とんでもない 他 のジャンルと一 緒 になって建 築 やデ ザインとくっついたりとか 。迷 走というか 乱 走して いるというの が 今 の 一 つの 在り方 で、スタイル 的 な 進 化とはまた 違う様 相 になっている訳 です ね 。 そ うすると、美 術 史 家と連 携してひとつの 歴 史 観 を持 ってやっているキュレー ターとしては 、次 を提 示し
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be nice if it could be cleaned according to the idea that I have as a criterion or an art historian that I have now, but that is just a recycling game. I think that there is a tendency for it to become like a vision game. So many curators are now doing intensive agenda’s with performance and the avant-garde. Then everyone looks the same. So why the 70s attracted them is nostalgic. It is the idea that it became the first platform of contemporary art in a certain utopian avant-garde sense. They shared it in a certain way at that time and it is still alive because they are revising that time. It has become nostalgic rather than a revision. There are also such things. I’m watching it but it’s a little boring. On the other hand, it’s hard to find interesting exhibitions by curators, so it’s a collective issue. I wonder if an artist’s exhibition can be seen as a more unique form. In other words, what I wanted to say is that the curator is also an art specialist, so the history of art is constantly in the background and how to read the art history, or how to create a context? I think you can see it behind the curation of the person. In that sense, I think that curators of such standing positions are now being questioned, including where art history goes. I think it’s very important to work with different disciplines, such as working with anthropological or archeological things. I would like to see the project from a professional curator’s point of view, or how the collaboration with different disciplines will become. Of course, the curators who came from these various regions are, for the time being, African in Africa, Chinese in China, the history of their place, how to make modernization work properly and show it as an exhibition. That is what I think. I’m still making it. I’m looking forward to seeing what it will be when those people mature and start to look at other things from their point of view, that is, when they see other areas combine. JH: Do you feel that exhibitions are often a collaboration between the artists and the curators? YH: For example, in the case of a solo exhibition, it will be a considerable collaboration. In other words, in the case of a solo show, it is necessary to have a discussion from the very beginning about how the artist cuts out or shows how to include new works. So, I think that there is a very active exchange that the artist looks at between themselves and the curator and thinks about what this person can do. Other than that, for example, when it comes to museum exhibitions, that is the question right now? Not a biennale. I think there is a collaboration with such artists when creating new productions. In other words, setting a theme, how this new work will function within the theme, what kind of cooperation will be obtained in the current production process and who will further collaborate with it? It is a case of collaborating with artists in various ways, including how the audience will accept it and how it will be managed after the exhibition 153
にくい 。例 えばアキ ーレ・ボニート・ オリーバ が 、ト ランスアバンギャルディアをやったり、愛 知 が ポス トヒューマンをやったりなどしましたが 、そういうこ とが 難しくなっていく。そうなってきた 時 、つまり歴 史 観 を作っていくスタイルの 大 きな 変 遷 が 望 めな くなった 時 のキュレー ター の 役 割とは 、もう一 度 過 去 の 美 術 史 やアルケロジカル なものまで 戻って、そ の 中で 何 かを見 出して新しいコンテクストやコンビ ネ ーションを作ること、既 存 の 概 念 をもう一 度リサ イクルして別 の 概 念として出すという作 業 です。そ のような 作 業 を行う際 、今 の自 分 が 持 つクライテリ アや、アートヒストリアンとしての 考 えに 則って綺 麗 にできれ ば 良いのですが 、単 なるリサイクルの 遊 び のようになったり、ビジョンのゲ ームみたいになっ たりする傾 向 もあるのでは ない かと思 います。例 え ば 、今 多くのキュレー ター が パフォーマティビ ティ とかアバンギャルドに 関 する集 中 的 なアジェンダ を やっていますよね 。するとみんな が 同じように 見 え てしまう。 7 0 年 代 がこんなにノスタルジックに 彼 らを惹 きつける理 由 は 、彼らが 共 有しているユート ピア 的 またはアバンギャルド的 なアイデア、さらに ある意 味 ではコンテンポラリーアートの 最 初 のプラ ットフォームになっていたアイデアがまだ 生 きてい た 時 代 だったからです。だからリビジョンというよ りは むしろノスタルジ ー になってしまっています。 私 は それ が つまらないと思って見 ています。 逆 を返 せ ば 、キュレー ター による面 白い 展 覧 会 が 見 つかりにくくなってきていて、だからこそコレクティ ブ やアー ティストの 展 覧 会 がよりユニークに 見 えて きてしまうのでしょう。要 するに 、キュレー ター はア ートの 専 門 家 でもあるので、絶 えずアートヒストリ ーというの が 背 景 にあり、キュレーションに 背 後 に はアートヒストリー の 読 み 方 やコンテクストの 作り 方 が あります。 ですから、アートヒストリー の 今 後 の 方 向 も含 めてキュレー ター に 問 わ れていることで は ないでしょうか 。私 自身は 、アンソロポロジカル なものあるいはアルケオロジカル なものと協 働 す ること、異 なったディシプリンと協 働 することは 非 常 に 重 要 だと思っています。これ から異 なる時 代 、 あるいは 異 なるディシプリンとの 協 働 がどのように なっていくのか 、プロのキュレー ター の 視 点 で、そ してプロジェクトを通して見 ていきたいです。 もち ろん 、様 々な 地 域 からやって来 たキュレー ター たち は 、例 えばアフリカならアフリカ 、中 国 なら中 国と、 どのようにして自 分 の 場 所 の 歴 史 やモダナイゼ ーシ ョンを展 覧 会として作って見 せるかということに 忙 しいと思 います。まだ 作っている途 中 なので。彼ら が 成 熟して、自 分 自身の 視 点 から別 のものを見るよ うになった 時 、つまり他 の 地 域 を見るようになった 時 、どのような 視 点 になっていくのか が 楽しみです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 展 覧 会 はアー ティス トとキュレー ター のコラボレーションである ことが 多 いと思 いますか ? 長 谷 川 祐 子: 個 展 の 場 合 は 、か なりのコラ ボレーションになると思 います。つまりソロショー の 場 合 、作 家 がどこを切り取って、新 作 も含 めてど う見 せるのか について、最 初 からか なりのディスカ ッションが 必 要 です。ですので、アー ティストの 方 も キュレー ター の 方 を見 て、 「この 人 だったら何 がで きるのか 」を考 えていくので、非 常 にアクティブ なや
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opens. It is important. But rather, in the case of selecting an existing work by saying, “Please show this, I choose this”, relates to why I choose that person rather than collaboration. I think that it will remain at the level where I will explain exactly what work I chose and why, and some conversation will occur there. JH: Cultural re-appropriation is a two way street. It flows in both directions. Since modernism and modernization in Japan—Japanese Modern & Contemporary art has functioned with and without reference, connection and relation to the formulas, structure, aesthetics, style, and concepts of western International (global) art. Could you describe some of the unique approaches Japanese artists have developed to contemporary art? Or/Could you describe some of the unique approaches to contemporary art in Japan? YH: This is going to be a long story. It’s a long story, but I think there is one such thing as an attitude to a material or an attitude to materials. After that, there is also the aspect of capturing the media as a part of your body, rather than just simply being the media of the medium. There are various elements that various Western artists cannot pick up in media art. I think that it is unique to Japan, and that it has the power to pick up a unique perception. After that, instead of using a character as a symbol or sign in the form of pop art, in a sense it really lives—like a Pokémon, as a character in a very animistic sense. The process of catching the character as a meaning, popping it into your painting or work, and embodying it together ... I think that this approach is quite different from simply using famous icons. That’s why I think there are developments that fetishize products in various ways. In that sense, I think Murakami-san’s work is interesting, not because he succeeded working with Vuitton, but rather he created a single interpretation and use of his character. Because it is Japanese. Is it something like that? Do you want to say more now? JH: Could you share any additional comments, thoughts or reflections? YH: Well, Japan is a small country and still lives in a limited way by sharing limited land, so in some sense it is sometimes located in the Far East and is an island country. The position is very fetishized or very close. So there is something like a unique fetishism, and that fetishism has a very direct relationship to the material, for example, it appears in mono (things). In other words, you do not look at the material itself or the substance itself in a sense, nor as a means of representation. You do not look at the object itself, or replace the object itself. I think that there is a very performant part in that sense, that is, the idea of transforming things by performing 154
り取りが あると思 います。今 の 質 問 は 、美 術 館 の 展 覧 会 についてですよね 、ビエンナ ーレでは なくて。 美 術 館 の 展 覧 会 だと、ニュープロダクションを作っ ていく時 、そのようなアー ティストとのコラボレーシ ョンが あると思 います。テ ーマの 設 定 や、テ ーマの 中で 新 作 がどのように 機 能 するのか 、今 のプロダク ションのプロセスにおいてどういう協 力を得られて 誰とコラボレーションを確 定していくのかを相 談し な がらやっていく… 展 覧 会 が 始 まってから観 客 がど のように 受 容していくのか 、展 覧 会 をどのように 運 営していくのかも含 め 、色 々なやり方 をアー ティス トとコラボレーションしていくというケ ースが 多 い です ね 。 そうでは なくて、既 存 の 作 品 から「これを 選 ば せて下さい 」と言って展 示 するために 選 んでい く場 合 、コラボレーションというより、私 が そのアー ティストや 作 品 を選 んだ 理 由 をきちんと説 明して、 そこで 何らか の 会 話 が 生じていくというレベ ルに 留 まると思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 文 化 の 再 流 用 は 双 方 向 に 流 れています。日 本 におけるモダニズ ム や 近 代 化 以 降 、日 本 の 近 現 代 美 術 は 、西 洋 の 国 際 的 な 芸 術 の 手 法 や 構 造 、美 学 、スタイ ル 、概 念 、アイデアとの 参 照 や 繋 がり、関 連 性 の 有 無 には 関 係 なく機 能してきました 。日 本 のアー ティストがコンテンポラリーアート において発 展させた 独 自のアプロ ー チにつ いて教 えてください 。または日 本 のコンテン ポラリーアートにおけるユニー クな 取り組 み について教 えてください 。 長 谷 川 祐 子: これ は 長 い 話 になりますが 、 例 えば 物 質 に 対 するアティチュードや、マテリアル に 対 するアティチュードはひとつあると思 います。 またメディアに 関しても、単 純 にメディアでは なく て自 分 の身 体 の 一 部 のようにして捉 えていく代 わり に 、色 々なウェスタンのアー ティストには 拾 えない 様 々な 要 素というのをメディアアートでも拾ってい ける力 が あること、これ はユニー クだと思 います。 あとは キャラクター をポップアートのような 形 で 一 つのシンボ ルやサインとして使うのでは な く、ポケモンのように 生 きている、アニミスティック な 意 味 でのキャラクターとして、ある意 味 での 存 在 として捉 え 、自 分 の 絵 画とか 作 品 の 中 にポップ 化し ていくこと、一 緒 にエンボディーしていくこと。この プロセスは 、ウォー ホ ール が ポップアートでキャラ クター や 有 名 なアイコンを使ったのとは か なり違う アプロ ー チだと思 います。だから、色 んな 形 でプロ ダクトをフェティシサイズしていく展 開 が あるので しょう。 そういう意 味 で 村 上さんのやっていることは 興 味 深 いと思っています。それ は 、ヴィトンと一 緒 に 仕 事 をして成 功したからという話 では なく、彼 のキ ャラクター の 解 釈 や 活 用 の 仕 方 が 非 常 に日 本 的 だ からです。こんな 感じでいいですか?今 からもうい っぺん 言 いますか? ホ ー ガン・ジェシ ー: 何 か 追 加 のコメント はありますか? 長 谷 川 祐 子: 日 本 は 小さい 国 ですし、限ら れた 土 地 を分 け 合って暮らしています。島 国 で 極 東
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another activation on itself. I think that is quite different from Arte Povera’s presence of material in the space, but the direct thinking and performance of such things is one of the unique aspects of Japanese art. I think it’s a point, but Nara-san, like Murakami-san, for example, is supposed to be a single character, and the character does not make an absolute attack against himself, I think it’s like a Guardian. Such a character like a Guardian has a very fetishized distance like I said earlier, an organic distance, freely in various places, a rampage in historical paintings, and more like graphics. It can be developed into various shapes, or put onto things like Vuitton, and it can be put into another thing as an animation and used alive... as an icon or as a fixed picture; Or it is a completely different idea from American pop art that was a transference from one thing to another thing at a distance. I think that there is a unique method of using characters in that sense and using a symbolic image, and I think it becomes free and interesting. It’s very important to say that the fetish of the previous years, the distance to the object, or a big thing, such as a substance or a lifeless character has the same spirit, a wide range of animism, is what I think I’m standing by. That’s where there are unique moments of Japanese art, of course, moments are captured for movies, videos, or photos as time based art ... For example, on a photo screen that materializes it in various ways. I think the power to drop the work in many mediums is really amazing. That’s why I think that the power of materialization—that puts things like the sharpness of sensitivity to time in art is like that. The time zone of video, the time zone of a movie, or the paper of that photo is amazing. JH: Has the Japanese contemporary art image changed since 3.11? YH: Well, it’s not the case that the artist has an incident ‘A’, and a criticism or political statement ‘B’ about that happening. I think I had a very strong empathy that surrounded the event. That is a strong sense of crisis, and I think that the nightmare of this country that it became the first A-bombed country has come back as a real problem once again. In other words, Japan is really in one crisis due to such an invisible crisis, that is, the nuclear thing far exceeded human power, and that it is far beyond the power in nature. So we can’t control it ... I think we’ve witnessed that in such a situation, the community collapsed, the time collapsed, and the place collapsed. In that sense, we were forced to rethink things like nature and the environment that we were once again naïve about and once again confronted us... In that sense, Guattari also said in a sense that there were three of four ecological things. Although there is a term called ‘information ecology’, he said that he must think comprehensively about environmental 155
に 位 置しており、物 事 へ の 位 置 が 非 常 にフェティッ シュというか 近 いんです ね 。だから独 特 なフェティ シズ ムみたい なもの が あって、それ は 材 料 に 対 する 非 常 に 直 接 的 な 関 係 でもあります。例 えば 、もの 派 に 表 れています ね 。つまり材 料 や 物 質 そのものを、 自 分 の 考 え 方 を体 現 するレプレゼンテ ーションの ための 手 段として見 ないで、物 そのものに 対して直 接 対 応して置 き換 えることや、物 そのものに 別 のア クティベ ーションを行うことによって変 容させると いう考 え 方 … 物 に 対 する直 接 的 な 考 え 方 、そうい う意 味 で、すごくパフォーマティブ な 部 分 が あると 思 いです。 それ はアルテ・ポ ー ヴェラのスペースの 中 に 物 質 を存 在させるということ、アルテ・ポ ー ヴ ェラとは 随 分 違うとは 思 いますが 、そのような 物 に 対 する直 接 的 な 考 え 方とパフォーマティビ ティが 日 本 のアートのユニークな 点 か なと思 います。例 え ば 村 上さんや 奈 良さんも、ひとつのキャラクターと いう物 を 想 定して、キャラクター は自 分 に 対して絶 対 に 攻 撃 を仕 掛 けて来 ないもの 、ある意 味 でガ ー ディアンのようなものだとしています。そのようなガ ー ディアンのようなキャラクター を、先 ほど言った ように 非 常 にフェティッシュな 距 離 、つまりオ ー ガ ニックな 距 離 を持って、アニメとしてどんどん 別 の 物 に 入 れ 込 み 、色 々な 所 で自 在 に 生 かしていく。例 えば 、歴 史 的 な 絵 画 の 中で 暴 れさせたり、もっとグ ラフィックな 形 にして展 開させたり、あるいはヴィ トンのように 物 の 中 に 入 れてしまったり。この 考 え 方 は 、固 定した 絵 のアイコンとして、あるいは それ と距 離 をもって別 の 物 に 転 写したアメリカのポップ アートとは 、全 然 違 います。日 本 のアー ティストのキ ャラクター の 使 い 方 、シンボ ル 的 なイメー ジ の 使 い 方 には 独 特 な 手 法 が あって、自由で 面 白い なと思っ ています。やはりさっきのフェティッシュ、物との 距 離 や、さらに 大 きなところで 言 えば 、物 質 や 生 命 の ないキャラクター もスピリットを持 つ 広 範 囲 な 意 味 でのアニミズ ムに 非 常 に 寄って立っているのか なと 思 います。 このように日 本 のアートのユニークな 部 分 、もちろん 時 間 芸 術としての 映 画 やビ デ オ、写 真 に 関しては モ ーメントを捉 えること… それを色 々な レベ ルでマテリアライズ する力や、写 真 の 画 面 に 落 とし込 む力は 本 当にすごいと思 います。そして、時 間 芸 術 に 対 する感 性 の 鋭さのようなもの 、それをき ちんとビ デ オや 映 画という時 間 帯 、あるいは 写 真と いうペーパ ー に 落とし込 んでいく物 質 化 の力 が す ごいです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 3 . 1 1 後 、日 本 の 現 代 アートは 変 わりましたか? 長 谷 川 祐 子: そうです ね 。アー ティストた ちは 、起 きた 事 件 に 対 する批 判 やポリティカル なス テ ートメントを出さなきゃということでは なく、日 本 全 体 を自 分 事として、自 分 自身のエンバイロメント を含 めて取り囲 むのだという共 感 を強く持ったの だと思 います。それ は 強 い 危 機 意 識 であると共 に 、 最 初 の 被 爆 国となった日 本 の 悪 夢 が 、リアル な 問 題として戻って来 たのでしょう。つまり日 本という 国 は 、目に 見 えない 危 機 によって一 つのクライシス の 中 にいて、核 が 人 間 の力や自 然 界 にある力を遥 か に 超 えたもので、私 たちは それをコントロ ールで きない … そういう事 態 にあって、コミュニティや 時 間 、場 所 の 崩 壊 を目の当たりにしたと思 います。 そ
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ecology, social ecology, human mentality, and spiritual ecology. I became deeply aware of such things, and in that sense, I started to think about my part, which I thought of as ‘mental ecology’, well perhaps ‘spiritual ecology’, deeply linked to that social and environmental situation. I think it’s really a natural flow, but that kind of big change in awareness is how documentary artists and art have increased. There has been a shift in how to report the current situation, how to translate, and address people’s trauma. Thinking about whether you can still be specific in some form, or putting your own subjectivity first, or something like that. Up until now artists were thinking about that first, but after 9.11 those three Guattarian things became very important. I think that was the shift that made me strongly aware of ecology. That’s another evaluation of how art has strengthened and improved. (Translated Text)
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う意 味 で、私 たちが 割とナイーブ にもう一 度 持ちか けていた自 然とか 環 境 の 関 わりみたい なものを、再 考 せざるを得 なくなった … ガタリが3つのエコロジ ーとして総 合 的 に 考 えなくては ならないと語ったエ ンバイロメントエコロジ ー 、ソーシャルエコロジ ー 、 人 間 のメンタル・スピリチュアルエコロジ ー 。それ に 4つ目を加 えたインフォメーションエコロジ ーとい う言 葉 が あるんですが 、そういうことを深く意 識 す るようになった 。そしてメンタルエコロジ ー 、スピリ チュアルエコロジ ーとして考 えていた自 分 のパ ート を、ソーシャルとエンバイロメントに 深くリンクして 考 えるようになった 。 それ は 本 当に自 然 の 流 れ だ と思 いますけれど、そういう意 識 の 大 きな 転 換 が あ りました 。この3つのエコロジ ー を強く意 識した 転 換 が あったため 、ドキュメンタリー のアー ティスト やアートが 増 えて、現 状 をどう報 告 するのか 、どうト ランスレートするのか 、あるいは 人 々のトラウマに 対して自 分 は 何 か の 形 で 寄り添 えるのかを考 え 、今 までの自 分 の 主 題 をとりあえず 横 に 置 いて、まずそ うしたことを考 えようと思うようになりました 。それ によりアートが 強くなったとか 、良くなったとかいう 評 価とはまた 別 です ね 。
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Yuko Hasegawa / 長 谷 川 祐 子
Hirofumi Isoya
磯谷博史
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Hirofumi Isoya Interview on Statements 23.08.2019 b. 1978 Japan, Lives and works in Tokyo Interview conducted in Japanese
磯 谷 博 史 -「 ステ ートメント」インタビュー 2 0 1 9 年 8月2 3日
1 9 7 8 年 東 京 都 生 まれ インタビュー は日 本 語 で 行 わ れました
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JH: Can you tell me about before your graduation and going to Gold Smiths? HI: After graduating, I went to graduate school and started working. After that, I went to Goldsmiths, so I was free for 5 years after graduation. I first graduated in 2003, and then graduated from The Department of Advanced Art Expression in 2005. JH: Could you talk about the beginnings of your art practice. How did you art practice develop from architecture to fine art. HI: First of all, it’s a story from before I entered Geidai. Then I was a high school student, I started to be interested in design and architecture, as I liked various clothes, music and movies. I’m interested in such things. Among them, the Bauhaus education curriculum is similar to the exam of the Department of Architecture at Keio University, and that is why I became interested in a school called Tokyo University of the Arts. Rather than thinking that it originally shifted from architecture to art, I was interested in modernism and modernist education that originally had the idea of so-called general art, or I thought that it was cool, and so I entered the Department of Architecture. It was said that we were approaching the art in the process of that, like Bauhaus... So there were some parts that did not become a form of building, but as I gradually deepened my concept and ideas, it became a natural and artistic way. It was like that... however there was no place to put my work only in an art context. JH: Goldsmiths School of Art, London. Could you talk about your experience at Goldsmiths in UK. How did that context change your approach? Who were some of the people you met that had an influence on your perspective? HI: I was very lucky because I studied architecture at Udai, so I was studying modernism and modern thinking. I thought that it was a little different from the people of the department of fine arts, and I entered the British University of Fine Arts with that trend, so I did my art practice based on the idea of modernism. There wasn’t such a big gap there for me. I think there was probably some people who felt a huge gap when moving from the so-called fine art education in Japan to the British art education. JH: Wasn’t it really helpful to study architecture? HI: You could ask… But, rather than having a great impact when I went to the UK, I was able to confirm what I was doing. Of course, I wanted to touch base with the Goldsmiths art school and the education in Europe. There was a feeling, just by going there, various things, this kind of mechanism, such a way 162
ホ ー ガン・ジェシ ー: 卒 業と、ゴ ールドスミ スに 行く前 について教 えて下さい 。 磯 谷 博 史: 卒 業して、大 学 院 に 行って、働 き始 めました 。その 後 にゴ ールドスミスに 行ったので、 藝 大 卒 業 後 から5年 間 空 いています。2 0 0 3 年 に 卒 業 。2 0 0 5 年 に 先 端 芸 術 表 現 科 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アートを実 践し始 め た 頃 について教 えてください 。建 築 から美 術 まで、どのように 芸 術 の 実 践 を発 展させまし たか 。 磯 谷 博 史: まず 藝 大 に 入る前 の 話 になるんだけ ど、高 校 生 の 時 に 、色 んな 洋 服 や 音 楽 、映 画 が 好 き で、デ ザインや 建 築とか に 興 味 を持ち始 めて、バウ ハウスとか にも興 味 が 湧 いてきました 。それで バウ ハウスの 教 育 カリキュラムが 、藝 大 の 建 築 学 科 の 試 験 に 似 ていたので、東 京 藝 術 大 学という学 校 に 興 味 を持ちました 。 元 々は 建 築 からアートに 移 行し たという考 え 方というよりは 、もともとい わ ゆる総 合 芸 術という考 え 方 を持っていたモダニズ ムの 教 育 に 興 味 を持ったというか 、かっこいい なと思って 建 築 学 科 に 入って、その 中 の 過 程 で 美 術 の 方 に 寄 っていった … だから建 物という形 式 には ならな かっ た 部 分 もあるけど、自 分 のコンセプトやアイデアを だんだんと深 めていく中で、割と自 然と美 術 になっ ていきました … あるいは自 分 の 作 品 を置く場 所 が 美 術 にしか な かったという感じ。 ホーガン・ジェシー: ゴールドスミススクー ルオブアート、ロンドン。 英 国のゴールドスミ スでの経 験について話してください。この文 脈の中で、磯 谷さんのアプローチはどのよう に変 わりましたか? 磯 谷さんの見 方に影 響 を与えたのは 、どのような 人たちでしたか? 磯 谷 博 史: 僕 がとてもラッキ ー だったのは 、藝 大 で 建 築 を勉 強したので、一 応 モダニズ ム 、近 代 の 考 え 方 を勉 強していたこと。それ は 美 術 学 科 の 人 た ちとちょっと違う部 分 か なと思っています。その 流 れでイギリスの 美 大 に 入ったから、モダニズ ムの 考 え 方 をベ ースにした自 分 の 美 術 のプラクティスをや っていった 部 分 が あって、そんなに 大 きなギャップ が な かったんです ね 。日 本 のい わ ゆるファインアー トの 教 育 からイギリスの 美 術 の 教 育 に 移 行 すると、 大 きなギャップを感じる人 も恐らくいたと思 いま す。でも僕 の 場 合 、それ に 関しては ベ ースとなる考 え 方 が あって、建 築 を勉 強していたので 割と助 かっ たんです ね 。だからイギリスに 行って大 きくショック を受 けて大 きな 影 響 を受 けたというより、自 分 が や っていることを確 認 できたというか 。もちろん 、ゴ ー ルドスミスという学 校 やヨ ー ロッパでの 教 育 に 触 れ てみたいという気 持ちが あったから、行ってみて、こ ういう仕 組 みになっているんだとか 、こういう考 え 方 が あるんだとか 、こういう教 育 やこういう作 品 、こ う人 が いるんだと色 々な 確 認 ができました 。その 上 でまた日 本 に 帰ってきて、今 でもそういう考 え 方 を 続 けて仕 事 をしている。 ホ ー ガン・ジェシ ー: ロンドンのゴ ールド スミスでオ ーストラリア 人 に 会 いましたか?
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of thinking, such education, and there are also such works and aesthetics. There are people like this and I was able to confirm everything, and after that I came back to Japan and still continue to work like that now. JH: Did you meet any Australians in London or at Gold Smiths? HI: Australian? Ah there was an artist called Alex and I met Jesse with his introduction, right? There is such a background. JH: Yes Alex Lawler, also from SCA! So, after returning to Japan, re-adjusting and reestablishing your practice—from Euro-American Perspectives to a Japanese Context. Could you talk about some of these things? HI: As for what I’m making, it didn’t change much depending on where I made it. Rather, I felt that I was a little convinced that I would continue to do what I was doing before I went to England, or that I should do it like this. However, as a work environment, of course, it is a different country, culturally different, and contemporary art is probably different, so I still feel changes in those areas. JH: When you came back to Japan, how long did it take before establishing Statements Gallery? Please tell us about how you started the gallery project. What was your original purpose? What were your motives, philosophy and goals? HI: I think we started in 2015 or 2016? It was a little vague, but in the first place, it was an art friend’s project only meant to run for two years… an idea he’d thought of. Yes initially, One artist invited the other three members to do the project space for approximately two years. The story of come on let’s do it. One of them was me, thinking about how to do it. The idea was to show it as a program of the ‘royal road’, what we think is the standard of contemporary art. I thought about a program where four people consulted each other and showed them what they found interesting. Statements is a project space, different from commercial galleries or museums, or even more like this ... it would be nice to have such a place in Tokyo where you can make the idea you want to exhibit right away. It was born with the idea of being there in the moment/in the now. An enthusiastic artist came up with an idea to make something like that, and he invited three co-directors, one of whom was me. He talked with four people and discussed what he wanted to show, and made a program. What I’m showing is that we had a program in the form of wanting to show the kind of contemporary art we think is royal in a certain international sense. It was a project that was decided from the beginning, but only for two years. 163
磯 谷 博 史: オ ーストラリア 人 ね …アレックスと いうアー ティストが いて、その 彼 の 紹 介 でジェシ ー にも会ったんだよね?そういう経 緯 が あります ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 日 本 に 戻り、欧 米 の 視 点 から日 本 の 文 脈 において実 践 を再 調 整し、再 確 立 することについて教 えてくださ い。 磯 谷 博 史: 作っているものに 関しては 、作る場 所 によってはあまり変 わらな かったです。むしろイ ギリスに 行く前 にやっていたことを再 度 続 ける確 信 をちょっと持ったというか 。こうやっていても良いん じゃないかっていう気 持ちになった 。ただ 仕 事 をす る環 境としては 、もちろん 国 も文 化 も違う。現 代 美 術 の 在り方 も恐らく違うから、そういう部 分 では 変 化 は 今 でも感じている。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 磯 谷さんが ギャラリ ープロジェクト「 S t a t e m e n t s 」を始 めた 経 緯 について教 えてください 。 当 初 の目 的 は どのようなことでしたか? 動 機 や 哲 学 、目 標 は 何 でしたか? 磯 谷 博 史: スタートしたのは 2 0 1 5 、2 0 1 6 年? ちょっと曖 昧 になってしまいましたけど、友 人 のア ー ティストが2年 間 だけのプロジェクトとして考 え たアイデアです。一 人 のアー ティストが 、他 の3人 の メンバー を誘 い 、2年 間プロジェクトスペースをや ってみようという話 でした 。僕 は そのうちの1人 で、 考 え 方としては 、僕らが 考 える王 道 、スタンダード な 現 代 美 術 をプログラムとして見 せていこうという ものでした 。4人 で 相 談して、面 白いと思うものをひ とつず つ 見 せていくプログラムを考 えました 。 「 S t a t e m e n t s 」というスペースはプロジ ェクトスペースで、コマーシャルのギャラリー や 美 術 館とは 違う、オルタナティブというか … 考 えたア イデアをすぐ展 覧 会 にできるようなスペースが 、も っと東 京 にもあって良いんじゃないか なっていう考 えから生 まれたんです。 1人 の 熱 心 なアー ティスト が 、そういうものを作りたいというアイデアを出し て、3人 の 共 同 ディレクター を誘 いました 。そのうち の1人 が 僕 でした 。4人 で 相 談して、見 せたいもの を 議 論しな がらプログラムを組 んでいきました 。僕 らが 考 える現 代 美 術としての 王 道 、ある種 のインタ ー ナショナル な 意 味 で 王 道 なものをちゃんと見 せ るためにプログラムを組 んでいました 。ただ2年 間 限 定 でやるという、最 初 からそう決 めて始 めたプロ ジェクトでした 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: プロジェクトで 取り 上 げ た 様 々なアー ティストの 名 前 を教 えて 下さい 。 磯 谷 博 史: 例 えば 、アメリカの 実 験 映 像 を撮っ ていたポ ル・シャリッツの 作 品 を借りたり、ドイツで アート活 動 をしているジェイ・チュンとマエダ・タケ キくん( キュウ・タケキ・マエダ )という二 人 組 を見 せたりしました 。それ から、僕 の 友 人 でもある半 田 くんというすごく良いアー ティストが いて、彼 の 展 示 を久しぶりにしたい なと思って見 せました 。そう いうかたちで、僕らの 周 辺 にいる人 たちも含 めて色
Hirofumi Isoya / 磯 谷 博 史
JH: Please tell me the names of some of the various project artists who exhibited at statements. HI: For example, borrowing a work by Paul Sharitz, who was shooting an experimental video of the United States. We were showing a couple of people, Jay Chun and Takeki Maeda, who are doing art in Germany, and my friend, Handa-kun. There is a very good artist, and his program has been around for a long time ... The exhibition was a bit empty before that, so he wanted to do his exhibition, and so many people around us said I want to show you this or that. In particular, it was often a person who hadn’t made many announcements at museums or other places who became the center of the program. JH: I actually met Yuki Okumura at the Statements. Can you tell us what Okumurasan did at Statements? HI: Okumura-kun ... Okumura-kun’s exhibition was certainly not a long exhibition, but rather a screen screening program, and a ‘statement’ that was made for his new video work. I think that this is an example of an exhibition or a program that really works well symbolically, and as a place where you can quickly see works that have ideas or are interesting and that you can immediately announce and gather people. JH: Exhibition & Curation at Mori Art Museum. Roppongi Crossing 2019. Could you talk about this project and working with the curators? HI: There are many different types of artists, and I think there are many types of curators. There was a curator at Mori Art Museum who is very close to my age, and he studied art in the United States. He is a curator who was aspiring to be a writer and originally aimed to be a painter. So in that sense, it was very easy for me to talk about my concepts, and I felt that my work was properly developed through my work with him. JH: For your practice was it quite a different experience to be showing on that scale at MAM, with the amount of viewers who experienced your work? HI: When thinking about an exhibition, the space, etc... What kind of experience stands up in the exhibition space, and what kind of experience can be designed—is always the point. If the space is special, or rather special, the idea will get stronger. It has to become an element that cannot be ignored, and when I did it at the Mori Art Museum, it was a strange space, and the pillars seemed to be like three exhibition rooms stuck together in my space. At least that’s how it seemed to be. When exhibiting in a space that is not a normal white cube, you will always become conscious 164
々なものを見 せていきたい なと。特 に 美 術 館 であま り発 表してない 人 がプログラムの 中 心 になったよう な かたちでした 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 実 は S t a t e m e n t s で、奥 村 雄 樹 に 会 いました 。S t a t e m e n t s で 奥 村さんがしたことを教 えてください 。 磯 谷 博 史: 奥 村くんも… 奥 村くんの 展 示 は 、確 か 長 い 展 覧 会というよりは 、彼 の 新 作 の 映 像 作 品 のために S t a t e m e n t s を開 放してプログラムを組 みました 。ああいうアイデアが あるもの 、面 白い なと いう作 品 をすぐに 見 せられる場 所 で、すぐに 告 知し て人 を集 められる場 所として、本 当に 象 徴 的 に 上 手 く機 能した 展 示というかプログラムの 例 だと思 いま す。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 森 美 術 館 での 展 示 や キュレーションと六 本 木 クロッシング 2 0 1 9 。このプロジェクトと、キュレー ターとの 協 働 について話していただけますか? 磯 谷 博 史: 色 々なタイプ のアー ティストが たく さんいるのと同じように 、キュレー ター にも色 々な タイプ の 人 が いると思 います。森 美 術 館 の 仕 事 で 一 緒 になったキュレー ター は 、僕と年 齢 が すごく近 い 人 で、アメリカでアートを勉 強したことが あり、も ともと作 家 志 望 だったんです。だからすごく話しや すかったし、彼との 仕 事 を通して自 分 の 作 品 がちゃ んとディベロップしたと実 感しています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: あれ だけの 鑑 賞 者 の 数 の 規 模 で 作 品 を展 示 するという経 験 は 、 いつもの 実 践とは 異 なるものでしたか? 磯 谷 博 史: 展 覧 会 を計 画 する上 で、展 示 スペー スという空 間 でどのような 体 験 を生 み 出 せるか 、ど ういう体 験 を設 計 できるか は 常 に 考 えています。空 間 が 特 殊 であれ ば 特 殊 であるほど、むしろその 考 え 方 が 強 まるというか 、どうしても無 視 できない 要 素 になってくる。森 美 術 館 のスペースは 少し変 わって いて、展 示 室 が 僕 の 空 間 に 対して3 つくらいくっつ いているような 感じで、柱 もあった 。 そういう普 通 のホワイトキューブ では ないスペースで 展 示 する場 合 、特 に 空 間 の 性 質 みたい なもの が 自 分 の 作 品 に 強く出てくるというか 、つまりそれ の 使 い 方 を必 ず 意 識します。 逆 に 言うとホワイトキューブ の 場 合 は 、空 間 の 体 系 を意 識してい ないようにも見 えるかもしれ な いけど、どれくらいのサイズで、人 がどう歩くか 、ど ういう順 序 で目 線 が 動くだろうかっていうのをコン トロ ールしきれ ない … だけど何となく、それを振り 付 けるようなことはできると思っていて、それ が目 立 たない 形 の 時 もあるけれども、い わ ゆるディスプ レイみたいに 見 える展 示 であっても、インスタレー ションという身 体 的 な 経 験 を無 視 できない 。もちろ んこれ は 、自 分 が 興 味 のあることで、それ は 建 築 を 勉 強していたからかもしれ ない 。経 験 を設 計 するこ とを強く考 えています ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 他 のアー ティスト、ギ ャラリー 、その 他 のアートワー クとの 繋 がり
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that something like the nature of the space will appear strongly in your work, or how it will be used inevitably in the work, other words ... Isn’t it? Conversely, in the case of a White Cube, it may seem that you are not conscious of the system of the space, but after all it is looking at size, perspectives, how people walk through, and in what order. I can’t always control whether it will move people, of course. But I think that I can somehow choreograph it, and sometimes it’s a very inconspicuous form, but it is exhibited normally. Is it an exhibition that looks like a so-called display? After all, it’s an installation or a physical experience that you can’t ignore first of all. Maybe that’s because it was set up. So designing an experience is very strong activity. JH: Is making connections to other artists, galleries, and other artworks important in your practice? Could you talk about some of these relationships between people and between your artworks and other artworks. HI: The idea of context… There is of course the point that it is very difficult to do art without studying the context, or it is difficult to make an art work without studying the context. (Cut) Rather than how to make and learn how to act after learning,,, I think it’s about the context, but after studying the context, including its history and thoughts, I think it’s easy to think in the order of what you make. First of all, in my case, there are things that I make or want to present. There is already a context that is linked to it after announcing it. For example, depending on what you are making, there will be another artist who has an interest similar to your work, or is similar. There is an artist who makes art with a different concept, and who knows such a person mainly from his work? Who has been influenced by the artist who thinks he is good, or who is ahead? There is a way of thinking that expands like that in my production. It may be because you are an artist, but it may be possible to create a work without knowing half of what you are doing and what you are thinking about. Right? What I was wondering about became an exhibition space as it was, and the audience came or other artists came there, and there were various readings and I learned various things, and what I learned is there was something that is connected to the background of my work. It’s a kind of cycle where I know it and I understand I can make the next work again. JH: After this year, which place would you like to go? HI: I feel like I’m going abroad for work or exhibition projects about once every two months. That’s why I go abroad 6 to 7 times a year to do photography work, art director work, design work and naturally art exhibition work. I can work and move that way. I wonder if that suits me most for now. 165
を作ることは 、磯 谷さんの 実 践 において重 要 ですか? 人 々との 関 係 性 や 磯 谷さんの 作 品 と他 の 人 の 作 品 の 関 係 について教 えてくだ さい 。 磯 谷 博 史: 文 脈という考 え … 文 脈 を勉 強しない と美 術 をやる上 ですごく苦 労 するし、もちろん 美 術 作 品として成り立 たせることは 難しいです。でもそ れ は 、文 脈 を学 んだ 上 での自 分 の 振る舞 い 方 や 作 り方よりは …( カット) 文 脈 の 話 だと思うんだけど、歴 史 も思 想 も 含 めた 文 脈 を勉 強した 上 で、自 分 がどういう作 品 を 作るかを考 えるというのは 、よくある順 番 です。僕 の 場 合 は 、自 分 が 作りたい 、または 発 表したい 作 品 がまず あります。それを発 表した 上 で、そこに 紐 づ いてくる文 脈というの が 既 にあるというか 。例 えば 、 自 分 の 作っているもの 、自 分 の 作っている作 品 に 似 たような 関 心 を持っているアー ティスト、あるいは 同じようなコンセプトで 作っているアー ティストが いて、自 分 の 作 品 を中 心 にしてそういうアー ティス トたちを知っていく。僕 の 制 作 には 、自 分 が 良い な と思う作 家 が 誰 に 影 響 を受 けていたのか 、その 先 は 誰 だろうと広 げ ていく考 え 方 が あります。アー テ ィストだからかもしれ ないけど、自 分 の 動 機 や 考 え ていることを完 全 に 理 解しないまま 作 品 ができるこ とが あり、展 示 もそうかもしれ ないです。自 分 の 抱 えている疑 問 が そのまま 展 示 空 間 になり、観 客 やア ー ティストが 来 て、色 んな 読 み 取りが あり、僕 自身 が 色 んなことを教 わります。そこで 教 わったことが 、 作 品 の 背 景 に 繋 がるものとなっていて、それを自 覚 して次 の 作 品 を作 れるという循 環 になっています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 次 はどこに 行 きたい ですか? 磯 谷 博 史: 今 も2カ月に1回くらいは 仕 事 や 展 示 で 海 外 に 行っています。だから1年 に6〜7回 は 海 外 に 行って、撮 影 やアートディレクター の 仕 事 も して、かつデ ザインや 美 術 展 示 の 仕 事 もして。そん な 感じで 動 けるの が 、今 の 僕 に 一 番 合っているか な。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 磯 谷さんにとって、ア ー ティストとしての 生 き残る美 学とは 何 です か? 磯 谷 博 史: 大 学 院 の 時 に 、東 京 ですごく有 名と いうか 、コマーシャルギャラリーとして確 立してい る所 で 働 き始 めたんです。だから学 生 の 時 に 、現 代 美 術 の 状 況 や、大 学 を卒 業した 後 に 直 面 すること など色 々なリサ ー チができました 。今 のうちにこれ をやっておこうとか 、仕 事 をちゃんと持とうとか 。ア ー ティストとしてのプラクティスだけじゃなくて仕 事 を持とうとか 、社 会 の 仕 組 み自 体 を知った 方 が 良 いんじゃないかとか 。そういう色 んなことを大 学 生 の 時 に 経 験したことは 、結 構 大 きいと思 います。同 じ大 学 院 のコ ースの 誰 も就 職 活 動 はしな かったけ ど、自 分 は そういうこともやっておこうと… そうじゃ ないと、きっと作 品 を作り続 けられ ないと直 感 的 に 思っていて。 その 場 その 場 で 判 断 や 決 断してやるこ とは 、サバイバ ルみたい な のかもしれ ない 。留 学 に ついても、自 分 で 働 いたお 金 を貯 めてロンドンの 大
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JH: What is your idea of Survival Aesthetics as an artist? HI: When I was in graduate school, that kind of commercial gallery was really famous in Japan or Tokyo. So, when I was a student, there were a lot of things and contingencies about what was the situation ... There were questions… For example; What did you face after graduating from a university of contemporary art? I thought, Let’s do it at home, do the job properly ... what do you mean, get the job done, or else. It may be quite important to experience various things as a college student. Like, whether it is better to have a job than just an artist’s practice or to know the social mechanism itself. None of my graduate courses did job hunting, but I just wanted to do something like that to support myself... Otherwise, I thought intuitively that I couldn’t continue to make works. In that sense, judging the scene and making decisions may be like survival. As for studying abroad, I saved the money, I worked on and on, I went to a graduate school in London using that money, and I couldn’t have studied abroad without it. While working in my own atelier ... which is a small but secure place where I can do this. I did that too, I had to make it happen. Each one is small, but it is my challenge. Survival is a little exaggerated, but it was the biggest purpose to continue, so I felt I did what I could do for that.
学 院 に 行ったから、それ が な かったら留 学 もできな かった 。アトリエも、仕 事 をしな がら、小さいけどち ょっと作 業 が できる場 所 を確 保した 。僕 の 一 つ 一 つ のチャレンジ は 小さいけれど。サバイバ ルというの は 少し大 げさだけど、最 大 の目 的 は 続 けることだっ たので、そのためにやれることをやったという感じ です。
(Translated Text)
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Toyomi Hoshina
保科豊巳
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Professor Toyomi Hoshina Interview Life is Art 24.10.2019 b.1953 Nagano, Japan Interview conducted in Japanese
保 科 豊 巳 教 授 インタビュー 存 在 は 芸 術 2 0 1 9 年 1 0月2 4日
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JH: Could you talk about the beginnings of your art practice and about art mediums— how your art practice develop? And, how did the body & performance enter your work? HT: I was a university ... When I entered Tokyo University of the Arts, the Japanese art scene was a generation of Mono ha ... there was a group called “Japanese Mono-ha”, and that generation’s art was in the galleries or a museum, almost all of its members. You came to university when you were active. That’s why my teacher, Koji Sasakura, came from the middle and was influenced by the faction. I was naturally influenced by the faction when I was a student, and I thought that it was important because I made work in that way, in other words, I made a work from a daily place. I accepted the practice of taking daily life very importantly and finding the occurrence of the work from there. I started from there. I entered in the oil painting department, and moved away from the western oil painting system of the oil painting department, focusing on my everyday surroundings and my spiritual life. You tried to launch a work from there. At that time, there were a lot of performancerelated works before the installation, such as recording performance or photographs as a format or recording with video. The reason is that when I am involved in daily life, I eliminate the knowledge of the concept, the knowledge of technology, etc. as much as possible and accept it in the body. The body and then the world ... I think that I was training to create the buds of expression from the part that contacts the everyday world. It was only possible to record and take pictures, so when I started with that technique at the beginning, it was a technique that left a trace of using works and acts rather than installation works. It has changed once my circumstance changes. Making works with such training and leaving the trace of them in photos started around the 3rd year at university and was ongoing in graduate school. That was the first start, and in fact I was influenced by the 70’s faction, but since the 80’s ... I was told that it was the post-generation generation of the 80’s that started this production, almost in the 81’s. It was. So, I wanted to do it a little differently from the way of thinking of the generation. I didn’t want to do the same thing with the same thinking, but I wanted to bring a different way of thinking. So I thought about the place, or the way of thinking about the place. Place, then space or place ... I want to relate my body to it ... I think that’s what I started now. So, if you choose and select from the place where you lived to some extent, your home will be a Japanese house, and the space is a relation of the space where the garden landscape enters inside through the shoji. And after all, the material I was using was not a material for oil painting, but rather a culture that was familiar with ink and paper, and such things ... I actually used calligraphy with ink since I was an elementary school student. But it’s a long history. 172
ホ ー ガン・ジェシ ー: 保 科 先 生 、どうぞよろ しくお 願 いします。アート活 動 をどのように 始 めたか 教 えてください 。どのようにしてア ートの 実 践 を発 展させましたか ? 保 科 豊 巳: 僕 が 東 京 藝 大 に 入った 頃 は 、日 本 の アートシ ーンはもの 派 の 世 代 …「 日 本 もの 派 」とい うグル ープ が あって、その 世 代 のアートが 、ギャラリ ー や 美 術 館とか 活 躍していた 頃 だった 。だから途 中 から、榎 倉 康 二という先 生 が 来 て、か なり大 きくも の 派 の 影 響 を受 けた ね 。 学 生 時 代 なので、当 然 もの 派 の 影 響 を受 け るけども、その 中で自 分 が 作 品 を作っていく上 で 大 事 だなと思った 部 分 、日 常 的 なところから作 品 を作 っていくこと。日 常 性 を非 常 に 大 事 にして、そこから 作 品 の 発 生 を自 分 で 見 つけていくという実 践 を受 け 入 れて、そこからスタートした ね 。油 絵 科 に 入っ たので、西 洋 型 のオイル ペインティング のシステム から脱 却して、自 分 の日 常 にある周 辺 の 風 土 や日 常 生 活 の 精 神 的 なものを重 視して、そこから作 品 を立 ち上 げようとした 。その 時 の 形 式としては 、パフォ ーマンスや 写 真 、映 像 で 記 録 することが 多く、イン スタレーションになる前 のプラクティスは パフォー マンス 的 な 作 品 が 多 かった 。その 理 由 は 、日 常 的 に 自 分 が 関 わる時 に 、概 念 や 技 術 の 知 識 をなるべく 排 除して、ボディで、身 体 で 受 け 入 れると。身 体と世 界 … 日 常 的 な 世 界とコンタクトする部 分 を大 事 に して、そこから表 現 の 芽 を生 み 出していくという訓 練 をしていたと思っていました 。それ には 、記 録した り写 真 撮ったりするしかできな かったので、そうい う手 法 で 最 初 の 頃 はやり始 めた 。それ が インスタレ ーションの 作 品 、ものを使ったり行 為 の 痕 跡 を残し たりするような 手 法 に 変 わっていった 。大 学 の3年 生くらい から大 学 院 まで、そのような 訓 練 で 作 品 を 作って、写 真 で 残しておくような 感じ。 それ が 最 初 のスタートで、実 は 僕 は 7 0 年 代 のもの 派 の 影 響 を受 けているのですけど、8 0 年 代 から… ほとんど8 1 年くらいから制 作 を始 めた 、8 0 年 代 のポストもの 派 の 世 代と言 わ れている。だか ら、もの 派 の 世 代 の 考 え 方と少し違った 形 でやりた かった 。同じような 思 考 性 を持って同じことをやる んじゃなくて、違う考 え 方 を持ち込 みたかった 。そ れで 考 えたの が 、場 に 対 する考 え 方 。空 間 や 場 所 に 身 体 を関 わらせていく… そこからスタートしたか な と今 は そう思う。だから、使う素 材 はある程 度 自 分 の 生 活している場 所 からチョイス 、セレクトしてくる と… そうすると、自 分 の 家 は日 本 家 屋 だから、庭 の 風 景 が 障 子 を 通して内 側 に 入り込 んでくる空 間 の リレーションとか 。それ から自 分 が 使っていた 材 料 は 、オイル ペイントする材 料じゃなくて墨 や、そうい うものに 親しんできた 文 化 … 実 は 小 学 生 の 頃 から 墨 を使った 書 道 をやっていたので、そっちの 方 が 長 い わけね 。オイル ペインティング は 大 学 に 入ってか らやり始 めたから、実 はすごく短 い 。小 学 生 からず っとやってきた 墨 の 芸 術 の 歴 史 の 方 が 長 いんです。 日 常 的 に 使っていたから。あとは 例 えば 、自 分 の 祖 父 が 庭 で 花 を造っていた 。自 分 も祖 父 を手 伝ってい た 。それも、ひとつのパフォーマンスアート。そっち の 歴 史 の 方 が 、大 学 で 教 わるよりも長 い 。だからそ ういう原 点というか … 自 分 の 生 活 の 原 点 から生 み 出していくということ。大 学 に 入って教 わったのは 、 ほとんどヨ ー ロッパ 的 な 概 念 。 油 絵 科 ですから。で
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Oil painting started after I entered university, so it was very short. The history of art that has been from elementary school has been long for ink. I used it on a daily basis. Something like that, for example, my grandmother was making a bonsai or a garden within the garden ... the flowers, etc. and I was helping with the grandmother together there. That is one performance art. The history is longer. Rather than being taught at university. That’s why it’s the starting point ... to create from the starting point of your life. Most of the things I learned at university were in Europe, in terms of the concept. Almost all European concept. Because it is an oil painting department. But it’s imitating Europe ... I was learning philosophy and European oil painting techniques, but it’s different because I’m Japanese. I thought to myself, ‘but I’m Japanese’. That’s why I started my work by accepting my living reality and starting from there. JH: What do you think are some of the difficult issues facing artists and curators Today? HT: Right now? This time. I don’t think it’s a matter of art. I don’t think we should talk about art when we talk about art. So I don’t want to talk about art issues. The problem I face now is still an environmental problem. The global environmental problems are very serious. There was a typhoon during this time. Not just doing art. People are dying in front of you. There has never been a river like that flowing in Japan’s history. It rained terribly ... So the land was being washed away and the water flowed like a waterfall from the mountain. The reality has a stronger reality. In that way, what we are saying is that our daily lives are very much responsible for global warming. People around the world have an economiccentered approach to global warming, so they break down the natural world and lose their lives. It’s like strangling yourself. I’m aiming for an economic effect, but I’m actually squeezing my neck and killing the natural world. That is more serious. The other issue is that I think of technology, or that which human beings have created, it has been born from the modern times ... This is based on modern times, but advances in technology, and scientific advances in technology. That’s why it has come to a tremendous level. On the other hand, whether technological progress is actually being used in a good or bad way against human life is uncertain, even in relation to our consciousness and its mental problems. It’s a technology that involves the concept of consciousness or something like that. Or genetically modified ... We have people who want children, but even if they don’t want them, they can have children artificially. That’s what humans are like ... and the technological advances that make you think are going on at a tremendous rate. That has a strong connection with what we “express”. That is the biggest problem. There is a deeper problem because there is no artist or curator. So 173
も、ヨ ー ロッパ の 真 似 事 になるわけだよね … 思 想と かヨ ー ロッパ のオイル ペインティング の 手 法 を学 ぶ けれど、僕 は日 本 人 だから違う。だから、自 分 が 生 きている現 実 を受 け 入 れて、そこから作 品 を作るこ とをスタートしていった 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 保 科 先 生 は 、今 のア ー ティストやキュレー ター がどのような 問 題 に 直 面していると思 いますか? 保 科 豊 巳: 現 在 でしょ?今 の 時 代 ね 。僕 は 美 術 の 問 題じゃないと思うの ね 。美 術 で 語ってはいけな いと思し、美 術 の 問 題 はあまり語りたくない 。今 直 面している問 題 は 、やはり環 境 問 題 ですよ。世 界 の 環 境 の 問 題 は 非 常 に 深 刻 です。ついこの 間 も台 風 が あった 。美 術 をやっているどころじゃない 。人 が 死 んでいく、目の 前 で。川 が 流される。そんなことは 今 までの日 本 の 歴 史 では な かった 。雨 が 大 量 に 降 った … それで 土 地 がどんどん 流されて、山 から滝 の ように 水 が 流 れてくる。その 現 実 の 方 が 強 いリアリ ティを持っている。それ は 何 かと言うと、我 々の日 常 生 活 が 温 暖 化 の 原 因 になることをやっている。世 界 中 の 人 が 、温 暖 化 に 対して経 済 を中 心 的 な 考 え 方 を持っているものですから、自 然 界 を壊して生 活 の 場 まで 失っていく。それ は自らの 首 を絞 めている ようなものだよね 。経 済 的 な 効 果 を狙っているけれ ど、実 は自 分 の 首 を絞 めて自 然 界 も殺していると。 そっちの 方 が 深 刻 だ 。 もうひとつ 僕 が 考 えるのは 、人 間 が 作り出 してきた 、近 代 からずっと生 み 出してきた …これ は 近 代 が 元 になっているけれど、テクノロジ ー の 進 歩 が 、相 当すごいレベ ルまで 来 てしまっている。テクノ ロジ ー の 進 歩 が 、人 間 が 生 きていくことに 対して良 い 方 向 で 使 わ れているのか 、あるいは 悪 い 方 向 で 使 わ れているのか 、我 々の 意 識 や 精 神 的 な 問 題 、意 識 の 概 念というものまで 関 わってくる。または 遺 伝 子 組 み 換 え … 僕らは 子 供 を欲しいと思って産 むけ れど、欲しいと思 わ なくても人 工 的 に 子 供 ができて しまう。そういう人 間とは 何 だろうと思うようなテ クノロジ ー の 進 歩 がものすごい 勢 いで 進 んでいる。 それ が 、私 たちが「 表 現 する」ことと強く結 びついて いる。それ が 一 番 大 きな 問 題 。アー ティストやキュ レー ター が い なくても、もっと深 厚 な 問 題 が あるか ら、表 現 するかしないか の 問 題 。表 現 するかしない か は その 人 の 問 題 であって、美 術 の 問 題とは 関 係 ない 。出 来 上 がったもの が 美 術 になってい れ ば 良い ということ。 そういう時 代 になってくると、キュレーター が 「これ が 美 術 ですよ」と言うか 言 わ ないか の 問 題 。 表 現したもの が 、これ が 美 術 だと受 け 入 れられ れ ば 美 術 で良いし、受 け 入 れられ なけれ ば 日 常 のこと。 そういう問 題 になっているんじゃないか なと。だか ら僕 は 、芸 術 の 問 題よりも、人 間 が 生 きる条 件 が 変 わってきたということが 一 番 大 きな 問 題 だと思う。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 保 科 先 生 は 、自 分 の 作 品 を芸 術 社 会 や 公 共 のコミュニティ社 会 に 関 連させるために 何 をしていますか? ア ー ティストは 、この2つのコンテキスト( 文 脈 ) の バランスをどのように 取るべきです か?
Toyomi Hoshina / 保 科 豊 巳
it is just a matter of expressing or not expressing. Whether or not to try to express it, it is the person’s problem, not the problem of art. It means that the finished product should be art. So, what the curator does is the question of whether or not the curator says “This is art” when it comes to such times. If what is expressed is accepted as art, it is fine, and if it is not accepted, it is every day. That’s why I think that’s the problem. Therefore, the biggest problem is that the conditions for human beings have changed more than the problem of art. I think that’s how I am. JH: What are some of the things you have done to keep your work related to the art society and with the public community society? How should the artist balance these 2 contexts? HT: When I make a work, speaking of myself, is it a sense of reality? I think that the reality to create a work as an artistic expression is very important. Reality, or that ... it’s not a concept and there’s a world of images, but I thought that images were dangerous when I left. What do you think about in the image? The reason why it is dangerous to make an image is that the image is made. It is made. What is an image that is made later, so-called educated? Actually, no one has an image from the beginning. An image is not born when a human is born. In fact, images are born from experiences. So it is made. The experience may be a person-made experience or not your own experience. The concept is the same. The concept is studied, so learning is difficult to study and to say difficult things. Just learning is different from art. That is wisdom. But wisdom doesn’t solve, in fact. I think that if you don’t attack yourself with your body, you can’t solve it, and that reality is a very important part of your expression. In that sense, the work will be born if the expression of the reality of being in a very related society, nature, or living is not the center of expression. I don’t know if that kind of relationship is deeply felt in my body. I think it’s not going to be strong as a work. Or maybe the formal ones ... aren’t you very much in favor of making works in frames like paintings, for example? A painting is a shocking reality with a real sense of reality, and what is drawn there is a painting, or an event that you have created, performed, or encountered an event. There is a high possibility that the trace is painting. I think that it is stronger in terms of expression to think that such a thing will result in painting. JH: What do you think about the strategies of artists curating and developing their own exhibitions and programs when considering these acts of expression?
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保 科 豊 巳: 作 品 を作るとき、僕 自身で 言 えば 、 現 実 感というか … 芸 術 表 現として作 品 を作り出す ための 現 実 感 が 非 常 に 大 事 だと思っているの ね 。リ アリティというか 。あまり概 念 でもないし、イメー ジ という世 界 もあるけども、イメー ジでものを考 えて いくのは 危 険 だと思ったの ね 。イメー ジでものを作 るの が な ぜ 危 険 かというと、イメー ジっていうのは 作られている。作られてくる。後 々作られてくる、つ まりイメー ジ は 教 育されてくるわけ。実 は 誰 も最 初 からイメー ジ なんて持ってい ない 。人 間 が 産 まれる 時 、イメー ジ なんて持って産 まれてこない 。実 はイ メー ジ は 、体 験 から生 まれてくる。だから作られてく る。その 体 験というのは 、他 人 の 作った 体 験 かもし れ ない 。自 分 の 体 験じゃない かもしれ ない 。概 念 も 同じ。概 念 は 勉 強しますから、勉 強して難しいこと 言ったりするのは 学 習 。アートとは 違う、ただの 学 習 。つまり知 恵 だ 。でも実 は 、ものは 知 恵 では 解 決 しない 。自 分 で 現 実 感 に 対してアタックしないと解 決しないので、その 現 実 感というの が 表 現 にも非 常 に 重 要 な 部 分 だと思っているの ね 。そういう意 味 で は 、自 分 が 関 係 する社 会 や自 然 、或 いは 生 活してい るという現 実 感 が 表 現 の 中 心 になっていか ないと、 作 品 が 生 まれてこないんじゃないか な 。そういう関 係 性 を自 分 の 体 で 深く感じないと分 からないよね 。 作 品として強くならないんじゃないか なと思う。ま たはフォーマル なものはあまり… 例 えば 絵 画という フレームの 中で 作 品 を作っていくということに 対し ては 、あまり賛 成じゃないというか 。 絵 画 は 、切 羽 詰 まった 衝 撃 的 な 現 実 感 によ ってドロ ー イングされたもの 。あるいは 出 来 事 に出 会った 時 に自 分 で 作ったり、パフォーマンスしたり、 その 時 の 痕 跡 が ペインティング だったりする可 能 性 が 高 いよね 。そういうものを、結 果としてペイン ティング になると考 えた 方 が 表 現としては 強 いと思 いますよ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 「アー ティストがど のように自 分 をキュレーションするのか 」ア ー ティストのキュレーションと自身による展 覧 会 やプログラム 開 発 の 戦 略 についてどう 思 いますか? 保 科 豊 巳: はっきり言って、僕 は キュレーション には 無 関 心 です。キュレーションするとかしないと かいう問 題 はどうでも良いか なと思って。したい 人 はすれ ば 良い わけで、あまり興 味 ない 。自 分 が やり たい 場 所 に 、作 品 の 中で 表 現したいことが 、例 えば 地 域 に 行ってコミュニケ ーション 取りな がらやるこ との 方 が 表 現 だと思 えば 、それをやるわけだよね 。 これ は 知らせなきゃいけないと思 えば 、マス コミュニケ ーションに 、外 に 宣 伝してくれと言うわ けですよね 。それ が 作 品 の 一 部 ですよね 。だからキ ュレーションはしているけども、それ は 僕 の 作 品 の 中 の 内 容 の 問 題 。その 作 品 にキュレーションが 必 要 ない 場 合 だってあり得るわけだよね 。でも、あま りキュレーションとは 思ってないです ね 。やりたい からやっているというか 、キュレーションというフ レームの 中 のことはあまり考 えないよね 。だから身 体と相 談しな がらやっていくっていうか ね 。身 体 が そういうものを欲しているかという方 が 重 要 であっ て、概 念 は 後という感じ。僕 は 、作 品 にとって場 所 はすごく重 要 だと思っている。 それ は 8 0 年 代 に 始
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HT: I’m not very interested in curating, to say clearly, perhaps I’m indifferent to the question of curating or not curating. I wondered if that would be a problem. Anyone who wants to do so is not necessarily interesting. If you think about what you want to express in your work, where you want to express it, for example, going to the community while communicating, you’ll do it. If you think you have to tell this or that, or you use mass communication to advertise outside, you are doing it. That’s part of the work, so is curation... but it’s a matter of content in my work. If the work doesn’t need curation, it’s possible. But I don’t think it’s very curated. I don’t really think about the curation frame because I either want to do it or I don’t want to do it. That’s why you’re going to talk to your body. It is more important that the body wants such a thing, and the concept is later. I think the space is very important, and I really think that the place is very important for the work. That’s the case since I started in the 80’s, so I thought if I wasn’t in Japan, I would probably not be Japanese. Perhaps you are Australian if you are in Australia. If you were born in Australia. If I was born in Africa, I might have been African. That’s why I’m in the book today, so it’s very important, the place in Japan. The place of each artist. I think all the artists are in different places. I think no one is in the same place. But the problem is time, everything is in the same time. Everyone lives in completely different places during a common time. That is an important issue, the reality is an important issue, curating too much, what the writer is..? They are questions. If you don’t make a work, you are not a writer. Then what is that work? It is a problem. I need a place. So this is the place of education. I think it is necessary to live. I teach at university to live. So if you don’t go to university, you can’t live, or if you don’t sell your work in a different place or do a different part-time job. I might do artistic things and I don’t know. But because I’m here now, I have a problem here. So I jumped out of this and made a work outside. I don’t make much in college. After all, because the everyday is important, you do things in your daily life. I’m doing that ... There are various elements in everyday life. For example, sociological or folklore, natural science, history, history… there is a place called history. You can touch that kind of real life. In this, there is only one history, only a history of art and the academy. It is hard to attack with economic problems. Everyone can’t attack to make rice in the ground, nothing in this ... just buy it with money, here. Go to Oura restaurant and eat. I don’t know where the rice is even from. However, if you go to the site, the site of the area, you can eat the rice you picked up there. There, there is a rice field. For one year, the water is flowing into the grain of rice. It’s a big problem whether you can see it or not. The artist must see it. That’s why it’s hard to see in Oura, and that’s why ‘place’ is always very important. 175
めた 頃 からそう。自 分 は 、日 本 にい な かったら日 本 人じゃな かったんだろうと思うんだよね 。多 分 オ ー ストラリアにいたらオ ーストラリア 人 だと思うわけ。 オ ーストラリアに 生 まれたら。アフリカに 生 まれた ら僕 はアフリカ 人 だったかもしれ ないよね 。だから 僕 は 今 日 本 にいるので、日 本 の 場 所というの が 非 常 に 大 事 。それ ぞ れ のアー ティストの 場 所っていう の が 。全 てのアー ティストは 、一 人 一 人 が 違う場 所 にいると思うの ね 。同じ場 所 にいる人 は1人 もい な い 。だけど問 題 は 、全 て同じ時 間 の 中 にいること。 みんな が 共 通 の 時 間 の 中 に 、全く違う場 所 で 生 活している。その 現 実 感 が 重 要 な 問 題 であっ て、キュレーションするとか 、作 家 が なんだとか … 作 品 作らな かったら作 家じゃないからね 。じゃあそ の 作 品 は 何 かという問 題 になる。僕 にとっては 場 所 が 必 要 。だから藝 大 は 教 育 の 場 所 で、生 活 するため に 必 要 だと思う。生 活 するために 大 学 で 教 えてい るわけですよ。もし大 学 に 行 か な かったら違うとこ ろで 作 品 を売るか 、違うアルバイトをしなけれ ば 生 きていけない 。アート的 なことをやるかもしれ ない し、それ は 分 からない 。でも今ここにいるから、ここ の 問 題 が ある。これを飛 び 出してだいたい 外 で 作 品 を作る。大 学 の 中ではあまり作らない 。な ぜ かと言 うと、日 常 が 大 事 だから。日 常 の 中で 考 える事 をや るわけ。日 常 の 中 には 様 々な 要 素 が ある。例 えば 、 社 会 学 的 なことや 民 俗 学 的 なこと、自 然 科 学 的 なこ と。それ からヒストリー 。全 ての 場 所 にはヒストリー が ある。そういうものに 、そういう生 の 現 実 に 触 れ ることができるわけ。この 中 は 、美 術 のアカデミー という一 つのヒストリーしか ない 。経 済 的 な 問 題 に は な か な かアタックできない 。土 のグラウンドの 中 でお 米 を作るということにアタックできない 。ここで は 、お 米 は お 金 で 買うだけ。大 浦 食 堂 に 行ってご 飯 を食 べる。どこのご 飯 か は 分 からない 。でもその 地 域 の 現 場 に 行くと、そこで 採ったお 米 を食 べること ができる。そこには 田 んぼ が ある。一 年 間 の 時 間 の 流 れ の 全 てが 、お 米 一 粒 の 中 に 入り込 んでいる。そ れを見 れるか 、見 れ ないかっはすごく大 きな 問 題 。 アー ティストは それを見 なけれ ば いけない 。大 浦 で は 見られ ないですよ。だから場 所 はすごく大 事 だと 言っている。 もし僕 が オ ーストラリアに 行ったら、オ ース トラリアで 生 まれたら違うんじゃないか なと思うん だよね 。まず 台 風 は 来 ないしね 。お 米 の「ライス 」も あるかししれ ないけど、日 本とはちょっと違う。四 季 、温 度 の 差とか 、山 の 風 景とか 全 部 が 全く違うよ ね 。でも仕 方 ない 。僕 はここで 育っているから。そう いう色 んな 要 素 が 絡 まって、一 つの 結 束 点 が 生 ま れて、発 生してくると… そういうことを大 事 にしてい きたい 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: キュレー ター の 役 割 や 作 品 が 、アー ティストの 役 割との 一 線 を画 すものは 何 でしょうか? 保 科 豊 巳: 一 緒 だと思うんだよね 。具 体 的 な 例 を言うとね 、 「 天 空 の 芸 術 祭 」をやるとして、僕 がプ ロデュースするとしたら、東 京 や 大 きな 都 市 でリサ ー チできないことが いっぱ いある。僕 も都 市 だけに いたら分 からないことが たくさんある。知 識 では 分 かるけど、身 体 では 分 からない 。若 い 人 たちが 東 京 に 集 まって、地 方 に 行くと老 人 ばっかりが たくさん
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If I go to Australia, for example, I think it would be different than if I was born in Australia. There may be rice, Australian grown rice, but it is a little different from Japan. The four seasons, temperature differences, the mountain landscapes are all different. But it can’t be helped. I’m growing up here. That’s it. When such various elements are tangled and a unity is born and occurs, I want to cherish that kind of thing. JH: What is it that makes the curator’s role/work and artists role different? HT: I think they are together. To give a concrete example, for example, if you do a “Temporary Art Festival”, if I produce, there are many things that people cannot do with research in cities… Tokyo or other big cities. There are many things I don’t know if I’m in the city alone. You can understand by knowledge but not by body. Why are all the young people from the regional areas gathered in Tokyo? and when you go to the area, there are many elderly people. There are no young people. I don’t know why. I don’t know unless I go. But artists really have to go and see. So now the world problem, the population problem, the birth rate is low in Japan and Europe, the number of children is small, and the whole is very unstable, why? I don’t know that. That’s why you don’t know unless you go into reality. That’s why the problem comes up when you do it. People who come to see and help, but everyone has only grandpa and grandma. There are no young people. You brought an assistant from Tokyo. But in fact, there is only grandpa and grandma who live there. I have no choice but to help my grandpa. I’m not going to bring them here from there, but if I can make something in that place, right? Then the problem will become important. In fact, local places have various problems. The problem actually has the same problem as the global problem. For example, a typhoon has come. Typhoon is a problem of global warming. Actually it is not a problem only for Japan. In fact, hurricanes occur in the United States. Great damage. In the north of China, the city was lost due to flooding. The same problem, this has never happened before. The water surface rises steadily. This time a terrible typhoon will kill the person who will lose the bridge. But there used to be no water supply in the old days ... For example, in the Edo period, there was no water supply in about 1600. But people were living. The question is what people can do now? Think about such problems. Do not you not need to live? What if there is no water supply, etc. What do you do? and if there is no electricity? In fact, that is to be alive, and do without. But don’t do it. Why not? There is a chance to think about that. That kind of thing can only be done at that place. Why make art? Same thing. Why do the art? It’s the same thing. Why do you still do art where there is no water and no electricity?
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いる。若 い 人 はい ない 。行 か ないとその 理 由 が 分 か らない 。 でもアー ティストは 、本 当に 行って見 ないと いけないと思うんですよ。それで 今 の 世 界 の 問 題 、 人 口 の 問 題 、つまり日 本 でもヨ ー ロッパでも出 生 率 が 低くなっていて、全 体 的 に 子 供 が すごく少 ない 。 それ は な ぜ か?そんなことは 、現 実 の 中 に 行 か ない と分 からないでしょ。だからそこでやると、どうして もその 問 題 が 出てくる。来 た 人 が 見 てくれる、手 伝 ってくれる。でも、おじいちゃんお ば あちゃんしかい ない 。若 い 人 が い ない 。例 えば 東 京 からアシスタン トを連 れていった 。でも本 当は そこで 生 きていくに は おじいちゃんお ば あちゃんしかい ないです。おじ いちゃんお ば あちゃんに 手 伝ってもらうしか ない 。 ここからここに 持ち込 むのでは なくて、その 場 所 で 何 か 作 れるかどうかですよね 。 そうすると地 域 の 問 題 が 重 要 になってくる。 実 は 、場 所 が 色 々な 問 題 を抱 えている。実 はグ ロ ー バ ル な 問 題と同じ。例 えば 台 風 が 来 た 。台 風 は 温 暖 化 の 問 題 で、実 は日 本 だけの 問 題じゃない 。ハリケ ーンはアメリカで 起こる。すごい 被 害 。中 国 の 北 で は 、洪 水 で 街 が なくなってしまった 。これ は 同じ問 題 で、昔 はこんなことは な かった 。水 面 がどんどん 上 がっていく。今 回 はもの 凄 い 台 風 で、橋 は 無くな る人 は 死 ぬ 、車 は … 水 が 来 なくなったらもう生 活 で きない 。でも昔 は 、水 道 なんか な かったよね … 例 え ば 江 戸 時 代 、1 6 0 0 年くらいは 、水 道 が 無くても生 活していた 。今 の 人 たちはできるか な 、という問 題 。 そういう問 題 も考 える。な ぜ 水 道 が 無 いと、電 気 が 無 いと生 きていけないのか 。無くたって実 は 生 きら れる。でもそうしない 。な ぜ だろう?そういうことを 考 えるチャンスが ある。そういうこともその 場 所 で しかできない 。な ぜアートを作る?と同じことです よ。水 も電 気 も無 いところで、な ぜアートをするの か 。もし水 も電 気 も無くて、それでもアートをするっ て言うのであれ ば 、それ はアー ティストですよ。電 気 が ないとアートができない … それ はアー ティスト じゃない 。それ は 全 然 問 題 が 違う。だから、みんな が そこに 行って、そういうことを考 えるチャンスが ある。それ がプロデュースすることであり、次 の 問 題 に 展 開して、グ ロ ーバ ル な 問 題 に 繋 がっていく。 そこには 色 々な 衝 撃 が ある… 地 方 に 住 んでいる人 は 、あまり関 心 が ない 。 自 分 は 何 かというと、お 米 をいっぱ い 作って 売って生 活 するというサイクルを繰り返 す … あとは テレビを見る。だから実 は2つの 文 化 が ある。人 間 の 歴 史 で 作った 文 化と、土 着 的 な 文 化 。つまり自 分 らが お 米 を作って生 きているサイクルの 中で 作る 文 化 。ヒストリー は 、人 が 作った 文 化 のヒストリー 。 実 はもう1つの 文 化 が ある。アートもある。その 中 で 生 み 出されたものの 文 化 。あなたの 言っているの は 、こっちの 作っている文 化 のことを言っている。作 っている芸 術 のことを言っている。でも実 は 、地 方 にも芸 術 のヒストリー はある。みんな は それをピッ クアップ ない 。それ は な ぜ かというと、グ ロ ーバ ル なエコノミーと結 び 付 か ないから。地 方 はグ ロ ーバ ル 、経 済 的 なシステムそしてそのヒストリー に 吸 い 取られ 、文 化 が 全 部 消されていく。非 常 に 近 代 的 な テクノロジ ー を良い 方 に 使うか 悪 い 方 に 使うかと いう問 題と同じ。つまり悪 い 方 に 向 かえば 、地 方 の 文 化 は 全 部 滅 ぶ 。良い 方 に 使 えば 、都 会 にない 文 化 が 地 方 文 化 に 発 生 する可 能 性 が ある。都 会じゃ
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If you say there is no water, no electricity, but you make art, it’s an artist. Those that can’t do art without electricity ... it’s not an artist. I think it’s a different problem. The problem is completely different. So if you go there and do it with everyone, you have the chance to think about it. That is to produce, and it will expand to the next problem ... because it will lead to global problems. There are many shocks there ...however… People who live in the region are not very interested. When I say something, I repeat the cycle of making a lot of rice, selling it, and living. So there are actually two cultures. Culture created by human history and indigenous culture. In other words, there are two cultures, one that we make in the cycle of making rice and living. In fact, history is the history of culture made by people. Then there is actually another culture. There is also art. It is the culture of what was created in it. What you are saying is about the culture you are making. You are talking about the art you are making. But there is an art history in the region, actually. It doesn’t pick up everyone. This is because it does not connect with the global economy. The local area is absorbed globally, and the economic system ... in its history. And It’s going to erase all the culture. It’s the same problem of using that very modern technology, good or bad. In other words, if you go to the wrong side, the whole region will be destroyed, and the culture. If you use it for the better, there is a possibility that local culture will not exist in the city. Having so-called diversity, something that cannot be understood in the city, recognizes the qualities of various countries and various people ... a warm culture grows up. On the other hand, if the artist says “Who is the artist” and everyone does it over here, everyone will perish, so it’s already terrible art. I don’t know if it’s art. The frame itself is no longer meaningful. The curator doesn’t make much sense either. The story is just because I want to do it. Actually there is no curator. The artist you make might be a curator. It may not be an artist again. Farmers may already be curators. A farmer may be an artist. But I don’t say it’s an artist, so I might not be an artist. Farmers are making flowers around the pond themselves, so beautiful. The figure she makes is like performance art, but she doesn’t say she is an artist. “I’m a farmer, I make rice, and sometimes I like flowers, so I’m planting flowers neatly, it’s beautiful”. that’s all. I’m a farmer, not a landscaper. Not an artist. But what if we see it? Perhaps it has a very artistic element. Or they have a festival. When we have a festival, we make various things. I wear clothes and paint a lot ... performance art? Maybe the festival was art, when there was no modernism. If there is no technology or modernity, the art itself was a festival in the old days ... the festival may have been art. That kind of thing has to be considered, that kind of thing is necessary. That’s it. JH: Is making connections to other artists, galleries, and other artworks important in your practice? Could you talk about some of these 179
分 からないことが 発 生 する。い わ ゆる多 様 性 を持 つ ということで、色 々な 国 や 人 の 特 質 を認 めて温 かい 文 化 が 育 つ 。ところが 文 化 が1つだと、 「 誰 がアー テ ィストだ 」と言って、みんな がこっちにやると皆 が 滅 びるから、それ はもうひどいアートが 育 つ 。それ は アートと言 えるかどうか 分 からない 。アートという フレームそのものに 、もうあまり意 味 が ない 。キュ レー ター にもあまり意 味 が ない 。やりたいからやっ ているだけの 話 。 実 は キュレー ター はい ない 。作るアー ティス トが キュレー ター かもしれ ない 。またアー ティスト じゃないかもしれ ない 。農 民 が キュレー ター かもし れ ない 。農 民 がアー ティストかもしれ ない 。でもア ー ティストだと言 わ ないからアー ティストじゃない かもしれ ない 。農 民 は自 分 で 池 の 周りに 花 を作って いて、すごく綺 麗 。作っている姿 は パフォーマンスア ートのよう。でも彼 女 はアー ティストと言 わ ない 。 「 私 は 農 家 でお 米 を作っていて、花 が 好 きだから時 々 花 を綺 麗 に 植 えているんです、綺 麗 でしょ」と、見 せ てくれる。それ だけ。造 園 家 でもない 、ファーマーで すよ。アー ティストとも言 わ ない 。 でも僕らから見 たらどうか なと思うよね 。ひ ょっとしたら、それ はアート的 な 要 素 を持っている かもしれ ない 。或 いは お 祭りをする。お 祭りをする ときは 色 々なものを作る。服 を着 て色 々塗ったりも する。パフォーマンスアート。モダニズ ムが ない 頃 は 、お 祭りがアートだったのかも。テクノロジ ー や 近 代 が ない 昔 は 、アートそのもの が お 祭りだった … お 祭りがアートだったかもしれ ない 。そういうこと も考 えないといけない 。それ が 必 要 だということだ ね。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 保 科 先 生 のアート活 動 の 中で、他 のアー ティスト、ギャラリー 、そ の 他 のアートワークとの 繋 がりを 作ることは 重 要 ですか?アー ティスト間 の 関 係 性 や 先 生 の 作 品と他 の 人 の 作 品 の 関 係 について教 えてください 。 保 科 豊 巳: まず、つまんない 質 問 だ ね 。この 質 問 は 、本 当につまらないと思 いますは 。すごいアー ティストは 、今 まで 大 勢 いたと思 います。ヨ ー ロッ パ にも、日 本 にもいました 。たくさん 敬 意 を払って 尊 敬しているアー ティストもいます。日 本 のアー テ ィストでもこのアー ティストはすごい なとか 、ヨ ー ロ ッパ のアー ティストでもいる。昔 僕 が 勉 強していた 頃 、フランスの 芸 術 家 の 作 品 を聞 いていてすごいと 思って、パリに 行ってみたらすごかったということが あって、そういうアー ティストは 尊 敬します ね 。やっ たことも素 晴らしい 。そういう作 家 に 対 する憧 れと 尊 敬 の 念 は 持っていますよ。それ がアー ティストの 関 係 です。 あなたは 多 分 、今 のことを言っているんだろ うけど、アー ティストは 今 生 きているだけでは ない 。 今っていうのは 例 えば 、1 6 世 紀 のアー ティストのこ とも含 めて今 生 きてるんですよね 。だからもっと広 く考 えて、例 えばピカソに 影 響 を受 けるってことだ って、アー ティストとの 関 係 性 です。僕 はピカソに 影 響 を受 けているわけじゃないけど。自 分 が すごく素 晴らしい なと思うのは 違うアー ティストね 。現 代 美 術じゃなくて近 代 の 人 なんだけれども、現 代 美 術 が その 人 の 作 品 を越 えているとは 思ってないです。も
Toyomi Hoshina / 保 科 豊 巳
relationships between artists and between your artworks and other artworks? HT: That’s a boring question, first of all. I don’t think there’s any more to say to this question. I think that the relationship between the artists has always been so many amazing artists in me. I was also in Europe. I was also in Japan. Some artists are very noble and respectful. This artist is amazing even for Japanese artists, and this person is also a European artist. I admire the artists I used to study. There was a French artist who went to Paris and I watched his work, and it was amazing. What he did is wonderful. I have longing and respect for such a writer. That is the artist’s relationship. You’re probably saying, I know what you’re talking about now, but it is not only now that this artist is no longer alive. Now, for example, you are alive now, including artists from the 16th century. So think more broadly, for example, being influenced by Picasso is a relationship with an artist. I’m not influenced by Picasso, but it’s a different artist, I think it’s amazing ... Still, even though it’s not contemporary art, I’m a modern person, but when I look at that work and then look at contemporary art—I don’t think it’s beyond that work. Perhaps I even think it’s more amazing. That’s why it’s not a matter of being modern or postmodern. I think art has a different power. So, in that sense, I think that the relationship is created by the shocking things received from the content of the work and the reality when making it. It doesn’t matter whether you are a curator or such a boring thing. Because gallerists are people who are trying to sell pictures in the gallery. It may be necessary because it supports your life, but I don’t think the artist has to think about it directly. Can you make a picture with that? I want to hear it in reverse. What are you doing for painting? What? I’m doing it to live. I’m doing it because I think I want to do this interesting thing while I’m alive. If not, I won’t do it, it’s boring. I do it because I had something I wanted to do in my life. I’m not doing it for a curator, it’s not because I have a gallerist. Even when there was no gallerist, I was drawing people who were drawing. For example, I think of the middle-ages people and even older people who expressed what they wanted to do. At that time, there was no gallerist. The gallerist was born of modern times. That is an economy issue. Even when that wasn’t the case, there was art. It has been around for a long time. Because it is human. The desire of human beings to “represent” is exploding, and it’s not just that gallery, but what it’s doing now... What of the nobles in the past, kings and nobility in Europe once again acknowledged and ordered, saying, “You ’re an amazing artist. I want you to draw”. There is no gallerist. The sponsor may have been, but now it’s spring. I admitted that the work was really wonderful, so I asked him to draw everything inside the house. That’s why there is still such a thing left now. I don’t think about it for the last 180
っとすごいと思っている。だから現 代 だとか 近 代と いう問 題じゃないんじゃないか なと。アートは 、も っと違う力を持っているんじゃないかと思 いますよ ね 。だからそういう意 味 では 、作っている時 に 作 品 の 内 容 や 現 実 感 からうけた 衝 撃 的 なもの が 関 係 性 を作っていくと思う。キュレー ターとか 、そんなつま んないこと、どうでも良いっちゃどうでも良いんです よ。だってギャラリストは ギャラリーで 絵 を売って商 売しようとしている人 たちでしょ。それ は それで 生 活 を支 えてくれるわけだから必 要 かもしれ ないけど も、アー ティストが そんなことを直 接 的 に 考 えなく ても良いんじゃないか な 。そんなことで 絵 を作 れま すか?逆 に 聞 きたい 。 何 のために 絵 をやっているんですか?僕 は 生 きるためにやっているんですよ。生 きている中で、 これ 面 白い な 、これやってみたい なって思うからや っているんですよ。そうじゃなきゃやらないですよ、 つまんないから。僕 は自 分 の 人 生 掛 けてもやりたい ことが あったからやっているんです。キュレー ター のためにやっている訳 での 、ギャラリストが いるか らやっている訳 でもない 。ギャラリストが い ない 時 だって絵 を描 いている人 は 描 いていましたよ。例 え ば 中 世 の 人 やもっと古 い 人 たちは 、やりたいことを やって表 現していたと思 いますよ。 その 時 代 にギャラリストはい ないですよ。ギ ャラリストは 近 代 が 生 んだものですよ。つまりエコ ノミー の 問 題 です。そうでなくても、昔 からずっと芸 術 はあった 。それ は 人 間 だからですよ。人 間 の「 表 したい 」という気 持ちの 欲 求 が 爆 発しているわけで あって。ギャラリー だろうが 何 だろうが … 昔 は 貴 族 が 、ヨ ー ロッパ だったら王 様 や 貴 族 が 認 めて、 「お 前 はアー ティストで、すごい な 。お 前 に 描 いて欲し い 」って言って注 文したわけですよ。 ギャラリストはい ないですもん 。今 で 言うス ポンサ ー はいたかもしれ ない 。本 当にそのアー ティ ストが 素 晴らしいと認 めたから、その 人 に 家 の 中 を全 部 描 いて下さいと頼 んだわけですよ。そういう もの が 、今 も残っているわけだからね 。この 先 1 0 0 年くらいのことだけを考 えないで、1 0 0 0 年 昔 から の 関 係 で 考 えないといけない 。そうでなきゃ、生 き ていることが つまらなくなるし、作ることもつまら なくなる。ケチなことば かり言って、2〜3年 先 のこ としか 考 えない 。5年 経ったら何 になるかじゃなく て、5 0 0 年 後 のことを考 えなきゃ。5 0 0 年 前 は 何 だ ったか 、5 0 0 年 後 は 何 だったかを考 えなきゃいけな いのに 、5年 後 なんか 考 えても仕 方 ないでしょう。 そんなケチなことで 作 品 を作っていると、つまらな い 作 品 になりますよ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 自 分 の 作 品 を日 本 文 化 に 関 連させて作ることが 重 要 だと思 いま すか? 保 科 豊 巳: 僕 は日 本 人 だからね 。僕 は 長 野 県 で 生 まれて、日 本 の 風 土 の 中で 育って、日 本 語 を喋っ て。日 本 で 育ったので、日 本 のことを考 えているわ けじゃなくて、何 ていうか … 自 然 や 文 化と共 に 育っ ていて生 きてきているということですから、自 分 で 関 係 を作ろうとしているわけじゃなくて、関 連させ られているというか 。自 分 が日 本という文 化と関 係 させられてしまっているから、どうしようもない 。 まとめると、私 の 発 想 や 考 え 方 、肉 体 も含 め
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100 years or so, but I think it’s an issue that has been around 1000 years ago. I have to think about that. Otherwise, it will be boring to be alive. It becomes boring to be alive, and boring to make. I’m thinking only about a few years, saying only stupid things. We have to think about what will happen after 5 years, not even 50 years but 500 years. You have to think about what was it like 500 years ago and what will it be like 500 years later, but you can’t help thinking about the next 5 years. If you make a work with such a stupid thing, it will be a boring work. that’s all. JH: Do you think it is important to make your work related to Japanese culture? HT: I’m a Japanese person, for the time being. I was born in Tomi-Shi, Nagano Prefecture, so I grew up in a Japanese climate, spoken Japanese, and raised in Japan, so I wasn’t thinking about Japan. It’s because you are growing up and living with culture, so let’s get involved ... I’m not trying to make a relationship myself, but it’s related. I can’t do anything because I’m already related to the culture of Japan. In summary, I think that my idea, then my mind, and my mind, including my body, are related, not asking for a relationship with Japan. That’s why I thought it would naturally become something if I made a work. I don’t have a special Japanese strategy, but when I trace my memory, that sort of thing comes out of me. That’s why they are related, Japan and me. I’m not allowed to get involved. To the culture called Japan. I think that way. JH: What do you think are some of the unique approaches to contemporary art in Japan? What is different in Japanese contemporary art in comparison to other regions? And, how do you think artists will survive to create their artistic legacy in the world and in art history, from now and into the future? HT:
I feel like I can’t help living or not. JH: Do you mean living and/or making a living?
HT: Well that's you, you’re saying something like this is a profession. But I don’t think it’s a profession. I’m a creator, after all. It’s important to be creative because you’re a creator. So if you are a human being and you have nature, you have to do something creative to live. If you repeat the same thing every day, you can’t live. That’s why you just have to live. It will end unless you want to live. Because we are human. It’s good if you’re not human. That’s what humans are like. If you have nature and your body, you will try to live until you die. While receiving various stimuli. That’s why you say you live creatively. It doesn’t matter if the artist survives. Such a very vulgar way of speaking, that is boring. Living itself 181
た 精 神 は 、日 本との 関 係 性 を求 めている訳じゃなく て、関 係させられてしまっていると考 えている。だか ら作 品 を作 れ ば 、おのずとそういうものになってい くとい 思っている。特 別 日 本 的 な 戦 略 を練っている わけじゃなくて、記 憶 の 中を辿ると、そういうもの が 自 分 の 中 から出て来 てしまうと。だから、日 本と僕 が だから関 係させられているんだ ね 。関 係している んじゃなくて、日 本という文 化 に 関 係させられてい る。 ホ ー ガン・ジェシ ー: これ から先 、アー ティ ストたちは 生 き残るでしょうか?( 芸 術 的 遺 産と芸 術 史 を考 慮してください ) 保 科 豊 巳: 生 き残るも生 きないも、生 きている んだから仕 方 ないでしょって感じ。あなたは ね 、職 業 みたい なことを言っているの ね 。でも僕 は 職 業じ ゃないと思う。やっぱりクリエイター なんだよ。クリ エイター だから、クリエイティブ なことをしてくの が 重 要 なんですよ。だから人 間 であれ ば 、人 間と自 然 が あれ ば 、クリエイティブ なことをやらなきゃ生 き ていけないんですよ。毎 日同じことを繰り返してた ら、生 きていけない 。だから生 きていけれ ば 良い わ けよ。生 きていこうと思 わ ない 限り、終 わってしまう わけだ 。人 間 だから。人 間じゃなきゃ別 に良いよ。 人 間というのは 、そういうものなんですよ。自 然と自 分 の 肉 体 が あれ ば 、色 んな 刺 激 を受 けな がら死 ぬ まで 生 きていこうとするわけですよ。それでアー テ ィストというのは 、クリエイティブ に 生 きていくこと を言うわけですよ。アー ティストが 生 き残るという 問 題じゃない 。そんなもの 、すごく下 品 でつまらな い 言 い 方 ね 。生 きてくこと自 体 がアート。だから人 間 である限りは 、全 てクリエイター の 要 素 を持って いるんですよ。ただ 美 術という文 脈 に 入 れるかどう か は 、カテゴリー が あって選 ぶ 人 が いるわけだ 。選 ぶ 人 でも、つまらない 選 び 方 する人 もいる。アフリ カの 美 術 の 歴 史と日 本 の 美 術 の 歴 史 、ヨ ー ロッパ の 美 術 は 、全く違 いますよ。それを誰 が 選 んだの? 誰 が 選 ぶ?世 界 で1人 で 選 ぶとしたら、誰 が 選 ぶ? 選 べ ないですよ。人 間 は みんな 違うんだから。人 間 の 数 だけ 違う、歴 史 も違う、美 術 の 概 念 も違う。生 き残るか 生 き残らないか の 問 題じゃなくて、人 間 で あるかどうか が 問 題 。クリエイターでいるべきかど うか が 問 題 であって、アー ティストが なくなったな んて、歴 史 は 人 類 が 始 まって以 来 ずっと続 いていま すよ。人 間 でなくな れ ば 終 わりですよ。人 間 でい な くなった 時 はクリエイター もい なくなるでしょう。ひ ょっとしたら、そんな 時 代 が 来るかもしれ ない 。 例 えば A I が ロボットを作って、ロボットがア ー ティストになる可 能 性 だってある。それ はアー テ ィストと言 わ ないかもしれ ない 。概 念 自 体 が 違う。 美 術という概 念 は 、短 い 時 間 で 起こった 事 です。美 術という言 語 、アートという言 語 は 、近 代 の 言 語 で す。日 本 は 明 治 、1 8 6 0 年 からアートという概 念 が 出てきた 。それまではアートじゃないです。日 本 の 言 葉 で 言 えば「 芸 道 」ということ、芸 術 の 道 のことを 言ったんです。生 き方 のことが 芸 術 だったんです。 だからアートなんて騒 いでいるのは 、たか が 知 れて る。 実 はアートの 歴 史 は 、1 5 0 年しか 経ってない 。 それ な のに 近 代 の 人 間 が 、昔 からずっとアートが あ るように 語っている。それ は 間 違 いです。アートとい う概 念 の 歴 史 は 、たが が 1 5 0 年 から 2 0 0 年 の 歴 史
Toyomi Hoshina / 保 科 豊 巳
is art. So as long as you are human, you have all the elements of creators. However, there are people who choose categories because there are categories. Some people choose who don’t get involved with it. Because the history of African art is different from the history of Japanese art and European art. Who will chose it? Well then. Who chooses it ? Who in the world would choose and who would choose alone? I can’t choose. Every human being is different. The number of people is different, the history is different, and the concept of art is different. It is not a question of whether or not to survive, but whether it is a human being or not. Whether or not you should be a creator is a problem, and it has continued since the beginning of the history of mankind that the artist disappeared. It’s the end if you’re not human. When you’re no longer human, your creators will be gone. Maybe such an era may come. For example, there is a possibility that AI will make a robot and the robot will become an artist. It may not be called an artist. The concept is already different. The concept of art happened in a short time. The language of art is almost a language, and the language of art is a modern language. Until then, the concept of art came out from 1860’ in Japan. Until then, it’s not art. Speaking in Japanese, it’s a “geido”, a road. I told you about the way of art. It was a way of life. That was art. That’s why I know that ‘Art Art’, like contemporary art is just making noise. The history of art is only 150 years old actually. Extending it to a long time ago, modern people are telling us that there is art from the old days. That is a mistake. The history of art, the history of the concept of art is only 150 to 200 years. Humans have been alive in civilization for 4000 years? What you are saying is that you’re not really studying so much. That you’re talking about something boring. It doesn’t matter, it really doesn’t matter. I think that creators will continue as long as they are human. JH: Is there a message for future creators and future generations? HT: To the creators ... make a work properly. It’s better to think seriously about living. Because it may become impossible to live. You need to think about how you live as a human being. Maybe technology won’t let you do that. There is a possibility of exceeding the human critical point. I understand? Technology is developing so much that there is a possibility of it exceeding the critical point of human beings. If you don’t defend at that time, humans will lose immunity. It’s not creative at that time. Humans themselves are dangerous and maybe. But I think it would be difficult to do that without a new creative consciousness. I do not understand. I don’t know the future. Anyway, for me, I think about the body with the body, not the head. Even if you think in the head, you may lose to AI. It may not be possible. I think it’s better to have a training of thinking about thinking about the body and all the senses. It is dangerous if 182
に 過 ぎ ない 。人 間 は 、4 0 0 0 年 も生 きているんです よ?あなたの 言っていることは 、ちょっと勉 強 が 足 りないんじゃないのというくらい 、つまらないこと ですよ。そんなことは 、どうでも良くて関 係 ない 。人 間 である限りクリエイター は 続 きますよ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 将 来 の 世 代 のクリエ イターに先 生 からメッセージはありますか ? 保 科 豊 巳: クリエイター に …ちゃんと作 品 を作 りなさいってこと。生 きることを真 剣 に 考 えた 方 が 良いよね 。生 きられ なくなってくる可 能 性 が あるか ら。人 間としてどうやって生 きるかを考 えることが 必 要 だよね 。テクノロジ ー が そうさせなくなるかも しれ ない 。人 間 の 臨 界 点 を超 える可 能 性 が ある。分 かります?テクノロジ ー の 方 がものすごく発 展して いるので、人 間 の 臨 界 点 を越 えていく可 能 性 が ある わけ。そうした 時 に 防 衛しないと、人 間 は 免 疫 性 を なくしてしまう。そうなったら、クリエイティブどこ ろじゃないよね 。人 間 自 体 が 危 ない 、そうなる可 能 性 が ある。新しいクリエイティブ な 意 識 を持 たない と、な か な か 難しいんじゃない か なと思うよね 。 僕 には 、未 来 のことは 分 からない 。とにかく 僕としては 、やっぱり頭 でなくボディで 考 える。頭 で 考 えても、A I に負けるかもしれ ない 。無 理 かもしれ ない 。身 体と全 ての 感 覚 で 考 える、思 考 するという 訓 練 を、今 のうちからしておいた 方 が 良い 。それ か ら現 実 感 を強く持 たないと危 ない 。現 実と… 仮 想 の 世 界 を現 実 だと思ってしまったらアウト。頭 で 考 えているとそうなってくる。あるいは 視 覚 だけに 頼 ると、仮 想 の 世 界というか 、仮 想 は 英 語 でなんて言 うか な?分 かる?バー チャル な 世 界 ね 。バー チャル な 世 界 が 現 実 だと思ったら、表 現というか 人 間 の 肉 体 が 必 要 なくなってくる。人 間 の 臨 界 点 を越 えて くるような 感じが する。それ は 、もう表 現という問 題じゃないんじゃないかという感じが するよね 。怖 い わけじゃないんだけど、物 に 触 れていくという感 覚 、自 分 の 感 覚 を呼 び 覚 ましていくことの 訓 練 は 必 要 か なと思う。そうしないと、考 えることさえ 拒 否し てしまう。人 間 が 考 えることや 疑 問 、クエスチョンと かフィロソフィー が なくなったら、もうアウトですよ ね 。そんな 感じがちょっとしますけどね 。だから、作 り続 けてプラクティスしていけば 良いよね 。プラク ティスが 大 事 。そういう気 がしますよね 。分 かんなく なるよね 。だからアートは 、考 えない 方 が 良い 。考 え れ ば やられる。考 えない 。何 も考 えない 。それ が 一 番 良い 。考 えたら、絶 対コンピュー タに負ける。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 仕 事とか 色 々カテゴ リが あるから、インベンター 、デ ザイナ ー 、ア ー ティストとか … 保 科 豊 巳: う。
そんなフレームは 要らないでしょ
ホ ー ガン・ジェシ ー: そう、将 来 のために 要らない 。 保 科 豊 巳: らない 。
要らない 、要らない 、そんなのは 要
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there is no real sense. Reality ... If you think the virtual world is real, you’re out. It becomes so when thinking in the head. Or if you rely only on vision, what is the virtual world, or what does virtual mean in English? Do you understand ‘A virtual world’? If you think that the virtual world is a reality, you probably don’t need expression, to express or a human body. It feels like it exceeds the critical point of humans. So it feels like it’s not a problem of expression anymore. I’m pretty scared and not scared, but after all I think it’s necessary to train to wake up my sense of touch or touching things. Even I refuse to think otherwise. It’s already out when human thoughts, questions, discovery, and philosophy are gone. I feel a little like that. So you should keep making it, practice. Practice is important. I feel like that. After Interview… HT: You don’t understand. So don’t think about art. You can do it if you think about it. I don’t think. I’m not thinking of anything. That is the best. If you think, you lose, absolutely. You’ll lose to computer. JH: Because there are various categories such as work, inventor, designer, artist, however this may not be necessary for the future, We are still challenging this frame. HT: You don’t need such a frame. I don’t need it, I really don’t need it. Your question is not a frame question? Every questions is asked within this frame. JH: For the purpose of this research there is such a frame. If you push the frame, perhaps you can find something that can break the limit of the frame. HT: But it’s already that time, so I can only say that it should be made anyway. I don’t only think it’s a bad idea. AM:
Very interesting ... JH: Abe-san the cinematographer has been present at all interviews.
AM: I’ve been listening to all the interviews along with him. Now I consider how to bring the reality that the teacher says... HT: I’m scared and can’t make it. I can’t make it. You can’t make it with a concept, that is, you need a purpose. If you don’t have a purpose, it’s out. The purpose is already done. In other words, it is set up. You are told to go towards this. So I can’t make it. It was good in the past, that is, there was a model. In modern times, there was a model, in Japan. Since Europe had a model, modern history has progressed. They don’t have that anymore. Europe is not a model, in fact now. 183
ホ ー ガン・ジェシ ー: 今 、でも、まだ 私 たち はこのフレームにチャレンジしている。 保 科 豊 巳: あなたの 質 問 は 、フレームの 質 問じ ゃない 。全 て、このフレームで 質 問しているよ。 ホ ー ガン・ジェシ ー: フレームが あれ ばリ ミテ ーションの 中で、フレームを壊 せる何 か を見 つけることができる 。 保 科 豊 巳: だけどさ、現 実 的 にそういう時 代 に なってしまっているから、 「とにかく作りなさい 」と 言うしか ない 。あんまり考 えてもダメじゃないって 思うけどね 。 阿 部ミツオ: 凄く興 味 深 い … ホ ー ガン・ジェシ ー: 彼 は 、全 てのインタビ ュー に同 席していました 。 阿 部ミツオ: 僕 、全 てのインタビュー を一 緒 に 聞 いてきたんで。先 生 が 言うリアリティをい か に 持っ て… 保 科 豊 巳: 怖くて作 れ なくなるの 。概 念 でやっ ていると、作 れ なくなるの 。それ は 、つまり目 的 が 必 要 だから。目 的 を持ってしまったらアウトなの 。目 的というのは 、もう出 来 上 がっているの 。つまり仕 掛 けられてるわけ。これ に 向 かって行 きなさいと言 わ れちゃっているわけ。だから、目 的 に 向 かってやろ うとしたら作 れ なくなる。昔 は お 手 本 が あったから 良 かったの 。近 代 の日 本 にはヨ ー ロッパというお 手 本 が あったんですよ。だから近 代 史 が 進 んできたわ け。今 は それ がもうないんです。今 は 、ヨ ー ロッパ は お 手 本 にならない 。アフリカもお 手 本 にならないか もしれ ない 。全 てがフラットになっちゃったの 。つま り、自 分 の身 体しか ない 。どこに 行ったって、砂 漠 に 行ったって本 当は 作 れる。でも、自 分 で 砂 漠 に 対 応 することは 、ものすごく大 変 。でも、切 羽 詰 まってそ れ に 対 応 するような 作 品 を作るしか ない 。 日 本 でやったら、日 本 の 風 土 の 中で 育ってい る人 間 は 、風 土 の 中 のもの が 自 然と手 に 染 みつい てきて、それしか ない 。だからやっぱり、考 えても仕 方 ない 。例 えば 食 べ たい 時 に 一 生 懸 命 考 えて食 べ ることを考 えていたら、餓 死 するよね 。とにかく目の 前 にあるものをつまんで 食 べるしか ない わけ。死 ぬ ときもそう。遭 難した 人 がどうやって生 き抜くか 。 死 んだ 人 の 足 の 肉 を食 べて生 きた 人 が いる。とりあ えず、何 でもゴキブリでもいいから、目の 前 にある ものをとにかく食 べる。生 きるために 。そういう現 実 感 を忘 れたらダメだと思う。そうしなくても良い し、する必 要 は ないけど、そういうのを現 実 感と言 うんだと思う。その 時 にゴキブリはこうだから何と なく気 持ち悪 いとか 、考 えている暇 は ない 。そんな ことを考 えていたら、やられちゃう。そういう風 に 仕 向 けられて考 えるから食 べ ないと言って、餓 死して いく。A I の 場 合 は 、そういう人 の 方 が 多くなる可 能 性 もある。計 算 できない 。目 標 が 設 定されているか ら。世 の 中 全 部 が 設 定されてしまって、その 通りに 生 きないと生 きられ なくなってくる。そこから脱 却 できない 。謀 反 を起こせない 。アー ティストは 、全 部 裏 切らないといけない 。だからもう、ゴキブリでも
Toyomi Hoshina / 保 科 豊 巳
Africa may not be a good example. It’s all flat now. In other words, it is a story that you have only your own body. Wherever you go, you can actually make it when you go to the desert. However, it is very difficult to deal with the desert by yourself. But you have to make a piece that corresponds to it. If you do it in Japan, people who are growing up in the Japanese climate can only see things in the climate infiltrated into their hands. You can’t help thinking about it. So when you want to eat something, think hard and eat like this, or you’ll starve to death. Anyway, there is no choice but to pinch and eat what is in front of you. That’s right when you die. Because that’s how the lost person survives? There is a person who lived by eating the meat of the leg of a friend who died. You can eat anything, even the cockroach, because anything in front of you is fine. To live. I don’t think I should forget that kind of reality. You don’t have to do that, but you don’t have a choice to do it or not, I think that is a reality. At that time, cockroaches or somethings like that are in front of you, there is no time to think that this insect is so unpleasant. If you think about that, you will be killed. I think that I’m directed to that kind of wind, so I don’t eat and starve to death. In the case of AI, there may be more people like that. It cannot be calculated. The goal has already been set. Everybody has been set up in the world, and if you don’t live that way, you can’t live. I can’t get out of there. I can’t fool you. All artists must betray. So you have to betray everything. So you have to eat cockroaches. That is the artist. That’s why an artist is like eating cockroaches. Otherwise it would be boring, this world.
食 べ ないといけない 。それ がアー ティストですよ。そ れでゴキブリを食 べている姿 が 、アー ティストの 姿 なんです。そうじゃないと、世 の 中 はつまらないでし ょ。
(Translated Text)
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Toyomi Hoshina / 保 科 豊 巳
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Agatha Gothe-Snape
アガサ・ ゴスースネイプ
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Agatha Gothe-Snape Interview 3.33PM 03.11.2019 b. 1980 Sydney, Australia, Lives and works in Sydney Interview conducted in English
アガサ ·ゴ スースネイプ インタビュー 3 . 3 3 時 2 0 1 9 年 1 1月3日
1 9 8 0 年 オ ーストラリア ·シドニー 生 まれ 。 シドニー 在 住 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
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“It’s all different parts of our practices which are pulled apart and then come back together,” GotheSnape says. “For me, collaboration generates enormous energy and it is incredibly fun and joyful, but alongside that it is always full of struggle and antagonism and irritation.” JH: You use a wide range of strategies for your art works and projects. Can you mention a little bit about how an idea emerges when you start to conceive a new work? AGS: The idea seems to kind of manifest itself— that is the hope at least. Sometimes a work really makes itself, at other times a work is more part of a searching journey, a work on its way somewhere else. sadly, bot these types of works make it into the world sometimes just because of the conditions that they exist within—a deadline, an exhibition, a context. This means some really work, and some don’t. It feels weird sometimes, but also fine to have stuff that has only worked to varying degrees. I guess that is where this word improvisation comes in—every work is produced as a result of its conditions and parameters and whatever happens happens. I can’t get too attached to whether something works or doesn’t. JH: You could conceive a work without knowledge of a site or context or design a work project for an exhibition site that is predetermined. What is the major differences between these two patterns and how has your practice changed as you’ve acquired more predetermined contexts? AGS: Site/context often gives SOOOO much information. I might be worried that without those things the work would kind of come from inside me and I guess the fear is inside is kind of vacuous! I am always just trying to work by ear, follow the nose, whatever conditions or lack of conditions are presented. Sometimes I think the conditions act more as an irritant than a kind of point of generation, other times they are kind of more productive and warm and fuzzy. Sometimes collaboration creates the former or later condition—the edge, like the edge of the gallery, or its workers, or the edge of the other the work springs fourth from. I think the work comes for these gaps and overlaps, kind of tectonic plates meeting. JH: Collective acts and collaboration has become a common part of your works and exhibitions. Why do you think you started working with Collective collaborations ? How do you select the other participants for the collaborations? AGS: I always kind of have a sense of urgent action and fun that drives me—I want to make fun situations. Of course fun is not always what happens. Maybe I am scared to do things alone?
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「 私 たちの 実 践 の 全 ての 異 なるパ ーツが 分 解さ れ 、その 後 にまた 戻される」とアガサ・ゴ ス - スネイ プ は 言う。 「コラボレーションが 大 量 のエネルギ ー を生 みだすと思う。それ はとても楽しくて嬉しいこ とだが 、その 裏 で 常 に 苦 労 、反 感 、そしていらだち が 尽 きない 」。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アート作 品 やプロジ ェクトに 幅 広 い 戦 略 を使 用しています ね 。 新しい 作 品 を思 いついた 時 、アイデアがどの ように 生 まれるかを説 明していただけます か? アガサ・ゴ ス - スネイプ: アイデアは 一 種 のマ ニフェストそのものですし、せめてそうであって欲し いと思っています。作 品 が それ自 体 を形 作ることも あれ ば 、探 索 の 旅 の 一 部 で、そのどこかで 進 行 中と いう場 合 もあります。残 念 なことに 、これらのタイプ の 作 品 は 、期 限 、展 示 、文 脈 など、内 部 に 存 在 する 条 件 のために 世 に 生 み 出されることが 時 折 ありま す。これ は 、実 際 に 機 能 するものとそうでないもの が あることを意 味します。奇 妙 に 感じることが あり ますが 、様 々な 程 度 でしか 機 能しないものを持 つこ とに 問 題 はありません 。それ は 、即 興という言 葉 が 入ってきたからなのでは ない かと思 います。すべて の 作 品 は 、何 が 起こったとしても、その 条 件と限 界 の 結 果として生 み 出されます。上 手くいくかどうか だけに 執 着 はできません 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: サイトや 文 脈 の 知 識 が なくても、作 品 を思 いつくことはできます か?または 予 め 決 まっている展 示 会 場 に 合 わせたプロジェクトを設 計しますか?この2 つのパターンの 主 な 違 いは 何 でしょうか? 事 前 に 定 義された 文 脈 を自 分 のものにする につ れ 、実 践 はどのように 変 わりましたか? アガサ・ゴ ス - スネイプ: たいていサイトや 文 脈 は 、たくさんの 多くの 情 報 を提 供してくれます。も しサイトや 文 脈 が なけれ ば 、作 品 は 私 の 内 面 から 形 成されますが 、内 面 にある恐 怖 心 は 空 虚 感 のよ うなものです!条 件 がどのようなものであろうと、 たとえ 悪 い 条 件 でも、いつも臨 機 応 変 に 、直 感 に 従 おうと努 めています。条 件 は 、生 成 ポイントというよ りも刺 激 剤として作 用することが あれ ば 、より生 産 的 で 温 か み が あり、あいまい なこともあります。コラ ボレーションにより、前 者 または 後 者 の 条 件 が 生 ま れる場 合 もあります。独 自 性 、例 えば ギャラリー や ギャラリーで 働く人 々の 独 自 性 、または 他 の 作 品 の 独 自 性 からも作 品 は 湧 き出るものです。こうしたギ ャップ や、構 造プレートのようなものの 重 なり合 い から生 まれると思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 集 団 的 な 行 為とコラ ボレーションは 、アガサの 作 品 や 展 示 に 共 通 する点 です。集 団 的 なコラボレーションを 始 めたのは な ぜ ですか?コラボレーション へ の 他 の 参 加 者 をどのように 選 出していま すか? アガサ・ゴ ス - スネイプ: 急 き立 てられるよう な 感 覚と活 力となる遊 び 心 をいつも感じています。
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JH: I’d like to talk about your exhibition at MAM. The curatorial project with Haruko Kumakura, the Collaborations with Baby Tooth/Michiko Tsuda, The inclusion of several Australian performers, etc... This exhibition was very multi-dimensional ~ How did you and Kumakura share the curatorial work on the project? AGS: Haruko Kumakura reaches out to me from what seemed like afar distance and another universe, but we seem to share a kind of openness to the idea of making an exhibition and what it could be. We spoke in interesting languages that was in the space between our own mother tongue, and as well, different contemporary art languages. When she introduced me to Tsuda Michiko I felt this same ease of communication, which was strange too. I think back on this time and it was certainly like a dream, a dreamy kind of open space, where many things were possible. I have Haruko to thank so much for shepherding me through this and creating a situation where this openness was possible. JH: How was it working as an Australian in a Japanese context? Did you find it difficult to relate and communicate your concepts in your usual way you would say in a Australian or western art context? AGS: Weirdly not at all. I felt a bigger capacity to be myself which is so strange! JH: In many of your works now there is a kind of total exhibition format. Do you see the entire exhibition as the artwork or are you still more sensitive about distinguishing each element/smaller artworks as individual autonomous pieces? AGS: I think a lot of my work is interested in a kind of overarching wholeness, the experience as a collection for atmospheres and psychic architectures, which is something I don’t know is good or bad. I am a little bit loathsome to “make the specific objects” cause then you have to store them and treat them in a particular way, an invested way. I love treating some objects that way but I don’t want to contribute too much to the collection of those objects. Finally, I think because some of my training is in performance, there is a certain ephemerality I court—an exhibition is a moment things come together and then come apart, much like actors on a stage. JH: Additionally, when you do participate in curatorial projects &/or curated exhibitions, is it sometimes possible to see the entire exhibition as the artwork of which your piece is a single part?
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楽しい 状 況 を作りたいのです。もちろん 、楽しいこと ば かりが 起 きるわけではありません 。一 人 で 行うの を怖 がっているのかもしれません 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 森 美 術 館 での 展 示 に ついてお 聞 きしたいと思 います。熊 倉 晴 子と のキュレー タープロジェクト、 「 乳 歯 」/ 津 田 道 子 や 複 数 のオ ーストラリア 人 パフォー マーとのコラボレーションなど、とても多 面 的 な 展 示 でした 。熊 倉さんと二 人 で、どのよ うにキュレー ター の 作 業 を共 有したのです か? アガサ・ゴ ス - スネイプ: 熊 倉さんから連 絡 を もらった 時 、まるで 別 世 界 のようにはるか 遠くと繋 がったように 感じましたが 、展 示 を作るというアイ デアやどんな 展 示 にするか に 関しては 、開 放 感 のよ うなものを共 有しているようでした 。それ ぞ れ の 母 国 語 の 間 に 、そして異 なるアートランゲ ー ジ の 間 に ある興 味 深 い 言 葉 を使って会 話 をしました 。津 田 道 子 を紹 介された 時 、ここでもコミュニケ ーション のしやすさを感じ、とても不 思 議 な 感 覚 でした 。振 り返ってみると、当 時 のことはまるで 夢 のようです。 たくさんのことが 実 現 可 能 で、夢 を見 ているような オ ープンなスペースでした 。私 を誘 導してくれて、こ の 開 放 感 が 可 能 になる状 況 を作ってくれた 熊 倉さ んには 、とても感 謝しています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: オ ーストラリア 人とし て日 本 の 文 脈 を扱うのはいか がでしたか? オ ーストラリアや 西 洋 の 文 脈 におけるいつ もの 方 法 で自 分 の 概 念 を関 連 付 けて伝 える ことは 難しかったですか? アガサ・ゴ ス - スネイプ: 不 思 議 なことに 、全 然 難しくありませんでした 。自 分らしくあるための キャパシティが 増 えたように 感じて、とても不 思 議 でした! ホ ー ガン・ジェシ ー: アガサの 最 近 の 作 品 には 、総 合 的 な 展 示 形 式 のようなもの が 多 いですよね 。展 示 全 体 を作 品として捉 えてい ますか?それとも、それ ぞ れ の 要 素 や 小 規 模 の 作 品 を、個 々の 独 立した 作 品として区 別 することをより気 にしていますか? アガサ・ゴ ス - スネイプ: 私 の 作 品 は 、包 括 的 な 全 体 感 のようなもの 、雰 囲 気 や 精 神 的 な 構 造 の コレクションとしての 経 験 を扱っているもの が 多 い です。それ が 良いのか 、悪 いのか は 分 かりませんが 。 「 特 定 のオブジェクトを制 作 すること」には 少し抵 抗 が あります。特 定 のオブジェクトは 特 有 の 方 法 、 つまり投 資 をして保 存し、扱 わ なけれ ば いけないか らです。一 部 のオブジェクトに 関しては 、そのような 扱 い 方 をするのは 大 好 きなのですが 、オブジェクト の 収 集 には 必 要 以 上 に 貢 献したくありません 。そ れ から最 後 に 、私 は パフォーマンスのトレーニング も受 けているので、何 かしらの 儚さを求 めているの だと思 います。展 示 は 、舞 台 上 の 俳 優 のように 集 ま り、解 散される瞬 間 的 なものです。
Agatha Gothe-Snape / アガサ・ゴ スースネイプ
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AGS: I think of all my works as contingent on the works that surround them. Meaning is brought to them via their contexts, for instance in Social Sculpture at Anna Schwartz my text work DO NOT APPROACH THIS END OF THE ROOM DO NOT CROSS THE YELLOW LINE really changed the way the audience entered the space. I also think of my recent work THE FIVE UNKNOWABLES at Tarrawarra Biennale, installed on the windows facing outwards. Through the glasswork you could see my father’s still sculptures situated on the hill. I thought, gosh, job done!
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ホ ー ガン・ジェシ ー: それ から、キュレーシ ョンプロジェクトやキュレーションを手 が け た 展 示 会 に 参 加 する時 、時 には自 分 の 作 品 が 一 つのパ ーツとして含 まれた 作 品として 展 示 全 体 を捉 えることはできますか? アガサ・ゴ ス - スネイプ: 私 の 全 ての 作 品 は 、 周りにある作 品 に 左 右されると思 います。意 味 が 、 文 脈 を通じて作 品 にもたらされます。例 えば 、アン ナ・シュワルツの S o c i a l S c u l p t u r e( 社 会 的 彫 刻 )では 、鑑 賞 者 が 空 間 に 入る方 法 が 、私 のテキ スト作 品「 D O N O A P P R O A C H T H I S E N D OF THE ROOM DO NOT CROSS THE Y E L L O W L I N E 」のお か げ で、がらっと変 わりま した 。 また 最 近 、タラワラ・ビエンナ ーレでは 、ガラ ス 作 品 の「 T H E F I V E U N K N O W A B L E S 」を外 に 面した 窓 に 設 置しました 。この 作 品 を通して窓 の 外 を眺 めると、丘 の 上 に 残っている父 の 彫 刻 が 見 え るのです。これ には 、 「 やり遂 げ た!」と思 いました 。
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Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
Reuben Keehan
ルーベン・キーハン
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Reuben Keehan Interview 26.11.2019 b. 1975 Australia, Lives and works in Brisbane Interview conducted in English
ル ー ベン · キ ーハンインタビュー 2 0 1 9 年 1 1月2 6日
1 9 7 5 年 オ ーストラリア 生 まれ 。ブリスベン 在 住 インタビュー は 英 語 で 行 わ れました
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JH: RK:
Dear Reuben, thanks for joining us.
No problem, It’s a pleasure. JH: Hans Ulrich Obrist says, ‘Curating always follows art; it’s not the other way around’. Yet the practice of the curator as it is finally beginning to be popularly understood extends beyond the Latin etymology of cura (care) into a constellation of different actions: Is it important for a curator to also be an artist?
RK: I don’t think that the curator necessarily needs to be an artist, and of course, the reverse is more readily the case. As I think I’ve mentioned elsewhere, the vast preponderance of exhibitions have been organized by artists; the professionalization of curators is a very recent phenomenon. There’s also a question of division of labour, and the way that job titles and workplace emphasis shift. In the Japanese context, the emergence of kikaru-garo in a context dominated by kashi-garo was described as a shift to a curator-led gallery. You could consider this a curator as entrepreneur model. I think the curator as artist metaphor emerged at a time when the possibilities for curatorial practice were changing, and the figure of the curator—or rather an abstract notion of the curator—become more prominent in the discourse of art. At the time I described this abstract curator as a figure endowed with the authority enjoyed by critics and the reflexivity enjoyed by artists. But those curators who embodied that abstract notion—individuals with sufficient charisma, mobility and resources to carve out some autonomy for themselves—were exceptions. The experience and practice of most curators is very different, and the profession is under threat: curatorial departments are shrinking, greater managerial controls are placed on curators generally, research opportunities are diminished in favour of workaday fundraising and administration; and outsourcing has become the norm. The real challenge for curators is to be curators. JH: Could you talk to us a bit about your part of curating Roppongi Crossing 2013 and some of the connections between the artists and artworks that were forged in the process of curating for Mori Bijitsukan ? Was there a Curatorial Rational, etc? RK: Roppongi Crossing was a very smooth experience, and even if it produced what on reflection was quite a messy show, I think it was necessarily like that. Mami Kataoka invited Gabe Ritter and I to collaborate with her on the project as two young curators who had been engaged with art in Japan for some time. We both had slightly different research interests—Gabe was pursing nonsense as a strategy, while I had been working with more socially engaged but formally experimental artists. We found though that we agreed pretty immediately on who was interesting at that moment, and between the three of us, a longlist 200
ホ ー ガン・ジェシ ー: ハンス・ウルリッヒ・ オブリストは 、 「 キュレーションは 常 にアート の 後 に 続く。その 逆 は ない 」と言っています。 でも、キュレー ター の 実 践 は 、ようやくラテ ン 語 の “ c u r a ”( 世 話 する)という意 味 を超 え 、それ ぞ れ 違った 集 合 体として広く理 解さ れるようになり始 めています。キュレー ター がアー ティストであることは 重 要と思 います か? ル ー ベン・キ ーハン: キュレー ター は 必 ず しもアー ティストである必 要 は ないと思 います。も ちろん 、その 逆 は 簡 単 だとは 思 います。他 でも言っ たように 、展 示 の 圧 倒 的 多 数 はアー ティストによっ て企 画されており、キュレー ター が 職 業となったの はごく最 近 の 現 象 です。また 、分 業 や、肩 書 きと勤 め 先 の 重 要 度 の 変 化 などに 関 する疑 問 もあります。 日 本 の 文 脈 では 、貸し画 廊 が 主 流 の 文 脈 における 企 画 画 廊 の出 現 が 、キュレー ター 主 導 のギャラリー へ の 移 行として語られています。これ は 起 業 家 モデ ルとしてのキュレー ターとして捉 えられるでしょう。 アー ティストのメタファーとしてのキュレー ター が 出 現してきたのは 、キュレー ター の 実 践 の 可 能 性 が 変 化し、キュレー ター の 姿 、というよりキュレー ター という抽 象 的 な 概 念 がアートの 議 論 でより顕 著 に なった 時 だったと思 います。当 時 、私 はこの 抽 象 的 なキュレー ター を、批 評 家 が 享 受 する権 威と芸 術 家 が 享 受 する再 帰 性 に 恵 まれた 人 物と表 現しまし た 。でも、その 抽 象 的 概 念 を体 現 するキュレー ター ( 十 分 なカリスマ 性 、機 動 性 、および自 主 性 を生 み 出すためのリソースが 十 分 にある個 人 )は 異 例 でし た 。ほとんどのキュレー ター の 経 験と実 践 は それ ぞ れ 非 常 に 異 なっており、専 門 職 は 脅 威 にさらされて います。キュレーション 部 門 は 縮 小し、経 営 陣 によ るキュレー ター へ の 関 与 は 大 きくなっています。日 常 的 な 資 金 調 達 や 管 理 が 優 先されて研 究 の 機 会 は 減 少し、アウトソーシング が 一 般 的 になりました 。 キュレー ター の 本 当の 課 題 は 、キュレー ター になる ことなのです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 六 本 木クロッシング 2 0 1 3 のキュレーションにおける役 割 や、森 美 術 館 のキュレーションの 過 程 で 生 まれた アー ティストや 作 品 の 繋 がりについて話して いただけますか?キュレーションの 合 理 性 など… ル ー ベン・キ ーハン: 六 本 木クロッシング は 、とても順 調 に 進 みました 。思 い 返してみると、す ごくごちゃごちゃした 展 示 だったと思 いますが 、そ うあるべきだったのだと思 います。片 岡 真 実 が 、ガ ブリエル・リッターと私 を招 待してくれ 、日 本 でアー トに 携 わってきた2人 の 若 いキュレー ターとして彼 女 のプロジェクトでコラボレーションをしました 。 ガブリエルと私 は 、少し違う研 究 内 容 に 興 味 を持っ ていました 。彼 は 、戦 略としてナンセンスを追 求し ていましたが 、私 は 、より社 会 に 関 与しつつも形 式 上 は 実 験 的 なアー ティストと共 に 仕 事 をしていまし た 。でも私 たちは 、その 時 点 で 興 味 深 いと思うアー ティストついてすぐに 合 意し、3人 で 最 終 候 補 者 を すぐにリスト化しました 。また 海 外 で 活 動 する日 系 のアー ティストを含 むことにより、日 本 人アー ティス
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was drawn up quite quickly. We were keen to expand the category of what was considered a Japanese artist, by including a number of artists of Japanese heritage working overseas. This helped expand the dialogue, reframing what was already happening in Japan. We also decided to include several more senior artists on the basis that their work was coming back into relevance, and it’s interesting how timely that proved. In terms of connections, we found an alignment between the ideas that artists were working with and the material form of their expression. I do think the show registered a decisive shift away from the tendencies of the previous decade—Micropop, the Zero Zero generation—and toward a knottier, pricklier mode of public engagement after Fukushima. With the discussions around the Aichi Triennial and Japan Unlimited, you can see just how far art has come. JH: What are some of the difficult issues facing artist and curators Today? (Perhaps especially in Relation to the context of Australia/Asia Pacific & APT) RK: I think the number one issue in Asia is freedom of expression. In Japan, creeping curtailments have recently been brought to a head, but it’s a phenomenal force across the region with specific manifestations in a whole range of contexts. Taiwan is having something of a creative spring at the moment, but there are questions as to how long that can be sustained. As we’ve seen with Refreedom Aichi, artist organization, solidarity and community engagement are imperative, even where there are differences of opinion on tactics. For curators working in institutions, the task is to make every effort to maintain the autonomy of these spaces when it comes to the public’s right to decide for themselves about what they see. That means we need to be activists within our institutions, and it also means we need to do a lot of very subtle political work. There are a lot of broader social and historical factors that feed into the current crisis. Artists often touch on these within their work, and as curators our responsibility is to connect it to wider discourse, building resilient publics in the process. And that’s to say nothing of climate change! JH: What do you think about the strategies of artist curating and developing their own exhibitions and programs? What is it that makes the curators role/work and artists role different? RK: I think it’s utterly integral for artists to organize their own exhibitions and programs. And not only exhibitions and programs, but spaces, publications, texts, discourse, teaching, even interventions into the marketplace. Again, this has always occurred, but the professionalization of the art world and its attendant division of labour tends to discourage this kind of activity, or at least the recognition of its validity. I’ve been very happy to see the expansion of artist-led activity in a whole range of areas in Japan, from galleries to festivals to 201
トとして見 なされるカテゴリー を広 げようとしまし た 。そのお か げ で 対 話 が 広 がり、日 本 で 既 に 起 きて いたことに 対 する見 方 を変 化させました 。また 、年 齢 層 が 高 いアー ティストも数 名 含 めることにしまし た 。これ は 、彼らの 作 品 が 関 連 性 を取り戻しつあっ たからですが 、それ がタイムリー に 証 明されたのは とても興 味 深 いです ね 。繋 がりに 関しては 、アー テ ィストが 取り組 んでいるアイデアと、表 現 の 物 質 的 な 形との 間 に 関 連 性 が 見られました 。この 展 示 は 、 過 去 1 0 年 間 の 傾 向 、つまりマイクロポップ やゼロ ゼロ・ジェネレーション、福 島 原 発 事 故 後 の 複 雑 で やっかい な 社 会 関 係 から離 れるという、決 定 的 な 変 化 を記 録したと思 います。愛 知トリエンナ ーレと J A P A N U N L I M I T E D を巡る議 論 では 、アートが どこまで 進 歩したか が 分 かります ね 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 現 在 、アー ティストや キュレー ター はどのような 問 題 に 直 面して いますか?( 特 にオ ーストラリアやアジア 太 平 洋&A P T の 文 脈 に 関して) ル ー ベン・キ ーハン: アジアでの 一 番 の 問 題 は 、表 現 の自由 だと思 います。日 本 に 関して言 えば 、忍 び 寄る抑 制 が 最 近 大 きな 局 面 を迎 えまし たが 、それ はあらゆる種 類 の 文 脈 における特 定 の 表 明 を伴った 地 域 全 体 の 驚 異 的 な力です。台 湾 で は 現 在「 創 造 の 春 」のようなもの が 発 生しています が 、それをどれくらい 持 続 できるのか については 疑 問 が 残ります。R e F r e e d o m A i c h i で 見 たように 、 方 策 や 意 見 に 相 違 が あったとしても、アー ティスト の 組 織 、連 帯 、コミュニティの 関 与 は 不 可 欠 です。 機 関 で 働くキュレー ター にとってのタスクとは 、自 分 が 見るものは自 分 で 決 めるという一 般 市 民 の 権 利 に 関し、スペースの自 律 性 を維 持 するためにあら ゆる努 力をすることです。つまり私 たちは 、勤 め 先 の 機 関 内 で 活 動 家として行 動しなけれ ば なりませ んし、とても遠 回しな 政 治 活 動 を行う必 要 もあるで しょう。現 在 生じている危 機 は 、広 範 囲 にわたる様 々な 社 会 的 また 歴 史 的 要 因 によるものです。アー テ ィストは 作 品 の 中でこの 点 によく触 れますが 、私 た ちキュレー ターとしての 責 任 は 、それをより広 い 論 説 に 結 びつけ、その 過 程 で 反 発 力のある社 会 を築く ことな のです。もちろん 、気 候 変 動 に 関しては 言う までもないですが! ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティスト自らキュ レーションを行 い 、自 分 の 展 示 やプログラム を開 発 するという戦 略 についてどう思 いま すか ? キュレー ター の 役 割・作 品と、アー テ ィストの 役 割との 違 いは 何 ですか ? ル ー ベン・キ ーハン: アー ティストが 自 分 の 展 覧 会 やプログラムを企 画 することは 絶 対 に 欠 か せないと思 います。展 覧 会 やプログラムだけでな く、スペース 、出 版 物 、テキスト、論 説 、教 育 、それ か らマー ケットへ の 介 入 でさえも同じです。これ はい つも起 きることですが 、アート界 の 専 門 化とそれ に 伴う分 業 が 、この 種 の 活 動 、少 なくともその 有 効 性 の 認 識 を妨 げる傾 向 にあります。日 本 のあらゆる分 野 で、ギャラリー からフェスティバ ル 、支 援 運 動 ま で、アー ティスト主 導 の 活 動 が 拡 大しているのを見 てとても嬉しく思 います。そうでなけれ ば 、愛 知 をめ
Reuben Keehan / ル ー ベン・キ ーハン
advocacy. I think the debate around Aichi would be utterly different if this were not the case. Any difference between the work of artists and curators is dependent on the conditions of the prevailing division of labour. These are roles that we assume within a set framework, and which we try to make workable. I came to curatorial work through an art practice, and there were particular drivers toward that, most particularly the need for a regular income, but also the capacity it allowed to write and think, and to have some kind of agency in the organization of space. And I do understand that notion of curatorial work as a vocation, a calling, because I interpret those terms melancholically, and this line of work can be immensely difficult, even soul-destroying at times. But I’m also suspicious of the aspiration to be a curator. I find it delimiting, in the way it cuts off other possibilities. I think there need to be broader aspirations, which is why I have so much respect for artists who self-organise. JH: Do you feel that exhibitions are often a collaboration between the artists and the curators? RK: Very often. Each case is very different, and some artists will have very clear ideas about what they want to achieve; others are seeking dialogue, while still others prefer to disengage. In some cases problems showing one artists work have been resolved through the input of another artist. And of course, artists and curators are not the only people involved in producing an exhibition. There are a whole range of potential inputs. When I’m organizing a show, I like to keep dialogue open and flowing. It’s always exciting to see what is produced in the process. JH: Cultural re-appropriation is a two way street. It flows in both directions. Since modernism and modernization in Japan— Japanese Modern & Contemporary art has functioned with and without reference, connection and relation to the formulas, structure, aesthetics, style, and concepts of western International (global) art. From your perspective Could you describe some of the unique approaches Japanese artists have developed to contemporary art? Or/Could you describe some of the unique approaches to contemporary art in Japan? RK: In the case of Japan, it’s difficult to talk about contemporary art without talking about modern art. As you know, the very term ‘fine art’ was created to facilitate participation in the world expositions. Fenellosa’s categories of art instruction, even though they attempted to privilege indigenous Japanese expressions, effectively created Nihonga, to the degree that it too could be considered a product of modernity and Japan’s encounter with the West. You’d be hard pressed to find a major discussion on contemporary Japanese art—going 202
ぐる議 論 は 全く違うものになると思 います。 アー ティストとキュレー ター の 仕 事 の 違 い は 、一 般 的 な 分 業 の 条 件 次 第 です。一 定 の 枠 組 み 内 で引き受 ける役 割 であり、実 行しようと努 めま す。私 は 芸 術 の 実 践 を通してキュレーションの 仕 事 に出 会 いましたが 、そこには 一 定 の 要 因 が ありまし た 。特 に 安 定した 収 入 が 必 要 ではありましたが 、そ れだけでなく何 かを書 いたり考 えたりする余 力が あ ることや、スペースの 組 織 内 に 何 かしら仲 介 的 な 媒 体 を持 つことも挙 げられます。私 は 、キュレー ター という概 念 を職 業 、それも天 職 だと捉 えています。 それ は 、職 業 や 天 職という言 葉 をメランコリックに 解 釈しているからです。この 仕 事 はとても難しく、魂 が 抜 けたように 思うことさえあります。そして、キュ レー ター になりたいという憧 れ に 対しても懐 疑 的 に 考 えています。他 の 可 能 性 を遮 断 するような 感じ で、限 界 を定 めているように 思うのです。もっと大 き な 意 味 での 志 が 必 要 だと思 いますし、だから自 立し ているアー ティストをとても尊 敬しています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 展 示 はアー ティスト とキュレー ターとのコラボレーションである ことが 多 いと思 いますか ? ル ー ベン・キ ーハン: すごく多 いです ね 。毎 回 状 況 はとても異 なりますし、達 成したいことにつ いてとてもはっきりしたアイデアが あるアー ティス トもいます。中 には 対 話 を求 める人 もいますが 、自 由 にしたいという人 もいます。場 合 によっては 、ある アー ティストの 作 品 の 展 示 に 関 する問 題 が 、別 のア ー ティストのアドバイスによって解 決されることも。 もちろん 、展 示 の 制 作 に 携 わるのはアー ティストと キュレー ター だけではありません 。様 々な 方 面 から インプットをもらう可 能 性 が あります。私 は 展 示 を 企 画 する際 、自由 に 流 れるような 会 話 ができるよう にしています。その 過 程 で 生 み 出されるものには 、 いつも刺 激 をもらいます。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 文 化 の 再 流 用 は 双 方 向 に 流 れています。日 本 におけるモダニズ ム や 近 代 化 以 降 、日 本 の 近 現 代 美 術 は 、西 洋 の 国 際 的 な 芸 術 の 手 法 や 構 造 、美 学 、スタイ ル 、概 念 、アイデアとの 参 照 や 繋 がり、関 連 性 の 有 無 には 関 係 なく機 能してきました 。日 本 のアー ティストがコンテンポラリーアート において発 展させた 独 自のアプロ ー チにつ いて教 えてください 。または日 本 のコンテン ポラリーアートにおけるユニー クな 取り組 み について教 えてください 。 ル ー ベン・キ ーハン: 日 本 の 場 合 、モダン アートを避 けてコンテンポラリーアートを語ること は 困 難 です。ご 存 知 のように「 美 術 」という用 語 は 、 世 界 博 覧 会 へ の 参 加 を促 進 するために 作 成されま した 。アー ネスト・フェノロサの 芸 術 指 導 の 分 野 は 、 日 本 固 有 の 表 現 に 特 権 を与 えようとし、事 実 上 は 日 本 画 を作 成しましたが 、それも近 代 性 や日 本 の 西 洋との出 会 いの 産 物と見 なすことが できます。 何 十 年 も前 の日 本 のコンテンポラリーアー トに 関 する主 要 な 議 論 を見 つけるのは 難しいでし ょう。それ は 、日 本と西 洋 の 文 化 の 重 なりという観 点 からの 現 代 性と近 代 性 の 議 論 を構 成 するもので
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back decades—that doesn’t frame the discussion of modernity and contemporaneity in terms of the imbrication of Japanese and Western cultures. And this kind of problematic occurs again and again throughout Asian artistic communities, with local distinctions of course, but a similar dynamic. I subscribe to Masahiro Ushiroshoji’s description of the shift from modern to contemporary Asian art: where modern art attempt to fuse the global and local at the level of practice to create something that superseded both, contemporary art operates in societies that are already the products of that fusion and transcendence. What differentiates Japan from other Asian countries is of course how deeply its history and sense of identity have been shaped by this relationship, which played out in the trauma of imperial conquest and defeat. What’s unique about contemporary art in Japan is that it has the option of confronting this history and its ghosts in the present. Of course there are infrastructural specificities that come from living in an established, advanced economy and a relatively stable society— numerous museums, active cultural organisations, a self-sustaining market—and Japanese art also has a strong history of collectivism, which is tentatively re-asserting itself, but the primary characteristic, if artists choose to accept it, is ontological. JH: In your own perspective how would you define ‘Survival’ or the definition of ‘Surviving’ for contemporary artists? RK: The meaning of survival will differ depending on who is doing the surviving. From an Australian perspective, there is an enormous difference between what surviving implies when it comes to indigenous and non-indigenous artists. It’s very complex, but I suspect that it’s this complexity that is central to a notion of survival when as applied in a general sense to contemporary artists. Because in advocating for survival, whether of individual artists, communities, practices, languages or histories, what we’re really advocating for is complexity. Without these survivals, contemporary art would move toward homogeneity, which I’m sad to say is its impulse when considered from the perspectives of institutions and markets. For curators, this means creating spaces for solidarities to form, between artists, between communities whose survival is under threat, and championing grassroots activity and self-organization. It also means fighting to calibrate the modes of address of our existing institutions to value complexity in artistic experience. Posterity—[noun] All future generations of people. (The artists’ names are recorded for posterity) Synonyms: future generations, succeeding generations, those who come after us, the future. Reference: To Unravel Our Readings of History. MOT 20th Anniversary Public Symposium. Reuben Keehan. Published by Museum of Contemporary Art Tokyo, 2014 203
はありません 。そして、この 種 の 問 題 は 、アジアのア ートコミュニティ全 体 で 何 度 も発 生します。もちろ ん 、地 域 の 違 いはありますが 似 ています。後 小 路 雅 弘 が 述 べ たアジアにおけるモダンアートからコンテ ンポラリーアートへ の 移 行 に 関 する記 述 は 、その 通 りだと思 います。彼 は 、モダンアートが 、実 践レベ ル でグ ロ ー バ ルとロ ーカルを融 合させ 、両 方 の 概 念 に 取って代 わるものを生 み 出 そうとし、コンテンポ ラリーアートは 、既 にそのような 融 合 や 超 越 による 産 物 である社 会 の 中で 機 能していると書 きました 。 日 本と他 のアジア 諸 国との 違 いは 、もちろん 、帝 国 時 代 の 征 服と敗 北 のトラウマによって展 開されたこ の 関 係 性 によって、歴 史とアイデンティティの 感 覚 がどれ ほど深く形 成されているかということです。 日 本 のコンテンポラリーアートのユニークな 点 は 、 歴 史とその 亡 霊 に 今 現 在 立ち向 かうという選 択 肢 が あることです。もちろん 、確 立された 先 進 的 な 経 済と比 較 的 安 定した 社 会 で 生 活 することから来る インフラの 特 異 性 もあります。つまり、多 数 の 美 術 館 、活 発 な 文 化 組 織 、自 立したマー ケットなどです。 そして日 本 美 術 には 集 団 主 義 の 強 い 背 景 もあり、こ れ が 一 時 的 にまた 台 頭していますが 、アー ティスト が それを受 け 入 れることを選 択した 場 合 の 主 な 特 徴 は 存 在 論 です。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 現 代のアーティストの 「 生 き残り」や「 生 存 」をどのように 定 義しま すか?これ から先アー ティストたちは 生 き残 るでしょうか? ル ー ベン・キ ーハン: 生 存 の 意 味 は 、生 き 残ろうとしている人 によって異 なります。オ ーストラ リア 人 の 視 点 で 言うと、先 住 民と非 先 住 民 のアー テ ィストにとって生 き残りが 意 味 するものには 大 きな 違 い が あります。とても複 雑 なことですが 、生 存とい う概 念 を一 般 的 な 意 味 でコンテンポラリーアー ティ ストに 適 用した 場 合 、この 複 雑さが 中 心 になると思 います。な ぜ なら、個 々のアー ティストやコミュニテ ィ、慣 習 、言 語 、歴 史 などの 生 き残りを主 張 する際 、 本 当に 主 張しようとするのは その 複 雑さだからで す。少し悲しいことですが 、機 関 やマー ケットの 観 点 から考 えた 場 合 、生 き残りが なけれ ば 、コンテン ポラリーアートは 均 一 性 へと移 行 するでしょう。キ ュレー ター の 観 点 からすると、これ はアー ティスト 間 、生 存 が 脅 威 にさらされているコミュニティ間 で 連 帯 を形 成 するためのスペースを作り、草 の 根 活 動 と自己 組 織 化 を擁 護 することを 意 味します。また 、 芸 術 的 な 経 験 の 複 雑さを重 視 するために 、既 存 の 制 度 の 関 わり方 を調 整 するために 戦うことも意 味 します。 後世– [名詞] すべての 将 来 の 世 代 の 人 々。 (アーティストの名 前は後 世のために記 録されます) 同 義 語:未 来 の 世 代 、後 世 、私 たちの 後 に 来る人 々、未 来 。 参 考 : 東 京 都 現 代 美 術 館 開 館 2 0 周 年 記 念シンポ ジウム 歴 史 の 配 合 , ル ー ベンキ ーハン 『 蓄 積され た 知と共 に 変 容 する実 践アジア・パシフイック・トリ エンナ ーレにおける「 現 代 性 』p . 6 発 行 所 東 京 都 現代美術館開館, 2014
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Haruko Kumakura
熊倉晴子
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Haruko Kumakura Interview 29.11.2019 b. 1983, Assistant Curator Mori Art Museum, Lives and works in Tokyo, Japan Interview conducted in Japanese
熊 倉 晴 子 インタビュー 2 0 1 9 年 1 1月2 9日
1 9 8 3 年 東 京 都 生 まれ 、同 地 在 住 。 森 美 術 館アシスタントキュレー ター インタビュー は日 本 語 で 行 わ れました
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JH: When you were first becoming a curator what was some of the difficulties and experiences you had to overcome and face? HK: It was difficult at first to pull many people together, organize information, and exchange opinions, pulling in one direction. It’s still difficult, but I’ve gradually learned how to do it. JH: What are some of the difficult issues facing artist and curators Today? (Perhaps especially in Relation to the context of Australia/Asia Pacific & Japan) HK: I think the economic difficulty is great. I don’t think it’s limited to contemporary artists. JH: Hans Ulrich Obrist says, ‘Curating always follows art; it’s not the other way around’. Yet the practice of the curator as it is finally beginning to be popularly understood extends beyond the Latin etymology of cura (care) into a constellation of different actions: Do you feel that exhibitions are often a collaboration between the artists and the curators? HK: I think there are cases like that, but I don’t think it is every time. JH: What do you think about the strategies of artist curating and developing their own exhibitions and programs? What is it that makes the curators role/work and artists role different? HK: Artists can be curators, and curators maybe an artist. It’s hard to answer because I don’t think what’s changing is always the same. However, in any case, I feel that it is more important to ‘do’, rather than the title and position, so I don’t think that the role is always important. JH: Art institutions can go from being both: a site of criticism: to a site for organizing new social activities and conceptual experiences. What are some of the things (art) institutions are doing to make connections between audiences, artists and society? HK: I think the practice of the learning team is an attempt to connect audiences, artists, and society. I thought it would be important for the curatorial and learning to work together, and I thought it was interesting, so I performed performances and walks with Agatha Gothe-Snape. I would like to continue this in the future. JH: How can an institution address the dichotomy between art as cultural entertainment and art as political inquiry?
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ホ ー ガン・ジェシ ー: キュレー ター になっ た当 初 、どのような 問 題 に 直 面し、乗り越 え なくては なりませんでしたか ? 熊 倉 晴 子: 多くの 人 をまとめ 、情 報 を整 理し、 意 見 を交 換し合 い な がら、ひとつの 方 向 へ 引っ張っ ていくの が 、最 初 は 困 難 でした 。今 も難しいですが 、 どのようにすれ ば 良い か が 少しず つ 分 かってきまし た。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 現 在 、アー ティストや キュレー ター は 、どのような 問 題 に 直 面して いますか ? 熊 倉 晴 子: 経 済 的 な 困 難 は 大 きいと思 います。 現 代 のアー ティストに 限ったことでは ないと思 いま すが 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 展 覧 会 はアー ティス トとキュレー ター のコラボレーションである ことが 多 いと思 いますか ? 熊 倉 晴 子: そういうケ ースもあると思 います が 、毎 回 では ないと思 います。 ホ ー ガン・ジェシ ー: アー ティスト自身によ るキュレーションや 展 覧 会 、プログラム 開 発 の 戦 略 についてどう思 いますか ? キュレー ター の 役 割 や 作 品 が 、アー ティストの 役 割と の 一 線 を画 すものは 何 ですか ? 熊 倉 晴 子: アー ティストもキュレー ター にな れ ますし、キュレー ター もアー ティストにな れるかも しれません 。役 割 の 一 線 を画 すものはいつも同じで は ないと思うので、答 えるのは 難しいです。しかし、 いず れ にせよ、どのようなタイトルや 役 職 であるか ということよりも、何 をやるのか が 重 要 な 気 が する ので、いつも役 割( の 名 前 )が 重 要 であるとは 考 え ていません 。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 美 術 機 関 は 、批 判 の 場と、新しい 社 会 活 動 や 概 念 的 経 験 をまと める場 のどちらにもなり得ると思 います。オ ー ディエンスやアー ティスト、社 会 の 間 でこ れらの 繋 がりを作るために 、美 術 機 関 は 何 をしていますか? 熊 倉 晴 子: ラーニング チ ームの 実 践 は 、オ ー デ ィエンスやアー ティスト、社 会 を繋ぐための 試 みだ と思 います。キュレトリアルとラーニング がより協 働してゆくことが 重 要 だと思 いましたし、面 白いと 思ったので、アガサと一 緒 にパフォーマンスやウォ ークなどを実 施しました 。今 後 もさらに 継 続して実 施していきたいと思っています。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 文 化 的 娯 楽としての アートと政 治 的 探 求としてのアートとの 間 の 二 面 性 に 、どのようにして機 関 は 対 処 できる のでしょうか 。また 、これを仲 介 するキュレ ー ター の 役 割 は 何 ですか ?この 役 割 は 、アー ティストの 役 割とはどう違 いますか ?
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What is the role of the curator in mediating this? How does this compare to the artist’s role? HK: It’s a difficult question, and I’m not sure if I understand it or not, but the Mori Art Museum is a facility with an emphasis on the cultural entertainment of art. I want to make it happen. Institutions and facilities have their roles and purposes, and it is not easy to change, but we, including curators, make good use of their existence to implement projects and exhibitions that are meaningful to both sides. I think is possible. The artist thinks where the exhibition is important to the work, and may not be so important, and there are various ideas, so it cannot be generalized here. It’s just my feeling. JH: Cultural re-appropriation is a two way street. It flows in both directions. Since modernism and modernization in Japan— Japanese Modern & Contemporary art has functioned with and without reference, connection and relation to the formulas, structure, aesthetics, style, and concepts of western International (global) art. From your perspective could you describe some of the unique approaches Japanese artists have developed to contemporary art? Or/Could you describe some of the unique approaches to contemporary art in Japan? HK:
It’s not an easy question to answer. JH: In your own perspective how would you define ‘Survival’ or the definition of ‘Surviving’ for contemporary artists? How do you think artists will survive to create their artistic legacy in the world and Art History, from now and into the future?
HK:
熊 倉 晴 子: 難しい 質 問 です ね 。理 解 できている か 少し自 信 が ないですが 、森 美 術 館 は 美 術 の 文 化 的 娯 楽 に 重 点 を置く性 格 の 施 設 です。だからこそ 可 能 な 政 治 的 芸 術 の 探 求というもの が 確 か にあって、 それを実 現したいと思っています。機 関 、施 設 には その 役 割 や目 的 が あり、それ は 簡 単 には 変 わりませ んが 、キュレー ター を始 めとする我 々が 、その 存 在 をうまく利 用して、双 方 にとって意 味 のあるプロジ ェクトや 展 覧 会 などを実 施 するのは 可 能 だと思っ ています。展 示 をする場 所 がアー ティストの 作 品 に とって重 要 な 場 合 もあるし、そう重 要 でない 場 合 も あると思うし、いろんな 考 えが あると思うので、ここ で 一 般 化 することはできません 。あくまで 私 の 実 感 というところです。 ホ ー ガン・ジェシ ー: 文 化 の 再 流 用 は 双 方 向 に 流 れています。日 本 におけるモダニズ ム とポストモダニズ ムにおいて、日 本 の 近 現 代 美 術 は 、西 洋 の 国 際 的 な 芸 術 の 公 式( 構 造 ) 、美 学( スタイル )とコンセプト(アイデア )の 参 照 、接 続 、関 連 の 有 無 に 関 わらず、機 能し てきました 。熊 倉さんの 観 点 から、日 本 のア ー ティストが 現 代 美 術 において発 展させた 独 自のアプロ ー チについて教 えてください 。 または日 本 の 現 代 美 術 に 対 するユニークな 取り組 みについてお 話しください 。 熊 倉 晴 子: ね。
ホ ー ガン・ジェシ ー: 熊 倉さん自身の 観 点 で、現 代 のアー ティストの「 生 き残り」や「 生 存 」をどのように 定 義しますか?これ から先 アー ティストたちは 生 き残るでしょうか?( 芸 術 的 遺 産と芸 術 史 を考 慮してください ) 熊 倉 晴 子: 生 き残ると思 います。簡 単 では ない かもしれ ないですけど。
I think I will survive. It may not be easy.
(Translated Text)
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簡 単 に 答 えられる質 問 では ないです
Haruko Kumakura / 熊 倉 晴 子
Artists Biographies
アーティスト 伝記
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Jesse Hogan
ホ ー ガン・ジェシ ー
b. 1982, Sydney, Australia, lives and works between The Blue Mountains, Sydney, Australia & Tokyo, Japan.
1 9 8 2 年 オ ーストラリア・シドニー 生 まれ 。シドニー と東 京 を拠 点 に 活 動 中 。
Jesse Hogan Ph.D. completed a Doctoral Degree in Fine Arts at Tokyo University of the Arts (2020), a Masters of Fine Arts at Tokyo University of the Arts (2017), A Masters of Art Education at the University of Western Sydney (2009), and a Bachelor of Fine Arts (Honours) at Sydney College of the Arts (2005). Hogan works across multiple mediums with a particular interest in art spaces as critical sites of spatial, cultural, aesthetic, and sociopolitical development. Understanding the exhibition conditions as non-neutral, Hogan plays with a host of artistic practices that engage with installation as a complex topography of art language and interconnected practice. He is currently working on paintings as well as several curatorial and publication projects with Japanese and Australian contemporary artists. Recent solo exhibitions include: Floor Talks & Installs ‘entries & exit points’, Galerie Pompom, Sydney (2021), _unknowns, Midori. So Gallery, Tokyo (2019), Collective Objects, Choice is Yours, Morioka (2019), Disorder and Minimal Aesthetics, Alaska Projects, Sydney (2018) Social Concrete, Wieden + Kennedy, Tokyo (2018), The Continuous Hassle of Disbelief, Yuga Gallery, Tokyo (2017) Fields & Regions, SPVI at Turner Gallery, Tokyo (2014) and Floor Talks, First Draft, Sydney (2012). Julie Louise Bacon b. United Kingdom, Lives and works in Sydney, Australia Lecturer in Experimental Arts, Performance and Sculpture, UNSW Art & Design, Sydney Australia. Dr Julie Louise Bacon is a curator, artist and writer. Her research focuses on contemporary shifts in the way that time is experienced and understood as the relationship between cultures and technologies change, and scientific theories about matter and worlds evolve. She has devised and delivered arts programmes and commissions in academic research posts in Australia and the UK. She has directed curatorial and executive roles in art centres in England, Québec and Northern Ireland, and through her extensive independent curatorial practice. Yuki Okumura b. 1978 Aomori, Japan Lives and works between Maastricht, Brussels, and Tokyo Artist and translator Yuki Okumura completed a Doctoral Degree in Fine Arts at Tokyo University of the Arts (2012), a Masters of Fine Arts at Tokyo National University of Fine Arts and Music (2004), and a Bachelor of Fine Arts at Tama Art University, Tokyo 213
2 0 0 5 年シドニー・カレッジ・オブ・アーツ美 術 科 卒 業 ( 優 等 ) 、2 0 0 9 年 ウェスタンシドニー 大 学 美 術 教 育 科 修 士 課 程 修了 、2 0 1 7 年 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 修 士 課 程 修了 、2 0 2 0 年 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 博 士 後 期 課 程 修了 。 空 間 的 、文 化 的 、美 的 、社 会 政 治 的 な 発 展 の 場と してのギャラリー や 美 術 館 の 文 脈 に 興 味 を持ち、 複 数 のメディウムを用 いて作 品 を制 作 する。展 示 会 の 条 件 を非 中 立 的 なものと解 釈し、インスタレ ーションをアートランゲ ー ジ および 相 互 に 関 連し た 実 践 の 複 雑 な 構 造 概 要として用 い 、多 数 の 芸 術 実 践 を試 みる。現 在 は 、日 本 および オ ーストラ リアのコンテンポラリーアー ティストと共 に 複 数 のキュレーションや出 版プロジェクトに 携 わるほ か 、ペインティングも制 作 する。近 年 の 主 な 展 示 には 、 「Floor Talks & Installs ‘entries & exit points’」 ( ギャラリー ポムポム 、ニュー ジ ーランド、2 0 2 1 )、 「_unknowns」 ( みどり荘 、東 京 、2 0 1 9 )、 「Collective Objects」 (Choice i s Y o u r s 、盛 岡 、2 0 1 9 )、 「Disorder and Minimal Aesthetics」 (アラスカプロジェク ト、シドニー 、2 0 1 8 )、 「 社 会コンクリート」 (ワイ デン+ケネディギャラリー 、東 京 、2 0 1 8 )、 「The Continuous Hassle of Disbelief」 (東京藝 術 大 学 油 画 ギャラリー 、東 京 、2 0 1 7 )、 「Fields & Regions, SPVI」 ( ター ナ ー ギャラリー 、東 京 、2 0 1 4 )、 「Floor Talks」 (ファースト・ドラフ ト、シドニー 、2 0 1 2 )が ある。 ジュリー・ベ ーコン 博 士 英 国 生 まれ 。シドニー 在 住 。 オ ーストラリアのニュー サウスウェールズ 大 学 美 術・デ ザイン 部 にて実 験 美 術 、パフォーマンス 、彫 刻 の 講 師 を務 めるキュレー ター 、アー ティスト、ライ ター 。近 年 文 化とテクノロジ ー の 関 係 が 変 化し、物 質 や 世 界 に 関 する科 学 的 理 論 が 進 化 するな かで、 時 間 の 感じ方 や 解 釈 の 仕 方 の 推 移 を中 心 的 に 研 究 する。オ ーストラリアと英 国 において、アートプログ ラムの 提 供 および 学 術 研 究 職 のコミッションを行 う。また 、広 範 囲 にわたる独 自のキュレーションの 実 践 を生 かし、イングランドやケベック、北アイルラ ンドにおいてキュレー ター および 役 員 の 役 割 を担っ てきた 。 奥村 雄樹
1 9 7 8 年 に 青 森 市 で 生 まれ 。現 在ブリュッセルと マーストリヒトで 暮らすアー ティスト。 アー ティストと翻 訳 者 の 奥 村 雄 樹 は 、2 0 0 4 年 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 修 士 課 程 修了 、2 0 1 2 年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程 修了 。 プロジェクトの 多くは 近 過 去 の 美 術 史 にお ける特 定 の 領 域 に 彼 自身の 人 生 や 夢 想 を挿 入 す
Artists Biographies / アー ティスト 伝 記
(2002). In many of his projects, Okumura inserts his own life and fantasy in a specific area of recent art history, reactivating it in the present timeframe as a site of uncertainty that develops through everchanging interpersonal relations, driven by his belief in the essential parallelity of worlds and the ultimate interconnectedness between individuals. Recent “solo” exhibitions include “Hisachika Takahashi by Yuki Okumura (2016 | Maison Hermè Le Forum | Tokyo | Curated by Reiko Setsuda), ‘Welcome Back, Gordon Matta-Clark’, Statements, Tokyo (2017), “Na(me/am)” (2018 | Convent | Ghent | Organized by Jeroen Staes and Wouter De Vleeschouwer) and “29,771 days— 2,094,943 steps” (2019, LA MAISON DE RENDEZVOUS | Brussels | Presented by MISAKO & ROSEN). Atelier Ranzan Studio Gakudai Kawasumi Yohei Watanabe Yuki Takahashi Ryu Takeda Atelier Ranzan is an Artist Run Studio in the outskirts of Tokyo’s north western suburbs positioned close to a small mountain of the same name, Ranzan ( 嵐山) which means Storm Mountain. The studio was started around the end of 2017 by Gakudai Kawasumi, who together with the others in the group renovated the place where an old electroplating factory was originally located. The Ranzan members mostly Masters and post graduates from Tokyo University of the Arts, Tama BI, and Musashino Art University, converted the old factory into communal living areas, built a gallery, made large multi-purpose studios with vegetable gardens, installed a hot tub and cleared a BBQ area. The artists consider the need for an autonomous space outside the market driven sectors of the Tokyo art scene, favoring a more organic integration of everyday life into their art making practice. For over two years Atelier Ranzan has built and deconstructed the studio buildings, held numerous group and solo shows, and invited international artists to live and collaborate on projects on site at the storm garden factory. Mitsuo Abe b. 1981, Shinjuku, Tokyo, Japan. Cinematographer, Video Director Mitsuo Abe was Born in Shinjuku, Tokyo, Japan. He spent his youth in Northern Japan before becoming a photographer in Tokyo. At the same time as working as a freelance photographer and artist, he worked as an editor in post-production making Television contents, video clips and commercials. He has also worked on several Digital Projection Mapping projects for festivals and art events in Japan and in Europe. Around 2016, besides working as a commercial photographer in Tokyo, Abe has been present in Europe for his works. Especially in fashion 214
ることでそれを現 在 に 転 送させて生 身の 人 間 同 士 の 関 係 性 によって変 化 する不 確 定 的 な 場として再 展 開させるものだが 、その 根 底 にあるのは 世 界 の 本 質 的 な 平 行 性 や 個 々人 の 究 極 的 な 連 結 性 へ の 確 信 にほ か ならない 。近 年 の 主 な「 個 」展 に「 奥 村 雄 樹 による高 橋 尚 愛 」 ( 2 0 1 6|銀 座 メゾンエルメ スフォーラム|企 画:説 田 礼 子 )や「 N a ( m e / a m ) 」 ( 2 0 1 8|コンヴェント|ゲント|企 画:イェロエ ン・スタースとヴァウター・デ・フレースハワー )や 「 2 9 7 7 1日– 2 0 9 4 9 4 3 歩 」 ( 2 0 1 9|ラ・メゾン・ デ・ランデヴ ー|ブリュッセル|企 画:ミサコ&ロ ー ゼン )などが ある。 アトリエー 嵐 山スタジ オ 川角 渡邉 髙橋 武田
岳大 庸平 佑基 龍
埼 玉 県 中 部 の 位 置 するアー ティスト・ラン・スペー ス 。近くには 同じ名 前 をもつ 嵐 山(らんざん )が あ る。川 角 岳 大 が 、2 0 1 7 年 末 頃 に 元 々はめっき工 場 だったスペースを仲 間と一 緒 に 改 装して立ち上 げ た 。メンバー は 、主 に 東 京 藝 術 大 学 、多 摩 美 術 大 学 、武 蔵 野 美 術 大 学 の 修 士 課 程 や 博 士 過 程 の 修了 者 である。古 い 工 場 を共 同 のリビング スペースに 改 装し、ギャラリー を構 え 、菜 園 を併 設 する大 きな 多 目 的 スタジ オを作り、風 呂を取り付 け、B B Q エリア を整 えた 。メンバー たちは 、東 京 の 市 場 主 義 のアー トシ ーンから独 立したスペースの 必 要 性 に 注 目し、 日 常 生 活 を制 作 活 動 の 中 により有 機 的 に 取り入 れ ることを好 む 。この2年 間 、スタジ オの 構 築・解 体 を 行 い 、多 数 のグル ープ 展 や 個 展 を開 催し、国 際 的 に 活 動 するアー ティストを招 いてアトリエに 滞 在して もらい 、プロジェクトのコラボレーションを行って きた 。 阿 部ミツオ
1 9 8 1 年 東 京 都 新 宿 区 生 まれ 。映 像 撮 影 監 督 。 東 北 で 育ち、上 京して写 真 の 道 に 進 む 。フリーラン スの 写 真 家 兼アー ティストとして活 動 するかたわ ら、テレビコンテンツ、ビ デ オクリップ、C M 制 作 の ポストプロダクションエディター を務 める。日 本と ヨ ー ロッパ において、芸 術 祭 やアートイベント向 の デジタルプロジェクションマッピングも手 が けてき た 。2 0 1 6 年 頃 から東 京 で 商 業 写 真 を撮りつつ 、自 身の 作 品 制 作 のためにヨ ー ロッパでも活 動 する。フ ァッションポ ートレートとライフスタイル 写 真 を専 門とし、商 業 的 な 側 面と芸 術 的 な 要 素 を含 む 作 品 を制 作 する。最 近 は 、様 々な 背 景 を持ち人 生 を歩 ん できた 個 人 や 友 人 を対 象 にしたビ デ オドキュメンタ リーシリーズ に 携 わっている。経 験 に 基 づ いた 貴 重 な 価 値 観 や 知 識 を活 かして「 生 き残る美 学 ©ビ デ オ インタビューシリーズ 」に 貢 献 。 アキレス・ハッジ ス
1 9 8 1 年 ベネズ エラ生 まれ 。現 在 は 東 京 に 住 んでい ます。
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
portraiture and life style photography. He considerers two aspects to his work—a commercial side and an artistic side. Recently Abe has been working on a series of personal video documentaries about individuals and friends from various backgrounds and walks of life. From this experience Abe has contributed valuable perspectives and knowledge to the Survival Aesthetics © Video Interview Series. Aquiles Hadjis b. 1981 Venezuela, Lives and works in Tokyo, Japan Born in Venezuela (1981) and based in Tokyo for the past decade. Aquiles Hadjis’ practice combines strategies from visual arts and improvisation to drive his performances, installations, and instrument building. As a MEXT scholar he was a researcher at the Japanese Painting department and later received MFA (2014) and PhD (2017) degrees from the Oil Painting department at Tokyo University of the Arts for his work with sound installations and experimental musical instruments. Linking the idea of prototypes to sketching, he thinks of both as thought that has solidified only slightly, enough to do things it cannot do inside the mind, but still malleable enough to exist as a frame for conversations that beckon the unknown. Many of his works give voice to malfunctioning and unpredictable systems whose conversations he arranges and moderates. Most of his pieces are designed to be transformed through use and can be encountered simultaneously as sound installations, stages, and musical instruments that create raw, warm soundscapes as they tangle around each other and their viewers/players. He has performed and shown his work in the US, Japan, Germany, Austria, Venezuela, Korea, Taiwan and Hong Kong among other places. 4649/MUMEI Yuu Takamizawa Shogo Shimizu Yasuaki Hamada Fuyumi Murata 4649 /よろしく is a collective of artists who practice a wide variety of contemporary art methods, together directing and managing a small independent art gallery in the suburbs of Tokyo. Pronounced ‘Yoroshiku’ . ... it is the phonic representation of the four numbers 4 6 4 9 however it also means ‘Welcome, nice to meet you’. The four directing artists, Yuu Takamizawa, Shogo Shimizu, Yuhei Kobayashi and Yasuaki Hamada have hosted numerous exhibitions by visiting international artists and independent galleries, collaborative gallery exchanges, and have also participated in several International art fair’s including Art/Basel Miami, Hong Kong Art fair, as well as others in Melbourne, Los Angles and New York. 215
1 0 年 前 から東 京 を拠 点 に 活 動し、ビジュアルアー トと即 興 の 戦 略 を組 み 合 わせ 、パフォーマンス 、イ ンスタレーション、楽 器 製 作 を 行う。文 部 科 学 省 奨 学 生として東 京 藝 術 大 学 日 本 画 科 の 研 究 員を務 め た 後 、サウンドインスタレーションや 実 験 的 な 楽 器 を用 いた 作 品 で、2 0 1 4 年 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 修 士 課 程( 油 画 専 攻 )修了 、2 0 1 7 年 同 大 学 院 博 士 後 期 課 程 修了 。プロトタイプとスケッチを 結 びつけて思 考として捉 え 、多 少 凝り固 まっている ものの 、頭 の 中では 行 えないことを可 能 にし、未 知 なるものを 招く会 話 のための 枠 組として存 在 する 柔 軟 性 を持ち合 わせていると考 える。作 品 の 多く は 、機 能 不 全 で 予 測 不 可 能 なシステムに 声 を与 え 、 生 まれてきた 会 話 のアレンジ や 調 節 を行う。鑑 賞 者 や 演 奏 者 を巻 き込 むことで 生 々しいありのままのサ ウンドスケ ープを生 み 出すサウンド・インスタレー ション、ステ ー ジ、楽 器 を制 作 することが 多く、使 用 することで 変 化 するように 設 計されており、全 て同 時 に 鑑 賞 可 能 である。これまでにアメリカ 、日 本 、ド イツ、オ ーストリア、ベネズ エラ、韓 国 、台 湾 、香 港 な どで 展 示 や 演 奏 を行ってきた 。 4649/MUMEI 高 見 澤 ゆう 清水 将吾 濱田 泰彰 MUMEI 村田 冬美
4 6 4 9 は 、多 種 多 様 なコンテンポラリーアートの 手 法 を実 践 するアー ティスト集 団 であり、東 京 都 内 の 小さな 独 立 系 ギャラリー のディレクションと運 営 を 手 が けている。スペースの 名 前 に 関しては 、数 字 の 語 呂 合 わせで「ヨロシク」と発 音される。高 見 澤 ゆ う、清 水 将 吾 、小 林 優 平 、濱 田 泰 彰 の4人 のアー テ ィストが ディレクションを行 い 、国 内 外 のアー ティ ストや 独 立 系 ギャラリー 、ギャラリーエクスチェン ジ のコラボレーションによる多 数 の 展 示 を開 催 。さ らに 、メル ボ ルンやロサンジェルス 、ニューヨ ークな どで 開 催された 国 際アートフェアに 加 え 、アート・ バー セル・マイアミ・ビー チや 香 港アートフェアなど にも参 加 。 M U M E I は 、アートの 街 である東 京 都 江 東 区 清 澄 白 河 の 東 京 都 現 代 美 術 館 から数 軒 先 にあ るアー ティスト・ラン・スペース 。2 0 1 7 年 、アー ティ ストたちが 元 相 撲 部 屋 を改 装して共 同 で 立ち上 げ た 。村 田 冬 美 が ディレクションを行 い 、国 内 外 から 新 進アー ティストや 既 に 地 位 を 確 立しているアー テ ィストを招 き、個 展 やグル ープ 展 を開 催している。 また 、その 他 のアー ティスト・ラン・イニシアティブ と共 に 様 々なギャラリー や 展 示 のエクスチェンジプ ロジェクトを行う。 長谷川 祐子 京 都 生 まれ 、現 在 は 東 京と金 沢 に 住 んでいます。 金沢21世紀美術館 館長 / 東京藝術大学大学 院 国 際 芸 術 創 造 研 究 科 教 授 キュレー ター / 美 術 批 評 。京 都 大 学 法 学 部 卒 業 。東 京 藝 術 大 学 美 術 研 究 科 修 士 課 程 修了 。水 戸 芸 術 館 学 芸 員 、ホイ ットニー 美 術 館 客 員 キュレー ター 、世 田 谷 美 術 館
Artists Biographies / アー ティスト 伝 記
MUMEI is a collectively managed Artist Run Space located in the artistic suburb of Kiyosumi Shirakawa in the Koto-Ku city ward of Tokyo, several blocks from MOT/Tokyo Museum of Contemporary Art. Begun in 2017, the Co-Op of Artists refurbished the building which was previously the boarding house and Dojo of a stable of Tokyo’s professional Sumo wrestlers. Directed by Fuyumi Murata, MUMEI has shown solo and group exhibitions of emerging and establish Japanese and International artist as well as initiating a diverse series of gallery and exhibition exchanges with other Artist Run Initiatives. Yuko Hasegawa b. Kyoto Japan, Lives and works in Tokyo and Kanazawa, Japan Professor Yuko Hasegawa, one of the world’s foremost curators, a former Professor at Tama Art University, and currently Professor of Global Arts GA Program at Tokyo University of the Arts. Prof. Hasegawa has Curated and been involved in the Curation of many seminal exhibitions both in Japan and Globally around the world. She has worked with the Top Galleries, artists, and museums, was the Artistic Director of the Museum of Contemporary Art Tokyo/MOT (until 2020), and is now Director of The 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Prof. Hasegawa is known for her work in various biennales including the 7th Moscow Biennale (Curator, 2017), 11th Sharjah Biennale (Curator, 2013), 12th Venice Biennale of Architecture (Artistic Advisor, 2010), the 29th Sao Paulo Biennale (CoCurator, 2010), the 4th Seoul International Media Art Biennale (Co-Curator, 2006), and the 7th Istanbul Biennial (Curator, 2001). Recently curated exhibitions include Fukami: A Plunge into Japanese aesthetics at Hotel Salmon de Rothschild, Paris (2018), Japanorama: New Vision on Art Since 1970 at Centre Pompidou-Metz (2017), and Kishio Suga: Situations at Pirelli Hangar Bicocca, Milan (2016). Hirofumi Isoya b. 1978 Japan, Currently Lives and works in Tokyo, Japan Born 1978 in Tokyo. Artist. Studied architecture before pursuing his graduate studies in intermedia art at the Tokyo University of the Arts, and fine art on the Associate Research Program at Goldsmiths College, University of London. His work reevaluates the consistency of perception and the integrated conception of time through media such as sculpture, photography and drawing, and through their mutual interaction. Recent main exhibitions include: “Go, go, go, said the bird: humankind cannot bear very much reality”, SCAI PIRAMIDE, Tokyo, 2021; “Interaction: Souls in Synchronicity” Toyama Glass Art Museum, Toyama, 2020; “Together We Stand” Bendana | Pinel, Paris, 2020; “Syncopation: Contemporary encounters 216
学 芸 員 、金 沢 2 1 世 紀 美 術 館 学 芸 課 長 及 び 芸 術 監 督 、M O T / 東 京 都 現 代 美 術 館 学 芸 課 長 及 び 参 事 を経 て、2 0 2 1 年 4 月から現 職 。犬 島「 家プロジェ クト」アー ティスティック・ディレクター 。文 化 庁 長 官 表 彰( 2 0 2 0 年 )、フランス 芸 術 文 化 勲 章( 2 0 1 5 年 )、ブラジル 文 化 勲 章( 2 0 1 7 年 )を受 賞 。これま でイスタンブール( 2 0 0 1 年 )、上 海 ( 2 0 0 2 年 ) 、 サンパウロ ( 2 0 1 0 年 ) 、シャルジャ( 2 0 1 3 年 )、モ スクワ( 2 0 1 7 年 )、タイ( 2 0 2 1 年 )などでのビエン ナ ーレや、フランスで日 本 文 化 を紹 介 する「 ジャパ ノラマ:日 本 の 現 代アートの 新しいヴィジョン 」、 「 ジャポニスム 2 0 1 8:深 み へ ― 日 本 の 美 意 識 を求 めて― 」展 を含 む 数 々の 国 際 展 を企 画 。国 内 では 東 京 都 現 代 美 術 館 にて、ダムタイプ、オラファー・エリ アソン、ライゾマティクスなどの 個 展 を手 が けた 他 、 坂 本 龍 一 、野 村 萬 斎 、佐 藤 卓らと「 東 京アートミー ティング 」シリーズ を共 同 企 画した 。主 な 著 書 に 、 『 キュレーション 知と感 性 を揺さぶる力 』、 『「 な ぜ? 」から始 める現 代アート』、 『 破 壊しに 、と彼 女 たち は 言う:柔らか に 境 界 を横 断 する女 性アー ティスト たち』など。 磯谷 博史
1 9 7 8 年 東 京 都 生 まれ 。 美 術 家 。東 京 藝 術 大 学 建 築 科 を卒 業 後 、同 大 学 大 学 院 先 端 芸 術 表 現 科 および、ロンドン 大 学ゴ ール ドスミスカレッジ、アソシ エイトリサ ー チプログラ ムで 美 術 を 学 ぶ 。写 真 、彫 刻 、ドロ ー イング、それら 相 互 の 関 わりを通して、事 物 へ の 認 識 を再 考して いる。プロジェクトスペース s t a t e m e n t s ( 2 0 1 6 ~ 2 0 1 8 ) の 共 同 ディレクター 。 近 年 の 主 な 展 覧 会 に「『さあ 、もう行 きなさい 』鳥 は 言う『 真 実 も 度 を越 すと人 間 には 耐 えられ ないから』」( S C A I P I R A M I D E 、東 京 、2 0 2 1 ) 、 「 インタラクション : 響 きあうこころ」( 富 山 市ガラス美 術 館 、富 山 、2 0 2 0 ) 、 「 T o g e t h e r W e S t a n d 」( B e n d a n a | P i n e l 、 パリ、2 0 2 0 ) 、 「シンコペーション : 世 紀 の 巨 匠 た ちと現 代アート」( ポ ーラ美 術 館 、神 奈 川 、2 0 1 9 ) 、 「 六 本 木クロッシング 2 0 1 9 : つないでみる」 ( 森 美 術 館 、東 京 、2 0 1 9 ) 、「 L e s p e c t r e d u s u r r é a l i s m e ポンピドゥー・センター 4 0 周 年 記 念 展 」( A t e l i e r d e s F o r g e s 、アルル 、2 0 1 7 ) な ど。来 春 には 、小 海 町 高 原 美 術 館 にて個 展 を控 え る。主 な 作 品 の 収 蔵 先 に 、ポンピドゥー・センター ( パリ) 、サンフランシスコ 近 代 美 術 館 ( サンフランシ スコ ) など。 保科 豊巳
1 9 5 3 年 長 野 県 生 まれ / 元 東 京 藝 術 大 学 大 教 授 。 2 0 2 0 年 まで 東 京 藝 術 大 学 の 副 学 長 、美 術 学 部 の 学 部 長 ならび に 研 究 科 長 を務 めた 。1 9 8 4 年 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 博 士 後 期 過 程 を修了 。 「 ま 派 」とも呼 ば れたポストもの 派 の 世 代 の 先 頭 に 立ち、主 に 絵 画 、彫 刻 、パフォーマンス 、インスタ レーション 制 作 を行った 。2 0 0 2 年 から 2 0 0 3 年 には 、米 国と欧 州 の 環 境アートインスタレーション における新しい 可 能 性 を追 求 するため 、文 部 科 学 省 在 外 研 究 員として渡 米 。2 0 1 0 年 、 「アートと海
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
with the Modern Masters” POLA MUSEUM OF ART, Kanagawa, 2019; “Roppongi Crossing 2019: Connexions” Mori Art Museum, Tokyo, 2019; “The specter of surrealism -An Exhibition Celebrating the 40th Anniversary of The Centre Pompidou” Atelier des Forges, Arles, France, 2017 etc. His upcoming exhibition will be held at Koumi-machi Kougen Museum of Art next spring. Isoya was a co-director of the project space, “statements”, for two years. His work is in the permanent collection of The Centre Pompidou, Paris, San Francisco Museum of Modern Art, San Francisco. Toyomi Hoshina
アガサ・ゴ ス - スネイプ
1 9 8 0 年 オ ーストラリア・シドニー 生 まれ 。 シドニー 在 住 。
b. 1953 Nagano, Japan Prof. Toyomi Hoshina was Senior Professor of the Department of Oil Painting in The Faculty of Fine Arts at Tokyo University of the Arts until 2020, where he was also The School of Arts Vice President. He Graduated from the Tokyo University of the Arts Graduate School of Fine Arts with a Doctorate Degree in 1984. He led the Post-Mono-ha generation also known as Ma-ha or ‘School of Space’, focusing his practice on painting, sculpture, performance, and environmental installation. 2002~2003 he visited America as a Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology research worker, in order to inquire about the new possibility of the environmental art installation of the US and Europe. He organized the first Setouchi Triennale “Story of the Island Art Project” in Shodoshima in Kagawa Prefecture in 2010. As an artist, his works were displayed at “Paris Biennale” at the Paris Citizen Museum of Art in 1982; the 2nd Echigo-Tsumari Triennale in 2003; the “International Media Art Biennale” in Beijing, China in 2008; the Ichihara Biennale “3D Landscape Painting Project” in 2014; and many other exhibitions. From 2016 he has led several other regional arts festivals, biennials, and triennale’s across Japan, including the Sky Arts festival—天空の芸術祭長野県東御市—Life is Art 展in his native village of Tomi-City, Nagano Prefecture, Japan. Agatha Gothe-Snape b. 1980 Sydney, Australia, Lives and works in Sydney Agatha Gothe-Snape is a practicing Conceptual Artist from Sydney, Australia. Relatively unconfined by fine art genre or medium, for over a decade or so Agatha’s practice has traversed conceptual limitations of the image, the body, language, authorship and the art spaces in which these bodies of work are applied. Agatha’s recent major projects have included participation in the 20th Biennale of Sydney, Wrong Solos’ Certain Situations’ IMA Brisbane, ‘You and Everything that is Not You’, 2019 —The National—New Australian Art 2017/2019/2021, Rhetorical Chorus, 2017 Performance Space Sydney, Every Artist Remembered with Ama Josephine 217
を巡る百 日 間 の冒 険 」と題 する第 一 回 瀬 戸 内 国 際 芸 術 祭 をプロデュース 。代 表 的 な 展 示 に 、 「 パリ・ ビエンナ ーレ」 ( パリ私 立 近 代 美 術 館 、パリ、1 9 8 2 )、 「 大 地 の 芸 術 祭 越 後 妻 有トリエンナ ーレ」 (新 潟 、2 0 0 3 )、 「 国 際 メディアアートビエンナ ーレ」 ( 北 京 、2 0 0 8 )、市 原ビエンナ ーレ展「3D山 水 画プ ロジェクト」 ( 千 葉 、2 0 1 4 )などが ある。2 0 1 6 年よ り、 「天空の芸術祭」 ( 長 野 県 東 御 市 )、 「ライフイ ズアート展 」 ( 長 野 県 東 御 市 )など、日 本 全 国 で 芸 術 祭 やビエンナ ーレ、トリエンナ ーレを手 が けてい る。
コンセプチュアルアートを実 践 するアー ティスト。 ファインアートのジャンルやメディウムの 範 囲 を 超 えて活 動 する。1 0 年 以 上 にわたり、イメー ジ や 体 、言 語 、オ ー サ ーシップ、作 品 の 実 体 が 適 用され るアートスペースにおいて概 念 的 な 限 界 を扱って きた 。近 年 の 代 表 的 なプロジェクトには 、 「Wrong Solos’s “Certain Situations”」 ( I M A 、ブリ スベン、2 0 1 9 )、 「You and Everything that is Not You」 ( ザ・ナショナル 、シドニー 、2 0 1 7 、2 0 1 9 、2 0 2 1 )、 「 修 辞 学 的コ ーラス 」 ( パフォー マスペース 、シドニー 、2 0 1 7 )、 「Every Artist Remembered with Ama Josephine Budge」 (フリーズ・ロンドン、ロンドン、2 0 1 7 年 1 0 月 4 日 )、 《 オ ー・ウィンドウ》 「 M A M プロジェ クト 0 2 3:アガサ・ゴ ス = スネイプ 」 ( 森 美 術 館 、東 京 、2 0 1 7 )などが ある。 ル ー ベン・キ ーハン
1 9 7 5 年 オ ーストラリア 生 まれ 。ブリスベン 在 住 。 クイーンズランド州 立 美 術 館 | 現 代 美 術 館アジア 現 代 美 術 キュレー ター 。2 0 1 2 年 、2 0 1 5 年 、2 0 1 8 年 および 2 0 2 1 年 に「アジアパシフィック現 代 美 術トリエンナ ーレ」( A P T )の 企 画 に 携 わる。公 共 セクター や N P O 、アー ティスト主 導 のセクターで の 経 験 が 長く、2 0 0 6 年 から 2 0 1 1 年 まではシド ニー のアートスペースでキュレー ター を務 めた 。 近 年 手 が けた 代 表 的 な 展 示 には 、 「アジアパシ フィック現 代 美 術トリエンナ ーレ」に 加 え 、 「We can make another future: Japanese art after 1989」 (クイーンズランド州 立 美 術 館 | 現 代 美 術 館 、2 0 1 4 )、 「Burn What You Cannot Steal」 ( ギャラリーノヴァ、ザグレブ、2 0 1 1 )などが ある。また 、草 間 彌 生 やアーメット・オ ー グット、ラ ケル・オルメーリャの 個 展 も担 当 。シンガポ ール 国 立 美 術 館 、クイーンズランド州 立 美 術 館 | 現 代 美 術 館 、インドネシアのマチャン 博 物 館 で 開 催された「 草 間 彌 生:L i f e i s t h e H e a r t o f a R a i n b o w 」 において、アデ ール・タンとラッセル・ストアラーと 共 にキュレー ター を務 めた 。東 京 都 現 代 美 術 館 、 国 立 国 際 美 術 館 、シンガポ ール 美 術 館 、クイーン ズランド州 立 美 術 館 | 現 代 美 術 館 を巡 回した「 他 人 の 時 間 」のキュレーションを、崔 敬 華 、橋 本 梓 、 ミシェル・ホ ーと共 に 手 が けた 。さらに 、片 岡 真
Artists Biographies / アー ティスト 伝 記
Budge, 4th October 2017, Frieze London, and ‘Oh Window’ “MAM Project 023: Agatha Gothe-Snape,” Mori Art Museum, Tokyo, 2017, with many other exhibitions, projects, commissions, and works in museum collections. Agatha Gothe-Snape is represented by The Commercial, Sydney. Reuben Keehan b. 1975 Australia, Lives and works in Brisbane Reuben Keehan is Curator of Contemporary Asian Art at Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art, where he has been a curator for the 2012, 2015, 2018 and currently 2021 editions of the Asia Pacific Triennial of Contemporary Art (APT). With a long history in the public, non-profit and artist-driven art sectors, he was previously Curator at Artspace, Sydney (2006–11) and editor of its journal Column (2008–11). In addition to the APT series, Reuben’s recent exhibitions have included We can make another future: Japanese art after 1989 (QAGOMA, 2014) and Burn what you cannot steal (Gallery Nova, Zagreb, 2011), and solo exhibitions by Yayoi Kusama, Ahmet Ögüt, Raquel Ormella and many others. He was co-curator, with Adele Tan and Russell Storer of Yayoi Kusama: Life is the Heart of a Rainbow (2017-18) at National Gallery Singapore, QAGOMA, and MACAN, Jakarta; with Che Kyongfa, Hashimoto Azusa and Michelle Ho, of Time of Others (2014-15), which evolved between the Museum of Contemporary Art, Tokyo, National Museum of Art, Osaka, Singapore Art Museum and QAGOMA; and, with Mami Kataoka and Gabriel Ritter, of Out of Doubt: Roppongi Crossing (2013), the Mori Art Museum’s triennial survey of Japanese art. Since the late 1990s, he has also written widely for publications such as Artforum, Flash Art and Bijutsu Techo, and he is currently an editorial advisor and occasional contributor to di’van | A Journal of Accounts. His work focuses on artistic engagements with the public sphere, with an emphasis on the Asia-Pacific. Specialist interests include East and Southeast Asian contemporary art, histories of Japanese art after 1980, and intra-Asian artist networks and collaborations.
実 、ガブリエル・リッターと共 に 森 美 術 館 で 行 わ れた「 六 本 木 クロッシング 2 0 1 3 展:アウト・オブ・ ダウト」のキュレー ター も務 めた 。1 9 9 0 年 代 後 半より A r t f o r u m 、F l a s h A r t 、美 術 手 帖 などへ の 寄 稿 多 数 。現 在 は 、d i ’ v a n | A J o u r n a l o f A c c o u n t s の 編 集アドバイザ ー を務 め 、不 定 期 で 寄 稿 も行う。アジア 太 平 洋 を中 心 に 、公 的 な 領 域 に おける芸 術 の 関 与 に 焦 点 を当てている。特 に 興 味 が あるのは 、東 南アジアの 現 代 美 術 、1 9 8 0 年 以 降 の日 本 の 歴 史 、およびアジア 人アー ティスト同 士 の ネットワークやコラボレーション。 熊倉 晴子
1 9 8 3 年 東 京 都 生 まれ 、同 地 在 住 。森 美 術 館アシス タントキュレー ター 。 多 摩 美 術 大 学 でメディアアート学 士 号 、美 術 史 の 修 士 号 を取 得 。企 画した 主 な 展 覧 会 に 2 0 1 6 年 「 M A M リサ ー チ 0 0 3:ファンタジ ー・ワールド・ス ーパ ーマー ケット」、2 0 1 7 年「 M A M プロジェクト 0 2 3 :アガサ・ゴ ス - スネイプ 」、「 サンシャワー: 東 南アジアの 現 代 美 術 展 」、 「 六 本 木クロッシング 2 0 1 9 展:つないでみる」など。 ポ ール・グラッドストーン 教 授 英 国 生 まれ 。シドニー 在 住 。 シドニー のニュー サウスウェールズ 大 学 において ジュディス・ニールソンプロジェクト初となる現 代 美 術 主 任 教 授 を務 める。欧 州 で 初 めて批 判 理 論 に 特 化したセンター を設 立したノッティンガム 大 学 において、修 士 課 程 および 博 士 後 期 過 程 を修了 。 現 代 美 術 、とりわけ 批 判 理 論 に 関 する文 章 を多 数 執 筆 。1 0 年 以 上 にわたり中 国 国 内 外 において、批 判 的 情 報 に 基 づ いた「 中 国 の 現 代 美 術 に 関 する 研 究 」の 発 展 に 多 大 な 影 響 を与 えてきた 。著 書 に は 、第 9 回 中 国 美 術 賞 ( 2 0 1 5 年 ) で「 最 優 秀 出 版 賞 」を受 賞した C o n t e m p o r a r y C h i n e s e A r t , Aesthetic Modernity and Zhang Peili: T o w a r d s a C r i t i c a l C o n t e m p o r a n e i t y( 現 代 中 国 美 術 、美 学 、現 代 性 、チャン・ペリ: 批 判 的 な 同 時 代 に 向 けて)( 2 0 1 9 年 ) などが ある。
Haruko Kumakura b. 1983 Tokyo, Assistant Curator Mori Art Museum, Lives and works in Tokyo, Japan Haruko Kumakura is an independent writer and assistant curator at Mori Art Museum, Tokyo. She received a B.A. in Media art and an M.A. in Art History at Tama Art University, Tokyo. She has worked on several exhibitions including Lee Bul: From Me, Belongs to You, Only (2011), Aida Makoto: Monument for Nothing (2012), All You Need Is Love: From Chagall to Kusama and Hatsune Miku (2013), and Roppongi Crossing 2013: OUT OF DOUBT” (2013). Her recent curated exhibitions have included MAM Research 218
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
003: Fantasy World Supermarket (2016), MAM Project 023: Agatha Gothe-Snape, SUNSHOWER: Contemporary Art from Southeast Asia 1980s to Now (2017) and Roppongi Crossing 2019: Connexions. Prof. Paul Gladston b. United Kingdom, Lives and works in Sydney, Australia Paul Gladston is the inaugural Judith Neilson Chair Professor of Contemporary Art at the University of New South Wales, Sydney. Paul received a Masters degree and a Ph.D. in Critical Theory from the University of Nottingham, the first in Europe to establish a dedicated centre for critical theory. He has written extensively about contemporary art with particular reference to the concerns of critical theory and has impacted significantly for more than a decade on the development of a critically-informed Chinese Contemporary Art Studies, within and outside greater China. His book-length publications include Contemporary Chinese Art: A Critical History (2014), awarded ‘best publication’ at the 9th Awards of Art China (2015), and Contemporary Chinese Art, Aesthetic Modernity and Zhang Peili: Towards a Critical Contemporaneity (2019).
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Artists Biographies / アー ティスト 伝 記
Acknowledgements
This project would like to acknowledge the generous support and assistance of Yurika Sugie and Susan Bui of The Japan Foundation, Sydney. To Curatorial Program Manager Con Gerakaris, Artistic Director/CEO Amrit Gill, Assistant Curator Reina Takeuchi, and Engagement and Development Manager Mariam Arcilla at 4A Centre for Contemporary Asian Art for their consultation and support for the 4A Online Panel Discussion for Survival Aesthetics. Sincere gratitude is extended to Prof. Paul Gladston & UNSW for his contributions and reflections on the project as the Judith Neilson (Chair) of Contemporary Art at the University of New South Wales, Sydney, and as 4A X UNSW Online Moderator. Jesse Hogan is sincerely grateful to Tokyo University of the Arts and the Panel of Academic Supervisors who supported this project in the research stage of its development including, Prof. Toyomi Hoshina, Prof. Yuko Hasegawa, Associate Prof. Hiroshi Sugito, Associate Prof. Michael Schneider, Assistant Prof. Taro Shinoda, and Assistant Curator at Mori Art Museum, Haruko Kumakura. Jesse Hogan would also like to extend this thanks to all of the participating artists and curators for their willingness to share their practice and philosophy, and their contributions to this project. Acknowledgement extends to Director of Photography Mitsuo Abe whose dedication and technical brilliance made the video documentary of the interviews possible. A warm thanks extends to Rina Nozawa for her patience and hard work translating and editing many complex dialogues, terms and text. To Yuki Okumura for his assistance in translation and research. A very special thanks to Chihiro Yamagami for her endless support, and assistance as transcription editor. I warmly thank Andrew Darragh (Small Tasks) for the enduring design work of this publication. To all who have shown support and dedication to actualize the publication of this project series I am endlessly thankful. And lastly, to my family and friends who have been the pillars of support, I am infinitely in debt to you! This project has been made possible with your unending love, commitment and understanding. 220
Survival Aesthetics © Interview Series / 生 き残る美 学 © インタビューシリーズ
謝辞
本 プ ロ ジェクトを 進 め る に あ たり 、国 際 交 流 基 金 シドニ ー 日 本 文 化 センタ ー の 杉 江 優 里 香 氏 とスー ザ ン・ブイ 氏 か らサ ポ ートとご 支 援 を い た だ きました 。御 礼 を 申し 上 げ ま す。4 A 現 代 ア ジ ア 美 術 センタ ー の アシス タントキュレ ー タ ー 、コン・ジェラカリス 氏 、アー ティス ティック・ディレクタ ー / C E O の アムリット・ジル 氏 、アシ ス タントキュレ ー タ ー の 竹 内 麗 奈 氏 , エン ゲ ー ジメントと 開 発 マ ネ ー ジ ャ ー : マリアム・アル シラ 氏 , か らは 、 「 生 き 残 る 美 学 」オンラ インパ ネ ル ディス カッション に 関 す るコン サル ティン グ お よび サ ポ ートを い た だ きました 。感 謝 い たしま す。ニュ ー サ ウスウェ ー ルズ 大 学 の ポ ー ル・グ ラッドスト ーン 教 授 か らは 、同 大 学 に お けるジュ ディス・ニ ー ルソンプ ロ ジェクトの 現 代 美 術 主 任 教 授 として、ま た 4 A とニュ ー サ ウスウェ ー ルズ 大 学 間 の オンライン モ デ レ ー タ ー としてプ ロ ジェクトに 貢 献 い た だ い たことに 感 謝 の 意 を 表 しま す。 保 科 豊 巳 教 授 、長 谷 川 祐 子 教 授 、杉 戸 洋 准 教 授 、ミヒャエ ル・ シュナ イダ ー 准 教 授 、篠 田 太 郎 准 教 授 、森 美 術 館 ア シス タントキ ュレ ー タ ー の 熊 倉 晴 子 氏 を は じ め 東 京 藝 術 大 学 お よ び 指 導 教 員 の 皆 様 に は 、本 プ ロ ジェクトの 研 究 段 階 か らご 支 援 を い た だ きま し た 。深 く感 謝 し 御 礼 を 申 し 上 げ ま す。 本 プ ロ ジェクトにご 参 加 、ご 貢 献 い た だ き 、実 践 やご 意 見 を 積 極 的 にご 共 有 い た だ い た 全 ての ア ー ティストや キュレ ー タ ー の 方 々に も 感 謝 い たしま す。熱 意 と 傑 出 し た 技 術 を もって イン タビ ュ ー の ビ デ オ を 記 録 に 収 めてくだ さっ た 撮 影 監 督 の 阿 部 ミツ オ 氏 に 、御 礼 を 申 し 上 げ ま す。複 雑 な テ キストや 用 語 、対 話 など を 辛 抱 強 く翻 訳・編 集 してくだ さっ た 野 沢 里 菜 氏 に 、感 謝 い たしま す。翻 訳 と 研 究 の ご 支 援 を い た だ い た 奥 村 雄 樹 氏 に 、御 礼 を 申 し 上 げ ま す。本 書 の デ ザ イン をご 担 当 い た だ い た S m a l l T a s k s の アンドリ ュ ー・ダ ラ 氏 に 感 謝 しま す。 テ ープ 起 こし 担 当 編 集 者 として 尽 きることの な い サ ポ ートと 支 援 を 与 えてくれ た 山 上 千 裕 氏 に 、心 か ら 感 謝 しま す。本 プ ロ ジ ェクトシリ ーズ の 出 版 を 実 現 す る た め の サ ポ ートを 与 え 、専 念 し てくだ さっ た 全 ての 方 に は 、感 謝 の 念 に 堪 え ま せ ん 。最 後 に 、尽 き ることの な い 愛 と 献 身 、理 解 を 示 してこの プ ロ ジェクトを 可 能 にし てくれ た 家 族 と 友 人 た ち に は 一 生 分 の 恩 を 感 じ て い ま す。ありが とうご ざ い まし た 。 221
Acknowledgements / 謝辞
Survival Aesthetics © Interview Series On Post Contemporary Art Practice in Japan
生 き残る美 学 © インタビューシリーズ 日 本 におけるポスト現 代 美 術 の 実 践
Interviews & Texts Jesse Hogan Ph.D. Mitsuo Abe Prof. Julie Bacon Prof. Paul Gladston
インタビューと文 章 ジェシ ー・ホ ー ガン 博 士 阿 部 ミツオ ジュリー・ベ ーコン 教 授 ポ ール・グラッドストーン 教 授
Translations Rina Nozawa Chihiro Yamagami Yuki Okumura
翻訳 野沢 里菜 山上 千裕 奥村 雄樹
Transcriptions Chihiro Yamagami
書 き起こし 山上 千裕
Director of Photography Mitsuo Abe
撮影監督 阿 部 ミツオ
Editing Rina Nozawa
編集 野沢 里菜
Design Small Tasks
デ ザイン Small Tasks
Published by The Japan Foundation, Sydney
発行所 国 際 交 流 基 金シドニー
Supported by 4A Centre for Contemporary Asian Art X UNSW
協力 4A 現 代アジア 美 術 センター X UNSW
First published September 2021
2021年9月 初版発行
© 2021 Jesse Hogan and The Japan Foundation, Sydney. All rights reserved .
© 2021 ジェシ ー・ホ ー ガンおよび 国 際 交 流 基 金シ ドニー 無 断 転 用 禁 止
ISBN 978-0-6451243-3-0
ISBN 978-0-6451243-3-0
This publication has been generously supported and presented by The Japan Foundation, Sydney in partnership and with project support from 4A Centre for Contemporary Asian Art, UNSW | Art & Design, and Tokyo University of the Arts.
4 A 現 代アジア 美 術 センター 、ニュー サウスウェー ルズ 大 学アート・デ ザイン 学 部 、東 京 藝 術 大 学 から のお力 添 え 及 び、国 際 交 流 基 金シドニー からの 多 大 なる支 援 を賜り、本 書 の出 版 が 実 現しました 。
Tokyo University of the Arts
Survival Aesthetics © [On Behalf Of Other People] [Collapse Structure —Against All Logic]
生き残る美学 © [その他の人々を代表して] [崩壊した構造 — 全ての論理に反して]
Survival Aesthetics © Interview Series On Post Contemporary Art Practice in Japan Interviews & Texts Jesse Hogan Ph.D. Mitsuo Abe Prof. Julie Bacon Prof. Paul Gladston Translations Rina Nozawa Chihiro Yamagami Yuki Okumura
All images courtesy of the artist Jesse Hogan and Director of Photography Mitsuo Abe unless stated otherwise. Pages 192 MAM PROJECT 23: Agatha Gothe-Snape, 2017. Photo by Mikuriya Shinichiro. Photo courtesy of Mori Art Museum, Tokyo and the artist. Page 196 Image courtesy of Reuben Keehan Page 204 Image courtesy of Haruko Kumakura
Transcriptions Chihiro Yamagami Director of Photography Mitsuo Abe Editing Rina Nozawa Design Small Tasks Published by The Japan Foundation, Sydney Supported by 4A Centre for Contemporary Asian Art X UNSW First published September 2021 © 2021 Jesse Hogan and The Japan Foundation, Sydney. All rights reserved . ISBN 978-0-6451243-3-0 This publication has been generously supported and presented by The Japan Foundation, Sydney in partnership and with project support from 4A Centre for Contemporary Asian Art, UNSW | Art & Design, and Tokyo University of the Arts.
写 真 提 供 : 全 て芸 術 家 ホ ー ガン・ジェシ ー と撮 影 監 督 : 阿 部ミツオ Page 192 MAM PROJECT 23: アガサ・ゴ ス - スネイプ , 2017 撮 影 : 御 厨 慎 一 郎 . 写 真 提 供 : 森 美 術 館と芸 術 家 Page 196 画 像 提 供 : ル ー ベン・キ ーハン Page 204 画像提供: 熊倉晴子
Tokyo University of the Arts
Survival Aesthetics © [On Behalf Of Other People] [Collapse Structure —Against All Logic]
生き残る美学 © [その他の人々を代表して] [崩壊した構造 — 全ての論理に反して]
JESSE HOGAN YUKI OKUMURA ATELIER RANZAN MITSUO ABE AQUILES HADJIS 4649/MUMEI YUKO HASEGAWA HIROFUMI ISOYA TOYOMI HOSHINA AGATHA GOTHE-SNAPE REUBEN KEEHAN HARUKO KUMAKURA
Tokyo University of the Arts